University of Virginia Library

明石

濱風も心して吹けちはやふる神の社に宿りせし夜は

次の日は唐津てふ所に至りぬ今宵も宿のなかりければ

思ひきや路の芝草をりしきて今宵も同じかりねせんとは

赤穗てふ所にて天神の森に宿りぬさ夜更けて嵐のいと 寒う吹きたりけりば

山おろしいたくな吹きそ墨染の衣かたしき旅ねせる夜は

高野のみ寺にやどりて

紀の國の高ぬのおくの古寺に杉のしづくを聞きあかしつつ

三條の御坊にて

不可思議の彌陀の誓のなかりせば何をこの世の思ひ出にせん

黒坂山の麓に宿りて

あしびきの黒坂山の木の間よりもり來る月を夜もすがら見ん

世の中心うくや思ひけん庵求めにとて嵯峨へいぬる人 によみてつかはしける

こと更に深くな入りそ嵯峨の山たづねていなん道の知れなくに

福井の矢垂橋にて

福井なる矢たれの橋に來て見れば雨は降れれど日は照れれども

故郷をおもひて

草枕夜毎にかはるやどりにも結ぶはおなじ古里のゆめ

この頃の夜のやみ路に迷ひけりあかたの山に入る月を見て

次の歌「病の床にふしていとたのみ少うなり給ひける 時人々のとむらひまうで來りければよみ給ひしとなん」(隆全法印)

ももつたふいかにしてまし草枕旅のいほりにあひし子等はも

ゆくさくさ見れどもあかず石瀬なる田中に立てる一つ松かな
岩室の田中の松は待ちぬらし我れ待ちぬらし田中の松は
松の尾の松の間を思ふどちありきしことは今もわすれず
伊夜日子の杉のかげ道ふみわけて我れ來にけらし其のかげ道を
八幡の森の木下に子供らと遊ぶ夕日のくれまをしかな
籠田より村田の森を見渡せば幾世經ぬらん神さびにけり
木の間より角田の沖を見わたせばあまのたく火の見えかくれつつ
浦浪のよするなぎさを見わたせば末は雲井につづく海原
ふる里へ行く人あらば言づてん今日近江路を我れこえにきと
いく度か參る心はかつを寺ほとけの誓たのもしきかな
高砂の尾の上の鐘の聲きけば今日の一と日は暮れにけるかも
つの國のなにはのことはいざ知らず木の下やどに三人ふしけり
夢の世に又夢結ぶ草枕寢覺淋しく物思ふかな
しをりして行く道なれど老いぬればこれやこの世のなごりなるら ん
旅衣野山をこえて足たゆく今日の一と日も暮れにけるかな
つれ%\にながめくらしぬ古寺の軒ばをつたふ雨をききつつ
よしや君いかなる旅の末にても忘れ給ふな人の情を
都鳥隅田川原になれ住みてをちこち人に名やとはるらん
草枕ねざめ淋しき山里に雲井おなじき月を見るかも

哀傷のみ歌拜見致し不覺落涙致し候、すておきがたく て(阿部定珍宛手紙三首)

伊夜日子のを峰うちこすつづらをり十九や二十を限とはして
ますらをや共泣せじと思へどもけぶり見る時むせかへりつつ
十日あまり五日はたてど平坂を越ゆらん子らが音づれもなし

すぎにし人の事かにもかくにも忘れぬとききて、かく なむ(十二月十九日定珍宛手紙)

うみの子ををしと思はばみたからをうちはふらさずいつくしみま せ

老人のなげかすとききて(定珍宛二首)

老い人は心よわきものぞみ心をなぐさめたまへ朝な夕なに
日ぐらしの鳴く夕方はわかれにし子のことのみぞ思ひ出でぬる

御不幸の由、陰ながら御承り信に落涙いたし候(手 紙)

天雲のよそに見しさへ悲しきにをし足らはせし父のみこはも

雪の降るを見て主人に代りてよめる

白雪は千重に降りしけ我が門にすぎにし子らが來ると言はなくに

幼き頃よりねもごろに語らひし人ありけり。田舎に住 みわびて東の方へいにけり。こなたよりもかなたよりも、久しう言傳もせでありしに、 この頃身まかりぬとききて。

かからんとかねて知りせばたまぼこの道行き人に言傳てましを
この暮のうら悲しきに草枕旅の菴に果てし君はも

すゑのみ子のみまかりますとききて(以下三首山田杜 皐におくる)

子をもたぬ身こそなか/\うれしけれうつせみの世の人にくらべ て

ひたしおやにかはりて

かいなでておひてひたしてちふふめて今日は枯野におくるなりけ り

み子のためにみ經をよみて

み子のためにいとなむのりはしかすがにうき世の民に及ぶなりけ り

人にかはりて(三首)

ますかがみ手にとり持ちて今日の日もながめ暮しつかげと姿と
我がごとやはかなきものは又もあらじと思へばいとどはかなかり けり
何ごとも皆むかしとぞなりにける花に涙をそそぐ今日かも

こぞは疱瘡にて子供さはに失せにたりけり。世の中の

親の心にかはりてよめる(春さればの旋頭歌及びこの四首原田氏におくれるもの)
あづさ弓春を春ともおもほえずすぎにし子らがことを思へば
人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも
もの思すべなき時はうちいでて古野におふるなづなをぞ摘む
いつまでか何なげくらんなげけどもつきせぬものを心まどひに

おなじ(五首)

子を思ひ思ふ心のままならばその子に何の罪をおふせん
子を思ひすべなき時はおのが身をつみてこらせど猶やまずけり
新たまの年はふれども面影のなほ目の前に見ゆる心か
今よりは思ふまじとは思へども思ひ出してはかこちぬるかな
思ふまじ思ふまじとは思へども思ひ出しては袖しぼるなり

子供のみまかりたる親の心に代りて(二首)

こぞの春折りて見せつる梅の花今は手向となりにけるかも
唐衣たちても居てもすべぞなきあまのかる藻の思ひみだれて

かなしき(七首)

世の中の玉も黄金も何かせん一人ある子に別れぬる身は
かしの實の唯一人子に捨てられて我が身ばかりとなりにしものを
思ふぞへあへず我が身のまかりなば死出の山路にけだしあはんか も
なげけどもかひなきものをこりもせで又も涙のせき來るはなぞ
子供らを生まぬ先とは思へども思ふ心はしばしなりけり
花見てもいとど心は慰まずすぎにし子らがことを思ひて
あさと出て子らがためにと折る花は露も涙もおきぞまされる

人の國にはありもやすらん知らず、この國には疱瘡の 神とて七としに一たび國めぐりすと言ふ怪しのものありて、幼きものを惱ましける。 今年は異年にも似ず病めるものの生けるはなし、辛うじて生けるは鬼の面となる故、 子持てるものは人の心地せず日毎に野に送るひつぎを數ふれば大指も指なえつべし。 この頃その病にて幼子を失ひし人の許より、そこ/\のあつらひものとて自らのもそ へてもたせておこしたりける。持たせておこせたりし人なん幼兒のこのかみにてあり ける。さて末の殘りしはいかがと言へば、これも同じ病にてをとつひ空しくなりにた りと言ふを聞きて親のもとへよみてつかはしける。(四首)

煙だに天つみ空に消えはてて面影のみぞ形見ならまし

又かくも

なげくと歸らぬものをうつせみは常なきものと思ほせよ君

さてその法名はといへば信誓といらへばかくなん

御佛の信誓のごとあらばかりのうき世を何願ふらん

その夜は法華經を讀誦して有縁無縁の童に回向すと て

知る知らぬいざなひたまへ御佛の法の蓮の花のうてなに

人の死をいたみて

水の上に數かくよりもはかなきはおのが心を頼むなりけり

光枝大人のみまかり給へぬとききて

今更にことの八千度くやしきは別れし日より訪はぬなりけり

光枝うしの世をすぐさせ給ふとききて

何ごとも皆昔とぞなりにける涙ばかりや形見ならまし

光枝うしの靈前に花をたむくるとて

さむしろに衣かたしき夜もすがら君と月見しこともありしか

おくつきに行きて萩の古枝を折りてよめる

野べに來て萩の古枝を折ることはいま來む秋の花のためこそ

友がきの身まかりしころ

この里の往き來の人はあまたあれど君しなければさびしかりけり

あひ知りし人のみまかりて又の春ものへまかる道にて 過ぎて見れば、住む人はなくて花は庭に散りみだれてありければ

おもほえず又この庵に來にけらし有りし昔の心ならひに

里人のしきりに身まかりける時

忘れてはおどろかれけり紅葉ばのさきを爭ふ世とは知りつつ

都良子が死にけりと人のいひければ(七首)

秋の川や立田の山のもみぢ葉の散るとし聞けば風ぞ身にしむ
殘りなく散り行くものを紅葉ばの色づかぬ間を頼むばかりぞ
山風は時し知らねばもみぢばの色づかぬ間を何かたのまん
いと早く散れる紅葉におどろきて我が身の秋は思はざりけり
おそしとし何かわかたんうつせみのありてなき世と思ひ知らずや
ありてなき世とは知るともうつせみの生きとしものは死ぬるなり けり
秋の夕べ蟲音を聞きに僧ひとりをち方里は霧にうづまる

人の家に小鳥ども飼ひたりけるを(橘物語)

をり/\はみ山のねぐらこひぬべしわれも昔の思ほゆらくに

紅葉ばのすぎにし子らがこともへばほりするものは世の中になし
いかなるやことのあればか我妹子があまたの子らをおきていにけ る
かたらずにあるべきものをこと%\に人の子ゆゑにぬるる袖かな
今日も又君まさばやと思ふかな立ちかへるべき昔ならねど
月花は昔ながらも君まさでおうなの心かこちこそすれ
君まさばめでて見るらしこの頃は手向くる花も露ばかりにて
なきたまの歸りやすると槇の戸もささでながむる曉の空
なき折は何をよすがに思はましあるにならひし今日の心は
手を折りて昔の友をかぞふればなきは多くぞなりにけるかな
およびをりうち數ふればなき人の數へがたくもなりにけるかな
また來んといひてわかれし君故に今日もほとほと思ひくらしつ
とりべ野の煙たえねばうつせみの我が身おぼえてあはれなりけり
千代かけてたのみし人もあだし野の草葉の露となりにけらずや
幾年かたのみし人もあだし野の草葉の露となりにけるかな

所感ありて

彼れ是れとなにあげつらん世の中は一つの玉の影と知らずて

今更に死なば死なめと思へども心にそはぬ命なりけり
世の中は何にたとへんぬばだまの墨繪にかけるをのの白雪

世の中は何にたとへん山彦のこたふる聲の空しきがごと

いめの世にまぼろしの身をおきながらいづくの國へ家出しつらん。
いめの世に又いめむすぶ草枕ねざめ淋しく物思ふかな
ぬばだまの夢のうき世にながらへてたとへ心にかなひたりとも
我ありと頼む人こそはかなけれ夢のうき世にまぼろしの身を

久しく病みて

諸人のかこつ思をせきとめておのれひとりに知らしめんとか
長らへんことぞ願ひしかくばかりかはり果てぬる世とは知らずて

肱夢老人の植ゑましし柏木を見てよめる

むな木にもなるべくなりぬ柏の木うべ我が年の老いにけるかな

年のはてに鏡を見て

白雪をよそにのみ見てすぐせしがまさに我が身につもりぬるかも

竹森の星彦左衞門方へ杖を忘れて

老が身のあはれを誰れに語らまし杖を忘れて歸る夕暮

おいをなげく歌

み山木も花咲くことのありといふを年經ねる身ぞはかなかりける

老いらくを誰がはじめけん教へてよいざなひ行きてうらみましも のを
惜めどもさかりは過ぎぬ待たなくにとめ來るものは老にぞあり ける
いとはねば何時かさかりは過ぎにけり待たぬに來るは老にぞあり ける
ちはやふる何の神を祈りなばけだしや老をはらはさんかも
おつつにもゆめにも人のまたなくにとひ來るものは老にぞありけ る
昔より常世の國はありと聞けど道を知らねば行くよしもなし
老いもせず死にせぬ國はありと聞けどたづねていなん道の知らな く
しげ山に我れ杣立てん老いらくの來んてふ道に關すゑんため
老の來る道のくま%\しめゆへばいきうしと言ひてけだし歸らん
今よりは野にも山にもまじりなん老のあゆみの行くにまかせて
白雪は降ればかつけぬしかはあれど頭にふれば消えずぞありける
白髮はおほやけものぞかしこしや人の頭もよくといはなくに
よにみつる寶といへど白髮にあに及ばめや千千の一つも
しらかみはよみの尊のつかひかもおほにな思ひそその白髮を

いささか病中の心やりに二首)

年月の誘ひていなばいかばかりうれしからまし其の老いらくを
我が宿を箱根の關と思へばや年月は行く老いらくは來る

御歳暮として酒一樽‥‥うや/\しく御受候(しはす 廿一日定珍あて手紙)

年月はいくかもするに老いらくの來れば行かずに何つもるらん

ひさしくやまふにふして

うづみ火に足さしくべて臥せれどもこよひの寒さ腹にとほりぬ

行く水はせき止むこともあるらめどかへらぬものは月日なりけり
行く水はせきとどめても有りぬべし往きし月日の又かへるとは
行く水はせけば止まるを紅葉ばのすぎし月日の又かへるとは
古のふみにも見えず今日の日のふたゝびかへるならひありとは
ひさがたの雲のあなたに關すゑば月日のゆくをけだしとめんかも
ねもごろのものにもあるか年月はしづが伏せ屋もとめて來にけり
うたてしきものにもあるか年月は山のおくまでとめて來にけり
はじめより常なき世とは知りながらなぞ我が袖のかはくことなき
武藏野の草葉の露の長らへてながらへ果つる身にしあらねば
あらたまの長き月日をいかにして明かしくらさん麻手小衾
ひさがたの長き月日をいかにして我が世わたらんあさで小ぶすま
あすあらば今日もやかくと思ふらん昨日の暮ぞ昔なりける
今日の日をいかにけたなん空蝉の浮き世の人のいたまくもをし
なよ竹のはしたなる身はなほざりにいざ暮さまし一と日/\に
ゆくりなく一と日/\を送りつつ六十路あまりになりにけらしも

功成名遂而身退天之道也

思へ君心慰む月花も積れば人の老となるもの

地震にあひて

うちつけに死なば死なずて長へてかかるうき目を見るがわびしさ

いく秋の霜やおきけん麻衣朽ちこそまされとふ人なしに
我が袖はしとどにぬれぬうつせみのうき世の中のことを思ふに
我が袖は涙にくちぬ小夜更けてうき世の中のことを思ふに
世の中のうさを思へばうつせみの我が身の上のうさはものかは
かにかくにかはかぬものは涙なり人の見る目をしのぶばかりに
うつせみの人の憂けくを聞けば憂し我れもさすがに岩木ならねば
あだし名はなくてもがもな花がたみとてもうき世の數ならぬ身は
長崎の森の烏の鳴かぬ日はあれども袖のぬれぬ日ぞなき
あしびきの山田のかがしなれさへも穗ひろふ鳥をもるてふものを
墨染の我が衣手のゆたならばうき世の民をおほはましものを
何故に家を出でしと折りふしは心に愧ぢよ墨染の袖
捨てし身をいかにと問はばひさがたの雨ふらばふれ風吹かば吹け
世をいとふ墨の衣のせばければつつみかねたり賤が身をさへ
くれたけの世はうき節の多きかな(某)我が身ばかりの上ならなくに (良寛)
世の中はすべなきものと今ぞ知るそむけばなどしそむかねばうし
春は花秋は千草にたはれなんよしや里人こちたかりとも
草むらのたみちに何かまよふらん月は清くも山の峰にかかる
身すてて世をすくふ人もますものを草の庵にひまもとむとは
やみ路よりやみ路に通ふ我れなれば月の名をさへ聞きわかぬなり
百草の花の盛はあるらめど下くたちゆく我れぞともしき
とこしへにたづねに立たばけだしくもうまさびせんと人のいふら ん か
おほにおもふ心を今ゆうちすててをろがみませす月に日にけに
かくあらんとかねて知りせばなほざりに人に心は許すまじものを
うちつけにうらやましくぞなりにける峰の松風岩間の瀧津
越の海人をみるめはつきなくに又かへり來んと言ひし君はも
夕顏も絲瓜も知らぬ世の中は只世の中にまかせたらなん
なには江のよしあし知らぬ身にぞあれば阿[kuun] の二字はありと聞 けども
いづみなる信太が森の葛の葉の岩のはざまにくち果てぬべし
おく山の草木のむたにくちぬともすてしこのみをまたやくたさん
古にありけん人も我がごとやものの悲しき世を思ふとて
同じくはあらぬ世までもともにせん日は限りありことは盡きせじ
知る知らぬ行くもかへるももろともに我が古里へ行くといはまし
夕かげの花より君が色ふかき言ばを神もうれしとや見ん

行燈の前に讀書する圖に

よの中に交らぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我れはまされる

由之老

あしびきのみ山を出でてうつせみの人の裏やに住むとこそすれ
しかれとてすべのなければ今更に慣れぬよすがに日を送りつつ
苫ぶきのひまをもわくる夜半の雨ひとりや君があかしかぬらん
世の中をいとひ果つとはなけれどもなれしよすがに日を送りつつ
うちつけに言ひたつとにはあらねども且つやすらひて時をし待た ん
あしびきの岩間をつたふ苔水のかすかに我れはすみ渡るかも
山かげの岩根もり來る苔水のあるかなきかに世をわたるかも
言の葉の花に涙をそそぐなり世すべなき身の何しらずとも

國上山にのぼりて

國上山岩の苔道ふみならしいくたび我れはまゐりけらしも

五合庵に題す

濁る世を澄めともよはず我がなりにすまして見する谷川の水
うき世をば高くのがれて國上山赤谷川の水をしるべに
國上山杉の下道ふみわけて我が住む庵にいざかへりてん
いさここに我が身は老いんあしびきの國上の山の松の下いほ
あしびきの國上の山をもしとはば心に思へ白雲の外
戀しくばたづねて來ませあしびきの國上の山の森の下いほ
わが宿は越の山奥こひしくばたづねて來ませ杉の下道
こひしくばたづねて來ませ我が宿は越の山もとたどり/\に
我が宿は國上山もとこひしくばたづねて來ませたどり/\に
乙宮の森の下やの靜けさにしばしとて我が杖うつしけり
いさここに我が世はへなん國上のや乙子の宮の森の下庵
おと宮の宮の神杉しめゆひていつきまつらんをぢなけれども
乙宮の杉のかげ道ふみわけて落葉ひろうてこの日くらしつ
乙みやの森の下庵訪ふ人はめづらしものよ森の下庵
乙宮の森の木下に我が居れば鐸ゆらぐもよ人來るらし
乙宮の森の下屋に我れおれば人きたるらし鐸の音すも
乙宮の森の下いほしばしとてしめにしものを森の下庵

やぶをすかして後よめる

我が宿の竹の林をうちこして吹き來る風の音の清さよ

我が宿の竹の林は日に千度行きて見れどもあきたらなくに

よみて由之につかはす

草の庵に立ちても居てもすべぞなきこの頃君が見えぬ思へば
老の身の老がよすがをとぶらふとなづさへけらしその山道を

訪ふ人もなき山里に庵してひとりながむる月ぞわりなき
山ずみのあはれを誰れに語らましまれにも人の來ても訪はねば
わびぬれど心はすめり草の庵その日/\を送るばかりに
わびぬれど我が庵なれば歸るなり心やすきを思ひ出にして
とぶ鳥も通はぬ山のおくにさへ住めば住まるるものにぞありける
あしびきの山たちかくす白雲は浮世をへだつ關にてこそあれ
あしびきの我がすむ山は近けれど心は遠くおもほゆるかな

去冬はとふがらし一袋たまはり今日賞味致候(正月十六 日定珍宛手紙)

あしびきの山田の田居に我れをれば昨日も今日も訪ふ人はなし

よもすがら草の庵に柴たきて語りしことはいつかわすれん
秋の夜のさ夜更くるまで柴の戸に語りしことを何時かわすれん
いざさらば我れもこれより歸らまし只白雲のあるに任せて
我が宿をわれのやぶとしあらせればみだれても鳴く蟲の聲かな
瀧つせの音聞くばかり庵しめてよを白雲に世は送りてん
わが庵は山里遠くありぬれば訪ふ人はなし年はくれけり
事たらぬ身とは思はじ柴の戸に月もありけり花もありけり
わが庵はおく山なれば仲々に月もあはれに花ももみぢも
すがのねのねもころ/\に奥山の竹の庵に老いやしぬらん

文のはしに

逢坂の關のこなたにあらねども行き來の人にあこがれにけり

うつせみの人の裏やをかりの庵夜の嵐に聞くぞまさらん
君なくてさびしかりけりこの頃は行き來の人はさはにあれども
庵にのみ我れはありぬと君により言傳をせんわた中のをぢ
雨はやみぬこの夜明けなば木下のや岩の苔道うちはらひてん
たまぼこの道の下くさふみわけて又と來て見んたどりたどりに
里べには笛や太鼓の音すなり深山は澤に松の音して

密藏院にありしをり

夜明くれば森の下庵烏なく今日もうき世の人の數かも

密藏院を出でしをり

えにしあらば又も住みなん大とのの森の下庵いたくあらすな

山かげのありその浪の立ちかへり見れどもあかぬ一つ松かも
うちわびて草の庵を出て見ればをちの山べは霞たなびく
さよ嵐いたくな吹きそさらでだに柴の庵の淋しきものを
たまぼこのきりのかげ道すずしきに我れたちにけりそのかげ道に
いくたびか草の庵をうち出でてあまつみ空をながめつるかも
山かげの木の下庵に宿かりて語り果てねば夜ぞ更けにける
草の庵に立ち居て見てもすべぞなきあまの刈る藻の思ひみだれて

本願を信ずる人のためによめる

おろかなる身こそなか/\うれしけれ彌陀の誓にあふと思へば

人の安心の心をよめと言ひければよめる

かにかくにものな思ひそ彌陀佛のもとの誓のあるに任せて
やちまたにものな思ひそみだぶつのもとのちかひのあるをしるべ に

ある人の「いづる息と又入る息とばかりにて世ははか なくも思ほゆるかな」といひしに答へて

出づる息又入る息は世の中のつきせぬことのためしとぞ知れ

往生要集をよみしとき

我れながらうれしくもあるか彌陀佛のいますみ國に行くと思へば

乾達婆城

ありそみの上に朝ごとたつ市のいよ/\行けばいよよけにけり

授記品

しぶ柿は二つなければみ佛の非佛のみこゑなしとてもそれ

化城喩品

君ませば月日なけれどひさがたの天のみ殿もあらはれぞする
ゆき/\て寶の山に入りぬればかりの宿りぞ住家なりける
心をば松にちぎりて千年まで色も變らであらましものを

提婆品

あしたには後の山の薪こり夕べは軒の流をぞ汲む

わたしにし身にしありせば今よりはかにもかくにも彌陀のまに/ \
わかれにし心の闇に迷ふらしいづれか阿字の君がふるさと
手にさはるものこそなけれ法の道それがさながらそれにありせば
のりの道まことわかたん西東行くもかへるも波に任せて
あわ雪の中に立ちたる三千大千世界又其の中にあわ雪ぞ降る
他力とは野中に立てし竹なれやよりさはらぬを他力とぞいふ
如何なるか苦しきものと問ふならば人をへだつる心とこたへよ
世の中のほだしを何と人とはばたづねきはめぬ心と答へよ
水の上に數かくよりもはかなきはみ法をはかる人にぞありける
世の中に何が苦しと人問はば御法を知らぬ人と答へよ
たへなるや御法の言に及ばねばもて來て説かん山のくちなし
み佛のまこと誓の弘くあらば誘ひ玉へおぢなき我れを
み佛のまこと誓の弘からばいざなひたまへ常世の國に
極樂に我が父母はおはすらん今日膝もとへ行くと思へば
法の道まことは見えで昨日の日も今日も空しく暮しつるかな
法の塵にけがれぬ人はありと聞けどまさ目に一目見しことあらず
いつまでも朽ちやせなましみ佛の御法のために捨てしその身は
御佛のしろしめしけん古を今にうつして見るがたふとさ
心もよ言葉も遠くとゞかねばはしなく御名を唱へこそすれ
ただたのむ三界六道の田長來てみつせの川に鳴きわたるかな
比丘は唯萬事はいらず常不輕菩薩の行ぞ殊勝なりける
僧の身は萬事はいらず行不行菩薩ののりぞ殊勝なりける
業はただ萬事はいらず淨不淨菩薩の行ぞ殊勝なりける
浮草の生ふるみぎはに月かげのありとはここに誰れか知るらん
み草かり國へだつとも同じ世と思ふ心を君たのみなば
み山べのみ雪とくれば谷川によどめる水はあらじとぞ思ふ
靈山の釋迦のみ前に契りてしことな忘れそ世はへだつとも
尊しや祇園精舍の鐘の聲諸行無情の夢ぞさめける
墨染の我が衣手はぬれぬとも法の道しばふみわけて見ん
墨染の我が衣手はぬれぬとも杉のかげ道ふみわけて見ん
露霜に染めて來ぬらん墨衣色にこそ出でねうるほひにけり
今よりは何を頼まんかたもなし教へてたまへ後の世のこと
草の庵に寢てもさめても申すこと南無阿彌陀佛/\

いましめおきためる猿をはなちやらんとて(橘物語 )

忘れても人ななやめそ猿もよなれも報はありなんものを

年をへてをちの里よりしば/\法を聞きに通ふ人あり、 おのれも志せちなるにめでて思をくだきて諭せども、そのしるしなかりけり。おもほ えず涙をこぼしぬ。さてかくなも。

いかにして人をそだてん法のためこぼす涙は我が落すなくに

蘭甫におくる

つく%\と借宅庵の秋の雨うくせのことも思ひ出づらめ

「忘れずば道行きぶりの手向をもここを瀬とせよ夕ぐ れの岡」と萬元禪師のよみ給ひし跡にて

夕ぐれの岡の松の木人ならば昔の事も問はましものを
夕ぐれの岡にのこれる言の葉の跡なつかしや松風ぞ吹く

新津桂氏より柘榴七つ贈られたる返禮として

何時とてもよからぬとにはあらねども飮みての後はあやしかりけ り
かきてたべ摘みさいてたべ割りてたべさて其の後は口もはなたず
くれなゐの七のたからを諸手して推し戴きぬ人のたまもの

本間山齋にて

鳥ともひ手なちたまひそ御園生の海棠の實をはみに來つれば
今日も亦海棠の實を食みに來ぬえかくれ給へ我がかへるまで
讃岐のや伊豫の國なる土佐が繪をうつしてぞ見るこれの御園は

あらしの窗に宿りて

わすれては我が住む庵と思ふかな杉のあらしの絶えずし吹けば

定珍におくる

おく山の杉の板屋に霰ふりあらたど/\しあはぬこの頃
松風か降り來る雨か谷のとか夜はあらしの風の吹くかも

さす竹の君がすすむるうま酒に我れ醉ひにけりそのうま酒に

又すゝめ給へれば盃をとりて

さす竹の君がすすむるうま酒を更にや飮まんその立ち酒を

よしあしのなにはの事はさもあらばあれ共に盡さん一とつきの酒
うま酒にさかな持てこよいつも/\草の庵に宿はかさまし

うま酒をたぶ何酒と問へば頸城酒といふを、句の頭に おきて

[_]
[1]
くさのいほにひとり住みぬるきみもとはばさこそしづけきけふと思へば

[_]
[2]
くりのおつひにもぞきみはきますなるさこそ我はもひけだしいかがあらん

かへし

なみ/\の我が身ならねばすべをなみたまさかに來し君を歸せし

うちはへてただ一すぢの古道をふまんふまじは君がまに/\

うき雲のまつこともなき身にしあれば風の心に任すべらなり
なほざりに外にでて見れば日はくれぬ又立ちかへる君がやかたに

定珍ぬしにおくる

誰れ人かささへやすらんたまぼこの道忘れてか君が來まさぬ

定珍によみてつかはす

花かつみ數にもあらぬ賤が身を長くもがもと祈る君はも

我れも思ふ君もしかいふこの庭に立てる槻の木ことふりにけり
君來ませ雪は降るともあととめん國上の山の杉の下道
心あらば草の庵にとまりませ苔の衣のいとせまくとも
雨はれに裳の裾ぬれて來し君を一夜こゝにといはばいかがあらん
山里のさびしさなくばこと更に來ませる君に何をあへまし
山里の冬のさびしさなかりせば何をか君があへ草にせん
今二日三日もたちなばさす竹の君がみ足もよくなほらまし
くすりしの言ふもきかずにかへらくの道は岩みち足のいたまん
今宵あひ明日は山ぢをへだてなば一人やすまんもとの庵に
あしびきの岩松が根にうたげして語りし折をいつか忘れん
間瀬の浦のあまのかるものより/\に君もとひ來よ我れも待ちな ん
この海ののぞみの浦のゆきのりしかけてしぬばぬ月も日もなし
越の海のぞみの浦の海苔を得ばわけて給はれ今ならずとも
越の海沖つ浪間をなづみつつつみにし海苔しいつも忘れず

七彦老に

世の中はかはり行けどもさすたけの君が心はかはらざりけり

たらちをの書きたまひしものを見て

水くきのあとも涙にかすみけりありし昔のことを思へば

この頃出雲崎にて(由之宛手紙)

たらちねの母がかたみと朝夕に佐渡の島べをうち見つるかも
古にかはらぬものはありそみとむかひに見ゆる佐渡の島なり

天も水もひとつに見ゆる海の上に浮び出でたる佐渡が島山
沖つ風いたくな吹きそ雲の浦は我がたらちねのおきつきどころ

老婆の圖に題して

世の中のうきもつらきもなさけをも我が子を思ふ故にこそ知れ

から國のかしこき人の親づかへ見れば昔のおもほゆらくに
わが親に花たてまらしよ何花を天竺てらす法蓮華の花
まま親に花たてまらしよ何花をせせなぎ照らす因果の花

由之をゆめに見てさめて

いづこより夜のゆめぢを辿り來しみ山はいまだ雪の深きに

さす竹の君が心の通へばやきその夜一と夜ゆめに見えけり
ぬば玉の夜の夢路とうつつとはいづれ勝るとあだくらべせん

目ぐすり入の壺のふたによろしく◎これ位の形を見出 し玉はり給へ

世の中に戀しきものは濱べなる蠑螺の殻のふたにぞありける

由之老

もたらしの園生の木の實めづらしみみよの佛にまづたてまつる

うま酒を飮みくらしけりはらからの眉しろたへに雪のふるまで
あすよりの後のよすがはいさ知らず今日の一と日はゑひにけらし も
さす竹の君とあひ見て語らへばこの世に何か思ひのこさん
しほのりの山のあなたに君置きて一人しぬれば生けりともなし
君が宿我が宿わかつ鹽法の坂を鍬もてこぼたましものを

しかりとも默にたへねば言あげすかちさびをすな我が弟の君
うか/\とうき世をわたる身にしあればよしやいふとも人はうき ゆめ
この世さへうから/\と渡る身は來ぬ世のことを何思ふらん

はらからの阿闍梨のみまかりしころに皆來て法門のこ となど語りて

おもかげの夢にうつろふかとすればさながら人の世にこそありけ れ

夢中説夢

ゆめに夢を説くとは誰れが事ならんさめたる人のありぬらばこそ

弟子へのかたみの歌

かたみとて何か殘さん春は花山ほととぎす秋はもみぢば

露霜の秋の紅葉と時鳥いつの世にかは我れ忘れめや
なきあとのかたみともがな春は花夏ほととぎす秋はもみぢば
ももなかのいささむら竹いささめにいささか殘す水くきのあと
のこしおくこのふるふみは末長く我がなきあとの形見ともがな
良寛に辭世あるかと人問はば南無阿彌陀佛とい ふと答へよ
いくむれか鷺のとまれる宮の森有明の月雲かくれつつ
ことに出でて言へばやすけりくだり腹まこと其の身はいやたへが たし

天が下みつる玉より黄金より春の初の君がおとづれ
行くさ來さ同じ國ちの里人にことづてやせん雁の玉章

あらたまの年はふれどもさす竹の君が心は忘られなくに
あらたまの年はへぬともさす竹の君が心を我が忘れめや
重ねてはとあれかくあれ此の度は歸り玉はれもとの里べに
今よりは夜ごとに人を頼みてん夢もまさしきものにありせば
津の國の浪華のことはよしゑやしただに一と足すすめもろ人
人のさが聞けば我が身を咎めばや人は我が身の鏡なりけり
うつせみのうつつ心のやまぬかも生れぬさきにわたしにし身を
いにしへは心のままにしたがへど今は心よ我れにしたがへ
君が田と我が田とならぶ畔ならぶ我が田の水を君が田へ引く
せみのはのうすき衣を著ませればかげだに見えて凉しくもあるか
晴れやらぬ峰の薄雲立ち去りて後の光と思はずや君

今よりはつぎてあはんと思へども別れと言へばをしきものなり

水瓶のうた(四首)

古にありけん人のもてりてふ大みうつはを我れはもちたり
これのみはうつり行くともとどめおきて語りもつがめ後の世まで も
今よりは塵をもすゑじ朝な夕な我が見はやさんいたくなわびそ
ありきつるみよの佛のつくらせる大みうつはは見るに尊し

草の庵何とがむらんちがや箸をしむにあらず花をも枝も

某の禪師集めたまふみ經の已にほろびんとするを歎き て、是れはかつてよめる(由之老宛手紙の文)

あしびきの西の山びに近き日を招きてかへす人もあらぬか

み經のふたたびみ寺にかへるを見てこれの主人のみ心 を喜びて

あさもよし君が心の誠より經はみ寺にかへるなりけり

山田家の女中どもを思ひ出して

かしましとおもてぶせには言ひしかど此頃見ねばさびしかりけり
寒くなりぬ今は螢も光なし黄金の水を誰れかたまはん

ふみのはしに

人の身はならはしものぞ子供らをよく教へてよねぎらひまして
人の身はならはしものぞこと更によく教へてよさきくいまして

霜月十日の頃牧が花より歸る道にて、俄に砂土塊吹き 上げ、森の方より雨、霰、小石うつやうになん降りける。國上の山を仰ぎ見れば、い と恐しげなる雲出で雷さへ鳴りにけり。をち方の里見えずなりにければ、其の日辛う じて中島てふ村に至り、大蓮寺にもと知れる僧のありければ宿りを乞ふ。さて今日の あれにて何もかも濕れたりけるをそれなるをみなどもの見て、いたはしとて著かへの ものとり出し吾が著たるをば持ち去りて手毎にほしてかはかしけり。(臘月二十八日 阿部定珍宛手紙)

雨霰ちり%\ぬるる旅衣人毎にとりてほしあへるかも

楊貴姫畫賛

かたちさへ色さへ名さへあやさへにこの世の人とおもはれなくに

僧の畫に

この僧の心を問はば大空の風の便につくと答へよ

弟由之のうちはを贈りしに答へて

このうちはおくりし人は誰れ人ぞ松の下いほ柳の巣守

白扇

我が心有りや有らずと探り見れば空吹く風の音ばかりなり

大地震

もののふの眞弓白弓梓弓張りなばなどかゆるむべしやは
もののふのま弓しら弓あづさ弓弛みにしよりその日を知らず

時鳥からくれなゐにふり出でて鳴くとも張りしま弓弛めな

鶴の圖に

年へても和歌の浦わにすむ田鶴は君がよはひのためしにぞ見る
なれ/\て何をうれへんあし田鶴ぬ御園に遊ぶつるぬゆゆしき

人の許より文おこせたりけり。この頃はこと繁し、こ と果てなば行きて相見んと、その後は音もせざりけり。ひと日ふた日は、こと繁から め、いつかなぬかは事繁からめ、此の人はとはに事しげき人や。

事しあれば事しありとて君は來ず事なき時はおとづれもなし

たみの子のたがやさむといふ木にていと巧に刻みたる ものを見せ奉りければ(蓮の露)

たがやさむ色も肌もたへなれどたがやさむよりたがやさむには

松樹千年の御歌によりてあとにて思ひ出して(三首)

ことしより君がよはひをよみて見ん松の千年をあり數にして
何をもて君がよはひをねぎてまし松も千とせの限ありせば
いく千代もさかゆる松にならへばか年はふれども君は老いせぬ

くさ%\の綾おり出だす四十八文字聲と韻を經緯にして
いづこへも立ちてを行かん明日よりは烏てふ名を人のつくれば
いざさらば我れもやみなん九のまり十づつ十をももと知りなば
いざなひて行かば行かめど人の見てあやしめ見らばいかにしてま し
いざさらば我れはかへらん君はここにいやすくいねよ早明日にせ ん
沖つ藻のかよりかくよりかくしつつ昨日もくらし今日も暮しつ
さしあたる其の事ばかり思へただかへらぬ昔知らぬ行末
つきて見よひふみよいむなここのとを十とおさめて又はじまるを
あしびきの山の椎柴折りたきて君と語らん大和ことの葉
いでことばつきせざりけりあしびきの山のしひしば折りつくすと も
君やわする道やかくるるこの頃は待てど暮らせど音づれのなき
かりそめのことと思ひそこの言葉ことの葉のみとおもほゆな君
心さへかはらざりせばはふ蔦のたえず向はん千代も八千代も
ゆめの世に且つまどろみてゆめを又かたるも夢もそれがまに/\
つの國の浪華の事はいさ知らず草のいほりに今日も暮らしつ
いつ/\と待ちにし人は來りけり今はあひ見て何か思はん
あらたまの年のうちよりまち/\て今はあひ見て何かおもはん
かりそめのこととな聞きそ唐衣今朝立ちながらいひしことの葉

水月

水もゆかず月も來らずしかはあれど波間に浮ぶ影の清さよ

三輪權平老(宛手紙)

我がためにあさりし鮒をいなだきておとしもつけずをしにけるか も

しろしめす民があしくば我れからと身をとがめてよ民があしくば
をちこちの縣司に物申すもとの心をゆめわすらすな
うちわたすつかさ/\にもの申すもとの心をわすらすなゆめ
いくそばくぞうつのみ手もて大神のにぎりましけんうつのみ手も て
ひさがたの雲のはたてをうち見つつ昨日も今日も暮らしつるかも
我が心雲の上まで通ひなばいたらせ給へあまつ神ろぎ
鳴るかみの音もとどろにひさがたの雨は降り來で我が思ふとに
ひさがたの雲ふきはらへ天つ風うき世の民の心かよはば
かくばかりうき世と知らばおく山の草にも木にもならましものを
しばらくはここにとまらんひさがたの後には月の出でんと思へば
ぬば玉の今宵もここに宿りなん君がみことのいなみがたさに
うゑて見よ花のそだたぬ里もなし心からこそ身はいやしけれ
あひ待つと聞くもの故にうちつてに思はぬとひにまさるべらなり
いかにして誠の道にかなはんとひとへに思ふねてもさめても
いかにせば誠の道にかなはめとひとへに思へねてもさめても
如何にして誠の道にかなひなん千とせのうちにひと日なりとも
峰の雲谷の霞も立ち去りて春日に向ふ心地こそすれ
あまつたふ日は傾きぬ玉ぼこの家路は遠しふくろは重し
鉢の子を我が忘るれどとる人はなし取る人はなしその鉢の子を
鉢の子をわが忘るれど人とらずとる人はなしあはれ鉢の子
こと更にわきて賜はる山わさびいつか忘れん君が心を
をちかたゆしきりに貝の音すなり今宵の雨にせきくえなんか
さ夜中にほら吹く音の聞ゆるはをち方里に火やのぼるらん
もとどりにつつめる玉のひさにあるを今やおくらん其の時にかも
あらがねの土の中なる埋れ木の人にも知らでくち果つるかも

述壊の歌(前の雨霰ちり%\ぬるるの歌と同じ手紙のな かのもの)

いその上古のふる道しかすがにみくさのみして行く人なしに

ますらをのふみけん世々の古道は荒れにけるかも行く人なしに
古の人のふみけんふる道はあれにけるかも行く人なしに
むらぎもの心をやらん方ぞなきあふさきるさに思ひまどひて
移り行く世にし住へばうつそみの人の言のはうれしくもなし
聞かずしてあらましものを何しかも我れにつげつる君がよすがを
古のますらたけをの形見ぞと見つつしのばん年はふるとも
あま人のつたふみけしかひさがたの雲路を通ふ心地こそすれ
越路なる三島の沼に棲む鳥も羽がひ交はしてぬるてふものを
水鳥の行くもかへるもあとたえてふれども道は忘れざりけり
横崎のすたべをろがみ石の上古りにしことを忍びつるかも
何をもて答へてよけんたまきはる命にむかふこれのたまもの
あたらねばはづるともなき梓弓空を目あてにはなつもの故
いざさらばあはれくらべん越路なる乙若の春と有明の秋
教とは誰が名づけけんしら絲の賤がをだまきまきもどし見よ
水くきの筆をも持たぬ身ぞつらき昨日は寺へ今日は醫者殿
筆持たぬ身はあはれなり杖つきて今朝もみ寺の門たたきけり
人は皆碁をあげたりと言ふなれど我れは思案をせぬとこそすれ
白浪のよする渚を見渡せば末は雲井につづく海原
立田山紅葉の秋にあらねどもよそにすぐれてあはれなりけり
言の葉もいかがかくべき雲霞晴れぬる今日の不二の高根に
富士も見え筑波も見えて隅田川瀬々の言の葉たづねても見ん
大御酒を三杯いつ杯たべ醉ひぬゑひての後は待たでつぎける
からうたをつくれ/\と君はいへど君し飮まねば出來ずぞありけ る
白雪に道はかくれて見えずともおもひのみこそしるべなりけれ
うなばらをふりさけ見つつせこ待つと石となりしは吾が身なりけ り
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[1]In the copy-text of this poem, a circle is displayed to the right of each of the characters く, ひ, き, さ, and け.
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[2]In the copy-text of this poem, a circle is displayed to the right of each of the characters く, ひ, き, さ, and け.