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畫の悲み
国木田独歩

  ( ) ( ) かぬ 小供 ( こども ) ( ) ( すく ) ないとして 其中 ( そのうち ) にも 自分 ( じぶん ) 小供 ( こども ) ( とき ) ( なに ) よりも ( ) ( ) きであつた。(と 岡本某 ( をかもとぼう ) ( かた ) りだした)。

  ( ) きこそ ( もの ) 上手 ( じやうず ) とやらで、 自分 ( じぶん ) ( ) 學課 ( がくゝわ ) ( うち ) ( ) では 同級生 ( どうきふせい ) ( うち ) 自分 ( じぶん ) ( およ ) ぶものがない。 ( ) 數學 ( すうがく ) となら、 ( はゞか ) りながら ( たれ ) でも ( ) いなんて、 自分 ( じぶん ) ( おほい ) 得意 ( とくい ) がつて ( ) たのである。しかし 得意 ( とくい ) といふことは 多少 ( たせう ) 競爭 ( きやうさう ) 意味 ( いみ ) する。 自分 ( じぶん ) ( ) ( ) きなことは ( まつた ) 天性 ( てんせい ) といつても ( ) からう、 自分 ( じぶん ) ( ひとり ) ( ) けば ( ) ばかり ( ) いて ( ) たものだ。

  ( ひとり ) ( ) ( ) いて ( ) るといへば 至極 ( しごく ) 温順 ( おとな ) しく ( きこ ) えるが、 其癖 ( そのくせ ) 自分 ( じぶん ) ほど 腕白者 ( わんぱくもの ) 同級生 ( どうきふせい ) ( うち ) にないばかりか、 校長 ( かうちやう ) ( ) ( あま ) して 數々 ( しば/\ ) 退校 ( たいかう ) ( もつ ) ( おど ) したのでも 全校 ( ぜんかう ) ( だい ) 一といふことが ( わか ) る。

  全校 ( ぜんかう ) ( たい )

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腕白 ( わんぱく ) でも 數學 ( すうがく ) でも。しかるに 天性 ( てんせい ) ( ) きな ( ) では 全校 ( ぜんかう ) ( だい ) 一の 名譽 ( めいよ ) 志村 ( しむら ) といふ 少年 ( せうねん ) ( うば ) はれて ( ) た。この 少年 ( せうねん ) 數學 ( すうがく ) 勿論 ( もちろん ) 其他 ( そのた ) 學力 ( がくりよく ) 全校 ( ぜんかう ) 生徒中 ( せいとちゆう ) ( だい ) ( りう ) 以下 ( いか ) であるが、 ( ) 天才 ( てんさい ) ( いた ) つては ( まつた ) ( なら ) ぶものがないので、 ( わづか ) ( るゐ ) ( ) さうかとも ( ) はれる ( もの ) 自分 ( じぶん ) ( にん ) 其他 ( そのた ) ( こと/″\ ) 志村 ( しむら ) 天才 ( てんさい ) ( あが ) ( たてまつ ) つて ( ) るばかりであつた。ところが 自分 ( じぶん ) 志村 ( しむら ) 崇拜 ( すうはい ) しない、 ( いま ) ( ) ろといふ 意氣込 ( いきごみ ) ( しき ) りと ( ) げんで ( ) た。

  元來 ( ぐわんらい ) 志村 ( しむら ) 自分 ( じぶん ) よりか ( とし ) ( あに ) ( きふ ) も一 ( ねん ) ( うへ ) であつたが、 自分 ( じぶん ) 學力 ( がくりよく ) 優等 ( いうとう ) といふので 自分 ( じぶん ) ( ) ( くらす ) 志村 ( しむら ) ( ) ( くらす ) とを 同時 ( どうじ ) にやるべく 校長 ( かうちやう ) から 特別 ( とくべつ ) 處置 ( しよち ) をせられるので 自然 ( しぜん ) 志村 ( しむら ) 自分 ( じぶん ) 競爭者 ( きやうさうしや ) となつて ( ) た。

  ( しか ) るに 全校 ( ぜんかう ) 人氣 ( にんき ) 校長 ( かうちやう ) 教員 ( けうゐん ) ( はじ ) 何百 ( なんびやく ) 生徒 ( せいと ) 人氣 ( にんき ) は、 温順 ( おとな ) しい 志村 ( しむら ) ( かたむ ) いて ( ) る、 志村 ( しむら ) ( いろ ) ( しろ ) 柔和 ( にうわ ) な、 ( をんな ) にして ( ) たいやうな 少年 ( せうねん ) 自分 ( じぶん ) 美少年 ( びせうねん ) ではあつたが、 亂暴 ( らんばう ) 傲慢 ( がうまん ) な、 喧嘩好 ( けんくわず ) きの 少年 ( せうねん ) 、おまけに 何時 ( いつ ) ( くらす ) の一 ( ばん ) ( ) めて ( ) て、 試驗 ( しけん ) ( とき ) ( かな ) らず 最優等 ( さいゝうとう ) 成績 ( せいせき ) ( ) ( ところ ) から 教員 ( けうゐん ) 自分 ( じぶん ) 高慢 ( かうまん ) ( しやく ) ( さは ) り、 生徒 ( せいと ) 自分 ( じぶん ) 壓制 ( あつせい ) ( しやく ) ( さは ) り、 自分 ( じぶん ) にはどうしても 人氣 ( にんき ) ( うす ) い。そこで 衆人 ( みんな ) 心持 ( こゝろもち ) は、せめて ( ) でなりと 志村 ( しむら ) ( だい ) 一として、 岡本 ( をかもと ) 鼻柱 ( はなばしら ) ( くだ ) いてやれといふ ( つもり ) であつた。 自分 ( じぶん ) はよく ( この ) 消息 ( せうそく ) ( かい ) して ( ) た。そして 心中 ( しんちゆう ) ひそかに 不平 ( ふへい ) でならぬのは 志村 ( しむら ) ( ) ( かなら ) ずしも ( ) 出來 ( でき ) ( ) ない ( とき ) でも 校長 ( かうちやう ) をはじめ 衆人 ( みんな ) がこれを 激賞 ( げきしやう ) し、 自分 ( じぶん ) ( ) ( たし ) かに 上出來 ( じやうでき ) であつても、さまで ( ) めて ( ) ( ) のないことである。 少年 ( こども ) ながらも 自分 ( じぶん ) 人氣 ( にんき ) といふものを ( にく ) んで ( ) た。

  或日 ( あるひ ) 學校 ( がくかう ) 生徒 ( せいと ) 製作物 ( せいさくぶつ ) 展覽會 ( てんらんくわい ) ( ひら ) かれた。 ( その ) 出品 ( しゆつぴん ) ( おも ) 習字 ( しふじ ) ※畫 ( づぐわ )

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女子 ( ぢよし ) 仕立物 ( したてもの ) ( とう ) で、 生徒 ( せいと ) 父兄姉妹 ( ふけいしまい ) ( あさ ) からぞろ/\と ( おし ) かける。 ( ) りどりの 評判 ( ひやうばん ) 製作物 ( せいさくぶつ ) ( ) した 生徒 ( せいと ) ( ) ( ) でない、 ( ) なそは/\して 展覽室 ( てんらんしつ ) ( ) たり ( はひ ) つたりして ( ) 自分 ( じぶん ) ( この ) 展覽會 ( てんらんくわい ) 出品 ( しゆつぴん ) する ( つも ) りで 畫紙 ( ゑがみ ) ( まい ) ( おほ ) きく ( うま ) ( あたま ) ( ) いた。 ( うま ) ( かほ ) ( はす ) ( ) ( ところ ) で、 無論 ( むろん ) 少年 ( せうねん ) ( ) には ( あま ) 畫題 ( ぐわだい ) であるのを、 自分 ( じぶん ) ( この ) ( きよ ) ( よつ ) 是非 ( ぜひ ) 志村 ( しむら ) 打勝 ( うちかた ) うといふ 意氣込 ( いきごみ ) だから一 生懸命 ( しやうけんめい ) 學校 ( がくかう ) から ( たく ) ( かへ ) ると一 ( しつ ) ( こも ) つて ( ) く、 手本 ( てほん ) ( もと ) にして 生意氣 ( なまいき ) にも 實物 ( じつぶつ ) 寫生 ( しやせい ) ( こゝろ ) み、 ( さいは ) 自分 ( じぶん ) ( たく ) から一丁
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ばかり ( はな ) れた 桑園 ( くはゞたけ ) ( なか ) 借馬屋 ( しやくばや ) があるので、 幾度 ( いくたび ) となく 其處 ( そこ ) ( うまや ) ( かよ ) つた。 輪廓 ( りんくわく ) といひ、 陰影 ( いんえい ) ( ) ひ、 運筆 ( うんぴつ ) といひ、 自分 ( じぶん ) ( たしか ) にこれまで 自分 ( じぶん ) ( ) いたものは 勿論 ( もちろん ) 志村 ( しむら ) ( ) いたものゝ ( うち ) でこれに ( くら ) ぶべき 出來 ( でき ) はないと 自信 ( じしん ) して、これならば ( かなら ) 志村 ( しむら ) ( ) つ、いかに 不公平 ( ふこうへい ) 教員 ( けうゐん ) 生徒 ( せいと ) でも、 今度 ( こんど ) こそ 自分 ( じぶん ) 實力 ( じつりよく ) 壓倒 ( あつたう ) さるゝだらうと、 大勝利 ( だいしようり ) 豫期 ( よき ) して 出品 ( しゆつぴん ) した。

  出品 ( しゆつぴん ) 製作 ( せいさく ) ( みん ) 自宅 ( じたく ) ( ) くのだから、 何人 ( なにぴと ) ( たれ ) ( なに ) ( ) くのか ( ) らない、 ( また ) ( たがひ ) 祕密 ( ひみつ ) にして ( ) ( こと ) 志村 ( しむら ) 自分 ( じぶん ) ( たがひ ) 畫題 ( ぐわだい ) ( もつと ) 祕密 ( ひみつ ) にして ( ) らさないやうにして ( ) た。であるから 自分 ( じぶん ) ( うま ) ( ) きながらも 志村 ( しむら ) ( なに ) ( ) いて ( ) るかといふ ( とひ ) ( つね ) ( いだ ) いて ( ) たのである。

 さて 展覽會 ( てんらんくわい ) 當日 ( たうじつ ) ( おそ ) らく 全校 ( ぜんかう ) 數百 ( すうひやく ) 生徒中 ( せいとちゆう ) ( もつと ) ( むね ) ( とゞろ ) かして、 展覽室 ( てんらんしつ ) ( ) つた ( もの ) 自分 ( じぶん ) であらう。 ※畫室 ( づぐわしつ )

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( すで ) 生徒 ( せいと ) ( およ ) 生徒 ( せいと ) 父兄姉妹 ( ふけいしまい ) 充滿 ( いつぱい ) になつて ( ) る。そして二 ( まい ) 大畫 ( たいぐわ ) 今日 ( けふ ) 所謂 ( いはゆ ) 大作 ( たいさく ) )が ( なら ) べて ( かゝ ) げてある ( まへ ) ( もつと ) 見物人 ( けんぶつにん ) ( たか ) つて ( ) る二 ( まい ) 大畫 ( たいぐわ ) ( ) はずとも 志村 ( しむら ) ( さく ) 自分 ( じぶん ) ( さく )

 一 ( けん ) 自分 ( じぶん ) ( ) 荒膽 ( あらぎも ) ( ) かれてしまつた。 志村 ( しむら ) 畫題 ( ぐわだい ) はコロンブスの 肖像 ( せうざう ) ならんとは!  ( しか ) もチヨークで ( ) いてある。 元來 ( ぐわんらい ) 學校 ( がくかう ) では 鉛筆畫 ( えんぴつぐわ ) ばかりで、チヨーク ( ぐわ ) ( をし ) へない。 自分 ( じぶん ) もチヨークで ( ) くなど ( おも ) ひもつかんことであるから、 ( ) 善惡 ( よしあし ) ( ) ( かく ) ( ) ( この ) ( ) 自分 ( じぶん ) ( おどろ ) いてしまつた。その ( うへ ) ならず、 ( うま ) ( あたま ) 髭髯面 ( しぜんめん ) ( おほ ) 堂々 ( だう/\ ) たるコロンブスの 肖像 ( せうざう ) とは、一 ( けん ) まるで ( くら ) ( もの ) にならんのである。 ( ) 鉛筆 ( えんぴつ ) ( いろ ) はどんなに ( たく ) みに ( ) いても 到底 ( たうてい ) チヨークの ( いろ ) には ( およ ) ばない。 畫題 ( ぐわだい ) といひ 色彩 ( しきさい ) といひ、 自分 ( じぶん ) のは ( えう ) するに 少年 ( せうねん ) ( ) いた ( ぐわ ) 志村 ( しむら ) のは 本物 ( ほんもの ) である。 技術 ( ぎじゆつ ) 巧拙 ( かうせつ ) ( ) ( ところ ) でない、 ( かゝ ) げて ( もつ ) 衆人 ( しゆうじん ) 展覽 ( てんらん ) ( きよう ) すべき 製作 ( せいさく ) としては、いかに 我慢強 ( がまんづよ ) 自分 ( じぶん ) 自分 ( じぶん ) ( はう ) ( ) いとは ( ) へなかつた。さなきだに 志村 ( しむら ) 崇拜 ( すうはい ) 連中 ( れんちゆう ) は、これを ( ) 歡呼 ( くわんこ ) して ( ) る。『 ( うま ) ( ) いがコロンブスは 如何 ( どう ) だ!』などいふ ( こゑ ) 彼處 ( あつち ) でも 此處 ( こつち ) でもする。

  自分 ( じぶん ) 學校 ( がくかう ) ( もん ) ( はし ) ( ) た。そして ( うち ) には ( かへ ) らず、 ( ) 田甫 ( たんぼ ) ( ) た。 ( ) めやうと ( おも ) ふても ( なみだ ) ( ) まらない。 口惜 ( くやし ) いやら ( なさ ) けないやら、 前後夢中 ( ぜんごむちゆう ) ( かは ) ( きし ) まで ( はし ) つて、 川原 ( かはら ) ( くさ ) ( うち ) 打倒 ( ぶつたふ ) れてしまつた。

  ( あし ) をばた/\やつて 大聲 ( おほごゑ ) ( ) げて ( ) いて、それで ( ) ( ) らず 起上 ( おきあが ) つて 其處 ( そこ ) らの ( いし ) ( ひろ ) ひ、四方八方

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( ) ( ) けて ( ) た。

 かう ( あば ) れて ( ) るうちにも 自分 ( じぶん ) は、 彼奴 ( きやつ ) 何時 ( いつ ) ( ) にチヨーク ( ぐわ ) ( なら ) つたらう、 何人 ( だれ ) 彼奴 ( きやつ ) ( をし ) へたらうと ( ) ればかり ( おも ) ( つゞ ) けた。

  ( ) いたのと ( あば ) れたので 幾干 ( いくら ) ( むね ) がすくと ( とも ) に、 次第 ( しだい ) ( つか ) れて ( ) たので、いつか 其處 ( そこ ) ( ) てしまひ、 自分 ( じぶん ) 蒼々 ( さう/\ ) たる 大空 ( おほぞら ) 見上 ( みあ ) げて ( ) ると、 川瀬 ( かはせ ) ( おと ) 淙々 ( そう/\ ) として ( きこ ) える。 若草 ( わかくさ ) ( ) いで ( ) ( かぜ ) が、 ( ) ならぬ ( はる ) ( ) ( おく ) つて ( かほ ) ( かす ) める。 ( ) 心持 ( こゝろもち ) になつて、 自分 ( じぶん ) 暫時 ( しばら ) くぢつとして ( ) たが、 突然 ( とつぜん ) 、さうだ 自分 ( じぶん ) もチヨークで ( ) いて ( ) やう、さうだといふ一 ( ねん ) ( ) たれたので、 其儘 ( そのまゝ ) ( ) ( ) ( いそ ) いで ( うち ) ( ) へり、 ( ちゝ ) ( ゆるし ) ( ) て、 ( ) ぐチヨークを ( ) ( とゝの ) 畫板 ( ぐわばん ) ( ひつさ ) ( ) ( また ) ( そと ) ( ) ( ) した。

 この ( とき ) まで 自分 ( じぶん ) はチヨークを ( ) つたことが ( ) い。どういふ ( ふう ) ( ) くものやら 全然 ( まるで ) 不案内 ( ふあんない ) であつたがチヨークで ( ) いた ( ) ( ) たことは 度々 ( たび/\ ) あり、たゞこれまで 自分 ( じぶん ) ( ) かないのは 到底 ( たうてい ) ( ) 自分 ( じぶん ) どもの ( ちから ) ( およ ) ばぬものとあきらめて ( ) たからなので、 志村 ( しむら ) があの ( くら ) ( ) けるなら 自分 ( じぶん ) 幾干 ( いくら ) 出來 ( でき ) るだらうと ( おも ) つたのである。

  ( ふたゝ ) ( さき ) 川邊 ( かはゞた ) ( ) た。そして ( ) 自分 ( じぶん ) ( おも ) ひついた 畫題 ( ぐわだい ) 水車 ( みづぐるま ) 、この 水車 ( みづぐるま ) 其以前 ( そのいぜん ) 鉛筆 ( えんぴつ ) ( ) いたことがあるので、チヨークの 手始 ( てはじ ) めに ( いま ) ( ) これを 寫生 ( しやせい ) してやらうと、 ( つゝみ ) 辿 ( たど ) つて 上流 ( じやうりう ) ( はう ) へと、 ( あし ) ( ) けた。

  水車 ( みづぐるま ) 川向 ( かはむかふ ) にあつて ( その ) ( ふる ) めかしい ( ところ ) 木立 ( こだち ) ( しげ ) みに ( なか ) ( おほ ) はれて ( ) 案排 ( あんばい ) 蔦葛 ( つたかづら ) ( ) ( まと ) ふて ( ) 具合 ( ぐあひ ) 少年心 ( こどもごころ ) にも 面白 ( おもしろ ) 畫題 ( ぐわだい ) 心得 ( こゝろえ ) ( ) たのである。これを 對岸 ( たいがん ) から ( うつ ) すので、 自分 ( じぶん ) ( つゝみ ) ( ) りて 川原 ( かはら ) 草原 ( くさはら ) ( ) ると、 ( いま ) まで 川柳 ( かはやぎ ) ( かげ ) ( ) えなかつたが、 一人 ( ひとり ) 少年 ( せうねん ) ( くさ ) ( うち ) ( すわ ) つて ( しき ) りに 水車 ( みづぐるま ) 寫生 ( しやせい ) して ( ) るのを ( ) つけた。 自分 ( じぶん ) 少年 ( せうねん ) とは四五十 ( けん ) ( へだ ) たつて ( ) たが 自分 ( じぶん ) は一 ( けん ) して 志村 ( しむら ) であることを ( ) つた。 ( かれ ) は一 ( しん ) になつて ( ) るので 自分 ( じぶん ) ( ちかづ ) いたのに ( ) もつかぬらしかつた。

 おや/\、 彼奴 ( きやつ ) ( ) ( ) る、どうして 彼奴 ( きやつ ) 自分 ( じぶん ) ( さき ) ( さき ) へと ( ) はるだらう、 ( ) ま/\しい ( やつ ) だと ( おほい ) ( しやく ) ( さは ) つたが、さりとて 引返 ( ひきか ) へすのは ( ) ( いや ) だし、 如何 ( どう ) して ( ) れやうと、 其儘 ( そのまゝ ) 突立 ( つゝた ) つて 志村 ( しむら ) ( はう ) ( ) ( ) た。

  ( かれ ) 熱心 ( ねつしん ) ( ) いて ( ) ( くさ ) ( うへ ) ( こし ) から ( うへ ) ( ) て、 ( その ) ( ) てた ( ひざ ) 畫板 ( ぐわばん ) 寄掛 ( よりか ) けてある、そして 川柳 ( かはやぎ ) ( かげ ) ( うしろ ) から ( かれ ) 全身 ( ぜんしん ) ( おほ ) ひ、たゞ ( その ) ( しろ ) ( かほ ) ( あたり ) から 肩先 ( かたさき ) へかけて ( やなぎ ) ( ) れた ( うす ) ( ひかり ) ( おだや ) かに ( ) ちて ( ) る。これは 面白 ( おもし ) ろい、 彼奴 ( きやつ ) ( うつ ) してやらうと、 自分 ( じぶん ) 其儘 ( そのまゝ ) 其處 ( そこ ) ( こし ) ( おろ ) して、 志村 ( しむら ) 其人 ( そのひと ) 寫生 ( しやせい ) ( ) りかゝつた。それでも 感心 ( かんしん ) なことには、 畫板 ( ぐわばん ) ( むか ) うと 最早 ( もはや ) 志村 ( しむら ) もいま/\しい ( やつ ) など ( おも ) ( こゝろ ) ( ) えて ( ) ( はう ) ( まつた ) ( こゝろ ) ( ) られてしまつた。

  ( かれ ) ( かしら ) ( ) げては 水車 ( みづぐるま ) ( ) ( また ) 畫板 ( ゑばん ) ( むか ) ふ、そして ( ) り/\ ( ) 愉快 ( ゆくわい ) らしい 微笑 ( びせう ) ( ほゝ ) ( うか ) べて ( ) ( かれ ) 微笑 ( びせう ) する ( ごと ) に、 自分 ( じぶん ) 我知 ( われし ) らず 微笑 ( びせう ) せざるを ( ) なかつた。

 さうする ( うち ) に、 志村 ( しむら ) 突然 ( とつぜん ) ( ) ( ) がつて、 其拍子 ( そのひやうし ) 自分 ( じぶん ) ( はう ) ( ) いた、そして ( なん ) にも ( ) ( がた ) 柔和 ( にうわ ) ( かほ ) をして、につこり

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( わら ) つた。 自分 ( じぶん ) ( おも ) はず ( わら ) つた。

( きみ ) ( なに ) ( ) いて ( ) るのだ、』と ( ) くから、

( きみ ) 寫生 ( しやせい ) して ( ) たのだ。』

( ぼく ) 最早 ( もはや ) 水車 ( みづぐるま ) ( ) いてしまつたよ。』

『さうか、 ( ぼく ) ( ) 出來 ( でき ) ないのだ。』

『さうか、』と ( ) つて 志村 ( しむら ) 其儘 ( そのまゝ ) ( ふたゝ ) ( こし ) ( ) ろし、もとの 姿勢 ( しせい ) になつて、

( ) ( たま ) へ、 ( ぼく ) 其間 ( そのま ) にこれを ( なほ ) すから。』

  自分 ( じぶん ) ( ) ( はじ ) めたが、 ( ) いて ( ) るうち、 ( かれ ) ( ) ま/\しいと ( おも ) つた ( こゝろ ) ( まつた ) ( ) えてしまひ、 ( かへつ ) ( かれ ) 可愛 ( かあい ) くなつて ( ) た。 ( その ) うちに ( ) ( をは ) つたので、

出來 ( でき ) た、 出來 ( でき ) た!』と ( さけ ) ぶと、 志村 ( しむら ) 自分 ( じぶん ) ( そば ) ( きた ) り、

『をや ( きみ ) はチヨークで ( ) いたね。』

( はじ ) めてだから 全然 ( まるで ) ( ) にならん、 ( きみ ) はチヨーク ( ぐわ ) ( だれ ) ( なら ) つた。』

『そら 先達 ( せんだつて ) 東京 ( とうきやう ) から ( かへ ) つて ( ) 奧野 ( おくの ) さんに ( なら ) つた ( しか ) ( ) ( なら ) ひたてだから ( なん ) にも ( ) けない。』

『コロンブスは ( ) 出來 ( でき ) ( ) たね、 ( ぼく ) ( おどろ ) いちやツた。』

 それから 二人 ( ふたり ) 連立 ( つれだ ) つて 學校 ( がくかう ) ( ) つた。 此以後 ( このいご ) 自分 ( じぶん ) 志村 ( しむら ) ( まつた ) ( なか ) ( ) くなり、 自分 ( じぶん ) ( こゝろ ) から 志村 ( しむら ) 天才 ( てんさい ) ( ふく ) し、 志村 ( しむら ) もまた 元來 ( ぐわんらい ) 温順 ( おとな ) しい 少年 ( せうねん ) であるから、 自分 ( じぶん ) 又無 ( またな ) 朋友 ( ほういう ) として ( した ) しんで ( ) れた。二人

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畫板 ( ゑばん ) ( たづさ ) 野山 ( のやま ) 寫生 ( しやせい ) して ( ある ) いたことも 幾度 ( いくど ) ( ) れない。

  ( ) もなく 自分 ( じぶん ) 志村 ( しむら ) 中學校 ( ちゆうがくかう ) ( ) ることゝなり、 故郷 ( こきやう ) 村落 ( そんらく ) ( はな ) れて、 ( けん ) 中央 ( ちゆうわう ) なる 某町 ( ぼうまち ) 寄留 ( きりう ) することゝなつた。 中學 ( ちゆうがく ) ( ) つても二人

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( ) ( ) くことを ( なに ) よりの ( たのしみ ) にして、 以前 ( いぜん ) ( おな ) じく 相伴 ( あひともな ) ふて 寫生 ( しやせい ) 出掛 ( でか ) けて ( ) た。

  ( この ) 某町 ( ぼうまち ) から 我村落 ( わがそんらく ) まで七 ( ) ( ) 車道 ( しやだう ) をゆけば十三 ( ) 大迂廻 ( おほまはり ) になるので 我々 ( われ/\ ) 中學校 ( ちゆうがくかう ) 寄宿舍 ( きしゆくしや ) から 村落 ( そんらく ) ( かへ ) ( とき ) ( けつ ) して ( くるま ) ( ) らず、 ( なつ ) ( ふゆ ) 定期休業 ( ていききうげふ ) ( ごと ) ( かなら ) ず、 ( この ) ( ) ( みち ) 草鞋 ( わらぢ ) がけで ( ある ) いたものである。

 七 ( ) ( みち ) はたゞ ( やま ) ばかり、 ( さか ) あり、 ( たに ) あり、 溪流 ( けいりう ) あり、 ( ふち ) あり、 ( たき ) あり、 村落 ( そんらく ) あり、 兒童 ( じどう ) あり、 ( はやし ) あり、 ( もり ) あり、 寄宿舍 ( きしゆくしや ) ( もん ) 朝早 ( あさはや ) ( ) ( ) ( くれ ) ( うち ) ( ) くまでの ( あひだ ) 自分 ( じぶん ) 此等 ( これら ) ( かたち ) ( いろ ) ( ひかり ) ( おもむ ) きを 如何 ( どう ) いふ ( ふう ) ( ) いたら、 自分 ( じぶん ) ( こゝろ ) ( ゆめ ) のやうに ( ) ざして ( ) ( なぞ ) ( ) くことが 出來 ( でき ) るかと、それのみに ( こゝろ ) ( ) られて ( ある ) いた。 志村 ( しむら ) ( おな ) ( こゝろ ) ( あと ) になり ( さき ) になり、 二人 ( ふたり ) ( ある ) いて ( ) ると、 時々 ( とき/″\ ) 路傍 ( ろばう ) ( こし ) ( ) ろして 鉛筆 ( えんぴつ ) 寫生 ( しやせい ) ( こゝろ ) み、 ( かれ ) ( ) たずば ( われ ) ( ) たず、 ( われ ) ( ふで ) をやめずんば ( かれ ) ( ) めないと ( ) ( ふう ) で、 ( おも ) はず ( とき ) ( ) ち、 ( おど ) ろいて 二人 ( ふたり ) とも、 ( つぎ ) の一 ( ) 駈足 ( かけあし ) ( ) んだこともあつた。

  爾來 ( じらい ) 數年 ( すねん ) 志村 ( しむら ) ( ゆゑ ) ありて 中學校 ( ちゆうがくかう ) 退 ( しりぞ ) いて 村落 ( そんらく ) ( かへ ) り、 自分 ( じぶん ) ( くに ) ( ) つて 東京 ( とうきやう ) 遊學 ( いうがく ) することゝなり、いつしか 二人 ( ふたり ) ( あひだ ) には 音信 ( おんしん ) もなくなつて、 ( たちま ) ち又四五年

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[9]
( ) つてしまつた。 東京 ( とうきやう ) ( ) てから、 自分 ( じぶん ) ( ) ( おも ) ひつゝも ( ) ( みづか ) ( ) かなくなり、たゞ 都會 ( とくわい ) 大家 ( たいか ) 名作 ( めいさく ) ( ) て、 ( わづか ) 自分 ( じぶん ) 畫心 ( ゑごころ ) 滿足 ( まんぞく ) さして ( ) たのである。

  ( ところ ) 自分 ( じぶん ) の二十の ( とき ) であつた、 ( ひさ ) しぶりで 故郷 ( こきやう ) 村落 ( そんらく ) ( かへ ) つた。 ( たく ) 物置 ( ものおき ) ( かつ ) 自分 ( じぶん ) ( もち ) あるいた 畫板 ( ゑばん ) ( ) つたの

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( ) つけ、 同時 ( どうじ ) 志村 ( しむら ) のことを ( おも ) ひだしたので、 早速 ( さつそく ) ( ひと ) ( ) いて ( ) ると、 ( おどろ ) くまいことか、 ( かれ ) は十七の ( とし ) 病死 ( びやうし ) したとのことである。

  自分 ( じぶん ) ( ひさ ) しぶりで 畫板 ( ゑばん ) 鉛筆 ( えんぴつ ) ( ひつさ ) げて ( いへ ) ( ) た。 故郷 ( こきやう ) 風景 ( ふうけい ) ( もと ) ( とほ ) りである、 ( しか ) 自分 ( じぶん ) 最早 ( もはや ) 以前 ( いぜん ) 少年 ( せうねん ) ではない、 自分 ( じぶん ) はたゞ 幾歳 ( いくつ ) かの ( とし ) ( ) したばかりでなく、 ( かう ) 不幸 ( ふかう ) か、 人生 ( じんせい ) 問題 ( もんだい ) になやまされ、 生死 ( せいし ) 問題 ( もんだい ) 深入 ( ふかい ) りし、 ( ひと ) しく 自然 ( しぜん ) ( たい ) しても 以前 ( いぜん ) ( こゝろ ) には ( まつた ) ( おもむき ) ( ) へて ( ) たのである。 ( ) ( がた ) 暗愁 ( あんしう ) 暫時 ( しばらく ) 自分 ( じぶん ) ( やす ) めない。

  ( とき ) ( なつ ) 最中 ( もなか ) 自分 ( じぶん ) はたゞ 畫板 ( ゑばん ) ( ひつさ ) げたといふばかり、 ( なに ) ( ) いて ( ) ( ) にもならん、 ( ひと ) りぶら/\と 野末 ( のずゑ ) ( ) た。 ( かつ ) 志村 ( しむら ) ( とも ) ( ) 寫生 ( しやせい ) ( ) 野末 ( のずゑ ) に。

  ( やみ ) にも ( よろこ ) びあり、 ( ひかり ) にも ( かなしみ ) あり 麥藁帽 ( むぎわらばう ) ( ひさし ) ( かたむ ) けて、 彼方 ( かなた ) ( をか ) 此方 ( こなた ) ( はやし ) ( のぞ ) めば、まじ/\と ( ) ( ) ( かゞや ) いて ( まば ) ゆきばかりの 景色 ( けしき ) 自分 ( じぶん ) ( おも ) はず ( ) いた。