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嵯峨日記

元禄四辛未卯月十八日

 嵯峨に遊びて、去来が落柿舎に至る。凡兆、共に来たりて、暮に及びて京に帰る。予はなほ暫く留むべき由にて、障子つづくり、葎引きかなぐり、舎中の片隅一間なるところ、臥所と定む。机一つ、硯・文庫、『白氏文集』『本朝一人一首』『世継物語』『源氏物語』『土佐日記』『松葉集』を置く。ならびに、唐の蒔絵書きたる五重の器にさまざまの菓子を盛り、名酒一壷、盃を添へたり。夜の衾・調菜の物ども、京より持ち来たりて乏しからず。わが貧賎を忘れて、清閑に楽しむ。

十九日

 午の半ば、臨川寺に詣づ。大井川前に流れて、嵐山右に高く、松の尾の里に続けり。虚空蔵に詣づる人、行きかひ多し。松の尾の竹の中に、小督屋敷といふ有り。すべて上下の嵯峨に三ところ有り。いづれか確かならむ。かの仲国が駒をとめたる所とて、駒留の橋といふ、このあたりにはべれば、しばらくこれによるべきにや。墓は三軒屋の隣、薮の内に有り。しるしに桜を植ゑたり。かしこくも錦繍綾羅の上に起き臥しして、つひに藪中に塵芥となれり。昭君村の柳、巫女廟の花の昔も思ひやらる。

( ) ( ふし ) ( たけ ) ( ) となる ( ひと ) ( )
嵐山 ( あらしやま ) ( やぶ ) ( しげ ) りや ( かぜ ) ( すじ )

 斜日に及びて、落柿舎に帰る。凡兆、京より来たり、去来、京に帰る。宵より臥す。

二十日

 北嵯峨の祭見むと、羽紅尼来る。去来、京より来たる。途中の吟とて語る。

つかみ ( あう ) 子共 ( こども ) のたけや 麥畠 ( むぎばたけ )

 落柿舎は、昔のあるじの作れるままにして、ところどころ頽破す。なかなかに、作りみがかれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とどまれ。彫り物せし梁、画ける壁も、風に破れ、雨にぬれて、奇石・怪松も葎の下にかくれたるに、竹縁の前に柚の木一本、花かんばしければ、

( ゆず ) ( はな ) ( むかし ) しのばん 料理 ( りょうり ) ( )
ほととぎす 大竹藪 ( おおたけやぶ ) ( ) 月夜 ( つきよ )

尼羽紅

またや ( ) 覆盆子 ( いちご ) あからめ 嵯峨 ( さが ) ( やま )

 去来兄の室より、菓子・調菜の物など送らる。

 今宵は、羽紅夫婦をとどめて、蚊帳一張に上下五人こぞり臥したれば、夜も寝がたうて、夜半過ぎよりおのおの起き出でて、昼の菓子・盃など取り出でて、暁近きまで話し明かす。去年の夏、凡兆が宅に臥したるに、二畳の蚊帳に四国の人臥したり。「思ふこと四つにして、夢もまた四種」と書き捨てたることどもなど、言ひ出だして笑ひぬ。明くれば、羽紅・凡兆、京に帰る。去来、なほとどまる。

二十一日

 昨夜、寝ねざれりければ、心むつかしく、空のけしきも昨日に似ず、朝より打ち曇り、雨をりをりおとづるれば、ひねもす眠り臥したり。暮に及びて、去来、京に帰る。今宵は人もなく、昼臥したれば夜も寝ねられぬままに、幻住庵にて書き捨てたる反古を尋ね出だして清書す。

二十二日

 朝の間、雨降る。今日は、人もなく、さびしきままに、むだ書きして遊ぶ。その言葉、

 喪に居る者は、悲しみをあるじとし、酒飲む者は、楽しみをあるじとす。

 「さびしさなくば憂からまし」と西上人の詠みはべるは、さびしさをあるじなるべし。

 また、詠める、

山里にこはまた誰を呼子鳥
ひとり住まむと思ひしものを

ひとり住むほど、おもしろきはなし。

 長嘯隠士の曰く、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑を失ふ」と。

 素堂、この言葉を常にあはれぶ。予もまた、

( ) ( われ ) をさびしがらせよ 閑古鳥 ( かんこどり )

とは、ある寺にひとり居て言ひし句なり。

 暮れがた、去来より消息す。

 乙州が武江より帰りはべるとて、旧友・門人の消息ども数多届く。その内、曲水状に、予が住み捨てし芭蕉庵の旧き跡たづねて、宗波に逢ふ由。

( むかし ) ( たれ ) 小鍋 ( こなべ ) ( あら ) ひし 菫草 ( すみれぐさ )

また、言ふ。

 「わが住む所、弓杖二長ばかりにして、楓一本より外は青き色を見ず」と書きて、

若楓 ( わかかえで ) 茶色 ( ちゃいろ ) になるも ( ひと ) ( さか )

嵐雪が文に

狗背 ( ぜんまい ) ( ちり ) ( ) らるる ( わらび ) かな
出替 ( でがわ ) りや ( おさな ) ごころに ( もの )
( あわ )

 その外の文ども、あはれなる事、なつかしき事のみ多し。

二十三日

( ) ( ) てば 木魂 ( こだま ) ( ) くる ( なつの ) ( つき )
( たけ ) ( ) ( おさな ) ( とき ) ( ) のすさみ
一日 ( ひとひ ) 一日 ( ひとひ ) ( むぎ ) あからみて ( ) 雲雀 ( すずめ )
( のう ) なしの ( ねむ ) たし ( われ ) 行行子 ( ぎょうぎょうし )

落柿舎に題す     凡兆

( まめ ) ( ) うる ( はたけ ) 木部屋 ( きべや ) 名所 ( めいしょ ) かな

暮に及びて、去来、京より来たる。

膳所昌房より消息。

大津尚白より消息あり。

凡兆、来たる。堅田本福寺、訪ねて、その夜泊る。

凡兆、京に帰る。

二十五日

 千那、大津に帰る。

 史邦・丈草、訪ねらる。

落柿舎に題す             丈草

( ふか ) 峨峰 ( がほう ) ( たい ) して 鳥魚 ( ちょうぎょ ) を伴ふ
( こう ) ( ) 野人 ( やじん ) ( きょ ) ( ) たるを ( よろこ )
枝頭 ( しとう ) ( いま ) ( ) ( せき ) きゅうの ( らん )
青葉 ( せいよう ) ( だい ) ( ) かちて ( しょ ) ( まな ) ぶに ( ) へたり

小督の墳を尋ぬ           同

( ) って 怨情 ( えんじょ ) ( みだ ) して 深宮 ( しんきゅう ) ( )
一輪 ( いちりん ) 秋月 ( しゅうげつ ) 野村 ( やそん ) ( かぜ )
昔年 ( せきねん ) ( わず ) かに 琴韻 ( せきいん ) ( もと ) ( ) たり
何処 ( いずくん ) 孤墳 ( こふん ) 竹樹 ( ちくじゅ ) ( うち )

           史邦

( ) ( ) しより 二葉 ( ふたば ) ( しげ ) ( かき ) ( さね )

途中吟          丈草

ほととぎす ( ) くや ( えのき ) 梅桜 ( うめさくら )

黄山谷の感句

( もん ) ( ) ぢて ( ) をもとむ 陳無己 ( ちんむき )
( きゃく ) ( たい ) して ( ごう ) ( ふる ) 秦少游 ( しんしょうゆう )

乙州来たりて、武江の話ならびに燭五分の俳諧一巻。その内に、

半俗 ( はんぞく ) 膏薬入 ( こうやくいれ ) ( ふところ )

其角

腰の簣に狂はする月
野分より流人に渡す小屋一つ  同
宇津の山女に夜着を借りて寝る
偽りせめて許す精進  同

申の時ばかりより風雨雷霆、雹降る。雹の大いさ三分匁あり。龍空を過ぐる時、雹降る。

大なる、唐桃の如く、小さきは、柴栗のごとし

二十六日

( ) ( ) しより 二葉 ( ふたば ) ( しげ ) ( かき ) ( さね )

史邦

( はたけ ) ( ちり ) にかかる ( ) ( はな )

蝸牛 ( かたつむり ) たのもしげなき ( つの ) ( ) りて

( ひと ) ( ) ( ) 釣瓶 ( つるべ ) ( ) つなり

有明 ( ありあけ ) 三度 ( さんど ) 飛脚 ( ひきゃく ) ( ) くやらん

二十七日

人来きたらず、終日閑を得。

二十八日

夢に杜国がことを言ひ出だして、悌泣して覚む。

心神相交る時は、夢をなす。陰尽きて火をイ見、陽衰へて水を夢見る。飛鳥髪をふくむ時は、飛べるを夢見、帯を敷き寝にする時は、蛇を夢見るといへり。『枕中記』、槐安国、荘周が夢蝶、皆そのことわり有りて、妙を尽さず。わが夢は聖人君子の夢にあらず。終日妄想散乱の気、夜陰の夢またしかり。まことに、この者を夢見ること、いはゆる念夢なり。我に志深く、伊陽の旧里まで慕ひ来たりて、夜は床を同じう起き臥し、行脚の労を共に助けて、百日がほど影のごとくに伴ふ。ある時はたはぶれ、ある時は悲しび、その志わが心裏にしみて、忘るることなければなるべし。覚めてまた袂をしぼる。

二十九日

晦日

『一人一首』奥州高館の詩を見る。

高館は天に聳えて星冑に似たり 衣川は海に通じて月弓の如し

その地の風景、いささか以てかなはず。古人といへども、その地に至らざる時は、その景にかなはず。

朔日

江州平田明照寺李由、問はるる。

尚白・千那、消息あり。

( たけ ) ( ) ( ) ( のこ ) されし ( のち ) ( つゆ )

李由

頃日 ( このごろ ) 肌着 ( はだぎ ) ( ) ( ) 卯月 ( うづき ) かな

尚白

□岐 (欠落)

( ) たれつる 五月 ( さつき ) ( ちか ) 聟粽 ( むこちまき )

二日

曾良来たりて、吉野の花を訪ねて、熊野に詣ではべる由。武江旧友・門人の話、かれこれ取りまぜて談ず。

熊野路 ( くまのじ ) ( ) けつつ ( ) れば ( なつ ) ( うみ )

曾良

大峰 ( おおみね ) 吉野 ( よしの ) ( おく ) ( はな ) ( )

夕陽にかかりて、大井川に舟を浮べて、嵐山にそうて戸難瀬をのぼる。雨降り出でて、暮れに及びて帰る。

三日

昨夜の雨降り続きて、終日終夜やまず。なほ、その武江の事ども問ひ語り、既に夜明く。

四日

宵に寝ねざりける草臥に、終日臥す。昼より雨降り止む。明日は落柿舎を出でんと、名残惜しかりければ、奥・口の一間一間を見めぐりて、

五月雨や色紙へぎたる壁の跡