University of Virginia Library

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 次に女子解放運動が、女子をして、その母性を失わしめると論じるのも理由のないことで、事実を離れた、一種の 杞憂 きゆう です。それは女子が数千年来の奴隷的位地を脱して、独立した一個の人格として、あらゆる「人間的活動」を完成しようとする自己改革の運動ですから、生殖の生活に対しても、これを回避するどころか、反対に、愛と聡明と勇気とに満ちた、より完全な母となることを熱望しているのです。

 論者は「母性を失う」というような言葉を無思慮に用いられるようですけれども、親となることの欲求は、 もと より人間の内部に備っている最も強烈な本能の一つです。即ち人間性の内容として重要な位地を占めているものです。それがどうして人間の力で失われよう。教育の進歩に由って、唯だ益々それが動物的の親性から人間的の親性へ 醇化 じゅんか されて行くばかりです。現代の父母が如何に前代に比べて、その子に対する愛が進化しているかは、何人にも領解されることであろうと思います。

 しかもまた、論者に注意したいことは、人間は必ずしも人の親になるとも定まっていないということです。また、大多数の男女が親になるとしても、その子供を必ず育て得るものとも定まらねば、その子供が必ず育ち得るものと限っていないということです。もし女子が母とならないために「女らしさ」を失うというなら、男子も父とならないため「男らしさ」を失うといわねばならないでしょう。世間には先天的もしくは後天的のいろいろの事情に由って、結婚をせず、結婚をしても子供を生まない男女があります。