University of Virginia Library

朝三時

 さあ行こうと中原が言う。行こうと返事をして手袋をはめているうちに中原はもう歩きだした。そうして二度目に行くよと言ったときには中原の足は自分の頭より高い所にあった。上を見るとうす暗い中に夏服の後ろ姿がよろけるように右左へゆれながら上って行く。自分もつえを持ってあとについて上りはじめた。上りはじめて少し驚いた。路といってはもとよりなんにもない。 魚河岸 ( うおがし ) ( まぐろ ) がついたように雑然ところがった石の上を、ひょいひょいとびとびに上るのである。どうかするとぐらぐらとゆれるやつがある。おやと思ってその次のやつへ足をかけるとまたぐらりとくる。しかたがないから四つんばいになって猿のような形をして上る。その上にまだ暗いのでなんでも判然とわからない。ただまっ黒なものの中をうす白いものがふらふらと上ってゆくあとを、いいかげんに見当をつけてはって行くばかりである。心細いことおびただしい。おまけにきわめて寒い。昨夜ぬいでおいたたびが 今朝 ( けさ ) はごそごそにこわばっている。手で石の角をつかむたんびに冷たさが毛糸の手袋をとおしてしみてくる。鼻のあたまがつめたくなって息がきれる。はっはっ言うたびに口から白い霧が出る。途中でふり向いて見ると谷底まで黒いものがつづいてその中途で白いまるいものと細長いものとが動いていた。「おおい」と呼ぶと下でも「おおい」と答える。小さい時に掘井戸の上から中をのぞきこんでおおいと言うとおおいと反響をしたのが思い出される。まるいのは市村の麦わら帽子、細長いのは中塚の 浴衣 ( ゆかた ) であった。黒いものは谷の底からなお上へのぼって馬の背のように空をかぎる。その中で頭の上の遠くに、 ( ひし ) の花びらの半ばをとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の ( やじり ) のような形をしたのが ( やり ) ( たけ ) で、その左と右に 歯朶 ( しだ ) の葉のような高低をもって長くつづいたのが、 信濃 ( しなの ) 飛騨 ( ひだ ) とを限る連山である。空はその上にうすい暗みを帯びた 藍色 ( あいいろ ) にすんで、星が大きく明らかに 白毫 ( びゃくごう ) のように輝いている。槍が岳とちょうど反対の側には月がまだ残っていた。七日ばかりの月で黄色い光がさびしかった。あたりはしんとしている。死のしずけさという思いが起ってくる。石をふみ落すとからからという音がしばらくきこえて、やがてまたもとの静けさに返ってしまう。路が 偃松 ( はいまつ ) の中へはいると、歩くたびに湿っぽい鈍い重い音ががさりがさりとする。ふいにギャアという声がした。おやと思うと案内者が「雷鳥です」と言った。形は見えない。ただやみの中から鋭い声をきいただけである。人をのろうのかもしれない。静かな、恐れをはらんだ 絶嶺 ( ぜつれい ) の大気を貫いて思わずもきいた雷鳥の声は、なんとなくあるシンボルでもあるような気がした。

(明治四十四年ごろ)