University of Virginia Library

 工場の労働婦人にしろ、幸に好きな対手を見つければ互に晴れやかにその生活を楽しんでいる。婦人工場管理者だけは、恋愛してはいけないのであろうか? そんな理屈はない。

 インガはドミトリーを本当に愛しているのであった。

 彼女ほど勤労者として技量があり、美しければ、自然崇拝者は少くない。例えば、工場技師のニェムツェウィッチなどは、折さえあると、インガに云っているではないか? ――「貴女はまるで開いた窓のように私をひきつける!」或るときは、大切そうに彼女の手をとって「比類なき者!」とか「素晴らしい者」とか感歎詞を連発する。インガは、もう何十度か、そういうことはやめて呉れと云わなければならなかった。

 インガは自身がインテリゲンツィアであるだけ、ニェムツェウィッチを愛せない。彼の中には古いセンチメンタルしかない。

 それに反してドミトリーは、生れながらの労働者である。インガに対して、彼はニェムツェウィッチのようにこしらえ上げた文句を云うことは知らない。「僕はあなたを愛している。」そういうだけが精々だ。

 インガは、ドミトリーのそういう素朴さ、生一本さとともに、彼が新たな階級として立った労働者としての積極性をもっている点を深く愛しているのであった。

 が、インガとドミトリーとの間はまだ円滑に行っているとは云えない。

 今日も、思いがけなく爆発したルイジョフの計略をインガは彼女独特のつよい統制力で整理したが、あとでドミトリーに云った。

「――私はもうこのままじゃやって行けない! 一緒に働いていなければどっちでもいいけれど……。すっかり一緒になるか、断然、別々になるか、きめなければいけない。」

 ドミトリーには既に妻子があるのであった。彼は、まだそっちとの交渉を決定しきれないで、インガとの関係に入ってしまっている。このことについて云い出したのは、インガとしてはじめてではないのである。婦人部オルグのメーラなどは、まるで公式的に戦時共産時代からの性関係の形を自身うけついで暮している。

 インガが、ドミトリーとのことを話し、彼の妻子について彼女が気を重くしていることを云ったら、長椅子の上へ寝ころびながら、メーラは口笛を吹きながら云った。

「何でもありぁあしないじゃないの。三人で暮す。それっきりのことさ。」

「――でも、あなた自分の歯楊子をひとに貸す?」

 メーラはインガの質問をはぐらかした。

「ああ、私丁度歯楊子をなくしたところだった。どうもありがとう。思い出さしてくれて!」

 インガは考えるのであった。自分は工場管理者という自分の職務の上で、何か手をぬいたり、雑作ないように問題を誤魔化したりしたことがあったろうか? 一度もない。彼女はこの裁縫工場へ管理者として派遣されてから、新しい三つの職場を殖し、作業を機械化し、三百人の労働者を増す程、生産を拡大した。何故、自分は新しいソヴェト型を、自分達の工場で使おうとするか? 生産の量だけを増し、安くするだけが新しい文化の向上ではない。インガは――ソヴェトの民衆は、大量生産のやすいものが買えることだけで満足してはならないと思った。その物には新しい美が、プロレタリアート文化の輝きが加えられていなければならない。インガは生産に対して、そういう進歩的な意見をもって服型一つのためにも努力している。

 恋愛に対する態度においても、インガは同じであった。インガは、三十五歳になりながら十七歳のコムソモールカを模倣して安心しているメーラではない。恋愛は自由であるが、自由ということの内容は二人の女が一人の男と暮すことでつくされるものだろうか?

 インガは日常生活の一部としての性関係においても、生産に対すると同じに積極的な、意味ある建設性を求めている。インガには、外にそうしているひとがあるというだけでズルズルべったりに妻子のある男と交渉をもちつづけて平気ではいられない。

 しかし、ドミトリーは、そのことをどう考えているか? 一言に云えば彼は困っている。ドミトリーが、インガを知ってはじめて、人間の女というものにめぐり合ったというのは、真実である。けれども妻と一歳の娘――インガに、妻のグラフィーラと自分とのどっちを選ぶつもりなのかと云われると、ドミトリーはこう答えるしかなかった。「どうしていいか分らない! 森へ迷いこんだようだ。」

 インガは、その点をただ恋人とし、女としての立場からだけ云っているのではなかった。彼女は、同志として、ドミトリーの決断を知りたいのである。赤坊のために、自身の発育を低める党員があるだろうか? 娘にとって闘士であり、革命家である父であるためには、結局日常生活の実践そのもので、彼がひるまぬ闘士であり、革命家でなければならない筈ではないか?

 ドミトリーは、困った揚句、一策を思いついた。

「やっと考えた! やれやれ! インガ、二人で一週間かそこら、郊外へ行こう! どうだ? 或はモスクワへ。」

「それから?」

「フー。どうでもいいじゃないか? どうにかなるだろう。何とか落着がつくだろう。」

「何とか? どうにか? いいえ! そういう決心は私の役に立ちません。」

 インガとしては、自分達の関係がただことのゆきがかり、或は成行で決定されることを認めることは出来ない。社会主義社会の建設は、果して成りゆきによってその方針を決定され、進展されているような受動的なものであるであろうか? それは全然反対だ。

 ドミトリーは遂に決心した。

「よし!」

 インガは息をころしたが、ドミトリーは呻いて一つところを低徊した。

「奴等をすてることは俺にゃ出来ない!」