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伊勢音頭戀寢刃 序幕 相の山の場 妙見町宿屋の場 二見ケ浦の場
 

伊勢音頭戀寢刃
序幕 相の山の場
妙見町宿屋の場
二見ケ浦の場

  • 役名==福岡貢。
  • 藤浪左膳。
  • 今田萬次郎。
  • 奴、林平。
  • 徳島岩次、實ハ藍玉屋北六。
  • 熊本角太郎。
  • 横山大藏。
  • 桑原丈四郎。
  • 黒上主鈴。
  • 御師娘、榊。
  • 油屋抱へお岸。
  • 同、小てる。
  • 禿。
  • 三よし。
  • 仲居千野。
  • 同、蔦野。
造り物、一面の杉林、眞中に杉の葉にて屋根を造り小屋あり、お杉お玉、三味線を彈いてゐる。參宮の仕出し大勞あり、この中に比丘尼、びんざさら杓ふつて仕出しに附く事あり、すべて勢州相の山の體。大坂はなれての木遣りにて幕明ける。
比丘

島サア紺サア中乘りサア、あちらの姐サア、こちらの坊サア、爰ばかりぢやヤテカアンセ/\。


[ト書]

トこの間に仕出し、お杉お玉に錢を投げる事あつて、東西に別れて入る。花道よりお岸、蔦野、千野、小照、禿の三よし、衣裳の上に練の浴衣を着て、參宮の形にて出る。


千野

コレ、お岸さん、もそつと靜かに歩かしやんせいなア。


蔦野

なんぼ其やうに急がしやんしても、萬さまはちつとやそつとで。


きし

また蔦野が惡口かいの。この伊勢詣りの趣向も、この伊勢に勤めはしてゐれど、ツイに道中を歩いた事がないによつて、京大坂の參宮さんすお方が羨やましかつたが、歩いて見ると、なほ面白いによつて、つい足が早うなつたのぢやわいなア。


千野

そりや、道理いなア。萬さんの思ひ付きで、參宮をさせ、二見や淺間の遊山とは、なんと面白いぢやないかいの。


小照

お前方は面白いか知らぬが、わたしや、しんどうてならぬわいなア。


三よ

それ/\、お岸さん、ちと休んで行かしやんせぬかいなア。


きし

オヽ、さうであらう/\、内宮さまの八十末社廻りでも、わしも餘ツぽど草臥れた。萬さまを爰で待ち合さうではないか。


すぎ

コレ、女中さん、そこ退いて下さんせ。錢儲けの邪魔になるわいの。


きし

ほんに、これは此方が誤まつた。蔦野、お錢あげさんせいなう。


蔦野

ツイ遣らうより、この錢投げて樂しまうぢやないかいの。


千野

こりやよからうわいの。サア、子供衆も、投げさんせ/\。


[ト書]

ト錢を皆々へ渡す。また木遣りになり、お杉お玉は三味線を彈きゐる。女達、錢を投げてやる。花道より萬次郎、大藏、丈四郎、衣裳の上に、練の浴衣を引ツ張り、駕籠を舁き出る。


萬次

エツサツサ/\。


丈四

さゝ豆こ枝豆こ。


萬次

枝豆こ。


大藏

サツサツサ。オツと肩ぢや。


[ト書]

ト息杖をする。後より林平、奴の形にて、柳樽に提げ重と、大小三ながれを三尺手拭にて括り、割りがけにて持つて出る。


林平

オヽイ/\。これはしたり若旦那、お遊びなさるゝとて、大概の事をなされませ、大藏さまも丈四郎さまも外聞の惡い。もうよしになされませ。


萬次

なんの、われが知つた事ぢやない。構はずとやれやれ。


丈大

合點ぢや。エツサツサ/\。


[ト書]

ト本舞臺へ來る。林平も氣の毒の顏にて附いて來る。


蔦野

エヽ、萬さまかいな。何をして居なさんすぞいなア。その形は何ぢやぞいなア。


萬次

何ぢやどころか、參宮人に施行駕籠ぢや。サア、皆も爰で休め/\。


丈大

オツトセイ、ヨンヤサ。


[ト書]

ト駕籠を降ろし、皆々床几へかゝる。


きし

申し萬さま。お前もマア、駕舁きの眞似をせねば、遊ばれぬかいなア。もし怪我でもあつたら、どうせうと思はしやんす。もうよしにして下さんせいなア。


林平

さうでござります。おらが云うてもお聞入れがないキツと云うて下さりませ。


萬次

サア、おれもどんな事ぢや知らぬけれど、大藏や丈四郎が云ふには、わが身を參宮人の眞似さして、海道を歩かすとよう練れるげな。それがきつい樂しみぢや程にわしも練れるやうに駕籠舁けと云うたゆゑ、それでしんどいけれど駕籠舁くのぢやわいなう。


きし

エヽ、お前方も大概な。惡洒落を教へたがよいわいなア。


丈四

オツト腹を立て給ふな。この施行駕籠に數多の女を乘せて、お岸女郎に比ぶれども、いつかな叶はぬ/\。


大藏

これと云ふも、其方の器量を、若旦那へ自慢せう爲ぢやわい。


萬次

それはさうと、今の娘の風俗と云ひ、ほつそりとした好い器量ぢやないかいなう。


丈大

左樣でござりまする。


萬次

あゝいふ奴を釣らねば役に立たぬ。


きし

その娘御が、お前氣に入つたかえ。


萬次

ムウ、氣に入つた。


きし

オヽ憎。


[ト書]

ト萬次郎を抓る。


萬次

アイタヽヽヽヽ。


きし

誰れに逢ひたいえ。


萬次

今の娘に。


きし

まだそんな憎らしい事、云はしやんすかいなア、


[ト書]

ト萬次郎が胸倉を取る。大藏丈四郎、中へ割つて入り


丈四

こりや門中で、痴話喧嘩かいな。


大藏

こりや仲直りに、大道で雲助酒はどうであらうな。


萬次

よからう/\。酒を持て/\。


林平

ネイ/\。


[ト書]

ト件の樽と提げ重を持ち出す。仲居皆々手傳ひて、駕籠の毛氈を敷き、その上に酒の肴を並べ、皆々はよろしく住ふ事。


たま

こりや、あんまりぢやがな/\。最前から店先を塞いで、どうするのぢやぞいなア。


丈四

えいワ/\、其方達には旦那より、金子を遣はさるる。暫らくの間爰を貸せサ。ソリヤ、金子を遣はす。


[ト書]

ト林平の持ちし萬次郎の紙入れより、二兩金を取出しお杉お玉にやる。


たま

ヤア、こりや小判ぢや。ホヽヽヽ、結構な旦那ぢやわいなア。


すぎ

アノお若いのが旦那樣かえ、てもよい御器量。


たま

あれなら、娘があつたら、ナウお杉。


すぎ

それ/\、ずる/\べつたり/\。


兩人

ずる/\べつたり/\。


[ト書]

ト矢張り右合ひ方にて、お杉、お玉、金を頂いて下手へ入る。


丈四

さて/\姦ましい奴らぢや。併し、今のを若旦那、お聞きなされたか。女の方からずるずるべつたりとは、秀句をやり居つたぢやござりませぬか。


大藏

これを肴に、雲助酒ぢや。


[ト書]

トこの時駕籠の内にて



申し、どうぞ駕籠やつて下さりませぬかいなア。


[ト書]

ト振り袖、御師の娘の拵らへにて、駕籠の垂を上げる。


萬次

ほんに、とんと忘れてゐた。酒の相手にする。爰へ呼べ/\。


丈四

心得たりと云ふまゝに、駕籠より手を取り誘ひける。ハヽア、ヨイホウ。


[ト書]

ト丈四郎駕籠より榊が手を取り、萬次郎が側へ突きやる。



わたしや耻かしい。堪忍して下さんせ。


[ト書]

ト逃げようとするを、萬次郎捕へて


萬次

オツト逃がしてよいものか。


きし

萬さま、そんなら今云はしやんした娘御は、此お方かえ。



わたしが否と云ふ者を、無理に乘せてから。もう去なして下さんせ。


きし

コレ、性惡の惡性男わたしが見る前で、見事その杯を、あの娘御にさして見やしやんすか。


萬次

オヽ、さす/\。斯う呑みかゝつたからは、さしてさして、さしぬくのぢや。サア娘、一つ呑んでくれ。男が立たぬ/\。



わたしや否でござんすわいなア。


きし

イヤ、さゝす事はならぬ/\。


萬次

イヽヤ、さすのぢや。



わたしや否ぢやわいなア。


きし

ならぬわいなア/\。


萬次

イヤ、呑まさにや置かぬ。



堪忍して下さんせいなア。


[ト書]

ト榊、逃ぐるを萬次郎追はへる。お岸、萬次郎を追ふこれについて皆々廻り、この一件ゴチヤ/\になる。林平、氣の毒なるこなし、橋がゝりより左膳、羽織袴、吹きそらしの陣笠大小にて、仲間二人を連れ出る。榊は左膳の蔭へ隱れる。


萬次

なんでも、この杯を呑まさにやア置かぬのぢや。


[ト書]

ト杯を持ち、左膳を見て恟り。


[萬次]

ヤア、あなたは。南無三。


[ト書]

ト逃げようとする。


左膳

コリヤ/\萬次郎、待て/\。見れば往來にて女を捕へ、刀を帶せず、この有樣は何事ぢや。


[ト書]

ト上手へ通る。大藏丈四郎、慌しく酒肴を片寄せ、林平は女どもを圍ひ、件の大小を三人に渡す。


萬次

これは思ひも依りませぬ所で、お目にかゝりましてござりまする。あなた樣には輕々しく、いづれへお出でござりまするな。


左膳

當時鎌倉の執權職は、古今に秀し博學多才、昔の北條時頼にも劣らぬ賢人ゆゑ、自身に諸國を巡檢あるとの知らせ、それゆゑ我が支配内の地頭代官の者ども、邪曲の計らひあつては、國の名折れゆゑ、身共が密かの見廻り。其方は誰れあらうぞ、阿波の家老、今田九郎右衞門が忰の身を以て、その身持は何事ぢや。して、青井下坂の刀、手に入つたか、どうぢや/\。


萬次

サア、その刀の儀は。


大藏

アイヤ、恐れながら、その刀の儀は、所々方々と尋ねましたなれども、相知れませぬところ、大神宮樣へ祈誓をかけし徳により、やう/\この頃手に入りました、其お禮詣り、それでこの出立ちでござりまする。


左膳

ハテ、それは仰々しい參宮ぢやな。其方が主人阿州どのより、武將家へ差上ぐる下坂の刀、大切なる役目、油斷なきやうに致したがよい。ムウ、見れば、それに居るは孫太夫が娘の榊でないか。何ゆゑにこの所へ。



ハイ、貢さまが、松坂へお出でなされて、お歸りが遲いゆゑ。


左膳

ハア、迎ひに來たか。ハヽヽ、案じるやうではあるわい。貢は身が用事あつて遣はした。追ツつけ戻るであらう。山田の宿屋で相待ち居れ。萬次郎、其方にはとくと申し聞かす仔細がある。山田の宿屋まで罷り來やれ。


萬次

御用もござりませうならば、追ツつけ後より參りませう。先づお先へお出で下さりませう。


左膳

然らばさうせう。榊參れ。家來、供せい。


[ト書]

ト唄になり、上手へ榊を連れ、左膳入る。


萬次

ヤレ/\、恐ろしや/\。きつい所で小舅どのに出會うた事ぢや。


きし

萬さん、今のお方は、お前の何ぢやえ。


萬次

ありや神領一萬石を支配する、藤浪左膳さまといふ御仁ぢやわいなう。


林平

それ御覽なされ。手前がおやめなされといふ時に、おやめなさると、藤浪さまに見付かる事もござりませぬ。今のやうに御意なされたれば、早うお出でなされずばなりますまい。


萬次

ほんにさうぢや。大藏丈四郎、われら達は、女子どもを連れて先へ行きや。わしは後から行く程に、早う行け/\。


丈四

成る程、藤浪さまは氣味が惡い。然らば古市へ先へ參りませう。


きし

そんなら萬さま、早う來て下さんせえ。


蔦野

待つて居りますぞえ。


萬次

合點ぢや/\。早う去ね/\。


大藏

サア、皆來やれ/\。


[ト書]

トわや/\云うて、お岸、蔦野、千野、小照、三よし、大藏、丈四郎、下手へ入る。


林平

イヤ申し若旦那、して下坂の刀は、どう遊ばしましたのぢやなア。


萬次

サア、その刀は買ひ取つたけれど、茶屋の入用金に詰つたゆゑ、山田の町人、胴脈の金兵衞とやらいふ者に質物に入れたが、その者は出奔して行くへが知れぬゆゑそんれで此やうに去なずにゐるのぢやわいなう。


林平

滅相もない。左膳さまが刀の事お尋ねなされたら、何とせうと思し召すな。


萬次

サア、わしもそれが氣にかゝる。併し折紙はわしが持つてゐる。どうぞ刀を取り戻す思案してたもいなう。


林平

こりや、とくと思案せねばなりませぬわい。


[ト書]

ト矢張り木遣り唄になり、上手より黒上主鈴、撫付け繼上下、大小、御師の形にて、下坂の刀を持ち出で、萬次郎、林平の前を通り、花道へ行きかける。橋がゝりより岩次、着流し大小の拵らへにて出て來り、兩人とも下手にて


主鈴

アイヤ/\、卒爾ながら其許は、山田の佐野屋善兵衞方に、止宿なさるゝ御浪人ではござりませぬか。


岩次

如何にも左樣でござる。ムウ、して其許は、どなたでござるな。


主鈴

拙者事は、御長官の支配下、黒上主鈴と申す、御師でござるが、貴殿にはこの度名作の刀をお求めなさるゝとあつて、手前所持の下坂の刀を、半金五十枚に所望いたさせくれよと、作野屋善兵衞より段々の頼みゆゑ、只今持參仕る所でござる。


岩次

それは幸ひ。して、青井下坂の刀は、所持いたしてござるか。


主鈴

如何にもこれに所持して居りまする。


[ト書]

ト、此せりふを萬次郎林平聞いて、あの刀を取返してくれといふこなしよろしく


岩次

然らば宿許へ同道いたし、金子と引替へに致さう。


主鈴

左樣仕りませう。サア、お出でなされい。


岩次

御免下され。お先へ參る。


[ト書]

ト主鈴岩次連れ立ち、臆病口へ行かうとする。


林平

アイヤ/\、御兩所ども、ちとお待ち下さりませう。


岩次

手前の事でござるかな。


林平

如何にも左樣でござります。


岩次

お留めなされしは、何ぞ御用でもござるかな。


林平

イヤ、別儀でもござりませぬが、青井下坂の刀をお求めなさるとの儀。その刀は元、手前主人が、遠國より參りて求めました一振り、ちと仔細あつて人手に渡りしが、今その刀を外へやつては、主人の一命にもかゝはりまする。何卒その刀、此方へ所望させては下さるまいか。


岩次

そりやお心安い事。拙者はこの刀に限らず、名作でさへあればよい。御入用なれば隨分御勝手になされい。


林平

ナニ、お聞入れ下さりまするか。先づは大慶。して又、あなたは御得心かな。


主鈴

イヤモウ、いづれへ遣はてしも、構ひはござらぬ。


林平

然らばその刀、ちよつと拜見仰せつけては下されぬか。


主鈴

何より心安い事。サゝ、御覽なされい。


[ト書]

ト主鈴、刀を林平に渡す。林平取つて萬次郎に見せる。


林平

お旦那、これ御覽なされませ。


[ト書]

ト萬次郎受取り、改め見て


萬次

こりや下坂の刀ではないわいなう。


林平

すりや、これではござりませぬか。


主鈴

アコレ/\、麁相仰せられな。下坂の刀に相違ない證據、折紙が此方にござる。これ見さつしやれ。


[ト書]

ト折紙を出して林平に見せる。林平見て


林平

ハヽヽ、それで化の皮が現はれた。その折紙は此方に所持して居るわい。


主鈴

ハヽヽ、下坂の折紙が、二枚あらうやうはござらぬわい。


萬次

イヤ/\、その折紙は、身共が爰に持つてゐるが、なんとこれでもあらうがふか。


[ト書]

ト折紙を出して見せる。


岩次

ドレ、見せ下され。


[ト書]

ト双方の折紙を取つて比べて


[岩次]

ムウ、ハテよく似せ居つたな。


林平

して、この下坂は、いつ頃より所持めされたな。


主鈴

三年以前より、手前所持したして居りまする。


林平

ムウ、それでガラリと脈が上がつた。當春當所支配人より詮議して、手に入つたる、刀、人手に渡したは後の月、年月が相違いたしたわい。


主鈴

すりや、當所の支配人は知つてござるか。


林平

知れた事だ。


主鈴

南無三、しまうた。


[ト書]

ト逃げようとする主鈴を、岩次引ツ捕へ


岩次

うぬ、憎い奴。おのれ、騙りに相違ない。すんでの事に五十枚騙らうとひろいだ、大盗人め、うぬがやうな奴は、カウ/\/\。


[ト書]

ト岩次この間に折紙を摺り替へ、萬次郎の出せし本統の折紙を懷中する。刀にて主鈴を背打ちに打ち据ゑる事よろしく


主鈴

アイタヽヽヽ、ハイ/\、お赦しなされて下さりませ/\。ハイ/\、フトした出來心でござります。あなたが佐野屋にござつて、刀をお求めなさるゝと聞いたゆゑの思ひ付き。これといふのも一人の母者人が大病、人參代に詰つたからの騙り事。どうぞ御料簡なされて下さりませ。


岩次

まだ/\野太い奴の、うぬ、眞ツ二つに。


[ト書]

ト切らうとするを、萬次郎、割つて入り


萬次

マア/\、お待ちなされませ。憎い奴とは申しながら、親孝行とあれば、命は助けておやりなされませ。


主鈴

ハイ/\、命ばかりは、お助けなされて下さりませ。


岩次

うぬ、助け憎い奴なれども、お侍ひの御挨拶に免じ赦してくれる。さて、貴公のお庇で、すんでの事に騙らるゝ所を遁がれまして。サア、この折紙は二枚ともに、貴殿へお渡し申す。サヽ、しつかりとお受取り下されい。


[ト書]

ト折紙を林平に渡す。この時臆病口より家來一人出で來り


家來

ハツ、萬次郎さま、これにござりまするか。主人左膳お待ち兼ねゆゑ、お迎ひに參りましてござりまする。


萬次

成る程、それへ參らう。イヤナニ御浪人、あの者の事は幾重にもお赦されて下されい。


林平

ハテ、彼奴の事はお構ひなされず、早うお出でなされませ。


萬次

左樣ならば御浪人、重ねてお目にかゝりませう。林平、來やれ。


[ト書]

ト唄になり、萬次郎林平、家來を連れ臆病口へ入る。


北六

サア、うぬにはまだ詮議がある。


主鈴

アヽ、お免されませ/\。


[ト書]

ト主鈴を連れ行かうとする。大藏丈四郎橋がゝりより出で、四人顏を見合せ


大丈

岩次どの。首尾はどうぢや。


岩次

コリヤ。


[ト書]

トあたりへこなし。


大丈

して、貴殿は如何でござるな。


岩次

まんまと折紙は摺り替へて、この通りぢや。


[ト書]

ト懷中より出して見せる。


大丈

うまい/\。


岩次

これといふのも、按摩の氣吟、大儀々々。


主鈴

もうよろしうござりまするか。


[ト書]

ト衣裳上下を脱ぐ。下に木綿の袷、大小上下を衣裳と一緒に引ツ括り、肩に引ツかける。


岩次

ソレ、骨折り代ぢや。大儀であつた。この場を早く早く早く。


[ト書]

ト岩次、紙入れより金を一分出してやる。主鈴取つて


主鈴

こりやお金、エヽ、有り難い。こんな用なら何時なりと。


岩次

物數云はずと、早う行け/\。


[ト書]

ト主鈴、金を戴き、按摩の笛を吹きながら、橋がゝりへ入る。


[岩次]

先づ一方は片付いた。して、いよ/\刀の持ち主の行くへは知れぬか。


大藏

されば、胴脈の金兵衞といふ奴に、預け置いたが、此奴かいくれ行くへが知れませぬ。


岩次

これとても、遠くは行かう筈はない。金さへやれば取戻される。して、阿波からの便りはなかりしか。


丈四

追ひ/\大學さまから、角太郎さまへの書状が參れば、詳しい樣子は知れまする。


岩次

よし/\。まだ話す事もある。何かは宿屋で。コリヤ。


[ト書]

ト兩人へ囁く。


大丈

心得ました。


[ト書]

ト兩人呑み込み、思ひ入れあつて、臆病口へ入る。あと本釣り鐘、暮れ六つゴンと打つ。


岩次

何かの手筈も、金儲けの晝ではない、もう暮れ六ツ。ドリヤ、宿屋へ行つて休まうか。


[ト書]

ト在郷唄になり、岩次、キツとこなし、橋がゝりへ入る。返し。


造り物、三間の間、常足の二重、上手附け屋體。見付け暖簾口、上下鼠壁、軒口に講中の印札掛けあり、すべて山田妙見町宿屋の體。爰に角太郎、ぶツ裂き羽織、野袴、大小、代官の拵らへにて立ちかゝり居る。前の拵らへにて左膳これを留めてゐる見得。下手に百姓大勢ワヤ/\云つて、角太郎に詰めかけ居る。
百姓

濟まぬぞ/\。


角太

慮外な奴、手は見せぬぞ。それへ直れ。眞ツ二つに。


多作

なんぼお代官でも、云ふ事は云はにやアなりませぬわいの。


角太

ヤア、その頬桁を。


[ト書]

トこの時、左膳支へて


左膳

イヤ、角太郎どの、お待ちなされい。見ますれば百姓どもを相手に、立ち騒いて見苦しい。斯樣な事もあらんかと、自身に見廻る藤浪左膳。コリヤ、百姓ども、樣子があらう、身共へ申せ。


多作

さてはあなたが、藤浪さまでござりまするか。さうとは存ぜず無體の段、眞平御免下さりませう。


左膳

その斷りには及ばぬ。サア、早くその譯を云へ、どうぢや。


皆々

サア/\、多作どの、こなた、云はつしやれ/\。


多作

ハイ/\、私しどもは、御神領一萬石の百姓でござりまするが、紀州領と前々から水論がござりまして、この後のお役人の御挨拶で、其まゝに捨て置きましてござりましたが、あの角太郎さまがお捌きで、紀州領へ御贔屓のお捌き。


角太

ヤイ/\、そりや何ほざく。この角太郎が贔屓の沙汰とは、憎い奴の。


左膳

ハテ、云ふ事は云はしたがよい。さうして、どうぢや。


多作

この水論に負けましては、私ども難儀いたしまするゆゑ、お願ひ申し上げましたれば、金子三百兩出せ、あの方へ挨拶してやらうとあるゆゑ、その金を差上げましてござりまする。又もやその上に私しどもの田地に、角太郎さまが棹入れうと仰しやりまするゆゑ、お免されて下さりませと、お詫び申しましたを、慮外者とあつて、庄屋をお咎めでござりまするゆゑのせり合ひ。ハイ/\、どうぞよろしうお願ひ申し上げまする。


左膳

オヽ、聞き屆けた。ナニ、角太郎どの、お身は百姓どもより、金子をば何ゆゑあつて取り召された。


角太

イヤアノ、その儀は斯樣でござりまする。此方の領分は長袖の事、相手は大名、禍ひは下からと、主と主との遺恨になつてはと、双方を檢め、あの方の侍ひ分へ賄賂を以て、事を無難に納めうと存じ、その金を百姓どもより取りましたのでござる。


左膳

して、その賄賂を致して、水論には勝つたか。どうぢや/\。


多作

イヤ、矢張り其まゝでござりまする。


角太

サア、そこでござります。鎌倉の執權職、巡檢に恐れ、賄賂を取る者一人もござらぬゆゑ、その金子を百姓どもへ返さうと思うてゐる所でござる。


左膳

して又、神領へ棹を入れるとは、其許が一存か。


角太

サア、それもさう聞けば、間違ひがござる。手前武將のお目鏡を以て、當所の代官を勤むる身が、國中を知らいではと存じ、棹を入れるではない、大樣を心得の爲當つて見ようと存じての事サ。


左膳

こりやさうありさうな事ぢや。この神領は昔より、藤浪が家の支配、例へ武將の御意でも、いざとあつて關白職へ申し上げなば、いづこへ飛沫が行かうも知れぬ。ムウ、ハヽヽヽ。然らば右の金子を、百姓どもへお返しあるか。


角太

ムウ、如何にもキツと返濟仕るて。


左膳

さうなくてな叶はぬ。コリヤ、百姓ども、いま聞く通り、金子は角太郎どのより返すとある。これより棹入れなぞは決してない。安堵して立歸れ。


畔六

エヽ、有り難うござります。コレ、皆の衆、聞かつしやつたか。藤浪さまのお捌きで、金は返して下さるといなう。


多作

その上棹入れる事はないと仰しやる。世界の理屈といふ石子詰めには敵はぬ事ぢや。


角太

エヽ、無駄を云はずと、キリ/\うせう。


皆々

理屈に詰まつて、腹立てるのか。


皆々

ヨウ、石子に詰められて樣々。


角太

その舌の根を。


皆々

ハイ/\/\。


[ト書]

ト角太郎キツとなるを、左膳留める。百姓皆々ワヤワヤ云うて橋がゝりへ入る。


左膳

ハテサテ、百姓づれに見苦しい。今の一條も詮議いたさば其方の身の上。所存あつて今日は赦す。以後はキツと嗜みめされ。


角太

イヤハヤ、段々あやまり入りましてござる。


[ト書]

ト角太郎、悄氣るこなし。在郷唄になり、向うより貢、着流し大小の拵らへ、宿駕籠に乘り、雲助兩人これを舁き出て來る。


雲助

ハイ、頼みますぞ。ハイ/\。


[ト書]

ト舞臺へ來り下手へ立てる。


[雲助]

オツト下ろせ。ハイ親方、急げと仰しやるゆゑ、早追ひにして、一散につけましてござります。


[ト書]

ト駕籠の垂れを上げる。内より貢出る。



オヽ、早かつた/\。大儀々々。


[ト書]

ト錢三百文出してやる。


[貢]

殘りの所は酒手ぢや。持つて行け。


兩人

エヽ、忝なうごんす。


[ト書]

ト兩人の駕籠屋、橋がゝりへ入る。


左膳

そちや貢ではないか。



オヽ、藤浪さま、これにござりまするか。


左膳

其方の歸りを相待ち居つたわい。



オヽ、貢さん、戻らしやんしたか。あんまりお前の戻りの遲さに、わたしや迎ひに來てゐたわいなア。


[ト書]

ト榊、奧から出て來る。



それはよう迎ひにおぢやつたなう。


左膳

貢、これへ/\。



ハツ。


[ト書]

ト貢、三尺脚絆なぞを取り、よき所へ住ふ。榊これを直したり、茶を汲んで來たり、始終女房のやうな事をしてゐる。


左膳

して、申しつけしお客人に、對面いたしたか。



さればの儀でござります。御意の通り松坂まで參りましたところ、未だお出もなく、それゆゑ津の本陣へ參りしが、早お立ちの所(即ちあなた樣の御紙面を渡し、御返事を受取りまして立歸りました。即ちお客人は直ぐに、東海道へお越しなされましてござりまする。


左膳

オヽ、さうあらう。


[ト書]

トこの間角太郎目を付けて聞いてゐる。



即ちこれが御返書。


[ト書]

ト左膳に文箱を渡し


[貢]

まだ外に御口上は。


左膳

アヽコレ、


[ト書]

ト角太郎に目くばせして教へる。


角太

アイヤ藤浪どの、見れば御内々のお話しもある樣子拙者はお先へ歸り、百姓どもへ金子を返して遣しませう。


[ト書]

ト下へ降りる。


左膳

それようござらう。身は用事もあれば、後より歸らう。


角太

然らばお先へ。


[ト書]

ト唄になり、貢へ心殘して橋がゝりへ入る。


左膳

コリヤ榊、其方は先へ歸れ。


[ト書]

ト榊、貢に見惚れてゐる。


[左膳]

コリヤ/\榊々、コリヤ榊々。


[ト書]

ト大きな聲でいふ。



ハイ、御用でござりますかえ。


左膳

貢は用事があれば、後より歸す。其方は先へ歸れ。


[ト書]

ト件の状を開き讀んでゐる。



ほんに其方は先へ去んでたも。誰れぞちよつと頼みませうぞや。


[ト書]

ト手を鳴らす、奧より男一人出て來る。



何ぞ御用でざざりまするかな。



大儀ながら、この娘を、福岡孫太夫まで送つて下され。



ハイ/\、畏りました。



イエ/\大事ござんせぬ。わたしや待つてゐて、お前と一緒に去ぬわいなア。


左膳

ハテ、歸れと云はゞ、先へ歸れ。


[ト書]

トきつといふ、榊氣味惡さうにして



ハイ、そんなら先へ歸ります。貢さま、どつこへも寄らず、早う戻つて下さんせ。



ハテ、どこへ寄るものかいなう。



サア、お出でなされませ。



オヽ、せはしない人ではあるわいなう。


[ト書]

ト榊、男に連れられて橋がゝりへ入る。


左膳

貢、近う/\。して、口上の趣きは。



ハツ、この度伊勢參宮と云ひ立て、鎌倉へ參り直訴いたす思案、もしこの願ひ叶はずば、再び國へは歸らぬ心底、伜萬次郎、殿の御意を受け、青江下坂の刀をその地へ求めに參り、今に歸らず、もし身持ち惰弱もあらは某に成り替り、萬次郎を勘當なされて、下坂の刀は貴殿御詮議なされよとの、御口上でござりまする。


左膳

ハヽア天晴れ、流石は阿波の家老、今田九郎右衞門程あつて、義臣と云ひ忠臣と云ひ、ハテ、阿波どのには善い家來を持たれたなア。



藤浪さま、今度の願ひ叶はずば、再び國へ歸らぬとは、氣遣はしい。何ゆゑの儀でござりまするな。


左膳

貢、そちや何ゆゑ、それを尋ぬるぞ。



何をお隱し申しませう、手前親は元、今田九郎右衞門さまの御家來の由、過ぎ行かれし母が話し、仔細あつて幼少の時、志州の鳥羽へ引越して人となり、いま福岡孫太夫どのの養子の私し、即ちお家へ御奉公そのあなたのお妹御は、古主九郎右衞門さまの嫁君、かれこれ重なるお主筋、案じまするも、これゆゑでござりまする。


左膳

ハテ、思ひがけなき其方が身の上。始めて聞いて驚ろき入つた。然らば古主と云ひ、いま某が縁ある、九郎右衞門が家の爲ならば、身が頼む一大事、何によらず勤むるか。



これはお詞とも覺えませぬ。御主人の御意と申し、殊に古主の爲とあるからは、一命に關はる事たりとも。


左膳

しかと左樣か。



御意に及ばず。


左膳

ムウ、その魂ひを見るからは、申し付くるその仔細は、これを見よ。


[ト書]

ト貢が持つて來た状を出し見せる。貢、開き見て恟りのこなし。左膳始終あたりへ氣を付ける。



ムウ、すりや、阿波の伯父大學さまの野心に依つて。


左膳

サア、その如く國を押領せんとの企み、禍ひを除かんと、參宮の體にもてなし、九郎右衞門は鎌倉に下り、伯父大學を押籠め隱居の願ひ。其方が親孫太夫を、鎌倉表へ遣はせしも一家の某、御前體を首尾よく致さんと、内縁ある評定衆へ密事の使ひ。サ、頼みといふは?の事、右萬次郎は忠臣の家へ繼ぐべき身なれども、放埓にして一旦手に入りし下坂の刀を、質物に入れし不所存者、その刀の持ち主相知れず、某匿ひ置いては、家中の思惑、他門の聞え。何卒其方、某になり代り、萬次郎を匿ひ、右の刀を詮議仕出し、歸國させてくれなば、某が志も相立ち、妹に連る萬次郎は古主の片割れ、身共へ忠義、頼みといふのは、この事ぢやわい。



私しをお見立てなされ、一大事を明かして、御主人樣の御身の上。例へこの身はししびしほになりましても、下坂の刀を尋ね出し、萬次郎さまを歸國いたさせませう。お氣遣ひなされまするな。


左膳

先づは安堵。併し、鎌倉表の首尾相知れるまでは、只何事も大學へ聞えては一大事、必らず他言無用。



何しに他言いたしませう。


左膳

この上は汝に逢はす人こそあり、萬次郎、これへ參れ。


[ト書]

ト奧へこなし。暖簾の内にて


萬次

ハア。


[ト書]

ト奧より萬次郎、林平付いて出て來る。


左膳

イヤナニ萬次郎、それに居るは福岡貢とて身が家來、其方にも所縁の者、下坂の事もこれなる貢を頼み取返し歸國いたすやうに致せ。



さてはあなたが萬次郎さまでござりまするか。私しはあなたの御親父……マア、斯樣なお話は追つての事。して、その刀は何者に、お預けなされましたな。


萬次

サア、わしは知らぬが、家來の計らひにて、山田の町人に預けたが、その預けた者は出奔して行くへ知れぬゆゑ、折紙ばかり此方にあるわいなう。



して、その折紙は持つてござりますか。


萬次

林平、最前の折紙出してたも。


林平

ネイ。


[ト書]

ト折紙二枚出して貢に渡す。貢、開き見て



こりや二枚の折紙、どう致したのでござります。


萬次

こなたには分るまい。ドレ/\。わしが見分けてやりませう。


[ト書]

ト双方とも、よく/\見て恟り。


[萬次]

ヤヽ、こりや二枚の折紙が、眞赤な似せ物。ヤヽヽ。


林平

ナニ、折紙が似せ物とな。ヤヽヽ。



さうしてマア、どういふ事で、折紙が二枚あるのでござりまするぞ。


林平

さればの事でござります。下坂の刀詮議せうと思ふ矢先、黒上主鈴といふ御師が、下坂の刀を浪人者に賣らうと申すをば聞き付け、その刀を此方へ賣つてくれいと望みしところ。



アイヤ、その黒上主鈴と申す御師は、この伊勢中にはござりませぬが、ハヽア、大方それは騙りでござりませう。


萬次

サア、その騙りめが折紙を持つてゐたゆゑ、ツイ此方の折紙をば出して見せたれば。



ハヽア、さてはその時の浪人者も同類で、摺り替へられたに違ひはござりませぬ。


林平

そんなら、其奴も騙りの同類。ムウ、さうぢや。


[ト書]

トきつとこなし。逸散に花道へ行くを


左膳

コリヤ待て、林平。血相變へていづくへ參る。


林平

騙りを捕へて一詮議。


左膳

ハテ、さほどの企みをする者が、汝が詮議に參らうかと、氣を長々と待つて居らうか。今は急く場合ではない。扣へて居らう。


林平

ムウ。


[ト書]

ト齒ぎしみして後へ戻る。


左膳

金銀に眼をかけず、折紙を望むからは、下坂の名刀を望むものゝ仕業に相違ない。その書状に、先達て大學が家來、徳島岩次といふ奴、當所へ入込みしと九郎右衞門が知らせ。察するところ、手を廻して下坂の刀を奪ひ取り、萬次郎に罪を拵らへ、親九郎右衞門に蟄居させん企みと見えた。



して、その徳島岩次といふ奴を、御存じでござりまするか。


萬次

年の頃は廿八九、中肉にて色白く、眼中鋭く、慥か左の眉の上に、黒子があつたと思つたわいの。



それさへ聞いて置けば、ようござりまする。


左膳

いま聞く通り、大學も當所へは犬を入れ置けば、油斷はならぬ。まだ外に、とくと談する仔細もあれば



爰は端近、奧へ參つて


萬次

何かの仔細を



左樣なれば藤浪さま。


左膳

兩人ともに、奧へ來やれ。


[ト書]

ト唄になり、左膳、萬次郎、貢、奧へ入る。林平は殘り


林平

エヽ、口惜しい。おらが付いて居りながら、騙られてはどうも申し譯がない。どうぞ騙りめを詮議したいものぢやなア。


[ト書]

ト手を組み思案してゐる。奧より足音する。これにて林平、思ひ入れあつて小隱れする。奧より大藏丈四郎出で來り


大藏

丈四郎どの。


丈四

大藏どの、最前からの樣子をば


大藏

殘らず聞いた。角太郎さまへこの事申し上げたいものぢやが。


[ト書]

トこの時、下手より角太郎出て來て、兩人を見て


角太

大藏、丈四郎。


兩人

角太郎さま。


大藏

申し合せた通り、たうとう萬次郎は馬鹿者に仕立てました。


丈四

下坂の刀がなければ差詰め勘當、親の九郎右衞門はこれを云ひ立て、蟄居いたさす手筈も上首尾。


角太

して、下坂の一腰は。


大藏

山田の町人、胴脈の金兵衞と申す者に預け置きましたが、出奔して行くへが知れませぬ。


角太

大馬鹿め、身共に渡して置けばよいのに。大學どのと心を合し、江戸表の首尾は身共が取繕ひ、事成就せば九郎右衞門が所領は、身共が拜領する約束。邪魔になるは藤浪め、今宵のうちにぶツ放す。して、その折紙は。


丈四

手を廻して騙り取り、岩次どのが持つて居らるゝ。


角太

それもよし/\。この一通は大學どのより、岩次どのへの書翰、手渡してくりやれ。


大藏

心得ました。


[ト書]

ト大藏、手紙を受取る。


角太

して、藤浪めは。


丈四

アノ奧の間に。


角太

コリヤ。


[ト書]

ト大藏丈四郎に囁く。この間林平聞いてゐる。


[角太]

合點が行たか。


大丈

心得ました。


角太

丈四郎、來やれ。


[ト書]

ト角太郎丈四郎、奧へ忍び入る。大藏、思ひ入れ。


大藏

夜明けぬうちに、この状を。ムウ、さうぢや。


[ト書]

ト行かうとする。この時、林平出て立ち塞がり


林平

大藏待て。その状おれに見せさつしやい。


大藏

何を、うぬらに見せる状ではない。そこ退け。


林平

イヽヤ、大學さまより、密事の書状。


[ト書]

ト取りにかゝる。


大藏

何を小癪な。


[ト書]

ト兩人、状を取り合ひ立廻り。大藏、下手へ逃げて入る。林平、追ひ駈け入る。奧より萬次郎、左膳、貢、小田原提灯を持ち出で來る。


萬次

左樣なら藤浪さま、何かとよろしくお頼み申しまする。


左膳

いま申し付くる通り、萬次郎が儀、貢、頼んだぞよ。



お氣遣ひなされまするな。二見村には私しが知るべもござりますれば、當分あの方へ預けてお置き申しまして、キツと歸國いたさせまする。サア、夜の明けぬ間に少しも早うお越しなされませ。


[ト書]

ト小田原提灯に火を移し、貢と萬次郎、下へ降りる。


萬次

藤浪さまには、隨分御無事で。


左膳

堅固でゐやれ。



サア、お出でなされませ。


[ト書]

ト唄になり、貢、萬次郎、向うへ入る。バタ/\になりて、下手より林平、手紙の半分を持ち、逸散に出で來り


林平

藤浪さまには、爰にござりましたか。


左膳

あわたゞしい、何事ぢや。


林平

ハツ、只今大學さまの密書をば、大藏が所持なせしを、此方へ取らうとする、彼方はやるまいと、爭ふはずみに引ちぎれて、まツこの通り。


[ト書]

ト左膳に片割れを渡す。左膳見て思ひ入れ。


左膳

宛名はちぎれてなけれども、詮議の手がゝり、萬次郎にぼツついて手渡しせい。


[ト書]

ト林平に渡す。


林平

して、萬次郎さまは。


左膳

貢が供して、二見村へ。


林平

心得ました。


[ト書]

ト行かうとする所へ、丈四郎角太郎出て


丈四

その状、此方へ。


[ト書]

ト丈四郎林平にかゝる。立廻りあつて


角太

藤浪覺悟。


[ト書]

ト左膳へ切つてかゝる。左膳、角太郎を刀にて押へ


左膳

少しも早く。


林平

ハツ。


[ト書]

ト丈四郎を見事に投げ退け、逸散に手紙を持ち、向うへ入る。左膳見送つて


左膳

下郎に似合はぬ。


角丈

なにを。


[ト書]

ト三人立廻つて、キツパリと好き見得にて、この道具上手へ引く。


造り物、一面の二見ケ浦の夜の景色、松の吊り枝にて、七五三を張りし二見ケ岩、磯端の模樣、本釣り鐘、浪の音にて納まる。
[ト書]

ト矢張り、浪の音にて、貢先に小田原提灯を下げ、萬次郎を案内して出て來る。



磯端で道が惡うござります。お氣をお附けなれませ。併し、もう七ツ半でもござりませう。夜の明けぬうち行きたいものぢやが。


[ト書]

ト兩人捨ぜりふにて本舞臺へ來る。


萬次

ほんに貢、今よう思うて見れば、あの大藏丈四郎めが、下坂の刀を質に入れさし居つたが、それにマア、宵から顏出しもせぬは、合點がゆかぬわいなう。



ハテ、それも私しが詮議いたしまする。お氣遣ひなされまするな。


[ト書]

トこの時、以前の大藏、手紙の半分を持ち、花道より逸散に走り出で、貢に行き當り、萬次郎と顏見合して


大藏

ヤア、萬次郎か。


萬次

ムウ、大藏ぢやないか。


大藏

こりや堪らぬ。


[ト書]

ト逸散に臆病口へ入る。



何の事か、とんと狂氣の沙汰ぢや。


萬次

コレ/\、今のが大藏といふ、刀を質に置いた者ぢやわいなう。



そんなら今のが。


[ト書]

ト云ふうち、林平、逸散に出て貢に行き當り、萬次郎と顏見合せ


林平

萬次郎さまか。


萬次

オヽ、林平ぢやないか。


林平

いま爰へ大藏めが參りませなんだか、


萬次

たつた今この道筋へ。


林平

刀の手がゝり、この一通。


[ト書]

ト萬次郎、手紙を私、行きかゝるを


萬次

さうして樣子は。


林平

それ云つてゐる間はごさらぬ。おのれ大藏。


[ト書]

ト林平、逸散に臆病口へ入る。



何の事ぢや、これも半狂氣ぢや。


萬次

マア、この状讀んで見やいなう。



飛札を持つて申し遣はし候ふ、いよ/\その地にて下坂の刀手に入り候はゞ、早速歸國あるべく候ふ。後は破れて、宛名はなけれど、詮議の手がゝり、よい物が手に入つた。


[ト書]

ト此うち丈四郎走り出で、萬次郎を見て


丈四

萬次郎、うぬを。


[ト書]

ト萬次郎に切つてかつるを、貢止めて



萬次郎さまに切りかける、うぬには、詮議があるわい。


丈四

何、ちよこざいな。


[ト書]

ト振り解き、立廻りのうち、萬次郎、提灯を持ち、うろついてゐる。臆病口より、林平大藏、状を奪ひ合ひ出て來る。


萬次

林平、最前の状の片割れは。


林平

その片割れは。


大藏

なにを。


[ト書]

ト切つてかゝる。貢、丈四郎を投げ退け、大藏が持つてゐる状を引取りしが、手紙見えぬゆゑ萬次郎へこなし。



萬次郎さま、その提灯を。


[ト書]

ト萬次郎思ひ入れあつて、提灯を差出す。この時丈四郎、提灯を切り落す。大藏は貢に切りかゝる。いづれもくらがりの見得になる。


[貢]

萬次郎さま、お危なうござります。


[ト書]

ト矢張り右鳴り物にて、大藏は状を取らうとする。林平は大藏丈四郎を捕へようとする。丈四郎、萬次郎を切らうとする。貢は萬次郎に怪我をさすまいとする。この探り合ひ、危ふき立廻りあつて、トヾ貢、大藏丈四郎をしつかり捕へ、林平、萬次郎と探り合ひ


林平

若旦那か。


萬次

林平か、



奴どの、爰は危ない。萬次郎さまにお供して、この場を早う。


林平

合點ぢや。


[ト書]

ト三重になり、萬次郎の手を引き、逸散に向うへ入る大藏丈四郎「ソレ」と行かうとする。貢、兩人をちよつと透かし見て



萬次郎さま、お出でなされましたか。アヽ嬉しや、それで落ちついた。さてこの状の宛名が讀みたいものぢやが、もう夜が明けさうなものぢやが。


[ト書]

ト状を透かし見る。丈四郎大藏起き上がり


大丈

それを。


[ト書]

ト切つてかゝる。立廻りのうち、夜明け烏、所々に鳴く。正面の向うへ、四尺餘りの紅張りの日の出、だんだんに出る。



ありやモウ夜明け。


大丈

なにを。



嬉しや、日の出が。


[ト書]

ト丈四郎を押へ、大藏を捻ぢ上げし見得、状を開き


[貢]

ナニ、宛名は、徳島岩次どの、蜂須賀大學より。


[ト書]

ト兩人振りほどき、起き上がるを見事に投げ退ける。又かゝるを見得よく押へ


[貢]

讀めた。


[ト書]

ト膝を叩くを、チヨンと木を入れる。兩人おこつくを大藏を投げ、丈四郎を捻ぢ上げる見得、鳴り物一セイ浪の音にてよろしくキザミ。


ひやうし幕