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       茗荷谷 みやうがだに

「おう、 いちご いちご だ、 飛切 とびきり いちご だい、 まか つた まか つた。」

  小石川 こいしかは 茗荷谷 みやうがだに から 臺町 だいまち あが らうとする 爪先 つまさき あが り。 兩側 りやうがは 大藪 おほやぶ があるから、 ぞく くら がり ざか とな へる ぐらゐ たけ そら とざ して 眞暗 まつくら なか から、 烏瓜 からすうり はな 一面 いちめん に、 しろ ほし のやうな はなびら いて、 東雲 しのゝめ いろ さつ す。 さか うへ はう から、 いちご だ、 いちご だ、と 威勢 ゐせい よく よば はりながら、 跣足 はだし ですた/\と りて る、 一名 いちめい わつぱ がある。

  うれ しくツて/\、 雀躍 こをどり をするやうな あし どりで、「やつちあ まか つたい。おう、 まか つた、 まか つた、わつしよい/\。」

 やがて さか 下口 おりくち て、もう 一足 ひとあし で、 やぶ くら がりから 茗荷谷 みやうがだに ようとする とき

「おくんな。」と つて、 やぶ した をちよこ/\と た、 こゝの ツばかりの をとこ 脊丈 せたけ より 横幅 よこはゞ はう ひろ いほどな、 提革鞄 さげかばん ふる いのを、 幾處 いくところ 結目 むすびめ こしら へて かた から なゝ めに 脊負 せお うてゐる。

 これは 界隈 かいわい 貧民 ひんみん で、つい 茗荷谷 みやうがだに うへ る、 補育院 ほいくゐん とな へて 月謝 げつしや らず、 とき とすると、 讀本 とくほん すみ るゐ ほどこし て、 其上 そのうへ 通學 つうがく する の、 ぐら しの 親達 おやたち 父親 ちゝおや なり、 母親 はゝおや なり、 ひさ しく わづら つたり、 あめ 降續 ふりつゞ いたり、 窮境 きうきやう てられない 憂目 うきめ ふなんどの 場合 ばあひ には、 教師 けうし なさけ 手當 てあて ることさへある、 ゐん といふが 私立 しりつ 幼稚園 えうちゑん をかねた 小學校 せうがくかう 通學 つうがく するので。

  いま 大塚 おほつか 樹立 こだち はう から さつ 光線 くわうせん 射越 いこ して、 つゆ 煌々 きら/\ する 路傍 ろばう くさ へ、 ちひ さな 片足 かたあし れて、 うへ から りて もの みち ひら いて 待構 まちかま へると、 まへ とは ちが ひ、 ゆる う、のさ/\と あら はれたは、 藪龜 やぶがめ にても ひき にても…… 蝶々 てふ/\ 蜻蛉 とんぼ 餓鬼大將 がきだいしやう

  駄々 だゞ ぬて、 泣癖 なきくせ いたらしい。への なり 曲形口 いがみぐち りやう 頬邊 ほゝべた 高慢 かうまん すぢ れて、 しぶ いたやうな 顏色 がんしよく 。ちよんぼりとある うす まゆ どう やらいたいけな つくり だけれども、 鬼薊 おにあざみ はな かとばかりすら/\と びて、 わる 天窓 あたま でも でてやつたら てのひら さゝ りさうでとげ/\しい。

  着物 きもの まを すまでもなし、 つち 砂利 じやり 松脂 まつやに あめ ぼう 等分 とうぶん ぜて 天日 てんぴ かわか したものに ほか ならず。

  勿論 もちろん 素跣足 すはだし で、 小脇 こわき かく したものを その まゝ つて たが、 れば、 目笊 めざる なか 充滿 いつぱい ながら んだ いちご であつた。

  わつぱ 猿眼 さるまなこ ちひさ いのを ると 苦笑 にがわらひ をして、

「おゝ!  吉公 きちこう か、ちよツ、」

 と 舌打 したうち 生意氣 なまいき なもの ひで、

おどろ かしやがつた、 いや になるぜ。」

  いちご ぬす んだものであつた。

明治三十五年十二月