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3. 空蝉

    光る源氏17歳夏の物語

  1. 空蝉の物語 お寝みになれないままに、
  2. 源氏、再度、紀伊守邸へ 子供心に、どのような機会にと待ち続けていると、
  3. 空蝉と軒端荻、碁を打つ 灯火が近くに燈してある。
  4. 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る 女は、あれきりお忘れなのを
  5. 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る 小君を、お車の後ろに乗せて、二条院に

お寝みになれないままには、「わたしは、このように人に憎まれたことはないのに、今晩、初めて辛いと男女の仲を分かったので、恥ずかしくて、生きて行けないような気持ちになってしまった」などとおっしゃると、涙まで流して臥している。とてもかわいいとお思いになる。手探りに、細く小柄な体つきや、髪のたいして長くはなかった様子が、似通っているのも、気のせいか愛しい。むやみにしつこく探し求めるのも、体裁悪いだろうし、本当に癪に障るとお思いになりながら夜を明かして、いつものようにもおっしゃらない。夜の深いうちにお帰りになるので、この子は、たいそう気の毒でつまらないと思う。
女も、大変に気がとがめると思うと、お手紙もまったくない。お懲りになったのだと思うにつけても、このまま冷めておやめになってしまったら嫌な思いであろうし、強引に困ったお振る舞いが絶えないのも嫌なことであろう、適当なところで、こうしてきりをつけたい、と思うものの、平静ではなく、物思いがちである。
君は、ひどいとお思いになる一方で、このままではやめられなくお心にかかり、体裁悪くお困りになって、小君に、「とても、辛く情けなくも思われるので、無理に忘れようとするが、思いどおりにならず苦しいのだよ。適当な機会を見つけて、逢えるように手立てせよ」とおっしゃり続けるので、やっかいに思うが、このような事柄でも、お命じになって使ってくださることは、嬉しく思われるのであった。
子供心に、どのような機会にと待ち続けていると、紀伊守が任国へ下ったりして、女たちがくつろいでいる夕闇の道がはっきりしないのに紛れて、自分の車で、お連れ申し上げる。
この子も子供なので、どうだろうかとご心配になるが、そう悠長にも構えていらっしゃれなかったので、目立たない服装で、門などに鍵がかけられる前にと、急いでいらっしゃる。
人目のない方から引き入れて、お下ろし申し上げる。子供なので、宿直人なども特別に気をつかって機嫌をとらず、安心である。
東の妻戸に、お立たせ申し上げて、自分は南の隅の間から、格子を叩いて声を上げて入った。御達は、
「丸見えです」と言っているようだ。
「どうして、こう暑いのに、この格子を下ろしているの」と尋ねると、
「昼から、西の御方がお渡りあそばして、碁をお打ちあそばしていらっしゃいます」と言う。
そうして向かい合っているのを見たい、と思って、静かに歩を進めて、御簾の間にお入りになった。
先程入った格子はまだ閉めてないので、隙間が見えるので、近寄って西の方を見通しなさると、こちら側の際に立ててある屏風は、端の方が畳まれているので、目隠しのはずの几帳なども、暑いからであろうか、掛けてあって、とてもよく覗き見ることができる。
灯火が近くに燈してある。母屋の中柱に横向きになっている人が自分の思いを寄せている人かと、まっさきに目をお留めになると、濃い綾の単重襲のようである。何であろうか、上に着て、頭の恰好は小さく小柄な人で、見栄えのしない姿をしている。顔などは、向かい合っている人などにも、特に見えないように気をつけている。手つきも痩せ痩せした感じで、ひどく袖の中に引き込めているようだ。
もう一人は、東向きなので、すっかり見える。白い羅の単重襲に、二藍の小袿のようなものを、しどけなく引っ掛けて、紅の腰紐を結んでいる際まで胸を露にして、嗜みのない恰好である。とても色白で美しく、まるまると太って、すらっと背の高い人で、頭の恰好や額の具合は、くっきりとしていて、目もと口もとが、とても愛嬌があり、はなやかな容貌である。髪はたいしてふさふさとして長くはないが、垂れ具合や、肩のところがまことにすっきりとして、どこをとっても悪いところなく、美しい女だ、と見えた。
なるほど、親がこの上なくかわいがることであろうと、興味をもって御覧になる。心づかいに、もう少し落ち着いた感じを加えたいものだと、ふと思われる。才覚がないわけではないらしい。碁を打ち終えて、結を押すあたりは、機敏に見えて、陽気に騷ぎ立てると、奥の人は、とても静かに落ち着いて、
「お待ちなさいよ。そこは、持でありましょう。このあたりの、劫を」などと言うが、
「いいえ、今度は負けてしまいました。隅の所、どれどれ」と指を折って、「十、二十、三十、四十」などと数える様子は、伊予の湯桁もすらすらと数えられそうに見える。少し下品な感じがする。
極端に口を覆って、はっきりとも見せないが、目を凝らしていらっしゃると、自然と横顔も見える。目が少し腫れぼったい感じがして、鼻筋などもすっきり通ってなく老けた感じで、はなやかなところも見えない。言い立てて行くと、悪いことばかりになる容貌を、とてもよく取り繕って、この美しさで勝る人よりは嗜みがあろうと、目が引かれるような態度をしている。
朗らかで愛嬌があって美しいのを、ますます得意満面にうちとけて、笑い声などを上げてはしゃいでいるので、はなやかさが多く見えて、そうした方面ではとても美しい人である。軽率であるとはお思いになるが、お堅くないお心には、この女も捨てておけないのであった。
ご存じの女性は、くつろいでいる時がなく、取り繕って横を向いたよそゆきの態度ばかりを御覧になるが、このようにうちとけた女の様子の垣間見などは、まだなさらなかったことなので、気づかずにすっかり見られているのは気の毒だが、しばらく御覧になりたいのだが、小君が出て来そう気がするので、そっとお出になった。
渡殿の戸口に寄り掛かっていらっしゃっる。とても恐れ多いと思って、
「珍しくお客がおりまして、近くにまいれません」
「それでは、今宵も、帰そうとするのか。まったくあきれて、ひどいではないか」とおっしゃると、
「いいえ決して。あちらに帰りましたら、手立てを致しましょう」と申し上げる。
そのように何とかできそうな様子なのであろう。子供であるが、物事の事情や、人の気持ちを読み取れるよう落ち着いているから、とお思いになるのであった。
碁を打ち終えたのであろうか、衣ずれの音のする感じがして、女房たちが各部屋に下がって行く様子などがするようである。
「若君はどこにいらっしゃるのでしょうか。この御格子は閉めましょう」と言って、音が聞こえる。
「静かになったようだ。入って、それでは、手引きをせよ」とおっしゃる。
この子も、姉のお気持ちを曲げそうになく堅物でいるので、話をつけるすべもなく、人目の少ない時に、お入れ申し上げようと思うのであった。
「紀伊守の妹も、ここにいるのか。わたしに、垣間見させよ」とおっしゃるが、
「どうして、そのようなことができましょうか。格子には几帳が添え立ててあります」と申し上げる。
「もっともだ、しかしそれでもと、興味深くお思いになるが、見てしまったとは言うまい、気の毒だ」とお思いになって、夜の更けて行くことの遅いことをおっしゃる。
今度は、妻戸を叩いて入って行く。女房たちは皆寝静まっていた。
「この障子の口に、僕は寝よう。風よ吹いておくれ」と言って、畳を広げて横になる。女房たちは、東廂に大勢寝ているのだろう。妻戸を開けた女童もそちらに入って寝てしまったので、しばらく空寝をして、灯火の明るい方に屏風を広げて、うす暗くなったので、静かにお入れ申し上げる。
どうなることか、愚かしいことがあってはならない、とご心配になると、とても気後れするが、手引するのに従って、母屋の几帳の帷子を引き上げて、たいそう静かにお入りになろうとするが、皆寝静まっている夜の、お召物の衣ずれの様子は、柔らかであるが、かえってはっきりとわかるのであった。
女は、あれきりお忘れなのを嬉しいと思おうとはするが、不思議な夢のような出来事を、心から忘れられないころなので、ぐっすりと眠ることさえできず、昼間は物思いに耽り、夜は寝覚めがちなので、春ではないが、「木の芽」ならぬ「この目」も、休まる時とてなく、物思いがちなのに、碁を打っていた君が、「今夜は、こちらに」と言って、今の子らしくおしゃべりして、寝てしまった。
若い女は、無心にとてもよく眠っているのであろう。このような感じが、とても香り高く匂って来るので、顔を上げると、単重を打ち掛けてある几帳の隙間に、暗いけれども、にじり寄って来る様子が、はっきりとわかる。あきれた気持ちで、何とも分別もつかず、そっと起き出して、生絹の単重を一枚着て、そっと抜け出した。
君はお入りになって、ただ一人で寝ているのを安心にお思いになる。床の下の方に二人ほど寝ている。衣を押しやってお寄り添いになると、先夜の様子よりは、大柄な感じに思われるが、お気づきなさらない。目を覚まさない様子などが、妙に違って、だんだんとおわかりになって、意外なことに癪に思うが、人違いをまごまごして見せるのも愚かしく、変だと思うだろう、目当ての女を探し求めるのも、これほど避ける気持ちがあるようなので、甲斐なく、間抜けなと思うだろう、とお思いになる。あの美しかった灯影の女ならば、何ということはないとお思いになるのも、けしからぬご思慮の浅薄さと言えよう。
だんだんと目が覚めて、まことに思いもよらぬあまりのことに、あきれた様子で、特にこれといった思慮あるいじらしい心づかいもない。男女の仲をまだ知らないわりには、ませたところがある方で、消え入るばかりに思い乱れるでもない。自分だとは知らせまいとお思いになるが、どうしてこういうことになったのかと、後から考えるだろうことも、自分にとってはどうということはないが、あの薄情な女が、強情に世間体を名を憚っているのも、やはり気の毒なので、度々の方違えにかこつけてお出でになったことを、うまくとりつくろってお話になる。よく気のつく女ならば察しがつくであろうが、まだ経験の浅い分別では、あれほどおませに見えたようでもそこまでは見抜けない。
憎くはないが、お心惹かれるようなところもない気がして、やはりあのいまいましい女の気持ちを、恨めしいとお思いになる。「どこにはい隠れて、愚か者だと思っているのだろう。このように強情な女はめったにいないものを」とお思いになるのも、困ったことに、気持ちを紛らすこともできず思い出さずにじゃいらっしゃれない。この女の、何も気づかず、初々しい感じもいじらしいので、それでも愛情濃やかに将来をお約束させなさる。
「世間に認められた仲よりも、このような仲こそ、愛情も勝るものと、昔の人も言っていました。あなたも同様に愛してくださいよ。世間を憚る事情がないわけでもないので、わが身ながらも思うにまかすことができないのです。また、あなたのご両親も許されないだろうと、今から胸が痛みます。忘れないで待っていて下さいよ」などと、いかにもありきたりにお話なさる。
「他の人に知られることが恥ずかしくて、お手紙を差し上げることができません」と無邪気に言う。
「誰彼となく、他人に言っては困りますが、この小さい殿上童に託して差し上げましょう。何げなく振る舞っていて下さい」
などと言い置いて、あの脱ぎ捨てて行ったと見える薄衣を取ってお出になった。
小君が近くに寝ていたのをお起こしになると、不安に思いながら寝ていたので、すぐに目を覚ました。妻戸を静かに押し開けると、年老いた女房の声で、
「あれは誰ですか」
と仰々しく尋ねる。厄介に思って、
「僕です」と答える。
「夜中に、これはまた、どうしてとお歩きなさいますか」
と世話焼き顔で、外へ出て来る。とても腹立たしく、
「違います。ここに出るだけです」
と言って、君をお出し申し上げると、暁方に近い月の光が明るく照っているので、ふと、人影が見えたので、
「もう一人いらっしゃるのは、誰ですか」と尋ねる。
「民部のおもとのようですね。けっこうな背丈ですこと」
と言う。背丈の高い人がいつも笑われることを言うのであった。老女房は、その人を連れていたのだと思って、
「今そのうちに、同じくらいの背丈におなりになるでしょう」
と言い言い、自分もこの妻戸から出て来る。困ったが、押し返すこともできず、渡殿の戸口に身を寄せて隠れて立っていらっしゃると、この老女房が近寄って、
「おもとは、今夜は、上に詰めていらっしゃったのですか。一昨日からお腹の具合が悪くて、我慢できませんでしたので、下におりていましたが、人少なであると、お召しがあったので、昨夜参上しましたが、やはり、我慢できないようなので」と苦しがる。返事も聞かないで、「ああ、お腹が、お腹が。また後で」
と言って通り過ぎて行ったので、ようやくのことでお出になる。やはりこうした忍び歩きは軽率で危ないものだと、ますますお懲りになられたことであろう。
小君を、お車の後ろに乗せて、二条院にお着きになった。出来事をおっしゃって、「愚かであった」と軽蔑なさって、あの女の気持ちを爪弾きしながらお恨みなさる。気の毒で、何とも申し上げられない。
「とてもひどく嫌っておいでのようなので、わが身が嫌になってしまった。どうして、逢って下さらないまでも、親しい返事ぐらいはして下さらないのだろうか。伊予介に及ばないわが身だ」
などと、気にくわないと思っておっしゃる。先程の小袿を、そうは言うものの、お召物の下に引き入れて、お寝みになった。小君をお側に寝かせて、いろいろと恨み言をいい、かつまた、優しくお話なさる。
「おまえは、かわいいけれど、つれない女の弟だと思うと、いつまでもかわいがってやれるともわからない」
と真面目におっしゃるので、とても辛いと思った。
しばらくの間、横になっていられたが、お眠りになれない。御硯を急に用意させて、わざわざのお手紙ではなく、畳紙に手習いのように思うままに書き連ねなさる。
「蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですが
やはり人柄が懐かしく思われます」
とお書きになったのを、懐に入れて持って行く。あの女もどう思っているだろうかと、気の毒に思うが、いろいろとお思い返しなさって、お言づけもない。あの薄衣は、小袿のとても懐かしい人香が染み込んでいるので、いつもお側近くに置いて見ていらっしゃった。
小君は、あちらに行ったところ、姉君が待ち構えていて、厳しくお叱りになる。
「とんでもないことであったのに。何とか人目はごまかしても、人の疑いはどうすることもできないので、ほんとうに困ったこと。まことにこのように幼く浅はかな考えを、また、どうお思いなさっていようか」
と言って、お叱りになる。どちらから言っても辛く思うが、あのお手紙を取り出した。そうは言ったものの、手に取って御覧になる。あの脱ぎ捨てた小袿を、どのように、「伊勢をの海人」のように汗臭くはなかったろうか、と思うのも気が気でなく、いろいろと思い乱れて。
西の君も、何とはなく恥ずかしい気持ちがしてお帰りになった。他に知っている人もない事なので、一人物思いに耽っていた。小君が行き来するにつけても、胸ばかりが締めつけられるが、お手紙もない。あまりのことだと気づくすべもなくて、陽気な性格ながら、何となく悲しい思いをしているようである。
薄情な女も、そのように落ち着いてはいるが、通り一遍とも思えないご様子を、結婚する前のわが身であったらと、昔に返れるものではないが、堪えることができないので、この懐紙の片端の方に、
「空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように
わたしもひそかに、涙で袖を濡らしております」