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心中天の網島
作者近松門左衞門

語り

「さん上ばつからふんごろのつころ、ちよつころふんごろで、まてと つころわつからゆつくる/\/\、たがかさをわんがらんがらす。そらが くんぐる/\も、れんげれんげればつからふんごろ」

妓が情の底深き、是から戀の大海を、替へも干されぬ蜆川。思ひ思ひの思 ひうた、心がこころ留むるは門行燈の文字が關。浮れぞめきしあだ浄瑠璃、 役者物眞似なやは歌、二階座敷の三味線に、ひかれて立よる客も有、紋日 遁れて顏隱し、仕過しせじと忍び風。仲居のきよが是を見て、


ウタイ

三保の谷が著たりる、


語り

頭巾の錣を取外し/\、二三度迯延たれ共思ふおてきなれば


きよ

遁さじ、


語り

と飛懸りひつたり惡洒落。ごんせ、と止たる女景清錣と頭巾、ついふみ かぶる客も有。橋の名さへも梅櫻、花を揃へし其中に、南の風呂の浴衣よ り、今此新地に戀衣、紀の國やの小春とは此十月に仇し名を世に殘せとの しるしかや。今宵は誰か呼子鳥、覺束なくも行燈の影、ゆき違ふ妓の立 歸、



「ヤ小春樣か何といの。互ひに一座も打絶へ、貴面ならねば便りも聞 ず。氣色がわるいか顏も細りやつれさんした。誰やらが咄しで聞けば紙治 樣故。内からたんと客の吟味にあはんして、何處へもむさと送らぬの、 いや太兵衞樣に請出され、在所とやら伊丹とやらへ往かんすはづ共聞及 ぶ。どふで御座りやす」


語り

と云ければ、



「アヽもふ伊丹/\といふて下ん すな。夫でいたみ入はいな。いとしぼなげに紙治樣とわたしが中、左程に もない事を、あの贅こきの太兵衞が浮名を立て云散し、客と云客は退果 、内からは紙屋治兵衞故じやとせく程に/\、文の便りも叶はぬ樣に成や した。不思議に今宵は武士衆とて河庄方へ送らるるが、かふ往く道でも若 し太兵衞めに逢ふかと、氣遣さ/\。敵持同前の身持。なんとそこらに見 へぬかゑ」



「ヲヽ/\そんならちやつと外さんせ。あれ一丁 目からなまいだ坊主が、てんがう念佛申て來る。其見物の中に、のんこに髪 結ふて野良らしい、たて衆自慢と云そな男、慥に太兵衞樣かと見た。あれ /\爰へ」


語り

と、いふ間程なくほうろく頭巾の青道心、墨の衣の玉襷、見物ぞめ きに取巻れ、鉦の拍子も出合ごん/\、ほでてん/\ご念佛に仇口噛交て、


道具屋

「樊会流は珍らしからず、門を破るは日本の 朝比奈流を見よやとて、貫木逆茂木引破り、右龍虎左龍虎討取て、難なく 過る月日の關や。なまみだなまいだ/\/\。文彌迷ひ行共松山に、似たる 人なき浮世ぞと、泣つエヽ/\ワハ/\/\。笑ふつ狂亂の身の果何と淺ま しやと、芝を褥に伏けるは眼も當られぬ風情。なまみだなまいだ/\/\。 歌ゑい/\/\/\/\紺屋の徳兵衞、房にもとより濃ゐ染込の、内の身代 灰汁でもはげず。なまみだなまいだ/\/\/\/\/\」



「アヽ是坊樣なんぞ、エヽ忌々しい。 漸此比此さとの心中沙汰が鎭つたに、夫をいて國性爺の道行念佛が 所望じや」


語り

と、杉が袖から報謝の錢。


坊主、江戸

「只た一錢二錢で三千余里を隔てたる、大明國への長旅は、あはぬだ佛 あはぬだ/\/\」


語り

ぶつ/\いふて行過る。

人立紛れにちよこ/\走、とつ河内屋に駈込ば、



「是は/\早いお出。お名さへ久しう云なんだ。 やれ珍らしい小春樣/\、はる%\で小春樣」


語り

と主の花車が勇む聲。



「是門へ聞へる、高い聲して小春/\と云ふて下んすな。表に嫌な李蹈天 が居るはいの。密かに密かに頼みやす」


語り

と、いふも洩てやぬつと入たる三人連。



「小春殿李蹈天とはない名を付て下された。先禮 からいひましよ。連衆、内/\咄した、心中よし意氣方よし床よしの小春 殿、やがて此男が女房に持か、紙屋治兵衞が請出すか、張合の女郎。近付に 成て置や」


語り

とのさばりよれば、



「エイ聞共ない。得知れぬ人の仇名立、手柄になら ば精出していはんせ。此小春は聞ともない」


語り

と、ついと退けば又摺寄、



「聞共なく共小判の響で聞せて見せふ。貴樣もよい 因果じや。天滿大坂三郷に男も多いに、紙屋の治兵衞二人の子の親、女房は 從弟同士舅は伯母聟。六十日/\に問屋の仕切にさへ追るる商賣、十貫目近 い金出して請出すの根引のとは、蟷螂が斧で御座る。我ら女房子なければ、 舅なし親もなし伯父持ず、身すがらの太兵衞と名をとつた男。色ざとで潛上 いふ事は治兵衞めには叶はね共、金持た計は太兵衞が勝た。金の力で押たらば、 なふ連衆、何に勝ふも知れまい。今宵の客も治兵衞奴じや。もらを/\、 此身すがらがもらふた。花車酒出しや/\」



「エ何おしやんす。今宵の お客はお侍衆、をつ付見へましよ。お前は何處ぞ他で遊んで下さんせ」


語り

と、いへ共ほたへた顏付にて、



「ハテ刀指か指ぬか侍も町人も客は客。 なんぼ指ても五本六本は指まいし、よふ指て刀脇指たつた二本。侍ぐるめ に小春殿もらふた。拔つ隱れつなされても縁あればこそお出合申。なまい だ坊主のお蔭、アヽ念佛の功力有がたい。こちも念佛申そ。ヤ鉦の火入煙 管撞木面白い。ちやん/\ちややんちやん歌ゑいゑい/\/\/\、紙屋 の治兵衞、小春狂ひが杉原紙で、一分小判紙ちり/\紙で、内の身代漉破 紙の、鼻もかまれぬ、紙屑治兵衞。エなまみだ佛なまいだ、なまみだ佛 なまいだ/\/\」


語り

と、暴れ叫く門の口、人目を忍ぶ夜るの編笠。



「ハアヽ塵紙わせた。ハテきつい忍びやう、なぜ這 入ぬ塵紙。太兵衞が念佛こはくば南無編笠ももらふた」


語り

と、引ずり入たる姿を見れば、大小くすんだ武士の正眞。編笠越にぐつと睨 たる、まん丸眼玉は敲鉦、念共佛共出ばこそ、「ハアヽ」といへどもひるま ぬ顏。



「なふ小春殿こちは町人刀指いた事はなけれど、己 が所に澤山な新銀の光には、少々の刀も捻曲めふと思ふ物。塵紙屋奴めが漆 漉程な薄元手で、此身すがらと張合は慮外千万。櫻橋から中町下りぞめいた ら、どこぞでは紙屑蹂躙つてくりよ。皆おじや/\」


語り

と身振計は男を磨く、町一ぱいにはばかつてこそ歸りけれ。 所柄馬鹿者に構はず堪る武士の客、紙屋/\と善惡の噂小春が身に應へ、 思ひくづおれ恍惚と無挨拶なる折節、内から走つて紀國屋の、杉がけ うとい顏付にて、



「只今春樣送つて参りし時、お客様まだ見へず、なぜ 見届けて來なんだ、とひどふ叱られます。慮樣外ながら一寸」


語り

と、編笠をしあげ面躰吟味、



「ムヽそでない/\氣遣なし。跡詰てしつぽりと小春 樣、しただる樽の生醤油。花車樣さらば、後に青菜の浸し物」


語り

と、口合たら%\立歸る。至極かた手の侍大きに無興し、



「こりや何じや、人の 面を目利するは、身を茶入茶碗にするか。嫐れには來申さぬ。此方の屋敷 は晝さへ出入かたく、一夜の他出も留守居へ斷り帳に付、むつか敷掟なれ 共、お名聞て戀慕ふお女郎。どふぞと一座を願ひ、子者も連ず先刻参つて 宿を頼み、何でも一生の思ひ出、お情けに預らふと存じたに、いかなにつ こりと笑顏も見せず、一言の挨拶もなく、懷中で錢よむやうに扨々俯いて 計。首筋が痛は致さぬか。何と花車殿、茶屋へ來て産所の夜伽する事は、 ついにないづ」


語り

とぶつつけば、


花車

「お道理/\。いはくをご存じない故 御不審の立はづ。此女郎には、紙治樣と申深いお客がござんして、今日も 紙治樣明日も紙治樣と、わきから手指もならず。外のお客は嵐の木の葉で ばら/\/\。登り詰てはお客にも、女郎にもゑて怪我の有物、第一勤の 妨と、せくは何處しも親方のならひ。夫故のお客の吟味。自然と小春樣も お氣の浮ぬは道理、お客も道理、道理々々の中取て、主の身なれば御機嫌 よかれ、道理の肝腎肝もん。サアはつと呑かけわさ/\わつさり頼ます。 小春樣はる樣」


語り

と、いへ共何の返答も涙ほろりの顏ふり上、



「あのお侍 樣同じ死ぬる道にも十夜の内に死んだ者は、佛に成と云ひますが、定かい な」



「夫を身が知る事か、檀那坊主にお問なされ」



「ほんにそふじや。そんなら問たい事有。自害する と首くくるとは、さだめし此喉を切かたが、たんと痛いでござんしよの」



「痛むか痛まぬか切ては見ず。大か たの事問ばつしやれ。ア小氣味の惡い女郎じや」


語り

と、流石の武士もうてぬ顏。


花車

「エヽ春樣、初對面のお客にあんまりな挨拶、少と 氣をかへどりやこちの人尋て來て酒にせふ」


語り

と、立出る門は宵月の、影傾ぶきて雲のあし、人足薄く成にけり。天滿に 年ふる千早振る、神にはあらぬ、紙樣と世の鰐口にのる計。小春に深く大幣 の、腐り合たる御注連繩。舞今は結ぶの神無月、せかれて逢れぬ身と成果、 あはれ逢瀬の首尾あらば、夫を二人が最期日と、名殘の文の云かはし、毎 夜々々の死覺悟、玉しひ拔けてとぼ/\うかうか身を焦す。煮賣屋で小春 が沙汰、侍客で河庄方と、耳に入るより、



「サア今宵」


語り

と、覗く格子の奥の間に、客は頭巾を頤の、いごく計に聲聞へず。 可愛や小春が燈に、背向た顏のあの痩た事はい。心の中は皆己がこと。爰 に居ると吹込で、連て飛なら梅田か北野か、エヽ知らせたい呼たい」 と、心で招く氣は先へ、身は空蝉の脱殻の、格子に抱付あせり泣。奥の客が 大欠



「思ひの有女郎衆の御伽で氣がめいる。門も静 な、端の間へ出て、行燈でも見て氣を晴そふ。サアござれ」


語り

と連立出れば、



「南無三寶」 と、格子の小陰に片身をすぼめ、隱れて聞共内にはしらず、



「なふ小春殿、 宵からの素振詞の端に氣を付れば、花車が咄しの紙治とやらと心中する心 と見た、違ふまい。死神付た耳へは、異見も道理も入るまじとは思へ共、 去とは愚痴のいたり。先の男の無分別は恨ず、一家一門そなたを恨 み憎しみ、萬人に死顏晒す身の恥。親は無かも知らね共、若しあれば 不孝の罰、佛は愚地獄へも暖かに、二人連では堕られぬ。痛はし共笑止 共、一見ながら武士の役、見殺しには成がたし、定て金づく、五兩十兩は 用に立ても助けたし。しん八幡侍冥利他言せまじ、心底殘さず打あけや」


語り

と、ささやけば手を合せ、



「アヽ忝い有がたい。馴染よしみもない私、 御誓言での情のお詞、涙がこぼれて忝い。ほんに色外に顯るでござんす る。如何にも/\紙治樣と死ぬる約束。親方にせかれて逢せも絶へ、指合 有て今急に請出す事も叶はず。南のもとの親方と爰とにまだ五年有年ンの 中、人手に取れては私はもとより主は猶一分立ず。いつそ死でくれぬか。 アヽ死にましよと引にひかれぬ義理詰に、ふつと云交し、首尾を見合せ 合圖を定め、拔て出よふ拔て出よ、といつ何時を最期共、其日送りの敢な い命。私一人を頼みの母樣、南邊に賃仕事して裏家住。死んだ跡では袖乞 非人の飢死もなされふか、と是のみ悲さ。私とても命は一つ、水臭い女と 思召も恥かしながら、其恥を捨て死ともないが第一。死なずに事の濟む樣 にどふぞ/\頼みやす」


語り

と、語れば頷く思案皃。外にははつと聞驚く、思 ひがけなき男心、木から落たる如くにて氣もせき狂ひ、



「扨は皆嘘か。 エヽ腹の立。二年といふ物化された。根生腐りの狐め踏込で一討か、面恥 かかせて腹ゐよか」


語り

と、歯切きり/\口惜涙。内に小春がかこち泣、



「卑怯な頼み事ながら、お侍樣のお情、今年中來春二三月の比迄、私に逢 ふて下んして、彼の男の死に來る度毎に、邪魔に成て期を延し/\をのづ から手を切ば、先も殺さずわたしも命助かる。何の因果に死ぬる契約した 事ぞ。思へばくやしうござんす」


語り

と、膝にもたれ泣く有樣。



「ムヽ聞届けた思案有。風も來る人や見る」


語り

と、格子の障子ばた/\と、立聞治兵衞が氣も狂亂。



「エヽさすが賣物め。ど性骨見違へ玉しひを奪はれし巾著 切め。切ふか突ふかどふ


語り

障」子にうつる二人の横皃。



「エヽくらはせたい 踏たい。何ぬかすやら頷き合、拜むささやくほへるざま、胸を押へさすつ ても堪へられぬ堪忍ならぬ。


語り

心もせきに關の孫六一尺七寸拔放し、格子の 挾間より小春が脇腹、爰ぞと見極め、ゑいと突に座は遠く、是はと計怪我 もなく、すかさず客が飛かかり、兩手を掴んでぐつと引入、刀の下緒手ば しかく、格子の柱にがんじがらみ、しつかと締付、



「小春騒ぐな覗くまいぞ」


語り

と、いふ所に亭主夫婦立歸り、是はと騒けば、



「アヽ苦うない。障子越に拔身を突込暴れ 者、腕を障子に括り置く。思案あり繩解な。人立あれば所の騒ぎ。サ ア皆奥へ。小春おじや往で寐よふ」



「あい」


語り

とはいへど見知り有脇指の、つかれぬ胸にはつと貫き、



「酔狂の餘り色里には有習ひ。沙汰なしに往 なして遣らんしたら、ナア河庄さん私やよさそふに思ひやす」



「いかな/\身次第にして皆はひりや。小春こちへ」


語り

と奥の間の、影は見ゆれど縛られて、格子手がせに悶掻ば締り、身は煩惱に繋 るる犬に劣つた生恥を、覺悟極めし血の涙、しぼり泣こそ不便なれ。 ぞめき戻りの身すがら太兵衞、



「扨こそ河庄が格子に立たは治兵衞めな。 投てくれん」


語り

と襟かい攫で引擔く。



「あ痛たた」



「あいたとは卑怯者。ヤアこりや縛付られた。扨は盗 ほざいたな。ヤいき掏摸めどう掏摸め」


語り

とては、はたとくらはせ、



「ヤ強盗めヤ獄門め」


語り

とては蹴飛かし、



「紙屋治兵衞盗して縛られた」


語り

と、呼わり叫けば行かふ人、あたり近所も駈集まる。内より侍飛で出、



盗人呼りはをのれか。治兵衞が何盗んだ。サ ア吐せ」


語り

と、太兵衞をかい掴み、土にぎやつとのめらせ、起れば踏付踏の めし/\、引捕て



「サア治兵衞踏で腹ゐよ」


語り

と、足元に突付るを縛れながら頬がまち、踏付/\踏さがされて土塗れ、 立上て睨まはし、



「四邊の奴原よふ見物して踏せたナア。一々に面見 覺た、返報する覺えておれ」


語り

と、減ず口にて迯出す。立寄人々どつと笑ひ、


人々

「踏れてもあの頤。橋から 投て水食はせ。遣な/\」


語り

と追駈行。人立すけば、侍立寄て縛めとき、頭巾取たる面躰、



「ヤア孫右衞門殿兄者人。アツア面目なや」とどうと座 し、土にひれ伏泣ゐたる。「扨は兄御樣かいの」


語り

と、走り出る小春が胸ぐら取て引居へ、



「畜生め狐め、太兵衞より先うぬを踏たい」


語り

と、足を上れば孫右衞門、



「ヤイ/\/\其たはけから事起る。人を たらすは遊女の 商賣、今目に見へたか。此孫右衞門はたつた今一見にて女の心の底を見 る。二年余りの名染の女、心底見付ぬ狼狽者。小春を踏足で狼狽たをのれ が根生をなぜ踏ぬ。エヽ是非もなや。弟とは云ながら三十に追掛り、勘太 郎おすゑといふ六ツと四ツの子の親。六間口の家踏しめ、身代潰るる辨な く、兄の異見を請ることか、舅は伯母聟、姑は伯母じや人親同然。女房 おさんは我爲にも從弟。結合々々重々の縁者親子中、一家一門參會にも、 をのれが曾根崎通ひの悔みより外、餘の事は何もない。最愛は伯母者人、 連合五左衞門殿はにべもない昔人。嚊の甥子に倒され娘を捨た。おさんを 取返し、天滿中に恥かかせんとの腹立。伯母一人の氣扱ひ、敵に成味方に 成、病に成程心を苦しめ、をのれが恥を包まるる恩しらず、此罰たつた 一ツでも、行先に的が立。斯ては家も立まじ。小春が心底見届け、其上の 一思案、伯母の心も安めたく、此亭主に工面し、をのれが病の根元見届く る。女房子にも見かへしは尤。心中よしの女郎、アヽお手柄。結構な弟を 持、人にも知られし粉やの孫右衞門、祭の練衆か氣違かつゐに指ぬ大小ぼ つこみ、藏屋敷の役人と、小詰役者の眞似をして、痴を盡した此刀、捨所 がないはいやい。小腹が立やらおかしいやら、胸が痛い」


語り

と齒ぎしみし、泣顏かくす十面に、小春は始終むせ返り、



「皆お道理」


語り

と計にて、詞も涙にくれにけり。大地を叩て治兵衞、



「誤つた/\兄者人。三年前よりあの 古狸に見入られ、親子一門妻子迄そでになし、身代の手縺れも、小春と云 ふ屋尻切にたらされ後悔千万。ふつつり心殘らねば、尤足も踏込まじ。 ヤイ狸め狐め屋尻切め、思ひ切た證據是見よ」


語り

と、肌に懸たる守袋、



「月頭に一枚づつ取交したる起請合せて廿九枚、戻せば戀も情もない。こりや請取」


語り

とはたと打付、



「兄者人、彼奴が方の我等が起請數改め請取て、此 方の方で火にくべて下され。サア兄きへ渡せ」



「心へやした」


語り

と涙ながら、投出す守袋孫右衞門押開き、



「ひいふうみいよ十廿九枚數揃ふ。外に 一通女の文。是や何じや」


語り

と開く所を、



「アヽそりや見せられぬ大事の文」


語り

と、取付を押退け、行燈にて上書見れば、「小春樣參る、紙屋内さんより」 讀も果ずさあらぬ顏にて懷中し、



「是小春、最前は侍冥利今は粉 やの孫右衞門商ひ冥利、女房限つて此文見せず、我一人披見して、起請共 に火に入る。誓文に違はない」



「アヽ忝い。夫で私が立ます」


語り

と又伏しづめば、



「ハア/\ハアうぬが立の立ぬとは人がましい。是 兄者人、片時も彼奴が面見ともなし。いざ御座れ。去ながら此無念口惜さど ふもたまらぬ。今生の思ひ出、女が面一ツ踏。御免あれ」


語り

と、つつと寄て地團太踏、



「エヽ/\、しなしたり。足かけ三年戀し床しも最愛可愛も、今日といふ今日、たつた此足一本の暇乞」


語り

と額ぎはをはつたと蹴て、「わつ」と泣出し兄弟つれ歸る姿もいた/\敷、跡を見 送り聲を上、歎く小春も酷らしき、無心中か心中か、誠の心は女房の、其一筆の 奥深く、誰が文も見ぬ戀の道、別れてこそは


三重歸りけれ。

中之巻

語り

福徳に天滿神の名を直に、天神橋と行通ふ、所も神のお前町、營む業も紙 店に、紙屋治兵衞と名を付て、千早振程買に來る、かみは正直商賣は、所 がらなり老舗なり。夫が火燵に轉寐を、枕屏風で風ふせぐ、外は十夜の人 通り、見世と内とを一締に、女房おさんの心配り。


さん

「日は短かし夕飯 時、市の側迄使にいて、玉は何して居る事ぞ。此三五郎めが戻らぬ事。風 が冷たい二人の子共が寒からふ。お末が乳の呑たい時分も知ぬ、阿房には 何が成。辛氣な奴じや」


語り

と獨言、



「母樣一人戻つた」


語り

と、走り歸る兄息子。


さん

「ヲヽ勘太郎戻りやつたか。おすゑや三五郎は何とした」



「宮に遊んで乳呑たいと、お末のたんと泣やりました」


さん

「そふこそ/\。 こりや手も足も釘になつた。父樣の寐て御座る火燵へあたつて暖まりや。 此阿房めどふせふ」


語り

と、待兼見世に駈出れば、三五郎只一人のら/\として立歸る。


さん

「こりやたはけ、お末は何處に置て來た」



「アヽほんに何處でやら落してのけた。誰ぞ拾たかしらん迄。何處ぞ尋て來ませふか」


さん

「をのれまあ/\大事の子を、怪我でも有たらぶち殺す」


語り

と、叫く所へ下女の玉、お末を背なかに、



「おふ/\最愛や辻に泣て御座んした。 三五郎守するならろくにしや」


語り

と、わめき歸れば、


さん

「ヲヽ可愛や/\乳呑たからふの」


語り

と、同じ火燵に添乳して、


さん

「是玉其阿房め覺える程打擲しや/\」


語り

と、いへば三五郎かぶりふり、



「いや/\たつた今、お宮で蜜柑を二ツ づつ食はせ、私も五ツ食ふた」


語り

と、阿房の癖に軽口だて、苦笑いする計なり。



「ヤ阿房にかかつて忘りよとした。申々おさん樣。西の方 から粉屋の孫右衞門樣と、伯母御樣連立てお出なされます」


さん

「是は/\そんなら治兵衞殿起そ。なふ旦那 殿起さしやんせ。母樣と伯父樣がつれ立てござるげな。此短かい日に商人 が、晝中に寝に振を見せては、又機嫌が惡からふ」



「おつとまかせ」


語り

とむつくと起き、算盤片手に帳引寄せ、



「二一天作の五、九進が三進、六進が二進、七 八五十六」


語り

に成伯母打連て、孫右衞門内に入ば、



「ヤ兄者人伯母樣、是はよふこそ/\先 これへ。私は只今急な算用いたしかかり。四九三十六匁三六が一匁八分 で、二分の勘太郎よお末よ、婆々樣伯父樣お出じや、煙草盆持ておじや。 一三が三、夫おさんお茶上ましや」


語り

と口ばやなり。


伯母

「いや/\茶も煙草も呑には來ぬ。是おさん、 いかに若いとて二人の子の親。結構な計みめではない。男の性の惡いは皆女房の油斷から。身代破り女夫別れする時は、男ばかりの恥じやない。ちと目をあいて氣にはり を持やいの」


語り

といへば、



「伯母樣愚なこと。此兄 をさへ欺ず不覺悟者、女房の異見など暖かに。ヤイ治兵衞、此孫右衞門を ぬく/\と欺し、起請迄かやして見せ、十日も立ぬになんじや請出す。 エヽうぬはなあ小春が借錢の算用か置をれ」


語り

と、算盤をつ取庭へぐはらりと投捨たり。



「是は近比迷惑千万。 先度より後、今橋の問屋へ二度、天神樣へ一度ならではしきイより外出ぬ 私。請出す事は扨置、思ひ出しも出すにこそ」


伯母

「いやんな云やんな。 夕部十夜の念佛に講中の物語、曾根崎の茶屋紀の國屋の小春といふ白人 に、天滿の深い大じんが外の客を追退、直に其大臣が今日明日に請出すと の是沙汰。賣買高い世の中でも、金とたはけは澤山なといろ/\の評判。 こちの親父御左衞門殿常々名を聞ぬいて、「紀の國屋の小春に天滿の大じ んとは治兵衞めに極つた。嚊の爲には甥なれど、こちは他人、娘が大事。 茶屋者請出し女房は茶屋へ賣をらふ。著類著そげに疵付られぬ間に取返し てくれふ」 と、沓脱半分下りられしを「そう%\しい神妙にも成ことを、 明さ暗さ聞届て上のこと」と押宥め、此孫右衞門同道した。孫右衞門の咄 しには今日は昨日の治兵衞でない。曾根崎の手も切れ本人間の上々と、聞 ば跡からはみかへる、そもいかなる病ぞや。そなたの父御は伯母が兄、最 愛や光譽だうせい往生の枕を上、「聟なり甥なり、治兵衞が事頼む」との 一言は忘れねど、そなたの心一ツにて、頼まれしかひもないはいの」


語り

と、かつぱと伏て恨泣。治兵衞手をうち、



「ハアヽよめた/\。取沙汰の有小 春は小春なれど、請出大じん大きに相違。兄きも御存じ、先日暴れて踏れ た身すがらの太兵衞、妻子眷屬持ぬ奴。金は在所伊丹から取寄る。とつく に彼奴めが請出すを私に押へられ、此度時節到來と請出すに極つた。我ら 存じも寄らぬ事」


語り

と、いへばおさんも色を直し、


さん

「假令私が佛でも男が茶 屋者請出す、其贔屓せふはづがない。是計は此方の人に微塵もうそはな い、母樣證據に私が立ます」


語り

と、夫婦の詞割符も合、


伯母

「扨はそふか」


語り

と手を打て、伯母は心を安めしが


伯母

「ムヽ物には念を入ふこと。先々嬉敷。とて もに心おち付ため、かたむくろの親父殿、疑ひの念なきやうに、誓紙書す が合點か」



「何が扨千枚でも仕らふ」


伯母

「いよ/\滿足」



「則道にて求めし」


語り

と孫右衞門懷中より、熊野の牛王の村烏、比翼の誓紙引かへ、今 は天罰起請文、小春に縁切思ひ切。僞り申にをひては、上は梵天帝釋、下 は四大の文言に、佛ぞろへ神ぞろへ、紙屋治兵衞名をしつかり、血判をす へてさし出す。


さん

「アヽ母樣伯父樣のお蔭で、私も心落付、子中なして もついに見ぬ堅め事。皆悦んで下さんせ」


伯母

「ヲ尤々此氣に成ば堅ま る。商事も繁昌しよ。一門中が世話かくも皆治兵衞爲よかれ、兄弟の孫共 可愛さ。孫右衞門おじや、早ふ歸つて親父に安堵させたい。世間がひへる子 共に風ひかしやんな。是も十夜の如來のお蔭。是から成共お禮念佛、南無 阿彌陀佛」


語り

と立歸る、心ぞ直に佛成。門送りさへそこ/\に、敷居も越や越ぬ中、火燵に治兵衞又ころり。被ふ蒲團の格子島、


さん

「まだ曾根崎を忘ずか」


語り

と、あきれながら立寄て、蒲團を取て引退れば、枕につたふ涙の瀧、身も浮計泣ゐたる。引越し引立、火燵の櫓につき居、顏つく%\と打ながめ、


さん

「あんまり じや治兵衞殿。夫程名殘惜くば誓紙書ぬがよいはいの。一昨年の十月中の 亥の子に、火燵明た祝儀とて、まあ爰で枕竝べて此かた、女房の懷中に は、鬼が住か蛇が住か、二年といふ物巣守にして、漸母樣伯父樣のお蔭 で、睦しい女夫らしい寝物語もせふ物、と樂む間もなくほんに酷いつれな い。左程心殘らば泣しやんせ/\。其涙が蜆川へ流れて小春の汲で呑やら ふぞ。エヽ曲もない恨めしや」


語り

と、膝に抱付身を投伏、口説たててぞ歎きける。治兵衞眼をし拭ひ



「悲しい涙は目より出、無念涙は耳から成共出る ならば、云ずと心も見すべきに、同じ目よりこぼるる涙の色の變らねば、 心の見へぬは尤々。人の皮著た畜生女が名殘も絲瓜もなん共ない。遺恨有 身すがらの太兵衞、金は自由妻子はなし、請出ス工面しつれ共、其時迄は 小春めが、太兵衞が心に從はず、「少しも氣遣なされな。假令こな樣と縁 切れ添れぬ身に成たり共、太兵衞には請出されぬ。もし金ぜきで親方から 遣るならば、物の見事に死んで見しよ」と、度々詞を放ちしが、是見や退 いて十日も立ぬうち、太兵衞めに請出さるる腐り女の四ツ足めに、心はゆ め/\殘らね共、太兵衞めがいんげんこき、「治兵衞身代往著ての、金の 手詰つて」なんどと、大坂中を觸廻り、問屋中のつき合にも、面をまぶら れ生恥かく、胸が裂る身が燃る。エヽ口惜い無念な。熱い涙血の涙、ねば い涙を打越へ熱鐵の涙が溢るる」


語り

と、どうど伏て泣ければ、はつとおさんが興さめ顏。


さん

「ヤアウハウ夫なればいとしや、小春は死にやるぞや」



「ハテサテなんぼ利發でも流石町の女房じやの。あの無心中者なんの死なふ。灸をすへ藥呑で命の養生するはいの」


さん

「いやそふでない、私が 一生いふまいとは思へ共、隱し包でむざ%\殺す其罪も恐ろしく、大事の 事を打明る。小春殿に無心中芥子程もなけれ共、二人の手を切せしは此さ んがからくり。こなさんが浮々と、死ぬる氣色も見へし故、余り悲しさ、 「女は相見互ひ事、切れぬ所を思ひ切、夫の命を頼む/\」とかき口説た文を感じ、「身にも命にもかへぬ大事の殿なれど、引れぬ義理合思ひ切」との返事。私や是守に身をはなさぬ。是程の賢女が、こなさんとの契約違へおめ/\太兵衞に添ふも のか。女子は我人一むきに、思ひ返しのないもの、死にやるはいの/\。アヽ アヽひよんな事。サアサアどふぞ助て/\」


語り

と、騒げば夫も敗亡し、



「取返した起請の中、しらぬ女の文一通兄きの手へ渡りしは、 おぬしから往た文な。夫なれば、此小春死ぬるぞ」


さん

「アヽ悲しや。此 人を殺しては、女どしの義理立ぬ。まづこなさん早ふ往てどふぞ殺して下 さるな」


語り

と、夫に縋り泣沈む。



「夫とても何とせん。半金も手附を打、 繁ぎ取て見る計。小春が命は、新銀七百五十匁呑さねば、此世に止むる事 ならず。今の治兵衞が四ツ三貫匁の才覺、打みしやいでも何處から出る」


さん

「なふ仰山な。夫で濟ばいと易し」


語り

と、立て箪笥の小ひきだし、明て 惜氣もなひまぜの、紐付袋押開き投出す一包、治兵衞取上、



「ヤ金か。然 も新銀四百目、こりやどふして」


語り

と、我置ぬ金に目覺る計なり。


さん

「其 金の出所も跡で語れば知れること。此十七日岩國の紙の仕切銀に才覺はし たれ共、夫は兄御と談合して商賣の尾は見せぬ。小春の方は急な事。そこ に四々の一貫六百匁と、まあ一貫四百匁」


語り

と大ひき出の錠明て、箪笥をひ らりと飛八丈、けふ縮緬の明日はない夫の命しら茶うら。娘のお末が兩面 の、紅絹の小袖に身を焦す。是を曲ては勘太郎が、手も綿もない袖なし の、羽織も交て郡内の仕末して著ぬ淺黄裏、黒羽二重の定紋丸に蔦の葉 の、のきも退れもせぬ中は、内裸でも外錦、男かざりの小袖迄、さらへて 物數十五色。内ばに取て新銀三百五十匁、よもや貸ぬといふことは、無い 物迄も有顏に夫の恥と我義理を、一つに包む風呂敷の、中に情を籠にけ る。


さん

「私や子供は何著いでも、男は世間が大事。請出 して小春も助け、太兵衞とやらに一分立て見せて下さんせ」


語り

と、いへ共始終さし俯きしく/\泣て居たりしが、



「手付渡して取とめ、請出して其後、圍ふてを くか、内に入るにしてから、そなたは何と成ことぞ」


語り

と、云れたはつと行當り、


さん

「アツアそふじや。ハテ何とせふ。子供の乳母か飯焚か、隱居成共しませふ」


語り

とわつと叫び伏沈む。



「余りに冥加恐しい。此治兵衞に は親の罰天の罰佛神の罰は當らず共、女房の罰一つでも將來はよふない 筈。免してたもれ」


語り

と手を合せ、口説歎けば、


さん

「勿躰ない、夫を拜むことかいの。手足の爪をはなして も、皆夫への奉公。紙問屋の仕切銀、何時からか著類を質に間をわたし、 私が箪笥は皆明殻。夫惜いとも思ふにこそ。何いふても跡へんでは返ら ぬ。サア/\早ふ小袖も著かへて、につこり笑ふて往かしやんせ」


語り

と、下に郡内黒羽二重、島の羽織に紗綾の帯、金ごしらへの中脇指、今宵小春が 血に染とは、佛や知召さるらん。



「三五郎爰へ」


語り

と風呂敷包肩に負せて供につれ、銀も肌身にしつかと付、立出る門の口、



「治兵衞は内にお居やるか」


語り

と、毛頭巾取て入を見れば、南無三寶舅五左衞門。


さんと治

「是は扨折も折よふお歸りなされた」


語り

と、夫婦は轉動狼狽ゆる。三五郎が負たる風呂敷もぎ取て、どつかと坐り尖り聲、



「女郎下にけつからふ。聟殿是は珍らし い。上下著飾り脇指羽織、天晴よい衆の金遣ひ。紙屋とは見へぬ、新地へ のお出か、御精が出まする。内の女房いらぬ物。おさんに暇遣りや、連に 來た」


語り

と、口に針有苦い顏。治兵衞はとかふの言句も出ず、


さん

「父樣今日は寒いによふ歩かしやんす。先お茶一ツ」


語り

と茶碗をしほに立寄つて、


さん

「主の新地通ひも最然母樣孫右衞樣お出なされて、 段々の御異見熱い涙を流し、誓紙を書ての發起心。母樣に渡されしがまだ御 覧なされぬか」



「ヲヽ誓紙とは此ことか」


語り

と懷中より取出し、



「阿房狂ひする者の起請誓紙は、方々先々書出し程 書ちらす。合點が往かぬと思ひ/\來たれば案の如く、此ざまでも梵天帝釋か。 此手間で去状書け」


語り

と、ずん/\に引裂て投捨てたり。夫婦はあつと顏を見合せあきれて詞もな かりしが、治兵衞手をつき頭をさげ、



「御立腹の段尤共お佗申すは以前のこと。今日の只今より 何事も慈悲と思召し、おさんに添せて下されかし。譬ば治兵衞乞食非人の 身と成、諸人の箸の余りにて身命は繁ぐ共、おさんは急度上にすへ、憂め 見せず辛いめさせず、添ねばならぬ大恩有。其譯は月日も立、私の勤方身 上持直し、お目に懸れば知るること。夫迄は目を塞いでおさんに添せて給 はれ」


語り

と、はらはらこぼす血の涙、疊に喰付佗ければ、



「非人の女房には猶ならぬ、去状書/\。おさんが持参の道具衣類、數改めて封つけん」


語り

と、立寄ば女房あはて、


さん

「著物の數は揃ふてあり、改ぬるに及ばぬ」


語り

と駈塞がれば、突退ぐつと引出し、



「コリヤどふじや」


語り

又引出してもちんからり。有たけこたけ、引出しても、繼ぎれ一尺あらば こそ。葛籠長持衣裳櫃、「是程からになつたか」と、舅は怒の眼玉もすはり、夫婦が心は今更に、明て悔敷浦島の、火燵蒲團に身を寄せて、火にも入たき風情なり。



「此風呂敷も氣遣」


語り

と引ほどき取散し、



「さればこそ/\、是も質屋へ飛すのか。ヤイ治兵衞、女房子共の身の皮はぎ、其金でおやま狂ひ。いけどう掏賊め。女房共は伯母甥なれど、此五左衞門とはあかの他人。損をせふよしみがない。孫右衞門に斷り 兄が方から取返す。サア去状/\」


語り

と、七重の扉八重の鎖、百重の圍みは遁るる共、遁れがたなき手詰の段。



「ヲヽ治兵衞が去状筆では書ぬ是御覧ぜ。おさんさらば」


語り

と脇指に手をかくる。縋り付て


さん

「なふ悲しや。 父樣身に誤りあればこそ段々の佗言。あんまり利運過ました。治兵衞殿こ そ他人なれ、子共は孫可愛ふは御座らぬか。わしや去状は受取ぬ」


語り

と、夫に抱付聲を上、泣叫ぶこそ道理なれ。



「よい/\去状いらぬ。女郎こい」


語り

と引立る。


さん

「いや私や往かぬ。飽もあかれもせぬ中を、何の恨に 晝日中、女夫の恥は晒さぬ」


語り

と泣佗れ共聞入ず。



「此上に何の恥。町内一ぱい喚いて行」


語り

と引立ればふり放し、小腕とられよろ/\と、よろめ く足の爪先に可愛やはたと行あたる、二人の小共が目を覺し、


小共

「大事の母樣なぜ連て行、祖父樣め。今から誰と 寐よふぞ」


語り

と慕ひ歎けば、


さん

「ヲヽいとしや、生れて一夜もかかが肌を放さぬも の。晩からは父樣と寐しやや。二人の子共が朝ぶさ前忘れず、必くわ山呑せ て下され。なふ悲しや」


語り

と、いひ捨る。跡に見捨る子を捨る、薮に夫婦の二股竹永き別れと


三重

下之巻

語り

戀なさけ爰を瀬にせん蜆川、流るる水も行通ふ、人も音せぬ丑滿の、 空十五夜の月冴て、光りは暗き門行燈、大和屋傳兵衞を一字書。眠りがち 成拍子木に、番太が足取千鳥足、「ごよざ/\」も聲更たり。「駕籠の衆 いかふ更たの」と上の町から下女子、迎ひの駕籠も大和屋の、潜ぐは ら/\つつと入、


大和屋

「紀伊の國屋の小春さん借やんしよ。迎ひ」


語り

とばかりほの聞へ、跡は三ツ四ツ挨拶の、程なく潜によつと出、


下女

「小春樣はお泊 じや。駕籠の衆直に休ましやれ。アヽいひ殘した是花車さん、小春樣に氣 を付て下さんせ。太兵衞樣へ身請がすんで、金請取たりや預かり物。酒過 させて下んすな」


語り

と、門の口から明日待ぬ、治兵衞小春が土に成、種蒔ち らして歸りける。茶屋の茶釜も夜一時、休むは八ツと七ツとの間にちら付 短檠の、光も細く更る夜の、川風寒く霜みてり。



「まだ夜が深い送らせま しよ。治兵衞樣のお歸りじや、小春樣起しませ。夫呼ませ」


語り

は亭主が聲。治兵衞潜をぐはさとあけ、



「コレ/\傳兵衞、小春に沙汰なし。耳へ入レ ば夜あけ迄くくられる。夫故よふ寐させて拔て往ぬる。日が出てから起し ていなしや。我等今から歸ると直に、買物の爲京へ上る。大分の用なれ ば、中拂ひの間にあふ樣に歸るは不定。最前の金でそなたの算用合も仕 廻、河庄が所へも後の月見の拂といふて、四ツ百五十匁請取つて給らふ し、と福島の西悦坊が佛壇買た奉加、銀一枚囘向しやれと遣つてたも。其 外に懸り合は、ハア夫よ/\、磯市が花銀五、是計じや仕廻て寐やれ。さ らば/\戻つて逢ふ」


語り

と、二足三足行より早く立歸り、



「脇指忘れたちやつと/\。なんと傳兵衞、町人はここが心易い。侍なれば其儘切腹するであろの」



「我ら預かつて置てとんと失念。小刀も揃ふた」


語り

と、渡せば取てしつかどさし、



「是さへあれば千人力。もふ休みやれ」


語り

と立歸る。



「追付お下りなさりませ。よふ御座りま」


語り

もそこ/\に、跡は樞をごつとりと、物音もなく鎭まれり。治兵衞はつつと去ぬる顏。又引かへす忍び足、 大和屋の戸に縋り、内を覗いて見る内に、間近き人影びつくりして、向ひ の家の物影に過る間暫し身を忍ぶ。弟故に氣を碎く、粉屋孫右衞門は先に たち、跡に丁稚の三五郎が、背中に甥の勘太郎を連れ、行燈目あてに駈來 たり、大和屋の戸を打叩き、



「ちと物問ませふ。紙屋治兵衞は居ませぬ か。ちよつと逢せて下され」


語り

と呼はれば、「扨は兄き」と治兵衞は身動き もせず、猶忍ぶ。内から男の寐ほれ聲、



「治兵衞はまちつと 先に、京へのぼるとてお歸りなされた。爰にでは御座らぬ」


語り

と、重て何の音なひも、涙はら/\孫右衞門、



「歸らば道で逢そな物。京へとは合點が ゆかぬ。アヽ氣遣ひで身がふるふ。小春をつれては行ぬか」


語り

と、胸にきつくり横たはる、心苦しさこたへかね、又戸を叩けば、



「夜更て誰じや。もふ寐ました」



「御無心ながらま一度お尋ね申たい。紀伊の國屋の小春 殿は、お歸りなされたか。もし治兵衞と連立て行はなされぬか」



「ヤヤ何じや小春殿は二階に寐てじや」



「ア先心が落付た。心中の念はない。 何處にかがんで此苦をかける。一門一家親兄弟が、片唾を呑で臟腑を揉と はよも知るまい。舅の恨に我身を忘れ、無分別も出よふか、と異見の種に 勘太郎を連て尋るかひもなく、今迄逢ぬは何ごと」


語り

とほろ/\涙の一人言、隱るる間の隔てねば、聞へて治兵衞も息を詰、涙 呑込計なり。



「ヤイ三五郎、阿房めが夜る/\うせる所、外には 知らぬか」


語り

といへば、阿房は我名ぞと心へて、



「知て居れど爰では恥かしうていはれぬ」



「知て居るとはサア何處じや。云て聞せ」



「聞た跡で叱らしやんな。毎晩ちよこ/\行所は、 市の側の納屋の下」



「大だはけめ、夫を誰が吟味する。 サアこい裏町を尋ねて見ん。勘太郎に風ひかすな。ごくにも立ぬ父めを持 て、可愛や冷たいめをするな。此冷たさで仕廻ばよいが、ひよつと憂めは 見せまいか」


語り

憎や/\の底心は不便/\の裏町を、いざ尋んと行過る、影 隔たれば駈出て、跡懷かしげに伸上り、心に物を云はせては、



「十惡人の此治兵衞、死に次第共捨置れず、跡からあと迄御厄介。勿躰なや」


語り

と手を合せ、伏拜み/\、


[治]

「猶此上のお慈悲には、子共がことを」


語り

と計にて、暫し涙に咽びしが、



「兎ても覺悟を極しうえ、小春や待ん」


語り

と大和屋の、 潜の透間さし覗けば、内にちら付人かげは、小春じやないか。待つとしら せの合圖の咳、エヘン/\かつち/\、ゑへんに拍子木打まぜて、上の町 から番太郎が、くる/\たぐる風の夜は、せき/\廻る火用心。「ごよ ざ/\/\」も人忍ぶ、我には辛き葛城の、神隱れして遣り過し、透を窺 ひ立寄ば、潜内からそつと明く。



「小春か」



「待てか。治兵衞樣早ふ出たい」


語り

と氣をせけば、せく程廻る車戸の、明るを人や聞付んと、しやく つてあくればしやくつて響き、 耳に轟く胸の中。治兵衞が外から手を添ても、心震ふに手先も震ひ、三 分四分五分一寸の、先の地獄の苦みより、鬼の見ぬ間と漸に、明て嬉し き年の朝、小春は内を拔出て、互ひに手を取かはし、北へ行ふか南へ か。西か東か行末も、心の早瀬蜆川、流るる月に逆らひて、足をはかりに


三重

名ごりの橋づくし

語り

走り書、謠の本は近衞流、野郎帽子は若紫、惡所狂ひの身の果は、かくな り行と定まりし、釋迦の教も有ことか、見たし憂身の因果經、明日は世上 の言草に紙屋次兵衞が心中と、仇名散り行櫻木に、根彫葉ほりを繪双紙 の、板摺る紙の其中に、有共しらぬ死神に、誘はれ行も商賣に、疎き報と 觀念も、とすれば心ひかされて、歩み惱むぞ道理成。此は十月十五夜の、 月にも見へぬ身の上は、心の闇の印かや。今置霜は明日消る、はかなき譬 の夫よりも、先へ消行閨の内、いと可愛としめて寢し、移香も何と冷泉流 の蜆川、西に見て朝夕渡る此橋の、天神橋は其昔、菅丞相と申せし時、筑 紫へ流され給ひしに、君を慕ひて太宰府へ、たつた一飛梅田橋、跡老松の 緑橋、別れを歎き悲しみて、跡にこがるる櫻橋、今に咄しを聞渡る、一首 の歌の御威徳。



「斯る尊き荒神の、氏子と生れし身を持て、そなたも殺 し我も死ぬ、元はと問へば分別の、あのいたいけな貝殻に、一杯もなき蜆 橋。短かき物は我々が歌此世の住居秋の日よ、十九と廿八年の、今日の今 宵を限りにて、二人の命の捨所。爺と婆との末迄も、まめで添はんと契り しに、丸三年も名染いで、此災難に大江橋。あれみや浪花小橋から、舟入 橋の濱傳ひ。是迄來れば來る程は、冥途の道の道が近付」


語り

と、歎けば女も縋り寄り、



「もふ此道が冥途か」


語り

と、見交す顏も見へぬ程、落る涙に堀川の、橋も水にや浸るらん。



「北へ歩めば我宿を、一目に見るも見返ら ず。子共の行衞女房の、哀も胸に押包み、南へ渡る橋柱、數も限らぬ家々 を、いかに名付て八軒家。誰と伏見の下り舟、著ぬ内に」


語り

と道急ぐ。

「此世を捨て行身には、聞も恐ろし天滿橋、歌淀と大和の二ア川を、一ツ 流の大川や、水と魚とは連て行。我も小春と二人連、一ツ刃の三ツ瀬川、手向 の水に受たやな。



何か歎かん此世でこそば添ず共。未來はいふに及ず、今 度の/\、つつと今度の其先の世迄も夫婦ぞや。一ツ蓮の頼みには、一夏 に一部夏書せし、大慈大悲の普門品、


語り

妙法蓮華京橋を、地藏和讃越れば到 る彼岸の、



玉の臺に法をへて、佛の姿に身御成橋、衆生濟度がままなら ば、流の人の此後は、絶て心中せぬやうに、守りたいぞ」


語り

と及びなき、願 ひも世上のよまひ言、思ひやられて哀れなり。野田の入江の水煙り、歌山 の端白くほの%\と、あれ寺々の金の聲、こう/\



「かふしていつ迄か、とても存らへ果ぬ身を、最期急がん此方へ」


語り

と手に百八の玉の緒を涙の玉に操まぜて、南無あみ島の大長寺、薮の外面のいささ川、流れ漲る樋の上を、最期所 と著にける。



「なふいつ迄うか/\歩みても、爰ぞ人の死に場とて、 定まりし所もなし。いざ爰を往生場」


語り

と、手を取土に座しければ、



「さればこそ死に場は何處も同じこ とと云ながら、わたしが道々思ふにも、二人が死に顏並べて、小春と紙屋 治兵衞と心中と沙汰あらば、おさん樣より頼みにて、殺して呉るなころす まい、挨拶切と取替せし其文を反古にし、大事の男を唆しての心中は、さ すが一座流れの勤めの者、義理しらず僞り者と、世の人千人万人より、お さん樣一人のさげしみ、恨み妬みもさぞと思ひ遣り、未來の迷ひは是一 つ。わたしを爰で殺して、こなさん何處ぞ所をかへ、ついと側で」


語り

とうちもたれ、くどけば共にくどき泣、



「ア愚痴な事ばかり。おさんは舅に取 りかやされ、暇を遣れば他人と他人。離別の女になんの義理。道すがらい ふ通り、今度の/\ずんど今度の、先の世迄も女夫と契る此二人。枕を並 べ死るに、誰が謗る誰が妬む」



「サア其離別は誰がわざ。わたしよりも こなさん猶愚痴な。身躰があの世へ連立か。所々の死にをして、譬へ此か らだは鳶烏につつかれても、二人の魂付纒はり、地獄へも極樂 へも連立て下さんせ」


語り

と、又伏沈み泣ければ、



「ヲヽ夫よ/\、此からだは地水火風、死れば空に 歸る。五生七生朽せぬ夫婦の、魂放れぬ印合點」


語り

と、脇指ずはと拔はなし、元結ぎはより我黒髪、ぶつつと切て、



「是見や小春。此髪の有内は紙屋治兵衞と云ふおさ んが夫。髪切たれば出家の身、三界の家を出、妻子珍寶不隨者の法師。おさんといふ女房なければ、おぬしが立る義理もなし」


語り

と、涙ながら投出す。



「アヽ嬉しふござんす」


語り

と小春も脇指取上、洗ひつ漉つ撫付し、酷や惜げも投島田、はらりと 切ツて投捨る。枯野の芒夜半の霜、共に亂るる哀れさよ。



「浮世を遁れ し尼法師、夫婦の義理とは俗の昔。迚もの事にさつぱりと、死場もかへて 山と川、此樋の上を山となぞらへ、そなたが最期場。我は又此流れにて縊 り、最期は同じ時ながら、捨身の品も所も替て、おさんに立拔く心の道。 其抱帯此方へ」


語り

と、若紫の色も香も、無常の風に縮緬の、此世あの世の二 重まはり、樋の俎木にしつかと括り、先を結んで狩場の雉子の、妻故我も 首しめくくる罠結。我と我身の死拵へ、見るに目もくれ心くれ、



「こなさん夫で死なしやんすか。所を隔て死ぬれば、 側に居るも少の間。爰へ/\」


語り

と手を取合、



「刃で死ぬるは一ト思ひ。さぞ苦痛なされ うと、思へばいとしい/\」


語り

と、とどめかねたる忍泣。



「首くくるも喉 つくも、死ぬるに愚の有物か。よしない事に氣をふれ、最期の念を亂さず 共、西へ/\と行月を、如來と拜み目を放さず。只西方を忘りやるな。心 殘りの事あらばいふて死にや」



「何にもない/\。こなさん定てお二人 の子達の事が氣にかかろ」



「アレひよんな事いひ出して又泣しやる。父 親が今死ぬる共、何心なくすや/\と、可愛や寐顏見るやうな。忘ぬは是 ばつかり」


語り

とかつぱと伏て泣しづむ、聲も爭ふ群烏、塒をはなれて鳴聲 は、今の哀れを問ふやとて、いとど涙を添にける。



「なふあれを聞や。 二人を冥途へ迎ひの烏、牛王の裏に誓紙一枚書たびに、熊野の烏がお山に て、三羽づつ死ぬると、昔より云傳へしが、我とそなたが新玉の、年の始 に起請の書初め。月の始月頭、書し誓紙の數々、其度毎に三羽づつ、殺せ し烏は幾許ぞや。常には可愛/\と聞、今宵の耳へは其殺生の恨の罪、む くひ/\と聞ゆるぞや。報ひとは誰ゆへぞ、我故辛き死をとぐる。ゆるし てくれ」


語り

と抱き寄れば、



「いやわし故」


語り

と締寄て、顏と/\をうち重 ね、涙に閉る鬢の髪、野邊の嵐に冰けり。後に響く大長寺の鐘の聲、南無 三寶長き夜も、夫婦が命短き夜と、早明渡る晨朝に、最期は今ぞと引寄 て、跡迄殘る死顏に、泣顏殘すな殘さじと、につと笑顏のしろじろと、霜 に凍ゑて手も慄ひ、我から先に目もくらみ、刃の立どもなく涙。



「アヽせくまい/\」



「早ふ/\」


語り

と女が勇むを力草、風誘ひ來る念佛は、我 に勸むる南無阿彌陀佛、彌陀の利釼とぐつと刺され、引すへてものり返 り、七ツ顛八倒こはいかに、切ツ先咽の笛を外れ、死にもやらざる最期の業 苦、共に亂れて苦みの、氣を取直し引寄て、鍔元迄さし通したる一刀、刳 る苦しき曉の、見果ぬ夢と消果たり。頭北面西右脇臥に羽織打著せ、死骸 を繕ひ、泣て盡せぬ名殘の袂、見捨て抱帯を手繰寄せ、首に罠を引掛る。 寺の念佛も切囘向、「有縁無縁乃至法界、平等」の聲を限りに樋の上よ り、



「一蓮托生南無阿彌陀佛」


語り

と踏はづし、暫し苦むなり瓢、風に揺る る如くにて、次第に絶る呼吸の道、いきせきとむる樋の口に、此世の縁は 切果たり。朝出の漁夫が網の目に、見付て、


漁夫

「死んだヤレ死んだ。出合/\」


語り

と聲々に、云廣めたる物語。直に成佛得脱の、誓ひの網島心中と、 目ごとに涙をかけにけり。