University of Virginia Library

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遠からぬ世の事にや侍けん四条わたりに中納言にて右衛門のかみかけたる人なむおはしましける中将殿とて御子ひとりありてさう/\しくおほしけるにあり/\てちこ出き給ひにけるおひさき見えてかたちいとうつくしく物し給ひけれはかきりなくかしつき給ふほとに父の卿はかなくなり給ひぬたつきなきやうにておはしけるに中将の君らうたき物にして十はかりまてそ有けるそのうち横河に禅師の房とて此おちになんおはしける中将に申給ふこのわか君いたつらにおひ出給はむよりは山にのほせて物ならはし給へかしなとより/\すゝめ申されしかは横川へそのほせられける大かたの学文にも和歌の道にも心をいれて筆とる事もたと/\しからすはかなきすさみこともつき/\しく心さま人にすくれたりしかは一山のもてあそひちこ童子もむつましきことにおもひしほとに三年はかり此山に送りけるになむかゝれは此母君久しくみぬはかなしとて折ゝ里へよはせけるにあるとき禅師申されけるはかくもんのかたもさとくかしこき人なり法師になして父の御跡をもとはせ給へかしなと念ころにかたらひ申給へはあたらかたちを墨の袖にやつさんも情なく八重たつ雲にましりなんも心くるしなとの給ひてうちとけたる答へもし給はねはちからなしかくて後はあやうくや思はれけん京にすません事を中将にも申給ふにつれ/\のなくさめにもとや思はれけんおなし心にの給へは禅師もいかゝはせんとてなく/\京へそをくりける此ちこもよ河にすみつき給ひけれはさひしかりし山水にも名残多くあそひ伴ひしちこわらはにもはなるゝことなんかなしかりけるみな京ちかきわたりまて送りきてそ余浪おしみけるさて禅師立帰りてとし月手習なとしてすみ給ひし所を引あけて見給へはいとうつくしき手して障子に書付らる

こゝのへにたちかへるとも年をへてなれし深山の月は忘れし

是をみて禅師の君よりはしめてみななきにけりかくて後は元服して藤侍従とそ申けるあけおとりもせすいよ/\目おとろくはかりのかたちにて物し給ひける十四になり給ひし春の頃かとよもと立なれし横川の法師又京にも優なるおのこあまた来あひて北山のさくらいまなんさかりなるよし人申なり侍従のきみ見給へかし伴ひ奉らむとくち/\いへは深山かくれの色香もことにゆかしき心ちして俄に思ひたちぬ道のほとも人めつゝましけれはわさとやつしてそおはしけるわかきとち駒なめてみちすからなかめわたせは遠き山のはそこはかとなく霞つゝ野辺のけしき青みわたり芝生の中に名もしらぬ花ともすみれにましり色ゝさきて雲ゐの雲雀姿も見えすさえつりあひたるさまともいはんかたなし心さす山はやゝ深くいる所にて水のなかれ岩のたゝすまひもうつし繪をみるやうになんおほへけるうち吹風にそことなくにほひくるに人ゝ心あくかれていそきのほりつゝみれは數しらぬ花とも枝もたはむまて開つゝ今日こすはと見えたり山かくれともいはす都のかたの人と見えてあまたつとひきて木の本岩かくれの苺にむれゐつゝ歌よみ酒のみしあそひなとさま/\にそ見えし侍従の君は花になかめいりてゐ給へるに花よりもこの君にめとゝめたる人あまたありてしたかひありくも物むつかしくおほえけれは花にはうとからて引入たる所もかなとねかひもとめつゝゆくに本堂のかたはらに院家にやあらんひわたの軒くち忍草所えかほにてやれたるみすかけたるあり此つれたる人のなかにしるたよりありてこゝにしはしのやとりをかまへたりたむさくとり出しうち吟しなとしけり京よりもたせたるひはりこさゝへやうのもの旅のまかなひはかなくしつゝあそふに花の本にてはしめより侍従の君に心をとゝめて見えたる法師さまかたちよろしき三十はかりなるありて此みすのもとまてしたひきて花には心をとゝめすしてこのきみのおも影になかめ入たる成けり猶みすの内へもかけりこまほしきさまのものむつかしけれはつれたるおのこをいたしていはせけるは人にしのふゆへありてかく隠家求めたりらうさきなりなとあら/\しくさへせいしけれはちからなきさまにていてぬしはしありて十二三計のわらはのうつくしくさうそくなとしたるかちひさき花の枝にむすひ付たる物をあなひもいはすみすのうちへさし入ぬ取てみれは

夕かすみ立へたつとも花の陰さらぬ心をいとひやはする

と清けなる手して書たり返しし給へと此君にすゝむれとはつかしなといひてかたはらの人にゆつるを情なしなといひすゝむれは

花にうつるなかめをゝきてたか方にさらぬ心の程をわくらん

とほのかに書ていたし給へりこれを見てかきりなくうれしく涙もこほれ出にけりさてこの法師の向後を使にとひけれはふかくかくしけるをさま/\いはれてわらはなれは岩倉のなにかしの坊に宰相の君といふ人にておはしますといふさてこの宰相おもひのみをしるへにて尋よらむとそ思ひけるさて人ゝその夜はとゝまりぬこの院の花ことにおもしろし紅白枝をましへたり半醉半醒すれは、けにあそふ事三日も事たるましうおほえぬれと京よりむかへの人あまた来ぬれはかへり見かちにていてぬさてかの宰相は花の本にてみし面影身にそひて命もたふましきほとになん成にけるある時たよりを求めてせうそこしけるすきにしおりの花の本にてみすもあらぬなかめよりまた身にかへりこぬ玉しゐはいつまて袖の中にとゝめさせ給はん有し計のついても又いつかはなとこまやかにかきて

花のひもとくるけしきは見えすとも一夜はゆるせ木の本の山

かへし

木の本を尋ねとふとも数ならぬかきねの花に心とめしな

かゝることをたよりにて夜な/\かとにたゝすみ愁苦辛吟しけるをやう/\哀とや思ひけん心とけゆくけしきなれはしは/\罷かよひつゝ後にそ岩倉なる坊へもともなひなとしてなきゆくまゝに心へたてすこの宰相さはる事なとありて一二日見えぬおりはあやしう心ほそきまてなむつれけるさてこのわか君をおもひかけたる人こなたかなたより花につけ紅葉にむすひたるたまつさむつかしきまてそつとひきにけるされと返しよきほとにうちしつゝこの宰相にわくる心もなくて三年はかり馴にけりさてその頃世を御こゝろのまゝにおさめ給ひしおほきおとゝの御子左大将殿の御まへにて夏の雨しつかにふりて日なかき頃世にあることうちとけつゝ人ゝ申けるついてに此侍従のかたち心さまたくひ稀なるよし申出しかは心うこかせ給ひて御せうそこ度ゝありさい相出あひて申けるは仰ことなんかたしけなく侍りまいらまほしきを此ころみたりこゝちにわつらひてふしくらし侍いさゝかもよろしきひまあらはまいりなむよき様に申させ給へと有しかはしか/\のよし申す五六日ありて又御つかひあり此度は御文あり吹風のめにみぬとかやのふることも思ひしられぬる心はわき給ふにやねぬなはのくるしきよしもおほつかなく五月雨のはれまは心ちもすゝしくなり給ならんおもひ立給へかしなとありて

ほとゝきす恨やすらん待ことをきみにうつせる五月雨の頃

なとあり御返し

五月雨のはれまもあらはきみかあたりなとゝはさらん山時鳥

と聞て猶心ちわつらはしきさま幾度も宰相申てこもりゐさせたりさてつれ/\とこもりをらむもいかゝとてある時忍ひて此侍従をともなひつゝ岩くらへ行しをかのとのゝ人よくみて御まへにてしか/\のよしありのまゝに申けれはひころのみたりこゝちはあらさりし事なりとていからせ給に宰相法師か所行なりにくしなと異口同音に申侍しかはやかて御使ありわつらひ給ふとありしはみないつはりなりけり忍ひありきし給ふなるはかろしめらるゝなるへしなとうらみ給ひて兄の中将にしか/\のよしねん頃にの給ひしかは宰相にもいはすさうそく引つくろひおなし車にてそまいりける御門さし入より玉からやきまはゆきまてそおほえける人見えぬかたにてたいめんし給ともしひほのかに空たきものくゆりいてゝいとえんなり此人のまたかたなりなりし頃殿上なとにてほのみ給しこゝちせしはことの數にもあらすまほにも見まほしくおほへ給へとはちらひたるさまなれは心もとなくおほすほとにやかて御心とまりて心につくへきあそひをし給ひつゝかたときさらすあひかたらひ給ひける御心さしのちかまさりはそふへけれともたゝかの宰相のことなん心にはなるゝ折なくめてたき御けしきもうれしからすこゝろのかよひけるにやつねには夢にそ見えぬるさて大将殿此法師をふかくにくしとおもほせはちかき世界に徘徊させしといかり給ふをもしらておもひのもよほしけるにや猶此殿のあたりうかゝひありきけるを口さかなきものゝ御まへにてさま/\申けれはあはちの国へそをひやらせ給けるこれを聞にも侍従はたへかたくわれゆへとかなき人のうきめをみるらんもかなしくかの嶋の浪風をもともにきかはやとそなけかれけるたかひに一くたりのせうそこもたふへきやうなけれはおほつかなしかの宰相宮こをわかるゝとていかなるたよりをかもとめけん文書ておこせたり忍ひて見れはかきつけたることの葉おほし

なかれ木と身はなりぬともなみた川きみによるせの有世なりせは

そこはかとなく書たりかゝりけれはこの大将殿の御心もうらめしく情をくれておもへはうちとけ奉る事もなしはて/\はなやましくて玉樓展簟の清風も心につかすすまさしくひたふるになかめかちにてをとろへゆけはかの人を思ふゆへとはしらせ給はて物のけにやとて祈りなとせさせ給へとしるしあるへきならねはおなしさまにわつらひてよはるやうにものせられしかは母きみかなしみてさま/\申てまかてさせ侍ぬさてかの岩倉にとゝまりゐたる伊与といふ法師を忍ひによひとりつゝとこちかくさふらはせてかの宰相のわか身ゆへとをき嶋へと聞給ふれはかなしくてかく心ちもわつらふなりそこにいかにまろをうらめしくおもひ給ふらんとなみたにむせひつゝのたまへはきく心ちいはんしてなくかなしくてかくおもはせ給ふこそ世にたくひなく侍れなにかはうらみ奉るへきなといひつゝ夜も更行に猶枕のもとに引よせさゝやき給ふやうはいかにもして宰相のゐたまへるしまへ忍ひて我をいさなひ給へ聞えありてつみにあたり侍らはもろともにその嶋にて送らんこそねかひかなふ心ちはせめとの給へはあはれにかたしけなくはおもひ侍れとまことにいとけなくおはします御心にてこそかくはの給へかの淡路へわたらせ給ひたらはかくれも侍らしやかて大将との聞せ給はゝ猶にくしとて是よりまさまるつみにもあたり侍へし御心さしあらは文かきて給へいかにも忍ひてもちてまからんといふに猶おなしさまにうち歎きつゝの給へはあはれにもふしきにもおほえてつく/\と案しゐたるかおもふやうこの宰相に我もをくれて心ならぬ世になからふるもほいなしまたこの人のかくの給ふもいなみかたしもとよりおしからぬ身なれは世に聞えありともいかゝせんさらはともなひて今一たひたいめむせさせ奉らんとおもふこゝろありさてこの法師申侍やうわか君をたはかり申へきやうあり大将殿へも御母うへにも文書おかせ給へ罪なき人を我ゆへ遠き国へつかはされたるうらめしさとにもかくにも世に心もとまり給はねは身をなけ給ひたるよし申させ給へゆゝしき事なれともさも侍らはたゝされも侍らしなとやうたいつき/\しく申せはうれしくおほせと又うち返し母の歎き給て心ちもわつらひ給はゝいかゝせんなとこれのみそかなしさとのたまへはそれは後に忍ひて御心ひとつにしらせ給はゝなくさめ給ふへしなといへはけにもとおもひつゝうれしかりけり大将殿よりはたえすおほつかなからせ給へとおなしさまなるこゝちのよし聞えてすきゆくほとに長月にもなりぬいとゝ物心ほそくともすれは露にあらそふ涙ふりおつある時中将殿も物まうてし給ひ人すくなゝる折忍ひて岩倉の伊与法師をめしにつかはしたれは心をえて夜にまきれて来たりかねて契さため給ひしやうに文書をき物とりしたゝめなとしつゝねたるやうにそ忍ひ出給ひける此法師かひ/\敷ものにて事とゝのへ乗物なとかまへてあけぬほとに山さきまてそ来たりけるこゝにしはしやすめて常の旅人の行かふ道は人見とかめぬへしとてあらぬかたの山路にかゝれは白雲跡をうつみ青嵐道をすゝめつゝ行ほとに此わか君ならはぬ旅にいける心ちもせてすまの浦につきぬ名ある所なれは海上の月もなかめまほしけれと人も社見とかむれなと伊与法師せいしけれは心ならす衣かたしきてねたまひたれと聞ならはぬ浪のをとおとろ/\しく枕にちかし源氏の大将の心つくしの秋風にとの給ひしもおもひしられて

秋風に心つくしの我袖やむかしにこゆる須磨のうら浪

と独こちてすこし打まとろみたる夢に此宰相浅ましけにおとろへてかく尋おはしましたるうれしさはこの世ならてもなとかなとさめ/\となきて

磯枕心つくしのかなしさに波路わけつゝ我も来にけり

といふともなきにたゝ今あはちへわたる舟なんあるといふこゑにおとろきぬあはれとおもへとものさはかしけれは立出つゝ舟にのらむとてしはし汀にやすらふほとに暁近き月浪の上にすみわたりて心ほそし東船西船つなき置たるにも唯見江心秋月白と楽天の詠せしもかゝるにやとおほえたりこき行ほとに岩屋といふ浦につきぬまことや都には侍従の身をなけたる聞えありけれは大将殿あはてさはき給つゝようなきすさみわさして人の難きをもをひ又あたらさましたる人をもうしなひけるよとかなしみ給ひける世人もこの殿をよろしとも申さす母うへは此書をき給ひたる文を児に引あてゝそのまゝおきもあかり給はす中将もたゝ御子のやうにかしつき給ひしかひもなく見なし給へはおしうかなしうそおほしけるさていはやにとまり給ひてかの人の有ところはやくとはまほしけれともつゝましくあないもしらてはいかゝなとためらふ松ほの浦とやらんにわたらせ給ふよし京にて聞しかはまつそのうらを尋ぬるに絵嶋か磯のむかひなるよし申をわか君聞給ひて京極中納言のやくやもしほのとなかめ給ひしも此浦の事にや身のこかれぬるもことはりそかしとおもふさてその日はこの浦を尋てこゝかしこにやすみつゝくるゝほとにしくれあら/\しくふりて浪の音たかし海士の家ゐのみにていつくをはかりともおほえぬに灯のひかりほのかにみゆそれをしるへにてゆけは板ふきの堂あり海人の篷屋にやとらんよりはこゝにこそなといひて尋よるにかたはらに小庵あり立よりて見れは松の葉ふすへて老僧ひとりむかひゐたる成へしあない申さんといへはからひたる声にてたそといふ是は津の国のかたのもの也四国へわたらむとするにたよりの舟にをくれてまとひ侍るなりこの御堂のかたはらに雨やとりせまほしく侍なりなといへはあやしくやおほえけんたち出て灯明の光に見るにやつしたれとも此わか君をたゝならすや見けんあないとおしなといひて庵の内へよひいれぬあはれけにすみなしたり達磨大師の昼像一幅かけて助老蒲団麻の衾はかりうちをきたりしはし物語なとしつゝかの人の向後とはまほしけれとうちつけなれは打いてすこのわか君をつく/\とみてあやし都かたの人にてそおはすらん我むかし都のものなりはたちはかりの年人をあやまつ事ありて京にも住かね侍しかはやかてもととり切て江湖山林にうかれありきつゝ年経侍りけるにいかなるえにしにかかゝる漁屋のとなりをしめ紫鴛白鴎を友としつゝ三十余年送侍ぬるなとかたるもあはれなれはそれをたよりにて此なかされ人のことをとひけれはあの松帆の浦にさる人侍しこの夏ころより此嶋へうつり給ひしなりといふくはしくかたり給へ聞まほしきゆへありといへはまつほの浦よりこの庵まては常にわたり給つゝ宮このかたの恋しきなとかたり給ひけるか殿上人の御事とて明暮恋なき給ふて心におもふことをはへたて残さす語給ひし也そのおもひにや侍けん心ちわつらひ給ひしか日ゝにをもり給ひてこの庵へもわたり給はすつきそひ侍人も見へねはあはれに見侍りて日をへたてすまかりあつかひしほとにつゐになくなり給ひぬ今日七日に南成給ふ煙になし侍る事も此僧し侍しとかたるにきくこゝちものもおほへすうつふし臥てなきこかれぬこの僧いかに/\さてはゆかりにてこそおはすらめなといひてわれもうちなきけりやゝありて伊与法師申ける今まてはつゝみ侍れともかの人はやうせ給ぬる上は世にはゝかりもなし是こそ恋なき給ひしとの給ふ殿上人よかくあやしき山賤になし奉るもみちのほとの人めをおもふゆへなりさるにてもしかあつかひ給て後のことなとまてしたゝめ給ける御心さしことの葉たるましなといふ老僧いひけるはかの人いまはのとちめに心さしのほと有かたしとの給ひてちいさき法花経念珠なとたまはせけるとて取いてゝみす平性手なれ給ひしものともなれはいよ/\めもくるゝはかりなり又巻かためてこまかにしたゝめたる文の上に四条殿へとて青侍の名かきたるあり是も今はのきはによきたよりあらはしか/\尋ね奉れとの給ひしといふ此文こそ此御かたへなれといへはあなうれしさらはたしかに奉り侍るといふとき開てみるに岩倉の人ゝ侍従の君のかたへなるへし都を出しより此嶋にすみし有さま今はのきは近きさまなと計あつめたる鳥のあとのやうに見ゆ

くやしきはやかてきゆへきうき身ともしらぬ別の道しはの露

なとやうにそ侍けるありし夜かのすまにての夢も今はおもひあはせられていとゝ哀なりつとめて此僧をしるへにて松ほのうらへゆきてまつ此ほと住給ひし庵のさまをみれは浅ましけによろほひかたふきて松のはしら竹の垣もみなくち行さまなりいかてこゝに月日をすくし給けんと思ふもかなしさてすこしへたゝりて松の一むらある所にをろそかなる塚ありしるしの松一もとうへたるをこれにそ侍と申せはたちよりまろひふしてそ伊与法師もなきけるかの王褒か柏樹ならねともこれも涙にかれやしなましとそおほえけるやゝためらひて此しるしの木に若君かきつけ給ひける

をくれしの心もしらて程とをく苔の下にや我をまつらむ

とてやかてこの海に身をなけ給はんとするを伊与法師とりとめ奉りて申けるは宰相の事今はいふかひなし御心さし侍らは跡をとはせ給へ御身をうしなはせ給はゝ罪をこそおほせ給はめ又御母上の御歎き浅かるへしやはなとさま/\申けれはちからなくてほいもとけ給はすさらはさまをたにかへんとの給ふそれもあたら御身なりとせいしけれともしゐて身もなけつへきさまのし給へは今年十六に成給ふかたちはつほめる花山のは出る月のさまし給へる御くしをなく/\そりおとして墨の衣にやつしぬるもゆめのやうなりうらめしきものは此世成けりとそおほゆる伊与法師も墨の袖いとゝ色ふかくなしつゝともなひ奉りて高野山のかたへや行けむ後はしらすかし

兼栽在判

右松帆浦物語以屋代弘賢本校合