University of Virginia Library

七宝の柱
泉鏡花

  山吹 やまぶき つつじが さかり だのに、その日の寒さは、 くるま の上で幾度も外套の そで をひしひしと 引合 ひきあわ せた。

  夏草 なつくさ やつわものどもが、という 芭蕉 ばしょう の碑が 古塚 ふるづか の上に立って、そのうしろに 藤原氏 ふじわらし 三代栄華の時、 竜頭 りゅうず の船を うか べ、 管絃 かんげん の袖を ひるがえ し、みめよき女たちが くれない はかま で渡った、 朱欄干 しゅらんかん 瑪瑙 めのう の橋のなごりだと言う、 蒼々 あおあお と淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く 朽古 くちふる びた くい ただ 一つ、太く頭を出して、そのまわりに何の うお の影もなしに、 かすか な波が さび しく巻く。――雲に薄暗い大池がある。

 池がある、この 毛越寺 もうえつじ へ詣でた時も、本堂わきの事務所と言った ところ に、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、 ひま らしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、 かっ と火の気の立つ……とそう思って 差覗 さしのぞ いたほどであった。

 旅のあわれを、お察しあれ。……五月の 中旬 なかば と言うのに、いや、どうも寒かった。

 あとで聞くと、東京でも あわせ 一枚ではふるえるほどだったと言う。

  汽車中 きしゃちゅう 伊達 だて 大木戸 おおきど あたりは、真夜中のどしゃ ぶり で、この様子では、 思立 おもいた った 光堂 ひかりどう の見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。

 濃い もや が、 かさな り重り、汽車と もろ ともに かけ りながら、その 百鬼夜行 ひゃくきやこう の、ふわふわと明けゆく空に、 消際 きえぎわ らしい顔で、 硝子 がらす 窓を のぞ いて、

「もう!」

 と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を あら わす頃から、音もせず、霧雨になって、 遠近 おちこち に、まばらな 田舎家 いなかや の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。

 次第に、麦も、田も色には出たが、 菜種 なたね の花も雨にたたかれ、 はたけ に、 あぜ に、ひょろひょろと乱れて、 女郎花 おみなえし の露を思わせるばかり。初夏はおろか、春の たけなわ な景色とさえ思われない。

 ああ、雲が切れた、 あかる いと思う ところ は、

「沼だ、ああ、 おおき な沼だ。」

 と見る。……雨水が 渺々 びょうびょう として田を ひた すので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。…… 処々 ところどころ いわ 蒼く、ぽっと 薄紅 うすあか く草が染まる。 うれ しや日が当ると思えば、 つの ぐむ あし まじ り、 生茂 おいしげ 根笹 ねざさ を分けて、さびしく 石楠花 しゃくなげ が咲くのであった。

 奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は いや が上に曇った。けれども、 こころざ 平泉 ひらいずみ に着いた時は、幸いに雨はなかった。

 そのかわり、 くるま に寒い風が添ったのである。

 ――さて、毛越寺では、 運慶 うんけい の作と とな うる 仁王尊 におうそん をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。

「御参詣の方にな、お さわ らせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」

 と 腰袴 こしばかま で、細いしない竹の むち を手にした案内者の老人が、 硝子蓋 がらすぶた を開けて、半ば 繰開 くりひら いてある、 玉軸金泥 ぎょくじくこんでい きょう を一巻、手渡しして見せてくれた。

 その 紺地 こんじ に、清く、さらさらと 装上 もりあが った、 一行金字 いちぎょうきんじ 一行銀書 いちぎょうぎんしょ の経である。

 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした 心持 こころもち かも知れない。 たっと い文字は、 に一字ずつ かすか に響いた。私は 一拝 いっぱい した。

清衡朝臣 きよひらあそん 奉供 ぶぐ 一切経 いっさいきょう のうちであります――時価で申しますとな、 ただ この一巻でも一万円以上であります。」

  たちばな 南谿 なんけい 東遊記 とうゆうき に、

これは 清衡 きよひら 存生 ぞんじょう の時、 自在坊 じざいぼう 蓮光 れんこう といへる僧に命じ、一切経書写の事を つかさど らしむ。三千日が間、 能書 のうしょ の僧数百人を 招請 しょうせい し、供養し、これを書写せしめしとなり。 もこの経を拝見せしに、その書体 楷法 かいほう 正しく、 行法 ぎょうほう また精妙にして――

 と言うもの すなわち これである。

 ちょっと(この寺のではない) ある 案内者に申すべき事がある。君が ささ げて持った鞭だ。が、遠くの 掛軸 かけじく を指し、高い ところ の仏体を示すのは、とにかく、目前に 近々 ちかぢか と拝まるる、 観音勢至 かんおんせいし 金像 きんぞう を説明すると言って、 御目 おんめ 、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の さき を振うのは 勿体 もったい ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、 さく がいいだけに、 またたき もしたまいそうで、さぞお 鬱陶 うっとう しかろうと思う。

  くるま 寂然 しん とした 夏草塚 なつくさづか そば に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの 菖蒲 あやめ 杜若 かきつばた 隈々 くまぐま に自然と伸びて、荒れたこの広い 境内 けいだい は、 宛然 さながら 沼の乾いたのに似ていた。

 別に門らしいものもない。

  此処 ここ から 中尊寺 ちゅうそんじ へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた かや の屋根にも、 路傍 みちばた 地蔵尊 じぞうそん にも、 一々 いちいち 由緒のあるのを、 車夫 わかいしゅ に聞きながら、 金鶏山 きんけいざん いただき 、柳の たち あとを左右に見つつ、 くるま は三代の 豪奢 ごうしゃ の亡びたる、草の こみち しずか に進む。

 山吹がいまを さかり に咲いていた。 丈高 たけたか く伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。―― 何処 どこ やしき の垣根 ごし に、それも たま に見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの 金衣 きんい 娘々 じょうじょう を見る事は珍しいと言っても い。田舎の 他土地 ほかとち とても、人家の庭、 背戸 せど なら格別、さあ、 手折 たお っても抱いてもいいよ、とこう 野中 のなか の、しかも路の はた に、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。

 そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって 咲交 さきまじ る。……

 が、 燃立 もえた つようなのは一株も見えぬ。 しも に、雪に、長く とざ された上に、風の荒ぶる野に開く 所為 せい であろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの 薄紅 うすくれない 珊瑚 さんご に似ていた。

 音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、 潺々 せんせん として いわ むせ んで泣く 谿河 たにがわ よりも さみ しかった。

 実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。

 そのかわり、牛が三頭、 こうし 一頭 ひとつ 連れて、 雌雄 めすおす の、どれもずずんと おおき く真黒なのが、 前途 ゆくて の細道を 巴形 ともえがた ふさ いで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。

 これにはたじろいだ。

牛飼 うしかい も何もいない。野放しだが大丈夫かい。…… 彼奴 あいつ 猛獣だからね。」

「何ともしゃあしましねえ。こちとら 馴染 なじみ だで。」

 けれども、胸が細くなった。 轅棒 かじ で、あの おおき 巻斑 まきふ のある つの を分けたのであるから。

「やあ、 われ 、……小僧も たっ しゃがな。あい、御免。」

  あえ けもの におい さえもしないで、縦の目で優しく ると、両方へ黒いハート形の おもて を分けた。が 牝牛 めうし

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の如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露を ちら して、山吹の中へ角を隠す。

 私はそれでも足を縮めた。

「ああ、 やっ ころも せき を通ったよ。」

 全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。

  小家 こいえ がちょっと両側に続いて、うんどん、お 煮染 にしめ 御酒 おんさけ などの店もあった。が、 何処 どこ へも休まないで、 車夫 わかいしゅ は坂の下で くるま をおろした。

  軒端 のきば に草の茂った、その なか に、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、 赤絵 あかえ の茶碗、皿の まじ った形は、大木の 空洞 うつろ いばら の実の こぼ れたような 風情 ふぜい のある、小さな店を指して、

「あの裏に、旦那、 弁慶 べんけい 手植 てうえ の松があるで――御覧になるかな。」

「いや、 帰途 かえり にしましょう。」

 その手植の松より、 直接 じか に弁慶にお目に かか った。

  樹立 こだち 森々 しんしん として、 いささ かもの すご いほどな坂道―― 岩膚 いわはだ を踏むようで、 泥濘 ぬかり はしないがつるつると すべ る。雨降りの中では 草鞋 わらじ か靴ででもないと 上下 じょうげ むずか しかろう―― 其処 そこ 通抜 とおりぬ けて、 北上川 きたかみがわ 衣河 ころもがわ 、名にしおう、 高館 たかだち あと を望む、三方見晴しの処(ここに 四阿 あずまや が立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。) 其処 そこ へ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。

  車夫 わかいしゅ が、笠を脱いで手に げながら、裏道を 崖下 がけさが りに 駈出 かけだ して行った。が、待つと、間もなく肩に 置手拭 おきてぬぐい をした 円髷 まるまげ の女が、堂の中から、扉を開いた。

「運慶の作でござります。」

 と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身と とな うる木像はよく出来ている。 山車 だし や、芝居で見るのとは わけ が違う。

 顔の色が蒼白い。大きな 折烏帽子 おりえぼし が、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻が ひらた く、口が、例の くい しばった 可恐 おそろ しい、への字形でなく、唇を下から上へ、の字を反対に しゃく って、

「むふッ。」

 ニタリと、しかし、こう、何か 苦笑 にがわらい をしていそうで、目も細く、 目皺 めじわ が優しい。 出額 おでこ でまたこう、しゃくうように人を た工合が、これで たましい が入ると、 ふもと の茶店へ下りて行って、 少女 こおんな の肩を おおき な手で、

「どうだ。」

 と りそうな、 串戯 じょうだん ものの 好々爺 こうこうや の風がある。が、歯が抜けたらしく、 ゆたか な肉の頬のあたりにげっそりと やつれ の見えるのが、 判官 ほうがん 生命 いのち を捧げた、苦労のほどが しの ばれて、何となく涙ぐまるる。

 で、 本文 ほんもん 通り、 黒革縅 くろかわおどし 大鎧 おおよろい 樹蔭 こかげ に沈んだ色ながら よろい そで 颯爽 さっそう として、 長刀 なぎなた を軽くついて、少し こご みかかった広い胸に、 えもの のしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、 頬先 ほおさき に内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、 さっ ると、従って冷い風が吹きそうである。

 別に、 仏菩薩 ぶつぼさつ の、 とうと い古像が に据えて数々ある。

 みどり を、 片袖 かたそで で胸に いだ いて、 御顔 おんかお を少し 仰向 あおむ けに、 吉祥果 きっしょうか の枝を肩に 振掛 ふりか け、 もすそ をひらりと、片足を軽く挙げて、――いいぐさは つたな いが、 まい などしたまう さま に、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、 をおあやしのような、 鬼子母神 きしぼじん の像があった。 御面 おんおもて は天女に ひと しい。 彩色 いろどり はない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き 木彫 きぼり である。

「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」

  置手拭 おきてぬぐい のが、

「はあ、 其処 そこ は開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」

「少々ばかり、御免下さい。」

 と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりと つか えたのは、 亀井六郎 かめいろくろう が所持と札を打った おい であった。

 三十三枚の くし とう の鏡、五尺のかつら、 くれない はかま かさね きぬ おさ めつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。

「ああ、これは、 きず をつけてはなりません。」

 棚が狭いので つか えたのである。

 そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を てた。

  つれ の家内が、

いき 御像 おすがた ですわね。」

 と、ともに拝んで言った。

「失礼な事を、――時に、御案内料は。」

「へい、五銭。」

「では――あとはどうぞお 賽銭 さいせん に。」

 そこで、 よろい たたのもしい山法師に別れて出た。

 山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。

  おおき な広い本堂に、一体見上げるような 釈尊 しゃくそん のほか、 寂寞 せきばく として何もない。それが荘厳であった。日の光が かすか れた。

 裏門の方へ出ようとする かたわら に、寺の くりや があって、 其処 そこ で巡覧券を出すのを、 車夫 わかいしゅ が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ 薬師堂 やくしどう 、次の 宝物庫 ほうもつこ 、さて 金色堂 こんじきどう 、いわゆる 光堂 ひかりどう 。続いて 経蔵 きょうぞう 弁財天 べんざいてん と言う順序である。

 皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを とざ すのである。が、 宝物庫 ほうもつぐら には番人がいて、経蔵には、 年紀 とし わか い出家が、火の気もなしに一人 経机 きょうづくえ むか っていた。

 はじめ、薬師堂に詣でて、それから 宝物庫 ほうもつぐら を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、 一条 ひとすじ 、道を隔てた丘の上に導く。…… きざはし の前に、 八重桜 やえざくら が枝も たわわ に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。

 桜は中尊寺の門内にも咲いていた。 ふもと から あが ろうとする坂の下の 取着 とッつき ところ にも 一本 ひともと 見事なのがあって、 山中心得 さんちゅうこころえ 条々 じょうじょう を記した 禁札 きんさつ 一所 いっしょ に、たしか「 浅葱桜 あさぎざくら 」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。 処々 ところどころ 汽車の窓から た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと さえ を見せて咲いたのはなかった。 薄墨 うすずみ 鬱金 うこん 、またその 浅葱 あさぎ と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。

  きざはし の前の 花片 はなびら が、折からの冷い風に、はらはらと さそ われて、さっと散って、この光堂の中を、 そら ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと―― 羽目 はめ 浮彫 うきぼり した、 孔雀 くじゃく の尾に玉を刻んで、 緑青 ろくしょう びたのがなお おごそか に美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、 黄金 きん 巻柱 まきばしら の光をうけて、ぱっと 金色 こんじき ひるがえ るのを見た時は、思わず驚歎の ひとみ みは った。

 床も、 承塵 なげし も、柱は もと より、 たたず めるものの踏む ところ は、 黒漆 こくしつ の落ちた 黄金 きん である。 黄金 きん げた黒漆とは思われないで、しかも のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った おもむき がある。われら 仙骨 せんこつ を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を すか して、四方に、 七宝荘厳 しっぽうそうごん 巻柱 まきばしら に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして えが かれたる、 十二光仏 じゅうにこうぶつ の微妙なる 種々相 しゅじゅそう は、一つ一つ にしき の糸に 白露 しらつゆ ちりば めた如く、 玲瓏 れいろう として 珠玉 しゅぎょく の中にあらわれて、清く あきら かに、しかも かすか なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、 螺鈿 らでん を、星の流るるが如く輝かして、 宝相華 ほうそうげ 勝曼華 しょうまんげ 透間 すきま もなく咲きめぐっている。

 この柱が、 須弥壇 しゅみだん 四隅 しぐう にある、まことに天上の柱である。須弥壇は 四座 しざ あって、壇上には 弥陀 みだ 観音 かんおん 勢至 せいし 三尊 さんぞん 二天 にてん 六地蔵 ろくじぞう が安置され、壇の中は、真中に 清衡 きよひら 、左に 基衡 もとひら 、右に 秀衡 ひでひら かん が納まり、ここに、各 一口 ひとふり つるぎ いだ き、 鎮守府将軍 ちんじゅふしょうぐん いん を帯び、 錦袍 きんぽう に包まれた、三つの しかばね がまだそのままに よこた わっているそうである。

  雛芥子 ひなげし くれない は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ 金色 こんじき このみ なのである。

  つつし んで、辞して、 天界一叢 てんかいいっそう の雲を下りた。

  きざはし を下りざまに、見返ると、 外囲 そとがこい の天井裏に 蜘蛛 くも の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる ちり よ、と見れば、 一粒 いちりゅう の金粉の落ちて輝くのであった。

 さて 経蔵 きょうぞう を見よ。また いや が上に 可懐 なつかし い。

  羽目 はめ には、天女―― 迦陵頻伽 かりょうびんが 髣髴 ほうふつ として舞いつつ、かなでつつ 浮出 うきで ている。影をうけた つか ぬき の材は、鈴と草の花の玉の 螺鈿 らでん である。

  漆塗 うるしぬり 、金の 八角 はちかく の台座には、本尊、 文珠師利 もんじゅしり 、朱の獅子に しておわします。獅子の まなこ 爛々 らんらん として、 かっ と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの くつわ を取って、ちょっと振向いて、 菩薩 ぼさつ にものを言いそうなのが 優※玉 ゆうてんぎょく

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、左に 一匣 いっこう を捧げたのは 善哉童子 ぜんざいどうじ 。この両側左右の背後に、 浄名居士 じょうみょうこじ と、 仏陀波利 ぶっだはり ひとつ 払子 ほっす を振り、 ひとつ 錫杖 しゃくじょう 一軸 いちじく を結んだのを肩にかつぐように いて立つ。 ひたい も、目も、眉も、そのいずれも 莞爾莞爾 にこにこ として、 文珠 もんじゅ 微笑 ほほえ んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。

 この 須弥壇 しゅみだん を左に、 一架 いっか を高く設けて、ここに、 紺紙金泥 こんしきんでい の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは 金泥銀泥 きんでいぎんでい で、 本経 ほんきょう の図解を描く。…… 清麗巧緻 せいれいこうち にしてかつ神秘である。

 いま 此処 ここ に来てこの経を るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。

  の裏に、色の青白い、 せた 墨染 すみぞめ の若い出家が一人いたのである。

 私の一礼に答えて、

「ご ゆる り、ご覧なさい。」

 二、三の 散佚 さんいつ はあろうが、言うまでもなく、堂の 内壁 ないへき にめぐらした やつ の棚に満ちて、二代 基衡 もとひら のこの 一切経 いっさいきょう 、一代 清衡 きよひら 金銀泥一行 きんぎんでいいちぎょう まぜ がき の一切経、 ならび 判官贔屓 ほうがんびいき の第一人者、三代 秀衡 ひでひら 老雄の奉納した、 黄紙宋板 おうしそうばん の一切経が、みな 黒燿 こくよう の珠玉の如く うるし に満ちている。――一切経の全部量は、 七駄片馬 しちだかたうま と称うるのである。

「――拝見をいたしました。」

「はい。」

 と 腰衣 こしごろも の素足で立って、すっと、経堂を出て、 朴歯 ほおば 高足駄 たかあしだ で、 巻袖 まきそで で、寒く ほっそ りと草を く。清らかな僧であった。

「弁天堂を案内しますで。」

 と 車夫 わかいしゅ が言った。

 向うを、 墨染 すみぞめ で一人 若僧 にゃくそう の姿が、 さび しく、しかも何となく とうと く、正に、まさしく 彼処 かしこ におわする……天女の 御前 おんまえ へ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。

 かくてこそ法師たるものの かい はあろう。

 世に、緋、紫、 金襴 きんらん 緞子 どんす よそお うて、 伽藍 がらん に処すること、 高家諸侯 こうけだいみょう の如く、あるいは 仏菩薩 ぶつぼさつ の玄関番として、 衆俗 しゅうぞく を、受附で 威張 いば って 追払 おっぱら うようなのが少くない。

 そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、 しゅうと だ、 小姑 こじゅうと だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。

  衆生 しゅじょう は、きゃつばらを 追払 おいはら って、仏にも、祖師にも、天女にも、 直接 じか にお目にかかって話すがいい。

 時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に

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い、 かつら に巻かれた心地がして、乱れたままの 道芝 みちしば を行くのが、青く清明なる まる い床を通るようであった。

  きざはし の下に立って、仰ぐと、 典雅温優 てんがおんゆう なる 弁財天 べんざいてん 金字 きんじ ふち して、 牡丹花 ぼたんか がく がかかる。……いかにや、年ふる 雨露 あめつゆ に、 彩色 さいしき のかすかになったのが、 木地 きじ 胡粉 ごふん を、かえってゆかしく あら わして、 萌黄 もえぎ 群青 ぐんじょう の影を添え、葉をかさねて、 白緑碧藍 はくりょくへきらん の花をいだく。さながら 瑠璃 るり の牡丹である。

 ふと、 高縁 たかえん 雨落 あまおち に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。

 扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。

 ぽかんと立ったのが きまり が悪い。

 ああ、もう 彼処 あすこ から 透見 すきみ をなすった。

 とそう思うほど、 真白 ましろ き面影、天女の姿は、すぐ 其処 そこ に見えさせ給う。

 私は恥じて 俯向 うつむ いた。

「そのままでお よろ しい。」

 壇は、 下駄 げた のままでと の僧が言うのである。

 なかなか。

  足袋 たび の、そんなに汚れていないのが、まだしもであった。

  蜀紅 しょくこう にしき と言う、 天蓋 てんがい も広くかかって、 真黒 まくろ 御髪 みぐし 宝釵 ほうさい の玉一つをも さえぎ らない、 御面影 おんおもかげ たえ なること、 御目 おんまな ざしの美しさ、……申さんは 恐多 おそれおお い。ただ、西の かた はるか に、 山城国 やましろのくに 浄瑠璃寺 じょうるりでら 吉祥天 きっしょうてん のお写真に似させ給う。 白理 はくり 優婉 ゆうえん 明麗 めいれい なる、お十八、九ばかりの、 ほぼ ひと だけの坐像である。

 ト手をついて対したが、見上ぐる瞳に、 御頬 おんほお のあたり、 かすか に、いまにも 莞爾 かんじ と遊ばしそうで、まざまざとは拝めない。

 私は、端坐して、いにしえの、 通夜 つや と言う事の意味を たしか に知った。

 このままに 二時 ふたとき いたら、微妙な、 御声 おこえ が、あの、お 口許 くちもと 微笑 ほほえみ から。――

 さて壇を 退 しりぞ きざまに、僧のとざす扉につれて、かしこくもおんなごりさえ おし まれまいらすようで、涙ぐましくまた がく を仰いだ。御堂そのまま、私は 碧瑠璃 へきるり 牡丹花 ぼたんか うち に入って、また牡丹花の裡から出たようであった。

 花の影が、 おおき ちょう のように草に した。

 月ある、 あきらか なる時、花の おぼろ なる ゆうべ 、天女が、この 縁側 えんがわ に、ちょっと 端居 はしい の腰を掛けていたまうと、経蔵から、 侍士 じし 童子 どうじ 払子 ほっす 錫杖 しゃくじょう を左右に、赤い獅子に して、 文珠師利 もんじゅしり が、悠然と、草をのりながら、

「今晩は――姫君、いかが。」

 などと、お話がありそうである。

 と、 ふもと の牛が 白象 びゃくぞう にかわって、 普賢菩薩 ふげんぼさつ が、あの山吹のあたりを御散歩。

 まったく、 一山 いっさん の仏たち、 おおき 石地蔵 いしじぞう すご いように活きていらるる。

  下向 げこう の時、あらためて、 見霽 みはらし 四阿 あずまや に立った。

 伊勢、 亀井 かめい 片岡 かたおか 鷲尾 わしのお 、四天王の松は、 畑中 はたなか あぜ 四処 よところ に、雲を よろ い、 ※糸 ゆるぎいと

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の風を浴びつつ、 ある ものは 粛々 しゅくしゅく として 衣河 ころもがわ に枝を そびや かし、 ある ものは 恋々 れんれん として、 高館 たかだち こずえ を伏せたのが、彫像の如くに なが めらるる。

 その 高館 たかだち あと をば しずか にめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲の はて さえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。

 

「この奥に 義経公 よしつねこう 。」

  車夫 くるまや の言葉に、私は一度 くるま を下りた。

 帰途は――今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。

 松並木の心細さ。

 途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を 飛下 とびお りて、手も せな もかしたであろう。―― 判官 ほうがん にあこがるる、 しずか の霊を、幻に感じた。

「あれは、 さけ かい。」

 すれ違って一人、 溌剌 はつらつ

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たる 大魚 おおうお げて 駈通 かけとお ったものがある。

ます だ、――北上川で取れるでがすよ。」

 ああ、あの川を、はるばると――私は、はじめて 一条 ひとすじ 長く細く水の糸を いて、 うお とともに動く さま を目に宿したのである。

「あれは、はあ、駅長様の とこ くだかな。 昨日 きのう 一尾 いっぴき あが りました。その鱒は 停車場 ていしゃば 前の 小河屋 おがわや で買ったでがすよ。」

「料理屋かね。」

旅籠屋 はたごや だ。新築でがしてな、まんずこの辺では 彼店 あすこ だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい こい 一尾 いっぴき 買入れたでなあ。」

其処 そこ へ、つけておくれ、 昼食 ちゅうじき に……」

 ――この旅籠屋は 深切 しんせつ であった。

「鱒がありますね。」

 と心得たもので、

照焼 てりやき にして下さい。それから酒は 罎詰 びんづめ のがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」

  束髪 そくはつ った、丸ぽちゃなのが、

「はいはい。」

 と 柔順 すなお だっけ。

  小用 こよう をたして帰ると、もの陰から、目を まる くして、一大事そうに、

「あの、旦那様。」

「何だい。」

「照焼にせいという、お あつらえ ですがなあ。」

「ああ。」

川鱒 かわます は、塩をつけて焼いた方がおいしいで、そうしては 不可 いけ ないですかな。」

「ああ、結構だよ。」

 やがて、膳に、その塩焼と、別に誂えた玉子焼、青菜のひたし。椀がついて、蓋を取ると 鯉汁 こいこく である。ああ、昨日のだ。これはしかし、活きたのを りょう られると困ると思って、わざと註文はしなかったものである。

 口を こぼ れそうに、なみなみと二合のお 銚子 ちょうし

 いい 心持 こころもち ところ へ、またお銚子が出た。

  喜多八 きたはち の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、

「こいつは余計だっけ。」

「でも、あの、 四合罎 しごうびん 一本、よそから取って上げましたので、なあ。」

 私は膝を って、感謝した。

「よし、よし、 有難 ありがと う。」

  こう のものがついて、御飯をわざわざ いてくれた。

 これで、勘定が――道中記には肝心な処だ――二円八十銭…… 二人 ににん 分です。

「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」

 やがて 停車場 ステエション へ出ながら ると、 旅店 はたごや の裏がすぐ 水田 みずた で、 となり との 地境 じざかい 行抜 ゆきぬ けの処に、花壇があって、牡丹が咲いた。竹の垣も わないが、遊んでいた 小児 こども たちも、いたずらはしないと見える。

 ほかにも、 商屋 あきないや に、茶店に、一軒ずつ、庭あり、 背戸 せど あれば牡丹がある。 往来 ゆきき の途中も、皆そうであった。かつ 溝川 みぞがわ にも、井戸端にも、傾いた軒、崩れた壁の 小家 こいえ にさえ、 大抵 たいてい 皆、 菖蒲 あやめ 杜若 かきつばた を植えていた。

 弁財天の 御心 みこころ が、 おのずか ら土地にあらわれるのであろう。

  たちま ち、風暗く、柳が なび いた。

  停車場 ステエション へ入った時は、皆待合室にいすくまったほどである。風は雪を散らしそうに寒くなった。一千年のいにしえの古戦場の威力である。天には雲と雲と戦った。