七宝の柱
泉鏡花 (Shippo no hashira) | ||
七宝の柱
泉鏡花
山吹 ( やまぶき ) つつじが 盛 ( さかり ) だのに、その日の寒さは、 俥 ( くるま ) の上で幾度も外套の 袖 ( そで ) をひしひしと 引合 ( ひきあわ ) せた。
夏草 ( なつくさ ) やつわものどもが、という 芭蕉 ( ばしょう ) の碑が 古塚 ( ふるづか ) の上に立って、そのうしろに 藤原氏 ( ふじわらし ) 三代栄華の時、 竜頭 ( りゅうず ) の船を 泛 ( うか ) べ、 管絃 ( かんげん ) の袖を 飜 ( ひるがえ ) し、みめよき女たちが 紅 ( くれない ) の 袴 ( はかま ) で渡った、 朱欄干 ( しゅらんかん ) 、 瑪瑙 ( めのう ) の橋のなごりだと言う、 蒼々 ( あおあお ) と淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く 朽古 ( くちふる ) びた 杭 ( くい ) が 唯 ( ただ ) 一つ、太く頭を出して、そのまわりに何の 魚 ( うお ) の影もなしに、 幽 ( かすか ) な波が 寂 ( さび ) しく巻く。――雲に薄暗い大池がある。
池がある、この 毛越寺 ( もうえつじ ) へ詣でた時も、本堂わきの事務所と言った 処 ( ところ ) に、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、 閑 ( ひま ) らしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、 赫 ( かっ ) と火の気の立つ……とそう思って 差覗 ( さしのぞ ) いたほどであった。
旅のあわれを、お察しあれ。……五月の 中旬 ( なかば ) と言うのに、いや、どうも寒かった。
あとで聞くと、東京でも 袷 ( あわせ ) 一枚ではふるえるほどだったと言う。
汽車中 ( きしゃちゅう ) 、 伊達 ( だて ) の 大木戸 ( おおきど ) あたりは、真夜中のどしゃ 降 ( ぶり ) で、この様子では、 思立 ( おもいた ) った 光堂 ( ひかりどう ) の見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。
濃い 靄 ( もや ) が、 重 ( かさな ) り重り、汽車と 諸 ( もろ ) ともに 駈 ( かけ ) りながら、その 百鬼夜行 ( ひゃくきやこう ) の、ふわふわと明けゆく空に、 消際 ( きえぎわ ) らしい顔で、 硝子 ( がらす ) 窓を 覗 ( のぞ ) いて、
「もう!」
と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形を 顕 ( あら ) わす頃から、音もせず、霧雨になって、 遠近 ( おちこち ) に、まばらな 田舎家 ( いなかや ) の軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。
次第に、麦も、田も色には出たが、 菜種 ( なたね ) の花も雨にたたかれ、 畠 ( はたけ ) に、 畝 ( あぜ ) に、ひょろひょろと乱れて、 女郎花 ( おみなえし ) の露を思わせるばかり。初夏はおろか、春の 闌 ( たけなわ ) な景色とさえ思われない。
ああ、雲が切れた、 明 ( あかる ) いと思う 処 ( ところ ) は、
「沼だ、ああ、 大 ( おおき ) な沼だ。」
と見る。……雨水が 渺々 ( びょうびょう ) として田を 浸 ( ひた ) すので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。…… 処々 ( ところどころ ) 巌 ( いわ ) 蒼く、ぽっと 薄紅 ( うすあか ) く草が染まる。 嬉 ( うれ ) しや日が当ると思えば、 角 ( つの ) ぐむ 蘆 ( あし ) に 交 ( まじ ) り、 生茂 ( おいしげ ) る 根笹 ( ねざさ ) を分けて、さびしく 石楠花 ( しゃくなげ ) が咲くのであった。
奥の道は、いよいよ深きにつけて、空は 弥 ( いや ) が上に曇った。けれども、 志 ( こころざ ) す 平泉 ( ひらいずみ ) に着いた時は、幸いに雨はなかった。
そのかわり、 俥 ( くるま ) に寒い風が添ったのである。
――さて、毛越寺では、 運慶 ( うんけい ) の作と 称 ( とな ) うる 仁王尊 ( におうそん ) をはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。
「御参詣の方にな、お 触 ( さわ ) らせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」
と 腰袴 ( こしばかま ) で、細いしない竹の 鞭 ( むち ) を手にした案内者の老人が、 硝子蓋 ( がらすぶた ) を開けて、半ば 繰開 ( くりひら ) いてある、 玉軸金泥 ( ぎょくじくこんでい ) の 経 ( きょう ) を一巻、手渡しして見せてくれた。
その 紺地 ( こんじ ) に、清く、さらさらと 装上 ( もりあが ) った、 一行金字 ( いちぎょうきんじ ) 、 一行銀書 ( いちぎょうぎんしょ ) の経である。
俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした 心持 ( こころもち ) かも知れない。 尊 ( たっと ) い文字は、 掌 ( て ) に一字ずつ 幽 ( かすか ) に響いた。私は 一拝 ( いっぱい ) した。
「 清衡朝臣 ( きよひらあそん ) の 奉供 ( ぶぐ ) 、 一切経 ( いっさいきょう ) のうちであります――時価で申しますとな、 唯 ( ただ ) この一巻でも一万円以上であります。」
橘 ( たちばな ) 南谿 ( なんけい ) の 東遊記 ( とうゆうき ) に、
これは 清衡 ( きよひら ) 存生 ( ぞんじょう ) の時、 自在坊 ( じざいぼう ) 蓮光 ( れんこう ) といへる僧に命じ、一切経書写の事を 司 ( つかさど ) らしむ。三千日が間、 能書 ( のうしょ ) の僧数百人を 招請 ( しょうせい ) し、供養し、これを書写せしめしとなり。 余 ( よ ) もこの経を拝見せしに、その書体 楷法 ( かいほう ) 正しく、 行法 ( ぎょうほう ) また精妙にして――
と言うもの 即 ( すなわち ) これである。
ちょっと(この寺のではない) 或 ( ある ) 案内者に申すべき事がある。君が 提 ( ささ ) げて持った鞭だ。が、遠くの 掛軸 ( かけじく ) を指し、高い 処 ( ところ ) の仏体を示すのは、とにかく、目前に 近々 ( ちかぢか ) と拝まるる、 観音勢至 ( かんおんせいし ) の 金像 ( きんぞう ) を説明すると言って、 御目 ( おんめ ) 、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹の 尖 ( さき ) を振うのは 勿体 ( もったい ) ない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、 作 ( さく ) がいいだけに、 瞬 ( またたき ) もしたまいそうで、さぞお 鬱陶 ( うっとう ) しかろうと思う。
俥 ( くるま ) は 寂然 ( しん ) とした 夏草塚 ( なつくさづか ) の 傍 ( そば ) に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの 菖蒲 ( あやめ ) 杜若 ( かきつばた ) が 隈々 ( くまぐま ) に自然と伸びて、荒れたこの広い 境内 ( けいだい ) は、 宛然 ( さながら ) 沼の乾いたのに似ていた。
別に門らしいものもない。
此処 ( ここ ) から 中尊寺 ( ちゅうそんじ ) へ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いた 茅 ( かや ) の屋根にも、 路傍 ( みちばた ) の 地蔵尊 ( じぞうそん ) にも、 一々 ( いちいち ) 由緒のあるのを、 車夫 ( わかいしゅ ) に聞きながら、 金鶏山 ( きんけいざん ) の 頂 ( いただき ) 、柳の 館 ( たち ) あとを左右に見つつ、 俥 ( くるま ) は三代の 豪奢 ( ごうしゃ ) の亡びたる、草の 径 ( こみち ) を 静 ( しずか ) に進む。
山吹がいまを 壮 ( さかり ) に咲いていた。 丈高 ( たけたか ) く伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。―― 何処 ( どこ ) か 邸 ( やしき ) の垣根 越 ( ごし ) に、それも 偶 ( たま ) に見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの 金衣 ( きんい ) の 娘々 ( じょうじょう ) を見る事は珍しいと言っても 可 ( よ ) い。田舎の 他土地 ( ほかとち ) とても、人家の庭、 背戸 ( せど ) なら格別、さあ、 手折 ( たお ) っても抱いてもいいよ、とこう 野中 ( のなか ) の、しかも路の 傍 ( はた ) に、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。
そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって 咲交 ( さきまじ ) る。……
が、 燃立 ( もえた ) つようなのは一株も見えぬ。 霜 ( しも ) に、雪に、長く 鎖 ( とざ ) された上に、風の荒ぶる野に開く 所為 ( せい ) であろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの 薄紅 ( うすくれない ) は 珊瑚 ( さんご ) に似ていた。
音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、 潺々 ( せんせん ) として 巌 ( いわ ) に 咽 ( むせ ) んで泣く 谿河 ( たにがわ ) よりも 寂 ( さみ ) しかった。
実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。
そのかわり、牛が三頭、 犢 ( こうし ) を 一頭 ( ひとつ ) 連れて、 雌雄 ( めすおす ) の、どれもずずんと 大 ( おおき ) く真黒なのが、 前途 ( ゆくて ) の細道を 巴形 ( ともえがた ) に 塞 ( ふさ ) いで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。
これにはたじろいだ。
「 牛飼 ( うしかい ) も何もいない。野放しだが大丈夫かい。…… 彼奴 ( あいつ ) 猛獣だからね。」
「何ともしゃあしましねえ。こちとら 馴染 ( なじみ ) だで。」
けれども、胸が細くなった。 轅棒 ( かじ ) で、あの 大 ( おおき ) い 巻斑 ( まきふ ) のある 角 ( つの ) を分けたのであるから。
「やあ、 汝 ( われ ) 、……小僧も 達 ( たっ ) しゃがな。あい、御免。」
敢 ( あえ ) て 獣 ( けもの ) の 臭 ( におい ) さえもしないで、縦の目で優しく 視 ( み ) ると、両方へ黒いハート形の 面 ( おもて ) を分けた。が 牝牛 ( めうし )
の如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露を 散 ( ちら ) して、山吹の中へ角を隠す。私はそれでも足を縮めた。
「ああ、 漸 ( やっ ) と 衣 ( ころも ) の 関 ( せき ) を通ったよ。」
全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。
小家 ( こいえ ) がちょっと両側に続いて、うんどん、お 煮染 ( にしめ ) 、 御酒 ( おんさけ ) などの店もあった。が、 何処 ( どこ ) へも休まないで、 車夫 ( わかいしゅ ) は坂の下で 俥 ( くるま ) をおろした。
軒端 ( のきば ) に草の茂った、その 裡 ( なか ) に、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、 赤絵 ( あかえ ) の茶碗、皿の 交 ( まじ ) った形は、大木の 空洞 ( うつろ ) に 茨 ( いばら ) の実の 溢 ( こぼ ) れたような 風情 ( ふぜい ) のある、小さな店を指して、
「あの裏に、旦那、 弁慶 ( べんけい ) 手植 ( てうえ ) の松があるで――御覧になるかな。」
「いや、 帰途 ( かえり ) にしましょう。」
その手植の松より、 直接 ( じか ) に弁慶にお目に 掛 ( かか ) った。
樹立 ( こだち ) の 森々 ( しんしん ) として、 聊 ( いささ ) かもの 凄 ( すご ) いほどな坂道―― 岩膚 ( いわはだ ) を踏むようで、 泥濘 ( ぬかり ) はしないがつるつると 辷 ( すべ ) る。雨降りの中では 草鞋 ( わらじ ) か靴ででもないと 上下 ( じょうげ ) は 難 ( むずか ) しかろう―― 其処 ( そこ ) を 通抜 ( とおりぬ ) けて、 北上川 ( きたかみがわ ) 、 衣河 ( ころもがわ ) 、名にしおう、 高館 ( たかだち ) の 址 ( あと ) を望む、三方見晴しの処(ここに 四阿 ( あずまや ) が立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。) 其処 ( そこ ) へ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。
車夫 ( わかいしゅ ) が、笠を脱いで手に 提 ( さ ) げながら、裏道を 崖下 ( がけさが ) りに 駈出 ( かけだ ) して行った。が、待つと、間もなく肩に 置手拭 ( おきてぬぐい ) をした 円髷 ( まるまげ ) の女が、堂の中から、扉を開いた。
「運慶の作でござります。」
と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身と 称 ( とな ) うる木像はよく出来ている。 山車 ( だし ) や、芝居で見るのとは 訳 ( わけ ) が違う。
顔の色が蒼白い。大きな 折烏帽子 ( おりえぼし ) が、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻が 扁 ( ひらた ) く、口が、例の 喰 ( くい ) しばった 可恐 ( おそろ ) しい、への字形でなく、唇を下から上へ、への字を反対に 掬 ( しゃく ) って、
「むふッ。」
ニタリと、しかし、こう、何か 苦笑 ( にがわらい ) をしていそうで、目も細く、 目皺 ( めじわ ) が優しい。 出額 ( おでこ ) でまたこう、しゃくうように人を 視 ( み ) た工合が、これで 魂 ( たましい ) が入ると、 麓 ( ふもと ) の茶店へ下りて行って、 少女 ( こおんな ) の肩を 大 ( おおき ) な手で、
「どうだ。」
と 遣 ( や ) りそうな、 串戯 ( じょうだん ) ものの 好々爺 ( こうこうや ) の風がある。が、歯が抜けたらしく、 豊 ( ゆたか ) な肉の頬のあたりにげっそりと 窶 ( やつれ ) の見えるのが、 判官 ( ほうがん ) に 生命 ( いのち ) を捧げた、苦労のほどが 偲 ( しの ) ばれて、何となく涙ぐまるる。
で、 本文 ( ほんもん ) 通り、 黒革縅 ( くろかわおどし ) の 大鎧 ( おおよろい ) 、 樹蔭 ( こかげ ) に沈んだ色ながら 鎧 ( よろい ) の 袖 ( そで ) は 颯爽 ( さっそう ) として、 長刀 ( なぎなた ) を軽くついて、少し 屈 ( こご ) みかかった広い胸に、 兵 ( えもの ) の 柄 ( え ) のしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、 頬先 ( ほおさき ) に内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、 颯 ( さっ ) と 掉 ( ふ ) ると、従って冷い風が吹きそうである。
別に、 仏菩薩 ( ぶつぼさつ ) の、 尊 ( とうと ) い古像が 架 ( か ) に据えて数々ある。
みどり 児 ( ご ) を、 片袖 ( かたそで ) で胸に 抱 ( いだ ) いて、 御顔 ( おんかお ) を少し 仰向 ( あおむ ) けに、 吉祥果 ( きっしょうか ) の枝を肩に 振掛 ( ふりか ) け、 裳 ( もすそ ) をひらりと、片足を軽く挙げて、――いいぐさは 拙 ( つたな ) いが、 舞 ( まい ) などしたまう 状 ( さま ) に、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、 児 ( こ ) をおあやしのような、 鬼子母神 ( きしぼじん ) の像があった。 御面 ( おんおもて ) は天女に 斉 ( ひと ) しい。 彩色 ( いろどり ) はない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き 木彫 ( きぼり ) である。
「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」
置手拭 ( おきてぬぐい ) のが、
「はあ、 其処 ( そこ ) は開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」
「少々ばかり、御免下さい。」
と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりと 支 ( つか ) えたのは、 亀井六郎 ( かめいろくろう ) が所持と札を打った 笈 ( おい ) であった。
三十三枚の 櫛 ( くし ) 、 唐 ( とう ) の鏡、五尺のかつら、 紅 ( くれない ) の 袴 ( はかま ) 、 重 ( かさね ) の 衣 ( きぬ ) も 納 ( おさ ) めつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。
「ああ、これは、 疵 ( きず ) をつけてはなりません。」
棚が狭いので 支 ( つか ) えたのである。
そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を 閉 ( た ) てた。
連 ( つれ ) の家内が、
「 粋 ( いき ) な 御像 ( おすがた ) ですわね。」
と、ともに拝んで言った。
「失礼な事を、――時に、御案内料は。」
「へい、五銭。」
「では――あとはどうぞお 賽銭 ( さいせん ) に。」
そこで、 鎧 ( よろい ) 着 ( き ) たたのもしい山法師に別れて出た。
山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。
大 ( おおき ) な広い本堂に、一体見上げるような 釈尊 ( しゃくそん ) のほか、 寂寞 ( せきばく ) として何もない。それが荘厳であった。日の光が 幽 ( かすか ) に 漏 ( も ) れた。
裏門の方へ出ようとする 傍 ( かたわら ) に、寺の 廚 ( くりや ) があって、 其処 ( そこ ) で巡覧券を出すのを、 車夫 ( わかいしゅ ) が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ 薬師堂 ( やくしどう ) 、次の 宝物庫 ( ほうもつこ ) 、さて 金色堂 ( こんじきどう ) 、いわゆる 光堂 ( ひかりどう ) 。続いて 経蔵 ( きょうぞう ) 、 弁財天 ( べんざいてん ) と言う順序である。
皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを 鎖 ( とざ ) すのである。が、 宝物庫 ( ほうもつぐら ) には番人がいて、経蔵には、 年紀 ( とし ) の 少 ( わか ) い出家が、火の気もなしに一人 経机 ( きょうづくえ ) に 対 ( むか ) っていた。
はじめ、薬師堂に詣でて、それから 宝物庫 ( ほうもつぐら ) を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、 一条 ( ひとすじ ) 、道を隔てた丘の上に導く。…… 階 ( きざはし ) の前に、 八重桜 ( やえざくら ) が枝も 撓 ( たわわ ) に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。
桜は中尊寺の門内にも咲いていた。 麓 ( ふもと ) から 上 ( あが ) ろうとする坂の下の 取着 ( とッつき ) の 処 ( ところ ) にも 一本 ( ひともと ) 見事なのがあって、 山中心得 ( さんちゅうこころえ ) の 条々 ( じょうじょう ) を記した 禁札 ( きんさつ ) と 一所 ( いっしょ ) に、たしか「 浅葱桜 ( あさぎざくら ) 」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。 処々 ( ところどころ ) 汽車の窓から 視 ( み ) た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと 冴 ( さえ ) を見せて咲いたのはなかった。 薄墨 ( うすずみ ) 、 鬱金 ( うこん ) 、またその 浅葱 ( あさぎ ) と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。
唯 ( と ) 、 階 ( きざはし ) の前の 花片 ( はなびら ) が、折からの冷い風に、はらはらと 誘 ( さそ ) われて、さっと散って、この光堂の中を、 空 ( そら ) ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと―― 羽目 ( はめ ) に 浮彫 ( うきぼり ) した、 孔雀 ( くじゃく ) の尾に玉を刻んで、 緑青 ( ろくしょう ) に 錆 ( さ ) びたのがなお 厳 ( おごそか ) に美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、 黄金 ( きん ) の 巻柱 ( まきばしら ) の光をうけて、ぱっと 金色 ( こんじき ) に 飜 ( ひるがえ ) るのを見た時は、思わず驚歎の 瞳 ( ひとみ ) を 瞠 ( みは ) った。
床も、 承塵 ( なげし ) も、柱は 固 ( もと ) より、 彳 ( たたず ) めるものの踏む 処 ( ところ ) は、 黒漆 ( こくしつ ) の落ちた 黄金 ( きん ) である。 黄金 ( きん ) の 剥 ( は ) げた黒漆とは思われないで、しかも 些 ( さ ) のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った 趣 ( おもむき ) がある。われら 仙骨 ( せんこつ ) を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を 透 ( すか ) して、四方に、 七宝荘厳 ( しっぽうそうごん ) の 巻柱 ( まきばしら ) に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして 絵 ( えが ) かれたる、 十二光仏 ( じゅうにこうぶつ ) の微妙なる 種々相 ( しゅじゅそう ) は、一つ一つ 錦 ( にしき ) の糸に 白露 ( しらつゆ ) を 鏤 ( ちりば ) めた如く、 玲瓏 ( れいろう ) として 珠玉 ( しゅぎょく ) の中にあらわれて、清く 明 ( あきら ) かに、しかも 幽 ( かすか ) なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、 螺鈿 ( らでん ) を、星の流るるが如く輝かして、 宝相華 ( ほうそうげ ) 、 勝曼華 ( しょうまんげ ) が 透間 ( すきま ) もなく咲きめぐっている。
この柱が、 須弥壇 ( しゅみだん ) の 四隅 ( しぐう ) にある、まことに天上の柱である。須弥壇は 四座 ( しざ ) あって、壇上には 弥陀 ( みだ ) 、 観音 ( かんおん ) 、 勢至 ( せいし ) の 三尊 ( さんぞん ) 、 二天 ( にてん ) 、 六地蔵 ( ろくじぞう ) が安置され、壇の中は、真中に 清衡 ( きよひら ) 、左に 基衡 ( もとひら ) 、右に 秀衡 ( ひでひら ) の 棺 ( かん ) が納まり、ここに、各 一口 ( ひとふり ) の 剣 ( つるぎ ) を 抱 ( いだ ) き、 鎮守府将軍 ( ちんじゅふしょうぐん ) の 印 ( いん ) を帯び、 錦袍 ( きんぽう ) に包まれた、三つの 屍 ( しかばね ) がまだそのままに 横 ( よこた ) わっているそうである。
雛芥子 ( ひなげし ) の 紅 ( くれない ) は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ 金色 ( こんじき ) の 果 ( このみ ) なのである。
謹 ( つつし ) んで、辞して、 天界一叢 ( てんかいいっそう ) の雲を下りた。
階 ( きざはし ) を下りざまに、見返ると、 外囲 ( そとがこい ) の天井裏に 蜘蛛 ( くも ) の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる 塵 ( ちり ) よ、と見れば、 一粒 ( いちりゅう ) の金粉の落ちて輝くのであった。
さて 経蔵 ( きょうぞう ) を見よ。また 弥 ( いや ) が上に 可懐 ( なつかし ) い。
羽目 ( はめ ) には、天女―― 迦陵頻伽 ( かりょうびんが ) が 髣髴 ( ほうふつ ) として舞いつつ、かなでつつ 浮出 ( うきで ) ている。影をうけた 束 ( つか ) 、 貫 ( ぬき ) の材は、鈴と草の花の玉の 螺鈿 ( らでん ) である。
漆塗 ( うるしぬり ) 、金の 八角 ( はちかく ) の台座には、本尊、 文珠師利 ( もんじゅしり ) 、朱の獅子に 騎 ( き ) しておわします。獅子の 眼 ( まなこ ) は 爛々 ( らんらん ) として、 赫 ( かっ ) と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が 視 ( み ) られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの 轡 ( くつわ ) を取って、ちょっと振向いて、 菩薩 ( ぼさつ ) にものを言いそうなのが 優※玉 ( ゆうてんぎょく )
、左に 一匣 ( いっこう ) を捧げたのは 善哉童子 ( ぜんざいどうじ ) 。この両側左右の背後に、 浄名居士 ( じょうみょうこじ ) と、 仏陀波利 ( ぶっだはり ) が 一 ( ひとつ ) は 払子 ( ほっす ) を振り、 一 ( ひとつ ) は 錫杖 ( しゃくじょう ) に 一軸 ( いちじく ) を結んだのを肩にかつぐように 杖 ( つ ) いて立つ。 額 ( ひたい ) も、目も、眉も、そのいずれも 莞爾莞爾 ( にこにこ ) として、 文珠 ( もんじゅ ) も 微笑 ( ほほえ ) んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。この 須弥壇 ( しゅみだん ) を左に、 一架 ( いっか ) を高く設けて、ここに、 紺紙金泥 ( こんしきんでい ) の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは 金泥銀泥 ( きんでいぎんでい ) で、 本経 ( ほんきょう ) の図解を描く。…… 清麗巧緻 ( せいれいこうち ) にしてかつ神秘である。
いま 此処 ( ここ ) に来てこの経を 視 ( み ) るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。
架 ( か ) の裏に、色の青白い、 痩 ( や ) せた 墨染 ( すみぞめ ) の若い出家が一人いたのである。
私の一礼に答えて、
「ご 緩 ( ゆる ) り、ご覧なさい。」
二、三の 散佚 ( さんいつ ) はあろうが、言うまでもなく、堂の 内壁 ( ないへき ) にめぐらした 八 ( やつ ) の棚に満ちて、二代 基衡 ( もとひら ) のこの 一切経 ( いっさいきょう ) 、一代 清衡 ( きよひら ) の 金銀泥一行 ( きんぎんでいいちぎょう ) まぜ 書 ( がき ) の一切経、 並 ( ならび ) に 判官贔屓 ( ほうがんびいき ) の第一人者、三代 秀衡 ( ひでひら ) 老雄の奉納した、 黄紙宋板 ( おうしそうばん ) の一切経が、みな 黒燿 ( こくよう ) の珠玉の如く 漆 ( うるし ) の 架 ( か ) に満ちている。――一切経の全部量は、 七駄片馬 ( しちだかたうま ) と称うるのである。
「――拝見をいたしました。」
「はい。」
と 腰衣 ( こしごろも ) の素足で立って、すっと、経堂を出て、 朴歯 ( ほおば ) の 高足駄 ( たかあしだ ) で、 巻袖 ( まきそで ) で、寒く 細 ( ほっそ ) りと草を 行 ( ゆ ) く。清らかな僧であった。
「弁天堂を案内しますで。」
と 車夫 ( わかいしゅ ) が言った。
向うを、 墨染 ( すみぞめ ) で一人 行 ( ゆ ) く 若僧 ( にゃくそう ) の姿が、 寂 ( さび ) しく、しかも何となく 貴 ( とうと ) く、正に、まさしく 彼処 ( かしこ ) におわする……天女の 御前 ( おんまえ ) へ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。
かくてこそ法師たるものの 効 ( かい ) はあろう。
世に、緋、紫、 金襴 ( きんらん ) 、 緞子 ( どんす ) を 装 ( よそお ) うて、 伽藍 ( がらん ) に処すること、 高家諸侯 ( こうけだいみょう ) の如く、あるいは 仏菩薩 ( ぶつぼさつ ) の玄関番として、 衆俗 ( しゅうぞく ) を、受附で 威張 ( いば ) って 追払 ( おっぱら ) うようなのが少くない。
そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、 姑 ( しゅうと ) だ、 小姑 ( こじゅうと ) だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。
衆生 ( しゅじょう ) は、きゃつばらを 追払 ( おいはら ) って、仏にも、祖師にも、天女にも、 直接 ( じか ) にお目にかかって話すがいい。
時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に 酔 ( よ )
い、 桂 ( かつら ) の 香 ( か ) に巻かれた心地がして、乱れたままの 道芝 ( みちしば ) を行くのが、青く清明なる 円 ( まる ) い床を通るようであった。階 ( きざはし ) の下に立って、仰ぐと、 典雅温優 ( てんがおんゆう ) なる 弁財天 ( べんざいてん ) の 金字 ( きんじ ) に 縁 ( ふち ) して、 牡丹花 ( ぼたんか ) の 額 ( がく ) がかかる。……いかにや、年ふる 雨露 ( あめつゆ ) に、 彩色 ( さいしき ) のかすかになったのが、 木地 ( きじ ) の 胡粉 ( ごふん ) を、かえってゆかしく 顕 ( あら ) わして、 萌黄 ( もえぎ ) に 群青 ( ぐんじょう ) の影を添え、葉をかさねて、 白緑碧藍 ( はくりょくへきらん ) の花をいだく。さながら 瑠璃 ( るり ) の牡丹である。
ふと、 高縁 ( たかえん ) の 雨落 ( あまおち ) に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。
扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。
ぽかんと立ったのが 極 ( きまり ) が悪い。
ああ、もう 彼処 ( あすこ ) から 透見 ( すきみ ) をなすった。
とそう思うほど、 真白 ( ましろ ) き面影、天女の姿は、すぐ 其処 ( そこ ) に見えさせ給う。
私は恥じて 俯向 ( うつむ ) いた。
「そのままでお 宜 ( よろ ) しい。」
壇は、 下駄 ( げた ) のままでと 彼 ( か ) の僧が言うのである。
なかなか。
足袋 ( たび ) の、そんなに汚れていないのが、まだしもであった。
蜀紅 ( しょくこう ) の 錦 ( にしき ) と言う、 天蓋 ( てんがい ) も広くかかって、 真黒 ( まくろ ) き 御髪 ( みぐし ) の 宝釵 ( ほうさい ) の玉一つをも 遮 ( さえぎ ) らない、 御面影 ( おんおもかげ ) の 妙 ( たえ ) なること、 御目 ( おんまな ) ざしの美しさ、……申さんは 恐多 ( おそれおお ) い。ただ、西の 方 ( かた ) 遥 ( はるか ) に、 山城国 ( やましろのくに ) 、 浄瑠璃寺 ( じょうるりでら ) 、 吉祥天 ( きっしょうてん ) のお写真に似させ給う。 白理 ( はくり ) 、 優婉 ( ゆうえん ) 、 明麗 ( めいれい ) なる、お十八、九ばかりの、 略 ( ほぼ ) 人 ( ひと ) だけの坐像である。
ト手をついて対したが、見上ぐる瞳に、 御頬 ( おんほお ) のあたり、 幽 ( かすか ) に、いまにも 莞爾 ( かんじ ) と遊ばしそうで、まざまざとは拝めない。
私は、端坐して、いにしえの、 通夜 ( つや ) と言う事の意味を 確 ( たしか ) に知った。
このままに 二時 ( ふたとき ) いたら、微妙な、 御声 ( おこえ ) が、あの、お 口許 ( くちもと ) の 微笑 ( ほほえみ ) から。――
さて壇を 退 ( しりぞ ) きざまに、僧のとざす扉につれて、かしこくもおんなごりさえ 惜 ( おし ) まれまいらすようで、涙ぐましくまた 額 ( がく ) を仰いだ。御堂そのまま、私は 碧瑠璃 ( へきるり ) の 牡丹花 ( ぼたんか ) の 裡 ( うち ) に入って、また牡丹花の裡から出たようであった。
花の影が、 大 ( おおき ) な 蝶 ( ちょう ) のように草に 映 ( さ ) した。
月ある、 明 ( あきらか ) なる時、花の 朧 ( おぼろ ) なる 夕 ( ゆうべ ) 、天女が、この 縁側 ( えんがわ ) に、ちょっと 端居 ( はしい ) の腰を掛けていたまうと、経蔵から、 侍士 ( じし ) 、 童子 ( どうじ ) 、 払子 ( ほっす ) 、 錫杖 ( しゃくじょう ) を左右に、赤い獅子に 騎 ( き ) して、 文珠師利 ( もんじゅしり ) が、悠然と、草をのりながら、
「今晩は――姫君、いかが。」
などと、お話がありそうである。
と、 麓 ( ふもと ) の牛が 白象 ( びゃくぞう ) にかわって、 普賢菩薩 ( ふげんぼさつ ) が、あの山吹のあたりを御散歩。
まったく、 一山 ( いっさん ) の仏たち、 大 ( おおき ) な 石地蔵 ( いしじぞう ) も 凄 ( すご ) いように活きていらるる。
下向 ( げこう ) の時、あらためて、 見霽 ( みはらし ) の 四阿 ( あずまや ) に立った。
伊勢、 亀井 ( かめい ) 、 片岡 ( かたおか ) 、 鷲尾 ( わしのお ) 、四天王の松は、 畑中 ( はたなか ) 、 畝 ( あぜ ) の 四処 ( よところ ) に、雲を 鎧 ( よろ ) い、 ※糸 ( ゆるぎいと )
の風を浴びつつ、 或 ( ある ) ものは 粛々 ( しゅくしゅく ) として 衣河 ( ころもがわ ) に枝を 聳 ( そびや ) かし、 或 ( ある ) ものは 恋々 ( れんれん ) として、 高館 ( たかだち ) に 梢 ( こずえ ) を伏せたのが、彫像の如くに 視 ( なが ) めらるる。その 高館 ( たかだち ) の 址 ( あと ) をば 静 ( しずか ) にめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲の 涯 ( はて ) さえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。
「この奥に 義経公 ( よしつねこう ) 。」
車夫 ( くるまや ) の言葉に、私は一度 俥 ( くるま ) を下りた。
帰途は――今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。
松並木の心細さ。
途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を 飛下 ( とびお ) りて、手も 背 ( せな ) もかしたであろう。―― 判官 ( ほうがん ) にあこがるる、 静 ( しずか ) の霊を、幻に感じた。
「あれは、 鮭 ( さけ ) かい。」
すれ違って一人、 溌剌 ( はつらつ )
たる 大魚 ( おおうお ) を 提 ( さ ) げて 駈通 ( かけとお ) ったものがある。「 鱒 ( ます ) だ、――北上川で取れるでがすよ。」
ああ、あの川を、はるばると――私は、はじめて 一条 ( ひとすじ ) 長く細く水の糸を 曳 ( ひ ) いて、 魚 ( うお ) の 背 ( せ ) とともに動く 状 ( さま ) を目に宿したのである。
「あれは、はあ、駅長様の 許 ( とこ ) へ 行 ( ゆ ) くだかな。 昨日 ( きのう ) も 一尾 ( いっぴき ) 上 ( あが ) りました。その鱒は 停車場 ( ていしゃば ) 前の 小河屋 ( おがわや ) で買ったでがすよ。」
「料理屋かね。」
「 旅籠屋 ( はたごや ) だ。新築でがしてな、まんずこの辺では 彼店 ( あすこ ) だね。まだ、旦那、昨日はその上に、はい 鯉 ( こい ) を 一尾 ( いっぴき ) 買入れたでなあ。」
「 其処 ( そこ ) へ、つけておくれ、 昼食 ( ちゅうじき ) に……」
――この旅籠屋は 深切 ( しんせつ ) であった。
「鱒がありますね。」
と心得たもので、
「 照焼 ( てりやき ) にして下さい。それから酒は 罎詰 ( びんづめ ) のがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」
束髪 ( そくはつ ) に 結 ( ゆ ) った、丸ぽちゃなのが、
「はいはい。」
と 柔順 ( すなお ) だっけ。
小用 ( こよう ) をたして帰ると、もの陰から、目を 円 ( まる ) くして、一大事そうに、
「あの、旦那様。」
「何だい。」
「照焼にせいという、お 誂 ( あつらえ ) ですがなあ。」
「ああ。」
「 川鱒 ( かわます ) は、塩をつけて焼いた方がおいしいで、そうしては 不可 ( いけ ) ないですかな。」
「ああ、結構だよ。」
やがて、膳に、その塩焼と、別に誂えた玉子焼、青菜のひたし。椀がついて、蓋を取ると 鯉汁 ( こいこく ) である。ああ、昨日のだ。これはしかし、活きたのを 料 ( りょう ) られると困ると思って、わざと註文はしなかったものである。
口を 溢 ( こぼ ) れそうに、なみなみと二合のお 銚子 ( ちょうし ) 。
いい 心持 ( こころもち ) の 処 ( ところ ) へ、またお銚子が出た。
喜多八 ( きたはち ) の懐中、これにきたなくもうしろを見せて、
「こいつは余計だっけ。」
「でも、あの、 四合罎 ( しごうびん ) 一本、よそから取って上げましたので、なあ。」
私は膝を 拍 ( う ) って、感謝した。
「よし、よし、 有難 ( ありがと ) う。」
香 ( こう ) のものがついて、御飯をわざわざ 炊 ( た ) いてくれた。
これで、勘定が――道中記には肝心な処だ――二円八十銭…… 二人 ( ににん ) 分です。
「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」
やがて 停車場 ( ステエション ) へ出ながら 視 ( み ) ると、 旅店 ( はたごや ) の裏がすぐ 水田 ( みずた ) で、 隣 ( となり ) との 地境 ( じざかい ) 、 行抜 ( ゆきぬ ) けの処に、花壇があって、牡丹が咲いた。竹の垣も 結 ( ゆ ) わないが、遊んでいた 小児 ( こども ) たちも、いたずらはしないと見える。
ほかにも、 商屋 ( あきないや ) に、茶店に、一軒ずつ、庭あり、 背戸 ( せど ) あれば牡丹がある。 往来 ( ゆきき ) の途中も、皆そうであった。かつ 溝川 ( みぞがわ ) にも、井戸端にも、傾いた軒、崩れた壁の 小家 ( こいえ ) にさえ、 大抵 ( たいてい ) 皆、 菖蒲 ( あやめ ) 、 杜若 ( かきつばた ) を植えていた。
弁財天の 御心 ( みこころ ) が、 自 ( おのずか ) ら土地にあらわれるのであろう。
忽 ( たちま ) ち、風暗く、柳が 靡 ( なび ) いた。
停車場 ( ステエション ) へ入った時は、皆待合室にいすくまったほどである。風は雪を散らしそうに寒くなった。一千年のいにしえの古戦場の威力である。天には雲と雲と戦った。
七宝の柱
泉鏡花 (Shippo no hashira) | ||