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攝州合邦辻 安井前合邦庵室の場

攝州合邦辻
安井前合邦庵室の場

  • 役目==高安俊徳丸。
  • 云ひ號け、淺香姫。
  • 同奴、入平。
  • 修行者、合邦。
  • 同女房、おとく。
  • 坪井平馬。
  • 玉手御前。
本舞臺、常足の二重、舞臺端へ出して六枚飾り、正面、納戸口、上手、佛壇、押入れ戸棚、横手、三尺、鼠壁、ずつと上手後へ下げて一間の障子屋體、廻り縁、この前面、庭、下の方、鼠壁、横手板羽目。平舞臺上手、建仁寺垣、下手、上り口、いつもの所門口、後に打ち破り、續いて荒き格子にて見切り、この脇、納屋、人出入り、下座の所、高燈籠、藪疊み、同じく植込み、すべて合邦内の體。佛壇はよろしく飾りつけ、この前に白木の机の上に紙位牌、線香立て、燈明土器、叩き鉦、よき所に阿迦桶に樒を入れあり後に壞れる事あり。上手に木彫りの閻魔の首、同じく閻魔堂建立と記せし幟、爰に女房お徳、世話形、百姓一二三四、婆、銘々膳を片寄せ、百萬遍の數珠を繰り、回向をしてゐる見得。在郷唄にて、幕明く。
皆々

南無阿彌陀佛。


百一

願爲宿得精一切、平等利益、南無阿彌陀佛/\。


百二

扨て皆の衆や、奇特によう勤めさつしやれた。見れば新しい戒名も貼つてあれど炬燵の櫓、あぶり籠の樣な字ばかりで一字も讀めぬが、このやうに馳走さんすは、大方身うちの佛であらう。誰れぢや知らぬが、南無阿彌陀佛/\。


百三

今夜は志しの佛があると聞いたゆゑ、念佛はわし等が大分精出したので、いつもより夜食も進みました。ナウ、長谷の婆さま。



オヽそれ/\、麥飯にとろゝ汁、菎蒻の白あいで、いかな亡者もずる/\と、極樂へ辷り込まつしやるであらう。


皆々

ほんにさうでござるの。南無阿彌陀佛/\。


とく

モシ、皆さんえ、何はなくとも、たんと上がつて下さんせ。今夜の百萬遍は、ちつと退かれぬ佛の手向け。國を隔てゝ居る事ゆゑ、日も知らず、心ばかりの精進物、酒なと澤山上つて下さんせ。


百四

イヤ/\、遠慮なしに最前から詰め込んだので、腹が張つて、俯向いて辭儀さへ出來ぬ腹鹽梅ぢや。ナウ、皆の衆。


百一

さうとも/\、十分によばれた程に、これから腹ごなしに、片附け物を手傳ふてやりませう。


とく

イヤ/\、構はずと捨てゝ置いて下さりませ。


百二

そんならわし等はもう歸りませう。合邦どのに、よう云ふて


皆々

下されや。


とく

マア、ゆるりと話して下さりませ。


百一

イヤ、大ぶ馳走になりました。



そんならお徳さま。


とく

御苦勞でござんしたな。


皆々

サア、行きませう。


[唄]

[utaChushin] 禮もそこ/\同行ども、打ち連れてこそ立ち歸る。跡に女房は御燈火の、灯は掻き立つれど晴れやらぬ、子ゆゑの闇の獨り言。合邦は一間を立ち出で


[ト書]

ト此うち百姓皆々、わや/\云ふて下手へ入る。お徳、行燈をよき所へ置き、燈明を掻き立て、こなし。合ひ方になり、奧より合邦、好みの拵へ、珠數を持ち、出て來り、邊りを見て


合邦

お徳、同行衆は歸られたか。


とく

アイ、よう禮云ふてくれと、今がた歸られましたわいの。


合邦

ムウ、さうか。俺も晝からの彼の客人で、ほつとしたわい。


とく

ほんにさうでござんせう。又今日の弔ひも、天にも地にも只一人の娘、道心者の娘で置いたら、非業の最期もさしはせまいに、なまなか河内の國の大名の、奧樣奧樣と云はしたも親の科。五年六年見ぬ親子、病ひでもある事か、死にやる時には、嘸や親々戀しいと、思ふたであらうわいなう。


[唄]

[utaChushin] 今際の念に引かされて、未來も迷ふてゐるであらう。


[とく]

可哀の者や。いぢらしい事しました。思へば不便にござるわいなう。


[唄]

[utaChushin] 身をひれ伏して泣き沈む。合邦は泣き目を隱し


合邦

コレ、お婆、又同じ事をめろ/\と、繰り返して泣き居るか。十年このかた頭は剃つても、心は昔の侍ひ氣質、一人の娘を高安どのへ腰元奉公、奧方に引き上げられても、親子とも名乘らぬは、かう云ふ淺間しい姿ゆゑ、我が子の肩身もすぼらうかと、折節の状通にも、必らず/\親一門もないものと云ひ募れと、くどい程云ふてやつたも、娘の庇で立身望むと、世上の人に云はるゝが面倒さ。潔白な親とは違ひ、子と名乘つてゐた俊徳さまに、無體な戀をしかけるのみか、後までを慕ひ廻り、大恩の夫を捨て、家出したいたづら女郎め、そのまゝにして濟まさうか。早速に追つ手をかけ、嬲り殺しになつたであらう。アヽ、不所存で命を捨てた奴、不愍ともいぢらしいとも思はねど、高安どのへ貢ぎの禮。又見ず知らずでも劍難で死んだ者は、弔ふてやるが頭の役。そなたも武士の娘だてら、見苦しいその泣き顏、ちと嗜みやいなう。


[唄]

[utaChushin] 叱れば母は猶涙。


とく

可哀さうに、そのやうに酷たらしうは云はぬもの。片輪な子ほど不愍をかけるは世の習ひ。二十そこらの色盛り、年寄つた左衞門さまより、美しいお若衆さまなら、惚れいでなんとするものぞ。いたづら者よ不義者と叱るのは、生きてゐるうちの事、死んだ跡ではちつとばかり、可哀やと云ふたとて、佛の科にもなるまいと思ひますわいの。


[唄]

[utaChushin] 恨み歎けば父親も、心の底は子を思ふ、歎きを見せじと顏そむけ、かぶり打ち振り


合邦

アヽイヤ/\、たとへ我が子でも惡人を、不愍と思ふは天道への恐れ。坊主の役と一旦は弔ふたれど、畜生めがその戒名、引き破つてしまふなりと、そちらの事はそなた任せ。又香も切れたら盛るなりと、御燈火も消えぬやうにしやうと、勝手にしやれ、俺や構はぬ。滿更懇ろな他人の死んだ樣にも思はぬゆゑ、思はず涙が……アイヤ、涙は出ねど、年のせいか、この眼が霞んでうつとうしい。


[唄]

[utaChushin] 摺り赤めたる恩愛の、涙隱せど悲しさは、聲の曇りに現はれし、夫の心汲む妻は、手向けの水の哀れ氣に、せめて未來の助けにと、くゆらす香の薄煙り、思ひは富士の高根とも、袖は清見が堰き留めて、涙押へる鉦の音の


[唄]

[utaChushin] しん/\たる夜の道、戀の路には暗からねども、氣は烏羽玉の玉手御前、俊徳丸の御行くへ、尋ね兼ねたる人目をも、忍び兼ねたる頬冠り、隱み包せし親里も、今は心の頼みにて、馴れし故郷の門の口、立ち寄る後より入平が、御兩所の御行くへ、爰とは知れど奧方の、姿見るより樣子もと、戸脇に厚き藪疊み、身を潜めてぞ窺ひ居る。かくとは知らで玉手御前、干割れに洩るゝ細き聲。


[ト書]

ト此うち合邦は位牌に向ひ、鉦を叩き、回向をしてゐる。お徳は香盤の香を盛り、珠數を持ち、口の裡にて念佛を唱へ居る。よき程に向ふより、玉手御前、着流し、抱へ帶、片袖を引きちぎり、頬冠りにして出て來り、内の樣子を窺ふ。下部入平、旅形、一本差しにて出て來り、玉手御前を見て、思ひ入れあつて、そつと下手の藪疊の蔭へ忍ぶ。玉手御前、これを知らず、門口を覗き見て


玉手

申し、母さん/\。


[唄]

[utaChushin] 呼ぶは慥かに娘の聲。


[ト書]

トこれにて合邦、鉦を叩き乍ら、この聲を聞き、恟りして


合邦

ヤア、あの聲は正しく娘。ヤア、まだ死なぬな。アノ、殺されはせぬか。


[唄]

[utaChushin] と立ち上がりしが心附き、振り返り見る女房が方、鉦に紛れて聞こえぬは、これ幸ひと知らぬ顏。


玉手

母さん/\、爰明けて下さんせいなア。


[唄]

[utaChushin] 叩く戸の音聞き咎め


とく

コレ、合邦どの、今こなさんは何とぞ云ふてか。


合邦

イヽヤ、なんとも云やせぬわい。


とく

それでもどうやら


合邦

ハテ、そりやわが身の空耳であらうぞい。


とく

イヤ、空耳かは知らねども、ちらりと聞こえた娘の聲。


[唄]

[utaChushin] ハテ合點の行かぬと立ち上がる。


玉手

さう仰しやるは母樣か。ちやつと明けて下さんせ。娘の辻でござんすわいなア。


[唄]

[utaChushin] 聞いて恟り飛び立つ思ひ


とく

ナニ、娘が戻りやつたとな。夢ではないか。


[唄]

[utaChushin] 駈け出る袂を取つて引き留め


[ト書]

トお徳、こなしあつて、門口へ行かうとするを、合邦、引き留め


合邦

ヤイ/\/\、狼狽者めが。肌は觸れても觸れいでも、我が子に不義をしかけた畜生、侍ひの身で高安どのが、娘を助けて置かつしやる樣はなければ、なんの今まで存命へて、うか/\爰へ何しに來やうや。アヽ、隱すより現はるゝはなしと、親はないと云はしても、ある事知つて娘が手から、度々の合力金、二人が命ながらへしは、皆高安どのが御厚恩。その夫の目を掠めし畜生の娘、たとへ無事で戻つたとて、門端も踏まされうか。元より娘は斬られて死んだぢやないか。今物を云ふたが娘なら、それこそ幽靈に違ひない。そなたは氣味が惡うはないか。肉縁の深いほど、死人になれば怖いもの。必らず門の戸明けまいぞ。


[唄]

[utaChushin] 云ふに女房は。


とく

イヤ/\、幽靈は愚か狐狸の化けたのでも、ま一度見たい娘の顏。若しや恐ろしい物であつて、目をまはして死んだら仕合せ。愛し可哀の子を先立て、生きて業を晒さうより、一目なりとも見たうござるわいなう。


[唄]

[utaChushin] 振り切り行くを猶も引き留め


合邦

ハテサテ、惡い合點。狐狸か幽靈なればまだしもの事。不義の娘なら高安どのへ義理の言譯、以前刀さいた役目、親の手にかけ殺さにやならぬ。それが厭さに留めるのぢやわいやい。


[唄]

[utaChushin] 泣かねど親の慈悲心を、聞く子や妻は内と外、顏と顏とは隔たれど、心の隔て泣き寄りの、眞身の誠ぞ哀れなる。娘は涙押し拭ひ、門の戸口に口を寄せ


玉手

父樣のお腹立ち


[唄]

[utaChushin] そのお憎しみは尤も乍ら


[玉手]

これには段々言譯あれど、人目を忍ぶこの身の上。マア、爰明けて下さんせいなア。


[唄]

[utaChushin] 泣く/\願へば母親は


とく

あれ聞いてか合邦どの、言譯があるといの。マア、聞いてやつて下さんせ。ハテ、娘と思へば義理も缺けるが、幽靈を内へ入れるに、誰れに遠慮はござんすまいぞえ。


合邦

何さま、婆の云ふ通り、この世は離れたものなれば、世間を憚る事もあるまい。そんなら早う呼び込んで、茶漬でも手向けてやりや。幽靈もさぞひだるからう。


[唄]

[utaChushin] 身を反むけるは涙百倍。母は悦び門口の、疾くや遲しと明くる間も、お懷かしや懷かしやと縋る娘の顏形、前後ろ見つ肌に手を入れても矢ツ張り本の娘。


[ト書]

ト此うちお徳、門口を明ける。玉手御前、内へ入り、お徳に取り附く。お徳、こなしあつて


とく

オヽ、嬉しや/\、まめでゐてくれたかいなう。さうとは知らず逆さま事


[唄]

[utaChushin] あた忌々しい百萬遍、弔ひした夜に不思議な顏。


[とく]

イヤ/\、ひよつと夢ではあるまいか。よう顏見せてくれいやい。


[唄]

[utaChushin] 抱き締めて嬉し泣き。父も程經る娘の顏、見たさに思はず立ち寄れど、以前の詞と世の義理を、思へばちやつと飛び退いて、手持ち惡いぞいぢらしき、母はやうやう心を鎭め


[とく]

世間の噂には、そなたはアノ俊徳さまとやらに戀をして、館を拔けて出やつたの、イヤ、不義者ぢやと惡うは云へど、そなたに限つて、よもやさう云ふ事はあるまい。定めて嘘であらうがな。さうか、嘘か/\。


[唄]

[utaChushin] と箸持つて、くゝめる樣な母の慈悲、面はゆげなる玉手御前


[ト書]

トこれを聞き、玉手御前、こなしあつて


玉手

母樣のお詞なれど、いかなる過去の因縁やら、俊徳さまの御事は、寢た間も忘れず、只戀しい/\と、思ひ切られぬ戀路の闇。


[唄]

[utaChushin] 思ひ餘つて打ちつけに、云ふても親子の道を立て、つれない返事堅いほど、猶いやまさる戀の淵。いつそ沈まばどこまでもと、跡を慕うてかちはだし、蘆の浦々難波潟、身をつくしたる心根を、不便と思うてとも%\に、俊徳樣の行くへを尋ね、女夫にして下さんすが、親のお慈悲。


[玉手]

コレ、手を合はして拜むわいなア。


[唄]

[utaChushin] 拜み廻れば母親も、今更呆れ我が子の顏、只うち守るばかりなり。父はとかうの詞なく、納戸のうちより昔の一腰引ツ提げ來て


[ト書]

ト合邦、こなしあつて、納戸口より一腰を持ち來り


合邦

ヤイ、畜生め、よく聞けよ。おのれにはまだ話さねど、元わが親は青砥左衞門藤綱と云ふてな、鎌倉の最明寺時頼公のお見出しに依つて、天下の政道を預かり、武士の鑑ぢやと云はれたお方ぢや。我が代になつても親の庇、大名の數にも入つたれど、今の相模入道どのの世に至つて、侫人どもに讒言せられ、浪人して早二十四年、世を見限つて捨て坊主、この形になつてもな、義を失はぬ合邦が子に、ようも/\おのれが樣な、女の道も人の道も、辨へぬ娘を持つたと思へば、無念で身節が碎けるわいやい。高安どのが今日まで、われを助けて置かつしやる、御心底を推量するに、元おのれは前奧方の腰元、後の奧にせんと云ひし折、たつて辭退し居つたを、無理矢理に奧方となし、それゆゑ今度の仕儀となり、殺さにやならぬ所なれど、皆高安どのがお身の上を顧て、親への義理に助けさつしやるを、有難い、恥かしいと思ふ心が芥子ほどでもあるなら、たとへどれ程惚れて居つても、思ひ切れぬと云ふ事はないわい。それになんぢや。そのざまになつても、まだ俊徳さまと女夫になりたい、親の慈悲に尋ねてくれとは、ドヽどの頬げたでぬかした。あつちから義理立てゝ助けて置かつしやる程、生け置いてはこつちも義理が立たぬ。今ぶち放す。覺悟せい。


[唄]

[utaChushin] はや拔きかくる刀の鯉口、母は取りつき


とく

コレ/\、合邦どの、そりや料簡が違ふた/\。


合邦

なんで違ふのぢや。


とく

サレバイノ、お慈悲で助けて下さる娘、お志しをむそくにして、殺して義理が立ちまするか。このうへは母がとつくり意見して、俊徳さまの事思ひ切らせ、命替りに尼法師、浮世を捨てれば死んだも同然、どこへの義理も立つ道理。


[唄]

[utaChushin] 奧へ指さし樣々と、宥めすかして母親は、我が子の側へすり寄つて


[とく]

コレ、娘、聞きやる通りの事なれば、どの樣に思やつても、そなたの戀は叶はぬ程に、ふつゝりと思ひ諦めて、早う尼になつてたもいなう。


[唄]

[utaChushin] 縹緻發明勝れた娘、尼になれと勸めるは、助けたいばつかりに、花の盛りを捨てさして、切らねばならぬその黒髮。


[とく]

百筋千筋と撫でしもの、剃らねば叶はぬこの仕儀は、こりやマアなんたる因果ぢやぞいなう。


[唄]

[utaChushin] なんの因果とばかりにて、縋りついて泣きゐたる。娘は飛び退き顏色變へ


[ト書]

ト玉手御前、こなしあつて、お徳を突き退け


玉手

エヽ、わつけもない事云はしやんすな。わしや尼になる事は厭ぢや/\。折角艶ようすき込んだこの髮が、どう酷たらしう剃られるものかいな。今までの屋敷風はもう取替へて


[唄]

[utaChushin] これからは色町風、隨分派手に身を持つて


[玉手]

俊徳さまに逢ふたらば、あつちからも惚れて貰ふ氣。怪我にも尼の坊主のと、そのやうな事云ひ出しても下さんすなえ。


[唄]

[utaChushin] 劍もほろゝの挨拶に、聞く父親はむくりをにやし


合邦

アレ、あの通りの胴ばり者め


[唄]

[utaChushin] もう料簡がと、父が身構へ母親は


とく

サア、お腹の立つは尤もでござんすが、夫婦になつて長の年月、只一度のわしが願ひ、暫しの間娘を、わしに預けて下されいなう。


[唄]

[utaChushin] 願へば是非も中の間へ、見返りもせず入り行く父親。母は意地張る娘の手、引立て/\無理矢理に、納戸へこそは入る月の。


[ト書]

ト合邦はこなしあつて、上手の障子のうちへ入る。お徳は玉手御前を無理に引立て、納戸口へ入る。


[唄]

[utaChushin] 影さへ見えぬ目無し鳥、番ひ放れぬ淺香姫、一間のうちより俊徳の、御手を引いて忍び出で


[ト書]

ト上手離れの障子屋體より、淺香姫、俊徳丸、癩病、好みの鬘、着流し、大小、病ひ鉢卷、眼病のこなしにて、手を引かれ、出て來り


淺香

今の樣子を聞くにつけ、もう暫らくもこのうちに、あなたはどうも置かれませぬ。いづくへなりともお供せん。サア、お起し遊ばせ。


[唄]

[utaChushin] 手を引立つれば俊徳丸


俊徳

アヽ、わが業滿てず母上に、かくまで思はれ參らするも、身の罪障とは云ひ乍ら、館を出でし頃には増り、兩眼盲ひたるそのうへに


[唄]

[utaChushin] かゝる見にくき姿をば、お目にかけなば母上の


[俊徳]

愛着心の切れもやせん。今一度お目にかゝつたそのうへにて、入平夫歸も尋ね來ば、召し連れて立ち退かん。


[唄]

[utaChushin] のたまふ聲を聞き取る門口。


[ト書]

トこの以前より、入平、下の藪疊みの蔭より出て、門口に窺ひゐて


入平

アイヤ、入平め、最前より、始終の樣子を承りました。


[ト書]

トうちへ入る。


[入平]

一刻も早くお供の仕らん。


淺香

オヽ、さう云やるは入平か。


入平

姫君には、お心丈夫に思し召せ。


俊徳

入平、よい所へ來やつたの。


入平

サア、ちつとも早く、お立ちあられませう。


[唄]

[utaChushin] 氣を急く折しも納戸より、早駈け出づる玉手御前。


[ト書]

トこの時、納戸口より、玉手御前、走り出て


玉手

なう懷しや俊徳さま。


淺香

ヤア、玉手さまか


俊徳

母上には、どうしてこの家へ


玉手

お前に逢ひたいばつかりに、幾世の苦勞物案じ、心を盡した甲斐あつて、やうやうお目にかゝつたわいなう。


[唄]

[utaChushin] 縋り給へば身を摺り退け


[ト書]

ト取りつくを、振り放し


俊徳

チエヽ、お情ない母上さま、館にても申す如く、同氏さへ嫁取らぬは君子の戒め。ましてや親子の仲々に、戀の色のと斯程まで、慕ひ給ふはお身ばかり。宿業深き俊徳に、まだ%\罪を重ねよとか。見る目いぶせきこの癩病、兩眼盲いて淺間しき、姿はお目にかゝらぬか。これでも愛想が盡きませぬか。道も恥をも知り給へ。


[唄]

[utaChushin] 涙と共に恥しむれば


玉手

ホヽヽヽヽ、愚かな事を仰しやるよな。そのお姿もわたしが業、むさいとも穢ないとも、なんの思はう、思やせぬ。自らゆゑに難病に、苦しみ給ふと思ふ程


[唄]

[utaChushin] いや増す戀の種となり


[玉手]

一倍いとしうござんすわいなア。


俊徳

ムウ、この業病を母上の、業と仰しやるその仔細は。


玉手

サア、去年の霜月住吉で、神酒と僞りコレ


[ト書]

ト袱紗冠みの鮑貝を出し


[玉手]

この鮑ですゝめて神酒は、祕法の毒藥。


俊淺

エヽヽヽヽ。


[ト書]

ト皆々恟りする。


玉手

サア、癩病發する奇藥の力。中に隔てを仕かけの銚子。母が呑んだは常の酒。お前の顏を醜うして、淺香姫に愛想をつかさせ、この身の戀を叶へんため。前世の惡業消滅と、出家ありしは丁度幸ひ、跡を慕ふてお行くへを、方々尋ぬるそのうちにも、君が記念のこの盃


[唄]

[utaChushin] 肌身放さす抱き締めて


[玉手]

いつか鮑の


[唄]

[utaChushin] 片思ひ、つれないわいなと御膝に、身を投げ臥して口説き泣き。樣子を聞いて俊徳丸、無念と思へど義理の親、恨みも云はず兎に角に、我が身の不運と御落涙。姫はいつそ涙も出ず、腹立ち紛れに取つて突き退け


[ト書]

ト玉手、俊徳に寄り添ひ、泣き伏す。俊徳、口惜しきこなし。淺香姫、玉手を隔てゝ


淺香

チエヽ、あなた樣はなア。聞けば聞く程、あんまりぢや/\わいなア。俊徳さまを、ようあの樣なお顏になされましたなア。


[唄]

[utaChushin] 母御の身として子に戀慕、人間とは思はねど、道ならぬ事も程がある。


[淺香]

サア、元の通りにして返しや/\。


[唄]

[utaChushin] 恨み給へば入平も


入平

モシ、奧樣。あなたはお氣ばし狂ひはなされませぬか。誰れあらう高安左衞門さまの奧方と、敬はれるお身であり乍ら、御子息の俊徳さまを戀ひ慕ふとは、いかなる天魔が見入りしか。數なりませぬ下郎めが、御意見申すもお身の上を思ふがゆゑ。何卒戀慕の念を斷ちしと、たつた一言仰しやつて下さりませ。モシ、奧樣、お慈悲お情でござりまする。すりや、斯程までに御意見申しても、アノ、お聞入れはござりませぬか。エヽ、さりとは道も法も辨へぬ、あたな樣はなア。


[唄]

[utaChushin] 忠義一途な入平が、諫めの言葉耳にも入れず、玉手はすつくと立ち上がり


玉手

ヤア、戀路の闇に迷ふた我が身、道も法も聞く耳持たぬ。もう此うへは俊徳さま、何くへなりと連れて退き、戀の一念通さで置かうか。邪魔しやつたら免さぬぞ。


[唄]

[utaChushin] 飛びかゝつて俊徳の、御手を取つて引立てる。あら穢らはしやと振り切るを、放れじやらじと追ひ廻し、支へる姫を突き退け刎ね退け、怒る目もとは薄紅梅、逆立つ髮は青柳の、姿も亂るゝ嫉妬の亂行。門には入平身に冷汗、たえ兼ねて駈け出る合邦、娘が髻ひつ掴み、ぐつと貫く氷の切先、あつと魂切る聲に恟り、戸をめり/\駈け込む入平、驚く夫婦。


[ト書]

ト此うち玉手、俊徳を連れ行かんとする。入平、淺香姫、支へる。玉手、入平を表へ突き出し、門口をしめる。よき程に、奧より合邦、刀を持ち、出て來り、この體を見て、玉手の髻を取つて引き寄せ、脇腹へ刀を突つ込む。これにて玉手、あつと倒れる。この聲に驚き、入平、門口を打ち破り、こちへ入る。お徳、納戸口より走り出て


とく

ヤア、こりや娘を


俊徳

こりや早まつた事


皆々

致されたなア。


[唄]

[utaChushin] 取り附き歎けば、合邦は怒りの顏色、筋骨立て


合邦

ヤア、何吠える事がある。コリヤ、女房、そちが泣いては高安さま、俊徳さま御夫婦へ、心の義理が立つまいがな。このやうな念の入つた大惡人を、まだわりや子ぢやと思ふか。ヤイ、俺や憎うて/\たまらぬゆゑ、十年この方虱一匹殺さぬ手で、現在の子を殺すは、浮世の義理とは云ひ乍ら、これが坊主のあらう事か。コリヤヤイ、おのればかりかこの親まで、佛の教へを背かして、無間地獄の釜焦げに、ようマアおのれは仕居つたなア。アノ、爰な魔王めが。


[唄]

[utaChushin] ゑぐる拳を押へる手負ひ。


玉手

アモシ、父さん、道理ぢや/\。これには深い樣子のある事。物語りする間、この手を緩めて下さりませ。


[唄]

[utaChushin] 苦しき息をほつと吐き


[ト書]

ト誂への合ひ方になり


[玉手]

樣子と云ふは外ならず。御妾腹の次郎丸さま、年かさに生れ乍ら、後に生れた俊徳さまに、御家督繼がすを無念に思ひ、坪井平馬と心を合はせ、お世繼ぎの俊徳さまを、殺さうと云ふ兼ねての工み、委しい樣子を立ち聞きして、南無三寶、義理ある仲のお子と云ひ、元は主君の若殿樣、殺させては道立たず、このうへは俊徳さまが、御家督さへお繼ぎにならねば、次郎さまの惡心も、自然とやんでお命に、別條ないと思案を極め、心にもない不義いたづら。


[唄]

[utaChushin] 云ふもうるさや穢らはしや。


[玉手]

妹背の固めと毒酒を勸め、御難病に苦しめたは、お命助けうばかりの計略。又戀でないとの言譯は、肌身放さぬこの盃。


[唄]

[utaChushin] 母の心を子は知らぬ、片思ひと云ふ心の誓ひ。


[玉手]

繼子繼母の義を立てゝも


[唄]

[utaChushin] 嘸や我が夫道俊さま、根が賤しい玉手ゆゑ


[玉手]

いたづら者とお蔑みを受けるのが、黄泉の障りになりまする。


[唄]

[utaChushin] 云へど合邦あざ笑ひ


合邦

ムウ、それ程知れた次郎丸さまの惡事、なぜ道俊さまへは申し上げぬ。たつた一言云ひさへすりやア、癩病にする事も、又不義者にもならぬわえ。口利口に云ひ廻したとて、今となつてそんな暗い言譯を、食ふ樣な親ぢやないわえ。


玉手

イエ/\、それは父さんの料簡違ひ、その樣子を我が夫へ申し上げなば


[唄]

[utaChushin] 道理正しい左衞門さま、お怒りあつて次郎丸さまは切腹か、お手討ちは知れた事。


[玉手]

次郎丸さまも俊徳さまも、わたしが爲には同じ繼子、義理ある仲に變りはない。惡人なれど殺しては


[唄]

[utaChushin] 過ぎ去り給ふ母御前が、草葉の蔭で嘸やお歎き。


[玉手]

隔つた仲ゆゑ訴人して、殺したと思はれては、世間の手前義理立たず。道俊さまも我が子の事、なんのお心よからうぞ。あなたこなたを思ひやり


[唄]

[utaChushin] 繼子二人の命をば、我が身一つに引き受けて


[玉手]

不義者と指さゝれても、繼子が大切、夫の御恩、せめて報ずる百分一。


[唄]

[utaChushin] 言譯聞いて人々は、扨てはさうかと疑ひの、晴れる程猶母の歎き、合邦も涙にむせび


合邦

コリヤ、娘、その心根で、なぜ俊徳さまの跡追ふて、家出したが合點が行かぬ。


玉手

尤もなお咎めなれど、いづくまでも行くへを尋ね、あなたのお目にかゝらねば、いたはしやあの癩病、御本腹はござんせぬわいなア。


[唄]

[utaChushin] 聞いて入平不審顏


入平

なんと仰しやる。奧樣がお側に附いてござれば、御本腹なさるゝとは


玉手

サレバイノ、典藥法眼に樣子を打ち明け、毒酒の調合さす折柄、本腹の治法委しく尋ねし所、胎内より受けたる癩病ならず、毒にて發する病ひなれば、寅の年の年月時日、揃ふて誕生したる女の、肝の臟の生血を取り、毒酒を盛りたる器にて呑まする時は、即座に本腹疑ひなしと、聞いた時のその嬉しさ。それゆゑにこの盃。


[唄]

[utaChushin] 肌身放さず持ち歩るき、お行くへ搜す自らが、心の割符。


[玉手]

父さん、疑ひ晴らして下さりませ。


合邦

フム、すりや、そちが誕生の月日が、妙藥に合ふたゆゑ、一旦は癩病にしてお命助け、又身を捨てゝ本腹させんため、それで毒酒を進ぜたのぢやな。


玉手

アイ、父樣、疑ひは晴れましたか。


合邦

オヽ、出かし居つた/\。コリヤ、娘、もう/\なんにも云はぬ。堪忍してくれ。日本は扨て置き唐天竺にも、較べる者なき貞女な者を、畜生の惡人のと、憎て口云ふばかりか、親の手にかけ酷い最期。コヽこの親が愚鈍からぢや。赦してくれ、堪忍してくれいやい。


[唄]

[utaChushin] 赦してくれとどうと伏し、悔み涙ぞ道理なる。始終を聞いて俊徳丸、探り寄つて繼母の手を取り、押し戴き押し戴き。


[ト書]

ト合邦、泣き伏す。後徳丸、玉手の側へ探り寄つて、こなしあつて


俊徳

生さぬ仲の義理を重んじ、身を捨てゝの御慈愛、誠の親とも命の親とも、詞には盡し難き御高恩。


[唄]

[utaChushin] 身を百千に碎くとも、なんと報じつくすべき


[俊徳]

ハツ、有難や忝なや。


[唄]

[utaChushin] 頭を疊に附け給へば、姫も共々縋り附き


淺香

そのお心とは露知らず、勿體ない道知らずと、蔑んだのが恐ろしい。お赦しなされて下さりませ。


[唄]

[utaChushin] 兩手を合す姫の詫び。


入平

ハツ、遖れ女の鑑とも云はるお身に、惡名受けたるおいたわしさ。


[唄]

[utaChushin] 入平も悲歎の涙。母は正體涙にくれ


とく

コレ、娘、持つて生れた不運とは云ひ乍ら、思へば不愍や可愛やなア。


[唄]

[utaChushin] 歎けば道理と一座の涙、逢坂増井の名水に、龍骨車かけたる如くなり。手負ひは顏を振り上げて


[ト書]

ト皆々、愁ひこなしよろしくあつて玉手、顏を上げ


玉手

コレ、父さん、早う肝の臟の生血を取り、この鮑に入れ、早う/\。


[唄]

[utaChushin] と氣を煎る娘。


合邦

憎いと思ふ張合ひなりやこそ、切りも突きもなつたもの、今では心底可愛い娘、どうマア酷たらしう……コレ、入平とやら、大儀乍ら頼みます。


入平

これは又迷惑千萬、御主人同樣の玉手さま、どうマア刃が當てられませう。こればかりは御免なされて下さりませ。


玉手

エヽ、未練な容赦、もう人頼みには及びませぬ。


[唄]

[utaChushin] 懷劔逆手に取り直せば


[ト書]

ト玉手、こなしあつて、懷劔にて突かんとする。


合邦

アヽ、マヽ、待つてくれ。とても死ぬるそちが命、臨終正念未來成佛、佛力頼む百萬遍、この念珠で繰る珠數の輪の中で、往生してくれいやい。


[唄]

[utaChushin] 云ひつゝ擴げる数珠の輪の、中に玉手は氣丈の身構へ、俊徳丸を膝元へ、右に懷劔左に盃、外には父の親つぶが、導師の役と鉦撞木、母は涙に目も明かず


[唄]

[utaChushin] 南無阿彌陀佛/\、うちに難なく切り裂く鳩尾、自身に盃受けたる盃、差し附くる手もわな/\/\、俊徳丸は押し戴き、只一息に呑み干し給へば


[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、皆々、玉手を介抱する。合邦、壁にかけ置きし衣を、玉手に着せる。お徳は百萬遍の珠數を持ち來り、よろしくあつて、玉手は鮑貝に血汐を入れ、奇藥を調合する。合邦、手傳ひ俊徳に呑ませる。ドロ/\になり、俊徳、氣を失ふ。よき程に下手平馬、旅形、大小にて出て來り、一寸窺ひ、門を開け


平馬

ヤア/\、この家のうちに淺香姫、忍び居る事慥かに知つて、次郎丸さまの仰せを受け、捕手に向ひし坪井平馬、きり/\姫を渡してしまへ。


[ト書]

トこれにて皆々、俊徳、姫を圍ふ。入平、こなしあつて


入平

ヤア、人非人たる坪井平馬、この入平が附添ひ居れば、やわか汝に渡さうや。


平馬

ヤア、下部の分際として、妨げいたさば命がないぞ。


入平

何を小癪な。


[唄]

[utaChushin] と互ひに拔き合ひ、渡り合ふ。透を窺ひ入平が、切り込む刀を受け損じ、二つになつて死してんけり。


[ト書]

ト門口の外にて、兩人、立廻つて、トヾ入平、平馬を斬り倒し、溝の中へ蹴込む。この時薄ドロ/\になり、俊徳丸、蘇生る。皆々、介抱する。


[唄]

[utaChushin] 不思議や忽ち兩眼開き、昔の姿に返り咲き。


[ト書]

ト此うち俊徳丸の顏、仕掛けにて、常の顏となる。皆皆見て


皆々

ヤア、御本腹遊ばしたか。


[唄]

[utaChushin] 花のかんばせ見る手負ひ、苦しき片頬に笑ひ顏、はや斷末魔の四苦八苦、鉦も早めて責め念佛、俊徳丸は勇み立ち


後徳

チエヽ、忝ない。廣大無邊の繼母の恩、せめて少しは報ずるため、出世の後はこの邊に、一宇の寺院を建立し、母上樣の住家とせん。


[唄]

[utaChushin] 繼母は貞女の鑑とも、曇らぬ心は澄みの江に、月を宿せし操を直ぐに、


[俊徳]

月江寺と名づくべし。


[唄]

[utaChushin] 仰せは今も尼寺と、常念佛の鉦の音に昔の哀れや殘るらん。父は常々勸進の、自力他力にこの佛體


合邦

閻魔堂を建立には、我が住家をそのまゝに


[唄]

[utaChushin] 辻堂として營むも諸寺利益。


[合邦]

東門中心極樂へ、娘を往生なし給へ。


[唄]

[utaChushin] 願ふ心は後世のため。現世の名殘り數々は


俊徳

百八煩惱夢さめて


淺香

涅槃の峰に浮む瀬と


入平

紀念に殘る盃の


とく

逆さま事も善智識。


合邦

佛法最初の天王寺。


俊徳

西門通り


皆々

一筋に


[唄]

[utaChushin] 玉手の水や合邦が辻と、古跡を


[ト書]

ト皆々、玉手を見て、愁ひの思ひ入れ。玉手、次第に落入る。三重、送りにて