University of Virginia Library

語り

「さん上ばつからふんごろのつころ、ちよつころふんごろで、まてと つころわつからゆつくる/\/\、たがかさをわんがらんがらす。そらが くんぐる/\も、れんげれんげればつからふんごろ」

妓が情の底深き、是から戀の大海を、替へも干されぬ蜆川。思ひ思ひの思 ひうた、心がこころ留むるは門行燈の文字が關。浮れぞめきしあだ浄瑠璃、 役者物眞似なやは歌、二階座敷の三味線に、ひかれて立よる客も有、紋日 遁れて顏隱し、仕過しせじと忍び風。仲居のきよが是を見て、


ウタイ

三保の谷が著たりる、


語り

頭巾の錣を取外し/\、二三度迯延たれ共思ふおてきなれば


きよ

遁さじ、


語り

と飛懸りひつたり惡洒落。ごんせ、と止たる女景清錣と頭巾、ついふみ かぶる客も有。橋の名さへも梅櫻、花を揃へし其中に、南の風呂の浴衣よ り、今此新地に戀衣、紀の國やの小春とは此十月に仇し名を世に殘せとの しるしかや。今宵は誰か呼子鳥、覺束なくも行燈の影、ゆき違ふ妓の立 歸、



「ヤ小春樣か何といの。互ひに一座も打絶へ、貴面ならねば便りも聞 ず。氣色がわるいか顏も細りやつれさんした。誰やらが咄しで聞けば紙治 樣故。内からたんと客の吟味にあはんして、何處へもむさと送らぬの、 いや太兵衞樣に請出され、在所とやら伊丹とやらへ往かんすはづ共聞及 ぶ。どふで御座りやす」


語り

と云ければ、



「アヽもふ伊丹/\といふて下ん すな。夫でいたみ入はいな。いとしぼなげに紙治樣とわたしが中、左程に もない事を、あの贅こきの太兵衞が浮名を立て云散し、客と云客は退果 、内からは紙屋治兵衞故じやとせく程に/\、文の便りも叶はぬ樣に成や した。不思議に今宵は武士衆とて河庄方へ送らるるが、かふ往く道でも若 し太兵衞めに逢ふかと、氣遣さ/\。敵持同前の身持。なんとそこらに見 へぬかゑ」



「ヲヽ/\そんならちやつと外さんせ。あれ一丁 目からなまいだ坊主が、てんがう念佛申て來る。其見物の中に、のんこに髪 結ふて野良らしい、たて衆自慢と云そな男、慥に太兵衞樣かと見た。あれ /\爰へ」


語り

と、いふ間程なくほうろく頭巾の青道心、墨の衣の玉襷、見物ぞめ きに取巻れ、鉦の拍子も出合ごん/\、ほでてん/\ご念佛に仇口噛交て、


道具屋

「樊会流は珍らしからず、門を破るは日本の 朝比奈流を見よやとて、貫木逆茂木引破り、右龍虎左龍虎討取て、難なく 過る月日の關や。なまみだなまいだ/\/\。文彌迷ひ行共松山に、似たる 人なき浮世ぞと、泣つエヽ/\ワハ/\/\。笑ふつ狂亂の身の果何と淺ま しやと、芝を褥に伏けるは眼も當られぬ風情。なまみだなまいだ/\/\。 歌ゑい/\/\/\/\紺屋の徳兵衞、房にもとより濃ゐ染込の、内の身代 灰汁でもはげず。なまみだなまいだ/\/\/\/\/\」



「アヽ是坊樣なんぞ、エヽ忌々しい。 漸此比此さとの心中沙汰が鎭つたに、夫をいて國性爺の道行念佛が 所望じや」


語り

と、杉が袖から報謝の錢。


坊主、江戸

「只た一錢二錢で三千余里を隔てたる、大明國への長旅は、あはぬだ佛 あはぬだ/\/\」


語り

ぶつ/\いふて行過る。

人立紛れにちよこ/\走、とつ河内屋に駈込ば、



「是は/\早いお出。お名さへ久しう云なんだ。 やれ珍らしい小春樣/\、はる%\で小春樣」


語り

と主の花車が勇む聲。



「是門へ聞へる、高い聲して小春/\と云ふて下んすな。表に嫌な李蹈天 が居るはいの。密かに密かに頼みやす」


語り

と、いふも洩てやぬつと入たる三人連。



「小春殿李蹈天とはない名を付て下された。先禮 からいひましよ。連衆、内/\咄した、心中よし意氣方よし床よしの小春 殿、やがて此男が女房に持か、紙屋治兵衞が請出すか、張合の女郎。近付に 成て置や」


語り

とのさばりよれば、



「エイ聞共ない。得知れぬ人の仇名立、手柄になら ば精出していはんせ。此小春は聞ともない」


語り

と、ついと退けば又摺寄、



「聞共なく共小判の響で聞せて見せふ。貴樣もよい 因果じや。天滿大坂三郷に男も多いに、紙屋の治兵衞二人の子の親、女房は 從弟同士舅は伯母聟。六十日/\に問屋の仕切にさへ追るる商賣、十貫目近 い金出して請出すの根引のとは、蟷螂が斧で御座る。我ら女房子なければ、 舅なし親もなし伯父持ず、身すがらの太兵衞と名をとつた男。色ざとで潛上 いふ事は治兵衞めには叶はね共、金持た計は太兵衞が勝た。金の力で押たらば、 なふ連衆、何に勝ふも知れまい。今宵の客も治兵衞奴じや。もらを/\、 此身すがらがもらふた。花車酒出しや/\」



「エ何おしやんす。今宵の お客はお侍衆、をつ付見へましよ。お前は何處ぞ他で遊んで下さんせ」


語り

と、いへ共ほたへた顏付にて、



「ハテ刀指か指ぬか侍も町人も客は客。 なんぼ指ても五本六本は指まいし、よふ指て刀脇指たつた二本。侍ぐるめ に小春殿もらふた。拔つ隱れつなされても縁あればこそお出合申。なまい だ坊主のお蔭、アヽ念佛の功力有がたい。こちも念佛申そ。ヤ鉦の火入煙 管撞木面白い。ちやん/\ちややんちやん歌ゑいゑい/\/\/\、紙屋 の治兵衞、小春狂ひが杉原紙で、一分小判紙ちり/\紙で、内の身代漉破 紙の、鼻もかまれぬ、紙屑治兵衞。エなまみだ佛なまいだ、なまみだ佛 なまいだ/\/\」


語り

と、暴れ叫く門の口、人目を忍ぶ夜るの編笠。



「ハアヽ塵紙わせた。ハテきつい忍びやう、なぜ這 入ぬ塵紙。太兵衞が念佛こはくば南無編笠ももらふた」


語り

と、引ずり入たる姿を見れば、大小くすんだ武士の正眞。編笠越にぐつと睨 たる、まん丸眼玉は敲鉦、念共佛共出ばこそ、「ハアヽ」といへどもひるま ぬ顏。



「なふ小春殿こちは町人刀指いた事はなけれど、己 が所に澤山な新銀の光には、少々の刀も捻曲めふと思ふ物。塵紙屋奴めが漆 漉程な薄元手で、此身すがらと張合は慮外千万。櫻橋から中町下りぞめいた ら、どこぞでは紙屑蹂躙つてくりよ。皆おじや/\」


語り

と身振計は男を磨く、町一ぱいにはばかつてこそ歸りけれ。 所柄馬鹿者に構はず堪る武士の客、紙屋/\と善惡の噂小春が身に應へ、 思ひくづおれ恍惚と無挨拶なる折節、内から走つて紀國屋の、杉がけ うとい顏付にて、



「只今春樣送つて参りし時、お客様まだ見へず、なぜ 見届けて來なんだ、とひどふ叱られます。慮樣外ながら一寸」


語り

と、編笠をしあげ面躰吟味、



「ムヽそでない/\氣遣なし。跡詰てしつぽりと小春 樣、しただる樽の生醤油。花車樣さらば、後に青菜の浸し物」


語り

と、口合たら%\立歸る。至極かた手の侍大きに無興し、



「こりや何じや、人の 面を目利するは、身を茶入茶碗にするか。嫐れには來申さぬ。此方の屋敷 は晝さへ出入かたく、一夜の他出も留守居へ斷り帳に付、むつか敷掟なれ 共、お名聞て戀慕ふお女郎。どふぞと一座を願ひ、子者も連ず先刻参つて 宿を頼み、何でも一生の思ひ出、お情けに預らふと存じたに、いかなにつ こりと笑顏も見せず、一言の挨拶もなく、懷中で錢よむやうに扨々俯いて 計。首筋が痛は致さぬか。何と花車殿、茶屋へ來て産所の夜伽する事は、 ついにないづ」


語り

とぶつつけば、


花車

「お道理/\。いはくをご存じない故 御不審の立はづ。此女郎には、紙治樣と申深いお客がござんして、今日も 紙治樣明日も紙治樣と、わきから手指もならず。外のお客は嵐の木の葉で ばら/\/\。登り詰てはお客にも、女郎にもゑて怪我の有物、第一勤の 妨と、せくは何處しも親方のならひ。夫故のお客の吟味。自然と小春樣も お氣の浮ぬは道理、お客も道理、道理々々の中取て、主の身なれば御機嫌 よかれ、道理の肝腎肝もん。サアはつと呑かけわさ/\わつさり頼ます。 小春樣はる樣」


語り

と、いへ共何の返答も涙ほろりの顏ふり上、



「あのお侍 樣同じ死ぬる道にも十夜の内に死んだ者は、佛に成と云ひますが、定かい な」



「夫を身が知る事か、檀那坊主にお問なされ」



「ほんにそふじや。そんなら問たい事有。自害する と首くくるとは、さだめし此喉を切かたが、たんと痛いでござんしよの」



「痛むか痛まぬか切ては見ず。大か たの事問ばつしやれ。ア小氣味の惡い女郎じや」


語り

と、流石の武士もうてぬ顏。


花車

「エヽ春樣、初對面のお客にあんまりな挨拶、少と 氣をかへどりやこちの人尋て來て酒にせふ」


語り

と、立出る門は宵月の、影傾ぶきて雲のあし、人足薄く成にけり。天滿に 年ふる千早振る、神にはあらぬ、紙樣と世の鰐口にのる計。小春に深く大幣 の、腐り合たる御注連繩。舞今は結ぶの神無月、せかれて逢れぬ身と成果、 あはれ逢瀬の首尾あらば、夫を二人が最期日と、名殘の文の云かはし、毎 夜々々の死覺悟、玉しひ拔けてとぼ/\うかうか身を焦す。煮賣屋で小春 が沙汰、侍客で河庄方と、耳に入るより、



「サア今宵」


語り

と、覗く格子の奥の間に、客は頭巾を頤の、いごく計に聲聞へず。 可愛や小春が燈に、背向た顏のあの痩た事はい。心の中は皆己がこと。爰 に居ると吹込で、連て飛なら梅田か北野か、エヽ知らせたい呼たい」 と、心で招く氣は先へ、身は空蝉の脱殻の、格子に抱付あせり泣。奥の客が 大欠



「思ひの有女郎衆の御伽で氣がめいる。門も静 な、端の間へ出て、行燈でも見て氣を晴そふ。サアござれ」


語り

と連立出れば、



「南無三寶」 と、格子の小陰に片身をすぼめ、隱れて聞共内にはしらず、



「なふ小春殿、 宵からの素振詞の端に氣を付れば、花車が咄しの紙治とやらと心中する心 と見た、違ふまい。死神付た耳へは、異見も道理も入るまじとは思へ共、 去とは愚痴のいたり。先の男の無分別は恨ず、一家一門そなたを恨 み憎しみ、萬人に死顏晒す身の恥。親は無かも知らね共、若しあれば 不孝の罰、佛は愚地獄へも暖かに、二人連では堕られぬ。痛はし共笑止 共、一見ながら武士の役、見殺しには成がたし、定て金づく、五兩十兩は 用に立ても助けたし。しん八幡侍冥利他言せまじ、心底殘さず打あけや」


語り

と、ささやけば手を合せ、



「アヽ忝い有がたい。馴染よしみもない私、 御誓言での情のお詞、涙がこぼれて忝い。ほんに色外に顯るでござんす る。如何にも/\紙治樣と死ぬる約束。親方にせかれて逢せも絶へ、指合 有て今急に請出す事も叶はず。南のもとの親方と爰とにまだ五年有年ンの 中、人手に取れては私はもとより主は猶一分立ず。いつそ死でくれぬか。 アヽ死にましよと引にひかれぬ義理詰に、ふつと云交し、首尾を見合せ 合圖を定め、拔て出よふ拔て出よ、といつ何時を最期共、其日送りの敢な い命。私一人を頼みの母樣、南邊に賃仕事して裏家住。死んだ跡では袖乞 非人の飢死もなされふか、と是のみ悲さ。私とても命は一つ、水臭い女と 思召も恥かしながら、其恥を捨て死ともないが第一。死なずに事の濟む樣 にどふぞ/\頼みやす」


語り

と、語れば頷く思案皃。外にははつと聞驚く、思 ひがけなき男心、木から落たる如くにて氣もせき狂ひ、



「扨は皆嘘か。 エヽ腹の立。二年といふ物化された。根生腐りの狐め踏込で一討か、面恥 かかせて腹ゐよか」


語り

と、歯切きり/\口惜涙。内に小春がかこち泣、



「卑怯な頼み事ながら、お侍樣のお情、今年中來春二三月の比迄、私に逢 ふて下んして、彼の男の死に來る度毎に、邪魔に成て期を延し/\をのづ から手を切ば、先も殺さずわたしも命助かる。何の因果に死ぬる契約した 事ぞ。思へばくやしうござんす」


語り

と、膝にもたれ泣く有樣。



「ムヽ聞届けた思案有。風も來る人や見る」


語り

と、格子の障子ばた/\と、立聞治兵衞が氣も狂亂。



「エヽさすが賣物め。ど性骨見違へ玉しひを奪はれし巾著 切め。切ふか突ふかどふ


語り

障」子にうつる二人の横皃。



「エヽくらはせたい 踏たい。何ぬかすやら頷き合、拜むささやくほへるざま、胸を押へさすつ ても堪へられぬ堪忍ならぬ。


語り

心もせきに關の孫六一尺七寸拔放し、格子の 挾間より小春が脇腹、爰ぞと見極め、ゑいと突に座は遠く、是はと計怪我 もなく、すかさず客が飛かかり、兩手を掴んでぐつと引入、刀の下緒手ば しかく、格子の柱にがんじがらみ、しつかと締付、



「小春騒ぐな覗くまいぞ」


語り

と、いふ所に亭主夫婦立歸り、是はと騒けば、



「アヽ苦うない。障子越に拔身を突込暴れ 者、腕を障子に括り置く。思案あり繩解な。人立あれば所の騒ぎ。サ ア皆奥へ。小春おじや往で寐よふ」



「あい」


語り

とはいへど見知り有脇指の、つかれぬ胸にはつと貫き、



「酔狂の餘り色里には有習ひ。沙汰なしに往 なして遣らんしたら、ナア河庄さん私やよさそふに思ひやす」



「いかな/\身次第にして皆はひりや。小春こちへ」


語り

と奥の間の、影は見ゆれど縛られて、格子手がせに悶掻ば締り、身は煩惱に繋 るる犬に劣つた生恥を、覺悟極めし血の涙、しぼり泣こそ不便なれ。 ぞめき戻りの身すがら太兵衞、



「扨こそ河庄が格子に立たは治兵衞めな。 投てくれん」


語り

と襟かい攫で引擔く。



「あ痛たた」



「あいたとは卑怯者。ヤアこりや縛付られた。扨は盗 ほざいたな。ヤいき掏摸めどう掏摸め」


語り

とては、はたとくらはせ、



「ヤ強盗めヤ獄門め」


語り

とては蹴飛かし、



「紙屋治兵衞盗して縛られた」


語り

と、呼わり叫けば行かふ人、あたり近所も駈集まる。内より侍飛で出、



盗人呼りはをのれか。治兵衞が何盗んだ。サ ア吐せ」


語り

と、太兵衞をかい掴み、土にぎやつとのめらせ、起れば踏付踏の めし/\、引捕て



「サア治兵衞踏で腹ゐよ」


語り

と、足元に突付るを縛れながら頬がまち、踏付/\踏さがされて土塗れ、 立上て睨まはし、



「四邊の奴原よふ見物して踏せたナア。一々に面見 覺た、返報する覺えておれ」


語り

と、減ず口にて迯出す。立寄人々どつと笑ひ、


人々

「踏れてもあの頤。橋から 投て水食はせ。遣な/\」


語り

と追駈行。人立すけば、侍立寄て縛めとき、頭巾取たる面躰、



「ヤア孫右衞門殿兄者人。アツア面目なや」とどうと座 し、土にひれ伏泣ゐたる。「扨は兄御樣かいの」


語り

と、走り出る小春が胸ぐら取て引居へ、



「畜生め狐め、太兵衞より先うぬを踏たい」


語り

と、足を上れば孫右衞門、



「ヤイ/\/\其たはけから事起る。人を たらすは遊女の 商賣、今目に見へたか。此孫右衞門はたつた今一見にて女の心の底を見 る。二年余りの名染の女、心底見付ぬ狼狽者。小春を踏足で狼狽たをのれ が根生をなぜ踏ぬ。エヽ是非もなや。弟とは云ながら三十に追掛り、勘太 郎おすゑといふ六ツと四ツの子の親。六間口の家踏しめ、身代潰るる辨な く、兄の異見を請ることか、舅は伯母聟、姑は伯母じや人親同然。女房 おさんは我爲にも從弟。結合々々重々の縁者親子中、一家一門參會にも、 をのれが曾根崎通ひの悔みより外、餘の事は何もない。最愛は伯母者人、 連合五左衞門殿はにべもない昔人。嚊の甥子に倒され娘を捨た。おさんを 取返し、天滿中に恥かかせんとの腹立。伯母一人の氣扱ひ、敵に成味方に 成、病に成程心を苦しめ、をのれが恥を包まるる恩しらず、此罰たつた 一ツでも、行先に的が立。斯ては家も立まじ。小春が心底見届け、其上の 一思案、伯母の心も安めたく、此亭主に工面し、をのれが病の根元見届く る。女房子にも見かへしは尤。心中よしの女郎、アヽお手柄。結構な弟を 持、人にも知られし粉やの孫右衞門、祭の練衆か氣違かつゐに指ぬ大小ぼ つこみ、藏屋敷の役人と、小詰役者の眞似をして、痴を盡した此刀、捨所 がないはいやい。小腹が立やらおかしいやら、胸が痛い」


語り

と齒ぎしみし、泣顏かくす十面に、小春は始終むせ返り、



「皆お道理」


語り

と計にて、詞も涙にくれにけり。大地を叩て治兵衞、



「誤つた/\兄者人。三年前よりあの 古狸に見入られ、親子一門妻子迄そでになし、身代の手縺れも、小春と云 ふ屋尻切にたらされ後悔千万。ふつつり心殘らねば、尤足も踏込まじ。 ヤイ狸め狐め屋尻切め、思ひ切た證據是見よ」


語り

と、肌に懸たる守袋、



「月頭に一枚づつ取交したる起請合せて廿九枚、戻せば戀も情もない。こりや請取」


語り

とはたと打付、



「兄者人、彼奴が方の我等が起請數改め請取て、此 方の方で火にくべて下され。サア兄きへ渡せ」



「心へやした」


語り

と涙ながら、投出す守袋孫右衞門押開き、



「ひいふうみいよ十廿九枚數揃ふ。外に 一通女の文。是や何じや」


語り

と開く所を、



「アヽそりや見せられぬ大事の文」


語り

と、取付を押退け、行燈にて上書見れば、「小春樣參る、紙屋内さんより」 讀も果ずさあらぬ顏にて懷中し、



「是小春、最前は侍冥利今は粉 やの孫右衞門商ひ冥利、女房限つて此文見せず、我一人披見して、起請共 に火に入る。誓文に違はない」



「アヽ忝い。夫で私が立ます」


語り

と又伏しづめば、



「ハア/\ハアうぬが立の立ぬとは人がましい。是 兄者人、片時も彼奴が面見ともなし。いざ御座れ。去ながら此無念口惜さど ふもたまらぬ。今生の思ひ出、女が面一ツ踏。御免あれ」


語り

と、つつと寄て地團太踏、



「エヽ/\、しなしたり。足かけ三年戀し床しも最愛可愛も、今日といふ今日、たつた此足一本の暇乞」


語り

と額ぎはをはつたと蹴て、「わつ」と泣出し兄弟つれ歸る姿もいた/\敷、跡を見 送り聲を上、歎く小春も酷らしき、無心中か心中か、誠の心は女房の、其一筆の 奥深く、誰が文も見ぬ戀の道、別れてこそは


三重歸りけれ。