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城崎を憶ふ
泉鏡花

  あめ が、さつと 降出 ふりだ した、 停車場 ていしやば いた とき で―― 天象 せつ はな くだしである。 あへ 字義 じぎ 拘泥 こうでい する 次第 しだい ではないが、 あめ はな みだ したやうに、 夕暮 ゆふぐれ しろ かつた。やゝ 大粒 おほつぶ えるのを、もし たなごころ にうけたら、 つめた く、そして、ぼつと あたゝか えたであらう。 そら くら く、 かぜ つめ たかつたが、 温泉 まち 但馬 たじま 五月 ごぐわつ は、 さわやか であつた。

  くるま ほろ ふか くしたが、 あめ そゝ いで、 鬱陶 うつたう しくはない。 兩側 りやうがは たか 屋並 やなみ つたと おも ふと、 立迎 たちむか ふる やま かげ みどり めて、 とともに うご いて く。まだ 暮果 くれは てず あかる いのに、 れつゝ、ちらちらと ひとも れた 電燈 でんとう は、 つばめ さかな のやうに なが して、 しづか 谿川 たにがは つた。 ながれ ほそ い。 よこ ふた つ、 つゞ いて 木造 もくざう はし 濡色 ぬれいろ ひか つた、 これ 旅行案内 りよかうあんない つた 圓山川 まるやまがは そゝ ぐのである。

  景色 けしき なか を、しばらくして、 もん やなぎ くゞ り、 帳場 ちやうば らつしやい――を よこ いて、 ふか 中庭 なかには 青葉 あをば くゞ つて、 べつ にはなれに かま へた 奧玄關 おくげんくわん くるま いた。 旅館 りよくわん 合羽屋 かつぱや もおもしろい。

 へい、ようこそお しで。 挨拶 あいさつ とともに 番頭 ばんとう がズイと てのひら 押出 おしだ して、 だま つて 顏色 かほいろ うかゞ つた、 ぼん うへ には、 湯札 ゆふだ と、 手拭 てぬぐひ つて、 うへ 請求書 せいきうしよ 、むかし「かの」と つたと くが ごと 形式 けいしき のものが 飜然 ひらり とある。おや/\ 前勘 まへかん か。 いな うでない。…… とく いち 三等 さんとう 相場 さうば づけである。 温泉 をんせん あめ たなごころ にぎ つて、 がものにした 豪儀 ごうぎ きやく も、ギヨツとして、 れは 悄氣 しよげ る…… はず ところ を…… また うでない。 じつ 一昨年 いつさくねん 出雲路 いづもぢ たび には、 仔細 しさい あつて 大阪朝日新聞 おほさかあさひしんぶん 學藝部 がくげいぶ 春山氏 はるやまし 大屋臺 おほやたい 後見 こうけん について た。 此方 こつち だま つて、 特等 とくとう 、とあるのをポンと ゆび のさきで すと、 番頭 ばんとう 四五尺 しごしやく する/\と さが つた。( 百兩 ひやくりやう をほどけば ひと をしさらせる) 古川柳 こせんりう たい して はづ かしいが( 特等 とくとう といへば 番頭 ばんとう をしさり。)は 如何 いかん ?  串戲 じようだん ぢやあない。が、 事實 じじつ である。

  棟近 むねちか やま かけて、 一陣 いちぢん かぜ わた つて、まだ かすか かげ のこ つた 裏櫺子 うられんじ たけ がさら/\と 立騷 たちさわ ぎ、 前庭 ぜんてい 大樹 たいじゆ かへで みどり おさ へて くも くろ い。「 かぜ ました、もう あが りませう。」「これはありがたい、お れい ふよ。」「ほほほ。」ふつくり 色白 いろじろ で、 おび をきちんとした 島田髷 しまだまげ 女中 ぢよちう は、 白地 しろぢ 浴衣 ゆかた 世話 せわ をしながら わら つたが、 なに かく さう、 唯今 たゞいま 雲行 くもゆき に、 雷鳴 らいめい をともなひはしなからうかと、 氣遣 きづか つた ところ だから、 土地 とち 天氣豫報 てんきよはう の、 かぜ はれ 、に 感謝 かんしや へう したのであつた。

 すぐ 女中 ぢよちう 案内 あんない で、 おほき 宿 やど しる した 番傘 ばんがさ を、 前後 あとさき そろ へて 庭下駄 にはげた 外湯 そとゆ く。 景勝 けいしよう 愉樂 ゆらく きやう にして、 内湯 うちゆ のないのを 遺憾 ゐかん とす、と ふ、 贅澤 ぜいたく なのもあるけれども、 なに 青天井 あをてんじやう 、いや、 したゝ 青葉 あをば しづく なか なる 廊下 らうか つゞ きだと おも へば、 わた つて とほ はし にも、 かは にも、 細々 こま/″\ とからくりがなく 洒張 さつぱ りして 一層 いつそう い。 本雨 ほんあめ だ。 第一 だいいち れた いへ なか くやうな、 かさ さした 女中 ぢよちう なゝめ そで も、 振事 ふりごと のやうで 姿 すがた がいゝ。

 ―― はきび/\と あつ かつた。 つと くび ツたけある。 たれ の?…… れた こと 拙者 せつしや のである。 ところ で、 のくらゐ あつ やつ を、と かほ をざぶ/\と 冷水 れいすゐ あら ひながら はら なか 加減 かげん して、やがて、 る、ともう あめ あが つた。 もち おもりのする 番傘 ばんがさ に、 片手腕 かたてうで まくりがしたいほど、 のほてりに 夜風 よかぜ つめた こゝろよ さは、 横町 よこちやう 錢湯 せんたう から 我家 わがや かへ おもむき がある。 たゞ 往交 ゆきか 人々 ひと/″\ は、 みな 名所繪 めいしよゑ 風情 ふぜい があつて、 なか には ねぐら 立迷 たちまよ 旅商人 たびあきうど さま えた。

  なら んだ ぜん は、 土地 とち 由緒 ゆゐしよ と、 奧行 おくゆき をもの がた る。 突張 つツぱ ると はづ れさうな たな から 飛出 とびだ した 道具 だうぐ でない。 くら から あら はれた うつは らしい。 御馳走 ごちそう は――

たひ 味噌汁 みそしる 人參 にんじん 、じやが、 青豆 あをまめ とり わん たひ 差味 さしみ 胡瓜 きうり 烏賊 いか のもの。 とり 蒸燒 むしやき 松蕈 まつたけ たひ 土瓶蒸 どびんむし かう のもの。 青菜 あをな 鹽漬 しほづけ 菓子 くわし いちご

所謂 いはゆる 貧僧 ひんそう のかさね どき で、ついでに 翌朝 よくてう ぶん しる して く。

しゞみ 白味噌汁 しろみそしる 大蛤 おほはまぐり 味醂蒸 みりんむし ならび 茶碗蒸 ちやわんむし ふき 椎茸 しひたけ つけあはせ、 蒲鉾 かまぼこ はち 淺草海苔 あさくさのり

  おほき はまぐり ウばかり。( ちう 、ほんたうは 三個 さんこ )として、 しゞみ 見事 みごと だ、 わん さら もうまい/\、と あわ てて 瀬戸 せと ものを かじ つたやうに、 おぼ えがきに しる してある。 おぼ かた はいけ 粗雜 ぞんざい だが、 料理 れうり はいづれも 念入 ねんい りで、 分量 ぶんりやう 鷹揚 おうやう で、 いさゝか もあたじけなくない ところ うれ しい。

  三味線 さみせん 太鼓 たいこ は、よその 二階三階 にかいさんがい 遠音 とほね いて、 わたし は、ひつそりと 按摩 あんま はな した。 按摩 あんま どのは、 團栗 どんぐり ごと とが つた あたま で、 黒目金 くろめがね けて、 しろ 筒袖 つゝそで 上被 うはつぱり で、 革鞄 かはかばん げて、そくに つて、「お 療治 れうぢ 。」と あら はれた。―― 勝手 かつて ちが つて、 わたし 一寸 ちよつと 不平 ふへい だつた。が、 按摩 あんま よろ しう、と 縁側 えんがは つたのでない。 此方 こちら から んだので、 術者 じゆつしや 來診 らいしん 氣組 きぐみ だから 苦情 くじやう へぬが おどろ いた。 たちま ち、 縣下 けんか 豐岡川 とよをかがは 治水工事 ちすゐこうじ 第一期 だいいつき 六百萬圓 ろつぴやくまんゑん なり 、と むね らしたから、 ひと すくみに つて、 内々 ない/\ 期待 きたい した 狐狸 きつねたぬき どころの 沙汰 さた でない。あの、 かた とも みづうみ とも えた…… むし 寂然 せきぜん として しづ んだ いろ は、 おほい なる 古沼 ふるぬま か、 千年 ちとせ 百年 もゝとせ ものいはぬ しづ かな ふち かと おも はれた 圓山川 まるやまがは 川裾 かはすそ には―― 河童 かつぱ か、 かはうそ は?……などと かうものなら、はてね、 やうなものが くぢら ゑさ にありますか、と りかねない いきほひ で。 ひと おどろ かされたのは、 おも ひのほか、 さかな 結構 けつこう だ、と つたのを 嘲笑 あざわら つて、つい 津居山 つゐやま 漁場 ぎよぢやう には、 たひ すゞき もびち/\ ねて ると、 てのひら かた ねた。よくせき 土地 とち 不漁 しけ れば、 佐渡 さど から 新潟 にひがた へ……と いた とき は、 枕返 まくらがへ し、と 妖怪 ばけもの つたも 同然 どうぜん 敷込 しきこ んだ 布團 ふとん つて、 きた から みなみ ひつ くりかへされたやうに 吃驚 びつくり した。 たび 劍術 けんじゆつ 出來 でき なくても、 學問 がくもん があれば うは おどろ くまい。だから 學校 がくかう なま けては 不可 いけな い、 したが つて をそ はつた こと わす れては 不可 いけな い、 但馬 たじま 圓山川 まるやまがは そゝ ぐのも、 越後 ゑちご 信濃川 しなのがは そゝ ぐのも、 ふね ではおなじ うみ である。

  わたし 佐渡 さど ところ は、 上野 うへの から 碓氷 うすひ えて、 ゆき 柏原 かしはばら 關山 せきやま 直江津 なほえつ まはりに 新潟邊 にひがたへん から、 佐渡 さど 四十五里 しじふごり なみ うへ 、と るか、 きかするものだ、と うつか りして た。 七日前 なぬかぜん 東京驛 とうきやうえき から 箱根越 はこねごし 東海道 とうかいだう 。―― わか つた/\―― 逗留 とうりう した 大阪 おほさか を、 今日 けふ 午頃 ひるごろ つて、あゝ、 祖母 おばあ さんの ふところ 昔話 むかしばなし いた、 くり がもの ふ、たんばの くに わざ りて 篠山 さゝやま えき のプラツトホームを 歩行 ある くのさへ、 重疊 ちようでふ つらな やま れば、 くま おもひ がした。 酒顛童子 しゆてんどうじ 大江山 おほえやま 百人一首 ひやくにんいつしゆ のお ぢやう さんの、「いくのの みち 」もそれか、と 辿 たど つて、はる/″\と 城崎 きのさき で、 佐渡 さど おき ふね んで、キラリと 飛魚 とびうを 刎出 はねだ したから、きたなくも おびや かされたのである。―― ばん もお 總菜 さうざい さけ 退治 たいぢ た、 北海道 ほくかいだう さん である。 ちや うけに 岡山 をかやま のきび 團子 だんご べた ところ で、 咽喉 のど つま らせる はふ はない。これしかしながら たび こゝろ であらう。――

  はやゝ けた。はなれの 十疊 じふでふ 奧座敷 おくざしき は、 圓山川 まるやまがは 一處 ひとところ りたほど、 森閑 しんかん ともの さび しい。あの 大川 おほかは は、いく 銀山 ぎんざん みなもと に、 八千八谷 はつせんやたに りに つて なが れるので、 みづ たぐひ なく やはら かに なめらか だ、と また 按摩 あんま どのが 今度 こんど こゑ しづ めて はな した。 豐岡 とよをか から あひだ 夕雲 ゆふぐも 低迷 ていめい して 小浪 さゝなみ 浮織 うきおり もん いた、 漫々 まん/\ たる 練絹 ねりぎぬ に、 汽車 きしや まど から をのばせば、 あし 葉越 はごし に、 さは ると れさうな おもひ とほ つた。 たび たのし い、 また さび しい、としをらしく ると、 なに が、そんな こと 。……ぢきその 飛石 とびいし わた つた 小流 こながれ から、お まへ さん、 苫船 とまぶね 屋根船 やねぶね 炬燵 こたつ れて、 うつく しいのと 差向 さしむか ひで、 湯豆府 ゆどうふ みながら、 うた いで、あの 川裾 かはすそ から、 玄武洞 げんぶどう 對居山 つゐやま まで、 雪見 ゆきみ 洒落 しやれ さへあります、と ふ。 うなじ てた とま ふなばた 白銀 しろがね に、 珊瑚 さんご そで るゝ とき ふね はたゞ ゆき かつ いだ 翡翠 ひすゐ となつて、 しろ みづうみ うへ ぶであらう。 氷柱 つらゝ あし 水晶 すゐしやう に――

     金子 かね ちから 素晴 すば らしい。

     わたし かはうそ のやうに、ごろんと た。

     さう して ゆめ 小式部 こしきぶ た。

     うそ け!

 ピイロロロピイ――これは けて、 晴天 せいてん とび いた こゑ ではない。 翌朝 よくてう 一風呂 ひとふろ キヤ/\と び、 手拭 てぬぐひ しぼ つたまゝ、からりと れた 天氣 てんき さに、 かは きし 坦々 たん/\ とさかのぼつて、 來日 くるひ みね かた むか つて、 晴々 はれ/″\ しく 漫歩 ぶらつ した。 九時頃 くじごろ だが、 商店 しやうてん まち 左右 さいう きやく つのに、 人通 ひとどほ りは 見掛 みか けない。 しづか ほそ まち を、 四五間 しごけん ほど まへ つて、 小兒 こども かと おも ちひ さな 按摩 あんま どのが 一人 ひとり ふえ きながら 後形 うしろむき くのである。ピイロロロロピイーとしよんぼりと く。トトトン、トトトン、と ゆる く、 其處等 そこら 藝妓屋 げいしやや で、 朝稽古 あさげいこ 太鼓 たいこ おと 、ともに なん となく みどり したゝ やま ひゞ く。

 まだ 羽織 はおり ない。 手織縞 ておりじま ちや つぽい あはせ そで に、 鍵裂 かぎざき 出來 でき てぶら さが つたのを、 うで くやうにして ふえ にぎ つて、 片手 かたて むか うづきに つゑ 突張 つツぱ つた、 小倉 こくら かひ くち が、ぐたりと さが つて、 すそ のよぢれ あが つた 痩脚 やせずね に、ぺたんことも ゆが んだとも、 おほ きな 下駄 げた 引摺 ひきず つて、 前屈 まへかゞ みに 俯向 うつむ いた、 瓢箪 へうたん 俯向 うつむき に、 出額 おでこ しり すぼけ、 なさけ らず ことさ らに いたやうなのが、ピイロロロピイと 仰向 あふむ いて いて、すぐ、ぐつたりと また 俯向 うつむ く。 かぎ なりに まち まが つて、 みづ おと のやゝ こえる、 ながれ はや はし すと、 また みち れた。 突當 つきあた りがもうすぐ 山懷 やまふところ る。 其處 そこ 町屋 まちや を、 うま 沓形 くつがた 一廻 ひとまは りして、 振返 ふりかへ つた かほ ると、 ひたひ かく れて くぼ んだ、 あご のこけたのが、かれこれ四十ぐらゐな とし であつた。

 うか/\と、あとを 歩行 ある いた はう 勝手 かつて だが、 かれ 勝手 かつて 超越 てうゑつ した 朝飯前 あさめしまへ であらうも れない。 ふえ むね ひゞ く。

  わたし 欄干 らんかん たゝず んで、 かへ りを 行違 ゆきちが はせて 見送 みおく つた。おなじやうに、 あるひ かたむ き、また 俯向 うつむ き、さて ふえ あふ いで いた、が、やがて、 みち なか ば、あとへ 引返 ひきかへ した ところ で、 あらた めて つかる ごと 下駄 げた とゞ めると、 一方 いつぱう 鎭守 ちんじゆ やしろ まへ で、ついた つゑ を、 ちやう 小脇 こわき ひき そばめて げつゝ、 高々 たか/″\ 仰向 あふむ いた、さみしい おほき あたま ばかり、 屋根 やね のぞ 來日 くるひ みね 一處 ひとところ くろ いて、 影法師 かげぼふし まへ おと して、 たか らかに ふえ らした。

 ――きよきよらツ、きよツ/\きよツ!

  八千八谷 はつせんやたに なが るゝ、 圓山川 まるやまがは とともに、 八千八聲 はつせんやこゑ とな ふる 杜鵑 ほとゝぎす は、ともに 此地 このち 名物 めいぶつ である。それも 昨夜 さくや 按摩 あんま はな した。 其時 そのとき くち 眞似 まね たのが これ である。 れい の(ほぞんかけたか)を へん では、(きよきよらツ、きよツ/\)と くらしい。

 ひと こゑ ふえ おと すと、 按摩 あんま は、とぼ/\と 横路地 よころぢ はひ つて えた。

  つゞ いて 其處 そこ とほ つたが、もう えない。

  わたし 何故 なぜ か、ぞつとした。

  太鼓 たいこ おと の、のびやかなあたりを、 早足 はやあし いそ いで かへ るのに、 途中 とちう はし わた つて きし ちが つて、 石垣 いしがき つゞきの 高塀 たかべい について、 つかりさうに おほき くろ もん た。 立派 りつぱ もん 不思議 ふしぎ はないが、くゞり あふ つたまゝ、 とびら 夥多 おびたゞ しく けて る。 のぞ くと、 やま さかひ にした 廣々 ひろ/″\ とした には らしいのが、 一面 いちめん 雜草 ざつさう で、 とほ くに ちひ さく、 こは れた 四阿 あづまや らしいものの 屋根 やね える。 みづ かげ もさゝぬのに、 四阿 あづまや をさがりに、 二三輪 にさんりん 眞紫 まむらさき 菖蒲 あやめ おほき くぱつと いて、 すが つたやうに、 たふ れかゝつた たけ さを も、 いけ 小船 こぶね さをさ したやうに 面影 おもかげ つたのである。

  とき たび に、 色彩 いろ きざ んで わす れないのは、 武庫川 むこがは ぎた 生瀬 なませ 停車場 ていしやぢやう ちか く、 むか あが りの こみち に、じり/\と しん にほひ てて 咲揃 さきそろ つた 眞晝 まひる 芍藥 しやくやく と、 横雲 よこぐも 眞黒 まつくろ に、 みね さつ くら かつた、 夜久野 やくの やま 薄墨 うすずみ まど ちか く、 くさ いた 姫薊 ひめあざみ くれなゐ と、―― 菖蒲 しやうぶ むらさき であつた。

 ながめて が、やがて こゝろ まで、うつろに つて、あツと おも ふ、つい さきに、 また うつくしいものを た。 ちやう ひとみ はな して、あとへ 一歩 ひとあし 振向 ふりむ いた ところ が、 かは 曲角 まがりかど で、やゝ たか 向岸 むかうぎし の、 がけ うち 裏口 うらぐち から、 いは けづ れる さま 石段 いしだん 五六段 ごろくだん りた みぎは に、 洗濯 せんたく ものをして むすめ が、 あたか もほつれ くとて、すんなりと げた 眞白 まつしろ うで そら ざまなのが 睫毛 まつげ かす めたのである。

 ぐらり、がたがたん。

「あぶない。」

「いや、これは。」

 すんでの ところ 。―― つこちるのでも、 身投 みなげ でも、はつと きとめる 救手 すくひて は、 なん でも 不意 ふい はう 人氣 にんき つ。すなはち 同行 どうかう 雪岱 せつたい さんを、 いま まで かく しておいた 所以 ゆゑん である。

  わたし んだ いし の、 がけ くづ れかゝつたのを、 苦笑 くせう した。 あま りの 不状 ぶざま に、 むすめ はう が、 やさし かほ をぽつと 目瞼 まぶた いろ め、 ひざ まで いて 友禪 いうぜん に、ふくら はぎ ゆき はせて、 紅絹 もみ かげ ながれ らして つた。

 さるにても、 按摩 あんま ふえ 杜鵑 ほとゝぎす に、 かしもすべき こし を、 むすめ いろ ちようとした。 わたし みづか いきどほ つて さけ あふ つた。――なほ こゝろざ 出雲路 いづもぢ を、 其日 そのひ 松江 まつえ まで くつもりの 汽車 きしや には、まだ 時間 じかん がある。 わたし は、もう 一度 いちど 宿 やど た。

 すぐ まへ なる はし うへ に、 頬被 ほゝかぶり した 山家 やまが 年増 としま が、 つと ひら いて、 一人 ひとり ひと のあとを とほ つた、 わたし んで、 げて、「 おほき 自然薯 じねんじよ うておくれなはらんかいなア。」……はおもしろい。 あさ まだきは、 旅館 りよくわん 中庭 なかには 其處 そこ 此處 こゝ を、「 おほ きな 夏蜜柑 なつみかん はんせい。」…… 親仁 おやぢ 呼聲 よびごゑ ながら いた。 はたら ひと 賣聲 うりごゑ を、 打興 うちきよう ずるは 失禮 しつれい だが、 旅人 たびびと みゝ には うた である。

  みなぎ るばかり ひかり つて、 しか かる い、 川添 かはぞひ みち 二町 にちやう ばかりして、 しろ はし えたのが 停車場 ていしやば から 突通 つきとほ しの ところ であつた。 はし つめ に、―― 丹後行 たんごゆき 舞鶴行 まひづるゆき ―― すみ 江丸 えまる 濱鶴丸 はまづるまる 大看板 おほかんばん げたのは 舟宿 ふなやど である。 丹後行 たんごゆき 舞鶴行 まひづるゆき ―― つて たばかりでも、 退屈 たいくつ あま りに 新聞 しんぶん うら かへ して、バンクバー、シヤトル ゆき にら むが ごと き、 じやう のない、 他人 たにん らしいものではない。―― あし うへ をちら/\と 陽炎 かげろふ に、 そで かもめ になりさうで、 はるか いろ 名所 めいしよ しの ばれる。 手輕 てがる 川蒸汽 かはじようき でも さうである。 や、その あし なか なら んで、 十四五艘 じふしごさう 網船 あみぶね 田船 たぶね いて た。

 どれかが、 黄金 わうごん 魔法 まはふ によつて、 ゆき 大川 おほかは 翡翠 ひすゐ るらしい。 圓山川 まるやまがは おもて いま 、こゝに、 の、のんどりと なご やはら いだ くちびる せて、 蘆摺 あしず れに みぎは ひく い。 たゝず めば、 あたゝか みづ いだ かれた 心地 こゝち がして、 も、 水草 みづくさ もとろ/\と ゆめ とろ けさうに すそ なび く。おゝ、 澤山 たくさん 金魚藻 きんぎよも だ。 同町内 どうちやうない 瀧君 たきくん に、ひと たはら おく らうかな、…… 水上 みなかみ さんは おほき をして、 二七 にしち 縁日 えんにち 金魚藻 きんぎよも さが して く。……

  わたし うみ そら た。 かゞや ごと きは 日本海 につぽんかい なみ であらう。 鞍掛山 くらかけやま 太白山 たいはくざん は、 いれずみ 左右 さいう ゑが いて、 來日 くるひ みね みどり なす 額髮 ひたひがみ 近々 ちか/″\ と、 おも ほてりのするまで、じり/\と 情熱 じやうねつ 呼吸 いき かよ はす。 ゆる ながれ 浮草 うきぐさ おび いた。 わたし れなかつたのは、 れるのを いと つたのでない、 なみ おそ れたのでない。 圓山川 まるやまがは はだ れるのを はゞか つたのであつた。

  城崎 きのさき は―― いま かく ごと うか ぶ。

 こゝに 希有 けう こと があつた。 宿 やど にかへりがけに、 きやく せた くるま ると、 二臺三臺 にだいさんだい 俥夫 くるまや そろ つて 鐵棒 かなぼう 一條 ひとすぢ づゝ げて、 片手 かたて かぢ すのであつた。―― 煙草 たばこ ひながら くと、 土地 とち かず おほ いぬ が、 くるま 吠附 ほえつ れかゝるのを 追拂 おひはら ふためださうである。 駄菓子屋 だぐわしや 縁臺 えんだい にも、 船宿 ふなやど 軒下 のきした にも、 蒲燒屋 かばやきや 土間 どま にも 成程 なるほど たが。―― ふうちに、 とび かゝつて、 三疋四疋 さんびきしひき 就中 なかんづく 先頭 せんとう つたのには、 停車場 ていしやば ぢか ると、 五疋 ごひき ばかり、 前後 ぜんご から びかゝつた。 しつ しつ しつ !  畜生 ちくしやう 畜生 ちくしやう 畜生 ちくしやう 俥夫 くるまや 鐵棒 かなぼう 振舞 ふりまは すのを、 はし つて たのである。

  いぬ どもの、 みゝ には て、 きば には み、 ほのほ き、 黒煙 くろけむり いて、 くるま とも はず、 ひと とも はず、 ほのほ から んで、 躍上 をどりあが り、 飛蒐 とびかゝ り、 狂立 くるひた つて 地獄 ぢごく 形相 ぎやうさう あらは したであらう、と おも はず 慄立 よだ てたのは、 さく 十四年 じふよねん 五月 ごぐわつ 二十三日 にじふさんにち 十一時 じふいちじ 十分 じつぷん 城崎 きのさき 豐岡 とよをか 大地震 おほぢしん 大火 たいくわ 號外 がうぐわい ると 同時 どうじ であつた。

  地方 ちはう 風物 ふうぶつ 變化 へんくわ すくな い。わけて たゞ 一年 いちねん 、もの すご いやうに おも ふのは、 つき おな つき はたゞ 前後 ぜんご して、―― 谿川 たにがは たふ れかゝつたのも ほとん おな 時刻 じこく である。 むすめ 其處 そこ 按摩 あんま 彼處 かしこ に――

  大地震 おほぢしん を、あの とき すで に、 不氣味 ぶきみ 按摩 あんま 豫覺 よかく したるにあらざるか。 しか らば 八千八聲 はつせんやこゑ きつゝも、 生命 せいめい だけは たす かつたらう。 きぬ あら ひし むすめ も、 みづ はだ こが すまい。

  當時 たうじ 寫眞 しやしん た―― みやこ は、たゞ どろ かはら をか となつて、なきがらの ごと やま あるのみ。 谿川 たにがは ながれ は、 おほ むかでの たゞ れたやうに…… 寫眞 しやしん あか にご る…… 砂煙 すなけむり 曠野 くわうや つて た。

  くさ も、あはれ、 廢屋 はいをく あと 一輪 いちりん むらさき 菖蒲 あやめ もあらば、それがどんなに、と おも ふ。

 ―― いま は、 やなぎ めぐ んだであらう―― 城崎 きのさき よ。

大正十五年四月