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秋声・藤村

 藤村と秋声とが相ついで長逝した。二人の作家の業績は、明治、大正、昭和に亙って消えない意義をもっている。そのことをつよく感じる人々は、同時に、この二人の作家が全く対蹠的に一生を送ったことについても、浅からぬ感銘を与えられているのではなかろうか。

 同じ死ということでも、藤村の死去ときいて、私たちには儀式めいた紋付羽織袴のそよぎが感じられた。秋声が遂に亡くなったときいたとき、私たちは、自分たちの生涯の終りにも来る人一人の終焉ということを沁々感じたのであった。

 藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観、栖鳳と云えば、ああ、と大家たることへの畏服を用意している人々が、必ずしも絵画を理解しているとは云えないのと同じである。

 秋声は、畏れられる作家、そういう大家ぶりの作家ではなかった。世俗的な威風に満たず時に逸脱しその逸脱の本質は「元の枝へ」と「仮装人物」が「新生」と異るように異るものであった。藤村はおどろくばかり計画性にとんだ作家で、その自己に凝結する力は製作の態度から日常生活の諸相へまで滲み透っていた。藤村の生きかたでは、逸脱は或る意味で彼の人生にとって過誤であった。けれども秋声の場合には、過誤ではなく、彼のように生きることに即して生きた人が、ああもし、こうもして生きてみた、その一つの姿という関係にある。自己放棄の道を通ってさえも秋声は常に動く人生の中に自分をおいて、ともに動いて自分を固定させなかったということを秋声短論の中で広津和郎氏が云っているのは、秋声の根本の特色をとらえていると思う。

 秋声は、ほんとうに自分を生きながら記念像としなかった秀抜な作家の一人であった。散文家としての秋声は、客体的な力量という点で、評価されるべき作家ではないだろうか。日本の近代文学における散文の伝統というようなものが将来注目されるなら、秋声はまぎれもなく一つの典型として不動の地位にある。一応文学趣味を今日も満足させている芥川龍之介の散文が、教養的であっても、極めて脆い体質をそなえていることなどと著しい対照をも示すわけだろう。

 藤村の歿後、何かの新聞に島崎鶏二氏の書いた文章を見かけた。そして生涯精励であるいかなる作家も、最後には、自分で書ききれない一篇の小説を、自分の人生の真髄に応じて後に生きつづけてゆく者の間へ遺すものだということにこころうたれた。