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ひらきぶみ
与謝野晶子

みだれ髪    

 君

 事なく着きし電報はすぐ打たせ候ひしかど、この文は二日おくれ候。 ( ひかる ) おばあ様を見覚えをり候はずなく、あたり皆顔知らぬ人々のみなれば、私の ( ひざ ) はなれず、ともすればおとうさんおとうさんと申して帰りたがりむづかり候に、わが里ながら父なくなりて弟留守にては気をおかれ、筆 ( したし ) み難かりしをおゆるし下されたく候。

 こちら母思ひしよりはやつれ 居給 ( いたま ) はず、君がかく帰し給ひしみなさけを大喜び致し、皆の者に誇りをり候。おせいさんは少しならず思ひくづをれ候すがたしるく、わかき人をおきて ( ) でし 旅順 ( りよじゆん ) の弟の、たび/\帰りて慰めくれと申しこし候は、母よりも第一にこの 新妻 ( にいづま ) の上と、私見るから涙さしぐみ候。弟、私へはあのやうにしげ/\申し参りしに、宅へはこの人へも母へも余り文おくらぬ様子に候。思へば弟の心ひとしほあはれに候て。

 おん礼を忘れ候。あの晩あの雨に 品川 ( しながわ ) まで送らせまつり、お帰りの時刻には吹きぶり一層 ( くわわ ) り候やうなりしに、 ( こと ) にうすら寒き夜を、どうして 渋谷 ( しぶや ) まで着き給ひし事かと案じ/\致し候ひし。窓にお顔見せてプラツトホームに立ち居給ひし父様の ( にわか ) に見えず成り給ひしに、 ( ひかる ) 不安な不思議な顔して外のみ ( なが ) め、気を替へさせむと ( すえ ) さま/″\すかし候へど、 ( きん ) ととの話も水ぐるまの唱歌も耳にとめず、この ( ちいさ ) ( ) の胸知らぬ汽車は ( またた ) く内に 平沼 ( ひらぬま ) へ着き候時、そこの人ごみの中にも父さま居給ふやと、ガラス戸あけよと指さしして戸に頭つけ候に、そとに立ち居し西洋婦人の若きが認めて、帽に花多き顔つと ( うつ ) し、物いひかけてそやし候思ひがけなさに、危く下に落つるばかりに泣きころげ ( きた ) り候。その ( おどろ ) きに父さまの事は忘れたらしく候へば、箱根へかかり候まで泣きいぢれて、よう ( ) てをり候 ( しげる ) を起しなど致し候へば、また去年の旅のやうに虫を出だし候てはと、 ( ) まさぬはずの私の乳 ( ふく ) ませ、やつとの事に寐かせ候ひしに、 近江 ( おうみ ) のはづれまで不覚に眠り候て、案ぜしよりは二人の児は楽に候ひしが、私は ( すえ ) と三人を ( まも ) りて少しもまどろまれず、大阪に着きて迎への者の姿見てほつと安心致し候時、身も心も海に流れ候人のやうに疲れを一時に覚え候。

 車中にて何心なく『太陽』を読み候に、君はもう今頃御知りなされしなるべし、 桂月 ( けいげつ ) 様の御評のりをり候に驚き候。私 風情 ( ふぜい ) のなま/\に作り候物にまでお眼お通し下され候こと、 ( かたじけな ) きよりは先づ恥しさに顔 ( あか ) くなり候。 勿体 ( もつたい ) なきことに存じ候。さはいへ出征致し候弟、一人の弟の留守見舞に百三十里を帰りて、母なだめたし弟の嫁ちからづけたしとのみに都を離れ候身には、この御評一も二もなく服しかね候。

 私が弟への手紙のはしに書きつけやり候歌、なになれば ( ) ろく候にや。あれは歌に候。この国に生れ候私は、私らは、この国を ( ) で候こと誰にか劣り候べき。物堅き家の両親は私に何をか教へ候ひし。 ( さかい ) ( まち ) にて ( ) き父ほど天子様を思ひ、 御上 ( おかみ ) の御用に自分を忘れし商家のあるじはなかりしに候。弟が ( うち ) へは手紙ださぬ心づよさにも、亡き父のおもかげ思はれ候。まして九つより『 栄華 ( えいが ) 』や『 源氏 ( げんじ ) 』手にのみ致し候少女は、大きく成りてもます/\王朝の 御代 ( みよ ) なつかしく、 下様 ( しもざま ) 下司 ( げす ) ばり候ことのみ ( つづ ) り候 今時 ( いまどき ) の読物をあさましと思ひ候ほどなれば、『平民新聞』とやらの人たちの御議論などひと言ききて身ぶるひ致し候。さればとて少女と申す者誰も 戦争 ( いくさ ) ぎらひに候。御国のために ( ) むを得ぬ事と承りて、さらばこのいくさ勝てと祈り、勝ちて早く済めと祈り、はた今の久しきわびずまひに、春以来君にめりやすのしやつ一枚買ひまゐらせたきも我慢して頂きをり候ほどのなかより、私らが及ぶだけのことをこのいくさにどれほど致しをり候か、人様に申すべきに候はねど、村の者ぞ知りをり候べき。 提灯 ( ちようちん ) 行列のためのみには君ことわり給ひつれど、その他のことはこの 和泉 ( いずみ ) の家の 恤兵 ( じゆつぺい ) の百金にも当り候はずや。馬車きらびやかに 御者馬丁 ( ぎよしやばてい ) に先き追はせて、赤十字社への路に、うちの ( すえ ) が致してもよきほどの手わざ、 ( きこ ) えはおどろしき 繃帯巻 ( ほうたいまき ) を、立派な令夫人がなされ候やうのおん 真似 ( まね ) は、あなかしこ私などの知らぬこと願はぬことながら、私の、私どものこの国びととしての ( つとめ ) は、精一杯致しをり候つもり、先日××様仰せられ候、筆とりてひとかどのこと論ずる仲間ほど世の中の 義捐 ( ぎえん ) などいふ事に ( ひやや ) かなりと候ひし ( あざけ ) りは、私ひそかにわれらに ( かか ) はりなきやうの 心地 ( ここち ) 致しても聞きをり候ひき。

 君知ろしめす如し、弟は召されて勇ましく彼地へ参り候、万一の時の後の事などもけなげに申して行き候。この頃新聞に見え候勇士々々が勇士に候はば、私のいとしき弟も ( うたがい ) なき勇士にて候べし。さりながら亡き父は、末の男の子に、なさけ知らぬけものの如き人に成れ、人を殺せ、死ぬるやうなる所へ行くを好めとは教へず候ひき。学校に入り歌俳句も作り候を許され候わが弟は、あのやうにしげ/\妻のこと母のこと身ごもり候 ( ) のこと、君と私との事ども案じこし候。かやうに人間の心もち候弟に、女の私、今の戦争唱歌にあり候やうのこと歌はれ候べきや。

 私が「君死にたまふこと ( なか ) れ」と歌ひ候こと、桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ/\と申し候こと、またなにごとにも忠君愛国などの文字や、 ( おそれ ) おほき教育 御勅語 ( ごちよくご ) などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや。私よくは存ぜぬことながら、私の好きな王朝の書きもの今に残りをり候なかには、かやうに人を死ねと申すことも、 ( おそれ ) おほく 勿体 ( もつたい ) なきことかまはずに書きちらしたる文章も見あたらぬやう心得候。いくさのこと多く書きたる源平時代の御本にも、さやうのことはあるまじく、いかがや。

 歌は歌に候。歌よみならひ候からには、私どうぞ後の人に笑はれぬ、まことの心を歌ひおきたく候。まことの心うたはぬ歌に、何のねうちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に、何の見どころか候べき。長き/\ 年月 ( としつき ) の後まで動かぬかはらぬまことのなさけ、まことの道理に私あこがれ候心もち居るかと思ひ候。この心を歌にて述べ候ことは、桂月様お許し下されたく候。桂月様は 弟御 ( おとうとご ) 様おありなさらぬかも存ぜず候へど、弟御様はなくとも、 新橋 ( しんばし ) 渋谷などの汽車の出で候ところに、軍隊の立ち候日、一時間お立ちなされ候はば、見送の親兄弟や友達親類が、行く子の手を握り候て、口々に「無事で帰れ、気を附けよ」と申し、大ごゑに「万歳」とも申し候こと、御眼と御耳とに必ずとまり給ふべく候。渋谷のステーシヨンにては、巡査も神主様も村長様も宅の ( ひかる ) までもかく申し候。かく申し候は悪ろく候や。私思ひ候に、「無事で帰れ、気を附けよ、万歳」と申し候は、やがて私のつたなき歌の「君死にたまふこと勿れ」と申すことにて候はずや。彼れもまことの声、これもまことの声、私はまことの心をまことの声に出だし候とより外に、歌のよみかた心得ず候。

 私十一ばかりにて 鴎外 ( おうがい ) 様の『しがらみ草紙』、星川様と申す方の何やら評論など分らずながら読みならひ、十三、四にて『めざまし ( ぐさ ) 』、『文学界』など買はせをり候頃、兄もまだ大学を出でぬ頃にて、兄より『帝国文学』といふ雑誌新たに出でたりとて、折々送つてもらひ候うちに、 雨江 ( うこう ) 様桂月様今お一人の新体詩その雑誌に出ではじめ、初めて私 藤村 ( とうそん ) 様の外に詩をなされ候 ( かた ) 沢山日本におありと知りしに候。その頃からの詩人にておはし候桂月様、なにとて 曾孫 ( ひまご ) のやうなる私すらおぼろげに知り候歌と眼の前の事との区別を、桂月様どう遊ばし候にや。日頃年頃桂月様をおぢい様のやうに ( うやま ) ひ候私、これはちと不思議に存じ候。

 なほ桂月様私の新体詩まがひのものを、つたなし/\、柄になきことすなと御 深切 ( しんせつ ) にお ( しか ) り下され候ことかたじけなく思ひ候。これは私のとがにあらず、君のいつも/\長きもの作れと勧め給ふよりの事に候。しかしまた私考へ候に、私の作り候ものの見苦しきは仰せられずとものこと、桂月様をおぢい様、私を曾孫と致し候へば、御立派な新体詩のお出来なされ候桂月様は博士、やう/\この頃君に教へて頂きて新体詩まがひを試み候私は幼稚園の生徒にて候。幼稚園にてかたなりのままに止め候はむこと、心外なやうにも思ひ候。

 かやうなること思ひつづけて、東海道の汽車は大阪まで乗り通し候ひき。 ( ひかる ) 今夜はよく眠り候へば、うつかり長きこと書きつらね候かな、時計は朝の壱時を打ち候に。君も今頃は筆おき給ふ頃、坊たちがをらで静なる夜に何の夢か見給ふらむ。今日父の墓へまゐり候。去年のこの頃しのび候て、お寺の廊の柱にしばらく泣き申し候。

 光は ( すえ ) ( ) ひて竹村の姉の ( もと ) へ、天神様の ( はと ) を見になど行き候。かしこに猿もあり、猿は行儀わろきもの ( ゆえ ) 見すなといひきかせ候。おばあ様は ( しげる ) ( ほお ) ずりし給ひ、もう今から、帰つたあとでこの児が一番心にかかるべしと申され候。光は少しもここの人たちに ( ) れず、またしては父さんへのん/\

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と申し、 ( すえ ) と大道へのみ出たがり候。

 汽車中にてまた新版の藤村様御集、久しぶりに 彼君 ( かのきみ ) のお作読み候。 ( はじめ ) のかたは大抵そらにも覚えをり候へば、読みゆく ( うれ ) しさ、今日ここにて昔の ( こと ) の師匠に ( ) ひしと同じここちに候ひし。宅の土蔵の虫はみし版本のみ読みならひて、仮名づかひなど、さやうのことどうでもよしと気にかけず、また和文家と申すもの大嫌ひにて、学校にてもかかるあさはかにものいふたぐひの人にわれ習はじとて、その時間に顔出さざりしひがみ今に残り候私なれど、この御集のちがひやう私にも目につき候は、さはいへあやしき ( えり ) かけし少女をくちをしと見る ( おもい ) に候。

 天眠様精様京の光子様お逢ひしたき人多けれど、かう児どもつれてはいかが致すべき。

 帰る日まで申さじと思ひ候ひしが、胸せまりて書き添へまほしくなり候。そはやはりふるさとは詩歌の国ならず、あさましきこと ( ) きこと、きのふの夕より知りそめしに候。

 竹村の姉がり訪ひしに、私は聞かでもよきこと、姉は語らではあられぬこと耳に致し、人の子に否とこたへしわが名、もとよりなりと何も/\思ひすてをり候ものを、をみななり、今更に悲しう、父あらぬ身をわびしと思ひ知り候。母も宅の者誰もその事しらず候へど、姉より聞けば、むかひ側の家今は人の家なれば、私帰るともそこへは一歩もふむをゆるすなと、はる/″\英国より△△まで。――君おしはかり給へ。――それにその人、私の着くとやがて来て、ちと来よなど、さりとは知らぬおとしあな、おそろしの世と知り候。かなたの 湯殿 ( ゆどの ) に母も弟の思へる人も入りに行けど、さらばわれは踏むまじく、東京のせん湯に入りつけてはと母には申して、子らつれておあし持ちて横町の湯へまゐれば、見知れるらしき人ありて眼をそばだて候。 椿 ( つばき ) の葉にて私のをさなき時に乳母がせしやう ( ひかる ) 草履 ( ぞうり ) つくりてやりたくと、彼の家の庭をあやにくや見たうも/\思へど、私はゆかず候。かしこの土蔵には弟どう思ひてか出立の前に、私のちひさき時よりの本と自分のと別々にしらべてまとめおき候よし、さ聞きて ( にわ ) かにその本こひしく、お 祖母 ( ばあ ) 様の 手垢 ( てあか ) 父の手垢のうへに私の手垢つきしかず/\、また妹と朱など加へし『 柵草紙 ( しがらみそうし ) 』のたぐひ、都へも引きとらまほしく、母ゆるさば、父のいつもおもかげうつし給ひし大きな 姿見 ( すがたみ ) もろとも、 蒲団 ( ふとん ) になとくるませて通運に出さすべく候。

 母ます/\文学狂になり候て、よべも歌の話いろ/\と致し、君の祭見る日の 下加茂 ( しもがも ) の橋はつまらずと申し、大井川濃き ( ) の帯のいくたりの鼓拍子に船は離れぬは、かしこの景色すきなるものから、それはよしと喜びていくたびも口ずさみ候。また松田などや申し候ひけむ、山の人とはきつとおえらき人なるべし、物言ひのてきはきして心の奥にかげなきは、江戸のお生れの人かと申し候ゆゑ、あれは 緑雨 ( りよくう ) 様や宅のお友達、数学の天才にて、こちらの朝日の角田様も古く知り給ふ ( かた ) 、当節は文学を専門になさる人たちよりも、かやうな学問のちがひし人様の方々に、まことのおえらき人あるなりと申し候へば、いつの世でも大抵はさうと、母たいさう知つたかぶりな顔を致し候。

 庭のコスモス咲き出で候はば、私帰るまであまりお ( ) みなされずにお残し下されたく、軒の朝顔かれ/″\の見ぐるしきも、 何卒 ( なにとぞ ) 帰る日まで ( ) りとらせずにお置きねがひあげ候。

 あす天気よろしくば、光に堺の浜みせてやれと母申して寐たまひ候。

(『明星』一九〇四年一一月)