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源氏物語 (Genji-monogatari) | ||
1. 桐壷
- 父帝と母桐壷更衣の物語 どの帝の御代のことであったか
- 御子誕生(1歳) 前世でも御宿縁が深かったのであろうか
- 若宮の御袴着(3歳) この御子が三歳におなりの年に
- 母御息所の死去 その年の夏、御息所、弱々しい感じに病気になって
- 故御息所の葬送 しきたりがあるので、先例の葬法どおりにお営み申すのを
一 光る源氏前史の物語
- 父帝悲しみの日々 いつのまにか日数は過ぎて
- 靫負命婦の弔問 野分めいて、急に肌寒くなった夕暮どき
- 命婦帰参 命婦は、まだお寝みあそばされなかったのだわと
2 父帝悲秋の物語
- 若宮参内(4歳) 月日がたって、若宮が参内なさった
- 読書始め(7歳) 今は内裏にばかりお暮らしになっている
- 高麗人の観相、源姓賜わる そのころ、高麗人が来朝している中に
- 先代の四宮(藤壷)入内 年月がたつにつれて、御息所のことを
- 源氏、藤壷を思慕 源氏の君は、お側をお離れにならないので
- 源氏元服(12歳) この君の御童姿を、とても変えたくなくお思いであるが
- 源氏、左大臣家の娘(葵上)と結婚 その夜、大臣のお邸に源氏の君を退出させなさる
- 源氏、成人の後 元服なさってから後は
3 光る源氏の物語
どの帝の御代のことであったか、女御や更衣たちが大勢お仕えなさっていたなかに、たいして高貴な身分ではないで、きわだって御寵愛をあつめていらっしゃる方があった。
最初から、自分こそはと気位い高く持っていらっしゃった御方々は、不愉快な人だと、見くだし嫉みなさる。同じ身分、その方より身分の低い更衣たちは、いっそうおもしろくない。毎日の宮仕えにつけても、他人の気持ちばかりを不愉快にさせ、恨みを買うことの積もり積もったせいであろうか、とても病弱になってゆき、何となく心細げに里に下がることが多いのを、ますますこの上なく不憫な人だとおぼし召されて、人の非難をもおさしひかえあそばすことがおできになれず、後世の語り草にもなってしまいそうなおん慈しみようである。
上達部、殿上人なども、人ごとながら、目をそらしそらし、「とても眩しい程の御寵愛である。唐土でも、このような問題が原因で、世の中も乱れ、具合が悪かったのだ」と、しだいに世間でも、困ったことに、人々の苦情の種となって、楊貴妃の例まで引き合いに出されそうになってゆくので、たいそういたたまれないことが数多くあるが、もったいない御愛情を唯一の頼みとして、宮仕えなさる。
父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の人の教養ある人で、両親とも揃っていて、今現在の世間の評判が勢い盛んな方がたにもたいしてひけをとらず、どのようなことの作法にも対応なさっていたが、これといったしっかりとした後見人が特にいないので、改まったことの行われるときには、やはり頼りとする人がなく心細い様子である。
前世でも御宿縁が深かったのであろうか、この世にまたとなく美しい玉のような男の御子までがお生まれになった。早く早くとじれったくおぼし召されて、急いで参内させて御覧あそばすと、たぐい稀な嬰児のお顔だちである。
第一皇子は、右大臣の女御がお生みになった方なので、後見人がしっかりしていて、正真正銘の皇太子になられるお方だと、世間では大切にお扱い申し上げるが、この御子の輝く美しさにはお並びようもなかったので、一通りの大切なお気持ちであって、この若君の方を、自分の思いのままにおかわいがりあそばされることは際限がない。
最初から女房並みの帝のお側用をお勤めをなさるはずの身分ではなかった。人々の評判もとても高く、上流人の風格があったが、むやみにお側近くにお召しあそばされ過ぎた結果、しかるべき管弦の御遊の折々、どのような催事でも雅趣ある催しがあるたびには、まっさきに参上させなさる。ある時にはお寝過ごしなされて、そのまま伺候させておきなさるなど、むやみに御前から離さずに御待遇あそばされたうちに、自然と身分の低い女房のようにも見えたが、この御子がお生まれになって後は、たいそう格別にお考えおきあそばされるようになっていたので、東宮坊にも、ひょっとすると、この御子がおなりになるかもしれないと、第一皇子の女御はお疑いになっていた。誰よりも先に御入内されて、大切にお考えあそばされることは一通りでなく、皇女たちなどもいらっしゃるので、この御方の御諌めだけは、さすがにやはりうるさいことだが無視できないことだと、お思い申し上げあそばされるのであった。
もったいない御庇護をお頼り申してはいるものの、軽蔑したり落度を探したりなさる方々は多く、自身はか弱く何となく頼りない状態で、なまじ御寵愛を得たばっかりにしなくてもよい物思いをなさる。お局は桐壷である。おおぜいのお妃方の前をお素通りあそばされて、そのひっきりなしのお素通りあそばしに、お妃方がお気をもめ尽くしになるのも、なるほどごもっともであると見えた。参上なさるにつけても、あまり度重なる時どきには、打橋、渡殿のあちらこちらの道に、けしからぬことをたびたびして、送り迎えの女房の着物の裾、がまんできないような、とんでもないことがある。またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を鎖して閉じ籠め、そのこちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもならないように困らせなさるときも多かった。 何かにつけて数知れないほど辛いことばかりが増えていくので、たいそうひどく思い悩んでいるのを、ますますお気の毒におぼし召されて、後凉殿に以前から伺候していらっしゃる更衣の部屋を他に移させなさって、上局として御下賜あそばす。その方の恨みはなおいっそうに晴らしようがない。
この御子が三歳におなりの年に、御袴着の儀式を一宮がお召しになったのに劣らず、内蔵寮、納殿の御物をふんだんに使って、大変に盛大におさせあそばす。そのことにつけても、世人の非難ばかりが多かったが、この御子が成長なさって行かれるお顔だちやご性質が世間に類なく素晴らしいまでにお見えになるので、お憎みきれになれない。ものごとの情理がおわかりになる方は、このような方もこの末世にお生まれになるものであったよと、驚きあきれる思いで目を見張っていらっしゃる。
その年の夏、御息所、弱々しい感じに病気になって、退出しようとなさるのを、お暇を少しもお許しあそばさない。ここ数年来、いつもの病状におなりになっていらっしゃるので、お見慣れになって、「このまましばらく様子を見よ」とばかり仰せられるうちに、日々に重くおなりになって、わずか五、六日のうちにひどく衰弱したので、母君が涙ながらに奏上して、退出させ申し上げなさる。このような時にも、あってはならない失態を演じてはならないと配慮して、御子はお残し申して、人目につかないようにして退出なさる。
決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく無念におぼし召される。たいそう照り映えるように美しくかわいらしい人が、ひどく面痩せして、まことにしみじみと物思うことがありながらも、言葉には出して申し上げることもできずに、生死もわからないほどに息も絶えだえでいらっしゃるのを御覧になると、過去も未来もお考えあそばされず、すべてのことを泣きながらお約束あそばされるが、お返事を申し上げることもおできになれず、まなざしなどもとてもだるそうで、常よりいっそう弱々しくて、意識もないような状態で臥せっているので、どうしたらよいものかとお惑乱あそばされる。輦車の宣旨などを仰せ出されても、再びお入りあそばしては、どうしてもお許しになることがおできになれない。
「死出の旅路にも、一緒に行こうと、お約束あそばしたのに。いくらなんでも、おいてけぼりには、行かせまい」
と仰せになるのを、女もたいそう悲しいと、お顔を拝し上げて、
「人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しい気持ちでいますが、
行きたいと思うのは、生きる世界なのでございます。
ほんとうにこのように存じましたならば」
と、息も絶えだえに、申し上げたいそうなことはありそうな様子であるが、たいそう苦しげに気力もなさそうなので、このままの状態で、最期となってしまうようなこともお見届けしたいと、お考えあそばされるが、「今日始める予定の祈祷類を、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から」と言って、おせき立て申し上げるので、やむを得なくお思いあそばしながら退出させなさる。
お胸がひしと塞がって、少しもうとうとなされず、夜を明かしかねあそばす。勅使が行き来する間もないうちに、しきりに気がかりなお気持ちをお漏らしあそばしていらしたところ、「夜半少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」と言って泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰参した。お耳にあそばす御心の転倒、どのような御分別をも失われて、引き籠もっておいであそばす。
御子は、それでもとても御覧になっていたいが、このような折に伺候していらっしゃるのは、先例のないことなので、退出させなさろうとする。何事があったのだろうかもおわかりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、主上も涙が絶えずおこぼれあそばしているのを、変だと拝し上げなさることよ。普通の場合でさえ、このような別れの悲しくないことはない次第なのに、まして悲しく何とも言いようがない。
しきたりがあるので、先例の葬法どおりにお営み申すのを、母北の方は、同じように死んでしまいたいと、泣きこがれなさって、御葬送の女房の車にお慕い乗りになって、愛宕という所でたいそう厳かにその葬儀を執り行っているところに、お着きになったお気持ちは、どんなであったであろうか。「お亡骸を見ては見ては、なおも生きていらっしゃるものと思われるのが、たいして何にもならないので、灰におなりになるのを拝見して、今はもう死んだ人なのだと、きっぱりと思い諦めよう」と、分別あるようにおっしゃっていたが、車から落ちんばかりにお取り乱しなさるので、やはり思ったとおりだと、女房たちも手をお焼き申す。
内裏からお勅使が参る。従三位の位を追贈なさる旨、勅使が到着してその宣命を読み上げるのが悲しいことであった。せめて女御とさえ呼ばせずに終わったのが、心残りで無念に思し召されたので、せめてもう一段上の位階だけでもと、御追贈あそばすのであった。このことにつけても非難なさる方々が多かった。人の情理をおわかりになる方は、姿態や容貌などが素晴しかったこと、気立てがおだやかで欠点がなく、憎み難い人であったことなどを、今となってお思い出しになる。見苦しいまでの御寵愛ゆえに、冷たくお妬みなさったのだが、性格がしみじみと情愛こまやかでいらっしゃったご性質を、主上づきの女房たちも互いに恋い偲びあっていた。「なくてぞ人は」とは、このような時のことかと思われた。
いつのまにか日数は過ぎて、後の法要などの折にも情愛こまやかにお見舞いをお遣わしあそばす。時が過ぎて行くにしたがって、どうしようもなく悲しく思われなさるので、御方々の夜の御伺候などもすっかりなくお命じにならず、ただ涙に濡れて日をお送りあそばしていらっしゃるので、拝し上げる人までが露っぽくなる秋である。「亡くなった後まで、人の心を晴々させなかった御寵愛の方だこと」と、弘徽殿などにおかれては今もなお容赦なくおっしゃるのであった。一の宮を拝し上げあそばされるにつけても、若宮の恋しさだけがお思い出されお思い出されして、親しく仕える女房や御乳母などをたびたびお遣わしになっては、ご様子をお尋ねあそばされる。
野分めいて、急に肌寒くなった夕暮どき、いつもよりもお思い出しになることが多くて、靫負命婦という者をお遣わしになる。夕月夜の美しい時刻に出立させなさって、そのまま物思いに耽ってておいであそばす。このような折には、管弦の御遊などをお催しあそばされたが、とりわけ優れた琴の音を掻き鳴らし、ついちょっと申し上げる言葉も、人とは格別であった雰囲気や顔かたちが、面影となってひたとわが身に添うように思し召されるにつけても、「闇の現」にはやはり及ばないのであった。
命婦、あちらに参着して、門を潜り入るなり、しみじみと哀れ深い。未亡人暮らしであるが、娘一人を大切にお世話するために、あれこれと手入れをきちんとして、見苦しくないようにしてお暮らしになっていたが、亡き子を思う悲しみに暮れて臥せっていらっしゃったうちに、雑草も高くなり、野分のためにいっそう荒れたような感じがして、月の光だけが八重葎にも遮られずに差し込んでいた。南面に車を着けて、母君も、すぐにはご挨拶できない。
「今まで生きながらえておりましたのがとても情けないのに、このようなお勅使が草深い邸の露を分けてお訪ね下さるにつけても、とても恥ずかしくて」
と言って、ほんとうに身を持ちこらえられないくらいにお泣きになる。
「『お訪ねいたしたところ、ひとしおお気の毒で、心も魂も消え入るようで』と、典侍が奏上なさったが、物の情趣を理解いたさぬ者でも、なるほどまことに忍びがとうございます」
と言って、少し気持ちを落ち着かせてから、仰せ言をお伝え申し上げる。
「『しばらくの間は夢ではないかとばかり思い辿られずにはいられなかったが、だんだんと心が静まるにつれてかえって、覚めるはずもなく堪えがたいのは、どのようにしたらよいものかとも、相談できる相手さえいないのを、人目につかないようにして参内なさらぬか。若宮がたいそう気がかりで、湿っぽい所でお過ごしになっているのも、おいたわしくお思いあそばされますから、早く、参内なさい』などと、はきはきとは最後まで仰せられず、涙に咽ばされながら、また一方では人々もお気弱なと拝されるだろうと、お憚りあそばされないわけではない御様子がおいたわしくて、最後まで承らないようなかっこうで、退出いたしました」
と言って、お手紙を差し上げる。
「目も見えませんが、このような畏れ多いお言葉を光といたしまして」と言って、御覧になる。
「時がたてば少しは気持ちの紛れることもあろうかと、心待ちに過す月日がたつにつれて、たいそうがまんができなくなるのはどうにもならないことである。幼い人をどうしているかと案じながら、一緒にお育てしていない気がかりさを。今は、やはり故人の形見と思って、参内なされよ」
などと、心こまやかにお書きあそばされている。
「宮中の萩の花に結んだ露、その上を吹く秋風の音を聞くにつけ、
幼子の身が思いやられる」
とあるが、最後まで読みきることがおできになれない。
「長生きは、辛いことだと存じられますうえに、高砂の松がどう思うかさえも、恥ずかしう存じられますので、内裏にお出入りさせていただきますようなことは、さらにとても遠慮いたしたい気持ちでいっぱいで。畏れ多い仰せ言をたびたび承りながらも、わたし自身はとても思い立つことができません。若宮は、どうお知りになるのか、参内なさることばかりお急ぎになるようなので、ごもっともだと悲しく拝見しておりますなどと、ひそかに存じております由をご奏上なさってください。不吉な身でございますので、こうしておいでになるのも、忌まわしくもあり畏れ多いことで」
とおっしゃる。宮はもうお寝みになっていた。
「拝見して、詳しくご様子も奏上いたしたいのですが、お待ちあそばされていることでしょうし、夜も更けてしまいましょう」と言って急ぐ。
「子を思う親心の悲しみの堪えがたいその一部だけでも、晴らすほどに申し上げとうございますので、個人的にでもゆっくりとお出くださいませ。数年来、おめでたく晴れがましい時にお立ち寄りくださいましたのに。このようなお悔やみのお使いとしてお目にかかるとは、返すがえすも情ない運命でございますこと。生まれた時から、心中に期待するところのあった人で、故大納言が、臨終となるまで、『ただ、この人の宮仕えの宿願を、きっと実現させ申しなさい。わたしが亡くなったからといって、落胆して思い挫けてはならぬ』と、繰り返し戒めおかれましたので、これといった後見人のない宮仕えは、かえってしないほうがましだと存じながらも、ただあの遺言に背くまいとばかりに、出仕させましたところ、身に余るほどのお情けが、いろいろともったいないので、人にあるまじき恥を隠し隠ししては、宮仕えをしていられたようでしたが、人の嫉みが深く積もり、心痛むことが多く身に添わってまいりましたところ、横死のようなありさまで、とうとうこのようなことになってしまいましたので、かえって辛いことだと、その畏れ多いお情けを存じ上げております。このような愚痴も理屈では割りきれない親心で」
と、最後まで言えないで、涙に咽んでいらっしゃるうちに夜も更けた。
「主上もご同様で。『御自分のお心ながら、強引に周囲の人が目を見張るほど御寵愛なさったのも、長くは続くまい縁だったからなのだと、今となってはかえって辛い人との宿縁だった。決して少しも人の心を傷つけたようなことはあるまいと思うのに、ただこの人との縁が原因で、たくさんのあってはならない人の恨みをかったあげくには、このように先立たれて、心静めるすべもないところに、ますます体裁悪く愚か者になってしまったのも、前世がどんなであったのかと知りたく』と何度も仰せられては、いつもお涙がちばかりでいらっしゃいます」と話しても尽きない。泣く泣く、「夜がたいそう更けてしまったので、今夜のうちにご報告を奏上しよう」と急いで帰参する。
月は入り方の、空が清く澄みわたっているところに、風がとても涼しくなって、草むらの虫の声々が、哀れを催させ顔なのも、まことに立ち去りがたい庭の風情である。
「鈴虫が声をせいいっぱい鳴き震わせても
長い秋の夜をとめどもなく流れる涙でございますこと」
お車に乗りかねている。
「ただでさえ虫の音のように泣き暮らしておりました荒れ宿に
さらに涙をもたらします内裏からの使いの方よ
言い訳もつい申し上げてしまいそうで」
と言わせなさる。趣きのあるような御贈物などあらねばならない時でもないので、ただ亡き更衣のお形見にと、このような入用もあろうかとお残しになった御衣装一揃い、御髪上げの調度のような物をお添になる。
若い女房たちは、悲しいことは言うまでもない、内裏の生活に朝夕と馴れ親しんでいるので、たいそう物足りなく、主上のご様子などをお思い出し申し上げると、早く参内なさるようにとお勧め申し上げるが、このように忌まわしい身が付き随って参内申すようなのも、まことに世間の聞こえが悪いであろうし、また、しばしも拝さずにいることも気がかりにお思い申し上げなさって、すらすらとは参内させなさることがおできになれないのであった。
命婦は、まだお寝みあそばされなかったのだわと、しみじみと拝し上げる。御前にある壷前栽がたいそう美しい盛りに咲いているのを御覧あそばされているようにして、しめやかにおくゆかしい女房ばかり四、五人を伺候させなさって、お話をさせておいであそばすのであった。最近、毎日御覧なさる「長恨歌」の御絵、亭子院がお描きあそばされて、伊勢や貫之に和歌を詠ませなさった、わが国の和歌や唐土の漢詩などをも、ひたすらその方面の内容を、日常の話題になさっていらっしゃる。たいそう詳しく里の様子をお尋ねあそばす。しみじみとした趣きをひそかに奏上する。お返事を御覧になると、
「たいへんに畏れ多いお手紙を頂戴いたしましてどうしてよいかわかりません。このような仰せ言を拝見いたしましても、心の中はまっくら闇に思い乱れておりまして。
荒い風を防いでいた木が枯れてからは
小萩の身の上が気がかりでなりません」
などと言うようにやや不謹慎なのを、気持ちが静まらない時だからとお見逃しになるのであろう。決してこう取り乱した姿を見せまいと、お静めなさるが、まったく堪えることがおできあそばされず、初めて御覧あそばした年月のことまであれこれと思い出され、何から何までお思い続けられて、片時の間も離れてはいられなかったのに、よくこうも月日を過せたものだと、あきれてお思いあそばされる。
「故大納言の遺言に背かず、宮仕えの宿願をよく果たしたお礼には、その甲斐があったようにと思い続けていたが。詮ないことだ」とふと仰せになって、たいそう気の毒に思いを馳せられる。「そうではあるが、いずれ若宮がご成長されたならば、お礼できる機会がきっとあろう。長生きをして辛抱せよ」
などと仰せになる。あの贈物を帝のお目に入れる。亡くなった人の住処を訪ね当てたという証拠の釵であったならば、とお思いあそばすのも、たいして甲斐がない。
「亡き更衣を尋ねて行ける方術士がいてくれればよいのだがな、人づてにでも
魂のありかをどこそこと知ることができるのに」
絵に画いた楊貴妃の容貌は、上手な絵師と言っても、筆には限界があったので、たいして生気が少ない。「太液の芙蓉、未央の柳」の句にも、なるほど似ていた容貌だが、唐風の装いをした姿は端麗であったろうが、親わしさがあって愛らしかったのをお思い出しになると、花や鳥の色や音にも喩えようがない。朝夕の口癖に「比翼の鳥となり、連理の枝となろう」とお約束あそばしていたのに、思うようにならなかった人の運命が、永遠に尽きることなく恨めしかった。
風の音や虫の音を聞くにつけて、何とはなく一途に悲しく思われなさるが、弘徽殿におかれては、久しく上の御局にもお上がりにならず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさっているそうだ。実に興ざめで、不愉快だ、とお聞きあそばす。最近のご様子を拝する殿上人や女房などは、はらはらする思いで聞いていた。たいへんに気が強くてとげとげしい性質をお持ちの方なので、何ともお思いなさらず無視して振る舞っていらっしゃるのであろう。月も山の端に隠れてしまった。
「雲の上の宮中までも涙に曇って見える秋の月だ
ましてやどうして澄んで見えようか、草深い里で」
お思いやりになりながら、燈火を燈し続けて起きておいであそばす。右近衛府の官人の宿直申しの声が聞こえるのは、丑の刻になったのであろう。人目をお考えになって、夜の御殿にお入りあそばしても、まどろむこともおできあそばされない。朝になってお起きあそばそうとしても、「夜の明けるのもわからないで」とお思い出しになられるにつけても、やはり政治をお執りになることを怠りがちになってしまいそうである。
お食物などもお召し上がりにならず、朝餉には形だけお箸をおつけになって、大床子の御膳などは、まったくお心に入らぬかのように手をおつけあそばさないので、お給仕の人たちは皆、おいたわしいご様子を拝見して嘆く。総じて、お側近くお仕えする人は、男女とも、「たいそう困ったことですね」とお互いに言い合っては溜息をつく。「そうなるはずの前世からの宿縁がおありあそばしたのでしょう。大勢の人々の非難や嫉妬をもお憚りあそばさず、この方の事に関しては、御分別をお失いあそばされ、今は今で、このように政治をお執りになることもお捨てになったようになって行くのは。たいへんに困ったことです」と、唐土の朝廷の例まで引合に出して、ひそひそと嘆息するのであった。
月日がたって、若宮が参内なさった。ますますこの世の人とは思われず美しくご成長なさっているので、たいへん不吉なまでにお感じになった。
翌年の春に、東宮坊がお決まりになる折にも、とても第一皇子を超えさせたく思し召されたが、ご後見すべき人もなく、また世間が承知するはずもないことだったので、かえって危険であるとお差し控えになって、顔色にもお出しあそばされずに終わったので、「あれほどおかわいがっていらっしゃったが、限界があったのだなあ」と、世間の人もお噂申し上げ、女御もお心を落ち着けなさった。
あの祖母北の方は、悲しみを晴らすことなく沈んでいらっしゃって、せめて死んだ娘のいらっしゃる所にでも尋ねて行きたいと願っていらっしゃった現れか、とうとうお亡くなりになってしまったので、またこのことを悲しく思し召されること、この上もない。御子は六歳におなりのお年なので、今度はおわかりになって、慕ってお泣きになる。長年、お親しみ申し上げなさってきた方を、後に残して先立つ悲しみを、繰り返し繰り返しおっしゃったのであった。
今は内裏にばかりお暮らしになっている。七歳におなりなので、読書始めなどをおさせになったところ、この世に類を知らないくらい聡明で賢くいらっしゃるので、空恐ろしいまでにお思いあそばされる。
「今はどなたもどなたもお憎みなさることはあるまい。母君がいないということだけでもおかわいがりください」と仰せになって、弘徽殿などにもお渡りあそばすお供としては、そのまま御簾の内にお入れ申し上げなさる。恐ろしい武士や仇敵であったとしても、見てはつい微笑まずにはいられない様子でいらっしゃるので、放っておくこともおできになれない。女御子たちがお二方、この御方にはいらっしゃったが、お並びになりようもないのであった。他の御方々もお隠れにならずに、今から優美で立派でいらっしゃるので、たいそう趣きがある一方で気を許すこともできない遊び相手だと、どなたもどなたもお思い申し上げていらっしゃった。
本格的な御学問はもとよりのこと、琴や笛の才能でも宮中の人々を驚かせ、すべて一つ一つ数え上げていったら、仰々しく嫌になってしまうくらい、優れた才能のお方なのであった。
そのころ、高麗人が来朝している中に、優れた人相見がいたのをお聞きあそばして、内裏の内に召し入れることは宇多帝の御遺誡があるので、たいそう人目を忍んで、この御子を鴻臚館にお遣わしになった。後見人としてお仕えする右大弁の子供のように思わせてお連れ申し上げると、人相見は目を見張って、何度も首を傾け不思議がる。
「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」と言う。
弁も、たいそう優れた学識人なので、話し合った内容は、たいへんに興味深いものであった。漢詩文などを作り交わして、今日明日のうちにも帰国する時に、このようにめったにない人に対面した喜びを、かえって悲しい思いがするにちがいないという気持ちを趣き深く作ったのに対して、御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになったので、この上なくお褒め申して、素晴らしいいくつもの贈物を差し上げる。朝廷からもたくさんの贈物を下賜なさる。
自然と噂が広がって、お洩らしあそばさないが、春宮の祖父大臣などは、どのようなわけでかと、お疑いになっているのであった。
帝は、畏れ多いことに、倭相をお命じになって、既にお考えになっていたところなので、今まで、この君を親王にもおさせにならなかったのを、相人はほんとうに優れていた、とお思いになって、無品の親王で外戚の後見のない状態で彷徨わすまい。わが御代もいつまでも続くかわからないものだから、臣下として朝廷のご後見をするのが、将来も頼もしそうに思われること、とお決めになって、ますます諸道の学問を習わせなさる。
才能は格別聡明なので、臣下とするにはたいそう惜しいけれど、親王とおなりになったら、世間の人から立坊の疑いを持たれるにちがいなさそうにいらっしゃるので、宿曜道の優れた人に占わせなさっても、同様に申すので、源氏にして上げるのがよいとお決めになっていた。
年月がたつにつれて、御息所のことをお忘れになる折がない。心慰めることができようかと、しかるべき婦人方をお召しになるが、せめて準ずる程に思われなさる人さえめったにいない世の中だ、と厭わしいばかりに、万事が思し召されていたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が優れておいでであるという評判が高くいらっしゃる方で、母后がまたとなく大切にお世話申されているのを、主上にお仕えする典侍は、先帝の御代からの人で、あちらの宮にも親しく参って馴染んでいたので、ご幼少でいらっしゃった時から拝見し、今でもちらっと拝見して、「お亡くなりになった御息所のご容貌に似ていらっしゃる方を、三代にわたって宮仕えいたしてまいりまして、一人も拝見できませんでしたが、后の宮の姫宮こそは、たいそうよく似てご成長あそばしていますわ。めったにないご器量のお方で」と奏上したところ、ほんとうにか、とお心が止まって、丁重に礼を尽くして、お申し込みあそばしたのであった。
母后は、「ああ、怖いこと。春宮の女御がたいそう意地が悪くて、桐壷の更衣が、露骨に亡きものにされてしまった例も不吉で」と、おためらいなさって、すらすらとご決心もつかなかったうちに、后もお亡くなりになってしまった。
心細い有様でいらっしゃるので、「ただ、わが皇女たちと同列にお思い申そう」と、たいそう丁重に礼を尽くして、お申し上げあそばす。お仕えする女房たち、御後見人たちや、ご兄弟の兵部卿の親王などは、こうして心細くおいでになるよりは、内裏でお暮らしあそばして、きっとお心が慰むように、などとお考えになって、参内させ申し上げなさった。
藤壷と申し上げる。なるほど、ご容貌や姿は不思議なまでによく似ていらっしゃった。この方は、ご身分も一段と高いので、そう思って見るせいで素晴らしくて、お妃方もお貶み申すこともおできになれないので、誰に憚ることなく何も不足ない。あの方は、周囲の人がお許し申さなかったところに、御寵愛が憎らしいと思われるほど深かったのである。ご愛情が紛れるというのではないが、自然とお心が移って行かれて、格段にお慰みになるようなのも、人情の性というものであったなあ。
源氏の君は、お側をお離れにならないので、誰より頻繁にお渡りあそばす御方は、恥かしがってばかりいらっしゃれない。どの御方々も自分が人より劣っていると思っていらっしゃる人があろうか、それぞれにとても素晴らしいが、お年を召しておいでになるのに対して、とても若くかわいらしい様子で、頻りにお姿をお隠しなさるが、自然と漏れ拝見する。
母御息所は、顔かたちすらご記憶でないのを、「大変によく似ていらっしゃる」と、典侍が申し上げたのを、幼心にとても慕わしいとお思い申し上げなさって、いつもお側に参りたく、親しく拝見したいと思われなさる。
主上もこの上なくおかわいがりのお二方なので、「お疎みなさいますな。不思議と母君と申してもよいような気持ちがする。失礼だとお思いなさらず、いとおしみなさい。顔だちや目もとなど、大変によく似ているため、母君のようにお見えになるのも、似つかわしくなくはない」などと、お頼み申し上げなさっているので、幼心にも、ちょっとした花や紅葉にことつけても、お気持ちを表し申す。この上なく好意をお寄せ申していらっしゃるので、弘徽殿の女御は、またこの宮ともお仲がよろしくないので、それに加えて、もとからの憎しみももり返して、不愉快だとお思いになっていた。
世の中にまたとないお方だと拝見なさり、評判高くおいでになる宮のご容貌につけても、やはり照り映える美しさは比較できないほど美しそうなので、世の中の人は、「光る君」とお呼び申し上げる。藤壷もお並びになって、御寵愛がそれぞれに厚いので、「輝く日の宮」とお呼び申し上げる。
この君の御童姿を、とても変えたくなくお思いであるが、十二歳の年に御元服をなさる。御自身お世話を焼かれて、作法どおりの上にさらにできるだけの事をお添えあそばす。
一昨年の東宮の御元服が、南殿で執り行われた儀式が、いかめしく立派であった世の評判にひけをおとらせにならず、各所での饗宴などにも、内蔵寮や穀倉院など、規定どおり奉仕するのでは、行き届かないことがあってはいけないと、特別に勅命があって、善美を尽くしてお勤め申した。
お常御殿の東廂の間に、東向きに椅子を立てて、元服なさる君のお席と加冠役の大臣のお席とが、御前に設けられている。申の時になって、源氏が参上する。角髪に結っていらっしゃる顔の色つやは、髪形をお変えになるのは惜しい感じである。大蔵卿が理髪役を奉仕する。たいへん美しい御髪を削ぐ時、いたいたしそうなのを、主上は、亡き母の御息所が見たならばと、お思い出しになると、涙が抑えがたいのを、思い返してじっとお堪えあそばす。
加冠なさって、御休息所にお下がりになって、ご装束をお召し替えなさって、東庭に下りて、拝舞なさる様子に、一同、涙を落としなさる。帝は帝で、誰にもまして堪えきれなされず、お忘れになっていた折のあった当時のことを、今思い起こして悲しく思われなさる。たいそう、このように幼い年ごろでは、元服劣りをするのではないかと御心配なさっていたが、素晴らしくかわいらしさも加わっていらっしゃった。
加冠役の大臣が皇女でいらっしゃる方との間に儲けた一人娘で、大切に育てていらっしゃる姫君を、東宮からも御所望があったが、ご躊躇なさることがあったのは、この君に差し上げようとのお考えからなのであった。帝にも御内意を伺ったところ、「それでは、元服の後の後見する人がいないようなので、その添い臥しにでも」とお促しあそばされたので、そのようにお考えになっていた。
御休息所に退出なさって、参会者たちが御酒などを召し上がる時、親王方のお席の末に源氏はお座りになった。大臣がそれとなく仄めかし申し上げなさることがあるが、気恥ずかしい年ごろなので、どちらともはっきりお答え申し上げなさらない。
御前から掌侍が宣旨を承って、大臣に参られるようにとのお召しがあるので、参上なさる。御禄の品物を、主上づきの命婦が取って賜わる。白い大袿に御衣装一領、例のとおりである。
ご酒宴の折に、
「幼子の元服の折、末永い仲を
そなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか」
お心づかいを示されて、はっとさせなさる。
「元服の折、約束した心も深いものとなりましょう
その濃い紫の色さえ変わらなければ」
と奏上して、長橋から下りて拝舞なさる。
左馬寮の御馬、蔵人所の鷹を留まり木に据えて頂戴なさる。御階のもとに親王方や上達部が立ち並んで、禄をそれぞれの身分に応じて頂戴なさる。
その日の御前の折櫃物や籠物などは、右大弁が仰せを承って調えさせたのであった。屯食や禄の唐櫃類など、置き場もないまで、東宮の御元服の時よりも数多く勝っていた。かえっていろいろな制限がなくて盛大であった。
その夜、大臣のお邸に源氏の君を退出させなさる。婿取りの作法は世に例がないほど立派におもてなし申し上げなさった。とても若くおいでなのを、不吉なまでにかわいいとお思い申し上げなさった。女君は少し年長でおいでなのに対して、たいそうお若くいらっしゃるので、似つかわしくなく恥ずかしいとお思いでいらっしゃった。
この大臣のご信任は厚い上に、母宮が帝と同じ母后のお生まれでいらっしゃったので、どちらから言っても立派な上に、この君までがこのように婿君としてお加わりになったので、東宮の御祖父で、やがて天下を支配なさるはずの右大臣のご威勢は、敵ともなく圧倒されてしまった。
ご子息たちがおおぜいそれぞれの夫人方にいらっしゃる。宮がお生みの方は、蔵人の少将といってたいそう若く美しい方なので、右大臣が、お間柄はあまりよくないが、他人として放っておくこともおできになれず、大切になさっている四の君に婿取りなさっていた。劣らず大切にお世話なさっているのは、理想的な婿舅の間柄である。
源氏の君は、主上がいつもお召しになって放さないので、気楽に私邸で過すこともおできになれない。心中では、ひたすら藤壷のご様子を、またといないとお慕い申し上げて、そのような女性こそ妻にしたいものだ、似た方もいらっしゃらないな、大殿の姫君は、たいそう美しく大切にされている方だと思われるけれど、心に染まぬというように感じられて、幼心一つに取りつかれて、とても苦しいまでに思っていらっしゃるのであった。
元服なさってから後は、かつてのように御簾の内にもお入れにならない。管弦の御遊の時々、琴と笛の音に心通わし合い、かすかに漏れるお声を慰めとして、内裏の生活ばかり好ましく思っていらっしゃる。五、六日は内裏に伺候なさって、大殿邸には二、三日程度、途切れがちに退出なさるが、まだ今はお若い年頃であるので、ことさら咎めだてすることなくお許しになって、大切にお世話申し上げなさる。
お二方の女房たちは、世間から並々でない人をえりすぐってお仕えさせなさる。お気に入りそうなお遊びをし、せいいっぱいにお世話していらっしゃる。
内裏では、もとの淑景舎をお部屋にあてて、母御息所にお仕えしていた女房を退出して散り散りにさせずにそのままお仕えさせなさる。
実家のお邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとなく立派にご改造させなさる。もとからの木立や築山の様子、趣きのある所であったが、池をことさら広く造って、大騷ぎして立派に造営する。
このような所に、理想とするような女性を迎えて一緒に暮らしたい、とばかり嘆かわしくお思い続けていらっしゃる。
「光る君」という名前は、高麗人がお褒めしてお付けしたものだ、と言い伝えているとのことである。
2. 帚木
光る源氏17歳夏の中将時代の物語
- 長雨の時節 光る源氏と、名前だけはご大層だが
- 宮中の宿直所、光る源氏と頭中将 長雨の晴れ間ないころ
- 左馬頭、藤式部丞ら女性談義にに加わる 「成り上がっても、元々の相応しいはずの家柄でないのは
- 女性論、左馬頭の結論 「今は、ただもう、家柄にもよりません
1 雨夜の品定めの物語
- 女性体験談(左馬頭、嫉妬深い女の物語) 「若いころ、まだ下級役人でございました時
- 左馬頭の体験談(浮気な女の物語) 「ところで、一方同じころ
- 頭中将の体験談(撫子の女の物語) 中将は、「わたしは、馬鹿な体験談をお話しましょう
- 式部丞の体験談(賢い女の物語) 「式部のところには、変わった話があろう
2 女性体験談
- 天気晴れる やっと今日は天気も好くなった
- 紀伊守邸への方違へ 「あまりに急なことで」と迷惑がるが、誰も聞き入れない
- 空蝉の寝所に忍び込む 君は、気を落ち着けてお寝みになれず
- それから数日後 そうして、五六日が過ぎて
3 空蝉の物語
光る源氏と、名前だけはご大層だが、非難されなさる取り沙汰が多いというのに、ますます、このような好色沙汰を、後世にも聞き伝えて、軽薄な名を流すことになろうかと、隠していらっしゃった秘密事までを、語り伝えたという人のおしゃべりの意地の悪いことよ。とは言うものの、大変にひどく世間を気にし、まじめになさっていたので、艶っぽくおもしろい話はなくて、交野少将には、笑われなさったことであろうよ。
まだ中将などでいらっしゃった時は、内裏にばかりよく伺候していらっしゃって、大殿邸には途切れがちに退出なさる。「忍ぶの乱れ」かと、お疑い申すこともあったが、そんなふうに浮気っぽいありふれた思いつきの浮気などは、好きでないご性格で、時には、やむにやまれない予想を狂わせ気苦労の多い恋を、お心に思いつめなさる性癖が、はなはだ困ったことで、よろしくないご素行もないではなかった。
長雨の晴れ間ないころ、宮中の御物忌みが続いて、ますます長々と伺候なさるのを、大殿邸では気がかりで恨めしいとお思いになっていたが、すべてのご装束を何やかやと新しい様相に新調なさっては、ご子息の公達がひたすらこのご宿直所の宮仕えをお勤めになる。
宮がお生みになった中将は、中でも親しくお馴染み申されて、遊び事や戯れ事をも誰よりも気安く親密に振る舞っていた。右大臣が気を配ってお世話なさる住居には、この君もとても何となく気が進まずにいて、浮気っぽい好色人なのである。
実家でも、自分の部屋の装飾を眩しくして、君が出入りなさるのにいつもお供申し上げなさっては、昼も夜も、学問をも音楽をもご一緒にして、少しもひけをとらず、どこにでも親しくご一緒申し上げなさるうちに、自然と遠慮もなくなり、胸の中に思うことをも隠しきれず、お親しみ申されるのであった。
所在なく降り暮らして、しっとりした宵の雨に、殿上の間にもろくに人少なで、ご宿直所もいつもよりはのんびりとした気がするので、大殿油を近くに寄せて漢籍など御覧になる。近くの御厨子にあるさまざまな色彩の紙に書かれた手紙類を取り出して、中将がひどく見たがるので、
「差支えのないのを、少しは見せよう。不体裁なものがあってはいけないから」
と、お許しにならないので、
「その気を許して人に見られたら困るとお思いのこそ興味があります。普通のありふれたのは、つまらないわたしでも身分相応に、やりとりしては見ることもできましょう。それぞれが、恨めしい折々、心待ち顔でいるような夕暮などのが、見所がありましょう」
と怨み言をいうので、貴重な絶対にお隠しになられるはずのものなどは、このようになおざりな御厨子などにちょっと置いて散らかされるはずはなく、奥深く別にしまって置かれるはずのようだから、二流の気安いものであろう。少しずつ見て行くと、「よくもまあ、いろいろな手紙類がございますなあ」と言って、当て推量に「これはあの人か、あれはこの人か」などと、尋ねる中に言い当てるものもあり、外れているのをかってに推量して疑るのも、おかしいとお思いになるが、言葉少なに答えて何かと言い紛らわしては、お隠しになった。
「そなたこそ、たくさんお有りだろう。少し見たいね。そうしたら、この厨子も心よく開けよう」とおっしゃると、
「御覧になる値打のものは、ほとんどないしょう」などと申し上げなさるついでに、「女性で、これならばと難点を指摘できそうにない人は、めったにいないものだなあと、だんだん分かってまいりました。ただ表面だけの風情で、手紙をさらさらと書き、時節に相応しい返答を心得て、ちょっとするぐらいのは、分相応にまあまあ多くいると拝見しますが、それも本当にその方面のことを取り出して試みると、必ず外れない者は、本当にめったにないものですね。自分の得意なことばかりを、それぞれ得意になって、人を貶したりなどして、見ていられないことが多いです。
親などが側で大切に育て、将来性がある箱入娘時代は、ちょっとの才能の一端を聞き伝えて、関心を寄せることもあるようです。容貌が魅力的でおっとりしていて、若々しくて家事に紛れることのないうちは、ちょっとした芸事をも、人まねに一生懸命に稽古することもあるので、自然と一芸をもっともらしくできることもあります。
世話をする人は、劣った方面は隠して言わず、まあまあと言った方面をとりつくろって、本当らしく言うので、『それは、そうではあるまい』と、見ないでどうして推量し貶めることができましょう。本物かと付き合って行くうちに、がっかりしないというのは、ないでしょう」
と言って、嘆息している様子も気遅れするようなので、全部が全部というのではないが、ご自身でもなるほどとお思いになることがあるのであろうか、ちょっと笑みを浮かべて、
「その、生かじりの才能もない人は、いようか」とおっしゃると、
「さあ、それほどのような所には、誰が騙されて寄りつきましょうか。何の取柄がなくつまらない身分と、素晴らしいと思われるほどに優れたのとは、同じくらいございましょう。家柄が高く生まれれば、家人に大切に育てられて、人目に付かないことも多く、自然とその様子が格別でしょう。中の品にこそ、女の気質気質、めいめいの考え方や趣向も見えて、区別されることがそれぞれに多いでしょう。下の品という階層になると、格別関心もありませんね」
と言って、何でも知っている様子であるのも、興味が惹かれて、
「その身分身分とは、どのように。どれらを三つの階級に分け置くことができるのか。元の階層が高い生まれでありながら、今の身の上は落ちぶれ、位が低くて人並みでない人。また一方で普通の人で上達部などまで出世して、得意顔して邸の内を飾り、人に負けまいと思っている。その区別は、どのように付けたらよいのだろうか」
とお尋ねになっているところに、左馬頭や藤式部丞が御物忌に籠もろうとして参上した。当代の好色者で弁が達者なので、中将は待ち受けて、これらの品々の区別を議論を戦わす。まことに聞きにくい話が多かった。
「成り上がっても、元々の相応しいはずの家柄でないのは、世人の心証も、そうは言っても、やはり格別です。また、元は高貴な家筋であるが、世間を渡る手づるが少なく、時勢が変わって、声望も地に落ちてしまうと、気位だけは高くても思うようにならず、不体裁なことなどが生じてくるもののようですから、それぞれに分別して、中の品に置くのが適当でしょう。受領と言って、地方の政治に掛かり切りにあくせくして、階層の定まった中にも、また段階段階があって、中の品でかなりの者が、選び出すことができる時勢です。なまじっかの上達部よりも非参議の四位連中で、世間の信望もまんざらでなく、元々の生まれも卑しくない人が、あくせくせずに暮らしているのは、いかにもさっぱりした感じです。家の中で足りないものなどは、けっしてないのにまかせて、けちらずに眩しいほど大切に世話している娘などが、非難のしようがないほどに成長しているのもたくさんいるでしょう。宮仕えに出て来て、思いもかけない幸いを得た例などもたくさんあるものです」などと言うと、
「およそ、金持ちによるということだね」と言って、お笑いになるのを、
「他の人が言うように、意外なことをおっしゃる」と言って、中将は憎らしがる。
「元々の階層と、時勢の信望が兼ね揃い、高貴な家で内々の振る舞いや様子が劣っているのは、言うまでもないが、どうしてこう育てたのだろうと、残念に思われましょう。兼ね揃って優れているのも当たり前に、この女性こそは当然のことと思われて、珍しいことだと気持ちも動かないでしょう。わたくしごとき者の手の及ぶ範囲ではないので、上の上は措いておきましょう。
ところで、世の中で人に知られず寂しく荒れたような草深い家に、思いも寄らないいじらしいような女性がひっそり閉じ籠もっているのは、この上なく珍しく思われましょう。どうしてまあ、こんな人がいたのだろうと、想像していたことと違って、不思議に気持ちが引き付けられるものです。父親が年を取り、見苦しく太り過ぎ、兄弟の顔が憎々しげで、想像するにたいしたこともない家の奥に、とてもたいそう誇り高く、ちょっとした芸事でも、雅趣ありげに見えるようなのは、生かじりの才能であっても、どうして意外なことでおもしろくないことがありましょうか。特別に欠点のない方面の女性選びは実現難しいでしょうが、そうでないのので捨てたものでは」
と言って、式部を見やると、自分の妹たちがまあまあの評判であることを思っておっしゃるのか、と受け取ったのであろうか、何とも言わない。
「さてどんなものか、上の品と思う中でさえ難しい世の中なのに」と、君はお思いのようである。白いお召物で柔らかな物の上に、直衣だけを気楽な感じにお召しになって、紐なども結ばずに、寄り掛かっていらっしゃる燈影は、とても素晴らしく、女性として拝したい。この君のためには、上の上の女性を選び出しても、猶も満足でなさそうにお見えである。
さまざまな女性について議論し合っていって、
「通り一遍の仲として付き合っているには欠点がなくても、わが伴侶として信頼できる女性を選ぼうとするには、たくさんいる中でも、なかなか決め難いものですなあ。男性が朝廷にお仕えし、しっかりした世の重鎮と言えるような者でも、真の優れた政治家と言えるような人物を数え上げるとなると、難しいことでしょうよ。しかし、賢者と言っても、一人二人で世の中の政治を執り行えるものではないから、上の人は下の者に助けられ、下の者は上の人に従って、政治の事は広いものですから互いに譲り合って行くのでしょう。
狭い家の中の主婦とすべき女性一人を思案すると、できないでは済まされないいくつもの大事が、こまごまと多くあります。ああ思えばこうであったり、何かと食い違って、人並にもまあまあやって行けるような女性が少ないことによって、浮気心の勢いのままに、世の女性の有様をたくさん見比べようとの好奇心ではないが、ひたすら伴侶としたいばかりに、同じことなら、自分で力入れして直したり教えたりするような所がなく、気に入るような女性はいないものかと、選り好みしはじめた人は、決まらないものでしょう。
必ずしも自分の理想通りでないが、いったん見初めた約束だけを破りがたく思い止まっている人は、誠実であると見え、そうして、一緒にいる女性のためにも、心にくいものがあるのだろうと自然と推量されるものです。しかし、どうしてか、世の中の夫婦の有様をたくさん拝見して行くと、思いも及ばないたいして羨ましいと思われることもありませんね。公達の最上流の奥方選びには、なおさら、どれほどの方がご満足でしょうか。
容貌がこぎれいで、若々しいうちの、自分自身では塵もつけまいと身を振る舞い、手紙を書いても、おっとりと言葉選びをし、墨付きも淡く関心を持たせ持たせし、もう一度はっきりと見たいものだとじれったく待たせ、かすかな声を聞く程度に言い寄っても、息を殺して声小さく言葉少ななのが、とてもよく隠すものですなあ。艶っぽくて女らしいと見えると、度を越して情趣にこだわって、調子を合わせると浮づきます。これを、第一の難点と言うべきでしょう。
仕事の中で、疎かにできない夫の世話は、物の情趣を知り過ぎ、ちょっとした折の風情があり、趣味性に過度になるのはなくてもよいことだろうと思われますが、また一方で、仕事一点張りで、額髪を耳挟みがちに飾り気のない主婦で、ひたすら世帯じみた世話だけをして。朝夕の出勤や帰宅につけ、公事や私事での他人の振る舞いや、善いこと悪いことの、目にも耳ににも止まった有様を、無関心の人にわざわざ話して聞かせましょうか。親しい妻で理解してくれるような妻に語り合いたいものだと思い、つい微笑まれたり、涙ぐんだり、あるいはまた、無性に公憤をおぼえたり、胸の内に収めておけないことが多くあるのを、何で聞かせられようか、と思うと、ついそっぽを向きたくなって、人知れない思い出し笑いがこみ上げ、『ああ』とも、つい独り言を洩らすと、『何事ですか』などと、間抜けた顔で見上げるようなのは、どうして残念に思われないでしょうか。
ひたすら子供っぽくて柔軟な女を、いろいろと教え諭してはどうして妻としないでいられようか。心配なようでも、きっと直し甲斐のある気持ちがするでしょう。なるほど、一緒に生活するぶんには、そんなふうでもかわいらしさに欠点も許され世話をしてやれようが、離れていては必要な用事などを言いやり、時節に行なうような事柄の風流事にも実用事などにも、自分では判断ができず深い思慮がないのは、まことに残念で頼りにならない欠点が、やはり困ったものでしょう。普段はちょっと無愛想で親しみの持てない女性が、何かの事に思わぬでき映えを発揮するようなこともありますからね」
などと、到らない所のない論客も、結論を出しかねて大きく溜息をつく。
「今は、ただもう、家柄にもよりません。容貌はさらに問題ではありません。ひどく意に満たないひねくれた性格でさえなければ、ただひたすら実直で、落ち着いた心の様子がありそうな女性を、生涯の伴侶と考え置くのがよいです。それ以上の家柄のよさ気立てのよさが加わっていたなら、幸いと思い、少し足りないところがあっても、無理に期待し要求するまい。安心できて、のんびりとした性格さえはっきりしていれば、表面的な情趣は、自然と身に付けることができるものですからね。
思わせぶりにはにかんで見せて、怨み言をいうべきことをも見知らないふうに我慢して、表面は何げなく平静を装いながら、胸に収めかね思いあまった時には、何とも言いようのないほどの恐ろしい言葉や、哀切な和歌を詠み残し、思い出になるはずの形見を残して、深い山里や、辺鄙な海浜などに姿を隠してしまうのがいます。
子供でしたころ、女房などが物語を読んでいたのを聞いて、とても気の毒に悲しく、何と深く思いつめたことかと、涙までを落としました。今から思うと、とても軽薄で、わざとらしいことです。愛情の深い夫を残して、目の前に薄情なことがあろうとも、夫の気持ちを分からないかのように姿をくらまして、夫を慌てさせ、本心を見ようとするうちに、一生の後悔となるのは、大変つまらないことです。『深い考えだ』などと、褒め立てられて、気持ちが昂じてしまうと、そのまま尼になってしまいます。思い立った当座は、まことに気持ちも悟ったようで、世俗の生活を振り返ってみようなど思わない。『まあ、何とおいたわしい。こうもご決心されたとは』などと言ったように、知り合いの人が見舞いに来たり、すっかり嫌だとも諦めてない夫が聞きつけて涙を落とすと、召使いや、老女たちなどが、『殿のお気持ちは、愛情深かったのに。あたらお身を』などと言う。自分でも額髪を触って、手応えなく心細いので、泣顔になってしまう。堪えても涙がこぼれ出してしまうと、何かの時々には我慢もできず、後悔も多いようなので、仏もかえって未練がましいと、御覧になるでしょう。濁りに染まっている時よりも、生悟りでは、かえって悪道にさ迷うことになるに違いなく思われます。切っても切れない前世からの宿縁も浅くなく、尼にもさせず尋ね出したような仲も、そのまま連れ添うことになって、あのような時にもこのような時にも、見知らないふうをしているような夫婦仲こそ、宿縁も深く愛情も厚いと言えましょうに、自分も相手も、気掛かりだと気をつかわないでしょうか。
また、いいかげんに愛情も冷めてきた夫を恨んで、態度に表わして離縁するようなのは、これまたばかげたことです。愛情が他の女に移ることがあっても、結婚した当初の愛情をいとしく思うならば、生涯の伴侶と思っていることもきっとあるでしょうに、そのようなごたごたから、夫婦の仲まで切れてしまうのです。
総じて、どのようなことでも心穏やかに、嫉妬することは知っている様子にほのめかし、恨み言をいう場合にもかわいらしくそれとなく言えば、それによって、愛情も一段と増すことでしょう。一般に、自分の浮気心も妻の態度から収まりもするのです。あまりやたらに勝手にさせ放任しておくのも、気が楽でかわいらしいようだが、いつのまにか軽く見られるものです。繋がない舟の譬えもあり、まったく思慮がない。そうではございませんか」
と言うと、中将は頷く。
「今さし当たって、美しいとか気立てがよいと思って気に入っているような人が、不安な疑いがあるのは重大でしょう。自分の方には過失がなくて大目に見てやっていたら、気持ちを変えて添い遂げないこともないだろうと思われるが、そうとばかりも言えまい。ともかくも、夫婦仲がうまくいかないような場合は、気長にじっと堪えているより以外に、良い手段はないようですなあ」
と言って、自分の妹の姫君は、この結論に当てはまっていらっしゃると思うと、君が居眠りをして意見をさし挟みなさらないのを、物足りなくおもしろくないと思う。 七左馬頭がこの評定の博士になって、さらに弁じ立てていた。中将は、この弁論を最後まで聴こうと、熱心に相手にしていらっしゃった。
「いろいろのことに引き比べてお考えくだされ。木工の道の匠がいろいろの物を思いのままに作り出すのも、その場限りの趣向の物で、そうした型ときまりのないものは、見た目には洒落ているようだが、なるほどこういうふうにも作るのだと、時々に従って趣向を変えて、目新しいのに目が移って趣のあるものもあります。重大な物として、本当にれっきとした人の調度類で装飾とするのは、様式というようなのがあるものを立派に作り上げることは、やはり本当の名人は、違ったものだと見分けられるものでございます。
また、絵所に名人が多くいますが、墨描きに選ばれて、順々にまったく、優劣の判断はちょっと見ただけではつきません。けれども、人の見ることもできない蓬莱山や、荒海の恐ろしい魚の形や、唐国の猛々しい獣の形や、目に見えない鬼の顔などで、仰々しく描いた物は、想像のままに格別に目を驚かして、実物には似ていないでしょうが、それはそれでよいでしょう。
どこでも見かける山のたたずまいや、川の流れや、見なれた人家の有様は、なるほどと見えて、親しみやすくおだやかな方面などを心落ち着いた感じに配して、険しくない山の様子や、こんもりと俗塵を離れて幾重にも重ねたり、近くの垣根の中には、それぞれの心配りや配置などを、名人は大変筆力も格別で、未熟な者は及ばない点が多いようです。
文字を書いていることにつけても、深い素養はなくて、あちこちに点長に走り書きし、どことなく気取っているようなのは、ちょっと見ると才気がありひとかどのように見えますが、本当の書法で丹念に習得しているものは、表面的な筆法は隠れていますが、もう一度取り比べて見ると、やはり本物がいいものですな。
つまらない芸事でさえこうでございます。まして人の気持ち、折々に様子ぶっているような見た目の愛情は、信用がおけないものと存じております。その最初の例を、好色がましいお話ですが申し上げましょう」
と言って、にじり寄るので、君も目をお覚ましになる。中将はひどく本気になって、頬杖をついて向かい合いに座っていらっしゃる。法師が世の中の道理を説いて聞かせているような所の感じがするのも、もう一方ではおもしろいが、このような折には、それぞれがうちとけたお話などを隠しておくことができないのであった。
「若いころ、まだ下級役人でございました時、愛しいと思う女性がおりました。申し上げましたように、容貌などもたいして優れておりませんでしたので、若いうちの浮気心から、この女性を生涯の伴侶とも思い決めませんで、通い所とは思いながら、物足りなくて、何かとかかずらっておりましたところ、大変に嫉妬をいたしましたので、おもしろくなく、本当にこうでなくて、おっとりとしていたらと思う一方、あまりにひどく厳しく疑いましたのも煩わしくて、このようなつまらない男に愛想もつかさず、どうしてこう愛しているのだろうと、気の毒に思う時々もございまして、自然と浮気心も収められるというふうでもございました。
この女の性格は、もともと自分にはできないことでも、何とかして夫のためにはと、無理算段をし、不得手な方面をも、やはりつまらない女だと見られまいと努力しては、何かにつけて、熱心に世話をし、少しでも意に添わないことのないようにと思っていたうちに、気の勝った女だと思いましたが、何かと言うことをきくようになって柔らかくなってゆき、美しくない容貌についても、このわたしに嫌われやしまいかと、無理に化粧し、親しくない人に会ったならば、夫の面目が潰れやしまいかと、遠慮し恥じて、身嗜みに気をつけて生活しているうちに、性格も悪いというのではありませんでしたが、ただ、この憎らしい性質一つだけは、収まりませんでした。
その当時、思いましたことには、このようにむやみに慕い嫌われることを恐れている女のようだ、何とか懲りるほどの思いをさせて、脅かして、この方面も少しはまあまあになり、手に負えないことも止めさせようと思って、まことに辛いように思って別れてしまいそうな様子ならば、それほどわたしに連れ添う気持ちがあるならば懲りるだろうと存じまして、わざと薄情に冷淡を装って、いつものように怒って恨み言をいう折に、
『こんなに我が強いなら、どんなに夫婦の宿縁が深くとも、もう二度と逢うまい。最後と思うならば、このようなめちゃくちゃな邪推をするがよい。将来も長く連れ添おうと思うならば、辛いことがあっても、我慢してたいしたことのないように適当に思って。このような嫉妬心さえ消えたならば、愛しい女と思おう。人並みに出世もし、もう少し一人前になったら、他に並ぶ人がなくなるであろう』
などと、うまく教えたものよと存じまして、調子に乗って度を過ごして言いますと、少し微笑んで、
『万事に見栄えがしなく、一人前でないうちは我慢して、いつか一人前になろうかと待つ間は、まことに久しく思われても、嫌とは思いません。辛いお心を我慢して、心を入れ換えるのを見つけようとする、年月を重ねる当てにならない期待は、まことに辛くもありましょうから、お互いに別れるによい時期です』
と憎らしげに言うので、腹立たしくなって、憎々しげな言葉を興奮して言いますと、女も黙っていられない性格で、指一本を引っ張って噛みつきましたので、大げさに文句つけて、
『このような傷まで付いてしまったので、いよいよ役人生活もできるものでない。軽蔑なさるような官職で、ますますどのようにして出世して行けようか。出家しかない身のようだ』などと言い脅して、『それでは、今日という今日がお別れのようだ』と、この指を折り曲げて退出しました。
『あなたとの結婚生活を指折り数えてみますと
この一つだけがあなたの嫌な点なものか
恨むことはできますまい』
などと言いますと、そうは言うものの涙ぐんで、
『あなたの辛い仕打ちを胸の内に堪えてきましたが
今は別れる時なのでしょうか』
などと、言い争いましたが、本当は別れようとは存じませんままに、何日も過ぎるまで便りもやらず、浮かれ歩いていたところ、臨時の祭の調楽で、夜が更けてひどく霙が降る夜、めいめい退出して分かれる所で、思いめぐらすと、やはり自分の家と思える家は他にはなかったのでしたなあ。
内裏での宿直は気乗りがしないし、気取った女の家は何となく寒くないだろうか、と存じられましたので、どう思っているだろうかと、様子見がてら、雪をうち払いながら、何となく体裁が悪くきまりも悪く思われるが、いくらなんでも今夜はここのところの恨みも解けるだろう、と存じましたが、灯火を薄暗く壁の方に向け、柔らかな衣服の厚いのを、大きな伏籠にうち掛けて、引き上げておくはずの几帳の帷子などを引き上げてあって、今夜あたりはと、待っていた様子です。やはりそうであったよと、得意になりましたが、本人はいません。しかるべき女房連中だけが残っていて、『親御様の家に、今晩は行きましたが』と答えます。
気持ちをそそるような和歌も詠まず、思わせぶりな手紙も書き残さず、もっぱらそっけなく無愛想であったので、拍子抜けした気がして、口やかましく許さなかったのも、自分を嫌になってくれ、と思う気持ちがあったからだろうかと、そのようには存じられなかったのですが、おもしろくないままそう思ったのですが、着るべき物が、いつもより念を入れた色合いや、仕立て方がとても素晴らしくて、やはり離別した後までも、気を配って世話してくれていたのでした。
そうは言っても、すっかり愛想をつかすようなことはあるまいと存じまして、いろいろと言ってみましたが、別れるでもなくと、探し出させようと行方を晦ますのでもなく、きまり悪くないように返事をしいし、ただ『以前のような心のままでは、とても我慢できません。改心して落ち着くならば、また一緒に暮らしましょう』などと言いましたが、そうは言っても思い切れまいと存じましたので、少し懲らしめようという気持ちから、『そのように改めよう』とも言わず、ひどく強情を張って見せていたところ、とてもひどく思い嘆いて、亡くなってしまいましたので、冗談も言えないように存じられました。
一途に生涯頼みとするような女性としては、あの程度で確かに良いと思い出さずにはいられません。ちょっとした風流事でも実生活上の大事でも、相談してもしがいがなくはなく、龍田姫と言っても不似合いでなく、織姫の腕前にも劣らないその方面の技術をもっていて、行き届いていたのでした」
と言って、とてもしみじみと思い出している。中将が、
「その織姫の技量はひとまずおいても、永い夫婦の契りだけにはあやかりたいものだったね。なるほど、その龍田姫の錦の染色の腕前には、誰も及ぶ者はいないだろうね。ちょっとした、花や紅葉といっても、季節の色合いが相応しくなく、はっきりとしていないのは、何の見映えもなく、台なしになってしまうものだ。そうだからこそ、難しいものだと決定しかねるのですな」
と、話をはずまされる。
「ところで、一方同じころ、通っていました女は、人品も優れ気の働かせ方もまことに嗜みがあると思われるように、素早く歌を詠み、すらすらと書き、掻いつま弾く琴の音、その手つき口つきがみな確かであると、見聞きしておりました。見た目にも無難でしたので、先程の嫉妬深い女を気の置けない通い所にして、時々隠れて逢っていました間は、格段に気に入っておりました。今の女が亡くなって後は、どうしましょう、かわいそうだとは思いながらも死んでしまったものは仕方がないので、頻繁に通うようになってみますと、少し派手で婀娜っぽく風流めかしていることは、気に入らないところがあったので、頼りにできる女とは思わずに、途絶えがちにばかり通っていましたら、こっそり心を通じている男がいたらしいのです。
神無月の時節ごろ、月の美しかった夜に、内裏から退出いたしますに、ある殿上人が来合わせて、わたしの車に同乗していましたので、大納言殿の家へ行って泊まろうとすると、この人が言うことには、『今宵は、わたしを待っているだろう女が、妙に気にかかるよ』と言って、先程の女の家は、ちょうど通り道に当たっていたので、荒れた築地塀の崩れから池の水に月の光が映っていて、月でさえ泊まるこの宿をこのまま通り過ぎてしまうのも惜しくて、下りたのです。
以前から心を交わしていたのでしょうか、この男はとてもそわそわして、門近くの廊の簀子のような所に腰を掛けて、暫く月を見ています。菊は一面にとても色美しく変色しており、風に勢いづいた紅葉が散り乱れているのなど、美しいものだなあと実に思われました。
懐にあった横笛を取り出して吹き鳴らし、「蔭もよし」などと合い間合い間に謡うと、よい音のする和琴を、調子が調えてあるので、きちんと合奏していたところは、悪くはありませんでした。律の調子は、女性がもの柔らかく掻き鳴らして、簾の内側から聞こえて来るのも、今はやりの楽の音なので、清く澄んでいる月に似合わないでもない。男はひどく感心して、御簾の側に歩み寄って、
『庭の紅葉を、踏み分けた跡がないですね』などと嫌がらせを言います。菊を手折って、
『琴の音色も月も素晴らしいお宅ですが
薄情な方を引き止めることができなかったようですね
悪いことを言ったかしら』などと言って、『もう一曲、喜んで聞きたいという人がいる時、弾き惜しみなさいますな』などと、ひどく色っぽく言いかけますと、女は、声をとても気取って出して、
『冷たい木枯らしに合うようなあなたの笛の音を
引きとどめる術をわたしは持ち合わせていません』
と色っぽく振る舞い合います。憎らしくなってきたのも知らずに、今度は、筝の琴を盤渉調に調えて、今はやりに掻き鳴らす爪音は、才能が無いではないが、目を覆いたい気持ちが致しました。ただ時々に言葉を交わす宮仕え人などで、どこまでも色っぽく風流なのは、そうであっても付き合うには興味もありましょう。時々であっても、通い妻として生涯の伴侶と致しますには、頼りなく派手すぎると嫌気がさして、その夜のことに口実をつくって、通うのをやめてしまいました。
この二つの例を考え合わすに、若い時の考えでさえも、やはりそのように派手な女の例は、とても不安で頼りなく思われました。今から以後は、いっそうそのようにばかり思われることでしょう。お心のままに、手折るとこぼれ落ちてしまいそうな萩の露や、拾ったと思うと消えてしまう玉笹の上の霰などのような、しゃれていてか弱く風流なのばかりが、興味深くお思いでしょうが、今はそうであっても、七年のうちにお分かりになるでしょう。わたくしめごとき、卑賎の者の忠告ですが、色っぽくなよなよとした女性にはお気をつけなさいませ。間違いを起こして、相手の男の愚かな評判までも立ててしまうものです」
と、忠告する。中将は例によってうなずく。君は少し微笑んで、そういうものだろうとお思いのようである。
「どちらの話にしても、体裁の悪くみっともないご体験談だね」
と言って、皆でどっと笑い興じられる。
中将は、
「わたしは、馬鹿な体験談をお話しましょう」と言って、「ごくこっそりと通い始めた女で、そうした関係を長く続けてもよさそうな様子だったので、長続きのすることとは存じられませんでしたが、馴れ親しんで行くにつれて、愛しいと思われましたので、途絶えがちながらも忘れられない女と存じておりましたが、それほどの仲になると、頼りにしている様子にも見えました。頼りにするとなると、恨めしく思っていることもあるだろうと、我ながら思われる折々もありましたが、見知らぬふうをして、久しく通って行かないのを、こういうたまにしか来ない男とも思っていないで、ただ朝夕にいつも心に掛けているという態度に見えて、いじらしく思えたので、ずっと頼りにしているようにと言ったこともあったのでした。
親もなく、とても心細い様子で、それならわたしこそをと、何かにつけて頼りにしている様子もいじらしげでした。このようにおっとりしていることに安心して、長い間通って行かないでいたころ、わたしの妻の辺りから、思慮のない辛いことを、ある手づるがあってそれとなく言わせたことを、後になって聞いたのでした。
そのような辛いことがあったとも知らず、心中では忘れていないとはいうものの、便りなども出さずに長い間おりましたところ、すっかり悲観して不安だったので、幼い子供もいたので思い悩んで、撫子の花を折って、送って寄こしました」と言って涙ぐんでいる。
「それで、その手紙には」とお尋ねになると、
「いや、格別なことはありませんでしたよ。
『たとえ山家の垣根は荒れていても
時々はかわいがってやってください撫子の花を』
思い出したままに行きましたところ、いつものように無心なようでいながら、ひどく物思い顔で、荒れた家の露のしっとり濡れているのを眺めて、虫の鳴く音と競うかの様子は、昔物語めいて、感じられました。
『庭に咲く花はいずれも皆美しいが
やはり常夏の花が一番美しく思われます』
大和撫子のことはさておいて、まず『塵をだに』などと、親の機嫌を取ります。
『露に濡れている常夏に
さらに激しい風の吹きつける秋までが来ました』
とさりげなく言いつくろって、本気で恨んでいるようにも見えません。涙をもらし落としても、とても恥ずかしく気兼ねして取り繕い隠して、薄情を恨めしく思っているということを知られるのが、とてもたまらないらしいことのように思っていたので、気楽に構えて、再び通わずにいましたうちに、跡形なく姿を晦まして、いなくなってしまいました。
まだ生きていれば、みじめな生活をしていることでしょう。愛しいと思っていましたころに、うるさいくらいにまとわり付くような様子に見えたならば、こういうふうには行方不明にはさせなかったものを。こんなにも途絶えはせずに、通い妻の一人として末永く関係を保つこともあったでしょうに。あの、撫子がかわいらしうございましたので、何とか捜し出したいものだと思っておりますが、今でも行方が知れません。
これがおっしゃられた頼りない女の例でしょう。平気をよそおって辛いと思っているのも知らないで、愛し続けていたのも、無益な片思いでした。今はだんだん忘れかけて行くころになって、あの女は女で忘れられず、時折自分のせいで胸を焦がす夕べもあるであろうと思われます。この女は、永続きしそうにない頼りない例でしたなあ。
それだから、あの嫉妬深い女も、思い出される女としては忘れ難いけれども、実際に結婚生活を続けて行くのにはうるさいし、悪くすると、嫌になることもありましょうよ。琴が素晴らしい才能だったという女も、浮気な欠点は重大でしょう。この頼りない女も、疑いが出て来ましょうから、どちらが良いとも結局は決定しがたいのだ。男女の仲は、ただこのように、それぞれに優劣をつけるのは難しいでしょう。このそれぞれの良いところばかりを身に備えて、非難される点を持たない女は、どこにいましょうか。吉祥天女に思いをかけようとすれば、抹香臭く、人間離れして、また、おもしろくないでしょう」と言って、皆笑った。
「式部のところには、変わった話があろう。少しずつ、話して聞かせよ」と催促される。
「下の下のわたくしめごとき者には、何の、お聞きあそばす話がありましょう」
と言うが、頭の君が、真面目に「早く早く」とご催促されるので、何をお話し申そうかと思案したが、
「まだ文章生でございました時、賢い女性の例を拝見しました。先程、左馬頭が申されましたように、公事をも相談し、私生活の面での心がけも考え廻らすこと深く、漢学の才能はなまじっかの博士が恥ずかしくなる程で、万事口出すことは何もございませんでした。
それは、ある博士のもとで学問などを致そうと思って、通っておりましたころに、主人の娘が多くいるとお聞き致しまして、ちょっとした折に言い寄りましたところ、父親が聞きつけて、盃を持って来て、『我が両つの途歌ふを聴け』と謡いかけてきましたが、少しも結婚してもよいと思って通っていませんでしたので、あの父親の気持ちに気兼ねして、そうは言うもののかかずらっていましたところ、とても情け深く世話をし、閨房の語らいにも、身に学問がつき、朝廷に仕えるのに役立つ学問的なことを教えて、とても見事に手紙文にも仮名文字というものをを書き交ぜず、本格的に表現しますので、ついつい別れることができずに、その女を先生として、下手な漢詩文を作ることなどを習いましたので、今でもその恩は忘れませんが、慕わしい妻として頼りにするには、無学のわたしは、どことなく劣った振る舞いなど見られましょうから、恥ずかしく思われました。まして、あなた様方の御ためには、しっかりして手ぬかりのない奥方様は、何の必要がおありあそばしましょうか。つまらない、残念だ、と一方では思いながらも、自分の気に入り、宿縁もあるようなので、男という者は、他愛のないもののようでございます」
と申し上げるので、後を言わせようと、「それにしてもまあ、何と興味ある女だろうか」と、おだてなさるのを、そうとは知りながらも、鼻のあたりをおかしなかっこうさせて語り続ける。
「そうして、ずいぶん長く行きませんでしたころ、何かのついでに立ち寄りましたところ、いつものくつろいだ所にはおりませんで、不愉快な物を隔てて逢います。嫉妬しているのかと、ばかばかしくもあり、また、ちょうど良い機会と存じましたが、この賢い女という者は、軽々しい嫉妬をするはずもなく、男女の仲を心得て恨み言を言いませんでした。
声もせかせかと言うことには、
『数月来、風邪が重いのに堪え兼ねて、極熱の薬草を服して、大変に臭いので、面会は御遠慮申し上げます。直接にでなくても、しかるべき雑用などは承りましょう』
と、いかにも殊勝にもっともらしく言います。返事には何と言えようか。ただ、『承知しました』とだけ言って、立ち去ります時に、物足りなく思ったのでしょうか、
『この臭いが消えた時に、お立ち寄り下さい』と声高に言うのを、聞き捨てるのも気の毒ですが、しばしの間でもためらっている場合でもありませんので、ほんとに、その臭いまでが、ぷんぷんと漂って来るのも堪りませんので、逃げ腰になって、
『蜘蛛の動きでわたしの来ることがわかっているはずの夕暮に
昼間が過ぎるまでまで待てと言うのがわかりません
どのような口実ですか』
と、言い終わらず逃げ出しましたところ、追いかけて、
『逢うことが一夜も置かずに逢っている夫婦仲ならば
昼間逢ったからとてどうして恥ずかしいことがありましょうか』
さすがに返歌は素早うございました」
と、ゆっくりと申し上げるので、公達は興醒めに思って、「嘘だ」と言ってお笑いになる。
「どこにそのような女がいようか。のんびりと鬼と向かい合っていたほうがましだ。気持ちが悪い話」
と爪弾きして、「何とも評しようがない」と、式部を軽蔑し非難して、
「もう少しましな話を申せ」とお責めになるが、
「これ以上珍しい話がございましょうか」と言って、澄ましている。
「すべて男も女も未熟者は、少し知っている方面のことをすっかり見せようと思っているのが、困ったものです。
三史五経といった学問的な方面を、本格的に理解するというのは、好感の持てないことですが、どうして女だからといって、世の中の公私の事々につけて、まったく知りませんできませんと言っていられましょうか。本格的に勉強しなくても、少しでも才能のあるような人は、耳から目から入って来ることが、自然に多いはずです。
そのようなことから、漢字を走り書きし、お互いに書かないはずの女どうしの手紙文に、半分以上書き交ぜているのは、ああ何と厭味な、この人が女らしかったらなあと思われます。気持ちの上ではそんなにも思わないでしょうが、自然とごつごつした声に読まれ読まれして、わざとらしく感じられます。上流の中にも多く見られることです。
和歌を詠むことを鼻にかけている人が、そのまま和歌のとりことなって、趣のある古歌を初句から取り込み取り込みして、相応しからぬ折々に、それを詠みかけて来ますのは、不愉快なことです。返歌しないと人情がないし、出来ない人は体裁が悪いでしょう。
しかるべき節会などで、五月の節会に急いで参内する朝に、落ち着いて分別などしていられない時に、素晴らしい根にかこつけてきたり、重陽の節会の宴会のために、難しい漢詩の趣向を思いめぐらしていて暇のない折に、菊の露にかこつけたような、相応しからぬことに付き合わせ、そういう場合ではなくとも自然となるほどと、後から考えればおもしろくもしみじみともあるはずのものが、その場合には相応しくなく、目にも止まらないのを、察しもせずに詠んで寄こすのは、かえって気がきかないように思われます。
万事につけて、どうしてそうするのか、そうしなくとも、と思われる折々に、時々、分別できない心では、気取ったり風流めかしたりしないほうが無難でしょう。
総じて、心の中では知っていることでも、知らない顔をして、言いたいことも、一つ二つは言わないでおくのが良いというものでしょう」
と言うにつけても、君は、お一方の御様子を、胸の中に思い続けていらっしゃる。この結論に足りないことまた出過ぎたところもない方でいらっしゃるなあと、比類ないことにつけても、ますます胸がいっぱいになる。
どういう結論に達するというでもなく、最後は聞き苦しい話に落ちて、夜をお明かしになった。
やっと今日は天気も好くなった。こうしてばかり籠っていらっしゃるのも、大殿のお気持ちが気の毒なので、退出なさった。
邸内の有様や、姫君の様子も、端麗で気高く、くずれたところがなく、やはり、この女君は、あの、人々が捨て置き難く取り上げた実直な妻として信頼できるだろう、とお思いになる一方では、度を過ぎて端麗なご様子で、打ち解けにくく気づまりな感じにとり澄ましていらっしゃるのが物足りなくて、中納言の君や中務といった、人並み優れている若い女房たちに、冗談などをおっしゃりおっしゃりして、暑さにお召し物もくつろげていらっしゃるお姿を、素晴らしく美しい、と思い申し上げている。
大臣もお渡りになって、くつろいでいらっしゃるので、御几帳を間に立ててお座りになって、お話を申し上げなさるのを、「暑いのに」と苦い顔をなさるので、女房たちは笑う。「お静かに」と制して、脇息に寄り掛かっていらっしゃる。いかにも大君らしい鷹揚なお振る舞いであるよ。
暗くなるころに、
「今宵は、天一神が、内裏からこちらの方角へは方塞がりになっております」と申し上げる。
「そうですわ。普通は、お避けになる方角ですわ」
「二条院も同じ方角であるし、どこに方違えをしようか。とても気分が悪いのに」
と言って横になっていらっしゃる。「大変に具合悪いことである」と誰彼となく申し上げる。
「紀伊守で、親しくお仕えいたしております者が、中川の辺りにある家に、最近水を引き入れて、涼しい木蔭がございます」と申し上げる。
「とても良い考えである。気分が悪いから、牛車のままで入って行かれる所を」
とおっしゃる。内密の方違えのお邸は、たくさんあるに違いないのであるが、長いご無沙汰の後にいらっしゃったのに、方角が悪いからといって、期待を裏切って他へ行ったとお思いになるのは、気の毒だと思われたのであろう。紀伊守に御用を言い付けると、お引き受けは致したものの、引き下がって、
「伊予守の朝臣の家に、慎み事がございまして、女房たちが来ている時なので、狭い家でございますので、失礼に当たる事がありはしないか」
と、心中に困惑しているのをお聞きになって、
「そうした人が近くにいるのが嬉しいのだ。女気のない旅寝は、何となく不気味な心地がするから。すぐ、その几帳の後ろに」とおっしゃるので、
「なるほど、適当なご座所で」と言って、使いの者を走らせる。とてもこっそりと、格別に大げさでない所をと、急いでお出になるので、大臣にもご挨拶なさらず、お供にも親しい者ばかり連れておいでになった。
「あまりに急なことで」と迷惑がるが、誰も聞き入れない。寝殿の東面をきれいに片づけさせて、急拵えのご座所を設けた。遣水の趣向などは、それなりに趣深く作ってある。田舎家風の柴垣を廻らして、前栽など気を配って植えてある。風が涼しくて、どこからともない微かな虫の声々が聞こえ、螢がたくさん飛び交って、趣のある有様である。
人々は渡殿から湧き出ている泉に臨んで座って、酒を飲む。主人もご馳走の準備に走り回っている間、君はゆったりとお眺めになって、あの、中の品の例に挙げていたのは、きっとこういう家の女性なのだろう、とお思い出しになる。
高い望みをもっていたようにお耳になさっていた娘なので、関心を持って耳を澄ましていらっしゃると、この西面に人のいる様子がする。衣ずれの音がさらさらとして、若い女の声々が愛らしい。そうは言っても小声で、笑ったりなどする様子は、わざとらしい。格子を上げてあるが、守が、「不用意な」と小言を言って下ろしてしまったので、火を燈している明りが、襖障子の上から漏れているので、そっとお近寄りになって、「見えるだろうか」とお思いになるが、隙間もないので、少しの間お聞きになっていると、この近い母屋の方に集っているのであろう、ひそひそ話している内容をお聞きになると、ご自分の噂話のようである。
「とてもたいそう真面目ぶって。まだお若いのに、高貴な北の方が定まっていらっしゃるとは、なんとつまらないのでしょう」
「でも、人の知らない所では、ずいぶんよく、隠れて通っていらっしゃるということですよ」
などと噂しているのにつけ、胸の内にあることばかりが気にかかっていらっしゃるので、まっさきにどきりとして、「このような噂話の折にも、人が言い洩らすようなことを、聞きつけるような事が起こったら」などとご心配なさる。
別段のこともないので、途中まで聞いてお止めになった。式部卿宮の姫君に、朝顔の花を差し上げなさった時の和歌などを、少し文句を違えて語るのが聞こえる。「ゆったりと和歌を口にすることよ、やはり見劣りすることだろう」とお思いになる。
守が出て来て、燈籠を掛け添え、灯火を明るく掻き立てたりして、お菓子程度を差し上げた。
「帷帳の準備も、いかがなっておるか。そうした方面の趣向もなくては、興醒めなもてなしであろう」とおっしゃると、
「はて、何がお気に召しますやら、わかりませんので」と、恐縮して控えている。端の方のご座所に、うたた寝といったふうに横におなりになると、人々も静かになった。
主人の子供たちが、かわいらしい様子でいる。その子供で、童殿上している間に見慣れていらっしゃっるのもいる。伊予介の子もいる。大勢いる中で、とても感じが上品で、十二、三歳くらいになるのもいる。
「どの子が誰の子か」などと、お尋ねになると、
「この子は、故衛門督の末の子で、大変にかわいがっておりましたが、まだ幼いうちに先立たれまして、姉につながる縁で、こうしてここにいるわけでございます。学問などもできそうで、悪くはありませんが、童殿上なども考えておりますが、すらすらとはできませんようです」と申し上げると、
「気の毒なことだ。この子の姉君が、そなたの継母か」
「さようでございます」と申し上げると、
「年に似合わない継母を、持ったことだなあ。主上におかれてもお耳にお忘れにならず、『宮仕えに差し上げると、ちらと奏上したことは、その後どうなったのか』と、いつであったか仰せられた。人の世とは無常なものだ」と、とても大人びておっしゃる。
「思いがけず、こうしているのでございます。男女の仲と言うものは、所詮、そのようなものばかりで。今も昔も、どうなるか分からないものでございます。中でも、女の運命は定めないのが、哀れでございます」などと、申し上げるのを途中で止める。
「伊予介は、大事にしているか。主君と思っているだろうな」
「どう致しまして。内々の主君として世話しておりますようで。好色がましいことだと、わたくしめをはじめとして、納得できないほどでございます」などと申し上げる。
「そうは言っても、そなたたちのような相応しく当世風の人に、譲るであろうか。あの介は、なかなか風流心があって、気取っているからな」などと、お話なさって、
「で、どこに」
「皆、下屋に下がらせましたが。まだ下がりきらないでいるかも知れません」と申し上げる。
酔いが回って、供人は皆、簀子に臥せって静かになった。
君は、気を落ち着けてお寝みになれず、空しい一人寝だと思われるとお目も覚めて、この北の襖障子の向こう側に人のいる様子がするので、「ここが、話に出た女が隠れている所であろうか、どんなであろうか」とご関心をもって、静かに起き上がって立ち聞きなさると、先程の子供の声で、
「もしもし。どこにいらっしゃいますか」
と、かすれた声で、かわいらしく言うと、
「ここに寝ています。お客様はお寝みになりましたか。どんなにお近かろうかと心配していましたが、でも、遠そうだわね」
と言う。寝ていた声で取り繕わないのが、とてもよく似ていたので、姉だなとお聞きになった。
「廂の間にお寝みになりました。噂に聞いていたお姿を拝見いたしましたが、噂通りにご立派でした」と、ひそひそ声で言う。
「昼間であったら、覗いて拝見できたのにね」
と眠そうに言って、顔を引き入れた声がする。「惜しいな、気を入れてもっと聞いてくれたら」と残念にお思いになる。
「わたしは、端に寝ましょう。ああ、疲れた」
と言って、灯心を引き出したりしているのであろう。女君は、ちょうどこの襖障子口の斜め向こう側に臥しているのであろう。
「中将の君はどこですか。誰もいないようで、何となく恐い」
と言うらしい、すると、長押の下の方で、女房たちは臥したまま答えているようである。
「下屋に、お湯を使いに下りていますが。『すぐに参ります』とのことでございます」と言う。
皆寝静まった様子なので、掛金を試しに開けて御覧になると、向こう側からは鎖してないのであった。几帳を襖障子口に立てて、灯火はほの暗いが、御覧になると唐櫃のような物どもを置いてあるので、ごたごたした中を、掻き分けて入ってお行きになると、ただ一人だけでとても小柄な感じで臥せっていた。何となく煩わしく感じるが、上に掛けてある衣を押しのけるまで、呼んでいた女房だと思っていた。
「中将をお呼びでしたので。人知れずお慕いしておりました、その甲斐があった気がしまして」
とおっしゃるのを、すぐには誰とも分からず、魔物にでも襲われたような気がして、「きゃっ」と脅えたが、顔に衣が触れて、声にもならない。
「突然のことで、一時の戯れ心とお思いになるのも、ごもっともですが、長年、恋い慕っていました気持ちを、聞いていただきたいと思って。このような機会を待ち受けていたのも、決していい加減な気持ちからではないと、お思いになって下さい」
と、とても優しくおっしゃって、鬼神も手荒なことはできないような態度なので、ぶしつけに「ここに、変な人が」とも、大声が出せない。気分は辛く、あってはならない事だと思うと、情けなくなって、
「お人違いでございましょう」と言うのもやっとである。
消え入らんばかりにとり乱した様子は、まことにいたいたしく可憐なので、いい女だと御覧になって、
「間違えるはずもない真心を、理解しても下さらずはぐらかしなさいますね。好色めいた振る舞いは、決して致しません。気持ちを少し申し上げたいのです」
と言って、とても小柄なので、抱き上げて襖障子からお出になる時、探していた中将らしい女房が来合わせた。
「これ、これ」とおっしゃると、不思議に思って手探りして行くと、大変に薫物の香があたり一面に匂っていて、顔にまで匂いかかって来るような感じがするので、気がついた。意外なことで、これはどうしたことかと、おろおろしないではいられないが、何とも申し上げようもない。普通の男ならば、手荒に引き放すこともできようが、それでさえ大勢の人が知ったらどうであろうか。胸がどきどきして、後からついて来たが、平然として、奥のご座所にお入りになった。
襖障子を引き閉てて、「明朝、お迎えに参られよ」とおっしゃると、女は、この女房がどう思うかまでが、死ぬほど耐えられないので、汗びっしょりになって、とても悩ましい様子でいる、気の毒であるが、例によって、どこから出てくる言葉であろうか、愛情がわかるほどに、優しく優しく、言葉を尽くしておっしゃるようだが、依然として、まことに情けないので、
「真実のこととは思われません。しがない身の上ですが、お貶みなさったお気持ちのほどを、どうして浅い気持ちと存じ上げずにいられましょうか。まことに、このような身分の女には、それなりの生き方がございます」
と言って、このように無体なことをなさっているのを、深く思いやりがなく嫌なことだと思い込んでいる様子も、なるほど気の毒で、気後れがするほど立派な態度なので、
「おっしゃる身分身分の違いを、まだ知りません、初めての事です。かえって、普通の人と同じように思っていらっしゃるのが残念です。自然とお聞きになっているようなこともありましょう。むやみな好色心は、まったく持ち合わせておりませんものを。前世からの因縁でしょうか、本当に、このように軽蔑され申すのも、当然な惑乱を、自分でも不思議なほどで」
などと、真面目になっていろいろとおっしゃるが、まことに類ないご立派さで、ますます打ち解け申し上げることが辛く思われるので、無愛想な気にくわない女だとお見受け申されようとも、そうしたつまらない女として押し通そうと思って、ただそっけなく身を処していた。人柄がおとなしい性質なうえに、無理に気強く張りつめているので、しなやかな竹のような感じがして、さすがに手折れそうにもない。
本当に辛く嫌なので、無理無体なお気持ちを、何とも言いようがないと思って、泣いている様子など、まことに哀れである。気の毒ではあるが、逢わなかったら心残りであろう、とお思いになる。気持ちの晴らしようもなく、情けないと思っているので、
「どうして、こうお嫌いになるのですか。思いがけない逢瀬こそ、前世からの因縁だとお思いなさい。むやみに男女の仲を知らない者のように、泣いていらっしゃるのが、とても辛い」と、恨み言をいわれて、
「とてもこのような情けない身の運命が定まらない、昔のままのわが身で、このようなお気持ちを頂戴したのならば、とんでもない身勝手な希望ですが、愛していただける時もあろううかと存じて慰めることもできましょうに。とてもこのような、一時の仮寝のことを思いますと、どうしようもなく心惑いされてならないのです。たとえ、こうとなりましても、逢ったと言わないで下さいまし」
と言って、悲しんでいる様子は、まことに道理である。並々ならず行く末を約束し慰めなさる言葉は、きっと多いことであろう。
鶏も鳴いた。人々が起き出して、
「ひどく、寝過ごしてしまった」
「お車を引き出せ」
などと言っているようだ。守も起き出して来て、
「女性などの方違えならばともかく。暗いうちからお急きあそばさずとも」
などと言っているのも聞こえる。
君は、再びこのような機会があろうこともとても難しいし、わざわざとは、どうしてできようか、お手紙などもを通わすことはとても無理なことをお思いになると、ひどく胸が痛む。奥の中将の君も出て来て、とても困っているので、お放しになっても、再びお引き留めになっては、
「どのようにして、お便りを差し上げられようか。何とも言いようのない、お気持ちの冷たさといい、慕わしさといい、深く刻みこまれた思い出は、いろいろと珍しいことであったね」
と言って、お泣きになる様子は、とても優美である。 鶏もしきりに鳴くので、気もせかされて、
「あなたの冷たい態度に恨み言を十分に言わないうちに夜もしらみかけ
鶏までがあわただしく鳴いてわたしを起こそうとするのでしょうか」
女は、わが身の上を思うと、まことに不似合いで眩しい気持ちがして、素晴らしいお持てなしも、何とも感じぜず、平生はとても生真面目過ぎて嫌な男だと侮っている伊予国の方角が思いやられて、夢に現われやしないかと思うと、何となく恐ろしくて気がひける。
「わが身の辛さを嘆いても嘆き足りないうちに明ける夜は
鶏の鳴く音に併せて、わたしも泣かれてなりません」
ずんずんと明るくなるので、襖障子口までお送りになる。邸の内も外も騒がしいので、引き閉てて、お別れになる時、心細い気がして、「隔てる関」のように思われた。
御直衣などをお召しになって、南面の高欄で少しの間眺めていらっしゃる。西面の格子を忙しく上げて、女房たちが覗き見しているようである。簀子の中央に立ててある小障子の上から、わずかにお見えになるお姿を、身に感じ入っている好色な女もいるようである。
月は有明で、光を押さえた明るさだが、輪郭ははっきりと見えて、かえって趣のある曙の空である。無心なはずの空の様子も、ただ、見る人によって美しくもぞっとするようにも見えるのであった。人に言われぬお心には、とても胸痛く、文を通わす手立てさえないのをと、後髪引かれる思いでお出になった。
お邸にお帰りになっても、すぐにもお寝みになれない。再び逢える手立てのないのが、自分以上に、あの、女が悩んでいるであろう心の中は、どんなであろうかと、気の毒にご想像なさる。「特に優れた所はないが、見苦しくなく身嗜みもとりつくろっていた中の品であったな。何でもよく知っている人の言ったことは、なるほどであった」とうなずかれるのであった。
最近は、大殿邸にばかりいらっしゃる。やはり、すっかりあれきりなので、思い悩んでいるであろうことが、気の毒にお心にかかって、心苦しく思い悩みなさって、紀伊守をお召しになる。
「あの、先日の故中納言の子は、下さらないか。かわいらしげに見えたが。身近に使う者としたい。主上にも、わたしが差し上げたい」とおっしゃると、
「とても恐れ多いお言葉でございます。姉に当たる人に仰せ言を伝えてみましょう」
と、申し上げるにつけても、どきりとなさるが、
「その姉君は、そなたの弟をお持ちか」
「いえ、おりません。この二年ほどは、こうして暮らしておりますが、父親の意向と違ったと嘆いて、気も進まないでいるように、聞いております」
「気の毒なことよ。まあまあの評判の人だった。本当に、器量が良いか」
「悪くはございませんでしょう。離れて疎遠に致しておりますので、世間の言い草のとおり、親しくしておりません」と申し上げる。
そうして、五六日が過ぎて、この子を連れて参った。きめこまやかに美しいというのではないが、優美な姿をしていて、貴人と見えた。招き寄せて、とても親しくお話をなさる。子供心に、とても素晴らしく嬉しく思う。姉君のことも詳しくお尋ねになる。答えられることはお答え申し上げなどして、こちらが恥ずかしくなるほどきちんとかしこまっているので、ちょっと言い出しにくい。けれど、とても上手にお話なさる。
このようなことであったかと、ぼんやりと分かるのも、意外なことではあるが、子供心に深くも考えない。お手紙を持って来たので、女は、あまりのことに涙が出てしまった。弟がどう思っていることだろうかと気恥ずかしくて、そうは言っても、お手紙で顔を隠すように広げた。とてもたくさん書き連ねてあって、
「夢が現実となったあの夜以来、再び逢える夜があろうかと嘆いているうちに
目までが合わさらないで眠れない夜を幾日も送っています
寝れる夜がないので」
などと、見たこともないほどの、素晴らしいご筆跡も、目も涙に曇って、不本意な運命がさらにつきまとう身の上を思い続けて臥せってしまわれた。
翌日、小君をお召しになっていたので、参上しますと言って、お返事を催促する。
「このようなお手紙を見るような人はいません、と申し上げなさい」
とおっしゃると、にこっと微笑んで、
「間違うはずなくおっしゃったのに。どうして、そのように申し上げられましょうか」
と言うので、小癪に思い、すっかりおっしゃられ、知らせてしまったのだ、と思うと、辛く思われること、この上ない。
「いいえ、ませた口をきくものではありませんよ。それなら、もう参上してはいけません」と不機嫌になられたが、
「お召しになるのに、どうして」と言って、参上した。
紀伊守は、好色心をもってこの継母の様子をもったいない人と思って、何かとおもねっていたので、この子をも大切にして、連れて歩く。
君は、お召しになって、
「昨日一日中待っていたのに。やはり、わたしほどには思ってくれないようだね」
とお恨みになると、顔を赤らめて畏まっている。
「どこに」とおっしゃると、「これこれしかじかです」と申し上げるので、
「だめだね。呆れた」と言って、またもお与えになった。
「おまえは知らないのだね。あの伊予の老人よりは、先に関係していたのだよ。けれど、頼りなく弱々しいといって、不恰好な夫をもって、このように馬鹿になさるらしい。そうであっても、おまえはわたしの子でいてくれよ。あの頼りにしている人は、老い先短いですからね」
とおっしゃると、「そうであったのかも知れない。大変なことだな」と思っている。「かわいいい」とお思いになる。
この子を連れて歩きなさって、内裏にも連れて参上などなさる。ご自分の御匣殿にお命じになって、装束なども調達させ、本当の親のように面倒見なさる。
お手紙はいつもある。けれど、この子もとても幼く、うっかり落としでもしたら、軽々しい浮名まで背負い込み、風評も相応しくなく思うと、幸せも自分の身に合ってこそと思って、心を許したお返事も申し上げない。ほのかに拝見したご様子や態度は、「本当に、並々の人ではなく素晴らしかった」と、お思い出し申さずにはいられないが、「お気持ちにお応え申しても、今さら何になることだろうか」などと、思い返すのであった。
君は、お忘れになる時の間もなく、心苦しくも恋しくもお思い出しになる。悩んでいた様子などのいじらしさも、払い除けようもなく思い続けていらっしゃる。軽々しくひそかに隠れてお立ち寄りなさるのも、人目の多い所で、不都合な振る舞いを見せはしまいかと、相手にも気の毒である、とお困りになる。
例によって、内裏に何日もいらっしゃるころ、都合のよい方違えの日をお待ちになる。急に退出なさるふりをして、途中からお越しになった。
紀伊守は驚いて、先日の遣水を光栄に思い、恐縮しお礼申し上げる。小君に、昼から、「こうしようと思っている」とお約束なさっていた。朝に夕に連れ従えていらっしゃったので、今宵も、まっさきにお召しになっている。
女も、そのようなお手紙があったので、人目をごまかしなさるお気持ちのほどは、浅いものとは思われないが、そうだからといって、気を許して、みっともない様をお見せ申すのも、つまらなく、夢のようにして過ぎてしまった嘆きを、さらにまた味わおうとするのかと、思い乱れて、やはりこうしてお待ち受け申し上げることが気恥ずかしいので、小君が出て行った後で、
「とても近いので、気が引けます。気分が悪いので、こっそりと肩腰を叩かせたりしたいので、少し離れた所で」
と言って、渡殿に、中将といったのが部屋を持っている隠れ処に、移って行った。
そのつもりで、供人たちを早く寝かせて、お便りなさるが、小君は尋ね当てられない。すべての場所を探し歩いて、渡殿に入りこんで、やっとのことで探し当てた。ほんとうにあんまりなひどい、と思って、
「どんなにか、役立たずな者と、お思いでしょう」と、泣きそうに言うと、
「このような、不埒な考えは、持っていいものですか。子供がこのような事を取り次ぐのは、ひどく悪いことと言うのに」ときつく言って、「『気分がすぐれないので、女房たちを側に置いて揉ませております』とお伝え申し上げなさい。変だと皆が思うでしょう」
とつっぱねたが、心中では、「ほんとうに、このように身分の定まってしまった身の上でなく、亡くなった親の御面影のある邸にいたままで、たまさかにでもお待ち申し上げるならば、喜んでそうしたいところであるが。無理にお気持ちを分からないふうを装って無視したのも、どんなにか身の程知らぬ者のようにお思いになるだろう」と、心に決めたものの、胸が痛くて、やはり心が乱れる。「どっちみち、今はどうにもならない運命なのだから、非常識な気にくわない女で、押しとおそう」と思い諦めた。
君は、どのように手筈を調えるかと、まだ小さいので不安に思いながら横になって待っていらっしゃると、だめである旨を申し上げるので、意外にも珍しく強情なために、「わが身までがまことに恥ずかしくなってしまった」と、とても気の毒なご様子である。しばらくは何もおっしゃらず、ひどく嘆息なさって、辛いとお思いになった。
「近づけば消えるという帚木のような、あなたの心も知らないで
園原への道に、空しく迷ったことです
申し上げるすべもありません」
と詠んで贈られた。女も、やはり、まどろむこともできなかったので、
「しがない境遇に生きるわたしですから
帚木のようにあなたの前から姿を消すのです」
とお答え申し上げた。
小君が、とてもお気の毒に思って眠けを忘れてうろうろと行き来するのを、女房たちが不思議に思うだろう、と心配なさる。
例によって、供人たちは眠りこけているが、お一方はぼうっと白けた感じで思い続けていらっしゃるが、他の女と違った気の強さが、やはり消えるどころかはっきり現れている、と悔しく、こういう女であったから心惹かれたのだと、一方ではお思いになるものの、癪にさわり情けないので、ええいどうともなれとお思いになるが、そうともお諦めきれず、
「隠れている所に、それでも連れて行け」とおっしゃるが、
「とてもむさ苦しい所に籠もっていて、女房が大勢いますようなので。恐れ多くて」
と申し上げる。気の毒にと思っていた。
「それでは、おまえだけは、わたしを裏切るでないぞ」
とおっしゃって、お側に寝かせなさった。お若く優しいご様子を、嬉しく素晴らしいと思っているので、あの薄情な女よりも、かえってかわいく思われなさったというそうである。
3. 空蝉
- 空蝉の物語 お寝みになれないままに、
- 源氏、再度、紀伊守邸へ 子供心に、どのような機会にと待ち続けていると、
- 空蝉と軒端荻、碁を打つ 灯火が近くに燈してある。
- 空蝉逃れ、源氏、軒端荻と契る 女は、あれきりお忘れなのを
- 源氏、空蝉の脱ぎ捨てた衣を持って帰る 小君を、お車の後ろに乗せて、二条院に
光る源氏17歳夏の物語
お寝みになれないままには、「わたしは、このように人に憎まれたことはないのに、今晩、初めて辛いと男女の仲を分かったので、恥ずかしくて、生きて行けないような気持ちになってしまった」などとおっしゃると、涙まで流して臥している。とてもかわいいとお思いになる。手探りに、細く小柄な体つきや、髪のたいして長くはなかった様子が、似通っているのも、気のせいか愛しい。むやみにしつこく探し求めるのも、体裁悪いだろうし、本当に癪に障るとお思いになりながら夜を明かして、いつものようにもおっしゃらない。夜の深いうちにお帰りになるので、この子は、たいそう気の毒でつまらないと思う。
女も、大変に気がとがめると思うと、お手紙もまったくない。お懲りになったのだと思うにつけても、このまま冷めておやめになってしまったら嫌な思いであろうし、強引に困ったお振る舞いが絶えないのも嫌なことであろう、適当なところで、こうしてきりをつけたい、と思うものの、平静ではなく、物思いがちである。
君は、ひどいとお思いになる一方で、このままではやめられなくお心にかかり、体裁悪くお困りになって、小君に、「とても、辛く情けなくも思われるので、無理に忘れようとするが、思いどおりにならず苦しいのだよ。適当な機会を見つけて、逢えるように手立てせよ」とおっしゃり続けるので、やっかいに思うが、このような事柄でも、お命じになって使ってくださることは、嬉しく思われるのであった。
子供心に、どのような機会にと待ち続けていると、紀伊守が任国へ下ったりして、女たちがくつろいでいる夕闇の道がはっきりしないのに紛れて、自分の車で、お連れ申し上げる。
この子も子供なので、どうだろうかとご心配になるが、そう悠長にも構えていらっしゃれなかったので、目立たない服装で、門などに鍵がかけられる前にと、急いでいらっしゃる。
人目のない方から引き入れて、お下ろし申し上げる。子供なので、宿直人なども特別に気をつかって機嫌をとらず、安心である。
東の妻戸に、お立たせ申し上げて、自分は南の隅の間から、格子を叩いて声を上げて入った。御達は、
「丸見えです」と言っているようだ。
「どうして、こう暑いのに、この格子を下ろしているの」と尋ねると、
「昼から、西の御方がお渡りあそばして、碁をお打ちあそばしていらっしゃいます」と言う。
そうして向かい合っているのを見たい、と思って、静かに歩を進めて、御簾の間にお入りになった。
先程入った格子はまだ閉めてないので、隙間が見えるので、近寄って西の方を見通しなさると、こちら側の際に立ててある屏風は、端の方が畳まれているので、目隠しのはずの几帳なども、暑いからであろうか、掛けてあって、とてもよく覗き見ることができる。
灯火が近くに燈してある。母屋の中柱に横向きになっている人が自分の思いを寄せている人かと、まっさきに目をお留めになると、濃い綾の単重襲のようである。何であろうか、上に着て、頭の恰好は小さく小柄な人で、見栄えのしない姿をしている。顔などは、向かい合っている人などにも、特に見えないように気をつけている。手つきも痩せ痩せした感じで、ひどく袖の中に引き込めているようだ。
もう一人は、東向きなので、すっかり見える。白い羅の単重襲に、二藍の小袿のようなものを、しどけなく引っ掛けて、紅の腰紐を結んでいる際まで胸を露にして、嗜みのない恰好である。とても色白で美しく、まるまると太って、すらっと背の高い人で、頭の恰好や額の具合は、くっきりとしていて、目もと口もとが、とても愛嬌があり、はなやかな容貌である。髪はたいしてふさふさとして長くはないが、垂れ具合や、肩のところがまことにすっきりとして、どこをとっても悪いところなく、美しい女だ、と見えた。
なるほど、親がこの上なくかわいがることであろうと、興味をもって御覧になる。心づかいに、もう少し落ち着いた感じを加えたいものだと、ふと思われる。才覚がないわけではないらしい。碁を打ち終えて、結を押すあたりは、機敏に見えて、陽気に騷ぎ立てると、奥の人は、とても静かに落ち着いて、
「お待ちなさいよ。そこは、持でありましょう。このあたりの、劫を」などと言うが、
「いいえ、今度は負けてしまいました。隅の所、どれどれ」と指を折って、「十、二十、三十、四十」などと数える様子は、伊予の湯桁もすらすらと数えられそうに見える。少し下品な感じがする。
極端に口を覆って、はっきりとも見せないが、目を凝らしていらっしゃると、自然と横顔も見える。目が少し腫れぼったい感じがして、鼻筋などもすっきり通ってなく老けた感じで、はなやかなところも見えない。言い立てて行くと、悪いことばかりになる容貌を、とてもよく取り繕って、この美しさで勝る人よりは嗜みがあろうと、目が引かれるような態度をしている。
朗らかで愛嬌があって美しいのを、ますます得意満面にうちとけて、笑い声などを上げてはしゃいでいるので、はなやかさが多く見えて、そうした方面ではとても美しい人である。軽率であるとはお思いになるが、お堅くないお心には、この女も捨てておけないのであった。
ご存じの女性は、くつろいでいる時がなく、取り繕って横を向いたよそゆきの態度ばかりを御覧になるが、このようにうちとけた女の様子の垣間見などは、まだなさらなかったことなので、気づかずにすっかり見られているのは気の毒だが、しばらく御覧になりたいのだが、小君が出て来そう気がするので、そっとお出になった。
渡殿の戸口に寄り掛かっていらっしゃっる。とても恐れ多いと思って、
「珍しくお客がおりまして、近くにまいれません」
「それでは、今宵も、帰そうとするのか。まったくあきれて、ひどいではないか」とおっしゃると、
「いいえ決して。あちらに帰りましたら、手立てを致しましょう」と申し上げる。
そのように何とかできそうな様子なのであろう。子供であるが、物事の事情や、人の気持ちを読み取れるよう落ち着いているから、とお思いになるのであった。
碁を打ち終えたのであろうか、衣ずれの音のする感じがして、女房たちが各部屋に下がって行く様子などがするようである。
「若君はどこにいらっしゃるのでしょうか。この御格子は閉めましょう」と言って、音が聞こえる。
「静かになったようだ。入って、それでは、手引きをせよ」とおっしゃる。
この子も、姉のお気持ちを曲げそうになく堅物でいるので、話をつけるすべもなく、人目の少ない時に、お入れ申し上げようと思うのであった。
「紀伊守の妹も、ここにいるのか。わたしに、垣間見させよ」とおっしゃるが、
「どうして、そのようなことができましょうか。格子には几帳が添え立ててあります」と申し上げる。
「もっともだ、しかしそれでもと、興味深くお思いになるが、見てしまったとは言うまい、気の毒だ」とお思いになって、夜の更けて行くことの遅いことをおっしゃる。
今度は、妻戸を叩いて入って行く。女房たちは皆寝静まっていた。
「この障子の口に、僕は寝よう。風よ吹いておくれ」と言って、畳を広げて横になる。女房たちは、東廂に大勢寝ているのだろう。妻戸を開けた女童もそちらに入って寝てしまったので、しばらく空寝をして、灯火の明るい方に屏風を広げて、うす暗くなったので、静かにお入れ申し上げる。
どうなることか、愚かしいことがあってはならない、とご心配になると、とても気後れするが、手引するのに従って、母屋の几帳の帷子を引き上げて、たいそう静かにお入りになろうとするが、皆寝静まっている夜の、お召物の衣ずれの様子は、柔らかであるが、かえってはっきりとわかるのであった。
女は、あれきりお忘れなのを嬉しいと思おうとはするが、不思議な夢のような出来事を、心から忘れられないころなので、ぐっすりと眠ることさえできず、昼間は物思いに耽り、夜は寝覚めがちなので、春ではないが、「木の芽」ならぬ「この目」も、休まる時とてなく、物思いがちなのに、碁を打っていた君が、「今夜は、こちらに」と言って、今の子らしくおしゃべりして、寝てしまった。
若い女は、無心にとてもよく眠っているのであろう。このような感じが、とても香り高く匂って来るので、顔を上げると、単重を打ち掛けてある几帳の隙間に、暗いけれども、にじり寄って来る様子が、はっきりとわかる。あきれた気持ちで、何とも分別もつかず、そっと起き出して、生絹の単重を一枚着て、そっと抜け出した。
君はお入りになって、ただ一人で寝ているのを安心にお思いになる。床の下の方に二人ほど寝ている。衣を押しやってお寄り添いになると、先夜の様子よりは、大柄な感じに思われるが、お気づきなさらない。目を覚まさない様子などが、妙に違って、だんだんとおわかりになって、意外なことに癪に思うが、人違いをまごまごして見せるのも愚かしく、変だと思うだろう、目当ての女を探し求めるのも、これほど避ける気持ちがあるようなので、甲斐なく、間抜けなと思うだろう、とお思いになる。あの美しかった灯影の女ならば、何ということはないとお思いになるのも、けしからぬご思慮の浅薄さと言えよう。
だんだんと目が覚めて、まことに思いもよらぬあまりのことに、あきれた様子で、特にこれといった思慮あるいじらしい心づかいもない。男女の仲をまだ知らないわりには、ませたところがある方で、消え入るばかりに思い乱れるでもない。自分だとは知らせまいとお思いになるが、どうしてこういうことになったのかと、後から考えるだろうことも、自分にとってはどうということはないが、あの薄情な女が、強情に世間体を名を憚っているのも、やはり気の毒なので、度々の方違えにかこつけてお出でになったことを、うまくとりつくろってお話になる。よく気のつく女ならば察しがつくであろうが、まだ経験の浅い分別では、あれほどおませに見えたようでもそこまでは見抜けない。
憎くはないが、お心惹かれるようなところもない気がして、やはりあのいまいましい女の気持ちを、恨めしいとお思いになる。「どこにはい隠れて、愚か者だと思っているのだろう。このように強情な女はめったにいないものを」とお思いになるのも、困ったことに、気持ちを紛らすこともできず思い出さずにじゃいらっしゃれない。この女の、何も気づかず、初々しい感じもいじらしいので、それでも愛情濃やかに将来をお約束させなさる。
「世間に認められた仲よりも、このような仲こそ、愛情も勝るものと、昔の人も言っていました。あなたも同様に愛してくださいよ。世間を憚る事情がないわけでもないので、わが身ながらも思うにまかすことができないのです。また、あなたのご両親も許されないだろうと、今から胸が痛みます。忘れないで待っていて下さいよ」などと、いかにもありきたりにお話なさる。
「他の人に知られることが恥ずかしくて、お手紙を差し上げることができません」と無邪気に言う。
「誰彼となく、他人に言っては困りますが、この小さい殿上童に託して差し上げましょう。何げなく振る舞っていて下さい」
などと言い置いて、あの脱ぎ捨てて行ったと見える薄衣を取ってお出になった。
小君が近くに寝ていたのをお起こしになると、不安に思いながら寝ていたので、すぐに目を覚ました。妻戸を静かに押し開けると、年老いた女房の声で、
「あれは誰ですか」
と仰々しく尋ねる。厄介に思って、
「僕です」と答える。
「夜中に、これはまた、どうしてとお歩きなさいますか」
と世話焼き顔で、外へ出て来る。とても腹立たしく、
「違います。ここに出るだけです」
と言って、君をお出し申し上げると、暁方に近い月の光が明るく照っているので、ふと、人影が見えたので、
「もう一人いらっしゃるのは、誰ですか」と尋ねる。
「民部のおもとのようですね。けっこうな背丈ですこと」
と言う。背丈の高い人がいつも笑われることを言うのであった。老女房は、その人を連れていたのだと思って、
「今そのうちに、同じくらいの背丈におなりになるでしょう」
と言い言い、自分もこの妻戸から出て来る。困ったが、押し返すこともできず、渡殿の戸口に身を寄せて隠れて立っていらっしゃると、この老女房が近寄って、
「おもとは、今夜は、上に詰めていらっしゃったのですか。一昨日からお腹の具合が悪くて、我慢できませんでしたので、下におりていましたが、人少なであると、お召しがあったので、昨夜参上しましたが、やはり、我慢できないようなので」と苦しがる。返事も聞かないで、「ああ、お腹が、お腹が。また後で」
と言って通り過ぎて行ったので、ようやくのことでお出になる。やはりこうした忍び歩きは軽率で危ないものだと、ますますお懲りになられたことであろう。
小君を、お車の後ろに乗せて、二条院にお着きになった。出来事をおっしゃって、「愚かであった」と軽蔑なさって、あの女の気持ちを爪弾きしながらお恨みなさる。気の毒で、何とも申し上げられない。
「とてもひどく嫌っておいでのようなので、わが身が嫌になってしまった。どうして、逢って下さらないまでも、親しい返事ぐらいはして下さらないのだろうか。伊予介に及ばないわが身だ」
などと、気にくわないと思っておっしゃる。先程の小袿を、そうは言うものの、お召物の下に引き入れて、お寝みになった。小君をお側に寝かせて、いろいろと恨み言をいい、かつまた、優しくお話なさる。
「おまえは、かわいいけれど、つれない女の弟だと思うと、いつまでもかわいがってやれるともわからない」
と真面目におっしゃるので、とても辛いと思った。
しばらくの間、横になっていられたが、お眠りになれない。御硯を急に用意させて、わざわざのお手紙ではなく、畳紙に手習いのように思うままに書き連ねなさる。
「蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですが
やはり人柄が懐かしく思われます」
とお書きになったのを、懐に入れて持って行く。あの女もどう思っているだろうかと、気の毒に思うが、いろいろとお思い返しなさって、お言づけもない。あの薄衣は、小袿のとても懐かしい人香が染み込んでいるので、いつもお側近くに置いて見ていらっしゃった。
小君は、あちらに行ったところ、姉君が待ち構えていて、厳しくお叱りになる。
「とんでもないことであったのに。何とか人目はごまかしても、人の疑いはどうすることもできないので、ほんとうに困ったこと。まことにこのように幼く浅はかな考えを、また、どうお思いなさっていようか」
と言って、お叱りになる。どちらから言っても辛く思うが、あのお手紙を取り出した。そうは言ったものの、手に取って御覧になる。あの脱ぎ捨てた小袿を、どのように、「伊勢をの海人」のように汗臭くはなかったろうか、と思うのも気が気でなく、いろいろと思い乱れて。
西の君も、何とはなく恥ずかしい気持ちがしてお帰りになった。他に知っている人もない事なので、一人物思いに耽っていた。小君が行き来するにつけても、胸ばかりが締めつけられるが、お手紙もない。あまりのことだと気づくすべもなくて、陽気な性格ながら、何となく悲しい思いをしているようである。
薄情な女も、そのように落ち着いてはいるが、通り一遍とも思えないご様子を、結婚する前のわが身であったらと、昔に返れるものではないが、堪えることができないので、この懐紙の片端の方に、
「空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないように
わたしもひそかに、涙で袖を濡らしております」
4. 夕顔
光る源氏の17歳夏から立冬の日までの物語
- 源氏、五条の大弐乳母を見舞う 六条辺りのお忍び通いのころ
- 数日後、夕顔の宿の報告 惟光、数日して参上した
1 夕顔の物語 夏の物語
- 空蝉の夫、伊予国から上京す ところで、あの空蝉のあきれるほど冷淡だったのを
2 空蝉の物語
- 霧深き朝帰りの物語 秋にもなった。誰のせいからでもなく、自ら求めて
3 六条の貴婦人の物語 初秋の物語
- 源氏、夕顔の宿に忍び通う それはそうと、あの惟光の管理人の偵察は
- 八月十五夜の逢瀬 君も、「このように無心に油断させて隠れてしまったなら
- なにがしの院に移る ためらっている月のように、出し抜けに行く先も分からず出かけることを
- 夜半、もののけ現われる 宵を過ぎるころ、少し寝入りなさった時に
- 源氏、二条院に帰る ようやくのことで、惟光朝臣が参上した
- 十七日夜、夕顔の葬送 日が暮れて、惟光が参上した。これこれの穢れがあるとおっしゃって
- 忌み明ける 九月二十日のころに、病状がすっかりご回復なさって
4 夕顔の物語(2) 仲秋の物語
- 紀伊守邸の女たちと和歌の贈答 あの、伊予介の家の小君は、参上する折はあるが
5 空蝉の物語(2)
- 四十九日忌の法要 あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において
6 夕顔の物語(3)
- 空蝉、伊予国に下る 伊予介は、神無月の朔日ころに下る
7 空蝉の物語(3)
六条辺りのお忍び通いのころ、内裏からご退出なさる休息所に、大弍の乳母がひどく病んで尼になっていたのを、見舞おうとして、五条にある家を尋ねていらっしゃった。
お車が入るべき正門は鎖してあったので、供人に惟光を呼ばせて、お待ちあそばす間、むさ苦しげな大路の様子を見渡していらっしゃると、この家の隣に、桧垣という物を新しく作って、上は半蔀を四、五間ほどずっと吊り上げて、簾などもとても白く涼しそうなところに、美しい額際の透き影が、たくさん見えて覗いている。立ち動き回っているらしい下半身を想像すると、やたらに背丈の高い気がする。どのような者が住んでいるのだろうと、一風変わった様子にお思いになる。
お車もひどく地味になさり、先払いもおさせにならず、誰と分かろうと気をお許しなさって、少し顔を出して御覧になっていると、門は蔀のようなのを押し上げてあるが、覗き込む程もなく、ささやかな住まいを、しみじみと、「どの家を終生の宿とできようか」とお考えになってみると、玉の台も同じことである。
切懸めいた物に、とても青々とした蔓草が気持ちよさそうに這いまつわっているところに、白い花が、自分ひとり微笑んで咲いている。
「遠方の人にお尋ねする」
と独り言をおっしゃると、御随身がひざまずいて、
「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。花の名は人並のようで、このような賎しい垣根に咲くのでございます」
と申し上げる。なるほど、とても小さい家が多くて、むさ苦しそうな界隈の、ここもかしこも、見苦しくちょっと傾いて、頼りなさそうな軒の端などに這いまつわっているのを、
「気の毒な花の運命よ。一房手折ってまいれ」
とおっしゃるので、この押し上げてある門から入って折る。
そうは言うものの、しゃれた遣戸口に、黄色い生絹の単重袴を、長く着こなした女童で、かわいらしげな子が出て来て、ちょっと招く。白い扇でたいそう香を薫きしめたのを、
「これに載せて差し上げなさいね。枝も風情なさそうな花ですもの」
と言って与えたので、門を開けて惟光朝臣が出て来たのを取り次がせて、差し上げさせる。
「鍵を置き忘れまして、大変にご迷惑をお掛けいたしました。どなた様と分別申し上げられる者もおりませぬ辺りですが、ごみどみした大路にお立ちあそばして」とお詫び申し上げる。
引き入れて、お下りになる。惟光の兄の阿闍梨、婿の三河守、娘などが、寄り集まっているところに、このようにお越しあそばされたお礼を、この上ないことと恐縮申し上げる。
尼君も起き上がって、
「惜しくもない身ですが、出家しがたく存じておりましたことは、ただ、このようにお目にかかり、御覧に入れる姿が変わってしまったことを残念に存じて、ためらっていましたが、受戒の効果があって生き返って、このようにお越しあそばしますのを、お目にかかれましたので、今は、阿彌陀のご来迎も、心残りなく待つことができましょう」
などと申し上げて、弱々しく泣く。
「いく日も、思わしくなくいらっしゃるのを、案じて心痛めていましたが、このように、出家された姿でいらっしゃると、まことに悲しく残念で。長生きをして、さらに位が高くなるのなども御覧下さい。そうしてから、九品の最上位にも、差し障りなくお生まれ変わり下さい。この世に少しでも執着が残るのは、悪いことと聞いています」など、涙ぐんでおっしゃる。
不出来な子でさえも、乳母のようなかわいがるはずの人は、あきれるくらいに完全無欠に思い込むものを、まして、まことに光栄にも、親しくお世話申し上げたわが身も、大切にもったいなく思われるようなので、わけもなく涙に濡れるのである。
子供たちは、とてもみっともないと思って、「捨てたこの世に未練あるように、ご自身から泣き顔をお目にかけていなさる」と言って、突き合い目配せし合う。
君は、とてもしみじみと感じられて、
「幼かったころに、かわいがってくれるはずの方々が亡くなってしまわれた後は、養育してくれる人々はたくさんいるようであったが、親しく甘えられる人は、他にいなく思われました。成人して後は、きまりがあるので、朝夕にもお目にかかれず、思い通りにお訪ね申すことはなかったが、やはり久しくお会いしない時は、心細く思われましたが、『避けられない別れなどはあってほしくないものだ』と思われます」
などと、じっくりとお話なさって、お拭いになる袖の匂いも、とても辺り狭しと薫り満ちているので、なるほど、考えてみれば、並々の人でないご運命であったと、尼君を非難がましく見ていた子供たちも、皆涙ぐんだ。
修法など、重ねて始めるべき事などをお命じあそばして、お立ちになろうとして、惟光に紙燭を持って来させて、先程の扇を御覧になると、使い慣らした移り香が、とても深く染み込んで慕わしくて美しく書き流してある。
「当て推量に貴方さまでしょうと思います
白露の光を加えて美しい夕顔の花は」
誰とも分からないように書き紛らわしているのも、上品に教養が見えるので、とても意外に、興味を惹かれなさる。惟光に、
「この西にある家は、何者が住むのか。尋ね聞いているか」
とお尋ねになると、いつもの厄介なお癖とは思うが、そうは申さず、
「この五、六日ここにおりますが、病人のことを心配して看護しております時なので、隣のことは聞けません」
などと、無愛想に申し上げるので、
「憎らしいと思っているな。けれど、この扇の、尋ねねばならない理由がありそうに思われるのを。やはり、この界隈の事情を知っている者を呼んで尋ねよ」
とおっしゃると、入って行って、この家守である男を呼んで尋ね聞く。
「揚名介である人の家だそうでございました。男は田舎に下向して、妻は若く派手好きで、姉妹などが宮仕え人として行き来している、と申します。詳しいことは、下人にはよく分からないのでございましょう」と申し上げる。
「では、その宮仕人というようだ。得意顔に物慣れて詠みかけてきたものよ」と、「きっと興覚めしそうな身分ではなかろうか」とお思いになるが、名指して詠みかけてきた気持ちが、憎からず過ごしがたいのが、例によって、こういった方面には、重々しくないご性分なのであろう。御畳紙にすっかり別筆にお書きになって、
「もっと近寄って誰ともはっきり見たらどうでしょう
黄昏時にぼんやりと見えた花の夕顔を」
先程の御随身をお遣わしになる。
まだ見たことのないお姿であったが、まことにはっきりと推察されなさるおん横顔を見過ごさないで、さっそく詠みかけたのに、返歌をなさらないで時間が過ぎたので、何となく体裁悪く思っていたところに、このようにわざわざ来たというふうだったので、いい気になって、「何と申し上げよう」などと言い合っているようだが、生意気なと思って、随身は帰参した。
御前駆の松明が弱く照らして、とてもひっそりとお出になる。半蔀は下ろしてあった。隙間隙間から見える灯火の明りは、螢よりもさらに微かで哀れである。
お目当ての所では、木立や前栽などが、世間一般の所と違い、とてもゆったりと奥ゆかしく住んでいらっしゃる。気の置けるご様子などが、他の人とは格別なので、先程の垣根はお思い出されるはずもない。
翌朝、少しお寝過ごしなさって、日が差し出るころにお帰りになる。朝帰りの姿は、なるほど、人がお褒め申し上げるようなのも、もっともであるご様子なのであった。
今日もこの半蔀の前をお通り過ぎになる。今までにも通り過ぎなさった辺りであるが、わずかちょっとしたことでお気持ちを惹かれて、「どのような人の住んでいる家なのだろう」と思っては、行き帰りにお目が止まるのであった。
惟光、数日して参上した。
「患っております者が、依然として弱そうでございましたので、いろいろと看病いたしておりまして」
などと挨拶申し上げて、近くに上って申し上げる。
「お尋ねになられました後に、隣のことを知っております者を、呼んで尋ねさせましたが、はっきりとは申しません。『ごく内密に、五月のころからおいでの方があるようですが、誰それとは、全然その家の内の人にさえ知らせません』と申します。時々、中垣から覗き見しますと、なるほど、若い女たちの透き影が見えます。褶めいた物を、申しわけ程度にひっかけて、仕える主人がいるようでございます。昨日、夕日がいっぱいに射し込んでいました時に、手紙を書こうとして座っていました人の顔が、とてもようございました。憂えに沈んでいるような感じがして、側にいる女房たちも涙を隠して泣いている様子などが、はっきりと見えました」
と申し上げる。君はにっこりなさって、「知りたいものだ」とお思いになった。
声望こそ重々しいはずのご身分であるが、ご年齢のほど、人が追従しお褒め申し上げている様子などを考えると、興味をお感じにならないのも、風情がなくきっと物足りない気がするだろうが、人が承知しない身分でさえ、やはり、相当な人のことには、興味をそそられるものだから、と思っている。
「もしや、拝見いたすこともありましょうかと、ちょっとした機会を作って、恋文などを出してみました。書きなれている筆跡で、素早く返事など寄こしました。たいして悪くはない若い女房たちがいるようでございます」
と申し上げると、
「さらに近づけ。突き止めないでは、物足りない気がする」とおっしゃる。
あの、下層の最下層だと、人が見下した住まいであるが、その中にも、意外に結構なのを見つけたらばと、珍しくお思いになるのであった。
ところで、あの空蝉のあきれるほど冷淡だったのを、世間一般の女性とは違ってお思いになると、素直であったならば、気の毒な過ちをしたと思ってやめられようが、まことに悔しく、振られて終わってしまいそうなのが、気にならない時がない。このような並々の女性までは、お思いにならなかったのだが、先日の「雨夜の品定め」の後は、興味をお持ちになった階層階層があることによって、ますます残る隈なくご関心をお持ちになった方のようであるよ。
疑いもせずにお待ち申しているらしいもう一人の女を、いじらしいとお思いにならないわけではないが、何くわぬ顔で聞いていたろうことが恥ずかしいので、「まずは、この女の気持ちを見定めてから」とお思いになっているうちに、伊予介が上京した。
まっさきに急いで参上した。船路のせいで、少し黒く日焼けしている旅姿は、とても野暮くさくて気に入らない。けれど、人品も相当な血筋で、容貌などは年はとっているが、小綺麗で、人並優れて品格や趣向などがそなわっているのであった。
任国の話などを申す時に、「湯桁はいくつ」と、お尋ねしたくお思いになるが、わけもなく正視できなくて、お心の中に思い出されることもさまざまである。
「実直な年配者を、このように思うのも、いかにも馬鹿らしく後ろ暗いことであるよ。いかにも、これが、尋常ならざる不埒なことだった」と、左馬頭の忠告をお思い出しになって、気の毒なので、「冷淡な気持ちは憎いが、夫のためには、立派だ」とお考え直しになる。
「娘を適当な人に縁づけて、北の方を連れて下るつもりだ」と、お聞きになると、あれやこれやと気持ちが落ち着かなくて、「もう一度逢えないものか」と、小君に相談なさるが、相手が同意したようなことでさえ、軽々とお忍びになるのは難しいのに、まして、不釣り合いな関係と思って、今さら見苦しかろうと、思い絶っている。
そうは言っても、すっかりお忘れになられることも、まことにつまらなく、嫌にちがいないことと思って、適当な折々のお返事など、親しく度々差し上げては、何気ない書きぶりに詠み込まれた返歌は、不思議とかわいらしげに、お目に止まるようなことを書き加えなどして、恋しく思わずにはいられない人の様子なので、冷淡で癪な女と思うものの、忘れがたい人とお思いになっている。
もう一人は、夫がしっかりできても、変わらず心を許しそうに見えたのを当てにして、いろいろとお聞きになるが、お心も動かさないのであった。
秋にもなった。誰のせいからでもなく、自ら求めて物思いに心を尽くされることどもがあって、大殿には、と絶えがちなので、恨めしくばかりお思い申し上げていらっしゃった。
六条辺りの御方にも、気の置けたころのご様子をお靡かせ申し上げてから後は、うって変わって、通り一遍な扱いのようなのは、お気の毒である。けれど、他人でいたころのご執心のように、無理無体なことがないのも、どうしたことかと思われた。
女は、たいそう何事も度を越すほど、お思い詰めなさるご性格なので、年齢も釣り合わず、人が漏れ聞いたら、ますますこのような辛い訪れない夜な夜なの寝覚めを、お悩み悲しまれることが、とてもあれこれと多いのである。
霧の大層深い朝、ひどく急かされなさって、眠そうな様子で、溜息をつきながらお出になるのを、中将のおもとが、御格子を一間上げて、お見送りなさいませ、という心遣いらしく、御几帳を引き開けたので、御頭をもち上げて御覧になった。
前栽が色とりどりに咲き乱れているのを、行き過ぎにくそうにためらっていらっしゃる姿が、なるほど二人といない。廊の方へいらっしゃる時に、中将の君が、お供申し上げる。紫苑色で、季節に適った羅の裳、くっきりと結んだ腰つきは、物柔らかで優美である。
見返りなさって、隅の間の高欄に、少しの間、お座らせなさった。きちんとした態度、黒髪のかかり具合、見事な、と御覧になる。
「咲いている花に心を移したという風評は憚られますが
やはり手折らずには行き過ごしがたい今朝の朝顔の花です
どうしよう」
と言って、手を捉えなさると、まことに馴れたふうに素早く、
「朝霧の晴れる間も待たないでお帰りになるご様子なので
朝顔の花に心を止めていないものと思われます」
と、主人のことにしてお返事申し上げる。
かわいらしい童女で、姿が目安く、格別の格好をしている、指貫の裾を、露っぽく濡らし、花の中に入り混じって、朝顔を手折って差し上げるところなど、絵に描きたいほどである。
通り一遍に、ちょっと拝見する人でさえ、心を止め申さない者はない。物の情趣を解さない山賎も、花の下では、やはり休息したいものなのであろうか、このお美しさを拝する人々は、身分身分に応じて、自分のかわいいと思う娘を、ご奉公に差し上げたいと願い、あるいは、恥ずかしくないと思う姉妹などを持っている人は、下仕えであっても、やはり、このお方の側にご奉公させたいと、思わない者はいなかった。
まして、何かの折のお言葉でも、優しいお姿を拝する人で、少し物の情趣を解せる人は、どうしていい加減にお思い申し上げよう。一日中くつろいだご様子でおいでにならないのを、物足りないことと思うようである。
それはそうと、あの惟光の管理人の偵察は、とても詳しく事情を探ってご報告する。
「誰であるかは、まったく分かりません。世間にひどく隠れ潜んでいる様子に見えますが、暇にまかせて、南の半蔀のある長屋に移って来ては、牛車の音がすると、若い女房たちが覗き見などをするようですが、この主人と思われる女も、来る時があるようでございまして。容貌は、ぼんやりとではありますが、とてもかわいらしげでございます。
先日、先払いをして通る牛車がございましたのを、覗き見て、女童が急いで、『右近の君さま、早く御覧なさい。中将殿が、ここをお通り過ぎになってしまいます』と言うと、他に、見苦しくない女房が出て来て、『静かに』と手で制しながらも、『どうしてそうと分かりますか。どれ、見てみよう』と言って、渡って来ます。打橋のようなものを通路にして、行き来するのでございます。急いで来た者は、衣の裾を何かに引っ掛けて、よろよろと倒れて、橋から落ちてしまいそうになったので、『まあ、この葛城の神は、危なっかしく拵えたこと』と、文句を言って、覗き見の興味も冷めてしまったようでした。『君は、直衣姿で、御随身どももいました。あの人は誰、この人は誰』と数えたのは、頭中将の随身や、その小舎人童を、証拠に言っておりました」などと申し上げると、
「確かにその車を見たのならよかったのに」
とおっしゃって、「もしや、あの愛しく忘れ難かった女であろうか」と、思いつかれるにつけても、とても知りたげなご様子を見て、
「わたしの懸想も首尾よく致して、様子もすっかり存じておりながら、ただ、同じ同輩どうしと思わせて、話しかけてくる若い近習がございますので、空とぼけたふりして、隠れて通っています。とてもうまく隠していると思って、小さい子供などのございますのが、言い間違いそうになるのも、ごまかして、別に主人のいない様子を無理に装っています」などと、話して笑う。
「尼君のお見舞いに伺った折に、垣間見させよ」とおっしゃるのであった。
一時的にせよ、住んでいる家の程度を思うと、「これこそ、あの左馬頭が判定して、貶んだ下の品であろう。その中に予想外におもしろい事があったら」などと、お思いになるのであった。
惟光は、どんな些細なことでもお心に違うまいと思うが、自分も抜けめない好色人なので、大変に策を労しあちこち段取りをつけ、しゃにむにお通わし始めたのであった。この辺の事情は、こまごまと煩わしくなるので、例によって省略した。
女を、はっきり誰とお確かめになれないので、ご自分も名乗りをなさらず、ひどくむやみに粗末な身なりをなさっては、いつもと違って直接に身を入れてお通いになるのは、並々ならぬご執心なのであろう、と考えると、自分の馬を差し上げて、お供して走りまわる。
「懸想人のひどく人げない徒ち歩き姿を、見つけられましては、辛いものですね」とこぼすが、他人に知らせなさらないこととして、あの夕顔の案内をした随身だけ、その他には、顔をまったく知られてないはずの童一人だけを、連れていらっしゃるのであった。「万一思い当たる気配もあろうか」と慮って、隣に中休みをさえなさらない。
女も、とても不審に合点がゆかない気ばかりして、お文使いに人を付けたり、払暁の道を尾行させ、お住まいを現すだろうと追跡するが、どこと分からなく晦まし晦ましして、そうは言っても、かわいく逢わないではいられず、この女がお心に掛かっているので、不都合で軽々しい行為だと、反省しては困り困り、とても頻繁にお通いになる。
このような方面では、実直な人の乱れる時もあるが、とても見苦しくなく自重なさって、人が非難申し上げるような振る舞いはなさらなかったが、不思議なまでに、今朝の間、昼間の逢わないでいる間も、逢いたくなど、お思い悩みになるので、他方では、ひどく気違いじみており、それほど熱中するに相応しいことではない、と、つとめて熱をお冷ましになるが、女の感じは、とても驚くほど従順でおっとりとして、物事に思慮深く慎重な方面は劣って、一途に子供っぽいようでいながら、男女の仲を知らないでもない。たいして高い身分ではあるまい、どこにひどくこうまで心惹かれるのだろう、と繰り返しお思いになる。
とてもわざとらしくして、ご装束も粗末な狩衣をお召しになり、姿を変え、顔も少しもお見せにならず、深夜ごろに、人の寝静まるのを待ってお出入りなどなさるので、昔あったという変化のものじみて、気味悪く嘆息されるが、男性のご様子、そうは言うものの、手触りでも分かることができたので、「いったい、どなたであろうか。やはりこの好色人が手引きして始まったことらしい」と、大夫を疑ってみるが、つとめて何くわぬ顔を装って、まったく知らない様子に、せっせと色恋に励んでいるので、どのようなことかとわけが分からず、女の方も不思議な変わった物思いをするのであった。
君も、「このように無心に油断させて隠れてしまったなら、どこを目当てにしてか、わたしも尋ねられよう。仮の宿と、また一方では思われるので、どこともどことも、移って行くような日を、いつとも分からないだろう」とお思いになると、後を追い見失って、どうでもよく諦めがつくものなら、ただこのような遊び事で終わっても済まされようが、まったくそうして過そう、とはお思いになれない。人目をお憚りになって、お途絶えになる夜な夜ななどは、とても我慢ができず、苦しいまでにお思いになるので、「やはり、誰と知らせずに二条院に迎えてしまおう。もし世間に評判になって不都合なことであっても、そうなるはずの運命なのだ。我ながら、ひどくこう女に惹かれることはなかったのに、どのような宿縁であったのだろうか」などお思いよりになる。
「さあ、とても気楽な所で、のんびりとお話しよう」
などと、お誘いになると、
「やはり、変ですわ。そうおっしゃいますが、普通とは違ったお持てなしなので、何となく空恐ろしい気がしますわ」
と、とても子供っぽく言うので、「なるほど」と、思わずにっこりなさって、
「なるほど、どちらが狐でしょうかね。ただ、化かされなさいな」
と、優しそうにおっしゃると、女もすっかりその気になって、そうであってもいいと思っている。「世間に例のない、おかしなことであっても、一途に従順な心は、実にかわいい女だ」と、お思いになると、やはり、あの頭中将の「常夏」かと疑われて、話した性質を、まっさきにお思い出されなさったが、「隠すような事情が」と、むやみにお聞き出しなさらない。
表情に現して、不意に逃げ隠れするような性質などはないので、「離れ離れに、絶え間を置いたような折には、そのように気を変えることもあろうが、女のほうから、少し浮気することがあったほうが愛情も増さるであろう」とまで、お思いになった。
八月十五日夜、満月の光が、隙間の多い板葺きの家に、すっかり射し込んで来て、ご経験のない住居の様子も珍しいうちに、払暁近くなったのであろう、隣の家々からの、賎しい下男の声々が、目を覚まして、
「ああ、ひどく寒いなあ」
「今年は、商売も当てになる所も少なく、田舎への行き来も望めないから、ひどく心細いなあ。北隣さん、お聞きなさるか」
などと言い交わしているのも聞こえる。
まことにほそぼそとした各自の生計のために起き出して、ざわめいているのも間近なのを、女はとても恥ずかしく思っている。
優美に風流めかすような人は、消え入りたいほどの住居の様子のようである。けれでも、のんびりと、辛いことも嫌なことも気恥ずかしいことも、気にかける様子でなく、自身の態度や様子は、とても上品でおっとりして、またとないくらい下品な隣のぶしつけさを、どのようなこととも知っている様子でないので、かえって恥ずかしがり赤くなるよりは罪がないように思われるのであった。
ごろごろと、鳴る雷よりも騒がしく、踏み轟かす唐臼の音も、枕上かと聞こえる。「ああ、やかましい」と、これには閉口されなさる。何の轟音ともお分りにならず、とても不思議で、耳障りな音だとばかりお聞きになる。ごたごたしたことばかり多かった。
白妙の衣を打つ砧の音も、かすかにあちらこちらからと聞こえて来、空飛ぶ雁の声も、一緒になって、堪えきれない情趣が多い。端近いご座所だったので、遣戸を引き開けて、一緒に外を御覧になる。広くもない庭に、しゃれた呉竹や、前栽の露は、やはりこのような所も同じように光っていた。虫の声々が入り乱れ、壁の内側のこおろぎでさえ、時たまお聞きになっているお耳に、じかに押し付けたように鳴き乱れているのを、かえって違った感じにお思いなさるのも、お気持ちの深さゆえに、すべての欠点が許されるのであろうよ。
白い袷、薄紫色の柔らかい衣を重ね着て、地味な姿態は、とてもかわいらしげに心惹かれる感じがして、どこそこと取り立てて優れた所はないが、か細くしなやかな感じがして、何かちょっと言った感じは、「ああ、いじらしい」と、ただもうかわいく思われる。気取ったところをもう少し加えたらと、御覧になりながら、なおもくつろいで逢いたく思われなさるので、
「さあ、ちょっとこの辺の近い所で、気楽に過ごそう。こうしてばかりいては、とても辛いなあ」とおっしゃると、
「とてもそんな。急でしょう」
と、とてもおっとりと言って座っている。この世だけでない約束などまで信頼なさっているので、気を許す心根などが、不思議に普通と違って、世慣れた女とも思われないので、人の思惑も慮ることもおできになれず、右近を召し出して、随身を呼ばせなさって、お車を引き入れさせなさる。この家の女房たちも、このようなお気持ちが並大抵でないのが分かるので、不安に思いながらもお頼り申し上げていた。
明け方も近くなったのであった。鶏の声などは聞こえないで、御嶽精進であろうか、ただ老人めいた声で礼拝するのが聞こえる。立ったり座ったりの様子、難儀そうに勤行する。たいそうしみじみと、「朝の露と違わないこの世を、何を欲張りわが身の利益を祈るのだろうか」と、お聞きになる。「南無当来導師」と言って、拝んでいるようだ。
「あれを、お聞きなさい。この世だけとは思っていないのだね」と、哀れがりなさって、
「優婆塞が勤行しているのを道しるべにして
来世にも深い約束に背かないで下さい」
長生殿の昔の例は縁起が悪いので、翼を交そうとは言わずに、弥勒の世を約束なさる。来世までのお約束は、まことに大げさである。
「前世の宿縁の拙さが身につまされるので
来世まではとても頼りかねます」
このような返歌のし方なども、そうは言うものの、心細いようである。
ためらっている月のように、出し抜けに行く先も分からず出かけることを、女は躊躇し、いろいろと説得なさるうちに、急に雲に隠れて、明け行く空は実に美しい。体裁の悪くなる前にと、いつものように急いでお出になって、軽々とお乗せになったので、右近が乗った。
その辺りに近い某院にお着きあそばして、管理人をお呼び出しになる間、荒れた門の忍草が生い茂っていて見上げられるが、譬えようなく木暗い。霧も深く、露っぽいところに、簾までを上げていらっしゃるので、お袖もひどく濡れてしまった。
「まだこのようなことを経験しなかったが、いろいろと気をもむことであるなあ。
昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか
わたしには経験したことのない明け方の道だ
ご経験ありますか」
とおっしゃる。女は、恥らって、
「山の端をどこと知らないで随って行く月は
途中で光が消えてしまうのではないでしょうか
心細くて」
と言って、何となく怖がって気味悪そうに思っているので、「あの建て込んでがいる小家に慣れているからだろう」と、おもしろくお思いになる。
お車を入れさせて、西の対にご座所など準備する間、高欄にお車を掛けて立てていらっしゃる。右近は、優美な心地がして、過去のことなども、一人思い出すのであった。管理人が一生懸命奔走している様子から、このご様子をすっかり知った。
ほのかに物が見えるころに、お下りになったようである。仮設えだが、こざっぱりと設けてある。
「お供に誰もおりませんなあ。ご不便なことよ」と言って、親しい下家司で、殿にも仕えている者だったので、参り寄って、「適当な人を、お呼びいたすべきではありませんか」などと、申し上げさせるが、
「特に人の来ないような隠れ家を求めたのだ。絶対に他には言うな」と口封じさせなさる。
お粥などを準備して差し上げるが、取り次ぐお給仕が揃わない。まだ経験のないご外泊に、「息長川」とお約束なさるより以外何もない。
日が高くなったころにお起きになって、格子を自らお上げになる。とてもひどく荒れて、人影もなく、はるばると見渡されて、木立がとても気味悪く鬱蒼と古びている。近くの草木などは、格別見所もなく、すっかり秋の野原となって、池も水草に埋もれているので、まことに恐ろしくなってしまった所であるよ。別納の方に、部屋などを設えて、人が住んでいるようだが、こちらは離れている。
「恐ろしい所になってしまった所だね。いくら何でも、鬼などもわたしを見逃すだろう」とおっしゃる。
お顔は依然として隠していらっしゃるが、女がとても辛いと思っているので、「なるほど、これ程深い仲になって隠しているようなのも、不自然なことだ」とお思いになって、
「夕露に花開いて顔をお見せするのは
道で会った縁からでしょうか
露の光はどうですか」
とおっしゃると、流し目に見やって、
「光輝いていると見ました夕顔の上露は
たそがれ時の見間違いでした」
とかすかに言う。おもしろいとお思いになる。なるほど、うちとけていらっしゃるご様子は、またとなく、場所が場所ゆえ、いっそう不吉なまでにお美しくお見えになる。
「いつまでも隠していらっしゃる辛さに、顕すまいと思っていたが、せめて今からでもお名乗り下さい。とても気味が悪い」
とおっしゃるが、「海人の子なので」と言って、依然としてうちとけない態度は、とても甘え過ぎている。
「それでは、これも『われから』のようだ」と、怨みまた一方では語り合いながら、一日お過ごしになる。
惟光が、お探し申して、お菓子などを差し上げさせる。右近が文句言うことは、やはり気の毒なので、お側に伺候させることもできない。「こんなにまでご執心でいられるのは、魅力的で、きっとそうに違いない様子なのだろう」と推量するにつけても、「自分がうまく言い寄ろうと思えばできたのを、お譲り申して、寛大なことよ」などと、失敬なことを考えている。
譬えようもなく静かな夕方の空をお眺めになって、奥の方は暗く何となく気味が悪いと、女は思っているので、端の簾を上げて、添い臥していらっしゃる。夕映えのお顔を互いに見交わして、女も、このような出来事を、意外に不思議な気持ちがする一方で、すべての嘆きを忘れて、少しずつ打ち解けていく様子は、実にかわいい。ぴったりとお側に一日中添ったままで、何かをとても怖がっている様子は、子供っぽくいじらしい。格子を早くお下ろしになって、大殿油を点灯させて、「すっかり深い仲となったご様子でいて、依然として心の中に隠し事をなさっているのが辛い」と、お恨みになる。
「主上には、どんなにかお探しあそばしていらっしゃろうか。どこを探していようか」と、思いをおはせになって、また一方では、「不思議な心だ。六条辺りでも、どんなにお思い悩んでいらっしゃることだろう。怨まれることも、辛いことだし、もっともなことだ」と、困ったことだと思われる人としては、まっさきにお思い出し申し上げなさる。無心に向かい合って座っているのを、かわいいとお思いになるにつれて、「あまり思慮深く、対座する者までが息が詰るようなご様子を、少し取り除きたいものだ」と、ついご比較されるのであった。
宵を過ぎるころ、少し寝入りなさった時に、おん枕上に、とても美しそうな女が座って、
「わたしがとても素晴らしい方とお慕い申し上げている人は、お訪ねもなさらず、このような、特に優れたところもない女を連れていらっしゃって、おかわいがりになさるのは、まことに癪にさわり辛い」
と言って、お側にいる人を掻き起こそうとする、と御覧になる。
魔物に襲われる気持ちがして、目をお覚ましになると、火も消えていたのであった。気持ち悪くお思いになるので、太刀を引き抜いて、そっとお置きになって、右近をお起こしになる。この人も怖がっている様子で、参り寄った。
「渡殿にいる宿直人を起こして、『紙燭をつけて参れ』と言いなさい」とおっしゃると、
「どうして行けましょうか。暗くて」と言うので、
「ああ、子供みたいな」と、ちょっとお笑いになって、手をお叩きになると、こだまが応える音、まことに気味が悪い。誰も聞こえないで参上しない間に、この女君は、ひどくふるえ脅えて、どうしてよいか分からなく思っている。汗もびっしょりになって、正気を失った様子である。
「むやみにお怖がりあそばすご性質ですから、どんなにかお怖がりのことでしょうか」と、右近も申し上げる。「ほんとうにか弱くて、昼も空ばかり見ていたものだが、気の毒に」とお思いになって、
「わたしが、誰か起こそう。手を叩くと、こだまが応える。まことにうるさい。ここに、もっと近く」
と言って、右近を引き寄せなさって、西の妻戸に出て、戸を押し開けなさると、渡殿の火も消えていたのであった。
風が少し吹いているうえに、人気も少なくて、仕えている者は皆寝ていた。この院の管理人の子供で、親しくお使いになる若い男、それから殿上童一人と、いつもの随身だけがいるのであった。お呼び寄せになると、お返事して起きたので、
「紙燭を点けて参れ。『随身も、弦打ちをして、絶えず音を立てていよ』と命じよ。人気のない所に、気を許して寝ている者があるか。惟光朝臣が来ていたようなのは」と、お尋ねあそばすと、
「控えていましたが、ご命令もない。早暁にお迎えに参上すべき旨申して、帰ってしまいました」と申し上げる。この、こう申す者は滝口の武士であったので、弓弦をまことに手馴れた様子に打ち鳴らして、「火の用心」と言いながら、管理人の部屋の方角へ行ったようだ。内裏をお思いやりになって、「名対面は過ぎたろう、滝口の宿直奏しは、ちょうど今ごろか」とご推量になるのは、まだ、さほど夜も更けていないのでは。
戻って入って、お確かめになると、女君はそのままに臥していて、右近は傍らにうつ伏していた。
「これはどうした。何と、気違いじみた怖がりようだ。荒れた所には、狐などのようなものが、人を脅かそうとして、何となく怖がらせるのだろう。わたしがいれば、そのようなものからは脅されない」と言って、引き起こしなさる。
「とても気味悪くて、取り乱している気分も悪うございますので、うつ伏しているのでございますよ。ご主人さまこそ、ひどく怖がっていらっしゃるでしょう」と言うので、
「そうだ。どうしてこんなに」と言って、探って御覧になると、息もしていない。揺すって御覧になるが、なよなよとして正体もない様子なので、「ほんとうにひどく子供じみた人なので、魔性のものに魅入られてしまったらしい」と、なすべき方法もない気がなさる。
紙燭を持って参った。右近も動ける状態でないので、近くの御几帳を引き寄せて、
「もっと近くに持って参れ」
とおっしゃる。いつもと違ったことなので、御前近くに参上できず、ためらっていて、長押にも上がれない。
「もっと近く持って来なさい。場所によるぞ」
と言って、召し寄せて御覧になると、ちょうどこの枕上に、夢に現れた姿をした女が、幻影のように現れて、ふっと消え失せた。
「昔物語などに、このようなことは聞くけれど」と、まことに珍しく気味悪いが、まず、「この女はどのようになったのか」とお思いになる不安に、わが身の上の危険もお顧みにならず、添い臥して、「もし、もし」と、お起こしになるが、すっかりもう冷たくなっていて、息はとっくにこと切れてしまっていたのであった。どうすることもできない。頼りになる、どうしたらよいかとご相談できるような人もいない。法師などは、このような時の頼みになる人とはお思いになるが。それほどお強がりになるが、お若い考えで、空しく死んでしまったのを御覧になると、どうしようもなくて、ひしと抱いて、
「おまえさま、生き返っておくれ。とても悲しい目に遭わさないでおくれ」
とおっしゃるが、冷たくなっていたので、感じも気味悪くなって行く。
右近は、ただ「ああ、気味悪い」と思っていた気持ちもすっかり冷めて、泣いて取り乱す様子はまことに大変である。
南殿の鬼が、某大臣を脅かした例をお思い出しになって、気強く、
「いくら何でも、死にはなさるまい。夜の声は大げさだ。静かに」
とお諌めになって、まったく突然の事なので、茫然とした気持ちでいらっしゃる。
管理人の子供を呼んで、
「ここに、まことに不思議に、魔性のものに魅入られた人が苦しそうなので、今すぐに、惟光朝臣の泊まっている家に行って、急いで参上するように言え、と命じなさい。某阿闍梨が、そこに居合わせていたら、ここに来るよう、こっそりと言いなさい。あの尼君などが聞こうから、大げさに言うな。このような忍び歩きは許さない人だ」
などと、用件をおっしゃるようだが、胸が一杯で、この人を死なせてしまったらどうしようかと、たまらなくお思いになるのに加えて、辺りの不気味さは、譬えようもない。
夜中も過ぎたのだろうよ、風がやや荒々しく吹いているのは。まして、松風の響きが、木深く聞こえて、異様な鳥がしわがれ声で鳴いているのも、「梟」と言う鳥はこのことかと思われる。あれこれと考え廻らすに、あちらこちらと、何となく遠く気味悪いうえに、人声はしない。「どうして、このような心細い外泊をしたのだろう」と、後悔してもしようがない。
右近は、何も考えられず、君にぴったりと寄り添い申して、震え死にそうである。「また、この人もどうなるだろう」と、気も上の空で掴まえていらっしゃる。自分一人しっかりした人で、途方に暮れていらっしゃるのであったよ。
灯火は微かにちらちらとして、母屋の境に立ててある屏風の上が、あちらこちらと陰って見えなさるうえに、魔性の物の足音が、ひしひしと踏み鳴らしながら、後方から近寄って来る気がする。「惟光よ、早く来て欲しい」とお思いになる。居場所が定まらぬ者なので、あちこち探したうちに、夜の明けるまでの待ち遠しさは、千夜を過すような気がなさる。
ようやくのことで、鶏の声が遠くで聞こえるにつけ、「危険を冒して、何の因縁で、このような辛い目に遭うのだあろう。我ながら、このようなことで、大それたあってはならない恋心の報復として、このような、後にも先にも語り草となってしまいそうなことが起こったのだろう。隠していても、実際に起こった事は隠しきれず、主上のお耳に入るだろうことを始めとして、世人が推量し噂するだろうことは、良くない京童べの噂になりそうだ。あげくのはて、馬鹿者の評判を立てられるにちがいない」と、思案される。
ようやくのことで、惟光朝臣が参上した。夜中、早朝の区別なく、御意のままに従う者が、今夜に限って控えていなくて、お呼び出しにまで遅れて参ったのを、憎らしいとお思いになるものの、呼び入れて、おっしゃろうとする内容が情けないので、すぐには何もおっしゃれない。右近は、大夫の様子を聞くと、初めからのことが、つい思い出されて泣くが、君も我慢なされず、自分一人気丈夫に抱いていらっしゃったが、この人を見てほっとなさって、悲しい気持ちにおなりになるのであったが、しばらくは、まことに大変にとめどもなくお泣きになる。
やっと気持ちを落ち着けて、「ここで、まことに奇妙な事件が起こったが、驚くと言っても言いようのないほどだ。このような危急のことには、誦経などをすると言うので、その手配をさせよう。願文なども立てさせようと思って、阿闍梨に来るようにと、言ってやったのは」
とおっしゃると、
「昨日、帰山してしまいました。それにしても、まことに奇妙なことでございますね。以前から、常とは違ってご気分のすぐれないことでもございましたのでしょうか」
「そのようなこともなかった」と言って、お泣きになる様子、とても優美でいたわしく、拝見する人もほんとうに悲しくて、自分も声を上げて泣いた。
何と言っても、年もとり、世の中のあれやこれやと、経験を積んだ人は、非常の時には頼もしいのであるが、どちらもどちらも若者同士で、どうしようもないが、
「この院の管理人などに聞かせることは、まことに不都合でしょう。この管理人一人は親密であっても、自然と口をすべらしてしまう身内も中にはいることでしょう。まずは、この院をお出なさいましね」と言う。
「ところで、ここより人少なな所がどうしてあろうか」とおっしゃる。
「なるほど、そうでございましょう。あの元の家は、女房などが、悲しみに耐えられず、泣き取り乱すでしょうし、隣家が多く、見咎める住人も多くございましょうから、自然と噂が立ちましょうが、山寺は、何と言ってもこのようなことも、自然ありがちで、目立たないことでございましょう」と、思案して、「昔、存じておりました女房が、尼になって住んでおります東山の辺に、お移し申し上げましょう。惟光めの父朝臣の乳母でございました者が、年老いて住んでいるのです。周囲は、人が多いようでございますが、とても閑静でございます」
と申し上げて、夜が明けて騒がしくなるころの騒がしさに紛れて、お車を寄せる。
この女をお抱きになることができそうにないので、上筵に包んで、惟光がお乗せ申す。とても小柄で、気味悪くもなく、かわいらしげである。しっかりとも包んでないので、髪はこぼれ出ているのも、目の前が真っ暗になって、何とも悲しい、とお思いになると、最後の様子を見届けたい、とお思いになるが、
「早く、お馬で、二条院へお帰りあそばしますよう。人騒がしくなりませぬうちに」
と言って、右近を添えて乗せると、徒歩で、君に馬はお譲り申して、裾を括り上げなどをして、かつ一方では、とても変で、奇妙な野辺送りだが、お悲しみの深いことを拝見すると、自分のことは考えずに行くが、君は何もお考えになれず、茫然自失の態で、お帰りになった。
女房たちは、「どこから、お帰りあそばしましたか。気分が悪そうにお見えあそばします」などと言うが、御帳の内側にお入りになって、胸を押さえて思うと、まことに悲しいので、「どうして、一緒に乗って行かなかったのだろう。もし生き返った場合、どのような気がするだろう。見捨てて行ってしまったと、辛く思うであろうか」と、気が動転しているうちにも、お思いやると、お胸のせき上げてくる気がなさる。お頭も痛く、身体も熱っぽい感じがして、とても苦しく、どうしてよいやら分からない気がなさるので、「こう元気がなくて、自分も死んでしまうのかも知れない」とお思いになる。
日は高くなるが、起き上がりなさらないので、女房たちは不思議に思って、お粥などをお勧め申し上げるが、気分が悪くて、とても気弱くお思いになっているところに、内裏からお使者が来る。昨日、お探し申し上げられなかったことで、御心配あそばしていらっしゃる。大殿の公達が参上なさるが、頭中将だけを、「立ったままで、ここにお入り下さい」とおっしゃって、御簾の内側のままでお話しなさる。
「乳母でございます者が、この五月のころから、重く患っておりました者が、髪を切り、受戒などをして、その甲斐があってか、生き返っていましたが、最近、再発して、弱くなっていますのが、「今一度、見舞ってくれ」と申していたので。幼いころから馴染んだ人が、今はの際に、辛いと思うだろうと、存じて参っていたところ、その家にいた下人で、病気していたのが、急に暇をとる間もなく亡くなってしまったのを、恐れ慎んで、日が暮れてから運び出したのを、聞きつけたので。神事のあるころで、まことに不都合なこと、と存じ謹慎して、参内できないのです。この早朝から、風邪でしょうか、頭がとても痛くて苦しうございますので、大変失礼したまま申し上げます次第」
などとおっしゃる。中将は、
「それでは、そのような旨を奏上しましょう。昨夜も、管弦の御遊の折に、畏れ多くもお探し申しあそばされて。御機嫌悪うございました」と申し上げなさって、また引き返して、「どのような穢れに遭遇あそばしたのですか。ご説明あそばされたことは、本当とは存じられません」
と言うので、胸がどきりとなさって、
「このように、詳しくではなく、ただ、意外な穢れに触れた由を、奏上なさって下さい。まったく不都合なことでございます」
と、さりげなくおっしゃるが、心中は、どうしようもなく悲しい事とお思いになるにつけ、ご気分もすぐれないので、誰ともお顔を合わせなさらない。蔵人の弁を呼び寄せて、きまじめにその旨を奏上させなさる。大殿などにも、これこれの事情があって、参上できないお手紙などを差し上げなさる。
日が暮れて、惟光が参上した。これこれの穢れがあるとおっしゃって、お見舞いの人々も、皆立ったままで帰るので、人目は多くない。呼び寄せて、
「どうであったか。臨終と見届けたか」
とおっしゃると同時に、袖をお顔に押し当ててお泣きになる。惟光も泣きながら、
「もはやご最期のようでいらっしゃいます。長々と一緒に籠っておりますのも不都合なので。明日、日柄がよろしうございますので、あれこれのこと、大変に尊い老僧で、知っております者に、連絡をつけました」と申し上げる。
「付き添っていた女はどうしたか」とおっしゃると、
「その者も、同様に、生きられそうにございませんようです。自分も死にたいと取り乱しまして、今朝は谷に飛び込みそうになったのを拝見しました。『あの前に住んでいた家の人に知らせよう』と申しますが、『今しばらく、落ち着きなさい、と。事情をよく考えてからに』と、宥めておきました」
とご報告申すにつれて、とても悲しくお思いになって、
「わたしも、とても気分が悪くて、どうなってしまうのであろうかと思われる」とおっしゃる。
「何を、この上くよくよお考えあそばしますか。そうなる運命で、万事があったので、ございましょう。誰にも聞かせまいと存じますので、惟光めが身を入れて、万事始末いたします」などと申す。
「そうだ。そのように何事も思ってはみるが、いい加減な遊び心から、人を死なせてしまった非難を受けねばならないのが、まことに辛いのだ。少将命婦などにも聞かせるな。尼君はましてこのようなことなど、お叱りになるから、恥ずかしい気がしよう」と、口封じなさる。
「その他の法師たちなどにも、すべて、説明は別々にしてございます」
と申し上げるので、頼りになさっている。
かすかに事情を聞く女房など、「変だ、何事だろうか、穢れに触れた旨をおっしゃって、宮中へも参内なさらず、また、このようにひそひそと話して嘆いていらっしゃる」と、ぼんやり不思議がる。
「重ねて無難に取り計らえ」と、葬式の作法をおっしゃるが、
「いやいや、大げさにする必要もございません」
と言って立つが、とても悲しく思わずにはいらっしゃれないので、
「きっと不都合なことと思うだろうが、今一度、あの死骸を見ないのが、とても心残りだから、馬で行ってみたい」
とおっしゃるのを、とても厄介な事だとは思うが、
「そのようにお思いになるならば、仕方ございません。早く、お出かけあそばして、夜が更けない前にお帰りあそばしませ」
と申し上げるので、最近のお忍び用にお作りになった、狩衣のご衣装に着替えなどしてお出かけになる。
お心はまっ暗闇で、大変に堪らないので、このような変な道に出て来たものの、危なかった懲り事で、どうしようかとお悩みになるが、やはり悲しみの晴らしようがなく、「現在の亡骸を見ないでは、再び来世で生前の姿を見られようか」と、悲しみを堪えなさって、いつものように惟光大夫、随身とを連れてお出掛けになる。
道中、遠く感じられる。十七日の月がさし出て、河原の辺り、御前駆の松明も仄かであるし、鳥辺野の方角などを見やった時など、何となく気味悪いのも、何ともお感じにならず、心乱れなさって、お着きになった。
周囲一帯までがぞっとする所なのに、板屋の隣に堂を建ててお勤めしている尼の家は、まことにもの寂しい。御燈明の光が、微かに隙間から見える。その家には、女一人の泣く声ばかりして、外の方に、法師たち二、三人が話をしいしい、特に声を立てない念仏を唱えている。寺々の初夜も、皆、お勤めが終わって、とても静かである。清水寺の方角は、光が多く見え、人の気配がたくさんあるのであった。この尼君の子である大徳が尊い声で、経を読んでいるので、涙も涸れんばかりに思わずにはいらっしゃれない。
お入りになると、燈火を背けて、右近は屏風を隔てて臥していた。どんなに侘しく思っているだろう、と御覧になる。気味悪さも感じられず、とてもかわいらしい様子をして、まだ少しも変わった所がない。手を握って、
「わたしに、もう一度、声だけでもお聞かせ下さい。どのような前世からの因縁があったのだろうか、少しの間に、心の限りを尽くして愛しいと思ったのに、残して逝って、途方に暮れさせなさるのが、あまりのこと」
と、声も惜しまず、お泣きになること、際限がない。
大徳たちも、誰とは知らないが、子細があると思って、皆、涙を落とした。
右近に、「さあ、二条へ」とおっしゃるが、
「長年、幼うございました時から、片時もお離れ申さず、馴れ親しみ申し上げてきた人に、急にお別れ申して、どこに帰ったらよいのでございましょう。どのようにおなりになったと、皆に申せましょう。悲しいことはさておいて、皆にとやかく言われましょうことが、辛いことで」と言って、泣き崩れて、「煙と一緒になって、後をお慕い申し上げましょう」と言う。
「ごもっともだが、世の中はそのようなものである。別れというもので、悲しくないものはない。先立つのも残されるのも、同じく寿命で定まったものである。気を取り直して、わたしを頼れ」と、お慰めになりながらも、「このように言う我が身こそが、生きながらえられそうにない気がする」
とおっしゃるのも、頼りない話である。
惟光、「夜は、明け方になってしまいましょう。早くお帰りあそばしませ」
と申し上げるので、振り返り振り返りばかりされて、胸も一杯のままお出になる。
道中とても露っぽいところに、更に大変な朝霧で、どこだか分からないような気がなさる。昨夜の姿のままに横たわっていた様子、互いにお掛け合いになって寝たが、その自分の紅のご衣装が着せ掛けてあったことなど、どのような前世の因縁であったのかと、道すがらお思いになる。お馬にも、しっかりとお乗りになることができそうにないご様子なので、再び、惟光が介添えしてお帰りあそばさせるが、堤の辺りで、馬からすべり下りて、ひどくご惑乱なさったので、
「こんな道端で、野垂れ死んでしまうのだろうか。まったく、帰り着けそうにない気がする」
とおっしゃるので、惟光も困惑して、「自分がしっかりしていたら、あのようにおっしゃっても、このような所にお連れ出し申し上げるべきではなかった」と反省すると、とても気が急くので、鴨川の水で手を洗い清めて、清水の観音をお拝み申しても、どうしようもなく途方に暮れる。
君も、無理に気を取り直して、心中に仏を拝みなさって、再び、あれこれ助けられなさって、二条院へお帰りになるのであった。
奇妙な深夜のお忍び歩きを、女房たちは、「みっともないこと。最近、いつもより落ち着きのないお忍び歩きが、うち続く中でも、昨日のご様子が、とても苦しそうでしたが。どうしてこのように、ふらふらお出歩きなさるのでしょう」と、嘆き合っていた。
ほんとうに、お臥せりになったままに、とてもひどくお苦しみになって、二、三日にもなったので、すっかり衰弱のようでいらっしゃる。帝におかせられても、お耳にあそばされ、嘆かれることはこの上ない。御祈祷を、方々の寺々にひっきりなしに大騒ぎする。祭り、祓い、修法など、数え上げたらきりがない。この世にまたとなく美しいご様子なので、長生きあそばされないのではないかと、国中の人々の騷ぎである。
苦しいご気分ながらも、あの右近を呼び寄せて、部屋などを近くにお与えになって、お仕えさせなさる。惟光は、気も転倒し慌てているが、気を落ち着けて、この右近が主人を亡くして悲しんでいるのを、支え助けてやりながら仕えさせる。
君は、少し気分のよろしく思われる時は、呼び寄せて使ったりなどなさるので、まもなく馴染んだ。喪服は、とても黒いのを着て、器量など良くはないが、どこといって欠点のない若い女である。
「不思議に短かったご宿縁に引かれて、わたしも生きていられないような気がする。長年の主人を亡って、心細く思っていましょう慰めにも、もし生きながらえたら、いろいろと面倒を見たいと思ったが、まもなく自分も後を追ってしまいそうなのが、残念なことだ」
と、ひっそりとおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、今さら言ってもしかたないことはさて措いても、「はなはだもったいないことだ」とお思い申し上げる。
お邸の人々は、足も地に着かないほど慌てる。内裏から、御勅使が、雨脚よりも格段に頻繁にある。お嘆きあそばされていらっしゃるのをお聞きになると、まことに恐れ多くて、無理に気を強くお持ちになる。大殿邸でも一生懸命に世話をなさって、大臣が、毎日お越しになっては、さまざまな加持祈祷をおさせなさる、その効果があってか、二十余日間、ひどく重く患っていらしゃったが、格別の余病もなく、回復された様子にお見えになる。
穢れを忌んでいらした期間と重なって明けた夜なので、御心配あそばされていらっしゃるお気持ちが、どうにも恐れ多いので、宮中のご宿直所に参内などなさる。大殿は、ご自分のお車でお迎え申し上げなさって、御物忌みや何やかやと、うるさくお慎みさせ申し上げなさる。ぼんやりとして、別世界にでも生き返ったように、暫くの間はお感じになる。
九月二十日のころに、病状がすっかりご回復なさって、とてもひどく面やつれしていらっしゃるが、かえって、たいそう優美で、物思いに沈みがちに、声を立ててお泣きばかりなさる。拝見して怪しむ女房もいて、「お物の怪がお憑きのようだわ」などと言う者もいる。
右近を呼び出して、のどかな夕暮に、お話などなさって、
「やはり、とても不思議だ。どうして誰とも知られまいと、お隠しになっていたのか。本当に賎しい人であっても、あれほど愛しているのを知らず、隠していらっしゃったので、辛かった」 とおっしゃると、
「どうして、深くお隠し申し上げなさる必要がございましょう。いつの折にか、たいした名でもないお名前を申し上げなさることができましょう。初めから、不思議な思いもかけなかったご関係なので、『現実とは思えない』とおっしゃって、『お名前を隠していらしたのも、あなた様でしょう』と存じ上げておられながら、『いい加減な遊び事として、お名前を隠していらっしゃるのだろう』と辛いことに、お思いになっていました」と申し上げるので、
「つまらない意地の張り合いであったな。自分は、そのように隠しておく気はなかった。ただ、このように人から許されない忍び歩きを、まだ経験ないことなのだ。主上が御注意あそばすことを始め、憚ることの多い身分で、ちょっと人に冗談を言うのも、窮屈なで、大げさに取りなし厄介な身であるが、ふとした夕方の事から、妙に心に掛かって、無理算段してお通い申したのも、このような運命がおありだったのだろうと思うと、気の毒で。また反対に、恨めしく思われる。こう長くはない宿縁であったれば、どうして、あれほど心底から愛しく思われなさったのだろう。もう少し詳しく話せ。今はもう、何を隠す必要があろう。七日毎に仏画を描かせても、誰のためと、心中にも祈ろうか」とおっしゃると、
「どうして、お隠し申し上げましょう。ご自身、お隠し続けていらしたことを、お亡くなりになった後に、口軽く言い洩らしては、と存じおりますばかりです。
ご両親は、早くお亡くなりになりました。三位中将と申しました。とてもおかわいがり申し上げられていましたが、ご自分の出世の思うにまかせぬのをお嘆きのようでしたが、お命までままならず亡くなってしまわれた後、ふとした縁で、頭中将が、まだ少将でいらした時に、お通い申し上げあそばすようになって、三年ほどの間は、ご誠意をもってお通いになりましたが、去年の秋ごろ、あの右大臣家から、とても恐ろしい事を言って寄こしたので、ものをむやみに怖がるご性質ゆえに、どうしてよいか分からなくお怖がりになって、西の京に、御乳母が住んでおります所に、こっそりとお隠れなさいました。そこもとてもむさ苦しい所ゆえ、お住みになりにくくて、山里に移ってしまおうと、お思いになっていたところ、今年からは方塞がりの方角でございましたので、違う方角へと思って、賎しい家においでになっていたところを、お見つけ申されてしまった事と、お嘆きのようでした。世間の人と違って、引っ込み思案をなさって、他人に物思いしている様子を見せるのを、恥ずかしいこととお思いなさって、さりげないふうを装って、お目にかかっていらっしゃるようでございました」
と、話し出すと、「そうであったのか」と、お思い合わせになって、ますます不憫さが増した。
「幼い子を行く方知れずにしたと、中将が残念がっていたのは、その子か」とお尋ねになる。
「さようでございます。一昨年の春に、お生まれになりました。女の子で、とてもかわいらしくて」と申し上げる。
「ところで、どこに。誰にもそうとは知らせず、わたしに下さい。あっけなくて、悲しいと思っている人のお形見として、まことに嬉しいことだろう」とおっしゃる。「あの中将にも伝えるべきだが、言っても始まらない恨み言を言われるだろう。あれこれにつけて、お育てするに不都合はあるまいから。その一緒にいる乳母などにも違ったふうに言い繕って、連れて来てくれ」
などとお話なさる。
「それならば、とても嬉しいことでございましょう。あの西の京でご成育なさるのは、不憫でございまして。これといった後見人もいないというので、あちらに」などと申し上げる。
夕暮の静かなころに、空の様子はとてもしみじみと感じられ、お庭先の前栽は枯れ枯れになり、虫の音も鳴き弱りはてて、紅葉がだんだん色づいて行くところが、絵に描いたように美しいのを見渡して、思いがけず結構な宮仕えをすることになったと、あの夕顔の宿を思い出すのも恥ずかしい。竹薮の中に家鳩という鳥が、太い声で鳴くのをお聞きになって、あの院でこの鳥が鳴いたのを、とても怖いと思っていた様子が、まぶたにかわいらしくお思い出されるので、
「年はいくつにおなりだったか。不思議に世間の人と違って、か弱くお見えであったのも、このように長生きできないからだったのだね」とおっしゃる。
「十九におなりだったでしょうか。右近めは、亡くなった乳母があとに残して逝きましたので、三位の君様がおかわいがり下さって、お側離れずにお育て下さいましたのを、思い出しますと、どうして生きておられましょう。どうしてこう深く親しんだのだろうと、悔やまれて。気弱そうでいらっしゃいました方のお気持ちを、頼むお方として、長年仕えてまいりましたこと」と申し上げる。
「頼りなげな人こそ、女はかわいらしいのだ。利口で我の強い人は、とても好きになれないものだ。自分自身がてきぱきとしっかりしていない性情から、女はただ素直で、うっかりすると男に欺かれてしまいそうなのが、そのくせ引っ込み思案で、男の心にはついていくのが、愛しくて、自分の思いのままに育てて一緒に暮らしたら、慕わしく思われることだろう」などと、おっしゃると、
「こちらのお好みには、きっとお似合いだったでしょうと、存じられますにつけても、残念なことでございますわ」と言って泣く。
空が少し曇って、風も冷たいので、とても感慨深く物思いに沈んで、
「恋しかった人が煙となり雲となってしまったと思って見ると
この夕方の空も親しく思われるよ」
と独り詠じられたが、ご返歌も申し上げられない。このように、生きていらしたならば、と思うにつけても、胸が一杯になる。耳障りであった砧の音を、お思い出しになるのまでが、恋しくて、「正に長き夜」と口ずさんで、お臥せりになった。
あの、伊予介の家の小君は、参上する折はあるが、特別に以前のような伝言もなさらないので、嫌なとお見限りになられたのを、つらいと思っていたところに、このようにご病気でいらっしゃるのを聞いて、やはり悲しい気がするのであった。遠く下るのなどが、何といっても心細い気がするので、お忘れになってしまったかと、試しに、
「承りまして、案じておりますが、口に出しては、とても、
お尋ねできませんことをなぜかとお尋ね下さらずに月日が経ましたが
どんなにか思い悩んでいらっしゃいますことやら
『益田』とは本当のことで」
と申し上げた。珍しいので、この女へも愛情はお忘れにならない。
「生きてる甲斐がないとは、誰の言うことでしょうか。
空蝉の世は嫌なものと知ってしまったのに
またもあなたの言の葉に期待を掛けて生きていこうと思います
頼りないことよ」
と、お手も震えなさるので、乱れ書きなさっているのは、ますます美しそうである。今だに、あの脱ぎ衣をお忘れにならないのを、気の毒にもおもしろくも思うのであった。
このように愛情がなくはなく、やりとりなさるが、身近にとは思ってもいないが、とはいえ、薄情な女だと思われてしまいたくない、と思うのであった。
あのもう一方は、蔵人少将を通わせていると、お聞きになる。「おかしなことだ。どう思っているだろう」と、少将の気持ちも同情し、また、その女の様子も興味があるので、小君を使いにして、「死ぬほど思っている気持ちは、お分かりでしょうか」と言っておやりになる。
「一夜の逢瀬なりとも『軒端荻』を契らなかったら
わずかばかりの恨み言も何を理由に言えましょうか」
丈高い荻に付けて、「こっそりと」とおっしゃったが、「間違って、少将が見つけて、わたしだったのだと、分かってしまったら。それでも、許してくれよう」と思う、高慢なお気持ちは、困ったものである。
少将のいない時に見せると、嫌なことと思うが、このようにお思い出しになったのも、やはり嬉しくて、お返事を、素早いのを取り柄として渡す。
「ほのめかされるお手紙を見るにつけても下荻のような
身分の賎しいわたしは、嬉しいながらも半ばは思い萎れています」
筆跡は下手なのを、分からないようにしゃれて書いている様子、品がない。燈火で見た顔を、お思い出しになる。「気を許さず対座していたあの人は、今でも思い捨てることのできない様子をしていたな。何の嗜みもありそうでなく、はしゃいで得意でいたことよ」とお思い出しになると、憎めなくなる。相変わらず、「こりずまに、またまた浮名が立ちそうな」好色心のようである。
あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において、略さずに、衣裳をはじめとして、必要な物どもを、心をこめて、誦経などおさせになった。経巻や、仏像の装飾まで簡略にせず、惟光の兄の阿闍梨が、大変に立派な人なので、見事に催すのであった。
ご学問の師で、親しくしていられる文章博士を呼んで、願文を作らせなさる。誰それと言わないで、愛しいと思っていた人が亡くなってしまったのを、阿彌陀にお譲り申す旨を、しみじみとお書き表しになると、
「まったくこのまま、書き加えることはございませんようです。」と申し上げる。
堪えていらっしゃったが、お涙もこぼれて、ひどくお悲しみでいるので、
「どのような方なのでしょう。誰それと噂にも上らないで、これほどにお嘆かせになるほどだった、宿運の高いこと」
と言うのであった。内々にお作らせになった装束の袴をお取り寄させなさって、
「泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐だが
いつの世のかまた再会してその時は共に結び合うことができようか」
「この日までは中有に彷徨っているというが、どの道に定まって行くことのだろうか」とお思いやりになりながら、念仏誦経をとても心こめてなさる。頭中将とお会いになる時にも、むやみに胸がどきどきして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいが、非難されるのを警戒して、お口にはお出しにならない。
あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと心配するが、そのまま尋ね当て申すことができない。右近までもが音信ないので、不思議だと困り合っていた。はっきりしないが、様子からそうではあるまいかと、ささめき合っていたので、惟光のせいにしたが、まるで問題にもせず、関係なく言い張って、相変わらず同じように通って来たので、ますます夢のような気がして、「もしや、受領の子息で好色な者が、頭の君に恐れ申して、そのまま、連れて下ってしまったのだろうか」と、想像するのだった。
この家の主人は、西の京の乳母の娘なのであった。三人乳母子がいたが、右近は腹違いだったので、「分け隔てして、ご様子を知らせないのだわ」と、泣き慕うのであった。右近は右近で、口やかましく非難するだろうことを思って、君も今になって洩らすまいと、お隠しになっているので、若君の身の上すら聞けず、まるきり消息不明のまま過ぎて行く。
君は、「せめて夢にでも逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなさって、次の夜に、ほのかに、あの某院そのまま、枕上に現れた女の様子も同じようにして見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに魅入ったきっかけで、こんなになってしまったのだ」と、お思い出しになるにつけても、気味の悪いことである。
伊予介は、神無月の朔日ころに下る。女方が下って行くというので、餞別を格別に気を配っておさせになる。別に、内々にも特別になさって、きめ細かな美しい格好の櫛や、扇を、たくさんにして、幣帛などを特別に大げさにして、あの小袿もお返しになる。
「再び逢う時までの形見の品と思って持っていましたが
すっかり涙で朽ちるまでになってしまいました」
こまごまとした事柄があるが、煩雑になるので書かない。
お使いは、帰ったけれど、小君を使いにして、小袿のお礼だけは申し上げさせた。
「蝉の羽の衣替えの終わった後の夏衣は
返してもらっても泣かれるばかりです」
「考えても、不思議に人並みはずれた意志の強さで、振り切って行ってしまったなあ」と思い続けていらっしゃる。今日はちょうど立冬の日であったが、いかにもそれと、さっと時雨れて、空の様子もまことに物寂しい。一日中物思いに過されて、
「亡くなった人も今日別れて行く人もそれぞれの道に
どこへ行くのか知れない秋の暮れだなあ」
やはり、このような秘密の恋は辛いものだと、お知りになったであろう。このような煩わしいことは、努めてお隠しになっていらしたのもお気の毒なので、みな書かないでおいたのに、「どうして、帝の御子であるからと、見知っている人までが、欠点がなく何かと褒めてばかりいる」と、作り話のように受け取る方がいらっしゃったので。あまりにも慎みのないおしゃべりの罪は、免れがたいが。
5. 若紫
光る源氏の18歳春3月晦日から冬10月までの物語
- 3月晦日、加持祈祷のため、北山に出向く---瘧病みに罹りなさって
- 山の景色や地方の話に気を紛らす---少し外に出て見渡しなさると
- 源氏、若紫の君を発見す---人もいなくて、何もすることがないので
- 若紫の君の素性を聞く---「心惹かれる人を見たなあ
- 翌日、迎えの人々と共に帰京---明けて行く空は、とてもたいそう霞んで
- 内裏と左大臣邸に参る---君は、まず内裏に参内なさって
- 北山へ手紙を贈る---翌日、お手紙を差し上げなさった
1 紫上の物語 若紫の君登場、3月晦日から初夏4月までの物語
- 夏4月の短夜の密通事件---藤壷の宮に、ご不例の事があって
- 妊娠3月となる---宮も、やはり実に情けないわが身であったと
- 初秋7月に藤壷宮中に戻る---七月になって参内なさった
2 藤壷の物語 夏の密通と妊娠の苦悩物語
- 紫の君、六条京極の邸に戻る---あの山寺の人は、少しよくなって
- 尼君死去し寂寥と孤独の日々---神無月に朱雀院への行幸があるのであろう
- 源氏、紫の君を盗み取る---君は大殿においでになったが
3 紫上の物語(2) 若紫の君、源氏の二条院邸に盗み出される物語
瘧病みに罹りなさって、いろいろと呪術や加持などして差し上げさせなさるが、効果がなくて、何度も発作がお起こりになったので、ある人が、「北山に、某寺という所に、すぐれた行者がございます。去年の夏も世間に流行して、人々がまじないあぐねたのを、たちどころに治した例が、多数ございました。こじらせてしまうと、厄介でございますから、早くお試しあそばすとよいでしょう」などと申し上げるので、呼びにおやりになったところ、「老い曲がって、室の外にも外出いたしません」と申したので、「しかたない。ごく内密に行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前にお出かけになる。
やや山深く入った所なのであった。三月の晦日なので、京の花盛りはみな過ぎてしまっていた。山の桜はまだ盛りで、入って行かれるにつれて、霞のかかった景色も趣深く見えるので、このような山歩きもご経験なく、窮屈なご身分なので、珍しく思われなさるのであった。
寺の有様も実にしんみりと趣深い。峰高く、深い岩屋の中に、聖は入っているのだった。お登りになって、誰ともお知らせなさらず、とてもひどく粗末な身なりをしていらっしゃるが、はっきりそれと分かるご風采なので、
「ああ、恐れ多いことよ。先日、お召しになった方でいらっしゃいましょうか。今は、現世のことを考えておりませんので、修験の方法も忘れてございますが、どうして、このようにわざわざお越しあそばしたのでしょうか」
と、驚き慌てて、にっこりしながら拝する。まことに立派な大徳なのであった。しかるべき薬を作って、お呑ませ申し、加持などして差し上げるうちに、日が高くなった。
少し外に出て見渡しなさると、高い所なので、あちこちに、僧坊どもが、はっきりと見下ろされる、ちょうどこのつづら折の道の下に、同じ小柴垣であるが、きちんとめぐらして、こざっぱりとした建物に、廊などが続いて、木立がとても風情あるのは、
「どのような人が住んでいるのか」
とお尋ねになると、お供である人が、
「これが、某僧都が、二年間籠もっております所だそうでございます」
「気のおける人が住んでいる所だな。何とも、あまりに粗末な身なりであったな。聞きつけたら困るな」などとおっしゃる。
美しそうな童女などが、大勢出て来て、閼伽棚に水をお供えしたり、花を折ったりなどするのも、はっきりと見える。
「あそこに、女がいる」
「僧都は、まさか、そのようには、囲って置かれまいに」
「どのような女だろう」
と口々に言う。下りて覗く者もいる。
「きれいな女の子たちや、若い女房、童女が見える」と言う。
源氏の君は、勤行なさりながら、日盛りになるにつれて、どうだろうかとご心配なさるのを、
「何かとお紛らわしあそばして、お気になさらないのが、よろしうございます」
と申し上げるので、後方の山に立ち出でて、京の方角を御覧になる。遠く霞が立ちこめていて、四方の梢がどことなく霞んで見える具合、
「絵にとてもよく似ているな。このような所に住む人は、心に思い残すことはきっとあるまい」とおっしゃると、
「これは、まことに平凡でございます。地方などにございます海、山の景色などを御覧になられましたら、どんなにか、お絵も素晴らしくご上達あそばしましょう。富士の山、何々の嶽」
などと、お話し申し上げる者もいる。また、西国の美しい浦々や、磯について話し続ける者もいて、何かとお気を紛らし申し上げる。
「近い所では、播磨の明石の浦が、やはり格別でございます。どこといって変わっている所はないが、ただ、海の方を見渡しているところが、不思議と他の海岸とは違って、ゆったりとした所でございます。
あの国の前国司で、出家したての人が、娘を大切に育てている家は、まことにたいしたものです。大臣の後裔で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、人づき合いをせず、近衛の中将を捨てて、申し出て頂戴した官職ですが、あの国の人にも少し馬鹿にされて、『何の面目があって、再び都に帰ろうか』と言って、髪も下ろしてしまったのでございますが、少し奥まった山中生活もしないで、そのような海岸に出ており、間違っているようですが、なるほど、あの国の中に、そのように、人が籠もるにふさわしい所々は方々にありますが、山奥の人里は、人気もなくもの寂しく、若い妻子がきっと心細がるにちがいないので、一方では気晴らしのできる住まいでございます。
最近、下向いたしました機会に、様子を拝見するために立ち寄ってみましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、はなはだ広々と、豪勢に占有して造っている様子は、そうは言っても、国司として造っておいたことなので、余生を豊かに過ごせる準備も、またとなくしているのでした。後世の勤行も、まことによく勤めて、かえって出家して人品が上がった人でございます」と申し上げると、
「ところで、その娘は」と、お尋ねになる。
「悪くはありません。器量や、気立てなども結構です。代々の国司などが、格別懇ろな態度で、結婚の申し込みをするようですが、全然承知しません。『自分の身がこのようにむなしく落ちぶれているのさえ無念なのに、この娘一人だけだが、特別に考えているのだ。もし、わたしに先立たれて、その素志を遂げられず、わたしの願っていた運命と違ったならば、海に入ってしまえ』と、いつも遺言をしているそうでございます」
と申し上げると、君もおもしろい話だとお聞きになる。供人は、
「きっと海龍王の后になる大切な娘なのだろう。気位いの高いことも、困ったものだね」と言って笑う。
このように話すのは、播磨守の子で、蔵人から、今年、五位に叙された者なのであった。
「大変な好色者だから、あの入道の遺言を破ってしまおうという気なのだろう」
「それで、うろうろしていたのだろう」 と言い合っている。
「いやもう、そうは言っても、田舎びているのでは。幼い時からそのような所に成長して、古めかしい親にばかり教育されていたのでは」
「母親は由緒ある家の出のようだ。美しい若い女房や、童女など、都の高貴な家々から、縁故を頼って集めて、眩しく育てているそうだ」
「無風流な人がなっていったら、そんなふうに安心して、置いておけないのでは」
などと言う者もいる。君は、
「どのような考えがあって、海の底まで深く思い込んでいるのだろう。海底の「海松布」も何となく見苦しい」
などとおっしゃって、少なからず関心をお持ちになっている。このような話でも、普通以上に、一風変わったことをお好みになるご性格なので、お耳を傾けられるのだろう、と拝見する。
「暮れかけてきたが、お起こりあそばさなくなったようでございます。早くお帰りあそばされませ」
と言うのを、大徳は、
「おん物の怪などが、憑いている様子でいらっしゃいましたが、今夜は、やはり静かに加持などをなさって、お帰りあそばされませ」と申し上げる。
「それが、およろしうございますこと」と、皆も申し上げる。君も、このような旅寝もご経験ないことなので、何と言っても興味があって、
「それでは、早朝に」とおっしゃる。
人もいなくて、何もすることがないので、夕暮のたいそう霞わたっているのに紛れて、あの小柴垣の付近にお立ち出でになる。供人はお帰しになって、惟光朝臣とお覗きになると、ちょうどこの西面に、仏を安置申して勤行しているのは、尼なのであった。簾を少し上げて、花を供えているようである。中の柱に寄り掛かって座って、脇息の上にお経を置いて、とても大儀そうに読経している尼君は、普通の人とは見えない。四十過ぎくらいで、とても色白で上品で、痩せているが、頬はふっくらとして、目もとのぐあいや、髪がきれいに切り揃えられている端も、かえって長いのよりも、この上なく新鮮な感じだ、と感心して御覧になる。
小綺麗な女房二人ほど、他には童女が出たり入ったりして遊んでいる。その中に、十歳くらいかと見えて、白い袿に、山吹襲などの、糊気の落ちたのを着て、駆けてきた女の子は、大勢見えた子供とは比べものにならず、たいそう将来性が見えて、かわいらしげな姿である。髪は扇を広げたようにゆらゆらとして、顔はとても赤くこすって立っている。
「どうしたの。童女とけんかをなさったの」
と言って、尼君が見上げているのに、少し似ているところがあるので、「その子どもなのだろう」と御覧になる。
「雀の子を、犬君が逃がしちゃったの。伏籠の中に、閉じ籠めていたのに」
と言って、とても残念がっている。ここに座っていた女房は、
「いつもの、うっかり者が、このようなことをして、責められるとは、ほんと困ったことね。どこへ行ってしまいましたか。とてもかわいく、だんだんなってきましたものを。烏などが見つけたら大変だわ」
と言って、立って行く。髪はゆったりととても長く、見苦しくない女のようである。少納言の乳母と皆が言うようなのは、この子のご後見役なのだろう。
尼君、
「何とまあ、幼いことを。聞き分けもなくていらっしゃること。わたしが、このように、今日明日にも思われる寿命を、何ともお考えにならず、雀を追いかけていらっしゃるとは。罪を得ることですよと、いつも申し上げていますのに。情けなく」と言って、「こちらへ」と言うと、ちょこんと座った。
顔つきがとてもかわいらしげで、眉のあたりがほんのりとして、子供っぽく掻き上げた額や、髪の生え際は、大変にかわいらしい。「成長して行くさまが楽しみな人だ」と、お目がとまりなさる。それと言うのも、「限りなく心を尽くし申し上げている方に、とてもよく似ているので、目が引きつけられるのだ」と、思うにつけても涙が落ちる。
尼君が、髪をかき撫でながら、
「梳くことをお嫌がりになるが、美しい御髪ですね。とても子供っぽくいらっしゃることが、かわいそうで心配です。これほどになれば、とてもこんなでない人もありますものを。亡くなった母君は、十歳程で殿に先立たれなさった時、たいそう物事の意味は弁えていらっしゃいましたよ。今、わたしがお残し申して逝ってしまったら、どのように過ごして行かれるおつもりなのでしょう」
と言って、たいそう泣くのを御覧になると、何とも言えず悲しい。子供心にも、やはりじっと見つめて、伏目になってうつむいているところに、こぼれかかった髪が、つやつやとして素晴らしく見える。
「これからどこでどう育って行くのかも分からない若草を
残しては死ぬに死ねない思いです」
もう一人の座っている女房が、「本当に」と、涙ぐんで、
「初草のご成長も御覧にならないうちに
どうして先立たれるようなことをお考えになるのでしょう」
と申し上げているところに、僧都が、あちらから来て、
「ここは人目につくのではないでしょうか。今日に限って、端近にいらっしゃいますね。この上の聖の所に、源氏中将が瘧病のまじないにいらっしゃったのを、たった今、聞きつけました。ひどくお忍びでしたので、知りませんで、ここにおりながら、お見舞いにも上がりませんでした」とおっしゃると、
「まあ大変。とても見苦しい様子を、人に見られたかしら」と言って、簾を下ろしてしまった。
「世間で、大評判でいらっしゃる光源氏を、この機会に拝見なさいませんか。俗世を捨てた法師の気持ちにも、たいそう世俗の憂え忘れ、寿命が延びるご様子の方です。どれ、お見舞いに参上しよう」
と言って、立つ音がするので、お帰りになった。
「心惹かれる人を見たなあ。これだから、この好色な連中は、このような外歩きばかりをして、よく意外な人を見つけるのだな。まれに外出しただけでも、このように思いがけないことに出会うことよ」と、興味深くお思いになる。「それにしても、とてもかわいかった子であるよ。どのような人であろう。あのお方の代わりとして、毎日の慰めに見たいものだ」という考えが、強く起こった。
横になっていらっしゃると、僧都のお弟子が、惟光を呼び出させる。狭い所なので、君もそのままお聞きになる。
「お立ち寄りあそばしていらっしゃることを、たった今、人が申すによって、知りながら、ご挨拶に伺うべきところを、拙僧がこの寺におりますことを、ご存知でいらっしゃりながらも、お忍びでいらしていることを、お恨みに存じまして。旅のお宿も、拙僧の坊でお支度致しますべきでしたのに。残念至極です」と申し上げなさった。
「去る十何日のころから、瘧病を患っていますが、度重なって我慢できませんので、人の勧めに従って、急遽訪ねて参りましたが、このような方が効験を現さない時は、世間体の悪いことになるにちがいないのも、普通の人の場合以上に、お気の毒と遠慮致しまして、ごく内密に参ったのです。今、そちらへも」とおっしゃった。
折り返し、僧都が参上した。法師だが、とても気がおけて人品も重々しく、世間からもご信頼されていらっしゃる方なので、軽々しいお姿を、きまり悪くお思いになる。このように籠っている間のお話などを申し上げなさって、「同じ草庵ですが、少し涼しい遣水の流れも御覧に入れましょう」と、熱心にお勧め申し上げなさるので、あの、まだ見ていない人々に大げさに吹聴していたのを、気恥ずかしくお思いになるが、かわいらしかった有様も気になって、おいでになった。
なるほど、とても格別に風流を凝らして、同じ木や草を植えていらっしゃった。月もないころなので、遣水に篝火を燈し、燈籠などにも燈してある。南面はとてもこざっぱりと整えていらっしゃる。空薫物が、奥ゆかしく薫って来て、名香の香など、匂い満ちているところに、君のおん追い風がとても格別なので、奥の人々も気を使っている様子である。
僧都は、この世の無常のお話や、来世の話などを説いてお聞かせ申し上げなさる。ご自分の罪障の深さが恐ろしく、「どうにもならないことに心を奪われて、一生涯このことを思い悩み続けなければならないよだ。まして、来世は大変なことになるにちがいない」。お考え続けて、このような生活もしたく思われる一方では、昼の面影が心にかかって恋しいので、
「ここにおいでの方は、どなたですか。お尋ね申したい夢を拝見しましたよ。今日、思い当たりました」
と申し上げなさると、にっこり笑って、
「唐突な夢のお話というものでございますな。お知りあそばされたても、きっとがっかりあそばされることでございましょう。故按察大納言は世に亡くなって久しくなりましたので、ご存知ありますまい。その北の方が拙僧の妹でございます。あの按察使が亡くなって後、出家しておりますのが、最近、患うことがございましたので、こうして京にも行きませんので、頼りにして籠っているのでございます」とお申し上げになる。
「あの大納言のご息女が、おいでになると伺っておりましたのは。好色めいた気からではなく、真面目に申し上げるのです」と当て推量におっしゃると、
「娘がただ一人おりました。亡くなって、ここ十何年になりましょうか。故大納言は、入内させようなどと、大変大切に育てていましたが、その本願のようにもなりませず、亡くなってしまいましたので、ただこの尼君が一人で苦労して育てておりましたうちに、誰が手引をしたものか、兵部卿宮がこっそり通って来られるようになったのですが、本妻の北の方が、ご身分の高い人であったりして、気苦労が多くて、明け暮れ物思いに悩んで、亡くなってしまいました。物思いから病気になるものだと、目の当たりに拝見致しました次第です」
などとお申し上げなさる。「それでは、その人の子であったのだ」とご理解なさった。「親王のお血筋なので、あのお方にもお似通い申しているのであろうか」と、ますます心惹かれて妻にしたい。「人柄も上品でかわいらしくて、なまじの小ざかしいところもなく、一緒に暮らして、自分の理想通りに育ててみたい」とお思いになる。
「とてもお気の毒なことでいらっしゃいますね。その方には後に残して行かれた人はいないのですか」
と、幼な児の素性が、なお確かに知りたくて、お尋ねになると、
「亡くなりますころに、生まれました。それも、女の子で。それにつけても心配の種で、余命少ない年に思い悩んでいるようでございます」と申し上げなさる。
「やはりそうであったか」とお思いになる。
「変な話ですが、幼女のご後見とお思い下さるよう、お話し申し上げていただけませんか。考えるところがって、通っている本妻もおりますが、本当にしっくりいかないのでしょうか、独り暮らしばかりで。まだ不似合いな年頃だと、世間並の男同様にお考えになっては、恥ずかしく」
などとおっしゃると、
「たいそう嬉しいはずの仰せ言ですが、まだいっこうに幼い年頃のようでございますので、ご冗談にも、お世話なさるのは難しいのでは。もっとも、女性は、人に世話されて一人前にもおなりになるものですから、詳しくは申し上げられません。あの祖母に相談しまして、お返事申し上げさせましょう」
と、無愛想に言って、こわごわとした感じでいらっしゃるので、若いお心では恥ずかしくて、上手にお話し申し上げられない。
「阿彌陀仏のおいでになるお堂で、勤行のございます時刻で。初夜のお勤めが、まだ致しておりません。済ませて参りましょう」と言って、お上りになった。
君は、気分もとても悩ましいところに、雨が少し降りそそいで、山風が冷やかに吹いてきて、滝壷の水嵩も増して、音が大きく聞こえる。少し眠そうな読経が途絶え途絶えにぞっとするように聞こえるなども、何でもない人も、場所柄しんみりとした気持ちになる。まして、いろいろとお考えになることが多くて、お眠りになれない。初夜と言ったが、夜もたいそう更けてしまった。奥でも、人々の寝ていない様子がよく分かって、とても密かにしているが、数珠の脇息に触れて鳴る音がかすかに聞こえ、ものやさしくそよめく衣ずれの音を、上品だとお聞きになって、広くなく近いので、外に立てめぐらしてある屏風の中を、少し引き開けて、扇を打ち鳴らしなさると、意外な気がするようだが、聞こえないふりもできようかということで、いざり出て来る人がいるようだ。少し後戻りして、
「おかしいわ、聞き違いかしら」と不審がっているのを、お聞きになって、
「仏のお導きは、暗い中に入っても、決して間違うはずはありませんものを」
とおっしゃるお声が、とても若く上品なので、お返事する声づかいも気がひけるが、
「どのお方への、ご案内でしょうか。分かりかねますが」と申し上げる。
「なるほど、唐突なことだとご不審になるのも、ごもっともですが、 初草のごときうら若き少女を見てからは
旅寝の袖は恋しさの涙の露で濡れております
と申し上げて下さいませんか」とおっしゃる。
「まったく、このようなお言葉を、頂戴して分かるはずの人もいらっしゃらない有様は、ご存知でいらっしゃりそうなのに。どなたに」と申し上げる。
「おのずから、しかるべきわけがあって申し上げているのだろうとお考え下さい」
とおっしゃるので、奥に行って申し上げる。
「まあ、華やいだことを。この姫君を、年頃でいらっしゃると、お思いなのだろうか。それにしては、あの『若草』を、どうしてご存知でいらっしゃることか」と、あれこれと不思議なので、困惑して、遅くなるので、失礼になると思って、
「今晩だけの旅の宿で涙に濡れていらっしゃるからといって
わたしたちのことを引き合いに出さないでくださいまし
乾きそうにございませんのに」とご返歌申し上げなさる。
「このような機会のご挨拶は、まだまったく致したことがなく、初めてのことです。恐縮ですが、このような機会に、真面目にお話させていただきたいことがあります」と申し上げなさると、尼君、
「聞き違いなさっていらしゃるのでしょう。まことに厄介なお方に、何をお返事申せましょう」とおっしゃると、
「間の悪い思いをおさせになっては」と女房たちが申す。
「なるほど、若い人なら嫌なことでしょうが、真面目におっしゃるとは、恐れ多い」
と言って、いざり寄りなさった。
「突然で、軽薄な振る舞いと、きっとお思いになられるにちがいないような時ですが、わたし自身には、そのように思われませんので。仏はもとより」
と言ったが、落ち着いていて、気の置ける様子に気後れして、すぐにはお切り出しになれない。
「おっしゃるとおり、思い寄りも致しませぬ機会に、こうまでおっしゃっていただいたり、お話させていただけますのも、どうして」とおっしゃる。
「お気の毒な身の上と承りましたご境遇を、あのお亡くなりになった方のお代わりと、お思いになって下さいませんか。幼いころに、かわいがってくれるはずの母親に先立たれましたので、妙に頼りない有様で、年月を送って来ました。同じような境遇でいらっしゃるというので、お仲間にしていただきたいと、心から申し上げたいのですが、このような機会がめったにございませんので、どうお思いになられるかもかまわずに、申し出たのでございます」と申し上げなさると、
「とても嬉しく存じられるはずのお言葉ですが、お聞き違えていらっしゃることがございませんでしょうかと、憚られるのです。年寄一人を頼りにしている孫がございますが、とてもまだ幼い年頃で、大目に見てもらえるところもございませんようなので、お承りおくことができません」とおっしゃる。
「みな、はっきりと承知致しておりますものを。窮屈にご遠慮なさらず、深く思っております格別な心のほどを、御覧下さいませ」
と申し上げなさるが、まだとても不似合いなことを、そうとも知らないでおっしゃる、とお思いになって、打ち解けたご返事もない。僧都がお戻りになったので、
「それでは、このように申し上げましたので、心丈夫です」
と言って、お立てになった。
暁方になったので、法華三昧を勤めるお堂の懺法の声が、山下ろしの風に乗って聞こえ来るのが、とても尊く、滝の音に響き合っている。
「深山おろしの懺法の声に煩悩の夢が覚めて
感涙を催す滝の音であることよ」
「不意に来られてお袖を濡らされたという山の水に
心を澄まして住んでいるわたしは驚きません
耳慣れてしまったからでしょうか」と申し上げなさる。
明けて行く空は、とてもたいそう霞んで、山の鳥どもがどこかしことなく囀り合っている。名も知らない木や草の花々が、色とりどりに散り混じり、錦を敷いたと見える所に、鹿があちこちと歩き回っているのも、珍しく御覧になると、気分の悪いのもすっかり忘れてしまった。
聖は、身動きも不自由だが、やっとのことで、護身法をして差し上げられる。しわがれた声が、とてもひどく歯の間から洩れて聞きにくいのも、しみじみと尊くて、陀羅尼を誦していた。
お迎えの人々が参って、ご回復されたお喜びを申し上げ、帝からもお見舞いがある。僧都は、見慣れないような果物を、あれこれと、谷の底から採ってきては、ご接待申し上げなさる。
「今年いっぱいの誓いが固うございまして、お見送りに参上できませんことを、かえって残念に存じられてなりません」
などと申し上げなさって、大御酒を差し上げなさる。
「山や水に心惹かれましたが、帝にご心配あそばされますのも、恐れ多いことですので。そのうち、この花の時期を過ごさずに参りましょう。
大宮人に帰って話して聞かせましょう、この山桜の美しいことを
風の吹き散らす前に来て見るようにと」
とおっしゃる態度や、声づかいまでが、眩しいくらい立派なので、
「三千年に一度咲くという優曇華の花の
咲くのにめぐり逢ったような気がして深山桜には目も移りません」
と申し上げなさると、微笑みなさって、
「時あって、一度咲くという花は、難しいものでしょうに」とおっしゃる。
聖は、お杯を頂戴して、
「奥山の松の扉を珍しく開けましたところ
まだ見たこともない花のごとく美しいお顔を拝見致しました」
と、ちょっと感涙に咽んで拝し上げる。聖は、ご守護に、独鈷を差し上げる。御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から得られた金剛子の数珠で、玉の飾りが付いているのを、そのままその国から入れてあった箱で、唐風なのを、透かし編みの袋に入れて、五葉の松の枝に付けて、紺瑠璃の壷々に、お薬類を入れて、藤や、桜などに付けて、場所柄に相応しいお贈物類を、捧げて差し上げなさる。
源氏の君は、聖をはじめとして、読経した法師へのお布施類、用意の品々を、いろいろと京へ取りにやっていたので、その周辺の山賎にまで、相応の品物をお与えになり、御誦経の布施をしてお出になる。
室内に僧都はお入りになって、あの申し上げなさったことを、そのままお伝え申し上げなさるが、
「何とも、今すぐには、お返事申し上げようがありません。もし、お気持ちがあるならば、もう四、五年たってから、ともかくも」とおっしゃると、「しかじか」と同じようにばかりあるので、つまらないとお思いになる。
お手紙は、僧都のもとに仕える小さい童にことづけて、
「昨日の夕暮時にわずかに美しい花を見ましたので
今朝は霞の空に立ち去りがたい気がします」
お返事、
「本当に花の辺りを立ち去りにくいのでしょうか
そのようなことをおっしゃるお気持ちを見たいものです」
と、教養ある筆跡で、とても上品なのを、無造作にお書きになっている。
お車にお乗りになるころに、大殿から、「どこへ行くともなくて、お出かけあそばしてしまったこと」と言って、お迎えの供人、ご子息たちなどが大勢参上なさった。頭中将、左中弁、その他のご子息もお慕い申して、
「このようなお供には、お仕え申しましょうと、存じておりますのに。あまりな、お見捨てあそばすとは」とお怨み申して、「とても美しい花の下に、しばしの間も足を止めずに、引き返しますのは、もの足りない気がしますね」とおっしゃる。
岩蔭の苔の上に並び座って、お酒を召し上がる。落ちて来る水の様子など、趣のある滝のほとりである。頭中将は、懐にしてあった横笛取り出して、吹き澄ましている。弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして、「豊浦の寺の、西なるや」と謡う。普通の人よりは優れた公達であるが、源氏の君は、とても苦しそうにして、岩に寄り掛かっておいでになるのは、またとなく不吉なまでに美しいご様子なので、他の何人にも目移りしそうにないのであった。いつものように、篳篥を吹く随身、笙の笛を持たせている風流人などもいる。
僧都は、七絃琴を自ら持って来て、
「これで、ちょっとひと弾きあそばして、同じことなら、山の鳥を驚かしましょう」
と熱心にご所望申し上げなさるので、
「気分が悪いので、とてもできませんのに」とお答え申されるが、ことに無愛想にはならない程度に掻き鳴らして、一行はお立ちになった。
名残惜しく残念だと、取るに足りない法師や、童子も、涙を落とし合っていた。まして、室内では、年老いた尼君たちなどは、まだこのようにお美しい方の姿を見たことがなかったので、「この世の人とは思われなさらない」とお噂申し上げ合っていた。僧都も、
「ああ、どのような因縁で、このような美しいお姿ながら、まことにむさ苦しい日本の末世にお生まれになったのであろうと思うと、まことに悲しい」と言って、目を押し拭いなさる。
この若君は、子供心に、「素晴らしい人だわ」と御覧になって、
「父宮のお姿よりも、優れていらっしゃいますわ」などとおっしゃる。
「それでは、あの方のお子様におなりあそばされませ」
と申し上げると、こっくりと頷いて、「とてもすてきなことだわ」とお思いになっている。お人形遊びにも、お絵描きなさるにも、「源氏の君」と作り出して、美しい衣装を着せ、お大事になさる。
君は、まず内裏に参内なさって、ここ数日来のお話などを申し上げなさる。「とてもひどくお痩せになってしまった」と、ご心配あそばされた。聖の霊験あらたかであったことなどを、お尋ねあそばす。詳しく奏上なさると、
「阿闍梨などにも当然なるはずの人であったな。修行の功績は大きいのに、朝廷からご存知になられなかったとは」と、大事にしてやりたく仰せられるのであった。
大殿が、参内なさっておられて、
「お迎えにもと存じながらも、お忍びの外出なので、どんなものかと遠慮して。のんびりと、一、二日、お休みください」と言って、「このまま、お供申しましょう」と申し上げなさるので、そうしたいとはお思いにならないが、連れられて退出なさる。
ご自分のお車にお乗せ申し上げなさって、自分は遠慮してお乗りになる。大切にお世話申し上げなさるお気持ちの有り難いことを、やはり胸のつまる思いがするのであった。
大殿邸でも、おいであそばすだろうとご用意なさって、久しくお見えにならないうちに、ますます玉の台のように磨き上げ飾り立て、用意万端ご準備なさっていた。
女君は、例によって、物蔭に隠れて、すぐには出ていらっしゃらないのを、大臣が、強くご催促申されて、やっと出ていらっしゃった。まるで絵に描いた姫君のように、座らされて、ちょっと身体をお動かしになることも難しく、きちんと行儀よく座っていらっしゃるので、心の中の思いを話したり、北山行きの話をもお聞かせする、話のしがいがあって、興味をもってお返事をなさって下さろうものなら、情愛もわこうが、少しも打ち解けず、よそよそしく気づまりな相手だとお思いになって、年月を過すにつれて、お気持ちの隔たりが増さるのを、とても辛く、心外なので、
「時々は、世間並みのご様子を見たいね。ひどく苦しんでおりました時にも、せめていかがですかとだけでも、お尋ね下さらないのは、今に始まったことではありませんが、やはり残念で」
と申し上げなさる。ようやくのことで、
「尋ねないとは、辛いものなのでしょうか」
と、流し目に御覧になっている目もとは、とても気後れがしそうで、気品高く美しそうなご容貌である。
「たまさかにおっしゃるかと思えば、心外なお言葉ですね。訪ねない、などという間柄は、他人が使う言葉でございましょう。嫌なふうにおっしゃいますね。いつまでたっても変わらない体裁の悪い思いをさせるご態度を、もしや、お考え直しになるときもあろうかと、あれやこれやとお試し申しているうちに、ますますお疎んじなられたようですね。仕方ない、長生きさえしたら」
と言って、夜のご寝所にお入りになった。女君は、すぐにもお入りにならず、お誘い申しあぐねなさって、溜息を吐きながら横になっているものの、何となくおもしろくないのであろうか、眠そうなふりをなさって、あれやこれやと思い悩まれることが多かった。
あの若草の君が成長していく間がやはり気にかかるので、「まだ似合わしくない年頃と思っているのも、もっともである。申し込みにくいものだなあ。何とか手段を講じて、ほんの気楽に迎え取って、毎日の慰めとして一緒に暮らしたい。兵部卿宮は、とても上品で優美でいらっしゃるが、つややかなお美しさはないものを。どうして、あの一族に似ていらっしゃるのだろう。同じお后様からお生まれになったからだろうか」などとお考えになる。血縁がとても親しく感じられて、何とかしてと、深く思う。
翌日、お手紙を差し上げなさった。僧都にもそれとなくお書きになったのであろう。尼上には、
「取り合って下さらなかったご様子に気がひけるので、思っておりますことをも、十分に申せずじまいになりましたことを。これほどに申し上げるにつけても、並々ならぬ気持ちのほどを、お察しいただけたら、どんなに嬉しいことか」
などと書いてある。中に、小さく結んで、
「山桜の美しい姿はわたしの身を離れません
心のすべてをそちらに置いて来たのですが
夜の間の風が、心配に思われて」
と書いてある。ご筆跡などはさすがに素晴らしくて、ほんの無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほどに素晴らしく見える。
「まあ、困ったこと。どのようにお返事申し上げましょう」と、お困りになる。
「先日の行きがかりのお話は、ご冗談ごとと存じられましたが、わざわざお手紙を頂戴いたしましたのに、お返事の申し上げようがなくて。まだ「難波津」をさえ、ちゃんと書けませんようなので、お話になりません。それにしても、
激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に
その散る前にお気持ちを寄せられたように頼りなく思われます
ますます気がかりで」
とある。僧都のお返事も同じようなので、残念に思って、二、三日たって、惟光を差し向けなさる。
「少納言の乳母という人がいるはずだ。会って、詳しく相談せよ」などとお言い含めなさる。「何とも、どのようなことにもご関心を寄せられる好き心だなあ。あれほど子供じみた様子であった様子なのに」と、はっきりとではないが、見た時のことを思い出すとおかしい。
わざわざ、このようにお手紙のあるのを、僧都も恐縮の由申し上げなさる。少納言の乳母に申し入れて面会した。詳しく、お考えになっておっしゃったご様子や、日頃のご様子などを話す。多弁な人なので、もっともらしくいろいろ話し続けるが、「とても無理なお年なのに、どのようにお考えなのか」と、大変心配なことと、誰も彼もお思いになるのであった。
お手紙にも、とても心こめてお書きになって、いつものように、その中に、「あの一字一字のお書きなのを、もっと拝見したい」とあって、
「浅香山のように浅い気持ちで思っているのではないのに
どうして相手になって下さらないのでしょう」
お返事、
「うっかり薄情な人と契りを結んで後悔したと聞きました山の井のような
浅いお心のままどうして孫娘を御覧に入れられましょう」
惟光も同じ意味のご報告を申し上げる。
「このご病気が回復したら、しばらくして、京のお邸にお帰りになってから、改めてお返事申し上げましょう」とあるのを、待ち遠しくお思いになる。
藤壷の宮に、ご不例の事があって、ご退出されていた。主上が、お気をもまれ、ご心配申し上げていらっしゃるご様子も、まことにおいたわしく拝見しながらも、せめてこのような機会にと、魂も浮かれ出て、どこにもかしこにもお出かけにならず、内裏にいても里邸にいても、昼間は所在なくぼうっと物思いに沈んで、夕暮れになると、王命婦におせがみになる。
どのように手引したのか、とても無理してお逢い申している間さえ、現実とは思われないのは、辛いことである。宮も、思いもしなかった出来事をお思い出しになるだけでも、生涯忘れることのできないお悩みの種なので、せめてそれきりで終わりにしたいと深く決心されていたのに、とても情けなくて、ひどく辛そうなご様子でありながらも、優しくいじらしくて、そうかといって馴れ馴れしくなく、奥ゆかしく気品のあるご態度などが、やはり普通の人とは違っていらっしゃるのが、「どうして、わずかの欠点すら少しも混じっていらっしゃらないのだろう」と、辛くまでお思いになられる。どのようなことをお話し申し上げきれようか。鞍馬の山に泊まりたいところだが、あいにくの短夜で、情けなく、かえって辛い逢瀬である。
「お逢いしても再び逢うことの難しい夢のようなこの世なので
夢の中にそのまま消えてしまいたいわが身です」
と、涙にむせんでいられるご様子も、何と言ってもお気の毒なので、
「世間の語り草として語り伝えるのではないでしょうか、
この上なく辛い身の上を覚めることのない夢の中のこととしても」
お悩みになっている様子も、まことに道理で恐れ多い。命婦の君が、お直衣などは、取り集めて持って来た。
お邸にお帰りになって、泣き臥してお暮らしになった。お手紙なども、例によって、御覧にならない旨ばかりなので、いつものことながらも、全く茫然自失とされて、内裏にも参内せず、二、三日閉じ籠っていらっしゃるので、また、「どうかしたのだろうか」と、ご心配あそばされているらしいのも、恐ろしいばかりに思われなさる。
宮も、やはり実に情けないわが身であったと、お嘆きになると、ご気分の悪さもお加わりになって、早く参内なさるようにとの御勅使が、度々あるが、ご決心もつかない。
本当に、ご気分が、普段のようにおいであそばさないのは、どうしたことかと、密かにお思い当たることもあったので、情けなく、「どうなることだろうか」とばかりお悩みになる。
暑い日は、ますますお起きにならない。三か月におなりになるので、とてもよく分かるようになって、女房たちもそれとお気付き申すのも、思いもかけないご宿縁のほどが、恨めしい。他の人たちは、思いもよらないことなので、「この月まで、ご奏上あそばされなかったこと」と、意外なことにお思い申し上げる。ご自身一人には、はっきりとお分かりになる節もあるのであったのだ。
お湯殿などにも身近にお仕え申し上げて、どのようなご様子もはっきり存じ上げている、おん乳母子の弁や、命婦などは、変だと思うが、お互いに口にすべきことではないので、やはり逃れられなかったご運命を、命婦はただ驚いている。
帝には、おん物の怪のせいで、すぐには兆候がなくあそばしたように奏上したのであろう。周囲の人もそうとばかり思うのであった。ますますこの上なく愛しくお思いあそばして、御勅使などがひっきりなしにあるのも、空恐ろしく、物思いの休まる時もない。
中将の君も、ただごとではない異様な夢を御覧になって、夢解きをする者を呼んで、ご質問させなさると、及びもつかない思いもかけない方面のことを判断するのであった。
「その中に、順調に行かないところがあって、お身を慎みあそばさななければならないことがございます」
と言うので、面倒に思われて、
「自分の夢ではない、他の方の夢を申すのだ。この夢が現実となるまで、誰にも話してはならぬ」
とおっしゃって、心中では、「どのようなことなのだろう」とお考えめぐらしていると、この女宮のご懐妊のことをお聞きになって、「もしやそのようなことか」と、お思い合わせになると、ますます熱心に言葉のあらん限りを尽くして申し上げなさるが、命婦も考えると、まことに恐ろしく、難儀な気持ちが増してきて、まったく逢瀬を手立てする方法がない。ほんの一行のお返事がまれにはあったのも、すっかり絶えはててしまった。
七月になって参内なさった。珍しい事で感動深くて、以前にも増す御寵愛ぶりこの上もない。少しふっくらとおなりになって、ちょっと悩ましげに、面痩せしていらっしゃるのは、まことにまたとなく素晴らしい。
例によって、明け暮れ、こちらにばかりお出ましになって、管弦の御遊もだんだん興の乗る季節なので、源氏の君も暇のないくらいお側にたびたびお召しになって、お琴や、笛など、いろいろとご下命あそばす。つとめてお隠しになっているが、我慢できない気持ちが外に現れ出てしまう折々、宮も、さすがに忘れられない事どもをあれこれとお思い悩み続けていらっしゃるのであった。
あの山寺の人は、少しよくなってお出になられたのであった。京のお住まいを尋ねて、時々お手紙などがある。同じようにばかり返事するのも、もっともなところに、ここ何か月は、以前にも増す物思いによって、他の事を思う間もなくて過ぎて行く。
秋の終わりころ、とても物寂しくお嘆きになる。月の美しい夜、お忍びの家にやっとのことでお思い立ちになると、時雨めいてさっと降る。おいでになる所は六条京極辺りで、内裏からなので、少し遠い感じがするが、荒れた邸の木立がとても鬱蒼と茂って木暗く見えるのがある。いつもの、お供を欠かさない惟光が、
「故按察大納言の家でございまして、ちょっとしたついでに立ち寄りましたところ、あの尼上は、ひどくご衰弱されていらっしゃるので、どうして良いか分からないでいる、と申しておりました」と申し上げると、
「お気の毒なことよ。お見舞いすべきであったのに。どうして、そうと教えなかったのか。入って行って、来意を告げよ」
とおっしゃると、人を入れて案内を乞わせる。わざわざこのようにお立ち寄りになった旨を言わせたので、入って行って、
「このようにお見舞いにいらっしゃいました」と言うと、驚いて、
「とても困ったことだわ。ここ数日、ひどく衰弱あそばされましたので、お目にかかることなどはとてもできそうにない」
「と言っても、お帰し申すのも恐れ多いこと」
と言って、南の廂の間を片づけて、お入れ申し上げる。
「たいそうむさ苦しい所でございますが、せめてお礼だけでもとのことで。何の用意もなく、奥まったご座所で」
と申し上げる。なるほど、このような所は、普通とは違っているとお思いになる。
「常にお見舞いにと存じながら、すげないお返事ばかりあそばされますので、遠慮いたされまして。ご病気でいらっしゃること、重いこととも、存じませんでしたもどかしさを」などと申し上げなさる。
「気分のすぐれませんことは、いつも変わらずでございますが、いよいよの際となりまして、まことにもったいなくも、お立ち寄りいただきましたのに、自分自身でお礼申し上げられませんこと。仰せられますお話の旨は、万一にもお気持ちが変わらないようでしたら、このような頑是ない時期が過ぎましてから、きっとお目をかけて下さいまし。ひどく頼りない身の上のまま残して逝きますのが、願っております仏道の妨げに存ぜずにはおられません」などと、申し上げなさった。
すぐに近いところなので、不安そうなお声が途切れ途切れに聞こえて、
「まことに、もったいないことでございます。せめてこの君が、お礼申し上げなされるお年でありましたならいいのに」
とおっしゃる。しみじみとお聞きになって、
「どうして、浅はかな気持ちから、このような好色めいた態度をお見せ申し上げましょうか。どのような宿縁でか、初めてお目にかかった時から、愛しくお思い申しているのも、不思議なほど、この世のこととは思われません」などとおっしゃって、「いつも甲斐ない思いばかりしていますので、あのかわいらしくいらっしゃるお一声を、ぜひとも」とおっしゃると、
「さあ、何もご存知ないさまで、お寝みになっていらっしゃって」
などと、申し上げていたちょうどその時、あちらの方からやって来る足音がして、
「祖母上さま、あの寺にいらした源氏の君さまがいらしているそうですね。どうしてお会いさらないの」
とおっしゃるのを、女房たちは、とても具合悪く思って、「お静かに」と制止申し上げる。
「あら、だって、『会ったら気分の悪いのも良くなった』とおっしゃったからよ」
と、利口なことを申し上げたとお思いになっておっしゃる。
とてもおもしろいとお聞きになるが、女房たちが困っているので、聞かないようにして、行き届いたお見舞いを申し上げおかれて、お帰りになった。「なるほど、まるで子供っぽいご様子だ。けれども、よく教育しよう」とお思いになる。
翌日も、とても誠実なお見舞いを差し上げなさる。いつものように、小さく結んで、
「かわいい鶴の一声を聞いてから
葦の間を行き悩む舟はただならぬ思いをしています
同じ人を」
と、殊更にかわいくお書きになっているのも、たいそう見事なので、「そのままお手本に」と、女房たちは申し上げる。少納言がお返事申し上げた。
「お見舞いいただきました方は、今日一日も危いような状態でして、山寺に移るところでして。このようにお見舞いいただきましたお礼は、あの世からでも差し上げましょう」
とある。とてもお気の毒とお思いになる。
秋の夕べは、常にも増して、心も休まる間もなく恋焦がれている人のことに考えが集中して、無理にでもそのゆかりの人を尋ね取りたい気持ちもお募りなさるのであろう。「死にきれない」と詠んだ夕べをお思い出しになられて、恋しく思っても、また、実際一緒になったら見劣りがしないだろうかと、やはり不安である。
「手に取って早く見たいものだ
紫草にゆかりのある野辺の若草を」
神無月に朱雀院への行幸があるのであろう。舞人などを、高貴な家柄の子弟や、上達部、殿上人たちなどの、その方面で適当な人々は、皆お選びあそばされたので、親王たちや、大臣をはじめとして、それぞれ伎芸を練習をなさり、暇がない。
山里の人にも、久しくご無沙汰なさっていたのを、お思い出しになって、わざわざお遣わしになったところ、僧都の返事だけがある。
「先月の二十日ごろに、とうとう臨終をお見届けいたしまして。人の世の宿命だが、悲しく存じられます」
などとあるのを御覧になると、世の中の無常をしみじみと思われて、「心配していた人もどうしているだろう。子供心にも、恋い慕っているだろうか。亡き母御息所に先立たが」などと、はっきりとではないが、思い出して、丁重にお弔いなさった。
少納言の乳母が、嗜みのある返礼などを申し上げた。
忌みなどが明けて京の邸になどとお聞きになったので、暫くしてから、ご自身で、お暇な夜にお出かけになった。まことにぞっとするくらい荒れた所で、人気も少ないので、どんなに小さい子には怖いことだろうと思われる。いつもの所にお通し申して、少納言が、ご臨終の有様などを、泣きながらお話申し上げると、他人事ながら、お袖も涙でつい濡れる。
「宮邸にお引き取り申し上げようとの事でございますようですが、『亡き姫君が、とても情愛のない、嫌な人と、お思い申していらしたのに、まったく子供というほどの年ではないが、まだしっかりと人の意向を聞き分けもおできにならず、中途半端なお年頃で、大勢いらっしゃるという中で、軽んじられてお過ごしになるのではないか』などと、お亡くなりになった方も、始終ご心配されていらしたこと、明白なことが多くございますので、このようにもったいないただ今のお言葉は、後々のご配慮までもご推察申さずに、とても嬉しく存じられるはずの時ではございますが、全く相応しい年頃でいらっしゃらないし、お年のわりには幼くていらっしゃいますので、とてもはらはらしております」と申し上げる。
「どうして、このように繰り返して申し上げている気持ちを、気兼ねなさるのでしょう。その、幼いお考えの様子がかわいく愛しく思われなさるのも、宿縁が特別と、自分ながら思われるのです。やはり、人を介してではなく、お伝え申し上げたい。
若君にお目にかかることは難しかろうとも
和歌の浦の波のようにこのまま立ち帰ることはしません
失礼でしょう」とおっしゃると、
「なるほど、恐れ多いこと」と言って、 「和歌の浦に寄せる波に身を任せる玉藻ように
相手の気持ちをよく確かめもせずに従うことは頼りないことです
困りますこと」
と申し上げる態度がもの馴れているので、すこし大目に見る気になられる。「どうして逢わずにいられようか」と、口ずさみなさるのを、ぞくぞくとして若い女房たちは思っている。
若君は、祖母上をお慕い申されて泣き臥していらっしゃったが、お遊び相手たちが、
「直衣を着ている方がいらしてるのは、宮がおいであそばしたのらしいわ」
と申し上げると、起き出しなさって、
「少納言よ。直衣を着ているという方は、どちら。宮がいらしたの」
と言って、近づいて来るお声が、とてもかわいらしい。
「宮ではありませんが、必ずしも関係ない人ではありません。こちらへ」
とおっしゃるので、あの素晴らしかった方だと、子供心にも聞き分けて、まずいことを言ってしまったとお思いになって、乳母の側に寄って、
「ねえ、行きましょうよ。眠いから」とおっしゃると、
「今さら、どうして逃げ隠れなさるのでしょう。わたしの膝の上でお寝みなさいませ。もう少し近くへいらっしゃい」
とおっしゃると、乳母が、
「これですから。このようにまだ頑是ないお年頃で」
と言って、押しやり申したところ、無心にお座りになったので、お手を差し入れてお探りになると、柔らかなお召物の上に、髪がつやつやと掛かって、末の方までふさふさしているのが、とてもかわいらしく想像される。お手を捉えなさると、気味の悪いよその人が、このように近くにいらっしゃるのは、恐ろしくなって、
「寝よう、と言っているのに」
と言って、無理に奥に入って行きなさるのに、後から付いて御簾の中にすべり入って、
「今は、わたしが世話して上げる人ですよ。お嫌いにならないでね」
とおっしゃる。乳母が、
「あら、嫌でございますわ。あまりのなさりようでございますわ。いくらお話申し上げあそばしても、何の甲斐もございませんでしょうに」といって、つらそうに困っているので、
「いくらなんでも、このようなお年の方をどうしようか。やはり、ただ世間にないほどの愛情をお見届けください」とおっしゃる。
霰が降り荒れて、恐ろしい夜の様子である。
「どうして、このような小人数な所で、頼りなく過ごしていらっしゃるのだろう」
と、ふとお泣きになって、とても見捨てては帰りにくい有様なので、
「御格子を下ろしなさい。何となく恐そうな夜の感じのようですから。宿直人になりましょう。女房たち、近くに参りなさい」
と言って、とても物馴れた態度で御帳台の内側にお入りになるので、奇妙な思いも寄らないことをと、あっけにとられて、一同茫然としている。乳母は、心配で困ったことだと思うが、事を荒立て申すべき場合でないので、嘆息しながら見守っていた。
若君は、とても恐ろしく、どうなるのだろうと震えずにはいられず、とてもかわいらしいお肌も、ぞくぞくと粟立つ感じがなさるのを、いじらしく思われて、肌着だけで包み込んで、ご自分ながらも、一方では変なお気持ちがなさるが、しみじみとお話なさって、
「ねえ、いらっしゃいよ。美しい絵などが多く、お人形遊びなどする所に」
と、気に入りそうなことをおっしゃる様子が、とても優しいので、子供心にも、そう大して物怖じせず、とは言っても、気味悪くて眠れなく思われて、もじもじして横になっていらっしゃる。
一晩中、風が吹き荒れているので、
「ほんとうに、このように、お越し下さらなかったら、どんなに心細かったことでしょう」
「同じことなら、お似合いの年でおいであそばしたら」
とささやき合っている。乳母は、心配なので、すぐ近くに控えている。風が少し吹き止んだので、夜の深いうちにお帰りになるのも、いかにもわけありそうな朝帰りであるよ。
「とてもお気の毒にお見受け致しましたご様子を、今では以前にもまして、片時の間も見なくては気がかりでならないでしょう。毎日物思いして暮らしている所にお迎え申し上げましょう。こうしてばかりいては、どんなものか。お恐がりにはならなかった」とおっしゃると、
「宮もお迎えになどと申していらっしゃるようですが、この四十九日が過ぎてからか、などと存じます」と申し上げると、
「頼りになる方ではあるが、ずっと別々に暮らして来られた方は、同じく疎々しくお思いでしょう。今夜初めてお会いしたが、深い愛情はより深いでしょう」
と言って、かき撫でかき撫でして、後髪を引かれる思いでお出になった。
ひどく霧の立ちこめた空もいつもとは違った風情であるうえに、霜は真白に置いて、実際の恋であったら興趣あるはずなのに、何か物足りない気がなさる。たいそう忍んでお通いになる方への道筋であったのをお思い出しになって、門を叩かせなさるが、聞きつける人がいない。しかたなくて、お供の中で声の良い者に歌わせになさる。
「曙に霧が立ちこめた空模様につけても
素通りし難い貴女の家の前ですね」
と、二返ほど歌わせたところ、心得ある下仕え人を出して、
「霧の立ちこめた家の前を通り過ぎ難いとおっしゃるならば
生い茂った草が門を閉ざしたことぐらい何でもないでしょうに」
と詠みかけて、入ってしまった。他に誰も出て来ないので、帰るのも風情がないが、明るくなって行く空も体裁が悪いので、邸へお帰りになった。
かわいらしかった方の面影が恋しく、独り微笑みながら臥せっていらっしゃった。日が高くなってからお起きになって、手紙を書いておやりになる時、書くはずの言葉も普通と違うので、筆を置いては書き置いては書きと、気の向くままにお書きになっている。美しい絵などをお届けなさる。
あちらでは、ちょうど今日、宮がおいでになった。数年来以上にすっかり荒れ行き、広く古めかしくなった邸が、ますます人数が少なくなって寂しいので、ずっと御覧になって、
「このような所には、どうして、少しの間でも幼い子供がお過しになれよう。やはり、あちらにお引き取り申し上げよう。けっして窮屈な所ではない。乳母には、部屋をもらって仕えればよい。君は、若い子たちがいるので、一緒に遊んで、とても仲良くやって行けよう」などとおっしゃる。
近くにお呼び寄せになると、あのおん移り香が、たいそうよい匂いに染み着いていらっしゃるので、「いい匂いだ。お召し物はすっかりくたびれているが」と、お気の毒にお思いなさった。
「これまでは、病気がちのお年寄と一緒においでになったことよ、あちらに引っ越してお馴染みなさいなどと、言っていましたが、変にお疎んじなさって、妻もおもしろからぬようでいたが、このような機会に移って来られるのも、おかわいそうで」などとおっしゃると、
「どう致しまして。心細くても、今暫くはこうしておいであそばしましょう。もう少し物の道理がお分りになりましたら、お移りあそばされることが良うございましょう」と申し上げる。
「夜昼となくお慕い申し上げなさって、ちょっとした物もお召し上がりになりません」
と申して、なるほど、とてもひどく面痩せなさっているが、まことに上品にかわいらしくかえって美しくお見えになる。
「どうして、そんなにお悲しみなさる。今はもうこの世にいない方のことは、しかたがありません。わたしがいれば」
などと、お話申し上げなさって、日が暮れるとお帰りあそばすのを、とても心細いとお思いになって、お泣きになると、宮はもらい泣きなさって、
「けっして、そんなにご心配なさるな。今日明日のうちに、お移し申そう」などと、繰り返しなだめすかして、お帰りなさった。
その後の寂しさも慰めようがなく泣き沈んでいらっしゃる。将来の身の上のことなどはお分りにならず、ただ長年離れることなく一緒にいて、今はお亡くなりになってしまったと、お思いになるのが悲しくて、子供心であるが、胸がいっぱいにふさがって、いつものようにもお遊びはなさらず、昼間はどうにかお紛らわしになるが、夕暮時になると、ひどくおふさぎこみなさるので、これではどのようにお過ごしになられようかと、慰めあぐねて、乳母も泣いていた。
君のお側からは、惟光をお差し向けなさった。
「自身参るべきところ、帝からお召しがありまして。お気の毒に拝見致しましたのにつけても、気がかりで」と伝えて、宿直人を差し向けなさった。
「情けないことですわ。ご冗談にも結婚の最初からして、このようなお事とは」
「宮がお耳にされたら、お仕えする者の落度として叱られましょう」
「ああ、大変だわ。何かのついでに、うっかりお口にあそばされますな」
などと言うのも、そのことを何ともお分りでいらっしゃらないのが、困った年齢である。
少納言は、惟光に気の毒な身の上話をいろいろとして、
「これから先、ご一緒になるようなご縁は、逃れられないものかも知れません。ただ今は、まったく不釣り合いなお話と拝察致しておりますが、不思議にご熱心に思ってくださりおっしゃってくださいますのを、どのようなお気持ちからかと、判断つかないで悩んでおります。今日も、宮がお越しあそばして、『安心の行くように仕えなさい。うっかりしたことは致すな』と仰せられたのも、とても厄介で、なんでもなかった時より、このような好色めいたことも、改めて気になるのでございます」
などと言って、「この人も何か特別の関係があったように思うだろうか」などと、不本意なので、ひどく悲しんでいるようには言わない。大夫も、「どのような事なのだろう」と、ふに落ちなく思う。
帰参して、様子をご報告すると、しみじみと思いをお馳せになるが、先夜のようにお通いなさるのも、やはり似合わしくない気持ちがして、「軽率な風変わりなことをしていると、世間の人が聞き知るかも知れない」などと、遠慮されるので、「いっそ迎えてしまおう」とお考えになる。
お手紙は頻繁に差し上げなさる。暮れると、いつものように大夫をお差し向けなさる。「差し障りがあって参れませんのを、不熱心なとでも」などと、伝言がある。
「宮から、明日急にお迎えに参ると仰せがあったので、気ぜわしくて。長年住みなれた蓬生の宿を離れるのも、何と言っても寂しく、お仕えする女房たちも思い乱れて」
と、言葉数少なに言って、ろくにお相手もせずに、繕い物をする様子がはっきり分かるので、帰参した。
君は大殿においでになったが、いつものように、女君がすぐにはお会いなさらない。何となくおもしろくなくお思いになって、和琴を即興に掻き鳴らして、「常陸には田をこそ作れ」という歌を、声はとても優艶に、口ずさんでおいでになる。
参上したので、呼び寄せて様子をお尋ねになる。「これこれしかじかで」と申し上げるので、残念にお思いになって、「あの宮邸に移ってしまったら、わざわざ迎え取ることも好色めいたことであろう。子供を盗み出したと、非難されるだろう。その前に、少しの間、女房の口を封じさせて、連れて来よう」とお考えになって、
「早朝にあちらに行こう。車の準備はそのままに。随身を一、二名を申し付けておけ」とおっしゃる。承知して下がった。
君は、「どうしよう。噂が広がって好色めいたことになりそうな事。せめて相手の年齢だけでも物の分別ができ、女が情を通じてのことだと想像されるようなのは、世間一般にもある事だ。父宮がお探し出されるだろう時も、具合が悪く言い訳できない事だ」と、お悩みになるが、この機会を逃したら、大変後悔することになるので、まだ夜の深いうちにお出になる。
女君は、いつものように気が進まない様子で、かしこまった感じでいらっしゃる。
「あちらに、どうしても処理しなければならない事がございますのを思い出しまして、すぐに戻って来ます」と言ってお出になるので、お側の女房たちも知らないのであった。ご自分のお部屋の方で、お直衣などはお召しになる。惟光だけを馬に乗せてお出になった。
門を打ち敲かせなさると、何も事情を知らない者が開けたので、お車を静かに引き入れさせて、大夫が、妻戸を打ち鳴らして、咳払いすると、少納言が察して、出て来た。
「こちらにいらっしゃいます」と言うと、
「若君は、お寝みになっておりまして。どうして、こんな暗いうちにお出あそばしたのでしょう」と、どこかのお帰りがけと思って言う。
「宮邸へお移りになるそうですが、その前にお話し申し上げておきたいと」とおっしゃると、
「どのようなことでございましょうか。どんなにしっかりしたお返事ができましょう」
と言って、微笑んでいた。君が、お入りになると、とても困って、
「気を許して、見苦しい年寄たちが寝ておりますので」とお制し申し上げる。
「まだ、お目覚めではありませんね。どれ、お目をお覚まし申しましょう。このような素晴らしい朝霧を知らないで、寝ていてよいものですか」
とおっしゃって、ご寝所にお入りになるので、「もし」とも、お止めできない。
君は何も知らないで寝ていらっしゃったが、抱いてお起こしなさるので、目を覚まして、宮がお迎えにいらっしゃったと、寝惚けてお思いになった。
お髪を掻き繕いなどなさって、
「さあ、いらっしゃい。宮のお使いとして参ったのですよ」
とおっしゃる声に、「違う人であった」、とびっくりして、恐いと思っているので、
「ああ、情けない。わたしも同じ人ですよ」
と言って、抱いてお出なさるので、大夫や、少納言などは、「これは、どうなさいますか」と申し上げる。
「ここには、常に参れないのが気がかりなので、気楽な所にと申し上げたが、残念なことに、お移りになったならば、ますますお話し申し上げにくくなるだろうから。誰か一人付いて参られよ」
とおっしゃるので、気がせかれて、
「今日は、まことに都合が悪うございましょう。宮がお越しあそばした時には、どのようにお答え申し上げましょう。自然と、年月をへて、そうなられるご縁でいらっしゃれば、ともかくなられましょうが、何とも考える暇もない急な事でございますので、お仕えする者どももきっと困りましょう」と申し上げると、
「よし、後からでも女房たちは参ればよかろう」と言って、お車を寄せさせなさるので、驚きあきれて、どうしたらよいものか、と困り合っている。
若君も、変な事だとお思いになって、お泣きになる。少納言は、お止め申し上げるすべもないので、昨夜縫ったご衣装類をひっさげて、自分も適当な着物に着替えて、乗った。
二条院は近いので、まだ明るくならないうちにお着きになって、西の対にお車を寄せてお下りになる。若君を、とても軽々と抱いてお下ろしになる。少納言が、
「やはり、まるで夢のような心地がしますが、どういたしましたらよいことなのでしょうか」と、ためらっているので、
「それは考え次第というものだ。ご本人はお移し申し上げてしまったのだから、帰ろうと思うなら、送ってやろう」
とおっしゃるので、笑って下りた。急な事で、驚きあきれて、心臓がどきどきする。「宮がお叱りになられることや、どうおなりになるお身の上だろうか、とにもかくにも、身内の方々に先立たれたことが本当にお気の毒」と思うと、涙が止まらないのを、何と言っても不吉なので、じっと堪えていた。
こちらはご使用にならない対の屋なので、御帳台などもないのであった。惟光を呼んで、御帳や、御屏風など、ここかしこに整えさせなさる。御几帳の帷子を引き下ろし、ご座所など、ちょっと整えるだけで使えるので、東の対にお寝具などを取り寄せに人をやって、お寝みになった。
若君は、とても気味悪くて、どうなさる気だろうと、ぶるぶると震えずにはいらっしゃれないが、やはり声を出してお泣きになれない。
「少納言の乳母の所で寝たい」
とおっしゃる声は、まことに幼稚である。
「今からは、もうそのようにお寝みになるものではありませんよ」
とお教え申し上げなさると、とても悲しくて泣きながらお寝みになった。乳母は横になる気もせず、何も考えられず起きていた。
夜が明けて行くにつれて、見渡すと、御殿の造りざま、調度類の様子は、改めて言うまでもなく、庭の白砂も宝石を重ね敷いたように見えて、光り輝くような感じなので、きまり悪い感じに思って座っていたが、こちらには女房なども控えていないのであった。たまのお客などが参った折に使う建物だったので、男たちが御簾の外に控えているのであった。
このように、女をお迎えになったと、聞いた人は、「誰であろうか、並大抵の人ではあるまい」と、ひそひそ噂する。御手水や、お粥などを、こちらの対に持って上がる。日が高くなってお起きになって、
「女房がいなくて、不便であろうから、しかるべき人々を、夕方になってから、お迎えなさるとよいだろう」
とおっしゃって、東の対に童女を呼びに人をやる。「小さい子たちだけ、特別に参れ」と言ったので、とてもかわいらしい姿して、四人が参った。
若君は、お召物にくるまって臥せっていらっしゃるのを、無理に起こして、
「こんなふうに、お嫌がりなさいますな。いい加減な男は、このように親切にしましょうか。女性というものは、気持ちの素直なのが良いのです」
などと、今からお教え申し上げなさる。
ご容貌は、遠くから見ていた時よりも、美しいので、優しくお話をなさりながら、興趣ある絵や、遊び道具類を取りにやって、お見せ申し上げ、お気に入ることどもをなさる。
次第に起き出して御覧になると、鈍色の色濃い喪服の、ちょっと柔らかくなったのを着て、無心に微笑んでいらっしゃるのが、とてもかわいらしいので、ご自身もつい微笑んで御覧になる。
東の対にお渡りになったので、端に出て行って、庭の木立や、池の方などを、お覗きになると、霜枯れの前栽が、絵に描いたように美しくて、見たこともない四位、五位が色とりどりに入り乱れて、ひっきりなしに出入りしている。「なるほど、素晴らしい所だわ」と、お思いになる。御屏風などの、とても素晴らしい絵を見ては、機嫌を良くしていらっしゃるのも、あどけないことよ。
君は、二、三日、宮中へも参内なさらず、この人を手懐けようとお相手申し上げなさる。そのまま手本にとのお考えか、手習いや、お絵描きなど、いろいろと書いては書いては、御覧に入れなさる。とても素晴らしくお書き集めになった。「武蔵野と言うと文句を言いたくなってしまう」と、紫の紙にお書きになった墨の具合が、とても格別なのを取って御覧になっていらっしゃる。少し小さくて、
「まだ一緒に寝てはみませんが愛しく思われます
武蔵野の露に難儀する紫のゆかりの草を」
とある。
「さあ、あなたもお書きなさい」と言うと、
「まだ、うまく書けません」
と言って、見上げていらっしゃるのが、無邪気でかわいらしいので、つい微笑まれて、
「うまくなくても、まったく書かないのは良くありません。お教え申し上げましょう」
とおっしゃると、ちょっと横を向いて、お書きになる手つきや、筆をお持ちになる様子があどけないのも、かわいらしくてたまらないので、我ながら不思議だとお思いになる。「書き損ってしまった」と、恥ずかしがってお隠しになるのを、無理に御覧になると、
「恨み言を言われる理由が分かりません
わたしはどのような方のゆかりなのでしょう」
と、とても幼稚だが、将来の成長が思いやられて、ふっくらとお書きになっている。亡くなった尼君の筆跡に似ているのであった。「当世風の手本を習ったならば、とても良くお書きになるだろう」と御覧になる。
お人形なども、特別に御殿をいくつも造り並べて、一緒に遊んでは、この上ない憂さ晴らしの相手である。
あの残った女房たちは、宮がお越しになって、お尋ね申し上げなさったが、お答え申し上げるすべもなくて、困り合っているのであった。「暫くの間、他人に聞かせてはならぬ」と君もおっしゃるし、少納言も考えていることなので、固く口止めさせていた。ただ、「行く方も知れず、少納言が連れてお隠し申し上げたこと」とばかりお答え申し上げるので、宮もしょうがないとお思いになって、「亡くなった尼君も、あちらにお移りになることを、とても嫌だとお思いであったことなので、乳母が、ひどく出過ぎた考えから、素直にお移りになることを、不都合だ、などと言わないで、自分の一存で、連れ出してどこかへやってしまったのだろう」と、泣く泣くお帰りになった。「もし、消息をお聞きつけ申したら、知らせなさい」とおっしゃる言葉も、厄介で。僧都のお所にも、お尋ね申し上げなさるが、はっきり分からず、惜しいほどであったご器量など、恋しく悲しいとお思いになる。
北の方も、母親を憎いとお思い申し上げなさっていた感情も消えて、自分の思いどおりにできようとお思いになっていた当てが外れたのは、残念にお思いになるのであった。
次第に女房たちが集まって来た。お遊び相手の童女や、幼児たちも、とても珍しく当世風なご様子なので、何の屈託もなくて遊び合っている。
君は、男君がおいでにならなかったりして、寂しい夕暮時などだけは、尼君をお思い出し申し上げなさって、つい涙ぐみなどなさるが、宮は特にお思い出し申し上げなさらない。最初からご一緒ではなく過ごして来られたので、今ではすっかりこの後の親を、たいそう馴れお親しみ申し上げていらっしゃる。外出からお帰りになると、まっさきにお出迎えして、親しくお話をなさって、お胸の中に入って、少しも嫌がったり恥ずかしいとは思っていない。そうしたことでは、ひどくかわいらしい態度でなのあった。
小賢しい智恵がつき、何かとうっとうしい関係となってしまうと、自分の気持ちと多少ぴったりしない点も出て来たのかしらと、心を置かれて、相手も嫉妬しがちになり、意外なもめ事が自然と出て来るものなのに、まことにかわいらしい遊び相手である。女の子というものは、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きなどは、とてもできないものなのに、この人は、とても風変わりな大事な子だと、お思いのようである。
末摘花
光る源氏の18歳春1月16日頃から19歳春1月8日頃までの物語
- 亡き夕顔追慕 どんなに思ってもなお飽き足りなかった夕顔の露のように先立たれた時の悲しみを
- 故常陸宮の姫君の噂 左衛門の乳母といって、大弍の次に大切に思っていらっしゃる者の娘で、大輔の命婦といって
- 新春正月16日の夜に姫君の琴を聴く おっしゃったとおりに、十六夜の月が美しい晩にいらっしゃった
- 頭中将とともに左大臣邸へ行く お二方とも約束した女の所にも、照れくさくて、別れて行くこともおできになれず
- 秋8月20日過ぎ常陸宮の姫君と逢う 秋のころ、静かにお思い続けになって
- その後、訪問なく秋が過ぎる 二条の院にお帰りになって、横におなりになっても
- 冬の雪の激しく降る日に訪問 行幸が近くなって、試楽などで騒いでいるころ、命婦は参内していた
- 翌朝、姫君の醜貌を見る やっと夜が明けた気配なので、格子をお手づから上げなさって
- 歳末に姫君から和歌と衣箱が届けられる 年も暮れた。内裏の宿直所にいらっしゃると、大輔の命婦が参上した
- 正月7日夜常陸宮邸に泊まる 正月の数日も過ぎて、今年、男踏歌のある予定なので
1 末摘花の物語
- 紫の君と鼻を赤く塗って戯れる 二条の院にお帰りになると、紫の君、とてもかわいらしい幼な娘で
2 若紫の物語
どんなに思ってもなお飽き足りなかった夕顔の露のように先立たれた時の悲しみを、年月を経てもお忘れにならず、いずれもいずれも気の置ける方ばかりで、気取って思慮深さを競い合っているのに対して、人なつこく気を許していたかわいらしさに、二人となく恋しくお思い出しなさる。
何とかして、大層な評判はなく、とてもかわいらしげな女性で、気の置けないようなのを、見つけたいものだと、性懲りもなく思い続けていらっしゃるので、少しでも風流人らしく評判されるあたりには、漏れなくお耳を留めにならないことはないのに、それではと、お考え立たれるほどの人には、ちょっと手紙をおやりになるらしいが、お靡き申さずよそよそしく振る舞う人は、めったにいないらしいのには、まったく見飽きたことだ。
すげなく強情な人は、いいようのないほど情愛に欠けた真面目一方など、大して人情の機微を知らないようで、そのくせ最後までそれを貫き通せず、すっかり曲げて、いかにも平凡な男におさまったりなどする人もいるので、中途でやめておしまいになる人も多いのであった。
あの空蝉を、何かの折節には、妬ましくお思い出しになる。荻の葉も、適当な機会がある時は、気をお引きなさる時もあるのだろう。燈火に照らされてしどけなかった姿は、もう一度そうして見たいものだとお思いになる。総じて、すっかりお忘れになることは、できないご性分なのであった。
左衛門の乳母といって、大弍の次に大切に思っていらっしゃる者の娘で、大輔の命婦といって、内裏に仕えている者は、皇族の血筋を引く兵部の大輔という人の娘であった。とても大層な色好みの若女房であったのを、君も召し使ったりなどなさる。母親は、筑前守と再婚して、赴任していたので、父君の家を里として通っている。
故常陸親王が晩年に儲けて、大層大切にお育てなさったおん姫君が、心細く遺されて暮らしているのを何かの折に、お話申し上げたところ、気の毒なことだと、お心に留めてお尋ねなさる。
「気立てや器量など、詳しくは存じません。控え目で、人と交際していらっしゃらないので、何か用のあった宵などに、物を隔ててお話しております。琴を親しい話相手と思っています」と申し上げると、
「三つの友として、もう一つは不向きだろう」と言って、「わたしに聞かせよ。父親王が、その方面でとても造詣が深くていらしたので、並大抵の手ではあるまい、と思う」とおっしゃると、
「そのようにお聞きあそばすほどのことではございませんでしょう」
と言うが、お心惹かれるようにわざと申し上げるので、
「ひどくもったいぶるね。このごろの朧月夜にこっそり行こう。退出せよ」
とおっしゃるので、面倒なと思うが、内裏でものんびりとした春の所在ない折に退出した。
父親の大輔の君は他に住んでいるのであった。ここには時々通って来るのであった。命婦は、継母の家には住まず、姫君の家と懇意にして、ここには来るのであった。
おっしゃったとおりに、十六夜の月が美しい晩にいらっしゃった。
「とても、困りましたことですわ。楽の音が冴え渡って聞こえる夜でもございませんようなので」と申し上げるが、
「もっと、あちらに行って、たった一声でも、お勧め申せ。聞かないで帰るようなのが、癪だろうから」
とおっしゃるので、くつろいだ部屋でお待ちいただいて、気がかりでもったいないと思うが、寝殿に参上したところ、まだ格子を上げたままで、梅の香の素晴らしいのを眺めていらっしゃる。ちょうど良い折だと思って、
「お琴の音は、どんなに聞き優ることでございましょうと、思わずにはいられません今夜の風情に、心惹かれまして。気ぜわしくお伺いして、お聞かせ頂けないのが残念でございます」と言うと、
「分かる人がいるというのですね。宮中にお出入りしている人が聞くほどでも」
と言って、取り寄せるので、人ごとながら、どのようにお聞きになるだろうかと、どきどきする。
かすかに掻き鳴らしなさるのが、趣あるように聞こえる。特に上手といったほどでもないが、楽器の音色が他とは違って格式高い物なので、聞きにくいともお思いにならない。
「とてもひどく一面に荒れはた寂しい邸に、これほどの女性が、古めかしく、格式ばって、大切にお育てしていたのであろう面影もすっかりなくなって、どれほど物思いの限りを尽くしていらっしゃることだろう。このような所にこそ、昔物語にもしみじみとした話がよくあったものだ」などと連想して、言い寄ってみようかしら、とお思いになるが、唐突だとお思いになるであろうかと、気がひけて、躊躇なさる。
命婦は、よく気の利く者で、たくさんお聞かせ申すまい、と思ったので、
「曇りがちのようでございます。お客が来ることになっておりました、嫌っているようにも受け取られては。そのうち、ゆっくりと。御格子を下ろしましょう」
と言って、あまりお勧めしないで帰って来たので、
「中途半端な所で終わってしまったね。十分聞き分けられる間もなくて、残念に」
とおっしゃる様子は、ご関心をお持ちである。
「同じことなら、もっと近い所で立ち聞きさせよ」
とおっしゃるが、「もっと聞きたいと思うところで」と思うので、
「さあ、いかがなものでしょうか、とてもひっそりとした様子に思い沈んで、気の毒そうでいらっしゃるようなので、案じられまして」
と言うと、「なるほど、それももっともだ。急に自分も相手も親しくなるような身分の人は、その程度の者なのだ」などと、お気の毒に思われるご身分のお方なので、
「やはり、気持ちをそれとなく伝えてくれよ」と、言い含めなさる。
他に約束なさった所があるのだろうか、とてもこっそりとお帰りになる。 「お上が、き真面目でいらっしゃると、お困りあそばさしていらっしゃるのが、おかしく存じられる時々がございます。このようなお忍び姿を、どうして御覧になれましょう」
と申し上げると、引き返して来て、ちょっと微笑んで、
「他人が言うように、欠点を言い立てなさるな。これを好色な振る舞いと言ったら、どこかの女の有様は、弁解できないだろう」
とおっしゃるので、「あまりに好色めいているとお思いになって、時々このようにおっしゃるのを、恥ずかしい」と思って、何とも言わない。
寝殿の方に、姫君の様子が聞けようかとお思いになって、静かにお立ち下がりになる。透垣がわずかに折れ残っている物蔭に、お立ち添いになると、以前から立っている男がいるのであった。「誰だろう。懸想している好色人がいたのだなあ」とお思いになって、蔭に寄って隠れなさ ると、頭中将なのであった。
この夕方、内裏から一緒に退出なさったが、そのまま大殿にも寄らず、二条の院でもなく、別の方角に行ったのを、どこへ行くのだろうと、好奇心が湧いて、自分も行く所はあるが、後を付けて窺うのであった。粗末な馬で、狩衣姿の身軽な恰好で来たので、お気付きにならないが、予想と違って、あのような別の建物にお入りになったので、合点が行かずにいた時に、琴の音に耳をとられて立っていたが、帰りにはお出になるだろうかと、心待ちしているのであった。
君は、誰ともお分かりにならず、自分と知られまいと、抜き足に通ろうとなさると、急に近寄って来て、
「置いてきぼりあそばされた悔しさに、お見送り申し上げたのですよ。
ご一緒に宮中を退出しましたのに
行く先を晦ましてしまわれる十六夜の月ですね」
と恨まれるのが癪だが、この君だとお分かりになると、少しおかしくなった。
「人が驚くではないか」と憎らしがりながら、
「どの里も遍く照らす月は空に見えても
その月が隠れる山まで尋ねる人はいませんよ」
「このように後を付け廻したら、どうあそばされますか」とお尋ねなさる。
「本当は、このようなお忍び歩きには、随身によって埒も開こうというものです。置いてきぼりあそばさないのがよいでしょう。身をやつしてのお忍び歩きには、軽率なことも出て来ましょう」
と、反対にご忠告申し上げる。このようにしかと見つけられたのを、悔しくお思いになるが、あの撫子は見つけ出せないのを、大きな手柄だと、ご内心お思い出しになる。
お二方とも約束した女の所にも、照れくさくて、別れて行くこともおできになれず、一台の車に乗って、月の風情ある雲に隠れた道中を、笛を合奏して大殿邸にお着きになった。
先払いなどおさせになさらず、こっそりと入って、人目につかない渡殿にお直衣を持って来させて、お召し替えになる。何食わぬ顔で、今来たようなふうをして、お笛を吹き興じて合っていらっしゃると、大臣が、いつものようにお聞き逃さず、高麗笛をお取り出しになって来た。大変に上手でいらっしゃるので、大層興趣深くお吹きになる。お琴を取り寄せて、簾の内でも、この方面に堪能な女房たちにお弾かせになる。
中務の君、特に琵琶はよく弾くが、頭の君が思いを寄せていたのを振り切って、ただこのたまにかけてくださる情愛の慕わしさを、お断り申し上げられないでいると、自然と人の知るところとなって、大宮などもけしからぬことだとお思いになっているので、何となく憂鬱で、その場に居ずらい気持ちがして、おもしろくなさそうに寄り伏している。まったくお目にかかれない所に、暇をもらって行ってしまうのも、やはり心細く思い悩んでいる。
君たちは、先程の七絃琴の音をお思い出しになって、見すぼらしかった邸宅の様子なども、一風変わって興趣あると思い続け、「もし仮に、とても美しくかわいい女が、寂しく年月を送っているような時、結ばれて、ひどくいじらしくなったら、世間の評判になるほどなのは、自分ながら体裁の悪いことだろう」などとまで、中将は思うのであった。この君がこのように懸想しあるいていらっしゃるのを、「とても、あのままで、お済ましになれようか」と、小憎らしく心配するのであった。
その後、こちらからもあちらからも、恋文などおやりになるようだ。どちらへもお返事がなく、気になっていらいらするので、「あまりにもひどいではないか。あのような生活をしている人は、物の情趣を解する風情や、ちょっとした木や草、空模様につけても、かこつけたりなどして、気立てが自然と推量される折々もあるようなのが、かわいらしいというものであろうに、重々しいといっても、とてもこうあまりに引っ込み思案なのは、おもしろくなく、よろしくない」と、中将は、君以上にやきもきするのであった。いつものように、お隔て申し上げなさらない性格から、
「これこれしかじかのお返事は御覧になりますか。試しにちょっと手紙を出してみたが、中途半端で、終わってしまった」
と、残念がるので、「やっぱりそうか、懸想文を贈ったのだな」と、つい微笑まれて、
「さあ、しいて見たいとも思わないからか、見ることもない」
と、お返事なさるのを、「分け隔てしたな」と思うと、まことに悔しい。
君は、必ずしも深く思い込んでいるのではないが、このようにつれないのを、興醒めにお思いになったが、このようにこの中将がしきりに言い寄っているのを、「言葉数多く懸想文を贈った者の方に靡くだろう。得意顔して、最初の関係を振ったような恰好をされたら、まことおもしろくなかろう」とお思いになって、命婦に真剣に相談なさる。
「はっきりせずに、よそよそしいご様子なのが、まことにたまらない。浮気心とお疑いなのだろう。いくら何でも、すぐ変わる心は持ちあわせていないのに。相手の気持ちがゆったりとしたところがなくて、心外なことばかりあるので、自然とわたしの方の落度のようにもなってしまいそうだ。気長に、親兄弟などのお世話をしたり恨んだりする者もなく、気兼ねのいらない人は、かえってかわいらしかろうに」とおっしゃると、
「さあ、おっしゃるように興趣あるお立ち寄り所には、とてもどうかしらと、お相応しくなく見えます。ひたすら恥ずかしがって、内気な点では、世にも珍しいくらいのお方です」
と、見た様子をお話し申し上げる。「気が利いていて、才覚だったところはないようだ。とても子供のようにおっとりしているのが、かわいいものだ」とお忘れにならず、お頼みになる。
瘧病みをお患いになったり、秘密の恋愛事件があったりして、お心にゆとりのないような状態で、春夏が過ぎた。
秋のころ、静かにお思い続けになって、あの砧の音も耳障りであったのまでが、自然に恋しくお思い出されるにつけて、常陸宮邸には度々お手紙を差し上げなさるが、相変わらず一向にお返事がないばかりなので、世間知らずで、おもしろくなく、負けてはなるものかという意地まで加わって、命婦をご催促なさる。
「どういうことか。いったいこのようなことは、今までにない」
と、とても不愉快に思っておっしゃるので、お気の毒に思って、
「かけ離れて、不釣り合いなご縁だとも、申し上げたことはありません。ただ、万事につけて内気な性格が強すぎて、お返事なさらないのだろうと存じます」と申し上げると、
「それが世間知らずというものだ。分別のつけられない年頃や、親がかりで自分では身を処せられない間は、もっともなことだが、何事もじっくりお考えになられるのだろう、と思うからだ。どことなく、所在なく心細くばかり思われるのを、同じような気持ちでお返事下さったら、願いが叶った気がしよう。何やかやと、色めいたことではなくて、あの荒れた簀子に佇んでみたいのだ。とても嫌な理解できない思いがするから、あの方のお許しがなくても、うまく計らってくれ。気がせいて、けしからぬ振る舞いは、決してせぬ」
などと、ご相談なさる。
やはり世間一般の女性の様子を、一通りのこととして聞き集め、お耳を留めなさる癖がついていらっしゃるので、もの寂しい夜の席などで、ちょっとした折に、このような女性がと申し上げたことに、このように殊更におっしゃり続けるので、「何となく気が重く、女君のご様子も、恋愛の経験や、風流らしくもないのに、かえって手引したことによって、きっと気の毒なことになりはしないか」と思ったが、君がこのように本気になっておっしゃるので、「聞き入れないのも、いかにも変わり者のようだろう。父親王が生きていらしたころでさえ、時代遅れの所だと言って、ご訪問申し上げる人もなかったのだが、まして、今となっては浅茅生を分けて訪ねて来る人もまったく絶えているのに」。
このように世にも珍しいお方から、時々お手紙が届くのを、なま女房どもも笑顔をつくって、「やはりお返事をなさいませ」と、お勧め申し上げるが、あきれるくらい内気なご性格で、全然御覧になろうともなさらないのであった。
命婦は、「それでは、適当な機会に、物越しにお話申し上げなさって、お気に召さなかったら、そのまま終わってしまってよし。また、ご縁があって、一時的にでもお通いになるとしても、誰もお咎めなさるはずの方もいない」などと、色事にかけては軽率な性分でふと考えて、父君にも、このようなことなど、話さなかったのであった。
八月二十日過ぎ、夜の更けるまで待ち遠しい月の出の遅さに、星の光ばかりさやかに照らし、松の梢を吹く風の音も心細くて、昔のことをお話し出しなさって、お泣きになったりなどなさる。「ちょうど良い機会だ」と思って、ご案内を差し上げたのだろうか、いつものようにお忍びでいらっしゃった。
月がようやく出て、荒れた垣根の状態を気味悪く眺めていらっしゃると、琴を勧められて、かすかにお弾きになるのは、悪くはない。「もう少し、親しみやすい、今風の感じを加えたいものだ」と、蓮っ葉な性分から、じれったく思っていた。人目のない邸なので、安心してお入りになる。命婦をお呼ばせになる。今初めて、気がついた顔して、
「とても困りましたわ。これこれということで、お越しあそばしたそうですわ。いつも、このようにお恨み申していらっしゃったが、一存ではまいらぬ旨ばかり、お断り申しておりますので、『自身でお話をおつけ申し上げよう』とかねておっしゃっていたのです。どのようにお返事申し上げましょうか。並大抵の軽いお出ましではありませんので、困ったことで。物越しにでも、おっしゃるところを、お聞きあそばしませ」
と言うと、とても恥ずかしい、と思って、
「人とお話する仕方などは知らないのに」
と言って、奥の方へいざってお入りになる態度は、とてもうぶな様子である。微笑んで、
「とても、子供じみていらっしゃいますのが、気がかりですわ。ご身分の高い方も、ご両親様が生きていらっして、手を掛けてお世話申していらっしゃる間なら、子供っぽくいらっしゃるのも結構ですが、このような心細いお暮らし向きで、相変わらず世間を知らずに引っ込み思案でいらっしゃるのは、よろしうございません」とお教え申し上げる。
何と言っても、人の言うことには強く拒まないご性質なので、
「お返事申さずに、ただ聞いていよ、というのであれば。格子など閉めてお会いするならいいでしょう」とおっしゃる。
「簀子などでは失礼でございましょう。強引で、軽薄なお振る舞いは、間違っても」
などと、うまく言い含めて、二間の端にある障子を、自分で固く錠鎖して、お座蒲団を敷いて整える。
とても恥ずかしくお思いになっているが、このような方に応対する心得なども、まったくご存じなかったので、命婦がこのように言うのを、そういうものなのであろうと思って任せていらっしゃる。乳母のような老女などは、部屋に入って横になってうつらうつらしている時分である。若い女房、二、三人いるのは、世間で評判高いお姿を、見たいものだとお思い申し上げて、期待して緊張し合っている。結構なご衣装にお召し替え申し、身繕い申し上げると、ご本人は、何の頓着もなくいらっしゃる。
男は、まことこの上ないお姿を、お忍びで心づかいしていらっしゃるご様子、何とも優美で、「風流を解する人にこそ見せたいが、見栄えもしない邸で、ああ、お気の毒な」と、命婦は思うが、ただおっとりしていらっしゃるのを、「安心で、出過ぎたところはお見せ申さるまい」と思うのであった。「自分がいつも責められ申していた責任逃れに、気の毒な姫の物思いが生じてきはしまいか」などと、不安に思っている。
君は、相手のご身分を推量なさると、「しゃれかえった当世風の風流がりやよりは、この上なく奥ゆかしい」と思い続けていたところ、たいそう勧められて、いざり寄っていらっしゃる様子、もの静かで、えびの薫香がとてもやさしく薫り出して、おっとりとしてしているので、「やはり思ったとおりであった」とお思いになる。長年恋い慕っている胸の中など、言葉巧みにおっしゃり続けるが、なおさら身近な所でのお返事はまったくない。「どうにも困ったことだ」と、つい嘆息なさる。
「何度あなたの沈黙に負けたことでしょう
ものを言うなとおっしゃらないことを頼みとして
嫌なら嫌とおっしゃってくださいまし。玉だすきでは苦しい」
とおっしゃる。女君の御乳母子で、侍従といって、才気走った若い女房は、「とてもじれったくて、見ていられない」と思って、お側によって、お返事申し上げる。
「鐘をついて論議を終わりにするように
何も言うなとはさすがに言いかねます
ただお答えしにくいのが、何ともうまく説明できないのです」
とても若々しい声で、格別重々しくないのを、人伝てではないように装って申し上げると、「ご身分の割には馴れ馴れしいな」とお聞きになるが、
「珍しいことなのが、かえって言葉に窮しますよ。
何もおっしゃらないのは口に出して言う以上なのだとは知っていますが、
やはりずっと黙っていらっしゃるのは辛いものですよ」
何やかやと、とりとめのないことであるが、関心を引くようにも、まじめなようにもおっしゃるが、何の反応もない。
「まことにこんなに言うにも、態度が変わっていて、思う人が別にいらっしゃるのだろうか」と、癪になって、そっと押し開けて中に入っておしまいになった。
命婦、「まあ、ひどい。油断させていらっしゃって」と、気の毒なので、知らない顔をして、自分の部屋の方へ行ってしまった。先程の若い女房連中、言うまでもない、世に例のない美しいお姿の評判の高さに、お咎め申し上げず、大げさに嘆くこともせず、ただ、思いも寄らず急なことで、何のお心構えもないのを、案じるのであった。
ご本人は、まったく無我夢中で、恥ずかしく身の竦むような思いの他は何も考えられないので、「最初はこのようなのがかわいいのだ。まだ世間ずれしていない人で、大切に育てられているのが」と、大目に見られる一方で、合点がゆかず、どことなく気の毒な感じに思われるご様子である。どのようなところにお心が惹かれるのだろうか、つい溜息をつかれて、夜もまだ深いうちにお出になった。
命婦は、「どうなったのだろう」と、目を覚まして、横になって聞き耳を立てていたが、「知らない顔していよう」と考えて、「お見送りを」と、指図もしない。君も、そっと目立たぬようにお帰りになったのであった。
二条の院にお帰りになって、横におなりになっても、「やはり思うような女性に巡り合うことは難しいものだ」と、お思い続けになって、軽々しくないご身分のほどを、気の毒にお思いになるのであった。あれこれと思い悩んでいらっしゃるところに、頭中将がいらして、
「ずいぶんな朝寝ですね。きっと理由があるのだろうと、存じられますが」
と言うと、起き上がりなさって、
「気楽な独り寝のため、寝過ごしてしまった。内裏からか」
とおっしゃると、
「ええ。退出して来たところです。朱雀院への行幸は、今日、楽人や、舞人が決定される旨、昨晩承りましたので、大臣にもお伝え申そうと思って、退出して来たのです。すぐに帰参しなければなりません」
と、急いでいるようなので、
「それでは、ご一緒に」
と言って、お粥や、強飯を召し上がって、客人にも差し上げなさって、お車を連ねたが、一台に相乗りなさって、
「まだ、とても眠そうだ」
と咎め咎めして、
「お隠しになっていることがたくさんあるのでしょう」
と、お恨み申し上げなさる。
事柄が多く取り決められる日なので、一日中宮中においでになった。
あちらには、せめて後朝の文だけでもと、お気の毒にお思い出しになって、夕方にお出しになった。雨が降り出して、面倒な上に、雨宿りしようとは、とてもなれなかったのであろうか。
あちらでは、後朝の文の来る時刻も過ぎて、命婦も、「とてもお気の毒なご様子だ」と、情けなく思うのであった。ご本人は、お心の中で恥ずかしくお思いになって、今朝のお文が暮れてしまってから来たのも、かえって、非礼ともお気づきにならないのであった。
「夕霧が晴れる気配をまだ見ないうちに
さらに気持ちを滅入らせる宵の雨まで降ることよ
雲の晴れ間を待つ間は、何とじれったいことでしょう」
とある。いらっしゃらないらしいご様子を、女房たちは失望して悲しく思うが、
「やはり、お返事は差し上げあそばしませ」
と、お勧めしあうが、ますますお思い乱れていらっしゃる時で、型通りにも返歌がおできになれないので、「夜が更けてしまいます」と言って、侍従が、いつものようにお教え申し上げる。
「雨雲の晴れない夜の月を待っている人を思いやってください
わたしと同じ気持ちで眺めているのでないにしても」
口々に責められて、紫色の紙で、古くなったので灰の残った古めいた紙に、筆跡は何といっても文字がはっきりと書かれた、一時代前の書法で、天地を揃えてお書きになっている。見る張り合いもなくお置きになる。
どのように思っているだろうか、と想像するにつけても、気が落ち着かない。
「このようなことを、後悔されるなどと言うのであろうか。そうかといってどうすることもできない。自分は、それはそれとしてともかくも、気長に最後までお世話しよう」と、お思いになるお気持ちを知らないので、あちらではひどく嘆くのであった。
大臣が、夜になって退出なさるのに、伴われなさって、大殿にいらっしゃった。行幸の事をおもしろいとお思いになって、ご子息達が集まって、お話なさったり、それぞれ舞いをお習いになったりするのを、そのころの日課として日が過ぎて行く。
いろいろな楽器の音が、いつもよりもやかましくて、お互いに競争し合って、いつもの合奏とは違って、大篳篥、尺八の笛の音などが大きな音を何度も吹き上げて、太鼓までを高欄の側にころがし寄せて、自ら打ち鳴らして、演奏していらっしゃる。
お暇もないような状態で、切に恋しくお思いになる所だけには、暇を盗んでお出掛けになったが、あの辺りには、すっかり御無沙汰で、秋も暮れてしまった。相変わらず頼りない状態で月日が過ぎて行く。
行幸が近くなって、試楽などで騒いでいるころ、命婦は参内していた。
「どうであるか」などと、お尋ねになって、気の毒だとはお思いになっていた。様子を申し上げて、
「とてもこのように、お見限りのお気持ちは、側でお仕えしている者たちまでが、お気の毒で」
などと、今にも泣き出しそうに思っている。「奥ゆかしく思っているところで止めておこうとしたのを、台無しにしてしまったのを、思いやりがないとこの人は思っているだろう」とまでお思いになる。ご本人が、何もおっしゃらないで、思い沈んでいらっしゃるだろう有様、ご想像なさるにつけても、お気の毒なので、
「忙しい時だよ、やむをえない」と、嘆息なさって、「人情というものを少しも理解してないような気性を、懲らしめようと思っているのだよ」
と、にこりなさっているのが、若々しく美しそうなので、自分もつい微笑まれる気がして、
「困った、人に恨まれなさる、お年頃だ。相手の気持ちを察することが足りなくて、ご自分のお気持ち次第というのも、もっともだ」と思う。
この行幸のご準備の時期を過ぎてから、時々お越しになるのであった。
あの紫のゆかり、手に入れなさってからは、そのかわいがりを一心になさって、六条辺りにさえ、一段と遠のきなさるらしいので、ましてや荒れた邸は、気の毒と思う気持ちは絶えずありながらも、億劫になるのはしかたのないことであったと、大げさな恥ずかしがりやの正体を見てやろうというお気持ちも、特別なくて過ぎて行くのを、又一方では、思い返して、「よく見れば良いところも現れて来はしまいか。手だ触った感触でははっきりしないので、妙に、腑に落ちない点があるのだろうか。見てみたいものだ」とお思いになるが、あからさまに見るのも気が引ける。
気を許している宵時に、静かにお入りになって、格子の間から御覧になったのであった。
けれども、ご本人の姿はお見えになるはずもない。几帳など、ひどく破れてはいたが、昔ながらに置き場所を変えず、動かしたりなど乱れてないので、よく見えなくて、女房たち四、五人座っている。お膳、青磁らしい食器は舶来物だが、みっともなく古ぼけて、お食事もこれといった料理もなく貧弱なのを、退がって来て女房たちが食べている。
隅の間の方に、とても寒そうな女房が、白い着物で譬えようもなく煤けた上に、汚らしい褶を纏っている腰つき、いかにも不体裁である。それでも、櫛を前下がりに挿している額つきは、内教坊、内侍所辺りに、このような連中がいたことよと、おかしい。夢にも、宮家でお側にお仕えしているとはご存知なかった。
「ああ、何とも寒い年ですね。長生きすると、このような辛い目にも遭うのですね」
と、言って泣く者もいる。
「故宮様が生きていらしたころを、どうして辛いと思ったのでしょう。このように頼りない状態でも生きて行けるものなのですね」
と言って、飛び上がりそうにぶるぶる震えている者もいる。
あれこれと体裁の悪いことを、愚痴こぼし合っているのをお聞きになるのも、気が咎めるので、退いて、ちょうど今お越しになったようにして、お叩きになさる。
「それ、それ」などと言って燈火の向きを変え、格子を外してお入れ申し上げる。
侍従は、斎院にお勤めする若い女房なので、最近はいないのであった。ますます奇妙で野暮ったい者ばかりで、勝手の違った感じがする。
ますます、辛いと言っていた雪が、空を閉ざして激しく降って来た。空模様は険しく、風が吹き荒れて、大殿油が消えてしまったのを点し直す人もいない。あの、魔物に襲われた時を自然とお思い出しになられて、荒れた様子は劣らないようだが、邸の狭い感じや、人気が少しあるなどで安心していたが、ぞっとするように怖く、寝つかれそうにない夜の有様である。
趣がありしみじみと胸を打つものがあり、普通とは違って、心に印象深く残るはずの風情なのに、ひどく引っ込み思案ですげないので、何の張り合いもないのを、残念にお思いになる。
やっと夜が明けた気配なので、格子をお手づから上げなさって、前の前栽の雪を御覧になる。踏みしめた跡もなく、広々と荒れわたって、ひどく寂しそうなので、振り捨てて帰って行くのも気の毒なので、
「風情のある空を御覧なさい。いつまでも打ち解けて下さらないお心が、困ります」
と、お恨み申し上げなさる。まだほの暗いが、雪の光にますます美しく若々しくお見えになるのを、年老いた女房どもは、喜色満面に拝し上げる。
「早くお出であそばしませ。いけませんわ。素直なのが」
などとお教え申し上げると、何と言っても、人の申すことをお拒みになれないご性質なので、何やかやと身繕いして、いざり出でなさった。
見ないようにして、外の方を御覧になっていらっしゃるが、横目は尋常でない。「どんなであろうか、馴れ親しんで見たときに、少しでも良いところを発見できれば嬉しかろうが」と、お思いになるのも、身勝手なお考えというものであるよ。
まず第一に、座高が高くて、胴長にお見えなので、「やはりそうであったか」と、失望した。引き続いて、ああみっともないと見えるのは、鼻なのであった。ふと目がとまる。普賢菩薩の乗物と思われる。あきれて高く長くて、先の方がすこし垂れ下がって色づいていること、特に異様である。顔色は、雪も恥じるほど白くまっ青で、額の具合がとても広いうえに、それでも下ぶくれの容貌は、おおよそ驚く程の面長なのであろう。痩せ細っていらっしゃること、気の毒なくらい骨ばって、肩の骨など痛々しそうに着物の上から透けて見える。「どうしてすっかり見てしまったのだろう」と思う一方で、異様な恰好をしているので、そうはいっても、ついつい目が行っておしまいになる。
頭の恰好、髪の垂れ具合は、美しく素晴らしいとお思い申していた人々にも、少しも引けを取らず、袿の裾にたくさんあって引きずっている部分は、一尺ほど余っているだろうと見える。着ていらっしゃる物まで言い立てるのも、口が悪いようだが、昔物語にも、人のお召し物についてはまっ先に述べているようだ。
聴し色のひどく古びて色褪せた一襲に、すっかり黒ずんだ袿を重ねて、上着には黒貂の皮衣、とてもつやつやとして香を焚きしめたのを着ていらっしゃる。昔風の由緒ある御装束であるが、やはり若い女性のお召し物としては、似つかわしくなく仰々しいことが、まことに目立つ。しかし、なるほど、この皮衣がなくては、さぞ寒いことだろう、と見えるお顔色なのを、お気の毒とご覧になる。
何もおっしゃれず、自分までが口が利けなくなった気持ちがなさるが、いつもの沈黙を開かせようと、あれこれとお話かけ申し上げなさるが、ひどく恥じらって、口を覆っていらっしゃるのまでが、野暮ったく古風に、大げさで、儀式官が練り歩く時の臂つきに似て、それでもやはりちょっと微笑んでいらっしゃる表情、中途半端で落ち着かない。お気の毒でかわいそうなので、ますます急いでお出になる。
「頼りになる人がいないご境遇ですから、縁を結んだわたしには、心を隔てず打ち解けて下さいましたら、本望な気がします。打ち解けて下さらないご態度なので、情けなくて」などと、姫君のせいにして、
「朝日がさしている軒のつららは解けましたのに
どうして氷は解けないでいるのでしょう」
とおっしゃるが、ただ「うふふっ」とちょっと笑って、とても容易に返歌も詠めそうにないのもお気の毒なので、お出になった。
お車を寄せてある中門が、とてもひどく傾いていて、夜目にこそ、それとはっきり分かっていながら何かと目立たないことが多かったが、とてもお気の毒に寂しく荒廃しているなかで、松の雪だけが暖かそうに降り積もっている、山里のような感じがして、物哀れに思われるが、「あの人たちが言っていた荒れた宿とは、このような所だったのだろう。なるほど、気の毒でかわいらしい女性をここに囲っておいて、気がかりで恋しいと思いたいものだ。大それた恋は、そのことで気が紛れるだろう」と、「理想的な荒れた宿に不似合いなご器量は、取柄がない」と思う一方で、「自分以外の人は、なおさら我慢できようか。わたしがこのように通うようになったのは、故親王が心配に思って結び付けた霊の導きによるようである」とお思いになる。
橘の木が埋もれているのを、御随身を呼んで払わせなさる。羨ましそうに、松の木が独りで起き返って、ささっとこぼれる雪も、「名に立つ末の」と見えるのなどを、「さほど深くなくとも、多少分かってくれる人がいたらなあ」と御覧になる。
お車が出るはずの門は、まだ開けてなかったので、鍵の番人を探し出すしたところ、老人でとてもひどく年とった者が出て来た。その娘だろうか、孫であろうか、どちらともつかない大きさの女が、着物は雪に映えて黒くくすみ、寒がっている様子、たいそうで、奇妙な物に火をわずかに入れて、袖で覆うようにして持っていた。老人が、中門を開けられないので、近寄って手伝うのが、いかにも不体裁である。お供の人が、近寄って開けた。
「老人の白髪頭に積もった雪を見ると
その人以上に、今朝は涙で袖を濡らすことだ
『幼い者は着る着物もなく』」
と口ずさみなさっても、鼻の色に現れて、とても寒いと見えたおん面影が、ふと思い出されて、微笑まれなさる。「頭中将に、これを見せた時には、どのような譬えを言うだろう。いつも探りに来ているので、やがて見つけられるだろう」と、しかたなくお思いになる。
世間並の、平凡な顔立ちならば、忘れてしまってもよいのだが、はっきりと御覧になった後は、かえってひどく気の毒で、暮らし向きの事に、常にお心をかけておやりになる。
黒貂の皮衣ではない、絹、綾、綿など、老女房たちが着るための衣類、あの老人のための物まで、召使の上下をお考えに入れて差し上げなさる。このような暮らし向きのことを世話されても恥ずかしがらないのを、気安く、「そのような方面の後見人としてお世話しよう」とお考えになって、一風変わった、普通ではしないところまで立ち入ったお世話もなさるのであった。
「あの空蝉が、気を許していた宵の横顔は、かなりひどかった容貌ではあるが、身のもてなしに隠されて、悪くはなかった。劣る身分の人であろうか。なるほど身分によらないものであった。気立てがやさしくて、いまいましかったが、根負けしてしまったなあ」と、何かの折ふしにはお思い出しになられる。
年も暮れた。内裏の宿直所にいらっしゃると、大輔の命婦が参上した。お櫛梳きなどの折には、色恋めいたことはなく、気安いとはいえ、やはりそれでも冗談などをおっしゃって、召し使っていらっしゃるので、お呼びのない時にも、申し上げるべき事がある時には、参上するのであった。
「妙な事がございますが、申し上げずにいるのもいけないようなので、思慮に困りまして」
と、微笑みながら全部を申し上げないのを、
「どのような事だ。わたしには隠すこともあるまいと、思うが」とおっしゃると、
「どういたしまして。自分自身の困った事ならば、恐れ多くとも、まっ先に。これは、とても申し上げにくくて」
と、ひどく口ごもっているので、
「例によって、様子ぶっているな」とお憎みになる。
「あちらの宮からございましたお手紙で」と言って、取り出した。
「なおいっそう、それは隠すことではないではないか」
と言って、お取りになるにつけても、どきりとする。
陸奥紙の厚ぼったい紙に、薫香だけは深くたきしめてある。とてもよく書き上げてある。和歌も、
「あなたの冷たい心がつらいので
わたしの袂は涙でこんなにただもう濡れております」
合点がゆかず首を傾けていらっしゃると、上包みに、衣装箱の重そうで古めかしいのを置いて、押し出した。
「これを、どうして、見苦しいと存ぜずにいられましょう。けれども、元日のご衣装にと言って、わざわざございましたようなを、無愛想にはお返しできません。勝手にしまい込んで置きますのも、姫君のお気持ちに背きましょうから、御覧に入れた上で」と申し上げると、
「しまい込んでしまったら、つらいことだったろうよ。袖を抱いて乾かしてくれる人もいないわたしには、とても嬉しいお心遣いだ」
とおっしゃって、他には何ともおっしゃれない。「それにしても、何とまあ、あきれた詠みぶりであることか。これがご自身の精一杯のようだ。侍従が直すべきところだろう。他に、手を取って教える先生はいないのだろう」と、何とも言いようなくお思いになる。精魂こめて詠み出された苦労を想像なさると、
「まことに恐れ多い歌とは、きっとこのようなのを言うのであろうよ」
と、苦笑しながら御覧になるのを、命婦、赤面して拝する。
流行色だが、我慢できないほどの艶の無い古めいた直衣で、裏表同じく濃く染めてあり、いかにも平凡な感じで、端々が見えている。「あきれた」とお思いになると、この手紙を広げながら、端の方にいたずら書きなさるのを、横から見ると、
「格別親しみを感じる花でもないのに
どうしてこの末摘花を手にすることになったのだろう
色の濃い「はな」だと思っていたのだが」
などと、お書き汚しなさる。紅花の非難を、やはりわけがあるのだろうと、思い合わされる折々の、月の光で見た容貌などを、気の毒に思う一方で、またおかしくも思った。
「紅色に一度染めた衣は色が薄くても
どうぞ悪い評判をお立てなさることさえなければ
お気の毒なこと」
と、とてももの馴れたように独り言をいうのを、上手ではないが、「せめてこの程度に通り一遍にでもできたならば」と、返す返すも残念である。身分が高い方だけに気の毒なので、名前に傷がつくのは何といってもおいたわしい。女房たちが参ったので、
「隠すとしようよ。このようなことは、常識のある人のすることでないから」
と、つい呻きなさる。「どうして、御覧に入れてしまったのだろうか。自分までが思慮のないように」と、とても恥ずかしくて、静かに下がった。
翌日、出仕していると、台盤所にお立ち寄りになって、
「そらよ。昨日の返事だ。妙に心づかいされてならないよ」
と言って、お投げ入れになった。女房たち、何事だろうかと、見たがる。
「ちょうど紅梅の色のように、三笠の山の少女は捨ておいて」
と、口ずさんでお出になったのを、命婦は「とてもおかしい」と思う。事情を知らない女房たちは、
「どうして、独り笑いなさって」と、口々に非難しあっている。
「何でもありません。寒い霜の朝に、掻練り好きの鼻の色がお目に止まったのでしょうよ。ぶつぶつとお歌いになるのが、困ったこと」と言うと、
「あまりなお言葉ですこと。ここには赤鼻の人はいないようですのに」
「左近の命婦や、肥後の采女が交じっているでしょうか」
などと、合点がゆかず、言い合っている。
お返事を差し上げたところ、宮邸では、女房たちが集まって、感心して見るのであった。
「逢わない夜が多いのに間を隔てる衣とは
ますます重ねて見なさいということですか」
白い紙に、さりげなくお書きになっているのは、かえって趣きがある。
大晦日の日、夕方に、あの御衣装箱に「御料」と書いて、人が献上した御衣装一具、葡萄染めの織物の御衣装、他に山吹襲か何襲か、色さまざまに見えて、命婦が差し上げた。「先日差し上げた衣装の色合いを良くないと思われたのだろうか」と思い当たるが、「あれだって、紅色の重々しい色だわ。よもや見劣りはしますまい」と、老女房たちは判断する。
「お歌も、こちらからのは、筋が通っていて、手抜かりはありませんでした」
「ご返歌は、ただ面白みがあるばかりです」
などと、口々に言い合っている。姫君も、並大抵のわざでなく詠み出したもとなので、手控えに書き付けて置かれたのであった。
正月の数日も過ぎて、今年、男踏歌のある予定なので、例によって、家々で音楽の練習に大騷ぎなさっているので、何かと騒々しいが、寂しい邸が気の毒にお思いやらずにはいられっしゃれないので、七日の日の節会が終わって、夜になって、御前から退出なさったが、御宿直所にそのままお泊まりになったように見せて、夜の更けるのを待って、お出かけになった。
いつもの様子よりは、感じが活気づいており、世間並みに見えた。君も、少しもの柔らかな感じを身につけていらっしゃる。「どうだろうか、もし去年までと違っていたら」と、自然と思い続けられる。
日が昇るころに、わざとゆっくりしてから、お帰りになる。東の妻戸、押し開けてあるので、向かいの渡殿の廊が、屋根もなく壊れているので、日の脚が、近くまで射し込んで、雪が少し積もった反射で、とてもはっきりと奥まで見える。
お直衣などをお召しになるのを物蔭から見て、少しいざり出て、お側に臥していらっしゃる頭の恰好、髪の掛かった様子、とても見事である。「成長なさったのを見ることができたら」と自然とお思いになって、格子を引き上げなさった。
気の毒に思った苦い経験から、全部はお上げにならないで、脇息を寄せて、ちょっとかけて、鬢の乱れているのをお繕いなさる。めっぽう古めかしい鏡台で、唐の櫛匣、掻上げの箱などを、取り出してきた。何と言っても、夫のお道具までちらほらとあるのを、風流でおもしろいと御覧になる。
女の御装束、「今日は世間並みになっている」と見えるのは、先日の衣装箱の中身を、そのまま着ていたからであった。そうともご存知なく、しゃれた模様のある目立つ上着だけを、妙なとお思いになるのであった。
「せめて今年は、お声を少しはお聞かせ下さい。待たれる鴬はさしおいても、お気持ちの改まるのが、待ち遠しいのです」と、おっしゃると、
「囀る春は」
と、ようやくのことで、震え声に言い出した。
「そうよ。年を取った甲斐があったよ」と、お微笑みなさって、「夢かと思います」
と、口ずさんでお帰りになるのを、見送って物に添い臥していらっしゃる。口を覆っている横顔から、やはり、あの「末摘花」が、とても鮮やかに突き出している。「みっともない代物だ」とお思いになる。
二条の院にお帰りになると、紫の君、とてもかわいらしい幼な娘で、「紅色でもこうも慕わしいものもあるものだ」と見える着物の上に、無紋の桜襲の細長、しなやかに着こなして、あどけない様子でいらっしゃる姿、たいそうかわいらしい。古風な祖母君のお躾のままで、お歯黒もまだであったのを、お化粧をさせなさったので、眉がくっきりとなっているのも、かわいらしく美しい。「自ら求めて、どうして、こうもうっとうしい事にかかずらっているのだろう。こんなにかわいい人とも一緒にいないで」と、お思いになりながら、例によって、一緒にお人形遊びをなさる。
絵などを描いて、色をお付けになる。いろいろと美しくお描き散らしになるのであった。自分もお描き加えになる。髪のとても長い女性をお描きになって、鼻に紅を付けて御覧になると、絵に描いても見るのも嫌な感じがした。ご自分の姿が鏡台に映っているのが、たいそう美しいのを御覧になって、自分で紅鼻に色づけして、赤く染めて御覧になると、これほど美しい顔でさえ、このように赤い鼻が付いているようなのは当然醜いにちがいないのであった。姫君、見て、ひどくお笑いになる。
「わたしが、もしこのように不具になってしまったら、どうですか」
と、おっしゃると、
「嫌ですわ」
と言って、そのまま染み付かないかと、心配していらっしゃる。うそ拭いをして、
「少しも、白くならないぞ。つまらないいたずらをしたものよ。帝にはどんなにお叱りになられることだろう」
と、とても真剣におっしゃるのを、本気で気の毒にお思いになって、近寄ってお拭いになると、
「平中のように墨付けなさるな。赤いのはまだ我慢できましょうよ」
と、ふざけていらっしゃる様子、とても睦まじい兄妹とお見えである。
日がとてもうららかで、もうさっそく一面に霞んで見える梢などは、花の待ち遠しい中でも、梅は蕾みもふくらみ、咲きかかっているのが、特に目につく。階隠のもとの紅梅、とても早く咲く花なので、もう色づいていた。
「紅の花はわけもなく嫌な感じがする
梅の立ち枝に咲いた花は慕わしく思われるが
いやはや」
と、不本意に溜息をお吐かれになる。
このような人たちの将来は、どうなったことだろうか。
紅葉賀
光る源氏18歳冬10月から19歳秋7月までの宰相兼中将時代の物語
- 御前の試楽---朱雀院への行幸は、神無月の十日過ぎである
- 試楽の翌日、源氏藤壷と和歌遠贈答---翌朝、中将の君
- 十月十余日、朱雀院へ行幸---行幸には、親王たちなど、宮廷を挙げて一人残らず供奉なさった
- 葵の上、源氏の態度を不快に思う---宮は、そのころご退出なさったので
1 藤壷の物語 源氏、藤壷の御前で青海波を舞う
- 紫の君、源氏を慕う---幼い人は馴染まれるにつれて
- 藤壷の三条宮邸に見舞う---藤壷が退出していらっしゃる三条の宮に
- 故祖母君の服喪明ける---少納言は、「思いがけず嬉しい運が回って来たこと
- 新年を迎える---男君は、朝拝に参内なさろうとして
2 紫の物語 源氏、紫の君に心慰める
- 左大臣邸に赴く---宮中から大殿にご退出なさると
- 二月十余日、藤壷に皇子誕生---参賀のご挨拶といっても、多くの所にはお出かけにならず
- 藤壷、皇子を伴って四月に宮中に戻る---四月に参内なさる
- 源氏、紫の君に心を慰める---つくづくと物思いに沈んでいても、晴らしようのない気持ちがするので
3 藤壷の物語(2) 二月に男皇子を出産
- 源典侍の風評---帝のお年、かなりお召しあそばされたが
- 源氏、源典侍と和歌を詠み交わす---お上の御髪梳りに伺候したが
- 温明殿付近で密会中、頭中将に発見され脅される---たいそう秘密にしているので、源氏の君はご存知ない
- 翌日、源氏と頭中将と宮中で応酬しあう---君は、「実に残念にも見つけられてしまったことよ」と思って
4 源典侍の物語 老女との好色事件
- 七月に藤壷女御、中宮に立つ---七月に、后がお立ちになるようであった
5 藤壷の物語(3) 秋、藤壷は中宮、源氏は宰相となる
1 藤壷の物語 源氏、藤壷の御前で青海波を舞う
[1-1 御前の試楽]
朱雀院への行幸は、神無月の十日過ぎである。常の行幸とは違って、格別興趣あるはずの催しであったので、御方々、御覧になれないことを残念にお思いになる。主上も、藤壷が御覧になれないのを、もの足りなく思し召されるので、試楽を御前において、お催しあそばす。
源氏中将は、青海波をお舞いになった。一方の舞手には大殿の頭中将。容貌、心づかい、人よりは優れているが、立ち並んでは、やはり花の傍らの深山木である。
入り方の日の光、鮮やかに差し込んでいる時に、楽の声が高まり、感興もたけなわの時に、同じ舞の足拍子、表情は、世にまたとない様子である。朗唱などをなさっている声は、「これが、仏の御迦陵頻伽のお声だろうか」と聞こえる。美しくしみじみと心打つので、帝は、涙をお拭いになさり、上達部、親王たちも、皆落涙なさった。朗唱が終わって、袖をさっとお直しになると、待ち構えていた楽の音が賑やかに奏され、お顔の色が一段と映えて、常よりも光り輝いてお見えになる。
春宮の女御は、このように立派に見えるのにつけても、おもしろからずお思いになって、「神などが、空から魅入りそうな、容貌だこと。嫌な、不吉だこと」とおっしゃるのを、若い女房などは、厭味なと、聞きとがめるのであった。藤壷は、「大それた心のわだかまりがなかったならば、いっそう素晴らしく見えたろうに」とお思いになると、夢のような心地がなさるのであった。
宮は、そのまま御宿直なのであった。 「今日の試楽は、青海波に万事尽きてしまったな。どう御覧になりましたか」 と、お尋ね申し上げあそばすと、心ならずも、お答え申し上げにくくて、 「格別でございました」とだけお返事申し上げなさる。
「相手役も、悪くはなく見えた。舞の様子、手捌きは、良家の子弟は格別であるな。世間で名声を博している舞の男どもも、確かに大したものであるが、大様で優美な趣きを、表すことができない。試楽の日に、こんなに十分に催してしまったので、紅葉の木陰は、寂しかろうかと思うが、お見せ申したいとの気持ちで、念入りに催させた」などと、お話し申し上げあそばす。
[1-2 試楽の翌日、源氏藤壷と和歌遠贈答] 翌朝、中将の君、 「どのように御覧になりましたでしょうか。何とも言えないつらい気持ちのままで。 つらい気持ちのまま立派に舞うことなどはとてもできそうもないわが身が 袖を振って舞った気持ちはお分りいただけたでしょうか 恐れ多いことですが」 とあるお返事、目を奪うほどであったご様子、容貌に、お見過ごしになれなかったのであろうか、 「唐の人が袖振って舞ったことは遠い昔のことですが その立ち居舞い姿はしみじみと拝見いたしました 並々のことには」 とあるのを、この上なく珍しく、「このようなことにまで、お詳しくいらっしゃり、唐国の朝廷まで思いをはせられるお后としてのお和歌を、もう今から」と、自然とほほ笑まれて、持経のように広げてご覧になっていた。
[1-3 十月十余日、朱雀院へ行幸] 行幸には、親王たちなど、宮廷を挙げて一人残らず供奉なさった。春宮もお出ましになる。恒例によって、楽の舟々が漕ぎ廻って、唐楽、高麗楽のと、数々を尽くした舞は、幾種類も多い。楽の声、鼓の音、四方に響き渡る。 先日の源氏の夕映えのお姿、不吉に思し召されて、御誦経などを方々の寺々におさせになるのを、聞く人ももっともであると感嘆申し上げるが、春宮の女御は、大仰であると、ご非難申し上げなさる。 垣代などには、殿上人、地下人でも、優秀だと世間に評判の高い精通した人たちだけをお揃えあそばしていた。宰相二人、左衛門督、右衛門督が、左楽と右楽とを指揮する。舞の師匠たちなど、世間で一流の人たちをそれぞれ招いて、各自家に引き籠もって練習したのであった。 木高い紅葉の下に、四十人の垣代、何とも言い表しようもなく見事に吹き鳴らしている笛の音に響き合っている松風、本当の深山颪と聞こえて吹き乱れ、色とりどりに散り乱れる木の葉の中から、青海波の光り輝いて舞い出る様子、何とも恐ろしいまでに見える。插頭の紅葉がたいそう散って薄くなって、顔の照り映える美しさに圧倒された感じがするので、御前に咲いている菊を折って、左大将が差し替えなさる。 日の暮れかかるころに、ほんの少しばかり時雨が降って、空の様子までが感涙を催しているのに、そうした非常に美しい姿で、菊が色とりどりに変色し、その素晴らしいのを冠に插して、今日は又とない秘術を尽くした入綾の舞の時には、ぞくっと寒気がし、この世の舞とは思われない。何も分るはずのない下人どもで、木の下、岩の陰、築山の木の葉に埋もれている者までが、少し物の情趣を理解できる者は感涙に咽ぶのであった。 承香殿の女御の第四皇子、まだ童姿で、秋風楽をお舞いになったのが、これに次ぐ見物であった。これらに興趣も尽きてしまったので、他の事には関心も移らず、かえって興ざましであったろうか。 その夜、源氏の中将、正三位になられる。頭中将、正四位下に昇進なさる。上達部は、皆しかるべき人々は相応の昇進をなさるのも、この君の昇進につれて恩恵を蒙りなさるので、人の目を驚かし、心をも喜ばせなさる、前世が知りたいほどである。
[1-4 葵の上、源氏の態度を不快に思う] 宮は、そのころご退出なさったので、例によって、お会いできる機会がないかと窺い回るのに夢中であったので、大殿では穏やかではいらっしゃれない。その上、あの若草をお迎えになったのを、「二条院では、女の人をお迎えになったそうだ」と、誰かが申し上げたので、まことに気に食わないとお思いになっていた。 「内々の様子はご存知なく、そのようにお思いになるのはごもっともであるが、素直で、普通の女性のように恨み言をおっしゃるのならば、自分も腹蔵なくお話して、お慰め申し上げようものを、心外なふうにばかりお取りになるのが不愉快なので、起こさなくともよい浮気沙汰まで起こるのだ。相手のご様子は、不十分で、どこが不満だと思われる欠点もない。誰よりも先に結婚した方なので、愛しく大切にお思い申している気持ちを、まだご存知ないのであろうが、いつかはお思い直されよう」と、「安心できる軽率でないご性質だから、いつかは」と、期待できる点では格別なのであった。
2 紫の物語 源氏、紫の君に心慰める [2-1 紫の君、源氏を慕う] 幼い人は馴染まれるにつれて、とてもよい性質、容貌なので、無心に懐いてお側からお放し申されない。「暫くの間は、邸内の者にも誰それと知らせまい」とお思いになって、今も離れた対の屋に、お部屋の設備をまたとなく立派にして、ご自分も明け暮れお入りになって、ありとあらゆるお稽古事をお教え申し上げなさる。お手本を書いてお習字などさせては、まるで他で育ったご自分の娘をお迎えになったようなお気持ちでいらっしゃった。 政所、家司などをはじめとして、別に分けて、心配がないようにお仕えさせなさる。惟光以外の人は、はっきり分からずばかり思い申し上げていた。あの父宮も、ご存知ないのであった。 姫君は、やはり時々お思い出しなさる時は、尼君をお慕い申し上げなさる時々が多い。君がおいでになる時は、気が紛れていらっしゃるが、夜などは、時々はお泊まりになるが、あちらこちらの方々にお忙しくて、暮れるとお出かけになるのを、お後を慕いなさる時などがあるのを、とてもかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。 二、三日宮中に伺候し、大殿にもいらっしゃる時は、とてもひどく塞ぎ込んだりなさるので、気の毒で、母親のいない子を持ったような心地がして、外出も落ち着いてできなくお思いになる。僧都は、これこれと、お聞きになって、不思議な気がする一方で、嬉しいことだとお思いであった。あの尼君の法事などをなさる時にも、立派なお供物をお届けなさった。
[2-2 藤壷の三条宮邸に見舞う] 藤壷が退出していらっしゃる三条の宮に、ご様子も知りたくて、参上なさると、命婦、中納言の君、中務などといった女房たちが応対に出た。「他人行儀なお扱いであるな」とおもしろくなく思うが、落ち着けて、世間一般のお話を申し上げなさっているところに、兵部卿宮が参上なさった。 この君がいらっしゃるとお聞きになって、お会いなさった。とても風情あるご様子をして、色っぽくなよなよとしていらっしゃるのを、「女性として見るにはきっと素晴らしいに違いなかろう」と、こっそりと拝見なさるにつけても、あれこれと睦まじくお思いになられて、懇ろにお話など申し上げなさる。宮も、君のご様子がいつもより格別に親しみやすく打ち解けていらっしゃるのを、「じつに素晴らしい」と拝見なさって、婿でいらっしゃるなどとはお思いよりにもならず、「女としてお会いしたいものだ」と、色っぽいお気持ちにお考えになる。 日が暮れたので、御簾の内側にお入りになるのを、羨ましく、昔はお上の御待遇で、とても近くで直接にお話申し上げになさったのに、すっかり疎んじていらっしゃるのも、辛く思われるとは、理不尽なことであるよ。 「しばしばお伺いすべきですが、特別の事でもない限りは、参上するのも自然滞りがちになりますが、しかるべき御用などは、お申し付けございましたら、嬉しく」 などと、堅苦しい挨拶をしてお出になった。命婦も、手引き申し上げる手段もなく、宮のご様子も以前よりは、いっそう辛いことにお思いになっていて、お打ち解けにならないご様子も、恥ずかしくおいたわしくもあるので、何の効もなく、月日が過ぎて行く。「何とはかない御縁か」と、お悩みになること、お互いに嘆ききれない。
[2-3 故祖母君の服喪明ける] 少納言は、「思いがけず嬉しい運が回って来たこと。これも、故尼上が、姫君様をご心配なさって、御勤行にもお祈り申し上げなさった仏の御利益であろうか」と思われる。「大殿は、本妻として歴としていらっしゃる。あちらこちら大勢お通いになっているのを、本当に成人されてからは、厄介なことも起きようか」と案じられるのだった。しかし、このように特別になさっていらっしゃるご寵愛のうちは、とても心強い限りである。 ご服喪は、母方の場合は三箇月であると、晦日には忌明け申し上げさせなさるが、他に親もなくてご成長なさったので、派手な色合いではなく、紅、紫、山吹の地だけで織った御小袿などを召していらっしゃる様子、たいそう当世風でかわいらしげである。
[2-4 新年を迎える] 男君は、朝拝に参内なさろうとして、お立ち寄りになった。 「今日からは大人らしくなられましたか」 と言って微笑んでいらっしゃる、とても素晴らしく魅力的である。早くも、お人形を並べ立てて、忙しくしていらっしゃる。三尺の御厨子一具と、お道具を色々と並べて、他に小さい御殿をたくさん作って、差し上げなさっていたのを、辺りいっぱいに広げて遊んでいらっしゃる。 「追儺をやろうといって、犬君がこれを壊してしまったので、直しておりますの」 と言って、とても大事件だとお思いである。 「なるほど、とてもそそっかしい人のやったことらしいですね。直ぐに直させましょう。今日は涙を慎んで、お泣きなさるな」 と言って、お出かけになる様子、辺り狭しのご立派さを、女房たちは端に出てお見送り申し上げるので、姫君も立って行ってお見送り申し上げなさって、お人形の中の源氏の君を着飾らせて、内裏に参内させる真似などなさる。 「せめて今年からはもう少し大人らしくなさいませ。十歳を過ぎた人は、お人形遊びはいけないものでございますのに。このようにお婿様をお持ち申されたからには、奥方様らしくおしとやかにお振る舞いになって、お相手申し上げあそばしませ。お髪をお直しする間さえ、お嫌がりあそばして」 などと少納言も、お諌め申し上げる。お人形遊びにばかり夢中になっていらっしゃるので、これではいけないと思わせ申そうと思って言うと、心の中で、「わたしは、それでは、夫君を持ったのだわ。この女房たちの夫君というのは、何と醜い人たちなのであろう。わたしは、こんなにも魅力的で若い男性を持ったのだわ」と、今になってお分かりになるのであった。何と言っても、お年を一つ取った証拠なのであろう。このように幼稚なご様子が、何かにつけてはっきり分かるので、殿の内の女房たちも変だと思ったが、とてもこのように夫婦らしくないお添い寝相手だろうとは思わなかったのである。
3 藤壷の物語(2) 二月に男皇子を出産 [3-1 左大臣邸に赴く] 宮中から大殿にご退出なさると、いつものように端然と威儀を正したご態度で、やさしいそぶりもなく窮屈なので、 「せめて今年からでも、もう少し夫婦らしく態度をお改めになるお気持ちが窺えたら、どんなにか嬉しいことでしょう」 などとお申し上げなさるが、「わざわざ女の人を置いて、かわいがっていらっしゃる」と、お聞きになってからは、「重要な夫人とお考えになってのことであろう」と、隔て心ばかりが自然と生じて、ますます疎ましく気づまりにお感じになられるのであろう。つとめて見知らないように振る舞って、冗談をおっしゃっるご様子には、強情もを張り通すこともできず、お返事などちょっと申し上げなさるところは、やはり他の女性とはとても違うのである。 四歳ほど年上でいらっしゃるので、姉様で、気後れがし、女盛りで非の打ちどころがなくお見えになる。「どこにこの人の足りないところがおありだろうか。自分のあまり良くない浮気心からこのようにお恨まれ申すのだ」と、お考えにならずにはいられない。同じ大臣と申し上げる中でも、御信望この上なくいらっしゃる方が、宮との間にお一人儲けて大切にお育てなさった気位の高さは、とても大変なもので、「少しでも疎略にするのは、失敬である」とお思い申し上げていらっしゃるのを、男君は、「どうしてそんなにまでも」と、お躾なさる、お二人の心の隔てがあるの生じさせたのであろう。 大臣も、このように頼りないお気持ちを、辛いとお思い申し上げになりながらも、お目にかかりなさる時には、恨み事も忘れて、大切にお世話申し上げなさる。翌朝、お帰りになるところにお顔をお見せになって、お召し替えになる時、高名の御帯、お手ずからお持ちになってお越しになって、お召物の後ろを引き結び直しなどや、お沓までも手に取りかねないほど世話なさる、大変なお気の配りようである。 「これは、内宴などということもございますそうですから、そのような折にでも」 などとお申し上げなさると、 「その時には、もっと良いものがございます。これはちょっと目新しい感じのするだけのものですから」 と言って、無理にお締め申し上げなさる。なるほど、万事にお世話して拝見なさると、生き甲斐が感じられ、「たまさかであっても、このような方をお出入りさせてお世話するのに、これ以上の喜びはあるまい」とお見えである。
[3-2 二月十余日、藤壷に皇子誕生] 参賀のご挨拶といっても、多くの所にはお出かけにならず、内裏、春宮、一院だけ、その他では、藤壷の三条の宮にお伺いなさる。 「今日はまた格別にお見えでいらっしゃるわ」 「ご成長されるに従って、恐いまでにお美しくおなりでいらっしゃるご様子ですわ」 と、女房たちがお褒め申し上げているのを、宮、几帳の隙間からわずかにお姿を御覧になるにつけても、物思いなさることが多いのであった。 御出産の予定の、十二月も過ぎてしまったのが、気がかりで、今月はいくら何でもと、宮家の人々もお待ち申し上げ、主上におかれても、そのお心づもりでいるのに、何事もなく過ぎてしまった。「御物の怪のせいであろうか」と、世間の人々もお噂申し上げるのを、宮、とても身にこたえてつらく、「このお産のために、命を落とすことになってしまいそうだ」と、お嘆きになると、ご気分もとても苦しくてお悩みになる。 中将の君は、ますます思い当たって、御修法などを、はっきりと事情は知らせずに方々の寺々におさせになる。「世の無常につけても、このままはかなく終わってしまうのだろうか」と、あれやこれやとお嘆きになっていると、二月十日過ぎのころに、男御子がお生まれになったので、すっかり心配も消えて、宮中でも宮家の人々もお喜び申し上げなさる。 「長生きを」とお思いなさるのは、つらいことだが、「弘徽殿などが、呪わしそうにおっしゃっている」と聞いたので、「死んだとお聞きになったならば、物笑いの種になろう」と、お気を強くお持ちになって、だんだん少しずつ気分が快方に向かっていかれたのであった。 お上が、早く御子を御覧になりたいとおぼし召されること、この上ない。あの、密かなお気持ちとしても、ひどく気がかりで、人のいない時に参上なさって、 「お上が御覧になりたくあそばしてますので、まず拝見して詳しく奏上しましょう」 と申し上げなさるが、 「まだ見苦しい程ですので」 と言って、お見せ申し上げなさらないのも、ごもっともである。実のところ、とても驚くほど珍しいまでに生き写しでいらっしゃる顔形、紛うはずもない。宮が、良心の呵責にとても苦しく、「女房たちが拝見しても、不審に思われた月勘定の狂いを、どうして変だと思い当たらないだろうか。それほどでないつまらないことでさえも、欠点を探し出そうとする世の中で、どのような噂がしまいには世に漏れようか」と思い続けなさると、わが身だけがとても情けない。 命婦の君に、まれにお会いになって、切ない言葉を尽くしてお頼みなさるが、何の効果があるはずもない。若宮のお身の上を無性に御覧になりたくお訴え申し上げなさるので、 「どうして、こうまでもご無理を仰せあそばすのでしょう。そのうち、自然に御覧あそばされましょう」 と申し上げながら、悩んでいる様子、お互いに一通りでない。気が引ける事柄なので、正面切っておっしゃれず、 「いったいいつになったら、直接に、お話し申し上げることができるのだろう」 と言ってお泣きになる姿、お気の毒である。 「どのように前世で約束を交わした縁で この世にこのような二人の仲に隔てがあるのだろうか このような隔ては納得がいかない」 とおっしゃる。 命婦も、宮のお悩みでいらっしゃる様子などを拝見しているので、そっけなく突き放してお扱い申し上げることもできない。 「御覧になっている方も物思をされています 御覧にならないあなたはまたどんなにお嘆きのことでしょう これが世の人が言う親心の闇でしょうか おいたわしい、お心の休まらないお二方ですこと」 と、こっそりとお返事申し上げたのであった。 このように何とも申し上げるすべもなくて、お帰りになるものの、世間の人々の噂も煩わしいので、無理無体なことにおっしゃりもし、お考えにもなって、命婦をも、以前信頼していたように気を許してお近づけなさらない。人目に立たないように、穏やかにお接しになる一方で、気に食わないとお思いになる時もあるはずなのを、とても身にこたえて思ってもみなかった心地がするようである。
[3-3 藤壷、皇子を伴って四月に宮中に戻る] 四月に参内なさる。日数の割には大きく成長なさっていて、だんだん寝返りなどをお打ちになる。驚きあきれるくらい、間違いようもないお顔つきを、ご存知ないことなので、「他に類のない美しい人どうしというのは、なるほど似通っていらっしゃるものだ」と、お思いあそばすのであった。たいそう大切にお慈しみになること、この上もない。源氏の君を、限りなくかわいい人と愛していらっしゃりながら、世間の人々のがご賛成申し上げそうになかったことによって、坊にもお据え申し上げられずに終わったことを、どこまでも残念に、臣下としてもったいないご様子、容貌で、ご成人していらっしゃるのを御覧になるにつけ、おいたわしくおぼし召されるので、「このように高貴な人から、同様に光り輝いてお生まれになったので、疵のない玉だ」と、お思いあそばして大切になさるので、宮は何につけても、胸の痛みの消える間もなく、不安な思いをしていらっしゃる。 いつものように、中将の君が、こちらで管弦のお遊びをなさっていると、お抱き申し上げあそばされて、 「御子たち、大勢いるが、そなただけを、このように小さい時から明け暮れ見てきた。それゆえ、思い出されるのだろうか。とてもよく似て見える。とても幼いうちは皆このように見えるのであろうか」 と言って、たいそうかわいらしいとお思い申し上げあそばされている。 中将の君は、顔色が変っていく心地がして、恐ろしくも、かたじけなくも、嬉しくも、哀れにも、あちこちと揺れ動く思いで、涙が落ちてしまいそうである。お声を上げたりして、にこにこしていらっしゃる様子が、とても恐いまでにかわいらしいので、自分ながら、この宮に似ているのは大変にもったいなくお思いになるとは、身贔屓に過ぎるというものであるよ。宮は、どうにもいたたまれない心地がして、冷汗をお流しになっているのであった。中将は、かえって複雑な思いが、乱れるようなので、退出なさった。 ご自邸でお臥せりになって、「胸のどうにもならない悩みが収まってから、大殿へ出向こう」とお思いになる。お庭先の前栽が、どことなく青々と見渡される中に、常夏の花がぱあっと色美しく咲き出しているのを、折らせなさって、命婦の君のもとに、お書きになること、多くあるようだ。 「思いよそえて見ているが、気持ちは慰まず 涙を催させる撫子の花の花であるよ 花と咲いてほしい、と存じておりましたが、効ない二人の仲でしたので」 とある。ちょうど人のいない時であったのであろうか、御覧に入れて、 「ほんの塵ほどでも、この花びらに」 と申し上げるが、ご本人にも、もの悲しく思わずにはいらっしゃれない時なので、 「袖を濡らしている方の縁と思うにつけても やはり疎ましくなってしまう大和撫子です」 とだけ、かすかに中途で書き止めたような歌を、喜びながら差し上げたが、「いつものことで、返事はあるまい」と、力なくぼんやりと臥せっていらっしゃったところに、胸をときめかして、たいそう嬉しいので、涙がこぼれた。
[3-4 源氏、紫の君に心を慰める] つくづくと物思いに沈んでいても、晴らしようのない気持ちがするので、いつものように、気晴らしには西の対にお渡りになる。 取り繕わないで毛羽だっていらっしゃる鬢ぐき、うちとけた袿姿で、笛を慕わしく吹き鳴らしながら、お立ち寄りになると、女君、先程の花が露に濡れたような感じで、寄り臥していらっしゃる様子、かわいらしく可憐である。愛嬌がこぼれるようで、おいでになりながら早くお渡り下さらないのが、何となく恨めしかったので、いつもと違って、すねていらっしゃるのであろう。端の方に座って、 「こちらへ」 とおっしゃるが、素知らぬ顔で、 「お目にかかることが少なくて」 と口ずさんで、口を覆っていらっしゃる様子、たいそう色っぽくてかわいらしい。 「まあ、憎らしい。このようなことをおっしゃるようになりましたね。みるめに人を飽きるとは、良くないことですよ」 と言って、人を召して、お琴取り寄せてお弾かせ申し上げなさる。 「箏の琴は、中の細緒が切れやすいのが厄介だ」 と言って、平調に下げてお調べになる。調子合わせの小曲だけ弾いて、押しやりなさると、いつまでもすねてもいられず、とてもかわいらしくお弾きになる。 お小さいからだで、左手をさしのべて、弦を揺らしなさる手つき、とてもかわいらしいので、愛しいとお思いになって、笛吹き鳴らしながらお教えになる。とても賢くて難しい調子などを、たった一度で習得なさる。何事につけても才長けたご性格を、「期待していた通りである」とお思いになる。「保曽呂具世利」という曲目は、名前は嫌だが、素晴らしくお吹きになると、合奏させて、まだ未熟だが、拍子を間違えず上手のようである。 大殿油を燈して、絵などを御覧になっていると、「お出かけになる予定」とあったので、供人たちが咳払いし合図申して、 「雨が降って来そうでございます」 などと言うので、姫君、いつものように心細くふさいでいらっしゃった。絵を見ることも止めて、うつ伏していらっしゃるので、とても可憐で、お髪がとても見事にこぼれかかっているのを、かき撫でて、 「出かけている間は寂しいですか」 とおっしゃると、こっくりなさる。 「わたしも、一日もお目にかからないでいるのは、とてもつらいことですが、お小さくいらっしゃるうちは、気安くお思い申すので、まず、ひねくれて嫉妬する人の機嫌を損ねまいと思って、うっとうしいので、暫く間はこのように出かけるのですよ。大人におなりになったら、他の所へは決して行きませんよ。人の嫉妬を受けまいなどと思うのも、長生きをして、思いのままに一緒にお暮らし申したいと思うからですよ」 などと、こまごまとご機嫌をお取り申されると、そうは言うものの恥じらって、何ともお返事申し上げなされない。そのままお膝に寄りかかって、眠っておしまになったので、とてもいじらしく思って、 「今夜は出かけないことになった」 とおっしゃると、皆立ち上がって、御膳などをこちらに運ばせた。姫君を起こしてさし上げにさって、 「出かけないことになった」 とお話し申し上げなさると、機嫌を直してお起きになった。ご一緒にお食事を召し上がる。ほんのちょっとお箸を付けになって、 「では、お寝みなさい」 と不安げに思っていらっしゃるので、このような人を放ってはどんな道であっても出かけることはできない、と思われなさる。 このように、引き止められなさる時々も多くあるのを、自然と漏れ聞く人が、大殿にも申し上げたので、 「誰なのでしょう。とても失礼なことではありませんか」 「今まで誰それとも知れず、そのようにくっついたまま遊んだりするような人は、上品な教養のある人ではありますまい」 「宮中辺りで、ちょっと見初めたような女を、ご大層にお扱いになって、人目に立つかと隠していられるのでしょう。分別のない幼稚な人だと聞きますから」 などと、お仕えする女房たちも噂し合っていた。 お上におかれても、「このような女の人がいる」と、お耳に入れあそばして、 「気の毒に、大臣がお嘆きということも、なるほど、まだ幼かったころを、一生懸命にこんなにお世話してきた気持ちを、それくらいのことをご分別できない年頃でもあるまいに。どうして薄情な仕打ちをなさるのだろう」 と、仰せられるが、恐縮した様子で、お返事も申し上げられないので、「お気に入らないようだ」と、かわいそうにお思いあそばす。 「その一方では、好色がましく振る舞って、ここに見える女房であれ、またここかしこの女房たちなどと、浅からぬ仲に見えたり噂も聞かないようだが、どのような人目につかない所にあちこち隠れ歩いて、このように人に怨まれることをしているのだろう」と仰せられる。
4 源典侍の物語 老女との好色事件 [4-1 源典侍の風評] 帝のお年、かなりお召しあそばされたが、このような方面は、無関心ではいらっしゃれず、采女、女蔵人などの容貌や気立ての良い者を、格別にもてなしお目をかけあそばしていたので、教養のある宮仕え人の多いこの頃である。ちょっとしたことでも、お話しかけになれば、知らない顔をする者はめったにいないので、見慣れてしまったのであろうか、「なるほど、不思議にも好色な振る舞いのないようだ」と、試しに冗談を申し上げたりなどする折もあるが、恥をかかせない程度に軽くあしらって、本気になってお取り乱しにならないのを、「真面目ぶってつまらない」と、お思い申し上げる女房もいる。 年をたいそう取っている典侍、人柄も重々しく、才気があり、高貴で、人から尊敬されてはいるものの、たいそう好色な性格で、その方面では腰の軽いのを、「こう、年を取ってまで、どうしてそんなにふしだらなのか」と、興味深くお思いになったので、冗談を言いかけてお試しになると、不釣り合いなとも思わないのであった。あきれた、とはお思いになりながら、やはりこのような女も興味があるので、お話しかけなどなさったが、人が漏れ聞いても、年とった年齢なので、そっけなく振る舞っていらっしゃるのを、女は、とてもつらいと思っていた。
[4-2 源氏、源典侍と和歌を詠み交わす] お上の御髪梳りに伺候したが、終わったので、お上は御袿係の者をお召しになってお出になりあそばした後に、他に人もなくて、この典侍がいつもよりこざっぱりとして、姿形、髪の具合が艶っぽくて、衣装や、着こなしも、とても派手に洒落て見えるのを、「何とも若づくりな」と、苦々しく御覧になる一方で、「どんな気でいるのか」と、やはり見過ごしがたくて、裳の裾を引っ張って注意をお引きになると、夏扇に派手な絵の描いてあるのを、顔を隠して振り返ったまなざし、ひどく流し目を使っているが、目の皮がげっそり黒く落ち込んで、肉が削げ落ちてたるんでいる。 「似合わない派手な扇だな」と御覧になって、ご自分のお持ちのと取り替えて御覧になると、赤い紙で顔に照り返すような色合いで、木高い森の絵を金泥で塗りつぶしてある。その端の方に、筆跡はとても古めかしいが、風情がなくもなく、「森の下草が老いてしまったので」などと書き流してあるのを、「他に書くことも他にあろうに、嫌らしい趣向だ」と微笑まれて、 「森こそ夏の、といったようですね」 と言って、いろいろとおっしゃるのも、不釣り合いで、人が見つけるかと気になるが、女はそうは思っていない。 「あなたがいらしたならば良く馴れた馬に秣を刈ってやりましょう 盛りの過ぎた下草であっても」 と詠み出す様子、この上なく色気たっぷりである。 「笹を分けて入って行ったら人が注意しましょう いつでも馬を懐けている森の木陰では 厄介なことだからね」 と言って、お立ちになるのを、袖を取って、 「まだこんなつらい思いをしたことはございません。今になって、身の恥に」 と言って泣き出す様子、とても大げさである。 「そのうち、お便りを差し上げましょう。心にかけていますよ」 と言って、振り切ってお出になるのを、懸命に取りすがって、「橋柱」と恨み言を言うのを、お上はお召し替えが済んで、御障子の隙間から御覧あそばしたのであった。「似つかわしくない仲だな」と、とてもおかしく思し召されて、 「好色心がないなどと、いつも困っているようだが、そうは言うものの、見過ごさなかったのだな」 と言って、お笑いあそばすので、典侍はばつが悪い気がするが、恋しい人のためなら、濡衣をさえ着たがる類もいるそうだからか、大して弁解も申し上げない。 女房たちも、「意外なことだわ」と、取り沙汰するらしいのを、頭中将、聞きつけて、「知らないことのないこのわたしが、まだ気がつかなかったことよ」と思うと、いくつになっても止まない好色心を見たく思って、言い寄ったのであった。 この君も、人よりは素晴らしいので、「あのつれない方の気晴らしに」と思ったが、本当に逢いたい人は、お一人であったとか。大変な選り好みだことよ。
[4-3 温明殿付近で密会中、頭中将に発見され脅される] たいそう秘密にしているので、源氏の君はご存知ない。お見かけ申しては、まず恨み言を申すので、お年の程もかわいそうなので、慰めてやろうとお思いになるが、その気になれない億劫さで、たいそう日数が経ってしまったが、夕立があって、その後の涼しい夕闇に紛れて、温明殿の辺りを歩き回っていられると、この典侍、琵琶をとても美しく弾いていた。御前などでも殿方の管弦のお遊びに加わりなどして、殊にこの人に勝る人もない名人なので、恨み言を言いたい気分でいたところから、とてもしみじみと聞こえて来る。 「瓜作りになりやしなまし」 と、声はとても美しく歌うのが、ちょっと気に食わない。「鄂州にいたという昔の人も、このように興趣を引かれたのだろうか」と、耳を止めてお聞きになる。弾き止んで、とても深く思い悩んでいる様子である。君が、「東屋」を小声で歌ってお近づきになると、 「押し開いていらっしゃいませ」 と、後を続けて歌うのも、普通の女とは違った気がする。 「誰も訪れて来て濡れる人もいない東屋に 嫌な雨垂れが落ちて来ます」 と嘆くのを、自分一人が怨み言を負う筋ではないが、「嫌になるな。何をどうしてこんなに嘆くのだろう」と、思われなさる。 「人妻はもう面倒です あまり親しくなるまいと思います」 と言って、通り過ぎたいが、「あまり無愛想では」と思い直して、相手によるので、少し軽薄な冗談などを言い交わして、これも珍しい経験だとお思いになる。 頭中将は、この君がたいそう真面目ぶっていて、いつも非難なさるのが癪なので、何食わぬ顔でこっそりお通いの所があちこちに多くあるらしいのを、「何とか発見してやろう」とばかり思い続けていたところ、この現場を見つけた気分、まこと嬉しい。「このような機会に、少し脅かし申して、お心をびっくりさせて、これに懲りたか、と言ってやろう」と思って、油断をおさせ申す。 風が冷たく吹いて来て、次第に夜も更けかけてゆくころに、少し寝込んだろうかと思われる様子なので、静かに入って来ると、君は、安心してお眠りになれない気分なので、ふと聞きつけて、この中将とは思いも寄らず、「いまだ未練のあるという修理の大夫であろう」とお思いになると、年配の人に、このような似つかわしくない振る舞いをして、見つけられるのは何とも照れくさいので、 「ああ、厄介な。帰りますよ。夫が後から来ることは、分かっていましたから。ひどいな、おだましになるとは」 と言って、直衣だけを取って、屏風の後ろにお入りになった。中将、おかしさを堪えて、お引き廻らしになってある屏風のもとに近寄って、ばたばたと畳み寄せて、大げさに振る舞ってあわてさせると、典侍は、年取っているが、ひどく上品ぶった艶っぽい女で、以前にもこのようなことがあって、肝を冷やしたことが度々あったので、馴れていて、ひどく気は動転していながらも、「この君をどうなされてしまうのか」と心配で、震えながらしっかりと取りすがっている。「誰とも分からないように逃げ出そう」とお思いになるが、だらしない恰好で、冠などをひん曲げて逃げて行くような後ろ姿を思うと、「まことに醜態であろう」と、おためらいなさる。 中将、「何とかして自分だとは知られ申すまい」と思って、何とも言わない。ただひどく怒った形相を作って、太刀を引き抜くと、女は、 「あなた様、あなた様」 と、向かって手を擦り合わせて拝むので、あやうく笑い出してしまいそうになる。好ましく若づくりして振る舞っている表面だけは、まあ見られたものであるが、五十七、八歳の女が、着物をきちんと付けず慌てふためいている様子、実に素晴らしい二十代の若者たちの間にはさまれて怖がっているのは、何ともみっともない。このように別人のように装って、恐ろしい様子を見せるが、かえってはっきりとお見破りになって、「わたしだと知ってわざとやっているのだな」と、馬鹿らしくなった。「あの男のようだ」とお分かりになると、とてもおかしかったので、太刀を抜いている腕をつかまえて、とてもきつくおつねりになったので、悔しいと思いながらも、堪え切れずに笑ってしまった。 「ほんと、正気の沙汰かね。冗談も出来ないね。さあ、この直衣を着よう」 とおっしゃるが、しっかりとつかんで、全然お放し申さない。 「それでは、一緒に」 と言って、中将の帯を解いてお脱がせになると、脱ぐまいと抵抗するのを、何かと引っ張り合ううちに、開いている所からびりびりと破れてしまった。中将は、 「隠している浮名も洩れ出てしまいましょう 引っ張り合って破れてしまった二人の仲の衣から 上に着たら、明白でしょうよ」 と言う。君は、 「この女との仲まで知られてしまうのを承知の上でやって来て 夏衣を着るとは、何と薄情で浅薄なお気持ちかと思いますよ」 と詠み返して、恨みっこなしのだらしない恰好に引き破られて、揃ってお出になった。
[4-4 翌日、源氏と頭中将と宮中で応酬しあう] 君は、「実に残念にも見つけられてしまったことよ」と思って、臥せっていらっしゃった。典侍は、情けないことと思ったが、落としていった御指貫や、帯などを、翌朝お届け申した。 「恨んでも何の甲斐もありません 次々とやって来ては帰っていったお二人の波の後では 底もあらわになって」 とある。「臆面もないありさまだ」と御覧になるのも憎らしいが、困りきっているのもやはりかわいそうなので、 「荒々しく暴れた頭中将には驚かないが その彼を寄せつけたあなたをどうして恨まずにはいられようか」 とだけあった。帯は、中将のであった。ご自分の直衣よりは色が濃い、と御覧になると、端袖もないのであった。 「見苦しいことだ。夢中になって浮気に耽る人は、このとおり馬鹿馬鹿しい目を見ることも多いのだろう」と、ますます自重せずにはいらっしゃれない。 中将が、宿直所から、「これを、まずはお付けあそばせ」といって、包んで寄こしたのを、「どうやって、持って行ったのか」と憎らしく思う。「この帯を獲らなかったら、大変だった」とお思いになる。同じ色の紙に包んで、 「仲が切れたらわたしのせいだと非難されようかと思ったが 縹の帯などわたしには関係ありません」 といって、お遣りになる。折り返し、 「あなたにこのように取られてしまった帯ですから こんな具合に仲も切れてしまったものとしましょうよ 逃れることはできませんよ」 とある。 日が高くなってから、それぞれ殿上に参内なさった。とても落ち着いて、知らぬ顔をしていらっしゃると、頭の君もとてもおかしかったが、公事を多く奏上し宣下する日なので、実に端麗に真面目くさっているのを見るのも、お互いについほほ笑んでしまう。人のいない隙に近寄って、 「秘密事は懲りたでしょう」 と言って、とても憎らしそうな流し目である。 「どうして、そんなことがありましょう。そのまま帰ってしまったあなたこそ、お気の毒だ。本当の話、嫌なものだよ、男女の仲とは」 と言い交わして、「鳥籠の山にある川の名」と、互いに口固めしあう。 さて、それから後、ともすれば何かの折毎に、話に持ち出す種とするので、ますますあの厄介な女のためにと、お思い知りになったであろう。女は、相変わらずまこと色気たっぷりに恨み言をいって寄こすが、興醒めだと逃げ回りなさる。 中将は、妹の君にも申し上げず、ただ、「何かの時の脅迫の材料にしよう」と思っていた。高貴な身分の妃からお生まれになった親王たちでさえ、お上の御待遇がこの上ないのを憚って、とても御遠慮申し上げていらっしゃるのに、この中将は、「絶対に圧倒され申すまい」と、ちょっとした事柄につけても対抗申し上げなさる。 この君一人が、姫君と同腹なのであった。帝のお子というだけだ、自分だって、同じ大臣と申すが、ご信望の格別な方が、内親王腹にもうけた子息として大事に育てられているのは、どれほども劣る身分とは、お思いにならないのであろう。人となりも、すべて整っており、どの面でも理想的で、満ち足りていらっしゃるのであった。このお二方の競争は、変わっているところがあった。けれども、煩わしいので省略する。
5 藤壷の物語(3) 秋、藤壷は中宮、源氏は宰相となる [5-1 七月に藤壷女御、中宮に立つ] 七月に、后がお立ちになるようであった。源氏の君、宰相におなりになった。帝、御譲位あそばすお心づもりが近くなって、この若君を春宮に、とお考えあそばされるが、御後見なさるべき方がいらっしゃらない。御母方が、みな親王方で、皇族が政治を執るべき筋合ではないので、せめて母宮だけでも不動の地位におつけ申して、お力にとお考えあそばすのであった。 弘徽殿、ますますお心穏やかでない、道理である。けれども、 「春宮の御世が、もう直ぐになったのだから、疑いない御地位である。ご安心されよ」 とお慰め申し上げあそばすのであった。「なるほど、春宮の御母堂として二十余年におなりの女御を差し置き申して、先にお越し申されることは難しいことだ」と、例によって、穏やかならず世間の人も噂するのであった。 参内なさる夜のお供に、宰相君もお仕え申し上げなさる。同じ宮と申し上げる中でも、后腹の内親王で、玉のように美しく光り輝いて、類ない御寵愛をさえ蒙っていらっしゃるので、世間の人々もとても特別に御奉仕申し上げた。言うまでもなく、切ないお心の中では、御輿の中も思いやられて、ますます手も届かない気持ちがなさると、じっとしてはいられないまでに思われた。 「尽きない恋の思いに何も見えない はるか高い地位につかれる方を仰ぎ見るにつけても」 とだけ、独言が口をついて出て、何につけ切なく思われる。 皇子は、ご成長なさっていく月日につれて、とてもお見分け申しがたいほどでいらっしゃるのを、宮は、まこと辛い、とお思いになるが、気付く人はいないらしい。なるほど、どのように作り変えたならば、負けないくらいの方がこの世にお生まれになろうか。月と日が似通って光り輝いているように、世人も思っていた。
8. 花宴
光る源氏20歳春2月20余日から3月20余日までの宰相中将時代の物語
- 二月二十余日、紫宸殿の桜花の宴 如月の二十日過ぎ、南殿の桜の宴をお催しあそばす
- 宴の後、朧月夜の君と出逢う 夜もたいそう更けて御宴は終わったのであった
- 桜宴の翌日、昨夜の女性の素性を知りたがる その日は後宴の催しがあって、忙しく一日中お過ごしになった
- 紫の君の理想的成長ぶり、葵の上との不仲 「大殿にも久しく御無沙汰してしまったなあ」とお思いになるが、若君も気がかりなので
- 三月二十余日、右大臣邸の藤花の宴 あの有明の君は、夢のようにはかなかった逢瀬をお思い出しになって
朧月夜の物語 春の夜の出逢いの物語
朧月夜の君物語 春の夜の出逢いの物語
[1-1 二月二十余日、紫宸殿の桜花の宴]
如月の二十日過ぎ、南殿の桜の宴をお催しあそばす。皇后、春宮の御座所、左右に設定して、参上なさる。弘徽殿の女御、中宮がこのようにお座りになるのを、機会あるごとに不愉快にお思いになるが、見物だけはお見過ごしできないで、参上なさる。
その日はとてもよく晴れて、空の様子、鳥の声も、気持ちよさそうな折に、親王たち、上達部をはじめとして、その道の人々は皆、韻字を戴いて詩をお作りになる。宰相中将、「春という文字を戴きました」と、おっしゃる声までが、例によって、他の人とは格別である。次に頭中将、その目で次に見られるのも、どう思われるかと不安のようだが、とても好ましく落ち着いて、声の上げ方など、堂々として立派である。その他の人々は、皆気後れしておどおどした様子の者が多かった。地下の人は、それ以上に、帝、春宮の御学問が素晴らしく優れていらっしゃる上に、このような作文の道に優れた人々が多くいられるころなので、気後れがして、広々と晴の庭に立つ時は、恰好が悪くて、簡単なことであるが、大儀そうである。高齢の博士どもの、姿恰好が見すぼらしく貧相だが、場馴れているのも、しみじみと、あれこれ御覧になるのは、興趣あることであった。
舞楽類などは、改めて言うまでもなく万端御準備あそばしていた。だんだん入日になるころ、春鴬囀という舞、とても興趣深く見えるので、源氏の御紅葉の賀の折、自然とお思い出されて、春宮が、挿頭を御下賜になって、しきりに御所望なさるので、お断りし難くて、立ってゆっくり袖を返すところを一さしお真似事のようにお舞いになると、当然似るものがなく素晴らしく見える。左大臣は、恨めしさも忘れて、涙を落としなさる。
「頭中将は、どこか。早く」
との仰せなので、柳花苑という舞を、この人はもう少し念入りに、このようなこともあろうかと、心づもりをしていたのであろうか、まことに興趣深いので、御衣を御下賜になって、実に稀なことだと人は思った。上達部は皆順序もなくお舞いになるが、夜に入ってからは、特に巧拙の区別もつかない。詩を読み上げる時にも、源氏の君の御作を、講師も読み切れず、句毎に読み上げては褒めそやす。博士どもの心中にも、非常に優れた詩であると認めていた。
このような時でも、まずこの君を一座の光にしていらっしゃるので、帝もどうしておろそかにお思いでいられようか。中宮は、お目が止まるにつけ、「春宮の女御が無性にお憎みになっているらしいのも不思議だ、自分がこのように心配するのも情けない」と、自身お思い直さずにはいらっしゃれないのであった。
「何の関係もなく花のように美しいお姿を拝するのであったなら
少しも気兼ねなどいらなかろうものを」
御心中でお詠みになった歌が、どうして世間に洩れ出てしまったのだろうか。
[1-2 の後、朧月夜の君と出逢う]
夜もたいそう更けて御宴は終わったのであった。
上達部はそれぞれ退出し、中宮、春宮も還御あそばしたので、静かになったころに、月がとても明るくさし出て美しいので、源氏の君、酔心地に見過ごし難くお思いになったので、「殿上の宿直の人々も寝んで、このように思いもかけない時に、もしや都合のよい機会もあろうか」と、藤壷周辺を、無性に人目を忍んであちこち窺ったが、手引を頼むはずの戸口も閉まっているので、溜息をついて、なおもこのままでは気がすまず、弘徽殿の細殿にお立ち寄りになると、三の口が開いている。
女御は、上の御局にそのまま参上なさったので、人気の少ない感じである。奥の枢戸も開いていて、人のいる音もしない。
「このような無用心から、男女の過ちは起こるものだ」と思って、そっと上ってお覗きになる。女房たちは皆眠っているのだろう。とても若々しく美しい声で、並の身分とは思えず、
「朧月夜に似るものはない」
と口ずさんで、こちらの方に来るではないか。とても嬉しくなって、とっさに袖をお捉えになる。女、怖がっている様子で、
「あら、嫌ですわ。これは、どなたですか」とおっしゃるが、
「どうして、嫌ですか」と言って、
「趣深い春の夜更けの情趣をご存知でいられるのも
前世からの浅からぬ御縁があったものと存じます」
と詠んで、そっと抱き下ろして、戸は閉めてしまった。あまりの意外さに驚きあきれている様子、とても親しみやすくかわいらしい感じである。怖さに震えながら、
「ここに、人が」
と、おっしゃるが、
「わたしは、誰からも許されているので、人を呼んでも、何ということありませんよ。ただ、じっとしていなさい」
とおっしゃる声で、この君であったのだと理解して、少しほっとするのであった。やりきれないと思う一方で、物のあわれを知らない強情な女とは見られまい、と思っている。酔心地がいつもと違っていたからであろうか、手放すのは残念に思われるし、女も若くなよやかで、強情な性質も持ち合わせてないのであろう。
かわいらしいと御覧になっていらっしゃるうちに、間もなく明るくなって行ったので、気が急かれる。女は、男以上にいろいろと思い悩んでいる様子である。
「やはり、お名前をおっしゃってください。どのようして、お便りを差し上げられましょうか。こうして終わろうとは、いくら何でもお思いではあるまい」
とおっしゃると、
「不幸せな身のまま名前を明かさないでこの世から死んでしまったなら
野末の草の原まで尋ねて来ては下さらないのかと思います」
と詠む態度、優艶で魅力的である。
「ごもっともだ。先程の言葉は申し損ねました」と言って、
「どなたであろうかと家を探しているうちに
世間に噂が立ってだめになってしまうといけないと思いまして
迷惑にお思いでなかったら、何の遠慮がいりましょう。ひょっとして、おだましになるのですか」
とも言い終わらないうちに、女房たちが起き出して、上の御局に参上したり下がって来たりする様子が、騒がしくなってきたので、まことに仕方なくて、扇だけを証拠として交換し合って、お出になった。
桐壷には、女房が大勢仕えていて、目を覚ましている者もいるので、このようなのを、
「何とも、ご熱心なお忍び歩きですこと」
と突つき合いながら、空寝をしていた。お入りになって横になられたが、眠ることができない。
「美しい人であったなあ。女御の御妹君であろう。まだうぶなところから、五の君か六の君であろう。帥宮の北の方や、頭中将が気にいっていない四の君などは、美人だと聞いていたが。かえってその人たちであったら、もう少し味わいがあったろうに。六の君は春宮に入内させようと心づもりをしておられるから、気の毒なことであるなあ。厄介なことだ、尋ねることもなかなか難しい、あのまま終わりにしようとは思っていない様子であったが、どうしたことで、便りを通わす方法を教えずじまいにしたのだろう」
などと、いろいろと気にかかるのも、心惹かれるところがあるのだろう。このようなことにつけても、まずは、「あの周辺の有様が、どこよりも奥まっているな」と、世にも珍しくご比較せずにはいらっしゃれない。
[1-3 桜宴の翌日、昨夜の女性の素性を知りたがる]
その日は後宴の催しがあって、忙しく一日中お過ごしになった。箏の琴をお務めになる。昨日の御宴よりも、優美に興趣が感じられる。藤壷は、暁にお上りになったのであった。「あの有明は、退出してしまったろうか」と、心も上の空で、何事につけても手抜かりのない良清、惟光に命じて、見張りをさせておかれたところ、御前から退出なさった時に、
「たった今、北の陣から、あらかじめ物蔭に隠れて立っていた車どもが退出しました。御方々の実家の人がございました中で、四位少将、右中弁などが急いで出てきて、送って行きましたのは、弘徽殿方のご退出であろうと拝見しました。ご立派な方が乗っている様子がはっきり窺えて、車が三台ほどでございました」
とご報告申し上げるにつけても、胸がどきっとなさる。
「どのようにして、どの君と確かめ得ようか。父大臣などが聞き知って、大げさに婿扱いされるのも、どんなものか。まだ、相手の様子をよく見定めないうちは、厄介なことだろう。そうかと言って、確かめないでいるのも、それまた、誠に残念なことだろうから、どうしたらよいものか」と、ご思案に余って、ぼんやりと物思いに耽り横になっていらっしゃった。
「姫君は、どんなに寂しがっているだろう。何日も会っていないから、ふさぎこんでいるだろうか」と、いじらしくお思いやりなさる。あの証拠の扇は、桜襲の色で、色の濃い片面に霞んでいる月を描いて、水に映している図柄は、よくあるものだが、人柄も奥ゆかしく使い馴らしている。「草の原をば」と詠んだ姿ばかりが、お心にかかりになさるので、
「今までに味わったことのない気がする
有明の月の行方を途中で見失ってしまって」
とお書きつけになって、取って置きなさった。
[1-4 紫の君の理想的成長ぶり、葵の上との夫婦仲不仲]
「大殿にも久しく御無沙汰してしまったなあ」とお思いになるが、若君も気がかりなので、慰めようとお思いになって、二条院へお出かけになった。見れば見るほどとてもかわいらしく成長して、魅力的で利発な気立て、まことに格別である。不足なところのなく、ご自分の思いのままに教えよう、とお思いになっていたのに、叶う感じにちがいない。男手のお教えなので、多少男馴れしたところがあるかも知れない、と思う点が不安である。
この数日来のお話、お琴など教えて一日過ごしてお出かけになるのを、いつものと、残念にお思いになるが、今ではとてもよく躾けられて、むやみに後を追ったりしない。
大殿では、例によって、直ぐにはお会いなさらない。所在なくいろいろとお考え廻らされて、箏のお琴を手すさびに弾いて、
「やはらかに寝る夜はなくて」
とお謡いになる。大臣が渡っていらして、先日の御宴の趣深かったこと、お話し申し上げなさる。
「この高齢で、明王の御世を、四代にわたって見て参りましたが、今度のように作文類が優れていて、舞、楽、楽器の音色が整っていて、寿命の延びる思いをしたことはありませんでした。それぞれ専門の道の名人が多いこのころに、お詳しく精通していらして、お揃えあそばしたからです。わたくしごとき老人も、ついつい舞い出してしまいそうな心地が致しました」
と申し上げなさると、
「特別に整えたわけではございません。ただお役目として、優れた音楽の師たちをあちこちから捜したまでのことです。何はさておき、「柳花苑」は、本当に後代の例ともなるにちがいなく拝見しましたが、まして、「栄える春」に倣って舞い出されたら、どんなにか一世の名誉だったでしょうに」
とお答え申し上げになる。
弁、中将なども来合わせて、高欄に背中を寄り掛らせて、めいめいが楽器の音を調えて合奏なさる、まことに素晴らしい。
[1-5 三月二十余日、右大臣邸の藤花の宴]
あの有明の君は、夢のようにはかなかった逢瀬をお思い出しになって、とても物嘆かしくて物思いに沈んでいらっしゃる。春宮には、卯月ころとご予定になっていたので、とてもたまらなく悩んでいらっしゃったが、男も、お捜しになるにも手がかりがないわけではないが、どちらとも分からず、特に好ましく思っておられないご一族に関係するのも、体裁の悪く思い悩んでいらっしゃるところに、弥生の二十日過ぎ、右の大殿の弓の結があり、上達部、親王方、大勢お集まりになって、引き続いて藤の宴をなさる。花盛りは過ぎてしまったが、「他のが散りってしまった後に」と、教えられたのであろうか、遅れて咲く桜、二本がとても美しい。新しくお造りになった殿を、姫宮たちの御裳着の儀式の日に、磨き飾り立ててある。派手好みでいらっしゃるご家風のようで、すべて当世風に洒落た行き方になさている。
源氏の君にも、先日、宮中でお会いした折に、ご案内申し上げなさったが、おいでにならないので、残念で、折角の催しも見栄えがしない、とお思いになって、ご子息の四位少将をお迎えに差し上げなさる。
「わたしの邸の藤の花が世間一般の色をしているのなら
どうしてあなたをお待ち致しましょうか」
宮中においでの時で、お上に奏上なさる。
「得意顔だね」と、お笑いあそばして、
「わざわざお迎えがあるようだから、早くお行きになるのがよい。女御子たちも成長なさっている所だから、赤の他人とは思っていまいよ」
などと仰せになる。御装束などお整えになって、たいそう日が暮れたころ、待ち兼ねられて、お着きになる。
桜襲の唐織りのお直衣、葡萄染の下襲、裾をとても長く引いて。参会者は皆袍を着ているところに、しゃれた大君姿の優美な様子で、丁重に迎えられてお入りになるお姿は、なるほどまことに格別である。花の美しさも圧倒されて、かえって興醒めである。
管弦の遊びなどもとても興趣深くなさって、夜が少し更けていくころに、源氏の君、たいそう酔って苦しいように見せかけなさって、人目につかぬよう座をお立ちになった。
寝殿に、女一の宮、女三の宮とがいらっしゃる。東の戸口にいらっしゃって、寄り掛かってお座りになった。藤はこちらの隅にあったので、御格子を一面に上げわたして、女房たちが端に出て座っていた。袖口などは、踏歌の時を思い出して、わざとらしく出しているのを、似つかわしくないと、まずは藤壷周辺を思い出さずにはいらっしゃれない。
「苦しいところに、とてもひどく勧められて、困っております。恐縮ですが、この辺の物蔭にでも隠させてください」
と言って、妻戸の御簾を引き被りなさると、
「あら、困りますわ。身分の賎しい人なら、高貴な縁者を頼って来るとは聞いておりますが」
と言う様子を御覧になると、重々しくはないが、並の若い女房たちではなく、上品で風情ある様子がはっきりと分かる。
空薫物、とても煙たく薫らせて、衣ずれの音、とても派手な感じにわざと振る舞って、心憎く奥ゆかしい雰囲気は欠けて、当世風な派手好みのお邸で、高貴な御方々が御見物なさるというので、こちらの戸口は座をお占めになっているのだろう。そうしてはいけないことなのだが、やはり興味をお惹かれになって、「どの姫君であったのだろうか」と、胸をどきどきさせて、
「扇を取られて、辛い目を見ました」
と、わざとのんびりとした声で言って、近寄ってお座りになった。
「妙な、変わった高麗人ですね」
と答えるのは、事情を知らない人であろう。返事はしないで、わずかに時々、溜息をついている様子のする方に寄り掛かって、几帳越しに、手を捉えて、
「月の入るいるさの山の周辺でうろうろと迷っています
かすかに見かけた月をまた見ることができようかと
なぜでしょうか」
と、当て推量におっしゃるのを、堪えきれないのであろう。
「本当に深くご執心でいらっしゃれば
たとえ月が出ていなくても迷うことがありましょうか」
と言う声、まさにその人のである。とても嬉しいのだが。
9. 葵
光る源氏の22歳春から23歳正月まで近衛大将時代の物語
- 朱雀帝即位後の光る源氏---御代替わりがあって後、何事につけ億劫にお思いになり
- 新斎院御禊の見物---そのころ、斎院も退下なさって
- 賀茂祭の当日、紫の君と見物---今日は、二条の院に離れていらして
1 六条御息所の物語 御禊見物の車争いの物語
- 車争い後の六条御息所---御息所は、心魂の煩悶なさること
- 源氏、御息所を旅所に見舞う---このようなお悩みのせいで
- 葵の上に御息所のもののけ出現する---大殿邸では、御物の怪がひどく起こって
- 斎宮、秋に宮中の初斎院に入る---斎宮は、去年内裏にお入りになるはずであったが
- 葵の上、男子を出産---少しお声も静かになられたので
- 秋の司召の夜、葵の上死去する---秋の司召が行われるはずの予定なので
- 葵の上の葬送とその後---あちらこちらのご葬送の人々や
- 三位中将と故人を追慕する---ご法事など次々と過ぎていったが、正日までは
- 源氏、左大臣邸を辞去する---君は、こうしてばかりも、どうして
2 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語
- 源氏、紫の君と新手枕を交わす---二条院では、あちこち掃き立て磨き立てて
- 結婚の儀式の夜---その晩、亥の子餅を御前に差し上げた
- 新年の参賀と左大臣邸へ挨拶回り---元日には、例年のように、院に参賀なさってから
3 紫の君の物語 新手枕の物語
1 六条御息所の物語 御禊見物の車争いの物語
[1-1 朱雀帝即位後の光る源氏]
御代替わりがあって後、何事につけ億劫にお思いになり、ご身分の高さも加わってか、軽率なお忍び歩きも遠慮されて、あちらでもこちらでも、ご訪問のない嘆きを重ねていらっしゃる、その罰であろうか、相変わらず自分に無情な方のお心を、どこまでもお嘆きになっていらっしゃる。
今では、以前にも増して、臣下の夫婦のようにお側においであそばすのを、今后は不愉快にお思いなのか、宮中にばかり伺候していらっしゃるので、競争者もなく気楽そうである。折々につけては、管弦の御遊などを興趣深く、世間に評判になるほどに繰り返しお催しあそばして、現在のご生活のほうがかえって結構である。ただ、春宮のことだけをとても恋しく思い申し上げあそばす。ご後見役のいないのを、気がかりにお思い申されて、大将の君に万事ご依頼申し上げるにつけても、気の咎める思いがする一方で、嬉しいとお思いになる。
それはそうと、あの六条御息所のご息女の前坊の姫宮、斎宮にお決まりになったので、大将のご愛情もまことに頼りないので、「幼いありさまに託つけて下ろうかしら」と、前々からお考えになっているのだった。
院におかれても、このような事情があると、お耳にあそばして、
「故宮がたいそう重々しくお思いおかれ、ご寵愛なさったのに、軽々しく並の女性と同じように扱っているそうなのが、気の毒なこと。斎宮をも、わが皇女たちと同じように思っているのだから、どちらからいっても疎略にしないのがよかろう。気まぐれにまかせて、このような浮気をするのは、まことに世間の非難を受けるにちがいない事である」
などと、御機嫌悪いので、ご自分でも、仰せのとおりだと思わずにはいられないので、恐縮して控えていらっしゃる。
「相手にとって、恥となるようなことはせず、どの夫人をも波風が立たないように処遇して、女の恨みを受けてはならぬぞ」
と仰せになるにつけても、「不届きな大それた不埒さをお聞きつけあそばした時には」と恐ろしいので、恐縮して退出なさった。
また一方、このように院におかれてもお耳に入れられ、御訓戒あそばされるのにつけ、相手のご名誉のためにも、自分にとっても、好色がましく困ったことであるので、以前にも増して大切に思い、気の毒にお思い申し上げていられるが、まだ表面立っては、特別にお扱い申し上げなさらない。
女も、不釣り合いなお年のほどを恥ずかしくお思いになって、気をお許しにならない様子なので、それに遠慮しているような態度をとって、院のお耳にお入りあそばし、世間の人も知らない者がいなくなってしまったのを、深くもないご愛情のほどを、ひどくお嘆きになるのだった。
このようなことをお聞きになるにつけても、朝顔の姫君は、「何としても、人の二の舞は演じまい」と固く決心なさっているので、ちょっとしたお返事なども、ほとんどない。そうかといって、憎らしく体裁悪い思いをさせなさらないご様子を、君も、「やはり格別である」と思い続けていらっしゃる。
大殿では、このようにばかり当てにならないお心を、気にくわないとお思いになるが、あまり大っぴらなご態度が、言っても始まらないと思ってであろうか、深くもお恨み申し上げることはなさらない。苦しい気分に悩みなさって、何となく心細く思っていらっしゃる。珍しく愛しくお思い申し上げになる。どなたもどなたも嬉しいことと思う一方で、不吉にもお思いになって、さまざまな御物忌みをおさせ申し上げなさる。このような時、ますますお心の余裕がなくなって、お忘れになるというのではないが、自然とご無沙汰が多いにちがいないであろう。
[1-2 新斎院御禊の見物]
そのころ、斎院も退下なさって、皇太后腹の女三の宮がおなりになった。帝、大后と、特にお思い申し上げていらっしゃる宮なので、神にお仕えする身におなりになるのを、まことに辛くおぼし召されたが、他の姫宮たちで適当な方がいらっしゃらない。儀式など、規定の神事であるが、盛大な騷ぎである。祭の時は、規定のある公事に付け加えることが多くあり、この上ない見物である。お人柄によると思われた。
御禊の日、上達部など、規定の人数で供奉なさることになっているが、声望が格別で、美しい人ばかりが、下襲の色、表袴の紋様、馬の鞍のまですべて揃いの支度であった。特別の宣旨が下って、大将の君も供奉なさる。かねてから、見物のための車が心待ちしているのであった。
一条大路は、隙間なく、恐ろしいくらいざわめいている。ほうぼうのお桟敷に、思い思いに趣向を凝らした設定、女性の袖口までが、大変な見物である。
大殿におかれては、このようなご外出をめったになさらない上に、ご気分までが悪いので、考えもしなかったが、若い女房たちが、
「さあ、どんなものでしょうか。わたくしどもだけでこっそり見物するのでは、ぱあっとしないでしょう。関係のない人でさえ、今日の見物には、まず大将殿をと、賎しい田舎者までが拝見しようと言うことですよ。遠い国々から、妻子を引き連れ引き連れして上京して来ると言いますのに。御覧にならないのは、あまりなことでございますわ」
と言うのを、大宮もお聞きあそばして、
「ご気分も少しよろしい折です。お仕えしている女房たちもつまらなそうです」
と言って、急にお触れを廻しなさって、ご見物なさる。
日が高くなってから、お支度も特別なふうでなくお出かけになった。隙間もなく立ち混んでいる所に、物々しく引き連ねて場所を探しあぐねる。身分の高い女車が多いので、下々の者のいない隙間を見つけて、みな退けさせた中に、網代車で少し使い馴れたのが、下簾の様子などが趣味がよいうえに、とても奥深く乗って、わずかに見える袖口、裳の裾、汗衫などの衣装の色合、とても美しくて、わざと質素にしている様子がはっきりと分かる車が、二台ある。
「この車は、決して、そのように押し退けたりしてよいお車ではありませぬ」
と、言い張って、手を触れさせない。どちらの側も、若い供人同士が酔い過ぎて、争っている事なので、制止することができない。年輩のご前駆の人々は、「そんなことするな」などと言うが、とても制止することができない。
斎宮の御母御息所が、何かと悩んでいられる気晴らしにもなろうかと、こっそりとお出かけになっているのであった。何気ないふうを装っているが、自然と分かった。
「それくらいの者に、そのような口はきかせぬぞ」
「大将殿を、笠に着ているつもりなのだろう」
などと言うのを、その方の供人も混じっているので、気の毒にとは思いながら、仲裁するのも面倒なので、知らない顔をする。
とうとう、お車を立ち並べてしまったので、副車の奥の方に押しやられて、何も見えない。悔しい気持ちはもとより、このような忍び姿を自分と知られてしまったのが、ひどく悔しいこと、この上ない。榻などもみなへし折られて、場違いな車の轂に掛けたので、またとなく体裁が悪く悔しく、「いったい何しに、来たのだろう」と思ってもどうすることもできない。見物を止めて帰ろうとなさるが、抜け出る隙間もないでいるところに、
「行列が来た」
と言うので、そうは言っても、恨めしい方のお通り過ぎが自然と待たれるというのも、意志の弱いことよ。「笹の隈」でもないからか、そっけなくお通り過ぎになるにつけても、かえって物思いの限りを尽くされる。
なるほど、いつもより趣向を凝らした幾台もの車が、自分こそはと競って見せている出衣の下簾の隙間隙間も、何くわぬ顔だが、ほほ笑みながら流し目に目をお止めになる者もいる。大殿の車は、それとはっきり分かるので、真面目な顔をしてお通りになる。お供の人々がうやうやしく、敬意を表しながら通るのを、すっかり無視されてしまった有様、この上なく堪らなくお思いになる。
「今日の御禊にお姿をちらりと見たばかりで
そのつれなさにかえって我が身の不幸せがますます思い知られる」
と、思わず涙のこぼれるのを、女房の見る目も体裁が悪いが、目映いばかりのご様子、容貌が、「一層の晴れの場でのお姿を見なかったら」とお思いになる。
身分に応じて、装束、供人の様子、たいそう立派に整えていると見える中でも、上達部はまことに格別であるが、お一方のご立派さには圧倒されたようである。大将の臨時の随身に、殿上人の将監などが務めることは通例ではなく、特別の行幸などの折にあるのだが、今日は右近の蔵人の将監が供奉申している。それ以外の御随身どもも、容貌、姿、眩しいくらいに整えて、世間から大切にされていらっしゃる様子、木や草も靡かないものはないほどである。
壷装束などという姿をして、女房で賎しくない者や、また尼などの世を捨てた者なども、倒れたりふらついたりしながら見物に出て来ているのも、いつもなら、「よせばいいのに、ああみっともない」と思われるのに、今日は無理もないことで、口もとがすぼんで、髪を着込んだ下女どもが、手を合わせて、額に当てながら拝み申し上げているのも。馬鹿面した下男までが、自分の顔がどんな顔になっているのかも考えずに嬉色満面でいる。まったくお目を止めになることもないつまらない受領の娘などまでが、精一杯飾り立てた車に乗り、わざとらしく気取っているのが、おもしろいさまざまな見物であった。
まして、あちらこちらのお忍びでお通いになる方々は、人数にも入らない嘆きを募らせる方も多かった。
式部卿の宮は、桟敷で御覧になった。
「まこと眩しいほどにお美しくなって行かれるご器量よ。神などは魅入られるやも」
と、不吉にお思いになっていた。姫君は、数年来お手紙をお寄せ申していらっしゃるお気持ちが世間の男性とは違っているのを、
「並の男でさえこれだけ深い愛情をお持ちならば。ましてや、こんなにも、どうして」
と、お心が惹かれた。それ以上近づいてお逢いなさろうとまではお考えにならない。若い女房たちは、聞き苦しいまでにお褒め申し上げていた。
祭の日は、大殿におかれてはご見物なさらない。大将の君、あのお車の場所争いをそっくりご報告する者があったので、「とても気の毒に情けない」とお思いになって、
「やはり、惜しいことに重々しい方でいらっしゃる人が、何事にも情愛に欠けて、無愛想なところがおありになるあまり、ご自身はさほどお思いにならなかったようだが、このような妻妾の間柄では情愛を交わしあうべきだともお思いでないお考え方に従って、引き継いで下々の者が争いをさせたのであろう。御息所は、気立てがとてもこちらが気が引けるほど奥ゆかしく、上品でいらっしゃるのに、どんなに嫌な思いをされたことだろう」
と、気の毒に思って、お見舞いに参上なさったが、斎宮がまだ元の御殿にいらっしゃるので、神事の憚りを口実にして、気安くお会いなさらない。もっともなことだとはお思いになるが、「どうして、こんなにお互いによそよそしくなさらずいらっしゃればよいものを」と、ついご不満が呟かれる。
[1-3 賀茂祭の当日、紫の君と見物]
今日は、二条の院に離れていらして、祭を見物にお出かけになる。西の対にお渡りになって、惟光に車のことをお命じになってある。
「女房たちも出かけますか」
とおっしゃって、姫君がとてもかわいらしげにおめかししていらっしゃるのを、ほほ笑みながら拝見なさる。
「あなたは、さあいらっしゃい。一緒に見物しようよ」
と言って、お髪がいつもより美しく見えるので、かき撫でなさって、
「長い間、お切り揃えにならなかったようだが、今日は、日柄も吉いのだろうかな」
と言って、暦の博士をお呼びになって、時刻を調べさせたりしていらっしゃる間に、
「まずは、女房たちから出発だよ」
と言って、童女の姿態のかわいらしいのを御覧になる。とてもかわいらしげな髪の裾、皆こざっぱりと削いで、浮紋の表の袴に掛かっている様子が、くっきりと見える。
「あなたのお髪は、わたしが削ごう」と言って、「何と嫌に、たくさんあるのだね。どんなに長くおなりになることだろう」
と、削ぐのにお困りになる。 「とても髪の長い人も、額髪は少し短めにあるようだのに、少しも後れ毛のないのも、かえって風情がないだろう」
と言って、削ぎ終わって、「千尋に」とお祝い言をお申し上げになるのを、少納言、「何とももったいないことよ」と拝し上げる。
「限りなく深い海の底に生える海松のように
豊かに成長してゆく黒髪はわたしだけが見届けよう」
と申し上げなさると、
「千尋も深い愛情を誓われてもがどうして分りましょう
満ちたり干いたり定めない潮のようなあなたですもの」
と、何かに書きつけていられる様子、いかにも物慣れている感じがするが、初々しく美しいのを、素晴らしいとお思いになる。
今日も、隙間のなく立ち並んでいるのであった。馬場殿の付近に止めあぐねて、
「上達部たちの車が多くて、何となく騒がしそうな所だな」
と、ためらっていらっしゃると、まあまあの女車で、派手に袖口を出している所から、扇を差し出して、供人を招き寄せて、
「ここにお止めになりませんか。場所をお譲り申しましょう」
と申し上げた。「どのような好色な人だろう」とついお思われなさって、場所もなるほど適した所なので、引き寄させなさって、
「どのようにしてお取りになった所かと、羨ましくて」
とおっしゃると、風流な桧扇の端を折って、
「あら情けなや、他の人と同車なさっているとは
神の許す今日の機会を待っていましたのに
神域のような所には」
とある筆跡をお思い出しになると、あの典侍なのであった。「あきれた、相変わらず風流めかしているなあ」と、憎らしい気がして、無愛想に、
「そのようにおっしゃるあなたの心こそ当てにならないものと思いますよ
たくさんの人々に誰彼となく靡くものですから」
女は、「ひどい」とお思い申し上げるのであった。
「ああ悔しい、葵に逢う日を当てに楽しみにしていたのに
わたしは期待を抱かせるだけの草葉に過ぎないのですか」
と申し上げる。女性と同車しているので、簾をさえお上げにならないのを、妬ましく思う人々が多かった。
「先日のご様子が端麗でご立派であったのに、今日はくだけていらっしゃること。誰だろう。一緒に乗っている人は、悪くはない人に違いない」と、推量申し上げる。「張り合いのない、かざしの歌争いであったな」と、物足りなくお思いになるが、この女のように大して厚かましくない人は、やはり女性が相乗りなさっているのに自然と遠慮されて、ちょっとしたお返事も、気安く申し上げるのも、面映ゆいに違いない。
2 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語
[2-1 車争い後の六条御息所]
御息所は、心魂の煩悶なさること、ここ数年来よりも多く加わってしまった。薄情な方とすっかりお諦めになったが、今日を最後と振り切ってお下りになるのは、「とても心細いだろうし、世間の人の噂にも、物笑いの種になるだろうこと」とお思いになる。それだからといって、京に留まるようなお気持ちになるためには、「あの時のようなこれ以上の恥はないほどに誰もが見下げることであろうのも穏やかでなく、釣する海人の浮きか」と、寝ても起きても悩んでいられるせいか、魂も浮いたようにお感じになられて、お具合が悪くいらっしゃる。
大将殿におかれては、お下りになろうとしていることを、「まったくとんでもないことだ」などとも、お引き止め申し上げず、
「わたしのようなつまらない者を、見るのも嫌だとお思い捨てなさるのもごもっともですが、今はやはりつまらない男でも、最後までお見限りなさらないのが、浅からぬ情愛というものではないでしょうか」
と、絡んで申し上げなさるので、決心しかねていらしたお気持ちも紛れることがあろうかと、外出なさった御禊見物の辛い経験から、いっそう、万事がとても辛くお思いつめになっていた。
大殿邸では、御物の怪のようで、ひどく患っていらっしゃるので、どなたもどなたもお嘆きになっている時で、お忍び歩きなども不都合な時なので、二条院にも時々はお帰りになる。何と言っても、正妻として重んじている点では、特別にお思い申し上げていっしゃった方が、おめでたまでがお加わりになったお悩みなので、おいたわしいこととお嘆きになって、御修法や何やかやと、ご自分の部屋で、多く行わせなさる。
物の怪、生霊などというものがたくさん出てきて、いろいろな名乗りを上げる中で、憑坐にも一向に移らず、ただご本人のお身体にぴったりと憑いた状態で、特に大変にお悩ませ申すこともないが、その一方で、暫しの間も離れることのないのが一つある。すぐれた験者どもにも調伏されず、しつこい様子は並の物の怪ではない、と見えた。
大将の君のお通いになっている所、あちらこちらと見当をつけて御覧になるに、
「あの御息所、二条の君などだけは、並々のご寵愛の方ではないようだから、恨みの気持ちもきっと深いだろう」
とささやいて、占師に占わせなさるが、特にお当て申すこともない。物の怪といっても、特別に深いお敵と申す人もいない。亡くなったおん乳母のような人、もしくは親の血筋に代々祟り続けてきた怨霊が、弱みにつけこんで現れ出たものなど、大したものではないのがばらばらに出て来る。たださめざめと声を上げてお泣きになるばかりで、時々は胸をせき上げせき上げして、ひどく堪え難そうにもだえていられるので、どのようにおなりになるのかと、不吉に悲しくお慌てになっていた。
院からも、お見舞いがひっきりなしにあり、御祈祷のことまでお心づかいあそばされることの恐れ多いことにつけても、ますます惜しく思われるご様子の方である。
世間の人々がみな惜しみ申し上げているのをお聞きになるにつけても、御息所はおもしろからずお思いになる。ここ数年来はとてもこのようなことはなかった張り合うお心を、ちょっとした車の場所取り争いで、御息所のお気持ちに怨念が生じてしまったのを、あちらの殿では、そこまでとはお気づきにならないのであった。
[2-2 源氏、御息所を旅所に見舞う]
このようなお悩みのせいで、お加減が、やはり普段のようではなくばかりお感じになるので、別の御殿にお移りになって、御修法などをおさせになる。大将殿はお聞きになって、どのようなお加減でいられるのかと、おいたわしく、ご決意なさってお見舞いにいらっしゃった。
いつもと違った仮のご宿所なので、たいそう忍んでいらっしゃる。心ならずもご無沙汰していることなど、許してもらえるよう詫び言を縷々申し上げなさって、お悩みでいらっしゃるご様子についても、訴え申される。
「自分ではそれほども心配しておりませんが、親たちがとても大変な心配のしようなのが気の毒で、そのような時が過ぎてからと存じておりましたもので。万事おおらかにお許しいただけるお気持ちならば、まこと嬉しいのですが」
などと、こまごまとお話し申し上げなさる。いつもよりも痛々しげなご様子を、無理もないことと、しみじみ哀れに拝見なさる。
打ち解けぬままの明け方に、お帰りになるお姿の美しさにつけても、やはり振り切って別れることは、考え直さずにはいらっしゃれない。
「正妻の方に、ますますご愛情がお増しになるに違いないおめでたが生じたので、お一方の所に納まってしまわれるに違いないのを、このようにお待ち申しお待ち申しているのも、物思いも尽くし果ててしまうに違いないこと」
かえって物思いを新たになさっていたところに、後朝の文だけが、夕方にある。
「ここ数日来、少し回復して来たようだった気分が、急にとてもひどく苦しそうに見えましたので、どうしても目を放すことができませんで」
とあるのを、「例によって言い訳を」と、御覧になるものの、
「袖を濡らす恋とは分かっていながら
そうなってしまうわが身の疎ましいことよ
『山の井の水』も、もっともなことです」
とある。「ご筆跡は、やはり数多い女性の中で抜きん出ている」と御覧になりながら、「どうしてこうも思うようにならないのかなあ。気立ても容貌も、それぞれに捨ててよいものでなく、その反面これぞと思える人もいないことだ」。苦しくお思いになる。お返事は、たいそう暗くなってしまったが、
「袖ばかり濡れるとは、どうしたことで。愛情がお深くないこと。
袖が濡れるとは浅い所にお立ちだからでしょう
わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い所に立っております
並々の気持ちで、このお返事を、直接に訴え申し上げずにいられましょうか」
などとある。
[2-3 葵の上に御息所のもののけ出現する]
大殿邸では、御物の怪がひどく起こって、大変にお苦しみになる。「自分の生霊や、故大臣の死霊だなどと言う人がいる」とお聞きになるにつけて、お考え続けになると、
「我が身一人の不運を嘆いているより他には、他人を悪くなれと呪う気持ちはないのだが、悩み事があると抜け出て行くという魂は、このようなことなのだろうか」
と、お気づきになることもある。
数年来、何かと物思いの限りを尽くしてきたが、こんなにも苦しい思いをしたことはなかったのに、ちょっとした事の折に、相手が無視し、蔑ろにした態度をとった御禊の後は、あの一件によって抜け出るようになった魂、鎮まりそうもなく思われるせいか、少しうとうととなさる夢には、あの姫君と思われる人が、とても清浄にしている所に行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、猛々しく激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく叩くのなどが現れなさること、度重なった。
「ああ、何と忌まわしいことか。なるほど、身体を抜け出して出て行ったのだろう」と、正気を失ったように思われなさる時が度々あるので、「何でもないことでさえも、他人の事では、よいような噂は立てないのが世間の常なので、ましてこのことは、何とでも噂立てられる絶好の種だ」とお思いになると、とても評判になりそうで、
「もう亡くなってしまって、後に怨みを残すのは世間にもあることだ。それでさえ、人の身の上については、罪深く忌まわしいのに、生きている身でありながら、そのような忌まわしいことを、噂される因縁の辛いこと。もう一切、薄情な方に決して心をお掛け申すまい」
とお考え直しになるが、思うまいと思うのも物思うことである。
[2-4 斎宮、秋に宮中の初斎院に入る]
斎宮は、去年内裏にお入りになるはずであったが、さまざまに差し障ることがあって、この秋にお入りになる。九月には、そのまま野の宮にお移りになる予定なので、二度目の御禊の準備、引き続いて行うはずのところ、まるで妙にぼうっとして、物思いに沈んで悩んでいらっしゃるのを、斎宮寮の官人たち、ひどく重大視して、御祈祷など、あれこれと致す。
ひどく苦しいという様子ではなく、どこが悪いということもなくて、月日をお過ごしになる。大将殿も欠かさずお見舞い申し上げなさるが、さらに大事な方がひどく患っていられるので、お気持ちの余裕がないようである。
まだその時期ではないと、誰も彼もが油断していられたところ、急に産気づかれてお苦しみになるので、これまで以上の御祈祷の有りったけを尽くしておさせになるが、例の執念深い物の怪が一つだけ全然動かず、霊験あらたかな験者どもは、珍しいことだと困惑する。とはいっても、たいそう調伏されて、いたいたしげに泣き苦しんで、
「少し緩めてください。大将に申し上げる事がある」とおっしゃる。
「やはりそうであったか。何かわけがあるのだろう」
と言って、近くの御几帳の側にお入れ申し上げた。とてももうだめかと思われるような容態でいられるので、ご遺言申し上げて置きたいことでもあるのだろうかと思って、大臣も宮も少しお下がりになった。加持の僧どもは、声を低めて法華経を読んでいる、たいそう尊い。
御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、とても美しいお姿で、お腹はたいそう大きくて臥していられる様子、他人であっても、拝見しては心動かさずにはいられないであろう。まして惜しく悲しくお思いになるのは、もっともである。白いお着物に、色合いがとてもくっきりとして、髪がとても長くて豊かなのを、引き結んで横に添えてあるのも、「こうあってこそかわいらしげで優美な点が加わり美しいのだなあ」と見える。お手を取って、
「ああ、ひどい。辛い思いをおさせになるとは」
と言って、何も申し上げられずにお泣きになると、いつもはとても煩わしく気が引けて近づきがたいまなざしを、とても苦しそうに見上げて、じっとお見つめ申していらっしゃると、涙がこぼれる様子を御覧になるのは、どうして情愛を浅く思うであろうか。
あまりひどくお泣きになるので、「気の毒なご両親のことをご心配され、また、このように御覧になるにつけても、残念にお思いになってのことだろうか」とお思いになって、
「何事につけても、ひどくこんなに思いつめなさるな。いくら何でも大したことはありません。万が一のことがあっても、必ず逢えるとのことですから、きっとお逢いできましょう。大臣、宮なども、深い親子の縁のある間柄は、転生を重ねても切れないと言うから、お逢いできる時があるとご安心なさい」
と、お慰めになると、
「いえ、そうではありません。身体がとても苦しいので、少し休めて下さいと申そうと思って。このように参上しようとはまったく思わないのに、物思いする人の魂は、なるほど抜け出るものだったのですね」
と、親しげに言って、
「悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を
結び留めてください、下前の褄を結んで」
とおっしゃる声、雰囲気、この人ではなく、変わっていらっしゃった。「たいそう変だ」とお考えめぐらすと、まったく、あの御息所その人なのであった。あきれて、人が何かと噂をするのを、下々の者たちが言い出したことも、聞くに耐えないとお思いになって、無視していられたが、目の前にまざまざと、「本当に、このようなこともあったのだ」と、気味悪くなった。「ああ、嫌な」と思わずにはいらっしゃれず、
「そのようにおっしゃるが、誰とも分からぬ。はっきりと名乗りなさい」
とおっしゃると、まったく、その方そっくりのご様子なので、あきれはてるという言い方では平凡である。女房たちがお側近くに参るのも、気が気ではない。
[2-5 葵の上、男子を出産]
少しお声も静かになられたので、一時収まったのかと、宮がお薬湯を持って来させになったので、抱き起こされなさって、間もなくお生まれになった。嬉しいとお思いになることこの上もないが、憑坐にお移しになった物の怪どもが、悔しがり大騷ぎする様子、とても騒々しくて、後産の事も、またとても心配である。
数え切れないほどの願文どもを立てさせなさったからか、無事に後産も終わったので、山の座主、誰彼といった尊い僧どもが、得意顔に汗を拭いながら、急いで退出した。
大勢の人たちが心を尽くした幾日もの看病の後の緊張が、少し解けて、「今はもう大丈夫」とお思いになる。御修法などは、再びお始めさせなさるが、差し当たっては、楽しくあり、おめでたいお世話に、皆ほっとしている。
院をお始め申して、親王方、上達部が、残らず誕生祝いの贈り物、珍しく立派なのを、夜毎に見て大騷ぎする。男の子でさえあったので、そのお祝いの儀式、盛大で立派である。
あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、おもしろくない。「以前には、とても危ないとの噂であったのに、安産であったとは」と、お思いになった。
不思議に、自分が自分でないようなご気分を思い辿って御覧になると、お召物なども、すっかり芥子の香が滲み着いている奇妙さに、髪をお洗いになり、着物をお召し替えになったりなどして、お試しになるが、依然として前と同じようにばかり臭いがするので、自分の身でさえありながら疎ましく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、他人が噂し推量するだろう事など、誰にもおっしゃれるような内容でないので、心一つに収めてお嘆きになっていると、ますます気が変になって行く。
大将殿は、気持ちが少し落ち着きなさって、何とも言いようのなかったあの時の問わず語りを、何度も不愉快にお思い出しになられて、「まこと日数が経ってしまったのも気の毒だし、また身近にお逢いすることは、どうであろうか。きっと不愉快に思われようし、相手の方のためにも気の毒だろうし」と、いろいろとお考えになって、お手紙だけがあるのだった。
ひどくお患いになった方の病後が心配で、気を緩めずに、皆がお思いであったので、当然のことなので、お忍び歩きもしない。依然としてひどく悩ましそうにばかりなさっているので、普段のようにはまだお会いになさらない。若君がとても恐いまでにかわいらしくお見えになるお姿を、今から、とても特別にお育て申し上げなさる様子、並大抵でなく、願い通りの感じがして、大臣も嬉しく幸せにお思い申していられるが、ただ、このご気分がすっかりご回復なさらないのを、ご心配になっているが、「あれほど重く患った後だから」とお思いになって、どうして、それほどご心配ばかりなっていられようか。
若君のお目もとのかわいらしさなどが、春宮にそっくりお似申していられるのを、拝見なされても、まっ先に、恋しくお思い出しにならずにはいらっしゃれなくて、堪えがたくて、参内なさろうとして、
「宮中などにもあまり長いこと参っておりませんので、気がかりゆえに、今日初めて外出致しますが、もう少し近い所でお話し申したいものです。あまりにも気がかりな他人行儀なお愛想ですから」
とお怨み申し上げなさると、
「仰せのとおりですわ、ただひたすら優美にばかり振る舞うお仲ではありませんが、ひどくおやつれになっていらっしゃるとは申しても、物を隔ててお会いになる間柄ではございませんわ」
と言って、臥せっていられる所に、お席を近く設けたので、中に入ってお話など申し上げなさる。
お返事、時々申し上げなさるが、やはりとても弱々しそうである。けれど、もう助からない人とお思い申したご様子をお思い出しになると、夢のような気がして、危なかった時の事などをお話し申し上げなさる中でも、あのすっかり息も止まったかのようになったのが、急に人が変わって、ぽつりぽつりとお話し出されたことをお思い出しになると、不愉快に思われるので、
「いや、お話し申したいことはとてもたくさんあるが、まだとても大儀そうなご気分でいられるようですから」
と言って、「お薬湯をお飲みなさい」などとまで、お世話申し上げなさるのを、いつの間にお覚えになったのだろう、と女房たちは感心申し上げる。
まことに美しい方が、たいそう衰弱しやつれて、生死の境を彷徨っているような感じで臥せっていられる様子、とてもいじらしげに痛々しい。お髪の一筋の乱れ毛もなく、さらさらと掛かっている枕の辺り、めったにないくらい素晴らしく見えるので、「何年も、何を物足りないことがあると思っていたのだろう」と、不思議なまでにじっと目を凝らさずにはいらっしゃれない。
「院などに参って、すぐに下がって来ましょう。このようにして、隔てなくお会い申すことができるならば、嬉しいのですが、宮がぴったりと付いていらっしゃるので、不躾ではないかしらと遠慮して来ましたのも辛いが、やはりだんだんと気を強くお持ちになって、いつものご座所に。あまり幼く甘えていられると、一方では、いつまでもこのようなままでいらっしゃいますよ」
などと、申し上げ置きなさって、とても美しく装束をお召しになってお出かけになるのを、いつもよりは目を凝らして、お見送りしながら臥せっていらっしゃった。
[2-6 秋の司召の夜、葵の上死去する]
秋の司召が行われるはずの予定なので、大殿も参内なさると、ご子息たちも昇進をお望みになる事がいろいろあって、殿のご身辺をお離れにならないので、皆後に続いてお出かけになった。
殿の内では、人少なでひっそりとしている時、急にいつものようにお胸をつまらせて、とてもひどくお苦しみになる。宮中にお知らせ申し上げなさる間もなく、お亡くなりになってしまった。足も地に着かない感じで、皆が皆、退出なさったので、除目の夜であったが、このようによんどころのないご支障なので、万事ご破算といったような具合である。
大騒ぎになったのは、夜半頃なので、山の座主、誰それといった僧都たちも、お迎えになれない。いくら何でも、もう大丈夫、と気を緩めていたところに、大変なことになったので、邸の内の人々、まごついている。方々からのご弔問の使者など、立て込んだが、とても取り次ぎできず、上を下への大騷ぎになって、大変なご悲嘆は、まことに恐ろしいまでに見えなさる。
物の怪が度々お取り憑き申したことをお考えになって、お枕などもそのままにして、二、三日拝見なさったが、だんだんとお変わりになることどもが現れて来たので、もうこれまで、とお諦めになる時、誰も彼も、本当に悲しい。
大将殿は、悲しい事に、もう一件が加わって、男女の仲を本当に嫌なものと身にしみて感じられたので、並々ならぬ方々からのご弔問にも、ただ辛いとばかり、総じて思わずにはいらっしゃれない。院におかれても、お悲しみになられ、御弔問申し上げあそばされる様子、かえって面目を施すことなので、嬉しい気も混じって、大臣はお涙の乾く間もない。
人の申すことに従って、大がかりなご祈祷によって、生き返りなさらないかと、さまざまにあらゆる方法を試み、また一方では傷んで行かれる様子を見ながらも、なおもお諦め切れずにいられたが、その効もなく何日にもなったので、もはや仕方がないと、鳥辺野にお送り申す時、ご悲嘆の極み、万端であった。
[2-7 葵の上の葬送とその後]
あちらこちらのご葬送の人々や、寺々の念仏僧などが、大変広い野辺に隙間もない。院からは今さら申すまでもなく、后の宮、東宮などのご弔問の使者、その他所々の使者も代わる代わる参って、尽きない悲しみのご弔問を申し上げなさる。大臣は立ち上がることもおできになれず、
「このようにな晩年に、若くて盛りの娘に先立たれ申して、よろよろと這い回るとは」
と恥じ入ってお泣きになるのを、大勢の人々が悲しく拝する。
一晩中たいそうな騷ぎの盛大な葬儀だが、まことにはかないご遺骨だけを後に残して、夜明け前早くにお帰りになる。
世の常のことだが、人一人か、多くは御覧になっていないから、譬えようもなくお悲しみになった。八月二十日余りの有明のころなので、空も風情も情趣深く感じられるところに、大臣が親心の闇に悲しみに沈んで取り乱していられる様子を御覧になるのも、ごもっともなことと痛ましいので、空ばかりが自然と眺められなさって、
「空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが
おしなべてどの雲もしみじみと眺められることよ」
殿にお帰りになっても、少しもお眠りになれない。年来のご様子をお思い出しになりながら、
「どうして、最後には自然と分かってくれようと、のんびりと考えて、かりそめの浮気につけても、ひどいと思われ申してしまったのだろう。結婚生活中、親しめない気の置けるものと思って、お亡くなりになってしまったことよ」
などと、悔やまれることが多く、次々とお思い出しにならずにはいらっしゃれないが、効がない。鈍色の喪服をお召しになるのも、夢のような気がして、「自分が先立ったのならば、色濃くお染めになったろうに」と、お思いになるのまでが、
「きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが
涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている」
と詠んで、念仏読経なさっている様子、ますます優美な感じが勝って、お経を声をひそめてお読みになりながら、「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、勤行慣れした法師よりも殊勝である。若君を拝見なさるにつけても、「何を忍ぶよすがに」と、ますます涙がこぼれ出て来たが、「このような子までがいなかったら」と、気をお紛らしになる。
宮は沈み込んで、そのまま起き上がりなさらず、命も危なそうにお見えになるので、またお慌てになって、ご祈祷などをおさせになる。
とりとめもなく月日が過ぎて行くので、ご法事の準備などをおさせになるのも、思いもなさらなかったことなので、悲しみは尽きず大変である。取るに足らない不出来な子供でさえ、人の親はどんなに辛く思うことだろう、まして、当然である。また、他に姫君がいらっしゃらないのさえ、物足りなくお思いになっていたのに、袖の上の玉が砕けたという事よりも残念である。
大将の君は、二条院にさえ、ほんの暫しの間もお行きにならず、しみじみと心深くお嘆きになって、勤行を几帳面になさりなさり、日夜お過ごしになる。所々の方々には、お手紙だけを差し上げなさる。
あの御息所には、斎宮は左衛門の司にお入りになったので、ますます厳重なご潔斎を理由にして、お手紙も差し上げたりいただたりなさらない。嫌なと心底から感じられた世の中も、一切厭わしくなられて、「このような幼い子供さえいなかったなら、念願どおりになれように」と、お思いになるにつけては、まずは対の姫君が寂しくしていらっしゃるだろう様子を、ふとお思いやらずにはいらっしゃれない。
夜は、御帳台の中に独りでお寝みになると、宿直の女房たちは近くを囲んで伺候しているが、独り寝は寂しくて、「折柄もまことだ」と寝覚めがちなので、声のよい僧ばかりを選んで伺候させていらっしゃる念仏が、暁方など、堪え難い思いである。
「晩秋の情趣を増して行く風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れないお独り寝に、明かしかねていらっしゃる朝ぼらけの霧が立ちこめている時に、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、ちょっと置いて去っていった。「優美な感じだ」と思って、御覧になると、御息所のご筆跡である。
「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。
人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが
先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします
ちょうど今朝の空の模様を見るにつけ、偲びかねまして」
とある。「いつもよりも優美にお書きになっているなあ」と、やはり下に置きにくく御覧になるものの、「誠意のないご弔問だ」と嫌な気がする。そうかといって、お返事を差し上げないのもお気の毒で、ご名誉にも傷がつくことになるに違いない事だと、いろいろとお案じになる。
「亡くなった人は、いずれにせよ、そうなるべき運命でいらしたのだろうが、どうしてあのようなことを、まざまざと明瞭に見たり聞いたりしたのだろう」と悔しいのは、ご自分の気持ちながらも、やはりお思い直しになることはできないようである。
「斎宮のご潔斎につけても憚り多いことだろうか」などと、長い間お考えあぐねていらっしゃるが、「わざわざ下さった手紙のお返事しないのは、情愛がないのではないか」と思って、紫色の鈍色がかった紙に、
「すっかりご無沙汰いたしましたが、常に心にお掛け申し上げておりながら、喪中の間は、そのようなわけで、お察しいただけようかと存じまして。
生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に
心の執着を残して置くことはつまらないことです
お互いに執着をお捨てになって下さい。御覧いただけないかしらと、どなたにも」
と差し上げなさった。
里においでになる時だったので、こっそりと御覧になって、ほのめかしておっしゃっている様子を、内心気にとがめていることがあったので、はっきりとご理解なさって、「やはりそうであったのか」とお思いになるにつけ、とても堪らない。
「やはり、とてもこの上なく情けない身の上であったよ。このような噂が立って、院におかれてもどのようにお考えあそばされよう。故前坊の、同腹のご兄弟という中でも、たいそうお互いに仲好くあそばして、わが斎宮のご将来のことをも、こまごまとお頼み申し上げあそばしたので、『そのおん代わりに、そのままお世話申そう』などと、いつも仰せられて、『そのまま宮中にお住みなさい』と、度々お勧め申し上げあそばしたことだけでも、まことに恐れ多いこと、と考えてもみなかったのに、このように意外にも年がいもなく物思いをして、遂には面目ない評判まで流してしまうに違いないこと」
と、お悩みになると、やはりいつものような状態でおいでではない。
とはいえ、世間一般のことにつけては、奥ゆかしく趣味の豊かな方としての評判があって、昔から高名でいらしたので、野の宮へのお移りの時にも、興趣ある当世風のことを多く考案し出して、「殿上人どもで風流な者などは、朝に夕べに露を分けて訪れるのを、その頃の仕事としている」などとお聞きになっても、大将の君は、「もっともなことだ。風雅を解することでは、どこまでも十分備わっていられる方だ。もし、愛想をつかされてお下りになってしまわれたら、どんなにか寂しいに違いないだろう」と、やはりお思いになるのであった。
[2-8 三位中将と故人を追慕する]
ご法事など次々と過ぎていったが、正日までは、やはり引き籠もっていらっしゃる。経験したことのない所在なさを、お気の毒に思われなさって、三位の中将は、毎日お部屋に参上なさっては、世間話など、真面目な話や、また例の好色めいた話などをも申し上げて、お気持ちをお慰め申し上げなさる中で、あの典侍の話は、お笑い種になるようである。大将の君は、
「ああ、お気の毒な。おばば殿のことを、ひどく軽蔑なさるな」
とお諌めになる一方で、いつも面白いと思っていられた。
あの十六夜の、はっきりしなかった秋の事件など、その他の事などの、いといろな浮気話を互いに暴露なさい合う、しまいには、世の無常を言い言いして、涙をお漏らしになったりするのであった。
時雨が降って、何となくしみじみとした夕方、中将の君が、鈍色の直衣、指貫を、薄い色に衣更えして、まことに男らしくすっきりとして、こちらが気後れするような感じをし参上なさった。
君は、西の妻戸の高欄に寄り掛かって、霜枯れの前栽を御覧になっているところであった。風が荒々しく吹き、時雨がさっと降ってきた時は、涙も雨と競うような心地がして、
「雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」
と、独り言をいって、頬杖を突いていられるお姿、「女であったら、先立った魂もきっと留まろう」と、色っぽい気持ちで、ついじっと見つめられながら、近くにお座りになると、おくつろぎの姿でいられながらも、入れ紐だけをさし直しなさる。
こちらは、もう少し濃い鈍色の夏のお直衣に、紅色の光沢のある袿を下襲して、地味なお姿でいらっしゃるのが、かえって見飽きない感じがする。
中将も、とても悲しそうなまなざしでぼんやりと見ていらっしゃる。
「妹が時雨となって降る空の浮雲を
どちらの方向の雲と眺めようか
行く方も分からないな」
と独り言のようなのを、
「妻が雲となり雨となってしまった空までが
ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ」
とお詠みになるご様子も、浅くない気持ちがはっきりと窺えるので、
「妙にここ数年来は、さほどではなかったご愛情を、院などにおかれても、じっとしてはおれず御教訓あそばし、大臣のご待遇もお気の毒であり、大宮のお血筋からいっても、切れない縁であるなど、どちらからいっても関係が深いので、お捨てになることができずに、何となく気の進まないご様子のままで、今まで過ごして来られたようだと、気の毒に見えたことも時々あったが、ほんとうに、正妻としては、格別にお考え申されていらしたようだ」
と分かると、ますます惜しまれてならない。何かにつけて光が消えたような気がして、元気をなくしていた。
枯れた下草の中に、龍胆、撫子などが咲き出したのを折らせなさって、中将がお帰りになった後に、若君の御乳母の宰相の君に持たせて、
「草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を
秋に死別れた方の形見と思います
美しさは劣ると御覧になりましょうか」
と差し上げなさった。なるほど無邪気な微笑み顔はたいそうかわいらしい。宮は、吹く風につけてさえ、木の葉よりも脆いお涙は、それ以上で、手に取ることさえおできになれない。
「ただ今見てもかえって袖を涙で濡らしております
垣根も荒れはてて母親に先立たれてしまった撫子なので」
依然として、ひどく所在のない気がするので、朝顔の宮に、「今日の物悲しさは、そうはいってもお分りになられるであろう」と推察されるお心の方なので、暗くなった時分であるが、差し上げなさる。たまにしかないが、それが普通になってしまったお便りなので、気にも止めず御覧に入れる。空の色をした唐の紙に、
「とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております
今までにも物思いのする秋はたくさん経験してきたのですが
いつも時雨の頃は」
とある。ご筆跡などの入念にお書きになっているのが、いつもより見栄えがして、「放って置けない時です」と女房も申し上げ、ご自身もそのようにお思いになったので、
「お引き籠もりのご様子を、お察し申し上げながら、とても」とあって、
「秋霧の立つころ、先立たれなさったとお聞き致しましたが
それ以来時雨の季節につけいかほどお悲しみのことかとお察し申し上げます」
とだけ、かすれた墨跡で、気のせいか奥ゆかしい。
どのような事柄につけても、見勝りがするのは難しいのが世の常のようなのに、冷たい人にかえって、お心が惹かれなさるご性質の方なのである。
「すげないお扱いながらも、しかるべき時節折々の情趣はお見逃しなさらない、こういう間柄こそ、お互いに情愛を最後まで交わし合うことができるものだ。やはり、教養があり風流好みで、人目にも付くくらいなのは、よけいな欠点も出て来るものだ。対の姫君を、決してそのようには育てまい」とお考えになる。「所在なく恋しく思っていることだろう」と、お忘れになることはないが、まるで母親のない子を、一人残して来ているような気がして、会わない間は、気がかりで、「どのように嫉妬しているだろうか」と心配がないのは、気楽なことであった。
日がすっかり暮れたので、大殿油を近くに燈させなさって、しかるべき女房たちばかり、御前で話などをおさせになる。
中納言の君というのは、数年来こっそりとご寵愛なさっていたが、この喪中の間は、かえってそのような色めいた相手にもお考えにならない。「やさしいお心の方だわ」と拝している。その他のことでは親しくお話しかけになって、
「こうして、ここ数日は、以前にも増して、誰も彼も他に気を紛らすこともなく、互いに毎日顔を会わせ顔を会わせしていたから、今後いつもこうすることができないのは、恋しいと思わないだろうか。まこと悲しいことはしかたがないとして、あれこれと考えめぐらしてみると、悲しくて堪らないことがたくさんあるなあ」
とおっしゃると、ますます皆が泣いて、
「今さら申してもしかたのないおん方の事は、ただ心も真っ暗に閉ざされた心地がいたしますのは、それはそれとして、すっかりお離れになってしまわれると、存じられますことが」
と、最後まで申し上げきれない。かわいそうにとお見渡しになって、
「すっかり見限るようなことは、どうして。薄情者とお思いだな。気長な人さえいてくれたら、いつかは分かってくださろうものを。寿命は無常だからね」
と言って、燈火を眺めていらっしゃる目もとが、濡れていらっしゃるのが、素晴らしい。
とりわけかわいがっていらした小さい童女で、両親もいなくて、とても心細く思っているのを、もっともだと御覧になって、
「あてきは、今からはわたしを頼らねばならない人のようだね」
とおっしゃると、たいそう泣く。小さい衵、誰よりも濃く染めて、黒い汗衫、萱草色の袴などを着ているのも、かわいらしい姿である。
「故人を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、幼君を見捨てないで、お仕えして下さい。生前の面影もなく、女房たちまでが出て行ってしまったなら、訪ね来るよすがもない思いがますますしようから」
などと、皆に気長く留まることをおっしゃるが、「さあ、ますます間遠になられることだろう」と思うと、ますます心細い。
大殿は、女房たちに、身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な道具や、また、本当のお形見となるような物などを、改まった形にならないように心づかいして、一同にお配らせになるのであった。
[2-9 源氏、左大臣邸を辞去する]
君は、こうしてばかりも、どうしてぼんやりと日を送っていらっしゃれようかと思って、院へ参内なさる。お車を引き出して、前駆の者などが参上する間に、悲しみを知っているかのような時雨がはらはらと降って、木の葉を散らす風、急に吹き払って、御前に伺候している女房たち、何となくとても心細くて、少し乾く間もあった袖が再び湿っぽくなってしまった。
晩は、そのまま二条の院にお泊まりになる予定とあって、侍所の人々も、あちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ出立するので、今日が最後というのではないが、またとなく物悲しい。
大臣も宮も、今日の様子に、悲しみを新たにされる。宮のおん許へお手紙を差し上げなさった。
「院におかれても御心配あそばされおっしゃりますので、今日参内致します。ちょっと外出致しますにつけても、よくぞ今日まで生き永らえて来られたものよと、悲しみに掻き乱されるばかりの気がするので、ご挨拶申し上げるのも、かえって悲しく思われるに違いないので、そちらにはお伺い致しません」
とあるので、ますます宮は、目もお見えにならず、沈み込んで、お返事も差し上げなされない。
大臣が、さっそくお越しになった。とても我慢できそうになくお悲しみで、お袖から顔をお放しなさらない。拝見している女房たちもまことに悲しい。
大将の君は、世の中をお思い続けなさること、とてもあれこれとあって、お泣になる様子、しみじみと心深いものがあるが、たいして取り乱したところなく優美でいらっしゃる。大臣は、長い間かかって涙をお抑えになって、
「年をとると、たいしたことでもないことに対してさえ、涙もろくなるものでございますのに。まして、涙の乾く間もなくかきくらされている心を、とても鎮めることができませんので、人の目にも、とても取り乱して、気の弱い恰好にきっと見えましょうから、院などにも参内できないのでございます。お話のついでには、そのように取りなして奏上なさって下さい。いくらもありそうにない年寄の身で、先立たれたのが辛いのでございますよ」
と無理に抑えておっしゃる様子、まことに痛々しい。君も何度も鼻をかんで、
「遺されたり先立ったりする老少不定は、世の習いとはよく承知致しておりますものの、直接我が身のこととして感じられます悲しみは、譬えようもないものだと。院におかれても、ご様子を奏上致しますれば、きっとお察しあそばされることでしょう」とお答え申し上げになる。
「それでは、時雨も止む間もなさそうでございすから、暮れないうちに」と、お促し申し上げなさる。
お見回しなさると、御几帳の後、襖障子の向こうなどの開け放された所などに、女房たちが三十人ほどかたまって、濃い、薄い鈍色の喪服をめいめい着て、一同にひどく心細げにして、涙ぐみながら集まっているのを、とてもかわいそうに、と御覧になる。
「お見捨てになるはずもない人が残っていらっしゃるので、いくら何でも、何かの機会にはお立ち寄りあそばさないはずがないなどと、自ら慰めておりますが、もっぱら思慮の浅い女房などは、今日を最後の日と、お捨てになった過去の家と悲観して、永遠の別れとなった悲しみよりも、ただちょっと時々親しくお仕えした歳月の跡形もなくなってしまうのを、嘆いているようなのが、もっともに思われます。くつろいでいらしたことはございませんでしたが、それでもいつかはと、空頼みしてまいりましたが。なるほど、心細く感じられる夕べでございますね」
と言いながら、お泣きになった。
「とても思慮の浅い女房たちの嘆きでございますな。仰せのとおり、どうあろうともいずれはと、気長に存じておりました間は、自然とご無沙汰致した時もございましたが、かえって今では、何を心頼みしてご無沙汰ができましょうか。いずれお分りになろう」
と言ってお出になるのを、大臣はお見送り申し上げなさって、お入りになると、お飾りをはじめとして、昔のころと変わったところはないが、蝉の脱殻のような心地がなさる。
御帳台の前に、お硯などが散らかしてあって、手習いのお捨てになっていたのを拾って、目を絞めて涙を堪えながら御覧になるのを、若い女房たちは、悲しい気持ちでいながらも、ついほほ笑んでいるのもいるのだろう。しみじみと心を打つ古人の詩歌、唐土のも日本のも書き散らし書き散らしてあり、草仮名でも漢字でも、さまざまに珍しい書体で書き交ぜていらっしゃった。
「みごとなご筆跡だ」
と、空を仰いでぼんやりとしていらっしゃる。他人として拝見することになるのが、残念に思われるのだろう。「旧き枕故き衾、誰と共にか」とあるところに、
「亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう
共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから」
また、「霜の華白し」とあるところに、
「あなたが亡くなってから塵の積もった床に
涙を払いながら幾晩独り寝したことだろうか」
先日の花なのであろう、枯れて混じっていた。
宮に御覧に入れなさって、
「今さら言ってもしかたのないことはさておいて、このような悲しい逆縁の例は、世間にないことではないと、しいて思いながら、親子の縁も長く続かず、このように心を悲しませるために生まれて来たのであろうかと、かえって辛く、前世の因縁に思いを馳せながら、覚まそうとしていますが、ただ、日が経てば経つほど、恋しさが堪えきれないのと、この大将の君が、今日を限りに他人になってしまわれるのが、何とも残念に思わずにはいられません。一日、二日もお見えにならず、途絶えがちにいらしたのでさえ、物足りなく胸を痛めておりましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生き永らえて行けようか」
と、お声も抑えきれずお泣きになると、御前に控えている年輩の女房など、とても悲しくて、わっと泣き出すのは、何となく寒々とした夕べの情景である。
若い女房たちは、あちこちにかたまって、お互いに悲しいことを話し合って、
「殿がお考えになりおっしゃるように、若君をお育て申して、慰めることができようとは思いますが、とても幼いお形見で」
と言って、それぞれが、「しばらく里に下がって、また参上しよう」と言う者もいるので、互いに別れを惜しんだりする折、それぞれ物悲しい事が多かった。
院へ参上なさると、
「とてもひどく面やつれしたな。御精進の日々を過ごしたからか」
と、お気の毒に御心配あそばして、御前においてお食事などを差し上げなさって、あれやこれやとお心を配ってお世話申し上げあそばす様子、身にしみてもったいない。
中宮の御方に参上なさると、女房たちが、珍しく思ってお目にかかる。命婦の君を通じて、
「悲しみの尽きないことですが、日が経つにつけてもご心中いかばかりかと」
と、お伝え申し上げあそばした。
「無常の世は、一通りは存じておりましたが、身近に体験致しますと、嫌なことが多く思い悩みましたのも、度々のご弔問に慰められまして、今日までも」
と言って、何でもない時でさえ持っているお悩みを取り重ねて、とてもおいたわしそうである。無紋の袍のお召物に、鈍色の御下襲、巻纓をなされた喪服のお姿は、華やかな時よりも、優美さが勝っていらっしゃった。
春宮にも、久しく参上致さなかった気がかりさなど、お申し上げなさって、夜が更けてからご退出なさる。
3 紫の君の物語 新手枕の物語
[3-1 源氏、紫の君と新手枕を交わす]
二条院では、あちこち掃き立て磨き立てて、男も女も、お待ち申し上げていた。上臈の女房どもは、皆参上して、我も我もと美しく着飾り、化粧しているのを御覧になるにつけても、あの居並んで沈んでいた様子を、しみじみかわいそうに思い出されずにはいらっしゃれない。
お召物を着替えなさって、西の対にお渡りになった。衣更えしたご装飾も、明るくすっきりと見えて、美しい若い女房や童女などの、身なり、姿が好ましく整えてあって、「少納言の采配は、行き届かないところがなく、奥ゆかしい」と御覧になる。
姫君は、とてもかわいらしく身繕いしていらっしゃる。
「久しくお目にかからなかったうちに、とても驚くほど大きくなられましたね」
と言って、小さい御几帳を引き上げて拝見なさると、横を向いて笑っていらっしゃるお姿、何とも申し分ない。
「火影に照らされた横顔、頭の恰好など、まったく、あの心を尽くしてお慕い申し上げている方に、少しも違うところなく成長されていくことだなあ」
と御覧になると、とても嬉しい。
お近くに寄りなさって、久しく会わず気がかりでいた間のことなどをお話し申し上げになって、
「最近のお話を、ゆっくりと申し上げたいが、縁起が悪く思われますので、しばらく他の部屋で休んでから、また参りましょう。今日からは、いつでもお会いできましょうから、うるさくまでお思いになるでしょう」
と、こまやかにお話し申し上げなさるのを、少納言は嬉しいと聞く一方で、やはり不安に思い申し上げる。「高貴なお忍びの方々が大勢いらっしゃるので、またやっかいな方が代わって現れなさるかも知れない」と思うのも、憎らしい気の廻しようであるよ。
お部屋にお渡りになって、中将の君という者に、お足などを気楽に揉ませなさって、お寝みになった。
翌朝には、若君のお元にお手紙を差し上げなさる。しみじみとしたお返事を御覧になるにつけても、尽きない悲しい思いがするばかりである。
とても所在なく物思いに耽りがちだが、何でもないお忍び歩きも億劫にお思いになって、ご決断がつかない。
姫君が、何事につけ理想的にすっかり成長なさって、とても素晴らしくばかり見えなさるのを、もう良い年頃だと、やはり、しいて御覧になっているので、それを匂わすようなことなど、時々お試みなさるが、まったくお分りにならない様子である。
所在ないままに、ただこちらで碁を打ったり、偏継ぎしたりして、毎日お暮らしになると、気性が利発で好感がもて、ちょっとした遊びの中にもかわいらしいところをお見せになるので、念頭に置かれなかった年月は、ただそのようなかわいらしさばかりはあったが、抑えることができなくなって、気の毒だけれど、どういうことだったのだろうか、周囲の者がお見分け申せる間柄ではないのだが、男君は早くお起きになって、女君は一向にお起きにならない朝がある。
女房たちは、「どうして、こうしていらっしゃるのだろうかしら。ご気分がすぐれないのだろうか」と、お見上げ申して嘆くが、君はお帰りになろうとして、お硯箱を、御帳台の内に差し入れて出て行かれた。
人のいない間にやっと頭を上げなさると、結んだ手紙、おん枕元にある。何気なく開いて御覧になると、
「どうして長い間何でもない間柄でいたのでしょう
幾夜も幾夜も馴れ親しんで来た仲なのに」
と、お書き流しになっているようである。「このようなお心がおありだろう」とは、まったくお思いになってもみなかったので、
「どうしてこう嫌なお心を、疑いもせず頼もしいものとお思い申していたのだろう」
と、悔しい思いがなさる。
昼ころ、お渡りになって、
「ご気分がお悪いそうですが、どんな具合ですか。今日は、碁も打たなくて、張り合いがないですね」
と言って、お覗きになると、ますますお召物を引き被って臥せっていらっしゃる。女房たちは退いて控えているので、お側にお寄りになって、
「どうして、こう気づまりな態度をなさるの。意外にも冷たい方でいらっしゃいますね。皆がどうしたのかと変に思うでしょう」
と言って、お衾を引き剥ぎなさると、汗でびっしょりになって、額髪もひどく濡れていらっしゃった。
「ああ、嫌な。これはとても大変なことですよ」
と言って、いろいろと慰めすかし申し上げなさるが、本当に、とても辛い、とお思いになって、一言もお返事をなさらない。
「よしよし。もう決して致しますまい。とても恥ずかしい」
などとお怨みになって、お硯箱を開けて御覧になるが、何もないので、「なんと子供っぽいご様子か」と、かわいらしくお思い申し上げなさって、一日中、お入り居続けになって、お慰め申し上げなさるが、打ち解けないご様子、ますますかわいらしい感じである。
[3-2 結婚の儀式の夜]
その晩、亥の子餅を御前に差し上げた。こうした喪中の折なので、大げさにはせずに、こちらだけに美しい桧破籠などだけを、様々な色の趣向を凝らして持参したのを御覧になって、君は、南面にお出になって、惟光を呼んで、
「この餅を、このように数多くあふれるほどにはしないで、明日の暮れに参上させよ。今日は日柄が吉くない日であった」
と、ほほ笑んでおっしゃるご様子から、機転の働く者なので、ふと気がついた。惟光、詳しいことも承らずに、
「なるほど、おめでたいお祝いは、吉日を選んでお召し上がりになるべきでしょう。ところで子の子の餅はいくつお作り申しましょう」
と、真面目に申すので、
「三分の一ぐらいでよいだろう」
とおっしゃるので、すっかり呑み込んで、立ち去った。「物馴れた男よ」と、君はお思いになる。誰にも言わないで、手作りと言ったふうに実家で作っていたのだった。
君は、ご機嫌をとりかねなさって、今初めて盗んで来たような人の感じがするのも、とても興趣が湧いて、「数年来かわいいとお思い申していたのは、片端にも当たらないくらいだ。人の心というものは得手勝手なものだなあ。今では一晩離れるのさえ堪らない気がするに違いないことよ」とお思いになる。
お命じになった餅、こっそりと、たいそう夜が更けてから持って参った。「少納言は大人なので、恥ずかしくお思いになるだろうか」と、思慮深く配慮して、娘の弁という者を呼び出して、
「これをこっそりと、差し上げなさい」
と言って、香壷の箱を一具、差し入れた。
「確かに、お枕元に差し上げなければならない祝いの物でございます。ああ、勿体ない。あだや疎かに」
と言うと、「おかしいわ」と思うが、
「浮気と言うことは、まだ知りませんのに」
と言って、受け取ると、
「本当に、今はそのような言葉はお避けなさい。決して使うことはあるまいが」
と言う。若い女房なので、事情も深く悟らないので、持って参って、お枕元の御几帳の下から差し入れたのを、君が、例によって餅の意味をお聞かせ申し上げなさるのであろう。
女房たちは知り得ずにいたが、翌朝、この箱を下げさせなさったので、側近の女房たちだけは、合点の行くことがあったのだった。お皿類なども、いつの間に準備したのだろうか。花足はとても立派で、餅の様子も、格別にとても素晴らしく仕立ててあった。
少納言は、「とてもまあ、これほどまでも」とお思い申し上げたが、身にしみてもったいなく、行き届かない所のない君のお心配りに、何よりもまず涙が思わずこぼれた。
「それにしてもまあ、内々にでもおっしゃって下さればよいものを。あの人も、何と思ったのだろう」
と、ひそひそ囁き合っていた。
それから後は、内裏にも院にも、ちょっとご参内なさる折でさえ、落ち着いていられず、面影に浮かんで恋しいので、「妙な気持ちだな」と、自分でもお思いになられる。お通いになっていた方々からは、お恨み言を申し上げなさったりなどするので、気の毒だとお思いになる方もあるが、新妻がいじらしくて、「一夜たりとも間を置いたりできようか」と、つい気がかりに思わずにはいらっしゃれないので、とても億劫に思われて、悩ましそうにばかり振る舞いなさって、
「世の中がとても嫌に思えるこの時期を過ぎてから、どなたにもお目にかかりましょう」
とばかりお返事なさりなさりして、お過ごしになる。
今后は、御匣殿がなおもこの大将にばかり心を寄せていらっしゃるのを、
「なるほどやはり、あのように重々しかった方もお亡くなりになったようだから、そうなったとしても、どうして残念なことがあろうか」
などと、大臣はおっしゃるが、「とても憎い」と、お思い申し上げになって、
「宮仕えを、重々しくお勤め続けなさるだけでも、どうして悪いことがあろうか」
と、ご入内おさせ申すことを熱心に画策なさる。
君も、並々の方とは思っていらっしゃらなかったが、残念だとはお思いになるが、目下は他の女性にお心を分ける間もなくて、
「どうしてこんなに短い一生なのに。このまま落ち着くことしよう。人の恨みも負べきでないことだ」
と、ますます案じられお懲りになっていらっしゃった。
「あの御息所は、とてもお気の毒だが、生涯の伴侶としてお頼り申し上げるには、きっと気の置けることだろう。今までのように大目に見て下さるならば、適当な折々に何かとお話しを交わす相手として相応しいだろう」などと、そう言っても、見限ってしまおうとはなさらない。
「この姫君を、今まで世間の人も誰とも存じ上げないのも、身分がないようだ。父宮にお知らせ申そう」と、お考えになって、御裳着のお祝い、人に広くお知らせにはならないが、並々でなく立派にご準備なさるお心づかいなど、いかにも類のないくらいだが、女君は、すっかりお疎み申されて、「今まで万事ご信頼申して、おまつわり申し上げていたのは、我ながら浅はかな考えであったわ」と、悔しくばかりお思いになって、はっきりとも顔をお見合わせ申し上げようとはなさらず、ご冗談を申し上げになっても、苦しくやりきれない気持ちにお思い沈んで、以前とはすっかり変わられたご様子を、かわいらしくもいじらしくもお思いになって、
「今まで、お愛し申してきた甲斐もなく、打ち解けて下さらないお心が、辛いこと」と、お恨み申していられるうちに、年も改まった。
[3-3 新年の参賀と左大臣邸へ挨拶回り]
元日には、例年のように、院に参賀なさってから、内裏、春宮などにも参賀に上がられる。そこから大殿に退出なさった。大臣、新年の祝いもせず、故人の事柄をお話し出しなさって、物寂しく悲しいと思っていられるところに、ますますこのようにまでお越しになられたのにつけても、気を強くお持ちになるが、堪えきれず悲しくお思いになった。
お年をとられたせいか、堂々たる風格までがお加わりになって、以前よりもことに、お綺麗にお見えになる。立ち上がって出られて、故人のお部屋にお入りになると、女房たちも珍しく拝見申し上げて、悲しみを堪えることができない。
若君を拝見なさると、すっかり大きく成長して、にこにこしていらっしゃるのも、しみじみと胸を打つ。目もと、口つきは、まったく春宮と同じご様子でいらっしゃるので、「人が見て不審にお思い申すかも知れない」と御覧になる。
お部屋の装飾なども昔に変わらず、御衣掛のご装束なども、いつものようにして掛けてあるが、女のご装束が並んでないのが、見栄えがしないで寂しい。
宮からのご挨拶として、
「今日は、たいそう堪えておりますが、このようにお越し下さいましたので、かえって」
などとお申し上げになって、
「今まで通りの習わしで新調しましたご衣装も、ここ幾月は、ますます涙に霞んで、色合いも映えなく御覧になられましょうかと存じますが、今日だけは、やはり粗末な物ですが、お召し下さいませ」
と言って、たいそう丹精こめてお作りになったご衣装類、またさらに差し上げになさった。必ず今日お召しになるように、とお考えになった御下襲は、色合いも織り方も、この世の物とは思われず、格別な品物なので、ご厚意を無にしてはと思って、お召し替えになる。来なかったら、さぞかし残念にお思いであったろう、とおいたわしい。お返事には、
「春が来たかとも、まずは御覧になっていただくつもりで、参上致しましたが、思い出さずにはいられない事柄が多くて、十分に申し上げられません。
何年来も元日毎に参っては着替えをしてきた晴着だが
それを着ると今日は涙がこぼれる思いがする
どうしても抑えることができません」
と、お申し上げなさった。お返歌は、
「新年になったとは申しても降りそそぐものは
老母の涙でございます」
並々な悲しみではないのですよ。
10. 賢木
光る源氏の23歳秋9月から25歳夏まで近衛大将時代の物語
- 六条御息所、伊勢下向を決意 斎宮の御下向、近づくなるにつれて
- 野の宮訪問と暁の別れ 九月七日ころなので
- 伊勢下向の日決定 後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは
- 斎宮、宮中へ向かう 十六日、桂川でお祓いをなさる
- 斎宮、伊勢へ向かう 奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので
1 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語
- 10月、桐壷院、重体となる 院の御病気、神無月になってからは
- 11月1日、桐壷院、崩御 大后も、お見舞いに参ろうと思っているが
- 諒闇の新年となる 年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく
- 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる 帝は、院の御遺言に背かず、親しくお思いであったが
2 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御
- 源氏、再び藤壷に迫る 内裏に参内なさるようなことは
- 藤壷、出家を決意 「何の面目があって、再びお目にかかることができようか
3 藤壷の物語
- 秋、雲林院に参籠 大将の君は、東宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが
- 朝顔斎院と和歌を贈答 吹き通う風も近い距離なので
- 源氏、二条院に帰邸 女君は、この数日間に、いっそう美しく成長
- 朱雀帝と対面 一般の事柄で、宮の御事に関することなど
- 藤壷に挨拶 「御前に伺候して、今まで、夜を更かして
- 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答 大将、頭の弁が朗誦したことを考えると
4 光る源氏の物語
- 11月1日、故桐壷院の御国忌 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き
- 12月10日過ぎ、藤壷、法華八講主催の後、出家す 十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である
- 後に残された源氏 お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって
5 藤壷の物語 法華八講主催と出家
- 諒闇明けの新年を迎える 年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり
- 源氏一派の人々の不遇 司召のころ、この宮の人々は
- 韻塞ぎに無聊を送る 夏の雨、静かに降って、所在ないころ
6 光る源氏の物語
- 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される そのころ、尚侍の君が退出なさっていた
- 右大臣、源氏追放を画策する 大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことの
7 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見
1 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語
[1-1 六条御息所、伊勢下向を決意]
斎宮の御下向、近づくなるにつれて、御息所、何となく心細くいらっしゃる。重々しくけむたいご本妻だと思っていらした大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。
母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになると、大将の君、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれず、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々交わす。お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのだろう。
里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿、お知りになることができない。簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮にお伺いなさる。
[1-2 野の宮訪問と暁の別れ] 九月七日ころなので、「まったく今日明日だ」とお思いになると、女の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控え目過ぎるから、物越しにお目にかかるのなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。 広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じがする。秋の花、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れがれとなり虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風、身にしみて音を添えて、いずれの琴とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来る、まことに優艶である。 気心の知れた御前駆の者、十余人ほど、御随身、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていられるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者など、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々、後悔せずにはいらっしゃれない。 ちょっとした小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに仮普請のようである。黒木の鳥居どもは、やはり神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官どもが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。火焼屋、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいる人が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。 北の対の適当な場所に立ち隠れなさって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配、たくさん聞こえる。 何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、 「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものです」 と、真面目に申し上げなさると、女房たち、 「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」 「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」 などと、お取りなし申すので、「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子、まことに奥ゆかしい。 「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」 と言って、上がっておすわりになった。 明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子、美しさに、似るものがなく素晴らしい。幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらしたのを、差し入れて、 「変わらない心に導かれて、禁制の垣根も越えて参ったのです。何とも薄情な」 と申し上げなさると、 「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに どう間違えて折って持って来た榊なのでしょう」 と申し上げなさると、 「少女子がいる辺りだと思うと 榊葉が慕わしくて探し求めて折ったのです」 周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被って、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっていらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。 また一方、心の中に、「いかがなものか、欠点があって」と、お思い申してから後、やはり、情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、「ああ」と、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。今までのこと、将来のこと、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。 女は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていられるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。 月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらした恨みもきっと消えてしまうことだろう。だんだんと、「今度が最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり思ったとおりだ」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。 殿上の若公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたという庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。物のあわれの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容、そのまま筆に写すことはできない。 だんだんと明けて行く空の風情、特別に作り出したかのようである。 「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが 今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」 帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていられる、たいそう優しい。 風、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。 「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」 悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。道程はまことに露っぽい。 女も、気強くいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿、まだ残っている匂いなど、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。 「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」 と、わけもなく涙ぐみ合っていた。
[1-3 伊勢下向の日決定] 後朝の御文、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。 男は、それほどお思いでもないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げていられなかったお間柄で、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。 旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類など、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別を申し上げになさるが、何ともお思いにならない。軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてた身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きても寝てもお嘆きになる。 斎宮は、幼な心に、決定しなかったご出立が、このように決まってゆくのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。世間の人々は、先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。何事でも、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。
[1-4 斎宮、宮中へ向かう] 十六日、桂川でお祓いをなさる。慣例の儀式より立派で、長奉送使など、その他の上達部も身分高く、世間から評判の良い方をお選びさせた。院のお心遣いもあってのことであろう。お出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、 「雷神でさえも、 大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば 尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」 とある。とても取り混んでいる時だが、お返事がある。斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。 「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう」 大将は、様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。 斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。
[1-5 斎宮、伊勢へ向かう] 奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。申の時に宮中に参内なさる。 御息所、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に宮中を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。十六で故宮に入内なさって、二十で先立たれ申される。三十で、今日再び宮中を御覧になるのであった。 「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが 心の底では悲しく思われてならない」 斎宮は、十四におなりであった。とてもかわいらしういらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばした。 お出立になるのをお待ち申そうとして、八省院に立ち続けていた女房の車から、袖口、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも私的な別れを惜しんでいる者が多かった。 暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、 「わたしを捨てて今日は旅立って行かれるが鈴鹿川を 渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか」 とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい時なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。 「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか 伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか」 言葉少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありだったらば」とお思いになる。 霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。 「あの行った方角を眺めていよう、今年の秋は 逢うという逢坂山を霧よ隠さないでおくれ」 西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになること、多かったことだろうか。
2 光る源氏の物語 父桐壷帝の崩御 [2-1 10月、桐壷院、重体となる] 院の御病気、神無月になってからは、ひどく重くおなりあそばす。世を挙げてお惜しみ申し上げない人はいない。帝におかれても、御心配あそばして行幸がある。御衰弱の御容態ながら、春宮の御事を、繰り返しお頼み申し上げあそばして、次には大将の御事を、 「在世中と変わらず、大小の事に関わらず、何事も御後見役とお思いあそばせ。年の割には政治を執っても、少しも遠慮するところはない人と、拝見している。必ず天下を治める相のある人である。それによって、煩わしく思って、親王にもなさず、臣下に下して、朝廷の補佐役とさせようと、思ったのである。その心づもりにお背きあそばすな」 と、しみじみとした御遺言が多かったが、女の書くべきことではないので、その一部分を語るだけでも気の引ける思いだ。 帝も、大層悲しいとお思いになって、決してお背き申し上げまい旨を、繰り返し申し上げあそばす。御容貌もとても美しく御成長あそばされているのを、嬉しく頼もしくお見上げあそばす。きまりがあるので、急いでお帰りあそばすにつけても、かえって悲しいことが多い。 春宮も御一緒にとお思いあそばしたが、大層な騷ぎになるので、日を改めて、行啓なさった。お年の割には、大人びてかわいらしい御様子で、恋しいとお思い申し上げあそばしていたあげくなので、ただもう無心に嬉しくお思いになって、お目にかかりになる御様子、まことにいじらしい。 中宮は、涙に沈んでいらっしゃるのを、お見上げ申しあそばされるにつけても、あれこれとお心の乱れる思いでいらっしゃる。いろいろの事をお教え申し上げなさるが、とても御幼少でいらっしゃるので、不安で悲しく御拝見あそばす。 大将にも、朝廷にお仕えなさるためのお心構えや、春宮の御後見なさるべき事を、繰り返し仰せになる。 夜が更けてからお帰りあそばす。残る人なく陪従して大騷ぎする様子、行幸に劣るところがない。満足し切れないところでお帰りおそばすのを、たいそう残念にお思いあそばす。
[2-2 11月1日、桐壷院、崩御] 大后も、お見舞いに参ろうと思っているが、中宮がこのように付き添っていらっしゃるために、おこだわりになって、おためらいになっていらっしゃるうちに、たいしてお苦しみにもならないで、お隠れあそばした。浮き足立ったように、お嘆き申し上げる人々が多かった。 お位をお退きあそばしたというだけで、世の政治をとりしきっていられたのは、御在位中と同様でいらっしゃったが、帝はまだお若ういらっしゃるし、祖父右大臣、まことに性急で意地の悪い方でいらっしゃって、その意のままになってゆく世を、どうなるのだろうと、上達部、殿上人は、皆不安に思って嘆く。 中宮、大将殿などは、まして人一倍、何もお考えられなく、後々の御法事などをご供養申し上げなさる様子も、大勢の親王たちの御中でも格別優れていらっしゃるのを、当然のことながら、まことにおいたわしく、世の人々も拝し上げる。喪服を着て悲しみに沈んでいらっしゃるのにつけても、この上なく美しくおいたわしげである。去年、今年と引き続いて、このような不幸にお遭いになると、世の中が本当につまらなくお思いになるが、このような機会にも、出家しようかと思わずにはいらっしゃれない事もあるが、また一方では、いろいろとお妨げとなるものが多いのであった。 御四十九日までは、女御、御息所たち、皆、院に集まっていらっしゃったが、過ぎたので、散り散りにご退出なさる。十二月の二十日なので、世の中一般も年の暮という空模様につけても、まして心晴れることのない、中宮のお心の中である。大后のお心も御存知でいらっしゃるので、思いのままになさるであろう世が、体裁の悪く住みにくいことになろうことをお考えになるよりも、お親しみ申し上げなさった長い年月の御面影を、お偲び申し上げない時の間もない上に、このままここにおいでになるわけにもゆかず、皆方々へとご退出なさるに当たっては、悲しいことこの上ない。 宮は、三条の宮にお渡りになる。お迎えに兵部卿宮が参上なさった。雪がひとしきり降り、風が激しく吹いて、院の中、だんだんと人数少なになっていって、しんみりとしていた時に、大将殿、こちらに参上なさって、昔の思い出話をお申し上げなさる。お庭先の五葉の松が、雪に萎れて、下葉が枯れているのを御覧になって、親王、 「木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか 下葉が散り行く今年の暮ですね」 何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖、ひどく濡れた。池が隙間なく凍っていたので、 「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが 長年見慣れた影を見られないのが悲しい」 と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。王命婦、 「年が暮れて岩井の水も凍りついて 見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと」 その折に、とても多くあったが、そうばかり書き連ねてよいことか。 お移りあばす儀式は、従来と変わらないが、思いなしかしみじみとして、ふる里の宮は、かえって旅の宿のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さ、あれこれと回想されて来るのだろう。
[2-3 諒闇の新年となる] 年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。まして大将殿は、何となく悲しくて退き籠もっていらっしゃる。除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、ここ数年来、悪く変わることなくて、御門の周辺、隙間なく立て込んでいた馬、車が少なくなって、夜具袋などもほとんど見えず、親密な家司どもばかりが、特別に準備することもなさそうでいるのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何となく味気なく思われる。 御匣殿は、二月に、尚侍におなりになった。院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の、替わりであった。高貴な家の出として振る舞って、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。后は、里邸にいらっしゃりがちで、参内なさる時のお局には、梅壷を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住みになる。登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、当世風にはなやかにおなりになったが、お心の中では、思いがけなかった事を忘れられず嘆いていらっしゃる。ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながら、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。 院の御在世中こそは、遠慮もなさっていたが、后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。何かにつけて、体裁の悪いことばかり生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、立ち交じっていこうともお考えになれない。 左の大殿も、面白くない気がなさって、特に内裏にも参内なさらない。故姫君を、避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、后は根にお持ちになって、あまり良くはお思い申し上げていない。大臣の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の在世中は思い通りでいられたが、御世が替わって、得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。 大将は、在世中と変わらずお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになって、若君を大切におかわいがり申されること、この上ないので、しみじみとありがたいお心だと、ますます大切にお世話申し上げなさる事ども、同様である。この上ないご寵愛で、あまりにもうるさいまでに、お暇もなさそうにお見えになったが、お通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽率なお忍び歩きも、つまらないようにお思いなさって、特になさらないので、とてものんびりと、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。 西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお喜び申し上げる。少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈祷の効験」と拝している。父親王とも隔意なくお文をお通わし申し上げなさる。正妻腹の、この上なくと願っている方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方は、きっと面白くなくお思いであろう。物語にわざと作り出したようなご様子である。 斎院は、御服喪のためにお下がりになったので、朝顔の姫君は、代わってお立ちになった。賀茂の斎院には、孫王のお就きになる例、多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。大将の君は、幾歳月を経ても、依然としてお忘れになれなかったのを、このように方面がちがっておしまいになったので、残念にとお思いになる。中将にお便りをおやりになることも、以前と同じで、お手紙などは途絶えていないのだろう。以前と変わったご様子などを、特に何ともお考えにならず、このようなちょっとした事柄を、気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと思い悩んでいらっしゃる。
[2-4 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる] 帝は、院の御遺言に背かず、親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后、祖父大臣、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治も、お心通りに行かないようである。 厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君は、密かにお心を通わしているので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。五壇の御修法の初日で、お慎しみあそばす隙間を狙って、いつものように、夢のようにお逢い申し上げる。あの、昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が、人目を紛らしてお入れ申し上げる。人目の多いころなので、いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない。 朝夕に拝見している人でさえ、見飽きないご様子なので、まして、まれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。女のご様子も、なるほど素晴しいお盛りである。重々しいという点では、どうであろうか、魅力的で優美で若々しい感じがして、好ましいご様子である。 間もなく夜も明けて行こうか、と思われるころに、ちょうどすぐ側で、 「宿直申しの者、ここにおります」 と、声を上げて申告するようである。「自分以外にも、この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩が教えてよこしたのだろう」と、大将はお聞きになる。面白いと思う一方、厄介である。 あちこちと探し歩いて、 「寅一刻」 と申しているようだ。女君、 「自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ 夜が明けると教えてくれる声につけましても」 とおっしゃる様子、いじらしくて、まことに魅力的である。 「嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか 胸の思いの晴れる間もないのに」 慌ただしい思いで、お出になった。 夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのない霧が立ちこめていて、とてもたいそうお忍び姿で、振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿の兄君の藤少将が、藤壷から出て来て、月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったなあ。きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。 このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしい、と思われなさる時が多い。
3 藤壷の物語 [3-1 源氏、再び藤壷に迫る] 内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし、窮屈にお感じになって、東宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君を、いろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て来よう、とお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。 筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦、弁などは、驚きあきれてご介抱申し上げる。男は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり明けてしまったが、お出にならないままになってしまった。 ご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま、塗籠に押し込められていらっしゃる。お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。兵部卿宮、大夫などが参上して、 「僧を呼べ」 などと騒ぐのを、大将は、とても辛く聞いていらっしゃる。やっとのことで、暮れて行くころに、ご回復あそばした。 このように籠もっていられようとはお思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。昼の御座にいざり出ていらっしゃる。ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。命婦の君などは、 「どのように人目をくらまして、お出し申し上げよう。今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」 などと、ひそひそとささやきもてあましている。 君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。珍しく嬉しいにつけても、涙は落ちて拝見なさる。 「やはり、とても苦しい。死んでしまうのかしら」 と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔、何とも言いようがないほど優美に見える。お果物だけでも、といって差し上げた。箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、見向きもなさらない。世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃる、たいそういじらしげである。髪の生え際、頭の恰好、御髪のかかっている様子、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。 気品高く気後れするような様子なども、まったく別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたなあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。気配ははっきり分かり、さっと匂ったので、あきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、引き寄せなさると、お召物を脱ぎ滑らせて、いざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さ、思い知られなさって、実に辛い、とお思いになった。 男も、長年抑えてこられたお心、すかっり惑乱して、気でも違ったように、すべての事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、本当に厭わしい、とお思いになって、お返事も申し上げなさらない。わずかに、 「気分が、とてもすぐれませんので。このようでない時であったら、申し上げましょう」 とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。 そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。 しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、 「わずか、この程度であっても、時々、大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」 などと、ご安心申し上げなさるのだろう。ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。 明けてしまったので、二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は、半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、 「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」 などと申し上げなさるが、鬼気迫るまでに思いつめていらっしゃった。 「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか 御往生の妨げにもなっては」 と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、 「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」 わざと何でもないことのようにおっしゃる様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、呆然自失の心地で、お出になった。
[3-2 藤壷、出家を決意] 「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。すっかりもう、内裏、東宮にも参内なさらず、籠もっていらして、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この女君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。 宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。こうわざとらしく籠もっていらして、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。宮も、東宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。 「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。大后が、けしからんことだとおっしゃっているという地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにも、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことは、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことを御決意なさるが、東宮に、お眼にかからないで尼姿になること、悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。 大将の君は、それほどでないことでさえ、お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。一通りのお世話は、いつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。 宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさま、しみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。 大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても、体裁悪く、何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、 「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」 とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、 「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」 と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、 「あの人は、年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」 と言ってお泣きになると、真剣になって、 「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」 と言って、涙が落ちたので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃる、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの方のお顔を移し変えなさったようである。御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。
4 光る源氏の物語 [4-1 秋、雲林院に参籠] 大将の君は、東宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「情けないほど冷たいお心のほどを、時々は、お悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く、所在なく思われなさるので、秋の野も御覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。 「故母御息所のご兄妹の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」とお思いになって、二、三日いらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。 紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などを御覧になって、邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、「つれない人こそ、恋しく思われる」と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと鳴らしながら、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、 「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。それに引き比べ、つまらない身の上を持て余していることよ」 などと、お思い続けなさる。律師が、とても尊い声で、 「念仏衆生摂取不捨」 と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。 いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。 「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」 などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。 「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません」 などと情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。お返事は、白い色紙に、 「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に 糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」 とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。 いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。
[4-2 朝顔斎院と和歌を贈答] 吹き通う風も近い距離なので、斎院にも差し上げなさった。中将の君に、 「このように、旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」 などと、恨み言を述べて、御前には、 「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど その昔の秋のころのことが思い出されます 昔の仲を今に、と存じます甲斐もなく、取り返せるもののようにも」 と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。 お返事、中将、 「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げること、多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」 と、少し丹念に多く書かれていた。御前の歌は、木綿の片端に、 「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか 心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは 近い世には」 とある。 「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、草書きなど美しくなったものだ。ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで、恐ろしいことよ。 「ああ、このころであったよ。野宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質だことよ。 院も、このような一通りでないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などには、あまりすげなくはお応え申すこともできないようである。少し困ったことである。 六十巻という経文、お読みになり、不明な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、「山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申した」と、「仏の御面目が立つことだ」と、賎しい法師連中までが喜び合っていた。静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。伺候しているすべての、身分の上下を問わない僧ども、その周辺の山賎にまで、物を下賜され、あらゆる功徳を施して、お出になる。お見送り申そうとして、あちらこちらに、賎しい柴掻き人連中が集まっていて、涙を落としながら拝し上げる。黒いお車の中に、喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子を、またとなく素晴らしい人とお思い申し上げているようである。
[4-3 源氏、二条院に帰邸] 女君は、この数日間に、いっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらして、男君との仲が今後どうなって行くのだろうと思っている様子が、いじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、「色変わる」とあったのも、かわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。 山の土産にお持たせになった紅葉、お庭先のと比べて御覧になると、格別に一段と染めてあった露の心やりも、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通の贈り物として、宮に差し上げなさる。命婦のもとに、 「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、東宮との間の事、ご無沙汰いたしておりましたので、気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと、計画しておりました日数を、不本意なことになってはと、何日にもなってしまいました。紅葉は、独りで見ていますと、せっかくの美しさも残念に思われましたので。よい折に御覧下さいませ」 などとある。 なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものように、ちょっとした文が結んであるのだった。女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、 「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。惜しいことに思慮深くいらっしゃる方が、考えもなく、このようなこと、時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」 と、気に食わなく思われなさって、瓶に挿させて、廂の柱のもとに押しやらせなさった。
[4-4 朱雀帝と対面] 一般の事柄で、宮の御事に関することなどは、頼りにしている様子に、素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも」と、愚痴をこぼしたく御覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ馴れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、退出なさる予定の日に、参内なさった。 まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔今のお話を申し上げなさる。御容貌も、院にとてもよくお似申していらして、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。お互いに懐かしく思ってお会いなさる。 尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、 「どうして、今に始まったことならばともかく、前から続いていたことなのだ。そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」 と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。 いろいろなお話、学問上で不審にお思いあそばしている点など、お尋ねあそばして、また、色めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のこと、ご容貌が美しくおいであそばしたことなど、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。 二十日の月、だんだん差し昇ってきて、風情ある時分なので、 「管弦の御遊なども、してみたい折だね」 と仰せになる。 「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。院の御遺言あそばしたことがございましたので。他に、御後見申し上げる人もございませんようなので。東宮の御縁、気がかりに存じられまして」 とお断り申し上げになる。 「東宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。お年の割に、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」 と、仰せになるので、 「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」 などと、その御様子も申し上げなさって、退出なさる時に、大宮のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って、今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、大将が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、 「白虹が日を貫いた。太子は、懼ぢた」 と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将、まことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てできることであろうか。后の御機嫌は、ひどく恐ろしく、厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までも、態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。
[4-5 藤壷に挨拶] 「御前に伺候して、今まで、夜を更かしてしまいました」 と、ご挨拶申し上げなさる。 月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。 「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか 雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ」 と、命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。それほど離れた距離ではないので、御様子も、かすかではあるが、慕わしく聞こえるので、辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。 「月の光は昔の秋と変わりませんのに 隔てる霧のあるのがつらく思われるのです 霞も仲を隔てるとか、昔もあったことでございましょうか」 などと、申し上げなさる。 宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、あらゆる事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。
[4-6 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答] 大将、頭の弁が朗誦したことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。 初時雨、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、 「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに 長い月日が経ってしまいました」 と差し上げなさった。時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちも、いじらしいので、お使いを留めさせて、唐の紙をお入れあそばしている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子、優美なので、御前の女房たちは、「どなたのであろう」と、互いにつっ突き合っている。 「お便り差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。自分だけが情けなく思われていたところに、 お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか 心が通じるならば、どんなに物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」 などと、つい情のこもった手紙になってしまった。 このようにお便りを差し上げる人々は多いようであるが、無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深くしみこまないのであろう。
5 藤壷の物語 法華八講主催と出家 [5-1 11月1日、故桐壷院の御国忌] 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。 霜月の上旬、御国忌の日に、雪がたいそう降った。大将殿から宮にお便り差し上げなさる。 「故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪はふっても その人にまた行きめぐり逢える時はいつと期待できようか」 どちらも、今日は物悲しく思わずにいらっしゃれない日なので、お返事がある。 「生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが 一周忌の今日は、故院の在世中のような思いがいたしまして」 格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高いのは思い入れであろう。書風が独特で当世風というのではないが、他の人には優れてお書きあそばしている。今日は、宮へのご執心も抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をなさる。
[5-2 12月10日過ぎ、藤壷、法華八講主催の後、出家す] 十二月の十日過ぎころ、中宮の御八講である。たいそう荘厳である。毎日供養なさる御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させなさっていた。普通の催しでさえ、この世のものとは思えないほど立派にお作りになっていらっしゃるので、まして言うまでもない。仏像のお飾り、花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が思いやられる。 第一日は、先帝の御ため。第二日は、母后の御ため。次の日は、故院の御ため。第五巻目の日なので、上達部なども、世間の思惑に遠慮なさってもおれず、おおぜい参上なさった。今日の講師は、特に厳選あそばしていらっしゃるので、「薪こり」という讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。親王たちも、さまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなど、やはり他に似るものがない。いつも同じことのようだが、拝見する度毎に素晴らしいのは、どうしたらよいだろうか。 最終日は、御自身のことを結願として、出家なさる旨、仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々はお驚きになった。兵部卿宮、大将がお気も動転して、驚きあきれなさる。 親王は、儀式の最中に座を立って、お入りになった。御決心の固いことをおっしゃって、終わりころに、山の座主を召して、戒をお受けになる旨、仰せになる。御伯父の横川の僧都、お近くに参上なさって、お髪を下ろしなさる時、宮邸中どよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。たいしたこともない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は、不思議と感慨深いものなのだが、まして、前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。 参集なさった方々も、大方の成り行きも、しみじみ尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。 故院の皇子たちは、在世中の御様子をお思い出しになると、ますます、しみじみと悲しく思わずにはいらっしゃれなくて、皆、お見舞いの詞をお掛け申し上げなさる。大将は、お残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇に思われなさるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後に、御前に参上なさった。 だんだんと人の気配が静かになって、女房連中、鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっていた。月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく思われなさるが、じっとお気持ちを鎮めて、 「どのように御決意あそばして、このように急な」 とお尋ね申し上げになる。 「今初めて、決意致したのではございませんが、何となく騒々しいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」 などと、いつものように、命婦を通じて申し上げなさる。 御簾の中の様子、おおぜい伺候している女房の衣ずれの音、わざとひっそりと気をつけて、振る舞い身じろぎながら、悲しみが慰めがたそうに外へ漏れくる様子、もっともなことで、悲しいと、お聞きになる。 風、激しく吹き吹雪いて、御簾の内の匂い、たいそう奥ゆかしい黒方に染み込んで、名香の煙もほのかである。大将の御匂いまで薫り合って、素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。 春宮からの御使者も参上した。仰せになった時のこと、お思い出しあそばされると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が、言葉をお添えになったのであった。 どなたもどなたも、皆が悲しみに堪えられない時なので、思っていらっしゃる事なども、おっしゃれない。 「月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか と存じられますのが、どうにもならないことで。出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」 とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、いろいろと乱れる心中の思いさえ、お表し申すことができないので、気が晴れない。 「世間一般の嫌なことからは離れたが、子どもへの煩悩は いつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか 一方では、煩悩を断ち切れずに」 などと、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。
[5-3 後に残された源氏] お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。 「せめて母宮だけでも表向きの御後見役にと、お考えおいておられたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、お考え続けなさり、夜を明かすこと、一再でない。 「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えて、お急がせなさる。命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。実のところ、このような折にこそ、趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。 参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、御自身でお話を申し上げなさる時もあるのであった。ご執心であったことは、全然お心からなくなってはないが、言うまでもなく、あってはならないことである。
6 光る源氏の物語 [6-1 諒闇明けの新年を迎える] 年も改まったので、宮中辺りは賑やかになり、内宴、踏歌などとお聞きになっても、何となくしみじみとした気持ちばかりせられて、御勤行をひっそりとなさりながら、来世のことばかりをお考えになると、末頼もしく、厄介に思われたこと、遠い昔の事に思われる。いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別に建立された御堂の、西の対の南に当たって、少し離れた所にお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。 大将、参賀に上がった。新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はのんびりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者だけ、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。 白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。所狭しと参賀に参集なさった上達部など、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの大殿に参集なさるのを、こういうものであるが、しみじみと感じられるところに、一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、無性に涙がこぼれる。 客人も、たいそうしみじみとした様子に、見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端、御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色、くちなし色の袖口など、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。「一面に解けかかっている池の薄氷、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、「なるほど情趣を解する」と、ひっそりと朗唱なさっている、またとなく優美である。 「物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと 何より先に涙に暮れてしまいます」 と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、 「昔の俤さえないこのような所に 立ち寄ってくださるとは珍しいですね」 とおっしゃるのが、微かに聞こえるので、堪えていたが、涙がほろほろとおこぼれになった。世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうのも、体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。 「なんと、またとないくらい立派にお成りですこと」 「何の不足もなく世に栄え、時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」 「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」 などと、年老いた女房たち、涙を流しながら、お褒め申し上げる。宮も、お思い出しになる事が多かった。
[6-2 源氏一派の人々の不遇] 司召のころ、この宮の人々は、当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、宮の御年官でも、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。このように出家しても、直ちにお位を去り、御封などが停止されるはずもないのに、出家にかこつけて変わることが多かった。すべて既にお捨てになった世の中であるが、宮に仕えている人々も、頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、東宮の御即位が無事にお遂げあそばされるなら」とだけお考えになっては、御勤行に余念なくお勤めあそばす。 人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしにその罪障を軽くして、お宥しください」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。 大将も、そのように拝見なさって、ごもっともであるとお考えになる。こちらの殿の人々も、また同様に、辛いことばかりあるので、世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、退き籠もっていらっしゃる。 左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を上表なさるのを、帝は、故院が重大な重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて、退き籠もっておしまいになった。 今では、ますます一族だけが、いやが上にもお栄えになること、この上ない。世の重鎮でいらっしゃった大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も、良識のある人は皆嘆くのであった。 ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子、格別である。あの四の君との仲も、相変わらず、間遠にお通いになっては、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。 大将殿、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。 昔も、気違いじみてまで、張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの張り合っていらっしゃる。 春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会、韻塞ぎなどの気楽な遊びをしたりなど、気を晴らして、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。
[6-3 韻塞ぎに無聊を送る] 夏の雨、静かに降って、所在ないころ、中将、適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。殿でも、文殿を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古集で由緒あるものを、少し選び出させなさって、その道に堪能な人々、特別にというのではないが、おおぜい呼んであった。殿上人も大学の人も、とてもおおぜい集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになった。賭物なども、又となく素晴らしい物で、競争し合った。 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、時々口にされる様子、実に深い学殖である。 「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」 「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」 と、お褒め申し上げる。最後には、右方が負けた。 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々、おおぜい招いて、漢詩文などをお作らせになる。 階のもとの薔薇、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。 中将のご子息で、今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。四の君腹の二郎君であった。世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。大将の君、お召物を脱いでお与えになる。 いつもよりは、お乱れになったお顔の色つや、他に似るものがなく見える。羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙落としながら座っていた。「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将、お杯を差し上げなさる。 「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に 劣らないお美しさのわが君でございます」 苦笑して、お受けになる。 「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に 萎れてしまったらしい、美しさを見せる間もなく すっかり衰えてしまったものを」 と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に杯をお進めになる。 多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌、数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、面倒なので省略した。すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。ご自身でも、たいそう自負されて、 「文王の子、武王の弟」 と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。それだけは、また自信がないであろうよ。 兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども、嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。
7 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見 [7-1 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される] そのころ、尚侍の君が退出なさっていた。瘧病に長く患いなさって、加持祈祷なども気楽に行おうとしてであった。修法など始めて、お治りになったので、どなたもどなたも、喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して、毎夜毎夜お逢いなさる。 まことに女盛りで、豊かで派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところ、実に魅力的である。 后宮も同じ邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと、度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、宮には、そうとは申し上げない。 大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、后宮職の官人たちなど立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房どももおろおろ恐がって、近くに参集していたので、まことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり明けてしまった。 御帳台のまわりにも、女房たちがおおぜい並び伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。事情を知っている女房二人ほど、どうしたらよいか分からないでいる。 雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、大臣が渡っていらして、まず最初、宮のお部屋にいらしたが、村雨の音に紛れてご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、 「いががですか。とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。中将、宮の亮などは、お側にいましたか」 などと、おっしゃる様子が、早口で軽率なのを、大将は、危険な時にでも、左大臣のご様子をふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほど、つい笑ってしまわれる。なるほど、すっかり入ってからおっしゃればよいものを。 尚侍の君、とてもやりきれなくお思いになって、静かにいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」と御覧になって、 「どうして、まだお顔色がいつもと違うのか。物の怪などがしつこいから、修法を続けさせるべきだった」 とおっしゃると、薄二藍色の帯が、お召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に歌など書きちらしたものが、御几帳のもとに落ちていた。「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、 「あれは、誰のものか。見慣れない物だね。見せてください。それを手に取って誰のものか調べよう」 とおっしゃるので、振り返ってみて、ご自分でもお見つけになった。ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げよう。呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方は、お察しなさって遠慮すべきである。しかし、まことに性急で、ゆったりしたところがおありでない大臣で、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男もいる。今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと身を隠そうとする。あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かっては、どうして暴き立てることがおできになれようか。目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。 尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。大将殿も、「困ったことになった、とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。
[7-2 右大臣、源氏追放を画策する] 大臣は、思ったままに、胸に納めて置くことのできない性格の上に、ますます老寄の僻みまでお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか。ずけずけと、宮にも訴え申し上げなさる。 「これこれしかじかのことがございました。この懐紙は、右大将のご筆跡である。以前にも、許しを受けないで始まった仲であるが、人品の良さに免じていろいろ我慢して、それでは婿殿にしようかと、言いました時は、心にも止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、お見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり差し上げながら、やはり、その遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再び、このような事までがございましたのでは、改めてたいそう情けない気持ちになってしまいました。男の習性とは言いながら、大将もまことにけしからんご性癖であるよ。斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと、人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分にとっても決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことは、し出かさないだろうと、当代の知識人として、天下を風靡していらっしゃる様子、格別のようなので、大将のお心を、疑ってもみなかった」 などとおっしゃると、宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、 「帝と申し上げるが、昔からどの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で東宮でいっしゃる方には差し上げないで、弟で源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取り立てて、また、この君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、東宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」 と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、 「まあ仕方ない。暫くの間、この話を漏らすまい。帝にも奏上あそばすな。このように、罪がありましても、お捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。内々にお諌めなさっても、聞きませんでしたら、その責めは、ひとえにこのわたしが負いましょう」 などと、お取りなし申されるが、別にご機嫌も直らない。 「このように、同じ邸にいらして隙間もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。
11. 花散里
光る源氏の25歳夏、近衛大将時代の物語
- 花散里訪問を決意 誰知らぬ、ご自分から求めての物思いは
- 中川の女と和歌を贈答 特にこれといったお支度もなさらず、目立たぬようにして
- 姉麗景殿女御と昔を語る あの目的の所は、ご想像なさっていた以上に
- 花散里を訪問 西面には、わざわざの訪問ではないように
花散里の物語
花散里の物語
[1-1 花散里訪問を決意]
誰知らぬ、ご自分から求めての物思いは、いつといって絶えることはないようであるが、このように世間一般のことにつけてまでも、めんどうにお悩みになることばかりが増えてゆくので、何となく心細く、世の中をおしなべて嫌にお思いになるが、そうも行かないことが多かった。
麗景殿と申し上げた方は、宮たちもいらっしゃらず、院が御崩御あそばした後、ますますお寂しいご様子を、わずかにこの大将殿のお心づかいに庇護されて、お過ごしになっているのであろう。
御令妹の三の君、宮中辺りでちょっとお逢いになった縁で、例のご性格なので、そうはいってもすっかりお忘れにならず、熱心にお通い続けるというのでもないので、女君がすっかりお悩みきっていらっしゃるらしいのも、このころのすっかり何もかもお悩みになっている世の中の無常をそそる種の一つとしては、お思い出しになると、抑えきれなくて、五月雨の空が珍しく晴れた雲の切れ間にお出向きになる。
[1-2 中川の女と和歌を贈答]
特にこれといったお支度もなさらず、目立たぬようにして、御前駆などもなく、お忍びで、中川の辺りをお通り過ぎになると、小さな家で、木立など風情があって、良い音色の琴を東の調べに合わせて、賑やかに弾いているのが聞こえる。
お耳にとまって、門に近い所なので、少し乗り出してお覗き込みなさると、大きな桂の木を吹
き過ぎる風に乗って匂ってくる香りに、葵祭のころが思い出されなさって、どことなく趣があるので、「一度お契りになった家だ」と御覧になる。お気持ちが騒いで、「ずいぶんと過ぎてしまったなあ、はっきりと覚えているかどうか」と、気が引けたが、通り過ぎることもできず、ためらっていらっしゃる、ちょうどその時、ほととぎすが鳴いて飛んで行く。訪問せよと促しているかのようなので、お車を押し戻させて、例によって、惟光をお入れになる。
「昔にたちかえって懐かしく思わずにはいられない、ほととぎすの声だ
かつてわずかに契りを交わしたこの家なので」
寝殿と思われる家屋の西の角に女房たちがいた。以前にも聞いた声なので、咳払いをして相手の様子を窺ってから、ご言伝を申し上げる。若々しい女房たちの気配がして、不審に思っているようである。
「ほととぎすの声ははっきり分かりますが
どのようなご用か分かりません、五月雨の空のように」
わざと分からないというふりをしていると見てとったので、
「よろしい。植えた垣根も」
と言って出て行くのを、心の内では、恨めしくも悲しくも思うのであった。
「そのように、遠慮しなければならない事情があるのであろう。道理でもあるので、そうもいかまい。このような身分では、筑紫の五節がかわいらしげであったなあ」
と、まっ先にお思い出しになる。
どのような女性に対しても、お心の休まる間がなく苦しそうである。長い年月を経ても、やはりこのように、かつて契ったことのある女性には、情愛をお忘れにならないので、かえって、おおぜいの女性たちの物思いの種なのである。
[1-3 姉麗景殿女御と昔を語る]
あの目的の所は、ご想像なさっていた以上に、人影もなく、ひっそりとお暮らしになっている様子を御覧になるにつけても、まことにおいたわしい。最初に、女御のお部屋で、昔のお話などを申し上げなさっているうちに、夜も更けてしまった。
二十日の月が差し昇るころに、ますます木高い木蔭で一面に暗く見えて、近くの橘の薫りがやさしく匂って、女御のご様子、お年を召しているが、どこまでも深い心づかいがあり、気品があって愛らしげでいらっしゃる。
「格別目立つような御寵愛こそなかったが、仲睦まじく親しみの持てる方とお思いでいらしたなあ」
などと、お思い出し申し上げなさるにつけても、昔のことが次から次へと思い出されて、ふとお泣きになる。
ほととぎす、先程の垣根のであろうか、同じ声で鳴く。「自分の後を追って来たのだな」と思われなさるのも、優美である。「どのように知ってか」などと、小声で口ずさみなさる。
「昔を思い出させる橘の香を懐かしく思って
ほととぎすが花の散ったこのお邸にやって来ました
昔の忘れられない心の慰めには、やはり参上いたすべきでした。この上なく、物思いの紛れることも、数増すこともございました。人は時流に従うものですから、昔話も語り合える人が少なくなって行くのを、わたし以上に、所在なさも紛らすすべもなくお思いでしょう」
とお申し上げなさると、まことに言うまでもない世情であるが、物をしみじみとお思い続けていらっしゃるご様子が一通りでないのも、お人柄からであろうか、ひとしお哀れが感じられるのであった。
「訪れる人もなく荒れてしまった住まいには
軒端の橘だけがお誘いするよすがになったのでした」
とだけおっしゃっるが、「そうはいっても、他の女性とは違ってすぐれているな」と、ついお思い比べられる。
[1-4 花散里を訪問]
西面には、わざわざの訪問ではないように、人目に立たないようにお振る舞いになって、訪れなさったのも、珍しいのに加えて、世にも稀なお美しさなので、恨めしさもすっかり忘れてしまいそうである。あれやこれやと、例によって、やさしくお語らいになるのも、お心にないことではないのであろう。
かりそめにもお契りになる相手は、皆並々の身分の方ではなく、それぞれにつけて、何の取柄もないとお思いになるような方はいないからであろうか、嫌と思わず、自分も相手も情愛を交わし合いながら、お過ごしになるのであった。それを、つまらないと思う人は、何やかやと心変わりしていくのも、「無理もない、人の世の習いだ」と、しいてお思いになる。先程の垣根も、そのようなわけで、心変わりしてしまった類の人なのであった。
12. 須磨
光る源氏の26歳春3月下旬から27歳春3月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語
- 源氏、須磨退去を決意 世の中、まことに厄介で
- 左大臣邸に離京の挨拶 三月二十日過ぎのころに
- 二条院の人々との離別 殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも
- 花散里邸に離京の挨拶 花散里邸が心細そうにお思いになって
- 旅生活の準備と身辺整理 何から何まで整理をおさせになる
- 藤壷に離京の挨拶 明日という日、夕暮には、院のお墓にお参りなさろう
- 桐壷院の御墓に離京の挨拶 月を待ってお出かけになる
- 東宮に離京の挨拶 すっかり明けたころにお帰りになって
- 離京の当日 出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし
1 光る源氏の物語 逝く春と離別の物語
- 須磨の住居 お住まいになる所は、行平中納言が
- 京の人々へ手紙 だんだんと落ち着いて行くころ、梅雨時期
- 伊勢の御息所へ手紙 ほんと、そうであった、混雑しているうちに
- 朧月夜尚侍参内する 尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいられるのを
2 光る源氏の物語 夏の長雨と鬱屈の物語
- 須磨の秋 須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて
- 配所の月を眺める 月がとても明るく出たので
- 筑紫五節と和歌贈答 その頃、大弍は上京した
- 都の人々の生活 都では、月日が過ぎて行くにつれて
- 須磨の生活 あちらのお暮らしは、生活が長くなるにしたがって
- 明石入道の娘 明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので
3 光る源氏の物語 須磨の秋の物語
- 須磨で新年を迎える 須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に
- 上巳の祓と嵐 三月の上旬にめぐって来た巳の日に
4 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語
世の中、まことに厄介で、体裁の悪いことばかり増えていくので、「無理にそ知らぬふりをして過ごしていても、これより厄介なことが増えていくのでは」とお思いになった。
「あの須磨は、昔こそ人の住居などもあったが、今では、とても人里から離れ物寂しくて、漁師の家さえまれで」などとお聞きになるが、「人が多く、ごみごみした住まいは、いかにも本旨にかなわないであろう。そうといって、都から遠く離れるのも、家のことがきっと気がかりに思われるであろう」と、人目にもみっともなくお悩みになる。
すべてのこと、今までのこと将来のこと、お思い続けなさると、悲しいことさまざまである。嫌な世だとお捨てになった世の中も、今は最後と住み離れるようなことお思いになると、まことに捨てがたいことが多いなかでも、姫君が、明け暮れ日の経つにつれて、思い悲しんでいられる様子が、気の毒で悲しいので、「別れ別れになても、再び逢えることは必ず」と、お思いになる場合でも、やはり一、二日の間、別々にお過ごしになった時でさえ、気がかりに思われ、女君も心細いばかりに思っていらっしゃるのを、「何年間と期限のある旅路でもなく、再び逢えるまであてどもなく漂って行くのも、無常の世に、このまま別れ別れになってしまう旅立ちにでもなりはしまいか」と、たいそう悲しく思われなさるので、「こっそりと一緒にでは」と、お思いよりになる時もあるが、そのような心細いような海辺の、波風より他に訪れる人もないような所に、このようないじらしいご様子で、お連れなさるのも、まことに不似合いで、自分の心にも、「かえって、物思いの種になるにちがいなかろう」などとお考え直しになるが、女君は、「どんなにつらい旅路でも、ご一緒申し上げることができたら」と、それとなくほのめかして、恨めしそうに思っていらっしゃった。
あの花散里にも、お通いになることはまれであるが、心細く気の毒なご様子を、この君のご庇護のもとに過ごしていらっしゃるので、お嘆きになる様子も、いかにもごもっともである。かりそめであっても、わずかにお逢い申しお通いにった所々では、人知れず心をお痛めになる方々が多かったのである。
入道の宮からも、「世間の噂は、またどのように取り沙汰されるだろうか」と、ご自身にとっても用心されるが、人目に立たないよう立たないようにしてお見舞いが始終ある。「昔、このように互いに思ってくださり、情愛をもお見せくださったのであったならば」と、ふとお思い出しになるにつけても、「そのようにも、あれやこれやと、心の限りを尽くさなければならない宿縁のお方であった」と、辛くお思い申し上げなさる。
三月二十日過ぎのころに、都をお離れになった。誰にもいつとはお知らせなさらず、わずかにごく親しくお仕え申し馴れている者だけ、七、八人ほどをお供として、たいそうひっそりとご出発になる。しかるべき所々には、お手紙だけをそっと差し上げなさったが、しみじみと偲ばれるほど言葉をお尽くしになったのは、きっと素晴らしいものであっただろうが、その時の、気の動転で、はっきりと聞いて置かないままになってしまったのであった。
二、三日前に、夜の闇に隠れて、大殿にお渡りになった。網代車の粗末なので、女車のようにひっそりとお入りになるのも、実にしみじみと、夢かとばかり思われる。お部屋は、とても寂しそうに荒れたような感じがして、若君の御乳母どもや、生前から仕えていた女房の中で、お暇を取らずにいた人は皆、このようにお越しになったのを珍しくお思い申して、参集して拝し上げるにつけても、たいして思慮深くない若い女房でさえ、世の中の無常が思い知られて、涙にくれた。
若君はとてもかわいらしく、はしゃいで走っていらっしゃった。
「長い間逢わないのに、忘れていないのが、感心なことだ」
と言って、膝の上にお乗せになったご様子、堪えきれなさそうである。
大臣、こちらにお越しになって、お会いになった。
「所在なくお引き籠もりになっていらっしゃる間、何ということもない昔話でも、参上して、お話し申し上げようと存じておりましたが、わが身の病気が重い理由で、朝廷にもお仕え申さず、官職までもお返し申し上げておりますのに、私事には腰を伸ばして勝手にと、世間の風評も悪く取り沙汰されるにちがいないので、今では世間に遠慮しなければならない身の上ではございませんが、厳しく性急な世の中がとても恐ろしいのでございます。このようなご悲運を拝見するにつけても、長生きは厭わしく存じられる末世でございますね。天地を逆様にしても、存じよりませんでしたご境遇を拝見しますと、万事がまことにおもしろくなく存じられます」
とお申し上げになって、ひどく涙にくれていらっしゃる。
「このようなことも、あのようなことも、前世からの因果だということでございますから、せんじつめれば、ただ、わたくしの宿運のつたなさゆえでございます。これと言った理由で、このように、官位を剥奪されず、ちょっとした科に関係しただけでも、朝廷のお咎めを受けた者が、普段と変わらない様子で世の中に生活をしているのは、罪の重いことに唐土でも致しておるということですが、遠流に処すべきだという決定などもございますというのは、容易ならぬ罪科に当たることになっているのでしょう。潔白な心のままで、素知らぬ顔で過ごしていますのも、まことに憚りが多く、これ以上大きな辱めを受ける前に、都を離れようと決意致した次第です」
などと、詳しくお話し申し上げなさる。
昔のお話、院の御事、御遺言あそばされた御趣旨などをお申し上げなさって、お直衣の袖もお引き放しになれないので、君も、気丈夫に我慢がおできになれない。若君が無邪気に走り回って、二人にお甘え申していらっしゃるのを、悲しくお思いになる。
「亡くなりました人を、まことに忘れる時とてなく、今でも悲しんでおりますのに、この度の出来事で、もし生きていましたら、どんなに嘆き悲しんだことでしょう。よくぞ短命で、このような悪夢を見ないで済んだことだと、存じて僅かに慰めております。あどけなくいらっしゃるのが、このように年寄たちの中に後に残されなさって、お甘え申し上げられない月日が重なって行かれるのであろうと存じますのが、何事にもまして、悲しうございます。昔の人も、本当に犯した罪があったからといっても、このような罪科には処せられたわけではありませんでした。やはり前世からの宿縁で、異国の朝廷にもこのような冤罪に遭った例は数多くございました。けれど、言い出す根拠があって、そのようなことにもなったのでございますが、どのような点から見ても、思い当たるような節がございませんのに」
などと、数々お話をお申し上げになる。
三位中将も参上なさって、お酒などをお上がりになっているうちに、夜も更けてしまったので、お泊まりになって、女房たちを御前に伺候させなさって、お話などをおさせになる。誰よりも特に密かに情けをかけていらっしゃる中納言の君、言葉に尽くせないほど悲しく思っている様子を、人知れずいじらしくお思いになる。女房たちが皆寝静まったころ、格別に睦言をお交わしになる。この人のためにお泊まりになったのであろう。
夜が明けてしまいそうなので、まだ夜の深いうちにお帰りになると、有明の月がとても美しい。花の樹々がだんだんと盛りを過ぎて、わずかに残っている花の木蔭が、とても白い庭にうっすらと朝霧が立ちこめているが、どことなく霞んで見えて、秋の夜の情趣よりも数段勝っていた。隅の高欄に寄り掛かって、しばらくの間、物思いにふけっていらっしゃる。
中納言の君、お見送り申し上げようとしてであろうか、妻戸を押し開けて座っている。
「再びお会いしようことを、思うとまことに難しい。このようなことになろうとは知らず、気安く逢えた月日があったのに、そのように思わず、ご無沙汰してしまったことよ」
などとおっしゃると、何とも申し上げられず泣く。
若君の御乳母の宰相の君をお使いとして、宮の御前からご挨拶を申し上げなさった。
「わたくし自身でご挨拶申し上げたいのですが、目の前が眩むほど悲しみに取り乱しておりますうちに、たいそう暗いうちにお帰りあそばすというのも、以前とは違った感じばかり致しますこと。不憫な子が眠っているうちを、少しもゆっくりともなさらず」
とお申し上げになさったので、ふと涙をお洩らしになって、
「あの鳥辺山で焼いた煙に似てはいないかと
海人が塩を焼く煙を見に行きます」
お返事というわけでもなく口ずさみなさって、
「暁の別れは、こんなにも心を尽くさせるものなのか。お分かりの方もいらっしゃるでしょう」
とおっしゃると、
「いつとなく、別れという文字は嫌なものだと言います中でも、今朝はやはり例があるまいと存じられますこと」
と、鼻声になって、なるほど深く悲しんでいる。
「お話し申し上げたい事も、何度も胸の中で考えておりましたが、ただ胸がつまって申し上げられずにおりましたこと、お察しください。眠っている子は、顔を拝見するにつけても、かえって、辛い都を離れがたく思われるにちがいありませんので、気をしっかりと取り直して、急いで退出致します」
とお申し上げになる。
お出ましになるところを、女房たちが覗いてお見送り申し上げる。
入り方の月がとても明るいので、ますます優雅に清らかで、物思いされているご様子、虎、狼でさえ、泣くにちがいない。まして、お小さくいらした時からお世話申し上げてきた女房たちなので、譬えようもないご境遇をひどく悲しいと思う。
そうそう、ご返歌は、
「亡き娘との仲もますます遠くなってしまうでしょう
煙となった都の空のではないのでは」
とり重ねて、悲しさだけが尽きせず、お帰りになった後、不吉なまで泣き合っていた。
殿にお帰りになると、ご自分方の女房たちも、眠らなかった様子で、あちこちにかたまっていて、驚くばかりだとご境遇の変化を思っている様子である。侍所では、親しくお仕えしている者だけは、お供に参るつもりをして、個人的な別れを惜しんでいるころなのであろうか、人影も見えない。その他の人は、お見舞いに参上するにも重い処罰があり、厄介な事が増えるので、所狭しと集まっていた馬、車が跡形もなく、寂しい気がするので、「世の中とは嫌なものだ」と、お悟りになる。
台盤所なども、半分は塵が積もって、畳も所々裏返ししてある。「見ているうちでさえこんなである。ましてどんなに荒れてゆくのだろう」とお思いになる。
西の対にお渡りになると、御格子もお下ろしにならないで、物思いに沈んで夜を明かしていられたので、簀子などに、若い童女が、あちこちに臥せっていて、急に起き出し騒ぐ。宿直姿がかわいらしく座っているのを御覧になるにつけても、心細く、「歳月が重なったら、このような子たちも、最後まで辛抱しきれないで、散りじりに辞めていくのではなかろうか」などと、何でもないことまで、お目が止まるのであった。
「昨夜は、これこれの事情で夜を明かしてしまいました。いつものように心外なふうに邪推でもなさっていたのでは。せめてこうしている間だけでも離れないようにと思うのが、このように京を離れる際には、気にかかることが自然と多かったので、籠もってばかりいるわけにも行きましょうか。無常の世に、人からも薄情な者だとすっかり疎まれてしまうのも、辛いのです」
とお申し上げになると、
「このような悲しい目を見るより他に、もっと心外な事とは、どのような事でしょうか」
とだけおっしゃって、悲しいと思い込んでいらっしゃる様子、人一倍であるのは、もっともなことで、父親王は、実に疎遠にはじめからお思いになっていたが、まして今は、世間の噂を煩わしく思って、お便りも差し上げなさらず、お見舞いにさえお越しにならないのを、人の手前も恥ずかしく、かえってお知られ頂かないままであればよかったのに、継母の北の方などが、
「束の間であった幸せの急がしさ。ああ、縁起でもない。大事な人が、それぞれに別れなさる人だわ」
とおっしゃったのを、ある筋から漏れ聞きなさるにつけても、ひどく情けないので、こちらからも少しもお便りを差し上げなさらない。他に頼りとする人もなく、なるほど、お気の毒なご様子である。
「いつまでたっても赦免されずに、歳月が過ぎるようなら、巌の中でもお迎え申そう。今すぐでは、人聞きがまことに悪いであろう。朝廷に謹慎申し上げている者は、明るい日月の光をさえ見ず、思いのままに身を振る舞うことも、まことに罪の重いことである。過失はないが、前世からの因縁でこのようなことになったのであろうと思うが、まして愛する人を連れて行くのは、先例のないことなので、一方的で道理を外れた世の中なので、これ以上の災難もきっと起ころう」
などと、お話し申し上げなさる。
日が高くなるまでお寝みになっていた。帥宮や三位中将などがいらっしゃった。お会いなさろうとして、お直衣などをお召しになる。
「無位無官の者は」
と言って、無紋の直衣、かえって、とても優しい感じなのをお召しになって、地味にしていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。鬢の毛を掻きなでなさろうとして、鏡台に近寄りなさると、面痩せなさった顔形が、自分ながらとても気品あって美しいので、
「すっかり、衰えてしまったな。この影のように痩せていますか。ああ、悲しいことだ」
とおっしゃると、女君、涙を目にいっぱい浮かべて、こちらを御覧になるが、とても堪えきれない。
「わが身はこのように流浪しようとも
鏡に映った影はあなたの元を離れずに残っていよう」
と、お申し上げになると、
「お別れしても影だけでもとどまっていてくれるものならば
鏡を見て慰めることもできましょうに」
柱の蔭に隠れて座って、涙を隠していらっしゃる様子、「やはり、おおぜいの妻たちの中で類のない人だ」と、思わずにはいらっしゃれないご様子の方である。
親王は、心のこもったお話を申し上げなさって、日の暮れるころにお帰りになった。
花散里邸が心細そうにお思いになって、常にお便り差し上げなさるのも無理からぬことで、「あの方も、もう一度お会いしなかったら、辛く思うだろうか」とお思いになると、その夜は、また一方でお出かけになるものの、とても億劫なので、たいそう夜が更けてからいらっしゃると、女御が、
「このように人並みに扱っていただいて、お立ち寄りくださいましたこと」
と、感謝申し上げるご様子、書き綴るのも煩わしい。
とてもひどく心細いご様子で、まったくこの方のご庇護のもとにお過ごしになってきた歳月、ますます荒れていくだろうことが、ご想像されて、邸内は、まことにひっそりとしている。
月が朧ろに照らし出して、池が広く、築山の木深い辺り、心細そうに見えるにつけても、人里離れた巌の中の生活が、お思いやられる。
西面では、「こうしたお越しもあるまいか」と、塞ぎこんでいらっしゃったが、一入心に染みる月の光が、美しくしっとりとしているところに、身動きなさると匂う薫物の香が、他に似るものがなくて、とても人目に立たぬように部屋にお入りになると、少し膝行して出て来て、そのまま月を御覧になる。またここでお話なさっているうちに、明け方近くになってしまった。
「短い夜ですね。このようにお会いすることも、再びはとてもと思うと、何事もなく過ごしてきてしまった歳月が残念に思われ、過去も未来も先例となってしまいそうな身の上で、何となく気持ちのゆっくりする間もなかったね」
と、過ぎ去った事のあれこれをおっしゃって、鶏もしきりに鳴くので、人目を憚って急いでお帰りになる。例によって、月がすっかり入るのになぞらえられて、悲しい。女君の濃いお召物に映えて、なるほど、濡るる顔の風情なので、
「月の光が映っているわたしの袖は狭いですが
そのまま留めて置きたいと思います、見飽きることのない光を」
悲しくお思いになっているのが、おいたわしいので、一方ではお慰め申し上げなさる。
「大空を行きめぐって、ついには澄むはずの月の光ですから
しばらくの間曇っているからといって悲観なさいますな
考えてみれば、はかないことよ。ただ、行方を知らない涙ばかりが、心を暗くさせるものですね」
などとおっしゃって、まだ薄暗いうちにお帰りになった。
何から何まで整理をおさせになる。親しくお仕えし、時勢に靡かない家臣たちだけの、邸の事務を執り行うべき上下の役目、お決め置きになる。お供に随行申し上げる者は皆、別にお選びになった。
あの山里の生活の道具は、どうしてもご必要な品物類を、特に飾りけなく簡素にして、しかるべき漢籍類、『白氏文集』などの入った箱、その他には琴を一張を持たせなさる。大げさなご調度類や、華やかなお装いなどは、まったくお持ちにならず、賎しい山里人のような振る舞いをなさる。
お仕えしている女房たちをはじめ、万事、すべて西の対にお頼み申し上げなさる。ご所領の荘園、牧場をはじめとして、しかるべき領地、証文など、すべて差し上げ置きなさる。その他の御倉町、納殿などという事まで、少納言を頼りになる者と見込んでいらっしゃるので、腹心の家司たちを付けて、取りしきられるように命じて置きなさる。
ご自身方の中務、中将などといった女房たち、何気ないお扱いとはいえ、お身近にお仕えしていた間は慰めることもできたが、「何を期待してか」と思うが、
「生きてこの世に再び帰って来るようなこともあろうから、待っていようと思う者は、こちらに伺候しなさい」
とおっしゃって、上下の女房たち、皆参上させなさる。
若君の乳母たち、花散里などにも、風情のある品物はもちろんのこと、実用品までお気のつかない事がない。
尚侍の君の御許に、困難をおかしてお便りを差し上げなさる。
「お見舞いくださらないのも、ごもっともに存じられますが、今は最後と、この世を諦めた時の嫌で辛い思いも、何とも言いようがございません。
あなたに逢えないことに涙を流したことが
流浪する身の上となるきっかけだったのでしょうか
と思い出される事だけが、罪も逃れ難い事でございます」
届くかどうか不安なので、詳しくはお書きにならない。
女、大層悲しく思われなさって、堪えていらしたが、お袖から涙がこぼれるのもどうしようもない。
「涙川に浮かんでいる水泡も消えてしまうでしょう
生きながらえて再びお会いできる日を待たないで」
泣く泣く心乱れてお書きになったご筆跡、まことに深い味わいがある。もう一度お逢いできないものかとお思いになるのは、やはり残念に思われるが、お考え直して、ひどいとお思いになる一族が多くて、一方ならず人目を忍んでいらっしゃるので、あまり無理をしてまでお便り申し上げることもなさらずに終わった。
明日という日、夕暮には、院のお墓にお参りなさろうとして、北山へ参拝なさる。明け方近くに月の出るころなので、最初、入道の宮にお伺いさる。近くの御簾の前にご座所をお設けになって、ご自身でご応対あそばす。東宮のお身の上をたいそうご心配申し上げなさる。
お互いに感慨深くお感じになっている者同士のお話は、何事もしみじみと胸に迫るものがさぞ多かったことであろう。慕わしく素晴らしいご様子が変わらないので、恨めしかったお気持ちも、それとなく申し上げたいが、いまさら嫌なこととお思いになろうし、自分自身でも、かえって一段と心が乱れるであろうから、思い直して、ただ、
「このように思いもかけない罪に問われますにつけても、思い当たるただ一つのことのために、天の咎めも恐ろしゅうございます。惜しくもないわが身はどうなろうとも、せめて東宮の御世だけでも、ご安泰でいらっしゃれば」
とだけ申し上げなさるのも、もっともなことである。
宮も、すっかりご存知のことであるので、お心がどきどきするばかりで、お返事申し上げられない。大将、あれからこれへとお思い続けられて、お泣きになる様子、とても言いようのないほど優艷である。
「山陵に詣でますが、お言伝は」
と申し上げなさるが、すぐにはお返事なさらず、ひたすらお気持ちを鎮めようとなさるご様子である。
「院は亡くなられ生きておいでの方は悲しいお身の上の世の末を
出家した甲斐もなく泣きの涙で暮らしています」
ひどくお悲しみの二方なので、お思いになっていることがらも、十分にお詠みあそばされない。
「故院にお別れした折に悲しい思いを尽くしたと思ったはずなのに
またもこの世のさらに辛いことに遭います」
月を待ってお出かけになる。お供にわずか五、六人ほど、下人も気心の知れた者だけを連れて、お馬でいらっしゃる。言うまでもないことだが、以前のご外出と違って、皆とても悲しく思う。その中で、あの御禊の日、仮の御随身となってご奉仕した右近将監の蔵人、当然得るはずの五位の位にも時期が過ぎてしまったが、とうとう殿上の御簡も削られ、官職も剥奪されて、面目がないので、お供に参る一人である。
賀茂の下の御社を、それと見渡せる辺りで、ふと思い出されて、下りて、お馬の轡を取る。
「お供をして葵を頭に挿した御禊の日のことを思うと
御利益がなかったのかとつらく思われます、賀茂の神様」
と詠むのを、「本当に、どんなに悲しんでいることだろう。誰よりも羽振りがよく振る舞っていたのに」とお思いになると、気の毒である。
君も御馬から下りなさって、御社の方、拝みなさる。神にお暇乞い申し上げなさる。 「辛い世の中を今離れて行く、後に残る
噂の是非は、糺の神に委ねて」
とお詠みになる様子、感激しやすい若者なので、身にしみてご立派なと拝する。
御陵に参拝なさって、御在世中のお姿、まるで眼前の事にお思い出しになられる。至尊の地位にあった方でも、この世を去ってしまった人は、何とも言いようもなく無念なことであった。何から何まで泣く泣く申し上げなさっても、その是非をはっきりとお承りにならないので、「あれほどお考え置かれたいろいろなご遺言は、どこへ消え失せてしまったのだろうか」と、何とも言いようがない。
御陵は、参道の草が生い茂って、かき分けてお入りになって行くうちに、ますます露に濡れると、月も雲に隠れて、森の木立は木深くぞっとする。帰る道も分からない気がして、参拝なさっているところに、御生前の御姿、はっきりと現れなさった、鳥肌の立つ思いである。
「亡き父上はどのように御覧になっていられることだろうか
父上のように思って見ていた月の光も雲に隠れてしまった」
すっかり明けたころにお帰りになって、東宮にもお便りを差し上げなさる。王命婦をお身代わりとして伺候させていらしたので、「そのお部屋に」と言って、
「今日、都を離れます。もう一度参上せぬままになってしまったのが、数ある嘆きの中でも最も悲しく存じられます。すべてご推察いただき、啓上してください。
いつ再び春の都の花盛りを見ることができようか
時流を失った山賤のわが身になって」
桜の散ってまばらになった枝に結び付けていらっしゃった。「しかじかです」と御覧に入れると、幼心にも真剣な御様子でいらっしゃる。
「お返事はどのように申し上げましょうか」
と啓上すると、
「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」
と仰せになる。「あっけないお返事だこと」と、いじらしく拝する。どうにもならない恋にお心のたけを尽くされた昔のこと、季節折々のご様子、次から次へと思い出されるにつけても、何の苦労もなしに自分も相手もお過ごしになれたはずの世の中を、ご自分から求めてお苦しみになったのを悔しくて、自分一人の責任のように思われる。お返事は、
「とても言葉に尽くして申し上げられません。御前には啓上致しました。心細そうにお思いでいらっしゃる御様子もおいたわしうございます」
と、とりとめなく、心が動揺しているからであろう。
「咲いたかと思うとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれども
再び都に戻って春の都を御覧ください
季節がめぐり来れば」
と申し上げて、その後も悲しいお話をしいしい、御所中、声を抑えて泣きあっていた。
一目でも拝し上げた者は、このようにご悲嘆のご様子を、嘆き惜しまない人はいない。まして、平素お仕えしてきた者は、ご存知になるはずもない下女、御厠人まで、世にまれなほどの手厚いご庇護であったのを、「少しの間にせよ、拝さぬ月日を過すことになるのか」と、思い嘆くのであった。
世間一般の人々も、誰が並大抵に思い申し上げたりなどしようか。七歳におなりになった時から今まで、帝の御前に昼夜となくご伺候なさって、ご奏上なさることでお聞き届けられぬことはなかったので、このご功労にあずからない者はなく、ご恩恵を喜ばない者がいたであろか。高貴な上達部、弁官などの中にも多かった。それより下では数も分からないが、ご恩を知らないのではないが、当面は、厳しい現実の世を憚って、寄って参る者はいない。世を挙げて惜しみ申し、内心では朝廷を批判し、お恨み申し上げたが、「身を捨ててお見舞いに参上しても、何になろうか」と思うのであろうか、このような時には体裁悪く、恨めしく思う人々が多く、「世の中というものはおもしろくないものだな」とばかり、万事につけてお思いになる。
出発の当日は、女君にお話を一日中のんびりとお過ごし申し上げなさって、旅立ちの例で、夜明け前にお立ちになる。狩衣のご衣装など、旅のご装束、たいそう質素なふうになさって、
「月も出たなあ。もう少し端に出て、せめて見送ってください。どんなにお話申し上げたいことがたくさん積もったと思うことでしょう。一日、二日まれに離れている時でさえ、不思議と気が晴れない思いがしますものを」
とおっしゃって、御簾を巻き上げて、端近にお誘い申し上げなさると、女君、泣き沈んでいらっしゃたが、気持ちを抑えて、膝行して出ていらっしゃったのが、月の光にたいそう美しくお座りになった。「わが身がこのようにはかない世の中を離れて行ったら、どのような状態でさすらって行かれるのであろうか」と、不安で悲しく思われるが、深いお悲しみの上に、ますます悲しませるようなので、
「生きている間にも生き別れというものがあるとは知らずに
命のある限りは一緒にと信じていたことよ
はかないことだ」
などと、わざとあっさりと申し上げなさったので、
「惜しくもないわたしの命に代えて、今のこの
別れを少しの間でも引きとどめて置きたいものです」
「なるほど、そのようにもお思いだろう」と、たいそう見捨てて行きにくいが、夜がすっかり明けてしまったら、きまりが悪いので、急いでお立ちになった。
道中、面影のようにありありとまぶたに浮かんで、胸もいっぱいのまま、お舟にお乗りになった。日の長いころなので、追い風までが吹き加わって、まだ申の時刻に、あの浦にお着きになった。ほんのちょっとのお出ましであっても、こうした旅路をご経験のない気持ちで、心細さも物珍しさも並大抵ではない。大江殿と言った所は、ひどく荒れて、松の木だけが形跡をとどめているだけである。
「唐国で名を残した人以上に
行方も知らない侘住まいをするのだろうか」
渚に打ち寄せる波の寄せては返すのを御覧になって、「うらやましくも」と口ずさみなさっているご様子、誰でも知っている古歌であるが、珍しく聞けて、悲しいとばかりお供の人々は思っている。振り返って御覧になると、来た方角の山は霞が遠くにかかって、まことに、「三千里の外」という心地がすると、櫂の滴も耐えきれない。
「住みなれた都を峰の霞は遠く隔てるが
悲しい気持ちで眺めている空は同じ空なのだ」
辛くなく思われないものはないのであった。
お住まいになる所は、行平中納言が、「藻塩たれつつ」と詠んだ侘住まい付近なのであった。海岸からは少し入り込んで、身にしみるばかり寂しい山の中である。
垣根の様子をはじめとして、物珍しく御覧になる。茅葺きの建物、葦で葺いた回廊のような建物など、風情のある造作がしてあった。場所柄にふさわしいお住まい、風変わりに思われて、「このようなでない時ならば、興趣深くもあったであろうに」と、昔のお心にまかせたお忍び歩きのころをお思い出しになる。
近い所々のご荘園の管理者を呼び寄せて、しかるべき事どもを、良清朝臣が、側近の家司として、お命じになり取り仕切るのも感に耐えないことである。暫くの間に、たいそう風情があるようにお手入れさせなさる。遣水を深く流し、植木類を植えたりして、もうすっかりと落ち着きなさるお気持ち、夢のようである。国守も親しい家来筋の者なので、こっそりと好意をもってお世話申し上げる。このような旅の生活にも似ず、人がおおぜい出入りするが、まともにお話相手となりそうな人もいないので、知らない他国の心地がして、ひどく気も滅入って、「どのようにしてこれから先過ごして行こうか」と、お思いやらずにはいられない。
だんだんと落ち着いて行くころ、梅雨時期になって、京のことがご心配になられて、恋しい人々が多く、女君の悲しんでいらした様子、東宮のお身の上、若君が無邪気に動き回っていらしたことなどをはじめとして、あちらこちら方をお思いやりになる。
京へ使者をお立てになる。二条院に差し上げなさるのと、入道の宮のとは、筆も思うように進まず、涙に目も暮れなさった。宮には、
「出家されたあなた様はいかがお過ごしでしょうか
わたしは須磨の浦で涙に泣き濡れております今日このごろです
悲しさは常のことですが、過去も未来もまっ暗闇といった感じで、『汀まさりて』という思いです」
尚侍のお許に、例によって、中納言の君への私事のようにして、その中に、
「所在なく過ぎ去った日々の事柄が自然と思い出されるにつけても、
性懲りもなくお逢いしたく思っていますが
あなた様はどう思っておいででしょうか」
いろいろとお心を尽くして書かれた言葉というのを想像してください。
大殿邸にも、宰相の乳母のもとに、ご養育に関する事柄をお書きつかわしになる。
京では、このお手紙を、あちこちで御覧になって、お心を痛められる方々ばかりが多かった。二条院の君は、あれからお枕も上がらず、尽きぬ悲しみに沈まれているので、伺候している女房たちもお慰め困じて、互いに心細く思っていた。
日頃お使いになっていらした御調度などや、お弾き馴れていらしたお琴、お脱ぎ置きになったお召し物の薫りなどにつけても、今はもうこの世にいない人のようにばかりお思いになっているので、ごもっともと思う一方で縁起でもないので、少納言は、僧都にご祈祷をお願い申し上げる。お二方のために御修法などをおさせになる。ご帰京を祈る一方では、「このようにお悲しみになっているお気持ちをお鎮めくださって、物思いのないお身の上にさせて上げてください」と、おいたわしい気持ちでお祈り申し上げなさる。
旅先でのご寝具など、作ってお届けなさる。かとりのお直衣、指貫、変わった感じがするにつけても悲しいのに、「去らない鏡の」とお詠みになった面影が、なるほど目に浮かんで離れないのも詮のないことである。
始終出入りなさったあたり、寄り掛かりなさった真木柱などを御覧になるにつけても、胸ばかりが塞がって、よく物事の分別がついて、世間の経験を積ん年輩の人でさえそうであるのに、まして、お馴れ親しみ申し、父母にもなりかわってお育て申されてきたので、恋しくお思い申し上げなさるのも、ごもっともなことである。まるでこの世から去られてしまうのは、何とも言いようがなく、だんだん忘れることもできようが、聞けば近い所であるが、いつまでと期限のあるお別れでもないので、思えば思うほど悲しみは尽きないのである。
入道の宮におかれても、春宮の御将来のことでお嘆きになるご様子、いうまでもない。御宿縁をお考えになると、どうして並大抵のお気持ちでいられようか。近年はただ世間の評判が憚られるので、「少しでも同情の素振りを見せたら、それにつけても誰か咎めだてすることがありはしまいか」とばかり、一途に堪え忍び忍びして、愛情をも多く知らないふりをして、そっけない態度をなさっていたが、「これほどにつらい世の噂ではあるが、少しもこのことについては噂されることなく終わったほどの、あの方の態度も、一途であった恋心の赴くままにまかせず、一方では無難に隠したのだ」。しみじみと恋しいが、どうしてお思い出しになれずにいられようか。お返事も、いつもより情愛こまやかに、
「このごろは、ますます、
涙に濡れているのを仕事として
出家したわたしも嘆きを積み重ねています」
尚侍の君のお返事には、
「須磨の浦の海人でさえ人目を隠す恋の火ですから
人目多い都にいる思いはくすぶり続けて晴れようがありません
今さら言うまでもございませんことの数々は、申し上げるまでもなく」
とだけ、わずかに書いて、中納言の君の手紙の中にある。お嘆きのご様子など、たくさん書かれてあった。いとしいとお思い申されるところがあるので、ふとお泣きになってしまった。
姫君のお手紙は、格別に心こめたお返事なので、しみじみと胸を打つことが多くて、
「あなたのお袖とお比べになってみてください
遠く波路隔てた都で独り袖を濡らしている夜の衣と」
お召物の色合い、仕立て具合など、実に良く出来上がっていた。何事につけてもいかにも上手にお出来になるのが、思い通りであるので、
「今ではよけいな情事に心せわしく、かかずらうこともなく、落ち着いて暮らせるはずものを」とお思いになると、ひどく残念に、昼夜なく面影が目の前に浮かんで、堪え難く思わずにはいらっしゃれないので、「やはりこっそりと呼び寄せようかしら」とお思いになる。また一方で思い返して、「どうして出来ようか、このようにつらい世であるから、せめて罪障だけでも消滅させよう」とお考えになると、そのままご精進の生活に入って、明け暮れお勤めをなさる。
大殿の若君のお返事などあるにつけ、とても悲しい気がするが、「いずれ再会の機会はあるであろう。信頼できる人々がついていらっしゃるから、不安なことはない」と、思われなされるのは、子供を思う煩悩の方は、かえってお惑いにならないのであろうか。
ほんと、そうであった、混雑しているうちに言い落としてしまった。あの伊勢の宮へもお使者があったのであった。そこからもお見舞いの使者がわざわざ尋ねて参った。並々ならぬ事柄をお書きになっていた。言葉の用い方、筆跡などは、誰よりも格別に優美で教養の深さが窺えた。
「依然として現実のこととは存じられませぬお住まいの様を承りますと、無明長夜の闇に迷っているのかと存じられます。そうは言っても、長の年月をお送りになることはありますまいと推察申し上げますにつけても、罪障深いわが身だけは、再びお目にかかることも遠い先のことでしょう。
辛く淋しい思いを致してます伊勢の人を思いやってくださいまし
やはり涙に暮れていらっしゃるという須磨の浦から
何事につけても思い乱れます世の中の有様も、やはりこれから先どのようになって行くのでしょうか」
と多く書いてある。
「伊勢の海の干潟で貝取りしても
何の甲斐もないのはこのわたしです」
しみじみとしたお気持ちで、筆を置いては書き置いては書きなさっている、白い唐紙、四、五枚ほどを継ぎ紙に巻いて、墨の付け具合なども素晴らしい。
「もともと慕わしくお思い申し上げていた人であったが、あの一件を辛くお思い申し上げた心の行き違いから、あの御息所も情けなく思って別れて行かれたのだ」とお思いになると、今ではお気の毒に申し訳ないこととお思い申し上げていらっしゃる。折からのお手紙、たいそう胸にしみたので、お使いの者までが慕わしく思われて、二、三日逗留させなさって、あちらのお話などをさせてお聞きになる。
若々しく教養ある侍所の人なのであった。このような寂しいお住まいなので、このような使者も自然と間近にちらっと拝する御様子、容貌を、たいそう立派である、と感涙するのであった。 お返事をお書きになる、文言、想像してみるがよいであろう。
「このように都から離れなければならない身の上と、分かっておりましたら、いっそのこと後をお慕い申して行けばよかったものを、などと思えます。所在のない、心淋しいままに、
伊勢人が波の上を漕ぐ舟に一緒に乗ってお供すればよかったものを
須磨で浮海布など刈って辛い思いをしているよりは
海人が積み重ねる投げ木の中に涙に濡れて
いつまで須磨の浦にさすらっていることでしょう
お目にかかれることが、いつの日とも分かりませんことが、尽きせず悲しく思われてなりません」
などとあったのだった。このように、どの方ともことこまかにお手紙を書き交わしなさる。
花散里も、悲しいとお思いになって書き集めなさったお二方の心を御覧になると、興趣あり珍しい心地もして、どちらも見ながら慰められなさるが、物思いを起こさせる種のようである。
「荒れて行く軒の忍ぶ草を眺めていると
ひどく涙の露に濡れる袖ですこと」
とあるのを、「なるほど、八重葎より他の後見もない状態でいられるのだろう」とお思いやりになって、「長雨に築地が所々崩れて」などとお聞きになったので、京の家司のもとにご命令なさって、近くの国々の荘園の者たちを徴用させて、修理をさせるようお命じになる。
尚侍の君は、世間体を恥じてひどく沈みこんでいられるのを、大臣がたいそうかわいがっていらっしゃる姫君なので、無理やり、大后にも帝にもお許しを奏上なさったので、「決まりのある女御や御息所でもいらっしゃらず、公的な宮仕え人」とお考え直しになり、また、「あの一件が憎く思われたゆえに、厳しい処置も出て来たのだが」と。赦されなさって、参内なさるにつけても、やはり心に深く染み込んだお方のことが、しみじみと恋しく思われなさるのであった。
七月になって参内なさる。格別であった御寵愛が今に続いているので、他人の悪口などお気になさらず、いつものようにお側にずっと伺候させあそばして、いろいろと恨み言を言い、一方では愛情深く将来をお約束あそばす。
お姿もお顔もとてもお優しく美しいのだが、思い出されることばかり多い心中こそ、恐れ多いことである。管弦の御遊の折に、
「あの人がいないのが、とても淋しいね。どんなに自分以上にそのように思っている人が多いことであろう。何事につけても、光のない心地がするね」と仰せになって、「院がお考えになり仰せになったお心に背いてしまったなあ。きっと罰を得るだろう」
と言って、涙ぐみあそばすので、涙をお堪えきれになれない。
「世の中は、生きていてもつまらないものだと思い知られるにつれて、長生きをしようなどとは、少しも思わない。そうなった時には、どのようにお思いになるでしょう。最近の別れよりも軽く思われるのが、悔しい。生きている日のためというのは、なるほど、つまらない人が詠み残したのであろう」
と、とても優しい御様子で、何事も本当にしみじみとお考え入って仰せになるのにつけて、ぽろぽろと涙がこぼれ出ると、
「それごらん。誰のために流すのだろうか」
と仰せになる。
「今までお子様たちがいないのが、物足りないね。東宮を故院の仰せどおりに思っているが、良くない事柄が出てくるようなので、お気の毒で」
などと、治世をお心向きとは違って取り仕切る人々がいても、お若い思慮で、強いことの言えないお年頃なので、困ったことだとお思いあそばすことも多いのであった。
須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて、海は少し遠いけれども、行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという波音が、夜毎夜毎にそのとおりに耳元に聞こえて、またとないほど淋しく感じられるものは、こういう所の秋なのであった。
御前にはまったく人少なで、皆寝静まっている中で、独り目を覚まして、枕を立てて四方の嵐を聞いていらっしゃると、波がまるでここまで立ち寄せて来る感じがして、涙がこぼれたとも思われないうちに、枕が浮くほどになってしまった。琴を少し掻き鳴らしていらっしゃったが、自分ながらひどく寂しく聞こえるので、お弾きさしになって、
「恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが
それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか」
とお詠みになったことに、供の人々が目を覚まして、素晴らしいと感じられたが、堪えきれずに、わけもなく起き出して座り直し座り直しして、鼻をひそかに一人一人かんでいる。
「なるほど、どのように思っていることだろう。自分一人のために、親、兄弟が片時でも離れにくく、身分相応に大事に思っているだろう家人に別れて、このようにさまよっているとは」とお思いになると、ひどく気の毒で、「まことこのように沈んでいる様子を、心細いと思っているだろう」とお思いになると、昼間は何かとおっしゃってお紛らわしになり、なすこともないままに、色々な色彩の紙を継いで手習いをなさり、珍しい唐の綾などに、さまざまな絵を描いて気を紛らわしなさった屏風の絵など、とても素晴らしく見所がある。
供の人々がお話申し上げた海や山の様子を、遠くからご想像なさっていらっしゃったが、お目に近くなさっては、なるほど想像も及ばない磯のたたずまいを、またとないほど素晴らしくたくさんお描きになった。
「近年の名人と言われる千枝や常則などを召して、彩色させたいものだ」
と言って、皆残念がっていた。優しく立派なご様子に、世の中の憂さが忘れられて、お側に親しくお仕えできることを嬉しいことと思って、四、五人ほどが、ぴったりと伺候していたのであった。
前栽の花、色とりどりに咲き乱れて、風情ある夕暮れに、海が見える廊にお出ましになって、とばかり眺めていらっしゃる様子が、不吉なまでにお美しいこと、場所柄か、ましてこの世の方とはお見えにならない。白い綾で柔らかなのと、紫苑色のなどをお召しになって、濃い縹色のお直衣、帯をゆったりと締めてくつろいだお姿で、
「釈迦牟尼仏の弟子」
と唱えて、ゆっくりと読経なさっているのが、また聞いたことのないほど美しく聞こえる。
沖の方をいくつもの舟が大声で歌いながら漕いで行くのが聞こえてくる。かすかに、まるで小さい鳥が浮かんでいるように遠く見えるのも、頼りなさそうなところに、雁が列をつくって鳴く声、楫の音に似て聞こえるのを、物思いに耽りながら御覧になって、涙がこぼれるのを袖でお払いなさるお手つき、黒い数珠に映えていらっしゃるお美しさは、故郷の女性を恋しがっている人々の、心がすっかり慰めてしまったのであった。
「初雁は恋しい人の仲間なのだろうか
旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる」
とお詠みになると、良清、
「次々と昔の事が懐かしく思い出されます
雁は昔からの友達であったわけではないのだが」
民部大輔、
「自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を
ひとごとのように思っていたことよ」
前右近将監、
「常世を出て旅の空にいる雁も
仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう
道にはぐれては、どんなに心細いでしょう」
と言う。親が常陸介になって、下ったのにも同行しないで、お供して参ったのであった。心中では悔しい思いをしているようであるが、うわべは元気よくして、何でもないように振る舞っている。
月がとても明るく出たので、「今夜は十五夜であったのだ」とお思い出しになって、殿上の御遊が恋しく思われ、「あちこち方で物思いにふけっていらっしゃるであろう」とご想像なさるにつけても、月の顔ばかりがじっと見守られてしまう。
「二千里の外故人の心」
と朗誦なさると、いつものように涙がとめどなく込み上げてくる。入道の宮が、「九重には霧が隔てているのか」とお詠みになった折、何とも言いようもがなく恋しく、折々のことをお思い出しになると、よよと、泣かずにはいらっしゃれない。
「夜も更けてしまいました」
と申し上げたが、なおも部屋にお入りにならない。
「見ている間は暫くの間だが心慰められる、また廻り逢える
月の都は、遥か遠くであるが」
その夜、主上がとても親しく昔話などをなさった時の御様子、故院にお似申していらしたのも、恋しく思い出し申し上げなさって、
「恩賜の御衣は今此に在る」
と朗誦なさりながらお入りになった。御衣は本当に肌身離さず、側にお置きになっていた。
「辛いとばかり一途に思うこともできず
恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ」
その頃、大弍は上京した。ものものしいほど一族が多く、娘たちもおおぜいで大変だったので、北の方は舟で上京する。浦伝いに風景を見ながら来たところ、他の場所よりも美しい辺りなので、心惹かれていると、「大将が退居していらっしゃる」と聞くと、関係のないことなのに、色めいた若い娘たちは、舟の中にいてさえ気になっ、て改まった気持ちにならずにはいられない。まして、五節の君は、綱手を引いて通り過ぎるのも残念に思っていたので、琴の音が、風に乗って遠くから聞こえて来ると、場所の様子、君のお人柄、琴の音の淋しい感じなど、あわせて、風流を解する者たちは皆泣いてしまった。
大宰の帥は、ご挨拶を申し上げた。
「大変に遠い所から上京しては、まずはまっ先にお訪ね申して、都のお噂をもと存じておりましたが、意外なことに、こうしていらっしゃるお住まいを通り過ぎますこと、もったいなくも、また悲しうもございます。知り合いの者たちや、縁ある誰彼が、出迎えに多数来ておりますので、人目を憚ること多くございまして、お伺いできませんこと。また改めて参上いたします」
などと申し上げた。子の筑前守が参上した。この殿が、蔵人にして目をかけてやった人なので、とても悲しく辛いと思うが、また人の目があるので、噂を憚って、暫くの間も立ち留まっていることもできない。
「都を離れて後は、昔から親しかった人々に会うことは難しくなっていたが、このようにわざわざ立ち寄ってくれたとは」
とおっしゃる。お返事も同様にあった。
守は、泣く泣く戻って、いらっしゃるご様子を話す。帥をはじめとして、迎えの人々も、不吉なほど一同泣き満ちた。五節は、やっとの思いでお便りを差し上げた。
「琴の音に引き止められた綱手縄のように
ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか
色めいて聞こえるのも、お咎めくださいますな」
と申し上げた。苦笑して御覧になるさま、まったく気後れする感じである。
「わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば
通り過ぎて行きましょうか、この須磨の浦を
さすらおうとは思ってもみないことであった」
とある。駅長に口詩をお与えになった人もあったが、それ以上に、このまま留まってしまいそうに思うのであった。
都では、月日が過ぎて行くにつれて、帝をおはじめ申して、恋い慕い申し上げる折節が多かった。東宮は、まして誰よりも、いつでもお思い出しなさっては忍び泣きなさる。拝見する御乳母や、それ以上に王命婦の君は、ひどく悲しく拝し上げる。
入道の宮は、東宮のお身の上をそら恐ろしくばかりお思いであったが、大将もこのように流浪の身となっておしまいになったのを、ひどく悲しくお嘆きになる。
ご兄弟の親王たち、お親しみ申し上げていらした上達部など、初めのうちはお見舞い申し上げなさることもあった。しみじみとした漢詩文を作り交わし、それにつけても、世間から素晴らしいとほめられてばかりいらっしゃるので、后宮がお聞きあそばして、きついことをおっしゃったのだった。
「朝廷の勅勘を受けた者は、勝手気ままに日々の享楽を味わうことさえ難しいというものを。風流な住まいを作って、世の中を悪く言ったりして、あの鹿を馬だと言ったという人のように追従しているとは」
などと、良くないことが聞こえてきたので、厄介なことだと思って、手紙を差し上げなさる方もいない。
二条院の姫君は、時が経つにつれて、お心のやすらぐ折がない。東の対にお仕えしていた女房たちも、みな移り参上した当初は、「まさかそんなに優れた方ではあるまい」と思っていたが、お仕えし馴れていくうちに、お優しく美しいご様子、日常の生活面についてのお心配りも、思慮深く立派なので、お暇を取って出て行く者もいない。身分のある女房たちには、ちらっとお姿をお見せなどなさる。「たくさんいる夫人方の中でも格別のご寵愛も、もっともなことだわ」と拝見する。
あちらのお暮らしは、生活が長くなるにしたがって、とても我慢できなくお思いになったが、「自分の身でさえ驚くばかりの運命だと思われる住まいなのに、どうして、一緒に暮らせようか、いかにもふさわしくない」さまをお考え直しになる。場所が場所なだけに、すべて様子が違って、ご存じでない下人の身の上をも、見慣れていらっしゃらなかったことなので、心外にももったいなくも、ご自身思わずにはいらっしゃれない。煙がとても近くに時々立ち上るのを、「これが海人が塩を焼く煙なのだろう」とずっとお思いになっていたのは、お住まいになっている後ろの山で、柴というものをいぶしているのであった。珍しいので、
「賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように
しばしば訪ねて来てほしいわが恋しい都の人よ」
冬になって雪が降り荒れたころ、空模様もことにぞっとするほど寂しく御覧になって、琴を心にまかせてお弾きになって、良清に歌をうたわせ、大輔、横笛を吹いて、お遊びなさる。心をこめてしみじみとした曲をお弾きになると、他の楽器の音はみなやめて、涙を拭いあっていた。
昔、胡の国に遣わしたという女のことをお思いやりになって、「自分以上にどんな気持ちであったろう。この世で自分の愛する人をそのように遠くにやったりしたら」などと思うと、実際に起こるように不吉に思われて、
「胡角一声霜の後の夢」
と朗誦なさる。
月がたいそう明るく差し込んで、仮そめの旅のお住まいでは、奥の方まで素通しである。床の上から夜の深い空も見える。入り方の月の光が、寒々と見えるので、
「ただ月は西へ行くのである」
と独り口ずさみなさって、
「どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう
月が見ているだろうことも恥ずかしい」
と独詠なさると、いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。
「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は
独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」
他に起きている人もいないので、繰り返し独り言をいって臥せっていらっしゃった。
深夜にお手を洗い、御念誦などをお唱えになるのも、珍しいことのように、ただもう立派にお見えになるので、お見捨て申し上げることができず、家にちょっとでも退出することもできなかった。
明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので、良清の朝臣、あの入道の娘を思い出して、手紙などをやったのだが、返事もせず、父の入道が、
「申し上げたいことがある。ちょっとお会いしたい」
と言ったが、「承知してくれないようなのに、出かけて行って、空しく帰って来るような後ろ姿もばからしい」と、気がふさいで行かない。
世にまたとないほど気位高く思っているので、播磨の国中では守の一族だけがえらい者と思っているようだが、偏屈な気性はまったくそのようなことも思わず歳月を送るうちに、この君がこうして来ていらっしゃると聞いて、母君に言うことには、
「桐壷の更衣がお生みになった、源氏の光る君は、朝廷の勅勘を蒙って、須磨の浦にこもっていらっしゃるという。わが娘のご運勢によって、思いがけないことがあるのです。何とかこのような機会に、娘を差し上げたいものです」
と言う。母は、
「まあ、とんでもない。京の人の話すのを聞くと、ご立派な奥方様たちをとてもたくさんお持ちになっていらして、その他にも、こっそりと帝のお妃まで過ちを犯しなさって、このような騷ぎになられた方が、いったいこのような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」
と言う。腹を立てて、
「ご存知あるまい。考えが違うのです。その心づもりをしなさい。機会を作って、ここにお出でいただこう」
と、思いのままに言うのも頑固に見える。眩しいくらい立派に飾りたて大事にお世話していた。母君は、
「どうして、ご立派な方とはいえ、初めての縁談に、罪に当たって流されていらしたような方を考えるのでしょう。それにしても、心をおとめくださるようならともかくも、冗談にもありそうにないことです」
と言うので、ひどくぶつぶつと不平を言う。
「罪に当たることは、唐土でもわが国でも、このように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。どういうお方でいらっしゃると思うか。亡くなった母御息所は、わたしの叔父でいらした按察大納言の御娘である。まことに素晴らしい評判をとって、宮仕えにお出しなさったところ、国王も格別に御寵愛あそばすこと、並ぶ者がなかったほどであったが、皆の嫉妬が強くてお亡くなりになってしまったが、この君が生いきていらっしゃる、大変に喜ばしいことである。女は気位を高く持つべきなのだ。わたしが、このような田舎者だからといって、お見捨てになることはあるまい」
などと言っていた。
この娘、すぐれた器量ではないが、優しく上品らしく、賢いところなどは、なるほど、高貴な女性に負けないようであった。わが身の境遇を、ふがいない者とわきまえて、
「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。身分相応の結婚はまっぴら嫌。長生きして、両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」
などと思っているのであった。
父君は、仰々しく大切に育てて、一年に二度、住吉の神に参詣させるのであった。神の御霊験を、心ひそかに期待しているのであった。
須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。
二月二十日過ぎ、過ぎ去った年、京を離れた時、気の毒に思えた人たちのご様子など、たいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっただろう。去る年の花の宴の折に、院の御様子、主上がたいそう美しく優美に、わたしの作った句を朗誦なさった」のも、お思い出し申される。
「いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに
桜をかざして遊んだその日がまたやって来た」
何もすることもないころ、大殿の三位中将は、今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くいらっしゃったが、世の中がしみじみつまらなく、何かあるごとに恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
一目見るなり、珍しく嬉しくて、同じく涙がこぼれるのであった。
お住まいになっている様子、いいようもなく唐風である。その場所の有様、絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらして、石の階段、松の柱、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
山人みたいに、許し色の黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣、指貫、質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に、見るからににっこりせずにはいられないお美しさである。
お使いになっていらっしゃる調度も、一時の間に合わせ物にして、ご座所もまる見えにのぞかれる。碁、双六の盤、お道具、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の具は、勤行なさっていたように見えた。お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。
海人たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。海辺に生活する様子などを尋ねさせなさると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。御衣類をお与えさせになると、生きていた甲斐があると思った。幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。
「飛鳥井」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、
「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」
などとお話になると、たまらなくお思いになった。お話し尽くせるものでないから、かえって少しも伝えることができない。
一晩中一睡もせず、詩文を作って夜をお明かしになる。そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。かえって辛い思いがする。お杯を差し上げて、
「酔ひの悲しびを涙そそぐ春の盃の裏」
と、一緒に朗誦なさる。お供の人も涙を流す。お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。
明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。主の君は、
「ふる里をいつの春にか見ることができるだろう
羨ましいのは今帰って行く雁だ」
宰相は、まったく立ち去る気もせず、
「まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが
花の都への道にも惑いそうです」
しかるべき都へのお土産など、風情ある様に準備してある。主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。
「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったら、きっと嘶くでしょうから」
とお申し上げになる。世にめったにないほどの名馬の様である。
「わたしの形見として思い出してください」
と言って、たいそう立派な笛で高名なのを贈るぐらいで、人が咎め立てするようなことは、お互いにすることはおできになれない。
日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、振り返り振り返りしながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。
「いつ再びお目にかからせていただけましょう」
と申し上げると、主人の君は、
「雲の近くを飛びかっている鶴よ、雲上人よ、はっきりと照覧あれ
わたしは春の日のようにいささかも疚しいところのない身です
一方では当てにしながら、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ、満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして、都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」
などとおっしゃると、宰相は、
「頼りない雲居にわたしは独りで泣いています
かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら
もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、かえって悔しく存じられます折々の多いことでございます」
などと、しんみりすることなくてお帰りになった、その後、ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになる。
三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」
と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に、軟障だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓いをおさせなになる。舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身になぞらえられて、
「見も知らなかった大海原に流れきて
人形に一方ならず悲しく思われることよ」
と詠んで、じっとしていらっしゃるご様子、このような広く明るい所に出て、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。
海の表面もうららかに凪わたって、際限も分からないので、過去のこと将来のことが次々と胸に浮かんできて、
「八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう
これといって犯した罪はないのだから」
とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。お祓いもし終えないで、騒然となった。肱笠雨とかいうものが降ってきて、ひどくあわただしいので、皆がお帰りになろうとするが、笠も手に取ることができない。こうなろうとは思いもしなかったが、いろいろと吹き飛ばし、またとない大風である。波がひどく荒々しく立ってきて、人々の足も空に浮いた感じである。海の表面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。落ちてきそうな気がして、やっとのことで、家にたどり着いて、
「このような目には遭ったこともないな」
「風などは、吹くが、前触れがあって吹くものだ。思いもせぬ珍しいことだ」
と困惑しているが、依然として止まず鳴りひらめいて、雨脚の当たる所、地面を突き通してしまいそうに、音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は、落ち着いて経を誦していらっしゃる。
日が暮れたので、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
「たくさん立てた願の力なのでしょう」
「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
「高潮というものに、何を取る余裕もなく人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」
と言い合っていた。
明け方、みな寝んでいた。君もわずかに寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
「どうして、宮からお召しがあるのに参らないのか」
と言って、手探りで捜してしるように見ると、目が覚めて、「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。
13. 明石
光る源氏の27歳春から28歳秋まで、明石の浦の別れと政界復帰の物語
- 須磨の嵐続く---依然として雨風が止まず、雷も鳴り静まらないで
- 光る源氏の祈り---「こうしながらこの世は滅びてしまうのであろうか」と思わずにはいらっしゃれないでいると
- 嵐収まる---だんだん風が弱まり、雨脚が衰え、星の光も見えるので
- 明石入道の迎えの舟---渚に小さい舟を寄せて、人が二、三人ほど
1 光る源氏の物語 須磨の嵐と神の導きの物語
- 明石入道の浜の館---浜の様子は、なるほどまことに格別である
- 京への手紙---少しお心が落ち着いて、京へのお手紙をお書き申し上げになる
- 明石の入道とその娘---明石の入道、その勤行の態度は
- 夏四月となる---四月になった。衣更えのご装束、御帳台の帷子など
- 源氏、入道と琴を合奏---入道もじっとしていられず、供養法を怠って
- 入道の問わず語り---たいそう更けて行くにつれて、浜風が涼しくなってきて
- 明石の娘へ懸想文---願いが、まずまず叶った心地がして
- 都の天変地異---その年、朝廷では、神仏のお告げが続いてあって
2 明石の君の物語 明石での新生活の物語
- 明石の侘び住まい---明石では、例によって、秋、浜風が格別で
- 明石の君を初めて訪ねる---こっそりと吉日を調べて
- 紫の君に手紙---二条院の君が、風の便りにも漏れお聞きなさるようなことは
- 明石の君の嘆き---女は、予想通りの結果になったので、今こそほんとうに
3 明石の君の物語 結婚の喜びと嘆きの物語
- 7月20日過ぎ、帰京の宣旨下る---年が変わった。主上におかせられては御不例のことがあって
- 明石の君の懐妊---そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる
- 離別間近の日---明後日ほどになって
- 離別の朝---ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって
- 残された明石の君の嘆き---娘ご本人の気持ちは、たとえようもないくらいで
4 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語
- 難波の御祓い---君は、難波の方面に渡ってお祓いをなさって
- 源氏、参内---お召しがあって、参内なさる
- 明石の君への手紙、他---そうそう、あの明石には
5 光る源氏の物語 帰京と政界復帰の物語
依然として雨風が止まず、雷も鳴り静まらないで、数日がたった。ますます心細いこと、数限りなく、過去も未来も、悲しいお身の上で、気強くもお考えになることもできず、「どうしよう。こうだからといって、都に帰るようなことも、まだ赦免がなくては、物笑いになることが増そう。やはり、ここより深い山を求めて、姿をくらましてしまおうか」とお思いになるにつけても、「波風に脅かされてなど、人が言い伝えるようなこと、後世にまで、たいそう軽率な浮名を流してしまうことになろう」とお迷いになる。
夢にも、まるで同じ恰好をした物ばかりが現れては現れて、お引き寄せ申すと御覧になる。雲の晴れ間もなくて、明け暮らす日数が過ぎていくと、京の方面もますます気がかりになって、「こうしたまま身を滅ぼしてしまうのだろうか」と、心細くお思いになるが、頭をさし出すこともできない空の荒れ具合に、やって参る者もいない。
二条院から、無理をしてみすぼらしい姿で、ずぶ濡れになって参ったのだ。道ですれ違っても、人か何物かとさえ御覧じ分けられない、早速追い払ってしまうにちがいない賤しい男を、慕わしくしみじみとお感じになるのも、自分ながらももったいなくも、卑屈になってしまった心の程を思わずにはいられない。お手紙に、
「驚くほどの止むことのない日頃の天気に、ますます空までが塞がってしまう心地がして、心の晴らしようがなく、
須磨の浦ではどんなに激しく風が吹いていることでしょう
心配で袖を涙で濡らしている今日このごろです」
しみじみとした悲しい気持ちがいっぱい書き連ねてある。ますます涙があふれてしまいそうで、まっ暗になる気がなさる。
「京でも、この雨風は、不思議な天の啓示であると言って、仁王会などを催す予定だと噂していました。宮中に参内なさる上達部なども、まったく道路が塞がって、政道も途絶えております」
などと、はきはきともせず、たどたどしく話すが、京のこととお思いになると知りたくて、御前に召し出して、お尋ねあそばす。
「ただ、例によって雨が小止みなく降って、風は時々吹き出して、数日来になりますのを、ただ事でないと驚いているのです。まことにこのように、地の底に通るほどの雹が降り、雷の静まらないことはございませんでした」
などと、大変な様子で驚き脅えて畏まっている顔がとてもつらそうなのにつけても、心細さがつのるのだった。
「こうしながらこの世は滅びてしまうのであろうか」と思わずにはいらっしゃれないでいると、その翌日の明け方から、風が激しく吹き、潮が高く満ちきて、波の音の荒々しいこと、巌も山をも無くしてしまいそうである。雷の鳴りひらめく様子、さらに言いようがなくて、「そら、落ちかかってきた」と思われると、その場に居合わせた者でしっかりした人はいない。
「自分はどのような罪を犯して、このような悲しい憂き目に遭うのだろう。父母にも互いに顔を見ず、いとしい妻や子どもにも会えずに、死なねばならぬとは」
と嘆く。君は、お心を静めて、「どれほどの過失によって、この海辺に命を落とすというのか」と、気を強くお持ちになるが、ひどく脅え騒いでいるので、色とりどりの幣帛を奉らせなさって、
「住吉の神、この近辺一帯をご鎮護なさる。真に現世に迹を現しなさる神ならば、我らを助けたまえ」
と、数多くの大願を立てなさる。各自めいめいの命は、それはそれとして、このような方がまたとない例にお命を落としてしまいそうなことがひどく悲しい、心を奮い起こして、わずかに気を確かに持っている者は皆、「わが身に代えて、この御身ひとつをお救い申し上げよう」と、大声を上げて、声を合わせて仏、神をお祈り申し上げる。
「帝王の、深宮に育てられなさって、さまざまな楽しみをほしいままになさったが、深い御仁徳は、大八洲にあまねく、沈淪していた人々を数多く浮かび上がらせなさった。今、何の報いによってか、こんなに非道な波風に溺れ死ななければならないのか。天地の神々よ、ご判断ください。罪なくして罪に当たり、官職、爵位を剥奪され、家を離れ、都を去って、日夜お心の安まる時なく、お嘆きになっていらっしゃる上に、このような悲しい憂き目にまで遭い、命を失ってしまいそうになるのは、前世からの報いか、この世での犯しによるのかと、神、仏、確かにいらっしゃるならば、この災いをお鎮めください」
と、お社の方を向いて、さまざまな願を立てなさる。
また、海の中の龍王、八百万の神々に願をお立てさせになると、ますます雷が鳴り轟いて、いらっしゃるご座所に続いている廊に落ちかかってきた。炎が燃え上がって、廊は焼けてしまった。生きた心地もせず、皆が皆あわてふためく。後方にある大炊殿とおぼしい建物にお移し申して、上下なく人々が入り込んで、ひどく騒がしく泣き叫ぶ声、雷鳴にも負けない。空は黒墨を擦ったようで、日も暮れてしまった。
だんだん風が弱まり、雨脚が衰え、星の光も見えるので、このご座所もひどく見慣れないのも、まことに恐れ多いので、寝殿にお戻りいただこうとするが、
「焼け残った所も気味が悪く、おおぜいの人々が踏み荒らした上に、御簾などもみな吹き飛んでしまった」
「夜を明かしてからは」
とあれこれしている間に、君は御念誦を唱えながら、いろいろお考えめぐらしになるが、気持ちが落ち着かない。
月が出て、潮が近くまで満ちてきた跡がはっきりと分かり、その後も依然として寄せては返す波の荒いのを、柴の戸を押し開けて、物思いに耽りながら眺めていらっしゃる。この界隈には、ものの道理をわきまえ、過去将来のことを判断して、あれこれとはっきりと理解する者もいない。賤しい海人どもなどが、高貴な方のいらっしゃるところといって、集まって参って、お聞きになっても分からないようなことがらをぺちゃくちゃしゃべり合っているのも、ひどく珍しいことであるが、追い払うこともできない。
「この風が、今しばらく止まなかったら、潮が上がって来て、残るところなく攫われてしまったことでしょう。神のご加護は大変なものであった」
と言うのをお聞きになるのも、とても心細いといったのでは言い足りないくらいである。
「海に鎮座まします神の御加護がなかったならば
潮の渦巻く遥か沖合に流されていたことであろう」
一日中、激しく物を煎り揉みしていた雷の騷ぎのために、そうはいっても、ひどくお疲れになったので、思わずうとうととなさる。恐れ多いほど粗末なご座所なので、ちょっと寄り掛かっていらっしゃると、故院が、まるで御生前おいであそばしたお姿のままお立ちになって、
「どうして、このような見苦しい所にいるのだ」
と仰せになって、お手を取って引き立てなさる。
「住吉の神がお導きになるのに従って、早く船出して、この浦を去りなさい」
と仰せあそばす。とても嬉しくなって、
「畏れ多い父上のお姿にお別れ申して以来、さまざまな悲しいことばかり多くございますので、今はこの海辺に命を捨ててしまいましょうかしら」
と申し上げなさると、
「実にとんでもないことだ。これは、ちょっとしたことの報いである。朕は、在位中に、過失はなかったけれど、知らず知らずのうちに犯した罪があったので、その罪を償うのに暇がなくて、この世を顧みなかったが、大変な難儀に苦しんでいるのを見ると、堪え難くて、海に入り渚に上がり、たいそう疲れたけれど、このような機会に、奏上しなければならないことがあるので、急いで上るのだ」
と言って、お立ち去りになってしまった。
名残惜しく悲しくて、「お供して参りたい」とお泣き入りになって、お見上げなさると、人影もなく、月の面だけが耿々として、夢とも思えず、お姿が残っていらっしゃるような気がして、空の雲がしみじみとたなびいているのであった。
ここ数年来、夢の中でもお会い申さず、恋しくお会いしたいお姿を、わずかな時間ではあるが、はっきりと拝見したお顔だけが、眼前にお浮かびになって、「自分がこのように悲しみを窮め尽くし、命を失いそうになったのを、助けるために天翔っていらした」と、しみじみと有り難くお思いになると、「よくぞこんな騷ぎもあったものよ」と、夢の後も頼もしくうれしく思われなさること、限りない。
胸がぴたっと塞がって、かえってお心の迷いに、現実の悲しいこともつい忘れ、「夢の中でお返事をもう少し申し上げずに終わってしまったこと」と残念で、「再びお見えになろうか」と、無理にお寝みになるが、さっぱりお目も合わず、明け方になってしまった。
渚に小さい舟を寄せて、人が二、三人ほど、この旅のお館をめざして来る。何者だろうと尋ねると、
「明石の浦から、前の播磨守の新発意が、お舟支度して参上したのです。源少納言、伺候していらしたら、面会して事の子細を申し上げたい」
と言う。良清、驚いて、
「入道は、あの国での知人として、長年互いに親しくお付き合いしてきましたが、私事で、いささか恨めしく思うことがございまして、特別の手紙でさえも交わさないで、久しくなっておりましたが、この荒波に紛れて、何の用であろうか」
と言って、不審がる。君が、お夢などもご連想なさることもあって、「早く会え」とおっしゃるので、舟まで行って会った。「あれほど激しかった波風なのに、いつの間に船出したのだろう」と、合点が行かず思っていた。
「去る上旬の日の夢に、異形のものが告げ知らせることがございましたので、信じがたいこととは存じましたが、『十三日にあらたかな霊験を見せよう。舟の準備をして、必ず、この雨風が止んだら、この浦に寄せ着けよ』と、前もって告げていたことがございましたので、試しに舟の用意をして待っておりましたところ、激しい雨、風、雷がそれと気づかせてくれましたので、異国の朝廷でも、夢を信じて国を助けるた例が多くございましたので、お取り上げにならないにしても、この予告の日をやり過さず、この由をお知らせ申し上げましょうと思って、舟出しましたところ、不思議な風が細く吹いて、この浦に着きましたこと、ほんとうに神のお導きは間違いがございません。こちらにも、もしやお心あたりのこともございましたでしょうか、と存じまして。大変に恐縮ですが、この由、お伝え申し上げてください」
と言う。良清、こっそりとお伝え申し上げる。
君、お考えめぐらすと、夢や現実にいろいろと穏やかでなく、もののさとしのようなことを、過去未来とお考え合わせになって、
「世間の人々がこれを聞き伝えるような後世の非難も穏やかではないだろうことを恐れて、本当の神の助けであるのに、背いたものなら、またそれ以上に、物笑いを受けることになるだろうか。現実の世界の人の意向でさえ背くのは難しい。ちょっとしたことでも慎重にして、自分より年齢もまさるとか、もしくは爵位が高いとか、世間の信望がいま一段まさる人とかには、言葉に従って、その意向を考え入れるべきである。謙虚に振る舞って非難されることはないと、昔、賢人も言い残していた。なるほど、このような命の極限まで辿り着き、この世にまたとないほどの困難の限りを体験し尽くした。今さら後世の悪評を避けたところで、たいしたこともあるまい。夢の中にも父帝のお導きがあったのだから、また何を疑おうか」
と思いになって、お返事をおっしゃる。
「知らない世界で、珍しい困難の極みに遭ってきたが、都の方からといって、安否を尋ねて来る人もいない。ただ茫漠とした空の月と日の光だけを、故郷の友として眺めていますが、うれしい釣舟と思うぞ。あちらの浦で、静かに隠れていられる所がありますか」
とおっしゃる。この上なく喜んで、お礼申し上げる。
「ともかくも、夜のすっかり明けない前にお舟にお乗りください」
ということで、いつもの側近の者だけ、四、五人ほど供にしてお乗りになった。
例の不思議な風が吹き出してきて、飛ぶように明石にお着きになった。わずか這って行けそうな距離は時間もかからないとはいえ、やはり不思議にまで思える風の動きである。
浜の様子は、なるほどまことに格別である。人が多く見える点だけが、ご希望に添わないのであった。入道の所領している所々、海岸にも山蔭にも、季節折々につけて、興趣をわかすにちがいない海辺の苫屋、勤行をして来世のことを思い澄ますにふさわしい山川のほとりに、厳かな堂を建てて念仏三昧を行い、この世の生活には、秋の田の実を刈り収めて、余生を暮らすための稲の倉町が幾倉もなど、四季折々につけて、場所にふさわしい見所を多く集めている。
高潮を恐れて、近頃は、娘などは岡辺の家に移して住ませていたので、この海辺の館に気楽にお過ごになる。
舟からお車にお乗り移りになるころ、日がだんだん高くなって、ほのかに拝するやいなや、老いも忘れ、寿命も延びる心地がして、笑みを浮かべて、まずは住吉の神をとりあえず拝み申し上げる。月と日の光を手にお入れ申した心地がして、お世話申し上げること、ごもっともである。
天然の景勝はいうまでもなく、こしらえた趣向、木立、立て石、前栽などの様子、何とも表現しがたい入江の水など、もし絵に描いたならば、修業の浅いような絵師ではとても描き尽くせまいと見える。数か月来の住まいよりは、この上なく明るく、好もしい感じがする。お部屋の飾りつけなど、立派にしてあって、生活していた様子などは、なるほど都の高貴な方々の住居と少しも異ならず、優美で眩しいさまは、むしろ勝っているように見える。
少しお心が落ち着いて、京へのお手紙をお書き申し上げになる。参っていた使者は、現在、
「ひどい時に使いに立って辛い思いをした」
と泣き沈んで、あの須磨に留まっていたのを召して、身にあまるほどの褒美を多く賜って遣わす。親しいご祈祷の師たち、しかるべき所々には、このほどのご様子を、詳しく書いて遣わすのであろう。
入道の宮だけには、不思議にも生き返った様子などをお書き申し上げなさる。二条院からの胸を打つ手紙のお返事には、すらすらと筆もお運びにならず、筆をうち置きうち置き、涙を拭いながらお書き申し上げになるご様子、やはり格別である。
「繰り返し繰り返し、恐ろしい目の極限を体験し尽くした状態なので、今は俗世を離れたいという気持ちだけが募っていますが、『鏡を見ても』とお詠みになった面影が離れる間がないので、このように遠く離れたまま出来ようかと思うと、たくさんのさまざまな心配事は、二の次に自然と思われて、
遠く遥かより思いやっております
知らない浦からさらに遠くの浦に流れ来ても
夢の中の心地ばかりして、まだ覚めきらないでいるうちは、どんなにか変なことを多く書いたことでしょう」
と、なるほど、とりとめもなくお書き散らしになっているが、まことに側からのぞき込みたくなるようなのを、「たいそう並々ならぬご寵愛のほどだ」と、供の人々は拝見する。
それぞれも、故郷に心細そうな言伝をしているようである。
絶え間なく降り続いた空模様も、すっかり晴れわたって、漁をする海人たちも元気がよさそうである。須磨はとても心細く、海人の岩屋さえ数少なかったのに、人の多い嫌悪感はなさったものの、ここはまた一方で、格別にしみじみと心を打つことが多くて、何かにつけて自然と慰められるのであった。
明石の入道、その勤行の態度は、たいそう悟り澄ましているが、ただその娘一人を心配している様子は、とても側で見ているのも気の毒なくらいに、時々愚痴をこぼし申し上げる。ご心中にも、興味をお持ちになった女なので、「このように意外にも廻り合わせなさったのも、そうなるはずの前世からの宿縁があるのか」とお思いになるものの、「やはり、このように身を沈めている間は、勤行より他のことは考えまい。都の人も、普通の場合以上に、約束したことと違うとお思いになるのも、気恥ずかしい」と思われなさると、素振りをお見せになることはない。折にふれて、「気立てや、容姿など、並み大抵ではないのかなあ」と、心惹かれないでもない。
こちらではご遠慮申し上げて、自身はめったに参上せず、離れた下屋に控えている。その実、毎日お世話申し上げたく思い、物足りなくお思い申して、「何とか願いを叶えたい」と、仏、神をますますお祈り申し上げる。
年齢は六十歳くらいになっているが、とてもこざっぱりとしていかにも好ましく、勤行のために痩せぎみになって、人品が高いせいであろうか、頑固で老いぼれたところはあるが、故事をもよく知っていて、どことなく上品で、趣味のよいところもまじっているので、古い話などをさせてお聞きになると、少しは所在なさも紛れるのであった。
ここ数年来、公私にお忙しくて、こんなにお聞きになったことのない世の中の故事来歴を少しずつ説きおこすので、「このような土地や人をも、知らなかったら、残念なことであったろう」とまで、おもしろいとお思いになることもある。
このようにお親しみ申し上げてはいるが、たいそう気高く立派なご様子に、そうはいったものの、遠慮されて、自分の思うことは思うようにもお話し申し上げることができないので、「気がせいてならぬ、残念だ」と、母君と話して嘆く。
ご本人は、「普通の身分の男性でさえ、まあまあの人は見当たらないこの田舎に、世の中にはこのような方もいらっしゃっるのだ」と拝見したのにつけても、わが身のほどが思い知らされて、とても及びがたくお思い申し上げるのであった。両親がこのように事を進めているのを聞くにも、「不釣り合いなことだわ」と思うと、何でもなかった時よりもかえって物思いがまさるのであった。
四月になった。衣更えのご装束、御帳台の帷子など、風流な様に作って調進しながら、万事にわたってお世話申し上げるのを、「気の毒でもあり、これほどしてくれなくてもよいものを」とお思いになるが、人柄がどこまでも気位を高くもって上品なので、そのままになさっていらっしゃる。
京からも、ひっきりなしにお見舞いの手紙が、つぎつぎと多かった。のんびりとした夕月夜の晩に、海上に雲もなくはるかに見渡されるのが、お住みなれたお邸の池の水のように、思わず見間違えられなさると、何とも言いようなく恋しい気持ちは、どこへともなくさすらって行く気がなさって、ただ目の前に見やられるのは、淡路島なのであった。
「ああ、と遥かに」などとおっしゃって、
「ああと、しみじみ眺める淡路島の悲しい情趣まで
すっかり照らしだす今宵の月であることよ」
長いこと手をお触れにならなかった琴を、袋からお取り出しになって、ほんのちょっとお掻き鳴らしになっているご様子を、拝し上げる人々も心が動いて、しみじみと悲しく思い合っている。
「広陵」という曲を、秘術の限りを尽くして一心に弾いていらっしゃると、あの岡辺の家でも、松風の音や波の音に響き合って、音楽に嗜みのある若い女房たちは身にしみて感じているようである。何の楽の音とも聞き分けることのできそうにないあちこちの山賤どもも、そわそわと浜辺に浮かれ出て、風邪をひくありさまである。
入道もじっとしていられず、供養法を怠って、急いで参上した。
「まったく、一度捨て去った俗世も改めて思い出されそうでございます。来世に願っております極楽の有様も、かくやと想像される今宵の、妙なる笛の音でございますね」
と感涙にむせんで、お褒め申し上げる。
ご自身でも、四季折々の管弦の御遊、その人あの人の琴や笛の音、または声の出し具合、その時々の催しにおいて絶賛されなさった様子、帝をはじめたてまつり、多くの方々が大切に敬い申し上げなさったことを、他人の身の上もご自身の様子も、お思い出しになられて、夢のような気がなさるままに、掻き鳴らしなさっている琴の音も、寂寞として聞こえる。
老人は涙も止めることができず、岡辺の家に、琵琶、箏の琴を取りにやって、入道は、琵琶法師になって、たいそう興趣ある珍しい曲を一つ二つ弾き出した。
箏の琴をお進め申したところ、少しお弾きになるのも、さまざまな方面にも、たいそうご堪能だとばかり感じ入り申し上げた。実際には、さほどだと思えない楽の音でさえ、その状況によって引き立つものであるが、広々と何物もない海辺である上に、かえって、春秋の花や紅葉の盛りである時よりも、ただ何ということなく青々と繁っている木蔭が、美しい感じがするので、水鶏が鳴いているのは、「誰が門さして」と、しみじみと興趣が催される。
音色もまこと二つとないくらい素晴らしく出す二つの琴を、たいそう優しく弾き鳴らしたのも、感心なさって、
「この琴は、女性が優しい姿態でくつろいだ感じに弾いたのが、おもしろいですね」
と、何気なくおっしゃるのを、入道はわけもなく微笑んで、
「お弾きあそばす以上に優しい姿態の人は、どこにございましょうか。わたくしは、延喜の帝のご奏法から弾き伝えること、四代になるのでございますが、このようにふがいない身の上で、この世のことは捨て忘れておりましたが、ひどく気の滅入ります時々は、掻き鳴らしておりましたが、不思議にも、それを見よう見真似で弾く者がおりまして、自然とあの先大王のご奏法に似ているのでございます。山伏のようなひが耳では、松風をその音を妙なる音と聞き誤ったのでございましょうか。何とかして、それも一度こっそりとお耳にお入れ申し上げたいものです」
と申し上げるにつれて、身をふるわして、涙を落としているようである。
君は、
「琴など、琴ともお聞きになるなずのない名人揃いの所で、悔しいことをしたなあ」
と言って、押しやりなさって、
「不思議なことに、昔から箏は、女が習得するものであった。嵯峨の帝のご伝授で、女五の宮が、その当時の名人でいらっしゃったが、その御系統で、格別に伝授する人はいません。総じて、ただ現在に著名な人々は、通り一遍の自己満足程度に過ぎないが、ここにそのように隠れて伝えていらっしゃるとは、実に興味深いものですね。ぜひとも、聴いてみたいものです」
とおっしゃる。
「お聴きあそばすについては、何の支障がございましょう。御前にお召しになっても。商人の中でさえ、古曲を賞美した人も、ございました。琵琶は、本当の音色を弾きこなす人、昔も少のうございましたが、少しも滞ることない優しい弾き方など、格別でございます。どのように習得したものでございましょう。荒い波の音と一緒なのは、悲しく存じられますが、積もる愁え、慰められる折々もございます」
などと風流がっているので、おもしろいとお思いになって、箏の琴を取り替えてお与えになった。
なるほど、たいそう上手に掻き鳴らした。現在では知られていない奏法を身につけていて、手さばきもたいそう唐風で、揺の音が深く澄んで聞こえた。「伊勢の海」ではないが、「清い渚で貝を拾おう」などと、声の美しい人に歌わせて、自分でも時々拍子をとって、お声を添えなさるのを、琴の手を度々弾きやめて、お褒め申し上げる。お菓子など、珍しいさまに盛って差し上げ、供の人々に酒を大いに勧めたりして、いつしか物憂さも忘れてしまいそうな夜の様子である。
たいそう更けて行くにつれて、浜風が涼しくなってきて、月も入り方になるにつれて、ますます澄みきって、静かになった時分に、お話を残らず申し上げて、この浦に住み初めたころの心づもりや、来世を願う模様など、ぽつりぽつりお話し申して、自分の娘の様子を、問わず語りに申し上げる。おかしくおもしろいと聞く一面で、やはりしみじみ不憫なとお聞きになる点もある。
「とても取り立てては申し上げにくいことでございますが、あなた様が、このような思いがけない土地に、一時的にせよ、移っていらっしゃいましたことは、もしや、長年この老法師めがお祈り申していました神仏がお憐れみになって、しばらくの間、あなた様にご心労をお掛け申し上げることになったのではないかと存ぜられます。
そのわけは、住吉の神をご祈願申し始めて、ここ十八年になりました。娘がほんの幼少でございました時から、思う子細がございまして、毎年の春秋ごとに、必ずあの住吉の御社に参詣することに致しております。昼夜の六時の勤行に、自分自身の極楽往生の願いは、それはそれとして、ただ自分の娘に高い望みを叶えてくださいと、祈っております。
前世からの宿縁に恵まれませんもので、このようなつまらない下賤な者になってしまったのでございますが、父親は、大臣の位を保っておられました。自分からこのような田舎の民となってしまったのでございます。子々孫々と、落ちぶれる一方では、終いにはどのようになってしまうのかと悲しく思っておりますが、わが娘は生まれた時から頼もしく思うところがございます。何とかして都の高貴な方に差し上げたいと思う決心、固いものですから、身分が低ければ低いなりに、多数の人々の嫉妬を受け、わたしにとってもつらい目に遭う折々多くございましたが、少しも苦しみとは思っておりません。自分が生きておりますうちは微力ながら育てましょう。このまま先立ってしまったら、海の中にでも身を投げてしまいなさい、と申しつけております」
などと、全部はお話できそうにもないことを、泣く泣く申し上げる。
君も、いろいろと物思いに沈んでいらっしゃる時なので、涙ぐみながら聞いていらっしゃる。
「無実の罪に当たって、思いもよらない地方にさすらうのも、何の罪によるのかと分からなく思っていたが、今夜のお話をうかがって考え合わせてみると、なるほど浅くはない前世からの宿縁であったのだと、しみじみと分かった。どうして、このようにはっきりとご存じであったことを、今までお話してくださらなかったのか。都を離れた時から、世の無常に嫌気がさし、勤行以外のことはせずに月日を送っているうちに、すっかり意気地がなくなってしまった。そのような人がいらっしゃるとは、ほのかに聞いてはいたが、役立たずの者では縁起でもなく思って相手にもなさらぬであろうと、自信をなくしていたが、それではご案内してくださるというのだね。心細い独り寝の慰めにも」
などとおっしゃるのを、この上なく光栄に思った。
「独り寝はあなた様もお分かりになったでしょうか
所在なく物思いに夜を明かす明石の浦の心淋しさを
まして長い年月ずっと願い続けてまいった気のふさぎようを、お察しくださいませ」
と申し上げる様子、身を震わせていたが、それでも気品は失っていない。
「それでも、海辺の生活に馴れた人は」とおっしゃって、
「旅の生活の寂しさに夜を明かしかねて
安らかな夢を見ることもありません」
と、ちょっと寛いでいらっしゃるご様子は、たいそう魅力的で、何ともいいようのないお美しさである。数えきれないほどのことどもを申し上げたが、何とも煩わしいことよ。誇張をまじえて書いたので、ますます、馬鹿げて頑固な入道の性質も、現れてしまったことであろう。
願いが、まずまず叶った心地がして、すがすがしい気持ちでいると、翌日の昼頃に、岡辺の家にお手紙をおつかわしになる。奥ゆかしい方らしいのも、かえって、このような辺鄙な土地に、意外な素晴らしい人が埋もれているようだと、お気づかいなさって、高麗の胡桃色の紙に、何ともいえないくらい念入りに趣向を調えて、
「何もわからない土地にわびしい生活を送っていましたが
お噂を耳にしてお便りを差し上げます
『思ふには』」 というぐらいあったのであろうか。
入道も、こっそりとお待ち申し上げようとして、あちらの家に来ていたのも期待どおりなので、御使者をたいそうおもはゆく思うほど酔わせる。
お返事には、たいそう時間がかかる。奥に入って催促するが、娘は一向に聞き入れない。気後れするようなお手紙の様子に、お返事をしたためる筆跡も、恥ずかしく気後れして、相手のご身分と、わが身の程を思い比べると、比較にもならない思いがして、気分が悪いといって、物に寄り伏してしまった。
説得に困って、入道が書く。
「とても恐れ多い仰せ言は、田舎者には、身に余るほどのことだからでございましょうか。まったく拝見させて戴くことなど、思いも及ばぬもったいなさでございます。それでも、
物思いされながら眺めていらっしゃる空を同じく眺めていますのは
きっと同じ気持ちだからなのでしょう
と拝見してます。大変に色めいて恐縮でございます」
と申し上げた。陸奥紙に、ひどく古風な書き方だが、筆跡はしゃれていた。「なるほど、色っぽく書いたものだ」と、目を見張って御覧になる。御使者に、並々ならぬ女装束などを与えた。
翌日、
「代筆のお手紙を頂戴したのは、初めてです」とあって、
「悶々として心の中で悩んでおります
いかがですかと尋ねてくださる人もいないので
『言ひがたみ』」
と、今度は、たいそうしなやかな薄様に、とても美しそうにお書きになっていた。若い女性が素晴らしいと思わなかったら、あまりに引っ込み思案というものであろう。ご立派なとは思うものの、比較にならないわが身の程が、ひどくふがいないので、かえって、自分のような女がいるということを、お知りになり訪ねてくださるにつけて、自然と涙ぐまれて、まったく例によって動こうとしないのを、責められ促されて、深く染めた紫の紙に、墨つきも濃く薄く書き紛らわして、
「思って下さるとおっしゃいますが、その真意はいかがなものでしょうか
まだ見たこともない方が噂だけで悩むということがあるのでしょうか」
筆跡や、出来ぐあいなど、高貴な婦人方に比べてもたいして見劣りがせず、貴婦人といった感じである。
京の事が思い出されて、興趣深いと御覧になるが、続けざまに手紙を出すのも、人目が憚られるので、二、三日置きに、所在ない夕暮や、もしくは、しみじみとした明け方などに紛らわして、それらの時々に、同じ思いをしているにちがいない時を推量して、書き交わしなさると、不似合いではない。
思慮深く気位高くかまえている様子も、是非とも会わないと気がすまないと、お思いになる一方で、良清がわがもの顔に言っていた様子もしゃくにさわるし、長年心にかけていただろうことを、目の前で失望させるのも気の毒にご思案されて、「相手が進んで参ったような恰好ならば、そのようなことにして、うやむやのうちに事をはこぼう」とお思いになるが、女は女で、かえって高貴な身分の方以上に、たいそう気位高くかまえていて、いまいましく思うようにお仕向け申しているので、意地の張り合いで日が過ぎて行ったのであった。
京の事を、このように関よりも遠くに行った今では、ますます気がかりにお思い申し上げなさって、「どうしたものだろう。冗談でないことだ。こっそりと、お迎え申してしまおうか」と、お気弱になられる時々もあるが、「そうかといって、こうして何年も過せようかと、今さら体裁の悪いことを」と、お思い静めになった。
その年、朝廷では、神仏のお告げが続いてあって、物騒がしいことが多くあった。三月十三日、雷が鳴りひらめき、雨風が激しかった夜に、帝の御夢に、院の帝が、御前の階段の下にお立ちあそばして、御機嫌がひどく悪くて、お睨み申し上げあそばすので、畏まっておいであそばす。お申し上げあそばすこと多かった。源氏のお身の上の事であったのだろう。
たいそう恐ろしく、またおいたわしく思し召して、大后にお申し上げあそばしたのだが、
「雨などが降り、天候が荒れている夜には、思い込んでいることが夢に現れるのでございます。軽々しい態度に、お驚きあそばすものではありませぬ」
とお諌めになる。
お睨みになったとき、眼をお見合わせになったと思し召してか、眼病をお患になって、堪えきれないほどお苦しみになる。御物忌み、宮中でも大后宮でも、数知れずお執り行わせあそばす。
太政大臣がお亡くなりになった。無理もないお年であるが、次々に自然と騒がしいことが起こって来る上に、大后宮もどことなくお具合が悪くなって、日がたつにつれ弱って行くようなので、主上におかれてもお嘆きになること、あれやこれやと尽きない。
「やはり、この源氏の君が、真実に無実の罪でこのように沈んでいるならば、必ずその報いがあるだろうと思われます。今は、やはり元の位階を授けよう」
と度々お考えになり仰せになるが、
「世間の非難、軽々しいようでしょう。罪を恐れて都を去った人を、わずか三年も過ぎないうちに赦されるようなことは、世間の人もどのように言い伝えることでしょう」
などと、大后は固くお諌めになるので、ためらっていらっしゃるうちに月日がたって、お二方の御病気も、それぞれ次第に重くなって行かれる。
明石では、例によって、秋、浜風が格別で、独り寝も本当に何となく淋しくて、入道にも時々話をおもちかけになる。
「何とか人目に立たないようにして、こちらに差し向けなさい」
とおっしゃって、いらっしゃることは決してないようにお思いになっているが、娘は娘でまた、まったく出向く気などない。
「とても取るに足りない身分の田舎者は、一時的に下向した人の甘い言葉に乗って、そのように軽く良い仲になることもあろうが、一人前の夫人として思ってくださらないだろうから、わたしはたいへんつらい物思いの種を増すことだろう。あのように及びもつかぬ高望みをしている両親も、未婚の間で過ごしているうちは、当てにならないことを当てにして、将来に希望をかけていようが、かえって心配が増ることであろう」と思って、「ただこの浦にいらっしゃる間は、このようなお手紙だけをやりとりさせていただけるのは、並々ならぬこと。長年噂にだけ聞いて、いつの日にかそのような方のご様子をちらっとでも拝見しようなどと、思いもしなかったお住まいで、よそながらもちらと拝見し、世にも素晴らしいと聞き伝えていたお琴の音をも風に乗せて聴き、毎日のお暮らしぶりもはっきりと見聞きし、このようにまでわたしに対してご関心いただくのは、このような海人の中に混じって朽ち果てた身にとっては、過分の幸せだわ」
などと思うと、ますます気後れがして、少しもお側近くに上がることなどは考えもしない。
両親は、長年の念願が今にも叶いそうに思いながら、
「不用意にお見せ申して、もし相手にもしてくださらなかった時は、どんなに悲しい思いをするだろうか」
と想像すると、心配でたまらず、
「立派な方とは申しても、辛く堪らないことであるよ。目に見えない仏、神を信じ申して、君のお心や、娘の運命をも分からないままに」
などと、改めて思い悩んでいた。君は、
「この頃の波の音に合わせて、あの琴の音色を聴きたいものだ。それでなかったら、何にもならない」
などと、いつもおっしゃる。
こっそりと吉日を調べて、母君があれこれと心配するのには耳もかさず、弟子たちにさえ知らせず、自分の一存で世話をやき、輝くばかりに整えて、十三日の月の明るくさし出た時分に、ただ「あたら夜の」と申し上げた。
君は、「風流ぶっているな」とお思いになるが、お直衣をお召しになり身なりを整えて、夜が更けるのを待ってお出かけになる。お車はまたとなく立派に整えたが、仰々しいと考えて、お馬でお出かけになる。惟光などばかりをお従わせになる。少し遠く奥まった所であった。道すがら、四方の浦々をお見渡しになって、恋人どうしで眺めたい入江の月影を見るにつけても、まずは恋しい人の御ことをお思い出し申さずにはいらっしゃれないので、そのまま馬で通り過ぎて、上京してしまいたく思われなさる。
「秋の夜の月毛の駒よ、わが恋する都へ天翔っておくれ
束の間でもあの人に会いたいので」
とつい独り口をついて出る。
造りざまは、木が深く繁って、ひどく感心する所があって、結構な住まいである。海辺の住まいは堂々として興趣に富み、こちらの家はひっそりとした住まいの様子で、「ここで暮らしたら、どんな物思いもし残すことはなかろう」と自然と想像されて、しみじみとした思いにかられる。三昧堂が近くにあって、鐘の音、松風に響き合って、もの悲しく、巌に生えている松の根ざしも、情趣ある様子である。いくつもの前栽に虫が声いっぱいに鳴いている。あちらこちらの様子を御覧になる。娘を住ませている建物は、格別に美しくしてあって、月の光を入れた真木の戸口は、ほんの気持ちばかり開けてある。
少しためらいがちに、何かと言葉をおかけになるが、「こんなにまでお側近くには上がるまい」と深く決心していたので、何となく悲しくて気を許さない態度を、「ずいぶんと貴婦人ぶっているな。容易に近づきがたい高貴な身分の女でさえ、これほど近づき言葉をかけてしまえば、気強く拒むことはないのであったが、このように落ちぶれているので、見くびっているのだろうか」としゃくで、いろいろと悩んでいるようである。「容赦なく無理じいするのも、意向に背くことになる。根比べに負けたりしたら、体裁の悪いことだ」などと、千々に心乱れてお恨みになるご様子、本当に物の情趣を理解する人に見せたいものである。
近くの几帳の紐に触れて、箏の琴が音をたてたのも、感じが取り繕ってなく、くつろいだ普段のまま琴を弄んでいた様子が想像されて、興趣あるので、
「この、噂に聞いていた琴までも聴かせてくれないのですか」
などと、いろいろとおっしゃる。
「睦言を語り合える相手が欲しいものです
この辛い世の夢がいくらかでも覚めやしないかと」
「闇の夜にそのまま迷っておりますわたしには
どちらが夢か現実か区別してお話し相手になれましょう」
かすかな感じは、伊勢の御息所にとてもよく似ていた。何も知らずにくつろいでいたところを、こう意外なお出ましとなったので、たいそう困って、近くにある曹司の中に入って、どのように戸締りしたものか、固いのだが、無理して開けようとはなさらない様子である。けれども、いつまでもそうしてばかりいられようか。
人柄は、とても上品で、すらりとして、気後れするような感じがする。このような無理に結んだ契りをお思いになるにつけても、ひとしおいとしい思いが増すのである。情愛が、逢ってますます思いが募るのであろう、いつもは嫌でたまらない秋の夜の長さも、すぐに明けてしまった気持ちがするので、「人に知られまい」とお思いになると、気がせかれて、心をこめたお言葉を残して、お立ちになった。
後朝のお手紙、こっそりと今日はある。つまらない良心の呵責であるよ。こちらでも、このようなことを何とか世間に知られまいと隠して、御使者を仰々しくもてなさないのを、残念に思った。
こうして後は、こっそりと時々お通いになる。「距離も少し離れているので、自然と口さがない海人の子どもがいるかも知れない」とおためらいになる途絶えを、「やはり、思っていたとおりだわ」と嘆いているので、「なるほど、どうなることやら」と、入道も極楽往生の願いも忘れて、ただ君のお通いを待つことばかりである。今さら心を乱すのも、とても気の毒なことである。
二条院の君が、風の便りにも漏れお聞きなさるようなことは、「冗談にもせよ、隠しだてをしたのだと、お疎み申されるのは、申し訳なくも恥ずかしいことだ」とお思いになるのも、あまりなご愛情の深さというものであろう。「こういう方面のことは、穏和な方とはいえ、気になさってお恨みになった折々、どうして、つまらない忍び歩きにつけても、そのようなつらい思いをおさせ申したのだろうか」などと、昔を今に取り戻したく、女の有様を御覧になるにつけても、恋しく思う気持ちが慰めようがないので、いつもよりお手紙を心こめてお書きになって、
「ところで、そうそう、自分ながら心にもない出来心を起こして、お恨まれ申した時々のことを、思い出すのさえ胸が痛くなりますのに、またしても、変なつまらない夢を見たのです。このように申し上げます問わず語りに、隠しだてしない胸の中だけはご理解ください。『誓ひしことも』」などと書いて、
「何事につけても、
あなたのことが思い出されて、さめざめと泣けてしまいます
かりそめの恋は海人のわたしの遊び事ですけれども」
とあるお返事、何のこだわりもなくかわいらしげに書いて、
「隠しきれずに打ち明けてくださった夢のお話につけても、思い当たることが多くございますが、
固い約束をしましたので、何の疑いもなく信じておりました
末の松山のように、心変わりはないものと」
鷹揚な書きぶりながら、お恨みをこめてほのめかしていらっしゃるのを、とてもしみじみと思われ、下に置くこともできず御覧になって、その後は、久しい間忍びのお通いもなさらない。
女は、予想通りの結果になったので、今こそほんとうに身を海に投げ入れてしまいたい心地がする。
「老い先短い両親だけを頼りにして、いつになったら人並みの境遇になれる身の上とは思っていなかったが、ただとりとめもなく過ごしてきた年月の間は、何事に心を悩ましたろうか、このようにひどく物思いのする結婚生活であったのだ」
と、以前から想像していた以上に、何事につけ悲しいけれど、穏やかに振る舞って、憎らしげのない態度でお会い申し上げる。
いとしいと月日がたつにつれてますますお思いになっていくが、れっきとした方が、いつかいつかと帰りを待って年月を送っていられるのが、一方ならずご心配なさっていらっしゃるだろうことが、とても気の毒なので、独り寝がちにお過ごしになる。
絵をいろいろとお描きになって、思うことを書きつけて、返歌を聞かれるようにという趣向にお作りなった。見る人の心にしみ入るような絵の様子である。どうして、お心が通じあっているのであろうか、二条院の君も、悲しい気持ちが紛れることなくお思いになる時々は、同じように絵をたくさんお描きになって、そのままご自分の有様を、日記のようにお書きになっていた。どうなって行かれるお二方の身の上であろうか。
年が変わった。主上におかせられては御不例のことがあって、世の中ではいろいろと取り沙汰する。今上の御子は、右大臣の娘で、承香殿の女御がお生みになった男御子がいらっしゃるが、二歳におなりなので、たいそう幼い。東宮に御譲位申されることであろう。朝廷の御後見をし、政権を担当すべき人をお考え廻らすと、この源氏の君がこのように沈んでいらっしゃること、まことに惜しく不都合なことなので、ついに皇太后の御諌言にも背いて、御赦免になられる評定が下された。
去年から、皇太后も御物の怪をお悩みになり、さまざまな前兆ががしきりにあり、世間も騒がしいので、厳重な御物忌みなどをなさった効果があってか、悪くなくおいであそばした御眼病までもが、この頃重くおなりあそばして、何となく心細く思わずにはいらっしゃれなかったので、七月二十日過ぎに、再度重ねて、帰京なさるよう宣旨が下る。
いつかはこうなることと思っていたが、世の中の定めないことにつけても、「どういうことになってしまうのだろうか」とお嘆きになるが、このように急なので、嬉しいと思うとともに、また一方で、この浦を今を限りと離れることをお嘆き悲しみになるが、入道は、当然そうなることとは思いながら、聞くなり胸のつぶれる気持ちがするが、「思い通りにお栄えになってこそ、自分の願いも叶うことなのだ」などと、思い直す。
そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる。六月頃から懐妊の兆候が現れて苦しんでいるのであった。このようにお別れなさらねばならない時なので、あいにくご愛情もいや増すというのであろうか、以前よりもいとしくお思いになって、「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」とお悩みになる。
女は、さらにいうまでもなく思い沈んでいる。まことに無理もないことであるよ。思いもかけない悲しい旅路にお立ちになったが、「けっきょくは帰京するであろう」と、一方ではお慰めになっていた。
今度は嬉しい都へのご出発であるが、「二度とここに来るようなことはあるまい」とお思いになると、しみじみと感慨無量である。
お供の人々は、それぞれ身分に応じて喜んでいる。京からもお迎えに人々が参り、愉快そうにしているが、主人の入道、涙にくれているうちに、月が替わった。
季節までもしみじみとした空の様子なので、「どうして、自分から求めて今も昔も、埒もない恋のために憂き身をやつすのだろう」と、さまざまにお思い悩んでいられるのを、事情を知っている人々は、
「ああ、困った方だ。いつものお癖だ」
と拝、忌ま忌ましがっているようである。
「ここ数月来、全然、誰にもそぶりもお見せにならず、時々人目を忍んでお通いになっていらっしゃった冷淡さだったのに」
「最近は、あいにくと、かえって、女が嘆きを増すことであろうに」
と、互いに陰口をたたき合う。源少納言は、ご紹介申した当初の頃のことなどを、ささやき合っているのを、おもしろからず思っていた。
明後日ほどになって、いつものようにあまり夜が更けないうちにお越しになった。まだはっきりと御覧になっていない容貌などを、「とても風情があり、気高い様子をしていて、目を見張るような美しさだ」と、見捨てにくく残念にお思いになる。「しかるべき手筈を整えて迎えよう」とお考えになった。そのように約束してお慰めになる。
男のお顔だち、お姿は、改めていうまでもない。長い間のご勤行にひどく面痩せなさっていらっしゃるのが、いいようもなく立派なご様子で、痛々しいご様子に涙ぐみながら、しみじみと固いお約束なさるのは、「ただ一時の逢瀬でも、幸せと思って、諦めてもいいではないか」とまで思われもするが、ご立派さにつけて、わが身のほどを思うと、悲しみは尽きない。波の音、秋の風の中では、やはり響きは格別である。塩焼く煙が、かすかにたなびいて、何もかもが悲しい所の様子である。
「今はいったんお別れしますが、藻塩焼く煙のように
上京したら一緒に暮らしましょう」
とお詠みになると、
「何とも悲しい気持ちでいっぱいですが
今は申しても甲斐のないことですから、お恨みはいたしません」
せつなげに涙ぐんで、言葉少なではあるが、しかるべきお返事などは心をこめて申し上げる。あの、いつもお聴きになりたがっていらした琴の音色など、まったくお聴かせ申さなかったのを、たいそうお恨みになる。
「それでは、形見として思い出になるよう、せめて一節だけでも」
とおっしゃって、京から持っていらした琴のお琴を取りにやって、格別に風情のある一曲をかすかに掻き鳴らしていらっしゃる、夜更けの澄んだ音色は、たとえようもなく素晴しい。
入道も、たまりかねて箏の琴を取って差し入れた。娘自身も、ますます涙まで催されて、止めようもないので、気持ちをそそられるのであろう、ひっそりと音色を調べた具合、まことに気品のある奏法である。入道の宮のお琴の音色を、今の世に類のないものとお思い申し上げていたのは、「当世風で、ああ、素晴らしい」と、聴く人の心がほれぼれとして、御器量までが自然と想像されることは、なるほど、まことにこの上ないお琴の音色である。
これはどこまでも冴えた音色で、奥ゆかしく憎らしいほどの音色が優れていた。この君でさえ、初めてしみじみと心惹きつけられる感じで、まだお聴きつけにならない曲などを、もっと聴いていたいと感じさせる程度に、弾き止め弾き止めして、物足りなくお思いになるにつけても、「いく月も、どうして無理してでも、聴き親しまなかったのだろう」と、残念にお思いになる。心をこめて将来のお約束をなさるばかりである。
「琴は、再び掻き合わせをするまでの形見に」
とおっしゃる。女、
「軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが
その一言を悲しくて泣きながら心にかけて、お偲び申します」
と言うともなく口ずさみなさるのを、お恨みになって、
「今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように
二人の仲の愛情も、格別変わらないでいて欲しいものです
この琴の絃の調子が狂わないうちに必ず逢いましょう」
とお約束なさるようである。それでも、ただ別れる時のつらさを思ってむせび泣いているのも、まことに無理はない。
ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって、お迎えの人々も騒がしいので、心も上の空であるが、人のいない隙間を見はからって、
「あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが
後に残ったあなたはさぞやどのような気持ちでいられるかお察しします」
お返事は、
「長年住みなれたこの苫屋も、あなた様が立ち去った後は荒れはてて
つらい思いをしましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら」
と、気持ちのままなのを御覧になると、堪えていらっしゃったが、ほろほろと涙がこぼれてしまった。事情を知らない人々は、
「やはりこのようなお住まいであるが、一年ほどもお住み馴れになったので、いよいよ立ち去るとなると、悲しくお思いになるのももっともなことだ」
などと、拝見する。
良清などは、「並々ならずお思いでいらっしゃるようだ」と、いまいましく思っている。
嬉しいにつけても、「なるほど、今日限りで、この浦を去ることよ」などと、名残を惜しみ合って、口々に涙ぐんで挨拶をし合っているようだ。けれど、いちいちお話する必要もあるまい。
入道、今日のお支度を、たいそう盛大に用意した。お供の人々、下々のまで、旅の装束を立派に整えてある。いつの間にこんなに準備したのだろうかと思われた。ご装束はいうまでもない。御衣櫃を幾棹となく荷なわせお供をさせる。実に都への土産にできるお贈り物類、立派な物で、気のつかないところがない。今日お召しになるはずの狩衣のご装束に、
「ご用意致しました旅のご装束は寄る波の
涙に濡れていまので、嫌だとお思いになりましょうか」
とあるのを御発見なさって、騒がしい最中であるが、
「お互いに形見として着物を交換しましょう
また逢える日までの間の二人の仲の、この中の衣を」
とおっしゃって、「せっかくの好意だから」と言って、お召し替えになる。お身につけていらしたのをお遣わしになる。なるほど、もう一つお偲びになるよすがを添えた形見のようである。素晴らしいお召し物に移り香が匂っているのを、どうして相手の心にも染みないことがあろうか。
入道は、
「きっぱりと世を捨てました出家の身ですが、今日のお見送りにお供申しませんことが」
などと申し上げて、べそをかいているのも気の毒だが、若い人ならきっと笑ってしまうであろう。
「世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来たが
なお依然として子の故に此岸を離れることができずにおります
娘を思う親の心は、ますます迷ってしまいそうでございますから、せめて国境までなりとも」と申し上げて、
「あだめいた事を申すようでございますが、もしお思い出しあそばすことがございましたら」
などと、ご内意を頂戴する。たいそう気の毒にお思いになって、お顔の所々を赤くしていらっしゃるお目もとのあたりがなどが、何ともいいようなくお見えになる。
「放っておきがたい事情もあるので、きっと今すぐにお思い直しくださるでしょう。ただ、この住まいが見捨てがたいのです。どうしたものでしょう」とおっしゃって、
「都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか
年月を過ごしてきたこの浦を離れる悲しい秋は」
とお詠みになって、涙を拭っていらっしゃると、ますます分別を失って、涙をさらに流す。立居もままならず転びそうになる。
娘ご本人の気持ちは、たとえようもないくらいで、こんなに深く悲嘆していると誰にも見せまいと気持ちを沈めていたが、わが身のつたなさがもとで、無理のないことであるが、お残しになって行かれた恨みの晴らしようがないが、せいぜいできることは、ただ涙に沈むばかりである。母君も慰めるのに困って、
「どうして、こんなに気を揉むようなことを思いついたのでしょう。あれもこれも、偏屈な主人に従ったわたしの失敗でした」
と言う。
「まあ、静かに。お捨て置きになれない事情もおありになるようですから、今は別れたといっても、お考えになっていることがございましょう。気持ちを落ち着かせて、せめてお薬湯などでも召し上がれ。ああ、縁起でもない」
と言って、片隅に座っていた。乳母、母君などは、偏屈な心をそしり合いながら、
「早く早く、何とか願い通りにしてお世話申そうと、長い年月を期待して過ごしてき、今や、その願いが叶ったと頼もしくお思い申したのに、気の毒にも、事の初めから味わおうとは」
と嘆くのを見るにつけても、かわいそうなので、ますます頭がぼんやりしてきて、昼は一日中、寝てばかり暮らし、夜はすっくと起き出して、「数珠の在りかも分からなくなってしまった」と言って、手をすり合わさせて茫然としていた。
弟子たちに軽蔑されて、月夜に庭先に出て行道をしたにはしたのだが、遣水の中に落ち込んだりするのであった。風流な岩の突き出た角に腰をぶっつけて怪我をして、寝込むことになってようやく、物思いも少し紛れるのであった。
君は、難波の方面に渡ってお祓いをなさって、住吉の神にも、お蔭で無事であったので、改めていろいろと願ほどき申し上げる旨を、お使いの者に申させなさる。急に大勢の供回りとなったので、ご自身は今回はお参りすることがおできになれず、格別のご遊覧などもなくて、急いで京にお入りになった。
二条院にお着きあそばして、都の人も、お供の人も、夢のような心地がして再会し、喜んで泣くのも縁起が悪いくらいまで大騷した。
女君も、生きていても甲斐ないとまでお思い棄てていた命、嬉しくお思いのことであろう。とても美しくご成人なさって、ご苦労の間に、うるさいほどあったお髪が少し減ったのも、かえってたいそう素晴らしいのを、「今はもうこうして毎日お会いできるのだ」と、お心が落ち着くにつけて、また一方では、心残りの別れをしてきた人が悲しんでいた様子、痛々しくお思いやらずにはいられない。やはり、いつになってもこのような方面では、お心の休まる時のないことよ。
その女のことなどをお話し申し上げなさった。お思い出しになるご様子が一通りのお気持ちでなく見えるので、並々のご愛着ではないと拝見するのであろうか、さりげなく、「わたしの身の上は思いませんが」などと、ちらっと嫉妬なさるのが、しゃれていていじらしいとお思い申し上げなさる。また一方で、「見ていてさえ見飽きることのないご様子を、どうして長い年月会わずにいられたのだろうか」と、信じられないまでの気持ちがするので、今さらながら、まことに世の中が恨めしく思われる。
まもなく、元のお位に復して、員外の権大納言におなりになる。以下の人々も、しかるべき者は皆元の官を返し賜わり、世に復帰するのは、枯れていた木が春にめぐりあった有様で、たいそうめでたい感じである。
お召しがあって、参内なさる。御前に伺候していられると、いよいよ立派になられて、「どうしてあのような辺鄙な土地で、長年お暮らしになったのだろう」と拝見する。女房などの中で、故院の御在世中にお仕えして、年老いた連中は、悲しくて、今さらのように泣き騒いでお褒め申し上げる。
主上も、恥ずかしくまで思し召されて、御装束なども格別におつくろいになってお出ましになる。お加減が、すぐれない状態で、ここ数日おいであそばしたので、ひどくお弱りあそばしていらっしゃったが、昨日今日は、少しよろしくお感じになるのであった。お話をしみじみとなさって、夜に入った。
十五夜の月が美しく静かなので、昔のことを、一つ一つ自然とお思い出しになられて、お泣きあそばす。何となく心細くお思いあそばさずにはいられないのであろう。
「管弦の催しなどもせず、昔聞いた楽の音なども聞かないで、久しくなってしまったな」
と仰せになるので、
「海浜でうちしおれて落ちぶれながら蛭子のように
立つこともできず三年を過ごして来ました」
とお応え申し上げなさった。とても胸をうち心恥しく思わずにはいらっしゃれないで、
「こうしてめぐり会える時があったのだから
あの別れた春の恨みはもう忘れてください」
実に優美な御様子である。
故院の御追善供養のために、法華御八講を催しなさることを、何より先にご準備させなさる。東宮にお目にかかりなさると、すっかりと御成人あそばして、珍しくお喜びになっているのを、感慨無量のお気持ちで拝しなさる。御学問もこの上なくご上達になって、天下をお治めあそばすにも、何の心配もいらないように、ご立派にお見えあそばす。
入道の宮にも、お心が少し落ち着いて、ご対面の折には、しみじみとしたお話がきっとあったであろう。
そうそう、あの明石には、送って来た者たちの帰りにことづけて、お手紙をお遣はしになる。人目に立たないようにして情愛こまやかにお書きになるようである。
「波の寄せる夜々は、どのように、
お嘆きになりながら暮らしていらっしゃる明石の浦に
嘆きの息が朝霧となって立ちこめているのではないかと想像しています」
あの大宰帥の娘の五節は、どうにもならないことだが、人知れずご好意をお寄せ申していたのもさめてしまった感じがして、目くばせさせて置いて行かせたのであった。
「須磨の浦で好意をお寄せ申した舟人が
そのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ申しとうございます」
「筆跡などもたいそう上手になったな」と、お見抜きになって、お遣わしになる。
「かえってこちらこそ愚痴を言いたいくらいです、ご好意を寄せていただいて
それ以来涙に濡れて袖が乾かないものですから」
「いかにもかわいい」とお思いになった昔の思い出もあるので、はっとびっくりさせられなさって、ますますいとしくお思い出しになるが、最近は、そのようなお忍び歩きはまったく慎んでいらっしゃるようである。
花散里などにも、ただお手紙などばかりなので、心もとなく思われて、かえって恨めしい様子である。
14. 澪標
光る源氏の28歳初冬10月から29歳冬まで内大臣時代の物語
- 故桐壷院の追善法華御八講---はっきりとお見えになった夢の後は
- 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執---御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても
- 東宮の御元服と御世替わり---翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がある
1 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり
- 宿曜の予言と姫君誕生---そうそう、「あの明石で
- 宣旨の娘を乳母に選定---あのような所には、まともな乳母などもいないだろうこと
- 乳母、明石へ出発---車で京の中は出て行ったのであった
- 紫の君に姫君誕生を語る---女君には、言葉に表して
- 姫君の五十日の祝---「五月五日が、五十日に当たるだろう」と
- 紫の君、嫉妬を覚える---何度も御覧になりながら、「ああ」と
2 明石の物語 明石の姫君誕生
- 花散里訪問---このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に
- 筑紫の五節と朧月夜尚侍---このような折にも、あの五節をお忘れにならず
- 旧後宮の女性たちの動向---院は気楽な御心境になられて
- 冷泉帝後宮の入内争い---兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで
3 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向
- 住吉詣で---その年の秋に、住吉にご参詣になる
- 住吉社頭の盛儀---松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らした
- 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず---君は、まったくご存知なく
- 源氏、明石の君に和歌を贈る---あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて
- 明石の君、翌日住吉に詣でる---あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が
4 明石の物語 住吉浜の邂逅
- 斎宮と母御息所上京---そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので
- 御息所、斎宮を源氏に託す---こんなにまでもお心に掛けていたのを
- 六条御息所、死去---七、八日あって、お亡くなりになったのであった
- 斎宮を養女とし、入内を計画---下向なさった時から
- 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執---院におかせられても、あのお下りになった大極殿での
- 冷泉帝後宮の入内争い---入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいと
5 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い
1 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり
[1-1 故桐壷院の追善法華御八講]
はっきりとお見えになった夢の後は、院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とか、あの沈んでいらっしゃるという罪、お救い申すことをしたい」と、お嘆きになっていらしたが、このようにお帰りになってからは、そのご準備をなさる。神無月に御八講をお催しになる。世間の人が追従し奉仕すること、昔と同じようである。
皇太后、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。政治の事なども、隔意なく仰せになり仰せになっては、御本意のようなので、世間一般の人々も、関係なくも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。
[1-2 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執]
御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君、心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのが、とてもお気の毒に思し召されるのであった。
「大臣がお亡くなりになり、大宮も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、かつてとすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。以前から、あの人より軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは、及ばないだろうと思うのさえ、たまらないのです」
と言って、お泣きあそばす。
女君、顔は赤くそまって、こぼれるばかりのお美しさで、涙もこぼれたのを、一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。
「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。残念なことよ。ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」
などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。お顔など、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすので、素晴らしい方であるが、それほど深く愛してくださらなかった様子、気持ちなど、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。
[1-3 東宮の御元服と御世替わり]
翌年の二月に、東宮の御元服の儀式がある。十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。
同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」
といって、お慰め申し上げあそばすのであった。
東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣におなりになった。席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。
ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのようないそがしい職務には耐えられない」と言って、致仕の大臣に、摂政をなさるように、お譲り申し上げなさる。
「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」
と、ご承諾なさらない。「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時は、深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には、白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖人だと言っていた。病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに、何の差支えもない」と、朝廷、世間ともに決定される。そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。お歳も六十三におなりである。
世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。あの四の君腹の姫君、十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は、羨ましくお思いになる。
大殿腹の若君、誰よりも格別におかわいらしゅうて、内裏や東宮御所の童殿上なさる。故姫君がお亡くなりになった悲しみを、大宮と大臣、改めてお嘆きになる。けれど、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちや、その他の女房たちにも、長年の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに、便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。
二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を、殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにと、お思いになると、中将の君、中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるので、お暇がなくて、外歩きもなさらない。
二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。
2 明石の物語 明石の姫君誕生
[2-1 宿曜の予言と姫君誕生]
そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。早く帰って参って、
「十六日でした。女の子で、ご無事でございます」
とご報告する。久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。
宿曜の占いで、
「お子様は三人。帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
と、勘申したことが、一つ一つ適中するようである。おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
と、ご心中お思いになるのであった。今、これから先の予想をなさると、
「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。いましばらくしてから迎えよう」
とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。
[2-2 宣旨の娘を乳母に選定]
あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。
まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。
外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、
「ただ、仰せのとおりに」
と申し上げる。日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、
「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」
などと、事の次第を詳しくお頼みになる。
主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。何やかやと冗談をなさって、
「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。どう思いますか」
とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。
「以前から特に親しい仲であったわけではないが
別れは惜しい気がするものであるよ
追いかけて行こうかしら」
とおっしゃると、にっこりして、
「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか」
物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。
[2-3 乳母、明石へ出発]
車で京の中は出て行ったのであった。ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。御佩刀、必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど、並々でない。
入道が大切にお育てしているであろう様子、想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」
摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
入道、待ち迎えて、喜び恐縮申すこと、この上ない。そちらの方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃること、またと類がない。「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
子持ちの君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って、生きているとも思えなかったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げて、お使いの者にもできる限りのもてなしをする。早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、
「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
大きなご加護を期待しております」
と申し上げた。不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。
[2-4 紫の君に姫君誕生を語る]
女君には、言葉に表してろくにお話申し上げなさっていないので、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、
「こう言うことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。女の子だそうなので、何ともつまりません。放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。呼びにやってお見せ申し上げましょう。お憎みなさいますなよ」
とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、
「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
「そうですね。誰が教えこたとでしょう。意外にお見受けしますよ。皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」
とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
と言いさしなさって、
「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
などと、お話し申し上げになる。
しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、
「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」
と、独り言のようにふっと嘆いて、
「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
わたしは先に煙となって死んでしまいたい」
「何とおっしゃいます。嫌なことを。
いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか
さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
[2-5 姫君の五十日の祝]
「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。残念なことだ。よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。
お使いの者をお立てになる。
「必ずその日に違わずに到着せよ」
とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。
「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の 五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか
飛んで行きたい気持ちです。やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
と書いてある。
入道は、いつもの喜び泣きをしていた。このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。
ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。
聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。お手紙を一緒に見て、心の中で、
「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだわ」
と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。
お返事には、
「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません
いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。仰せの通りに、安心させていただきたいものです」
と、心からお頼み申し上げた。
[2-6 紫の君、嫉妬を覚える]
何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、
「浦から遠方に漕ぎ出す舟のように」
と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただ、これだけの愛情ですよ。土地の様子など、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」
などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。
3 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向
[3-1 花散里訪問]
このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などをすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間、慎重にしていらっしゃるようである。
五月雨の降る所在ない頃、公私ともに暇なので、お思い立ってお出かけになった。訪れはなくても、朝に夕につけ、何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりに、すねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。
女御の君にお話申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美なご態度、限りなく美しくお見えになる。ますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子、どこといって難がない。水鶏がとても近くで鳴いているので、
「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」
と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、
「それぞれに捨てがたい人よ。このような人こそ、かえって気苦労することだ」
とお思いになる。
「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
わたし以外の月の光が入って来たら大変だ
心配ですね」
とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど、疑いの生じるご性質ではない。長い年月、お待ち申し上げていらしたのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、
「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。辛い身の上にとっは、同じ悲しさですのに」
とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。
[3-2 筑紫の五節と朧月夜尚侍]
このような折にも、あの五節をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。
女は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。
気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。
東の院の造りようは、かえって見所が多く今風である。風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。
尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。かえって、窮屈で、間柄を物足りないと、お思いになる。
[3-3 旧後宮の女性たちの動向]
院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊など、御機嫌よろしうおいであそばす。女御、更衣、みな院の御所に伺候していらっしゃるが、東宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって、結構なご幸福で、離れて東宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。
この内大臣のご宿直所は、昔から淑景舎である。梨壷に東宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合い申し上げなさって、東宮をもご後見申し上げになさる。
入道后の宮は、御位を再びお改めになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。御勤行、功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに、胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに、参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。
内大臣は何かにつけて、たいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。
[3-4 冷泉帝後宮の入内争い]
兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらしたことを、内大臣は恨めしくお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。
世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮あたりに対しては、むしろ冷淡な態度も、ままおとりになるのを、入道の宮は、困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。
天下の政事は、まったく二分して、太政大臣と、この内大臣のお心のままである。
権中納言の御娘、その年の八月に入内させなさる。祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。
兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は、他より一段と勝るようにとも、お考えにはならないのであった。どうなさるおつもりであろうか。
4 明石の物語 住吉浜の邂逅
[4-1 住吉詣で]
その年の秋に、住吉にご参詣になる。願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部、殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。
ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって、参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。
舟で参詣した。岸に着ける時、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子、渚にいっぱいあふれていて、尊い奉納品を列をなさせていた。楽人、十人ほど、衣装を整え、顔形の良い者を選んでいた。
「どなたが参詣なさるのですか」
と尋ねたらしいので、
「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」
と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに、かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうで、お仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で、心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに、出掛けて来たのだろう」
などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。
[4-2 住吉社頭の盛儀]
松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが、数知れず見える。六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。
良清も同じ衛門佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿が、たいそう美しげである。
すべて見た人々は、うって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、散らばっている中で、若々しい上達部、殿上人が、我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな物であると、田舎者も思った。
お車を遠く見やると、かえって、心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。河原左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をして十人、格別はなやかに見える。
大殿腹の若君、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人、童の具合など、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。
雲居遥かな立派さを見るにつけても、若君の人数にも入らない様子でいらっしゃるのを、ひどく悲しいと思う。ますます御社の方角をお拝み申し上げる。
摂津の国守が参上して、ご饗応の準備、普通の大臣などが参詣なさる時よりは、格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。
とてもいたたまれない思いなので、
「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で、少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になり、お認めくださるはずもあるまい。帰るにしても中途半端である。今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」
と思って、漕いで行った。
[4-3 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず]
君は、まったくご存知なく、一晩中、いろいろな神事を奉納させなさる。真実に、神がお喜びになるにちがいないことを、あらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。
惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。ちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。
「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
昔のことがを忘れられずに思われますので」
いかにもと、お思い出しになって、
「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ
霊験あらたかであったな」
とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。
[4-4 源氏、明石の君に和歌を贈る]
あの明石の舟が、この騷ぎに圧倒されて、立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。かえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。
御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。難波のお祓い、七瀬に立派にお勤めになる。堀江のあたりを御覧になって、
「今はた同じ難波なる」
と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光、聞きつけたのであろうか、そのような御用もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、
「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
めぐり逢えたとは、縁は深いのですね」
と書いて、お与えになると、あちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。馬を多数並べて、通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。
「とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに
どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう」
田蓑の島で禊を勤めるお祓いの木綿につけて差し上げる。日も暮れ方になって行く。
夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。
「涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ
田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので」
道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、お心にはなおも掛かって思いをお馳せになる。遊女連中が集まって参っているが、上達部と申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。けれども、「さあ、風流なことも、ものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。普通の恋愛でさえ、少し浮ついたものは、心を留める点もないものだから」とお思いになると、自分の心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。
[4-5 明石の君、翌日住吉に詣でる]
あの人は、通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。身分相応の願ほどきなど、ともかくも済ませたのであった。また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。
今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。近々のうちに迎えることをおっしゃっていた。
「とても頼りがいありそうに、一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」
と思い悩む。
入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。
5 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い
[5-1 斎宮と母御息所上京]
そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほど、お心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、お出向きになることはない。
無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。
斎宮を、「どんなにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。
昔どおり、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。風雅でいらっしゃること、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む所辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。
内大臣、お聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。
お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。
[5-2 御息所、斎宮を源氏に託す]
こんなにまでもお心に掛けていたのを、女も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。
「心細い状況で先立たれなさるのを、きっと、何かにつけて面倒を見て上げてくださいまし。また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」
と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。
「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。けっして、ご心配申されることはありません」
などと申し上げなさると、
「とても難しいこと。本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは、思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」
などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、
「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。いずれ、そのうちに」
と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。
お髪の掛ったところ、頭の恰好、感じ、上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。
「とても苦しさがひどくなりました。恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」
とおっしゃって、女房に臥せさせられなさる。
「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。いかがなお具合ですか」
と言って、お覗きになる様子なので、
「たいそうひどい格好でございますよ。病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」
と、お申し上げになる。
「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」
などと申し上げて、お帰りになった。お見舞い、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。
[5-3 六条御息所、死去]
七、八日あって、お亡くなりになったのであった。あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。
君ご自身もお越しになった。宮にご挨拶申し上げなさる。
「何もかもどうしてよいか分からずにおります」
と、女別当を介して、お伝え申された。
「お話し申し上げ、またおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」
と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも、償われそうに見える。実に厳かに、邸の家司たち、大勢お仕えさせなさった。しみじみと物思いに耽りながら、ご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。
宮には、常にお見舞い申し上げなさる。だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。
雪、霙、降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は、心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。
「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。
雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が
まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます」
空色の紙の、曇ったような色にお書きになっていた。若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。
宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
「ご代筆では、とても不都合なことです」
と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」
遠慮がちな書きぶり、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。
[5-4 斎宮を養女とし、入内を計画]
下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けて、どのようにも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、
「気の毒なことだ。故御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして、潔白にお世話申し上げよう。主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、後宮生活をおさせ申し上げて、娘がいなくて物寂しいから、そうお世話する人として」とお考えになった。
たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお出向きなどなさる。
「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」
などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。
「女別当、内侍などという女房たち、ある者は、同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。この、ひそかに思っている後宮生活をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」
とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうか。
ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を、宮家の人々も皆喜んでいた。
とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく、心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去っていったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。
お仕えしている女房たち、身分の高い人も低い人も多数いる。けれども、内大臣が、
「御乳母たちでさえ、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」
などと、親ぶって申していらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。
[5-5 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執]
院におかせられても、あのお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を、忘れがたくお思いおかれていらしたので、
「院に参内なさって、斎院など、ご姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お暮らしになりなさい」
と、御息所にも申し上げあそばした。けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見を申そう、と女房たちは諦めていたが、懇切に院におかれては仰せになるのであった。
内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、背いて、横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げになるのであった。
「これこれのことで、思案いたしておりますが、母御息所は、とても重々しく思慮深い方でおりましたが、つまらない浮気心から、とんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来を、ご遺言されましたので、信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がして。直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして、亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどに、と存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きうおなりあそばしていますが、まだご幼年でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に」
などと申し上げなさると、
「とてもよくお考えくださいました。院におかせられても、お思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内申し上げなさい。今では、そのようことは、特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」
「それでは、ご意向があって、一人前に扱っていただけるならば、促す程度のことを、口添えをすることに致しましょう。あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことを、そっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと、心配でございます」
などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎えしてしまおう」とお考えになる。
女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、
「お話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」
と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。
[5-6 冷泉帝後宮の入内争い]
入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。
権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。大殿のお子として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。
「宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったお人形遊びの感じがしようから、年長のご後見は、まこと嬉しいこと」
とお思いになり仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も奏上なさる一方で、内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく、日常のことにつけてまで、細かいご配慮が、たいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても、心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方で、お側にお付きするお世話役が、是非とも必要なのであった。
15. 蓬生
光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語
- 末摘花の孤独---須磨の浦で涙に暮れながら過ごしていらっしゃったころ
- 常陸宮邸の窮乏---もともと荒れていた宮の邸の中
- 常陸宮邸の荒廃---ちょっとした用件でも、お訪ね申す人は
- 末摘花の気紛らし---たわいもない古歌、物語などみたいな物を慰み事に
- 乳母子の侍従と叔母---侍従などと言った御乳母子だけが
1 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代
- 顧みられない末摘花---そうこうしているうちに、はたして天下に赦免されなさって
- 法華御八講---冬になってゆくにつれて、ますます、すがりつくべきてだてもなく
- 叔母、末摘花を誘う---いつもはそんなに親しくしないのに、お誘い申そうとの考えで
- 侍従、叔母に従って離京---けれども、動きそうにもないので
- 常陸宮邸の寂寥---霜月ころになると、雪、霰の降る日が多くなって
2 末摘花の物語 光る源氏帰京後
- 花散里訪問途上---卯月ころに、花散里をお思い出し申されて
- 惟光、邸内を探る---惟光が邸の中に入って、あちこちと人の音のする方はどこかと
- 源氏、邸内に入る---「どうしてひどく長くかかったのだ。どうであったか
- 末摘花と再会---姫君は、いくら何でもとお待ち暮らしになっていた
3 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語
- 末摘花への生活援助---賀茂祭、御禊などのころ、ご準備などに
- 常陸宮邸に活気戻る---もうこれまでだと、馬鹿にしきって、それぞれ
- 末摘花のその後---二年ほどこの古いお邸に寂しくお過ごしになって
4 末摘花の物語 その後の物語
1 末摘花の物語 光る源氏の須磨明石離京時代
[1-1 末摘花の孤独]
須磨の浦で涙に暮れながら過ごしていらっしゃったころ、都でも、あれこれとお嘆きになっていらっしゃる方々が多かったが、そうはいっても、ご自身の生活のよりどころのある方は、ただお一方をお慕いする思いだけは辛そうであったが、二条の上なども、平穏なお暮らしで、旅のお暮らしをご心配申し、お手紙をやりとりなさっては、位をお退きになってからの仮りのご装束をも、この世の辛い生活をも、季節ごとにご調進申し上げなさることによって、心を慰めなさったであろうが、かえって、その妻妾の一人として世の人にも認められず、ご離京なさった時のご様子にも、他人事のように聞いて思いやった人々で、内心をお痛めになった人も多かった。
常陸宮の姫君は、父の親王がお亡くなりになってから、他には誰もお世話する人もないお身の上で、ひどく心細い有様であったが、思いがけないお通いが始まって、お気をつけてくださることは絶えなかっが、大変なご威勢には、大したこともない、お情け程度とお思いであったが、それを待ち受けていらっしゃる貧しい生活には、大空の星の光を盥の水に映したような気持ちがして、お過ごしになっていたところ、あのような世の中の騒動が起こって、おしなべて世の中が嫌なことに思い悩まれた折に、格別に深い関係でない方への愛情は、何となく忘れたようになって、遠く旅立ちなさった後は、わざわざお訪ね申し上げることもおできになれない。かつてのご庇護のお蔭で、しばらくの間は、泣きながらもお過ごしになっていらっしゃったが、歳月が過ぎるにしたがって、実にお寂しいご様子である。
昔からの女房などは、
「いやはや、まったく情けないご運であった。思いがけない神仏がご出現なさったようであったお心寄せを受けて、このような頼りになることも出ていらっしゃるのだと、ありがたく拝見しておりましたが、世間一般のこととはいいながらも、また他には誰をも頼りにできないお身の上は、悲しいことです」
と、ぶつぶつ言って嘆く。あのような生活に馴れていた昔の長い年月は、何とも言いようもない寂しさに目なれてお過ごしになっていたが、なまじっか少し世間並みの生活になった年月を送ったばかりに、かえってとても堪え難く嘆くのであろう。少しでも、女房としてふさわしい者たちは、自然と参集して来たが、みな次々と後を追って離散して行ってしまった。女房たちの中には亡くなった者もいて、月日の過ぎるにしたがって、上下の女房の数が少なくなって行く。
[1-2 常陸宮邸の窮乏]
もともと荒れていた宮の邸の中、ますます狐の棲みかとなって、気味悪く、人気のない木立に、梟の声を毎日耳にして、人気のあるによって、そのような物どもも阻まれて姿を隠していたが、木霊などの怪異の物どもが、我がもの顔になって、だんだんと姿を現し、何ともやりきれないことばかりが数知らず増えて行くので、たまたま残っていてお仕えしている女房は、
「やはり、まこと困ったことです。最近の受領どもで、風流な家造りを好む者が、この宮の木立に心をかけて、お手放しにならないかと、伝を求めて、ご意向を伺わせていますが、そのようにあそばして、とてもこう、恐ろしくないお住まいに、ご転居をお考えになってください。今も残って仕えている者も、とても我慢できません」
などと申し上げるが、
「まあ、とんでもありません。世間の外聞もあります。生きているうちに、そのようなお形見を何もかも無くしてしまうなんて、どうしてできましょう。このように恐ろしそうにすっかり荒れてしまったが、親の面影がとどまっている心地がする懐かしい住まいだと思うから、慰められるのです」
と、泣く泣くおっしゃって、お考えにも入れない。
お道具類も、たいそう古風で使い馴れているのが、昔風で立派なのを、なまはんかに由緒を尋ねようとする者、そのような物を欲しがって、特別にあの人この人にお作らせになったのだと聞き出して、お伺いを立てるのも、自然とこのような貧しいあたりと侮って言って来るのを、いつもの女房、
「しかたがございません。そうすることが世間一般のこと」
と思って、目立たぬように取り計らって、眼前の今日明日の生活の不自由を繕う時もあるのを、きつくお叱りになって、
「わたしのためにとお考えになって、お作らせになったのでしょう。どうして、賤しい人の家の飾り物にさせましょうか。亡きお父上のご遺志に背くのが、たまりません」
とおっしゃって、そのようなことはおさせにならない。
[1-3 常陸宮邸の荒廃]
ちょっとした用件でも、お訪ね申す人はないお身の上である。ただ、ご兄弟の禅師の君だけが、たまに京にお出になる時には、お立ち寄りになるが、その方も、世にもまれな古風な方で、同じ法師という中でも、処世の道を知らない、この世離れした僧でいらっしゃって、生い茂った草、蓬をさえ、かき払うものともお考えつきにならない。
このような状態で、浅茅は庭の表面も見えず、生い茂った蓬生は軒と争って成長している。葎は西と東の御門を鎖し固めているのは心強いが、崩れかかった周囲の土築を馬、牛などが踏みならした道にして、春夏ともなると、放ち飼いする子どもの料簡も、けしからぬことである。
八月、野分の激しかった年、渡廊類が倒れふし、幾棟もの下屋の、粗末な板葺きであったのなどは、骨組みだけがわずかに残って、居残る下衆さえいない。炊事の煙も上らなくなって、お気の毒なことが多かった。
盗人などという情け容赦のない連中も、想像するだけで貧乏と思ってか、この邸を無用のものと通り過ぎて、寄りつきもしなかったので、このようにひどい野原、薮原であるが、それでも寝殿の中だけは、昔の装飾と変わらないが、ぴかぴかに掃いたり拭いたりする人もいない。塵は積もっても、れっきとした荘厳なお住まいで、お過ごしになっている。
[1-4 末摘花の気紛らし]
たわいもない古歌、物語などみたいな物を慰み事にして、無聊を紛らわし、このような生活でも慰める方法なのであろうが、そのような方面にも関心が鈍くいらっしゃる。特に風流ぶらずとも、自然と急ぐ用事もない時には、気の合う者どうしで手紙の書き交わしなど気軽にし合って、若い人は木や草につけて心をお慰めになるはずなのだが、父宮が大事にお育てになったお考えどおりに、世間を用心すべきものとお思いになって、たまには文通なさってもよさそうなご関係の家にも、まったくお親しみにならず、古くなった御厨子を開けて、『唐守』『藐姑射の刀自』『かぐや姫の物語』などの絵に描いてあるのを、時々のもて遊び物にしていらっしゃる。
古歌といっても、優雅な趣向で選び出して、題詞や読人をはっきりさせて鑑賞するのは見所もあるが、きちんとした紙屋紙、陸奥紙などの厚ぼったいのに、古歌のありふれた歌が書かれているのなどは、実に興醒めな感じがするが、つとめて物思いに耽りなさるような時々には、お広げになっている。今の時代の人が好んでするような、読経をちょっとしたり、勤行などということは、とてもきまり悪いものとお考えになって、拝見する人もいないのだが、数珠などをお取り寄せにならない。このように万事きちんとしていらっしゃるのであった。
[1-5 乳母子の侍従と叔母]
侍従などと言った御乳母子だけが、長年お暇も取ろうともしない者としてお仕えしていたが、お出入りしていた斎院がお亡くなりなったりなどして、まことに生活が苦しく心細い気がしていたところ、この姫君の母北の方の姉妹で、落ちぶれて受領の北の方におなりになっていた人がいた。
娘たちを大切にしていて、見苦しくない若い女房たちも、「全然知らない家よりは、親たちが出入りしていた所を」と思って、時々出入りしている。この姫君は、このように人見知りするご性格なので、親しくお付き合いなさらない。
「わたしを軽蔑なさって、不名誉にお思いであったから、姫君のご生活が困窮しているようなのも、お見舞い申し上げられないのです」
などと、こ憎らしい言葉を言って聞かせては、時々手紙を差し上げた。
もともと生まれついたそのような並みの人は、かえって高貴な人の真似をすることに神経をつかって、お高くとまっている人も多くいるが、高貴なお血筋ながらも、こうまで落ちぶれる運命だったからであろうか、心が少し卑しい叔母だったのであった。
「わたしがこのように落ちぶれたさまを、軽蔑されていたのだから、何とかして、このような宮家の衰退した折に、この姫君を、自分の娘たちの召し使いにしたいものだ。考え方の古風なところがあるが、それはいかにも安心できる世話役といえよう」と思って、
「時々こちらにお出あそばして。お琴の音を聴きたがっている人がおります」
と申し上げた。この侍従も、いつもお勧めするが、人に張り合う気持ちからではないが、ただ大変なお引っ込み思案なので、そのように親しくなさらないのを、憎らしく思うのであった。
こうしているうちに、あの叔母の夫が、大宰大弍になった。娘たちをしかるべく縁づけて、筑紫に下向しようとする。この姫君を、なおも誘おうという執念が深くて、
「遥か遠方に、このように赴任することになりましたが、心細いご様子が、つねにお見舞い申し上げていたわけではありませんでしたが、近くにいるという安心感があった間はともかく、とても気の毒で心配でなりません」
などと、言葉巧みに言うが、まったくご承知なさらないので、
「まあ、憎らしい。ご大層なこと。自分一人お高くとまっていても、あのような薮原に過ごしていらっしゃる人を、大将殿も、大事にお思い申し上げないでしょう」
などと、恨んだり呪ったりしているのであった。
2 末摘花の物語 光る源氏帰京後
[2-1 顧みられない末摘花]
そうこうしているうちに、はたして天下に赦免されなさって、都にお帰りになるというので、世の中の慶事として大騷ぎする。自分も何とか、人より先に、深い誠意をご理解いただこうとばかりに、競い合っている男、女につけても、身分の貴い人も賤しい人も、人の心の動きを御覧になるにつけ、しみじみと考えさせられること、さまざまである。このように、あわただしいうちに、まったくお思い出しになる様子もなく月日が過ぎた。
「今はもうお終いだ。長い年月、ご不運な生活を、悲しくお気の毒なことと思いながらも、万物の蘇る春にめぐりあっていただきたいと願っていたが、とるにたらない下賤な者までが喜んでいるという、ご昇進などするのを、他人事として聞かねばならないのだった。悲しかった時の嘆かしさは、ただ自分ひとりのために起こったのだと思ったが、嘆いても甲斐のない仲だわ」とがっかりして、辛く悲しいので、人知れず声を立ててお泣きになるばかりである。
大弍の北の方、
「それ見たことか。いったい、このように不如意で、体裁の悪い人のご様子を、一人前にお扱いになる方がありましょうか。仏、聖も、罪の軽い人をよくお導きもなさるというものだが、このようなご様子で、偉そうに世間を見下しなさって、宮、上などが生きていらした時のままと同じようでいらっしゃる、ご高慢が、不憫なこと」
と、ますます馬鹿らしく思って、
「やはり、ご決心なさい。何かとうまく行かない時は、何も見なくてすむ山奥へ入りこむというものですよ。地方などは、むさ苦しい所とお思いでしょうが、むやみに体裁の悪いもてなしは、けっして、致しません」
などと、とても言葉巧みに言うと、すっかり元気をなくしている女房たちは、
「そのようにご承知なさってほしい。たいしたこともなさそうなお身の上を、どうお考えになって、このように意地をお張りになるのだろう」
と、ぶつぶつと非難する。
侍従も、あの大弍の甥に当たる人に、契りを結んで、残して行くはずもなかったので、不本意ながら出発することになって、
「お残し申したままで出立するのが、とても心残りです」
と言って、お誘い申し上げるが、やはり、このように離れてしばらくになってしまった方に期待をかけなさっている。お心の中では、「いくら何でも、時のたつうちには、お思い出しくださる機会のないことがあろうか。しみじみと深いお約束をなさったのだから、わが身の上はつらくて、このように忘れられているようであるが、風の便りにでも、わたしのこのようにひどい暮らしをお耳になさったら、きっとお訪ねになってくださるにちがいない」と、長年お思いになっていたので、おおよそのお住まいも以前より実に荒廃してひどいが、ご自分のお考えで、ちょっとした御調度類なども失くさないようにさせなさって、辛抱強く同じように堪え忍んでてお過ごしになっているのであった。
声を立てて泣き暮らしながら、ますます悲嘆に暮れていらっしゃるのは、まるで山人が赤い木の実一つを顔から放さないようにお見えになる、その横顔などは、普通の男性ではとても堪えて拝見できないご容貌である。詳しくお話し申し上げられない。お気の毒で、あまりに口が悪いようであるから。
[2-2 法華御八講]
冬になってゆくにつれて、ますます、すがりつくべきてだてもなく、悲しそうに物思いに沈んでお過ごしになる。あの殿におかれては、故院の御追善の御八講を、世間でも大騷ぎとなって盛大に催しなさる。特に僧侶などは、普通の僧はお召しにならず、学問の優れ修行を積んだ、高徳の僧だけをお選びあそばしたので、この禅師の君も参上なさっていた。
帰りがけにお立ち寄りになって、
「これこれでした。権大納言殿の御八講に参上しておったのです。たいそう立派で、この世の極楽浄土の装飾に負けず、荘厳で興趣のぜいをお尽くしになっていた。仏か菩薩の化身でいらっしゃるのだろう。五濁に深く染まっているこの世に、どうしてお生まれになったのだろう」
と言って、そのまますぐにお帰りになってしまった。
言葉少なで、世間の人と違ったご兄妹どうしであって、ちょっとした世間話でさえお交わしなされない。「それにしても、このように不甲斐ない身の上を、悲しく不安なままに放ってお過ごしになるとは、辛い仏菩薩様だわ」と、辛く思われるが、「いかにも、これきりの縁なのだろう」と、だんだんお考えになっているところに、大弐の北の方が、急に来た。
[2-3 叔母、末摘花を誘う]
いつもはそんなに親しくしないのに、お誘い申そうとの考えで、お召しになるご装束など準備して、よい車に乗って、顔つき、態度も、得意に物思いのない様子で、予告もなくやって来て、門を開けさせるや、見苦しく寂しい様子、この上もない。左右の戸もみな傾き倒れてしまっていたので、男どもが手助けして、あれこれと大騷ぎして開ける。どれがそれか、この寂しい宿にも必ず踏み分けた跡があるという三つの道はと、探し当てて行く。
かろうじて南面の格子を上げている一間に車を寄せたので、ますますどうしてよいか分からなくお思いになったが、あきれるくらい煤けた几帳を差し出して、侍従が出て来た。容貌など、衰えてしまっていた。長年のうちにひどくやせ細っているが、やはりどことなく品のある感じで、恐れ多いことであるが、姫君と取り替えたいくらいに見える。
「旅立とうと思いながらも、お気の毒な様子がお見捨て申し上げにくくて。侍従の迎えに参上しました。お嫌いになりよそよそしくして、ご自身ではちょっとでもお越しあそばされませんが、せめてこの人だけはお許しいただきたく思いまして。どうしてこのような寂しいさまで」
と言って、つい泣き出してしまうはずのところだ。けれども旅先に思いを馳せて、とても気分よさそうである。
「故宮がご存命でいらした時、わたしを不名誉な者とお思い捨てになっていらしたので、疎遠なようになってしまいましたが、今までにも、どうしてそう思ったでしょうか。高貴なお身の上に気位い高くお持ちになり、大将殿などがお通いになるご運勢のほどを、もったいなくも存ぜずにはいられませんでしたので、親しく交際させていただきますのも、遠慮いたすことが多くて、ご無沙汰いたしておりましたが、世の中がこのように定めないものなので、人数にも入らない身の上は、かえって気安いものでございました。及びもつかなく拝見いたしましたご様子が、実に悲しく気の毒なのを、近くにいますうちは御無沙汰いたしていた折も、そのうちにと呑気に思っておりましたが、このように遥か遠くに下ってしまうことになると、気がかりで悲しく存じられます」
などと話を持ち掛けるが、心を許してお返事もなさらない。
「とても嬉しいことですが、世間離れしたわたしなどには、どうして一緒に行けましょうか。こうしたまま朽ち果てようと存じております」
とだけおっしゃるので、
「なるほど、そのようにお思いになるのもごもっともですが、せっかく生きている身をだいなしにして、このように気味の悪い所に暮らしている例はございませんでしょう。大将殿がお手入れしてくだされば、うって変わって元の美しい御殿にもなり変わろうと、頼もしうございますが、ただ今のところは、式部卿宮の姫君より他には、心をお分けになる方もないということです。昔から浮気なお心で、かりそめにお通いになった人々は、みなすっかりお心が離れておしまいになったということです。ましてや、このようにみすぼらしい様子で、薮原にお過ごしになっていらっしゃる人を、貞淑に自分を頼っていらっしゃる様子だと、お訪ね申されることは、とても難しいことです」
などと説得するが、本当にそのとおりだとお思いになるのも、実に悲しくて、しみじみとお泣きになる。
[2-4 侍従、叔母に従って離京]
けれども、動きそうにもないので、一日中いろいろと説得したものの困りはてて、
「それでは、侍従だけでも」
と、日が暮れるままに急ぎ立てるので、気がせいて、泣く泣く、
「それでは、ともかく今日のところは。このようにお勧めになるお見送りだけでも参りましょう。あのように申されることもごもっともなことです。また一方、お迷いになることもごもっともなことですので、間に立って拝見するのも辛くて」
と、小声で申し上げる。
この人までが自分を見捨てて行ってしまおうとするのが、恨めしくも悲しくもお思いになるが、引き止めるすべもないので、ますます声を立てて泣くことばかりでいらっしゃる。
形見にお与えになるべき着用の衣も垢じみているので、長年の奉公に報いるべき物がなくて、ご自分のお髪の抜け落ちたのを集めて、鬘になさっていたのが、九尺余りの長さで、たいそうみごとなのを、風流な箱に入れて、昔の薫衣香のたいそう香ばしいのを、一壷添えてお与えになる。
「あなたを絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが
思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね
亡くなった乳母が、遺言なさったこともありましたから、不甲斐ない我が身であっても、最後までお世話してくれるものと思っていましたのに。見捨てられるのももっともなことですが、この後誰に世話を頼むのかと、恨めしくて」
と言って、ひどくお泣きになる。この人も、何も申し上げることができない。
「乳母の遺言は、もとより申し上げるまでもなく、長年の堪えがたい生活を堪えて参りましたのに、このように思いがけない旅路に誘われて、遥か遠くに彷徨い行くことになるとは」と言って、
「お別れしましてもお見捨て申しません
行く道々の道祖神にかたくお誓いしましょう
寿命だけは分りませんが」
などと言うと、
「どこにいますか。暗くなってしまいます」
と、ぶつぶつ言われて、心も上の空のまま引き出したので、振り返りばかりせずにはいられないのであった。
長年辛い思いをしながらも、お側を離れなかった人が、このように離れて行ってしまったことを、たいそう心細くお思いになると、世間では役に立ちそうにもない老女房までが、
「いやはや、無理もないことです。どうしてお残りになることがありましょうか。わたしたちも、とても我慢できそうにありませんわ」
と、それぞれに関係ある縁故を思い出して、残っていられないと思っているのを、体裁の悪いことだと聞いていらっしゃる。
[2-5 常陸宮邸の寂寥]
霜月ころになると、雪、霰の降る日が多くなって、他では消える間もあるが、朝日、夕日をさえぎる雑草や葎の蔭に深く積もって、越の白山が思いやられる雪の中で、出入りする下人さえもいなくて、所在なく物思いに沈んでいらっしゃる。とりとめもないお話を申し上げてお慰めし、泣いたり笑ったりしながらお気を紛らし申したりした人さえいなくなって、夜も塵の積った御帳台の中も、寄り添う人もなく、何となく悲しく思わずにはいらっしゃれない。
あちらの殿では、久々に再会した方に、ますます夢中なご様子で、たいして重要にお思いでない方々には、特別ご訪問もおできになれない。まして、「あの人はまだ生きていらっしゃるだろうか」という程度にお思い出しになる時もあるが、お訪ねになろうというお気持ちも急に起こらずにいるうちに、年も変わった。
3 末摘花の物語 久しぶりの再会の物語
[3-1 花散里訪問途上]
卯月ころに、花散里をお思い出し申されて、こっそりと対の上にお暇乞い申し上げてお出かけになる。数日来降り続いていた雨の名残、まだ少しぱらついて、風情ある折に、月が差し出ていた。昔のお忍び歩きが自然と思い出されて、優艷な感じの夕月夜に、途上、あれこれの事柄が思い出されていらっしゃるうちに、見るかたもなく荒れた邸で、木立が鬱蒼とした森のような所をお通り過ぎになる。
大きな松の木に藤が咲きかかって、月の光に揺れているのが、風に乗ってさっと匂うのが慕わしく、どれがそれからともない香りである。橘のとは違って風趣があるので、のり出して御覧になると、柳もたいそう長く垂れて、築地も邪魔しないから、乱れ臥していた。
「かつて見た感じのする木立だなあ」とお思いになると、それもそのはず、この宮邸なのであった。ひどく胸を打たれて、お車を止めさせなさる。例によって、惟光はこのようなお忍び歩きに外れることはないので、お供していたのであった。お召しになって、
「ここは常陸宮であったな」
「さようでございます」
と申し上げる。
「ここにいた人は、今も物思いに沈んでいるのだろうか。お見舞いすべきであるが、わざわざ訪ねるのも大げさでなる。このような機会に、入って便りをしてみよ。よく調べてから、言い出しなさい。人違いをしては馬鹿らしいから」
とおっしゃる。
こちらでは、ひとしお物思いのまさるころで、つくづくと物思いに沈んでいらっしゃると、昼寝の夢に故宮がお見えになったので、目が覚めて、実に名残が悲しくお思いになって、雨漏りがして濡れている廂の端の方を拭かせて、あちらこちらの御座所を取り繕わせてなどしながら、いつになく人並みになられて、
「亡き父上を恋い慕って泣く涙で袂の乾く間もないのに
荒れた軒の雨水までが降りかかる」
というのも、お気の毒なことであった。
[3-2 惟光、邸内を探る]
惟光が邸の中に入って、あちこちと人の音のする方はどこかと探すが、すこしも人影が見えない。「やはりそうだ、今までに行き帰りに覗いたことがあるが、人は住んでいないのだ」と思って、戻って参る時に、月が明るく照らし出したので、見ると、格子が二間ほど上がっていて、簾の動く気配である。やっと見つけた感じ、恐ろしくさえ思われるが、近寄って、訪問の合図をすると、ひどく老いぼれた声で、まずは咳払いしてから、
「そこにいる人は誰ですか。どのような方ですか」
と聞く。名乗りをして、
「侍従の君と申した方に、面会させていただきたい」
と言う。
「その人は、他へ行っておられます。けれども、同じように考えてくだっさてよい女房はおります」
と言う声は、ひどく年とっているが、聞いたことのある老人だと聞きつけた。
室内では、思いも寄らない、狩衣姿の男性が、ひっそりと振る舞い、物腰も柔らかなので、見馴れなくなってしまった目には、「もしや、狐などの変化のものではないか」と思われるが、近く寄って、
「はっきりと、お話を承りたい。昔と変わらないお暮らしならば、お訪ね申し上げなさるべきお気持ちも、今も変わらずにおありのようです。今宵も素通りしがたくて、お止まりあそばしたのだが、どのようにお返事申し上げましょう。どうぞご安心を」
と言うと、女房たちは笑って、
「お変わりあそばす御身の上ならば、このような浅茅が原をお移りにならずにおりましょうか。ただご推察申されてお伝えください。年老いた女房にとっても、またとあるまいと思われるほどの、珍しい身の上を拝見しながら過ごしてまいったのです」
と、ぽつりぽつりと話し出して、問わず語りもし出しそうなのが、厄介なので、
「よいよい、分かった。まずは、そのように、申し上げましょう」
と言って帰参した。
[3-3 源氏、邸内に入る]
「どうしてひどく長くかかったのだ。どうであったか。昔の面影も見えないほど雑草の茂っていることよ」
とおっしゃると、
「これこれの次第で、ようやく分かりました。侍従の叔母で少将と言いました老女が、昔と変わらない様子でおりました」
と、その様子を申し上げる。ひどく不憫な気持ちになって、
「このような蓬生の茂った中に、どのようなお気持ちでお過ごしになっていられたのだろう。今までお訪ねしなかったとは」
と、ご自分の薄情さを思わずにはいらっしゃれない。
「どうしたらよいものだろう。このような忍び歩きも難しいであろうから、このような機会でなかったら、立ち寄ることもできまい。昔と変わっていない様子ならば、なるほどそのようであろうと、推量されるお人柄である」
とはおっしゃるものの、すぐにお入りになること、やはり躊躇される。趣き深いご消息も差し上げたくお思いになるが、かつてご経験された返歌の遅いのも、まだ変わっていなかったなら、お使いの者が待ちあぐねるのも気の毒で、お止めになった。惟光も、
「とてもお踏み分けになれそうにない、ひどい蓬生の露けさでございます。露を少し払わせて、お入りあそばすよう」
と申し上げるので、
「誰も訪ねませんがわたしこそは訪問しましょう
道もないくらい深く茂った蓬の宿の姫君の変わらないお心を」
と独り言をいって、やはりお車からお下りになると、御前の露を、馬の鞭で払いながらお入れ申し上げる。
雨の雫も、やはり秋の時雨のように降りかかるので、
「お傘がございます。なるほど、木の下露は雨にまさって」
と申し上げる。御指貫の裾は、ひどく濡れてしまったようである。昔でさえあるかないかであった中門など、昔以上に跡形もなくなって、お入りになるにつけても、何の役に立たないのであるが、その場にいて見ている人がないのも気楽であった。
[3-4 末摘花と再会]
姫君は、いくら何でもとお待ち暮らしになっていた期待どおりで、嬉しいけれど、とても恥ずかしいご様子で面会するのも、たいそうきまり悪くお思いであった。大弐の北の方が差し上げておいたお召し物類も、不愉快にお思いであった人からの物ゆえに、見向きもなさらなかったが、この女房たちが、香の唐櫃に入れておいたのが、とても懐かしい香りが付いているのを差し上げたので、どうにも仕方がなく、お着替えになって、あの煤けた御几帳を引き寄せてお座りになる。
お入りになって、
「長年のご無沙汰にも、心だけは変わらずに、お思い申し上げていましたが、何ともおっしゃってこないのが恨めしくて、今まで様子をお伺い申し上げておりましたが、あのしるしの杉ではないが、その木立がはっきりと目につきましたので、通り過ぎることもできず、根くらべにお負け致しました」
とおっしゃって、帷子を少しかきやりなさると、例によって、たいそうきまり悪そうにすぐにも、お返事申し上げなさらない。こうまでして草深い中をお訪ねになったお心の浅くないことに、勇気を奮い起こして、かすかにお返事申し上げるのであった。
「このような草深い中にひっそりとお過ごしになっていらした年月のおいたわしさも、一通りではございませんが、また昔と心変わりしない性癖なので、あなたのお心中も知らないままに、分け入って参りました露けさなどを、どのようにお思いでしょうか。長年のご無沙汰は、それはまた、どなたからもお許しいただけることでしょう。今から後のお心に適わないようなことがあったら、言ったことに違うという罪も負いましょう」
などと、それほどにもお思いにならないことでも、深く愛しているふうに申し上げなさることも、いろいろあるようだ。
お泊まりになるのも、あたりの様子をはじめとして、目を背けたいご様子なので、体よく言い逃れなさって、お帰りになろうとする。ひき植えた松ではないが、松の木が高くなった長い歳月の程がしみじみと、夢のようであったお身の上の様子も自然とお思い続けられる。
「松にかかった藤の花を見過ごしがたく思ったのは
その松がわたしを待つというあなたの家の目じるしであったのですね
数えてみると、すっかり月日が積もってしまったようだね。都で変わったことが多かったのも、あれこれと胸が痛みます。そのうち、のんびりと田舎に離別して下ったという苦労話もすべて申し上げましょう。長年過ごして来られた折節のお暮らしの辛かったことなども、わたし以外の誰に訴えることがおできになれようかと、衷心より思われますのも、一方では、不思議なくらいに思われます」
などとお申し上げになると、
「長年待っていた甲斐のなかったわたしの宿を
あなたはただ藤の花を御覧になるついでにお立ち寄りになっただけなのですね」
とひっそりと身動きなさった気配も、袖の香りも、「昔よりは成長なされたか」とお思いになる。
月は入り方になって、西の妻戸の開いている所から、さえぎるはずの渡殿のような建物もなく、軒先も残っていないので、たいそう明るく差し込んでいるため、ここかしこが見えるが、昔と変わらないお道具類の様子などが、忍ぶ草に荒れているというよりも、雅やかに見えるので、昔物語に塔を壊したという人があったのをお考え併せになると、それと同じような状態で歳月を経て来たことも胸を打たれる。ひたすら遠慮している態度が、そうはいっても上品なのも、奥ゆかしく思わずにはいらっしゃれなくて、それを取柄と思って忘れまいと気の毒に思っていたが、ここ数年のさまざまな悩み事に、うっかり疎遠になってしまった間、さぞ薄情者だと思わずにはいられなかっただろうと、不憫にお思いになる。
あの花散里も、人目に立つ当世風になどはなやかになさらない所なので、比較しても大差はないので、欠点も多く隠れるのであった。
4 末摘花の物語 その後の物語
[4-1 末摘花への生活援助]
賀茂祭、御禊などのころ、ご準備などにかこつけて、人々が献上した物がいろいろと多くあったので、しかるべき夫人方にお心づけなさる。中でもこの宮には細々とお心をかけなさって、親しい人々にご命令をお下しになって、下べ連中などを遣わして、雑草を払わせ、周囲が見苦しいので、板垣というもので、しっかりと修繕させなさる。このようにお訪ねになったと、噂するにつけても、ご自分にとって不名誉なので、お渡りになることはない。お手紙をたいそう情愛こまやかにお認めになって、二条院近くの所をご建築なさっているので、
「そこにお移し申し上げましょう。適当な童女など、お探しになって仕えさせなさい」
などと、女房たちのことまでお気を配りになって、お世話申し上げなさるので、このようにみすぼらしい蓬生の宿では、身の置きどころのないまで、女房たちも空を仰いで、そちらの方角を向いてお礼申し上げるのであった。
かりそめのお戯れにしても、ありふれた普通の女性には、目を止めたり聞き耳を立てたりはなさらず、世間で少しでもこの人はと噂されたり、心に止まる点のある女性をお求めなさるものと、皆思っていたが、このように予想を裏切って、どのような点においても人並みでない方を、ひとかどの人物としてお扱いなさるのは、どのようなお心からであったのであろうか。これも前世からのお約束なのであろうよ。
[4-2 常陸宮邸に活気戻る]
もうこれまでだと、馬鹿にしきって、それぞれさまよい離散して行った上下の女房たち、我も我もとお仕えし直そうと、争って願い出て来る者もいる。気立てなど、それはそれはで、引っ込み思案なまでによくていらっしゃるご様子ゆえに、気楽な宮仕えに慣れて、これといったところのないつまらない受領などのような家にいる女房は、今までに経験したこともないきまりの悪い思いをするのもいて、げんきんな心をあけすけにして帰って参り、源氏の君は、以前にも勝るご権勢となって、何かにつけて物事の思いやりもさらにお加わりになったので、細々と指図して置かれているので、明るく活気づいて、宮邸の中がだんだんと人の姿も多くなり、木や草の葉もただすさまじくいたわしく見えたのを、遣水を掃除し、前栽の根元をさっぱりなどさせて、大して目をかけていただけない下家司で、格別にお仕えしたいと思う者は、このようにご寵愛になるらしいと見てとって、ご機嫌を伺いながら、追従してお仕え申し上げている。
[4-3 末摘花のその後]
二年ほどこの古いお邸に寂しくお過ごしになって、東の院という所に、後はお移し申し上げたのであった。お逢いになることなどは、とても難しいことであるが、近い敷地内なので、普通にお渡りになった時、お立ち寄りなどなさっては、そう軽々しくお扱い申し上げなさらない。
あの大弐の北の方が、上京して来て驚いた様子や、侍従が、嬉しく思う一方で、もう少しお待ち申さなかった思慮の浅さを、恥ずかしく思っていたところなどを、もう少し問わず語りもしたいが、ひどく頭が痛く、厄介で、億劫に思われるので。今後また機会のある折に思い出してお話し申し上げよう、ということである。
16. 関屋
光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの空蝉の物語
- 空蝉、夫と常陸国下向---伊予介と言った人は、故院が御崩御あそばして
- 源氏、石山寺参詣---逢坂の関に入る日、ちょうど、この殿が、石山寺にご願果たしに
- 逢坂の関での再会---九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が
1 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語
- 昔の小君と紀伊守---石山寺からお帰りになるお出迎えに右衛門佐が参上して
- 空蝉へ手紙を贈る---右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。「今では
2 空蝉の物語 手紙を贈る
- 夫常陸介死去---こうしているうちに、常陸介は、年取ったためか
- 空蝉、出家す---暫くの間は、「あのようにご遺言なさったのだから」などと
3 空蝉の物語 夫の死去後に出家
1 空蝉の物語 逢坂関での再会の物語
[1-1 空蝉、夫と常陸国下向]
伊予介と言った人は、故院が御崩御あそばして、その翌年に、常陸介になって下行したので、あの帚木も一緒に連れられて行ったのであった。須磨でのご生活も遥か遠くに聞いて、人知れずお偲び申し上げないではなかったが、お便りを差し上げる手段さえなくて、筑波嶺を吹き越して来る風聞も、不確かな気がして、わずかの噂さえ聞かなくて、歳月が過ぎてしまったのだった。いつまでとは決まっていなかったご退去であったが、京に帰り住まわれることになって、その翌年の秋に、常陸介は上京したのであった。
[1-2 源氏、石山寺参詣]
逢坂の関に入る日、ちょうど、この殿が、石山寺にご願果たしに参詣なさったのであった。京から、あの紀伊守などといった子どもや、迎えに来た人々、「この殿がこのように参詣なさる予定だ」と告げたので、「道中、きっと混雑するだろう」と思って、まだ暁のうちから急いだが、女車が多く、道いっぱいに練り歩いて来たので、日が高くなってしまった。
打出の浜にやって来た時に、「殿は、粟田山を既にお越えになった」と言って、御前駆の人々が、道も避けきれないほど大勢入り込んで来たので、関山で皆下りてかしこまって、あちらこちらの杉の木の下に幾台もの車の轅を下ろして、木蔭に座りかしこまってお通し申し上げる。車などは行列の一部は遅らせたり、先にやったりしたが、それでもなお、一族が多く見える。
車十台ほどから、袖口、衣装の色合いなども、こぼれ出て見えるのが、田舎風にならず品があって、斎宮のご下向か何かの時の物見車が自然とお思い出しになられる。殿も、このように世に栄え出なされた珍しさに、数知れない御前駆の者たちが、皆目を留めた。
[1-3 逢坂の関での再会]
九月の晦日なので、紅葉の色とりどりに混じり、霜枯れの叢が趣深く見わたされるところに、関屋からさっと現れ出た何人もの旅姿の、色とりどりの狩襖に似つかわしい刺繍をし、絞り染めした姿も、興趣深く見える。お車は簾を下ろしなさって、あの昔の小君、今、右衛門佐である者を召し寄せて、
「今日のお関迎えは、無視なさるまいな」
などとおっしゃる、ご心中、まことにしみじみとお思い出しになることが数多いけれど、ありきたりの伝言では何の効もない。女も人知れず昔のことを忘れないので、あの頃を思い出して、しみじみと胸一杯になる。
「行く人と来る人の逢坂の関で、せきとめがたく流れるわたしの涙を
絶えず流れる関の清水と人は見るでしょう
お分かりいただけまい」と思うと、本当に効ない。
2 空蝉の物語 手紙を贈る
[2-1 昔の小君と紀伊守]
石山寺からお帰りになるお出迎えに右衛門佐が参上して、そのまま行き過ぎてしまったお詫びなどを申し上げる。昔、童として、たいそう親しくかわいがっていらっしゃったので、五位の叙爵を得たまで、この殿のお蔭を蒙ったのだが、思いがけない世の騒動があったころ、世間の噂を気にして、常陸国に下行したのを、少し根に持ってここ数年はお思いになっていたが、顔色にもお出しにならず、昔のようにではないが、やはり親しい家人の中には数えていらっしゃっるのであった。
紀伊守と言った人も、今は河内守になっていたのであった。その弟の右近将監を解任されてお供に下った者を、格別にお引き立てになったので、そのことを誰も皆思い知って、「どうしてわずかでも、世におもねる心を起こしたのだろう」などと、後悔するのであった。
[2-2 空蝉へ手紙を贈る]
右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。「今ではお忘れになってしまいそうなことを、いつまでも変わらないお気持ちでいらっしゃるなあ」と思った。
「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。
偶然に逢坂の関でお逢いしたことに期待を寄せていましたが
それも効ありませんね、やはり潮海でない淡海だから
関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」
とある。
「長年の御無沙汰も、いまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分で。あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」
と言って、お渡しになったので、恐縮して持って行って、
「とにかく、お返事なさいませ。昔よりは少しお疎んじになっているところがあろうと存じましたが、相変わらぬお気持ちの優しさといったら、ひとしおありがたい。浮気事の取り持ちは、無用のことと思うが、とてもきっぱりとお断り申し上げられません。女の身としては、負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難も受けますまい」
などと言う。今では、更にたいそう恥ずかしく、すべての事柄、面映ゆい気がするが、久しぶりの気がして、堪えることができなかったのであろうか、
「逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか
こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう
夢のような心地がします」
と申し上げた。いとしさも恨めしさも、忘られない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。
3 空蝉の物語 夫の死去後に出家
[3-1 夫常陸介死去]
こうしているうちに、常陸介は、年取ったためか、病気がちになって、何かと心細い気がしたので、子どもたちに、もっぱらこの君のお事だけを遺言して、
「万事の事、ただこの母君のお心にだけ従って、わたしの在世中と変わりなくお仕えせよ」
とばかり、明けても暮れても言うのであった。
女君の、「辛い運命の下に生まれて、この人にまで先立たれて、どのように落ちぶれて途方に暮れることになっていくのだろうか」と、思い嘆いていらっしゃるのを見ると、
「命には限りがあるものだから、惜しんだとて止めるすべはない。何とかして、この方のために残して置く魂があったらいいのだが。わが子どもの気心も分からないから」
と、気掛かりで悲しいことだと、口にしたり思ったりしたが、思いどおりに行かないもので、亡くなってしまった。
[3-2 空蝉、出家す]
暫くの間は、「あのようにご遺言なさったのだから」などと、情けのあるように振る舞っていたが、うわべだけのことであって、辛いことが多かった。それもこれもみな世の道理なので、わが身一つの不幸として、嘆きながら毎日を暮らしている。ただ、この河内守だけは、昔から好色心があって、少し優しげに振る舞うのであった。
「しみじみとご遺言なさってもおり、至らぬ者ですが、何なりとご遠慮なさらずにおっしゃってください」
などと機嫌をとって近づいて来て、実にあきれた下心が見えたので、
「辛い運命の身で、このように生き残って、終いには、とんでもない事まで耳にすることよ」
と、人知れず思い悟って、他人にはそれとは知らせずに、尼になってしまったのであった。
仕えている女房たち、何とも言いようがないと、悲しみ嘆く。河内守もたいそう辛く、
「わたしをお嫌いになってのことに。まだ先の長いお年でいらっしゃろうに。これから先、どのようにしてお過ごしになるのか」
などと、つまらぬおせっかいだなどと、申しているようである。
17. 絵合
光る源氏の内大臣時代31歳春の後宮制覇の物語
- 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する---前斎宮のご入内のこと
- 源氏、朱雀院の心中を思いやる---「院のご様子は、女性として
- 帝と弘徽殿女御と斎宮女御---中宮も宮中においであそばしたのであった
- 源氏、朱雀院と語る---院におかせられては、あの櫛の箱のお返事を
1 前斎宮の物語 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執
- 権中納言方、絵を集める---主上は、いろいろのことの中でも、特に絵に
- 源氏方、須磨の絵日記を準備---「とりわけ物語絵は、趣向も現れて
- 3月10日、中宮の御前の物語絵合せ---このように幾つもの絵を集めていらっしゃるとお聞きになって
- 「竹取」対「宇津保」---中宮も参内あそばしていらっしゃる時なので
- 「伊勢物語」対「正三位」---次に、『伊勢物語』と『正三位』を
2 後宮の物語 中宮の御前の物語絵合せ
- 帝の御前の絵合せの企画---内大臣が参上なさって、このようにそれぞれが優劣を競い合っている
- 3月20日過ぎ、帝の御前の絵合せ---何日と決めて、急なようであるが
- 左方、勝利をおさめる---勝負がつかないで夜に入った。左方、なお一番残っている最後に
3 後宮の物語 帝の御前の絵合せ
- 学問と芸事の清談---夜明けが近くなったころに
- 光る源氏体制の夜明け---二十日過ぎの月がさし出して
- 冷泉朝の盛世---その当時のことぐさには
- 嵯峨野に御堂を建立---内大臣は、やはり無常なものと世の中をお思いになって
4 光る源氏の物語 光る源氏世界の黎明
1 前斎宮の物語 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執
[1-1 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する]
前斎宮のご入内のこと、中宮が御熱心に御催促申される。こまごまとしたお世話まで、これといったご後見役もいないとご心配になるが、大殿は、朱雀院がお聞きあそばすことをはばかりなさって、二条の院にお迎え申すことをも、この度はご中止になって、まったく知らない顔に振る舞っていらっしゃるが、一通りの準備は、受け持って親のように世話してお上げになる。
朱雀院はたいそう残念に思し召されるが、体裁が悪いので、お手紙なども絶えてしまっていたが、その当日になって、何ともいえない素晴らしいご装束の数々、お櫛の箱、打乱の箱、香壷の箱など幾つも、並大抵のものでなく、いろいろのお薫物の数々、薫衣香のまたとない素晴らしいほどに、百歩の外を遠く過ぎても匂うくらいの、特別に心をこめてお揃えあそばした。内大臣が御覧になろうからと、前々から御準備あそばしていたのであろうか、いかにも特別誂えといった感じのようである。
殿もお渡りになっていた時なので、「これこれの次第で」と言って、女別当が御覧に入れさせる。ちょっと、お櫛の箱の片端を御覧になると、この上もなく精巧で優美に、めったにない作りである。さし櫛の箱の心葉に、
「別れの御櫛を差し上げましたが、それを口実に
あなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになったのでしょうか」
大臣、これを御覧になって、いろいろとお考えめぐらすと、たいそう恐れ多く、おいたわしくて、ご自分の性癖の、ままならぬ恋に惹かれるわが身をつまされて、
「あのお下りになった時、お心にお思いになっただろうこと、このように何年も経ってお帰りになって、そのお気持ちを遂げられる時に、このように意に反することが起こったのを、どのようにお思いであろう。御位を去り、もの静かに過ごしていらして、世を恨めしくお思いだろうか」などと、「自分がその立場であったなら、きっと心を動かさずにはいられないだろう」と、お思い続けなさると、お気の毒になって、「どうしてこのような無理強引なことを思いついて、おいたわしくお苦しめ悩ますのだろう。恨めしいとも、お思い申したが、また一方では、お優しく情け深いお気持ちの方を」などと、お思い乱れなさって、しばらくは物思いに耽っていらっしゃった。
「このご返歌は、どのように申し上げあそばすのでしょうか。また、お手紙はどのように」
などと、お尋ね申し上げなさるが、とても具合が悪いので、お手紙はお出しになれない。宮はご気分も悪そうにお思いになって、ご返事をとても億劫になさったが、
「ご返事申されないのも、とても情けなく、恐れ多いことでしょう」
と、女房たちが催促申し上げ困っている様子をお聞きになって、
「とても良くないことです。かたちだけでもご返事差し上げなさいませ」
と申し上げなさるにつけても、ひどく恥ずかしいが、昔のことをお思い出しになると、たいそう優しくお美しくいらして、ひどくお泣きになったご様子を、どことなくしみじみと拝見なさった子供心にも、つい昨日のことと思われると、故御息所のお事など、それからそれへとしみじみと悲しく思い出さずにはいらっしゃれないので、ただこのように、
「別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が
帰京した今となっては悲しく思われます」
と、ぐらいにあったのであろうか。お使いへの禄、身分に応じてお与えになる。大臣は、お返事をひどく御覧になりたくお思いになったが、お口にはお出しになれない。
[1-2 源氏、朱雀院の心中を思いやる]
「院のご様子は、女性として拝見したい美しさだが、この宮のご様子も不似合いでなく、とても似つかわしいお間柄のようであるが、主上は、まだとてもご幼少でいらっしゃるようなので、このように無理にお運び申すことを、人知れず、不快にお思いでいらっしゃろうか」などと、立ち入ったことまで想像なさって、胸をお痛めになるが、今日になって中止するわけにもいかないので、万事しかるべきさまにお命じになって、ご信頼になっている参議兼修理大夫に委細お世話申し上げるべくお命じになって、宮中に参内なさった。
「表立った親のようには、お考えいただかれないように」と、院にご遠慮申されて、ただご挨拶程度と、お見せになった。優れた女房たちが、もともと大勢いる宮邸なので、里に引き籠もりがちであった女房たちも参集して、実にまたとなく、その感じは理想的である。
「ああ、生きていらしたら、どんなにかお世話の仕甲斐のあることに思って、お世話なさったことだろう」と、故人のご性質をお思い出しになるにつけ、「特別な関係を抜きにして考えれば、まことに惜しむべきお人柄であったよ。ああまではいらっしゃれないものだ。風流な面では、やはり優れて」と、何かの時々にはお思い出し申し上げなさる。
[1-3 帝と弘徽殿女御と斎宮女御]
中宮も宮中においであそばしたのであった。主上は、新しい妃が入内なさるとお耳にあそばしたので、たいそういじらしく緊張なさっていらっしゃる。お年よりはたいそうおませで大人びていらっしゃる。中宮も、
「このような立派な妃が入内なさるのだから、よくお気をつけてお会い申されませ」
と申し上げなさるのであった。
お心の中で、「大人の妃は気がおけるのではなかろうか」とお思いであったが、たいそう夜が更けてからご入内なさった。実に慎み深くおっとりしていて、小柄で華奢な感じがしていらっしゃるので、たいそうおきれいな、とお思いになったのであった。
弘徽殿女御には、おなじみになっていらしたので、親しくかわいく気がねなくお思いになり、この方は、人柄も実に落ち着いて、気が置けるほどで、内大臣のご待遇も丁重で重々しいので、軽々しくはお扱いできにくく自然お思いになって、御寝の伺候などは対等になるが、気を許した子供どうしのお遊びなどに、昼間などにお出向きになることは、あちら方に多くいらっしゃる。
権中納言は、考えるところがあってご入内おさせ申したのだが、このように入内なさって、ご自分の娘と競争する形で伺候なさるのを、何かにつけて穏やかならずお思いのようである。
[1-4 源氏、朱雀院と語る]
院におかせられては、あの櫛の箱のお返事を御覧になったにつけても、お諦めにくくお思いであった。
そのころ、内大臣が参上なさったので、しみじみとお話なさった。事のついでに、斎宮がお下りになったこと、以前にもお話し出されたので、お口に出されたが、あのように恋い慕っていたお気持ちがあったなどとは、お打ち明けになれない。大臣も、このようなご意向を知っているふうに顔にはお出しにならず、ただ「どうお思いでいらっしゃるか」とだけ知りたくて、何かとあの御事をお話に出されると、御傷心の御様子、並々ならず窺えるので、たいそう気の毒にお思いになる。
「素晴らしい器量だと、御執着していらっしゃるご容貌、いったいどれほどの美しさなのか」と、拝見したくお思い申されるが、まったく拝見おできになれないのを悔しくお思いになる。
まことに重々しくて、仮にも子どもっぽいお振る舞いなどがあれば、自然とちらりとお見せになることもあろうが、奥ゆかしいお振る舞いが深くなっていく一方なので、拝見するにつれて、実に理想的だとお思い申し上げた。
このように隙間もない状態で、お二方が伺候していらっしゃるので、兵部卿宮、すらすらとはご決意になれず、「主上が、御成人あそばしたら、いくらなんでも、お見捨てあそばすことはあるまい」と、その時機をお待ちになる。お二方の御寵愛は、それぞれに競い合っていらっしゃる。
2 後宮の物語 中宮の御前の物語絵合せ
[2-1 権中納言方、絵を集める]
主上は、いろいろのことの中でも、特に絵に興味をお持ちでいらっしゃった。取り立ててお好みあそばすせいか、並ぶ者がなく上手にお描きあそばす。斎宮の女御、たいそう上手にお描きあそばすことができるので、この方にお心が移って、しじゆうお渡りになっては、互いに絵を描き心を通わせ合っていらっしゃる。
殿上の若い公達でも、この事を習う者をお目に掛けになり、お気に入りにあそばしたので、なおさらのこと、お美しい方が、趣のあるさまに、型にはまらずのびのびと描き、優美に物に寄り掛かって、ああかこうかと筆を止めて考えていらっしゃるご様子、そのかわいらしさにお心捉えられて、たいそう頻繁にお渡りあそばして、以前にもまして格段に御寵愛が深くなったのを、権中納言、お聞きになって、どこまでも才気煥発な現代風なご性分で、「自分は人に負けるものか」と心を奮い立てて、優れた名人たちを呼び集めて、厳重な注意を促して、またとない素晴らしい絵の数々を、またとない立派な幾枚もの紙に描き集めさせなさる。
「物語絵こそ、心ばへ見えて、見所あるものなれ」
「とりわけ物語絵は、趣向も現れて、見応えのあるものだ」
と言って、おもしろく興趣ある場面ばかりを選んでは描かせなさる。普通の月次の絵も、目新しい趣向に、詞書を書き連ねて、御覧に供される。
特別に興趣深く描いてあるので、また、こちらで御覧あそばそうとすると、気安くお取り出しにならず、ひどく秘密になさって、こちらの御方へ御持参あそばそうとするのを惜しんで、お貸しなさらないので、内大臣、お聞きになって、
「相変わらず、権中納言のお心の大人げなさは、変わらないな」
などとお笑いになる。
「むやみに隠して、素直に御覧に入れず、お気を揉ませ申すのは、ひどくけしからぬことだ。古代の御絵の数々ございます、差し上げましょう」
と奏上なさって、殿に古いのも新しいのも、幾つもの絵の入っている御厨子の数々を開けさせになさって、女君と一緒に、「現代風なのは、これだあれだ」と、お選び揃えなさる。
「長恨歌」「王昭君」などのような絵は、おもしろく感銘深いものだが、「縁起でないものは、このたびは差し上げまい」とお見合わせになる。
あの旅の御日記の箱をもお取り出しになって、この機会に、女君にもお見せ申し上げになったのであった。ご心境を深く知らなくて今初めて見る人でさえ、多少物の分かるような人ならば、涙を禁じえないほどのしみじみと感銘深いものである。まして、忘れがたく、その当時の夢のような体験をお覚ましになる時とてないお二方にとっては、当時に戻ったように悲しく思い出さずにはいらっしゃれない。今までお見せにならなかった恨み言を申し上げなさるのであった。
「独り京に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる
干潟を絵に描いていたほうがよかったわ
頼りなさも、慰められもしましたでしょうに」
とおっしゃる。まことにもっともだと、お思いになって、
「辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた
再び過去を思い出していっそう涙が流れて来ます」
中宮だけにはぜひともお見せ申し上げなければならないものである。不出来でなさそうなのを一帖ずつ、何といっても浦々の景色がはっきりと描き出されているのを、お選びになる折にも、あの明石の住居のことが、まっさきに、「どうしているだろうか」とお思いやりにならない時がない。
[2-3 3月10日、中宮の御前の物語絵合せ]
このように幾つもの絵を集めていらっしゃるとお聞きになって、権中納言、たいそう対抗意識を燃やして、軸、表紙、紐の飾りをいっそう調えなさる。
三月の十日ころなので、空もうららかで、人の心ものびのびとし、ちょうどよい時期なので、宮中あたりでも、節会と節会の合間なので、ただこのようなことをして、どなたもどなたもお過ごしになっていらっしゃるのを、同じことなら、いっそう興味深く御覧あそばされるようにして差し上げようとのお考えになって、たいそう特別に集めて献上させなさった。
こちら側からとあちら側からと、いろいろと多くあった。物語絵は、精巧でやさしみがまさっているようなのを、梅壷の御方では、昔の物語、有名で由緒ある絵ばかり、弘徽殿の女御方では、現代のすばらしい新作で、興趣ある絵ばかりを選んで描かせなさったので、一見したところの華やかさでは、実にこの上なく勝っていた。
主上付きの女房なども、絵に嗜みのある人々はすべて、「これはどうの、あれはどうの」などと批評し合うのを、近頃の仕事にしているようである。
[2-4 「竹取」対「宇津保」]
中宮も参内あそばしていらっしゃる時なので、あれやこれや、お見逃しになれなくお思いのことなので、御勤行も怠りながら御覧になる。この人々が銘々に議論しあうのをお聞きあそばして、左右の組にお分けあそばす。
梅壷の御方には、平典侍、侍従内侍、少将命婦。右方には、大弍典侍、中将命婦、兵衛命婦を、当時のすぐれた識者たちとして、思い思いに論争する弁舌の数々を、興味深くお聞きになって、最初、物語の元祖である『竹取の翁』と『宇津保の俊蔭』を番わせて争う。
「なよ竹の代々に歳月を重ねたこと、特におもしろいことはないけれども、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに気位も高く天に昇った運勢は立派で、神代のことのようなので、思慮の浅い女には、きっと分らないでしょう」
と言う。右方は、
「かぐや姫が昇ったという雲居は、おっしゃるとおり、及ばないことなので、誰も知ることができません。この世での縁は、竹の中に生まれたので、素性の卑しい人と思われます。一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い光と並んで妃にならずに終わってしまいました。阿部の御主人が千金を投じて、火鼠の裘に思いを寄せて片時の間に消えてしまったのも、まことにあっけないことです。車持の親王が、真実の蓬莱の神秘の事情を知りながら、偽って玉の枝に疵をつけたのを欠点とします」
絵は、巨勢相覧、書は、紀貫之が書いたものであった。紙屋紙に唐の綺を裏張りして、赤紫の表紙、紫檀の軸、ありふれた表装である。
「俊蔭は、激しい波風に溺れ、知らない国に流されましたが、やはり、目ざしていた目的を叶えて、遂に、外国の朝廷にもわが国にも、めったにない音楽の才能を知らせ、名を残した昔の伝えからいうと、絵の様子も、唐土と日本とを取り合わせて、興趣深いこと、やはり並ぶものがありません」
と言う。白い色紙、青い表紙、黄色の玉の軸である。絵は、飛鳥部常則、書は、小野道風なので、現代風で興趣深そうで、目もまばゆいほどに見える。左方には、反論の言葉がない。
[2-5 「伊勢物語」対「正三位」]
次に、『伊勢物語』と『正三位』を番わせて、また結論がでない。これも、右方は興味深く華やかで、宮中あたりをはじめとして、近頃の様子を描いたのは、興趣深く見応えがする。
平典侍は、
「『伊勢物語』の深い心を訪ねないで
単に古い物語だからといって価値まで落としめてよいものでしょうか
世間普通の色恋事のおもしろおかしく書いてあることに気押されて、業平の名を汚してよいものでしょうか」
と、反論しかねている。右方の大弍の典侍は、
「雲居の宮中に上った『正三位』の心から見ますと
『伊勢物語』の千尋の心も遥か下の方に見えます」
「兵衛の大君の心高さは、なるほど捨てがたいものですが、在五中将の名は、汚すことはできますまい」
と仰せになって、中宮は、
「ちょっと見た目には古くさく見えましょうが
昔から名高い『伊勢物語』の名を落とすことができましょうか」
このような女たちの論議で、とりとめもなく優劣を争うので、一巻の判定に数多くの言葉を尽くしても容易に決着がつかない。ただ、思慮の浅い若い女房たちは、死ぬほど興味深く思っているが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、その一部分さえ見ることができないほど、たいそう隠していらっしゃった。
3 後宮の物語 帝の御前の絵合せ
[3-1 帝の御前の絵合せの企画]
内大臣が参上なさって、このようにそれぞれが優劣を競い合っている気持ちを、おもしろくお思いになって、
「同じことなら、主上の御前において、この優劣の決着をつけましょう」
と、おっしゃるまでになった。このようなこともあろうかと、以前からお思いになっていたので、その中でも特別なのは選び残していらっしゃったが、あの「須磨」「明石」の二巻は、お考えになるところがあって、お加えになったのであった。
権中納言も、そのお気持ちは負けていない。最近の世では、ただこのような美しい紙絵を揃えること、世の中の流行になっていた。
「今新たに描くことは、つまらないことだ。ただ持っているものだけで」
とおっしゃったが、権中納言は他人にも見せないで、秘密の部屋を準備して、お描かせになったが、院におかれても、このような騷ぎがあるとお耳にあそばして、梅壷に幾つかの御絵を差し上げなさった。
一年の内の数々の節会のおもしろく興趣ある様を、昔の名人たちがそれぞれに描いた絵に、延喜の帝がお手ずからその趣旨をお書きあそばしたものや、また御自身の御世のこともお描かせになった巻に、あの斎宮がお下りになった日の、大極殿での儀式を、お心に刻みこまれてあったので、描くべきさまを詳しく仰せになって、巨勢公茂がお描き申したのが、たいそう素晴らしいのを差し上げなさった。
優美に透かし彫りのある沈の箱に、同じ趣旨の心葉のさまなど、実に現代的である。お便りはただ口上だけで、院の殿上に伺候する左近中将をご使者としてあった。あの大極殿の御輿を寄せた場面の、神々しい絵に、
「わが身はこのように内裏の外におりますが
あの当時の気持ちは今でも忘れずにおります」
とだけある。お返事申し上げなさらないのも、たいそう恐れ多いので、辛くお思いになりながら、昔のお簪の端を少し折って、
「内裏の中は昔とすっかり変わってしまった気がして
神にお仕えしていた昔のことが今は恋しく思われます」
とお書きになって、縹の唐の紙に包んで差し上げなさる。ご使者への禄などは、たいそう優美である。
院の帝が御覧になって、限りなくお心がお動きになるにつけ、御在位中のころを取り戻したく思し召すのであった。内大臣をひどいとお思い申しあそばしたことであろう。過去の御報いでもあったのであろうか。
院の御絵は、大后の宮から伝わって、あの弘徽殿の女御のお方にも多く集まっているのであろう。尚侍の君も、このようなご趣味は人一倍優れていて、興趣深い絵を描かせては集めていらっしゃる。
[3-2 3月20日過ぎ、帝の御前の絵合せ]
何日と決めて、急なようであるが、興趣深いさまにちょっと設備をして、左右の数々の御絵を差し出させなさる。女房が伺候する所に玉座を設けて、北と南とにそれぞれ分かれて座る。殿上人は、後涼殿の簀子に、それぞれが心を寄せながら控えている。
左方は、紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。姿、心用意など、並々でなく見える。
右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、脚結いの組紐、華足の趣など、現代的である。童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵を着ている。
皆、御前に御絵を並べ立てる。主上つきの女房、前に後に、装束の色を分けている。
お召しがあって、内大臣、権中納言、参上なさる。その日、帥宮も参上なさった。たいそう風流でいらっしゃるうちでも、絵を特にお嗜みでいらっしゃるので、内大臣が、内々お勧めになったのでもあろうか、仰々しいお招きではなくて、殿上の間にいらっしゃるのを、御下命があって御前に参上なさる。
この判者をお勤めになる。たいそう、なるほど上手に筆の限りを尽くしたいくつもの絵がある。全然判定することがおできになれない。
例の四季の絵も、昔の名人たちがおもしろい画題を選んでは、筆もすらすらと描き流してある風情、譬えようがないと見ると、紙絵は紙幅に限りがあって、山水の豊かな趣を現し尽くせないものなので、ただ筆先の技巧、絵師の趣向の巧みさに飾られているだけで、当世風の浅薄なのも、昔のに劣らず、華やかで実におもしろい、と見える点では優れていて、多数の論争なども、今日は両方ともに興味深いことが多かった。
朝餉の間の御障子を開けて、中宮も御覧になっていらっしゃるので、深く絵に御精通であろうと思うと、内大臣もたいそう素晴らしいとお思いになって、所々の判定の不安な折々には、時々ご意見を述べなさった様子、理想的である。
[3-3 左方、勝利をおさめる]
勝負がつかないで夜に入った。左方、なお一番残っている最後に、「須磨」の絵巻が出て来たので、権中納言のお心、動揺してしまった。あちらでも心づもりして、最後の巻は特に優れた絵を選んでいらっしゃったのだが、このような大変な絵の名人が、心ゆくばかり思いを澄ませて心静かにお描きになったのは、譬えようがない。
親王をはじめまいらせて、感涙を止めることがおできになれない。あの当時に、「お気の毒に、悲しいこと」とお思いになった時よりも、お過ごしになったという所の様子、どのようなお気持ちでいらしたかなど、まるで目の前のことのように思われ、その土地の風景、見たこともない浦々、磯を隈なく描き現していらっしゃった。
草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて、正式の詳しい日記ではなく、しみじみとした歌などが混じっている、その残りの巻が見たいくらいである。誰も他人事とは思われず、いろいろな御絵に対する興味、これにすっかり移ってしまって、感慨深く興趣深い。万事みなこの絵日記に譲って、左方、勝ちとなった。
4 光る源氏の物語 光る源氏世界の黎明
[4-1 学問と芸事の清談]
夜明けが近くなったころに、何となくしみじみと感慨がこみ上げてきて、お杯など傾けなさる折に、昔のお話などが出てきて、
「幼いころから、学問に心を入れておりましたが、少し学才などがつきそうに御覧になったのでしょうか、故院が仰せになったことに、『学問の才能というものは、世間で重んじられるからであろうか、たいそう学問を究めた人で、長寿と、幸福とが並んだ者は、めったにいないものだ。高い身分に生まれ、そうしなくても人に劣ることのない身分なのだから、むやみにこの道に深入りするな』と、お諌めあそばして、正式な学問以外の芸を教えてくださいましたが、出来の悪いものもなく、また特にこのことはと上達したこともございませんでした。ただ、絵を描くことだけが、妙なつまらないことですが、どうしたら心のゆくほど描けるだろうかと、思う折々がございましたが、思いもよらない賤しい身の上となって、四方の海の深い趣を見ましたので、まったく思い至らぬ所のないほど会得できましたが、絵筆で描くにはは限界がありまして、心で思うとおりには事の運ばぬように存じられましたが、機会がなくて、御覧に入れるわけにも行きませんので、このように物好きのようなのは、後々に噂が立ちましょうか」
と、親王に申し上げなさると、
「何の芸道も、心がこもっていなくては習得できるものではありませんが、それぞれの道に師匠がいて、学びがいのあるようなものは、度合の深さ浅さは別として、自然と学んだだけの事は後に残るでしょう。書画の道と碁を打つことは、不思議と天分の差が現れるもので、深く習練したと思えぬ凡愚の者でも、その天分によって、巧みに描いたり打ったりする者も出て来ますが、名門の子弟の中には、やはり抜群の人がいて、何事にも上達すると見えました。故院のお膝もとで、親王たち、内親王、どなたもいろいろさまざまなお稽古事を習わさせなかったことがありましょうか。その中でも、特にご熱心になって、伝授を受けご習得なさった甲斐があって、『詩文の才能は言うまでもなく、それ以外のことの中では、琴の琴をお弾きになることが第一番で、次には、横笛、琵琶、箏の琴を次々とお習いになった』と、故院も仰せになっていました。世間の人、そのようにお思い申し上げていましたが、絵はやはり筆のついでの慰み半分の余技と存じておりましたが、たいそうこんなに不都合なくらいに、昔の墨描きの名人たちが逃げ出してしまいそうなのは、かえって、とんでもないことです」
と、酔いに乱れて申し上げなさって、酔い泣きであろうか、故院の御事を申し上げて、皆涙をお流しになった。
[4-2 光る源氏体制の夜明け]
二十日過ぎの月がさし出して、こちら側は、まだ明るくないけれども、いったいに空の美しいころなので、書司のお琴をお召し出しになって、和琴、権中納言がお引き受けなさる。そうは言っても、他の人以上に上手にお弾きになる。帥親王、箏の御琴、内大臣、琴の琴、琵琶は少将の命婦がおつとめする。殿上人の中から勝れた人を召して、拍子を仰せつけになる。たいそう興趣深い。
夜が明けていくにつれて、花の色も人のお顔形なども、ほのかに見えてきて、鳥が囀るころは、快い気分がして、素晴らしい朝ぼらけである。禄などは、中宮の御方から御下賜なさる。親王は御衣をまた重ねて頂戴なさる。
[4-3 冷泉朝の盛世]
その当時のことぐさには、この絵日記の評判をなさる。
「あの浦々の巻は、中宮にお納めください」
とお申し上げさせになったので、この初めの方や、残りの巻々を御覧になりたくお思いになったが、
「いずれそのうちに、ぼつぼつと」
とお申し上げさせになる。主上におかせられても、御満足に思し召していらっしゃるのを、嬉しくお思い申し上げなさる。
ちょっとしたことにつけても、このようにお引き立てになるので、権中納言は、「やはり、世間の評判も圧倒されるのではなかろうか」と、悔しくお思いのようである。主上の御愛情は、初めから馴染んでいらっしゃったので、やはり、御寵愛厚い御様子を、人知れず拝見し存じ上げていらっしゃったので、頼もしく思い、「いくら何でも」とお思になるのであった。
しかるべき節会などにつけても、「この帝のご時代から始まったと、末の世の人々が言い伝えるであろうような新例を加えよう」とお思いになり、私的なこのようなちょっとしたお遊びも、珍しい趣向をお凝らしになって、大変な盛りの御代である。
[4-4 嵯峨野に御堂を建立]
内大臣は、やはり無常なものと世の中をお思いになって、主上がもう少し御成人あそばすのを拝したら、やはり出家しようと深くお思いのようである。
「昔の例を見たり聞いたりするにも、若くして高位高官に昇り、世に抜きん出てしまった人で、長生きはできないものなのだ。この御代では、身のほど過ぎてしまった。途中で零落して悲しい思いをした代わりに、今まで生き永らえたのだ。今後の栄華は、やはり命が心配である。静かに引き籠もって、後の世のことを勤め、また一方では寿命を延ばそう」とお思いになって、山里の静かな所を手に入れて、御堂をお造らせになり、仏像や経巻のご準備をさせていらっしゃるらしいけれども、幼少のお子たちを、思うようにお世話しようとお思いになるにつけても、早く出家するのは、難しそうである。どのようにお考えなのかと、まことに分からない。
18. 松風
光る源氏の内大臣時代31歳秋の大堰山荘訪問の物語
- 二条東院の完成、明石に上洛を促す---東の院を建築して、花散里と申し上げた方を
- 明石方、大堰の山荘を修理---昔、母君の祖父で、中務宮と申し上げた方が
- 惟光を大堰に派遣---このように考えついていようともご存知なくて
- 腹心の家来を明石に派遣---親しい側近たちを、たいそう内密にお下し遣わしなさる
- 老夫婦、父娘の別れの歌---秋のころなので、もの悲しい気持ちが
- 明石入道の別離の詞---「世の中を捨てた当初に、このような見知らぬ国に
- 明石一行の上洛---お車は、多数続けるのも仰々しいし
1 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋
- 大堰山荘での生活始まる---山荘の様子も風情あって、長年住み慣れた海辺に
- 大堰山荘訪問の暇乞い---このように頼りない状態で毎日過ごしているが
- 源氏と明石の再会---ひっそりと、御前駆の親しくない者は加えないで、十分気を配って
- 源氏、大堰山荘で寛ぐ---修繕なさるべき所を、ここの宿守りや、新たに加えた家司などに
- 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊---お寺にお出向きになって、毎月の
2 明石の物語 上洛後、源氏との再会
- 大堰山荘を出て桂院に向かう---次の日は京へお帰りあそばすご予定なので
- 桂院に到着、饗宴始まる---たいそう威儀正しくお進みになる間
- 饗宴の最中に勅使来訪---各自が絶句などを作って、月が明るく
3 明石の物語 桂院での饗宴
- 二条院に帰邸---邸にお帰りになって、しばらくの間お休みになる
- 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談---その夜は、宮中にご宿直の予定であったが
4 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心
1 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋
[1-1 二条東院の完成、明石に上洛を促す]
東の院を建築して、花散里と申し上げた方を、お移しになる。西の対、渡殿などにかけて、政所、家司など、しかるべき状態にお設けになる。東の対は、明石の御方をとお考えになっていた。北の対は、特別に広くお造りになって、一時的にせよ、ご愛情をお持ちになって、将来までもと約束なさり心頼りにおさせにった女性たちが一緒に住めるようにと、部屋部屋を仕切ってお造りになっているのも、感じがよく、見所があって、行き届いている。寝殿はお当てがいなさらず、時々ごお渡りになる時のお住まいにして、そのような設備をなさっていた。
明石にはお便りを絶えず遣わして、今はもうぜひとも上京なさるようにとおっしゃるが、女は、やはり、わが身のほどが分かっているので、
「この上なく高貴な身分の女性でさえ、縁がすっかり切れるでないご様子の冷淡さを見ながら、かえって、物思いを募らせていると聞くのに、まして、どれほども世間から重んじられているわけでもない者が、その中へ入って行けようか。この若君の不面目になり、賤しい身の上が現れてしまおう。まれまれにこっそりお渡りになる機会を待つことになって、物笑いの種になり、引っ込みがつかなくなること、どんなであろう」
と思い乱れても、又一方では、そうかといって、このような明石の田舎の地に生まれて、お子として認めてもらえないのも、ひどくかわいそうなので、一途に恨んだり背いたりすることもできない。両親も、「なるほど、もっともなことだ」と嘆いて、かえって、気苦労の限りをし尽くすのであった。
[1-2 明石方、大堰の山荘を修理]
昔、母君の祖父で、中務宮と申し上げた方が所領なさっていた所が、大堰川の近くにあったのを、その後は、しっかりと引き継ぐ人もいなくて、長年荒れていたのを思い出して、あの当時から代々留守番のような役をしていた人を呼び迎えて相談する。
「この世はこれまでだと見切りをつけて、このような土地に落ちぶれた生活になじんでしまったが、老年になって、思いがけないことが起こったので、改めて都の住居を求めるのだが、急に眩しい都人の中に出るのは、きまりが悪いので、田舎者になってしまった心地にも落ち着くまいから、昔の所領を探し出して、と考えたのだ。必要な費用はお送りしよう。修理などして、どうにか住めるように修繕してくださらないか」
と言う。宿守りは、
「長年、ご領主様もいらっしゃらず、ひどいようになっておりますので、下屋を繕って住んでおりますが、今年の春頃から、内大臣殿がご建立なさっている御堂が近いので、あの近辺は、とても騒々しくなっております。立派な御堂をいくつも建立して、大勢の人々が造営にあたっているようでございます。静かなのがご希望ならば、あそこは適当ではございません」
「何、かまわぬ。このことも、あの殿のご庇護に、お頼りしようと思うことがあってのことだ。いずれ、おいおいと内部の修理はしよう。まずは、急いでだいたいの修理をしてほしい」
と言う。
「自分自身が所領している所ではございませんが、また他にご相続なさる方もなかったので、閑静な土地柄に従って、長年ひっそり過ごしてきたのでございます。ご領地の田や畑などというものが、台無しに荒れはてておりましたので、故民部大輔様のお許しを得て、しかるべきものどもをお支払い申して、作らせていただいております」
などと、その収穫したものを心配そうに思って、髭だらけの憎々しい顔をして、鼻などを赤くしいしい、口をとがらせて言うので、
「まったく、その田畑などのようなことは、こちらでは問題にするつもりはない。ただこれまで通りに思って使用するがよい。証書などはここにあるが、まったく世を捨てた身なので、長年どうなっていたか調べなかったが、そのことも今詳しくはっきりさせよう」
などと言うのにも、大殿との関係をほのめかすので、厄介になって、その後は、品物などを多く受け取って、急いで修築したのであった。
[1-3 惟光を大堰に派遣]
このように考えついていようともご存知なくて、上京することを億劫がっているのも、わけが分からずお思いになって、「若君が、あのようなままひっそり淋しくしていらっしゃるのを、後世に人が言い伝えては、もう一段と、外聞の悪い欠点になりはしないか」とお思いになっていたところに、完成させて、「しかじかの所を思い出しました」と申し上げたのであった。「人なかに出て来ることを嫌がってばかりいたのは、このように考えてのことであったのか」と合点が行きなさる。「立派な心がまえであるよ」とお思いになった。
惟光朝臣、例によって、内緒事にはいつに限らず関係してお勤めする人なので、お遣わしになって、しかるべきさまにあれこれの準備などをおさせになるのであった。
「付近一帯、趣のある所で、海辺に似た感じの所でございました」
と申し上げると、「そのような住まいとしては、ふさわしくないこともあるまい」とお思いになる。
ご建立なさっている御堂は、大覚寺の南に当たって、滝殿の趣なども、それに負けないくらい素晴らしい寺である。
こちらは、大堰川に面していて、何とも言えぬ風趣ある松蔭に、何の工夫も凝らさずに建てた寝殿の簡素な様子も、自然と山里のしみじみとした情趣が感じられる。内部の装飾などまでご配慮なさっている。
[1-4 腹心の家来を明石に派遣]
親しい側近たちを、たいそう内密にお下し遣わしなさる。断わりようもなくて、いよいよ上京と思うと、長年住み慣れた明石の浦を去ること、しみじみとして、入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。「何につけても、どうして、こう、心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。
両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても、願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに一緒に暮らせない気がかりが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、同じようなことばかり、「そうなると、若君にお目にかかれず、過すことになるのか」と言うこと以外、言葉がない。
母君も、たいそう切ない気持ちである。今まででさえ、同じ庵に住まずに離れていたので、まして誰を頼りとして留まっていられようか。ただ、かりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に、別れることは、一通りのものでないようだが、まして、変な恰好の頭や、気質は頼りになりそうにないが、またその方面で、「この土地こそは、一生を終える住まいだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも、心細い気がする。
若い女房たちで、憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思う一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。
[1-5 老夫婦、父娘の別れの歌]
秋のころなので、もの悲しい気持ちが重なったような心地がして、上京という日の暁に、秋風が涼しく吹いて、虫の声もあわただしく鳴く折柄、海の方を眺めていると、入道が、いつものように、後夜より早く起き出して、鼻をすすりながら、勤行していらっしゃる。ひどく言葉に気をつけているが、誰も誰もたいそう堪え難い。
若君は、とてもとてもかわいらしい感じで、あの夜光ったという玉のような心地がして、袖から外にお放し申さなかったが、見慣れてつきまとっていらっしゃる心根など、不吉なまでに、こう、通常の人と違ってしまった身をいまいましく思いながら、「片時も拝見しなくては、どのようにして過ごしてゆけようか」と、我慢しきれない。
「姫君の将来がご幸福であれと祈る別れに際して
堪えきれないのは老人の涙であるよ
まったく縁起でもない」
と言って、涙を拭って隠す。尼君、
「ご一緒に都を出て来ましたが、今度の旅は
一人で都へ帰る野中の道で迷うことでしょう」
と言って、お泣きになる様子、まことに無理はない。長年契り交わしてきた年月のほどを思うと、このように当てにならないことを当てにして、捨てた都の生活に帰るのも、考えてみると頼りないことである。御方、
「京へ行って生きて再びお会いできることをいつと思って
限りも分からない寿命を頼りにできましょうか
せめて都まで送ってください」
と一生懸命にお頼みになるが、あれやこれやと、そうはできないことを言いながらも、そうはいっても、道中のことがたいそう気がかりな様子である。
[1-6 明石入道の別離の詞]
「世の中を捨てた当初に、このような見知らぬ国に決意して下って来ましたことども、ただあなたの御ためにと、思いどおりに朝晩のお世話も満足にできようかと、決心致したのですが、わが身の不運な身分が思い知らされることが多かったので、絶対に、都に帰って、古受領の落ちぶれた類となって、貧しい家の蓬や葎の様子が、元の状態に改まることもないものから、公私につけて、馬鹿らしい名を広めて、亡き親の名誉を辱めることの堪らなさに、そのまま世を捨てる門出であったのだと、世間の人にも知られてしまったが、そのことについては、よく思い切ったと思っていましたが、あなたがだんだんとご成長なさり、物ごとが分かってくるようになると、どうして、こんなつまらない田舎に錦をお隠し申しておくのかと、親の心の闇の晴れる間もなくずっと嘆いておりましたが、仏神にご祈願申して、いくら何でも、このように不甲斐ない身の上に巻き添えになって、田舎の生活を一緒にはなさるまい、と思う心を独り持って期待していましたが、思いがけなく、嬉しいことを拝見しましてこのかたも、かえって身の程を、あれこれと悲しく嘆いていましたが、若君がこのようにお生まれになったご因縁の頼もしさに、このような海辺で月日を送っていらっしゃるのも、たいそうもったいなく、宿縁も格別に存じられますので、お目にかかれない悲しさは、鎮めがたい気がするが、わが身は永遠に世を捨てた覚悟がございます。あなたたちは、世の中をお照らしになる光明がはっきりしているので、しばらくの間、このような田舎者の心をお乱しになるほどのご宿縁があったのでしょう。天上界に生まれる人でも、いまわしい三悪道に帰るようなのも一時のことと思いなぞらえて、今日、永遠にお別れ申し上げます。寿命が尽きたとお聞きになっても、死後のこと、お考えくださるな。逃れられない別れに、お心を動かしなさるな」と言い切る一方で、「煙となろう夕べまで、若君のことを、六時の勤めにも、やはり未練がましく、きっとお祈りにお加え申し上げることであろう」
と言って、自分の言葉に、涙ぐんでしまった。
[1-7 明石一行の上洛]
お車は、多数続けるのも仰々しいし、一部分ずつ分けてやるのも厄介だといって、お供の人々も、できるだけ目立たないようにしているので、舟でこっそりと行くことに決めた。辰の時刻に舟出なさる。昔の人も「あわれ」と言った明石の浦の朝霧の中を遠ざかって行くにつれて、たいそう物悲しくて、入道は、煩悩も断ち切れがたく、ぼうっと眺めていた。長年住みなれて、今さら都に帰るのも、やはり感慨無量で、尼君はお泣きになる。
「彼岸の浄土に思いを寄せていた尼のわたしが
捨てた都の世界に帰って行くのだわ」
御方は、
「何年も秋を過ごし過ごしして来たが
頼りない舟に乗って都に帰って行くのでしょう」
思いどおりの追い風によって、予定していた日に違わずお入りになった。人に気づかれまいとの考えもあったので、道中も簡素な旅姿に装っていた。
2 明石の物語 上洛後、源氏との再会
[2-1 大堰山荘での生活始まる]
山荘の様子も風情あって、長年住み慣れた海辺に似ていたので、場所が変わった気もしない。
昔のことが自然と思い出されて、しみじみと感慨を催すことが多かった。造り加えた廊など、風流な様子で、遣水の流れも風流に作ってあった。まだ細かな造作は出来上がっていないが、住み慣れればそのままでも住めるであろう。
腹心の家司にお命じになって、祝宴のご準備をおさせになっていたのであった。おいでになることは、あれこれと口実をお考えになっているうちに、数日がたってしまった。
かえって物思いの日々が続いて、捨てた家も恋しく、所在ないので、あのお形見の琴の琴を弾き鳴らす。折柄、たいそう堪えがたいので、人里から離れた所で、気ままに少し弾いてみると、松風がきまりわるいほど音を合わせて吹いてきた。尼君、もの悲しそうに物に寄り掛かっていらっしゃったが、起き上がって、
「尼姿となって一人帰ってきた山里に
昔聞いたことがあるような松風が吹いている」
御方は、
「故里で昔親しんだ人を恋い慕って弾く
田舎びた琴の音を誰が分かってくれようか」
[2-2 大堰山荘訪問の暇乞い]
このように頼りない状態で毎日過ごしているが、内大臣、かえって落ち着いていらっしゃれないので、人目を憚ることもおできになれず、お出掛けになるのを、女君は、これこれであるとはっきりとお知らせ申していらっしゃらなかったのを、例によって、外からお耳になさることもあろうかと思って、ご挨拶申し上げる。
「桂に用事がございますが、いやはや、心ならずも日が過ぎてしまった。訪問しようと約束した人までが、あの辺り近くに来ていて、待っているというので、気の毒でなりません。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けのできていない仏像のお世話をしなければなりませんので、二三日は逗留することになりましょう」
と申し上げなさる。
「桂の院という所を、急にご造営なさっていると聞いているが、そこに住まわせなさっているのだろうか」とお思いになと、おもしろくないので、「斧の柄まで付け替えるほどになるのであろうか、待ち遠しいこと」と、不機嫌のご様子である。
「例によって、調子を合わせにくいお心で、昔の好色がましい心は、すっかりなくなったと、世間の人も言っているというのに」、何かやとご機嫌をとっていらっしゃるうちに、日が高くなってしまった。
[2-3 源氏と明石の再会]
ひっそりと、御前駆の親しくない者は加えないで、十分気を配っておいでになった。黄昏時にお着きになった。狩衣のご装束で質素になさっていたお姿でさえ、またとなく美しい心地がしたのに、なおさらのこと、そのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿、世になく優美でまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
久しぶりで、感慨無量となって、若君を御覧になるにも、どうして通り一遍にお思いになれようか。今まで離れていた年月の間でさえ、あきれるほど悔しいまでお思いになる。
「大殿腹の若君をかわいらしいと、世間の人がもてはやすのは、やはり時流におもねってそのように見做すのであった。こんなふうに、優れた人の将来は、今からはっきりしているものを」
と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしく、つややかなのを、たいそうかわいらしいとお思いになる。
乳母が、下行した時は痩せ衰えていた容貌、立派になって、何か月もの間のお話など、親しく申し上げるのを、しみじみと、あのような漁村の一角で過ごしてきたろうことを、おねぎらいになる。
「ここでも、たいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはり、あのかねて考えてある所にお引っ越しなさいませ」
とおっしゃるが、
「とてもまだ慣れない期間をもうしばらく過ごしましてから」
とお答え申し上げるのも、もっともなことである。一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。
[2-4 源氏、大堰山荘で寛ぐ]
修繕なさるべき所を、ここの宿守りや、新たに加えた家司などにお命じになる。桂の院にお出ましになるご予定とあったので、近くの荘園の人々で、参集していたのも、みなこちらに尋ねて参った。前栽の折れ臥しているのなど、お直させなさる。
「あちらこちらの立石もみな倒れたり無くなったりしているが、風情あるように造ったならば、きっと見栄えのする庭園ですね。このような庭をわざわざ修繕するのも、つまらないことです。そうしたところで一生を過ごすわけでないから、立ち去る時に気が進まず、心引かれるのも、つらいことであった」
などと、昔のこともお口に出しになさって、泣いたり笑ったりして、くつろいでお話になっているのが、実に素晴らしい。
尼君、のぞいて拝すると、老いも忘れて、物思いも晴れるような心地がして、思わずにっこりしてしまった。
東の渡殿の下から湧き出る遣水の趣、修繕させなさろうとして、たいそう優美な袿姿でくつろいでいらっしゃるのを、まことに立派で嬉しく拝見していると、閼伽の道具類があるのを御覧になると、お思い出しになって、
「尼君は、こちらにいらっしゃるのか。まことみっともない姿であったよ」
とおっしゃって、御直衣をお取り寄せになって、お召しになる。几帳の側にお近寄りになって、
「罪を軽めてお育てなさった、その人の原因は、お勤行のほどをありがたくお思い申し上げます。たいそう深く心を澄まして住んでいらっしゃったお家を捨てて、憂き世にお帰りになられたお気持ち、深く感謝します。またあちらには、どのように居残って、こちらを思っていらっしゃるのだろうと、あれこれと思われることです」
と、たいそう優しくおっしゃる。
「いったん捨てました世の中を、今さら帰って来て、思い悩みますのを、ご推察くださいましたので、長生きした甲斐があると、嬉しく存じられます」と、泣き出して、「田舎の海辺にひっそりとお育ちになったことを、お気の毒にお思い申していた姫君も、今では将来頼もしくと、お祝い申しておりますが、素性賤しさゆえに、どのようなものかと、あれこれと心配せずにはいられません」
などと申し上げる感じ、風情がなくもないので、昔話に、親王が住んでいらっしゃった様子など、お話させなさっていると、手入れした遣水の音が、訴えるかのように聞えて来る。
「かつて住み慣れていたわたしは帰って来て、昔のことを思い出そうとするが
遣水はこの家の主人のような昔ながらの音を立てています」
わざとらしくはなくて、言い切らない様子、優雅で品がある、とお聞きになる。
「小さな遣水は昔のことも忘れないのに
もとの主人は姿を変えてしまったからであろうか
ああ、懐かしい」
と、ちょっと眺めて、お立ちになる姿、美しさを、世の中に見たこともない、とばかり思い申し上げる。
[2-5 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊]
お寺にお出向きになって、毎月の十四、五日、晦日の日行われるはずの普賢講、阿彌陀、釈迦の念仏の三昧のことは言うまでもなく、さらにまたお加えになるべきことなど、お定めさせなさる。堂の飾り付け、仏像の道具類、お触れを回してお命じになる。月の明るいうちにお戻りになる。
かつての明石での夜のこと、お思い出しになっていらっしゃる、その時を逃さず、あの琴のお琴をお前に差し出した。どことなくしみじみと感慨が込み上げてくるので、我慢がおできになれず、掻き鳴らしなさる。絃の調子もまだもとのままで、当時に戻って、あの時のことが今のようなお感じがなさる。
「約束したとおり、琴の調べのように変わらない
わたしの心をお分かりいただけましたか」
女は、
「変わらないと約束なさったことを頼みとして
松風の音に泣く声を添えていました」
と詠み交わし申し上げたのも、不釣り合いでないのは、身に余る幸せのようである。すっかりと立派になった器量、雰囲気、とても見捨てがたく、若君、言うまでもなく、いつまでもじっと見守らずにはいらっしゃれない。
「どうしたらよいだろう。日蔭者としてお育ちになることが、気の毒で残念に思われるが、二条の院に引き取って、思いどおりに世話したならば、後になって世間の人々から非難も受けなくてすむだろう」
とお考えになるが、また一方で、悲しむことも気の毒で、お口に出すこともできず、涙ぐんで御覧になる。幼い心で、少し人見知りしていたが、だんだん打ち解けてきて、何か言ったり笑ったりして、親しみなさるのを見るにつれて、ますます美しくかわいらしく感じられる。抱いていらっしゃる様子、いかにも立派で、将来この上ないと思われた。
3 明石の物語 桂院での饗宴
[3-1 大堰山荘を出て桂院に向かう]
次の日は京へお帰りあそばすご予定なので、少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになる予定であるが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢参上した。ご装束などをお付けになって、
「ほんとうにきまりが悪いことだ。このように発見されるような秘密の場所でもないのに」
と言って、騒がしさにひかれてお出になる。気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が、若君を抱いて出て来た。かわいらしい様子なので、ちょっとお撫でになって、
「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。どうしたらよかろうか。とても里が遠いな」
とおっしゃると、
「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしが、はっきりしませんのは、気がかりで」
などと申し上げる。若君、手を差し出して、お立ちになっている後をお慕いなさると、お膝をおつきになって、
「不思議と、気苦労の絶えないわが身であるよ。少しの間でもつらい。どこか。どうして、一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。そうしてこそ、人心地もつこうものよ」
とおっしゃるので、ふと笑って、女君に「これこれです」と申し上げる。
かえって、物思いに悩んで伏せっていたので、急には起き上がることができない。あまりに貴婦人ぶっているとお思いになった。女房たちも気を揉んでいるので、しぶしぶといざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔、たいそう優美で気品があり、しなやかな感じ、皇女といっても十分である。
帷子を引きのけて、愛情こまやかにお語らいになろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
何とも言いようがないほど、今がお盛りのご容貌である。たいそうすらっとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。
あの、解任されていた蔵人も、復官していたのであった。靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。昔とは違って、得意気なふうで、御佩刀を取りに近くにやって来た。人影を見つけて、
「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」
と、意味ありげに言うので、
「幾重にも雲がかかる山里は、まったく島隠れの浦に劣りませんでしたのに、松も昔の相手はいないものかと思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」
などと言う。
「ひどいもんだ。自分も悩みがないわけではなかったのに」
などと、興ざめな思いがするが、
「いずれ、改めて」
と、きっぱり言って、参上した。
[3-2 桂院に到着、饗宴始まる]
たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。
「たいそう軽々しい隠れ家、見つけられてしまったのが、残念だ」
と、ひどくお困りのふうでいっらっしゃる。
「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は、霧の中を参ったのでございます。山の紅葉は、まだのようでございます。野辺の色は、盛りでございました。某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」
などと言う。
「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。
野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上した。
お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。
[3-3 饗宴の最中に勅使来訪]
各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。
弾楽器は、琵琶、和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
「今日は、六日の御物忌みの明ける日なので、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」
と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。
「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので
月の光をゆっくりと眺められることであろう
羨ましいことです」
とある。恐縮申し上げなさる。
殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大堰に、
「ことごとしくならない引き出物はないか」
と言っておやりになった。有り合わせの物を差し上げた。衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。
「桂の里といえば月に近いように思われますが
それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です」
行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。
「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は
あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか」
頭中将、
「浮雲に少しの間隠れていた月の光も
今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう」
左大弁、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に
お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう」
それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。
親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の有名な舎人、芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。
4 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心
[4-1 二条院に帰邸]
邸にお帰りになって、しばらくの間お休みになる。山里のお話など申し上げなさる。
「お暇を頂戴したのが過ぎてしまったので、とても申し訳ありません。この風流人たちが尋ねて来て、無理に引き止めたので、それにつられて。今朝は、とても気分が悪い」
と言って、お寝みになった。例によって、不機嫌のようでいらしたが、気づかないないふりをして、
「比較にならない身分を、お比べになっても、良くないようです。自分は自分と思っていらっしゃい」
と、お教え申し上げなさる。
日が暮かかるころに、宮中へ参内なさるが、脇に隠して急いでお認めになるのは、あちらへなのであろう。横目には愛情深く見える。小声で言って遣わすのを、女房たちは、憎らしいとお思い申し上げる。
[4-2 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談]
その夜は、宮中にご宿直の予定であったが、直らなかったご機嫌を取るために、夜が更けたが退出なさった。先ほどのお返事を持って参った。お隠しになることができず、御覧になる。特別に憎むような点も見えないので、
「これ、破り捨ててください。厄介なことだ。このような手紙が散らかっているのも、今では不似合いな年頃になってしまったよ」
と言って、御脇息に寄り掛かりなさって、お心の中では、実にしみじみといとしく思わずにはいられないので、燈火をふと御覧になって、特に何もおっしゃらない。手紙は広げたままあるが、女君、御覧にならないようなので、
「無理して、見て見ぬふりをなさる眼つきが、やっかいですよ」
と言って、微笑みなさる魅力、あたり一面にこぼれるほどである。
側にお寄りになって、
「実を申すと、かわいらしい姫君が生まれたものだから、宿縁は浅くも思えず、そうかといって、一人前に扱うのも憚りが多いので、困っているのです。わたしと同じ気持ちになって考えて、あなたのお考えで決めてください。どうしましょう。ここでお育てになってくださいませんか。蛭の子の三歳にもなっているのだが、無邪気な様子も放って置けないので。幼げな腰のあたりを、取り繕ってやろうなどと思うのだが、嫌だとお思いでなければ、腰結いの役を勤めてやってくださいな」
とお頼み申し上げなさる。
「思ってもいない方にばかりお取りになる冷たいお気持ちを、無理に気づかないふりをして、無心に振る舞っていては良くないとは思えばこそです。幼ない姫君のお心には、きっととてもよくお気にめすことでしょう。どんなにかわいらしい年頃なのでしょう」
と言って、少し微笑みなさった。子どもをひどくかわいがるご性格なので、「引き取ってお育てしたい」とお思いになる。
「どうしようか。迎えようか」とご思案なさる。お出向きになることはとても難しい。嵯峨野の御堂の念仏の日を待って、一月に二度ほどの逢瀬のようである。年に一度の七夕の逢瀬よりは勝っているようであるが、これ以上は望めないことと思うけれども、やはりどうして嘆かずにいられようか。
19. 薄雲
光る源氏の内大臣時代31歳冬12月から32歳秋までの物語
- 明石、姫君の養女問題に苦慮する---冬になるにしたがって、川辺の生活は
- 尼君、姫君を養女に出すことを勧める---尼君、思慮の深い人なので
- 明石と乳母、和歌を唱和---雪、霰の日が多く、心細い気持ちもいっそうつのって
- 明石の母子の雪の別れ---この雪が少し解けてお越しになった
- 姫君、二条院へ到着---暗くなってお着きになって、お車を寄せるや
- 歳末の大堰の明石---大堰では、いつまでも恋しく思われるにつけ
1 明石の物語 母子の雪の別れ
- 東の院の花散里---年も変わった。うららかな空に
- 源氏、大堰山荘訪問を思いつく---山里の寂しさを絶えず心配なさっているので
- 源氏、大堰山荘から嵯峨野の御堂、桂院に回る---あちらでは、まことのんびりと
2 源氏の女君たちの物語 新春の女君たちの生活
- 太政大臣薨去と天変地異---そのころ、太政大臣がお亡くなりになった
- 藤壷入道宮の病臥---入道后の宮は、春の初めころからずっとお悩みになって
- 藤壷入道宮の崩御---大臣は、朝廷の立場からしても、こうした高貴な
- 源氏、藤壷を哀悼---恐れ多い身分のお方と申し上げた中でも
3 藤壷の物語 藤壷女院の崩御
- 夜居僧都、帝に密奏---ご法事なども終わって、諸々の事柄も落ち着いて
- 冷泉帝、出生の秘密を知る---帝は、「何事だろう。この世に執着の残るよう
- 帝、譲位の考えを漏らす---その日、式部卿の親王がお亡くなりになった旨を
- 帝、源氏への譲位を思う---主上は、王命婦に詳しいことは
- 源氏、帝の意向を峻絶---秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを
4 冷泉帝の物語 出生の秘密と譲位ほのめかし
- 斎宮女御、二条院に里下がり---斎宮の女御は、ご期待どおりのご後見役で
- 源氏、女御と往時を語る---御几帳だけを隔てて、ご自身で
- 女御に春秋の好みを問う---「頼もしい方面の望みはそれとして
- 源氏、紫の君と語らう---西の対にお渡りになって、すぐにもお入りにならず
- 源氏、大堰の明石を訪う---「山里の人も、どうしているだろうか」などと、絶えず案じていらっしゃるが
5 光る源氏の物語 春秋優劣論と六条院造営の計画
1 明石の物語 母子の雪の別れ
[1-1 明石、姫君の養女問題に苦慮する]
冬になるにしたがって、川辺の生活は、ますます心細さがつのっていって、上の空のような心地ばかりしながら毎日を暮らしているのを、君も、
「やはり、このまま過すことは、できまい。あの、邸に近い所に移ることを決心なさい」
と、お勧めになるが、「冷淡な気持ちを多くすっかり見てしまうのも、未練も残らないことになるだろうから、何と恨みを言ったらよいものだろうか」などというように思い悩んでいた。
「それでは、この若君を。こうしてばかりいては、不都合なことです。将来に期するところもあるので、恐れ多いことです。対の君も耳にして、いつも見たがっているのですが、しばらくの間馴染ませて、袴着の祝いなども、ひっそりとではなく催そうと思う」
と、真剣にご相談になる。「きっとそのようにおっしゃるだろう」とかねて思っていたことなので、ますます胸がつぶれる思いがした。
「今さら尊い人として大切に扱われなさっても、人が漏れ聞くだろうことは、かえって、とりつくろいにくくお思いになるのではないでしょうか」
と言って、手放しがたく思っているのは、もっともなことではあるが、
「安心できない取り扱いを受けやしまいかなどと、決してお疑いなさいますな。あちらには、何年にもなるのに、このような子どももいないのが、淋しい気がするので、前斎宮の大きくおなりでいらしゃるのをさえ、無理に親代わりのお世話申しているようなので、まして、このようにあどけない年頃の人を、いいかげんなお世話はしない性格です」
などと、女君のご様子が申し分ないことをお話になる。
「ほんとに、昔は、どれほどの方に落ち着かれるのだろうかと、噂にちらっと聞いたご好色心がすっかりお静まりになったのは、並大抵のご宿縁ではなく、お人柄のご様子もおおぜいの方々の中でも優れていらっしゃるからこそだろう」と想像されて、「一人前でもない者がご一緒させていただける扱いでもないのに、それにもかかわらず、さし出たら、あの方も身の程知らずなと、お思いになるやも知れぬ。自分の身は、どうなっても同じこと。将来のある姫君のお身の上も、ゆくゆくは、あの方のお心次第であろう。そうとならば、なるほどこのように無邪気な間にお譲り申し上げようかしら」と思う。
また一方では、「手放したら、不安でたまらないだろうこと。所在ない気持ちを慰めるすべもなくなっては、どのようにして毎日を暮らしてゆけようか。何を目当てとして、たまさかのお立ち寄りがあるだろうか」などと、さまざまに思い悩むにつけ、身の上のつらいこと、際限がない。
[1-2 尼君、姫君を養女に出すことを勧める]
尼君、思慮の深い人なので、
「つまりません。お目にかかれないことは、とても胸の痛いことにちがいありませんが、結局は、姫君の御ためによいことだろうことを考えなさい。浅いお考えでおっしゃることではあるまい。ただご信頼申し上げて、お渡し申されよ。母方の身分によって、帝の御子もそれぞれに差がおありになるようです。この大臣の君が、世に二人といない素晴らしいご様子でありながら、朝廷にお仕えなさっているのは、故大納言が、いま一段劣っていらっしゃって、更衣腹と言われなさった、その違いなのでいらっしゃるようです。ましてや、臣下の場合では、比較することもできません。また、親王方、大臣の御腹といっても、やはり正妻の劣っているところよりは、世間も軽視し、父親のご待遇も、同等にできないものなのです。まして、この姫君は、身分の高い女君方にこのような姫君が、お生まれになったら、すっかり忘れ去られてしまうでしょう。身分相応につけ、父親にひとかどに大切にされた人こそは、そのまま軽んぜられないもととなるのです。御袴着の祝いも、どんなに一生懸命におこなっても、このような人里離れた所では、何の見栄えがありましょう。ただお任せ申し上げなさって、そのおもてなしくださるご様子を、見ていらっしゃい」
と教える。
賢い人の将来の予想などにも、また占わせたりなどをしても、やはり「お移りになった方が良いでしょう」とばかり言うので、気が弱くなってきた。
殿も、そのようにお思いになりながら、悲しむ人の気の毒さに、無理におっしゃることもできないで、
「袴着のお祝いは、どのようにか」
とおっしゃるお返事に、
「何事につけても、ふがいないわたくしのもとにお置き申しては、お言葉どおり将来もおかわいそうに思われますが、またご一緒させていただいても、どんなにもの笑いになりましょうやら」
と申し上げたので、ますますお気の毒にお思いになる。
吉日などをお選びになって、ひっそりと、しかるべき事がらをお決めになって準備させなさる。手放し申すことは、やはりとてもつらく思われるが、「姫君のご将来のために良いことを第一に」と我慢する。
「乳母とも離れてしまうこと。朝な夕なの物思い、所在ない時を話相手にして、つね日頃慰めてきたのに、ますます頼りとするものがなくなることまで加わって、どんなにか悲しい思いをせねばならないこと」と、女君も泣く。
乳母も、
「そうなるはずの宿縁だったのでしょうか、思いがけないことで、お目にかかるようになって、長い間のお心配りが、忘れがたくきっと恋しく思われなさいましょうが、ふっつり縁が切れることは決してありますまい。行く末はと期待しながら、しばらくの間であっても、別れ別れになって、思いもかけないご奉公をしますのが、不安でございましょうねえ」
などと、泣き泣き日を過ごしているうちに、十二月にもなってしまった。
[1-3 明石と乳母、和歌を唱和]
雪、霰の日が多く、心細い気持ちもいっそうつのって、「不思議と何かにつけ、物思いがされるわが身だわ」と、悲しんで、いつもよりもこの姫君を撫でたり身なりを繕ったりしながら見ていた。
雪が空を暗くして降り積もった翌朝、過ぎ去った日々のことや将来のこと、何もかもお考え続けて、いつもは特に端近な所に出ていることなどはしないのだが、汀の氷などを眺めやって、白い衣の柔らかいのを幾重にも重ね着て、物思いに沈んでいる容姿、頭の恰好、後ろ姿などは、「どんなに高貴なお方と申し上げても、こんなではいらっしゃろう」と女房たちも見る。落ちる涙をかき払って、
「このような日は、今にもましてどんなにか心淋しいことでしょう」と、痛々しげに嘆いて、
「雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも
どうか手紙だけはください、跡の絶えないように」
とおっしゃると、乳母、泣いて、
「雪の消える間もない吉野の山奥であろうとも必ず訪ねて行って
心の通う手紙を絶やすことは決してしません」
と言って慰める。
[1-4 明石の母子の雪の別れ]
この雪が少し解けてお越しになった。いつもはお待ち申し上げているのに、きっとそうであろうと思われるために、胸がどきりとして、誰のせいでもない、自分の身分低いせいだと思わずにはいられない。
「自分の一存によるのだわ。お断り申し上げたら無理はなさるまい。つまらないことを」と思わずにはいられないが、「軽率なようなことだわ」と、無理に思い返す。
とてもかわいらしくて、前に座っていらっしゃるのを御覧になると、
「おろそかには思えない宿縁の人だなあ」
とお思いになる。今年の春からのばしている御髪、尼削ぎ程度になって、ゆらゆらとしてみごとで、顔の表情、目もとのほんのりとした美しさなど、いまさら言うまでもない。他人の養女にして遠くから眺める母親の心惑いを推量なさると、まことに気の毒なので、繰り返して安心するように言って夜を明かす。
「いいえ。取るに足りない身分でないようにお持てなしさえいただけしましたら」
と申し上げるものの、堪え切れずにほろっと泣く様子、気の毒である。
姫君は、無邪気に、お車に乗ることをお急ぎになる。寄せてある所に、母君自身抱いて出ていらっしゃった。片言で、声はとてもかわいらしくて、袖をつかまえて、「お乗りなさい」と引っ張るのも、ひどく堪らなく悲しくて、
「幼い姫君にお別れしていつになったら
立派に成長した姿を見ることができるのでしょう」
最後まで言い切れず、ひどく泣くので、
「無理もない。ああ、気の毒な」とお思いになって、
「生まれてきた因縁も深いのだから
いづれ一緒に暮らせるようになりましょう
安心なさい」
と、慰めなさる。そうなることとは思って気持ちを落ち着けるが、とても堪えきれないのであった。乳母の少将と言った、気品のある女房だけが、御佩刀、天児のような物を持って乗る。お供の車には見苦しくない若い女房、童女などを乗せて、お見送りに行かせた。
道中、後に残った人の気の毒さを、「どんなにつらかろう。罪を得ることだろうか」とお思いになる。
[1-5 姫君、二条院へ到着]
暗くなってお着きになって、お車を寄せるや、華やかな感じ格別なので、田舎暮らしに慣れた人々の心地には、「さぞや、きまりの悪い奉公をすることになろうか」と思ったが、西面の部屋を特別に用意させなさって、数々の小さいお道具類をかわいらしげに準備させておありになった。乳母の部屋には、西の渡殿の北側に当たる所を用意させておありになった。
若君は、途中でお眠りになってしまっていた。抱きおろされても、泣いたりなどなさらない。こちらでお菓子をお召し上がりなどなさるが、だんだんと見回して、母君が見えないのを探して、いじらしげにべそかいていらっしゃるので、乳母をお呼び出しになって、慰めたり気を紛らわしてさし上げなさる。
「山里の所在なさは、以前にもましてどんなにであろうか」とお思いやりになると気の毒であるが、朝な夕なにお思いどおりにお世話しいしい、それを御覧になるのは、満足のいく心地がなさるだろう。
「どうしてなのか、世間が非難する欠点のない子は、こちらにはお生まれにならないで」
と、残念にお思いになる。
しばらくの間は、女房たちを探して泣いたりなどなさったが、だいたいが素直でかわいらしい性質なので、上にたいそうよく懐いてお慕いになるので、「とてもかわいらしい子を得た」とお思いになった。余念もなく抱いたり、あやしなさったりして、乳母も、自然とお側近くにお仕えするように慣れてしまった。また、身分の高い人で乳の出る人を、加えてお仕えなさる。
御袴着のお祝いは、どれほども特別にご準備なさることもないが、その儀式は格別である。お飾り付けは、雛遊びを思わせる感じでかわいらしく見える。参上なさったお客たち、常日頃からも来客で賑わっているので、特に目立つこともなかった。ただ、姫君が襷を掛けていらっしゃる胸元が、かわいらしさが加わってお見えになった。
[1-6 歳末の大堰の明石]
大堰では、いつまでも恋しく思われるにつけ、わが身のつたなさを嘆き加えていた。そうは言ったものの、尼君もひとしお涙もろくなっているが、このように大切にされていらっしゃるのを聞くのは嬉しかった。いったい、どんなことを、なまじお見舞い申し上げなされようか、ただ、お付きの人々に、乳母をはじめとして、非常に立派な色合いの装束を思い立って、準備してお贈り申し上げなさるのであった。
「訪れが間遠になるのも、ますます、思ったとおりだ」と思うだろうと、気の毒なので、年の内にこっそりとおいでになった。
ますます寂しい生活で、朝な夕なのお世話する相手にさえお別れ申して、寂しい思いをしていることが気の毒なので、お手紙なども絶え間なくお遣わしになる。
女君も、今では特にお恨み申し上げなさらず、かわいらしい姫君に免じて大目に見てさし上げていらっしゃった。
2 源氏の女君たちの物語 新春の女君たちの生活
[2-1 東の院の花散里]
年も変わった。うららかな空に、何の悩みもないご様子は、ますますおめでたく、磨き清められたご装飾に、年賀に参集なさる人で、年輩の人たちは、七日に、お祝いを申し上げに、連れ立っていらっしゃった。
若い人たちは、何ということもなく心地よさそうにお見えになる。次々に身分の低い人たちも、心中には悩みもあるのであろうが、表面は満足そうに見える、今日このごろである。
東の院の対の御方も、様子は好ましく、申し分ない様子で、伺候している女房たち、童女の姿など、きちんとして、気配りをしいしい過ごしていらっしゃるが、近い利点はこの上なくて、のんびりとしたお暇な時などには、ちょっとお越しになったりなさるが、夜のお泊まりなどように、わざわざお見えになることはない。
ただ、ご性質がおおようでおっとりとして、「このような運命であった身の上なのだろう」としいて思い込み、めったにないくらい安心でゆったりしていらっしゃるので、季節折ごとのお心配りなども、こちらのご様子にひどく劣るような差別はなくご待遇なさって、軽んじ申し上げるようなことはないので、同じように人々が大勢お仕え申して、別当連中も勤務を怠ることなく、かえって、秩序立っていて、感じのよいご様子である。
[2-2 源氏、大堰山荘訪問を思いつく]
山里の寂しさを絶えず心配なさっているので、公私に忙しい時期を過ごして、お出かけになろうとして、いつもより特別にお粧いなさって、桜のお直衣に、何ともいえない素晴らしい御衣を重ねて、香をたきしめ、身繕いなさって、お出かけのご挨拶をなさる様子、隈なく射し込んでいる夕日に、ますます美しくお見えになるのを、女君、おだやかならぬ気持ちでお見送り申し上げなさる。
姫君は、あどけなく御指貫の裾にまつわりついて、お慕い申し上げなさるうちに、御簾の外にまで出てしまいそうなので、立ちどまって、とてもかわいいとお思いになった。なだめすかして、「明日帰って来ましょう」と口ずさんでお出になると、渡殿の戸口に待ちかまえさせて、中将の君をして、申し上げさせなさった。
「あなたをお引き止めするあちらの方がいらっしゃらないのなら
明日帰ってくるあなたと思ってお待ちいたしましょうが」
たいそうもの慣れて申し上げるので、いかにもにっこりと微笑んで、
「ちょっと行ってみて明日にはすぐに帰ってこよう
かえってあちらが機嫌を悪くしようとも」
何ともわからないではしゃぎまわっていらっしゃる姫を、上はかわいらしいと御覧になるので、あちらの人の不愉快さも、すっかり大目に見る気になっていらっしゃった。
「どう思っているだろうか。自分だって、とても恋しく思わずにはいられないなのに」
と、じっと見守りながら、ふところに入れて、かわいらしいお乳房をお含ませながら、あやしていらっしゃるご様子、どこから見ても素晴らしい。お側に仕える女房たちは、
「どうしてかしら。同じお生まれになるなら」
「ほんとうにね」
などと、話し合っていた。
[2-3 源氏、大堰山荘から嵯峨野の御堂、桂院に回る]
あちらでは、まことのんびりと、風雅な嗜みのある感じに暮らしていて、邸の有様も、普通とは違って珍しいうえに、本人の態度などは、会うたびごとに、高貴な方々にひどく見劣りする差は見られず、容貌や、心ばせも申し分なく成長していく。
「ただ、普通の評判で目立たないなら、そのような例はいないでもないと思ってもよいのだが、世にもまれな偏屈者だという父親の評判など、それが困ったものだ。人柄などは、十分であるが」 などとお思いになる。
ほんのわずかの逢瀬で、物足りないくらいだからであろうか、あわただしくお帰りになるのも気の毒なので、「夢の中の浮橋か」とばかり、ついお嘆きになられて、箏の琴があるのを引き寄せて、あの明石で、夜更けての音色も、いつもどおりに自然と思い出されるので、琵琶を是非にとお勧めになると、少し掻き合わせたのが、「どうして、これほど上手に何でもお弾きになれたのだろう」と思わずにはいらっしゃれない。若君の御事など、こまごまとお話しになってお過ごしになる。
ここは、このような山里であるが、このようにお泊まりになる時々があるので、ちょっとした果物や、強飯ぐらいはお召し上がりになる時もある。近くの御寺、桂殿などにお出かけになるふうに装い装いして、一途にのめり込みなさらないが、また一方、まことにはっきりと中途半端な普通の相手としてはお扱いなさらないなどは、愛情も格別深く見えるようである。
女も、このようなお心をお知り申し上げて、出過ぎているとお思いになるようなことはせず、また、ひどく低姿勢になることなどもせず、お心づもりに背くこともなく、たいそう無難な態度でいたのであった。
並々でない高貴な婦人方の所でさえ、これほど気をお許しになることもなく、礼儀正しいお振る舞いであることを、聞いていたので、
「近い所で一緒にいたら、かえってますます目慣れて、人から軽蔑されることなどもあろう。時たまでも、このようにわざわざお越しくださるほうが、たいした気持ちがする」
と思うのであろう。
明石でも、ああは言ったが、このお心づもりや、様子を知りたくて、気がかりでないように、使者を行き来させて、胸をどきりとさせることもあったり、また、面目に思うことも多くあったりするのであった。
3 藤壷の物語 藤壷女院の崩御
[3-1 太政大臣薨去と天変地異]
そのころ、太政大臣がお亡くなりになった。世の重鎮としていらっしゃった方なので、帝におかせられてもお嘆きになる。しばらくの間、籠もっていらっしゃった間でさえ、天下の騷ぎであったので、その時以上に、悲しむ人々が多かった。源氏の大臣も、たいそう残念に、万事の政務、お譲り申し上げてこそ、お暇もあったのだが、心細く政務も忙しく思われなさって、嘆いていっらっしゃる。
帝は、お年よりはこの上なく大人らしく御成人あそばして、天下の政治も心配申し上げなさるような必要はないのだが、また特別にご後見なさる適当な方もいないので、「誰に譲って静かに出家の本意をかなえられようか」とお思いになると、まことに残念でならない。
ご法事などにも、ご子息やお孫たち以上に、心をこめてご弔問なさり、御世話なさるのであった。
その年は、いったいに世の中が騒然として、朝廷に対して、何事かの前兆が頻繁に現れ、不穏で、
「天空にも、いつもと違った月や日や星の光りが見えて、雲がたなびいている」
とばかり言って、世間の人の驚くことが多くて、それぞれの道の勘文を差し上げた中にも、不思議で世に尋常でない事柄が混じっていた。内大臣だけは、ご心中に、厄介にそれとお分りになることがあるのであった。
[3-2 藤壷入道宮の病臥]
入道后の宮は、春の初めころからずっとお悩みになって、三月にはたいそう重くおなりになったので、行幸などがある。院に御死別申し上げられたころは、とても幼くて、深くもお悲しみにはならなかったが、たいそうお嘆きの御様子なので、宮もとても悲しく思わずにはいらっしゃれない。
「今年は、必ずや逃れることのできない年回りと思っておりましたが、それほどひどい気分ではございませんでしたので、寿命を知っている顔をしますようなのも、人もいやに思い、わざとらしいと思うだろうと遠慮して、功徳の事なども、特に平素よりも取り立てて致しませんでした。
参内して、ゆっくりと昔のお話でもなどと思っておりながら、気分のすっきりした時が少なうございまして、残念にも、鬱々として過ごしてしまいましたこと」
と、たいそう弱々しくお申し上げなさる。
三十七歳でいらっしゃるのであった。けれども、とてもお若く盛りでいらっしゃるご様子を、惜しく悲しく拝し上げあそばす。
「お慎みあそばさねばならないお年回りであるが、気分もすぐれず、何か月かをお過ごしになることでさえ、嘆き悲しんでおりましたのに、ご精進などをも、いつもより特別になさらなかったことよ」
と、ひどく悲しくお思いであった。つい最近に、気づいて、いろいろなご祈祷をおさせあそばす。今までは、いつものご病気とばかり油断していたのだが、源氏の大臣も深くご心配になっていた。一定のきまりがあるので、間もなくお帰りあそばすのも、悲しいことが多かった。
宮は、ひどく苦しくて、はきはきとお話し申し上げることができない。ご心中思い続けなさるに、「高い宿縁、この世の繁栄も並ぶ人がなく、心の中に物足りなく思うことも人一倍多い身であった」と思わずにはいらっしゃれない。主上が、夢の中にも、こうした事情を御存じあそばされないのを、それでもはやりお気の毒に拝し上げなさって、この事だけを、気がかりで心の晴れないこととして、死後にも思い続けそうな気がなさるのであった。
[3-3 藤壷入道宮の崩御]
大臣は、朝廷の立場からしても、こうした高貴な方々ばかりが、引き続いてお亡くなりになることをお嘆きになる。人には知られない思慕は、それはまた、限りないほどで、ご祈祷などお気づきにならないことはない。長年思い絶っていたことさえ、もう一度申し上げられなくなってしまったのが、ひどく残念に思われなさるので、近くの御几帳の側に寄って、ご容態など、しかるべき女房たちにお尋ねになると、親しい女房だけがお付きしていて詳しく申し上げる。
「この数か月ずっとご気分がすぐれずにいらっしゃいましたのに、お勤めを少しの間も怠らずになさいました疲労も積もって、ますますひどくご衰弱あそばしたところに、最近になっては、柑子などにさえ、お口にあそばされなくなりましたので、ご回復の希望もなくなっておしまいになりましたことです」
と言って、泣き嘆き悲しんでいる女房たちが多かった。
「故院のご遺言どおりに、帝のご後見をなさること、長年存じておりますことは多かったのですが、何かの機会に、そのお礼の気持ちが並大抵でないことを、ちらっと知っていただこうとばかり、気長に待っておりましたが、今は悲しく残念に思われまして」
と、かすかに仰せになるのも、ほのかに聞こえるので、お返事も十分に申し上げられず、お泣きになる様子、実においたわしい。「どうしてこうも気が弱い状態で」と、人目を憚ってお気を取り直しなさるが、昔からのご様子を、世間一般から見ても、もったいなく惜しいご様子のお方を、思いどおりにならないことなので、お引き止め申すすべもなく、何とも言いようもなく悲しいこと限りない。
「取るに足りないわが身ですが、昔から、ご後見申し上げねばならないことは、気のつく限り、一生懸命に存じておりましたが、太政大臣がお亡くなりになったことだけでも、この世の、無常迅速が存じられてなりませんのに、さらにまた、このようにいらっしゃいますと、何から何まで心が乱れまして、生きていることも、残り少ない気が致します」
などとお申し上げになっているうちに、燈火などが消えるようにしてお隠れになってしまったので、何とも言いようがなくお悲しい別れを嘆きになる。
[3-4 源氏、藤壷を哀悼]
恐れ多い身分のお方と申し上げた中でも、ご性質などが、世の中の例としても広く慈悲深くいらっしゃって、権勢を笠に着て、人々が迷惑することを自然と行ないがちなのだが、少しもそのような道理に外れた事はなく、人々が奉仕することも、世の苦しみとなるはずのことは、お止めになる。
功徳の方面でも、人の勧めに従いなさって、荘厳に珍しいくらい立派になさる人なども、昔の聖代には皆あったのだが、この后宮は、そのようなこともなく、ただもとからの財産、頂戴なさるはずの年官、年爵、御封のしかるべき収入だけで、ほんとうに真心のこもった供養の最善をしておかれになったので、物のわけも分からない山伏などまでが惜しみ申し上げる。
ご葬送の時にも、世を挙げての騷ぎで、悲しいと思わない人はいない。殿上人など、すべて黒一色の喪服で、何の華やかさもない晩春である。二条院のお庭先の桜を御覧になるにつけても、花の宴の時などをお思い出しになる。「今年ぐらいは」と独り口ずさみなさって、他人が変に思うに違いないので、御念誦堂にお籠もりなさって、一日中泣き暮らしなさる。夕日が明るく射して、山際の梢がくっきりと見えるところに、雲が薄くたなびいているのが、鈍色なのを、何ごともお目に止まらないころなのだが、たいそう悲しく思わずにはいらっしゃれない。
「入日が射している峰の上にたなびいている薄雲は
悲しんでいるわたしの喪服の袖の色に似せたのだろうか」
誰も聞いていない所なので、かいがない。
4 冷泉帝の物語 出生の秘密と譲位ほのめかし
[4-1 夜居僧都、帝に密奏]
ご法事なども終わって、諸々の事柄も落ち着いて、帝、何となく心細くお思いであった。この入道の宮の母后の御代から伝わって、代々のご祈祷の僧としてお仕えしてきた僧都、故宮におかれてもたいそう尊敬なさって信頼していらっしゃったが、帝にかせられても御信任厚くて、重大な御勅願をいくつもお立てになって、実にすぐれた僧侶であったが、年は七十歳ほどで、今は自分の後生を願うための勤行をしようと思って籠もっていたのだが、宮の御事のために出て来ていたのを、宮中からお召しがあって、いつも伺候させてお置きになる。
これからは、やはり以前同様に参内してお仕えするように、大臣もお勧めおっしゃるなるので、
「今では、夜居のお勤めなどは、とても堪えがたく思われますが、お言葉の恐れ多いのによって、昔からのご厚志に感謝を込めて」
と言って、お仕えしたが、静かな暁に、誰もお側近くにいないで、ある人は里に退出などしていた折に、老人っぽく咳をしながら、世の中の事どもを奏上なさるついでに、
「まことに申し上げにくく、申し上げたらかえって罪に当たろうかと憚り存じられることが多いのですが、御存じでないために、罪が重くて、天眼が恐ろしく存じられますことを、心中に嘆きながら、寿命が終わってしまいましたならば、何の益がございましょうか。仏も不正直なとお思いになるでしょう」
とだけ申し上げかけて、それ以上言えないことがある。
[4-2 冷泉帝、出生の秘密を知る]
帝は、「何事だろう。この世に執着の残るよう思うことがあるのだろうか。法師は、聖僧といっても、道に外れた嫉妬心が深くて、困ったものだから」とお思いになって、
「幼かった時から、隔てなく思っていたのに、そなたには、そのように隠してこられたことがあったとは、つらく思いますぞ」
と仰せになると、
「ああ恐れ多い。少しも、仏の禁じて秘密になさる真言の深い道でさえ、隠しとどめることなくご伝授申し上げております。まして、心に隠していることは、何がございましょうか。
これは、過去来世にわたる重大事でございますが、お隠れあそばしました院、后の宮、現在政治をお執りになっている大臣の御ために、すべて、かえってよくないこととして漏れ出すことがありはしまいか。このような老法師の身には、たとい災いがありましょうとも、何の悔いもありません。仏天のお告げがあることによって申し上げるのでございます。
わが君がご胎内にいらっしゃった時から、故宮には深くご悲嘆なられることがあって、ご祈祷をおさせになる仔細がございました。詳しいことは法師の心には理解できません。思いがけない事件が起こって、大臣が無実の罪に当たりなさった時、ますます恐ろしくお思いあそばされて、重ねてご祈祷を承りましたが、大臣もご理解あそばして、またさらにご祈祷を仰せつけになって、御即位あそばした時までお勤め申した事がございました。
その承りましたご祈祷の内容は」
と言って、詳しく奏上するのをお聞きあそばすと、驚くほどめったにないことで、恐ろしくも悲しくも、さまざまにお心がお乱れになった。
しばらくの間、返事もないので、僧都、「進んで奏上したのを不都合にお思いになったのだろうか」と、困ったことに思って、静かに恐縮して退出するのを、お呼び止めになって、
「知らずに過ぎてしまったならば、来世までも罪があるに違いなかったことを、今まで隠しておられたのを、かえって安心のならない人だと思った。またこの事を知っていて誰かに漏らすような人はいるだろうか」
と仰せになる。
「いえまったく、拙僧と王命婦以外の人は、この事の様子を知っている者はございません。それだから、実に恐ろしいのでございます。天変地異がしきりに現れ、世の中が平穏でないのは、このせいです。御幼少で、物の道理を御分別おできになれなかった間はよろしうございましたが、だんだんと御年齢が加わっていらっしゃいまして、何事も御分別あそばせるころになったので、咎を示すのです。万事、親の御代より始まるもののようでございます。何の罪とも御存知あそばさないのが恐ろしいので、忘れ去ろうとしていたことを、あえて申し上げた次第です」
と、泣く泣く申し上げるうちに、夜がすっかり明けてしまったので、退出した。
主上は、夢のような心地で重大な事をお聞きあそばして、さまざまにお思い乱れなさる。
「故院の御為にもお気がとがめ、大臣がこのように臣下として朝廷に仕えていらっしゃるのも、もったいないこと」
あれこれと御煩悶なさって、日が高くなるまでお出ましにならないので、「これこれしかじかである」とお聞きになって、大臣も驚いて参内なさったのを、お目にかかりあそばすにつけても、ますます堪えがたくお思いになって、お涙がこぼれあそばしたのを、
「おおかた故母宮の御事を、涙の乾く間もなくお悲しみになっているころだからなのだろう」
と拝し上げなさる。
[4-3 帝、譲位の考えを漏らす]
その日、式部卿の親王がお亡くなりになった旨を奏上するので、ますます世の中の穏やかならざることをお嘆きになった。このような状況なので、大臣は里にもご退出になることができず、付ききりでいらっしゃる。
しんみりとしたお話のついでに、
「わが寿命は終わってしまうのであろうか、何となく心細くいつもと違った心地がします上に、世の中もこのように穏やかでないので、万事落ち着かない気がします。故宮がご心配なさるからと思って、帝位のことも遠慮しておりましたが、今では安楽な状態で世を過ごしたく思っています」
と御相談申し上げなさる。
「まったくとんでもないお考えです。世の中が静かでないことは、必ずしも政道が真っ直ぐ、また曲がっていることによるのではございません。すぐれた世でも、よくないことどもはございました。聖の帝の御世にも、横ざまの乱れが出てきたこと、唐土にもございました。わが国でもそうでございます。まして、当然の年齢の方々が寿命の至るのも、お嘆きになることではございません」
などと、なにかにつけたくさんのことがらを申し上げなさる。その一部分を語り伝えるのも、とても気がひける。
いつもより黒いお召し物で、喪に服していらっしゃるご容貌、違うところがない。主上も、いく年もお鏡を御覧になるにつけ、お気づきなっていることであるが、お聞きあそばしたことの後は、またしげしげとお顔を御覧になりながら、格別にいっそうしみじみとお思いなされるので、「何とかして、このことをちらっと申し上げたい」とお思いになるが、何といってもやはり、きまりが悪くお思いになるに違いないことなので、お若い心地から遠慮されて、すぐにお話申し上げられないあいだは、世間一般の話をいつもより特に親密にお話し申し上げあそばす。
慇懃にかしこまっていらっしゃるご態度で、とても御様子が違っているのを、すぐれた人のお眼には、妙だと拝し上げなさったが、とてもこのように、はっきりとお聞きあそばしたとはお思いもよりなさらなかったのであった。
[4-4 帝、源氏への譲位を思う]
主上は、王命婦に詳しいことは、お尋ねになりたくお思いになったが、
「今さら、そのようにお隠しになっていらっしゃったことを知ってしまったと、あの人にも思われまい。ただ、大臣に何とかそれとなくお尋ね申し上げて、昔にもこのような例はあったろうかと聞いてみたい」
とお思いになるが、まったくその機会もないので、ますます御学問をあそばしては、さまざまの書籍を御覧になるのだが、
「唐土には、公然となったのもまた内密のも、血統の乱れている例がとても多くあった。日本には、まったく御覧になっても見つからない。たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか。一世の源氏、また納言、大臣となって後に、さらに親王にもなり、皇位にもおつきになったのも、多数の例があったのであった。人柄のすぐれたことにかこつけて、そのようにお譲り申し上げようか」
などと、いろいろお考えになったのであった。
[4-5 源氏、帝の意向を峻絶]
秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを、内々にお定め申しなさる機会に、帝が、かねてお考えの意向を、お洩らし申し上げられたので、大臣、とても目も上げられず、恐ろしくお思いになって、決してあってはならないことである趣旨のご辞退を申し上げなさる。
「故院のお志、多数の親王たちの中で、特別に御寵愛くださりながら、御位をお譲りあそばすことをお考えあそばしませんでした。どうして、その御遺志に背いて、及びもつかない位につけましょうか。ただ、もとのお考えどおりに、朝廷にお仕えして、もう少し年を重ねたならば、のんびりとした仏道にひき籠もりましょうと存じております」
と、いつものお言葉と変わらずに奏上なさるので、まことに残念にお思いになった。
太政大臣におなりになるよう決定があるが、今しばらく、とお考えになるところがあって、ただ位階が一つ昇進して、牛車を聴されて、参内や退出をなさるのを、帝、もの足りなく、もったいないこととお思い申し上げなさって、やはり親王におなりになるよう仰せになるが、
「政治のご後見をおできになる人がいない。権中納言が、大納言になって右大将を兼任していらっしゃるが、もう一段昇進したならば、何ごとも譲ろう。その後に、どうなるにせよ、静かに暮らそう」
とお思いになっていた。さらにあれこれ、お考えめぐらすと、
「故后宮のためにも気の毒であり、また主上のこのようにお悩みでいらっしゃるのを拝し上げなさるにも恐れ多くて、誰がこのようなことを洩らしお耳に入れ申したのだろうか」
と、不思議に思わずにはいらっしゃれない。
王命婦は、御匣殿が替わったところに移って、お部屋を賜って出仕していた。大臣、お目にかかりなさって、
「このことを、もしや、何かの機会に、少しでも洩らしお耳に入れ申されたことはありましたか」
とお尋ねになるが、
「けっして。少しでも帝のお耳に入りますことを、大変だと思し召しで、しかしまた一方では、罪を得ることではないかと、主上の御身の上を、やはりお案じあそばして嘆いていらっしゃいました」
と申し上げるにつけても、並々ならず思慮深い方でいらっしゃったご様子などを、限りなく恋しくお思い出し申し上げなさる。
5 光る源氏の物語 春秋優劣論と六条院造営の計画
[5-1 斎宮女御、二条院に里下がり]
斎宮の女御は、ご期待どおりのご後見役で、たいそうな御寵愛である。お心づかい、態度なども、思うとおりに申し分なくお見えになるので、もったいない方と大切にお世話申し上げなさっていた。
秋ごろに、二条院に里下がりなさった。寝殿のご設備、いっそう輝くほどになさって、今ではまったくの実の親のような態度で、お世話申し上げていらっしゃる。
秋の雨がとても静かに降って、お庭先の前栽が色とりどりに乱れている露がいっぱい置いているので、昔のことがらがそれからそれへと自然と続けて思い出されて、お袖も濡らし濡らして、女御の御方にお出向きになった。色の濃い鈍色のお直衣姿で、世の中が平穏でないのを口実になさって、そのまま御精進なので、数珠を袖に隠して、体裁よく振る舞っていらっしゃるのが、限りなく優美なご様子で、御簾の中にお入りになった。
[5-2 源氏、女御と往時を語る]
御几帳だけを隔てて、ご自身でお話し申し上げなさる。
「どの前栽もすっかり咲きほころびましたね。まことにおもしろくない年ですが、得意そうに時節を心得顔に咲いているのが、胸打たれますね」
と言って、柱に寄りかかっていらっしゃる夕映えのお姿、たいそう見事である。昔のお話、あの野宮をさまよった朝の話などを、お話し申し上げなさる。まことにしみじみとお思いになった。
宮も、「こうだから」とであろうか、少しお泣きになる様子、とても可憐な感じで、ちょっとお身じろぎなさる気配も、驚くほど柔らかく優美でいらっしゃるようだ。「拝見しないのは、まことに残念だ」と、胸がどきどきするのは、困ったことであるよ。
「過ぎ去った昔、特に思い悩むようなこともなくて過せたはずでございました時分にも、やはり性分で、好色沙汰に関しては、物思いも絶えずございましたなあ。よくない恋愛事の中で、気の毒なことをしたことが多数ありました中で、最後まで心も打ち解けず、思いも晴れずに終わったことが、二つあります。
一つは、あなたのお亡くなりになった母君の御ことですよ。驚くほど物を思いつめてお亡くなりになってしまったことが、生涯の嘆きの種と存じられましたが、このようにお世話申して、親しくしていただけるのを、せめて罪滅ぼしのように存じておりますが、燃えた煙が、解けぬままになってしまわれたのだろうとは、やはり気がかりに存じられてなりません」
とおっしゃって、もう一つは話されずに終わった。
「ひところ、身を沈めておりましたとき、あれこれと考えておりましたことは、少しづつ叶ってきました。東の院にいる人が、頼りない境遇で、ずっと気の毒に思っておりましたのも、安心できる状態になっております。気立てがよいところなど、わたしも相手もよく理解し合っていて、とてもさっぱりとしたものです。
このように帰って来て、朝廷のご後見致します喜びなどは、それほど心に深く思いませんが、このような好色めいた心は、鎮めがたくばかりおりますが、並々ならぬ我慢を重ねたご後見とは、ご存知でいらっしゃいましょうか。せめて同情するとだけでもおっしゃっていただけなければ、どんなにか張り合いのないことでしょう」
とおっしゃるので、困ってしまって、お返事もないので、
「やはり、そうですか。ああ情けない」
と言って、他の話題に転じて紛らしておしまいになった。
「今では、何とか心安らかに、生きている間は心残りがないように、来世のためのお勤めを思う存分に、籠もって過ごしたいと思っておりますが、この世の思い出にできることがございませんのが、何といっても残念なことでございます。きっと、幼い姫君がおりますが、将来が待ち遠しいことですよ、恐れ多いことですが、何といっても、この家を繁栄させなさって、わたしが亡くなりました後も、お見捨てなさらないでください」
などと申し上げなさる。
お返事は、とてもおっとりとした様子で、やっと一言ほどわずかにおっしゃる感じ、たいそう優しそうなのに聞き入って、しんみりと日が暮れるまでいらっしゃる。
[5-3 女御に春秋の好みを問う]
「頼もしい方面の望みはそれとして、一年の間の移り変わる四季折々の花や紅葉、空の様子につけても、心のゆく楽しみをしてみたいものですね。春の花の林や、秋の野の盛りについて、それぞれに論争しておりましたが、その季節の、まことにそのとおりと納得できるようなはっきりとした判断はないようでございます。
唐土では、春の花の錦に匹敵するものはないと言っているようでございます。和歌では、秋のしみじみとした情緒を格別にすぐれたものとしています。どちらも季節折々につけて見ておりますと、目移りして、花や鳥の色彩や音色の美しさを判別することができません。
狭い邸の中だけでも、その季節の情趣が分かる程度に、春の花の木を一面に植え、秋の草をも移植して、つまらない野辺の虫たちを棲ませて、皆様にも御覧に入れようと存じておりますが、どちらをお好きでしょうか」
と申し上げなさると、とてもお答え申しにくいこととお思いになるが、まるっきり何ともお答え申し上げなさらないのも具合が悪いので、
「まして、どうして優劣を弁えることができましょうか。おっしゃるとおり、どちらも素晴らしいですが、いつとても恋しくないことはない中で、不思議にと聞いた秋の夕べが、はかなくお亡くなりになった露の縁につけて、自然と好ましく存じられます」
と、とりつくろわないようにおっしゃって言いさしなさるのが、実にかわいらしいので、堪えることがおできになれず、
「あなたもそれでは情趣を交わしてください、誰にも知られず
自分ひとりでしみじみと身にしみて感じている秋の夕風ですから
我慢できないことも度々ございますよ」
と申し上げなさると、「どのようなお返事ができよう、分かりません」とお思いのご様子である。この機会に、抑えきれずに、お恨み申し上げなさることがあるにちがいない。
もう少しで、間違いもしでかしなさるところであるが、とてもいやだとお思いでいるのも、もっともなので、またご自分でも「若々しく良くないことだ」とお思い返しなさって、お嘆きになっていらっしゃる様子が、思慮深く優美なのも、気にくわなくお思いになった。
少しずつ奥の方へお入りになって行く様子なので、
「驚くほどお嫌いになるのですね。ほんとうに情愛の深い人は、このようにはしないものと言います。よし、今からは、お憎みにならないでください。つらいことでしょう」
とおっしゃって、お渡りになった。
しっとりとした香が残っているのまでが、不愉快にお思いになる。女房たち、御格子などを下ろして、
「この御褥の移り香は、何とも言えないですね」
「どうしてこう、何から何まで柳の枝に花を咲かせたようなご様子なのでしょう」
「気味が悪いまでに」
とお噂申し上げていた。
[5-4 源氏、紫の君と語らう]
西の対にお渡りになって、すぐにもお入りにならず、たいそう物思いに耽って、端近くに横におなりになった。燈籠を遠くに掛けて、近くに女房たちを伺候させなさって、話などをさせになる。
「このように無理な恋に胸がいっぱいになる癖が、いまも残っていたことよ」
と、自分自身反省せずにはいらっしゃれない。
「これはまことに相応しくないことだ。恐ろしく罪深いことは多くあったろうが、昔の好色は、思慮の浅いころの過ちであったから、仏や神もお許しになったことだろう」と、心をお鎮めになるにつけても、「やはり、この恋の道は、危なげなく思慮深さが増してきたものだな」
とお思い知られなさる。
女御は、秋の情趣を知っているようにお答え申し上げたのも、「悔しく恥ずかしい」と、独り心の中でくよくよなさって、悩ましそうにさえなさっているのを、実にさっぱりと何くわぬ顔で、いつもよりも親らしく振る舞っていらっしゃる。
女君に、
「女御が、秋に心を寄せていらっしゃるのも感心されますし、あなたが、春の曙に心を寄せていらっしゃるのももっともです。季節折々に咲く木や草の花を鑑賞しがてら、あなたのお気に入るような催し事などをしてみたいものだと、公私ともに忙しい身には相応しくないが、何とかして望みを遂げたいものですと、ただ、あなたにとって寂しくないだろうかと思うのが、気の毒なのです」
などと親密にお話申し上げになる。
[5-5 源氏、大堰の明石を訪う]
「山里の人も、どうしているだろうか」などと、絶えず案じていらっしゃるが、窮屈さばかりが増していくお身の上で、お出かけになること、まことにむずかしい。
「夫婦仲をつまらなくつらいと思っている様子だが、どうしてそのように考える必要があろう。気安く出て来て、並々の生活はするまいと思っている」が、「思い上がった考えだ」とはお思いになる一方で、不憫に思って、いつもの、不断の御念仏にかこつけて、お出向きになった。
住み馴れていくにしたがって、とてももの寂しい場所の様子なので、たいして深い事情がない人でさえ、きっと悲哀を増すであろう。まして、お逢い申し上げるにつけても、つらかった宿縁の、とはいえ、浅くないのを思うと、かえって慰めがたい様子なので、なだめかねなさる。
たいそう茂った木立の間から、いくつもの篝火の光が、遣水の上を飛び交う螢のように見えるのも趣深く感じられる。
「このような生活に馴れていなかったら、さぞ珍しく思えたでしょうに」
とおっしゃると、
「あの明石の浦の漁り火が思い出されますのは
わが身の憂さを追ってここまでやって来たのでしょうか
間違われそうでございます」
と申し上げると、
「わたしの深い気持ちを御存知ないからでしょうか
今でも篝火のようにゆらゆらと心が揺れ動くのでしょう
誰が憂きものと、させたでしょう」
と、逆にお恨みになっていらっしゃる。
だいたいに自然と物静かな思いにおなりの時候なので、尊い仏事にご熱心になって、いつもよりは長くご滞在になったのであろうか、少し物思いも慰められたろう、と言うことである。
20. 朝顔
光る源氏の内大臣時代32歳の晩秋9月から冬までの物語
- 9月、故桃園式部卿宮邸を訪問---斎院は、御服喪のために退下なさったのである
- 朝顔姫君と対話---あちらのお前の方にお目をやりなさると
- 帰邸後に和歌を贈答しあう---お気持ちの収まらないままお帰りになったので
- 源氏、執拗に朝顔姫君を恋う---東の対に独り離れていらっしゃって、宣旨を呼び寄せ呼び寄せしては
1 朝顔姫君の物語 昔の恋の再燃
- 朝顔姫君訪問の道中---夕方、神事なども停止となって物寂しいので
- 宮邸に到着して門を入る---宮邸では、北面にある人が多く出入りするご門は
- 宮邸で源典侍と出会う---宮の御方に、例によって、お話申し上げなさると
- 朝顔姫君と和歌を詠み交わす---西面では御格子を下ろしていたが、お嫌い申しているように思われるのも
- 朝顔姫君、源氏の求愛を拒む---何とも言いようがなくて、とても真剣に恨み言を申し上げ
2 朝顔姫君の物語 老いてなお旧りせぬ好色心
- 紫の君、嫉妬す---大臣は、やみくもにご執心というわけではないが
- 夜の庭の雪まろばし---雪がたいそう降り積もった上に
- 源氏、往古の女性を語る---「先年、中宮の御前に雪の山をお作りになったのは
- 藤壷、源氏の夢枕に立つ---月がいよいよ澄んで、静かで趣がある
- 源氏、藤壷を供養す---かえって心満たされず、悲しくお思いになって、早くお起きになって
3 紫の君の物語 冬の雪の夜の孤影
1 朝顔姫君の物語 昔の恋の再燃
[1-1 9月、故桃園式部卿宮邸を訪問]
斎院は、御服喪のために退下なさったのである。大臣、例によって、いったん思い初めたこと、諦めないご性癖で、お見舞いなどたいそう頻繁に差し上げなさる。宮は、かつて困ったことをお思い出しになると、お返事も気を許して差し上げなさらない。たいそう残念だとお思い続けていらっしゃる。
九月になって、桃園宮にお移りになったのを聞いて、女五の宮がそこにいらっしゃるので、その方のお見舞にかこつけて参上なさる。故院が、この内親王方を特別に大切にお思い申し上げていらっしゃったので、今でも親しくそれからそれへと交際なさっていらっしゃるようである。同じ寝殿の西と東とにお住みになっていらっしゃるのであった。早くも荒廃してしまった心地がして、しみじみともの寂しげな感じである。
宮が、ご対面なさって、お話を申し上げなさる。たいそうお年を召したご様子、とかく咳をしがちでいらっしゃる。姉上におあたりになるが、故大殿の宮は、申し分なく若々しいご様子なのに、それにひきかえ、お声もつやがなく、ごつごつとした感じでいらっしゃるのは、そうした人柄なのである。
「院の上、お崩れあそばして後、いろいろと心細く思われまして、年をとるにつれて、ひどく涙がちに過ごしてきましたが、この宮までがこのように先立たれましたので、ますます生きているのか死んでいるのか分からないような状態で、この世に生き永らえておりましたところ、このようにお見舞いに立ち寄りくださったので、物思いも忘れられそうな気がします」
とお申し上げになる。
「恐れ多くもお年を召されたものだ」と思うが、かしこまって、
「院がお崩れあそばしてから後は、さまざまなことにつけて、在世当時のようではございませんで、身におぼえのない罪に当たりまして、見知らない世界に流浪しましたが、偶然にも、朝廷からお召しくださいましてからは、また忙しく暇もない状態で、ここ数年は、参上して昔のお話だけでも申し上げたり承ったりできなかったのを、ずっと気にかけ続けてまいりました」
などと申し上げなさると、
「とてもとても驚くほどの、どれをとってみても定めない世の中を、同じような状態で過ごしてまいりました寿命の長いことの恨めしく思われることが多くございますが、こうして、政界にご復帰なさったお喜びを、あの時代を拝見したままで死んでしまったら、どんなにか残念であったであろうかと思われました」
と、声をお震わせになって、
「まことに美しくご成人なさいましたね。子どもでいらっしゃったころに、初めてお目にかかった時、真実にこんなにも美しい人がお生まれになったと驚かずにはいられませんでしたが、時々お目にかかるたびに、不吉なまでに思われました。今上の帝が、とてもよく似ていらっしゃると、人々が申しますが、いくら何でも見劣りあそばすだろうと、推察いたします」
と、くどくどと申し上げなさるので、
「ことさらに面と向かって人は褒めないものを」と、おかしくお思いになる。
「田舎者になって、ひどく元気をなくしておりました年月の後は、すっかり衰えてしまいましたものを。今上の御容貌は、昔の世にも並ぶ方がいないのではいかと、世に類いないお方と拝見しております。変なご推察です」
と申し上げなさる。
「時々お目にかかれたら、長い寿命がますます延びそうでございます。今日は老いも忘れ、憂き世の嘆きもみな消えてしまった感じがします」
と言っては、またお泣きになる。
「三の宮が羨ましく、しかるべきご縁ができて、親しくお目にかかることがおできになれるのを、羨ましく思います。こちらのお亡くなりになった方も、そのように言って後悔なさる折々がありました」
とおっしゃるので、少し耳がおとまりになる。
「そういうふうにも、親しくお付き合いさせていただけたならば、今も嬉しいことでございましたでしょうに。すっかり見限りなさいまして」
と、恨めしそうに様子ぶって申し上げなさる。
[1-2 朝顔姫君と対話]
あちらのお前の方にお目をやりなさると、うら枯れた前栽の風情も格別に見渡されて、のんびりと物思いに耽っていらっしゃるらしいご様子、ご器量も、たいそうお目にかかりたくしみじみと思われて、我慢することがおできになれず、
「このようにお伺いした機会を逃しては、無愛想になりますから、あちらへのお見舞いも申し上げなくてはなりませんでした」
と言って、そのまま簀子からお渡りになる。
暗くなってきた時分であるが、鈍色の御簾に、黒い御几帳の透き影がしみじみと見え、追い風が優美に吹き通して、風情は申し分ない。簀子では不都合なので、南の廂の間にお入れ申し上げる。
宣旨が、対面して、ご挨拶はお伝え申し上げる。
「今さら、若者扱いの感じがします御簾の前ですね。神さびるほど古い年月の年功も数えられますので、今は御簾の内への出入りもお許しいただけるものと期待しておりましたが」
と言って、物足りなくお思いでいらっしゃる。
「今までのことはみな夢と思い、今、夢から覚めてはかない気がするのかと、はっきりと分別しかねておりますが、年功などは、静かに考えさせていただきましょう」
とお答え申し上げさせなさった。「なるほど無常な世である」と、ちょっとしたことにつけても自然とお思い続けられる。
「誰にも知られず神の許しを待っていた間に
長年つらい世を過ごしてきたことよ
今は、どのような戒めにか、かこつけなさろうとするのでしょう。総じて、世の中に厄介なことまでがございました後、いろいろとつらい思いをするところがございました。せめてその一部なりとも」
と、たって申し上げなさる、そのお心づかいなども、昔よりもう一段と優美さまでが増していらっしゃった。その一方で、とてもたいそうお年も召していらっしゃるが、ご身分には相応しくないようである。
「一通りのお見舞いの挨拶をするだけでも
誓ったことに背くと神が戒めるでしょう」
とあるので、
「ああ、情けない。あの当時の罪は、みな科戸の風にまかせて吹き払ってしまったのに」
とおっしゃる魅力も、この上ない。
「その罪を払う禊を、神は、どのようにお聞き届けたのでございましょうか」
などと、ちょっとしたことを申し上げるのも、まじめな話、とても気が気でない。結婚しようとなさらないご態度は、年月とともに強く、ますます引っ込み思案になりなさって、お返事もなさらないのを、困ったことと拝するようである。
「好色めいたふうになってしまって」
などと、深く嘆息してお立ちになる。
「年をとると、臆面もなくなるものですね。世に類ないやつれた姿を、この今は、と御覧くださいとだけでも申し上げられるほどにも、扱って下さったでしょうか」
と言って、お出になった後は、うるさいまでに、例によってお噂申し上げていた。
ただでさえも、空は風情があるころなので、木の葉の散る音につけても、過ぎ去った過去のしみじみとした情感が甦ってきて、その当時の、嬉しかったり悲しかったりにつけ、深くお見えになったお気持ちのほどを、お思い出し申し上げなさる。
[1-3 帰邸後に和歌を贈答しあう]
お気持ちの収まらないままお帰りになったので、以前にもまして、夜も眠れずにお思い続けになる。早く御格子を上げさせなさって、朝霧を眺めなさる。枯れたいくつもの花の中に、朝顔があちこちにはいまつわって、あるかなきかに花をつけて、色艶も格別に変わっているのを、折らせなさってお贈りになる。
「きっぱりとしたおあしらいに、体裁の悪い感じがいたしまして、後ろ姿もますますどのように御覧になったかと、悔しくて。けれども、
昔拝見したあなたがどうしても忘れられません
その朝顔の花は盛りを過ぎてしまったのでしょうか
長年思い続けてきた苦労も、気の毒だとぐらいには、いくな何でも、ご理解いただけるだろうかと、一方では期待しつつ」
などと申し上げなさった。穏やかなお手紙の風情なので、「返事をせずに気をもませるのも、心ないことか」とお思いになって、女房たちも御硯を調えて、お勧め申し上げるので、
「秋は終わって霧の立ち込める垣根にしぼんで
今にも枯れそうな朝顔の花のようなわたしです
似つかわしいお喩えにつけても、涙がこぼれて」
とばかりあるのは、何のおもしろいこともないが、どういうわけか、手放しがたく御覧になっていらっしゃるようである。青鈍色の紙に、柔らかな墨跡は、たいそう趣深く見えるようだ。ご身分、筆跡などによってとりつくろわれて、その時は何の難もないことも、いざもっともらしく伝えるとなると、事実を誤り伝えることがあるようなので、ここは勝手にとりつくろって書くようなので、変なところも多くなってしまった。
昔に帰って、今さら若々しい恋文書きなども似つかわしくないこと、とお思いになるが、やはりこのように昔から離れぬでもないご様子でありながら、不本意なままに過ぎてしまったことを思いながら、とてもお諦めになることができず、若返って、真剣になって文を差し上げなさる。
[1-4 源氏、執拗に朝顔姫君を恋う]
東の対に独り離れていらっしゃって、宣旨を呼び寄せ呼び寄せしてはご相談なさる。宮に伺候する女房たちで、それほどでない身分の男にさえ、すぐになびいてしまいそうな者は、間違いも起こしかねないほど、お褒め申し上げるが、宮は、その昔でさえきっぱりとお考えにもならなかったのに、今となっては、昔以上に、どちらも色恋に相応しくないお年、ご身分であるので、「ちょっとした木や草につけてのお返事などの、折々の興趣を見過さずにいるのも、軽率だと、受け取られようか」などと、人の噂を憚り憚りなさっては、心をうちとけなさるご様子もないので、昔のままで同じようなお気持ちを、世間の女性とは違って、珍しくまた妬ましくもお思い申し上げなさる。
世間に噂が漏れ聞こえて、
「前斎院を、熱心にお便りを差し上げなさるので、女五の宮なども結構にお思いのようです。似つかわしくなくもないお間柄でしょう」
などと言っていたのを、対の上は伝え聞きなさって、暫くの間は、
「いくら何でも、もしそういうことがあったとしたら、お隠しになることはあるまい」
とお思いになっていらっしゃったが、さっそく気をつけて御覧になると、お振る舞いなども、いつもと違って魂が抜け出たようなのも情けなくて、
「真剣になって思いつめていらっしゃるらしいことを、素知らぬ顔で冗談のように言いくるめなさったのだわと、同じ皇族の血筋でいらっしゃるが、声望も格別で、昔から重々しい方として聞こえていらっしゃった方なので、お心などが移ってしまったら、みっともないことになるわ。長年のご寵愛などは、わたしに立ち並ぶ者もなく、ずっと今まできたのに、今さら他人に負かされようとは」
などと、人知れず嘆かずにはいらっしゃれない。
「すっかりお見限りになることはないとしても、幼少のころから親しんでこられた長年の情愛は、軽々しいお扱いになるのだろう」
など、あれこれと思い乱れなさるが、それほどでもないことなら、嫉妬などもご愛嬌に申し上げなさるが、心底つらいとお思いなので、顔色にもお出しにならない。
端近くに物思いに耽りがちで、宮中にお泊まりになることが多くなり、仕事と言えば、お手紙をお書きになることで、
「なるほど、世間の噂は嘘ではないようだ。せめて、ほんの一言おっしゃってくださればよいのに」
と、いやなお方だとばかりお思い申し上げていらっしゃる。
2 朝顔姫君の物語 老いてなお旧りせぬ好色心
[2-1 朝顔姫君訪問の道中]
夕方、神事なども停止となって物寂しいので、することもない思いに耐えかねて、五の宮にいつものお伺いをなさる。雪がちょっとちらついて風情ある黄昏時に、優しい感じに着馴れたお召し物に、ますます香をたきしめなさって、念入りにおめかしして一日をお過ごしになったので、ますますなびきやすい人はどんなにかと見えた。それでも、お出かけのご挨拶はご挨拶として、申し上げなさる。
「女五の宮がご病気でいらっしゃるというのを、お見舞い申し上げようと思いまして」
と言って、軽く膝をおつきになるが、振り向きもなさらず、若君をあやして、さりげなくいらっしゃる横顔が、ただならぬ様子なので、
「不思議と、ご機嫌の悪くなったこのごろですね。罪もありませんね。塩焼き衣のように、あまりなれなれしくなって、珍しくなくお思いかと思って、家を空けていましたが、またどのようにお考えになってか」
などと申し上げなさると、
「馴じんで行くのは、おっしゃるとおり、いやなことが多いものですね」
とだけ言って、顔をそむけて臥せっていらっしゃるのは、そのまま見捨ててお出かけになるのも、気も進まないが、宮にお手紙を差し上げてしまっていたので、お出かけになった。
「このようなこともある夫婦仲だったのに、安心しきって過ごしてきたことだわ」
とお思い続けて、臥せっていらっしゃる。鈍色めいたお召し物であるが、色合いが重なって、かえって好ましく見えて、雪の光にたいそう優美なお姿を御覧になって、
「ほんとうに心がますます離れて行ってしまわれたならば」
と、堪えきれないお気持ちになる。
御前駆なども内々の人ばかりで、
「宮中以外の外出は、億劫になってしまったよ。桃園宮が心細い様子でいらっしゃっるのも、式部卿宮に長年お任せ申し上げていたが、これからは頼むなどとおっしゃるのも、もっともなことで、お気の毒なので」
などと、人々にもしいておっしゃるが、
「さあどんなものでしょう。ご好心が変わらないのは、惜しい玉の瑕のようです」
「よからぬ事がきっと起こるでしょう」
などと、呟き合っていた。
[2-2 宮邸に到着して門を入る]
宮邸では、北面にある人が多く出入りするご門は、お入りになるのも軽率なようなので、西にあるのが重々しい正門なので、供人を入れさせなさって、宮の御方にご案内を乞うと、「今日はまさかお越しになるまい」とお思いでいたので、驚いて門を開けさせなさる。
御門番が、寒そうな様子で、あわてて出てきて、すぐには開けられない。この人以外の男性はいないのであろう。ごろごろと引いて、
「錠がひどく錆びついてしまっているので、開かない」
と困っているのを、しみじみとお聞きになる。
「昨日今日のこととお思いになっていたうちに、はや三年も昔になってしまった世の中だ。このような世を見ながら、仮の宿を捨てることもできず、木や草の花にも心をときめかせるとは」と、つくづくと感じられる。口ずさみに、
「いつの間にこの邸は蓬がおい茂り
雪に埋もれたふる里となってしまったのだろう」
やや暫くして、無理やり引っ張り開けて、お入りになる。
[2-3 宮邸で源典侍と出会う]
宮の御方に、例によって、お話申し上げなさると、昔の事をとりとめもなく話し出しはじめて、はてもなくお続きになるが、ご関心もなく、眠いが、宮もあくびをなさって、
「宵のうちから眠くなっていましたので、終いまでお話もできません」
とおっしゃる間もなく、鼾とかいう、聞き知らない音がするので、これさいわいとお立ちになろうとすると、またたいそう年寄くさい咳払いをして、近寄ってまいる者がいる。
「恐れながら、ご存じでいらっしゃろうと心頼みにしておりましたのに、生きている者の一人としてお認めくださらないので。院の上は、祖母殿と仰せになってお笑いあそばしました」
などと、名乗り出したので、お思い出しになった。
源典侍と言った人は、尼になって、この宮のお弟子として勤行していると聞いていたが、今まで生きていようとはお確かめ知りにならなかったので、あきれる思いをなさった。
「その当時のことは、みな昔話になってゆきますが、遠い昔を思い出すと、心細くなりますが、なつかしく嬉しいお声ですね。親がいなくて臥せっている旅人と思って、お世話してください」
と言って、物に寄りかかっていらっしゃるご様子に、ますます昔のことを思い出して、相変わらずなまめかしいしなをつくって、たいそうすぼんだ口の恰好、想像される声だが、それでもやはり、甘ったるい言い方で戯れかかろうと今も思っている。
「言い続けてきたうちに」などとお申し上げかけてくるのは、こちらの顔の赤くなる思いがする。「今急に老人になったような物言いだ」など、と苦笑されるが、また一方で、これも哀れである。
「その女盛りのころに、寵愛を競い合いなさった女御、更衣、ある方はお亡くなりになり、またある方は見るかげもなく、はかないこの世に落ちぶれていらっしゃる方もあるようだ。入道の宮などの御寿命の短さよ。あきれるばかりの世の中の無常に、年からいっても余命残り少なそうで、心構えなども、頼りなさそうに見えた人が、生き残って、静かに勤行をして過ごしていたのは、やはりすべて定めない世のありさまなのだ」
とお思いになると、何となくしみじみとしたご様子を、心のときめくことかと誤解して、はしゃぐ。
「何年たってもあなたとのご縁が忘れられません
親の親とかおっしゃった一言がございますもの」
と申し上げると、気味が悪くて、
「来世に生まれ変わった後まで待って見てください
この世で子が親を忘れる例があるかどうかと
頼もしいご縁ですね。いずれゆっくりと、お話し申し上げましょう」
とおっしゃって、お立ちになった。
[2-4 朝顔姫君と和歌を詠み交わす]
西面では御格子を下ろしていたが、お嫌い申しているように思われるのもどうかと、一間、二間は下ろしてない。月が顔を出して、うっすらと積もった雪の光に映えて、かえって趣のある夜の様子である。
「さきほどの老いらくの懸想ぶりも、似つかわしくないものの例とか聞いた」とお思い出されなさって、おかしくなった。今宵は、たいそう真剣にお話なさって、
「せめて一言、憎いなどとでも、人伝てではなく直におっしゃっていただければ、思いあきらめるきっかけにもしましょう」
と、身を入れて強くお訴えになるが、
「昔、自分も相手も若くて、過ちが許されたころでさえ、亡き父宮などが好感を持っていらっしゃったのを、やはりとんでもなく気がひけることだとお思い申して終わったのに、晩年になり、盛りも過ぎ、似つかわしくない今頃になって、その一言をお聞かせするのも気恥ずかしいことだろう」
とお思いになって、まったく動じようとしないお気持ちなので、「あきれるほどに、つらい」とお思い申し上げなさる。
そうかといって、不体裁に突き放してというのではない取次ぎのお返事などが、かえってじれることである。夜もたいそう更けてゆくにつれ、風の具合が、激しくなって、ほんとうにもの心細く思われるので、体裁よいところで、お拭いになって、
「昔のつれない仕打ちに懲りもしないわたしの心までが
あなたがつらく思う心に加わってつらく思われるのです
自然とどうしようもございません」
と口に上るままにおっしゃると、
「ほんとうに」
「見ていて気が気でありませんわ」
と、女房たちは、例によって、申し上げる。
「今さらどうして気持ちを変えたりしましょう
他人ではそのようなことがあると聞きました心変わりを
昔と変わることは、今もできません」
などとお答え申し上げなさった。
[2-5 朝顔姫君、源氏の求愛を拒む]
何とも言いようがなくて、とても真剣に恨み言を申し上げなさってお帰りになるのも、たいそう若々しい感じがなさるので、
「ひどくこう、世の中のもの笑いになってしまいそうな様子、お漏らしなさるなよ。きっときっと。いさら川などと言うのも馴れ馴れしいですね」
と言って、しきりにひそひそ話しかけていらっしゃるが、何のお話であろうか。女房たちも、
「何とも、もったいない。どうしてむやみにつれないお仕打ちをなさるのでしょう」
「軽々しく無体なこととはお見えにならない態度なのに。お気の毒な」
と言う。
なるほど、君のお人柄の、素晴らしいのも、慕わしいのも、お分かりにならないのではないが、
「ものの情理をわきまえた人のように見ていただいたとしても、世間一般の人がお褒め申すのとひとしなみに思われるだろう。また一方では、至らぬ心のほどもきっとお見通しになるに違いなく、気のひけるほど立派なお方だから」とお思いになると、「親しそうな気持ちをお見せしても、何にもならない。さし障りのないお返事などは、引き続き、御無沙汰にならないくらいに差し上げなさって、人を介してのお返事、失礼のないようにしていこう。長年、仏事に無縁であった罪が消えるように仏道の勤行をしよう」とは決意はなさるが、「急にこのようなご関係を、断ち切ったようにするのも、かえって思わせぶりに見えもし聞こえもして、人が噂しはしまいか」と、世間の人の口さがないのをご存知なので、一方では、伺候する女房たちにも気をお許しにならず、たいそうご用心なさりながら、だんだんとご勤行一途になって行かれる。
ご兄弟の君達は多数いらっしゃるが、同腹ではないので、まったく疎遠で、宮邸の中がたいそうさびれて行くにつれて、あのような立派な方が、熱心にご求愛なさるので、一同そろって、お味方申すのも、誰の思いも同じと見える。
3 紫の君の物語 冬の雪の夜の孤影
[3-1 紫の君、嫉妬す]
大臣は、やみくもにご執心というわけではないが、つれない態度が腹立たしいので、負けて終わるのも悔しく、なるほどそれは、確かにご自身の人品や、世の評判は格別で、申し分なく、物事の道理を深くわきまえ、世間の人々の、それぞれの生き方の違いも広くお知りになって、昔よりも経験を多く積んでいらっしゃるので、今さらのお浮気事も、一方では世間の非難をお分りになりながら、
「このまま空しく引き下がっては、ますます物笑いとなるであろう。どうしたらよいものか」
と、お心が騒いで、二条院にお帰りにならない夜がお続きになるのを、女君は、冗談でなく恋しいとばかりお思いになる。我慢していらっしゃるが、どうして涙がこぼれる時がないであろうか。
「不思議にいつもと違ったご様子が、理解できませんね」
と言って、お髪をかき撫でながら、おいたわしいと思っていらっしゃる様子も、絵に描きたいようなお間柄である。
「宮がお亡くなりになって後、主上がとてもお寂しそうにばかりしていらっしゃるのも、おいたわしく拝見していますし、太政大臣もいらっしゃらないので、政治を見譲る人がいない忙しさです。このごろの家に帰らないことを、今までになかったことのようにお恨みになるのも、もっともなことで、お気の毒ですが、今はいくら何でも、安心にお思いなさい。おとなのようにおなりになったようですが、まだ深いお考えもなく、わたしの心もまだお分りにならないようでいらっしゃるのが、かわいらしい」
などと言って、涙でもつれている額髪、おつくろいになるが、ますます横を向いて何とも申し上げなさらない。
「とてもひどく子どもっぽくしていらっしゃるのは、誰がおしつけ申したことでしょう」
と言って、「無常の世に、こうまで隔てられるのもつまらないことだ」と、一方では物思いに耽っていらっしゃる。
「斎院にとりとめのない文を差し上げたのを、もしや誤解なさっていることがありませんか。それは、大変な見当違いのことですよ。自然とお分かりになるでしょう。昔からまったくよそよそしいお気持ちなので、もの寂しい時々に、恋文めいたものを差し上げて困らせたところ、あちらも所在なくお過ごしのところなので、まれに返事などなさるが、本気ではないので、こういうことですと、不平をこぼさなければならないようなことでしょうか。不安なことは何もあるまいと、お思い直しなさい」
などと、一日中お慰め申し上げなさる。
[3-2 夜の庭の雪まろばし]
雪がたいそう降り積もった上に、今もちらちらと降って、松と竹との違いがおもしろく見える夕暮に、君のご容貌も一段と光り輝いて見える。
「季節折々につけても、人が心を惹かれるらしい花や紅葉の盛りよりも、冬の夜の冴えた月に、雪の光が照り映えた空こそ、妙に、色のない世界ですが、身に染みて感じられ、この世の外のことまで思いやられて、おもしろさもあわれさも、尽くされる季節です。興醒めな例としてとして言った人の考えの浅いことよ」
と言って、御簾を巻き上げさせなさる。
月は隈なく照らして、一色に見渡される中に、萎れた前栽の影も痛々しく、遣水もひどく咽び泣くように流れて、池の氷もぞっとするほど身に染みる感じで、童女を下ろして、雪まろばしをおさせになる。
かわいらしげな姿、お髪の恰好が、月の光に映えて、大柄の物馴れた童女が、色とりどりの衵をしどけなく着て、袴の帯もゆったりした寝間着姿、優美なうえに、衵の裾より長い髪の末が、白い雪を背景にしていっそう引き立っているのは、たいそう鮮明な感じである。
小さい童女は、子どもらしく喜んで走りまわって、扇なども落として、気を許しているのがかわいらしい。
たいそう大きく丸めようと、欲張るが、転がすことができなくなって困っているようである。またある童女たちは、東の縁先に出ていて、もどかしげに笑っている。
[3-3 源氏、往古の女性を語る]
「先年、中宮の御前に雪の山をお作りになったのは、世間で昔からよく行われてきたことですが、やはり珍しい趣向を凝らしてちょっとした遊び事をもなさったものでしたなあ。どのような折々につけても、残念でたまたない思いですね。
とても隔てを置いていらして、詳しいご様子は拝したことはございませんでしたが、宮中生活の中で、心安い相談相手としては、お考えくださいました。
ご信頼申し上げて、あれこれと何か事のある時には、どのようなこともご相談申し上げましたが、表面には巧者らしいところはお見せにならなかったが、十分で、申し分なく、ちょっとしたことでも格別になさったものでした。この世にまた、あれほどの方がありましょうか。
しとやかでいらっしゃる一面、奥深い嗜みのあるところは、又となくいらっしゃったが、あなたこそは、そうはいっても、紫の縁で、たいして違っていらっしゃらないようですが、少しこうるさいところがあって、利発さの勝っているのが、困りますね。
前斎院のご性質は、また格別に見えます。心寂しい時に、何か用事がなくても便りをしあって、自分も気を使わずにはいられないお方は、ただこのお一方だけが、世にお残りでしょうか」
とおっしゃる。
「尚侍は、利発で奥ゆかしいところは、どなたよりも優れていらっしゃるでしょう。軽率な方面などは、無縁なお方でいらしたのに、不思議なことでしたね」
とおっしゃると、
「そうですね。優美で器量のよい女性の例としては、やはり引き合いに出さなければならない方ですね。そう思うと、お気の毒で悔やまれることが多いのですね。まして、浮気っぽい好色な人が、年をとるにつれて、どんなにか後悔されることが多いことでしょう。誰よりもはるかにおとなしい、と思っていましたわたしでさえですから」
などと、お口になさって、尚侍の君の御事にも、涙を少しはお落としなった。
「あの、人数にも入らないほどさげすんでいらっしゃる山里の女は、身分にはやや過ぎて、物の道理をわきまえているようですが、他の人とは同列に扱えない人ですから、気位を高くもっているのも、見ないようにしております。お話にもならない身分の人はまだ知りません。人というものは、すぐれた人というのはめったにいないものですね。
東の院に寂しく暮らしている人の気立ては、昔に変わらず可憐なものがあります。あのように、はとてもできないものですが。その方面につけての気立てのよさで、世話するようになって以来、同じように夫婦仲を遠慮深げな態度で過ごしてきましたよ。今はもう、互いに別れられそうなく、心からいとしいと思っております」
などと、昔の話や今の話などに夜が更けてゆく。
[3-4 藤壷、源氏の夢枕に立つ]
月がいよいよ澄んで、静かで趣がある。女君、
「氷に閉じこめられた石間の遣水は流れかねているが
空に澄む月の光はとどこおりなく西へ流れて行く」
外の方を御覧になって、少し姿勢を傾けていらっしゃるところ、似る者がないほどかわいらしげである。髪の具合、顔立ちが、恋い慕い申し上げている方の面影のようにふと思われて、素晴らしいので、少しは他に分けていらっしゃったご寵愛もあらためてお加えになることであろう。鴛鴦がちょっと鳴いたので、
「何もかも昔のことが恋しく思われる雪の夜に
いっそうしみじみと思い出させる鴛鴦の鳴き声であることよ」
お入りになっても、宮のことを思いながらお寝みになっていると、夢ともなくかすかにお姿を拝するが、たいそうお怨みになっていらっしゃるご様子で、
「漏らさないとおっしゃったが、つらい噂は隠れなかったので、恥ずかしく、苦しい目に遭うにつけ、つらい」
とおっしゃる。お返事を申し上げるとお思いになった時、ものに襲われるような気がして、女君が、
「これは、どうなさいました、このように」
とおっしゃったのに、目が覚めて、ひどく残念で、胸の置きどころもなく騒ぐので、じっと抑えて、涙までも流していたのであった。今もなお、ひどくお濡らし加えになっていらっしゃる。
女君が、どうしたことかとお思いになるので、身じろぎもしないで横になっていらっしゃった。
「安らかに眠られずふと寝覚めた寂しい冬の夜に
見た夢の短かかったことよ」
[3-5 源氏、藤壷を供養す]
かえって心満たされず、悲しくお思いになって、早くお起きになって、それとは言わず、所々の寺々に御誦経などをおさせになる。
「苦しい目にお遭いになっていると、お怨みになったが、きっとそのようにお恨みになってのことなのだろう。勤行をなさり、さまざまに罪障を軽くなさったご様子でありながら、自分との一件で、この世の罪障をおすすぎになれなかったのだろう」
と、ものの道理を深くおたどりになると、ひどく悲しくて、
「どのような方法をしてでも、誰も知る人のいない冥界にいらっしゃるのを、お見舞い申し上げて、その罪にも代わって差し上げたい」
などと、つくづくとお思いになる。
「あのお方のために、特別に何かの法要をなさるのは、世間の人が不審に思い申そう。主上におかれても、良心の呵責にお悟りになるかもしれない」
と、気がねなさるので、阿弥陀仏を心に浮かべてお念じ申し上げなさる。「同じ蓮の上に」と思って、
「亡くなった方を恋慕う心にまかせてお尋ねしても
その姿も見えない三途の川のほとりで迷うことであろうか」
とお思いになるのは、つらい思いであったとか。
21. 少女
光る源氏の太政大臣時代33歳の夏4月から35歳冬10月までの物語
- 故藤壷の一周忌明ける 年が変わって、宮の御一周忌も過ぎたので
- 源氏、朝顔姫君を諦める 女五の宮の御方にも、このように機会を逃さず
1 朝顔姫君の物語 藤壷代償の恋の諦め
- 子息夕霧の元服と教育論 大殿腹の若君のご元服のこと、ご準備をなさるが
- 大学寮入学の準備 字をつける儀式は、東の院でなさる
- 響宴と詩作の会 式が終わって退出する博士、文人たちをお召しになって
- 夕霧の勉学生活 引き続いて、入学の礼ということをおさせになって
- 大学寮試験の予備試験 今では寮試を受けさせようとなさって、まずご自分の前で
- 試験の当日 大学寮に参上なさる日は、寮の門前に
2 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語
- 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任 そろそろ、立后の儀があってよいころであるが
- 夕霧と雲居雁の幼恋 冠者の君は、同じ所でご成長なさったが
- 内大臣、大宮邸に参上 あちらとこちらの新任の大饗の宴が終わって、朝廷の御用もなく
- 弘徽殿女御の失意 「女性はただ心がけによって、世間から重んじられる
- 夕霧、内大臣と対面 内大臣は、和琴を引き寄せなさって、律調の
- 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く 内大臣はお帰りになったふうにして、こっそりと女房を
3 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語
- 内大臣、母大宮の養育を恨む 二日ほどして、参上なさった
- 内大臣、乳母らを非難する 姫君は、何もご存知でなくていらっしゃるのを
- 大宮、内大臣を恨む 大宮は、とてもかわいいとお思いになる二人の中でも
- 大宮、夕霧に忠告 このように騷がれているとも知らないで、冠者の君が
4 内大臣家の物語 雲居雁の養育をめぐる物語
- 夕霧と雲居雁の恋の煩悶 「今後いっそうお手紙などを交わすことは難しいだろう」と
- 内大臣、弘徽殿女御を退出させる 内大臣は、あれ以来参上なさらず、大宮を
- 夕霧、大宮邸に参上 ちょうど折しも冠者の君が参上なさった
- 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬 大宮のお手紙で
- 乳母、夕霧の六位を蔑む 御殿油をお点けし、内大臣が宮中から退出なさって来た様子で
5 夕霧の物語 幼恋の物語
- 惟光の娘、五節舞姫となる 大殿の所では、今年、五節の舞姫を差し上げなさる
- 夕霧、五節舞姫を恋慕 大学の君は、ただ胸が一杯で、食事なども
- 宮中における五節の儀 浅葱の服が嫌なので、宮中に参内することもせず
- 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す そのまま皆宮中に残させなさって、宮仕えするようにとの
- 花散里、夕霧の母代となる あの若君は、手紙をやることさえおできになれず
- 歳末、夕霧の衣装を準備 年の暮には、正月のご装束などを
6 夕霧の物語 五節舞姫への恋
- 二月二十日過ぎ、朱雀院へ行幸 元旦にも、大殿は御参賀なさらないので
- 弘徽殿大后を見舞う 夜は更けてしまったが、このような機会に、太后宮のいらっしゃる方を
- 源氏、六条院造営を企図す 大殿は、静かなお住まいを、同じことなら広く
- 秋八月に六条院完成 八月に、六条院が完成してお引っ越しなさる
- 秋の彼岸の頃に引っ越し始まる 彼岸のころにお引っ越しになる
- 九月、中宮と紫の上和歌を贈答 九月になると、紅葉があちこちに色づいて
7 光る源氏の物語 六条院造営
1 朝顔姫君の物語 藤壷代償の恋の諦め
[1-1 故藤壷の一周忌明ける]
年が変わって、宮の御一周忌も過ぎたので、世の人々の喪服が平常に戻って、衣更のころなどもはなやかであるが、それ以上に賀茂祭のころは、おおよその空模様も気分がよいのに、前斎院は所在なげに物思いに耽っていらっしゃる。
お庭先の桂の木の下を吹く風、慕わしく感じられるにつけても、若い女房たちは思い出されることが多いところに、大殿から、
「御禊の日は、どのようにのんびりとお過ごしになりましたか」
と、お見舞い申し上げなさった。
「今日は、
思いもかけませんでした
再びあなたが禊をなさろうとは」
紫色の紙、立て文にきちんとして、藤の花におつけになっていた。季節柄、感動をおぼえて、お返事がある。
「喪服を着たのはつい昨日のことと思っておりましたのに
もう今日はそれを脱ぐ禊をするとは、何と移り変わりの早い世の中ですこと
はかなくて」
とだけあるのを、例によって、お目を凝らして御覧になっていらっしゃる。
喪服をお脱ぎになるころにも、宣旨のもとに、置き所もないほど、お心づかいの品々が届けられたのを、院は見苦しいこととお思いになりお口になさるが、
「意味ありげな、色めかしいお手紙ならば、何とか申し上げてご辞退するのですが、長年、表向きの折々のお見舞いなどはお馴れ申し上げになっていて、とても真面目な内容なので、どのように言い紛らわしてお断り申したらよいだろうか」
と、困っているようである。
[1-2 源氏、朝顔姫君を諦める]
女五の宮の御方にも、このように機会を逃さずお見舞い申し上げるので、とても感心して、
「この君が、昨日今日までは子供と思っていましたのに、このように成人されて、お見舞いくださるとは。容貌のとても美しいのに加えて、気立てまでが人並み以上にすぐれていらっしゃいます」
とお褒め申し上げるのを、若い女房たちは苦笑申し上げる。
こちらの方にもお目にかかりなさる時には、
「この大臣が、このように心をこめてお手紙を差し上げなさるようですが、どうしてか、今に始まった軽いお気持ちではありません。亡くなられた宮も、その関係が違ってしまわれて、お世話申し上げることができなくなったとお嘆きになっては、考えていたことを無理にお断りになったことだなどと、おっしゃっては、後悔していらっしゃったことがよくありました。
けれども、故大殿の姫君がいらっしゃった間は、三の宮がお気になさるのが気の毒さに、あれこれと言葉を添えることもなかったのです。今では、そのれっきとした奥方でいらした方まで、お亡くなりになってしまったので、ほんとに、どうしてご意向どおりになられたとしても悪くはあるまいと思われますにつけても、昔に戻ってこのように熱心におっしゃていただけるのも、そうなるはずであったのだろうと存じます」
などと、いかにも古風に申し上げなさるのを、気にそまぬとお思いになって、
「亡き父宮からも、そのように強情な者と思われてまいりましたが、今さらに、改めて結婚しようというのも、ひどくおかしなことでございます」
と申し上げなさって、気恥ずかしくなるようなきっぱりとしたご様子なので、無理にもお勧め申し上げることもできない。
宮家に仕える人たちも、上下の女房たち、皆が心をお寄せ申していたので、縁談事を不安にばかりお思いになるが、かの当のご自身は、心のありったけを傾けて、愛情をお見せ申して、相手のお気持ちが揺らぐのをじっと待っていらっしゃるが、そのように無理してまで、お心を傷つけようなどとは、お考えにならないのであろう。
2 夕霧の物語 光る源氏の子息教育の物語
[2-1 子息夕霧の元服と教育論]
大殿腹の若君のご元服のこと、ご準備をなさるが、二条院でとお考えになるが、大宮がとても見たがっていっらしゃったのもごもっともに気の毒なので、やはりそのままあちらの殿で式を挙げさせ申し上げなさる。
右大将をはじめとして、御伯父の殿方は、みな上達部で高貴なご信望厚い方々ばかりでいらっしゃるので、主人方でも、我も我もとしかるべき事柄は、競い合ってそれぞれがお仕え申し上げなさる。だいたい世間でも大騒ぎをして、大変な準備のしようである。
四位につけようとお思いになり、世間の人々もきっとそうであろうと思っていたが、
「まだたいそう若いのに、自分の思いのままになる世だからといって、そのように急に位につけるのは、かえって月並なことだ」
とお止めになった。
浅葱の服で殿上の間にお戻りになるのを、大宮は、ご不満でとんでもないこととお思いになったのは、無理もなく、お気の毒なことであった。
ご対面なさって、このことをお話し申し上げなさると、
「今のうちは、このように無理をしてまで、まだ若年なので大人扱いする必要はございませんが、考えていることがございまして、大学の道に暫くの間勉強させようという希望がございますゆえ、もう二、三年間を無駄に過ごしたと思って、いずれ朝廷にもお仕え申せるようになりましたら、そのうちに、一人前になりましょう。
自分は、宮中に成長致しまして、世の中の様子を存じませんで、昼夜、御帝の前に伺候致して、ほんのちょっと学問を習いました。ただ、畏れ多くも直接に教えていただきましたのさえ、どのようなことも広い知識を知らないうちは、詩文を勉強するにも、琴や笛の調べにしても、音色が十分でなく、及ばないところが多いものでございました。
つまらない親に、賢い子が勝るという話は、とても難しいことでございますので、まして、次々と子孫に伝わっていき、離れてゆく先は、とても不安に思えますので、決めましたことでございます。
高貴な家の子弟として、官位爵位が心にかない、世の中の栄華におごる癖がついてしまいますと、学問などで苦労するようなことは、とても縁遠いことのように思うようです。遊び事や音楽ばかりを好んで、思いのままの官爵に昇ってしまうと、時勢に従う世の人が、内心ではばかにしながら、追従し、機嫌をとりながら従っているうちは、自然とひとかどの人物らしく立派なようですが、時勢が移り、頼む人に先立たれて、運勢が衰えた末には、人に軽んじらればかにされて、取り柄とするところがないものでございます。
やはり、学問を基礎にしてこそ、政治家としての心の働きが世間に認められるところもしっかりしたものでございましょう。当分の間は、不安なようでございますが、将来の世の重鎮となるべき心構えを学んだならば、わたしが亡くなった後も、安心できようと存じてです。ただ今のところは、ぱっとしなくても、このように育てていきましたら、貧乏な大学生だといって、ばかにして笑う者もけっしてありますまいと存じます」
などと、わけをお話し申し上げになると、ほっと吐息をおつきになって、
「なるほど、そこまでお考えになって当然でしたことを。ここの大将なども、あまりに例に外れたご処置だと、不審がっておりましたようですが、この子供心にも、とても残念がって、大将や、左衛門督の子どもなどを、自分よりは身分が下だと見くびっていたのさえ、皆それぞれ位が上がり上がりし、一人前になったのに、浅葱をとてもつらいと思っていられるので、気の毒なのでございます」
と申し上げなさると、ちょっとお笑いになって、
「たいそう一人前になって不平を申しているようですね。ほんとうにたわいないことよ。あの年頃ではね」
と言って、とてもかわいいとお思いであった。
「学問などをして、もう少し物の道理がわかったならば、そんな恨みは自然となくなってしまうでしょう」
とお申し上げになる。
[2-2 大学寮入学の準備]
字をつける儀式は、東の院でなさる。東の対を準備なさった。上達部、殿上人、めったにないことで見たいものだと思って、我も我もと参集なさった。博士たちもかえって気後れしてしまいそうである。
「遠慮することなく、慣例のとおりに従って、手加減せずに、厳格に行いなさい」
とお命じになると、無理に平静をよそおって、他人の家から調達した衣装類が、身につかず、不恰好な姿などにもかまいなく、表情、声づかいが、もっともらしくしては、席について並んでいる作法をはじめとして、見たこともない様子である。
若い君達は、我慢しきれず笑ってしまった。一方では、笑ったりなどしないような、年もいった落ち着いた人だけをと、選び出して、お酌などもおさせになるが、いつもと違った席なので、右大将や、民部卿などが、一所懸命に杯をお持ちになっているのを、あきれるばかり文句を言い言い叱りつける。
「おおよそ、宴席の相伴役は、はなはだ不作法でござる。これほど著名な誰それを知らなくて、朝廷にはお仕えしている。はなはだばかである」
などと言うと、人々がみな堪えきれず笑ってしまったので、再び、
「うるさい。お静かに。はなはだ不作法である。退席していただきましょう」
などと、脅して言うのも、まことにおかしい。
見慣れていらっしゃらない方々は、珍しく興味深いことと思い、この大学寮ご出身の上達部などは、得意顔に微笑みながら、このような道をご愛好されて、大学に入学させなさったのが結構なことだと、ますますこのうえなく敬服申し上げていらっしゃった。
少し私語を言っても制止する。無礼な態度であると言っても叱る。騒がしく叱っている博士たちの顔が、夜に入ってからは、かえって一段と明るくなった燈火の中で、滑稽じみて貧相で、不体裁な様子などが、何から何まで、なるほど実に普通でなく、変わった様子であった。
大臣は、
「とてもだらしなく、頑固な者なので、やかましく叱られてまごつくだろう」
とおっしゃって、御簾の内に隠れて御覧になっていたのであった。
用意された席が足りなくて、帰ろうとする大学寮の学生たちがいるのをお聞きになって、釣殿の方にお呼び止めになって、特別に賜物をなさった。
[2-3 響宴と詩作の会]
式が終わって退出する博士、文人たちをお召しになって、また再び詩文をお作らせになる。上達部や、殿上人も、その方面に堪能な人ばかりは、みなお残らせになる。博士たちは、律詩、普通の人は、大臣をはじめとして、絶句をお作りになる。興趣ある題の文字を選んで、文章博士が奉る。夏の短いころの夜なので、すっかり明けて披講される。左中弁が、講師をお勤めした。容貌もたいそうきれいで、声の調子も堂々として、荘厳な感じに読み上げたところは、たいそう趣がある。世の信望が格別高い学者なのであった。
このような高貴な家柄にお生まれになって、この世の栄華をひたすら楽しまれてよいお身の上でありながら、窓の螢を友とし、枝の雪にお親しみになる学問への熱心さを、思いつく限りの故事をたとえに引いて、それぞれが作り集めた句がそれぞれに素晴らしく、「唐土にも持って行って伝えたいほどの世の名詩である」と、当時世間では褒めたたえるのであった。
大臣のお作は言うまでもない。親らしい情愛のこもった点までも素晴らしかったので、涙を流して朗誦しもてはやしたが、女の身では知らないことを口にするのは生意気だと言われそうなので、嫌なので書き止めなかった。
[2-4 夕霧の勉学生活]
引き続いて、入学の礼ということをおさせになって、そのまま、この院の中にお部屋を設けて、本当に造詣の深い先生にお預け申されて、学問をおさせ申し上げなさった。
大宮のところにも、めったにお出かけにならない。昼夜かわいがりなさって、いつまでも子供のようにばかりお扱い申していらっしゃるので、あちらでは、勉強もおできになれまいと考えて、静かな場所にお閉じこめ申し上げなさったのであった。
「一月に三日ぐらいは参りなさい」
と、お許し申し上げなさのであった。
じっとお籠もりになって、気持ちの晴れないまま、殿を、
「ひどい方でいらっしゃるなあ。こんなに苦しまなくても、高い地位に上り、世間に重んじられる人もいるではないか」
とお恨み申し上げなさるが、いったい性格が、真面目で、浮ついたところがなくていらっしゃるので、よく我慢して、
「何とかして必要な漢籍類を早く読み終えて、官途にもついて、出世しよう」
と思って、わずか四、五か月のうちに、『史記』などという書物、読み了えておしまいになった。
[2-5 大学寮試験の予備試験]
今では寮試を受けさせようとなさって、まずご自分の前で試験をさせなさる。
いつものとおり、大将、左大弁、式部大輔、左中弁などばかり招いて、先生の大内記を呼んで、『史記』の難しい巻々を、寮試を受けるのに、博士が反問しそうなところどころを取り出して、ひととおりお読ませ申し上げなさると、不明な箇所もなく、諸説にわたって読み解かれるさまは、爪印もつかず、あきれるほどよくできるので、
「お生まれが違っていらっしゃるのだ」
と、皆が皆、涙を流しなさる。大将は、誰にもまして、
「亡くなった大臣が生きていらっしゃったら」
と、口に出されて、お泣きになる。殿も、我慢がおできになれず、
「他人のことで、愚かで見苦しいと見聞きしておりましたが、子が大きくなっていく一方で、親が代わって愚かになっていくことは、たいした年齢ではありませんが、世の中とはこうしたものなのだなあ」
などとおっしゃって、涙をお拭いになるのを見る先生の気持ち、嬉しく面目をほどこしたと思った。
大将が、杯をおさしになると、たいそう酔っぱらっている顔つきは、とても痩せ細っている。
大変な変わり者で、学問のわりには登用されず、顧みられなくて貧乏でいたのであったが、お目に止まるところがあって、このように特別に召し出したのであった。
身に余るほどのご愛顧を頂戴して、この若君のおかげで、急に生まれ変わったようになったと思うと、今にまして将来は、並ぶ者もない声望を得るであろうよ。
[2-6 試験の当日]
大学寮に参上なさる日は、寮の門前に、上達部のお車が数知れないくらい集まっていた。おおよそ世間にこれを見ないで残っている人はあるまいと思われたが、この上なく大切に扱われて、労られながら入ってこられる冠者の君のご様子、なるほど、このような生活には耐えられないくらい上品でかわいらしい感じである。
例によって、賤しい者たちが集まって来ている席の末に座るのをつらいとお思いになるのは、もっともなことである。
ここでも同様に、大声で叱る者がいて、目障りであるが、少しも気後れせずに最後までお読みになった。
昔が思い出される大学の盛んな時代なので、上中下の人は、我も我もと、この道を志望し集まってくるので、ますます、世の中に、学問があり有能な人が多くなったのであった。擬文章生などとかいう試験をはじめとして、すらすらと合格なさったので、ひたすら学問に心を入れて、先生も弟子も、いっそうお励みになる。
殿でも、作文の会を頻繁に催し、博士、文人たちも得意である。すべてどのようなことにつけても、それぞれの道に努める人の才能が発揮される時代なのだった。
3 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語
[3-1 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任]
そろそろ、立后の儀があってよいころであるが、
「斎宮の女御こそは、母宮も、自分の変わりのお世話役とおっしゃっていましたから」
と、大臣もご遺志にかこつけて主張なさる。皇族出身から引き続き后にお立ちになることを、世間の人は賛成申し上げない。
「弘徽殿の女御が、まず誰より先に入内なさったのもどうだらろうか」
などと、内々に、こちら側あちら側につく人々は、心配申し上げている。
兵部卿宮と申し上げた方は、今では式部卿になって、この御世となってからはいっそうご信任厚い方でいらっしゃる、その姫も、かねての望みがかなって入内なさっていた。同様に、王の女御として伺候していらっしゃるので、
「同じ皇族出身なら、御母方として親しくいらっしゃる方をこそ、母后のいらっしゃらない代わりのお世話役として相応しいだろう」
と理由をつけて、ふさわしかるべく、それぞれ競争なさったが、やはり梅壷が立后なさった。ご幸福が、うって変わってすぐれていらっしゃることを、世間の人は驚き申し上げる。
大臣は、太政大臣にお上がりになって、大将は、内大臣におなりになった。天下の政治をお執りになるようにお譲り申し上げなさる。性格は、まっすぐで、威儀も正しくて、心づかいなどもしっかりしていらっしゃる。学問をとり立てて熱心になさったので、韻塞ぎにはお負けになったが、政治では立派である。
いく人もの妻妾にお子たちが十余人、いずれも大きく成長していらっしゃるが、次から次と立派になられて、負けず劣らず栄えているご一族である。女の子は、弘徽殿の女御ともう一人いらっしゃるのであった。皇族出身を母親として、高貴なお血筋では劣らないのであるが、その母君は、按察大納言の北の方となって、現在の夫との間に子どもの数が多くなって、「それらの子どもと一緒に継父に委ねるのは、まことに不都合なことだ」と思って、お引き離させなさって、大宮にお預け申していらっしゃるのであった。女御よりはずっと軽くお思い申し上げていらっしゃったが、性格や、器量など、とてもかわいらしくいらっしゃるのであった。
[3-2 夕霧と雲居雁の幼恋]
冠者の君は、同じ所でご成長なさったが、それぞれが十歳を過ぎてから後は、住む部屋を別にして、
「親しい縁者ですが、男の子には気を許すものではありません」
と、父大臣が訓戒なさって、離れて暮らすようになっていたが、子供心に慕わしく思うことなきにしもあらずなので、ちょっとした折々の花や紅葉につけても、また雛遊びのご機嫌とりにつけても、熱心にくっついてまわって、真心をお見せ申されるので、深い情愛を交わし合いなさって、きっぱりと今でも恥ずかしがりなさらない。
お世話役たちも、
「何の、子どもどうしのことなので、長年親しくしていらっしゃったお間柄を、急に引き離して、どうしてきまり悪い思いをさせることができようか」
と思っていると、女君は何の考えもなくいらっしゃるが、男君は、あんなにも子どものように見えても、だいそれたどんな仲だったのであろうか、離れ離れになってからは、逢えないことを気が気でなく思うのである。
まだ未熟ながら将来の思われるかわいらしい筆跡で、書き交わしなさった手紙が、不用意さから、自然と落としているときもあるのを、姫君の女房たちは、うすうす知っている者もいたのだが、「どうして、こんな関係である」と、どなたに申し上げられようか。知っていながら隠しているのであろう。
[3-3 内大臣、大宮邸に参上]
あちらとこちらの新任の大饗の宴が終わって、朝廷の御用もなく、のんびりとしていたころ、時雨がさあっと降って、荻の上風もしみじみと感じられる夕暮に、大宮のお部屋に、内大臣が参上なさって、姫君をそこへお呼びになって、お琴などをお弾かせなさる。大宮は、何事も上手でいらっしゃるので、それらをみなお教えになる。
「琵琶は、女性が弾くには見にくいようだが、いかにも達者な感じがするものです。今の世に、正しく弾き伝えている人は、めったにいなくなってしまいました。何々親王、何々の源氏とか」
などとお数えになって、
「女性の中では、太政大臣が山里に隠しおいていらっしゃる人が、たいそう上手だと聞いております。音楽の名人の血筋ではありますが、子孫の代になって、田舎生活を長年していた人が、どうしてそのように上手に弾けたのでしょう。あの大臣が、ことの他上手な人だと思っておっしゃったことがありました。他の芸とは違って、音楽の才能はやはり広くいろんな人と合奏をし、あれこれの楽器に調べを合わせてこそ、立派になるものですが、独りで学んで、上手になったというのは珍しいことです」
などとおっしゃって、大宮にお促し申し上げになると、
「柱を押さえることが久しぶりになってしまいました」
とおっしゃったが、美しくお弾きになる。
「ご幸運な上に、さらにやはり不思議なほど立派な方なのですね。お年をとられた今までに、お持ちでなかった女の子をお生み申されて、側に置いてみすぼらしくするでなく、れっきとしたお方にお預けした考えは、申し分のない人だと聞いております」
などと、一方ではお話し申し上げなさる。
[3-4 弘徽殿女御の失意]
「女性はただ心がけによって、世間から重んじられるものでございますね」
などと、他人の身の上についてお話し出されて、
「弘徽殿の女御を、悪くはなく、どんなことでも他人には負けまいと存じておりましたが、思いがけない人に負けてしまった運命に、この世は案に相違したものだと存じました。せめてこの姫君だけは、何とか思うようにしたいものです。東宮の御元服は、もうすぐのことになったと、ひそかに期待していたのですが、あのような幸福者から生まれたお后候補者が、また後から追いついてきました。入内なさったら、まして対抗できる人はいないのではないでしょうか」
とお嘆きになると、
「どうして、そのようなことがありましょうか。この家にもそのような人がいないで終わってしまうようなことはあるまいと、亡くなった大臣が思っていらっしゃって、女御の御ことも、熱心に奔走なさったのでしたが。生きていらっしゃったならば、このように筋道の通らぬこともなかったでしょうに」
などと、あの一件では、太政大臣を恨めしくお思い申し上げていらっしゃった。
姫君のご様子が、とても子どもっぽくかわいらしくて、箏のお琴をお弾きになっていらっしゃるが、お髪の下り端、髪の具合などが、上品で艶々としてしているのをじっと見ていらっしゃると、恥ずかしく思って、少し横をお向きになった横顔、その恰好がかわいらしげで、取由の手つきが、非常にじょうずに作った人形のような感じがするので、大宮もこの上なくかわいいと思っていらっしゃった。調子合わせのための小曲などを軽くお弾きになって、押しやりなさった。
[3-5 夕霧、内大臣と対面]
内大臣は、和琴を引き寄せなさって、律調のかえって今風なのを、その方面の名人がうちとけてお弾きになっているのは、たいそう興趣がある。御前のお庭の木の葉がほろほろと落ちきって、老女房たちが、あちらこちらの御几帳の後に、集まって聞いていた。
「風の力がおよそ弱い」
と、朗誦なさって、
「琴のせいではないが、不思議としみじみとした夕べですね。もっと、弾きましょうよ」
とおっしゃって、「秋風楽」に調子を整えて、唱歌なさる声、とても素晴らしいので、みなそれぞれに、内大臣をも見事であるとお思い申し上げになっていらっしゃると、それをいっそう喜ばせようというのであろうか、冠者の君が参上なさった。
「こちらに」とおっしゃって、御几帳を隔ててお入れ申し上げになった。
「あまりお目にかかれませんね。どうしてこう、このご学問に打ち込んでいらっしゃるのでしょう。学問が身分以上になるのもよくないことだと、大臣もご存知のはずですが、こうもお命じ申し上げなさるのは、考える子細もあるのだろうと存じますが、こんなに籠もってばかりいらっしゃるのは、お気の毒でございます」
と申し上げなさって、
「時々は、別のことをなさい。笛の音色にも昔の聖賢の教えは、伝わっているものです」
とおっしゃって、御笛を差し上げなさる。
たいそう若々しく美しい音色を吹いて、大変に興がわいたので、お琴はしばらく弾きやめて、大臣が、拍子をおおげさではなく軽くお打ちになって、
「萩の花で摺った」
などとお歌いになる。
「大殿も、このような管弦の遊びにご熱心で、忙しいご政務からはお逃げになるのでした。なるほど、つまらない人生ですから、満足のゆくことをして、過ごしたいものでございますね」
などとおっしゃって、お杯をお勧めなさっているうちに、暗くなったので、燈火をつけて、お湯漬や果物などを、どなたもお召し上がりになる。
姫君はあちらの部屋に引き取らせなさった。つとめて二人の間を遠ざけなさって、「お琴の音だけもお聞かせしないように」と、今ではすっかりお引き離し申していらっしゃるのを、
「お気の毒なことが起こりそうなお仲だ」
と、お側近くお仕え申している大宮づきの年輩の女房たちは、ひそひそ話しているのであった。
[3-6 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く]
内大臣はお帰りになったふうにして、こっそりと女房を相手なさろうと座をお立ちになったのだが、そっと身を細めてお帰りになる途中で、このようなひそひそ話をしているので、妙にお思いになって、お耳をとめなさると、ご自分の噂をしている。
「えらそうにしていらっしゃるが、人の親ですよ。いずれ、ばかばかしく後悔することが起こるでしょう」
「子を知っているのは親だというのは、嘘のようですね」
などと、こそこそと噂し合う。
「あきれたことだ。やはりそうであったのか。思いよらないことではなかったが、子供だと思って油断しているうちに。世の中は何といやなものであるな」
と、ことの子細をつぶさに了解なさったが、音も立てずにお出になった。
前駆の先を払う声が盛んに聞こえるので、
「殿は、今お帰りあそばしたのだわ」
「どこに隠れていらっしゃったのかしら」
「今でもこんな浮気をなさるとは」
と言い合っている。ひそひそ話をした女房たちは、
「とても香ばしい匂いがしてきたのは、冠者の君がいらっしゃるのだとばかり思っていましたわ」
「まあ、いやだわ。陰口をお聞きになったかしら。厄介なご気性だから」
と、皆困り合っていた。
殿は、道中お考えになることに、
「まったく問題にならない悪いことではないが、ありふれた親戚どうしの結婚で、世間の人もきっとそう取り沙汰するに違いないことだ。大臣が、強引に女御を抑えなさっているのも癪なのに、ひょっとして、この姫君が相手に勝てることがあろうかも知れないと思っていたが、くやしいことだ」
とお思いになる。殿どうしのお仲は、普通のことでは昔も今もたいそう仲よくいらっしゃりながら、このような方面では、競争申されたこともお思い出しになって、おもしろくないので、寝覚めがちに夜をお明かしになる。
大宮に対しても、
「そのような様子は御存じであろうに、たいへんにかわいがっていらっしゃるお孫たちなので、好きなようにさせていらっしゃるのだろう」
と、女房たちが言っていた様子を、いまいましいとお思いになると、お心が穏やかでなくなって、少し男らしく事をはっきりさせたがるご気性にとっては、抑えがたい。
4 内大臣家の物語 雲居雁の養育をめぐる物語
[4-1 内大臣、母大宮の養育を恨む]
二日ほどして、参上なさった。頻繁に参上なさる時は、大宮もとてもご満足され、嬉しく思っておいであった。尼削ぎの御髪に手入れをなさって、きちんとした小袿などをお召し添えになって、わが子ながら気づまりなほど立派なお方なので、直接顔を合わせずにお会いなさる。
大臣は御機嫌が悪くて、
「こちらにお伺いするのも体裁悪く、女房たちがどのように見ていますかと、気がひけてしまいます。たいした者ではありませんが、世に生きていますうちは、常にお目にかからせていただき、ご心配をかけることのないようにと存じております。
不心得者のことで、お恨み申さずにはいられないようなことが起こってまいりましたが、こんなにはお恨み申すまいと一方では存じながらも、やはり抑えがたく存じられまして」
と、涙をお拭いなさるので、大宮は、お化粧なさっていた顔色も変わって、お目を大きく見張られた。
「どうしたことで、こんな年寄を、お恨みなさるのでしょうか」
と申し上げなさるのも、今さらながらお気の毒であるが、
「ご信頼申していたお方に、幼い子どもをお預け申して、自分ではかえって幼い時から何のお世話も致さずに、まずは身近にいた姫君の、宮仕えなどが思うようにいかないのを、心配しながら奔走しいしい、それでもこの姫君を一人前にしてくださるものと信頼しておりましたのに、意外なことがございましたので、とても残念です。
ほんとうに天下に並ぶ者のない優れた方のようですが、近しい者どうしが結婚するのは、人の外聞も浅薄な感じが、たいした身分でもないものどうしの縁組でさえ考えますのに、あちらの方のためにも、たいそう不体裁なことです。他人で、豪勢な初めての関係の家で、派手に大切にされるのこそ、よいものです。縁者どうしの、馴れ合いの結婚なので、大臣も不快にお思いになることがあるでしょう。
それはそれとしても、これこれしかじかですと、わたしにお知らせくださって、特別なお扱いをして、少し世間でも関心を寄せるような趣向を取り入れたいものです。若い者どうしの思いのままに放って置かれたのが、心外に思われるのです」
と申し上げなさると、夢にも御存知なかったことなので、驚きあきれなさって、
「なるほど、そうおっしゃるのもごもっともなことですが、ぜんぜんこの二人の気持ちを存じませんでした。なるほど、とても残念なことは、こちらこそあなた以上に嘆きたいくらいです。子どもたちと一緒にわたしを非難なさるのは、恨めしいことです。
お世話致してから、特別にかわいく思いまして、あなたがお気づきにならないことも、立派にしてやろうと、内々に考えていたのでしたよ。まだ年端もゆかないうちに、親心の盲目から、急いで結婚させようとは考えもしないことです。
それにしても、誰がそのようなことを申したのでしょう。つまらぬ世間の噂を取り上げて、容赦なくおっしゃるのも、つまらないことで、根も葉もない噂で、姫君のお名に傷がつくのではないでしょうか」
とおっしゃると、
「どうして、根も葉もないことでございましょうか。仕えている女房たちも、陰ではみな笑っているようですのに、とても悔しく、面白くなく存じられるのですよ」
とおっしゃって、お立ちになった。
事情を知っている女房どうしは、実におかわいそうに思う。先夜の陰口を叩いた女房たちは、それ以上に気も動転して、「どうしてあのような内緒話をしたのだろう」と、一同後悔し合っていた。
[4-2 内大臣、乳母らを非難する]
姫君は、何もご存知でなくていらっしゃるのを、お覗きになると、とてもかわいらしいご様子なのを、しみじみと拝見なさる。
「若いと言っても、無分別でいらっしゃったのを知らないで、ほんとうにこうまで一人前にと思っていた自分こそ、もっとあさはかであったよ」
とおっしゃって、御乳母たちをお責めになるが、お返事の申しようもない。
「このようなことは、この上ない帝の大切な内親王も、いつの間にか過ちを起こす例は、昔物語にもあるようですが、二人の気持ちを知って仲立ちする人が、隙を窺ってするのでしょう」
「この二人は、朝夕ご一緒に長年過ごしていらっしゃったので、どうして、お小さい二人を、大宮様のお扱いをさし越えてお引き離し申すことができましょうと、安心して過ごして参りましたが、一昨年ごろからは、はっきり二人を隔てるお扱いに変わりましたようなので、若い人と言っても、人目をごまかして、どういうものにか、ませた真似をする人もいらっしゃるようですが、けっして色めいたところもなくいらっしゃるようなので、ちっとも思いもかけませんでした」
と、お互いに嘆く。 「よし、暫くの間、このことは人に言うまい。隠しきれないことだが、よく注意して、せめて事実無根だともみ消しなさい。今からは自分の所に引き取ろう。大宮のお扱いが恨めしい。お前たちは、いくらなんでも、こうなって欲しいとは思わなかっただろう」
とおっしゃるので、「困ったこととではあるが、嬉しいことをおっしゃる」と思って、
「まあ、とんでもありません。按察大納言殿のお耳に入ることをも考えますと、立派な人ではあっても、臣下の人であっては、何を結構なことと考えて望んだり致しましょう」
と申し上げる。
姫君は、とても子供っぽいご様子で、いろいろとお申し上げなさっても、何もお分かりでないので、お泣きになって、
「どうしたら、傷ものにおなりにならずにすむ道ができようか」
と、こっそりと頼れる乳母たちとご相談なさって、大宮だけをお恨み申し上げなさる。
[4-3 大宮、内大臣を恨む]
大宮は、とてもかわいいとお思いになる二人の中でも、男君へのご愛情がまさっていらっしゃるのであろうか、このような気持ちがあったのも、かわいらしくお思いになられるが、情愛なく、ひどいことのようにお考えになっておっしゃったのを、
「どうしてそんなに悪いことがあろうか。もともと深くおかわいがりになることもなくて、こんなにまで大事にしようともお考えにならなかったのに、わたしがこのように世話してきたからこそ、春宮へのご入内のこともお考えになったのに。思いどおりにゆかないで、臣下と結ばれるならば、この男君以外にまさった人がいるだろうか。器量や、態度をはじめとして、同等の人がいるだろうか。この姫君以上の身分の姫君が相応しいと思うのに」
と、ご自分の愛情が男君の方に傾くせいからであろうか、内大臣を恨めしくお思い申し上げなさる。もしもお心の中をお見せ申したら、どんなにかお恨み申し上げになることであろうか。
[4-4 大宮、夕霧に忠告]
このように騷がれているとも知らないで、冠者の君が参上なさった。先夜も人目が多くて、思っていることもお申し上げになることができずに終わってしまったので、いつもよりもしみじみと思われなさったので、夕方いらっしゃったのであろう。
大宮は、いつもは何はさておき、微笑んでお待ち申し上げていらっしゃるのに、まじめなお顔つきでお話など申し上げなさる時に、
「あなたのお事で、内大臣殿がお恨みになっていらっしゃったので、とてもお気の毒です。人に感心されないことにご執心なさって、わたしに心配かけさせることがつらいのです。こんなことはお耳に入れまいと思いますが、そのようなこともご存知なくてはと思いまして」
と申し上げなさると、心配していた方面のことなので、すぐに気がついた。顔が赤くなって、
「どのようなことでしょうか。静かな所に籠もりまして以来、何かにつけて人と交際する機会もないので、お恨みになることはございますまいと存じておりますが」
と言って、とても恥ずかしがっている様子を、かわいくも気の毒に思って、
「よろしい。せめて今からはご注意なさい」
とだけおっしゃって、他の話にしておしまいになった。
5 夕霧の物語 幼恋の物語
[5-1 夕霧と雲居雁の恋の煩悶]
「今後いっそうお手紙などを交わすことは難しいだろう」と考えると、とても嘆かわしく、食事を差し上げても、少しも召し上がらず、お寝みになってしまったふうにしているが、心も落ち着かず、人が寝静まったころに、中障子を引いてみたが、いつもは特に錠など下ろしていないのに、固く錠さして、女房の声も聞こえない。実に心細く思われて、障子に寄りかかっていらっしゃると、女君も目を覚まして、風の音が竹に待ち迎えられて、さらさらと音を立てると、雁が鳴きながら飛んで行く声が、かすかに聞こえるので、子供心にも、あれこれとお思い乱れるのであろうか、
「雲居の雁もわたしのようなのかしら」
と、独り言をおっしゃる様子、若々しくかわいらしい。
とてももどかしくてならないので、
「ここを、お開け下さい。小侍従はおりますか」
とおっしゃるが、返事がない。乳母子だったのである。独り言をお聞きになったのも恥ずかしくて、わけなく顔を衾の中にお入れなさったが、恋心は知らないでもないとは憎いことよ。乳母たちが近くに臥せっていて、起きていることに気づかれるのもつらいので、お互いに音を立てない。
「真夜中に友を呼びながら飛んでいく雁の声に
さらに悲しく吹き加わる荻の上を吹く風よ」
「身にしみて感じられることだ」と思い続けて、大宮の御前に帰って嘆きがちでいらっしゃるのも、「お目覚めになってお聞きになろうか」と憚られて、もじもじしながら臥せった。
むやみに何となく恥ずかしい気がして、ご自分のお部屋に早く出て、お手紙をお書きになったが、小侍従にも会うことがおできになれず、あの姫君の方にも行くことがおできになれず、たまらない思いでいらっしゃる。
女は女でまた、騒がれなさったことばかり恥ずかしくて、「自分の身はどうなるのだろう、世間の人はどのように思うだろう」とも深くお考えにならず、美しくかわいらしくて、ちょっと噂していることにも、嫌な話だとお突き放しになることもないのであった。
また、このように騒がれねばならないことともお思いでなかったのを、御後見人たちがひどく注意するので、文通をすることもおできになれない。大人であったら、しかるべき機会を作るであろうが、男君も、まだ少々頼りない年頃なので、ただたいそう残念だとばかり思っている。
[5-2 内大臣、弘徽殿女御を退出させる]
内大臣は、あれ以来参上なさらず、大宮をひどいとお思い申していらっしゃる。北の方には、このようなことがあったとは、そぶりにもお見せ申されず、ただ何かにつけて、とても不機嫌なご様子で、
「中宮が格別に威儀を整えて参内なさったのに対して、わが女御が将来を悲嘆していらっしゃるのが、気の毒に胸が痛いので、里に退出おさせ申して、気楽に休ませて上げましょう。立后しなかったとはいえ、主上のお側にずっと伺候なさって、昼夜おいでのようですから、仕えている女房たちも気楽になれず、苦しがってばかりいるようですから」
とおっしゃって、急に里にご退出させ申し上げなさる。お許しは難しかったが、無理をおっしゃって、主上はしぶしぶでおありであったのを、むりやりお迎えなさる。
「所在なくていらっしゃるでしょうから、姫君を迎えて、一緒に遊びなどなさい。大宮にお預け申しているのは、安心なのですが、たいそう小賢しくませた人が一緒なので、自然と親しくなるのも、困った年頃になったので」
とお申し上げなさって、急にお引き取りになさる。
大宮は、とても気落ちなさって、
「一人いらした女の子がお亡くなりになって以来、とても寂しく心細かったのが、うれしいことにこの姫君を得て、生きている間中お世話できる相手と思って、朝な夕なに、老後の憂さつらさの慰めにしようと思っていましたが、心外にも心隔てを置いてお思いになるのも、つらく思われます」
などとお申し上げなさると、恐縮して、
「心中に不満に存じられますことは、そのように存じられますと申し上げただけでございます。深く隔意もってお思い申し上げることはどうしていたしましょう。
宮中に仕えております姫君が、ご寵愛が恨めしい様子で、最近退出おりますが、とても所在なく沈んでおりますので、気の毒に存じますので、一緒に遊びなどをして慰めようと存じまして、
ほんの一時引き取るのでございます」と言って、「お育てくださり、一人前にしてくださったのを、けっしていいかげんにはお思い申しておりません」
と申し上げなさると、このようにお思いたちになった以上は、引き止めようとなさっても、お考え直されるご性質ではないので、大変に残念にお思いになって、
「人の心とは嫌なものです。あれこれにつけ幼い子どもたちも、わたしに隠し事をして嫌なことですよ。また一方で、子どもとはそのようなものでしょうが、内大臣が、思慮分別がおありになりながら、わたしを恨んで、このように連れて行っておしまいになるとは。あちらでは、ここよりも安心なことはあるまいに」
と、泣きながらおっしゃる。
[5-3 夕霧、大宮邸に参上]
ちょうど折しも冠者の君が参上なさった。「もしやちょっとした隙でもありやしないか」と、最近は頻繁にお顔を出しになられるのであった。内大臣のお車があるので、気がとがめて具合悪いので、こっそり隠れて、ご自分のお部屋にお入りになった。
内大臣の若公達の、左近少将、少納言、兵衛佐、侍従、大夫などと言った人々も、皆ここには参集なさったが、御簾の内に入ることはお許しにならない。
左衛門督、権中納言なども、異腹の兄弟であるが、故大殿のご待遇によって、今でも参上して御用を承ることが親密なので、その子どもたちもそれぞれ参上なさるが、この冠者の君に似た美しい人はいないように見える。
大宮のご愛情も、この上なくお思いであったが、ただこの姫君を、身近にかわいい者とお思いになってお世話なさって、いつもお側にお置きになって、かわいがっていらっしゃったのに、このようにしてお引き移りになるのが、とても寂しいこととお思いになる。
内大臣殿は、
「今の間に、内裏に参上しまして、夕方に迎えに参りましょう」
と言って、お出になった。
「今さら言っても始まらないことだが、穏便に言いなして、二人の仲を許してやろうか」とお思いになるが、やはりとても面白くないので、「ご身分がもう少し一人前になったら、不満足な地位でないと見做して、その時に、愛情が深いか浅いかの状態も見極めて、許すにしても、改まった結婚という形式を踏んで婿として迎えよう。厳しく言っても、一緒にいては、子どものことだから、見苦しいことをしよう。大宮も、まさかむやみにお諌めになることはあるまい」
とお思いになると、弘徽殿女御が寂しがっているのにかこつけて、こちらにもあちらにも穏やかに話して、お連れになるのであった。
[5-4 夕霧と雲居雁のわずかの逢瀬]
大宮のお手紙で、
「内大臣は、お恨みでしょうが、あなたは、こうはなってもわたしの気持ちはわかっていただけるでしょう。いらっしゃってお顔をお見せください」
と差し上げなさると、とても美しく装束を整えていらっしゃった。十四歳でいらっしゃった。まだ十分に大人にはお見えでないが、とてもおっとりとしていらして、しとやかで、美しい姿態をしていらっしゃった。
「いままでお側をお離し申さず、明け暮れの話相手とお思い申していたのに、とても寂しいことですね。残り少ない晩年に、あなたのご将来を見届けることができないことは、寿命と思いますが、今のうちから見捨ててお移りになる先が、どこかしらと思うと、とても不憫でなりません」
と言ってお泣きになる。姫君は、恥ずかしいこととお思いになると、顔もお上げにならず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。男君の御乳母の、宰相の君が出て来て、
「同じご主人様とお頼り申しておりましたが、残念にもこのようにお移りあそばすとは。内大臣殿は別にお考えになるところがおありでも、そのようにお思いあそばしますな」
などと、ひそひそと申し上げると、いっそう恥ずかしくお思いになって、何ともおっしゃらない。
「いえもう、厄介なことは申し上げなさいますな。人の運命はそれぞれで、とても先のことは分からないもので」
とおっしゃる。
「いえいえ、一人前でないとお侮り申していらっしゃるのでしょう。今はそうですが、わたくしどもの若君が人にお劣り申していらっしゃるかどうか、どなたにでもお聞き合わせくださいませ」
と、癪にさわるのにまかせて言う。
冠者の君は、物陰に入って御覧になると、人が見咎めるのも、何でもない時は苦しいだけであったが、とても心細くて、涙を拭いながらいらっしゃる様子を、御乳母が、とても気の毒に見て、大宮にいろいろとご相談申し上げて、夕暮の人の出入りに紛れて、対面させなさった。
お互いに何となく恥ずかしく胸がどきどきして、何も言わないでお泣きになる。
「内大臣のお気持ちがとてもつらいので、ままよ、いっそ諦めようと思いますが、恋しくいらっしゃてたまらないです。どうして、少しお逢いできそうな折々があったころは、離れて過ごしていたのでしょう」
とおっしゃる様子も、たいそう若々しく痛々しげなので、
「わたしも、あなたと同じ思いです」
とおっしゃる。
「恋しいと思ってくださるでしょうか」
とおっしゃると、ちょっとうなずきなさる様子も、幼い感じである。
[5-5 乳母、夕霧の六位を蔑む]
御殿油をお点けし、内大臣が宮中から退出なさって来た様子で、ものものしく大声を上げて先払いする声に、女房たちが、
「それそれ、お帰りだ」
などと慌てるので、とても恐ろしくお思いになって震えていらっしゃる。そんなにやかましく言われるなら言われても構わないと、一途な心で、姫君をお放し申されない。姫君の乳母が参ってお捜し申して、その様子を見て、
「まあ、いやだわ。なるほど、大宮は御存知ないことではなかったのだわ」
と思うと、実に恨めしくなって、
「何とも、情けないことですわ。内大臣殿がおっしゃることは、申すまでもなく、大納言殿にもどのようにお聞きになることでしょう。結構な方であっても、初婚の相手が六位風情との御縁では」
と、つぶやいているのがかすかに聞こえる。ちょうどこの屏風のすぐ背後に捜しに来て、嘆くのであった。
男君は、「自分のことを位がないと軽蔑しているのだ」とお思いになると、こんな二人の仲がたまらなくなって、愛情も少しさめる感じがして、許しがたい。
「あれをお聞きなさい。
真っ赤な血の涙を流して恋い慕っているわたしを
浅緑の袖の色だと言ってけなしてよいものでしょうか
恥ずかしい」
とおっしゃると、
「色々とわが身の不運が思い知らされますのは
どのような因縁の二人なのでしょう」
と、言い終わらないうちに、殿がお入りになっていらしたので、しかたなくお戻りになった。
男君は、後に残された気持ちも、とても体裁が悪く、胸が一杯になって、ご自分のお部屋で横におなりになった。
お車は三輌ほどで、ひっそりと急いでお出になる様子を聞くのも、落ち着かないので、大宮の御前から「いらっしゃい」とあるが、寝ている様子をして身動きもなさらない。
涙ばかりが止まらないので、嘆きながら夜を明かして、霜がたいそう白いころに急いでお帰りになる。泣き腫らした目許も、人に見られるのが恥ずかしいので、大宮もまた、お召しになって放さないだろうから、気楽な所でと思って、急いでお帰りになったのであった。
その道中は、誰のせいからでなく、心細く思い続けると、空の様子までもたいそう曇って、まだ暗いのであった。
「霜や氷が嫌に張り詰めた明け方の
空を真暗にして降る涙の雨だなあ」
6 夕霧の物語 五節舞姫への恋
[6-1 惟光の娘、五節舞姫となる]
大殿の所では、今年、五節の舞姫を差し上げなさる。何ほどといったご用意ではないが、童女の装束など、日が近くなったといって、急いでおさせになる。
東の院では、参内の夜の付人の装束を準備させなさる。殿におかれては、全般的な事柄を、中宮からも、童女や、下仕えの人々のご料などを、並大抵でないものを差し上げなさった。
昨年は、五節などは停止になっていたが、もの寂しかった思いを加えて、殿上人の気分も、例年よりもはなやかに思うにちがいない年なので、家々が競って、たいそう立派に善美の限りを尽くして用意をなさるとの噂である。
按察大納言、左衛門督と、殿上人の五節としては、良清が、今では近江守で左中弁を兼官しているのが、差し上げるのだった。皆残させなさって、宮仕えするようにとの、仰せ言が特にあった年なので、娘をそれぞれ差し上げなさる。
大殿の舞姫は、惟光朝臣が、摂津守で左京大夫を兼官しているその娘の、器量などもたいそう美しいという評判があるのをお召しになる。つらいことと思ったが、
「按察大納言が、異腹の娘を差し上げられるというのに、朝臣が大切なまな娘を差し出すのは、何の恥ずかしいことがあろうか」
とお責めになるので、困って、いっそのこと宮仕えをそのままさせようと考えていた。
舞の稽古などは、里邸で十分に仕上げて、介添役など、親しく身近に添うべき女房などは、丹念に選んで、その日の夕方大殿に参上させた。
大殿邸でも、それぞれのご婦人方の童女や、下仕えの優れている者をと、お比べになり、選び出される者たちの気分は、身分相応につけて、たいそう誇らしげである。
主上のお前に召されて御覧になられる前稽古に、殿のお前を通らせてみようとお決めになる。誰一人落第する者もいないくらいに、それぞれ素晴らしい童女の姿態や、器量にお困りになって、
「もう一人分の舞姫の介添役を、こちらから差し上げたいものだな」
などと言ってお笑いになる。わずかに態度や心構えの違いによって選ばれたのであった。
[6-2 夕霧、五節舞姫を恋慕]
大学の君は、ただ胸が一杯で、食事なども見たくなく、ひどくふさぎこんで、漢籍も読まないで物思いに沈んで横になっていらっしゃったが、気分も紛れようかと外出して、人目に立たないようにお歩きになる。
姿態、器量は立派で美しくて、落ち着いて優美でいらっしゃるので、若い女房などは、とても素晴らしいと拝見している。
対の上の御方には、御簾のお前近くに出ることさえお近寄らせにならない。ご自分のお心の性癖から、どのようにお考えになったのであろうか、他人行儀なお扱いなので、女房なども疎遠なのだが、今日は舞姫の混雑に紛れて、入り込んで来られたのであろう。
舞姫を大切に下ろして、妻戸の間に屏風などを立てて、臨時の設備なので、そっと近寄ってお覗きになると、苦しそうに物に寄り臥していた。
ちょうど、あの姫君と同じくらいに見えて、もう少し背丈がすらっとしていて、姿つきなどが一段と風情があって、美しい点では勝ってさえ見える。暗いので、詳しくは見えないが、全体の感じがたいそうよく似ている様子なので、心が移るというのではないが、気持ちを抑えかねて、裾を引いてさらさらと音を立てさせなさると、何か分からず、変だと思っていると、
「天にいらっしゃる豊岡姫に仕える宮人も
わたしのものと思う気持ちを忘れないでください
瑞垣のずっと昔から思い染めてきましたのですから」
とおっしゃるのは、あまりにも唐突というものである。
若々しく美しい声であるが、誰とも分からず、薄気味悪く思っていたところへ、化粧し直そうとして、騒いでいる女房たちが、近くにやって来て騒がしくなったので、とても残念な気がして、お立ち去りになった。
[6-3 宮中における五節の儀]
浅葱の服が嫌なので、宮中に参内することもせず、億劫がっていらっしゃるのを、五節だからというので、直衣なども特別の衣服の色を許されて参内なさる。いかにも幼げで美しい方であるが、お年のわりに大人っぽくて、しゃれてお歩きになる。帝をはじめ参らせて、大切になさる様子は並大抵でなく、世にも珍しいくらいのご寵愛である。
五節の参内する儀式は、いずれ劣らず、それぞれがこの上なく立派になさっているが、「舞姫の器量は、大殿と大納言のとは素晴らしい」という大評判である。なるほど、とてもきれいであるが、おっとりとして可憐なさまは、やはり大殿のには、かないそうもなかった。
どことなくきれいな感じの当世風で、誰の娘だか分からないよう飾り立てた姿態などが、めったにないくらい美しいのを、このように褒められるようである。例年の舞姫よりは、皆少しずつ大人びていて、なるほど特別な年である。
大殿が宮中に参内なさって御覧になると、昔お目をとどめなさった少女の姿をお思い出しになる。辰の日の暮方に手紙をやる。その内容はご想像ください。
「少女だったあなたも神さびたことでしょう
天の羽衣を着て舞った昔の友も長い年月を経たので」
歳月の流れを数えて、ふとお思い出しになられたままの感慨を、堪えることができずに差し上げたのが、胸をときめかせるのも、はかないことであるよ。
「五節のことを言いますと、昔のことが今日のことのように思われます
日蔭のかずらを懸けて舞い、お情けを頂戴したことが」
青摺りの紙をよく間に合わせて、誰の筆跡だか分からないように書いた、濃く、また薄く、草体を多く交えているのも、あの身分にしてはおもしろいと御覧になる。
冠者の君も、少女に目が止まるにつけても、ひそかに思いをかけてあちこちなさるが、側近くにさえ寄せず、たいそう無愛想な態度をしているので、もの恥ずかしい年頃の身では、心に嘆くばかりであった。器量はそれは、とても心に焼きついて、つれない人に逢えない慰めにでも、手に入れたいものだと思う。
[6-4 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す]
そのまま皆宮中に残させなさって、宮仕えするようにとの御内意があったが、この場は退出させて、近江守の娘は辛崎の祓い、津守のは難波で祓いをと、競って退出した。大納言も改めて出仕させたい旨を奏上させる。左衛門督は、資格のない者を差し上げて、お咎めがあったが、それも残させなさる。
津守は、「典侍が空いているので」と申し上げさせたので、「そのように労をねぎらってやろうか」と大殿もお考えになっていたのを、あの冠者の君はお聞きになって、とても残念だと思う。
「自分の年齢や、位などが、このように問題でないならば、願い出てみたいのだが。思っているということさえ知られないで終わってしまうことよ」
と、特別強く執心しているのではないが、あの姫君のことに加えて涙がこぼれる時々がある。
兄弟で童殿上する者が、つねにこの君に参上してお仕えしているのを、いつもよりも親しくご相談なさって、
「五節はいつ宮中に参内なさるのか」
とお尋ねになる。
「今年と聞いております」
と申し上げる。
「顔がたいそうよかったので、無性に恋しい気がする。おまえがいつも見ているのが羨ましいが、もう一度見せてくれないか」
とおっしゃると、
「どうしてそのようなことができましょうか。思うように会えないのでございます。男兄弟だといって、近くに寄せませんので、まして、あなた様にはどうしてお会わせ申すことができましょうか」
と申し上げる。
「それでは、せめて手紙だけでも」
といってお与えになった。「以前からこのようなことはするなと親が言われていたものを」と困ったが、無理やりにお与えになるので、気の毒に思って持って行った。
年齢よりは、ませていたのであろうか、興味をもって見るのであった。緑色の薄様に、好感の持てる色を重ねて、筆跡はまだとても子供っぽいが、将来性が窺えて、たいそう立派に、
「日の光にはっきりとおわかりになったでしょう
あなたが天の羽衣も翻して舞う姿に思いをかけたわたしのことを」
二人で見ているところに、父殿がひょいとやって来た。恐くなってどうしていいか分からず、隠すこともできない。
「何の手紙だ」
と言って取ったので、顔を赤らめていた。
「けしからぬことをした」
と叱ると、男の子が逃げて行くのを、呼び寄せて、
「誰からだ」
と尋ねると、
「大殿の冠者の君が、これこれしかじかとおっしゃってお与えになったのです」
と言うと、すっかり笑顔になって、
「何ともかわいらしい若君のおたわむれだ。おまえたちは、同じ年齢だが、お話にならないくらい頼りないことよ」
などと褒めて、母君にも見せる。
「大殿の公達が、すこしでも一人前にお考えになってくださるならば、宮仕えよりは、差し上げようものを。大殿のご配慮を見ると、一度見初めた女性を、お忘れにならないのがたいそう頼もしい。明石の入道の例になるだろうか」
などと言うが、皆は準備にとりかかっていた。
[6-5 花散里、夕霧の母代となる]
あの若君は、手紙をやることさえおできになれず、一段と恋い焦がれる方のことが心にかかって、月日がたつにつれて、無性に恋しい面影に再び会えないのではないかとばかり思っている。大宮のお側へも、何となく気乗りがせず参上なさらない。いらっしゃったお部屋や長年一所に遊んだ所ばかりが、ますます思い出されるので、里邸までが疎ましくお思いになられて、籠もっていらっしゃった。
大殿は、東院の西の対の御方に、お預け申し上げていらっしゃったのであった。
「大宮のご寿命も大したことがないので、お亡くなりになった後も、このように子供の時から親しんで、お世話してください」
と申し上げなさると、ただおっしゃっるとおりになさるご性質なので、親しくかわいがって上げなさる。
ちらっとなどお顔を拝見しても、
「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」などと、「自分は、無性に、つらい人のご器量を心にかけて恋しいと思うのもつまらないことだ。気立てがこのように柔和な方をこそ愛し合いたいものだ」
と思う。また一方で、
「向かい合っていて見ていられないようなのも気の毒な感じだ。こうして長年連れ添っていらっしゃったが、父上が、そのようなご器量を、承知なさったうえで、浜木綿ほどの隔てを置き置きして、何やかやとなさって見ないようにしていらっしゃるらしいのも、もっともなことだ」
と考える心の中は、大したほどである。
大宮の器量は格別でいらっしゃるが、まだたいそう美しくいらっしゃり、こちらでもあちらでも、女性は器量のよいものとばかり目馴れていらっしゃるが、もともとさほどでなかったご器量が、少し盛りが過ぎた感じがして、痩せてみ髪が少なくなっているのなどが、このように難をつけたくなるのであった。
[6-6 歳末、夕霧の衣装を準備]
年の暮には、正月のご装束などを、大宮はただこの冠君の君の一人だけの事を、余念なく準備なさる。いく組も、たいそう立派に仕立てなさったのを見るのも、億劫にばかり思われるので、
「元旦などには、特に参内すまいと存じておりますのに、どうしてこのようにご準備なさるのでしょうか」
と申し上げなさると、
「どうして、そのようなことがあってよいでしょうか。年をとってすっかり気落ちした人のようなことをおっしゃいますね」
とおっしゃるので、
「年はとっていませんが、何もしたくない気がしますよ」
と独り言をいって、涙ぐんでいらっしゃる。
「あの姫君のことを思っているのだろう」と、とても気の毒になって、大宮も泣き顔になってしまわれた。
「男は、取るに足りない身分の人でさえ、気位を高く持つものです。あまり沈んで、こうしていてはなりません。どうして、こんなにくよくよ思い詰めることがありましょうか。縁起でもありません」
とおっしゃるが、
「そんなことはありません。六位などと人が軽蔑するようなので、少しの間だとは存じておりますが、参内するのも億劫なのです。故祖父大臣が生きていらっしゃったならば、冗談にも、人からは軽蔑されることはなかったでございましょうに。何の遠慮もいらない実の親でいらしゃいますが、たいそう他人行儀に遠ざけるようになさいますので、いらっしゃる所にも、気安くお目通りもかないません。東の院にお出での時だけ、お側近く上がります。対の御方だけは、やさしくしてくださいますが、母親が生きていらっしゃいましたら、何も思い悩まなくてよかったものを」
と言って、涙が落ちるのを隠していらっしゃる様子、たいそう気の毒なので、大宮は、ますますほろほろとお泣きになって、
「母親に先立たれた人は、身分の高いにつけ低いにつけて、そのように気の毒なことなのですが、自然とそれぞれの前世からの宿縁で、成人してしまえば、誰も軽蔑する者はいなくなるものですから、思い詰めないでいらっしゃい。亡くなった太政大臣がせめてもう少しだけ長生きをしてくれればよかったのに。絶大な庇護者としては、同じようにご信頼申し上げてはいますが、思いどおりに行かないことが多いですね。内大臣の性質も、普通の人とは違って立派だと世間の人も褒めて言うようですが、昔と違う事ばかりが多くなって行くので、長生きも恨めしい上に、生い先の長いあなたにまで、このようなちょっとしたことにせよ、身の上を悲観していらっしゃるので、とてもいろいろと恨めしいこの世です」
と言って、泣いていらっしゃる。
7 光る源氏の物語 六条院造営
[7-1 二月二十日過ぎ、朱雀院へ行幸]
元旦にも、大殿は御参賀なさらないので、のんびりとしていっらしゃる。良房の大臣と申し上げた方の、昔の例に倣って、白馬を牽き、節会の日は、宮中の儀式を模して、昔の例よりもいろいろな事を加えて、盛大なご様子である。
二月の二十日余りに、朱雀院に行幸がある。花盛りはまだのころであるが、三月は故藤壷の宮の御忌月である。早く咲いた桜の花の色もたいそう美しいので、院におかれてもお心配りし特にお手入れあそばして、行幸に供奉なさる上達部や親王たちをはじめとして、十分にご用意なさっていた。
お供の人々は皆、青色の袍に、桜襲をお召しになる。帝は、赤色の御衣をお召しあそばされた。お召しがあって、太政大臣が参上なさる。同じ赤色を着ていらっしゃるので、ますますそっくりで輝くばかりにお美しく見違えるほどとお見えになる。人々の装束や、振る舞いも、いつもと違っている。院も、たいそうおきれいにお年とともに御立派になられて、御様子や態度が、以前にもまして優雅におなりあそばしていた。
今日は、専門の文人もお呼びにならず、ただ漢詩を作る才能の高いという評判のある学生十人をお呼びになる。式部省の試験の題になぞらえて、勅題を賜る。大殿のご長男の試験をお受け なさるようである。臆しがちな者たちは、ぼおっとしてしまって、繋いでない舟に乗って、池に一人一人漕ぎ出して、実に途方に暮れているようである。
日がだんだんと傾いてきて、音楽の舟が幾隻も漕ぎ廻って、調子を整える時に、山風の響きがおもしろく吹き合わせているので、冠者の君は、
「こんなにつらい修業をしなくても皆と一緒に音楽を楽しめたりできるはずのものを」
と、世の中を恨めしく思っていらっしゃった。
「春鴬囀」を舞うときに、昔の花の宴の時をお思い出しになって、院の帝が、
「もう一度、あれの程が見られるだろうか」
と仰せられるにつけても、その当時のことがしみじみと次々とお思い出されなさる。舞い終わるころに、太政大臣が、院にお杯を差し上げなさる。
「鴬の囀る声は昔のままですが
馴れ親しんだあの頃とはすっかり時勢が変わってしまいました」
院の上は、
「宮中から遠く離れた仙洞御所にも
春が来たと鴬の声が聞こえてきます」
帥宮と申し上げた方は、今では兵部卿となって、今上帝にお杯を差し上げなさる。
「昔の音色そのままの笛の音に
さらに鴬の囀る声までもちっとも変わっていません」
巧みにその場をおとりなしなさった、心づかいは特に立派である。杯をお取りあそばして、
「鴬が昔を慕って木から木へと飛び移って囀っていますのは
今の木の花の色が悪くなっているからでしょうか」
と仰せになる御様子、この上なく奥ゆかしくいらっしゃる。このお杯事は、お身内だけのことなので、多数の方には杯が回らなかったのであろうか、または書き洩らしたのであろうか。
楽所が遠くてはっきり聞こえないので、御前にお琴をお召しになる。兵部卿宮は、琵琶。内大臣は和琴。箏のお琴は、院のお前に差し上げて、琴の琴は、例によって太政大臣が頂戴なさる。お勧め申し上げなさる。このような素晴らしい方たちによる優れた演奏で、秘術を尽くした楽の音色は、何ともたとえようがない。唱歌の殿上人が多数伺候している。「安名尊」を演奏して、次に「桜人」。月が朧ろにさし出して美しいころに、中島のあたりにあちこちに篝火をいくつも灯して、この御遊は終わった。
[7-2 弘徽殿大后を見舞う]
夜は更けてしまったが、このような機会に、太后宮のいらっしゃる方を、避けてお伺い申し上げなさらないのも、思いやりがないので、帰りにお立ち寄りになる。大臣もご一緒に伺候なさる。
大后宮はお待ち喜びになって、ご面会なさる。とてもたいそうお年を召されたご様子にも、故宮をお思い出し申されて、「こんなに長生きされる方もいらっしゃるものを」と、残念にお思いになる。
「今ではこのように年を取って、すべての事柄を忘れてしまっておりましたが、まことに畏れ多くもお越し戴きましたので、改めて昔の御代のことが思い出されます」
と、お泣きになる。
「頼りになるはずの人々に先立たれて後、春になった気分も知らないでいましたが、今日初めて心慰めることができました。時々はお伺い致します」
と御挨拶申し上げあそばす。太政大臣もしかるべくご挨拶なさって、
「また改めてお伺い致しましょう」
と、申し上げなさる。
ゆっくりなさらずにお帰りあそばすご威勢につけても、大后は、やはりお胸が静まらず、
「どのように思い出していられるのだろう。結局、政権をお執りになるというご運勢は、押しつぶせなかったのだ」
と昔を後悔なさる。
尚侍の君も、ゆったりした気分でお思い出しになると、しみじと感慨無量な事が多かった。今でも適当な機会に、何かの伝で密かに便りを差し上げなさることがあるのであろう。
大后は朝廷に奏上なさることのある時々に、御下賜された年官や年爵、何かにつけながら、ご意向に添わない時には、「長生きをしてこんな酷い目に遭うとは」と、もう一度昔の御代に取り戻したく、いろいろとご機嫌悪がっているのであった。
年を取っていかれるにつれて、意地の悪さも加わって、院ももてあまして、例えようもなくお思い申し上げていらっしゃるのだった。
さて、大学の君は、その日の漢詩を見事にお作りになって、進士におなりになった。長い年月修業した優れた者たちをお選びになったが、及第した人は、わずかに三人だけであった。
秋の司召に、五位に叙されて、侍従におなりになった。あの人のことを、忘れる時はないが、内大臣が熱心に監視申していらっしゃるのも恨めしいので、無理をしてまでもお目にかかることはなさらない。ただお手紙だけを適当な機会に差し上げて、お互いに気の毒なお仲である。
[7-3 源氏、六条院造営を企図す]
大殿は、静かなお住まいを、同じことなら広く立派にして、あちこちに別居して気がかりな山里人などをも、集め住まわせようとのお考えで、六条京極の辺りに、中宮の御旧居の近辺を、四町をいっぱいにお造りになる。
式部卿宮が、明年五十歳におなりになる御賀のことを、対の上がお考えなので、大臣も、「なるほど、見過ごすわけにはいかない」とお思いになって、「そのようなご準備も、同じことなら新しい邸で」と、用意させなさる。
年が改まってからは、昨年以上にこのご準備の事、御精進落としの事、楽人、舞人の選定などを、熱心に準備させなさる。経、仏像、法事の日の装束、禄などを、対の上はご準備なさるのだった。
東の院で、分担してご準備なさることがある。ご間柄は、いままで以上にとても優美にお手紙のやりとりをなさって、お過ごしになっているのであった。
世間中が大騒ぎしているご準備なので、式部卿宮のお耳にも入って、
「長年の間、世間に対しては広大なお心であるが、わたくしどもには理不尽にも冷たくて、何かにつけて辱め、宮人に対してもお心配りがなく、嫌なことばかり多かったのだが、恨めしいと思うことがあったのだろう」
と、お気の毒にもまたつらくもお思いであったが、このように数多くの女性関係の中で、特別のご寵愛があって、まことに奥ゆかしく結構な方として、大切にされていらっしゃるご運命を、自分の家までは及んで来ないが、名誉にお思いになると、また、
「このように世間の評判となるまで、大騒ぎしてご準備なさるのは、思いがけない晩年の慶事だ」
と、お喜びになるのを、北の方は、「おもしろくなく、不愉快だ」とばかりお思いであった。王女御の、ご入内の折などにも、大臣のご配慮がなかったようなのを、ますます恨めしいと思い込んでいらっしゃるのであろう。
[7-4 秋八月に六条院完成]
八月に、六条院が完成してお引っ越しなさる。未申の町は中宮の御旧邸なので、そのままお住まいになる予定である。辰巳は、殿のいらっしゃる予定の区画である。丑寅は、東の院にいらっしゃる対の御方、戌亥の区画は、明石の御方とお考えになって造営なさった。もとからあった池や山を、不都合な所にあるものは造り変えて、水の情緒や、山の風情を改めて、いろいろと、それぞれの御方々のご希望どおりにお造りになった。
東南の町は、山を高く築き、春の花の木を、無数に植えて、池の様子も趣深く優れていて、お庭先の前栽には、五葉の松、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などといった、春の楽しみをことさらには植えないで、秋の前栽を、ひとむらずつ混ぜてあった。
中宮の御町は、もとからある山に、紅葉の色の濃い植木を幾本も植えて、泉の水を清らかに遠くまで流して、遣水の音がきわだつように岩を立て加え、滝を落として、秋の野を広々と作ってあるが、折柄ちょうどその季節で、盛んに咲き乱れていた。嵯峨の大堰あたりの野山も、見るかげもなく圧倒された今年の秋である。
北東の町は、涼しそうな泉があって、夏の木蔭を主としていた。庭先の前栽には、呉竹があり、下風が涼しく吹くようにし、木高い森のような木は奥深く趣があって、山里めいて、卯花の垣根を特別に造りめぐらして、昔を思い出させる花橘、撫子、薔薇、くたになどといった花や、草々を植えて、春秋の木や草を、その中に混ぜていた。東面は、割いて馬場殿を造って、埒を結って、五月の御遊の場所として、水のほとりに菖蒲を植え茂らせて、その向かい側に御厩舎を造って、またとない素晴らしい馬を何頭も繋がせていらっしゃった。
西北の町は、北面は築地で区切って、御倉町である。隔ての垣として松の木をたくさん植えて、雪を鑑賞するのに都合よくしてある。冬の初めの朝、霜が結ぶように菊の籬、得意げに紅葉する柞の原、ほとんど名も知らない深山木などの、木深く茂っているのを移植してあった。
[7-5 秋の彼岸の頃に引っ越し始まる]
彼岸のころにお引っ越しになる。一度にとお決めあそばしたが、仰々しいようだといって、中宮は少しお延ばしになる。いつものようにおとなしく気取らない花散里は、その夜、一緒にお引っ越しなさる。
春のお庭は、今の秋の季節には合わないが、とても見事である。お車十五台、御前駆は四位五位の人々が多く、六位の殿上人などは、特別な人だけをお選びあそばしていた。仰々しくはなく、世間の非難があってはと簡略になさっていたので、どのような点につけても大仰に威勢を張ることはない。
もうお一方のご様子も、大して劣らないようになさって、侍従の君が付き添って、そちらはお世話なさっているので、なるほどこういうこともあるのであったと見受けられた。
女房たちの曹司町も、それぞれに細かく当ててあったのが、他の何よりも素晴らしく思われるのであった。
五、六日過ぎて、中宮が御退出あそばす。その御様子はそれは、簡略とはいっても、まことに大層なものである。御幸運の素晴らしいことは申すまでもなく、お人柄が奥ゆかしく重々しくいらっしゃるので、世間から重んじられていらっしゃることは、格別でおいであそばした。
この町々の間の仕切りには、塀や廊などを、あちらとこちらとが行き来できるように作って、お互いに親しく風雅な間柄にお造りになってあった。
[7-6 九月、中宮と紫の上和歌を贈答]
九月になると、紅葉があちこちに色づいて、中宮のお庭先は何ともいえないほど素晴らしい。風がさっと吹いた夕暮に、御箱の蓋に、色とりどりの花や紅葉をとり混ぜて、こちらに差し上げになさった。
大柄な童女が、濃い紫の袙に、紫苑の織物を重ねて、赤朽葉の羅の汗衫、とてももの馴れた感じで、廊や、渡殿の反橋を渡って参上する。格式高い礼儀作法であるが、童女の容姿の美しいのを捨てがたくてお選びになったのであった。そのようなお所に伺候し馴れていたので、立居振舞、姿つき、他家の童女とは違って、好感がもてて風情がある。お手紙には、
「お好みで春をお待ちのお庭では、せめてわたしの方の
紅葉を風のたよりにでも御覧あそばせ」
若い女房たちが、お使いを歓待する様子は風雅である。
お返事には、この御箱の蓋に苔を敷き、巌などの感じを出して、五葉の松の枝に、
「風に散ってしまう紅葉は心軽いものです、春の変わらない色を
この岩にどっしりと根をはった松の常磐の緑を御覧になってほしいものです」
この岩根の松も、よく見ると、素晴らしい造り物なのであった。このようにとっさに思いつきなさった趣向のよさを、感心して御覧あそばす。御前に伺候している女房たちも褒め合っていた。大臣は、
「この紅葉のお手紙は、何とも憎らしいですね。春の花盛りに、このお返事は差し上げなさい。この季節に紅葉を貶すのは、龍田姫がどう思うかということもあるので、ここは一歩退いて、花を楯にとって、強いことも言ったらよいでしょう」
と申し上げなさるのも、とても若々しくどこまでも素晴らしいお姿で魅力にあふれていらっしゃる上に、いっそう理想的なお邸で、お手紙のやりとりをなさる。
大堰の御方は、「このように御方々のお引っ越しが終わってから、人数にも入らない者は、いつか分からないようにこっそりと移ろう」とお考えになって、神無月にお引っ越しになるのであった。お部屋の飾りや、お引っ越しの次第は他の方々に劣らないようにして、お移し申し上げなさる。姫君のご将来をお考えになると、万事についての作法も、ひどく差をつけず、たいそう重々しくお扱いなさった。
22. 玉鬘
玉鬘の筑紫時代と光る源氏の太政大臣時代35歳の夏4月から冬10月までの物語
- 源氏と右近、夕顔を回想 年月がたってしまったが、諦めてもなお諦めきれなかった夕顔を
- 玉鬘一行、筑紫へ下向 母君のお行方を知りたいと思って、いろいろの神仏に願掛け申して
- 乳母の夫の遺言 少弍は、任期が終わって上京などするのに、遠い旅路である上に
- 玉鬘への求婚 聞きつけ聞きつけては、好色な田舎の男どもが、懸想をして手紙をよこしたがる者が
1 玉鬘の物語 筑紫流離の物語
- 大夫の監の求婚 大夫の監といって、肥後の国に一族が広くいて
- 大夫の監の訪問 三十歳ぐらいの男で、背丈は高く堂々と太っていて
- 大夫の監、和歌を詠み贈る 降りて行く際に、和歌を詠みたく思ったので
- 玉鬘、筑紫を脱出 次男がまるめこまれたのも、とても怖く
- 都に帰着 「このように、逃げ出したことが、自然と人の口の端に上って
2 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出
- 岩清水八幡宮へ参詣 九条に、昔知っていた人で残っていたのを
- 初瀬の観音へ参詣 「次いでは、仏様の中では、初瀬に
- 右近も初瀬へ参詣 この一行も徒歩でのようである。身分の良い女性が二人
- 右近、玉鬘に再会す やっとして、「身に覚えのないことです。筑紫の国に
- 右近、初瀬観音に感謝 日が暮れてしまうと、急ぎだして、御灯明の用意を
- 三条、初瀬観音に祈願 国々から、田舎の人々が大勢参詣しているのであった
- 右近、主人の光る源氏について語る 夜が明けたので、知っている大徳の坊に下がった
- 乳母、右近に依頼 「このようなお美しい方を、危うく辺鄙な土地に
- 右近、玉鬘一行と約束して別れる 参詣する人々の様子が、見下ろせる所である
3 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅
- 右近、六条院に帰参する 右近は、大殿に参上した。このことをちらっとお耳に入れる
- 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る お寝みになろうとして、右近をお足さすらせに召す
- 源氏、玉鬘を六条院へ迎える このように聞き初めてから後は、幾度もお召しになっては
- 玉鬘、源氏に和歌を返す ご本人は、「ほんの申し訳程度でも
- 源氏、紫の上に夕顔について語る 紫の上にも、今初めて、あの昔の話を
- 玉鬘、六条院に入る こういう話は、九月のことなのであった
- 源氏、玉鬘に対面する その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった
- 源氏、玉鬘の人物に満足する 無難でいらっしゃったのを、嬉しくお思いになって
- 玉鬘の六条院生活始まる 中将の君にも、「このような人を尋ね出したので
4 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語
- 歳末の衣配り 年の暮に、お飾りのことや、女房たちの装束などを
- 末摘花の返歌 すべて、お返事は並大抵ではない。お使いへの禄も
- 源氏の和歌論 「昔風の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』
5 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論
1 玉鬘の物語 筑紫流離の物語
[1-1 源氏と右近、夕顔を回想]
年月がたってしまったが、諦めてもなお諦めきれなかった夕顔を、少しもお忘れにならず、人それぞれの性格を、次々に御覧になって来たのにつけても、「もし生きていたならば」と、悲しく残念にばかりお思い出しになる。
右近は、物の数にも入らないが、やはり、その形見と御覧になって、お目を掛けていらっしゃるので、古参の女房の一人として長くお仕えしていた。須磨へのご退去の折に、対の上に女房たちを皆お仕え申させなさったとき以来、あちらでお仕えしている。気立てのよく控え目な女房だと、女君もお思いになっていたが、心の底では、
「亡くなったご主人が生きていられたならば、明石の御方くらいのご寵愛に負けはしなかったろうに。それほど深く愛していられなかった女性でさえ、お見捨てにならず、めんどうを見られるお心の変わらないお方だったのだから、まして、身分の高い人たちと同列とはならないが、この度のご入居者の数のうちには加わっていたであろうに」
と思うと、悲しんでも悲しみきれない思いであった。
あの西の京に残っていた若君の行方をすら知らず、ひたすら世をはばかり、又、「今更いっても始まらないことだから、しゃべってうっかり私の名を世間に漏らすな」と、口止めなさったことにご遠慮申して、安否をお尋ね申さずにいたうちに、若君の乳母の夫が、大宰少弍になって、赴任したので、下ってしまった。あの若君が四歳になる年に、筑紫へは行ったのであった。
[1-2 玉鬘一行、筑紫へ下向]
母君のお行方を知りたいと思って、いろいろの神仏に願掛け申して、夜昼となく泣き恋い焦がれて、心当たりの所々をお探し申したが、結局お訪ね当てることができない。
「それではどうしようもない。せめて若君だけでも、母君のお形見としてお世話申しそう。鄙の道にお連れ申して、遠い道中をおいでになることもおいたわしいこと。やはり、父君にそれとなくお話し申し上げよう」
と思ったが、適当なつてもないうちに、
「母君のいられる所も知らないで、お訪ねになられたら、どのようにお返事申し上げられようか」
「まだ、十分に見慣れていられないのに、幼い姫君をお手許にお引き取り申すされるのも、やはり不安でしょう」
「お知りになりながら、またやはり、筑紫へ連れて下ってよいとは、お許しになるはずもありますまい」
などと、お互いに相談し合って、とてもかわいらしく、今から既に気品があってお美しいご器量を、格別の設備もない舟に乗せて漕ぎ出す時は、とても哀れに思われた。
子供心にも、母君のことを忘れず、時々、
「母君様の所へ行くの」
とお尋ねになるにつけて、涙の止まる時がなく、娘たちも思い焦がれているが、「舟路に不吉だ」と、泣く一方では制すのであった。
美しい場所をあちこち見ながら、
「気の若い方でいらしたが、こうした道中をお見せ申し上げたかったですね」
「いいえ、いらっしゃいましたら、私たちは下ることもなかったでしょうに」
と、都の方ばかり思いやられて、寄せては返す波も羨ましく、かつ心細く思っている時に、舟子たちが荒々しい声で、
「物悲しくも、こんな遠くまで来てしまったよ」
と謡うのを聞くと、とたんに二人とも向き合って泣いたのであった。
「舟人も誰を恋い慕ってか大島の浦に
悲しい声が聞こえます」
「来た方角もこれから進む方角も分からない沖に出て
ああどちらを向いて女君を恋い求めたらよいのでしょう」
遠く都を離れて、それぞれに気慰めに詠むのであった。
金の岬を過ぎても、「我は忘れず」などと、明けても暮れても口ぐせになって、あちらに到着してからは、まして遠くに来てしまったことを思いやって、恋い慕い泣いては、この姫君を大切にお世話申して、明かし暮らしている。
夢などに、ごく稀に現れなさる時などもある。同じ姿をした女などが、ご一緒にお見えになるので、その後に気分が悪く具合悪くなったりなどしたので、
「やはり、亡くなられたのだろう」
と諦める気持ちになるのも、とても悲しい思いである。
[1-3 乳母の夫の遺言]
少弍は、任期が終わって上京などするのに、遠い旅路である上に、格別の財力もない人では、ぐずぐずしたまま思い切って旅立ちしないでいるうちに、重い病に罹って、死にそうな気持ちでいた時にも、姫君が十歳ほどにおなりになった様子が、不吉なまでに美しいのを拝見して、
「自分までがお見捨て申しては、どんなに落ちぶれなさろうか。辺鄙な田舎で成長なさるのも、恐れ多いことと存じているが、早く都にお連れ申して、しかるべき方にもお知らせ申し上げて、ご運勢にお任せ申し上げるにも、都は広い所だから、とても安心であろうと、準備していたが、自分はこの地で果ててしまいそうなことだ」
と、心配している。男の子が三人いるので、
「ただこの姫君を、都へお連れ申し上げることだけを考えなさい。私の供養など、考えなくてもよい」
と遺言していたのであった。
どなたのお子であるとは、館の人たちにも知らせず、ひたすら「孫で大切にしなければならない訳のある子だ」とだけ言いつくろっていたので、誰にも見せないで、大切にお世話申しているうちに、急に亡くなってしまったので、悲しく心細くて、ひたすら都へ出立しようとしたが、亡くなった少弍と仲が悪かった国の人々が多くいて、何やかやと、恐ろしく気遅れしていて、不本意にも年を越しているうちに、この君は、成人して立派になられていくにつれて、母君よりも勝れて美しく、父大臣のお血筋まで引いているためであろか、上品でかわいらしげである。気立てもおっとりとしていて申し分なくいらっしゃる。
[1-4 玉鬘への求婚]
聞きつけ聞きつけては、好色な田舎の男どもが、懸想をして手紙をよこしたがる者が、多くいた。滅相もない身のほど知らずなと思われるので、誰も誰も相手にしない。
「顔かたちなどは、まあ十人並と言えましょうが、ひどく不具なところがありますので、結婚させないで尼にして、私の生きているうちは面倒をみよう」
と言い触らしていたので、
「亡くなった少弍殿の孫は、不具なところがあるそうだ」
「惜しいことだわい」
と、人々が言っているらしいのを聞くのも忌まわしく、
「どのようにして、都にお連れ申して、父大臣にお知らせ申そう。幼い時分を、とてもかわいいとお思い申していられたから、いくら何でもいいかげんにお見捨て申されることはあるまい」
などと言って嘆くとき、仏神に願かけ申して祈るのであった。
娘たちも息子たちも、場所相応の縁も生じて住み着いてしまっていた。心の中でこそ急いでいたが、都のことはますます遠ざかるように隔たっていく。分別がおつきになっていくにつれて、わが身の運命をとても不幸せにお思いになって、年三の精進などをなさる。二十歳ほどになっていかれるにつれて、すっかり美しく成人されて、たいそうもったいない美人である。
姫君の住んでいる所は、肥前の国と言った。その周辺で少しばかり風流な人は、まずこの少弍の孫娘の様子を聞き伝えて、断られても断られても、なおも絶えずやって来る者がいるのは、とても大変なもので、うるさいほどである。
2 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出
[2-1 大夫の監の求婚]
大夫の監といって、肥後の国に一族が広くいて、その地方では名声があって、勢い盛んな武士がいた。恐ろしい無骨者だがわずかに好色な心が混じっていて、美しい女性をたくさん集めて妻にしようと思っていた。この姫君の噂を聞きつけて、
「ひどい不具なところがあっても、私は大目に見て妻にしたい」
と、熱心に言い寄って来たが、とても恐ろしく思って、
「どうかして、このようなお話には耳をかさないで、尼になってしまおうとするのに」
と、言わせたところが、ますます気が気でなくなって、強引にこの国まで国境を越えてやって来た。
この男の子たちを呼び寄せて、相談をもちかけて言うことには、
「思い通りに結婚出来たら、同盟を結んで互いに力になろうよ」
などと持ちかけると、二人はなびいてしまった。
「最初のうちは、不釣り合いでかわいそうだと思い申していましたが、我々それぞれが後ろ楯と頼りにするには、とても頼りがいのある人物です。この人に悪く睨まれては、この国近辺では暮らして行けるものではないでしょう」
「高貴なお血筋の方といっても、親に子として扱っていただけず、また世間でも認めてもらえなければ、何の意味がありましょうや。この人がこんなに熱心にご求婚申していられるのこそ、今ではお幸せというものでしょう」
「そのような前世からの縁があって、このような田舎までいらっしゃったのだろう。逃げ隠れなさろうとも、何のたいしたことがありましょうか」
「負けん気を起こして、怒り出したら、とんでもないことをしかねません」
と脅し文句を言うので、「とてもひどい話だ」と聞いて、子供たちの中で長兄である豊後介は、
「やはり、とても不都合な、口惜しいことだ。故少弍殿がご遺言されていたこともある。あれこれと手段を講じて、都へお上らせ申そう」
と言う。娘たちも悲嘆に泣き暮れて、
「母君が何とも言いようのない状態でどこかへ行ってしまわれて、その行方をすら知らないかわりに、人並に結婚させてお世話申そうと思っていたのに」
「そのような田舎者の男と一緒になろうとは」
と言って嘆いているのも知らないで、「自分は大変に偉い人物と言われている身だ」と思って、懸想文などを書いてよこす。筆跡などは小奇麗に書いて、唐の色紙で香ばしい香を何度も何度も焚きしめた紙に、上手に書いたと思っている言葉が、いかにも田舎訛がまる出しなのであった。自分自身でも、この次男を仲間に引き入れて、連れ立ってやって来た。
[2-2 大夫の監の訪問]
三十歳ぐらいの男で、背丈は高く堂々と太っていて、見苦しくないが、田舎者と思って見るせいか嫌らしい感じで、荒々しい動作などが、見えるのも忌まわしく思われる。色つやも元気もよく、声はひどくがらがら声でしゃべり続けている。懸想人は夜の暗闇に隠れて来てこそ、夜這いとは言うが、ずいぶんと変わった春の夕暮である。秋の季節ではないが、おかしな懸想人の来訪と見える。
機嫌を損ねまいとして、祖母殿が応対する。
「故少弍殿がとても風雅の嗜み深くご立派な方でいらしたので、是非とも親しくお付き合いいただきたいと存じておりましたが、そうした気持ちもお見せ申さないうちに、たいそうお気の毒なことに、亡くなられてしまったが、その代わりにひたむきにお仕え致そうと、気を奮い立てて、今日はまことにご無礼ながら、あえて参ったのです。
こちらにいらっしゃるという姫君、格別高貴な血筋のお方と承っておりますので、とてももったいないことでございます。ただ、私めのご主君とお思い申し上げて、頭上高く崇め奉りましょうぞ。祖母殿がお気が進まないでいられるのは、良くない妻妾たちを大勢かかえていますのをお聞きになって嫌がられるのでございましょう。しかしながら、そんなやつらを、同じように扱いましょうか。わが姫君をば、后の地位にもお劣り申させない所存でありますものを」
などと、とても良い話のように言い続ける。
「いえどう致しまして。このようにおっしゃって戴きますのを、とても幸せなことと存じますが、薄幸の人なのでございましょうか、遠慮致した方が良いことがございまして、どうして人様の妻にさせて頂くことができましょうと、人知れず嘆いていますようなので、気の毒にと思ってお世話申し上げるにも困り果てているのでございます」
と言う。
「またっく、そのようなことなどご遠慮なさいますな。万が一、目が潰れ、足が折れていらしても、私めが直して差し上げましょう。国中の仏神は、皆自分の言いなりになっているのだ」
などと、大きなことを言っていた。
「何日の時に」と日取りを決めて言うので、「今月は春の末の月である」などと、田舎めいたことを口実に言い逃れる。
[2-3 大夫の監、和歌を詠み贈る]
降りて行く際に、和歌を詠みたく思ったので、だいぶ長いこと思いめぐらして、
「姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと
松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います
この和歌は、上手にお詠み申すことができたと我ながら存じます」
と言って、微笑んでいるのも、不慣れで幼稚な歌であるよ。気が気ではなく、返歌をするどころではなく、娘たちに詠ませたが、
「私は、さらに何することもできません」
と言ってじっとしていたので、とても時間が長くなってはと困って、思いつくままに、
「長年祈ってきましたことと違ったならば
鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう」
と震え声で詠み返したのを、
「待てよ。それはどういう意味なのでしょうか」
と、不意に近寄って来た様子に、怖くなって、乳母殿は、血の気を失った。娘たちは、さすがに、気丈に笑って、
「姫君が、普通でない身体でいらっしゃるのを、せっかくのお気持ちに背きましたらなら、悔いることになりましょうものを、やはり、耄碌した人のことですから、神のお名前まで出して、うまくお答え申し上げ損ねられたのでしょう」
と説明して上げる。
「おお、そうか、そうか」とうなづいて、「なかなか素晴らしい詠みぶりであるよ。手前らは、田舎者だという評判こそござろうが、詰まらない民百姓どもではござりませぬ。都の人だからといって、何ということがあろうか。皆先刻承知でござる。けっして馬鹿にしてはなりませぬぞよ」
と言って、もう一度、和歌を詠もうとしたが、とてもできなかったのであろうか、行ってしまったようである。
[2-4 玉鬘、筑紫を脱出]
次男がまるめこまれたのも、とても怖く嫌な気分になって、この豊後介を催促すると、
「さてどのようにして差し上げたらよいのだろうか。相談できる相手もいない。たった二人しかの弟たちは、その監に味方しないと言って仲違いしてしまっている。この監に睨まれては、ちょっとした身の動きも、思うに任せられまい。かえって酷い目に遭うことだろう」
と、考えあぐんでいたが、姫君が人知れず思い悩んでいられるのが、とても痛々しくて、生きていたくないとまで思い沈んでいられるのが、ごもっともだと思われたので、思いきった覚悟をめぐらして上京する。妹たちも、長年過ごしてきた縁者を捨てて、このお供して出立する。
あてきと言った娘は、今では兵部の君と言うが、一緒になって、夜逃げして舟に乗ったのであった。大夫の監は、肥後国に帰って行って、四月二十日のころにと、日取りを決めて嫁迎えに来ようとしているうちに、こうして逃げ出したのであった。
姉のおもとは、家族が多くなって、出立することができない。お互いに別れを惜しんで、再会することの難しいことを思うが、長年過ごした土地だからと言っても、格別去り難くもない。ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。
「浮き島のように思われたこの地を漕ぎ離れて行きますけれど
どこが落ち着き先ともわからない身の上ですこと」
「行く先もわからない波路に舟出して
風まかせの身の上こそ頼りないことです」
とても心細い気がして、うつ伏していらっしゃった。
[2-5 都に帰着]
「このように、逃げ出したことが、自然と人の口の端に上って知れたら、負けぬ気を起こして、後を追って来るだろう」と思うと、気もそぞろになって、早舟といって、特別の舟を用意して置いたので、その上あつらえ向きの風までが吹いたので、危ないくらい速くかけ上った。響灘も平穏無事に通過した。
「海賊船だろうか。小さい舟が、飛ぶようにしてやって来る」
などと言う者がいる。海賊で向う見ずな乱暴者よりも、あの恐ろしい人が追って来るのではないかと思うと、どうすることもできない気分である。
「嫌なことに胸がどきどきしてばかりいたので
それに比べれば響の灘も名前ばかりでした」
「河尻という所に、近づいた」
と言うので、少しは生きかえった心地がする。例によって、舟子たちが、
「唐泊から、河尻を漕ぎ行くときは」
と謡う声が、無骨ながらも、心にしみて感じられる。
豊後介がしみじみと親しみのある声で謡って、
「とてもいとしい妻や子も忘れてしもた」
と謡って、考えてみると、
「なるほど、舟唄のとおり、皆、家族を置いて来たのだ。どうなったことだろうか。しっかりした役に立つと思われる家来たちは、皆連れて来てしまった。私のことを憎いと思って、妻子たちを放逐して、どんな目に遭わせるだろう」と思うと、「浅はかにも、後先のことも考えず、飛び出してしまったことよ」
と、少し心が落ち着いて初めて、とんでもないことをしたことを後悔されて、気弱に泣き出してしまった。
「胡の地の妻児をば虚しく棄捐してしまった」
と詠じたのを、兵部の君が聞いて、
「ほんとうに、おかしなことをしてしまったわ。長年連れ添ってきた夫の心に、突然に背いて逃げ出したのを、どう思っていることだろう」
と、さまざまに思わずにはいられない。
「帰る所といっても、はっきりどこそこと落ち着くべき棲家もない。知り合いだといって頼りにできる人も頭に浮ばない。ただ姫君お一人のために、長い年月住み馴れた土地を離れて、あてどのない波風まかせの旅をして、何をどうしてよいのかわからない。この姫君を、どのようにして差し上げようと思っているのかしら」
と、途方に暮れているが、「今さらどうすることもできない」と思って、急いで京に入った。
3 玉鬘の物語 玉鬘、右近と椿市で邂逅
[3-1 岩清水八幡宮へ参詣]
九条に、昔知っていた人で残っていたのを訪ね出して、その宿を確保して、都の中とは言っても、れっきとした人々が住んでいる辺りではなく、卑しい市女や、商人などが住んでいる辺りで、気持ちの晴れないままに、秋に移っていくにつれて、これまでのことや今後のこと、悲しいことが多かった。
豊後介という頼りになる者も、ちょうど水鳥が陸に上がってうろうろしているような思いで、所在なく慣れない都の生活の何のつてもないことを思うにつけ、今さら国へ帰るのも体裁悪く、幼稚な考えから出立してしまったことを後悔していると、従って来た家来たちも、それぞれ縁故を頼って逃げ去り、元の国に散りじりに帰って行ってしまった。
落ち着いて住むすべもないのを、母乳母は、明けても暮れても嘆いて気の毒がっているので、
「いやどうして。我が身には、心配いりません。姫君お一方のお身代わりとなり申して、どこへなりと行って死んでも問題ありますまい。自分がどんなに豪者となっても、姫君をあのような田舎者の中に放っておき申したのでは、どのような気がしましょうか」
と心配せぬよう慰めて、
「神仏は、しかるべき方向にお導き申しなさるでしょう。この近い所に、八幡宮と申す神は、あちらにおいても参詣し、お祈り申していらした松浦、箱崎と、同じ社です。あの国を離れ去るときも、たくさんの願をお掛け申されました。今、都に帰ってきて、このように御加護を得て無事に上洛することができましたと、早くお礼申し上げなさい」
と言って、岩清水八幡宮に御参詣させ申し上げる。その辺の事情をよく知っている者に問い尋ねて、五師といって、以前に亡き父親が懇意にしていた社僧で残っていたのを呼び寄せて、御参詣させ申し上げる。
[3-2 初瀬の観音へ参詣]
「次いでは、仏様の中では、初瀬に、日本でも霊験あらたかでいらっしゃると、唐土でも評判の高いといいます。まして、わが国の中で、遠い地方といっても、長年お住みになったのだから、姫君には、なおさら御利益があるでしょう」
と言って、出発させ申し上げる。わざと徒歩で参詣することにした。慣れないこととて、とても辛く苦しいけれど、人の言うのにしたがって、無我夢中で歩いて行かれる。
「どのような前世の罪業深い身であったために、このような流浪の日を送るのだろう。わたしの母親が、既にお亡くなりになっていらっしゃろうとも、わたしをかわいそうだとお思いになってくださるなら、いらっしゃるところへお連れください。もし、この世に生きていらっしゃるならば、お顔をお見せください」
と、仏に願いながら、生きていらしらときの面影をすら知らないので、ただ、「母親が生きていらしたら」と、ばかりの一途な悲しい思いを、嘆き続けていらっしゃったので、こうして今、慣れない徒歩の旅で、辛くて堪らないうちに、また改めて悲しい思いをかみしめながら、やっとのことで、椿市という所に、四日目の巳の刻ごろに、生きた心地もしないで、お着きになった。
歩くともいえないありさまで、あれこれとどうにかやって来たが、もう一歩も歩くこともできず、辛いので、どうすることもできずお休みになる。この一行の頼りとする豊後介、弓矢を持たせている者が二人、その他には下衆と童たち三、四人、女性たちはすべてで三人、壷装束姿で、樋洗童女らしい者と老婆の下衆女房とが二人ほどいた。
ひどく目立たないようにしていた。仏前に供えるお灯明など、ここで買い足しなどをしているうちに日が暮れた。宿の主人の法師が、
「他の方をお泊め申そうとしているお部屋に、どなたがお入りになっているのですか。下女たちが、勝手なことをして」
と不平を言うのを、失礼なと思って聞いているうちに、なるほど、その人々が来た。
[3-3 右近も初瀬へ参詣]
この一行も徒歩でのようである。身分の良い女性が二人、下人どもは、男女らが、大勢のようである。馬を四、五頭牽かせたりして、たいそうひっそりと人目に立たないようにしていたが、こざっぱりとした男性たちが従っている。
法師は、無理してもこの一行を泊まらせたく思って、頭を掻きながらうろうろしている。気の毒であるが、また一方、宿を取り替えるのも体裁が悪くめんどうだったので、人々は奥の方に入り、下衆たちは目に付かないようなところに隠して、他の人たちは片端に寄った。幕などを間に引いていらっしゃる。
この新客も気の置ける相手ではない。ひどくこっそりと目立たないようにして、互いに気を遣っていた。
それが実は、あの何年も主人を恋い慕っていた右近なのであった。年月がたつにつれて、中途半端な女房仕えが似つかわしくなっていく身を思い悩んで、このお寺に度々参詣していたのであった。
いつもの馴れたことなので、身軽な旅支度であったが、徒歩での旅は我慢のできないほど疲れて、物に寄りかかって臥していると、この豊後介が、隣の幕の側に近寄って来て、お食事なのであろう、折敷を自分で持って、
「これは、御主人様に差し上げてください。お膳などが整わなくて、たいそう恐れ多いことですが」
と言うのを聞くと、「自分と同じような身分の者ではあるまい」と思って、物の間から覗くと、この男の顔、見たことのある気がする。しかし誰とも思い出せない。たいそう若かった時を見たのだが、太って色黒くなって粗末な身なりをしていたので、長い年月の間を経た目では、すぐには見分けることができなかったのであった。
「三条、お呼びです」
と呼び寄せる女を見ると、これもまた見た人なのであった。
「亡くなったご主人に、下人であるが、長い間お仕えしていて、あの隠してお住みになった所までお供していた者であったよ」
と見て取ると、まるで夢のような心地である。主人と思われる方は、とても見たい気がするが、とても見えるようなしつらいではない。困って、
「この女に尋ねよう。兵藤太と言った人も、この男であろう。姫君がいらっしゃるのかしら」
と思い及ぶと、とても気もそぞろになって、この中仕切りの所にいる三条を呼ばせたが、食事に夢中になっていて、すぐには来ない。ひどく憎らしく思われるのも、せっかちというものである。
[3-4 右近、玉鬘に再会す]
やっとして、
「身に覚えのないことです。筑紫の国に、二十年ほど過ごした下衆の身を、ご存知の京の人がいようとは。人違いでございましょう」
と言って、近寄って来た。田舎者めいた掻練の上に衣などを着て、とてもたいそう太っていた。自分の年もますます思い知らされて、恥ずかしかったが、
「もっとよく、覗いてみなさい。私を知っていませんか」
と言って、顔を差し出した。この女は手を打って、
「あなた様でいらしたのですね。ああ、何とも嬉しいことよ。どこから参りなさったのですか。ご主人様はいらっしゃいますか」
と言って、とてもおおげさに泣く。まだ若いころを見慣れていたのを思い出すと、今まで過ぎてきた年月の長さが数えられて、とても感慨深いものがある。
「まずは、乳母殿はいらっしゃいますか。若君は、どうおなりになりましたか。あてきと言った人は」
と言って、ご主人のお身の上のことは、言い出さない。
「皆さんいらっしゃいます。姫君も大きくおなりです。まずは、乳母殿に、これこれと申し上げましょう」
と言って入って行った。
皆、驚いて、
「夢のような心地がしますね」
「とても辛く何とも言いようのないとお思い申していた人に、とうとう逢えるのだなんて」
と言って、この中仕切りに近寄って来た。よそよそしく隔てていた屏風のような物を、すっかり払い除けて、何とも言葉にも出されず、お互いに泣き合う。年老いた乳母が、ほんのわずかに、
「ご主人様は、どうなさいましたか。長年、夢の中でもいらっしゃるところを見たいと大願を立てましたが、都から遠い筑紫にいたために、風の便りにも噂を伝え聞くことができませんでしたのを、たいそう悲しく思うと、老いた身でこの世に生きながらえていますのも、とてもつらいのですが、お残し申された若君が、いじらしく気の毒でいらっしゃったのを、冥途の障りになろうかとお世話に困ったままで、まだ目を瞑れないでおります」
と言い続けるので、昔のあの当時のことを、今さら言っても詮ない事よりも、答えようがなく困ったと思うが、
「いえもう、申し上げたところで詮ないことでございます。御方は、もうとっくにお亡くなりになりました」
と言うなり、二、三人皆涙が込み上げてきて、とてもどうすることもできず、涙を抑えかねていた。
[3-5 右近、初瀬観音に感謝]
日が暮れてしまうと、急ぎだして、御灯明の用意を済ませて、急がせるので、かえって落ち着かない気がして別れる。「ご一緒にいらっしゃいませんか」と言うが、お互いに供の人々が不思議に思うに違いないので、この豊後介にも事情を説明することさえしない。自分も相手も格別気を遣うこともなく、皆外へ出た。
右近は、こっそりと注意して見ると、一行の中にかわいらしい後ろ姿をして、とてもひどく身を忍んだ旅姿で、四月ころの単衣のようなものの中に着込めていらっしゃる髪が、透き通って見えるのが、とてももったいなく立派に見える。おいたわしくかわいそうにと拝する。
少し歩きなれている人は、先に御堂に着いたのであった。この姫君を介抱するのに難渋しながら、初夜の勤行のころにお上りになった。とても騒がしく、人々の参詣で混み合って大騒ぎである。右近の部屋は仏の右側の近い間に用意してある。姫君一行の御師は、まだなじみが浅いためであろうか、西の間で遠い所だったのを、
「もっと、こちらにいらっしゃいませ」
と、探し合って言ったので、男たちはそこに置いて、豊後介にこれこれしかじかでと説明して、こちらにお移し申し上げる。
「このように賤しい身ですが、今の大臣殿のお邸にお仕え致しておりますので、このように忍びの旅でも、無礼な扱いを受けるようなことはありますまいと心丈夫にしております。田舎者めいた者には、このような所では、たちの良くない者どもが、侮ったりするのも、恐れ多いことです」
と言って、話をもっとしたく思ったが、仰々しい勤行の声に紛れ、騒がしさに引き込まれて、仏を拝み申し上げる。右近は、心の中で、
「この姫君を、何とかして尋ね上げたいとお願い申して来たが、何はともあれ、こうしてお逢い申せたので、今は願いのとおり、大臣の君が、お尋ね申したいというお気持ちが強いようなので、お知らせ申して、お幸せになりますように」
などとお祈り申し上げたのであった。
[3-6 三条、初瀬観音に祈願]
国々から、田舎の人々が大勢参詣しているのであった。大和国の守の北の方も、参詣しているのであった。たいそうな勢いなのを羨んで、この三条が言うことには、
「大慈悲の観音様には、他のことはお願い申し上げません。わが姫君様が、大弍の北の方に、さもなくば、この国の受領の北の方にして差し上げたく思います。わたくしめ三条らも、身分相応に出世して、お礼参りは致します」
と、額に手を当てて念じている。右近は、「ひどく縁起でもないことを言うわ」と聞いて、
「とても、ひどく田舎じみてしまったのね。頭の中将殿は、当時のご信任でさえどんなでもいらしゃいました。まして、今では天下をお心のままに動かしていらっしゃる大臣で、どんなにか立派なお間柄であるのに、このお方が、受領の妻として、お定まりになるものですか」
と言うと、
「お静かに。言わせて頂戴。大臣とやらの話もちょっと待って。大弍のお館の奥方様が、清水のお寺や、観世音寺に参詣なさった時の勢いは、帝の行幸に劣っていましょうか。まあ、いやだこと」
と言って、ますます手を額から離さず、一心に拝んでいた。
筑紫の人たちは、三日間参籠しようとお心づもりしていらっしゃった。右近は、そうは思っていなかったが、このような機会に、ゆっくりお話しようと思って、参籠する由を、大徳を呼んで言う。願文などに書いてある趣旨などは、そのような人はこまごまと承知していたので、いつものように、
「いつもの藤原の瑠璃君というお方のために奉ります。よくお祈り申し上げてくださいませ。その方は、つい最近お捜し申し上げました。そのお礼参りも申し上げましょう」
と言うのを、耳にするのも嬉しい気がする。法師は、
「それはとてもおめでたいことですな。怠りなくお祈り申し上げたしるしでございます」
と言う。とても騒がしく、一晩中お勤めするのである。
[3-7 右近、主人の光る源氏について語る]
夜が明けたので、知っている大徳の坊に下がった。話を、心おきなくというのであろう。姫君がひどく質素にしていらっしゃるのを恥ずかしそうに思っていらっしゃる様子が、たいそう立派に見える。
「思いもかけない高貴な方にお仕えして、大勢の方々を見てきましたが、殿の上様のご器量に並ぶ方はいらっしゃらないと、長年拝見しておりましたが、また一方に、ご成長されてゆく姫君のご器量も、当然のことながら優れていらっしゃいます。大切にお育て申し上げなさる様子も、又とないくらいですが、このように質素にしていらっしゃる姫君が、お劣りにならないくらいにお見えになりますのは、めったにないお美しさであります。
大臣の君は、御父帝の御時代から、多数の女御や、后をはじめ、それより以下の女は残るところなくご存知でいらしたお目には、今上帝の御母后と申し上げた方と、この姫君のご器量とを、『美人とはこのような方をいうのであろうかと思われる』とお口にしていらっしゃいます。
拝見して比べますに、あの后の宮は存じません。姫君はおきれいでいらっしゃいますが、まだ、お小さくて、これから先どんなにお美しくなられることかと思いやられます。
上のご器量は、やはりどなたが及びなされましょうと、お見えになります。殿も、優れているとお思いでいらっしゃいますが、口に出しては、どうして数の中にお加え申されましょうか。『わたしと夫婦でいらっしゃるとは、あなたは分不相応ですよ』と、ご冗談を申し上げていらっしゃいます。
拝見すると、寿命が延びるお二方のご様子を、また他にそのような例がいらっしゃるだろうかと、思っておりましたが、どこが劣ったところがございましょうか。物には限度というものがありますから、どんなに優れていらっしゃろうとも、頭上から光をお放ちになるようなことはありません。ただ、こういう方をこそ、お美しいと申し上げるべきでしょう」
と、微笑んで拝見するので、老人も嬉しく思う。
[3-8 乳母、右近に依頼]
「このようなお美しい方を、危うく辺鄙な土地に埋もれさせ申し上げてしまうところでしたのを、もったいなく悲しくて、家やかまどを捨てて、息子や娘の頼りになるはずの子どもたちにも別れて、かえって見知らない世界のような心地がする京に上って来ました。
あなた、早く良いようにお導きくださいまし。高い宮仕えをなさる方は、自然と交際の便宜もございましょう。父大臣のお耳に入れられて、お子様の中に数え入れてもらえるような工夫を、お計らいになってください」
と言う。恥ずかしくお思いになって、後ろをお向きになっていらっしゃった。
「いやもう、わたしはとるにたりない身の上ですけれども、殿も御前近くにお使いになってくださいますので、何かの時毎に、『どうおなりあそばしたことでしょう』と口に出し申し上げたのを、お心にお掛けになっていらして、『わたしも何とかお捜し申したいと思うが、もしお聞き出し申したら』と、仰せになっています」
と言うと、
「大臣の君は、ご立派でいらっしゃっても、そうしたれっきとした奥方様たちがいらっしゃると言います。まずは実の親でいらっしゃる内大臣様にお知らせ申し上げなさってください」
などと言うので、昔の事情などを話に出して、
「ほんとうに忘れられず悲しいこととお思いになって、『あの方の代わりにお育て申し上げよう。子どもも少ないのが寂しいから、自分の子を捜し出したのだと世間の人には思わせて』と、その当時から仰せになっているのです。
分別の足りなかったことは、いろいろと遠慮の多かった時なので、お尋ね申すこともできないでいるうちに、大宰少弍におなりになったことは、お名前で知りました。赴任の挨拶に、殿に参られた日、ちらっと拝見しましたが、声をかけることができずじまいでした。
そうはいっても、姫君は、あの昔の夕顔の五条の家にお残し申されたものと思っていました。ああ、何ともったいない。田舎者におなりになってしまうところでしたねえ」
などと、お話しながら、一日中、昔話や、念誦などして。
[3-9 右近、玉鬘一行と約束して別れる]
参詣する人々の様子が、見下ろせる所である。前方を流れる川は、初瀬川というのであった。右近は、
「二本の杉の立っている長谷寺に参詣しなかったなら
古い川の近くで姫君にお逢いできたでしょうか
『嬉しき逢瀬です』」
と申し上げる。
「昔のことは知りませんが、今日お逢いできた
嬉し涙でこの身まで流れてしまいそうです」
とお詠みになって、泣いていらっしゃる様子、とても好感がもてる。
「ご器量はとてもこのように素晴らしく美しくいらしても、田舎人めいて、ごつごつしていらっしゃったら、どんなにか玉の瑕になったことであろうに。いやもう、立派に、どうしてこのようにご成長されたのであろう」
と、乳母殿に感謝する。
母君は、ただたいそう若々しくおっとりしていて、なよなよと、しなやかでいらした。この姫君は気品が高く、動作などもこちらが恥ずかしくなるくらいに、優雅でいらっしゃる。筑紫の地を奥ゆかしく思ってみるが、皆、他の人々は田舎人めいてしまったのも、合点が行かない。
日が暮れたので、御堂に上って、翌日も同じように勤行してお過ごしになる。
秋風が、谷から遥かに吹き上がってきて、とても肌寒く感じられる上に、感慨無量の人々にとっては、それからそれへと連想されて、人並みになるようなことも難しいことと沈みこんでいたが、この右近の話の中に、父内大臣のご様子、他のたいしたことのない方々が生んだご子息たちも、皆一人前になさっていることを聞くと、このような日陰者も頼もしく、お思いになるのであった。
出る時にも、互いに住所を聞き交わして、もしも再び姫君の行く方が分からなくなってしまってはと、心配に思うのであった。右近の家は、六条院の近辺だったので、程遠くないので、話し合うにも便宜ができた心地がしたのであった。
4 光る源氏の物語 玉鬘を養女とする物語
[4-1 右近、六条院に帰参する]
右近は、大殿に参上した。このことをちらっとお耳に入れる機会もあろうかと思って、急ぐのであった。ご門を入るや、感じが格別に広々として、退出や参上する車が多く行き来している。一人前でもない者が出入りするのも、気のひける思いがする玉の御殿である。その夜は御前にも参上しないで、思案しながら寝た。
翌日、昨夜里から参上した身分の高い女房、若い女房たちの中で、特別に右近をお召しになったので、晴れがましい気がする。大臣も御覧になって、
「どうして、里住みを長くしていたのだ。めずらしく寡婦が、うって変わって、若変ったようなことでもしたのでしょうか。きっとおもしろいことがあったのでしょう」
などと、例によって、返事に困るような、冗談をおっしゃる。
「お暇をいただいて、七日以上過ぎましたが、おもしろいことなどめったにございません。山路歩きしまして、懐かしい人にお逢いいたしました」
「どのような人か」
とお尋ねになる。「ここで申し上げるのも、まだ主人にお聞かせ申さないで、特別に申し上げるようなのを、後でお聞きになったら、自分が隠しごとを申したとお思いになるのではないかしら」などと、思い悩んで、
「そのうちにお話申し上げましょう」
と言って、女房たちが参上したので、中断した。
大殿油などを点灯して、うちとけて並んでいらっしゃるご様子、たいそう見ごたえがあった。女君は、二十七、八歳におなりになったであろう、今を盛りといよいよ美しく成人されていらっしゃる。少し日をおいて拝見すると、「また、この間にも美しさがお加わりになった」とお見えになる。
あの姫君をとても素晴らしい、この女君に負けないくらいだと拝見したが、思いなしか、やはりこの女君はこの上ないので、「運のある方とない方とでは、違いがあるものだわ」と自然と比較される。
[4-2 右近、源氏に玉鬘との邂逅を語る]
お寝みになろうとして、右近をお足さすらせに召す。
「若い女房は、疲れると言って嫌がるようです。やはりお互いに年配どうしは、気が合ってうまくいきますね」
とおっしゃると、女房たちはひそひそと笑う。
「そうですわ。誰が、そのようにお使い慣らされるのを、嫌がりましょう」
「やっかいなご冗談をお言いかけなさるのが、煩わしいので」
などと互いに言う。
「紫の上も、年とった者どうしが仲よくし過ぎると、それはやはり、ご機嫌を悪くされるだろうと思うよ。そのようなこともなさそうなお心とは見えないから、危険なものです」
などと、右近に話してお笑いになる。たいそう愛嬌があって、冗談をおっしゃるところまでがお加わりになっていらっしゃる。
今では朝廷にお仕えし、忙しいご様子でもないお身体なので、世の中の事に対してものんびりとしたお気持ちのままに、ただとりとめもないご冗談をおっしゃって、おもしろく女房たちの気持ちをお試しになるあまりに、このような古女房をまでおからかいになる。
「あの捜し出した人というのは、どのような人か。尊い修行者と親しくして、連れて来たのか」
とお尋ねになると、
「まあ、人聞きの悪いことを。はかなくお亡くなりになった夕顔の露の縁のある人を、お見つけ申したのです」
と申し上げる。
「ほんとうに、思いもかけないことであるなあ。長い年月どこにいたのか」
とお尋ねになるので、真実そのままには申し上げにくいので、
「辺鄙な山里に、昔の女房も幾人かは変わらずに仕えておりましたので、その当時の話を致しまして、たまらない思いが致しました」
などとお答え申した。
「よし、事情をご存知でない方の前だから」
とお隠し申しなさると、紫の上は、
「まあ、やっかいなお話ですこと。眠たいので、耳に入るはずもありませんのに」
とおっしゃって、お袖で耳をお塞ぎになった。
「器量などは、あの昔の夕顔に劣らないだろうか」
などとおっしゃると、
「きっと母君ほどでいらっしゃるまいと存じておりましたが、格別に優れてご成長なさってお見えになりました」
と申し上げるので、
「興味あることだ。誰くらいに見えますか。この紫の君とは」
とおっしゃると、
「どうして、それほどまでは」
と申し上げるので、
「得意になって思っているのだな。わたしに似ていたら、安心だ」
と、実の親のようにおっしゃる。
[4-3 源氏、玉鬘を六条院へ迎える]
このように聞き初めてから後は、幾度もお召しになっては、
「それでは、その人を、ここにお迎え申そう。長年、何かの折ごとに、残念にも行く方がわからなくなったことを思い出していたが、とても嬉しく聞き出しながら、今まで会わないでいるのも、つまらなことだ。
父の大臣には、どうして知らせる必要があろうか。たいそう大勢の子どもたちに大騷ぎしているようであるが、数ならぬ身で、今初めて仲間入りしたところで、かえってつらい思いをすることであろう。わたしは、このように子どもが少ないので、思いがけない所から捜し出したとでも言っておこうよ。好色者たちに気をもませる種として、たいそう大切にお世話しよう」
などとうまくおっしゃるので、一方では嬉しく思うものの、
「ただお心のままにどうぞ。父大臣にお知らせ申すとしても、どなたがお耳にお入れなさいましょう。むなしくお亡くなりになった方の代わりに、何としてでもお助けあそばすことが、罪滅ぼしあそばすことになりましょう」
と申し上げる。
「ひどく言いがかりをつけますね」
と、苦笑いしながら、涙ぐんでいらっしゃる。
「しみじみと、感慨深い関係であったと、長年思っていた。このように六条院に集っている方々の中に、あの時のように気持ちを惹かれる人はなかったが、長生きをして、自分の愛情の変わらなさを見ております人々が多くいる中で、言っても詮ないことになってしまい、右近だけを形見として見ているのは、残念なことだ。忘れる時もないが、そのようにここにいらしてくれたら、たいそう長年の願いが叶う気持ちがするに違いない」
と言って、お手紙を差し上げなさる。あの末摘花の何とも言いようもなかったのをお思い出しになると、そのように落ちぶれた境遇で育ったような人の様子が不安になって、まずは、手紙の様子がどんなものかと思わずにはいらっしゃれないのであった。きまじめに、それにふさわしくお認めになって、端の方に、
「このようにお便り申し上げますのを、
今はご存知なくともやがて聞けばおわかりになりましょう
三島江に生えている三稜のようにわたしとあなたは縁のある関係なのですから」
とあったのであった。
お手紙は、右近みずから持参して、おっしゃる様子などを申し上げる。ご装束、女房たちの物などいろいろとある。紫の上にもご相談申し上げられたのであろう、御匣殿などでも、用意してある品物を取り集めて、色あいや、出来具合などのよい物をと、選ばせなさったので、田舎じみた人々の目には、ひとしお目を見張るほどに思ったのであった。
[4-4 玉鬘、源氏に和歌を返す]
ご本人は、
「ほんの申し訳程度でも、実の親のお気持ちならば、どんなにか嬉しいであろう。どうして知らない方の所に出て行けよう」
と、ほのめかして、苦しそうに悩んでいたが、とるべき態度を、右近が申し上げ教え、女房たちも、
「自然と、そのようにしてあちらで一人前の姫君となられたら、大臣の君もお聞きつけになられるでしょう。親子のご縁は、けっして切れるものではありません」
「右近が、物の数ではございませんが、ぜひともお目にかかりたいと念じておりましたのさえ、仏神のお導きがございませんでしたか。まして、どなたもどなたも無事でさえいらしたら」
と、皆がお慰め申し上げる。
「まずは、お返事を」と、無理にお書かせ申し上げる。
「とてもひどく田舎じみているだろう」
と恥ずかしくお思いであった。唐の紙でたいそうよい香りのを取り出して、お書かせ申し上げる。
「物の数でもないこの身はどうして
三稜のようにこの世に生まれて来たのでしょう」
とだけ、墨付き薄く書いてある。筆跡は、かぼそげにたどたどしいが、上品で見苦しくないので、ご安心なさった。
お住まいになるべき部屋をお考えになると、
「南の町には、空いている対の屋などはない。威勢も特別でいっぱいに使っていらっしゃるので、目立つし人目も多いことだろう。中宮のいらっしゃる町は、このような人が住むのに適してのんびりしているが、そうするとそこにお仕えする女房と同じように思われるだろう」とお考えになって、「少し埋もれた感じだが、丑寅の町の西の対が、文殿になっているのを、他の場所に移して」とお考えになる。
「一緒に住むことになっても、慎ましく気立てのよいお方だから、話相手になってよいだろう」
とお決めになった。
[4-5 源氏、紫の上に夕顔について語る]
紫の上にも、今初めて、あの昔の話をお話し申し上げたのであった。このようお心に秘めていらしたことがあったのを、お恨み申し上げなさる。
「困ったことですね。生きている人の身の上でも、問わず語りは申したりしましょうか。このような時に、隠さず申し上げるのは、他の人以上にあなたを愛しているからです」
と言って、とてもしみじみとお思い出しになっていた。
「他人の身の上として大勢見て来たが、ほれほどにも思わなかった中でも、女性というものの愛執の深さを多数見たり聞いたりしてきましたので、少しも浮気心はつかうまいと思っていたが、いつの間にかそうあってはならなかった女を多数相手にした中で、しみじみとひたすらかわいらしく思えた方では、他に例がなく思い出されます。生きていたならば、北の町におられる人と同じくらいには、世話しないことはなかったでしょう。人の有様は、いろいろですね。才気があり趣味の深い点では劣っていたが、上品でかわいらしかったなあ」
などとおっしゃる。
「そうは言っても、明石の方と同じようには、お扱いなさらないでしょう」
とおっしゃる。やはり、北の殿の御方を、気にさわる者とお思いであった。姫君が、とてもかわいらしげに何心もなく聞いていらっしゃるのが、いじらしいので、また一方では、「もっともなことだわ」と思い返しなさる。
[4-6 玉鬘、六条院に入る]
こういう話は、九月のことなのであった。お渡りになることは、どうしてすらすらと事が運ぼうか。適当な童女や、若い女房たちを探させる。筑紫では、見苦しくない人々も、京から流れて下って来た人などを、縁故をたどって呼び集めなどして仕えさせていたのも、急に飛び出して上京なさった騒ぎに、皆を残して来たので、また他に女房もいない。京は自然と広い所なので、市女などのような者を、たいそううまく使っては探し出して、連れて来る。誰それの姫君などとは知らせなかったのであった。
右近の実家の五条の家に、最初こっそりとお移し申し上げて、女房たちを選びすぐり、装束を調えたりして、十月に六条院にお移りになる。
大臣は、東の御方にお預け申し上げなさる。
「いとしいと思っていた女が、気落ちして、たよりない山里に隠れ住んでいたのだが、幼い子がいたので、長年人に知らせず捜しておりましたが、聞き出すことが出来ませんで、年頃の女性になるまで過ぎてしまったが、思いがけない方面から、聞きつけた時には、せめてと思って、お引き取りするのでございます」と言って、「母も亡くなってしまったのです。中将をお預け申し上げましたが、不都合ありませんね。同じようにお世話なさってください。山家育ちのように成長してきたので、田舎めいたことが多くございましょう。しかるべく、機会にふれて教えてやってください」
と、とても丁寧にお頼み申し上げなさる。
「なるほど、そのような人がいらっしゃるのを、存じませんでしたわ。姫君がお一人いらっしゃるのは寂しいので、よいことですわ」
と、おおようにおっしゃる。
「その母親だった人は、気立てがめったにいないまでによい人でした。あなたの気立ても安心にお思い申しておりますので」
などとおっしゃる。
「相応しくお世話している人などと言っても、面倒がかからず、暇でおりますので、嬉しいことですわ」
とおっしゃる。
殿の内の女房たちは、殿の姫君とも知らないで、
「どのような女を、また捜し出して来られたのでしょう」
「厄介な昔の女性をお集めになることですわ」
と言った。
お車を三台ほどで、お供の人々の姿などは、右近がいたので、田舎くさくないように仕立ててあった。殿から、綾や、何やかやかとお贈りなさっていた。
[4-7 源氏、玉鬘に対面する]
その夜、さっそく大臣の君がお渡りになった。その昔、光る源氏などといった評判は、始終お聞き知り申し上げていたが、長年都の生活に縁がなかったので、それほどともお思い申していなかったが、かすかな大殿油の光に、御几帳の隙間からわずかに拝見すると、ますます恐ろしいまでに思われるお美しさであるよ。
お渡りになる方の戸を、右近が掛け金を外して開けると、
「この戸口から入れる人は、特別な気がしますね」
とお笑いになって、廂の間のご座所に膝をおつきになって、
「燈火は、とても懸想人めいた心地がするな。親の顔は見たいものと聞いている。そうお思いなさらないかね」
と言って、几帳を少し押しやりなさる。たまらなく恥ずかしいので、横を向いていらっしゃる姿態など、たいそう難なく見えるので、嬉しくて、
「もう少し、明るくしてくれませんか。あまりに奥ゆかしすぎる」
とおっしゃるので、右近が、燈芯をかき立てて少し近付ける。
「遠慮のない人だね」
と少しお笑いになる。なるほど似ていると思われるお目もとの美しさである。少しも他人として隔て置くようにおっしゃらず、まことに実の親らしくして、
「長年お行く方も知らないで、心から忘れる間もなく嘆いておりましたが、こうしてお目にかかれたにつけても、夢のような心地がして、過ぎ去った昔のことがいろいろと思い出されて、堪えがたくて、すらすらとお話もできないほどですね」
と言って、お目をお拭いになる。ほんとうに悲しく思い出さずにはいられない。お年のほど、お数えになって、
「親子の仲で、このように長年会わずに過ぎた例はあるまいものを。宿縁のつらいことであったよ。今は、恥ずかしがって、子供っぽくなさるほどのお年でもあるまいから、長年のお話なども申し上げたいのだが、どうして何もおっしゃってくださらぬのか」
とお恨みになると、申し上げることもなく、恥ずかしいので、
「幼いころに流浪するようになってから後、何ごとも頼りなく過ごして来ました」
と、かすかに申し上げなさるお声が、亡くなった母にたいそうよく似て若々しい感じであった。微笑して、
「苦労していらっしゃったのを、かわいそうにと、今は、わたしの他に誰が思いましょう」
と言って、嗜みのほどは悪くはないとお思いになる。右近に、しかるべき事柄をお命じになって、出て行かれた。
[4-8 源氏、玉鬘の人物に満足する]
無難でいらっしゃったのを、嬉しくお思いになって、紫の上にもご相談申し上げなさる。
「ある田舎に長年住んでいたので、どんなにおかわいそうなと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見えます。このような姫君がいると、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などが、この邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、たいそうまじめな顔ばかりして、ここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからである。たいそう世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」
とおっしゃると、
「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」
とおっしゃる。
「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」
と言って、お笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって、手習いに、
「ずっと恋い慕っていたわが身は同じであるが
その娘はどのような縁でここに来たのであろうか
ああ、奇縁だ」
と、そのまま独り言をおっしゃっるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。
[4-9 玉鬘の六条院生活始まる]
中将の君にも、
「このような人を尋ね出したので、気をつけて親しく訪れなさい」
とおっしゃったので、こちらに参上なさって、
「つまらない者ですが、このような弟もいると、まずはお召しになるべきでございましたよ。お引っ越しの時にも、参上してお手伝い致しませんでしたことが」
と、たいそう実直にお申し上げになるので、側で聞いているのもきまりが悪いくらいに、事情を知っている女房たちは思う。
思う存分に数奇を凝らしたお住まいではあったが、あきれるくらい田舎びていたのが、何とも比べようもなく思われるよ。お部屋のしつらいをはじめとして、当世風で上品で、親、姉弟として親しくお付き合いさせていただいていらっしゃるご様子、容貌をはじめ、目もくらむほどに思われるので、今になって、三条も大弍を軽々しく思うのであった。まして、大夫の監の鼻息や態度は、思い出すのも忌ま忌ましいことこの上ない。
豊後介の心根を立派なものだと姫君もご理解なさりになり、右近もそう思って口にする。「いい加減にしていたのでは不行き届きも生じるだろう」と考えて、こちら方の家司たちを任命して、しかるべき事柄を決めさせなさる。豊後介も家司になった。
長年田舎に沈淪していた心地には、急にすっかり変わり、どうして、仮にも自分のような者が出入りできる縁さえないと思っていた大殿の内を、朝な夕なに出入りし、人を従えて、事務を行う身」となることができたのは、たいそう面目に思った。大臣の君のお心配りが、細かに行き届いて世にまたとないほどでいらっしゃることは、たいそうもったいない。
5 光る源氏の物語 末摘花の物語と和歌論
[5-1 歳末の衣配り]
年の暮に、お飾りのことや、女房たちの装束などを、高貴な夫人方と同じようにお考えおいたが、「器量はこうでも、田舎めいている点もありはしないか」と、山里育ちのように軽んじ想像申し上げなさって仕立てたのを、差し上げなさる折に、いろいろな織物を、我も我もと、技を競って織っては持って上がった細長や、小袿の、色とりどりでさまざまなのを御覧になると、
「たいそうたくさんの織物ですね。それぞれの方々に、羨みがないように分けてやるとよいですね」
と、紫の上にお申し上げなさると、御匣殿でお仕立て申したのも、こちらでお仕立てさせなさったのも、みな取り出させなさっていた。
このような方面のことはそれは、とても上手で、世に類のない色合いや、艶を染め出させなさるので、めったにいない人だとお思い申し上げになさる。
あちらこちらの擣殿から進上したいくつもの擣物をご比較なさって、濃い紫や赤色などを、さまざまお選びになっては、いくつもの御衣櫃や、衣箱に入れさせなさって、年配の上臈の女房たちが伺候して、「これは、あれは」と取り揃えて入れる。紫の上も御覧になって、
「どれもこれも、劣り勝りの見えないもののようですが、お召しになる人のご器量に似合うように選んで差し上げなさい。お召し物が似合わないのは、みっともないことですから」
とおっしゃると、大臣も笑って、
「それとなく、他の人たちのご器量を想像しようというおつもりのようですね。では、あなたはどれをご自分のにとお思いですか」
と申し上げなさると、
「それは鏡で見ただけでは、どうして決められましょうか」
と、そうは言ったものの恥ずかしがっていらっしゃる。
紅梅のたいそうくっきりと紋が浮き出た葡萄染の御小袿と、流行色のとても素晴らしいのは、こちらのお召し物。桜の細長に、艶のある掻練を取り添えたのは、姫君の御料である。
浅縹の海賦の織物で、織り方は優美であるが、鮮やかな色合いでないものに、たいそう濃い紅の掻練を付けて、夏の御方に。
曇りなく明るくて、山吹の花の細長は、あの西の対の方に差し上げなさるのを、紫の上は見ぬふりをして想像なさる。「内大臣が、はなやかで、ああ美しいと見える一方で、優美に見えるところがないのに似たのだろう」と、お言葉どおりだと推量されるのを、顔色にはお出しにならないが、殿がご覧やりなさると、ただならぬ関心を寄せているようである。
「いや、この器量比べは、当人の腹を立てるに違いないことだ。よいものだといっても、物の色には限りがあり、人の器量というものは、劣っていても、また一方でやはり奥底のあるものだから」
と言って、あの末摘花の御料に、柳の織物で、由緒ある唐草模様を乱れ織りにしたのも、とても優美なので、人知れず苦笑されなさる。
梅の折枝に、蝶や、鳥が、飛び交い、唐風の白い小袿に、濃い紫の艶のあるのを重ねて、明石の御方に。衣装から想像して気品があるのを、紫の上は憎らしいとお思いになる。
空蝉の尼君に、青鈍色の織物、たいそう気の利いたのを見つけなさって、御料にある梔子色の御衣で、聴し色なのをお添えになって、同じ元日にお召しになるようにとお手紙をもれなくお回しになる。なるほど、似合っているのを見ようというお心なのであった。
[5-2 末摘花の返歌]
すべて、お返事は並大抵ではない。お使いへの禄も、それぞれに気をつかっていたが、末摘花は、東院にいらっしゃるので、もう少し違って、一趣向あってしかるべきなのに、几帳面でいらっしゃる人柄で、定まった形式は違えなさらず、山吹の袿で、袖口がたいそう煤けているのを、下に衣も重ねずにお与えになった。お手紙には、とても香ばしい陸奥国紙で、少し古くなって厚く黄ばんでいる紙に、
「どうも、戴くのは、かえって恨めしゅうございまして。
着てみると恨めしく思われます、この唐衣は
お返ししましょう、涙で袖を濡らして」
ご筆跡は、特に古風であった。たいそう微笑を浮かべなさって、直ぐには手放しなさらないので、紫の上は、どうしたのかしらと覗き込みなさった。
お使いに取らせた物が、とてもみすぼらしく体裁が悪いとお思いになって、ご機嫌が悪かったので、御前をこっそり退出した。ひどく、ささやき合って笑うのであった。このようにむやみに古風に体裁の悪いところがおありになる振る舞いに、手を焼くのだとお思いになる。気恥ずかしくなる目もとである。
[5-3 源氏の和歌論]
「昔風の歌詠みは、『唐衣』、『袂濡るる』といった恨み言が抜けないですね。自分も、同じですが。まったく一つの型に凝り固まって、当世風の詠み方に変えなさらないのが、ご立派と言えばご立派なものです。人々が集まっている中にいることを、何かの折ふしに、御前などにおける特別の歌を詠む時には『まとゐ』が欠かせぬ三文字なのですよ。昔の恋のやりとりは、『あだ人--』という五文字を、休め所の第三句に置いて、言葉の続き具合が落ち着くような感じがするようです」
などとお笑いになる。
「さまざまな草子や、歌枕に、よく精通し読み尽くして、その中の言葉を取り出しても、詠み馴れた型は、たいして変わらないだろう。
常陸の親王がお書き残しになった紙屋紙の草子を、読んでみなさいと贈ってよこしたことがありました。和歌の規則がたいそうびっしりとあって、歌の病として避けるべきところが多く書いてあったので、もともと苦手としたことで、ますますかえって身動きがとれなく思えたので、わずらわしくて返してしまった。よく内容をご存知の方の詠みぶりとしては、ありふれた歌ですね」
とおっしゃって、おもしろがっていらっしゃる様子、お気の毒なことである。
上は、たいそう真面目になって、
「どうして、お返しになったのですか。書き写して、姫君にもお見せなさるべきでしたのに。私の手もとにも、何かの中にあったのも、虫がみな食ってしまいましたので。まだ見てない人は、やはり特に心得が足りないのです」
とおっしゃる。
「姫君のお勉強には、必要がないでしょう。総じて女性は、何か好きなものを見つけてそれに凝ってしまうことは、体裁のよいものではありません。どのようなことにも、不調法というのも感心しないものです。ただ自分の考えだけは、ふらふらさせずに持っていて、おだやかに振る舞うのが、見た目にも無難というものです」
などとおっしゃって、返歌をしようとはまったくお考えでないので、
「返してしまおう、とあるようなのに、こちらからお返歌なさらないのも、礼儀に外れていましょう」
と、お勧め申し上げなさる。思いやりのあるお心なので、お書きになる。とても気安いふうである。
「お返ししましょうとおっしゃるにつけても
独り寝のあなたをお察しいたします
ごもっともですね」
とあったようである。
23. 初音
光る源氏の太政大臣時代36歳の新春正月の物語
- 春の御殿の紫の上の周辺 年が改まった元日の朝の空の様子
- 明石姫君、実母と和歌を贈答 姫君の御方にお越しになると
- 夏の御殿の花散里を訪問 夏のお住まいを御覧になると
- 続いて玉鬘を訪問 まだたいして住み馴れていらっしゃらない
- 冬の御殿の明石御方に泊まる 暮方になるころに、明石の御方に
- 六条院の正月二日の臨時客 今日は、臨時の客にかこつけて
1 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち
- 二条東院の末摘花を訪問 このように雑踏する馬や車の音をも
- 続いて空蝉を訪問 空蝉の尼君にも、お立ち寄りになった
2 光る源氏の物語 二条東院の女性たちの物語
- 男踏歌、六条院に回り来る 今年は男踏歌がある
- 源氏、踏歌の後宴を計画す 夜がすっかり明けてしまったので
3 光る源氏の物語 男踏歌
1 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち
[1-1 春の御殿の紫の上の周辺]
年が改まった元日の朝の空の様子、一点の曇りもないうららかさには、つまらない者の家でさえ、雪の間の草が若々しく色づき初め、早くも立ちそめた霞の中に、木の芽も萌え出し、自然と人の気持ちものびのびと見えるものである。まして、いっそう玉を敷いた御殿の、庭をはじめとして見所が多く、一段と美しく着飾ったご夫人方の様子は、語り伝えるにも言葉が足りそうにない。
春の御殿のお庭は、特別で、梅の香りも御簾の中の薫物の匂いと吹き混じり合って、この世の極楽浄土と思われる。何といってもゆったりと、落ち着いてお住まいになっていらっしゃる。お仕えしている女房たちも、若くて勝れている者は、姫君の御方にとお選びになって、少し年輩の女房ばかりで、かえって風情があって、装束や様子などをはじめとして、見苦しくなく取り繕って、あちらこちらに寄り合っては、歯固めの祝いをして、鏡餅まで取り加えて、千歳の栄えも明らかな新年の祝い言を唱えて、戯れ合っているところに、大臣の君がお顔出しになったので、懐手を直し直しして、「まあ、恥ずかしいこと」と、きまり悪がっていた。
「とても手抜かりのない自分たちのための祝い言ですね。みなそれぞれ願い事の筋がきっといろいろとあるだろう。少し聞かせてくれよ。わたしが祝って上げよう」
とちょっと笑っていらっしゃるご様子を、年の初めのめでたさとして拝する。自分こそはと自身たっぷりの中将の君は、
「『今からもう見える』などと、鏡餅の姿にもお祝い申し上げておりました。自分の願い事は、何ほどのこともございません」
などと申し上げる。
午前中は人々で混み合って、何となく騒がしかったが、夕方に、御方々への年賀の挨拶をなさろうとして、念入りに身づくろいなさり、お化粧なさったお姿は、まことに目を見張るようである。
「今朝、こちらの女房たちが戯れ合っていたのが、たいそう羨ましく見えたから、紫の上にはわたしがお見せ申し上げよう」
とおっしゃって、ご冗談なども少し交えては、お祝い申し上げなさる。
「薄い氷も解けた池の鏡のような面には
世にまたとない二人の影が並んで映っています」
なるほど、素晴らしいお二人のご夫婦仲である。
「一点の曇りのない池の鏡に幾久しくここに
住んで行くわたしたちの影がはっきりと映っています」
何事につけても、幾久しいご夫婦の縁を、申し分なく詠み交わしなさる。今日は子の日なのであった。なるほど、千歳の春を子の日にかけて祝うには、ふさわしい日である。
[1-2 明石姫君、実母と和歌を贈答]
姫君の御方にお越しになると、童女や、下仕えの女房たちなどが、お庭先の築山の小松を引いて遊んでいる。若い女房たちの気持ちも、じっとしていられないように見える。北の御殿から、特別に用意した幾つもの鬚籠や、破籠などをお差し上げになっていた。素晴らしい五葉の松の枝に移り飛ぶ鴬も、思う子細があるのであろう。
「長い年月を子どもの成長を待ち続けていました
わたしに今日はその初音を聞かせてください
『音を聞かせない里に』」
とお申し上げになったのを、「なるほど、ほんとうに」とお感じになる。縁起でもない涙をも堪えきれない様子である。
「このお返事は、ご自身がお書き申し上げなさい。初便りを惜しむべき方でもありません」
とおっしゃって、御硯を用意なさって、お書かせ申し上げなさる。たいそうかわいらしくて、朝な夕なに拝見する人でさえ、いつまでも見飽きないとお思い申すお姿を、今まで会わせないで年月が過ぎてしまったのも、「罪作りで、気の毒なことであった」とお思いになる。
「別れて何年も経ちましたがわたしは
生みの母君を忘れましょうか」
子供心に思ったとおりに、くどくどと書いてある。
[1-3 夏の御殿の花散里を訪問]
夏のお住まいを御覧になると、その時節ではないせいか、とても静かに見えて、特別に風流なこともなく、品よくお暮らしになっている様子がここかしこに窺える。
年月とともに、ご愛情の隔てもなく、しみじみとしたご夫婦仲である。今では、しいて共寝をするご様子にも、お扱い申し上げなさらないのであった。たいそう仲睦まじく世にまたとないような夫婦の約束程度に、互いに交わし合っていらっしゃる。御几帳を隔てているが、少しお動かしになっても、そのままにしていらっしゃる。
「縹色のお召物は、なるほど、はなやかでない色合いで、お髪などもたいそう盛りを過ぎてしまった。優美でないと、かもじを使ってお手入れをなさっているのだろう。わたし以外の人だったら、愛想づかしをするに違いないご様子を、こうしてお世話することは嬉しく本望なことだ。考えの浅い女と同じように、わたしから離れておしまいになったら」などと、お会いなさる時々には、まずは、「わたしの変わらない愛情も、相手の重々しいご性格をも、嬉しく、理想的だ」
とお考えになった。こまごまと、旧年中のお話などを、親密に申し上げなさって、西の対へお越しになる。
[1-4 続いて玉鬘を訪問]
まだたいして住み馴れていらっしゃらないわりには、あたりの様子も趣味よくして、かわいらしい童女の姿が優美で、女房の数が多く見えて、お部屋の設備も、必要な物ばかりであるが、こまごまとしたお道具類は、十分には揃えていらっしゃらないが、それなりにこざっぱりとお住みになっていらっしゃった。
ご本人も、何と美しいと、見た途端に思われて、山吹襲に一段と引き立っていらっしゃるご器量など、たいそうはなやかで、ここが暗いと思われるところがなく、どこからどこまで輝くように美しく、いつまでも見ていたいほどでいらっしゃる。つらい思いの生活をしていらっしゃった間のあったせいか、髪の裾が少し細くなって、はらりとかかっているのが、いかにもこざっぱりとして、あちらこちらがくっきりとした様子をしていらっしゃるのを、「こうして引き取らなかったら」とお思いになるにつけても、とてもこのままお見過ごしできないであろう。
このように何の隔てもなくお目にかかっていらっしゃるが、やはり考えて見ると、どこか打ち解けにくいところが多く妙な感じなのが、現実のような感じがなさらないので、すっかり打ち解けた態度ではいらっしゃらないのも、たいそう興を惹かれる。
「何年にもなるような気がして、お目にかかるのも気が張らず、長年の希望が叶いましたので、ご遠慮なさらず振る舞って、あちらにもお越しください。幼い初めて琴を習う人もいますので、ご一緒にお稽古なさい。気の許せない、軽はずみな考えを持った人はいない所です」
とお申し上げなさると、
「仰せのとおりにいたしましょう」
とお答えになる。まことに適当なお返事である。
[1-5 冬の御殿の明石御方に泊まる]
暮方になるころに、明石の御方にお越しになる。近くの渡殿の戸を押し開けた途端に、御簾の中から流れてくる風が、優美に吹き漂って、他に比較して格段に気高く感じられる。本人は見えない。どこかしらと御覧になると、硯のまわりが散らかっていて、冊子類などが取り散らかしてあるのを手に取り手に取り御覧になる。唐の東京錦のたいそう立派な縁を縫い付けた敷物に、風雅な琴をちょっと置いて、趣向を凝らした風流な火桶に、侍従香を燻らせて、それぞれの物にたきしめてあるのに、衣被香の香が混じっているのは、たいそう優美である。手習いの反故が無造作に取り散らかしてあるのも、尋常ではなく、教養のある書きぶりである。大仰に草仮名を多く使ってしゃれて書かず、無難にしっとりと書いてある。
姫君のお返事を、珍しいことと感じたあまりに、しみじみとした古歌を書きつけて、
「何と珍しいことか、花の御殿に住んでいる鴬が
谷の古巣を訪ねてくれたとは
その初便りを待っていましたこと」
などとも、
「咲いている岡辺に家があるので」
などと、思い返して心慰めている文句などが書き混ぜてあるのを、手に取って御覧になりながら微笑んでいらっしゃるのは、気がひけるほど立派である。
筆をちょっと濡らして書き戯れていらっしゃるところに、いざり出て来て、そうはいっても自分自身の振る舞いは、慎み深くて、程よい心がけなのを、「やはり、他の女性とは違うな」とお思いになる。白い小袿に、くっきりと映える髪のかかり具合が、少しはらりとする程度に薄くなっていたのも、いっそう優美さが加わって慕わしいので、「新年早々に騒がれることになろうか」と、気にかかるが、こちらにお泊まりになった。「やはり、ご寵愛は格別なのだ」と、他の方々は面白からずお思いになる。
南の御殿では、それ以上にけしからぬと思う女房たちがいる。まだ暁のうちにお帰りになった。そんなに急ぐこともないまだ暗いうちなのに、と思うと、送り出した後も気持ちが落ち着かず、寂しい気がする。
お待ちになっていた方でもまた、何やら面白くないようなお思いでいるにちがいない心の中が、推量されずにはいらっしゃれないので、
「いつになくうたた寝をして、年がいもなく寝込んでしまいましたのを、起こしても下さらないで」
と、ご機嫌をおとりになるのも面白く見える。特にお返事もないので、厄介なことだと、狸寝入りをしながら、日が高くなってからお起きになった。
[1-6 六条院の正月二日の臨時客]
今日は、臨時の客にかこつけて、顔を合わせないようにしていらっしゃる。上達部や、親王たちなどが、例によって、残らず参上なさった。管弦のお遊びがあって、引出物や、禄など、またとなく素晴らしい。大勢お集りの方々が、どなたも人に負けまいと振る舞っていらっしゃる中でも、少しも肩を並べられる方もお見えにならないことよ。一人一人を見れば、才学のある人が多くいらっしゃるころなのだが、御前に出ると圧倒されておしまいになる、困ったことである。ものの数にも入らぬ下人たちでさえ、この院に参上するには、気の配りようが格別なのであった。ましてや若々しい上達部などは、心中に思うところがおありになって、むやみに緊張なさっては、例年よりは格別である。
花の香りを乗せて夕風が、のどやかに吹いて来ると、お庭先の梅が次第にほころび出して、黄昏時なので、楽の音色なども美しく、「この殿」を謡い出した拍子は、たいそうはなやかな感じである。大臣も時々お声を添えなさる「さき草」の末の方は、とても優美で素晴らしく聞こえる。何もかも、お声を添えられる素晴らしさに引き立てられて、花の色も楽の音も格段に映える点が、はっきりと感じられるのであった。
2 光る源氏の物語 二条東院の女性たちの物語
[2-1 二条東院の末摘花を訪問]
このように雑踏する馬や車の音をも、遠く離れてお聞きになる御方々は、極楽浄土の蓮の中の世界で、まだ開かないで待っている心地もこのようなものかと、心穏やかではない様子である。それ以上に、二条東の院に離れていらっしゃる御方々は、年月とともに、所在ない思いばかりが募るが、「世の嫌な思いがない山路」に思いなぞらえて、薄情な方のお心を、何と言ってお咎め申せよう。その他の不安で寂しいことは何もないので、仏道修行の方面の人は、それ以外のことに気を散らさず励み、仮名文字のさまざまの書物の学問に、ご熱心な方は、またその願いどおりになさり、生活面でもしっかりとした基盤があって、まったく希望どおりの生活である。忙しい数日を過ごしてからお越しになった。
常陸宮の御方は、ご身分があるので、気の毒にお思いになって、人目に立派に見えるように、たいそう行き届いたお扱いをなさる。若いころ、盛りに見えた御若髪も、年とともに衰えて行き、それ以上に、滝の淀みに引けをとらない白髪の御横顔などを、気の毒とお思いになると、面と向かって対座なさらない。
柳襲は、なるほど不似合いだと見えるのも、お召しになっている方のせいであろう。光沢のない黒い掻練の、さわさわ音がするほど張った一襲の上に、その織物の袿を着ていらっしゃる、とても寒そうでいたわしい感じである。襲の衣などは、どのようにしたのであろうか。
お鼻の色だけは、霞にも隠れることなく目立っているので、お心にもなくつい嘆息されなさって、わざわざ御几帳を引き直して隔てなさる。かえって、女はそのようにはお思いにならず、今は、このようにやさしく変わらない愛情のほどを、安心に思い気を許してご信頼申していらっしゃるご様子は、いじらしく感じられる。
このような面でも、普通の身分の人とは違って、気の毒で悲しいお身の上の方、とお思いになると、かわいそうで、せめてわたしだけでもと、お心にかけていらっしゃるのも、めったにないことである。お声なども、たいそう寒そうに、ふるえながらお話し申し上げなさる。見かねなさって、
「衣装のことなどを、お世話申し上げる人はございますか。このように気楽なお住まいでは、ひたすらとてもくつろいだ様子で、ふっくらして柔らかくなっているのがよいのです。表面だけを取り繕ったお身なりは、感心しません」
と申し上げなさると、ぎごちなくそれでもお笑いになって、
「醍醐の阿闍梨の君のお世話を致そうと思っても、召し物などを縫うことができずにおります。皮衣まで取られてしまった後は、寒うございます」
と申し上げなさるのは、まったく鼻の赤い兄君だったのである。素直だとはいっても、あまりに構わなさすぎるとお思いになるが、この世では、とても実直で無骨な人になっていらっしゃる。
「皮衣はそれでよい。山伏の蓑代衣にお譲りになってよいでしょう。そうして、この大切にする必要もない白妙の衣は、七枚襲にでも、どうして重ね着なさらないのですか。必要な物がある時々には、忘れていることでもおっしゃってください。もともと愚か者で気がききません性分ですから。まして方々への忙しさに紛れて、ついうっかりしまして」
とおっしゃって、向かいの院の御倉を開けさせなさって、絹や、綾などを差し上げさせなさる。
荒れた所もないが、お住まいにならない所の様子はひっそりとして、お庭先の木立だけがたいそう美しく、紅梅の咲き出した匂いなど、鑑賞する人がいないのをお眺めになって、
「昔の邸の春の梢を訪ねて来てみたら
世にも珍しい紅梅の花が咲いていたことよ」
独り言をおっしゃったが、お聞き知りにはならなかったであろう。
[2-2 続いて空蝉を訪問]
空蝉の尼君にも、お立ち寄りになった。ご大層な様子ではなく、ひっそりと部屋住みのような体にして、仏ばかりに広く場所を差し上げて、勤行している様子がしみじみと感じられて、経や、仏のお飾り、ちょっとしたお水入れの道具なども、風情があり優美で、やはり嗜みがあると見える人柄である。
青鈍の几帳、意匠も面白いのに、すっかり身を隠して、袖口だけが格別なのも心惹かれる感じなので、涙ぐみなさって、
「『松が浦島』は遥か遠くに思って諦めるべきだったのですね。昔からつらいご縁でしたなあ。そうはいってもやはりこの程度の付き合いは、絶えないのでしたね」
などとおっしゃる。尼君も、しみじみとした様子で、
「このようなことでご信頼申し上げていますのも、ご縁は浅くないのだと存じられます」
と申し上げる。
「薄情な仕打ちを何度もなさって、心を惑わしなさった罪の報いなどを、仏に懺悔申し上げるとはお気の毒なことです。ご存じですか。このように素直な者はいないのだと、お気づきになることもありはしないかと思います」
とおっしゃる。「あのあきれた昔のことをお聞きになっていたのだ」と、恥ずかしく、
「このような姿をすっかり御覧になられてしまったことより他に、どのような報いがございましょうか」
と言って、心の底から泣いてしまった。昔よりもいっそうどことなく思慮深く気が引けるようなところがまさって、このような出家の身を守っているのだ、とお思いになると、見放しがたく思わずにはいらっしゃれないが、ちょっとした色めいた冗談も話しかけるべきではないので、普通の昔や今の話をなさって、「せめてこの程度の話相手であってほしいものよ」と、あちらの方を御覧になる。
このようなことで、ご庇護になっている婦人方は多かった。皆一通りお立ち寄りになって、
「お目にかかれない日が続くこともありますが、心の中では忘れていません。ただいつかは死出の別れが来るのが気がかりです。『誰も寿命は分からないものです』」
などと、やさしくおっしゃる。どの人をも、身分相応につけて愛情を持っていらっしゃった。自分こそはと気位高く構えてもよさそうなご身分の方であるが、そのように尊大にはお振る舞いにはならず、場所柄につけ、また相手の身分につけては、どなたにもやさしくいらっしゃるので、ただこのようなお心配りをよりどころとして、多くの婦人方が年月を送っているのであった。
3 光る源氏の物語 男踏歌
[3-1 男踏歌、六条院に回り来る]
今年は男踏歌がある。内裏から朱雀院に参上して、次にこの六条院に参上する。道中が遠かったりなどして、明け方になってしまった。月が曇りなく澄みきって、薄雪が少し降った庭が何ともいえないほど素晴らしいところに、殿上人なども、音楽の名人が多いころなので、笛の音もたいそう美しく吹き鳴らして、殿の御前では特に気を配っていた。御婦人方が御覧に来られるように、前もってお便りがあったので、左右の対の屋、渡殿などに、それぞれお部屋を設けていらっしゃる。
西の対の姫君は、寝殿の南の御方にお越しになって、こちらの姫君とご対面があった。紫の上もご一緒にいらっしゃったので、御几帳だけを隔て置いてご挨拶申し上げなさる。
朱雀院の后宮の御方などを回っていったころに、夜もだんだんと明けていったので、水駅として簡略になさるはずのところを、例年の時よりも、特別に追加して、たいそう派手に饗応させなさる。
白々とした明け方の月夜に、雪はだんだんと降り積もってゆく。松風が木高く吹き下ろして、興ざめしてしまいそうなころに、麹塵の袍が柔らかくなって、白襲の色合いは、何の飾り気も見えない。
插頭の綿は、何の色艶もないものだが、場所柄のせいか風流で、満足に感じられ、寿命も延びるような気がする。
殿の中将の君や、内の大殿の公達は、大勢の中でも一段と勝れて立派に目立っている。
ほのぼのと明けて行くころ、雪が少し散らついて、何となく寒く感じられるころに、「竹河」を謡って寄り添い舞う姿、思いをそそる声々が、絵に描き止められないのが残念である。
御夫人方は、どなたもどなたも負けない袖口が、こぼれ出ている仰々しさ、お召し物の色合いなども、曙の空に、春の錦が姿を現した霞の中かと見渡される。不思議に満足のゆく催し物であった。
一方では、高巾子の憂世離れした様子、寿詞の騒々しい、滑稽なことも、大仰に取り扱って、かえって何ほどの面白いはずの曲節も聞こえなかったのだが。例によって、綿を一同頂戴して退出した。
[3-2 源氏、踏歌の後宴を計画す]
夜がすっかり明けてしまったので、ご夫人方は御殿にお帰りになった。大臣の君、少しお寝みになって、日が高くなってお起きになった。
「中将の君は、弁少将に比べて少しも劣っていないようだったな。不思議と諸道に優れた者たちが出現する時代だ。昔の人は、本格的な学問では優れた人も多かったが、風雅の方面では、最近の人に勝っているわけでもないようだ。中将などは、生真面目な官僚に育てようと思っていて、自分のようなとても風流に偏った融通のなさを真似させまいと思っていたが、やはり心の中は多少の風流心も持っていなければならない。沈着で、真面目な表向きだけでは、けむたいことだろう」
などと言って、たいそうかわいいとお思いになっていた。「万春楽」と、お口ずさみになって、
「ご婦人方がこちらにお集まりになった機会に、どうかして管弦の遊びを催したいものだ。私的な後宴をしよう」
とおっしゃって、弦楽器などが、いくつもの美しい袋に入れて秘蔵なさっていたのを、皆取り出して埃を払って、緩んでいる絃を、調律させたりなどなさる。御婦人方は、たいそう気をつかったりして、緊張をしつくされていることであろう。
24. 胡蝶
光る源氏の太政大臣時代36歳の春3月から4月の物語
- 3月20日頃の春の町の船楽 三月の二十日過ぎのころ
- 船楽、夜もすがら催される 日が暮れるころ、「おうじょう」という楽が
- 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う 夜も明けてしまった。朝ぼらけの鳥の囀りを
- -中宮、春の季の御読経主催す 今日は、中宮の御読経の初日なのであった
- 紫の上と中宮和歌を贈答 お手紙、殿の中将の君から
1 光る源氏の物語 春の町の船楽と季の御読経
- 玉鬘に恋人多く集まる 西の対の御方は、あの踏歌の時のご対面以後は
- 玉鬘へ求婚者たちの恋文 衣更のはなやかに改まったころ
- 源氏、玉鬘の女房に教訓す 右近を呼び出して
- 右近の感想 右近も、ほほ笑みながら拝見して
- 源氏、求婚者たちを批評 「このようにいろいろとご注意申し上げるのも
2 玉鬘の物語 初夏の六条院に求婚者たち多く集まる
- 源氏、玉鬘と和歌を贈答 お庭先の呉竹が、たいそう若々しく伸びてきて
- 源氏、紫の上に玉鬘を語る 殿は、ますますかわいいとお思い申し上げなさる
- 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える 雨が少し降った後の
- 源氏、自制して帰る 雨はやんで、風の音が竹に鳴るころ
- 苦悩する玉鬘 翌朝、お手紙が早々にあった
3 玉鬘の物語 夏の雨と養父の恋慕の物語
1 光る源氏の物語 春の町の船楽と季の御読経
[1-1 3月20日頃の春の町の船楽]
三月の二十日過ぎのころ、春の御殿のお庭先の景色は、例年より殊に盛りを極めて照り映える花の色、鳥の声は、他の町の方々では、まだ盛りを過ぎないのかしらと、珍しく見えもし聞こえもする。築山の木立、中島の辺り、色を増した苔の風情など、若い女房たちがわずかしか見られないのをもどかしく思っているようなので、唐風に仕立てた舟をお造らせになっていたのを、急いで装備させなさって、初めて池に下ろさせなさる日は、雅楽寮の人をお召しになって、舟楽をなさる。親王方、上達部など、大勢参上なさっていた。
中宮は、このころ里邸に下がっていらっしゃる。あの「春を待つお庭は」とお挑み申されたお返事もこのころがよい時期かとお思いになり、大臣の君も、ぜひともこの花の季節を、御覧に入れたいとお思いになりおっしゃるが、よい機会がなくて気軽にお越しになり、花を御鑑賞なさることもできないので、若い女房たちで、きっと喜びそうな人々を舟にお乗せになって、南の池が、こちら側に通じるようにお造らせになっているので、小さい築山を隔ての関に見せているが、その築山の崎から漕いで回って来て、東の釣殿に、こちら方の若い女房たちを集めさせなさる。
龍頭鷁首を、唐風の装飾に仰々しく飾って、楫取りの棹をさす童は、皆角髪を結って、唐土風にして、その大きな池の中に漕ぎ出たので、ほんとうに見知らない外国に来たような気分がして、素晴らしくおもしろいと、見馴れていない女房などは思う。
中島の入江の岩蔭に漕ぎ寄せて眺めると、ちょっとした立石の様子も、まるで絵に描いたようである。あちらこちら霞がたちこめている梢々、錦を張りめぐらしたようで、御前の方は遥々と遠くに望まれて、色濃くなった柳が、枝を垂れている、花も何ともいえない素晴らしい匂いを漂わせている。他では盛りを過ぎた桜も、今を盛りに咲き誇り、渡廊を回るの藤の花の色も、紫濃く咲き初めているのであった。それ以上に池の水に姿を写している山吹、岸から咲きこぼれてまっ盛りである。水鳥たちが、番で離れずに遊びながら、細い枝をくわえて飛びちがっている、鴛鴦が波の綾に紋様を交えているのなど、何かの図案に写し取りたいくらいで、ほんとうに斧の柄も朽ちてしまいそうに面白く思いながら、一日中暮らす。
「風が吹くと波の花までが色を映して見えますが
これが有名な山吹の崎でしょうか」
「春の御殿の池は井手の川瀬まで通じているのでしょうか
岸の山吹が水底にまで咲いて見えますこと」
「蓬莱山まで訪ねて行く必要もありません
この舟の中で不老の名を残しましょう」
「春の日のうららかな中を漕いで行く舟は
棹のしずくも花となって散ります」
などというような、とりとめもない和歌を、思い思いに詠み交わしながら、行く先も帰り路も忘れてしまいそうに、若い女房たちが心を奪われるのも、もっともな池の表面の美しさである。
[1-2 船楽、夜もすがら催される]
日が暮れるころ、「おうじょう」という楽が、たいそう面白く聞こえる中を、残念ながら、釣殿に漕ぎ寄せられて降りた。ここの飾り、たいそう簡略な造りで、優美であって、御方々の若い女房たちが、自分こそは負けまいと心を尽くした装束、器量、花を混ぜた春の錦に劣らないように見渡される。世にも珍しい楽の音をいくつも演奏する。舞人など、特に選ばせなさって。
夜になったので、たいそうまだ飽き足りない心地がして、御前の庭に篝火を燈して、御階のもとの苔の上に、楽人を召して、上達部、親王たちも、皆それぞれの弦楽器や、管楽器などをお得意の演奏をなさる。
音楽の師匠たちで、特に優れた人たちだけが、双調を吹いて、階上で待ち受けて合わせるお琴の調べを、とてもはなやかにかき鳴らして、「安名尊」を合奏なさるほどは、「生きていた甲斐があった」と、何も分からない身分の低い男までも、御門近くにびっしり並んだ馬、牛車の立っている間に混じって、顔に笑みを浮かべて聞いていた。
空の色も、楽の音も、春の調べと、響きあって、格別に優れている違いを、ご一同はお分かりになるであろう。一晩中遊び明かしなさる。返り声に「喜春楽」が加わって、兵部卿宮が、「青柳」を繰り返し美しくお謡いになる。ご主人の大臣もお声を添えなさる。
[1-3 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う]
夜も明けてしまった。朝ぼらけの鳥の囀りを、中宮は築山を隔てて、悔しくお聞きあそばすのであった。いつも春の光がいっぱいに満ちている六条院であるが、思いを寄せる姫君のいないのが残念なことにお思いになる方々もいたが、西の対の姫君、何一つ欠点のないご器量を、大臣の君も、特別に大事にしていらっしゃるご様子など、すっかり世間の評判となって、ご予想どおりに心をお寄せになる人々が多いようである。
自分こそ適任者だと自負なさっている身分の方は、つてを求め求めしては、ほのめかし、口に出して申し上げなさる方もあったが、口には出せずに心中思い焦がれている若い公達などもいるのであろう。その中で、事情を知らないで、内の大殿の中将などは、思いを寄せてしまったようである。
兵部卿宮は宮で、長年お連れ添いになった北の方もお亡くなりになって、ここ三年ばかり独身で淋しがっていらっしゃったので、気兼ねなく今は求婚なさる。
今朝も、とてもひどく酔ったふりをして、藤の花を冠に挿して、しなやかに振る舞っていらっしゃるご様子、まこと優雅である。大臣も、お考えになっていたとおりになったと、心の底ではお思いになるが、しいて知らない顔をなさる。
ご酒宴の折に、ひどく苦しそうになさって、
「内心思うことがございませんでしたら、逃げ出したいところでございます。とてもたまりません」
とお杯をご辞退なさる。
「ゆかりのある方に思いを懸けていますので
淵に身を投げても名誉は惜しくもありません」
と詠んで、大臣の君に、同じ藤の插頭を差し上げなさる。とてもたいそうほほ笑みなさって、
「淵に身を投げるだけの価値があるかどうか
この春の花の近くを離れないでよく御覧なさい」
と無理にお引き止めなさるので、お帰りになることもできないで、今朝の御遊びは、いっそう面白くなる。
[1-4 中宮、春の季の御読経主催す]
今日は、中宮の御読経の初日なのであった。そのままお帰りにならず、めいめい休息所をとって、昼のご装束にお召し替えになる方々も多くいた。都合のある方は、退出などもなさる。
午の刻ころに、皆あちらの町に参上なさる。大臣の君をお始めとして、皆席にずらりとお着きになる。殿上人なども、残らず参上なさる。多くは、大臣のご威勢に助けられなさって、高貴で、堂々とした立派な御法会の様子である。
春の上からの供養のお志として、仏に花を供えさせなさる。鳥と蝶とにし分けた童女八人は、器量などを特にお揃えさせなさって、鳥には、銀の花瓶に桜を挿し、蝶には、黄金の瓶に山吹を、同じ花でも房がたいそうで、世にまたとないような色艶のものばかりを選ばせなさった。
南の御前の山際から漕ぎ出して、庭先に出るころ、風が吹いて、瓶の桜が少し散り交う。まことにうららかに晴れて、霞の間から現れ出たのは、とても素晴らしく優美に見える。わざわざ平張なども移させず、御殿に続いている渡廊を、楽屋のようにして、臨時に胡床をいくつも用意した。
童女たちが、御階の側に寄って、幾種もの花を奉る。行香の人々が取り次いで、閼伽棚にお加えさせになる。
[1-5 紫の上と中宮和歌を贈答]
お手紙、殿の中将の君から差し上げさせなさった。
「花園の胡蝶までを下草に隠れて
秋を待っている松虫はつまらないと思うのでしょうか」
中宮は、「あの紅葉の歌のお返事だわ」と、ほほ笑んで御覧あそばす。昨日の女房たちも、
「なるほど、春の美しさは、とてもお負かせになれないわ」
と、花にうっとりして口々に申し上げていた。鴬のうららかな声に、「鳥の楽」がはなやかに響きわたって、池の水鳥もあちこちとなく囀りわたっているうちに、「急」になって終わる時、名残惜しく面白い。「蝶の楽」は、「鳥の楽」以上にひらひらと舞い上がって、山吹の籬のもとに咲きこぼれている花の蔭から舞い出る。
中宮の亮をはじめとして、しかるべき殿上人たちが、禄を取り次いで、童女に賜る。鳥には桜襲の細長、蝶には山吹襲の細長を賜る。前々から準備してあったかのようである。楽の師匠たちには、白の一襲、巻絹などを、身分に応じて賜る。中将の君には、藤襲の細長を添えて、女装束をお与えになる。お返事は、
「昨日は声を上げて泣いてしまいそうでした。
胡蝶にもつい誘われたいくらいでした
八重山吹の隔てがありませんでしたら」
とあったのだ。優れた経験豊かなお二方に、このような論争は荷がかち過ぎたのであろうか、想像したほどに見えないお詠みぶりのようである。
そうそう、あの見物の女房たちで、宮付きの人々には、皆結構な贈り物をいろいろとお遣わしになった。そのようなことは、こまごまとしたことなので厄介である。
朝に夕につけ、このようなちょっとしたお遊びも多く、ご満足にお過ごしになっているので、仕えている女房たちも、自然と憂いがないような気持ちがして、あちらとこちらとお互いにお手紙のやりとりをなさっている。
2 玉鬘の物語 初夏の六条院に求婚者たち多く集まる
[2-1 玉鬘に恋人多く集まる]
西の対の御方は、あの踏歌の時のご対面以後は、こちらともお手紙を取り交わしなさる。深いお心用意という点では、浅いとかどうかという欠点もあるかも知れないが、態度がとてもしっかりしていて、親しみやすい性格に見えて、気のおけるようなところもおありでない性格の方なので、どの御方におかれても皆好意をお寄せ申し上げていらっしゃる。
言い寄るお方も大勢いらっしゃる。けれども、大臣は、簡単にはお決めになれそうにもなく、ご自身でもちゃんと父親らしく通すことができないようなお気持ちもあるのだろうか、「実の父大臣にも知らせてしまおうかしら」などと、お考えになる時々もある。
殿の中将は、少しお側近く、御簾の側などにも寄って、お返事をご自身でなさったりするのを、女は恥ずかしくお思いになるが、しかるべきお間柄と女房たちも存じ上げているので、中将はきまじめで思いもかけない。
内の大殿の公達は、この中将の君にくっついて、何かと意中をほのめかし、切ない思いにうろうろするが、そうした恋心の気持ちでなく、内心つらく、「実の親に子供だと知って戴きたいものだ」と、人知れず思い続けていらっしゃるが、そのようにはちょっとでもお申し上げにならず、ひたすらご信頼申し上げていらっしゃる心づかいなど、かわいらしく若々しい。似ているというのではないが、やはり母君の感じにとてもよく似ていて、こちらは才気が加わっていた。
[2-2 玉鬘へ求婚者たちの恋文]
衣更のはなやかに改まったころ、空の様子などまでが、不思議とどことなく趣があって、のんびりとしていらっしゃるので、あれこれの音楽のお遊びを催してお過ごしになっていると、対の御方に、人々の懸想文が多くなって行くのを、「思っていた通りだ」と面白くお思いになって、何かというとお越しになっては御覧になって、しかるべき相手にはお返事をお勧め申し上げなさったりなどするのを、気づまりなつらいこととお思いになっている。
兵部卿宮が、まだ間もないのに恋い焦がれているような怨み言を書き綴っていらっしゃるお手紙をお見つけになって、にこやかにお笑いになる。
「子供のころから分け隔てなく、大勢の親王たちの中で、この君とは、特に互いに親密に思ってきたのだが、ただこのような恋愛の事だけは、ひどく隠し通してきてしまったのだが、この年になって、このような風流な心を見るのが、面白くもあり感に耐えないことでもあるよ。やはり、お返事など差し上げなさい。少しでもわきまえのあるような女性で、あの親王以外に、また歌のやりとりのできる人がいるとは思えません。とても優雅なところのあるお人柄ですよ」
と、若い女性は夢中になってしまいそうにお聞かせになるが、恥ずかしがってばかりいらっしゃった。
右大将で、たいそう実直で、ものものしい態度をした人が、「恋の山路では孔子も転ぶ」の真似でもしそうな様子に嘆願しているのも、そのような人の恋として面白いと、全部をご比較なさる中で、唐の縹の紙で、とてもやさしく、深くしみ込んで匂っているのを、とても細く小さく結んだのがある。
「これは、どういう理由で、このように結んだままなのですか」
と言って、お開きになった。筆跡はとても見事で、
「こんなに恋い焦がれていてもあなたはご存知ないでしょうね
湧きかえって岩間から溢れる水には色がありませんから」
書き方も当世風でしゃれていた。
「これはどうした文なのですか」
とお尋ねになったが、はっきりとはお答えにならない。
[2-3 源氏、玉鬘の女房に教訓す]
右近を呼び出して、
「このように手紙を差し上げる方を、よく人選して、返事などさせなさい。浮気で軽薄な新しがりやな女が、不都合なことをしでかすのは、男の罪とも言えないのだ。
自分の経験から言っても、ああ何と薄情な、恨めしいと、その時は、情趣を解さない女なのか、もしくは身の程をわきまえない生意気な女だと思ったが、特に深い思いではなく、花や蝶に寄せての便りには、男を悔しがらせるように返事をしないのは、かえって熱心にさせるものです。また、それで男の方がそのまま忘れてしまうのは、女に何の罪がありましょうか。
何かの折にふと思いついたようないいかげんな恋文に、すばやく返事をするものと心得ているのも、そうしなくてもよいことで、後々に難を招く種となるものです。総じて、女が遠慮せず、気持ちのままに、ものの情趣を分かったような顔をして、興あることを知っているというのも、その結果よからぬことに終わるものですが、宮や、大将は、見境なくいいかげんなことをおっしゃるような方ではないし、また、あまり情を解さないようなのも、あなたに相応しくないことです。
この方々より下の人には、相手の熱心さの度合に応じて、愛情のほどを判断しなさい。熱意のほどをも考えなさい」
などと申し上げなさるので、姫君は横を向いていらっしゃる、その横顔がとても美しい。撫子の細長に、この季節の花の色の御小袿、色合いが親しみやすく現代的で、物腰などもそうはいっても、田舎くさいところが残っていたころは、ただ素朴で、おっとりとしたふうにばかりお見えであったが、御方々の有様を見てお分かりになっていくにつれて、とても姿つきもよく、しとやかに、化粧なども気をつけてなさっているので、ますます足らないところもなく、はなやかでかわいらしげである。他人の妻とするのは、まことに残念に思わずにはいらっしゃれない。
[2-4 右近の感想]
右近も、ほほ笑みながら拝見して、「親と申し上げるには、似合わない若くていらっしゃるようだ。ご夫婦でいらっしゃったほうが、お似合いで素晴しろう」と、思っていた。
「けっして殿方のお手紙などは、お取り次ぎ申したことはございません。以前からご存知で御覧になった三、四通の手紙は、突き返して、失礼申し上げてもどうかと思って、お手紙だけは受け取ったりなど致しておりますようですが、お返事は一向に。お勧めあそばす時だけでございます。それだけでさえ、つらいことに思っていらっしゃいます」
と申し上げる。
「ところで、この若々しく結んであるのは誰のだ。たいそう綿々と書いてあるようだな」
と、にっこりして御覧になると、
「あれは、しつこく言って置いて帰ったものです。内の大殿の中将が、ここに仕えているみるこを、以前からご存知だった、その伝てでことずかったのでございます。また他には目を止めるような人はございませんでした」
と申し上げると、
「たいそうかわいらしいことだな。身分が低くとも、あの人たちを、どうしてそのように失礼な目に遭わせることができようか。公卿といっても、この人の声望に、必ずしも匹敵するとは限らない人が多いのだ。そうした人の中でも、たいそう沈着な人である。いつかは分かる時が来よう。はっきり言わずに、ごまかしておこう。見事な手紙であるよ」
などと、すぐには下にお置きにならない。
[2-5 源氏、求婚者たちを批評]
「このようにいろいろとご注意申し上げるのも、ご不快にお思いになることもあろうかと、気がかりですが、あの大臣に知っていただかれなさることも、まだ世間知らずで何の後楯もないままに、長年離れていた兄弟のお仲間入りをなさることは、どうかといろいろと思案しているのです。やはり世間の人が落ち着くようなところに落ち着けば、人並みの境遇で、しかるべき機会もおありだろうと思っていますよ。
宮は、独身でいらっしゃるようですが、人柄はたいそう浮気っぽくて、お通いになっている所が多いというし、召人とかいう憎らしそうな名の者が、数多くいるということです。
そのようなことは、憎く思わず大目に見過されるような人なら、とてもよく穏便にすますでしょう。少し心に嫉妬の癖があっては、夫に飽きられてしまうことが、やがて生じて来ましょうから、そのお心づかいが大切です。
大将は、長年連れ添った北の方が、ひどく年を取ったのに、嫌気がさしてと求婚しているということですが、それも回りの人々が面倒なことだと思っているようです。それも当然なことなので、それぞれに、人知れず思い定めかねております。
このような問題は、親などにも、はっきりと、自分の考えはこうこうだといって、話し出しにくいことであるが、それ程のお年でもない。今は、何事でもご自分で判断がおできになれましょう。わたしを、亡くなった方と同様に思って、母君とお思いになって下さい。お気持に添わないことは、お気の毒で」
などと、たいそう真面目にお申し上げになるので、困ってしまって、お返事申し上げようというお気持ちにもなれない。あまり子供っぽいのも愛嬌がないと思われて、
「何の分別もなかったころから、親などは知らない生活をしてまいりましたので、どのように思案してよいものか考えようがございません」
と、お答えなさる様子がとてもおおようなので、なるほどとお思いになって、
「それならば世間が俗にいう、後の養父をそれとお思いになって、並々ならぬ厚志のほどを、最後までお見届け下さいませんでしょうか」
などと、こまごまとお話になる。心の底にお思いになることは、きまりが悪いので、口にはお出しにならない。意味ありげな言葉は時々おっしゃるが、気づかない様子なので、わけもなく嘆息されてお帰りになる。
3 玉鬘の物語 夏の雨と養父の恋慕の物語
[3-1 源氏、玉鬘と和歌を贈答]
お庭先の呉竹が、たいそう若々しく伸びてきて、風になびく様子が愛らしいので、お立ち止まりになって、
「邸の奥で大切に育てた娘も
それぞれ結婚して出て行くわけか
思えば恨めしいことだ」
と、御簾を引き上げて申し上げなさると、膝行して出て来て、
「今さらどんな場合にわたしの
実の親を探したりしましょうか
かえって困りますことでしょう」
とお答えなさるのを、たいそういじらしいとお思いになった。実のところ、心中ではそうは思っていないのである。どのような機会におっしゃって下さるのだろうかと、気がかりで胸の痛くなる思いでいたが、この大臣のお心のとても並々でないのを、
「実の親と申し上げても、小さい時からお側にいなかった者は、とてもこんなにまで心をかけて下さらないのでは」
と、昔物語をお読みになっても、だんだんと人の様子や、世間の有様がお分かりになって来ると、たいそう気がねして、自分から進んで実の親に知っていただくことは難しいだろう、とお思いになる。
[3-2 源氏、紫の上に玉鬘を語る]
殿は、ますますかわいいとお思い申し上げなさる。上にもお話し申し上げなさる。
「不思議に人の心を惹きつける人柄であるよ。あの亡くなった人は、あまりにも気がはれるところがなかった。この君は、ものの道理もよく理解できて、人なつこい性格もあって、心配なく思われます」
などと、お褒めになる。ただではすみそうにないお癖をご存知でいらっしゃるので、思い当たりなさって、
「分別がおありでいらっしゃるらしいのに、すっかり気を許して、ご信頼申し上げていらっしゃるというのは、気の毒ですわ」
とおっしゃると、
「どうして、頼りにならないことがありましょうか」
とお答えなさるので、
「さあどうでしょうか、わたしでさえも、堪えきれずに、悩んだ折々があったお心が、思い出される節々がないではございませんでした」
と、微笑して申し上げなさると、「まあ、察しの早いことよ」と思われなさって、
「嫌なことを邪推なさいますなあ。とても気づかずにはいない人ですよ」
と言って、厄介なので、言いさしなさって、心の中で、「上がこのように推量なさるのも、どうしたらよいものだろうか」とお悩みになり、また一方では、道に外れたよからぬ自分の心の程も、お分かりになるのであった。
気にかかるままに、頻繁にお越しになってはお目にかかりなさる。
[3-3 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える]
雨が少し降った後の、とてもしっとりした夕方、お庭先の若い楓や、柏木などが、青々と茂っているのが、何となく気持ちよさそうな空をお覗きになって、
「和して且た清し」
とお口ずさみなさって、まずは、この姫君のご様子の、つややかな美しさをお思い出しになられて、いつものように、ひっそりとお越しになった。
手習いなどをして、くつろいでいらっしゃったが、起き上がりなさって、恥ずかしがっていらっしゃる顔の色の具合、とても美しい。物柔らかな感じが、ふと昔の母君を思い出さずにはいらっしゃれないのも、堪えきれなくて、
「初めてお会いした時は、とてもこんなにも似ていらっしゃるまいと思っていましたが、不思議と、まるでその人かと間違えられる時々が何度もありました。感慨無量です。中将が、少しも昔の母君の美しさに似ていないのに見慣れて、そんなにも親子は似ないものと思っていたが、このような方もいらっしゃったのですね」
とおっしゃって、涙ぐんでいらっしゃった。箱の蓋にある果物の中に、橘の実があるのをいじりながら、
「あなたを昔懐かしい母君と比べてみますと
とても別の人とは思われません
いつになっても心の中から忘れられないので、慰めることなくて過ごしてきた歳月だが、こうしてお世話できるのは夢かとばかり思ってみますが、やはり堪えることができません。お嫌いにならないでくださいよ」
と言って、お手を握りなさるので、女は、このようなことに経験がおありではなかったので、とても不愉快に思われたが、おっとりとした態度でいらっしゃる。
「懐かしい母君とそっくりだと思っていただくと
わたしの身までが同じようにはかなくなってしまうかも知れません」
困ったと思ってうつ伏していらっしゃる姿、たいそう魅力的で、手つきのふっくらと肥っていらっしゃって、からだつき、肌つきがきめこまやかでかわいらしいので、かえって物思いの種になりそうな心地がなさって、今日は少し思っている気持ちをお耳に入れなさった。
女は、つらくて、どうしようかしらと思われて、ぶるぶる震えている様子もはっきり分かるが、
「どうして、そんなにお嫌いになるのですか。うまくうわべをつくろって、誰にも非難されないように配慮しているのですよ。何でもないようにお振る舞いなさい。いいかげんにはお思い申していません思いの上に、さらに新たな思いが加わりそうなので、世に類のないような心地がしますのに、この懸想文を差し上げる人々よりも、軽くお見下しになってよいものでしょうか。とてもこんなに深い愛情がある人は、世間にはいないはずなので、気がかりでなりません」
とおっしゃる。実にさしでがましい親心である。
[3-4 源氏、自制して帰る]
雨はやんで、風の音が竹に鳴るころ、ぱあっと明るく照らし出した月の光、美しい夜の様子もしっとりとした感じなので、女房たちは、こまやかなお語らいに遠慮して、お近くには伺候していない。
いつもお目にかかっていらっしゃるお二方であるが、このようによい機会はめったにないので、言葉にお出しになったついでの、抑えきれないお思いからであろうか、柔らかいお召し物のきぬずれの音は、とても上手にごまかしてお脱ぎになって、お側に臥せりなさるので、とてもつらくて、女房の思うことも奇妙に、たまらなく思われる。
「実の親のもとであったならば、冷たくお扱いになろうとも、このようなつらいことはあろうか」と悲しくなって、隠そうとしても涙がこぼれ出しこぼれ出し、とても気の毒な様子なので、
「そのようにお嫌がりになるのがつらいのです。全然見知らない男性でさえ、男女の仲の道理として、みな身を任せるもののようですのに、このように年月を過ごして来た仲の睦まじさから、この程度のことを致すのに、何と嫌なことがありましょうか。これ以上の無体な気持ちは、けっして致しません。一方ならぬ堪えても堪えきれない気持ちを、晴らすだけなのですよ」
と言って、しみじみとやさしくお話し申し上げなさることが多かった。まして、このような時の気持ちは、まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である。
ご自分ながらも、「だしぬけで軽率なこと」と思わずにはいらっしゃれないので、まことによく反省なさっては、女房も変に思うにちがいないので、ひどく夜を更かさないでお帰りになった。
「お厭いなら、とてもつらいことでしょう。他の人は、こんなに夢中にはなりませんよ。限りなく、底深い愛情なので、人が変に思うようなことはけっしてしません。ただ亡き母君が恋しく思われる気持ちの慰めに、ちょとしたことでもお話し申したい。そのおつもりでお返事などをして下さい」
と、たいそう情愛深く申し上げなさるが、度を失ったような状態で、とてもとてもつらいとお思いになっていたので、
「とてもそれ程までとは存じませんでしたお気持ちを、これはまたこんなにもお憎みのようですね」
と嘆息なさって、
「けっして、人に気づかれないように」
とおっしゃって、お帰りになった。
女君も、お年こそはおとりになっていらっしゃるが、男女の仲をご存知でない人の中でも、いくらかでも男女の仲を経験したような人の様子さえご存知ないので、これより親しくなるようなことはお思いにもならず、「まったく思ってもみない運命の身の上であるよ」と、嘆いていると、とても気分も悪いので、女房たち、ご気分が悪そうでいらっしゃると、お困り申している。
「殿のお心づかいが、行き届いて、もったいなくもいらっしゃいますこと。実のお父上でいらっしゃっても、まったくこれ程までお気づきなさらないことはなく、至れり尽くせりお世話なさることはありますまい」
などと、兵部なども、そっと申し上げるにつけても、ますます心外で、不愉快なお心の程を、すっかり疎ましくお思いなさるにつけても、わが身の上が情けなく思われるのであった。
[3-5 苦悩する玉鬘]
翌朝、お手紙が早々にあった。気分が悪くて臥せっていらっしゃったが、女房たちがお硯などを差し上げて、「お返事を早く」とご催促申し上げるので、しぶしぶと御覧になる。白い紙で、表面は穏やかに、生真面目で、とても立派にお書きになってあった。
「またとないご様子は、つらくもまた忘れ難くて。どのように女房たちはお思い申したでしょう。
気を許しあって共寝をしたのでもないのに
どうしてあなたは意味ありげな顔をして思い悩んでいらっしゃるのでしょう
子供っぽくいらっしゃいますよ」
と、それでも親めいたお言葉づかいも、とても憎らしいと御覧になって、お返事を差し上げないようなのも、傍目に不審がろうから、厚ぼったい陸奥紙に、ただ、
「頂戴致しました。気分が悪うございますので、お返事は失礼致します」
とだけあったので、「こういうやりかたは、さすがにしっかりしたものだ」とにっこりして、口説きがいのある気持ちがなさるのも、困ったお心であるよ。
いったん口に出してしまった後は、「太田の松のように」と思わせることもなく、うるさく申し上げなさることが多いので、ますます身の置き所のない感じがして、どうしてよいか分からない物思いの種となって、ほんとうに気を病むまでにおなりになる。
こうして、真相を知っている人は少なくて、他人も身内も、まったく実の親のようにお思い申し上げているので、
「こんな事情が少しでも世間に漏れたら、ひどく世間の物笑いになり、情けない評判が立つだろうな。父大臣などがお尋ね当てて下さっても、親身な気持ちで扱っても下さるまいだろうから、他人が思う以上に浮ついたようだと、待ち受けてお思いになるだろうこと」
と、いろいろと心配になりお悩みになる。
宮、大将などは、殿のご意向が、相手にしていなくはないと伝え聞きなさって、とても熱心に求婚申し上げなさる。あの岩漏る中将も、大臣がお認めになっていると、小耳にはさんで、ほんとうの事を知らないで、ただ一途に嬉しくなって、身を入れて熱心に恋の恨みを訴え申してうろうろしているようである。
25. 蛍
光る源氏の太政大臣時代36歳の5月雨期の物語
- 玉鬘、養父の恋に悩む 今はこのように重々しい身分ゆえに
- 兵部卿宮、六条院に来訪 兵部卿宮などは、真剣になって
- 玉鬘、夕闇時に母屋の端に出る 夕闇のころが過ぎて、はっきりしない空模様も
- 源氏、宮に蛍を放って玉鬘の姿を見せる 何やかやと長口舌にお返事を
- 兵部卿宮、玉鬘にますます執心す 宮は、姫のいらっしゃる所を
- 源氏、玉鬘への恋慕の情を自制す 姫君は、このようなうわべは親のようにつくろうご様子を
1 玉鬘の物語 蛍の光によって姿を見られる
- 5月5日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問 五日には、馬場殿にお出ましに
- 六条院馬場殿の騎射 殿は、東の御方にもお立ち寄りに
- 源氏、花散里のもとに泊まる 大臣は、こちらでお寝みになった
2 光る源氏の物語 夏の町の物語
- 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中 長雨が例年よりもひどく降って
- 源氏、玉鬘に物語について論じる 「誰それの話といって、事実どおりに
- 源氏、紫の上に物語について述べる 紫の上も、姫君のご注文にかこつけて
- 源氏、子息夕霧を思う 中将の君を、こちらにはお近づけ申さないように
- 内大臣、娘たちを思う 内大臣は、お子様方が夫人たちに大勢いたが
3 光る源氏の物語 光る源氏の物語論
1 玉鬘の物語 蛍の光によって姿を見られる
[1-1 玉鬘、養父の恋に悩む]
今はこのように重々しい身分ゆえに、何事にももの静かに落ち着いていらっしゃるご様子なので、ご信頼申し上げていらっしゃる方々は、それぞれ身分に応じて、皆思いどおりに落ち着いて、不安もなく、理想的にお過ごしになっている。
対の姫君だけは、気の毒に、思いもしなかった悩みが加わって、どうしようかしらと困っていらしゃるようである。あの監が嫌だった様子とは比べものにならないが、このようなことで、夢にも回りの人々がお気づき申すはずのないことなので、自分の胸一つをお痛めになりながら、「変なことで嫌らしい」とお思い申し上げなさる。
どのようなことでもご分別のついているお年頃なので、あれやこれやとお考え合わせになっては、母君がお亡くなりになった無念さを、改めて惜しく悲しく思い出される。
大臣も、お口にいったんお出しになってからは、かえって苦しくお思いになるが、人目を遠慮なさっては、ちょっとした言葉もお話しかけになれず、苦しくお思いになるので、頻繁にお越しになっては、お側に女房などもいなくて、のんびりとした時には、穏やかならぬ言い寄りをなさるたびごとに、胸を痛め痛めしては、はっきりとお拒み申し上げることができないので、ただ素知らぬふりをしてお相手申し上げていらっしゃる。
人柄が明朗で、人なつこくいらっしゃるので、とてもまじめぶって、用心していらっしゃるが、やはりかわいらしく魅力的な感じばかりが目立っていらっしゃる。
[1-2 兵部卿宮、六条院に来訪]
兵部卿宮などは、真剣になってお申し込みなさる。お骨折りの日数はそれほどたってないのに、五月雨になってしまった苦情を訴えなさって、
「もう少しお側近くに上がることだけでもお許し下さるならば、思っていることも、少しは晴らしたいものですね」
と、申し上げになさるのを、殿が御覧になって、
「何のかまうことがあろうか。この公達が言い寄られるのは、きっと風情があろう。そっけないお扱いをなさるな。お返事は、時々差し上げなさい」
とおっしゃって、教えてお書かせ申し上げなさるが、ますます不愉快なことに思われなさるので、「気分が悪い」と言って、お書きにならない。
女房たちも、特に家柄がよく声望の高い者などもほとんどいない。ただ一人、母君の叔父君であった、宰相程度の人の娘で、嗜みなどさほど悪くはなく、世に落ちぶれていたのを、探し出されたのが、宰相の君と言って、筆跡などもまあまあに書いて、だいたいがしっかりした人なので、しかるべき折々のお返事などをお書かせになっていたのを、召し出して、文言などをおっしゃって、お書かせになる。
お口説きになる様子を御覧になりたいのであろう。
ご本人は、こうした心配事が起こってから後は、この宮などには、しみじみと情のこもったお手紙を差し上げなさる時は、少し心をとめて御覧になる時もあるのだった。特に関心があるというのではないが、「このようなつらい殿のお振る舞いを見ないですむ方法がないものか」と、さすがに女らしい風情がまじる思いにもなるのだった。
殿は、勝手に心ときめかしなさって、宮をお待ち申し上げていらっしゃるのもご存知なくて、まあまあのお返事があるのを珍しく思って、たいそうこっそりといらっしゃった。
妻戸の間にお敷物を差し上げて、御几帳だけを間に隔てとした近い場所である。
とてもたいそう気を配って、空薫物を奥ゆかしく匂わして、世話をやいていらっしゃる様子、親心ではなくて、手に負えないおせっかい者の、それでも親身なお扱いとお見えになる。宰相の君なども、お返事をお取り次ぎ申し上げることなども分からず、恥ずかしがっているのを、「引っ込み思案だ」と、おつねりになるので、まこと困りきっている。
[1-3 玉鬘、夕闇時に母屋の端に出る]
夕闇のころが過ぎて、はっきりしない空模様も曇りがちで、物思わしげな宮のご様子も、とても優美である。内側からほのかに吹いてくる追い風も、さらに優れた殿のお香の匂いが添わっているので、とても深く薫り満ちて、予想なさっていた以上に素晴らしいご様子に、お心を惹かれなさるのだった。
お口に出して、思っている心の中をおっしゃり続けるお言葉は、落ち着いていて、一途な好き心からではなく、とても態度が格別である。大臣は、とても素晴らしいと、ほのかに聞いていらっしゃる。
姫君は、東面の部屋に引っ込んでお寝みになっていらしたのを、宰相の君が宮のお言葉を伝えに、いざり入って行く後についていって、
「とてもあまりに暑苦しいご応対ぶりです。何事も、その場に応じて振る舞うのがよろしいのです。むやみに子供っぽくなさってよいお年頃でもありません。この宮たちまでを、よそよそしい取り次ぎでお話し申し上げなさってはいけません。お返事をしぶりなさるとも、せめてもう少しお近くで」
などと、ご忠告申し上げなさるが、とても困って、注意するのにかこつけて中に入っておいでになりかねないお方なので、どちらにしても身の置き所もないので、そっとにじり出て、母屋との境にある御几帳の側に横になっていらっしゃった。
[1-4 源氏、宮に蛍を放って玉鬘の姿を見せる]
何やかやと長口舌にお返事を申し上げなさることもなく、ためらっていらっしゃるところに、お近づきになって、御几帳の帷子を一枚お上げになるのに併せて、ぱっと光るものが。紙燭を差し出したのかと驚いた。
螢を薄い物に、この夕方たいそうたくさん包んでおいて、光を隠していらっしゃったのを、何気なく、何かと身辺のお世話をするようにして。
急にこのように明るく光ったので、驚きあきれて、扇をかざした横顔、とても美しい様子である。
「驚くほどの光がさしたら、宮もきっとお覗きになるだろう。自分の娘だとお考えになるだけのことで、こうまで熱心にご求婚なさるようだ。人柄や器量など、ほんとうにこんなにまで整っているとは、さぞお思いでなかろう。夢中になってしまうに違いないお心を、悩ましてやろう」
と、企んであれこれなさるのだった。ほんとうの自分の娘ならば、このようなことをして、大騷ぎをなさるまいに、困ったお心であるよ。
別の戸口から、そっと抜け出て、行っておしまいになった。
[1-5 兵部卿宮、玉鬘にますます執心す]
宮は、姫のいらっしゃる所を、あの辺だと推量なさるが、割に近い感じがするので、つい胸がどきどきなさって、なんとも言えないほど素晴らしい羅の帷子の隙間からお覗きになると、柱一間ほど隔てた見通しの所に、このように思いがけない光がちらつくのを、美しいと御覧になる。
間もなく見えないように取り隠した。けれどもほのかな光は、風流な恋のきっかけにもなりそうに見える。かすかであるが、すらりとした身を横にしていらっしゃる姿が美しかったのを、心残りにお思いになって、なるほど、この趣向はお心に深くとまったのであった。
「鳴く声も聞こえない螢の火でさえ
人が消そうとして消えるものでしょうか
ご存知いただけたでしょうか」
と申し上げなさる。このような場合のお返事を、思案し過ぎるのも素直でないので、早いだけを取柄に。
「声には出さずひたすら身を焦がしている螢の方が
口に出すよりもっと深い思いでいるでしょう」
などと、さりげなくお答え申して、ご自身はお入りになってしまったので、とても疎々しくおあしらいなさるつらさを、ひどくお恨み申し上げなさる。
好色がましいようなので、そのまま夜をお明かしにならず、軒の雫も苦しいので、濡れながらまだ暗いうちにお出になった。ほととぎすなどもきっと鳴いたことであろう。わずらわしいので耳も留めなかった。
「ご様子などの優美さは、とてもよく大臣の君にお似申していらっしゃる」と、女房たちもお褒め申し上げるのであった。昨夜、すっかり母親のようにお世話やきなさったご様子を、内情は知らないで、「しみじみとありがたい」と女房一同は言う。
[1-6 源氏、玉鬘への恋慕の情を自制す]
姫君は、このようなうわべは親のようにつくろうご様子を、
「自分自身の不運なのだ。親などに娘と知っていただき、人並みに大切にされた状態で、このようなご寵愛をいただくのなら、どうしてひどく不似合いということがあろうか。普通ではない境遇は、しまいには世の語り草となるのではないかしら」
と、寝ても起きてもお悩みになる。一方では、「ほんとに世間にありふれたような悪い扱いにしてしまうまい」と、大臣はお思いになるのだった。が、やはり、そのような困ったご性癖があるので、中宮などにも、とてもきれいにお思い申し上げていられようか、何かにつけては、穏やかならぬ申しようで気を引いてみたりなどなさるが、高貴なご身分で、及びもつかない事面倒なので、身を入れてお口説き申すことはなさらないが、この姫君は、お人柄も、親しみやすく現代的なので、つい気持ちが抑えがたくて、時々、人が拝見したらきっと疑いを持たれるにちがいないお振る舞いなどは、あることはあるが、他人が真似のできないくらいよく思い返し思い返しては、危なっかしい仲なのであった。
2 光る源氏の物語 夏の町の物語
[2-1 5月5日端午の節句、源氏、玉鬘を訪問]
五日には、馬場殿にお出ましになった機会に、お越しになった。
「どうでしたか。宮は夜更けまでいらっしゃいましたか。あまりお近づけ申さないように。やっかいなお癖がおありの方ですよ。女の心を傷つけたり、何かの間違いをしないような男は、めったにいないものですよ」
などと、誉めたりけなしたりしながら注意していらっしゃるご様子は、どこまでも若々しく美しくお見えになる。光沢も色彩もこぼれるほどの御衣に、お直衣が無造作に重ね着されている色合いも、どこに普通と違う美しさがあるのであろうか、この世の人が染め出したものとも見えず、普通の直衣の色模様も、今日は特に珍しく見事に見え、素晴らしく思われる薫りなども、「物思いがなければ、どんなに素晴らしく思われるにちがいないお姿だろう」と姫君はお思いになる。
宮からお手紙がある。白い薄様で、ご筆跡はとても優雅にお書きになっていらっしゃる。見ていた時には素晴らしかったが、こう口にすると、たいしたことはないものだ。
「今日までも引く人もない水の中に隠れて生えている菖蒲の根のように
相手にされないわたしはただ声を上げて泣くだけなのでしょうか」
話題にもなりそうな長い菖蒲の根に文を結んでいらっしゃったので、「今日のお返事を」などとお勧めしておいて、お出になった。誰彼も「やはり、ご返事を」と申し上げるので、ご自身どう思われたであろうか、
「きれいに見せていただきましてますます浅く見えました
わけもなく泣かれるとおっしゃるあなたのお気持ちは
お年に似合わないこと」
とだけ、薄墨で書いてあるようである。「筆跡がもう少し立派だったら」と、宮は風流好みのお心から、少しもの足りないことと御覧になったことであろうよ。
薬玉などを、実に趣向を凝らして、あちこちから多くあった。おつらい思いをして来た長年の苦労もすっかりなくなったお暮らしぶりで、お気持ちにゆとりのおできになることも多かったので、「同じことなら、あちらが傷つくようなことのないようにして終わりにしたいものだ」と、どうしてお思いにならないことがあろうか。
[2-2 六条院馬場殿の騎射]
殿は、東の御方にもお立ち寄りになって、
「中将が、今日の左近衛府の競射の折に、男たちを引き連れて来るようなことを言っていたが、そのおつもりでいて下さい。まだ明るいうちにきっと来るでしょうよ。不思議と、こちらでは目立たないようにする内輪の催しも、この親王たちが聞きつけて、見物にいらっしゃるので、自然と大げさになりますから、お心づもりなさい」
などと申し上げなさる。
馬場の御殿は、こちらの渡廊から見渡す距離もさほど遠くない。
「若い女房たち、渡殿の戸を開けて見物をしなさいよ。左近衛府に、たいそう素晴らしい官人が多い時だ。なまじっかの殿上人には負けまい」
とおっしゃるので、見物することをとても興味深く思っていた。
対の御方からも、童女など、見物にやって来て、渡廊の戸口に御簾を青々と懸け渡して、当世風の裾濃の御几帳をいくつも立て並べ、童女や下仕などがあちこちしている。菖蒲襲の袙、二藍の羅の汗衫を着ている童女は、西の対のであろう。
感じのいい物馴れた者ばかり四人、下仕え人は、楝の裾濃の裳、撫子の若葉色をした唐衣で、いずれも端午の日の装いである。
こちらの童女は、濃い単衣襲に、撫子襲の汗衫などをおっとりと着て、それぞれが競い合っている振る舞い、見ていておもしろい。
若い殿上人などは、目をつけては流し目を送る。未の刻に、馬場殿にお出になると、なるほど親王たちがお集まりになっていた。競技も公式のそれとは趣が異なって、中将少将たちが連れ立って参加して、風変りに派手な趣向を凝らして、一日中お遊びになる。
女性には、何も分からないことであるが、舎人連中までが優美な装束を着飾って、懸命に競技をしている姿などを見るのはおもしろいことであった。
南の町まで通して、ずっと続いているので、あちらでもこのような若い女房たちは見ていた。「打毬楽」「落蹲」などを奏でて、勝ち負けに大騒ぎをするのも、夜になってしまって、何も見えなくなってしまった。舎人連中が禄を、位階に応じてに頂戴する。たいそう夜が更けてから、人々は皆お帰りになった。
[2-3 源氏、花散里のもとに泊まる]
大臣は、こちらでお寝みになった。お話などを申し上げなさって、
「兵部卿宮が、誰よりも格別に優れていらっしゃいますね。容貌などはそれほどでもないが、心配りや態度などが優雅で、魅力的なお方です。こっそりと御覧になりましたか。立派だと言うが、まだ物足りないところがあるね」
とおっしゃる。
「弟君ではいらっしゃいますが、大人びてお見えになりました。ここ何年か、このように機会あるごとにおいでになっては、お親しみ申し上げなさっていらっしゃるとうかがっておりますが、昔の宮中あたりでちらっと拝見してから後、よくわかりません。たいそうご立派に、ご容貌など成長なさいました。帥の親王が素晴らしくいらっしゃるようですが、感じが劣って、王族程度でいらっしゃいました」
とおっしゃるので、「一目でお見抜きだ」とお思いになるが、にっこりして、その他の人々については、良いとも悪いとも批評なさらない。
人のことに欠点を見つけ、非難するような人を、困った者だと思っていらっしゃるので、
「右大将などをさえ、立派な人だと言っているようだが、何のたいしたことがあろうか。婿として見たら、きっと物足りないことであろう」
と、お思いだが、口に出してはおっしゃらない。
今はただ一通りのご夫婦仲で、お寝床なども別々にお寝みになる。「どうしてこのよう疎々しい仲になってしまったのだろう」と、殿は苦痛にお思いになる。だいたい、何のかのと嫉妬申し上げなさらず、長年このような折節につけた遊び事を、人づてにお聞きになっていらっしゃったのだが、今日は珍しくこちらであったことだけで、自分の町の晴れがましい名誉とお思いでいらっしゃった。
「馬も食べない草として有名な水際の菖蒲のようなわたしを
今日は節句なので、引き立てて下さったのでしょうか」
とおっとりと申し上げなさる。たいしたことではないが、しみじみとお感じになった。
「鳰鳥のようにいつも一緒にいる若駒のわたしは
いつ菖蒲のあなたに別れたりしましょうか」
遠慮のないお二人の歌であること。
「いつも離れているようですが、こうしてお目にかかりますのは、心が休まります」
と、冗談を言うが、のんびりとしていらっしゃるお人柄なので、しんみりとした口ぶりで申し上げなさる。
御帳台はお譲り申し上げなさって、御几帳を隔ててお寝みになる。共寝をするというようなことを、たいそう似つかわしくないことと、すっかりお諦め申していらっしゃるので、無理にお誘い申し上げなさらない。
3 光る源氏の物語 光る源氏の物語論
[3-1 玉鬘ら六条院の女性たち、物語に熱中]
長雨が例年よりもひどく降って、晴れる間もなく所在ないので、御方々は、絵や物語などを遊び事にして、毎日お暮らしになっていらっしゃる。明石の御方は、そのようなことも優雅な趣向を凝らして仕立てなさって、姫君の御方に差し上げなさる。
西の対では、まして珍しく思われなさることの遊び事なので、毎日写したり読んだりしていらっしゃる。そのうってつけの若い女房たちが大勢いる。いろいろと珍しい人の身の上などを、本当のことか嘘のことかと、たくさんある物語の中でも、「自分の身の上と同じようなのはなかった」と御覧になる。
『住吉物語』の姫君が、物語中での評判もさることながら、現実での評判もやはり格別のようだが、主計頭が、もう少しで奪うところであったことなどを、あの監の恐しさと思い比べて御覧になる。
殿も、あちらこちらでこのような絵物語が散らかっていて、お目につくので、
「ああ、困ったものだ。女性というものは、面倒がりもせず、人にだまされようとして生まれついたものですね。たくさんの中にも真実は少ないだろうに、そうとは知りながら、このようなつまらない話にうつつをぬかし、だまされなさって、蒸し暑い五月雨の、髪の乱れるのも気にしないで、お写しになることよ」
と言って、お笑いになる一方で、また、
「このような古物語でなくては、なるほど、どうして気の紛らしようのない退屈さを慰めることができようか。それにしても、この虚構の物語の中に、なるほどそうもあろうかと人情を見せ、もっともらしく書き綴ったのは、それはそれで、たわいもないこととは知りながらも、無性に興をそそられて、かわいらしい姫君が物思いに沈んでいるのを見ると、何程か心引かれるものです。
また、けっしてありそうにないことだと思いながらも、大げさに誇張して書いてあるところに目を見張る思いがして、落ち着いて再び聞く時には、憎らしく思うが、とっさには面白いところなどがきっとあるのでしょう。
最近、幼い姫が女房などに時々読ませているのを立ち聞きすると、何と口のうまい者がいるものですね。根も葉もない嘘をつき馴れた者の口から言い出すのだろうと思われますが、そうではないありませんか」
とおっしゃると、
「おっしゃるとおり、嘘をつくことに馴れた人は、いろいろとそのようにご想像なさるでしょう。ただどうしても真実のことと思われるのです」
と言って、硯を押しやりなさるので、
「失礼にもけなしてしまいましたね。神代から世の中にあることを、書き記したものだそうだ。『日本紀』などは、ほんの一面にしか過ぎません。物語にこそ道理にかなった詳細な事柄は書いてあるのでしょう」
と言って、お笑いになる。
[3-2 源氏、玉鬘に物語について論じる]
「誰それの話といって、事実どおりに物語ることはありません。善いことも悪いことも、この世に生きている人のことで、見飽きず、聞き流せないことを、後世に語り伝えたい事柄を、心の中に籠めておくことができず、語り伝え初めたものです。善いように言おうとするあまりには、善いことばかりを選び出して、読者におもねろうとしては、また悪いことでありそうにもないことを書き連ねているのは、皆それぞれのことで、この世の他のことではないのですよ。
異朝の作品は、記述のしかたが変わっているが、同じ日本の国のことなので、昔と今との相違がありましょうし、深いものと浅いものとの違いがありましょうが、一途に作り話だと言い切ってしまうのも、実情にそぐわないことです。
仏教で、まことに立派なお心で説きおかれた御法文も、方便ということがあって、分からない者は、あちこちで矛盾するという疑問を持つに違いありません。『方等経』の中に多いが、詮じつめていくと、同一の主旨に落ち着いて、菩提と煩悩との相違とは、物語の、善人と悪人との相違程度に過ぎません。
よく解釈すれば、全て何事も無駄でないことはなくなってしまうものですね」
と、物語を実にことさらに大したもののようにおっしゃった。
「ところで、このような昔物語の中に、わたしのような律儀な愚か者の物語はありませんか。ひどく親しみにくい物語の姫君も、あなたのお心のように冷淡で、そらとぼけている人はまたとありますまいな。さあ、二人の仲を世にも珍しい物語にして、世間に語り伝えさせましょう」
と、近づいて申し上げなさるので、顔を引き入れて、
「そうでなくても、このように珍しいことは、世間の噂になってしまいそうなことでございます」
とおっしゃるので、
「珍しくお思いですか。なるほど、またとない気持ちがします」
と言って、寄り添っていらっしゃる態度は、たいそうふざけている。
「思いあまって昔の本を捜してみましたが
親に背いた子供の例はありませんでしたよ
親不孝なのは、仏の道でも厳しく戒めています」
とおっしゃるが、顔もお上げにならないので、お髪を撫でながら、ひどくお恨みなさるので、やっとのことで、
「昔の本を捜して読んでみましたが、おっしゃるとおり
ありませんでした。この世にこのような親心の人は」
とお申し上げなさるにつけても、気恥ずかしいので、そうひどくもお戯れにならない。
こうして、どうなって行くお二方の仲なのであろう。
[3-3 源氏、紫の上に物語について述べる]
紫の上も、姫君のご注文にかこつけて、物語は捨てがたく思っていらっしゃった。『くまのの物語』の絵の箇所を、
「とてもよく描いた絵だわ」
と御覧になる。小さい女君が、あどけなく昼寝をしていらっしゃる所を、昔の様子をご回想なさって、女君は御覧になる。
「このような子供どうしでさえ、なんとませたことなのでしょう。わたしなど、やはり語り草になるほど、気の長さは誰にも負けませんね」
と申し上げなさる。なるほど、世間に例の多くない恋愛を、数々なさってこられたことよ。
「姫君の御前で、この色恋沙汰の物語など、読み聞かせなさいますな。秘め事をする物語の娘などは、おもしろいと思わぬまでも、このようなことが世間にはあるのものだと、当たり前のように思われるのが、困ったことなのですよ」
とおっしゃるにつけても、格段に違うと、対の御方がお聞きになったら、きっとひがまれよう。
紫の上は、
「軽率な物語の人の物真似の類は、見ていてもたまりません。『宇津保物語』の藤原の君の娘は、とても思慮深くしっかりした人で、間違いはないようですが、そっけない返事もそぶりも、女性らしいところがないようなのが、同じようですね」
と、おっしゃると、
「実際の人も、そういうもののようです。一人前にそれぞれ主義主張を異にして、加減というものを知りません。悪くはない親が、気をつかって育てた娘が、無邪気さだけがただ一つのとりえで、劣ったところが多いのは、いったいどんなふうにして育ててきたのかと、親の育て方までが想像されるのは、気の毒です。
なるほど、そうは言っても、身分にふさわしい感じがすると思えるのは、育てがいもあり、名誉なことです。口をきわめて気恥ずかしいほど誉めていたのに、しでかしたことや、口に出した言葉の中に、なるほどと見えたり聞こえたりすることがないのは、まことに見劣りがするものです。
だいたい、つまらない人には、どうか娘を誉めさせたくないものです」
などと、ひたすら「この姫君が非難されないように」と、あれやこれやといろいろ考えておっしゃる。
継母の意地悪な昔物語も多いが、最近は、「心が見透かされ底意地悪い」と思われなさるので、厳しく選んでは選んでは、清書させたり、絵などにもお描かせなさるのだった。
[3-4 源氏、子息夕霧を思う]
中将の君を、こちらにはお近づけ申さないようにしていらっしゃったが、姫君の御方には、そんなにも遠ざけ申しなさらず、親しくさせていらっしゃる。
「自分が生きている間は、どちらにせよ同じことだが、死んだ後を想像すると、やはり平生から、馴染んでおいた方が、格別親しく思内側われるに違いない」
と考えて、南面の御簾の内側に入ることはお許しになっていた。台盤所、女房の中はお許しにならない。何人もいらっしゃらないお子たちの間柄なので、とても大切にお世話申し上げていらっしゃった。
だいたいの性格なども、たいそう慎重で、真面目でいらっしゃる君なので、安心してお任せになっていらっしゃった。まだ幼いお人形遊びなどの様子が見えるので、あの人が、一緒に遊んで過ごした昔の月日が、真先に思い出されるので、人形の殿の宮仕を、とても熱心になさりながら、時々は涙ぐんでいらっしゃるのであった。
そうしてもよさそうなあたりには、軽い気持ちで言い寄ったりなさる女は大勢いるが、望みを懸けてくるようには仕向けない。愛人にしてもよさそうだと、思い寄られそうな女も、無理に一時の浮気沙汰にして、やはり「あの、緑の袖よと馬鹿にされたのを見返してやりたいものだ」と思う気持ちだけが、重大事として忘れられないのであった。
無理にでも何とかつきまとったならば、根負けしてお許しになるかも知れないが、「つらいと思った折々のことを、何とか内大臣にもお分りになっていただこう」と考えていたこと、忘れられないので、ご本人に対してだけは、並々ならぬ愛情の限りを表して、表面では恋い焦がれているようには見せない。
ご兄弟の公達なども、小憎らしいなどとばかり思う事が多かった。対の姫君のご様子を、右中将は、たいそう深く思いつめて、言い寄る手引きもたいそう頼りなかったので、この中将の君に泣きついて来たが、
「他人事となると、感心できないことですね」
と素っ気なく答えていらっしゃるのだった。その昔の父大臣たちの御仲に似ていた。
[3-5 内大臣、娘たちを思う]
内大臣は、お子様方が夫人たちに大勢いたが、その母方の血筋の良さや、子供の性質に応じて、思いどおりのような世間の声望や、御権勢に任せて、皆一人前に引き立てなさる。女の子はたくさんはいないが、女御も、あのようにご期待していたこともうまくゆかず、姫君も、またあのように思惑と違うようなことでいらっしゃるので、とても残念だとお思いになる。
あの撫子のことがお忘れになれず、何かのついでにもお口になさったことなので、
「どうなったのだろう。頼りない親の心のままに、かわいらしかった子を、行く方不明にしてしまったことよ。だいたい女の子というものは、どんなことがあっても目を放してはならないものであった。勝手に自分の子供と名乗って、みじめな境遇でさまよっているのだろうか。どのような恰好でいるにせよ、噂が聞こえて来たならば」
と、しみじみとずっと思い続けていらっしゃる。ご子息たちにも、
「もし、そのように名乗り出る人があったら、聞き逃すな。気紛れから、感心できない女性関係も多かった中で、あの人は、とても並々の愛人程度とは思われなかった人で、ちょっとした愛想づかしをして、このように少なかった娘一人を、行方不明にしてしまったことの残念なことよ」
と、いつもお口に出される。ひところなどは、そんなにでもなく、ついお忘れになっていたが、他人が、さまざまに娘を大切になさっている例が多いので、ご自分のお思いどおりにならないのが、とても情けなく、残念にお思いになるのであった。
夢を御覧になって、たいそうよく占う者を召して、夢の意味をお解かせになったところ、
「もしや、長年あなた様に知られずにいらっしゃるお子様を、他人の子として、お耳にあそばすことはございませんか」
と申し上げたので、
「女の子が他人の養女となることは、めったにないことだ。どのようなことだろうか」
などと、このころになって、お考えになったりおっしゃっているようである。
26. 常夏
光る源氏の太政大臣時代36歳の盛夏の物語
- 六条院釣殿の納涼 たいそう暑い日、東の釣殿にお出になって
- 近江君の噂 「どうして聞いたことか、大臣が外腹の娘を
- 源氏、玉鬘を訪う 夕方らしくなって吹く風、たいそう涼しくて
- 源氏、玉鬘と和琴について語る 月もないころなので、燈籠に
- 源氏、玉鬘と和歌を唱和 女房たちが近くに伺候しているので、いつもの冗談も
- 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩 お渡りになることも、あまり度重なって
- 玉鬘の噂 内の大殿は、この新しい姫君のことを
- 内大臣、雲井雁を訪う あれこれとご思案なさりながら、前ぶれもなく
1 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語
- 内大臣、近江君の処遇に苦慮 大臣は、この北の対の今姫君を
- 内大臣、近江君を訪う そのまま、この女御の御方を訪ねたついでに、ぶらぶらお歩きになって
- 近江君の性情 「舌の生まれつきなのでございましょう
- 近江君、血筋を誇りに思う 立派な四位五位たちが、うやうやしくお供申し上げて
- 近江君の手紙 「ところで、女御様に参上せよとおっしゃったのを
- 女御の返事 樋洗童は、たいそうもの馴れた態度できれいな子で
2 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語
1 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語
[1-1 六条院釣殿の納涼]
たいそう暑い日、東の釣殿にお出になって涼みなさる。中将の君も伺候していらっしゃる。親しい殿上人も大勢伺候して、西川から献上した鮎、近い川のいしぶしのような魚、御前で調理して差し上げる。いつもの大殿の公達、中将のおいでになる所を尋ねて参上なさった。
「退屈で眠たかったところだが、ちょうどよい時にいらっしゃったな」
とおっしゃって、御酒を召し上がり、氷水をお取り寄せになって、水飯などを、それぞれにぎやかに召し上がる。
風はたいそう気持ちよく吹くが、日は長くて曇りない空が、西日になるころ、蝉の声などもたいそう苦しそうに聞こえるので、
「水のほとりも役に立たない今日の暑さだね。失礼は許していただけようか」
とおっしゃって、物に寄りかかって横におなりになった。
「とてもこんな暑い時は、管弦の遊びなどもおもしろくなく、とはいえ、何もしないのもつらいことだ。宮仕えしている若い人々にはつらいことだろうよ。帯も解かないではね。せめてここではくつろいで、最近世間に起こったことで、少し珍しく、眠気の覚めるようなことを、話してお聞かせください。何となく年寄じみた心地がして、世間のことも疎くなったのでね」
などとおっしゃるが、珍しい事と言って、ちょっと申し上げるような話も思いつかないので、恐縮しているようで、皆たいそう涼しい高欄に、背中を寄り掛けながら座っていらっしゃる。
[1-2 近江君の噂]
「どうして聞いたことか、大臣が外腹の娘を捜し出して、大切になさっていると話してくれた人がいたので、本当ですか」
と、弁少将にお尋ねになると、
「仰々しく、そんなに言うほどのことではございませんでしたが。今年の春のころ、夢をお話をなさったところ、ちらっと人伝てに聞いた女が、『自分には聞いてもらうべき子細がある』と、名乗り出ましたのを、中将の朝臣が耳にして、『本当にそのように言ってよい証拠があるのか』と、尋ねてやりました。詳しい事情は、知ることができません。おっしゃるように、最近珍しい噂話に、世間の人々もしているようでございます。このようなことは、父にとって、自然と家の不面目となることでございます」
と申し上げる。「やはり本当だったのだ」とお思いになって、
「たいそう大勢の子たちなのに、列から離れたような後れた雁を、無理にお捜しになるのが、欲張りなのだ。とても子どもが少ないのに、そのようなかしずき種を、見つけ出したいが、名乗り出るのも嫌な所と思っているのでしょう、まったく聞きません。それにしても、無関係の娘ではあるまい。やたらあちらこちらと忍び歩きをなさっていたらしいうちに、底が清く澄んでいない水に宿る月は、曇らないようなことがどうしてあろうか」
と、ほほ笑んでおっしゃる。中将君も、詳しくお聞きになっていることなので、とても真面目な顔はできない。少将と藤侍従とは、とてもつらいと思っていた。
「朝臣よ。せめてそのような落し胤でももらったらどうだね。体裁の悪い評判を残すよりは、同じ姉妹と結婚して我慢するが、何の悪いことがあろうか」
と、おからかいになるようである。このようなこととなると、表面はたいそう仲の良いお二方が、やはり昔からそれでもしっくりしないところがあるのであった。その上、中将をひどく恥ずかしい目にあわせて、嘆かせていらっしゃるつらさを腹に据えかねて、「悔しいとでも、人伝てに聞きなさったらよい」と、お思いになるのだった。
このようにお聞きになるにつけても、
「対の姫君を見せたような時、また軽々しく扱われるようなことはあるまい。たいそうはっきりとしていて、けじめをつけるところがある人で、善悪の区別も、はっきりと誉めたり、また貶しめ軽んじたりすることも、人一倍の大臣なので、どんなに腹立たしく思うであろう。予想もしない形で、この対の姫君を見せたらば、軽く扱うことはできまい。まこと油断なくお世話しよう」などとお思いになる。
[1-3 源氏、玉鬘を訪う]
夕方らしくなって吹く風、たいそう涼しくて、帰るのももの憂く若い人々は思っていた。
「気楽にくつろいで涼んではどうか。だんだんこのような若い人々の中で、嫌われる年になってしまったなあ」
と言って、西の対にお渡りになるので、公達、皆お送りにお供なさる。
黄昏時の薄暗い時に、同じ直衣姿なので、誰とも区別がつかないので、大臣は姫君に、
「もう少し外へお出になりなさい」
と言って、こっそりと、
「少将や、侍従などを連れて参りました。ひどく飛んで来たいほどに思っていたのを、中将が、まこと真面目一方の人なので、連れて来なかったのは、思いやりがないようでした。
この人々は、皆気がないでもない。つまらない身分の女でさえ、深窓に養われている間は、身分相応に気を引かれるものらしいから、わが家の評判は内幕のくだくだしい割には、たいそう実際以上に、大げさに言ったり思ったりしているようです。他にも女性方々がいらっしゃるのですが、やはり男性が恋をしかけるには相応しくない。
こうしていらっしゃるのは、何とかそのような男性の気持ちの、深さ浅さを見たいなどと、退屈のあまり願っていたのだが、望みの叶う気がしました」
などと、ひそひそと申し上げなさる。
お庭先には、雑多な前栽などは植えさせなさらず、撫子の花を美しく整えた、唐撫子、大和撫子の、垣をたいそうやさしい感じに造って、その咲き乱れている夕映え、たいそう美しく見える。皆、立ち寄って、思いのままに手折ることができないのを、残念に思って佇んでいる。
「教養のある人たちだな。心づかいなども、それぞれに立派なものだ。右の中将は、さらにもう少し落ち着いていて、こちらが恥ずかしくなる感じがします。どうですか、お便り申して来ますか。体裁悪く、突き放しなさいますな」
などとおっしゃる。
中将君は、この優れた人たちの中でも、際立って優美でいらっしゃった。
「中将をお嫌いなさるとは、内大臣は困ったものだ。ご一族ばかりで繁栄している中で、皇孫の血筋を引くので、見にくいとでもいうのか」
とおっしゃると、
「来てくだされば、という人もございましたものを」
と申し上げなさる。
「いや、そんな大事に持てなされることは望んでいません。ただ、幼い者同士が契り合った胸の思いが晴れないまま、長い年月、仲を裂いていらっしゃった大臣のやりかたがひどいのです。まだ身分が低い、外聞が悪いとお思いならば、知らない顔で、こちらに任せて下されたとしても、何の心配がありましょうか」
などと、不平をおっしゃる。「では、このようなお心のしっくりいってないお間柄だったのだわ」とお聞きになるにつけても、親に知っていただけるのがいつか分からないのは、しみじみと悲しく胸の塞がる思いがなさる。
[1-4 源氏、玉鬘と和琴について語る]
月もないころなので、燈籠に明りを入れた。
「やはり、近すぎて暑苦しいな。篝火がよいなあ」
とおっしゃって、人を呼んで、
「篝火の台を一つ、こちらに」
とお取り寄せになる。美しい和琴があるのを、引き寄せなさって、掻き鳴らしなさると、律の調子にたいそうよく整えられていた。音色もとてもよく出るので、少しお弾きになって、
「このようなことはお好きでない方面かと、今まで大したことはないとお思い申していました。秋の夜の、月の光が涼しいころ、奥深い所ではなくて、虫の声に合わせて弾いたりするのには、親しみのあるはなやかな感じのする楽器です。改まった演奏は、役割がしっかりと決まりませんね。
この楽器は、そのままで多くの楽器の音色や、調子を備えているところが優れた点です。大和琴と言って一見大したことのないように見えながら、極めて精巧に作られているものです。広く外国の学芸を習わない女性のための楽器と思われます。
同じ習うなら、気をつけて他の楽器に合わせてお習いなさい。難しい手と言っても、特にあるわけではありませんが、また本当に弾きこなすことは難しいのでしょうか、現在では、あの内大臣に並ぶ人はいません。
ただちょっとした同じ菅掻き一つの音色に、あらゆる楽器の音色が、含まれていて、何とも形容のしようがないほど、響き渡るのです」
とご説明なさると、多少会得していて、ぜひともさらに上手になりたいとお思いのことなので、もっと聞きたくて、
「こちらで、適当な管弦のお遊びがあります折などに、聞くことができましょうか。賤しい田舎者の中でも、習う者が大勢おりますと言うことですから、総じて気楽に弾けるものかと存じておりました。では、お上手な方は、まるで違っているのでしょうか」
と、さも聞きたそうに、熱心に気を入れていらっしゃるので、
「そうです。東琴と言って名前は低そうに聞こえますが、御前での管弦の御遊にも、まず第一に書司をお召しになるのは、異国はいざ知らず、わが国では和琴を楽器の第一としたのでしょう。
そうした中でも、その第一人者である父親から直接習い取ったら、格別でしょう。こちらにも、何かの機会にはおいでになるだろうが、和琴に、秘手を惜しまず、隠さず演奏するようなことはめったにないでしょう。物の名人は、どの道の人でも気安くは手の内を見せないもののようです。
とは言っても、いずれはお聞きになれることでしょう」
とおっしゃって、楽曲を少しお弾きになる。和琴を弾く姿はとても素晴らしく、はなやかで趣がある。「これよりも優れた音色が出るのだろうか」と、親にお会いしたい気持ちが加わって、和琴のことにつけてまでも、「いつになったら、こんなふうにくつろいでお弾きになるところを聞くことができるのだろうか」などと、思っていらっしゃった。
「貫河の瀬々の柔らかな手枕」と、たいそう優しくお謡いになる。「親が遠ざける夫」というところは、少しお笑いになりながら、ことさらにでもなくお弾きになる菅掻きの音、何とも言いようがなく美しく聞こえる。
「さあ、お弾きなさい。芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません。「想夫恋」だけは、心中に秘めて、弾かない人があったようだが、遠慮なく、誰彼となく合奏したほうがよいのです」
と、しきりにお勧めになるが、あの辺鄙な田舎で、何やら京人と名乗った皇孫筋の老女がお教え申したので、誤りもあろうかと遠慮して、手をお触れにならない。
「少しの間でもお弾きになってほしい。覚えることができるかも知れない」と聞きたくてたまらず、この和琴の事のために、お側近くにいざり寄って、
「どのような風が吹き加わって、このような素晴らしい響きが出るのかしら」
と言って、耳を傾けていらっしゃる様子、燈の光に映えてたいそうかわいらしげである。お笑いになって、
「耳聰いあなたのためには、身にしむ風も吹き加わるのでしょう」
と言って、和琴を押しやりなさる。何とも迷惑なことである。
[1-5 源氏、玉鬘と和歌を唱和]
女房たちが近くに伺候しているので、いつもの冗談も申し上げなさらずに、
「撫子を十分に鑑賞もせずに、あの人たちは立ち去ってしまったな。何とかして、内大臣にも、この花園をお見せ申したいものだ。人の命はいつまでも続くものでないと思うと、昔も、何かの時にお話しになったことが、まるで昨日今日のことのように思われます」
とおっしゃって、少しお口になさったのにつけても、たいそう感慨無量である。
「撫子の花の色のようにいつ見ても美しいあなたを見ると
母親の行く方を内大臣は尋ねられることだろうな
このことが厄介に思われるので、引き籠められているのをお気の毒に思い申しています」
とおっしゃる。姫君は、ちょっと涙を流して、
「山家の賤しい垣根に生えた撫子のような
わたしの母親など誰が尋ねたりしましょうか」
と人数にも入らないように謙遜してお答え申し上げなさった様子は、なるほどたいそう優しく若々しい感じである。
「もし来なかったならば」
とお口ずさみになって、ひとしお募るお心は、苦しいまでに、やはり我慢しきれなくお思いになる。
[1-6 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩]
お渡りになることも、あまり度重なって、女房が不審にお思い申しそうな時は、気が咎め自制なさって、しかるべきご用を作り出して、お手紙の通わない時はない。ただこのお事だけがいつもお心に掛かっていた。
「どうして、このような不相応な恋をして、心の休まらない物思いをするのだろう。そんな苦しい物思いはするまいとして、心の赴くままにしたら、世間の人の非難を受ける軽々しさを、自分への悪評はそれはそれとして、この姫君のためにもお気の毒なことだろう。際限もなく愛しているからと言っても、春の上のご寵愛に並ぶほどには、わが心ながらありえまい」と思っていらっしゃった。「さて、そうしたわけで、それ以下の待遇では、どれほどのことがあろうか。自分だけは、誰よりも立派だが、世話する女君が大勢いる中で、あくせくするような末席にいたのでは、何の大したことがあろう。格別大したこともない大納言くらいの身分で、ただ姫君一人を妻とするのには、きっと及ばないことだろう」
と、ご自身お分りなので、たいそうお気の毒で、「いっそ、兵部卿宮か、大将などに許してしまおうか。そうして自分も離れ、姫君も連れて行かれたら、諦めもつくだろうか。言っても始まらないことだが、そうもしてみようか」とお思いになる時もある。
しかし、お渡りになって、ご器量を御覧になり、今ではお琴をお教え申し上げなさることまで口実にして、近くに常に寄り添っていらっしゃる。
姫君も、初めのうちこそ気味悪く嫌だとお思いであったが、「このようになさっても、穏やかなので、心配なお気持ちはないのだ」と、だんだん馴れてきて、そうひどくお嫌い申されず、何かの折のお返事も、親し過ぎない程度に取り交わし申し上げなどして、御覧になるにしたがってとても可愛らしさが増し、はなやかな美しさがお加わりになるので、やはり結婚させてすませられないとお思い返しなさる。
「それならばまた、結婚させて、ここに置いたまま大切にお世話して、適当な折々に、こっそりと会い、お話申して心を慰めることにしようか。このようにまだ結婚していないうちに、口説くことは面倒で、お気の毒であるが、自然と夫が手強くとも、男女の情が分るようになり、こちらがかわいそうだと思う気持ちがなくて、熱心に口説いたならば、いくら人目が多くても差し障りはあるまい」とお考えになる、実にけしからぬ考えである。
ますます気が気でなくなり、なお恋し続けるというのもつらいことであろう。ほどほどに思い諦めることが、何かにつけてできそうにないのが、世にも珍しく厄介なお二人の仲なのであった。
[1-7 玉鬘の噂]
内の大殿は、この新しい姫君のことを、「お邸の人々も姫として認めず、軽んじた批評をし、世間でも馬鹿げたことと非難申している」と、お聞きになると、少将が、何かの機会に、太政大臣が「本当のことか」とお尋ねになったことを、お話し申し上げると、
「いかにも。あちらでこそ、長年、噂にも立たなかった賤しい娘を迎え取って、大切にしているのだ。めったに人の悪口をおっしゃらない大臣が、わたしの家のことは、聞き耳を立てて悪口をおっしゃるよ。それで、面目を施して晴れがましい気がする」
とおっしゃる。少将が、
「あの西の対にお置きになっていらっしゃる姫君は、たいそう申し分ない方だそうでございます。兵部卿宮などが、たいそうご熱心に苦心して求婚なさっていらっしゃるとか。けっして並大抵の姫君ではあるまいと、世間の人々が推量しているようでございます」
と、お申し上げになると、
「さあ、それは、あの大臣の御姫君と思う程度の評判の高さだ。人の心は、皆そういうもののようだ。必ずしもそんなに優れてはいないだろう。人並みの身分であったら、今までに評判になっていよう。
惜しいことに、大臣が、何一つ欠点もなく、この世では過ぎた方でいらっしゃるご信望やご様子でありながら、れっきとした奥方の腹に、姫君を大切にお世話して、なるほど申し分あるまいと察せられる素晴らしい方がいらっしゃらないとは。
だいたい子供の数が少なくて、きっと心細いことだろうよ。妾腹であるが、明石の御許が生んだ娘は、あの通りまたとない運命に恵まれて、将来にきっと頼もしかろうと思われる。
あの新しい姫君は、ひょっとしたら、実の姫君ではあるまいよ。何といっても一癖も二癖もある方だから、大事にしていらっしゃるのだろう」
と、悪口をおっしゃる。
「ところで、どのようにお決めになったのか。親王がうまく靡かせて自分のものになさるだろう。もともと格別にお仲がよいし、人物もご立派で婿君に相応しい間柄であろうよ」
などとおっしゃっては、やはり、姫君のことが、残念でたまらない。「あのように、勿体らしく扱って、どういうふうになさる気かなどと、やきもきさせてやりたかったものを」と癪なので、位が相当になったと見えない限りは、結婚を許せないようにお思いになるのであった。
大臣などが、丁重に口添えして覆しなさるなら、それに負けたようにして承認しようと思うが、男君の方は、一向に焦りもなさらないので、おもしろからぬことであった。
[1-8 内大臣、雲井雁を訪う]
あれこれとご思案なさりながら、前ぶれもなく気軽にお渡りになった。少将もお供しておいでになる。
姫君は、お昼寝をなさっているところである。羅の一重をお召しになって臥せっていらっしゃる様子、暑苦しくは見えず、とてもかわいらしく小柄な身体つきである。透けて見える肌つきなどは、とてもかわいらしい手つきして、扇をお持ちになったまま、腕を枕にして、投げ出されたお髪の具合、そう大して長く多いというのではないが、たいそう美しい裾の様子である。
女房たちは物蔭で横になって休んでいたので、すぐにはお目覚めにならない。扇をお鳴らしになると、何気なく見上げなさった目つき、かわいらしげで、顔が赤くなっているのも、親の目にはかわいく見えるばかりである。
「うたた寝はいけないと注意申していたのに。どうして、ひどく無用心な恰好で寝ていらっしゃったのか。女房たちも近く伺候させないで、どうしたことか。
女性は、身を常に注意して守っているのがよいのです。気を許して無造作なふうにしているのは、品のないことです。
そうかといって、ひどく利口そうに身を堅くして、不動尊の陀羅尼を読んで、印を結んでいるようなのも憎らしい。日頃接する人にあまりよそよそしく、遠慮がすぎるのなども、上品なようなこととはいっても、小憎らしくて、かわいらしげのないことです。
太政大臣が、お后候補の姫君にしつけていらっしゃる教育は、何事でも一通りは心得ていて偏らず、特別目立つ特技もつけず、また不案内でうろうろすることもないようにと、余裕あるふうにとお考え置いていらっしゃるという。
なるほど、もっともなことですが、人というものは、考えにも行動にも、特に好き好む方面はどうしてもあるものだから、ご成長なさった後に特徴も現れるでしょう。あの姫君が一人前になって、入内させなさる時の様子が、とても見たいものだ」
などとおっしゃって、
「思い通りにお世話申そうと思っていた方面は、難しくなってしまったお身の上だが、何とか世間の物笑いにならないようにして差し上げようと、他人の身の上をあれこれと聞くたびに、心配しております。
試しにとばかり熱心なふりをする男の言葉を、ここしばらくはお聞き入れになってはいけません。考えていることがございます」
などと、たいそうかわいく思いながら申し上げなさる。
「昔は、どのようなことも深くも考えないで、かえって、あの当座のつらい思いをした騒動にも、平気な顔をして父君にお会い申していたことよ」と、今になって思い出すと、胸が塞がってひどく、恥ずかしい。
大宮からも、いつも会えないことをお恨み申されるが、このようにおっしゃるのに遠慮されて、お出かけになってお目に掛かることがおできになれない。
2 近江君の物語 娘の処遇に苦慮する内大臣の物語
[2-1 内大臣、近江君の処遇に苦慮]
大臣は、この北の対の今姫君を、
「どうしたものか。よけいなことをして迎え取って。世間の人がこのように悪口を言うからといって、送り返したりするのも、まことに軽率で、気違いじみたことのようだ。こうして置いているので、本当に大切にお世話する気があるのかと、他人が噂するのも癪だ。女御の御方などに宮仕えさせて、そうした笑い者にしてしまおう。女房たちがたいそう不細工だとけなしているらしい容貌も、そんなに言われるほどのものではない」
などとお思いになって、女御の君に、
「あの人を出仕させましょう。見ていられないようなことなどは、老いぼれた女房などをして、遠慮なく教えさせなさってお使いなさい。若い女房たちの噂の種になるような、笑い者にはなさらないでください。それではあまりに軽率のようだ」
と、笑いながら申し上げなさる。
「どうして、そんなひどいことがございましょう。中将などが、たいそうまたとなく素晴らしいと吹聴したらしい前触れに及ばないというだけございましょう。このようにお騒ぎになるので、きまり悪くお思いになるにつけ、一つには気後れしているのでございましょう」
と、たいそうこちらが気恥ずかしくなるような面持ちで申し上げなさる。この女御のご様子は、何もかも整っていて美しいというのではなくて、たいそう上品で澄ましていらっしゃるが、やさしさがあって、美しい梅の花が咲き初めた朝のような感じがして、おっしゃりたいことも差し控えて微笑んでいらっしゃるのが、人とは違う、と拝見なさる。
「中将が、何といっても、思慮が足りなく調査が不十分だったので」
などと申し上げなさるが、お気の毒なお扱いであることよ。
[2-2 内大臣、近江君を訪う]
そのまま、この女御の御方を訪ねたついでに、ぶらぶらお歩きになって、お覗きになると、簾を高く押し出して、五節の君といって、気の利いた若い女房がいるのと、双六を打っていらっしゃる。手をしきりに揉んで、
「小賽、小賽」
と祈る声は、とても早口であるよ。「ああ、情ない」とお思いになって、お供の人が先払いするのをも、手で制しなさって、やはり、妻戸の細い隙間から、襖の開いているところをお覗き込みなさる。
この従姉妹も、同じく、興奮していて、
「お返しよ、お返しよ」
と、筒をひねり回して、なかなか振り出さない。心中に思っていることはあるのかも知れないが、たいそう軽薄な振舞をしている。
器量は親しみやすく、かわいらしい様子をしていて、髪は立派で、欠点はあまりなさそうだが、額がひどく狭いのと、声の上っ調子なのとで台なしになっているようである。取り立てて良いというのではないが、他人だと抗弁することもできず、鏡に映る顔が似ていらっしゃるので、まったく運命が恨めしく思われる。
「こうしていらっしゃるのは、落ち着かず馴染めないのではありませんか。大変に忙しいばかりで、お訪ねできませんが」
とおっしゃると、例によって、とても早口で、
「こうして伺候しておりますのは、何の心配がございましょうか。長年、どんなお方かとお会いしたいとお思い申し上げておりましたお顔を、常に拝見できないのだけが、よい手を打たぬ時のようなじれったい気が致します」
とお申し上げになさる。
「なるほど、身近に使う人もあまりいないので、側に置いていつも拝見していようと、以前は思っていましたが、そうもできかねることでした。普通の宮仕人であれば、どうあろうとも、自然と立ち混じって、誰の目にも耳にも、必ずしもつかないものですから、安心していられましょう。それであってさえ、誰それの娘、何がしの子と知られる身分となると、親兄弟の面目を潰す例が多いようだ。ましてや」
と言いかけてお止めになった、そのご立派さも分からず、
「いえいえ、それは、大層に思いなさって宮仕え致しましたら、窮屈でしょう。大御大壷の係なりともお仕え致しましょう」
とお答え申し上げるので、お堪えになることができず、ついお笑いになって、
「似つかわしくない役のようだ。このようにたまに会える親に孝行する気持ちがあるならば、その物をおっしゃる声を、少しゆっくりにしてお聞かせ下さい。そうすれば、寿命もきっと延びましょう」
と、おどけたところのある大臣なので、苦笑しながらおっしゃる。
[2-3 近江君の性情]
「舌の生まれつきなのでございましょう。子供でした時でさえ、亡くなった母君がいつも嫌がって注意しておりました。妙法寺の別当の大徳が、産屋に詰めておりましたので、それにあやかってしまったと嘆いていらっしゃいました。何とかしてこの早口は直しましょう」
と大変だと思っているのも、たいそう孝行心が深く、けなげだとお思いになる。
「その、側近くまで入り込んだ大徳こそ、困ったものです。ただその人の前世で犯した罪の報いなのでしょう。唖とどもりは、法華経を悪く言った罪の中にも、数えているよ」
とおっしゃって、「わが子ながらも気の引けるほどの御方に、お目に掛けるのは気が引ける。どのよう考えて、こんな変な人を調べもせずに迎え取ったのだろう」とお思いになって、「女房たちが次々と見ては言い触らすだろう」と、考え直しなさるが、
「女御が里下りしていらっしゃる時々には、お伺いして、女房たちの行儀作法を見習いなさい。特に優れたところのない人でも、自然と大勢の中に混じって、その立場に立つと、いつか恰好もつくものです。そのような心積もりをして、お目通りなさってはいかがですか」
とおっしゃると、
「とても嬉しいことでございますわ。ただただ、何としてでも、皆様方にお認めいただくことばかりを、寝ても覚めても、長年この願い以外のことは思ってもいませんでした。お許しさえあれば、水を汲んで頭上に乗せて運びましても、お仕え致しましょう」
と、たいそういい気になって、一段と早口にしゃべるので、どうしようもないとお思いになって、
「そんなにまで、自分自身で薪をお拾いにならなくても、参上なさればよいでしょう。ただあのあやかったという法師さえ離れたならばね」
と、冗談事に紛らわしておしまいになるのも気づかずに、同じ大臣と申し上げる中でも、たいそう美しく堂々として、きらびやかな感じがして、並々の人では顔を合わせにくい程立派な方とも分からずに、
「それでは、いつ女御殿の許に参上するといたしましょう」
とお尋ね申すので、
「吉日などと言うのが良いでしょう。いや何、大げさにすることはない。そのようにお思いならば、今日にでも」
と、お言い捨てになって、お渡りになった。
[2-4 近江君、血筋を誇りに思う]
立派な四位五位たちが、うやうやしくお供申し上げて、ちょっとどこかへお出ましになるにも、たいそう堂々とした御威勢なのを、お見送り申し上げて、
「何と、まあ、ご立派なお父様ですわ。このような方の子供でありながら、賤しい小さい家で育ったこととは」
とおっしゃる。五節は、
「あまり立派過ぎて、こちらが恥ずかしくなる方でいらっしゃいますわ。相応な親で、大切にしてくれる方に、捜し出しされなさったならよかったのに」
と言うのも、無理な話である。
「いつもの、あなたが、わたしの言うことをぶちこわしなさって、心外だわ。今は、友達みたいな口をきかないでよ。将来のある身の上なのようですから」
と、腹をお立てになる顔つきが、親しみがあり、かわいらしくて、ふざけたところは、それなりに美しく大目に見られた。
ただひどい田舎で、賤しい下人の中でお育ちになっていたので、物の言い方も知らない。大したことのない話でも、声をゆっくりと静かな調子で言い出したのは、ふと聞く耳でも、格別に思われ、おもしろくない歌語りをするのも、声の調子がしっくりしていて、先が聞きたくなり、歌の初めと終わりとをはっきり聞こえないように口ずさむのは、深い内容までは理解しないまでもの、ちょっと聞いたところでは、おもしろそうだと、聞き耳を立てるものである。
たとえまことに深い内容の趣向ある話をしたとしても、相当な嗜みがあるとも聞こえるはずもない、うわずった声づかいをしておっしゃる言葉はごつごつして、訛があって、気ままに威張りちらした乳母に今も馴れきっているふうに、態度がたいそう不作法なので、悪く聞こえるのであった。
まったくお話にならないというのではないが、三十一文字の、上句と下句との意味が通じない歌を、早口で続けざまに作ったりなさる。
[2-5 近江君の手紙]
「ところで、女御様に参上せよとおっしゃったのを、しぶるように見えたら、不快にお思いになるでしょう。夜になったら参上しましょう。大臣の君が、世界一大切に思ってくださっても、ご姉妹の方々が冷たくなさったら、お邸の中には居られましょうか」
とおっしゃる。ご声望のほどは、たいそう軽いことであるよ。
さっそくお手紙を差し上げなさる。
「お側近くにおりながら、今までお伺いする幸せを得ませんのは、来るなと関所をお設けになったのでしょうか。お目にかかってはいませんのに、お血続きの者ですと申し上げるのは、恐れ多いことですが。まことに失礼ながら、失礼ながら」
と、点ばかり多い書き方で、その裏には、
「実は、今晩にも参上しようと存じますのは、お厭いになるとかえって思いが募るのでしょうか。いいえ、いいえ、見苦しい字は大目に見ていただきたく」
とあって、また端の方に、このように、
「未熟者ですが、いかがでしょうかと
何とかしてお目にかかりとうございます
並一通りの思いではございません」
と、青い色紙一重ねに、たいそう草仮名がちの、角張った筆跡で、誰の書風を継ぐとも分からない、ふらふらした書き方も下長で、むやみに気取っているようである。行の具合は、端に行くほど曲がって来て、倒れそうに見えるのを、にっこりしながら見て、それでもたいそう細く小さく巻き結んで、撫子の花に付けてあった。
[2-6 女御の返事]
樋洗童は、たいそうもの馴れた態度できれいな子で、新参者なのであった。女御の御方の台盤所に寄って、
「これを差し上げてください」
と言う。下仕えが顔を知っていて、
「北の対に仕えている童だわ」
と言って、お手紙を受け取る。大輔の君というのが、持参して、開いて御覧に入れる。
女御が、苦笑してお置きあそばしたのを、中納言の君という者が、お近くにいて、横目でちらちらと見た。
「たいそうしゃれたお手紙のようでございますね」
と、見たそうにしているので、
「草仮名の文字は、読めないからかしら、歌の意味が続かないように見えます」
とおっしゃって、お下しになった。
「お返事は、このように由緒ありげに書かなかったら、なっていないと軽蔑されましょう。そのままお書きなさい」
と、お任せになる。そう露骨に現しはしないが、若い女房たちは、何ともおかしくて、皆笑ってしまった。お返事を催促するので、
「風流な引歌ばかり使ってございますので、お返事が難しゅうございます。代筆めいては、お気の毒でしょう」
と言って、まるで、女御のご筆跡のように書く。
「お近くにいらっしゃるのにその甲斐なく、お目にかかれないのは、恨めしく存じられまして、
常陸にある駿河の海の須磨の浦に
お出かけくだい、箱崎の松が待っています」
と書いて、読んでお聞かせす申すと、
「まあ、困りますわ。ほんとうにわたしが書いたのだと言ったらどうしましょう」
と、迷惑そうに思っていらっしゃったが、
「それは聞く人がお分かりでございましょう」
と言って、紙に包んで使いにやった。
御方が見て、
「しゃれたお歌ですこと。待っているとおっしゃっているわ」
と言って、たいそう甘ったるい薫物の香を、何度も何度も着物にた焚きしめていらっしゃった。紅というものを、たいそう赤く付けて、髪を梳いて化粧なさったのは、それなりに派手で愛嬌があった。ご対面の時、さぞ出過ぎたこともあったであろう。
27. 篝火
光る源氏の太政大臣時代36歳の初秋の物語
- 近江君の世間の噂 近頃、世間の人の噂に
- 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう 秋になった。初風が涼しく吹き出して
- 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏 お便りに、「こちらに、たいそう涼しい火影の篝火に
1 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語
1 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語
[1-1 近江君の世間の噂]
近頃、世間の人の噂に、「内の大殿の今姫君は」と、何かにつけては言い触らすのを、源氏の大臣がお聞きあそばして、
「何はともあれ、人目につくはずもなく家に籠もっていたような女の子を、少々の口実はあったにせよ、あれほど仰々しく引き取った上で、このように、女房として人前に出して、噂されたりするのは納得できないことだ。たいそう物事にけじめをつけすぎなさるあまりに、深い事情も調べずに、お気に入らないとなると、このような体裁の悪い扱いになるのだろう。何事も、やり方一つで、穏やかにすむものなのだ」
とお気の毒がりなさる。
このような噂につけても、「ほんとうによくこちらに引き取られてものだ、親と申し上げながらも、長年のお気持ちを存じ上げずに、お側に参っていたら、恥ずかしい思いをしただろうに」と、対の姫君はお分りになるが、右近もとてもよくお申し聞かせていた。
困ったお気持ちがおありであったが、そうかといって、お気持ちの赴くままに無理押しなさらず、ますます深い愛情ばかりがお増しになる一方なので、だんだんとやさしく打ち解け申し上げなさる。
[1-2 初秋の夜、源氏、玉鬘と語らう]
秋になった。初風が涼しく吹き出して、ものさびしい気持ちがなさるので、堪えかねては、たいそうしきりにお渡りになって、一日中おいでになって、お琴などをお教え申し上げなさる。
五、六日の夕月夜はすぐに沈んで、少し雲に隠れた様子、荻の葉音もだんだんしみじみと感じられるころになった。お琴を枕にして、一緒に横になっていらっしゃる。このような例があろうかと、溜息をもらしながら夜更かしなさるのも、女房が変だと思い申すだろうことをお思いになって、お渡りになろうとして、御前の篝火が少し消えかかっているのを、お供の右近の大夫を召して、点灯させなさる。
たいそう涼しそうな遣水のほとりに、格別風情ありげに枝を広げている檀の木の下に、松の割木を目立たない程度に積んで、少し下がって篝火を焚いているので、御前の方は、たいそう涼しくちょうどよい程度の明るさで、女のお姿は見れば見るほど美しい。お髪の手あたり具合など、とてもひんやりと気品のある感じがして、身を固くして恥ずかしがっていらっしゃる様子、たいそうかわいらしい。帰りづらくぐずぐずしていらっしゃる。
「しじゅう誰かいて、篝火を焚いていよ。夏の月のないころは、庭に光がないと、何か気味が悪く、心もとないから」
とおっしゃる。
「篝火とともに立ち上る恋の煙は
永遠に消えることのないわたしの思いなのです
いつまで待てとおっしゃるのですか。くすぶる火ではないが、苦しい思いでいるのです」
と申し上げなさる。女君は、「奇妙な仲だわ」とお思いになると、
「果てしない空に消して下さいませ
篝火とともに立ち上る煙とおっしゃるならば
人が変だと思うことでございますわ」 とお困りになるので、「さあて」と言って、お出になると、東の対の方に美しい笛の音が、箏と合奏していた。
「中将が、いつものように一緒にいる仲間たちと合奏しているようだ。頭中将であろう。たいそう見事に吹く笛の音色だなあ」
と言って、お立ち止まりなさる。
[1-3 柏木、玉鬘の前で和琴を演奏]
お便りに、「こちらに、たいそう涼しい火影の篝火に、引き止められています」
とおっしゃったので、連れだって三人参上なさった。
「風の音は秋になったと、聞こえる笛の音色に、我慢ができなくてね」
と言って、お琴を取り出して、やさしい感じにお弾きになる。源中将は、「盤渉調」にたいそう美しく吹いた。頭中将は、気をつかって歌いにくそうにしている。「遅い」というので、弁少将が、拍子を打って、静かに歌う声は、鈴虫かと思うほどである。二度ほど歌わせなさって、お琴は中将にお譲りあそばした。まことに、あの父大臣のお弾きになる音色に、少しも劣らず、派手で素晴らしい。
「御簾の中に、音楽の分かる人がいらっしゃるようだ。今晩は、杯なども気をつかわれよ。盛りを過ぎた者は、酔泣きする折に、言わなくともよいことまで言ってしまうかもしれない」
とおっしゃると、姫君もまことにしみじみとお聞きになる。
切っても切れないご姉弟の関係は、並々ならぬものだからであろうか、この君たちを人に分からないように目にも耳にも止めていらっしゃるが、よもやそんなことは思いも寄らず、この中将は、心のありったけを尽くして、思慕のことで、このような機会にも、抑えきれない気がするが、見苦しくないように振る舞って、少しも気を許して琴を弾き続けることができない。
28. 野分
光る源氏の太政大臣時代36歳の秋野分の物語
- 8月野分の襲来 中宮のお庭先に、秋の花をお植えあそばしていらっしゃることは
- 夕霧、紫の上を垣間見る 南の御殿でも、お庭先の植え込みを手入れさせていらっしゃったちょうどそのころ
- 夕霧、三条宮邸へ赴く 家司たちが参上して、「たいそうひどい勢いになりそうでございます
- 夕霧、暁方に六条院へ戻る 明け方に風が少し湿りを含んで、雨が村雨のように降り出す
- 源氏、夕霧と語る 御格子をご自身でお上げになるので
- 夕霧、中宮を見舞う 中将は御前を辞して、中の廊の戸を通って、参上なさる
1 夕霧の物語 継母垣間見の物語
- 源氏、中宮を見舞う 南の御殿では、御格子をすっかり上げて、昨夜
- 源氏、明石御方を見舞う こちらから、そのまま北の町に抜けて、明石の御方を
- 源氏、玉鬘を見舞う 西の対では、恐ろしく思って夜をお明かしになった
- 夕霧、源氏と玉鬘を垣間見る 中将は、たいそう親しげにお話し申し上げていらっしゃるのを
- 源氏、花散里を見舞う 東の御方へ、ここからお渡りになる
2 光源氏の物語 六条院の女方を見舞う物語
- 夕霧、雲井雁に手紙を書く 気疲れのする方々をお回りになるお供をして歩いて
- 夕霧、明石姫君を垣間見る お戻りあそばすというので、女房たちがざわめき
- 内大臣、大宮を訪う 祖母宮のお側に参上なさると
3 夕霧の物語 幼恋の物語
1 夕霧の物語 継母垣間見の物語
[1-1 8月野分の襲来]
中宮のお庭先に、秋の花をお植えあそばしていらっしゃることは、例年よりも見る価値が多くあって、ありとあらゆる種類の花を植えて、風情のある皮のある木と皮をはいだ木との籬垣を結い混ぜて、同じ花の枝ぶりや、姿は、朝夕の露の光も世間のと違って、玉かと輝いて、お造りになった野辺の色彩を見ると、一方では、春の山もつい忘れられて、さわやかで気分が晴々するようで、心も浮き立つほどである。
春秋の優劣に、昔から秋に心を寄せる人は数多くいたが、名高い春のお庭先の花園に心を寄せた人々が、再び掌を返すように秋に心変わりする様子は、時勢におもねる世情と似ていた。
この庭をお気に召して、里住みなさっていらっしゃる間に、管弦のお遊びなども催したいところであるが、八月は故前坊の御忌月にあたるので、気になさりながら毎日過ごしていらっしゃったが、この花の色がいよいよ美しくなっていく様子を御覧になっていると、野分が、いつもの年よりも激しく、空も変わって風が吹き出す。
いろいろの花が萎れるのを、それほどにも思わない人でさえも、まあ、困ったことと心を痛めるのに、まして、草むらの露の玉が乱れるにつれて、お気もどうにかなってしまいそうにご心配あそばしていらっしゃった。大空を覆うほどの袖は、秋の空にこそ欲しい感じがした。日が暮れて行くにつれて、何も見えないほど吹き荒れて、たいそう気味が悪いなので、御格子などをお下ろしになったが、不安でたまらないと花の身をご心配あそばす。
[1-2 夕霧、紫の上を垣間見る]
南の御殿でも、お庭先の植え込みを手入れさせていらっしゃったちょうどそのころ、このように野分が吹き出して、株もまばらな小萩が、待っていた風にしては激し過ぎる吹き具合である。枝も折れ曲がって、露も結ばないほど吹き散らすのを、少し端近くに出て御覧になる。
大臣は、姫君のお側にいらっしゃった時に、中将の君が参上なさって、東の渡殿の小障子の上から、妻戸の開いている隙間を、何気なく覗き込みなさると、女房たちが大勢見えるので、立ち止まって、音を立てないで見る。
御屏風も、風がひどく吹いたので、押したたんで隅に寄せてあるので、すっかり見通せる廂の御座所に座っていらっしゃる方、他の人と間違えようもない、気高く清らかで、ぱっと輝く感じがして、春の曙の霞の間から、美しい樺桜が咲き乱れているのを見る感じがする。どうにもならぬほど、拝見している自分の顔にもふりかかってくるように、魅力的な美しさが一面に広がって、二人といないご立派な方のお姿である。
御簾の吹き上げられるのを、女房たちが押さえて、どうしたのであろうか、にっこりとなさっているのが、何とも美しく見える。いろいろな花を心配なさって、見捨てて中にお入りになることができない。お側に仕える女房たちも、それぞれにこざっぱりとした姿に見えるが、目が止まるはずもない。
「大臣がたいそう遠ざけていらっしゃるのは、このように見る人が心を動かさずにはいられないお美しさなので、用心深いご性質から、万一、このようなことがあってはいけないと、ご懸念になっていたのだ」
と思うと、何となく恐ろしい気がして、立ち去ろうとする、その時、西のお部屋から、内の御障子を引き開けてお越しになる。
「とてもひどい、気ぜわしい風ですね。御格子を下ろしなさいよ。男たちがいるだろうに、丸見えになっては大変だ」
と申し上げなさるのを、再び近寄って見ると、何か申し上げて、大臣もにっこりしてお顔を拝していらっしゃる。親とも思われず、若々しく美しく優雅で、素晴らしい盛りのお姿である。
女もすっかり成人なさって、何一つ不足のないお二方のご様子であるのを、身にしみて美しく感じられるが、この渡殿の格子も風が吹き放って、立っている所が丸見えになったので、恐ろしくなって立ち退いた。 今ちょうど参上したように咳払いして、簀子の方に歩き出しなさると、
「そらごらん。見えたかもしれない」
とおっしゃって、「あの妻戸が開いていたことよ」と、今見てお気づきになる。
「長年このようなことはちっともなかったものを。風は、ほんとうに巌も吹き上げてしまうものなのだなあ。あれほどご用心の深い方々のお心を騒がせて。珍しく嬉しい目を見たものだ」と思わずにはいられない。
[1-3 夕霧、三条宮邸へ赴く]
家司たちが参上して、
「たいそうひどい勢いになりそうでございます。丑寅の方角から吹いて来ますので、こちらのお庭先は静かなのです。馬場殿や南の釣殿などは危なそうです」
と申して、あれこれと作業に大わらわとなる。
「中将は、どこから参ったのか」
「三条宮におりましたが、『風が激しくなるだろう』と、人々が申しましたので、気がかりで参上いたしました。あちらでは、ここ以上に心細く、風の音も、今ではかえって幼い子供のように恐がっていらっしゃるようなので。おいたわしいので、失礼いたします」
とご挨拶申し上げなさると、
「なるほど、早く、行って上げなさい。年をとるにつれて、再び子供のようになることは、まったく考えられないことだが、なるほど、老人はそうしたものだ」
などと、ご同情申し上げなさって、
「このように風が騒がしそうでございますが、この朝臣がお側におりましたらばと、存じまして代わらせました」
と、お手紙をお託しになる。
道中、激しく吹き荒れる風だが、几帳面でいらっしゃる君なので、三条宮と六条院とに参上して、お目通りなさらない日はない。内裏の御物忌みなどで、どうしてもやむを得ず宿直しなければならない日以外は、忙しい公事や、節会などの、時間がかかり、用事が多い時に重なっても、真っ先にこの院に参上して、三条宮からご出仕なさったので、まして今日は、このような空模様によって、風より先に立ってあちこち動き回るのは、孝心深そうに見える。
大宮は、たいそう嬉しく頼もしくお待ち受けになって、
「この年になるまで、いまだこのように激しい野分には遭わなかった」
と、ただ震えに震えてばかりいらっしゃる。
大きな木の枝などが折れる音も、たいそう気味が悪い。御殿の瓦まで残らず吹き飛ばすので、
「よくぞおいで下さいましたこと」
と、脅えながらも挨拶なさる。あれほど盛んだったご威勢も今はひっそりとして、この君一人を頼りに思っていらっしゃるのは、無常な世の中である。今でも世間一般のご声望が衰えていらっしゃることはないけれども、内の大殿のご態度は、親子であるのにかえって疎遠のようであったのだ。
中将は、一晩中激しい風の音の中でも、何となくせつなく悲しい気持ちがする。心にかけて恋しいと思っていた人のことは、ついさしおかれて、先程の御面影が忘れられないのを、
「これは、どうしたことだろう。だいそれた料簡を持ったら大変だ。とても恐ろしいことだ」
と、自分自身で気を紛らわして、他の事に考えを移したが、やはり、思わず御面影がちらついては、
「過去にも将来にも、めったにいない素晴らしい方でいらっしゃったなあ。このような素晴らしいご夫婦仲に、どうして東の御方が、夫人の一人として肩を並べなさったのだろうか。比べようもないことだな。ああ、お気の毒な」
とつい思わずにはいられない。大臣のお気持ちをご立派だとお分かりになる。
人柄がたいそう誠実なので、不相応なことを考えはしないが、「あのような美しい方とこそ、同じ結婚をするなら、妻にして暮らしたいものだ。限りのある寿命も、きっともう少しは延びるだろう」と、自然と思い続けられる。
[1-4 夕霧、暁方に六条院へ戻る]
明け方に風が少し湿りを含んで、雨が村雨のように降り出す。
「六条院では、離れている建物が幾棟か倒れた」
などと人々が申す。
「風が吹き巻いているうちは、広々とはなはだ高い感じのする六条院には、家司たちは、殿のいらっしゃる御殿あたりには大勢詰めていようが、東の町などは、人少なで心細く思っていらっしゃることだろう」
とお気づきになって、まだ夜がほんのりとする時分に参上なさる。
道中、横なぐりの雨がとても冷たく吹き込んでくる。空模様も恐ろしいうえに、妙に魂も抜け出たような感じがして、
「どうしたことか。更に自分の心に物思いが加わったことよ」と思い出すと、「まことに似つかわしくないことでであるよ。ああ、気違いじみている」
と、あれやこれやと思いながら、東の御方にまず参上なさると、脅えきっていらっしゃったところなるので、いろいろとお慰め申して、人を呼んで、あちこち修繕すべきことを命じ置いて、南の御殿に参上なさると、まだ御格子も上げていない。
いらっしゃる近くの高欄に寄り掛かって、見渡すと、築山の多数の木を吹き倒して、枝がたくさん折れて落ちていた。草むらは言うまでもなく、桧皮、瓦、あちこちの立蔀、透垣などのような物までが散乱していた。
日がわずかに差したところ、悲しい顔をしていた庭の露がきらきらと光って、空はたいそう冷え冷えと霧がかかっているので、何とはなしに涙が落ちるのを、拭い隠して、咳払いをなさると、
「中将が挨拶しているようだ。夜はまだ深いことだろうな」
とおっしゃって、お起きになる様子である。何事であろうか、お話し申し上げなさる声はしないで、大臣がお笑いになって、
「昔でさえ味わわせることのなかった、暁の別れですよ。今になって経験なさるのは、つらいことでしょう」
とおっしゃって、しばらくの間仲睦まじくお語らいになっていらっしゃるお二方のご様子は、たいそう優雅である。女のお返事は聞こえないが、かすかながら、このように冗談を申し上げなさる言葉の様子から、「水も漏らさないご夫婦仲だな」と、聞いていらっしゃった。
[1-5 源氏、夕霧と語る]
御格子をご自身でお上げになるので、あまりに近くにいたのが具合悪く、退いて控えていらっしゃる。
「どうであった。昨夜は、大宮はお待ちかねでお喜びになったか」
「はい。ちょっとしたことにつけても、涙もろくいらっしゃいますので、たいそう困ったことでございます」
と申し上げなさると、お笑いになって、
「もう先も長くはいらっしゃるまい。ねんごろにお世話して上げるがよい。内大臣は、こまかい情愛がないと、愚痴をこぼしていらっしゃった。人柄は妙に派手で、男性的過ぎて、親に対する孝養なども、見ための立派さばかりを重んじて、世間の人の目を驚かそうというところがあって、心底のしみじみとした深い情愛はない方でいらっしゃった。それはそれとして、物事に思慮深く、たいそう賢明な方で、この末世では過ぎたほど学問も並ぶ者がなく、閉口するほどだが。人間として、このように欠点のないことは難しいことだなあ」
などとおっしゃる。
「たいそうひどい風だったが、中宮の御方には、しっかりした宮司などは控えていただろうか」
とおっしゃって、この中将の君を使者として、お見舞を差し上げなさる。
「昨夜の風の音は、どのようにお聞きあそばしましたでしょうか。吹き荒れていましたが、あいにく風邪をひきまして、とてもつらいので、休んでいたところでございました」
とご伝言申し上げなさる。
[1-6 夕霧、中宮を見舞う]
中将は御前を辞して、中の廊の戸を通って、参上なさる。朝日をうけたお姿は、とても立派で素晴らしい。東の対の南の側に立って、寝殿の方を遥かに御覧になると、御格子は、まだ二間ほど上げたばかりで、かすかな朝日の中に、御簾を巻き上げて、女房たちが座っていた。
高欄にいく人も寄り掛かっている、若々しい女房ばかりが大勢見える。気を許している姿はどんなものであろうか、はっきり見えない早朝では、色とりどりの衣装を着た姿は、どれもこれも美しく見えるものでる。
童女を庭にお下ろしになって、いくつもの虫籠に露をおやりになっていらっしゃるのであった。紫苑、撫子、濃い薄い色の袙の上に、女郎花の汗衫などのような、季節にふさわしい衣装で、四、五人連れ立って、あちらこちらの草むらに近づいて、色とりどりの虫籠をいくつも持ち歩いて、撫子などの、たいそう可憐な枝をいく本も取って参上する、その霧の中に見え隠れする姿は、たいそう優艷に見えるのであった。
あとから吹いて来る追風は、紫苑の花すべてが匂う空も、薫物の香も、お触れになった御移り香のせいかと、想像されるのもまことにみごとなので、つい緊張されて、御前に進みにくいけれども、小声で咳払いして、お歩き出しになると、女房たちははっきりと驚いた顔ではないが、皆奥に入ってしまった。
御入内されたころなどは、子供だったので、御簾の中によくお入りなにっていたので、女房なども、たいしてよそよそしくはない。お見舞いを言上させなさって、宰相の君や、内侍などのいる様子がするので、私事も小声でお話しになる。こちらはこちらで、何といっても、気品高く暮らしていらっしゃる様子を見るにつけ、さまざまなことが思い出される。
2 光源氏の物語 六条院の女方を見舞う物語
[2-1 源氏、中宮を見舞う]
南の御殿では、御格子をすっかり上げて、昨夜、見捨てることのできなかった花々が、見るかげもなく萎れて倒れているのを御覧になった。中将が、御階にお座りになって、お返事を申し上げなさる。
「激しい風を防いでくださいましょうかと、子供のように心細がっておりましたが、今はもう安心しました」
と申し上げなさると、
「妙に気が弱くいらっしゃる宮だ。女ばかりでは、空恐ろしくお思いであったに違いない昨夜の様子だったから、おっしゃる通り、不親切だとお思いになったことであろう」
とおっしゃって、すぐに参上なさる。御直衣などをお召しになろうとして、御簾を引き上げてお入りになる時、「低い御几帳を引き寄せて、わずかに見えたお袖口は、きっとあの方であろう」と思うと、胸がどきどきと高鳴る気がするのも、いやな感じので、他の方へ視線をそらした。
殿が御鏡などを御覧になって、小声で、
「中将の朝の姿は、美しいな。今はまだ、子供のはずなのに、不体裁でなく見えるのも、親心の迷いからであろうか」
と言って、ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のようです。とてもたいそう気をおつかいになって、
「中宮にお目にかかるのは、気後れする感じがします。特に人目につく趣味ありげなところも、お見えでない方だが、奥の深い感じがして何かと気をつかわされるお人柄も方です。とてもおっとりして女らしい感じですが、なにかおもちのようでいらっしゃいますよ」
とおっしゃって、外にお出になると、中将は物思いに耽って、すぐにはお気づきにならない様子で座っていらっしゃったので、察しのよい人のお目にはどのようにお映りになったことか、引き返してきて、女君に、
「昨日、風の騷ぎに、中将はお隙見したのではないでしょうか。あの妻戸が開いていたからね」
とおっしゃると、お顔を赤らめて、
「どうして、そのようなことがございましょう。渡殿の方には、人の物音もしませんでしたもの」
とお答え申し上げなさる。
「やはり、変だ」と独り言をおっしゃって、お渡りになりった。
御簾の中にお入りになってしまったので、中将は、渡殿の戸口に女房たちのいる様子がしたので近寄って、冗談を言ったりするが、悩むことのあれこれが嘆かわしくて、いつもよりもしんみりとしていらっしゃった。
[2-2 源氏、明石御方を見舞う]
こちらから、そのまま北の町に抜けて、明石の御方をお見舞いになると、これといった家司らしい人なども見えず、もの馴れた下女どもが、草の中を分け歩いている。童女などは、美しい衵姿にくつろいで、心をこめて特別にお植えになった龍胆や、朝顔の蔓が這いまつわっている籬垣も、みな散り乱れているのを、あれこれと引き出して、元の姿を求めているのであろう。
何となくもの悲しい気分で、箏の琴をもてあそびながら、端近くに座っていらっしゃるところに、御前駆の声がしたので、くつろいだ糊気のない不断着姿の上に、小袿を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せたのは、たいそう立派なものである。端の方にちょっとお座りになって、風のお見舞いだけをおっしゃって、そっけなくお帰りになるのが、恨めしげである。
「ただ普通に荻の葉の上を通り過ぎて行く風の音も
つらいわが身だけにはしみいるような気がして」
とつい独り言をいうのであった。
[2-3 源氏、玉鬘を見舞う]
西の対では、恐ろしく思って夜をお明かしになった、その影響で、寝過ごして、今やっと鏡などを御覧になるのであった。
「仰々しく先払い、するな」
とおっしゃるので、特に音も立てないでお入りになる。屏風などもみな畳んで隅に寄せ、乱雑にしてあったところに、日がぱあっと照らし出した時、くっきりとした美しい様子をして座っていらっしゃった。その近くにお座りになって、いつものように、風の見舞いにかこつけても同じように、厄介な冗談を申し上げなさるので、たまらなく嫌だわと思って、
「このように情けないなので、昨夜の風と一緒に飛んで行ってしまいとうございましたわ」
と、御機嫌を悪くなさると、たいそうおもしろそうにお笑いになって、
「風と一緒に飛んで行かれるとは、軽々しいことでしょう。そうはいっても、落ち着くところがきっとあることでしょう。だんだんこのようなお気持ちが出てきたのですね。もっともなことです」
とおっしゃるので、
「なるほど、ふと思ったままに申し上げてしまったわ」
とお思いになって、自分自身でもほほ笑んでいらっしゃるのが、とても美しい顔色であり、表情である。酸漿などというもののようにふっくらとして、髪のかかった隙間から見える頬の色艶が美しく見える。目もとのほがらか過ぎる感じが、特に上品とは見えなかったのであった。その他は、少しも欠点のつけようがなかった。
[2-4 夕霧、源氏と玉鬘を垣間見る]
中将は、たいそう親しげにお話し申し上げていらっしゃるのを、「何とかこの姫君のご器量を見たいものだ」と思い続けていたので、隅の間の御簾を、その奥に几帳は立ててあったがきちんとしていなかったので、静かに引き上げて中を見ると、じゃま物が片づけてあったので、たいそうよく見える。このようにふざけていらっしゃる様子がはっきりわかるので、
「妙なことだ。親子とは申せ、このように懐に抱かれるほど、馴れ馴れしくしてよいものだろうか」
と目がとまった。「見つけられはしまいか」と恐ろしいけれども、変なので、びっくりして、なおも見ていると、柱の陰に少し隠れていらっしゃったのを、引き寄せなさると、御髪が横になびいて、はらはらとこぼれかかったところ、女も、とても嫌でつらいと思っていらっしゃる様子ながら、それでも穏やかな態度で、寄り掛かっていらっしゃるのは、
「すっかり親密な仲になっているらしい。いやはや、ああひどい。どうしたことであろうか。抜け目なくいらっしゃるご性分だから、最初からお育てにならなかった娘には、このようなお思いも加わるのだろう。もっともなことだが。ああ、嫌だ」
と思う自分自身までが気恥ずかしい。「女のご様子は、なるほど、姉弟といっても、少し縁遠くて、異母姉弟なのだ」などと思うと、「どうして、心得違いを起こさないだろうか」と思われる。
昨日拝見した方のご様子には、どこか劣って見えるが、一目見ればにっこりしてしまうところは、肩も並べられそうに見える。八重山吹の花が咲き乱れた盛りに、露の置いた夕映えのようだと、ふと思い浮かべずにはいられない。季節に合わないたとえだが、やはり、そのように思われるのであるよ。花は美しいといっても限りがあり、ばらばらになった蘂などが混じっていることもあるが、姫君のお姿の美しさは、たとえようもないものなのであった。
御前には女房も出て来ず、たいそう親密に小声で話し合っていらっしゃったが、どうしたのであろうか、真面目な顔つきでお立ち上がりになる。女君は、
「吹き乱す風のせいで女郎花は
萎れてしまいそうな気持ちがいたします」
はっきりとは聞こえないが、お口ずさみになるのをかすかに聞くと、憎らしい気がする一方で興味がわくので、やはり最後まで見届たいが、「近くにいたなと悟られ申すまい」と思って、立ち去った。
お返歌は、
「下葉の露になびいたならば
女郎花は荒い風には萎れないでしょうに
なよ竹を御覧なさい」
などと、聞き間違いであろうか、あまり聞きよい歌ではない。
[2-5 源氏、花散里を見舞う]
東の御方へ、ここからお渡りになる。今朝の寒さのせいで内輪の仕事であろうか、裁縫などをする老女房たちが御前に大勢いて、細櫃らしい物に、真綿をひっかけて延ばしている若い女房たちもいる。とても美しい朽葉色の羅や、流行色でみごとに艶出ししたのなどを、ひき散らかしていらっしゃった。
「中将の下襲か。御前での壷前栽の宴もきっと中止になるだろう。このように吹き散らしたのでは、何の催し事ができようか。興ざめな秋になりそうだ」
などとおっしゃって、何の着物であろうか、さまざまな衣装の色が、とても美しいので、「このような技術は南の上にも負けない」とお思いになる。御直衣、花文綾を、近頃摘んできた花で、薄く染め出しなさったのは、たいそう申し分ない色をしていた。
「中将にこそ、このようなのをお着せなさるがよい。若い人の直衣として無難でしょう」
などというようなことを申し上げなさって、お渡りになった。
3 夕霧の物語 幼恋の物語
[3-1 夕霧、雲井雁に手紙を書く]
気疲れのする方々をお回りになるお供をして歩いて、中将は、何となく気持ちが晴れず、書きたい手紙など、日が高くなってしまうのを心配しながら、姫君のお部屋に参上なさった。
「まだあちらにおいであそばします。風をお恐がりあそばして、今朝はお起きになれませんでしたこと」
と、御乳母が申し上げる。
「ひどい荒れようでしたから、宿直しようと存じましたが、宮が、たいそう恐がっていらっしゃったものですから。お雛様の御殿は、いかがでいらっしゃいましたか」
とお尋ねになると、女房たちは笑って、
「扇の風でさえ吹けば、たいへんなことにお思いになっているのを、危うく吹き壊されるところでございました。この御殿のお世話に、困りっております」などと話す。
「大げさでない紙はありませんか。お局の硯を」
とお求めになると、御厨子に近寄って、紙一巻を、御硯箱の蓋に載せて差し上げたので、
「いや、これは恐れ多い」
とおっしゃるが、北の御殿の世評を考えれば、そう気をつかうほどでもない気がして、手紙をお書きになる。
紫の薄様の紙であった。墨は、ていねいにすって、筆先を見い見いして、念を入れて書きながら筆を休めていらっしゃるのが、とても素晴らしい。けれども、妙に型にはまって、感心しない詠みぶりでいらっしゃった。
「風が騒いでむら雲が乱れる夕べにも
片時の間もなく忘れることのできないあなたです」
風に吹き乱れた刈萱にお付けになったので、女房たちは、
「交野の少将は、紙の色と同じ色の物に揃えましたよ」と申し上げる。
「それくらいの色も考えつかなかったな。どこの野の花を付けようか」
などと、このような女房たちにも、言葉少なに応対して、気を許すふうもなく、とてもきまじめで気品がある。
もう一通お書きになって、右馬助にお渡しになったので、美しい童や、またたいそう心得ている御随身などに、ひそひそとささやいて渡すのを、若い女房たちは、ひどく知りたがっている。
[3-2 夕霧、明石姫君を垣間見る]
お戻りあそばすというので、女房たちがざわめき、几帳を元に直したりする。先ほど見た花の顔たちと、比べて見たくて、いつもは覗き見など関心もない人なのに、無理に、妻戸の御簾に身体を入れて、几帳の隙間を見ると、物蔭から、ちょうどいざっていらっしゃるところが、ふと目に入った。
女房が大勢行ったり来たりするので、はっきりわからないほどなので、たいそうじれったい。薄紫色のお召物に、髪がまだ背丈には届いていない末の広がったような感じで、たいそう細く小さい身体つきが可憐でいじらしい。
「一昨年ぐらいまでは、偶然にもちらっとお姿を拝見したが、またすっかり成長なさったようだ。まして盛りになったらどんなに美しいだろう」と思う。「あの前に見た方々を、桜や山吹と言ったら、この方は藤の花と言うべきであろうか。木高い木から咲きかかって、風になびいている美しさは、ちょうどこのような感じだ」と思い比べられる。「このような方々を、思いのままに毎日拝見していたいものだ。そうあってもよい身内の間柄なのに、事ごとに隔てを置いて厳しいのが恨めしいことだ」などと思うと、誠実な心も、何やら落ち着かない気がする。
[3-3 内大臣、大宮を訪う]
祖母宮のお側に参上なさると、静かにお勤めをなさっている。まずまずの若い女房などは、こちらにも伺候しているが、物腰や様子、衣装なども、栄華を極めている所とは比較にもならない。器量のよい尼君たちが、墨染の衣装で質素にしているのが、かえってこのような所では、それなりにしみじみとした感じがするのであった。
内大臣も参上なさったので、御殿油などを灯して、のんびりとお話など申し上げになさる。
「姫君に久しくお目にかからないのが情けないこと」
とおっしゃって、ただひたすらお泣きになる。
「もうすぐこちらに参上させましょう。自分からふさぎ込んでいまして、惜しいことに痩せてしまっているようです。女の子は、はっきり申せば、持つべきではございませんでした。何かにつけて、心配ばかりさせられました」
などと、依然として不快にこだわっている様子でおっしゃるので、情けなくて、ぜひにともお申し上げなさらない。その話の折に、
「たいそう不出来な娘を持ちまして、手を焼いてしまいました」
と、愚痴をおこぼしになって、にが笑いなさる。宮、
「まあ、変ですこと。あなたの娘という以上、出来の悪いことがありましょうか」
とおっしゃると、
「それが体裁の悪いことなのでございます。ぜひ、御覧に入れたいものです」
と申し上げなさったとか。
29. 行幸
光る源氏の太政大臣時代36歳12月から37歳2月までの物語
- 大原野行幸 このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと
- 玉鬘、行幸を見物 西の対の姫君もお出かけになった
- 行幸、大原野に到着 こうして、大原野に御到着あそばして
- 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める 翌日、大臣は、西の対に
- 玉鬘、裳着の準備 「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を
1 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸
- 源氏、三条宮を訪問 今は以前にもまして、目立たないようになさったが
- 源氏と大宮との対話 お話など、昔のこと今のことなどあれこれととりまぜて申し上げなさる折に
- 源氏、大宮に玉鬘を語る 「実は、あの方がお世話なさるはずの人を
- 大宮、内大臣を招く 内大臣、このように三条宮に太政大臣がお越しになって
- 内大臣、三条宮邸に参上 ご子息方をたいそう大勢引き連れてお入りになる様子
- 源氏、内大臣と対面 大臣も、ひさしぶりのご対面に、昔のことを自然と思い出されて
- 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去 夜がたいそう更けて、それぞれお別れになる
2 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る
- 内大臣、源氏の意向に従う 内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたく
- 2月16日、玉鬘の裳着の儀 こうしてその当日となって、三条宮からも
- 玉鬘の裳着への祝儀の品々 中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など
- 内大臣、腰結に役を勤める 内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが
- 祝賀者、多数参上 親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった
- 近江の君、玉鬘を羨む 世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と
- 内大臣、近江の君を愚弄 内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気に
3 玉鬘の物語 裳着の物語
1 玉鬘の物語 冷泉帝の大原野行幸
[1-1 大原野行幸]
このようにお考えの行き届かないことなく、何とかよい案はないかと、ご思案なさるが、あの音無の滝ではないが、嫌で気の毒なことなので、南の上のご想像通り、身分にふさわしくないご醜聞である。あの内大臣が、何ごとにつけても、はっきりさせ、少しでも中途半端なことを、我慢できずにいらっしゃるようなご気性なので、「そうなったら誰はばからず、はっきりとしたお婿扱いなどなされたりしたら、世間の物笑いになるのではないか」などと、お考え直しなさる。
その年の十二月に、大原野の行幸とあって、世の中の人は一人残らず見物に騒ぐのを、六条院からも御夫人方が引き連ねて御覧になる。卯の刻に御出発になって、朱雀大路から五条大路を西の方に折れなさる。桂川の所まで、見物の車がびっしり続いている。
行幸といっても、かならずしもこんなにではないのだが、今日は親王たちや、上達部も、皆特別に気をつかって、御馬や鞍を整え、随身、馬副人の器量や背丈、衣装をお飾りお飾りになっては、見事で美しい。左右の大臣、内大臣、大納言以下、いうまでもなく一人残らず行幸に供奉なさった。麹塵の袍に、葡萄染の下襲を、殿上人から五位六位までの人々が着ていた。
雪がほんの少し降って、道中の空までが優美に見えた。親王たち、上達部なども、鷹狩に携わっていらっしゃる方は、見事な狩のご装束類を用意なさっている。近衛の鷹飼どもは、それ以上に見たことのない摺衣を思い思いに着て、その様子は格別である。素晴らしく美しい見物をと競って出て来ては、大した身分でもなく、お粗末な脚の弱い車など、車輪を押しつぶされて、気の毒なのもある。舟橋の辺りなどにも優美にあちこちする立派な車が多かった。
[1-2 玉鬘、行幸を見物]
西の対の姫君もお出かけになった。大勢の我こそはと綺羅を尽くしていらっしゃる方々のご器量や様子を御覧になると、帝が赤色の御衣をお召しになって、凛々しく微動だになさらない御横顔に、ご比肩申し上げる人もいない。
わが父内大臣を、こっそりとお気をつけて拝見なさったが、派手で美しく、男盛りでいらっしゃるが、限界があった。たいそう人よりは優れた臣下と見えて、御輿の中以外の人には、目が移りそうもない。
ましてや、美男だとか、素敵な方よなどと、若い女房たちが死ぬほど慕っている中将、少将、何とかいう殿上人などの人は、何ほどのこともなく眼中にないのは、まったく群を抜いていらっしゃるからなのであった。源氏の太政大臣のお顔の様子は、別人とはお見えにならないが、気のせいかもう少し威厳があって、恐れ多く立派である。
そうしてみると、このような方はいらっしゃりにくいのであった。身分の高い人は、皆美しく感じも格別よいはずのものとばかり、大臣や、中将などのお美しさに見慣れていたので、見劣りした者たちでまともな者はないのであろうか、同じ人の目鼻とも見えず、悔しいほど圧倒されていることだ。
兵部卿宮もいらっしゃる。右大将が、あれほど重々しく気取っているのも、今日の衣装がたいそう優美で、やなぐいなどを背負って供奉なさっていた。色黒く鬚が多い感じに見えて、とても好感がもてない。どうして、女性の化粧した顔の色に男が似たりしようか。とても無理なことを、お若い方の考えとて、軽蔑なさったのであった。
大臣の君がお考えになっておっしゃっることを、「どうしたものか、宮仕えは、不本意なことで見苦しいことではないかしら」と躊躇していらっしゃったが、「帝の寵愛ということを離れて、一般の宮仕えしてお目通りするならば、きっと結構なことであろう」という、お気持ちになった。
[1-3 行幸、大原野に到着]
こうして、大原野に御到着あそばして、御輿を止め、上達部の平張の中で食事を召し上がり、御衣装を直衣や、狩衣の装束に改めたりなさる時に、六条院からお酒やお菓子類などが献上された。今日供奉なさる予定だと、前もってご沙汰があったのだが、御物忌の理由を奏上なさったのであった。
蔵人で左衛門尉を御使者として、雉をつけた一枝を献上あそばしなさった。仰せ言にはどのようにあったか、そのような時のことを語るのは、わずらわしいことなので。
「雪の深い小塩山に飛び立つ雉のように
古例に従って今日はいらっしゃればよかったのに」
太政大臣が、このような野の行幸に供奉なさった先例があったのであろうか。大臣は、御使者を恐縮しておもてなしなさる。
「小塩山に深雪が積もった松原に
今日ほどの盛儀は先例がないでしょう」
と、その当時に伝え聞いたことで、ところどころ思い出されるのは、聞き間違いがあるかもしれない。
[1-4 源氏、玉鬘に宮仕えを勧める]
翌日、大臣は、西の対に、
「昨日、主上は拝見なさいましたか。あの件は、その気におなりになりましたか」
と申し上げなさった。白い色紙に、たいそう親しげな手紙で、こまごまと色めいたことも含まれてないのが、素晴らしいのを御覧になって、
「いやなことを」
とお笑いなさるものの、「よくも人の心を見抜いていらっしゃるわ」とお思いになる。お返事には、
「昨日は、
雪が散らついて朝の間の行幸では
はっきりと日の光は見えませんでした
はっきりしない御ことばかりで」
とあるのを、紫の上も御覧になる。
「しかじかのことを勧めたのですが、中宮がああしていらっしゃるし、わたしの娘という扱いのままでは不都合であろう。あの内大臣に知られても、弘徽殿の女御がまたあのようにいらっしゃるのだからなどと、思い悩んでいたことです。若い女性で、そのように親しくお仕えするのに、何も遠慮する必要がないのは、主上をちらとでも拝見して、宮仕えを考えない者はないでしょう」
とおっしゃると、
「あら、嫌ですわ。いくら御立派だと拝見しても、自分から進んで宮仕えを考えるなんて、とても出過ぎた考えでしょう」
と言って、お笑いになる。
「さあ、そういうあなたこそ、きっと熱心になることでしょう」
などとおっしゃって、改めてお返事に、
「日の光は曇りなく輝いていましたのに
どうして行幸の日に雪のために目を曇らせたのでしょう
やはり、ご決心なさい」
などと、ひっきりなしにお勧めになる。
[1-5 玉鬘、裳着の準備]
「何はともあれ、まずは御裳着の儀式を」とお思いになって、そのご用意の御調度類の、精巧で立派な品々をお加えになり、どういった儀式であれ、ご自分では大して考えていらっしゃらないことでも、自然と大げさに立派になるのを、まして、「内大臣にも、このまま儀式の機会にお知らせ申そうか」とお考え寄りになったので、たいそう立派である。「年が明けて、二月に」とお考えになる。
「女性というものは、評判が高く、名をお隠しできる年頃ではなくとも、誰かの姫君として、深窓にこもっていらっしゃる間は、必ずしも氏神への参詣なども、表立ってしないので、今までは分からないように過ごしていらっしゃったが、この、もし今考えていることが実現したら、春日明神の御心に背いてしまうし、結局は隠しおおせるものではないから、つまらないことに、格別の計略があったことのように後々まで取り沙汰されては、おもしろからぬことだろう。並の人の身分なら、当世ふうとしては、氏を改めることも簡単なものだが」などとご思案なさるが、「親子のご縁は、絶えるようなことはないものだ。同じことなら、こちらから進んで、お知らせ申そう」
などとご決心なさって、この儀式の御腰結役には、その内大臣をと、お手紙を差し上げなさったところ、大宮が、去年の冬頃から病気をなさっていたが、一向によくおなりにならないので、このような場合では、都合がつかない旨を、お返事申された。
中将の君も、昼夜、三条宮邸に伺候なさっていて、心に余裕もなくいらっしゃるので、時機が悪いのを、どうしたものか、とお考えになる。
「世の中も、まことに無常なものだ。大宮がお亡くなりにあそばしたら、御喪に服さなければならないのに、知らない顔をしていらっしゃったら、罪深いことが多かろう。生きていらっしゃるうちに、このことを打ち明けよう」
とお考えになって、三条宮邸に、お見舞いかたがたお出かけになる。
2 光源氏の物語 大宮に玉鬘の事を語る
[2-1 源氏、三条宮を訪問]
今は以前にもまして、目立たないようになさったが、行幸に負けないほど厳めしく立派で、ますます光輝くばかりのお顔立ちなどが、この世では見られないほどの感じがして、素晴らしいと拝見なさるにつけては、ますますご気分の悪さも、取り除かれたような気持ちがして、起きて座わりになった。御脇息に寄りかかりなさって、弱々しそうであるが、お話などはたいそうよく申し上げなさる。
「お悪くはいらっしゃいませんのに、某の朝臣が気を動転させて、仰々しくお嘆き申しているようでしたので、どのようにいらっしゃるのかと、ご心配申し上げておりました。宮中などにも、特別な場合でない限りは参内せず、朝廷に仕える人らしくもなく籠もっておりますので、何事も不慣れで大儀に思っております。年齢など、わたし以上の人で、腰が辛抱できないほど曲がっても動き回る例は、昔も今もございますようですが、妙に愚かしい性分の上に、物臭になったのでございましょう」
などと申し上げなさる。
「年老いたための病気と存じながら、ここ数か月になってしまいましたが、今年になってからは、望みも少なそうに思われますので、もう一度、このようにお目にかかりお話し申し上げることもないのではなかろうかと、心細く存じておりましたが、今日は、再びもう少し寿命も延びたような気が致します。今はもう惜しむほどの年ではございません。親しい人たちにも先立たれ、年老いて生き残っている例を、他人の身の上として、とても見苦しいと見ておりましたので、後世への出立の準備が、気になっておりますが、この中将が、とても真心こめて不思議なほどよくお世話し、心配してくださるのを見ましては、あれこれと心を引き留められて、今まで生き延びております」
と、ただお泣きになるばかりで、お声が震えているのも、ばかばかしく思うが、無理のないことなので、まことにお気の毒なことである。
[2-2 源氏と大宮との対話]
お話など、昔のこと今のことなどあれこれととりまぜて申し上げなさる折に、
「内大臣は、日を置かず参上なさることは多いでしょうから、このような機会にお目にかかれたら、どんなに嬉しいことでしょう。ぜひともお知らせ申し上げたいと思うことがございますが、しかるべき機会がなくては、お目にかかることも難しいので、気になっています」
と申し上げなさる。
「公務が忙しいのでしょうか、孝心が深くないのでしょうか、それほど見舞いにも参りません。おっしゃりたいことは、どのようなことでしょうか。中将が恨めしく思っていることもございますが、『初めのことは知らないが、今となって二人を引き離そうとしたところで、いったん立った噂は、取り消せるものではなし、ばかげたようで、かえって世間の人も噂するというものを』などと言いましたが、一度言い出しことは、昔から後に引かない性格ですから、分かってくれないように見受けられます」
と、この中将のこととお思いになっておっしゃるので、にっこりなさって、
「今さら言ってもしかたのないことと、お許しになることもあろうかと聞きまして、わたくしまでがそれとなく口添え申したようなことがありましたが、たいそう厳しくお諌めになる旨を拝見しまして後は、どうしてそんなにまで口出しを致したのだろうかと、体裁悪く後悔致しております。
万事につけて、清めということがございますので、何とかして、元通りにきれいさっぱり水に流してくださらないことがあろうかとは存じながら、このように残念ながら濁り淀んでしまった末には、いくら待ち受けても深く澄むような水というものは出て来にくいものなのでしょう。何事につけても、後になるほど、悪くなって行き易いもののようでございます。お気の毒なことと存じます」
などと申し上げて、
[2-3 源氏、大宮に玉鬘を語る]
「実は、あの方がお世話なさるはずの人を、思い違いがございまして、思いがけず捜し出しましたが、その時は、そうした間違いだとも言ってくれなかったものでしたから、しいて事情を詮索することもしませんで、ただそのような子どもが少ないので、口実であっても、何かまうものかと大目に見まして、少しも親身な世話もしませんで、年月が過ぎましたが、どのようにしてお聞きあそばしたのでしょうか、帝から仰せになることがございました。
尚侍として、宮仕えする者がいなくては、あの役所の仕事は取り締まれず、女官なども公務を勤めるのに頼り所がなく、事務が滞るようであったが、現在、帝付きの老齢の典侍二人や、また他に適当な人々が、それぞれに申し出ているが、立派な人をお選びあそばそうとするのに、その適任者がいない。
やはり、家柄も高く、世間の評判も軽くはなく、家の生活の心配のない人が、昔からなってきている。仕事ができて賢い人という点での選考ならば、そういった人でなくとも、長年の功労によって昇任する例もあるが、それに当たる者もいないとなると、せめて世間一般の評判によってでもお選びあそばそうと、内々に仰せられましたが、似つかわしくないことだと、どうしてお思いになるでしょう。
宮仕えというものは、帝の恩顧を期待して、身分の高い者も低い者も出仕するというのが、理想が高いというものです。一般職の役職に就いて、そうした所の役所を取り仕切り、公事に関する事務を処理するようなことは、何でもない、重々しくないように思われていますが、どうしてまたそのようなことがありましょうか。ただ、自分自身の心がけ次第で、万事決まるようでございましょうというふうに、気持ちが傾いてきましたところです。
年齢を尋ねましたところ、あの大臣がお引き取りになるはずの人であることが分かりましたので、どうしたらよいことかと、はっきりとご相談申し上げたいと存じております。何かの機会がなくてはお目にかかることもございません。すぐにこれこれしかじかのことをと、打ち明けて申し上げるべく手立てを考えて、お手紙を差し上げたのですが、ご病気のことを口実にして、億劫がって辞退なさいました。
なるほど、時期も悪いと思い止まっていたのですが、ご病気もよろしくいらっしゃるようですから、やはり、このように考え出しました機会にと存じております。そのようにお伝え下さいませ」
と申し上げなさる。宮、
「それは、それは、一体どうしたことでございましょうか。あちらでは、いろいろとこのような名乗って出て来る人を、かまわずに迎え取っているようですが、どのような考えで、このように間違えて申し出たのでしょう。近年になってから、お噂を伺って、お子になったのでしょうか」
と、お尋ねなさるので、
「それにはそれなりの訳がございますのです。詳しい事情は、あの大臣も自然とお分かりになるでしょう。ごたごたした身分の女との間によくあるような話ですから、事情を明かしても、喧しく人が噂するでしょうから、中将の朝臣にさえ、まだ事情を知らせておりません。人にはお漏らしになりませんように」
と、お口止め申し上げなさる。
[2-4 大宮、内大臣を招く]
内大臣、このように三条宮に太政大臣がお越しになっていらっしゃる由、お聞きになって、
「どんなに人少なの状態で、威勢の盛んな御方をお迎え申されているのだろう。御前駆どもを接待し、お座席を、整える女房も、きっと気の利いた者はいないだろう。中将は、お供をなさっていることだろう」
などと、驚きなさって、ご子息の公達や、親しく出入りしているしかるべき廷臣たちを、差し向けなさる。
「御果物や、御酒など、しかるべく差し上げよ。自分自身も参上しなければならないが、かえって大騷ぎになるだろう」
などとおっしゃているところに、大宮のお手紙がある。
「六条の大臣がお見舞いにいらっしゃっているが、人少なな感じが致しますので、人目も体裁も悪く、もったいなくもあるので、仰々しくこのように申し上げたようにではなく、お越しになりませんか。お目にかかって申し上げたいそうなこともあるそうです」
と、お申し上げなさった。
「どのようなことだろうか。この姫君のおんこと、中将の苦情だろうか」とお考えめぐらしになって、「宮もこのように余命少なげで、このことをしきりにおっしゃり、大臣も穏やかに一言口に出して訴えておっしゃるなるば、とやかく反対申すことはしまい。平気な顔をして深く思い悩んでいないのを見るのは面白くないし、適当な機会があったら、相手のお言葉に従った顔をして二人の仲を許そう」とお考えになる。
「お二人が心を合わせておっしゃろうとすることだな」とお思いになると、「ますます反対のしようのないことだが、また、どうしてすぐに承知する必要があろうか」と躊躇されるのは、じつによからぬあいにくなご性分である。「しかし、宮がこのようにおっしゃり、大臣も会おうとお待ちになっているとか、どちらに対しても恐れ多い。参上してからご意向に従おう」
などとお考え直して、ご装束を特に気をつけ整えなさって、御前駆なども仰々しくなくしてお出かけになる。
[2-5 内大臣、三条宮邸に参上]
ご子息方をたいそう大勢引き連れてお入りになる様子、堂々として頼もしげである。背丈も高くていらっしゃるうえに、肉づきも釣り合って、たいそう落ち着いて威厳があり、お顔つき、歩き方、大臣というに十分でいらっしゃる。
葡萄染の御指貫、桜の下襲、たいそう長く裾を引いて、ゆったりとことさらに振る舞っていらっしゃるのは、ああ何とご立派なとお見えになるが、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今様色の御衣を重ねて、くつろいだ皇子らしい姿が、ますます喩えようもない。一段と光輝いていらっしゃるが、このようにきちんと衣装を整えていらっしゃるご様子には、比べものにならないお姿であった。
ご子息たちは次々と、まことに美しいご兄弟で、集まっていらっしゃる。藤大納言、春宮大夫などと、今では申す方のご子息方も、みな大きくなってお供していらっしゃる。自然と、特別ではないが、評判が高く身分の高い殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将、少将、弁官など、人柄が派手で立派な、十何人が集まっていらっしゃるので、堂々としていて、それ以下の普通の人も多くいるので、杯が何回も回り、みな酔ってしまって、それぞれがこのように幸福が誰よりも勝れていらっしゃるご境遇を話題にしていた。
[2-6 源氏、内大臣と対面]
大臣も、ひさしぶりのご対面に、昔のことを自然と思い出されて、離れていてこそ、ちょっとしたことにつけても、競争心も起きるようだが、向かい合ってお話し申し上げなさると、お互いにたいそうしみじみとしたことの数々が思い出されなさって、いつもの、心の隔てなく、昔や今のことがらや、長年のお話しに、日が暮れて行く。お杯などお勧め申し上げなさる。
「お見舞いに伺わなくてはいけないことでしたが、お呼びがないので遠慮致しておりまして。お越しを承りながら参りませんでしたら、お叱り事が増えたことでしょうが」
とお申し上げになると、
「お叱りは、こちらの方です。お怒りだと思うことがたくさんございます」
などと、意味ありげにおっしゃると、あの姫君のことだろうかとお思いになって、厄介なことだと、恐縮した態度でいらっしゃる。
「昔から、公私の事柄につけて、心に隔てなく、大小のことを申し上げたり承ったりして、羽翼を並べるようにして、朝廷の御補佐も致そうと存じておりましたが、年月がたちまして、その当時考えておりました気持ちと違うようなこと、時々出て来ましたが、内々の私事でしかありません。
それ以外のことでは、まったく変わるところはありません。特に何ということもなく年をとって行くにつれて、昔のことが懐しくなったのに、お目にかかることもほとんどなくなって行くばかりですので、身分柄きまりがあって、威儀あるお振る舞いをしなければとは存じながらも、親しい間柄では、そのご威勢もお控え下さって、お訪ね下さったらよいのにと、恨めしく思うことが度々ございます」
とお申し上げなさると、
「昔は、おっしゃる通りしげしげお会いして、何とも失礼なまでにいつもご一緒申して、心に隔てることなくお付き合いいただきましたが、朝廷にお仕えした当初は、あなたと羽翼を並べる一人とは思いもよりませんで、嬉しいお引き立てをば、大したこともない身の上で、このような地位に昇りまして、朝廷にお仕え致しますことに合わせても、有り難いと存じませぬのではありませんが、年をとりますと、おっしゃる通りつい怠慢になることばかりが、多くございました」
などと、お詫びを申し上げなさる。
その機会に、ちらと姫君のことをおっしゃったのであった。内大臣、
「まことに感慨深く、またとなく珍しいことでございますね」と、何よりも先お泣きになって、「その当時からどうしてしまったのだろうと捜しておりましたことは、何の機会でございましたでしょうか、悲しさに我慢できず、お話しお耳に入れましたような気が致します。今このように、少しは一人前にもなりまして、つまらない子供たちが、それぞれの縁故を頼ってうろうろ致しておりますのを、体裁が悪く、みっともないと思っておりますにつけても、またそれはそれとして、数々いる子供の中では、不憫だと思われる時々につけても、真っ先に思い出されるのです」
とおっしゃるのをきっかけに、あの昔の雨夜の物語の時に、さまざまに語った体験談の結論をお思い出しになって、泣いたり笑ったり、すっかり打ち解けられた。
[2-7 源氏、内大臣、三条宮邸を辞去]
夜がたいそう更けて、それぞれお別れになる。
「このように参上してご一緒しては、まったく、古くなってしまった昔の事が、自然と思い出されて、懐しい気持ちが抑えきれずに、帰る気も致しません」
とおっしゃって、決して気弱くはいらっしゃらない六条殿も、酔い泣きなのか、涙をお流しになる。宮は宮で言うまでもなく、姫君のお身の上をお思い出しになって、昔に優るご立派な様子、ご威勢を拝見なさると、悲しみが尽きないで、涙をとどめることができず、しおしおとお泣きになる尼姿は、なるほど格別な風情であった。
このようなよい機会であるが、中将のおんことは、お口に出さずに終わってしまった。一ふし思いやりがないとお思いであったので、口に出すことも体裁悪くお考えやめになり、あの内大臣はまた内大臣で、お言葉もないのに出過ぎることができずに、そうはいうものの胸の晴れない気持ちがなさるのであった。
「今夜もお供致すべきでございますが、急なことでお騒がせしてもいかがかと存じます。今日のお礼は、日を改めて参上致します」
とお申し上げなさると、
「それでは、こちらのご病気もよろしいようにお見えになるので、きっと申し上げた日をお間違えにならず、お出で下さるように」とのこと、お約束なさる。
お二人方のご機嫌も良くて、それぞれがお帰りになる物音、たいそう盛大である。ご子息たちのお供の人々は、
「何があったのだろうか。久し振りのご対面で、たいそうご機嫌が良くなったのは」
「また、どのようなご譲与があったのだろうか」
などと、勘違いをして、このようなこととは思いもかけなかったのであった。
3 玉鬘の物語 裳着の物語
[3-1 内大臣、源氏の意向に従う]
内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたくお思いになるが、
「さっと、そのように迎え取って、親らしくするのも不都合だろう。捜し出して手にお入れになった当初のことを想像すると、きっと潔白なまま放っておかれることはあるまい。れっきとした夫人方の手前を遠慮して、はっきりと愛人としては扱わず、そうはいっても面倒なことで、世間の評判を思って、このように打ち明けたのだろう」
とお思いになるのは、残念だけれども、
「そのことを瑕としなくてはならないことだろうか。こちらから進んで、あちらのお側に差し上げたとしても、どうして評判の悪いことがあろうか。宮仕えなさるようなことになったら、女御などがどうお思いになることも、おもしろくないことだ」とお考えになるが、「どちらにせよ、ご決定されおっしゃったことに背くことができようか」
と、いろいろとお考えになるのであった。
このようなお話があったのは、二月上旬のことであった。十六日が彼岸の入りで、たいそう吉い日であった。近くにまた吉い日はないと占い申した上に、宮も少しおよろしかったので、急いでご準備なさって、いつものようにお越しになっても、内大臣にお打ち明けになった様子などを、たいそう詳細に、当日の心得などをお教え申し上げなさると、
「行き届いたお心づかいは、実の親と申しても、これほどのことはあるまい」
とお思いになるものの、とても嬉しくお思いになるのであった。
こうして以後は、中将の君にも、こっそりとこのような事実をお知らせなさったのであった。
「妙なことばかりだ。知ってみればもっともなことだ」
と、合点のゆくことがあるが、あの冷淡な姫君のご様子よりも、さらにたまらなく思い出されて、「思いも寄らないことだった」と、ばかばかしい気がする。けれども、「あってはならないこと。筋違いなことだ」と、反省することは、珍しいくらいの誠実さのようである。
[3-2 2月16日、玉鬘の裳着の儀]
こうしてその当日となって、三条宮からも、こっそりとお使いがある。御櫛の箱など、急なことであるが、種々の品々をたいそう見事に仕立てなさって、お手紙には、
「お手紙を差し上げるにも、憚れる尼姿のため、今日は引き籠もっておりますが、それに致しましても、長生きの例にあやかって戴くということで、お許し下さるだろうかと存じまして。しみじみと感動してお聞き致しまして、はっきりしました事情を申し上げるのも、どうかと存じまして。あなたのお気持ち次第で。
どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって
切っても切れない孫に当たる方なのですね」
と、たいそう古風に震えてお書きになっているのを、殿もこちらにいらっしゃって、準備をお命じになっている時なので、御覧になって、
「古風なご文面だが、大したものだ、このご筆跡は。昔はお上手でいらっしゃったが、年を取るに従って、奇妙に筆跡も年寄じみて行くものですね。たいそう痛々しいほどお手が震えていらっしゃるなあ」
などと、繰り返し御覧になって、
「よくもこれほど玉くしげに引っ掛けた歌だ。三十一文字の中に、無縁な文字を少ししか使わずに詠むということは難しいことだ」
と、そっとお笑いになる。
[3-3 玉鬘の裳着への祝儀の品々]
中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など、たいそうまたとない立派さで、例によって、数々の壷に、唐の薫物、格別に香り深いのを差し上げなさった。
ご夫人方は、みな思い思いに、御装束、女房の衣装に、櫛や扇まで、それぞれにご用意なさった出来映えは、優るとも劣らない、それぞれにつけて、あれほどの方々が互いに、競争でご趣向を凝らしてお作りになったので、素晴らしく見えるが、東の院の人々も、このようなご準備はお聞きになっていたが、お祝い申し上げるような人数には入らないので、ただ聞き流していたが、常陸の宮の御方、妙に折目正しくて、なすべき時にはしないではいられない昔気質でいらして、どうしてこのようなご準備を、他人事として聞き過していられようか、とお思いになって、きまり通りご用意なさったのであった。
殊勝なお心掛けである。青鈍色の細長を一襲、落栗色とか、何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿とを、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさった。
お手紙には、
「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、遠慮致しておりましたが、このような時は知らないふりもできにくうございまして。これは、とてもつまらない物ですが、女房たちにでもお与え下さい」
と、おっとり書いてある。殿が、御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。
「妙に昔気質の人だ。ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのに。やはり体裁の悪いものです」と言って、「返事はおやりなさい。きまり悪く思うでしょう。父親王が、たいそう大切になさっていたのを、思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」
と申し上げなさる。御小袿の袂に、例によって、同じ趣向の歌があるのであった。
「わたし自身が恨めしく思われます
あなたのお側にいつもいることができないと思いますと」
ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く、強く、固くお書きになっていた。大臣は、憎く思うものの、おかしいのを堪えきれないで、
「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」
と、お気の毒にお思いになる。
「どれ、この返事は、忙しくても、わたしがしよう」
とおっしゃって、
「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことですのに」
と、憎らしさのあまりにお書きになって、
「唐衣、また唐衣、唐衣
いつもいつも唐衣とおっしゃいますね」
と書いて、
「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」
と言って、お見せなさると、姫君は、たいそう顔を赤らめてお笑いになって、
「まあ、お気の毒なこと。からかったように見えますわ」
と、気の毒がりなさる。つまらない話が多かったことよ。
[3-4 内大臣、腰結に役を勤める]
内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが、珍しい話をお聞きになって後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。
裳着の儀式などは、しきたり通りのことに更に事を加えて、目新しい趣向を凝らしてなさった。「なるほど特にお心を留めていらっしゃることだ」と御覧になるのも、もったいないと思う一方で、風変わりだと思わずにはいらっしゃれない。
亥の刻になって、御簾の中にお入れなさる。慣例通りの設備はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派に整えなさって、御酒肴を差し上げなさる。御殿油は、慣例の儀式の明るさよりも、少し明るくして、気を利かせてお持てなしなさった。
たいそうはっきりとお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても唐突なことなので、お結びになる時、お堪えきれない様子である。
主人の大臣、
「今夜は、昔のことは何も話しませんから、何の詳細もお分りなさらないでしょう。事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」
とお申し上げなさる。
「おっしゃる通り、まったく何とも申し上げようもございません」
お杯をお口になさる時、
「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」
と申し上げなさる。
「恨めしいことですよ。玉裳を着る
今日まで隠れていた人の心が」
と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。姫君は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、
「寄る辺がないので、このようなわたしの所に身を寄せて
誰にも捜してもらえない気の毒な子だと思っておりました
何とも無体なだしぬけのお言葉です」
と、お答え申し上げなさると、
「まことにごもっともです」
と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。
[3-5 祝賀者、多数参上]
親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった。思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃったので、この内大臣が、このように中にお入りになって暫く時間がたつので、どうしたことか、とお疑いになっていた。
あの殿のご子息の中将や、弁の君だけは、かすかにご存知だったのであった。密かに思いを懸けていたことを、辛いこととも、また嬉しいこととも、お思いになる。弁の君は、
「よくもまあ告白しなかった」と小声で言って、「一風変わった大臣のお好みのようだ。中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」
などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、
「やはり、暫くの間はご注意なさって、世間から非難されないようにお扱い下さい。何事も、気楽な身分の人には、みだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされようなことがあっては、普通の身分の人よりも困ることですから、穏やかに、だんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、良いことでございましょう」
と申し上げなさると、
「ただあなた様のなされように従いましょう。こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」
とお答えなさる。
御贈物などは、言うまでもなく、すべて引出物や、禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。
兵部卿宮は、
「今はもうお断りになる支障も何もないでしょうから」
と、身を入れてお願い申し上げなさるが、
「帝から御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また再びお言葉に従いまして、他の話は、その後にでも決めましょう」
とお返事申し上げなさった。
父内大臣は、
「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。少しでも不具なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」
などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。
今になって、あの御夢も、本当にお分かりになったのであった。弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。
[3-6 近江の君、玉鬘を羨む]
世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人であった。自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に、中将や、少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、
「殿は、姫君をお迎えあそばすそうですね。まあ、おめでたいこと。どのような方が、お二方に大切にされるのでしょう。聞けば、その人も賤しいお生まれですね」
と、無遠慮におっしゃるので、女御は、はらはらなさって、何ともおっしゃらない。中将が、
「そのように、大切にされるわけがおありなのでしょう。それにしても、誰が言ったことを、このように唐突におっしゃるのですか。口うるさい女房たちが、耳にしたらたいへんだ」
とおっしゃると、
「おだまり。すっかり聞いております。尚侍になるのだそうですね。宮仕えにと心づもりして出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。女御様がひどくていらっしゃるのです」
と、恨み言をいうので、みなにやにやして、
「尚侍に欠員ができたら、わたしこそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」
などとおっしゃるので、腹を立てて、
「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。中将の君はひどくていらっしゃる。自分からかってにお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。ああ、恐い。ああ、恐い」
と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。
中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。少将は、
「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、いいかげんにはお思いでないでしょう。お気持ちをお鎮めになって下さい。固い岩も沫雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」
と、にやにやして言っていらっしゃる。中将も、
「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」
と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、
「わたしの兄弟たちまでが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」
と言って、とても簡単に、精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り、気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、
「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」
とお責め申すので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃれない。
[3-7 内大臣、近江の君を愚弄]
内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、
「どこですか、これ、近江の君。こちらに」
とお呼びになると、
「はあい」
と、とてもはっきりと答えて、出て来た。
「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」
と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、
「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」
とお答えなさる。その弁舌はまことにはきはきしたものである。笑ってしまいそうになるのを堪えて、
「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」
などと、たいそううまくおだましになる。人の親らしくない、見苦しいことであるよ。
「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」
と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。殿も、
「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」
と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、
「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」 などと、いろいろと言うのであった。
30. 藤袴
光る源氏の太政大臣時代37歳秋8月から9月の物語
- 玉鬘、内侍出仕前の不安 尚侍としての御出仕のことを、どなたもどなたも
- 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問 薄色の御喪服を、しっとりと身にまとって
- 夕霧、玉鬘に言い寄る 嘘の伝言をそれらしく次々と続けて
- 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す このような機会にとでも思ったのであろうか
- 夕霧、源氏に復命 「言わないでもよいことを言ってしまった」と
- 源氏の考え方 「難しいことだ。自分の思いのままに行く人のことではないので
- 玉鬘の出仕を10月と決定 「内々でも、立派な方々が
1 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係
- 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問 実のご兄弟の公達は、近づくことができず
- 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す 「参内なさる時のご都合を、詳しい様子も聞くことができないので
2 玉鬘の物語 玉鬘と柏木との新関係
- 鬚黒大将、熱心に言い寄る 大将は、この中将は同じ右近衛の次官なので
- 9月、多数の恋文が集まる 九月になった。初霜が降りて、心そそられる朝に
3 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将
1 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係
[1-1 玉鬘、内侍出仕前の不安]
尚侍としての御出仕のことを、どなたもどなたもお勧めなさるが、
「どうしたものだろうか。親とお思い申し上げる方のお気持ちでさえ、気を許すことのできない世の中なので、ましてそのような宮仕えにつけて、思いがけない不都合なことが生じたら、中宮にも女御にも、それぞれ気まずい思いをお持ちになったら、立つ瀬がなくなるだろうから、自分の身の上はこのように頼りない状態で、どちらの親からも深く愛していただける縁もなく、世間からも軽く見られているので、いろいろと取り沙汰されたり、何とか物笑いの種にしようと呪っている人々も多く、何かにつけて、嫌なことばかりあるにちがいない」
からと、分別のないお年頃でもないから、いろいろとお思い悩んで、独り嘆いていらっしゃる。
「そうかといって、このままの状態も悪いことはないけれども、この大臣のお気持ちの、厄介で厭わしいのも、どのような機会に、すっきりと断ち切って、世間の人が邪推しているらしいことを、潔白で通すことができようか。
実の父大臣も、こちらの殿のお考えに、遠慮なさって、堂々と引き取って、はっきり娘としてお扱いになることはないのだから、やはりいずれにしても、外聞悪く、色めいた有様で、心を悩まし、世間の人から噂される身の上のようだ」
と、かえって実の親をお捜し当てなさった後は、とくに遠慮なさるご様子もない大臣の君のお扱いを加え加えして、独り嘆いているのであった。
悩み事を、すっかりでなくとも、一部分だけでも漏らすことのできる女親もいらっしゃず、どちらの親も、とても立派で近づきがたいご様子では、どのようなことを、ああですとか、こうですとか申し上げて理解していただけようか。世間の人とは違ったわが身の上を、物思いに耽りながら、夕暮の空のしみじみとした様子を、端近くに出て眺めていらっしゃる姿、たいそう美しい。
[1-2 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問]
薄色の御喪服を、しっとりと身にまとって、いつもと変わった色合いに、かえってその器量が引き立って美しくいらっしゃるのを、御前の女房たちは、にっこりして拝しているところに、宰相中将が、同じ喪服の、もう少し色の濃い直衣姿で、纓を巻いていらっしゃる姿が、またたいそう優雅で美しくいらっしゃった。
初めから、誠意を持って好意をお寄せ申し上げていらっしゃったので、他人行儀にはなさらなかった習慣から、今、姉弟ではなかったといって、すっかりと態度を改めるのもいやなので、やはり御簾に几帳を加えたご面会は、取り次ぎなしでなさるのであった。殿のお使いとして、宮中からのお言葉の内容を、そのままこの君がお承りなさったのであった。
お返事は、おっとりとしたものの、たいそう難のなくお答え申し上げなさる態度が、いかにも才気があって女性らしいのにつけても、あの野分の朝のお顔が心にかかって恋しいので、いやなことだと思ったが、真相を聞き知ってから後は、やはり平静ではいられない気持ちが加わって、
「この宮仕えをなさっても、普通のことではお諦めになるまい。あれほどに見事なご夫人たちとの間柄でも、美しい人であるための厄介なことが、きっと起こるだろう」
と思うと、気が気でなく、胸のふさがる思いがするが、素知らぬ顔で真面目に、
「誰にも聞かせるなとのことでございましたお言葉を申し上げますので、どう致しましょうか」
と意味ありげに言うので、近くに伺候している女房たちも、少し下がり下がりして、御几帳の後ろなどに顔を横に向け合っていた。
[1-3 夕霧、玉鬘に言い寄る]
嘘の伝言をそれらしく次々と続けて、こまごまと申し上げなさる。主上のご執心が並大抵ではないのを、ご注意なさい、などというようなことである。お答えなさる言葉もなくて、ただそっと溜息をついていらっしゃるのが、ひっそりとして、かわいらしくとても優しいので、やはり我慢できず、
「ご服喪も、今月にはお脱ぎになる予定ですが、日が吉くありませんでした。十三日に、河原へお出であそばすようにとおっしゃっていました。わたしもお供致したいと存じております」
と申し上げなさると、
「ご一緒くださると事が仰々しくございませんか。人目に立たないほうがよいでしょう」
とおっしゃる。このご服喪などの詳細なことを、世間の人に広く知らすまいとしていらっしゃる配慮、たいそう行き届いている。中将も、
「世間の人に知られまいと、隠していらっしゃるのが、たいそう情ないのです。恋しくてたまらなく存じました方の形見なので、脱いでしまいますのも、たいそう辛うございますのに。それにしても、不思議にご縁のありますことが、また腑に落ちないのでございます。この喪服の色を着ていなかったら、とても分からなかったことでしょう」
とおっしゃると、
「何も分別のないわたしには、ましてどういうことか筋道も辿れませんが、このような色は、妙にしみじみと感じさせられるものでございますね」
と言って、いつもよりしんみりしたご様子、たいそう可憐で美しい。
[1-4 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す]
このような機会にとでも思ったのであろうか、蘭の花のたいそう美しいのを持っていらっしゃったが、御簾の端から差し入れて、
「この花も御覧になるわけのあるものです」
と言って、すぐには手放さないで持っていらっしゃったので、全然気づかないで、お取りになろうとするお袖を引いた。
「あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です
やさしい言葉をかけて下さい、ほんの申し訳にでも」
「道の果てにある」というのかと思うと、とても疎ましく嫌な気になったが、素知らない様子に、そっと奥へ引き下がって、
「尋ねてみて遥かに遠い野辺の露だったならば
薄紫のご縁とは言いがかりでしょう
このようにして申し上げる以上に、深い因縁はございましょうか」
とおっしゃるので、少しにっこりして、
「浅くも深くも、きっとお分かりになることでございましょうと存じます。実際は、まことに恐れ多い宮仕えのことを存じながら、抑えきれません思いのほどを、どのようにしてお分りになっていただけましょうか。かえってお疎みになろうことがつらいので、ひどく堪えておりましたのが、今はもう同じこと、ぜひともと思い余って申し上げたのです。
頭中将の気持ちはご存知でしたか。他人事のように、どうして思ったのでございましょう。自分の身になってみて、たいそう愚かなことだと、その一方でよく分りました。かえってあの君は落ち着いていて、結局、ご姉弟の縁の切れないことをあてにして、思い慰めている様子などを拝見致しますのも、たいそう羨ましく憎らしいので、せめてかわいそうだとでもお心に留めてやってください」
などと、こまごまと申し上げなさることが多かったが、どうかと思われるので書かないのである。
尚侍の君は、だんだんと奥に引っ込みながら、厄介なことだとお思いでいたので、
「冷たいそぶりをなさいますね。間違い事は決して致さない性格であることは、自然とご存知でありましょうに」
と言って、このような機会に、もう少し打ち明けたいのだが、
「妙に気分が悪くなりまして」
と言って、すっかり入っておしまいになったので、とてもひどくお嘆きになってお立ちになった。
[1-5 夕霧、源氏に復命]
「言わないでもよいことを言ってしまった」と、悔やまれるにつけても、あの、もう少し身にしみて恋しく思われた御方のご様子を、このような几帳越しにでも、「せめてかすかにお声だけでも、どのような機会に聞くことができようか」と、穏やかならず思いながら、殿の御前に参上なさると、お出ましになったので、ご報告など申し上げなさる。
「この宮仕えを、億劫に思っていらっしゃる。兵部卿宮などの、恋の道には練達していらっしゃる方で、たいそう深い恋心のありたけを見せて、お口説きなさるのに、心をお惹かれになっていらっしゃるのだろうと思われるのが、お気の毒なのだ。
けれども、大原野の行幸に、主上を拝見なさってからは、たいそうご立派な方でいらっしゃったと、思っておいでであった。若い人は、ちらっとでも拝見しては、とても宮仕えのことを思い切れまい。そのように思って、このこともこうしたのだ」
などとおっしゃると、
「それにしても、お人柄は、どちらの方とご一緒になっても、相応しくいらっしゃるでしょう。中宮が、このように並ぶ者もない地位でいらっしゃいますし、また、弘徽殿女御も、立派な家柄で、ご寵愛も格別でいらっしゃるので、たいそうご寵愛を受けても、肩をお並べなさることは、難しいことでございましょう。
兵部卿宮は、たいそう熱心にお思いでいらっしゃるようですが、特別に、そうした筋合の宮仕えでなくても、無視されたようにお思い置かれなさるのも、ご兄弟の間柄では、たいそうお気の毒に存じられます」
と大人びて申し上げなさる。
[1-6 源氏の考え方]
「難しいことだ。自分の思いのままに行く人のことではないので、大将までが、わたしを恨んでいるそうだ。何事も、このような気の毒なことは見ていられないので、わけもなく人の恨みを負うのは、かえって軽率なことであった。あの母君が、しみじみと遺言したことを忘れなかったので、寂しい山里になどと聞いたが、あの内大臣は、やはり、お聞きになるはずもあるまいと訴えたので、気の毒に思って、このように引き取ることにしたのだ。わたしがこう大切にしていると聞いて、あの大臣も人並みの扱いをなさるようだ」
と、もっともらしくおっしゃる。
「人柄は、宮の夫人としてたいそう適任であろう。今風な感じで、たいそう優美な感じがして、それでいて賢明で、間違いなどしそうになくて、夫婦仲もうまく行くだろう。そしてまた、宮仕えにも十分適しているだろう。器量もよく才気あるようだが、公務などにも暗いところがなく、てきぱきと処理して、主上がいつもお望みあそばすお考えには、外れないだろう」
などとおっしゃる真意が知りたいので、
「長年このようにお育てなさったお気持ちを、変なふうに世間の人は噂申しているようです。あの大臣もそのように思って、大将が、あちらに伝を頼って申し込んできた時にも、答えました」
と申し上げなさると、ちょっと笑って、
「それもこれもまったく違っていることだな。やはり、宮仕えでも、お許しがあって、そのようにとお考えになることに従うのがよいだろう。女は三つのことに従うものだというが、順序を取り違えて、わたしの考えにまかせることは、とんでもないことだ」
とおっしゃる。
[1-7 玉鬘の出仕を10月と決定]
「内々でも、立派な方々が、長年連れ添っていらっしゃるので、その夫人の一人にはなさることができないので、捨てる気持ち半分でこのように譲ることにし、通り一遍の宮仕えをさせて、自分のものにしようとお考えになっているのは、たいそう賢くよいやり方だと、感謝申されていたと、はっきりとある人が言っておりましたことです」
と、たいそう改まった態度でお話し申し上げなさるので、「なるほど、そのようにお考えなのだろう」とお思いになると、気の毒になって、
「たいそうとんでもないふうにお考えになったものだな。隅々まで考えを廻らすご気性からなのだろう。今に自然と、どちらにしても、はっきりすることがあろう。思慮の浅いことよ」
とお笑いになる。ご様子はきっぱりしているが、やはり、疑問は残る。大臣も、
「やはりそうか。このように人は推量するのに、その思惑どおりのことがあったら、まことに残念でひねくれたようだろうに。あの内大臣に、何とかして、このような身の潔白なさまをお知らせ申したいものだ」
とお思いになると、「なるほど、宮仕えということにして、はっきりと分からないようにごまかした懸想を、よくもお見抜きになったものだ」と、気味悪いほどに思わずにはいらっしゃれない。
こうして御喪服などをお脱ぎになって、
「来月になると、やはり御出仕するには障りがあろう。十月ごろに」
とおっしゃるのを、帝におかせられても待ち遠しくお思いあそばされ、求婚なさっていた方々は、皆が皆、まことに残念で、この御出仕の前に何とかしたいと考えて、懇意にしている女房たちのつてづてに泣きつきなさるが、
「吉野の滝を堰止めるよりも難しいことなので、まことに仕方がございません」
と、それぞれ返事をする。
中将も、言わなければよいことを口にしたため、「どのようにお思いだろうか」と胸の苦しいまま、駆けずり回って、たいそう熱心に、全般的なお世話をする体で、ご機嫌をとっていらっしゃる。簡単に、軽々しく口に出しては申し上げなさらず、体よく気持ちを抑えていらっしゃる。
2 玉鬘の物語 玉鬘と柏木との新関係
[2-1 柏木、内大臣の使者として玉鬘を訪問]
実のご兄弟の公達は、近づくことができず、「宮仕えの時のご後見役をしよう」と、それぞれ待ち兼ねているのであった。
頭中将は、心の底から恋い焦がれていたことは、すっかりなくなったのを、「てきめんに変わるお心だわ」と、女房たちがおもしろがっているところに、殿のお使いとしていらっしゃった。やはり表向きに出さず、こっそりとお手紙なども差し上げなさったので、月の明るい夜、桂の蔭に隠れていらっしゃった。手紙を見たり聞いたりしなかったのに、すっかり変わって南の御簾の前にお通し申し上げる。
ご自身からお返事を申し上げなさることは、やはり遠慮されるので、宰相の君を介してお答え申し上げなさる。
「わたしを選んで差し向け申されたのは、直に伝えよとのお便りだからでございましょう。このように離れていては、どのように申し上げたらよいのでしょう。わたしなど、物の数にも入りませんが、切っても切れない縁と言う喩えもありましょう。何と言いましょうか、古風な言い方ですが、頼みに存じておりますよ」
と言って、おもしろくなく思っていらっしゃった。
「お言葉通り、これまでの積もる話なども加えて、申し上げたいのですが、ここのところ妙に気分がすぐれませんので、起き上がることなどもできずにおります。こんなにまでお責めになるのも、かえって疎ましい気持ちが致しますわ」
と、たいそう真面目に申し上げさせなさった。
「ご気分がすぐれないとおっしゃる御几帳の側に、入れさせて下さいませんか。よいよい。なるほど、このようなことを申し上げるのも、気の利かないことだな」
と言って、大臣のご伝言の数々をひっそりと申し上げなさる態度など、誰にも引けをおとりにならず、まことに結構である。
[2-2 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す]
「参内なさる時のご都合を、詳しい様子も聞くことができないので、内々にご相談下さるのがよいでしょう。何事も人目を遠慮して、参上することができず、相談申し上げられないことを、かえって気がかりに思っていらっやいます」
などと、お話し申し上げるついでに、
「いやはや、馬鹿らしい手紙も、差し上げられないことです。どちらにしても、わたしの気持ちを知らないふりをなさってよいものかと、ますます恨めしい気持ちが増してくることです。まずは、今夜などの、このお扱いぶりですよ。奥向きといったようなお部屋に招き入れて、あなたたちはお嫌いになるでしょうが、せめて下女のような人たちとだけでも、話をしてみたいものですね。他ではこのような扱いはあるまい。いろいろと不思議な間柄ですね」
と、首を傾けながら、恨みを言い続けているのもおもしろいので、これこれと申し上げる。
「おっしゃるとおり、他人の手前、急な変わりようだと言われはしまいかと気にしておりましたところ、長年の引き籠もっていた苦しさを、晴らしませんのは、かえってとてもつらいことが多うございます」
と、ただ素っ気なくお答え申されるので、きまり悪くて、何も申し上げられずにいた。
「実の姉弟という関係を知らずに
遂げられない恋の道に踏み迷って文を贈ったことです」
よ」
と恨むのも、自分から招いたことである。
「事情をご存知なかったとは知らず
どうしてよいか分からないお手紙を拝見しました」
「どういうわけのものか、お分かりでなかったようでした。何事も、あまりなまで、世間に遠慮なさっておいでのようなので、お返事もなされないのでしょう。自然とこうしてばかりいられないでしょう」
と申し上げるのもと、それもそうなので、
「いや、長居をしますのも、時期尚早の感じだ。だんだんお役にたってから、恨み言も」
とおっしゃって、お立ちになる。
月が明るく高く上がって、空の様子も美しいところに、たいそう上品で美しい容貌で、お直衣姿、好感が持て派手で、たいそう立派である。
宰相中将の感じや、容姿には、並ぶことはおできになれないが、こちらも立派に見えるのは、「どうしてこう揃いも揃って美しいご一族なのだろう」と、若い女房たちは、例によって、さほどでもないことをもとり立ててほめ合っていた。
3 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将
[3-1 鬚黒大将、熱心に言い寄る]
大将は、この中将は同じ右近衛の次官なので、いつも呼んでは熱心に相談し、内大臣にも申し上げさせなさった。人柄もたいそうよく、朝廷の御後見となるはずの地盤も築いているので、「何の難があろうか」とお思いになる一方で、「あの大臣がこうお決めになったことを、どのように反対申し上げられようか。それにはそれだけの理由があるのだろう」と、合点なさることまであるので、お任せ申し上げていらっしゃった。
この右大将は、春宮の女御のご兄弟でいらっしゃった。大臣たちをお除き申せば、次いでの御信任が、すこぶる厚い方である。年は三十二三歳くらいになっていらっしゃる。
北の方は、紫の上の姉君である。式部卿宮の大君であるよ。年が三、四歳年長なのは、これといった欠点ではないが、人柄がどうでいらっしゃったのか、「おばあさん」と呼んで大事にもせず、何とかして離縁したい思っていた。
その縁故から、六条の大臣は、右大将のことは、「似合いでなく気の毒なことになるだろう」と思っていらっしゃるようである。好色っぽく道を踏み外すところはないようだが、ひどく熱心に奔走なさっているのであった。
「あの大臣も、全く問題外だとお考えでないようだ。女は、宮仕えを億劫に思っていらっしゃるらしい」と、内々の様子も、しかるべき詳しいつてがあるので漏れ聞いて、
「ただ大殿のご意向だけが違っていらっしゃるようだ。せめて実の親のお考えにさえ違わなければ」
と、この弁の御許にも催促なさる。
[3-2 9月、多数の恋文が集まる]
九月になった。初霜が降りて、心そそられる朝に、例によって、それぞれのお世話役たちが、目立たないようにしては参上するいくつものお手紙を、御覧になることもなく、お読み申し上げるのだけをお聞きになる。右大将殿の手紙には、
「それでもやはりあてにして来ましたが、過ぎ去って行く空の様子は気が気でなく、
人並みであったら嫌いもしましょうに、九月を
頼みにしているとは、何とはかない身の上なのでしょう」
「来月になったら」という決定を、ちゃんと聞いていらっしゃるようである。
兵部卿宮は、
「言ってもしかたのない仲は、今さら申し上げてもしかたがありませんが、
朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても
霜のようにはかないわたしのことを忘れないでください
お分りいただければ、慰められましょう」
とあって、たいそう萎れて折れた笹の下枝の霜も落とさず持参した使者までが、似つかわしい感じであるよ。
式部卿宮の左兵衛督は、殿の奥方のご兄弟であるよ。親しく参上なさる君なので、自然と事の事情なども聞いて、ひどくがっかりしているのであった。長々と恨み言を綴って、
「忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを
どのようにしてどのようにしたらよいものでしょうか」
紙の色、墨の具合、焚きこめた香の匂いも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、
「すっかり諦めてしまわれることは、寂しいことだわ」
などと言っている。
宮へのお返事を、どうお思いになったのか、ただわずかに、
「自分から光に向かう葵でさえ
朝置いた霜を自分から消しましょうか」
とうっすらと書いてあるのを、たいそう珍しく御覧になって、姫自身は宮の愛情を感じているに違いないご様子でいらっしゃるので、わずかであるがたいそう嬉しいのであった。
このように特にどうということはないが、いろいろな人々からの、お恨み言がたくさんあった。
女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだと、大臣たちはご判定なさったとか。
31. 真木柱
光る源氏の太政大臣時代37歳秋10月から38歳11月までの物語
- 鬚黒、玉鬘を得る 「帝がお聞きあそばすことも恐れ多い
- 内大臣、源氏に感謝 父内大臣は、「かえって無難であろう
- 玉鬘、宮仕えと結婚の新生活 十一月になった。神事などが多く
- 源氏、玉鬘と和歌を詠み交す 殿も、気の毒だと女房たちも疑っていたことに
1 玉鬘の物語 玉鬘、鬚黒大将と結婚
- 鬚黒の北の方の嘆き 宮中に参内なさることを、心配なことと
- 鬚黒、北の方を慰める(1) お住まいなどが、とんでもなく乱雑で
- 鬚黒、北の方を慰める(2) 殿の召人といったふうで、親しく仕えている木工の君
- 鬚黒、玉鬘のもとへ出かけようとする 日が暮れたので、気もそぞろになって
- 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける 御香炉を取り寄せて、ますます香をたきしめさせて
- 鬚黒、玉鬘に手紙だけを贈る 一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて
- 翌日、鬚黒、玉鬘を訪う 日が暮れると、いつものように急いでお出かけになる
2 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動
- 式部卿宮、北の方を迎えに来る 修法などを盛んにしたが、物の怪がうるさく
- 母君、子供たちを諭す お子様たちは、無心に歩き回っていられるのを
- 姫君、柱の隙間に和歌を残す 日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も
- 式部卿宮家の悲憤慷慨 宮邸では待ち受けて、たいそうお悲しみである
- 鬚黒、式部卿宮家を訪問 宮に苦情を申し上げようと思って、参上なさるついでに
- 鬚黒、男子二人を連れ帰る 幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる
3 鬚黒大将家の物語 北の方、子供たちを連れて実家に帰る
- 玉鬘、新年になって参内 このようなことの騒動に、尚侍の君のご気分は
- 男踏歌、貴顕の邸を回る 踏歌は、局々に実家の人が参内し、ふだんとは違って
- 玉鬘の宮中生活 宿直所にいらっしゃって、一日中、申し上げ
- 帝、玉鬘のもとを訪う 月が明るいので、ご容貌は言いようもなくお美しくて
- 玉鬘、帝と和歌を詠み交す 大将は、このようにお越しあそばしたのをお聞きになって
- 玉鬘、鬚黒邸に退出 そのまま今夜、あの邸にとお考えになっていたが
- 2月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る 二月になった。大殿は
- 源氏、玉鬘の返書を読む 手紙を広げて、玉水がこぼれるように思わずにはいらっしゃれないが
- 3月、源氏、玉鬘を思う 三月になって、六条殿の御前の、藤、山吹が
4 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ
- 北の方、病状進む あの、もとの北の方は、月日のたつにしたがって
- 11月に玉鬘、男子を出産 その年の十一月に、たいそうかわいい赤子まで
- 近江の君、活発に振る舞う そうそう、あの内の大殿のご息女で、尚侍を望んでいた女君も
5 鬚黒大将家と内大臣家の物語 玉鬘と近江の君
1 玉鬘の物語 玉鬘、鬚黒大将と結婚
[1-1 鬚黒、玉鬘を得る]
「帝がお聞きあそばすことも恐れ多い。少しの間は広く世間には知らせまい」とご注意申し上げなさるが、そう隠してもお隠しきれになれない。何日かたったが、少しもお心を開くご様子もなく、「思いの他の不運な身の上だわ」と、思い詰めていらっしゃる様子がいつまでも続くので、「ひどく恨めしい」と思うが、浅からぬご縁、しみじみと嬉しく思う。
見れば見るほどにご立派で、理想的なご器量、様子を、「他人のものにしてしまうところであったよ」と思うだけでも胸がどきどきして、石山寺の観音も、弁の御許も並べて拝みたく思うが、女君がほんとうに不愉快だと嫌ったので、出仕もせずに自宅に引き籠もっているのであった。
なるほど、たくさんお気の毒な例を、いろいろと見て来たが、思慮の浅い人のために、お寺の霊験が現れたのであった。
大臣も「不満足で残念だ」とお思いになるが、今さら言ってもしかたのないことなので、「誰も彼もこのようにご承知なさったことなので、今さら態度を変えるのも、相手のためにたいそうお気の毒であり、筋違いである」とお考えになって、結婚の儀式をたいそうまたとなく立派にお世話なさる。
一日も早く、自分の邸にお迎え申し上げることをご準備なさるが、軽率にひょいとお移りなさる場合、あちらに待ち受けて、きっと好ましく思うはずのない人がいらっしゃるらしいのが、気の毒なことにかこつけなさって、
「やはり、ゆっくりと、波風を立てないようにして、騒がれないで、どこからも人の非難や妬みを受けないよう、お振る舞いなさい」
とお申し上げなさる。
[1-2 内大臣、源氏に感謝]
父内大臣は、
「かえって無難であろう。格別親身に世話してくれる後見のない人が、なまじっかの色めいた宮仕えに出ては、辛いことであろうと、不安に思っていた。大切にしたい気持ちはあるが、女御がこのようにいらっしゃるのを差し置いて、どうして世話できようか」
などと、内々におっしゃっているのであった。なるほど、帝だと申しても、人より軽くおぼし召し、時たまお目にかかりなさって、堂々としたお扱いをなさらなかったら、軽率な出仕ということになりかねないのであった。
三日の夜のお手紙を、取り交わしなさった様子を伝え聞きなさって、こちらの大臣のお気持ちを、「ほんとうにもったいなく、ありがたい」と感謝申し上げなさるのであった。
このように隠れたご関係であるが、自然と、世間の人がおもしろい話として語り伝えては、次から次へと漏れ聞いて、めったにない世間話として言いはやすのであった。帝におかれてもお聞きあそばしたのであった。
「残念にも、縁のなかった人であるが、あのように望んでいられた願いもあるのだから。宮仕えなど、妃の一人としてでは、お諦めになるのもよかろうが」
などと仰せられるのであった。
[1-3 玉鬘、宮仕えと結婚の新生活]
十一月になった。神事などが多く、内侍所にも仕事の多いころなので、女官連中、内侍連中が参上しては、はなやかに騒々しいので、大将殿は、昼もたいそう隠れたようにして籠もっていらっしゃるのを、たいそう気にくわなく、尚侍の君はお思いになっていた。
兵部卿宮などは、それ以上に残念にお思いになる。兵衛督は、妹の北の方の事までを外聞が悪いと嘆いて、重ね重ね憂鬱であったが、「馬鹿らしく、恨んでみても今はどうにもならない」と考え直す。
大将は、有名な堅物で、長年少しも浮気沙汰もなくて過ごしてこられたのが、すっかり変わってご満悦で、別人のようなご様子で、夜や早朝の人目を忍んでいらっしゃる出入りも、恋人らしく振る舞っていらっしゃるのを、おもしろいと女房たちは拝する。
女は、陽気にはなやかにお振る舞いなさるご性分も表に出さず、とてもひどくふさぎ込んで、自分から求めて一緒になったのでないことは誰の目からも明らかであるが、「大臣がどうお思いであろうか、兵部卿宮のお気持ちの深くやさしくいらっしゃったこと」などを思い出しなさると、「恥ずかしく、残念だ」とばかりお思いになると、何かと気に入らないご様子が絶えない。
[1-4 源氏、玉鬘と和歌を詠み交す]
殿も、気の毒だと女房たちも疑っていたことに、潔白であることを証明なさって、「自分の心中でも、その場限りの間違ったことは好まないのだ」と、昔からのこともお思い出しになって、紫の上にも、
「お疑いでしたね」
などと申し上げなさる。「今さら、厄介な癖が出ても困る」とお思いになる一方で、何かたまらなくお思いになった時、「いっそ自分の物にしてしまおうか」と、お考えになったこともあるので、やはりご愛情も切れない。
大将のおいでにならない昼ころ、お渡りになった。女君は、不思議なほど悩ましそうにばかりお振る舞いになって、さわやかな気分の時もなく萎れていらっしゃったが、このようにしてお越しになると、少し起き上がりなさって、御几帳に隠れてお座りになる。
殿も、改まった態度で、少し他人行儀にお振る舞いになって、世間一般の話などを申し上げなさる。真面目な普通の人を夫として迎えるようになってからは、今まで以上に言いようのないご様子や有様をお分りになるにつけ、意外な運命の身の、置き所もないような恥ずかしさにも、涙がこぼれるのであった。
だんだんと、情のこもったお話になって、近くにある御脇息に寄り掛かって、少し覗き見しながら、お話し申し上げになさる。たいそう美しげに面やつれしておいでの様子が、見飽きず、いじらしさがお加わりになっているにつけても、「他人に手放してしまうのも、あまりな気まぐれだな」と残念である。
「あなたと立ち入った深い関係はありませんでしたが、三途の川を渡る時、
他の男に背負われて渡るようにはお約束しなかったはずなのに
思ってもみなかったことです」
と言って、鼻をおかみになる様子、やさしく心を打つ風情である。
女は顔を隠して、
「三途の川を渡らない前に何とかしてやはり
涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたいものです」
「幼稚なお考えですね。それにしても、あの三途の川の瀬は避けることのできない道だそうですから、お手先だけは、引いてお助け申しましょうか」と、ほほ笑みなさって、「真面目な話、お分かりになることもあるでしょう。世間にまたといない馬鹿さ加減も、また一方で安心できるのも、この世に類のないくらいなのを、いくら何でもと、頼もしく思っています」
と申し上げなさるのを、ほんとうにどうすることもできず、聞き苦しいとお思いでいらっしゃるので、お気の毒になって、話をおそらしになりながら、
「帝が仰せになることがお気の毒なので、やはり、ちょっとでも出仕おさせ申しましょう。自分の物と家の中に閉じ込めてしまってからでは、そのようなお勤めもできにくいお身の上となりましょう。当初の考えとは違ったかっこうですが、二条の大臣は、ご満足のようなので、安心です」
などと、こまごまとお話し申し上げなさる。ありがたくも気恥ずかしくもお聞きになることが多いけれど、ただ涙に濡れていらっしゃる。たいそうこんなにまで悩んでおいでの様子がお気の毒なので、お思いのままに無体な振る舞いはなさらず、ただ、心得や、ご注意をお教え申し上げなさる。あちらにお移りになることを、直ぐにはお許し申し上げなさらないご様子である。
2 鬚黒大将家の物語 北の方、乱心騒動
[2-1 鬚黒の北の方の嘆き]
宮中に参内なさることを、心配なことと大将はお思いになるが、その機会に、そのまま退出おさせ申そうかとのお考えを思いつかれて、ただちょっとの暇のお許しを申し上げなさる。このように人目を忍んでお通いになることも、お慣れにならない感じで辛いので、ご自分の邸内の修理し整えて、長年荒れさせ埋もれ、放って置かれたお部屋飾り、すべての飾りつけを立派にしてご準備なさる。
北の方がお嘆きになろうお気持ちもお考えにならず、かわいがっていらっしゃったお子たちにも、お目もくれなさらず、やさしく情け深い気持ちのある人ならば、何かのことにつけても、女にとって恥になるようなことには、考え及ぶところもあろうが、一徹で融通のきかないご性分なので、人のお気に障るようなことが多いのであった。
女君は、人にひけをお取りになるようなところはない。お人柄も、あのような高貴な父親王がたいそう大切にお育て申された世間の評判、けっして軽々しくなく、ご器量なども、たいそう素晴らしくいらっしゃったが、妙に、しつこい物の怪をお患いになって、ここ数年来、普通の人とはお変わりになって、正気のない時々が多くおありになって、ご夫婦仲も疎遠になって長くなったが、れっきとした本妻としては、また並ぶ人もなくお思い申し上げていらっしゃったが、珍しくお心惹かれる方が、一通りどころの方でなく、人より勝れていらっしゃるご様子よりも、あの疑いを持って皆が想像していたことさえ、潔白の身でお過ごしになっていらしたことなどを、めったにない立派な態度だと、ますます深くお思い申し上げなさるのも、もっともなことである。
式部卿宮がお聞きになって、
「今は、あのような若い女を迎えて、大切にするだろう片隅で、みっともなく連れ添っていらっしゃるのも、外聞も痩せるほど恥ずかしいだろう。自分が生きているうちは、まことに世間に恥をさらして言いなりにならなくても、お過ごしになられよう」
とおっしゃって、宮邸の東の対を掃除し整えて、「お迎え申そう」とお考えになっておっしゃるのを、「親の御家と言っても、夫に捨てられた身の上で、再び実家に戻ってお顔を合わせ申すのも」と、思い悩みなさると、ますますご気分も悪くなって、ずっと病床にお臥せりになる。
生まれつきは、たいそう静かで気立てもよく、おっとりとしていらっしゃる方で、時々、気がおかしくなって、人から嫌われてしまうようなことが、時たまおありなのであった。
[2-2 鬚黒、北の方を慰める(1)]
お住まいなどが、とんでもなく乱雑で、綺麗さもなく汚れて、たいそう塞ぎ込んでいらっしゃるのを、玉を磨いたような所を見て来た目には、気に入らないが、長年連れ添ってきた愛情が急に変わるものでもないので、心中では、たいそう気の毒にとお思い申し上げる。
「昨日今日の、たいそう浅い夫婦仲でさえ、悪くはない身分の人となれば、皆我慢することがあって添い遂げるものだ。たいそう身体も苦しそうにしていらっしゃったので、申し上げなければならないこともお話し申し上げにくくてね。
長年添い遂げ申して来た仲ではありませんか。世間の人と違ったご様子を、最後までお世話申そうと、ずいぶんと我慢して過ごして来たのに、とてもそうは行かないようなお考えで、お嫌いなさるのですね。
幼い子どもたちもいますので、何かにつけて、いいかげんにはしまいとずっと存じ上げてきたのに、女心の考えなさから、このように恨み続けていらっしゃる。最後まで見届けないうちは、そうかも知れないことですが、信頼してこそ、もう少し御覧になっていてください。
式部卿宮がお聞きになりお疎みになって、はっきりとすぐにお迎え申そうとお考えになっておっしゃっているのが、かえってたいそう軽率です。ほんとうに決心なさったことなのか、暫く懲らしめなさろうというのでしょうか」
と、ちょっと笑っておっしゃる、たいそう憎らしくおもしろくない。
[2-3 鬚黒、北の方を慰める(2)]
殿の召人といったふうで、親しく仕えている木工の君、中将の御許などという女房たちでさえ、身分相応につけて、「おもしろくなく辛い」と思い申し上げているのだから、まして北の方は、正気でいらっしゃる時なので、たいそうしおらしく泣いていらっしゃった。
「わたしを、惚けている、僻んでいる、とおっしゃって、馬鹿にするのは、けっこうなことです。父宮のことまでを引き合いに出しておっしゃるのは、もし、お耳に入ったらお気の毒だし、つたないわが身の縁から軽々しいようです。耳馴れていますから、今さら何とも思いません」
と言って、横を向いていらっしゃる、いじらしい。
たいそう小柄な人で、いつものご病気で痩せ衰え、ひ弱で、髪はとても清らかに長かったが、半分にしたように抜け落ちて細くなって、櫛梳ることもほとんどなさらず、涙で固まっているのは、とてもお気の毒である。
つややかに美しいところはなくて、父宮にお似申して、優美な器量をなさっていたが、身なりを構わないでいられるので、どこに華やかな感じがあろうか。
「宮の御事を、軽んじたりどうして思い申そう。恐ろしい、人聞きの悪いおっしゃりようをなさいますな」となだめて、
「あの通っております所の、たいそう眩しい玉の御殿に、もの馴れない、生真面目な恰好で出入りしているのも、あれこれ人目に立つだろうと、気がひけるので、気楽に迎えてしまおうと考えているのです。
太政大臣が、ああした世に比べるものもないご声望を、今さら申し上げるまでもなく、恥ずかしくなるほど、行き届いていらっしゃるお邸に、よくない噂が漏れ聞こえては、たいそうお気の毒であるし、恐れ多いことでしょう。
穏やかにして、お二人仲を好くして、親しく付き合ってください。宮邸にお渡りになっても、忘れることはございませんでしょう。いずれにせよ、今さらわたしの気持ちが遠ざかることはあるはずはないのですが、世間の噂や物笑いに、わたしにとっても軽々しいことでございましょうから、長年の約束を違えず、お互いに力になり合おうと、お考えください」
と、とりなし申し上げなさると、
「あなたのお仕打ちは、どうこうと申しません。世間の人と違った身の病を、父宮におかれてもお嘆きになって、今さら物笑いになることと、お心を痛めていらっしゃるとのことなので、お気の毒で、どうしてお目にかかれましょう、と思うのです。
大殿の北の方と申し上げる方も、他人でいらっしゃいましょうか。あの方は、知らない状態で成長なさった方で、後になって、このように人の親のように振る舞っていらっしゃる辛さを考えて、お口になさるようですが、わたしの方では何とも思っていませんわ。なさりよう見ているばかりです」
とおっしゃるので、
「たいそう良いことをおっしゃるが、いつものご乱心では、困ったことも起こるでしょう。大殿の北の方がご存知になることでもございません。箱入り娘のようでいらっしゃっるので、このように軽蔑された人の身の上まではご存知のはずがありません。あの人の親らしくなくおいでのようです。このようなことが耳に入ったら、ますます困ることでしょう」
などと、一日中お側で、お慰め申し上げなさる。
[2-4 鬚黒、玉鬘のもとへ出かけようとする]
日が暮れたので、気もそぞろになって、何とか出かけたいとお思いになるが、雪がまっくらにして降っている。このような天候にあえて出かけるのも、人目に立ってお気の毒であるし、このご様子も憎らしく嫉妬して恨みなどなさるならば、かえってそれを口実にして、自分も対抗して出て行くのだが、たいそうおっとりと、気にかけていらっしゃらない様子が、たいそうお気の毒なので、どうしようか、と迷いながら、格子なども上げたまま、端近くに物思いに耽っていらっしゃった。
北の方がその様子を見て、
「あいにくな雪ですが、どう踏み分けてお出かけなさろうとするのでしょう。夜も更けたようですわ」
とお促しになる。「今はもうおしまいだ、引き止めたところで」と思案なさっている様子、まことに不憫である。
「このような雪では、どうして出かけられようか」
とおっしゃる一方で、
「やはり、ここ当分の間だけは。わたしの気持ちを知らないで、何かと人が噂し、大臣たちもあれこれとお耳になさろうことを憚って、途絶えを置くのは気の毒です。落ち着いて、やはりわたしの気持ちをお見届けください。こちらになど迎えたら、気がねもなくなるでしょう。このように普通のご様子をしていらっしゃる時は、他の女に心を移すこともなくなって、いとおしくお思い申し上げます」
などと、お慰めなさると、
「お止まりになっても、お心が他に行っているのなら、かえってつらいことでございましょう。他の所にいても、せめて思い出してくだされば、涙に濡れた袖の氷もきっと解けることでしょう」
などと、穏やかにおっしゃっていられる。
[2-5 北の方、鬚黒に香炉の灰を浴びせ掛ける]
御香炉を取り寄せて、ますます香をたきしめさせてお上げになる。自分自身は、皺になったお召物類で、身なりを構わないお姿が、ますますほっそりとか弱げである。沈んでいらっしゃるのは、たいそうお気の毒である。お目をたいそう泣き腫らしているのは、少し疎ましいが、しみじみといとおしいと見る時は、咎める気もお消えになって、
「どうして今まで疎遠にしてきたのか」と、「すっかり心変わりした自分が何とも軽薄だ」とは思いながらも、やはり気持ちははやって、溜息をつきながら、やはりお召物を整えなさって、小さい香炉を取り寄せて、袖に入れてたきしめていらっしゃった。
やさしいほどに着馴れたお召物で、器量も、あの並ぶ人のないお方には圧倒されるが、たいそうすっきりした男性らしい感じで、普通の人とは見えず、気おくれするほど立派である。
侍所で、供人たちが声立てて、
「雪が小止みです。夜が更けてしまいましょう」
などと、それでもあらわには言わないで、お促し申して、咳払いをし合っている。
中将の君や、木工の君などは、「おいたわしいことだわ」などと嘆きながら、話し合って臥しているが、ご本人は、ひどく落ち着いていじらしく寄りかかっていらっしゃる、と見るうちに、急に起き上がって、大きな籠の下にあった香炉を取り寄せて、殿の後ろに近寄って、さっと浴びせかけなさる間、人の制止する間もなく、不意のことなので、呆然としていらっしゃる。
あのような細かい灰が、目や鼻にも入って、ぼうっとして何も分からない。払い除けなさるが、立ちこめているので、お召物をお脱ぎになった。
正気でこのようなことをなさると思ったら、二度と見向く気にもなれず驚くほかないが、
「例の物の怪が、人から嫌われるようにしようとしていることだ」
と、お側の女房たちもお気の毒に拝し上げる。
大騒ぎになって、お召物をお召し替えなどするが、たくさんの灰が鬢のあたりにも舞い上がり、すべての所にいっぱいの気がするので、善美を尽くしていらっしゃる所に、このまま参上なさることはできない。
「気が違っているとはいっても、やはり珍しい、見たこともないご様子だ」と愛想も尽き、疎ましくなって、いとしいと思っていた気持ちも消え失せたが、「今、事を荒立てたら、大変なことになるだろう」と心を鎮めて、夜中になったが、僧などを呼んで、加持をさせる騷ぎとなる。わめき叫んでいらっしゃる声など、お嫌いになるのもごもっともである。
[2-6 鬚黒、玉鬘に手紙だけを贈る]
一晩中、打たれたり引かれたり、泣きわめいて夜をお明かしになって、少しお静かになっているころに、あちらへお手紙を差し上げなさる。
「昨夜、急に意識を失った人が出まして、雪の降り具合も出掛けにくく、ためらっておりましたところ、身体までが冷えてしまいました。あなたのお気持ちはもちろんのこと、周囲の人はどのように取り沙汰したことでございましょう」
と、生真面目にお書きになっている。
「心までが中空に思い乱れましたこの雪に
独り冷たい片袖を敷いて寝ました
耐えられませんでした」
と、白い薄様に、重々しくお書きになっているが、格別風情のあるところもない。筆跡はたいそうみごとである。漢学の才能は高くいらっしゃるのであった。
尚侍の君は、夜離れを何ともお思いなさらないので、このように心はやっていらっしゃるのを、御覧にもならないので、お返事もない。男は、落胆して、一日中物思いをなさる。
北の方は、依然としてたいそう苦しそうになさっているので、御修法などを始めさせなさる。心の中でも、「せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいらっしゃってください」とお祈りになる。「ほんとうの気立てが優しいのを知らなかったら、こんなにまで我慢できない気味悪さだ」と、思っていらっしゃった。
[2-7 翌日、鬚黒、玉鬘を訪う]
日が暮れると、いつものように急いでお出かけになる。お召物のことなども、体裁よく整えなさらず、まことに奇妙で身にそぐわないとばかり不機嫌でいらっしゃるが、立派な御直衣などは、間に合わせることがおできになれず、たいそう見苦しい。
昨夜のは、焼け穴があいて、気味悪く焦げた匂いがするのも異様である。御下着にまでその匂いが染みていた。嫉妬された跡がはっきりして、相手もお嫌いになるに違いないので、脱ぎ替えて、御湯殿などで、たいそう身繕いをなさる。
木工の君、お召物に香をたきしめながら、
「北の方が独り残されて、思い焦がれる胸の苦しさが
思い余って炎となったその跡と拝見しました
すっかり変わったお仕打ちは、お側で拝見する者でさえも、平気でいられましょうか」
と、口もとをおおっている、目もとは、たいそう魅力的である。けれども、「どのような気持ちからこのような女に情けをかけたのだろう」などとだけ思われなさるのであった。薄情なことであるよ。
「嫌なことを思って心が騒ぐので、あれこれと
後悔の炎がますます立つのだ
まったくとんでもない事が、もし先方の耳に入ったら、宙ぶらりな身の上となるだろう」
と、溜息ついてお出かけになった。
一夜会わなかっただけなのに、改めて珍しいほどに、美しさが増して見えなさるご様子に、ますます心を他の女に分けることもできないように思われて、憂鬱なので、長い間居続けていらっしゃった。
3 鬚黒大将家の物語 北の方、子供たちを連れて実家に帰る
[3-1 式部卿宮、北の方を迎えに来る]
修法などを盛んにしたが、物の怪がうるさく起こってわめいているのをお聞きになると、「あってはならない不名誉なことにもなり、外聞の悪いことが、きっと出てこよう」と、恐ろしくて寄りつきなさらない。
邸にお帰りになる時も、別の部屋に離れていらして、子どもたちだけを呼び出してお会い申しなさる。
女の子が一人、十二、三歳ほどで、またその下に、男の子が二人いらっしゃるのであった。最近になって、ご夫婦仲も離れがちでいらっしゃるが、れっきとした方として、肩を並べる人もなくて暮らして来られたので、「いよいよ最後だ」とお考えになると、お仕えしている女房たちも「ひどく悲しい」と思う。
父宮が、お聞きになって、
「今は、あのように別居して、はっきりした態度をとっておいでだというのに、それにしても、辛抱していらっしゃる、たいそう不面目な物笑いなことだ。自分が生きている間は、そう一途に、どうして相手の言いなりに従っていらっしゃることがあろうか」
と申し上げなさって、急にお迎えがある。
北の方は、ご気分が少し平常になって、夫婦仲を情けなく思い嘆いていらっしゃると、このようにお申し上げになっているので、
「無理して立ち止まって、すっかり見捨てられるのを見届けて、諦めをつけるのも、さらに物笑いになるだろう」
などと、ご決心なさる。
ご兄弟の公達、兵衛督は、上達部でいらっしゃるので、仰々しいというので、中将、侍従、民部大輔など、お車三台程でいらっしゃった。「きっとそうなるだろう」と、以前から思っていたことであるが、目の前に、今日がその終わりと思うと、仕えている女房たちも、ぽろぽろと涙をこぼし泣き合っていた。
「長年ご経験のないよそでのお住まいで、手狭で気の置ける所では、どうして大勢の女房が仕えられようか。何人かは、それぞれ実家に下がって、落ち着きになられてから」
などと決めて、女房たちはそれぞれ、ちょっとした荷物など、実家に運び出したりして、散り散りになるのであろう。お道具類は、必要な物は皆荷作りなどしながら、上の者や下の者が泣き騒いでいるのは、たいそう不吉に見える。
[3-2 母君、子供たちを諭す]
お子様たちは、無心に歩き回っていられるのを、母君、皆を呼んで座らせなさって、
「わたしは、このようにつらい運命を、今は見届けてしまったので、この世に生き続ける気もありません。どうなりとなって行くことでしょう。将来があるのに、何といっても、散り散りになって行かれる様子が、悲しいことです。
姫君は、どうなるにせよ、わたしについていらっしゃい。かえって、男の子たちは、どうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならないでしょうが、構ってもくださらないでしょうし、どっちつかずの頼りない生活になるでしょう。
父宮が生きていらっしゃるうちは、型通りに宮仕えはしても、あの大臣たちのお心のままの世の中ですから、あの気を許せない一族の者よと、やはり目をつけられて、立身することも難しい。それだからといって、山林に続いて入って出家することも、来世まで大変なこと」
とお泣きになると、皆、深い事情は分からないが、べそをかいて泣いていらっしゃる。
「昔物語などを見ても、世間並の愛情深い親でさえ、時勢に流され、人の言うままになって、冷たくなって行くものです。まして、形だけの親のようで、見ている前でさえすっかり変わってしまったお心では、頼りになるようなお扱いをなさるまい」
と、乳母たちも集まって、おっしゃり嘆く。
[3-3 姫君、柱の隙間に和歌を残す]
日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も、心細く見える夕方である。
「ひどく荒れて来ましょう。お早く」
と、お迎えの公達はお促し申し上げるが、お目を拭いながら物思いに沈んでいらっしゃる。姫君は、殿がたいそうかわいがって、懐いていらっしゃっるので、
「お目にかからないではどうして行けようか。『これで』などと挨拶しないで、再び会えないことになるかもしれない」
とお思いになると、突っ伏して、「とても出かけられない」とお思いでいるのを、
「そのようなお考えでいらっしゃるとは、とても情けない」
などと、おなだめ申し上げなさる。「今すぐにも、お父様がお帰りになってほしい」とお待ち申し上げなさるが、このように日が暮れようとする時、あちらをお動きなさろうか。
いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を、他人に譲る気がなさるのも悲しくて、姫君、桧皮色の紙を重ねたのに、ほんのちょっと書いて、柱のひび割れた隙間に、笄の先でお差し込みなさる。
「今はもうこの家を離れて行きますが、わたしが馴れ親しんだ
真木の柱はわたしを忘れないでね」
最後まで書き終わることもできずお泣きになる。母君、「いえ、なんの」と言って、
「長年馴れ親しんで来た真木柱だと思い出しても
どうしてここに止まっていられましょうか」
お側に仕える女房たちも、それぞれに悲しく、「それほどまで思わなかった木や草のことまで、恋しいことでしょう」と、目を止めて、鼻水をすすり合っていた。
木工の君は、殿の女房として留まるので、中将の御許は、
「浅い関係のあなたが残って、邸を守るはずの北の方様が
出て行かれることがあってよいものでしょうか
思いもしなかったことです。こうしてお別れ申すとは」
と言うと、木工の君は、
「どのように言われても、わたしの心は悲しみに閉ざされて
いつまでここに居られますことやら
いや、そのような」
と言って泣く。
お車を引き出して振り返って見るのも、「再び見ることができようか」と、心細い気がする。梢にも目を止めて、見えなくなるまで振り返って御覧になるのであった。君が住んでいるからではなく、長年お住まいになった所が、どうして名残惜しくないことがあろうか。
[3-4 式部卿宮家の悲憤慷慨]
宮邸では待ち受けて、たいそうお悲しみである。母の北の方、泣き騷ぎなさって、
「太政大臣を、結構なご親戚とお思い申し上げていらっしゃるが、どれほどの昔からの仇敵でいらっしゃったのだろうと思われます。
女御にも、何かにつけて、冷淡なお仕打ちをなさったが、それは、お二人の間の恨み事が解けなかったころ、思い知れということであったであろうと、思ったりおっしゃったりもし、世間の人もそう言っていたのでさえ、やはり、そあってよいことでしょうか。
一人を大切になさるのであれば、その周辺までもお蔭を蒙るという例はあるものだと、納得行きませんでしたが、まして、このような晩年になって、わけの分からない継子の世話をして、自分が飽きたのを気の毒に思って、律儀者で浮気しそうのない人をと思って、婿に迎えて大切になさるのは、どうして辛くないことでしょうか」
と、大声で言い続けなさるので、宮は、
「ああ、聞き苦しい。世間から非難されることのおありでない大臣を、口から出任せに悪くおっしゃるものではありませんよ。賢明な方は、かねてから考えていて、このような報復をしようと、思うことがおありだったのだろう。そのように思われるわが身の不幸なのだろう。
なにげないふうで、すべてあの苦しみなさった報復は、引き上げたり落としたり、たいそう賢く考えていらっしゃるようだ。わたし一人は、しかるべき親戚だと思って、先年も、あのような世間の評判になるほどに、わが家には過ぎたお祝賀があった。そのことを生涯の名誉と思って、満足すべきなのだろう」
とおっしゃると、ますます腹が立って、不吉な言葉を言い散らしなさる。この大北の方は、性悪な人だったのである。
大将の君は、このようにお移りになってしまったことを聞いて、
「まことに妙な、年若い夫婦のように、やきもちを焼いたようなことをなさったものだなあ。ご本人には、そのようなせっかちできっぱりした性分もないのに、宮があのように軽率でいらっしゃる」
と思って、御子息もあり、世間体も悪いので、いろいろと思案に困って、尚侍の君に、
「こんな妙なことがございましたようです。かえって気楽に存じられますが、そのまま邸の片隅に引っ込んでいてもよい気楽な人と、安心しておりましたのに、急にあの宮がなさったのでしょう。世間が見たり聞いたりことも薄情なので、ちょっと顔を出して、すぐに戻ってまいりましょう」
と言って、お出になる。
立派な袍のお召物に、柳の下襲、青鈍色の綺の指貫をお召しになって、身なりを整えていらっしゃる、まことに堂々としている。「どうして不似合いなところがあろうか」と、女房たちは拝見するが、尚侍の君は、このようなことをお聞きになるにつけても、わが身が情けなく思わずにはいらっしゃれないので、見向きもなさらない。
[3-5 鬚黒、式部卿宮家を訪問]
宮に苦情を申し上げようと思って、参上なさるついでに、先に、自邸にいらっしゃると、木工の君などが出てきて、その時の様子をお話し申し上げる。姫君のご様子をお聞きになって、男らしく堪えていらっしゃるが、ぽろぽろと涙がこぼれるご様子、たいそうお気の毒である。
「それにしても、世間の人と違い、おかしな振る舞いの数々を大目に見てきた長年の気持ちを、ご理解なさらなかったのかな。ひどくわがままな人は、今までも一緒にいただろうか。まあよい、あの本人は、どうなったところで、廃人にお見えになるから、同じことだ。子どもたちも、どうなさろうというのだろうか」
と、嘆息しながら、あの真木の柱を御覧になると、筆跡も幼稚だが、気立てがしみじみといじらしくて、道すがら、涙を押し拭い押し拭い参上なさると、お会いになれるはずもない。
「何の。ただ時勢におもねる心が、今初めてお変わりになったのではない。年来うつつを抜かしていらっしゃる様子を、長いこと聞いてはいたが、いつを再び改心する時かと待てようか。ますます、奇妙な姿を現すばかりで終わることにおなりになろう」
とご意見申される、もっともなことである。
「まったく、大人げない気がしますな。お見捨てになるはずもない子供たちもいますのでと、のんきに構えておりましたわたしの不行届を、繰り返しお詫び申しても、お詫びの申しようがありません。今はただ、穏便に大目に見て下さって、罪は免れがたく、世間の人にも分からせた上で、このようにもなさるのがよい」
などと、説得申すのに苦慮していらっしゃる。「せめて姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさっているが、お出し申すはずもない。
男の子たち、十歳になるのは、童殿上なさっている。とてもかわいらしい。人からほめられて、器量など優れてはいないが、たいそう利発で、物の道理をだんだんお分りになっていらした。
次の君は、八歳ほどで、とても可憐で、姫君にも似ているので、撫でながら、
「おまえを恋しい姫君のお形見と思って見ることにしよう」
などと、涙を流してお話しなさる。宮にも、ご内意を伺ったが、
「風邪がひどくて、養生しております時なので」
と言うので、不体裁な思いで退出なさった。
[3-6 鬚黒、男子二人を連れ帰る]
幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる。六条殿には連れて行くことがおできになれないので、邸に残して、
「やはり、ここにいなさい。会いに来るのにも安心して来られるであろうから」
とおっしゃる。悲しみにくれて、たいそう心細そうに見送っていらっしゃる様子、たいそうかわいそうなので、心配の種が増えたような気がするが、女君のご様子が、見がいがあって立派なので、気違いじみたご様子と比べると、格段の相違で、すべてお慰めになる。
さっぱり途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にしているふうなのを、宮におかれて、ひどく不愉快にお嘆きになる。
春の上もお聞きになって、
「わたしまで、恨まれる原因になるのがつらいこと」
とお嘆きになるので、大臣の君は、気の毒だとお思いになって、
「難しいことだ。自分の一存だけではどうすることもできない人の関係で、帝におかせられても、こだわりをお持ちになっていらっしゃるようだ。兵部卿宮なども、お恨みになっていらっしゃると聞いたが、そうは言っても、思慮深くいらっしゃる方なので、事情を知って、恨みもお解けになったようだ。自然と、男女の関係は、人目を忍んでいると思っても、隠すことのできないものだから、そんなに苦にするほどの責任もない、と思っております」
とおっしゃる。
4 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ
[4-1 玉鬘、新年になって参内]
このようなことの騒動に、尚侍の君のご気分は、ますます晴れる間もないでいるのを、大将は、お気の毒にとお気づかい申し上げて、
「あの参内なさる予定であったことも、沙汰止みになって、お妨げ申したのを、帝におかせられても、快からず何か含むところがあるようにお聞きあそばし、方々もお考えになるところがあるだろう。宮仕えの女性を妻にしている男もいないではないが」
と思い返して、年が改まってから、参内させ申し上げなさる。男踏歌があったので、ちょうどその折に、参内の儀式をたいそう立派に、この上なく整えて参内なさる。
お二方の大臣たち、この大将のご威勢までが加わり、宰相中将、熱心に気を配ってお世話申し上げなさる。兄弟の公達も、このような機会にと集まって、ご機嫌を取りに近づいて、大事になさる様子、たいそう素晴らしい。
承香殿の東面にお局を設けてある。西に宮の女御がいらしたので、馬道だけの間隔であるが、お心の中は、遠く離れていらっしゃったであろう。御方々は、どの方となく競争なさい合って、宮中では、奥ゆかしくはなやいだ時分である。格別家柄の劣った更衣たち、多くも伺候なさっていない。
中宮、弘徽殿女御、この宮の王女御、左大臣の女御などが伺候していらっしゃる。その他には、中納言、宰相の御息女が二人ほどが伺候していらっしゃるのであった。
[4-2 男踏歌、貴顕の邸を回る]
踏歌は、局々に実家の人が参内し、ふだんとは違って、ことに賑やかな見物なので、どなたもどなたも綺羅を尽くし、袖口の色の重なり、うるさいほど立派に整えていらっしゃる。春宮の女御も、たいそう華やかになさって、春宮は、まだお若くいらっしゃるが、すべての面でたいそう風流である。
帝の御前、中宮の御方、朱雀院と参って、夜がたいそう更けてしまったので、六条院には、今回は仰々しいのでとお取り止めになる。朱雀院から帰参して、春宮の御方々を回るうちに、夜が明けた。
ほのぼのと美しい夜明けに、たいそう酔い乱れた恰好をして、「竹河」を謡っているところを見ると、内大臣家の御子息が、四、五人ほど、殿上人の中で、声が優れ、器量も美しくて、うち揃っていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。
殿上童の八郎君は、正妻腹の子で、たいそう大切になさっているのが、とてもかわいらしくて、大将殿の太郎君と立ち並んでいるのを、尚侍の君も、他人とはお思いにならないので、お目が止まった。高貴な身分で長く宮仕えしていらっしゃる方々よりも、この御局の袖口は、全体の感じが今風で、同じ衣装の色合い、襲なりであるが、他の所より格別華やかである。
ご本人も女房たちも、このようにご気分を晴らして、暫くの間は宮中でお過ごせになれたら、と思い合っていた。
どこでも同じように、肩にお被けになる綿の様子も、色艶も格別に洗練なさって、こちらは水駅であったが、様子が賑やかで、女房たちが心づかいし過ぎるほどで、一定の作法通りの御饗応など、用意がしてある様子は、特別に気を配って、大将殿がおさせになったのであった。
[4-3 玉鬘の宮中生活]
宿直所にいらっしゃって、一日中、申し上げなさることは、
「夜になったら、ご退出おさせ申そう。このような機会にと、急にお考えが変わる宮仕えは安心でない」
とばかり、同じことをご催促申し上げなさるが、お返事はない。伺候している女房たちが、
「大臣が、『急いで退出することなく、めったにない参内なので、ご満足あそばされるくらいに。お許しがあってから、退出なさるよう』と、申し上げていらしたので、今夜は、あまりにも急すぎませんか」
と申し上げたのを、たいそうつらく思って、
「あれほど申し上げたのに、何とも思い通りに行かない夫婦仲だなあ」
とお嘆きになっていらっしゃった。
兵部卿宮、御前の管弦の御遊に伺候していらっしゃっても、気が落ち着かず、このお局あたりを思わずにはいらっしゃれないので、堪えきれずにお便りを申し上げなさった。大将は、近衛府の御曹司にいらっしゃる時であった。「そこから」と言って取り次いだので、しぶしぶと御覧になる。
「深山木と仲よくしていらっしゃる鳥が
またなく疎ましく思われる春ですねえ
鳥の囀る声が耳に止まりまして」
とある。お気の毒に思って、顔が赤くなって、お返事のしようもなく思っていらっしゃるところに、主上がお越しあそばす。
[4-4 帝、玉鬘のもとを訪う]
月が明るいので、ご容貌は言いようもなくお美しくて、まるで、あの大臣のご様子に違うところなくいらっしゃる。「このような方が二人もいらっしゃったのだ」と、拝見なさる。あの方のお気持ちは浅くはないが、嫌な物思いをしたけれど、こちらは、どうしてそのように思わせなさろう。たいそうやさしそうに、期待していたことと違ってしまった恨み事を仰せられるので、顔のやり場もないほどにお思いなさるよ。顔を袖で隠して、お返事も申し上げなさらないので、
「妙に黙っていらっしゃるのですね。昇進なども、ご存知であろうと思うことがあるのに、何もお聞き入れなさらない様子でばかりいらっしゃるのは、そのようなご性格なのですね」
と仰せになって、
「どうしてこう一緒になりがたいあなたを
深く思い染めてしまったのでしょう
これ以上深くはなれないのでしょうか」
と仰せになる様子、たいそう若々しく美しくて気恥ずかしいので、「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して、お返事申し上げなさる。宮仕えの年功もなくて、今年、位を賜ったお礼の気持ちなのであろうか。
「どのようなお気持ちからとも存じませんでした
この紫の色は、深いお情けから下さったものなのですね
ただ今からはそのように存じましょう」
と申し上げなさると、ほほ笑みなさって、
「その、今から思って下さろうとしても、何の役にも立たないことです。訴えを聞いてくれる人があったら、その判断を聞いてみたいものです」
と、たいそうお恨みあそばす御様子が、真面目で厄介なので、「とても嫌だわ」と思われて、「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」と思うと、真面目になって伺候していらっしゃるので、お思い通りの冗談も仰せになれずに、「だんだんと親しみ馴れて行くことだろう」とお思いあそばすのであった。
[4-5 玉鬘、帝と和歌を詠み交す]
大将は、このようにお越しあそばしたのをお聞きになって、ますます心が落ち着かないので、急いでせき立てなさる。ご自身も、「身分不相応なことも出て来かねない身の上だなあ」と情けなく思うので、落ち着いていらっしゃれず、退出させなさる段取り、もっともらしい口実を作り出して、父大臣など、うまく取り繕いなさって、御退出を許されなさったのであった。
「それでは。これに懲りて、二度と出仕をさせない人があっては困る。たいそうつらい。誰より先に望んだ気持ちが、人に先を越されて、その人の御機嫌を伺うことよ。昔の誰それの例も、持ち出したい気がします」
と仰せになって、ほんとうに残念だとお思いあそばしていらっしゃった。
お聞きあそばしていた時よりも、格段に実際に素晴らしいのを、初めからそのような気持ちがないにせよ、お見逃しになれないだろうに、なおさらたいそう悔しく、残念にお思いなさる。
けれども、まったく出来心からと、疎んじられまいとして、たいそう愛情深い程度にお約束なさって、親しみなさるのも、恐れ多く、「わたしは、わたしだわ、と思っているのに」とお思いになる。
御輦車を寄せて、こちら方、あちら方の、お世話役の人々が待ち遠しがって、大将も、たいそううるさいほどお側を離れず、世話をお焼きになる時まで、お離れあそばされない。
「こんなに厳重な付ききりの警護は不愉快だ」
とお憎みあそばす。
「幾重にも霞が隔てたならば、梅の花の香は
宮中まで匂って来ないのだろうか」
格別どうという歌ではないが、ご様子、物腰を拝見している時は、結構に思われたのであろうか。
「野原が懐かしいので、このまま夜明かしをしたいが、そうさせたくないでいる人が、自分の身につまされて気の毒に思う。どのようにお便りしたらよいものか」
とお悩みあそばすのも、「まことに恐れ多いこと」と、拝する。
「香りだけは風におことづけください
美しい花の枝に並ぶべくもないわたしですが」
やはり冷たく扱われない様子を、しみじみとお思いになりながら、振り返りがちにお帰りあそばした。
[4-6 玉鬘、鬚黒邸に退出]
そのまま今夜、あの邸にとお考えになっていたが、前もってはお許しが出ないだろうから、打ち明け申されずに、
「急にたいそう風邪で気分が悪くなったものですから、気楽な所で休ませます間、よそに離れていてはたいそう不安でございますから」
と、穏やかに申し上げなさって、そのままお移し申し上げなさる。
父内大臣は、急なことで、「格式が欠けるようではないか」とお思いになるが、「強引に、そのくらいのことで反対するのも、気を悪くするだろう」とお思いになると、
「どのようにでも。もともとわたしの自由にならないお方のことだから」
と、申し上げなさるのであった。
六条殿は、「あまりに急で不本意だ」とお思いになるが、どうしようもない。女も、思ってもみなかった身の上を、情けないとお思いになるが、盗んで来たらと、たいそう嬉しく安心した。
あの、お入りあそばしたことを、たいそう嫉妬申し上げなさるのも、不愉快で、やはりつまらない人のような気がして、夫婦仲は疎々しい態度で、ますます機嫌が悪い。
あの宮家でも、あのようにきつくおっしゃったが、たいそう後悔なさっているが、まったく音沙汰もない。ただ念願が叶ったお世話で、毎日いそしんでお過ごしになる。
[4-7 2月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る]
二月になった。大殿は、
「それにしても、無愛想な仕打ちだ。まったくこのようにきっぱりと自分のものにしようとは思いもかけないで、油断させられたのが悔しい」
と、体裁悪く、何から何までお気にならない時とてなく、恋しく思い出さずにはいらっしゃれない。
「運命などと言うのも、軽く見てはならないものだが、自分のどうすることもできない気持ちから、このように誰のせいでもなく物思いをするのだ」
と、寝ても起きても幻のようにまぶたにお見えになる。
大将のような、趣味も、愛想もない人に連れ添っていては、ちょっとした冗談も遠慮されつまらなく思われなさって、我慢していらっしゃるとき、雨がひどく降って、とてものんびりとしたころ、このような所在なさも気の紛らし所にお行きになって、お話しになったことなどが、たいそう恋しいので、お手紙を差し上げなさる。
右近のもとにこっそりと差し出すのも、一方では、それをどのように思うかとお思いになると、詳しくは書き綴ることがおできになれず、ただ相手の推察に任せた書きぶりなのであった。
「降りこめられてのどやかな春雨のころ
昔馴染みのわたしをどう思っていらっしゃいますか
所在なさにつけても、恨めしく思い出されることが多くございますが、どのようにして分かるように申し上げたらよいのでしょうか」
などとある。
人のいない間にこっそりとお見せ申し上げると、ほろっと泣いて、自分の心でも、月日のたつにつれて、思い出さずにはいらっしゃれないご様子を、正面きって、「恋しい、何とかしてお目にかかりたい」などとは、おっしゃることのできない親なので、「おっしゃるとおり、どうしてお会いすることができようか」と、もの悲しい。
時々、厄介であったご様子を、気にくわなくお思い申し上げたことなどは、この人にもお知らせになっていないことなので、自分ひとりでお思い続けていらっしゃるが、右近は、うすうす感じ取っていたのであった。実際、どんな仲であったのだろうと、今でも納得が行かず思っていたのであった。
お返事は、「差し上げるのも気が引けるが、ご不審に思われようか」と思って、お書きになる。
「物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らして
どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか
時がたつと、おっしゃるとおり、格別な所在なさも募りますこと。あなかしこ」
と、恭しくお書きになっていた。
[4-8 源氏、玉鬘の返書を読む]
手紙を広げて、玉水がこぼれるように思わずにはいらっしゃれないが、「人が見たら、体裁悪いことだろう」と、平静を装っていらっしゃるが、胸が一杯になる思いがして、あの昔の、尚侍の君を朱雀院の母后が無理に逢わせまいとなさった時のことなどをお思い出しになるが、目前のことだからであろうか、こちらは普通と変わって、しみじみと心うつのであった。
「色好みの人は、本心から求めて物思いの絶えない人なのだ。今は何のために心を悩まそうか。似つかわしくない恋の相手であるよ」
と、冷静になるのに困って、お琴を掻き鳴らして、やさしくしいてお弾きになった爪音が、思い出さずにはいらっしゃれない。和琴の調べを、すが掻きにして、
「玉藻はお刈りにならないで」
と、謡い興じていらっしゃるのも、恋しい人に見せたならば、感動せずにはいられないご様子である。
帝におかせられても、わずかに御覧あそばしたご器量ご様子を、お忘れにならず、
「赤裳を垂れ引いて去っていってしまった姿を」
と、耳馴れない古歌であるが、お口癖になさって、物思いに耽っておいであそばすのであった。お手紙は、そっと時々あるのであった。わが身を不運な境遇と思い込みなさって、このような軽い気持ちのお手紙のやりとりも、似合わなくお思いになるので、うち解けたお返事も申し上げなさらない。
やはり、あの、またとないほどであったお心配りを、何かにつけて深くありがたく思い込んでいらっしゃるお気持ちが、忘れられないのであった。
[4-9 3月、源氏、玉鬘を思う]
三月になって、六条殿の御前の、藤、山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに見る目にも美しい姿でお座りになっていらしたご様子ばかりが思い出さずにはいらっしゃれないので、春の御前を放って、こちらの殿に渡って御覧になる。
呉竹の籬に、自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。
「色に衣を」
などとおっしゃって、
「思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが
心の中では恋い慕っている山吹の花よ
面影に見え見えして」
などとおっしゃっても、聞く人もいない。このように、さすがに諦めていることは、今になってお分かりになるのであった。なるほど、妙なおたわむれの心であるよ。
鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や、橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、
「お目にかからない月日がたちましたが、思いがけないおあしらいだとお恨み申し上げるのも、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくては、お目にかかることの難しいことを、残念に存じております」
などと、親めいてお書きになって、
「せっかくわたしの所でかえった雛が見えませんね
どんな人が手に握っているのでしょう
どうして、こんなにまでもなどと、おもしろくなくて」
などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、
「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。まして、どうして、この大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」
と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。
「お返事は、わたしは差し上げられません」
と、書きにくくお思いになっているので、
「わたしがお書き申そう」
と代わるのも、はらはらする思いである。
「巣の片隅に隠れて子供の数にも入らない雁の子を
どちらの方に取り隠そうとおっしゃるのでしょうか
不機嫌なご様子にびっくりしまして。懸想文めいていましょうか」
とお返事申し上げた。
「この大将が、このような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。珍しくて」
と言って、お笑いになる。心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。
5 鬚黒大将家と内大臣家の物語 玉鬘と近江の君
[5-1 北の方、病状進む]
あの、もとの北の方は、月日のたつにしたがって、あまりな仕打ちだと、物思いに沈んで、ますます気が変になっていらっしゃる。大将殿の一通りのお世話、どんなことでも細かくご配慮なさって、男の子たちは、変わらずかわいがっていらっしゃるので、すっかり縁を切っておしまいにならず、生活上の頼りだけは、同様にしていらっしゃるのであった。
姫君を、たまらなく恋しくお思い申し上げなさるが、全然お会わせ申し上げなさらない。子供心にも、この父君を、誰もが、みな許すことなくお恨み申し上げて、ますます遠ざけることばかりが増えて行くので、心細く悲しいが、男の子たちは、いつも一緒に行き来しているので、尚侍の君のご様子などを、自然と何かにつけて話し出して、
「わたしたちをも、かわいがってやさしくして下さいます。毎日おもしろいことばかりして暮らしていらっしゃいます」
などと言うと、羨ましくなって、このようにして自由に振る舞える男の身に生まれてこなかったことをお嘆きになる。妙に、男にも女にも物思いをさせる尚侍の君でいらっしゃるのであった。
[5-2 11月に玉鬘、男子を出産]
その年の十一月に、たいそうかわいい赤子までお生みになったので、大将も、願っていたようにめでたいと、大切にお世話なさること、この上ない。その時の様子、言わなくても想像できることであろう。父大臣も、自然に願っていた通りのご運命だとお思いになっていた。
特別に大切にお世話なさっているお子様たちにも、ご器量などは劣っていらっしゃらない。頭中将も、この尚侍の君を、たいそう仲の好い姉弟として、お付き合い申し上げていらっしゃるものの、やはりすっきりしない御そぶりを時々は見せながら、
「入内なさって、その甲斐あってのご出産であったらよかったのに」
と、この若君のかわいらしさにつけても、
「今まで皇子たちがいらっしゃらないお嘆きを拝見しているので、どんなに名誉なことであろう」
と、あまりに身勝手なことを思っておっしゃる。
公務は、しかるべく取り仕切っているが、参内なさることは、このままこうして終わってしまいそうである。それもやむをえないことである。
[5-3 近江の君、活発に振る舞う]
そうそう、あの内の大殿のご息女で、尚侍を望んでいた女君も、ああした類の人の癖として、色気まで加わって、そわそわし出して、持て余していらっしゃる。女御も、「今に、軽率なことが、この君はきっとしでかすだろう」と、何かにつけ、はらはらしていらっしゃるが、大臣が、
「今後は、人前に出てはいけません」
と、戒めておっしゃるのさえ聞き入れず、人中に出て仕えていらっしゃる。
どのような時であったろうか、殿上人が大勢、立派な方々ばかりが、この女御の御方に参上して、いろいろな楽器を奏して、くつろいだ感じの拍子を打って遊んでいる。秋の夕方の、どことなく風情のあるところに、宰相中将もお寄りになって、いつもと違ってふざけて冗談をおっしゃるのを、女房たちは珍しく思って、
「やはり、どの人よりも格別だわ」
と誉めると、この近江の君、女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる。
「あら、嫌だわ。これはどうなさるおつもり」
と引き止めるが、たいそう意地悪そうに睨んで、目を吊り上げているので、厄介になって、
「軽率なことを、おっしゃらないかしら」
と、お互いにつつき合っていると、この世にも珍しい真面目な方を、
「この人よ、この人よ」
と誉めて、小声で騷ぎ立てる声、まことにはっきり聞こえる。女房たち、とても困ったと思うが、声はとてもはっきりした調子で、
「沖の舟さん。寄る所がなくて波に漂っているなら
わたしが棹さして近づいて行きますから、行く場所を教えてください
棚なし小舟みたいに、いつまでも一人の方ばかり思い続けていらっしゃるのね。あら、ごめんなさい」
と言うので、たいそう不審に思って、
「こちらの御方には、このようなぶしつけなこと、聞かないのに」と思いめぐらすと、「あの噂の姫君であったのか」
と、おもしろく思って、
「寄る所がなく風がもてあそんでいる舟人でも
思ってもいない所には磯伝いしません」
とおっしゃったので、引っ込みがつかなかったであろう、とか。
32. 梅枝
光る源氏の太政大臣時代39歳秋1月から2月までの物語
- 六条院の薫物合せの準備 御裳着の儀式、ご準備なさるお心づかい
- 2月10日、薫物合せ 二月の十日、雨が少し降って、御前近くの紅梅の盛りに
- 御方々の薫物 この機会に、ご夫人方がご調合なさった薫物を
- 薫物合せ後の饗宴 月が出たので、御酒などをお召し上がりになって
1 光る源氏の物語 薫物合せ
- 明石の姫君の裳着 こうして、西の御殿に、戌の刻にお渡りになる
- 明石の姫君の入内準備 春宮の御元服は、二十日過ぎの頃に行われたのであった
- 源氏の仮名論議 「すべての事が、昔に比べて劣って
- 草子執筆の依頼 墨、筆、最上の物を選び出して、いつもの方々に
- 兵部卿宮、草子を持参 「兵部卿宮がお越しになりました」と申し上げたので
- 他の人々持参の草子 左衛門督は、仰々しくえらそうな書風ばかりを
- 古万葉集と古今和歌集 今日はまた、書のことなどを一日中お話しになって
2 光る源氏の物語 明石の姫君の裳着
- 内大臣家の近況 内大臣は、この入内の御準備を、他人事として
- 源氏、夕霧に結婚の教訓 大臣は、「妙に身の固まらないことだ」と
- 夕霧と雲居の雁の仲 このようなご教訓に従って、冗談にも
3 内大臣家の物語 夕霧と雲居雁の物語
1 光る源氏の物語 薫物合せ
[1-1 六条院の薫物合せの準備]
御裳着の儀式、ご準備なさるお心づかい、並々ではない。春宮も同じ二月に、御元服の儀式がある予定なので、そのまま御入内も続くのであろうか。
正月の月末なので、公私ともにのんびりとした頃に、薫物合わせをなさる。大宰大弐が献上したいくつもの香を御覧になると、「やはり、昔の香には劣っていようか」とお思いになって、二条院の御倉を開けさせなさって、唐の品々を取り寄せなさって、ご比較なさると、
「錦、綾なども、やはり古い物が好ましく上品であった」
とおっしゃって、身近な調度類の、物の覆いや、敷物、座蒲団などの端々に、故院の御代の初め頃、高麗人が献上した綾や、緋金錦類など、今の世の物には比べ物にならず、さらにいろいろとご鑑定なさっては、今回の綾、羅などは、女房たちにご下賜なさる。
数々の香は、昔のと今のを、取り揃えさせなさって、ご夫人方にお配り申し上げさせなさる。
「二種類づつ調合なさって下さい」
と、お願い申し上げさせなさった。贈物や、上達部への禄など、世にまたとないほどに、内にも外にも、お忙しくお作りなさるに加えて、それぞれに材料を選び準備して、鉄臼の音が喧しく聞こえる頃である。
大臣は、寝殿に離れていらっしゃって、承和の帝の御秘伝の二つの調合法を、どのようにしてお耳にお伝えなさったのであろうか、熱心にお作りになる。
紫の上は、東の対の中の放出に、御設備を特別に厳重におさせになって、八条の式部卿の御調合法を伝えて、互いに競争して調合なさっている間に、たいそう秘密にしていらっしゃるので、
「匂いの深さ浅さも、勝負けの判定にしよう」
と大臣がおっしゃる。子を持つ親御らしくない競争心である。
どちらにも、御前に伺候する女房は多くいない。御調度類も、多く善美を尽くしていらっしゃる中でも、いくつもの香壷の御箱の作り具合、壷の恰好、香炉の意匠も、見慣れない物で、当世風に、趣向を変えさせていらっしゃるのが、あちらこちらで一生懸命にお作りになったような香の中で、優れた幾種かを、匂いを比べた上で入れようとお考えなのである。
[1-2 2月10日、薫物合せ]
二月の十日、雨が少し降って、御前近くの紅梅の盛りに、色も香も他に似る物がない頃に、兵部卿宮がお越しになった。御裳着の支度が今日明日に迫ってお忙しいことについて、ご訪問なさる。昔から特別にお仲が好いので、隠し隔てなく、あの事この事、とご相談なさって、紅梅の花を賞美なさっていらっしゃるところに、前斎院からと言って、散って薄くなった梅の枝に結び付けられているお手紙を持ってまいった。宮、お聞きになっていたこともあるので、
「どのようなお手紙があちらから参ったのでしょうか」
とおっしゃって、興味をお持ちになっているので、にっこりして、
「たいそう無遠慮なことをお願い申し上げたところ、几帳面に急いでお作りになったのでしょう」
とおっしゃって、お手紙はお隠しになった。
沈の箱に、瑠璃の香壷を二つ置いて、大きく丸めてお入れになってある。心葉は、紺瑠璃のには五葉の枝を、白いのには白梅を彫って、同じように結んである糸の様子も、優美で女性的にお作りになってある。
「優雅な感じのする出来ばえですね」
とおっしゃって、お目を止めなさると、
「花の香りは散ってしまった枝には残っていませんが、
香を焚きしめた袖には深く残るでしょう」
薄墨のほんのりとした筆跡を御覧になって、宮は仰々しく口ずさみなさる。
宰相中将、お使いの者を捜し出して引き止めさせなさって、たいそう酔わせなさる。紅梅襲の唐の細長を添えた女装束をお与えになる。お返事も同じ紙の色で、御前の花を折らせてお付けになる。
宮、
「どんな内容か気になるお手紙ですね。どのような秘密があるのか、深くお隠しになさるな」
と恨んで、ひどく見たがっていらっしゃった。
「何でもありません。秘密があるようにお思いになるのが、かえって迷惑です」
とおっしゃって、御筆のついでに、
「花の枝にますます心を惹かれることよ
人が咎めるだろうと隠しているが」
とでもあったのであろうか。
「実のところ、物好きなようですが、二人といない娘のことですから、こうするのが当然の催しであろうと、存じましてね。たいそう不器量ですから、疎遠な方にはきまりが悪いので、中宮を御退出おさせ申し上げてと存じております。親しい間柄でお慣れ申し上げているが、気の置ける点が深くおありの宮なので、何事も世間一般の有様でお見せ申しては、恐れ多いことですから」
などと、申し上げなさる。
「あやかるためにも、おっしゃるとおり、きっとお考えになるはずのことなのでしたね」
と、ご判断申し上げなさる。
[1-3 御方々の薫物]
この機会に、ご夫人方がご調合なさった薫物を、それぞれお使いを出して、
「今日の夕方の雨じめりに試してみよう」
とお話申し上げなさっていたので、それぞれに趣向を凝らして差し上げなさった。
「これらをご判定ください。あなたでなくて誰に出来ましょう」
と申し上げなさって、いくつもの御香炉を召して、お試しになる。
「知る人というほどの者ではありませんが」
と謙遜なさるが、何とも言えない匂いの中で、香りの強い物や弱い物の一つなどが、わずかの欠点を識別して、強いて優劣の区別をお付けになる。あのご自分の二種の香は、今お取り出させになる。
右近の陣の御溝水の辺に埋める例に倣って、西の渡殿の下から湧き出る遣水の近くに埋めさせなさっていたのを、惟光の宰相の子の兵衛尉が、掘り出して参上した。宰相中将が、受け取って差し上げさせなさる。宮、
「とても難しい判者に任命されたものですね。とても煙たくて閉口しますよ」
と、お困りになる。同じのは、どこにでも伝わって広がっているようだが、それぞれの好みで調合なさった、深さ浅さを、聞き分けて御覧になると、とても興味深いものが数多かった。
まったくどれと言えない香の中で、斎院の御黒方、そうは言っても、奥ゆかしく落ち着いた匂い、格別である。侍従の香は、大臣のその御香は、優れて優美でやさしい香りである、とご判定になさる。
対の上の御香は、三種ある中で、梅花の香が、ぱっと明るくて当世風で、少し鋭く匂い立つように工夫を加えて、珍しい香りが加わっていた。
「今頃の風に薫らせるには、まったくこれに優る匂いはあるまい」
と賞美なさる。
夏の御方におかれては、このようにご夫人方が思い思いに競争なさっている中で、人並みにもなるまいと、煙にさえお考えにならないご気性で、ただ荷葉の香を一種調合なさった。一風変わって、しっとりした香りで、しみじみと心惹かれる。
冬の御方におかれても、季節季節に基づいた香が決まっているから、負けるのもつまらないとお考えになって、薫衣香の調合法の素晴らしいのは、前の朱雀院のをお学びなさって、源公忠朝臣が、特別にお選び申した百歩の方などを思いついて、世間にない優美さを調合した、その考えが素晴らしいと、どれも悪い所がないように判定なさるのを、
「当たりさわりのない判者ですね」
と申し上げなさる。
[1-4 薫物合せ後の饗宴]
月が出たので、御酒などをお召し上がりになって、昔のお話などをなさる。霞んでいる月の光が奥ゆかしいところに、雨上がりの風が少し吹いて、梅の花の香りが優しく薫り、御殿の辺りに何とも言いようもなく匂い満ちて、皆のお気持ちはとてもうっとりしている。
蔵人所の方にも、明日の管弦の御遊の試演に、お琴類の準備などをして、殿上人などが大勢参上して、美しい幾種もの笛の音が聞こえて来る。
内の大殿の頭中将、弁少将なども、挨拶だけで退出するのを、お止めさせになって、いくつも御琴をお取り寄せになる。
宮の御前に琵琶、大臣に箏の御琴を差し上げて、頭中将は、和琴を賜って、賑やかに合奏なさっているのは、たいそう興趣深く聞こえる。宰相中将、横笛をお吹きになる。季節にあった調べを、雲居に響くほど吹き立てた。弁少将は拍子を取って、「梅が枝」を謡い出したところ、たいそう興味深い。子供の時、韻塞ぎの折に、「高砂」を謡った君である。宮も大臣も一緒にお謡いになって、仰々しくはないが、趣のある夜の管弦の催しである。
お杯をお勧めになる時に、宮が、
「鴬の声にますます魂が抜け出しそうです
心を惹かれた花の所では、
千年も過ごしてしまいそうです」
とお詠み申し上げなさると、
「色艶も香りも移り染まるほどに、今年の春は
花の咲くわたしの家を絶えず訪れて下さい」
頭中将におさずけになると、受けて、宰相中将に廻す。
「鴬のねぐらの枝もたわむほど
夜通し笛の音を吹き澄まして下さい」
宰相中将は、
「気づかって風が避けて吹くらしい梅の花の木に
むやみに近づいて笛を吹いてよいものでしょうか
無風流ですね」
と言うと、皆お笑いになる。弁少将は、
「霞でさえ月と花とを隔てなければ
ねぐらに帰る鳥も鳴き出すことでしょう」
ほんとうに、明け方になって、宮はお帰りになる。御贈物に、ご自身の御料の御直衣のご装束一揃い、手をおつけになっていない薫物を二壷添えて、お車までお届けになる。宮は、
「この花の香りを素晴らしい袖に移して帰ったら
女と過ちを犯したのではないかと妻が咎めるでしょう」
と言うので、
「たいそう弱気ですな」
と言ってお笑いになる。お車に牛を繋ぐところに、追いついて、
「珍しいと家の人も待ち受けて見ましょう
この花の錦を着て帰るあなたを
めったにないこととお思いになるでしょう」
とおっしゃるので、とてもつらがりなさる。以下の公達にも、大げさにならないようにして、細長、小袿などをお与えになる。
2 光る源氏の物語 明石の姫君の裳着
[2-1 明石の姫君の裳着]
こうして、西の御殿に、戌の刻にお渡りになる。中宮のいらっしゃる西の放出を整備して、御髪上の内侍なども、そのままこちらに参上した。紫の上も、この機会に、中宮にご対面なさる。お二方の女房たちが、一緒に来合わせているのが、数えきれないほど見えた。
子の刻に御裳をお召しになる。大殿油は微かであるが、御器量がまことに素晴らしいと、中宮はご拝見あそばす。大臣は、
「お見捨てになるまいと期待して、失礼な姿を、進んでお目にかけたのでございます。後世の前例になろうかと、狭い料簡から密かに考えております」
などと申し上げなさる。中宮、
「どのようなこととも判断せず致したことを、このように大層におっしゃって戴きますと、かえって気が引けてしまいます」
と、否定しておっしゃる御様子、とても若々しく愛嬌があるので、大臣も、理想通りに立派なご様子の婦人方が、集まっていらっしゃるのを、お互いの間柄も素晴らしいとお思いになる。母君が、このような機会でさえお目にかかれないのを、たいそう辛い事と思っているのも気の毒なので、参列させようかしらと、お考えになるが、世間の悪口を慮って、見送った。
このような邸での儀式は、まあまあのものでさえ、とても煩雑で面倒なのだが、一部分だけでも、例によってまとまりなくお伝えするのも、かえってどうかと思い、詳細には書かない。
[2-2 明石の姫君の入内準備]
春宮の御元服は、二十日過ぎの頃に行われたのであった。たいそう大人でおいであそばすので、人々が娘たちを競争して入内させることを、希望していらっしゃるというが、この殿がご希望していらっしゃる様子が、まことに格別なので、かえって中途半端な宮仕えはしないほうがましだと、左大臣なども、お思い留まりになっているということをお耳になさって、
「じつにもってのほかのことだ。宮仕えの趣旨は、大勢いる中で、僅かの優劣の差を競うのが本当だろう。たくさんの優れた姫君たちが、家に引き籠められたならば、何ともおもしろくないだろう」
とおっしゃって、御入内が延期になった。その次々にもと差し控えていらっしゃったが、このようなことをあちこちでお聞きになって、左大臣の三の君がご入内なさった。麗景殿女御と申し上げる。
こちらの御方は、昔の御宿直所の、淑景舎を改装して、ご入内が延期になったのを、春宮におかれても待ち遠しくお思いあそばすので、四月にとお決めあそばす。ご調度類も、もとからあったのを整えて、御自身でも、道具類の雛形や図案などを御覧になりながら、優れた諸道の専門家たちを呼び集めて、こまかに磨きお作らせになる。
冊子の箱に入れるべき冊子類を、そのまま手本になさることのできるのを選ばせなさる。昔のこの上もない名筆家たちが、後世にお残しになった筆跡類も、たいそうたくさんある。
[2-3 源氏の仮名論議]
「すべての事が、昔に比べて劣って、浅くなって行く末世だが、仮名だけは、現代は際限もなく発達したものだ。昔の字は、筆跡が定まっているようではあるが、ゆったりした感じがあまりなくて、一様に似通った書法であった。
見事で上手なものは、近頃になって書ける人が出て来たが、平仮名を熱心に習っていた最中に、特に難点のない手本を数多く集めていた中で、中宮の母御息所が何気なくさらさらとお書きになった一行ほどの、無造作な筆跡を手に入れて、格段に優れていると感じたものです。
そういうことで、とんでもない浮名までもお流し申してしまったことよ。残念なことと思い込んでいらっしゃったが、それほど薄情ではなかったのだ。中宮にこのように御後見申し上げていることを、思慮深くいらっしゃったので、亡くなった後にも見直して下さることだろう。
中宮の御筆跡は、こまやかで趣はあるが、才気は少ないようだ」
と、ひそひそと申し上げなさる。
「故入道宮の御筆跡は、たいそう深味もあり優美な手の筋はおありだったが、なよなよした点があって、はなやかさが少なかった。
朱雀院の尚侍は、当代の名人でいらっしゃるが、あまりにしゃれすぎて欠点があるよだ。そうは言っても、あの尚侍君と、前斎院と、あなたは、上手な方だと思う」
と、お認め申し上げなさるので、
「この方々に仲間入りするのは、恥ずかしいですわ」
と申し上げなさると、
「ひどく謙遜なさってはいけません。柔和という点の好ましさは、格別なものですよ。漢字が上手になってくると、仮名は整わない文字が交るようですがね」
とおっしゃって、まだ書写してない冊子類を作り加えて、表紙や、紐など、たいへん立派にお作らせになる。
「兵部卿宮、左衛門督などに書いてもらおう。わたし自身も二帖は書こう。いくら自信がおありでも、並ばないことはあるまい」
と、自賛なさる。
[2-4 草子執筆の依頼]
墨、筆、最上の物を選び出して、いつもの方々に、特別のご依頼のお手紙があると、方々は、難しいこととお思いになって、ご辞退申し上げなさる方もあるので、懇ろにご依頼申し上げなさる。高麗の紙の薄様風なのが、はなはだ優美なのを、
「あの、風流好みの若い人たちを、試してみよう」
とおっしゃって、宰相中将、式部卿宮の兵衛督、内の大殿の頭中将などに、
「葦手、歌絵を、各自思い通りに書きなさい」
とおっしゃると、皆それぞれ工夫して競争しているようである。
いつもの寝殿に独り離れていらっしゃってお書きになる。花盛りは過ぎて、浅緑色の空がうららかなので、いろいろ古歌などを心静かに考えなさって、ご満足のゆくまで、草仮名も、普通の仮名も、女手も、たいそう見事にこの上なくお書きになる。
御前に人は多くいず、女房が二、三人ほどで、墨などをお擦らせになって、由緒ある古い歌集の歌など、どんなものだろうかなどと、選び出しなさるので、相談相手になれる人だけが伺候している。
御簾を上げ渡して、脇息の上に冊子をちょっと置いて、端近くに寛いだ姿で、筆の尻をくわえて、考えめぐらしていらっしゃる様子、いつまでも見飽きない美しさである。白や赤などの、はっきりした色の紙は、筆を取り直して、注意してお書きになっていらっしゃる様子までが、情趣を解せる人は、なるほど感心せずにはいられないご様子である。
[2-5 兵部卿宮、草子を持参]
「兵部卿宮がお越しになりました」と申し上げたので、驚いて御直衣をお召しになって、御敷物を持って来させなさって、そのまま待ち受けて、お入れ申し上げなさる。この宮もたいそう美しくて、御階を体裁よく歩いて上がっていらっしゃるところを、御簾の中からも女房たちが覗いて拝見する。丁重に挨拶して、お互いに威儀を正していらっしゃるのも、たいそう美しい。
「することもなく邸に籠もっておりますのも、辛く存じられますこの頃ののんびりとした折に、ちょうどよくお越し下さいました」
と、歓迎申し上げなさる。あの御依頼の冊子を持たせてお越しになったのであった。その場で御覧になると、たいして上手でもないご筆跡を、ただ一本調子に、たいそう垢抜けした感じにお書きになってある。和歌も、技巧を凝らして、風変わりな古歌を選んで、わずか三行ほどに、文字を少なくして好ましく書いていらっしゃった。大臣、御覧になって驚いた。
「こんなにまで上手にお書きになるとは存じませんでした。まったく筆を投げ出してしまいたいほどですね」
と、悔しがりなさる。
「このような名手の中で臆面もなく書く筆跡の具合は、いくら何でもさほどまずくはないと存じます」
などと、冗談をおっしゃる。
お書きになった冊子類を、お隠しすべきものでもないので、お取り出しになって、お互いに御覧になる。
唐の紙で、たいそう堅い材質に、草仮名をお書きになっている、まことに結構であると、御覧になると、高麗の紙で、きめが細かで柔らかく優しい感じで、色彩などは派手でなく、優美な感じのする紙に、おっとりした女手で、整然と心を配って、お書きになっている、喩えようもない。
御覧になる方の涙までが、筆跡に沿って流れるような感じがして、見飽きることのなさそうなところへ、さらに、わが国の紙屋院の色紙の、色合いが派手なのに、乱れ書きの草仮名の和歌を、筆にまかせて散らし書きになさったのは、見るべき点が尽きないほどである。型にとらわれず自在に愛嬌があって、ずっと見ていたい気がしたので、他の物にはまったく目もおやりにならない。
[2-6 他の人々持参の草子]
左衛門督は、仰々しくえらそうな書風ばかりを好んで書いているが、筆法の垢抜けしない感じで、技巧を凝らした感じである。和歌なども、わざとらしい選び方をして書いていた。
女君たちのは、そっくりお見せにならない。斎院のなどは、言うまでもなく取り出しなさらないのであった。葦手の冊子類が、それぞれに何となく趣があった。
宰相中将のは、水の勢いを豊富に書いて、乱れ生えている葦の様子など、難波の浦に似ていて、あちこちに入り混じって、たいそうすっきりした所がある。また、たいそう大仰に趣を変えて、字体、石などの様子、風流にお書きになった紙もあるようだ。
「目も及ばぬ素晴らしさだ。これは手間のかかったにちがいない代物だね」
と、興味深くお誉めになる。どのようなことにも趣味を持って、風流がりなさる親王なので、とてもたいそうお誉め申し上げなさる。
[2-7 古万葉集と古今和歌集]
今日はまた、書のことなどを一日中お話しになって、いろいろな継紙をした手本を、何巻かお選び出しになった機会に、御子息の侍従をして、宮邸に所蔵の手本類を取りにおやりになる。
嵯峨の帝が、『古万葉集』を選んでお書かせあそばした四巻。延喜の帝が、『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継いで、同じ色の濃い紋様の綺の表紙、同じ玉の軸、だんだら染に組んだ唐風の組紐など、優美で、巻ごとに御筆跡の書風を変えながら、あらん限りの書の美をお書き尽くしあそばしたのを、大殿油を低い台に燈して御覧になると、
「いつまで見ていても見飽きないものだ。最近の人は、ただ部分的に趣向を凝らしているだけにすぎない」
などと、お誉めになる。そのままこれらはこちらに献上なさる。
「女の子などを持っていましたにしても、たいして見る目を持たない者には、伝えたくないのですが、まして、埋もれてしまいますから」
などと申し上げて差し上げなさる。侍従に、唐の手本などの特に念入りに書いてあるのを、沈の箱に入れて、立派な高麗笛を添えて、差し上げなさる。
またこの頃は、ひたすら仮名の論評をなさって、世間で能書家だと聞こえた、上中下の人々にも、ふさわしい内容のものを見計らって、探し出してお書かせになる。この御箱には、身分の低い者のはお入れにならず、特別に、その人の家柄や、地位を区別なさりなさり、冊子、巻物、すべてお書かせ申し上げなさる。
何もかも珍しい御宝物類、外国の朝廷でさえめったにないような物の中で、この何冊かの本を見たいと心を動かしなさる若い人たちが、世間に多いことであった。御絵画類をご準備なさる中で、あの『須磨の日記』は、子孫代々に伝えたいとお思いになるが、「もう少し世間がお分りになったら」とお思い返しなさって、まだお取り出しなさらない。
3 内大臣家の物語 夕霧と雲居雁の物語
[3-1 内大臣家の近況]
内大臣は、この入内の御準備を、他人事としてお聞きになるが、たいそう気が気でなく、つまらないとお思いになる。姫君のご様子、女盛りに成長して、もったいないほどにかわいらしい。所在なげに塞ぎ込んでいらっしゃる様子は、たいへんなお嘆きの種であるが、あの方のご様子は、どうかといえば、いつも変わらず平気なので、「弱気になってこちらから歩み寄るようなのも、体裁が悪いし、相手が夢中だった時に、言うことを聞いていたら」などと、一人お嘆きになって、一途に悪いと責めることもおできになれない。
このように少し弱気になられたご様子を、宰相の君はお聞きになるが、ひところ冷たかったお心を酷いと思うと、平気を装い、落ち着いた態度で、そうはいっても他の女をという考えお持ちにならず、自分から求めてやるせない思いをする時は多いが、「浅緑の六位」と申して馬鹿にした御乳母どもに、中納言に昇進した姿を見せてやろうとのお気持ちが強いのであろう。
[3-2 源氏、夕霧に結婚の教訓]
大臣は、「妙に身の固まらないことだ」と、ご心配になって、
「あちらの姫君のこと、思い切ってしまったら、右大臣、中務宮などが娘を縁づけたいご意向であるらしいから、どちらなりともお決めなさい」
とおっしゃるが、何ともお返事申し上げず、恐縮したご様子で伺候していらっしゃる。
「このようなことは、恐れ多い父帝の御教訓でさえ従おうという気にもならなかったのだから、口をさしはさみにくいが、今考えてみると、あの御教訓こそは、今にも通じるものであった。
所在なく独身でいると、何か考えがあるのかと、世間の人も推量するであろうから、運命の導くままに、平凡な身分の女との結婚に結局落ち着くことになるのは、たいそう尻すぼまりで、みっともないことだ。
ひどく高望みしても、思うようにならず、限界があることから、浮気心を起こされるな。幼い時から宮中で成人して、思い通りに動けず、窮屈に、ちょっとした過ちもあったら、軽率の非難を受けようかと、慎重にしていたのでさえ、それでもやはり好色がましい非難を受けて、世間から非難されたものだ。
位階が低く、気楽な身分だからと、油断して、思いのままの行動などなさるな。心が自然と思い上がってしまうと、好色心を抑えるべき妻子がいない時、女性関係のことで、賢明な人が、昔も失敗した例があったのだ。
けしからぬことに熱中して、相手の浮名を立て、自分も恨まれるのは、後世の妨げとなるのだ。結婚に失敗したと思いながら共に暮らしている相手が、自分の理想通りでなく、我慢することのできない点があっても、やはり思い直す気を持って、もしくは女の親の心に免じて、もしくは親がいなくなって生活が不十分であっても、人柄がいじらしく思われるような人は、その人柄一つを取柄としてお暮らしなさい。自分のため、相手のため、末長く添い遂げるような思慮が深くあって欲しいものだ」
などと、のんびりとした所在のない時は、このような心づかいをしきりにお教えになる。
[3-3 夕霧と雲居の雁の仲]
このようなご教訓に従って、冗談にも他の女に心を移すようなことは、かわいそうなことだと、自分からお思いになっている。女も、いつもより格別に、大臣が思い嘆いていらっしゃるご様子に、顔向けのできない思いで、つらい身の上と悲観していらっしゃるが、表面はさりげなくおっとりとして、物思いに沈んでお過ごしになっている。
お手紙は、我慢しきれない時々に、しみじみと深い思いをこめて書いて差し上げなさる。「誰の誠実を信じたらよいのか」と思いながら、男を知っている女ならば、むやみに男の心を疑うであろうが、しみじみと御覧になる文句が多いのであった。
「中務宮が、大殿のご内意をも伺って、そのようにもと、お約束なさっているそうです」
と女房が申し上げたので、大臣は、改めてお胸がつぶれることであろう。こっそりと、
「こういうことを聞いた。薄情なお心の方であったな。大臣が、口添えなさったのに、強情だというので、他へ持って行かれたのだろう。気弱になって降参しても、人に笑われることだろうし」
などと、涙を浮かべておっしゃるので、姫君、とても顔も向けられない思いでいるにも、何とはなしに涙がこぼれるので、体裁悪く思って後ろを向いていらっしゃる、そのかわいらしさ、この上もない。
「どうしよう。やはりこちらから申し出て、先方の意向を聞いてみようか」
などと、お気持ちも迷ってお立ちになった後も、そのまま端近くに物思いに沈んでいらっしゃる。
「妙に、思いがけず流れ出てしまった涙だこと。どのようにお思いになったかしら」
などと、あれこれと思案なさっているところに、お手紙がある。それでもやはり御覧になる。愛情のこもったお手紙で、
「あなたの冷たいお心は、つらいこの世の習性となって行きますが
それでも忘れないわたしは世間の人と違っているのでしょうか」
とある。「そぶりにも仄めかさない、冷たいお方だわ」と、思い続けなさるのはつらいけれども、
「もうこれまでだと、忘れないとおっしゃるわたしのことを忘れるのは
あなたのお心もこの世の習性の人心なのでしょう」
とあるのを、「妙だな」と、下にも置かれず、首をかしげながらじっと座ったまま手紙を御覧になっていた。
33. 藤裏葉
光る源氏の太政大臣時代39歳3月から10月までの物語
- 夕霧と雲居雁の相思相愛の恋 御入内の準備の最中にも、宰相中将は
- 3月20日、極楽寺に詣でる ご子息たちを皆引き連れて、ご威勢この上なく
- 内大臣、夕霧を自邸に招待 長い年月思い続けてきた甲斐あってか
- 夕霧、内大臣邸を訪問 ご自分のお部屋で、念入りにおめかしなさって
- 藤花の宴 結婚を許される 月は昇ったが、花の色がはっきりと
- 夕霧、雲居雁の部屋を訪う 七日の夕月夜、月の光は微かであるのに、池の水が鏡の
- 後朝の文を贈る お手紙は、やはり人目を忍んだ配慮で届けられたのを
- 夕霧と雲居雁の固い夫婦仲 灌仏会の誕生仏をお連れ申して来て、御導師が遅く参上したので
1 夕霧の物語 雲居雁との筒井筒の恋実る
- 紫の上、賀茂の御阿礼に参詣 こうして、六条院の御入内の儀は、四月二十日のころ
- 柏木や夕霧たちの雄姿 近衛府の使者は、頭中将であった
- 4月20日過ぎ、明石姫君、東宮に入内 こうして、御入内には北の方がお付き添いになるものだが
- 紫の上、明石御方と対面する 三日間を過ごして、対の上はご退出あそばす
2 光る源氏の物語 明石の姫君の入内
- 源氏、秋に准太上天皇の待遇を得る 大臣も、「いつまでも生きていられないと思わずにはいられない存命中に」と
- 夕霧夫妻、三条殿に移る ご威勢が増して、このようなお住まいでは手狭なので
- 内大臣、三条殿を訪問 昔大宮がお住まいだったご様子に、たいして変わるところなく
- 10月20日過ぎ、六条院行幸 神無月の二十日過ぎ頃に、六条院に行幸がある
- 六条院行幸の饗宴 皆お酔いになって、日が暮れかかるころに
- 朱雀院と冷泉帝の和歌 夕風が吹き散らした紅葉の色とりどりの、濃いの薄いの
3 光る源氏の物語 准太上天皇となる
1 夕霧の物語 雲居雁との筒井筒の恋実る
[1-1 夕霧と雲居雁の相思相愛の恋]
御入内の準備の最中にも、宰相中将は物思いに沈みがちで、ぼんやりした感じがするが、「一方では、不思議な感じで、自分ながら執念深いことだ。むやみにこんなに恋しいことならば、関守が、目をつぶって許そうというほどに気弱におなりだという噂を聞きながら、同じことなら、体裁の悪くないよう最後まで通そう」と我慢するにつけても、苦しく思い悩んでいらっしゃる。
女君も、大臣がちらっとおっしゃった縁談のお話を、「もしも、そうなったら、わたしのことをすっかり忘れてしまうだろう」と嘆かわしくて、不思議と背を向けあった関係ながら、そうはいっても相思相愛の仲である。
内大臣も、あれほど強情をお張りになったが、意地の張りがいのないのにご思案にあまって、「あの宮におかれても、そのようにお決めになってしまったら、再びあれこれと改めて別の相手を探す間、その相手にも悪いし、ご自分の方にも物笑いとなって、自然と軽率だという噂の種にされよう。隠そうとしても、内輪の失敗も、世間に漏れているだろう。何とか世間体をつくろって、やはり折れた方が良いようだ」と、お考えになった。
表面上は何気ないが、恨みの解けないご関係なので、「きっかけもなく言い出すのはどんなものか」と、ご躊躇なさって、「改まって申し出るのも、世間の人が思うところも馬鹿馬鹿しい。どのような機会にそれとなく切り出したらよかろう」などと、お考えだったところ、三月二十日が、大殿の大宮の御忌日なので、極楽寺に参詣なさった。
[1-2 3月20日、極楽寺に詣でる]
ご子息たちを皆引き連れて、ご威勢この上なく、上達部なども大勢参集なさっていたが、宰相中将、少しも引けを取らず、堂々とした様子で、容貌など、ちょうど今が盛りに美しく成人されて、何もかもすべて結構なご様子である。
この大臣を、ひどいとお思い申し上げなさってから、お目にかかるのも、つい気が張って、とてもひどく気をつかって、取り澄ましていらっしゃるのを、大臣も、いつもよりは注目なさっている。御誦経など、六条院からもおさせになった。宰相の君は、誰にもまして、万端のことを引き受けて、真心をこめて奉仕していらっしゃる。
夕方になって、皆がお帰りになるころ、花はみな散り乱れ、霞の朧ろな中に、内大臣、昔をお思い出して、優雅に口ずさんで物思いに耽っていらっしゃる。宰相も、しみじみとした夕方の景色に、ますます物思いに沈んだ面持ちで、「雨が降りそうです」と、人々が騒いでいるのに、依然として物思いに耽りきっていらっしゃった。心をときめかせて御覧になることがあるのであろうか、袖を引き寄せて、
「どうして、そんなにひどく怒っておいでなのか。今日の御法要の縁故をお考えになれば、不行届きはお許し下さいよ。余命少なくなってゆく老いの身に、お見限りなさるのも、お恨み申し上げたい」
とおっしゃるので、ちょっと恐縮して、
「故人のご意向も、お頼り申し上げるようにと、承っておりましたが、お許しのないご様子に、遠慮致しておりました」
とお答え申し上げになる。
気ぜわしい雨風に、皆ばらばらに急いでお帰りになった。宰相の君は、「どのようにお考えになって、いつもとは違って、あのようなことをおっしゃったのだろうか」などと、絶えず気にかけていらっしゃる内大臣家のことなので、ちょっとしたことであるが、耳が止まって、ああかこうかと、考えながら夜をお明かしになる。
[1-3 内大臣、夕霧を自邸に招待]
長い年月思い続けてきた甲斐あってか、あの内大臣も、すっかり気弱になって、ちょっとした機会で、特別にというのでなく、そうはいっても相応しい時期をお考えになって、四月の初旬ころ、お庭先の藤の花、たいそうみごとに咲き乱れて、世間にある藤の花の色とは違って、何もしないのも惜しく思われる花盛りなので、管弦の遊びなどをなさって、日が暮れてゆくころの、ますます色美しくなってゆく時分に、頭中将を使いとして、お手紙がある。
「先日の花の下でお目にかかったことが、堪らなく思われたので、お暇があったら、お立ち寄りなさいませんか」
とある。お手紙には、
「わたしの家の藤の花の色が濃い夕方に
訪ねていらっしゃいませんか、逝く春の名残を惜しみに」
おっしゃる通り、たいそう美しい枝に付けていらっしゃった。心待ちしていらっしゃったのにつけても、心がどきどきして、恐縮してお返事を差し上げなさる。
「かえって藤の花を折るのにまごつくのではないでしょうか
夕方時のはっきりしないころでは」
と申し上げて、
「残念なほど、気後れしてしまった。適当に取り繕って下さい」
と申し上げなさる。
「お供しましょう」
とおっしゃったが、
「面倒なお供はいりません」
と言って、お帰しになった。
大臣の御前に、これこれしかじかです、と言って、御覧にお入れになる。
「考えがあっておっしゃっているのであろうか。そのように先方から折れて来られたのならば、故人への不孝の恨みも解けることだろう」
とおっしゃる。そのご高慢は、この上なく憎らしいほどである。
「そうではございますまい。対の屋の前の藤が、例年よりも美しく咲いているというので、暇なころなので、管弦の遊びをしようなどというのでございましょう」
と申し上げなさる。
「わざわざ使者をさし向けられたのだから、早くお出掛けなさい」
とお許しになる。どんなだろうと、内心は不安で、落ち着かない。
「直衣はあまりに色が濃過ぎて、身分が軽く見えよう。非参議のうちとか、何でもない若い人は、二藍はよいだろうが、お召し替えになるかね」
とおっしゃって、ご自分のお召し物の格別見事なのに、何ともいえないほど素晴らしい御下着類を揃えて、お供に持たせて差し上げなさる。
[1-4 夕霧、内大臣邸を訪問]
ご自分のお部屋で、念入りにおめかしなさって、黄昏時も過ぎ、じれったく思うころに参上なさった。主人のご子息たち、中将をはじめとして、七、八人うち揃ってお出迎えなさる。どの方となくいずれも美しい器量の方々だが、やはり、その人々以上に、水際立って美しい一方、優しく、優雅で、犯しがたい気品がある。
内大臣、お座席を整え直させたりなさるご配慮、並大抵でない。御冠などお付けになって、お出になろうとして、北の方や、若い女房などに、
「覗いて御覧なさい。たいそう立派になって行かれる方だ。態度などもとても沈着で、堂々としたものだ。はっきりと、抜きん出て成人された点では、父の大臣よりも勝っているようだ。
あの方は、ただ非常に優美で愛嬌があって、見るとついほほ笑みたくなり、世の中の憂さを忘れるような気持ちにおさせになる。政治の面では、多少柔らかさ過ぎて、謹厳さに欠けるところがあったのは、もっともなことだ。
この方は、学問の才能も優れ、心構えも男らしく、しっかりしていて申し分ないと、世間の評判のようだ」
などとおっしゃって、対面なさる。儀礼的で、固苦しいご挨拶は、少しだけにして、花の美しさに興味はお移りになった。
「春の花、どれもこれも皆咲き出す色ごとに、目を驚かさない物はないが、気ぜわしく人の気も構わず散ってしまうのが、恨めしく思われるころに、この藤の花だけがひとり遅れて、夏に咲きかかるのが、妙に奥ゆかしくしみじみと思われます。色も色で、懐しい由縁の物といえましょう」
と言って、ちょっとほほ笑んでいらっしゃる、風格があって、つややかでお美しい。
[1-5 藤花の宴 結婚を許される]
月は昇ったが、花の色がはっきりと見えない時分なのだが、花を愛でる心に寄せて、御酒を召して、管弦のお遊びなどをなさる。大臣、程もなく空酔いをなさって、遠慮もせずに無理に酔わせなさるが、用心して、とても断るのに困っているようである。
「あなたは、この末世にできすぎるほどの、天下の有識者でいらっしゃるようだが、年を取った者を、お忘れになっていらっしゃるのが辛いことだ。古典にも、家礼ということがあるではありませんか。誰それの教えにも、よくご存知でいらっしゃろうと存じますが、ひどく辛い思いをおさせになると、お恨み申し上げたいのです」
などとおっしゃって、酔い泣きというのか、ほどよく抑えて意中を仄めかしなさる。
「どうしてそのような。今は亡き方々を思い出しますお身変わりとして、わが身を捨ててまでもと、存じておりますのに、どのように御覧になってのことでございましょうか。もともと、わたしのうかつな心の至らなさのためです」
と、恐縮して申し上げなさる。頃合いを見計らって、はやし立てて、
「藤の裏葉の」
とお謡いになった、そのお心をお受けになって、頭中将、藤の花の色濃く、特に花房の長いのを折って、客人のお杯に添えになる。受け取って、もてあましていると、内大臣、
「紫色のせいにしましょう、藤の花の
待ち過ぎてしまって恨めしいことだが」
宰相中将、杯を持ちながら、ほんの形ばかり拝舞なさる様子、実に優雅である。
「幾度も湿っぽい春を過ごして来ましたが
今日初めて花の開くお許しを得ることができました」
頭中将にお廻しになると、
「うら若い女性の袖に見違える藤の花は
見る人の立派なためかいっそう美しさを増すことでしょう」
次々と杯が回り歌を詠み添えて行ったようであるが、酔いの乱れに大したこともなく、これより優れていない。
[1-6 夕霧、雲居雁の部屋を訪う]
七日の夕月夜、月の光は微かであるのに、池の水が鏡のように静かに澄み渡っている。なるほど、まだ茂らない梢が、物足りないころなので、たいそう気取って横たわっている松の、木高くないのに、咲き掛かっている藤の花の様子、世になく美しい。
例によって、弁少将が、声をたいそう優しく「葦垣」を謡う。大臣、
「実に妙な歌を謡うものだな」
と、冗談をおっしゃって、
「年を経たこの家の」
と、お添えになるお声、誠に素晴らしい。興趣ある中に冗談も混じった管弦のお遊びで、気持ちのこだわりもすっかり解けてしまったようである。
だんだんと夜が更けて行くにつれて、ひどく苦しげな様子をして見せて、
「酔いが回ってひどく辛いので、帰り道も危なそうです。泊まる部屋を貸していただけませんか」
と、頭中将に訴えなさる。大臣が、
「朝臣よ、お休み所になる部屋を用意しなさい。老人はひどく酔いが回って失礼だから、引っ込むよ」
と言い捨てて、お入りになってしまった。
頭中将が、
「花の下の旅寝ですね。どういうものだろう、辛い案内役ですね」
と言うと、
「松と約束したのは、浮気な花なものですか。縁起でもありません」
と反発なさる。中将は、心中に、「憎らしいな」と思うところがあるが、人柄が理想通り立派なので、「最後はこのようになって欲しい」と、願って来たことなので、心許して案内した。
男君は、夢かと思われなさるにつけても、自分の身がますます立派に思われなさったことであろう。女は、とても恥ずかしいと思い込んでいらっしゃるが、大人になったご様子は、ますます不足なところもなく素晴らしい。
「世間の話の種となってしまいそうな身の上を、その誠実さをもって、このようにお許しになったのでしょう。わたしの気持ちをお分りになって下さらないとは、変なことですね」
と、お恨み申し上げなさる。
「少将が進んで謡い出した『葦垣』の心は、お分りでしたか。ひどい人ですね。『河口の』と、言い返したかったなあ」
とおっしゃると、女は、とても聞き苦しい、とお思いになって、
「軽々しい浮名を流したあなたの口は
どうしてお漏らしになったのですか
あきれました」
とおっしゃる様子は、実におっとりしている。少し微笑んで、
「浮名が漏れたのはあなたの父大臣のせいでもありますのに
わたしのせいばかりになさらないで下さい
長い歳月の思いも、本当に切なくて苦しいので、何も分りません」
と、酔いのせいにして、苦しそうに振る舞って、夜の明けて行くのも知らないふうである。女房たちが、起こしかねているのを、大臣が、
「得意顔した朝寝だな」
と、文句をおっしゃる。けれども、すっかり夜が明け果てないうちにお帰りになる。その寝乱れ髪の朝のお顔は、見がいのあったことだ。
[1-7 後朝の文を贈る]
お手紙は、やはり人目を忍んだ配慮で届けられたのを、かえって今日はお返事をお書き申し上げになれないのを、口の悪い女房たちが目引き袖引きしているところに、内大臣がお越しになって御覧になるのは、本当に困ったことよ。
「打ち解けて下さらなかったご様子に、ますます思い知られるわが身の程よ。耐えがたいつらさに、またも死んでしまいそうだが、
お咎め下さいますな、人目を忍んで絞る手も力なく
今日は人目にもつきそうな袖の涙のしずくを」
などと、たいそう馴れ馴れしい詠みぶりである。微笑んで、
「筆跡もたいそう上手になられたものだなあ」
などとおっしゃるのも、昔の恨みはない。
お返事が、直ぐに出来かねているので、「みっともないぞ」とおっしゃって、ご躊躇なっているのももっともなことなので、あちらへお行きになった。
お使いの者への褒禄は、並大抵でなくお与えになった。頭中将が、風情のある様にお持てなしなさる。いつも人目を忍んでは持ち運んでいたお使い、今日は顔の表情など、人かどに振る舞っているようである。右近将監である人で、親しくお使いになっている者であった。
六条の大臣も、これこれとお聞き知りになったのであった。宰相中将、いつもより美しさが増して、参上なさったので、じっと御覧になって、
「今朝はどうした。手紙など差し上げたか。賢明な人でも、女のことでは失敗する話もあるが、見苦しいほど思いつめたり、じれたりせずに過ごされたのは、少し人より優れたお人柄だと思ったことだ。
内大臣のご方針が、あまりにもかたくなで、すっかり折れてしまわれたのが、世間の人も噂するだろうよ。だからといって、自分の方が偉い顔をして、いい気になって、浮気心などをお出しなさるな。
あのようにおおらかで、寛大な性格と見えるが、内心は男らしくなくねじけていて、付き合いにくいところがおありの方である」
などと、例によってご教訓申し上げなさる。釣り合いもよく、恰好のご夫婦だ、とお思いになる。
ご子息とも見えず、少しばかり年長程度にお見えである。別々に見ると、同じ顔を写し取ったように似て見えるが、御前では、それぞれに、ああ素晴らしいとお見えでいらっしゃった。
大臣は、薄縹色の御直衣に、白い御袿の唐風の織りが、紋様のくっきりと浮き出て艶やかに透けて見えるのをお召しになって、今もこの上なく上品で優美でいらっしゃる。
宰相殿は、少し色の濃い縹色の御直衣に、丁子染めで焦げ茶色になるまで染めた袿と、白い綾の柔らかいのを着ていらっしゃるのは、格別に優雅にお見えになる。
[1-8 夕霧と雲居雁の固い夫婦仲]
灌仏会の誕生仏をお連れ申して来て、御導師が遅く参上したので、日が暮れてから、六条院の御方々から女童たちを使者に立てて、お布施など、宮中の儀式と違わず、思い思いになさった。御前での作法を真似て、公達なども参集して、かえって、格式ばった御前での儀式よりも、妙に気がつかわれて気後れするのである。
宰相は、心落ち着かず、ますますおめかしし、衣服を整えてお出かけになるのを、特別にではないが、多少お情けをおかけの若い女房などは、恨めしいと思っている人もいるのであった。長年の思いが加わって、理想的なご夫婦仲のようなので、水も漏れまい。
主人の内大臣、ますます側に近づくほど美しいのを、かわいらしくお思いになって、たいそう大切にお世話申し上げなさる。負けたことの悔しさは、やはりお持ちだが、こだわりもなく、誠実なご性格などで、長年の間浮気沙汰などもなくてお過ごしになったのを、めったにないことだとお認めになる。
弘徽殿女御のご様子などよりも、派手で立派で理想的だったので、北の方や、仕えている女房などは、おもしろからず思ったり言ったりする者もいるが、何の構うことがあろうか。按察使大納言の北の方なども、このように結婚が決まって、嬉しくお思い申し上げていらっしゃるのであった。
2 光る源氏の物語 明石の姫君の入内
[2-1 紫の上、賀茂の御阿礼に参詣]
こうして、六条院の御入内の儀は、四月二十日のころであった。対の上、賀茂の御阿礼に参詣なさろうとして、例によって御方々をお誘い申し上げなさったが、なまじ、そのように後に付いて行くのもおもしろくないのをお思いになって、どなたもどなたもお残りになって、仰々しいほどでなく、お車二十台ほどで、御前駆なども、ごたごたするほどの人数でなく、簡略になさったのが、かえって素晴らしい。
祭の日の早朝に参詣なさって、帰りには、御見物なさる予定のお桟敷席におつきになる。御方々の女房たち、それぞれの車を後から連ねて、御前に車を止めているのは、堂々として、「あれは誰それだ」と、遠くから見ても仰々しいご威勢である。
大臣は、中宮の御母御息所が、お車の榻を押し折られなさった時のことをお思い出しになって、
「権勢をたのんで心奢りなさって、あのようなことを起こすのは、心ないことであった。全然無視していた方も、その恨みを受けた形で亡くなってしまった」
と、そこのあたりは言葉をお濁しになって、
「後に残った人で、中将は、このような臣下として、やっと立身した程度だ。宮は並ぶ者のいない地位にいらっしゃるのも、考えてみれば、実にしみじみと感慨深い。何もかもひどく定めない世の中なので、どのようなことも思い通りに、生きている間の世を過ごしたく思うが、後にお残りになる晩年などが、言いようもない衰えなどまでが、心配されるものですから」
と、親しくお話しなさって、上達部などもお桟敷に参集なさったので、そちらにお出ましになった。
[2-2 柏木や夕霧たちの雄姿]
近衛府の使者は、頭中将であった。あの大殿邸を、出立する所から人々は参上なさったのであった。藤典侍も使者であった。格別に評判がよくて、帝、春宮をお初めとして、六条院などからも、御祝儀の数々が置き所もないほど、ご贔屓ぶりは実に素晴らしい。
宰相中将、出立の所にまでお手紙をお遣わしになった。人目を忍んで恋し合うお間柄なので、このようにれっきとしたお方と結婚がお決まりになったのを、心穏やかならず思っているのであった。
「何と言ったのか、今日のこの插頭は、目の前に見ていながら
思い出せなくなるまでになってしまったことよ
あきれたことだ」
とあるのを、機会をお見逃しにならなかったことだけは、どう思ったことやら、たいそう忙しく、車に乗る時であるが、
「頭に插頭してもなおはっきりと思い出せない草の名は
桂を折られたあなたはご存知でしょう
博士でなくては」
と申し上げた。つまらない歌であるが、悔しい返歌だとお思いになる。やはり、この典侍を、忘れられず、こっそりお会いなさるのであろう。
[2-3 4月20日過ぎ、明石姫君、東宮に入内]
こうして、御入内には北の方がお付き添いになるものだが、「いつまでも長々とお付き添い申していらっしゃることはできまい。このような機会に、あの実の親をご後見役に付けようか」とお考えになる。
対の上も、「結局は一緒になるはずなのに、このように離れて年月を過ごして来られたのを、あの方も、ひどいと思い嘆いていることだろう。姫君のお胸の中でも、今ではだんだんと恋しくお感じになっていらっしゃろう。お二方からおもしろくなく思われ申すのも、つまらないことだ」とお思いになって、
「この機会にお付き添わせ申しなさいませ。まだとてもか弱くいらっしゃるのも不安なので、伺候する女房たちとしても、若々しい人ばかり多いです。御乳母たちなども、気をつけるといっても行き届かない所がありますから、わたし自身は、ずっとお付きできません時、安心なように」
と申し上げなさると、「よくお気が付いたなあ」とお思いになって、「これこれで」と、あちらにもご相談になったので、まことに嬉しく願っていたことが、すっかり叶った心地がして、女房の着る装束、その他のことまで、高貴な方のご様子に劣らないほどに準備し出す。
尼君、やはりこの姫君のご将来を拝見したいお気持ちが深いのであった。「もう一度拝見する時があろうか」と、生きることに執念を燃やして祈っているのであったが、「どうしたらお目にかかれるだろうか」と、思うにつけても悲しい。
その夜は、対の上が付き添って参内なさるが、その際、輦車にも一段下がって歩いて行くなど、体裁の悪いことだが、自分は構わないが、ただ、このように大事に磨き申し上げなさった姫君の玉の瑕となって、自分がこのように長生きをしているのを、一方ではひどく心苦しく思う。
御入内の儀式、「世間の人を驚かすようなことはすまい」とご遠慮なさるが、自然と普通の入内とは違ったものとならざるをえない。この上もなく大事にお世話申し上げていらっしゃって、対の上は、本当にしみじみとかわいいとお思い申し上げなさるにつけても、他人に譲りたくなく、「本当にこのような子があったらいいのに」とお思いになる。大臣も宰相の君も、ただこのこと一点だけを、「物足りないことよ」と、お思いであった。
[2-4 紫の上、明石御方と対面する]
三日間を過ごして、対の上はご退出あそばす。入れ替わって参内なさる夜に、ご対面がある。
「このようにご成人なさった節目に、長い歳月のほどが存じられますが、よそよそしい心の隔ては、ないでしょうね」
と、やさしくおっしゃって、お話などなさる。このことも仲好くなった初めのようである。お話などなさる態度に、なるほどもっともだと、目を見張る思いで御覧になる。
また、実に気品高く女盛りでいらっしゃるご様子を、お互いに素晴らしいと認めて、「大勢の御方々の中でも優れたご寵愛で、並ぶ方がいない地位を占めていらっしゃったのを、まことにもっともなことだ」と理解されると、「こんなにまで出世し、肩をお並べ申すことができた前世の約束、いいかげんなものでない」と思う一方で、ご退出になる儀式が実に格別に盛大で、御輦車などを許されなさって、女御のご様子と異ならないのを、思い比べると、やはり身分の相違というものを感じずにはいられないのである。
とてもかわいげに、お人形のようなご様子を、夢のような心地で拝見するにつけても、涙ばかりが止まらないのは、同じ涙とは思われないのであった。長年何かにつけ悲しみに沈んで、何もかも辛い運命だと悲観していた寿命も更に延ばしたく、気も晴れやかになったにつけても、本当に住吉の神も霊験あらたかだと思わずにいられない。
思う通りにお世話申し上げて、行き届かないこと、それは、まったくない方の利発さなので、世人一般の人気、声望をはじめとして、並々ならぬご容姿ご器量なので、東宮も、お若い心で、たいそう格別にお思い申し上げていらっしゃった。
競争なさっている御方々の女房などは、この母君がこうして伺候していらっしゃるのを、欠点に言ったりなどするが、それに負けるはずがない。当世風で、並ぶ者がないことは、言うまでもなく、奥ゆかしく上品なご様子を、ちょっとしたことにつけても、理想的に引き立ててお上げになるので、殿上人なども、珍しい風流の才を競う所として、それぞれに伺候する女房たちも、心寄せている女房の、心構え態度までが、実に立派なのを揃えていらっしゃった。
対の上も、しかるべき機会には参内なさる。お二方の仲は理想的に睦まじくなって行くが、そうかといって出過ぎたり馴れ馴れしくならず、軽く見られるような態度、言うまでもなく、まったくなく、不思議なほど理想的な方の態度、心構えである。
3 光る源氏の物語 准太上天皇となる
[3-1 源氏、秋に准太上天皇の待遇を得る]
大臣も、「いつまでも生きていられないと思わずにはいられない存命中に」と、お思いであったご入内を、立派な地位にお付け申し上げなさって、本人が求めてのことであるが、身の上が落ち着かず、体裁の悪かった宰相の君も、心配もなく安心した結婚生活に落ち着きなさったので、すっかりご安心なさって、「今は出家の本意を遂げよう」と、お思いになる。
対の上のご様子の、見捨て難いのにつけても、「中宮がいらっしゃるので、並々ならぬお味方である。この姫君におかれても、表向きの親としては、真っ先にきっとお思い申し上げなさるだろうから、いくら何でも大丈夫」と、お任せになるのであった。
夏の御方が、何かにつけて華やかになりそうもないのも、「宰相がいらっしゃるので」と、皆それぞれに心配はなくお考えになって行く。
明年、四十歳におなりになる、御賀のことを、朝廷をお初め申して、大変な世を挙げてのご準備である。
その年の秋、太上天皇に準じる御待遇をお受けになって、御封が増加し、年官や年爵など、全部お加わりになる。そうでなくても、世の中でご希望通りにならないことはないのが、やはりめったになかった昔の例を踏襲して、院司たちが任命され、格段に威儀厳めしくおなりになったので、宮中に参内なさることが、難しいだろうことを、一方では残念にお思いであった。
それでも、なおも物足りなく帝はお思いあそばして、世間に遠慮して、皇位をお譲り申し上げられないことが、朝夕のお嘆きの種であった。
内大臣は太政大臣にご昇進になって、宰相中将は、中納言におなりになった。そのお礼言上にお出になる。輝きがますますお加わりになった姿、容貌をはじめとして、足りないところのないのを、主人の大臣も、「なまじ人に圧倒されるような宮仕えよりはましであった」と、お考え直しになる。
女君の大輔の乳母が、「六位の人との結婚」と、ぶつぶつ言った夜のことが、何かの機会ごとにお思い出しになったので、菊のたいそう美しくて、色の変化しているのをお与えになって、
「浅緑色をした若葉の菊を
濃い紫の花が咲こうとは夢にも思わなかっただろう
辛かったあの時の一言が忘れられない」
と、たいそう美しくほほ笑んでお与えになった。恥ずかしく、お気の毒なことをしたと思う一方で、いとしくも、お思い申し上げる。
「二葉の時から名門の園に育つ菊ですから
浅い色をしていると差別する者など誰もございませんでした
どのようにお気を悪くお思いになったことでしょうか」
と、いかにも物馴れた様子に言い訳をする。
[3-2 夕霧夫妻、三条殿に移る]
ご威勢が増して、このようなお住まいでは手狭なので、三条殿にお移りになった。少し荒れていたのをたいそう立派に修理して、大宮がいらっしゃったお部屋を修繕してお住まいになる。昔が思い出されて、懐しく心にかなったお部屋である。
前栽どもなど、小さい木であったのが、たいそう大きな木蔭を作り、一叢薄ものび放題になっていたのを、手入れさせなさる。遣水の水草も取り払って、とても気持ちよさそうに流れている。
美しい夕暮れ時を、お二人で眺めなさって、情けなかった昔の、子供時代のお話などをなさると、恋しいことも多く、女房たちが何と思っていたかも恥ずかしく、女君はお思い出しになる。古い女房たちで、退出せず、それぞれの曹司に伺候していた人たちなど、参集して、実に嬉しく互いに思い合っていた。
男君、
「おまえこそはこの家を守っている主人だ、お世話になった人の
行方は知っているか、邸の真清水よ」
女君、
「亡き人の姿さえ映さず知らない顔で
心地よげに流れている浅い清水ね」
などとおっしゃっているところに、太政大臣、宮中からご退出なさった途中、紅葉のみごとな色に驚かされてお越しになった。
[3-3 内大臣、三条殿を訪問]
昔大宮がお住まいだったご様子に、たいして変わるところなく、あちらこちらも落ち着いてお住まいになっている様子、若々しく明るいのを御覧になるにつけても、ひどくしみじみと感慨が込み上げてくる。中納言も、改まった表情で、顔が少し赤くなって、いつも以上にしんみりとしていらっしゃる。
理想的で初々しいご夫婦仲であるが、女は、他にこのような器量の人もいないこともなかろうと、お見えになる。男は、この上なく美しくいらっしゃる。古女房たちが御前で得意気になって、昔のことなどを申し上げる。さきほどのお二人の歌が、散らかっているのをお見つけになって、ふと涙ぐみなさる。
「この清水の気持ちを尋ねてみたいが、老人は遠慮して」
とおっしゃる。
「その昔の老木はなるほど朽ちてしまうのも当然だろう
植えた小松にも苔が生えたほどだから」
男君の宰相の御乳母、冷たかったお仕打ちを忘れなかったので、得意顔に、
「どちら様をも蔭と頼みにしております、二葉の時から
互いに仲好く大きくおなりになった二本の松でいらっしゃいますから」
老女房たちも、このような話題ばかりを歌に詠むのを、中納言は、おもしろいとお思いになる。女君は、わけもなく顔が赤くなって、聞き苦しく思っていらっしゃる。
[3-4 10月20日過ぎ、六条院行幸]
神無月の二十日過ぎ頃に、六条院に行幸がある。紅葉の盛りで、きっと興趣あるにちがいない今回の行幸なので、朱雀院にも御手紙があって、院までがお越しあそばすので、実に珍しくめったにない盛儀なので、世間の人も心をときめかす。主人の六条院方でも、お心を尽くして、目映いばかりのご準備をあそばす。
巳の時に行幸があって、まず、馬場殿に左右の馬寮の御馬を牽き並べて、左右近衛府の官人が立ち並んだ儀式、五月の節句に違わずよく似ていた。未の刻を過ぎたころ、南の寝殿にお移りあそばす。途中の反橋、渡殿には錦を敷き、よそから見えるにちがいない所には軟障を引き、厳めしくおしつらわせなさった。
東の池に舟を幾隻か浮かべて、御厨子所の鵜飼の長が、院の鵜飼を召し並べて、鵜を下ろさせなさった。小さい鮒を幾匹もくわえた。特別に御覧に入れるのではないが、お通りすがりになる一興ほどにである。
築山の紅葉、どの町のも負けない程であるが、西の御庭のは格別に素晴らしいので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧がさえぎることなく御覧にお入れあそばす。
御座、二つ準備して、主人の御座は下にあるのを、宣旨があってお改めさせなさるのも、素晴らしくお見えになったが、帝は、やはり規定以上の礼をお現し申し上げられないのを、残念にお思いあそばすのであった。
池の魚を、左少将が手に取り、蔵人所の鷹飼が、北野で狩をして参った鳥の一番を、右少将が捧げて、寝殿の東から御前に出て、御階の左右に膝まづいて奏上する。太政大臣が、お言葉を賜り伝えて、料理して御膳に差し上げる。親王方、上達部たちの御馳走も、珍しい様子に、いつものと目先を変えて差し上げさせなさった。
[3-5 六条院行幸の饗宴]
皆お酔いになって、日が暮れかかるころに、楽所の人をお召しになる。特別の大がかりの舞楽ではなく、優雅に奏して、殿上の童が、舞を御覧に入れる。朱雀院の紅葉の御賀、例によって昔の事が自然と思い出されなさる。「賀皇恩」という楽を奏する時に、太政大臣の御末子の十歳ほどになる子が、実に上手に舞う。今上の帝、御召物を脱いで御下賜なさる。太政大臣、下りて拝舞なさる。
主人の院、菊を折らせなさって、「青海波」を舞った時のことをお思い出しになる。
「色濃くなった籬の菊も折にふれて
袖をうち掛けて昔の秋を思い出すことだろう」
太政大臣、あの時は、同じ舞をご一緒申してお舞いなさったのだが、自分も人には勝った身ではあるが、やはりこの院のご身分はこの上ないものであったと、思わずにはいらっしゃれない。時雨が、時知り顔に降る。
「紫の雲と似ている菊の花は
濁りのない世の中の星かと思います
一段とお栄えの時を」
と申し上げなさる。
[3-6 朱雀院と冷泉帝の和歌]
夕風が吹き散らした紅葉の色とりどりの、濃いの薄いの、錦を敷いた渡殿の上、見違えるほどの庭の面に、容貌のかわいい童べの、高貴な家の子供などで、青と赤の白橡に、蘇芳と葡萄染めの下襲など、いつものように、例のみずらを結って、額に天冠をつけただけの飾りを見せて、短い曲目類を少しずつ舞っては、紅葉の葉蔭に帰って行くところ、日が暮れるのも惜しいほどである。
楽所など仰々しくはしない。堂上での管弦の御遊が始まって、書司の御琴類をお召しになる。一座の興が盛り上がったころに、お三方の御前にみな御琴が届いた。宇多の法師の変わらぬ音色も、朱雀院は、実に珍しくしみじみとお聞きあそばす。
「幾たびの秋を経て、時雨と共に年老いた里人でも
このように美しい紅葉の時節を見たことがない」
恨めしくお思いになったのであろうよ。帝は、
「世の常の紅葉と思って御覧になるのでしょうか
昔の先例に倣った今日の宴の紅葉の錦ですのに」
と、おとりなし申し上げあそばす。御器量は一段と御立派におなりになって、まるでそっくりにお見えあそばすのを、中納言が控えていらっしゃるが、また別々のお顔と見えないのには、目を見張らされる。気品があって素晴らしい感じは、思いなしか優劣がつけられようか、目の覚めるような美しい点は、加わっているように見える。
笛を承ってお吹きになる、たいそう素晴らしい。唱歌の殿上人、御階に控えて歌っている中で、弁少将の声が優れていた。やはり前世からの宿縁によって優れた方々がお揃いなのだと思われるご両家のようである。
34. 若菜上
光る源氏の准太上天皇時代39歳暮から41歳3月までの物語
- 朱雀院、女三の宮の将来を案じる 朱雀院の帝、先日の行幸の後、そのころから
- 東宮、父朱雀院を見舞う 東宮は、「このような御病気に加えて、御出家あそばす
- 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う 六条院からも、お見舞いが頻繁にある
- 夕霧、源氏の言葉を言上す 中納言の君は、「過ぎ去りました昔の事は、何とも
- 朱雀院の夕霧評 女房などは、覗き見申して
- 女三の宮の乳母、源氏を推薦 姫宮がとてもかわいらしげで、幼く無邪気な
1 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び
- 乳母と兄左中弁との相談 姫宮のご後見たちの中で、重々しい御乳母の兄
- 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上 乳母が、また別の機会に
- 朱雀院、内親王の結婚を苦慮 「そのように考えるからなのだ。皇女たちが
- 朱雀院、婿候補者を批評 「もう少し分別がおできになるまで
- 婿候補者たちの動静 太政大臣も、「この右衛門督が、今まで独身でいて
- 夕霧の心中 権中納言も、このような事柄をお聞きになって
- 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす 東宮におかれても、このような事をお耳にあそばして
- 源氏、承諾の意向を示す この姫宮の御事、このようにお悩みの様子は
2 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾
- 歳末、女三の宮の裳着催す 年も暮れた。朱雀院におかれては、御気分もやはり
- 秋好中宮、櫛を贈る 中宮からも、御装束、櫛の箱を、特別にお作らせに
- 朱雀院、出家す 御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになって
- 源氏、朱雀院を見舞う 六条院も、少し御気分がよろしいとお耳に入れあそばして
- 朱雀院と源氏、親しく語り合う 院も、何となく心細くお思いになられて、我慢おできになれず
- 内親王の結婚の必要性を説く お心の中でも、何と言っても関心のある御事なので
- 源氏、結婚を承諾 「そのように考えたこともありますが、それも難しいこと
- 朱雀院の饗宴 夜に入ったので、主人の院方も、お客の上達部たちも
3 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
- 源氏、結婚承諾を煩悶す 六条院は、何となく気が重くて、あれこれと思い悩みなさる
- 源氏、紫の上に打ち明ける 翌日、雪がちょっと降って、空模様も物思いを催し
- 紫の上の心中 心の中でも、「このように空から降って来たようなことなので
4 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける
- 玉鬘、源氏に若菜を献ず 年も改まった。朱雀院におかれては、姫宮が、六条院にお移りになる
- 源氏、玉鬘と対面 人々が参上などなさって、お座席にお出になるに当たり
- 源氏、玉鬘と和歌を唱和 尚侍の君も、すっかり立派に成熟して、貫祿まで加わって
- 管弦の遊び催す 朱雀院の御病気が、まだすっかり良くならないことによって
- 暁に玉鬘帰る 明け方に、尚侍の君はお帰りになる。御贈り物などがあるのだった
5 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
- 女三の宮、六条院に降嫁 こうして、二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮、六条院へお輿入れになる
- 結婚の儀盛大に催さる 三日の間は、あちらの院からも、主人である院からも
- 源氏、結婚を後悔 三日間は、毎晩お通いになるのを
- 紫の上、眠れぬ夜を過ごす 長い間には、もしかしたらと思っていたいろいろな事も
- 六条院の女たち、紫の上に同情 このように女房たちが容易ならぬことを言ったり思ったりしているのも
- 源氏、夢に紫の上を見る 特別に恨めしいというのではないが、このように思い乱れ
- 源氏、女三の宮と和歌を贈答 今朝は、いつものようにこちらでお目覚めになって
- 源氏、昼に宮の方に出向く 今日は、宮の御方に昼お渡りになる。特別
- 朱雀院、紫の上に手紙を贈る 院の帝は、その月のうちにお寺にお移りになった
6 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁
- 源氏、朧月夜に今なお執心 いよいよこれまでと、女御、更衣たちなど、それぞれお別れ
- 和泉前司に手引きを依頼 その人の兄に当たる和泉前司を招き寄せて
- 紫の上に虚偽を言って出かける 「昔、逢瀬も難しかった時でさえ、お心をお通わし
- 源氏、朧月夜を訪問 その日は、寝殿へもお渡りにならず、お手紙だけを書き交わしなさる
- 朧月夜と一夜を過ごす 夜はたいそう更けて行く。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々などが
- 源氏、和歌を詠み交して出る 朝ぼらけの美しい空に、百千鳥の声が
- 源氏、自邸に帰る たいそう人目を忍んで入って来られたその寝乱れ髪の様子を
7 朧月夜の物語 こりずまの恋
- 明石姫君、懐妊して退出 桐壷の御方は、ずっと長いこと退出なさっていない
- 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る 対の上が、こちらにおいでになって、お会いなさるついでに
- 紫の上の手習い歌 対の上におかれては、このようにご挨拶にお出向きなさるものの
- 紫の上、女三の宮と対面 東宮の御方は、実の母君よりも、この御方を
- 世間の噂、静まる それから後は、いつもお手紙のやりとりなどをなさって、おもしろい遊び事が
8 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感
- 紫の上、薬師仏供養 神無月に、対の上は、院の四十の御賀のために、嵯峨野の御堂で
- 精進落としの宴 二十三日を御精進落しの日として、こちらの院は
- 舞楽を演奏す 未の刻ごろに楽人が参る。「万歳楽」、「皇じょう」などを
- 宴の後の寂寥 夜に入って、楽人たちが退出する。北の対の政所の別当連中は
- 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷 十二月の二十日過ぎのころに、中宮が御退出あそばして
- 中宮主催の饗宴 宮のいらっしゃる町の寝殿に、御準備などをして
- 勅命による夕霧の饗宴 帝におかせられては、お思い立ちあそばした事柄を、やすやすとは中止できまいと
- 舞楽を演奏す 例によって、「万歳楽」「賀皇恩」などという舞、形ばかり舞って
- 饗宴の後の感懐 大将が、ただ一人りいらっしゃるのを、物足りなく
9 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
- 明石女御、産期近づく 年が改まった。桐壷の御方の御出産が近づきなさったことによって
- 大尼君、孫の女御に昔を語る あの大尼君も、今ではすっかりもうろくした人になったのであろう
- 明石御方、母尼君をたしなめる たいそう物思いに沈んでいらっしゃるところに、御方がお上がりになって
- 明石女三代の和歌唱和 御加持が終わって退出したので、果物など
- 3月10日過ぎに男御子誕生 三月の十何日のころに、無事にお生まれになった
- 産養の儀盛大に催される 六日目という日に、いつもの御殿にお移りになった
- 紫の上と明石御方の仲 御方のお心構えが、気が利いていて気品があって
10 明石の物語 男御子誕生
- 明石入道、手紙を贈る あの明石でも、このようなお話を伝え聞いて
- 入道の手紙 「ここ数年というものは、同じこの世に生きておりましたが
- 手紙の追伸 「寿命の尽きる月日を、決してお心にかけてなさいますな
- 使者の話 尼君、この手紙を見て、その使いの大徳に尋ねると
- 明石御方、手紙を見る 明石御方は、南の御殿にいらっしゃったが、「このようなお手紙が
- 尼君と御方の感懐 尼君は、長い間涙を抑えて、「あなたのお蔭で
- 御方、部屋に戻る 「昨日も、大殿の君が、あちらにいると御覧になって
11 明石の物語 入道の手紙
- 東宮からのお召しの催促 東宮から、早く参内なさるようにとのお召しが始終あるので
- 明石女御、手紙を見る 対の上などがお帰りになった夕方
- 源氏、女御の部屋に来る 院は、姫宮の御方にいらっしゃったが、中の御障子から
- 源氏、手紙を見る さきほどの文箱も、慌てて隠すのも体裁が悪いので
- 源氏の感想 「年を取って、世の中の様子を、あれこれと分かって
- 源氏、紫の上の恩を説く 「この願文には、また一緒に差し上げねばならない物があります
- 明石御方、卑下す 「あなたこそは、少し物の道理が分かっていらっしゃるようだから
- 明石御方、宿世を思う 「ああして、たいそう大事になさるお気持ちが深まるばかりのようだこと
12 明石の物語 一族の宿世
- 夕霧の女三の宮への思い 大将の君は、この姫宮の御事を、考えなかったわけでもないので
- 夕霧、女三の宮を他の女性と比較
- 柏木、女三の宮に執心 このようなことを、大将の君も、「なるほど、立派な方は
- 柏木ら東町に集い遊ぶ 三月ころの空がうららかに晴れた日、六条の院に
- 南町で蹴鞠を催す だんだん日が暮れかかって行き、「風が吹かず、絶好の日だ」と興じて
- 女三の宮たちも見物す たいそう稽古を積んだ技の数々が見えて、回が進んで行くにつれて
- 唐猫、御簾を引き開ける 御几帳類をだらしなく方寄せ方寄せして、女房がすぐ側にいて
- 柏木、女三の宮を垣間見る 几帳の側から少し奥まった所に、袿姿で
- 夕霧、事態を憂慮す 大将は、たいそうはらはらしていたが、近寄るのも
13 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る
- 蹴鞠の後の酒宴 大殿がこちらを御覧になって、「上達部の座席には、あまりに軽々しいな
- 源氏の昔語り 院は、昔話を始めなさって、「太政大臣が
- 柏木と夕霧、同車して帰る 大将の君と同車して、途中お話なさる
- 柏木、小侍従に手紙を送る 督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で
- 女三の宮、柏木の手紙を見る 御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を
14 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴
1 朱雀院の物語 女三の宮の婿選び
[1-1 朱雀院、女三の宮の将来を案じる]
朱雀院の帝、先日の行幸の後、そのころから、御不例でずっと御病気でおいであそばす。もともと御病気がちでいらせられるが、今回は何となく心細くお思いあさばされて、
「長年出家の願望は強いが、后の宮がご存命であった間は、いろいろと御遠慮申し上げなさって、今まで決意しないでいたが、やはりその方面に心が向くのだろうか、長くは生きていられないような気がする」
などと仰せられて、しかるべきお心づもりをいろいろ御準備あそばす。
御子たちは、東宮を別に申して、女宮たちがお四方いらっしゃった。その中でも、藤壷と申し上げた方は、先帝の源氏でいらっしゃった。
まだ東宮と申し上げた時代に入内なさって、高い地位にもおつきになるはずであった方が、これと言ったご後見役もいらっしゃらず、母方も名門の家柄でなく、微力の更衣腹でいらっしゃったので、ご交際ぶりも頼りなさそうで、大后が尚侍の君をお入れ申し上げなさって、側に競争相手がいないほど重くお扱い申し上げなさったりしたので、圧倒されて、帝も御心中に、お気の毒にはお思い申し上げあそばしながら、御譲位あそばしたので、入内した甲斐もなく残念で、世の中を恨むような有様でお亡くなりになった。
その腹の女三の宮を、大勢の御子たちの中で、特別にかわいがって大事になさっておいでになる。
その当時、お年、十三、四歳ほどでいらっしゃる。
「今を限りと世を捨てて、山籠もりした後に残って、誰を頼りとして行かれるのだろうか」
と、ただこの御方のことだけが気がかりにお嘆きになる。
西山にある御寺を完成させて、お移りあそばすための御準備をあそばすにつけても、またこの宮の御裳着の儀式を御準備あそばす。
院の中に秘蔵していらっしゃる御宝物、御調度類は言うまでもなく、ちょっとしたお遊び道具類まで、少しでも由緒ある物は全て、ただこの御方にお譲り申し上げなさって、それに次ぐ品々を、他の御子たちには、御分配なさったのであった。
[1-2 東宮、父朱雀院を見舞う]
東宮は、「このような御病気に加えて、御出家あそばすお心づもりだ」とお聞きあそばして、お越しあそばした。母女御、ご一緒申されておいでになった。格別のご寵愛というほどでもなかったが、東宮がこうしていらっしゃるご運勢が、この上なく素晴らしいので、久しぶりのお話、親しくお話し合いになったのであった。
東宮にも、いろいろなこと、国をお治めになる時の御注意など、お教え申し上げなさる。お年のわりにはとてもよくご成人あそばされていて、ご後見役たちも、あちらこちらと、重々しい立派なお間柄でいらっしゃるので、たいそう安心だとお思い申し上げていらっしゃる。
「この世に不満の残ることはございません。女宮たちが大勢後に残るその行く末を思いやると、それがいざ別れとなる時にきっと障りとなることでしょう。これまで、他人事として見たり聞いたりしてきたことが、女は思いがけず、軽々しく、世間から批判される運命であるのが、たいそう残念で悲しいことだ。
どなたをも、御即位なさった御代には、何かにつけて、お心にかけてお世話なさって下さい。その中で、後見人のいる方は、そちらに任せてよいと思います。
三の宮は、幼いお年頃で、ただわたし一人をずっと頼りとしてきたので、出家した後の世に、寄るべもなく心細い生活をするだろうことを、とてもまことに気がかりで悲しく思っております」
と、お目を拭いながら、お聞かせ申し上げあそばす。
女御にも、やさしくして下さるようお頼み申し上げあそばす。けれども、母女御が、他の人よりは優れて御寵愛が厚かったために、皆が競争なさい合ったころ、お妃方の御仲も、あまりよろしくできなかったので、その影響で、「なるほど、今では特に憎いなどとは思わなくても、本当に心にかけてお世話しようとまではお思いでなかろう」と推量されるのである。
朝な夕なに、この方の御事を御心配なさる。年が暮れてゆくにつれて、御病気がほんとうに重くおなりあそばして、御簾の外にもお出ましにならない。御物の怪で、時々お悩みになったことはあったが、とてもこのようにいつまでもお悪いことはあり続けなかったが、「今度は、やはり、最期だ」とお思いでいらっしゃった。
お位をお退きあそばしたが、やはりその当時にお頼り申し上げていらした方々は、今でもおやさしくご立派なお人柄を、心の慰め所にして参上しお仕えなさっている方々は、みな心の底からお悲しみ申し上げなさる。
[1-3 源氏の使者夕霧、朱雀院を見舞う]
六条院からも、お見舞いが頻繁にある。ご自身も参上なさる由、お聞きあそばして、院はとてもたいそうお喜び申し上げあそばす。
中納言の君が参上なさったのを、御簾の中に招き入れて、お話を親密になさる。
「故院の帝が、御臨終の際に、多くの御遺言があった中で、この院の御事と今上の帝の御事を、特別に仰せになったが、皇位に即くと、何かと自由にならないもので、心の中の好意は、変わらないものの、ちょっとした事の行き違いから、お恨まれ申されることもあっただろうと思うが、長年何かにつけて、その時の恨みが残っていらっしゃるご様子をお見せにならない。
賢人と言っても、自分自身の事となると、話は違って、心が動揺し、必ずその報復をし、道を踏みはずす例は、昔でさえ多くあったのだ。
どのような時にか、お恨みの心が漏れ出ることだろうかと、世間の人々もその気で疑っていたが、とうとう辛抱なさって、東宮などにもご好意をお寄せ申されていらっしゃる。今では、またとなく親しい姻戚関係になって交際していらっしゃるのも、この上なく有り難く心の中では思いながら、生来の愚かさに加えて、子を思う親心で目がくらみ、見苦しいことではないかと思って、かえってよそ事のようにお任せ申している有様でございます。
帝の御事は、あの御遺言通りに致しましたので、このような末世の名君として、これまでの不面目を挽回して下さる。願い通りで、まことに嬉しく思います。
この秋の行幸の後は、昔のことがあれこれと思い出されて、懐かしくお会いしたく存じます。お目にかかって申し上げたいことどもがございます。必ずご自身お訪ね下さるよう、お勧め申し上げて下さい」
などと、涙ぐみながら仰せになる。
[1-4 夕霧、源氏の言葉を言上す]
中納言の君は、
「過ぎ去りました昔の事は、何とも分りかねがたく存じます。成人いたしまして、朝廷にもお仕え致す間に、世間の事をあれこれと経験してまいりますうちに、大小の公事につけても、私的な打ち解けた話し合いの中でも、『昔の辛い思いをしたことがあって』などと、ほのめかされることはございませんでした。
『このように朝廷の御後見を中途でご辞退申して、静かな暮らしをしようと、すっかり籠居して後は、どのような事をも、関係ないようにして、故院の御遺言通りにもお仕え申すことができず、御在位時代には、年齢も器量も不十分で、すぐれた上位の方々が多くて、わたしの思いを十分に尽くして御覧いただくこともありませんでした。今は、このように御退位なさって、静かにお暮らしになっていらっしゃるこの折に、思いのまま心おきなく、参上してお話を承りたいが、そうは言っても何やら大層な身分のために、ついつい月日を過ごしたていること』
と、時々お嘆き申していらっしゃいます」
などと、奏上なさる。
二十歳にもまだわずか足りない年齢であるが、まことに立派に年齢以上に成人して、器量も今を盛りに輝くばかりで、たいそう美しいので、お目に止めてじっと御覧あそばしながら、この御心中を悩ましていらっしゃる姫宮の御後見に、この人はどうかしらなどと、人知れずお考えよりになるのであった。
「太政大臣の邸に、今は落ちつかれたそうですね。長年わけの分からない話のように聞いたのは、気の毒に思ったが、ほっとしたものの、やはり残念に思うことがあります」
と仰せになる御様子を、「何を仰せになろうとするのかしら」と、不思議に思って考えてみると、「こちらの姫宮をこのように御心配なさって、適当な人がいたら、頼んで、気楽に俗世を離れたい、とお思いになって仰せになるのだろう」と、自然と漏れ聞きなさる伝もあったので、「そのようなことではないか」とは思ったが、すぐさま分かったような顔をして、どうしてお答え申し上げられよう。ただ、
「頼りにもならないわたしには、妻もなかなか得がたくございます」
とだけお答え申し上げるにとどまった。
[1-5 朱雀院の夕霧評]
女房などは、覗き見申して、
「本当に立派にお見えになる容貌や、態度ですこと」
「ああ、素晴らしい」
などと、集まってお噂申し上げているのを、年輩の女房は、
「さあ、どうかしら、そうは言っても、あの院がこれぐらいお年でいらっしゃった時のご様子には、とてもお比べ申し上げることはおできになれません。実に眩しいほどお美しくいらっしゃいました」
などと、言い合うのをお耳にあそばして、
「本当に、あの方は特別の人であった。今はまた、あの当時以上に立派になって、光り輝くとはこれを言うべきなのかと見える輝きが、一段と加わっている。威儀を正して、公事に携わっているところを見ると、堂々として鮮やかで、目も眩ゆい気がするが、また一方に、うちくつろいで、冗談を言ってふざけるところは、その方面では、またとないほど愛嬌があって、親しみやすく愛らしいこと、この上ないのは、めったにいない人だ。何事につけても前世の果報が思いやられて、類稀な人柄だ。
宮中で成長して、帝王がこの上なくおかわいがりなさり、あれほど大事にし、わが身以上に大切になさったが、いい気になって増長することもなく、謙虚にして、二十歳までは、中納言にもならずじまいだった。一つ越してか、宰相で大将を兼官なさったろう。
それに比べて、こちらはこの上なく昇進しているのは、親から子へと次第に声望が高まっていくのであろう。本当に公事に関する才能、心構えなどは、こちらも決して父親に劣らず、たとい間違っても、年々老成してきたという評判は、たいそう格別なようだ」
などと、お誉めあそばす。
[1-6 女三の宮の乳母、源氏を推薦]
姫宮がとてもかわいらしげで、幼く無邪気なご様子であるのを拝見なさるにつけても、
「はなやかにお世話して上げ、また一方では、至らないところは、見知らない体でそっと教えて上げるような人で、安心な方にお預け申したいものだ」
などとお申し上げになる。
年かさの御乳母たちを御前に召し出して、御裳着の時の事などを仰せになる折に、
「六条の大殿が、式部卿の親王の娘を育て上げたというように、この姫宮を引き取って育ててくれる人がいないものか。臣下の中ではいそうにない。主上には中宮がいらっしゃる。それに次ぐ女御たちにしても、たいそう高貴な家柄の方ばかりが揃っていられるから、しっかりした御後見役がいなくて、そのような宮廷生活は、かえってしないほうがましだろう。
この権中納言の朝臣が独身でいた時に、こっそり打診してみるべきであった。若いけれど、たいそう有能で、将来有望な人と思えるから」
と仰せになる。
「中納言は、もともとたいそう生真面目な方で、長年、あの方に心を懸けて、他の女性には心を移そうともしなかったのでございますから、その願いが叶ってからは、ますますお心の動くはずがございますまい。
あの院こそは、かえって、依然としてどのようなことにつけても、女性にご関心の心は、引き続きお持ちのようでいらっしゃると聞いております。その中でも、高貴な女性を得たいとのお望みが深くて、前斎院などをも、今でも忘れることができずに、お便りを差し上げていらっしゃると聞いております」
と申し上げる。
「いや、その変わらない好色心が、たいそう心配だ」
とは仰せになるが、
「なるほど、大勢の婦人方の中に混じって、不愉快な思いをすることがあったとしても、やはり親代わりと決めたことにして、そのようにお譲り申そうか」
などとも、お考えになるのだろう。
「ほんとうに、少しでも結婚させようと思うような女の子を持っていたら、同じことなら、あの院の側に、添わせたいものだ。長くもない人生では、あのように満ち足りた気持ちで、過ごしたいものだ。
わたしが女だったら、同じ姉弟ではあっても、きっと睦まじい仲になっていただろう。若かった時など、そのように思った。ましてや、女がだまされたりするようなのは、まことに、もっともなことだ」
と仰せになって、御心中に、尚侍の君の御事も、自然とお思い出しになっているのであろう。
2 朱雀院の物語 女三の宮との結婚を承諾
[2-1 乳母と兄左中弁との相談]
姫宮のご後見たちの中で、重々しい御乳母の兄、左中弁でいる者で、あちらの院の近臣として、長年仕えている者がいたのであった。こちらの宮にも特別の気持ちを持って仕えているので、参上した折に会って、話をした機会に、
「院の上が、これこれしかじかの御意向があってお洩らしになったが、あちらの院に、機会があったらそれとなくお耳にお入れ申し上げてください。内親王たちは、独身でいらっしゃるのが通例ですが、いろいろなことにつけてご好意をお寄せ申し、どのような事柄につけても、ご後見なさる方がいることは頼もしいことです。
院の上をお置き申しては、また心底からご心配申し上げなさる方もいないので、自分たちは、お仕え申しているが、どれほどのお役に立てましょうか。わたしの一存のままにもならず、自然と思いの他の事もおありになり、浮いた噂が立つような時には、どんなにか厄介なことでしょう。御存命中には、どのような形にせよ、姫宮のお身の上が決まったならば、お仕えしやすいことでしょう。
高貴なご身分と申しても、女は、本当に運命が不安定でいらっしゃいますから、いろいろと心配な上に、このような多くの皇女たちの中で、特別大切にお扱い申されるにつけても、人の妬みもあるでしょうし、何とか少しの瑕もおつけ申すまい」
と相談をもちかけると、弁は、
「どのような御事なのでしょうか。院は、不思議なまでお心の変わらない方で、いったんご寵愛なさった女性は、お気に入った方も、またさほど深くなかった方をも、それぞれにつけてお引き取りになっては、大勢お集め申していらっしゃるが、大切にお思いなさる方は、限りがあって、お一方のようなので、そちらに片寄って、寂しい暮らしをしていらっしゃる方々が多いようですが、御宿縁があって、もし、そのようにあそばされるようなことがありましたら、どんなに大切な方と申しても、張り合って押して来られるようなことは、とてもできますまいと想像されますが、やはり、どのようなものかと案じられることがあるように存じられます。
とはいえ、『この世での栄誉は、末世には過ぎて、身の上に不足はないが、女性関係では、人の非難を受け、自分自身の意に満たないところもある』と、いつも内々の閑談にお気持ちを漏らされるそうです。
なるほど、わたくしどもが拝見致しても、そのようでいらっしゃいます。それぞれの御縁で、お世話なさっている方は、みな素姓の分からぬような卑しい身分ではいらっしゃいませんが、たかだか知れた臣下の身分ばかりで、院のご様子に並び得る声望のある方はいらっしゃるだろうか。
それに、同じ事なら、御意向通りに御降嫁あそばしたら、どんなにお似合いのご夫婦となることでしょう」
と内情を話したのを、
[2-2 乳母、左中弁の意見を朱雀院に言上]
乳母が、また別の機会に、
「これこれしかじかの事を、某朝臣にそれとなく話しましたところ、『あちらの院では、きっとご承諾申し上げなさるでしょう。長年のご宿願が叶うとお思いになるはずのことですし、こちらの院の御許可が本当にあるのでしたらお伝え申し上げましょう』と申しておりましたが、どのように致しましょうか。
身分身分に応じて、夫人それぞれの待遇をお考えになっては、めったにないお心づかいでいらっしゃるようですが、臣下の者でも、自分以外に寵愛を受ける女が横にいることは、誰でも不満に思うことでございますから、心外なことでございましょうかしら。ご後見を希望なさる方は、大勢いらっしゃるようです。
よくお考えあそばしてお決めになるのがようございましょう。この上ない身分の人と申しても、今の世の中では、みなわだかまりなく、立派に処理して、夫婦仲を考え通りにお過ごしになられる方もいらっしゃるようですが、姫宮は、驚くほど気がかりで、頼りなくお見えでいらっしゃるし、伺候している女房たちは、お仕え申すにも限界がございましょう。
大抵ご主人のご意向にお従い申して、賢明な下々の者もそのお考え通りに従うのが、心丈夫なことでしょう。特別のご後見がいらっしゃらないのは、やはり心細いことでございましょう」
と申し上げる。
[2-3 朱雀院、内親王の結婚を苦慮]
「そのように考えるからなのだ。皇女たちが結婚している様子は、見苦しく軽薄なようでもあり、また高貴な身分といっても、女は男との結婚によって、悔やまれることも、しゃくに障る思いも、自然と生じるもののようだと、一方では不憫に思い悩むが、また一方で、頼りとする人に先立たれて、頼る人々に別れた後、自分の意志通りに世の中を生きて行くことも、昔は、人の心も穏やかで、世間から許されない身分違いのことは、考えもしないことであったろうが、今の世では、好色で淫らなことも、縁者を頼って聞こえてくるようだ。
昨日まで高貴な親の家で大切にされて育てられていた姫が、今日は平凡な身分の低い好色者たちに浮名を立てられだまされて、亡き親の面目をつぶし、死後の名を辱めるような例が多く聞こえる。詮じつめれば、どちらも同じ事である。
身分身分に応じて、宿世などということは、知りがたいことなので、万事が不安である。総じて、良くも悪くも、しかるべき人が指図しておいたようにして世の中を過ごして行くのは、それぞれの宿世であって、晩年に衰えることがあっても、自分自身の間違いにはならない。
後になって、この上ない幸福がきて、見苦しからぬことになった時には、それでもかまわなかったと見えるが、やはり、その当座いきなり耳にした時には、親にも内緒だし、しかるべき保護者も許さないのに、自分勝手の秘事をしでかしたのは、女の身の上にはこれ以上ない欠点だと思われることだ。
平凡な臣下の者同士でさえ、軽薄で良くないことである。本人の意志と無関係に事が運ばれて良いはずのものでもないが、自分の意に反しては結婚せず、運命の程が決めらるのは、たいそう軽率で、日常の態度、様子が想像されることよ。
妙に頼りない性質ではないかと見えるようなご様子だから、お前たちの考えのままに、お取り計らい申し上げるというのは、そのようなことが世間に漏れ出るようなことは、まことに情けないことだ」
などと、お残し申されて御出家あそばされる後のことを、不安にお思い申し上げていらっしゃるので、ますます厄介なことと思い合っていた。
[2-4 朱雀院、婿候補者を批評]
「もう少し分別がおできになるまで世話してあげようとは、長年辛抱してきたが、深い出家の本懐も遂げずになってしまいそうな気がするので、つい気が急かされるものだ。
あの六条の大殿は、なるほど、そうはいっても万事心得ていて、安心な点ではこの上ないが、あちこちに大勢いらっしゃるご夫人たちを考慮する必要もあるまい。何といっても、当人の心次第である。ゆったりと落ち着いていて、広く世の模範であり、信頼できる点では並ぶ者がなくおいでになる方である。この人以外で適当な人は誰がいようか。
兵部卿宮、性質は好ましい。同じ皇族で、他人扱いして軽んじるべきではないが、あまりにひどく弱々しく風流めいていて、重々しいところが足りなくて、少し軽薄な感じが過ぎていよう。やはり、そのような人はたいそう頼りなさそうな気がする。
また、大納言の朝臣が家司を望んでいるというのは、そうした点では、忠実に勤めるにちがいないだろうが、それでもどんなものか。その程度の世間一般の身分の者では、やはりとんでもない不釣合であろう。
昔も、このような婿選びでは、万事につけ人より格別優れた評判のある者に、落ち着いたものだ。ただ一途に、他の女には目もくれず大事にしてくれる点だけを、立派なことだと考えるのは、実に物足りなく残念なことだ。
右衛門督が内々希望していると、尚侍が話していたが、その人だけは、位などがもう少し一人前になったら、何の不釣合なことがあろう、と思いつくところだが、まだ年齢が若くて、あまりに軽い地位である。
高貴な女性をという願いが強くて、独身で過ごしながら、たいそう沈着に理想を高く持している態度が、誰よりも抜群で、漢学なども難なく備わり、最後は世の重鎮となるはずの人なので、将来を期待できるが、やはり婿にと決めてしまうには、不十分ではないか」
と、いろいろとお考え悩んでいらっしゃった。
これほどにはお考えでない姉宮たちには、一向にお心をお悩ませ申し上げる人もいない。不思議と、内々に仰せになる内証事が、自然と広がって、気を揉む人々が多いのであった。
[2-5 婿候補者たちの動静]
太政大臣も、
「この右衛門督が、今まで独身でいて、内親王でなければ妻としないと思っているのを、このような御詮議が問題になっているという機会に、そのようにお願い申し上げて、召し寄せられたならば、どんなにか自分にとっても名誉なことで、嬉しいだろう」
と、お思いになりおっしゃりもなさって、尚侍の君には、その姉の北の方を通じて、お伝え申し上げるのであった。あらん限りの言葉を尽くして奏上させて、御内意をお伺いになる。
兵部卿宮は、左大将の北の方を貰い受け損ねなさって、お聞きになっているだろうところもあって、欠点があってはと、選り好みしていらっしゃったが、どうしてお心が動かないことがあろうか。この上なくやきもきしていらっしゃった。
藤大納言は、長年院の別当として、親しくお仕え続けてきたが、御入山あそばして後、頼る所もなくきっと心細いだろうから、この宮の御後見を口実にして、お心にかけていただくよう、御内意を熱心に伺っていらっしゃるのであろう。
[2-6 夕霧の心中]
権中納言も、このような事柄をお聞きになって、
「人伝でもなく直接に、あれほど意中をお漏らしあそばした御様子を拝見したのだから、自然と何かの機会を待って、自分の意向をほのめかし、お耳にあそばすことがあったら、けっして外れることはあるまい」
と、心をときめかしたにちがいなかろうが、
「女君が、今はもう大丈夫と心から頼りにしていらっしゃるのを、長年、辛い仕打ちを口実に浮気しようと思えば出来た時でさえ、他の女への心変わりもなく過ごしてきたのに、無分別にも、今になって昔に戻って、急に心配をおかけできようか。並々ならぬ高貴なお方に関係したならば、どのようなことも思うようにならず、左右に気を使っては、自分も苦しいことだろう」
などと、本来好色でない性格なので、心を抑えながら外には出さないが、やはり他人に決定してしまうのも、どんなことかと思わずにはいられず、聞き耳を立てるのであった。
[2-7 朱雀院、使者を源氏のもとに遣わす]
東宮におかれても、このような事をお耳にあそばして、
「差し当たっての現在のことよりも、後の世の例となるべきのことですから、よくよくお考えあそばさなければならないことです。人柄がまあまあ良いといっても、臣下では限界があるので、やはり、そのようにお考えになられるならば、あの六条院にこそ、親代わりとしてお譲り申し上げあそばしませ」
と、特別のお手紙というのではないが、御内意があったのを、お待ち受けお聞きあそばしても、
「なるほど、おっしゃる通りだ。たいそうよく考えておっしゃったことだ」
と、ますます御決心をお固めあそばして、まずは、あの弁を使者として、とりあえず事情をお伝え申し上げさせあそばすのであった。
[2-8 源氏、承諾の意向を示す]
この姫宮の御事、このようにお悩みの様子は、以前からもみなお聞きになっていらっしゃったので、
「お気の毒なことですね。そうはいっても、院の御寿命が短いといっても、わたしとてまた、どれほど生き残り申せると思ってか、姫の御後見のことをお引き受け申すことができようか。なるほど、年の順を間違わずに、もう暫くの間長生きできたら、大体の関係からいって、どの内親王たちをも、他人扱い申すはずもないが、またこのように特別に御心配の旨をお伺いしてしまったような方を、特別に御後見致そうと思うが、それさえも無常な世の中の定めなさということだ」
とおっしゃって
「それにもまして、一途に頼みにして戴くような者として、お親しみ申すことは、とてもかえって、引き続いて世を去るような時がおいたわしくて、自分自身にとっても容易ならぬ障りとなるにちがいなかろう。
中納言などは、年も若く身分も軽々しいようだが、将来性があって、人柄も、最後は朝廷のご後見をするにちがいない見込みのようなので、そちらにお考えなさって、どうして申し分ないことがあろう。
しかし、とてもたいそう生真面目で、思う人を妻にしたようなので、それに御遠慮あそばすのだろうか」
などとおっしゃって、ご自身は思ってもいないというふうなので、弁は、並々な御決定でないことを、このようにおっしゃるので、お気の毒にも、残念にも思って、内々に御決意になった様子など、詳しく申し上げると、断ったとはいえ、やはりにっこりなさりながら、
「とても大切にかわいがっていらっしゃる内親王のようなので、ひとえに過去や将来のことを深く考えたのだろうな。ただ、帝に差し上げなさるがよいであろう。れっきとした前からの人々がいらっしゃるということは、理由のないことである。そのことに支障の生じることではない。必ず、後から入内するからといって、後の人が疎略にされるものでない。
故院の御時に、弘徽殿大后が、東宮の最初の女御として、威勢をふるっていらっしゃったが、はるか後に入内なさった入道宮に、暫くの間は圧倒されなさったのだ。
この内親王の御母女御は、あの宮の御姉妹でいらっしゃったはず。器量も、その次には、おきれいな方だと言われなさった方であったから、どちらから見ても、この姫宮は並大抵の方ではいらっしゃるまいが」
などと、興味深くお思い申し上げていらっしゃるのであろう。
3 朱雀院の物語 女三の宮の裳着と朱雀院の出家
[3-1 歳末、女三の宮の裳着催す]
年も暮れた。朱雀院におかれては、御気分もやはり快方に向かう御様子もないので、何かと気忙しく御決心なさって、御裳着の儀式は、その御準備なさる様子、過去にも将来にも例のないと思われるほど、盛大に大騷ぎである。
お部屋の飾り付けは、柏殿の西表に、御帳台、御几帳をはじめとして、この国の綾や錦はお加えあそばさず、唐国の皇后の装飾を想像して、端麗で豪華に、光眩しいほどに御準備あそばした。
御腰結の役には、太政大臣を前もってお願い申し上げていらっしゃったので、物事を大げさになさる方なので、参上しにくくお思いであったが、院のお言葉に昔から背きなさらないので、参上なさる。
もう二方の大臣たち、その他の上達部などは、やむをえない支障がある者も、無理に何とかし都合をつけて参上なさる。親王たち八人、殿上人は言うまでもなく、内裏、東宮の人々も残らず参集して、盛大な御儀式の騷ぎである。
院の御催事も、今回が最後であろうと、帝、東宮をおはじめ申して、お気の毒にお思いあそばされて、蔵人所、納殿の舶来品を、数多く献上させなさった。
六条院からも、御祝儀がたいそう盛大にある。数々の贈り物や、人々の禄、尊者の大臣の御引出者など、あちらの院からご献上あそばしたものであった。
[3-2 秋好中宮、櫛を贈る]
中宮からも、御装束、櫛の箱を、特別にお作らせになって、あの昔の御髪上の道具、趣のあるように手を加えて、それでいて元の感じも失わず、それと分かるようにして、その日の夕方、献上させなさった。中宮の権亮で、院の殿上にも伺候している人を御使者として、姫宮の御方に献上させるべく仰せになったが、このような歌が中にあったのである。
「挿したまま昔から今に至りましたので
玉の小櫛は古くなってしまいました」
院が、御覧になって、しみじみとお思い出されることがあるのであった。あやかり物として悪くはないとお譲り申し上げなさるだが、なるほど、名誉な櫛なので、お返事も、昔の感情はさておいて、
「あなたに引き続いて姫宮の幸福を見たいものです
千秋万歳を告げる黄楊の小櫛が古くなるまで」
とお祝い申し上げなさった。
[3-3 朱雀院、出家す]
御気分のたいそう苦しいのを我慢なさりながら、元気をお出しになって、この御儀式がすっかり終わったので、三日過ぎて、とうとう御髪をお下ろしになる。普通の身分の者でさえ、今は最後と姿が変わるのは悲しいことなので、まして、お気の毒な御様子に、御妃方もお悲しみに暮れる。
尚侍の君は、ぴったりとお側を離れずにいらして、ひどく思いつめていらっしゃるのを、慰めかねなさって、
「子を思う道には限度があるなあ。このように悲しんでいらっしゃる別れが堪え難いことよ」
といって、御決心が鈍ってしまいそうだが、無理に御脇息に寄りかかりなさって、山の座主をはじめとして、御授戒の阿闍梨三人が伺候して、法服などをお召しになるとき、この世をお別れなさる御儀式、堪らなく悲しい。
今日は、人の世を悟りきった僧たちなどでさえ、涙を堪えかねるのだから、まして女宮たち、女御、更衣、おおぜいの男女たち、身分の上下の者たち、皆どよめいて泣き悲しむので、何とも心が落ち着かず、こうしたふうにでなく、静かな所に、そのまま籠もろうとお心づもりなさっていた本意と違って思われなさるのも、「ただもう、この幼い姫宮に引かれて」と仰せられる。
帝をおはじめ申して、お見舞いの多いこと、いまさら言うまでもない。
[3-4 源氏、朱雀院を見舞う]
六条院も、少し御気分がよろしいとお耳に入れあそばして、参上なさる。御下賜の御封など、みな同じように、退位された帝と同じく決まっていらっしゃったが、ほんとうの太上天皇の儀式には威勢をお張りにならない。世間の人々のお扱いや尊敬申し上げる様子などは、格別であるが、わざと簡略になさって、例によって、仰々しくないお車にお乗りになって、上達部などのしかるべき方だけが、お車でお供なさっていた。
院におかれては、たいそうお待ちかねしてお喜び申し上げあそばして、苦しい御気分をしいて我慢なさって御対面なさる。格式ばらずに、ただ常の御座所に新たにお席を設けて、お入れ申し上げなさる。
お変わりになった御様子を拝見なさると、過去も未来も真暗になって、悲しく涙を止めがたく思わずにはいらっしゃれないので、すぐには気持ちをお静めになれない。
「故院に先立たれ申したころから、世の中が無常に存じられずにはいられませんでしたので、この方面への決心も深くなっていましたが、心弱くてぐずぐずしてばかりいまして、とうとうこのように拝見致すまで、遅れ申してしまいました心の怠慢を、恥ずかしく存ぜずにはいられませんなあ。
わたくし自身のこととしては、たいしたことでもあるまいと決心致しました時々もありましたが、どうしても堪えられないことが多くございましたよ」
と、心を静められないお思いでいらっしゃった。
[3-5 朱雀院と源氏、親しく語り合う]
院も、何となく心細くお思いになられて、我慢おできになれず、涙をお流しになりながら、昔、今のお話、たいそう弱々そうにお話しあそばされて、
「今日か明日かと思われながら、それでも年月を経てしまったが、つい油断して、心からの念願の一端も遂げずに終わってしまいそうなことだ、と思い立ったのです。
こう出家しても余生がなければ、勤行の意志も果たせそうにありませんが、まずは一時なりとも、命を延ばしておいて、せめて念仏だけでもと思っています。何もできない身の上ですが、今まで生きながらえているのは、ただこの意志に引き留められていたと、存じられないわけではありませんが、今まで仏道に励まなかった怠慢だけでも、気にかかってなりません」
とおっしゃって、考えていたことなどを、詳しく仰せになる機会に、
「内親王たちを、大勢残して行きますのが気の毒です。その中でも、他に頼んでおく人のない姫を、格別に気がかりで、どうしたものかと苦にしております」
とおっしゃって、はっきりとは仰せにならない御様子を、お気の毒と拝し上げなさる。
[3-6 内親王の結婚の必要性を説く]
お心の中でも、何と言っても関心のある御事なので、お聞き過ごし難く思って、
「仰せのとおり、尋常の臣下の者以上に、こういうご身分の方には、内々のご後見役がいないのは、いかにも残念なことでございますね。東宮がこうしてご立派にいらっしゃいますので、まことに末世には過ぎた畏れ多い儲けの君として、天下の頼り所として仰ぎ見申し上げておりますよ。
まして、これこれのことは是非にと仰せおきなさることは、一事としていい加減に軽んじ申し上げなさるはずのことはございませんので、全然将来のことをお悩みになることはございませんが、なるほど、物事には限りがあるので、即位なさり、世の中の政治もお心のままにお執りなるとは言っても、姫宮の御ためには、どれほどのはっきりとしたお力添えができるものでもございません。
総じて、内親王の御ためには、いろいろとほんとうのご後見に当たる者は、やはりしかるべき夫婦の契りを交わし、当然の役目として、お世話申し上げる御保護者のいますのが、安心なことでございましょうが、やはり、どうしても将来にご不安が残りそうでしたら、適当な人物をお選びになって、内々に、しかるべきお引き受け手をお決めおきあそばすのがよいことでしょう」
と、奏上なさる。
[3-7 源氏、結婚を承諾]
「そのように考えたこともありますが、それも難しいことなのです。昔の例を聞きましても、在位中の帝の内親王でさえ、人を選んで、そのような婿選びをなさった例は多かったのです。
ましてこのように、これが最後とこの世を離れる時になって、仰々しく思い悩むこともないのですが、また一方、世を捨てた中にも、捨て去り難いことがあって、いろいろと思い悩んでいましたうちに、病気は重くなってゆく。再び取り戻すことのできない月日も過ぎて行くので、気が急いてなりません。
恐縮なお譲りごとなのですが、この幼い内親王、一人、特別にお目にかけ育てくださって、適当な婿をも、あなたのお考え通りにお決めくださって、その人にお預けくださいと申し上げたいところですが。
権中納言などが独身でいた時に、こちらから申し出るべきであった。太政大臣に先を越されて、残念に思っています」
と申し上げなさる。
「中納言の朝臣は、誠実という点では、たいそうよくお仕え致しましょうが、何事もまだ経験が浅くて、分別が足りのうございましょう。
恐れ多いことですが、真心をこめてご後見させていただきましたら、御在俗中と違ってはお思いなされないでしょうが、ただ老い先が短くて、途中でお仕えできなくなることがございはしまいかと、懸念される点だけが、お気の毒でございます」
と言って、お引き受け申し上げなさった。
[3-8 朱雀院の饗宴]
夜に入ったので、主人の院方も、お客の上達部たちも、皆御前において、御饗応の事があり、精進料理で、格式ばらずに、風情ある感じにおさせになっていた。院の御前に、浅香の懸盤に御鉢など、在俗の時とは違って差し上げるのを、人々は、涙をお拭いになる。しみじみとした和歌が詠まれたが、煩わしいので書かない。
夜が更けてお帰りになる。禄の品々を、次々と御下賜される。別当の大納言もお送りに供奉申し上げなさる。主の院は、今日の雪にますますお風邪まで召されて、御気分が悪く苦しくいらっしゃるが、この姫宮の御身の上を、御依頼し決定なさったので、御安心なさったのであった。
4 光る源氏の物語 紫の上に打ち明ける
[4-1 源氏、結婚承諾を煩悶す]
六条院は、何となく気が重くて、あれこれと思い悩みなさる。
紫の上も、このようなご決定があったと、以前からちらっとお聞きになっていたが、
「決してそのようなことはあるまい。前斎院を熱心に言い寄っていらっしゃるようだったが、ことさら思いを遂げようとはなさらなかったのだから」
などとお思いになって、「そのようなことがあったのですか」ともお尋ね申し上げなさらず、平気な顔でいらっしゃるので、おいたわしくて、
「このことをどのようにお思いだろう。自分の心は少しも変わるはずもなく、そのことがあった場合には、かえってますます愛情が深くなることだろうが、それがお分りいただけない間は、どんなにお思い疑いなさるだろう」
などと、気がかりにお思いになる。
長の年月を経たこのごろでは、ましてお互いに心を隔て置き申し上げることもなく、しっくりしたご夫婦仲なので、一時でも心に隔てを残しているようなことがあるのも気が重いのだが、その晩はそのまま寝んで、夜を明かしなさった。
[4-2 源氏、紫の上に打ち明ける]
翌日、雪がちょっと降って、空模様も物思いを催し、過去のこと将来のことをお話し合いなさる。
「院がお弱りになりなさったが、お見舞いに参上して、ひどく胸を打たれることがありました。女三の宮の御身の上の事を、実に放っておきがたく思し召されて、これこれしかじかのことを仰せになったので、お気の毒で、お断り申し上げることができなくなってしまったのを、大げさに人は言いなすだろう。
今は、そのようなことも気恥ずかしく、関心も持てなくなってきたので、人を通してそれとなく仰せになった時には、何とか逃げ申したが、対面した時に、あわれ深い親心をおっしゃり続けたのには、すげなくご辞退申し上げることができませんでした。
深い山住み生活にお移りになるころには、こちらにお迎え申し上げることになろう。おもしろくなくお思いでしょうか。たとえどんなことがあっても、あなたにとって、今までと変わることは決してありませんから、気にかけないでくださいよ。
あちらの方にとってこそ、お気の毒でしょう。その方も見苦しからずお世話しよう。皆が皆、穏やかにお過ごしくださったなら」
などと申し上げなさる。
ちょっとしたお浮気でさえ、目障りなとお思いなさって、心穏やかでないご性分なので、「どうお思いかしら」とお思いになると、まったく平静で、
「ほんとうにお気の毒なご依頼ですこと。わたしには、どのような快からぬ心をお抱き申しましょうか。目障りな、こうしていてなどと、咎められないようでしたら、安心してここにいさせていただきましょうが、あちらの御母女御の御縁からいっても、仲好くしていただけるでしょうから」
と、謙遜なさるのを、
「あまり、こんなに、快くお許しくださるのも、どうしてかと、不安に思われます。ほんとうは、せめてそのように大目に見てくださって、自分もあちらの方も事情を分かりあって、穏やかに暮らしてくださるなら、一層ありがたいことです。
根も葉もない噂などをする人の話は、信じなさるな。総じて、世間の人の口というものは、誰が言い出したということもなく、自然と他人の夫婦仲などを、事実とは違えて、意外な話が出て来るもののようですが、自分一人の心におさめて、成り行きに従うのが良い。早まって騷ぎ出して、つまらない嫉妬をなさるな」
と、たいそう良くお教え申し上げなさる。
[4-3 紫の上の心中]
心の中でも、
「このように空から降って来たようなことなので、ご辞退できなかったのだから、恨み言は申し上げまい。ご自身気が咎めなさり、他人の諌めに従いなさるような、当人同士の心から出た恋でない。せき止めるすべもないものだから、馬鹿らしくうち沈んでいる様子、世間の人に漏れ見せまい。
式部卿宮の大北の方が、常に呪わしそうな言葉をおっしゃっては、どうにもならない大将の御身の上の事についてまで、変に恨んだり妬んだりなさるというが、このように聞いて、どんなにかそれ見たことかと思うことだろう」
などと、おっとりしたご性分とはいえ、どうしてこの程度の邪推をなさらないことがあろうか。今はもう大丈夫とばかり、わが身の上を気位を高く持って、気兼ねなく過ごして来た夫婦仲が、物笑いになろうことを、心の中では思い続けなさるが、表面はとても穏やかにばかり振る舞っていらっしゃった。
5 光る源氏の物語 玉鬘、源氏の四十の賀を祝う
[5-1 玉鬘、源氏に若菜を献ず]
年も改まった。朱雀院におかれては、姫宮が、六条院にお移りになる御準備をなさる。ご求婚申し上げなさっていた方々は、たいそう残念にお嘆きになる。帝におかせられてもお気持ちがあって、お申し入れしていらっしゃるうちに、このような御決定をお耳にあそばして、お諦めになったのであった。
それはそれとして実は、今年四十歳におなりになったので、その御賀のこと、朝廷でもお聞き流しなさらず、世を挙げての行事として、早くから評判であったが、いろいろと煩わしいことが多い厳めしい儀式は、昔からお嫌いなご性分であるから、皆ご辞退申し上げなさる。
正月二十三日は、子の日なので、左大将殿の北の方が、若菜を献上なさる。前もってその様子も外に現しなさらず、とてもたいそう密かにご準備なさっていたので、急な事で、ご意見してご辞退申し上げることもできない。内々にではあるが、あれほどのご威勢なので、ご訪問の作法など、たいそう騷ぎが格別である。
南の御殿の西の放出に御座席を設ける。屏風、壁代をはじめ、新しくすっかり取り替えられている。儀式ばって椅子などは立てず、御地敷四十枚、御褥、脇息など、総じてその道具類は、たいそう美しく整えさせていらっしゃった。
螺鈿の御厨子二具に、御衣箱四つを置いて、夏冬の御装束。香壷、薬の箱、御硯、ゆする坏、掻上の箱などのような物を、目立たない所に善美を尽くしていらっしゃった。御插頭の台としては、沈や、紫檀で作り、珍しい紋様を凝らし、同じ金属製品でも、色を使いこなしているのは、趣があり、現代風で。
尚侍の君は、風雅の心が深く、才気のある方なので、目新しい形に整えなさっていたが、儀式全般のこととしては、格別に仰々しくないようにしてある。
[5-2 源氏、玉鬘と対面]
人々が参上などなさって、お座席にお出になるに当たり、尚侍の君とご対面がある。お心の中では、昔を思い出しなさることがさまざまとあったことであろう。
実に若々しく美しくて、このように御四十の賀などということは、数え違いではないかと、つい思われる様子で、優美で子を持つ親らしくなくいらっしゃるのを、珍しくて、歳月を経て拝見なさるのは、とても恥ずかしい思いがするが、やはり際立った隔てもなく、お話を交わしなさる。
幼い君も、とてもかわいらしくいらっしゃる。尚侍の君は、続いて二人もお目にかけたくないとおっしゃったが、大将が、せめてこのような機会に御覧に入れようと言って、二人同じように、振り分け髪で、無邪気な童直衣姿でいらっしゃる。
「年を取ると、自分自身では特に気にもならず、ただ昔のままの若々しい様子で、変わることもないのだが、このような孫たちができたことで、きまりの悪いまでに年を取ったことを思い知られる時もあるのですね。
中納言が早々と子をなしたというのに、仰々しく分け隔てして、まだ見せませんよ。誰より先に、私の年を数えて祝ってくださった今日の子の日は、やはりつらく思われます。しばらくは老いを忘れてもいられたでしょうに」
と申し上げなさる。
[5-3 源氏、玉鬘と和歌を唱和]
尚侍の君も、すっかり立派に成熟して、貫祿まで加わって、素晴らしいご様子でいらっしゃった。
「若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れて
育てて下さった元の岩根を祝う今日の子の日ですこと」
と、強いて母親らしく申し上げなさる。沈の折敷を四つ用意して、御若菜を御祝儀ばかりに献上なさった。御杯をお取りになって、
「小松原の将来のある齢にあやかって
野辺の若菜も長生きするでしょう」
などと詠み交わしなさっているうちに、上達部が大勢南の廂の間にお着きになる。
式部卿宮は、参上しにくくお思いであったが、ご招待があったのに、このように親しい間柄で、わけがあるみたいに取られるのも具合が悪いので、日が高くなってからお渡りになった。
大将が得意顔で、このようなお間柄ゆえ、すべて取り仕切っていらっしゃるのも、いかにも癪に障ることのようであるが、御孫の君たちは、どちらからも縁続きゆえに、骨身を惜しまず、雑用をなさっている。籠物四十枝、折櫃物四十。中納言をおはじめ申して、相当な方々ばかりが、次々に受け取って献上なさっていた。お杯が下されて、若菜の御羹をお召し上がりになる。御前には、沈の懸盤四つ、御坏類も好ましく現代風に作られていた。
[5-4 管弦の遊び催す]
朱雀院の御病気が、まだすっかり良くならないことによって、楽人などはお召しにならない。管楽器などは、太政大臣が、そちらの方面はお整えになって、
「世の中に、この御賀より他に立派で善美を尽くすような催しはまたとあるまい」
とおっしゃって、優れた楽器ばかりを、以前からご準備なさっていたので、内輪の方々で音楽のお遊びが催される。
それぞれ演奏する楽器の中で、和琴は、あの太政大臣が第一にご秘蔵なさっていた御琴である。このような名人が、日頃入念に弾き馴らしていらっしゃる音色、またとないほどなので、他の人は弾きにくくなさるので、衛門督が固く辞退しているのを催促なさると、なるほど実に見事に、少しも父親に負けないほどに弾く。
「どのようなことも、名人の後嗣と言っても、これほどにはとても継ぐことはできないものだ」と、奥ゆかしく感心なことに人々はお思いになる。それぞれの調子に従って、楽譜の整っている弾き方や、決まった型のある中国伝来の曲目は、かえって習い方もはっきりしているが、気分にまかせて、ただ掻き合わせるすが掻きに、すべての楽器の音色が一つになっていくのは、見事に素晴らしく、不思議なまでに響き合う。
父大臣は、琴の緒をとても緩く張って、たいそう低い調子で調べ、余韻を多く響かせて掻き鳴らしなさる。こちらは、たいそう明るく高い調子で、親しみのある朗らかなので、「とてもこんなにまでとは知らなかった」と、親王たちはびっくりなさる。
琴は、兵部卿宮がお弾きになる。この御琴は、宜陽殿の御物で、代々に第一の評判のあった御琴を、故院の晩年に、一品宮がお嗜みがおありであったので、御下賜なさったのを、この御賀の善美を尽しなさろうとして、大臣が願い出て賜ったという次々の伝来をお思いになると、実にしみじみと、昔のことが恋しくお思い出さずにはいらっしゃれない。
親王も、酔い泣きを抑えることがおできになれない。ご心中をお察しになって、琴は御前にお譲り申し上げあそばす。感興にじっとしていらっしゃれずに、珍しい曲目を一曲だけお弾きなさると、儀式ばった仰々しさはないけれども、この上なく素晴らしい夜のお遊びである。
唱歌の人々を御階に召して、美しい声ばかりで歌わせて、返り声に転じて行く。夜が更けて行くにつれて、楽器の調子など、親しみやすく変わって、「青柳」を演奏なさるころに、なるほど、ねぐらの鴬が目を覚ますに違いないほど、大変に素晴らしい。私的な催しの形式になさって、禄など、たいそう見事な物を用意なさっていた。
[5-5 暁に玉鬘帰る]
明け方に、尚侍の君はお帰りになる。御贈り物などがあるのだった。
「このように世を捨てたようにして毎日を送っていると、年月のたつのも気づかぬありさまだが、このように齢を数えて祝ってくださるにつけて、心細い気がする。
時々は、前より年とったかどうか見比べにいらっしゃって下さいよ。このように老人の身の窮屈さから、思うままにお会いできないのも、まことに残念だ」
などと申し上げなさって、しんみりとまた情趣深く、思い出しなさることがないでもないから、かえってちらっと顔を見せただけで、このように急いでお帰りになるのを、たいそう堪らなく残念に思わずにはいらっしゃれなかった。
尚侍の君も、実の親は親子の宿縁とお思い申し上げなさるだけで、世にも珍しく親切であったお気持ちの程を、年月とともに、このようにお身の上が落ち着きなさったにつけても、並々ならずありがたく感謝申し上げなさるのであった。
6 光る源氏の物語 女三の宮の六条院降嫁
[6-1 女三の宮、六条院に降嫁]
こうして、二月の十日過ぎに、朱雀院の姫宮、六条院へお輿入れになる。こちらの院におかれても、ご準備は並々でない。若菜を召し上がった西の放出に御帳台を設けて、そちらの西の第一、第二の対、渡殿にかけて、女房の局々に至るまで、念入りに整え飾らせなさっていた。宮中に入内なさる姫君の儀式に似せて、あちらの院からも御調度類が運ばれて来る。お移りになる儀式の盛大さは、今さら言うまでもない。
御供奉に、上達部などが大勢お供なさる。あの家司をお望みになった大納言も、面白らかず思いながらも供奉なさっている。お車を寄せた所に、院がお出になって、お下ろし申し上げなさるなども、例には無いことである。
臣下でいらっしゃるので、何もかも制限があって、入内の儀式とも違うし、婿の大君と言うのとも事情が違って、珍しいご夫婦の関係である。
[6-2 結婚の儀盛大に催さる]
三日の間は、あちらの院からも、主人である院からも、盛大でまたとないほどの優雅な催しをお尽くしになる。
対の上も何かにつけて、平静ではいらっしゃれないお身の回りである。なるほど、このようなことになったからと言って、すっかりあちらに負けて影が薄くなってしまうこともあるまいけれど、また一方でこれまで揺ぎない地位にいらしたのに、華やかでお年も若く、侮りがたい勢いでお輿入れになったので、何となく居心地が悪くお思いになるが、何気ないふうにばかり装って、お輿入れの時も、ご一緒に細々とした事までお世話なさって、まことにかいがいしいご様子を、ますます得がたい人だとお思い申し上げなさる。
姫宮は、なるほど、まだとても小さく、大人になっていらっしゃらないうえ、まことにあどけない様子で、まるきり子供でいらっしゃった。
あの紫のゆかりを探し出しなさった時をお思い出しなさると、
「あちらは気が利いていて手ごたえがあったが、こちらはまことに幼くだけお見えでいらっしゃるので、
まあ、よかろう。憎らしく強気に出ることなどもあるまい」
とお思いになる一方で、「あまり張り合いのないご様子だ」と拝見なさる。
[6-3 源氏、結婚を後悔]
三日間は、毎晩お通いになるのを、今までにこのようなことは経験がおありでないので、堪えはするが、やはり胸が痛む。お召し物などを、いっそう念入りに香を薫きしめさせなさりながら、物思いに沈んでいらっしゃる様子は、たいそういじらしく美しい。
「どうして、どんな事情があるにもせよ、他に妻を迎える必要があったのだろうか。浮気っぽく、気弱になっていた自分の失態から、このような事も出てきたのだ。若いけれど、中納言をお考えに入れずじまいだったようなのに」
と、自分ながら情けなくお思い続けられて、つい涙ぐんで、
「今夜だけは、無理もないこととお許しくださいな。これから後に来ない夜があったら、我ながら愛想が尽きるだろう。だが、とは言っても、あちらの院には何とお聞きになろうやら」
と言って、思い悩んでいらっしゃるご心中、苦しそうである。少しほほ笑んで、
「ご自身のお考えでさえ、お決めになれないようですのに、ましてわたしは無理からぬことやら何やら、どちらに決められましょう」
と、取りつく島もないように話を逸らされるので、恥ずかしいまでに思われなさって、頬杖をおつきになって、寄り臥していらっしゃると、硯を引き寄せて、
「眼のあたりに変われば変わる二人の仲でしたのに
行く末長くとあてにしていましたとは」
古歌などを書き交えていらっしゃるのを、取って御覧になって、何でもない歌であるが、いかにもと、道理に思って、
「命は尽きることがあってもしかたのないことだが
無常なこの世とは違う変わらない二人の仲なのだ」
すぐにはお出かけになれないのを、
「まこと不都合なことです」
と、お促し申し上げなさると、柔らかで優美なお召し物に、たいそうよい匂いをさせてお出かけになるのを、お見送りなさるのも、まことに平気ではいられないだろう。
[6-4 紫の上、眠れぬ夜を過ごす]
長い間には、もしかしたらと思っていたいろいろな事も、今は終わりとすっかりお絶ちになって、ではこれで大丈夫と、安心なさるようになった今頃になって、とどのつまり、このような世間に外聞の悪い事が出て来るとは。安心できる二人の仲ではなかったのだから、これから先も不安にお思いになるのであった。
あのようにさりげなく装ってはいらっしゃるが、伺候している女房たちも、
「思いがけない事になりましたわね。大勢いらっしゃるようですが、どの方も、皆こちらのご威勢には一歩譲って遠慮なさって来たからこそ、何事もなく平穏でしたのに、誰憚らないこのようなやり方に、負けておしまいになったままではお過ごしになれまい」
「でも、それはそれとして、ちょっとした事でも、穏やかならぬことがいろいろと起こったら、きっと面倒な事が持ち上がって来ましょうよ」
などと、朋輩同士話し合って嘆いているふうなのを、少しも知らないふうに、まことに感じも優雅にお話などをなさりながら、夜が更けるまで起きていらっしゃる。
[6-5 六条院の女たち、紫の上に同情]
このように女房たちが容易ならぬことを言ったり思ったりしているのも、聞きにくいことだとお思いになって、
「このように、だれかれと大勢いらっしゃるようですが、お気持ちにかなった、華やかな高い身分ではないと、目馴れて物足りなくお思いになっていたところに、この宮がこのようにお輿入れなさったことは、本当に結構なことです。
まだ、子供心が抜けないのでしょうか、わたしもお親しくさせていただきたいのですが、困ったことにこちらに隔て心があるかのように皆が考えようとするのかしら。同じ程度の人とか、劣っていると思う人に対しては、黙って聞き流すわけに行かないことも、ついつい起こるものですが、恐れ多く、お気の毒な御事情がおありらしいので、何とか親しくさせていただきたいと思っています」
などとおっしゃると、中務、中将の君などといった女房たちは、目くばせしながら、
「あまりなお心づかいですこと」
などと、きっと言っているであろう。昔は、普通の女房よりは親しく使っていらした女房たちであるが、ここ何年かはこちらの御方にお仕えして、皆お味方申しているようである。
他の御方々からも、
「どのようなお気持ちでしょう。初めから諦めているわたしたちには、かえって平気ですが」
などと、こちらの気を引きながら、お慰め申される方もあるが、
「このように推量する人こそ、かえって厄介なこと。世の中もまことに無常なものなのに、どうしてそんなにばかり思い悩んでいよう」
などとお思いになる。
あまり遅くまで起きているのも、いつにないことと、皆が変に思うだろうと気が咎めて、お入りになったので、御衾をお掛けしたが、なるほど独り寝の寂しい夜々を過ごしてきたのも、やはり、穏やかならぬ気持ちがするが、あの須磨のお別れの時などをお思い出しになると、
「もう最後だと、お離れになっても、ただ同じこの世に無事でいらっしゃるとお聞き申すのであったらと、自分の身の上までのことはさておいて、惜しみ悲しく思ったことだわ。あのまま、あの騷ぎの中に、自分も殿も死んでしまったならば、お話にもならない二人の仲であったろうに」
とお思い直される。
風が吹いている夜の様子が冷やかに感じられて、急には寝つかれなされないのを、近くに伺候している女房たち、変に思いはせぬかと、身動き一つなさらないのも、やはりまことにつらそうである。夜深いころの鶏の声が聞こえるのも、しみじみと哀れを感じさせる。
[6-6 源氏、夢に紫の上を見る]
特別に恨めしいというのではないが、このように思い乱れなさったためであろうか、あちらの御夢に現れなさったので、ふと目をお覚ましになって、どうしたのかと胸騷ぎがなさるので、鶏の声をお待ちになっていたので、まだ夜の深いのも気づかないふりをして、急いでお帰りになる。とても子供子供したご様子なので、乳母たちが近くに伺候していた。
妻戸を押し開けてお出になるのを、お見送り申し上げる。明け方の暗い空に、雪の光が見えてぼんやりとしている。後に残っている御匂いに、
「闇はあやなし」
とつい独り言が出る。
雪は所々に消え残っているのが、真白な庭と、すぐには見分けがつかぬほどなので、
「今も残っている雪」
とひっそりとお口ずさみなさりながら、御格子をお叩きなさるのも、長い間こうしたことがなかったのが常となって、女房たちも空寝をしては、ややお待たせ申してから、引き上げた。
「ずいぶん長かったので、身もすっかり冷えてしまったよ。お恐がり申す気持ちが並々でないからでしょう。とは言っても、別に私には罪はないのだがね」
と言って、御衾を引きのけなどなさると、少し涙に濡れた御単衣の袖を引き隠して、素直でやさしいものの、仲直りしようとはなさらないお気持ちなど、とてもこちらが恥ずかしくなるくらい立派である。
「この上ない身分の人と申しても、これほどの人はいまい」
と、ついお比べにならずにはいられない。
いろいろと昔のことをお思い出しになりながら、なかなか機嫌を直してくださらないのをお恨み申し上げなさって、その日はお過ごしになったので、お渡りになれず、寝殿にはお手紙を差し上げなさる。
「今朝の雪で気分を悪くして、とても苦しゅうございますので、気楽な所で休んでおります」
とある。御乳母は、
「さように申し上げました」
とだけ、口上で申し上げた。「そっけないお返事だ」とお思いになる。「院がお耳にあそばすこともおいたわしい、しばらくの間は人前を取り繕う」とお思いになるが、そうもできないので、「それは思ったとおりだった。ああ困ったことだ」と、ご自身お思い続けなさる。
女君も、「お察しのないお方だ」と、迷惑がりなさる。
[6-7 源氏、女三の宮と和歌を贈答]
今朝は、いつものようにこちらでお目覚めになって、宮の御方にお手紙を差し上げなさる。特別に気の張らないご様子であるが、お筆などを選んで、白い紙に、
「わたしたちの仲を邪魔するほどではありませんが
降り乱れる今朝の淡雪にわたしの心も乱れています」
梅の枝にお付けなさった。人を呼び寄せて、
「西の渡殿から差し上げなさい」
とおっしゃる。そのまま外を見出して、端近くにいらっしゃる。白い御衣類を何枚もお召しになって、花を玩びなさりながら、「友待つ雪」がほのかに残っている上に、雪の降りかかる空をながめていらっしゃった。鴬が初々しい声で、軒近い紅梅の梢で鳴いているのを、
「袖が匂う」
と花を手で隠して、御簾を押し上げて眺めていらっしゃる様子は、少しも、このような人の親で重い地位のお方とはお見えでなく、若々しく優美なご様子である。
お返事が、少し暇どる感じなので、お入りになって、女君に花をお見せ申し上げなさる。
「花と言ったら、このように匂いがあってよいものだな。桜に移したら、少しも他の花を見る気はしないだろうね」
などとおっしゃる。
「この花も、多くの花に目移りしないうちに咲くから、人目を引くのであろうか。桜の花の盛りに比べてみたいものだ」
などとおっしゃっているところに、お返事がある。紅の薄様に、はっきりと包まれているので、どきりとして、ご筆跡のまことに幼稚なのを、
「しばらくの間はお見せしないでおきたいものだ。隠すというのではないが、軽々しく人に見せたら、身分柄恐れ多いことだ」
とお思いになると、お隠しになるというのもきっと気を悪くするだろうから、片端を広げていらっしゃるのを、横目で御覧になりながら、物に寄り臥していらっしゃった。
「頼りなくて中空に消えてしまいそうです
風に漂う春の淡雪のように」
ご筆跡は、なるほどまことに未熟で幼稚である。「これほどの年になった人は、とてもこんなではいらっしゃらないものを」と、目につくが、見ないふりをなさって、お止めになった。
他人のことならば、「こんなに下手な」などとは、こっそり申し上げなさるにちがいないのだが、気の毒で、ただ、
「ご安心して、お思いなさい」
とだけ申し上げなさる。
[6-8 源氏、昼に宮の方に出向く]
今日は、宮の御方に昼お渡りになる。特別念入りにお化粧なさっているご様子、今初めて拝見する女房などは、宮以上に素晴らしいとお思い申し上げることであろう。御乳母などの年とった女房たちは、
「さあ、どうでしょう。このお一方はご立派ですが、癪にさわるようなことがきっと起こることでしょう」
と、嬉しいなかにも心配する者もいるのだった。
女宮は、たいそうかわいらしげに子供っぽい様子で、お部屋飾りなどが仰々しく。堂々と整然としているが、ご自身は無心に、頼りないご様子で、まったくお召し物に埋まって、身体もないかのように、か弱くいらっしゃる。特に恥ずかしがりもなさらず、まるで子供が人見知りしないような感じがして、気の張らないかわいい感じでいらっしゃった。
「院の帝は、男らしく理屈っぽい方面のご学問などは、しっかりしていらっしゃらないと、世間の人は思っていたようだが、趣味の方面では、優美で風雅なことでは、人一倍勝れていらっしゃったのに、どうして、このようにおっとりとお育てになったのだろう。とはいえ、たいそうお心にとめていらっしゃった内親王と聞いたのだが」
と思うと、何やら残念な気がするが、それもかわいいと拝見なさる。
ただ申し上げるままに、柔らかくお従いになって、お返事なども、お心に浮かんだことは、何の考えもなくお口に出されて、とても見捨てられないご様子にお見えになる。
若いころの考えであったなら、嫌になってがっかりしたろうが、今では、世の中を人それぞれだと穏やかに考えて、
「あれやこれやといろいろな女がいるが、飛び抜けて立派な女はいないものだなあ。それぞれいろいろな特色があるものだが、はたから見れば、まったく申し分のない方なのだ」
とお思いになると、二人一緒にいつも離れずお暮らし申して来られた年月からも、対の上のご様子がやはり立派で、「自分ながらもよく教育したものだ」とお思いになる。一晩の間、朝の間も、恋しく気にかかって、いっそうのご愛情が増すので、「どうしてこんなに思われるのだろう」と、不吉な予感までなさる。
[6-9 朱雀院、紫の上に手紙を贈る]
院の帝は、その月のうちにお寺にお移りになった。こちらの院に、情のこもったお手紙を何度も差し上げなさる。姫宮の御事は言うまでもない。
気を遣って、どのように思うかなどと、遠慮なさることもなく、どうなりと、ただお心次第にお世話くださいますように、度々お申し上げなさるのであった。けれども、身にしみて後ろ髪引かれる思いで、幼くていらっしゃるのを御心配申し上げなさるのでもあった。
紫の上にも、お手紙が特別にあった。
「幼い人が、何のわきまえもない有様でそちらへ参っておりますが、罪もないものと大目に見ていただき、お世話ください。お心にかけてくださるはずの縁もあろうかと存じます。
捨て去ったこの世に残る子を思う心が
山に入るわたしの妨げなのです
親心の闇を晴らすことができずに申し上げるのも、愚かなことですが」
とある。殿も御覧になって、
「お気の毒なお手紙よ。謹んでお承りした旨を差し上げなさい」
とおっしゃって、お使いにも、女房を通じて、杯をさし出させなさって、何杯もお勧めになる。「お返事はどのように」などと、申し上げにくくお思いになったが、仰々しく風流めかすべき時のことでないので、ただ心のままを書いて、
「お捨て去りになったこの世が御心配ならば
離れがたいお方を無理に離れたりなさいますな」
などというようにあったらしい。
女の装束に、細長を添えてお与えになる。ご筆跡などがとても立派なのを、院が御覧になって、万事気後れするほど立派なような所で、幼稚にお見えになるだろうこと、まことにお気の毒に、お思いになっていた。
7 朧月夜の物語 こりずまの恋
[7-1 源氏、朧月夜に今なお執心]
いよいよこれまでと、女御、更衣たちなど、それぞれお別れなさるのも、しみじみと悲しいことが多かった。
尚侍の君は、故后の宮がいらっしゃった二条宮にお住まいになる。姫宮の御事をおいては、この方の御事を気がかりに、院の帝もお思いになっていたのであった。尼になってしまおうとお思いであったが、
「そのように競って出家したのでは、後を追うようで気ぜわしいから」
と、お止めになって、だんだんと仏道の御事などをご準備おさせになる。
六条の大殿は、いとしく飽かぬ思いのままに別れてしまったお方の事なので、長年忘れがたく、
「どのような時に会えるだろう。もう一度お会いして、その当時の事もお話申し上げたい」
と、ばかりお思い続けていらっしゃったが、お互いに世間の噂も遠慮なさらねばならないご身分であるし、お気の毒に思った当時の騷動なども、お思い出さずにはいらっしゃれないので、何事も心に秘めてお過ごしになったが、このようにのんびりとしたお身になられて、世の中を静かに御覧になっていらっしゃるこのごろのご様子を、ますますお会いしたく、気になってならないので、あってはならないこととはお思いになりながら、通例のお見舞いにかこつけて、心をこめた書きぶりで始終お便りを差し上げなさる。
若い者どうしの色恋めいた間柄でもないので、お返事も時に応じてやりとりなさっていらっしゃる。若いころよりも格段に何もかもそなわって、すっかり円熟していらっしゃるご様子を御覧になるにつけても、やはり堪えがたくて、昔の中納言の君の許にも、切ない気持ちをいつもおっしゃる。
[7-2 和泉前司に手引きを依頼]
その人の兄に当たる和泉前司を招き寄せて、若々しく、昔に返って相談なさる。
「人を介してではなく、直接物越しに申し上げねばならないことがある。しかるべく申し上げご承知いただいた上で、たいそうこっそりと参上したい。
今は、そのような忍び歩きも、窮屈な身分で、並々ならず秘密のことなので、そなたも他の人にはお漏らしなさるまいと思うゆえ、お互いに安心だ」
とおっしゃる。尚侍の君は、
「さてどうしたものだろう。世間の事が分かって来たにつけても、昔から薄情なお心を、幾度も味わわされて来た長の年月の果てに、しみじみと悲しい御事をさしおいて、どのような昔話をお話し申し上げられようか。
なるほど、他人は漏れ聞かないようにしたところで、良心に聞かれたら恥ずかしい気がするに違いない」
と嘆息をなさりながら、やはり、会うことはできない旨だけを申し上げる。
[7-3 紫の上に虚偽を言って出かける]
「昔、逢瀬も難しかった時でさえ、お心をお通わしなさらないでもなかったものを。なるほど、ご出家なさったお方に対しては後ろ暗い気はするが、昔なかった事でもないのだから、今になって綺麗に潔白ぶっても、立ってしまった自分の浮名は、今さらお取り消しになることができるものでもあるまい」
と、お思い起こして、この信太の森の和泉前司を道案内にしてお出かけになる。女君には、
「東の院にいらっしゃる常陸の君が、このところ久しく患っていましたのに、何かと忙しさに取り紛れて、お見舞いもしなかったので、お気の毒に思っております。昼間など、人目に立って出かけるのも不都合なので、夜の間にこっそりと、思っております。誰にもそうとは知らせまい」
と申し上げなさって、とてもたいそう改まった気持ちでいらっしゃるのを、いつもはそれほどまでにはお思いでない方を、妙だ、と御覧になって、お思い当たりなさることもあるが、姫宮の御事の後は、どのような事も、まったく昔のようにではなく、少し隔て心がついて、見知らないようにしていらっしゃる。
[7-4 源氏、朧月夜を訪問]
その日は、寝殿へもお渡りにならず、お手紙だけを書き交わしなさる。薫物などを念入りになさって一日中お過ごしになる。
宵が過ぎるのを待って、親しい者ばかり、四、五人ほどで、網代車の、昔を思い出させる粗末なふうで、お出かけになる。和泉守を遣わして、ご挨拶を申し上げなさる。このようにいらっしゃった旨、小声で申し上げると、驚きなさって、
「変だこと。どのようにお返事申し上げたのだろうか」
とご機嫌が悪いが、
「気を持たせるようにしてお帰し申すのは、たいそう不都合でございましょう」
と言って、無理に工夫をめぐらして、お入れ申し上げる。お見舞いの言葉などを申し上げなさって、
「ただここまでお出ください、几帳越しにでも。まったく昔のけしからぬ心などは、無くなったのですから」
と、切々と訴え申し上げなさるので、ひどく溜息をつきながらいざり出ていらっしゃった。
「案の定だ。やはり、すぐに靡くところは」
と、一方ではお思いになる。お互いに、知らないではない相手の身動きなので、感慨も浅からぬものがある。東の対だったのだ。辰巳の方の廂の間にお座りいただいて、御障子の端だけは固くとめてあるので、
「とても若い者のような心地がしますね。あれからの年月の数をも、間違いなく数えられるほど思い続けているのに、このように知らないふりをなさるのは、たいそう辛いことです」
とお恨み申し上げなさる。
[7-5 朧月夜と一夜を過ごす]
夜はたいそう更けて行く。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声々などが、しみじみと聞こえて、ひっそりと人の少ない宮邸の中の様子を、「こうも変わってしまう世の中だな」とお思い続けると、平中の真似ではないが、ほんとうに涙が出てしまう。昔に変わって、落ち着いて申し上げなさる一方で、「この隔てをこのままでいられようか」と、引き動かしなさる。
「長の年月を隔ててやっとお逢いできたのに
このような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます」
女、
「涙だけは関の清水のように堰き止めがたくあふれても
お逢いする道はとっくに絶え果てました」
などとまったくお受け付けにならないが、昔をお思い出しなさると、
「誰のせいで、あのような大変なことが起こり世の騷ぎもあったのか、この自分のせいではなかったか」とお思い出しなさると、「なるほど、もう一度会ってもいい事だ」
と、気弱におなりになるのも、もともと重々しい所がおありでなかった方で、この何年かは、あれこれと愛情の問題も分かるようになり、過去を悔やまれて、公事につけ私事につけ、数えきれないほど物思いが重なって、とてもたいそう自重してお過ごしなさって来たのだが、昔が思い出されるご対面に、その当時の事もそう遠くない心地がして、いつまでも気強い態度をおとりになれない。
昔に変わらず、洗練されて、若々しく魅力的で、並々でない世間への遠慮も思慕も、思い乱れて、溜息がちでいらっしゃるご様子など、今初めて逢った以上に新鮮で心が動いて、夜が明けて行くのもまことに残念に思われて、お帰りになる気もしない。
[7-6 源氏、和歌を詠み交して出る]
朝ぼらけの美しい空に、百千鳥の声がとてもうららかに囀っている。花はみな散り終わって、その後に霞のかかった梢が浅緑の木立に、「昔、藤の宴をなさったのは、今頃の季節であったな」とお思い出される、あれからずいぶん歳月の過ぎ去った事も、その当時の事も、次から次へとしみじみと思い出される。
中納言の君、お見送り申し上げるために、妻戸を押し開けたが、立ち戻りなさって、
「この藤の花よ。どうしてこのように美しく染め出して咲いているのか。やはり、何とも言えない風情のある色あいだな。どうして、この花蔭を離れることができようか」
と、どうしても帰りにくそうにためらっていらっしゃった。
築山の端からさし昇ってくる朝日の明るい光に映えて、目も眩むように美しいお姿が、年とともにこの上なくご立派におなりになったご様子などを、久し振りに拝見するのは、いよいよ世の常の人とは思われない気がするので、
「ご一緒になって、どうしてお暮らしにならなかったのだろうか。御宮仕えにも限度があって、特別のご身分になられることもなかったのに。故宮が、万事にお心を尽くしなさって、けしからぬ世の騷ぎが起こって、軽々しいお噂まで立って、それきりになってしまったことだわ」
などと思い出される。尽きない思いが多く残っているだろうお話の終わりは、なるほど後を続けたいものであろうが、御身を、お心のままにおできになれず、大勢の人目に触れることもたいそう恐ろしく遠慮もされるので、だんだん日が上って行くので、気がせかれて、廊の戸に御車をつけ寄せた供人たちも、そっと催促申し上げる。
人を呼んで、あの咲きかかっている藤の花、一枝折らさせなさった。
「須磨に沈んで暮らしていたことを忘れないが
また懲りもせずにこの家の藤の花に、淵に身を投げてしまいたい」
とてもひどく思い悩んでいらっしゃって、物に寄り掛かっていらっしゃるのを、お気の毒に拝し上げる。
女君も、今さらにとても遠慮されて、いろいろと思い乱れていらっしゃるが、藤の花は、やはり慕わしくて、
「身を投げようとおっしゃる淵も本当の淵ではないのですから
性懲りもなくそんな偽りの波に誘われたりしません」
とても若々しいお振る舞いを、ご自分ながらも良くないこととお思いになりながら、関守が固くないのに気を許してか、たいそうよく後の逢瀬を約束してお帰りになる。
その昔も、誰にも勝ってご執心でいらっしゃったご愛情であるが、わずかの契りで終わってしまったお二人の仲なので、どうして愛情の浅いことがあろうか。
[7-7 源氏、自邸に帰る]
たいそう人目を忍んで入って来られたその寝乱れ髪の様子を待ち受けて、女君、そんなことだろうと、お悟りになっていたが、気づかないふりをしていらっしゃる。なまじやきもちを焼いたりなどなさるよりも、お気の毒で、「どうして、このように見放していられるのだろうか」と思わずにはいらっしゃれないので、以前よりもいっそう強い愛情を、永遠に変わらないことをお誓い申し上げなさる。
尚侍の君の御事も、他に漏らしてよいことではないが、昔のこともご存知でいらっしゃるので、ありのままではないが、
「物越しに、ほんのちょっとお会いしましたので、物足りない気が致しています。何とか人に見咎められないように秘密にして、もう一度だけでも」
と、打ち明けて申し上げなさる。軽く笑って、
「ずいぶん若返ったご様子ですこと。昔の恋を今さらむし返しなさるので、どっちつかずのよるべのないわたしには辛くて」
とおっしゃって、そうはいうものの涙ぐんでいらっしゃる目もとが、とてもおいたわしく見えるので、
「このようにご機嫌の悪いご様子が辛いことです。いっそ素直に抓るなりなさって、叱ってください。他人行儀に思うこともおっしゃらないふうには、今までお仕向けしてこなかったのに、心外なお気持ちになってしまわれたお心ですね」
とおっしゃって、いろいろとご機嫌をお取りになるうちに、何もかも残らず白状なさってしまったようである。
宮の御方にも、すぐにはお行きになることができずに、あれこれとおなだめ申してお過ごしになる。姫宮は、何ともお思いにならないが、ご後見人たちはご不満申し上げてるのであった。うるさいお方と思われなさるようなことであったら、あちらもこちら以上にお気の毒なはずだが、おっとりとしてかわいらしいお相手のようにお思い申し上げていらっしゃった。
8 紫の上の物語 紫の上の境遇と絶望感
[8-1 明石姫君、懐妊して退出]
桐壷の御方は、ずっと長いこと退出なさっていない。御暇が出そうにもないので、今までお気楽に過ごして来られたお若い年頃の方ゆえ、とても辛くばかり思っていらっしゃった。
夏のころ、ご気分がすぐれなくいらっしゃったのを、すぐにもお許し申し上げなさらないので、とても困ったこことお思いになる。ご懐妊のご様子だったのである。まだとても若すぎるご様子なので、たいそう恐ろしいことと、どなたもどなたもお思いのようである。やっとのことでご退出なさった。
姫宮がいらっしゃる寝殿の東側に、お部屋は設営してある。明石の御方、今は女御の御方に付き添って、参内し退出なさるのも、申し分ないご運勢である。
[8-2 紫の上、女三の宮に挨拶を申し出る]
対の上が、こちらにおいでになって、お会いなさるついでに、
「姫宮にも、中の戸を開けてご挨拶申し上げましょう。前々からそのように思っていましたが、機会がなくては遠慮されますが、このような機会にご挨拶申し上げ、お近づきになれましたら、気が楽になるでしょう」
と、大殿に申し上げると、ほほ笑んで、
「それは望みどおりのお付き合いというものだ。とても子供子供していらっしゃるようだから、心配のないようにお教え上げてください」
と、お許し申し上げなさる。姫宮よりも、明石の君が気の張る様子で控えているだろうことをお思いになると、御髪を洗い身づくろいしていらっしゃる、世にまたとあるまいとお見えになった。
大殿は、宮の御方においでになって、
「夕方、あちらの対にいます人が、淑景舎の御方にお目にかかろう出て参ります。その機会に、お近づき申し上げたいように申しておりますようなので、お許しになって会ってください。気立てなどはとてもよい方です。まだ若々しくて、お遊び相手として不似合いでなく思われます」
などと、申し上げなさる。
「さぞきまりの悪いことでしょうね。何をお話し申し上げたらよいのでしょう」
と、おっとりとおっしゃる。
「お返事は、あちらの言うことに応じて考えつかれるのがよいでしょう。他人行儀なおあしらいはなさいますな」
と、こまごまとお教え申し上げなさる。「二人が仲好くきちんとお暮らしになって欲しい」とお思いになる。
あまりに無邪気なご様子を見られてしまっても、きまり悪く面白くないが、あのようにおっしゃるお気持ちを、「止めだてするのも感心しない」と、お思いになるのであった。
[8-3 紫の上の手習い歌]
対の上におかれては、このようにご挨拶にお出向きなさるものの、
「自分より上の人があるだろうか。わが身の頼りない身の上を、見出され申しただけのことなのだわ」
などと、つい思い続けずにはいらっしゃれなくて、物思いに沈んでいらっしゃる。手習いなどをするにも、自然と古歌も、物思いの歌だけが筆先に出てくるので、「それでは、わたしには思い悩むことがあったのだわ」と、自分ながら気づかされる。
院、お渡りになって、宮、女御の君などのご様子などを、「かわいらしくていらっしゃるものだ」と、それぞれを拝見なさったそのお目で御覧になると、長年連れ添っていらした人が、世間並の器量であったなら、とてもこうも驚くはずもないのに、「やはり、二人といない方だ」と御覧になる。世間にありそうもないお美しさである。
どこからどこまでも、気品高く立派に整っていらっしゃる上に、はなやかに現代風で、照り映えるような美しさと優雅さとを、何もかも兼ね備え、素晴らしい女盛りにお見えになる。去年より今年が素晴らしく、昨日よりは今日が目新しく、いつも新鮮なご様子でいらっしゃるのを、「どうしてこんなにも美しく生まれつかれたのか」とお思いになる。
気を許してお書きになった御手習いを、硯の下にさし隠しなさっていたが、見つけなさって、繰り返して御覧になる。筆跡などの、特別に上手とも見えないが、行き届いてかわいらしい感じにお書きになっていた。
「身近に秋が来たのかしら、見ているうちに
青葉の山のあなたも心の色が変わってきたことです」
とある所に、目をお止めになって、
「水鳥の青い羽のわたしの心の色は変わらないのに
萩の下葉のあなたの様子は変わっています」
などと書き加えながら手習いに心をやりなさる。何かにつけて、おいたわしいご様子が、自然に漏れて見えるのを、何でもないふうに隠していらっしゃるのも、またと得がたい殊勝な方だと思わずにはいらっしゃれない。
今夜は、どちらの方にも行かなくてよさそうなので、あの忍び所に、実にどうしようもなくて、お出かけになるのであった。「とんでもないけしからぬ事」と、ひどく自制なさるのだが、どうすることもできないのであった。
[8-4 紫の上、女三の宮と対面]
東宮の御方は、実の母君よりも、この御方を親しいお方と思ってお頼り申し上げていらっしゃった。たいそうかわいらしげに一段と大人らしくおなりになったのを、実の子のように、いとしいとお思い申し上げなさる。
お話などを、とてもうちとけてお互いに話し合われてから、中の戸を開けて、宮にもお会いになった。
ただもう子供っぽくばかりお見えになるので、気安く感じられて、年輩者らしく母親のような態度で、親たちのお血筋をお話し申し上げなさる。中納言の乳母という人を召し出して、
「同じ血筋の繋がりをお尋ね申し上げてゆくと、恐れ多いことですが、切っても切れない御縁とは拝し上げながら、その機会もなく失礼致しておりましたが、今からはお心おきなく、あちらの方にもおいでくださって、行き届かない点がありましたら、ご注意くださるなどしていただけましたら、嬉しゅうございましょう」
などとおっしゃると、
「頼みとなさっていた方々に、それぞれお別れ申されて、心細そうでいらっしゃいますので、このようなお言葉を戴きますと、この上なくありがたく存じられます。御出家あそばされた院の上の御意向も、ただこのように他人扱いなさらずに、まだ子供っぽいご様子を、お育て申し上げて戴きたくございましたようでした。内々の話にも、そのようにお頼み申していらっしゃいました」
などと申し上げる。
「まことに恐れ多いお手紙を頂戴してから後は、是非にお力になりたいとばかり存じておりましたが、何事につけても、人数に入らない我が身が残念に思われます」
と、穏やかに大人びた様子で、宮にも、お気に入りなさるように、絵などのこと、お人形遊びの楽しいことを、若々しく申し上げなさるので、「なるほど、ほんとうに若々しく気立てのよい方だわ」と、子供心にうちとけなさった。
[8-5 世間の噂、静まる]
それから後は、いつもお手紙のやりとりなどをなさって、おもしろい遊び事がある折につけても、別け隔てせずお便りをやりとりなさる。世の中の人も、おせっかいなことに、これほどの地位になった方々のことは、とかく噂したがるものなので、初めのうちは、
「対の上は、どのようにお思いだろう。ご寵愛は、とても今までのようにはおありであるまい。少しは落ちるだろう」
などと言っていたが、以前よりも深い愛情、こうなってから一段と勝った様子なので、それにつけても、また事ありげに言う人々もいたが、このように仲睦まじいまでに交際なさっているので、噂も変わって、無難におさまっていたのである。
9 光る源氏の物語 紫の上と秋好中宮、源氏の四十賀を祝う
[9-1 紫の上、薬師仏供養]
神無月に、対の上は、院の四十の御賀のために、嵯峨野の御堂で、薬師仏をご供養申し上げなさる。盛大になることは、切にご禁じ申されていたので、目立たないようにとお考えになっていた。
仏像、経箱、帙簀の整っていること、真の極楽のように思われる。最勝王経、金剛般若経、寿命経など、たいそう盛大なお祈りである。上達部がたいへん大勢参上なさった。
御堂の様子、素晴らしく何とも言いようがなく、紅葉の蔭を分けて行く野辺の辺りから始まって、見頃の景色なので、半ばはそれで競ってお集まりになったのであろう。
一面に霜枯れしている野原のまにまに、馬や牛車が行き違う音がしきりに響いていた。御誦経を、我も我もと御方々がご立派におさせになる。
[9-2 精進落としの宴]
二十三日を御精進落しの日として、こちらの院は、このように隙間もなく大勢集っていらっしゃるので、ご自分の私的邸宅とお思いの二条院で、そのご用意をおさせになる。ご装束をはじめとして、一般の事柄もすべてこちらでばかりなさる。他の御方々も適当な事を分担しいしい、進んでお仕えなさる。
東西の対は、女房たちの局にしていたのを片付けて、殿上人、諸大夫、院司、下人までの饗応の席を、盛大に設けさせなさっている。
寝殿の放出を例のように飾って、螺鈿の椅子を立ててある。
御殿の西の間に、ご衣装の机を十二立てて、夏冬のご衣装、御夜具など、しきたりによって、紫の綾の覆いの数々が整然と掛けられていて、中の様子ははっきりしない。
御前に置物の机を二脚、唐の地の裾濃の覆いをしてある。挿頭の台は沈の花足、黄金の鳥が、銀の枝に止まっている工夫など、淑景舎のご担当で、明石の御方がお作らせになったものだが、趣味深くて格別である。
背後の御屏風の四帖は、式部卿宮がお作らせになったものであった。たいそう善美を尽くして、おきまりの四季の絵であるが、目新しい山水、潭など、見なれず興味深い。北の壁に沿って、置物の御厨子、二具立てて、御調度類はしきたりどおりである。
南の廂の間に、上達部、左右の大臣、式部卿宮をおはじめ申して、ましてそれ以下の人々で参上なさらない人はいない。舞台の左右に、楽人の平張りを作り、東西に屯食を八十具、禄の唐櫃を四十ずつ続けて立ててある。
[9-3 舞楽を演奏す]
未の刻ごろに楽人が参る。「万歳楽」、「皇じょう」などを舞って、日が暮れるころ、高麗楽の乱声をして、「落蹲」が舞い出たところは、やはり常には見ない舞の様子なので、舞い終わるころに、権中納言や、衛門督が庭に下りて、「入綾」を少し舞って、紅葉の蔭に入ったその後の気持ちは、いつまでも面白いとご一同お思いである。
昔の朱雀院の行幸に、「青海波」が見事であった夕べ、お思い出しになる方々は、権中納言と、衛門督とが、また負けず跡をお継ぎになっていらっしゃるのが、代々の世評や様子、器量、態度なども少しも負けず、官位は少し昇進さえしていらっしゃるなどと、年齢まで数えて、「やはり、前世の因縁で、昔からこのように代々並び合うご両家の間柄なのだ」と、素晴らしく思う。
主人の院も、しみじみと涙ぐんで、自然と思い出される事柄が多かった。
[9-4 宴の後の寂寥]
夜に入って、楽人たちが退出する。北の対の政所の別当連中は、下男どもを引き連れて、禄の唐櫃の側に立って、一つずつ取り出して、順々に与えなさる。白い衣類をそれぞれが肩に懸けて、築山の側から池の堤を通り過ぎて行くのを横から眺めると、千歳の寿をもって遊ぶ鶴の白い毛衣に見間違えるほどである。
管弦の御遊びが始まって、これもまた素晴らしい。御琴類は、東宮から御準備あそばしたものであった。朱雀院からお譲りのあった琵琶、琴。帝から頂戴なさった箏の御琴など、すべて昔を思い出させる音色で、久しぶりに合奏なさると、どの演奏の時にも、昔のご様子や、宮中あたりのことなどが自然とお思い出される。
「亡き入道の宮が生きていらっしゃったら、このような御賀など、自分が進んでお仕え申したであろうに。何をすることによって、わたしの気持ちを分かって戴けただろうか」
と、ただただ恨めしく残念にばかりお思い申し上げなさる。
帝におかせられても、亡き母宮のおいであそばさないことを、何事につけても張り合いがなく物足りなくお思いなされるので、せめてこの院の御賀の事だけでも、きまったとおりの礼儀を十分に尽くしてさし上げることができないのを、何かにつけ常に物足りないお気持ちでいらっしゃるので、今年はこの四十の御賀にかこつけて、行幸などもあるようにお考えでいらっしゃったが、
「世の中の迷惑になるようなことは、絶対になさらぬように」
とご辞退申し上げなさること、再々になったので、残念ながらお思い止まりなさった。
[9-5 秋好中宮の奈良・京の御寺に祈祷]
十二月の二十日過ぎのころに、中宮が御退出あそばして、今年の残りの御祈祷に、奈良の京の七大寺に、御誦経のため、布を四千反、この平安京の四十寺に、絹を四百疋分けてお納めあそばす。
ありがたいお世話をご存知でありながら、どのような機会にか、深い感謝の気持ちを表して御覧に入れようとお思いなさって、父宮と、母御息所とがご存命ならばきっとして差し上げただろう感謝の気持ちも添えてお思いになったのだが、このように無理に、帝に対してもご辞退申し上げていらっしゃっるので、ご計画の多くを中止なさった。
「四十の賀ということは、先例を聞きましても、残りの寿命が長い例が少なかったが、今回は、やはり、世間の騷ぎになることをお止めあそばして、ほんとうに後に寿命を保った時に祝ってください」
とあったが、公的催しとなって、やはりたいそう盛大になったのであった。
[9-6 中宮主催の饗宴]
宮のいらっしゃる町の寝殿に、御準備などをして、前のと特に変わらず、上達部の禄など、大饗に準じて、親王たちには特に女装束、非参議の四位、廷臣たちなどの、普通の殿上人には、白い細長を一襲と、腰差などまで、次々とお与えになる。
装束はこの上なく善美を尽くして、有名な帯や、御佩刀など、故前坊のお形見として御相続なさっているのも、また感慨に堪えないことである。古来第一の宝物として有名な物は、すべて集まって参るような御賀のようである。昔物語にも、引出物を与えることを、たいしたこととして一つ一つ数え上げているようであるが、これはとても煩わしいので、ご立派な方々のご贈答の数々は、とても数え上げることができない。
[9-7 勅命による夕霧の饗宴]
帝におかせられては、お思い立ちあそばした事柄を、やすやすとは中止できまいとお思いになって、中納言に御依頼あそばした。そのころの右大将が、病気になって職をお退きになったので、この中納言に、御賀に際して喜びを加えてやろうとお思いあそばして、急に右大将におさせあそばした。
院もお礼申し上げなさるものの、
「とても、このような、急に身に余る昇進は、早すぎる気が致します」
とご謙遜申し上げなさる。
丑寅の町に、ご準備を整えなさって、目立たないようになさったが、今日は、やはり儀式の様子も格別で、あちらこちらでの饗応なども、内蔵寮や、穀倉院から、ご奉仕させなさっていた。
屯食などは、公式的な作り方で、頭中将が宣旨を承って、親王たち五人、左右の大臣、大納言が二人、中納言が三人、参議が五人で、殿上人は、例によって、内裏のも、東宮のも、院のも、残る人は少ない。
お座席、ご調度類などは、太政大臣が詳細に勅旨を承って、ご準備なさっていた。今日は、勅命があって、いらっしゃっていた。院も、たいそう恐縮申されて、お座席にご着席になった。
母屋のお座席に向かい合って、大臣のお座席がある。たいそう美々しく堂々と太って、この大臣は、今が盛りの威厳があるようにお見えである。
主人の院は、今もなお若々しい源氏の君とお見えである。御屏風四帖に、帝が御自身でお書きあそばした唐の綾の薄毯の地に、下絵の様子など、尋常一様であるはずがない。美しい春秋の作り絵などよりも、この御屏風のお筆の跡の輝く様子は、目も眩む思いがし、御宸筆と思うせいでいっそう素晴らしかったのであった。
置物の御厨子、絃楽器、管楽器など、蔵人所から頂戴なさった。右大将のご威勢も、たいそう堂々たる者におなりになったので、それも加わって、今日の儀式はまことに格別である。御馬四十疋、左右の馬寮、六衛府の官人が、上の者から順々に馬を引き並べるうちに、日がすっかり暮れた。
[9-8 舞楽を演奏す]
例によって、「万歳楽」「賀皇恩」などという舞、形ばかり舞って、太政大臣がおいでになっているので、珍しく湧き立った管弦の御遊に、参会者一同、熱中して演奏していらっしゃった。琵琶は、例によって兵部卿宮、どのような事でも世にも稀な名人でいらっしゃって、二人といない出来である。院の御前に琴の御琴。太政大臣、和琴をお弾きになる。
長年幾度となくお聞きになってきたお耳のせいか、まことに優美にしみじみと感慨深くお感じになって、ご自身の琴の秘術も少しもお隠しにならず、素晴らしい音色を奏でる。
昔のお話なども出てきて、今は今で、このような親しいお間柄で、どちらからいっても、仲よくお付き合いなさるはずの親しいご交際などを、気持ちよくお話し申されて、お杯を幾度もお傾けになって、音楽の感興も増す一方で、酔いの余りの感涙を抑えかねていらっしゃる。
御贈り物として見事な和琴を一つ、お好きでいらっしゃる高麗笛を加えて。紫檀の箱一具に、唐の手本とわが国の草仮名の手本などを入れて。お車まで追いかけて差し上げなさる。御馬を受け取って、右馬寮の官人たちが、高麗の楽を演奏して、大声を上げる。六衛府の官人の禄など、大将がお与えになる。
ご意向から簡素になさって、仰々しいことは、今回はご中止なさったが、帝、東宮、一の院、后の宮、次から次へと御縁者の堂々たることは、筆舌に尽くしがたいことなので、やはりこのような晴れの賀宴の折には、素晴らしく思われるのであった。
[9-9 饗宴の後の感懐]
大将が、ただ一人りいらっしゃるのを、物足りなく張り合いのない感じがしたが、大勢の人々に抜きん出て、評判も格別で、人柄も並ぶ者がないように優れていらっしゃるにつけても、あの母北の方が、伊勢の御息所との確執が深く、互いに争いなさったご運命の結果が現れたのが、それぞれの違いだったのである。
その当日のご装束類は、こちらの御方がご用意なさったのであった。禄などの一通りのことは、三条の北の方がご準備なさったようであった。何かの折節につけたお催し事、内輪の善美事をも、こちらはただ他所事とばかり聞き過していらっしゃるので、どのような事をして、このような堂々たる方々のお仲間入りなされようかと、お思いであったのだが、大将の君のご縁で、まことに立派に重んじられていらっしゃった。
10 明石の物語 男御子誕生
[10-1 明石女御、産期近づく]
年が改まった。桐壷の御方の御出産が近づきなさったことによって、正月上旬から、御修法を不断におさせになる。多くの寺々、神社神社の御祈祷は、これまた数えきれないほどである。大殿の君は、不吉なことをご経験なさったことがあるので、このような時のことは、たいそう恐ろしいものと心底から思っていらっしゃるので、対の上などがそのようなことがおありでなかったのは、残念に物足りなく思うものの、一方では嬉しく思わずにはいらっしゃれないので、まだとてもお小さいお年頃なので、どんなことにおなりかと、前々からご心配であったが、二月ごろから、妙にご容態が変わってお苦しみなさるので、どなたもご心痛のようである。
陰陽師たちも、お住まいを変えてお大事になさるのがよいと申したので、他のかけ離れた所は気がかりであると思って、あの明石の御町の中の対にお移し申し上げなさる。こちらは、ただ大きい対の屋が二棟だけあって、幾つもの渡廊などが周囲を廻っていたが、御修法の壇を隙間なく塗り固めて、たいそう霊験ある修験者たちが集まって、大声を上げて祈願する。
母君は、この時に自分の御運もはっきりするだろうことなので、たいそう気が気でない思いでいらっしゃる。
[10-2 大尼君、孫の女御に昔を語る]
あの大尼君も、今ではすっかりもうろくした人になったのであろう。このご様子を拝見するのは、夢のような心地がして、早速お側に上がり、親しくお付き添い申す。
今まで、この母君はこのようにお付き添いなさっていたが、昔のことなどは、まともにお聞かせ申し上げなかったが、この尼君、喜びを抑えることができず、参上しては、たいそう涙っぽく、大昔のことどもを震え声を出しては度々お話し申し上げる。
初めのころは、妙にうるさい人だと、じっと顔を見つめていらっしゃったが、このような人がいるという程度には、うすうす聞いていらっしゃったので、やさしくお相手なさっていた。
お生まれになったころのこと、大殿の君があの浦にいらっしゃった様子、
「もうお別れとばかり都へ上京なさった時、皆が皆、気が動転して、これが最後と、これだけの御縁であったのだと嘆いていましたが、若君がお生まれになってお助けくださった御運が、ほんとうに身にしみて感じられますこと」
とぼろぼろと涙をこぼして泣くので、
「なるほど、大変であった当時のことを、このように聞かせてくださらなかったら、知らずに過ごしてしまったにちがいないことだわ」
とお思いになって、涙をお漏らしになる。心の中では、
「わが身は、なるほど大きな顔をして栄華をきわめるような身分ではなかったのに、対の上のご養育のお蔭で立派になって、世間の人の思惑なども、悪くはなかったのだわ。傍輩の女御更衣たちをまったく問題にもせず、すっかり思い上がっていたものだわ。世間の人は、蔭で噂することもあったであろうよ」
などと、すっかりお分りになった。
母君を、もともとこのように少し身分が低い家柄とは知っていたが、お生まれになったときの状況などを、あのような都から遠く離れた田舎だなどとはご存知なかったのである。実にあまりにおっとりし過ぎていらっしゃるせいであろう。変に頼りないお話であったこと。
あの入道が、今では仙人のように、とてもこの世ではないような暮らしぶりでいるとの話をお聞きになるにつけても、お気の毒ななどと、あれやこれやとお心をお痛めになった。
[10-3 明石御方、母尼君をたしなめる]
たいそう物思いに沈んでいらっしゃるところに、御方がお上がりになって、日中の御加持に、あちらこちらから参まって来て、大声を立てて祈祷していたが、御前に特に女房たちも伺候していず、尼君、得意顔にたいそう身近にお付きしていらっしゃる。
「まあ、見苦しいこと。短い御几帳をお側に置いてこそ、お付きなさいませ。風などが強くて、自然と隙間もできましょうに。医師のようにして。ほんとうに盛りを過ぎていらっしゃること」
などと、はらはらしていらっしゃった。十分気を付けて振る舞っていると、思っているらしいけれども、老いぼれて耳もよく聞こえなかったので、「ああ」と、首をかしげていた。
実際、そう言うほどの年齢でもない。六十五、六歳ぐらいである。尼姿、たいそうこざっぱりと、気品がある様子で、目がきらきらと涙で泣きはらした様子が、妙に昔を思い出しているようなので、胸がどきりとして、
「古めかしいわけのわからないお話でも、ございましたのでしょう。よく、この世にはありそうもない記憶違いのことを交えては、妙な昔話もあれこれとお話し申し上げたことでしょうよ。夢のような心地がします」
と、ちょっと苦笑して拝見なさると、たいそう優雅でお美しくて、いつもよりひどく落ち着いていらして、物思いに沈んでいるようにお見えになる。自分が生んだ子ともお見えにならないほど、恐れ多い方なので、
「お気の毒なことを申し上げなさったので、お悩みになっていらっしゃるのだろうか。もうこれ以上ない最高のお地位におつきになった時に、お話し申し上げようと思っていたのに、残念にも自信をおなくしになる程のことではないが、さぞやお気の毒にがっかりしていられることだろう」
とご心配なさる。
[10-4 明石女三代の和歌唱和]
御加持が終わって退出したので、果物など近くにさし上げ、「せめてこれだけでもお召し上がりください」と、たいそうおいたわしく思い申し上げなさる。
尼君は、とても立派でかわいらしいと拝見するにつけても、涙を止めることができない。顔は笑って、口もとなどはみっともなく広がっているが、目のあたりは涙に濡れて、泣き顔していた。
「まあ、みっともない」
と、目くばせするが、かまいつけない。
「長生きした甲斐があると嬉し涙に泣いているからと言って
誰が出家した老人のわたしを咎めたりしましょうか
昔の時代にも、このような老人は、大目に見てもらえるものでございます」
と申し上げる。御硯箱にある紙に、
「泣いていらっしゃる尼君に道案内しいただいて
訪ねてみたいものです、生まれ故郷の浜辺を」
御方も我慢なされずに、つい泣いておしまいになった。
「出家して明石の浦に住んでいる父入道も
子を思う心の闇は晴れることもないでしょう」
などと申し上げて、涙をお隠しになる。別れたという暁のことを、少しも覚えていらっしゃらないのを、「残念なことだった」とお思いになる。
[10-5 3月10日過ぎに男御子誕生]
三月の十何日のころに、無事にお生まれになった。前々は仰々しく大騒ぎしていたのだが、ひどくお苦しみになることもなくて、男の御子でさえいらっしゃったので、際限もなく望みどおりだったので、大殿もご安心なさった。
こちらは裏側に当たっていて、端近な所であるが、盛大な御産養などがひき続き、騷ぎの仰々しい様子は、なるほど「価値ある浦」と、尼君のためには見えたが、威儀も整わないようなので、お移りになることになる。
対の上もいらっしゃった。白い御装束をお着けになって、まるで親のようにして、若宮をしっかりと抱いていらっしゃる様子、たいそう素晴らしい。ご自身ではこのようなことはご経験もないし、他人のことでも御覧になったことがないので、とても珍しくかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。まだお扱いにくそうでいらっしゃる時なのを、しじゅうお抱きになっていらっしゃるので、実の祖母君は、ただお任せ申して、お湯殿のお世話などをなさる。
東宮の宣旨である典侍がお湯殿に奉仕する。御迎湯の役を、ご自身がなさるのも大変に胸をうつことで、内々の事情も少しは知っているので、 「少しでも欠点があれば、お気の毒であったろうに、驚くほど気品があり、なるほど、このような前世からの約束事があったお方なのだわ」
と拝見する。この時の儀式の様子などを、そっくりそのまま語り伝えるのも、まったく今さららしく思われるよ。
[10-6 帝の七夜の産養]
六日目という日に、いつもの御殿にお移りになった。七日の夜に、内裏からも御産養がある。
朱雀院が、このように御出家あそばされいるお代わりであろうか、蔵人所から、頭弁が、宣旨を承って、例のないほど立派にご奉仕した。禄の衣装など、また中宮の御方からも、公事のきまり以上に、盛大におさせあそばす。次々の親王方、大臣の家々、その当時のもっぱらの仕事にして、われもわれもと、善美を尽くしてご奉仕なさる。
大殿の君も、この時の儀式はいつものように簡略になさらずに、世に例のないほど大仰な騷ぎで、内輪の優美で繊細な優雅さの、そのままお伝えしなければならない点は、目も止まらずに終わってしまったのであった。大殿の君も、若宮をすぐにお抱き申し上げなさって、
「大将が大勢子供を儲けているそうだが、今まで見せないのが恨めしいが、このようにかわいらしい子をお授かり申したことよ」
と、おかわいがり申し上げなさるのは、無理もないことであるよ。
日に日に、物を引き伸ばすようご成長なさっていく。御乳母など、気心の知れないのは急いでお召しにならず、伺候している者の中から、家柄、嗜みのある人ばかりを選んで、お仕えさせなさる。
[10-7 紫の上と明石御方の仲]
御方のお心構えが、気が利いていて気品があって、おっとりしているものの、しかるべき時には謙遜して、小憎らしくわがもの顔に振る舞ったりしないことなどを、誉めない人はいない。
対の上は、改まった形というのではないが、時々お会いなさって、あれほど許せないと思っていらっしゃったが、今では、若宮のお蔭で、たいそう仲好く、大切な方と思うようにおなりになっていた。子供をおかわいがりになるご性格で、天児などを、ご自身でお作りになり忙しそうにしていらっしゃるのも、たいそう若々しい。毎日このお世話で日を暮していらっしゃる。
あの年寄の尼君は、若君をゆっくりと拝見できないことを、残念に思っているのであった。なまじ拝見したために、またお目にかかりたく思って、死ぬほど切ない思いをしているようである。
11 明石の物語 入道の手紙
[11-1 明石入道、手紙を贈る]
あの明石でも、このようなお話を伝え聞いて、そうした出家心にも、たいそう嬉しく思われたので、
「今は、この世から心安らかな気持ちで離れて行くことができよう」
と弟子たちに言って、この家を寺にして、周辺の田などといったものは、みなその寺の所領にすることにして、この国の奥の郡で、人も行かないような深い山があるのを、かねてより所有していたのを、あそこに籠もった後は、再び人に見られることもあるまいと考えて、ほんの少し気がかりなことが残っていたので、今までとどまっていたが、今はもう大丈夫と、仏神をお頼み申して移ったのであった。
最近の数年間は、都に特別の事でなくては、使いを差し上げることもしなかった。都からお下しになる使者ぐらいには言づけて、ほんの一行の便りなりと、尼君はしかるべき折のお返事をするのであった。俗世を離れる最後に、手紙を書いて、御方に差し上げなさった。
[11-2 入道の手紙]
「ここ数年というものは、同じこの世に生きておりましたが、何のかのと、生きながら別世界に生まれ変わったように考えることに致しまして、格別変わった事がない限りは、お手紙を差し上げたり戴いたりしないでおります。
仮名の手紙を拝見するのは、時間がかかって、念仏も怠けるようで、無益と考えて、お手紙を差し上げませんでしたが、人伝てに承りますと、若君は東宮に御入内なさって、男宮がご誕生なさったとのこと、心からお喜び申し上げております。
そのわけは、わたし自身このような取るに足りない山伏の身で、今さらこの世での栄達を願うのではございません。過ぎ去った昔の何年かの間、未練がましく、六時の勤めにも、ただあなたの御事を心にかけ続けて、自分の極楽往生の願いはさしおいて願ってきました。
あなたがお生まれになろうとした、その年の二月の某日の夜の夢に見たことは、
『自分は須弥山を右手に捧げ持っていた。その山の左右から、月の光と日の光とが明るくさし出して世の中を照らす。自分自身は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。山を広い海の上に浮かべ置いて、小さい舟に乗って、西の方角を指して漕いで行く』
と見ました。
夢から覚めて、その朝から物の数でもないわが身にも期待する所が出て来ましたが、どのようなことにつけてか、そのような大変な幸運を待ち受けることができようかと、心中に思っておりましたが、そのころからあなたが孕まれなさって以来今まで、仏典以外の書物を見ましても、また仏典の真意を求めました中にも、夢を信じるべきことが多くございましたので、賎しい身ながらも、恐れ多く大切にお育て申し上げましたが、力の及ばない身に思案にあまって、このような田舎に下ったでした。
するとまた、この国で沈淪しまして、老の身で都に二度と帰るまいと諦めをつけて、この浦に何年もおりましたその間も、あなたに期待をおかけ申していましたので、自分一人で数多くの願を立てました。そのお礼参りが、無事にできるような願いどおりの運勢に巡り合われたのです。
若君が、国母とおなりになって、願いが叶いなさったあかつきには、住吉の御社をはじめとして、お礼参りをなさい。まったく何を疑うことがありましょうか。
この一つの願いが、近い将来に叶うことになったので、遥か西方の、十万億土を隔てた極楽の九品の蓮台の上の往生の願いも確実になりましたので、今はただ阿彌陀の来迎を待っておりますだけで、その夕べまで、水も草も清らかな山の奥で勤行しましょうと思って、入山致しました。
日の出近い暁となったことよ
今初めて昔見た夢の話をするのです」
とあって、月日が書いてある。
[11-3 手紙の追伸]
「寿命の尽きる月日を、決してお心にかけてなさいますな。昔から皆が染めておいた喪服なども、お召しなさるな。ただ自分は神仏の権化とお思いになって、この老僧のためには冥福をお祈り下さい。現世の楽しみを味わうにつけても、来世をお忘れなさるな。
願っております極楽にさえ行きつけましたら、きっと再びお会いすることがございましょう。この世以外の世界に行き着いて、早く会おうとお考え下さい」
そして、あの社に立てた多くの願文類を、大きな沈の文箱に、しっかり封をして差し上げなさっていた。
尼君には、別に改めて書いてなく、ただ、
「今月の十四日に、草の庵を出て、深い山に入ります。役にも立たない身は、熊や狼に施しましょう。あなたは、やはり望みどおりの御代になるのをお見届け下さい。極楽浄土で、再びお会いすることがありましょう」
とだけある。
[11-4 使者の話]
尼君、この手紙を見て、その使いの大徳に尋ねると、
「このお手紙をお書きになって、三日目という日に、あの人跡絶えた山奥にお移りになりました。拙僧らも、そのお見送りに、麓までは参りましたが、皆お帰しになって、僧一人と、童二人をお供にお連れなさいました。今は最後とご出家なさった時に、悲しみの極みと存じましたが、さらに悲しいことが残っておりました。
長年勤行の合間合間に寄りかかりながら、掻き鳴らしていらした琴の御琴、琵琶を取り寄せなさって、少しお弾きなさっては、仏にお別れ申されて、御堂に施入なさいました。その他の物も、大抵は寄進なさって、その残りを、御弟子たち六十何人の、親しい者たちだけのお仕えしてきた者に、身分に応じて全て処分なさって、その上で残っているのを、都の方々の分としてお送り申し上げたのです。
今は最後と引き籠もり、あの遥かな山の雲霞の中にお入りになってしまわれたので、空っぽのお跡に残されて悲しく思う人々は多くございます」
などと、この大徳も、子供の時に都から下った人で、老僧となって残っているのだが、まことにしみじみと心細く思っていた。仏の御弟子の偉い聖僧でさえ、霊鷲山を十分に信じていながら、それでもやはり釈迦入滅の時の悲しみは深いものであったが、まして尼君の悲しいと思っていらっしゃることは際限がない。
[11-5 明石御方、手紙を見る]
明石御方は、南の御殿にいらっしゃったが、「このようなお手紙がありました」と、伝えて来たので、人目に立たないようにしてお越しになった。重々しく振る舞って、さしたる用件がなければ、行き来しあいなさることは難しいのだが、「悲しいことがある」と聞いて、気がかりなので、こっそりといらっしゃったところ、とてもたいそう悲しそうな様子で座っていらっしゃった。
灯火を近くに引き寄せて、この手紙を御覧になると、なるほど涙を堰き止めることができなかった。他人ならば、何とも感じないことが、まず、昔から今までのことを思い出して、恋しいとお思い続けていなさるお心には、「二度と会えずに終わってしまうのだ」と、思って御覧になると、ひどく何とも言いようがない。
涙をお止めになることもできない。この夢物語を一方では将来頼もしく思われ、
「それでは、偏屈な考えで、わたしをあんなにもとんでもない身にして不安にさまよわせなさると、一時は気持ちが迷ったこともあるが、それは、このような当てにならない夢に望みをかけて、高い理想を持っていらしたのだ」
と、やっとお分りになる。
[11-6 尼君と御方の感懐]
尼君は、長い間涙を抑えて、
「あなたのお蔭で、嬉しく光栄なことも、身に余るほどに又とない運勢だと思っております。でも、悲しく胸の晴れない思いも、人一倍多くございました。
物の数にも入らない身分ながらも、住み馴れた都を捨てて、あの国に沈淪していたのでさえ、普通の人と違った運命であると思っておりましたが、生きている間に別れ別れになり、離れて住まなければならない夫婦の縁とは思っておりませんで、同じ蓮の花の上に住むことができることに望みを託して歳月を送って来て、急にあのような思いもかけない御事が出てきて、捨てた都に帰って来ましたが、その甲斐あった御事を拝見して喜ぶものの、もう一方には、気がかりで悲しいことが付きまとって離れないのを、とうとうこのように再び会うことなく離れたまま、一生の別れとなってしまったのが残念に思われます。
在俗の時でさえ、普通の人と違った性質のため、世をすねているようでしたが、まだ若かった私たちは頼りにし合って、それぞれまたとなく深く約束し合っていたので、お互いに本当に心から頼りにしていましたのに。どのようなわけで、このような便りの通じる近い所でありながら、こうして別れてしまったのでしょう」
と言い続けて、たいそう悲しげに泣き顔をしていらっしゃる。御方もひどく泣いて、
「人より優れた将来のことなど、嬉しくありません。物の数にも入らない身には、どのようなことにつけても、晴れがましく生きがいのあるはずもないとはいうものの、悲しい行き別れの恰好で、生死の様子も分からずに終わってしまったことだけが残念です。
すべてのこと、そうした因縁がおありだった方のためと思われますが、そうして山奥に入ってしまわれたなら、人の命ははかないものですから、そのままお亡くなりになったら、何にもなりません」
と言って、一晩中、しみじみとしたお話をし合って夜を明かしなさる。
[11-7 御方、部屋に戻る]
「昨日も、大殿の君が、あちらにいると御覧になっていらっしゃったが、急に人目を避けて隠れたようなのも、軽率に見えましょう。わが身一つは、何も遠慮することはないのです。このように若宮にお付きなさっている姫君のためにお気の毒で、思いのままに身を振る舞いにくいのです」
と言って、暗いうちにお帰りになった。
「若宮はどうしていらっしゃいますか。何とかしてお目にかかれないのでしょうか」
と言ってまたも泣いた。
「すぐにお目にかかれましょう。女御の君も、とても懐かしくお思い出しになっては、お口にあそばすようです。院も、話のついでに、もし世の中が思うとおりに行ったならば、縁起でもないことを言うようだが、尼君がその時まで生き永らえていらして欲しいと、おっしゃっているようでした。どのようにお考えになってのことなのでしょうか」
とおっしゃると、再び笑い顔になって、
「さあ、それだからこそ、喜びも悲しみもまたと例のない運命なのです」
と言って喜ぶ。この文箱を持たせて女御の方の許に参上なさった。
12 明石の物語 一族の宿世
[12-1 東宮からのお召しの催促]
東宮から、早く参内なさるようにとのお召しが始終あるので、
「そのようにお思いあそばすのも、無理のないことです。おめでたいことまで加わって、どんなにか待ち遠しがっていらっしゃることでしょう」
と、紫の上もおっしゃって、若宮をこっそりと参上させようとご準備なさる。
御息所は、なかなかお暇が出ないのにお懲りになって、このような機会に、暫くお里にいたいと思っていらっしゃった。年端も行かないお身体で、あのような恐ろしいご出産をなさったので、少しお顔がお痩せになって、たいそう優美なご様子をしていらっしゃった。
「このような、まだおやつれになっていらっしゃるのですから、もう少し静養なさってからでは」
などと、御方などはお気の毒にお思い申し上げなさるが、大殿は、
「このように面痩せしてお目通りなさるのも、かえって魅力が増すものですよ」
などとおっしゃる。
[12-2 明石女御、手紙を見る]
対の上などがお帰りになった夕方、ひっそりした時に、御方は、御前に参上なさって、あの文箱のことをお聞かせ申し上げなさる。
「望み通りにおなりあそばすまでは、隠して置くべきことでございますが、この世は無常ですので、気がかりに思いまして。何事もご自分のお考えで一つ一つご判断のおできになります前に、何にせよ、わたしが亡くなるようなことがございましたら、必ずしも臨終の際に、お見取りいただける身分ではございませんので、やはり、しっかりしているうちに、ちょっとした事柄でも、お耳に入れて置いたほうがよい、と存じまして。
分りにくい変な筆跡ですが、これも御覧くださいませ。この御願文は、身近な御厨子などにお置きあそばして、きっとしかるべき機会に御覧になって、この中の事柄をお果たしください。
気心の知れない人には、お話しあそばしてはなりません。将来も確かだと拝察致しましたので、自分自身も出家しましょうと思うようになってまいりましたので、何かにつけゆっくり構えるわけにも行きません。
対の上のお心、いい加減にはお思い申されますな。実にめったにないほどでいらっしゃる、深いご親切のほどを拝見しますと、わたしよりはこの上なく、長生きして戴きたいと存じております。もともと、お側にお付き申し上げるのも、遠慮される身分でございますので、最初からお譲り申し上げていたのでしたが、とてもこうまでも、してくださるまいと、長い間、やはり世間並に考えていたのでございました。
が今では、過去も将来も、安心できる気持ちになりました」
などと、とても数多く申し上げなさる。涙ぐんで聞いていらっしゃる。このように親しくしてもよい御前でも、いつも礼儀正しい態度をなさって、無闇に遠慮している様子である。この手紙の文句、たいそう固苦しく無愛想な感じであるが、陸奥国紙で年数が経っているので、黄ばんで厚くなった五、六枚に、そうは言っても香をたいそう深く染み込ませたのにお書きになっていた。
たいそう感動なさって、御額髪がだんだん涙に濡れて行く、御横顔、上品で優美である。
[12-3 源氏、女御の部屋に来る]
院は、姫宮の御方にいらっしゃったが、中の御障子から不意にお越しになったので、手紙を引き隠すことができず、御几帳を少し引き寄せて、ご自身はやはり隠れなさった。
「若宮は、お目覚めでいらっしゃいますか。ちょっとの間も恋しいものですよ」
と申し上げなさると、御息所はお答えも申し上げなさらないので、御方が、
「対の上にお渡し申し上げなさいました」
と申し上げなさる。
「実に不都合な。あちらではこの宮を独り占め申されて、懐から少しも放さずお世話なさっては、好き好んで着物もすっかり濡らして、しきりに脱ぎ替えているようです。かるがると、どうしてお渡し申しなさるのか。こちらに来てお世話申し上げなさればよいものを」
とおっしゃると、
「まあ、いやな。思いやりのないお言葉ですこと。女宮でいらっしゃっても、あちらでお育て申し上げなさるのがよいことでございましょう。まして男宮は、どれほど尊いご身分と申し上げても、ご自由と存じ上げておりますのに。ご冗談にも、そのような分け隔てをするようなことを、変に知ったふうに申されなさいますな」
とお答え申し上げなさる。ほほ笑んで、
「お二人にお任せして、お構い申さないのがよいというのですね。分け隔てをして、このごろは、誰も彼もが除け者にして、でしゃばりだなどとおっしゃるのは、考えが足りないことです。第一、そのようにこそこそ隠れて、冷たくこき下ろしなさるようだ」
と言って、御几帳を引きのけなさると、母屋の柱に寄り掛かって、たいそう綺麗に、気が引けるほど立派な様子をしていらっしゃる。
[12-4 源氏、手紙を見る]
さきほどの文箱も、慌てて隠すのも体裁が悪いので、そのままにしておかれたのを、
「何の箱ですか。深い子細があるのでしょう。懸想人が長歌を詠んで大事に封じ込めてあるような気がしますね」
とおっしゃるので、
「まあ、いやですわ。今風に若返りなさったようなお癖で、合点のゆかないようなご冗談が、時々出て来ますこと」
と言って、ほほ笑んでいらっしゃるが、しみじみとしたご様子がはっきりと感じられるので、妙だと首を傾けていらっしゃる様子なので、厄介に思って、
「あの明石の岩屋から、内々で致しましたご祈祷の巻数、また、まだ願解きをしていないのがございましたのを、殿にもお知らせ申し上げるべき適当な機会があったら、御覧になって戴いたほうがよいのではないかと送って来たのでございますが、只今は、その時でもございませんので、何のお開けあそばすこともございますまい」
と申し上げなさると、「なるほど、泣くのも無理はない」とお思いになって、
「どんなに修業を積んでお暮らしになったことだろう。長生きをして、長年の勤行の功徳の積み重ねによって消滅した罪障も、数知れぬことだろう。世の中で、教養があり、賢明であるという方々を、それと見ても、現世の名利に執着した煩悩が深いのだろうか、学問は優れていても、実に限度があって及ばないな。
実に悟りは深く、それでいて、風情のあった人だな。聖僧のように、現世から離れている顔つきでもないのに、本心は、すっかり極楽浄土に行き来しているように、見えました。
まして、今では気にかかる係累もなく、解脱しきっているだろう。気楽に動ける身ならば、こっそりと行って、ぜひにも会いたいものだが」
とおっしゃる。
「今は、あの住んでいた所も捨てて、鳥の音も聞こえない奥山にと聞いております」
と申し上げると、
「それでは、その遺言なのですね。お手紙はやりとりなさっていますか。尼君、どんなにお思いだろうか。親子の仲よりも、また夫婦の仲は、格別に悲しみも深かろう」
とおっしゃって、涙ぐみなさっていた。
[12-5 源氏の感想]
「年を取って、世の中の様子を、あれこれと分かってくるにつれて、妙に恋しく思い出されるご様子の方なので、深い契りの夫婦では、どんなにか感慨も深いことであろう」
などとおっしゃっている機会に、「あの夢物語もお思い当たりなさることがあるかも知れない」と思って、
「たいそう変な梵字とか言うような筆跡ではございますが、お目に止まるようなこともございましょうかと存じまして。これが最後と思って別れたのでしたが、やはり、愛着は残るものでございました」
と言って、見苦しからぬ体でお泣きになる。側に寄りなさって、
「実にしっかりしていて、まだまだ耄碌していませんな。筆跡なども、総じて何につけても、ことさら有職と言ってもよい方で、ただ世渡りの心得だけが上手でなかったな。
あの先祖の大臣は、たいそう賢明で世にも稀な忠誠を尽くして、朝廷にお仕え申していらっしゃった間に、何かの行き違いがあって、その報いでそのような子孫が絶えたのだと、人々が噂したようだが、女子の系統であるが、このように決して子孫がいないというわけでないのも、長年の勤行の甲斐があってなのだろう」
などと、涙をお拭いになりながら、あの夢物語のあたりにお目を止めなさる。
「変に偏屈者で、無闇に大それた望みを持っていると人も非難し、また自分ながらも、よろしからぬ結婚をかりそめにもしたことよ、と思ったのは、この姫君がお生まれになった時に、前世からの宿縁だと深く理解したが、目の前に見えない遠い先のことは、どういうものかよく分からぬとずっと思い続けていたのだが、それでは、このような期待があって、無理やり婿に望んだのだったな。
無実の罪によって、酷い目に遭い、流浪したのも、この人一人の祈願成就のためであったのだな。どのような祈願を思い立ったのだろうか」
と知りたいので、心の中で拝んでお取りになった。
[12-6 源氏、紫の上の恩を説く]
「この願文には、また一緒に差し上げねばならない物があります。そのうちお話しましょう」
と、女御には申し上げなさる。その折に、
「今は、このように、昔のことをだいぶお分りになったのだが、あちらのご好意を、いい加減にはお思いなさいますな。もともと親しいはずの夫婦仲や、切っても切れない親兄弟の親しみよりも、血の繋がらない他人がかりそめの情けをかけ、一言の好意でも寄せてくれるのは、並大抵のことではありません。
まして、ここに始終お付きしていらっしゃるのを見ながら、最初の気持ちも変わらず、深くご好意をお寄せ申しているのですから。
昔の世の例にも、いかにも表面だけはかわいがっているようだがと、賢そうに推量するのも、利口なようだが、やはり間違っても、自分にとって内心悪意を抱いているような継母を、そうとは思わず、素直に慕っていったならば、思い返してかわいがり、どうしてこんなかわいい子にはと、罰が当たることだと、改心することもきっとあるでしょう。
並々ならぬ昔からの仇敵でない人は、いろいろ行き違いがあっても、お互いに欠点のない場合には、自然と仲好くなる例はたくさんあるようです。それほどでもないことに、とげとげしく難癖をつけ、かわいげなく、人を疎んじる心のある人は、とてもうちとけにくく、考えの至らない者と言うべきでしょう。
多くはありませんが、人の心の、あれこれとある様子を見ると、嗜み教養といい、それぞれにしっかりした程度の心得は持っているようです。皆それぞれ長所があって、取柄がないでもないが、かと言って、特別に、わが妻にと思って、真剣に選ぼうとすれば、なかなか見当たらないものです。
ただ本当に素直で良い人は、この対の上だけで、この人を穏やかな人と言うべきだ、と思います。身分の高い人と言っても、またあまりに締まりがなくて頼りなさそうなのも、まことに残念なことですよ」
とだけおっしゃったが、もうお一方のことがきっと想像されたことだろう。
[12-7 明石御方、卑下す]
「あなたこそは、少し物の道理が分かっていらっしゃるようだから、ほんとうに結構なことで、仲好くし合って、この姫君のご後見を、心を合わせてなさって下さい」
などと、声をひそめておっしゃる。
「仰せはなくとも、まことに有り難いご好意を拝見しておりまして、朝夕の口癖に感謝申し上げております。目障りな者だとお許しがなかったら、こんなにまでお見知りおき下さるはずもございませんのに、身の置き所もない程に人並みにお言葉をかけて下さるので、かえって面映ゆいくらいです。
人数にも入らないわたしが、それでも生き永らえていますのは、世間の評判もいかがと、まことに苦しく、遠慮される思いが致しますが、お咎めもない様子に、いつもお庇いいただいているのでございます」
と申し上げなさると、
「あなたのためには、特にご好意があるのではないでしょう。ただ、この姫君のご様子を始終付き添ってお世話申し上げられないのが心配で、お任せ申されるのでしょう。それもまた、一人で取り仕切って、特に目立つようにお振る舞いにならないので、何事も穏やかで体裁よく運ぶので、まことに嬉しく思っています。
ちょとしたことにつけても、物の道理の分からずひねくれた者は、人と交際するにつけて、相手まで迷惑を被ることがあるものです。そのような直さなければならない所が、どちらにもなくいらっしゃるようなので、安心です」
とおっしゃるにつけても、
「やっぱりだわ。よくここまで謙遜して来たこと」
などと思い続けなさる。対の屋へお渡りになった。
[12-8 明石御方、宿世を思う]
「ああして、たいそう大事になさるお気持ちが深まるばかりのようだこと。なるほどほんとに、人並み勝れて、こんなに何もかも揃っていらっしゃる様子で、無理もないとお見えになるのが立派ですわ。
宮の御方は、表向きのお扱いだけはご立派で、お渡りになるのも、そう十分でないらしいのは、恐れ多いことのようですわ。同じお血筋でいらっしゃるが、もう一段御身分が高いことだけにお気の毒で」
と陰口を申し上げなさるにつけても、自分の運命は、まことに大したものだと、思われなさるのであった。
「高貴な方でさえ、思い通りにならないらしいご夫婦仲なのに、ましてお仲間入りできるような身分でもないのだから、何もかも今は、恨めしく思うことはない。ただ、あの世を捨てて籠もった深山生活を思いやるだけが悲しく心配だわ」
尼君も、ただ、「福地の園に種を蒔いて」といったような一言を頼みにして、後世の事を考え考え物思いに耽っていらっしゃった。
13 女三の宮の物語 柏木、女三の宮を垣間見る
[13-1 夕霧の女三の宮への思い]
大将の君は、この姫宮の御事を、考えなかったわけでもないので、身近においであそばしますのを、とても平気ではいられず、普通のお世話にかこつけて、こちらには何か御用がある時にはいつも参上して、自然と雰囲気や、様子を見聞きなさると、とても若くおっとりしていらっしゃるばかりで、表向きの格式だけは堂々として、世の前例にもなりそうなくらい大事に申し上げなさっているが、実際はそう大して際立って奥ゆかしくは思われない。
女房なども、しっかりした年輩の者たちは少なく、若くて美人で、ただもう華やかに振る舞って、気取っている者がとても多く、数えきれないほど多く集まり集まって、何の苦労もないお住まいとはいえ、どのような事でも騒がず落ち着いている女房は、心の中がはっきりと見えないものであるから、わが身に人知れない悩みを持っていても、また真実楽しげに、万事思い通りに行っているらしい人たちの中にいると、はたの人に引かれて、同じ気分や態度に調子を合わせるものであるから、ただ一日中、子供じみた遊びや戯れ事に熱中している童女の様子など、院は、まことに感心しないと御覧になることもあるが、一律に世間の事を断じたりなさらないご性格なので、このような事も勝手にさせて、そのようなこともしたいのだろうと、大目に御覧になって、叱って改めさせることはなさらない。
ご本人のお振る舞いだけは、十分よくお教え申し上げなさるので、少しは取り繕っていらっしゃった。
[13-2 夕霧、女三の宮を他の女性と比較]
このようなことを、大将の君も、
「なるほど、立派な方はなかなかいないものだな。紫の上のお心がけ、態度は、長年たったけれども、何かと噂に出て見えたり聞こえたりするところはなく、もの静かな点を第一として、何と言っても、心やさしく、人をないがしろにせず、自分自身も気品高く、奥ゆかしくしていらっしゃることよ」
と、垣間見した面影を忘れ難くばかり思い出されるのであった。
「自分の北の方も、かわいいとお思いになることは強いのであるが、取り上げるほどの、人に勝れた才覚などは、お持ちでない方だ。安心していられる人と、もう今は安心だと見慣れているために、気が緩んで、やはりこのように、いろいろな方がお集まりになっていらっしゃる様子が、それぞれにご立派でいらっしゃるのを、内心密かに関心を捨て切れないでいるところに、ましてこの宮は、ご身分を考えるにつけても、この上なく格別のお生まれなのに、特別のご寵愛でもなく、世間体を飾っているだけのことだ」
とお見受けする。特に大それた考えではないが、「拝見する機会があるだろうか」と、関心をお寄せになっていらっしゃった。
衛門督の君も、朱雀院に常に参上し、常日頃親しく伺候していらっしゃった方なので、この宮を父帝が大切になさっていらっしゃったご意向など、詳細に拝見していて、いろいろなご縁談があったころから申し出で、院におかせられても、「出過ぎた者とはお思いでなく、おっしゃりもしなかった」と聞いていたが、このようにご降嫁になったのは、大変に残念で、胸の痛む心地がするので、やはり諦めることができない。
そのころから親しくなっていた女房の口から、ご様子なども伝え聞きくのを慰めにしているのは、はかないことであった。
「対の上のご寵愛には、やはり圧倒されていらっしゃる」と、世間の人が噂しているのを聞いては、
「恐れ多いことだが、そのような辛い思いはおさせ申さなかったろうに。いかにも、そのような高いご身分の相手には、相応しくないだろうが」
と、いつもこの小侍従という御乳母子を責めたてて、
「世の中は無常なものだから、大殿の君が、もともと抱いていらしたご出家をお遂げなさったら」
と、怠りなく思い続けていらっしゃるのであった。
[13-4 柏木ら東町に集い遊ぶ]
三月ころの空がうららかに晴れた日、六条の院に、兵部卿宮、衛門督などが参上なさった。大殿がお出ましになって、お話などなさる。
「静かな生活は、このごろ大変に退屈で気の紛れることがないね。公私とも平穏無事だ。何をして今日一日を暮らせばよかろう」
などとおっしゃって、
「今朝、大将が来ていたが、どこに行ったか。何とももの寂しいから、いつものように、小弓を射させて見物すればよかった。愛好者らしい若い人たちが見えていたが、惜しいことに帰ってしまったかな」
と、お尋ねさせなさる。
「大将の君は、丑寅の町で、人々と大勢して、蹴鞠をさせて御覧になっていらっしゃる」
とお聞きになって、
「無作法な遊びだが、それでも派手で気の利いた遊びだ。どれ、こちらで」
といって、お手紙があったので、参上なさった。若い公達らしい人々が多くいたのであった。
「鞠をお持たせになったか。誰々が来たか」
とお尋ねになる。
「誰それがおります」
「こちらへ来ませんか」
とおっしゃって、寝殿の東面は、桐壷の女御は若宮をお連れ申し上げていらっしゃっている折なので、こちらはひっそりしていた。遣水などの合流する所が広々としていて、趣のある場所を探しに出て行く。太政大臣の公達の、頭弁、兵衛佐、大夫の君などの、年輩者も、また若い者も、それぞれに、他の人より立派な方ばかりでいらっしゃる。
[13-5 南町で蹴鞠を催す]
だんだん日が暮れかかって行き、「風が吹かず、絶好の日だ」と興じて、弁君も我慢できずに仲間に入ったので、大殿が、
「弁官までが落ち着いていられないようだから、上達部であっても、若い近衛府司たちは、どうして飛び出して行かないのか。それくらいの年では、不思議にも見ているのは、残念に思われたことだ。とはいえ、とても騒々しいな。この遊びの有様はな」
などとおっしゃると、大将も督君も、みなお下りになって、何ともいえない美しい桜の花の蔭で、あちこち動きなさる夕映えの姿、たいそう美しい。決して体裁よくなく、騒々しく落ち着きのない遊びのようだが、場所柄により人柄によるものであった。
趣のある庭の木立がたいそう霞に包まれたところに、何本もの色とりどりに蕾の開いて行く花の木が、わずかに芽のふいた木の蔭で、このようにつまらない遊びだが、上手下手の違いがあるのを競い合っては、自分も負けまいと思っている顔つきの中で、衛門督がほんのお付き合いの顔で参加なさった蹴り方に、並ぶ人がいなかった。
器量もたいそう美しく優雅な物腰の人が、心づかいを十分して、それでいて活発なのは見事である。
御階の柱間に面した桜の木蔭に移って、人々が、花のことも忘れて熱中しているのを、大殿も兵部卿宮も隅の高欄に出て御覧になる。
[13-6 女三の宮たちも見物す]
たいそう稽古を積んだ技の数々が見えて、回が進んで行くにつれて、身分の高い人も無礼講となって、冠の額際が少し弛んで来た。大将の君も、ご身分の高さを考えれば、いつにない羽目の外しようだと思われるが、見た目には、人よりことに若く美しくて、桜の直衣の少し柔らかくなっているのを召して、指貫の裾の方が、少し膨らんで、心もち引き上げていらっしゃった。
軽率には見えず、さっぱりとした寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかるので、ちょっと見上げて、撓んだ枝を少し折って、御階の中段辺りにお座りになった。督の君も続いて、
「花びらが、しきりに散るようですね。桜は避けて吹いてくれればよいに」
などとおっしゃりながら、宮の御前の方角を横目に見やると、いつものように、格別慎みのない女房たちがいる様子で、色とりどりの袖口がこぼれ出ている御簾の端々から、透影などが、春に供える幣袋かと思われて見える。
[13-7 唐猫、御簾を引き開ける]
御几帳類をだらしなく方寄せ方寄せして、女房がすぐ側にいて世間ずれしているように思われるところに、唐猫でとても小さくてかわいらしいのを、ちょっと大きめの猫が追いかけて、急に御簾の端から走り出すと、女房たちは恐がって騷ぎ立て、ざわざわと身じろぎし、動き回る様子や、衣ずれの音がやかましいほどに思われる。
猫は、まだよく人に馴れていないのであろうか、綱がたいそう長く付けてあったが、物に引っかけまつわりついてしまったので、逃げようとして引っぱるうちに、御簾の端がたいそうはっきりと中が見えるほど引き開けられたのを、すぐに直す女房もいない。この柱の側にいた人々も慌てているらしい様子で、誰も手が出ないでいるのである。
[13-8 柏木、女三の宮を垣間見る]
几帳の側から少し奥まった所に、袿姿で立っていらっしゃる方がいる。階から西の二間の東の端なので、隠れようもなくすっかり見通すことができる。
紅梅襲であろうか、濃い色薄い色を、次々と、何枚も重ねた色の変化、派手で、草子の小口のように見えて、桜襲の織物の細長なのであろう。お髪が裾までくっきりと見えるところは、糸を縒りかけたように靡いて、裾がふさふさと切り揃えられているのは、とてもかわいい感じで、七、八寸ほど身丈に余っていらっしゃる。お召し物の裾が長く余って、とても細く小柄で、姿つき、髪のふりかかっていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど気高くかわいらしげである。夕日の光なので、はっきり見えず、奥暗い感じがするのも、とても物足りなく残念である。
蹴鞠に夢中になっている若公達の、花の散るのを惜しんでもいられないといった様子を見ようとして、女房たちは、まる見えとなっているのを直ぐには気がつかないのであろう。猫がひどく鳴くので、振り返りなさった顔つき、態度などは、とてもおっとりとして、若くかわいい方だと、直観された。
[13-9 夕霧、事態を憂慮す]
大将は、たいそうはらはらしていたが、近寄るのもかえって身分に相応しくないので、ただ気づかせようと、咳ばらいなさったので、すっとお入りになる。実の所、自分ながらも、とても残念な気持ちがなさったが、猫の綱を放したので、溜息をもらさずにはいられない。
それ以上に、あれほど夢中になっていた衛門督は、胸がいっぱいになって、他の誰でもない、大勢の中ではっきりと目立つ袿姿からも、他人と間違いようもなかったご様子など、心に忘れられなく思われる。
何気ない顔を装っていたが、「当然見ていたにちがいない」と、大将は困った事になったと思わずにはいられない。たまらない気持ちの慰めに、猫を招き寄せて抱き上げてみると、とてもよい匂いがして、かわいらしく鳴くのが、慕わしい方に思いなぞらえられるとは、好色がましいことであるよ。
14 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴
[14-1 蹴鞠の後の酒宴]
大殿がこちらを御覧になって、
「上達部の座席には、あまりに軽々しいな。こちらに」
とおっしゃって、東の対の南面の間にお入りになったので、皆そちらの方にお上りになった。兵部卿宮も席をお改めになって、お話をなさる。
それ以下の殿上人は、簀子に円座を召して、気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。
衛門督は、たいそうひどく沈みこんで、ややもすれば、花の木に目をやってぼんやりと物思いに耽っている。大将は、事情を知っているので、「妙なことから垣間見た御簾の透影を思い出しているのだろう」とお考えになる。
「とても端近にいた様子を、一方では軽率だと思っているだろう。いやはや。こちらのご様子は、あのようなことは決してありますまいものを」と思うと、「こんなふうだから、世間の評判が高い割には、内々のご愛情は薄いようなのだった」
と合点されて、
「やはり、他人に対しても自分に対しても、不用心で、幼いのは、かわいらしいようだが不安なものだ」
と、軽んじられる。
宰相の君は、いろんな欠点をもなかなか気づかず、思いがけない御簾の隙間から、ちらっとその方と拝見したのも、「自分の以前からの気持ちが報いられるのではないか」と、前世からの約束も嬉しく思われて、どこまでもお慕い続けている。
[14-2 源氏の昔語り]
院は、昔話を始めなさって、
「太政大臣が、どのような事でも、わたしを相手にして勝負の争いをなさった中で、蹴鞠だけはとても敵わなかった。ちょっとした遊び事には、別に伝授があるはずもないが、名人の血統はやはり特別であったよ。たいそう目も及ばぬほど、上手に見えた」
とおっしゃると、ちょっと苦笑して、
「公の政務にかけては劣っております家風が、そのような方面では伝わりましても、子孫にとっては、大したことはございませんでしょう」
とお答え申されると、
「どうしてそんなことが。何事でも他人より勝れている点を、書き留めて伝えるべきなのだ。家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」
などと、おからかいになるご様子が、つやつやとして美しいのを拝見するにつけても、
「このような方と一緒にいては、どれほどのことに心を移す人がいらっしゃるだろうか。いったい、どうしたら、かわいそうにとお認め下さるほどにでも、気持ちをお動かし申し上げることができようか」
と、あれこれ思案すると、ますますこの上なく、お側には近づきがたい身分の程が自然と思い知らされるので、ただもう胸の塞がる思いで退出なさった。
[14-3 柏木と夕霧、同車して帰る]
大将の君と同車して、途中お話なさる。
「やはり、今ごろの退屈な時には、こちらの院に参上して、気晴らしすべきだ」
「今日のような暇な日を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」
と約束し合う。お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
「院におかれては、やはり東の対の御方にばかりいらっしゃるようですね。あちらの方へのご愛情が格別勝るからでしょう。こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようなのは、お気の毒なことです」
と、よけいな事を言うので、
「とんでもないことです。どうしてそんなことがありましょう。こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさったお親しさの違いがおありなのでしょう。宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」
とお話しになると、
「いや、黙って下さい。すっかり聞いております。とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。実のところ、並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。考えられないお扱いではないですか」
と、お気の毒がる。
「どうして、花から花へと飛び移る鴬は
桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう
春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。不思議に思われることですよ」
と、口ずさみに言うので、
「何と、つまらないおせっかいだ。やっぱり思った通りだな」と思う。
「深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も
どうして美しい花の色を嫌がりましょうか
理屈に合わない話です。そう一方的におっしゃってよいものですか」
と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて、それぞれ別れた。
[14-4 柏木、小侍従に手紙を送る]
督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で暮らしていらっしゃっるのであった。考えるところがあって、長年このような独身生活をしてきが、誰のせいでもなく自分からもの寂しく心細い時々もあるが、
「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」
と、ばかり自負しているが、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、
「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見たいものだ。何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」
などと、思いを晴らすすべもなく、
「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているということだけでも、お知らせ申し上げられようか」
と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、いつものように、手紙をおやりになる。
「先日、誘われて、お邸に参上致しましたが、ますますどんなにかわたしをお蔑すみなさったことでしょうか。その夕方から、気分が悪くなって、わけもなく今日は物思いに沈んで暮らしております」
などと書いて、
「よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども
あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます」
とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋煩いだろうと思う。
[14-5 女三の宮、柏木の手紙を見る]
御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って上がって、
「あの方が、このようにばかり、忘れられないといって、手紙を寄こしなさるのが面倒なことでございます。お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」
と、にっこりして申し上げると、
「とても嫌なことを言うのね」
と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。
「見ていない」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事を自然とお思いつかれたので、お顔が赤くなって、大殿が、あれほど何かあるごとに、
「大将に見られたりなさらないように。子供っぽいところがおありのようだから、自然とついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」
と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、
「大将が、こんなことがあったとお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」
と、人が拝見なさったことをお考えにならないで、まずは、叱られることを恐がり申されるお考えとは、なんと幼稚な方よ。
いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべき事でもないから、こっそりと、いつものように書く。
「先日は、知らない顔をなさっていましたね。失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ないでもなかった』とは何ですか。まあ、嫌らしい」
と、さらさらと走り書きして、
「今さらお顔の色にお出しなさいますな
手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと
無駄なことですよ」
とある。
35. 若菜下
光る源氏の准太上天皇時代41歳3月から47歳12月までの物語
- 六条院の競射 もっともだとは思うけれども、「いまいましい言い方だな
- 柏木、女三の宮の猫を預る 弘徽殿女御の御方に参上して、お話などを申し上げて心を紛らわそうとしてみる
- 柏木、真木柱姫君には無関心 左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも
- 真木柱、兵部卿宮と結婚 蛍兵部卿宮は、やはり独身生活でいらっしゃって、熱心にお望みになった
- 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活 宮は、お亡くなりになった北の方を、それ以来ずっと恋い
1 柏木の物語 女三の宮の結婚後
- 冷泉帝の退位 これという事もなくて、年月が過ぎて行き、今上の帝
- 六条院の女方の動静 姫宮の御事は、帝が、御配慮になってお気をつけて
- 源氏、住吉に参詣 住吉の神に懸けた御願、そろそろ果たそうとなさって
- 住吉参詣の一行 上達部も、大臣お二方をお除き申しては
- 住吉社頭の東遊び 十月の二十日なので、社の玉垣に這う葛も色が変わって
- 源氏、往時を回想 大殿、昔の事が思い出されて、ひところご辛労なさった
- 終夜、神楽を奏す 一晩中神楽を奏して夜をお明かしなさる。二十日の月が
- 明石一族の幸い 夜がほのぼのと明けて行くと、霜はいよいよ深く、本方と末方とが
2 光る源氏の物語 住吉参詣
- 女三の宮と紫の上 入道の帝は、仏道に御専心あそばして
- 花散里と玉鬘 夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を
- 朱雀院の五十賀の計画 朱雀院が、「今はすっかり死期が近づいた心地がして
- 女三の宮に琴を伝授 姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが
- 明石女御、懐妊して里下り 女御の君にも、対の上にも、琴の琴はお習わせ
- 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定 朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばす
3 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画
- 六条院の女楽 正月二十日ほどなので、空模様もうららかで
- 孫君たちと夕霧を召す 廂の中の御障子を取り外して、あちらとこちらと
- 夕霧、箏を調絃す 大将は、とてもたいそう緊張して、御前での
- 女四人による合奏 それぞれのお琴の調絃が終わって、合奏なさる
- 女四人を花に喩える 月の出が遅いころなので、灯籠をあちらこちらに懸けて
- 夕霧の感想 この方もあの方も、とりすましたご様子を
4 光る源氏の物語 六条院の女楽
- 音楽の春秋論 夜が更けて行く様子、冷え冷えとした感じがする。臥待の月が
- 琴の論 「何事も、その道その道の稽古をすれば
- 源氏、葛城を謡う 女御の君は、箏の御琴を、紫の上にお譲り申し上げて
- 女楽終了、禄を賜う この若君たちが、とてもかわいらしく笛を吹き立てて、一生懸命になっているのを
- 夕霧、わが妻を比較して思う 大将殿は、若君たちをお車に乗せて、月の澄んだ中を
5 光る源氏の物語 源氏の音楽論
- 源氏、紫の上と語る 院は、対へお渡りになった。紫の上は、お残りになって
- 紫の上、37歳の厄年 こういった音楽の方面のことも、今はまた年輩者らしく
- 源氏、半生を語る 「わたしは、幼い時から、人とは違ったふうに
- 源氏、関わった女方を語る 「多くは知らないが、人柄が、それぞれに
- 紫の上、発病す 対の上のもとでは、いつものようにいらっしゃらない夜は、遅くまで起きていらして
- 朱雀院の五十賀、延期される 女御の御方からお便りがあったので
- 紫の上、二条院に転地療養 同じような状態で、二月も過ぎた
- 明石女御、看護のため里下り 女御の君もお渡りになって、ご一緒に
6 紫の上の物語 出家願望と発病
- 柏木、女二の宮と結婚 そうであったよ、衛門督は、中納言になったのだ
- 柏木、小侍従を語らう こうして、院も離れていらっしゃる時、人目が少なく
- 小侍従、手引きを承諾 「まあ、何と、聞きにくいことを。あまり大げさな物の言い方を
- 小侍従、柏木を導き入れる どうなのか、どうなのかと、毎日催促され困って
- 柏木、女三の宮をかき抱く 宮は、無心にお寝みになっていらっしゃったが
- 柏木、猫の夢を見る はたから想像すると威厳があって、馴れ馴れしく
- きぬぎぬの別れ 夜が明けてゆく様子であるが、帰って行く気にもなれず、かえって逢わないほうがましであったほどである
- 柏木と女三の宮の罪の恐れ 女宮のお側にもお帰りにならないで、大殿へ
- 柏木と女二の宮の夫婦仲 督の君は、宮以上に、かえって苦しさがまさって
7 柏木の物語 女三の宮密通の物語
- 紫の上、絶命す 大殿の君は、たまたまお渡りになって
- 六条御息所の死霊出現 ひどく調伏されて、「他の人は皆去りなさい。院お一人方のお耳に
- 紫の上、死去の噂流れる このようにお亡くなりになったという噂が、世間に
- 紫の上、蘇生後に五戒を受く このように生き返りなさった後は、恐ろしくお思いになって
- 紫の上、小康を得る 五月などは、これまで以上に、晴々しくない空模様で
8 紫の上の物語 死と蘇生
- 女三の宮懐妊す 姫宮は、わけの分からなかった出来事をお嘆きになって以来
- 源氏、紫の上と和歌を唱和す 池はとても涼しそうで、蓮の花が一面に咲いているところに
- 源氏、女三の宮を見舞う 宮は、良心の呵責に苛まれて、お会いするのも恥ずかしく
- 源氏、女三の宮と和歌を唱和す 夜になってから、二条院にお帰りになろうとして
- 源氏、柏木の手紙を発見 まだ朝の涼しいうちにお帰りになろうとして
- 小侍従、女三の宮を責める お帰りになったので、女房たちが少しばらばらになったので
- 源氏、手紙を読み返す 大殿は、この手紙をやはり不審に思わずにはいらっしゃれないので
- 源氏、妻の密通を思う 「それにしても、この宮をどのようにお扱いしたら良いものだろうか
9 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見
- 紫の上、女三の宮を気づかう 平静を装っていらっしゃるが、ご煩悶の様子が
- 柏木と女三の宮、密通露見におののく 姫宮は、このようにお越しにならない日が数日続くのも
- 源氏、女三の宮の幼さを非難 「良いことだからと言って、あまり一途に
- 源氏、玉鬘の賢さを思う 「右大臣の北の方が、特にご後見もなく
- 朧月夜、出家す 二条の尚侍の君を、依然として忘れず、お思い出し申し上げ
- 源氏、朧月夜と朝顔を語る 二条院にいらっしゃる時なので、女君にも、今ではすっかり
10 光る源氏の物語 密通露見後
- 女二の宮、院の五十の賀を祝う こうして、山の帝の御賀も延期になって、秋にとあったが
- 朱雀院、女三の宮へ手紙 お山におかせられてもお耳にあそばして、いとおしくお会いしたいと
- 源氏、女三の宮を諭す 「とても幼い御気性を御存知で、たいそう
- 朱雀院の御賀、十二月に延引 参賀なさることは、この月はこうして過ぎてしまった
- 源氏、柏木を六条院に召す 十二月になってしまった。十何日と決めて、数々の舞を練習し
- 源氏、柏木と対面す まだ上達部なども参上なさっていない時分であった
- 柏木と御賀について打ち合わせる 「ここいく月、あちらの方こちらの方のご病気
11 朱雀院の物語 五十賀の延引
- 御賀の試楽の当日 今日は、このような試楽の日であるが、ご夫人方が見物なさるので
- 源氏、柏木に皮肉を言う ご主人の院は、「寄る年波とともに、酔泣きの癖は
- 柏木、女二の宮邸を出る 特別の事がない月日は、のんびりと当てにならない将来のことを当てにして
- 柏木の病、さらに重くなる 大殿ではお待ち受け申し上げなさって、いろいろと大騒ぎをなさる
12 柏木の物語 源氏から睨まれる
1 柏木の物語 女三の宮の結婚後
[1-1 六条院の競射]
もっともだとは思うけれども、「いまいましい言い方だな。いや、しかし、なんでこのような通り一遍の返事だけを慰めとしては、どうして過ごせようか。このような人を介してではなく、一言でも直接おっしゃってくださり、また申し上げたりする時があるだろうか」
と思うにつけても、普通の関係では、もったいなく立派な方だとお思い申し上げる院の御為には、けしからぬ心が生じたのであろうか。
晦日には、人々が大勢参上なさった。何やら気が進まず、落ち着かないけれども、「あのお方のいらっしゃる辺りの桜の花を見れば気持ちが慰むだろうか」と思って参上なさる。
殿上の賭弓は、二月とあったが過ぎて、三月もまた御忌月なので、残念に人々は思っているところに、この院で、このような集まりがある予定と伝え聞いて、いつものようにお集まりになる。左右の大将は、お身内という間柄で参上なさるので、中将たちなども互いに競争しあって、小弓とおっしゃったが、歩弓の勝れた名人たちもいたので、お呼び出しになって射させなさる。
殿上人たちも、相応しい人は、すべて前方と後方との、交互に組分けをして、日が暮れてゆくにつれて、今日が最後の春の霞の感じも気ぜわしくて、吹き乱れる夕風に、花の蔭はますます立ち去りにくく、人々はひどく酔い過ごしなさって、
「しゃれた賭物の数々は、あちらこちらの御婦人方のご趣味のほどが窺えようというものを。柳の葉を百発百中できそうな舎人たちが、わがもの顔をして射取るのは、面白くないことだ。少しおっとりした手並みの人たちこそ、競争させよう」
といって、大将たちをはじめとして、お下りになると、衛門督、他の人より目立って物思いに耽っていらっしゃるので、あの少々は事情をご存知の方のお目には止まって、
「やはり、様子が変だ。厄介な事が引き起こるのだろうか」
と、自分までが悩みに取りつかれたような心地がする。この君たち、お仲が大変に良い。従兄弟同士という中でも、気心が通じ合って親密なので、ちょっとした事でも、物思いに悩んで屈託しているところがあろうものなら、お気の毒にお思いになる。
自分でも、大殿を拝見すると、何やら恐ろしく目を伏せたくなるようで、
「このような考えを持ってよいものだろうか。どうでもよいことでさえ、不行き届きで、人から非難されるような振る舞いはすまいと思うものを。まして身のほどを弁えぬ大それたことを」
と思い悩んだ末に、
「あの先日の猫でも、せめて手に入れたい。思い悩んでいる気持ちを打ち明ける相手にはできないが、独り寝の寂しい慰めを紛らすよすがにも、手なづけてみよう」
と思うと、気違いじみて、「どうしたら盗み出せようか」と思うが、それさえ難しいことだったのである。
[1-2 柏木、女三の宮の猫を預る]
弘徽殿女御の御方に参上して、お話などを申し上げて心を紛らわそうとしてみる。たいそう嗜み深く、気恥ずかしくなるようなご応対ぶりなので、直にお姿をお見せになることはない。このような姉弟の間柄でさえ、隔てを置いてきたのに、「思いがけず垣間見したのは、不思議なことであった」とは、さすがに思われるが、並々ならず思い込んだ気持ちゆえ、軽率だとは思われない。
東宮に参上なさって、「当然似ていらっしゃるところがあるだろう」と、目を止めて拝すると、輝くほどのお美しさのご容貌ではないが、これくらいのご身分の方は、また格別で、上品で優雅でいらっしゃる。
内裏の御猫が、たくさん引き連れていた仔猫たちの兄弟が、あちこちに貰われて行って、こちらの宮にも来ているのが、とてもかわいらしく動き回るのを見ると、何よりも思い出されるので、
「六条院の姫宮の御方におります猫は、たいそう見たこともないような顔をしていて、かわいらしうございました。ほんのちょっと拝見しました」
と申し上げなさると、猫を特におかわいがりあそばすご性分なので、詳しくお尋ねあそばす。
「唐猫で、こちらのとは違った恰好をしてございました。同じようなものですが、性質がかわいらしく人なつっこいのは、妙にかわいいものでございます」
などと、興味をお持ちになるように、特にお話し申し上げなさる。
お耳にお止めあそばして、桐壷の御方を介してご所望なさったので、差し上げなさった。「なるほど、たいそうかわいらしげな猫だ」と、人々が面白がるので、衛門督は、「手に入れようとお思いであった」と、お顔色で察していたので、数日して参上なさった。
子供であったころから、朱雀院が特別におかわいがりになってお召し使いあそばしていたので、御入山されて後は、やはりこの東宮にも親しく参上し、お心寄せ申し上げていた。お琴などをお教え申し上げなさるついでに、
「御猫たちがたくさん集まっていますね。どうしたかな、わたしが見た人は」
と探してお見つけになった。とてもかわいらしく思われて、撫でていた。東宮も、
「なるほど、かわいい恰好をしているね。性質が、まだなつかないのは、人見知りをするのだろうか。ここにいる猫たちも、大して負けないがね」
とおっしゃるので、
「猫というものは、そのような人見知りは、普通しないものでございますが、その中でも賢い猫は、自然と性根がございますのでしょう」などとお答え申し上げて、「これより勝れている猫が何匹もございますようですから、これは暫くお預かり申しましょう」
と申し上げなさる。心の中では、何とも馬鹿げた事だと、一方ではお考えになるが、この猫を手に入れて、夜もお側近くにお置きなさる。
夜が明ければ、猫の世話をして、撫でて食事をさせなさる。人になつかなかった性質も、とてもよく馴れて、ともすれば、衣服の裾にまつわりついて、側に寝そべって甘えるのを、心からかわいいと思う。とてもひどく物思いに耽って、端近くに寄り臥していらっしゃると、やって来て、「ねよう、ねよう」と、とてもかわいらしげに鳴くので、撫でて、「いやに、積極的だな」と、思わず苦笑される。
「恋いわびている人のよすがと思ってかわいがっていると
どういうつもりでそんな鳴き声を立てるのか
これも前世からの縁であろうか」
と、顔を見ながらおっしゃると、ますますかわいらしく鳴くので、懐に入れて物思いに耽っていらっしゃる。御達などは、
「奇妙に、急に猫を寵愛なさるようになったこと。このようなものはお好きでなかったご性分なのに」
と、不審がるのだった。宮から返すようにとご催促があってもお返し申さず、独り占めして、この猫を話相手にしていらっしゃる。
[1-3 柏木、真木柱姫君には無関心]
左大将殿の北の方は、大殿の君たちよりも、右大将の君を、やはり昔のままに、親しくお思い申し上げていらっしゃった。気立てに才気があって、親しみやすくいらっしゃる方なので、お会いなさる時々にも、親身に他人行儀になるところはなくお振る舞いになるので、右大将も、淑景舎などが、他人行儀で近づきがたいお扱いであるので、一風変わったお親しさで、お付き合いしていらっしゃった。
夫君は、今では以前にもまして、あの前の北の方とすっかり縁が切れてしまって、並ぶ者がないほど大切にしていらっしゃる。このお方の腹には、男のお子たちばかりなので、物足りないと思って、あの真木柱の姫君を引き取って、大切にお世話申したいとお思いになるが、祖父宮などは、どうしてもお許しにならず、
「せめてこの姫君だけでも、物笑いにならないように世話しよう」
とお思いになり、おっしゃりもしている。
親王のご声望はたいそう高く、帝におかせられても、この宮への御信頼は、並々ならぬものがあって、こうと奏上なさることはお断りになることができず、お気づかい申していらっしゃる。だいたいのお人柄も現代的でいらっしゃる宮で、こちらの院、大殿にお次ぎ申して、人々もお仕え申し、世間の人々も重々しく申し上げているのであった。
左大将も、将来の国家の重鎮とおなりになるはずの有力者であるから、姫君のご評判、どうして軽いことがあろうか。求婚する人々、何かにつけて大勢いるが、ご決定なさらない。衛門督を、「そのような、態度を見せたら」とお思いのようだが、猫ほどにはお思いにならないのであろうか、まったく考えもしないのは、残念なことであった。
母君が、どうしたことか、今だに変な方で、普通のお暮らしぶりでなく、廃人同様になっていらっしゃるのを、残念にお思いになって、継母のお側を、いつも心にかけて憧れて、現代的なご気性でいらっしゃっるのだった。
[1-4 真木柱、兵部卿宮と結婚]
蛍兵部卿宮は、やはり独身生活でいらっしゃって、熱心にお望みになった方々は、皆うまくいかなくて、世の中が面白くなく、世間の物笑いに思われると、「このまま甘んじていられない」とお思いになって、この宮に気持ちをお漏らしになったところ、式部卿大宮は、
「いや何。大切に世話しようと思う娘なら、帝に差し上げる次には、親王たちにめあわせ申すのがよい。臣下の、真面目で、無難な人だけを、今の世の人が有り難がるのは、品のない考え方だ」
とおっしゃって、そう大してお焦らし申されることなく、ご承諾なさった。
蛍親王は、あまりに口説きがいのないのを、物足りないとお思いになるが、大体が軽んじ難い家柄なので、言い逃れもおできになれず、お通いになるようになった。たいそうまたとなく大事にお世話申し上げなさる。
式部卿大宮は、女の子がたくさんいらっしゃって、
「いろいろと何かにつけ嘆きの種が多いので、懲り懲りしたと思いたいところだが、やはりこの君のことが放っておけなく思えてね。母君は、奇妙な変人に年とともになって行かれる。大将は大将で、自分の言う通りにしないからと言って、いい加減に見放ちなされたようだから、まことに気の毒である」
と言って、お部屋の飾り付けも、立ったり座ったり、ご自身でお世話なさり、すべてにもったいなくも熱心でいらっしゃった。
[1-5 兵部卿宮と真木柱の不幸な結婚生活]
宮は、お亡くなりになった北の方を、それ以来ずっと恋い慕い申し上げなさって、「ただ、亡くなった北の方の面影にお似申し上げたような方と結婚しよう」とお思いになっていたが、「悪くはないが、違った感じでいらっしゃる」とお思いになると、残念であったのか、お通いになる様子は、まこと億劫そうである。
式部卿大宮は、「まったく心外なことだ」とお嘆きになっていた。母君も、あれほど変わっていらっしゃったが、正気に返る時は、「口惜しい嫌な世の中だ」と、すっかり思いきりなさる。
左大将の君も、「やはりそうであったか。ひどく浮気っぽい親王だから」と、はじめからご自身お認めにならなかったことだからであろうか、面白からぬお思いでいらっしゃった。
尚侍の君も、このように頼りがいのないご様子を、身近にお聞きになるにつけ、「そのような方と結婚をしたのだったら、こちらにもあちらにも、どんなにお思いになり御覧になっただろう」などと、少々おかしくも、また懐かしくもお思い出しになるのだった。
「あの当時も、結婚しようとは、考えてもいなかったのだ。ただ、いかにも優しく、情愛深くお言葉をかけ続けてくださったのに、張り合いなく軽率なように、お見下しになったであろうか」と、とても恥ずかしく、今までもお思い続けていらっしゃることなので、「あのような近いところで、わたしの噂をお聞きになることも、気をつかわねばならない」などとお思いになる。
こちらからも、しかるべき事柄はしてお上げになる。兄弟の公達などを差し向けて、このようなご夫婦仲も知らない顔をして、親しげにお側に伺わせたりなどするので、気の毒になって、お見捨てになる気持ちはないが、大北の方という性悪な人が、いつも悪口を申し上げなさる。
「親王たちは、おとなしく浮気をせず、せめて愛して下さるのが、華やかさがない代わりには思えるのだが」
とぶつぶつおっしゃるのを、宮も漏れお聞きなさっては、「まったく変な話だ。昔、とてもいとしく思っていた人を差し置いても、やはり、ちょっとした浮気はいつもしていたが、こう厳しい恨み言は、なかったものを」
と、気にくわなく、ますます故人をお慕いなさりながら、自邸に物思いに耽りがちでいらっしゃる。そうは言いながらも、二年ほどになったので、こうした事にも馴れて、ただ、そのような夫婦仲としてお過ごしになっていらっしゃる。
2 光る源氏の物語 住吉参詣
[2-1 冷泉帝の退位]
これという事もなくて、年月が過ぎて行き、今上の帝、御即位なさってから十八年におなりあそばした。
「後を嗣いで次の帝におなりになる皇子がいらっしゃらず、物寂しい上に、寿命がいつまで続くか分からない気がするので、気楽に、会いたい人たちと会い、私人として思うままに振る舞って、のんびりと過ごしたい」
と、長年お思いになりおっしゃりもしていたが、最近たいそう重くお悩みあそばすことがあって、急に御退位あそばした。世間の人は、「惜しい盛りのお年を、このようにお退きになること」と、惜しみ嘆いたが、東宮もご成人あそばしているので、お嗣ぎになって、世の中の政治など、特別に変わることもなかった。
太政大臣は致仕の表を奉って、ご引退なさった。
「世間の無常によって、恐れ多い帝の君も、御位をお下りになったのに、年老いた自分が冠を掛けるのは、何の惜しいことがあろうか」
とお考えになりおっしゃって、左大将が、右大臣におなりになって、政務をお勤めになったのであった。承香殿女御の君は、このような御世にお会いにならず、お亡くなりになったので、規定のご称号を奉られたが、光の当たらない感じがして、何にもならなかった。
六条院の女御腹の一の宮、東宮におつきになった。当然のこととは以前から思っていたが、実現して見るとやはり素晴らしく、目を見張るようなことであった。右大将の君、大納言におなりになった。ますます理想的なお間柄である。
六条院は、御退位あそばした冷泉院が、御後嗣がいらっしゃらないのを、残念なこととご心中ひそかにお思いになる。同じ自分の血統であるが、御煩悶なさることなくて、無事にお過ごしなっただけに、罪は現れなかったが、子孫まで皇位を伝えることができなかった御運命を、口惜しく物足りなくお思いになるが、人と話し合えないことなので、気持ちが晴れない。
東宮の母女御は、御子たちが大勢いらっしゃって、ますます御寵愛は並ぶ者がいない。源氏が、引き続いて皇后におなりになることを、世間の人は不満に思っているのにつけても、冷泉院の皇后は、格別の理由もないのに、強引にこのようにして下さったお気持ちをお思いになると、ますます六条院の御事を、年月と共に、この上なく有り難くお思い申し上げになっていらっしゃった。
院の帝は、お考えになっていたように、御幸も、気軽にお出かけなさったりして、御退位後はかえって、確かに素晴らしく申し分ない御生活である。
[2-2 六条院の女方の動静]
姫宮の御事は、帝が、御配慮になってお気をつけて差し上げなさる。世間の人々からも、広く重んじられていらっしゃるが、対の上のご威勢には、勝ることがおできになれない。年月がたつにつれて、ご夫婦仲は互いにたいそうしっくりと睦まじくいらして、少しも不満なところなく、よそよそしさもお見えでないが、
「今は、このような普通の生活ではなく、のんびりと仏道生活に入りたい、と思います。この世はこれまでと、すっかり見終えた気がする年齢にもなってしまいました。そのようにお許し下さいませ」
と、真剣に申し上げなさることが度々あるが、
「とんでもない、酷いおっしゃりようです。わたし自身、強く希望するところですが、後に残って寂しいお気持ちがなさり、今までと違ったようにおなりになるのが、気がかりなばかりに、生き永らえているのです。とうとう出家した後に、どうなりとお考え通りになさるがよい」
などとばかり、ご制止申し上げなさる。
女御の君、ひたすらこちらを、本当の母親のようにお仕え申し上げなさって、御方は蔭のお世話役として、謙遜していらっしゃるのが、かえって、将来頼もしげで、立派な感じであった。
尼君も、ややもすれば感激に堪えない喜びの涙、ともすれば、落とし落としして、目まで拭い爛れさせて、長生きした、幸福者の例になっていらっしゃる。
[2-3 源氏、住吉に参詣]
住吉の神に懸けた御願、そろそろ果たそうとなさって、春宮の女御の御祈願に参詣なさろうとして、あの箱を開けて御覧になると、いろいろな盛大な願文が多かった。
毎年の春秋に奏する神楽に、必ず子孫の永遠の繁栄を祈願した願文類が、なるほど、このようなご威勢でなければ果たすことがおできになれないように考えていたのであった。ただ走り書きしたような文面で、学識が見え論旨も通り、仏神もお聞き入れになるはずの文意が明瞭である。
「どうしてあのような山伏の聖心で、このような事柄を思いついたのだろう」と、感服し分を過ぎたことだと御覧になる。「前世の因縁で、ほんの少しの間、仮に身を変えた前世の修行者であったのだろうか」などとお考えめぐらすと、ますます軽んじることはできなかった。
今回は、この趣旨は表にお立てにならず、ただ、院の物詣でとしてご出立なさる。浦から浦へと流離した事変の当時の数多くの御願は、すっかりお果たしなさったが、やはりこの世にこうお栄えになっていらっしゃって、このようないろいろな栄華を御覧になるにつけても、神の御加護は忘れることができず、対の上もご一緒申し上げなさって、ご参詣あそばす、その評判、大変なものである。たいそう儀式を簡略にして、世間に迷惑があってはならないように、と省略なさるが、仕来りがあることゆえ、またとない立派さであった。
[2-4 住吉参詣の一行]
上達部も、大臣お二方をお除き申しては、皆お供奉申し上げなさる。舞人は、近衛府の中将たちで器量が良くて、背丈の同じ者ばかりをお選びあそばす。この選に漏れたことを恥として、悲しみ嘆いている芸熱心の者たちもいるのだった。
陪従も、岩清水、賀茂の臨時の祭などに召す人々で、諸道に殊に勝れた者ばかりをお揃えになっていらっしゃった。それに加わった二人も、近衛府の世間に名高い者ばかりをお召しになっているのだった。
御神楽の方には、たいそう数多くの人々がお供申していた。帝、東宮、院の殿上人、それぞれに分かれて、進んで御用をお勤めになる。その数も知れず、いろいろと善美を尽くした上達部の御馬、鞍、馬添、随身、小舎人童、それ以下の舎人などまで、飾り揃えた見事さは、またとないほどである。
女御殿と、対の上は、同じお車にお乗りになっていた。次のお車には、明石の御方と、尼君がこっそりと乗っていらっしゃった。女御の御乳母、事情を知る者として乗っていた。それぞれお供の車は、対の上の御方のが五台、女御殿のが五台、明石のご一族のが三台、目も眩むほど美しく飾り立てた衣装、様子は、言うまでもない。一方では、
「尼君をば、どうせなら、老の波の皺が延びるように、立派に仕立てて参詣させよう」
と、院はおっしゃったが、
「今回は、このような世を挙げての参詣に加わるのも憚られます。もし希望通りの世まで生き永らえていましたら」
と、御方はお抑えなさったが、余命が心配で、もう一方では見たくて、付いていらっしゃったのであった。前世からの因縁で、もともとこのようにお栄えになるお身の上の方々よりも、まことに素晴らしい幸運が、はっきり分かるご様子の方である。
[2-5 住吉社頭の東遊び]
十月の二十日なので、社の玉垣に這う葛も色が変わって、松の下紅葉などは、風の音にだけ秋を聞き知っているのではないというふうである。仰々しい高麗、唐土の楽よりも、東遊の耳馴れているのは、親しみやすく美しく、波風の音に響き合って、あの木高い松風に吹き立てる笛の音も、他で聞く調べに変わって身にしみて感じられ、お琴に合わせた拍子も、鼓を用いないで調子をうまく合わせた趣が、大げさなところがないのも、優美でぞっとするほど面白く、場所が場所だけに、いっそう素晴らしく聞こえるのであった。
山藍で摺り出した竹の模様の衣装は、松の緑に見間違えて、插頭の色とりどりなのは、秋の草と見境がつかず、どれもこれも目先がちらつくばかりである。
「求子」が終わった後に、若い上達部は、肩脱ぎしてお下りになる。光沢のない黒の袍衣から、蘇芳襲で、葡萄染の袖を急に引き出したところ、紅の濃い袙の袂が、はらはらと降りかかる時雨にちょっとばかり濡れたのは、松原であることを忘れて、紅葉が散ったのかと思われる。
皆見栄えのする容姿で、たいそう白く枯れた荻を、高々と插頭に挿して、ただ一さし舞って入ってしまったのは、実に面白くもっといつまでも見ていたい気がするのであった。
[2-6 源氏、往時を回想]
大殿、昔の事が思い出されて、ひところご辛労なさった当時の有様も、目の前のように思い出されなさるが、その当時の事、遠慮なく語り合える相手もいないので、致仕の大臣を、恋しくお思い申し上げなさるのであった。
お入りになって、二の車に目立たないように、
「わたしの外に誰がまた昔の事情を知って住吉の
神代からの松に話しかけたりしましょうか」
御畳紙にお書きになっていた。尼君、感涙にむせぶ。このような時世を見るにつけても、あの明石の浦で、これが最後とお別れになった時の事、女御の君が御方のお腹に中にいらっしゃった時の様子などを思い出すにつけても、まことにもったいない運勢の程を思う。出家なさった方も恋しく、あれこれと物悲しく思われるので、一方では涙は縁起でもないと思い直して言葉を慎んで、
「住吉の浜を生きていた甲斐がある渚だと
年とった尼も今日知ることでしょう」
遅くなっては不都合だろうと、ただ思い浮かんだままにお返ししたのであった。
「昔の事が何よりも忘れられない
住吉の神の霊験を目の当たりにするにつけても」
とひとり口ずさむのであった。
[2-7 終夜、神楽を奏す]
一晩中神楽を奏して夜をお明かしなさる。二十日の月が遥かかなたに澄み照らして、海面が美しく見えわたっているところに、霜がたいそう白く置いて、松原も同じ色に見えて、何もかもが寒気をおぼえる素晴らしさで、風情や情趣の深さも一入に感じられる。
対の上は、いつものお邸の内にいらしたまま、季節季節につけて、興趣ある朝夕の遊びに、耳慣れ目馴れていらっしゃったが、御門から外の見物を、めったになさらず、ましてこのような都の外へお出になることは、まだご経験がないので、物珍しく興味深く思わずにはいらっしゃれない。
「住吉の浜の松に夜深く置く霜は
神様が掛けた木綿鬘でしょうか」
篁朝臣が、「比良の山さえ」と言った雪の朝をお思いやりになると、ご奉納の志をお受けになった証だろうかと、ますます頼もしかった。女御の君、
「神主が手に持った榊の葉に
木綿を掛け添えた深い夜の霜ですこと」
中務の君、
「神に仕える人々の木綿鬘と見間違えるほどに置く霜は
仰せのとおり神の御霊験の証でございましょう」
次々と数え切れないほど多かったのだが、どうして覚えていられようか。このような時の歌は、いつもの上手でいらっしゃるような殿方たちも、かえって出来映えがぱっとしないで、松の千歳を祝う決まり文句以外に、目新しい歌はないので、煩わしくて省略した。
[2-8 明石一族の幸い]
夜がほのぼのと明けて行くと、霜はいよいよ深く、本方と末方とがその分担もはっきりしなくなるほど、酔い過ぎた神楽面が、自分の顔がどんなになっているか知らないで、面白いことに夢中になって、庭燎も消えかかっているのに、依然として、「万歳、万歳」と、榊の葉を取り直し取り直して、お祝い申し上げる御末々の栄えを、想像するだけでもいよいよめでたい限りである。
万事が尽きせず面白いまま、千夜の長さをこの一夜の長さにしたいほどの今夜も、何という事もなく明けてしまったので、返る波と先を争って帰るのも残念なことと、若い人々は思う。
松原に、遥か遠くまで立て続けた幾台ものお車が、風に靡く下簾の間々も、常磐の松の蔭に、花の錦を引き並べたように見えるが、袍の色々な色が位階の相違を見せて、趣きのある懸盤を取って、次々と食事を一同に差し上げるのを、下人などは目を見張って、立派だと思っている。
尼君の御前にも、浅香の折敷に、青鈍の表を付けて、精進料理を差し上げるという事で、「驚くほどの女性のご運勢だ」と、それぞれ陰口を言ったのであった。
御参詣なさった道中は、ものものしいことで、もてあますほどの奉納品が、いろいろと窮屈げにあったが、帰りはさまざまな物見遊山の限りをお尽くしになる。それを語り続けるのも煩わしく、厄介な事柄なので。
このようなご様子をも、あの入道が、聞こえないまた見えない山奥に離れ去ってしまわれたことだけが、不満に思われた。それも難しいことだろう、出てくるのは見苦しいことであろうよ。世の中の人は、これを例として、高望みがはやりそうな時勢のようである。万事につけて、誉め驚き、世間話の種として、「明石の尼君」と、幸福な人の例に言ったのであった。あの致仕の大殿の近江の君は、双六を打つ時の言葉にも、
「明石の尼君、明石の尼君」
と言って賽を祈ったのである。
3 朱雀院の物語 朱雀院の五十賀の計画
[3-1 女三の宮と紫の上]
入道の帝は、仏道に御専心あそばして、内裏の御政道にはいっさいお口をお出しにならない。春秋の朝覲の行幸には、昔の事をお思い出しになることもあった。姫宮の御事だけを、今でも御心配でいらして、こちらの六条院を、やはり表向きのお世話役としてお思い申し上げなさって、内々の御配慮を下さるべく帝にもお願い申し上げていらっしゃる。二品におなりになって、御封なども増える。ますます華やかにご威勢も増す。
対の上は、このように年月とともに何かにつけてまさって行かれるご声望に比べて、
「自分自身はただ一人が大事にして下さるお蔭で、他の人には負けないが、あまりに年を取り過ぎたら、そのご愛情もしまいには衰えよう。そのような時にならない前に、自分から世を捨てたい」
と、ずっと思い続けていらっしゃるが、生意気なようにお思いになるだろうと遠慮されて、はっきりとはお申し上げになることができない。今上帝までが、御配慮を特別にして上げていらっしゃるので、疎略なと、お耳にあそばすことがあったらお気の毒なので、お通いになることがだんだんと同等になってなって行く。
無理もないこと、当然なこととは思いながらも、やはりそうであったのかとばかり、面白からずお思いになるが、やはり素知らぬふうに同じ様にして過ごしていらっしゃる。春宮のすぐお下の女一の宮を、こちらに引き取って大切にお世話申し上げていらっしゃる。そのご養育に、所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気をお紛らしていらっしゃるのだった。どちらの宮も区別せず、かわいくいとしいとお思い申し上げていらっしゃった。
[3-2 花散里と玉鬘]
夏の御方は、このようなあれこれのお孫たちのお世話を羨んで、大将の君の典侍腹のお子を、ぜひにと引き取ってお世話なさる。とてもかわいらしげで、気立ても、年のわりには利発でしっかりしているので、大殿の君もおかわいがりになる。数少ないお子だとお思いであったが、孫は大勢できて、あちらこちらに数多くおなりになったので、今はただ、これらをかわいがり世話なさることで、退屈さを紛らしていらっしゃるのであった。
右の大殿が参上してお仕えなさることは、昔以上に親密になって、今では北の方もすっかり落ち着いたお年となって、あの昔の色めかしい事は思い諦めたのであろうか、適当な機会にはよくお越しになる。対の上ともお会いになって、申し分ない交際をなさっているのであった。
姫宮だけが、同じように若々しくおっとりしていらっしゃる。女御の君は、今は主上にすべてお任せ申し上げなさって、この姫宮をたいそう心に懸けて、幼い娘のように思ってお世話申し上げていらっしゃる。
[3-3 朱雀院の五十賀の計画]
朱雀院が、
「今はすっかり死期が近づいた心地がして、何やら心細いが、決してこの世のことは気に懸けまいと思い捨てたが、もう一度だけお会いしたく思うが、もし未練でも残ったら大変だから、大げさにではなくお越しになるように」
と、お便り申し上げなさったので、大殿も、
「なるほど、仰せの通りだ。このような御内意が仮になくてさえ、こちらから進んで参上なさるべきことだ。なおさらのこと、このようにお待ちになっていらっしゃるとは、おいたわしいことだ」
と、ご訪問なさるべきことをご準備なさる。
「何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなくては、どうして簡単にお出かけになれようか。どのようなことをして、御覧に入れたらよかろうか」
と、ご思案なさる。
「来年ちょうどにお達しになる年に、若菜などを調進してお祝い申し上げようか」と、お考えになって、いろいろな御法服のこと、精進料理のご準備、何やかやと勝手が違うことなので、ご夫人方のお智恵も取り入れてお考えになる。
御出家以前にも、音楽の方面には御関心がおありでいらっしゃったので、舞人、楽人などを、特別に選考し、勝れた人たちだけをお揃えあそばす。右の大殿のお子たち二人、大将のお子は、典侍腹の子を加えて三人、まだ小さい七歳以上の子は、皆童殿上させなさる。兵部卿宮の童孫王、すべてしかるべき宮家のお子たちや、良家のお子たち、皆お選び出しになる。
殿上の君たちも、器量が良く、同じ舞姿と言っても、また格別な人を選んで、多くの舞の準備をおさせになる。大層なこの度の催しとあって、誰も皆懸命に練習に励んでいらっしゃる。その道々の師匠、名人が、大忙しのこのごろである。
[3-4 女三の宮に琴を伝授]
姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが、とても小さい時に父院にお別れ申されたので、気がかりにお思いになって、
「お越しになる機会に、あの御琴の音をぜひ聞きたいものだ。いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」
と、陰で申されなさったのを、帝におかせられてもお耳にあそばして、
「仰せの通り、何と言っても、格別のご上達でしょう。院の御前で、奥義をお弾きなさる機会に、参上して聞きたいものだ」
などと仰せになったのを、大殿の君は伝え聞きなさって、
「今までに適当な機会があるたびに、お教え申したことはあるが、その腕前は、確かに上達なさったが、まだお聞かせできるような深みのある技術には達していないのを、何の準備もなくて参上した機会に、お聞きあそばしたいと強くお望みあそばしたら、とてもきっときまり悪い思いをすることになりはせぬか」
と、気の毒にお思いになって、ここのところご熱心にお教え申し上げなさる。
珍しい曲目、二つ三つ、面白い大曲類で、四季につれて変化するはずの響き、空気の寒さ温かさをその音色によって調え出して、高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げになるが、気がかりなようでいらっしゃるが、だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりになる。
「昼間は、たいそう人の出入りが多く、やはり絃を一度揺すって音をうねらせる間も、気ぜわしいので、夜な夜なに、静かに奏法の勘所をじっくりとお教え申し上げよう」
と言って、対の上にも、そのころはお暇申されて、朝から晩までお教え申し上げなさる。
[3-5 明石女御、懐妊して里下り]
女御の君にも、対の上にも、琴の琴はお習わせ申されなかったので、この機会に、めったに耳にすることのない曲目をお弾きになっていらっしゃるらしいのを、聞きたいとお思いになって、女御も、特別にめったにないお暇を、ただ少しばかりお願い申し上げなさって御退出なさっていた。
お子様がお二方いらっしゃるが、再びご懐妊なさって、五か月ほどにおなりだったので、神事にかこつけてお里下がりしていらっしゃるのであった。十一日が過ぎたら、参内なさるようにとのお手紙がしきりにあるが、このような機会に、このように面白い毎夜の音楽の遊びが羨ましくて、「どうしてわたしにはご伝授して下さらなかったのだろう」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
冬の夜の月は、人とは違ってご賞美なさるご性分なので、美しい雪の夜の光に、季節に合った曲目類をお弾きになりながら、伺候する女房たちも、少しはこの方面に心得のある者に、お琴類をそれぞれ弾かせて、管弦の遊びをなさる。
年の暮れ方は、対の上などは忙しく、あちらこちらのご準備で、自然とお指図なさる事柄があるので、
「春のうららかな夕方などに、ぜひにこのお琴の音色を聞きたい」
とおっしゃり続けているうちに、年が改まった。
[3-6 朱雀院の御賀を二月十日過ぎと決定]
朱雀院の五十の御賀は、まず今上の帝のあそばすことがたいそう盛大であろうから、それに重なっては不都合だとお思いになって、少し日を遅らせなさる。二月十日過ぎとお決めになって、楽人や、舞人などが参上しては、合奏が続く。
「こちらの対の上が、いつも聞きたがっているお琴の音色を、ぜひとも他の方々の箏の琴や、琵琶の音色も合わせて、女楽を試みてみたい。ただ最近の音楽の名人たちは、この院の御方々のお嗜みのほどにはかないませんね。
きちんと伝授を受けたことは、ほとんどありませんが、どのようなことでも、何とかして知らないことがないようにと、子供の時に思ったので、世間にいる道々の師匠は全部、また高貴な家々の、しかるべき人の伝えをも残さず受けてみた中で、とても造詣が深くてこちらが恥じ入るように思われた人はいませんでした。
その当時から、また最近の若い人々が、風流で気取り過ぎているので、全く浅薄になったのでしょう。琴の琴は、琴の琴で、他の楽器以上に全然稽古する人がなくなってしまったとか。あなたの御琴の音色ほどにさえも習い伝えている人は、ほとんどありますまい」
とおっしゃると、無邪気にほほ笑んで、嬉しくなって、「このようにお認めになるほどになったのか」とお思いになる。
二十一、二歳ほどにおなりになりだが、まだとても幼げで、未熟な感じがして、ほっそりと弱々しく、ただかわいらしくばかりお見えになる。
「院にもお目にかかりなさらないで、何年にもなったが、ご成人なさったと御覧いただけるように、一段と気をつけてお会い申し上げなさい」
と、何かの機会につけてお教え申し上げなさる。
「なるほど、このようなご後見役がいなくては、まして幼そうにいらっしゃいますご様子、隠れようもなかろう」
と、女房たちも拝見する。
4 光る源氏の物語 六条院の女楽
[4-1 六条院の女楽]
正月二十日ほどなので、空模様もうららかで、風がなま温かく吹いて、御前の梅の花も盛りになって行く。たいていの花の木も、みな蕾がふくらんで、一面に霞んでいた。
「来月になったら、ご準備が近づいて、何かと騒がしかろうから、合奏なさる琴の音色も、試楽のように人が噂するだろうから、今の静かなころに合奏なさってごらんなさい」
とおっしゃって、寝殿にお迎え申し上げなさる。
お供に、わたしもわたしもと、合奏を聞きたく参上したがるが、音楽の方面に疎い者は、残させなさって、すこし年は取っていても、心得のある者だけを選んで伺候させなさる。
女童は、器量の良い四人、赤色の表着に桜襲の汗衫、薄紫色の織紋様の袙、浮紋の上の袴に、紅の打ってある衣装で、容姿、態度などのすぐれている者たちだけをお召しになっていた。女御の御方にも、お部屋の飾り付けなど、常より一層に改めたころの明るさなので、それぞれ競争し合って、華美を尽くしている衣装、鮮やかなこと、またとない。
童は、青色の表着に蘇芳の汗衫、唐綾の表袴、袙は山吹色の唐の綺を、お揃いで着ていた。明石の御方のは、仰々しくならず、紅梅襲が二人、桜襲が二人、いずれも青磁色ばかりで、袙は濃紫や薄紫、打目の模様が何とも言えず素晴らしいのを着せていらっしゃった。
宮の御方でも、このようにお集まりになるとお聞きになって、女童の容姿だけは特別に整えさせていらっしゃった。青丹の表着に柳襲の汗衫、葡萄染の袙など、格別趣向を凝らして目新しい様子ではないが、全体の雰囲気が、立派で気品があることまでが、まことに並ぶものがない。
[4-2 孫君たちと夕霧を召す]
廂の中の御障子を取り外して、あちらとこちらと御几帳だけを境にして、中の間には、院がお座りになるための御座所を設けてあった。今日の拍子合わせの役には、子供を召そうとして、右の大殿の三郎君、尚侍の君の御腹の兄君、笙の笛、左大将の御太郎君、横笛と吹かせて、簀子に伺候させなさる。
内側には御褥をいくつも並べて、お琴を御方々に差し上げる。秘蔵の御琴類を、いくつもの立派な紺地の袋に入れてあるのを取り出して、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君に箏のお琴、宮には、このような仰々しい琴はまだお弾きになれないかと、心配なので、いつもの手馴れていらっしゃる琴を調絃して差し上げなさる。
「箏のお琴は、弛むというわけではないが、やはり、このように合奏する時の調子によって、琴柱の位置がずれるものだ。よくその点を考慮すべきだが、女性の力ではしっかりと張ることはできまい。やはり、大将を呼んだ方がよさそうだ。この笛吹く人たちも、まだ幼いようで、拍子を合わせるには頼りにならない」
とお笑いになって、
「大将、こちらに」
とお呼びになるので、御方々はきまり悪く思って、緊張していらっしゃる。明石の君を除いては、どなたも皆捨てがたいお弟子たちなので、お気を遣われて、大将がお聞きになるので、難点がないようにとお思いになる。
「女御は、ふだん主上がお聞きあそばすにも、楽器に合わせながら弾き馴れていらっしゃるので、安心だが、和琴は、たいして変化のない音色なのだが、奏法に決まった型がなくて、かえって女性は弾き方にまごつくに違いないのだ。春の琴の音色は、おおよそ合奏して聞くものであるから、他の楽器と合わないところが出て来ようかしら」
と、何となく気がかりにお思いになる。
[4-3 夕霧、箏を調絃す]
大将は、とてもたいそう緊張して、御前での大がかりな、改まった御試楽以上に、今日の気づかいは、格別に勝って思われなさったので、鮮やかなお直衣に、香のしみたいく重ものお召し物で、袖に特に香をたきしめて、化粧して参上なさるころ、日はすっかり暮れてしまった。
趣深い夕暮の空に、花は去年の古雪を思い出されて、枝も撓むほどに咲き乱れている。緩やかに吹く風に、何とも言えず素晴らしく匂っている御簾の内側の薫りも一緒に漂って、鴬を誘い出すしるべにできそうな、たいそう素晴らしい御殿近辺の匂いである。御簾の下から箏のお琴の裾、少しさし出して、
「失礼なようですが、この絃を調節して、みてやって下さい。ここには他の親しくない人を入れることはできないものですから」
とおっしゃると、礼儀正しくお受け取りになる態度、心づかいも行き届いていて立派で、「壱越調」の音に発の緒を合わせて、すぐには弾き始めずに控えていらっしゃるので、
「やはり、調子合わせの曲ぐらいは、一曲、興をそがない程度に」
とおっしゃるので、
「まったく、今日の演奏会のお相手に、仲間入りできるような腕前では、ございませんから」
と、思わせぶりな態度をなさる。
「もっともな言い方だが、女楽の相手もできずに逃げ出したと、噂される方が不名誉だぞ」
と言ってお笑いになる。
調絃を終わって、興をそそる程度に調子合わせだけを弾いて、差し上げなさった。このお孫の君たちが、とてもかわいらしい宿直姿で、笛を吹き合わせている音色は、まだ幼い感じだが、将来性があって、素晴らしく聞こえる。
[4-4 女四人による合奏]
それぞれのお琴の調絃が終わって、合奏なさる時、どれも皆優劣つけがたい中で、琵琶は特別上手という感じで、神々しい感じの弾き方、音色が澄みきって美しく聞こえる。
和琴に、大将も耳を留めていらっしゃるが、やさしく魅力的な爪弾きに、掻き返した音色が、珍しく当世風で、まったくこの頃名の通った名人たちが、ものものしく掻き立てた曲や調子に負けず、華やかで、「大和琴にもこのような弾き方があったのか」と感嘆される。深いお嗜みのほどがはっきりと分かって、素晴らしいので、大殿はご安心なさって、またとない方だとお思い申し上げなさる。
箏のお琴は、他の楽器の音色の合間合間に、頼りなげに時々聞こえて来るといった性質の音色のものなので、可憐で優美一筋に聞こえる。
琴の琴は、やはり未熟ではあるが、習っていらっしゃる最中なので、あぶなげなく、たいそう良く他の楽器の音色に響き合って、「随分と上手になったお琴の音色だな」と、大将はお聞きになる。拍子をとって唱歌なさる。院も、時々扇を打ち鳴らして、一緒に唱歌なさるお声、昔よりもはるかに美しく、少し声が太く堂々とした感じが加わって聞こえる。大将も、声はたいそう勝れていらっしゃる方で、夜が静かになって行くにつれて、何とも言いようのない優雅な夜の音楽会である。
[4-5 女四人を花に喩える]
月の出が遅いころなので、灯籠をあちらこちらに懸けて、明かりを調度良い具合に灯させていらっしゃった。
宮の御方をお覗きになると、他の誰よりも一段と小さくかわいらしげで、ただお召し物だけがあるという感じがする。つややかな美しさは劣るが、ただとても上品に美しく、二月の二十日頃の青柳が、ようやく枝垂れ始めたような感じがして、鴬の羽風にも乱れてしまいそうなくらい、弱々しい感じにお見えになる。
桜襲の細長に、御髪は左右からこぼれかかって、柳の糸のようであった。
「この方こそは、この上ないご身分の方のご様子というものだろう」と見えるが、女御の君は、同じような優美なお姿で、もう少し生彩があって、態度や雰囲気が奥ゆかしく、風情のあるご様子でいらっしゃって、美しく咲きこぼれている藤の花が、夏に咲きかかって、他に並ぶ花がない、朝日に輝いているような感じでいらっしゃった。
とは言え、とてもふっくらとしたころにおなりになって、ご気分もすぐれない時期でいらっしゃったので、お琴も押しやって、脇息に寄りかかっていらっしゃった。小柄なお身体でなよなよとしていらっしゃるが、ご脇息は並の大きさなので、無理に背伸びしている感じで、特別に小さく作って上げたいと見えるのが、とてもおかわいらしげにお見えになるのであった。
紅梅襲のお召物に、お髪がかかってさらさらと美しくて、灯台の光に映し出されたお姿、またとなくかわいらしげだが、紫の上は、葡萄染であろうか、色の濃い小袿に、薄蘇芳襲の細長で、お髪がたまっている様子、たっぷりとゆるやかで、背丈などちょうど良いぐらいで、姿形は申し分なく、辺り一面に美しさが満ちあふれている感じがして、花と言ったら桜に喩えても、やはり衆に抜ん出た様子、格別の風情でいらっしゃる。
このような方々の中で、明石は圧倒されてしまうところだが、まったくそのようなことはなく、態度なども意味ありげにこちらが恥ずかしくなるくらいで、心の底を覗いてみたいほどの深い様子で、どことなく上品で優雅に見える。
柳の織物の細長に、萌黄であろうか、小袿を着て、羅の裳の目立たないのを付けて、特に卑下していたが、その様子、そうと思うせいもあって、立派で軽んじられない。
高麗の青地の錦で縁どりした敷物に、まともに座らず、琵琶をちょっと置いて、ほんの心持ばかり弾きかけて、しなやかに使いこなした撥の扱いよう、音色を聞くやいなや、また比類なく親しみやすい感じがして、五月待つ花橘の、花も実もともに折り取った薫りのように思われる。
[4-6 夕霧の感想]
この方もあの方も、とりすましたご様子を見たり聞いたりなさると、大将も、まことに中を御覧になりたくお思いになる。対の上が、昔見た時よりも、ずっと美しくなっていっらっしゃるだろう様子が見たいので、心が落ち着かない。
「宮を、もう少し運勢があったなら、自分の妻としてお世話申し上げられたであろうに。まことにゆったり構えていたのが悔やまれるよ。院は、度々そのように水を向けられ、蔭でおっしゃっていられたものを」と、残念に思うが、少し軽率なようにお見えになるご様子に、軽くお思い申すと言うのではないが、それほど心は動かなかったのである。
こちらの御方を、何事につけても手の届くすべなく、高嶺の花として、長年過ごして来たので、「ただ何とかして、義理の親子の関係として、好意をお寄せ申している気持ちをお見せ申し上げたい」とだけ、残念に嘆かわしいのであった。むやみに、あってはならない大それた考えなどは、まったくおありではなく、実に立派に振る舞っていらっしゃった。
5 光る源氏の物語 源氏の音楽論
[5-1 音楽の春秋論]
夜が更けて行く様子、冷え冷えとした感じがする。臥待の月がわずかに顔を出したのを、
「おぼつかない光だね、春の朧月夜は。秋の情趣は、やはりまた、このような楽器の音色に、虫の声を合わせたのが、何とも言えず、この上ない響きが深まるような気がするものだ」
とおっしゃると、大将の君、
「秋の夜の曇りない月には、すべてのものがくっきりと見え、琴や笛の音色も、すっきりと澄んだ気は致しますが、やはり特別に作り出したような空模様や、草花の露も、いろいろと目移りし気が散って、限界がございます。
春の空のたどたどしい霞の間から、朧に霞んだ月の光に、静かに笛を吹き合わせたようなのには、どうして秋が及びましょうか。笛の音色なども、優艶に澄みきることはないのです。
女性は春をあわれぶと、昔の人が言っておりました。なるほど、そのようでございます。やさしく音色が調和する点では、春の夕暮が格別でございます」
と申し上げなさると、
「いや、この議論だがね。昔から皆が判断しかねた事を、末の世の劣った者には、決定しがたいことであろう。楽器の調べや、曲目などは、なるほど律を二の次にしているが、そのようなことであろう」
などとおっしゃって、
「どんなものであろう。現在、演奏上手の評判の高い、その人あの人を、帝の御前などで、度々試みさせあそばすと、勝れた者は、数少なくなったようだが、その一流と思われる名人たちも、どれほども習得し得ていないのではなかろうか。このような何でもないご婦人方の中で一緒に弾いたとしても、格別に勝れているようには思われない。
何年もこのように引き籠もって過ごしていると、鑑賞力も少し変になったのだろうか、残念なことだ。妙に、人々の才能は、ちょっと習い覚えた芸事でも、見栄えがして他より勝れているところである。あの、御前の管弦の御遊などに、一流の名手として選ばれた人々の、誰それと比較したらどうであろうか」
とおっしゃるので、大将は、
「その事を、申し上げようと思っておりましたが、よくも弁えぬくせに、偉そうに言うのもどうかと存じまして。古い昔の勝れた時代を聞き比べておりませんからでしょうか、衛門督の和琴、兵部卿宮の御琵琶などは、最近の珍しく勝れた例に引くようでございます。
なるほど、又とない演奏者ですが、今夜お聞き致しました楽の音色は、皆同じように耳を驚かしました。やはり、このように特別のことでもない御催しと、かねがね思って油断しておりました気持ちが不意をつかれて騒ぐのでしょう。唱歌など、とてもお付き合いしにくうございました。
和琴は、あの太政大臣だけが、このように臨機応変に、巧みに操った音色などを、思いのままに掻き立てていらっしゃるのは、とても格別上手でいらっしゃったが、なかなか飛び抜けて上手には弾けないものでございますのに、まことに勝れて調子が整ってございました」
と、お誉め申し上げなさる。
「いや、それほど大した弾き方ではないが、特別に立派なようにお誉めになるね」
とおっしゃって、得意顔に微笑んでいらっしゃる。
「なるほど、悪くはない弟子たちである。琵琶は、わたしが口出しするようなことは何もないが、そうは言っても、どことなく違うはずだ。思いがけない所で初めて聞いた時、珍しい楽の音色だと思われたが、その時からは、又格段上達しているからな」
と、強引に自分の手柄のように自慢なさるので、女房たちは、そっとつつきあう。
[5-2 琴の論]
「何事も、その道その道の稽古をすれば、才能というもの、どれも際限ないとだんだんと思われてくるもので、自分の気持ちに満足する限度はなく、習得することは実に難しいことだが、いや、どうして、その奥義を究めた人が、今の世に少しもいないので、一部分だけでも無難に習得したような人は、その一面で満足してもよいのだが、琴の琴は、やはり面倒で、手の触れにくいものである。
この琴は、ほんとうに奏法どおりに習得した昔の人は、天地を揺るがし、鬼神の心を柔らげ、すべての楽器の音がこれに従って、悲しみの深い者も喜びに変わり、賎しく貧しい者も高貴な身となり、財宝を得て、世に認められるといった人が多かったのであった。
わが国に弾き伝える初めまで、深くこの事を理解している人は、長年見知らぬ国で過ごし、生命を投げうって、この琴を習得しようとさまよってすら、習得し得るのは難しいことであった。なるほど確かに、明らかに空の月や星を動かしたり、時節でない霜や雪を降らせたり、雲や雷を騒がしたりした例は、遠い昔の世にはあったことだ。
このように限りない楽器で、その伝法どおりに習得する人がめったになく、末世だからであろうか、どこにその当時の一部分が伝わっているのだろうか。けれども、やはり、あの鬼神が耳を止め、傾聴した始まりの事のある琴だからであろうか、なまじ稽古して、思いどおりにならなかったという例があってから後は、これを弾く人、禍があるとか言う難癖をつけて、面倒なままに、今ではめったに弾き伝える人がいないとか。実に残念なことである。
琴の音以外では、どの絃楽器をもって音律を調える基準とできようか。なるほど、すべての事が衰えて行く様子は、たやすくなって行く世の中で、一人故国を離れて、志を立てて、唐土、高麗と、この世をさまよい歩き、親子と別れることは、世の中の変わり者となってしまうことだろう。
どうして、それほどまでせずとも、やはりこの道をだいたい知る程度の一端だけでも、知らないでいられようか。一つの調べを弾きこなす事さえ、量り知れない難しいものであるという。いわんや、多くの調べ、面倒な曲目が多いので、熱中していた盛りには、この世にあらん限りの、わが国に伝わっている楽譜という楽譜のすべてを広く見比べて、しまいには、師匠とすべき人もなくなるまで、好んで習得したが、やはり昔の名人には、かないそうにない。まして、これから後というと、伝授すべき子孫がいないのが、何とも心寂しいことだ」
などとおっしゃるので、大将は、なるほどまことに残念にも恥ずかしいとお思いになる。
「この御子たちの中で、望みどおりにご成人なさる方がおいでなら、その方が大きくなった時に、その時まで生きていることがあったら、いかほどでもないわたしの技にしても、すべてご伝授申し上げよう。三の宮は、今からその才能がありそうにお見えになるから」
などとおっしゃると、明石の君は、たいそう面目に思って、涙ぐんで聞いていらっしゃった。
[5-3 源氏、葛城を謡う]
女御の君は、箏の御琴を、紫の上にお譲り申し上げて、寄りかかりなさったので、和琴を大殿の御前に差し上げて、寛いだ音楽の遊びになった。「葛城」を演奏なさる。明るくおもしろい。大殿が繰り返しお謡いになるお声は、何にも喩えようがなく情がこもっていて素晴らしい。
月がだんだんと高く上って行くにつれて、花の色も香も一段と引き立てられて、いかにも優雅な趣である。箏の琴は、女御のお爪音は、とてもかわいらしげにやさしく、母君のご奏法の感じが加わって、揺の音が深く、たいそう澄んで聞こえたのを、こちらのご奏法は、また様子が違って、緩やかに美しく、聞く人が感に堪えず、気もそぞろになるくらい魅力的で、輪の手など、すべていかにも、たいそう才気あふれたお琴の音色である。
返り声に、すべて調子が変わって、律の合奏の数々が、親しみやすく華やかな中にも、琴の琴は、五箇の調べを、たくさんある弾き方の中で、注意して必ずお弾きにならなければならない五、六の発刺を、たいそう見事に澄んでお弾きになる。まったくおかしなところはなく、たいそうよく澄んで聞こえる。
春秋どの季節の物にも調和する調べなので、それぞれに相応しくお弾きになる。そのお心配りは、お教え申し上げたものと違わず、たいそうよく会得していらっしゃるのを、たいそういじらしく、晴れがましくお思い申し上げになる。
[5-4 女楽終了、禄を賜う]
この若君たちが、とてもかわいらしく笛を吹き立てて、一生懸命になっているのを、おかわいがりになって、
「眠たくなっているだろうに。今夜の音楽の遊びは、長くはしないで、ほんの少しのところでと思っていたが。やめるのには惜しい楽の音色が、甲乙をつけがたいのを、聞き分けるほどに耳がよくないので愚図愚図しているうちに、たいそう夜が更けてしまった。気のつかないことであった」
と言って、笙の笛を吹く君に、杯をお差しになって、お召物を脱いでお与えになる。横笛の君には、こちらから、織物の細長に、袴などの仰々しくないふうに、形ばかりにして、大将の君には、宮の御方から、杯を差し出して、宮のご装束を一領をお与え申し上げなさるのを、大殿は、
「妙なことだね。師匠のわたしにこそ、さっそくご褒美を下さってよいものなのに。情ないことだ」
とおっしゃるので、宮のおいであそばす御几帳の側から、御笛を差し上げる。微笑みなさってお取りになる。たいそう見事な高麗笛である。少し吹き鳴らしなさると、皆お返りになるところであったが、大将が立ち止まりなさって、ご子息の持っておいでの笛を取って、たいそう素晴らしく吹き鳴らしなさったのが、実に見事に聞こえたので、どなたもどなたも、皆ご奏法を受け継がれたお手並みが、実に又となくばかりあるので、ご自分の音楽の才能が、めったにないほどだと思われなさるのであった。
[5-5 夕霧、わが妻を比較して思う]
大将殿は、若君たちをお車に乗せて、月の澄んだ中をご退出なさる。道中、箏の琴が普通とは違ってたいそう素晴らしかった音色が、耳について恋しくお思い出されなさる。
ご自分の北の方は、亡き大宮がお教え申し上げなさったが、熱心にお習いなさらなかったうちに、お引き離されておしまいになったので、ゆっくりとも習得なさらず、夫君の前では、恥ずかしがって全然お弾きにならない。何ごともただあっさりと、おっとりとした物腰で、子供の世話に、休む暇もなく次々となさるので、風情もなくお思いになる。そうはいっても、機嫌を悪くして、嫉妬するところは、愛嬌があってかわいらしい人柄でいらっしゃるようである。
6 紫の上の物語 出家願望と発病
[6-1 源氏、紫の上と語る]
院は、対へお渡りになった。紫の上は、お残りになって、宮にお話など申し上げなさって、暁方にお帰りになった。日が高くなるまでお寝みになった。
「宮のお琴の音色は、たいそう上手になったものだな。どのようにお聞きなさいましたか」
とお尋ねなさるので、
「初めの方は、あちらでちらっと聞いた時には、どんなものかしらと思いましたが、とてもこの上なく上手になりましたわ。どうして、あのように専心してお教え申し上げになったのですから」
とお答えなさる。
「そうなのだ。手を取り取りの、たいした師匠なんだよ。他のどなたにも、厄介で、面倒なことなので、お教え申さないが、院にも帝にも、琴の琴はいくらなんでもお教え申しているだろうとおっしゃると、耳にするのがおいたわしくて、そうは言っても、せめてその程度のことだけはと、このように特別なご後見にとお預けになった甲斐にはと、思い立ってね」
などと申し上げなさるついでにも、
「昔、まだ幼かったころ、お世話したものだが、当時は暇がなくて、ゆっくりと特別にお教え申し上げることなどもなく、近頃になっても、何となく次から次へと、とり紛れては日を送り、聞いて上げなかったお琴の音色が、素晴らしい出来映えだったのも、晴れがましいことで、大将が、たいそう耳を傾け感嘆していた様子も、思いどおりで嬉しいことであった」
などと申し上げなさる。
[6-2 紫の上、37歳の厄年]
こういった音楽の方面のことも、今はまた年輩者らしく、若宮たちのお世話などを、引き受けなさっている様子も、至らないところなく、すべて何事につけても、非難されるような行き届かないところなく、世にもまれなご様子の方なので、まことにこのように何から何までそなわっていらっしゃる方は、長生きしない例もあるというのでと、不吉なまでにお思い申し上げなさる。
いろいろな人の有様を多く御覧になっているために、何から何まで揃っている点では、本当に例があるまいと心底からお思い申し上げていらっしゃった。今年は、三十七歳におなりである。一緒にお暮らし申されてからの年月のことなどを、しみじみとお思い出しなさったついでに、
「しかるべきご祈祷など、いつもの年よりも特別にして、今年はご用心なさい。何かと忙しくばかりあって、考えつかないことがあるだろうから、やはり、あれこれとお思いめぐらしになって、大がかりな仏事を催しなさるなら、わたしの方でさせていただこう。僧都が亡くなってしまわれたことが、たいそう残念なことだ。一通りのお願いをするのにつけても、たいそう立派な方であったのに」
などとおっしゃる。
[6-3 源氏、半生を語る]
「わたしは、幼い時から、人とは違ったふうに、大層な育ち方をして来て、現在の世の評判や有様、過去にも類例が少ないものであった。けれども、また一方で、大変に悲しいめに遭ったことでも、人並み以上であったことです。
まず第一に、愛する方々に次々と先立たれ、とり残された晩年になっても、意に満たず悲しいと思う事が多く、不本意にも感心しないことにかかわったにつけても、妙に物思いが絶えず、心に満足のゆかず思われる事が身につきまとって過ごして来てしまったので、その代わりとででもいうのか、思っていたわりに、今まで生き永らえているのだろうと、思わずにはいられません。
あなたご自身には、あの一件での離別のほかは、その前にも後にも、心配して、心をお痛めになるようなことはあるまいと思う。后と言っても、ましてそれより下の方々は、身分が高いからと言っても、皆必ず物思いの種が付き纏うものなのです。
高いお付き合いをするにつけても、気苦労があり、人と争う思いが絶えないのも、楽なことではないから、親のもとでの深窓生活同然に暮らしていらっしゃるような気楽さはありません。その点では、人並み以上の運勢だとお分かりでしょうか。
思いもかけず、この宮がこのようにお輿入れなさったのは、何やら辛くお思いでしょうが、それにつけては、いっそう勝る愛情を、ご自分の身の上のことですから、あるいはお気づきでないかも知れません。物のわけをよくお分りのようですから、きっとお分りだろうと思います」
と申し上げなさると、
「おっしゃるように、ふつつかな身の上には、過ぎた事と世間の目には見えましょうが、心に堪えない物思いばかりがつきまとうのは、それがわたし自身のご祈祷となっているのでした」
と言って、多く言い残したような様子は、奥ゆかしそうである。
「ほんとうのことを申しますと、もうとても先も長くないような心地がするのですが、今年もこのように知らない顔をして過ごすのは、とても不安なことです。先々にも申し上げたこと、何とかお許しがあれば」
と申し上げなさる。
「それは、とんでもないことだ。そうして、離れておしまいになった後に残ったわたしは、何の生き甲斐があろう。ただこのように何ということもなく過ぎて行く月日だが、朝に晩に顔を合わせる嬉しさだけで、これ以上の事はないと思われるのです。やはりあなたを人とは違って思う気持ちがどれほど深いものであるか最後まで見届けてください」
とばかり申し上げなさるのを、いつものことと胸が痛んで、涙ぐんでいらっしゃる様子を、たいそういとしいと拝見なさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
[6-4 源氏、関わった女方を語る]
「多くは知らないが、人柄が、それぞれにとりえのないものはないと分かって行くにつれて、ほんとうの気立てがおおらかで落ち着いているのは、なかなかいないものであると、思うようになりました。
大将の母君を、若いころにはじめて妻として、大事にしなければならない方とは思ったが、いつも夫婦仲が好くなく、うちとけぬ気持ちのまま終わってしまったのが、今思うと、気の毒で残念である。
しかしまた、わたし一人の罪ばかりではなかったのだと、自分の胸一つに思い出される。きちんとして重々しくて、どの点が不満だと思われることもなかった。ただ、あまりにくつろいだところがなく、几帳面すぎて、少しできすぎた人であったと言うべきであろうかと、離れて思うには信頼が置けて、一緒に生活するには面倒な人柄であった。
中宮の御母君の御息所は、人並すぐれてたしなみ深く優雅な人の例としては、まず第一に思い出されるが、逢うのに気がおけて、こちらが気苦労するような方でした。恨むことも、なるほど無理もないことと思われる点を、そのままいつまでも思い詰めて、深く怨まれたのは、まことに辛いことであった。
緊張のし通しで気づまりで、自分も相手もゆっくりとして、朝夕睦まじく語らうには、とても気の引けるところがあったので、気を許しては軽蔑されるのではないかなどと、あまりに体裁をつくろっていたうちに、そのまま疎遠になった仲なのです。
たいそうとんでもない浮名を立て、ご身分に相応しくなくなってしまった嘆きを、たいそう思い詰めていらっしゃったのがお気の毒で、なるほど人柄を考えても、自分に罪がある心地がして終わってしまったその罪滅ぼしに、中宮をこのようにそうなるべき前世からのご因縁とは言いながら、取り立てて、世の非難、人の嫉妬も意に介さず、お世話申し上げているのを、あの世からであっても考え直して下さったろう。今も昔も、いいかげんな気まぐれから、気の毒な事や後悔する事が多いのです」
と、亡くなったご夫人方について少しずつおっしゃり出して、
「今上の御方のご後見は、大した身分の人でないと、最初から軽く見て、気楽な相手だと思っていたが、やはり心の底が見えず、際限もなく深いところのある人でした。表面は従順で、おっとりして見えるながら、しっかりしたところが下にあって、どことなく気の置けるところがある人です」
とおっしゃると、
「他の方は会ったことがないので知りませんが、この方は、はっきりとではないが、自然と様子を見る機会も何度かあったので、とても馴れ馴れしくできず、気の置ける嗜みがはっきりと分かりますにつけても、とても途方もない単純なわたしを、どのように御覧になっているだろうと、気の引けるところですが、女御は、自然と大目に見て下さるだろうとばかり思っています」
とおっしゃる。
あれほど目障りな人だと心を置いていらっしゃった人を、今ではこのように顔を合わせたりなどなさるのも、女御の御ためを思う真心の結果なのだとお思いになると、普通にはとても出来ないことなので、
「あなたこそは、それでもやはり心底に思わないこともないではないが、人によって、事によって、とても上手に心を使い分けていらっしゃいますね。全く多くの女たちに接して来たが、あなたのご様子に似ている人はいませんでした。とても態度は格別でいらっしゃいます」
と、ほほ笑んで申し上げなさる。
「宮に、とても琴の琴を上手にお弾きになったお祝いを申し上げよう」
と言って、夕方お渡りになった。自分に気兼ねする人があろうかともお考えにもならず、とてもたいそう若々しくて、一途に御琴に熱中していらっしゃる。
「もう、お暇を下さって休ませていただきたいものです。師匠は満足させてこそです。とても辛かった日頃の成果があって、安心出来るほどお上手になりになりました」
と言って、お琴類は押しやって、お寝みになった。
[6-5 紫の上、発病す]
対の上のもとでは、いつものようにいらっしゃらない夜は、遅くまで起きていらして、女房たちに物語などを読ませてお聞きになる。
「このように、世間で例に引き集めた昔語りにも、不誠実な男、色好み、二心ある男に関係した女、このようなことを語り集めた中にも、結局は頼る男に落ち着くようだ。どうしたことか、浮いたまま過してきたことだわ。確かにおっしゃったように、人並み勝れた運勢であったわが身の上だが、世間の人が我慢できず満足ゆかないこととする悩みが身にまといついて終わろうとするのだろうか。つまらない事よ」
などと思い続けて、夜が更けてお寝みになった、その明け方から、お胸をお病みになる。女房たちがご看病申し上げて、
「お知らせ申し上げましょう」
と申し上げるが、
「とても不都合なことです」
とお制しなさって、苦しいのを我慢して夜を明かしなさった。お身体も熱があって、ご気分もとても悪いが、院がすぐにお帰りにならない間、これこれとも申し上げない。
[6-6 朱雀院の五十賀、延期される]
女御の御方からお便りがあったので、
「これこれと気分が悪くていらっしゃいます」
と申し上げなさると、びっくりして、そちらから申し上げなさったので、胸がどきりとして、急いでお帰りになると、とても苦しそうにしていらっしゃる。
「どのようなご気分ですか」
と手をさし入れなさると、とても熱っぽくいらっしゃるので、昨日申し上げなさったご用心のことなどをお考え合わせになって、とても恐ろしく思わずにはいらっしゃれない。
御粥などをこちらで差し上げたが、御覧にもならず、一日中付き添っていらして、いろいろと介抱なさりお心を痛めなさる。ちょっとしたお果物でさえ、とても億劫になさって、起き上がりなさることはまったくなくなって、数日が過ぎてしまった。
どうなるのだろうとご心配になって、御祈祷などを、数限りなく始めさせなさる。僧侶を召して、御加持などをおさせになる。どこということもなく、たいそうお苦しみになって、胸は時々発作が起こってお苦しみになる様子は、我慢できないほど苦しげである。
さまざまのご謹慎は数限りないが、効験も現れない。重態と見えても、自然と快方に向かう兆しが見えれば期待できるが、たいそう心細く悲しいと見守っていらっしゃると、他の事はお考えになれないので、御賀の騷ぎも静まってしまった。あちらの院からも、このようにご病気である由をお聞きあそばして、お見舞いを非常に御丁重に、度々申し上げなさる。
[6-7 紫の上、二条院に転地療養]
同じような状態で、二月も過ぎた。言いようもない程にお嘆きになって、ためしに場所をお変えなさろうとして、二条院にお移し申し上げなさった。院の中は上を下への大騒ぎで、嘆き悲しむ者が多かった。
冷泉院にもお聞きあそばして悲しまれる。この方がお亡くなりになったら、院もきっと出家のご素志をお遂げになるだろうと、大将の君なども、真心をこめてお世話申し上げなさる。
御修法などは、普通に行うものはもとより、特別に選んでおさせになる。少しでも意識がはっきりしている時には、
「お願い申し上げていることを、お許しなく情けなくて」
とだけお恨み申し上げなさるが、寿命が尽きてお別れなさるよりも、目の前でご自分の意志で出家なさるご様子を見ては、まったく少しの間でも耐えられず、惜しく悲しい気がしないではいられないので、
「昔から、自分自身こそこのような出家の本願は深かったのだが、残されて物寂しくお思いなさる気の毒さに心引かれ引かれして過しているのに、逆にわたしを捨てて出家なさろうとお思いなのですか」
とばかり、惜しみ申し上げなさるが、本当にとても頼りなさそうに弱々しく、もうこれきりかとお見えになる時々が多かったが、どのようにしようとお迷いになっては、宮のお部屋には、ちょっとの間もお出掛けにならない。御琴類にも興が乗らず、みなしまいこまれて、院の内の人々は、すっかりみな二条院にお集まりになって、こちらの院では、火を消したようになって、ただ女君たちばかりがおいでになって、お一方の御威勢であったかと見える。
[6-8 明石女御、看護のため里下り]
女御の君もお渡りになって、ご一緒にご看病申し上げなさる。
「普通のお身体でもいらっしゃらないので、物の怪などがとても恐ろしいから、早くお帰りあそばせ」
と、苦しいご気分ながらも申し上げなさる。若宮が、とてもかわいらしくていらっしゃるのを拝見なさっても、ひどくお泣きになって、
「大きくおなりになるのを、見ることができずになりましょうこと。きっとお忘れになってしまうでしょうね」
とおっしゃるので、女御は、涙を堪えきれず悲しくお思いでいらっしゃった。
「縁起でもない、そのようにお考えなさいますな。いくら何でも悪いことにはおなりになるまい。気持ちの持ちようで、人はどのようにでもなるものです。心の広い人には、幸いもそれに従って多く、狭い心の人には、そうなる運命によって、高貴な身分に生まれても、ゆったりゆとりのある点では劣り、性急な人は、長く持続することはできず、心穏やかでおっとりとした人は、寿命の長い例が多かったものです」
などと、仏神にも、この方のご性質が又とないほど立派で、罪障の軽い事を詳しくご説明申し上げなさる。
御修法の阿闍梨たち、夜居などでも、お側近く伺候する高僧たちは皆、たいそうこんなにまで途方に暮れていらっしゃるご様子を聞くと、何ともおいたわしいので、心を奮い起こしてお祈り申し上げる。少しよろしいようにお見えになる日が五、六日続いては、再び重くお悩みになること、いつまでということなく続いて、月日をお過ごしになるので、「やはり、どのようにおなりになるのだろうか。治らないご病気なのかしら」と、お悲しみになる。
御物の怪などと言って出て来るものもない。お悩みになるご様子は、どこということも見えず、ただ日がたつにつれて、お弱りになるようにばかりお見えになるので、とてもとても悲しく辛い事とお思いになると、お心の休まる暇もなさそうである。
7 柏木の物語 女三の宮密通の物語
[7-1 柏木、女二の宮と結婚]
そうであったよ、衛門督は、中納言になったのだ。今上の御治世では、たいそう御信任厚くて、今を時めく人である。わが身の声望が高まるにつけても、思いが叶わない悲しさを嘆いて、この宮の御姉君の二の宮を御降嫁頂いたのであった。身分の低い更衣腹でいらっしゃったので、多少軽んじる気持ちもまじってお思い申し上げていらっしゃった。
人柄も、普通の人に比較すれば、感じはこの上なくよくていらっしゃるが、はじめから思い込んでいた方がやはり深かったのであろう、慰められない姨捨で、人に見咎められない程度に、お世話申し上げていらっしゃった。
今なお、あの内心の思いを忘れることができず、小侍従という相談相手は、宮の御侍従の乳母の娘だった。その乳母の姉があの衛門督の君の御乳母だったので、早くから親しくご様子を伺っていて、まだ宮が幼くいらっしゃった時から、とてもお美しくいらっしゃるとか、帝が大事にしていらっしゃるご様子など、お聞き申していて、このような思いもついたのであった。
[7-2 柏木、小侍従を語らう]
こうして、院も離れていらっしゃる時、人目が少なくひっそりした時を推量して、小侍従を度々迎えては、懸命に相談をもちかける。
「昔から、このように寿命も縮むほどに思っていることを、このような親しい手づるがあって、ご様子を伝え聞いて、抑え切れない気持ちをお聞き頂いて、心丈夫にしているのに、全然その甲斐がないので、ひどく辛い。
院の上でさえ、『あのように大勢の方々と関わっていらっしゃって、他人に負けておいでのようで、独りでお寝みになる夜々が多く、寂しく過ごしていらっしゃるそうです』などと、人が奏上した時にも、少し後悔なさっている御様子で、
『同じ降嫁させるなら、臣下で安心な後見を決めるには、誠実にお仕えするような人を決めるべきであった』と、仰せになって、『女二の宮が、かえって安心で、将来長く幸福にお暮らしなさるようだ』
と、仰せになったのを伝え聞いたが。お気の毒にも、残念にも、どんなに思い悩んだことだろうか。
なるほど、同じご姉妹を頂戴したが、それはそれで別のことに思えるのだ」
と、思わず溜息をお漏らしになるので、小侍従は、
「まあ、何と、大それたことを。その方を別事とお置き申し上げなさって、さらにまた、なんと途方もないお考えをお持ちなのでしょう」
と言うと、ちょっとほほ笑んで、
「そうではあった。宮に恐れ多くも求婚申し上げたことは、院にも帝にもお耳にあそばしていらっしゃるのだ。どうして、そうとして相応しからぬことがあろうと、何かの機会に仰せになったのだ。いやなに、ただ、もう少しご慈悲を掛けて下さったならば」
などと言うと、
「とてもお難しいことですわ。ご宿運とか言うことがございますのに、それが本となって、あの院が言葉に出して丁重に求婚申し上げなさったのに、同じように張り合ってお妨げ申し上げることがおできになるほどのご威勢であったとお思いでしたか。最近は、少し貫祿もつき、ご衣装の色も濃くおなりになりましたが」
と言うので、言いようもなく遠慮のない口達者さに、最後までおっしゃり切れないで、
「今はもうよい。過ぎたことは申し上げまい。ただ、このようにめったにない人目のない機会に、お側近くで、わたしの心の中に思っていることを、少しでも申し上げられるようにとり計らって下さい。大それた考えは、まったく、まあ見て下さい、たいそう恐ろしいので、思ってもおりません」
とおっしゃると、
「これ以上大それた考えは、他に考えられますか。何とも恐ろしいことをお考えになったことですよ。どうして伺ったのでしょう」
と、口を尖らせる。
[7-3 小侍従、手引きを承諾]
「まあ、何と、聞きにくいことを。あまり大げさな物の言い方をなさるというものだ。男女の縁は分からないものだから、女御、后と申しても、事情がって、情を交わすことがないわけではあるまい。まして、その宮のご様子よ。思えば、たいそう又となく立派であるが、内情は面白くないことが多くあることだろう。
院が、大勢のお子様方の中で、他に肩を並べる者がないほど大切にお育て申し上げておいででしたのに、さほど同列とは思えないご夫人方の中にたち混じって、失礼に思うようなことがあるに違いない。何もかも知っておりますよ。世の中は無常なものですから、一概に決めつけて、取り付く島もなく、ぶっきらぼうにおっしゃるものではないよ」
とおっしゃるので、
「他の人から負かされていらっしゃるご境遇だからと言って、今さら別の結構な縁組をなさるというわけにも行きますまい。このご結婚は世間一般の結婚ではございませんでしょう。ただ、ご後見がなくて頼りなくお暮らしになるよりは、親代わりになって頂こう、というお譲り申し上げなさったご結婚なので、お互いにそのように思い合っていらっしゃるようです。つまらない悪口をおっしゃるものです」
と、しまいには腹を立てるが、いろいろと言いなだめて、
「本当は、そのように世に又とないご様子を日頃拝見していらっしゃるお方に、人数でもない見すぼらしい姿を、気を許して御覧に入れようとは、まったく考えていないことです。ただ一言、物越しに申し上げたいだけで、どれほどのご迷惑になることがありましょう。神仏にも思っていることを申し上げるのは、罪になることでしょうか」
と、大変な誓言を繰り返しおっしゃるので、暫くの間は、まったくとんでもないことだと断っていたが、思慮の足りない若い女は、男がこのように命に代えてたいそう熱心にお頼みになるので、断り切れずに、
「もし、適当な機会があったら、手立ていたしましょう。院がいらっしゃらない夜は、御帳台の回りに女房が大勢仕えていて、お寝みになる所には、しかるべき人が必ず伺候していらっしゃるので、どのような機会に、隙を見つけたらよいのだろう」
と、困りながら帰参した。
[7-4 小侍従、柏木を導き入れる]
どうなのか、どうなのかと、毎日催促され困って、適当な機会を見つけ出して、手紙をよこした。喜びながら、ひどく粗末で目立たない姿でいらっしゃった。
本当に、自分ながらまことに善くないことなので、お側近くに参って、かえって煩悶が勝ることまでは、考えもしないで、ただ、
「ほんの微かにお召し物の端だけを拝見した春の夕方が、いつまでも思い出されなさるご様子を、もう少しお側近くで拝見し、思っている気持ちをもお聞かせ申し上げたら、ほんの一くだりほどのお返事だけでも下さりはしまいか、かわいそういと思っては下さらないだろうか」
と思うのであった。
四月十日過ぎのことである。御禊が明日だと言って、斎院に差し上げなさる女房を十二人、特別に上臈ではない若い女房、女の童など、それぞれ裁縫をしたり、化粧などをしいしい、見物をしようと準備するのも、それぞれに忙しそうで、御前の方がひっそりとして、人が多くない時であった。
側近くに仕えている按察の君も、時々通って来る源中将が、無理やり呼び出させたので、下がっている間に、ただこの小侍従だけが、お側近くには伺候しているのであった。ちょうど良い機会だと思って、そっと御帳台の東面の御座所の端に座らせた。そんなにまですべきことであろうか。
[7-5 柏木、女三の宮をかき抱く]
宮は、無心にお寝みになっていらっしゃったが、近くに男性の感じがするので、院がいらっしゃったとお思いになったが、かしこまった態度で、浜床の下に抱いてお下ろし申したので、魔物に襲われたのかと、やっとの思いで目を見開きなさると、違う人なのであった。
妙なわけも分からないことを申し上げるではないか。驚いて恐ろしくなって、女房を呼ぶが、近くに控えていないので、聞きつけて参上する者もいない。震えていらっしゃる様子、水のように汗が流れて、何もお考えになれない様子、とてもいじらしく可憐な感じである。
「人数の者ではありませんが、まことにこんなにまでも軽蔑されるべき身の上ではないと、存ぜずにはいられません。
昔から身分不相応の思いがございましたが、一途に秘めたままにしておきましたら、心の中に朽ちて過ぎてしまったでしょうが、かえって、少し願いを申し上げさせていただいたところ、院におかせられても御承知おきあそばされましたが、まったく問題にならないように仰せにはならなかったので、望みを繋ぎ始めまして、身分が一段劣っていたがために、誰よりも深くお慕いしていた気持ちを無駄なものにしてしまったことと、残念に思うようになりました気持ちが、すべて今では取り返しのつかないことと思い返しはいたしますが、どれほど深く取りついてしまったことなのか、年月と共に、残念にも、辛いとも、気味悪くも、悲しくも、いろいろと深く思いがつのることに、堪えかねて、このように大それた振る舞いをお目にかけてしまいましたのも、一方では、まことに思慮浅く恥ずかしいので、これ以上大それた罪を重ねようという気持ちはまったくございません」
と言い続けるうちに、この人だったのだとお分りになると、まことに失礼な恐ろしいことに思われて、何もお返事なさらない。
「まことにごもっともなことですが、世間に例のないことではございませんのに、又とないほどな無情なご仕打ちならば、まことに残念で、かえって向こう見ずな気持ちも起こりましょうから、せめて不憫な者よとだけでもおっしゃって下されば、その言葉を承って退出しましょう」
と、さまざまに申し上げなさる。
[7-6 柏木、猫の夢を見る]
はたから想像すると威厳があって、馴れ馴れしくお逢い申し上げるのもこちらが気が引けるように思われるようなお方なので、「ただこのように思い詰めているほんの一部を申し上げて、なまじ色めいた振る舞いはしないでおこう」と思っていたが、実際それほど気品高く恥ずかしくなるような様子ではなくて、やさしくかわいらしくて、どこまでももの柔らかな感じにお見えになるご様子で、上品で素晴らしく思えることは、誰とも違う感じでいらっしゃるのであった。
賢明に自制していた分別も消えて、「どこへなりとも連れて行ってお隠し申して、自分もこの世を捨てて、姿を隠してしまいたい」とまで思い乱れた。
ただちょっとまどろんだとも思われない夢の中に、あの手なずけた猫がとてもかわいらしく鳴いてやって来たのを、この宮にお返し申し上げようとして、自分が連れて来たように思われたが、どうしてお返し申し上げようとしたのだろうと思っているうちに、目が覚めて、どうしてあんな夢を見たのだろう、と思う。
宮は、あまりにも意外なことで、現実のことともお思いになれないので、胸がふさがる思いで、途方に暮れていらっしゃるのを、
「やはり、このように逃れられないご宿縁が、浅くなかったのだとお思い下さい。自分ながらも、分別心をなくしたように、思われます」
あの身に覚えのなかった御簾の端を、猫の綱が引いた夕方のこともお話し申し上げた。
「なるほど、そうであったことなのか」
と、残念に、前世からの宿縁が辛い御身の上なのであった。「院にも、今はどうしてお目にかかることができようか」と、悲しく心細くて、まるで子供のようにお泣きになるのを、まことに恐れ多く、いとしく拝見して、相手のお涙までを拭う袖は、ますます露けさがまさるばかりである。
[7-7 きぬぎぬの別れ]
夜が明けてゆく様子であるが、帰って行く気にもなれず、かえって逢わないほうがましであったほどである。
「いったい、どうしたらよいのでしょう。ひどくお憎みになっていらっしゃるので、再びお話し申し上げることも難しいでしょうが、ただ一言だけでもお声をお聞かせ下さい」
と、さまざまに申し上げて困らせるのも、煩わしく情けなくて、何もまったくおしゃれないので、
「しまいには、薄気味悪くさえなってしまいました。他に、このような例はありますまい」
と、まことに辛いとお思い申し上げて、
「それでは生きていても無用のようですね。いっそ死んでしまいましょう。生きていたいからこそ、こうしてお逢いもしたのです。今晩限りの命と思うとたいそう辛うございます。少しでもお心を開いて下さるならば、それを引き換えにして命を捨てもしましょうが」
と言って、抱いて外へ出るので、しまいにはどうするのだろうと、呆然としていらっしゃる。
隅の間の屏風を広げて、妻戸を押し開けると、渡殿の南の戸の、昨夜入った所がまだ開いたままになっているが、まだ夜明け前の暗いころなのであろう、ちらっと拝見しようとの気があるので、格子を静かに引き上げて、
「このように、まことに辛い無情なお仕打ちなので、正気も消え失せてしまいました。少しでも気持ちを落ち着けるようにとお思いならば、せめて一言かわいそうにとおっしゃって下さい」
と、脅して申し上げると、とんでもないとお思いになって、何かおっしゃろうとなさったが、震えるばかりで、ほんとうに子供っぽいご様子である。
ただ夜が明けて行くので、とても気が急かれて、
「しみじみとした夢語りも申し上げたいのですが、このようにお憎みになっていらっしゃるので。そうは言っても、やがてお思い当たりなさることもございましょう」
と言って、気ぜわしく出て行く明けぐれ、秋の空よりも物思いをさせるのである。
「起きて帰って行く先も分からない明けぐれに
どこから露がかかって袖が濡れるのでしょう」
と、袖を引き出して訴え申し上げるので、帰って行くのだろうと、少しほっとなさって、
「明けぐれの空にこの身は消えてしまいたいものです
夢であったと思って済まされるように」
と、力弱くおっしゃる声が、若々しくかわいらしいのを、聞きも果てないようにして出てしまった魂は、ほんとうに身を離れて後に残った気がする。
[7-8 柏木と女三の宮の罪の恐れ]
女宮のお側にもお帰りにならないで、大殿へこっそりとおいでになった。横にはなったが目も合わず、あの見た夢が当たるかどうか難しいことを思うと、あの夢の中の猫の様子が、とても恋しく思い出さずにはいられない。
「それにしても大変な過ちを犯したものだな。この世に生きて行くことさえ、できなくなってしまった」
と、恐ろしく何となく身もすくむ思いがして、外歩きなどもなさらない。女のお身の上は言うまでもなく、自分を考えてもまことにけしからぬ事という中でも、恐ろしく思われるので、気ままに出歩くことはとてもできない。
帝のお妃との間に間違いを起こして、それが評判になったような時に、これほど苦しい思いをするなら、そのために死ぬことも、苦しくないことだろう。それほど、ひどい罪に当たらなくても、この院に睨まれ申すことは、まことに恐ろしく目も合わせられない気がする。
この上ない高貴な身分の女性とは申し上げても、少し夫婦馴れした所もあって、表面は優雅でおっとりしていても、心中はそうでもない所があるのは、あれやこれやの男の言葉に靡いて、情けをお交わしなさる例もあるのだが、この方は深い思慮もおありでないが、ひたすら恐がりなさるご性質なので、もう今にも誰かが見つけたり聞きつけたりしたかのように、目も上げられず、後ろめたくお思いなさるので、明るい所へいざり出なさることさえおできになれない。まことに情けないわが身の上だと、自分自身お分りになるのであろう。
ご気分がすぐれない、とあったので、大殿はお聞きになって、たいそうお心をお尽くしになるご看病に加えて、またどうしたことかとお驚きあそばして、お渡りになった。
どこそこと苦しそうな事もお見えにならず、とてもひどく恥ずかしがり沈み込んで、まともにお顔をお合わせ申されないのを、「長くなった絶え間を恨めしくお思いになっていらっしゃるのか」と、お気の毒に思って、あちらのご病状などをお話し申し上げなさって、
「もう最期かも知れません。今になって薄情な態度だと思われまいと思いましてね。幼いころからお世話して来て、放って置けないので、このように幾月も何もかもうち忘れて看病して来たのですよ。いつか、この時期が過ぎたら、きっとお見直し頂けるでしょう」
などと申し上げなさる。このようにお気づきでないのも、お気の毒にも心苦しくもお思いになって、宮は人知れずつい涙が込み上げてくる。
[7-9 柏木と女二の宮の夫婦仲]
督の君は、宮以上に、かえって苦しさがまさって、寝ても起きても明けても暮れても日を暮らしかねていらっしゃる。祭の日などは、見物に先を争って行く公達が連れ立って誘うが、悩ましそうにして物思いに沈んで横になっていらっしゃった。
女宮を、丁重にお扱い申しているが、親しくお逢い申されることもほとんどなさらず、ご自分の部屋に離れて、とても所在なさそうに心細く物思いに耽っていらっしゃるところに、女童が持っている葵を御覧になって、
「悔しい事に罪を犯してしまったことよ
神が許した仲ではないのに」
と思うにつけても、まことになまじ逢わないほうがましな思いである。
世間のにぎやかな車の音などを、他人事のように聞いて、我から招いた物思いに、一日が長く思われる。
女宮も、このような様子のつまらなさそうなのがお分かりになるので、どのような事情とはお分かりにならないが、気が引け心外なと思われるにつけ、面白くない思いでいられるのであった。
女房などは、見物に皆出かけて、人少なでのんびりしているので、物思いに耽って、箏の琴をやさしく弾くともなしに弾いていらっしゃるご様子も、内親王だけあって高貴で優雅であるが、「同じ皇女を頂くなら、もう一段及ばなかった運命よ」と、今なお思われる。
「劣った落葉のような方をどうして娶ったのだろう
同じ院のご姉妹ではあるが」
と遊び半分に書いているのは、まこと失礼な蔭口である。
8 紫の上の物語 死と蘇生
[8-1 紫の上、絶命す]
大殿の君は、たまたまお渡りになって、すぐにはお帰りになることもできず、落ち着いていらっしゃれないところに、
「息をお引きとりになりました」
と言って、使者が参上したので、まったく何を考えることもおできになれず、お心も真暗になってお帰りになる。その道中気が気でないところ、なるほどあちらの院は、周囲の大路まで人が騷ぎ立っていた。邸の中の泣きわめいている様子、まことに不吉である。無我夢中で中にお入りになると、
「ここのところ数日は、少しよろしいようにお見えになったのですが、急に、このようにおなりになりました」
と言って、控えている女房たちは皆、自分も後を追おうと、うろうろしている者たちが、数限りない。いく壇もの御修法の壇を壊して、僧たちも残るべき人は残っているが、ばらばらと立ち騒ぐのを御覧になると、「それではもう最期なのだ」とお思い切りなさるその情けなさに、他にどのような比べるものがあろうか。
「そうは言っても、物の怪のすることであろう。まことに、そんなにむやみに騒ぐな」
と皆をお静めになって、ますます大層ないくつもの願をお立て加えさせなさる。すぐれた験者たちをすべて召し集めて、
「有限なご寿命であるから、この世でのご寿命が終わったとしても、ただ、もう暫く延ばして下さい。不動尊の御本の誓いがあります。せめてその日数だけでも、この世にお引き止め申して下さい」
と、頭から本当に黒い煙を立てて、大変な熱心さでご加持申し上げる。院も、
「ただ、もう一度目と目を見合わせて下さい。まったくあっけなく臨終の時をさえ、会わずじまいであったことが、悔しく悲しいのですよ」
と取り乱している様子は、生き残っていらっしゃることができそうにないのを、拝見する心地は、ただ想像できよう。大変なご悲痛を、仏も御照覧申されたのであろうか、このいく月もまったく現れなかった物の怪が小さい童に乗り移って、大声でわめくうちに、だんだんと生き返っていらっしゃって、嬉しくも不吉にもお心が騒がずにはいらっしゃれない。
[8-2 六条御息所の死霊出現]
ひどく調伏されて、
「他の人は皆去りなさい。院お一人方のお耳に申し上げたい。自分をこのいく月も調伏し困らせなさるのが薄情で辛いので、同じことならお知らせしようと思ったが、そうは言っても命が耐えられないほど、身を粉にして悲嘆に暮れていらっしゃるご様子を拝見すると、今でこそ、このようなあさましい姿に変わっているが、昔の愛執が残っていればこそ、このように参上したので、お気の毒な様子を放って置くことができなくて、とうとう現れ出てしまったのです。決して知られまいと思っていたのに」
と言って、髪を振り掛けて泣く様子は、まったく昔御覧になった物の怪の恰好と見えた。こんなことがこの世にあろうか、恐ろしいことだと、心底お思い込みになったことが相変わらず忌まわしいことなので、この童女の手を捉えて、じっとさせて、体裁の悪いようにはおさせにならない。
「本当にあなたか。良くない狐などと言うもので、気の狂ったのが、亡くなった人の不名誉になることを言い出すということもあると言うから、はっきりと名乗りをせよ。また誰も知らないようなことで、心にはっきりと思い出されるようなことを言いなさい。そうすれば、少しは信じもしよう」
とおっしゃると、ぽろぽろとひどく泣いて、
「わたしはこんな変わりはてた身の上となってしまったが
知らないふりをするあなたは昔のままですね
とてもひどい方だわ、とてもひどい方だわ」
と泣き叫ぶ一方で、そうはいっても恥ずかしがっている様子、昔に変わらず、かえってまことに疎ましい気がし、情けないので、何も言わせまいとお思いになる。
「中宮の御事につけても、大変に嬉しく有り難いことだと、魂が天翔りながら拝見していますが、明幽境を異にしてしまったので、子の身の上までも深く思われないのでしょうか、やはり、自分自身がひどい方だとお思い申し上げた方への愛執が残るのでした。
その中でも、生きているうちに、人より軽いお扱いをなさってお見捨てになったことよりも、お親しい者どうしのお話の時に、性格が善くない扱いにくい女であったとおっしゃったのが、まことに恨めしくて。今はもう亡くなってしまったのだからとお許し下さって、他人が悪口を言うのでさえ、打ち消してかばって戴きたいと思うと、その思っただけで、このように恐ろしい身の上なので、このように大変なことになったのです。
この方を、心底憎いと思い申すことはないが、あなたの神仏の加護が強くて、とてもご身辺は遠い感じがして、近づき参ることができず、お声さえもかすかに聞くだけでおります。
よし、今はもう、この罪障を軽めることをなさって下さい。修法や読経の大声を立てることも、わが身には苦しく情けない炎となってまつわりつくばかりで、まったく尊いお経の声も聞こえないので、まことに悲しい気がします。
中宮にも、この旨をお伝え申し上げて下さい。決して御宮仕え中に、他人と争ったり嫉妬したりする気をお持ちになってなりません。斎宮でいらっしゃったころのご罪障を軽くするような功徳のことを、必ずなさるように。ほんとうに残念なことでしたよ」
などと、言い続けるが、物の怪に向かってお話なさることも、気が引けることなので、物の怪を封じ込めて、紫の上を、別の部屋に、こっそりお移し申し上げなさる。
[8-3 紫の上、死去の噂流れる]
このようにお亡くなりになったという噂が、世間に広がって、ご弔問に参上なさる方々がいるのを、まことに縁起でもなくお思いになる。今日の祭の翌日の行列の見物にお出かけになった上達部などは、お帰りになる道すがら、このように人が申すので、
「大変な事になったな。この世の生甲斐を満喫した幸福な方が、光を失う日なので、雨がしょぼしょぼ降るのだな」
と、思いつきの発言をなさる方もいる。また、
「このようにすべてに満ち足りた方は、必ず寿命も長くはないことです。『何を桜に』と言う古歌もあることよ。このような方が、ますます世に長生きをして、この世の楽しみの限りを尽くしたら、はたの人が迷惑するだろう。これでやっと、二品の宮は、本来のご寵愛をお受けになられることだろう。お気の毒に圧倒されていたご寵愛であったから」
などと、ひそひそ噂するのであった。
衛門督は、昨日一日とても過ごしにくかったことを思って、今日は、弟の方々の、左大弁、藤宰相など、車の奥の方に乗せて見物なさった。このように噂しあっているのを聞くにつけても、胸がどきっとして、
「どうして嫌な世の中に長生きしようか」
と、独り口ずさんで、あちらの院に皆で参上なさる。不確かなことなので縁起でもないことを言っては、と思って、ただ普通のお見舞いの形で参上したところ、このように人が泣き叫んでいるので、本当だったのだなと、驚きなさった。
式部卿宮もお越しになって、とてもひどくご悲嘆なさった様子でお入りになる。一般の方々のご弔問も、お伝え申し上げることがおできになれない。大将の君が、涙を拭って出ていらっしゃったので、
「いかがですか、いかがですか。縁起でもないふうに皆が申しましたので、信じがたいことです。ただ長い間のご病気と承って嘆いて参上しました」
などとおっしゃる。
「大変に重態になって、月日を送っていらっしゃったが、今日の夜明け方から息絶えてしまわれましたが、物の怪の仕業でした。だんだんと息を吹き返しなさったふうに聞きまして、今ちょうど皆安心したようですが、まだとても気がかりでなりません。おいたわしい限りです」
と言って、本当にひどくお泣きになるご様子である。目も少し腫れている。衛門督は、自分のけしからぬ気持ちに照らしてか、この君が、大して親しい関係でもない継母のご病気を、ひどく悲嘆していらっしゃるなと、目を止める。
このように、いろいろな方々がお見舞いに参上なさった旨をお聞きになって、
「重病人が、急に息を引き取ったふうになったのですが、女房たちは、冷静さを失って、取り乱して騷ぎましたが、自分自身も落ちつきをなくして、取り乱しております。後日改めて、このお見舞いにはお礼申し上げます」
とおっしゃった。督の君は胸がどきっとして、このようなのっぴきならぬ事情がなければ参上できそうになく、何がなし恐ろしい気がするのも、心中後ろめたいところがあるからなのであった。
[8-4 紫の上、蘇生後に五戒を受く]
このように生き返りなさった後は、恐ろしくお思いになって、再度、大変ないくつもの修法のあらん限りを追加して行わせなさる。
生きていた時の人でさえ、嫌な気がしたご様子の方が、まして死後に、異形のものに姿を変えていらっしゃるのだろうことをご想像なさると、まことに気味が悪いので、中宮をお世話申し上げなさることまでが、この際は億劫になり、せんじつめれば、女性の身は、皆同様に罪障の深いものだと、すべての男女関係が嫌になって、あの、他人は聞かなかったお二人の睦言に、少しお話し出しになったことを言い出したので、確かにそうだとお思い出しになると、まことに厄介なことに思わずにはいらっしゃれない。
御髪を下ろしたいと切望なさっているので、持戒による功徳もあろうかと考えて、頭の頂を形式的に挟みを入れて、五戒だけをお受けさせ申し上げなさる。御戒の師が、持戒のすぐれている旨を仏に申すにつけても、しみじみと尊い文句が混じっていて、体裁が悪いまでお側にお付きなさって、涙をお拭いになりながら、仏を一緒にお念じ申し上げなさる様子は、この世に又となく立派でいらっしゃる方も、まことにこのようにご心痛になる非常時に当たっては、冷静ではいらっしゃれないものなのであった。
どのような手立てをしてでも、この方をお救い申しこの世に引き止めておこうとばかり、昼夜お嘆きになっているので、ぼうっとするほどになって、お顔も少しお痩せになっていた。
[8-5 紫の上、小康を得る]
五月などは、これまで以上に、晴々しくない空模様で、すっきりした気分におなりになれないが、以前よりは少し良い状態である。けれども、やはりずっと絶えることなくお悩みになっている。
物の怪の罪障を救えるような仏事として、毎日法華経を一部ずつ供養させなさる。毎日何やかやと尊い供養をおさせになる。御枕元近くでも、不断の御読経を、声の尊い人だけを選んでおさせになる。物の怪が正体を現すようになってからは、時々悲しげなことを言うが、まったくこの物の怪がすっかり消え去ったというわけではない。
ますます暑いころは、息も絶え絶えになって、ますますご衰弱なさるので、何とも言いようがないほどお嘆きになった。意識もないようなご病状の中でも、このようなご様子をお気の毒に拝見なさって、
「この世から亡くなっても、わたしには少しも残念だと思われることはないが、これほどご心痛のようなので、自分の亡骸をお目にかけるのも、いかにも思いやりのないことだから」
と、気力を奮い起こして、お薬湯などを少し召し上がったせいか、六月になってからは、時々頭を枕からお上げになった。珍しいことと拝見なさるにつけても、やはり、とても危なそうなので、六条院にはわずかの間でもお出向きになることができない。
9 女三の宮の物語 懐妊と密通の露見
[9-1 女三の宮懐妊す]
姫宮は、わけの分からなかった出来事をお嘆きになって以来、そのまま普通のお具合ではいらっしゃらず、苦しそうにしておいでであったが、そうひどい状態でもなく、先月から、食べ物をお召し上がりにならず、ひどく蒼ざめてやつれていらっしゃる。
あの人は、無性に我慢ができない時々には、夢のようにお逢い申し上げたが、宮は、どこまでも無体なことだとお思いになっていた。院をひどくお恐がり申されるお気持ちから、態度も人品も、同等に見られようか、たいそう風流っぽく優美にしているので、一般の目には、普通の人以上に誉められるが、幼い時から、そのように類例のないご様子の方に馴れ親しんでいらっしゃるお心にとっては、心外な者とばかり見ていらっしゃるうちに、このようにずっとお悩みになることは、気の毒なご運命であった。
御乳母たちは懐妊の様子に気がついて、院がお越しになることも実にたまにでしかないのを、ぶつぶつお恨み申し上げる。
このようにお苦しみでいらっしゃるとお聞きになってお出かけになる。女君は、暑く苦しいと言って、御髪を洗って、少しさわやかにしていらっしゃった。横になりながら髪を投げ出していらっしゃったので、すぐには乾かないが、少しもふくらんだり、乱れたりした毛もなくて、実に清らかにゆらゆらとたっぷりあって、蒼く痩せていらっしゃるのが、かえって青白くかわいらしげに見え、透き透ったように見えるお肌つきなどは、又とないほど可憐な感じである。脱皮した虫の脱殻かのように、まだとても頼りない感じでいらっしゃる。
長年お住みにならなかったので、多少荒れていた院の内、喩えようもないくらい手狭な感じにさえ見える。昨日今日とこのように意識のおありの時に、特別に手入れをさせた遣水、前栽が、急にさわやかに感じられるのを御覧になっても、しみじみと、今まで過ごしてきたことをお思いになる。
[9-2 源氏、紫の上と和歌を唱和す]
池はとても涼しそうで、蓮の花が一面に咲いているところに、葉はとても青々として、露がきらきらと玉のように一面に見えるのを、
「あれを御覧なさい。自分ひとりだけ涼しそうにしているね」
とおっしゃると、起き上がって外を御覧になるのも、実に珍しいことなので、
「このように拝見するのさえ、夢のような気がします。ひどく、自分自身までが終わりかと思われた時がありましたよ」
と涙を浮かべておっしゃると、自分自身でも胸がいっぱいになって、
「露が消え残っている間だけでも生きられましょうか
たまたま蓮の露がこうしてあるほどの命ですから」
とおっしゃる。
「お約束して置きましょう、この世ばかりでなく来世に蓮の葉の上に
玉と置く露のようにいささかも心の隔てを置きなさいますな」
お出かけになる先は億劫であるが、帝におかれても院おかれても、お耳にあそばすこともあるので、ご病気と聞いてしばらくたっているので、目の前の病人に心を混乱させていた間、お目にかかることもほとんどなかったので、このような雲の晴れ間にまで引き籠もっていては、とお思い立ちになって、お出かけになった。
[9-3 源氏、女三の宮を見舞う]
宮は、良心の呵責に苛まれて、お会いするのも恥ずかしく、気が引けてお思いになると、何かおっしゃるお言葉にも、お返事申し上げなさらないので、長い間会わずにいたことを、そうと言わないけれど辛くお思いになっているのだと、お気の毒なので、あれやこれやとお慰めになる。年輩の女房を召して、ご気分の様子などをお尋ねになる。
「普通のお身体ではいらっしゃいません」
と、ご気分のすぐれないご様子を申し上げる。
「妙だな。今ごろになってご妊娠だとは」
とだけおっしゃって、ご心中には、「長年連れ添った妻たちでさえそのようなことはなかったのに、不確かなことなので、どうなのか」
とお思いなさるので、特にあれこれとおっしゃらずに、ただ、お苦しみでいらっしゃる様子がとても痛々しげなのを、いたわしく拝見なさる。
やっとのことでお思い立ちになってお越しになったので、すぐにはお帰りになることはできず、二、三日いらっしゃる間、「どうしているだろうか、どうしているだろうか」と気がかりにお思いになるので、お手紙ばかりをこまごまとお書きになる。
「いつの間にたくさんお言葉が溜るのでしょう。まあ、何と、心配でならないこと」
と、若君の御過ちを知らない女房は言う。侍従だけは、このようなことにつけても胸騷ぎがするのであった。
あの人も、このようにお越しになっていると聞くと、大それた考え違いを起こして、大層な訴え事を書き綴っておよこしになった。対の屋にちょっとお渡りになっている間に、人少なであったので、こっそりとお見せ申し上げる。
「厄介な物を見せるのは、とても辛いわ。気分がますます悪くなりますから」
と言ってお臥せになっているので、
「でも、ただ、このはしがきが、お気の毒な気がいたしますよ」
と言って、広げたところへ誰か参ったので、まこと困って、御几帳を引き寄せて出て行った。
ますます胸がどきどきしているところに、院がお入りになったので、上手にお隠しになることもできず、御褥の下にさし挟みなさった。
[9-4 源氏、女三の宮と和歌を唱和す]
夜になってから、二条院にお帰りになろうとして、ご挨拶を申し上げなさる。
「こちらには、お具合は悪くないようにお見えですが、まだとても頼りなさそうなのを、放って置くように思われますのも、今さらお気の毒なので。悪く申す者がありましても、決してお気になさいますな。やがてきっとお分かりになりましょう」
とお慰めになる。いつもは、子供っぽい冗談事などを、気楽に申し上げなさるのだが、ひどく沈み込んで、ちゃんと目をお合わせ申すこともなさらないのを、ただ側にいないのを恨んでいらっしゃるのだとお思いなさる。
昼の御座所に横におなりになって、お話など申し上げているうちに日が暮れてしまった。少しお寝入りになってしまったが、ひぐらしが派手に鳴いたのに目をお覚ましになって、
「それでは、道が暗くならない間に」
と言って、お召し物などをお召し替えになる。
「月を待って、と言うそうですから」
と、若々しい様子でおっしゃるのはとてもいじらしい。「その間でも、とお思いなのだろうか」と、いじらしくお思いになって、お立ち止まりになる。
「夕露に袖を濡らせというつもりで、ひぐらしが鳴くのを
聞きながら起きて行かれるのでしょうか」
子供のようなあどけないままにおっしゃったのもかわいらしいので、膝をついて、
「ああ、困りましたこと」
と、溜息をおつきになる。
「わたしを待っているほうでもどのように聞いているでしょうか
それぞれに心を騒がすひぐらしの声ですね」
などとご躊躇なさって、やはり無情に帰るのもお気の毒なので、お泊まりになった。心は落ち着かず、そうは言っても物思いにお耽りになって、果物類だけを召し上がりなどなさって、お寝みになった。
[9-5 源氏、柏木の手紙を発見]
まだ朝の涼しいうちにお帰りになろうとして、早くお起きになる。
「昨夜の扇を落として。これでは風がなま温いな」
と言って、御桧扇をお置きになって、昨日うたた寝なさった御座所の近辺を、立ち止まってお探しになると、御褥の少し乱れている端から、浅緑の薄様の手紙で、押し巻いてある端が見えるのを、何気なく引き出して御覧になると、男性の筆跡である。紙の香りなどはとても優美で、気取った書きぶりである。二枚にこまごまと書いてあるのを御覧になると、「紛れようもなく、あの人の筆跡である」と御覧になった。
お鏡の蓋を開けて差し上げる女房は、やはり殿が御覧になるはずの手紙であろうと、事情を知らないが、小侍従はそれを見つけて、昨日の手紙と同じ色と見ると、まことにたいそう、胸がどきどき鳴る心地がする。お粥などを差し上げる方には見向きもせず、
「いいえ、いくら何でも、それはあるまい。本当に大変で、そのようなことがあろうか。きっとお隠しになったことだろう」
としいて思い込む。
宮は、無心にまだお寝みになっていらっしゃった。
「何と、幼いのだろう。このような物をお散らかしになって。自分以外の人が見つけたら」
とお思いになるにつけても、見下される思いがして、
「やはりそうであったか。本当に奥ゆかしいところがないご様子を、不安であると思っていたのだ」
とお思いになる。
[9-6 小侍従、女三の宮を責める]
お帰りになったので、女房たちが少しばらばらになったので、侍従がお側に寄って、
「昨日のお手紙は、どのようにあそばしましましたか。今朝、院が御覧になっていた手紙の色が、似ておりましたが」
と申し上げると、意外なことと驚きなさって、涙が止めどもなく出て来るので、お気の毒に思う一方で、「何とも言いようのない方だ」と拝し上げる。
「どこに、お置きあそばしましたか。女房たちが参ったので、子細ありげに近くに控えておりまいと、ちょっとしたぐらいの用心でさえ、気が咎めますので慎重にしておりましたのに。お入りあそばしました時には、少し間がございましたが、お隠しあそばただろうと、存じておりました」
と申し上げると、
「いいえ、それがね。見ていた時にお入りになったので、すぐに起き上がることもできないで、褥に差し挟んで置いたのを、忘れてしまったの」
とおっしゃるので、何ともまったく申し上げる言葉もない。近寄って探すが、どこにもあろうはずがない。
「まあ、大変。かの君も、とてもひどく恐れ憚って、素振りにもお聞かせ申されるようなことがあったら大変と、恐縮申していられたものを。まだいくらもたたないのに、もうこのような事になってしまってよ。全体、子供っぽいご様子でいらして、人にお姿をお見せあそばしたので、長年あれほどまで忘れることができず、ずっと恨み言を言い続けていらっしゃったが、こうまでなるとは存じませんでした事ですわ。どちら様のためにも、お気の毒な事でございますわ」
と、遠慮もなく申し上げる。気安く子供っぽくいらっしゃるので、ずけずけと申し上げたのであろう。お答えもなさらず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。とても苦しそうで、まったく何もお召し上がりにならないので、
「このようにお苦しみでいらっしゃるのを、放っていらっしゃって、今はもうすっかりお治りになったお方のお世話に、熱心でいらっしゃること」
と、薄情に思って言う。
[9-7 源氏、手紙を読み返す]
大殿は、この手紙をやはり不審に思わずにはいらっしゃれないので、人の見ていない方で、繰り返し御覧になる。「伺候している女房の中で、あの中納言の筆跡に似た書き方で書いたのだろうか」とまでお考えになったが、言葉遣いがはっきりしていて、本人に間違いないことがいろいろと書いてある。
「長年慕い続けてきたことが、偶然に念願が叶って、心にかかってならないといった事を書き尽くした言葉は、まことに見所があって感心するが、本当に、こんなにまではっきりと書いてよいものだろうか。惜しいことに、あれほどの人が、思慮もなく手紙を書いたものだ。人目に触れることがあってはいけないと思ったので、昔、このようにこまごまと書きたい時も、言葉を簡略に簡略にして書き紛らわしたものだ。人が用心するということは難しいことなのだ」
と、その人の心までお見下しなさった。
[9-8 源氏、妻の密通を思う]
「それにしても、この宮をどのようにお扱いしたら良いものだろうか。おめでたいことのご懐妊も、このようなことのせいだったのだ。ああ、何と、厭わしいことだ。このような、目の当たりに嫌な事を知りながら、今までどおりにお世話申し上げるのだろうか」
と、自分のお心ながらも、とても思い直すことはできないとお思いになるが、
「浮気の遊び事としても、初めから熱心でない女でさえ、また別の男に心を分けていると思うのは、気にくわなく疎んじられてしまうものなのに、ましてこの宮は、特別な方で、大それた男の考えであることよ。
帝のお妃と過ちを生じる例は、昔もあったが、それはまた事情が違うのだ。宮仕えと言って、自分も相手も同じ主君に親しくお仕えするうちに、自然と、そのような方面で、好意を持ち合うようになって、みそか事も多くなるというものだ。
女御、更衣と言っても、あれこれいろいろあって、どうかと思われる人もおり、嗜みが必ずしも深いとは言えない人も混じっていて、意外なことも起こるが、重大な確かな過ちと分からないうちは、そのままで宮仕えを続けて行くようなこともあるから、すぐには分からない過ちもきっとあることだろう。
このように、又となく大事にお扱い申し上げて、内心愛情を寄せている人よりも、大切な恐れ多い方と思ってお世話しているような自分をさしおいて、このような事を起こすとは、まったく例がない」
と、つい非難せずにはいらっしゃれない。
「帝とは申し上げても、ただ素直に、お仕えするだけでは面白くもないので、深い私的な思いを訴えかける言葉に引かれて、お互いに愛情を傾け尽くし、放って置けない折節の返事をするようになり、自然と心が通い合うようになった間柄は、同様に良くない事柄だが、まだ理由があろうか。自分自身の事ながら、あの程度の男に宮が心をお分けにならねばならないとは思われないのだが」
と、まことに不愉快ではあるが、また「顔色に出すべきことではない」などと、ご煩悶なさるにつけても、
「故院の上も、このように御心中には御存知でいらして、知らない顔をあそばしていられたのだろうか。それを思うと、その当時のことは、本当に恐ろしく、あってはならない過失であったのだ」
と、身近な例をお思いになると、恋の山路は、非難できないというお気持ちもなさるのであった。
10 光る源氏の物語 密通露見後
[10-1 紫の上、女三の宮を気づかう]
平静を装っていらっしゃるが、ご煩悶の様子がはっきりと見えるので、女君は、生き返ったのをいじらしそうに思ってこちらにお帰りになって、「ご自身どうにもならず、宮をお気の毒に思っていらっしゃるのだろうか」とお思いになって、
「気分は良ろしくなっておりますが、あちらの宮がお悪くいらっしゃいましょうに、早くお帰りになったのが、お気の毒です」
とお申し上げなさるので、
「そうですね。普通のお身体ではないようにお見えになりましたが、別段のご病気というわけでもいらっしゃらないので、何となく安心に思っていましてね。宮中からは、何度もお使いがありました。今日もお手紙があったとか。院が、特別大切になさるようにとお頼み申し上げていらっしゃるので、主上もそのようにお考えなのでしょう。少しでも宮を疎かになどあるようであれば、お二方がどうお思いになるかが、心苦しいことです」
と言って、嘆息なさると、
「帝がお耳にあそばすことよりも、宮ご自身が恨めしいとお思い申し上げなさることのほうが、お気の毒でしょう。ご自分ではお気になさらなくても、良からぬように蔭口を申し上げる女房たちが、きっといるでしょうと思うと、とてもつろう存じます」
などとおっしゃるので、
「なるほど、おっしゃるとおり、ひたすら愛しく思っているあなたには、厄介な縁者はいないが、いろいろと思慮を廻らすことといったら、あれやこれやと、一般の人が思うような事まで考えを廻らされますが、わたしのただ、国王が御機嫌を損ねないかという事だけを気にしているのは、考えの浅いことだな」
と、苦笑して言い紛らわしなさる。お帰りになることは、
「一緒に帰ってよ。ゆっくりと過すことにしよう」
とだけ申し上げなさるのを、
「ここでもう暫くゆっくりしていましょう。先にお帰りになって、宮のご気分もよくなったころに」
と、話し合っていらっしゃるうちに、数日が過ぎた。
[10-2 柏木と女三の宮、密通露見におののく]
姫宮は、このようにお越しにならない日が数日続くのも、相手の薄情とばかりお思いであったが、今では、「自分の過失も加わってこうなったのだ」とお思いになると、院も御存知になって、どのようにお思いだろうかと、身の置き所のない心地である。
かの人も、熱心に手引を頼み続けるが、小侍従も面倒に思い困って、「このような事が、ありました」と知らせてしまったので、まこと驚いて、
「いつの間にそのような事が起こったのだろうか。このような事は、いつまでも続けば、自然と気配だけで感づかれるのではないか」
と思っただけでも、まことに気が引けて、空に目が付いているように思われたが、「ましてあんなに間違いようもない手紙を御覧になったのでは」と、顔向けもできず、恐れ多く、居たたまれない気がして、朝夕の、涼しい時もないころであるが、身も凍りついたような心地がして、何とも言いようもない気がする。
「長年、公事でも遊び事でも、お呼び下さり親しくお伺いしていたものを。誰よりもこまごまとお心を懸けて下さったお気持ちが、しみじみと身にしみて思われるので、あきれはてた大それた者と不快の念を抱かれ申したら、どうして目をお合わせ申し上げることができようか。そうかと言って、ふっつりと参上しなくなるのも、人が変だと思うだろうし、あちらでもやはりそうであったかと、お思い合わせになろう、それが堪らない」
などと、気が気でない思いでいるうちに、気分もとても苦しくなって、内裏へも参内なさらない。それほど重い罪に当たるはずではないが、身も破滅してしまいそうな気がするので、「やっぱり懸念していたとおりだ」と、一方では自分ながら、まことに辛く思われる。
「考えて見れば、落ち着いた嗜み深いご様子がお見えでない方であった。まず第一に、あの御簾の隙間の事も、あっていいことだろうか。軽率だと、大将が思っていらした様子に見えた事だ」
などと、今になって気がつくのである。無理してこの思いを冷まそうとするあまり、むやみに非難つけお思い申し上げたいのであろうか。
[10-3 源氏、女三の宮の幼さを非難]
「良いことだからと言って、あまり一途におっとりし過ぎている高貴な人は、世間の事もご存知なく、一方では、伺候している女房に用心なさることもなくて、このようにおいたわしいご自身にとっても、また相手にとっても、大変な事になるのだ」
と、あのお方をお気の毒だと思う気持ちも、お捨てになることができない。
宮はまことに痛々しげにお苦しみ続けなさる様子が、やはりとてもお気の毒で、このようにお見限りになるにつけては、妙に嫌な気持ちに消せない恋しい気持ちが苦しく思われなさるので、お越しになって、お目にかかりなさるにつけても、胸が痛くおいたわしく思わずにはいらっしゃれない。
御祈祷などを、いろいろとおさせになる。大体のことは、以前と変わらず、かえって労り深く大事にお持てなし申し上げる態度がお加わりさる。身近にお話し合いなさる様子は、まことにすっかりお心が離れてしまって、体裁が悪いので、人前だけは体裁をつくろって、苦しみ悩んでばかりなさっているので、ご心中は苦しいのであった。
そうした手紙を見たともはっきり申し上げなさらないのに、ご自分でとてもむやみに苦しみ悩んでいらっしゃるのも子供っぽいことである。
「まことにこんなお人柄である。良い事だとは言っても、あまりに気がかりなほどおっとりし過ぎているのは、何とも頼りないことだ」
とお思いになると、男女の仲の事がすべて心もとなく、
「女御が、あまりにやさしく穏やかでいらっしゃるのは、このように懸想するような人は、これ以上にきっと心が乱れることであろう。女性は、このように内気でなよなよとしているのを、男も甘く見るのだろうか、あってはならぬが、ふと目にとまって、自制心のない過失を犯すことになるのだ」
とお思いになる。
[10-4 源氏、玉鬘の賢さを思う]
「右大臣の北の方が、特にご後見もなく、幼い時から、頼りない生活を流浪するような有様で、ご成人なさったが、利発で才気があって、自分も表向きは親のようにしていたが、憎からず思う心がないでもなかったが、穏やかにさりげなく受け流して、あの大臣が、あのような心ない女房と心を合わせて入って来たときにも、はっきりと受け付けなかった態度を、周囲の人にも見せて分からせ、改めて許された結婚の形にしてから、自分のほうに落度があったようにはしなかった事など、今から思うと、何とも賢い身の処し方であった。
宿縁の深い仲であったので、長くこうして連れ添ってゆくことは、その初めがどのような事情からであったにせよ、同じような事であったろうが、自分の意志でしたのだと、世間の人も思い出したら、少しは軽率な感じが加わろうが、本当に上手に身を処したことだ」
とお思い出しになる。
[10-5 朧月夜、出家す]
二条の尚侍の君を、依然として忘れず、お思い出し申し上げなさるが、このように気がかりな方面の事を、厭わしくお思いになって、あの方のお心弱さも、少しお見下しなさるのだった。
とうとうご出家の本懐を遂げられたとお聞きになってからは、まことにしみじみと残念に、お心が動いて、さっそくお見舞いを申し上げなさる。せめて今出家するとだけでも知らせて下さらなかった冷たさを、心からお恨み申し上げなさる。
「出家されたことを他人事して聞き流していられましょうか
わたしが須磨の浦で涙に沈んでいたのは誰ならぬあなたのせいなのですから
いろいろな人生の無常さを心の内に思いながら、今まで出家せずに先を越されて残念ですが、お見捨てになったとしても、避けがたいご回向の中には、まず第一にわたしを入れて下さると、しみじみと思われます」
などと、たくさんお書き申し上げなさった。
早くからご決意なさった事であるが、この方のご反対に引っ張られて、誰にもそのようにはお表しなさらなかった事だが、心中ではしみじみと昔からの恨めしいご縁を、何と言っても浅くはお思いになれない事など、あれやこれやとお思い出さずにはいらっしゃれない。
お返事は、今となってはもうこのようなお手紙のやりとりをしてはならない最後とお思いになると、感慨無量となって、念入りにお書きになる、その墨の具合などは、実に趣がある。
「無常の世とはわが身一つだけと思っておりましたが、先を越されてしまったとの仰せを思いますと、おっしゃるとおり、
尼になったわたしにどうして遅れをおとりになったのでしょう
明石の浦に海人のようなお暮らしをなさっていたあなたが
回向は、一切衆生の為のものですから、どうして含まれないことがありましょうか」
とある。濃い青鈍色の紙で、樒に挟んでいらっしゃるのは、通例のことであるが、ひどく洒落た筆跡は、今も変わらず見事である。
[10-6 源氏、朧月夜と朝顔を語る]
二条院にいらっしゃる時なので、女君にも、今ではすっかり関係が切れてしまったこととて、お見せ申し上げなさる。
「とてもひどくやっつけられたものです。本当に、気にくわないよ。いろいろと心細い世の中の様子を、よく見過して来たものですよ。普通の世間話でも、ちょっと何か言い交わしあい、四季折々に寄せて、情趣をも知り、風情を見逃さず、色恋を離れて付き合いのできる人は、斎院とこの君とが生き残っているが、このように皆出家してしまって、斎院は斎院で、熱心にお勤めして、余念なく勤行に精進していらっしゃるということだ。
やはり、大勢の女性の様子を見たり聞いたりした中で、思慮深い人柄で、それでいて心やさしい点では、あの方にご匹敵する人はいなかったなあ。女の子を育てることは、まことに難しいことだ。
宿世などと言うものは、目に見えないことなので、親の心のままにならない。成長して行く際の注意は、やはり力を入れねばならないようです。よくぞまあ、大勢の女の子に心配しなくてもよい運命であった。まだそれほど年を取らなかったころは、もの足りないことだ、何人もいたらと嘆かわしく思ったことも度々あった。
若宮を、注意してお育て申し上げて下さい。女御は、物の分別を十分おわきまえになる年頃でなくて、このようにお暇のない宮仕えをなさっているので、何事につけても頼りないといったふうでいらっしゃるでしょう。内親王たちは、やはりどこまでも人に後ろ指をさされるようなことなくして、一生をのんびりとお過ごしなさるように、不安でない心づかいを、付けたいものです。身分柄、あれこれと夫をもつ普通の女性であれば、自然と夫に助けられるものですが」
などと申し上げなさると、
「しっかりしたしたご後見はできませんでも、世に生き永らえています限りは、是非ともお世話してさし上げたいと思っておりますが、どうなることでしょう」
と言って、やはり何か心細そうで、このように思いどおりに、仏のお勤めを差し障りなくなさっている方々を、羨ましくお思い申し上げていらっしゃった。
「尚侍の君に、尼になられた衣装など、まだ裁縫に馴れないうちはお世話すべきであるが、袈裟などはどのように縫うものですか。それを作って下さい。一領は、六条院の東の君に申し付けよう。正式の尼衣のようでは、見た目にも疎ましい感じがしよう。そうはいっても、法衣らしいのが分かるのを」
などと申し上げなさる。
青鈍の一領を、こちらではお作らせになる。宮中の作物所の人を呼んで、内々に、尼のお道具類で、しかるべき物をはじめとしてご下命なさる。御褥、上蓆、屏風、几帳などのことも、たいそう目立たないようにして、特別念を入れてご準備なさったのであった。
11 朱雀院の物語 五十賀の延引
[11-1 女二の宮、院の五十の賀を祝う]
こうして、山の帝の御賀も延期になって、秋にとあったが、八月は大将の御忌月で、楽所を取り仕切られるのには、不都合であろう。九月は、院の大后がお崩れになった月なので、十月にとご予定を立てたが、姫宮がひどくお悩みになったので、再び延期になった。
衛門督がお引き受けになっている宮が、その月には御賀に参上なさったのだった。太政大臣が奔走して、盛大にかつこまごまと気を配って、儀式の美々しさ、作法の格式の限りをお尽くしなさっていた。督の君も、その機会には、気力を出してご出席なさったのだった。やはり、気分がすぐれず、普通と違って病人のように日を送ってばかりいらっしゃる。
宮も、引き続いて何かと気がめいって、ただつらいとばかりお思い嘆いていられるせいであろうか、懐妊の月数がお重なりになるにつれて、とても苦しそうにいらっしゃるので、院は、情けないとお思い申し上げなさる気持ちはあるが、とても痛々しく弱々しい様子をして、このようにずっとお悩みになっていらっしゃるのを、どのようにおなりになることかと心配で、あれこれとお心をお痛めになられる。ご祈祷など、今年は取り込み事が多くてお過ごしになる。
[11-2 朱雀院、女三の宮へ手紙]
お山におかせられてもお耳にあそばして、いとおしくお会いしたいとお思い申し上げなさる。いく月もあのように別居していて、お越しになることもめったにないように、ある人が奏上したので、どうしたことにかとお胸が騒いで、俗世のことも今さらながら恨めしくお思いになって、
「対の方が病気であったころは、やはりその看病でとお聞きになってでさえ、心穏やかではなかったのに、その後も、変わらずにいらっしゃるとは、そのころに、何か不都合なことが起きたのだろうか。宮自身に責任がおありのことでなくても、良くないお世話役たちの考えで、どんな失態があったのだろうか。宮中あたりなどで、風雅なやりとりをし合う間柄などでも、けしからぬ評判を立てる例も聞こえるものだ」
とまでお考えになるのも、肉親の情愛はお捨てになった出家の生活だが、やはり親子の愛情は忘れ去りがたくて、宮にお手紙を心をこめて書いてあったのを、大殿も、いらっしゃった時なので、御覧になる。
「特に用件もないので、たびたびはお便りを差し上げなかったうちに、あなたの様子も分からないままに歳月が過ぎるのは、気がかりなことです。お具合がよろしくなくいらっしゃるという様子は、詳しく聞いてからは、念仏誦経の時にも気にかかってならないが、いかがいらっしゃいますか。ご夫婦仲が寂しくて意に満たないことがあっても、じっと堪えてお過ごしなさい。恨めしそうな素振りなどを、いい加減なことで、心得顔にほのめかすのは、まことに品のないことです」
などと、お教え申し上げていらっしゃった。
まことにお気の毒で心が痛み、「このような内々の宮の不始末を、お耳にあそばすはずはなく、わたしの怠慢のせいにと、御不満にばかりお思いあそばすことだろう」とばかりにお思い続けて、
「このお返事は、どのようにお書き申し上げなさいますか。お気の毒なお手紙で、わたしこそとても辛い思いです。たとえ心外にお思い申す事があったとしても、疎略なお扱いをして、人が変に思うような態度はとるまいと思っております。誰が申し上げたのでしょうか」
とおっしゃると、恥ずかしそうに横を向いていらっしゃるお姿も、まことに痛々しい。ひどく面やつれして、物思いに沈んでいらっしゃるのは、ますます上品で美しい。
[11-3 源氏、女三の宮を諭す]
「とても幼い御気性を御存知で、たいそう御心配申し上げていらっしゃるのだと、拝察されますので、今後もいろいろと心配でなりません。こんなにまでは決して申し上げまいと思いましたが、院の上が、御心中にわたしが背いているとお思いになろうことが、不本意であり、心の晴れない思いであるが、せめてあなたにだけは申し上げておかなくてはと思いまして。
思慮が浅く、ただ、人が申し上げるままにばかりお従いになるようなあなたとしては、ただ冷淡で薄情だとばかりお思いで、また、今ではわたしのすっかり年老いた様子も、軽蔑し飽き飽きしてばかりお思いになっていられるらしいのも、それもこれも残念にも忌ま忌ましくも思われますが、院の御存命中は、やはり我慢して、あちらのお考えもあったことでしょうから、この年寄をも、同じようにお考え下さって、ひどく軽蔑なさいますな。
昔からの出家の本願も、考えの不十分なはずのご婦人方にさえ、みな後れを取り後れを取りして、とてものろまなことが多いのですが、自分自身の心には、どれほどの思いを妨げるものはないのですが、院がこれを最後と御出家なさった後のお世話役にわたしをお譲り置きになったお気持ちが、しみじみと嬉しかったが、引き続いて後を追いかけるようにして、同じようにお見捨て申し上げるようなことが、院にはがっかりされるであろうと差し控えているのです。
気にかかっていた人々も、今では出家の妨げとなるほどの者もおりません。女御も、あのようにして、将来の事は分かりませんが、皇子方がいく人もいらっしゃるようなので、わたしの存命中だけでもご無事であればと安心してよいでしょう。その他の事は、誰も彼も、状況に従って、一緒に出家するのも、惜しくはない年齢になっているのを、だんだんと気持ちも楽になっております。
院の御寿命もそう長くはいらっしゃらないでしょう。とても御病気がちにますますなられて、何となく心細げにばかりお思いでいられるから、今さら感心しないお噂を院のお耳にお入れ申して、お心を乱したりなさらないように。現世はまことに気にかけることはありません。どうということもありません。が、来世の御成仏の妨げになるようなのは、罪障がとても恐ろしいでしょう」
などと、はっきりとその事とはお明かしにならないが、しみじみとお話し続けなさるので、涙ばかりがこぼれては、正体もない様子で悲しみに沈んでいらっしゃるので、ご自分もお泣きになって、
「他人の身の上でも、嫌なものだと思って聞いていた老人のおせっかいというものを。自分がするようになったことよ。どんなに嫌な老人かと、不愉快で厄介なと思うお気持ちがつのることでしょう」
と、お恥になりながら、御硯を引き寄せなさって、自分で墨を擦り、紙を整えて、お返事をお書かせ申し上げなさるが、お手も震えて、お書きになることができない。
「あのこまごまと書いてあった手紙のお返事は、とてもこのように遠慮せずやりとりなさっていたのだろう」とご想像なさると、実に癪にさわるので、一切の愛情も冷めてしまいそうであるが、文句などを教えてお書かせ申し上げなさる。
[11-4 朱雀院の御賀、十二月に延引]
参賀なさることは、この月はこうして過ぎてしまった。二の宮が格別のご威勢で参賀なさったのに、身籠もられたお身体で、競うようなのも、遠慮され気が引けるのであった。
「十一月はわたしの忌月です。年の終わりは歳末で、とても騒々しい。また、ますますこのお姿も体裁悪く、お待ち受けあそばす院はいかが御覧になろうと思いますが、そうかと言って、そんなにも延期することはでません。くよくよとお思いあそばさず、明るくお振る舞いになって、このひどくやつれていらっしゃるのを、お直しなさい」
などと、とてもおいたわしいと、それでもお思い申し上げていらっしゃる。
衛門督をどのような事でも、風雅な催しの折には、必ず特別に親しくお召しになっては、ご相談相手になさっていたのが、全然そのようなお便りはない。皆が変だと思うだろうとお思いになるが、「顔を見るにつけても、ますます自分の間抜けさが恥ずかしくて、顔を見てはまた自分の気持ちも平静を失うのではないか」と思い返され思い返されて、そのままいく月も参上なさらないのにもお咎めはない。
世間一般の人は、ずっと普通の状態でなく病気でいらっしゃったし、院でもまた、管弦のお遊びなどがない年なので、とばかりずっと思っていたが、大将の君は、「何かきっと事情があることに違いない。風流者は、さだめし自分が変だと気がづいたことに、我慢できなかったのだろうか」と考えつくが、ほんとうにこのようにはっきりと何もかも知れるところにまでなっているとは、想像もおつきにならなかったのである。
[11-5 源氏、柏木を六条院に召す]
十二月になってしまった。十何日と決めて、数々の舞を練習し、御邸中大騒ぎしている。二条院の上は、まだお移りにならなかったが、この試楽のために、落ち着き払ってもいられずお帰りになった。女御の君も里にお下がりになっていらっしゃる。今度御誕生の御子は、また男御子でいらっしゃった。次々とおかわいらしくていらっしゃるのを、一日中御子のお相手をなさっていらっしゃるので、長生きしたお蔭だと、嬉しく思わずにはいらっしゃれないのだった。試楽には、右大臣殿の北の方もお越しになった。
大将の君は、丑寅の町で、まず内々に調楽のように、毎日練習なさっていたので、あの御方は、御前での試楽は御覧にならない。
衛門督を、このような機会に参加させないようなのは、まことに引き立たず、もの足りなく感じられるし、皆が変だと思うに違いないことなので、参上なさるようにお召しがあったが、重病である旨を申し上げて参上しない。
しかし、どこがどうと苦しい病気でもないようなのに、自分に遠慮してのことかと、気の毒にお思いになって、特別にお手紙をお遣わしになる。父の大臣も、
「どうしてご辞退申されたのか。いかにもすねているように、院におかれてもお思いあそばそうから、大した病気でもない、何とかして参上なさい」
とお勧めなさっているところに、このように重ねておっしゃってきたので、苦しいと思いながらも参上した。
[11-6 源氏、柏木と対面す]
まだ上達部なども参上なさっていない時分であった。いつものようにお側近くの御簾の中に招き入れなさって、母屋の御簾を下ろしていらっしゃる。なるほど、実にひどく痩せて蒼い顔をしていて、いつもの陽気で派手な振る舞いは、弟の君たちに気圧されて、いかにも嗜みありげに落ち着いた態度でいるのが格別であるのを、いつもより一層静かに控えていらっしゃる様子は、「どうして内親王たちのお側に夫として並んでも、全然遜色はあるまいが、ただ今度の一件については、どちらもまことに思慮のない点に、ほんとうに罪は許せないのだ」などと、お目が止まりなさるが、平静を装って、とてもやさしく、
「特別の用件もなくて、お会いすることも久し振りになってしまった。ここいく月は、あちこちの病人を看病して、気持ちの余裕もなかった間に、院の御賀のために、こちらにいらっしゃる内親王が、御法事をして差し上げなさる予定になっていたが、次々と支障が続出して、このように年もおし迫ったので、思うとおりにもできず、型通りに精進料理を差し上げる予定だが、御賀などと言うと、仰々しいようだが、わが家に生まれた子供たちの数が多くなったのを御覧に入れようと、舞などを習わせ始めたが、その事だけでも予定どおり執り行おうと思って。調子をきちんと合わせることは、誰にお願いできようかと思案に窮していたが、いく月もお顔を見せにならなかった恨みも捨てました」
とおっしゃるご様子が、何のこだわりないような一方で、とてもとても顔も上げられない思いに、顔色も変わるような気がして、お返事もすぐには申し上げられない。
[11-7 柏木と御賀について打ち合わせる]
「ここいく月、あちらの方こちらの方のご病気にご心配でいらっしゃったお噂を、お聞きいたしてお案じ申し上げておりましたが、春ごろから、普段も病んでおりました脚気という病気が、ひどくなって苦しみまして、ちゃんと立ち歩くこともできませんで、月日が経つにつれて臥せっておりまして、内裏などにも参内せず、世間とすっかり没交渉になったようにして家に籠もっておりました。
院のお年がちょうどにおなりあそばす年であり、誰よりも人一倍しっかりしたお祝いをして差し上げるよう、致仕の大臣も思って申されましたが、『冠を挂け、車を惜しまず捨てて官職を退いた身で、進み出てお祝い申し上げるようなのも身の置き所がない。なるほど、そなたは身分が低いと言っても、自分と同じように深い気持ちは持っていよう。その気持ちを御覧に入れなさい』と、催促申されることがございましたので、重病をあれこれ押して、参上いたしました。
このごろは、ますますひっそりとしたご様子で俗世間のことはお考えにならずお過ごしあそばしていらっしゃいまして、盛大なお祝いの儀式をお待ち受け申されることは、お望みではありますまいと拝察いたしましたが、諸事簡略にあそばして、静かなお話し合いを心からお望みであるのを叶えて差し上げるのが、上策かと存じられます」
とお申し上げなさったので、盛大であったと聞いた御賀の事を、女二の宮の事とは言わないのは、大したものだとお思いになる。
「ただこのとおりだ。簡略な様子に世間の人は浅薄に思うに違いないが、さすがに、よく分かってくれるので、思ったとおりで良かったと、ますます安心して来ました。大将は、朝廷の方では、だんだん一人前になって来たようだが、このように風流な方面は、もともと性に合わないのであろうか。
あちらの院は、どのような事でもお心得のないことは、ほとんどない中でも、音楽の方面には御熱心で、まことに御立派に精通していらっしゃるから、そのように世をお捨てになっているようだが、静かにお心を澄まして音楽をお聞きになることは、このような時にこそ気づかいすべきでしょう。あの大将と一緒に面倒を見て、舞の子供たちの心構えや、嗜みをよく教えてやって下さい。音楽の師匠などというものは、ただ自分の専門についてはともかくも、他はまったくどうしようもないものです」
などと、たいそうやさしくお頼みになるので、嬉しく思う一方で、辛く身の縮む思いがして、口数少なくこの御前を早く去りたいと思うので、いつものようにこまごまと申し上げず、やっとの思いで下がりになった。
東の御殿で、大将が用意なさった楽人、舞人の装束のことなどを、さらに重ねて指図をお加えになる。できるかぎり立派になさっていた上に、ますます細やかな心づかいが加わるのも、なるほどこの道には、まことに深い人でいらっしゃるようである。
12 柏木の物語 源氏から睨まれる
[12-1 御賀の試楽の当日]
今日は、このような試楽の日であるが、ご夫人方が見物なさるので、見がいのないようにはしまいと思って、あの御賀の日は、赤い白橡に葡萄染の下襲を着るのであろう、今日は、青色に蘇芳襲の下襲を着て、楽人三十人は、今日は白襲を着ているが、東南の方の釣殿に続いている廊を楽所にして、山の南の側から御前に出る所で、「仙遊霞」という楽を奏して、雪がほんのわずか散らついたので、春の隣に近い、梅の花の様子が見栄えがしてほころびかけていた。
廂の御簾の内側にいらっしゃるので、式部卿宮、右大臣ぐらいがお側に伺候していらっしゃるだけで、それ以下の上達部は簀子で、特別の日でないので、御饗応などは、お手軽な物を用意してあった。
右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の公達二人は、「万歳楽」。まだとても小さい年なので、とてもかわいらしげである。四人とも、誰彼となく高貴な家柄のお子なので、器量もかわいらしく装い立てられている姿は、そう思うせいか、気品がある。
また、大将の典侍がお生みになった二郎君と、式部卿宮の兵衛督と言った人で、今では源中納言になっている方の御子は「皇じょう」。右の大殿の三郎君は、「陵王」。大将殿の太郎は、「落蹲」。その他では「太平楽」、「喜春楽」などと言ういくつもの舞を、同じ一族の子供たちや大人たちなどが舞ったのであった。
日が暮れて来たので、御簾を上げさせなさって、感興が高まっていくにつれて、実にかわいらしいお孫の君たちの器量や、姿で、舞の様子も、又とは見られない妙技を尽くして、お師匠たちも、それぞれ技のすべてをお教え申し上げたうえに、深い才覚をそれに加えて、素晴らしくお舞いになるのを、どの御子もかわいいとお思いになる。年老いた上達部たちは、皆涙を落としなさる。式部卿宮も、お孫のことをお思いになって、お鼻が赤く色づくほどお泣きになる。
[12-2 源氏、柏木に皮肉を言う]
ご主人の院は、
「寄る年波とともに、酔泣きの癖は止められないものだな。衛門督が目を止めてほほ笑んでいるのは、まことに恥ずかしくなるよ。そうは言っても、もう暫くの間だろう。さかさまには進まない年月さ。老いは逃れることのできないものだよ」
と言って、ちらっと御覧やりなさると、誰よりも一段とかしこまって塞ぎ込んで、真実に気分もたいそう悪いので、試楽の素晴らしさも目に入らない気分でいる人をつかまえて、わざと名指しで、酔ったふりをしながらこのようにおっしゃる。冗談のようであるが、ますます胸が痛くなって、杯が回って来るのも頭が痛く思われるので、真似事だけでごまかすのを、お見咎めなさって、杯をお持ちになりながら何度も無理にお勧めなさるので、いたたまれない思いで、困っている様子、普通の人と違って優雅である。
気分が悪くて我慢できないので、まだ宴も終わらないのにお帰りになったが、そのままひどく苦しくなって、
「いつものような、大した深酔いしたのでもないのに、どうしてこんなに苦しいのであろうか。何か気が咎めていたためか、上気してしまったのだろうか。そんなに怖気づくほどの意気地なしだとは思わなかったが、何とも不甲斐ない有様だった」
と自分自身思わずにはいられない。
一時の酔の苦しみではなかったのであった。そのまままことひどくお病みになる。大臣、母北の方が心配なさって、別々に住んでいたのでは気がかりであると考えて、邸にお移し申されるのを、女宮がお悲しみになる様子、それはそれでまたお気の毒である。
[12-3 柏木、女二の宮邸を出る]
特別の事がない月日は、のんびりと当てにならない将来のことを当てにして、格別深い愛情もかけなかったが、今が最後と思ってお別れ申し上げる門出であろうかと思うと、しみじみと悲しく、自分に先立たれてお嘆きになるだろうことの恐れ多さを、とても辛いと思う。母御息所も、ひどくお嘆きになって、
「世間普通の事として、親は親としてひとまずお立て申しても、このような夫婦のお間柄は、どのような時でも、お離れにならないのが常のことですが、このように離れて、よくお治りになるまであちらでお過ごしになるのが、心配でならないでしょうから、もう暫くこちらで、このままご養生なさって下さい」
と、お側に御几帳だけを間に置いてご看病なさる。
「ごもっともなことです。取るに足りない身の上で、及びもつかないご結婚を、なまじお許し頂きまして、こうしてお側におりますその感謝には、長生きをしまして、つまらない身の上も、もう少し人並みとなるところを御覧に入れたいと存じておりましたが、とてもひどく、このようにまでなってしまいましたので、せめて深い愛情だけでも御覧になって頂けずに終わってしまうのではないか存じられまして、生き永らえられそうにない気がするにつけても、まこと安心してあの世に行けそうにも存じられません」
などと、お互いにお泣きになって、すぐにもお移りにならないので、再び母北の方が、気がかりにお思いになって、
「どうして、まずは顔を見せようとはお思いになさらないのだろうか。わたしは、少しでも気分のいつもと違って心細い時は、大勢の子らの中で、まず第一に会いたくなり頼りに思っているのです。このように大変に気がかりなこと」
とお恨み申し上げなさるのも、これもまた、もっともなことである。
「他の兄弟より先に生まれたせいでしょうか、特別にかわいがっていたので、今でもやはりいとしくお思いになって、少しの間でも会わないのを辛くお思いになっているので、気分がこのように最期かと思われるような時に、お目にかからないのは、罪障深く、気が塞ぐことでしょう。
今はいよいよ危篤とお聞きあそばしたら、たいそうこっそりお越しになってお会い下さい。必ず再びお会いしましょう。妙に気がつかないふつつかな性分で、何かにつけて疎略な扱いであったとお思いになることがおありだったでしょうと、後悔されます。このような寿命とは知らないで、将来末長くご一緒にとばかり思っておりました」
と言って、泣き泣きお移りになった。宮はお残りになって、何とも言いようもなく恋い焦がれなさった。
[12-4 柏木の病、さらに重くなる]
大殿ではお待ち受け申し上げなさって、いろいろと大騒ぎをなさる。そうはいえ、急変するようなご病気の様子でもなく、ここいく月も食べ物などをまったくお召し上がりにならなかったが、ますますちょっとした柑子などでさえお手を触れにならず、ただ、冥界に引き込まれていくようにお見えになる。
このような当代の優れた人物が、こんなでいらっしゃるので、世間中が惜しみ残念がって、お見舞いに上がらない人はいない。朝廷からも院の御所からも、お見舞いを度々差し上げては、ひどく惜しんでいらっしゃるのにつけても、ますますご両親のお心は痛むばかりである。
六条院におかれても、「まことに残念なことだ」とお嘆きになって、お見舞いを頻繁に丁重に父大臣にも差し上げなさる。大将は、それ以上に仲の好い間柄なので、お側近くに見舞っては、大変にお嘆きになっておろおろしていらっしゃる。
御賀は、二十五日になってしまった。このような時に重々しい上達部が重病でいらっしゃるので、親、兄弟たち、大勢の方々、そういう高貴なご縁戚や友人方が嘆き沈んでいらっしゃる折柄なので、何か興の冷めた感じもするが、次々と延期されて来た事情さえあるのに、このまま中止にすることもできないので、どうして断念なされよう。女宮のご心中を、おいたわしくお察し上げになる。
例によって、五十寺の御誦経、それから、あちらのおいでになる御寺でも、摩訶毘廬遮那の御誦経が。
36. 柏木
光る源氏の准太上天皇時代48歳春1月から夏4月までの物語
- 柏木、病気のまま新年となる 衛門督の君、このようにばかりお病み続けになること
- 柏木、女三の宮へ手紙 「どうしてこのように、生きる瀬もなくしてしまった身の上なのだろう」と
- 柏木、侍従を招いて語る 大臣は、優れた行者で、葛城山から招き迎えたのを
- 女三の宮の返歌を見る 宮も何かと恥ずかしく顔向けできない思いでいられる様子を話す
- 女三の宮、男子を出産 宮は、この日の夕方から苦しそうになさったが、産気づかれた様子だと
- 女三の宮、出家を決意 宮は、あれほどか弱いご様子で、とても気味の悪い
1 柏木の物語 女三の宮、薫を出産
- 朱雀院、夜闇に六条院へ参上 山の帝は、初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばして
- 朱雀院、女三の宮の希望を入れる 「はなはだ恐縮な御座所ではありますが」と言って、御帳台の前に
- 源氏、女三の宮の出家に狼狽 御心中、この上なく安心に思ってお任せ申した姫宮の御ことを
- 朱雀院、夜明け方に山へ帰る 山に帰って行くのに、道中が昼間では不体裁であろうと
2 女三の宮の物語 女三の宮の出家
- 柏木、権大納言となる あの衛門督は、このような御事をお聞きになって
- 夕霧、柏木を見舞う 大将の君、いつも大変に心配して、お見舞い申し上げなさる
- 柏木、夕霧に遺言 「長らくご病気でいらっしゃったわりには、ことにひどくも
- 柏木、泡の消えるように死去 女御は申し上げるまでもなく、この大将の御方なども
3 柏木の物語 夕霧の見舞いと死去
- 3月、若君の五十日の祝い 三月になると、空の様子もどことなく麗かな感じがして
- 源氏と女三の宮の夫婦の会話 宮もお起きなさって、御髪の裾がいっぱいに広がっているのを
- 源氏、老後の感懐 御乳母たちは、家柄が高く、見た目にも無難な人たちばかりが大勢伺候している
- 源氏、女三の宮に嫌味を言う 「この事情を知って人、女房の中にもきっといることだろう
- 夕霧、事の真相に関心 大将の君は、あの思い余って、ちらっと言い出した事を
4 光る源氏の物語 若君の五十日の祝い
- 夕霧、一条宮邸を訪問 一条宮におかれては、それ以上に、お目にかかれぬままご逝去
- 母御息所の嘆き 御息所も鼻声におなりになって、「死別の悲しみは
- 夕霧、御息所と和歌を詠み交わす 大将も、すぐには涙をお止めになれない
- 夕霧、太政大臣邸を訪問 致仕の大殿に、そのまま参上なさったところ、弟君たちが
- 4月、夕霧の一条宮邸を訪問 あの一条宮邸にも、常にお見舞い申し上げなさる
- 夕霧、御息所と対話 御息所のいざり出でなさるご様子がするので、静かに居ずまいを正し
5 夕霧の物語 柏木哀惜
1 柏木の物語 女三の宮、薫を出産
[1-1 柏木、病気のまま新年となる]
衛門督の君、このようにばかりお病み続けになること、依然として回復せぬまま、年も改まった。大臣、北の方、お嘆きになる様子を拝見すると、
「無理して死のうと思う命、その甲斐もなく、罪障のきっと重いだろうことを思う、その考えは考えとして、また一方で、むやみに、この世から出離しがたく、惜しんで留めて置きたい身の上であろうか。幼かったときから、思う考えは格別で、どのようなことでも、人にはいま一段抜きんでたいと、公事私事につけて、並々ならず気位高く持していたが、その望みも叶いがたかった」
と、一つ二つのつまずき事に、わが身に自信をなくして以来、大方の世の中がおもしろくなく思うようになって、来世の修業に心深く惹かれたのだが、両親のご悲嘆を思うと、山野にもさまよい込む道の強い障害ともなるにちがいなく思われたので、あれやこれやと紛らわし紛らわし過ごしてきたのだが、とうとう、
「やはり、世の中には生きていけそうにも思われない悩みが、並々ならず身に付き纏っているのは、自分より外に誰を恨めようか、自分の料簡違いから破滅を招いたのだろう」
と思うと、恨むべき相手もいない。
「神、仏にも不平の訴えようがないのは、これは皆前世からの因縁なのであろう。誰も千年を生きる松ではない一生は、結局いつまでも生きていられるものではないから、このように、あの人からも、少しは思い出してもらえるようなところで、かりそめの憐れみなりともかけて下さる方があろうということを、一筋の思いに燃え尽きたしるしとはしよう。
無理に生き永られていれば、自然ととんでもない噂もたち、自分にも相手にも、容易ならぬ面倒なことが出て来るようになるよりは、不届き者よと、ご不快に思われた方にも、いくら何でもお許しになろう。何もかものこと、臨終の折には、一切帳消しになるものである。また、これ以外の過失はほんとないので、長年何かの催しの機会には、いつも親しくお召し下さったことからの憐れみも生じて来よう」
などと、所在なく思い続けるが、いくら考えてみても、実にどうしようもない。
[1-2 柏木、女三の宮へ手紙]
「どうしてこのように、生きる瀬もなくしてしまった身の上なのだろう」と、心がまっくらになる思いがして、枕も浮いてしまうほどに、誰のせいでもなく涙を流しては、少しは具合が好いとあって、ご両親たちがお側を離れなさっていた時に、あちらにお手紙を差し上げなさる。
「今はもう最期となってしまいました様子は、自然とお耳に入っていらっしゃいましょうが、せめていかがですかとだけでも、お耳に止めて下さらないのも、無理もないことですが、とても情けなく存じられますよ」
などと申し上げるにつけても、ひどく手が震えるので、思っていることも皆書き残して、
「もうこれが最期と燃えるわたしの荼毘の煙もくすぶって
空に上らずあなたへの諦め切れない思いがなおもこの世に残ることでしょう
せめて不憫なとだけでもおっしゃって下さい。気持ちを静めて、自分から求めての無明の闇を迷い行く道の光と致しましょう」
と申し上げなさる。
侍従にも、性懲りもなく、つらい思いの数々を書いてお寄こしになった。
「直接お会いして、もう一度申し上げたい事がある」
とおっしゃるので、この人も、子供の時から、あるご縁で行き来して、親しく存じ上げている人なので、大それた恋心は疎ましく思われなさるが、最期と聞くと、とても悲しくて、泣き泣き、
「やはり、このお返事。本当にこれが最後でございましょう」
と申し上げると、
「わたしも、今日か明日かの心地がして、何となく心細いので、人の死は悲しいものと思いますが、まことに嫌な事であったと懲り懲りしてしまったので、とてもその気になれません」
とおっしゃって、どうしてもお書きにならない。
ご性質が、しっかりしていて重々しいというのではないが、気の置ける方のご機嫌が時々良くないのが、とても恐く辛く思われるのであろう。けれども、御硯などを用意して是非にとお促し申し上げるので、しぶしぶとお書きになる。受け取って、こっそりと宵闇に紛れて、あちらに持って上がった。
[1-3 柏木、侍従を招いて語る]
大臣は、優れた行者で、葛城山から招き迎えたのを、お待ち受けになって、加持をして上げようとなさる。御修法、読経なども、まことに大声で行なっていた。誰彼のお勧め申すがままに、いろいろと聖めいた験者などで、ほとんど世間では知られず、深い山中に籠もっている者などをも、弟の公達をお遣わしお遣わしになって、探し出して召し出しになるので、無愛想で気にくわない山伏連中なども、たいそう大勢参上する。お病みになっているご様子が、ただ何となく物心細く思って、声を上げて時々お泣きになる。
陰陽師なども、多くは女の霊だとばかり占い申したので、そういう事かも知れないとお考えになるが、まったく物の怪が現れ出て来るものがないので、お困り果てになって、こうした辺鄙な山々にまでお探しになったのであった。
この聖も、背丈が高く、眼光が鋭くて、荒々しい大声で陀羅尼を読むのを、
「ええ、嫌なことだ。罪障の深い身だからであろうか、陀羅尼の大声が聞こえて来るのは、まことに恐ろしくて、ますます死んでしまいそうな気がする」
と言って、そっと病床を抜け出して、この侍従とお話し合いになる。
大臣は、そうともご存知でなく、お休みになっていると、女房たちに申し上げさせなさったので、そうお思いになって、小声でこの聖とお話なさっている。お年は召していらっしゃるが、相変わらず陽気なところがおありで、よくお笑いになる大臣が、このような山伏どもと対座して、この病気におなりになった当初からの様子、どうということもなくはっきりしないままに、重くおなりになったこと、
「本当に、この物の怪の正体が、現れるよう祈祷して下さい」
などと、心からお頼みなさるのも、まことにいたいたしい。
「あれをお聞きなさい。何の罪咎ともご存じならないのに。占い当てたという女の霊、本当にそのようなあの方のご執念がわたしの身に取りついているならば、愛想の尽きたこの身もうって変わって、大切なものとなるだろう。
それにしても身分不相応な望みを抱いて、とんでもない過ちをしでかして、相手のお方の浮名をも立て、身の破滅を顧みないといった例は、昔の世にもないではなかった、と考え直してみるが、どうしても様子が何となく恐ろしくて、かのお心に、このような過失をお知られ申したからには、この世に生き永らえることも、まことに顔向けができなく思われるのは、なるほど特別なご威光なのだろう。
大きな過失でもないのに、目をお合わせした夕方から、そのまま気分がおかしくなって、抜け出した魂が、戻って来なくなってしまったのですが、あの院の中で彷徨っていたら、魂結びをして下さいよ」
などと、とても弱々しく、脱殻のような様子で、泣いたり笑ったりしてお話しになる。
[1-4 女三の宮の返歌を見る]
宮も何かと恥ずかしく顔向けできない思いでいられる様子を話す。そのようにうち沈んで、痩せていらっしゃるだろうご様子が、目の前にありありと拝見できるような気がして、ご想像されるので、なるほど抜け出した霊魂は、あちらに行き通うのだろうかなどと、ますます気分もひどくなるので、
「今となっては、もう宮の御事は、いっさい申し上げますまい。この世はこうしてはかなく過ぎてしまったが、未来永劫の成仏する障りになるかもしれないと思うと、お気の毒だ。気にかかるお産の事を、せめてご無事に済んだとお聞き申しておきたい。見た夢を独り合点して、また他に語る相手もいないのが、たいそう堪らないことであるなあ」
などと、あれこれと思い詰めていらっしゃる執着の深いことを、一方では嫌で恐ろしく思うが、おいたわしい気持ちは、抑え難く、この人もひどく泣く。
紙燭を取り寄せて、お返事を御覧になると、ご筆跡もたいそう弱々しいが、きれいにお書きになって、
「お気の毒に聞いていますが、どうしてお伺いできましょう。ただお察しするばかりです。お歌に『残ろう』とありますが、
わたしも一緒に煙となって消えてしまいたいほどです
辛いことを思い嘆く悩みの競いに
後れをとれましょうか」
とだけあるのを、しみじみともったいないと思う。
「いやもう、この煙だけが、この世の思い出であろう。はかないことであったな」
と、ますますお泣きになって、お返事、横に臥せりながら、筆を置き置きしてお書きになる。文句の続きもおぼつかなく、筆跡も妙な鳥の脚跡のようになって、
「行く方もない空の煙となったとしても
思うお方のあたりは離れまいと思う
夕方は特にお眺め下さい。咎め立て申されるお方の目も、今はもうお気になさらずに、せめて何にもならないことですが、憐みだけは絶えず懸けて下さいませ」
などと乱れ書きして、気分の悪さがつのって来たので、
「もうよい。あまり夜が更けないうちに、お帰りになって、このように最期の様子であったと申し上げて下さい。今となって、人が変だと感づくのを、自分の死んだ後まで想像するのは情けないことだ。どのような前世からの因縁で、このような事が心に取り憑いたのだろうか」
と、泣き泣きいざってお入りになったので、いつもはいつまでも前に座らせて、とりとめもない話までをおさせになりたくなさっていたのに、お言葉の数も少ない、と思うと悲しくてならないので、帰ることも出来ない。ご様子を乳母も話して、ひどく泣きうろたえる。大臣などがご心配された有様は大変なことであるよ。
「昨日今日と、少し好かったのだが、どうしてたいそう弱々しくお見えなのだろう」
とお騷ぎになる。
「いいえもう、生きていられそうにないようです」
と申し上げなさって、ご自身もお泣きになる。
[1-5 女三の宮、男子を出産]
宮は、この日の夕方から苦しそうになさったが、産気づかれた様子だと、お気づき申した女房たち、一同に騷ぎ立って、大殿にも申し上げたので、驚いてお越しになった。ご心中では、
「ああ、残念なことよ。疑わしい点もなくてお世話申すのであったら、おめでたく喜ばしい事であろうに」
とお思いになるが、他人には気づかれまいとお考えになるので、験者などを召し、御修法はいつとなく休みなく続けてしていられるので、僧侶たちの中で効験あらたかな僧は皆参上して、加持を大騷ぎして差し上げる。
一晩中お苦しみあそばして、日がさし昇るころにお生まれになった。男君とお聞きになると、
「このように内証事が、あいにくなことに、父親に大変よく似た顔つきでお生まれになることは困ったことだ。女なら、何かと人目につかず、大勢の人が見ることはないので心配ないのだが」
とお思いになるが、また一方では、
「このように、つらい疑いがつきまとっていては、世話のいらない男子でいらしたのも良かったことだ。それにしても、不思議なことだなあ。自分が一生涯恐ろしいと思っていた事の報いのようだ。この世で、このような思いもかけなかった応報を受けたのだから、来世での罪も、少しは軽くなったろうか」
とお思いになる。
周囲の人は他に誰も知らない事なので、このように特別なお方のご出産で、晩年にお生まれになったご寵愛はきっと大変なものだろうと、思って大事にお世話申し上げる。
御産屋の儀式は、盛大で仰々しい。ご夫人方が、さまざまにお祝いなさる御産養、世間一般の折敷、衝重、高坏などの趣向も、特別に競い合っている様子が見えるのであった。
五日の夜、中宮の御方から、御産婦のお召し上がり物、女房の中にも、身分相応の饗応の物を、公式のお祝いとして盛大に調えさせなさった。御粥、屯食を五十具、あちらこちらの饗応は、六条院の下部、院庁の召次所の下々の者たちまで、堂々としたなさり方であった。中宮の宮司、大夫をはじめとして、冷泉院の殿上人が、皆参上した。
お七夜は、帝から、それも公事に行われた。致仕の大臣などは、格別念を入れてご奉仕なさるはずのところだが、最近は、何を考えるお気持ちのゆとりもなく、一通りのお祝いだけがあった。
親王方、上達部などが、大勢お祝いに参上する。表向きのお祝いの様子にも、世にまたとないほど立派にお世話して差し上げなさるが、大殿のご心中に、辛くお思いになることがあって、そう大して賑やかなお祝いもしてお上げにならず、管弦のお遊びなどはなかったのであった。
[1-6 女三の宮、出家を決意]
宮は、あれほどか弱いご様子で、とても気味の悪い、初めてのご出産で、恐く思われなさったので、御薬湯などもお召し上がりにならず、わが身の辛い運命を、こうしたことにつけても心底お悲しみになって、
「いっそのこと、この機会に死んでしまいたい」
とお思いになる。大殿は、まことにうまく表面を飾って見せていらっしゃるが、まだ生まれたばかりの扱いにくい状態でいらっしゃるのを、特別にはお世話申されるというでもないので、年老いた女房などは、
「何とまあ、お冷たくていらっしゃること。おめでたくお生まれになったお子様が、こんなにこわいほどお美しくていらっしゃるのに」
と、おいとしみ申し上げるので、小耳におはさみなさって、
「そんなにもよそよそしいことは、これから先もっと増えて行くことになるのだろう」
と恨めしく、わが身も辛くて、尼にもなってしまいたい、というお気持ちになられた。
夜なども、こちらにはお寝みにならず、昼間などにちょっとお顔をお見せになる。
「世の中の無常な有様を見ていると、この先も短く、何となく頼りなくて、勤行に励むことが多くなっておりますので、このようなご出産の後は騒がしい気がするので、参りませんが、いかがですか、ご気分はさわやかになりましたか。おいたわしいことです」
と言って、御几帳の側からお覗き込みになった。御髪をお上げになって、
「やはり、生きていられない気が致しますが、こうしたわたしは罪障も重いことです。尼になって、もしやそのために生き残れるかどうか試してみて、また死んだとしても、罪障をなくすことができるかと存じます」
と、いつものご様子よりは、とても大人らしく申し上げなさるので、
「まことに嫌な、縁起でもないお言葉です。どうして、そんなにまでお考えになるのですか。このようなことは、そのように恐ろしい事でしょうが、それだからと言って命が永らえないというなら別ですが」
とお申し上げなさる。ご心中では、
「本当にそのようにお考えになっておっしゃるのならば、出家をさせてお世話申し上げるのも、思いやりのあることだろう。このように連れ添っていても、何かにつけて疎ましく思われなさるのがおいたわしいし、自分自身でも、気持ちも改められそうになく、辛い仕打ちが折々まじるだろうから、自然と冷淡な態度だと人目に立つこともあろうことが、まことに困ったことで、院などがお耳になさることも、すべて自分の至らなさからとなるであろう。ご病気にかこつけて、そのようにして差し上げようかしら」
などとお考えになるが、また一方では、大変惜しくていたわしく、これほど若く生い先長いお髪を、尼姿に削ぎ捨てるのはお気の毒なので、
「やはり、気をしっかりお持ちなさい。心配なさることはありますまい。最期かと思われた人も、平癒した例が身近にあるので、やはり頼みになる世の中です」
などと申し上げなさって、御薬湯を差し上げなさる。とてもひどく青く痩せて、何とも言いようもなく頼りなげな状態で臥せっていらっしゃるご様子、おっとりして、いじらしいので、
「大層な過失があったにしても、心弱く許してしまいそうなご様子だな」
と拝見なさる。
2 女三の宮の物語 女三の宮の出家
[2-1 朱雀院、夜闇に六条院へ参上]
山の帝は、初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばして、しみじみとお会いになりたくお思いになるが、
「このようにご病気でいらっしゃるという知らせばかりなので、どうおなりになることか」
と、御勤行も乱れて御心配あそばすのであった。
あれほどお弱りになった方が、何もお召し上がりにならないで、何日もお過ごしになったので、まことに頼りなくおなりになって、幾年月もお目にかからなかった時よりも、院を大変恋しく思われなさるので、
「再びお目にかかれないで終わってしまうのだろうか」
と、ひどくお泣きになる。このように申し上げなさるご様子、しかるべき人からお伝え申し上げさせなさったので、とても我慢できず悲しくお思いになって、あってはならないこととはお思いになりながら、夜の闇に隠れてお出ましになった。
前もってそのようなお手紙もなくて、急にこのようにお越しになったので、主人の院、驚いて恐縮申し上げなさる。
「世俗の事を顧みすまいと思っておりましたが、やはり煩悩を捨て切れないのは、子を思う親心の闇でございましたが、勤行も懈怠して、もしも親子の順が逆になって先立たれるようなことになったら、そのまま会わずに終わった怨みがお互いに残りはせぬかと、情けなく思われたので、世間の非難を顧みず、こうして参ったのです」
とお申し上げになる。御姿、僧形であるが、優雅で親しみやすいお姿で、目立たないように質素な身なりをなさって、正式な法服ではなく、墨染の御法服姿で、申し分なく素晴らしいのにつけても、羨ましく拝見なさる。例によって、まっさきに涙がこぼれなさる。
「患っていらっしゃるご様子、特別どうというご病気ではありません。ただここ数月お弱りになったご様子で、きちんとお食事なども召し上がらない日が続いたせいか、このようなことでいらっしゃるのです」
などと申し上げなさる。
[2-2 朱雀院、女三の宮の希望を入れる]
「はなはだ恐縮な御座所ではありますが」
と言って、御帳台の前に、御褥を差し上げてお入れ申し上げなさる。宮を、あれこれと女房たちが身なりをお整い申して、浜床の下方にお下ろし申し上げる。御几帳を少し押し除けさせなさって、
「夜居の加持僧などのような気がするが、まだ効験が現れるほどの修業もしていないので、恥ずかしいけれど、ただお会いしたく思っていらっしゃるわたしの姿を、そのままとくと御覧になるがよい」
とおっしゃって、お目をお拭いあそばす。宮も、とても弱々しくお泣きになって、
「生き永らえそうにも思われませんので、このようにお越しになった機会に、尼になさって下さいませ」
と申し上げなさる。
「そのようなご希望があるならば、まことに尊いことであるが、そうはいえ、人の寿命は分からないものゆえ、生き先長い人は、かえって後で間違いを起こして、世間の非難を受けるようなことになりかねないだろう」
などと仰せられて、大殿の君に、
「このように自分から進んでおっしゃるので、もうこれが最期の様子ならば、ちょっとの間でも、その功徳があるようにして上げたい、と存じます」
と仰せになるので、
「この日頃もそのようにおっしゃいますが、物の怪などが、宮のお心を惑わして、このような方面に勧めるようなこともございますこととて、お聞き入れ致さないのです」
とお申し上げになる。
「物の怪の教えであっても、それに負けたからといって、悪いことになるのならば控えねばならないが、衰弱した人が、最期と思って願っていらっしゃるのを、聞き過ごすのは、後々になって悔やまれ辛い思いをするのではないか」
と仰せになる。
[2-3 源氏、女三の宮の出家に狼狽]
御心中、この上なく安心に思ってお任せ申した姫宮の御ことを、お引き受けなさったが、それほど愛情も深くなく、自分の思っていたのとは違ったご様子を、何かにつけて、ここ幾年もお聞きあそばして積もりに積もったご不満、顔色に現してお恨み申し上げなさるべきことでもないので、世間の人が想像したり噂したりすることも残念にお思い続けていられたので、
「このような機会に、出家するのが、どうしてか、物笑いになるような、夫婦仲を恨んでのことのようでなく、それで不都合があろうか。一通りのお世話は、やはり頼りになれそうなお気持ちであるから、ただそれだけをお預け申し上げた甲斐と思うことにして、面当てつけがましく出家した恰好ではなくとも、ご遺産に広くて美しい宮邸をご伝領なさっていたのを、修繕してお住ませ申そう。
自分の生きている間に、そのようにしてでも、不安がないようにしておき、またあの大殿も、そうは言っても、冷淡には決してお見捨てなさるまい。その気持ちも見届けよう」
とお考え決めなさって、
「それでは、このように参った機会に、せめて出家の戒をお受けになることだけでもして、仏縁を結ぶことにしよう」
と仰せになる。
大殿の君、厭わしいとお思いになる事も忘れて、これはどうなることかと、悲しく残念でもあったので、堪えることがおできになれず、御几帳の中に入って、
「どうしてか、そう長くはないわたしを捨てて、そのようにお考えになったのですか。やはり、もう暫く心を落ち着けなさって、御薬湯を上がり、食べ物を召し上がりなさい。尊い事ではあるが、お身体が弱くては、勤行もおできになれようか。ともかくも、養生なさってから」
と申し上げなさるが、頭を振って、とても辛いことをおっしゃると思っておいでである。表面ではさりげなく振る舞っているが、心中恨めしいとお思いになっていらしたことがあったのかと拝見なさると、不憫でおいたわしい。あれやこれやと反対を申して、ためらっていらっしゃるうちに、夜明け近くなってしまいまった。
[2-4 朱雀院、夜明け方に山へ帰る]
山に帰って行くのに、道中が昼間では不体裁であろうとお急がせあそばして、御祈祷に伺候している中で、位が高く有徳の僧だけを召し入れて、お髪を下ろさせなさる。まことに女盛りで美しいお髪を削ぎ落として、戒をお受けになる儀式、悲しく残念なので、大殿は堪えることがおできになれず、ひどくお泣きになる。
院は院で、もとから特別大切に、誰よりも幸福にしてさし上げたいとお思いになっていたのだが、この世ではその甲斐もないようにおさせ申し上げるのも、どんなに考えても悲しいので、涙ぐみなさる。
「こうした姿にしたが、健康になって、同じことなら念仏誦経をもお勤めなさい」
と申し上げなさって、夜が明けてしまうので、急いでお帰りになった。
宮は、今も弱々しく息も絶えそうでいらっしゃって、はっきりともお顔も拝見なさらず、ご挨拶も申し上げなさらない。大殿も、
「夢のように存じられて心が乱れておりますので、このように昔を思い出させます御幸のお礼を、御覧に入れられない御無礼は、後日改めて参上致しまして」
と申し上げなさる。お帰りのお供に家臣を差し上げなさる。
「わたしの寿命も、今日か明日かと思われました時に、また他に面倒を見る人もなくて、寄るべもなく暮らすことが、気の毒で放っておけないように思われましたので、あなたの本意ではなかったでしょうが、このようにお願い申して、今まではずっと安心しておりましたが、もしも宮が命を取り留めましたら、普通とは変わった尼姿で、人の大勢いる中で生活するのは不都合でしょうが、適当な山里などに離れ住む様子も、またそうはいっても心細いことでしょう。尼の身の上相応に、やはり、今まで通りお見捨てなさらずに」
などとお頼み申し上げなさると、
「改めてこのようにまで仰せ下さいましたことが、かえってこちらが恥ずかしく存じられます。乱れ心地に、何やかやと思い乱れまして、何事も判断がつきかねております」
と答えて、なるほど、とても辛そうに思っていらっしゃった。
後夜の御加持に、御物の怪が現れ出て、
「それごらん。みごとに取り返したと、一人はそうお思いになったのが、まことに悔しかったので、この辺に、気づかれないようにして、ずっと控えていたのだ。今はもう帰ろう」
と言って、ちょっと笑う。まことに驚きあきれて、
「それでは、この物の怪がここにも、離れずにいたのか」
とお思いになると、お気の毒に悔しく思わずにはいらっしゃれない。宮は、少し生き返ったようだが、やはり頼りなさそうにお見えになる。伺候する女房たちも、まことに何とも言いようもなく思われるが、「こうしてでも、せめてご無事でいらっしゃったならば」と、祈りながら、御修法をさらに延長して、休みなく行わせたりなど、いろいろとおさせになる。
3 柏木の物語 夕霧の見舞いと死去
[3-1 柏木、権大納言となる]
あの衛門督は、このような御事をお聞きになって、ますます死んでしまいそうな気がなさって、まるきり回復の見込みもなさそうになってしまわれた。女宮がしみじみと思われなさるので、こちらにお越しになることは、今さら軽々しいようにも思われますが、母上も大臣もこのようにぴったり付き添っていらっしゃるので、何かの折にうっかりお顔を拝見なさるようなことがあっては、困るとお思いになって、
「あちらの宮邸に、何とかしてもう一度参りたい」
とおっしゃるが、まったくお許し申し上げなさらない。
皆にも、この宮の御事をお頼みなさる。最初から母御息所は、あまりお気が進みでなかったのだが、この大臣自身が奔走して熱心に懇請申し上げなさって、そのお気持ちの深いことにお折れになって、院におかれても、しかたないとお許しになったのだが、二品の宮の御事にお心をお痛めになっていた折に、
「かえって、この宮は将来安心で、実直な夫をお持ちになったことだ」
と、仰せられたとお聞きになったのを、恐れ多いことだと思い出す。
「こうして、後にお残し申し上げてしまうようだと思うにつけても、いろいろとお気の毒だが、思う通りには行かない命なので、添い遂げられない夫婦の仲が恨めしくて、お嘆きになるだろうことがお気の毒なこと。どうか気をつけてお世話してさし上げて下さい」
と、母上にもお頼み申し上げなさる。
「まあ、何と縁起でもないことを。あなたに先立たれては、どれほど生きていられるわたしだと思って、こうまで先々の事をおっしゃるの」
と言って、ただもうお泣きになるばかりなので、十分にお頼み申し上げになることができない。右大弁の君に、一通りの事は詳しくお頼み申し上げなさる。
気性が穏やかでよくできたお方なので、弟の君たちも、まだ下の方の幼い君たちは、まるで親のようにお頼り申していらっしゃったのに、このように心細くおっしゃるのを、悲しいと思わない人はなく、お邸中の人達も嘆いている。
帝も、惜しがり残念がりあそばす。このように最期とお聞きあそばして、急に権大納言にお任じあそばした。喜びに気を取り戻して、もう一度参内なさるようなこともあろうかと、お考えになって仰せになったが、一向に病気が好くおなりにならず、苦しい中ながら、丁重にお礼申し上げなさる。大臣も、このようにご信任の厚いのを御覧になるにつけても、ますます悲しく惜しいとお思い乱れなさる。
[3-2 夕霧、柏木を見舞う]
大将の君、いつも大変に心配して、お見舞い申し上げなさる。ご昇進のお祝いにも早速参上なさった。このいらっしゃる対の屋の辺り、こちらの御門は、馬や、車がいっぱいで、人々が騒がしいほど混雑しあっていた。今年になってからは、起き上がることもほとんどなさらないので、重々しいご様子に、取り乱した恰好では、お会いすることがおできになれないで、そう思いながら会えずに衰弱してしまったこと、と思うと残念なので、
「どうぞ、こちらへお入り下さい。まことに失礼な恰好でおりますご無礼は、何とぞお許し下さい」
と言って、臥せっていらっしゃる枕元に、僧たちを暫く外にお出しになって、お入れ申し上げなさる。
幼少のころから、少しも分け隔てなさることなく、仲好くしていらっしゃったお二方なので、別れることの悲しく恋しいに違いない嘆きは、親兄弟の思いにも負けない。今日はお祝いということで、元気になっていたらどんなによかろうと思うが、まことに残念に、その甲斐もない。
「どうしてこんなにお弱りになってしまわれたのですか。今日は、このようなお祝いに、少しでも元気になったろうかと思っておりましたのに」
と言って、几帳の端を引き上げなさったところ、
「まことに残念なことに、本来の自分ではなくなってしまいましたよ」
と言って、烏帽子だけを押し入れるように被って、少し起き上がろうとなさるが、とても苦しそうである。白い着物で、柔らかそうなのをたくさん重ね着して、衾を引き掛けて臥していらっしゃる。御座所の辺りをこぎれいにしていて、あたりに香が薫っていて、奥ゆかしい感じにお過ごしになっていた。
くつろいだままながら、嗜みがあると見える。重病人というものは、自然と髪や髭も乱れ、むさくるしい様子がするものだが、痩せてはいるが、かえって、ますます白く上品な感じがして、枕を立ててお話を申し上げなさる様子、とても弱々しそうで、息も絶え絶えで、見ていて気の毒そうである。
[3-3 柏木、夕霧に遺言]
「長らくご病気でいらっしゃったわりには、ことにひどくもやつれていらっしゃらないね。いつものご容貌よりも、かえって素晴らしくお見えになります」
とおっしゃるものの、涙を拭って
「後れたり先立ったりすることなく死ぬ時は一緒にとお約束申していたのに。ひどいことだな。このご病気の様子を、何が原因でこうもご重態になられたのかと、それさえ伺うことができないでおります。こんなに親しい間柄ながら、もどかしく思うばかりです」
などとおっしゃると、
「わたし自身には、いつから重くなったのか分かりません。どこといって苦しいこともありませんで、急にこのようになろうとは思ってもおりませんでしたうちに、月日を経ずに衰弱してしまいましたので、今では正気も失せたような有様で。
惜しくもない身を、いろいろとこの世に引き止められる祈祷や、願などの力でしょうか、そうはいっても生き永らえるのも、かえって苦しいものですから、自分から進んで、早く死出の道へ旅立ちたく思っております。
そうは言うものの、この世の別れに、捨て難いことが数多くあります。親にも孝行を十分せずに、今になって両親にご心配をおかけし、主君にお仕えすることも中途半端な有様で、わが身の立身出世を顧みると、また、なおさら大したこともない恨みを残すような世間一般の嘆きは、それはそれとして。
また、心中に思い悩んでおりますことがございますが、このような臨終の時になって、どうして口に出そうかと思っておりましたが、やはり堪えきれないことを、あなたの他に誰に訴えられましょう。誰彼と兄弟は多くいますが、いろいろと事情があって、まったく仄めかしたところで、何にもなりません。
六条院にちょっとした不都合なことがありまして、ここ幾月、心中密かに恐縮申していることがございましたが、まことに不本意なことで、世の中に生きて行くのも心細くなって、病気になったと思われたのですが、お招きがあって、朱雀院の御賀の楽所の試楽の日に参上して、ご機嫌を伺いましたところ、やはりお許しなさらないお気持ちの様子に、御目差しを拝見致しまして、ますますこの世に生き永らえることも憚り多く思われまして、どうにもならなく存じられましたが、魂がうろうろ離れ出しまして、このように鎮まらなくなってしまいました。
一人前とはお考え下さいませんでしたでしょうが、幼うございました時から、深くお頼り申す気持ちがございましたが、どのような中傷などがあったのかと、このことが、この世の恨みとして残りましょうから、きっと来世への往生の妨げになろうかと存じますので、何かの機会がございましたら、お耳に止めて下さって、よろしく申し開きなさって下さい。
死んだ後にも、このお咎めが許されたらば、あなたのお蔭でございましょう」
などとおっしゃるうちに、たいそう苦しそうになって行くばかりなので、おいたわしくて、心中に思い当たることもいくつかあるが、どうしたことなのか、はっきりとは推量できない。
「どのような良心の呵責なのでしょうか。全然、そのようなご様子もなく、このように重態になられた由を聞いて驚きお嘆きになっていること、この上もなく残念がり申されていたようでした。どうして、このようにお悩みになることがあって、今まで打ち明けて下さらなかったのでしょうか。こちらとあちらとの間に立って弁解して差し上げられたでしょうに。今となってはどうしようもありません」
と言って、昔を今に取り戻したくお思いになる。
「おっしゃる通り、少しでも具合の良い時に、申し上げてご意見を承るべきでございました。けれども、ほんとうに今日か明日かの命になろうとは、自分ながら分からない寿命のことを、悠長に考えておりましたのも、はかないことでした。このことは、決してあなた以外にお漏らしなさらないで下さい。適当な機会がございました折には、ご配慮戴きたいと申し上げて置くのです。
一条の邸にいらっしゃる宮を、何かの折にはお見舞い申し上げて下さい。お気の毒な様子で、父院などにおかれても御心配あそばされるでしょうが、よろしく計らって上げて下さい」
などとおっしゃる。言いたいことは多くあるに違いないようだが、気分がどうにもならなくなってきたので、
「お出になって下さい」
と、手真似で申し上げなさる。加持を致す僧たちが近くに参って、母上、大臣などがお集まりになって、女房たちも立ち騒ぐので、泣く泣くお立ちになった。
[3-4 柏木、泡の消えるように死去]
女御は申し上げるまでもなく、この大将の御方などもひどくお嘆きになる。思ひやりが、誰に対しても兄としての面倒見がよくていらっしゃったので、右の大殿の北の方も、この君だけを親しい人とお思い申し上げていらしたので、万事にお嘆きになって、ご祈祷などを特別におさせになったが、薬では治らない病気なので、何の役にも立たないことであった。女宮にも、とうとうお目にかかることがおできになれないで、泡が消えるようにしてお亡くなりになった。
長年の間、心底から真心こめて愛していたのではなかったが、表面的には、まことに申し分なく大事にお世話申し上げて、素振りもお優しく、気立てもよく、礼節をわきまえてお過ごしになられたので、辛いと思った事も特にない。ただ、
「このように短命なお方だったので、不思議なことに普通の生活を面白くなくお思いであったのだわ」
とお思い出されると、悲しくて、沈み込んでいらっしゃる様子、ほんとうにおいたわしい。
母御息所も、「大変に外聞が悪く残念だ」と、拝見しお嘆きになること、この上もない。
大臣や、北の方などは、それ以上に何とも言いようがなく、
「自分こそ先に死にたいものだ。世間の道理もあったものでなく辛いことよ」
と恋い焦がれなさったが、何にもならない。
尼宮は、大それた恋心も不愉快なこととばかりお思いなされて、長生きして欲しいともお思いではなかったが、このように亡くなったとお聞きになると、さすがにかわいそうな気がした。
「若君のご誕生を、自分の子だと思っていたのも、なるほど、こうなるはずの運命であってか、思いがけない辛い事もあったのだろう」とお考えいたると、あれこれと心細い気がして、お泣きになった。
4 光る源氏の物語 若君の五十日の祝い
[4-1 3月、若君の五十日の祝い]
三月になると、空の様子もどことなく麗かな感じがして、この若君、五十日のほどにおなりになって、とても色白くかわいらしくて、日数の割に大きくなって、おしゃべりなどなさる。大殿がお越しになって、
「ご気分は、さっぱりなさいましたか。いやもう、何とも張り合いのないことだな。普通のお姿で、このようにお祝い申し上げるのであるならば、どんなにか嬉しいことであろうに。残念なことに、ご出家なさったことよ」
と、涙ぐんでお恨み申し上げなさる。毎日お越しになって、今になって、この上なく大切にお世話申し上げなさる。
五十日の御祝いに餅を差し上げなさろうとして、尼姿でいられるご様子を、女房たちは、「どうしたものか」とお思い申して躊躇するが、院がお越しあそばして、
「何のかまうことはない。女の子でいらっしゃったら、同じ事で、縁起でもなかろうが」
と言って、南面に小さい御座所などを設定して、差し上げなさる。御乳母は、とても派手に衣装を着飾って、御前の物、色々な色彩を尽くした籠物、桧破子の趣向の数々を、御簾の中でも外でも、本当の事は知らないことなので、とり散らかして、無心にお祝いしているのを、「まことに辛く目を背けたい」とお思いになる。
[4-2 源氏と女三の宮の夫婦の会話]
宮もお起きなさって、御髪の裾がいっぱいに広がっているのを、とてもうるさくお思いになって、額髪などを撫でつけていらっしゃる時に、御几帳を引き動かしてお座りになると、とても恥ずかしい思いで顔を背けていらっしゃるが、ますます小さく痩せ細りなさって、御髪は惜しみ申されて、長くお削ぎになってあるので、後姿は格別普通の人と違ってお見えにならない程である。
次々と重なって見える鈍色の袿に、黄色みのある今流行の紅色などをお召しになって、まだ尼姿が身につかない御横顔は、こうなっても可憐な少女のような気がして、優雅で美しそうである。
「まあ、何と情けない。墨染の衣は、やはり、まことに目の前が暗くなる色だな。このようになられても、お目にかかることは変わるまいと、心を慰めておりますが、相変わらず抑え難い心地がする涙もろい体裁の悪さを、実にこのように見捨てられ申したわたしの悪い点として思ってみますにつけても、いろいろと胸が痛く残念です。昔を今に取り返すことができたらな」
とお嘆きになって、
「もうこれっきりとお見限りなさるならば、本当に本心からお捨てになったのだと、顔向けもできず情けなく思われることです。やはり、いとしい者と思って下さい」
と申し上げなさると、
「このような出家の身には、もののあわれもわきまえないものと聞いておりましたが、ましてもともと知らないことなので、どのようにお答え申し上げたらよいでしょうか」
とおっしゃるので、
「情けないことだ。お分りになることがおありでしょうに」
とだけ途中までおっしゃって、若君を拝見なさる。
[4-3 源氏、老後の感懐]
御乳母たちは、家柄が高く、見た目にも無難な人たちばかりが大勢伺候している。お呼び出しになって、お世話申すべき心得などをおっしゃる。
「ああかわいそうに、残り少ない晩年に、ご成人して行くのだな」
と言って、お抱きになると、とても人見知りせずに笑って、まるまると太っていて色白でかわいらしい。大将などが幼い時の様子、かすかにお思い出しなさるのには似ていらっしゃらない。明石女御の宮たちは、それはそれで、父帝のお血筋を引いて、皇族らしく高貴ではいらっしゃるが、特別優れて美しいというわけでもいらっしゃらない。
この若君、とても上品な上に加えて、かわいらしく、目もとがほんのりとして、笑顔がちでいるのなどを、とてもかわいらしいと御覧になる。気のせいか、やはり、とてもよく似ていた。もう今から、まなざしが穏やかで人に優れた感じも、普通の人とは違って、匂い立つような美しいお顔である。
宮はそんなにもお分りにならず、女房たちもまた、全然知らないことなので、ただお一方のご心中だけが、
「ああ、はかない運命の人であったな」
とお思いになると、世間一般の無常の世も思い続けられなさって、涙がほろほろとこぼれたのを、今日の祝いの日には禁物だと、拭ってお隠しになる。
「静かに思って嘆くことに堪へた」
と、朗誦なさる。五十八から十とったお年齢だが、晩年になった心地がなさって、まことにしみじみとお感じになる。「おまえの父親に似るな」とでも、お諌めなさりたかったのであろうよ。
[4-4 源氏、女三の宮に嫌味を言う]
「この事情を知って人、女房の中にもきっといることだろう。知らないのは、悔しい。馬鹿だと思っているだろう」、と穏やかならずお思いになるが、「自分の落度になることは堪えよう。二つを問題にすれば、女宮のお立場が、気の毒だ」
などとお思いになって、顔色にもお出しにならない。とても無邪気にしゃべって笑っていらっしゃる目もとや、口もとのかわいらしさも、「事情を知らない人はどう思うだろう。やはり、父親にとてもよく似ている」、と御覧になると、「ご両親が、せめて子供だけでも残してくれていたらと、お泣きになっていようにも、見せることもできず、誰にも知られずはかない形見だけを残して、あれほど高い望みをもって、優れていた身を、自分から滅ぼしてしまったことよ」
と、しみじみと惜しまれるので、けしからぬと思う気持ちも思い直されて、つい涙がおこぼれになった。
女房たちがそっと席をはずした間に、宮のお側に近寄りなさって、
「この子を、どのようにお思いになりますか。このような子を見捨てて、出家なさらねばならなかったものでしょうか。何とも、情けない」
と、ご注意をお引き申し上げなさると、顔を赤くしていらっしゃる。
「いったい誰が種を蒔いたのでしょうと人が尋ねたら
誰と答えてよいのでしょう、岩根の松は
不憫なことだ」
などと、そっと申し上げなさると、お返事もなくて、うつ臥しておしまいになった。もっともなことだとお思いになるので、無理に催促申し上げなさらない。
「どうお思いでいるのだろう。思慮深い方ではいらっしゃらないが、どうして平静でいられようか」
と、ご推察申し上げなさるのも、とてもおいたわしい思いである。
[4-5 夕霧、事の真相に関心]
大将の君は、あの思い余って、ちらっと言い出した事を、
「どのような事であったのだろうか。もう少し意識がはっきりしている状態であったならば、あれほど言い出した事なのだから、十分に事情が察せられたろうに。何とも言いようのない最期であったので、折も悪くはっきりしないままで、残念なことであったな」
と、その面影が忘れることができなくて、兄弟の君たちよりも、特に悲しく思っていらっしゃった。
「女宮がこのように出家なさった様子、大したご病気でもなくて、きれいさっぱりとご決心なさったものよ。また、そうだからといって、お許し申し上げなさってよいことだろうか。
二条の上が、あれほど最期に見えて、泣く泣くお願い申し上げなさったと聞いたのは、とんでもないことだとお考えになって、とうとうあのようにお引き留め申し上げなさったものを」
などと、あれこれと思案をこらしてみると、
「やはり、昔からずっと抱き続けていた気持ちが、抑え切れない時々があったのだ。とてもよく静かに落ち着いた表面は、誰よりもほんとうに嗜みがあり、穏やかで、どのようなことをこの人は考えているのだろうかと、周囲の人も気づまりなほどであったが、少し感情に溺れやすいところがあって、もの柔らか過ぎたためだ。
どんなにせつなく思い込んだとしても、あってはならないことに心を乱して、このように命を引き換えにしてよいことだろうか。相手のためにもお気の毒であるし、わが身は滅ぼすことではないか。そのようになるはずの前世からの因縁と言っても、まことに軽率で、つまらないことであるぞ」
などと、自分独りで思うが、女君にさえ申し上げなさらない。適当な機会がなくて、院にもまだ申し上げることができなかった。とはいえ、このようなことを小耳にはさみました、と申し出て、ご様子も窺って見てみたい気持ちでもあった。
父大臣と、母北の方は、涙の乾かぬ間なく悲しみにお沈みになって、いつの間にか過ぎて行く日数をもお分かりにならず、ご法要の法服、ご衣装、何やかやの準備も、弟の君たち、姉妹の方々が、それぞれ準備なさるのであった。
経や仏像の指図なども、右大弁の君がおさせになる。七日七日ごとの御誦経などを、周囲の人が注意を促すにつけても、
「わたしに何も聞かせるな。このようにひどく悲しい思いに暮れているのに、かえって往生の妨げとなってはいけない」
と言って、死んだ人のようにぼんやりしていらっしゃる。
5 夕霧の物語 柏木哀惜
[5-1 夕霧、一条宮邸を訪問]
一条宮におかれては、それ以上に、お目にかかれぬままご逝去なさった心残りまでが加わって、日数が過ぎるにつれて、広い宮の邸内も、人数少なく心細げになって、親しく使い馴らしていらした人は、やはりお見舞いに参上する。
お好きであった鷹、馬など、その係の者たちも、皆主人を失ってしょんぼりとして、ひっそりと出入りしているのを御覧になるにつけても、何かにつけてしみじみと悲しみの尽きないものであった。お使いになっていらしたご調度類で、いつもお弾きになった琵琶、和琴などの絃も取り外されて、音を立てないのも、あまりにも引き籠もり過ぎていることであるよ。
御前の木立がすっかり芽をふいて、花は季節を忘れない様子なのを眺めながら、何となく悲しく、伺候する女房たちも、鈍色の喪服に身をやつしながら、寂しく所在ない昼間に、先払いを派手にする声がして、この邸の前に止まる人がいる。
「ああ、亡くなられた殿のおいでかと、ついうっかり思ってしまいました」
と言って、泣く者もいる。大将殿がいらっしゃったのであった。ご案内を申し入れなさった。いつものように弁の君や、宰相などがいらっしゃったものかとお思いになったが、たいそう気おくれのするほど立派な美しい物腰でお入りになった。
母屋の廂間に御座所を設けてお入れ申し上げなさる。普通の客人と同様に、女房たちがご応対申し上げるのでは、恐れ多い感じのなさる方でいらっしゃるので、御息所がご対面なさった。
「悲しい気持ちでおりますことは、身内の方々以上のものがございますが、世のしきたりもありますから、お見舞いの申し上げようもなくて、世間並になってしまいました。臨終の折にも、ご遺言なさったことがございましたので、いいかげんな気持ちでいたわけではありません。
誰でも安心してはいられない人生ですが、生き死にの境目までは、自分の考えが及ぶ限りは、浅からぬ気持ちを御覧いただきたいものだと思っております。神事などの忙しいころは、私的な感情にまかせて、家に籠もっておりますことも、例のないことでしたので、立ったままではこれまた、かえって物足りなく存じられましょうと思いまして、日頃ご無沙汰してしまったのです。
大臣などが悲嘆に暮れていらっしゃるご様子、見たり聞いたり致すにつけても、親子の恩愛の情は当然のことですが、ご夫婦の仲では、深いご無念がおありだったでしょうことを、推量致しますと、まことにご同情に堪えません」
と言って、しばしば涙を拭って、鼻をおかみになる。きわだって気高い一方で、親しみが感じられ優雅な物腰である。
[5-2 母御息所の嘆き]
御息所も鼻声におなりになって、
「死別の悲しみは、この無常の世の習いでございましょう。どんなに悲しいといっても、世間に例のないことではないと、この年寄りは、無理に気強く冷静に致しておりますが、すっかり悲しみに暮れたご様子が、とても不吉なまでに、今にも後を追いなさるように見えますので、すべてまことに辛い身の上であったわたしが、今まで生き永らえまして、このようにそれぞれに無常な世の末の様子を拝見致して行くのかと、まことに落ち着かない気持ちでございます。
自然と親しいお間柄ゆえで、お聞き及んでいらっしゃるようなこともございましたでしょう。最初のころから、なかなかご承知申し上げなかったご縁組でしたが、大臣のご意向もおいたわしく、院におかれても結構な縁組のようにお考えであった御様子などがございましたので、それではわたしの考えが至らなかったのだと、自ら思い込ませまして、お迎え申し上げたのですが、このように夢のような出来事を目に致しまして、考え会わせてみますと、自分の考えを、同じことなら強く押し通し反対申せばよかったものを、と思いますと、やはりとても残念で。それは、こんなに早くとは思いも寄りませんでした。
内親王たちは、並大抵のことでは、よかれあしかれ、このように結婚なさることは、感心しないことだと、老人の考えでは思っていましたが、結婚するしないにかかわらず、中途半端な中空にさまよった辛い運命のお方であったので、いっそのこと、このような時にでも後をお慕い申したところで、このお方にとって外聞などは、特に気にしないでよろしいでしょうが、そうかといっても、そのようにあっさりとも、諦め切れず、悲しく拝し上げておりますが、まことに嬉しいことに、懇ろなお見舞いを重ね重ね頂戴しましたようで、有り難いこととお礼申し上げますが、それでは、あのお方とのお約束があったゆえと、願っていたようには見えなかったお気持ちでしたが、今はの際に、誰彼にお頼みなさったご遺言が、身にしみまして、辛い中にも嬉しいことはあるものでございました」
と言って、とてもひどくお泣きになる様子である。
[5-3 夕霧、御息所と和歌を詠み交わす]
大将も、すぐには涙をお止めになれない。
「どうしたわけか、実に申し分なく老成していらっしゃった方が、このようになる運命だったからでしょうか、ここ二、三年の間、ひどく沈み込んで、どことなく心細げにお見えになったので、あまりに世の無常を知り、考え深くなった人が、悟りすまし過ぎて、このような例で、心が素直でなくなり、かえって逆に、てきぱきしたところがないように人に思われるものだと、いつも至らない自分ながらお諌め申していたので、思慮が浅いとお思いのようでした。何事にもまして、人に優れて、おっしゃる通り、宮のお悲しみのご心中、恐れ多いことですが、まことにおいたわしゅうございます」
などと、優しく情愛こまやかに申し上げなさって、やや長居してお帰りになる。
あの方は、五、六歳くらい年上であったが、それでも、とても若々しく、優雅で、人なつっこいところがおありであった。この方は、実にきまじめで重々しく、男性的な感じがして、お顔だけがとても若々しく美しいことは、誰にも勝っていらっしゃった。若い女房たちは、もの悲しい気持ちも少し紛れてお見送り申し上げる。
御前に近い桜がたいそう美しく咲いているのを、「今年ばかりは」と、ふと思われるのも、縁起でもないことなので、
「再びお目にかかれるのは」
と口ずさみなさって、
「季節が廻って来たので変わらない色に咲きました
片方の枝は枯れてしまったこの桜の木にも」
さりげないふうに口ずさんでお立ちになると、とても素早く、
「今年の春は柳の芽に露の玉が貫いているように泣いております
咲いて散る桜の花の行く方も知りませんので」
と申し上げなさる。格別深い情趣があるわけではないが、当世風で、才能があると言われていらした更衣だったのである。「なるほど、無難なお心づかいのようだ」と御覧になる。
[5-4 夕霧、太政大臣邸を訪問]
致仕の大殿に、そのまま参上なさったところ、弟君たちが大勢いらっしゃっていた。
「こちらにお入りあそばせ」
と言うので、大臣の御客間の方にお入りになった。悲しみを抑えてご対面なさった。いつまでも若く美しいご容貌、ひどく痩せ衰えて、お髭などもお手入れなさらないので、いっぱい生えて、親の喪に服するよりも憔悴していらっしゃった。お会いなさるや、とても堪え切れないので、「あまりだらしなくこぼす涙は体裁が悪い」と思うので、無理にお隠しになる。
大臣も、「特別仲好くいらしたのに」とお思いになると、ただ涙がこぼれこぼれて、お止めになることができず、語り尽きせぬ悲しみを互いにお話しなさる。
一条宮邸に参上した様子などを申し上げなさる。ますます、春雨かと思われるまで、軒の雫と違わないほど、いっそう涙をお流しになる。畳紙に、あの「柳の芽に」とあったのを、お書き留めになっていたのを差し上げなさると、「目も見えませんよ」と、涙を絞りながら御覧になる。
泣き顔をして御覧になるご様子、いつもは気丈できっぱりして、自信たっぷりのご様子もすっかり消えて、体裁が悪い。実のところ、特別良い歌ではないようだが、この「玉が貫く」とあるところが、なるほどと思わずにはいらっしゃれないので、心が乱れて、暫くの間、涙を堪えることができない。
「あなたの母上がお亡くなりになった秋は、本当に悲しみの極みに思われましたが、女性というものはきまりがって、知る人も少なく、あれこれと目立つこともないので、悲しみも表立つことはないのであった。
ふつつかな者でしたが、帝もお見捨てにならず、だんだんと一人前になって、官位も昇るにつれて、頼りとする人々が、自然と次々に多くなってきたりして、驚いたり残念に思う者も、いろいろな関係でいることでしょう。
このように深い嘆きは、その世間一般の評判も、官位のことは考えていません。ただ格別人と変わったところもなかった本人の有様だけが、堪え難く恋しいのです。いったいどのようにして、この悲しみが忘れられるのでしょう」
と言って、空を仰いで物思いに耽っていらっしゃる。
夕暮の雲の様子、鈍色に霞んで、花の散った梢々を、今日初めて目をお止めになる。さきほどの御畳紙に、
「木の下の雫に濡れて逆様に
親が子の喪に服している春です」
大将の君、
「亡くなった人も思わなかったことでしょう
親に先立って父君に喪服を着て戴こうとは」
弁の君、
「恨めしいことよ、墨染の衣を誰が着ようと思って
春より先に花は散ってしまったのでしょう」
ご法要などは、世間並でなく、立派に催されたのであった。大将殿の北の方はもちろんのこと、殿は特別に、誦経なども手厚くご趣向をお加えなさる。
[5-5 4月、夕霧の一条宮邸を訪問]
あの一条宮邸にも、常にお見舞い申し上げなさる。四月ごろの卯の花は、どこそことなく心地よく、一面新緑に覆われた四方の木々の梢が美しく見わたされるが、物思いに沈んでいる家は、何につけてもひっそりと心細く、暮らしかねていらっしゃるところに、いつものように、お越しになった。
庭もだんだんと青い芽を出した若草が一面に見えて、あちらこちらの白砂の薄くなった物蔭の所に、雑草がわが物顔に茂っている。前栽を熱心に手入れなさっていたのも、かって放題に茂りあって、一むらの薄も思う存分に延び広がって、虫の音が加わる秋が想像されると、もうとても悲しく涙ぐまれて、草を分けてお入りになる。
伊予簾を一面に掛けて、鈍色の几帳を衣更えした透き影が、涼しそうに見えて、けっこうな童女の、濃い鈍色の汗衫の端、頭の恰好などがちらっと見えているのも、趣があるが、やはりはっとさせられる色である。
今日は簀子にお座りになったので、褥をさし出した。「まことに軽々しいお座席です」と言って、いつものように、御息所に応対をお促し申し上げるが、最近、気分が悪いといって物に寄り臥していらっしゃった。あれこれと座をお取り持ちする間、御前の木立が、何の悩みもなさそうに茂っている様子を御覧になるにつけても、とてもしみじみとした思いがする。
柏木と楓とが、他の木々よりも一段と若々しい色をして、枝をさし交わしているのを、
「どのような前世の縁でか、枝先が繋がっている頼もしさだ」
などとおっしゃって、目立たないように近寄って、
「同じことならばこの連理の枝のように親しくして下さい
葉守の神の亡き方のお許があったのですからと
御簾の外に隔てられているのは、恨めしい気がします」
と言って、長押に寄りかかっていらっしゃった。
「くだけたお姿もまた、とてもたいそうしなやかでいらっしゃること」
と、お互いにつつき合っている。お相手を申し上げる少将の君という人を使って、
「柏木に葉守の神はいらっしゃらなくても
みだりに人を近づけてよい梢でしょうか
唐突なお言葉で、いい加減なお方と思えるようになりました」
と申し上げたので、なるほどとお思いになると、少し苦笑なさった。
[5-6 夕霧、御息所と対話]
御息所のいざり出でなさるご様子がするので、静かに居ずまいを正しなさった。
「嫌な世の中を、悲しみに沈んで月日を重ねてきたせいでしょうか、気分の悪いのも、妙にぼうっとして過ごしておりますが、このように度々重ねてお見舞い下さるのが、まことにもったいので、元気を奮い起こしまして」
と言って、本当に苦しそうなご様子である。
「お嘆きになるのは、世間の道理ですが、またそんなに悲しんでばかりいられるのもいかがなものかと。何事も、前世からの約束事でございましょう。何といっても限りのある世の中です」
と、お慰め申し上げなさる。
「この宮は、聞いていたよりも奥ゆかしいところがお見えになるが、お気の毒に、なるほど、どんなにか外聞の悪い事を加えてお嘆きになっていられることだろう」
と思うと心が動くので、たいそう心をこめて、ご様子をもお尋ね申し上げなさった。
「器量などはとても十人並でいらっしゃるまいけれども、ひどくみっともなくて見ていられない程でなければ、どうして、見た目が悪いといって相手を嫌いになったり、また、大それたことに心を迷わすことがあってよいものか。みっともないことだ。ただ、気立てだけが、結局は、大切なのだ」とお考えになる。
「今はやはり故人と同様にお考え下さって、親しくお付き合い下さいませ」
などと、特に色めいたおっしゃりようではないが、心を込めて気のある申し上げ方をなさる。直衣姿がとても鮮やかで、背丈も堂々と、すらりと高くお見えであった。
「お亡くなりになった殿は、何事にもお優しく美しく、上品で魅力的なところがおありだったことは無類でした」
「こちらは、男性的で派手で、何と美しいのだろうと、直ぐにお見えになる美しさは、ずば抜けています」
と、ささやいて、
「同じことなら、このようにしてお出入りして下さったならば」
などと、女房たちは言っているようである。
「右将軍の墓に草初めて青し」
と口ずさんで、それも最近の事だったので、あれこれと近頃も昔も、人の心を悲しませるような世の中の出来事に、身分の高い人も低い人も、惜しみ残念がらない者がないのも、もっともらしく格式ばった事柄はそれとして、不思議と人情の厚い方でいらっしゃったので、大したこともない役人、女房などの年取った者たちまでが、恋い悲しみ申し上げた。それ以上に、主上におかせられては、管弦の御遊などの折毎に、まっさきにお思い出しになって、お偲びあそばされた。
「ああ、衛門督よ」
と言う口癖を、何事につけても言わない人はいない。六条院におかれては、まして気の毒にとお思い出しになること、月日の経つにつれて多くなっていく。
この若君を、お心の中では形見と御覧になるが、誰も知らないことなので、まことに何の張り合いもない。秋頃になると、この若君は、這い這いをし出したりなどして。
37. 横笛
光る源氏の准太上天皇時代49歳春から秋までの物語
- 柏木一周忌の法要 故権大納言があっけなくお亡くなりになった悲しさを
- 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る 山の帝は、二の宮も、このように人に笑われるような境遇になって
- 若君、竹の子を噛る 若君は、乳母のもとでお寝みになっていたが
1 光る源氏の物語 薫成長の物語
- 夕霧、一条宮邸を訪問 大将の君は、あの臨終の際に言い遺した一言を
- 柏木遺愛の琴を弾く 和琴をお引き寄せになると、律の調子に調えられていて
- 夕霧、想夫恋を弾く 月が出て雲もない空に、羽をうち交わして飛ぶ雁も
- 御息所、夕霧に横笛を贈る 「今夜の風流なお振る舞いについては、誰もがお許し申すはずの
- 帰宅して、故人を想う 殿にお帰りになると、格子などを下ろさせて
- 夢に柏木現れ出る 少し寝入りなさった夢に、あの衛門督が
2 夕霧の物語 柏木遺愛の笛
- 夕霧、六条院を訪問 大将の君も、夢を思い出しなさると、「この笛は
- 源氏の孫君たち、夕霧を奪い合う こちら方にも、二の宮が、若君とご一緒になって
- 夕霧、薫をしみじみと見る 大将は、この若君を「まだよく見ていないな」とお思いになって
- 夕霧、源氏と対話す 対へお渡りになったので、のんびりとお話など
- 笛を源氏に預ける 「その笛は、わたしが預からねばならない理由がある物だ
3 夕霧の物語 匂宮と薫
1 光る源氏の物語 薫の成長
[1-1 柏木一周忌の法要]
故権大納言があっけなくお亡くなりになった悲しさを、いつまでも残念なことに、恋い偲びなさる方々が多かった。六条院におかれても、特別の関係がなくてさえ、世間に人望のある人が亡くなるのは、惜しみなさるご性分なので、なおさらのこと、この人は、朝夕に親しくいつも参上しいしい、誰よりもお心を掛けていらしたので、どうにもけしからぬと、お思い出しなさることはありながら、哀悼の気持ちは強く、何かにつけてお思い出しになる。
ご一周忌にも、誦経などを、特別おさせになる。何事も知らない顔の幼い子のご様子を御覧になるにつけても、何といってもやはり不憫でならないので、内中密かに、また志立てられて、黄金百両を別にお布施あそばすのであった。父大臣は、事情も知らないで恐縮してお礼を申し上げさせなさる。
大将の君も、供養をたくさんなさり、ご自身も熱心に法要のお世話をなさる。あの一条宮に対しても、一周忌に当たってのお心遣いも深くお見舞い申し上げなさる。兄弟の君たちよりも優れたお気持ちのほどを、とてもこんなにまでとはお思い申さなかったと、大臣、母上もお喜び申し上げなさる。亡くなった後にも、世間の評判の高くていらっしゃったことが分かるので、ひどく残念がり、いつまでも恋い焦がれること、限りがない。
[1-2 朱雀院、女三の宮へ山菜を贈る]
山の帝は、二の宮も、このように人に笑われるような境遇になって物思いに沈んでいらっしゃるといい、入道の宮も、現世の普通の人らしい幸せは、一切捨てておしまいになったので、どちらも物足りなくお思いなさるが、総じてこの世の事を悩むまい、と我慢なさる。御勤行をなさる時にも、「同じ道をお勤めになっているのだろう」などとお思いやりになって、このように尼になられてから後は、ちょっとしたことにつけても、絶えずお便りを差し上げなさる。
お寺近くの林に生え出した筍、その近辺の山で掘った山芋などが、山里の生活では風情があるものなので、差し上げようとなさって、お手紙を情愛こまやかにお書きになった端に、
「春の野山は、霞がかかってはっきりしませんが、深い心をこめて掘り出させたものでございます。
この世を捨ててお入りになった道はわたしより遅くとも
同じ極楽浄土をあなたも求めて来て下さい
とても難しい事ですよ」
とお便り申し上げなさったのを、涙ぐんで御覧になっているところに、大殿の君がお越しになった。いつもと違って、御前近くに櫑子がいくつもあるので、「何だろう、おかしいな」と御覧になると、院からのお手紙なのであった。御覧になると、とても胸の詰まる思いがする。
「わが命も今日か、明日かの心地がするのに、思うままにお会いすることができないのが辛いことです」
などと、情愛こまやかにお書きあそばしていらっしゃった。この「同じ極楽浄土」へ御一緒にとのお歌を、特別に趣があるものではない、僧侶らしい言葉遣いであるが、「いかにも、そのようにお思いのことだろう。自分までが疎略にお世話しているというふうをお目に入れ申して、ますます御心配あそばされることになろうことを、おいたわしい」とお思いになる。
お返事は恥ずかしげにお書きになって、お使いの者には、青鈍の綾を一襲をお与えなさる。書き変えなさった紙が、御几帳の端からちらっと見えるのを、取って御覧になると、ご筆跡はとても頼りない感じで、
「こんな辛い世の中とは違う所に住みたくて
わたしも父上と同じ山寺に入りとうございます」
「ご心配なさっているご様子なのに、ここと違う住み処を求めていらっしゃる、まことに嫌な、辛いことです」
と申し上げなさる。
今では、まともにお顔をお合わせ申されず、とても美しくかわいらしいお額髪、お顔の美しさ、まるで子供のようにお見えになって、たいそういじらしいのを拝見なさるにつけては、「どうして、このようになってしまったことか」と、罪悪感をお感じになるので、御几帳だけを隔てて、また一方でたいそう隔たった感じで、他人行儀にならない程度に、お扱い申し上げていらっしゃるのだった。
[1-3 若君、竹の子を噛る]
若君は、乳母のもとでお寝みになっていたが、起きて這い出しなさって、お袖を引っ張りまとわりついていらっしゃる様子、とてもかわいらしい。
白い羅に、唐の小紋の紅梅のお召し物の裾、とても長くだらしなく引きずられて、お身体がすっかりあらわに見えて、後ろの方だけが着ていらっしゃる恰好は、幼児の常であるが、とてもかわいらしく色白ですんなりとして、柳の木を削って作ったようである。
頭は露草で特別に染めたような感じがして、口もとはかわいらしく艶々として、目もとがおっとりと、気がひけるほど美しいのなどは、やはりとてもよく思い出さずにはいられないが、
「あの人は、とてもこのようにきわだった美しさはなかったが、どうしてこんなに美しいのだろう。母宮にもお似申さず、今から気品があり立派で、格別にお見えになる様子などは、自分が鏡に映った姿にも似てはいないこともないな」というお気持ちになる。
やっとよちよち歩きをなさる程である。この筍が櫑子に、何であるのか分からず近寄って来て、やたらにとり散らかして、食いかじったりなどなさるので、
「まあ、お行儀の悪い。いけません。あれを片づけなさい。食べ物に目がなくていらっしゃると、口の悪い女房が言うといけない」
と言って、お笑いになる。お抱き寄せになって、
「若君の目もとは普通と違うな。小さい時の子を、多く見ていないからだろうか、これくらいの時は、ただあどけないものとばかり思っていたが、今からとても格別すぐれているのが、厄介なことだ。女宮がいらっしゃるようなところに、このような人が生まれて来て、厄介なことが、どちらにとっても起こるだろうな。
ああ、この人たちが育って行く先までは、見届けることができようか。花の盛りにめぐり逢うことは、寿命あってのことだ」
と言って、じっとお見つめ申していらっしゃる。
「何とまあ、縁起でもないお言葉を」
と、女房たちは申し上げる。
歯の生えかけたところに噛み当てようとして、筍をしっかりと握り持って、よだれをたらたらと垂らしてお齧りになっているので、
「変わった色好みだな」とおっしゃって、
「いやなことは忘れられないがこの子は
かわいくて捨て難く思われることだ」
と、引き離して連れて来て、お話しかけになるが、にこにことしていて、何とも分からず、とてもそそくさと、這い下りて動き回っていらっしゃる。
月日が経つにつれて、この君がかわいらしく不吉なまでに美しく成長なさっていくので、本当に、あの嫌なことが、すべて忘れられてしまいそうである。
「この人がお生まれになるためのご縁で、あの思いがけない事件も起こったのだろう。逃れられない宿命だったのだ」
と、少しはお考えが改まる。ご自身の運命にもやはり不満のところが多かった。
「大勢集っていらっしゃるご夫人方の中でも、この宮だけは、不足に思うところもなく、宮ご自身のご様子も、物足りないと思うところもなくていらっしゃるはずなのに、このように思いもかけない尼姿で拝見するとは」
とお思いになるにつけて、過去の二人の過ちを許し難く、今も無念に思われるのであった。
2 夕霧の物語 柏木遺愛の笛
[2-1 夕霧、一条宮邸を訪問]
大将の君は、あの臨終の際に言い遺した一言を、心ひそかに思い出し思い出ししては、「どういうことであったのか」と、とてもお尋ね申し上げたく、お顔色も伺いたいのだが、うすうす思い当たられる節もあるので、かえって口に出して申し上げるのも具合が悪くて、「どのような機会に、この事の詳しい事情をはっきりさせ、また、あの人の思いつめていた様子をお耳に入れようか」と、思い続けていらっしゃる。
秋の夕方の心寂しいころに、一条の宮をどうしていられるかとご心配申し上げなさって、お越しになった。くつろいで、ひっそりとお琴などを弾いていらっしゃったところなのであろう。奥へ片づけることもできず、そのままその南の廂間にお入れ申し上げなさった。端の方にいた人たちが、いざって入って行く様子がはっきり分かって、衣ずれの音や、あたりに漂う香の匂いも薫り高く、奥ゆかしい感じである。
いつものように、御息所がお相手なさって、昔話をあれこれと交わし合いなさる。ご自分の御殿は、明け暮れ人が大勢出入りして、もの騒がしく、幼い子供たちが、大勢寄って騒々しくしていらっしゃるのにお馴れになっているので、とても静かで心寂しい感じがする。ちょっと手入れも行き届いてない感じがするが、上品に気高くお暮らしになって、前栽の花々、虫の音のたくさん聞こえる野原のように咲き乱れている夕映えを、見渡しなさる。
[2-2 柏木遺愛の琴を弾く]
和琴をお引き寄せになると、律の調子に調えられていて、とてもよく弾きこんであるのが、人の移り香がしみこんでいて、心惹かれる感じがする。
「このようなところに、慎みのない好き心のある人は、心を抑えることができなくて、見苦しい振る舞いにでも出て、あってはならない評判を立てるものだ」
などと、思い続けながら、お弾きになる。
故君がいつもお弾きになっていた琴であった。風情のある曲目を一つ二つ、少しお弾きになって、
「ああ、まことにめったにない素晴らしい音色をお弾きになったものだがな。このお琴にも故人の名残が籠もっておりましょう。お聞かせ願いたいものだ」
とおっしゃると、
「主人が亡くなりまして後より、昔の子供遊びの時の記憶さえ、思い出しなさらなくなってしまったようです。院の御前で、女宮たちがそれぞれ得意なお琴を、お試し申されました時にも、このような方面は、しっかりしていらっしゃると、ご判定申されなさったようでしたが、今は別人のようにぼんやりなさって、物思いに沈んでいらっしゃるようなので、悲しい思いを催す種というように拝見しております」
とお答え申し上げなさると、
「まことにごもっともなお気持ちです。せめて終わりがあれば」
と、物思いに沈んで、琴は押しやりなさったので、
「あの琴を、やはりそういうことなら、音色の中に伝わることもあろうかと、聞いて分かるように弾いて下さい。何やら気も晴れずに物思いに沈み込んでいる耳だけでも、せめてさっぱりさせましょう」
と申し上げなさるので、
「ご夫婦の仲に伝わる琴の音色は、特別でございましょう。それを伺いたいと申し上げているのです」
とおっしゃって、御簾の側近くに和琴を押し寄せなさるが、すぐにはお引き受けなさるはずもないことなので、無理にお願いなさらない。
[2-3 夕霧、想夫恋を弾く]
月が出て雲もない空に、羽をうち交わして飛ぶ雁も、列を離れないのを、羨ましくお聞きになっているのであろう。風が肌寒く感じられ、何となく寂しさに心動かされて、箏の琴をたいそうかすかにお弾きになっているのも、深みのある音色なので、ますます心を引きつけられてしまって、かえって物足りない思いがするので、琵琶を取り寄せて、とても優しい音色に「想夫恋」をお弾きになる。
「お気持ちを察してのようなのは、恐縮ですが、この曲目なら、何かおっしゃって下さるかと思いまして」
とおっしゃって、しきりに御簾の中に向かって催促申し上げなさるが、和琴を所望された以上に、気が引けるお相手なので、宮はただ悲しいとばかりお思い続けていらっしゃるので、
「言葉に出しておっしゃらないのも、おっしゃる以上に
深いお気持ちなのだと、慎み深い態度からよく分かります」
と申し上げなさると、わずかに終わりの方を少しお弾きになる。
「趣深い秋の夜の情趣は分かりますが、琴を弾くより他に
言葉で何を申し上げることができたでしょうか」
もっと聞いていたいほどであるが、そのおっとりした音色によって、昔の人が心をこめて弾き伝えてきた、同じ調子の曲目といっても、しみじみとまたぞっとする感じで、ほんの少し弾いてお止めになったので、恨めしいほどに思われるが、
「物好きな心を、いろいろな琴を弾いてお目に掛けてしまいました。秋の夜に遅くまでおりますのも、故人の咎めがあろうかとご遠慮致して、退出致さねばなりません。また改めて失礼のないよう気をつけてお伺い致そうと思いますが、このお琴の調子を変えずにお待ち下さいませんか。とかく思いもよらぬことが起こる世の中ですから、気掛かりでなりません」
などと、あらわにではないが、心の内をほのめかしてお帰りになる。
[2-4 御息所、夕霧に横笛を贈る]
「今夜の風流なお振る舞いについては、誰もがお許し申すはずのことでございます。これということもない昔話にばかり紛らわせなさって、寿命が延びるまでお聞かせ下さらなかったのが、とても残念です」
と言って、御贈り物に笛を添えて差し上げなさる。
「この笛には、実に古い由緒もあるように聞いておりましたが、このような蓬生の宿に埋もれているのは残念に存じまして、御前駆の負けないほどにお吹き下さる音色を、ここからでもお伺いしたく存じます」
と申し上げなさると、
「似つかわしくない随身でございましょう」
とおっしゃって、御覧になると、この笛もなるほど肌身離さず愛玩しては、
「自分でも、まったくこの笛の音のあらん限りは、吹きこなせない。大事にしてくれる人に何とか伝えたいものだ」
と、柏木が時々愚痴をこぼしていらっしゃったのをお思い出しなさると、さらに悲しみが胸に迫って、試みに吹いてみる。盤渉調の半分ばかりでお止めになって、
「故人を偲んで和琴を独り弾きましたのは、下手でも何とか聞いて戴けました。この笛はとても分不相応です」
と言って、お出になるので、
「涙にくれていますこの荒れた家に昔の
秋と変わらない笛の音を聞かせて戴きました」
と、内側から申し上げなさった。
「横笛の音色は特別昔と変わりませんが
亡くなった人を悼む泣き声は尽きません」
出て行きかねていらっしゃると、夜もたいそう更けてしまった。
[2-5 帰宅して、故人を想う]
殿にお帰りになると、格子などを下ろさせて、皆お寝みになっていた。
「この宮にご執心申されて、あのようにご熱心でいらっしゃるのだ」
などと、誰かがご報告したので、このように夜更けまで外出なさるのも憎らしくて、お入りになったのも知っていながら、眠ったふりをしていらっしゃるのであろう。
「いい人とわたしと一緒に入るあの山の」
と、声はとても美しく独り歌って、
「これは、またどうして、こう固く鍵を閉めているのだ。何とまあ、うっとうしいことよ。今夜の月を見ない所もあるのだなあ」
と、不満げにおっしゃる。格子を上げさせなさって、御簾を巻き上げなどなさって、端近くに横におなりになった。
「このように素晴らしい月なのに、気楽に夢を見ている人が、あるものですか。少しお出になりなさい。何と嫌な」
などと申し上げなさるが、面白くない気がして、知らぬ顔をなさっている。
若君たちが、あどけなく寝惚けている様子などが、あちらこちらにして、女房も混み合って寝ている、とてもにぎやかな感じがするので、さきほどの所の様子が、思い比べられて、多く違っている。この笛をちょっとお吹きになりながら、
「どのように、わたしが立ち去った後でも、物思いに耽っていらっしゃることだろう。お琴の合奏は、調子を変えずなさっていらっしゃるのだろう。御息所も、和琴の名手であった」
などと、思いをはせて臥せっていらっしゃった。
「どうして、故君は、ただ表向きの気配りは、大切にお扱い申し上げていながら、大して深い愛情はなかったのだろう」
と、考えるにつけても、大変いぶかしく思わずにはいらっしゃれない。
「実際会って見て器量がよくないとなると、たいそうお気の毒なことだな。世間一般の話でも、最高に素晴らしいという評判の人は、きっとそんなこともあるものだ」
などと思うにつけ、ご自分の夫婦仲が、その気持ちを顔に出して相手を疑うこともなくて、仲睦まじくなった歳月のほどを数えると、しみじみと感慨深く、とてもこう我が強くなって勝手に振る舞うようにおなりになったのも、無理もないことと思われなさった。
[2-6 夢に柏木現れ出る]
少し寝入りなさった夢に、あの衛門督が、まるで生前の袿姿で、側に座って、この笛を取って見ている。夢の中にも、故人が、厄介にも、この笛の音を求めて来たのだ、と思っていると、
「この笛の音に吹き寄る風は同じことなら
わたしの子孫に伝えて欲しいものだ
その伝えたい人は違うのだった」
と言うので、尋ねようと思った時に、若君が寝おびえて泣きなさるお声に、目が覚めておしまいになった。
この若君がひどく泣きなさって、乳を吐いたりなさるので、乳母も起き騷ぎ、母上も御殿油を近くに取り寄せさせなさって、額髪を耳に挟んで、せわしげに世話して、抱いていらっしゃった。とてもよく太って、ふっくらとした美しい胸を開けて、乳などをお含ませになる。子供もとてもかわいらしくいらっしゃる若君なので、色白で美しく見えるが、お乳はまったく出ないのを、気休めにあやしていらっしゃる。
男君も側にお寄りになって、「どうしたのだ」などとおっしゃる。魔除の撤米をし米を散らかしなどして、とり騒いでいるので、夢の情趣もどこかへ行ってしまうことであろう。
「苦しそうに見えますわ。若い人のような恰好でうろつきなさって、夜更けのお月見に、格子なども上げなさったので、例の物の怪が入って来たのでしょう」
などと、とても若く美しい顔をして、恨み言をおっしゃるので、にっこりして、
「妙な、物の怪の案内とは。わたしが格子を上げなかったら、道がなくて、おっしゃる通り入って来られなかったでしょう。大勢の子持ちの母親におなりになるにつれて、思慮深く立派なことをおっしゃるようにおなりになった」
と言って、ちらりと御覧になる目つきが、たいそう気後れするほど立派なので、それ以上は何ともおっしゃらず、
「さあ、もうお止めなさいまし。みっともない恰好ですから」
と言って、明るい灯火を、さすがに恥ずかしがっていらっしゃる様子も憎くない。ほんとうに、この若君は苦しがって、一晩中泣きむずかって夜をお明かしになった。
3 夕霧の物語 匂宮と薫
[3-1 夕霧、六条院を訪問]
大将の君も、夢を思い出しなさると、
「この笛は厄介なものだな。故人が執着していた笛の、行くべき所ではなかったのだ。女方から伝わっても意味のなことだ。どのように思ったことだろう。この世に、物の数にも入らない些事も、あの臨終の際に、一心に恨めしく思ったり、または愛情を持ったりしては、無明長夜の闇に迷うということだ。そうだからこそ、どのようなことにも執着は持つまいと思うのだ」
などと、お考え続けなさって、愛宕で誦経をおさせになる。また、故人が帰依していた寺にもおさせになって、
「この笛を、わざわざ御息所が特別の遺品として、譲り下さったのを、すぐにお寺に納めるのも、供養になるとは言うものの、あまりにあっけなさぎよう」
と思って、六条院に参上なさった。
女御の御方にいらっしゃる時なのであった。三の宮は、三歳ほどで、親王の中でもかわいらしくいらっしゃるのを、こちらではまた特別に引き取ってお住ませなさっているのであった。走っておいでになって、
「大将よ、宮をお抱き申して、あちらへ連れていらっしゃい」
と、自分に敬語をつけて、とても甘えておっしゃるので、ほほ笑んで、
「いらっしゃい。どうして御簾の前を行けましょうか。たいそう無作法でしょう」
と言って、お抱き申してお座りになると、
「誰も見ていません。わたしが、顔を隠そう。さあさあ」
と言って、お袖で顔をお隠しになるので、とてもかわいらしいので、お連れ申し上げなさる。
[3-2 源氏の孫君たち、夕霧を奪い合う]
こちら方にも、二の宮が、若君とご一緒になって遊んでいらっしゃるのを、かわいがっておいであそばすのであった。隅の間の所にお下ろし申し上げなさるのを、二の宮が見つけなさって、
「わたしも大将に抱かれたい」
とおっしゃるのを、三の宮は、
「わたしの大将なのだから」
と言って、お放しにならない。院も御覧になって、
「まことにお行儀の悪いお二方ですね。朝廷のお身近の警護の人を、自分の随身にしようと争いなさるとは。三の宮が、特にいじわるでいらっしゃいます。いつも兄宮に負けまいとなさる」
と、おたしなめ申して仲裁なさる。大将も笑って、
「二の宮は、すっかりお兄様らしく弟君に譲って上げるお気持ちが十分におありのようです。お年のわりには、こわいほどご立派にお見えになります」
などと申し上げなさる。ほほ笑んで、どちらもとてもかわいらしいとお思い申し上げあそばしていらっしゃった。
「見苦しく失礼なお席だ。あちらへ」
とおっしゃって、お渡りになろうとすると、宮たちがまとわりついて、まったくお離れにならない。宮の若君は、宮たちとご同列に扱うべきではないと、ご心中にはお考えになるが、かえってそのお気持ちを、母宮が、心にとがめて気を回されることだろうと、これもまたご性分で、お気の毒に思われなさるので、とても大切にお扱い申し上げなさる。
[3-3 夕霧、薫をしみじみと見る]
大将は、この若君を「まだよく見ていないな」とお思いになって、御簾の間からお顔をお出しになったところを、花の枝が枯れて落ちているのを取って、お見せ申して、お呼びなさると、走っていらっしゃった。
二藍の直衣だけを着て、たいそう色白で光輝いてつやつやとかわいらしいこと、親王たちよりもいっそうきめこまかに整っていらっしゃって、まるまると太りおきれいである。何となくそう思って見るせいか、目つきなど、この子は少しきつく才走った様子は衛門督以上だが、目尻の切れが美しく輝いている様子など、とてもよく似ていらっしゃった。
口もとが、特別にはなやかな感じがして、ほほ笑んでいるところなどは、「自分がふとそう思ったせいなのか、大殿はきっとお気づきであろう」と、ますますご心中が知りたい。
宮たちは、親王だと思うせいから気高くもみえるものの、世間普通のかわいらしい子供とお見えになるのだが、この君は、とても上品な一方で、特別に美しい様子なので、ご比較申し上げながら、
「何と、かわいそうな。もし自分の疑いが本当なら、父大臣が、あれほどすっかり気落ちしていらして、
『子供だと名乗って出て来る人さえいないことよ。形見と思って世話する者でもせめて遺してくれ』
と、泣き焦がれていらしたのに、お知らせ申し上げないのも罪なことではないか」などと思うが、「いや、どうしてそんなことがありえよう」
と、やはり納得がゆかず、推測のしようもない。気立てまでが優しくおとなしくて、じゃれていらっしゃるので、とてもかわいらしく思われる。
[3-4 夕霧、源氏と対話す]
対へお渡りになったので、のんびりとお話など申し上げていらっしゃるうちに、日も暮れかかって来た。昨夜、あの一条宮邸に参った時に、おいでになっていたご様子などを申し上げなさったところ、ほほ笑んで聞いていらっしゃる。気の毒な故人の話、関係のある話の節々には、あいずちなどを打ちなさって、
「あの想夫恋を弾いた気持ちは、なるほど、昔の風流の例として引き合いに出してもよさそうなところであるが、女は、やはり、男が心を動かす程度の風流があっても、いい加減なことでは表わすべきではないことだと、考えさせられることが多いな。
故人への情誼を忘れず、このように末長い好意を、先方も知られたとならば、同じことなら、きれいな気持ちで、あれこれとかかわり合って、面白くない間違いを起こさないのが、どちらにとっても奥ゆかしく、世間体も穏やかなことであろうと思う」
とおっしゃるので、「そのとおりだ。他人へのお説教だけはしっかりしたものだが、このような好色の道はどうかな」と、拝見なさる。
「何の間違いがございましょう。やはり、無常の世の同情から世話をするようになりました方々に、当座だけのいたわりで終わったら、かえって世間にありふれた疑いを受けましょうと思ってです。
想夫恋は、ご自分の方から弾き出しなさったのなら、非難されることにもなりましょうが、ことのついでに、ちょっとお弾きになったのは、あの時にふさわしい感じがして、興趣がございました。
何事も、人次第、事柄次第の事でございましょう。年齢なども、だんだんと、若々しいお振る舞いが相応しいお年頃ではいらっしゃいませんし、また、冗談を言って、好色がましい態度を見せることに、馴れておりませんので、お気を許されるでしょうか。大体が優しく無難なお方のご様子でいらっしゃいました」
などと申し上げなさっているうちに、ちょうどよい機会を作り出して、少し近くに寄りなさって、あの夢のお話を申し上げなさると、すぐにはお返事をなさらずに、お聞きあそばして、お気づきあそばすことがある。
[3-5 笛を源氏に預ける]
「その笛は、わたしが預からねばならない理由がある物だ。それは陽成院の御笛だ。それを故式部卿宮が大事になさっていたが、あの衛門督は、子供の時から大変上手に笛を吹いたのに感心して、故式部卿宮が萩の宴を催された日、贈り物にお与えになったものだ。女の考えで深い由緒もよく知らず、そのように与えたのだろう」
などとおっしゃって、
「子孫に伝えたいということは、また他に誰と間違えようか。そのように考えたのだろう」などとお考えになって、「この君も思慮深い人なので、気づくこともあろうな」とお思いになる。
そのご表情を見ていると、ますます遠慮されて、すぐにはお話し申し上げなされないが、せめてお聞かせ申そうとの思いがあるので、ちょうど今この機会に思い出したように、はっきり分からないふりをして、
「臨終となった折にも、お見舞いに参上いたしましたところ、亡くなった後の事を遺言されました中に、これこれしかじかと、深く恐縮申している旨を、繰り返し言いましたので、どのようなことでしょうか、今に至までその理由が分かりませんので、気に掛かっているのでございます」
と、いかにも腑に落ちないように申し上げなさるので、
「やはり知っているのだな」
とお思いになるが、どうして、そのような事柄をお口にすべきではないので、暫くは分からないふりをして、
「そのような、人に恨まれるような事は、いつしただろうかと、自分自身でも思い出す事ができないな。それはそれとして、そのうちゆっくり、あの夢の事は考えがついてからお話し申そう。夜には夢の話はしないものだとか、女房たちが言い伝えているようだ」
とおっしゃって、ろくにお返事もないので、お耳に入れてしまったことを、どのように考えていらっしゃるのかと、きまり悪くお思いであった、とか。
38. 鈴虫
光る源氏の准太上天皇時代50歳夏から秋までの物語
- 持仏開眼供養の準備 夏頃、蓮の花の盛りに、入道の姫宮が御持仏の数々を
- 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす お堂を飾り終わって、講師が壇上して、行道の人々も
- 持仏開眼供養執り行われる 例によって、親王たちなども、とても大勢参上なさった
- 三条宮邸を整備 今となって、おいたわしく思われる気持ちが加わって、この上もなく大切にお世話
1 女三の宮の物語 持仏開眼供養
- 女三の宮の前栽に虫を放つ 秋頃、西の渡殿の前、中の塀の東側を、辺り一帯を
- 8月15夜、秋の虫の論 十五夜の夕暮に、仏の御前に宮はいらっしゃって、端近くに物思いに耽り
- 六条院の鈴虫の宴 今夜は、いつものとおり管弦のお遊びがあろうかと推量して、兵部卿宮が
- 冷泉院より招請の和歌 お杯が二回りほど廻ったころに、冷泉院からお手紙が
- 冷泉院の月の宴 人々のお車を、身分に従って並べ直し、御前駆の人々が大勢集まって来て
2 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴
- 秋好中宮、出家を思う 六条の院は、中宮の御方にお越しになって、お話など
- 母御息所の罪を思う 母御息所が、ご自身お苦しみになっていらっしゃろう様子
- 秋好中宮の仏道生活 昨夜はこっそりとお気軽なお出ましであったが、今朝は世間に知れわたり
3 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う
1 女三の宮の物語 持仏開眼供養
[1-1 持仏開眼供養の準備]
夏頃、蓮の花の盛りに、入道の姫宮が御持仏の数々をお造りになったのを、開眼供養を催しあそばす。
今回は、大殿の君のお志で、御念誦堂の道具類も、こまごまとご準備させていたのを、そっくりそのままお飾りあそばす。幡の様子など優しい感じで、特別な唐の錦を選んでお縫わせなさった。紫の上が、ご準備させなさったのであった。
花机の覆いなどの美しい絞り染も優しい感じで、美しい色艶が、染め上げられている趣向など、またとない素晴らしさである。夜の御帳台の帷子を、四面とも上げて、後方に法華の曼陀羅をお掛け申して、銀の花瓶に、高々と見事な蓮の花を揃えてお供えになって、名香には、唐の百歩の衣香を焚いていらっしゃる。
阿彌陀仏、脇士の菩薩、それぞれ白檀でお造り申してあるのが、繊細で美しい感じである。閼伽の道具は、例によって、際立って小さくて、青色、白色、紫の蓮の色を揃えて、荷葉香を調合したお香は、蜜を控えてぼろぼろに崩して、焚き匂わしているのが、一緒に匂って、とても優しい感じがする。
経は、六道の衆生のために六部お書きあそばして、ご自身の御持経は、院がご自身でお書きあそばしたのであった。せめてこれだけでも、この世の結縁として、互いに極楽浄土に導き合いなさるようにとの旨を願文にお作りあそばした。
その他には、阿彌陀経、唐の紙はもろいので、朝夕のご使用にはどのようなものかしらと考えて、紙屋院の官人を召して、特別にご命令を下して、格別美しく漉かせなさった紙に、この春頃から、お心を込めて急いでお書きあそばしたかいがあって、その片端を御覧になった方々、目も眩むほどに驚いていらっしゃる。
罫に引いた金泥の線よりも、墨の跡の方がさらに輝くように立派な様子などが、まことに見事なものであった。軸、表紙、箱の様子など、言うまでもないことである。これは特に沈の花足の机の上に置いて、仏と同じ御帳台の上に飾らせなさった。
[1-2 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす]
お堂を飾り終わって、講師が壇上して、行道の人々も参集なさったので、院もそちらに出ようとなさって、宮のいらっしゃる西の廂の間にお立ち寄りなさると、狭い感じのする仮の御座所に、窮屈そうに暑苦しいほどに、仰々しく装束をした女房たちが五、六十人ほど集まっていた。
北の廂の間の簀子まで、女童などはうろうろしている。香炉をたくさん使って、煙いほど扇ぎ散らすので、近づきなさって、
「空薫物は、どこで焚いているのか分からないくらいなのがよいのだ。富士山の噴煙以上に、煙がたちこめているのは、感心しないことだ。お経の御講義の時には、あたり一帯の音は立てないようにして、静かにお説教の意味を理解しなければならないことだから、遠慮のない衣ずれの音、人のいる感じは、出さないのがよいのです」
などと、いつものとおり、思慮の足りない若い女房たちの心用意をお教えになる。宮は、人気に圧倒されなさって、とても小柄で美しい感じに臥せっていらっしゃった。
「若君が、騒がしかろう。抱いてあちらへお連れ申せ」
などとおっしゃる。
北の御障子も取り放って、御簾を掛けてある。そちらに女房たちをお入れになっている。静かにさせて、宮にも、法会の内容がお分かりになるように予備知識をお教え申し上げなさるのも、とても親切に見える。御座所をお譲りなさった仏のお飾り付け、御覧になるにつけても、あれこれと感慨無量で、
「このような仏事の御供養を、ご一緒にしようとは思いもしなかったことだ。まあ、しかたない。せめて来世では、あの蓮の花の中の宿を、一緒に仲好くしよう、と思って下さい」
とおっしゃって、お泣きになった。
「来世は同じ蓮の花の中でと約束したが
その葉に置く露のように別々でいる今日が悲しい」
と、御硯に筆を濡らして、香染の御扇にお書き付けになった。宮は、
「蓮の花の宿を一緒に仲好くしようと約束なさっても
あなたの本心は悟り澄まして一緒にとは思っていないでしょう」
とお書きになったので、
「せっかくの申し出をかいなくされるのですね」
と、苦笑しながらも、やはりしみじみと感に堪えないご様子である。
[1-3 持仏開眼供養執り行われる]
例によって、親王たちなども、とても大勢参上なさった。御夫人方から、我も我もと作り出した御供物の様子、格別立派で、所狭しと見える。七僧の法服など、総じて一通りのことは、皆紫の上がご準備させなさった。綾織物で、袈裟の縫目まで、分かる人は、世間にはめったにない立派な物だと誉めたとか。うるさく細かい話であるよ。
講師が大変に尊く、法要の趣旨を申して、この世でご立派であった盛りのお身の上を厭い離れなさって、未来永劫にわたって絶えることのない夫婦の契りを、法華経に結びなさる、尊く深いお心を表わして、ただ現在、才学も優れ、豊かな弁舌を、ますます心をこめて言い続ける、とても尊いので、参会者全員、涙をお流しなさる。
この持仏開眼供養は、ただこっそりと、御念誦堂の開き初めとお考えになったことだが、帝におかせられても、また山の帝もお耳にあそばして、いずれもお使者があった。御誦経のお布施など、大変置ききれないほど、急に大げさになったのであった。
院でご準備あそばしたことも、簡略にとはお思いになったが、それでも並々ではなかったのだが、それ以上に、華やかなお布施が加わったので、夕方のお寺に置き場もないほど沢山になって、僧たちは帰って行ったのであった。
[1-4 三条宮邸を整備]
今となって、おいたわしく思われる気持ちが加わって、この上もなく大切にお世話申し上げなさる。院の帝は、御相続なさった宮に離れてお住みになることも、結局のことなのだから、世間体がよいように申し上げなさるが、
「離れ離れでいては、気掛かりであろう。毎日お世話申し上げて、こちらから申し上げたり用向きを承ることができないようでは、本意に外れることであろう。なるほど、いつまでも生きていられない世であるが、やはり生きている限りはお世話したい気持ちだけはなくしたくない」
と申し上げ申し上げなさっては、あちらの宮も大変念入りに美しくご改築させなさって、御封の収入、国々の荘園、牧場などからの献上物で、これはと思われる物は、全てあちらの三条宮の御倉に納めさせなさる。さらに又、増築させて、いろいろな御宝物類、院の御遺産相続の時に無数にお譲り受けなさった物など、宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して、念を入れて厳重に保管させなさる。
日常のお世話、大勢の女房の事ども、上下の人々の面倒は、全てご自分の経費のまかないでなどと、急いでお手入れをして差し上げる。
2 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴
[2-1 女三の宮の前栽に虫を放つ]
秋頃、西の渡殿の前、中の塀の東側を、辺り一帯を野原の感じにお作らせになった。閼伽の棚などを作って、その方面の生活にふさわしくお整えになったお道具類など、とても優美な感じである。
お弟子としてお従い申し上げている尼たち、御乳母、老女たちは、それはそれとして、若い盛りの女房でも、決心固く、尼として一生を送れる者だけを選んで、おさせになったのであった。
その当座の競争気分の折には、我も我もと競って申し出たが、大殿がお聞きになって、
「それは良くないことだ。本心からでない人が少しでも混じってしまうと、周囲の人が困るし、浮ついた噂が出て来るものだ」
とお諌めになって、十何人かだけが尼姿になってお付きしている。
この野原に虫どもを放たせなさって、風が少し涼しくなってきた夕暮に、たびたびお越しになっては、虫の音を聴くふりをなさって、今でも断ちがたい思いのほどを申し上げ悩ましなさるので、
「いつものお心癖はとんでもないことになろう」
と、一途に厄介なことにお思い申し上げていらっしゃった。
他人の目には変わったところなくお扱いになっているが、内心では嫌な事件をご存知の様子がはっきり分かり、すっかり変わってしまったお心を、何とかお目に掛からずにいたいお気持ちで、それが主な動機でご決心なさったご出家なので、今は離れて安心していたのに、
「やはり、このように」
などとお耳に入れたりなどなさるのが辛くて、「人里離れた所に住みたい」とお思いになるが、大人ぶってとてもそのように押して申し上げることはおできになれない。
[2-2 8月15夜、秋の虫の論]
十五夜の夕暮に、仏の御前に宮はいらっしゃって、端近くに物思いに耽りながら念誦なさる。若い尼君たち二、三人が花を奉ろうとして鳴らす閼伽、坏の音、水の感じなどが聞こえるのは、今までとは違った仕事に、忙しく働いているが、まことに感慨無量なので、いつものようにお越しになって、
「虫の音がとてもうるさく鳴き乱れている夕方ですね」
と言って、自分もひっそりと朗誦なさる阿彌陀経の大呪が、たいそう尊くかすかに聞こえる。いかにも、虫の音がいろいろ聞こえる中で、鈴虫が声を立てているところは、華やかで趣きがある。
「秋の虫の声は、どれも素晴らしい中で、松虫が特に優れているとおっしゃって、中宮が、遠い野原から、特別に探して来てはお放ちになったが、はっきり鳴き伝えているのは少ないようだ。名前とは違って、寿命の短い虫のようである。
思う存分に、誰も聞かない山奥、遠い野原の松原で、声を惜しまず鳴いているのも、まことに分け隔てしている虫であるよ。鈴虫は、親しみやすく、にぎやかに鳴くのがかわいらしい」
などとおっしゃると、宮は、
「秋という季節はつらいものと分かっておりますが
やはり鈴虫の声だけは飽きずに聴き続けていたいものです」
とひっそりとおっしゃる。とても優雅で、上品でおっとりしていらっしゃる。
「何とおしゃいましたか。いやはや、思いがけないお言葉ですね」と言って、
「ご自分からこの家をお捨てになったのですが
やはりお声は鈴虫と同じように今も変わりません」
などと申し上げなさって、琴の御琴を召して、珍しくお弾きになる。宮が御数珠を繰るのを忘れなさって、お琴の音色に依然として聴き入っていらっしゃった。
月が出て、とても明るくなったのもしみじみと心を打つので、空をちょっと眺めて、人の世のあれこれにつけて、無常に移り変わる有様が次々と思い出されて、いつもよりもしみじみとした音色でお弾きになる。
[2-3 六条院の鈴虫の宴]
今夜は、いつものとおり管弦のお遊びがあろうかと推量して、兵部卿宮がお越しになった。大将の君、殿上人で音楽の素養のある人々を連れていらっしゃっていたので、こちらにいらっしゃると、お琴の音をたよりにして、そのまま参上なさる。
「とても所在ないので、特別の音楽会というのではなくても、長い間弾かないでいた珍しい楽器の音など、聴きたかったので独りで弾いていたのを、たいそうよく聴きつけて来て下さった」
とおっしゃって、宮にも、こちらに御座所を設けてお入れ申し上げなさる。宮中の御前で、今夜は月の宴が催される予定であったが、中止になって物足りない気がしたので、こちらの院に方々が参上なさると伝え聞いて、誰や彼やと上達部なども参上なさった。虫の音の批評をなさる。
お琴類を合奏なさって、興が乗ってきたころに、
「月を見る夜は、いつでももののあわれを誘わないことはない中でも、今夜の新しい月の色には、なるほどやはり、この世の後の世界までが、いろいろと想像されるよ。故大納言が、いつの折にも、亡くなったことにつけて、一層思い出されることが多く、公、私、共に何かある機会に物の栄えがなくなった感じがする。花や鳥の色にも音にも、美をわきまえ、話相手として、大変に優れていたのだったが」
などとお口に出されて、ご自身でも合奏なさる琴の音につけても、お袖を濡らしなさった。御簾の中でも耳を止めてお聴きになって入るだろうと、片一方のお心ではお思いになりながら、このような管弦のお遊びの折には、まずは恋しく、帝におかせられてもお思い出しになられるのであった。
「今夜は鈴虫の宴を催して夜を明かそう」
とお考えになっておっしゃる。
[2-4 冷泉院より招請の和歌]
お杯が二回りほど廻ったころに、冷泉院からお手紙がある。宮中の御宴が急に中止になったのを残念に思って、左大弁や、式部大輔らが、また大勢人々を引き連れて、詩文に堪能な人々ばかりが参上したところ、大将などは六条院に伺候していらっしゃる、とお耳にあそばしてなのであった。
「宮中から遠く離れて住んでいる仙洞御所にも
忘れもせず秋の月は照っています
同じことならあなたにも」
とお申し上げなさったので、
「どれほどの窮屈な身分ではないのだが、今はのんびりとしてお過ごしになっていらっしゃるところに、親しく参上することもめったにないことを、不本意なことと思し召されるあまりに、お便りをお寄越しあばされている、恐れ多いことだ」
とおっしゃって、急な事のようだが、参上なさろうとする。
「月の光は昔と同じく照っていますが
わたしの方がすっかり変わってしまいました」
特に変わったところはないようであるが、ただ昔と今とのご様子が思い続けられての歌なのであろう。お使者にお酒を賜って、禄はまたとなく素晴らしい。
[2-5 冷泉院の月の宴]
人々のお車を、身分に従って並べ直し、御前駆の人々が大勢集まって来て、しみじみとした合奏もうやむやになって、お出ましになった。院のお車に、親王をお乗せ申し、大将、左衛門督、藤宰相など、いらっしゃった方々全員が参上なさる。
直衣姿で、皆お手軽な装束なので、下襲だけをお召し加えになって、月がやや高くなって、夜が更けた空が美しいので、若い方々に、笛などをさりげなくお吹かせになったりなどして、お忍びでの参上の様子である。
改まった公式の儀式の折には、仰々しく厳めしい威儀の限りを尽くして、お互いにご対面なさり、また一方で、昔の臣下時代に戻った気持ちで、今夜は手軽な恰好で、急にこのように参上なさったので、大変にお驚きになり、お喜び申し上げあそばす。
御成人あそばした御容貌、ますますそっくりである。お盛りの最中であったお位を、御自分から御退位あそばして、静かにお過ごしになられる御様子に、心打たれることが少なくない。
その夜の詩歌は、漢詩も和歌も共に、趣深く素晴らしいものばかりである。例によって、一端を言葉足らずにお伝えするのも気が引けて。明け方に漢詩などを披露して、早々に方々はご退出なさる。
3 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う
[3-1 秋好中宮、出家を思う]
六条の院は、中宮の御方にお越しになって、お話など申し上げなさる。
「今はこのように静かなお住まいに、しばしば伺うことができ、特にどうということはないけれども、年をとるにつれて、忘れない昔話など、お聞きしたり申し上げたりしたく存じますが、中途半端な身の有様で、やはり気が引け、窮屈な思いが致しまして。
わたしより若い方々に、何かにつけて先を越されて行く感じが致しますのも、まことに無常の世の心細さが、のんびり構えていられぬ気持ちがしますので、世を離れた生活をしようかと、だんだん気持ちが進んできましたが、後に残された方々が頼りないでしょうから、おちぶれさせなさらないように、と以前にもお願い申し上げました通り、その気持ちを変えずにお世話してやって下さい」
などと、方々の生活面のことについてお願い申し上げなさる。
例によって、大変に若くおっとりしたご様子で、
「宮中の奥深くに住んでおりましたころよりも、お目に掛かれないことが多くなったように存じられます今の有様が、ほんとうに思いもしなかったことで、面白くなく思われまして、皆が出家して行くこの世を、厭わしく思われることもございますが、その心の中を申し上げてご意向を伺っておりませんので、何事もまずは頼りにしている癖がついていますため、気に致しております」
と申し上げなさる。
「おっしゃる通り、宮中にいらっしゃった時には、決まりに従った折々のお里下がりも、ほんとうにお待ち申し上げておりましたが、今は何を理由として、御自由にお出であそばすことがございましょうか。無常な世の習いとは言いながらも、特に世を厭う理由のない人が、きっぱりと出家することも難しいことで、容易に出家できそうな身分の人でさえ、自然とかかわり合う係累ができて世を背くことが出来ませんのに、どうして、そんな人真似をして負けずに出家なさろうとするのは、かえって変なお心掛けとご推量申し上げる者があっては困ります。絶対にあってはならない御事でございます」
と申し上げなさるので、「深くは汲み取っ下さっていないようだ」と、恨めしくお思い申し上げなさる。
[3-2 母御息所の罪を思う]
母御息所が、ご自身お苦しみになっていらっしゃろう様子、どのような業火の中で迷っていらっしゃるのだろう様子、亡くなった後までも、人から疎まれ申される物の怪となって名乗り出たことは、あちらの院では大変に隠していらっしゃったが、自然と人の口は煩しいもので、伝え聞いた後は、とても悲しく辛くて、何もかもが厭わしくお思いになって、たとい憑坐にのり移った言葉にせよ、そのおっしゃった内容を詳しく聞きたいのだが、まともには申し上げかねなさって、ただ、
「亡くなった母上のあの世でのご様子が、罪障の軽くない様子と、かすかに聞くことがございましたので、そのような証拠がはっきりしているのでなくとも、推し量らねばならないことでしたのに、先立たれた時の悲しみばかりを忘れずにおりまして、あの世での苦しみを想像しなかった至らなさを、何とかして、ちゃんと教えてくれる人の勧めを聞きまして、せめてわたしでも、その業火の炎を薄らげて上げたいと、だんだんと年をとるにつれて、考えられるようになったことでございます」
などと、それとなしにおっしゃる。
「なるほど、そのようにお考えになるのももっともなことだ」と、お気の毒に拝し上げなさって、
「その業火の炎は、誰も逃れることはできないものだと分かっていながら、朝露のようにはかなく生きている間は、執着を去ることはできないものなのです。目蓮が仏に近い聖僧の身で、すぐに救ったという故事にも、真似はお出来になれないでしょうが、玉の簪をお捨てになって出家なさったとしても、この世に悔いを残すようなことになるでしょう。
だんだんそのようなお気持ちを強くなさって、あの母君のお苦しみが救われるような供養をなさいませ。そのように存じますことお持ちしながら、何か落ち着かないようで、静かな出家の本意もないような有様で毎日を過ごしておりまして、自分自身の勤行に加えて、供養もそのうちゆっくりと存じておりますのも、おしゃるとおり、浅はかなことでした」
などと、世の中の事が何もかも無常であり、出家したいことをお互いに話し合いなさるが、やはり、出家することは難しいお二方の身の上である。
[3-3 秋好中宮の仏道生活]
昨夜はこっそりとお気軽なお出ましであったが、今朝は世間に知れわたりなさって、上達部なども、参上していた方々は皆お帰りのお供を申し上げなさる。
春宮の女御のご様子、他に並ぶ方がなく、大切にお世話申し上げなさっているだけのことは十分あり、大将がまた大変に格別に優れているご様子をも、どちらも安心だとお思いになるが、やはり、この冷泉院をお思い申し上げるお気持ちは、特に深くいとしくお思いなさる。院もいつも気に掛けていらっしゃったが、ご対面がめったになく気掛かりにお思いだったため、気がせかれなさって、このように気楽なご境遇にとお考えになったのであった。
中宮は、かえって里下がりなさることが大変に難しくなって、臣下の夫婦のようにいつもご一緒にいられて、当世風に、かえって御在位中よりも華やかに、管弦の御遊などもなさる。どのようなことにもご満足のゆくご様子であるが、ただあの母御息所の御事をお考えなさっては、勤行のお心が深まって行ったのを、院がお許し申されるはずのないことなので、追善供養をひたすら熱心にお営みになって、ますます道心深く、この世の無常をお悟りになったご様子におなりになって行かれる。
39. 夕霧
光る源氏の准太上天皇時代50歳秋から冬までの物語
- 一条御息所と落葉宮、小野山荘に移る 堅物との評判を取って、こざかしそうにしていらっしゃる大将
- 8月20日頃、夕霧、小野山荘を訪問 八月二十日のころなので、野辺の様子も
- 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる 宮は、奥の方にとてもひっそりとしていらっしゃるが
- 夕霧、山荘に一晩逗留を決意 日も入り方になるにつれて、空の様子もしんみりと
- 夕霧、落葉宮の部屋に忍び込む そうしてから、「帰り道が霧でまことにはっきりしないので、この近辺に
- 夕霧、落葉宮をかき口説く お聞き入れになるはずもなく、悔しい、こんな事にまでと
- 迫りながらも明け方近くなる 風がとても心細い感じで、更けて行く夜の様子、虫の音も
- 夕霧、和歌を詠み交わして帰る 月は曇りなく澄みわたって、霧にも遮られず
1 夕霧の物語 小野山荘訪問
- 夕霧の後朝の文 このような出歩き、馴れていらっしゃらないお人柄なので
- 律師、御息所に告げ口 物の怪にお悩みになっていらっしゃる方は、重病と見えるが
- 御息所、小少将君に問い質す 律師が立ち去った後に、小少将の君を呼んで
- 落葉宮、母御息所のもとに参る お越しになろうとして、額髪が濡れて固まっている
- 御息所の嘆き 苦しいご気分ながら、並々ならずかしこまって
2 落葉宮の物語 律師の告げ口
- 御息所、夕霧に返書 あちらからまたお手紙がある。事情を知らない女房が
- 雲居雁、手紙を奪う 大将殿は、この昼頃に、三条殿にいらっしゃったが
- 手紙を見ぬまま朝になる あれこれと言い合いをして、このお手紙はお隠しに
- 夕霧、手紙を見る 蜩の鳴き声に目が覚めて、「小野の麓ではどんなに
- 御息所の嘆き あちらでは、昨夜も薄情なとお見えになったご様子を
- 御息所死去す ほんとうにどうしようもなく独りぎめにしておっしゃるので、抗弁して申し開きをする
- 朱雀院の弔問の手紙 あちこちからのご弔問、いつの間に知れたのかと見える。大将殿も
- 夕霧の弔問 道のりまでも遠くて、山麓にお入りになるころ、じつにぞっとした気がする
- 御息所の葬儀 まさか今夜ではあるまいと思っていた葬儀の準備が
3 一条御息所の物語 行き違いの不幸
- 夕霧、返事を得られず 山下ろしがたいそう烈しく、木の葉の影もなくなって
- 雲居雁の嘆きの歌 女君、やはりこのお二人のご様子を、「どのような関係だったのだろうか
- 9月10日過ぎ、小野山荘を訪問 九月十余日、野山の様子は、十分に分からない人でさえ
- 板ばさみの小少将君 この人も、それ以上にひどく泣き入りながら、「その夜の
- 夕霧、一条宮邸の側を通って帰宅 道すがら、しみじみとした空模様を眺めて、十三日の月が
- 落葉宮の返歌が届く 日が高くなってから返事を持って参った。紫の濃い紙が素っ気ない感じで
4 夕霧の物語 落葉宮に心あくがれる夕霧
- 源氏や紫の上らの心配 六条院にもお聞きあそばして、とても落ち着いていて
- 夕霧、源氏に対面 大将の君が、参上なさった機会があって、悩んでいらっしゃる
- 父朱雀院、出家希望を諌める こうしてご法事に、万端を取り仕切っておさせなさる
- 夕霧、宮の帰邸を差配 大将も、「あれこれと言ってみたが、今は無駄なことだ
- 落葉宮、自邸へ向かう 寄ってたかって説得申し上げるので、とても困りきって、色鮮やかな
- 夕霧、主人顔して待ち構える ご到着なさると、邸内は悲しそうな様子もなく
- 落葉宮、塗籠に籠る このように強情であるが、今となっては、邪魔立てされなさるおつもりもないので
5 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る
- 夕霧、花散里へ弁明 六条院にいらっしゃって、ご休息なさる。東の上は
- 雲居雁、嫉妬に荒れ狂う 日が高くなって、殿にお帰りになった。お入りになるや
- 雲居雁、夕霧と和歌を詠み交す 昨日今日と全然お召し上がりにならなかった食事を、少々はお召し上がりに
- 塗籠の落葉宮を口説く あちらには、やはり籠もっていらっしゃるのを、女房たちが
- 夕霧、塗籠に入って行く 「そうかといって、こうしてばかりいられようか。人が洩れ聞くことも
- 夕霧と落葉宮、遂に契りを結ぶ こうしてばかり馬鹿らしく出入りするのもみっともないので
6 夕霧の物語 雲居雁と落葉宮の間に苦慮
- 雲居雁、実家へ帰る このように無理して馴染んだ顔をしていらっしゃるので、三条殿は
- 夕霧、雲居雁の実家へ行く 寝殿にいらっしゃると聞いて、いつもお帰りの時に使う部屋は
- 蔵人少将、落葉宮邸へ使者 大殿は、このようなことをお聞きになって、物笑いになることと
- 藤典侍、雲居雁を慰める ますますおもしろからぬご気分に、気もそぞろにうろうろなさって
7 雲居雁の物語 夕霧の妻たちの物語
1 夕霧の物語 小野山荘訪問
[1-1 一条御息所と落葉宮、小野山荘に移る]
堅物との評判を取って、こざかしそうにしていらっしゃる大将、この一条宮のご様子を、やはり理想的だと心に止めて、世間の人目には、昔の友情を忘れていない心遣いを見せながら、とても懇切にお見舞い申し上げなさる。内心では、このままではやめられそうになく、月日を経るに従って思いが募って行かれるのであった。
御息所も、「大変にもったいないご親切であることよ」と、今ではますます寂しく所在ないお暮らしを、絶えず訪れなさるので、お慰めになることがいろいろと多かった。
初めから色めいたことを申し上げたりなさらなかったのだが、
「打って変わって色めかしく艶めいた振る舞いをするのも気恥ずかしい。ただ深い愛情をお見せ申せば、心を許してくれる時がなくはないだろう」
と思いながら、何かの用事にかこつけても、宮のご様子や態度をお伺いなさる。ご自身がお応え申し上げなさることはまったくない。
「どのような機会に、思っていることをまっすぐに申し上げて、相手のご様子を見ようか」
と、お考えになっていたところ、御息所が、物の怪にひどくお患いになって、小野という辺りに、山里を持っていらっしゃった所にお移りになった。早くから御祈祷師として、物の怪などを追い払っていた律師が、山籠もりして里には出まいと誓願を立てていたのを、麓近くなので、下山して頂くためなのであった。
お車をはじめとして、御前駆など、大将殿から差し向けなさったのであるが、かえって故人の親しい弟君たちは、仕事が忙しく自分の事にかまけて、お思い出し申し上げることができなかった。
弁の君、彼は彼で、気がないわけでもなくて、素振りを匂わせたのだが、思ってもみない程のおあしらいだったので、無理に参上してお世話なさることもできなくなっていた。
この君は、とても賢く、何とはない様子で自然と馴れ親しみなさったようである。修法などをおさせになると聞いて、僧の布施、浄衣などのような、こまごまとした物まで差し上げなさる。病気でいらっしゃる方は、お書きになるとができない。
「通り一遍の代筆は、けしからぬとお思いでしょう、重々しい身分のお方です」
と、女房たちが申し上げるので、宮がお返事をさし上げなさる。
とても美しく、ただ一くだりほど、おっとりとした筆づかいに、言葉も優しい感じを書き添えなさっているので、ますます見たく目がとまって、頻繁に手紙を差し上げなさる。
「やはり、いつかは事の起こるに違いないご関係のようだ」
と、北の方は様子を察していられたので、めんどうに思って、訪問したいとはお思いになるが、すぐにはお出かけになることができない。
[1-2 8月20日頃、夕霧、小野山荘を訪問]
八月二十日のころなので、野辺の様子も美しい時期だし、山里の様子もとても気になるので、
「何某律師が珍しく下山していると言うので、是非に相談したいことがある。御息所が病気でいらっしゃると言うのもお見舞いがてら、お伺いしよう」
と、さりげない用件のように申し上げてお出かけになる。御前駆、大げさにせず、親しい者だけ五、六人ほどが、狩衣姿で従う。特別深い山道ではないが、松が崎の小山の色なども、それほどの岩山ではないが、秋らしい様子になって、都で又となく善美を尽くした住居より、やはり、情趣も風情も立ち勝って見えることであるよ。
ちょっとした小柴垣も風流な様に作ってあって、仮のお住まいだが品よくお暮らしになっていらっしゃった。寝殿と思われる東の放出に、修法の壇を塗り上げて、北の廂の間にいらっしゃるので、西表の間に宮はいらっしゃる。
御物の怪が厄介だからと言って、お止め申し上げなさったが、どうしてお側を離れ申そうと、慕ってお移りになったのだが、物の怪が他の人に乗り移るのを恐れて、わずかの隔てを置く程度にして、そちらにはお入れ申し上げなさらない。
客人のお座りになる所がないので、宮の御方の簾の前にお入れ申して、上臈のような女房たちが、ご挨拶をお伝え申し上げる。
「まことにもったいなく、こんなにまで遠路はるばるお見舞いにお越し下さいまして。もしこのままはかなくなってしまいましたならば、このお礼をさえ申し上げることができないのではないかと、存じておりましたが、もう暫く生きていたいという気持ちになりました」
と、奥から申し上げなさった。
「お移りあそばした時のお供を致そうと存じておりましたが、六条院から仰せつけられていた事が中途になっていまして。このところも、何かと忙しい雑事がございまして、案じておりました気持ちよりも、ずっと誠意がない者のように御覧になられますのが、辛うございます」
などと、申し上げなさる。
[1-3 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる]
宮は、奥の方にとてもひっそりとしていらっしゃるが、おおげさでない仮住まいのお設備で、端近な感じのご座所なので、宮のご様子も自然とはっきり伝わる。とても物静かに身じろぎなさる時の衣ずれの音、あれがそうなのだろうと、聞いていらっしゃった。
心も上の空になって、あちらへのご挨拶を伝えている間、少し長く手間取っているうちに、例の少将の君などの、伺候している女房たちにお話などなさって、
「このように参上して親しくお話を伺うことが、何年という程になったが、まったく他人行儀にお扱いなさる恨めしさよ。このような御簾の前で、人伝てのご挨拶などを、ほのかにお伝え申し上げるとはね。いまだ経験したことがないね。どんなにか古くさい人間かと、宮様方は笑っていらっしゃるだろうと、きまりの悪い思いがする。
年齢も若く身分も低かったころに、多少とも色めいたことに経験が豊かであったら、こんな恥ずかしい思いはしなかったろうに。まったく、このように生真面目で、愚かしく年を過ごして来た人は、他にいないだろう」
とおっしゃる。なるほど、まことに軽々しくお扱いできないご様子でいらっしゃるので、やはりそうであったかと、
「中途半端なお返事を申し上げるのは、気が引けます」
などとつっ突き合って、
「このようなご不満に対し情趣を解さないように思われます」
と、宮に申し上げると、
「ご自身で直接申し上げなさらないようなご無礼につき、代わって致さねばならないところですが、大変に恐いほどのご病気でいらっしゃったようなのを、看病致しておりましたうちに、ますます生きているのかどうなのか分からない気分になって、お返事申し上げることができません」
とおっしゃるので、
「これは、宮のお返事ですか」と居ずまいを正して、「お気の毒なご病気を、わが身に代えてもとご心配申し上げておりましたのも、他ならぬあなたのためです。恐れ多いことですが、物事のご判断がお出来になるご様子などを、ご快復を御覧になられるまでは、平穏にお過ごしになられるのが、どなたにとっても心強いことでございましょうと、ご推察申し上げるのです。ただ母上様へのご心配ばかりとお考えになって、積もる思いをご理解下さらないのは、不本意でございます」
と申し上げなさる。「おっしゃる通りだ」と、女房たちも申し上げる。
[1-4 夕霧、山荘に一晩逗留を決意]
日も入り方になるにつれて、空の様子もしんみりと霧が立ち籠めて、山の蔭は薄暗い感じがするところに、蜩がしきりに鳴いて、垣根に生えている撫子が、風になびいている色も美しく見える。
前の前栽の花々が、思い思いに咲き乱れているところに、水の音がとても涼しそうに聞こえて、山下ろしの風がぞっとするように、松風の響きが奥にこもってそこらじゅう聞こえたりなどして、不断の経を読むのが、交替の時刻になって、鐘を打ち鳴らすと、立つ僧の声も変って座る僧の声も、一緒になって、まことに尊く聞こえる。
場所柄ゆえ、あらゆる事が心細く思われるのも、しみじみと感慨が湧き起こる。お帰りなる気持ちも起こらない。律師の加持する声がして、陀羅尼を大変に尊く読んでいる様子である。
たいそうお苦しそうでいらっしゃるということで、女房たちもそちらの方に集まって、大体が、このような仮住まいに大勢はお供しなかったので、ますます人少なで、宮は物思いに耽っていらっしゃった。ひっそりしていて、「思っていることも話し出すによい機会かな」と思って座っていらっしゃると、霧がすぐこの軒の所まで立ち籠めたので、
「帰って行く方角も分からなくなって行くのは、どうしたらよいでしょうか」と言って、
「山里の物寂しい気持ちを添える夕霧のために
帰って行く気持ちにもなれずおります」
と申し上げなさると、
「山里の垣根に立ち籠めた霧も
気持ちのない人は引き止めません」
かすかに申し上げるご様子に慰めながら、ほんとうに帰るのを忘れてしまった。
「どうしてよいか分からない気持ちです。家路は見えないし、霧の立ち籠めたこの家には、立ち止まることもできないようにせき立てなさる。物馴れない男は、こうした目に遭うのですね」
などとためらって、これ以上堪えられない思いをほのめかして申し上げなさると、今までも全然ご存知でなかったわけではないが、知らない顔でばかり通して来なさったので、このように言葉に出されてお恨み申し上げなさるのを、面倒に思って、ますますお返事もないので、たいそう嘆きながら、心の中で、「再び、このような機会があるだろうか」と、思案をめぐらしなさる。
「薄情で軽薄な者と思われ申そうとも、どうすることもできない。せめて思い続けて来たことだけでもお打ち明け申そう」
と思って、供人をお呼びになると、近衛府の将監から五位になった、腹心の家来が参った。人目に立たないように呼び寄せなさって、
「この律師に是非とも話したいことがあるのだが。護身などに忙しいようだが、ちょうど今は休んでいるだろう。今夜はこの近辺に泊まって、初夜の時刻が終わるころに、あの控えている所に参ろう。誰と誰とを、控えさせておけ。随身などの男たちは、栗栖野の荘園が近いから、秣などを馬に食わせて、ここでは大勢の声を立てるではない。このような旅寝は、軽率なように人が取り沙汰しようから」
とお命じになる。何かきっと子細があるのだろうと理解して、仰せを承って立った。
[1-5 夕霧、落葉宮の部屋に忍び込む]
そうしてから、
「帰り道が霧でまことにはっきりしないので、この近辺に宿をお借りしましょう。同じことなら、この御簾の側をお許し下さい。阿闍梨が下がって来るまでは」
などと、さりげなくおっしゃる。いつもは、このように長居して、くだけた態度もお見せなさらないのに、「嫌なことだわ」と、宮はお思いになるが、わざとらしくして、さっさとあちらにお移りになるのは、人の体裁の悪い気がなさって、ただ音を立てずにいらっしゃると、何かと申し上げて、お言葉をお伝えに入って行く女房の後ろに付いて、御簾の中に入っておしまいになった。
まだ夕暮のころで、霧に閉じ籠められて、家の内は暗くなった時分である。驚いて振り返ると、宮はとても気味悪くおなりになって、北の御障子の外にいざってお出あそばすが、実によく探し当てて、お引き止め申した。
お身体はお入りになったが、お召し物の裾が残って、襖障子は、向側から鍵を掛けるすべもなかったので、閉めきれないまま、総身びっしょりに汗を流して震えていらっしゃる。
女房たちも驚きあきれて、どうしたらよいかとも考えがつかない。こちら側からは懸金もあるが、困りきって、手荒くは、引き離すことのできるご身分の方ではないので、
「何ともひどいことを。思いも寄りませんでしたお心ですこと」
と、今にも泣き出しそうに申し上げるが、
「この程度にお側近くに控えているのが、誰にもまして疎ましく、目障りな者とお考えになるのでしょうか。人数にも入らないわが身ですが、お耳馴れになった年月も長くなったでしょう」
とおっしゃって、とても静かに体裁よく落ち着いた態度で、心の中をお話し申し上げなさる。
[1-6 夕霧、落葉宮をかき口説く]
お聞き入れになるはずもなく、悔しい、こんな事にまでと、お思いになることばかりが、心を去らないので、返事のお言葉はまったく思い浮かびなさらない。
「まことに情けなく、子供みたいなお振る舞いですね。人知れない胸の中に思いあまった色めいた罪ぐらいはございましょうが、これ以上馴れ馴れし過ぎる態度は、まったくお許しがなければ致しません。どんなにか、千々に乱れて悲しみに堪え兼ねていますことか。
いくらなんでも自然とご存知になる事もございましょうに、無理に知らぬふりに、よそよそしくお扱いなさるようなので、申し上げるすべもないので、しかたがない、わきまえもなくけしからぬとお思いなさっても、このままでは朽ちはててしまいかねない訴えを、はっきりと申し上げて置きたいと思っただけです。言いようもないつれないおあしらいが辛く思われますが、まことに恐れ多いことですから」
と言って、努めて思いやり深く、気をつかっていらっしゃった。
襖を押さえていらっしゃるのは、頼りにならない守りであるが、あえて引き開けず、
「この程度の隔てをと、無理にお思いになるのがお気の毒です」
と、ついお笑いになって、思いやりのない振る舞いはしない。宮のご様子の、優しく上品で優美でいらっしゃること、何と言っても格別に思える。ずっと物思いに沈んでいらっしゃったせいか、痩せてか細い感じがして、普段着のままでいらっしゃるお袖の辺りもしなやかで、親しみやすく焚き込めた香の匂いなども、何もかもがかわいらしく、なよなよとした感じがしていらっしゃった。
[1-7 迫りながらも明け方近くなる]
風がとても心細い感じで、更けて行く夜の様子、虫の音も、鹿の声も、滝の音も、一つに入り乱れて、風情をそそるころなので、まるで情趣など解さない軽薄な人でさえ、寝覚めするに違いない空の様子を、格子もそのまま、入方の月が山の端に近くなったころ、涙を堪え切れないほど、ものあわれである。
「やはり、このようにお分かりになって頂けないご様子は、かえって浅薄なお心底と思われます。このような世間知らずなまで愚かしく心配のいらないところなども、他にいないだろうと思われますが、どのようなことでも手軽にできる身分の人は、このような振る舞いを愚か者だと笑って、同情のない心をするものです。
あまりにひどくお蔑みなさるので、もう抑えてはいられないような気が致します。男女の仲というものを全くご存知ないわけではありますまいに」
と、いろいろと言い迫られなさって、どのようにお答えしたらよいものかと、困り切って思案なさる。
結婚した経験があるから気安いように、時々口にされるのも、不愉快で、「なるほど、又とない身の不運だわ」と、お思い続けていらっしゃると、死んでしまいそうに思われなさって、
「情けない我が身の過ちを知ったとしても、とてもこのようなひどい有様を、どのように考えたらよいものでしょうか」
と、とてもかすかに、悲しそうにお泣きになって、
「わたしだけが不幸な結婚をした女の例として
さらに涙の袖を濡らして悪い評判を受けなければならないのでしょうか」
とおっしゃるともないのに、わが気持ちのままに、ひっそりとお口ずさみなさるのも、いたたまれない思いで、どうして歌など詠んだのだろうと、悔やまずいらっしゃれないでいると、
「おっしゃるとおり、悪い事を申しましたね」
などと、微笑んでいらっしゃるご様子で、
「だいたいがわたしがあなたに悲しい思いをさせなくても
既に立ってしまった悪い評判はもう隠れるものではありません
一途にお心向け下さい」
と言って、月の明るい方にお誘い申し上げるのも、心外な、とお思いになる。気強く応対なさるが、たやすくお引き寄せ申して、
「これほど例のない厚い愛情をお分かり下さって、お気を楽になさって下さい。お許しがなくては、けっして、けっして」
と、たいそうはっきりと申し上げなさっているうちに、明け方近くなってしまった。
[1-8 夕霧、和歌を詠み交わして帰る]
月は曇りなく澄みわたって、霧にも遮られず光が差し込んでいる。浅い造りの廂の軒は、奥行きもない感じがするので、月の顔と向かい合っているようで、妙にきまり悪くて、顔を隠していらっしゃる振る舞いなど、言いようもなく優美でいらっしゃった。
亡き君のお話も少し申し上げて、当たり障りのない穏やかな話を申し上げなさる。それでもやはり、あの故人ほどに思って下さらないのを、恨めしそうにお恨み申し上げなさる。お心の中でも、
「かの亡き君は、位などもまだ十分ではなかったのに、誰も彼もがお許しになったので、自然と成り行きに従って、結婚なさったのだが、それでさえ冷淡になって行ったお心の有様は、ましてこのようなとんでもないことに、まったくの他人というわけでさえないが、大殿などがお聞きになってどうお思いになることか。世間一般の非難は言うまでもなく、父の院におかれてもどのようにお聞きあそばしお思いあそばされることだろうか」
などと、ご縁者のあちらこちらの方々のお心をお考えなさると、とても残念で、自分の考え一つに、
「このように強く思っても、世間の人の噂はどうだろうか。母御息所がご存知でないのも、罪深い気がするし、このようにお聞きになって、考えのないことだと、お思いになりおっしゃろうこと」が辛いので、
「せめて夜を明かさずにお帰り下さい」
と、せき立て申し上げなさるより他ない。
「驚いたことですね。意味ありげに踏み分けて帰る朝露が変に思うでしょうよ。やはり、それならばお考え下さい。愚かな姿をお見せ申して、うまく言いくるめて帰したとお見限り考えなさるようなら、その時はこの心もおとなしくしていられない、今までに致した事もない、不埒な事どもを仕出かすようなことになりそうに存じられます」
と言って、とても後が気がかりで、中途半端な逢瀬であったが、いきなり色めいた態度に出ることが、ほんとうに馴れていないお人柄なので、「お気の毒で、ご自身でも見下げたくならないか」などとお思いになって、どちらにとっても、人目につきにくい時分の霧に紛れてお帰りになるのは、心も上の空である。
「荻原の軒葉の荻の露に濡れながら幾重にも
立ち籠めた霧の中を帰って行かねばならないのでしょう
濡れ衣はやはりお免れになることはできますまい。このように無理にせき立てなさるあなたのせいですよ」
と申し上げなさる。なるほど、ご自分の評判が聞きにくく伝わるに違いないが、「せめて自分の心に問われた時だけでも、潔白だと答えよう」とお思いになると、ひどくよそよそしいお返事をなさる。
「帰って行かれる草葉の露に濡れるのを言いがかりにして
わたしに濡れ衣を着せようとお思いなのですか
心外なことですわ」
と、お咎めになるご様子、とても風情があり気品がある。長年、人とは違った人情家になって、いろいろと思いやりのあるところをお見せ申していたのに、それとうって変わって、油断させ、好色がましいのが、おいたわしく、気恥ずかしいので、少なからず反省し反省しては、「このように無理をしてお従い申したとしても、後になって馬鹿らしく思われないか」と、あれこれと思い乱れながらお帰りになる。帰り道の露っぽさも、まことにいっぱいある。
2 落葉宮の物語 律師の告げ口
[2-1 夕霧の後朝の文]
このような出歩き、馴れていらっしゃらないお人柄なので、興をそそられまた気のもめることだとも思われながら、三条殿にお帰りになると、女君が、このような露に濡れているのを変だとお疑いになるに違いないので、六条院の東の御殿に参上なさった。まだ朝霧も晴れず、それ以上にあちらではどうであろうか、とお思いやりになる。
「いつにないお忍び歩きだったのですわ」
と、女房たちはささやき合う。暫くお休みになってから、お召し物を着替えなさる。いつでも夏服冬服と大変きれいに用意していらっしゃるので、香を入れた御唐櫃から取り出して差し上げなさる。お粥など召し上がって、院の御前に参上なさる。
あちらにお手紙を差し上げなさったが、御覧になろうともなさらない。唐突にも心外であった有様、腹だたしくも恥ずかしくもお思いなさると、不愉快で、母御息所がお聞き知りになることもまことに恥ずかしく、また一方、こんなことがあったとは全然御存知でないのに、普段と変わった態度にお気づきになり、人の噂もすぐに広まる世の中だから、自然と聞き合わせて、隠していたとお思いになるのがとても辛いので、
「女房たちがありのままに申し上げて欲しい。困ったことだとお思いになってもしかたがない」とお思いになる。
母子の御仲と申す中でも、少しも互いに隠さず打ち明けていらっしゃる。他人は漏れ聞いても、親には隠している例は、昔の物語にもあるようだが、そのようにはお思いなさらない。女房たちは、
「何の、少しばかりお聞きになって、子細ありそうに、あれこれと御心配なさることがありましょうか。まだ何事もないのに、おいたわしい」
などと言い合わせて、この御仲がどうなるのだろうと思っている女房どうしは、このお手紙が見たいと思うが、すこしも開かせなさらないので、じれったくて、
「やはり、全然お返事をなさらないのも、不安だし、子供っぽいようでございましょう」
などと申し上げて、広げたので、
「見苦しく、呆然としていて、相手にあの程度でお会いした至らなさを、わが身の過ちと思ってみるが、遠慮のなかったあまりの態度を、情けなく思われるのです。拝見できませんと言いなさい」
と、もってのほかだと、横におなりあそばした。
実のところは、憎い様子もなく、とても心をこめてお書きになって、
「魂をつれないあなたの所に置いてきて
自分ながらどうしてよいか分かりません
思うにまかせないものは心であるとか、昔も同じような人があったのだと存じてみますにも、まったくどうしてよいものか分かりません」
などと、とても多く書いてあるようだが、女房はよく見ることができない。通常の後朝の手紙ではないようであるが、やはりすっきりとしない。女房たちは、ご様子もお気の毒なので、心を痛めて拝見しながら、
「どのような御事なのでしょう。どのような事につけても、素晴らしく思いやりのあるお気持ちは長年続いているけれども」
「ご結婚相手としてお頼み申しては、がっかりなさるのではないか、と思うのも不安で」
などと、親しく伺候している者だけは、皆それぞれ心配している。御息所もまったく御存知でない。
[2-2 律師、御息所に告げ口]
物の怪にお悩みになっていらっしゃる方は、重病と見えるが、爽やかな気分になられる合間もあって、正気にお戻りになる。昼日中のご加持が終わって、阿闍梨一人が残って、なおも陀羅尼を読んでいらっしゃる。好くおなりあそばしたのを、喜んで、
「大日如来は嘘をおっしゃいません。どうして、このような拙僧が心をこめて奉仕するご修法に、験のないことがありましょうか。悪霊は執念深いようですが、業障につきまとわれた弱いものである」
と、声はしわがれて荒々しくいらっしゃる。たいそう俗世離れした一本気な律師なので、だしぬけに、
「そうでした。あの大将は、いつからここにお通い申すようになられましたか」
とお尋ねになる。御息所は、
「そのようなことはございません。亡くなった大納言と大変仲が好くて、お約束なさったことを裏切るまいと、ここ数年来、何かの機会につけて、不思議なほど親しくお出入りなさっているのですが、このようにわざわざ、患っていますのをお見舞いにと言って、立ち寄って下さったので、もったいないことと聞いておりました」
と申し上げなさる。
「いや、何とおかしい。拙僧にお隠しになることもありますまい。今朝、後夜の勤めに参上した時に、あの西の妻戸から、たいそう立派な男性がお出になったのを、霧が深くて、拙僧にはお見分け申すことができませんでしたが、この法師どもが、『大将殿がお出なさるのだ』と、『昨夜もお車を帰してお泊りになったのだ』と、口々に申していた。
なるほど、まことに香ばしい薫りが満ちていて、頭が痛くなるほどであったので、なるほどそうであったのかと、合点がいったのでござった。いつもまことに香ばしくいらっしゃる君である。このことは、決して望ましいことではあるまい。相手はまことに立派な方でいらっしゃる。
拙僧らも、子供でいらっしゃったころから、あの君の御為の事には、修法を、亡くなられた大宮が仰せつけになったので、もっぱらしかるべき事は、今でも承っているところであるが、まことに無益である。本妻は勢いが強くていらっしゃる。ああした、今を時めく一族の方で、まことに重々しい。若君たちは七、八人におなりになった。
皇女の君とて圧倒できまい。また、女人という罪障深い身を受け、無明長夜の闇に迷うのは、ただこのような罪によって、そのようなひどい報いを受けるものである。本妻のお怒りが生じたら、長く成仏の障りとなろう。全く賛成できぬ」
と、頭を振って、ずけずけと思い通りに言うので、
「何とも妙な話です。まったくそのようにはお見えにならない方です。いろいろと気分が悪かったので、一休みしてお目にかかろうとおっしゃって、暫くの間立ち止まっていらっしゃると、ここの女房たちが言っていたが、そのように言ってお泊まりになったのでしょうか。だいたいが誠実で、実直でいらっしゃる方ですが」
と、不審がりなさりながら、心の中では、
「そのような事があったのだろうか。普通でないご様子は、時々見えたが、お人柄がたいそうしっかりしていて、努めて人の非難を受けるようなことは避けて、真面目に振る舞っていらっしゃったのに、たやすく納得できないことはなさるまいと、安心していたのだ。人少なでいらっしゃる様子を見て、忍び込みなさったのであろうか」とお思いになる。
[2-3 御息所、小少将君に問い質す]
律師が立ち去った後に、小少将の君を呼んで、
「これこれの事を聞きました。どうした事ですか。どうしてわたしには、これこれ、しかじかの事があったとお聞かせ下さらなかったのですか。そんな事はあるまいと思いますが」
とおっしゃると、お気の毒であるが、最初からのいきさつを、詳しく申し上げる。今朝のお手紙の様子、宮もかすかに仰せになった事などを申し上げ、
「長年、秘めていらしたお胸の中を、お耳に入れようというほどでございましたでしょうか。めったにないお心づかいで、夜も明けきらないうちにお帰りになりましたが、人はどのようなふうに申し上げたのでございましょうか」
律師とは思いもよらず、こっそりと女房が申し上げたものと思っている。何もおっしゃらず、とても残念だとお思いになると、涙がぽろぽろとこぼれなさった。拝見するのも、まことにお気の毒で、「どうして、ありのままを申し上げてしまったのだろう。苦しいご気分を、ますますお胸を痛めていらっしゃるだろう」と後悔していた。
「襖は懸金が懸けてありました」と、いろいろと適当に言いつくろって申し上げるが、
「どうあったにせよ、そのように近々と、何の用心もなく、軽々しく人とお会いになったことが、とんでもないのです。内心のお気持ちが潔白でいらっしゃっても、こうまで言った法師たちや、口さがない童などは、まさに言いふらさずには置くまい。世間の人には、どのように抗弁をし、何もなかった事と言うことができましょうか。皆、思慮の足りない者ばかりがここにお仕えしていて」
と、最後までおっしゃれない。とても苦しそうなご容態の上に、心を痛めてびっくりなさったので、まことにお気の毒である。品高くお扱い申そうとお思いになっていたのに、色恋事の、軽々しい浮名がお立ちになるに違いないのを、並々ならずお嘆きにならずにはいられない。
「このように少しはっきりしている間に、お越しになるよう申し上げなさい。あちらへお伺いすべきですが、動けそうにありません。お会いしないで、長くなってしまった気がしますわ」
と、涙を浮かべておっしゃる。参上して、
「しかじかと申されていらっしゃいます」
とだけ申し上げる。
[2-4 落葉宮、母御息所のもとに参る]
お越しになろうとして、額髪が濡れて固まっている、繕い直し、単重のお召し物が綻びているが、着替えなどなさっても、すぐにはお動きになれない。
「この女房たちもどのように思っているだろう。まだご存知なくて、後に少しでもお聞きになることがあったとき、素知らぬ顔をしていたよ」
とお思い当たられるのも、ひどく恥ずかしいので、再び臥せっておしまいになった。
「気分がひどく悩ましいわ。このまま治らなくなったら、とてもいい都合だろう。脚の気が上がった気がする」
と、脚を指圧させなさる。心配事をとてもつらく、あれこれ気にしていらっしゃる時には、気が上がるのであった。
小少将の君は、
「母上に、あの御事をそれとなく申し上げた人がいたようでございます。どのような事であったのかと、お尋ねあそばしたので、ありのままに申し上げて、御襖障子の掛金の点だけを、少し誇張して、はっきりと申し上げました。もし、そのように何かお尋ねなさいましたら、同じように申し上げなさいまし」
と申し上げる。
お嘆きでいらっしゃる様子は申し上げない。「やはりそうであったか」と、とても悲しくて、何もおっしゃらない御枕もとから涙の雫がこぼれる。
「このことだけでない、不本意な結婚をして以来、ひどくご心配をお掛け申していることよ」
と、生きている甲斐もなくお思い続けなさって、「この方は、このまま引き下がることはなく、何かと言い寄ってくることも、厄介で聞き苦しいだろう」と、いろいろとお悩みになる。「まして、言いようもなく、相手の言葉に従ったらどんなに評判を落とすことになるだろう」
などと、多少はお気持ちの慰められる面もあるが、「内親王ほどにもなった高貴な人が、こんなにまでも、うかうかと男と会ってよいものであろうか」と、わが身の不運を悲しんで、夕方に、
「やはり、お出で下さい」
とあるので、中の塗籠の戸を両方を開けて、お越しになった。
[2-5 御息所の嘆き]
苦しいご気分ながら、並々ならずかしこまって丁重にご応対申し上げなさる。いつものご作法と違わず、起き上がりなさって、
「とても見苦しい有様でおりますので、お越し頂くにもお気の毒に存じます。ここ二、三日ほど、拝見しませんでした期間が、年月がたったような気がし、また一方では心細い気がします。後の世で、必ずしもお会いできるとも限らないもののようでございます。再びこの世に生まれて参っても、何にもならないことでございましょう。
考えてみれば、ただ一瞬一瞬の間に別れ別れにならねばならない世の中を、無理に馴れ親しんでまいりましたのも、悔しい気がします」
などとお泣きになる。
宮も、物悲しい思いばかりがせられて、申し上げる言葉もなくてただ拝見なさっている。ひどく内気なご性格で、はきはきと弁明をなさるような方ではないから、恥ずかしいとばかりお思いなので、とてもお気の毒になって、どのような事であったのですかなどと、お尋ね申し上げなさらない。
大殿油などを急いで灯させて、お膳など、こちらで差し上げなさる。何も召し上がらないとお聞きになって、あれこれと自分自身で食事を整え直しなさるが、箸もおつけにならない。ただご気分がよろしくお見えなので、少し胸がほっとなさる。
3 一条御息所の物語 行き違いの不幸
[3-1 御息所、夕霧に返書]
あちらからまたお手紙がある。事情を知らない女房が受け取って、
「大将殿から、少将の君にと言って、お使者があります」
と言うのが、また辛いことであるよ。少将の君は、お手紙は受け取った。母御息所が、
「どのようなお手紙ですか」
と、やはりお尋ねになる。人知れず弱気な考えも起こって、内心はお待ち申し上げていらしたのに、いらっしゃらないようだとお思いになると、胸騷ぎがして、
「さあ、そのお手紙には、やはりお返事をなさい。失礼ですよ。一度立った噂を良いほうに言い直してくれる人はいないものです。あなただけ潔白だとお思いになっても、そのまま信用してくれる人は少ないものです。素直にお手紙のやりとりをなさって、やはり以前と同様なのが良いことでしょう。いいかげんな馴れ過ぎた態度というものでしょう」
とおっしゃって、取り寄せなさる。辛いけれども差し上げた。
「驚くほど冷淡なお心をはっきり拝見しては、かえって気楽になって、一途な気持ちになってしまいそうです。
拒むゆえに浅いお心が見えましょう
山川の流れのように浮名は包みきれませんから」
と言葉も多いが、最後まで御覧にならない。
このお手紙も、はっきりした態度でもなく、いかにも癪に障るようないい気な調子で、今夜訪れないのを、とてもひどいとお思いになる。
「故衛門督君が心外に思われた時、とても情けないと思ったが、表向きの待遇は、またとなく大事に扱われたので、こちらに権威のある気がして慰めていたのでさえ、満足ではなかったのに。ああ、何ということであろう。大殿のあたりでどうお思いになりおっしゃっていることだろうか」
と心をお痛めになる。
「やはり、どのようにおっしゃるかと、せめて様子を窺ってみよう」と、気分がひどく悪く涙でかき曇ったような目、おし開けて、見にくい鳥の足跡のような字でお書きになる。
「すっかり弱ってしまった、お見舞いにお越しになった折なので、お勧め申したのですが、まことに沈んだような様子でいらっしゃるようなので、見兼ねまして。
女郎花が萎れている野辺をどういうおつもりで
一夜だけの宿をお借りになったのでしょう」
と、ただ途中まで書いて、捻り文にしてお出しなさって、臥せっておしまいになったまま、とてもお苦しがりなさる。御物の怪が油断させていたのかと、女房たちは騒ぐ。
いつもの、効験のある僧すべてが、とても大声を出して祈祷する。宮に、
「やはり、あちらにお移りあそばせ」
と、女房たちが申し上げるが、ご自身が辛く思うと同時に、後れ申すまいとお思いなので、ぴったりと付き添っていらっしゃった。
[3-2 雲居雁、手紙を奪う]
大将殿は、この昼頃に、三条殿にいらっしゃったが、今晩再び小野にお伺いなさるのに、「何かわけがありそうで、まだ何もないのに外聞が悪かろう」などと気持ちをお抑えになって、ほんとにかえって今までの気がかりさよりも、幾重にも物思いを重ねて嘆息していらっしゃる。
北の方は、このようなお忍び歩きの様子をちらっと聞いて、面白くなく思っていらっしゃるので、知らないふりをして、若君たちをあやして気を紛らしながら、ご自分の昼のご座所で臥していらっしゃった。
ちょうど宵過ぎるころに、このお返事を持って参ったが、このようにいつもと違った鳥の足跡のような筆跡なので、直ぐにはご判読できないで、大殿油を近くに取り寄せて御覧になる。女君、物を隔てていたようであるが、とてもすばやくお見つけになって、這い寄って、殿の後ろから取り上げなさなった。
「あきれたことを。これは、何をなさるのですか。何と、けしからん。六条の東の上様のお手紙です。今朝、風邪をひいて苦しそうでいらっしゃったが、院の御前におりまして、帰る時に、もう一度伺わないままになってしまったので、お気の毒に思って、ただ今の加減はいかかがですかと、申し上げたのです。御覧なさい。恋文めいた手紙の様子ですか。それにしても、はしたないなさりようです。年月とともに、ひどく馬鹿になさるのが情けないことです。どう思うか、全く気になさらないのですね」
と慨嘆して、大切そうに無理に取り返そうとなさらないので、それでもやはり、すぐには見ずに持ったままでいらっしゃった。
「年月につれて馬鹿になさるのは、あなたのほうこそそうでございますわ」
とだけ、このように泰然としていらっしゃる態度に気後れして、若々しくかわいらしい顔つきでおっしゃるので、ふとお笑いになって、
「それは、どちらでも良いことでしょう。夫婦とはそのようなものです。二人といないでしょうね、相当な地位に上った男が、このように気を紛らすことなく、一人の妻を守り続けて、びくびくしている雄鷹のような者はね。どんなに人が笑っているでしょう。そのような愚か者に守られていらっしゃるのは、あなたにとっても名誉なことではありますまい。
大勢の妻妾の中で、それでも一段と際立って、格別に重んじられていることが、世間の見る目も奥ゆかしく、わが気持ちとしてもいつまでも新鮮な感じがして、興をそそることもしみじみとしたことも続くでしょう。このように翁が何かを守ったように、愚かしく迷っているので、大変に残念なことです。どこに見栄えがありましょうか」
と、そうはいっても、この手紙を欲しそうな態度を見せずにだまし取ろうとのつもりで、嘘を申し上げると、とても高かにお笑いになって、
「見栄えのある事をお作りになるので、年取ったわたしは辛いのです。とても若々しくなられたご様子がぞっとしてなりませんことも、今まで経験したことのない事なので、とても辛いのです。以前から馴れさせてお置きにならないで」
と文句をおっしゃるのも、憎くはない。
「急にとお考えになる程に、どこが変わって見えるのでしょう。とても嫌なお心の隔てですね。良くないことを申し上げる女房がいるのでしょう。不思議と、昔からわたしのことを良く思っていないのです。依然として、あの緑の六位の袍の名残で、軽蔑しやすいことにつけて、あなたをうまく操ろうと思っているのではないでしょうか。いろいろと聞きにくいことをほのめかしているらしい。関わりのない方にとっても、お気の毒です」
などとおっしゃるが、結局はそうなることだとお考えなので、特に言い争いはしない。大輔の乳母は、とても辛いと聞いて、何も申し上げない。
[3-3 手紙を見ぬまま朝になる]
あれこれと言い合いをして、このお手紙はお隠しになってしまったので、無理しても探し出さず、さりげない顔してお寝みになったので、胸騷ぎがして、「何とかして奪い返したいものだ」と、「御息所のお手紙のようだ。何事があったのだろう」と、目も合わず考えながら臥せっていらっしゃった。
女君が眠っていらっしゃる間に、昨夜のご座所の下などを、何げなくお探しになるが、ない。お隠しなさる場所もないのに、とても悔しい思いで、夜も明けてしまったが、すぐにはお起きにならない。
女君は、若君たちに起こされて、いざり出ていらっしゃったので、自分も今お起きになったようにして、あちこちとお探しになるが、見つけることがおできになれない。妻は、このように探そうとお思いなさらないので、「なるほど、恋文ではないお手紙であったのだ」と、気にもかけていないので、若君たちが騒がしく遊びあって、人形を作って、立て並べて遊んでいらっしゃる。
漢籍を読んだり、習字をしたりなど、いろいろと雑然としている。小さい稚児が這ってきて裾を引っ張るので、奪い取った手紙のこともお思い出しにならない。
夫は、他の事もお考えにならず、あちらに早く返事を差し出そうとお思いになると、昨夜の手紙の内容も、よく読まないままになってしまったので、「見ないで書いたというようなのも、なくしたのだとお察しになるだろう」などと、お思い乱れなさる。
どなたもどなたもお食事などを召し上がったりして、のんびりとなった昼ころに、困りきって、
「昨夜のお手紙には、何が書いてありましたか。けしからん事にお見せにならないで。今日もお見舞い申そう。気分が悪くて、六条院にも参上することができないようなので、手紙を差し上げたい。何が書いてあったのだろうか」
とおっしゃるのが、とてもさりげないので、「手紙を、愚かにも奪い取ってしまった」と興醒めがして、そのことはおっしゃらずに、
「昨夜の深山風に当たって、具合を悪くされたらしいと、風流気取りで訴えられたらよいでしょう」
と申し上げなさる。
「さあ、そんな冗談、いつまでもおっしゃいませんな。何の風流なことがあろうか。世間の人と一緒になさるのは、かえって気が引けます。ここの女房たちも、一方では不思議なほどの堅物を、このようにおっしゃると、笑っていることでしょう」
と、冗談に言いなして、
「その手紙ですよ。どこですか」
とお尋ねになるが、すぐにはお出しにならないままに、またお話などを申し上げて、暫く横になっていらっしゃるうちに、日が暮れてしまった。
[3-4 夕霧、手紙を見る]
蜩の鳴き声に目が覚めて、「小野の麓ではどんなに霧が立ち籠めているだろう。何ということか。せめて今日中にお返事をしよう」と、お気の毒になって、ただ知らない顔をして硯を擦って、「どのように取り繕って書こうか」と、物思いに耽っていらっしゃる。
ご座所の奥の少し盛り上がった所を、試しにお引き上げなさったところ、「ここに差し挟みなさったのだ」と、嬉しくもまた馬鹿らしくも思えるので、にっこりして御覧になると、あのようなおいたわしいことが書いてあったのであった。胸がどきりとして、「先夜の出来事を、何かあったようにお聞きになったのだ」とお思いになると、おいたわしくて胸が痛む。
「昨夜でさえ、どれほどの思いで夜をお明かしになったことだろう。今日も、今まで手紙さえ上げずに」
と、何とも言いようなく思われる。とても苦しそうに、言いようもなく、書き紛らしていらっしゃる様子で、
「よほど思案にあまって、このようにお書きになったのだろう。返事のないまま、夜が明けていくのだろう」
と、申し上げる言葉もないので、女君が、まことに辛く恨めしい。
「いいかげんな、あなようなことをして、悪ふざけに隠すとは。いやはや、自分がこのようにしつけたのだ」と、あれこれとわが身が情けなくなって、全く泣き出したい気がなさる。
そのままお出かけなさろうとするが、
「気安く対面することもできないだろうから、御息所もあのようにおっしゃっているし、どうであろうか。坎日でもあったが、もし万が一にお許し下さっても、日が悪かろう。やはり縁起の良いように」
と、几帳面な性格から判断なさって、まずは、このお返事を差し上げなさる。
「とても珍しいお手紙を、何かと嬉しく拝見しましたが、このお叱りは。どのようにお聞きあそばしたのですか。
秋の野の草の茂みを踏み分けてお伺い致しましたが
仮初の夜の枕に契りを結ぶようなことを致しましょうか
言い訳を申すのも筋違いですが、昨夜の罪は、一方的過ぎませんでしょうか」
とある。宮には、たいそう多くお書き申し上げなさって、御厩にいる足の速いお馬に移し鞍を置いて、先夜の大夫を差し向けなさる。
「昨夜から、六条院に伺候していて、たった今退出してきたところだと言え」
と言って、言うべきさま、ひそひそとお教えになる。
[3-5 御息所の嘆き]
あちらでは、昨夜も薄情なとお見えになったご様子を、我慢することができないで、後のちの評判をもはばからず恨み申し上げなさったが、そのお返事さえ来ずに、今日がすっかり暮れてしまったのを、どれ程のお気持ちかと、愛想が尽きて、驚きあきれて、心も千々に乱れて、すこしは好ろしかったご気分も、再びたいそうひどくお苦しみになる。
かえってご本人のお気持ちは、このことを特に辛いこととお思いになり、心を動かすほどのことではないので、ただ思いも寄らない方に、気を許した態度で会ったことだけが残念であったが、たいしてお心にかけていなかったのに、このようにひどくお悩みになっているのを、言いようもなく恥ずかしく、弁解申し上げるすべもなくて、いつもよりも恥ずかしがっていらっしゃる様子にお見えになるのを、「とてもお気の毒で、ご心労ばかりがお加わりになって」と拝するにつけても、胸が締めつけられて悲しいので、
「今さら厄介なことは申し上げまいと思いますが、やはり、ご運命とは言いながらも、案外に思慮が甘くて、人から非難されなさることでしょうが。それを元に戻れるものではありませんが、今からは、やはり慎重になさいませ。
物の数に入るわが身ではありませんが、いろいろとお世話申し上げてきましたが、今ではどのようなことでもお分かりになり、世の中のあれやこれやの有様も、お分かりになるほどに、お世話申してきたことと、そうした方面は安心だと拝見していましたが、やはりとても幼くて、しっかりしたお心構えがなかったことと、思い乱れておりますので、もう暫く長生きしたく思います。
普通の人でさえ、多少とも人並みの身分に育った女性で、二人の男性に嫁ぐ例は、感心しない軽薄なことですのに、ましてこのようなご身分では、そのようないい加減なことで、男性がお近づき申してよいことでもないのに、思ってもいませんでした心外なご結婚と、長年来心を痛めてまいりましたが、そのようなご運命であったのでしょう。
院をお始め申して、御賛成なさり、この父大臣にもお許しなさろうとの御内意があったのに、わたし一人が反対を申し上げても、どんなものかと思いよりましたことですが、のちのちまで面白からぬお身の上を、あなたご自身の過ちではないので、天命を恨んでお世話してまいりましたが、とてもこのような相手にとってもあなたにとっても、いろいろと聞きにくい噂が加わって来ましょうが、そうなっても、世間の噂を知らない顔をして、せめて世間並のご夫婦としてお暮らしになれるのでしたら、自然と月日が過ぎて行くうちに、心の安まる時が来ようかと、思う気持ちにもなりましたが、この上ない薄情なお心の方でございますね」
と、ほろほろとお泣きになる。
[3-6 御息所死去す]
ほんとうにどうしようもなく独りぎめにしておっしゃるので、抗弁して申し開きをする言葉もなくて、ただ泣いていらっしゃる様子、おっとりとしていじらしい。じっと見つめながら、
「ああ、どこが、人に劣っていらっしゃろうか。どのようなご運命で、心も安まらず、物思いなさらなければならない因縁が深かったのでしょう」
などとおっしゃるうちに、ひどくお苦しみになる。物の怪などが、このような弱り目につけ込んで勢いづくものだから、急に息も途絶えて、見る見るうちに冷たくなっていかれる。律師も騷ぎ出しなさって、願などを立てて大声でお祈りなさる。
深い誓いを立てて、命果てるまでと決心した山籠もりを、こんなにまで並々の思いでなく出てきて、壇を壊して退出することが、面目なくて、仏も恨めしく思わずいはいらっしゃれない趣旨を、一心不乱にお祈り申し上げなさる。宮が泣き取り乱していらっしゃること、まことに無理もないことではある。
このように騒いでいる最中に、大将殿からお手紙を受け取ったと、かすかにお聞きになって、今夜もいらっしゃらないらしい、とお聞きになる。
「情けない。世間の話の種にも引かれるに違いない。どうして自分まであのような和歌を残したのだろう」
と、あれこれとお思い出しなさると、そのまま息絶えてしまわれた。あっけなく情けないことだと言っても言い足りない。昔から、物の怪には時々お患いになさる。最期と見えた時々もあったので、「いつものように物の怪が取り入ったのだろう」と考えて、加持をして大声で祈ったが、臨終の様子は、明らかであったのだ。
宮は、一緒に死にたいとお悲しみに沈んで、ぴったりと添い臥していらっしゃった。女房たちが参って、
「もう、何ともしかたありません。まことこのようにお悲しみになっても、定められた運命の道は、引き返すことはできるものでありません。お慕い申されようとも、どうしてお思いどおりになりましょう」
と、言うまでもない道理を申し上げて、
「とても不吉です。亡くなったお方にとっても、罪深いことです。もうお離れなさいまし」
と、引き動かし申し上げるが、身体もこわばったようで、何もお分かりにならない。
修法の壇を壊して、ばらばらと出て行くので、しかるべき僧たちだけ、一部の者が残ったが、今は全てが終わった様子、まことに悲しく心細い。
[3-7 朱雀院の弔問の手紙]
あちこちからのご弔問、いつの間に知れたのかと見える。大将殿も、限りなく驚きなさって、さっそくご弔問申し上げなさった。六条院からも、致仕の大臣からも、皆々頻繁にご弔問申し上げなさる。山の帝もお聞きあそばして、まことにしみじみとしたお手紙をお書きなさっていた。宮は、このお手紙には、おぐしをお上げなさる。
「長らく重く患っていらっしゃるとずっと聞いていましたが、いつも病気がちとばかり聞き馴れておりましたので、つい油断しておりました。言ってもしかたのないことはそれとして、お悲しみ嘆いていらっしゃるだろう有様、想像するのがお気の毒でおいたわしい。すべて世の中の定めとお諦めになって慰めなさい」
とある。目もお見えにならないが、お返事は申し上げなさる。
普段からそうして欲しいとおっしゃっていたことなので、今日直ちに葬儀を執り行い申すことになって、御甥の大和守であった者が、万事お世話申し上げたのであった。
せめて亡骸だけでも暫くの間拝していたいと思って、宮は惜しみ申し上げなさったが、いくら別れを惜しんでもきりがないので、皆準備にとりかかって、忌中の最中に、大将がいらっしゃった。
「今日から後は、日柄が悪いのだ」
などと、人前ではおっしゃって、とても悲しくしみじみと、宮がお悲しみであろうことをご推察申し上げなさって、
「こんなに急いでお出掛けになる必要はありません」
と、女房たちがお引き止め申したが、無理にいらっしゃった。
[3-8 夕霧の弔問]
道のりまでも遠くて、山麓にお入りになるころ、じつにぞっとした気がする。不吉そうに幕を引き廻らした葬儀の方は目につかないようにして、この西面にお入れ申し上げる。大和守が出て来て、泣きながら挨拶を申し上げる。妻戸の前の簀子に寄り掛かりなさって、女房をお呼び出しなさるが、伺候する者みな、悲しみも収まらず、何も考えられない状態である。
このようにお越しになったので、すこし気持ちもほっとして、小少将の君は参った。何もおっしゃることができない。涙もろくはいらっしゃらない気丈な方であるが、場所柄、人の様子などをお思いやりになると、ひどく悲しくて、無常の世の有様が、他人事でもないのも、まことに悲しいのであった。少し気を落ち着けてから、
「好くおなりになったように承っておりましたので、油断しておりました時に。夢でも醒める時がございますというのに、何とも思いがけないことで」
と申し上げなさった。「ご心痛であったご様子、この方のために多くはお心も乱れになったのだ」とお思いになると、そうなる運命とはいっても、まことに恨めしい人とのご因縁なので、お返事さえなさらない。
「どのように申し上げあそばしたかと、申し上げましょうか」
「とても重々しいご身分で、このように遠路急いでお越しになったご厚志を、お分かりにならないようなのも、あまりというものでございましょう」
と、口々に申し上げるので、
「ただ、よいように返事せよ。わたしはどう言ってよいか分かりません」
とおっしゃって、臥せっていらっしゃるのも道理なので、
「ただ今は、亡き人と同然のご様子でありまして。お出あそばしました旨は、お耳に入れ申し上げました」
と申し上げる。この女房たちも涙にむせんでいる様子なので、
「お慰め申し上げようもありませんが。もう少し、私自身も気が静まって、またお静まりになったころに、参りましょう。どうしてこのように急にと、そのご様子が知りたい」
とおっしゃると、すっかりではないが、あのお悩みになり嘆いていた様子を、少しずつお話し申し上げて、
「恨み言を申し上げるようなことに、きっとなりましょう。今日は、いっそう取り乱したみなの気持ちのせいで、間違ったことを申し上げることもございましょう。それゆえ、このようにお悲しみに暮れていらっしゃるご気分も、きりのあるはずのことで、少しお静まりあそばしたころに、お話を申し上げ承りなさいましょう」
と言って、正気もない様子なので、おっしゃる言葉も口に出ず、
「なるほど、闇に迷った気がします。やはり、お慰め申し上げなさって、わずかのお返事でもありましたら」
などと言い残しなさって、ぐずぐずしていらっしゃるのも、身分柄軽々しく思われ、そうはいっても人目が多いので、お帰りになった。
[3-9 御息所の葬儀]
まさか今夜ではあるまいと思っていた葬儀の準備が、実に短時間にてきぱきと整えられたのを、いかにもあっけないとお思いになって、近くの御荘園の人々をお呼びになりお命じになって、しかるべき事どもをお仕えするように、指図してお帰りになった。事が急なので、簡略になりがちであったのが、盛大になり、人数も多くなった。大和守も、
「有り難い殿のお心づかいだ」
などと、喜んでお礼申し上げる。「跡形もなくあっけないこと」と、宮は身をよじってお悲しみになるが、どうすることもできない。親と申し上げても、まことにこのように仲睦まじくするものではないのだった。拝見する女房たちも、このご悲嘆を、また不吉だと嘆き申し上げる。大和守は、後始末をして、
「このように心細い状態では、いらっしゃれまい。とてもお心の紛れることはありますまい」
などと申し上げるが、やはり、せめて峰の煙だけでも、側近くお思い出し申そうと、この山里で一生を終わろうとお考えになっていた。
御忌中に籠もっていた僧は、東面や、そちらの渡殿、下屋などに、仮の仕切りを立てて、ひっそりとしていた。西の廂の間の飾りを取って、宮はお住まいになる。日の明け暮れもお分かりにならないが、いく月かが過ぎて、九月になった。
4 夕霧の物語 落葉宮に心あくがれる夕霧
[4-1 夕霧、返事を得られず]
山下ろしがたいそう烈しく、木の葉の影もなくなって、何もかもがとても悲しく寂しいころなので、だいたいがもの悲しい秋の空に催されて、涙の乾く間もなくお嘆きになり、「命までが思いどおりにならなかった」と、厭わしくひどくお悲しみになる。伺候する女房たちも、何かにつけ悲しみに暮れていた。
大将殿は、毎日お見舞いの手紙を差し上げなさる。心細げな念仏の僧などが、気の紛れるように、いろいろな物をお与えになりお見舞いなさり、宮の御前には、しみじみと心をこめた言葉の限りを尽くしてお恨み申し上げ、一方では、限りなくお慰め申し上げなさるが、手に取って御覧になることさえなく、思いもしなかったあきれた事を、弱っていらしたご病状に、疑う余地なく信じこんで、お亡くなりになったことをお思い出しになると、「ご成仏の妨げになりはしまいか」と、胸が一杯になる心地がして、この方のお噂だけでもお耳になさるのは、ますます恨めしく情けない涙が込み上げてくる思いが自然となさる。女房たちもお困り申し上げていた。
ほんの一行ほどのお返事もないのを、「暫くの間は気が転倒していらっしゃるのだ」などとお考えになっていたが、あまりに月日も過ぎたので、
「悲しい事でも限度があるのに。どうして、こんなに、あまりにお分かりにならないことがあろうか。言いようもなく子供のようで」と恨めしく、「これとは筋違いに、花や蝶だのと書いたのならともかく、自分の気持ちに同情してくれ、悲しんでいる状態を、いかがですかと尋ねる人は、親しみを感じうれしく思うものだ。
大宮がお亡くなりになったのを、実に悲しいと思ったが、致仕の大臣がそれほどにもお悲しみにならず、当然の死別として、世間向けの盛大な儀式だけを供養なさったので、恨めしく情けなかったが、六条院が、かえって心をこめて、後のご法事をもお営みになったのが、自分の父親ということを超えて、嬉しく拝見したその時に、故衛門督を、特別に好ましく思うようになったのだった。
人柄がたいそう冷静で、何事にも心を深く止めていた性格で、悲しみも深くまさって、誰よりも深かったのが、慕わしく思われたのだ」
などと、所在なく物思いに耽るばかりで、毎日をお過ごしになる。
[4-2 雲居雁の嘆きの歌]
女君、やはりこのお二人のご様子を、
「どのような関係だったのだろうか。御息所と、手紙を遣り取りしていたのも、親密なようになさっていたようだが」
などと納得がゆきがたいので、夕暮の空を眺め入って臥せっていらっしゃるところに、若君を使いにして差し上げなさった。ちょっとした紙の端に、
「お悲しみを何が原因と知ってお慰めしたらよいものか
生きている方が恋しいのか、亡くなった方が悲しいのか
はっきりしないのが情けないのです」
とあるので、にっこりとして、
「以前にも、このような想像をしておっしゃる、見当違いな、故人などを持ち出して」
とお思いになる。ますます、何気ないふうに、
「特に何がといって悲しんでいるのではありません
消えてしまう露も草葉の上だけでないこの世ですから
世間一般の無常が悲しいのです」
とお書きになっていた。「やはり、このように隔て心を持っていらっしゃること」と、露の世の悲しさは二の次のこととして、並々ならず胸を痛めていらっしゃる。
やはり、このように気がかりでたまらなくなって、改めてお越しになった。「御忌中などが明けてからゆっくり訪ねよう」と、気持ちを抑えていらっしゃったが、そこまでは我慢がおできになれず、
「今はもうこのおん浮名を、どうして無理に隠していようか。ただ世間一般の男性と同様に、目的を遂げるまでのことだ」
と、ご計画なさったので、北の方のご想像を、無理に打ち消そうとなさらない。
ご本人はきっぱりとお気持ちがなくても、あの「一夜ばかりの宿を」といった恨みのお手紙を理由に訴えて、「潔白を言い張ることは、おできになれまい」と、心強くお思いになるのであった。
[4-3 9月10日過ぎ、小野山荘を訪問]
九月十余日、野山の様子は、十分に分からない人でさえ、何とも思わずにはいられない。山風に堪えきれない木々の梢も、峰の葛の葉も、気ぜわしく先を争って散り乱れているところに、尊い読経の声がかすかに、念仏などの声ばかりして、人の気配がほとんどせず、木枯らしが吹き払ったところに、鹿は籬のすぐそばにたたずんでは、山田の引板にも驚かず、色の濃くなった稲の中に入って鳴いているのも、もの悲しそうである。
滝の音は、ますます物思いをする人をはっとさせるように、耳にうるさく響く。叢の虫だけが、頼りなさそうに鳴き弱って、枯れた草の下から、龍胆が、自分だけ茎を長く延ばして、露に濡れて見えるなど、みないつもの時節のことであるが、折柄か場所柄か、実に我慢できないほどの、もの悲しさである。
いつもの妻戸のもとに立ち寄りなさって、そのまま物思いに耽りながら立っていらっしゃった。やさしい感じの直衣に、紅の濃い下襲の艶が、とても美しく透けて見えて、光の弱くなった夕日が、それでも遠慮なく差し込んできたので、眩しそうに、さりげなく扇をかざしていらっしゃる手つきは、「女こそこうありたいものだが、それでさえできないものを」と、拝見している。
物思いの時の慰めにしたいほどの、笑顔の美しさで、小少将の君を、特別にお呼びよせになる。簀子はさほどの広さもないが、奥に人が一緒にいるだろうかと不安で、打ち解けたお話はおできになれない。
「もっと近くに。放っておかないでください。このように山の奥にやって来た気持ちは、他人行儀でよいものでしょうか。霧もとても深いのですよ」
と言って、特に見るでもないふりをして、山の方を眺めて、「もっと近く、もっと近く」としきりにおっしゃるので、鈍色の几帳を、簾の端から少し外に押し出して、裾を引き繕って横向きに座わっている。大和守の妹なので、お近い血縁の上に、幼い時からお育てになったので、着物の色がとても濃い鈍色で、橡の喪服一襲に、小袿を着ていた。
「このようにいくら悲しんでもきりのない方のことは、それはそれとして、申し上げようもないお気持ちの冷たさをそれに加えて思うと、魂も抜け出てしまって、会う人ごとに怪しまれますので、今はまったく抑えることができません」
と、とても多く恨み続けなさる。あの最期の折のお手紙の様子もお口にされて、ひどくお泣きになる。
[4-4 板ばさみの小少将君]
この人も、それ以上にひどく泣き入りながら、
「その夜のお返事さえ拝見せずじまいでしたが、もう最期という時のお心に、そのままお思いつめなさって、暗くなってしまいましたころの空模様に、ご気分が悪くなってしまいましたが、そのような弱目に、例の物の怪が取りつき申したのだ、と拝見しました。
以前の御事でも、ほとんど人心地をお失いになったような時々が多くございましたが、宮が同じように沈んでいらっしゃったのを、お慰め申そうとのお気を強くお持ちになって、だんだんとお気をしっかりなさいました。このお嘆きを、宮におかれては、まるで正体のないようなご様子で、ぼんやりとしていらっしゃるのでした」
などと、涙を止めがたそうに悲しみながら、はきはきとせず申し上げる。
「そうですね。それもあまりに頼りなく、情けないお心です。今は、恐れ多いことですが、誰を頼りにお思い申し上げなさるのでしょう。御山暮らしの父院も、たいそう深い山の中で、世の中を思い捨てなさった雲の中のようなので、お手紙のやりとりをなさるにも難しい。
ほんとうにこのような冷たいお心を、あなたからよく申し上げてください。万事が、前世からの定めなのです。この世に生きていたくないとお思いになっても、そうはいかない世の中です。第一、このような死別がお心のままになるなら、この死別もあるはずがありません」
などと、いろいろと多くおっしゃるが、お返事申し上げる言葉もなくて、ただ溜息をつきながら座っていた。鹿がとても悲しそうに鳴くのを、「自分も鹿に劣ろうか」と思って、
「人里が遠いので小野の篠原を踏み分けて来たが
わたしも鹿のように声も惜しまず泣いています」
とおっしゃると、
「喪服も涙でしめっぽい秋の山里人は
鹿の鳴く音に声を添えて泣いています」
上手な歌ではないが、時が時とて、ひっそりとした声の調子などを、けっこうにお聞きになった。
ご挨拶をあれこれ申し上げなさるが、
「今は、このように思いがけない夢のような世の中を、少しでも落ち着きを取り戻す時がございましたら、たびたびのお見舞いにもお礼申し上げましょう」
とだけ、素っ気なく言わせなさる。「ひどく何とも言いようのないお心だ」と、嘆きながらお帰りになる。
[4-5 夕霧、一条宮邸の側を通って帰宅]
道すがら、しみじみとした空模様を眺めて、十三日の月がたいそう明るく照り出したので、薄暗い小倉の山も難なく通れそうに思っているうちに、一条の宮邸はその途中であった。
以前にもまして荒れて、南西の方角の築地の崩れている所から覗き込むと、ずっと一面に格子を下ろして、人影も見えない。月だけが遣水の表面をはっきりと照らしているので、大納言が、ここで管弦の遊びなどをなさった時々のことを、お思い出しになる。
「あの人がもう住んでいないこの邸の池の水に
独り宿守りしている秋の夜の月よ」
と独言を言いながら、お邸にお帰りになっても、月を見ながら、心はここにない思いでいらっしゃった。
「何ともみっもない。今までになかったお振る舞いですこと」
と、おもだった女房たちも憎らしがっていた。北の方は、真実嫌な気がして、
「魂が抜け出たお方のようだ。もともと何人もの夫人たちがいっしょに住んでいらっしゃる六条院の方々を、ともすれば素晴らしい例として引き出し引き出しては、性根の悪い無愛想な女だと思っていらっしゃる、やりきれないわ。わたしも昔からそのように住むことに馴れていたならば、人目にも無難に、かえってうまくいったでしょうが。世の男性の模範にしてもよいご性質と、親兄弟をはじめ申して、けっこうなあやかりたい者となさっていたのに、このままいったら、あげくの果ては恥をかくことがあるだろう」
などと、とてもひどく嘆いていらっしゃった。
夜明け方近く、お互いに口に出すこともなくて、背き合いながら夜を明かして、朝霧の晴れる間も待たず、いつものように、手紙を急いでお書きになる。とても気にくわないとお思いになるが、以前のようには奪い取りなさらない。たいそう情愛をこめて書いて、ちょっと下に置いて歌を口ずさみなさる。声をひそめていらっしゃったが、漏れて聞きつけられる。
「いつになったらお訪ねしたらよいのでしょうか
明けない夜の夢が覚めたらとおっしゃったことは
お返事がありません」
とでもお書きになったのであろうか、手紙を包んで、その後も、「どうしたらよかろう」などと口ずさんでいらっしゃった。人を召してお渡しになった。「せめてお返事だけでも見たいものだわ。やはり、本当はどうなのかしら」と、様子を窺いたくお思いになっている。
[4-6 落葉宮の返歌が届く]
日が高くなってから返事を持って参った。紫の濃い紙が素っ気ない感じで、小少将の君が、いつものようにお返事申し上げた。いつもと同じで、何の甲斐もないことを書いて、
「お気の毒なので、あの頂戴したお手紙に、手習いをしていらしたのをこっそり盗みました」
とあって、中に破いて入っていたが、「御覧になったのだ」と、お思いになるだけで嬉しいとは、とても体裁の悪い話である。とりとめもなくお書きになっているのを、見続けていらっしゃると、
「朝な夕なに声を立てて泣いている小野山では
ひっきりなしに流れる涙は音無の滝になるのだろうか」
とか、読むのであろうか、古歌などを、悩ましそうに書き乱れていらっしゃる、ご筆跡なども見所がある。
「他人の事などで、このような浮気沙汰に心焦がれているのは、はがゆくもあり、正気の沙汰でもないように見たり聞いたりしていたが、自分の事となると、なるほどまことに我慢できないものであるなあ。不思議だ。どうして、こんなにもいらいらするのだろう」
と反省なさるが、思うにまかせない。
5 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る
[5-1 源氏や紫の上らの心配]
六条院にもお聞きあそばして、とても落ち着いていて何につけ冷静で、人の非難もなく、無難に過ごしていらっしゃるのを、誇りに思い、自分の若いころ、少し風流すぎて、好色家だという評判をおとりになった名誉回復に、嬉しくお思い続けていらしたが、
「かわいそうに、どちらにとってもお気の毒なことがきっとあるだろうことよ。赤の他人の間でさえなく、大臣なども、どのようにお思いになろうか。それくらいのこと、分からないではないだろう。宿世というものからは、逃れられないのだ。とやかく口を出すべきことではない」
とお思いになる。女の身にとっては、どちらに対してもお気の毒だと、困った事にお聞きあそばしてお心をお痛めになる。
紫の上に対しても、今までのことや将来のことをお考えになりながら、このような噂を聞くにつけても、亡くなった後、不安にお思い申し上げる様子をおっしゃると、お顔をぽっと赤らめて、「情けないこと。そんなに長く後にお残しなさるおつもりか」とお思いになっていた。
「女ほど、身の処し方も窮屈で、痛ましいものはない。ものの情趣も、折にふれた興趣深いことも、見知らないふうに身を引いて黙ってなどいては、いったい何によって、この世に生きている晴れがましさを味わい、無常なこの世の所在なさをも慰めることができよう。
だいたい、ものの道理も弁えないで、つまらない者のようになってしまったのでは、育てた親も、とても残念に思うはずではないか。
心の中にばかり思いをこめて、無言太子とか言って、小法師たちが辛い修行の例とする昔の喩えのように、悪い事良い事を弁えながら、口に出さずにいるのは、つまらない。自分ながらも、ほど好い身の処し方をするには、どのようにしたらよいものか」
とご思案なさるのも、今はただ女一の宮の御身のためを思ってのことである。
[5-2 夕霧、源氏に対面]
大将の君が、参上なさった機会があって、悩んでいらっしゃる様子も知りたいので、
「御息所の忌中は明けたのだろうね。昨日今日と思っているうちに、三年以上の昔になる世の中なのだ。ああ、悲しく味気ないものだ。夕方の露がかかっている間の寿命を貪っているとは。何とかこの髪を剃って、何もかも捨て去ろうと思うが、なんといつまでものんびりと過ごしていることか。まことに悪いことだ」
とおっしゃる。
「ほんとうに、惜しくない人でさえ、めいめい離れがたく思っている人の世でございましょう」などと申し上げて、「御息所の四十九日の法事など、大和守某朝臣が、独りでお世話致しますのは、とてもお気の毒なことです。しっかりした縁者がいない方は、生きている間だけのことで、このような死後は、悲しゅうございます」
と、お申し上げになる。
「朱雀院からも御弔問があるだろう。あの内親王、どんなにお嘆きでいらっしゃるだろう。昔聞いていた時よりは、つい最近、何かにつけ聞いたり見たりするに、この更衣は、しっかりした無難な人の中に入っていた。世間一般のことにつけて、惜しいことをしたものだ。生きていてもよいと思う方が、このように亡くなってゆくことよ。
朱雀院も、ひどく驚きお悲しみになっていた。あの内親王は、ここにいらっしゃる入道の宮の次には、かわいがっていらっしゃった。人柄も良くいらっしゃるのだろう」
とおっしゃる。
「お気立てはどのようでいらっしゃいましょう。御息所は、申し分のない人柄や、気立てでいらっしゃいました。親しく気をお許して接したわけではありませんでしたが、ちょっとした事の機会に、自然と人の心配りというものがよく分かるものでございます」
とお申し上げになって、宮の御事は口にかけず、まったく素知らぬふりをしている。
「これほどの一本気の性格の者が思い染めたことは、忠告しても聞き入れないだろう。聞き入れもしないだろうことを分かっていながら、自分が分別くさく口を出してもしようがない」
とお思いになっておやめになった。
[5-3 父朱雀院、出家希望を諌める]
こうしてご法事に、万端を取り仕切っておさせなさる。その評判は、自然に知れることなので、大殿などにおかれてもお聞きになって、「そんなことがあって良いことか」などと、妻方が思慮が浅いようにお考えになるのは、困ったことである。あの故人とのご縁もあるので、ご子息たちも。ご法要に参集なさる。
読経など、大殿からも盛大におさせになる。誰も彼も、いろいろ負けず劣らずなさったので、時めく人のこのような法事に負けないほどであった。
宮は、このまま小野で一生を送ろうとご決心なさったことがあったが、朱雀院に、誰かがそっとお告げ申し上げたので、
「それはとんでもないことです。なるほど、何人とも、あれこれと身の関わりをお持ちになることは良いことではないが、後見のない人は、なまじ尼姿になってから、けしからぬ噂がたち、罪を得るような時、現世も来世も、どっちつかずの非難されるというものです。
自分がこのように世を捨てているのに、三の宮が同じように出家なさったのを、何ともせつないように人が思ったり言ったりするのも、世を捨てた身には、思い悩むべきことではないが、必ずそんなにも、同じように競って出家なさるのも、感心しないことでしょう。
世の辛さに負けて世を厭うのは、かえって体裁の悪いことです。自分でしっかり考えて、もう少し冷静になって、心を澄ましてから、どうなりとも」
と度々申し上げなさった。この浮いたお噂をお耳にあそばしたのであろう。「噂のようなことが思うとおりに行かないので世をお厭いになった」と言われなさることを御心配なさったのであった。そうかといって、また、「公然と再婚なさるのも軽薄で、感心しないこと」と、お思いになりながら、恥ずかしいとお思いになるのもお気の毒なので、「どうして、自分までが噂を聞いて口出ししたりしようか」とお思いになって、このことは、全然一言もお出し申し上げなさらないのだった。
[5-4 夕霧、宮の帰邸を差配]
大将も、
「あれこれと言ってみたが、今は無駄なことだ。宮のお心ではお聞き入れなさることは、難しいことのようだ。御息所が承知済みであったと、世間の人には知らせよう。どうしようもない。亡くなった方に少し思慮が浅かったと罪を思わせて、いつからそうなったということもなく、分からなくさせてしまおう。年がいもなく若返って、懸想をし、涙を流し尽くして口説いたりするのも、いかにも身にふさわしからぬことだろう」
と決心なさって、一条邸にお帰りになる予定の日を、何日ほどにと決めて、大和守を呼んで、しかるべき諸式をお命じになり、邸内を掃除し整え、何といっても、女世帯では、草深く住んでいらっしゃったので、磨いたように整備し直して、お気づかいぶりなどは、しかるべきやり方も立派に、壁代、御屏風、御几帳、御座所などまでお気を配りなさり、大和守にお命じになって、あちらの家で急いで準備させなさる。
その日、自分でいらっしゃって、お車や、御前駆などを差し向けなさる。宮は、どうしても帰るまいとお思いになりおっしゃるのを、女房たちが熱心に説得申し上げ、大和守も、
「まったくご承知するわけには行きません。心細く悲しいご様子を拝見し心を痛め、これまでのお世話は、できるだけのことはさせていただきました。
今は、任国の公務もございますし、下向しなければなりません。お邸内のことも任せられる人もございません。まことに不行届なことで、どうしたものかと心配いたしておりますが、このように万事お世話なさいますのを、なるほど、ご結婚ということを考えてみますと、必ずしも今すぐに移転するのが良いというのではないお身の上ですが、そのように、昔もお心のままにならなかった例は、多くございます。
あなたお一方だけが、世間の非難をお受けになることでしょうか。とても幼稚なお考えです。いくら強がっても、女一人のご分別で、ご自分の身の振りをきちんとなさり、お気をつけなさることがどうしてできましょうか。やはり、男性から大事にお世話なされるのに助けられて、初めて深いお考えによる立派なご方針も、それに依存するものなのです。
あなた方がよくお教え申し上げなさらないのです。一方では、けしからぬことをも、ご自分たちの判断でかってにお取り計らい申し上げなさって」
と、言い続けて、左近の君や、小少将の君を責める。
[5-5 落葉宮、自邸へ向かう]
寄ってたかって説得申し上げるので、とても困りきって、色鮮やかなお召し物を、女房たちがお召し替え申し上げるにも、夢心地で、やはり、とても一途に削き落としたく思われなさる御髪を、掻き出して御覧になると、六尺ほどあって、少し細くなったが、女房たちは不完全だとは拝見せず、ご自身のお気持ちでは、
「ひどく衰えたこと。とても男の人にお見せできなる有様ではない。いろいろと情けない身の上であるものを」
とお思い続けなさって、また臥せっておしまいになった。
「時刻に遅れます。夜も更けてしまいます」
と、皆が騷ぐ。時雨がとても心急かせるように風に吹き乱れて、何事にもつけ悲しいので、
「母君が上っていった峰の煙と一緒になって
思ってもいない方角にはなびかずにいたいものだわ」
ご自分では気強く思っていらっしゃるが、そのころは、お鋏などのような物は、みな取り隠して、女房たちが目をお離し申さずいたので、
「このように騒がないでいても、どうして惜しい身の上で、愚かしく、子供っぽくもこっそり髪を下ろしたりしようか。人聞きも悪いとお思いなさることを」
とお思いになると、ご希望通り出家もなさらない。
女房たちは、全員急ぎ出して、それぞれ、櫛や、手箱や、唐櫃や、いろいろな道具類を、つまらない袋入れのような物であるが、全部前もって運んでしまっていたので、独り居残っているわけにもゆかず、泣く泣くお車にお乗りになるのも、隣の空席ばかりに自然と目が行きなさって、こちらにお移りになった時、ご気分が優れなかったにも関わらず、御髪をかき撫でて繕って、降ろしてくださったことをお思い出しになると、目も涙にむせんでたまらない。御佩刀といっしょに経箱を持っているが、いつもお側にあるので、
「恋しさを慰められない形見の品として
涙に曇る玉の箱ですこと」
黒造りのもまだお調えにならず、あの日頃親しくお使いになっていた螺鈿の箱なのであった。お布施の料としてお作らせになったのだが、形見として残して置かれたのであった。浦島の子の気がなさる。
[5-6 夕霧、主人顔して待ち構える]
ご到着なさると、邸内は悲しそうな様子もなく、人の気配が多くて、様子が違っている。お車を寄せてお降りになるに、全然、以前に住んでいた所とは思われず、よそよそしく嫌な気がなさるので、すぐにはお降りにならない。とてもおかしな子供っぽいお振る舞いですわと、女房たちも拝見し困っている。殿は、東の対の南面を、自分のお部屋として、仮に設けて、主人気取りでいらっしゃる。三条殿では、女房たちが、
「突然あきれたことにおなりになったこと。いつからのことだったのかしら」
とあきれるのだった。「色めいた風流事を、お好きでなくお思いになる方は、このように突然な事がおありになるのだった。けれども、何年も前からあった事を、噂にもならず素振り知られずにお過ごしになって来られたのだ」とばかりに思い込んで、このように、女のお気持ちは不承知であると、気づく人もいない。いずれにしても宮の御ためにはお気の毒なことである。
お調度類なども普段と変わって、新婚としては縁起が悪いが、お食事を差し上げたりした後、皆が寝静まったころにお渡りになって、少将の君をひどくお責めになる。
「ご愛情が本当に末長くとお思いでしたら、今日明日を過ぎてから申し上げて下さいませ。お帰りになって、かえって、悲しみに沈み込んで、亡くなった方のようにお臥せりになってしまわれました。おとりなし申し上げても、辛いとばかりお思いでいらっしゃるので、何事もわが身あってでございますもの。まことに困って、申し上げにくうございます」
と言う。
「まことに妙なことです。ご推量申し上げていたのとは違って、子供っぽく理解しがたいお考えでありますね」
とおっしゃって、考えていらっしゃる処遇は、宮の御ためにも、自分のためにも、世間の非難のないようにおっしゃり続けるので、
「いえもう、ただ今は、またもお亡くし申し上げてしまうのではないかと、気が気ではなく取り乱しておりますので、万事判断がつきません。お願いでございます、あれこれと無理押しなさって、乱暴なことはなさいませぬように」
と手を擦って頼む。
「これはまた初めてのことだ。憎らしく嫌な者だと、人より格段に軽蔑される身の上が情けない。是非とも誰かにでも判断してもらいたい」
と、言いようもないとお思いになっておっしゃるので、やはりお気の毒でもあり、
「まだ知らないとおっしゃるのは、なるほど恋愛経験の少ないお人柄だからでしょうと、道理は、仰せのとおり、どちら様を正しいと申す人がございますでしょうか」
と、少しほほ笑んだ。
[5-7 落葉宮、塗籠に籠る]
このように強情であるが、今となっては、邪魔立てされなさるおつもりもないので、そのままこの人を引き立てて、当て推量にお入りになる。
宮は、「まことに嫌でたまらない、思いやりのない浅薄な心の方だった」と、悔しく辛いので、「大人げないようだと言われようとも」とご決意なさって、塗籠にご座所を一つ敷かせなさって、内側から施錠して、お寝みになってしまった。「これもいつまで続くことであろうか。これほどに浮き足立っている女房たちの気持ちは、何と悲しく残念なことか」とお思いなさる。
男君は、心外なひどい仕打ちとお思い申し上げなさるが、このようなことで、どうして逃れることができようかと、気長にお考えになって、いろいろと思案しながら夜をお明かしなさる。山鳥の気がなさるのであった。やっとのことで明け方になった。こうしてばかり、取り立てて言うと、にらみ合いになりそうなので、お出になろうとして、
「ただ、少しの隙間だけでも」
と、しきりにお頼み申し上げなさるが、まったくお返事がない。
「怨んでも怨みきれません、胸の思いを晴らすことのできない冬の夜に
そのうえ鎖された関所のような岩の門です
何とも申し上げようのない冷たいお心です」
と、泣く泣くお出になる。
6 夕霧の物語 雲居雁と落葉宮の間に苦慮
[6-1 夕霧、花散里へ弁明]
六条院にいらっしゃって、ご休息なさる。東の上は、
「一条の宮をお移し申し上げなさったと、あの大殿あたりなどでお噂申しているのは、どのようなことなのですか」
と、とてもおっとりとお尋ねになる。御几帳を添えているが、端からちらちらと、それでも顔をお見せ申し上げなさる。
「そのようにも、やはり世間の人は取り沙汰しそうなことでございます。故御息所は、とても気強く、とんでもないことときっぱりおっしゃいましたが、最期の様子の時に、お気持ちが弱られた折に、わたし以外に後見を依頼できる人のないのが悲しかったのでしょうか、亡くなった後の後見というようなことがございましたので、もともとの心積もりもございましたことなので、このようにお引き受け致すことになりましたが、あれこれと、どのように世間の人は噂するのでございましょう。そうでないことをも、不思議と世間の人は、口さがないものです」
と、ほほ笑みながら、
「あのご本人の宮は、もう普通の暮らしはするまいと深く決心なさって、尼になってしまいたいと思い詰めていらっしゃるようなので、どうしてどうして。あちら方こちら方に聞きずらいことでもございますが、そのように嫌疑を招かぬことになったとしても、また一方で、あの遺言に背くまいと存じまして、ただこのようにお世話申しているのでございます。
院がお渡りあそばしたような時に、よい機会がございましたら、このようにわたしの申したとおりに申し上げてください。この年になって、感心しない浮気心を起こしたと、お思いになりおっしゃりもするだろうと気にいたしておりますが、なるほど、このようなことには、人の意見にも、自分の心にも従えないものだということが分かりました」
と、声を小さくして申し上げなさる。
「誰かの間違いではないかと思っておりましたが、本当にそのようなご事情があったのですね。すべて世間によくある事ですが、三条の姫君がご心配なさるのも、お気の毒です。平穏無事に馴れていらっしゃって」
と申し上げなさると、
「かわいらしくおっしゃいますね、姫君とはね。まるで鬼のようでございます性悪な者を」とおっしゃって、「どうして、その人をいい加減に扱っておりましょうか。恐れ多いですが、こちらのご夫人方のご様子からご推量ください。
穏やかである事だけが、女性として結局良いことのようでございます。口やかましく事を荒立てるのも、暫くの間は煩しく、面倒くさいように遠慮することもありますが、それに必ずしも最後まで従うものではないので、浮気沙汰が出てきた後、自分も相手も、憎らしそうに嫌気のさすものです。
やはり、南の殿の上のお心遣いこそが、いろいろとまたとないことで、それに次いではこちらのお気立てなどが、素晴らしいものとして、拝見するようになりました」
などと、お誉め申し上げなさると、お笑いになって、
「そうした女性の例に出したりなさるので、我が身の体裁の悪い評判がはっきりしてしまいそうで。
ところで、おかしなことは、院が、ご自分の女癖を誰も知らないように、ちょっとした好色めいたお心遣いを、重大事とお思いになって、お諌め申し上げなさる。陰口をも申し上げなさっているらしいのは、賢ぶっている人が、自分のことは知らないでいるように思われます」
とおっしゃると、
「さように、いつも女性の事では厳しくお仰せになります。しかし、恐れ多い教えを戴かなくても、自分で十分に気をつけておりますのに」
とおっしゃって、なるほどおかしいと思っていらっしゃった。
御前に参上なさると、あの事件はお聞きあそばしていらしたが、どうして知っている顔をしていられようかとお思いになって、ただじっと顔を窺っていらっしゃると、「実に素晴らしく美しくて、最近特に男盛りになったようだ。そのような浮気事をなさっても、人が非難すべきご様子もなさっていない。鬼神も罪を許すに違いなく、鮮やかでどことなく清らかで、若々しく今を盛りに生気溌剌としていらっしゃる。
何の分別もない若い人ではいらっしゃらず、どこからどこまですっかり成人なさっている、無理もないことだ。女性として、どうして素晴らしいと思わないでいられようか。鏡を見ても、どうして心奢らずにいられようか」
と、ご自分のお子ながらも、そうお思いになる。
[6-2 雲居雁、嫉妬に荒れ狂う]
日が高くなって、殿にお帰りになった。お入りになるや、若君たちが、次々とかわいらしい姿で、纏わりついてお遊びになる。女君は、御帳台の中に臥せっていらっしゃった。
お入りになったが、目もお合わせにならない。ひどいと思っているのであろう、と御覧になるのもごもっともであるが、遠慮した素振りもお見せにならず、お召し物を引きのけなさると、
「ここをどこと思っていらっしゃったのですか。わたしはとっくに死にました。いつも鬼とおっしゃるので、同じことならすっかりなってしまおうと思って」
とおっしゃる。
「お心は、鬼以上でいらっしゃるが、姿形は憎らしくもないので、すっかり嫌いになることはできないな」
と、何くわぬ顔でおっしゃるのも、癪にさわって、
「結構な姿形で優美に振る舞っていらっしゃるお方に、いつまでも連れ添っていられる身でもありませんので、どこへなりとも消え失せようと思うのを、このようにさえお思い出しますな。いつのまにか過ごした年月さえ、惜しく思われるものを」
と言って、起き上がりなさった様子は、たいそう愛嬌があって、つやつやとして赤くなった顔、実に美しい。
「このように子供っぽく腹を立てていらっしゃるからでしょうか、見慣れて、この鬼は、今では恐ろしくもなくなってしまったなあ。神々しい感じを加わえたいものだ」
と、冗談事におっしゃるが、
「何を言うの。あっさりと死んでおしまいなさい。わたしも死にたい。見ていると憎らしい。聞くも気にくわない。後に残して死ぬのは気になるし」
とおっしゃるが、とても愛らしさが増すばかりなので、心からにっこりして、
「近くで御覧にならなくても、よそながらどうして噂をお聞きにならないわけには行きますまい。そうして、夫婦の縁の深いことを分からせようとのおつもりのようですね。急に続くような冥土への旅立ちは、そのようにお約束申したからね」
と、まこと素っ気なく言って、何やかやと宥めすかし申し慰めなさると、とても若々しく素直で、かわいらしいお心の持ち主でいらっしゃる方なので、口からの出まかせの言葉とはお思いになりながら、自然と和らいでいらっしゃるのを、とても愛しい人だとお思いになる一方で、心はうわの空で、
「あの方も、とても我を張って、強く頑固な人の様子にはお見えではないが、もしやはり不本意なことと思って、尼などになっておしまいになったら、馬鹿らしくもあるな」
と思うと、暫くの間は絶え間なく通おうと、落ち着いていられない気がして、日が暮れて行くにつれて、「今日もお返事さえなかったな」とお思いになって、気にかかりながら、ひどく物思いに耽っていらっしゃる。
[6-3 雲居雁、夕霧と和歌を詠み交す]
昨日今日と全然お召し上がりにならなかった食事を、少々はお召し上がりになったりなどしていらっしゃる。
「昔から、あなたのために愛情が並大抵でなかった事情は、大臣がひどいお扱いをなさったために、世間から愚かな男だとの評判を受けたが、堪えがたいところを我慢して、あちらこちらが、進んで申し込まれた縁談を、たくさん聞き流して来た態度は、女性でさえそれほどの人はいるまいと、世間の人も皮肉った。
今思うにつけても、どうしてそうであったのかと、自分ながらも、昔でさえ重々しかったと反省されるが、今は、このようにお憎みになっても、お捨てになることのできない子供たちが、とても辺りせましと数増えたようなので、あなたのお気持ち一つで出てお行きになることはできません。また、まあ見ていてくださいよ。寿命とは分からないのがこの世の常です」
と言って、お泣きになったりすることもある。女も、往時を思い出しなさると、
「しみじみとも世に又となく仲睦まじかった二人の仲が、何と言っても前世の約束が深かったのだな」
と、お思い出しなさる。柔らかくなったお召し物をお脱ぎになって、新調の素晴らしいのを重ねて香をたきしめなさり、立派に身繕いし化粧してお出かけになるのを、灯火の光で見送って、堪えがたく涙が込み上げて来るので、脱ぎ置きなさった単衣の袖を引き寄せなさって、
「長年連れ添って古びたこの身を恨んだりするよりも
いっそ尼衣に着替えてしまおうかしら
やはり俗世の人のままでは、生きて行くことができないわ」
と、独言としておっしゃるのを、立ち止まって、
「何とも嫌なお心ですね。
いくら長年連れ添ったからといって、わたしを見限って
尼になったという噂が立ってよいものでしょうか」
急いでいて、とても平凡な歌であるよ。
[6-4 塗籠の落葉宮を口説く]
あちらには、やはり籠もっていらっしゃるのを、女房たちが、
「こうしてばかりいらしてよいものでしょうか。子供っぽく良くない噂も立つでございましょうから、いつものご座所に戻って、お考えのほどを申し上げなさいませ」
などと、いろいろと申し上げたので、もっともなことだとお思いになりながら、今から以後の世間での噂も、自分のどのようなお気持ちで過ごして来たかも、気にくわなく、恨めしかった方のせいだとお考えになって、その夜もお会いなさらない。「冗談ではなく、変わった方だ」と、言葉を尽くして恨みのたけを申し上げなさる。女房もお気の毒だと拝す。
「『わずかでも人心地のする時があろうときに、お忘れでなかったら、何なりとお返事申し上げましょう。この御服喪期間中は、せめて他の事で頭を思い乱すことなく過ごしたい』と、深くお思いになりおっしゃっていますが、このようにまことに都合悪く、知らない人のなくなってしまったようなことを、やはりひどくお辛いことと申し上げておいでです」
と申し上げる。
「愛する気持ちは、また普通の人とは違って安心ですのに。思いも寄らない目に遭うものですね」と嘆息して、「普通のご気分でいらっしゃったら、物越しなどでも、自分の気持ちだけでも申し上げて、お心を傷つけるようなことはしません。何年でもきっとお待ちしましょう」
などと、どこまでも申し上げなさるが、
「やはり、このような喪中の心の乱れに加えて、無理をおっしゃるお心がひどく辛い。他人が聞いて想像することも、すべていい加減なことで済まされないわが身の辛さは、それはそれとして措いても、格別に情けないお心づもりです」
と、重ねて拒否してお恨みになりながら、つき放してお相手していらっしゃった。
[6-5 夕霧、塗籠に入って行く]
「そうかといって、こうしてばかりいられようか。人が洩れ聞くことも当然だ」と、きまり悪く、こちらの人目も気にかかりなさるので、
「内々のお気づかいは、このおっしゃることに適っても、暫くの間はお気持ちに逆らわないでいよう。夫婦らしからぬ様子が、とても嫌である。また、こうだからといって、まったく参らなくなったら、あなたのご評判がどんなにかおいたわしいことでしょうか。一方的にお考えになって、大人げないのが困ったことです」
など、この女房をお責めになるので、なるほどと思って、拝するのも今はお気の毒になって、恐れ多くも思われる様子なので、女房を出入りさせなさる塗籠の北の口から、お入れ申し上げてしまった。
ひどく驚いて情けなくむごいと、伺候している女房も、なるほどこのような世間の人の心だから、これ以上ひどい目に遭わせるに違いないと、頼りにする人もいなくなってしまった我が身を、かえすがえす悲しくお思いになる。
男は、いろいろと納得なさるような条理を尽くしてお説き申し上げ、言葉数多く、しみじみと気を引くようなことをどこまでも申し上げなさるが、辛く気にくわないとばかりお思いになっていた。
「まったく、このように、何とも言いようもない者に思われなさった身のほどは、例のないくらい恥ずかしいので、あってはならない考えがつき始まったのも、迂闊にも悔しく思われますが、昔に戻ることのできない関係で、何の立派なご評判がございましょうか。もう仕方のないこととお諦めください。
思い通りにならない時、淵に身を投げる例もございますそうですが、ただこのような愛情を深い淵だとお思いになって、飛び込んだ身だとお思いください」
と申し上げなさる。単衣のお召し物をお髪ごと被って、できることといっては、声を上げてお泣きになる様子が、心底お気の毒なので、
「まったく困ったことだ。どうしてまったくこのようにまでお嫌いになるのだろう。強情を張っている人でも、これほどになってしまえば、自然と弱くなる様子もあるのだが、石や木よりもほんとうに心を動かさないのは、前世の因縁が薄いために、恨むようなことがあるが、そのようにお思いなのだろうか」
と思い当たると、あまりひどいので情けなくなって、三条の君がお悲しみであろうことや、昔も何の疑いもなく、お互いに愛情を交わし合った当時のこと、長年にわたり、もう安心と信頼し、打ち解けていらっしゃった様子を思い出すにつけても、自分のせいで、まことにつまらなく思い続けられずにはいられないので、無理にもお慰め申し上げなさらず、嘆息しながら夜をお明かしになった。
[6-6 夕霧と落葉宮、遂に契りを結ぶ]
こうしてばかり馬鹿らしく出入りするのもみっともないので、今日は泊まって、ゆっくりとしていらっしゃる。こんなにまで一途なのを、あきれたことと宮はお思いになって、ますます疎んずる態度が増してくるのを、愚かしい意地の張りようだと、思う一方で、情けなくもおいたわしい。
塗籠も、格別こまごまとした物も多くはなくて、香の御唐櫃や、御厨子などばかりがあるのは、あちらこちらに片づけて、親しみの持てる感じに設えていらっしゃるのだった。内側は暗い感じがするが、朝日がさし昇った感じが漏れて来たので、被っていた単衣をひき払って、とてもひどく乱れていたお髪、かき上げたりなどして、わずかに拝見なさる。
まことに気品高く女性的で、優美な感じでいらっしゃった。夫君のご様子は、凛々しくしていらっしゃる時よりも、くつろいでいらっしゃる時は、限りなく美しい感じである。
亡き夫君が特別すぐれた容貌というわけでなかったが、その彼でさえ、すっかり気位高く持って、ご器量がお美しくないと、何かの折に思っていたらしい様子をお思い出しになると、それ以上に、このようにひどく衰えた様子を、「少しの間でも我慢できようか」と思うのも、ひどく恥ずかしく、あれやこれやと思案しながら、自分のお気持ちを納得させなさる。
ただ外聞が悪く、こちらでもあちらでも、人がお聞きになってどうお思いなさろうかの罪は避けられないうえ、喪中でさえあるのがとても情けないので、気持ちの慰めようがないのであった。
御手水や、お粥などを、いつものご座所の方で差し上げる。色の変わった御調度類も、縁起でもないようなので、東面には屏風を立てて、母屋との境に香染の御几帳など、大げさに見えない物、沈の二階棚などのような物を立てて、気を配って飾ってある。大和守のしたことであったのだ。
女房たちも、派手でない色の、山吹襲、掻練襲、濃い紫の衣、青鈍色などを着替えさせ、薄紫色の裳、青朽葉などを、何かと目立たないようにして、お食膳を差し上げる。女主人の生活で、諸事しまりなくいろいろ習慣になっていた宮邸の中で、有様に気を配って、わずかの下人たちにも声をかけてきちんとさせ、この大和守一人だけで取り仕切っている。
このように思いがけない高貴な来客がいらっしゃったと聞いて、もとから怠けていた家司なども、急に参上して、政所などという所に控えて仕事をするのだった。
7 雲居雁の物語 夕霧の妻たちの物語
[7-1 雲居雁、実家へ帰る]
このように無理して馴染んだ顔をしていらっしゃるので、三条殿は、
「これが最後のようだと、まさかそんなことはあるまいと、一方では信頼していたが、実直な人が浮気したら跡形もなくなると聞いていたことは、本当のことであった」
と、夫婦の仲を見届けてしまった感じがして、「どうにしてこの侮辱を味わっていようか」とお思いになったので、大殿邸へ、方違えしようと思って、お移りになったところ、弘徽殿の女御が里にいらっしゃる時でもあり、お会いなさって、少し悩みが晴れることとお思いになって、いつものように急いでお帰りにならない。
大将殿もお聞きになって、
「やはりそうであったか。まことせかっちでいらっしゃる性格だ。この大殿の方も、また、年輩者らしくゆったりと落ち着いているところが、何といってもなく、実に性急で派手でいらっしゃる方々だから、気にくわない、見るものか、聞くものかなどと、不都合なことをおっしゃり出すかも知れない」
と、驚きなさって、三条殿にお帰りになると、子供たちも、半ばは残っていらっしゃって、姫君たちと、それからとても幼い子は連れていらっしゃっていたのだが、見つけて喜んで纏わりつき、ある者は母上を恋い慕い申して、悲しんで泣いていらっしゃるのを、かわいそうにとお思いになる。
手紙を頻繁に差し上げて、お迎えに参上なさるが、お返事すらない。このように頑固で軽率な夫婦仲だと、嫌に思われなさるが、大殿が見たり聞いたりなさる手前もあるので、日が暮れてから、自分自身で参上なさった。
[7-2 夕霧、雲居雁の実家へ行く]
寝殿にいらっしゃると聞いて、いつもお帰りの時に使う部屋は、年配の女房たちだけが控えている。若君たちは、乳母と一緒にいらっしゃった。
「今になって若々しいお付き合いをなさることだ。このような子を、あちらやこちらにほって置きなさって。どうして寝殿でお話に熱中なさっているのですか。不似合いなご性格とは、長年見知っていたが、前世からの宿縁だろうか、昔から忘れられない人とお思い申し上げて、今ではこのように、手のかかった子供たちも大勢かわいくなっているのを、お互いに見捨ててよいものかと、お頼み申しているのです。ちょっとしたことで、こんなふうになさってよいものでしょうか」
と、ひどく非難しお恨み申し上げなさると、
「何もかも、もう飽き飽きしたと見限られてしまった身ですので、今さらまた、直るものでないのを、どうして直そうかと思いまして。見苦しい子供たちは、お忘れにならなければ、嬉しく思いましょう」
とお答え申し上げなさった。
「穏やかなお返事ですね。言い続けていったら、誰が悪く言われるでしょう」
と言って、無理にお帰りになりなさいとも言わずに、その夜は独りでお寝みになった。
「変に中途半端なこのごろだ」と思いながら、子供たちを前にお寝せになって、あちらではまた、どんなにお悩みになっていらっしゃるだろう様子を、ご想像申し上げ、気の安まらない心地なので、「どのような人が、このようなことを興味もつのだろう」などと、懲り懲りした感じがなさる。
夜が明けたので、
「誰が見聞きしても大人げないことですから、もう最後だとおっしゃるならば、そのようにしましょう。あちらにいる子供たちも、かわいらしそうに恋い慕い申しているようでしたが、選び残されたのには、何かわけがあるのかと思いながら、放っておくことができませんから、どうなりともいたしましょう」
と、脅し申し上げなさると、いかにもきっぱりしたご性格なので、この子供たちまで、知らない所へお連れなさるのだろうか、と心配になる。姫君を、
「さあ、いらっしゃい。お目にかかるために、このように参上するのも体裁が悪いので、いつも参上できません。あちらにも子供たちがかわいいので、せめて同じ所でお世話申そう」
と申し上げなさる。まだとても小さく、かわいらしくいらっしゃるのを、しみじみといとしいと拝見なさって、
「母君のお言葉にお従いになってはなりませんよ。とても情けなく、物事の分別がつかないのは、とても良くないことです」
と、お教え申し上げなさる。
[7-3 蔵人少将、落葉宮邸へ使者]
大殿は、このようなことをお聞きになって、物笑いになることとお嘆きになる。
「もう少しの間、そのまま様子を見ていらっしゃらないで。自然と反省するところも生じてこようものを。女がこのように性急であるのも、かえって軽く思われるものだ。仕方ない、このように言い出したからには、どうして間抜け顔をして、おめおめとお帰りになれよう。自然と相手の様子や考えが分かるだろう」
と仰せになって、この一条宮邸に、蔵人少将の君をお使いとして差し向けなさる。
「前世からの因縁があってか、あなたのことを
お気の毒にと思う一方で、恨めしい方だと聞いております
やはり、お忘れにはなれないでしょう」
とあるお手紙を、少将が持っていらっしゃって、ただずんずんとお入りになる。
南面の簀子に円座をさし出したが、女房たちは、応対申し上げにくい。宮は、それ以上に困ったことだとお思いになる。
この君は、兄弟の中でとても器量がよく、難のない態度で、ゆったりと見渡して、昔を思い出している様子である。
「参上し馴れた気がして、久しぶりの感じもしませんが、そのようにはお認めいただけないでしょうか」
などとだけそれとなくおっしゃる。お返事はとても申し上げにくくて、
「わたしはとても書くことできない」
とおっしゃるので、
「お気持ちも通じず子供っぽいように思われます。代筆のお返事は、差し上げるべきではありません」
と寄ってたかって申し上げるので、何より先涙がこぼれて、
「亡くなった母上が生きていらっしゃったら、どんなに気にくわない、とお思いになりながらも、罪を庇ってくれたであろうに」
とお思い出しなさると、涙ばかりが辛さに先走る気がして、お書きになれない。
「どういうわけで、世の中で人数にも入らないわたしのような身を
辛いとも思い愛しいともお聞きになるのでしょう」
とだけ、お心にうかんだままに、終わりまで書かなかったような書きぶりで、ざっと包んでお出しになった。少将は、女房と話して、
「時々お伺いしますのに、このような御簾の前では、頼りない気がいたしますが、今からは御縁のある気がして、常に参上しましょう。御簾の中にもお許しいただけそうな、長年の忠勤の結果が現れましたような気がいたします」
などと、思わせぶりな態度を見せてお帰りになった。
[7-4 藤典侍、雲居雁を慰める]
ますますおもしろからぬご気分に、気もそぞろにうろうろなさっているうちに、大殿邸にいる女君は、何日も経るうちに、お悲しみ嘆くことしばしばである。藤典侍は、このようなことを聞くと、
「わたしを長年ずっと許さないとおっしゃっていたと聞いているが、このように馬鹿にできない相手が現れたこと」
と思って、手紙などは時々差し上げていたので、お見舞い申し上げた。
「わたしが人数にも入る女でしたら夫婦仲の悲しみを思い知られましょうが
あなたのために涙で袖をぬらしております」
何となく出過ぎた手紙だとは御覧になったが、何となくしみじみと物思いに沈んでいる時の所在なさに、「あの人もとても平気ではいられまい」とお思いになる気にも、幾分おなりになった。
「他人の夫婦仲の辛さをかわいそうにと思って見てきたが
わが身のこととまでは思いませんでした」
とだけあるのを、お思いになったままだと、しみじみと見る。
あの、昔、二人のお仲が遠ざけられていた期間は、この典侍だけを、密かにお目をかけていらっしゃったのだが、事情が変わってから後は、とてもたまさかに、冷たくおなりになるばかりであったが、そうは言っても、子供たちは大勢になったのであった。
こちらがお生みになったのは、太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君といらっしゃる。藤典侍は、大君、三の君、六の君、二郎君、四郎君といらっしゃった。全部で十二人の中で、出来の悪い子供はなく、とてもかわいらしく、それぞれに大きくおなりになっていた。
藤典侍のお生みになった子供は、特に器量がよく、才気が見えて、みな立派であった。三の君と、二郎君は、六条院の東の御殿で、特別に引き取ってお世話申していらっしゃる。院も日頃御覧になって、とてもかわいがっていらっしゃる。
このお二方の話は、いろいろとあって語り尽くせない、とのことである。
40. 御法
光る源氏の准太上天皇時代51歳3月から8月までの物語
- 紫の上、出家を願うが許されず 紫の上、ひどくお患いになったご病気の後
- 二条院の法華経供養 長年、私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった
- 紫の上、明石御方と和歌を贈答 三月の十日なので、花盛りで、空の様子なども
- 紫の上、花散里と和歌を贈答 昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか
- 紫の上、明石中宮と対面 夏になってからは、いつもの暑さでさえ、ますます意識を失って
- 紫の上、匂宮に別れの言葉 紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが
1 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語
- 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは
- 明石中宮に看取られ紫の上、死去す 風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして
- 源氏、紫の上の落飾のことを諮る 中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを
- 夕霧、紫の上の死に顔を見る 長年、何やかやと、分不相応な考えは持たなかったが
- 紫の上の葬儀 お仕え親しんでいた女房たちで、気の確かな者もいないので
2 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀
- 源氏の悲嘆と弔問客 大将の君も、御忌みに籠もりなさって、ほんのちょっとも
- 帝、致仕大臣の弔問 あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り
- 秋好中宮の弔問 冷泉院の后の宮からも、お心のこもったお便りが絶えずあり
3 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち
1 紫の上の物語 死期間近き春から夏の物語
[1-1 紫の上、出家を願うが許されず]
紫の上、ひどくお患いになったご病気の後、とても衰弱がひどくおなりになって、どこそこがお悪いというのでなくご気分がすぐれない状態が長くなった。
たいして重病ではないが、年月が重なるので、頼りなさそうに、ますます衰弱をお増しになったのを、院がご心痛になること、この上ない。少しの間でも先立たれ申されることは、堪えがたくお思いになり、ご自身のお気持ちは、この世に何の不足なこともなく、気がかりな子供たちさえおいででないお身の上なので、無理に生き残っていたいお命ともお思いなされないのだが、長年のご夫婦の縁を別れ、ご悲嘆申させるだろうことだけが、人知れず心の中でも、何となく悲しく思われなさるのであった。来世のためにと、尊い仏事を数多くなさりながら、「何とかしてやはり出家の本願を遂げて、暫くの間でも生きている命の限りは、勤行を一途に行いたい」と、いつもお思いになりお願いなさるが、まったくお許し申し上げなさらない。
そうは言うものの、ご自分のお気持ちにも、そのようにご決心なさっていることなので、このように熱心に思っていらっしゃる機会に促されて、一緒に出家生活に入ろうとお思いになるが、一度、出家をなさったらば、仮にもこの世の事を顧みようとはお思いにならず、来世では、一つの蓮の座を分け合おうと、お約束申し上げなさって、頼りにしていらっしゃるご夫婦仲であるが、この世のままで勤行なさる間は、同じ奥山であっても、峰を隔てて、お互いに顔を会わせない住まいで離れて生活することばかりをお考えになっていたので、このようにとても頼りない状態で病が篤くなってゆかれるので、とてもお気の毒なご様子を、いよいよ出家しようという時機には捨てることができず、かえって、山水の清い生活も濁ってしまいそうで、ぐずぐずしていらっしゃるうちに、ほんの浅い考えで、思うまま出家心を起こす人々に比べて、すっかり後れを取っておしまいになりそうである。
お許しがなくて、一存でご決心なさるのも、体裁が悪く不本意のようなので、この一事によって、女君は、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。ご自身でも、罪障が浅くない身の上ゆえかと、気がかりに思わずにはいらっしゃれないのであった。
[1-2 二条院の法華経供養]
長年、私的なご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、急いでご供養なさる。ご自身のお邸とお思いの二条院で催されるのであった。七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。法服の染色や、仕立て方をはじめとして、美しいこと、この上ない。だいたいどのようなことに対しても、実にご荘厳な法会を催された。
大層な催しには致されなかったので、詳細な事柄はお教えなさらなかったのに、女性のお指図としては行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお心のほどなどを、院はまことにこの上ない方だと感心なさって、ただ大体のお飾り、何やかのことだけを、お世話なさるのであった。楽人、舞人などのことは、大将の君が特別にお世話を申し上げなさる。
帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して、ご夫人方が、それぞれ御誦経、捧げ物など程度のことをご寄進なさるのでさえ所狭しなのに、それ以上に、その当時は、このご準備のご用をお務めしない人がないので、たいそう物々しいことがあれこれとある。「いつのまに、とてもこのようにいろいろとご用意なさったのであろう。なるほど、古い昔からの御願であろうか」と見えた。
花散里と申し上げた御方、明石などもお越しになった。東南の妻戸を開けていらっしゃる。寝殿の西の塗籠であった。北の廂に、御方々のお席は、襖障子だけを仕切って設えてあった。
[1-3 紫の上、明石御方と和歌を贈答]
三月の十日なので、花盛りで、空の様子なども、うららかで興趣あり、仏のいらっしゃる極楽浄土の有様が、身近に想像されて、格別である。信心のない人までが、罪障がなくなりそうである。薪こる行道の声も、大勢集い響き、あたりをゆるがすが、声が中断して静かになった時でさえしみじみ寂しく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、最近になっては、何につけても、心細くばかりお感じになられる。明石の御方に、三の宮を使いにして、申し上げなさる。
「惜しくもないこの身ですが、これを最後として
薪の尽きることを思うと悲しうございます」
お返事は、心細い歌意のことは、後の非難も気にかかったのであろうか、当り障りのない詠みぶりであったようだ。
「仏道へのお思いは今日を初めの日として
この世で願う仏法のために千年も祈り続けられることでしょう」
一晩中、尊い読経の声に合わせた鼓の音、鳴り続けておもしろい。ほのぼのと夜が明けてゆく朝焼けに、霞の間から見えるさまざまな花の色が、なおも春に心がとまりそうに咲き匂っていて、百千鳥の囀りも、笛の音に負けない感じがして、しみじみとした情趣も感興もここに極まるといった感じで、陵王の舞が急の調べにさしかかった最後のほうの楽、はなやかに賑やかに聞こえるので、一座の人々が脱いで掛けていた衣装のさまざまな色なども、折からの情景に美しく見える。
親王たち、上達部の中でも、音楽の上手な方々は、技を尽くして演奏なさる。身分の上下に関わらず気持ちよさそうに、うち興じている様子を御覧になるにも、余命少ないと身をお思いになっていらっしゃるお心の中には、万事がしみじみと悲しく思われなさる。
[1-4 紫の上、花散里と和歌を贈答]
昨日は、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。長年、このような機会ごとに、参集して音楽をなさる方々のご容貌や態度が、それぞれの才能、琴笛の音色をも、今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろう、とばかりお思いなさるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔も、しみじみと一人一人に目が自然とお止まりになる。
それ以上に、夏冬の四季折々の音楽会や遊びなどにも、何となく張り合う気持ちは、自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々は、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分独りが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。
法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。花散里の御方に、
「これが最後と思われます法会ですが、頼もしく思われます
生々世々にかけてと結んだあなたとの縁を」
お返事は、
「あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう
普通の人には残り少ない命とて、多くは催せない法会でしょうとも」
引き続き、この機会に、不断の読経や、懺法などを、怠りなく、尊い仏事の数々をおさせになる。御修法は、格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。
[1-5 紫の上、明石中宮と対面]
夏になってからは、いつもの暑さでさえ、ますます意識を失っておしまいになりそうな時々が多かった。どこといって、特に苦しんだりなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになったので、いかにも病人めいてたいそうにお悩みになることもない。伺候している女房たちも、この先どうおなりになるのだろうか、と思うにつけても、もう目の前がまっくらになって、もったいなくも悲しいご様子と拝する。
こうした状態ばかりでいらっしゃるので、中宮が、この二条院に御退出あそばされる。東の対に御滞在あそばす予定なので、こちらでお待ち申し上げていらっしゃる。儀式など、いつもと変わらないが、この世の作法もこれが見納めだろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。
上達部なども大勢供奉なさっていた。久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。院がお入りになって、
「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですね。退出して寝るとしよう」
と言って、お帰りになってしまった。起きていらっしゃるのを、嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。
「別々のお部屋にいらっしゃったのでは、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。お伺いすること、それもできにくくなってしまいましたので」
と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。
[1-6 紫の上、匂宮に別れの言葉]
紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。宮たちを拝見なさっても、
「それぞれのご将来を、見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」
と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の美しさ、素晴らしく見事である。「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は、思わずお泣きになってしまった。縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな、この人、あの人を、
「私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」
などとだけ申し上げなさるのであった。御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
三の宮は、大勢の皇子たちの中で、とてもかわいらしくお歩きになるのを、ご気分の好い間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」
とお尋ね申し上げなさると、
「きっととても恋しいことでしょう。わたしは、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなくなったら、機嫌が悪くなりますよ」
と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子、いじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には、大切にご鑑賞なさい。何かの折には、仏前にもお供えください」
と申し上げなさると、こっくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので、立って行っておしまいになった。特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。
2 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀
[2-1 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける]
ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは、ご気分も少しはさわやかになったようであるが、やはりどうかすると、何かにつけ悪くなることがある。といっても、身にしみるほどに思われなさる秋風ではないが、涙でしめりがちな日々をお過ごしになる。
中宮は、宮中に参内なさろうとするのを、もう暫くは御逗留をとも、申し上げたくお思いになるが、差し出がましいような気がし、宮中からのお使いがひっきりなしに見えるのも厄介なので、そのようにはお申し上げなさらず、あちらにもお渡りになることができないので、中宮がお越しなさった。
恐れ多いことであるが、いかにもお目にかからずには張り合いがないということで、こちらに御座所を特別に設えさせなさる。「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、こうしても、高貴で優美でいらっしゃることの限りなさも一段と素晴らしく見事である」と、今まで匂い満ちて華やかでいらっしゃった女盛りは、かえってこの世の花の香にも喩えられていらっしゃったが、この上もなく可憐で美しいご様子で、まことにかりそめの世と思っていらっしゃる様子、他に似るものもなくおいたわしく、何となく物悲しい。
[2-2 明石中宮に看取られ紫の上、死去す]
風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、
「今日は、とても具合好く起きていらっしゃいますね。この御前では、すっかりご気分も晴れ晴れなさるようですね」
と申し上げなさる。この程度の気分の好い時があるのをも、まことに嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのも、おいたわしく、「とうとう最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、
「起きていると見えますのも暫くの間のこと
ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です」
なるほど、風にひるがえってこぼれそうなのが、よそえられたのさえ我慢できないので、お覗きになっても、
「どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に
せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです」
と言って、お涙もお拭いになることができない。中宮、
「秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を
誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか」
と詠み交わしなさるご器量、申し分なく、見る価値があるにつけても、「こうして千年を過ごしていたいものだ」と思われなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。
「もうお帰りなさいませ。気分がひどく悪くなりました。お話にもならないほどの状態になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」
と言って、御几帳引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、
「どうあそばしましたか」
とおっしゃって、中宮は、お手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが、数えきれないほど騷ぎだした。以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざかと疑いなさって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをし尽くしなさったが、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。
[2-3 源氏、紫の上の落飾のことを諮る]
中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いあそばす。どなたもどなたも、当然の別れとして、誰にでもあることともお思いなされず、又とない大変な悲しみとして、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは、言うまでもないことであるよ。
しっかりとした人はいらっしゃらなかった。伺候する女房たちも、居合わせた者は、全て分別のある者はまったくいない。院は、誰よりもお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、
「このように今はもうご臨終のようなので、長年願っていたこと、このような際にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうだ。御加持を勤める大徳たち、読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、そうはいっても、まだ残っている僧たちもいるだろう。この現世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は、今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、剃髪するよう計らいなさい。適当な僧で、誰が残っているか」
などとおっしゃるご様子、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わって、ひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを、無理もないことと悲しく拝し上げなさる。
「御物の怪などが、今度も、この方のお心を悩まそうとして、このようなことになるもののようでございますから、そのようなことでいらっしゃいましょう。それならば、いずれにせよ、御念願のことは、結構なことでございます。一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効は必ずあるものと聞いております。本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでございましょうか」
と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧、この僧などをお召しになって、しかるべきことどもを、この君がお命じになる。
[2-4 夕霧、紫の上の死に顔を見る]
長年、何やかやと、分不相応な考えは持たなかったが、「いつの世にか、あの時同様に拝見したいものだ。かすかにお声さえ聞かなかったことよ」などと、忘れることなく慕い続けていたが、「声はとうとうお聞かせなさらないで終わったようだが、むなしい御亡骸なりとも、もう一度拝見したい気持ちが叶えられる折は、ただ今の時以外にどうしてあろう」と思うと、抑えることもできずつい泣けて、女房たちで、側に伺候する人たち皆が泣き騷ぎおろおろしているのを、
「静かに。暫く」
と制止するふりして、御几帳の帷子を、何かおっしゃるのに紛らして、引き上げて御覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も弱々しいので、大殿油を近くにかかげて拝見なさると、どこまでもかわいらしげに、立派で美しく見えるお顔のもったいなさに、この君がこのように覗き込んでいらっしゃるのを目にしながらも、無理に隠そうとのお気持ちも起こらないようである。
「このとおりに何事もまだそのままの感じだが、最期の様子ははっきりしているのです」
と言って、お袖を顔におし当てていらっしゃる時、大将の君も、涙にくれて、目も見えなさらないのを、無理に涙を絞り出すように目を開いて拝見すると、かえって悲しみが増してたとえようもなく、本当に心もかき乱れてしまいそうである。御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様子、ふさふさと美しくて、一筋も乱れた様子はなく、つやつやと美しそうな様子、この上ない。
灯火がたいそう明るいので、お顔色はとても白く光るようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった、生前のご様子よりも、今さら嘆いても嘆くかいのない、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのも、ことさらめいたことである。並一通りの美しさどころか、類のない美しさを拝見すると、「死に入ろうとする魂がそのままこの御亡骸に止まっていてほしい」と思われるのも、無理というものであるよ。
[2-5 紫の上の葬儀]
お仕え親しんでいた女房たちで、気の確かな者もいないので、院が、何事もお分かりにならないように思われなさるお気持ちを、無理にお静めになって、ご葬送のことをお指図なさる。昔も、悲しいとお思いになることを多くご経験なさったお身の上であるが、まことにこのようにご自身でもってお指図なさることはご経験なさらなかったことなので、すべて過去にも未来にも、またとない気がなさる。
そのまま、その当日に、あれこれしてご葬儀をお営み申し上げる。所定の作法があることなので、亡骸を見ながらお過しになるということもできないのが、情けない人の世なのであった。広々とした広い野原に、いっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳めしい葬儀であるが、まことにあっけない煙となって、はかなく上っていっておしまいになったのも、常のことであるが、あっけなく何とも悲しい。
地に足が付かない感じで、人に支えられてお出ましになったのを、拝し上げる人も、「あれほど威厳のあるお方が」と、わけも分からない下衆まで泣かない者はいなかった。ご葬送の女房は、それ以上に夢路に迷ったような気がして、車から転び落ちてしまいそうになるのに、手を焼くのであった。
昔、大将の君の御母君がお亡くなりになった時の暁のことをお思い出しになっても、あの時は、やはりまだ物事の分別ができたのであろうか、月の顔が明るく見えたが、今宵はただもう真暗闇で何も分からないお気持ちでいらっしゃった。
十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。日はたいそう明るくさし昇って、野辺の露も隠れたところなく照らし出して、人の世をお思い続けなさると、ますます厭わしく悲しいので、「先立たれたとて、何年生きられようか。このような悲しみに紛れて、昔からのご本意の出家を遂げたく」お思いになるが、女々しいとの後の評判をお考えになると、「この時期を過ごしてから」とお思いなさるにつけ、胸に込み上げてくるものが我慢できないのであった。
3 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち
[3-1 源氏の悲嘆と弔問客]
大将の君も、御忌みに籠もりなさって、ほんのちょっとも退出なさらず、朝夕お側近くに伺候して、痛々しくうちひしがれたご様子を、もっともなことだと悲しく拝し上げなさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
野分めいて吹く夕暮時に、昔のことをお思い出しになって、「かすかに拝見したことがあったことよ」と、恋しく思われなさると、また「最期の時が夢のような気がした」など、心の中で思い続けなさると、我慢できなく悲しいので、他人にはそのようには見られまいと隠して、
「阿彌陀仏、阿彌陀仏」
と繰りなさる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。
「昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても
御臨終の薄暗がりの中でお顔を見たのが夢のような気がする」
のが、その名残までがつらいのであった。尊い僧たちを伺候させなさって、決められた念仏はいうまでもなく、法華経など読経させなさる。あれこれとまた実に悲しい。
寝ても起きても、涙の乾く時もなく、涙に塞がって毎日をお送りになる。昔からご自身の様子をお思い続けると、
「鏡に映る姿をはじめとして、普通の人とは異なったわが身ながら、幼い時から、悲しく無常なわが人生を悟るべく、仏などがお勧めになったわが身なのに、強情に過ごしてきて、とうとう過去にも未来にも類があるまいと思われる悲しみに遭ったことだ。今はもう、この世に気がかりなこともなくなった。ひたすら仏道に赴くに支障もないのだが、まことにこのように静めようもない惑乱状態では、願っている仏の道に入れないないのでは」
と気が咎めるので、
「この悲しみを少し和らげて、忘れさせてください」
と、阿彌陀仏をお念じ申し上げなさる。
[3-2 帝、致仕大臣の弔問]
あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り、型通りの作法だけでなく、たいそう数多く申し上げなさる。ご決意なさっているお気持ちとしては、まったく何事も目にも耳にも止まらず、心に掛りなさること、ないはずであるが、「人から惚けた様子に見られまい。今さらわが晩年に、愚かしく心弱い惑乱から出家をした」と、後世まで語り伝えられる名をお考えになるので、思うに任せない嘆きまでがお加わりなっていらっしゃるのであった。
致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方なので、このように世に類なくいらした方が、はかなくお亡くなりになったことを、残念に悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い申し上げなさる。
「昔、大将の御母堂がお亡くなりになったのも、ちょうどこの頃のことであった」とお思い出しになると、とても何となく悲しくて、
「あの時の、あの方を惜しみ申された方も、多くお亡くなりになったな。死に後れたり先立ったりしても、大差のない人生だな」
などと、ひっそりとした夕暮に物思いに耽っていらっしゃる。空の様子も哀れを催し顔なので、ご子息の蔵人少将を使いとして差し上げなさる。しみじみとした思いを心をこめてお書き申されて、その端に、
「昔の秋までが今のような気がして
涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています」
お返事、
「涙に濡れていますことは昔も今もどちらも同じです
だいたい秋の夜というのが堪らない思いがするのです」
何事も悲しくお思いの今のお気持ちのままの返歌では、待ち受けなさって、意気地無しと、見咎めなさるにちがいない大臣のご気性なので、無難な体裁にと、
「度々の懇ろな御弔問を重ねて頂戴しましたこと」
とお礼申し上げなさる。
「薄墨衣」とお詠みになった時よりも、もう少し濃い喪服をお召しになっていらっしゃった。世の中に幸い人で結構な方も、困ったことに一般の世間の人から妬まれ、身分が高いにつけ、この上なくおごり高ぶって、他人を困らせる人もあるのだが、不思議なまで、無縁な人々からも人望があり、ちょっとなさることにも、どのようなことでも、世間から誉められ、奥ゆかしく、その折々につけて行き届いており、めったにいらっしゃらないご性格の方であった。
さほど縁のなさそうな世間一般の人でさえ、その当時は、風の音、虫の声につけて、涙を落とさない人はいない。まして、ちょっとでも拝した人では、悲しみの晴れる時がない。長年親しくお仕え馴れてきた人々、寿命が少しでも生き残っている命が、恨めしいことを嘆き嘆き、尼になり、この世を離れた山寺に入ることなどを思い立つ者もいるのであった。
[3-3 秋好中宮の弔問]
冷泉院の后の宮からも、お心のこもったお便りが絶えずあり、尽きない悲しみをあれこれと申し上げなさって、
「枯れ果てた野辺を嫌ってか、亡くなられたお方は
秋をお好きにならなかったのでしょうか
今になって理由が分かりました」
とあったのを、何も分からぬお気持ちにも、繰り返し、下にも置きがたく御覧になる。「話相手になれる風情ある歌のやりとりをして気を慰める人としては、この中宮だけがいらっしゃった」と、少しは悲しみも紛れるようにお思い続けても、涙がこぼれるのを、袖の乾く間もなく、返歌をなかなかお書きになれない。
「煙となって昇っていった雲居からも振り返って欲しい
わたしはこの無常の世にすっかり飽きてしまいました」
お包みになっても、そのまま茫然と、物思いに耽っていらっしゃる。
しっかりとしたお心もなく、自分ながら、ことのほかに正体もないさまにお思い知られることが多いので、紛らわすために、女房のほうにいらっしゃる。
仏の御前に女房をあまり多くなくお召しになって、心静かにお勤めになる。千年も一緒にとお思いになったが、限りのある別れが実に残念なことであった。今は、極楽往生の願いが他のことに紛れないように、来世をと、一途にお思い立ちになられる気持ち、揺ぎもない。けれども、外聞を憚っていらっしゃるのは、つまらないことであった。
御法要の事も、はっきりとお取り決めなさることもなかったので、大将の君が、万事引き受けてお営みなさるのであった。今日が最期かとばかり、ご自身でもお覚悟される時が多いのであったが、いつのまにか、月日が積もってしまったのも、夢のような気ばかりがする。中宮なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕っていらっしゃる。
41. 幻
光る源氏の准太上天皇時代52歳春から12月までの物語
- 紫の上のいない春を迎える 春の光を御覧になるにつけても、ますます涙にくれ心も乱れるようにばかりで
- 雪の朝帰りの思い出 所在ないままに、昔の思い出話などをなさる時々もある
- 中納言の君らを相手に述懐 いつもの、気の紛らわしには、御手水をお使いになって勤行をなさる
- 源氏、面会謝絶して独居 疎遠な人の前にはまったくお見えにならない。上達部なども
- 春深まりゆく寂しさ 春が深くなって行くにつれて、御前の様子は、昔と変わらないのを
- 女三の宮の方に出かける とても所在ないので、入道の宮のお部屋にお越しになると
- 明石の御方に立ち寄る 夕暮の霞がたちこめて、趣のあるころなので
- 明石の御方に悲しみを語る 「そこまで思慮深くためらい過ぎては、浅薄な出家にも劣ろう
1 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語
- 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす 夏の御方から、お衣更のご装束を差し上げなさるとあって
- 五月雨の夜、夕霧来訪 五月雨の時は、ますます物思いに沈んでお暮らしになるより他のことなく
- ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ 「昨日今日と思っておりましたうちに、ご一周忌も
- 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ たいそう暑いころ、涼しい所で物思いに耽っていらっしゃる折
2 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語
- 紫の上の一周忌法要 七月七日も、いつもと変わったことが多く、管弦のお遊びなどもなさらず
- 源氏、出家を決意 神無月には、一般に時雨がちなころとて
- 源氏、手紙を焼く 後に残っては見苦しいような女の人からのお手紙は
- 源氏、出家の準備 「御仏名も、今年限りだ」とお思いになればであろうか
3 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語
1 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語
[1-1 紫の上のいない春を迎える]
春の光を御覧になるにつけても、ますます涙にくれ心も乱れるようにばかりで、お心ひとつは、悲しみが改まりようもないので、外には、例年のように人びとが年賀に参ったりするが、ご気分のすぐれないように振る舞いなさって、御簾の内にばかりいらっしゃる。兵部卿宮がお越しになったので、ほんの内々のお部屋でお会いなさろうとして、その旨お伝え申し上げなさる。
「わたしの家には花を喜ぶ人もいませんのに
どうして春が訪ねて来たのでしょう」
宮、ちょっと涙ぐみなさって、
「梅の香を求めて来たかいもなく
ありきたりの花見とおっしゃるのですか」
紅梅の下に歩いていらっしゃったご様子が、大変優しくお似合いなので、この方以外に賞美する人もいないのではないか、とお見えになる。花はわずかに咲きかけて、風情あるころの美しさである。管弦のお遊びもなく、いつもの年と違ったことが多かった。
女房なども、長年仕えて来た者は、墨染の色の濃いのを着て、悲しみも慰めがたく、いつまでも諦めきれずにお慕い申し上げるが、全然、ご夫人方にもお渡りにならない。それをいつも目の前に拝するのを慰めとして、親しくお仕えしていた今まで、本気でお心をかけてということはなかったけれど、時々は見放さないようにお思いになっていた女房たちも、かえって、このような寂しいお独り寝になってからは、ごくあっさりとお扱いになって、夜の御宿直などにも、この人あの人と大勢を、ご座所から引き離し引き離しして、伺候させなさる。
[1-2 雪の朝帰りの思い出]
所在ないままに、昔の思い出話などをなさる時々もある。昔の好色心の名残もなく仏道一途のお心が深くなってゆくにつけても、長続きしそうもなかった恋愛事につけても、ひと頃、何やら恨めしそうであった様子が、時々お見えになったことなどをお思い出しになると、
「どうして、一時の戯れであるにせよ、また真実おいたわしかったことにつけても、あのような心をお見せ申したのだろう。どのようなことにもよく練られたお方であったので、自分の心底もとてもよくご存知でありながら、心底お恨みになることはなかったが、それぞれ一通りは、どのようになるのだろう」
とご心配なさっていたのを、わずかであってもお心をお乱しなさったことが、おいたわしく悔やまれなさる様子は、胸一つに収めきれないような気がなさる。その当時の事情を知っていて、今でもお側近くに仕えている女房たちは、ぽつりぽつりと口に出して申す者もいる。
入道の宮がご降嫁なさった当初、その当座は、顔色にも全然お出しにならなかったが、何かにつけて、情けないことよと、思っていらっしゃった様子がお気の毒であった中でも、雪が降った早朝に室外にたたずんで、自分の身も冷えきったように思われて、空模様がすごかった時に、とてもやさしくおっとりとしていらっしゃる一方で、袖がたいそう泣き濡れていらっしゃったのを引き隠し、無理して紛らわしていらっしゃった時のたしなみの深さなどを、一晩中、「夢であっても、もう一度いつになたら会えるだろうか」と、自然とお思い続けられる。
夜明けに、折も折、曹司に下りる女房であろう、
「ひどく積もった雪ですこと」
と言う声をお聞きつけになって、ちょうどその時の気がするが、側にいらっしゃらない寂しさも、言いようもなく悲しい。
「つらいこの世からは姿を消してしまいたいと思いながらも
心外にもまだ月日を送っていることだ」
[1-3 中納言の君らを相手に述懐]
いつもの、気の紛らわしには、御手水をお使いになって勤行をなさる。埋もれている炭火をかき起こして、御火桶を差し上げる。中納言の君、中将の君などは、御前近くでお話申し上げる。
「独り寝がいつもより寂しかった夜であったよ。このように独り住みでも殊勝に過ごせた世なのに、つまらなく俗世にかかわって来たことよ」
と、物思いに沈みこみなさる。「自分までが出家したら、この女房たちが、ますます嘆き悲しむだろうことが、いじらしくかわいそうだろう」などと思って、見渡しなさる。ひっそりと勤行をしながら、経などを読んでいらっしゃるお声を、並一通り聞く時でさえ涙がとまらないのに、まして今は、袖のしがらみも止めかねるほど悲しくて、朝晩拝し上げる女房たちの気持ちは、限りなく悲しくお思い申し上げる。
「現世の果報という点では、物足りなく思うことは、全然なく、高い身分には生まれたが、また誰よりも格別に、残念な運命であったなあ、と思うことがしょっちゅうだ。世の中のはかなくつらさを悟らせるべく、仏などがそういう運命をお授けになった身の上なのだろう。それを無理して知らない顔をして生き永らえて来たので、このように人生の終焉近くに、大変な悲しみの極みにあったのだから、宿世のつたなさも、自分の限界もすっかり残らず見届けてしまった、その安心感から、今は全然心残りもなくなったが、あの人この人、こうして、以前から親しくなった女房たちが、今を限りに別れ別れになってしまうことが、もう一段と心が乱れるに違いないだろう。まことにはかないことだ。諦めの悪い心だな」
と言って、お涙を拭い隠しなさるが、ごまかしきれず、そのままこぼれるお涙を、拝する女房たちは、それ以上に止めようもない。そうして、お見捨てられ申すだろうことのつらさを、それぞれ口に出したく思うが、そのように申すことはできず、涙に咽んでしまった。
こうしてばかり嘆き明かしていらっしゃる早朝、物思いに沈んで暮らしていらっしゃる夕暮などの、ひっそりとした折々には、あの並々にはお思いでなかった女房たちを、お側近くにお召しになって、あのような話などをなさる。
中将の君といって伺候する女房は、まだ小さい時からお側近くに置いていらっしゃったのだが、ごく人目に隠れては何度かお見過ごしになれなかったことがあったのであろうか、まことに心苦しいことに思って、親しみ申し上げなかったのに、このようにお亡くなりになってから後は、色めいた相手としてではなく、他の女房よりもかわいい女房だと心をかけていらっしゃった人としても、あの方の形見の人として、しみじみとお思いになっていらっしゃった。気立てや器量なども難がなくて、うない松に思える感じが、何でもなかっただろうよりは、気が利いているとお思いになる。
[1-4 源氏、面会謝絶して独居]
疎遠な人の前にはまったくお見えにならない。上達部なども、親しいご兄弟の宮たちなど、いつも参上なさったが、お会いなさることはめったにない。
「人に会う時だけは、しっかりと落ち着いて冷静にいようと思っても、幾月も茫然としている身の有様、愚かな間違い事があったりして、晩年が他人から迷惑がられるのでは、死後の評判までが嫌なことであろう。惚けて人前に出ないらしい、と言われるようなことも、同じことだが、やはり噂を聞いて想像することの不十分さよりも、見苦しいことが目に入るのは、この上なく格段にばからしいことだ」
とお思いになると、大将の君などに対してでさえ、御簾を隔ててお会いになるのであった。このように、人柄が変わりなさったようだと、人が噂するにちがいない時期だけでもじっと心を静めていなければと、我慢して過ごしていらっしゃる一方で、憂き世をお捨てになりきれない。ご夫人方にまれにちょっとお顔出しなさるにつけても、まっさきに止めどなく涙ばかりが一層こぼれるので、まことに具合が悪くて、どの方にも御無沙汰がちにお過ごしになる。
后の宮は、内裏にお帰りあそばして、三の宮を、寂しさのお慰めとしてお置きあそばしていらっしゃるのであった。
「お祖母様がおっしゃったから」
と言って、対の前の紅梅は、特別大事にお世話なさっているのも、とてもしみじみと拝見なさる。
二月になると、梅の木々が花盛りになったのも、まだ蕾なのも、梢が美しく一面に霞んでいるところに、あの御形見の紅梅に、鴬が陽気に鳴き出したので、立ち出て御覧になる。
「植えて眺めた花の主人もいない宿に
知らない顔をして来て鳴いている鴬よ」
と、口ずさみながらお歩きなさる。
[1-5 春深まりゆく寂しさ]
春が深くなって行くにつれて、御前の様子は、昔と変わらないのを、花を賞美なさるのではないが、心は落ち着かず、何事につけても胸が痛く思わずにはいらっしゃれないので、だいたいこの世を離れたように、鳥の声も聞こえない山奥ばかりが、ますます恋しくなって行かれる。
山吹などが、気持ちよさそうに咲き乱れているのも、思わず涙の露に濡れているかとばかり見えておしまいになる。他の花は、一重が散って、八重に咲く桜花が盛りを過ぎて、樺桜は開いて、藤は後れて色づいたりするらしいのを、その遅咲き早咲きの花の性質をよく理解して、いろいろと植えてお置きになったので、花の時期を忘れず匂い満ちているので、若宮は、
「わたしの桜は咲いた。何とかいつまでも散らすまい。木の回りに帳を立てて、帷子を上げなかったら、風も近寄って来まい」
と、よいことを考えた、と思っておっしゃる顔がとてもかわいらしいので、ふとほほ笑まれなさった。
「大空を覆うほどの袖を求めた人よりは、とてもよいことをお思いつきになった」などと、この宮だけをお遊び相手とお思い申してしていらっしゃる。
「あなたとお親しみ申していられるのも残り少なくなりましたよ。寿命というものは、もう暫くこの世に留まっていても、お会いすることはあるまい」
とおっしゃって、いつものように、涙ぐみなさると、とても嫌だとお思いになって、
「お祖母様がおっしゃったことを、縁起でもなくおっしゃいます」
と言って、伏目になって、お召し物の袖をもてあそびなどしながら、紛らしていらっしゃる。
隅の間の高欄に寄りかかって、御前の庭を、また御簾の中をも、見渡して物思いに沈んでいらっしゃる。女房なども、あの御形見の喪服の色を変えない者もおり、通常の色合いの者も、綾などは派手なのではない。ご自身のお直衣も、色は普通の物であるが、特別に質素にして、無紋をお召しになっていた。お部屋飾りなどもたいそう簡略に省いて、寂しく何となく頼りなさそうにひっそりとしているので、
「いよいよ出家するとなるとすっかり荒れ果ててしまうのだろうか
亡き人が心をこめて作った春の庭も」
自分ながら悲しく思われなさる。
[1-6 女三の宮の方に出かける]
とても所在ないので、入道の宮のお部屋にお越しになると、若宮も女房に抱かれておいでになっていて、こちらの若君と走り回って遊び、花を惜しみなさるお気持ちは深くなく、とても幼い。
宮は、仏の御前で、お経を読んでいらっしゃるのであった。何ほども深くお悟りになった御道心ではなかったが、この現世に対して恨みに思ってお気持ちの乱れることはおありでなく、のんびりとしたお暮らしのまま、気を散らさずに勤行なさって、仏道一筋にこの世を思い離れていらっしゃるのも、まことに羨ましく、「このような思慮深くない女の御志にさえ後れを取ったこと」と残念に思われなさる。
閼伽の花が、夕日に映えてとても美しく見えるので、
「春に心を寄せた人もいなくなって、花の色も殺風景なばかりに見られるが、仏のお飾りとして見るべきであった」とおっしゃって、「対の前の山吹は、やはりめったに見られない花の様子ですね。房の大きいことですね。上品に咲こうなどとは考えていない花なのでしょうか、はなやかでにぎやかな面では、とても美しい花です。植えた人のいない春とも知らないで、いつもの年より美しさを増しているのには、しみじみとした思いがしますね」
とおっしゃる。お返事に、
「谷には春も無縁です」
と、何気なく申し上げなさるのを、「他に言いようもあろうに、不愉快な」とお思いなさるにつけても、「まずは、このようなちょっとしたことにおいては、これこれのことではそうではなくあってほしい、と思うことに、反したことはついぞなかったな」と、幼かった時からのご様子を、「いったい、何の不足があったろうか」とお思い出しになると、まず、あの時この時の、才気があり行き届いていて、奥ゆかしく情味豊かな人柄、態度、言葉づかいばかりが自然と思い出されなさると、いつもの涙もろさのこととて、ついこぼれ出すのもとてもつらい。
[1-7 明石の御方に立ち寄る]
夕暮の霞がたちこめて、趣のあるころなので、そのまま明石の御方にお渡りになった。久しくお立ち寄りにならなかったので、思いも寄らない時だったので、ちょっと驚きはするが、体裁よく奥ゆかしく振る舞って、「やはり他の人より優れている」と御覧になるにつけては、またこのようにではなく、「あの方は格別に、教養や趣味もお振る舞いになっていた」と、ついお比べになられると、面影に浮かんで恋しく、悲しさばかりがつのるので、「どのようにして慰めたらよい心か」と、とても比較がつらくて、こちらでは、のんびりと昔話などをなさる。
「女をいとしいと思いつめるのは、実に悪いはずのことだと、昔から知っていながら、すべてどのような事柄にも、現世に執着が残らないようにと、配慮して来たが、普通の世間から見て、むなしく零落してしまいそうだったころなど、あれやこれやと思案したが、命をも自分から捨ててしまおうと、野山の果てにさすらえさせても、格別に差支えなく思うほどになったが、晩年に、最期が近くなった身の上で、持たなくてよい係累に多くかかずらって、今まで過ごしてきたが、意志が弱くて、愚かしいことよ」
などと、それと名指して一人の悲しみばかりにはおっしゃらないが、お胸の内はさぞかしとお気の毒なので、おいたわしく拝して、
「世間一般の目からは、さほど惜しくなさそうな人でさえ、心の中の執着、自然と多くございますものですが、ましてどうしてやすやすとお思い捨てになることができましょうか。そのような浅はかな出家は、かえって軽はずみなと非難されることも出てきて、なまじ出家しないほうがよいでしょうが、ご決心が、つきかねるようでいらっしゃるほうが、結局は澄みきった御境地に、至られましょうと、想像されます。
昔の例などをお聞きいたしますにつけても、心が動揺したり、思いのままにならないことがあって、世を厭うきっかけになったとか。それはやはりよくないことと申します。やはり、もう暫くごゆっくりあそばして、宮たちなどがご成人あそばして、ほんとうにゆるぎない地位を拝見あそばされるまでは、変わったことがございませんのが、安心で嬉しうもございましょう」
などと、とても思慮深く申し上げた様子、本当に申し分がない。
[1-8 明石の御方に悲しみを語る]
「そこまで思慮深くためらい過ぎては、浅薄な出家にも劣ろう」
などとおっしゃって、昔から悲しい思いをし続けてきたことなどを話し出される中で、
「故后の宮が御崩御なさった春が、花の美しさを見ても、本当に、花に心があったならばと思われました。そのわけは、世間一般につけて、誰が見ても素晴らしかったご様子を、幼い時から拝見し続けてきたので、そういうご臨終の悲しさも、誰より格別に思われたのです。
自分が特別に愛情をもったための、悲しみとは限らないものです。長年連れ添った人に先立たれて、諦めようもなく忘れられないのも、ただこのような夫婦仲の悲しさだけではありません。幼い時から育て上げた様子や、一緒に年老いた晩年に先立たれて、自分の身の上も相手の身の上も、次々と思い出が浮かんでくる悲しさが、堪えられないのです。すべて、心を打つ感動も、意味あることも、風流な面も、広く思い出すところの、あれこれが多く加わっていくのが、悲しみを深めるものなのでした」
などと、夜が更けるまで、昔や今のお話で、こ「うして明かしてもよい夜だ」とお思いになりながらも、お帰りになるのを、女も物悲しく思うことであろう。ご自身でも、「不思議なふうになってしまった心だな」と、思わずにはいらっしゃれない。
お帰りになっても、またいつものご勤行で、夜半になってから、昼のご座所に、ほんのかりそめに横におなりになる。翌朝、お手紙を差し上げなさるに、
「泣きながら帰ってきたことです、この仮の世は
どこもかしこも永遠の住まいではないので」
昨夜のご様子は恨めしげに思ったが、とてもこんなに、まるで違った方のように茫然としていらしたご様子がお気の毒なので、自分のことは忘れて、つい涙ぐまれなさる。
「雁がいた苗代水がなくなってからは
そこに映っていた花の影さえ見ることができません」
いつ見ても相変わらず味わいのある書きぶりを見るにつけても、何となく目障りなとお思いであったが、晩年には、お互いに心を交わし合う仲となって、安心な相手としては信頼できるよう、互いに思い合いなさりながら、またそうかといってまるきり許し合うのではなく、奥ゆかしく振る舞っていらしたお心遣いを、「他人はそこまで知らなかったであろう」などと、お思い出しになる。
たまらなく寂しい時には、このようにただ一通りに、お顔をお見せになることもある。昔のご様子とはすっかり変わってしまったのであろう。
2 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語
[2-1 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす]
夏の御方から、お衣更のご装束を差し上げなさるとあって、
「夏の衣に着替えた今日だけは
昔の思いも思い出しませんでしょうか」
お返事、
「羽衣のように薄い着物に変わる今日からは
はかない世の中がますます悲しく思われます」
賀茂祭の日、とても所在ないので、「今日は見物しようとして、女房たちは気持ちよさそうだろう」と思って、御社の様子などをご想像なさる。
「女房などは、どんなに手持ち無沙汰だろう。そっと里下がりして見て来なさい」などとおしゃる。
中将の君が、東表の間でうたた寝しているのを、歩いていらっしゃって御覧になると、とても小柄で美しい様子で起き上がった。顔の表情は明るくて、美しい顔をちょっと隠して、少しほつれた髪のかかっている具合など、見事である。紅の黄色味を帯びた袴に、萱草色の単衣、たいそう濃い鈍色の袿に黒い表着など、きちんとではなく重着して、裳や、唐衣も脱いでいたが、あれこれ着掛けなどするが、葵を側に置いてあったのを側によってお取りになって、
「何と言ったかね。この名前を忘れてしまった」とおっしゃると、
「いかにもよるべの水も古くなって水草が生えていましょう
今日の插頭の名前さえ忘れておしまいになるとは」
と、恥じらいながら申し上げる。なるほどと、お気の毒なので、
「だいたいは執着を捨ててしまったこの世ではあるが
この葵はやはり摘んでしまいそうだ」
などと、一人だけはお思い捨てにならない様子である。
[2-2 五月雨の夜、夕霧来訪]
五月雨の時は、ますます物思いに沈んでお暮らしになるより他のことなく、物寂しいところに、十日過ぎの月が明るくさし出た雲間が珍しいので、大将の君が御前に伺候なさっている。
花橘が、月光にたいそうくっきりと見える薫りも、その追い風がやさしい感じなので、花橘にほととぎすの千年も馴れ親しんでいる声を聞かせて欲しい、と待っているうちに、急にたち出た村雲の様子が、まったくあいにくなことで、とてもざあざあ降ってくる雨に加わって、さっと吹く風に燈籠も吹き消して、空も暗い感じがするので、「窓を打つ声」などと、珍しくもない古詩を口ずさみなさるのも、折からか、妻の家に聞かせてやりたいようなお声である。
「独り住みは、格別に変わったことはないが、妙に物寂しい感じがする。深い山住みをするにも、こうして身を馴らすのは、この上なく心が澄みきることであった」などとおっしゃって、「女房よ、こちらに、お菓子などを差し上げよ。男たちを召し寄せるのも大げさな感じである」などとおっしゃる。
心中には、ただ空を眺めていらっしゃるご様子が、どこまでもおいたわしいので、「こんなにまでお忘れになれないのでは、ご勤行にもお心をお澄しになることも難しいのでないか」と、拝見なさる。「かすかに見た御面影でさえ忘れ難い。まして無理もないことだ」と、思っていらっしゃった。
[2-3 ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ]
「昨日今日と思っておりましたうちに、ご一周忌もだんだん近くなってまいりました。どのようにあそばすお積もりでいらっしゃいましょうか」
とお尋ね申し上げなさると、
「何ほども、世間並み以上のことをしようとは思わない。あの望んでおかれた極楽の曼陀羅など、今回は供養しよう。経などもたくさんあったが、某僧都が、すべてその事情を詳しく聞きおいたそうだから、それに加えてしなければならない事柄も、あの僧都が言うことに従って催そう」などとおっしゃる。
「このようなことは、ご生前から特別にお考え置きになっていたことは、来世のため安心なことですが、この世にはかりそめのご縁であったとお思いなりますのは、お形見と言えるようにお残し申されるお子様さえいらっしゃなかったのが、残念なことでございます」
と申し上げなさると、
「それは、縁浅からず、寿命の長い人びとでも、そのようなことはだいたいが少なかった。自分自身の拙さなのだ。そなたこそ、家門を広げなさい」などとおっしゃる。
どのような事につけても、堪えきれないお心の弱さが恥ずかしくて、過ぎ去ったことをたいして口にお出しにならないが、待っていた時鳥がかすかにちょっと鳴いたのも、「どのようにして知ってか」と、聞く人は落ち着かない。
「亡き人を偲ぶ今宵の村雨に
濡れて来たのか、山時鳥よ」
と言って、ますます空を眺めなさる。大将、
「時鳥よ、あなたに言伝てしたい
古里の橘の花は今が盛りですよと」
女房なども、たくさん詠んだが、省略した。大将の君は、そのままお泊まりになる。寂しいお独り寝がおいたわしいので、時々このように伺候なさるが、生きていらっしゃった当時は、とても近づきにくかったご座所の近辺に、たいして遠く離れていないことなどにつけても、思い出される事柄が多かった。
[2-4 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ]
たいそう暑いころ、涼しい所で物思いに耽っていらっしゃる折、池の蓮の花が盛りなのを御覧になると、「なんと多い涙か」などと、何より先に思い出されるので、茫然として、つくねんとしていらっしゃるうちに、日も暮れてしまった。蜩の声がにぎやかなので、御前の撫子が夕日に映えた様子を、独りだけで御覧になるのは、本当に甲斐のないことであった。
「することもなく涙とともに日を送っている夏の日を
わたしのせいみたいに鳴いている蜩の声だ」
螢がとても数多く飛び交っているのも、「夕べの殿に螢が飛んで」と、いつもの、古い詩もこうした方面にばかり口馴れていらっしゃった。
「夜になったことを知って光る螢を見ても悲しいのは
昼夜となく燃える亡き人を恋うる思いであった」
3 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語
[3-1 紫の上の一周忌法要]
七月七日も、いつもと変わったことが多く、管弦のお遊びなどもなさらず、何もせずに一日中物思いに耽ってお過ごしになって、星合の空を見る人もいない。まだ夜は深く、独りお起きになって、妻戸を押し開けなさると、前栽の露がとてもびっしょりと置いて、渡殿の戸から通して見渡されるので、お出になって、
「七夕の逢瀬は雲の上の別世界のことと見て
その後朝の別れの庭の露に悲しみの涙を添えることよ」
風の音までがたまらないものになってゆくころ、御法事の準備で、上旬ころは気が紛れるようである。「今まで生きて来た月日よ」とお思いになるにつけても、あきれる思いで暮らしていらっしゃる。
御命日には、上下の人びとがみな精進して、あの曼陀羅などを、今日ご供養あそばす。いつもの宵のご勤行に、御手水を差し上げる中将の君の扇に、
「ご主人様を慕う涙は際限もないものですが
今日は何の果ての日と言うのでしょう」
と書きつけてあるのを、手に取って御覧になって、
「人を恋い慕うわが余命も少なくなったが
残り多い涙であることよ」
と、書き加えなさる。
九月になって、九日、綿被いした菊を御覧になって、
「一緒に起きて置いた菊のきせ綿の朝露も
今年の秋はわたし独りの袂にかかることだ」
[3-2 源氏、出家を決意]
神無月には、一般に時雨がちなころとて、ますます物思いに沈みなさって、夕暮の空の様子にも、何ともいえない心細さゆえ、「いつも時雨は降ったが」と独り口ずさんでいらっしゃる。雲居を渡ってゆく雁の翼も、羨ましく見つめられなさる。
「大空を飛びゆく幻術士よ、夢の中にさえ
現れない亡き人の魂の行く方を探してくれ」
どのような事につけても、気の紛れることのないばかりで、月日につれて悲しく思わずにはいらっしゃれない。
五節などといって、世の中がどことなくはなやかに浮き立っているころ、大将殿のご子息たち、童殿上なさって参上なさった。同じくらいの年齢で、二人とてもかわいらしい姿である。御叔父の頭中将や、蔵人少将などは、小忌衣で、青摺の姿がさっぱりして感じよくて、みな引き続いて、お世話しながら一緒に参上なさる。何の物思いもなさそうな様子を御覧になると、昔、心ときめくことのあった五節の折、何といってもお思い出されるであろう。
「宮人が豊明の節会に夢中になっている今日
わたしは日の光も知らないで暮らしてしまったな」
「今年をこうしてひっそりと過ごして来たので、これまで」と、ご出家なさるべき時を近々にご予定なさるにつけ、しみじみとした悲しみ、尽きない。だんだんとしかるべき事柄を、ご心中にお思い続けなさって、伺候する女房たちにも、身分身分に応じて、お形見分けなど、大げさに、これを最後とはなさらないが、近く伺候する女房たちは、ご出家の本願をお遂げになる様子だと拝見するにつれて、年が暮れてゆくのも心細く、悲しい気持ちは限りがない。
[3-3 源氏、手紙を焼く]
後に残っては見苦しいような女の人からのお手紙は、破っては惜しい、とお思いになってか、少しずつ残していらっしゃったのを、何かの機会に御覧になって、破り捨てさせなさるなどすると、あの須磨にいたころ、あちらこちらから差し上げさせなさったものもある中で、あの方のご筆跡の手紙は、特別に一つに結んであったのであった。
ご自身でなさっておいたことだが、「遠い昔のことになった」とお思いになるが、たった今書いたような墨跡などが、「なるほど千年の形見にできそうだが、見ることもなくなってしまうものよ」とお思いになると、何にもならないので、気心の知れた女房、二、三人ほどに、御前で破らせなさる。
ほんとうに、このようなことでなくさえ、亡くなった人の筆跡と思うと胸が痛くなるのに、ましてますます涙にくれて、どれがどれとも見分けられないほど、流れ出るお涙の跡が文字の上を流れるのを、女房もあまりに意気地がないと拝見するにちがいないのが、見ていられなく体裁悪いので、手紙を押しやりなさって、
「死出の山を越えてしまった人を恋い慕って行こうとして
その跡を見ながらもやはり悲しみにくれまどうことだ」
伺候する女房たちも、まともには広げられないが、その筆跡とわずかに分かるので、心動かされることも並々でない。この世にありながらそう遠くでなかったお別れの間中を、ひどく悲しいとお思いのままお書きになった和歌、なるほどその時よりも堪えがたい悲しみは、慰めようもない。まことに情けなく、もう一段とお心まどいも、女々しく体裁悪くなってしまいそうなので、よくも御覧にならず、心をこめてお書きになっている側に、
「かき集めて見るのも甲斐がない、この手紙も
本人と同じく雲居の煙となりなさい」
と書きつけて、みなお焼かせになる。
[3-4 源氏、出家の準備]
「御仏名も、今年限りだ」とお思いになればであろうか、例年よりも格別に、錫杖の声々などがしみじみと思われなさる。行く末長い将来を請い願うのも、仏が何とお聞きになろうかと、耳が痛い。
雪がたいそう降って、たくさん積もった。導師が退出するのを、御前にお召しになって、盃など、平常の作法よりも格別になさって、特に禄などを下賜なさる。長年久しく参上し、朝廷にもお仕えして、よくご存知になられている御導師が、頭はだんだん白髪に変わって伺候しているのも、しみじみとお思われなさる。いつもの、親王たち、上達部などが、大勢参上なさった。
梅の花が、わずかにほころびはじめて雪に引き立てられているのが、美しいので、音楽のお遊びなどもあるはずなのだが、やはり今年までは、楽の音にもむせび泣きしてしまいそうな気がなさるので、折に合うものを、口ずさむ程度におさせなさる。
そう言えば、導師にお盃を賜る時に、
「春までの命もあるかどうか分からないから
雪の中に色づいた紅梅を今日は插頭にしよう」
お返事は、
「千代の春を見るべくあなたの長寿を祈りおきましたが
わが身は降る雪とともに年ふりました」
人々も数多く詠みおいたが、省略した。
この日、初めて人前にお出になった。ご器量、昔のご威光にもまた一段と増して、素晴らしく見事にお見えになるのを、この年とった老齢の僧は、無性に涙を抑えられないのであった。
年が暮れてしまったとお思いになるにつけ、心細いので、若宮が、
「追儺をするのに、高い音を立てるには、どうしたらよいでしょう」
と言って、走り回っていらっしゃるのも、「かわいいご様子を見なくなることだ」と、何につけ堪えがたい。
「物思いしながら過ごし月日のたつのも知らない間に
今年も自分の寿命も今日が最後になったか」
元日の日のことを、「例年より格別に」と、お命じあそばす。親王方、大臣への御引出物や、人々への禄などを、またとなくご用意なさって、とあった。
42. 匂兵部卿
薫君の14歳から20歳までの物語
- 匂宮と薫の評判 光源氏がお隠れになって後、あのお輝きをお継ぎになるような方
- 今上の女一宮と夕霧の姫君たち 女一の宮は、六条院南の町の東の対を
- 光る源氏の夫人たちのその後 いろいろとお集まりであった御方々は、泣く泣く最後の
1 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後
- 薫、冷泉院から寵遇される 二品の宮の若君は、院がお頼み申し上げなさっているとおりで
- 薫、出生の秘密に悩む 子供心にかすかにお聞きになったことが、時々気にかかり
- 薫、目覚ましい栄達 帝におかせられましても、母宮の御縁続きの御好意が厚くて
- 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う このように、まことに不思議なまで人が気のつく薫りに
- 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格 中将は、世の中を深くつまらないものと悟り澄ました
- 夕霧の六の君の評判 「母宮が生きていらっしゃるうちは、朝夕にお側を離れずお目にかかり
- 六条院の賭弓の還饗 賭弓の還饗の準備を、六条院で特別念入りになさって
2 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な人生
1 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後
[1-1 匂宮と薫の評判]
光源氏がお隠れになって後、あのお輝きをお継ぎになるような方、大勢のご子孫方の中にもいらっしゃらないのであった。御譲位された帝をどうこう申し上げるのは恐れ多いことである。今上帝の三の宮、その同じお邸でお生まれになった宮の若君と、このお二方がそれぞれに美しいとのご評判をお取りになって、なるほど、実に並大抵でないお二方のご器量であるが、ほんとうに輝くほどではいらっしゃらないであろう。
ただ世間普通の人らしく、立派で高貴で優美でいらっしゃるのを基本として、そのようなご関係から、人が思い込みでご評判申し上げている扱い、様子も、昔のご評判やご威光よりも、少し勝っていらっしゃる高い評判ゆえに、一つには、この上なく威勢があったのであった。
紫の上が、格別におかわいがりになってお育て申し上げたゆえに、三の宮は、二条院にいらっしゃる。春宮は、そのような重い方として特別扱い申し上げなさって、帝、后が、大変におかわいがり申し上げになり、大切にお世話申し上げになっている宮なので、宮中生活をおさせ申し上げなさるが、やはり気楽な里邸を、住みよくお思いでいらっしゃるのであった。ご元服なさってからは、兵部卿と申し上げる。
[1-2 今上の女一宮と夕霧の姫君たち]
女一の宮は、六条院南の町の東の対を、ご生前当時のお部屋飾りを変えずにいらして、朝晩に恋い偲び申し上げなさっている。二の宮も、同じ邸の寝殿を、時々のご休息所になさって、梅壷をお部屋になさって、右大臣の中の姫君をお迎え申し上げていらっしゃった。次の春宮候補として、まことに信望が重々しく、人柄もしっかりしていらっしゃるのであった。
大殿の御姫君は、とても大勢いらっしゃる。大姫君は、春宮に入内なさって、また競争する相手もない様子で伺候していらっしゃる。その次々と、やはりみなその順番通りに結婚なさるだろうと、世間の人もお思い申し上げ、后の宮も仰せになっていらっしゃるが、この兵部卿宮は、それほどはお思いにならず、ご自分のお気持ちから生じたのではない結婚などは、おもしろくなくお思いのご様子のようである。
大臣も、「何の、同じようにと、そのようにばかりきちんきちんとすることはない」と落ち着いていらっしゃるが、また一方で、そのようなご意向があるなら、お断りはしないという顔つきで、とても大切にお世話申し上げていらっしゃる。六の君は、その当時の、少し自分こそはと自尊心高くいらっしゃる親王方、上達部の、お心を夢中にさせる種でいらっしゃるのであった。
[1-3 光る源氏の夫人たちのその後]
いろいろとお集まりであった御方々は、泣く泣く最後の生活をなさるべき邸々に、みなそれぞれお移りになったが、花散里と申し上げた方は、二条東の院を、ご遺産としてお移りになった。
入道の宮は、三条宮にいらっしゃる。今后は、宮中にばかり伺候していらっしゃるので、六条院の中は寂しく、人少なになったが、右大臣が、
「他人事として、昔の例を見たり聞いたりするにつけても、生きている限りの間に、丹精をこめて造り上げた人の邸が、すっかり忘れられて、人の世の常のことながら無常に思われるのは、まことに感慨無量で、情けない思いがしないではいられないが、せめて自分が生きている間だけでも、この院を荒廃させず、近くの大路など、人の姿が見えなくならないように」
と、お思いになりおっしゃって、丑寅の町に、あの一条宮をお移し申し上げなさって、三条殿と、一晩置きに十五日ずつ、きちんとお通いになっていらっしゃるのであった。
二条院と言って、磨き造り上げ、六条院の春の御殿と言って、世間に評判であった玉の御殿も、ただお一方の将来のためであったと思えて、明石の御方は、大勢の宮たちのご後見をしながら、お世話申し上げていらっしゃった。大殿は、どの方の御事も、故人のおとりきめ通りに、改変することなく、別け隔てなく親切にお仕えなさっているにつけても、「対の上が、このように生きていらっしゃったならば、どんなに誠意を尽くしてお仕え申し御覧に入れたことであろうか。とうとう、多少なりとも特別に、自分が好意を寄せているとお分かりになっていただける機会もなくて、お亡くなりになってしまったこと」を、残念に物足りなく悲しく思い出し申し上げなさる。
天下の人は、院を恋い慕い申し上げない者はなく、あれこれにつけても、世はまるで火を消したように、何事につけてもはりあいのない嘆きを漏らさない折はなかった。まして、殿の内の女房たち、ご夫人方、宮様方などは、改めて申し上げるまでもなく、限りないお嘆きの事はもちろんのこととして、またあの紫の上のご様子を心に忘れず、いろいろのことにつけて、お思い出し申し上げなさらない時の間もない。春の花の盛りは、なるほど、長くないことによって、かえって大事にされるというものである。
2 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な人生
[2-1 薫、冷泉院から寵遇される]
二品の宮の若君は、院がお頼み申し上げなさっているとおりで、冷泉院の帝が、特別に大切になさり、后の宮も、親王方などいらっしゃらず、心細くお思いのために、嬉しいご後見役として、お頼み申し上げていらっしゃった。
ご元服なども、院の御所でおさせになる。十四歳で、二月に侍従におなりになる。秋、右近衛府の中将なって、恩賜の加階などまで、どこが気がかりなのか、急いで加えてご成人させなさる。お住まいあそばす御殿の近くの対の屋をお部屋にしたてたりなど、院御自身で監督なさって、若い女房も、女の童、下仕えまで、すぐれた人を選びそろえ、姫宮の御儀式よりもまぶしいほど立派にお整えさせなさっていた。
院の上におかれても中宮におかれても、伺候している女房の中でも、器量がよく、上品で難がない者は、みなお移しなさりなさりして、院の中を気に入って、住みよく生活しよく思うようにとばかり、特別にお世話しようとお思いなっていらっしゃった。故致仕の大殿の女御と申し上げたお方に、女宮がただお一方いらっしゃったのを、この上なく大切にお育てなさっているのに負けないほど、后の宮の御寵愛が、年月とともに厚くなってゆく感じなのであろうが、どうして、そんなにまですることがあろう、と思われるほどである。
母宮は、今はただご勤行だけを静かになさって、毎月のお念仏、年に二回の御八講、折々の尊い御仏事の営みばかりなさって、他に何もすることなくいらっしゃるので、この君がお出入りなさるのを、かえって親のように、頼りになる方とお思いでいらっしゃったので、とてもおいたわしくて、院におかせられても帝におかせられても、いつもお召しになり、春宮も、次々の親王方も、親しいお遊び相手としてお誘いになるので、暇もなく苦しくて、「何とかして身体を分けたいものだ」と、思われなさるのであった。
[2-2 薫、出生の秘密に悩む]
子供心にかすかにお聞きになったことが、時々気にかかり、どうしたことかとずっと思い続けていたが、尋ねるべき人もいない。宮には、事の一端なりとも知ってしまったと思われなさるのは、具合の悪い筋合なので、それ以来心から離れることなくて、
「どのようなことであってか、何の因果で、このような気がかりな思いを身にまとって生まれてきたのだろうか。善巧太子が、わが身に問うている悟りを得たいものだ」と、つい独り言が漏れなさるのであった。
「はっきりしないことだ、誰に尋ねたらよいものか
どうして初めも終わりも分からない身の上なのだろう」
答えることのできる人はいない。何かにつけて、自分自身に悪いところのある感じがするのも、気持ちが落ち着かず、何か物思いばかりがされ、あれこれ思案して、「母宮もこのような盛りのお姿を尼姿になさって、どのような御道心でからか、急に出家されたのだろう。このように、不本意な過ちがもとで、きっと世の中が嫌になることがあったのだろう。世間の人も漏れ聞いて、知らないはずがあろうか。やはり、隠しておかなければならないことのために、わたしには事情を知らせる人がいないようだ」と思う。
「朝晩、勤行なさっているようだが、とりとめもなくおっとりしていらっしゃる女のお悟りの状態では、蓮の露も明らかなように、玉と磨きなさることも難しい。五つの障害も、やはり不安だが、わたしが、このお志を、同じことならせめて来世を」と思う。「あの亡くなったという方も、辛い思いに迷いが解けないでいるのではないか」などと推量するが、生まれ変わってでもお会いしたい気がして、元服は気がお進みにならなかったが、辞退しきれず、自然と世間から大事にされて、眩しいほど華やかなご身辺も、一向に気に染まず、ひっこみ思案でいらっしゃった。
[2-3 薫、目覚ましい栄達]
帝におかせられましても、母宮の御縁続きの御好意が厚くて、大変にかわいい者としてお思いあさばされ、后の宮も、また、もともと同じ邸で、宮方と一緒にお育ちになり、お遊びなさったころの御待遇を、すこしもお改めにならず、「晩年にお生まれになって、気の毒で、大きくなるまで見届けることができないこと」と、院がおっしゃっていたのを、お思い出し申し上げなさっては、並々ならずお思い申し上げていらっしゃった。
右大臣も、ご自分のご子息たちよりも、この君を気にかけて大事にお扱い申し上げていらっしゃる。
昔、光君と申し上げた方は、あのような比類ない帝の御寵愛であったが、お憎みなさる方があって、母方のご後見がなかったりなどしたが、ご性質も思慮深く、世間の事を穏やかにお考えになったので、比類ないご威光を、目立たないように抑えなさり、ついに大変な天下の騷ぎになりかねない事件も、無事にお過ごしになって、来世のご勤行も時期を遅らせなさらず、万事目立たないようにして、遠く先をみて穏やかなご性格の方であったが、この君は、まだ若いうちに、世間の評判が大変に過ぎて、自負心を高く持っていることは、この上なくいらっしゃる。
なるほど、そうあるはずのように、とてもこの世の人としてできているのではない、人間の姿を借りて宿ったのかと思えることがお加わりであった。お顔の器量も、はっきりそれと、どこが素晴らしい、ああ美しい、と見えるところもないが、ただたいそう優美で気品高げで、心の奥底が深いような感じが、誰にも似ていないのであった。
薫の香ばしさは、この世の匂いでなく、不思議なまでに、ちょっと身じろぎなさる周囲の、遠く離れている所の追い風も、本当に百歩の外も薫りそうな感じがするのであった。どなたにも、あれほどのご身分で、たいそう身をやつし、平凡な恰好でいられようか、あれこれと、自分こそは誰よりも良くあろうと、おしゃれをし気をつかうはずなのであるが、このように体裁の悪いほど、ちょっとお忍びに立ち寄ろうとする物蔭も、はっきりこの人と分かる薫りが隠れ場もないので、厄介に思って、ほとんど香を身におつけにならないが、たくさんの御唐櫃にしまってあるお香の薫りも、この君のは、何ともいえない匂いが加わり、お庭先の花の木も、ちょっと袖をお触れになる梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしみて感じる人が多く、秋の野に主のいない藤袴も、もとの薫りは隠れて、やさしい追い風が、特に折り取られて一段と香が引き立つのであった。
[2-4 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う]
このように、まことに不思議なまで人が気のつく薫りに染まっていらっしゃるのを、兵部卿宮は、他のことよりも競争心をお持ちになって、それは、特別にいろいろの優れたのをたきしめなさり、朝夕の仕事として香を合わせるのに熱心で、お庭先の植え込みでも、春は梅の花園を眺めなさり、秋は世間の人が愛する女郎花や、小牡鹿が妻とするような萩の露にも、少しもお心を移しなさらず、老を忘れる菊に、衰えゆく藤袴、何の取柄もないわれもこうなどは、とても見るに堪えない霜枯れのころまでお忘れにならないなどというふうに、ことさらめいて、香を愛する思いを、取り立てて好んでいらっしゃるのであった。
こうしていることに、少し弱く優し過ぎて、風流な方面に傾いていらしゃると、世間の人はお思い申していた。昔の源氏は、総じて、このように一つに事を取り立てて、異様なふうに、熱中なさることはなかったものである。
源中将は、この宮にはいつも参上しては、お遊びなどにも、張り合う笛の音色を吹き立てて、いかにも競争者として、若い者同士が好意をお持ちになっているようなご様子である。例によって、世間の人は、「匂う兵部卿、薫る中将」と、聞きずらいほど言い立てて、その当時に、良い娘がいらっしゃる、高貴な所々では、心をときめかして、婿にと申し出たりなさる人もあるので、宮は、あれこれと、興味の惹かれそうな所にはお言葉をお掛けになって、相手のお人柄、ご様子をもお窺いになる。特別のご熱心にお思いになる方は、格別いないのであった。
「冷泉院の女一の宮を、結婚して一緒に暮らしてみたいものだ。きっとその甲斐はあるだろう」とお思いになっているのは、母女御もとても重々しくて、奥ゆかしくいらっしゃる所であり、姫宮のご様子は、なるほどと、めったにないくらい素晴らしくて、世間の評判も高くいらっしゃるうえに、それ以上に、少し近くに伺候し馴れている女房などが、詳しいご様子などを、何かの機会にふれてお耳に入れることなどもあるので、ますます我慢できなくお思いのようである。
[2-5 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格]
中将は、世の中を深くつまらないものと悟り澄ました気持ちなので、「なまじ女性に執着して、出家しにくい思いが残ろうか」などと思うので、「厄介な思いをしそうなところに関係するのは、遠慮されて」などと諦めていらっしゃる。さしあたって、心に気に入りそうな事がない間は、賢ぶっていたのであろうか。親の承諾しないような結婚などは、なおさら思うはずもない。
十九歳におなりの年、三位宰相になって、やはり中将を辞めていない。帝、后の御待遇で、臣下であっては、遠慮のない幸い人のご人望でいらっしゃるが、心の中ではわが身の上について思い知るところがあって、もの悲しい気持ちなどがあったので、勝手気ままな浮いた好色事、まったく好きでなく、万事控え目に振る舞っては、自然と老成した性格を、人からも知られていらっしゃった。
三の宮が、年齢とともに熱心でいらっしゃるらしい、院の姫宮のご様子を見るにつけても、同じ院の内に、朝に夕に一緒にお暮らしなので、何かの機会にふれても、姫のご様子を聞いたり拝見したりするので、「なるほど、たいそう並々でない。奥ゆかしく嗜み深いお振る舞いはこの上ないので、同じことならば、ほんとうにこのような人と結婚するのこそ、生涯楽しく暮らせる糸口となることだろう」とは思うものの、普通の事は分け隔てなくお扱いでいらっしゃるが、姫宮の御事の方面の隔ては、この上なくよそよそしく習慣づけていらっしゃるのも、もっともなことに厄介な事なので、無理に近づこうとはしない。「もし、思いも寄らない気持ちが起こったら、自分も相手もまことに悪い事だ」と分別して、馴れ馴れしく近づき寄ることはなかったのであった。
自分が、このように、人から誉められるように生まれついていらっしゃる有様なので、ちょっと何気ない言葉をおかけになる相手の女性も、まったく相手にしない気持ちはなく、靡きやすい程度なので、自然とたいして気の染まない通い所も多くになるが、相手に対して、大仰な待遇はせず、たいそううまく紛らわして、どことなく愛情がないでもない程度で、かえって気がもめるので、情けを寄せる女は、気が引かれ引かれして、三条宮に参集する者が大勢いる。
冷淡な態度を見るのも、辛いことのようであるが、すっかり仲が絶えてしまうよりはと、心細さが辛くて、宮仕えなどしない身分の人々で、頼りない縁に期待をかけている者が多かった。そうはいっても、とてもやさしく、見所のある方のご様子なので、一度会った女は、みな自分の気持ちにだまされるようにして、つい大目に見てしまうのである。
[2-6 夕霧の六の君の評判]
「母宮が生きていらっしゃるうちは、朝夕にお側を離れずお目にかかり、お仕え申し上げることを、せめてもの孝養に」
と思っておっしゃるので、右大臣も、大勢いらっしゃる姫君たちを、誰か一人は、とお思いになりながら、口にお出しになることができない。「なんといっても、近い縁者なのでおもしろみがない」と思ってはみるが、「この君たちを措いて、他に、肩を並べるような人を探し出せるであろうか」とお困りになる。
れっきとした姫君よりも、典侍腹の六の君とか、たいそう素晴らしくて美しそうで、気立てなども申し分なくて成人なさっているのを、世間の評判が低いのがかえって、このように惜しいのを、不憫にお思いになって、一条宮が、そういうお子様をお持ちでなく手持ち無沙汰なので、迎え取って差し上げなさった。
「わざわざとではなく、この方々に一度お見せしたら、きっと熱心になるにちがいなかろう。女性の美しさが分かる人は、特に格別であろう」などとお思いになって、はなはだ威厳ばってはお扱いにならず、今風で趣あるように、しゃれた暮らしをさせて、人が熱心になるような工夫を沢山凝らしていらっしゃる。
[2-7 六条院の賭弓の還饗]
賭弓の還饗の準備を、六条院で特別念入りになさって、親王方もご招待しようとのお心づもりをしていらっしゃった。
その当日、親王方で、大人でいらっしゃる方は、みな伺候なさる。后腹の方は、どの方もどの方も、気高く美しそうにいらっしゃる中でも、この兵部卿宮は、ほんとうにたいそう素晴らしくこの上なくお見えになる。四の親王で、常陸宮と申し上げる方は、更衣腹である方は、思いなしか、感じが格段に劣っていらっしゃった。
いつものように、左方が、一方的に勝った。いつもよりは、早く賭弓が終わって、大将が退出なさる。兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、同じお車にお招き乗せ申し上げて、退出なさる。宰相中将は、負方で、静かに退出なさったが、
「親王方がいらっしゃるお送りに、お出でになりませんか」
と、退出をおし止めなさって、ご子息の衛門督を、権中納言、右大弁など、それ以外の上達部が大勢、あれこれの車に乗り合って、誘い合って、六条院へいらっしゃる。
道中やや時間のかかるうちに、雪が少し降って、優艶な黄昏時である。笛の音色を美しく吹き立てながらお入りなると、「なるほど、ここを措いて、どのような仏の国が、このような時の楽しみ場所を求めることができようか」と見えた。
寝殿の南の廂間に、いつものように南向きに、中将少将がずらりと着座し、北向きに対座して、垣下の親王方、上達部のお座席がある。お盃の事などが始まって、何となく座がはずんでくると、「求子」を舞って、翻る袖の数々をあおる羽風に、お庭先の梅がすっかり満開になっている薫りが、さっと一面に漂って来ると、いつものように、中将の薫りが、ますます素晴らしく引き立てられて、何とも言えないほど優美である。わずかに覗いている女房なども、「闇ははっきりせず、見たいものだが、あの薫りは、なるほど他に似たものがありませんね」と、誉め合っていた。
大臣も、たいそう立派だと御覧になる。ご器量やお振る舞いも、いつも以上で、行儀正しく澄ましているのを見て、
「右の中将も一緒にお歌いになりませんか。とてもお客人ぶっていますね」
とおっしゃるので、無愛想にならない程度に、「神のます」などと。
43. 紅梅
匂宮と紅梅大納言家の物語
- 按察大納言家の家族 そのころ、按察大納言と申し上げる方は
- 按察大納言家の三姫君 姫君は、同じ年頃で、次々と大きくおなりになったので
- 宮の御方の魅力 殿は、所在ない心地がして、西の御方は
- 按察大納言の音楽談義 「ここ幾月、何となくごたごたしていたが、お琴の音さえ
1 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案
- 按察大納言、匂宮に和歌を贈る 若君は、宮中へ参内しようと、宿直姿で参上なさったが
- 匂宮、若君と語る 中宮の上の御局から、ご宿直所にお出になるところである
- 匂宮、宮の御方を思う 「今夜は宿直のようだ。そのままこちらに
- 按察大納言と匂宮、和歌を贈答 これは、昨日のお返事なのでお見せ申し上げる
- 匂宮、宮の御方に執心 宮の御方は、物の分別がおつきになるくらいご成人なさっているので
2 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心
1 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案
[1-1 按察大納言家の家族]
そのころ、按察大納言と申し上げる方は、故致仕の大臣の次男である。お亡くなりになった衛門督のすぐ次の方であるよ。子供の時から利発で、はなやかな性質をお持ちだった人で、ご出世なさるに年月とともに、今まで以上にいかにも羽振りがよく、理想的なお暮らしぶりで、帝の御信望もまことに厚いものであった。
北の方が二人いらっしゃったが、最初の方はお亡くなりになって、今いらっしゃる方は、後太政大臣の姫君で、真木柱を離れがたくなさった姫君を、式部卿宮家の姫として、故兵部卿の親王に御縁づけ申し上げなさったが、親王がお亡くなりになって後、人目を忍んではお通いになったが、年月がたったので、世間に遠慮することもなくなったようである。
お子様は、亡くなった北の方に、二人だけいらっしゃったので、寂しいと思って、神仏に祈って、今の北の方に、男君を一人お儲けになっていた。故宮との間に、女君がお一人いらっしゃる。分け隔てをせず、どちらも同じようにかわいがり申し上げなさっているが、それぞれの御方の女房などは、きれい事には行かない気持ちも交じって、厄介なもめ事も出てくる時があるが、北の方が、とても明朗で現代的な人で、無難にとりなし、ご自分に辛いようなことも、穏やかに聞き入れ、よく解釈し直していらっしゃるので、世間に聞き苦しい事なく無難に過ごしているのであった。
[1-2 按察大納言家の三姫君]
姫君は、同じ年頃で、次々と大きくおなりになったので、御裳着などお着せ申し上げなさる。七間の寝殿を、広く大きく造って、南面に、大納言殿と大君、西面に中の君、東面に宮の御方と、お住ませ申し上げなさるのであった。
おおかたの想像では、父宮がいらしゃらないお気の毒なようであるが、祖父宮方と父宮方とからの御宝物がたくさんあったりして、内々の儀式や普段の生活など、奥ゆかしく気品のあるお暮らしぶりで、その様子は申し分なくいらっしゃる。
例によって、このように大切になさっているという評判が立って、次々と申し込みなさる方が多く、「帝や、春宮からも御内意はあるが、帝には中宮がいらっしゃる。どれほどの方が、あのお方にご比肩申せよう。そうかといって、及ばないと諦めて卑下するのも、宮仕えする甲斐がないだろう。春宮には、右大臣殿の女御が、並ぶ人がないように伺候していらっしゃるのは、競い合いにくいが、そうとばかり言っていられようか。人よりすぐれているだろうと思う姫君を、宮仕えに出すことを諦めてしまっては、何の望みがあろうか」とご決意なさって、入内させ申し上げなさる。十七、八歳のほどで、かわいらしく、派手やかな器量をしていらっしゃった。
中の君も、引き続いて、上品で優美で、すっきり落ち着いた点では大君に勝って、美しくいらっしゃるようなので、「臣下の人では、惜しく気が進まないご器量なので、兵部卿宮が、そのように望んでくださったら」などとお思いになっていた。この若君を、宮中などで御覧になる時は、お召しまとわせ、遊び相手になさっている。利発であって、将来の期待される目もとや額つきである。
「弟と付き合うだけでは終わりたくないと、大納言に申し上げよ」などとお話しかけになるので、「しかじか」と申し上げると、微笑んで、「まことにその甲斐があった」と思いになっていた。
「人に負けるような宮仕えよりは、この宮にこそ、人並みの姫君は差し上げたいものだ。思いのままにまかせて、お世話申し上げることになったら、寿命もきっと延びる気がする宮のご様子である」
とおっしゃりながら、まず、春宮への御入内の事をお急ぎになって、「春日の神の御神託も、わが世にもしや現れ出て、故大臣が、院の女御の御事を、無念にお思いのまま亡くなってしまったお心を慰めることがあってほしい」と、心中に祈って、入内させなさった。たいそう御寵愛である由を、人びとはお噂申す。
このような後宮生活にお馴れにならないうちは、しっかりしたご後見がなくてはどんなものかと、北の方が付き添っていらっしゃるので、ほんとうにこの上もなく大切に思って、ご後見申し上げなさる。
[1-3 宮の御方の魅力]
殿は、所在ない心地がして、西の御方は、一緒でいることに馴れていらっしゃたので、とても寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。東の姫君も、よそよそしくお互いになさらず、夜々は同じ所にお寝みになり、いろいろなお稽古事を習い、ちょっとしたお遊び事なども、こちらを先生のようにお思い申し上げて、大君も中の君も習ったり遊んだりしていらっしゃった。
人見知りを世間の人以上になさって、母北の方にさえ、ちゃんとお顔をお見せ申し上げることもなさらず、おかしなほど控え目でいらっしゃる一方で、気立てや雰囲気が陰気なところはなく、愛嬌がおありであることは、それは、誰よりも優れていらっしゃった。
このように、春宮への入内や何やかやと、ご自分の姫君のことばかり考えてご準備するのも、お気の毒だとお思いになって、
「適当なご縁談をお考えになっておっしゃってください。同じように、お世話いたしましょう」
と、母君にも申し上げなさったが、
「まったくそのような結婚の事は、考えようともしない様子なので、なまじっかの結婚は、気の毒でしょう。ご運命にまかせて、自分が生きている間はお世話申そう。死後はかわいそうで心配ですが、出家してなりとも、自然と人から笑われ、軽薄なことがなくて、お過ごしになってほしい」
などと、ちょっと泣いて、宮のご性質が立派なことを申し上げなさる。
どの娘も分け隔てなく親らしくなさるが、ご器量を見たいと心動かされて、「お顔をお見せにならないのが辛いことだ」と恨んで、「こっそりと、お見えにならないか」と、覗いて回りなさるが、全然ちらりとさえお見せにならない。
「母上がいらっしゃらない間は、代わってわたしが参りますが、よそよそしく分け隔てなさるご様子なので、辛いことです」
などと申し上げて、御簾の前にお座りになるので、お返事などを、かすかに申し上げなさる。お声、様子など、上品で美しく、容姿や器量が想像されて、立派だと感じられるご様子の人である。ご自分の姫君たちを、誰にも負けないだろうと自慢に思っているが、「この姫君には、とても勝てないだろうか。こうだからこそ、世間付き合いの広い宮中は厄介なのだ。二人といまいと思うのに、それ以上の方も自然といることだろう」などと、ますます気がかりにお思い申し上げになさる。
[1-4 按察大納言の音楽談義]
「ここ幾月、何となくごたごたしていたが、お琴の音さえ聴かせて戴かないで久しくなってしまった。西の方におります人は、琵琶に熱心でございますが、そのように上手に習得できると思っているのでしょうか。中途半端にしたのでは、聞きにくい楽器の音色です。同じことなら、十分に念を入れて教えて上げてください。
老人は、特別に習ったものはございませんでしたが、その昔、盛りだったころに合奏に加わったお蔭でしょうか、演奏の上手下手を聞き分ける程度の区別は、どのような楽器にもひどく不案内ということはございませんでしたが、気を許してお弾きになりませんが、時々お聴きするあなたの琵琶の音色は、昔が思い出されます。
故六条院のご伝授では、右大臣が、今でも世に残っていらっしゃいます。源中納言、兵部卿宮は、どのようなことでも、昔の人に負けないほど、まことに前世からの因縁が格別でいらっしゃる方々で、音楽の方面は、特別に熱心でいらっしゃるので、手さばきの少し弱々しい撥の音などが、大臣には負けていらっしゃると存じておりますが、このお琴の音色は、とてもよく似ていらっしゃいます。
琵琶は、押し手を静かにするのを上手とする都言いますが、柱を据えた時、撥の音の様子が変わって、優美に聞こえるのが、女性のお琴としては、かえって結構なものです。さあ、合奏なさいませんか。お琴を持って参れ」
とおっしゃる。女房などは、お隠れ申している者はほとんどいない。たいそう若い上臈ふうの女房が、姿をお見せ申し上げまいと思っているのは、勝手に奥に座っているので、「お側の女房までがこのように気ままに振る舞うのが、おもしろくない」と腹をお立てになる。
2 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心
[2-1 按察大納言、匂宮に和歌を贈る]
若君は、宮中へ参内しようと、宿直姿で参上なさったが、特別にきちんとした角髪よりも、とても美しく見えて、たいそうかわいいとお思いになっていた。麗景殿に、おことづけを申し上げなさる。
「お任せ申して、今夜も参ることができない、気分が悪いのだ、などと申し上げよ」とおっしゃって、「笛を少しおつとめ申せ。どうかすると、御前の御合奏に召し出されるが、はらはらさせられることだ。まだとても未熟な笛なので」
とほほ笑んで、双調を吹かせなさる。たいそう美しくお吹きになるので、
「まままあになって行くのは、この辺りで、何かの折りに合奏するからであろう。ぜひ、お琴をお弾き合わせ頂きたい」
とお責め申し上げなさるので、辛いとお思いの様子であるが、爪弾きにとてもよく合わせて、ただ少し掻き鳴らしなさる。口笛を、太い音で物馴れた声して吹いて、この東の端に、軒に近い紅梅が、たいそう美しく咲き匂っているのを御覧になって、
「お庭先の梅が、風情あるように見える。兵部卿宮は、宮中にいらっしゃるそうだ。一枝折って差し上げよ。知る人は知っている」と言って、「ああ、光源氏、といわれたお盛りの大将などでいらしたころ、子供で、このようにしてお仕え馴れ申したのが、年とともに恋しいことです。
この宮たちを、世間の人も、たいそう格別にお思い申し上げ、なるほど誰からも誉められるようにおなりになったご様子であるが、まったく問題に思われなさらないのは、やはり絶世の方だとお思い申し上げた気持ちのせいでしょうか。
世間一般の立場から、お思い出し申し上げるのに、胸の晴れる時もなく悲しいので、身近な人に先立たれ申して、生き残っているのは、並々でなく長生きを辛いことであろう、と思われます」
などと、申し上げなさって、しみじみと索漠とした子持ちで回想し沈んでいらっしゃる。
折が折とて堪えることができなかったのか、花を折らせて、急いで参上させなさる。
「しかたない。昔の恋しい形見としては、この宮だけだ。釈迦のお隠れになった後には、阿難が光を放ったというが、再来されたかと疑う賢い聖がいたが、闇に迷う悲しみを払うよすがとして、申し上げてみよう」とおっしゃって、
「考えがあって風が匂わす園の梅に
さっそく鴬が来ないことがありましょうか」
と、紅の紙に若々しく書いて、この君の懐紙にまぜて、押したたんでお出しになるのを、子供心に、とてもお親しくしたいと思うので、急いで参上なさった。
[2-2 匂宮、若君と語る]
中宮の上の御局から、ご宿直所にお出になるところである。殿上人が大勢お送りに参上する中から、お見つけになって、
「昨日は、どうしてとても早く退出したのだ。いつ参ったのか」などとおっしゃる。
「早く退出いたしましたのが残念で、まだ宮中にいらっしゃると人が申しましたので、急いで参上したのですよ」
と、子供らしいものの、なれなれしく申し上げる。
「宮中でなく、気楽な所でも、時々は遊びなさい。若い人たちが、誰彼となく集まる所だ」
とおっしゃる。この君を一人だけ呼んでお話になるので、他の人びとは、近くには参らず、退出して散って行ったりして、静かになったので、
「春宮におかれては、お暇を少し許されたようだね。とてもひどくお目をかけられてお側離さずにいらっしゃったようだが、寵愛を奪われて体裁が悪いようだね」
とおっしゃるので、
「お側から離してくださらず困ってしまいました。あなた様のお側でしたら」
と、途中まで申し上げて座っているので、
「わたしを、一人前でないと敬遠しているのだな。もっともだ。けれどおもしろくないな。古くさい同じ血筋で、東の御方と申し上げる方は、わたしと思い合ってくださろうかと、こっそりとよく申し上げてくれ」
などとおっしゃる折に、この花を差し上げると、ほほ笑んで、
「こちらから恨み言を言った後からだったら」
とおっしゃって、下にも置かず御覧になる。枝の様子や、花ぶさが、色も香も普通のとは違っている。
「園に咲き匂っている紅梅は、色に負けて、香は、白梅に劣ると言うようだが、とても見事に、色も香も揃って咲いているな」
とおっしゃって、お心をとめていらっしゃる花なので、効があって、ご賞美なさる。
[2-3 匂宮、宮の御方を思う]
「今夜は宿直のようだ。そのままこちらに」
と、呼んだままお離しにならないので、春宮にも参上できず、花も恥ずかしく思うくらい香ばしい匂いで、お側近くに寝かせなさったので、子供心に、またとなく嬉しく慕わしくお思い申し上げる。
「この花の主人は、どうして春宮には行かれなかったのだ」
「存じません。ものの分かる方になどと、聞いておりました」
などとお答え申し上げる。「大納言のお気持ちは、実の娘を考えているようだ」と思い合わせなさるが、思っていらっしゃる心は別のほうなので、このお返事は、はっきりとはおっしゃらない。
翌朝、この君が退出する時に、気のりしない態度で、
「花の香に誘われそうな身であったら
風の便りをそのまま黙っていましょうか」
そうして、「やはり今は、老人たちに出しゃばらせずに、こっそりと」と、繰り返しおっしゃって、この君も、東の御方を、大切に親しく思う気持ちが増した。
かえって他の姫君たちは、お顔をお見せになったりして、普通の姉弟みたいな様子であるが、子供心に、とても重々しく理想的でいらっしゃるご性質を、「お世話しがいのある方と結婚させてあげたいものだ」と日頃思っていたが、春宮の御方が、たいそう華やかなお暮らしでいらっしゃるのにつけて、同じ嬉しいこととは思うものの、とてもたまらなく残念なので、「せめてこの宮だけでも身近に拝見したいものだ」と思ってうろうろしている時に、嬉しい花の便りのきっかけである。
[2-4 按察大納言と匂宮、和歌を贈答]
これは、昨日のお返事なのでお見せ申し上げる。
「憎らしくもおっしゃるなあ。あまりに好色な方面に度が過ぎていらっしゃるのを、お許し申し上げないとお聞きになって、右大臣や、わたしどもが拝見するには、とてもまじめに、お心を抑えていらっしゃるのがおもしろい。好色人というのに、資格十分なご様子を、無理してまじめくさっていらっしゃるのも、見所が少なくなることになろうに」
などと、悪口を言って、今日も参らせなさる折に、また、
「もともとの香りが匂っていらっしゃるあなたが袖を振ると
花も素晴らしい評判を得ることでしょう
と好色がましく、恐縮です」
と、本気にお申し込みになった。本当に結婚させようと考えているところがあるのだろうかと、そうはいってもお心をときめかしなさって、
「花の香を匂わしていらっしゃる宿に訪ねていったら
好色な人だと人が咎めるのではないでしょうか」
など、やはり胸の内を明かさないでお答えなさるので、憎らしいと思っていらっしゃった。
北の方が退出なさって、宮中辺りのことをおっしゃる折に、
「若君が、先夜、宿直をして、退出した時の匂いが、とても素晴らしかったので、人は普通の香と思ったが、東宮が、よくお気づきなさって、『兵部卿宮にお近づき申したのだ。なるほど、わたしを嫌ったわけだ』と、様子を理解して、恨んでいらっしゃった。こちらに、お手紙がありましたか。そのようにも見えませんでしたが」
とおっしゃると、
「その通り。梅の花を賞美なさる君なので、あちらの建物の端の紅梅が、たいそう盛りに見えたのを、放っておけず、折って差し上げたのです。移り香は、なるほど格別です。晴れがましい宮中勤めをなさるような女君などは、あのようには焚きしめられないな。
源中納言は、このように風流に焚きしめて匂わすのではなく、人柄が世に又とない。不思議と、前世の宿縁がどんなであったのかと、知りたいほどだ。
同じ花の名であるが、梅は生え出た根ざしが大したものだ。この宮などが賞美なさるのは、もっもなことだ」
などと、花にかこつけて、まずはお噂申し上げなさる。
[2-5 匂宮、宮の御方に執心]
宮の御方は、物の分別がおつきになるくらいご成人なさっているので、どのようなことでもお分りになり、噂を耳になさっていらっしゃらないではないが、「人と結婚し、普通の生活を送ることは、けっして」と思い離れていた。
世間の男性も、時の権勢に追従する心があってだろうか、本妻の姫君たちには熱心に申し込み、はなやかな事が多いが、こちらの方には、何かにつけて、ひっそりと引き籠もっていらっしゃったのを、宮は、おふさわしい方と伝え聞きなさって、心底、何とかして、とお思いになってしまった。
若君を、いつも側を離さず近づけなさっては、こっそりとお手紙をやるが、大納言の君が、心からお望みになって、「そのようにお考えになってお申し込まれることがあるならば」と、様子を理解して、準備なさっているのを見ると、気の毒になって、
「予想に反して、このように結婚を考えてもいない方に、かりそめにせよ、お手紙をたくさんくださるが、効のなさそうなこと」
と、北の方もお思いになりおっしゃる。
ちょっとしたお返事などもないので、負けてたまるかとのお考えも加わって、お諦めになることもおできになれない。「何の遠慮がいるものか、宮のお人柄に何の不足があろう、そのように結婚させてお世話申し上げたい、将来有望にお見えになるのだから」など、北の方はお思いになることも時々あるが、とてもたいそう好色人でいらして、お通いになる所がたくさんあって、八の宮の姫君にも、お気持ちが並々でなく、たいそう足しげくお通いになっている。頼りがいのないお心で、浮気っぽさなども、ますます躊躇されるので、本気になってはお考えになっていないが、恐れ多いばかりに、こっそりと、母君が時折さし出てお返事申し上げなさる。
44. 竹河
薫君の中将時代15歳から19歳までの物語
- 鬚黒没後の玉鬘と子女たち これは、源氏のご一族からも離れていらっしゃった、後の大殿あたりに
- 玉鬘の姫君たちへの縁談 男君たちは、ご元服などして、それぞれ成人なさったので
- 夕霧の息子蔵人少将の求婚 器量がたいそう優れていらっしゃるという評判があって、思いをお寄せ申し上げる人びとが
- 薫君、玉鬘邸に出入りす 六条院のご晩年に、朱雀院の姫宮からお生まれになった君
1 鬚黒一族の物語 玉鬘と姫君たち
- 正月、夕霧、玉鬘邸に年賀に参上 正月朔日ころ、尚侍の君のご兄弟の大納言
- 薫君、玉鬘邸に年賀に参上 夕方になって、四位侍従が参上なさった。大勢の成人した若公達も
- 梅の花盛りに、薫君、玉鬘邸を訪問 侍従の君、堅物の評判を情けないと思ったので
- 得意の薫君と嘆きの蔵人少将 少将も、声がとても美しくて、「さき草」を謡う
- 三月、花盛りの玉鬘邸の姫君たち 三月になって、咲く桜がある一方で、空も覆うほど散り乱れ
- 玉鬘の大君、冷泉院に参院の話 尚侍の君は、このように成人した子の親におなりのお年
- 蔵人少将、姫君たちを垣間見る 中将などがお立ちになった後、姫君たちは、途中で打ち止めていらした碁
- 姫君たち、桜花を惜しむ和歌を詠む 姫君たちは、花の争いをしながら日を送っていらっしゃると
2 玉鬘邸の物語 梅と桜の季節の物語
- 大君、冷泉院に参院決定 こうしているうちに、月日をいたづらに送るのも、将来が不安なので
- 蔵人少将、藤侍従を訪問 愚痴でもこぼそうと思って、いつものように、藤侍従のお部屋に来たところ
- 四月一日、蔵人少将、玉鬘へ和歌を贈る 翌日は、四月になったので、兄弟の君たちが
- 四月九日、大君、冷泉院に参院 九日に、院に参上なさる。右の大殿は、お車、御前駆の人びとを
- 蔵人少将、大君と和歌を贈答 蔵人の君は、いつもの女房に大げさな言葉の限りを尽くして
- 冷泉院における大君と薫君 女房や、女童、無難な者だけを揃えられた
- 失意の蔵人少将と大君のその後 あの少将の君は、真剣に、どのようにしようかと
3 玉鬘の大君の物語 冷泉院に参院
- 正月、男踏歌、冷泉院に回る その年が改まって、男踏歌が行われた。殿上の若人たちの中に
- 翌日、冷泉院、薫を召す 一晩中、方々を歩いて、とても気分が苦しくて
- 四月、大君に女宮誕生 四月に、女宮がお生まれになった。特別に目立ったことはないようであるが
- 玉鬘、夕霧へ手紙を贈る 「こうして、気楽に宮中生活をなさってください
- 玉鬘、出家を断念 前尚侍の君は、出家しようと決意なさったが
- 大君、男御子を出産 数年たって、また男御子をお産みになった
- 求婚者たちのその後 求婚申し上げた人びとで、それぞれ立派に昇進して、結婚なさったしても
4 玉鬘の物語 玉鬘の姫君たちの物語
- 薫、玉鬘邸に昇進の挨拶に参上 左大臣がお亡くなりになって、右は左に
- 薫、玉鬘と対面しての感想 「まったくそんなにまでお考えなることはありません
- 右大臣家の大饗 大臣殿は、ちょうどこの邸の東であった。大饗の
- 宰相中将、玉鬘邸を訪問 左の大殿の宰相中将は、大饗の翌日、夕方にこちらに
5 薫君の物語 人々の昇進後の物語
1 鬚黒一族の物語 玉鬘と姫君たち
[1-1 鬚黒没後の玉鬘と子女たち]
これは、源氏のご一族からも離れていらっしゃった、後の大殿あたりにいたおしゃべりな女房たちで、死なずに生き残った者が、問わず語りに話しておいたのは、紫の物語にも似ないようであるが、あの女どもが言ったことは、「源氏のご子孫について、間違った事柄が交じって伝えられているのは、自分よりも年輩で、耄碌した人のでたらめかしら」などと不審がったが、どちらが本当であろうか。
尚侍のお生みになった、故殿のご子息女は、男三人、女二人がいらっしゃったが、それぞれに大切にお育てすることをお考えおきになっていて、年月がたつのも待ち遠しく思っていらっしゃったうちに、あっけなくお亡くなりになってしまったので、夢のようで、早く早くと急いで思っていらした宮仕えもたち消えになってしまった。
人の心は、時の権勢にばかりおもねるものだから、あれほど威勢よくいらした大臣の亡くなった後は、内々のお宝物、所領なさっている所々など、その方面の衰退はなかったが、大方の有様はうって変わったように、お邸の中はひっそりとなってゆく。
尚侍の君のご身辺の縁者は、大勢世の中に広がっていらっしゃったが、かえって高貴な方々のお間柄で、もともと親しくはなかったので、故殿の、人情味が少し欠け、好き嫌いがはげしくいらっしゃるご性質なので、けむたがられることもあったせいであろうか、誰とも親しく交際申し上げられないでいらっしゃる。
六条院におかれては、総じて、やはり昔と変わらず娘分としてお扱い申されて、お亡くなりになった後のことも、お書き残しなさったご相続の文書などにも、中宮のお次にお加え申されていたので、右の大殿などは、かえってその気持ちがあって、しかるべき折々にはご訪問申される。
[1-2 玉鬘の姫君たちへの縁談]
男君たちは、ご元服などして、それぞれ成人なさったので、殿がお亡くなりになって後、不安で気の毒なこともあるが、自然と出世なさって行くようである。「姫君たちをどのようにお世話申し上げよう」と、お心を悩ましなさる。
帝におかれても、是非とも宮仕えの願いが深い旨を、大臣が奏上なさっていたので、成人なさったであろう年月を御推察あそばして、入内の仰せ言がしきりにあるが、中宮が、ますます並ぶ人のいないようになって行かれる御様子に圧倒されて、誰も彼も無用の人のようでいらっしゃる末席に入内して、遠くから睨まれ申すのも厄介で、また人より劣って、数にも入らない様子なのを世話するのも、はたまた、気苦労であろうことを思案なさっている。
冷泉院から、たいそう御懇切に御所望あそばして、尚侍の君が、昔、念願叶わずに今までお過ごしになって来た辛さまでを、思い出してお恨み申し上げられて、
「今はもう、いっそう年も取って、つまらない様子だとお思い捨てていらっしゃるとも、安心な親と思いなぞらえて、お譲りください」
と、たいそう真面目に申し上げなさったので、「どうしたらよいことだろう。自分自身のまことに残念な運命で、思いの外に気にくわないとお思いあそばされたのが、恥ずかしく恐れ多いことだが、この晩年に御機嫌を直していただけようか」などと決心しかねていらっしゃる。
[1-3 夕霧の息子蔵人少将の求婚]
器量がたいそう優れていらっしゃるという評判があって、思いをお寄せ申し上げる人びとが多かった。右の大殿の蔵人少将とか言った人は、三条殿がお生みになった方は、兄弟たちを越えて、たいそう大事になさり、人柄もとても素晴らしかった方なので、とても熱心に求婚なさる。
どちらの関係からしても、血縁の繋がっているお間柄なので、この君たちが慕ってお伺いなどなさる時は、よそよそしくお扱いなさらない。女房にも親しくなじんでは、意中を伝えるにも手立てがあって、昼夜、お側近くお耳に入れる騒がしさを、煩わしいながらも、お気の毒なので、尚侍の殿もお思いになっていた。
母北の方からのお手紙も、しばしば差し上げなさって、「とても軽い身分でございますが、お許しいただける点もございましょうか」と、大臣も申し上げなさるのだった。
姫君を、まったく臣下に縁づけようとはなさらず、中の君を、もう少し世間の評判が軽くなくなったら、そうとも考えようか、とお思いでいらっしゃるのだった。お許しにならなかったら、盗み取ってしまおうと、気持ち悪いまで思っていた。不釣合な縁談だとはお思いにならないが、女のほうで承知しない間違いが起こるのは、世間に聞こえても軽率なことなので、取り次ぐ女房に対しても、「ゆめゆめ、間違いを起こすな」などとおっしゃるので、気がひけて、億劫がるのであった。
[1-4 薫君、玉鬘邸に出入りす]
六条院のご晩年に、朱雀院の姫宮からお生まれになった君、冷泉院におかれて、お子様のように大切にされている四位の侍従は、そのころ十四、五歳ほどになって、とても幼い子供の年の割合には、心構えも大人のようで、好ましく、人より優れた将来性がはっきりお見えになるので、尚侍の君は、婿として世話したくお思いになっていた。
この邸は、あの三条宮とたいそう近い距離なので、しかるべき折々の遊び所としては、公達に連れられてお見えになる時々がある。奥ゆかしい女君のいらっしゃる邸なので、若い男で気取らない者はなく、これ見よがしに振る舞っている中で、器量のよい人は、この立ち去らない蔵人少将、親しみやすく気恥ずかしくて、優美な点では、この四位侍従のご様子に、似る者はいなかった。
六条院の感じを引く方と思うのが、格別なのであろうか、世間から自然と大切にされていらっしゃる方、若い女房たちは、特に誉め合っていた。尚侍の殿も、「ほんとうに、感じのよい人だわ」などとおっしゃって、親しくお話し申し上げたりなさる。
「院のご性質をお思い出し申し上げて、慰められる時もなく、ひどく悲しくばかり思われるので、そのお形見として、どなたをお思い申し上げたらよいのでしょう。右の大臣は、重々しい方で、機会のない対面は難しいし」
などおっしゃって、姉弟のようにお思い申し上げていらっしゃるので、あの侍従君も、そのような所と思って参上なさる。世間によくある好色がましいところも見えず、とてもひどく落ち着いていらっしゃるので、あちらこちらの邸の若い女房たちは、残念に物足りなく思って、言葉をかけて困らせまるのであった。
2 玉鬘邸の物語 梅と桜の季節の物語
[2-1 正月、夕霧、玉鬘邸に年賀に参上]
正月朔日ころ、尚侍の君のご兄弟の大納言、「高砂」を謡った方だが、藤中納言、故大殿の太郎君で、真木柱と同じ母親の方などが参賀にいらっしゃった。右大臣も、ご子息たちを六人そのままお連れしていらっしゃった。ご器量をはじめとして、非のうちどころなく見える方のご様子やご評判である。
ご子息たちも、それぞれとても美しくて、年齢の割合には、官位も進んで、きっと何の物思いもなく見えたであろう。いつも、蔵人の君は、大切にされていることは格別であるが、ふさぎ込んで悩み事のある顔をしている。
大臣は、御几帳を隔てて、昔と変わらずお話し申し上げなさる。
「これという用事もなくて、たびたびお話を承ることもできません。年齢が加わるとともに、宮中に参内する以外の外歩きなども、億劫になってしまいましたので、昔のお話も、申し上げたい時々も多くそのままになってしまいました。
若い男の子たちは、何かの時にはお呼びになってお使いください。かならずその気持ちを見て戴くようにと、言い聞かせてあります」など申し上げなさる。
「今では、このように、世間の人数にも入らぬ者のようになって行く有様を、お心に掛けてくださるので、亡くなった方のことも、ますます忘れ難く存じられるます」
と申し上げなさったついでに、院から仰せになったことを、ちらっと申し上げなさる。
「これといった後見のない人の宮仕えは、かえって見苦しいと、あれこれ考えあぐねております」
と申し上げなさるので、
「帝にも仰せられることがあるようにお聞きいたしておりましたが、どちらにお決めなさるべきでしょうか。院は、なるほど、お位を退かれあそばしました点では、盛りの過ぎた感じもしますが、世に二人といない御様子は、いっこうに変わらずにいらっしゃるようですので、人並みに成人した娘がおりましたらと、存じておりますが、立派な方々のお仲間入りできる者がございませんで、残念に存じております。
そもそも、女一宮の母女御は、お許し申し上げなさるでしょうか。これまでの方では、そのような遠慮によって、止めにしたこともございました」
と申し上げなさると、
「女御が、する事もなくのんびりとなった生活も、同じ気持ちでお世話して、気を晴らしたいなどと、その方がお勧めなさったことにかこつけて、せめてどうしたらよいものかと思案しております」
と申し上げなさる。
あの方この方と、こちらにお集まりになって、三条宮に参上なさる。朱雀院の昔から御厚誼のある方々、六条院の側の方々も、それぞれにつけて、やはりあの入道の宮を、素通りできず参上なさるようである。この殿の左近中将、右中弁、侍従の君なども、そのまま大臣のお供してお出になった。引き連れていらっしゃった威勢は格別である。
[2-2 薫君、玉鬘邸に年賀に参上]
夕方になって、四位侍従が参上なさった。大勢の成人した若公達も、みなそれぞれに、どの人が劣っていようか。みな感じのよい方の中で、ひと足後れてこの君がお姿をお見せになったのが、たいそう際立って目に止まった感じがして、例によって、熱中しやすい若い女房たちは、「やはり、格別だわ」などと言う。
「この殿の姫君のお側には、この方をこそ並べて見たい」
と、聞きにくいことを言う。なるほど、実に若く優美な姿態をして、振る舞っていらっしゃる匂い香など、尋常のものでない。「姫君と申し上げても、物ごとのお分りになる方は、本当に人よりは優れているようだと、ご納得なさるに違いない」と思われる。
尚侍の殿は、御念誦堂にいらして、「こちらに」とおっしゃるので、東の階段から昇って、戸口の御簾の前にお座りになった。お庭先の若木の梅が、頼りなさそうに蕾んで、鴬の初音もとてもたどたどしい声で鳴いて、まことに好き心を挑発してみたくなる様子をしていらっしゃるので、女房たちが戯れ言を言うと、言葉少なに奥ゆかしい態度なのを、悔しがって、宰相の君と申し上げる上臈が詠み掛けなさる。
「手折ってみたらますます匂いも勝ろうかと
もう少し色づいてみてはどうですか、梅の初花」
「詠みぶりが早いな」と感心して、
「傍目には枯木だと決めていましょうが
心の中は咲き匂っていつ梅の初花ですよ
そう言うなら手を触れて御覧なさい」などと冗談を言うと、
「本当は色よりも」
と、口々に、袖を引っ張らんばかりに付きまとう。
尚侍の君は、奥の方からいざり出ていらっしゃって、
「困った人達だわ。気恥ずかしそうなお堅い方までを、よくもまあ、厚かましくも」
と小声でおっしゃるようである。「堅物と、あだ名されたようだ。まったく情けない名だな」と思っていらっしゃった。この家の侍従は、殿上などもまだしないので、あちらこちら年賀回りなどせずに、居合わせていらっしゃった。浅香の折敷、二つほどに、果物、盃などを差し出しなさった。
「大臣は、年をお取りになるにつれて、故院にとてもよくお似通い申していらっしゃる。この君は、似ていらっしゃるところもお見えにならないが、感じがとてもしとやかで、優美な態度が、あのお若い盛りの頃が思いやられてならない。このようなふうでいらっしゃったのであろうよ」
となどと、お思い出し申し上げなさって、しんみりとしていらっしゃる。後に残った香の薫りまでを、女房たちは誉めちぎっている。
[2-3 梅の花盛りに、薫君、玉鬘邸を訪問]
侍従の君、堅物の評判を情けないと思ったので、二十日過ぎのころ、梅の花盛りに、「色恋に無縁な男だと言われまい。風流者をまねしてみよう」とお思いになって、藤侍従のお邸にいらっしゃった。
中門をお入りになる時、同じ直衣姿の男が立っているのだった。隠れようと思ったのを、引き止めてみると、あのいつもうろうろしている蔵人少将なのであった。
「寝殿の西面で、琵琶や、箏の琴の音がするので、心をときめかして立っているようである。辛そうだな。親の許さない恋に心を染めることは、罪深いことだな」と思う。琴の音色も止んだので、
「さあ、案内して下さい。わたしは、とても不案内です」
と言って、伴って、西の渡殿の前にある紅梅の木の側で、「梅が枝」を口ずさんで立ち寄った様子が、花の香よりもはっきりと、さっと匂ったので、妻戸を押し開けて、女房たちが、和琴をとてもよく合奏していた。女の琴なので、呂の調子の歌は、こうまでうまく合わせられないものなのに、大したものだと思って、もう一度、繰り返して謡うが、琵琶も又となく華やかである。
「趣味高く暮らしていらっしゃる邸だ」と、心が止まったので、今宵は少し気を許して、冗談などを言う。
内側から和琴を差し出した。お互いに譲り合って、手を触れないので、藤侍従の君を介して、尚侍の殿が、
「故致仕の大臣のお爪音に、似ていらっしゃると、ずっと聞いていましたが、ほんとうに聞いてみたいです。今宵は、やはり鴬にもお誘われなさい」
と、おっしゃたので、「照れて爪をかんでいる場合でもない」と思って、あまり気乗りもせずに掻き鳴らしなさる様子、たいそう響きが多く聞こえる。
「いつもお目にかかって親しんだわけではない親ですが、この世にいらっしゃらなくなったと思うと、とても心細くて、ちょっとしたことの機会にもお思い出し申すと、とてもしみじみ悲しいのでした。
だいたい、この君は、不思議と故大納言のご様子に、とてもよく似て、琴の音色など、まるでその人かと思われます」
と言ってお泣きになるのも、お年のせいの、涙もろさであろうか。
[2-4 得意の薫君と嘆きの蔵人少将]
少将も、声がとても美しくて、「さき草」を謡う。おせっかいな分別者で、出過ぎた女房もいないので、自然とお互いに気がはずんで合奏なさるが、この家の侍従は、故大臣にお似通い申しているのであろうか、このような方面は苦手で、盃ばかり傾けているので、「せめて祝い歌ぐらい謡えよ」と、文句を言われて、「竹河」を一緒に声を出して、まだ若いけれど美しく謡う。御簾の内側から盃を差し出す。
「酔いが回っては、心に秘めていることも隠しておくことができません。詰まらないことを口にすると聞いております。どうなさるおつもりですか」
と、すぐには手にしない。小袿の重なった細長で、人の香がやさしく染みているのを、あり合わせのままに、お与えになる。「これはどういうおつもりですか」などとはしゃいで、侍従は、お邸の君に与えて出て行った。ひき止めて与えたが、「水駅で夜が更けてしまいました」と言って、逃げて行ってしまった。
少将は、「この源侍従の君がこのように出入りしているようなので、こちらの方々は皆あの君に好意を寄せていらっしゃるだろう。わが身はますます塞ぎ込み元気をなくして」、つまらなく恨むのだった。
「人はみな花に心を寄せているのでしょうが
わたし一人は迷っております、春の夜の闇の中で」
ため息をついて座を立つと、内側にいる女房の返し、
「時と場合によって心を寄せるものです
ただ梅の花の香りだけにこうも引かれるものではありませんよ」
朝に、四位侍従のもとから、邸の侍従のもとに、
「昨夜は、とても酔っぱらったようだが、皆様はどのように御覧になったであろうか」
と、御覧下さいとのおつもりで、仮名がちに書いて、
「竹河の歌を謡ったあの文句の一端から
わたしの深い心のうちを知っていただけましたか」
と書いてある。寝殿に持って上がって、方々が御覧になる。
「筆跡なども、とても美しく書いてありますね。どのような人が、今からこのように整っているのでしょう。幼いころ、院に先立たれ申し、母宮がしまりもなくお育て申されたが、やはり人より優れているのでしょう」
と言って、尚侍の君は、自分の子供たちの、字などが下手なことをお叱りになる。返事は、なるほど、たいそう未熟な字で、
「昨夜は、水駅とおっしゃってお帰りになったことを、いかがなものかと申しておりました。
竹河を謡って夜を更かすまいと急いでいらっしゃったのも
どのようなことを心に止めておけばよいのでしょう」
なるほど、この事件をきっかけとして、この君のお部屋にいらっしゃって、気のある態度で振る舞う。少将が予想していた通り、誰もが好意を寄せていた。侍従の君も、子供心に、近い縁者として、明け暮れ親しくしたいと思うのであった。
[2-5 三月、花盛りの玉鬘邸の姫君たち]
三月になって、咲く桜がある一方で、空も覆うほど散り乱れ、ほぼ桜の盛りのころ、のんびりとしていらっしゃるところは、さしたる用事もなく、端近に出ていても非難されないようである。
その当時、十八、九歳くらいでいらっしゃったろうか、ご器量も気立ても、それぞれに素晴らしい。姫君は、とても際立って気品があり、はなやかでいらして、なるほど、臣下の人に縁づけ申すのは、ふさわしくなくお見えである。
桜の細長に、山吹襲などで、季節にあった色合いがやさしい感じに重なっている裾まで、愛嬌があふれ出ているように見える、そのお振る舞いなども、洗練されて、気圧されるような感じまでが加わっていらっしゃった。
もうお一方は、薄紅梅に、桜色で、柳の枝のように、しなやかに、たいそうすらっとして優美に、落ち着いた物腰で、重々しく奥ゆかしい感じは、勝っていらっしゃるが、はなやかな感じは、この上ないと女房は思っていた。
碁をお打ちなさろうとして、向かい合っていらっしゃる髪の生え際、髪の垂れかかっている具合など、たいそう見所がある。侍従の君が、審判をなさろうとして、近くに伺候なさると、兄君たちがお覗きになって、
「侍従の寵愛は、大したものになったね。碁の審判を許されたとはね」
と言って、大人ぶった態度でお座りになったので、御前の女房たちは、あれこれ居ずまいを正す。中将が、
「宮仕えが忙しくなりましたので、弟に出し抜かれたのは、まことに残念なことだなあ」
と愚痴をおこぼしになると、
「弁官は、それ以上に、家でのご奉公はお留守になってしまうからと、そうお見捨てではありますまい」
などと申し上げなさる。碁を打つのを止めて、恥ずかしがっていらっしゃる、たいそう美しい感じである。
「宮中辺りなどに出歩きましても、亡き殿がいらっしゃったら、と存じられますことが多くて」
などと、涙ぐんで拝し上げなさる。二十七、八歳くらいでいらっしゃったので、とても恰幅よくて、姫君たちのご様子を、「何とかして、昔父君がお考えになっていた通りに、したいものだ」と思っていらっしゃった。
お庭先の花の木々の中でも、色合いの優れて美しい桜を折らせて、「他の桜とは違っている」などと、もて遊んでいらっしゃるのを、
「お小さくいらした時、この花は、わたしのよ、わたしのよと、お争いになったが、故殿は、姫君のお花だとお決めになる。母上は、若君のお花だとお決めになったが、それをひどくそんなには泣き叫んだりしませんでしたが、おもしろくなく存じられましたよ」と言って、「この桜が老木になったにつけても、過ぎ去った歳月を思い出されますので、大勢の人に先立たれてしまった身の悲しみも、きりがございません」
などと、泣いたり笑ったりしながら申し上げなさって、いつもよりはのんびりとしていらっしゃる。他の家の婿となって、ゆっくりとは今ではお見えにならないが、花に心を惹かれておいでである。
[2-6 玉鬘の大君、冷泉院に参院の話]
尚侍の君は、このように成人した子の親におなりのお年の割には、たいそう若く美しく、依然として盛りのご容貌にお見えになった。冷泉院の帝は、主として、この方のご様子が依然として心に掛かって、昔が恋しく思い出されなさったので、何にかこつけたらよいかと、思案なさって、姫君のご入内の事を、無理やりに申し込みなさるのであった。院に入内なさることは、この君たちが、
「やはり、栄えない気がしましょう。万事が、時流に乗ってこそ、世間の人も認めましょう。なるほど、まことに拝したいお姿は、この世に類なくいらっしゃるようですが、盛りを過ぎた感じがしますね。琴や笛の調子、花や鳥の色や音色も、時期にかなってこそ、人の耳にも止まるものです。春宮は、どうでしょうか」
などと申し上げなさると、
「さあ、どんなものかしら、最初から重々しい方が、並ぶ者がいないような勢いで、いらっしゃるようですからね。なまじっかの宮仕えは、胸を痛め物笑いになることもあろうかと、気が引けますので。殿が生きていらっしゃったならば、将来のご運は判らないが、この今は、張り合いのある状態になさっていたでしょうに」
などとおっしゃって、皆しみじみと悲しい思いがする。
[2-7 蔵人少将、姫君たちを垣間見る]
中将などがお立ちになった後、姫君たちは、途中で打ち止めていらした碁を打ちになる。昔からお争いになる桜を賭物として、
「三番勝負で、一つ勝ち越しになった方に、やはり花を譲りましょう」
と、ふざけて申し合いなさる。暗くなったので、端近くで打ち終えなさる。御簾を巻き上げて、女房たちが皆競い合ってお祈り申し上げる。ちょうどその時、いつもの蔵人少将が、藤侍従の君のお部屋に来ていたのだが、兄弟連れ立ってお出になったので、だいたいが人の少ない上に、廊の戸が開いていたので、静かに近寄って覗き込んだ。
このように、嬉しい機会を見つけたのは、仏などが姿を現しなさった時に出会ったような気がするのも、あわれな恋心というものである。夕暮の霞に隠れて、はっきりとはしないが、よくよく見ると、桜色の色目も、はっきりそれと分かった。なるほど、花の散った後の形見として見たく、美しさがいっぱいお見えなのを、ますますよそに嫁ぎなさることを、侘しく思いがまさる。若い女房たちのうちとけている姿、姿が、夕日に映えて美しく見える。右方がお勝ちあそばした。「高麗の乱声が、遅い」などと、はしゃいで言う女房もいる。
「右方にお味方申し上げて、西のお庭先の近くにあります木を、左方のものだとし、長年のお争いが、そのようなわけで、続いたのでございますよ」
と、右方は気持ちよさそうに応援申し上げる。どのような事情でと知りらないが、おもしろいと聞いて、返事もしたいが、「寛いでいらっしゃる時に、心ない態度では」と思って、邸をお出になった。「再び、このような機会はないか」と、物蔭に隠れて、窺い歩くのであった。
[2-8 姫君たち、桜花を惜しむ和歌を詠む]
姫君たちは、花の争いをしながら日を送っていらっしゃると、風が激しく吹いている夕暮に、乱れ散るのがまことに残念で惜しいので、負け方の姫君は、
「桜のせいで吹く風ごとに気が揉めます
わたしを思ってくれない花だと思いながらも」
御方の宰相の君が、
「咲いたかと見ると一方では散ってしまう花なので
負けて木を取られたことを深く恨みません」
とお助け申し上げると、右方の姫君は、
「風に散ることは世の常のことですが、枝ごとそっくり
こちらの木になった花を平気で見ていられないでしょう」
こちらの御方の大輔の君が、
「こちらに味方して池の汀に散る花よ
水の泡となってもこちらに流れ寄っておくれ」
勝ち方の女の童が下りて、花の下を歩いて、散った花びらをたいそうたくさん拾って、持って参った。
「大空の風に散った桜の花を
わたしのものと思って掻き集めて見ました」
左方のなれきが、
「桜の花のはなやかな美しさを方々に散らすまいとしても
大空を覆うほど大きな袖がございましょうか
心が狭く思われます」などと悪口を言う。
3 玉鬘の大君の物語 冷泉院に参院
[3-1 大君、冷泉院に参院決定]
こうしているうちに、月日をいたづらに送るのも、将来が不安なので、尚侍の殿はいろいろとお考えになる。院からは、お手紙が毎日ある。女御は、
「よそよそしく他人行儀にお考えなのでしょうか。お上は、わたしがあなたに邪魔をしているらしいと、とても憎らしそうにおっしゃるので、冗談でも辛いことです。同じことなら、今のうちにご決心なさいませ」
などと、たいそう懇切に申し上げなさる。「前世からの因縁でいらっしゃるのだろう。とてもこのように反対する立場の方がお勧め申すのも恐れ多い」などとお思いになった。
御調度類は、たくさん準備なさっていたので、女房たちの衣装や、何やかやのこまごましたことをご準備なさる。これを聞くと、蔵人少将は、悶え死ぬほど思いつめて、母北の方をお責め申したので、聞くのもお困りになって、
「とても恥ずかしいことですが、お耳に入れますのも、まことに愚かな親心でございます。ご同情下さるならば、ご推察いただき、やはり安心させてやって下さい」
などと、不憫でならないように申し上げなさるが、「困ったことだわ」と、お嘆きになって、
「どのようなことやらと、決心も致しかねますが、院から無理やりにおっしゃるので、迷っております。ご本心からならば、ここ暫くの間は我慢なさって、お心のゆくようお計らい申すのを御覧になって、世間の評判も穏やかでしょう」
などと申し上げなさるのも、この院に参るのを過ごして、中の君をとお思いなのであろう。「時期を一緒にしては、あまりに得意顔に見えよう。まだ、位なども低いほどだから」などとお思いになると、男は、まったく気持ちを移せそうもなく、ちらっと拝見した後は、面影に立って恋しく、どのような機会にとばかり思っていたが、このように頼みの綱も切れてしまったのを、お嘆きになることはこの上もない。
[3-2 蔵人少将、藤侍従を訪問]
愚痴でもこぼそうと思って、いつものように、藤侍従のお部屋に来たところ、源侍従の手紙を見ていらっしゃるのであった。さっと隠すので、さてはと思って、奪い取った。「意味有りげな顔にとられては」と思って、強く隠さない。どことなく、ただ男女関係のつれなさを恨めしそうに書いてあった。
「わたしの気持ちを分かっていただけずに過ぎてゆく年月を数えていますと
恨めしくも春の暮になりました」
「他人はこのように、悠長に体裁よく恨んでいるようだが、自分のまことに物笑いになる焦りかたを、一つには馴れっこになって、軽んじられることになってしまったのだ」と思うのも、胸が痛むので、特に何も言うことができず、いつも、親しくしている中将のおもとのお部屋の方に行くが、例によって、効のないことだと、溜息をつきがちである。
侍従の君は、「この返事をしよう」と思って、母上のもとに参上なさるのを見ると、実に腹立たしくおもしろくなく、若いだけに、一途に思いつめているのであった。
見苦しいまでに恨み嘆くので、この取次役も、たいして冗談にもできず、お気の毒と思って、返事もなかなかしない。あの碁に立ち会った夕暮のことも言い出して、
「あれくらいの夢でも、再び見たいものだなあ。ああ、何を頼みにして生きていよう。このように申し上げることも、寿命少なく思われますので、つれない仕打ちも懐かしい、ということは、本当ですね」
と、実に真顔になって言う。「お気の毒だと言って、も慰めようもないことである。あのお慰め下さるというお話は、少しも嬉しいと思うような様子もないので、なるほど、あの夕暮のはっきりと見えたことに、ますますこのように無闇な思いが募ったのだろう」と、無理もないことに思って、
「お耳にあそばしたら、ますますなんとけしからぬお心の人なのだと、お恨み申されましょう。お気の毒だとお思い申していました気持ちもなくなってしまいました。とても油断のできないお方だったのですね」
と、反対に文句を言うと、
「ええい、どうともなれ。もうおしまいの身だから、何も恐くはなくなってしまった。それにしてもお負けになったことが、実にお気の毒であった。あっさりと招き入れてくれたら。目配せ申したら、絶対に勝ったろうものを」などと言って、
「いったい何ということか、物の数でもない身なのに
かなえることができないのは負けじ魂だとは」
中将は、吹き出して、
「無理なこと、強い方が勝つ勝負事を
あなたのお心一つでどうなりましょう」
と答えるのさえ、辛いことであった。
「かわいそうだと思って、姫君をわたしに許してください
この先の生死はあなた次第のわが身と思われるならば」
泣いたり笑ったりしながら、一晩中語らい明かす。
[3-3 四月一日、蔵人少将、玉鬘へ和歌を贈る]
翌日は、四月になったので、兄弟の君たちが、宮中に参内するために慌ただしくしているのに、ひどく萎れて物思いに沈んでいらっしゃるので、母北の方は、涙ぐんでいらっしゃる。大臣も、
「院がお耳にあそばすこともあろう。どうして、真剣に聞き入れてくれることがあろう、と思って、悔しいことに、お会いした時に申し上げずじまいだった。自分が無理を押して申し上げたら、いくらなんでもお断りになならなかっただろうに」
などとおっしゃる。そのようなことがあって、いつものように、
「花を見て春は過ごしました。今日からは
茂った木の下で途方に暮れることでしょう」
と申し上げなさった。
御前において、あれこれ上臈めいた女房たち、この懸想人が、いろいろと気の毒なことをお話し申し上げる中で、中将のおもとが、
「生き死にをと言った様子が、言葉だけではなく、お気の毒でした」
などと申し上げると、尚侍の君も、不憫だとお聞きになる。大臣や、北の方のお考えにより、どうしても少将の恨みが深いのならばと、中の君を少将にと代わりをお考えになった上でのこのお参りを、邪魔しているように思っているのはけしからぬこと、この上ない身分の方でも、臣下であっては、絶対に許さないと、故殿がご遺言なさっていたものを、院に参りなさることでさえ、将来見栄えがしないものをとお思いになっていた、ちょうどその時に、このお手紙を受け取って気の毒がる。お返事は、
「今日こそ分かりました、空を眺めているようなふりをして
花に心を奪われていらしたのだと」
「まあ、お気の毒な。冗談事にしてしまうのですね」
などと言うが、面倒がって書き変えない。
[3-4 四月九日、大君、冷泉院に参院]
九日に、院に参上なさる。右の大殿は、お車、御前駆の人びとを大勢差し上げなさった。北の方も、恨めしくお思い申し上げなさったが、長年それほどでもなかったっが、このご一件で、しきりに手紙のやりとりなさったのに、再び途絶えてしまうこともおかしいので、禄や、立派な女の装束などを、たくさん差し上げなさった。
「不思議と、気の抜けたような息子の様子を、お世話していますうちに、はっきりと承ることもなかったので、お知らせ下さらなかったことを、他人行儀なと思っております」
とあったのだった。穏やかなようでいてそれとなく恨み言をこめなさったのを、困ったことと御覧になる。大臣からもお手紙がある。
「わたし自身参上しなければ、と存じましたが、物忌みがございまして。子息たちを、雑用にと思って伺わせます。ご遠慮なさらずお使い下さい」
と言って、源少将、兵衛佐など、を差し上げなさった。「ご厚意ありがとうございます」と、お礼申し上げなさる。大納言殿からも、女房たちのお車を差し上げなさる。北の方は、故大臣の娘で、真木柱の姫君なので、どちらの関係から見ても、親しくご交際なさり合うはずでいらっしゃるが、そんなにでもない。
藤中納言は、ご自身でいっしゃって、中将や、弁の君たちと、一緒に準備をなさる。殿が生きていらっしゃったならばと、何事につけても悲しい思いがする。
[3-5 蔵人少将、大君と和歌を贈答]
蔵人の君は、いつもの女房に大げさな言葉の限りを尽くして、
「もうお終いだと思っております命も、そうはいっても悲しいよ。せめてお気の毒ぐらいに思う、とだけでも、一言おっしゃって下さったら、その言葉に引かれて、もう暫く生きていられましょうか」
などと書いてあるのを、持参して見ると、姫君たちお二方がお話して、とてもひどく沈み込んでいらっしゃった。昼夜一緒に居馴れて、中の戸だけを隔てた西と東の間でさえ、邪魔にお思いになって、お互いに行き来なさっていたが、離れ離れになろうことをお考えなのであった。
特別に注意して準備して、お着付け申したご様子は、とても立派である。殿がご遺言なさった様子などをお思い出しになって、悲しい時だったせいか、手に取って御覧になる。「大臣や、北の方が、あれほど揃って、頼もしそうなご家庭で、どうしてこのようなわけの分からないことを思ったり言ったりするのだろう」と不思議なのにつけても、「お終いだ」とあるので、「本当だろうか」とお思いになって、そのままこのお手紙の端に、
「あわれという一言も、この無常の世に
いったいどなたに言い掛けたらよいのでしょう
縁起でもない方面のこととしては、少しは存じております」
とお書きになって、「このように言いなさい」とおっしゃるのを、そのまま差し上げたところ、この上なく有り難いと思うにつけても、最後の機会をお考えになっていたのまでが嬉しくて、ますます涙が止まらない。
折り返し、「誰の浮名が立たないで済みましょう」などと、恨みがましく書いて、
「生きているこの世の生死は思う通りにならないので
聞かずに諦めきれましょうか、あなたのあわれという一言を
墓の上でもあわれという一言をおかけになるようなお心の中と、存じられましたら、一途に死ぬことも急がれましょうに」
などとあるので、「まずいこと返事をしてしまったな。書き変えないでやってしまったことよ」と辛そうにお思いになって、何もおっしゃらなくなった。
[3-6 冷泉院における大君と薫君]
女房や、女童、無難な者だけを揃えられた。大方の儀式などは、帝に入内なさる時と、違った所がない。まず、女御の御方に参上なさって、尚侍の君は、ご挨拶など申し上げなさる。夜が更けてから院の御座所にお上がりになった。
后や、女御など、皆、長年、院にあって年配になっていらっしゃるので、とてもかわいらしく、女盛りで見所のある様子をお見せ申し上げなさっては、どうしていいかげんに思われよう。はなやかに御寵愛を受けられなさる。臣下のように、気安くお暮らしになっていらっしゃる様子が、なるほど、申し分なく立派なのであった。
尚侍の君を、暫くの間伺候なさるようにと、お心にかけていらっしゃったが、とても早く、静かに退出なさってしまったので、残念に情けなくお思いなさった。
源侍従の君を、明け暮れ御前にお召しになって離さずにいられるので、なるほど、まるで昔の光る源氏がご成人なさった時に劣らない御寵愛ぶりである。院の内では、どの御方とも別け隔てなく、親しくお出入りしていらっしゃる。こちらの御方にも、好意を寄せているように振る舞って、内心では、どのように思っていらっしゃるのだろうという考えまでがおありであった。
夕暮のひっそりとした時に、藤侍従と連れ立って歩いていると、あちらの御前の近くに眺められる五葉の松に、藤がとても美しく咲きかかっているのを、遣水のほとりの石の上に、苔を敷物として腰掛けて眺めていらっしゃった。はっきりとではないが、姫君のことを恨めしそうにほのめかしながら話している。
「手に取ることができるものなら、藤の花の
松の緑より勝れた色を空しく眺めていましょうか」
と言って、花を見上げている様子など、妙に気の毒に思われるので、自分の本心からでないことにほのめかす。
「紫の色は同じだが、あの藤の花は
わたしの思う通りにできなかったのです」
まじめな君なので、気の毒にと思っていた。さほど理性を失うほど思い込んだのではなかったが、残念に思っていたのであった。
[3-7 失意の蔵人少将と大君のその後]
あの少将の君は、真剣に、どのようにしようかと、間違い事もしでかしそうに、抑え難く思っているのであった。求婚申された方々で、中の君にと、鞍替えする人もいる。少将の君を、母北の方のお恨み言があるので、中の君を許そうかとお思いになって、それとなく申し上げなさったが、すっかり音沙汰がなくなってしまった。
冷泉院には、あの君たちも、親しくもともと伺候なさっていたが、この姫君が参上なさってから後は、ほとんど参上せず、まれに殿上の方に顔を見せても、つまらなく、逃げて退出するのであった。
帝におかせられては、故大臣のご意向に格別なものがあったので、このように遺志に反したお宮仕えを、どうしたことにか、とお思いあそばして、中将を呼んで仰せになった。
「ご機嫌ななめです。それだからこそ、世間の人の思惑も、不審に思うに違いないと、かねて申し上げていたことを、ご判断を間違えて、このように御決心なさったので、何とも申し上げにくうございますが、このような仰せ言がございましたので、わたしどもの身のためにも、困ったことでございます」
と、とても不愉快に思って、尚侍の君をお責め申し上げなさる。
「さあね。たった今、このように、急に思いついたのではなかったのに。無理やりに、お気の毒なほど仰せになったので、後見のない宮仕えの宮中生活は、頼りないようですが、今では気楽な御生活のようなので、お預け申して、と思ったからです。誰も彼もが、不都合なことは、率直に注意なさらずに、今頃むし返して、右大臣殿も、間違っていたような、おっしゃりようをなさるので、辛いことです。これも前世からの因縁でしょうよ」
と、穏やかにおっしゃって、動揺なさらない。
「その前世からのご宿縁は、目には見えないものなので、このように思し召し仰せになるのを、これは御縁がございませんと、どうして弁解申し上げることができましょう。中宮に御遠慮申されるとして、院の女御を、どのようにお扱い申されるおつもりですか。後見や何やかやと、以前よりお互いに親しくなさっていても、そうもまいりませんでしょう。
まあよい、拝見致しましょう。よく考えれば、宮中は、中宮がいらっしゃるとて、他のお方は宮仕えなさらないでしょうか。帝にお仕え申すことは、それが気楽にできるところを、昔から興趣あることとしたものです。女御は、ちょっとした行き違いでもあって、不愉快にお思い申し上げなさったら、間違った宮仕えのように、世間も取り沙汰しましょう」
などと、二人して申し上げなさるので、尚侍の君、とても辛くお思いになって、その一方では、この上ない御寵愛が、月日とともに深まって行く。
七月からご懐妊なさったのであった。「苦しそうにしていらっしゃる様子は、なるほど、男性たちがいろいろと求婚申して困らせたのも、もっともである。どうしてこのような方を、軽く見聞きしてそのまま放っていられようか」と思われる。毎日のように、管弦の御遊をなさっては、侍従もお側近くにお召しになるので、お琴の音などをお聞きになる。あの「梅が枝」に合奏した中将のおもとの和琴も、いつも召し出して弾かせなさるので、それと聞くにつけても、平静ではいられなかった。
4 玉鬘の物語 玉鬘の姫君たちの物語
[4-1 正月、男踏歌、冷泉院に回る]
その年が改まって、男踏歌が行われた。殿上の若人たちの中に、芸達者な者が多いころである。その中でも、優れた人をお選びあそばして、この四位侍従は、右の歌頭である。あの蔵人少将は、楽人の数の中にいた。
十四日の月が明るく雲がないので、御前を出発して、冷泉院に参る。女御も、この御息所も、院の御殿に上局を設けて御覧になる。上達部、親王たちが、連れ立って参上なさる。
「右の大殿と、致仕の大殿の一族とを除くと、端正で美しい人はいない世の中だ」と思われる。帝の御前よりも、この院をたいそう気の置ける、格別の所とお思い申し上げて、「すべての人が気をつかう中でも、蔵人少将は、御覧になっていらっしゃるだろう」と想像して、落ち着いていられない。
匂いもなく見苦しい綿花も、插頭す人によって見分けられて、態度も声も、実に美しかった。「竹河」を謡って、御階のもとに踏み寄る時、過ぎ去った夜のちょっとした遊びも思い出されたので、調子を間違いそうになって涙ぐむのであった。
后の宮の御方に参ると、上もそちらにおいであそばして御覧になる。月は、夜が更けて行くにつれて、昼よりきまりが悪いくらい澄み昇って、どのように御覧になっているだろうとばかり思われるので、踏む所も分からずふらふら歩いて、盃も、名指しで一人だけ責められるのは、面目ないことである。
[4-2 翌日、冷泉院、薫を召す]
一晩中、方々を歩いて、とても気分が苦しくて臥せっているところに、源侍従を、院から召されたので、「ああ、苦しい。もう暫く休みたいのに」と文句を言いながら参上なさった。宮中でのことなどをお尋ねあそばす。
「歌頭は、年配者がこれまでは勤めた役なのに、選ばれたことは、大したものだね」
とおっしゃって、かわいいとお思いになっているようである。「万春楽」をお口ずさみなさりながら、御息所の御方にお渡りあそばすので、お供して参上なさる。見物に参った里方の人が多くて、いつもより華やかで、雰囲気が賑やかである。
渡殿の戸口に暫く座って、声を聞き知っている女房に、お話などなさる。
「昨夜の月の光は、体裁の悪かったことだなあ。蔵人少将が、月の光に面映ゆく思っていた様子も、桂の影に恥ずかしがっていたのではなかろうか。雲の上近くでは、そんなには見えませんでした」
などとお話なさると、女房たちはお気の毒にと、聞く者もいる。
「闇でははっきりしませんが、月に照らされたお姿は、あなたのほうが素晴らしかった、とお噂しました」などとおだてて、内側から、
「竹河を謡ったあの夜のことは覚えていらっしゃいますか
思い出すほどの出来事はございませんが」
と言う。ちょっとしたことだが、涙ぐまれるのも、「なるほど、浅いご思慕ではなかったのだ」と、自分ながら分かって来る。
「今までの期待も空しいとことと分かって
世の中は嫌なものだとつくづく思い知りました」
しんみりした様子を、女房たちは面白がる。とはいえ、態度に現して少将のようには泣き言はおっしゃらなかったが、人柄がそうは言ってもお気の毒に見えるのである。
「おしゃべりし過ぎましては。では、失礼」
と言って、立つところに、「こちらへ」とお召しがあったので、きまりの悪い思いがしたが、参上なさる。
「故六条院が、踏歌の翌朝に、女方で管弦の遊びをなさったのは、とても素晴らしかったと、右大臣が話されました。どのようなことにつけても、あのような方の後継者が、いなくなってしまった時代だね。とても音楽の上手な女性までが大勢集まって、どんなにちょっとしたことでも、面白かったことであろう」
などとご想像なさって、お琴類を調子を合わせあそばして、箏は御息所、琵琶は侍従にお与えになる。和琴をお弾きあそばして、「この殿」などを演奏なさる。御息所のお琴の音色は、まだ未熟なところがあったが、とてもよくお教え申し上げなさったのであった。華やかで爪音がよくて、歌謡の伴奏と、楽曲などを上手にたいそうよくお弾きになる。どのようなことも、心配で、至らないところはおありでない方のようである。
器量は、もちろんまた、実に素晴らしいのだろうと、やはり心が惹かれる。このような機会は多いが、自然とうとうとしくなく、程度を越すことはなく、馴れ馴れしく恨み言を言わないが、折々にふれて、望みが叶わなかった残念さをほのめかすのも、どのようにお思いになったであろうか、よく分からない。
[4-3 四月、大君に女宮誕生]
四月に、女宮がお生まれになった。特別に目立ったことはないようであるが、院のお気持ちによって、右の大殿をはじめとして、御産養をなさる所々が多かった。尚侍の君が、ぴったりと抱いておかわいがりなさるので、早く参院なさるようにとばかりあるので、五十日のころに参院なさった。
女一宮が、お一方いらっしゃったが、実にひさしぶりでかわいらしくいらっしゃるので、たいそう嬉しくお思いであった。ますますただこちらにばかりおいであそばす。女御方の女房たちは、「ほんとにこんなでなくあってほしいことですわ」と、不満そうに言ったり思ったりしている。
ご本人どうしのお気持ちは、特に軽々しくお背きになることはないが、伺候する女房の中に、意地悪な事も出て来たりして、あの中将の君が、そうは言っても兄で、おっしゃったことが実現して、尚侍の君も、「むやみにこのように言い言いして最後はどうなるのだろう。物笑いに、体裁の悪い扱いを受けるのではないだろうか。お上の御愛情は浅くはないが、長年仕えていらっしゃる御方々が、面白からずお見限りになったら、辛いことになるだろう」とお思いになると、帝におかせられては、ほんとうにけしからぬとお思いになり、再々御不満をお洩らしになると、人がお知らせ申すので、厄介に思って、中の君を、女官として宮仕えに差し上げることをお考えになって、尚侍をお譲りなさる。
朝廷は、尚侍の交替をそう簡単にお認めなさらないことなので、長年、このようにお考えになっていたが、辞任することができなかったのを、故大臣のご遺志をお思いになって、遠くなってしまった昔の例などを引き合いに出して、そのことが実現なさった。この君のご運命で、長年申し上げなさっていたことは難しいことだったのだ、と思えた。
[4-4 玉鬘、夕霧へ手紙を贈る]
「こうして、気楽に宮中生活をなさってください」と、お思いになるが、「お気の毒に、少将のことを、母北の方がわざわざおっしゃったものを。お頼み申したようにほのめかしてくださったが、どのように思っていらっしゃるだろう」と気になさる。
弁の君を介して、他意のないように、大臣に申し上げなさる。
「帝から、あのような仰せ言があるので、あれこれと、無理な宮仕えの好みだと、世間の人聞きもどのようなものかと存じられまして、困っております」
と申し上げなさると、
「帝の御不興は、お咎めがあるのも、ごもっともなことと拝します。公事に関しても、宮仕えなさらないのは、よくないことです。早く、ご決心なさい」
と申し上げなさった。
また、今度は、中宮の御機嫌伺いして参内する。「大臣が生きていらっしゃったならば、どなたもないがしろになさりはしないだろうに」などと、しみじみと悲しい思いをする。姉君は、器量なども評判高く、美しいとお聞きあそばしていらしたが、代わりなさったので、ご不満のようであるが、こちらもとても気が利いていて、奥ゆかしく振る舞って伺候なさっている。
[4-5 玉鬘、出家を断念]
前尚侍の君は、出家しようと決意なさったが、
「それぞれにお世話申し上げなさっている時に、勤行も気忙しく思われなさることでしょう。もう少し、どちらの方も安心できる状態を拝見なさってから、誰にも非難されるところなく、一途に勤行なさい」
と、君たちが申し上げなさるので、思いお留まりなさって、宮中へは、時々こっそりと参内なさる時もある。院へは、厄介なお気持ちがなおも続いているので、参上なさるべき時にも、まったく参上なさらない。昔の事を思い出したが、そうは言っても、恐れ多く思われたお詫びに、誰も不賛成に思っていたことを、知らず顔に院に差し上げて、「自分自身までが、冗談にせよ、年がいもない浮名が世間に流れ出したら、とても目も当てられず恥ずかしいことだろう」とお思いになるが、そのような憚りがあるからとは、はたまた、御息所にも打ち明けて申し上げなさらないので、「わたしを、昔から、故大臣は特別にかわいがり、尚侍の君は、若君を、桜の木の争いや、ちょっとした時にも、味方なさった続きで、わたしをあまり思ってくださらないのだ」と、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。院の上は、院の上でまた、それ以上に辛いとお思いになりお口にお出しあそばすのであった。
「年老いたわたしのところは放っておいて。軽くお思いなさるのも、無理のないことだ」
と、お語らいになって、いとしく思われる気持ちはますます深まる。
[4-6 大君、男御子を出産]
数年たって、また男御子をお産みになった。大勢いらっしゃる御方々に、このようなことはなくて長年になったが、並々でなかったご宿世などを、世人は驚く。帝は、それ以上にこの上なくめでたいと、この今宮をお思い申し上げなさった。「退位なさらない時であったら、どんなにか意義のあることであったろうに。今では何事も見栄えがしない時なのを、まことに残念だ」とお思いになるのであった。
女一の宮を、この上なく大切にお思い申し上げていらっしゃったが、このようにそれぞれにかわいらしく、お子様がお加わりになったので、珍しく思われて、たいそう格別に寵愛なさるのを、女御も、「あまりにこういう有様では不愉快だろう」と、お心が穏やかでないのであった。
何か事ある毎に、面白くない面倒な事態が出て来たりなどして、自然とお二方の仲も隔たったようである。世間の常として、身分の低い人の間でも、もともと本妻の地位にある方は、関係のない一般の人も、味方するもののようなので、院の内の身分の上下の女房たち、まことにれっきとした身分で、長年連れ添っていらっしゃる御方にばかり道理があるように言って、ちょっとしたことでも、この御方側を良くないように噂したりなどするのを、御兄君たちも、
「それ見たことよ。間違ったことを申し上げたでしょうか」
と、ますますお責めになる。心穏やかならず、聞き苦しいままに、
「このようにでなく、のんびりと無難に結婚生活を送る人も多いだろうに。この上ない幸運に恵まれないでは、宮仕えの事は、考えるべきことではなかったのだ」
と、大上はお嘆きになる。
[4-7 求婚者たちのその後]
求婚申し上げた人びとで、それぞれ立派に昇進して、結婚なさったしても、不似合いでない方は大勢いることよ。その中で、源侍従と言って、たいそう若く、ひ弱に見えた方は宰相中将になって、「匂うよ、薫よ」と、聞き苦しいほどもてはやされるが、なるほど、人柄も落ち着いて奥ゆかしいので、高貴な親王方、大臣が、娘を結婚させようとおっしゃるのなどにも、聞き入れないなどと聞くにつけても、「あの頃は、若く頼りないようであったが、立派に成人なさったようだ」などと、言っていらっしゃる。
少将であった方も、三位中将とか言って、評判が良い。
「器量まで、が立派だった」
などと、意地悪な女房たちは、こっそりと、
「厄介な御様子の所に参るよりは」
などと言う者もいて、お気の毒に見えた。この中将は、依然として思い染めた気持ちがさめず、嫌で辛くも思いながら、左大臣の姫君を得たが、全然愛情を感じず、「道の果てなる常陸帯の」と、手習いにも口ぐせにもしているのは、どのように思ってのことであろうか。
御息所は、気苦労の多い宮仕えの煩わしさに、里にいることが多くおなりになってしまった。尚侍の君は、思っていたようにならなかったご様子を、残念にお思いになる。内裏の君は、かえって派手に気楽に振る舞って、大変風雅に、奥ゆかしいとの評判を得て、宮仕えなさっている。
5 薫君の物語 人々の昇進後の物語
[5-1 薫、玉鬘邸に昇進の挨拶に参上]
左大臣がお亡くなりになって、右は左に、藤大納言は、左大将を兼官なさった右大臣におなりになる。順々下の人びとが昇進して、この薫中将は、中納言に、三位の君は宰相になって、ご昇進なさった方々は、これら一族以外に人もいないといった時勢であった。
中納言の昇進のお礼参りに、前尚侍の君の所に参上なさった。御前の庭先で拝舞申し上げなさる。尚侍の君がお目にかかりなさって、
「このように、とても草深くなって行く葎の門を、お避けにならないお心使いに対して、まず昔の六条院の御事が思い出されまして」
などと申し上げなさる、お声は、上品で愛嬌があって、耳に快く響く。「いつまでもお若くいらっしゃるな。これだから、院のお上はお恨みになるお心が褪せないのだ。そのうちきっと、事件をお起こしになるだろう」と思う。
「喜びなどは、わたしはさほど嬉しく存じませんが、まず知って戴こうと参上したのでございます。避けないなどとおっしゃるのは、御無沙汰の罪を皮肉って言われたのでしょうか」とご挨拶申し上げなさる。
「今日は、老人の繰り言などを、申し上げるべき時ではないと、気がとがめますが、わざわざお立ち寄りになることは難しいので、お会いしなくては、また、いくらなんでもごたごたした話ですから。
院に伺候しておられるのが、とてもひどく宮仕えのことを思い悩んで、宙に浮いたような恰好でうろうろしていますが、女御をご信頼申して、また后の宮の御方にも、そうは言ってもお許し戴けるだろうと、存じておりましたのに、どちらにも礼儀知らずで堪忍できない者とお思いなされたそうなので、とても具合が悪くて、宮たちは、そのまま残しておいでになる。この、とても生活しにくそうな本人は、こうしてせめて気楽にぼんやりとお過ごしなさいと思って、退出させたのですが、それに対しても聞きにくい噂です。
上様にもけしからぬとお思いになりお口になさるそうです。機会がありましたら、ちらっとよろしく申し上げてください。あちら様こちら様と、頼もしく存じて、出仕させました当座は、どちら様も安心して、信頼申し上げたが、今では、このような間違いに、子供っぽく大それた自分自身の考えを、恨んでおります」
と、涙ぐみなさる様子である。
[5-2 薫、玉鬘と対面しての感想]
「まったくそんなにまでお考えなることはありません。このような宮仕えの楽でないことは、昔から、そのようなことと決まっておりますが、位を去って、静かにお暮らしでいらっしゃり、どのようなことでも華やかでないご生活となってしまったので、皆が気を許し合っていらっしゃるようですが、それぞれ内心では、どんなに競争心をお持ちになることもないでしょうか。
他人は何の過失と思わないことでも、ご自身にとっては恨めしいものでして、つまらないことに心を動かしなさることは、女御や、后のいつものお癖でしょう。それくらいのいざこざもない起こらないものと思って、ご決心なさったのですか。ただ穏やかに振る舞って、お見過ごしなさることでございます。男の者が、申し上げるべきことではございません」
と、たいそうそっけなく申し上げなさるので、
「お会いした時に愚痴をこぼそうと、お待ち申していた効もなく、あっさりしたご判断ですこと」
と、笑っていらっしゃる、人の親として、てきぱきと事を処理していらっしゃる割には、とても若くおっとりとした感じがする。「御息所も、このようなふうでいらっしゃるのだろう。宇治の姫君が心にとまって思われるのも、このような様子に興味惹かれるからだ」と思って座っていらっしゃった。
尚侍の君も、この頃退出なさっていた。こちらとあちらとに住んでいらっしゃる様子は素晴らしく、全体がのんびりと忙しさに、紛れることないご様子で、御簾の内側が、気恥ずかしく感じられるので、自然と気づかいがされて、ますます静かで感じが良いのを、大上は、「近くでお世話するのだったなら」と、お思いになるのであった。
[5-3 右大臣家の大饗]
大臣殿は、ちょうどこちらの殿の東であった。大饗の垣下の公達などが、大勢参上なさる。兵部卿宮や、左の大臣殿の賭弓の還立や、相撲の饗応などには、いらっしゃったことを思って、今日の光を添えて戴きたいとご招待申し上げなさったが、いらっしゃらなかった。
奥ゆかしく大切にお世話なさっている姫君たちを、一方では、特に気を配って、何とか婿君に、と思い申し上げなさっているようであるが、宮は、どうしたことであろうか、お心を止めにならなかった。源中納言が、ますます理想的に成長して、どのような事にも劣ったことがなくいらっしゃるのを、大臣も北の方も、お目を止めていらっしゃった。
隣でこのように大騒ぎして、行き交う車の音、前駆の声々も、昔の事が自然と思い出されて、こちらの殿では、しみじみと物思いなさっている。
「故宮がお亡くなりになって、間もなく、この大臣がお通いになったことを、まことに軽薄なように世間の人は非難したというが、愛情も薄れずにこのように暮らしておいでなのも、やはり無難なことであった。無常の世の中よ。どちらが良いものでしょうか」などとおっしゃる。
[5-4 宰相中将、玉鬘邸を訪問]
左の大殿の宰相中将は、大饗の翌日、夕方にこちらに参上なさった。御息所が、里にいらっしゃると思うと、ますます緊張して、
「朝廷が忘れずに加えてくださった昇進の喜びなどは、特に何とも思いません。私事で思い通りにならない嘆きばかりが、年月とともに積もり重なって、晴らしようもございません」
と、涙を拭うのも、わざとらしい。二十七、八歳のほどで、とても男盛りで、華やかな容貌をしていらっしゃった。
「困った息子たちの、世の中を思いのままになると思って、官位を何とも思わず、過ごしていらっしゃる。故殿が生きていらっしゃったら、自分の家の子供たちも、このようなのんきな遊び事に、心を奪われたでしょうに」
とお泣きになる。右兵衛督や、右大弁になったが、皆非参議でいるのを嘆かわしいことと思っていた。侍従と言われていたらしい人は、この頃、頭中将と呼ばれているようである。年齢から言えば、不十分ではないが、人に後れたと嘆いていらっしゃった。宰相は、何やかやとうまいことを言って来て。
45. 橋姫
薫君の宰相中将時代22歳秋から10月までの物語
- 八の宮の家系と家族 その頃、世間から忘れられていらっしゃった古宮がおいでになった
- 八の宮と娘たちの生活 「年月を過すにつけても、まことに暮らしにくく
- 八の宮の仏道精進の生活 そうは言っても、広く優雅なお邸の、池、築山などの
- ある春の日の生活 春のうららかな日の光に、池の水鳥たちが
- 八の宮の半生と宇治へ移住 父帝にも母女御にも、早く先立たれなさって
1 宇治八の宮の物語 隠遁者八の宮
- 八の宮、阿闍梨に師事 ますます、山また山を隔てたお住まいに、訪問する人もいない
- 冷泉院にて阿闍梨と薫語る この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して
- 阿闍梨、八の宮に薫を語る 中将の君は、かえって、親王が悟り澄ましていらっしゃるお心づかいを
- 薫、八の宮と親交を結ぶ なるほど、聞いていたよりもいたわしく、お暮らしになっている様子をはじめとして
2 宇治八の宮の物語 薫、八の宮と親交を結ぶ
- 晩秋に薫、宇治へ赴く 秋の末方に、四季毎に当ててなさるお念仏を
- 宿直人、薫を招き入れる 暫く聞いていたいので、隠れていらしたが、お気配をはっきりと
- 薫、姉妹を垣間見る あちらに通じているらしい透垣の戸を、少し押し開けて
- 薫、大君と御簾を隔てて対面 このように見られただろうかとはお考えにもならず
- 老女房の弁が応対 たとえようもなく出しゃばって、「まあ、恐れ多いこと
- 老女房の弁の昔語り この老人は泣き出した。「出過ぎた者とのお咎めもあるやと
- 薫、大君と和歌を詠み交して帰京 峰の幾重にも重なった雲の、思いやるにも隔てが多く、心痛むが
- 薫、宇治へ手紙を書く 老人の話が、気にかかって思い出される
- 薫、匂宮に宇治の姉妹を語る 君は、姫君のお返事が、とてもよく整っていておおようなのを
3 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
- 10月初旬、薫宇治へ赴く 十月になって、五、六日の間に、宇治へ参られる
- 薫、八の宮の娘たちの後見を承引 「このあたりに、思いがけなく、時々かすかに弾く
- 薫、弁の君の昔語りの続きを聞く そうして、払暁の、宮がご勤行をなさる時に
- 薫、父柏木の最期を聞く 「お亡くなりになりました騷ぎで、母でございました者は
- 薫、形見の手紙を得る 小さく固く巻き合わせた反故類で、黴臭いのを
- 薫、父柏木の遺文を読む お帰りになって、さっそくこの袋を御覧になると、唐の浮線綾を
4 薫の物語 薫、出生の秘密を知る
1 宇治八の宮の物語 隠遁者八の宮
[1-1 八の宮の家系と家族]
その頃、世間から忘れられていらっしゃった古宮がおいでになった。母の里方なども、立派な家柄でいらっしゃって、特別の地位につくべき評判などがおありであったが、時勢が変わって、世間から冷たく扱われなさった騷ぎに、かえってその声望も衰え、ご後見の人びとなども何となく恨めしい思いをして、それぞれの理由で、政界から退き去り退き去りして、公私ともに頼る人がなくなり、孤立していらっしゃるようである。
北の方も、昔の大臣の姫君であったが、しみじみと心細く、両親がお考えになっていらっしゃっした事などを思い出しなさると、譬えようもない悲しいことが多いが、深いご親密な夫婦仲の又とないのだけを、憂世の慰めとして、お互いにこの上なく頼り合っていらっしゃった。
幾年もたったのに、お子がお出来にならなくて気がかりだったので、所在ない寂しい慰めに、「何とかして、かわいらしい子が欲しいものだ」と、宮が時々お思いになりおっしゃっていたところ、珍しく、女君でとてもかわいらしい子がお生まれになった。
この子をこの上なくかわいいと思って大切にお育て申していらっしゃったところに、また続いて妊娠なさって、「今度は男の子であって欲しい」などとお思いになったが、同じく女の子で、無事には出産なさったが、とてもひどく産後の肥立ちが悪くてお亡くなりになってしまった。宮は、驚き途方に暮れなさる。
[1-2 八の宮と娘たちの生活]
「年月を過すにつけても、まことに暮らしにくく、堪え難いことが多い世の中だが、見捨てることのできないいとしい人たちのご様子、人柄に、心を引き止められて、過ごして来たのだが、独り残って、ますます味気ない感じがするな。幼い子供たちをも、独りで育てるには、身分格式のある身なので、まことに愚からしく、体裁の悪いことであろう」
とご決心なさって、出家も遂げたくお思いになったが、見譲る人もなくて残して行くのを、ひどくおためらいになりながら、年月がたつと、それぞれ成長なさっていく様子、器量が、美しく素晴らしいので、朝夕のお慰めとして、いつしか年月をお過ごしになる。
後からお生まれになった姫君を、お仕えする女房たちも、「まあ、悪い時にお生まれになって」などと、ぶつぶつ呟いては、身を入れてお世話申し上げなかったが、臨終の床で、何お分りにならない時ながら、この子をとてもお気の毒にと思って、
「ただ、この姫君をわたしの形見とお思いになって、かわいがってください」
とだけ、わずか一言、宮にご遺言申し上げなさったので、前世からの約束も辛い時だが、「そうなるはずの運命だったのだろうと、ご臨終と見えた時まで、とてもかわいそうにと思って、気がかりにおっしゃったことよ」と、お思い出しになりながら、この姫君を特に、とてもかわいがり申し上げなさる。器量は本当にとてもかわいらしく、不吉なまで美しくいらっしゃった。
姫君は、気立てはもの静かで優雅な方で、外見も態度も、気高く奥ゆかしい様子でいらっしゃる。大切にしたい高貴な血筋は勝っていて、姉妹どちらも、それぞれに大切にお育て申し上げなさるが、思い通りに行かないことが多く、年月とともに、宮邸の内も何となく段々と寂しくばかりなって行く。
仕えていた女房も、頼りにならない気がするので、辛抱することができず、次々と辞めて去って行き、若君の御乳母も、あのような騒動に、しっかりした人を、選ぶことがお出来になれなかったので、身分相応の浅はかさで、幼い君をお見捨て申し上げてしまったので、ただ宮がお育てなさる。
[1-3 八の宮の仏道精進の生活]
そうは言っても、広く優雅なお邸の、池、築山などの様子だけは昔と変わらないで、たいそうひどく荒れて行くのを、所在なく眺めていらっしゃる。
家司なども、しっかりとした人もいないままに、草が青々と茂って、軒の忍草が、わがもの顔に一面に青みわたっている。四季折々の花や紅葉の、色や香を、同じ気持ちでご賞美なさったことで、慰められることも多かったが、ますます寂しく、頼みとする人もないままに、持仏のお飾りだけを、特別におさせになって、明け暮れお勤めなさる。
このような足手まといたちにかかずらっているのでさえ、心外で残念で、「自分ながらも思うに任せない運命であった」と思われるが、まして、「どうして、世間の人並みに今更再婚などを」とばかり、年月とともに、世の中をお離れになり、心だけはすっかり聖におなりになって、故君がお亡くなりになって以後は、普通の人のような気持ちなどは、冗談にもお思い出しならなかった。
「どうして、そんなにまで。死別の悲しみは、二つと世に例のないようにばかり、思われるようだが、時がたてば、そんなでばかりいられようか。やはり、普通の人と同じようなお心づかいをなさって、とてもこのような見苦しく、頼りない宮邸の内も、自然と整って行くこともあるかも知れません」
と、人は非難申し上げて、何やかやと、もっともらしく申し上げることも、縁故をたどって多かったが、お聞き入れにならなかった。
御念誦の合間合間には、この姫君たちを相手にし、だんだん成長なさると、琴を習わせ、碁を打ち、偏つぎなどの、とりとめない遊びにつけても、二人の気立てを拝見なさると、姫君は、才気があり、落ち着いて重々しくお見えになる。若君は、おっとりとかわいらしい様子をして、はにかんでいる様子に、とてもかわいらしく、それぞれでいらっしゃる。
[1-4 ある春の日の生活]
春のうららかな日の光に、池の水鳥たちが、互いに羽を交わしながら、めいめいに囀っている声などを、いつもは、何でもないことと御覧になっていたが、つがいの離れずにいるのを羨ましく眺めなさって、姫君たちに、お琴類をお教え申し上げなさる。とてもかわいらしげで、小さいお年で、それぞれ掻き鳴らしなさる楽の音色は、しみじみとおもしろく聞こえるので、涙を浮かべなさって、
「見捨てて去って行ったつがいでいた水鳥の雁は
はかないこの世に子供を残して行ったのだろうか
気苦労の絶えないことだ」
と、目を拭いなさる。容貌がとても美しくいらっしゃる宮である。長年のご勤行のために痩せ細りなさったが、それでも気品があって優美で、姫君たちをお世話なさるお気持ちから、直衣の柔らかくなったのをお召しになって、つくろわないご様子、とても恥ずかしくなるほど立派である。
姫君、お硯を静かに引き寄せて、手習いのように書き加えなさるのを、
「これにお書きなさい。硯には書き付けるものでありません」
とおっしゃって、紙を差し上げなさると、恥じらってお書きになる。
「どうしてこのように大きくなったのだろうと思うにも
水鳥のような辛い運命が思い知られます」
よい歌ではないが、その状況は、とてもしみじみと心打たれるのであった。筆跡は、将来性が見えるが、まだ上手にお書き綴りにならないお年である。
「若君もお書きなさい」
とおっしゃると、もう少し幼そうに、長くかかってお書きになった。
「泣きながらも羽を着せかけてくださるお父上がいらっしゃらなかったら
わたしは大きくなることはできなかったでしょうに」
お召し物など皺になって、御前に他に女房もなく、とても寂しく所在なさそうなので、それぞれたいそうかわいらしくいらっしゃるのを、不憫でいたわしいと、どうして思わないことがあろうか。お経を片手に持ちなさって、一方では読経しながら唱歌もなさる。
姫君に琵琶、若君に箏のお琴を、まだ幼いけれど、いつも合奏しながらお習いになっているので、聞きにくいこともなく、たいそう美しく聞こえる。
[1-5 八の宮の半生と宇治へ移住]
父帝にも母女御にも、早く先立たれなさって、しっかりしたご後見人が、取り立てていらっしゃらなかったので、学問なども深くお習いになることができず、まして、世の中に生きていくお心構えは、どうしてご存知でいらっしゃったであろうか。身分の高い人と申す中でも、あきれるくらい上品でおっとりした、女性のようでいらっしゃるので、古い世からのご宝物や、祖父大臣のご遺産や、何やかやと尽きないほどあったが、行方もなくあっけなく無くなってしまって、ご調度類などだけが、特別にきちんとして多くあった。
参上してご機嫌伺いしたり、好意をお寄せ申し上げる人もいない。所在ないのにまかせて、雅楽寮の楽師などのような、優れた人を召し寄せ召し寄せなさっては、とりとめない音楽の遊びに心を入れて、成人なさったので、その方面では、たいそう素晴らしく優れていらっしゃった。
源氏の大殿の御弟君でいらっしゃったが、冷泉院が春宮でいらっしゃった時に、朱雀院の大后が、あるまじき企みをご計画になって、この宮を、帝位をお継ぎになるように、ご威勢の盛んな時、ご支援申し上げなさった騒動で、つまらなく、あちら方とのお付き合いからは、遠ざけられておしまいになったので、ますますあちら方のご子孫の御世となってしまった世の中では、交際することもお出来になれない。また、ここ数年、このような聖にすっかりなってしまって、今はこれまでと、万事をお諦めになっていた。
こうしているうちに、お住まいになっていた宮邸が焼けてしまった。不幸続きの人生の上に、あきれるほどがっかりして、お移り住みなさるような適当な所が、適当な所もなかったので、宇治という所に、風情のある山荘をお持ちになっていたのでお移りになる。お捨てになった世の中だが、今は最後と住み離れることを悲しく思わずにはいらっしゃれない。
網代の様子が近く、耳もとにうるさい川の辺りで、静かな思いに相応しくない点もあるが、どうすることもできない。花や紅葉や、川の流れにつけても、心を慰めるよすがとして、いよいよ物思いに耽るより他のことがない。こうして世間から隔絶して籠もってしまった野山の果てでも、「亡き北の方が生きていらっしゃったら」と、お思い申し上げなさらない時はなかった。
「北の方も邸も煙となってしまったが
どうしてわが身だけがこの世に生き残っているのだろう」
生きている効もないほど、恋い焦がれていらっしゃるよ。
2 宇治八の宮の物語 薫、八の宮と親交を結ぶ
[2-1 八の宮、阿闍梨に師事]
ますます、山また山を隔てたお住まいに、訪問する人もいない。賤しい下衆など、田舎びた山住みの者たちだけが、まれに親しくお仕え申し上げる。峰の朝霧が晴れる時の間もなくて、明かし暮らしなさっているが、この宇治山に、聖めいた阿闍梨が住んでいた。
学問がたいそうできて、世人の評判も低くはなかったが、めったに朝廷の法要にも出仕せず、籠もっていたところに、この宮が、このように近い所にお住みになって、寂しいご様子で、尊い仏事をあそばしながら、経文を読み習っていらっしゃるので、尊敬申し上げて、常に参上する。
長年学んでお知りになった事柄などで、深い意味をお説き申し上げて、ますますこの世が仮の世で、無意味なことをお教え申し上げるので、
「心だけは蓮の上に乗って、きっと濁りのない池にも住むだろうことを、とてもこのように小さい姫君たちを見捨てる気がかりさだけに、一途に僧形になることもできないのだ」
などと、隔意なくお話なさる。
[2-2 冷泉院にて阿闍梨と薫語る]
この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して、御経などお教え申し上げる僧なのであった。京に出た折に参上して、いつものように、しかるべき教典などを御覧になって、ご下問あそばすことがある折に、
「八の宮が、たいそうご聰明で、教典のご学問にも深く通じていらっしゃいますなあ。そのようになるはずの方として、お生まれになったのでいらっしゃる方なのでしょうか。お考えが深く悟り澄ましていらっしゃるほどは、本当の聖の心構えのようにお見えになります」と申し上げる。
「まだ姿は変えていらっしゃらないのか。俗聖とか、ここの若い人達が名付けたというのは、殊勝なことだ」などと仰せになる。
宰相中将も、御前に伺候なさって、「自分こそは、世の中を実に面白くなく悟っていながら、その行いなどを、人目につくほどは勤めず、残念に過ごして来てしまった」と、人知れず反省しながら、「在俗のまま聖におなりになる心構えとはどのようなものか」と、耳を止めてお聞きになる。
「出家の本願は、もともとお持ちでいらっしゃったが、つまらないことに心がにぶり、今となっては、お気の毒な姫君たちのお身の上を、お見捨てになることができないと、嘆いておられます」と奏す。
そうは言っても、音楽は賞美する阿闍梨なので、
「なるほど、また、この姫君たちが、琴を合奏なさって楽しんでいらっしゃるのが、川波と競って聞こえますのは、たいそう興趣あって、極楽もかくやと想像されますね」
と、古風に誉めるので、院の帝はほほ笑みなさって、
「そのような聖の近くにお育ちになって、この世の方面のことは、暗かろうと想像されるが、興趣あることだね。気がかりで見捨てることができず、苦にしていらっしゃるだろうことが、もし、少しでも後に自分が生き残っているようであったら、後見役をお譲りなさらないだろうか」
などと仰せになる。この院の帝は、第十の皇子でいらっしゃるのであった。朱雀院が、故六条院にお預け申し上げなさった入道宮のご先例をお思い出しになって、「あの姫君たちを欲しいものだ。所在ない遊び相手として」などとお思いになるのであった。
[2-3 阿闍梨、八の宮に薫を語る]
中将の君は、かえって、親王が悟り澄ましていらっしゃるお心づかいを、「お目にかかって、お伺いしたいものだ」と思う気持ちが深くなった。そうして阿闍梨が山に帰ていくときにも、
「きっと参って、お教えて戴けるよう、まずは内々にでも、ご意向を伺ってください」
などとお頼みになる。
院の帝が、御使者を介して、「お気の毒な御生活を、人伝てに聞きまして」など申し上げなさって、
「世を厭う気持ちは宇治山に通じておりますが
幾重にも雲であなたが隔てていらっしゃるのでしょうか」
阿闍梨は、この御使者を先に立てて、あちらの宮に参上した。並々の身分で、訪問してよい人の使いでさえまれな山蔭なので、実に珍しく、お待ち喜びになって、場所に相応しい御馳走などを用意して、山里らしい持てなしをなさる。お返事は、
「世を捨てて悟り澄ましているのではありませんが
世を辛いものと思い宇治山に暮らしております」
仏道修業の方面については謙遜して申し上げなさっていたので、「やはり、この世に恨みが残っていたな」と、いたわしく御覧になる。
阿闍梨は、中将の君が、道心深くいらっしゃることなどを、お話し申し上げて、
「経文などの真意を会得したい希望が、幼い時から深く思いながら、やむをえず世にあるうちに、公私に忙しく日を過ごし、わざわざ部屋に閉じ籠もって経を読み習い、だいたいが大して役にも立たない身として、世の中に背き顔をしているのも、遠慮することではないが、自然と修業も怠って、俗事に紛れて過ごして来たが、たいそうご立派なご様子を承ってから、このように心にかけて、お頼み申し上げるのです、などと、熱心に申し上げなさいました」などとお話し申し上げる。
宮は、
「世の中を仮の世界と思い悟り、厭わしい心がつき始めたことも、自分自身に不幸がある時、大方の世も恨めしく思い知るきっかけがあって、道心も起こることのようですが、年若く、世の中も思い通りに行き、何事も満足しないことはないと思われる身分で、そのようにまた、来世までを、考えていらっしゃるのが立派です。
わたしは、そうなるべき運命なのか、ただ厭い離れよと、格別に仏などのお勧めになるような状態で、自然と、静かな思いが適って行きましたが、余命少ない気がするのに、ろくに悟りもしないで、過ぎてしまいそうなのを、過去も未来も、全然悟るところがなく思われるが、かえって、恥入るような仏法の友の方で、いらっしゃいますね」
などおっしゃって、お互いにお手紙を交わし、自分自身でも参上なさる。
[2-4 薫、八の宮と親交を結ぶ]
なるほど、聞いていたよりもいたわしく、お暮らしになっている様子をはじめとして、まことに仮の粗末な庵で、そう思うせいか、簡素に見えた。同じ山里と言っても、それなりに興味惹かれそうな、のんびりとしたところもあるのだが、実に荒々しい水の音、波の響きに、物思いを忘れたり、夜などは、気を許して夢をさえ見る間もなさそうに、風がものすごく吹き払っていた。
「仏道修業者めいた人のためには、このようなことも、気にならないことなのであろうが、女君たちは、どのような気持ちで過ごしていらっしゃるのだろう。世間一般の女性らしく優しいところは、少ないのではなかろうか」と推量されるご様子である。
仏間との間に、襖障子だけを隔てていらっしゃるようである。好色心ある人は、気のあるそぶりをして、姫君のお気持ちを見たく、やはりどのようなものかと、興味惹かれるご様子である。
けれども、「そのような方面を思い離れた願いで、山深くお尋ね申した目的もなく、好色がましいいいかげんなことを口に出してふざけるのも、主旨と違うのではないか」などと反省して、宮のご様子のまことにいたわしいのを、丁重にお見舞い申し上げなさり、度々参上しては、思っていたように、在俗のまま山に籠もり修業する深い意義、経文などを、特に賢ぶることなく、まことよくお聞かせになる。
聖めいた人、学問のできる法師などは、世の中に多くいるが、あまりに堅苦しく、よそよそしい徳の高い僧都、僧正の身分は、世間的に忙しくそっけなくて、物事の道理を問いただすにも、仰々しく思われなさる。
また、これといったこともない仏の弟子で、戒律を守っているだけの尊さはあるが、雰囲気が賤しく言葉がなまって、不作法に馴れ馴れしいのは、とても不愉快で、昼は、公事に忙しくなどしながら、ひっそりとした宵のころに、側近くの枕許などに召し入れてお話しなさるにつけても、まことにやはりむさ苦しい感じばかりがするが、たいそう気品高く、いたいたしい感じで、おっしゃる言葉も、同じ仏のお教えも、分りやすい譬えをまぜて、たいそうこの上なく深いお悟りというわけではないが、身分の高い方は、物事の道理を悟りなさる方法が、特別でいらっしゃったので、だんだんとお親しみ申し上げなさる度毎に、いつもお目にかかっていたく思って、忙しくなどして日を過ごしている時は、恋しく思われなさる。
この君が、このように尊敬申し上げなさるので、冷泉院からも、常にお手紙などがあって、長年、噂にもまったくお聞きなされず、ひどく寂しそうであったお住まいに、だんだん来訪の人影を見る時々がある。何かの時に、お見舞い申し上げなさること、大したもので、この君も、まず適当なことにかこつけては、風流な面でも、経済的な面でも、好意をお寄せ申し上げなさること、三年ほどになった。
3 薫の物語 八の宮の娘たちを垣間見る
[3-1 晩秋に薫、宇治へ赴く]
秋の末方に、四季毎に当ててなさるお念仏を、この川辺では、網代の波も、このころは一段と耳うるさく静かでないので、と言って、あの阿闍梨が住む寺の堂にお移りになって、七日程度勤行なさる。姫君たちは、たいそう心細く、何もすることのない日が増えて物思いに耽っていらっしゃるころ、中将の君が、久しく参らなかったなと、お思い出し申されるままに、有明の月が、まだ夜深く差し出たころに出立して、たいそうこっそりと、お供に人などもなく、質素にしておいでになった。
川のこちら側なので、舟なども煩わさず、御馬でいらっしゃったのであった。山に入って行くにつれて、霧で塞がって、道も見えない生い茂った木の中を分け入って行かれると、とても荒々しく吹き競う風に、ほろほろと散り乱れる木の葉の露が散りかかるのも、たいそう冷たくて、自分から求めてひどく濡れておしまいになった。このような外歩きなども、あまり御経験ないお気持ちには、心細く興味深く思われなさった。
「山颪の風に堪えない木の葉の露よりも
妙にもろく流れるわたしの涙よ」
山賤が目を覚ますのも厄介だと思って、随身の声もおさせにならない。柴の籬を分けて、どことなく流れる水の流れを踏みつける馬の足音も、やはり、人目につかないようにと気をつけていらっしゃったのに、隠すことのできない御匂いが、風に漂って、どなたの香かと目を覚ます家々があるのであった。
近くなるころに、何の琴とも聞き分けることができない楽器の音色が、たいそうもの寂しく聞こえる。「いつもこのように遊んでいらっしゃると聞いたが、その機会がなくて、親王の御琴の音色の評判高いのも、聞くことができないでいた。ちょうど良い機会だろう」と思いながらお入りになると、琵琶の音の響きであった。「黄鐘調」に調律して、普通の掻き合わせだが、場所柄か、耳馴れない気がして、掻き返す撥の音も、何となく清らかで美しい。箏の琴は、しみじみと優美な音がして、途切れ途切れに聞こえる。
[3-2 宿直人、薫を招き入れる]
暫く聞いていたいので、隠れていらしたが、お気配をはっきりと聞きつけて、宿直人らしい男で、何か愚直そうなのが、出て来た。
「いかじかの理由で籠もっていらっしゃいます。お手紙を差し上げましょう」と申す。
「なに、その必要はない。そのように日数を限った御勤行のところを、お邪魔申し上げるのもいけない。このように濡れながらわざわざ参って、むなしく帰る嘆きを、姫君の御方に申し上げて、お気の毒にとおっしゃっていただけたら、慰められるでしょう」
とおっしゃると、醜い顔がにこっとして、
「申し上げさせていただきましょう」と言って立つのを、
「ちょっと待て」と召し寄せて、
「長年、人伝てにばかり聞いて、聞きたく思っていたお琴の音を、嬉しい時だよ。暫くの間、少し隠れて聞くのに適当な物蔭はないか。不適切にも出過ぎて参上したりする間に、皆が琴をお止めになっては、まことに残念であろう」
とおっしゃる。そのお振る舞い、容姿容貌が、そのようなつまらない男の考えでも、実に立派に恐れ多く見えたので、
「誰も聞かない時には、明け暮れこのようにお弾きになりますが、下人であっても、都の方面から参って、加わっている人がある時は、お弾かせなさりません。だいたい、こうして女君たちがいらっしゃることをお隠しになり、世間の人にお知らせ申すまいと、お考えになりおっしゃっているのです」
と申し上げるので、ほほ笑みなさって、
「つまらないお隠しだてだ。そのようにお隠しになるというが、誰も皆、類まれな例として、聞き出すに違いないだろうに」とおっしゃって、「やはり、案内せよ。わたしは好色がましい心などは、持っていないのだ。こうしていらっしゃるご様子が、不思議で、なるほど、並々には思えないのだ」
と懇切におっしゃると、
「ああ、恐れ多い。物をわきまえぬ奴と、後から言われることがありましょう」
と言って、あちらのお庭先は、竹の透垣を立てめぐらして、すべて別の塀になっているのを、教えてご案内申し上げた。お供の人は、西の廊に呼び止めて、この宿直人が相手をする。
[3-3 薫、姉妹を垣間見る]
あちらに通じているらしい透垣の戸を、少し押し開けて御覧になると、月が美しい具合に霧がかかっているのを眺めて、簾を短く巻き上げて、女房たちが座っている。簀子に、たいそう寒そうに、痩せてみすぼらしい着物の女童一人と、同じ姿をした大人などが座っていた。内側にいる人一人、柱に少し隠れて、琵琶を前に置いて、撥をもてあそびながら座っていたところ、雲に隠れていた月が、急にぱあっと明るく差し出たので、
「扇でなくて、これでもっても、月は招き寄せられそうだわ」
と言って、外を覗いている顔、たいそうかわいらしくつやつやしているのであろう。
添い臥している姫君は、琴の上に身をもたれかけて、
「入り日を戻す撥というのはありますが、変わったことを思いつきなさるお方ですこと」
と言って、ちょっとほほ笑んでいる様子、もう少し落ち着いて優雅な感じがした。
「そこまでできなくても、これも月に縁のないものではないわ」
などと、とりとめもないことを、気を許して言い合っていらっしゃる二人の様子、まったく見ないで想像していたのとは違って、とても可憐で親しみが持て感じがよい。
「昔物語などに語り伝えて、若い女房などが読むのを聞くにも、必ずこのようなことを言っていたが、そのようなことはないだろう」と、想像していたのに、「なるほど、人の心を打つような隠れたことがある世の中だったのだな」と、心が惹かれて行きそうである。
霧が深いので、はっきりと見ることもできない。再び、月が出て欲しいとお思いになっていた時に、奥の方から、「お客様です」と申し上げた人がいたのであろうか、簾を下ろして皆入ってしまった。驚いたふうでもなく、ものやわらかに振る舞って、静かに隠れた方々の様子、衣擦れの音もせず、とても柔らかくなっておいたわしい感じで、ひどく上品で優雅なのを、しみじみとお思いなさる。
静かに出て、京に、お車を引いて参るよう、人を走らせた。先ほどの男に、
「具合悪い時に参ってしまいましたが、かえって嬉しく、思いが少し慰められました。このように参った旨を申し上げよ。ひどく露に濡れた愚痴も申し上げたい」
とおっしゃると、参上して申し上げる。
[3-4 薫、大君と御簾を隔てて対面]
このように見られただろうかとはお考えにもならず、気を許して話していたことを、お聞きになったろうかと、実にたいそう恥ずかしい。不思議と、香ばしく匂う風が吹いていたのを、思いかけない時なので、「気がつかなかった迂闊さよ」と、気も動転して、恥ずかしがっていらっしゃる。
ご挨拶などを伝える人も、とても物馴れていない人のようなので、「時と場合によって、何事も臨機応変に」とお思いになって、まだ霧でよく見えない時なので、先ほどの御簾の前に歩み出て、お座りになる。
山里めいた若い女房たちは、お答えする言葉も分からず、お敷物を差し出す恰好も、たどたどしそうである。
「この御簾の前では、きまり悪うございますよ。一時の軽い気持ちぐらいでは、こんなにも尋ねて参れないような難しい険しい山路と存じておりましたが、これは変わったお扱いで。このように露に濡れ濡れ何度も参ったら、いくらなんでも、ご存知でいらっしゃろうと、頼もしく存じております」
と、とてもまじめにおっしゃる。
若い女房たちが、すらすらと何か申し上げることもできず、正体もないほど恥ずかしがっているのも、見ていられないので、年配の女房で奥に寝ている者を起こし出している間、ひまどって、わざとらしいのも気の毒になって、
「何事も存じませんわたくしどもで、知ったふうに、どうして、お答え申し上げられましょうか」
と、たいそう優雅で、上品な声をして、引っ込みながらかすかにおっしゃる。
「実は分かっておいでなのに、辛さを知らないふりをするのも、世の習いと存じておりますが、ほかならぬあなたが、あまりにそらぞらしいおっしゃりようをなさるのは、残念に存じます。めったになく、何事につけ悟り澄ましていらっしゃるご生活などに、ご一緒申されておいでのご心中は、万事涼しく推量されますから、やはり、このように秘めきれない気持ちの深さ浅さも、お分かりいただけることは、効がございましょう。
世の常の好色がましいこととは、違ってお考えいただけませんか。そのようなことは、ことさら勧める人がありましても、言う通りにはならない決心の強さです。
自然とお聞き及びになることもございましょう。所在なくばかり過ごしております世間話も、聞いていただくお相手として頼み申し上げ、またこのように、世間から離れて、物思いあそばしていられるお心の気紛らわしには、そちらからそうと、話しかけてくださるほどに親しくさせていただけましたら、どんなにか嬉しいことでございましょう」
などと、たくさんおっしゃると、遠慮されて、答えにくくて、起こした老人が出て来たので、お任せになる。
[3-5 老女房の弁が応対]
たとえようもなく出しゃばって、
「まあ、恐れ多いこと。失礼なご座所でございますこと。御簾の中にどうぞ。若い女房たちは、物の道理を知らないようでございます」
などと、ずけずけと言う声が年寄じみているのも、きまり悪く姫君たちはお思いになる。
「まことに妙に、世の中に暮らしていらっしゃる方のお仲間入りもなさらないご様子で、当然訪問してよい方々でさえ、人並み扱いにご訪問申される方々も、お見かけ申さないようにばかりなって行くようですので、もったいないお志のほどを、人数にも入らないわたしでも、意外なとまでお思い申し上げさせていただいておりますが、若い姫君たちもご存知でありながら、お申し上げなさりにくいのでございましょうか」
と、まことに遠慮なく馴れ馴れしいのも、小憎らしい一方で、感じはたいそうひとかどの人物らしく、教養のある声なので、
「まこと取りつく島もない気がしていたが、嬉しいおっしゃりようです。何事も、なるほど、ご存知であった頼もしさは、この上ないことです」
とおっしゃって、寄り掛かって座っていらっしゃるのを、几帳の側から見ると、曙の、だんだん物の色が見えてくる中で、なるほど、質素にしていらっしゃると見える狩衣姿が、たいそう露に濡れて湿っているのが、「何と、この世以外の匂いか」と、不思議なまで薫り満ちていた。
[3-6 老女房の弁の昔語り]
この老人は泣き出した。
「出過ぎた者とのお咎めもあるやと、存じて控えておりますが、しみじみとした昔のお話の、どのような機会にお話申し上げ、その一部分を、ちらっとお耳に入れたいと、長年念誦の折にも、祈り続けてまいった効があってでしょうか、嬉しい機会でございますが、まだのうちから涙が込み上げて来て、申し上げることができませんわ」
と、震えている様子、ほんとうにひどく悲しいと思っていた。
だいたい、年老いた人は、涙もろいものとは見聞きなさっていたが、とてもこんなにまで思っているのも、不思議にお思いになって、
「ここに、このように参ることは、度重なったが、このように物のあわれをご存知の方がいなくて、露っぽい道中で、一人だけ濡れました。嬉しい機会のようですので、すっかりおっしゃってください」とおっしゃると、
「このような機会は、ございますまい。また、ございましても、明日をも知らない寿命を、当てにできません。それでは、ただ、このような老人が、世の中におったとだけ、ご存知いただきたい。
三条の宮におりました小侍従、亡くなってしまったと、ちらっと聞きました。その昔、親しく存じておりました同じ年配の者は、多く亡くなりました晩年に、遠い田舎から縁故を頼って上京して来て、この五、六年のほど、ここにこのようにしてお仕えております。
ご存知ではないでしょう、最近、藤大納言と申すお方の御兄君で、右衛門督でお亡くなりになった方は、何かの機会にか、あのお方の事として、お伝え聞きなさっていることはございましょう。
お亡くなりになって、まだいかほども経っていないような気ばかりがします。その時の悲しさも、まだ袖が乾く時の間もなく存じられますが、このように大きくおなりあそばしたお年のほども、夢のような思われます。
あの故権大納言の御乳母でございました人は、弁の母でございました。朝夕に身近にお仕えいたしましたところ、物の数にも入らない身ですが、誰にも知らせず、お心にあまったことを、時々ちらっとお漏らしになりましたが、いよいよお最期とおなりになったご病気の末頃に、呼び寄せて、わずかにご遺言なさったことがございましたが、ぜひお耳に入れなければならない子細が、一つございますけれども、これだけ申し上げましたので、さらに続きをとお思いになるお考えがございましたら、改めてごゆっくり、すっかりお話し申し上げましょう。若い女房たちも、みっともなく、出過ぎた者と、非難するのも、もっともなことですから」
と言って、さすがに最後まで言わずに終わった。
不思議な、夢語り、巫女などのような者が、問わず語りをしているように、珍しい話と思わずにはいらっしゃれないが、しみじみと本当のことが知りたいと思い続けて来た方面のことを申し上げたので、ひどく先が知りたいが、なるほど、人目も多いし、不意に昔話にかかわって、夜を明かしてしまうのも、無作法であるから、
「はっきりと思い当たるふしは、ないものの、昔のことと聞きますのも、心をうちます。それでは、きっとこの続きをお聞かせください。霧が晴れていったら、見苦しいやつした姿を、無礼のお咎めを受けるに違いない姿なので、思っておりますように行かず、残念でなりません」
とおっしゃって、お立ちになると、あのいらっしゃる寺の鐘の音が、かすかに聞こえて、霧がたいそう深く立ち込めていた。
[3-7 薫、大君と和歌を詠み交して帰京]
峰の幾重にも重なった雲の、思いやるにも隔てが多く、心痛むが、やはり、この姫君たちのご心中もおいたわしく、「物思いのありたけを尽くしていられよう。あのように、とても引っ込みがちでいらっしゃるのも、もっともなことだ」などと思われる。
「夜も明けて行きますが帰る家路も見えません
尋ねて来た槙の尾山は霧が立ち込めていますので
心細いことですね」
と、引き返して立ち去りがたくしていらっしゃる様子を、都の人で見慣れた人でさえ、やはり、たいそう格別にお思い申し上げているのに、まして、どんなにか珍しく思わないことあろうか。お返事を申し上げにくそうに思っているので、いつものように、たいそう慎ましそうにして、
「雲のかかっている山路を秋霧が
ますます隔てているこの頃です」
少し嘆いていらっしゃる様子、並々ならず胸を打つ。
何ほども風情の見えない辺りだが、なるほど、おいたわしいことが多くある中にも、明るくなって行くと、いくら何でも直接顔を合わせる感じがして、
「なまじお言葉を聞いたために、途中までしか聞けなかった思いの多くの残りは、もう少しお親しみになってから、恨み言も申し上げさせていただきましょう。一方では、このように世間の人並みに、お扱いなさることは、意外にもお分かりにならない方だと、恨めしくて」
と言って、宿直人が準備した西面にいらっしゃって、眺めなさる。
「網代では、人が騒いでいるようだ。けれど、氷魚も寄って来ないのだろうか。景気の悪そうな様子だ」
と、お供の人々は見知っていて言う。
「粗末な幾隻もの舟に、柴を刈り積んで、それぞれ何ということもない生活に、上り下りしている様子に、はかない水の上に浮かんでいるが、誰も皆考えてみれば同じことである、無常の世だ。自分は水に浮かぶような様でなく、玉の台に落ち着いている身だと、思える世だろうか」と思い続けられずにはいられない。
硯を召して、あちらに申し上げなさる。
「姫君たちのお寂しい心をお察しして
浅瀬を漕ぐ舟の棹の、涙で袖が濡れました
物思いに沈んでいらっしゃることでしょう」
と言って、宿直人にお持たせになった。たいそう寒そうに、鳥肌の立つ顔して持って上る。お返事は、紙の香などが、いいかげんな物では恥ずかしいが、早いのだけをこのような場合は取柄としよう、と思って、
「棹さして何度も行き来する宇治川の渡し守は朝夕の雫に
濡れてすっかり袖を朽ちさせていることでしょう
身まで浮かんで」
と、実に美しくお書きになっていらっしゃた。「申し分なく感じの良い方だ」と、心が惹かれたが、
「お車を牽いて参りました」
と、供人が騒がしく申し上げるので、宿直人だけを召し寄せて、
「お帰りあそばしたころに、きっと参りましょう」
などとおっしゃる。濡れたお召し物は、皆この人に脱ぎ与えなさって、取りにやったお直衣にお召し替えになった。
[3-8 薫、宇治へ手紙を書く]
老人の話が、気にかかって思い出される。思っていたよりは、この上なく優れていて、立派だったご様子が、面影にちらついて、「やはり、思い離れがたいこの世だ」と、心弱く思い知らされる。
お手紙を差し上げなさる。懸想文めいてではなく、白い色紙で厚ぼったい紙に、筆は念入りに選んで、墨つきも見事にお書きになる。
「ぶしつけなようではないかと、むやみに差し控えまして、話し残したことが多いのも辛いことです。一部お話し申し上げておいたように、今からは、御簾の前も、気安くお許しくださいますように。お山籠もりが済みます日を伺っておきまして、霧に閉ざされた迷いも、晴れることでしょう」
などと、たいそう生真面目にお書きになっている。左近将監である人を、お使いとして、
「あの老人を訪ねて、手紙を渡すように」
とおっしゃる。宿直人が寒そうにしてうろうろしていたのなど、気の毒にお思いやりになって、大きな桧破子のようなものを、たくさん届けさせなさる。
翌日、あちらのお寺にも差し上げなさる。「山籠もりの僧たち、近頃の嵐には、とても心細く辛いだろうに、そうして籠もっていらっしゃる間のお布施を、なさらねばならないだろう」とご想像になって、絹、綿など多かった。
ご勤行が終わって、下山なさる朝だったので、修行者たちに、綿、絹、袈裟、法衣など、総じて一領ずつ、いるすべての大徳たちにお与えになる。
宿直人は、お脱ぎ捨てになった、優艷で立派な狩のお召物の、何ともいえない白い綾織物の、柔らかでいいようもなく匂っているのを、そのまま身に着けて、身は変えることのできないものなので、似つかわしくない袖の香を、会う人ごとに怪しまれたり、褒められたりするのが、かえって身の置きどころがないのであった。
思いのままに、身を気軽に振る舞うこともきず、とても気持ち悪いまでに、人が驚く匂いを、無くしたいものだと思うが、大層な方の御移り香なので、洗い捨てることもできないのが、困ったものであるよ。
[3-9 薫、匂宮に宇治の姉妹を語る]
君は、姫君のお返事が、とてもよく整っていておおようなのを、風情があると御覧になる。父宮にも、「このようにお手紙がありました」などと、女房たちが申し上げ、御覧に入れると、
「いや、なに。懸想めいてお扱いなさるのも、かえって嫌なことであろう。普通の若い人に似ないご性格のようだから、亡くなった後もなどと、一言ほのめかしておいたので、そのような気持ちで、心にかけているのだろう」
などとおっしゃるのであった。ご自身も、さまざまなお見舞い品が、山寺にあふれたことなどをおっしゃっているころに、参ろうとお思いになって、「三の宮が、このように奥まった所に住む女が、会えば見まさりするのは、おもしろいことだろうと、せいぜい想像するだけでおっしゃっているのも、羨ましがらせて、お気持ちを揉ませ申そう」とお考えになって、のんびりした夕暮に参上なさった。
いつもものように、いろいろなお話をおとり交わしなさる折に、宇治の宮のことを話し出して、見た早朝の様子などを、詳しく申し上げなさると、宮は、切に興味深くお思いになった。
やはり予想通りであったと、お顔色を見て、ますますお心が動くように話し続けなさる。
「ところで、その来たお返事は、どうしてお見せ下さらなかったのですか。わたしだったなら」とお恨みになる。
「そうです。実にいろいろと御覧になるような一部分さえ、お見せ下さらない。あのあたりは、このようにとても陰気くさい男が、独占していてよい人とも思えませんので、きっと御覧に入れたい、と存じますが、どうしてお訪ねなさることができましょう。気軽な身分の者こそ、浮気がしたければ、いくらでも相手のいる世の中でございます。人目につかない所では多いようですね。
それ相応に魅力のある女で、物思いして、こっそり住んでいる家々が、山里めいた隠れ処などに、自然といるようでございます。この申し上げるあたりは、たいそう世間離れした聖ふうで、ごつごつしたようであろうと、長い間、軽蔑しておりまして、耳をさえ、止めませんでした。
ほのかな月光の下で見た通りの器量であったら、十分なものでしょうよ。感じや態度は、それはまた、あの程度なのを、理想的な女とは、思うべきでしょう」
などと申し上げなさる。
しまいには、本気になってとても憎らしく、「並大抵の女に心を移しそうにない人が、このように深く思っているのを、いい加減なことではないだろう」と、興味をお持ちになることは、この上なく高まった。
「さらに、またまた、よく様子を探って下さい」
と、相手を勧めなさって、制約あるご身分の高さを、疎ましいまでに、いらだたしく思っていらっしゃるので、おもしろくなって、
「いや、つまらないことでございます。暫くの間も、世の中に執着心を持つまい思っておりますこの身で、ほんの遊びの色恋沙汰も気が引けますが、我ながら抑えかねる気持ちが起こったら、大いに思惑違いのことも、起こりましょう」
と申し上げなさると、
「いや、まあ、大げさな。例によって、物々しい修行者みたいな言葉を、最後まで見てみたいものだ」
と言ってお笑いになる。心の中では、あの老人がちらっと言った話などが、ますます心を騒がせて、何となく物思いがちなのに、心をとめかすことも、美しいと聞く人のことも、どれほども心に止まらないのだった。
4 薫の物語 薫、出生の秘密を知る
[4-1 10月初旬、薫宇治へ赴く]
十月になって、五、六日の間に、宇治へ参られる。
「網代を、この頃は御覧なさい」と、申し上げる人びとがいるが、
「どうして、その蜉蝣とはかなさを争うような身で、網代の側に行こうか」
と、お省きなさって、例によって、たいそうひっそりと出立なさる。気軽に網代車で、かとりの直衣指貫を仕立てさせて、ことさらお召しになっていた。
宮は、お待ち喜びになって、場所に相応しい饗応など、興趣深くなさる。日が暮れたので、大殿油を近くに寄せて、前々から読みかけていらした経文類の深い意味などを、阿闍梨も下山してもらい、釈義などを言わせなさる。
少しもうとうととなさらずに、川風がたいそう荒々しいうえに、木の葉が散り交う音、水の響きなど、しみじみとした情感なども通り越して、何となく恐ろしく心細い場所の様子である。
明け方近くになったろうと思う時に、先日の夜明けの様子が思い出されて、琴の音がしみじみと身にしみるという話のきっかけを作り出して、
「前回の、霧に迷わされた夜明けに、たいそう珍しい楽の音を、ちょっと拝聴した残りが、かえっていっそう聞きたく、物足りなく思っております」などと申し上げなさる。
「美しい色や香も捨ててしまった後は、昔聞いたこともみな忘れてしまいました」
とおっしゃるが、人を召して、琴を取り寄せて、
「まことに似合わなくなってしまった。先導してくれる音に付けて、思い出されようかしら」
と言って、琵琶を召して、客人にお勧めなさる。手に取って調子を合わせなさる。
「まったく、かすかに聞きましたものと同じ楽器とは思われません。お琴の響きからかと、存じられました」
と言って、気を許してお弾きにならない。
「何と、まあ、口の悪い。そのようにお耳にとまるほどの弾き方などは、どこからここまで伝わって来ましょう。ありえない事です」
と言って、琴を掻き鳴らしなさる、実にしみじみとぞっとする程である。一方では、峰の松風が引き立てるのであろう。たいそうおぼつかなく不確かなようにお弾きになって、趣きがある。曲目を一つだけでお止めになった。
[4-2 薫、八の宮の娘たちの後見を承引]
「このあたりに、思いがけなく、時々かすかに弾く箏の琴の音は、会得しているのか、と聞くこともございますが、気をつけて聴くことなどもなく、久しくなってしまったな。気の向くままに、それぞれ掻き鳴らすらしいのは、川波だけが合奏するのでしょう。もちろん、きちんとした拍子なども、身についてない、と存じます」と言って、「お弾きなさい」
と、あちらに向かって申し上げなさるが、「思いもかけなかった独り琴を、お聞きになった方さえあるのを、とても未熟だろう」と言って引き籠もっては、すっかりお聞きにならない。何度もお勧め申し上げなさるが、何かと言い逃れなさって、終わってしまったようなので、とても残念に思われる。
この機会にも、このように妙に、世間離れしたように思われて暮らしている様子が、不本意なことだと、恥ずかしくお思いになっていた。
「誰にも何とかして知らせまいと、育てて来たが、今日明日とも知れない寿命の残り少なさに、何といっても、将来長い二人が、落ちぶれて流浪すること、これだけが、なるほど、この世を離れる際の妨げです」
と、お話しなさるので、おいたわしく拝見なさる。
「特別のお後見、はっきりした形ではございませんでも、他人行儀でなくお思いくださっていただきたく存じます。少しでも長く生きております間は、一言でも、このようにお引き受け申し上げた旨に、背きますまいと存じます」
などと申し上げなさると、「とても嬉しいこと」と、お思いになりおっしゃる。
[4-3 薫、弁の君の昔語りの続きを聞く]
そうして、払暁の、宮がご勤行をなさる時に、あの老女を召し出して、お会いになった。
姫君のご後見として伺候させなさっている、弁の君と言った人である。年も六十に少し届かない年齢だが、優雅で教養ある感じがして、話など申し上げる。
故大納言の君が、いつもずっと物思いに沈み、病気になって、お亡くなりになった様子を、お話し申し上げて泣く様子はこの上ない。
「なるほど、他人の身の上話として聞くのでさえ、しみじみとした昔話を、それ以上に、長年気がかりで、知りたく、どのようなことの始まりだったのかと、仏にも、このことをはっきりとお知らせ下さいと、祈って来た効があってか、このように夢のようなしみじみとした昔話を、思いがけない機会に聞き付けたのだろう」とお思いになると、涙を止めることができなかった。
「それにしても、このように、その当時の事情を知っている人が生き残っていらっしゃったよ。驚きもし恥ずかしくも思われる話について、やはり、このように伝え知っている人が、他にもいるだろうか。長年、少しも聞き及ばなかったが」とおっしゃると、
「小侍従と弁を除いて、他に知る人はございませんでしょう。一言でも、また他人には話しておりません。このように頼りなく、一人前でもない身分でございますが、昼も夜もあの方のお側に、お付き申し上げておりましたので、自然と事の経緯をも拝見致しましたので、お胸に納めかねていらっしゃった時々、ただ二人の間で、たまのお手紙のやりとりがございました。恐れ多いことですので、詳しくは存じ上げません。
ご臨終におなりになって、わずかにご遺言がございましたが、このような身には、処置に窮しまして、気がかりに存じ続けながら、どのようにしてお伝え申し上げたらよいかと、おぼつかない念誦の折にも、祈っておりましたが、仏はこの世にいらっしゃったのだ、と存じられました。
御覧入れたい物がございます。もう必要がない、いっそ、焼き捨ててしまいましょうか。このように朝夕の露のようにいつ消えてしまうかも分からない身の上で、放っておきましたら、他人の目にも触れようかと、とても気がかりに存じておりましたが、この邸辺りにも、時々、お立ち寄りになるのを、お待ち申し上げるようになりましてからは、少し頼もしく、このような機会もあろうかと、祈っておりました効が出て参りました。まったく、これは、この世だけの事ではございません」
と、泣く泣く、こまごまと、お生まれになった時の事も、よく思い出しながら申し上げる。
[4-4 薫、父柏木の最期を聞く]
「お亡くなりになりました騷ぎで、母でございました者は、そのまま病気になって、まもなく亡くなってしまいましたので、ますますがっかり致し、喪服を重ね重ね着て、悲しい思いを致しておりましたところ、長年、大して身分の良くない男で思いを懸けておりました人が、わたしをだまして、西海の果てまで連れて行きましたので、京のことまでが分からなくなってしまって、その人もあちらで死んでしまいました後、十年余りたって、まるで別世界に来た心地で、上京致しましたが、こちらの宮は、父方の関係で、子供の時からお出入りした縁故がございましたので、今はこのように世間づきあいできる身分でもございませんが、冷泉院の女御様のお邸などは、昔、よくお噂をうかがっていた所で、参上すべく思いましたが、体裁悪く思われまして、参ることができず、深山奥深くの老木のようになってしまったのです。
小侍従は、いつか亡くなったのでございましょう。その昔の、若い盛りに見えました人は、数少なくなってしまった晩年に、たくさんの人に先立たれた運命を、悲しく存じられながら、それでもやはり生き永らえております」
などと申し上げているうちに、いつものように、夜がすっかり明けた。
「もうよい、それでは、この昔語りは尽きないようだ。また、他人が聞いていない安心な所で聞こう。侍従と言った人は、かすかに覚えているのは、五、六歳の時であったろうか、急に胸を病んで亡くなったと聞いている。このような対面がなくては、罪障の重い身で終わるところであった」などとおっしゃる。
[4-5 薫、形見の手紙を得る]
小さく固く巻き合わせた反故類で、黴臭いのを袋に縫い込んであるのを、取り出して差し上げる。
「あなた様のお手でご処分なさいませ。『わたしは、もう生きていられそうもなくなった』と仰せになって、このお手紙を取り集めて、お下げ渡しになったので、小侍従に、再びお会いしました機会に、確かに差し上げてもらおう、と存じておりましたのに、そのまま別れてしまいましたのも、私事ながら、いつまでも悲しく存じられます」
と申し上げる。さりげないふうに、これはお隠しになった。
「このような老人は、問わず語りにも、不思議な話の例として言い出すのだろう」とつらくお思いになるが、「繰り返し繰り返し、他言をしない旨を誓ったのを、信じてよいか」と、再び心が乱れなさる。
お粥や、強飯などをお召し上がりになる。「昨日は、休日であったが、今日は、内裏の御物忌も明けたろう。冷泉院の女一の宮が、御病気でいらっしゃるお見舞いに、必ず伺わなければならないので、あれこれ暇がございませんが、改めてこの時期を過ごして、山の紅葉が散らない前に参る」旨を、申し上げなさる。
「このように、しばしばお立ち寄り下さるお蔭で、山の隠居所も、少し明るくなった心地がします」
などと、お礼を申し上げなさる。
[4-6 薫、父柏木の遺文を読む]
お帰りになって、さっそくこの袋を御覧になると、唐の浮線綾を縫って、「上」という文字を表に書いてあった。細い組紐で、口の方を結んである所に、あのお名前の封が付いていた。開けるのも恐ろしく思われなさる。
色とりどりの紙で、たまに通わしたお手紙の返事が、五、六通ある。それには、あの方のご筆跡で、病が重く臨終になったので、再び短いお便りを差し上げることも難しくなってしまったが、会いたいと思う気持ちが増して、お姿もお変わりになったというのが、それぞれに悲しいことを、陸奥国紙五、六枚に、ぽつりぽつりと、奇妙な鳥の足跡のように書いて、
「目の前にこの世をお背きになるあなたよりも
お目にかかれずに死んで行くわたしの魂のほうが悲しいのです」
また、端のほうに、
「めでたく聞いております子供の事も、気がかりに存じられることはありませんが、
生きていられたら、それをわが子だと見ましょうが
誰も知らない岩根に残した松の成長ぶりを」
書きさしたように、たいそう乱れた書き方で、「小侍従の君に」と表には書き付けてあった。
紙魚という虫の棲み処になって、古くさく黴臭いけれど、筆跡は消えず、まるで今書いたものとも違わない言葉が、詳細で具体的に書いてあるのを御覧になると、「なるほど、人目に触れでもしたら大変だった」と、不安で、おいたわしい事どもなのである。
「このような事が、この世に二つとあるだろうか」と、胸一つにますます煩悶が広がって、内裏に参ろうとお思いになっていたが、お出かけになることができない。母宮の御前に参上なさると、まったく無心に、若々しいご様子で、読経していらっしゃったが、恥ずかしがって、身をお隠しになった。「どうして、秘密を知ってしまったと、お気づかせ申そう」などと、胸の中に秘めて、あれこれと考え込んでいらっしゃった。
46. 椎本
薫君の宰相中将時代23歳春2月から24歳夏までの物語
- 匂宮、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る 二月の二十日ころに、兵部卿宮、初瀬にお参りになる
- 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す 土地に相応しい、ご設営などを興趣深く整えて
- 薫、迎えに八の宮邸に来る 中将はお伺いなさる。遊びに夢中になっている公達を誘って
- 匂宮と中の君、和歌を詠み交す あの宮は、それ以上に気軽に動けないご身分までをも
- 八の宮、娘たちへの心配 宮は、重く身を慎むべきお年なのであった
1 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る
- 秋、薫、中納言に昇進し、宇治を訪問 宰相中将は、その年の秋に、中納言におなりになった
- 薫、八の宮と昔語りをする まだ夜明けには遠い月が明るく差し出して、山の端が近い感じがするので
- 薫、弁の君から昔語りを聞き、帰京 こちらで、あの問わず語りの老女を召し出して
- 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る 秋が深まって行くにつれて、宮は、ひどく何となく心細く
- 8月20日、八の宮、山寺で死去 あの勤行なさる念仏三昧は、今日終わることだろうと
- 阿闍梨による法事と薫の弔問 阿闍梨は、長年お約束なさっていたことに従って
2 薫の物語 秋、八の宮死去す
- 9月、忌中の姫君たち 夜の明けない心地のまま、九月になった
- 匂宮からの弔問の手紙 御忌中も終わった。限りがあるので、涙も絶え間があろうかと
- 匂宮の使者、帰邸 お使いは、木幡の山の辺りも、雨降りでとても恐ろしそうだが
- 薫、宇治を訪問 中納言殿へのお返事だけは、あちらからも
- 薫、大君と和歌を詠み交す お気持ちも、そうはいっても、だんだんと落ち着いて
- 薫、弁の君と語る 引き止めてよい場合でもないので、心残りにいたわしくお思いになる
- 薫、日暮れて帰京 今は泊まるのも落ち着かない気がして、お帰りなさるにも
- 姫君たちの傷心 兵部卿宮に対面なさる時は、まずこの姫君たちの御事を
3 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち
- 歳末の宇治の姫君たち 雪や霰が降りしくころは、どこもこのような風の音であるが
- 薫、歳末に宇治を訪問 中納言の君は、「新年は、少しも訪問することができないだろう
- 薫、匂宮について語る 「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがございましたね
- 薫と大君、和歌を詠み交す 「必ずしもご自身のこととしてお考えになることとも
- 薫、人びとを励まして帰京 「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうでございます
4 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち
- 新年、阿闍梨、姫君たちに山草を贈る 年が変わったので、空の様子がうららかになって
- 花盛りの頃、匂宮、中の君と和歌を贈答 花盛りのころ、宮は、「かざし」の和歌を思い出して
- その後の匂宮と薫 お胸に抑えきれなくなって、ただ中納言を
- 夏、薫、宇治を訪問 その年は、例年よりも暑さを人がこぼすので
- 障子の向こう側の様子 まず、一人が立って出て来て、几帳から覗いて
5 宇治の姉妹の物語 匂宮、薫らとの恋物語始まる
1 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る
[1-1 匂宮、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る]
二月の二十日ころに、兵部卿宮、初瀬にお参りになる。昔立てた御願のお礼参りであったが、お思い立ちにもならないで数年になってしまったのを、宇治の辺りのご休息宿の興味で、大半の理由は出かける気になられたのであろう。恨めしいと言う人もあった里の名が、総じて慕わしくお思いなされる理由もたわいないことであるよ。上達部がとても大勢お供なさる。殿上人などはさらに言うまでもない、世に残る人はほとんどなくお供申した。
六条院から伝領して、右の大殿が所有していらっしゃる邸は、川の向こうで、たいそう広々と興趣深く造ってあるので、ご準備をさせなさった。大臣も、帰途のお迎えに参るおつもりであったが、急の御物忌で、厳重に慎みなさるよう申したというので、参上できない旨のお詫びを申された。
宮は、いささか興をそがれた思いがしたが、宰相中将が、今日のお迎えに参上なさっていたので、かえって気が楽で、あの辺りの様子も聞き伝えることができようと、ご満足なさった。大臣には、気楽にお会いしがたく、気のおける方とお思い申し上げていらっしゃった。
ご子息の公達の、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人兵衛佐などは、みなお供なさる。帝、后も特別におかわいがり申されていらっしゃる宮なので、世間一般のご信望もたいそう限りなく、それ以上に六条院のご縁者方は、次々の人も、みな私的なご主君として、親身にお仕え申し上げていらっしゃる。
[1-2 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す]
土地に相応しい、ご設営などを興趣深く整えて、碁、双六、弾棊の盤類などを取り出して、思い思いに遊びに一日をお過ごしなさる。宮は、お馴れにならない御遠出に、疲れをお感じになって、ここに泊まろうとのお考えが強いので、ちょっとご休憩なさって、夕方は、お琴などを取り寄せてお遊びになる。
例によって、このような世間離れした所は、水の音も引立て役となって、楽の音色もひときわ澄む気がして、あの聖の宮にも、ただ棹一さしで漕ぎ渡れる距離なので、追い風に乗って来る響きをお聞きになると、昔の事が自然と思い出されて、
「笛がたいそう美しく聞こえてくるなあ。誰であろう。昔の六条院のお笛の音を聞いたのは、それは実に興趣深げな愛嬌ある音色にお吹きになったものだ。これは澄み上って、大げさな感じが加わっているのは、致仕の大臣のご一族の笛の音に似ているな」などと、独り言をおっしゃる。
「ああ、何と昔になってしまったことよ。このような遊びもしないで、生きているともいえない状態で過ごしてきた年月が、それでも多く積もったとは、ふがいないことよ」
などとおっしゃる折にも、姫君たちのご様子がもったいなく、「このような山中に引き止めたままにはしたくないものだ」とついお思い続けになられる。「宰相の君が、同じことなら近い縁者としたい方だが、そのようには考えるわけには行かないようだ。まして近頃の思慮の浅いような人を、どうして考えられようか」などとお考え悩まれ、所在なく物思いに耽っていらっしゃる所は、春の夜もたいへん長く感じられるが、打ち興じていらっしゃる旅寝の宿は、酔いの紛れにとても早く夜が明けてしまう気がして、物足りなく帰ることを、宮はお思いになる。
はるばると霞わたっている空に、散る桜があると思うと今咲き始めるのなどもあり、色とりどりに見渡されるところに、川沿いの柳が風に起き臥し靡いて水に映っている影などが、並々ならず美しいので、見慣れない方は、たいそう珍しく見捨てがたいとお思いになる。
宰相は、このような機会を逃さず、「あの宮に伺いたい」とお思いになるが、「大勢の人目を避けて独り舟を漕ぎ出しなさるのも軽率ではないか」と躊躇していらっしゃるところに、あちらからお手紙がある。
「山風に乗って霞を吹き分ける笛の音は聞こえますが
隔てて見えますそちらの白波です」
草仮名でたいそう美しくお書きなっていた。宮、「ご関心の所からの」と御覧になると、たいそう興味深くお思いになって、「このお返事はわたしがしよう」と言って、
「そちらとこちらの汀に波は隔てていても
やはり吹き通いなさい宇治の川風よ」
[1-3 薫、迎えに八の宮邸に来る]
中将はお伺いなさる。遊びに夢中になっている公達を誘って、棹さしてお渡りになるとき、「酣酔楽」を合奏して、水に臨んだ廊に造りつけてある階段の趣向などは、その方面ではたいそう風流で、由緒ある宮邸なので、人びとは気をつけて舟からお下りになる。
ここはまた、趣が違って、山里めいた網代屏風などで、格別に簡略にして、風雅なお部屋のしつらいを、そのような気持ちで掃除し、たいそう心づかいして整えていらっしゃった。昔の、楽の音などまことにまたとない弦楽器類を、特別に用意したようにではなく、次々と弾き出しなさって、壱越調に変えて、「桜人」を演奏なさる。
主人の宮の、お琴をこのような機会にと、人びとはお思いになるが、箏の琴を、さりげなく、時々掻き鳴らしなさる。耳馴れないせいであろうか、「たいそう趣深く素晴らしい」と若い人たちは感じ入っていた。
土地柄に相応しい饗応を、たいそう風流になさって、はたから想像していた以上に、かすかに皇族の血筋を引くといった素性卑しからぬ人びとが大勢、王族で、四位の年とった人たちなどが、このように大勢客人が見える時にはと、以前からご同情申し上げていたせいか、適当な方々が皆参上し合って、瓶子を取る人もこざっぱりしていて、それはそれとして古風で、風雅にお持てなしなさった。客人たちは、宮の姫君たちが住んでいらっしゃるご様子、想像しながら、関心を持つ人もいるであろう。
[1-4 匂宮と中の君、和歌を詠み交す]
あの宮は、それ以上に気軽に動けないご身分までをも、窮屈にお思いであるが、せめてこのような機会にでもと、たまらなくお思いになって、美しい花の枝を折らせなさって、お供に控えている殿上童でかわいい子を使いにして差し上げなさる。
「山桜が美しく咲いている辺りにやって来て
同じこの地の美しい桜を插頭しに手折ったことです
野が睦まじいので」
とでもあったのであろうか。「お返事は、とてもできない」などと、差し上げにくく当惑していらっしゃる。
「このような時のお返事は、特別なふうに考えて、時間をかけ過ぎるのも、かえって憎らしいことでございます」
などと、老女房たちが申し上げるので、中の君にお書かせ申し上げなさる。
「插頭の花を手折るついでに、山里の家は
通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょう
わざわざ野を分けてまでもありますまい」
と、たいそう美しく、上手にお書きになっていた。
なるほど、川風も隔て心をおかずに吹き通う楽の音を、面白く合奏なさる。お迎えに、藤大納言が、勅命によって参上なさった。人びとが大勢参集して、何かと騒がしくして先を争ってお帰りになる。若い人たちは、物足りなく、ついつい後を振り返ってばかりいた。宮は、「また何かの機会に」とお思いになる。
花盛りで、四方の霞も眺めやる見所があるので、漢詩や和歌も、作品が多く作られたが、わずらわしいので詳しく尋ねもしないのである。
何かと騒々しくて、思うようにも意を尽くして言いやることもできずじまいだったことを、残念に宮はお思いになって、手引なしでもお手紙は常にあるのだった。宮も、
「やはり、お返事は差し上げなさい。ことさら懸想文のようには扱うまい。かえって心をときめかさせることになってしまいましょう。たいそう好色の親王なので、このような姫がいる、とお聞きになると、放っておけないと思うだけの戯れ事なのでしょう」
と、お促しなさる時々、中の君がお返事申し上げなさる。姫君は、このようなことは、冗談事にもご関心のないご思慮深さである。
いつとなく心細いご様子で、春の日長の所在なさは、ますます過ごしがたく物思いに耽っていらっしゃる。ご成長なさったご容姿器量も、ますます優れ、申し分なく美しいのにつけても、かえっておいたわしく、「不器量であったら、もったいなく、惜しいなどの思いは少なかったろうに」などと、明け暮れお悩みになる。
姉君は二十五歳、中の君は二十三歳におなりであった。
[1-5 八の宮、娘たちへの心配]
宮は、重く身を慎むべきお年なのであった。何となく心細くお思いになって、ご勤行を例年よりも弛みなくなさる。この世に執着なさっていないので、死出の旅立ちの用意ばかりをお考えなので、極楽往生も間違いないお方だが、ただこの姫君たちの事に、たいそうお気の毒で、「この上ない道心の強さだが、かならず、今が最期とお見捨てなさる時のお気持ちは、きっと乱れるだろう」と、拝する女房もご推察申し上げるが、お思いの通りではなくても、並に、それでも人聞きの悪くなく、世間から認めてもらえる身分の人で、真実に後見申し上げよう、などと、思ってくれる方がいたら、知らぬ顔をして黙認しよう、一人一人が人並みに結婚する縁があったら、その人に譲って安心もできようが、そこまで深い心で言い寄る人はいない。
時たまちょっとしたきっかけで、懸想めいたことを言う人は、まだ年若い人の遊び心で、物詣での中宿りや、その往来の慰み事に、それらしいことを言っても、やはり、このように落ちぶれた様子などを想像して、軽んじて扱うのは、心外なので、なおざりの返事をさえおさせにならない。三の宮は、やはりお会いしないではいられないとのお思いが深いのであった。前世からの約束事でいらしたのであろうか。
2 薫の物語 秋、八の宮死去す
[2-1 秋、薫、中納言に昇進し、宇治を訪問]
宰相中将は、その年の秋に、中納言におなりになった。ますますご立派におなりになる。公務が多忙になるにつけても、お悩みになることが多かった。どのような事かと、気がかりに思い続けてきた往年よりも、おいたわしくお亡くなりになったという故人の様子が思いやられるので、罪障が軽くおなりになる程の、勤行もしたく思う。あの老女をもお気の毒な人とお思いになって、目立ってではなく、何かと紛らわし紛らわししては、好意を寄せお見舞いなさる。
宇治に参らず久しくなってしまったのを、思い出してご訪問なさった。七月ごろになってしまったのだ。都ではまだ訪れない秋の気配を、音羽山近くの、風の音もたいそう冷やかで、槙の山辺もわずかに色づき初めて、やはり山路に入ると、趣深く珍しく思われるが、宮はそれ以上に、いつもよりお待ち喜び申し上げなさって、今回は、心細そうな話を、たいそう多く申し上げなさる。
「亡くなった後、この姫君たちを、何かの機会にはお尋ね下さり、お見捨てにならない中にお数え下さい」
などと、意中をそれとなく申し上げなさると、
「一言なりとも先に承っておりましたので、決して疎かには致しません。現世に執着しまいと、係累を持たないでおります身なので、何事も頼りがいのなく将来性のない身でございますが、そのようなふうでしても生き永らえておりますうちは、変わらない気持ちを御覧になっていただこうと存じます」
などと申し上げなさると、嬉しくお思いになった。
[2-2 薫、八の宮と昔語りをする]
まだ夜明けには遠い月が明るく差し出して、山の端が近い感じがするので、念誦をたいそうしみじみと唱えなさって、昔話をなさる。
「最近の世の中は、どのようになったのでしょうか。宮中などでは、このような秋の月の夜に、御前での管弦の御遊の時に伺候する人達の中で、楽器の名人と思われる人びとばかりが、それぞれ得意の楽器を合奏しあった調子などは、仰々しいのよりも、嗜みがあると評判の女御、更衣の御局々が、それぞれは張り合っていて、表面的な付き合いはしているようで、夜更けたころの辺りが静まった時分に、悩み深い風情に掻き調べ、かすかに流れ出た楽の音色などが、聞きどころのあるのが多かったな。
何事につけても、女性というのは、慰み事の相手にちょうどよく、何となく頼りないものの、人の心を動かす種であるのでしょう。それだから、罪が深いのでしょうか。子を思う道の闇を思いやるにも、男の子は、それほども親の心を乱さないであろうか。女の子は、運命があって、何とも言いようがないと諦めてしまうような場合でも、やはり、とても気にかかるもののようです」
などと、一般論としておっしゃるが、どうしてそのようにお思いにならないことがあろうか、おいたわしく推察される宮のご心中である。
「すべて、ほんとうに、先程申し上げましたようにすべてこの世の事は執着を捨ててしまったせいでしょうか、自分自身のことは、どのようなこととも深く分かりませんが、なるほどつまらないことですが、音楽を愛する心だけは、捨てることができません。賢く修業する迦葉も、そうですから、立って舞ったのでございましょう」
などと申し上げて、名残惜しく聞いたお琴の音を、切にご希望なさるので、親しくなるきっかけにでもとお思いになってか、ご自身はあちらにお入りになって、切にお勧め申し上げなさる。箏の琴を、とてもかすかに掻き鳴らしてお止めになった。常にもまして人の気配もなくひっそりとして、しみじみとした空の様子、場所柄から、ことさらでない音楽の遊びが心にしみて興趣深く思われるが、気を許してどうして合奏なさろうか。
「自然とこれくらい引き合わせた後は、若い者同士にお任せ申そう」
と言って、宮は仏の御前にお入りになった。
「わたしが亡くなって草の庵が荒れてしまっても
この一言の約束だけは守ってくれようと存じます
このようにお目にかかることも今回が最後になるだろうと、何となく心細いのに堪えかねて、愚かなことを多くも言ってしまったな」
と言って、お泣きになる。客人は、
「どのような世になりましても訪れなくなることはありません
この末長く約束を結びました草の庵には
相撲など、公務に忙しいころが過ぎましたら、伺いましょう」
などと申し上げなさる。
[2-3 薫、弁の君から昔語りを聞き、帰京]
こちらで、あの問わず語りの老女を召し出して、残りの多い話などをおさせになる。入方の月が、すっかり明るく差し込んで、透影が優美なので、姫君たちも奥まった所にいらっしゃる。世の常の懸想人のようではなく、思慮深くお話を静かに申し上げていらっしゃるので、しかるべきお返事などを申し上げなさる。
三の宮が、「たいそうご執心でいられる」と、心中には思い出しながら、「自分ながら、やはり普通の人とは違っているぞ。あれほど宮ご自身がお許しになることを、それほどにも急ぐ気にもなれないことよ。が、結婚など思いもよらないことだとは、さすがに思われない。このようにして言葉を交わし、季節折々の花や紅葉につけて、感情や情趣を通じ合うのに、憎からず感じられる方でいらっしゃるので、自分と縁がなく、他人と結婚なさるのは」、やはり残念なことだろうと、自分のもののような気がするのであった。
まだ夜明けに間のあるうちにお帰りになった。心細く先も長くなさそうにお思いになったご様子を、お思い出し申し上げながら、「忙しい時期を過ごしてから伺おう」とお思いになる。兵部卿宮も、今年の秋のころに紅葉を見にいらっしゃりたいと、適当な機会をお考えになる。
お手紙は、絶えず差し上げなさる。女は、本気でお考えになっているのだろうとはお思いでないので、厄介にも思わず、何気ない態度で、時々ご文通なさる。
[2-4 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る]
秋が深まって行くにつれて、宮は、ひどく何となく心細くお感じになったので、「いつものように、静かな場所で、念仏を専心に行おう」とお思いになって、姫君たちにもしかるべきことを申し上げなさる。
「この世の習いとして、永遠の別れは避けられないもののようだが、気の慰まるようなことがあれば、悲しさも薄らぐもののようです。また後事を託せる人もなく、心細いご様子の二人を、うち捨てて行くことがまことに辛い。
けれども、その程度のことで妨げられて、無明長夜の闇にまで迷うのは無益なことだ。一方でお世話して来た今でさえ執着を断ち切っていたのだから、亡くなった後のことは、知ることはできないものであるが、私一人だけのためでなく、お亡くなりになった母君の面目をもつぶさぬよう、軽率な考えをなさいますな。
しっかりと頼りになる人以外には、相手の言葉に従って、この山里を離れなさるな。ただ、このように世間の人と違った運命の身とお思いになって、ここで一生を終わるのだとお悟りなさい。一途にその気になれば、何事もなく過ぎてしまう歳月なのである。まして、女性は、女らしくひっそりと閉じ籠もって、ひどくみっともない、世間からの非難を受けないのがよいでしょう」
などとおっしゃる。どうなるかの将来の身の上のありようまでは、お考えも及ばず、ただ、「どのようにして、先立たれ申して後は、この世に片時も生きていられようか」とお思いになると、このように心細い状態を前もっておっしゃるので、何とも言いようもないお二方の嘆きである。心の中でこそ執着をお捨てになっていらしたようであるが、明け暮れお側に馴れ親しみなさって、急に別れなさるのは、冷淡な心からではないが、なるほど恨めしいに違いないご様子だったのである。
明日、ご入山なさるという日は、いつもと違って、あちらこちらと、邸内を歩きなさって御覧になる。たいそう頼りなく、仮の宿としてお過ごしになったお住まいの様子を、「亡くなった後、どのようにして、若い姫君たちが絶え籠もってお過ごしになれようか」と、涙ぐみながら念誦なさる様子は、たいそう清らかである。
年配の女房たちを召し出して、
「心配のないようにお仕えしなさい。何事も、もともと気がねなく暮らして、世間に噂にならないような身分の人は、子孫の零落することもよくあることで、目立ちもしないようだ。このような身分になると、世間の人は何とも思わないだろうが、みじめな有様で流浪するのは、至尊の血筋に生まれた宿縁に対して不面目で、心苦しいことが、多いだろう。物寂しく心細い世の中を送ることは、世の常である。
生まれた家の格式、しきたり通りに身を処するというのが、人聞きにも、自分の気持ちとしても、間違いのないように思われるだろう。贅沢な人並みの生活をしようと望んでも、その思う通りにならない時勢であったら、決して決して軽々しく、良くない男をお取り持ち申すな」
などとおっしゃる。
まだ夜の明けないうちにお出になろうとして、こちらにお渡りになって、
「留守の間、心細くお嘆きなさるな。気持ちだけは明るく持って音楽の遊びなどはなさい。何事も思うに適わない世の中だ。深刻に思い詰めなさるな」
などと、振り返りながらお出になった。お二方は、ますます心細く物思いに閉ざされて、寝ても起きても語り合いながら、
「どちらか一方がいなくなったら、どのようにして暮らしていけましょうか」
「今は、将来もはっきりしないこの世で、もし別れるようなことがあったら」
などと、泣いたり笑ったりしながら、冗談も真実も、同じ気持ちで慰め合いながらお過ごしになる。
[2-5 8月20日、八の宮、山寺で死去]
あの勤行なさる念仏三昧は、今日終わることだろうと、今か今かとお待ち申し上げていらっしゃる夕暮に、使者が参って、
「今朝から、気分が悪くなって、参ることができない。風邪かと思って、あれこれと手当てしているところです。それにしても、いつもよりお目にかかりたいのだが」
と申し上げなさっていた。胸がどきりとして、どのようなことでかとお嘆きになり、御法衣類に綿を厚くして、急いで準備させなさって、お届け申し上げなさる。二、三日良くおなりにならない。「どのようですか、どのようですか」と、使者を差し向けなさるが、
「特にひどく悪いというのではない。どことなく苦しいのです。もう少し良くなっら、じきに、我慢してでも帰ろう」
などと、口上で申し上げなさる。阿闍梨がぴったりと付き添ってお世話申し上げているのであった。
「ちょっとしたご病気と見えるが、最期でいらっしゃるかも知れない。姫君たちのご将来の事は、何のお嘆きになることがありましょうか。人は皆、それぞれ運命というものは別々なので、ご心配なさっても何にもなりません」
と、ますます出離なさらねばならないことを申し上げ知らせながら、「いまさら下山なさいますな」と、ご忠告申し上げるのであった。
八月二十日のころであった。ただでさえ空の様子のひときわ物悲しいころ、姫君たちは、朝夕の、霧の晴間もなく、お嘆きになりながら物思いに沈んでいらっしゃる。有明の月がたいそう明るく差し出して、川の表面もはっきりと澄んでいるのを、そちらの蔀を上げさせて、お覗きになっていらっしゃると、鐘の音がかすかに響いて来て、「夜が明けたようだ」と申し上げるころに、人びとが来て、
「この夜半頃に、お亡くなりになりました」
と泣く泣く申し上げる。心に懸けて、どうしていられるかと絶えずご心配申し上げていらっしゃったが、突然お聞きになって、驚いて真暗な気持ちになって、ますますこのようなことには、涙もどこに行っておしまいになったのであろうか、ただうつ伏していらっしゃった。
悲しい死別といっても、目の当たりに立ち会ってはっきり見届けるのが、世の常のことであるが、どのような最期であったのかの心残りも添わって、お嘆きになることは、もっともなことである。片時の間でも、先立たれ申しては、この世に生きていられようとは考えていらっしゃらなかったお二方なので、是非とも後を追いたいと泣き沈んでいらっしゃるが、寿命の定まった運命のある死出の旅路だったので、何の効もない。
[2-6 阿闍梨による法事と薫の弔問]
阿闍梨は、長年お約束なさっていたことに従って、後のご法事も万事にお世話致す。
「亡き人におなりになってしまわれたというお姿ご様子だけでも、もう一度拝見したい」
とお考えになりおっしゃるが、
「いまさら、どうしてそのような必要がございましょうか。この日頃も、お会いしてはならないとお諭し申し上げていたので、今はそれ以上に、お互いにご執心なさってはいけないとのお心構えを、お知りになるべきです」
とだけ申し上げる。山籠もりしていらっしゃった時のご様子をお聞きになるにつけても、阿闍梨のあまりに悟り澄ました聖心を、憎く辛いとお思いになるのであった。
出家のご本願は、昔から深くいらっしゃったが、このように見譲る人もない姫君たちのご将来の見捨てがたいことを、生きている間は明け暮れ離れずに面倒を見て上げるのを、本当に侘しい暮らしの慰めとも、お思いになって離れがたく過ごしていらしたのだが、限りある運命の道には、先立ちなさる心配も後を慕いなさるお心も、思うにまかせないことであった。
中納言殿におかれては、お耳になさって、まことにあっけなく残念に、もう一度、ゆっくりとお話申し上げたいことがたくさん残っている気がして、人の世の無常が思い続けられて、ひどくお泣きになる。「再びお目にかかることは難しいだろうか」などとおっしゃっていたが、やはりいつものお心にも、朝夕の隔ても当てにならない世のはかなさを、誰よりも殊にお感じになっていたので、耳馴れて、昨日今日とは思わなかったが、繰り返し繰り返し諦め切れず悲しくお思いなさる。
阿闍梨のもとにも、姫君たちのご弔問も、心をこめて差し上げなさる。このようなご弔問など、また他に誰も訪れる人さえいないご様子なのは、悲しみにくれている姫君たちにも、年来のご厚誼のありがたかったことをお分かりになる。
「世間普通の死別でさえ、その当座は、比類なく悲しいようにばかり、誰でも悲しみにくれるようなのに、まして気を慰めようもないお身の上では、どのようにお悲しみになっていられるだろう」と想像なさりながら、後のご法事など、しなければならないことを想像して、阿闍梨にも挨拶なさる。こちらにも、老女たちにかこつけて、御誦経などのことをご配慮なさる。
3 宇治の姉妹の物語 晩秋の傷心の姫君たち
[3-1 9月、忌中の姫君たち]
夜の明けない心地のまま、九月になった。野山の様子、まして時雨が涙を誘いがちで、ややもすれば先を争って落ちる木の葉の音も、水の響きも、涙の滝も、一緒のように分からなくなって、「こうしていては、どうして、定めのあるご寿命も、しばらくの間もお保ちになれようか」と、お仕えする女房たちは、心細く、ひどくお慰め申し上げ、お慰め申し上げしつつ。
こちらにも念仏の僧が伺候して、故宮のいらした部屋は、仏像を形見と拝し上げながら、時々参上してお仕えしていた者たちで、御忌に籠もっている人びとは皆、しみじみと勤行して過ごす。
兵部卿宮からも、度々ご弔問申し上げなさる。そのようなお返事など、差し上げる気もなさらない。何の返事もないので、「中納言にはこうではないだろうに、自分をやはり疎んじていらっしゃるらしい」と、恨めしくお思いになる。紅葉の盛りに、詩文などを作らせなさろうとして、お出かけになるご予定だったが、こうしたことになって、この近辺のご逍遥は、不都合な折なのでご中止なさって、残念に思っていらっしゃる。
[3-2 匂宮からの弔問の手紙]
御忌中も終わった。限りがあるので、涙も絶え間があろうかとお思いやりになって、とてもたくさんお書き綴りなさった。時雨がちの夕方、
「牡鹿の鳴く秋の山里はいかがお暮らしでしょうか
小萩に露のかかる夕暮時は
ちょうど今の空の様子、ご存知ないふりをなさるのでしたら、あまりにひどいことでございます。枯れて行く野辺も、特別のものとして眺められるころでございます」
などとある。
「おしっしゃるとおり、とても情け知らずの有様で、何度にもなってしまいましたから、やはり、差し上げなさい」
などと、中の宮を、いつものように、催促してお書かせ申し上げなさる。
「今日まで生き永らえて、硯などを身近に引き寄せて使おうなどと思ったろうか。情けなくも過ぎてしまった日数だわ」とお思いになると、また涙に曇り、何も見えない気がなさるので、硯を押しやって、
「やはり、書くことはできませんわ。だんだんこのように起きてはいられますが、なるほど、限りがあるのだわと思われますのも、疎ましく情けなくて」
と、可憐な様子で泣きしおれていらっしゃるのも、まことにいたいたしい。
夕暮のころに出立したお使いが、宵が少し過ぎたころに着いた。「どうして、帰参することができましょう。今夜は泊まって行くように」と言わせなさるが、「すぐ引き返して、帰参します」と急ぐので、お気の毒で、自分は冷静に落ち着いていらっしゃるのではないが、見るに見かねなさって、
「涙ばかりで霧に塞がっている山里は
籬に鹿が声を揃えて鳴いております」
黒い紙に、夜のため墨つきもはっきりしないので、体裁を整えることもなく、筆に任せて書いて、そのまま包んでお渡しになった。
[3-3 匂宮の使者、帰邸]
お使いは、木幡の山の辺りも、雨降りでとても恐ろしそうだが、そのような物怖じしないような者をお選びになったのであろうか、気味悪そうな笹の蔭を、馬を止める間もなく早めて、わずかの時間に参り着いた。宮の御前においても、ひどく濡れて参ったので、禄を賜る。
以前に見たのとは違った筆跡で、もう少し大人びていて、風情ある書き方などを、「どちららの姫君が書いたものだろうか」と、下にも置かず御覧になりながら、すぐにもお寝みにならないので、
「待つとおっしゃって、起きていらして」
「また御覧になることの長いことは、どれほどご執心なのでしょう」
と、御前に仕える女房たちは、ささやき申して、お妬み申し上げる。眠たいからなのであろう。
まだ朝霧の深い明け方に、急いで起きて手紙を差し上げなさる。
「朝霧に友を見失った鹿の声を
ただ世間並にしみじみと悲しく聞いておりましょうか
一緒に鳴く声には負けません」
とあるが、「あまりに風情を知りすぎるようなのも厄介だ。お一方のお蔭に隠れていられたのを頼み所として、何事も安心して過ごしていた。思いもかけず長生きして、不本意な間違い事が、少しでも起こったら、気がかりでならないようにお考えであった亡きみ魂にまで、瑕をおつけ申すことになろう」と、何事にも引っ込み思案に恐れて、お返事申し上げなさらない。
この宮などを、軽薄な世間並の男性とはお思い申し上げていらっしゃらない。何でもない走り書きなさったご筆跡や言葉遣いも、風情があり優美でいらっしゃるご様子を、多くはご存知でないが、御覧になりながら、「その嗜み深く風情あるお手紙に、お返事申し上げるのも、似合わしくない二人の身の上なので、いっそ、ただ、このような山里人めいて過ごそう」とお思いになる。
[3-4 薫、宇治を訪問]
中納言殿へのお返事だけは、あちらからも誠意あるように手紙を差し上げなさるので、こちらからも、よそよそしくなくお返事申し上げなさる。ご忌中が終わっても、自分自身でお伺いなさった。東の廂の下がった所に喪服でいらっしゃるところに、近く立ち寄りなって、老女を召し出した。
闇に閉ざされていらっしゃるお側近くに、たいそう眩しいばかりの美しさに満ちてお入りになったので、恥ずかしくなって、お返事などでさえもおできになれないので、
「このようには、お扱い下さらないで、故宮のご意向にお従い申されるのが、お話を承る効があるというものです。風流に気取った振る舞いには馴れていませんので、人を介して申し上げますのは、言葉が続きません」
と言うので、
「思いのほかに、今日まで生き永らえておりますようですが、思い覚まそうにも覚ましようもない夢の中にいるように思われまして、心ならず空の光を見ますのも遠慮されて、端近くに出ることもできません」
と申し上げなさっているので、
「おっしゃることといえば、この上ないご思慮の深さです。月日の光は、ご自身その気になって晴れ晴れしく振る舞いなさるならば、罪にもなりましょう。どうしてよいか分からず、気持ちが晴れません。またお悩みを、少しでも、お晴らし申し上げたく思います」
と申し上げなさると、
「ほんとうですこと。まことに例のないようなご愁傷を、お慰め申し上げなさるお気持ちも並一通りでないこと」などと、お諭し申し上げる。
[3-5 薫、大君と和歌を詠み交す]
お気持ちも、そうはいっても、だんだんと落ち着いて、いろいろと分別がおつきになったので、亡き父宮への厚志からも、こんなにまで遥か遠い野辺を分け入っていらしたご誠意なども、お分りになったのであろう、少しいざり寄りなさった。
お嘆きのご心中、またお約束なさったことなどを、たいそう親密に優しく言って、嫌な粗野な態度などはお現しにならない方なので、気味悪く居心地悪くなどはないが、関係ない人にこのように声をお聞かせ申し、何となく頼りにしていたことなどもあった日頃を思い出すのも、やはり辛くて、遠慮されるが、かすかに一言などお返事申し上げなさる様子が、なるほど、いろいろと悲しみにぼうっとした感じなので、まことにお気の毒にとお聞き申し上げなさる。
黒い几帳の透影が、たいそういたいたしげなので、ましてどれほどのご悲嘆でいられるかと、かすかに御覧になった明け方などが思い出されて、
「色の変わった浅茅を見るにつけても墨染に
身をやつしていらっしゃるお姿をお察しいたします」
と、独り言のようにおっしゃると、
「喪服に色の変わった袖に露はおいていますが
わが身はまったく置き所もありません
ほつれる糸は涙に」
と下は言いさして、たいそうひどく堪えがたい様子でお入りになってしまったようである。
[3-6 薫、弁の君と語る]
引き止めてよい場合でもないので、心残りにいたわしくお思いになる。老女が、とんでもないご代役に出て来て、昔や今のあれこれと、悲しいお話を申し上げる。世にも稀な驚くべきことの数々を見て来た人だったので、このようにみすぼらしく落ちぶれた人と見限らず、たいそう優しくお相手なさる。
「幼かったころに、故院に先立たれ申して、ひどく悲しい世の中だと、悟ってしまったので、成長して行く年齢とともに、官位や、世の中の栄花も、何とも思いません。
ただ、このように静かなご生活などが、心にお適いになっていらっしゃったが、このようにあっけなく先立ち申されたので、ますますひどく、無常の世の中が思い知らされる心も、催されたが、おいたわしい境遇で、後に遺されたお二方の事が、妨げだなどと申し上げるようなのは、懸想めいたように聞こえますが、生き永らえても、あの遺言を違えずに、相談申し上げ承りたく思います。
実は、思いがけない昔話を聞いてからは、ますますこの世に跡を残そうなどとは思われなくなったのですよ」
泣きながらおっしゃるので、この老女はそれ以上にひどく泣いて、何とも申し上げることができない。ご様子などが、まるであの方そっくりに思われなさるので、長年来忘れていた昔の事までを重ね合わせて、申し上げようもなく、涙にくれていた。
この人は、あの大納言の御乳母子で、父親は、この姫君たちの母北の方の叔父で、左中弁で亡くなった人の子であった。長年、遠い国に流浪して、母君もお亡くなりになって後、あちらの殿には疎遠になり、この宮邸で、引き取っておいて下さったのであった。人柄も格別というわけでなく、宮仕え馴れもしていたが、気の利かない者でないと宮もお思いになって、姫君たちのご後見役のようになさっていたのであった。
昔の事は、長年このように朝夕に拝し馴れて、隔意なく全部思い申し上げる姫君たちにも、一言も申し上げたこともなく、隠して来たけれど、中納言の君は、「老人の問わず語りは、皆、通例のことなので、誰彼なく軽率に言いふらしたりしないにしても、まことに気のおける姫君たちは、ご存知でいらっしゃるだろう」と自然と推量されるのが、忌まわしいとも困った事とも思われるので、「また疎遠にしてはおけない」と、言い寄るきっかけにもなるのであろう。
[3-7 薫、日暮れて帰京]
今は泊まるのも落ち着かない気がして、お帰りなさるにも、「これが最後か」などとおっしゃったが、「どうして、そのようなことがあろうか、と信頼して、再び拝しなくなった、秋は変わったろうか。多くの日数も経ていないのに、どこにいらしたのかも分からず、あっけないことだ。格別に普通の人のようなご装飾もなく、とても簡略になさっていたようだが、まことにどことなく清らかに手入れがしてあって、周囲が趣深くなさっていたお住まいも、大徳たちが出入りし、あちら側とこちら側と隔てなさって、御念誦の道具類なども変わらない様子であるが、『仏像は皆あちらのお寺にお移し申そうとする』」と申し上げるのを、お聞きなさるにつけても、このような様子の人影などまでが見えなくなってしまった時、後に残ってお悲しみになっているお二方の気持ちを推察申し上げなさるのも、まことに胸が痛く思い続けられずにはいらっしゃれない。
「たいそう暮れました」と申し上げるので、物思いを中断してお立ちなさると、雁が鳴いて飛んで渡って行く。
「秋霧の晴れない雲居でさらにいっそう
この世を仮の世だと鳴いて知らせるのだろう」
[3-8 姫君たちの傷心]
兵部卿宮に対面なさる時は、まずこの姫君たちの御事を話題になさる。「今はそうはいっても気がねも要るまい」とお思いになって、宮は、熱心に手紙を差し上げなさるのであった。ちょっとしたお返事も、申し上げにくく気後れする方だと、女方はお思いになっていた。
「世間にとてもたいそう風流でいらっしゃるお名前が広がって、好ましく優美にお思いなさるらしいが、このようにとても埋もれた葎の下のようなところから差し出すお返事を、まことに場違いな感じがして、古めかしいだろう」などとふさいでいらっしゃった。
「それにしても、思いのほかに過ぎ行くものは、月日ですわ。このように、頼りにしにくかったご寿命を、昨日今日とも思わず、ただ人生の大方の無常のはかなさばかりを、毎日のこととして見聞きしてきましたが、自分も父宮も後に遺されたり先立ったりすることに月日の隔たりがあろうか、などと思っていましたたよ」
「過去を思い続けても、何の頼りがいのありそうな世でもなかったが、ただいつのまにかのんびりと眺め過ごして来て、何の恐ろしい目にも気がねすることもなく過ごして来ましたが、風の音も荒々しく、いつもは見かけない人の姿が、連れ立って案内を乞うと、まっさきに胸がどきりとして、何となく恐ろしく侘しく思われることまでが加わったのが、ひどく堪え難いことですわ」
と、お二方で語り合いながら、涙の乾く間もなくて過ごしていらっしゃるうちに、年も暮れてしまった。
4 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち
[4-1 歳末の宇治の姫君たち]
雪や霰が降りしくころは、どこもこのような風の音であるが、今初めて決心して入った山住み生活のような心地がなさる。女房たちなどは、
「ああ、新しい年がやってきます。心細く悲しいこと。年の改まった春を待ちたいわ」
と、気を落とさずに言う者もいる。「難しいことだわ」とお聞きになる。
向かいの山でも、季節季節の御念仏に籠もりなさった縁故で、人も行き来していたが、阿闍梨も、いかがですかと、一通りはたまにお見舞いを申し上げはしても、今では何の用事でちょっとでも参ろうか。
ますます人目も絶え果てたのも、そのようなこととは思いながらも、まことに悲しい。何とも思えなかった山賤も、宮がお亡くなりになって後は、たまに覗きに参る者は、珍しく思われなさる。この季節の事とて、薪や、木の実を拾って参る山賤どももいる。
阿闍梨の庵室から、炭などのような物を献上すると言って、
「長年馴れました宮仕えが、今年を最後として絶えてしまうのが、心細く思われますので」
と申し上げていた。必ず冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣などを贈っていたのを、お思い出しになってお遣りになる。法師たち、童などが山に上って行くのが、見えたり隠れたり、たいそう雪が深いのを、泣く泣く立ち出てお見送りなさる。
「お髪などを下ろしなさったが、そのようなお姿ででも生きていて下さったら、このように通って参る人も、自然と多かったでしょうに」
「どんなに寂しく心細くても、お目にかかれないこともなかったでしょうに」
などと、語り合っていらっしゃる。
「父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今
松の雪を何と御覧になりますか」
中の宮、
「奥山の松葉に積もる雪とでも
亡くなった父上を思うことができたらうれしゅうございます」
うらやましくいことに、消えてもまた雪は降り積もることよ。
[4-2 薫、歳末に宇治を訪問]
中納言の君は、「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになっていらっしゃった。雪もたいそう多い上に、普通の身分の人でさえ見えなくなってしまったので、並々ならぬ立派な姿をして、気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅からず思い知られなさるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
服喪者用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮がお待ち喜び申し上げていたご様子などを、女房たちもお噂申し上げる。直接お話なさることは、気の引けることとばかりお思いになっていたが、好意を無にするように思っていらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
気を許すというのではないが、以前よりは少し言葉数多く、ものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、「まことにあっさり変わってしまう心だな。やはり、恋心に変わってまう男女の仲なのだな」と思っていらっしゃった。
[4-3 薫、匂宮について語る]
「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがございましたね。しみじみとしたご遺言を一言承りましたことなどを、何かのついでに、ちらっとお洩らし申し上げたことがあったのでしょうか。またとてもよく気の回るお方で、推量なさったのでしょうか、わたしに、うまく申し上げてくれるようにと頼むのに、冷淡なご様子なのは、うまくお取り持ち申さないからだと、度々お恨みになるので、心外なこととは存じますが、山里への案内役は、きっぱりとお断り申し上げることもできかねるのですが、なにも、そのようにおあしらい申し上げなさいますな。
好色でいらっしゃるように、人はお噂申し上げているようですが、心の奥は不思議なほど深くいらっしゃる宮です。軽い冗談などをおっしゃる女たちで、軽はずみに靡きやすいという人などを、珍しくない女として軽蔑なさるのだろうか、と聞くこともございます。どのようなことも成り行きにまかせて、我を張ることもなく、穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従って、どうなるもこうなるも適当に我慢し、少し思いと違ったことがあっても、仕方のないことだ、そういうものだ、などと諦めるようですので、かえって長く添い遂げるような例もあります。
壊れ始めては、龍田川が濁る名を汚し、言いようもなくすっかり破綻してしまうようなことなども、あるようです。心から深く愛着を覚えていらっしゃるらしいご性分にかない、特に御意に背くようなことが多くおありでない方には、全然、軽々しく、始めと終わりが違うような態度などを、お見せなさらないご性格です。
誰も存じ上げていないことを、とてもよく存じておりますから、もし似つかわしく、ご縁をとお考になったら、その取りなしなどは、できる限りのお骨折りを致しましょう。京と宇治との間を奔走して、脚の痛くなるまで尽力しましょう」
と、実に真面目に、おっしゃり続けなさるので、ご自身のことはお考えにもならず、「妹君の親代わりになって返事しよう」とご思案なさるが、やはりお答えすべき言葉も出ない気がして、
「何と申し上げてよいものでしょうか。いかにもご執着のようにおっしゃり続けるので、かえってどのようにお答えしてよいか存じません」
と、ほほ笑みなさるのが、おっとりとしている一方で、その感じが好ましく聞こえる。
[4-4 薫と大君、和歌を詠み交す]
「必ずしもご自身のこととしてお考えになることとも存じません。それは、雪を踏み分けて参った気持ちぐらいは、ご理解下さる姉君としてのお考えでいらっしゃって下さい。あの宮のご関心は、また別な方のほうにあるようでございます。わずかに文をお取り交わしなさることもございましたが、さあ、それも他人にはどちらかと判断申し上げにくいことです。お返事などは、どちらの方が差し上げなさるのですか」
とお尋ね申し上げるので、「よくまあ、冗談にも差し上げなくてよかったことよ。何ということはないが、このようにおっしゃるにつけても、どんなに恥ずかしく胸が痛んだことだろう」と思うと、お返事もおできになれない。
「雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に
誰も踏み分けて訪れる人はございません」
と書いて、差し出しなさると、
「お言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と言って、
「氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を
宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう
そうなったら、わたしが訪ねた効も、あるというものでしょう」
と申し上げなさると、意外な懸想に、嫌な気がして、特にお答えなさらない。きわだって、よそよそしい様子にはお見えにならないが、今風の若い人たちのように、優美にも振る舞わずに、まことに好ましく、おおらかな気立てなのだろうと、推察されなさるご様子の方である。
こうあってこそは、理想的だと、期待する気持ちに違わない気がなさる。何かにつけて、懸想心を態度にお現しになるのに対しても、気づかないふりばかりをなさるので、気恥ずかしくて、昔の話などを、真面目くさって申し上げなさる。
[4-5 薫、人びとを励まして帰京]
「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうでございます」
と、お供の人びとが促すので、お帰りになろうとして、
「おいたわしく見回されるお住まいの様子ですね。ただ山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もなくございますのを、もしそのようにお考え下さるなら、どんなに嬉しいことでございましょう」
などとおっしゃるのにつけても、「とてもおめでたいことだわ」と、小耳にはさんで、ほほ笑んでいる女房連中がいるのを、中の宮は、「とても見苦しい、どうしてそのようなことができようか」とお思いでいらっしゃった。
御果物を風流なふうに盛って差し上げ、お供の人びとにも、肴など体裁よく添えて、酒をお勧めさせなさるのであった。あの殿の移り香を騒がれた宿直人は、鬘鬚とかいう顔つきが、気にくわないが、「頼りない家来だな」と御覧になって、召し出した。
「どうだね。お亡くなりになってからは、心細いだろうな」
などとお尋ねになる。べそをかきながら、弱そうに泣く。
「世の中に頼る身寄りもございません身の上なので、お一方様のお蔭にすがって、三十数年過ごしてまいりましたので、今はもう、野山にさすらっても、どのような木を頼りにしたらよいのでしょうか」
と申し上げて、ますますみっともない様子である。
生前お使いになっていたお部屋を開けさせなさると、塵がたいそう積もって、仏像だけが花の飾りが以前と変わらず、勤行なさったと見えるお床などを取り外して、片づけてあった。本願を遂げた時にはと、お約束申し上げたことなどを思い出して、
「立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は
空しい床になってしまったな」
といって、柱に寄り掛かっていらっしゃるのも、若い女房たちは、覗いてお誉め申し上げる。
日が暮れてしまったので、近い所々に、御荘園などに仕えている人びとに、み秣を取りにやったのを、主人もご存知なかったが、田舎びた人びとは、大勢引き連れて参ったのを、「妙に、体裁の悪いことだな」と御覧になるが、老女に用事で来たかのようにごまかしなさった。いつもこのようにお仕えするように、お命じおきになってお帰りになった。
5 宇治の姉妹の物語 匂宮、薫らとの恋物語始まる
[5-1 新年、阿闍梨、姫君たちに山草を贈る]
年が変わったので、空の様子がうららかになって、汀の氷が一面に解けているのを、不思議な気持ちで眺めていらっしゃる。聖の僧坊から、「雪の消え間で摘んだものでございます」といって、沢の芹や、蕨などを差し上げた。精進のお膳にして差し上げる。
「場所柄によって、このような草木の有様に従って、行き交う月日の節目も見えるのは、興趣深いことです」
などと、人びとが言うのを、「何の興趣深いことがあろうか」とお聞きになっている。
「父宮が摘んでくださった峰の蕨でしたら
これを春が来たしるしだと知られましょうに」
「雪の深い汀の小芹も誰のために摘んで楽しみましょうか
親のないわたしたちですので」
などと、とりとめのないことを語り合いながら、日をお暮らしになる。
中納言殿からも宮からも、折々の機会を外さずお見舞い申し上げなさる。厄介で何でもないことが多いようなので、例によって、書き漏らしたようである。
[5-2 花盛りの頃、匂宮、中の君と和歌を贈答]
花盛りのころ、宮は、「かざし」の和歌を思い出して、その時お供でご一緒した公達なども、
「実に趣のあった親王のお住まいを、再び見ないことになりました」
などと、世の中一般のはかなさを口々に申し上げるので、たいそう興味深くお思いになるのであった。
「この前は、事のついでに眺めたあなたの桜を
今年の春は霞を隔てず手折ってかざしたい」
と、気持ちのままおっしゃるのであった。「とんでもないことだわ」と御覧になりながら、とても所在ない折なので、素晴らしいお手紙の、表面だけでも無にすまいと思って、
「どこと尋ねて手折るのでしょう
墨染に霞み籠めているわたしの桜を」
やはり、このように突き放して、素っ気ないお気持ちばかりが見えるので、ほんとうに恨めしいとお思い続けていらっしゃる。
[5-3 その後の匂宮と薫]
お胸に抑えきれなくなって、ただ中納言を、あれやこれやとお責め申し上げなさるので、おもしろいと思いながら、いかにも誰憚らない後見役の顔をしてお返事申し上げて、好色っぽいお心が表れたりする時々には、
「どうしてか、このようなお心では」
など、お咎め申し上げなさるので、宮もお気をつけなさるのであろう。
「気に入った相手が、まだ見つからない間のことです」とおっしゃる。
大殿の六の君をお気にかけないことは、何となく恨めしそうに、大臣もお思いになっているのであった。けれど、
「珍しくない間柄の仲でも、大臣が仰々しく厄介で、どのような浮気事でも咎められそうなのがうっとうしくて」
と、内々ではおっしゃって、嫌がっていらっしゃる。
その年、三条宮が焼けて、入道宮も、六条院にお移りになり、何かと騒々しい事に紛れて、宇治の辺りを久しくご訪問申し上げなさらない。生真面目な方のご性格には、また普通の人と違っていたので、たいそうのんびりと、「自分の物と期待しながらも、女の心が打ち解けないうちは、不謹慎な無体な振る舞いはしまい」と思いながら、「故宮とのお約束を忘れていないことを、深く知っていただきたい」とお思いになっている。
[5-4 夏、薫、宇治を訪問]
その年は、例年よりも暑さを人がこぼすので、「川辺が涼しいだろうよ」と思い出して、急に参上なさった。朝の涼しいうちにご出発になったので、折悪く差し込んでくる日の光も眩しくて、宮が生前おいでになった西の廂の間に、宿直人を召し出してお控えになる。
そちらの母屋の仏像の御前に、姫君たちがいらっしゃったが、近すぎないようにと、ご自分のお部屋にお渡りになるご様子、音を立てないようにしていたが、自然と、お動きになるのが近くに聞こえたので、じっとしていられず、こちらに通じている障子の端の方に、掛金がしてある所に、穴が少し開いているのを見知っていたので、外に立ててある屏風を押しやって御覧になる。
こちらに几帳を立て添えてある、「ああ、残念な」と思って、引き返す、ちょうどその時、風が簾をたいそう高く吹き上げるようなので、
「丸見えになったら大変です。その御几帳を押し出して」
という女房がいるようである。愚かなことをするようだが、嬉しくて御覧になると、高いのも低いのも、几帳を二間の簾の方に押し寄せて、この障子の正面の、開いている障子から、あちらに行こうとしているところなのであった。
[5-5 障子の向こう側の様子]
まず、一人が立って出て来て、几帳から覗いて、このお供の人びとが、あちこち行ったり来たりして、涼んでいるのを御覧になるのであった。濃い鈍色の単衣に、萱草の袴が引き立っていて、かえって様子が違って華やかであると見えるのは、着ていらっしゃる人のせいのようである。
帯を形ばかり懸けて、数珠を隠して持っていらっしゃった。たいそうすらりとした、姿態の美しい人で、髪が、袿に少し足りないぐらいだろうと見えて、末まで一筋の乱れもなく、つやつやとたくさんあって、可憐な風情である。横顔などは、実にかわいらしげに見えて、色つやがよく、物やわらかにおっとりした感じは、女一の宮も、このようにいらっしゃるだろうと、ちらっと拝見したことも思い比べられて、嘆息を漏らされる。
もう一人がいざり出て、「あの障子は、丸見えではないかしら」と、こちらを御覧になっている心づかいは、気を許さない様子で、嗜みがあると思われる。頭の恰好や、髪の具合は、前の人よりもう少し上品で優美さが勝っている。
「あちらに屏風を添えて立ててございました。すぐにも、お覗きなさるまい」
と、若い女房たちは、何気なしに言う者もいる。
「大変なことですよ」
と言って、不安そうにいざってお入りなるとき、気高く奥ゆかしい感じが加わって見える。黒い袷を一襲、同じような色合いを着ていらっしゃるが、これはやさしく優美で、しみじみと、おいたわしく思われる。
髪は、さっぱりした程度に抜け落ちているのであろう、末の方が少し細くなって、見事な色とでも言うのか、翡翠のようなとても美しそうで、より糸を垂らしたようである。紫の紙に書いてあるお経を片手に持っていらっしゃる手つきが、前の人よりほっそりとして、痩せ過ぎているのであろう。立っていた姫君も、障子口に座って、何であろうか、こちらを見て笑っていらっしゃるのが、とても愛嬌がある。
47. 総角
薫君の中納言時代24歳秋から歳末までの物語
- 秋、八の宮の一周忌の準備 何年も耳馴れなさった川風も、今年の秋は
- 薫、大君に恋心を訴える 御願文を作り、経や仏の供養なさる心づもりなどを
- 薫、弁を呼び出して語る てきぱきと一人前に振る舞っても、どうして賢くことをお決めになれようかと
- 薫、弁を呼び出して語る(続き) 「もともと、このように人と違っていらっしゃるお二方のご性格
- 薫、大君の寝所に迫る 今夜はお泊まりになって、お話などをのんびりと
- 薫、大君をかき口説く このように心細くひどいお住まいで、好色の男は
- 実事なく朝を迎える いつのまにか夜明け方になってしまった。お供の人びとが起きて
- 大君、妹の中の君を薫にと思う 姫宮は、女房がどう思っているだろうかと気が引けるので
1 大君の物語 薫と大君の実事なき暁の別れ
- 一周忌終り、薫、宇治を訪問 御服喪などが終わって、お脱ぎ捨てになったのにつけても
- 大君、妹の中の君に薫を勧める 姫宮、その様子を深くご存知ないが
- 薫は帰らず、大君、苦悩す 日が暮れて行くのに、客人はお帰りにならない。姫宮は、とても困ったことだとお思いになる
- 大君、弁と相談する 姫宮、お困りになって、弁が参ったのでおっしゃる
- 大君、中の君を残して逃れる 中の宮も、ひとごとながらおいたわしいご様子だわと
- 薫、相手を中の君と知る 中納言は、独り臥していらっしゃるのを、そのつもりでいたのかと
- 翌朝、それぞれの思い 弁が参って、「ほんとうに不思議に、中の宮は、どこに
- 薫と大君、和歌を詠み交す 姫宮も、「どうしたことだ、もしいい加減な気持ちが
2 大君の物語 大君、中の君を残して逃れる
- 薫、匂宮を訪問 三条宮邸が焼けた後は、六条院に移っていらっしゃったので
- 彼岸の果ての日、薫、匂宮を宇治に伴う 二十八日が、彼岸の終わりの日で、吉日だったので
- 薫、中の君を匂宮にと企む 「これこれです」と申し上げると、「そうであったか、思いが変わったのだわ
- 薫、大君の寝所に迫る 「今はもう言ってもしかたありません。お詫びの言い訳は、何度
- 薫、再び実事なく夜を明かす いつもの、明けゆく様子に、鐘の音などが聞こえる
- 匂宮、中の君へ後朝の文を書く 宮は、早々と後朝のお手紙を差し上げなさる
- 匂宮と中の君、結婚第二夜 その夜も、あの道案内をお誘いになったが、「冷泉院に
- 匂宮と中の君、結婚第三夜 「三日に当たる夜は、餅を召し上がるものです」と女房たちが申し上げるので
3 中の君の物語 中の君と匂宮との結婚
- 明石中宮、匂宮の外出を諌める 宮は、その夜、内裏に参りなさって
- 薫、明石中宮に対面 中宮の御方に参上なさると、「宮はお出かけになったそうな
- 女房たちと大君の思い あちらでは、中納言殿が仰々しく
- 匂宮と中の君、朝ぼらけの宇治川を見る 匂宮は、めったにないお暇のほどを
- 匂宮と中の君和歌を詠み交して別れる お供の者たちがひどく咳払いをしてお促し申し上げるので
- 9月10日、薫と匂宮、宇治へ行く 九月十日のころなので、野山の様子も
- 薫、大君に対面、実事なく朝を迎える 宮を、場所柄によって、とても特別に丁重にお迎え入れ
- 匂宮、中の君を重んじる 無理を押してお越しになって、長くもいずにお帰りになるのが
4 中の君の物語 匂宮と中の君、朝ぼらけの宇治川を見る
- 10月1日頃、匂宮、宇治に紅葉狩り 十月上旬ごろ、網代もおもしろい時期だろうと
- 一行、和歌を唱和する 今日は、このままとお思いになるが、また、宮の大夫
- 大君と中の君の思い あちらでは、お素通りになってしまった様子を、遠くなるまで
- 大君の思い 「わたしも生き永らえたら、このようなことをきっと経験する
- 匂宮の禁足、薫の後悔 宮は、すぐその後、いつものように人目に隠れてとご出立なさったが
- 時雨降る日、匂宮宇治の中の宮を思う 時雨がひどく降ってのんびりとした日
5 大君の物語 匂宮たちの紅葉狩り
- 薫、大君の病気を知る お待ち申し上げていらっしゃる所では、長く訪れのない気がして
- 大君、匂宮と六の君の婚約を知る 翌朝、「少しはよくなりましたか
- 中の君、昼寝の夢から覚める 夕暮の空の様子がひどくぞっとするほど時雨がして
- 10月の晦、匂宮から手紙が届く たいそう暗くなったころに、宮からお使いが来る
- 薫、大君を見舞う 中納言も、「思ったよりは軽いお心だな
- 薫、大君を看護する 暮れたので、「いつもの、あちらの部屋に」と申し上げて
- 阿闍梨、八の宮の夢を語る 不断の読経の、明け方に交替する声がたいそう尊いので
- 豊明の夜、薫と大君、京を思う 宮が夢に現れなさった様子をお考えになると
- 薫、大君に寄り添う ただ、こうしておいでになるのを頼みに、皆がお思い申し上げていた
6 大君の物語 大君の病気と薫の看護
- 大君、もの隠れゆくように死す 「とうとう捨てて逝っておしまいになったら、この世に少しも
- 大君の火葬と薫の忌籠もり 中納言の君は、そうはいっても、まさかこんなことにはなるまい
- 七日毎の法事と薫の悲嘆 とりとめもなく幾日も過ぎてゆく。七日毎の法事も
- 雪の降る日、薫、大君を思う 雪が烈しく降る日、一日中物思いに沈んで
- 匂宮、雪の中、宇治へ弔問 「自分のせいで、つまらない心配をおかけ
- 匂宮と中の君、和歌を詠み交す 夜の様子は、ますます烈しい風の音に、自分のせいで
- 歳暮に薫、宇治から帰京 年の暮方では、こんな山里でなくても、空の模様が
7 大君の物語 大君の死と薫の悲嘆
1 大君の物語 薫と大君の実事なき暁の別れ
[1-1 秋、八の宮の一周忌の準備]
何年も耳馴れなさった川風も、今年の秋はとても身の置き所もなく悲しくて、一周忌の法要をご準備なさる。一通りの必要なことどもは、中納言殿と、阿闍梨などがご奉仕なさったのであった。こちらでは法服のこと、経の飾りや、こまごまとしたお仕事を、女房が申し上げるのに従ってご準備なさるのも、まことに頼りなさそうにお気の毒で、「このような他人のお世話がなかったら」と見えた。
ご自身でも参上なさって、今日を限りに喪服をお脱ぎになるときのお見舞いを、丁重に申し上げなさる。阿闍梨もここちらに参上していた。名香の糸を引き散らして、「こうして過ごして来たことよ」などと、お話しなさっている時であった。結び上げた糸繰り台が、御簾の端から、几帳の隙間を通して見えたので、そのことだと察して、「わたしの涙を玉にして糸に通して下さい」と口ずさんでいらっしゃるのは、伊勢の御もこうであったろうと、興深くお思い申し上げるにつけても、内側の人は、知ったかぶりにお返事申し上げなさるようなのも遠慮されて、「糸ではないのに」とか、「貫之が生きていての別れでさえ、心細いものとして詠んだというのも」などと、なるほど古歌は、人の心を晴らすよすがであったのをお思い出しなさる。
[1-2 薫、大君に恋心を訴える]
御願文を作り、経や仏の供養なさる心づもりなどをお書き出しなさる筆のついでに、客人が、
「総角に末長い契りを結びこめて
一緒になって会いたいものです」
と書いて、お見せ申し上げなさると、いつもの、と煩わしいが、
「貫き止めることもできないもろい涙の玉の緒に
末長い契りをどうして結ぶことができましょう」
とあるので、「一緒になれなかったら生きている甲斐もありません」と、恨めしそうに物思いにお耽りになる。
ご自身のお身の上については、このように何とはなしに話をそらせて相手をなさらないので、すらすらと意中を申し上げることもできず、宮のご執心を真面目に申し上げなさる。
「それ程までご執心でないことを、このようなことに少し積極的でいらっしゃるご性格で、一度申し出されては後に引かない意地からかと、あれやこれやと、十分にお気持ちをお探り申し上げております。ほんとうに不安なようではありませんので、どうしてこのようにむやみに、お避けになるのでしょう。
男女の仲の様子などを、ご存知でないようには拝見しませんのに、いやに、よそよそしくばかりおあしらいなさるので、これほど心から信頼申し上げている気持ちと違って、恨めしい気がします。どのようにお考えになっているのかなどを、はっきりとお聞き致したいものですね」
と、たいそう真面目になって申し上げなさるので、
「お気持ちに背くまいとの気持ちなればこそ、こうしてまでおかしな世間の例にもなる状態で、隔てなくお相手しているのでございます。それをお分かりにならなかったことこそ、浅い気持ちがあるような気がします。おっしゃるように、このような住まいなどに、情けの深い人は、ありたけの物思いをし尽くすでしょうが、何事にも後れて育ちましたので、このおっしゃるような方面は、故人も、一向に何一つ、こういう場合にはああいう場合にはなどと、将来のことを予想して、おっしゃっておくこともなかったので、やはり、このような状態で、世間並みの生活を諦めるようお考え置きであった、と思い合わされますので、何ともお答え申し上げようがなくて。一方では、少し生い先長い年頃で、山奥暮らしはお気の毒にお見えになるお身の上を、まことにこのように枯木にはさせたくないものだと、人知れず面倒見ずにはいられなく思っているのですが、どのようになる縁なのでしょうか」
と、嘆息して途方に暮れていらっしゃったときの様子、たいそうおいたわしく感じられる。
[1-3 薫、弁を呼び出して語る]
てきぱきと一人前に振る舞っても、どうして賢くことをお決めになれようかと、もっともに思われて、いつものように、老女を召し出して相談なさる。
「今までは、ただ来世の事を願う気持ちで参っておりましたが、何となく心細そうにお思いであったようなご晩年に、この姫君たちのことを、考え通りにお世話申し上げるようにおっしゃり約束したのですが、お考え置き申されたご様子とは違って、お二人の気持ちが、とてもとても困ったことに強情なのは、どのようにお考え置きになっていた人が別であったのかと、疑わしくまで思われます。
自然とお聞き及びになっていることもありましょう。とても妙な性質で、世の中に執着することはなかったが、前世からの因縁でしょうか、こんなにまでお親しみ申したのでしょう。世間の人もだんだんと噂するらしくもあるから、同じことなら故人のご遺言にお背き申さず、わたしも姫君も、世間の普通の男女のように心をお交わし申したい、と思い寄りましたのは、不似合いなことであっても、そのような例もないわけではありません」
などとおっしゃり続けて、
「宮のお身の上を、このように申し上げるのに、不安でないと、気をお許しにならないご様子なのは、内々で、やはり他にお考えの人がいるのでしょうか。さあ、どうなのですか、どうなのですか」
と嘆きながらおっしゃるので、いつもの、良くない女房連中などは、このようなことには、憎らしいおせっかいを言って、調子を合わせたりなどするようであるが、まったくそうではなく、心の中では、「理想的なお二人方の縁談だわ」と思うが、
[1-4 薫、弁を呼び出して語る(続き)]
「もともと、このように人と違っていらっしゃるお二方のご性格のせいでしょうか、どうしてもどうしても、世間の普通の人のように、何やかやと世間並みの結婚を、お考えになっていらっしゃるご様子でございません。
こうして、仕えております誰彼も、今まででさえ、何の頼りになる庇護もございませんでした。身を捨てがたく思う者たちだけは、身分身分に応じて暇をもらって離れ去り、昔からの古い縁故の人も、多くはお見限り申した邸に、まして今では、立ち止まりがたそうに困り合っておりまして、ご在世中にこそ、格式もあって、不釣合なご結婚は、お気の毒だわなどと、昔気質の律儀さから、おためらいになっていました。
今では、このように、他に頼りのいないお身の上の方たちで、どのようにもどのようにも、成り行き次第に身を任せなさるのを、むやみに悪口を申し上げるような人は、かえって物の道理を知らず、言いようもないことでしょう。どのような人が、まことにこうして一生をお送りなさることができましょうか。
松の葉を食べて修業する山伏でさえ、生きている身の捨て難いことによって、仏のお教えも、それぞれの流派をつくって行っている、などというような、よくないことをご忠告申し上げ、若いお二方のお気持ちがお迷いになることが多くございますようですが、志操を曲げようともなさらず、中の宮を、何とか一人前にして差し上げたい、とお思い申し上げていらっしゃるようでございます。
このように山奥にお訪ね申し上げなさるようなお志の、幾年もお世話していただくご行為に対しても、親しくお思い申し上げなさって、今ではあれやこれやと、こまごまとした方面のこともご相談申し上げていらっしゃるようで、あの御方を、おっしゃるようお望み申してくださるならば、とお思いのようです。
宮のお手紙などがございますようなのは、全然真剣な気持ちからではあるまい、とお考えのようです」
と申し上げると、
「おいたわしいご遺言を聞きおき、露の世に生きている限りは、お付き合いを願いたいとの気持ちなので、どちらの方とご一緒になっても、同じことになるでしょうが、そのようにまで、お考えになっているというのは、まことに嬉しいことですが、心の惹かれる方は、これほど捨て切った世なのですが、やはり執着してしまうものなので、今さらそのようには考え改められません。世間並みのあだっぽい恋ではないのですよ。
ただこのような物を隔てて、言い残した状態でなく、差し向かいで、とにもかくにも無常の世の話を、隔て心なく申し上げて、お隠しになるお心の中をすっかり打ち明けてお相手してくださるなら、兄弟などのように親しい人もなくて、とても淋しいので、世の中の思うことの、しみじみとしたこと、おもしろいこと、悲しいことも、その時々の思いを、胸一つに収めて過ごしてきた身の上なので、何と言っても頼りなく思われるので、親しくお頼み申し上げるのです。
后の宮は、親しく、そのように何ということなく思いのままのこまごまとしたことを、申し上げられる方ではありません。三条の宮は、母親と申し上げるほどでもないお若々しさですが、分限がありますので、気安くお親しみ申し上げることはできません。その他の女性は、すべてたいそう疎々しく、気が引けて恐ろしく思われて、自ら求めて結婚相手もなく心細いのです。
いい加減な好き心からも、懸想めいたことは、とても気恥ずかしくて性に合わず、体裁悪い不器用さで、まして心に思い詰めている方のことは、口に出すのも難しくて、恨めしくも鬱陶しくもお思い申し上げる様子をさえ見ていただけないのは、自分ながらこの上なく愚かしいことだ。宮のお事をも、悪くお計らい申し上げまいと、お任せ下さいませんか」
などとおっしゃっていた。老女は、老女で、これほど心細いので、理想的なご様子を、とても切に、そうして差し上げたいと思うが、どちらも気恥ずかしいご様子の方々なので、思いのままには申し上げられない。
[1-5 薫、大君の寝所に迫る]
今夜はお泊まりになって、お話などをのんびりと申し上げたくて、ぐずぐずして日をお暮らしになった。はっきりとではないが、何か恨みがましいご様子、だんだんと無性に昂じて行くので、厄介になって、気を許してお話し申し上げることも、ますますつらいけれど、全体的にはめったにいない親切なご性格の方なので、ひどくすげないお扱いもできなくて、面会なさる。
仏のいらっしゃる間の中の戸を開けて、御燈明の光を明るく照らさせて、簾に屏風を添えておいでになる。外の間にも大殿油を差し上げるが、「疲れて無作法なので。丸見えでは」などと制止して、横に臥せっていらっしゃった。果物などを、特別なふうにではなく整えて差し上げさせなさった。
お供の人びとにも、風流なお肴などをお出させなさった。廊のような所に集まって、こちらの御前は人の気配を遠ざけて、しみじみとお話申し上げなさる。気をお許しになるはずもないものの、優しそうに愛嬌がおありで、物をおっしゃる様子が、一方ならず心に染みいって、胸が切なくなるのもたわいない。
このように何でもない隔て物だけを障害にして、もどかしく思っては過ごしてきた不器用さが、「あまりにも馬鹿らしいな」と思い続けられるが、さりげなく平静を装って、世間一般の事柄を、しみじみと興味を惹くように、いろいろとおもしろくたくさんお話し申し上げなさる。
内側では、「女房たち、近くに」などとおっしゃっておいたが、「そんなにも、よそよそしくなさらないで欲しい」と思っているようなので、たいしてお守り申さず、尻ごみ尻ごみしながら、皆寄り臥して、仏の御燈明を明るくする人もいない。何となく気づまりで、こっそりと人をお呼びになるが、目を覚まさない。
「気分が悪く、苦しうございますので、少し休んで、明け方に再びお話し申し上げましょう」
と言って、お入りになろうとする様子である。
「山路を分け入って来ましたわたしは、あなた以上にとても苦しいのですが、このようにお話し申し上げたりお聞きしたりすることによって慰められております。わたしを捨ててお入りになったら、たいそう心細いでしょう」
と言って、屏風を静かに押し開けてお入りになった。たいそう気味悪くて、半分程お入りになったところ、引き止められて、ひどく悔しく気にくわないので、
「隔てなくとは、このようなことを言うのでしょうか。変なことですね」
と、非難なさる様子が、ますます魅力的なので、
「隔てない心を全然お分かりでないので、お教え申し上げましょうとね。変なことだとも、どのようなことに、お考えなのでしょうか。仏の御前で誓言も立てましょう。嫌な、お恐がりなさるな。お気持ちを損ねまいと初めから思っておりますので。他人はこのようにも推量して思うまいでしょうが、世間の人と違った馬鹿正直者で通しておりますからね」
と言って、奥ゆかしいほどの火影で、御髪がこぼれかかっているのを、掻きやりながら御覧になると、姫君のご様子は、申し分なくつやつやと美しい。
[1-6 薫、大君をかき口説く]
このように心細くひどいお住まいで、好色の男は邪魔者もないのだが、「自分以外に訪ねて来る人もあったら、そのままにしておくだろうか。どんなに残念なことだろうに」と、将来はもちろんのこと今までの優柔不断さまで、不安に思われなさるが、言いようもなくつらいと思ってお泣きになるご様子が、たいそうおいたわしいので、「このようにではなく、自然と心がとけてこられる時もきっとあるだろう」と思い続ける。
無理やり迫るのも気の毒なので、体裁よくおなだめ申し上げなさる。
「このようなお気持ちとは思いよらず、不思議なほど親しくさせて頂いたことを、不吉な喪服の色など、見ておしまいになられる思いやりの浅さに、また自分自身の言いようのなさも思い知らされるので、あれこれと気の慰めようもありません」
と恨んで、何の用意もなく質素な喪服でいらっしゃる墨染の火影を、とても体裁悪くつらいと困惑していらっしゃった。
「まことにこのようにまでお嫌いになるわけもあるのかと、恥ずかしくて、申し上げようもありません。喪服の色を理由になさるのも、もっともなことですが、長年お親しみなさったお気持ちの表れとしては、そのような憚らねばならないような、今始まったような事のようにお思いなさってよいものでしょうか。かえってなさらなくてもよいご分別です」
と言って、あの琴の音を聴いた有明の月の光をはじめとして、季節折々の思う心の堪えがたくなってゆく有様を、たいそうたくさん申し上げなさると、「気恥ずかしいことだわ」と疎ましく思って、「このような気持ちでありながら何喰わぬ顔で真面目顔していらっしゃっのだわ」と、お聞きになることが多かった。
お側にある低い几帳を、仏の方に立てて隔てとして、形ばかり添い臥しなさった。名香がたいそう香ばしく匂って、樒がとても強く薫っている様子につけても、人よりは格別に仏を信仰申し上げていらっしゃるお心なので、気が咎めて、服喪中の今、折もあろうに堪え性もないようで、軽率にも、当初の気持ちと違ってしまいそうなので、このような喪中が明けたころに、姫君のお気持ちも、「そうはいっても少しはお緩みになるだろう」などと、つとめて気長に思いなしなさる。
秋の夜の様子は、このような場所でなくてさえ、自然としみじみとしたことが多いのに、まして峰の嵐も籬の虫の音も、心細そうにばかり聞きわたされる。無常の世のお話に、時々お返事なさる様子、実に見ごたえのある点が多く無難である。眠たそうにしていた女房たちは、「こうなったのだわ」と、様子を察して皆下がってしまった。
父宮がご遺言なさったことなどをお思い出しなさると、「なるほど、生き永らえると、意外なこのようなとんでもない目に遭うものだわ」と、何もかも悲しくて、水の音に流れ添う心地がなさる。
[1-7 実事なく朝を迎える]
いつのまにか夜明け方になってしまった。お供の人びとが起きて合図をし、馬どもが嘶く声も、旅の宿の様子など供人が話していたのを、ご想像されて、おもしろくお思いになる。光が見えた方面の障子を押し開けなさって、空のしみじみとした様子を一緒に御覧になる。女も少しいざり出でなさったが、奥行きのない軒の近さなので、忍草の露もだんだんと光が見えて行く。お互いに実に優美な姿態、容貌を、
「何というのではなくて、ただこのように月や花を、同じような気持ちで愛で、無常の世の有様を話し合って、過ごしたいものですね」
と、たいそう親しい感じでお語らい申されると、だんだんと恐ろしさも慰められて、
「このように面と向かっての体裁の悪い恰好でなく、何か物を隔ててなどしてお答え申し上げるならば、ほんとうに心の隔てはまったくないのですが」
とお答えなさる。
明るくなってゆき、群鳥が飛び立ち交う羽風が近くに聞こえる。まだ暗いうちの朝の鐘の音がかすかに響く。「今は、とても見苦しいですから」と、とても無性に恥ずかしそうにお思いになっていた。
「事あり顔に朝露を分けて帰ることはできません。また、人はどのように推量申し上げましょうか。いつものように穏便にお振る舞いになって、ただ世間一般と違った問題として、今から後も、ただこのようにしてくださいませ。まったく不安なことはないとお思いください。これほど一途に思い詰める心のうちを、いじらしいとお分かりくださらないのは効ないことです」
と言って、お帰りなるような様子もない。あきれて、見苦しいことと思って、
「今から後は、そのようなことなので、仰せの通りにいたしましょう。今朝は、またお願い申し上げていることを聞いてくださいませ」
と言って、ほんとうに困ったとお思いなので、
「ああ、つらい。暁の別れだ。まだ経験のないことなので、なるほど、迷ってしまいそうだ」
と嘆きがちである。鶏も、どこのであろうか、かすかに鳴き声がするので、京が自然と思い出される。
「山里の情趣が思い知られます鳥の声々に
あれこれと思いがいっぱいになる朝け方ですね」
女君、
「鳥の声も聞こえない山里と思っていましたが
人の世の辛さは後を追って来るものですね」
障子口までお送り申し上げなさって、昨夜入った戸口から出て、お臥せりになったが、眠ることはできない。名残惜しくて、「ほんとにこのようにせつなく思うのだったら、幾月も今までのんびりと構えていられなかったろうに」などと、帰ることを億劫に思われなさる。
[1-8 大君、妹の中の君を薫にと思う]
姫宮は、女房がどう思っているだろうかと気が引けるので、すぐには横におなりになれず、頼みにする親もなくて世の中を生きてゆく身の上のつらさを、仕えている女房連中も、つまらない縁談の事を何やかやと、次々に従って言い出すようだから、「望みもしない結婚になってしまいそうだ」と思案なさる一方で、
「この人のご様子や態度が、疎ましくはなさそうだし、故宮も、そのような気持ちがあったらと、時々おっしゃりお考えのようだったが、自分自身は、やはりこのように独身で過ごそう。自分よりは容姿も容貌も盛りで惜しい感じの中の宮を、人並みに結婚させたほうが嬉しいだろう。妹の身の上のことなら、心の及ぶ限り後見しよう。自分の身の世話は、他に誰が見てくれようか。
この人のお振舞が、いい加減ででたらめならば、このように親しんできた年月のせいで、気を緩める気持ちもありそうなのだが、立派すぎて近づきがたい感じなのも、かえってひどく気後れするので、自分の人生はこうして独身で終えよう」
と思い続けて、つい声を立てて泣き泣き夜を明かしなさったが、そのため気分がとても悪いので、中の宮が臥していらっしゃった奥の方に添ってお臥せりになる。
いつもと違って、女房がささやいている様子が変だと、この宮はお思いになりながら寝ていらっしゃったが、こうしていらっしゃったので、嬉しくて、御衣を引き掛けて差し上げなさると、御移り香が隠れようもなく、薫ってくる感じがするので、宿直人がもてあましていたことが思い合わされて、「ほんとうなのだろう」と、お気の毒に思って、眠ってしまったようにして何もおっしゃらない。
客人は、弁のおもとを呼び出しなさって、こまごまと頼みこんで、ご挨拶をしかつめらしく申し上げおいてお出になった。総角の歌を戯れの冗談にとりなしても、自分から、「一尋ほどの隔てはあったにしてもお会いしたものと、この君もお思いだろう」と、ひどく恥ずかしいので、気分が悪いといって、一日中横になっていらっしゃった。女房たちは、
「法事までの日数が少なくなりました。しっかりと、ちょっとしたことでさえも、他にお世話いたす人もいないので、あいにくのご病気ですこと」
と申し上げる。中の宮は、組紐など作り終えなさって、
「心葉などを、どうしてよいか分かりません」
と、無理におせがみ申し上げなさるので、暗くなったのに紛れてお起きになって、一緒に結んだりなどなさる。中納言殿からお手紙があるが、
「今朝からとても気分が悪くて」
と言って、人を介してお返事申し上げなさる。
「いかにも、見苦しく、子供っぽくいらっしゃいます」
と、女房たちはぶつぶつ申し上げる。
2 大君の物語 大君、中の君を残して逃れる
[2-1 一周忌終り、薫、宇治を訪問]
御服喪などが終わって、お脱ぎ捨てになったのにつけても、片時の間も生き永らえようとは思わなかったが、あっけなく過ぎてしまった月日の間をお思いなると、ひどく思ってもいなかった身のつらさと、泣き沈んでいらっしゃるお二方のご様子が、まことにお気の毒である。
幾月も黒い喪服を着馴れていらしたお姿が、薄鈍色になって、たいそう優美なので、中の宮は、なるほど女盛りで、可憐な感じが勝っていらっしゃった。御髪などを洗い清めさせて整わせて拝見なさると、この世の憂いが忘れる気がして素晴らしいので、心中密かに、「近づいて見劣りがすることはないだろう」と、頼もしく嬉しくて、今は他に見譲る人もいなくて、親代わりになって大切にお世話申し上げなさる。
あの方は、ご遠慮申し上げなさった服喪期間中もお改まりになっていような九月も、待ちきれず、再びおいでになった。「いつものようにお会い申したい」と、またご挨拶があるので、気分が悪くなって、厄介に思われるので、何かと言い訳申し上げてお会いなさらない。
「意外に冷たいお心ですね。女房たちもどのように思うでしょう」
と、お手紙で申し上げなさった。
「今を限りと脱ぎ捨てました時の悲しみに、かえって前より塞ぎこんでおりまして、お返事申し上げられません」
とある。
恨みのやりばがなくて、いつもの女房を召して、いろいろとおっしゃる。世にまたとない心細さの慰めとしては、この君だけをお頼み申し上げていた女房たちなので、思い通りに結婚なさって、世間並の住まいにお移りなどなさるのを、とてもおめでたいことと話し合って、「ただお入れ申そう」と、皆しめし合わせているのであった。
[2-2 大君、妹の中の君に薫を勧める]
姫宮、その様子を深くご存知ないが、「このように特別に一人前に親しくしているらしいので、気を許して、気がかりな考えがあるかもしれない。昔物語にも、自分から、とかく事件が起こることはあろうか。気を許してはならない女房の心であるようだ」と思い至りなさって、
「せめて恨みが深いなら、この妹君を押し出そう。たとえ見劣りする相手でも、そのように見初めては、いい加減には扱わないお心のようだから、わたし以上に、少しでも見初めたらきっと慰むことであろう。言葉に表しては、どうして、急に乗り換える人があろうか。希望通りでないと、承知する様子のないらしいのは、一つには、こちらの思うことを、筋違いに浅い思慮ではないかなどと、遠慮なさるだろう」
とご計画なさるが、「そのそぶりさえお知らせなさらなかったら、恨みを受けよう」と、我が身につまされてお気の毒なので、いろいろとお話になって、
「故人のご意向も、世の中をこのように心細く終えようとも、かえって物笑いに、軽々しい考えをするな、などと遺言なさったが、在世中の御足手まといで、勤行のお心を乱した罪でさえ大変であったのに、今はの際に、せめてそのようにおっしゃった一言だけでも違えまい、と思いますので、心細いなどとも格別思わないが、この女房たちが、妙に強情者のように憎んでいるらしいのは、ほんとに訳が分かりません。
女房の言うように、私と同じように独身でお過しになるのも、明け暮れの月日がたつにつけても、あなたのお身の上ばかりが、惜しくおいたわしく悲しい身の上とお思い申し上げていますが、せめてあなただけでも世間並みに結婚なさって、このようなわが身の有様も面目が立って、慰められるようお世話申し上げたい」
と申し上げなさると、どのようにお考えなのかと、情けなくなって、
「お一人だけが、そのように独身で終えなさいとは、申されたでしょうか。頼りないわが身の不安さは、よけいあるように、お思いのようでした。心細さの慰めには、このように朝夕にお目にかかるより他に、どのような手段がありましょうか」
と、何やら恨めしそうに思っていらっしゃるので、なるほどと、お気の毒になって、
「やはり、誰も彼もが困った強情者のように言い思っているらしいのにつけても、途方に暮れておりますよ」
と、言いかけてお止めになった。
[2-3 薫は帰らず、大君、苦悩す]
日が暮れて行くのに、客人はお帰りにならない。姫宮は、とても困ったことだとお思いになる。弁が参って、ご挨拶などをもお伝え申し上げて、お恨みになるのもごもっともなことを、こまごまと申し上げると、お返事もなさらず、お嘆きになって、
「どのように振る舞ったらよいものか。どちらかの親が生きていらっしゃったら、どうなるにせよ、親からお世話され申して、運命というものにつけても、思い通りにならない世の中なので、すべてよくあることとして、物笑いの非難も隠れるというもの。仕えている女房は皆年をとり、賢そうに自分自身では思いながら、いい気になって、お似合いのご縁だと言い聞かせるが、これが、しっかりしたことだろうか。一人前でもない考えで、ただ勝手に言っているばかりだ」
とお考えになると、引き動かさんばかりにお勧め申し上げ合うのも、まことにつらく嫌な感じがして、従う気になれない。同じ気持ちで何事もご相談申し上げなさる中の宮は、このような結婚に関する話題には、もう少しご存知なくおっとりして、何ともお分かりでないので、「変わった身の上だわ」と、ただ奥の方に向いていらっしゃるので、
「いつもの服装にお召し替えなさいませ」
などと、お勧め申し上げながら、皆、お目にかからせようという考えのようなので、あきれて、「なるほど、何の支障があるだろうか。手狭な所で、このようなご生活の仕方ない、山梨の花」、逃げることもできないのであった。
客人は、こうあからさまに、誰それにも口を出させず、「こっそりと、いつから始まったともなく運びたい」と初めからお考えになっていたことなので、
「お許しくださらないならば、いつもいつも、このようにして過ごそう」
とお考えになりおっしゃるが、この老女が、それぞれと相談しあって、あからさまにささやき、そうは言っても、浅はかで老いのひがみからか、お気の毒に見える。
[2-4 大君、弁と相談する]
姫宮、お困りになって、弁が参ったのでおっしゃる。
「長年、世間の人と違ったご好意とばかりおっしゃっていたのを聞いており、今となっては、何でもすっかりお頼み申して、不思議なほど親しくしていたのですが、思っていたのと違ったお気持ちがおありで、お恨みになるらしいのは困ったことです。世間の人のように夫を持ちたい身の上ならば、このような縁談も、どうしてお断りなどしましょう。
けれども、昔から思い捨てていた考えなので、とてもつらいことです。この妹君が盛りをお過ぎになるのも残念です。なるほど、このような住まいも、ただこの君のためにも不都合にばかり思われますが、ほんとうに亡き宮をお思い出し申し上げるお気持ちならば、同じようにお考えになってください。身を分けた妹に心の中はすべて譲って、お世話申し上げたい気がするのです。やはり、このようによろしく申し上げてくださいね」
と、恥ずかしがっているが、望んでいることをおっしゃり続けたので、まことにおいたわしいと拝する。
「そのようにばかりは、以前にもご様子を拝見しておりますので、とてもよく申し上げましたが、そのようにはお考え改めることはできず、兵部卿宮のお恨みの、深さが増すようなので、またそれはそれで、とても十分にご後見申し上げたい、と申されています。それも願ってもないことです。ご両親がお揃いで、特別に、たいそうお心をこめてお育て申し上げなさるにしましても、とても、このようにめったにないご縁談ばかりも、続いて来ないでしょう。
恐れ多いことですが、このようにとても頼りなさそうなご様子を拝見すると、果てはどのようにおなりあそばすのだろうかと、不安で悲しくばかり拝見していますが、将来のお心は分かりませんけれど、お二方ともご立派で素晴らしいご運勢でいらっしゃったのだと、何はともあれお思い申し上げます。
故宮のご遺言に背くまいとお考えあそばすのはごもっともなことですが、それは、婿にふさわしい方がいらっしゃらず、身分の不釣合なことがおありだろうとお考えになって、ご忠告申し上げなさったようなのではございませんか。
この殿の、そのようなお気持ちがおありでしたら、お一方を安心してお残し申せて、どんなに嬉しいことだろうと、時々おっしゃっていました。身分相応に、愛する人に先立たれなさった人は、身分の高い人も低い人も、思いの他に、とんでもない姿でさすらう例さえ多くあるようです。
それはみな憂き世の常のようですので、非難する人もございません。まして、これほどに、特別に誂えたような方のご様子で、ご愛情も深くめったにないように求婚申し上げなさるのを、むやみに振り切りなさって、お考えおいていたように、出家の本願をお遂げなさったとしても、そうかといって雲や霞を食べて生きらえましょうか」
などと、総じて言葉数多く申し上げ続けると、とても憎く気にくわないとお思いになって、うつ伏しておしまいになった。
[2-5 大君、中の君を残して逃れる]
中の宮も、ひとごとながらおいたわしいご様子だわと、拝見なさって、一緒にいつものようにお寝みになった。気がかりで、どのように対処しようか、と思われなさるが、わざとらしく引き籠もって身をお隠しになる物蔭さえないお住まいなので、柔らかく美しい御衣を、上にお掛け申し上げなさって、まだ暑いころなので、少し寝返りして臥せっていらっしゃった。
弁は、おっしゃったことを客人に申し上げる。「どうして、ほんとにこのように結婚を思い断っていらっしゃるのだろう。聖めいていらした方の側にいて、無常をお悟りになったのか」とお思いになると、ますます自分の心と似通っていると思われるので、利口ぶった憎い女とも思われない。
「それでは、物越しに会うのでも、今はとんでもないこととお考えなのですね。今夜だけは、お寝みになっている所に、こっそりと手引きせよ」
とおっしゃるので、気をつけて、他の女房を早く寝静めたりして、事情を知っている者同志は手筈をととのえる。
宵を少し過ぎたころに、風の音が荒々しく吹くと、「頼りない邸の蔀などは、きしきしと鳴る紛らわしい音に、人がこっそり入っていらっしゃる音は、お聞きつけになるまい」と思って、静かに手引きして入れる。
同じ所にお寝みなっているのを、不安だと思うが、いつものことなので、「別々にとはどうして申し上げられよう。ご様子も、はっきりとお見知り申していらっしゃるだろう」と思ったが、少しもお眠りになることもできないので、ふと足音を聞きつけなさって、そっと起き出しておしまいになった。とても素早く這ってお隠れになった。
無心に寝ていらっしゃるのを、とてもお気の毒に、どのようにするのかと、胸がどきりとして、一緒に隠れたいと思うが、そのように立ち戻ることもできず、震えながら御覧になると、灯火がほのかに明るい中に、袿姿で、いかにも馴れ馴れしく、几帳の帷子を引き上げて中に入ったのを、ひどくおいたわしくて、「どのようにお思いになっているだろう」と思いながら、粗末な壁の面に、屏風を立てた背後の、むさ苦しい所にお座りになった。
「将来の心積もりとして話しただけでも、つらいと思っていらっしゃったのを、まして、どんなに心外にお疎みになるだろう」と、とてもおいたわしく思うにつけても、すべてしっかりした後見もいなくて、落ちぶれている二人の身の上の悲しさを思い続けなさると、今を限りと山寺にお入りになった父宮の夕方のお姿などが、まるで今のような心地がして、ひどく恋しく悲しく思われなさる。
[2-6 薫、相手を中の君と知る]
中納言は、独り臥していらっしゃるのを、そのつもりでいたのかと嬉しくなって、心をときめかしなさると、だんだんと違った人であったと分かる。「もう少し美しくかわいらしい感じが勝っていようか」と思われる。
驚いてあきれていらっしゃるのを、「なるほど、事情を知らなかったのだ」と見えるので、とてもお気の毒でもあり、また思い返しては、隠れていらっしゃる方の冷淡さが、ほんとうに情けなく悔しいので、この人をも他人のものにはしたくないが、やはりもともとの気持ちと違ったのが、残念で、
「一時の浅い気持ちだったとは思われ申すまい。この場は、やはりこのまま過ごして、結局、運命から逃れられなかったら、こちらの宮と結ばれるのも、どうしてまったくの他人でもないし」
と気を静めて、例によって、風情ある優しい感じでお話して夜をお明かしになった。
老女連中は、十分にうまくいったと思って、
「中の宮は、どこにいらっしゃるのだろう。不思議なことだわ」
と、探し合っていた。
「いくら何でも、どこかにいらっしゃるだろう」
などと言う。
「総じていつも、拝見すると皺の延びる気がして、素晴らしく立派でいつまでも拝見していたいご器量や態度を、どうして、とてもよそよそしくお相手申し上げていらっしゃるのだろう。何ですか、これは世間の人が言うような、恐ろしい神様が、お憑き申しているのでしょうか」
と、歯は抜けて、憎たらしく言う女房がいる。また、
「まあ、縁起でもない。どんな魔物がお憑きになっているものですか。ただ、世間離れして、お育ちになったようですから、このようなことでも、ふさわしくとりなして差し上げなさる人もなくていらっしゃるので、体裁悪く思わずにはいらっしゃれないのでしょう。そのうち自然と拝しお馴れなさったら、きっとお慕い申し上げなさるでしょう」
などと話して、
「すぐにうちとけて、理想的な生活におなりになってほしい」
と言いながら寝入って、いびきなどを、きまり悪いくらいにする者もいる。
逢いたい人と過ごしたのではない秋の夜であるが、間もなく明けてしまう気がして、どちらとも区別することもできない優美なご様子を、自分自身でも物足りない気がして、
「あなたも愛してください。とても情けなくつらいお方のご様子を、真似なさいますな」
などと、後の逢瀬を約束してお出になる。自分ながら妙に夢のように思われるが、やはり冷たい方のお気持ちを、もう一度見極めたいとの気で、気持ちを落ち着けながら、いつものように、出て来てお臥せりになった。
[2-7 翌朝、それぞれの思い]
弁が参って、
「ほんとうに不思議に、中の宮は、どこにいらっしゃるのだろう」
と言うのを、とても恥ずかしく思いがけないお気持ちで、「どうしたことであったのか」と思いながら横になっていらっしゃった。昨日おっしゃったことをお思い出しになって、姫宮をひどい方だとお思い申し上げなさる。
すっかり明けた光を頼りにして、壁の中のこおろぎすが這い出しなさった。恨んでいらっしゃるだろうことがとてもお気の毒なので、お互いに何もおっしゃれない。
「奥ゆかしげもなく、情けないことだわ。今から後は、油断できないものだわ」
と思い乱れていらっしゃった。
弁はあちらに参って、あきれはてたお気の強さをすっかり聞いて、「まことにあまりにも思慮が深く、かわいげがないこと」と、気の毒に思い呆然としていた。
「今までのつらさは、まだ望みの持てる気がして、いろいろと慰めていたが、昨夜は、ほんとうに恥ずかしく、身を投げてしまいたい気がする。お見捨てがたい気持ちで遺していかれたおいたわしさをお察し申し上げるのは、また、一途に、わが身を捨てることもできません。好色がましい気持ちは、どちらにもお思い申していません。悲しさも苦しさも、それぞれお忘れになられたくなく思います。
宮などが、立派にお手紙を差し上げなさるようですが、同じことなら気位高く、という考えが別におありなのだろう、と納得がいきましたので、まことにごもっともで恥ずかしくて。再び参上して、あなた方にお目にかかることもしゃくでね。よし、このように馬鹿らしい身の上を、また他人にお漏らしなさいますな」
と、恨み言をいって、いつもより急いでお出になった。「どなたにとってもお気の毒で」と、ささやき合っていた。
[2-8 薫と大君、和歌を詠み交す]
姫君も、「どうしたことだ、もしいい加減な気持ちがおありだったら」と、胸が締めつけられるように苦しいので、何もかも、考えの違う女房のおせっかいを、憎らしいとお思いになる。いろいろとお考えになっているところに、お手紙がある。いつもより嬉しく思われなさるのも、一方ではおかしなことである。秋の様子も知らないふりして、青い枝で、片一方はたいそう色濃く紅葉したのを、
「同じ枝を分けて染めた山姫を
どちらが深い色と尋ねましょうか」
あれほど恨んでいた様子も、言葉少なく簡略にして、包んでいらっしゃるが、「何ともなしにうやむやにして済ますようだ」と御覧になるのも、心騷ぎして見る。
やかましく、「お返事を」と言うので、「差し上げなさい」と譲るのも、嫌な気がして、そうは言え書きにくく思い乱れなさる。
「山姫が染め分ける心はわかりませんが
色変わりしたほうに深い思いを寄せているのでしょう」
さりげなくお書きになっていたが、おもしろく見えたので、やはり恨みきれず思われる。
「身を分けてなどと、お譲りになる様子は、度々見えたが、承知しないのに困って企てなさったようだ。その効もなく、このように何の変化ないのもお気の毒で、情けない人と思われて、ますます当初からの思いがかないがたいだろう。
あれこれと仲立ちなどするような老女が思うところも軽々しく、結局のところ思慕したことさえ後悔され、このような世の中を思い捨てようとの考えに、自分自身もかなわなかったことよ」
と、体裁悪く思い知られるのに、それ以上に、
「世間にありふれた好色者の真似して、同じ人を繰り返し付きまとわるのも、まことに物笑いな棚無し小舟みたいだろう」
などと、一晩中思いながら夜を明かしなさって、まだ有明の空も風情あるころに、兵部卿宮のお邸に参上なさる。
3 中の君の物語 中の君と匂宮との結婚
[3-1 薫、匂宮を訪問]
三条宮邸が焼けた後は、六条院に移っていらっしゃったので、近くていつも参上なさる。宮も、お望みどおりの思いでいらっしゃるのであった。雑事にかまけることもなく理想的なお住まいなので、お庭先の前栽が、他の所のとは違って、同じ花の恰好も、木や草の枝ぶりも、格別に思われて、遣水に澄んで映る月の光までが、絵に描いたようなところに、予想どおりに起きておいでになった。
風に乗って吹いてくる匂いが、たいそうはっきりと薫っているので、ふとその人と気がついて、お直衣をお召しになり、きちんとした姿に整えてお出ましになる。
階を昇り終えず、かしこまりなさっていると、「どうぞ、上に」などともおっしゃらず、高欄に寄りかかりなさって、世間話をし合いなさる。あの辺りのことも、何かの機会にはお思い出しになって、「いろいろとお恨みになるのも無理な話である。自分自身の思いさえかないがたいのに」と思いながら、「そうなってくれればいい」と思うようなことがあるので、いつもよりは真面目に、打つべき手などを申し上げなさる。
明け方の薄暗いころ、折悪く霧がたちこめて、空の感じも冷え冷えと感じられ、月は霧に隔てられて、木の下も暗く優美な感じである。山里のしみじみとした様子をお思い出しになったのであろうか、
「近々のうちに、必ず置いておきなさるな」
とお頼みなさるのを、相変わらず、うるさがりそうにするので、
「女郎花が咲いている大野に人を入れまいと
どうして心狭く縄を張り廻らしなさるのか」
と冗談をおっしゃる。
「霧の深い朝の原の女郎花は
深い心を寄せて知る人だけが見るのです
並の人には」
などと、悔しがらせなさると、
「ああ、うるさいことだ」
と、ついにはご立腹なさった。
長年このようにおっしゃるが、どのような方か気がかりに思っていたが、「器量などもがっかりなさることもないと推量されるが、気立てが思ったほどでないかも知れない」などと、ずっと心配に思っていたが、「何事も失望させるようなところはおありでないようだ」と思うと、あの、おいたわしくも、胸の中にお計らいになった様子と違うようなのも、思いやりがないようだが、そうかといって、そのようにまた考えを改めがたく思われるので、お譲り申し上げて、「どちらの恨みも負うまい」などと、心の底に思っている考えをご存知なくて、心狭いとおとりになるのも面白いけれど、
「いつもの、軽々しいご気性で、物思いをさせるのは、気の毒なことでしょう」
などと、親代わりになって申し上げなさる。
「よし、御覧ください。これほど心にとまったことは、まだなかった」
などと、実に真面目におっしゃるので、
「あのお二方の心には、それならと承知したような様子には見えませんでした。お仕えしにくい宮仕えでございます」
と言って、お出ましになる時の注意などを、こまごまと申し上げなさる。
[3-2 彼岸の果ての日、薫、匂宮を宇治に伴う]
二十八日が、彼岸の終わりの日で、吉日だったので、こっそりと準備して、ひどく忍んでお連れ申し上げる。后宮などがお聞きあそばしては、このようなお忍び歩きを厳しくお禁じ申し上げなさっているので、まことに厄介であるが、たってのお望みのことなので、気づかれないようにとお世話するのも、大変なことである。
舟で渡ったりするのも大げさなので、仰々しいお邸なども、お借りなさらず、その辺りの特に近い御庄の人の家に、たいそうこっそりと、宮をお下ろし申し上げなさって、いらっしゃた。お気づき申すような人もいないが、宿直人は形ばかり外に出て来るにつけても、様子を知らせまいというのであろう。
「いつもの、中納言殿がおいでです」と準備に回る。姫君たちは何となくわずらわしくお聞きになるが、「心を変えていただくように言っておいたから」と、姫宮はお思いになる。中の宮は、「思う相手はわたしではないようだから、いくら何でも」と思いながら、嫌な事があってから後は、今までのように姉宮をお信じ申し上げなさらず、用心していらっしゃる。
何やかやとご挨拶ばかりを差し上げなさって、どのようになることかと、女房たちも気の毒がっている。
宮には、お馬で、闇に紛れてお出ましいただいて、弁を召し出して、
「こちらに、ただ一言申し上げねばならないことがございますが、お嫌いなさった様子を拝見してしまったので、まことに恥ずかしいが、いつまでも引き籠もっていられそうにないので、もう暫く夜が更けてから、以前のように手引きしてくださいませんか」
などと、率直にお頼みになると、「どちらであっても同じことだから」などと思って参上した。
[3-3 薫、中の君を匂宮にと企む]
「これこれです」と申し上げると、「そうであったか、思いが変わったのだわ」と、嬉しくなって心が落ち着き、あのお入りになる道ではない廂の障子を、しっかりと施錠して、お会いなさった。
「一言申し上げねばならないが、また女房に聞こえるような大声を出すのは具合が悪いから、少しお開けくださいませ。まことにうっとうしい」
と申し上げなさるが、
「とてもよく聞こえましょう」
と言って、お開けにならない。「今はもう心が変わったのを、挨拶なしではと思って言うのであろうか。何の、今初めてお会いするのでもないし、不愛想に黙っていないで、夜を更かすまい」などと思って、そのもとまでお出になったが、障子の間からお袖を捉えて引き寄せて、ひどく恨むので、「ほんとに嫌なことだわ。どうして言うことを聞いたのだろう」と、悔やまれ厄介だが、「なだめすかして向こうへ行かせよう」とお考えになって、自分同様にお思いくださるように、それとなくお話なさる心配りなど、まことにいじらしい。
宮は、教え申し上げたとおり、先夜の戸口に近寄って、扇を鳴らしなさると、弁が参ってお導き申し上げる。先々も物馴れした道案内を、面白いとお思いになりながらお入りになったのを、姫宮はご存知なく、「言いなだめて入れよう」とお思いになっていた。
おかしくもお気の毒にも思われて、内々にまったく知らなかったことを恨まれるのも、弁解の余地のない気がするにちがいないので、
「宮が後をついていらしたので、お断りするのもできず、ここにいらっしゃいました。音も立てずに、紛れ込みなさった。この利口ぶった女房は、頼み込まれ申したのだろう。中途半端で物笑いにもなってしまいそうだな」
とおっしゃるので、今一段と意外な話で、目も眩むばかり嫌な気になって、
「このように、万事変なことを企みなさるお方とも知らず、何ともいいようのない思慮の浅さをお見せ申してしまった至らなさから、馬鹿にしていらっしゃるのですね」
と、何とも言いようもなく後悔していらっしゃった。
[3-4 薫、大君の寝所に迫る]
「今はもう言ってもしかたありません。お詫びの言い訳は、何度申し上げても足りなければ、抓ねるでも捻るでもなさってください。高貴な方をお思いのようですが、運命などというようなものは、まったく思うようにいかないものでございますので、あの方のご執心は別のお方にございましたのを、お気の毒に存じられますが、思いのかなわないわが身こそ、置き場もなく情けのうございます。
やはり、どうにもならぬこととお諦めください。この障子の錠ぐらいが、どんなに強くとも、ほんとうに潔癖であったと推察いたす人もございますまい。案内人としてお誘いになった方のご心中にも、ほんとうにこのように胸を詰まらせて、夜を明かしていようとは、お思いになるでしょうか」
と言って、障子を引き破ってしまいそうな様子なので、何ともいいようもなく不愉快だが、なだめすかそうと落ち着いて、
「そのおっしゃる方面のこと、運命というものは、目にも見えないものなので、どのようにもこのようにも分かりません。行く先の知れない涙ばかり曇る心地がします。これはどのようになさるおつもりかと、夢のように驚いていますが、後世に話の種として言い出す人があったら、昔物語などに、馬鹿な話として作り出した話の例に、なってしまいそうです。このようにお企みになったお心のほどを、どうしてだったのかとご推察なさるでしょう。
やはり、とてもこのように、恐ろしいほどの辛い思いを、たくさんさせてお迷わしなさいますな。思いの外に生き永らえたたら、少し気が落ち着いてからお相手申し上げましょう。気分も真暗な気になって、とても苦しいが、ここで少し休みます。お放しください」
と、ひどく困っていらっしゃるので、それでも道理を尽くしておっしゃるのが、気恥ずかしくいたわしく思われて、
「あなた様、お気持ちに添うことを類なく思っているので、こんなにまで馬鹿者のようになっております。何とも言えないくらい憎み疎んじていらっしゃるようなので、申し上げようもありません。ますますこの世に跡を残すことも思われません」と言って、「それでは、物を隔てたままですが、申し上げさせていただきましょう。一途に、お捨てあそばしなさいますな」
と言って、お放し申されたので、奥に這い入って、とはいっても、すっかりお入りになってしまうこともできないのを、まことにいたわしく思って、
「これだけのおもてなしを慰めとして、夜を明かしましょう。決して、決して」
と申し上げて、少しもまどろまず、激しい水の音に目も覚めて、夜半の嵐に、山鳥のような気がして、夜を明かしかねなさる。
[3-5 薫、再び実事なく夜を明かす]
いつもの、明けゆく様子に、鐘の音などが聞こえる。「眠っていてお出になるような様子もないな」と、妬ましくて、咳払いなさるのも、なるほど妙なことである。
「道案内をしたわたしがかえって迷ってしまいそうです
満ち足りない気持ちで帰る明け方の暗い道を
このような例は、世間にあったでしょうか」
とおっしゃると、
「それぞれに思い悩むわたしの気持ちを思ってみてください
自分勝手に道にお迷いならば」
と、かすかにおっしゃるのを、まことに物足りない気がするので、
「何とも、すっかり隔てられているようなので、まことに堪らない気持ちです」
などと、いろいろと恨みながら、ほのぼのと明けてゆくころに、昨夜の方角からお出になる様子である。たいそう柔らかく振る舞っていらっしゃる所作など、色めかしいお心用意から、何ともいえないくらい香をたきこめていらっしゃった。老女連中は、まことに妙に合点がゆかず戸惑っていたが、「そうはいっても悪いようにはなさるまい」と慰めていた。
暗いうちにと、急いでお帰りになる。道中も、帰途はたいそう遥か遠く思われなさって、気軽に行き来できそうにないことが、今からとてもつらいので、「夜を隔てられようか」と思い悩んでいらっしゃるようである。まだ人が騒々しくならない朝のうちにお着きになった。廊にお車を寄せてお下りになる。異様な女車の恰好をしてこっそりとお入りになるにつけても、皆お笑いになって、
「いい加減でない宮仕えのお気持ちと存じます」
と申し上げなさる。道案内の馬鹿らしさを、まことに悔しいので、愚痴を申し上げるお気にもならない。
[3-6 匂宮、中の君へ後朝の文を書く]
宮は、早々と後朝のお手紙を差し上げなさる。山里では、大君も中の君も現実のような気がなさらず、思い乱れていらっしゃった。いろいろと企んでいらしたのを、「顔にも出さなかったことよ」と、疎ましくつらく、姉宮をお恨み申し上げなさって、お目も合わせ申し上げなさらない。ご存知なかった事情を、さっぱりと弁明おできになれず、もっともなこととお気の毒にお思い申し上げなさる。
女房たちも、「どういうことでございましたか」などと、ご機嫌を伺うが、呆然とした状態で、頼りとする姫宮がいらっしゃるので、「不思議なことだわ」と思い合っていた。お手紙を紐解いてお見せ申し上げなさるが、全然起き上がりなさらないので、「たいへん時間がたちます」とお使いの者は困っていた。
「世にありふれたことと思っていらっしゃるのでしょうか
露の深い道の笹原を分けて来たのですが」
書き馴れていらっしゃる墨つきなどが、格別に優美なのも、一般のお付き合いとして御覧になっていた時は、素晴らしく思われたが、気がかりで心配事が多くて、自分が出しゃばってお返事申し上げるのも、とても気が引けるので、一生懸命に、書くべきことを、じっくりと言い聞かせてお書かせ申し上げなさる。
紫苑色の細長一襲に、三重襲の袴を添えてお与えになる。お使いが迷惑そうにしているので、包ませて、お供の者に贈らせなさる。大げさなお使いでもなく、いつもお差し上げなさる殿上童なのである。特別に、人に気づかれまいとお思いになっていたので、「昨夜の利口ぶっていた老女のしわざであったよ」と、嫌な気がなさったのであった。
[3-7 匂宮と中の君、結婚第二夜]
その夜も、あの道案内をお誘いになったが、「冷泉院にぜひとも伺候しなければならないことがございますので」と言って、お断りになった。「例によって、何かにつけ、この世に関心のないように振る舞う」と、憎くお恨みになる。
「仕方がない。願わなかった結婚だからといって、いい加減にできようか」とお思い弱りになって、お部屋飾りなど揃わない住居だが、それはそれとして風流に整えてお待ち申し上げなさるのであった。はるばるとご遠路を急いでいらっしゃったのも、嬉しいことであるが、また一方では不思議なこと。
ご本人は、正気もない様子で、身づくろいして差し上げられなさるままに、濃いお召し物がひどく濡れるので、しっかりした方もふとお泣きになりながら、
「この世にいつまでも生きていられるとも思われませんので、明け暮れの考え事にも、ただあなたのお身の上だけがおいたわしくお思い申し上げていますが、この女房たちも、結構な縁組だと聞きにくいまで言っているようなので、年をとった女房の考えには、そうはいっても、世間の道理をも知っているだろう。
はかばかしくもない私一人の我を張って、こうしてばかりして、お置き申してよいものか、と思うようなこともありましたが、今はすぐにも、このように思いもかけず、恥ずかしい思いで思い乱れようとは、全然思ってもおりませんでしたが、これは、なるほど、世間の人が言うように逃れ難いお約束事だったのでしょう。まことに、つらいことです。少しお気持ちがお慰みになったら、何も知らなかった事情も申し上げましょう。憎いと、お恨みなさいますな。罪をお作りになっては大変ですよ」
と、御髪を撫でつくろいながら申し上げなさると、お返事もなさらないが、そうはいっても、このようにおっしゃることが、なるほど、心配で悪かれとはお考えであるまいから、物笑いに見苦しいことが加わって、お世話をおかけ申してはたいへんなことを、いろいろと考えていらっしゃった。
そのような考えもなく、びっくりしていらっしゃった態度でさえ、並々ならず美しかったのだが、まして少し世間並になよなよとしていらっしゃるのは、お気持ちも深まって、簡単にお通いになることができない山道の遠さを、胸が痛いほどお思いになって、心をこめて将来をお約束になるが、嬉しいとも何ともお分かりにならない。
言いようもなく大事にされている良家の姫君も、もう少し世間並に接し、親や兄弟などといっては、異性のすることを見慣れていらっしゃる方は、何かの恥ずかしさや、恐ろしさもほどほどのことであろう。邸内に大切にお世話申し上げる人はいないが、このような山深いご身辺なので、世間から離れて、引っ込んでお育ちになった方とて、思いもかけなかった出来事が、きまり悪く恥ずかしくて、何事も世間の人に似ず、妙に田舎人めいているだろう。ちょっとしたお返事も口のききようがなくて遠慮していらっしゃった。とはいえ、この君は利発で才気あふれる美しさは優っていらっしゃった。
[3-8 匂宮と中の君、結婚第三夜]
「三日に当たる夜は、餅を召し上がるものです」と女房たちが申し上げるので、「特別にしなければならない祝いなのだ」とお思いになって、御前でお作らせなさるのも、分からないことばかりで、一方では親代わりになってお命じになるのも、女房がどう思うかとつい気が引けて、顔を赤らめていらっしゃる様子、まこと美しい感じである。姉のせいでか、おっとりと気高いが、妹君のためにしみじみとした情愛がおありであった。
中納言殿から、
「昨夜、参ろうと思っておりましたが、せっかくご奉公に励んでも、何の効もなさそうなあなた様なので、恨めしく存じます。
今夜は雑役でもと存じますが、宿直所が体裁悪くございました気分が、ますますよろしくなく、ぐずぐずいたしております」
と、陸奥紙にきちんとお書きになって、準備の品々を、こまごまと、縫いなどしてない布地に、色とりどりに巻いたりして、御衣櫃をたくさん懸籠に入れて、老女のもとに、「女房たちの用に」といってお与えになった。宮の御方のもとにあった有り合わせの品々で、たいして多くはお集めになれなかったのであろうか、加工してない絹や綾などを、下に隠し入れて、お召し物とおぼしき二領。たいそう美しく加工してあるのを、単重の御衣の袖に古風な趣向であるが、
「小夜衣を着て親しくなったとは言いませんが
いいがかりくらいはつけないでもありません」
と、脅し申し上げなさった。
この方あの方とも、奥ゆかしさをなくした御身を、ますます恥ずかしくお思いになって、お返事をどのように申し上げようかと、お困りになっている時、お使いのうち何人かは、逃げ隠れてしまったのであった。卑しい下人を呼びとめて、お返事をお与えになる。
「隔てない心だけは通い合いましょうとも
馴れ親しんだ仲などとはおっしゃらないでください」
気ぜわしくいろいろと思い悩んでいらっしゃった後のために、ますますいかにも平凡なのを、お心のままと、待って御覧になる方は、ただしみじみとお思いになられる。
4 中の君の物語 匂宮と中の君、朝ぼらけの宇治川を見る
[4-1 明石中宮、匂宮の外出を諌める]
宮は、その夜、内裏に参りなさって、退出しがたそうなのを、ひそかにお心も上の空でお嘆きになっていたが、中宮が、
「依然として、このように独身でいらして、世間に、好色でいらっしゃるご評判がだんだんと聞こえてくるのは、やはり、とてもよくないことです。何事にも風流が過ぎて、評判を立てるようなことをなさいますな。主上も不安にお思いおっしゃっています」
と、里住みがちでいらっしゃるのをお諌め申し上げなさると、まことに辛いとお思いになって、御宿直所にお出になって、お手紙を書いて差し上げなさったその後も、ひどく物思いに耽っていらっしゃるところに、中納言の君が参上なさった。
あの姫君のお味方とお思いになると、いつもより嬉しくて、
「どうしよう。とてもこのように暗くなってしまったようだが、気がいらいらして」
と、嘆かしくお思いになっていた。「よくご本心をお確かめ申したい」とお思いになって、
「久しぶりに、こうして参内なさったのに、今夜伺候あそばさないで、急いで退出なさるのは、ますますけしからぬこととお思いあそばしましょう。台盤所の方で伺ったところ、ひそかに、厄介なご用をお勤め申したために、受けなくてもよいお叱りもございましょうかと、顔が青くなりました」
と申し上げなさると、
「まことに聞き憎いことをおっしゃいますね。多くは誰かが中傷するのでしょう。世間から非難を受けるような料簡は、どうして、起こそうか。窮屈なご身分など、かえってないほうがましだ」
とおっしゃって、ほんとうに厭わしくさえお思いであった。
お気の毒に拝しなさって、
「同じご不興でいらっしゃいましょう。今夜のお咎めは代わり申し上げて、我が身をも滅ぼしましょう。木幡の山に馬はいかがでございましょう。ますます世間の噂が避けようもないでしょう」
と申し上げなさるので、ただもうすっかり暮れて更けてしまった夜なので、お困りになって、お馬でお出かけになった。
「お供は、かえっていたしますまい。後始末をしよう」
と言って、この君は内裏にお残りになる。
[4-2 薫、明石中宮に対面]
中宮の御方に参上なさると、
「宮はお出かけになったそうな。あきれて困ったお方ですこと。どのように世間の人はお思い申すことでしょう。主上がお耳にあそばしたら、ご注意申し上げないのがいけないのだ、とお考えになり仰せになるのが耐えられません」
と仰せになる。大勢の宮たちが、このようにご成人なさったが、大宮は、ますます若く美しい感じが、優っていらっしゃるのであった。
「女一の宮も、このように美しくいらっしゃるようである。どのような機会に、この程度にお側近く、お声だけでもお聞きいたしたい」と、しみじみと思われる。「好色な男が、けしからぬ料簡を起こすのも、このようなお間柄で、そうはいっても他人行儀でなく出入りして、思いどおりにできないときのことなのだろう。
自分のように、偏屈な性分は、他に世にいるだろうか。なのに、やはり心動かされた女は、思い切ることができないのだ」
などと思っていらっしゃった。お仕えしているすべての女房の器量や気立ては、どの人となく悪い者はなく、無難でそれぞれに美しい中に、上品で優れて目にとまるのもいるが、全然乱れまいとの気持ちで、まことに生真面目に振る舞っていらっしゃった。わざと気を引いてみる女房もいる。
だいたいが気後れするような、沈着に振る舞っていらっしゃる所なので、表面はしとやかにしているが、人の心はさまざまなので、色っぽい性分の本心をちらちらと見せるのもいるが、「人それぞれにおもしろくもあり、いとおしくもあるなあ」と、立っても座っても、ただ世の無常を思い続けていらっしゃる。
[4-3 女房たちと大君の思い]
あちらでは、中納言殿が仰々しくおっしゃったのを、夜の更けるまでいらっしゃらず、お手紙のあるのを、「やはりそうであったか」と胸をつぶしておいでになると、夜半近くなって、荒々しい風に競うようにして、たいそう優雅で美しく匂っていらっしゃったのも、どうしていい加減に思われなさろう。
ご本人も、わずかにうちとけて、お分かりになることがきっとあるにちがいない。たいそう美しく女盛りと見えて、ひきつくろっていらっしゃる様子は、「この方以上の方があろうか」と思われる。
あれほど美しい人を数多く御覧になっているお目にさえ、悪くはないと、器量をはじめとして、多く近勝りして思われなさるので、山里の老女連中は、まして慎みなく相好を崩して微笑しながら、
「このように惜しいご様子を、並の身分の男性がお世話申し上げなさるようになったら、どんなに口惜しいことでしょう。思いどおりのご運勢を」
と申し上げながら、姫宮のご性格を、妙な偏屈者のようにお振る舞いなさるのを、悪しざまに口をとがらせてご非難申し上げる。
盛りを過ぎた身なのに、派手な花の色とりどりや、似つかわしくないのを縫いながら、身にもつかずめかしこんでいる女房連中の姿が、見られた者もいないのを見渡しなさって、姫宮は、
「わたしもだんだん盛りを過ぎた身だわ。鏡を見ると、痩せ痩せになってゆく。めいめいは、この女房連中も、自分自身を醜いと思っていようか。後ろ姿は知らない顔で、額髪をかき上げながら、化粧した顔づくろいをよくして振る舞っているようだ。自分の身としては、まだあの女房ほどは醜くはない。目鼻だちも尋常だと思われるのは、うぬぼれであろうか」
と不安で、外を眺めながら臥せっていらっしゃった。「気後れするような方と結婚することは、ますますみっともなく、もう一、二年したらいっそう衰えよう。頼りない身の上を」と、お腕が細っそりとして弱々しく、痛々しいのをさし出してみても、世の中を思い続けなさる。
[4-4 匂宮と中の君、朝ぼらけの宇治川を見る]
匂宮は、めったにないお暇のほどをお考えになると、「やはり、気軽にできそうにないことだ」と、胸が塞がって思われなさるのであった。大宮がご注意申し上げなさったことなどをお話し申し上げなさって、
「愛していながら途絶えがあろうが、どうしたことなのか、とお案じなさるな。かりそめにも疎かに思ったら、このようには参りません。心の中をどうかしらと疑って、お悩みになるのがお気の毒で、身を捨てて参ったのです。いつもこのようには抜け出すことはできないでしょう。しかるべき用意をして、近くにお移し申しましょう」
と、とても心をこめて申し上げなさるが、「絶え間がきっとあるように思われなさるのは、噂に聞いたお心のほどが現れたのかしら」と疑われて、ご自身の頼りない様子を思うと、いろいろと悲しいのであった。
明けてゆく空に、妻戸を押し開けなさって、一緒に誘って出て御覧になると、霧の立ちこめた様子、場所柄の情趣が多く加わって、例の、柴積み舟がかすかに行き来する跡の白波、「見慣れない住まいの様子だなあ」と、物事に感じやすいお心には、おもしろく思われなさる。
山の端の光がだんだんと見えるころに、女君のご器量が整っていてかわいらしくて、「この上なく大切に育てられた姫君も、これほどでいらっしゃろうか。気のせいで、こちらの身内の方がとても立派に思われる。きめ濃やかな美しさなどは、気を許して見ていたく」、かえって堪えがたい気がする。
水の音が騒がしく、宇治橋がたいそう古びて見渡されるなど、霧が晴れてゆくと、ますます荒々しい岸の辺りを、「このような所に、どのようにして年月を過ごしてこられたのだろう」などと、涙ぐんでおっしゃるのを、まことに恥ずかしいとお聞きになる。
男君のご様子が、この上なく優雅で美しくて、この世だけでなく来世まで夫婦のお約束申し上げなさるので、「思い寄らなかったこととは思いながらも、かえって、あの目馴れた中納言の恥ずかしさよりは」と思われなさる。
「あの方は愛する方が別にいて、とてもたいそう澄ましていた様子が、会うのも気づまりであったが、お噂だけでお思い申し上げていた時は、いっそうこの上なく遠くに、一行お書きになるお返事でさえ。気後れしたが、久しく途絶えなさることは、心細いだろう」
と思われるのも、我ながら嫌なと、思い知りなさる。
[4-5 匂宮と中の君和歌を詠み交して別れる]
お供の者たちがひどく咳払いをしてお促し申し上げるので、京にお着きになる時刻が、みっともなくないころにと、たいそう気ぜわしそうに、心にもなく来られない夜もあろうことを、繰り返し繰り返しおっしゃる。
「中が切れようとするのでないのに
あなたは独り敷く袖は夜半に濡らすことだろう」
帰りにくく、引き返しては躊躇していらっしゃる。
「切れないようにとわたしは信じては
宇治橋の遥かな仲をずっとお待ち申しましょう」
口には出さないが、何となく悲しいご様子は、この上なくお思いなさるのであった。
若い女性のお心にしみるにちがいない、世にも稀な朝帰りの姿を見送って、後に残っている御移り香なども、人知れずなにやらせつない気がするのは、機微の分かるお心だこと。今朝は、物の見分けもつく時分なので、女房たちが覗いて拝する。
「中納言殿は、優しく恥ずかしい感じが、加わった方であった。気のせいか、もう一段尊い身分なので、この方のお姿は、まことに格別で」
などと、お誉め申し上げる。
道すがら、お気の毒であったご様子をお思い出しになりながら、引き返したく、体裁悪くまでお思いになるが、世間の評判を我慢してお帰りあそばすことなので、たやすくお出かけになることはおできになれない。
お手紙は毎日毎日に、たくさん書いて差し上げなさる。「いい加減なお気持ちではないのでは」と思いながら、訪れのない日数が続くのを、「まことに心配の限りを尽くすことはしまいと思っていたが、自分のこと以上においたわしいことだわ」と、姫宮はお悲しみになるが、ますますこの妹君がお悲しみに沈んでいらっしゃろうことから、平静を装って、「自分自身でさえ、やはりこのような心配を増やすまい」と、ますます強くお思いになる。
中納言の君も、「待ち遠しくお思いだろう」と想像して、自分の責任からおいたわしくて、宮をお促し申し上げながら、絶えずご様子を御覧になると、たいそうひどく打ち込んでいらっしゃる様子なので、そうはいってもと、安心であった。
[4-6 9月10日、薫と匂宮、宇治へ行く]
九月十日のころなので、野山の様子も自然と想像されて、時雨めいて暗くなり、空のむら雲が恐ろしそうな夕暮に、宮はますます落ち着きなく物思いに耽りなさって、どうしようかと、ご自身では決心をしかねていらっしゃる。そのところを推量して、参上なさった。「ふるの山里はどうでしょうか」と、お誘い申し上げなさる。まことに嬉しいとお思いになって、一緒にお出かけになるので、例によって、一車に相乗りしてお出かけになる。
分け入りなさるにつれて、まして物思いしているだろう心中を、ますますご想像される。道中も、ただこのことのお気の毒さをお話し合いなさる。
黄昏時のひどく心細いうえに、雨が冷たく降り注いで、秋の終わる気色がぞっとする感じなので、しっとりと濡れていらっしゃるお二方の芳気は、この世のものに似ず優艷で、連れ立っていらっしゃるのを、山賤連中は、どうしてうろたえぬことがあろうか。
女房らは、日頃ぶつぶつ言っていたが、そのあとかたもなくにこにことして、ご座所を整えたりなどする。京に、しかるべき家々に散り散りになっていた娘連中や、姪のような人を、二、三人呼び寄せて仕えさせていた。長年軽蔑申し上げてきた思慮の浅い人びとは、珍しい客人と思って驚いていた。
姫宮も、ちょうどよい折柄と嬉しくお思い申し上げなさるが、利口ぶった方が一緒にいらっしゃるのが、気恥ずかしくもあり、何となく厄介にも思うが、人柄がゆったりと慎重でいらっしゃるので、「なるほど、宮はこのようではおいででない」とお見比べなさると、めったにない方だと思い知られる。
[4-7 薫、大君に対面、実事なく朝を迎える]
宮を、場所柄によって、とても特別に丁重にお迎え入れ申し上げて、この君は、主人方に気安く振る舞っていらっしゃるが、まだ客人席の臨時の間に遠ざけていらっしゃるので、まことにつらいと思っていらっしゃった。お恨みなさるのも、そうはいってもお気の毒で、物越しにお会いなさる。
「冗談ではありませんね。こうしてばかりいられましょうか」と、ひどくお恨み申し上げなさる。だんだんと道理をお分かりになってきたが、妹のお身の上についても、物事をひどく悲観なさって、ますますこのような結婚生活を嫌なものとすっかり思いきって、
「やはり、一途に、何とかこのようにはうちとけまい。うれしいと思う方のお気持ちも、きっとつらいと思うにちがいないことがあるだろう。自分も相手も幻滅したりせずに、もとの気持ちを失わずに、最後までいたいものだわ」
と思う考えが深くおなりになっていた。
宮のご様子などをお尋ね申し上げなさると、ちらっとほのめかしつつ、「そうであったのか」とお思いになるようにおっしゃるので、お気の毒になって、ご執心のご様子や、態度を窺っていることなどを、お話し申し上げなさる。
いつもよりは素直にお話しになって、
「やはり、このように物思いの多いころを、もう少し気持ちが落ち着いてからお話し申し上げましょう」
とおっしゃる。小憎らしくよそよそしくは、あしらわないものの、「襖障子の戸締りもとても固い。無理に突破するのは、辛く酷いこと」とお思いになっているので、「お考えがおありなのだろう。軽々しく他人になびきなさるようなことは、また決してあるまい」と、心のおっとりした方は、そうはいっても、じつによく気を落ち着かせなさる。
「ただ、とても頼りなく、物を隔てているのが、満足のゆかない気がしますよ。以前のようにお話し申し上げたい」
と責めなさると、
「いつもよりも自分の容貌が恥ずかしいころなので、疎ましいと御覧になるのも、やはりつらく思われますのは、どうしたことでしょうか」
と、かすかにほほ笑みなさった様子などは、不思議と慕わしく思われる。
「このようなお心にだまされ申して、終いにはどのようになる身の上だろうか」
と嘆きがちに、いつものように、遠山鳥で別々のまま明けてしまった。
宮は、まだ独り寝だろうとはお思いならず、
「中納言が、主人方でゆったりとしている様子が羨ましい」
とおっしゃると、女君は、おかしなこととお聞きになる。
[4-8 匂宮、中の君を重んじる]
無理を押してお越しになって、長くもいずにお帰りになるのが、物足りなくつらいので、宮はひどくお悩みになっていた。お心の中をご存知ないので、女方には、「またどうなるのだろうか。物笑いになりはせぬか」と思ってお嘆きなると、「なるほど、心底からおつらそうな」と見える。
京にも、こっそりとお移しになる家もさすがに見当たらない。六条院には、左の大殿が、一画にお住みになって、あれほど何とかしたいとお考えの六の君の御事をお考えにならないので、何やら恨めしいとお思い申し上げていらっしゃるようである。好色がましいお振舞いだと、容赦なくご非難申し上げなさって、宮中あたりでもご愁訴申し上げていらっしゃるようなので、ますます、世間に知られない人をお囲いなさるのも、憚りがとても多かった。
普通にお思いの身分の女は、宮仕えの方面で、かえって気安そうである。そのような並の女にはお思いなされず、「もし御世が替わって、帝や后がお考えおいたままにでもおなりになったら、誰よりも高い地位に立てよう」などと、ただ今のところは、たいそうはなやかに、心に懸けていらっしゃるにつれて、して差し上げようともその方法がなくつらいのであった。
中納言は、三条宮を造り終えて、「しかるべき形をもってお迎え申そう」とお考えになる。
なるほど、臣下は気楽なのであった。このようにたいそうお気の毒なご様子でありながら、気をつかってお忍びになるために、お互いに思い悩んでいらっしゃるようなのも、おいたわしくて、人目を忍んでこのようにお通いになっている事情を、中宮などにもこっそりとお耳に入れあそばして、
「暫くの間のお騒がれは気の毒だが、女方のためには、非難されることもない。たいそうこのように夜をさえお明かしにならないつらさよ。うまさく計らって差し上げたいものよ」
などと思って、無理して隠さない。
「衣更など、てきぱきと誰がお世話するだろうか」などと心配なさって、御帳の帷子や、壁代などを、三条宮を造り終えて、お移りになる準備をなさっていたのを、「差し当たって、入用がございまして」などと、たいそうこっそりと申し上げなさって、差し上げなさる。いろいろな女房の装束、御乳母などにもご相談なさっては、特別にお作らせになったのであった。
5 大君の物語 匂宮たちの紅葉狩り
[5-1 10月1日頃、匂宮、宇治に紅葉狩り]
十月上旬ごろ、網代もおもしろい時期だろうと、お誘い申し上げなさって、紅葉を御覧になるよう申し上げなさる。側近の宮家の人びとや、殿上人で親しくなさっている人だけで、「たいそうこっそりと」とお思いになるが、たいへんなご威勢なので、自然と計画が広まって、左の大殿の宰相中将も参加なさる。それ以外では、この中納言殿だけが、上達部としてお供なさる。臣下の者は多かった。
あちらには、「無論、休憩をなさるでしょうから、そのようにお考えください。昨年の春にも、花見に尋ねて参った誰彼が、このような機会にことよせて、時雨の紛れに拝見するようなこともございましょう」などと、こまごまとご注意申し上げなさった。
御簾を掛け替え、あちらこちら掃除をし、岩蔭に積もっている紅葉の朽葉を少し取り除き、遣水の水草を払わせなどなさる。風流な果物や、肴など、手伝いに必要な者たちを差し上げなさった。一方では奥ゆかしさもないが、「どうすることもできない。これも前世からの宿縁なのか」と諦めて、お心積もりしていらっしゃった。
舟で上ったり下ったりして、おもしろく合奏なさっているのも聞こえる。ちらほらとその様子が見えるのを、そちらに立って出て、若い女房たちは拝見する。ご本人のお姿は、その人と見分けることはできないが、紅葉を葺いた舟の飾りが、錦に見えるところへ、声々に吹き立てる笛の音が、風に乗って仰々しいまでに聞こえる。
世人が追従してお世話申し上げる様子が、このようにお忍びの旅先でも、たいそう格別に盛んなのを御覧になるにつけても、「なるほど、七夕程度であっても、このような彦星の光をお迎えしたいもの」と思われた。
漢詩文をお作らせになるつもりで、博士なども伺候しているのであった。黄昏時に、お舟をさし寄せて音楽を奏しながら漢詩をお作りになる。紅葉を薄く濃くかざして、「海仙楽」という曲を吹いて、それぞれ満足した様子であるが、宮は、近江の湖の気がして、対岸の方の恨みはどんなにかとばかり、上の空である。時節にふさわしい題を出して、朗誦し合っていた。
人びとの騷ぎが少し静まってからおいでになろうと、中納言もお思いになって、そのようにお話申し上げていらっしゃったところに、内裏から、中宮の仰せ言として、宰相の御兄君の衛門督が、仰々しい随身を引き連れて、正装をして参上なさった。このようなご外出は、こっそりなさろうとしても、自然と広まって、後の例にもなることなので、重々しい身分の人も大していなくて、急にお出かけになったのを、お耳にあそばしびっくりして、殿上人を大勢連れて参ったので、具合悪くなってしまった。宮も中納言も、困ったとお思いになって、遊楽の興も冷めてしまった。ご心中を知らないで、酔い乱れて遊び明かした。
[5-2 一行、和歌を唱和する]
今日は、このままとお思いになるが、また、宮の大夫、その他の殿上人などを、大勢差し上げなさっていた。気ぜわしく残念で、お帰りになる気もしない。あちらにはお手紙を差し上げなさる。風流なこともなく、たいそう真面目に、お思いになっていたことを、こまごまと書き綴りなさっていたが、「人目が多く騒がしいだろう」とて、お返事はない。
「人数にも入らない身の上では、ご立派な方とお付き合いするのは、詮ないことであったのだ」と、ますますお思い知りなさる。逢わずに過す月日は、心配も道理であるが、いくら何でも後にはなどと慰めなさるが、近くで大騒ぎしていらして、何もなくて去っておしまいになるのが、つらく残念にも思い乱れなさる。
宮は、それ以上に、憂鬱でやるせないとお思いになること、この上ない。網代の氷魚も心寄せ申して、色とりどりの木の葉にのせて賞味なさるを、下人などはまことに美しいことと思っているので、人それぞれに従って、満足しているようなご外出に、ご自身のお気持ちは、胸ばかりがいっぱいになって、空ばかりを眺めていらっしゃるが、この故宮邸の梢は、たいそう格別に美しく、常磐木に這いかかっている蔦の色なども、何となく深味があって、遠目にさえ物淋しそうなのを、中納言の君も、「なまじご依頼申し上げなさっていたのが、かえってつらいことになったな」と思われる。
去年の春、お供した公達は、花の美しさを思い出して、先立たれてここで悲しんでいらっしゃるだろう心細さを噂する。このように忍び忍びにお通いになると、ちらっと聞いている者もいるのであろう。事情を知らない者も混じって、だいたいが何やかやと、人のお噂は、このような山里であるが、自然と聞こえるものなので、
「とても素晴らしくいらっしゃるそうな」
「箏の琴が上手で、故宮が明け暮れお弾きになるようしつけていらしたので」
などと、口々に言う。
宰相中将が、
「いつだったか花の盛りに一目見た木のもとまでが
秋はお寂しいことでしょう」
主人方と思って詠みかけてくるので、中納言は、
「桜は知っているでしょう
咲き匂う花も紅葉も常ならぬこの世を」
衛門督、
「どこから秋は去って行くのでしょう
山里の紅葉の蔭は立ち去りにくいのに」
宮の大夫、
「お目にかかったことのある方も亡くなった
山里の岩垣に気の長く這いかかっている蔦よ」
その中で年老いていて、お泣きになる。親王が若くいらっしゃった当時のことなどを、思い出したようである。
宮、
「秋が終わって寂しさがまさる木のもとを
あまり烈しく吹きなさるな、峰の松風よ」
と詠んで、とてもひどく涙ぐんでいらっしゃるのを、うすうす事情を知っている人は、
「なるほど、深いご執心なのだ。今日の機会をお逃しになるおいたわしさ」
と拝し上げる人もいるが、仰々しく行列をつくっては、お立ち寄りになることはできない。作った漢詩文の素晴らしい所々を朗誦し、和歌も何やかやと多かったが、このような酔いの紛れには、それ以上に良い作があろうはずがない。一部分を書き留めてさえ見苦しいものである。
[5-3 大君と中の君の思い]
あちらでは、お素通りになってしまった様子を、遠くなるまで聞こえる前駆の声々を、ただならずお聞きになる。心積もりしていた女房も、まことに残念に思っていた。姫宮は、それ以上に、
「やはり、噂に聞く月草のような移り気なお方なのだわ。ちらちら人の言うのを聞くと、男というものは、嘘をよくつくという。愛していない人を愛している顔でだます言葉が多いものだと、この人数にも入らない女房連中が、昔話として言うのを、そのような身分の低い階層には、よくないこともあるのだろう。
何事も高貴な身分になれば、人が聞いて思うことも遠慮されて、自由勝手には振る舞えないはずのものと思っていたのは、そうとも限らなかったのだわ。浮気でいらっしゃるように、故宮も伝え聞いていらっしゃって、このように身近な関係にまでは、お考えでなかったのに。不思議なほど熱心にずっと求婚なさり続け、意外にも婿君として拝するにつけてさえ、身のつらさが思い加わるのが、つまらないことであるよ。
このように期待はずれの宮のお心を、一方ではあの中納言も、どのように思っていらっしゃるのだろう。ここには特に立派そうな女房はいないが、それぞれ何と思うか、物笑いになって馬鹿らしいこと」
とお心を悩ましなさると、気分も悪くなって、ほんとうに苦しく思われなさる。
ご本人は、たまにお会いなさる時、この上なく深い愛情をお約束なさっていたので、「そうはいっても、すっかりご変心なさるまい」と、訪れがないのも、「やむをえない支障が、おありなのだろう」と、心中に思い慰めなさることがある。
久しく日がたったのを気になさらないこともないが、なまじ近くまで来ながら素通りしてお帰りになったことを、つらく口惜しく思われるので、ますます胸がいっぱいになる。堪えがたいご様子なのを、
「世間並みの姫君にして上げて、ひとかどの貴族らしい暮らしならば、このようには、お扱いなさるまいものを」
などと、姉宮は、ますますお気の毒にと拝し上げなさる。
[5-4 大君の思い]
「わたしも生き永らえたら、このようなことをきっと経験することだろう。中納言が、あれやこれやと言い寄りなさるのも、わたしの気を引いてみようとのつもりだったのだわ。自分一人が相手になるまいと思っても、言い逃れるには限度がある。ここに仕える女房が性懲りもなく、この結婚をばかりを、何とか成就させたいと思っているようなので、心外にも、結局は結婚させられてしまうかもしれない。この事だけは、繰り返し繰り返し、用心して過ごしなさいと、ご遺言なさったのは、このようなことがあろう時の忠告だったのだわ。
このような、不幸な運命の二人なので、しかるべき親にもお先立たれ申したのだ。姉妹とも同様に物笑いになることを重ねた様子で、亡き両親までをお苦しめ申すのが情けないのを、わたしだけでも、そのような物思いに沈まず、罪などたいして深くならない前に、何とか亡くなりたい」
と思い沈むと、気分もほんとうに苦しいので、食べ物を少しも召し上がらず、ただ、亡くなった後のあれこれを、明け暮れ思い続けていらっしゃると、心細くなって、この君をお世話申し上げなさるのも、とてもおいたわしく、
「わたしにまで先立たれなさって、どんなにひどく慰めようがないことだろう。惜しくかわいい様子を、明け暮れの慰みとして、何とかして一人前にして差し上げたいと思って世話するのを、誰にも言わず将来の生きがいと思ってきたが、この上ない方でいらっしゃっても、これほど物笑いになった目に遭ったような人が、世間に出てお付き合いをし、普通の人のようにお過ごしになるのは、例も少なくつらいことだろう」
などとお考え続けると、「何とも言いようなく、この世には少しも慰めることができなくて、終わってしまいそうな二人らしい」と、心細くお思いになる。
[5-5 匂宮の禁足、薫の後悔]
宮は、すぐその後、いつものように人目に隠れてとご出立なさったが、内裏で、
「このようなお忍び事によって、山里へのご外出も、簡単にお考えになるのです。軽々しいお振舞いだと、世間の人も蔭で非難申しているそうです」
と、衛門督がそっとお耳に入れ申し上げなさったので、中宮もお聞きになって困り、主上もますますお許しにならない御様子で、
「だいたいが気まま放題の里住みが悪いのである」
と、厳しいことが出てきて、内裏にぴったりとご伺候させ申し上げなさる。左の大殿の六の君を、ご承知せず思っていらっしゃることだが、無理にも差し上げなさるよう、すべて取り決められる。
中納言殿がお聞きになって、他人事ながらどうにもならないと思案なさる。
「自分があまりに変わっていたのだ。そのようになるはずの運命であったのだろうか。親王が不安であるとご心配になっていた様子も、しみじみと忘れがたく、この姫君たちのご様子や人柄も、格別なことはなくて世に朽ちてゆきなさることが、惜しくも思われるあまりに、人並みにして差し上げたいと、不思議なまでお世話せずにはいられなかったところ、宮もあいにくに身を入れてお責めになったので、自分の思いを寄せている人は別なのだが、お譲りなさるのもおもしろくないので、このように取り計らってきたのに。
考えてみれば、悔しいことだ。どちらも自分のものとしてお世話するのを、非難するような人はいないのだ」
と、元に戻ることはできないが、馬鹿らしく、自分一人で思い悩んでいらっしゃる。
宮は、薫以上に、お心にかからない折はなく、恋しく気がかりだとお思いになる。
「お心に気に入ってお思いの人がいるならば、ここに参らせて、普通通りに穏やかになさりなさい。格別なことをお考え申し上げておいであそばすのに、軽々しいように人がお噂申すようなのも、まことに残念です」
と、大宮は明け暮れご注意申し上げなさる。
[5-6 時雨降る日、匂宮宇治の中の宮を思う]
時雨がひどく降ってのんびりとした日、女一の宮の御方に参上なさったところ、御前に女房も多く伺候していず、ひっそりとして、御絵などを御覧になっている時である。
御几帳だけを隔てて、お話を申し上げなさる。この上もなく上品で気高い一方で、たおやかでかわいらしいご様子を、長年二人といないものとお思い申し上げなさって、
「他に、このご様子に似た人がこの世にいようか。冷泉院の姫宮だけが、ご寵愛の深さや内々のご様子も奥ゆかしく聞こえるけれど、口に出すすべもなくお思い続けていたが、あの山里の人は、かわいらしく上品なところはお劣り申さない」
などと、まっさきにお思い出しになると、ますます恋しくて、気紛らわしに、御絵類がたくさん散らかっているのを御覧になると、おもしろい女絵の類で、恋する男の住まいなどが描いてあって、山里の風流な家などや、さまざまな恋する男女の姿を描いてあるのが、わが身につまされることが多くて、お目が止まりなさるので、少しお願い申し上げなさって、「あちらへ差し上げたい」とお思いになる。
在五中将の物語を絵に描いて、妹に琴を教えているところの、「人の結ばむ」と詠みかけているのを見て、どのようにお思いになったのであろうか、少し近くにお寄りなさって、
「昔の人も、こういう間柄では、隔てなくしているものでございます。たいそうよそよそしくばかりおあしらいになるのがたまりません」
と、こっそりと申し上げなさると、「どのような絵であろうか」とお思いになると、巻き寄せて、御前に差し入れなさったのを、うつ伏して御覧になる御髪がうねうねと流れて、几帳の端からこぼれ出ている一部分を、わずかに拝見なさるのが、どこまでも素晴らしく、「少しでも血の遠い人とお思い申せるのであったら」とお思いになると、堪えがたくて、
「若草のように美しいあなたと共寝をしてみようとは思いませんが
悩ましく晴れ晴れしない気がします」
御前に伺候している女房たちは、この宮を特に恥ずかしくお思い申し上げて、物の背後に隠れていた。「こともあろうに嫌な変なことを」とお思いになって、何ともお返事なさらない。もっともなことで、「考えもなく口を」と言った姫君もふざけて憎らしく思われなさる。
紫の上が、特にこのお二方を仲よくお育て申されたので、大勢のご姉弟の中で、隔て心なく親しくお思い申し上げていらっしゃった。又とないほど大切にお育て申し上げなさって、伺候する女房たちも、どこか少しでも欠点がある人は、恥ずかしそうである。高貴な人の娘などもとても多かった。
お心の移りやすい方は、新参の女房に、ちょっと物を言いかけなどなさっては、あの山里辺りをお忘れになる時もない一方で、お訪ねなさることもなく数日がたった。
6 大君の物語 大君の病気と薫の看護
[6-1 薫、大君の病気を知る]
お待ち申し上げていらっしゃる所では、長く訪れのない気がして、「やはり、こうなのだ」と、心細く物思いに沈んでいらっしゃるところに、中納言がおいでになった。ご病気でいらっしゃると聞いての、お見舞いなのであった。ひどく気分が悪いというご病気ではないが、病気にかこつけてお会いなさらない。
「びっくりして、遠くから参ったのに。やはり、あちらのご病人のお側近くに」
と、しきりにご心配申し上げなさるので、くつろいで休んでいらっしゃるお部屋の御簾の前にお入れ申し上げる。「まことに見苦しいこと」と迷惑がりなさるが、そっけなくはなく、お頭を上げて、お返事など申し上げなさる。
宮が、不本意ながらお素通りになった様子などを、お話し申し上げなさって、
「安心してください。いらいらなさって、お恨み申し上げなさいますな」
などとお諭し申し上げなさると、
「妹には、格別何とも申し上げなさらないようです。亡き親のご遺言はこのようなことだったのだ、と思われて、おかわいそうなのです」
と言って、お泣きになる様子である。まことにおいたわしくて、自分までが恥ずかしい気がして、
「夫婦仲というものは、いずれにしても一筋縄でゆくことは難しいものです。いろいろなことをご存知ないお二方には、ひたすら恨めしいと思いになることもあるでしょうが、じっと気長に考えなさい。不安はまったくないと存じます」
などと、他人のお身の上まで世話をやくのも、一方では妙なと思われなさる。
夜毎に、さらにとても苦しそうになさったので、他人がお側近くにいる感じも、中の宮が辛そうにお思いになっていたので、
「やはり、いつものように、あちらに」
と女房たちが申し上げるが、
「いつもより、このようにご病気でいらっしゃる時が気がかりなので。心配のあまりに参上して、外に放っておかれては、とてもたまりません。このような時のご看病の指図も、誰がてきぱきとお仕えできましょうか」
などと、弁のおもとにご相談なさって、御修法をいくつも始めるようにおっしゃる。たいそう見苦しく、「わざわざ捨ててしまいたいわが身なのに」と聞いていらっしゃるが、相手の気持ちを顧みないかのように断るのもいやなので、やはり、生き永らえよと思ってくださるお気持ちもありがたく思われる。
[6-2 大君、匂宮と六の君の婚約を知る]
翌朝、「少しはよくなりましたか。せめて昨日ぐらいにお話し申し上げたい」というので、
「数日続いたせいか、今日はとても苦しくて。それでは、こちらに」
とお伝えになった。たいそうおいたわしく、どのような具合でいらっしゃるのか。以前よりは優しいご様子なのも、胸騷ぎして思われるので、近くに寄って、いろいろのことを申し上げなさって、
「苦しくてお返事できません。少しおさまりましてから」
と言って、まことにか細い声で弱々しい様子を、この上なくおいたわしくて嘆いていらっしゃった。そうはいっても、所在なくこうしておいでになることもできないので、まことに不安だが、お帰りになる。
「このようなお住まいは、やはりお気の毒です。場所を変えて療養なさるのにかこつけて、しかるべき所にお移し申そう」
などと申し上げおいて、阿闍梨にも、御祈祷を熱心にするようお命じになって、お出になった。
この君のお供の人で、早くも、ここにいる若い女房と恋仲になっているのであった。それぞれの話で、
「あの宮が、ご外出を禁じられなさって、内裏にばかり籠もっていらっしゃいます。左の大殿の姫君を、娶せ申しなさるらしい。女方は、長年のご本意なので、おためらいになることもなくて、年内にあると聞いている。
宮はしぶしぶとお思いで、内裏辺りでも、ただ好色がましいことにご熱心で、帝や后の御意見にもお静まりそうもないようだ。
わたしの殿は、やはり人にお似にならず、あまりに誠実でいらして、人からは敬遠されておいでだ。ここにこうしてお越しになるだけが、目もくらむほどで、並々でないことだ、と人が申している」
などと話したのを、「そのように言っていた」などと、女房たちの中で話しているのをお聞きになると、ますます胸がふさがって、
「もうお終いだわ。高貴な方と縁組がお決まりになるまでの、ほんの一時の慰みに、こうまでお思いになったが、そうはいっても中納言などが思うところをお考えになって、言葉だけは深いのだった」
とお思いになると、とやかく宮のおつらさは考えることもできず、ますます身の置き場所もない気がして、落胆して臥せっていらっしゃった。
弱ったご気分では、ますます世に生き永らえることも思われない。気のおける女房たちではないが、何と思うかつらいので、聞かないふりをして寝ていらしたが、中の宮、物思う時のことと聞いていたうたた寝のご様子がたいそうかわいらしくて、腕を枕にして寝ていらっしゃるところに、お髪がたまっているところなど、めったになく美しそうなのを見やりながら、親のご遺言も繰り返し繰り返し思い出されなさって悲しいので、
「罪深いという地獄には、よもや落ちていらっしゃるまい。どこでもかしこでも、おいでになるところにお迎えください。このようにひどく物思いに沈むわたしたちをお捨てになって、夢にさえお見えにならないこと」
とお思い続けなさる。
[6-3 中の君、昼寝の夢から覚める]
夕暮の空の様子がひどくぞっとするほど時雨がして、木の下を吹き払う風の音などに、たとえようもなく、過去未来が思い続けられて、添い臥していらっしゃる様子、上品でこの上なくお見えになる。
白い御衣に、髪は梳くこともなさらず幾日もたってしまっているが、まつわりつくことなく流れて、幾日も少し青くやつれていらっしゃるのが、優美さがまさって、外を眺めていらっしゃる目もと、額つきの様子も、分かる人に見せたいほどである。
昼寝の君は、風がたいそう荒々しいのに目を覚まされて起き上がりなさった。山吹襲に、薄紫色の袿などがはなやかな色合いで、お顔は特別に染めて匂わしたように、とても美しくあでやかで、少しも物思いをする様子もなさっていない。
「故宮が夢に現れなさったが、とてもご心配そうな様子で、このあたりに、ちらちら現れなさった」
とお話しになると、ますます悲しさがつのって、
「お亡くなりになって後、何とか夢にも拝したいと思うが、全然、拝見していません」
と言って、お二方ともひどくお泣きになる。
「最近、明け暮れお思い出し申しているので、お姿をお見せになるかしら。何とか、おいでになるところへ尋ねて参りたい。罪障の深い二人だから」
と、来世のことまでお考えになる。唐国にあったという香の煙を、本当に手に入れたくお思いになる。
[6-4 10月の晦、匂宮から手紙が届く]
たいそう暗くなったころに、宮からお使いが来る。悲観の折とて、少し物思いもきっと慰んだことであろう。御方はすぐには御覧にならない。
「やはり、素直におおらかにお返事申し上げなさい。こうして亡くなってしまったら、この方よりもさらにひどい目にお遭わせ申す人が現れ出て来ようか、と心配です。時たまでも、この方がお思い出し申し上げなさるのに、そのようなとんでもない料簡を使う人は、いますまいと思うので、つらいけれども頼りにしています」
と申し上げなさると、
「置き去りにしていこうとお思いなのは、ひどいことです」
と、ますます顔を襟元にお入れになる。
「寿命があるので、片時も生き残っていまいと思っていたが、よくぞ生き永らえてきたものだった、と思っていますのよ。明日を知らない世が、そうはいっても悲しいのも、誰のために惜しい命かお分かりでしょう」
と言って、大殿油をお召しになって御覧になる。
例によって、こまやかにお書きになって、
「眺めているのは同じ空なのに
どうしてこうも会いたい気持ちをつのらせる時雨なのか」
「このように袖を濡らした」などということも書いてあったのであろうか、耳慣れた文句なのを、やはりお義理だけの手紙と見るにつけても、恨めしさがおつのりになる。あれほど類まれなご様子やご器量を、ますます、何とかして女たちに誉められようと、色っぽくしゃれて振る舞っていらっしゃるので、若い女の方が心をお寄せ申し上げなさるのも、もっともなことである。
時が過ぎるにつけても恋しく、「あれほどたいそうなお約束なさっていたのだから、いくら何でも、とてもこのまま終わりになることはない」と考え直す気に、いつもなるのであった。お返事は、「今宵帰参したい」と申し上げるので、皆が皆お促し申し上げるので、ただ一言、
「霰が降る深山の里は朝夕に
眺める空もかき曇っております」
こうお返事したのは、神無月の晦日だった。「一月もご無沙汰してしまったことよ」と、宮は気が気でなくお思いで、「今宵こそは、今宵こそは」と、お考えになりながら、邪魔が多く入ったりしているうちに、五節などが早くある年で、内裏辺りも浮き立った気分に取り紛れて、特にそのためではないが過ごしていらっしゃるうちに、あきれるほど待ち遠しくいらした。かりそめに女とお会いになっても、一方ではお心から離れることはない。左の大殿の縁談のことを、大宮も、
「やはり、そのような落ち着いた正妻をお迎えになって、その他にいとしくお思いになる女がいたら、参上させて、重々しくお扱いなさい」
と申し上げなさるが、
「もう暫くお待ちください。ある考えている子細があります」
お断り申し上げなさって、「ほんとうにつらい目をどうしてさせられようか」などとお考えになるお心をご存知ないので、月日とともに物思いばかりなさっている。
[6-5 薫、大君を見舞う]
中納言も、「思ったよりは軽いお心だな。いくら何でも」とお思い申し上げていたのも、お気の毒に、心から思われて、めったに参上なさらない。
山里には、「お加減はいかがですか。いかがですか」と、お見舞い申し上げなさる。「今月になってからは、少し具合がよくいらっしゃる」とお聞きになったが、公私に何かと騒がしいころなので、五、六日人も差し上げられなかったので、「どうしていらっしゃるだろう」と、急に気になりなさって、余儀ないご用で忙しいのを放り出して参上なさる。
「修法は、病気がすっかりお治りになるまで」とおっしゃっておいたが、良くなったといって、阿闍梨をもお帰しになったので、たいそう人少なで、例によって、老女が出てきて、ご容態を申し上げる。
「どこそこと痛いところもなく、たいしたお苦しみでないご病気なのに、食事を全然お召し上がりになりません。もともと、人と違っておいでで、か弱くいらっしゃるうえに、こちらの宮のご結婚話があって後は、ますますご心配なさっている様子で、ちょっとした果物さえお見向きもなさらなかったことが続いたためか、あきれるほどお弱りになって、まったく見込みなさそうにお見えです。まことに情けない長生きをして、このようなことを拝見すると、まずは何とか先に死なせていただきたいと存じております」
と、言い終わらずに泣く様子、もっともなことである。
「情けない。どうして、こうとお知らせくださらなかったのか。院でも内裏でも、あきれるほど忙しいころなので、幾日もお見舞い申し上げなかった気がかりさよ」
と言って、以前の部屋にお入りになる。御枕もと近くでお話し申し上げるが、お声もないようで、お返事できない。
「こんなに重くおなりになるまで、誰も誰もお知らせくださらなかったのが、つらいよ。心配しても効ないことだ」
と恨んで、いつもの阿闍梨、世間一般に効験があると言われている人をすべて、大勢お召しになる。御修法や、読経を翌日から始めさせようとなさって、殿邸の人が大勢参集して、上下の人たちが騒いでいるので、心細さがすっかりなくなって頼もしそうである。
[6-6 薫、大君を看護する]
暮れたので、「いつもの、あちらの部屋に」と申し上げて、御湯漬などを差し上げようとするが、「せめて近くで看病をしよう」と言って、南の廂間は僧の座席なので、東面のもう少し近い所に、屏風などを立てさせて入ってお座りになる。
中の宮は、困ったこととお思いになったが、お二人の仲を、「やはり、何でもなくはないのだ」と皆が思って、よそよそしくは隔てたりはしない。初夜から始めて、法華経を不断に読ませなさる。声の尊い僧すべて十二人で、実に尊い。
灯火はこちらの南の間に燈して、内側は暗いので、几帳を引き上げて、少し入って拝見なさると、老女連中が二、三人伺候している。中の宮は、さっとお隠れになったので、たいそう人少なで、心細く臥せっていらっしゃるのを、
「どうして、お声だけでも聞かせてくださらないのか」
と言って、お手を取ってお声をかけて差し上げると、
「気持ちはそのつもりでいても、物を言うのがとても苦しくて。幾日も訪れてくださらなかったので、お目にかかれないままにこと切れてしまうのではないかと、残念に思っておりました」
と、やっとの声でおっしゃる。
「こんなにお待ちくださるまで参らなかったことよ」
と言って、しゃくりあげてお泣きになる。お額など、少し熱がおありであった。
「何の罪によるご病気か。人を嘆かせると、こうなるのですよ」
と、お耳に口を当てて、いろいろ多く申し上げなさるので、うるさくも恥ずかしくも思われて、顔を被いなさっているのを、死なせてしまったらどんな気がするだろう、と胸も張り裂ける思いでいられる。
「何日もご看病なさってお疲れも、大変なことでしょう。せめて今夜だけでも、安心してお休みなさい。宿直人が伺候しましょう」
と申し上げなさると、気がかりであるが、「何かわけがあるのだろう」とお思いになって、少し退きなさった。
面と向かってというのではないが、這い寄りながら拝見なさると、とても苦しく恥ずかしいが、「このような宿縁であったのだろう」とお思いになって、この上なく穏やかで安心なお心を、あのもうお一方にお比べ申し上げなさると、しみじみとありがたく思い知られなさった。
亡くなった後の思い出にも、「強情な、思いやりのない女だと思われまい」とお慎みなさって、そっけなくおあしらいになったりなさらない。一晩中、女房に指図して、お薬湯などを差し上げなさるが、少しもお飲みになる様子もない。「大変なことだ。どのようにして、お命を取り止めることができようか」と、何とも言いようがなく沈みこんでいらっしゃった。
[6-7 阿闍梨、八の宮の夢を語る]
不断の読経の、明け方に交替する声がたいそう尊いので、阿闍梨も徹夜で勤めていて居眠りをしていたのが、ふと目を覚まして陀羅尼を読む。老いしわがれた声だが、実にありがたそうで頼もしく聞こえる。
「どのように今夜はおいででしたか」
などとお尋ね申し上げる機会に、故宮のお事などを申し上げて、鼻をしばしばかんで、
「どのような世界にいらっしゃるのでしょう。そうはいっても、涼しい極楽に、と想像いたしておりましたが、先頃の夢にお見えになりました。
俗人のお姿で、『世の中を深く厭い離れていたので、執着するところはなかったが、わずかに思っていたことに乱れが生じて、今しばらく願っていた極楽浄土から離れているのを思うと、とても悔しい。追善供養をせよ』と、まことにはっきりと仰せになったが、すぐにご供養申し上げる方法が思い浮かびませんので、できる範囲内で、修業している法師たち五、六人で、何々の称名念仏を称えさせております。
その他は、考えるところがございまして、常不軽を行わせております」
などと申すので、君もひどくお泣きになる。あの世までお邪魔申した罪障を、苦しい気持ちに、ますます息も絶えそうに思われなさる。
「何とか、あのまだ行く所がお定まりにならない前に参って、同じ所にも」
と、聞きながら臥せっていらっしゃった。
阿闍梨は言葉少なに立った。この常不軽は、その近辺の里々、京まで歩き回ったが、明け方の嵐に難渋して、阿闍梨のお勤めしている所を尋ねて、中門のもとに座って、たいそう尊く拝する。回向の偈の終わりのほうの文句が実にありがたい。客人もこの方面に関心のあるお方で、しみじみと感動に堪えられない。
中の宮が、まことに気がかりで、奥のほうにある几帳の背後にお寄りになっているご気配をお聞きになって、さっと居ずまいを正しなさって、
「不軽の声はどのようにお聞きあそばしましたでしょうか。重々しい祈祷としては行わないのですが、尊くございました」と言って、
「霜が冷たく凍る汀の千鳥が堪えかねて
寂しく鳴く声が悲しい、明け方ですね」
話すように申し上げなさる。冷淡な方のご様子にも似ていて、思い比べられるが、返事しにくくて、弁を介して申し上げなさる。
「明け方の霜を払って鳴く千鳥も
悲しんでいる人の心が分かるのでしょうか」
不似合いな代役だが、気品を失わず申し上げる。このようなちょっとしたことも、遠慮されるものの、やさしく上手におとりなしなさるものを、「今を最後と別れてしまったら、どんなに悲しい気がするだろう」と、目の前がまっくらにおなりになる。
[6-8 豊明の夜、薫と大君、京を思う]
宮が夢に現れなさった様子をお考えになると、「このようにおいたわしいお二方のご境遇を、宙空をさ迷いながらどのように御覧になっていられるだろう」と推察されて、お籠もりになったお寺にも、御誦経をおさせになる。所々にご祈祷の使者をお出しになって、朝廷にも私邸のほうにも、お休暇の旨を申されて、祀りや祓い、いろいろと思い至らないことのないほどなさるが、何かの罪によるお病気でもなかったので、何の効目も見えない。
ご自身でも、治りたいと思って、仏をお祈りなさればだが、
「はやり、このような機会に何とかして死にたい。この君がこうして付き添って、余命残りなくなったが、今はもう他人で過すすべもない。そうかといって、このように並々ならず見える愛情だが、思ったほどでないと、自分も相手もそう思われるのは、つらく情けないことであろう。もし寿命が無理に延びたら、病気にかこつけて、姿を変えてしまおう。そうしてだけ、末長い心を互いに見届けることができるのだ」
と思い決めなさって、
「生きるにせよ、死ぬにせよ、何とかこの出家を遂げたい」とお思いになるのを、そこまで賢ぶったことはおっしゃらずに、中の宮に、
「気分がますます頼りなく思われるので、戒を受けると、とても効目があって寿命が延びることだと聞いていたが、そのように阿闍梨におっしゃってください」
と申し上げなさると、みな泣き騒いで、
「とんでもない御ことです。こんなにまでお心を痛めていらっしゃるような中納言殿も、どんなにがっかり申されることでしょう」
と、ふさわしくないことと思って、頼りにしている方にも申し上げないので、残念にお思いになる。
このように籠もっていらっしゃったので、次々と聞き伝えて、お見舞いにわざわざやって来る人もいる。いい加減にはお思いでない方だ、と拝見するので、殿上人や、親しい家司などは、それぞれいろいろなご祈祷をさせ、ご心配申し上げる。
豊明の節会は今日であると、京をお思いやりになる。風がひどく吹いて、雪が降る様子があわただしく荒れ狂う。「都ではとてもこうではあるまい」と、自ら招いてのこととはいえ心細くて、「他人関係のまま終わってしまうのだろうか」と思う宿縁はつらいけれど、恨むこともできない。やさしくかわいらしいおもてなしを、ただ少しの間でも元どおりにして、「思っていたことを話したい」と、思い続けながら眺めていらっしゃる。光もささず暮れてしまった。
「かき曇って日の光も見えない奥山で
心を暗くする今日このごろだ」
[6-9 薫、大君に寄り添う]
ただ、こうしておいでになるのを頼みに、皆がお思い申し上げていた。いつもの、近いお側に座っていらっしゃるが、御几帳などを、風が烈しく吹くので、中の宮、奥のほうにお入りになる。見苦しそうな人びとも、恥ずかしがって隠れているところで、たいそう近くに寄って、
「どのようなお具合ですか。心のありたけを尽くして、ご祈祷申し上げる効もなく、お声をさえ聞かなくなってしまったので、まことに情けない。後に遺して逝かれなさったら、ひどくつらいことでしょう」
と、泣く泣く申し上げなさる。意識もはっきりしなくなった様子だが、顔はまことによく隠していらっしゃった。
「気分の良い時があったら、申し上げたいこともございますが、ただもう息も絶えそうにばかりなってゆくのは、心残りなことです」
と、本当に悲しいと思っていらっしゃる様子なので、ますます感情を抑えがたくなって、不吉に、このように心細そうに思っているとは見られまいと、お隠しになるが、泣き声まで上げられてしまう。
「どのような宿縁で、この上なくお慕い申し上げながら、つらいことが多くてお別れ申すのだろうか。少し嫌な様子でもお見せになったら、思いを冷ますきっかけにしよう」
と見守っているが、ますますいとしく惜しく、美しいご様子ばかりが見える。
腕などもたいそう細くなって、影のように弱々しいが、肌の色艶も変わらず、白く美しそうになよなよとして、白い御衣類の柔らかなうえに、衾を押しやって、中に身のない雛人形を臥せたような気がして、お髪はたいして多くもなくうちやられている、それが、枕からこぼれている側が、つやつやと素晴らしく美しいのも、「どのようにおなりになろうとするのか」と、生きていかれそうにもなく見えるのが、惜しいことは類がない。
幾月も長く患って、身づくろいもしてない様子が、気を許そうともせず恥ずかしそうで、この上なく飾りたてる人よりも多くまさって、こまかに見ていると、魂も抜け出してしまいそうである。
7 大君の物語 大君の死と薫の悲嘆
[7-1 大君、もの隠れゆくように死す]
「とうとう捨てて逝っておしまいになったら、この世に少しも生きている気がしない。寿命がもし決まっていて生き永らえたとしても、深い山に分け入るつもりです。ただ、とてもお気の毒に、お残りになる方の御事を心配いたします」
と、答えさせていただこうと思って、あの方の御事におふれになると、顔を隠していらっしゃったお袖を少し離して、
「このように、はかなかったものを、思いやりがないようにお思いなさったのも効がないので、このお残りになる人を、同じようにお思い申し上げてくださいと、それとなく申し上げましたが、その通りにしてくださったら、どんなに安心して死ねたろうにと、この点だけが恨めしいことで、執着が残りそうに思われます」
とおっしゃるので、
「このようにひどく、物思いをする身の上なのでしょうか。何としても、かんとしても、他の人には執着することがございませんでしたので、ご意向にお従い申し上げずになってしまいました。今になって、悔しくいたわしく思われます。けれども、ご心配申し上げなさいますな」
などと慰めて、たいそう苦しそうでいらっしゃるので、修法の阿闍梨たちを召し入れさせて、いろいろな効験のある僧全員して、加持して差し上げさせなさる。ご自分でも仏にお祈りあそばすこと、この上ない。
「世の中を特に厭い離れなさい、とお勧めになる仏などが、とてもこのようにひどい目にお遭わせになるのだろうか。見ている前で物が隠れてゆくようにして、お亡くなりになったのは、何と悲しいことであろうか」
引き止める方法もなく、足摺りもしそうに、人が馬鹿だと見ることも気にしない。ご臨終と拝しなさって、中の宮が、後れまいと嘆き悲しみなさる様子ももっともなことである。正気を失ったようにお見えになるのを、いつもの、利口ぶった女房連中が、「今は、まことに不吉なこと」と、お引き離し申し上げる。
[7-2 大君の火葬と薫の忌籠もり]
中納言の君は、そうはいっても、まさかこんなことにはなるまい、夢か、とお思いになって、大殿油を近くに芯をかき立てて拝見なさると、お隠しになっている顔も、まるで寝ていらっしゃるように、変わっておいでになるところもなく、かわいらしげに臥せっていらっしゃるのを、「このままで、虫の脱殻のようにずっと見続けることができるものならば」と、悲しみにくれる。
ご臨終の作法をする時に、お髪をかきやると、さっと匂うのが、まるで生きていた時の匂いそのままで、懐かしく香ばしいのも、世に比類なく、
「どうしてこの人を、少しでも普通の女性であったと思い諦められようか。ほんとうに世の中を思い捨て去る道しるべならば、恐ろしそうな醜いことで、悲しさも冷めてしまいそうなところだけでも見つけさせてください」
と仏にお祈りになるが、ますます悲しみを慰めようもなくなるばかりなので、どうしようもなくて、「ひと思いにせめて火葬にしてしまおう」とお思いになって、あれこれ例の葬式をするのが、何ともいいようのないことであった。
宙を歩くようにふらふらとして、最後に空に上る様子さえ頼りなさそうで、煙も多くはお立ちにならなかったのもあっけなかったことと、茫然としてお帰りになった。
御忌中に籠もっている人の数が多くて、心細さは少し紛れそうだが、中の宮は、人の目や思惑も恥ずかしい身の情けなさを悲観なさって、同じく死んだ人のようにお見えになる。
宮からもご弔問をたいそう頻繁に差し上げなさる。意外でつくづくとお思い申し上げていらっしゃったお気持ちも、お直りにならずに亡くなってしまったことをお思いになると、まことにつらいご縁の方である。
中納言は、このようにこの世がまことにつらく思われる機会に、出家の本願を遂げようとお思いになるが、三条宮がお悲しみになることに気がねし、この姫君の御事のおいたわしさに思い乱れて、
「あの方がおっしゃったようにして、形見としてでも結婚すべきであったよ。心の底では、身を分けた姉妹でいらしても、気を移せるようには思えなかったが、このようにお悲しみ申し上げさせるよりは、いっそ深い仲になって、尽きない慰めとしてずっとお世話申し上げてゆくべきであったのに」
などとお思いになる。
ちょっとも京にお出にならず、ふっつりと、慰めようもなく籠もっておいでになるのを、世の人も、並々ならず悲しんでいらっしゃる、と見聞きして、帝をはじめ申して、ご弔問が多かった。
[7-3 七日毎の法事と薫の悲嘆]
とりとめもなく幾日も過ぎてゆく。七日毎の法事も、たいそう尊くおさせになっては、心をこめて供養なさるが、規則があるので、お召し物の色の変わらないのを、あの御方を特に慕っていた女房たちが、たいそう黒く着替えているのを、ちらっと御覧になるにつけても、
「紅色に落ちる涙が何にもならないのは
形見の喪服の色を染めないことだ」
許し色の氷が解けないかと見えるのを、ますます濡らし加えながら物思いに沈んでいらっしゃるお姿は、たいそう艶っぽく美しい。女房たちが覗きながら拝見して、
「亡くなってしまったお方のことはしかたないとして、この殿がこのようにお親しみ申されて、これからは他人とお思い申し上げるのは、惜しく残念なことだわ」
「意外なご運勢でいらっしゃったわ。こんなに深いお志を、どちらもお添いになれなかったとは」
と言って、泣きあっている。
この御方には、
「亡くなった方のお形見として、今は何でも申し上げ、承りたいと存じております。よそよそしくお思いなさいませんように」
と申し上げなさるが、「万事が嫌な身の上だ」と、何もかも気後れして、まだお会いしてお話など申し上げなさらない。
「この姫君は、はきはきとした方で、もう少し子供っぽく、気高くいらっしゃる一方で、親しみがありうるおいのある人柄という点では劣っていらっしゃる」
と、何かにつけて思われる。
[7-4 雪の降る日、薫、大君を思う]
雪が烈しく降る日、一日中物思いに沈んで、世間の人が殺風景な物という十二月の月夜の、曇りなく照りだしているのを、簾を巻き上げて御覧になると、向かい側の寺の鐘の音を、枕をそばだてて、今日も暮れたと、かすかな音を聞いて、
「後れまいと空を行く月が慕われる
いつまでも住んでいられないこの世なので」
風がたいそう烈しいので、蔀を下ろさせなさると、四方の山の鏡に見える汀の氷が、月の光に実に美しい。「京の邸をこの上なく磨いても、こんなにまではできまい」と思われる。「かろうじて少しでも生き返りなさったら、一緒に語りあえたものを」と思い続けると、胸がいっぱいになる。
「恋いわびて死ぬ薬が欲しいゆえに
雪の山に分け入って跡を晦ましてしまいたい」
「半偈を教えたという鬼でもいてくれたら、かこつけて身を投げたい」とお考えになるのは、未練がましい道心であるよ。
女房たちを近くに呼び出しなさって、話などをおさせになる様子などが、まことに理想的でゆったりとして情愛深いのを、拝する女房たち、若い者は、心にしみて立派だとお思い申し上げる。年とった者は、ただ口惜しく残念なことを、ますます思う。
「ご病気が重態におなりあそばしたことも、ただあの宮の御事を思いもかけずお迎えなさって、物笑いで辛いとお思いのようであったが、何といってもあの御方には、こう心配していると知られ申すまいと、ただお胸の内で二人の仲を嘆いていらっしゃるうちに、ちょっとした果物もお口におふれにならず、すっかりお弱りあそばしたようでした。
表面では何ほども大げさに心配しているようにはお振る舞いあそばさず、お心の底ではこの上なく、何事もご心配のようでして、故宮のご遺戒にまで背いてしまったことと、ひとごとながら妹君のお身の上をお悩み続けたのでした」
と申し上げて、時々おっしゃったことなどを話し出しては、誰も彼もいつまでも泣きくれている。
[7-5 匂宮、雪の中、宇治へ弔問]
「自分のせいで、つまらない心配をおかけ申したこと」と元に戻したく、すべての世の中がつらいので、念誦をますますしみじみとなさって、うとうととする間もなく夜を明かしなさると、まだ夜明け前の雪の様子が、たいそう寒そうな中を、人びとの声がたくさんして、馬の声が聞こえる。
「誰がいったいこのような夜中に雪の中を来きたのだろうか」
と、大徳たちも目を覚まして思っていると、宮が、狩のお召物でひどく身をやつして、濡れながらお入りなって来るのであった。戸を叩きなさる様子が、そうである、とお聞きになって、中納言は、奥のほうにお入りになって、隠れていらっしゃる。御忌中の日数は残っていたが、ご心配でたまらなくなって、一晩中雪に難儀されながらおいでになったのであった。
今までのつらさも紛れてしまいそうなことだけれど、お会いなさる気もせず、お嘆きになっていた様子が恥ずかしかったが、そのまま見直していただけなかったことを、今から以後にお心が改まったところで、何の効もないようにすっかり思い込んでいらっしゃるので、誰も彼もが、強く道理を説いて申し上げ申し上げしては、物越しに、これまでのご無沙汰の詫びを言葉を尽くしておっしゃるのを、つくづくと聞いていらっしゃった。
この君もまことに生きているのかいないのかの様子で、「後をお追いなさるのではないか」と感じられるご様子のおいたわしさを、「心配でたまらない」と、宮もお思いになっていた。
今日は、わが身がどうなろうともと、お泊まりになった。「物を隔ててでなく」としきりにおせがみになるが、
「もう少し気持ちがすっきりしましてから」
とばかり申し上げなさって、冷たいのを、中納言もその様子をお聞きになって、しかるべき女房を召し出して、
「お気持ちに反して、薄情なようなお振る舞いで、以前も今も情けなかった一月余りのご無沙汰の罪は、きっとそうもお思い申し上げなさるのも当然なことですが、憎らしくない程度に、お懲らしめ申し上げなさいませ。このようなことは、まだご経験のないことなので、困っておいででしょう」
などと、こっそりとおせっかいなさるので、ますますこの君のお気持ちが恥ずかしくて、お答え申し上げることがおできになれない。
「あきれるくらい情けなくいらっしゃるよ。お約束申し上げたことを、すっかりお忘れになったようだ」
と、並々ならず嘆いて日をお送りになった。
[7-6 匂宮と中の君、和歌を詠み交す]
夜の様子は、ますます烈しい風の音に、自分のせいで嘆き臥していらっしゃるのも、さすがに気の毒で、例によって、物を隔てて申し上げなさる。数々の神の名をあげて、将来長くお約束申し上げなさるのも、「どうしてこんなに口馴れていらっしゃるのだろう」と、嫌な気がするが、離れていて薄情な時のつらさよりは胸にしみて、女君の気持ちも柔らかくなってしまいそうなご様子を、一方的にも嫌ってばかりいられない。ただ、じっと耳を傾けていて、
「過ぎ去ったことを思い出しても頼りないのに
将来までどうして当てになりましょう」
と、かすかにおっしゃる。かえって気がふさぎ、気が気でない。
「将来が短いものと思ったら
せめてわたしの前だけでも背かないでほしい
何事もまことにこのように瞬く間に変わる世の中を、罪深くお思いなさるな」
と、いろいろと宥めなさるが、
「気分が悪くて」
と言ってお入りになってしまった。女房が見ているのもとても体裁が悪くて、嘆きながら夜を明かしなさる。恨むのも無理もない際であるが、あまりにも無愛想なのではと、つらい涙が落ちるので、「まして私以上にどんなにおつらいであろう」と、いろいろとお気の毒に思わずにはいらっしゃれない。
中納言が、主人方に住みついて、人びとをやすやすと召し使い、人も大勢して食事を差し上げなどさせたりなさるのを、感慨深くもおもしろくも御覧になる。たいそうひどく痩せ青ざめて、茫然と物思いしているので、気の毒にと御覧になって、心をこめてお見舞い申し上げなさる。
「生前のことなど、言っても始まらないことだが、この宮だけには申し上げよう」と思うが、口に出すにつけても、まことに意気地がなく、愚かしく見られ申すのに気が引けて、言葉少なである。声を上げて泣きながら、日数が過ぎたので、顔が変わったのも、見苦しくはなく、ますます美しく艶やかなのを、「女であったら、きっと心移りがしよう」と、自分の良くない性癖をお思いつきになると、何となく不安になったので、「何とか世間の非難や恨みを取り除いて、京に引越させよう」とお考えになる。
このように打ち解けないけれども、帝にもお耳にあそばして、まことに具合の悪いことになるにちがいないとお困りになって、今日はお帰りあそばした。並々ならずお言葉を尽くしなさるが、相手にされないとはつらいものだと、それだけを知っていただきたくて、ついに気をお許しにらなかった。
[7-7 歳暮に薫、宇治から帰京]
年の暮方では、こんな山里でなくても、空の模様がいつもとちがうのに、荒れない日はなく降り積む雪に、物思いに沈みながら日をお送りになる気持ちは、尽きせず夢のようである。
宮からも、御誦経などをうるさいまでにお見舞い申し上げなさる。「こうしてばかりいては、新年まで嘆き過すことになろう。あちらこちらと、音沙汰なく籠もっていらっしゃることを申し上げられるので、今はもうお帰りになる気持ちも、何にもたとえようがない。
このようにお住みつきなさって、人が多かったのがすっかりいなくなるのを、悲しむ女房たちは、大変であった時の当面の悲しかった騷ぎよりも、ひっそりとしてひどく悲しく思われる。
「時々、折節に、風流な感じにお話し交わしなさった年月よりも、こうしてのんびりと過ごしていらした今までの、ご様子がやさしく情け深くて、風流事にも実際面にも、よく行き届いたお人柄を、今を限りに拝見できなくなったこと」
と、一同涙に暮れていた。
あの宮からは、
「やはり、このように参ることがとても難しいのに困って、近くにお引越し申し上げることを、考え出した」
と申し上げなさった。后の宮がお耳にあそばして、
「中納言もこのように並々ならず悲しみに茫然としていたのは、なるほど、普通の扱いはできない方と、どなたもお思いなのではあろう」と、お気の毒になって、「二条院の西の対に迎えなさって、時々お通いになるよう、内々に申し上げなさったのは、女一の宮の御方の女房にとお考えになっているのではないか」
とお疑いになりながらも、会えないことがないのは嬉しくて、おっしゃって来られたのであった。
「そういうことになったらしい」と、中納言もお聞きになって、
「三条宮邸も完成して、お迎え申し上げることを考えていたが。あのお方の代わりとしてお世話すべきであった」
などと、昔のことを思って心細い。宮がお疑いになっていたらしい方面は、まことに似つかわしくないことと思い離れていて、「一般的なご後見は、自分以外に、誰ができようか」と、お思いになっていたとか。
48. 早蕨
薫君の中納言時代25歳春の物語
- 宇治の新春、山の阿闍梨から山草が届く 薮だからといって分け隔てして日光は差すものでないので、春の光を御覧になるにつけても
- 中の君、阿闍梨に返事を書く 大事と思って詠み出したのだろう、とお思いになると
- 1月下旬、薫、匂宮を訪問 内宴など、何かと忙しい時期を過ごして
- 匂宮、薫に中の君を京に迎えることを言う 空の様子もまた、なるほど心を知っているかのように霞わたっていた
- 中の君、姉大君の服喪が明ける あちらでも、器量の良い若い女房や童女などを雇って、女房たちは
- 薫、中の君が宇治を出立する前日に訪問 ご自身は、お移りになることが明日という日の
- 中の君と薫、紅梅を見ながら和歌を詠み交す お庭前近い紅梅が、花も香もなつかしいので
- 薫、弁の尼と対面 弁は、「このようなお供にも、思いもかけず長生きが
- 弁の尼、中の君と語る お悲しみなっておっしゃっていたご様子を話して、弁は
1 中の君の物語 匂宮との結婚を前にした宇治での生活
- 中の君、京へ向けて宇治を出発 すっかり掃除し、何もかも始末して、お車を何台も寄せて
- 中の君、京の二条院に到着 宵が少し過ぎてお着きになった。見たこともない様子で
- 夕霧、六の君の裳着を行い、結婚を思案す 右の大殿は、六の君を宮に差し上げなさることを
- 薫、桜の花盛りに二条院を訪ね中の君と語る 花盛りのころ、二条院の桜を御覧になると
- 匂宮、中の君と薫に疑心を抱く 女房たちも、「世間一般の人のように、仰々しくお扱い申し上げなさいますな
2 中の君の物語 匂宮との京での結婚生活が始まる
1 中の君の物語 匂宮との結婚を前にした宇治での生活
[1-1 宇治の新春、山の阿闍梨から山草が届く]
薮だからといって分け隔てして日光は差すものでないので、春の光を御覧になるにつけても、「どうしてこう生き永らえてきた月日なのだろう」と、夢のようにばかり思われなさる。
去っては迎える時節時節にしたがって、花や鳥の色をも声をも、同じ気持ちで起き臥し見ては、ちょっとした和歌を詠むことでも、上の句と下の句とをそれぞれ付け交わして、心細いこの世の悲しさも辛さも、語り合ってきたからこそ、慰むこともあったが、おもしろいことや、しみじみとしたことを、聞き知る人がいないままに、すべてまっくら闇で、心一つに思い悩んで、父宮がお亡くなりになった悲しさよりも、もう少しまさって恋しくわびしいので、どうしたらよいかと、明けるのも暮れるのも分からず茫然としていらっしゃるが、世に生きている間は、定めがあることだったので、死ぬことができないのもあきれたことだ。
阿闍梨のもとから、
「新年になってからは、いかがお過ごしでしょうか。ご祈祷は、怠りなくお勤めいたしております。今は、お一方の事を、ご無事にと祈念いたしております」
などと申し上げて、蕨、土筆を、風流な籠に入れて、「これは、童たちが献じましたお初穂です」といって、差し上げた。筆跡は、とても悪筆で、和歌は、わざとらしく放ち書きにしてあった。
「わが君にと思って毎年毎年の春に摘みましたので
今年も例年どおりの初蕨です
御前でお詠み申し上げてください」
とある。
[1-2 中の君、阿闍梨に返事を書く]
大事と思って詠み出したのだろう、とお思いになると、歌の気持ちもまことにしみじみとして、いい加減で、そうたいしてお思いでないように見える言葉を、素晴らしく好ましそうにお書き尽くしなさる方のお手紙よりも、この上なく目が止まって、涙も自然とこぼれてくるので、返事を、お書かせになる。
「今年の春は誰にお見せしましょうか
亡きお方の形見として摘んだ峰の早蕨を」
使者に禄を与えさせなさる。
まことに盛りではなやいでいらっしゃる方で、いろいろなお悲しみに、少し面痩せしていらっしゃるのが、とても上品で優美な感じがまさって、故人にも似ていらっしゃった。お揃いでいらっしゃったときは、それぞれ素晴らしく、全然似ていらっしゃるとも見えなかったが、ふと忘れては、その人かと思われるまで似ていらっしゃるのを、
「中納言殿が亡骸だけでも残って拝見できるものであったらと、朝夕にお慕い申し上げていらっしゃるようだが、同じことなら、結ばれなさるご運命でなかったことよ」
と、拝する女房たちは残念がっている。
あの御あたりの人が通って来る便りに、ご様子は常にお互いにお聞きなさっていたのであった。いつまでもぼうっとしていらして、「新年になっても相変わらず、悲しそうな涙顔に、なっていらっしゃる」とお聞きになっても、「なるほど、一時の浮ついたお心ではいらっしゃらなかったのだ」と、ますます今となって愛情も深かったのだと、思い知られる。
宮は、お越しになることがまことに自由に振る舞えず機会がないので、「京にお移し申そう」とご決意なさっていた。
[1-3 1月下旬、薫、匂宮を訪問]
内宴など、何かと忙しい時期を過ごして、中納言の君が、「心におさめかねていることを、また他に誰に話せようか」とお思い余って、兵部卿宮の御方に参上なさった。
しんみりとした夕暮なので、宮は物思いに耽っておいでになって、端近くにいらっしゃった。箏のお琴を掻き鳴らしながら、いつものように、お気に入りの梅の香を賞美しておいでになる、その下枝を手折って参上なさったが、匂いがたいそう優雅で素晴らしいのを、折柄興あることにお思いになって、
「折る人の心に通っている花なのだろうか
表には現さないで内に匂いを含んでいる」
とおっしゃるので、
「見る人に言いがかりをつけられる花の枝は
注意して折るべきでした
迷惑なことです」
と冗談を言い交わしなさっているが、実にも仲好いお二方である。
こまごまとしたお話になってからは、あの山里の御事を、まずはどうしているかと、宮はお尋ね申し上げなさる。中納言も、亡くなった方のことが諦めようもなく悲しいことを、その当時から今日までの思いの断ち切れないことを、四季折々につけて、悲しいことや風流なことを、悲喜こもごもとか言うように、申し上げなさると、それ以上にあれほど色っぽく涙もろいご性癖は、人のお身の上のことでさえ、袖をしぼるほどになって、話しがいがあるようにお答えなさっているようである。
[1-4 匂宮、薫に中の君を京に迎えることを言う]
空の様子もまた、なるほど心を知っているかのように霞わたっていた。夜になって烈しく吹き出した風の様子、まだ冬らしくてまこと寒そうで、大殿油も消え消えし、闇は梅の香を隠せず匂っているが、互いにそのままお話をやめることもなさらず、尽きないお話を心ゆくまでお話しきれないで、夜もたいそう更けてしまった。
世にも稀な二人の仲のよさを、「さあ、そうはいっても、とてもそんなばかりではなかったでしょう」と、隠しているものがあるようにお尋ねになるのは、理不尽なご性癖のせいである。そうは言っても、物事をよくお分かりになって、悲しい心の中を晴れるように、一方では慰めもし、また悲しみを忘れさせ、いろいろとお語らいになる、そのご様子の魅力にお引かれ申して、なるほど、心に余るほどに鬱積していたことがらを、少しずつお話し申し上げなさるのは、この上なく心が晴れ晴れする気がなさる。
宮も、あの方を近々お移し申そうとすることについて、ご相談申し上げなさるのを、
「まことに嬉しいことでございますね。不本意ながら、わたしの過失と存じておりました諦め切れない故人の縁者を、また他に訪ねるべき人もございませんので、後見一般としては、どのようなことでも、お世話申し上げるべき人と存じておりますが、もし不都合なこととお思いになりましょうか」
と言って、あの、「他人とお思いくださるな」と、お譲りになったお心向けをも、少しお話し申し上げなさるが、岩瀬の森の呼子鳥めいた夜のことは、話さずにいたのであった。心の中では、「このように慰めがたい形見にも、なるほど、おっしゃったように、このようにお世話申し上げるべきであった」と、悔しさがだんだんと高じてゆくが、今では甲斐のないゆえに、「常にこのようにばかり思っていたら、とんでもない料簡が出て来るかもしれない。誰にとってもつまらなく、馬鹿らしいことだろう」と思い諦める。「それにしても、お移りになるにしても、ほんとうにご後見申し上げる人は、わたし以外に誰がいようか」とお思いになるので、お引越しの準備を用意おさせになる。
[1-5 中の君、姉大君の服喪が明ける]
あちらでも、器量の良い若い女房や童女などを雇って、女房たちは満足げに準備しているが、今を最後とこの伏見ならぬ宇治を荒らしてしまうのも、たいそう心細いので、お嘆きになること尽きないが、だからといって、また気負い立って強情を張って、閉じ籠もっていてもどうしようもなく、「浅くない縁が、絶え果ててしまいそうなお住まいなのに、どういうおつもりですか」とばかり、お恨み申し上げなさるのも、少しは道理なので、どうしたらよいだろう、と思案なさっていた。
二月の上旬頃にというので、間近になるにつれて、花の木の蕾みがふくらんでくるのもその後が気になって、「峰に霞が立つのを見捨てて行くことも、自分の常住の住まいでさえない旅寝のようで、どんなに体裁悪く物笑いになっては」などと、万事に気がひけて、一人思案に暮れて過ごしていらっしゃる。
御服喪も、期限があることなので、脱ぎ捨てなさるのに、禊も浅い気がする。母親は、お顔を存じ上げていないので、恋しいとも思われない。そのお代わりにも、今回の喪服の色を濃く染めようと、心にお思いになりおっしゃりもしたが、はやり、そのような理由もないことなので、物足りなく悲しいことは限りがない。
中納言殿から、お車や、御前の供人や、博士などを差し向けなさった。
「早いものですね、霞の衣を作ったばかりなのに
もう花が綻ぶ季節となりました」
なるほど、色とりどりにたいそう美しくして差し上げなさった。お引越しの時のお心づけなど、仰々しくない物で、それぞれの身分に応じていろいろと考えて、とても多かった。
「何かにつけて、忘れず気のつくご好意をありがたく、兄弟などでさえ、とてもこうまではいらっしゃらないことだ」
などと、女房たちはお教え申し上げる。ぱっとしない老女房連中の考えとしては、このような点を身にしみて申し上げる。若い女房は、時々拝見し馴れているので、今を限りに縁遠くおなりになるのを、物足りなく、「どんなに恋しくお思いなされるでしょう」とお噂し合っていた。
[1-6 薫、中の君が宇治を出立する前日に訪問]
ご自身は、お移りになることが明日という日の、まだ早朝においでになった。いつものように、客人席にお通りになるにつけても、今は、だんだん何にも馴れて、「自分こそ、誰よりも先に、このように思っていたのだ」などと、生前のご様子や、おっしゃったお気持ちをお思い出しになって、「それでも、よそよそしく、思いの外になどとは、おあしらいなさらなかったが、自分のほうから、妙に他人で終わることになってしまったな」と、胸痛くお思い続けなさる。
垣間見した襖障子の穴も思い出されるので、近寄って御覧になるが、部屋の中が閉めきってあるので、何にもならない。
部屋の中でも、女房たちはお思い出し申し上げながら涙ぐんでいた。中の宮は、女房たち以上に、催される涙の川で、明日の引っ越しもお考えになれず、茫然として物思いに沈んで臥せっておいでになるので、
「幾月ものご無沙汰の間に積もりましたお話も、何ということございませんが、鬱々としておりましたので、少しでもお晴らし申し上げて、気を紛らわせたく存じます。いつものように、きまり悪く他人行儀なさらないでください。ますます知らない世界に来た気が致します」
と申し上げなさると、
「体裁が悪いとお思い申されようとは思いませんが、それでも、気分もいつものようでなく、心も乱れ乱れて、ますますはきはきしない失礼を申し上げてはと、気がひけまして」
などと、つらそうにお思いになっているが、「お気の毒です」などと、あれこれ女房が申し上げるので、中の襖障子口でお会いなさった。
たいそうこちらが気恥ずかしくなるほど優美で、また「今度は、一段と立派におなりになった」と、目も驚くほどはなやかに美しく、「誰にも似ない心ばせなど、何とも、素晴らしい方だ」とばかりお見えになるのを、姫宮は、面影の離れない方の御事までお思い出し申し上げなさると、まことにしみじみとお会い申し上げなさる。
「つきないお話なども、今日は言忌みしましょうね」
などと言いさして、
「お移りになるはずの所の近くに、もう幾日かして移ることになっていますので、夜中も早朝もと、親しい間柄の人が言いますように、どのような機会にも、親しくお考えくださりおっしゃっていただければ、この世に生きております限りは、申し上げもし承りもして過ごしとうございますが、どのようにお考えでしょうか。人の考えはいろいろでございます世の中なので、かえって迷惑かなどと、独り決めもしかねるのです」
と申し上げなさると、
「邸を離れまいと思う考えは強うございますが、近くに、などとおっしゃって下さるにつけても、いろいろと思い乱れまして、お返事の申し上げようもなくて」
などと、言葉とぎれとぎれに言って、ひどく心に感じ入っていらっしゃる様子など、ひどくよく似ていらっしゃるのを、「自分から他人の妻にしてしまった」と思うと、とても悔しく思っていらっしゃるが、言っても効ないので、あの夜のことは何も言わず、忘れてしまったのかと見えるまで、きれいさっぱりと振る舞っていらっしゃった。
[1-7 中の君と薫、紅梅を見ながら和歌を詠み交す]
お庭前近い紅梅が、花も香もなつかしいので、鴬でさえ見過ごしがたそうに鳴いて飛び移るようなので、まして、「春や昔の」と心を惑わしなさるどうしのお話に、折からしみじみと心を打つのである。風がさっと吹いて入ってくると、花の香も客人のお匂いも、橘ではないが、昔が思い出されるよすがである。「所在ない気の紛らわしにも、世の嫌な慰めにも、心をとめて賞美なさったものを」などと、胸に堪えかねるので、
「花を見る人もいなくなってしまいましょうに、嵐に吹き乱れる山里に
昔を思い出させる花の香が匂って来ます」
言うともなくかすかに、とぎれとぎれに聞こえるのを、やさしそうにちょっと口ずさんで、
「昔賞美された梅は今も変わらぬ匂いですが
根ごと移ってしまう邸は他人の所なのでしょうか」
止まらない涙を体裁よく拭い隠して、言葉数多くもなく、
「またやはり、このように、何事もお話し申し上げたいものです」
などと、申し上げおいてお立ちになった。
お引越しに必要な支度を、人びとにお指図おきなさる。この邸の留守番役として、あの鬚がちの宿直人などが仕えることになっているので、この近辺の御荘園の者どもなどに、そのことをお命じになるなど、生活面の事まで定めおきなさる。
[1-8 薫、弁の尼と対面]
弁は、
「このようなお供にも、思いもかけず長生きがつらく思われますが、人も不吉に見たり思ったりするにちがいないでしょうから、今は世に生きている者とも人に知られますまい」
と言って、出家をしていたのを、しいて召し出して、まことにしみじみと御覧になる。いつものように、昔の思い出話などをおさせになって、
「ここには、やはり、時々参りましょうが、まことに頼りなく心細いので、こうしてお残りになるのは、まことにしみじみとありがたく嬉しいことです」
などと、最後まで言い終わらずにお泣きになる。
「厭わしく思えば思うほど長生きをする寿命がつらく、またどう生きよといって、先に逝っておしまいになったのか、と恨めしく、この世のすべてを情けなく思っておりますので、罪もどんなにか深い事でございましょう」
と、思っていたことをお訴え申し上げるのも、愚痴っぽいが、とてもよく言い慰めなさる。
たいそう年をとっているが、昔、美しかった名残の黒髪を削ぎ落としたので、額の具合、変わった感じに少し若くなって、その方面の身としては優美である。
「思いあぐねた果てに、どうしてこのような尼姿にして差し上げなかったのだろう。それによって寿命が延びるようなこともあったろうに。そうして、どんなに親密に語らい申し上げられたろうに」
などと、一方ならず思われなさると、この人までが羨ましいので、隠れている几帳を少し引いて、こまやかに語らいなさる。なるほど、すっかり悲しみに暮れている様子だが、何か言う態度、心づかいは、並々でなく、嗜みのあった女房の面影が残っていると見えた。
「先に立つ涙の川に身を投げたら
死に後れしなかったでしょうに」
と、泣き顔になって申し上げる。
「それもとても罪深いことです。彼岸に辿り着くことは、どうしてできようか。それ以外のことであってさえも、深い悲しみの底に沈んで生きてゆくのもつまらない。すべて、皆無常だと悟るべき世の中なのです」
などとおっしゃる。
「身を投げるという涙の川に沈んでも
恋しい折々を忘れることはできまい
いつになったら、少しは思いが慰むことがあろうか」
と、終わりのない気がなさる。
帰る気にもなれず物思いに沈んで、日も暮れてしまったが、わけもなく外泊するのも、人が咎めることであろうかと、仕方ないので、お帰りになった。
[1-9 弁の尼、中の君と語る]
お悲しみなっておっしゃっていたご様子を話して、弁は、ますます慰めがたく悲しみに暮れていた。女房たちは満足そうな様子で、衣類を縫い用意しながら、年老いた容貌も気にせず、身づくろいにうろうろしている中で、ますます質素にして、
「人びとは皆準備に忙しく繕い物をしているようですが
一人藻塩を垂れて涙に暮れている尼の私です」
と訴え申し上げると、
「藻塩を垂れて涙に暮れるあなたと同じです
浮いた波に涙を流しているわたしは
結婚生活に入ることも、とてもできそうにないことと思われるので、事情によっては、ここを荒れはてさせまいと思うが、そうしたらお会いすることもありましょうが、暫くの間も、心細くお残りになるのを見ていると、ますます気が進みません。このような尼姿の人も、必ずしも引き籠もってばかりいないもののようですので、やはり世間一般の人のように考えて、時々会いに来てください」
などと、とてもやさしくお話しになる。亡き姉君がお使いになったしかるべきご調度類などは、みなこの尼にお残しになって、
「このように、誰よりも深く悲しんでおいでなのを見ると、前世からも、特別の約束がおありだっただろうかと思うのまでが、慕わしくしみじみ思われます」
とおっしゃると、ますます子供が親を慕って泣くように、気持ちを抑えることができず涙に沈んでいた。
2 中の君の物語 匂宮との京での結婚生活が始まる
[2-1 中の君、京へ向けて宇治を出発]
すっかり掃除し、何もかも始末して、お車を何台も寄せて、ご前駆の供人は、四位五位がたいそう多かった。ご自身でも、ひどくおいでになりたかったが、仰々しくなって、かえって不都合なことになるので、ただ内密に計らって、気がかりにお思いになる。
中納言殿からも、ご前駆の供人を、数多く差し上げなさっていた。だいたいのことは、宮からの指示があったようだが、こまごまとした内々のお世話は、ただこの殿から、気のつかないことのなくお計らい申し上げなさる。
日が暮れてしまいそうだと、内からも外からも、お促し申し上げるので、気ぜわしく、京はどちらの方角だろうと思うにも、まことに頼りなく悲しいとばかり思われなさる時に、お車に同乗する大輔の君という女房が言うには、
「生きていたので嬉しい事に出合いました
身を厭いて宇治川に投げてしまいましたら」
ほほ笑んでいるのを、「弁の尼の気持ちと比べて、何という違いだろうか」と、気にくわなく御覧になる。もう一人の女房が、
「亡くなった方を恋しく思う気持ちは忘れませんが
今日は何をさしおいてもまず嬉しく存じられます」
どちらも年老いた女房たちで、みな亡くなった方に、好意をお寄せ申し上げていたようなのに、今はこのように気持ちが変わって言忌するのも、「世の中は薄情な」と思われなさると、何もおっしゃる気になれない。
道中は、遠く険しい山道の様子を御覧になると、つらくばかり恨まれた方のお通いを、「しかたのない途絶えであった」と、少しは理解されなさった。七日の月が明るく照り出した光が、美しく霞んでいるのを御覧になりながら、たいそう遠いので、馴れないことでつらいので、つい物思いなさって、
「考えると山から出て昇って行く月も
この世が住みにくくて山に帰って行くのだろう」
生活が変わって、結局はどのようになるのだろうかとばかり、不安で、将来が気になるにつけても、今までの物思いは何を思っていたのだろうと、昔を取り返したい思いであるよ。
[2-2 中の君、京の二条院に到着]
宵が少し過ぎてお着きになった。見たこともない様子で、光り輝くような殿造りで、三棟四棟と建ち並んだ邸内にお車を引き入れて、宮は、早く早くとお待ちになっていたので、お車の側に、ご自身お寄りあそばしてお下ろし申し上げなさる。
お部屋飾りなども、善美を尽くして、女房の部屋部屋まで、お心配りなさっていらしたことがはっきりと窺えて、まことに理想的である。どの程度の待遇を受けるのかとお考えになっていたご様子が、急にこのようにお定まりになったので、「並々ならないご愛情なのだろう」と、世間の人びともどのような人かと驚いているのであった。
中納言は、三条宮邸に、今月の二十日過ぎにお移りになろうとして、最近は毎日いらっしゃっては御覧になっているが、この院が近い距離なので、様子も聞こうとして、夜の更けるまでいらっしゃったが、差し向けなさっていた御前の人々が帰参して、有様などをお話し申し上げる。
ひどくお気に召して大切にしていらっしゃるというのをお聞きになるにつけても、一方では嬉しく思われるが、やはり、自分の考えながら馬鹿らしく、胸がどきどきして、「取り返したいものだ」と、繰り返し独り言が出てきて、
「しなてる琵琶湖の湖に漕ぐ舟のように
まともではないが一夜会ったこともあったのに」
とけちをつけたくもなる。
[2-3 夕霧、六の君の裳着を行い、結婚を思案す]
右の大殿は、六の君を宮に差し上げなさることを、今月にとお決めになっていたのに、このように意外な人を、婚儀より先にと言わんばかりに大事にお迎えになって、寄りつかずにいらっしゃるので、「たいそうご不快でおいでだ」とお聞きになるのも、お気の毒なので、お手紙は時々差し上げなさる。
御裳着の儀式を、世間の評判になるほど盛大に準備なさっているのを、延期なさるのも物笑いになるにちがいないので、二十日過ぎにお着せ申し上げなさる。
同じ一族で変わりばえがしないが、この中納言を他人に譲るのが残念なので、
「婿君としようか。長年人知れず恋い慕っていた人を亡くして、何となく心細く物思いに沈んでいらっしゃるというから」
などとお考えつきになって、しかるべき人を介して様子を窺わせなさったが、
「世の無常を目の前に見たので、まことに気が塞いで、身も不吉に思われますので、何としても何としても、そのようなことは気が進みません」
と、その気のない旨をお聞きになって、
「どうして、この君までが、真剣になって申し出る言葉を、気乗りしなくあしらってよいものか」
と恨みなさったが、親しいお間柄ながらも、人柄がたいそう気のおける方なので、無理にお勧め申し上げなさることができなかった。
[2-4 薫、桜の花盛りに二条院を訪ね中の君と語る]
花盛りのころ、二条院の桜を御覧になると、主人のいない山荘がさっそく思いやられなさるので、「気兼ねもなく散るのではないか」などと、独り口ずさみ思い余って、宮のお側に参上なさった。
こちらにばかりおいでになって、たいそうよく住みなれていらっしゃるので、「安心ことだ」と拝見するものの、例によって、どうかと思われる心が混じるのは、妙なことであるよ。けれども、本当のお気持ちは、とてもうれしく安心なことだとお思い申し上げなさるのであった。
何やかやとお話を申し上げなさって、夕方、宮は宮中へ参内なさろうして、お車の設えをさせて、お供の人びとが大勢集まって来たりなどしたので、お出になって、対の御方へ参上なさった。
山里の様子とは、うって変わって、御簾の中で奥ゆかしく暮らして、かわいらしい童女の、透影がちらっと見えた子を介して、ご挨拶申し上げなさると、お褥を差し出して、昔の事情を知っている人なのであろう、出て来てお返事を申し上げる。
「朝夕の区別もなくお訪ねできそうに存じられます近さですが、特に用事もなくてお邪魔いたすのも、かえってなれなれしいという非難を受けようかと、遠慮しておりましたところ、世の中が変わってしまった気ばかりがしますよ。お庭先の梢も霞を隔てて見えますので、胸の一杯になることが多いですね」
と申し上げて、物思いに耽っていらっしゃる様子、お気の毒なのを、
「おっしゃるとおり、生きていらしたら、何の気兼ねもなく行き来して、お互いに花の色や、鳥の声を、季節折々につけては、少し心をやって過すことができたのに」
などと、お思い出しなさるにつけて、一途に引き籠もって生活していらした心細さよりも、ひたすら悲しく、残念なことが、いっそうつのるのであった。
[2-5 匂宮、中の君と薫に疑心を抱く]
女房たちも、
「世間一般の人のように、仰々しくお扱い申し上げなさいますな。この上ないご好意を、今こそ、拝見しご存知あそばしている様子を、お見せ申し上げる時です」
などと申し上げるが、人を介してではなく、直にお話し申し上げることは、やはり気が引けるので、ためらっていらっしゃるところに、宮が、お出かけになろうとして、お暇乞いの挨拶にお渡りになった。たいそう美しく身づくろいし化粧なさって、見栄えのするお姿である。
中納言はこちらに来ているのであった、と御覧になって、
「どうして、無愛想に遠ざけて、外にお座らせになっているのか。あなたには、あまりにどうかと思われるまでに、行き届いたお世話ぶりでしたのに。自分には愚かしいこともあろうか、と心配されますが、そうはいってもまったく他人行儀なのも、罰が当たろう。近い所で、昔話を語り合いなさい」
などと、申し上げなさるものの、
「そうはいっても、あまり気を許すのも、またどんなものかしら。疑わしい下心があるかもしれない」
と、言い直しなさるので、どちらの方に対しても厄介だけれども、自分の気持ちも、しみじみありがたく思われた方のお心を、今さらよそよそしくすべきことでもないので、「あの方が思いもしおっしゃりもするように、故姉君の身代わりとお思い申して、このように分かりましたと、お表し申し上げる機会があったら」とはお思いになるが、やはり、何やかやと、さまざまに心安からぬことを申し上げなさるので、つらく思われなさるのだった。
49. 宿木
薫君の中、大納言時代24歳夏から26歳夏4月頃までの物語
- 藤壷女御と女二の宮 その当時、藤壷と申し上げた方は、故左大臣殿の女御で
- 藤壷女御の死去と女二の宮の将来 十四歳におなりになる年、御裳着の式をして差し上げようとして
- 帝、女二の宮を薫に降嫁させようと考える お庭先の菊がすっかり変色して盛んなころ
- 帝、女二の宮や薫と碁を打つ 御碁などをお打ちあそばす。暮れて行くにしたがって
- 夕霧、匂宮を六の君の婿にと願う このようなことを、右大殿がちらっとお聞きになって
1 薫と匂宮の物語 女二の宮や六の君との結婚話
- 匂宮の婚約と中の君の不安な心境 女二の宮も、御服喪が終わったので
- 中の君、匂宮の子を懐妊 宮は、いつもよりしみじみとやさしく、起きても臥せっても
- 薫、中の君に同情しつつ恋慕す 中納言殿も、「まことにお気の毒なことだな」と
- 薫、亡き大君を追憶す あの方をお亡くし申しなさってから後
- 薫、二条院の中の君を訪問 人を呼んで、「北の院に参ろうと思うが、仰々しくない
- 薫、中の君と語らう もともと、感じがてきぱきと男らしく
- 薫、源氏の死を語り、亡き大君を追憶 「秋の空は、いま一つ物思いばかりまさります
- 薫と中の君の故里の宇治を思う 「世の中のつらさよりはなどと、昔の人は言ったが
- 薫、二条院を退出して帰宅 日が昇って、人びとが参集して来るので
2 中の君の物語 中の君の不安な思いと薫の同情
- 匂宮と六の君の婚儀 右の大殿邸では、六条院の東の御殿を磨き飾って
- 中の君の不安な心境 「幼いころから心細く哀れな姉妹で
- 匂宮、六の君に後朝の文を書く 宮は、たいそうお気の毒にお思いになりながら
- 匂宮、中の君を慰める けれど、向き合っていらっしゃる間は変わった変化もないのであろうか
- 後朝の使者と中の君の諦観 素晴らしく衣装を肩に被いて埋もれているのを
- 匂宮と六の君の結婚第二夜 宮は、いつもよりも愛情深く、心を許した様子に
- 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴 その日は、后の宮が悩ましそうでいらっしゃると聞いて
3 中の君の物語 匂宮と六の君の婚儀
- 薫、匂宮の結婚につけわが身を顧みる 中納言殿の御前駆の中に、あまり待遇がよくなかったのか
- 薫と按察使の君、匂宮と六の君 いつものように、寝覚めがちな何もすることのないころなので、按察使の君といって
- 中の君と薫、手紙を書き交す こうして後は、二条院に、気安くお渡りになれない
- 薫、中の君を訪問して慰める そうして、翌日の夕方にお渡りになった
- 中の君、薫に宇治への同行を願う 女君は、宮の恨めしさなどは、口に出して申し上げなさる
- 薫、中の君に迫る 女は、「やはり、そうだった、ああ嫌な」と思うが、何を言うことができようか
- 薫、自制して退出する 近くに伺候している女房が二人ほどいるが、何の関係のない男が
4 薫の物語 中の君に同情しながら恋慕の情高まる
- 翌朝、薫、中の君に手紙を書く 昔よりは少し痩せ細って、上品でかわいらしかった
- 匂宮、帰邸して、薫の移り香に不審を抱く 宮は、何日もご無沙汰しているのは、自分自身でさえ
- 匂宮、中の君の素晴しさを改めて認識 翌日も、ゆっくりとお起きになって
- 薫、中の君に衣料を贈る 中納言の君は、このように宮が籠もっておいでになるのを聞くにも
- 薫、中の君をよく後見す 誰が、何事をも後見申し上げる人があるだろうか
- 薫と中の君の、それぞれの苦悩 「こうして、やはり、何とか安心で分別のある後見人として終えよう
5 中の君の物語 中の君、薫の後見に感謝しつつも苦悩す
- 薫、二条院の中の君を訪問 男君も、無理をして困って、いつものように、しっとりした夕方
- 薫、亡き大君追慕の情を訴える どのような事柄につけても、故君の御事をどこまでも思っていらっしゃった
- 薫、故大君に似た人形を望む 外の方を眺めていると、だんだんと暗くなっていったので
- 中の君、異母妹の浮舟を語る 「今までは、この世にいるとも知らなかった人が
- 薫、なお中の君を恋慕す 「何気なくて、このようにうるさい心を何とか言ってやめさせる
6 薫の物語 中の君から異母妹の浮舟の存在を聞く
- 9月20日過ぎ、薫、宇治を訪れる 宇治の宮邸を久しく訪問なさらないころは
- 薫、宇治の阿闍梨と面談す 阿闍梨を呼んで、いつものように、故姫君の御命日のお経や仏像のこと
- 薫、弁の尼と語る 「今回こそは見よう」とお思いになって、立ってぐるりと
- 薫、浮舟の件を弁の尼に尋ねる そうして、何かのきっかけで、あの形代のことを
- 薫、二条院の中の君に宇治訪問の報告 夜が明けたのでお帰りになろうとして
- 匂宮、中の君の前で琵琶を弾く 枯れ枯れになった前栽の中に、尾花が
- 夕霧、匂宮を強引に六条院へ迎え取る いろいろのお琴をお教え申し上げなどして
7 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く
- 新年、薫権大納言右大将に昇進 正月晦日方から、ふだんと違ってお苦しみになるのを
- 中の君に男子誕生 やっとのこと、その早朝に、男の子でお生まれになったのを
- 2月20日過ぎ、女二の宮、薫に降嫁す こうして、その月の二十日過ぎに
- 中の君の男御子、五十日の祝い 宮の若君が五十日におなりになる日を数えて
- 薫、中の君の若君を見る 若君を切に拝見したがりなさるので
- 藤壷にて藤の花の宴催される 「夏になったら、三条宮邸は宮中から塞がった方角になろう
- 女二の宮、三条宮邸に渡御す 按察使大納言は、「自分こそはこのような目に会いたい思ったが
8 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁
- 4月20日過ぎ、薫、宇治で浮舟に邂逅 賀茂の祭などの、忙しいころを過ごして
- 薫、浮舟を垣間見る 若い女房がいるが、まず降りて、簾を上げるようである
- 浮舟、弁の尼と対面 尼君は、この殿の御方にも、ご挨拶申し上げ出したが
- 薫、弁の尼に仲立を依頼 日が暮れてゆくので、君もそっと出て
9 薫の物語 宇治で浮舟に出逢う
1 薫と匂宮の物語 女二の宮や六の君との結婚話
[1-1 藤壷女御と女二の宮]
その当時、藤壷と申し上げた方は、故左大臣殿の女御でいらっしゃった。が、まだ東宮と申し上げあそばしたとき、誰よりも先に入内なさっていたので、親しく情け深い御愛情は、格別でいらっしゃったらしいが、その甲斐があったと見えることもなくて長年お過ぎになるうちに、中宮におかれては、宮たちまでが大勢、成長なさっているらしいのに、そのようなことも少なくて、ただ女宮をお一方お持ち申し上げていらっしゃるのだった。
自分の実に無念に、他人に圧倒され申した運命、嘆かしく思っている代わりに、「せめてこの宮だけでも、何とか将来に心も慰められるようにして差し上げたい」と、大切にお世話申し上げること並々でない。ご器量もとても美しくおいでなので、帝もかわいいとお思い申し上げあそばしていらした。
女一の宮を、世に類のないほど大切にお世話申し上げあそばすので、世間一般の評判こそ及ぶべくもないが、内々の御待遇は、少しも劣らない。父大臣のご威勢が、盛んであったころの名残が、たいして衰えてはいないので、特に心細いことなどはなくて、伺候する女房たちの服装や姿をはじめとして、気を抜くことなく、季節季節に応じて、仕立て好み、はなやかで趣味豊かにお暮らしになっていた。
[1-2 藤壷女御の死去と女二の宮の将来]
十四歳におなりになる年、御裳着の式をして差し上げようとして、春から準備して、余念なく御準備して、何事も普通でない様子にとお考えになる。
昔から伝わっていた宝物類、この機会にと、探し出しては探し出しては、大変な準備をなさっていらっしゃったが、女御が、夏頃に、物の怪に患いなさって、まことにあっけなくお亡くなりになってしまった。言いようもなく残念なことと、帝におかせられてもお嘆きになる。
お心も情け深く、やさしいところがおありだった御方なので、殿上人たちも、「この上なく寂しくなってしまうことだなあ」と、惜しみ申し上げる。一般の特に関係ない身分の女官などまでが、お偲び申し上げない者はいない。
宮は、それ以上に若いお気持ちとて、心細く悲しみに沈んでいらっしゃるのを、お耳にあそばして、おいたわしくかわいそうにお思いあそばすので、御四十九日忌が過ぎると、早速に人目につかぬよう参内させなさった。毎日、お渡りあそばしてお会い申し上げなさる。
黒い御喪服で質素にしていらっしゃる様子は、ますますかわいらしく上品な感じがまさっていらっしゃった。お考えもすっかり一人前におなりになって、母女御よりも少し落ち着いて、重々しいところはまさっていらっしゃるのを、危なげのないお方だと御拝見あそばすが、実質的方面では、御母方といっても、後見役をお頼みなさるはずの叔父などといったようなしっかりとした人がいない。わずかに大蔵卿、修理大夫などという人びとは、女御にとっても異母兄弟なのであった。
特に世間の声望も重くなく、高貴な身分でもない人びとを後見人にしていらっしゃるので、「女性はつらいことが多くあるだろうことがお気の毒である」などと、お一人で御心配なさっているのも、大変なことであった。
[1-3 帝、女二の宮を薫に降嫁させようと考える]
お庭先の菊がすっかり変色して盛んなころ、空模様が胸打つようにちょっと時雨するにつけても、まずこの御方にお渡りあそばして、故人のことなどをお話し申し上げあそばすと、お返事なども、おっとりしたものの、幼くはなく少しお答え申し上げるなさるのを、かわいらしいとお思い申し上げあそばす。
このようなご様子が分かるような人が、慈しみ申し上げるというのも、何の不都合があろうかと、朱雀院の姫宮を、六条院にお譲り申し上げなさった時の御評定などをお思い出しあそばすと、
「暫くの間は、どんなものかしら、物足りないことだ。降嫁などなさらなくてもよかったろうに、と申し上げる意見もあったが、源中納言が、誰よりも孝養ある様子で、いろいろとご後見申し上げているから、その当時のご威勢も衰えず、高貴な身分の生活でいらっしゃるのだ。そうでなかったら、ご心外なことがらが出てきて、自然と人から軽んじられなさることもあったろうに」
などと、お思い続けて、「いずれにせよ、在位中に決定しようかしら」とお考えになると、そのまま、順序に従って、この中納言より他に、適当な人は、またいないのであった。
「宮たちの伴侶となったとして、何につけても目障りなことはあるまいよ。もともと心寄せる人があっても、聞き苦しい噂は聞くこともなさそうだし、また、もしいても、結局は結婚しないこともあるまい。本妻を持つ前に、それとなく当たってみよう」
などと、時々お考えになっているのであった。
[1-4 帝、女二の宮や薫と碁を打つ]
御碁などをお打ちあそばす。暮れて行くにしたがって、時雨が趣きあって、花の色も夕日に映えて美しいのを御覧になって、人を召して、
「ただ今、殿上間には誰々がいるか」
とお問いあそばすと、
「中務親王、上野親王、中納言源朝臣が伺候しております」
と奏上する。
「中納言の朝臣こちらへ」
と仰せ言があって参上なさった。なるほど、このように特別に召し出すかいもあって、遠くから薫ってくる匂いをはじめとして、人と違った様子をしていらっしゃった。
「今日の時雨は、いつもより格別にのんびりとしているが、音楽などは具合が悪い所なので、まことに所在ないが、何となく日を送る遊び事として、これがよいだろう」
と仰せになって、碁盤を召し出して、御碁の相手に召し寄せる。いつもこのように、お身近に親しくお召しになるのが習慣になっているので、「今日もそうだろう」と思うと、
「ちょうどよい賭物はありそうだが、軽々しくは与えることができないので、何がよかろう」
などと仰せになるご様子は、どのように見えたのであろう、ますます緊張して控えていらっしゃる。
そうして、お打ちあそばすうちに、三番勝負に一つお負け越しあそばした。
「悔しいことだ」とおっしゃって、「まず、今日は、この花一枝を許す」
と仰せになったので、お返事を申し上げずに、降りて美しい枝を手折って持って昇がった。
「世間一般の家の垣根に咲いている花ならば
思いのままに手折って賞美すことができましょうものを」
と奏上なさる、心づかいは浅くなく見える。
「霜に堪えかねて枯れてしまった園の菊であるが
残りの色は褪せていないな」
と仰せになる。
このように、ときどき結婚をおほのめかしあそばす御様子を、人伝てでなく承りながら、例の性癖なので、急ごうとは思わない。
「いや、本意ではない。いろいろと心苦しい人びとのご縁談を、うまく聞き流して年を過ごしてきたのに、今さら出家僧が、還俗したような気がするだろう」
と思うのも、また妙なものだ。
「特別に恋い焦がれている人さえあるというのに」とは思う一方で、「后腹の姫宮でいらっしゃったら」と思う心の中は、あまりに大それた考えであった。
[1-5 夕霧、匂宮を六の君の婿にと願う]
このようなことを、右大殿がちらっとお聞きになって、
「六の君は、そうはいってもこの君にこそ縁づけたいものだ。しぶしぶであっても、一生懸命に頼みこめば、結局は、断ることはできまい」
とお思いになったが、「意外なことが出てきたようだ」と、悔しくお思いになったので、兵部卿宮が、わざわざではないが、何かの時にそれに応じて、風流なお手紙を差し上げなさることが続いているので、
「ままよ、いい加減な浮気心であっても、何かの縁で、お心が止まるようなことがどうしてないことがあろうか。水も漏らさない男性を思い定めていても、並の身分の男に縁づけるのは、また体裁が悪く、不満な気がするだろう」
などとお考えになっていた。
「女の子が心配に思われる末世なので、帝でさえ婿をお探しになる世で、まして、臣下の娘が盛りを過ぎては困ったものだ」
などと、陰口を申すようにおっしゃって、中宮をも本気になってお恨み申し上げなさることが、度重なったので、お聞きあそばしになり困って、
「お気の毒にも、このように一生懸命にお思いなさってから何年にもおなりになったので、不義理なまでにお断り申し上げなさるのも、薄情なようでしょう。親王たちは、ご後見によって、ともかくもなるものです。
主上が、御在位も終わりに近いとばかりお思いになりおっしゃっていますようなので、臣下の者は、本妻がお決まりになると、他に心を分けることは難しいようです。それでさえ、あの大臣が誠実に、こちらの本妻とあちらの宮とに恨まれないように待遇していらっしゃるではありませんか。まして、あなたは、お考え申していることが叶ったら、大勢伺候させても構わないのですよ」
などと、いつもと違って言葉数多く話して、道理をお説き申し上げなさるのを、
「ご自身でも、もともとまったく嫌とは、お思いにならないことなので、無理やりに、どうしてとんでもないこととお思い申し上げなさろう。ただ、万事格式ばった邸に閉じ籠められて、自由気ままになさっていらした状態が窮屈になることを、何となく苦しくお思いになるのが嫌なのだが、なるほど、この大臣から、あまり恨まれてしまうのも困ったことだろう」
などと、だんだんお弱りになったのであろう。浮気なお心癖なので、あの按察大納言の、紅梅の御方をも、依然としてお思い捨てにならず、花や紅葉につけてはお歌をお贈りなさって、どちらの方にもご関心がおありであった。けれども、その年は過ぎた。
2 中の君の物語 中の君の不安な思いと薫の同情
[2-1 匂宮の婚約と中の君の不安な心境]
女二の宮も、御服喪が終わったので、「ますます何事を遠慮なさろう。そのようにお願い申し出るならば」とお考えあそばしている御様子などを、お告げ申し上げる人びともいるが、「あまり知らない顔をしているのもひねくれているようで悪いことだ」などとご決心して、結婚をほのめかし申しあそばす時々があるので、「体裁悪いようには、どうしてあしらうことがあろうか。婚儀を何日にとお定めになった」と伝え聞く、自分自身でも御内意を承ったが、心の中では、やはり惜しくも亡くなっ方の悲しみばかりが、忘れる時もなく思われるので、「嫌な、このような宿縁が深くおありであった方が、どうしてか、それでもやはり他人のまま亡くなってしまったのか」と理解しがたく思い出される。
「卑しい身分であるとも、あのご様子に少しでも似ているような人なら、きっと心も引かれるだろう。昔あったという反魂香の煙によってでも、もう一度お会いしたものだな」とばかり思われて、高貴な方と、早く婚儀を上げたいなどと急ぐ気もしない。
右大殿ではお急ぎになって、「八月頃に」と申し上げなさったのであった。二条院の対の御方では、お聞きになると、
「やはりそうであったか。どうしてか、一人前でもない様子のようなので、必ず物笑いになる嫌な事が出て来るだろうことは、思いながら過ごしてきたことだ。浮気なお心癖とずっと聞いていたが、頼りがいなく思いながらも、面と向かっては、特につらそうなことも見えず、愛情深い約束ばかりなさっていらっしゃるので、急にお変わりになるのは、どうして平気でいられようか。臣下の夫婦仲のように、すっかり縁が切れてしまうことなどはなくても、どんなにか安からぬことが多いだろう。やはり、まことに情けない身の上のようなので、結局は、山里へ帰ったほうがよいようだ」
とお思いになるにつけても、「このまま姿を隠すよりは、山里の人が待ち迎え思うことも物笑いになる。返す返すも、父宮が遺言なさっていたことに背いて、山荘を出てしまった軽率さ」を、恥ずかしくもつらくもお思い知りになる。
「亡き姉君が、たいそうとりとめもなく、頼りなさそうにばかり、何事もお考えになりおっしゃっていたが、心の底が慎重であったところは、この上なくいらしたことだ。中納言の君が、今でも忘れることなくお悲しみになっていらっしゃるようだが、もし生きていらっしゃったら、またこのようにお悩みになることがあったかも知れない。
それを、たいそう深く、どうしてそんなことはあるまい、と深くお思いになって、あれやこれやと、離れることをお考えになって、出家してしまいたいとなさったのだ。きっとそうなさったにちがいないだろう。
今思うと、どんなに重々しいお考えだったことだろう。亡き父宮や姉君も、わたしをどんなにかこの上ない軽率者と御覧になることだろう」
と恥ずかしく悲しくお思いになるが、「どうしても、仕方のないことだから、このような様子をお見せ申し上げようか」と我慢して、聞かないふりをしてお過ごしになる。
[2-2 中の君、匂宮の子を懐妊]
宮は、いつもよりしみじみとやさしく、起きても臥せっても語らいながら、この世だけでなく、長い将来のことをお約束申し上げなさる。
一方では、今年の五月頃から、普段と違ってお苦しみになることがあるのだった。ひどくお苦しみにはならないが、いつもより食事を上がることことがますますなく、臥せってばかりいらっしゃるので、まだそのような人の様子を、よくご存知ないので、「ただ暑いころなので、こうしていらっしゃるのだろう」とお思いになっていた。
そうはいっても変だとお気づきになることがあって、「もしや、なにしたのではないか。そうした人はこのように苦しむというが」などと、おっしゃる時もあるが、とても恥ずかしがりなさって、さりげなくばかり振る舞っていらっしゃるのを、差し出て申し上げる女房もいないので、はっきりとはご存知になれない。
八月になったので、何日などと、外からお伝え聞きになる。宮は、隠しだてをしようというのではないのだが、言い出すことがお気の毒でおいたわしくお思いになって、そうとおっしゃらないのを、女君は、それさえつらくお思いになる。隠れたことでもなく、世間の人がみな知っていることを、何日などとさえおっしゃらないことだと思うと、どんなにか恨めしくないことがあろうか。
このようにお移りになってから後は、特別の事がないと、宮中に参内なさっても、夜泊まることは特になさらず、あちらこちらに外泊することなどもなかったが、急にどのようにお悲しみだろうと、お気の毒なことにしないために、最近は、時々御宿直といって参内などなさっては、前もって独り寝をお馴らし申し上げなさるのをも、ただつらいことにばかりお思いになるのだろう。
[2-3 薫、中の君に同情しつつ恋慕す]
中納言殿も、「まことにお気の毒なことだな」とお聞きになる。「花心でいらっしゃる宮なので、いとしいとお思いになっても、新しい方にきっとお心移りしてしまうだろう。女方も、とてもしっかりした家の方で、お放しなくお付きまといなさったら、この幾月、夜離れにお馴れにならないで、待っている夜を多くお過ごしになることは、おいたわしいことだ」
などとお思いよりになるにつけても、
「つまらないことをした、自分だな。どうしてお譲り申し上げたのだろう。亡き姫君に思いを寄せてから後は、世間一般から思い捨てて悟りきっていた心も濁りはじめてしまったので、ただあの方の御事ばかりがあれやこれやと思いながら、やはり相手が許さないのに無理を通すことは、初めから思っていた本心に背くだろう」
と遠慮しながら、「ただ何とかして、少しでも好意を寄せてもらって、うちとけなさった様子を見よう」と、将来の心づもりばかりを思い続けていたが、相手は同じ考えではないなさり方で、とはいえ、むげに突き放すことはできまいとお思いになる気休めから、同じ姉妹だといって、望んでいない方をお勧めになったのが悔しく恨めしかったので、「まず、その考えを変えさせようと、急いでやったことなのだ」などと、やむにやまれず男らしくもなく気違いじみて宮をお連れして、おだまし申し上げた時のことを思い出すにつけても、「まことにけしからぬ心であったよ」と、返す返す悔しい。
「宮も、そうはいっても、その当時の様子をお思い出しになったら、わたしの聞くところも少しはご遠慮なさらないはずもあるまい」と思うが、「さあ、今は、その当時のことなど、少しもお口に出さないようだ。やはり、浮気な方面に進んで、移り気な人は、女のためのみならず、頼りなく軽々しいことがきっと出てくるにちがいない」
などと、憎くお思い申し上げなさる。自分のほんとうにお一方にばかり執着した経験から、他人がまことにこの上もなくはがゆく思われるのであろう。
[2-4 薫、亡き大君を追憶す]
あの方をお亡くし申しなさってから後、思うことには、帝が皇女を下さるとお考えおいていることも、嬉しくなく、この君を得たならばと思われる心が、月日とともにつのるのも、ただ、あの方のご血縁と思うと、思い離れがたいのである。
「姉妹という間でも、この上なく睦み合っていらしたものを、ご臨終となった最期にも、『遺る人を私と同じように思って下さい』と言って、『何もかも不満に思うこともありません。ただ、あの考えていたこととをお違いになった点が残念で恨めしいこととして、この世に残るでしょう』とおっしゃったが、魂が天翔っても、このようなことにつけて、ますますつらいと御覧になるだろう」
などと、つくづくと他人のせいでない独り寝をなさる夜々は、ちょっとした風の音にも目ばかり覚ましては、過ぎ去ったことこれからのこと、人の身の上まで、無常な世をいろいろとお考えになる。
一時の慰めとして情けもかけ、身近に使い馴れていらっしゃる女房の中には、自然と憎からずお思いになる者もいるはずだが、真実に心をおとめにならないのは、さっぱりしたものだ。
その一方では、あの姫君たちの身分に劣らない身分の人びとも、時勢にしたがって衰えて、心細そうな生活をしているのなどを、探し求めては邸においていらっしゃる人などが、たいそう多いが、「今は世を捨てて出家しようとするとき、この人だけはと、特別に心とまる妨げになる程度のことはなくて過ごそう」と思う考えが深かったが、「さあ、さも体裁悪く、自分ながら、ひねくれていることだな」
などと、いつもよりも、そのまま眠らず夜を明かしなさった朝に、霧の立ちこめた籬から、花が色とりどりに美しく一面に見える中で、朝顔の花が頼りなさそうに混じって咲いているのを、やはり特に目がとまる気がなさる。「朝の間咲いて」とか、無常の世に似ているのが、身につまされるのだろう。
格子も上げたまま、ほんのかりそめに横になって夜をお明かしになったので、この花が咲く間を、ただ独りで御覧になったのであった。
[2-5 薫、二条院の中の君を訪問]
人を呼んで、
「北の院に参ろうと思うが、仰々しくない車を出しなさい」
とおっしゃると、
「宮は、昨日から宮中においでになると言います。昨夜、お車を引いて帰って来ました」
と申し上げる。
「それはそれでよい、あの対の御方がお苦しみであるという、お見舞い申そう。今日は宮中に参内しなければならない日なので、日が高くならない前に」
とおっしゃって、お召し替えなさる。お出かけになるとき、降りて花の中に入っていらっしゃる姿、格別に艶やかに風流っぽくお振る舞いにはならないが、不思議と、ただちょっと見ただけで優美で気恥ずかしい感じがして、ひどく気取った好色連中などととても比較することができない、自然と身にそなわった美しさがおありになるのだった。朝顔を引き寄せなさると、露がたいそうこぼれる。
「今朝の間の色を賞美しようか、置いた露が
消えずに残っているわずかの間に咲く花と思いながら
はかないな」
と独り言をいって、折ってお持ちになった。女郎花には、目もくれずにお出になった。
明るくなるにしたがって、霧が立ちこめこめている空が美しいので、
「女たちは、しどけなく朝寝していらっしゃるだろう。格子や妻戸などを叩き咳払いするのは、不慣れな感じがする。朝早いのにもう来てしまった」
と思いながら、人を召して、中門の開いている所から覗き見させなさると、
「御格子は上げてあるらしい。女房のいる様子もしていました」
と申すので、下りて、霧の紛れに体裁よくお歩みになっているのを、「宮が隠れて通う所からお帰りになったのか」と見ると、露に湿っていらっしゃる香りが、例によって、格別に匂って来るので、
「やはり、目が覚める思いがする方ですこと。控え目でいらっしゃることが憎らしいこと」
などと、勝手に、若い女房たちは、お噂申し上げていた。
驚いたふうでもなく、体裁よく衣ずれの音をさせて、お敷物を差し出す態度も、まことに無難である。
「ここに控えよとお許しいただけることは、一人前扱いの気がしますが、やはりこのような御簾の前に放っておいでになるのは情けない気がし、頻繁にお伺いできません」
とおっしゃるので、
「それでは、どう致しましょう」
などと申し上げる。
「北面などの目立たない所ですね。このような古なじみなどが控えているのに適当な休憩場所は。それも、また、お気持ち次第なので、不満を申し上げるべきことでもない」
と言って、長押に寄り掛かっていらっしゃると、例によって、女房たちが、
「やはり、あそこまで」
などと、お促し申し上げる。
[2-6 薫、中の君と語らう]
もともと、感じがてきぱきと男らしくはいらっしゃらないご性格であるが、ますますしっとりと静かにしていらっしゃるので、今は、自分からお話し申し上げなさることも、だんだんと嫌で遠慮された気持ちも、少しずつ薄らいでお馴れになっていった。
つらそうにしていらっしゃる様子も、「どうしたのですか」などとお尋ね申し上げなさったが、はっきりともお答え申し上げず、いつもよりも沈んでいらっしゃる様子がおいたわしいのが、お気の毒に思われなさって、情愛こまやかに、夫婦仲のあるべき様子などを、兄妹である者のように、お教え慰め申し上げなさる。
声なども、特に似ていらっしゃるとは思われなかったが、不思議なまでにあの方そっくりに思われるので、人目が見苦しくないならば、簾を引き上げて差し向かいでお話し申し上げたく、苦しくしていらっしゃる容貌が見たく思われなさるのも、「やはり、恋の物思いに悩まない人は、いないのではないか」と自然と思い知られなさる。
「人並に出世して派手な方面はございませんが、心に思うことがあり、嘆かわしく身を悩ますことはなくて過ごせるはずの現世だと、自分自身思っておりましたが、心の底から、悲しいことも、馬鹿らしく悔しい物思いをも、それぞれに休まる時もなく思い悩んでいますことは、つまらないことです。官位などといって、大事にしているらしい、もっともな愁えにつけて嘆き思う人よりも、自分の場合は、もう少し罪の深さが勝るだろう」
などと言いながら、手折りなさった花を、扇に置いてじっと見ていらっしゃったが、だんだんと赤く変色してゆくのが、かえって色のあわいが風情深く見えるので、そっと差し入れて、
「あなたを姉君と思って自分のものにしておくべきでした
白露が約束しておいた朝顔の花ですから」
ことさらそうしたのではなかったが、「露を落とさないで持ってきたことよ」と、興趣深く思えたが、露の置いたまま枯れてゆく様子なので、
「露の消えない間に枯れてしまう花のはかなさよりも
後に残る露はもっとはかないことです
何にすがって生きてゆけばよいのでしょう」
と、たいそう低い声で言葉も途切れがちに、慎ましく否定なさったところは、「やはり、とてもよく似ていらっしゃるなあ」と思うと、何につけ悲しい。
[2-7 薫、源氏の死を語り、亡き大君を追憶]
「秋の空は、いま一つ物思いばかりまさります。所在ない紛らしにと思って、最近、宇治へ行きました。庭も籬もほんとうにますます荒れはてましたので、堪えがたいことが多くございました。
故院がお亡くなりになって後、二、三年ほど前に、出家なさった嵯峨院でも、六条院でも、ちょっと立ち寄る人は、感慨に咽ばない者はございませんでした。木や草の色につけても、涙にくれてばかり帰ったものでございました。あちらの殿にお仕えしていた人たちは、身分の上下を問わず心の浅い人はございませんでした。
あちこちに集まっていられた方々も、みなそれぞれに退出してゆき、おのおのこの世を捨てた生活をしていらしたようですが、しがない身分の女房などは、それ以上に悲しい思いを収めることもないままに、わけも分からない考えにまかせて、山林に入って、つまらない田舎人になりさがったりなどして、かわいそうにうろうろと散ってゆく者が多うございました。
そうして、かえってすっかり荒らしはて、忘れ草が生えて後、この右大臣も移り住み、宮たちなども何方もおいでになったので、昔に返ったようでございます。その当時、世に類のない悲しみと拝見しましたことも、年月がたてば、悲しみの冷める時も出てくるものだ、と経験しましたが、なるほど、物には限りがあるものだった、と思われます。
このように申し上げさせていただきながらも、あの昔の悲しみは、まだ幼かった時のことで、とてもそんなに深く感じなかったのでございましょう。やはり、この最近の夢こそ、覚ますことができなく存じられますのは、同じように、世の無常の悲しみであるが、罪深いほうでは勝っていましょうかと、そのことまでがつろうございます」
と言って、お泣きになるところ、まことに心深そうである。
亡くなった方を、たいしてお思い申し上げない人でさえ、この方が悲しんでいらっしゃる様子を見ると、つい同情してもらい泣きしないではいられないが、それ以上に、自分も何となく心細くお思い乱れなさるにつけては、ますますいつもよりも、面影に浮かんで恋しく悲しくお思い申し上げなさる気分なので、いまいちだんと涙があふれて、何も申し上げることがおできになれず、躊躇なさっている様子を、お互いにまことに悲しいと思い交わしなさる。
[2-8 薫と中の君の故里の宇治を思う]
「世の中のつらさよりはなどと、昔の人は言ったが、そのように比較する考えも特になくて、何年も過ごしてきましたが、今やっと、やはり何とか静かな所で過ごしたく存じますが、何といっても思い通りにならないようなので、弁の尼が羨ましうございます。
今月の二十日過ぎには、あの山荘に近いお寺の鐘の音も耳にしたく思われますので、こっそりと宇治へ連れて行ってくださいませんか、と申し上げたく思っておりました」
とおっしゃるので、
「荒らすまいとお考えになっても、どうしてそのようなことができましょう。気軽な男でさえ、往復の道が荒々しい山道でございますので、思いながら幾月もご無沙汰しています。故宮のご命日には、あの阿闍梨に、しかるべき事柄をみな言いつけておきました。あちらは、やはり仏にお譲りなさいませ。時々御覧になるにつけても、迷いが生じるのも困ったことですから、罪を滅したい、と存じますが、他にどのようにお考えでしょうか。
どのようにお考えなさることにも従おう、と存じております。ご希望どおりにおっしゃいませ。どのようなことも親しく承るのが、望むところでございます」
などと、実務面のことをも申し上げなさる。経や仏など、この上さらに御供養なさるようである。このような機会にかこつけて、そっと籠もりたい、などとお思いになっている様子なので、
「実にとんでもないことです。やはり、どのようなことでもゆったりとお考えなさいませ」
とお諭し申し上げなさる。
[2-9 薫、二条院を退出して帰宅]
日が昇って、人びとが参集して来るので、あまり長居するのも何かわけがありそうにとられるので、お出になろうとして、
「どこでも、御簾の外は馴れておりませんので、体裁の悪い気がしました。いずれまた、このようにお伺いしましょう」
と言ってお立ちになった。「宮が、どうして不在の折に来たのだろう」ときっと想像するにちがいないご性質なのもやっかいなので、侍所の別当である右京大夫を呼んで、
「昨夜退出あそばしたと承って参上したが、まだであったので残念であった。内裏に参ったほうがよかったろうか」
とおっしゃると、
「今日は、退出あそばしましょう」
と申し上げるので、
「それでは、夕方にでも」
と言って、お出になった。
やはり、この方のお感じやご様子をお聞きになるたびごとに、どうして亡くなった姫君のお考えに背いて、考えもなく譲ってしまったのだろうと、後悔する気持ちばかりがつのって、忘れられないのもうっとうしいので、「どうして、自ら求めて悩まねばならない性格なのだろう」と反省なさる。そのまままだ精進生活で、ますますただひたすら勤行ばかりなさっては、日をお過ごしになる。
母宮が、依然としてとても若くおっとりして、はきはきしないお方でも、このようなご様子を、まことに危なく不吉であるとお思いになって、
「もう先が長くないので、お目にかかっている間は、やはり嬉しい姿を見せてください。世の中をお捨てになるのも、このような出家の身では、反対申し上げるべきことではないが、この世が話にもならない気がしましょう、その心迷いに、ますます罪を得ようかと思われます」
とおっしゃるのが、もったいなくおいたわしいので、何もかも思いを忘れては、御前では物思いのない態度を作りなさる。
3 中の君の物語 匂宮と六の君の婚儀
[3-1 匂宮と六の君の婚儀]
右の大殿邸では、六条院の東の御殿を磨き飾って、この上なく万事を整えてお待ち申し上げなさるが、十六日の月がだんだん高く昇るまで見えないので、たいしてお気に入りでもない結婚なので、どうなのだろうと、ご心配になって、様子を探って御覧になると、
「この夕方、宮中から退出なさって、二条院にいらっしゃるという」
と、人が申す。お気に入りの人がおありなのでと、おもしろくないけれども、今夜が過ぎてしまうのも物笑いになるだろうから、ご子息の頭中将を使いとして申し上げなさった。
「大空の月でさえ宿るわたしの邸にお待ちする
宵が過ぎてもまだお見えにならないあなたですね」
宮は、「かえって今日が結婚式だと知らせまい、お気の毒だ」とお思いになって、内裏にいらっしゃった。お手紙を差し上げたお返事はどうあったのだろうか、やはりとてもかわいそうに思われなさったので、こっそりとお渡りになったのであった。かわいらしい様子を、見捨ててお出かけになる気もせず、いとおしいので、いろいろと将来を約束し慰めて、ご一緒に月を眺めていらっしゃるところであった。
女君は、日頃もいろいろとお悩みになることが多かったが、何とかして表情に表すまいと我慢なさっては、さりげなく心静めていらっしゃることなので、特にお耳に入れないふうに、おっとりと振る舞っていらっしゃる様子は、まことにおいたわしい。
中将が参上なさったのをお聞きになって、そうはいってもあちらもお気の毒なので、お出かけになろうとして、
「今、直ぐに帰って来ます。独りで月を御覧なさいますな。上の空の思いでとても辛い」
と申し上げおきなさって、やはり見ていられないので、物蔭を通って寝殿へお渡りになる、その後ろ姿を見送るにつけ、あれこれ思わないが、ただ枕が浮いてしまいそうな気がするので、「嫌なものは人の心であった」と、自分のことながら思い知られる。
[3-2 中の君の不安な心境]
「幼いころから心細く哀れな姉妹で、世の中に執着などお持ちでなかった父宮お一方をお頼り申し上げて、あのような山里に何年も過ごしてきたが、いつとなく所在なく寂しい生活ではあったが、とてもこのように心にしみてこの世が嫌なものだと思わなかったが、引き続いて思いがけない肉親の死に遭って悲しんだ時は、この世にまた生き遺って片時も生き続けようとは思えず、悲しく恋しいことの例はあるまいと思ったが、命長く今まで生き永らえていたので、皆が思っていたほどよりは、人並みになったような有様が、長く続くこととは思わないが、一緒にいる限りは憎めないご愛情やお扱いであるが、だんだんと悩むことが薄らいできていたが、この度の身のつらさは、言いようもなく、最後だと思われることであった。
跡形もなくすっかりお亡くなりになってしまった方々よりは、いくらなんでも、宮とは時々でも何でお会いできないことがないだろうかと思ってもよいのだが、今夜このように見捨ててお出かけになるつらさが、過去も未来も、すべて分からなくなって、心細く悲しいのが、自分の心ながらも晴らしようもなく、嫌なことだわ。自然と生き永らえていればまた」
などと慰めることを思うと、さらに姨捨山の月が澄み昇って、夜が更けて行くにつれて千々に心が乱れなさる。松風が吹いて来る音も、荒々しかった山下ろしに思い比べると、とてものんびりとやさしく、感じのよいお住まいであるが、今夜はそのようには思われず、椎の葉の音には劣った感じがする。
「山里の松の蔭でもこれほどに
身にこたえる秋の風は経験しなかった」
過去のつらかったことを忘れたのであろうか。
老女連中などは、
「もう、お入りなさいませ。月を見ることは忌むと言いますから。あきれてまあ、ちょっとした果物でさえお見向きもなさらないので、どのようにおなりあそばすのでしょう」と。「ああ、見苦しいこと。不吉にも思い出されることがございますが、まことに困ったこと」
と溜息をついて、
「いえね、今度の殿の事ですよ。いくらなんでも、このままいい加減なお扱いで終わることはなされますまい。そうは言っても、もともと深い愛情で結ばれた仲は、すっかり切れてしまうものでございません」
などと言い合っているのも、あれこれと聞きにくくて、「今はもう、どうあろうとも口に出して言うまい、ただ黙って見ていよう」とお思いなさるのは、人には言わせないで、自分独りお恨み申そうというのであろうか。「いえね、中納言殿が、あれほど親身なご親切でしたのに」などと、その当時からの女房たちは言い合って、「人のご運命のあやにくなことよ」と言い合っていた。
[3-3 匂宮、六の君に後朝の文を書く]
宮は、たいそうお気の毒にお思いになりながら、派手好きなご性格は、何とか立派な婿殿と期待されようと、気取って、何ともいえず素晴らしい香をたきしめなさったご様子は、申し分がない。お待ち申し上げていらっしゃるところの様子も、まことに素晴らしかった。身体つきは、小柄で華奢といったふうではなく、ちょうどよいほどに成人していらっしゃるのを、
「どんなものかしら。もったいぶって気が強くて、気立ても柔らかいところがなく、何となく高慢な感じであろうか。それであったら、嫌な感じがするだろう」
などとお思いになるが、そのようなご様子ではないのであろうか、ご執心はいい加減にはお思いなされなかった。秋の夜だが、更けてから行かれたからであろうか、まもなく明けてしまった。
お帰りになっても、対の屋へはすぐにはお渡りなることができず、しばらくお寝みになって、起きてからお手紙をお書きになる。
「ご様子は悪くはないようだわ」
と御前の人びとがつつき合う。
「対の御方はお気の毒だわ。どんなに広いお心であっても、自然と圧倒されることがきっとあるでしょう」
などと、平気でいられず、みな親しくお仕えしている人びとなので、穏やかならず言う者もいて、総じて、やはり妬ましいことであった。お返事も、「こちらで」とお思いになったが、「夜の間の気がかりさも、いつものご無沙汰よりもどんなものか」と、気にかかるので、急いでお渡りになる。
寝起き姿のご容貌が、たいそう立派で見所があって、お入りになったので、臥せっているのも嫌なので、少し起き上がっていらっしゃると、ちょっと赤らんでいらっしゃる顔の美しさなどが、今朝は特にいつもより格別に美しさが増してお見えになるので、無性に涙ぐまれて、暫くの間じっとお見つめ申していらっしゃると、恥ずかしくお思いになってうつ伏せなさっている、髪のかかり具合、かっこうなどが、やはりまことに見事である。
宮も、何か体裁悪いので、こまごまとしたことなどは、ちっともおっしゃらない照れ隠しであろうか、
「どうしてこうしてばかり苦しそうなご様子なのでしょう。暑いころのゆえとか、おっしゃっていたので、早く涼しいころになればと待っていたのに、依然として気分が良くならないのは、困ったことですわ。いろいろとさせていたことも、不思議に効果がない気がする。そうはいっても、修法はまた延長してよいだろう。効験のある僧はいないだろうか。何某僧都を、夜居に伺候させればよかった」
など、といったような実際的なことをおっしゃるので、このような方面でも調子のよい話は、気にくわなく思われなさるが、全然お返事申し上げないのもいつもと違うので、
「昔も、人と違った体質で、このようなことはありましたが、自然と良くなったものです」
とおっしゃるので、
「とてもよくまあ、さっぱりしたものですね」
とにっこりして、「やさしくかわいらしい点ではこ、の人に並ぶ者はいない」とは思いながら、やはりまた、早く逢いたい方への焦りの気持ちもお加わりになっているのは、ご愛情も並々ではないのであろうよ。
[3-4 匂宮、中の君を慰める]
けれど、向き合っていらっしゃる間は変わった変化もないのであろうか、来世まで誓いなさることの尽きないのを聞くにつけても、なるほど、この世は短い寿命を待つ間も、つらいお気持ちは表れるにきまっているので、「来世の約束も違わないことがあろうか」と思うと、やはり性懲りもなく、また頼らずにはいられないと思って、ひどく祈るようであるが、我慢することができなかったのか、今日は泣いておしまいになった。
日頃も、「何とかこう悩んでいたと見られ申すまい」と、いろいろと紛らわしていたが、あれやこれやと思うことが多いので、そうばかりも隠していられなかったのか、涙がこぼれ出しては、すぐには止められないのを、とても恥ずかしくわびしいと思って、かたくなに横を向いていらっしゃるので、無理に前にお向けになって、
「申し上げるままに、いとしいお方と思っていたのに、やはりよそよそしいお心がおありなのですね。そうでなければ、夜の間にお変わりになったのですか」
と言って、ご自分のお袖で涙をお拭いになると、
「夜の間の心変わりとは、そうおっしゃることによって、想像されました」
と言って、少しにっこりした。
「なるほど、あなたは、子供っぽいおっしゃりようですよ。けれどほんとうのところは、心に隠し隔てがないので、とても気楽だ。ひどくもっともらしく申し上げたところで、とてもはっきりと分かってしまうものです。まるきり夫婦の仲というものをご存知ないのは、かわいらしいものの困ったものです。よし、自分の身になって考えてください。この身を思うにまかせない状態です。もし、思うとおりにできる時がきたら、誰にもまさる愛情のほどを、お知らせ申し上げることが一つあるのです。簡単に口に出すべきことでないので、寿命があったら」
などとおっしゃるうちに、あちらに差し上げなさったお使いが、ひどく酔い過ぎたので、少し遠慮すべきことも忘れて、おおっぴらにこの対の南面に参上した。
[3-5 後朝の使者と中の君の諦観]
素晴らしく衣装を肩に被いて埋もれているのを、「そうらしい」と、女房たちは見る。いつの間に急いでお書きになったのだろうと見るのも、おもしろくなかったであろうよ。宮も、無理に隠すべきことでもないが、いきなり見せるのはやはりお気の毒なので、少しは気をつけてほしかったと、はらはらしたが、もうしかたがないので、女房をしてお手紙を受け取らせなさる。
「同じことなら、すべて隠し隔てないようにしよう」とお思いになって、お開きになると、「継母の宮のご筆跡のようだ」と見えるので、少しは安心してお置きになった。代筆でも、気がかりなことであるよ。
「さし出でますことは、きまりが悪いので、お勧めしましたが、とても悩ましそうでしたので。
女郎花が一段と萎れています
朝露がどのように置いていったせいなのでしょうか」
上品で美しくお書きになっていた。
「恨みがましい歌なのも厄介だね。ほんとうは、気楽に当分暮らしていようと思っていたのに、意外なことになったものだ」
などとはおっしゃるが、
「また他に二人となくて、そのような仲に馴れている臣下の夫婦仲は、このようなことの恨めしさなども、見る人は気の毒にも思うが、思えばこの宮はとても難しい。結局はこのようになることである。宮様方と申し上げる中でも、将来を特に世間の人がお思い申し上げているので、幾人も幾人もお持ちになることも、非難されるべきことでないので、誰も、この方をお気の毒だなどと思わないのであろう。これほど重々しく大切にお住まわせになって、おいたわしくお思いになること、並々でなくお思いでいるのを、幸いでいらっしゃった」
とお噂申し上げるようだ。自分自身の気持ちでも、あまり大事にしていてくださって、急に具合が悪くなるのが嘆かわしいのだろう。
「このような夫婦の問題を、どうして大問題扱いを人はするのだろうと、昔物語などを見るにつけても、人の身の上でも、不思議に聞いて思っていたのは、なるほど大変なことなのであった」
と、自分の身になって、何事も理解されるのであった。
[3-6 匂宮と六の君の結婚第二夜]
宮は、いつもよりも愛情深く、心を許した様子にお扱いをなさって、
「まったく食事をなさらないのは、とてもよくないことです」
と言って、結構な果物を持って来させて、また、しかるべき料理人を召して、特別に料理させなどして、お勧め申し上げなさるが、まるで手をお出しにならないので、「見ていられないことだ」とご心配申し上げなさっているうちに、日が暮れたので、夕方、寝殿へお渡りになった。
風が涼しく、いったいの空も趣きのあるころなので、派手好みでいらっしゃるご性分なので、ますます浮き浮きした気になって、物思いをしている方のご心中は、何事につけ堪え難いことばかりが多かったのである。蜩のなく声に、山里ばかりが恋しくて、
「宇治にいたら何気なく聞いただろうに
蜩の声が恨めしい秋の暮だこと」
今夜はまだ更けないうちにお出かけになるようである。御前駆の声が遠くなるにつれて、海人が釣するくらいなるのも、「自分ながら憎い心だわ」と、思いながら聞き臥せっていらっしゃった。はじめから物思いをおさせになった頃のことなどを思い出すにつけても、疎ましいまでに思われる。
「この悩ましいことも、どのようになるのであろう。たいそう短命な一族なので、このような折にでもと、亡くなってしまうのであろうか」
と思うと、「惜しくはないが、悲しくもあり、またとても罪深いことであるというが」などと、眠れないままに夜を明かしなさる。
[3-7 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴]
その日は、后の宮が悩ましそうでいらっしゃると聞いて、皆が皆、参内なさったが、お風邪でいらっしゃったので、格別のことはおありでないと聞いて、大臣は昼に退出なさったのであった。中納言の君をお誘い申されて、一台に相乗りしてお下がりになった。
「今夜の儀式を、どのようにしよう。善美を尽くそう」と思っていらっしゃるらしいが、限度があるだろうよ。この君も、気が置ける方であるが、親しい人と思われる点では、自分の一族にまたそのような人もいらっしゃらず、祝宴の引き立て役にするには、また心格別でいらっしゃる方だからであろう。いつもと違って急いで参上なさって、人の身の上のことを残念だとも思わずに、何やかやと心を合わせてご協力なさるのを、大臣は、人には知られず憎らしいとお思いになるのであった。
宵が少し過ぎたころにおいでになった。寝殿の南の廂間の、東に寄った所にご座所を差し上げた。御台八つ、通例のお皿など、きちんと美しくて、また、小さい台二つに、華足の皿の類を、新しく準備させなさって、餅を差し上げなさった。珍しくもないことを書き置くのも気が利かないこと。
大臣がお渡りになって、「夜がたいそう更けてしまった」と、女房を介して祝宴につくことをお促し申し上げなさるが、まことにしどけないお振る舞いで、すぐには出ていらっしゃらない。北の方のご兄弟の左衛門督や、藤宰相などばかりが伺候なさる。
やっとお出になったご様子は、まことに見る効のある気がする。主人の頭中将が、盃をささげてお膳をお勧めする。次々にお盃を、二度、三度とお召し上がりになる。中納言がたいそうお勧めになるので、宮は少し苦笑なさった。
「やっかいな所だ」
と、自分には不適当な所だと思って言ったのを、お思い出しになったようである。けれど、知らないふりして、たいそうまじめくさっている。
東の対にお出になって、お供の人々を歓待なさる。評判のよい殿上人連中もたいそう多かった。
四位の六人には、女の装束に細長を添えて、五位の十人には、三重襲の唐衣、裳の腰もすべて差異があるようである。六位の四人には、綾の細長、袴など。一方では、限度のあることを物足りなくお思いになったので、色合いや、仕立てなどに、善美をお尽くしになったのであった。
召次や、舎人などの中には、度を越すと思うほど立派であった。なるほど、このように派手で華美なことは、見る効あるので、物語などにも、さっそく言い立てたのであろうか。けれど、詳しくはとても数え上げられなかったとか。
4 薫の物語 中の君に同情しながら恋慕の情高まる
[4-1 薫、匂宮の結婚につけわが身を顧みる]
中納言殿の御前駆の中に、あまり待遇がよくなかったのか、暗い物蔭に立ち交じっていたのだろうか、帰って来て嘆いて、
「わが殿は、どうしておとなしくて、この殿の婿におなりあそばさないのだろう。つまらない独身生活だよ」
と、中門の側でぶつぶつ言っていたのをお聞きつけになって、おかしくお思いになるのであった。夜が更けて眠たいのに、あの歓待されている人びとは、気持ちよさそうに酔い乱れて寄り臥せってしまったのだろうと、羨ましいようである。
君は、部屋に入ってお臥せりになって、
「きまりの悪いことだなあ。仰々しい父親が出て来て座って、縁遠くはない仲だが、あちこちに、火を明るく掲げて、お勧め申した盃事などを、とても体裁よくお振る舞いになったな」
と、宮のお振舞を、無難であったとお思い出し申し上げなさる。
「なるほど、自分でも、良いと思う女の子を持っていたら、この宮をお措き申しては、宮中にさえ入内させないだろう」と思うと、「誰も彼もが、宮に差し上げたいと志していらっしゃる娘は、やはり源中納言にこそと、それぞれ言っているらしいことは、自分の評判がつまらないものではないのだな。実のところは、あまり結婚に関心もなく、ぱっとしないのに」などと、大きな気持ちにおなりになる。
「帝の御内意のあることが、本当に御決意なさったら、このようにばかり何となく億劫にばかり思っていたら、どうしたものだろう。面目がましいことではあるが、どんなものだろうか。どうかな、亡くなった姫君にとてもよく似ていらっしゃったら、嬉しいことだろう」と自然と思い寄るのは、やはりまったく関心がないではないのであろうよ。
[4-2 薫と按察使の君、匂宮と六の君]
いつものように、寝覚めがちな何もすることのないころなので、按察使の君といって、他の女房よりは少し気に入っていらっしゃる者の部屋にいらして、その夜は明かしなさった。夜の明け過ぎても、誰も非難するはずもないのに、つらそうに急いで起きなさるので、平気ではいられないようである。
「いったいに世間から認められない仲なのに
お逢いし続けているという評判が立つのが辛うございます」
気の毒なので、
「深くないように表面は見えますが
心の底では愛情の絶えることはありません」
深いと、おっしゃるだけでも頼りないのを、これ以上の浅さは、ますますつらく嫌に思われるであろうよ。妻戸を押し開けて、
「ほんとうは、この空を御覧なさい。どうしてこれを知らない顔で夜を明かそうかよ。風流人を気取るのではないが、ますます明かしがたくなってゆく、夜々の寝覚めには、この世やあの世まで思い馳せられて、しんみりする」
などと、言い紛らわしてお出になる。特に趣きのある言葉の数々は尽くさないが、態度が優美に見えるせいであろうか、情けのない人のようには誰からも思われなさらない。ちょっとした冗談を言いかけなさった女房で、お側近くに拝見したい、とばかりお思い申しているのか、強引に、出家なさった宮の御方に、縁故を頼っては頼って参集して仕えているのも、気の毒なことが、身分に応じて多いのであろう。
宮は、女君のご様子、昼間に拝見なさると、ますますお気持ちが深くなるのであった。背恰好も程よい人で、姿態はたいそう美しくて、髪のさがり具合、頭の恰好などは、人より格別にすぐれて、まあ素晴らしい、とお見えになるのであった。色艶があまりにもつやつやとして、堂々とした気品のある顔で、目もとがとてもこちらが恥ずかしくなるほど美しくかわいらしく、何から何まで揃っていて、器量のよい人というのに、足りないところがない。
二十歳を一、二歳越えていらっしゃった。幼い年ではないので、不十分で足りないところはなく、華やかで、花盛りのようにお見えになっていた。この上なく大事にお世話なさっていたので、不十分なところがない。なるほど、親としては、夢中になるのも無理からぬことであった。
ただ、もの柔らかで魅力的でかわいらしい点では、あの対の御方がまっさきにお心に浮かぶのであった。何かおっしゃるお返事なども、恥じらっていらっしゃるが、また、あまりにはっきりしないことはなく、総じて実にとりえが多くて、才気がありそうである。
器量のよい若い女房連中を三十人ほど、童女を六人、整っていないのはなく、装束なども、例によって格式ばったことは、目馴れてお思いになるだろうから、変わって、いかがと思われるまで趣向をお凝らしになっていた。三条殿腹の大君を、東宮に参内させなさった時よりも、この儀式を、特別にお考えおきなさっていたのも、宮のご評判や様子からのようである。
[4-3 中の君と薫、手紙を書き交す]
こうして後は、二条院に、気安くお渡りになれない。軽々しいご身分でないので、お考えのままに、昼間の時間もお出になることができないので、そのまま同じ六条院の南の町に、以前に住んでいたようにおいでになって、暮れると、再び、この君を避けてあちらへお渡りになることもできないなどして、待ち遠しい時々があるが、
「このようなことになるとは思っていたが、当面すると、まるっきり変わってしまうものであろうか。なるほど、思慮深い人は、物の数にも入らない身分で、結婚すべきではなかった」
と、繰り返し山里を出て来た当座のことを、現実とも思われず悔しく悲しいので、
「やはり、何とかしてこっそりと帰りたい。まるっきり縁が切れるというのでなくとも、暫く気を休めたいものだ。憎らしそうに振る舞ったら、嫌なことであろう」
などと、胸一つに思いあまって、恥ずかしいが、中納言殿に手紙を差し上げなさる。
「先日の御事は、阿闍梨が伝えてくれたので、詳しくお聞きしました。このようなご親切がなかったら、どんなにかおいたわしいことかと存じられますにつけても、深く感謝申し上げております。できますことなら、親しくお礼を」
と申し上げなさった。
陸奥紙に、しゃれないできちんとお書きになっているのが、実に美しい。宮のご命日に、例の法事をとても尊くおさせになったのを、喜んでいらっしゃる様子が、仰々しくはないが、なるほど、お分かりになったようである。いつもは、こちらから差し上げるお返事でさえ、遠慮深そうにお思いになって、てきぱきともお書きにならないのに、「親しくお礼を」とまでおっしゃったのが、珍しく嬉しいので、心ときめきするにちがいない。
宮が新しい女性に関心を寄せていらっしゃる時なので、疎かにお扱いになっていたのも、なるほどおいたわしく推察されるので、たいそう気の毒になって、風流なこともないお手紙を、下にも置かず、繰り返し繰り返し御覧になっていた。お返事は、
「承知いたしました。先日は、修行者のような恰好で、わざとこっそり参りましたが、そのように考えますような事情がございましたときですので。引き続いてとおっしゃってくださるのは、わたしの気持ちが少し薄くなったようだからかと、恨めしく存じられます。何もかも伺いましてから。恐惶謹言」
と、きまじめに、白い色紙でごわごわとしたのに書いてある。
[4-4 薫、中の君を訪問して慰める]
そうして、翌日の夕方にお渡りになった。人知れず思う気持ちがあるので、無性に気づかいがされて、柔らかなお召し物類を、ますます匂わしなさっているのは、あまりに大げさなまでにあるので、丁子染の扇の、お持ちつけになっている移り香などまでが、譬えようもなく素晴らしい。
女君も、不思議な事であった夜のことなどを、お思い出しになる折々がないではないので、誠実で情け深いお気持ちが、誰とも違っていらっしゃるのを見るにつけても、「この人と一緒になればよかった」とお思いになるのだろう。
幼いお年でもいらっしゃらないので、恨めしい方のご様子を比較すると、何事もますますこの上なく思い知られなさるのか、いつも隔てが多いのもお気の毒で、「物の道理を弁えないとお思いなさるだろう」などとお思いになって、今日は、御簾の内側にお入れ申し上げなさって、母屋の御簾に几帳を添えて、自分は少し奥に入ってお会いなさった。
「特にお呼びということではございませんでしたが、いつもと違ってお許しあそばしたお礼に、すぐにも参上したく思いましたが、宮がお渡りあそばすとお聞きいたしましたので、折が悪くてはと思って、今日にいたしました。一方では、長年の誠意もだんだん分かっていただけましたのか、隔てが少し薄らぎました御簾の内ですね。珍しいことですね」
とおっしゃるが、やはりとても恥ずかしくて、言い出す言葉もない気がするが、
「先日、嬉しく聞きました心の中を、いつものように、ただ仕舞い込んだまま過ごしてしまったら、感謝の気持ちの一部分だけでも、何とかして知ってもらえようかと、口惜しいので」
と、いかにも慎ましそうにおっしゃるのが、たいそう奥の方に身を引いて、途切れ途切れにかすかに申し上げるので、もどかしく思って、
「とても遠くでございますね。心からお話し申し上げ、またお聞き致したい世間話もございますので」
とおっしゃると、なるほど、とお思いになって、少しいざり出てお近寄りになる様子をお聞きなさるにつけても、胸がどきりとするが、平静を装いますます冷静な態度をして、宮のご愛情が、意外にも浅くおいでであったとお思いで、一方では批判したり、また一方では慰めたりして、それぞれについて落ち着いて申し上げていらっしゃる。
[4-5 中の君、薫に宇治への同行を願う]
女君は、宮の恨めしさなどは、口に出して申し上げなさるようなことでもないので、ただ、自分だけがつらいように思わせて、言葉少なに紛らわしては、山里にこっそりとお連れくださいとのお思いで、たいそう熱心に申し上げなさる。
「そのことは、わたしの一存では、お世話できないことです。やはり、宮にただ素直にお話し申し上げなさって、あの方のご様子に従うのがよいことです。そうでなかったら、少しでも行き違いが生じて、軽率だなどとお考えになるだろうから、大変悪いことになりましょう。そういう心配さえなければ、道中のお送りや迎えも、自らお世話申しても、何の遠慮がございましょう。安心で人と違った性分は、宮もみなご存知でいらっしゃいました」
などと言いながら、時々は、過ぎ去った昔の悔しさが忘れる折もなく、できることなら昔を今に取り戻したいと、ほのめかしながら、だんだん暗くなって行くまでおいでになるので、とてもわずらわしくなって、
「それでは、気分も悪くなるばかりですので、また、よおろしくなった折に、どのような事でも」
と言って、お入りになってしまった様子なのが、とても残念なので、
「それでは、いつごろにお立ちになるつもりですか。たいそう茂っていた道の草も、少し刈り払わせましょう」
と機嫌を取って申し上げなさると、少し奥に入りかけて、
「今月は終わってしまいそうなので、来月の朔日頃にも、と思っております。ただ、とても人目に立たないのがよいでしょう。どうして、夫の許可など仰々しく必要でしょう」
とおっしゃる声が、「何ともかわいらしいな」と、いつもより亡き大君が思い出されるので、堪えきれないで、寄り掛かっていらっしゃった柱の側の簾の下から、そっと手を伸ばして、お袖を捉えた。
[4-6 薫、中の君に迫る]
女は、「やはり、そうだった、ああ嫌な」と思うが、何を言うことができようか、何も言わないで、ますます奥にお入りになるので、その後についてとても物馴れた態度で、半分は御簾の内に入って添い臥せりなさった。
「そうではありません。人目に立たないようにとはよいことをお考えになったことが嬉しく思えたのは、聞き違いでしょうか、それを伺おうと思いまして。よそよそしくお思いになるべき問題でもないのでに、情けない待遇ですね」
とお恨みになると、お返事できる気もなくて、意外にも憎く思う気になるのを、無理に落ち着いて、
「意外なお気持ちですね。女房たちがどう思いましょう。あきれたこと」
と軽蔑して、泣いてしまいそうな様子なのは、少しは無理もないことなので、お気の毒とは思うが、
「これは非難されるほどのことでしょうか。この程度の面会は、昔を思い出してくださいな。亡くなった姉君のお許しもあったのに。とても疎々しくお思いになっていらっしゃるとは、かえって嫌な気がします。好色がましい目障りな気持ちはないと、安心してください」
と言って、たいそう穏やかに振る舞っていらっしゃるが、幾月もずっと後悔していた心中が、堪え難く苦しいまでになって行く様子を、つくづくと話し続けなさって、袖を放しそうな様子もないので、どうしようもなく、大変だと言ったのでは月並な表現である。かえって、まったく気持ちを知らない人よりも、恥ずかしく気にくわなくて、泣いてしまわれたのを、
「これは、どうしましたか。何とも、幼げない」
とは言いながらも、何とも言えずかわいらしく、お気の毒に思う一方で、心配りが深くこちらが恥ずかしくなるような態度などが、以前に一夜を共にした当時よりも、すっかり成人なさったのを見ると、「自分から他人に譲って、このようにつらい思いをすることよ」と悔しいのにつけても、また自然泣かれるのであった。
[4-7 薫、自制して退出する]
近くに伺候している女房が二人ほどいるが、何の関係のない男が入って来たのならば、これはどうしたことかと、近寄り集まろうが、親しくご相談し合っている仲のようなので、何か子細があるのだろうと思うと、側にいずらいので、知らない顔をしてそっと離れて行ったのは、お気の毒なことだ。
男君は、昔を後悔する心の堪えがたさなども、とても静め難いようであるが、昔でさえめったになかったお心配りなので、やはりとても思いのままにも無体な振る舞いはなさらないのだった。このような場面は、詳細に語り続けることはできないのであった。不本意ながら、人目の悪いことを思うと、あれやこれやと思い返してお出になった。
まだ宵とは思っていたが、暁近くになったのを、見咎める人もあろうかと、厄介なのも、女方の御ためにはお気の毒である。
「身体が悪そうだと聞いていたご気分は、もっともなことであった。とても恥ずかしいとお思いでいらした腰の帯を見て、大部分はお気の毒に思われてやめてしまったなあ。いつもの馬鹿らしい心だ」と思うが、「情けのない振る舞いは、やはり不本意なことだろう。また、一時の自分の心の乱れにまかせて、むやみな考えをしでかして後、気安くなくなってしまうものの、無理をして忍びを重ねるのも苦労が多いし、女方があれこれ思い悩まれることであろう」
などと、冷静に考えても抑えきれず、今の間も恋しいのは困ったことであった。ぜひとも会わなくては生きていられないように思われなさるのも、重ね重ねどうにもならない恋心であるよ。
5 中の君の物語 中の君、薫の後見に感謝しつつも苦悩す
[5-1 翌朝、薫、中の君に手紙を書く]
昔よりは少し痩せ細って、上品でかわいらしかった様子などは、今離れている気もせず、わが身に添っている感じがして、まったく他の事は考えられなくなっていた。
宇治にたいそう行きたくお思いであったようなのを、「そのように、行かせてあげようか」などと思うが、「どうして宮がお許しになろうか。そうかといって、こっそりとお連れしたのでは、また不都合があろう。どのようにして、人目にも見苦しくなく、思い通りにゆくだろう」と、気も茫然として物思いに耽っていらっしゃった。
まだたいそう朝早くにお手紙がある。いつものように、表面はきっぱりした立文で、
「無駄に歩きました道の露が多いので
昔が思い出されます秋の空模様ですね
お振る舞いの情けないことは、わけの分からないつらさです。申し上げようもありません」
とある。お返事がないのも、女房が、いつもと違うと注意するだろうから、とても苦しいので、
「拝見しました。とても気分が悪くて、お返事申し上げられません」
とだけお書きつけになっているのを、「あまりに言葉が少ないな」と物足りなく思って、美しかったご様子ばかりが恋しく思い出される。
少しは男女の仲をご存知になったのだろうか、あれほどあきれてひどいとお思いになっていたが、一途に厭わしくはなく、たいそう立派にこちらが恥ずかしくなるような感じも加わって、はやり何といってもやさしく言いなだめなどして、お帰りになったときの心づかいを思い出すと、悔しく悲しく、いろいろと心にかかって、侘しく思われる。何事も、昔よりもたいそうたくさん立派になったと思い出される。
「何かまうものか。この宮が離れておしまいになったならば、わたしを頼りとする人になさるにちがいなかろう。そうなったとしても、公然と気安く会うことはできないだろうが、忍ぶ仲ながらまたこの人以上の人はいない、最後の人となるであろう」
などと、ただこのことばかりを、じっと考え続けていらっしゃるのは、よくない心であるよ。あれほど思慮深そうに賢人ぶっていらっしゃるが、男性というものは嫌なものであることよ。亡くなった人のお悲しみは、言ってもはじまらないことで、とてもこうまで苦しいことではなかった。今度のことは、あれこれと思案なさるのであった。
「今日は、宮がお渡りあそばしました」
などと、人が言うのを聞くにつけても、後見人の考えは消えて、胸のつぶれる思いで、羨ましく思われる。
[5-2 匂宮、帰邸して、薫の移り香に不審を抱く]
宮は、何日もご無沙汰しているのは、自分自身でさえ恨めしく思われなさって、急にお渡りになったのであった。
「何とか、心に隔てをおいているようにはお見せ申すまい。山里にと思い立つにつけても、頼りにしている人も、嫌な心がおありだったのだわ」
とお思いになると、世の中がとても身の置き所なく思わずにはいられなくなって、「やはり嫌な身の上であった」と、「ただ死なない間は、生きているのにまかせて、おおらかにしていよう」と思いあきらめて、とてもかわいらしそうに美しく振る舞っていらっしゃるので、ますますいとしく嬉しくお思いになって、何日ものご無沙汰など、この上なくおっしゃる。
お腹も少しふっくらとなっていたので、あのお恥じらいになるしるしの腹帯が結ばれているところなど、たいそういじらしく、まだこのような人を近くに御覧になったことがないので、珍しくまでお思いになっていた。気の置けるところに居続けなさって、万事が、気安く懐かしくお思いになるままに、並々ならぬことを、尽きせず約束なさるのを聞くにつけても、こうして口先ばかり上手なのではないかと、無理なことを迫った方のご様子も思い出されて、長年親切な気持ちと思い続けていたが、このようなことでは、あの方も許せないと思うと、この方の将来の約束は、どうかしら、と思いながらも、少しは耳がとまるのであった。
「それにしても、あきれるくらいに油断させておいて、入って来たことよ。亡くなった姉君と関係なく終わってしまったことなどお話になった気持ちは、なるほど立派であったと、やはり気を許すことはあってはならないのだった」
などと、ますます心配りがされるにつけても、久しくご無沙汰が続きなさることは、とても何となく恐ろしいように思われなさるので、口に出して言わないが、今までよりは、少し引きつけるように振る舞っていらっしゃるのを、宮はますますこの上なくいとしいとお思いになっていらっしゃると、あの方の御移り香が、たいそう深く染みていらっしゃるのが、世の常の香をたきしめたのと違って、はっきりとした薫りなのを、その道の達人でいらっしゃるので、妙だと不審をいだきなさって、どうしたことかと、様子を伺いなさるので、見当外れのことでもないので、言いようもなく困って、ほんとうにつらいとお思いになっていらっしゃるのを、
「そうであったか。きっとそのようなことはあるにちがいない。よもや、平気でいられるはずがない、とずっと思っていたことだ」
とお心が騒ぐのだった。その実、単衣のお召し物類は、脱ぎ替えなさっていたが、不思議と意外にも身にしみついていたのであった。
「こんなに薫っていては、何もかも許したのであろう」
と、すべてに聞きにくくおっしゃり続けるので、情けなくて、身の置き所もない。
「お愛し申し上げているのは格別なのに、捨てられるなら自分から先になどと、このように裏切るのは身分の低い者のすることです。また隔て心をお置きになるほどご無沙汰をしたでしょうか。意外にもつらいお心ですね」
と、何から何まで語り伝えることができないくらい、とてもお気の毒な申し上げようをなさるが、何ともお返事申し上げなさらないのまでが、まことに憎らしくて、
「他の人に親しんだ袖の移り香か
わが身にとって深く恨めしいことだ」
女方は、ひどいおっしゃりようが続くので、何ともお返事できないでいるが、黙っているのもどうかしら、と思って、
「親しみ信頼してきた夫婦の仲も
この程度の薫りで切れてしまうのでしょうか」
と言って、お泣きになる様子が、この上なくかわいそうなのを見るにつけても、「これだからこそ」と、ますますいらいらして、自分もぽろぽろと涙を流しなさるのは、色っぽいお心だこと。ほんとうに大変な過ちがあったとしても、一途には疎みきれない、かわいらしくおいたわしい様子をしていらっしゃるので、最後まで恨むこともおできになれず、途中で言いさしなさっては、その一方ではお宥めすかしなさる。
[5-3 匂宮、中の君の素晴しさを改めて認識]
翌日も、ゆっくりとお起きになって、御手水や、お粥などをこちらの部屋で召し上がる。お部屋飾りなども、あれほど輝くほどの、高麗や、唐土の錦綾を何枚も重ねているのを見た目には、世間普通の気がして、女房たちの姿も、糊気のとれたのが混じったりなどして、たいそうひっそりとした感じに見回される。
女君は、柔らかな薄紫の袿に、撫子の細長を襲着して、寛いでいらっしゃるご様子が、何事もたいそう凛々しく、仰々しいまでに盛りの方の装いが、何かと比較されるが、劣っているようにも思われず、親しみがあり美しいのも、愛情が並々でないために劣るところがないのであろう。まるまるとかわいらしく太った方が、少し細やかになっているが、肌色はますます白くなって、上品で魅力的である。
このような移り香などがはっきりしない時でさえ、愛嬌があってかわいらしいところなどが、やはり誰よりも多くまさってお思いになるので、
「この人を兄弟などでない人が、身近で話を交わして、何かにつけて、自然と声や気配を聞いたり見たりしつけると、どうして平気でいられよう。きっと心を動かすことであろうよ」
と、自分のたいそう気の回るご性分からお思い知られるので、常に気をつけて、「はっきりと分かるような手紙などがあるか」と、近くの御厨子や、唐櫃などのような物までを、さりげない様子をしてお探しになるが、そのような物はない。ただ、たいそうきっぱりした言葉少なで、平凡な手紙などが、わざわざというのではないが、何かと一緒になってあるのを、「妙だ。やはり、とてもこれだけではあるまい」と疑われるので、ますます今日は平気でいられないのも、もっともなことである。
「あの人の様子も、情趣を解する女が、素晴らしいと思うにちがいないので、どうしてか、心外な人と思って放っておこう。ちょうど似合いの二人なので、お互いに思いを交わし合うことだろう」
と想像すると、侘しく腹立たしく悔しいのであった。やはり、とても安心していられなかったので、その日もお出かけになることができない。六条院には、お手紙を二度三度差し上げなさるが、
「いつのまに積もるお言葉なのだろう」
とぶつぶつ言う老女連中もいる。
[5-4 薫、中の君に衣料を贈る]
中納言の君は、このように宮が籠もっておいでになるのを聞くにも、癪に思われるが、
「しかたのないことだ。これは自分の心が馬鹿らしく悪いことだ。安心な後見人としてお世話し始めた方のことを、このように思ってよいことだろうか」
と無理に反省して、「そうは言ってもお捨てにはならないようだ」と、嬉しくもあり、「女房たちの様子などが、やさしい感じに着古した感じのようだ」と思いやりなさって、母宮の御方にお渡りになって、
「適当な出来合いの衣類はございませんか。使いたいことが」
などと申し上げなさると、
「例の、来月の御法事の布施に、白い物はありましょう。染めた物などは、今は特別に置いておかないので、急いで作らせましょう」
とおっしゃるので、
「構いません。仰々しい用事でもございません。ありあわせで結構です」
と言って、御匣殿などにお問い合わせになって、女の装束類を何領もに、細長類も、ありあわせで、染色してない絹や綾などをお揃えになる。ご本人のお召し物と思われるのは、自分のお召し物にあった紅の砧の擣目の美しいものに、幾重もの白い綾など、たくさんお重ねになったが、袴の付属品はなかったので、どういうふうにしたのか、腰紐が一本あったのを、結びつけなさって、
「結んだ契りの相手が違うので
今さらどうして一途に恨んだりしようか」
大輔の君といって、年配の者で、親しそうな者におやりになる。
「とりあえず見苦しい点を、適当にお隠しください」
などとおっしゃって、主人のお召し物は、こっそりとではあるが、箱に入れて包みも格別である。御覧にならないが、以前からも、このようなお心配りは、いつものことで見慣れているので、わざとらしくお返ししたりなど、固辞すべきことでないので、どうしたものかと思案せず、女房たちに配り分けなどしたので、それぞれ縫い物などする。
若い女房たちで、御前近くにお仕えする者などは、特別に着飾らせるつもりなのであろう。下仕え連中が、ひどくよれよれになった姿などに、白い袷などを着て、派手でないのがかえって無難であった。
[5-5 薫、中の君をよく後見す]
誰が、何事をも後見申し上げる人があるだろうか。宮は、並々でない愛情で、「万事不自由がないように」とお考えおきになっているが、こまごまとした内々の事までは、どうしてお考え及ぼう。この上もなく大切にされてこられたのに馴れていらっしゃるので、生活が思うにまかせず心細いことは、どのようなものかともご存知ないのは、もっともなことである。
風流を好みぞくぞくと、心にしみる花の露を賞美して世の中は送るべきものとお考えのこと以外は、愛する人のためなら、自然と季節季節に応じて、実際的なことまでお世話なさるのは、もったいなくもめったにないことなので、「どんなものかしら」などと、非難がましく申し上げる御乳母などもいるのであった。
童女などの、身なりのぱっとしないのが、時々混じったりしているのを、女君は、たいそう恥ずかしく、「かえって立派過ぎて困ったお邸だ」などと、人知れずお思いになることがないわけでないが、まして最近は、世に鳴り響いた方のご様子の華やかさに、一方では、「宮付きの女房が見たり思ったりすることも、見すぼらしいこと」と、お悩みになることも加わって嘆かわしいのを、中納言の君は、実によくご推察申し上げなさるので、親しくない相手だったら、見苦しくごたごたするにちがいない心配りの様子も、軽蔑するというのではないが、「どうして、大げさにいかにも目につくようなのも、かえって疑う人があろうか」と、お思いになるのであった。
今はまた、いつもの無難な贈り物などお整えさせなさって、御小袿を織らせ、綾の素材を下さったりなさった。この君は、宮にもお負けになさらず、特に大事に育てられて、不体裁なまでに気位高くもあり、世の中を悟り澄まして、上品な気持ちはこの上ないけれど、故親王の奥山生活を御覧になって以来、「寂しい所のお気の毒さは格別であった」と、おいたわしく思われなさって、世間一般のこともいろいろと考えるようになり、深い同情を持つようになったのであった。おかわいそうな方の影響だ、とのことである。
[5-6 薫と中の君の、それぞれの苦悩]
「こうして、やはり、何とか安心で分別のある後見人として終えよう」と思うにつけても、意志とは逆に、心にかかって苦しいので、お手紙などを、以前よりはこまやかに書いて、ともすれば、抑えきれない気持ちを見せながら申し上げなさるのを、女君は、たいそうつらいことが加わった身だとお嘆きになる。
「まったく知らない人なら、何と気違いじみていると、体裁の悪い思いをさせ放っておくのも気楽なことだが、昔から特別に信頼して来た人として、今さら仲悪くするのも、かえって人目に変だろう。そうはいってもやはり、浅くはないお気持ちやご好意の、ありがたさを分からないわけでない。そうかといって、相手の気持ちを受け入れたように振る舞うのも、まことに慎まれることだし、どうしたらよいだろう」
と、あれこれとお悩みになる。
伺候する女房たちも、少し相談のしがいのあるはずの若い女房は、みな新しく、見慣れている者としては、あの山里の老女連中である。悩んでいる気持ちを、同じ立場で親しく相談できる人がいないままに、故姫君をお思い出し申し上げない時はない。
「生きていらっしゃったら、この人もこのようなお悩みをお持ちになったろうか」
と、とても悲しく、宮が冷淡におなりになる嘆きよりも、このことがたいそう苦しく思われる。
6 薫の物語 中の君から異母妹の浮舟の存在を聞く
[6-1 薫、二条院の中の君を訪問]
男君も、無理をして困って、いつものように、しっとりした夕方おいでになった。そのまま端にお褥を差し出させなさって、「とても苦しい時でして、お相手申し上げることができません」と、女房を介して申し上げさせなさったのを聞くと、ひどくつらくて、涙が落ちてしまいそうなのを、人目にかくして、無理に紛らわして、
「お悩みでいらっしゃる時は、知らない僧なども近くに参り寄るものですよ。医師などと同じように、御簾の内に伺候することはできませんか。このような人を介してのご挨拶は、効のない気がします」
とおっしゃって、とても不愉快なご様子なのを、先夜お二人の様子を見ていた女房たちは、
「なるほど、とても見苦しくございますようです」
と言って、母屋の御簾を下ろして、夜居の僧の座所にお入れ申すのを、女君は、ほんとうに気分も実に苦しいが、女房がこのように言うので、はっきり拒むのも、またどんなものかしら、と遠慮されるので、嫌な気分ながら少しいざり出て、お会いなさった。
とてもかすかに、時々何かおっしゃるご様子が、亡くなった姫君が病気におなり始めになったころが、まずは思い出されるのも、不吉で悲しくて、まっくらな気持ちにおなりになると、すぐには何も言うことができず、躊躇して申し上げなさる。
この上なく奥のほうにいらっしゃるのがとてもつらくて、御簾の下から几帳を少し押し入れて、いつものように、馴れ馴れしくお近づき寄りなさるのが、とても苦しいので、困ったことだとお思いになって、少将と言った女房を近くに呼び寄せて、
「胸が痛い。暫く押さえていてほしい」
とおっしゃるのを聞いて、
「胸を押さえたら、とても苦しくなるものです」
と溜息をついて、居ずまいを直しなさる時も、なるほど内心穏やかならない気がする。
「どうして、このようにいつもお苦しみでいらっしゃるのだろう。人に尋ねましたら、暫くの間は気分が悪いが、そうしてまた、良くなる時がある、などと教えました。あまりに子供っぽくお振る舞いになっていらっしゃるようです」
とおっしゃると、とても恥ずかしくて、
「胸は、いつとなくこのようでございます。故人もこのようなふうでいらっしゃいました。長生きできない人がかかる病気とか、人も言っているようでございます」
とおっしゃる。「なるほど、誰も千年も生きる松ではないこの世を」と思うと、まことにお気の毒でかわいそうなので、この召し寄せた人が聞くだろうことも憚らず、側で聞くとはらはらするようなことは言わないが、昔からお思い申し上げていた様子などを、あの方一人だけには分かるようにしながら、少将には変に聞こえないように、体裁よくおっしゃるのを、「なるほど、世に稀なお気持ちだ」と聞いているのであった。
[6-2 薫、亡き大君追慕の情を訴える]
どのような事柄につけても、故君の御事をどこまでも思っていらっしゃった。
「幼かったころから、世の中を捨てて一生を終わりたい気持ちばかりを持ち続けていましたが、その結果であったのでしょうか、親密な関係ではないながら並々でない思いをおかけ申すようになった一事で、あの本来の念願は、そうはいっても背いてしまったのだろうか。
慰め程度に、あちらこちらと行きかかずらって、他人の様子を見るにつけても、紛れることがあろうかなど、と思い寄る時々はございましたが、まったく他の女性には気持ちを向けることもございませんでした。
万事困りまして、心惹かれる方も特にいなかったので、好色がましいようにお思いであろうと、恥ずかしいけれど、とんでもない心が、万が一あっては目障りなことでしょうが、ただこの程度のことで、時々思っていることを申し上げたり承ったりなどして、隔意なくお話し交わしなさるのを、誰が咎め立てしましょうか。世間の人と違った心のほどは、みな誰からも非難さるはずはないのでございすから、やはりご安心なさいませ」
などと、恨んだり泣いたりしながら申し上げなさる。
「気がかりにお思い申し上げたら、このように変だと人が見たり思ったりするにちがいないまで申し上げましょうか。長年、あれこれのことにつけて、分かってまいりましたことがございましたので、血縁者でもない後見人に、今ではわたしのほうからお願い申し上げておりますのです」
とおっしゃるので、
「そのような時があったとも覚えておりませんので、まことに利口なこととお考えおいておっしゃるのでしょうか。この山里へのご出立の準備には、かろうじてお召し使わせていただきましょう。それも仰せのように、見込んでくれてこそだと、いい加減には思いません」
などとおっしゃって、やはりたいそうどことなく恨めしそうであるが、聞いている人がいるので、思うままにどうしてお話し続けられようか。
[6-3 薫、故大君に似た人形を望む]
外の方を眺めていると、だんだんと暗くなっていったので、虫の声だけが紛れなくて、築山の方は小暗く、何の区別も見えないので、とてもひっそりとして寄りかかっていらっしゃるのも、厄介だとばかり心の中にはお思いなさる。
「恋しさにも限りがあるので」
などと、こっそりと口ずさんで、
「困り果てております。音無の里を尋ねて行きたいが、あの山里の辺りに、特に寺などはなくても、故人が偲ばれる人形を作ったり、絵にも描いたりして、勤行いたしたいと、存じるようになりました」
とおっしゃると、
「しみじみとした御本願に、また嫌な御手洗川に近い気がする人形は、想像するとお気の毒でございます。黄金を求める絵師がいたらなどと、気がかりでございませんか」
とおっしゃるので、
「そうですよ。その彫刻師も絵師も、どうして心に叶う物ができましょうか。最近に蓮華を降らせた彫刻師もございましたが、そのような変化の人もいてくれたらなあ」
と、あれやこれやと忘れることのない旨を、お嘆きになる様子が、深く思いつめているようなのもお気の毒で、もう少し近くにいざり寄って、
「人形のついでに、とても不思議と思いもつかないことを、思い出しました」
とおっしゃる感じが、少しやさしいのもとても、嬉しくありがたくて、
「どのようなことですか」
と言いながら、几帳の下から手をお掴みになると、とてもわずらわしく思われるが、「何とかして、このような心をやめさせて、穏やかな交際をしたい」と思うので、この近くにいる少将の君の思うことも困るので、さりげなく振る舞っていらっしゃった。
[6-4 中の君、異母妹の浮舟を語る]
「今までは、この世にいるとも知らなかった人が、今年の夏頃、遠い所から出てきて尋ねて来たのですが、よそよそしくは思うことのできない人ですが、また急に、そのようにどうして親しくすることもあるまい、と思っておりましたが、最近来た時は、不思議なまでに、故人のご様子に似ていたので、しみじみと胸を打たれました。
形見などと、あのようにお考えになりおっしゃるようなのは、かえって何もかも、あきれるくらい似ていないようだと、知っている女房たちは言っておりましたが、とてもそうでもないはずの人が、どうして、そんなに似ているのでしょう」
とおっしゃるのを、夢語りか、とまで聞く。
「そのような因縁があればこそ、そのようにもお親しみ申すのでしょう。どうして今まで、少しも話してくださらなかったのですか」
とおっしゃると、
「さあ、その理由も、どのようなことであったかも分かりません。頼りなさそうな状態で、この世に落ちぶれさすらうことだろうこと、とばかり、不安そうにお思いであったことを、ただ一人で何から何まで経験させられますので、またつまらないことまでが加わって、人が聞き伝えることも、とてもお気の毒なことでしょう」
とおっしゃる様子を見ると、「宮が密かに情けをおかけになった女が、子を生んでおいたのだろう」と理解した。
似ているとおっしゃる縁者に耳がとまって、
「それだけでは。同じことなら最後までおっしゃってください」
と、聞きたがりなさるが、やはり何といっても憚られて、詳細を申し上げることはおできになれない。
「尋ねたいと思いなさるお気持ちでしたら、どこそこと申し上げましょうが、詳しいことは分かりませんよ。また、あまり言ったら、期待外れもしましょうから」
とおっしゃるので、
「男女の仲を、海の中までも、魂のありかを求めては、思う存分進んで行きましょうが、とてもそこまでは思うことはないが、とてもこのように慰めようのないのよりは、と存じます人形の願いぐらいには、どうして、山里の本尊に対しても思ってはいけないのでしょうか。やはり、はっきりおっしゃってください」
と、急にお責め申し上げなさる。
「さあ、父宮のお許しもなかったことを、こんなにまでお洩らし申し上げるのも、とても口が軽いが、変化の彫刻師をお探しになるお気の毒さに、こんなにまで」と言って、「とても遠い所に長年過ごしていたが、母である人が遺憾に思って、無理に尋ねて来たのですが、体裁悪くもお返事できずにおりましたところ、参ったのです。ちらっと会ったためにか、何事も想像していたよりは見苦しくなく見えました。この娘をどのように扱おうかと困っていたようでしたが、仏になるのは、まことにこの上ないことでありましょうが、そこまではどうかしら」
などと申し上げなさる。
[6-5 薫、なお中の君を恋慕す]
「何気なくて、このようにうるさい心を何とか言ってやめさせる方法もないものか、と思っていらっしゃる」と見るのはつらいけれど、やはり心動かされる。あってはならないこととは深く思っていらしゃるものの、あからさまに体裁の悪い扱いは、おできになれないのを、「ご存知でいらっしゃるのだ」と思うと胸がどきどきして、夜もたいそう更けてゆくのを、御簾の内側では人目がたいそう具合が悪く思われなさって、すきを見て、奥にお入りになってしまったので、男君は、道理とは繰り返し思うが、やはりまことに恨めしく口惜しいので、思い静める方もない気がして、涙がこぼれるのも体裁が悪いので、あれこれと思い乱れるが、一途に軽率な振る舞いをしたら、またやはりとても嫌な、自分にとってもよくないことなので、思い返して、いつもより嘆きがちにお出になった。
「こうばかり思っていては、どうしたらよいだろう。苦しいことだろうなあ。何とかして、世間一般からは非難されないようにして、しかも思う気持ちが叶うことができようか」
などと、自ら経験していない人柄からであろうか、自分のためにも相手のためにも、心穏やかでないことを、むやみに悩み明かすと、「似ているとおっしゃった人も、どうして本当かどうか見ることができよう。その程度の身分なので、思いよるに難しくはないが、相手が願いどおりでなかったら、やっかいなことであろう」などと、やはりそちらの方には気が向かない。
7 薫の物語 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く
[7-1 9月20日過ぎ、薫、宇治を訪れる]
宇治の宮邸を久しく訪問なさらないころは、ますます故人の面影が遠くなった気がして、何となく心細いので、九月二十日過ぎ頃にいらっしゃった。
ますます風が吹き払って、ぞっとするほど荒々しい水の音ばかりが宿守で、人影も特に見えない。見ると、まっさきに真暗になり、悲しいことばかりが限りない。弁の尼を呼び出すと、襖障子の口に、青鈍の几帳をさし出して参った。
「とても恐れ多いことが、以前以上にとても醜くございますので、憚られまして」
と、直接には出てこない。
「どのように物思いされていることだろうと想像すると、同じ気持ちの人もいない話を申し上げようと思って来ました。とりとめもなく過ぎ去ってゆく歳月ですね」
と言って、涙を目にいっぱい浮かべていらっしゃると、老女はますますそれ以上に涙をとどめることができない。
「妹宮の事で、なさらなくてもよいご心配をなさったころと同じ季節だ、と思い出しますと、常に悲しい季節の中でも、秋の風は身にしみてつらく思われまして、なるほどあの方がご心配になったとおりの夫婦仲のご様子を、ちらっと耳にいたしますのも、それぞれにお気の毒で」
と申し上げると、
「ああなったこともこうなったことも、長生きをすると、良くなるようなこともあるので、つまらないことと思いつめていらしたのは、自分の過失であったように、やはり悲しい。最近のご様子は、どうして、それこそ世の常のことです。けれど、不安そうにはお見え申さないようだ。言っても言っても効ない、むなしい空に昇ってしまった煙だけは、誰も逃れることはできない運命ながらも、後になったり先立ったりする間は、やはり何とも言いようのないことです」
と言って、またお泣きになる。
[7-2 薫、宇治の阿闍梨と面談す]
阿闍梨を呼んで、いつものように、故姫君の御命日のお経や仏像のことなどをおっしゃる。
「ところで、ここに時々参るにつけても、しかたのないことがいつまでも思い出されるのが、とてもつまらないことなので、この寝殿を壊して、あの山寺の傍らにお堂を建てよう、と思うが、同じことなら早く始めたい」
とおっしゃって、お堂を幾塔、渡廊の類や、僧坊などを、必要なことを書き出したりおっしゃったりおさせになるので、
「まことにご立派な功徳だ」
とお教え申す。
「故人が、風流なお住まいとしてお造りになった所を、取り壊すのは、薄情なようだが、宮のお気持ちも功徳を積むことを望んでいらっしゃったようだが、後にお残りになる姫君たちをお思いやって、そのようにはおできになれなかったのではなかろうか。
今は、兵部卿宮の北の方が、所有していらっしゃるはずですから、あの宮のご料地と言ってもよいようになっている。だから、ここをそのまま寺にすることは、不都合であろう。思いどおりにすることはできない。場所柄もあまりに川岸に近くて、人目にもつくので、やはり寝殿を壊して、別の所に造り変える考えです」
とおっしゃるので、
「あれやこれやと、まことに立派な尊いお心です。昔、別れを悲しんで、骨を包んで幾年も頚に懸けておりました人も、仏の方便で、あの骨の袋を捨てて、とうとう仏の道に入ったのでした。この寝殿を御覧になるにつけても、お心がお動きになりますのは、一つには良くないことです。また、来世への勧めともなるものでございます。急いでお仕え申しましょう。暦の博士に相談申して吉日を承って、建築に詳しい工匠を二、三人賜って、こまごまとしたことは、仏のお教えに従ってお仕えさせ申しましょう」
と申す。あれこれとおっしゃり決めて、ご荘園の人びとを呼んで、この度のことや、阿闍梨の言うとおりにするべきことなどをお命じになる。いつの間にか日が暮れたので、その夜はお泊まりになった。
[7-3 薫、弁の尼と語る]
「今回こそは見よう」とお思いになって、立ってぐるりと御覧になると、仏像もすべてあのお寺に移してしまったので、尼君の勤行の道具だけがある。たいそう頼りなさそうに住んでいるのを、しみじみと、「どのようにして暮らしているのだろう」と御覧になる。
「この寝殿は、造り変えることになりました。完成するまで、あちらの渡廊に住まいなさい。京の宮邸にお移ししたらよい物があったら、荘園の人を呼んで、適当にはからってください」
などと、事務的なことを相談なさる。他では、これほど年とった者を、何かとお世話なさるはずもないが、夜も近くに寝させて、昔話などをおさせになる。故大納言の君のご様子を、聞く人もないので気安くて、たいそう詳細に申し上げる。
「ご臨終となった時に、お生まれになったばかりのご様子を、御覧になりたくお思いになっていたご様子などが思い出されると、このように思いもかけませんでした晩年に、こうしてお目にかかれますのは、ご生前に親しくお仕え申した効が自然と現れたのでしょうと、嬉しくも悲しくも存じられます。情けない長生きで、さまざまなことを拝見してき、理解してまいりましたが、とても恥ずかしくつらく思っております。
宮からも、時々は参上してお会い申せ、すっかりご無沙汰しているのは、まるきり他人のようだなどと、おっしゃっる時々がございますが、忌まわしい身の上で、阿彌陀仏の以外には、お目にかかりたい人はなくなっております」
などと申し上げる。故姫君の御事を、尽きせず、長年のご様子などを話して、何の時に何とおっしゃり、桜や紅葉の美しさを見ても、ちょっとお詠みになった歌の話などを、この場にふさわしく、震え声であったが、おっとりして言葉数少なかったが、風雅であった姫君のご性質であったなあとばかり、ますますお聞きしてお思いになる。
「宮の御方は、もう少し華やかだが、心を許さない男性に対しては、体裁の悪い思いをさせなさるようであったが、わたしにはとても思慮深く情愛があるように見えて、何とかこのまま付き合って行きたい、とお思いのようであった」
などと、心の中で比較なさる。
[7-4 薫、浮舟の件を弁の尼に尋ねる]
そうして、何かのきっかけで、あの形代のことを言い出しなさった。
「京に、近ごろ、おりますかどうかは存じません。人づてにお聞きしたことの話でしょう。故宮が、まだこのような山里生活もなさらず、故北の方がお亡くなりになって間近かったころ、中将の君と言ってお仕えしていた上臈で、気立てなども悪くはなかったが、たいそうこっそりと、ちょっと情けをお交わしになったが、知る人もございませんでしたが、女の子を産みましたのを、あるいはご自分のお子であろうか、とお思いになることがありましたので、つまらなく厄介で嫌なようにお思いになって、二度とお逢いになることもありませんでした。
つまらなくそのことにお懲りになって、そのままだいたい聖におなりあそばしたので、とりつくしまもなく思って、宮仕えをやめてしまったが、陸奥国の守の妻となったところ、先年上京して、その姫君も無事でいらっしゃる旨を、ここにもちらっと申して来ましたが、お聞きつけになって、全然そのような挨拶は無関係であると無視なさったので、その効なく嘆いていました。
そうして再び、常陸の国司になって下りましたが、ここ数年、何ともおっしゃってきませんでしたが、この春上京して、あちらの宮には尋ねて参ったと、かすかに聞きました。
あの君の年齢は、二十歳くらいにおなりになったでしょう。とてもかわいらしくお育ちになったのがいとおしいなどと、近頃は、手紙にまで書き綴ってございましたとか」
と申し上げる。
詳しく聞き知りなさって、「それでは、ほんとうであったのだ。会ってみたいものだ」と思う気持ちが出てきた。
「故姫君のご様子に、少しでも似ているような人は、知らない国までも探し求めたい気持ちであるが、お子とお認めにならなかったが、姉妹であるのだ。わざわざというのでなくても、この近辺に便りを寄せる機会があった時には、こう言っていた、とお伝えください」
などとだけおっしゃっておく。
「母君は、故北の方の姪です。弁も縁続きの間柄でございますが、その当時は別の所におりまして、詳しくは存じませんでした。
最近、京から、大輔のもとから申してよこしたことには、あの姫君が、何とか父宮のお墓にだけでも詣でたいと、おっしゃっているという、そのようなおつもりでいなさい、などとございましたが、まだここには、特に便りはないようです。今、そうなったら、そのような機会に、この仰せ言を伝えましょう」
と申し上げる。
[7-5 薫、二条院の中の君に宇治訪問の報告]
夜が明けたのでお帰りになろうとして、昨夜、供人が後れて持ってまいった絹や綿などのような物を、阿闍梨に贈らせなさる。尼君にもお与えになる。法師たちや、尼君の下仕え連中の料として、布などという物までを、呼んでお与えになる。心細い生活であるが、このようなお見舞いが引き続きあるので、身分に比較してたいそう無難で、ひっそりと勤行しているのであった。
木枯しが堪え難いまでに吹き抜けるので、梢の葉も残らず散って敷きつめた紅葉を、踏み分けた跡も見えないのを見渡して、すぐにはお出になれない。たいそう風情ある深山木にからみついている蔦の色がまだ残っていた。せめてこの蔦だけでもと少し引き取らせなさって、宮へとお思いらしく、持たせなさる。
「宿木の昔泊まった家と思い出さなかったら
木の下の旅寝もどんなにか寂しかったことでしょう」
と独り言をおっしゃるのを聞いて、尼君、
「荒れ果てた朽木のもとを昔の泊まった家と
思っていてくださるのが悲しいことです」
どこまでも古風であるが、教養がなくはないのを、わずかの慰めとお思いになった。
宮に紅葉を差し上げなさると、夫宮がいらっしゃるところだった。
「南の宮邸から」
と言って、何の気なしに持って参ったのを、女君は、「いつものようにうるさいことを言ってきたらどうしようか」と苦しくお思いになるが、どうして隠すことができようか。宮は、
「美しい蔦ですね」
と、穏やかならずおっしゃって、呼び寄せて御覧になる。お手紙には、
「このごろは、いかがお過ごしでしょうか。山里に参りまして、ますます峰の朝霧に迷いましたお話も、お目にかかって。あちらの寝殿を、お堂に造ることを、阿闍梨に命じました。お許しを得てから、他の場所に移すこともいたしましょう。弁の尼に、しかるべきお指図をなさってください」
などとある。
「よくもまあ、平静をよそおってお書きになった手紙だな。自分がいると聞いたのだろう」
とおっしゃるのも、少しは、なるほどそうであったであろう。女君は、特別に何も書いてないのを嬉しいとお思いになるが、むやみにこのようにおっしゃるのを、困ったことだとお思いになって、恨んでいらっしゃるご様子は、すべての欠点も許したくなるような美しさである。
「お返事をお書きなさい。見ないでいますよ」
と、よそをお向きになった。甘えて書かないのも変なので、
「山里へのご外出が羨ましゅうございます。あちらでは、おっしゃるとおりにするのがよい、と存じておりましたが、特別にまた山奥に住処を求めるよりは、荒らしきってしまいたくなく思っておりますので、どのようにでも適当な状態になさってくれたら、ありがたく存じます」
と申し上げなさる。「このように憎い様子もないご交際のようだ」と御覧になる一方で、自分のご性質から、ただではあるまいとお思いになるのが、落ち着いてもいられないのであろう。
[7-6 匂宮、中の君の前で琵琶を弾く]
枯れ枯れになった前栽の中に、尾花が、他の草とは違って手を差し出して招いているのが面白く見えるので、まだ穂に出かかったのも、露を貫き止める玉の緒は、頼りなさそうに靡いているのなど、普通のことであるが、夕方の風がやはりしみじみと感じられるころなのであろう。
「外に現さないないが、物思いをしているらしいですね
篠薄が招くので、袂の露がいっぱいですね」
着なれたお召し物類に、お直衣だけをお召しになって、琵琶を弾いていらっしゃった。黄鐘調の合奏を、たいそうしみじみとお弾きになるので、女君も嗜んでいらっしゃるので、物恨みもなさらずに、小さい御几帳の端から、脇息に寄り掛かって、わずかにお出しになった顔は、まことにもっと見たいほどかわいらしい。
「秋が終わる野辺の景色も
篠薄がわずかに揺れている風によって知られます
自分一人の秋ではありませんが」
と言って自然と涙ぐまれるが、そうはいっても恥ずかしいので、扇で隠していらっしゃる心中も、かわいらしく想像されるが、「こうだからこそ、相手も諦められないのだろう」と、疑わしいのが普通でなく、恨めしいようである。
菊が、まだすっかり変色もしないで、特につくろわせなさっているのは、かえって遅いのに、どのような一本であろうか、たいそう見所があって変色しているのを、特別に折らせなさって、
「花の中で特別に」
と口ずさみなさって、
「何某の親王が、この花を賞美した夕方です。昔、天人が飛翔して、琵琶の曲を教えたのは。何事も浅薄になった世の中は、嫌なことだ」
と言って、お琴をお置きになるのを、残念だとお思いになって、
「心は浅くなったでしょうが、昔から伝えられたことまでは、どうしてそのようなことがありましょうか」
と言って、まだよく知らない曲などを聞きたくお思いになっているので、
「それならば、一人で弾く琴は寂しいから、お相手なさい」
と言って、女房を呼んで、箏の琴を取り寄せさせて、お弾かせ申し上げなさるが、
「昔なら、習う人もいらっしゃったが、ちゃんと習得もせずになってしまいましたものを」
と、遠慮深そうにして手もお触れにならないので、
「これくらいのことも、心置いていらっしゃるのが情けない。近頃、結婚した人は、まだたいして心打ち解けるようになっていませんが、まだ未熟な習い事をも隠さずにいます。総じて女性というものは、柔らかで心が素直なのが良いことだと、あの中納言も決めているようです。あの君には、また、このようにはお隠しになるまい。この上なく親密な仲のようなので」
などと、本気になって恨み事を言われたので、溜息をついて少しお弾きになる。絃が緩めてあったので、盤渉調に合わせなさなさる。合奏などの、爪音が美しく聞こえる。「伊勢の海」をお謡いになるお声が上品で美しいのを、女房たちが、物の背後に近寄って、にっこりして座っていた。
「二心がおありなのはつらいけれども、それも仕方のないことなので、やはりわたしのご主人を、幸福人と申し上げましょう。このようなご様子でお付き合いなされそうにもなかった所のご生活を、また宇治に帰りたそうにお思いになって、おっしゃるのは、とても情けない」
などと、ずけずけと言うので、若い女房たちは、
「おだまり」
などと止める。
[7-7 夕霧、匂宮を強引に六条院へ迎え取る]
いろいろのお琴をお教え申し上げなどして、三、四日籠もっておいでになって、御物忌などにかこつけなさるのを、あちらの殿におかれては恨めしくお思いになって、大臣は、宮中からお出になってそのまま、こちらに参上なさったので、宮は、
「仰々しい様子をして、何のためにいらっしゃったのだろう」
と、不快にお思いになるが、寝殿にお渡りになって、お会いなさる。
「特別なことがない間は、この院を見ないで長くなりましたのも、しみじみと感慨深い」
などと、昔のいろいろなお話を少し申し上げなさって、そのままお連れ申し上げなさってお出になった。ご子息の殿方や、その他の上達部、殿上人なども、たいそう大勢引き連れていらっしゃる威勢が、大変なのを見ると、並びようもないのが、がっかりした。女房たちが覗いて拝見して、
「まあ、美しくいらっしゃる大臣ですこと。あれほど、どなたも皆、若く男盛りで美しくいらっしゃるご子息たちで、似ていらっしゃる方もありませんね。何と、立派なこと」
という者もいる。また、
「あれほど重々しいご様子で、わざわざお迎えに参上なさるのは憎らしい。安心できないご夫婦仲ですこと」
などと、嘆息する者もいるようだ。ご自身も、過去を思い出すのをはじめとして、あのはなやかなご夫婦の生活に肩を並べやってゆけそうにもなく、存在感の薄い身の上をと、ますます心細いので、「やはり気楽に山里に籠もっているのが無難であろう」などと、ますます思われなさる。とりとめもなく年が暮れた。
8 薫の物語 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁
[8-1 新年、薫権大納言右大将に昇進]
正月晦日方から、ふだんと違ってお苦しみになるのを、宮は、まだご経験のないことなので、どうなることだろうと、お嘆きになって、御修法などを、あちこちの寺にたくさんおさせになるが、またまたお加え始めさせなさる。たいそうひどく患いなさるので、后の宮からもお見舞いがある。
結婚して三年になったが、お一方のお気持ちは並々でないが、世間一般に対しては、重々しくおもてなし申し上げなさらなかったので、この時に、どこもかしこもお聞きになって驚いて、お見舞い申し上げになるのであった。
中納言の君は、宮がお騷ぎになるのに負けず、どうおなりになることだろうかとご心配になって、お気の毒に気がかりにお思いになるが、一通りのお見舞いはするが、あまり参上することはできないので、こっそりとご祈祷などをおさせになるのだった。
その一方では、女二の宮の御裳着が、ちょうどこのころとなって、世間で大評判となっている。万事が、帝のお心一つみたいに御準備なさるので、御後見がいないのも、かえって立派に見えるのであった。
女御が生前に準備しておかれたことはいうまでもなく、作物所や、しかるべき受領連中などが、それぞれにお仕え申し上げることは、とても際限がない。
そのままその時から、通い始めさせなさることになっていたので、男の方も気をおつかいになるころであるが、例の性格なので、その方面には気が進まず、このご懐妊のことばかりお気の毒に嘆かずにいられない。
二月の初めころに、直物とかいうことで、権大納言におなりになって、右大将を兼官なさった。右の大殿が、左大将でいらっしゃったが、お辞めになったものであった。
お礼言上に諸所をお回りになって、こちらの宮にも参上なさった。たいそう苦しそうでいらっしゃるので、こちらにいらっしゃるときであったので、そのまま参上なさった。僧などが伺候していて不都合なところで、と驚きなさって、派手なお直衣に、御下襲などをお召し替えになって、身づくろいなさって、下りて拝舞の礼をなさるお二方のお姿は、それぞれに立派で、
「このまま今晩、近衛府の人に禄を与える宴会の所にどうぞ」
と、お招き申し上げなさるが、お具合の悪い人のために、躊躇なさっているようである。右大臣殿がなさった例に従ってと、六条院で催されるのであった。
お相伴の親王方や上達部たちは、大饗に負けないほど、あまり騒がし過ぎるほど参集なさった。この宮もお渡りになって、落ち着いていられないので、まだ宴会が終わらないうちに急いでお帰りになったのを、大殿の御方では、
「とても物足りなく癪にさわる」
とおっしゃる。負けるほどでもないご身分なのを、ただ今の威勢が立派なのにおごって、いばっていらっしゃるのであろうよ。
[8-2 中の君に男子誕生]
やっとのこと、その早朝に、男の子でお生まれになったのを、宮もたいそうその効あって嬉しくお思いになった。大将殿も、昇進の喜びに加えて、嬉しくお思いになる。昨夜おいでになったお礼言上に、そのまま、このお祝いを合わせて、立ったままで参上なさった。こうして籠もっていらっしゃるので、お祝いに参上しない人はいない。
御産養は、三日は、例によってただ宮の私的祝い事として、五日の夜は、大将殿から屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは、普通通りにして、子持ちの御前の衝重三十、稚児の御産着五重襲に、御襁褓などは、仰々しくないようにこっそりとなさったが、詳細に見ると、特別に珍しい趣向が凝らしてあったのであった。
宮の御前にも浅香の折敷や、高坏類に、粉熟を差し上げなさった。女房の御前には、衝重はもちろんのこと、桧破子三十、いろいろと手を尽くしたご馳走類がある。人目につくような大げさには、わざとなさらない。
七日の夜は、后の宮の御産養なので、参上なさる人びとが多い。中宮大夫をはじめとして、殿上人、上達部が、数知れず参上なさった。主上におかれてもお耳にあそばして、
「宮がはじめて一人前におなりになったというのに、どうして放っておけようか」
と仰せになって、御佩刀を差し上げなさった。
九日も、大殿からお世話申し上げなさった。おもしろくなくお思いになるところだが、宮がお思いになることもあるので、ご子息の公達が参上なさって、万事につけたいそう心配事もなさそうにおめでたいので、ご自身でも、ここ幾月も物思いによって気分が悪いのにつけても、心細くお思い続けていたが、このように面目がましいはなやかな事が多いので、少し慰みなさったことであろうか。
大将殿は、「このようにすっかり大人になってしまわれたので、ますます自分のほうには縁遠くなってしまうだろう。また、宮のお気持ちもけっして並々ではあるまい」と思うのは残念であるが、また、初めからの心づもりを考えてみると、たいそう嬉しくもある。
[8-3 2月20日過ぎ、女二の宮、薫に降嫁す]
こうして、その月の二十日過ぎに、藤壷の宮の御裳着の儀式があって、翌日、大将が参上なさった。その夜のことは内々のことである。世間に評判なほど大切にかしずかれた姫宮なのに、臣下がご結婚申し上げなさるのは、やはり物足りなくお気の毒に見える。
「そのようなお許しはあったとしても、ただ今、このようにお急ぎあそばすことでもあるまい」
と、非難がましく思いおっしゃる人もいるのだったが、ご決意なさったことを、すらすらとなさるご性格なので、過去に例がないほど同じことならお扱いなさろうと、お考えおいたようである。帝の御婿になる人は、昔も今も多いが、このように全盛の御世に、臣下のように、婿を急いでお迎えなさる例は少なかったのではなかろうか。右大臣も、
「珍しいご信任、運勢だ。故院でさえ、朱雀院の晩年におなりあそばして、今は出家されようとなさった時に、あの母宮を頂戴なさったのだ。自分はまして、誰も許さなかったのを拾ったものだ」
とおっしゃり出すので、宮は、その通りとお思いになると、恥ずかしくてお返事もおできになれない。
三日の夜は、大蔵卿をはじめとして、あの御方のお世話役をなさっていた人びとや、家司にご命令なさって、人目に立たないようにではあるが、婿殿の御前駆や随身、車副、舎人まで禄をお与えになる。その時の事柄は、私事のようであった。
こうして後は、忍び忍びに参上なさる。心の中では、やはり忘れることのできない故人のことばかりが思われて、昼は実邸に起き臥し物思いの生活をして、暮れると気の進まないままに急いで参内なさるのを、なれない気持ちには億劫で苦しくて、「ご退出させ申し上げよう」とお考えになったのであった。
母宮は、とても嬉しいこととお思いになっていらっしゃった。お住まいになっている寝殿をお譲り申し上げようとおっしゃるが、
「まことに恐れ多いことです」
と言って、御念誦堂との間に、渡廊を続けてお造らせになる。西面にお移りになるようである。東の対なども、焼失して後は、立派に新しく理想的なのを、ますます磨き加え加えして、こまごまとしつらわせなさる。
このようなお心づかいを、帝におかせられてもお耳にあそばして、月日も経ずに気安く引き取られなさるのを、どんなものかとお思いであった。帝と申し上げても、子を思う心の闇は同じことでおありだった。
母宮の御もとに、お使いがあったお手紙にも、ただこのことばかりを申し上げなさった。故朱雀院が、特別に、この尼宮の御事をお頼み申し上げていたので、このように出家なさっているが、衰えず、何事も昔通りで、奏上させなさることなどは、必ずお聞き入れなさって、お心配りが深いのであった。
このように、重々しいお二方に、互いにこの上なく大切にされていらっしゃる面目も、どのようなものであろうか、心中では特に嬉しくも思われず、やはり、ともすれば物思いに耽りながら、宇治の寺の造営を急がせなさる。
[8-4 中の君の男御子、五十日の祝い]
宮の若君が五十日におなりになる日を数えて、その餅の準備を熱心にして、籠物や桧破子などまで御覧になりながら、世間一般の平凡なものにはしまいとお考え向きになって、沈、紫檀、銀、黄金など、それぞれの専門の工匠をたいそう大勢呼び集めさせなさるので、自分こそは負けまいと、いろいろのものを作り出すようである。
ご自身も、いつものように、宮がいらっしゃらない間においでになった。気のせいであろうか、もう一段と重々しく立派な感じが加わったと見える。「今は、そうはいっても、わずらわしかった懸想事などは忘れなさったろう」と思うと、安心なので、お会いなさった。けれど、以前のままの様子で、まっさきに涙ぐんで、
「気の進まない結婚は、たいそう心外なものだと、世の中を思い悩みますことは、今まで以上です」
と、何の遠慮もなく訴えなさる。
「まあ何というお事を。他人が自然と漏れ聞いたら大変ですよ」
などとおっしゃるが、これほどめでたい幾つものことにも心が晴れず、「忘れがたく思っていらっしゃるのだろう愛情の深さは」としみじみお察し申し上げなさると、並々でない愛情だとお分かりになる。「生きていらっしゃったら」と、残念にお思い出し申し上げなさるが、「そうしても、自分と同じようになって、姉妹で恨みっこなしに恨むのがおちであろう。何事も、落ちぶれた身の上では、一人前らしいこともありえないのだ」と思われると、ますます、姉君の結婚しないで通そうと思っていらっしゃった考えは、やはり、とても重々しく思い出されなさる。
[8-5 薫、中の君の若君を見る]
若君を切に拝見したがりなさるので、恥ずかしいけれど、「どうしてよそよそしくしていられよう、無理なこと一つで恨まれるより以外には、何とかこの人のお心に背くまい」と思うので、ご自身はあれこれお答え申し上げなさらないで、乳母を介して差し出させなさった。
当然のことながら、どうして憎らしいところがあろう。不吉なまでに白くかわいらしくて、大きい声で何か言っており、にっこりなどなさる顔を見ると、自分の子として見ていたく羨ましいのも、この世を離れにくくなったのであろうか。けれど、「亡くなってしまった方が、普通に結婚して、このようなお子を残しておいて下さったら」とばかり思われて、最近面目をほどこすあたりには、はやく子ができないかなどとは考えもつかないのは、あまり仕方のないこの君のお心のようだ。このように女々しくひねくれて、語り伝えるのもお気の毒である。
そんなによくない方を、帝が特別お側にお置きになって、親しみなさることもあるまいに、「生活面でのご思慮などは、無難でいらっしゃったのだろう」と推量すべきであろう。
なるほど、まことにこのように幼い子をお見せなさるのもありがたいことなので、いつもよりはお話などをこまやかに申し上げなさるうちに、日も暮れたので、気楽に夜を更かすわけにもゆかないのを、つらく思われるので、嘆息しながらお出になった。
「結構なお匂いの方ですこと。梅を折ったなら、とか言うように、鴬も求めて来ましょうね」
などと、やっかいがる若い女房もいる。
[8-6 藤壷にて藤の花の宴催される]
「夏になったら、三条宮邸は宮中から塞がった方角になろう」と判定して、四月初めころの、節分とかいうことは、まだのうちにお移し申し上げなさる。
明日引っ越しという日に、藤壷に主上がお渡りあそばして、藤の花の宴をお催しあそばす。南の廂の御簾を上げて、椅子を立ててある。公の催事で、主人の宮がお催しなさることではない。上達部や、殿上人の饗応などは、内蔵寮からご奉仕した。
右大臣や、按察大納言、藤中納言、左兵衛督。親王方では、三の宮、常陸宮などが伺候なさる。南の庭の藤の花の下に、殿上人の座席は設けた。後涼殿の東に、楽所の人びとを召して、暮れ行くころに、双調に吹いて、主上の御遊に、宮の御方から、絃楽器や管楽器などをお出させなさったので、大臣をおはじめ申して、御前に取り次いで差し上げなさる。
故六条院がご自身でお書きになって、入道の宮に差し上げなさった琴の譜二巻、五葉の枝に付けたのを、大臣がお取りになって奏上なさる。
次々に、箏のお琴、琵琶、和琴など、朱雀院の物であった。笛は、あの夢で伝えた故人の形見のを、「二つとない素晴らしい音色だ」とお誉めあそばしたので、「今回の善美を尽くした宴の他に、再びいつ名誉なことがあろうか」とお思いになって、取り出しなさったようだ。
大臣に和琴、三の宮に琵琶など、それぞれにお与えになる。大将のお笛は、今日は、またとない音色の限りをお立てになったのだった。殿上人の中にも、唱歌に堪能な人たちは、召し出して、風雅に合奏する。
宮の御方から、粉熟を差し上げなさった。沈の折敷四つ、紫檀の高坏、藤の村濃の打敷に、折枝を縫ってある。銀の容器、瑠璃のお盃、瓶子は紺瑠璃である。兵衛督が、お給仕をお勤めなさる。
お盃をいただきなさる時に、大臣は、自分だけしきりにいただくのは不都合であろう、宮様方の中には、またそのような方もいらっしゃらないので、大将にお譲り申し上げなさるのを、遠慮してご辞退申し上げなさるが、帝の御意向もどうあったのだろうか、お盃を捧げて、「おし」とおっしゃる声や態度までが、いつもの公事であるが、他の人と違って見えるのも、今日はますます帝の婿君と思って見るせいであろうか。さし返しの盃にいただいて、庭に下りて拝舞なさるところは、実にまたとない。
上席の親王方や、大臣などが戴きなさるのでさえめでたいことなのに、これはそれ以上に帝の婿君としてもてはやされ申されていらっしゃる、その御信任が、並々でなく例のないことだが、身分に限度があるので、下の座席にお帰りになってお座りになるところは、お気の毒なまでに見えた。
[8-7 女二の宮、三条宮邸に渡御す]
按察使大納言は、「自分こそはこのような目に会いたい思ったが、妬ましいことだ」と思っていらっしゃった。この宮の御母女御を、昔、思いをお懸け申し上げていらっしゃったが、入内なさった後も、やはり思いが離れないふうにお手紙を差し上げたりなさって、終いには宮を得たいとの考えがあったので、ご後見を希望する様子をお漏らし申し上げたが、お聞き入れさえなさらなかったので、たいそう悔しく思って、
「人柄は、なるほど前世の因縁による格別の生まれであろうが、どうして、時の帝が大仰なまでに婿を大切になさることだろう。他に例はないだろう。宮中の内で、お常御殿に近い所に、臣下が寛いで出入りして、最後は宴や何やとちやほやされることよ」
などと、ひどく悪口をぶつぶつ申し上げなさったが、やはり盛儀を見たかったので、参内して、心中では腹を立てていらっしゃるのだった。
紙燭を灯して何首もの和歌を献上する。文台のもとに寄りながら置く時の態度は、それぞれ得意顔であったが、例によって、「どんなにかおかしげで古めかしかったろう」と想像されるので、むやみに全部は探して書かない。上等の部も、身分が高いからといって、詠みぶりは、格別なことは見えないようだが、しるしばかりにと思って、一、二首聞いておいた。この歌は、大将の君が、庭に下りて帝の冠に挿す藤の花を折って参上なさった時のものとか。
「帝の插頭に折ろうとして藤の花を
わたしの及ばない袖にかけてしまいました」
いい気になっているのが、憎らしいこと。
「万世を変わらず咲き匂う花であるから
今日も見飽きない花の色として見ます」
「主君のため折った插頭の花は
紫の雲にも劣らない花の様子です」
「世間一般の花の色とも見えません
宮中まで立ち上った藤の花は」
「これがこの腹を立てた大納言のであった」と見える。一部は、聞き違いであったかも知れない。このように、格別に風雅な点もない歌ばかりであった。
夜の更けるにしたがって、管弦の御遊はたいそう興趣深い。大将の君が、「安名尊」を謡いなさった声は、この上なく素晴しかった。按察使大納言も、若い時にすぐれていらっしゃったお声が残っていて、今でもたいそう堂々としていて、合唱なさった。右の大殿の七郎君が、子供で笙の笛を吹く。たいそうかわいらしかったので、御衣を御下賜になる。大臣が庭に下りて拝舞なさる。
暁が近くなってお帰りあそばした。禄などを、上達部や、親王方には、主上から御下賜になる。殿上人や、楽所の人びとには、宮の御方から身分に応じてお与えになった。
その夜に、宮をご退出させなさった。その儀式はまことに格別である。主上つきの女房全員にお供をおさせになった。廂のお車で、廂のない糸毛車三台、黄金造りの車六台、普通の檳榔毛の車二十台、網代車二台、童女と、下仕人を八人ずつ伺候させたが、一方お迎えの出車に、本邸の女房たちを乗せてあった。お送りの上達部、殿上人、六位など、何ともいいようなく善美を尽くさせていらっしゃった。
こうして、寛いで拝見なさると、まことに立派でいらっしゃる。小柄で上品でしっとりとして、ここがいけないと見えるところもなくいらっしゃるので、「運命も悪くはなかった」と、心中得意にならずにいらないが、亡くなった姫君が忘れられればよいのだが、やはり気持ちの紛れる時なく、そればかりが恋しく思い出されるので、
「この世では慰めきれないことのようである。仏の悟りを得てこそ、不思議でつらかった二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」
と思いながら、寺の造営にばかり心を注いでいらっしゃった。
9 薫の物語 宇治で浮舟に出逢う
[9-1 4月20日過ぎ、薫、宇治で浮舟に邂逅]
賀茂の祭などの、忙しいころを過ごして、二十日過ぎに、いつものように、宇治へお出かけになった。
造らせなさっている御堂を御覧になって、なすべき事などをお命じになって、そうして、いつものように、弁のもとを素通りいたすのも、やはり気の毒なので、そちらにお出でになると、女車が仰々しい様子ではないのが一台、荒々しい東男が腰に刀を付けた者を、大勢従えて、下人も数多く頼もしそうな様子で、橋を今渡って来るのが見える。
「田舎者だなあ」と御覧になりながら、殿は先にお入りになって、お供の連中は、まだ立ち騒いでいるところに、「この車もこの宮を目指して来るのだ」と分かる。御随身たちも、がやがやと言うのを制止なさって、
「誰であろうか」
と尋ねさせなさると、言葉の訛った者が、
「常陸前司殿の姫君が、初瀬のお寺に参詣してお帰りになったのです。最初もここにお泊まりになりました」
と申すので、
「おや、そうだ、聞いたことのある人だ」
とお思い出しになって、供人たちを別の場所にお隠しになって、
「早く、お車を入れなさい。ここには、別に泊まっている人がいらっしゃるが、北面のほうにおいでです」
と言わせなさる。
お供の人も、みな狩衣姿で、大げさでない姿ではあるが、やはり高貴な感じがはっきりしているのであろう、わずらわしそうに思って、馬どもを遠ざけて、控えていた。車は入れて、渡廊の西の端に寄せる。この寝殿はまだ人目を遮る調度類が入れてなくて、簾も掛けていない。格子を下ろしこめた中の二間に立てて仕切ってある襖障子の穴から覗きなさる。
お召し物の音がするので、脱ぎ置いて、直衣に指貫だけを着ていらっしゃる。すぐには下りないで、尼君に挨拶をして、このように高貴そうな方がいらっしゃるのを、「どなたですか」などと尋ねているのであろう。君は、車をその人とお聞きになってから、
「けっして、その人にわたしがいるとおっしゃるな」
と、まっさきに口止めなさっていたので、みなそのように心得て、
「早くお降りなさい。客人はいらしゃるが、別の部屋です」
と言い出した。
[9-2 薫、浮舟を垣間見る]
若い女房がいるが、まず降りて、簾を上げるようである。御前駆の様子よりは、この女房は物馴れていて見苦しくない。また、年とった女房がもう一人降りて、「早く」と言うと、
「妙に丸見えのような気がします」
という声は、かすかではあるが上品に聞こえる。
「いつものおことです。こちらは、以前にも格子を下ろしきってございました。それでは、どこがまた丸見えでしょうか」
と、安心しきって言う。遠慮深そうに降りるのを見ると、まず、頭の恰好、身体つき、細くて上品な感じは、たいそうよく亡き姫君を思い出されよう。扇でぴったりと顔を隠しているので、顔の見えないところは見たくて、胸をどきどきさせながら御覧になる。
車は高くて、降りる所が低くなっていたが、この女房たちは楽々と降りたが、たいそうつらそうに困りきって、長いことかかって降りて、お部屋にいざって入る。濃い紅の袿に、撫子襲と思われる細長、若苗色の小袿を着ていた。
四尺の屏風を、この襖障子に添えて立ててあるが、上から見える穴なので、丸見えである。こちらを不安そうに思って、あちらを向いて物に寄り臥した。
「何とも、お疲れのようですね。泉川の舟渡りも、ほんとうに、今日はとても恐ろしかったわ。この二月には、水が浅かったのでよかったのですが」
「いやなに、出歩くことは、東国の旅を思えば、どこが恐ろしいことがありましょう」
などと、二人でつらいとも思わず言っているのに、主人は音も立てずに臥せっていた。腕をさし出しているのが、まるまるとかわいらしいのを、常陸殿の娘とも思えない、まことに上品である。
だんだんと腰が痛くなるまで腰をかがめていらっしゃったが、人の来る感じがしないと思って、依然として動かずに御覧になると、若い女房が、
「まあ、いい香りのすること。たいそうな香の匂いがしますわ。尼君が焚いていらっしゃるのかしら」
老女房は、
「ほんとうに何とも素晴らしい香でしょう。京の人は、やはりとても優雅で華やかでいらっしゃる。北の方さまが当地で一番だと自惚れていらしたが、東国ではこのような薫物の香は、とても合わせることができなかった。この尼君は、住まいはこのようにひっそりしていらっしゃるが、衣装が素晴らしく、鈍色や青鈍と言っても、とても美しいですね」
などと、誉めていた。あちらの簀子から童女が来て、
「お薬湯などお召し上がりなさいませ」
と言って、いくつもの折敷に次から次へとさし入れる。果物を取り寄せなどして、
「もしもし、これを」
などと言って起こすが、起きないので、二人して、栗などのようなものか、ほろほろと音を立てて食べるのも、聞いたこともない感じなので、見ていられなくて退きなさったが、再び見たくなっては、やはり立ち寄り立ち寄り御覧になる。
この人より上の身分の人びとを、后宮をはじめとして、あちらこちらに、器量のよい人や気立てが上品な人をも、大勢飽きるほど御覧になったが、いいかげんな女では、目も心も止まらず、あまり人から非難されるまでまじめでいらっしゃるお気持ちには、ただ今のようなのは、どれほども素晴らしく見えることもない女であるが、このように立ち去りにくく、むやみに見ていたいのも、実に妙な心である。
[9-3 浮舟、弁の尼と対面]
尼君は、この殿の御方にも、ご挨拶申し上げ出したが、
「ご気分が悪いと言って、今休んでいらっしゃるのです」
と、お供の人びとが心づかいして言ったので、「この君を探し出したくおっしゃっていたので、このような機会に話し出そう」とお思いになって、「日暮れを待っていらっしゃったのか」と思って、このように覗いているとは知らない。
いつものように、御荘園の管理人連中が参上しているが、破子や何やかやと、こちらにも差し入れているのを、東国の連中にも食べさせたりなど、いろいろ済ませて、身づくろいして、客人の方に来た。誉めていた衣装は、なるほどとてもこざっぱりとしていて、顔つきもやはり上品で美しかった。
「昨日お着きになるとお待ち申し上げていましたが、どうして、今日もこんなに日が高くなってから」
と言うようなので、この老女房は、
「とても妙につらそうにばかりなさっているので、昨日はこの泉川のあたりで、今朝もずうっとご気分が悪かったものですから」
と答えて、起こすと、今ようやく起きて座った。尼君に恥ずかしがって、横から見た姿は、こちらからは実によく見える。ほんとうにたいそう気品のある目もとや、髪の生え際のあたりが、亡くなった姫君を、詳細につくづくとは御覧にならなかったお顔であるが、この人を見るにつけて、まるでその人と思い出されるので、例によって、涙が落ちた。
尼君への応対する声、感じは、宮の御方にもとてもよく似ているような聞こえる。
「何というなつかしい人であろう。このような人を、今まで探し出しもしないで過ごして来たとは。この人よりつまらないような身分の故姫宮に縁のある女でさえあったならば、これほど似通い申している人を手に入れてはいいかげんに思わない気がするが、まして、この人は、父宮に認知していただかなかったが、ほんとうに故宮のご息女だったのだ」
とお分かりになっては、この上なく嬉しく思われなさる。ただ今にでも、側に這い寄って、「この世にいらっしゃったのですね」と言って慰めたい。蓬莱山まで探し求めて、釵だけを手に入れて御覧になったという帝は、やはり、物足りない気がしたろう。「この人は別の人であるが、慰められるところがありそうな様子だ」と思われるのは、この人と前世からの縁があったのであろうか。
尼君は、お話を少しして、すぐに中に入ってしまった。女房たちが気がついた香りを、「近くから覗いていらっしゃるらしい」と分かったので、寛いだ話も話さずになったのであろう。
[9-4 薫、弁の尼に仲立を依頼]
日が暮れてゆくので、君もそっと出て、ご衣装などをお召しになって、いつも呼び出す襖障子口に、尼君を呼んで、様子などをお尋ねなさる。
「ちょうどよい時に来合わせたものだな。どうでしたか、あの申し上げておいたことは」
とおっしゃると、
「そのように、仰せ言がございました後は、適当な機会がありましたら、と待っておりましたが、去年は過ぎて、今年の二月に、初瀬に参詣する機会に初めて対面しました。
あの母君に、お考えの向きは、ちらっとお話しておきましたので、とても身の置き所もなく、もったいないお話でございます、などと申しておりましたが、その当時は、お忙しいころと承っておりましたので、機会がなく不都合に思って遠慮して、これこれです、とも申し上げませんでしたが、また今月にも参詣して、今日お帰りになったような次第です。
行き帰りの宿泊所として、このように親しくされるのも、ただお亡くなりになった父君の跡をお尋ね申し上げる理由からでございましょう。あの母君は、支障があって、今回は、お独りで参詣なさるようなので、このようにいらっしゃっても、特に、申し上げることもないと思いまして」
と申し上げる。
「田舎者めいた連中に、人目につかないようにやつしている姿を見られまいと、口固めしているが、どんなものであろう。下衆連中は隠すことはできまい。さて、どうしたものだろうか。独り身でいらっしゃるのは、かえって気楽だ。このように前世からの約束があって、巡り合わせたのだ、とお伝えください」
とおっしゃると、
「急に、いつの間にできたお約束ですか」
と、苦笑して、
「それでは、そのようにお伝えしましょう」
と言って、中に入るときに、
「かお鳥の声も昔聞いた声に似ているかしらと
草の茂みを分け入って今日尋ねてきたのだ」
ただ口ずさみのようにおっしゃるのを、中に入って語るのであった。
50. 東屋
薫君の大納言時代26歳秋8月から9月までの物語
- 浮舟の母、娘の良縁を願う 筑波山を分け入ってみたいお気持ちはあるが
- 継父常陸介と求婚者左近少将 常陸介も卑しい人ではなかったのだ
- 左近少将、浮舟が継子だと知る こうして、あの少将は、約束した月を待たないで
- 左近少将、常陸介の実娘を所望す この仲人は、人に追従する嫌なところのある性質の人なので
- 常陸介、左近少将に満足す この仲人は、妹がこの西の御方に仕えているのをつてにして
- 仲人、左近少将を絶賛す うまく行きそうだと、嬉しく思う
- 左近少将、浮舟から常陸介の実娘にのり換える 「ただ今のご収入などが少ないことなどは
- 浮舟の縁談、破綻す 北の方は、誰にも知られず準備して、女房たちの衣装を新調させ
1 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻
- 浮舟の母と乳母の嘆き こちらに来てみると、たいそうかわいらしい様子で
- 継父常陸介、実娘の結婚の準備 介は急いで準備して、「女房など、こちらに無難な者が
- 浮舟の母、京の中の君に手紙を贈る 母君や、御方の乳母は、たいそうあきれて思う
- 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す 常陸介は、少将の新婚のもてなしを、どんなにか立派なふうにしようと思うが
- 浮舟の母、匂宮と中の君夫妻を垣間見る 宮がお越しになる。見たくて物の間から見ると
- 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望 宮は、日が高くなってからお起きになって、「后の宮が、例によって
2 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる
- 浮舟の母、中の君と談話す 女君の御前に出て来て、たいそうお誉め申し上げると
- 浮舟の母、娘の不運を訴える こまごまとではないが、女房も聞いて知っていると思うので
- 浮舟の母、薫を見て感嘆す 器量も気立ても、憎むことができないほどかわいらしい
- 中の君、薫に浮舟を勧める いつものように、お話をとても親しく申し上げなさる
- 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う 「それでは、その客人に、このような願いを何年も持っていたので
- 浮舟の母、中の君に娘を託す 女君は、こっそりとおっしゃった話を、それとなくおっしゃる
3 浮舟の物語 浮舟の母、中の君に娘の浮舟を託す
- 匂宮、二条院に帰邸 車を引き出すときの、少し明るくなったころに、宮が
- 匂宮、浮舟に言い寄る 夕方、宮がこちらにお渡りあそばすと
- 浮舟の乳母、困惑、右近、中の君に急報 乳母は、人の気配がいつもと違うのを、変だと思って
- 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出 「上達部が大勢参上なさっている日なので
- 乳母、浮舟を慰める 恐ろしい夢から覚めたような気がして、汗にびっしょり濡れて
- 匂宮、宮中へ出向く 宮は、急いでお出かけになる様子である。内裏に近い方からであろうか
- 中の君、浮舟を慰める この君は、ほんとうに気分も悪くなっていたが
- 浮舟と中の君、物語絵を見ながら語らう 絵などを取り出させて、右近に詞書を読ませて
4 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる
- 乳母の急報に浮舟の母、動転す 乳母は、車を頼んで、常陸殿邸へ行った。北の方に
- 浮舟の母、娘を三条の隠れ家に移す このような方違えの場所と思って、小さい家
- 母、左近少将と和歌を贈答す 少将の待遇を、常陸介は、この上ないものに思って準備し
- 母、薫のことを思う 「故宮の御事を聞いているらしい」と思うと
- 浮舟の三条のわび住まい 旅の宿は、所在なくて、庭の草もうっとうしい気が
5 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる
- 薫、宇治の御堂を見に出かける あの大将殿は、いつものように、秋が深まってゆくころ
- 薫、弁の尼に依頼して出る 「どうしてそんなことが。どうするにせよ、誰かが伝え聞いて言うならともかく
- 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる お約束になった日のまだ早朝に、腹心の家来とお思いになる下臈の侍
- 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う 宵を少し過ぎたころに、「宇治から参った者です」と言って
- 薫と浮舟、宇治へ出発 まもなく夜が明けてしまう気がするのに、鶏などは鳴かないで
- 薫と浮舟の宇治への道行き 「近い所にか」と思うと、宇治へいらっしゃるのであった
- 宇治に到着、薫、京に手紙を書く 宇治にお着きになって、「ああ、亡き方の魂がとどまって
- 薫、浮舟の今後を思案す くつろいでいらっしゃるご様子で、いま一段と魅力的になって
- 薫と浮舟、琴を調べて語らう ここにあった琴や、箏の琴を召し出して
6 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く
1 浮舟の物語 左近少将との縁談とその破綻
[1-1 浮舟の母、娘の良縁を願う]
筑波山を分け入ってみたいお気持ちはあるが、そんな端山の茂みにまで無理に熱中するようなのも、たいそう人聞きが軽々しく、確かに体裁の悪いことなので、お差し控えになって、お手紙をさえお伝えさせになることができない。
あの尼君のもとから、母北の方におっしゃったことなどを、何度もそれとなく言ってよこすが、本気でお心がとまるように思われないので、ただ、そんなにまでお探してご存知になったこと、というぐらいにおもしろく思って、ご身分が今の世ではめったにないようなのにつけても、人並みの身分であったら、などといろいろと思うのであった。
常陸介の子供は、母親が亡くなった者など、大勢いて、今の母腹にも、姫君と名づけて大切にする者があり、まだ幼い者など、次々に五、六人いたので、いろいろと子供の世話をしながら、連れ子と思い隔てる気持ちがあったので、いつもとてもつらいと介を恨みながら、「何とかすぐれて、晴れがましいところに縁づけたい」と、明け暮れ、この母君は思い世話をしていたのであった。
容姿や器量が、並々で、他の娘たちと同じようなのであったら、とてもこんなにまでどうして苦しいまでに悩んだりしよう、皆と同じように思わせてもよいものを、誰にも似ず、何とももったいなくもお生まれになったので、もったいなくおいたわしい人と思っていた。
娘が多いと聞いて、なまじ公達めいた人びとも、恋文を送り言い寄るのが、たいそう大勢いるのであった。先妻の腹の二、三人は、皆それぞれに縁づけて、一人前にさせていた。今は自分の姫君を、「思い通りにお世話申したい」と、朝から晩まで気をつけて、大切にお世話することこの上ない。
[1-2 継父常陸介と求婚者左近少将]
常陸介も卑しい人ではなかったのだ。上達部の血筋を引いて、一門の人びとも見苦しい人でなく、財力など大変に有ったので、身分相応に気位高くて、邸の内も輝くように美しく、こざっぱりと生活し、風流を好むわりには、妙に荒々しく田舎人めいた性情もついていたのであった。
若くから、そのような東国の方の、遥か遠い世界に埋もれて長年過ごしてきたせいか、声などもほとんど田舎風になって、何か言うと、すこし訛りがあるようで、権勢家のあたりを恐ろしく厄介なものと気兼ねし恐がって、すべての面で実に抜け目ない心がある。
風雅な方面の琴や笛の芸道には疎遠で、弓をたいそう上手に引くのであった。身分の低い家柄を問題にせず、財力につられて、よい若い女房連中が、衣装や身なりは素晴らしく整えて、下手な歌合せや、物語、庚申待ちをし、まぶしいほど見苦しく、遊び事に風流めかしているのを、この懸想の公達は、
「才たけているにちがいない。器量も大変なものらしい」
などと、素晴らしいように言い作って、恋心を尽くしあっている中で、左近少将といって、年は二十二、三歳くらいで、性格が落ち着いていて、学問があるという点では、誰からも認められていたが、きらきらしく派手にはしていなかったのか、通っていた妻とも縁が切れて、たいそう熱心に言い寄って来るのであった。
この母君は、大勢このようなことを言って来る人びとの中で、
「この君は、人柄も無難である。思慮もしっかりしていて分別がありそうだし、人品も卑しくないな。この人以上の、立派な身分の人はまた、このようなあたりを、そうはいっても、探し求めて来るまい」
と思って、この御方に取り次いで、適当な折々には、結構なように返事などをおさせ申し上げる。自分独りで心用意する。
「常陸介はいいかげんに思うとも、自分は命に代えて大切に世話し、容姿器量の素晴らしいのを見たならば、そうはいっても、いいかげんにまどは、けっして思う人はいまい」
と決心して、八月ぐらいにと約束して、調度を準備し、ちょっとした遊び道具を作らせても、恰好は格別に美しく、蒔絵、螺鈿のこまやかな趣向がすぐれて見える物を、この御方のために隠し置いて、劣った物を、
「これが結構です」
と言って見せると、常陸介はよくも分からず、これといった価値のない物どもで、世間でいう調度類という調度は、すべて集めて部屋中いっぱいに並べ据えて、目をわずかに覗かせるくらいで、琴、琵琶の師匠として、内教坊のあたりから迎え迎えして習わせる。
一曲習得すると、師匠を立ったり座ったり拝んでお礼申し上げ、謝礼を与えることは、それで埋まるほどに大騒ぎする。調子の早い曲などを教えて、師匠と一緒に、美しい夕暮時などに、合奏して遊ぶときは、涙も隠さず、馬鹿馬鹿しいまでに、それほど感動していた。このようなことを、母君は、少しは物事を知っていて、とても見苦しいと思うので、特に相手にしないのを、
「わが娘を、馬鹿にしておられる」
と、いつも恨んでいるのであった。
[1-3 左近少将、浮舟が継子だと知る]
こうして、あの少将は、約束した月を待たないで、「同じことなら早く」と催促したので、自分の考え一つで、このように急ぐのも、たいそう気がひけて、相手の心の知りにくいことを思って、初めから取り次いだ人が来たので、近くに呼んで相談する。
「いろいろと気兼ねすることがありますが、何か月もこのようにおっしゃって月日がたったが、平凡な身分の方でもいらっしゃらないので、もったいなくお気の毒で。このように決心しましたが、父親などもいらっしゃらない娘なので、自分一人の考えのようで、はた目にも見苦しく、行き届かない点がありましょうかと、今から心配しています。
若い娘たちは大勢いますが、世話する父親がいる者は、自然と何とかなろうと任せる気になりまして、この姫君のことばかりが、はかないこの世を見るにつけても、不安でたまらないので、物の情理を弁えるお方と聞いて、このようにいろいろと遠慮を忘れてしまいそうなのも、もし意外なお気持ちが見えたら、物笑いにになって悲しいことでしょう」
と言ったのを、少将の君のもとに参って、
「これこれしかじかでした」
と申したところ、機嫌が悪くなった。
「初めから、全然、介の娘でないということを聞かなかった。同じ結婚であるが、人聞きも劣った気がして、出入りするにも良くないことであろう。詳しく調べもしないで、いいかげんなことを伝えて」
とおっしゃるので、困りきって、
「詳しくは存じませんでした。女房連中の知り合いのつてで、お願いを伝え始めたのでしたが、娘たちの中で大切にお世話している娘とばかり聞きましたので、介の娘であろうと存じました。他人の娘を連れておいでだったとは、尋ねませんでした。
器量や、気立てもすぐれていらっしゃることは、母上がかわいがっていらっしゃって、晴れがましく面目のたつようにしようと、大切にお育てしていると聞いておりましたので、何とかあの介の家と縁組を取り持ってくれる人がいないものか、とおっしゃいましたので、あるつてを存じておりますと、申し上げたのです。まったく、いいかげんなという非難を、受けることはございませんはずです」
と、腹黒く口数の多い者で、こう申すので、少将の君は、大して上品でない様子で、
「あのような受領ふぜいの家に通って行くのは、誰も良いことだとは認めないことだが、当節よくあることで、咎めもあるまいし、婿を大切に世話するので、欠点を隠している例もあるようだが、実の娘と同じように内々では思っても、世間の思惑は、追従しているように人は言うであろう。
源少納言や、讃岐守などが、威張った感じで出入りするのに、常陸介からも少しも認められずに婿入りするのは、実に不面目であろう」
とおっしゃる。
[1-4 左近少将、常陸介の実娘を所望す]
この仲人は、人に追従する嫌なところのある性質の人なので、これをとても残念に、相手方とこちら方とに思ったので、
「実の介の娘をとお思いならば、まだ若くていらっしゃるが、そのようにお伝え申しましょう。妹にあたる娘を、姫君として、常陸介は、たいそうかわいがっていらっしゃるそうです」
と申し上げる。
「さあね。初めからあのように申し込んでいたことをおいて、別の娘に申し込むのも嫌な気がする。けれど、自分の願いは、あの常陸介の、人柄も堂々として、老成している人なので、後見人ともしたく、考えるところがあって思い始めたことなのだ。もっぱら器量や、容姿のすぐれている女の希望もない。上品で優美な女を望むなら、簡単に得られよう。
けれど、物寂しく不如意でいて、風雅を好む人の最後は、みすぼらしい暮らしで、人から人とも思われないのを見ると、少し人から馬鹿にされようとも、平穏に世の中を過ごしたいと願うのである。介に、このように話して、そのように認める様子があったら、何の、かまうものか」
とおっしゃる。
[1-5 常陸介、左近少将に満足す]
この仲人は、妹がこの西の御方に仕えているのをつてにして、このようなお手紙なども取り次ぎ始めたが、常陸介からは詳しく知られていない者なのであった。ただずかずかと、介の座っている前に出て行って、
「申し上げねばならないことがあります」
などと言わせる。介は、
「この家に時々出入りしているとは聞くが、前には呼び出さない人が、何事を言うのであろうか」
と、どこか荒々しい様子であるが、
「左近少将殿からのお手紙でございます」
と言わせたので、会った。話し出しにくそうな顔をして、近くに座り寄って、
「ここ幾月も、御内儀の御方にお便りを差し上げなさっていましたが、お許しがあって、今月にとお約束申し上げなさったことがございましたが、吉日を選んで、早くとお考えのうちに、ある人が申したことには、
『確かに北の方のご計画ではあるが、常陸介様の御娘さまではいらっしゃらない。良家のご子息がお通いになるには、世間の評判も追従しているようであろう。受領の婿殿におなりになるこのような公達は、ただ私的な主君のように大切にされて、手に持った玉のように、大事にご後見申されることによって、そのような縁組を結びなさる人びともいらっしゃるようですが、やはりその願いは無理なようなので、少しも婿として承知していただけず、劣った扱いでお通いになることは、不都合なこと』
だと、しきりに申す人びとが大勢ございますようなので、ただ今お困りになっています。
『初めからただ威勢がよく、後見者としてお頼り申すのに、十分でいらっしゃるご評判をお選び申して、求婚しは始めたのです。まったく、他人の娘がいらっしゃるということは知らなかったので、最初の希望通りに、まだ幼い娘も大勢いらっしゃるというのを、お許しくださったら、ますます嬉しい。ご機嫌を伺って来るように』
と命じられましたので」
と言うと、介は、
「まったく、そのようなお便りがございますこと、詳しく存じませんでした。ほんとうに実の娘と同じように存じている人ですが、よろしくない娘どもが大勢おりまして、大したことでもないわが身で、いろいろとお世話申し上げて来たところ、母にあたる者も、わたしがこの娘を自分の娘と分け隔てしていると、僻んで言うことがありまして、何とも口出しさせない人のことでございましたので、ちらっと、そのようにおっしゃったということは聞きましたが、わたしを期待してお思いになっていたお心がありましたとは、存じませんでした。
それは、実に嬉しく存じられることでございます。たいそうかわいいと思う幼い娘は、大勢の娘たちの中で、この子を命に代えてもよいと思っております。求婚なさる方々はいるが、今の世の中の人の心は、頼りないと聞いておりますので、かえって胸を痛めることになろうかと遠慮され、決心することもございませんでした。
何とか安心な状態にしておきたいと、明け暮れかわいく存じておりましたが、少将殿におかれましては、亡き大将殿にも、若い時からお仕えしてまいりました。家来として拝見しましたが、たいそう人物が立派なので、お仕え申したいと、お慕い申し上げて来ましたが、遠国に、引き続いて過ごして来ました何年もの間に、お会いするのも恥ずかしく思われまして、参上してお仕えしませんでしたが、このようなお気持ちがございましたとは。
返し返すも、仰せの通り差し上げますことはたやすいことですが、今までのお考えに背いたように、わが妻が、思いますことが、気がかりに存じられるのです」
と、たいそうこまごまと言う。
[1-6 仲人、左近少将を絶賛す]
うまく行きそうだと、嬉しく思う。
「何やかやと気づかいなさることはございません。あの方のお気持ちは、ただあなたお一方のお許しがございますことを願っておいでで、『子供っぽくまだ幼くいらっしゃっても、実の娘で大切に思っていらっしゃる娘こそが、希望に叶うように思うのです。まったくあのような回りの話には乗るべきでない』と、おっしゃいました。
人柄はたいそう立派で、評判は大した方でいらっしゃる公達です。若い公達といっても、好色がましく上品ぶっていらっしゃらず、世間の実情もよくご存知でいらっしゃいます。所有するご荘園もたいそうたくさんあります。今はまだ大したご威勢でないようですが、自然と高貴な人の雰囲気が備わっているように、普通の人の莫大な財産というような威勢には、まさっていらっしゃいます。来年は、四位におなりになろう。今度の蔵人頭への任官は疑いなく、帝が直におっしゃったものです。
『何事にわたって申し分なく結構な朝臣が、妻を持っていないという。早く適当な人を選んで、後見人を設けなさい。上達部には、わたしがいるので、今日明日にでもして上げよう』と仰せになったと言います。どのような事も、ただこの君は、帝にも親しくお仕え申し上げていらっしゃると言います。
お考えはまた、たいそう立派で、重々しくいらっしゃるようです。もったいなくも立派な婿殿よ。このようにお聞きになるうちに、ご決心なさるのがよいことでしょう。あの殿には、われもわれもと婿にお迎え申したいと、あちこちに話がございますので、こちらで渋っているご様子があったら、他のところにお決まりになりましょう。わたしは、ただ安心な縁談を申し上げるだけです」
と、たいそう言葉多く、うまそうに言い続けるので、まことにあきれるほど田舎人めいた介なので、にっこりして聞いていた。
[1-7 左近少将、浮舟から常陸介の実娘にのり換える]
「ただ今のご収入などが少ないことなどは、おっしゃいますな。わたしが生きている間は、頭上にも戴き申し上げよう。気がかりに、何を不足とお思いになることがあろう。たとい寿命が尽きて中途でお仕えすることができなくなってしまったとしても、遺産の財宝や、所有していている領地など、一つとして他に争う者はいません。
子供は多くいますが、この娘は特別にかわいがっていた者でございます。ただ誠意をもってお情けをかけてくださいましたら、大臣の地位を手に入れようとお考えになって、世にない財宝を使い尽くそうとなさっても、無い物はございません。
今上の帝が、あのように引き立てなさるというのであれば、ご後見は不安なことはあるまい。この縁談は、あの方のためにも、わたしの娘のためにも、幸福なことになるかも知れません」
と、結構なように言うときに、実に嬉しくなって、仲人の妹にもこのような話があったとは話さず、あちらにも寄りつかないで、常陸介の言ったことを、「まことにたいそう結構な話だ」と思って申し上げるので、少将の君は、「少し田舎者めいている」とお聞きになったが、憎くは思わず、ほほ笑んで聞いていらっしゃった。大臣になるための物資を調達するなどと、あまりに大げさなことだと、耳が止まるのだった。
「ところで、あの北の方には、このようになったとを伝えましたか。格別熱心に思い始めなさったので、変えたりするのは、間違った筋の通らないことのように取り沙汰する人もいるだろう。どんなものかしら」
と躊躇なさっているのを、
「どうしてそのようなことがありましょうか。北の方も、あの姫君を、たいそう大切にお世話申し上げていらっしゃるのです。ただ、姉妹の中で最年長で、年齢も成人していらっしゃるのを、気の毒に思って、結婚をと考えて申されるのです」
と申し上げる。今までは、並々ならず大切にお世話していると言ったものの、急にこのように言うのもどんなものかしらと思うが、「やはり、一度はつらいと恨まれ、人からも少しは非難されようとも、長い目で見れば頼りになることこそ大切だ」と、実に抜け目ないしっかりした方なので、決心してしまったので、その日まで変えずに、約束した夕方に、お通い始めなさったのだった。
[1-8 浮舟の縁談、破綻す]
北の方は、誰にも知られず準備して、女房たちの衣装を新調させ、飾りつけなど風流になさる。御方にも、髪を洗わせ、身繕いさせて見ると、少将などという程度の人に結婚させるのも、惜しくもったいないようなのを、
「お気の毒に。父親に認知していただいてお育ちになったならば、お亡くなりになったとしても、大将殿がおっしゃるようにも、分不相応だが、どうして思い立たないことがあろうか。けれども、内心ではこう思っても、世間の評判では、常陸介の娘と区別せずに、また、真実を知った人でも、かえって認知してもらえなかったゆえに見下すであろうことが悲しい」
などと、思い続ける。
「どうしたらよかろう。女盛りをお過ぎになるのもつまらない。身分の低くない、無難な人が、このように熱心に求婚なさっているようだから」
などと、自分の考え一つで決めてしまうのも、仲人のこのような言葉巧みに大変なものだから、女はそれ以上にだまされたのだろうか。婚儀が明日明後日と思うと、心が落ち着かず気がせくので、こちらでものんびりとしていられず、そわそわと歩いていると、常陸介が外から入って来て、長々と、つかえるところもなく話し続けて、
「わたしを分け隔てして、わたしの実の娘のお婿殿を横取りしようとなさったのが、分不相応なあさはかなことだ。立派そうなあなたの娘を、お求あそばす公達はいらっしゃるまい。身分低くみっともないわたくしめの娘を、かりそめにも求婚なさるようだ。結構に計画立てられたが、全然その気がないと、他家の婿になろうとお考えになってしまうようなので、同じことならと思って、それでは実娘を、とお許し申したのです」
などと、妙に無頓着で、相手の気持ちも考えない人で、言いまくっていた。
北の方は、驚きあきれて何も言うことができないで、しばらく思い沈んでいたが、つらさが次から次へと浮かんで来て、涙もこぼれ落ちそうに思い続けて、そっと立った。
2 浮舟の物語 京に上り、匂宮夫妻と左近少将を見比べる
[2-1 浮舟の母と乳母の嘆き]
こちらに来てみると、たいそうかわいらしい様子で座っていらっしゃるので、「不縁になったとはいっても、誰にもお負けになるまい」と気持ちを慰める。乳母と二人で、
「いやなものは人の心ですこと。わたくしは、同じようにお世話していても、この姫君が婿殿と思うお方のためには、命に代えてもと思っても、父親がいないと聞いて馬鹿にし、まだ十分に成人していない妹を、姉をさしおいて、このように言うものでしょうか。
こんなに情けない、同じ家の中で見まい聞くまいと思っていたが、介がこのように面目がましいことと思って、承知して騒いでいるようなので、どちらもお似合いの様子なので、いっさいこの話には口を入れまいと思います。何とかここではない所で、しばらく暮らしたいものだ」
と泣きながら言う。乳母もひどく腹が立って、「自分の主人をこのように見下していること」と思うと、
「なあに、これもご幸運なことで破談になったのかも知れません。あのように情けない方でいらっしゃるのだから、もったいない姫君の美しいご様子をご存知ないのでしょう。大事な姫君は、思慮もあり、道理の分かる方にこそ、差し上げたいものです。
大将殿のお姿や器量を、ちらっと拝見しましたが、ほんとうに寿命が延びるような気持ちしましたね。嬉しいことにお世話申し上げたいとおっしゃっています。ご運勢にまかせて、そのようにお決めなさいまし」
と言うと、
「まあ、恐ろしいこと。人の言うことを聞くと、長年、並大抵の女とは結婚しまいとおっしゃって、右の大殿や按察使大納言、式部卿宮などが、とても熱心にお申し込みなさったが、聞き流して、帝が大切にしている姫宮を得なさった君は、どれほどの人を熱心にお思いになりましょうか。
あの母宮などのお側におかせて、時々は会おうとはお思いになろうが、それもまた、なるほど結構なお所ですが、とても胸の痛いことです。宮の上が、このように幸い人と申し上げるようだが、物思いがちにいらっしゃるのを見ると、いかにもいかにも、二心のない人だけが、安心で信頼できることでしょう。自分の体験でも分かりました。
故宮のご様子は、とても情愛があって、素晴らしく好感が持てるお方でしたが、人並みにもお思いくださらなかったので、どんなにかつらい思いをしたことか。この介はまことに取るに足らない、情けない、不恰好な人ですが、一途で二心のないのを見ると、気を揉むこともなく何年も過ごしてきたのです。
折々の仕打ちが、あのように癪な思いやりのないのが憎らしいが、嘆かわしく恨めしいこともなく、お互いに言い合っても、納得できないことははっきりさせました。上達部や、親王方で、優雅で心恥ずかしい方の所といっても、わたしのように一人前でない身分では詮のないことでしょう。
万事が、わが身分からであった思うと、何もかも悲しく拝見される。何とかして、物笑いにならないようにして差し上げよう」
と相談する。
[2-2 継父常陸介、実娘の結婚の準備]
介は急いで準備して、
「女房など、こちらに無難な者が大勢いるので、当座の間、回してください。そのまま、帳台なども新調されたようなのをも、事情が急に変わったようなので、引っ越したり、あれこれ模様変えもしないことにしよう」
と言って、西の対に来て、立ったり座ったりして、あれこれと準備に騒いでいる。体裁のよい様子にさっぱりとさせ、あちらこちらに必要な準備をすべて整えてあるところに、利口ぶって屏風類を持って来て、狭苦しいまでに立て並べて、厨子や二階棚など、妙なまで増やして、得意になって準備するので、北の方は見苦しいと思うが、口出しすまいと言ったので、ただ見聞きしている。御方は、北面に座っていた。
「あなたのお気持ちは、すっかり分かりました。全く同じ娘なのだから、そうは言っても、まるでこんなには放っておかれまいと思っていました。まあよい、世間に母親のない子は、いないのだから」
と言って、娘を、昼から乳母と二人で、念入りに装い立てたので、憎らしいところもなく、十五、六歳の年齢で、たいそう小柄でふっくらとした人で、髪は美しく小袿の長さで、裾はとてもふさやかである。この娘を実に素晴らしいと思って、念入りに装っている。
「何も、北の方があちらにと思っていた人をよりによって横取りしなくても、と思うが、少将の人柄がもったいなく、すぐれていらっしゃる公達なので、われもわれもと、婿に迎えたい人が多いらしいので、人に取られるのも残念である」
と、あの仲人にだまされて言うのもほんとうに愚かである。男君も、「今般の待遇が豪勢で申し分ないこと」と、何の支障もないように思って、その夜も改めず通い始めた。
[2-3 浮舟の母、京の中の君に手紙を贈る]
母君や、御方の乳母は、たいそうあきれて思う。ひがんでいるようなので、あれこれと婿の世話をするのも気にいらないので、宮の北の方の御もとに、お手紙を差し上げる。
「特別のご用事がございませんでは、ご無礼かとご遠慮申しまして、思うままにはお便り差し上げませんでしたが、慎まねばならないことがございまして、暫く場所を変えさせたいと存じていましたが、とても人目につかないでいられる所がございましたら、とてもとても嬉しく存じます。人数にも入らないわが身一つでは庇護することもできず、気の毒なことばかりが多い世の中ですので、頼りになるお方にまずお願い申し上げました」
と、泣きながら書いた手紙を、しみじみと御覧になったが、「亡き父宮が、あれほどお許しにならずに終わった人を、自分一人が生き残って、親しく世話するのもたいそう気がひけるし、またみっともない恰好で世の中に落ちぶれているのを知らない顔をしているのも、いたわしいことだろう。特別なこともなくて、互いに散り散りになっているようなのも、亡き父宮のためにもみっともない事だ」と思案に暮れなさる。
大輔のもとにも、とても気がかりそうに書いてやったので、
「何か事情がございますのでしょう。人を恨んで体裁悪く、おっしゃいますな。このような母親の卑しい人が、ご姉妹の中にいらっしゃるということも、世間にはよくあることです」
などと申し上げて、
「それでは、あの西の対に、人目につかない所を用意して、とてもむさ苦しいようですが、そうしてお過ごしになってはいかがですか、暫くの間を」
と言い送った。とても嬉しく思って、人に知られないようにして出発する。御方も、あの方と親しく交際申したいと思う考えなので、かえって、このようなことが出て来たのを、嬉しく思う。
[2-4 母、浮舟を匂宮邸に連れ出す]
常陸介は、少将の新婚のもてなしを、どんなにか立派なふうにしようと思うが、その豪華にする方法も知らないので、ただ、粗末な東絹類を、おし丸めて投げ出した。食べ物も、あたり狭しと運び出して大騒ぎした。
下衆などは、それをたいそうありがたいお心づかいだと思ったので、君も、「とても理想的な、賢明な縁組をしたものだ」と思うのだった。北の方は、「この間の事を見捨てて知らないふうをするのもひねくれているようだろう」と思い堪えて、ただするままに任せて見ていた。
お客人のお座敷や、お供の部屋と準備に騒ぐので、家は広いけれど、源少納言が、東の対に住み、男の子などが多いので、場所もない。こちらのお部屋にお客人が住みつくようになると、渡廊などの端の方にお住まわせ申すのも、どんなにかお気の毒に思われて、あれこれと思案するうちに、宮の邸にと思うのであった。
「この御方には、人並みに扱ってくださる人がいないので、馬鹿にしているのだろう」と思うと、特に認めていただけなかった所だが、無理に参上させる。乳母や、若い女房二、三人ほどして、西の廂の北側寄りで、人気の遠い所に部屋を用意した。
長年、このように頼りなく過ごして来たが、よそよそしくお思いになれない方なので、参上した時には姿を隠したりなさらず、とても理想的に、感じがまるで違って、若君のお世話をしていらっしゃるご様子を、羨ましく思われるのも感慨無量である。
「自分も、亡くなった北の方とは、縁のない人ではない。女房としてお仕えしたために、人並みに扱ってもらえず、残念なことに、このように人から馬鹿にされるのだ」
と思うと、このように無理してお親しみ申すのもつまらない。こちらには、御物忌と言ったので、誰も来ない。二、三日ほど母君もいた。今度は、のんびりとこちらのご様子を見る。
[2-5 浮舟の母、匂宮と中の君夫妻を垣間見る]
宮がお越しになる。見たくて物の間から見ると、たいそう美しく、桜を手折ったような姿をして、自分が頼りにする人と思い、恨めしいけれど、気持ちには背くまいと思っている常陸介よりも、容姿や器量も人品も、この上なく見える五位や四位の人が、一斉にひざまずいて控えて、あれやこれやと、あれこれの事務を、家司連中が申し上げる。
また若々しい五位の人で、顔も知らない人たちも多かった。自分の継子の式部丞で蔵人なのが、帝のお使いとして参上したが、お側近くにも参ることができない。この上なく高貴なご様子を、
「まあ、この方はいったいどのようなお方か。このようなお方の所にいらっしゃる幸運なことよ。遠くで考えている時は、素晴らしい方々と申し上げても、つらい思いをさせなさったらと、嫌なお方とお思い申し上げていたのはあさはかな考えであったことよ。この方のご様子や器量を見ると、七夕のように年に一度の逢瀬でも、このようにお目にかかれてお通いいただけるのは、とてもありがたいことだわ」
と思うと、若君を抱いてかわいがっていらっしゃる。女君は、短い几帳を隔てておいでになるが、押しやって、お話し申し上げなさる。そのお二方のご器量は、実に美しく似合っている。亡き父宮が寂しくいらっしゃった時のご様子を思い比べると、「宮様と申し上げても、とてもこの上なくいらっしゃるのだ」と思われる。
几帳の中にお入りになったので、若君は、若い女房や、乳母などがお相手申し上げる。官人たちが参集したが、気分が悪いと言って、お休みになって一日中を過ごされた。食膳をこちらで差し上げる。万事が気高くて、格別に見えるので、自分がどんなに善美を尽くしたと思っても、「普通の身分のすることは、たかが知れている」と悟ったので、「自分の娘も、このような立派な方の側に並べて見ても、不体裁ではあるまい。財力を頼んで、父親が、后にもしようと思っている娘たちは、同じわが子ながらも、感じがまるで違うのを思うと、やはり今後は理想は高く持つべきであるわ」と、一晩中将来の事を思い続けられる。
[2-6 浮舟の母、左近少将を垣間見て失望]
宮は、日が高くなってからお起きになって、
「后の宮が、相変わらず、お具合が悪くいらっしゃるので、参内しよう」
と言って、ご装束などをお召しになっていらっしゃる。興味をもって覗くと、きちんと身づくろいなさったのが、また、似る者がいないほど気高く魅力的で美しくて、若君をお放しになることができず遊んでいらっしゃる。お粥や、強飯などを召し上がって、こちらからお出かけになる。
今朝方から参上して、侍所の方に控えていた供人たちは、今しも御前に参上して何か申し上げている中で、めかしこんで、何ということもない人でつまらない顔をして、直衣を着て太刀を佩いている人がいる。御前では何とも見えないが、
「あの人が、この常陸介の婿の少将ですよ。初めはこの御方にと決めていたが、介の実の娘を得てこそ大切にされたい、などと言って、痩せっぽっちの女の子を得たと言います」
「いえ、こちらの女房たちはそんな噂は全然しません。あの君の方からは、よく聞く話ですよ」
などと、めいめい言っている。聞いているとも知らないで、女房がこのように言っているのにつけても、胸がどきりとして、少将を無難だと思っていた考えも残念で、「なるほど、格別なことはなかったのだ」と思って、ますます馬鹿らしく思った。
若君が這いだして来て、御簾の端から顔を出していらっしゃるのを、ちょっと御覧になって、後戻りなさった。
「ご気分がよくお見えでしたら、そのまま帰って来ましょう。やはりお悪いようでいらしたら、今夜は宿直します。今は、一晩でも会わないのは気がかりでつらいことだ」
と言って、暫くご機嫌をおとりになって、お出かけになった様子が、繰り返し見ても、どこまでも満ち足りていて、華やかにお美しいので、お出かけになった後の気持ちが、物足りなく物思いに沈んでしまう。
3 浮舟の物語 浮舟の母、中の君に娘の浮舟を託す
[3-1 浮舟の母、中の君と談話す]
女君の御前に出て来て、たいそうお誉め申し上げると、田舎人めいている、とお思いになってお笑いになる。
「故母上がお亡くなりになったときは、何ともお話にならないほど小さいころで、どんなにおなりにあそばすのかと、お世話申し上げる人も、亡き父宮もお嘆きになったが、この上ないご運勢でいらっしゃったので、あの山里の中でも、ご立派に成人あそばしたのです。残念なことに、亡くなった姫君がいらっしゃらなくなったのが、惜しまれることです」
などと、泣きながら申し上げる。君もお泣きになって、
「世の中が恨めしく心細い時々も、またこのように生きていると、少しでも思いが慰められるときがあるのを、昔お頼り申し上げていた肉親たちに先立たれ申したときは、かえって世間一般の事と諦めもついて、お顔も存じ上げずになってしまったのを、それなのに、やはりこの姉君のご逝去は、いつまでも悲しいことです。大将が、何にも心が移らないことを愁えながら、深く変わらないご愛情を見るにつけても、まことに残念です」
とおっしゃると、
「大将殿は、あれほど世の中に例がないまでに、帝が大切になさっているといいますが、得意でいらっしゃるでしょう。姉君が生きていらっしゃったら、このご降嫁のことは、おやめにもならなかったでしょうか」
などと申し上げる。
「さあね、姉妹同じような運命だと、物笑いになる気がしましょうも、かえってつらい思いをしたことでしょう。途中で亡くなられたので、奥ゆかしくもある仲だ、と思いますが、あの君は、どういうわけでしょうか、不思議なまでに忘れないで、故父宮の亡き後の追善供養までを、深く考えてお世話してくださるようです」
などと、素直にお話しなさる。
「あの亡くなった姉君の代わりに捜し出して会いたいと、この物の数にも入らない娘までを、あの弁の尼君にはおっしゃったのでした。ではそのようにと、考えるわけではございませんが、ゆかりの者だからかと、恐れ多いことですが、しみじみとありがたく思われますお気持ちの深さですこと」
などと言うついでに、この姫君の身の振りに困っていることを、泣きながら話す。
[3-2 浮舟の母、娘の不運を訴える]
こまごまとではないが、女房も聞いて知っていると思うので、少将が馬鹿にしたことなどちらっと話して、
「生きています限りは、何とか、朝夕の話相手として暮らせましょう。先立ってしまった後は、不本意な身の上となって落ちぶれてさまようのが悲しいので、尼にして、深い山中にでも生活させて、そのような考えで世の中を諦めようなどと、思いあぐねました末には、そのように思っています」
などと言う。
「おっしゃるように、お気の毒なご様子のようですが、どうして、人に馬鹿にされるご様子は、このように父親のいない人の常です。そうかといって、それもできる事でないので、一途にその方面にと父宮が考えていらっしゃったわたしの身の上でさえ、このように心ならずも生きながらえていますので、それ以上にとんでもない御事です。髪を落としなさるのも、おいたわしいほどのご器量です」
などと、とても大人ぶっておっしゃると、母君は、たいそう嬉しく思った。ふけて見える姿だが、品がなくもない姿で小ぎれいである。ひどく太り過ぎているのが、常陸殿といった感じである。
「故宮が、つらく情けなくお見捨てになったので、ますます一人前らしくなく、人からも馬鹿にされなさると拝見しましたが、このようにお話し申し上げさせてただき、このようにお目にかからせていただけるにつけて、昔のつらさも晴れます」
などと、長年の話や、浮島の美しい景色のことなどを申し上げる。
「自分一人だけがつらい思いをと、話し合う相手もいない筑波山での暮らしぶりも、このように胸が晴れるように申し上げて、いつも、まことにこのように伺候していたく存じなりましたが、あちらには出来の悪い卑しい娘たちが、どんなに騒いで捜していることでしょう。やはり落ち着かない気がいたします。このような受領の妻に身を落としているのは、情けないことでございましたと、身にしみて思い知られるのですが、この姫君は、ひたすらお任せ申し上げて、わたしは構いますまい」
などと、お願い申し上げるようにするので、「なるほど、よい結婚をしてほしいものだ」と御覧になる。
[3-3 浮舟の母、薫を見て感嘆す]
器量も気立ても、憎むことができないほどかわいらしい。はにかみようも大げさでなく、よい具合におっとりしているものの、才気がないでなく、近くに仕えている女房たちに対しても、たいそうよく隠れていらっしゃる。何か言っているのも、亡くなった姉君のご様子に不思議なまでにお似申していることよ。あの人形を捜していらっしゃる方にお見せ申し上げたいと、ふと思い出しなさった折しも、
「大将殿が参っておられます」
と、女房が申し上げるので、いつものように、御几帳を整えて注意をする。この客人の母君は、
「それでは、拝見させていただきましょう。ちらっと拝見した人が、大変にお誉め申していたが、宮のご様子には、とてもお並びになることはできまい」
と言うと、御前に伺候する女房たちは、
「さあね、とてもお定め申し上げることができません」
と申し上げ合っている。
「どれほどの人が、宮をお負かせ申せましょうか」
などと言っているうちに、「今、車から降りなさっている」と聞く間、うるさいほど先払いの声がして、すぐにはお現れにならない。お待たされになっているうちに、歩いてお入りになる様子を見ると、なるほど、何ともご立派で、色めかしい風情とは見えないが、優雅で上品に美しい。
何となく対面するのも遠慮されて、額髪などもついつくろって、気がひけるほど嗜み深い態度で、この上ない様子をしていらっしゃった。内裏から参上なさったのであろう、ご前駆の様子が大勢いて、
「昨夜、后の宮がご病気でいらっしゃる旨を承って参内しましたら、宮様方が伺候していらっしゃらなかったので、お気の毒に拝見して、宮のお代わりに今まで伺候しておりました。今朝もとても怠けて参内あそばしたのを、失礼ながら、あなたのご過失とお察し申し上げまして」
と申し上げなさると、
「なるほど、大変なこと、行き届いたお心遣いをいただきまして」
とだけお答え申し上げなさる。宮は内裏にお泊まりになったのを見届けて、思うところがあっていらっしゃったようである。
[3-4 中の君、薫に浮舟を勧める]
いつものように、お話をとても親しく申し上げなさる。何につけても、ただ亡き姫君が忘れられず、世の中がますますつまらなくなっていくことを、はっきりとは言わないで、それとなく訴えなさる。
「そんなにまで深く、どうして、いつまでも忘れられずばかりいらっしゃるのだろう。やはり、深く思っているように言い出したことだから、忘れられたと思われたくないのだろうか」などと、しいてお思いになるが、相手のご様子ははっきりとしているので、見ているうちに、しみじみとしたお気持ちを、岩木ではないから、お分かりになる。
お恨み申し上げることが多いので、たいそう困って嘆息して、このようなお気持ちを無くす禊をおさせ申し上げたくお思いになったのであろうか、あの人形のことをお話し出しになって、
「とても人目を忍んでこの辺りにいます」
と、それとなく申し上げなさると、相手も平気な気持ちではいられず、興味をもったが、急に心移りする気はしない。
「さあ、そのご本尊が、願いをお満たしくださったら尊いことでしょうが、時々、悩ましく思うようでは、かえって悟りも濁ってしまいましょう」
とおっしゃると、最後は、
「困ったご道心ですこと」
と、かすかにお笑いになるのも、おもしろく聞こえる。
「さあ、それでは、すっかりお伝えになってください。このお逃れの言葉も、思い出すと不吉な気がします」
とおっしゃって、再び涙ぐんだ。
「亡き姫君の形見ならば、いつも側において
恋しい折々の気持ちを移して流す撫物としよう」
と、いつものように、冗談のように言って、紛らわしなさる。
「禊河の瀬々に流し出す撫物を
いつまでも側に置いておくと誰が期待しましょう
引く手あまたで、とか言います。不憫でございますわ」
とおっしゃると、
「最後の寄る瀬は、言うまでもありませんよ。たいそういまいましいような水の泡にも負けないようでございますね。捨てられて流される撫物は、いやもう、まったくその通りです。どうして慰められることができましょうか」
などと言っているうちに、暗くなってくるのもやっかいなので、一時的に泊まっている人も、変だと思うのも気がひけて、
「今夜は、やはり、早くお帰りなさいませ」
と、機嫌をおとりになる。
[3-5 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う]
「それでは、その客人に、このような願いを何年も持っていたので、急になど、浅く考えないようにおっしゃってお知らせなさって、みっともない目にあわないように願います。とても不慣れでございますわが身には、何事も愚かしいほど不調法で」
と、約束申してお出になったので、この母君、
「とても立派で、理想的な様子ですこと」
と誉めて、乳母がひょいと思いついて、度々言ったことを、とんでもないことに言ったが、このご様子を見ては、「天の川を渡ってでも、このような彦星の光を待ち受けさせたいもの。自分の娘は、平凡な人と結婚させるのは惜しい様子を、東国の田舎者ばかり見馴れていて、少将を立派な人と思っていた」のを、後悔されるのだった。
寄り掛かっていらした真木柱にも茵にも、そのまま残っている匂いや移り香が、言うとわざとらしいまでに素晴らしい。時々拝見する女房でさえ、その度ごとにお誉め申し上げる。
「お経などを読んで、功徳のすぐれたことがあるようなのにつけても、香の芳しいのをこの上ないこととして、仏さまが説いておおきになったのも、もっともなことですわ。薬王品などに、特別に説かれている牛頭栴檀とかは、大げさな物の名前だが、まずあの大将殿が近くで身動きなさると、仏さまがほんとうにおっしゃったのだ、と思われます。子供でいらした時から、勤行も熱心になさっていたからですよ」
などと言う者もいる。また、
「前世が知りたいご様子ですこと」
などと、口々に誉めることを、思わずにっこりして聞いていた。
[3-6 浮舟の母、中の君に娘を託す]
女君は、こっそりとおっしゃった話を、それとなくおっしゃる。
「思いはじめたことは、執念深いまでに軽々しくなくいらっしゃるようなのを、なるほど、ただ今の様子などを思うと、やっかいな気持ちがしましょうが、あの出家をしても、などとお考えになるのも、同じこととお思いになって、お試しなさいませ」
とおっしゃると、
「つらい目にあわず、誰からも馬鹿にされまいとの考えで、鳥の声が聞こえないような深山での生活まで考えておりました。おっしゃるように、殿のご様子や態度などを拝見して存じますことは、下仕えの身分などであっても、このような方のご身辺で、親しくしていただけるのは、生き甲斐のあることでしょう。まして若い女は、きっと心をお寄せ申し上げるにちがいないでしょうが、物の数にも入らない身で、物思いの種をますます蒔かせることになりましょうか。
身分の高い者も低い者も、女というものは、このような男女の仲のことで、現世と、来世まで、苦しい身になるものです、と存じておりますので、かわいそうに存じております。その話もただお気持ちに任せます。ともかくも、お見捨てにならず、お世話くださいませ」
と申し上げるので、たいそうやっかいになって、
「さあね。過去の思いやり深さに気を許しても、将来の様子は分からないことです」
とためいきをついて、他には何もおっしゃらずになった。
夜が明けたので、車などを引き出して来て、介の手紙などが、とても立腹した文面で脅かしていたので、
「恐れ多いことですが、万事お頼み申し上げます。やはり、もうしばらくお隠しになって、巌の中なりとも、どこなりとも、思案いたします間は、人並みの者でございませんが、お見捨てなく、何事もお教えくださいませ」
などと申し上げておいて、この御方も、たいそう心細く、初めてのことで、別れることを心配するが、はなやかで美しく見える所で、しばらくの間もお親しみ申せると思うと、そうはいっても嬉しく思われるのだった。
4 浮舟と匂宮の物語 浮舟、匂宮に見つかり言い寄られる
[4-1 匂宮、二条院に帰邸]
車を引き出すときの、少し明るくなったころに、宮が、内裏から退出なさる。若君が気がかりに思われなさったので、人目につかないようにして、車などもいつもと違った物でお帰りになるのに出くわして、止めて立ち止まっていると、渡廊にお車を寄せて降りなさる。
「誰の車か。暗いうちに急に出ようとするのは」
と目をお止めあそばす。「このように、忍んで通う女のもとから出る者か」と、ご自身の経験からお考えになるのも、嫌なことだ。
「常陸殿が退出あそばします」
と申し上げる。若い御前駆たちは、
「殿というのは、大げさな」
と、笑い合っているのを聞くと、「おっしゃるとおり、笑われてもしかたない身分だ」と悲しく思う。ただ、この御方のことを思うために、自分も人並みになりたいと思うのだった。それ以上に、ご本人を身分の低い男と結婚させるのは、ひどく惜しいと思った。宮が、お入りになって、
「常陸殿という人を、こちらに通わせているのですか。意味ありげな朝ぼらけに、急いで出た車の供揃いが、特別に見えました」
などと、やはりお疑いになっておっしゃる。「聞きにくく回りの者がどう思うか」とお思いになって、
「大輔などが若かったころ、友人であった人ですわ。特にしゃれた人には見えないようだったが、わけがありそうにおっしゃいますね。人聞きの悪そうなことばかりを、いつもおっしゃいますが、無実の罪を着せないでください」
と、横を向きなさるのも、かわいらしく美しい。
夜の明けるのも知らずにお休みになっていると、人びとが大勢参上なさったので、寝殿にお渡りになった。后の宮は、仰々しいご病気でなく平癒なさったので、気分よさそうで、右の大殿の公達などは、碁を打ったり韻塞ぎなどをしてお遊びになる。
[4-2 匂宮、浮舟に言い寄る]
夕方、宮がこちらにお渡りあそばすと、女君は、ご洗髪の時であった。女房たちもそれぞれ休んだりしていて、御前には女房もいない。小さい童女がいたのをつかって、
「折悪くご洗髪の時とは、困りましたね。手持ち無沙汰で、ぼんやりしていようかな」
と、申し上げなさると、
「仰せのとおり、いらっしゃらない合間に、いつもは済ませます。妙に近頃は億劫になられまして、今日を過ごしたら、今月は吉日もありません。九月、十月は、とてもと思われまして、いたしておりますが」
と、大輔はお気の毒がる。
若君もお寝みになっていたので、そちらに女房の皆がいるときで、宮はぶらぶらお歩きになって、西の方にいつもとちがった童女が見えたのを、「新参者か」などとお思いになって、お覗きになる。中程にある襖障子が、細めに開いている所から御覧になると、障子の向こうに、一尺ほど離れて、屏風が立っていた。その端に、几帳を、御簾に添って立ててある。
帷子一枚を横木にひっ懸けて、紫苑色の華やかな袿に、女郎花の織物と見える表着が重なって、袖口が出ている。屏風の一枚が畳まれている間から、「意外にも見えるようだ。新参者でかなりの身分の女房のようだ」とお思いになって、この廂に通じている障子を、たいそう密かに押し開けなさって、静かに歩み寄りなさるのも、誰も気がつかない。
こちらの渡廊の中の壷前栽が、たいそう美しく色とりどりに咲き乱れているところに、遣水のあたりの、石が高くなっているところが、実に風情があるので、端近くに添い臥して眺めているのであった。開いている障子を、もう少し押し開けて、屏風の端からお覗きなさると、宮とは思いもかけず、「いつもこちらに来馴れている女房であろうか」と思って、起き上がった姿形は、たいそう美しく見えるので、いつもの好色のお癖はお堪えになれず、衣の裾を捉えなさって、こちらの障子は引き閉めなさって、屏風の隙間に座りなさった。
変だと思って、扇で顔を隠して振り返った様子、実に美しい。扇をお持になったまま掴えなさって、
「どなたですか。名前が、ぜひ聞きたい」
とおっしゃると、気持ち悪くなった。そうした物の際で、顔を外向けに隠して、とてもたいそうお忍びになっているので、「あの一方ならず思いを寄せていらっしゃるらしい大将であろうか、香ばしい様子などもそれらしく」思われるので、とても恥ずかしくどうしてよいか分からない。
[4-3 浮舟の乳母、困惑、右近、中の君に急報]
乳母は、人の気配がいつもと違うのを、変だと思って、あちらにある屏風を押し開けて来た。
「これは、どうしたことでございましょう。変な事でございます」
と申し上げるが、遠慮なさるべきのことでもない。このような突然のなさりようだが、口上手なご性分なので、何やかやとおっしゃるうちに、すっかり暮れてしまったが、
「誰それと名前を聞かないうちは許しません」
と言って、なれなれしく臥せりなさるので、「宮であったのだ」と思い当たって、乳母は、何とも言いようがなく驚きあきれていた。
大殿油は燈籠に入れて、「まもなくお帰りあそばしましょう」と女房たちが言っている声がする。御前以外の御格子を下ろす音がする。こちらは離れた所であって、高い棚厨子を一具ほど立て、屏風が袋に入れてあるのを、あちこちに立て掛けて、何やかやと雑然とした様子に散らかしている。このように人がいらっしゃるからといって、通り道の障子を一間ほど開けてあるのを、右近といって、大輔の娘で仕えている者が来て、格子を下ろしてこちらに近寄って来る音がする。
「まあ、暗いわ。まだ大殿油もお灯けになっていないのですね。御格子を、苦労して、急いで下ろして、暗闇にまごつきますこと」
と言って、引き上げるので、宮も、「ちょっと困ったな」とお聞きになる。乳母は、乳母で、まことに困ったことだと思って、遠慮せずせっかちで気の強い人なので、
「申し上げます。こちらに、とても怪しからんことがございまして、扱いあぐねて、身動きもとれずにおります」
「どうしたことですか」
と言って、手探りで近づくと、袿姿の男が、とてもよい匂いで寄り添っていらっしゃるのを、「いつもの困ったお振る舞いだ」と気づくのだった。「女が同意なさるはずがない」と察せられるので、
「なるほど、とても見苦しいことでございますね。右近めは、何とも申し上げられません。早速参上して、ご主人にこっそりと申し上げましょう」
と言って立つのを、とんでもなく不体裁なことと、誰も彼もが思うが、宮はびくともなさらない。
「驚くほどに上品で美しい人だな。やはり、どのような人なのであろうか。右近が言った様子からも、とても並の新参者ではないようだ」
納得がゆかず思われなさって、ああ言いこう言い、恨みなさる。嫌がる素振りでもないが、ただひどく死ぬほどつらく思っているのが気の毒なので、思いやりをこめて慰めなさる。
右近は、主人に、
「これこれしかじかでいらっしゃいます。お気の毒で、どんなに困っていらっしゃることでしょうか」
と申し上げると、
「いつもの、情けないお振る舞いですこと。あの母親も、どんなにか軽率で、困ったこととお思いになることだろう。安心にと、繰り返し言っていたものを」
と、お気の毒にお思いになるが、「何と申し上げられよう。仕えている女房たちでも、少し若くて結構な女は、お見捨てになることのない、不思議なご性分の人なので、どのようにしてお気づきになったのだろう」とあきれて、何ともおっしゃれない。
[4-4 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出]
「上達部が大勢参上なさっている日なので、遊びに興じなさっては、いつも、このようなときには遅くお渡りになるので、みな気を許してお休みになっているのです。それにしても、どうしたらよいことでしょう。あの乳母は、気が強かった。ぴったりと付き添ってお守り申して、引っ張って放しかねないほどに思っていました」
と、少将と二人で気の毒がっているところに、内裏から使者が参上して、大宮が今日の夕方からお胸を苦しがりあそばしていたが、ただ今ひどく重態におなりあそばした旨を申し上げる。右近は、
「折悪いご病気だわ。申し上げましょう」
と言って立つ。少将は、
「さあ、でも、今からでは、手遅れであろうから、馬鹿らしくあまり脅かしなさいますな」
と言うと、
「いや、まだそこまではいってないでしょう」
と、ひそひそとささやき合うのを、上は、「とても聞きずらいご性分の人のようだわ。少し考えのある人なら、わたしのことまでを軽蔑するだろう」とお思いになる。
参上して、ご使者が申したのよりも、もう少し急なように申し上げると、動じそうもないご様子で、
「誰が参ったか。いつものように、大げさに脅かしている」
とおっしゃるので、
「中宮職の侍者で、平重経と名乗りました」
と申し上げる。お出かけになることがとても心残りで残念なので、人目も構っていられないので、右近が現れ出て、このご使者を西表で尋ねると、取り次いだ女房も近寄って来て、
「中務宮が、いらっしゃいました。中宮大夫は、ただ今、参ります途中で、お車を引き出しているのを、拝見しました」
と申し上げるので、「なるほど、急に時々お苦しみになる折々もあるが」とお思いになるが、人がどう思うかも体裁悪くなって、たいそう恨んだり約束なさったりしてお出になった。
[4-5 乳母、浮舟を慰める]
恐ろしい夢から覚めたような気がして、汗にびっしょり濡れてお臥せりになっていた。乳母が、扇いだりなどして、
「このようなお住まいは、何かにつけて、遠慮されて不都合であった。このように一度お会いなさっては、今後、良いことはございますまい。ああ、恐ろしい。この上ない方と申し上げても、穏やかならぬお振る舞いは、まことに困ったことです。
他人で縁故のないような人なら、良いとも悪いとも思っていただきましょうが、外聞も体裁悪いこと、と存じられて、降魔の相をして、じっと睨み続け申したところ、とても気持ち悪く、下衆っぽい女とお思いになって、手をひどくおつねりになったのは、普通の人の懸想めいて、とてもおかしくも思われました。
あの殿では、今日もひどく喧嘩をなさいました。「ただお一方のお身の上をお世話するといって、自分の娘を放りっぱなしになさって、客人がおいでになっている時のご外泊は見苦しい」と、荒々しいまでに非難申し上げなさっていました。下人までが聞きずらく思っていました。
ぜんたいが、この少将の君がとても愛嬌ない方と思われなさいます。あの事がございませんでしたら、内輪で穏やかでない厄介な事が、時々ございましても、穏便に、今までの状態でいらっしゃることができましたものを」
などと、嘆息しながら言う。
君は、ただ今は何もかも考えることができず、ただひどくいたたまれず、これまでに経験したこともないような目に遭った上に、「どのようにお思いになっているだろう」と思うと、つらいので、うつ臥してお泣きになる。とてもおいたわしいとなだめかねて、
「どうして、こんなにお嘆きになります。母親がいらっしゃらない人こそ、頼りなく悲しいことでしょう。世間から見ると、父親のいない人はとても残念ですが、意地悪な継母に憎まれるよりは、この方がとても気が楽です。何とかして差し上げましょう。くよくよなさいますな。
そうはいっても、初瀬の観音がいらっしゃるので、お気の毒とお思い申し上げなさるでしょう。旅馴れないお身の上なのに、度々参詣なさることは、人がこのように侮りがちにお思い申し上げているのを、こんなであったのだ、と思うほどのご幸運がありますように、と念じております。わが姫君さまは、物笑いになって、終わりなさるでしょうか」
と、何の心配もないように言っていた。
[4-6 匂宮、宮中へ出向く]
宮は、急いでお出かけになる様子である。内裏に近い方からであろうか、こちらの御門からお出になるので、何かお命じになるお声が聞こえる。たいそう上品でこの上ないお声に聞こえて、風情のある古歌などを口ずさみなさってお過ぎになるところ、何となくやっかいに思われる。予備の馬を牽き出して、宿直に伺候する人を、十人ほど連れて参内なさる。
上は、お気の毒に、嫌な気がしているだろうと思って、知らないそぶりして、
「大宮がご病気だとて参内なさってしまったので、今夜はお帰りになりますまい。洗髪したせいか、気分もさえなくて起きておりますので、いらっしゃいませ。お寂しくいらっしゃいましょう」
と申し上げなさった。
「気分がとても悪うございますので、おさまりましてから」
と、乳母を使って申し上げなさる。
「どのようなご気分ですか」
と、折り返してお見舞いなさるので、
「どこが悪いとも分かりませんが、ただとても苦しうございます」
と申し上げなさるので、少将と、右近は目くばせをして、
「きまり悪くお思いでしょう」
と言うのも、誰も知らないよりはお気の毒である。
「とても残念でお気の毒なこと。大将が関心のあるようにおっしゃっているようであったが、どんなにか軽薄な女とさげすむであろう。こうばかり好色がましくいらっしゃる方は、聞くに堪えなく、事実でないことをもひねくり出し、また実際不都合なことがあっても、さすがに大目に見る方でいらっしゃるようだ。
この君は、表面には出さないで心中に思っていることは、とてもこちらが恥ずかしいほど心深く立派だが、不本意にも心配事が加わった身の上のようだ。長年見ず知らずであった身の上の人であるが、気立てや器量を見ると、放っておくことができず、かわいらしくおいたわしいので、世の中は生きにくく難しいものだなあ。
わが身のありさまは、物足りないところが多くある気持ちがするが、このように人並みにも扱われないはずであった身の上が、そのようには、落ちぶれなかったのは、なるほど、結構なことであった。今はただ、あの憎い懸想心がおありの方が、平穏になって離れてたら、まったく何もくよくよすることはなくなるだろう」
とお思いになる。とても多い御髪なので、すぐには乾かすことができず、起きていらっしゃるのもつらい。白い御衣を一襲だけお召しになっているのは、ほっそりと美しい。
[4-7 中の君、浮舟を慰める]
この君は、ほんとうに気分も悪くなっていたが、乳母が、
「とてもみっともありません。何かあったようにお思いになられましょうよ。ただおっとりとお目にかかりなさいませ。右近の君などには、事のありさまを、初めからお話しましょう」
と、無理に促して、こちらの障子のもとで、
「右近の君にお話し申し上げたい」
と言うと、立って出て来たので、
「とてもおかしなことのございましたせいで、熱がお出になって、ほんとうに苦しそうにお見えなさるのを、気の毒に拝見しています。御前で慰めていただきたい、と思いまして。過失もおありでない身で、とてもきまり悪そうに困っていらっしゃるのも、少しでも男女関係を経験した者ならともかく、とてもとてもそう平気でいらっしゃれまいと、ご無理もない、お気の毒なことと存じあげます」
と言って、起こしたててお連れ申し上げる。
正体もなく、皆が想像しているだろうことも恥ずかしいけれど、たいそう素直でおっとりし過ぎていらっしゃる姫君で、押し出されて座っていらしゃった。額髪などが、ひどく濡れているのを。ちょっと隠して、燈火の方に背を向けていらっしゃる姿は、上をこの上なく美しいと拝見しているのと、劣るとも見えず、上品で美しい。
「この人にご執心なさったら、不愉快なことがきっと起ころう。これほど美しくない人でさえ、珍しい人に、ご興味をお持ちになるご性分だから」
と、二人ばかりが、御前のこととて恥ずかしがっていらっしゃれないので、見ていた。お話をとてもやさしくなさって、
「馴れない気の置ける所などと、お思いなさいますな。故姫君がお亡くなりになって後、忘れる時もなくひどく悲しく、身も恨めしく、例のないような気持ちで過ごして来ましたが、とてもよく似ていらっしゃるご様子を見ると、慰められる気がして感慨深いです。大切に思ってくれる肉親もない身なので、故人のお気持ちのようにお思いくださったら、とても嬉しいです」
などとお話しになるが、とても遠慮されて、また田舎者めいた気持ちで、お答え申し上げる言葉も浮かばなくて、
「長年、とても遥か遠くにばかりお思い申し上げていましたので、このようにお目にかからせていただきますのは、すべてが思い慰められるような気がいたしております」
とだけ、とても若々しい声で言う。
[4-8 浮舟と中の君、物語絵を見ながら語らう]
絵などを取り出させて、右近に詞書を読ませて御覧になると、向かい合って恥ずかしがっていることもおできになれず、熱心に御覧になっている燈火の姿、まったくこれという欠点もなく、繊細で美しい。額の具合、目もとがほんのりと匂うような感じがして、とてもおっとりとした上品さは、まるで亡くなった姫君かとばかり思い出されるので、絵は特に目もお止めにならず、
「とてもよく似た器量の人だわ。どうしてこんなにも似ているのであろう。亡き父宮にとてもよくお似申していらっしゃるようだ。亡き姫君は、父宮の御方に、わたしは母上にお似申していたと、老女連中は言っていたようだ。なるほど、似た人はひどく懐かしいものであった」
とお比べになると、涙ぐんで御覧になる。
「姉君は、この上なく上品で気高い感じがする一方で、やさしく柔らかく、度が過ぎるくらいなよなよともの柔らかくいらっしゃった。
この妹君は、まだ態度が初々しくて万事を遠慮がちにばかり思っているせいか、見栄えのする優雅さという点で劣っている。重々しい雰囲気だけでもついたならば、大将が結婚なさるにも、全然不都合ではあるまい」
などと、姉心にお世話がやかれなさる。
お話などなさって、暁方になってお寝みになる。横に寝せなさって、故父宮のお話や、生前のご様子などを、ぽつりぽつりとお話しになる。とても会いたく、お目にかかれずに終わってしまったことを、「たいそう残念に悲しい」と思っていた。昨夜の事情を知っている女房たちは、
「どうしたのでしょうね。とてもかわいらしいご様子でしたが。どんなにおかわいがりになっても、その効がないでしょうね。かわいそうなこと」
と言うと、右近が、
「そうでも、ありません。あの乳母が、わたしをつかまえてとりとめもなく愚痴をこぼした様子では、何もなかったと言っていました。宮も、会っても会わないような意味の古歌を、口ずさんでいらっしゃいました」
「さあね。わざとそう言ったのかも。それは、知りませんわ」
「昨夜の燈火の姿がとてもおっとりしていたのも、何かあったようにはお見えになりませんでした」
などと、ひそひそ言って気の毒がる。
5 浮舟の物語 浮舟、三条の隠れ家に身を寄せる
[5-1 乳母の急報に浮舟の母、動転す]
乳母は、車を頼んで、常陸殿邸へ行った。北の方にこれこれでしたと言うと、驚きあわてて、「女房が怪しからんことのように言ったり思ったりするだろう。ご本人もどのようにお思いであろう。このようなことでの嫉妬は、高貴な方も変わりないものだ」と、自分の経験からじっとしてしていられなくなって、夕方参上した。
宮がいらっしゃらないので安心して、
「妙に子供じみた娘を置いていただき、安心してお頼み申し上げていましたが、鼬がおりますような気がしますので、ろくでもない家の者たちに、憎まれたり恨まれたりしております」
と申し上げる。
「とてもそう言うような子供ではないと思いますが。心配そうに疑っていらっしゃるお口ぶりが、気になりますこと」
と言って笑っていらっしゃるのが、気おくれするようなお目もとを見ると、内心気が咎める。「どのように思っていらっしゃるだろう」と思うと、何も申し上げることができない。
「こうしてお側に置かせていただけるなら、長年の願いが叶う気持ちがして、誰が漏れ聞きましても体裁よく、面目がましくことに存じられますが、やはり気兼ねされることでございました。出家の本願は、固く守って変わらぬものでございますものを」
と言って、泣くのもとても気の毒で、
「こちらでは、どのようなことを不安に思われるでしょうか。どうなるにせよ、よそよそしく見放しているのならともかく、けしからぬ気を起こして困った方が、時々いらっしゃるようだが、その性質を誰もが知っているので、気をつけて、不都合なお扱いはいたすまいと思うのですが、どのようにお思いなのでしょうか」
おっしゃる。
「まったく、お心隔てがあるとは存じ上げておりません。お恥ずかしいことに認知していただけなかったことは、どうして今さら申し上げましょう。そのことでなくても、離れない縁がございますのを、よりどころとしてお頼み申し上げています」
などと、並々ならずお頼み申し上げて、
「明日明後日に、固い物忌みがございますので、厳重な所で過ごして、改めて参上させましょう」
と申し上げて、連れて行く。「お気の毒に不本意なことだわ」とお思いになるが、引き止めなさることもできない。思いがけない不祥事に驚き騒いでいたので、ろくろく挨拶も申し上げないで出発した。
[5-2 浮舟の母、娘を三条の隠れ家に移す]
このような方違えの場所と思って、小さい家を準備していたのであった。三条近辺に、しゃれた家が、まだ造りかけのところなので、これといった設備もできていなかった。
「ああ、この方一人を、いろいろと持て余し申し上げることよ。思い通りにいかない世の中では、長生きなんかするものではない。自分一人は、平凡にまったくの身分もなく人並みでない、ただ受領の後妻として引っ込んで過ごせもしよう。こちらのご親戚筋は、つらいとお思い申し上げた方を、お親しみ申し上げて、不都合なことが出てきたら、実に物笑いなことでしょう。つまらないことだ。粗末な家であるけれども、この家を誰にも知らせず、こっそりといらっしゃいませ。そのうち何とかうまくして上げましょう」
と言い置いて、自分自身は帰ろうとする。姫君は、ちょっと泣いて、「生きているのも肩身の狭い思いだ」と、沈んでいらっしゃる様子、とても気の毒である。母親は母親で、それ以上に惜しくも残念なので、何の支障もなくて思う通りに縁づけてやりたいと思い、あのいたたまれない事件によって、人からいかにも軽薄に思われたり言われたりするのが、気になってならないのであった。
思慮が浅いというのではない人で、やや腹を立てやすくて、気持ちのままに行動するところが少しあったのだった。あの家でも隠して置けたであろうが、そのように引っ込ませておくのを気の毒に思って、このようにお世話するので、長年側を離れず、毎日一緒にいたので、互いに心細く堪え難く思っていた。
「ここは、まだこうして造作が整っていず、危なっかしい所のようです。用心しなさい。あちこちの部屋にある道具類を、持ち出してお使いなさい。宿直人のことなどを言いつけてありますのも、とても気がかりですが、あちらに怒られ恨まれるのが、とても困るので」
と、ちょっと泣いて帰る。
[5-3 母、左近少将と和歌を贈答す]
少将の待遇を、常陸介は、この上ないものに思って準備し、「一緒に、ぶざまにも、世話をしてくれない」と恨むのであった。とても億劫で、「この人のために、このような厄介事が起こったのだ」と、この上もなく大事な娘がこのようなことになったので、つらく情けなくて、少しも世話をしない。
あの宮の御前で、たいそう貧相に見えたので、たぶんに軽蔑してしまっていたので、「秘蔵の婿にとお世話申し上げたい」などと、思った気持ちもなくなってしまった。「ここでは、どのように見えるであろうか。まだ気を許した姿は見えないが」と思って、くつろいでいらした昼頃、こちらの対に来て、物蔭から覗く。
白い綾の柔らかい感じの下着に、紅梅色の打ち目なども美しいのを着て、端の方に前栽を見ようとして座っているのは、「どこが劣ろうか。とても美しいようだ」と見える。娘は、とてもまだ幼なそうで、無心な様子で添い臥していた。宮の上が並んでいらしたご様子を思い出すと、「物足りない二人だわ」と見える。
前にいる御達に、何か冗談を言って、くつろいでいるのは、とても見たように、見栄えがしなく貧相には見えないのは、「あの宮にいた時とは、まるで別の少将だなあ」と思ったとたんに、こう言うではないか。
「兵部卿宮の萩が、やはり格別に美しかったなあ。どのようにして、あのような種ができたのであろうか。同じ萩ながら枝ぶりが実に優美であったよ。先日参上して、お出かけになるところだったので、折ることができずになってしまった。『色が褪せることさえ惜しいのに』と、宮が口ずさみなさったのを、若い女房たちに見せたならば」
と言って、自分でも歌を詠んでいた。
「どんなものかしら。気持ちのほどを思うと、人並みにも思えず、人前に出ては普段より見劣りがしていたのだが。どのように詠むのであろうか」
とぶつぶつ言いたくなるが、大して物の分からない様子には、そうはいっても見えないので、どのように詠むかと、試しに、
「囲いをしていた小萩の上葉は乱れもしないのに
どうした露で色が変わった下葉なのでしょう」
と言うと、捨て難く思って、
「宮城野の小萩のもとと知っていたならば
露は少しも心を分け隔てしなかったでしょうに
何とか自分自身で申し開きしたいものです」
言っていた。
[5-4 母、薫のことを思う]
「故宮の御事を聞いているらしい」と思うと、「ますます何とかして人並みな結婚を」とばかり心にかかる。筋ちがいながら、大将殿のご様子や器量が、恋しく面影に現れる。同じく素晴らしい方と拝見したが、宮は問題にもなさらず、念頭にも思ってくださらない。侮って無理に入り込みなさったのを、思うにつけても悔しい。
「この君は、何と言っても言い寄ろうとするお気持ちがありながら、急にはおっしゃらず、平気を装っていらっしゃるのは大したものだ、なにごとにつけても思い出されるので、若い娘は、わたし以上に、このようにお思い申し上げていらっしゃるだろう。自分の婿にしようと、このような憎い男を思ったのこそ、見苦しいことであった」
などと、ただ気になって、物思いばかりがされて、ああしたらこうしたらと、万事に良い将来の事を思い続けるが、とても実現は難しい。
「高貴なご身分や、ご風采、ご結婚申し上げなさった方は、もう一段優れた方であるから、どのような人であったらお心を止めてくださるだろうか。世間の人のありさまを見たり聞いたりすると、優劣は、身分の高低や、出自の尊卑によって、器量も気立ても決まるものであった。
自分の娘たちを見ても、この姫君に似た者がいようか。少将を、この家の内でまたとない人のように思っているが、宮とご比較申しては、まったく話にもならないほどに推察される。今上帝の御秘蔵の娘をいただきなさったような方のお目から見れば、とてもとても恥ずかしく、気が引けるにちがいないな」
と思うと、何となく気分もうわの空になってしまった。
[5-5 浮舟の三条のわび住まい]
旅の宿は、所在なくて、庭の草もうっとうしい気がするので、卑しい東国の声をした連中ばかりが出入りして、慰めとして見ることのできる前栽の花もない。未完成の所で、気分も晴れないまま明かし暮らすので、宮の上のご様子を思い出すと、若い気持ちに恋しかった。困ったことをなさった方のご様子も、やはり思い出されて、
「何と言ったのだろうか。とてもたくさんしみじみとおっしゃったなあ」
立ち去った後の御移り香が、まだ残っている気がして、恐ろしかったことも思い出される。
母君が、どうしているだろうかと、とてもしみじみとした手紙を書いてお寄こしになる。並々ならずおいたわしく気づかってくださるようなのに、「世話していただく効もないようなこと」とつい泣けてきて、
「どのように所在なく落ち着かない気がなさっていることでしょう。しばらく隠れてお過ごしなさい」
とあるのに対する返事に、
「所在なさが何でしょう。この方が気楽です。
一途に嬉しいことでしょう
ここが世の中で別の世界だと思えるならば」
と、子供っぽく詠んだのを見ながら、ほろほろと泣いて、「このように行方も定めずふらふらさせていること」と、ひどく悲しいので、
「憂き世ではない所を尋ねてでも
あなたの盛りの世を見たいものです」
と、素直な思いのままに詠み交わして、心情を吐露するのであった。
6 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く
[6-1 薫、宇治の御堂を見に出かける]
あの大将殿は、いつものように、秋が深まってゆくころ、習慣になっている事なので、夜の寝覚めごとに忘れず、しみじみとばかり思われなさったので、「宇治の御堂を造り終わった」と聞きなさると、ご自身でお出かけになった。
久しく御覧にならなかったので、山の紅葉も珍しく思われる。解体した寝殿は、今度は立派に造り変えなさった。昔とても簡略にして、僧坊めいていらした住まいを思い出すと、この宮邸も恋しく思い出されなさって、様変りさせてしまったのも、残念なまでに、いつもより眺めていらっしゃる。
もとからあったご設備は、たいへん尊重して、もう一方を女性向きにこまやかに整えるなどして、一様ではなかったが、網代屏風や何やらの粗末な物などは、あの御堂の僧坊の道具として、特別に役立たせなさった。山里めいた道具類を、特別に作らせなさって、ひどく簡略にせず、たいそう美しく奥ゆかしく作らせてあった。
遣水の辺にある岩にお座りになって、
「涸れてしまわないこの清水にどうして亡くなった人の
面影だけでもとどめておかなかったのだろう」
涙を拭いながら、弁の尼君の方にお立ち寄りになると、とても悲しいと拝見すると、ただべそをかくばかりである。長押にちょっとお座りになって、簾の端を引き上げて、お話なさる。几帳に隠れて座っていた。話のついでに、
「あの人は、最近宮邸にいると聞いたが、やはりきまり悪く思われて、尋ねていません。やはり、こちらからすっかりお伝え下さい」
とおっしゃると、
「先日、あの母君の手紙がございました。物忌みの方違えするといって、あちらこちらと移っていらしたようです。最近も、粗末な小家に隠れていらっしゃるらしいのも気の毒で、少し近い所であったら、そこに移して安心でしょうが、荒々しい山道で、簡単には思い立つことができないで、とございました」
と申し上げる。
「人びとがこのように恐ろしがっているような山道を、自分は相変わらず分け入って来るのだ。どれほどの前世からの約束事があってかと思うと、感慨無量です」
と言って、いつものように、涙ぐんでいらっしゃった。
「それでは、その気楽な隠れ家に、お便りしてください。ご自身で、あちらに出向いてくださいませんか」
とおっしゃると、
「お言葉をお伝えしますことは簡単です。今さら京に出ますことは億劫で、宮邸にさえ参りませんのに」
と申し上げる。
[6-2 薫、弁の尼に依頼して出る]
「どうしてそんなことが。どうするにせよ、誰かが伝え聞いて言うならともかく、愛宕の聖でさえ、場合によっては出ないことがあろうか。固い誓いを破って、人の願いをお満たしになるのが尊いことです」
とおっしゃると、
「衆生済度の徳もございませんのに、聞き苦しい噂も、出て来ましょう」
と言って、困ったことに思っていたが、
「やはり、ちょうどよい機会だから」
と、いつもと違って無理強いして、
「明後日ぐらいに、車を差し向けましょう。その仮住まいの家を調べておいてください。けっして馬鹿げたまちがいはしませんから」
と、にっこりしておっしゃるので、やっかいで、「どのようにお考えなのだろう」と思うが、「浅薄で軽々しくないご性質なので、自然とご自分のためにも、外聞はお慎みになっていらっしゃるだろう」と思って、
「それでは、承知いたしました。お近くですから。お手紙などをおやりくださいませ。わざわざ利口ぶって、取り持ちを買って出たようにとられますのも、今さら伊賀専女のようではないかしら、と気がひけます」
と申し上げる。
「手紙は、簡単でしょうが、人の噂が、とてもうるさいものですから、右大将は、常陸介の娘に求婚しているそうだなどとも、取り沙汰しようから。その介の殿は、とても荒々しい人のようですね」
とおっしゃると、ふと笑って、お気の毒にと思う。
暗くなったのでお出になる。木の下草が美しい花々や、紅葉などを折らせなさって、宮に御覧にお入れなさる。ご結婚の効がなくはなくいらっしゃるようだが、畏れ敬っているような感じで、たいそうお親しみ申し上げずにいるようである。帝から、普通の親のように、入道の宮にもお頼み申し上げなさっているので、たいそう重々しい点では、この上なくお思い申し上げていらっしゃった。あちらからもこちらからも、大切にされなさるお世話に加えて、やっかいな執心が加わったのが、つらいことであった。
[6-3 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる]
お約束になった日のまだ早朝に、腹心の家来とお思いになる下臈の侍を一人、顔を知られていない牛飼童を用意して遣わす。
「荘園の連中で田舎者じみたのを召し出して、付き添わせよ」
とおっしゃる。必ず京に出て来るようにとおっしゃっていたので、とても気がひけてつらいけれど、ちょっと化粧をして車に乗った。野山の様子を見るにつけても、若いころからの古い出来事が自然と思い出されて、物思いに耽りながら着いたのであった。とてもひっそりとして人の出入りもない所なので、車を引き入れて、
「これこれで、参りました」
と、案内の男を介して言わせると、初瀬のお供をした若い女房が、出てきて車から降ろす。粗末な家で物思いに耽りながら明かし暮らしていたので、昔話もできる人が来たので、嬉しくなって呼び入れなさって、父親と申し上げた方のご身辺の人と思うと、慕わしくなるのであろう。
「しみじみと、人知れずお目にかかりまして後は、お思い出し申し上げない時はありませんが、世の中をこのように捨てた身なので、あちらの宮邸にさえ参りませんが、この大将殿が、不思議なまでにお頼みになるので、思い起こして参りました」
と申し上げる。姫君も乳母も、素晴らしいお方と拝見していたお方のご様子なので、忘れないふうにおっしゃるというのも、嬉しいが、急にこのようにご計画なさるとは、思い寄らなかった。
[6-4 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う]
宵を少し過ぎたころに、「宇治から参った者です」と言って、門をそっと叩く。「そうかしら」と思うが、弁が開けさせると、車を引き入れる。妙だと思うと、
「尼君に、お目にかかりたい」
と言って、その近くの荘園の支配人の名を名乗らせなさったので、戸口にいざり出た。雨が少し降りそそいで、風がとても冷やかに吹きこんで、何ともいえない良い匂いが漂ってくるので、「そうであったのか」と、皆が皆心をときめかせるにちがいないご様子が結構なので、心づもりもなくむさくるしいうえに、まだ予想もしていなかった時なので、気が動転して、
「どうしたことであろうか」
と言い合っていた。
「気楽な所で、いく月もの間の抑えきれない思いを申し上げたいと思いまして」
と言わせなさった。
「どのように申し上げたらよいものか」と思って、君はつらそうに思っていらしたので、乳母が見苦しがって、
「このようにいらっしゃったのを、お座りもいただかず、このままお帰し申し上げることができましょうか。あちらの殿にも、これこれです、とそっと申し上げましょう。近い所ですから」
と言う。
「気がきかないことを。どうして、そうすることがありましょう。若い方どうしがお話し申し上げなさるのに、急に深い仲になるものでもありますまい。不思議なまでに気長で、慎重でいらっしゃる君なので、けっして相手の許しがなくては、気をお許しになりますまい」
などと言っているうちに、雨が次第に降って来たので、空はたいそう暗い。宿直人で変な声をした者が、夜警をして、
「家の辰巳の隅の崩れが、とても危険だ。こちらの、客のお車は入れるものなら、引き入れてご門を閉めよ。この客人の供人は、気がきかない」
などと言い合っているのも、気持ち悪く聞き馴れない気がなさる。
「佐野の辺りに家もないのに」
などと口ずさんで、田舎めいた簀子の端の方に座っていらっしゃった。
「戸口を閉ざすほど葎が茂っているためか
東屋であまりに待たされ雨に濡れることよ」
と、露を払っていらっしゃる、その追い風が、とても尋常でないほど匂うので、東国の田舎者も驚くにちがいない。
あれやこれやと言い逃れるすべもないので、南の廂にお座席を設けて、お入れ申し上げる。気安くお会いなさらないのを、誰彼らが押し出した。遣戸という物を錠をかけて、少し開けてあったので、
「飛騨の大工までが恨めしい仕切りですね。このような物の外には、まだ座ったことがありません」
とお嘆きになって、どのようになさったのか、お入りになってしまった。あの人形の願いもおしゃっらず、ただ、
「思いがけず、何かの間から覗き見して以来、何となく恋しいこと。そのような運命であったのか、不思議なまでにお思い申し上げています」
とお口説きになるのであろう。女の様子は、とてもかわいらしくおっとりしているので、見劣りもせず、とてもしみじみとお思いになった。
[6-5 薫と浮舟、宇治へ出発]
まもなく夜が明けてしまう気がするのに、鶏などは鳴かないで、大路に近い所で間のびした声で、何とも聞いたことのない物売りの呼び上げる声がして、連れ立って行くのなどが聞こえる。このような朝ぼらけに見ると、品物を頭の上に乗せている姿が、「鬼のような恰好だ」とお聞きになっているのも、このような蓬生の宿でごろ寝をした経験もおありでないので、興味深くもあった。
宿直人も門を開けて出る音がする。それぞれ中に入って横になる音などをお聞きになって、人を呼んで、車を妻戸に寄せさせなさる。抱き上げてお乗せになった。誰も彼もが、おかしな、どうしようもないことだとあわてて、
「九月でもありますのに。情けないことです。どうなさるのですか」
と嘆くと、尼君も、とてもお気の毒になって、意外なことだったが、
「自然とお考えのことがあるのでしょう。不安にお思いなさるな。九月は、明日が節分だと聞きました」
と言って慰める。今日は、十三日であった。尼君は、
「今回は、同行できません。宮の上が、お聞きになることもありましょうから、こっそりと行ったり来たりいたしますのも、まことに具合が悪うございます」
と申し上げるが、早々にこの事をお聞かせ申し上げるのも、恥ずかしく思われなさって、
「それは、後からお詫び申してもお済みになることでしょう。あちらでも案内する人がいなくては、頼りない所ですから」
とお責めになる。
「誰か一人、お供しなさい」
とおっしゃると、この君に付き添っている侍従と乗った。乳母は、尼君の供をして来た童女などもとり残されて、まことに何が何やら分からぬ気持ちでいた。
[6-6 薫と浮舟の宇治への道行き]
「近い所にか」と思うと、宇治へいらっしゃるのであった。牛なども取り替える準備をなさっていた。加茂の河原を過ぎ、法性寺の付近をお通りになるころに、夜はすっかり明けた。
若い女房は、とてもかすかに拝見して、お誉め申して、何となくお慕い申し上げるので、世間の思惑も何とも思わない。女君はとても驚いて、何も考えられずうつ伏しているのを、
「大きな石のある道は、つらいものだ」
と言って、抱いていらっしゃった。薄物の細長を、車の中に垂れて仕切っていたので、明るく照り出した朝日に、尼君はとても恥ずかしく思われるにつけて、「故姫君のお供をして、このように拝見したかったものだ。生き永らえると、思いもかけないことにあうものだ」と、悲しく思われて、抑えようとするが、つい顔がゆがんで泣くのを、侍従はとても憎らしく、ご結婚早々に尼姿で乗り添っているだけでも不吉に思うのに、「何で、こうしてめそめそするのか」と、憎らしく愚かにも思う。年老いた人は、何となく涙もろいものだ、と簡単に考えるのであった。
君も、相手の女は憎くないが、空の様子につけても、故人への恋しさがつのって、山深く入って行くにしたがって、霧が立ち渡ってくる気がなさる。物思いに耽って寄り掛かっていらっしゃる袖が、重なりながら長々と外に出ているのが、川霧に濡れて、お召し物が紅色なところに、お直衣の花が大変に色変わりしているのを、急坂の下る所で見つけて、引き入れなさる。
「故姫君の形見だと思って見るにつけ
朝露がしとどに置くように涙に濡れることだ」
と、心にもなく独り言をおっしゃるのを聞いて、ますます袖をしぼるほどに、尼君の袖も泣き濡れているのを、若い女房は、「妙な見苦しいことだ」。嬉しいはずの道中に、とてもやっかいな事が、加わった気持ちがする。堪えきれない鼻水をすする音をお聞きになって、自分もこっそりと鼻をかんで、「どのように思っているだろうか」とお気の毒なので、
「長年、この道をいく度も行き来したことを思うと、何となく感慨無量な気持ちがします。少し起き上がって、この山の景色を御覧なさい。とてもふさぎこんでいらっしゃいませんか」
と、無理に起こしなさると、美しい感じに、ちょっと隠して、遠慮深そうに外を見い出しなさっている目もとなどは、とてもよく似て思い出されるが、おだやかであまりにおっとりとし過ぎているのが、不安な気がする。「とてもたいそう子供っぽくいらしたが、思慮深くいらっしゃったな」と、やはり癒されない悲しみは、空しい大空いっぱいにもなってしまいそうである。
[6-7 宇治に到着、薫、京に手紙を書く]
宇治にお着きになって、
「ああ、亡き方の魂がとどまって御覧になっていようか。誰のために、このようにあてもなく彷徨い歩こうというのか」
と思い続けられなさって、降りてからは少し気をきかせて、側を立ち去りなさった。女は、母君がどうお思いになるかが、とても気がかりであるが、優雅な態度で、愛情深くしみじみとお話なさるので、慰められて降りた。
尼君は、こちらで特に降りないで、渡廊の方に寄せたのを、「わざわざ気をつかうべき住まいでもないのに、心づかいが過ぎる」と御覧になる。御荘園から、いつものように、人びとが騒がしいほど参集する。女のお食事は、尼君の方から差し上げる。道中は草が茂っていたが、こちらの様子は、たいそう晴れ晴れとしている。
川の様子も山の景色も、上手に取り入れた建物の造りを眺めやって、日頃の鬱陶しい思いが慰められた気がするが、「どのようになさるおつもりか」と、不安で変な感じがする。
殿は、京にお手紙をお書きになる。
「まだ完成しない仏像のお飾りなどを拝見しておりましたが、今日が吉日なので、急いで参りまして、気分が良くないうえに、物忌であったのを思い出しまして、今日明日はこちらで慎んでおります」
などと、母宮にも姫宮にも申し上げなさる。
[6-8 薫、浮舟の今後を思案す]
くつろいでいらっしゃるご様子で、いま一段と魅力的になって入っていらっしゃったのも恥ずかしい気がするが、身を隠すわけにもいかず座っていらっしゃった。女の装束などは、色とりどりに美しくと思って襲着していたが、少し田舎風なところが混じっていて、故人がとても柔らかくなったお召し物のお姿で、上品に優美であったことばかりが思い出されたが、
「髪の裾の美しさなどは、たっぷりと上品である。宮の御髪がたいそう素晴らしかったのにも劣らないようだ」
と御覧になる。一方では、
「この人をどのように扱ったらよいのだろう。今すぐに、重々しくあの自邸に迎え入れるのも、外聞がよくないだろう。そうかといって、大勢いる女房と同列にして、いい加減に暮らさせるのは望ましくないだろう。しばらくの間は、ここに隠しておこう」
と思うのも、会わなかったら寂しくかわいそうに思われなさるので、並々ならず一日中お話なさる。故宮の御事もお話し出して、昔話を興趣深く情をこめて冗談もおっしゃるが、ただとても遠慮深そうにして、ひたすら恥ずかしがっているのを、物足りないとお思いになる。
「間違っても、このように頼りないのはとてもよい。教えながら世話をしよう。田舎風のしゃれ気があって、品が悪く、軽はずみだったならば、身代わりにならなかったろうに」
と思い直しなさる。
[6-9 薫と浮舟、琴を調べて語らう]
ここにあった琴や、箏の琴を召し出して、「このような事は、またいっそうできないだろう」と、残念なので、独りで調べて、
「宮がお亡くなりになって以後、ここでこのような物に、実に久しく手を触れなかった」
と、珍しく自分ながら思われて、たいそうやさしく弄びながら物思いに耽っていらっしゃると、月が出た。
「宮のお琴の音色が、仰々しくはなくて、とても美しくしみじみとお弾きになったなあ」
とお思い出しになって、
「昔、皆が生きていらっしゃった時に、ここで大きくおなりになったら、もう一段と感慨は深かったでしょうに。親王のご様子は、他人でさえ、しみじみと恋しく思い出され申します。どうして、そのような場所に、長年いられたのですか」
とおっしゃると、とても恥ずかしくて、白い扇を弄びながら、添い臥していらっしゃる横顔は、とてもどこからどこまで色白で、優美な額髪の間などは、まことによく思い出されて感慨深い。それ以上に、「このような音楽の技芸もふさわしく教えたい」とお思いになって、
「これは、少しお弾きになったことがありますか。ああ、吾が妻という和琴は、いくらなんでもお手を触れたことがありましょう」
などとお尋ねになる。
「その和歌でさえ、聞きつけずにいましたのに、まして、和琴などは」
と言う。まったく見苦しく気がきかないようには見えない。ここに置いて、思い通りに通って来られないことをお思いになるのが、今からつらいのは、並一通りにはお思いでないのだろう。琴は押しやって、
「楚王の台の上の夜の琴の声」
と朗誦なさるのも、あの弓ばかりを引く所に住み馴れて、「とても素晴らしく、理想的である」と、侍従も聞いているのであった。一方では、扇の色も心を配らねばならない閨の故事を知らないので、一途にお誉め申し上げているのは、教養のないことである。「事もあろうに、変なことを、言ってそまったなあ」とお思いになる。
尼君のもとから、果物を差し上げた。箱の蓋に、紅葉や、蔦などを折り敷いて、風流にとりまぜて、敷いてある紙に、不器用に書いてあるものが、明るい月の光にふと見えたので、目を止めなさっていると、果物を欲しがっているように見えた。
「宿木は色が変わってしまった秋ですが
昔が思い出される澄んだ月ですね」
と古風に書いてあるのを、恥ずかしくもしみじみともお思いになって、
「里の名もわたしも昔のままですが
昔の人が面変わりしたかと思われる閨の月光です」
特に返歌というわけではなくおっしゃったのを、侍従が伝えたとか。
51. 浮舟
薫君の大納言時代26歳12月から27歳の春雨の降り続く3月頃までの物語
- 匂宮、浮舟を追想し、中君を恨む 宮は、今もなお、あのちらっと御覧になった夕方をお忘れになる時とてない
- 薫、浮舟を宇治に放置 あの方は、たとえようもなくのんびりと構えていらっしゃって
- 薫と中君の仲 少し暇がないようにおなりになったが
- 正月、宇治から京の中君への文 正月の上旬が過ぎたころにお越しになって
- 匂宮、手紙の主を浮舟と察知す 特に才気があるようには見えないが
- 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を知る ご自分のお部屋にお帰りになって、「不思議なことであったな
- 匂宮、薫の噂を聞き知り喜ぶ 「とても嬉しいことを聞いたなあ」とお思いになって
1 匂宮の物語 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を聞き知る
- 匂宮、宇治行きを大内記に相談 ただそのことを、最近は考え込んでいらっしゃった
- 匂宮、馬で宇治へ赴く お供に、昔もあちらの様子を知っている者、二、三人と
- 匂宮、浮舟とその女房らを覗き見る 静かに昇って、格子の隙間があるのを見つけて
- 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む 「どの程度の親族であろうか
- 翌朝、匂宮、京へ帰らず居座る 夜は、どんどん明けて行く。お供の人が来て咳払いをする
- 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す 右近が出て来て、この声を出した人に
- 右近、浮舟の母の使者の迎えを断わる 日が高くなったので、格子などを上げて
- 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす いつもは時間のたつのも長く感じられ、霞んでいる山際を
- 翌朝、匂宮、京へ帰る 夜になって、京へ遣わした大夫が帰参して、右近に会った
2 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
- 匂宮、二条院に帰邸し、中君を責める 二条の院にお着きになって、女君が
- 明石中宮からと薫の見舞い 内裏から大宮のお手紙が来たので、驚きなさって
- 二月上旬、薫、宇治へ行く 月が替わった。このようにお分かりになるが、お出かけになることは
- 薫と浮舟、それぞれの思い 「造らせている所は、だんだんと出来上がって来た
- 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す 山の方は霞が隔てて、寒い洲崎に立っている鵲の姿も
3 浮舟と薫の物語 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す
- 二月十日、宮中の詩会催される 二月の十日ころに、内裏で作文会を開催あそばすということで
- 匂宮、雪の山道の宇治へ行く あの方のご様子からも、ますますはっとなさったので
- 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す 夜のうちにお帰りになるのも
- 匂宮、浮舟に心奪われる 日が差し出て、軒の氷柱が光り合っていて
- 匂宮、浮舟と一日を過ごす 人目も絶えて、気楽に話し合って一日お過ごしになる
- 匂宮、京へ帰り立つ 御物忌を、二日とおだましになっていたので、のんびりとしたまま
- 匂宮、二条院に帰邸後、病に臥す このような時の帰りは、やはり二条院においでになる
4 浮舟と匂宮の物語 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す
- 春雨の続く頃、匂宮から手紙が届く 雨が降り止まないで、日数が重なるころ
- その同じ頃、薫からも手紙が届く あれこれと見るのも嫌な気がするので
- 匂宮、薫の浮舟を新築邸に移すことを知る 女宮にお話などを申し上げた機会に
- 浮舟の母、京から宇治に来る 大将殿は、四月の十日とお決めになっていた
- 浮舟の母、弁の尼君と語る 日が暮れて月がたいそう明るい。有明の空を思い出すと
- 浮舟、母と尼の話から、入水を思う 「まあ、嫌らしいこと。帝のお姫様をお持ちに
- 浮舟の母、帰京す 悩ましそうに臥せっていらっしゃるのを、乳母にも言って
5 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う
- 薫と匂宮の使者同士出くわす 殿のお手紙は今日もある。気分が悪いと申し上げていたので
- 薫、匂宮が女からの文を読んでいるのを見る 才覚のある者なので、供に連れている童を
- 薫、随身から匂宮と浮舟の関係を知らされる 夜が更けて、みな退出なさった。大臣は、宮を先にお立て
- 薫、帰邸の道中、思い乱れる 帰途、「やはり、実に油断のならない、抜け目なくいらっしゃる宮であるよ
- 薫、宇治へ随身を遣わす 「自分が、嫌気がさしたといって、見捨てたら
- 右近と侍従、右近の姉の悲話を語る 正面きってではないが、それとなくおっしゃった様子を
- 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う 「さあね。右近は、どちらにしても、ご無事に
6 浮舟と薫の物語 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う
- 内舎人、薫の伝言を右近に伝える 殿からは、あの先日の返事をさえおっしゃらずに
- 浮舟、死を決意して、文を処分す 女君は、「なるほど、今はまことに悪くなってしまった身の上のようだ
- 三月二十日過ぎ、浮舟、匂宮を思い泣く 二十日過ぎにもなった。あの家の主人が
- 匂宮、宇治へ行く 宮は、「こうしてばかり、依然として承知する様子もなくて
- 匂宮、浮舟に逢えず帰京す 宮は、御馬で少し遠くに立っていらっしゃったが
- 浮舟の今生の思い 右近が、きっぱり断った旨を言っていると
- 京から母の手紙が届く 宮は、たいそうな恨み言をおっしゃっていた
- 浮舟、母への告別の和歌を詠み残す 寺へ使者をやった間に、返事を書く
7 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す
1 匂宮の物語 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を聞き知る
[1-1 匂宮、浮舟を追想し、中君を恨む]
宮は、今もなお、あのちらっと御覧になった夕方をお忘れになる時とてない。「たいした身分ではけっしてなさそうであったが、人柄が誠実で魅力的であったなあ」と、とても浮気なご性分にとっては、「残念なところで終わってしまったことだ」と、悔しく思われなさるままに、女君に対しても、
「あのように、ちょっとしたことぐらいで、むやみに、このような方面の嫉妬をなさるなあ。思いがけなく情けない」
と、悪口言って恨み申し上げなさる時々は、とてもつらくて、「ありのままに申し上げてしまおうかしら」とお思いになるが、
「重々しい様子にはお扱いなさらないようだが、いいかげんでない扱いに、心とめて人が隠していらっしゃる女を、おしゃべりに申し上げてしまうようなのも、そのまま聞き流しなさるようなご性分の方ではいらっしゃらないようだ。
仕えている女房の中でも、ちょっと何かおっしゃり関係を持とうとお思いになった者にはすべて、身分柄あってはならない実家までお尋ねあそばすご体裁の良くないご性分なので、あれほど月日を経ても、お思い込んでいらっしゃるあたりの女は、女房の場合以上にきっと見苦しいことを引き起こしなさるだろう。他から伝え聞きなさるのはどうすることもできない。
どちらにとってもお気の毒ではあっても、それを防げる方のご性分でないので、他人の場合よりは聞きにくいなどとばかりに思われるだろう。どうなるにせよ、自分からの過失にはするまい」
と思い返しなさっては、お気の毒には思うが申し上げなさらず、嘘をついてもっともらしく言いつくろうことは、おできになれないので、黙りとおして嫉妬する、世の常の女になっていらっしゃった。
[1-2 薫、浮舟を宇治に放置]
あの方は、たとえようもなくのんびりと構えていらっしゃって、「待ち遠しいと思っているだろう」と、お気の毒にはお思いやりになりながら、窮屈な身の上を、適当な機会がなくては、たやすくお通いになれる道ではないので、神が禁じている以上に困っている。けれども、
「いずれはたいそうよく扱ってやろう、と思う。山里の慰めと思っていた考えがあるが、少し日数のかかりそうな事柄を作り出して、のんびりと出かけて行って逢おう。そうして、しばらくの間は誰も知らない住処で、だんだんとそのようなことで、あの女の気持ちも馴れさせて、自分にとっても、他人から非難されないように、目立たぬようにするのがよいだろう。
急に迎えて、誰だろう、いつからだろう、などと取り沙汰されるのも、何となく煩わしく、当初の考えと違ってこよう。また、宮の御方がお聞きになってご心配になることも、もとの場所をきっぱりと離れて連れ出し、昔を忘れてしまったような顔なのも、まことに不本意だ」
などと冷静に考えなさるのも、例によって、のんびりと構え過ぎた性分からであろう。引っ越しさせる所をお考えおいて、こっそりと造らせなさるのであった。
[1-3 薫と中君の仲]
少し暇がないようにおなりになったが、宮の御方に対しては、やはりたゆまずお心寄せ申し上げなさることは以前と同じようである。拝見する女房も不思議なまでに思っているが、世の中をだんだんとお分かりになってきて、他人の様子を見たり聞いたりなさるにつけて、「この人こそは本当に昔を忘れない心長さが、引き続いて浅くない例のようだ」と、感慨も少なくない。
成人なさっていくにつれて、人柄も評判も、格別でいらっしゃるので、宮のお気持ちがあまりに頼りなさそうな時には、
「思いもかけなかった運命であったわ。亡き姉君がお考えおいたとおりでもなく、このように悩みの多い結婚をしてしまったことよ」
とお思いになる時々も多かった。けれども、お会いなさることは難しい。
年月もあまりに昔から遠ざかってきて、内々のご事情を深く知らない女房は、普通の身分の人なら、これくらいの縁者を求めて親交を忘れないのも、ふさわしいが、かえって、このように高い身分では、一般と違った交際も、気がひけるので、宮が絶えずお疑いになっているのも、ますますつらくご遠慮なさりながら、自然と疎遠になってゆくのを、それでも絶えず、同じ気持ちがお変わりにならないのであった。
宮も、浮気っぽいご性質は、厭わしいところも混じっているが、若君がとてもかわいらしく成長なさってゆくにつれて、「他にはこのような子も生まれないのではないかしら」と、格別大事にお思いになって、気のおけぬ親しい夫人としては、正室にまさってご待遇なさるので、以前よりは少し悩み事も落ち着いて過ごしていらっしゃる。
[1-4 正月、宇治から京の中君への文]
正月の上旬が過ぎたころにお越しになって、若君が一つ年齢をおとりになったのを、相手にしてかわいがっていらっしゃる昼ころ、小さい童女が、緑の薄様の包紙で大きいのに、小さい鬚籠を小松に結びつけてあるのや、また、きちんとした立文とを持って、無邪気に走って参る。女君に差し上げると、宮は、
「それは、どこからのですか」
とおっしゃる。
「宇治から大輔のおとどにと言ったが、いないので困っていましたのを、いつものように、御前様が御覧になるだろうと思って、受け取りました」
と言うのも、とても落ち着きのないふうなので、
「この籠は、金属で作って色を付けた籠でしたのだわ。松もとてもよく本物に似せて作ってある枝ですよ」
と、笑顔で言い続けるので、宮もにっこりなさって、
「それでは、わたしも鑑賞しようかね」
とお取り寄せになると、女君は、とても見ていられない気持ちがなさって、
「手紙は、大輔のもとにやりなさい」
とおっしゃる。お顔が赤くなっているので、宮は、「大将がさりげなくよこした手紙であろうか、宇治からと名乗るのもいかにもらしい」とお思いつきになって、この手紙をお取りになった。
とはいえ、「もし本当にそれであったら」とお思いになると、たいそう気がひけて、
「開けてみますよ。お恨みになりますか」
とおっしゃると、
「みっともありません。どうして、女房どうしの間でやりとりしている気を許した手紙を、御覧になるのでしょう」
とおしゃるが、あわてない様子なので、
「それでは、見ますよ。女性の手紙とは、どんなものかな」
と言ってお開けになると、とても若々しい筆跡で、
「ご無沙汰のまま、年も暮れてしまいました。山里の憂鬱さは、峰の霞も絶え間がなくて」
とあって、端の方に、
「これも若宮様の御前に。不出来でございますが」
と書いてある。
[1-5 匂宮、手紙の主を浮舟と察知す]
特に才気があるようには見えないが、心当たりがないので、お目を凝らして、この立文を御覧になると、なるほど女性の筆跡で、
「年が改まりましたが、いかがお過しでしょうか。あなた様ご自身におかれましても、どんなに楽しくお喜びが多いことでございましょう。
こちらでは、とても結構なお住まいで行き届いておりますが、やはり、不似合いに存じております。こうしてばかり、つくづくと物思いにお耽りあそばすより他には、時々そちらにお伺いなさって、お気持ちをお慰めあそばしませ、と存じておりますが、気がねして恐ろしい所とお思いになって、嫌なこととお嘆きになっているようです。
若宮の御前にと思って、卯槌をお贈り申し上げなさいます。ご主人様が御覧にならない時に御覧下さいませ、とのことでございます」
と、こまごまと言忌もできずに、もの悲しい様子が見苦しいのにつけても、繰り返し繰り返し、変だと御覧になって、
「今はもう、おっしゃいなさい。誰からのですか」
とお尋ねになると、
「昔、あの山里に仕えておりました女の娘が、ある事情があって、最近あちらにいると聞きました」
と申し上げなさると、普通にお仕えする女とは見えない書き方を心得ていらっしゃるので、あの厄介なことがあると書いてあったのでお察しになった。
卯槌が見事な出来で、所在ない人が作った物だと見えた。松の二股になったところに、山橘を作って、それを貫き通した枝に、
「まだ古木にはなっておりませんが、若君様のご成長を
心から深くご期待申し上げております」
と、特にたいした歌でないなので、「あのずっと思い続けている女のか」とお思いになると、お目が止まって、
「お返事をなさい。返事しなくては情愛がない。隠さなければならない手紙でもあるまいに。どうして、ご機嫌が悪いのですか。去りましょうよ」
と言って、お立ちになった。女君は、少将などに向かって、
「お気の毒なことになってしまいましたね。幼い童女が受け取ったのを、他の女房はどうして気づかなかったのでしょう」
などと、小声でおっしゃる。
「拝見しましたら、どうして、こちらへお届けしたりしましょうか。ぜんたい、この子は思慮が浅く出過ぎています。将来性がうかがえて、女の子は、おっとりとしているのが好ましいものです」
などと叱るので、
「お静かに。幼い子を、叱りなさいますな」
とおっしゃる。去年の冬、ある人が奉公させた童女で、顔がとてもかわいらしかったので、宮もとてもかわいがっていらっしゃるのだった。
[1-6 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を知る]
ご自分のお部屋にお帰りになって、
「不思議なことであったな。宇治に大将がお通いになることは、何年も続いていると聞いていた中でも、こっそりと夜お泊まりになる時もある、と人が言ったが、実にあまりな故人の思い出の土地だからとて、とんでもない所に旅寝なさるのだろうこと、と思ったのは、あのような女を隠して置きなさったからなのだろう」
と合点なさることもあって、ご学問のことでお使いになる大内記である者で、あちらの邸に親しい縁者がいる者を思い出しなさって、御前にお召しになる。参上した。 「韻塞をしたいのだが、詩集などを選び出して、こちらにある厨子に積むように」
などとお命じになって、
「右大将が宇治へ行かれることは、相変わらず続いていますか。寺を、とても立派に造ったと言うね。何とか見られないかね」
とおっしゃると、
「寺をたいそう立派に、荘厳にお造りになって、不断の三昧堂など、大変に尊くお命じになった、と聞いております。お通いになることは、去年の秋ごろからは、以前よりも、頻繁に行かれると言います。
下々の人びとがこっそりと申した話では、『女を隠し据えていらっしゃり、憎からずお思いになっている女なのでしょう。あの近辺に所領なさる所々の人が、皆ご命令に従ってお仕えしております。宿直を担当させたりしては、京からもたいそうこっそりと、しかるべき事などお尋ねになります。どのような幸い人で、幸せながらも心細くおいでなのでしょう』と、ちょうどこの十二月のころに申していた、とお聞き致しました」
と申し上げる。
[1-7 匂宮、薫の噂を聞き知り喜ぶ]
「とても嬉しいことを聞いたなあ」とお思いになって、
「はっきりと名前を、言わなかったか。あちらに以前から住んでいた尼を、お訪ねになると聞いていたが」
「尼は、渡廊に住んでおりますと言います。この女は、今度建てられた所に、こぎれいな女房なども大勢して、結構な具合で住んでおります」
と申し上げる。
「興味深いことだね。どのような考えがあって、どのような女を、そのように据えていらしゃるのだろうか。やはり、とても好色なところがあって、普通の人と似ていないお心なのだろうか。
右大臣などが、『この人があまりに仏道に進んで、山寺に、夜までややもすればお泊まりになるというが、軽々しい行為だ』と非難なさると聞いたが、なるほど、どうしてそんなにも仏道にこっそり行かれるのだろう。やはり、あの思い出の地に心を惹かれていると聞いたが、このようなわけがあったのだ。
どうだ、誰よりも真面目だと分別顔をする人の方がかえって、ことさら誰も考えつかないようなところがあるものだよ」
とおっしゃって、たいそうおもしろいとお思いになった。この人は、あちらの邸でたいそう親しくお仕えしている家司の婿であったので、隠していらっしゃることも聞いたのであろう。
ご心中では、「何とかして、この女を、前に会ったことのある女かどうか確かめたい。あの君が、あのように据えているのは、平凡で普通の女ではあるまい。こちらでは、どうして親しくしているのだろう。しめし合わせて隠していらっしゃったというのも、とても悔しい」と思われる。
2 浮舟と匂宮の物語 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む
[2-1 匂宮、宇治行きを大内記に相談]
ただそのことを、最近は考え込んでいらっしゃった。賭弓や、内宴などが過ぎて、のんびりとした時に、司召などといって、皆が夢中になっていることは、何ともお思いにならないで、宇治へこっそりとお出かけになることばかりをご思案なさる。この大内記は、期待するところがあって、昼夜、何とかお気に入ってもらおうと思っているとき、いつもよりは親しく召し使って、
「たいへん難しいことではあるが、わたしの言うことを、何とかしてくれないか」
などとおっしゃる。恐縮して承る。
「たいそう不都合なことだが、あの宇治に住んでいるらしい人は、早くにちらっと会った女で、行く方が分からなくなったのが、大将に捜し出された人と、思い当たるところがあるのだ。はっきりとは知る手立てもないが、ただ、物の隙間から覗き見して、その女か違うかと確かめたい、と思う。まったく誰にも知られない方法は、どうしたらよいだろうか」
とおっしゃるので、「何と、やっかいな」と思うが、
「お出かけになることは、たいへん険しい山越えでございますが、格別遠くはございません。夕方お出かけあそばして、亥子の刻にはお着きになるでしょう。そうして、早朝にはお帰りあそばせましょう。誰か気づくとすれば、ただお供する者だけでございしょう。それも、深い事情はどうして分かりましょう」
と申し上げる。
「そうだ。昔も一、二度は、通ったことのある道だ。軽々しいと非難されるのが、その評判が気になるのだ」
と言って、繰り返しとんでもないことだと、自分自身反省なさるが、このようにまでお口に出されたので、お思い止めなさることはできない。
[2-2 宮、馬で宇治へ赴く]
お供に、昔もあちらの様子を知っている者、二、三人と、この内記、その他には乳母子で蔵人から五位になった若い者で、親しい者ばかりをお選びになって、「大将の、今日明日はよもやいらっしゃるまい」などと、内記によく調べさせなさって、ご出立なさるにつけても、昔を思い出す。
「不思議なまでに心を合わせて連れて行ってくれた人に対して、後ろめたいことをするなあ」と、お思い出しになることもいろいろであるが、京の中でさえ、まるきり人の知らないお忍び歩きは、そうはいっても、おできになれないご身分でいて、粗末な恰好に身をやつして、お馬でお出かけになる気持ちも、何となく恐ろしく気が咎めるが、知りたい気持ちは強いご性質なので、山深く入って行くにつれて、「早く着きたい、どうであろうか、確かめることもなくて帰るようでは、物足りなく変なものであろう」とお思いになると、気が気でない思いがなさる。
法性寺の付近まではお車で、そこから先はお馬にお乗りになったのであった。急いで、宵を過ぎたころにお着きになった。大内記が、様子をよく知っているあの邸の人に尋ねて知っていたので、宿直人がいる方には寄らないで、葦垣をめぐらした西面を、静かにすこし壊してお入りになった。
大内記自身も何といってもまだ見たことのないお住まいなので、不案内であるが、女房なども多くはいないので、寝殿の南面に燈火がちらちらとほの暗く見えて、そよそよと衣ずれの音がする。戻って参って、
「まだ、人は起きているようでございます。直接、ここからお入りください」
と、案内してお入れ申し上げる。
[2-3 匂宮、浮舟とその女房らを覗き見る]
静かに昇って、格子の隙間があるのを見つけて近寄りなさると、伊予簾はさらさらと鳴るのが気が引ける。新しくこぎれいに造ってあるが、やはり荒っぽい造りで隙間があったが、誰も来て覗き見はしまいかと、気を許して、穴も塞がず、几帳の帷子をうち懸けて押しやっていた。
燈火を明るく照らして、何か縫物をしている女房が、三、四人座っていた。童女でかわいらしいのが、糸を縒っている。この子の顔は、まずあの燈火で御覧になった顔であった。とっさの見間違いかと、まだ疑われたが、右近と名乗った若い女房もいる。女主人は、腕を枕にして、燈火を眺めている目もとや、髪のこぼれかかっている額つき、たいそう上品に優美で、対の御方にとてもよく似ていた。
この右近が、衣類を折り畳もうとして、
「こうしてお出かけあそばしたら、すぐにはお帰りあそばすわけにはいきませんが、殿は、『今度の司召の間が終わって、朔日ころにはきっといらっしゃる』と、昨日のお使いも申していました。お手紙には、どのように申し上げなさいましたのでしょうか」
と言うが、返事もせずに、たいそう物思いに沈んでいる様子である。
「来訪の折しも、身を隠していらっしゃるようなのは、困ったことです」
と言うと、向かいにいた女房が、
「それでは、このようにお出かけになったと、お手紙を差し上げなさるのがよいでしょう。軽々しく、どうして、何も言わずに、お隠れあそばせましょう。ご参詣の後は、そのままこちらにお帰りあそばしませ。こうして心細いようですが、思い通りに気楽なお暮らしに馴れて、かえって本邸の方が旅心地がするのではないでしょうか」
などと言う。また他の女房は、
「やはり、しばらくの間、こうしてお待ち申し上げなさるのが、落ち着いていて体裁がよいでしょう。京へなどとお迎え申されてから後、ゆっくりとして母君にもお会い申されませ。あの乳母が、とてもせっかちでいられて、急にこのような話を申し上げなさるのでしょうよ。昔も今も、我慢してのんびりとしている人が、しまいには幸福になるということです」
などと言うようである。右近は、
「どうして、この乳母をお止め申さずになってしまったのでしょう。年老いた人は、やっかいな性質があるものですから」
と憎むのは、乳母のような女房を悪く言うようである。「なるほど、憎らしい女房がいた」とお思い出しになるのも、夢のような気がする。側で聞いていられないほど、うちとけた話をして、
「宮の上は、とてもめでたくご幸福でいらっしゃる。右の大殿が、あれほど素晴らしいご威勢で、仰々しく大騒ぎなさるようだが、若君がお生まれになって後は、この上なくいらっしゃるようです。このような出しゃばり者がいらっしゃらなくて、お心ものんびりと、賢明に振る舞っていらっしゃることでありましょう」
と言う。
「せめて殿さえ、真実愛してくださるお気持ちが変わらなかったら、負けることがありましょうか」
と言うのを、女君は、少し起き上がって、
「とても聞きにくいこと。他人であったら、負けまいとも何とも思いましょうが、あのお方のことは口に出してはいけません。漏れ聞こえるようなことがあったら、申し訳ありません」
などと言う。
[2-4 匂宮、薫の声をまねて浮舟の寝所に忍び込む]
「どの程度の親族であろうか。とてもよく似ている様子だな」と思い比べると、「恥ずかしくなるほどの上品なところは、あの君はとてもこの上ない。この人はただかわいらしくきめこまやかな顔だちがとても魅力的だ」。普通程度の、不十分なところを見つけたような場合でさえも、あれほど会いたいとお思い続けてきた人を、その人だと見つけて、そのままお止めになるようなご性分でないので、その上すっかり御覧になったので、「何とかしてこの女を自分のものにしたい」と、心もうわの空におなりになって、依然として見つめていらっしゃると、右近が、
「とても眠い。昨夜も何となしに夜明かししてしまった。明朝早くにも、これは縫ってしまおう。お急ぎあそばしても、お車は日が高くなってから来るでしょう」
と言って、作りかけていた縫物を持って、几帳に懸けたりなどして、うたた寝の状態で寄り臥した。女君も少し奥に入って臥す。右近は北面に行って、しばらくして再び来た。女君の後ろ近くに臥した。
眠たいと思っていたので、とても早く寝入ってしまった様子を御覧になって、他にどうしようもないので、こっそりとこの格子を叩きなさる。右近が聞きつけて、
「どなたですか」
と言う。咳払いをなさったので、高貴な方の咳払いと気づいて、「殿がいらっしゃったのか」と思って、起きて出た。
「とりあえず、ここを開けなさい」
とおっしゃるので、
「変ですわ。思いがけない時刻でございますこと。夜はたいそう更けましたものを」
と言う。
「どこそこへ外出なさる予定であると、仲信が言ったので、驚いてすぐ出て来て。まことに困ったことであった。とりあえず開けなさい」
とおっしゃる声、たいそうよくお似せになって、ひっそりと言うので、別人とは思いも寄らず、格子を開けた。
「途中で、とてもひどい目に遭ったので、みっともない姿になっている。燈火を暗くしなさい」
とおっしゃるので、
「まあ、大変」
とあわて騒いで、燈火は隠した。
「わたしを、他の人には見せるな。来たからと言って、誰も起こすな」
と、とてもたくみなお方なので、もともとわずかに似ているお声を、まったくあの方のご様子に似せてお入りになる。「ひどい目に遭った姿だとおっしゃったが、どのようなお姿なのだろう」とお気の毒で、自分も隠れて拝見する。
とてもほっそりとなよなよと装束をお召しになって、香の芳しいことも劣らない。近くによって、お召物を脱ぎ、馴れた顔でお臥せりになったので、
「いつものご座所に」
などと言うが、何もおっしゃらない。寝具を差し上て、寝ていた女房たちを起こして、少し下がって皆眠った。お供の人などは、いつものように、こちらでは構わない慣例になっているので、
「お志の深い、夜のご訪問ですこと」
「このようなご様子を、ご存知ないのよ」
などと、利口ぶる女房もいるが、
「お静かに。夜の声は、ささやく声が、かえってうるさいのです」
などと言いながら眠った。
女君は、「違う人だわ」と思うと、びっくりし大変だと思うが、声も出させないようになさる。とても憚られる所でさえ、理不尽であったお心なので、何ともいいようがない仕儀だ。初めから別人だと知っていたら、何とかあしらうすべもあったろうが、夢のような気がするので、だんだんと、あの時のつらかった、いく年月もの間を思い続けていた有様をおっしゃるので、その宮だと分かった。
ますます恥ずかしくなって、あの上の御ことなどを思うと、またどうすることもできないので、限りなく泣く。宮も、なまじ逢ったのがかえってつらく、たやすく逢えそうにないことをお思いになって、お泣きになる。
[2-5 翌朝、匂宮、京へ帰らず居座る]
夜は、どんどん明けて行く。お供の人が来て咳払いをする。右近が聞いて参上した。お出になる気持ちもなく、心からいとしく思われて、再びいらっしゃることも難しいので、「京では捜し求めて大騒ぎしようとも、今日一日だけはこうしていたい。何事も生きている間だけのことなのだ」。今すぐにお出になることは、本当に死んでしまいそうにお思いになるので、この右近を呼び寄せて、
「まことに無分別と思われようが、今日はとても出て行くことができそうにない。男たちは、この近辺の近い所に、適当に隠し控させなさい。時方は、京へ行って、『山寺に人目を忍んで行っている』とつじつまが合うように、返事などさせよ」
とおっしゃるので、とても驚きあきれて、気づかなかった昨夜の過失を思うと、気も動転してしまいそうなのを、落ち着けて、
「今となっては、どのようにあたふた騒いだところで、効ないし、また失礼である。困った時にも、たいそう深く愛してくださったのも、このような逃れがたかったご運命なのであろう。誰がしたということでない」
と思い慰めて、
「今日、お迎えにとございましたが、どのようにあそばす御ことでしょうか。このように逃れることがおできになれないご運命は、まことに申し上げようもございません。あいにく日が悪うございます。やはり、今日はお帰りあそばして、ご愛情がございましたら、改めてごゆっくりと」
と申し上げる。「生意気なことを言うな」とお思いになって、
「わたしは、いく月も物思いしたので、すっかり呆然としてしまって、人が非難するのも注意することも分別できず、一途に思いつめているのだ。少しでも身の上を憚るような人が、このような出歩きは思い立ちましょうか。お返事には、『今日は物忌です』などと言いなさい。人に知られてはならないことを、誰のためにも思いなさい。他のことは問題でない」
とおっしゃって、この人が、世にも稀なくらいかわいく思われなさるままに、どのような非難もお忘れになったのであろう。
[2-6 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す]
右近が出て来て、この声を出した人に、
「これこれとおっしゃっていますが、やはり、とても見苦しいなさりようです、と申し上げてください。驚くほど目にもあまるようなお振る舞いは、どんなにお思いになっても、あなた方お供の人びとの考えでどうにでもなりましょう。どうして、こう無分別にも宮をお連れ申し上げなさったのですか。無礼な行ないを致す山賊などが途中で現れましたら、どうなりましょう」
と言う。内記は、「なるほど、とてもやっかいなことであるなあ」と思って立っている。
「時方とおっしゃる方は、どなたですか。これこれとおっしゃっています」
と伝える。笑って、
「お叱りなさることが恐ろしいので、ご命令がなくても逃げ出しましょう。本当のところを申し上げますと、並々でないご愛情を拝見しますと、皆が皆、身を捨てて参ったのです。よいよい、宿直人も、皆起きたようです」
と言って急いで出て行った。
右近は、「人に知られないようにするには、どうだましたらよいものか」と困りきっている。女房たちが起きたので、
「殿は、ある理由があって、ひどくこっそりといらっしゃっています様子を拝見しますと、道中で大変なことがあったようです。お召物などを、夜になってこっそりと持参するように、お命じになっています」
などと言う。御達は、
「まあ、気味が悪い。木幡山は、とても恐ろしいという山ですよ。いつものように、お先も払わせなさらず、身を簡略にしていらっしゃったので、まあ、大変なこと」
と言うので、
「お静かに、お静かに。下衆どもが、少しでも聞きつけたら、とても大変なことになりましょう」
と言っているが、嘘をつくのが恐ろしい。具合悪く、殿のお使いが来た時にはどのように言おうと、
「初瀬の観音様、今日一日がご無事で暮らせますように」
と、大願を立てるのであった。
石山寺に今日参詣させようとして、母君が迎えに来るのであった。この邸の女房たちも皆精進潔斎をし、身を清めていたが、
「それでは、今日は、お出かけあそばすわけにはゆかないでしょう。とても残念なこと」
と言う。
[2-7 右近、浮舟の母の使者の迎えを断わる]
日が高くなったので、格子などを上げて、右近は近くにお仕えしていた。母屋の簾はみな下ろして、「物忌」などと書かせて貼っておいた。母君もご自身でお出でになるかも知れないと思って、「夢見が悪かったので」と理由をつけるのであった。御手水などを差し上げる様子は、いつものようであるが、介添えを不満にお思いになって、
「あなたが先にお洗いあそばしたら」
とおっしゃる。女は、たいそう体裁よく奥ゆかしい人を見慣れていたので、束の間も逢わないでいると死んでしまいそうだと恋い焦がれている宮を、「ご愛情が深いとは、このような方を言うのであるろうか」と思い知られるにつけても、「不思議な運命だわ。皆が、噂をきいたら、どのようにお思いになるだろう」と、まずはあの宮の上のお気持ちを思い出し申し上げるが、素性を知らないので、
「返す返すもとても情けない。やはり、ありのままにおっしゃってください。ひどく身分の低い人だと言っても、ますますいとおしく思われましょう」
と、無理やりにお尋ねになるが、そのお返事は全然しない。他のことでは、とてもかわいらしく親しみやすい様子にお返事申し上げたりなどして、言うままになるのを、とてもこの上なくかわいらしいとばかり御覧になる。
日が高くなったころに、迎えの人が来た。車二台、乗馬の人びとが、いつものように、荒々しい者が七、八人。男連中が大勢、例によって、下品な感じで、ぺちゃくちゃしゃべりながら入って来たので、女房たちは体裁悪がりながら、
「あちらに隠れなさい」
と言わせたりする。右近は、「どうしよう。殿がおいでになっている、と言った時、京にはそれほどの身分の方がいらっしゃる、いらっしゃらないというのは、自然と知られていて、隠せないことかも知れない」と思って、この女房たちにも、特に相談せずに、返事を書く。
「昨夜から穢れなさって、とても残念なこととお嘆きになっていらっしゃったのですが、昨夜、悪い夢を御覧あそばしたので、今日一日はお慎みなさいと言って、物忌をいたしております。返す返すも、残念で、悪夢が邪魔しているように拝見いたしております」
と書いて、人びとに食事をさせてやった。尼君にも、
「今日は物忌で、お出かけなさいません」
と言わせた。
[2-8 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす]
いつもは時間のたつのも長く感じられ、霞んでいる山際を眺めながら物思いに耽っていたのに、日の暮れて行くのが侘しいとばかり思い焦がれていらっしゃる方に惹かれ申して、まことにあっけなく暮れてしまった。誰に妨げられることのない長い春の日を、いくら見てもいて見飽きず、どこがと思われる欠点もなく、愛嬌があって、慕わしく魅力的である。
その実は、あの対の御方には見劣りがするのである。大殿の姫君の女盛りで美しくいらっしゃる方に比べたら、お話にもならないほどの女なのに、二人といないと思っていらっしゃる時なので、「こんなによい女は他に知らない」とばかり思っていらっしゃる。
女はまた一方、大将殿を、とても美しそうで他にこのような方がいるだろうかと思っていたが、「情愛こまやかで輝くような美しさは、この上なくいらっしゃるなあ」と思う。
硯を引き寄せて、手習などをなさる。たいそう美しそうに書き遊んで、絵などを上手にたくさんお描きになるので、若い女心には、愛情も移ることであろう。
「思うにまかせず、お逢いになれない時は、この絵を御覧なさい」
と言って、とても美しそうな男と女が、一緒に添い臥している絵を描きなさって、
「いつもこうしていたいですね」
などとおっしゃるのにも、涙が落ちた。
「末長い仲を約束してもやはり悲しいのは
ただ明日を知らない命であるよ
まことにこのように思うのは、縁起でもないことだ。思いのままに訪ねることがまったくできず、万策めぐらすうちに、ほんとうに死んでしまいそうに思われる。つらかったご様子を、かえってどうして探し出したりしたのだろうか」
などとおっしゃる。女は、濡らしていらっしゃる筆を取って、
「心変わりなど嘆いたりしないでしょう
命だけが定めないこの世と思うのでしたら」
とあるのを、「心変わりするのを恨めしく思うようだ」と御覧になるにつけても、まことにかわいらしい。
「どのような人の心変わりを見てなのか」
などと、にっこりして、大将がここに連れて来なさった当時のことを、繰り返し知りたくなって、お尋ねになるのを、つらく思って、
「申し上げられませんことを、このようにお尋ねになるとは」
と、恨んでいる様子も、若々しい。自然とそれは聞き出そう、とお思いになる一方で、言わせたく思うのも困ったことだ。
[2-9 翌朝、匂宮、京へ帰る]
夜になって、京へ遣わした大夫が帰参して、右近に会った。
「后の宮からもご使者が参って、右の大殿もご不満を申されて、『誰にも知らせあそばさぬお忍び歩きは、まことに軽々しく、無礼な行為に遭うこともあるのを、総じて、帝などがお耳にあそばすことも、わが身にとってもまことにつらい』とひどくおっしゃっていました。東山に聖僧にお会に行ったと、皆には申しておきました」
などと話して、
「女というものは罪深くいらっしゃるものです。何でもない家来までうろうろさせなさって、嘘までつかせなさるよ」
と言うと、
「聖と呼んでくださったのは、とても結構な。あなた個人の嘘をついた罪も、その功徳で帳消しなさりましょう。ほんとうに、とても困ったご性質で、おっしゃるとおり、いったいどうしてそのような癖がおつきになったのでしょう。前々からこのようにいらっしゃると聞いておりましたら、とても恐れ多いことですから、うまくお取り計らい申し上げましたでしょうに。無分別なご外出ですこと」
と、お困り申す。
帰参して、「これこれです」と申し上げると、「なるほど、どんなに騒いでいるだろう」と、ご想像になって、
「窮屈な身分はつらいものだ。軽い身分の殿上人などで、しばらくいたいものだ。どうしたらよいだろうか。このように慎むべき外聞も、構ってはいられない。
大将もどのように思うであろうか。親しくて当然と言ってよいながら、不思議なまでに昔から親しい仲で、このような秘密が知られた時は、恥ずかしく、またどんなであろうか。
世のたとえに言うこともあるので、待ち遠しがらせている自分の怠慢を顧みずに、あなたが恨まれなさるだろうとまで心配になります。まったく誰にも知られぬ状態で、ここではない所にお連れ申し上げよう」
とおっしゃる。今日までもここにじっとしていらっしゃるわけにはいかないので、お出になろうとするにも、魂は女の袖の中にお残しになって行くのであろう。
すっかり明けない前にと、供人たちは咳払いをしてお促し申す。妻戸まで一緒に連れてお出でになって、とても外にお出になれない。
「いったいどうしてよいか分からない
先に立つ涙が道を真暗にするので」
女も、限りなく悲しいと思った。
「涙も狭い袖では抑えかねますので
どのように別れを止めることができましょうか」
風の音もとても荒々しく、霜の深い早朝に、お互いの衣装も冷たくなった気がして、お馬にお乗りになるとき、引き返す気持ちのようで驚くほどつらいが、お供の人々が、「まったく冗談ではない」と思って、ひたすら急がして出発させたので、魂の抜けた思いでお出になった。
この五位の二人が、お馬の口取りとして仕えた。険しい山道をすっかり越えて、それぞれの馬に乗る。水際の氷を踏みならす馬の足音までが、心細く何となく悲しい。以前もこの道だけは、このような山歩きもなさったので、「不思議な宿縁の山里だなあ」とお思いになる。
3 浮舟と薫の物語 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す
[3-1 匂宮、二条院に帰邸し、中君を責める]
二条の院にお着きになって、女君がたいそう水臭くお隠しになっていたことが情けないので、気楽な方の部屋でお寝みになったが、眠ることがおできになれず、とても寂しく物思いがまさるので、心弱く対の屋にお渡りになった。
何があったとも知らずに、とても美しそうにしていらっしゃる。「又となく魅力的だと御覧になった人よりも、またこの人はやはり類稀な様子をしていらっしゃった」と御覧になる一方で、とてもよく似ているのを思い出しなさるにも、胸が塞がる思いがして、ひどく物思いをなさっている様子で、御帳台に入ってお寝みになる。女君もお連れ申してお入りになって、
「気分がとても悪い。どうなるのだろうかと、心細い気がする。わたしは、どんなにも深く愛していても先立ってしまったら、お身の上はまことすぐに変わってしまうでしょうね。人の思いは、きっと通るものですからね」
とおっしゃる。「ひどいことを、真面目になっておっしゃるわ」と思って、
「このように聞きずらいことが漏れ聞こえたら、どのように申し上げたのかと、あちらもお考えになりましょうことが、たまりません。不運の身には、いい加減な冗談もとてもつらいので」
と言って、横をお向きになった。宮も、真面目になって、
「ほんとうにつらいとお思い申し上げることがあるのは、どのようにお思いになるでしょう。わたしは、あなたにとっていい加減な人でしょうか。誰もが、めったにいない人だなどと、言い立てるくらいです。誰かに比べてこの上なく見下しなさるようだ。誰もそのような運命なのだろうと、自然と理解されるが、隔てなさるお気持ちの強いのが、とても情けない」
とおっしゃるにつけても、「宿世が並々でなく、探し出したのだ」と思い出されると、自然と涙ぐまれた。真剣なお姿を、「お気の毒で、どのようなことをお聞きになったのだろう」とはっとさせられるが、お答え申し上げなさる言葉もない。
「ちょっとした関係で結婚なさったので、どんなことも軽い気持ちで推量なさるのであろう。縁故もない人を頼みにして、その好意を受け入れたりしたのが過ちで、軽く扱われる身なのだ」とお思い続けるのも、何かと悲しくて、ますます可憐なご様子である。
「あの人を見つけたことは、しばらくの間はお知らせ申すまい」とお思いなので、「他の事に思わせて恨みなさるのを、ひたすらこの大将の事を真剣になっておっしゃる」とお思いになると、「誰かが嘘を真実のように申し上げたのだろう」などとお思いになる。事実か否かを確かめない間は、お会い申すのも恥ずかしい。
[3-2 明石中宮からと薫の見舞い]
内裏から大宮のお手紙が来たので、驚きなさって、やはり釈然としないご様子で、あちらにお渡りになった。
「昨日の心配したことよ。ご気分悪くいらっしゃったそうですが、悪くないようでしたら参内なさい。久しく見えませんこと」
などというように申し上げなさったので、大げさに心配していただくのもつらいけれど、ほんとうにご気分も正気でないようで、その日は参内なさらない。上達部などが、大勢参上なさったが、御簾の中でその日はお過ごしになる。
夕方、右大将が参上なさった。
「こちらに」
と言って、寛いだ恰好でお会いなさった。
「ご気分がお悪い、ということでございましたので、宮におかれましてもとてもご心配あそばされています。どのようなご病気すか」
とお尋ね申し上げなさる。お会いしただけで、お胸がどきどき高まってくるので、「言葉少なく、聖めいているというが、途方もない山伏心だな。あれほどかわいい女を、そのままにして置いて、何日も何日も待ちわびさせているとは」とお思いになる。
いつもは、ほんの些細な機会でさえ、自分はまじめ人間だと振る舞い自称していらっしゃるのを、悔しがりなさって、何かと文句をおつけになるのを、このような事を発見したのを、どうしておっしゃっらないだろうか。けれども、そのような冗談もおっしゃらず、とてもつらそうにお見えになるので、
「お気の毒なことです。大したご病気ではなくても、やはり何日も続くのは、とてもよくないことでございます。お風邪を充分ご養生なさいませ」
などと、心からお見舞い申し述べてお出になった。「気のひけるほど立派な人である。わたしの態度を、どのように比較しただろう」などと、いろいろな事柄につけて、ひたすらあの女を、束の間も忘れずお思い出しになる。
あちらでは、石山詣でも中止になって、まことに何もすることない。お手紙には、とてもつらい思いをたくさんお書きになってお遣りになる。それでさえ気が落ち着かず、「時方」と言って召し出した大夫の従者で、事情を知らない者をして遣わしたのであった。
「私め右近が古くから知っていた人で、殿のお供で訪ねて来まして、昔に縒りを戻して懇意になろうとするのです」
と、女房仲間には言い聞かせていた。何かと右近は、嘘をつくことになったのであった。
[3-3 二月上旬、薫、宇治へ行く]
月が替わった。このようにお分かりになるが、お出かけになることはとても無理である。「こうして物思いばかりしていたら、生きてもいられないようなわが身だ」と、心細さが加わってお嘆きになる。
大将殿は、少しのんびりしたころ、いつものように、人目を忍んでお出でになった。寺で仏などを拝みなさる。御誦経をおさせになる僧に、お布施を与えたりして、夕方に、こちらには人目を忍んでだが、この人はひどく身を簡略になさるでもない。烏帽子に直衣姿が、たいそう理想的で美しそうで、歩んでお入りになるなり、こちらが恥ずかしくなりそうで、心づかいが格別である。
女は、どうしてお会いできようかと、空にまで目があって恐ろしく思われるので、激しく一途であった方のご様子が、自然と思い出されると、一方で、この方にお会いすることを想像すると、ひどくつらい。
「『私は今まで何年も会っていた女の思いが、皆あなたに移ってしまいそうだ』とおっしゃったのを、なるほど、その後はご気分が悪いと言って、どの方にもどの方にも、いつものようなご様子ではなく、御修法などと言って騒いでいるというのを聞くと、また、どのようにお聞きになってどのようにお思いになるだろうか」と、思うにつけてまことにつらい。
この方はこの方で、たいそう感じが格別で、愛情深く、優美な態度で、久しく会わなかったご無沙汰のお詫びをおっしゃるのも、言葉数多くなく、恋しい愛しいと直接には言わないが、いつも一緒にいられない恋の苦しい気持ちを、体裁よくおっしゃるのが、ひどく言葉を尽くして言うよりもまさって、たいそうしみじみと誰もが思うにちがいないような感じを身につけていらっしゃる人柄である。やさしく美しい方面は無論のこと、将来末長く信頼できる性格などが、この上なくまさっていらっしゃった。
「心外なと思われる様子の気持ちなどが、漏れてお耳に入った時は、とても大変なことになるであろう。不思議なほど正気もなく恋い焦がれている方を、恋しいと思うのも、それはとてもとんでもなく軽率なことだわ。この方に嫌だと思われて、お忘れになるってしまう」心細さは、とても深くしみこんでいたので、思い乱れている様子を、「途絶えていたこの幾月間に、すっかり男女の情理をわきまえ、成長したものだ。何もすることのない住処にいる間に、あらゆる物思いの限りを尽くしたのだろうよ」と御覧になるにつけても、気の毒なので、いつもより心をこめてお語らいになる。
[3-4 薫と浮舟、それぞれの思い]
「造らせている所は、だんだんと出来上がって来た。先日、見に行ったが、ここよりはやさしい感じの川があって、花も御覧になれましょう。三条宮邸も近い所です。毎日会わないでいる不安も、自然と消えましょうから、この春のころに、差し支えなければお連れしよう」
と思っておっしゃるのにつけても、「あの方が、のんびりとした所を考えついたと、昨日もおっしゃっていたが、このようなことをご存知なくて、そのようにお考えになっていることよ」と、心が痛みながらも、「そちらに靡くべきではないのだ」と思うその一方で、先日のお姿が、面影に現れるので、「自分ながらも嫌な情けない身の上だわ」と、思い続けて泣いた。
「お気持ちが、このようでなくおっとりとしていたのが、のんびりと嬉しかった。誰かが何か言い聞かせたことがあるのですか。少しでも並々の愛情であったら、こうしてわざわざやって来ることができる身分ではないし、道中でもないのですよ」
などと言って、初旬ころの夕月夜に、少し端に近い所に臥して外を眺めていらっしゃった。男は、亡くなった姫君のことを思い出しなさって、女は、今から加わった身のつらさを嘆いて、お互いに物思いする。
[3-5 薫と浮舟、宇治橋の和歌を詠み交す]
山の方は霞が隔てて、寒い洲崎に立っている鵲の姿も、場所柄かとても興趣深く見えるが、宇治橋がはるばると見渡されるところに、柴積み舟があちこちで行き交っているのなどが、他の場所では見慣れないことばかりがあれやこれやある所なので、御覧になる度ごとに、やはりその当時のことがまるで今のような気がして、ほんとにそうでもない女を相手にする時でさえ、めったにない逢瀬の情が多いにちがいないところである。
それ以上に、恋しい女に似ているのもこの上なく、だんだんと男女の情理を知り、都の女らしくなってゆく様子がかわいらしいのも、すっかり良くなった感じがなさるが、女は、あれこれ物思いする心中に、いつの間にかこみ上げてくる涙、ややもすれば流れ出すのを、慰めかねなさって、
「宇治橋のように末長い約束は朽ちないから
不安に思って心配なさるな
やがてお分かりになりましょう」
とおっしゃる。
「絶え間ばかりが気がかりでございます宇治橋なのに
朽ちないものと依然頼りにしなさいとおっしゃるのですか」
以前よりもまことに見捨てがたく、暫くの間も逗留していたくお思いになるが、世間の噂がうるさいので、「今さら長居をすべきでもない。気楽に会える時になったら」などとお考えになって、早朝にお帰りになった。「とても素晴らしく成長なさったな」と、おいたわしくお思い出しになること、今まで以上であった。
4 浮舟と匂宮の物語 匂宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す
[4-1 二月十日、宮中の詩会催される]
二月の十日ころに、内裏で作文会を開催あそばすということで、この宮も大将も参内なさった。季節に適った楽器の響きに、宮のお声は実に素晴らしく、「梅が枝」などを謡いなさる。何事も誰よりもこの上なく上手でいらっしゃるご様子で、つまらないことに熱中なさることだけが、罪深いことであった。
雪が急に降り乱れ、風などが烈しく吹いたので、御遊会は早く終わりになった。この宮の御宿直部屋に、人びとがお集まりになる。食事を召し上がったりして、休んでいらっしゃった。
大将、誰かに何かおっしゃろうとして、少し端近くにお出になったが、雪がだんだんと降り積もったのが、星の光ではっきりとしないので、「闇はわけが分からない」と思われる匂いや姿で、
「小さい筵に衣を独り敷いて今夜も宇治の姫君はで待っていることだろう」
と、ふと口ずさみなさったのも、ちょっとしたことを口ずさんだのだが、妙にしみじみとした情感をそそる人柄なので、たいそう奥ゆかしく見える。
他に歌はいくらでもあろうに、宮は寝入っていたようだが、お心が騒ぐ。
「いい加減には思っていないようだ。独り寂しくいるだろうと、わたしだけが思いやっていると思ったのに、同じ気持ちでいるとは憎らしい。やるせない話だ。あれほどの元からの人をおいて、自分の方にいっそうの愛情を、どうして向けることができようか」
と悔しく思わずにはいらっしゃれない。
早朝、雪が深く積もったので、詩文を献上しようとして、御前に参上なさったご器量は、最近特に男盛りで美しそうに見える。あの君も同じくらいの年齢で、もう二、三歳年長の違いからか、少し老成した態度や心配りなどは、特別に作り出したような、上品な男の手本のようでいらっしゃる。「帝の婿君として不足がない」と、世間の人も判断している。詩文の才能なども、政治向きの才能も、誰にも負けないでいらっしゃったのだろう。
詩文の披講がすっかり終わって、参会者皆が退出なさる。宮の詩文を「優れていた」と朗誦して誉めるが、何ともお感じにならず、「どのような気持ちで、こんなことをしているのか」と、ぼんやりとばかりしていらっしゃった。
[4-2 匂宮、雪の山道の宇治へ行く]
あの方のご様子からも、ますますはっとなさったので、無理な算段をしてお出かけになった。京では、わずかばかり消え残っている雪が、山深く入って行くにつれて、だんだんと深く積もって道を埋めていた。
いつもよりひどい人影も稀な細道を分け入って行きなさるとき、お供の人も、泣き出したいほど恐ろしく、厄介なことが起こる場合まで心配する。案内役の大内記は、式部少輔を兼官していた。どちらの官も重々しくしていなければならない官職であるが、とても似合わしく指貫の裾を引き上げたりしている姿はおかしかった。
あちらでは、いらっしゃるという知らせはあったが、「このような雪ではまさか」と気を許していたところに、夜が更けてから右近に到着の旨を伝えた。「驚いたわ、まあ」と、女君までが感動した。右近は、「どのようにしまいにはおなりになるお身の上であろうか」と、一方では心配だが、今夜は人目を憚る気持ちも忘れてしまいそうだ。お断りするすべもないので、同じように親しくお思いになっている若い女房で、思慮も浅くない者と相談して、
「大変に困りましたこと。同じ気持ちで、秘密にしてください」
と言ったのであった。一緒になってお入れ申し上げる。道中で雪にお濡れになった薫物の香りが、あたりせましと匂うのも、困ってしまいそうだが、あの方のご様子に似せて、ごまかしたのであった。
[4-3 宮と浮舟、橘の小島の和歌を詠み交す]
夜のうちにお帰りになるのも、かえって来なかったほうがましなくらいだから、こちらの人目もとても憚れるので、時方に計略をめぐらせなさって、「川向こうの人の家に連れて行こう」と考えていたので、先立って遣わしておいたのが、夜の更けるころに参上した。
「とてもよく準備してございます」
と申し上げさせる。「これは、どうなさることか」と、右近もとても気がそぞろなので、寝惚けて起きている気持ちも、ぶるぶると震えて、正体もない。子供が雪遊びをしている時のように、震え上がってしまった。
「どうしてそのようなことが」
などという余裕もお与えにならず、抱いてお出になった。右近はこちらの留守居役に残って、侍従をお供申させる。
実に頼りないものと、毎日眺めている小さい舟にお乗りになって、漕ぎ渡りなさるとき、遥か遠い岸に向かって漕ぎ離れて行ったような心細い気持ちがして、ぴたりとくっついて抱かれているのを、とてもいじらしいとお思いになる。
有明の月が澄み上って、川面も澄んでいるところに、
「これが、橘の小島です」
と申して、お舟をしばらくお止めになったので御覧になると、大きな岩のような恰好をして、しゃれた常磐木が茂っていた。
「あれをご覧なさい。とても頼りなさそうですが、千年も生きるにちがいない緑の深さです」
とおっしゃって、
「何年たとうとも変わりません
橘の小島の崎で約束するわたしの気持ちは」
女も、珍しい所へ来たように思われて、
「橘の小島の色は変わらないでも
この浮舟のようなわたしの身はどこへ行くのやら」
折柄、女も美しいので、ただもう素晴らしくお思いになる。
あちらの岸に漕ぎ着いてお降りになるとき、供人に抱かせなさるのは、とてもつらいので、お抱きになって、助けられながらお入りになるのを、とても見苦しく、「どのような人を、こんなに大騒ぎなさっているのだろう」と拝見する。時方の叔父で因幡守である人が所領する荘園に、かりそめに建てた家なのであった。
まだとても手入れが行き届いていず、網代屏風など、御覧になったこともない飾り付けで、風も十分に防ぎきれず、垣根のもとに雪がまだらに消え残っていて、今でも曇っては雪が降る。
[4-4 匂宮、浮舟に心奪われる]
日が差し出て、軒の氷柱が光り合っていて、宮のご容貌もいちだんと立派に見える気がする。宮も、人目を忍ぶやっかいな道中で、身軽なお召物である。女も、上着を脱がさせなさっていたので、ほっそりとした姿つきがたいそう魅力的である。身づくろいすることもなくうちとけている様子を、「とても恥ずかしく、眩しいほどに美しい方に向かい合っていることだわ」と思うが、隠れる所もない。
やさしい感じの白い衣だけを五枚ほど、袖口、裾のあたりまで優美で、色とりどりにたくさん重ねたのよりも美しく着こなしていた。いつも御覧になっている方でも、こんなにまでうちとけている姿などは御覧になったことがないので、こんなことまでが、やはり珍しく興趣深く思われなさるのであった。
侍従も、大して悪くはない若い女房なのであった。「この人までが、このような姿をすっかり見ているわ」と、女君は、たまらなく思う。宮も、
「この人は誰ですか。わたしの名前を漏らしてはなりませんよ」
と口がためなさるのを、「とても素晴らしい」と思い申し上げていた。ここの宿守として住んでいた者、時方を主人と思ってお世話してまわるので、このいらっしゃるところの遣戸を隔てて、得意顔をして座っている。声を緊張させて、恐縮して話しているのを、返事もできないで、おかしいと思うのであった。
「たいそう恐ろしい占いが出た物忌によって、京の内をさえ避けて慎むのだ。他の人を、近づけるな」
と言っていた。
[4-5 匂宮、浮舟と一日を過ごす]
人目も絶えて、気楽に話し合って一日お過ごしになる。「あの方がいらっしゃったときに、このようにお会いになっているのだろう」と、ご想像になって、ひどくお恨みになる。二の宮をとても大切に扱って、北の方としていらっしゃるご様子などもお話しになる。あのお耳に止めなさった一言は、おっしゃらないのは憎いことであるよ。
時方が、御手水や、果物などを、取り次いで差し上げるのを御覧になって、
「たいそう大切にされている客人は、そのような姿を他人に見られるでないぞ」
と戒めなさる。侍従は、好色っぽい若い女の考えから、とても素晴らしいと思って、この大夫と話をして一日暮らしたのであった。
雪が降り積もっているので、あのご自分が住む家の方を眺望なさると、霞の絶え間に梢だけが見える。山は鏡を懸けたように、きらきらと夕日に輝いているところに、昨夜、踏み分けて来た道のひどさなどを、同情を誘うようにお話しになる。
「峰の雪や水際の氷を踏み分けて
あなたに心は迷いましたが、道中では迷いません
木幡の里に馬はあるが」
などと、見苦しい硯を召し出して、手習いなさる。
「降り乱れて水際で凍っている雪よりも
はかなくわたしは中途で消えてしまいそうです」
と書いて消した。この「中空」をお咎めになる。「なるほど、憎いことを書いたものだわ」と、恥ずかしくて引き破った。そうでなくても見る効のあるご様子を、ますます感激して素晴らしいと、相手が心に思い込むようにと、あらん限りの言葉を尽くすご様子、態度は、何とも表現のしようがない。
[4-6 匂宮、京へ帰り立つ]
御物忌を、二日とおだましになっていたので、のんびりとしたまま、お互いに愛しいとばかり、深くご愛情がまさって行く。右近は、いろいろと例によって、言い紛らして、お召物などを差し上げた。今日は、乱れた髪を少し梳かせて、濃い紫の袿に紅梅の織物などを、ちょうどよい具合に着替えていらっしゃった。侍従も、見苦しい褶を着ていたが、美しいのに着替えたので、その裳をお取りになって、女君にお着せになって、御手水の世話をおさせになる。
「姫宮にこの女を出仕させたら、どんなにか大事になさるだろう。とても高貴な身分の女性が多いが、これほどの様子をした女性はいないのではないか」
と御覧になる。みっともないほど遊び戯れながら一日お過ごしになる。こっそりと連れ出して隠そうということを、繰り返しおっしゃる。「その間に、あの方に逢ったら承知しない」と、厳しいことを誓わせなさるので、「実に困ったこと」と思って、返事もできず、涙までが落ちる様子、「全然目の前にいるときでさえもわたしに愛情が移らないようだ」と胸が痛く思われなさる。恨んだり泣いたり、いろいろとおっしゃって夜を明かして、夜深く連れてお帰りになる。例によって、お抱きになる。
「大切にお思いの方は、このようには、なさるまいよ。お分かりになりましたか」
とおっしゃると、お言葉のとおりだ、と思って、うなずいて座っているのは、たいそういじらしげである。右近が、妻戸を開け放ってお入れ申し上げる。そのまま、ここで別れてお帰りになるのも、あかず悲しいとお思いになる。
[4-7 匂宮、二条院に帰邸後、病に臥す]
このような時の帰りは、やはり二条院においでになる。とても気分が悪くおなりになって、食事なども召し上がらず、日がたつにつれて青くお痩せになって、ご様子も変わるので、帝におかせられてもどちら様におかれても、お嘆きになり、ますます大騒ぎになって、お手紙さえこまごまと書くことがおできになれない。
あちらでも、あの利口ぶった乳母は、その娘が子供を産む所に行っていたのが、帰って来たので、気安く手紙を見ることもできない。このように見すぼらしい生活を、ただあの殿がお世話くださるのを期待することで、母君も思い慰めていたが、日蔭の存在ながらも、近くにお移しになることをお考えになっていたので、とても安心で嬉しかろうことと思って、だんだんと女房を求め、童女の無難な者などを迎えてお寄越しになる。
自分自身でも、「それこそが、理想だと、初めからずっと待っていた」とは思いながらも、無理をなさる方のお事を思い出すと、お恨みになった様子、おっしゃった言葉などが、面影にぴったりと添ったまま、わずかにお寝みになると、夢に現れなさって、とても嫌なまでに思われる。
5 浮舟の物語 浮舟、恋の板ばさみに、入水を思う
[5-1 春雨の続く頃、匂宮から手紙が届く]
雨が降り止まないで、日数が重なるころ、ますます山路通いはお諦めになって、たまらない気がなさるので、「親が大切にする子は窮屈なもの」とお思いになるのも恐れ多いことだ。尽きない思いの丈をお書きになって、
「眺めやっているそちらの方の雲も見えないくらいに
空までが真っ暗になっている今日このごろの侘しさです」
筆にまかせて書きすさびなさったのも、見所があって、美しそうである。特に大して重々しくはない若い気持ちでは、
「とてもこのような気持ちに惹かれるにちがいないが、初めから約束なさった様子も、やはり何といっても、あの方は、やはりとても思慮深く、人柄が素晴らしく思われたのなども、男女の仲を知った初めのうちだからであろうか、このような情けないことを聞きつけて、お疎みになったら、どうして生きていられようか。
早く殿に迎えられるようにと気を揉んでいる母親は、思いもかけないことで、気にくわないと、困ることであろう。このように熱心になっていらっしゃる方は、また一方で、とても浮気なご性質とばかり聞いていたので、今は熱心であっても、またこのような状態で、京にお隠し据えなさっても、末長く情けをかける一人として思ってくださることにつけては、あの上がどのようにお思いになることやら。何事も隠しきれない世の中なのだから、不思議な事のあった夕暮の縁だけで、このようにお尋ねになるようだ。
まして、自分が宮にかくまわれることになっても、殿がお知りにならないことがあろうか」
と次々と考えると、「自分ながら、まちがいがあって、あの殿に疎まれ申すのも、やはりつらいことであろう」とちょうど思い乱れている時、あの殿からお使者がある。
[5-2 その同じ頃、薫からも手紙が届く]
あれこれと見るのも嫌な気がするので、やはり長々とあった方を見ながら、臥せっていらっしゃると、侍従と、右近とが、顔を見合わせて、
「やはり、心が移ったわ」
などと、声に出さないで目で言っている。
「無理もないことです。殿のご器量を、他にいらっしゃらないと見たが、こちらの宮のご容姿は大変なものでした。おふざけになっていらした愛嬌は。わたしならば、これほどのご愛情を見ては、とてもこうしていられません。后の宮様にでも出仕して、いつも拝見していたい」
と言う。右近は、
「安心できないお方ですよ。殿のご様子に勝る方は、誰がいらっしゃいましょうか。器量などは知りませんが、お心づかいや感じなどがね。やはり、このご関係は、とても見苦しいことですね。どのようにおなりあそばそうとするのでしょうか」
と、二人で相談する。独りで考えるよりは、嘘をつくにもよい助けが出て来たのであった。
後者のお手紙には、
「思い続けながら幾日にもなったこと。時々は、そちらからもお手紙をお書きになることが、理想的でしょう。並々には思っていません」
などと、端に、
「川の水が増す宇治の里人はどのようにお過ごしでしょうか
晴れ間も見せず長雨が降り続き、物思いに耽っていらっしゃる今日このごろ
いつもよりも、思うことが多くて」
と、白い色紙で立文である。ご筆跡もこまやかで美しくはないが、書き方は教養ありげに見える。宮は、とても言葉数多いのを、小さく結んでいらっしゃるのは、それぞれに興趣深い。
「とりあえず、あれを。誰も見ていないうちに」
とお促し申す。
「今日は、お返事申し上げることができません」
と恥じらって、手習に、
「里の名をわが身によそえると
山城の宇治の辺りはますます住みにくいことよ」
宮がお描きになった絵を、時々見ては自然涙がこぼれた。「このまま末長く続くものではない」と、あれやこれやと考えてみるが、他には関係をすっかり断ってお逢いしないのは、とても耐えられなく思われるのであろう。
「真っ暗になって晴れない峰の雨雲のように
空にただよう煙となってしまいたい
雲に混じったら」
と申し上げたので、宮は、声を上げて泣かれる。「死にたいとはいえ、恋しいと思っているらしい」とご想像なさるにも、物思いに沈んでいる様子ばかりが面影にお見えになる。
真面目人間は、のんびりと御覧になりながら、「ああ、どのような思いでいるのだろう」と想像して、たいそう恋しい。
「寂しくわが身を知らされる雨が小止みもなく降り続くので
袖までが涙でますます濡れてしまいます」
とあるのを、下にも置かず御覧になる。
[5-3 匂宮、薫の浮舟を新築邸に移すことを知る]
女宮にお話などを申し上げた機会に、
「失礼なとお思いになるやもと、気がひけますが、そうはいっても古くからの女がございましたが、賤しい所に放って置いて、ひどく物思いに沈んでいるというのが気の毒なので、近くに呼び寄せて、と思っております。昔から人とは異なった考えがございまして、世の中を、普通の人とは違って過ごそうと思っておりましたが、このようにご結婚申して、一途には世を捨てがたいので、そんな女がいるとは知らせなかった身分の低い者でさえ、気の毒で、罪障になりそうな気がいたしまして」
と、申し上げなさると、
「どのようなことをお考えおいていらっしゃるとも存じませんが」
と、お返事なさる。
「帝になど、良くないようにお耳に入れ申す人がございましょう。世間の人の噂は、まことにつまらない良くないものでございますよ。けれども、その女は、それほど問題にもならない女でございます」
などと申し上げなさる。
「新築した所に移そう」とお決めになったが、「このようなための家だったのだ」などと、ぱあっと言い触らす人がいようかなどと、困るので、たいそう人目に立たないようにして、襖障子を張らせることなど、人もあろうに、この大内記の妻の父親で、大蔵大輔という者に、親しいので気安く思って、命令なさっていたので、妻を介して聞き知って、宮にすっかり申し上げた。
「絵師連中なども、御随身の中にいる者で、親しい家人などを選んで、隠れ家とはいっても特別にお気をつけてなさっています」
と申すので、ますます胸騷ぎがなさって、ご自分の乳母で、遠国の受領の妻となって下る家で、下京の方にあるのを、
「ごくごく内密の女を、しばらく隠して置きたい」
とご相談があったので、「どのような女であろうか」とは思うが、重大事とお思いでいられるのが恐れ多いので、「それではどうぞ」と申し上げた。この家を準備なさって、少しお心が安心なさる。今月の晦日頃に、下向する予定なので、「すぐその日に女を移そう」とご計画なさる。
「これこれと思っている。決して他人に気づかれてはならぬ」
と言いやりなさっては、ご自身がお出向きになることは、とても難しいところに、こちら宇治でも、乳母がとてもうるさいので、難しい旨をお返事申し上げる。
[5-4 浮舟の母、京から宇治に来る]
大将殿は、四月の十日とお決めになっていた。「誘ってくれる人がいたらどこへでも」とは思わず、とても変で、「どうしたらよい身の上だろうか」と浮いたような気持ちばかりがするので、「母親のもとにしばらく出かけていたら、思案する時間があろう」とお思いになるが、少将の妻が、子供を産む時期が近づいたということで、修法や、読経などでひっきりなしに騒がしいので、石山寺にも出かけるわけにゆかず、母親がこちらにお越しになった。乳母が出て来て、
「殿から、女房の衣装なども、こまごまとご心配いただきました。何とかきれいに何事も、と存じておりますが、乳母独りのお世話では、不十分なことしかできませんでございましょう」
などとはしゃいでいるのが、気持ちよさそうなのを御覧になるにつけても、女君は、
「とんでもない事がいろいろと起こって、物笑いになったら、誰も彼もがどのように思うであろう。無理無体におっしゃる方は、また、幾重にも山深い所に隠れても、必ず探し出して、自分も宮も身を破滅してしまうだろう。やはり、気楽な所に隠れることを考えなさいと、今日もおっしゃっているが、どうしたらよいだろう」
と、気分が悪くて臥せっていらっしゃった。
「どうして、このようにいつもと違って、ひどく青く痩せていらっしゃるのでしょうか」
と驚きなさる。
「ここ幾日も妙な具合ばかりです。ちょっとした食事も召し上がらず、苦しそうにおいであそばします」
と言うと、「不思議なことだわ。物の怪などによるのであろうか」と、
「どのようなご気分かと心配ですが、石山詣でもお止めになった」
と言うのも、いたたまれない気がするので、まともに目を合わせられない。
[5-5 浮舟、母と尼の話から、入水を思う]
日が暮れて月がたいそう明るい。有明の空を思い出すと、「涙がますます抑えがたいのは、まことにけしからぬ心がけだ」と思う。母君、昔話などをして、あちらの尼君を呼び出して、亡くなった姫君のご様子、思慮深くいらして、しかるべき事柄をお考えになっていた間に、目の前でお亡くなりになったことなどを話す。
「生きていらっしゃったら、宮の上などのように、親しくお話し合いさって、心細かった方々のご境遇が、とてもこの上なくお幸せでございましたでしょうに」
と言うにつけても、「自分の娘とて他人ではない。思い通りの運命がお続きになったら、負けるまいに」と思い続けて、
「いつもいつも、この君の事では、何かと心配ばかりしてきましたが、様子が少しよくなって、このように京にお移りなるようですから、こちらにやって参ること、特別にわざわざ思い立つこともございますまい。このようなお目にかかった折々に、昔の話を、のんびりと承りたく存じます」
などと話す。
「縁起でもない身の上とばかり存じておりましたので、こまごまとお目にかかってお話し申し上げますのも、どんなものかしらと、遠慮して過ごしてまいりましたが、見捨てて、お移りになりましたら、とても心細くございましょうが、このようなお住まいは、不安にばかり拝見してましたので、嬉しいことでございますね。又となく重々しくいらっしゃるらしい殿のご様子で、このようにお訪ね申し上げなさったのも、並々な愛情ではないと申し上げたことがございましたが、いい加減なことで、ございましたでしょうか」
などと言う。
「先の事は分かりませんが、ただ今は、このようにお見捨てになることなくおっしゃるにつけても、ただお導きによるものと思い出し申し上げております。宮の上が、もったいなくもお目をかけてくださいましたのも、遠慮されることなどが、自然とございましたので、中途半端で身の置き所のない方だ、と嘆きまして」
と言う。尼君はにっこりして、
「この宮の、とてもうるさいほどに好色でいらっしゃるので、分別のある若い女房は、お仕えにくそうで。だいたいは、とても素晴らしいご様子ですが、その方面のことで、上が失礼なとお思いになるのが困ったことだと、大輔の娘が話しておりました」
と言うにつけても、「やはりそうか、それ以上にわたしは」と、女君は臥せって聞いていらっしゃった。
[5-6 浮舟、母と尼の話から、入水を思う]
「まあ、嫌らしいこと。帝のお姫様をお持ちになっていらっしゃる方ですが、他人なので、良いとも悪いともお咎めがあろうとなかろうと、しかたのないことと、恐れ多く存じております。良くない事件を引き起こしなさったら、すべてわが身にとっては悲しく大変なことだとお思い申し上げても、二度とお世話しないでしょう」
などと話し合っている内容に、ますます胸も潰れる思いがした。「やはり、自殺してしまおう。最後は聞きにくいことがきっと出て来ることだろう」と思い続けると、この川の水の音が恐ろしそうに響いて流れて行くのを、
「こんな恐ろしくない流れもありますのにね。又となく荒々しい川の所に、歳月をお過ごしになるのを、不憫とお思いになるのも当然のこと」
などと、母君は得意顔で言っていた。昔からこの川の早くて恐ろしいことを言って、
「最近、渡守の孫の小さい子が、棹を差し損ねて川に落ちてしまいました。ぜんたい命を落とす人が多い川でございます」
と、女房も話し合っていた。女君は、
「それにしても、わが身の行く方が分からなくなったら、誰も彼もが、あっけなく悲しいと、しばらくの間はお思いになるであろうが、生き永らえて物笑いになって嫌な思いをするのは、いつ物思いがなくなるというのだろう」
と、死を考えつくと、何の支障もないように、さっぱりと何事も思われるが、また考え直すと実に悲しい。母親がいろいろと心配し言っている様子に、寝たふうをしながらつくづくと思い心乱れる。
[5-7 浮舟の母、帰京す]
悩ましそうに臥せっていらっしゃるのを、乳母にも言って、
「しかるべき御祈祷などをなさいませ。祭や祓などもするように」
などと言う。御手洗川で禊をしたい恋の悩みなのに、そうとも知らずにいろいろと言い騒いでいる。
「女房が少ないようだ。よい適当な所から尋ねて。新参者は残しなさい。高貴な方とのご交際は、ご本人は何事もおっとりとお思いでしょうが、良くない仲になってしまいそうな女房どうしは、厄介な事もきっとありましょう。表立たず控え目にして、そのような用心をなさい」
などと、気のつかないことがないまでに注意して、
「あちらで病んでおります人も、気がかりです」
と言って帰るのを、とても物思いとなり、何事につけ悲しいので、「再びと会わずに、死んでしまうのか」と思うと、
「気分が悪うございましても、お目にかかれないのが、とても不安に思われますので、少しの間でもお伺いしていたく存じます」
と慕う。
「そのように思いましても、あちらもとても何かと騒がしくございます。こちらの女房たちも、ちょっとしたことなどできそうもない、狭い所でございますので。武生の国府にお移りになっても、こっそりとお伺いしますから。人数ならぬ身の上では、このようなお方のために、お気の毒でございます」
などと、泣きながらおっしゃる。
6 浮舟と薫の物語 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う
[6-1 薫と匂宮の使者同士出くわす]
殿のお手紙は今日もある。気分が悪いと申し上げていたので、「いかがな具合ですか」と、お見舞いくださった。
「自分自身でと思っておりますが、止むを得ない支障が多くありまして。待っている間の身のつらさが、かえって苦しい」
などとある。宮は、昨日のお返事がなかったのを、
「どのようにお迷いになっているのか。思わぬ方に靡くのかと気がかりです。ますますぼうっとして物思いに耽っております」
などと、こちらはたくさんお書きになっていた。
雨が降った日、来合わせたお使い連中が、今日も来たのであった。殿の御随身は、あの少輔の家で時々見る男なので、
「あなたは、何しに、こちらに度々参るのですか」
と尋ねる。
「私用で尋ねる人のもとに参るのです」
と答える。
「私用の相手に、恋文を届けるとは、不思議な方ですね。隠しているのはなぜですか」
と尋ねる。
「本当は、わたしの主人の守の君が、お手紙を、女房に差し上げなさるのです」
と言うので、返事が次々変わるので変だと思うが、ここではっきりさせるのも変なので、それぞれが参上した。
[6-2 薫、匂宮が女からの文を読んでいるのを見る]
才覚のある者なので、供に連れている童を、
「この男に、気づかれないように後をつけよ。左衛門大夫の家に入るかどうか」
と跡付けさせたところ、
「宮邸に参って、式部少輔に、お手紙を渡しました」
と言う。そこまで調べるものとは、身分の低い下衆は考えず、事情を深く知らなかったので、随身に発見されたのは、情けない話である。
殿に参上して、今お出かけになろうとするときに、お手紙を差し上げさせる。直衣姿で、六条の院に、后宮が里下がりあそばしている時なので、お伺いなさるものだから、仰々しく、御前駆など大勢はいない。お手紙を取り次ぐ人に、
「不思議な事がございました。はっきりさせようと思って、今までかかりました」
と言うのを、ちらっとお聞きになって、お歩きになりながら、
「どのような事か」
とお尋ねになる。この取り次ぎが聞くのも憚れると思って、遠慮している。殿もそうとお察しになって、お出かけになった。
后宮は、御不例でいらっしゃるということで、親王方もみな参上なさっていた。上達部など大勢お見舞いに参っていて、騒がしいけれど、格別変わった御容態でもない。
あの大内記は太政官の役人なので、後れて参った。あのお手紙を差し上げるのを、匂宮が、台盤所にいらして、戸口に呼び寄せてお取りになるのを、大将は、御前の方からお下がりになる、その横目でお眺めになって、「熱中なさっている手紙の様子だ」と、その興味深さに目がお止まりになった。
「開いて御覧になっているのは、紅の薄様に、こまごまと書いてあるらしい」と見える。手紙に夢中になって、すぐには振り向きなさらないので、大臣も席を立って外に出てにいらっしゃるので、この君は、襖障子からお出になろうとして、「大臣がお出になります」と咳払いをして、ご注意申し上げなさる。
ちょうどお隠しになったところへ、大臣が顔をお出しになった。驚いて襟元の入紐をお差しになる。殿は膝まずきなさって、
「退出いたしましょう。御物の怪が久しくお起こりになりませんでしたが、恐ろしいことですね。山の座主を、さっそく呼びにやりましょう」
と、忙しそうにお立ちになった。
[6-3 薫、随身から匂宮と浮舟の関係を知らされる]
夜が更けて、みな退出なさった。大臣は、宮を先にお立て申し上げになって、大勢のご子息の上達部や、若君たちを引き連れて、あちらにお渡りになった。この殿は遅れてお出になる。
随身がいわくありげな顔をしていたのを、何かあるとお思いになったので、御前駆たちが引き下がって松明を燈すころに、随身を呼び寄せる。
「先程申したことは、何事か」
とお尋ねになる。
「今朝、あの宇治に、出雲権守時方朝臣のもとに仕えている男が、紫の薄様で、桜に付けた手紙を、西の妻戸に近寄って、女房に渡しました。それを拝見しまして、これこれしかじかと尋ねましたら、返事がころころと変わり、嘘のような返事を申しましたので、どうしてそう申すのかと、子どもを使って後をつけさせましたところ、兵部卿宮邸に参りまして、式部少輔道定朝臣に、その返事を渡しました」
と申す。君は、変だとお思いになって、
「その返事は、どのようにして、返したか」
「それは拝見できませんでした。別の方から出しました。下人の申したことでは、赤い色紙で、とても美しいもの、と申しました」
と申し上げる。お考え合わせになると、ぴったりである。そこまで見届けさせたのを、気が利いているとお思いになるが、人びとが近くにいるので、詳しくはおっしゃらない。
[6-4 薫、帰邸の道中、思い乱れる]
帰途、「やはり、実に油断のならない、抜け目なくいらっしゃる宮であるよ。どのような機会に、そのような人がいるとお聞きになったのだろう。どのようにして言い寄りなさったのだろう。田舎めいた所だから、このような方面の過ちは、けっして起こるまい、と思っていたのが浅はかだった。それにしても、わたしに関わりのない女には、そのような懸想をなさってもよいが、昔から親しくして、おかしいまでに手引して、お連れ申して歩いた者に、裏切ってそのような考えを持たれてよいものであろうか」
と思うと、まことに気にくわない。
「対の御方のことを、たいそういとしく思いながらも、そのまま何年も過ごして来たのは、自分の慎重さが、深かったからだ。また一方では、それは今始まった不体裁な恋情ではない。もともとの経緯もあったのだが、ただ心の中に後ろ暗いところがあっては、自分としても苦しいことになると思ってこそ、遠慮していたのも愚かなことであった。
最近このように具合悪くなさって、不断よりも人の多い取り込み中に、どのようにしてはるばる遠い宇治までお書きやりになったのだろうか。通い初めなさったのだろうか。たいそう遠い恋の通い路だな。不思議に思って、いらっしゃる所を尋ねられる日もあった、と聞いたことだ。そのようなことにお苦しみになって、どこそことなく悩んでいらっしゃるのだろう。昔を思い出すにつけても、お越しになれなかったときの嘆きは、実にお気の毒であった」
と、つくづくと思うと、女がひどく物思いしている様子であったのも、事情の一端がお分かり始めになると、あれこれと思い合わせると、実につらい。
「難しいものは、人の心だな。かわいらしくおっとりしているとは見えながら、浮気なところがある人であった。この宮の相手としては、まことによい似合いだ」
と譲ってもよい気持ちになり、身を引きたくお思いになるが、
「北の方にする気持ちの女ならともかくも、やはり今まで通りにしておこう。これを限りに会わなくなるのも、はたまた、恋しい気がするであろう」
と体裁悪いほど、いろいろと心中ご思案なさる。
[6-5 薫、宇治へ随身を遣わす]
「自分が、嫌気がさしたといって、見捨てたら、きっと、あの宮が、呼び迎えなさろう。相手にとって、将来がお気の毒なのも、格別お考えなさるまい。そのように寵愛なさる女は、一品宮の御方のもとに女房を、二、三人出仕させなさったという。そのように、出仕させたのを見たり聞いたりするのも、気の毒なことだ」
などと、やはり見捨てがたく、様子を見たくて、お手紙を遣わす。いつもの随身を呼んで、ご自身で直接人のいない間に呼び寄せた。
「道定朝臣は、今でも仲信の家に通っているのか」
「そのようでございます」と申す。
「宇治へは、いつもあの先程の男を使いにやるのか。ひっそり暮らしている女なので、道定も思いをかけるだろうな」
と、溜息をおつきになって、
「人に見られないように行け。馬鹿らしいからな」
とおっしゃる。緊張して、少輔がいつもこの殿の事を探り、あちらの事を尋ねたことも思い合わされるが、なれなれしくは申し出ることもできない。君も、「下衆に詳しくは知らせまい」とお思いになったので、尋ねさせなさらない。
あちらでは、お使いがいつもより頻繁にあるのにつけても、あれこれ物思いをする。ただこのようにおっしゃっていた。
「心変わりするころとは知らずにいつまでも
待ち続けていらっしゃるものと思っていました
世間の物笑いになさらないでください」
とあるのを、とても変だと思うと、胸が真っ暗になった。お返事を理解したように申し上げるのも気がひける、何かの間違いだっら具合が悪いので、お手紙はもとのように直して、
「宛先が違うように見えますので。妙に気分がすぐれませんので、何事も申し上げられません」
と書き添えて差し上げた。御覧になって、
「そうはいっても、うまく言い逃れたな。少しも思ってもみなかった機転だな」
とにっこりなさるのも、憎いとは、お恨み切れないのであろう。
[6-6 右近と侍従、右近の姉の悲話を語る]
正面きってではないが、それとなくおっしゃった様子を、あちらではますます物思いが加わる。「結局は、わが身は良くない妙な結果になってしまいそうだ」と、ますます思っているところに、右近が来て、
「殿のお手紙は、どうしてお返しなさったのですか。不吉にも、忌むものでございますものを」
「間違いがあるように見えたので、宛先が違うのかと思いまして」
とおっしゃる。変だと思ったので、道で開けて見たのであった。良くない右近の態度ですこと。見たとは言わないで、
「まあ、お気の毒な。難儀なお事でございます。殿は事情をお察しになったのでしょう」
と言うと、顔がさっと赤くなって、何もおっしゃらない。手紙を見たとは思わないので、「別のことで、あの方のご様子を見た人が話したこと」と思うが、
「誰が、そのように言ったのか」
などとも尋ねることはできない。この女房たちが見たり思ったりすることも、ひどく恥ずかしい。自分の考えから始まったことではないが、「嫌な運命だなあ」と思い入って寝ていると、侍従と二人で、
「右近めの姉で、常陸国で、男二人と結婚しましたが、身分は違っても、このようなものでございます。それぞれ負けない愛情なので、思い迷っておりました時に、女は、新しい男の方に少し気持ちが動いたのでございました。それを嫉妬して、結局新しい男を殺してしまったのです。
そうして自分も住んでいられなくなったのでした。常陸国でも、大変惜しい兵士を一人失った。また、過ちを犯した男も、良い家来であったが、このような過ちを犯した者を、どうしてそのまま使うことができようか、ということで、国内を追放され、すべて女がよろしくないのだと言って、館の内にも置いてくださらなかったので、東国の人となって、乳母も、今でも恋い慕って泣いておりますのは、罪深いものと拝見されます。
縁起でもない話のついでのようでございますが、身分の上の方も下の者も、このようなことで、お悩みになるのは、とても悪いことです。お命までには関わらなくても、それぞれの方のご身分に関わることでございます。死ぬことにまさる恥ということも、身分の高い方には、かえってございますことです。お一方にお決めなさい。
宮もご愛情がまさって、せめて真面目にさえご求婚なさるならば、そちらに従いなさって、ひどくお嘆きなさるな。痩せ衰えなさるのもまことにつまらない。あれほど母上が大切に思ってお世話なさっているのを、乳母がこの上京のご準備に熱心になって、大騒ぎしておりますにつけても、あちらよりもこちらに、とおっしゃってくださる宮のことが、とてもつらく、お気の毒です」
と言うと、もう一人は、
「まあ嫌な、恐ろしいことまでを申し上げなさいますな。何事もすべてご運命でしょう。ただお心の中で、少しでも気持ちの傾く方を、そうなるご運だとお考えなさいませ。それにしても、まことに恐れ多く、たいそうなご執心であったので、殿があのように何かとご準備なさっているらしいことにもお心が動きません。しばらくは隠れてでも、お気持ちがお傾きになる方に身をお寄せなさいませ、と存じます」
と、宮をたいそうお誉め申し上げる者なので、一途に言う。
[6-7 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う]
「さあね。右近は、どちらにしても、ご無事にお過ごしなさいと、長谷寺や、石山寺などに願を立てています。この大将殿のご荘園の人びとという者は、たいそうな不埒な者どもで、一族がこの里にいっぱいいると言います。だいたい、この山城国、大和国に、殿がお持ちになっている所々の人は、みなこの内舎人という者の縁につながっているそうでございます。
それの婿の右近大夫という者を首領として、すべての事を決めて命令するそうです。身分の高い方のお間柄では、思慮のないことを仕出かすよ、とお思いにならなくても、考えのない田舎者連中が、宿直人として交替で勤めていますので、自分の番に当たって、ちょっとしたことも起こさせまいとなどと、間違いも起こしましょう。
先夜のご外出は、ほんとうに気味が悪く存じられました。宮は、どこまでも人目をお避けになろうとして、お供の人も連れていらっしゃらず、お忍び姿ばかりでいらっしゃるのを、そのような者がお見つけ申したときには、とても大変なことになりましょう」
と、言い続けるのを、女君、「やはり、わたしを、宮に心寄せ申していると思って、この女房たちが言っている。とても恥ずかしく、気持ちの上ではどちらとも思っていない。ただ夢のように茫然として、ひどくご執着なさっているのを、どうしてこんなにまで、と思うが、お頼り申し上げて長い間になる方を、今になって裏切ろうとは思わないからこそ、このように大変だと思って悩むのだ。なるほど、よくない事でも起こったときには」と、つくづくと思っていた。
「わたしは、何とかして死にたい。世間並に生きられないつらい身の上だわ。このような、嫌なことのある例は、下衆の中でさえ多くあろうか」
と言って、うつ臥しなさると、
「そんなに思い詰めなさいますな。お心安く思いなさいませ、と思って申し上げたのでございます。お苦しみになることを、何げないふうにばかり、のんびりとお見えになるのを、この事件の後は、ひどくいらいらしていらっしゃるので、とても変だと拝見しております」
と、事情を知っている者だけは、みな心配しているのだが、乳母は、自分一人満足そうにして、染物などをしていた。新参の童女などで無難なのを呼んでは、
「このような方を御覧なさい。変なことばかりに臥せっていらっしゃるのは、物の怪などが、お邪魔申し上げようとするのでしょう」と嘆く。
7 浮舟の物語 浮舟、匂宮にも逢わず、母へ告別の和歌を詠み残す
[7-1 内舎人、薫の伝言を右近に伝える]
殿からは、あの先日の返事をさえおっしゃらずに、幾日も過ぎた。この恐ろしがらせた内舎人という者が来た。なるほど、たいそう荒々しく不格好に太った様子をした老人で、声も嗄れ、何といっても凄そうなのが、
「女房に、お話申し上げたい」
と言わせたので、右近が会った。
「殿からお呼び出しがございましたので、今朝参上しまして、たった今、帰って参りました。雑事などをお命じになった折に、こうしてここにいらっしゃる間は、夜中、早朝の間も、わたくしどもがこうしてお勤め申している、とお思いになって、宿直人を特にお差し向け申し上げることもなかったが、最近お耳になさるには、
『女房のもとに、素性の知れない者供が通っているようにお聞きになったことがある。不届きなことである。宿直に仕える者供は、その事情を聞いていよう。知らないでは、どうしていられよう』
とお尋ねあそばしたのが、全然知らないことなので、
『わたくしは病気が重くございまして、宿直いたしますことは幾月も致しておりませんので、事情を知ることができません。しかるべき男どもは、怠けることなく警護させておりますのに、そのようなもってのほかのことがございますのを、どうして知らないでいられましょう』
と申し上げさせました。気をつけてお仕えなさい。不都合なことがあったら、厳重に処罰なさる旨のご命令がございますので、どのようなお考えなのかと、恐ろしく存じております」
と言うのを聞くと、梟が鳴くのよりも、とても恐ろしい。返事もしないで、
「そうか。申し上げたことに違わないことをお聞きあそばせ。事の真相をお察しになったようです。お手紙もございませんよ」
と嘆く。乳母は、ちらっと聞いて、
「とても嬉しいことをおっしゃった。盗賊が多いという所で、宿直人も最初のころのようではありません。みな、代理だと言っては、変な下衆ばかりを差し向けていたので、夜回りさえできなかったが」と喜ぶ。
[7-2 浮舟、死を決意して、文を処分す]
女君は、「なるほど、今はまことに悪くなってしまった身の上のようだ」とお思いになっているところに、宮からは、
「いかがですか、いかがですか」
と、苔が乱れるような無理なことをおっしゃるのが、とても厄介である。
「どちらにしても、それぞれの方につけて、とても嫌なことが出て来よう。自分一人がいなくなるのが最もよいようだ。昔は、懸想する男の気持ちが、どちらとも決められないのに思いわずらって、それだけで身を投げた例もあった。生き永らえたら、きっと嫌な目に遭ってしまいそうな身で、死ぬのに、どうして惜しい身であろう。親も少しの間は嘆きなさろうが、大勢の子供の世話で、自然と忘れよう。生きながら間違いを犯し、物笑いな様子でうろうろしては、それ以上の物思いになろう」
などと思うようになる。子供っぽくおっとりとして、たおやかに見えるが、気品高く貴族社会の様子を知ることも少なくて育った人なので、少し乱暴なことを、考えついたのであろう。
厄介な反故などを破って、大げさになるような一度には始末せず、灯台の火で焼いたり、川に投げ入れさせたりなど、だんだん少なくして行く。事情を知らない御達は、「京へお引っ越しになるので、退屈な日々を送るうちに、いつしか書き集めなさった手習などを、お破り捨てになるのだろう」と思う。侍従などは、見つけた時には、
「どうして、このようなことをあそばします。愛し合っていらっしゃるお間柄で、心をこめてお書き交わしなさった手紙は、他人にはお見せあそばさなくても、何かの箱底におしまいあそばして御覧になるのが、身分相応に、とても感慨深いものでございます。あれほど立派な紙を使い、恐れ多いお言葉のあらん限りをお尽くしになったのを、あのようにばかりお破りあそばすのは、情けないこと」
と言う。
「いいえどうして。厄介な。長生きできそうにない身の上のようです。落ちぶれ残って、相手の方にとってもお気の毒でしょう。利口ぶってお手紙を残しておいたものよなどと、漏れ聞きなされたら、恥ずかしい」
などとおしゃる。心細いことを思い続けていくと、再び決心ができなくなるのであった。親を残して先立つ人は、とても罪障深いと言うものをなどと、やはり、かすかに聞いたことを思う。
[7-3 三月二十日過ぎ、浮舟、匂宮を思い泣く]
二十日過ぎにもなった。あの家の主人が、二十八日に下向する予定である。宮は、
「その夜にきっと迎えよう。下人などに、様子を気づかれないように注意なさい。こちらの方からは、絶対漏れることはない。疑いなさるな」
などとおっしゃる。「そうして、無理をしておいでになったとしても、もう一度何も申し上げることができず、お目にかかれぬままお帰し申し上げることよ。また、束の間でも、どうしてここにお近づけ申し上げることができよう。効なく恨んでお帰りになろう」その様子を想像すると、いつものように、面影が離れず、始終悲しくて、このお手紙を顔に押し当てて、しばらくの間は我慢していたが、とてもひどくお泣きになる。
右近は、
「姫君様、このようなご様子に、終いには周囲の人もお気づき申そう。だんだんと、変だなどと思う女房がございますようです。このようにくよくよなさらずに、適当にご返事申し上げなさいませ。右近がおります限りは、大それたこともうまく処理いたしましたら、これほどお小さい身体一つぐらいは、空からお連れ申し上げなさいましょう」
と言う。しばし躊躇して、
「このようにばかり言うのが、とても情けない。たしかにそうなってもよいこと、と思っているならともかくも、とんでもないことだ、とすっかり分かっているのに、無理に、このようにばかり期待しているようにおっしゃるので、どのようなことをし出かしなさろうとするのかなどと、思うにつけても、身がとてもつらいのです」
と言って、お返事も差し上げないでしまわれた。
[7-4 匂宮、宇治へ行く]
宮は、「こうしてばかり、依然として承知する様子もなくて、返事までが途絶えがちになるのは、あの人が、適当に言い含めて、少し安心な方に心が落ち着いたのだろう。もっともなことだ」とはお思いになるが、たいそう残念で悔しく、
「それにしても、わたしを慕っていたものを。逢わない間に、女房が説き聞かせた方に傾いたのであろう」
などと物思いなさると、恋しさは晴らしようもなく、むなしい空にいっぱい満ちあふれた気がなさるので、いつものように、大変なご決意でおいでになった。
葦垣の方を見ると、いつもと違って、
「あれは、誰だ」
と言う声々が、目ざとげである。いったん退いて、事情を知っている男を入れたが、その男までを尋問する。以前の様子と違っている。やっかいになって、
「京から急のお手紙です」
と言う。右近は従者の名を呼んで会った。とても煩わしく、ますますやっかいに思う。
「全然、今夜はだめです。まことに恐れ多いことで」
と言わせた。宮は、「どうして、こんなによそよそしくするのだろう」とお思いになると、たまらなくなって、
「まず、時方が入って、侍従に会って、しかるべくはからえ」
と言って遣わす。才覚ある人で、あれこれ言い繕って、探し出して会った。
「どうしたわけでありましょう。あの殿がおっしゃることがあると言って、宿直にいる者どもが、出しゃばっているところで、まことに困っているのです。御前におかれても、深く思い嘆いていらっしゃるらしいのは、このようなご訪問のもったいなさを、悩んでいらっしゃるのだ、とお気の毒に拝しております。全然、今晩はだめです。誰かが様子に気づきましたら、かえってまことに悪いことになりましょう。そのまま、そのようにお考えあそばしている夜には、こちらでも誰にも知られず計画しまして、ご案内申し上げましょう」
乳母が目ざといことなども話す。大夫、
「おいでになった道中が大変なことで、ぜひにもというお気持ちなので、はりあいもなくお返事申し上げるのは、具合が悪い。それでは、さあ、いらっしゃい。一緒に詳しく申し上げましょう」と誘う。
「とても無理です」
と言い合いをしているうちに、夜もたいそう更けて行く。
[7-5 匂宮、浮舟に逢えず帰京す]
宮は、御馬で少し遠くに立っていらっしゃったが、里めいた声をした犬どもが出て来て吠え立てるのも、たいそう恐ろしく、供回りが少ないうえに、たいそう簡略なお忍び歩きなので、「おかしな者どもが襲いかかって来たら、どうしよう」と、お供申している者たちはみな心配していたのであった。
「もっと、早く早く参ろう」
とうるさく言って、この侍従を連れて上がる。髪は、脇の下から前に出して、姿がとても美しい人である。馬に乗せようとしたが、どうしても聞かないので、衣の裾を持って、歩いて付いて来る。自分の沓を履かせて、自分は供人の粗末なのを履いた。
参上して、「これこれです」と申し上げると、相談しようにも適当な場所がないので、山家の垣根の茂った葎のもとに、障泥という物を敷いて、お下ろし申し上げる。ご自身のお気持ちにも、「変な恰好だな。このような道につまずいて、これといった、将来とても期待できそうにない身の上のようだ」と、お思い続けると、お泣きになることこの上ない。
気弱な女は、それ以上にほんとうに悲しいと拝見する。大変な敵を鬼にしたとしても、いいかげんには見捨てることのできないご様子の人である。躊躇なさって、
「たった一言でも申し上げることはできないのか。どうして、今さらこうなのだ。やはり、女房らが申し上げたことがあるのだろう」
とおっしゃる。事情を詳しく申し上げて、
「いずれ、そのようにお考えになっている日を、事前に漏れないように、計らいなさいませ。このように恐れ多いことを拝見いたしておりますと、身を捨ててでもお取り計らい申し上げましょう」
と申し上げる。ご自身も人目をひどくお気になさっているので、一方的にお恨みになることもできない。
夜はたいそう更けて行くが、この怪しんで吠える犬の声が止まず、供人たちが追い払いなどするために、弓を引き鳴らし、賤しい男どもの声がして、
「火の用心」
などと言うのも、たいそう気が気でないので、お帰りになる時のお気持ちは、言葉では言い尽くせない。
「どこに身を捨てようかと捨て場も知らない、白雲が
かからない山とてない山道を泣く泣く帰って行くことよ
それでは、早く」
と言って、この人をお帰しになる。ご様子が優雅で胸を打ち、夜深い露にしめったお香の匂いなどは、他にたとえようもない。泣く泣く帰って来た。
[7-6 浮舟の今生の思い]
右近が、きっぱり断った旨を言っていると、君は、ますます思い乱れることが多くて臥せっていらっしゃるが、入って来て、先程の様子を話すので、返事もしないが、だんだんと泣けてしまったのを、一方ではどのように見るだろう、と気がひける。翌朝も、みっともない目もとを思うと、いつまでも臥していた。頼りなさそうに掛け帯などかけて経を読む。「親に先立つ罪障を無くしてください」とばかり思う。
先日の絵を取り出して見て、お描きになった手つき、お顔の美しさなどが、向かい合っているように思い出されるので、昨夜、一言も申し上げずじまいになったことは、やはりもう一段とまさって、悲しく思われる。「あの、のんびりとした邸で逢おう、と末長い約束をおっしゃり続けていた方も、どのようにお思いになるだろう」とお気の毒である。
嫌なことに噂する人もあるだろうことを、想像すると恥ずかしいが、「浅薄で、けしからぬ女だと物笑いになるのを、お聞かれ申すよりは」などと思い続けて、
「嘆き嘆いて身を捨てても亡くなった後に
嫌な噂を流すのが気にかかる」
親もとても恋しく、いつもは、特に思い出さない姉妹の醜いのも、恋しい。宮の上をお思い出し申し上げるにつけても、何から何までもう一度お会いしたい人が多かった。女房は皆、それぞれの衣類の染物に精を出し、何やかやと言っているが、耳にも入らず、夜となると、誰にも見つけられず、出て行く方法を考えながら、眠れないままに、気分も悪く、すっかり人が変わったようである。夜が明けると、川の方を見やりながら、羊の足取りよりも死に近い感じがする。
[7-7 京から母の手紙が届く]
宮は、たいそうな恨み言をおっしゃっていた。今さらに、誰が見ようかと思うと、このお返事をさえ、気持ちのままに書かない。
「亡骸をさえ嫌なこの世に残さなかったら
どこを目当てにと、あなた様もお恨みになりましょう」
とだけ書いて出した。「あちらの殿にも、最後の様子をお見せ申し上げたいが、お二方に書き残しては、親しいお間柄なので、いつかは聞き合わせなさろうことは、とても困ることだどう。まるきり、どうなったのかと、誰からも分からないようにして死んでしまおう」と思い返す。
京から、母親のお手紙を持って来た。
「昨晩の夢に、とても物騒がしくお見えになったので、誦経をあちこちの寺にさせたりなどしましたが、そのまま、その夢の後で、眠れなかったせいか、たった今、昼寝をして見ました夢に、世間で不吉とするようなことが、お現れになったので、目を覚ますなり差し上げました。十分に慎みなさい。
人里離れたお住まいで、時々お立ち寄りになる方のご正室のお恨みがとても恐ろしく、気分悪くいらっしゃるときに、夢がこのようなのを、いろいろと案じております。
参上したいが、少将の北の方が、やはり、とても心配で、物の怪めいて患っていますので、少しの間も離れることは、いけないときつく言われていますので。そちらの近くの寺にも御誦経をさせなさい」
とあって、そのお布施の物や、手紙などを書き添えて、持って来た。最期と思っている命のことも知らないで、このように書き綴ってお寄越しになったのも、とても悲しいと思う。
[7-8 浮舟、母への告別の和歌を詠み残す]
寺へ使者をやった間に、返事を書く。言いたいことはたくさんあるが、気がひけて、ただ、
「来世で再びお会いすることを思いましょう
この世の夢に迷わないで」
誦経の鐘の音が風に乗って聞こえて来るのを、つくづくと聞き臥していらっしゃる。
「鐘の音が絶えて行く響きに、泣き声を添えて
わたしの命も終わったと母上に伝えてください」
僧の所から持って来た手紙に書き加えて、
「今夜は、帰ることはできまい」
と言うので、何かの枝に結び付けておいた。乳母が、
「妙に、胸騷ぎのすることだわ。夢見が悪い、とおっしゃった。宿直人、十分注意するように」
などと言わせるのを、苦しいと聞きながら臥していらっしゃった。
「何もお召し上がりにならないのは、とてもいけません。お湯漬けを」
などといろいろと言うのを、「よけいなおせっかいのようだが、とても醜く年とって、わたしが死んだら、どうするのだろう」とご想像なさるのも、とても不憫である。「この世には生きていられないことを、ちらっと言おう」などとお思いになるが、何より先に涙が溢れてくるのを、隠しなさって、何もおっしゃれない。右近は、お側近くに横になろうとして、
「このようにばかり物思いをなさると、物思う人の魂は、抜け出るものと言いますから、夢見も悪いのでしょう。どちらの方かとお決めになって、どうなるにもこうなるにも、思う通りになさってください」
と溜息をつく。柔らかくなった衣を顔に押し当てて、臥せっていらっしゃった、とか。
52. 蜻蛉
薫君の大納言時代27歳3月末頃から秋頃までの物語
- 宇治の浮舟失踪 あちらでは、女房たちが、いらっしゃらないのを探して大騷ぎするが
- 匂宮から宇治へ使者派遣 宮にも、まことにいつもと違った様子であったお返事に
- 時方、宇治に到着 身分の軽い者は、すぐに行き着いた。雨が少し降り止んだが
- 乳母、悲嘆に暮れる 内側でも泣く声ばかりがして、乳母であろう
- 浮舟の母、宇治に到着 雨がひどく降ったのに隠れて、母君もお越しになった
- 侍従ら浮舟の葬儀を営む 侍従などは、日頃のご様子を思い出して
- 侍従ら真相を隠す 大夫や、内舎人など、脅迫申し上げた者どもが参って
1 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転
- 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す 大将殿は、母入道の宮がお悩みになったので
- 薫の後悔 殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにも
- 匂宮悲しみに籠もる あの宮はまた宮で、彼以上に、二、三日は何も考えることができず
- 薫、匂宮を訪問 宮のお見舞いに、毎日参上なさらない方はなく
- 薫、匂宮と語り合う だんだんと世間の話を申し上げなさると、「とても隠しておくことも
- 人は非情の者に非ず 「ひどくご執心であったな。まことにあっけなかったが
2 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮
- 四月、薫と匂宮、和歌を贈答 月が変わって、「今日が引き取る日であったのに」と思い出し
- 匂宮、右近を迎えに時方派遣 まことに夢のようにばかり、やはり、「どうして
- 時方、侍従と語る 大夫も泣いて、「まったく、お二方の事は
- 侍従、京の匂宮邸へ 黒い衣装類を着て、化粧をした容貌も
- 侍従、宇治へ帰る 何程の者ともお考えでなかった侍従も、親しく
3 匂宮の物語 匂宮、侍従を迎えて語り合う
- 薫、宇治を訪問 大将殿も、同じように、まことに不審でしょうがないので
- 薫、真相を聞きただす 驚き呆れて、思いもかけなかったことなので、一言も暫くの間は
- 薫、匂宮と浮舟の関係を知る 「わたしは思いどおりに振る舞うこともできず、何事も目立ってしまう
- 薫、宇治の過去を追懐す 「宮の上が、おっしゃり始めた、人形と名付けた
- 薫、浮舟の母に手紙す あの母君は、京で子を産む予定の娘のことによって
- 浮舟の母からの返書 たいそう厳重に慎まなくてもよい穢れなので、「大して穢れに触れて
- 常陸介、浮舟の死を悼む あちらでは、常陸介が、やって来て立ったままで
- 浮舟四十九日忌の法事 四十九日の法事などもおさせになるにつけても、「いったいどういう
4 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む
- 薫と小宰相の君の関係 后の宮が、御軽服の間は、やはり里下がりしていらっしゃるうちに
- 六条院の法華八講 蓮の花の盛りに、法華八講が催される。六条院の御ため
- 小宰相の君、氷を弄ぶ 無理して割って、それぞれの手に持っていた。頭の上に置いたり
- 薫と女二宮との夫婦仲 翌朝、起きなさった女宮の御器量が
- 薫、明石中宮に対面 その日は過ごして、翌朝に大宮に参上なさる
- 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く 姫宮は、あちらにお渡りあそばした
- 明石中宮、薫の三角関係を知る 「とても不思議な事を聞きました
5 薫の物語 明石中宮の女宮たち
- 女一の宮から妹二の宮への手紙 その後、姫宮の御方から、二の宮にお便りがあったのだった
- 侍従、明石中宮に出仕す 悠長で、自制心が強くいらっしゃる人でさえ、このような方面には
- 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う 今年の春お亡くなりになった式部卿宮の御娘を
- 侍従、薫と匂宮を覗く 涼しくなったといって、后宮は、内裏に帰参なさろうと
- 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う 東の渡殿に、開いている戸口に
- 薫、断腸の秋の思い 東の高欄に寄り掛かって、夕日の影るにつれて、花が咲き乱れている
- 薫と中将の御許、遊仙窟の問答 例によって、西の渡殿を、先日に真似て
- 薫、宮の君を訪ねる 宮の君は、こちらの西の対にお部屋を持っていた
- 薫、宇治の三姉妹の運命を思う 「世間並の扱いのようで、失礼ではないか」と
6 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
1 浮舟の物語 浮舟失踪後の人びとの動転
[1-1 宇治の浮舟失踪]
あちらでは、女房たちが、いらっしゃらないのを探して大騷ぎするが、その効がない。物語の姫君が、誰かに盗まれたような朝のようなので、詳しくは話し続けない。京から、先日の使者が帰れなくなってしまったので、気がかりに思って、再び使者をよこした。
「まだ、鶏が鳴く時刻に、出立させなさった」
と使者が言うと、どのように申し上げようと、乳母をはじめとして、あわてふためることこの上ない。推量しても見当がつかず、ただ大騷ぎし合っているのを、あの事情を知っている者どうしは、ひどく物思いなさっていた様子を思い出すと、「身を投げなさったのか」と思い寄るのであった。
泣きながらこの手紙を開くと、
「とても気がかりなので、眠れませんでしたせいでしょうか、今夜は夢でさえゆっくりと見えません。悪夢にうなされうなされして、気分も普段と違って悪うございますよ。やはりとても恐ろしく、あちらにお移りになる日は近くなったが、その前後に、こちらにお迎え申しましょう。今日は雨が降りそうでございますので」
などとある。昨夜のお返事を開いて見て、右近はひどく泣く。
「そうであったか。心細いことを申し上げなさっていたのだ。わたしに、どうして少しもおしゃってくださらなかったのだろう。幼かった時から、少しも分け隔て申し上げることもなく、塵ほども隠しだてすることなくやって来たのに、最期の別れ路の時に、わたしを後に残して、そのそぶりさえお見せにならなかったのがつらいことだ」
と思うと、足摺りということをして泣く有様は、若い子供のようである。ひどくお悩みのご様子は、ずっと拝見して来たが、まったく、このように普通の人と違って大それたこと、お思いつくとは見えなかった方のお気持ちを、「やはり、どうなさったことか」と分からず悲しい。
乳母は、かえって何も分からなくなって、ただ、「どうしよう。どうしよう」と言うだけであった。
[1-2 匂宮から宇治へ使者派遣]
宮にも、まことにいつもと違った様子であったお返事に、「どのように思っているのだろう。わたしを、そうはいっても愛している様子でいながら、浮気な心だとばかり、深く疑っていたので、他へ身を隠したのであろうか」とお慌てになって、お使者がある。
居合わせた者たちが泣き騒いでいるところに来て、お手紙も差し上げられない。
「どうしたことか」
と下衆女に尋ねると、
「ご主人様が、今夜、急にお亡くなりになったので、何もかも分からなくいらっしゃいます。頼りになる方もいらっしゃらない時なので、お仕えなさっている方々は、ただ物に突き当たっておろおろなさっています」
と言う。事情を深く知らない男なので、詳しくは尋ねないで帰参した。
「こうこうでした」と申し上げさせたところ、夢のように思われて、
「まことに変だ。ひどく患っていたとも聞いてない。日頃、気分が悪いとばかりあったが、昨日の返事は変わったこともなくて、いつものよりも興趣があったものを」
と、ご想像もおつきにならないので、
「時方、行って様子を見て、はっきりとしたことを尋ね出せ」
とおっしゃると、
「あの大将殿は、どのようなことか、お聞きになっていることがございましたのでしょう、宿直をする者が怠慢である、などと訓戒なさったと言って、下人が退出するのさえ、注意して調べると言いますので、口実もなくて、時方が参ったのを、事が漏れたりしましたら、お気づきになることがございましょう。そうして、急に人のお亡くなりになった所は、言うまでもなく騒がしく、人目が多くございましょうから」と申し上げる。
「そうかといって、まことに気がかりなままでいられようか。やはり、何か適当に計らって、いつものように、事情を知っている侍従などに会って、どうしたわけでこのように言うのか、と尋ねよ。下衆も間違ったことを言うものだ」
とおっしゃるので、お気の毒なご様子も恐れ多くて、夕方に行く。
[1-3 時方、宇治に到着]
身分の軽い者は、すぐに行き着いた。雨が少し降り止んだが、難儀な山道を身を簡略にして、下衆の恰好で来たところ、人が大勢立ち騒いで、
「今夜、このままご葬送申し上げるのです」
などと言うのを聞く気分も、驚き呆れて思われる。右近に案内を乞うたが、会うことはできない。
「ただ今は、何も分かりません。起き上がる気持ちもしません。それにしても、今夜を最後に、このようにお立ち寄りになるのでしょうが、お話しできませんことが」
と言わせた。
「そうは言っても、このようにはっきり分かりませんでは、どうして帰参できましょう。せめてもうお一方にでも」
と切に言ったので、侍従が会ったのであった。
「まことに呆れたことです。ご自身も思いがけない様子でお亡くなりになったので、悲しいと言っても言い足りず、夢のようで、誰も彼もが途方に暮れています旨を申し上げてくださいませ。少しでも気分が落ち着きましたら、日頃、物思いなさっていた様子や、先夜、ほんとうに申し訳なくお思い申し上げていらした有様などを、お聞かせ申し上げましょう。この穢など、世間の人が忌む期間が過ぎてから、もう一度お立ち寄りくださいませ」
と言って、泣く様子はまことに大変である。
[1-4 乳母、悲嘆に暮れる]
内側でも泣く声ばかりがして、乳母であろう、
「わが姫君は、どこに行かれてしまったのか。お帰りください。むなしい亡骸をさえ拝見しないのが、効なく悲しいことよ。毎日拝見しても物足りなくお思い申し、早く立派なご様子を拝見しようと、朝夕にお頼み申し上げていたので、寿命も延びました。お見捨てになって、このように行く方もお知らせにならないこと。
鬼神も、わが姫君をお取り申すことはできまい。皆がたいそう惜しむ人を、帝釈天もお返しになるという。姫君をお取り申し上げたのは、人であれ鬼であれ、お返し申し上げてください。御亡骸を拝見したい」
と言い続けるが、合点の行かないことがあるのを、変だと思って、
「やはり、おっしゃってください。もしや、誰かがお隠し申し上げなさったのか。確かな事をお聞きなさろうとして、ご自身の代わりに出立させなさったお使いです。今は、何にしても効のないことですが、後にお聞き合わせになることがございましょうが、違ったことがございましたら、聞いて参ったお使いの落度になるでしょう。
また、そのようなことはあるまいとご信頼あそばして、『あなた方にお会いせよ』と仰せになったお気持ちを、もったいないとはお思いになりませんか。女の道に迷いなさることは、異国の朝廷にも、古い幾つもの例があったが、またこのようなことは、この世にない、と拝見しています」
と言うのでr、「おっしゃるとおり、まことに恐れ多いお使いだ。隠そうとしても、こうして珍しい事件の様子は、自然とお耳に入ろう」と思って、
「どうして、少しでも、誰かがお隠し申し上げなさったのだろう、と思い寄るようなことがあったら、こんなにも皆が泣き騒ぐことがございましょうか。日頃、とてもひどく物を思いつめているようでしたので、あの殿が、厄介なことに、ちらっとおっしゃってくることなどもありました。
お母上でいらっしゃる方も、このように大騷ぎする乳母なども、初めから知り合った方のほうにお引っ越しなさろう、と準備し出して、宮とのご関係を、誰にも知られない状態にばかり、恐れ多くもったいないとお思い申し上げていらっしゃいましたので、お気持ちも乱れたのでしょう。驚き呆れますが、ご自分から身をお亡くしになったようなので、このように心の迷いに、愚痴っぽく言い続けてしまうのでしょう」
と、そうはいっても、ありのままにではなく暗示する。合点が行かず思われて、
「それでは、落ち着いてから参りましょう。立ちながら話しますのも、まことに簡略なようです。いずれ、宮ご自身でもお出でになりましょう」
と言うと、
「まあ、恐れ多い。今さら、人がお知り申すのも、亡きお方のためには、かえって名誉なご運勢と見えることですが、お隠しになっていた事なので、またお漏らしあそばさないで、終わりなさることが、お気持ちに従うことでしょう」
こちらでは、このように異常な形でお亡くなりになった旨を、人に聞かせまいと、いろいろと紛らわしているが、「自然と事件の子細も分かってしまうのでは」と思うと、このように勧めて帰らせた。
[1-5 浮舟の母、宇治に到着]
雨がひどく降ったのに隠れて、母君もお越しになった。まったく何とも言いようなく、
「目の前で亡くなった悲しさは、どんなに悲しくあっても、世の中の常で、いくらでもあることだ。これは、いったいどうしたことか」
とうろうろする。このような込み入った事件があって、ひどく物思いなさっていたとは知らないので、身を投げなさったとは思いも寄らず、
「鬼が喰ったのか。狐のような魔物が連れさらったのか。まことに昔物語の妙な事件の例にか、そのような事も言っていた」
と思い出す。
「それとも、あの恐ろしいとお思い申し上げる方の所で、意地悪な乳母のような者が、このようにお迎えになる予定と聞いて、目障りに思って、誘拐を企んだ人でもあろうか」
と、下衆などを疑って、
「新参者で、気心の知れない者はいないか」
と尋ねるが、
「とても世間離れした所だといって、住み馴れない新参者は、こちらではちょっとしたこともできず、又すぐに参上しましょう、と言っては、皆、その引っ越しの準備の物などを持っては、京に帰ってしまいました」
と言って、元からいる女房でさえ、半分はいなくなって、まことに人数少ないときであった。
[1-6 侍従ら浮舟の葬儀を営む]
侍従などは、日頃のご様子を思い出して、「死んでしまいたい」などと、泣き入っていらした時々の様子、書き置きなさった手紙を見ると、「亡くなった後形に」と書き散らしていらっしゃったものが、硯の下にあったのを見つけて、川の方角を見やりながら、ごうごうと轟いて流れている川の音を聞くにつけても、気味悪く悲しいと思いながら、
「こうして、お亡くなりになった方を、あれこれと噂し合って、どなたもどなたも、どのようなふうにお亡くなりになったのか、とお疑いになるのも、お気の毒なこと」
と相談し合って、
「秘密の事とは言っても、ご自身から引き起こした事ではない。母親の身として、後に聞き合わせなさったとしても、別に恥ずかしい相手ではないのを、ありのままに申し上げて、このようにひどく気がかりなことまで加わって、あれこれ思い迷っていらっしゃる様子は、少しは合点の行くようにして上げよう。お亡くなりになった方としても、亡骸を安置し弔うのが、世間一般であるが、世間の例と変わった様子で幾日もたったら、まったく隠しおおせないだろう。やはり、申し上げて、今は世間の噂だけでも取り繕いましょう」
と相談し合って、こっそりと生前の状態を申し上げると、言う人も正気を失って、言葉も続かず、聞く気持ちも乱れて、「それでは、このとても荒々しい川に、身を投じて亡くなったのだ」と思うと、ますます自分も落ち込んでしまいそうな気がして、
「流れて行かれた方角を探して、せめて亡骸だけでもちゃんと葬儀したい」
とおっしゃるが、
「全然何の効もありません。行く方も知れない大海原にいらっしゃったでしょう。それなのに、人が言い伝えることは、とても聞きにくい」
と申し上げるので、あれやこれやと思うと、胸がこみ上げてくる気がして、どうにもこうにもなすすべもなく思われなさるが、この女房たち二人で、車を寄せさせて、ご座所や、身近にお使いになったご調度類など、みなそのままそっくり脱いで置かれた御衾などのようなものを詰めこんで、乳母子の大徳や、その叔父の阿闍梨、その弟子の親しい者など、昔から知っていた老法師など、御忌中に籠もる者だけで、人が亡くなった時の例にまねて、出立させたのを、乳母や、母君は、まことにひどく不吉だと倒れ転ぶ。
[1-7 侍従ら真相を隠す]
大夫や、内舎人など、脅迫申し上げた者どもが参って、
「ご葬送の事は、殿に事情を申し上げさせなさって、日程を決められて、厳かにお勤め申し上げるのがよいでしょう」
などと言ったが、
「特別に、今夜のうちに行いたいのです。たいそうこっそりにと思っているところがありますので」
と言って、この車を、向かいの山の前の野原に行かせて、人も近くに寄せず、この事情を知っている法師たちだけで火葬させる。まことにあっけなくて、煙は消えた。田舎者どもは、かえって、このようなことを仰々しくして、言忌などを深くするものだったので、
「まことに変なこと。きまりの作法などが、あることもなさらずに、いかにも下衆のように、あっけなくなさったことよ」
と非難すると、
「兄弟などのいらっしゃる方は、わざとこのように、京の方はなさる」
などと、いろいろと感心しないことを言うのであった。
「このような者どもが言ったり思ったりするだけでも憚れるのに、それ以上に、噂が漏れて広がる世の中では、大将殿あたりで、亡骸もなくお亡くなりになった、とお聞きになったら、きっとお疑いになることがあろうが、宮もまた、親しいお間柄であるから、そのような人がいらっしゃるかいらっしゃらないかは、しばらくの間は隠していると疑っても、いつかは明らかになるであろう。
また一方、きっと宮だけをお疑い申し上げることはなさらないだろう。どのような人が連れて行って隠したのだろうなどと、お考え寄りになるだろう。生きていらした間のご運勢は、とても高くいらした方が、なるほど亡くなって後は、たいへんな疑いをお受けになるのだろうか」
と思うと、この家にいる下人どもにも、今朝の慌ただしかった騒動に、「その様子を見たり聞いたりした者には口止めをし、事情を知らない者には聞かせまい」などとごまかしたのであった。
「年月が経ったら、どちらにも、静かに、生前のご様子を申し上げよう。ただ今は、悲しみも覚めるようなことを、ふと人伝てにお聞きなさると、やはりとてもお気の毒なことになるであろう」
と、この人ら二人は、深く良心が咎めるので、隠すのであった。
2 浮舟の物語 浮舟失踪と薫、匂宮
[2-1 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す]
大将殿は、母入道の宮がお悩みになったので、石山寺に参籠なさって、おとりこみの最中であった。そうして、ますますあちらを気がかりにお思いになったが、はっきりと、「こうだ」と言う人がいなかったので、このような大変な事件にも、まっさきにご使者がないのを、世間体もつらいと思うが、御荘園の者が参上して、「これこれしかじかです」とご報告申し上げさせたので、驚き呆れた気がなさって、ご使者が、その翌日のまだ早朝に参上した。
「ご一大事は、聞くなりすぐに自分が駆けつけるべきところ、このようにご病気でいらっしゃる御事のために、身を清めて、このような所に日数を決めて参籠しておりますので。昨夜の事は、どうして、こちらに連絡して、日を延期してでもそういうことはするべきものを、たいそう簡略な様子で、急いでなさったのか。どのようにしたところで、同じく言っても始まらないことだが、最後の葬儀さえ、山賤の非難を受けるのが、わたしにとってもつらい」
などと、あの信任厚い大蔵大輔を使者としておっしゃった。お使いが来たことにつけても、ますます悲しいので、何とも申し上げようのないことなので、ただ涙にくれているだけを口実にして、はっきりともお答え申し上げずに終わった。
[2-2 薫の後悔]
殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにも、
「何という嫌な土地であろう。鬼などが住んでいるのだろうか。どうして、今までそのような所に置いておいたのだろう。思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」
と思うにつけても、自分の迂闊で世間離れした心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。お患いあそばしているところで、このような事件でご困惑なさるのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
宮の御方にもお渡りにならず、
「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」
などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。生前の容姿、まことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
「現世には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れない。このような方面の事につけて、ひどく物思いをする運命なのだ。世人と異なって道心を身上とした人生なのに、思いの外に、このように普通の人のように生き永らえているのを、仏などが憎いと御覧になるのではなかろうか。人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」
と思い続けなさりながら、勤行ばかりをなさる。
[2-3 匂宮悲しみに籠もる]
あの宮はまた宮で、彼以上に、二、三日は何も考えることができず、正気もない状態で、「どのような御物の怪であろうか」などと騒ぐうち、だんだんと涙も流し尽くして、お気持ちが静まって、生前のご様子が恋しく悲しく思い出されなさるのであった。周囲の人には、ただご病気が篤い様子ばかりに見せて、「このような無性に涙顔でいる様子を知らせまい」と、気強く隠そうとお思いになったが、自然とはっきりしていたので、
「どのような事にこんなにご困惑なさり、お命も危ないまでに嘆き沈んでいらっしゃるのだろう」
と、言う人もいたので、あちらの殿におかれても、とてもよくこのご様子をお聞きになると、「そうであったか。やはり、単なる文通だけではなかったのだ。御覧になっては、きっとそのように熱中なさるはずの女である。もし生きていたら、他人の関係以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」とお思いになると、恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった。
[2-4 薫、匂宮を訪問]
宮のお見舞いに、毎日参上なさらない方はなく、世間の騷ぎとなっているころ、「大した身分でもない女のために閉じ籠もって、参上しないのも変だろう」とお思いになって参上なさる。
そのころ、式部卿宮と申し上げた方もお亡くなりになったので、御叔父の服喪で薄鈍でいるのも、心中しみじみと思いよそえられて、ふさわしく見える。少し顔が痩せて、ますます優美さがまさっていらっしゃる。お見舞い客が退出して、ひっそりとした夕暮である。
宮は、臥せって沈んでばかりいられないお気持ちなので、疎遠な客にはお会いにならないが、御簾の内側にもいつもお入りになる方には、お会いなさらないことできもない。顔をお見せになるのも何となく気がひける。お会いなさるにつけても、ますます涙が止めがたいのをお思いになるが、冷静になって、
「大した病気ではございませんが、誰もが、用心しなければならない病状だ、とばかり言うので、帝におかれても母宮におかれても、御心配なさるのがとてもつらくて、なるほど、世の中の無常を、心細く思っております」
とおっしゃって、押し拭ってお隠しになろうとする涙が、そのまま防ぎようもなく流れ落ちたので、たいそう体裁が悪いが、「必ずしもどうして気がつこうか。ただ女々しく心弱い者のように見るだろう」とお思いになるが、「そうであったのか。ただこの事だけをお悲しみになっていたのだ。いつから始まったのだろうか。自分を、どんなにも滑稽に物笑いなさるお気持ちで、この幾月もお思い続けていらしたのだろう」
と思うと、この君は、悲しみはお忘れになったが、
「何とまあ、薄情な方であろうか。物を切に思う時は、ほんとこのような事でない時でさえ、空を飛ぶ鳥が鳴き渡って行くのにつけても、涙が催されて悲しいのだ。わたしがこのように何となく心弱くなっているのにつけても、もし真相を知っても、それほど人の悲しみを分からない人ではない。世の中の無常を身にしみて思っている人は冷淡でいられることよ」
と、羨ましくも立派だともお思いなさる一方で、女のゆかりと思うとなつかしい。この人に向かい合っている様子をご想像になると、「形見ではないか」と、じっと見つめていらっしゃる。
[2-5 薫、匂宮と語り合う]
だんだんと世間の話を申し上げなさると、「とても隠しておくこともあるまい」とお思いになって、
「昔から、胸のうちに秘めて少しも申し上げなかったことを残しております間は、ひどくうっとうしくばかり存じられましたが、今は、かえって身分も高くなりました。わたくし以上に、お暇もないご様子で、のんびりとしていらっしゃる時もございませんので、宿直などにも、特に用事がなくては伺候することもできず、何となく過ごしておりました。
昔、御覧になった山里に、あっけなく亡くなった方の、同じ姉妹に当たる人が、意外な所に住んでいると聞きつけまして、時々逢いもしようか、と存じておりましたが、不都合にも世間の人の非難もきっとあるような時でしたので、あの山里に置いておきましたところ、あまり行って逢うこともなく、また一方、女も、わたくし一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうか、と拝見しましたが、れっきとした重々しい扱いをいたす夫人ならともかく、世話するのには、格別の落度もございませんのに、気楽でかわいらしいと存じておりました女が、まことにあっけなく亡くなってしまいました。すべて世の中の有様を思い続けますと、悲しいことだ。お聞き及びのこともございましょう」
と言って、今初めてお泣きになる。
この方も、「まこと涙顔はお見せ申すまい。馬鹿らしい」と思ったが、いったん流れ出しては止めがたい。態度がやや取り乱しているようなので、「いつもと違っている、気の毒だ」とお思いになるが、平静を装って、
「まことにお気の毒なことを。昨日ちらっと聞きました。どのようにお悔やみ申し上げようかと存じながら、特に世間にお知らせなさらないことと、聞きましたので」
と、さりげなくおっしゃるが、とても我慢できないので、言葉少なくいらっしゃる。
「適当なお方としてお目にかけたい、と存じておりました女でした。自然とそのようなこともございましたでしょうか、お邸にも出入りする縁故もございましたので」
などと、少しずつ当てこすって、
「ご気分がすぐれないうちは、つまらない世間話をお聞きになって、驚きなさるのも、つまらないことです。どうぞ大事になさってください」
などと、申し上げ置いて、お帰りになった。
[2-6 人は非情の者に非ず]
「ひどくご執心であったな。まことにあっけなかったが、やはりよい運勢の女であった。今上の帝や、后が、あれほど大切になさっていらっしゃる親王で、顔かたちをはじめとして、今の世の中には他にいらっしゃらないようだ。寵愛なさる夫人でも、並一通りでなく、それぞれにつけて、この上ない方をさしおいて、この女にお気持ちを尽くし、世間の人が大騒ぎして、修法、読経、祈祷、祓いと、それぞれ専門に騒ぐのは、この女に執着したための、ご病気であったのだ。
自分も、これほどの身分で、今上の帝の内親王をいただきながら、この女がいじらしく思えたのは、宮に負けていようか。それ以上に、今は亡き人かと思うと、心の静めようがない。とはいえ、愚かしいことだ。そうはすまい」
と我慢するが、いろいろと思い乱れて、
「人は木や石ではないので、みな感情をもっている」
と、口ずさみなさって臥せっていらっしゃった。
後の葬送なども、まことに簡略にしてしまったのを、「宮におかれてもどのようにお聞きになろうか」と、お気の毒で張り合いがないので、「母が普通の身分で、兄弟のある人はなどと、そのような人は言うことがあるというのを思って、簡略にするのであったろう」などと、気にくわなくお思いになる。
気がかりさも限りがないので、その時の実際の様子を自分でも聞きたくお思いになるが、「長い忌籠もりなさるのも不都合である。行くには行ってもすぐ帰るのは心苦しい」などと、ご思案なさる。
3 匂宮の物語 匂宮、侍従を迎えて語り合う
[3-1 四月、薫と匂宮、和歌を贈答]
月が変わって、「今日が引き取る日であったのに」と思い出しなさった夕暮、まことにもの悲しい。御前近くの橘の香がやさしい感じのところに、ほととぎすが二声ほど鳴いて飛んで行く。「亡くなった人の所に行くなら」と独り言をおっしゃっても物足りないので、北の宮邸に、そこにお渡りになる日であったので、橘を折らせて申し上げなさる。
「忍び音にほととぎすが鳴いていますが、あなた様も泣いていらっしゃいましょうか
いくら泣いても効のない方にお心寄せならば」
宮は、女君のご様子がとてもよく似ているのを、しみじみとお思いになって、お二方で物思いに耽っていらっしゃるところであった。「意味のありそうな手紙だ」と御覧になって、
「橘が薫っているところは、ほととぎすよ
気をつけて鳴くものですよ
迷惑なことを」
とお書きになる。
女君は、この事件の経緯は、みなご存知なのであった。「しみじみと言いようもないほどあっけなかった、あれこれにつけて感慨深い中で、自分一人が物思いを知らないので、今まで生き永らえていたのであろうか。それもいつまで続くやら」と心細くお思いになる。宮も、隠すことのできないものから、分け隔てなさるのもとてもお気の毒なので、生前の様子などを、少し取り繕いながらお話し申し上げなさる。
「隠していらっしゃったのがつらかった」
などと、泣いたり笑ったりしながら申し上げなさるにつけても、他の人よりは親しみを感じ胸を打つ。大げさに格式ばって、ご病気の件でも、大騒ぎをなさる所では、お見舞い客が多くて、父大臣や、兄の公達がひっきりなしなのも、とてもうるさいが、ここはたいそう気楽で、慕わしい感じにお思いなさるのであった。
[3-2 匂宮、右近を迎えに時方派遣]
まことに夢のようにばかり、やはり、「どうして、とても急なことであったのか」とばかり気が晴れないので、いつもの人びとを召して、右近を迎えにやる。母君も、まったくこの川の音や感じを聞くと、自分もころがり込んでしまいそうで、悲しく嫌なことが休まる間もないので、とても侘しくてお帰りになったのであった。
念仏の僧どもを頼りとする人として、たいそうひっそりとしているところにやって来たので、厳重に、急に警戒していた宿直人どもも、見咎めない。「皮肉にも、最期の折にお入れ申し上げることができずに終わってしまったことよ」と、思い出すのもおいたわしい。
「とんでもないことをご執着なさったことよ」と、見苦しく拝見したが、こちらに来ては、お越しになった夜々の有様や、お抱かれなさって、舟にお乗りになった感じが、上品でかわいらしかったことなどを思い出すと、気丈な人などもなくしみじみとなる。右近が会って、ひどく泣くのも道理である。
「このようにおっしゃるので、お使いに来ました」
と言うと、
「今さら、皆が変だと言い思うのも気がひけまして、参上しても、はきはきとご納得の行くようには、何か申し上げられそうな気がしません。このご忌中が終わって、ちょっとどこそこにと人に言っても、少しふさわしいころになってから、思いの他に生きていましたら、少し気持ちが静まったような時に、ご命令がなくても参上して、おっしゃるようにとても夢のようだった事柄を、お話し申し上げとう存じます」
と言って、今日は動きそうにもない。
[3-3 時方、侍従と語る]
大夫も泣いて、
「まったく、お二方の事は、詳しくは存じ上げません。物の道理もわきまえていませんが、無類のご寵愛を拝見しましたので、あなた方を、どうして急いでお近づき申し上げよう。いずれはお仕えなさるはずの方だ、と存じていましたが、何とも言いようもなく悲しいお事の後は、わたし個人としても、かえって悲しみの深さがまさりまして」
と懇切に言う。
「わざわざお車などをお考えめぐらされて、差し向けなさったのを、空っぽで帰るのは、まことにお気の毒です。もうお一方でも参上なさい」
と言うので、侍従の君を呼び出して、
「それでは、参上なさい」
と言うと、
「あなた以上に何を申し上げることができましょう。それにしても、やはり、このご忌中の間にはどうして。お厭いあそばさないのでしょうか」
と言うと、
「ご病気で大騒ぎをして、いろいろなお慎みがございますようですが、忌明けをお待ち切れになれないようなご様子です。また、このように深いご宿縁では、忌籠もりあそばすのでいらっしゃいましょう。忌明けまでの日も幾日でもない。やはりお一方参上なさい」
と責めるので、侍従が、以前のご様子もとても恋しく思い出し申し上げるので、「いつの世にかお目にかかることができようか、この機会に」と思って参上するのであった。
[3-4 侍従、京の匂宮邸へ]
黒い衣装類を着て、化粧をした容貌もとても美しそうである。裳は、今後は自分より目上の人はいないとうっかりして、色も染め変えなかったので、薄い紫色のを持たせて参上する。
「生きていらっしゃったら、この道を人目を忍んでお出になるはずだったのに。人知れずお心寄せ申し上げていたのに」などと思うにつけ悲しい。道中泣きながらやって来た。
宮は、この人が参った、とお耳にあそばすにつけてもお胸が迫る。女君には、あまりに憚れるので、申し上げなさらない。寝殿にお出でになって、渡殿に降ろさせなさった。生前の様子などを詳しくお尋ねあそばすと、日頃お嘆きになっていた様子や、その夜にお泣きになった様子を、
「不思議なまでに言葉少なく、ぼんやりとばかりしていらっしゃって、大変だとお思いになることも、他人にお話しになることはめったになく、遠慮ばかりなさったせいでしょうか、言い残しなさることもございません。夢にも、このような心強いことをお覚悟だったとは、存じませんでした」
などと、詳しく申し上げると、ひとしお実に悲しく思われて、「前世からの因縁で、病死などすることなどよりも、どんなに覚悟なさって、そのような川の中に溺死したのだろう」とお思いやりなさると、「その場を見つけてお止めできたら」と、煮えかえる気持ちがなさるが、どうしようもない。
「お手紙をお焼き捨てになったことなどに、どうして不審に思わなかったのでございましょう」
などと、一晩中お聞きなさるので、お話し申し上げて夜が明ける。あの巻数にお書きつけになった、母君の返事などを申し上げる。
[3-5 侍従、宇治へ帰る]
何程の者ともお考えでなかった侍従も、親しくしみじみと思われなさるので、
「わたしの側にいなさい。あちらにも縁がないではない」
とおっしゃると、
「そのようにして、お仕えしますにつけても、何となく悲しく存じられますので、もう暫くこの御忌みなどを済ませましてから」
と申し上げる。「再び参るように」などと、この人までも、別れがたくお思いになる。
早朝に帰る時に、あの方の御料にと思って準備なさっていた櫛の箱一具、衣箱一具を、贈物にお遣わしになる。いろいろとお整えさせになったことは多かったが、仰々しくなってしまいそうなので、ただ、この人に与えるのに相応な程度であった。
「何も考えなく参上して、このようなことがあったのを、女房はどのように見るだろうか。何となく厄介なことだわ」
と困るが、どうして辞退申し上げられよう。
右近と二人で、こっそりと見ながら、所在ないままに、精巧で今風に仕立ててあるのを見ても、ひどく泣く。装束もたいそう立派に仕立て上げられたものばかりなので、
「このような服喪期間中なので、これをどう隠したものか」
などと、困るのであった。
4 薫の物語 薫、浮舟の法事を営む
[4-1 薫、宇治を訪問]
大将殿も、同じように、まことに不審でしょうがないので、思い余りなさってお出でになった。道中から、昔の事を一つ一つ思い出して、
「どのような縁で、この父親王のお側に来初めたのだろう。このように思いもかけなかった人の最期まで世話をし、この一族のことにつけては、物思いばかりすることよ。たいそう尊くおいでになった所で、仏のお導きによって、来世ばかりを祈願していたのに、心汚い末路の思惑違いによって、世の無常を思い知らせるようだ」
と思われなさる。右近を召し出して、
「生前の様子もはっきりとは聞かず、やはり、尽きせず呆れて、あっけないので、忌中期間も少なくなった。過ぎてから、と思っていたが、抑えきれずにやって来たのです。どのような気持ちで、お亡くなりになったのですか」
とお尋ねなさると、「尼君なども、経緯は知ってしまったので、結局はお聞き合わせになるであろうから、なまじ隠しだてしても、話がくいちがって聞かれるのも、具合の悪いことになろう。変な話には、嘘を考えて何度も言ってきたが、このような真面目な態度のお前に対座申し上げては、前もって、ああ言おう、こう言おうと、用意していた言葉も忘れ、困ること」と思われたので、生前の様子のあれこれを申し上げた。
[4-2 薫、真相を聞きただす]
驚き呆れて、思いもかけなかったことなので、一言も暫くの間はおっしゃれない。
「難とも信じがたいと思われることだ。普通誰でもが思ったり言ったりすることも、この上なく言葉少なく、おっとりしていた人が、どうしてそのような恐ろしいことを思い立ったのだろう。どのような様子のために、この人びとは、取り繕って言うのであろうか」
とお気持ちもいっそう困惑なさるが、「宮もお嘆きになっていた様子、まことにはっきりしていたし、事の成り行きも、そんなそ知らぬふりを装った態度は、自然と分かってしまうものだから、このようにお出でになったにつけても、悲しくてやりきれないことを、身分の上下の人が皆集まって泣き騒いでいるのだから」と、お聞きになると、
「お供をしていなくなった人はいないか。さらに、その時の状況をはっきり言いなさい。わたしを薄情だと思ってお裏切になることは、決してないと思う。どのような、急に、わけの分からないことがあってか、そのようなことをなさったのだろう。わたしは信じることができない」
とおっしゃるので、「一段として、心配していたとおりであったよ」と厄介なことに思って、
「自然とお耳に入っておりましょう。初めから不如意な境遇でお育ちになりました方で、人里離れたお住まいで暮らした後は、いつとなく物思いばかりをなさっていたようでしたが、たまにこのようにお越しになりますのを、お待ち申し上げなさることで、もともとのお身の上の不幸までをお慰めになりながら、のんびりとした状態で、時々お逢い申し上げなされるように、早く早くとばかり、言葉に出してはおっしゃいませんが、ずっとお思いでいらしたらしいのを、そのご念願が叶うように承ったことがございましたのに、こうしてお仕えする者どもも、嬉しいことと存じて準備致し、あの筑波山の母君も、やっとのことで念願が叶ったような様子で、お移りになることをご準備なさっていたのに、納得できないお手紙がございましたので、ここの宿直などに仕える者どもも、女房たちがふしだらなようだ、などと、厳しくご命令なさったことなどを申して、物の情理をわきまえない荒々しいのは田舎者どもの、間違いでもあったかのように取り扱い申すことがございましたが、その後、長らくお手紙などもございませんでしたので、情けない身の上だとばかり、幼かった時から思い知っていたが、何とか一人前にしようとばかり、いろいろとお世話なさっていた母君が、なまじその事によって、世間の物笑いになったら、どんなに嘆くだろう、などと悪いほうに考えて、いつも嘆いていらっしゃいました。
その方面より他に、何があろうかと、考えめぐらして見ますに、思い当たることはございません。鬼などがお隠し申したとしても、少しは残るものがございますと聞いておりますものを」
と言って、泣く様子もたいそうなので、「どのようなことでか」とお疑いになっていた気持ちも消えて、お涙が抑えがたい。
[4-3 薫、匂宮と浮舟の関係を知る]
「わたしは思いどおりに振る舞うこともできず、何事も目立ってしまう身分であるから、気がかりだと思う時にも、いずれ近くに迎えて、何の不満足もなく、世間体もよく持てなして、将来末長く添い遂げよう、とはやる心を抑えながら過ごして来たが、冷淡だとおとりになったのは、かえって他に分ける心がおありだったのだろう、と思われます。
今さら、こんなことは言うまいと思うが、他に人が聞いているのならともかくだが。宮のお事ですよ。いつから始まったのでしょうか。そのようなことが原因でか、まことに不都合にも、女の心を迷わしなさる宮だから、いつもお逢いできない嘆きで、身をなきものにされたのか、と思う。ぜひ、言え。わたしには、少しも隠すな」
とおっしゃると、「確かな事をお聞きになっているのだ」と、とても困ってしまって、
「まことに情けないことをお聞きになったようでございます。右近めもお側に伺候していません折はございませんでしたものを」
と物思いにふけりためらって、
「自然とお聞き及びになったことでございましょう。この宮の上のお所に、こっそりとお行きになったとき、呆れたことに思いがけない間に、お入りになって来ましたが、たいそう手厳しいことを申し上げまして、お出になりました。その事に恐がりなさって、あの見苦しうございました隠れ家にお移りになったのです。
その後は、噂としてでも知られまい、とお思いになって終わったのを、どうしてお耳にあそばしたのでしょうか。ちょうど、この二月頃から、お便りを頂戴するようになりましたのでしょう。お手紙は、とても頻繁にございましたようですが、御覧になることもございませんでした。まことに恐れ多く、失礼な事になりましょうと、右近めなどが申し上げましたので、一度か二度はお返事申し上げましたでしょうか。それ以外の事は存じません」
と申し上げる。
「このように言うに決まっていることなのだ。無理に問い質すのも気の毒だから」と、つくづくと物思いに耽りながら、
「宮をめったにないいとしい方と思い申し上げても、自分のほうをやはりいい加減には思っていなかったために、どうしたらよいか分からなくなって、頼りない考えで、この川に近いのを手だてにして、思いついたのであろう。自分がここに放って置かなかったら、たいそうつらい生活であっても、どうして、必ず深い谷を探して身投げをしなかっただろうに」
と、「ひどく嫌な川の名の縁であるよ」と、この川が疎ましく思われなさること、甚だしい。長年、恋しいと思われなさっていた所で、荒々しい山路を行き来したのも、今では、また情けなくて、この里の名を聞くのさえ耐えがたい気がなさる。
[4-4 薫、宇治の過去を追懐す]
「宮の上が、おっしゃり始めた、人形と名付けたのまでが不吉で、ただ、自分の過失によって亡くした人である」と考え続けて行くと、「母親がやはり身分が軽いので、葬送もとても風変わりに、簡略にしたのであろう」と合点が行かず思っていたが、詳しくお聞きになると、
「どのように思っているだろう。あの程度の身分の子としては、まことに結構であった人を、秘密の事は必ずしも知らないで、自分との縁でどのようなことがあったのであろう、と思っているであろう」
などと、いろいろとお気の毒にお思いになる。穢れということはないであろうが、お供の人の目もあるので、お上がりにならず、お車の榻を召して、妻戸の前で座っていたのも、見苦しいので、たいそう茂った樹の下で、苔をお敷物として、暫くお座りになった。「今ではここに来て見ることさえつらいことであろう」とばかり、まわりを御覧になって、
「わたしもまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら
誰がここの宿の事を思い出すであろうか」
阿闍梨は、今では律師になっていた。呼び寄せて、この法事の事をお命じ置きになる。念仏僧の数を増やしたりなどおさせになる。「罪障のとても深いことだ」とお思いになると、その軽くなることをするように、七日七日ごとにお経や仏を供養するようになど、こまごまとお命じになって、たいそう暗くなったのでお帰りになるのも、「もしも生きていたら、今夜のうちに帰ろうか」とばかりである。
尼君にも挨拶をおさせになったが、
「とてもとても不吉な身だとばかり存じられ沈み込んで、ますます何も考えられず、茫然として、臥せっております」
と申し上げて、出て来ないので、無理してはお立ち寄りにならない。
道中、早くお迎えしなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間は、心も落ち着きなさらず、「亡骸さえも捜さず、情けないことに終わってしまったなあ。どのような状態で、どこの川底に貝殻とともにいるのであろうか」などと、やるせなくお思いになる。
[4-5 薫、浮舟の母に手紙す]
あの母君は、京で子を産む予定の娘のことによって、穢れを騒ぐので、いつものわが家にも行かず、心ならずも旅寝ばかり続けて、思い慰む時もないので、「また、この娘もどうなるのだろうか」と心配するが、無事に出産したのであった。穢れているので、立ち寄ることもできず、残りの家族のことも考えられず、茫然として過ごしていると、大将殿からお使いがこっそりと来た。何も考えられない気持ちにも、たいそう嬉しく感動した。
「あまりの出来事に、さっそくお見舞い申そうと存じてましたが、気持ちも落ち着かず、目も涙に暮れた心地がして、それ以上にどんなにか心が闇に暮れていらっしゃるだろうかと、暫く待っていましたうちに、あっという間に幾日もたってしまったこと。世の中の無常も、ますます呑気に構えていられない気がしますが、案外に生き永らえましたら、亡くなった方の縁者として、きっと何かの時には声をかけてください」
などと、こまごまとお書きになって、お使いには、あの大蔵大輔を差し向けなさった。
「悠長に万事を構えて、幾年もたってしまったので、必ずしも誠意があるようには御覧にならなかったでしょう。けれども、今から後は、何事につけても、必ずお忘れ申し上げまい。また、そのように内々にお思いおきください。幼いお子様もいると聞いていますが、朝廷にお仕えなさるにつけても、必ず力添えしましょう」
などと、口頭でもおっしゃった。
[4-6 浮舟の母からの返書]
たいそう厳重に慎まなくてもよい穢れなので、「大して穢れに触れていません」などと言って、強いて招じ入れた。お返事は、泣きながら書く。
「大変な悲しみにも死ぬことができません命を、情けなく存じ嘆いておりますが、このような仰せ言を拝見するためだったのでしょうか、と思います。
長年、心細い様子を拝見しながら、それは一人前でない身のつたなさのせいであると存じましたが、恐れ多いお言葉を、将来末長くご信頼申し上げておりましたが、何とも言いようのない事になってしまって、里の名の縁もまことに情けなく悲しうございます。
いろいろと嬉しい仰せ言を戴き、寿命も延びまして、もう暫く長生きしましたら、やはり、お頼り申し上げますこと、と存じますにつけても、目の前が涙に暮れまして、何事も申し上げ切れません」
などと書いた。お使いに、普通の禄では見苦しいときである。不満足な気もするにちがいないので、あの君に差し上げようと用意して持っていた、立派な斑犀の帯や、太刀の素晴らしいのなどを、袋に入れて、車に乗る時に、
「これは故人のお志です」
と言って、贈らせた。
殿に御覧に入れると、
「今さらしなくてもよいことをしたものだな」
とおっしゃる。口上には、
「ご自身がお会いくださって、ひどく泣きながらいろいろなことをおっしゃって、幼い子のことまでご心配になったのが、まこともったいなくて、また一人前でもない身分の者にとっては、かえってまことに恥ずかしく、誰にもどのような関係でなどとは知らせませんで、不出来な子供たちをも皆参上させまして、お仕えさせましょう、と言っておりました」
と申し上げる。
「なるほど、見栄えのしない親戚付き合いのようだが、帝にも、その程度の身分の人の娘を差し上げなかったことがあろうか。それに、前世からの因縁で、寵愛なさるのを、人が非難することであろうか。臣下では、また、卑しい女や、いったん結婚した女などをもっている例は多かった。
あの介の娘であったと、人が取り沙汰しても、自分の取り扱いが、そのことで汚点とされるような形で始まったのならともかく、一人の子を亡くして悲しんでいる親の気持ちを、やはり娘の縁で面目を施すことができた、と分かる程度に、配慮は必ずしてやろう」とお思いになる。
[4-7 常陸介、浮舟の死を悼む]
あちらでは、常陸介が、やって来て立ったままで、「こんな時に、こうしておいでになるとは」と腹を立てる。長年、どこそこにいらっしゃるなどと、事実を知らせなかったので、「見すぼらしい有様でおいでになろう」と思い言ってもいたが、「京などにお迎えになった後は、名誉なことで、などと知らせよう」と思っていたうちに、このような事になってしまったので、今は隠すことも意味がなくて、生前の有様を泣きながら話す。
大将殿のお手紙も取り出して見せると、貴人を崇めて、田舎者で、何事にも感心する人なので、びっくりして気後れして、繰り返し繰り返し、
「まことにめでたいご幸運を捨ててお亡くなりになった人だなあ。自分も殿の家来として、参上してお仕えしていたが、近くにお召しになってお使いになることはなく、たいそう気高く思われる殿である。幼い子供たちのことをおっしゃってくださったのは、頼もしいことだ」
などと、喜ぶのを見るにつけても、「それ以上に、生きておいでになったら」と思うと、臥し転んで泣けてくる。
介も今になって泣くのであった。その反面、生きていらした時には、かえって、このような類の人を、お尋ねになるようなことはなかってたのだ。「自分の過失によって亡くしたのもお気の毒だ。慰めよう」とお思いになったため、「他人の非難は、こまごまと考えまい」とお思いなのであった。
[4-8 浮舟四十九日忌の法事]
四十九日の法事などもおさせになるにつけても、「いったいどういうことになったのか」とお思いになるので、いずれにしても罪になることではないから、たいそうこっそりと、あの律師の寺でおさせになった。六十人の僧のお布施など、大がかりに仰せつけになっていた。母君も来ていて、お布施を加えた。
宮からは、右近のもとに、白銀の壷に黄金を入れて賜った。人が見咎めるほどの大げさな法事は、おできになれず、右近の志として催したので、事情を知らない人は、「どうして、このような」などと言った。殿の家来どもで、気心の知れた者ばかり大勢お遣わしになった。
「不思議なこと。噂にも聞かなかった方の法事を、こんなに立派にあそばす。いったい誰であろう」
と、今になって驚く人ばかりが多かったが、常陸介が来て、主人顔でいるので、変だと人びとは見るのだった。少将が子を産ませて、盛大なお祝いをさせようと大騷ぎし、邸の中にない物は少なく、唐土や新羅の装飾をもしたいのだが、限界があるので、まことにお粗末な有様であった。この御法事が、人目に立たないようにとお思いであったが、感じが格別であるのを見ると、「もし生きていたらどんなにかと、わが身に比肩できない方のご運勢であったなあ」と思う。
宮の上も、誦経をなさり、七僧への饗応の事もおさせになった。今になって、「このような人を持っていらしたのだ」と、帝までがお耳にあそばして、並々ならず大切に思っていた人を、宮にご遠慮申して隠していらしたのを、お気の毒にとお思いになった。
二人のお方のご心中は、いつまでも悲しく、あいにくな横恋慕の最中に亡くなってしまっては、ひどく悲しいが、浮気なお心は、慰められるかなどと、他の女に言い寄りなさることもだんだんとあるのだった。
あの殿は、このようにお心にかけて、何やかやとご心配なさって、残った人をお世話なさっても、やはり、言って効のないことを、忘れがたくお思いになる。
5 薫の物語 明石中宮の女宮たち
[5-1 薫と小宰相の君の関係]
后の宮が、御軽服の間は、やはり里下がりしていらっしゃるうちに、二の宮が式部卿におなりになった。重々しくなって、常には参上なさらない。この宮は、もの寂しくて何となく悲しい気分のまま、一品の宮のお側を慰め所としていらっしゃる。器量の良い女房の顔で、まだよく御覧にならない者が、多く残っていた。
大将殿が、やっとのことで、たいそうこっそりと親しくなさっている小宰相の君という女房で、器量なども美しげで、気立ての良い人とお思いであった。同じ琴をかき鳴らす、その爪音や、撥の音が、誰にもまさって、手紙を書き、何か言うのも、風流な事が加わっているのだった。
この宮も、長年、とても関心を寄せていらっしゃって、いつものように、悪口おっしゃるが、「どうして、そのようにありふれた女でいようか」と、気強くて従わないのを、真面目人間は、「少しは他の女と違っている」とお思いなのであった。このように物思いに沈んでいらっしゃるのを知っていたので、思い余って差し上げた。
「お悲しみを知る心は誰にも負けませんが
一人前でもない身では遠慮して消え入らんばかりに過ごしております
亡くなった方と入れ替れるものでたら」
と、由緒ある紙に書いてあった。何となくしみじみとした夕暮で、しんみりした時に、まことによく推察して言って来たのも、気が利いている。
「無常の世を長年見続けて来たわが身でさえ
人が見咎めるまで嘆いてはいないつもりでしたが
このお見舞いのお礼には、悲しい折柄、ひとしお嬉しかった」
などと言いに立ち寄りなさった。たいそう気恥ずかしくなるほど堂々として、普段はこのようにはお立ち寄りなさらず、人柄もご立派なのに、たいそうささやかな住まいである。局などと言って、狭く何程もない遣戸口に寄っていらっしゃるのは、体裁悪く思われるが、そうは言ってもむやみに卑下することもなく、とても良い具合にお話など申し上げる。
「亡き人よりも、この人は奥ゆかしい感じが加わっているな。どうして、このように出仕したのだろう。そのような人として、わたしも側に置いたらよかったものを」
とお思いになる。密やかな心の内は、少しもお見せにならない。
[5-2 六条院の法華八講]
蓮の花の盛りに、法華八講が催される。六条院の御ため、紫の上のなどと、皆それぞれに日をお分けになって、お経や仏などを供養あそばして、荘厳に、立派に催された。五巻目の日などは、大変な見物だったので、あちらこちら、女房の縁故をたどって、見物に来る人が多かった。
五日という朝座で終わって、御堂の飾りを取り外し、お部屋の飾りつけを改めるので、北の廂も、襖障子なども外してあったので、皆が入り込んで整えている間、西の渡殿に姫宮はいらっしゃった。お経を聞き疲れて、女房たちもそれぞれの局にいて、御前はたいそう人少なな夕暮に、大将殿は、直衣に着替えて、今日退出する僧の中に、是非にお話なさらなければならない事があったので、釣殿の方にいらっしゃったが、皆が退出してしまったので、池の方で涼みなさって、人も少ないので、さきほどの小宰相の君などが、仮に几帳などを立てて、ちょっと休むための上局にしていた。
「ここであろうか、衣ずれの音がする」とお思いになって、馬道の方の襖障子が細く開いているところから、そっと御覧になると、いつもそのような女房がいる感じと違って、広々と整頓されているので、かえって、几帳などがいくつもはすに立ててあって見通されて、丸見えである。
氷を何かの蓋の上に置いて割ろうとして、騒いでいる女房たち、大人三人ほどと、童女とがいた。唐衣も汗衫も着ず、みな打ち解けていたので、御前とはお思いでないが、白い薄物のお召物を着ていらっしゃる人で、手に氷を持ちながら、このように騒いでいるのを、少しほほ笑んでいらっしゃるお顔、何とも言いようもなくかわいらしげである。
ひどく暑さの堪えがたい日なので、うるさい御髪が、暑苦しくお思いなされるのであろうか、少しこちら側に靡かして引いている様子、何物にも譬えようがない。「大勢美しい女性を見て来たが、似ている人は誰もいないなあ」と思われる。御前の女房は、まこと土人形のような気がするのを、冷静になって見ていると、黄色い生絹の単衣に薄紫色の裳を着ている女で、扇をちょっと使っているところなど、「いかにも嗜みがあるなあ」と、ふと見えて、
「かえって、氷を扱うのに、とても暑苦しそうです。ただ、そのままで御覧なさい」
と言って、にっこりしている目もと、愛嬌がある。声を聞くと、この目指している女と分かった。
[5-3 小宰相の君、氷を弄ぶ]
無理して割って、それぞれの手に持っていた。頭の上に置いたり、胸に当てたりなど、体裁の悪い恰好をする女もいるのであろう。他の人は、紙に包んで、御前にもこのようにして差し上げたが、とてもかわいらしいお手を差し出しなさって、拭わせなさる。
「いえ、持てません。雫が嫌です」
とおっしゃるお声、とてもかすかに聞くのも、この上なく嬉しい。「まだとても幼くいらしたときに、わたしも、何も分からず拝見したとき、何とかわいらしい姫宮か、と拝見した。その後は、まったく姫宮のご様子をさえ聞かなかったが、どのような神仏が、このような機会をお見せになったのであろうか。いつもの、心安からず物思いをさせようとするのであろうか」
と、一方では落ち着かず、じっと見つめて佇んでいると、こちらの対の北面に住んでいた下臈の女房が、この襖障子は、急ぎの用事で、開けたままで下りて来たのを思い出して、「人が見つけて騒いだら大変だ」と思ったので、あわてて入って来る。
この直衣姿を見つけて、「誰だろう」とびっくりして、自分の姿を見られることも構わず、簀子からずんずんやって来たので、ふと立ち去って、「誰とも知られまい。好色なようだ」と思って隠れなさった。
この女房は、
「大変なことだわ。御几帳までを丸見えにしていたことだわ。右の大殿の公達であろうかしら。疎遠な方は、また、ここまでは来るはずがない。何かの噂が立ったら、誰が襖障子を開けていたのだろうかと、きっと出て来るだろう。単衣も袴も、生絹のように見えた方のお姿なので、誰もお気づきになることができなかっただろう」
と困りきっていた。
あの方は、「だんだんと聖になって来た心を、一度踏み外して、さまざまに物思いを重ねる人となってしまったなあ。その昔に出家遁世してしまったら、今は深い山奥に住みついて、このような心を乱すことはないものを」などとお思い続けるにつけても、落ち着かない。「どうして、長年、お顔を拝見したものだと思っていたのであろう。かえって苦しいだけで、何にもならないことであるのに」と思う。
[5-4 薫と女二宮との夫婦仲]
翌朝、起きなさった女宮の御器量が、「とても美しくいらっしゃるようなのは、この宮よりもきっとまさっていらっしゃるだろうか」と思いながらも、「まったく似ていらっしゃらない。驚くほど上品で、何とも言えないほどのご様子だなあ。一つには気のせいか、時節柄か」とお思いになって、
「ひどく暑いね。これより薄いお召し物になさいませ。女性は、変わった物を着ているのが、その時々につけ趣があるものです」と言って、「あちらに参上して、大弍に、薄物の単衣のお召し物を、縫って差し上げよと申せ」
とおっしゃる。御前の女房は、「宮のご器量がたいそう女盛りでいらっしゃるのを、さらに引き立てようとなさる」とおもしろく思っていた。
いつものように、念誦をなさるご自分のお部屋にいらっしゃったりなどして、昼頃にお渡りになると、お命じになっていたお召し物が、御几帳に懸けてあった。
「どうして、これをお召しにならないのか。人が大勢見る時に、透けた物を着るのは、はしたなく思われる。今は構わないでしょう」
と言って、ご自身でお着せなさる。御袴も昨日のと同じ紅色である。御髪の多さや、裾などは負けないが、やはりそれぞれの美しさなのか、似るはずもない。氷を召して、女房たちに割らせなさる。取って一つ差し上げなどなさる、心の中もおもしろい。
「絵に描いて、恋しい人を見る人は、いないだろうか。ましてこの宮は、気持ちを慰めるのに似つかわしからぬご姉妹であると思うが、昨日あのようにして、自分があの中に混じっていて、心ゆくまで拝することができたなら」と思うと、われ知らずのうちに溜息が漏れてしまった。
「一品の宮に、お手紙は差し上げなさいましたか」
とお尋ね申し上げなさると、
「内裏にいたとき、主上が、そのようにおっしゃったので差し上げましたが、長いことそういたしてません」
とおっしゃる。
「臣下におなりあそばしたといって、あちらからお便りを下さらないのは、情けないことです。今、大宮の御前に、お恨み申されています、と申し上げよう」
とおっしゃる。
「どうしてお恨み申していましょう。嫌ですわ」
とおっしゃるので、
「身分が低くなったからといって、軽んじていらっしゃるようだ、と思われるので、お便りも差し上げないのです、と申し上げましょう」
とおっしゃる。
[5-5 薫、明石中宮に対面]
その日は過ごして、翌朝に大宮に参上なさる。いつものように、宮もいらっしゃった。丁子色に深く染めた薄物の単衣を、濃い縹色の直衣の下に召していらっしゃったのは、たいそう好感がもてる女宮のお姿が素晴らしかったのにも負けず、白く清らかで、やはり以前よりは面痩せなさっているのは、とても見栄えがする。
似ていらっしゃると見るにつけても、まっさきに恋しいのを、まことにけしからぬこと、と抑えるのは、拝見しなかった時よりもつらい。絵をとてもたくさん持たせて参上なさったが、女房を介して、あちらに差し上げなさって、ご自分もお渡りになった。
大将も近くに参り寄りなさって、御八講が立派であったことや、昔の御事を少し申し上げながら、残っている絵を御覧になる折に、
「わたしの里にいらっしゃるこ皇女が、宮中から離れて、思い沈んでいらっしゃるのが、お気の毒に拝されます。姫宮の御方から、お便りもございませんのを、このように身分が決定なさったので、お見捨てあそばされたように思って、気の晴れない様子ばかりしておりますが、こうした物を、時々お見せ下さいませ。わたしが直接持って参りますのも、また、張り合いのないものです」
と申し上げなさると、
「変なこと。どうしてお見捨て申し上げなさいましょう。内裏では、近かったことにつけて、時々手紙のやりとりをなさったようですが、別々におなりになった時から、滞りがちになったのでしょう。これから、お促し申し上げましょう。そちらからもどうして差し上げなさらないのですか」
と申し上げなさる。
「あちらからは、どうしてできましょうか。もともとお心に懸けていただけなかったとしても、こうして親しく伺候します縁にことよせて、お心を懸けてくださいましたら、嬉しいことでございます。それ以上に、そのように親しくなさっていたのを、今お見捨てになるのは、つらいことでございます」
と申し上げなさるのを、「好色心があるのか」とは思いよりなさらなかった。
お立ちになって、「先夜のお目当ての女に会おう。先日の渡殿も慰めに見よう」とお思いになって、御前を渡って、西の方角にいらっしゃるのを、御簾の内側の女房は特に緊張する。なるほど、たいそう風采よく、この上ない身のこなしで、渡殿の方では、左の大殿の公達などが座っていて、何か言っている様子がするので、妻戸の前にお座りになって、
「よく参上はいたしますが、こちらの御方にはお目にかかることも、めったにございませんので、いつのまにか、老人めいた気持ちでございますが、今からは、と気を奮い起こしまして。不似合いな振る舞いだと、若い人たちは思うでしょう」
と、甥の公達の方を御覧になる。
「今からお馴染みになられたら、なるほど若返りなされるでしょう」
などと、とりとめもないことを言う女房たちの様子も、不思議と優雅で、風情のあるこちらの御方のご様子である。特に用事ということはないが、世間話などをしながら、しんみりと、いつもよりは長居なさった。
[5-6 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く]
姫宮は、あちらにお渡りあそばした。大宮が、
「大将がそちらに参ったが」
とお尋ねになる。お供して参った大納言の君が、
「小宰相の君に、何かおっしゃろうとのことで、ございましょう」
と申し上げると、
「いつもの、真面目人間が、やはり女性に心を止めて話をするのは、気のきかない人でしたら困ります。心の底も見透かされるでしょう。小宰相などは、とても安心です」
とおっしゃって、ご姉弟であるが、この君を、やはり恥ずかしく思い、「女房たちも不注意に応対しないでほしい」とお思いになっていた。
「どの女房よりも心をお寄せになって、局などにお立ち寄りなさるのでしょう。お話を親密になさって、夜が更けてお帰りになる時々もございましたが、普通のありふれた色恋沙汰ではないのでしょうか。宮を、とても情けないお方と思って、お返事さえ差し上げないようでございます。恐れ多いこと」
と言って笑うと、宮もにっこりあそばして、
「ひどく見苦しいご様子を、知っているのがおもしろい。何とかして、あのようなお癖を止めさせ申したいものです。恥ずかしいね、そなたたちの手前も」
とおっしゃる。
[5-7 明石中宮、薫の三角関係を知る]
「とても不思議な事を聞きました。この大将殿が亡くしなさった人は、宮の二条の北の方のお妹君でした。異腹なのでしょう。常陸の前の介の何某の妻は、叔母とも母とも言っていますのは、どういうものでしょうか。その女君に、宮が、まことにこっそりとお通いになりました。
大将殿がお聞きつけになったのでしょうか。急遽お迎えなさろうとして、番人を増やしなどして、厳重になさっているところに、宮も、とてもこっそりとお通いになりながら、お入りになることができず、粗末な姿で、お馬に乗って立ったまま、お帰りになりました。
女も、宮をお慕い申し上げていたのでしょうか、急に消えてしまいましたが、身投げしたようだと言って、乳母などの女房は、泣き暮れておりました」
と申し上げる。大宮も、「まことに呆れたことだ」とお思いになって、
「誰が、そのようなことを言うのですか。お気の毒な情けないことですね。それほど珍しい事は、自然と噂になろうものを。大将もそのようには言わないで、世の中のはかなく無常なこと、このような宇治の宮の一族の短命であったことを、ひどく悲しんでおっしゃっていたが」
とおっしゃる。
「さあ、下衆は、確かでないことも申すものを、と思いますが、あちらに仕えておりました下童が、つい最近、小宰相の君の実家に出て参って、確かなことのように言いました。このように不思議に亡くなったことは、誰にも聞かせまい。大げさで、気味の悪い話だからといって、ひどく隠していたこととか。そうして、詳しくはお聞かせ申し上げなかったのでしょう」
と申し上げると、
「まったく、このような話は、二度と他人には話さないように、と言わせなさい。このような色恋沙汰で、お身の上を過ち、世人に軽々しく顰蹙をおかいになることになりましょう」
とたいそうご心配になった。
6 薫の物語 薫、断腸の秋の思い
[6-1 女一の宮から妹二の宮への手紙]
その後、姫宮の御方から、二の宮にお便りがあったのだった。ご筆跡などが、たいそうかわいらしそうなのを見るにつけ、実に嬉しく、「こうしてこそ、もっと早く見るべきであった」とお思いになる。
たくさんの趣のある絵をたくさん、大宮も差し上げあそばした。大将殿は、それ以上に趣のある絵を集めて、差し上げなさる。芹川の大将が遠君の、女一の宮に懸想をしている秋の夕暮に、思いあまって出かけて行った絵が、趣深く描けているのを、とてもよくわが身に思い当たるのである。「あれほどまで思い靡いてくださる方があったら」と思うわが身が残念である。
「荻の葉に露が結んでいる上を吹く秋風も
夕方には特に身にしみて感じられる」
と書き添えたく思うが、
「そのようなのを少しの様子にでも漏らしたら、とてもやっかいそうな世の中であるから、ちょっとしたことも、ちらっと出すことができない。このようにいろいろと何やかやと、憂愁を重ねた果てに思うことは、亡き大君が生きていらっしゃったら、どうして他の女に心を傾けたりしようか。
今上の帝の内親王を賜うといっても、頂戴はしなかったろうに。また、そのように思う女がいるとお耳にあそばしながら、このようなことはなかったろうが、やはり情けなく、わたしの心を乱しなさった宇治の橋姫だなあ」
と思い余って、また宮の上に執着して、恋しく切なく、どうにもしようがないのを、馬鹿らしく思うまで悔しい。この方に思い悩んで、その次には、呆れた恰好で亡くなった人が、とても思慮浅く、思いとどまるところのなかった軽率さを思いながら、やはり大変なことになったと、思いつめていたほどを、わたしの態度がいつもと違っていると、良心の呵責に苛まれて嘆き沈んでいた様子を、お聞きになったことも思い出されて、
「重々しい方としての扱いでなく、ただ気安くかわいらしい愛人としておこう、と思ったわりには、実にかわいらしい人であったよ。思い続けると、宮をお恨み申すまい。女をもひどいと思うまい。ただわが人生が世間ずれしていない失敗なのだ」
などと、物思いに耽りなさる時々が多かった。
[6-2 侍従、明石中宮に出仕す]
悠長で、自制心が強くいらっしゃる人でさえ、このような方面には、身も苦しいことが自然と出て来るのを、宮は、彼以上に慰めかねながら、あの形見として、尽きない悲しみをおっしゃる相手さえいないが、対の御方だけは、「かわいそうに」などとおっしゃるが、深く親しんでいらっしゃらなかった、短い交際であったので、とても深くはどうしてお思いになろうか。また、お気持ちのままに、「恋しい、悲しい」などとおっしゃるのは、気がひけるので、あちらにいた侍従を、例によって、迎えさせなさった。
皆女房たちは散り散りになって、乳母とこの人ら二人は、特別に目をかけてくださったのも忘れることができず、侍従は身内外の女房であるが、やはり話相手として暮らしていたが、どこにもないような川の音も、何か嬉しいこともあろうか、と期待していたうちは慰められたが、気持ち悪く大変に恐ろしくばかり思われて、京で、みすぼらしい所に、最近来ていたのを、捜し出しなさって、
「こうして仕えていなさい」
とおっしゃるが、「お心はお心としてありがたいが、女房たちが噂するのも、そのような方面のことが絡んでいるところでは、聞きにくいこともあろう」と思うと、お引き受け申さない。「后の宮にお仕えしたい」と希望したので、
「とても結構なことだ。それでは内々に目をかけてやろう」
とおっしゃるのだった。心細く頼りとするところのないのも慰むことがあろうかと、縁故を求めて出仕した。「小ざっぱりとしたまあまあの下臈だ」と認めて、誰も非難しない。大将殿もいつも参上なさるのを、見るたびごとに、何となくしみじみとする。「とても高貴な大家の姫君ばかりが、大勢いらっしゃる宮邸だ」と女房が言うのを、だんだん目をとめて見るが、「やはりお仕えしていた方に似た美しい姫君はいないものだ」と思っている。
[6-3 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う]
今年の春お亡くなりになった式部卿宮の御娘を、継母の北の方が、特にかわいがらないで、その兄の右馬頭で人柄も格別なところもないのが、心を寄せているのを、不憫だとも思わずに縁づけている、とお耳にあそばしたことがあって、
「お気の毒に。父宮がたいそう大切になさっていた女君を、つまらないものにしてしまおうとは」
などと仰せになったので、ひどく心細くばかり思い嘆いていらっしゃる有様で、
「やさしく、このようにおっしゃってくださるものを」
などと、ご兄妹の侍従も言って、最近迎え取らせなさった。姫宮のお相手として、まことに最適のご身分の方なので、高い身分の方として特別の扱いで伺候なさる。決まりがあるので、宮の君などと呼ばれて、裳くらいはお付けになるのが、ひどくおいたわしいことであった。
兵部卿宮は、「この宮くらいは、恋しい人に思いよそえられる様子をしていようか。父親王は兄弟であった」などと、例のお心は、故人を恋い慕いなさるにつけても、女を見たがる癖がやまず、早く見たいとお心にかけていらした。
大将は、「非難がましいことを言いたくなることだ。昨日今日という間に、春宮に差し上げようかなどとお思いになり、わたしにもそのようなご様子をほのめかされたのだ。このように無常な世の中の衰退を見ると、川の底に身を沈めても、非難されないことだ」などと思いながら、誰よりも同情をお寄せ申し上げなさった。
この院にいらっしゃるのを、内裏よりも広く興趣あって住みよい所として、いつもは伺候していない女房どもも、みな気を許して住みながら、広々とたくさんある対の屋や、渡廊や、渡殿などにいっぱいいる。
左大臣殿は、昔のご様子にも負けず、すべてこの上もなくお世話申し上げていらっしゃる。盛んになったご一族なので、かえって昔以上に、華やかな点ではまさるのであった。
この宮は、いつものお心ならば、幾月かの間に、どのような好色事でもなさっていたところが、すっかり落ち着きなさって、傍目には「少しは大人びてお直りになったなあ」と見えるが、最近は再び、宮の君に、ご本性を現して、まつわりつきなさるのであった。
[6-4 侍従、薫と匂宮を覗く]
涼しくなったといって、后宮は、内裏に帰参なさろうとするので、
「秋の盛りは、紅葉の季節を見ないというのは」
などと、若い女房たちは残念がって、みな参集している時である。池水に親しみ月を賞美して、管弦の遊びがひっきりなしに催され、いつもより華やかなので、この宮は、このような方面では実にこの上なく賞賛されなさる。朝夕に見慣れていても、やはり今初めて見た初花のようなお姿でしていらっしゃるが、大将の君は、あまりそれほど入り込んだりなさらないので、こちらが恥ずかしくなるような気のおける方だと、みな思っていた。
いつもの、お二方が参上なさって、御前にいらっしゃる間に、あの侍従は、物蔭から覗いて拝すると、
「どちらの方なりとも縁付いて、幸運な運勢に思えたご様子で、この世に生きておいでだったらなあ。あきれるほどあっけなく情けなかったお心であったよ」
などと、他人には、あの辺のことは少しも知っている顔をして言わないことなので、自分一人で尽きせず胸を痛めている。宮は、内裏のお話など、こまごまとお話申し上げあそばすので、もうお一方はお立ちになる。「見つけられ申すまい。もう暫くの間は、ご一周忌も待たないで薄情な人だ、と思われ申すまい」と思うって、隠れた。
[6-5 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う]
東の渡殿に、開いている戸口に、女房たちが大勢いて、話などをひっそりとしている所にいらして、
「わたしをこそ、女房は親しみやすくお思いになるべきではありませんか。女でさえこのように気のおけない人はいません。それでもためになることを、教えて上げられることもあります。だんだんとお分かりになりそうですから、とても嬉しいです」
とおっしゃるので、とても答えにくくばかり思っている中で、弁のおもとといって、物馴れている年配の女房が、
「そのようにも親しくすべき理由のない者こそ、気兼ねなく振る舞えるのではないでしょうか。物事はかえってそのようなものです。必ずしもその理由を知ったうえで、くつろいでお話申し上げるというのでもございませんが、あれほど厚かましさが身についているわたしが引き受けないのも、見ていられませんで」
と申し上げると、
「恥じる理由はあるまい、とお決めになっていらっしゃるのが、残念なことです」
などと、おっしゃりながら見ると、唐衣は脱いで押しやって、くつろいで手習いをしていたのであろう、硯の蓋の上に置いて、頼りなさそうな花の枝先を手折って、弄んでいた、と見える。ある者は几帳のある所にすべり隠れ、またある者は背を向けて、押し開けてある妻戸の方に、隠れながら座っている、その頭の恰好を、興趣あると一回り御覧になって、硯を引き寄せて、
「女郎花が咲き乱れている野辺に入り込んでも
露に濡れたという噂をわたしにお立てになれましょうか
どなたも気を許してくださらないので」
と、ちょうどこの襖障子の後向きしていた女房にお見せになると、身動きもせずに、落ち着いて、すぐさま、
「花と申せば名前からして色っぽく聞こえますが
女郎花はそこらの露に靡いたり濡れたりしません」
と書いた筆跡は、ほんの一首ながら、風情があって、だいたいに無難なので、誰なのだろう、とお思いになる。今参上した途中で、道をふさがれてとどまっていた者らしい、と思う。弁のおもとは、
「まことにはっきりした老人めいたお言葉、憎うございます」と言って、
「旅寝してひとつ試みて御覧なさい
女郎花の盛りの色にお心が移るか移らないか
そうして後に、お決め申し上げましょう」
と言うので、
「お宿をお貸しくださるなら、一夜は泊まってみましょう
そこらの花には心移さないわたしですが」
とあるので、
「どうして、恥をおかかせなさいます。普通にいう野辺のしゃれを申し上げただけです」
と言う。とりとめのないことをほんのちょっとおっしゃっても、女房はその続きを聞きたくばかりお思い申し上げていた。
「うっかりしていました。道を開けますよ。特に意識して、あちらで恥ずかしがっていらやる理由が、きっとありそうな折ですから」
と言って、お立ちになると、「だいたいこのような奥ゆかしいところがないだろう、とご想像なさるもがつらい」と思っている女房もいた。
[6-6 薫、断腸の秋の思い]
東の高欄に寄り掛かって、夕日の影るにつれて、花が咲き乱れている御前の叢をお眺めやりになる。何となくしみじみと思われて、「中んづく腸の断ち切れる思いがするのは秋の空だ」という詩句を、たいそう密やかに朗誦しながら座っていらっしゃった。先程の衣ずれの音が、はっきり聞こえる感じがして、母屋の襖障子から通ってあちらに入って行くようである。宮が歩いていらして、
「こちらからあちらへ参ったのは誰か」
とお尋ねになると、
「あちらの御方の中将の君です」
と申し上げるのである。
「やはり、けしからぬ振る舞いだ。誰だろうかと、ちょっとでも関心を持った人に、そのままこのように遠慮なく名前を教えてしまうとは」と、気の毒で、この宮に、皆が馴れ馴れしくお思い申し上げているようなのも残念だ。
「無遠慮につっこんだお振る舞いに、女はきっとお負け申してしまおう。わたしは、まことに残念なことに、こちらのご一族には、悔しくも残念なことばかりだ。何とかして、ここの女房の中にでも、珍しいような女で、例によって熱心に夢中になっていらっしゃる女を口説き落として、自分が経験したように、穏やかならぬ気持ちを思わせ申し上げたい。ほんとうに物事の分かる女なら、わたしの方に寄って来るはずだ。けれども難しいことだな。人の心というものは」
と思うにつけても、対の御方の、あのお振る舞いを、身分にふさわしくないものとお思い申し上げて、まことに不都合な関係になって行くのが、その世間の評判をつらいと思いながらも、やはりすげなくはできない者とお分かりになってくださるのは、世にもまれな胸をうつことである。
「そのような気立ての方は、大勢の中にいようか。立ち入って深くは知らないので分からないことだ。寝覚めがちに所在ないのを、少しは好色も習ってみたいものだ」
などと思うが、今はやはりふさわしくない。
[6-7 薫と中将の御許、遊仙窟の問答]
例によって、西の渡殿を、先日に真似て、わざわざいらっしゃったのも変なことだ。姫宮は、夜はあちらにお渡りあそばしたので、女房たちが月を見ようとして、この渡殿でくつろいで話をしているところであった。箏の琴がたいそうやさしく弾いている爪音が、興趣深く聞こえる。思いがけないところにお寄りになって、
「どうして、このように人を焦らすようにお弾きになるのですか」
とおっしゃると、皆驚いたにちがいないが、少し巻き上げた簾を下ろしなどもせず、起き上がって、
「似ている兄様が、ございましょうか」
と答える声は、中将のおもととか言った人であった。
「わたしこそが、御母方の叔父ですよ」
と、戯れをおっしゃって、
「いつものように、あちらにいらっしゃるようですね。どのようなことを、この里下がりのご生活の中でなさっておいでですか」
などと、つまらないことをお尋ねになる。
「どちらにいらしても、同じことです。ただ、このような事をしてお過ごしでいらっしゃるようです」
と言うと、「結構なご身分の方だ、と思うと、わけもない溜息を、うっかりしてしまったのも、変だと思い寄る人があっては」と紛らわすために、差し出した和琴を、ただそのまま掻き鳴らしなさる。律の調べは、不思議と季節に合うと聞こえる音なので、聞き憎くもないが、最後までお弾きにならないのを、かえって気がもめると、熱心な人は、死ぬほど残念がる。
「わたしの母宮もひけをおとりになる方だろうか。后腹と申し上げる程度の相違だが、それぞれの父帝が大切になさる様子に、違いはないのだ。がやはり、こちらのご様子は、たいそう格別な感じがするのが不思議なことだ。明石の浦は奥ゆかしい所だ」などと思い続けることの中で、「自分の宿世は、とてもこの上ないものであった。その上に、並べて頂戴したら」と思うのは、とても難しいことだ。
[6-8 薫、宮の君を訪ねる]
宮の君は、こちらの西の対にお部屋を持っていた。若い女房たちが大勢いる様子で、月を賞美していた。
「まあ、お気の毒に、こちらも同じ皇族の方であるのに」
とお思い出し申し上げて、「父親王が、生前に好意をお寄せになっていたものを」と口実にして、そちらにお出でになった。童女が、かわいらしい宿直姿で、二、三人出て来てあちこち歩いたりしていた。見つけて入る様子なども、恥ずかしそうだ。これが世間普通のことだと思う。
南面の隅の間に近寄って、ちょっと咳払いをなさると、少し大人めいた女房が出て来た。
「人知れず好意をお寄せ申しておりますので、かえって、誰もが言い古るしてきたような言葉が、馴れない感じで、真似をしているようでございます。真面目に、言葉以外の表現を探さずにおられません」
とおっしゃると、宮の君にも言い伝えず、利口ぶって、
「まことに思いもかけなかったご境遇につけても、故父宮がお考え申し上げていらっしゃった事などが、思い出されましてなりません。このように、折々にふれて申し上げてくださるという。蔭ながらのお言葉も、お礼申し上げていらっしゃるようです」
と言う。
[6-9 薫、宇治の三姉妹の運命を思う]
「世間並の扱いのようで、失礼ではないか」と気が進まないので、
「もともと見捨てられない間柄としてよりも、今はそれ以上に、何か必要なことにつけても、お声をかけてくださったら嬉しく存じます。よそよそしく人を介してなどでしたら、とてもお伺いできません」
とおっしゃるので、「おっしゃるとおりだ」と、あわてて気づいて、宮の君を揺さぶるらしいので、
「松も昔の知る人もいないとばかりに、つい物思いに沈んでしまいますにつけても、もとからの縁などとおっしゃる事は、ほんとうに頼もしく存じられます」
と、人を介してというのでなくおっしゃる声、まことに若々しく愛嬌があって、やさしい感じが具わっていた。「ただ普通のこのような局住まいをする人と思へば、とても趣があるにちがいないが、ただ今では、どうしてほんのわずかでも、人に声を聞かせてよいという立場に馴れておしまいになったのだろう」と、何となく気になる。「容貌などもとても優美であろう」と、見たい感じがしているが、「この人は、また例によって、あの方のお心を掻き乱す種になるにちがいなかろうと、興味深くもあり、めったにいないものだ」とも思っていらっしゃった。
「この方こそは、貴いご身分の父宮が大切にお世話して成人させなさった姫君だ。また、この程度の女なら他にもそう多くいよう。不思議であったことは、あの聖の近辺に、宇治の山里に育った姫君たちで、難のある方はいなかったことだ。この、頼りないな、軽率だな、などと思われる女も、このようにちょっと会った感じでは、たいそう風情があったものだ」
と、何事につけても、ただあのご一族の方をお思い出しなさるのであった。不思議と、またつらい縁であった一つ一つを、つくづくと思い出し物思いにふけっていらっしゃる夕暮に、蜻蛉が頼りなさそうに飛び交っているのを、
「そこにいると見ても、手には取ることのできない
見えたと思うとまた行く方知れず消えてしまった蜻蛉だ
あるのか、ないのか」
と、例によって、独り言をおっしゃった、とか。
53. 手習
薫君の大納言時代27歳3月末頃から28歳の夏までの物語
- 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病 そのころ、横川に、某僧都とか言って
- 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う まず、僧都がお越しになる。「とてもひどく荒れて
- 若い女であることを確認し、救出する 変な恰好に、烏帽子を額の上に押し上げて出て来た
- 妹尼、若い女を介抱す お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って
- 若い女生き返るが、死を望む 僧都もちょっと覗いて、「どうですか。何のしわざかと
- 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る 二日ほど籠もっていて、二人の女性を祈り
- 尼君ら一行、小野に帰る 尼君がよくおなりになった。方角も開いたので
1 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる
- 僧都、小野山荘へ下山 ずっとこうしてお世話するうちに、四月、五月も過ぎた
- もののけ出現 「朝廷のお召しでさえお受けせず、深く籠もっている山を
- 浮舟、意識を回復 ご本人の気分はさわやかになって、少し意識がはっきりして
- 浮舟、五戒を受く 「どうして、このように頼りなさそうにばかりいらっしゃるのですか
- 浮舟、素性を隠す 「夢に見たような人をお世話申し上げることだわ」と尼君は喜んで
- 小野山荘の風情 ここの主人も高貴な方であった。娘の尼君は
- 浮舟、手習して述懐 尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる
- 浮舟の日常生活 若い女で、このような山里に、もうこれまでと思いを断ち切って籠もるのは
2 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活
- 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問 尼君の亡き娘の婿の君で、今は中将におなりになっていたが
- 浮舟の思い 供の人びとに水飯などのような物を食べさせ、君にも蓮の実などの
- 中将、浮舟を垣間見る 尼君が奥にお入りになる間に、客人は、雨の様子に困って
- 中将、横川の僧都と語る お庭先の女郎花を手折って、「どうしてここにいらっしゃるのだろう」と口ずさんで
- 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る 翌日、お帰りになる時、「素通りできにくくて」
- 中将、三度山荘を訪問 手紙などをわざわざやるのは、何といっても不慣れな感じで
- 尼君、中将を引き留める そうはいっても、このような古風な気質とは不似合いに
- 母尼君、琴を弾く 「お婆は、昔は、東琴を、簡単に弾きましたが
- 翌朝、中将から和歌が贈られる これによってすっかり興醒めして、お帰りになる途中も
3 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る
- 9月、尼君、再度初瀬に詣でる 九月になって、この尼君は、初瀬に参詣する
- 浮舟、少将の尼と碁を打つ 皆が出立したのを見送って、わが身のやりきれなさを
- 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む 月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将が
- 老尼君たちのいびき 姫君は、「とても気味悪い」とばかり聞いている老人の所に
- 浮舟、悲運のわが身を思う 昔からのことを、眠れないままに、いつもよりも
- 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る 身分の低いらしい法師どもなどが大勢来て
- 浮舟、僧都に出家を懇願 立ってこちらにいらして、「ここに
- 浮舟、出家す 「不思議な、このような器量とお姿なのに、どうして身を
4 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す
- 少将の尼、浮舟の出家に気も動転 このような間に、少将の尼は、兄の阿闍梨が
- 浮舟、手習に心を託す 僧都一行の人びとが出て行って静かになった。夜の風の音に、この人びとは
- 中将からの和歌に返歌す 同じような内容を、あれこれ気の向くまま書いていらっしゃるところに
- 僧都、女一宮に伺候 一品の宮のご病気は、なるほど、あの弟子が言っていたとおりに
- 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る 御物の怪の執念深いことや、いろいろと
- 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る 姫宮がすっかりよくおなりになったので、僧都も帰山
- 中将、小野山荘に来訪 今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに
- 中将、浮舟に和歌を贈って帰る 「これほどの器量をした人を失って
5 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語
- 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す 年が改まった。春の兆しも見えず、氷が張りつめた
- 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪 大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京し
- 浮舟、薫の噂など漏れ聞く 「あの方の親しい人であった」と見るにつけても
- 浮舟、尼君と語り交す 「お忘れになっていないのだ」としみじみと思うが
- 薫、明石中宮のもとに参上 大将は、この一周忌の法事なをおさせにになって
- 小宰相、薫に僧都の話を語る 立ち寄ってお話などなさるついでに
- 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く 「思いがけないことで、亡くなってしまったと存じておりました女が
6 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る
1 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる
[1-1 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病]
そのころ、横川に、某僧都とか言って、たいそう尊い人が住んでいた。八十歳過ぎの母と、五十歳ほどの妹とがいたのであった。昔からの願があって、初瀬に詣でたのであった。
親しく重んじている弟子の阿闍梨を連れて、仏やお経を供養することを行うのであった。いろいろなことをたくさんして帰る道中で、奈良坂という山を越えたころから、この母の尼君が、気分が悪くなったので、「こんなでは、どうして帰りの道を行きつけようか」と大騒ぎして、宇治の辺りに知っていた人の家があったので、そこにとどめて、今日一日お休め申したが、依然としてひどく苦しがっているので、横川に消息を出した。
山籠もりの本願が強く、今年は下山しまいと思っていたが、「晩年の状態の母親が、道中で亡くなるのだろうか」と驚いて、急いでいらっしゃった。惜しむほどでもない年齢の人だが、自分自身でも、弟子の中でも効験のある者をして、加持し大騒ぎするのを、家の主人が聞いて、
「御嶽精進をしたが、たいそう高齢でおいでの方が、重病でいらっしゃるのは、どうしたものか」
と不安そうに思って言ったので、そうも言うにちがいないことを、気の毒に思って、ひどく狭くむさ苦しい所なので、だんだんお連れ申せるほどになったが、中神の方角が塞がって、いつも住んでいらっしゃる所は避けなければならなかったので、「故朱雀院の御領で、宇治院といった所が、この近辺だろう」と思い出して、院守を、僧都は知っていらっしゃったので、「一、二日泊まりたい」と言いにおやりになったところ、
「初瀬に、昨日皆詣でてしまいました」
と言って、ひどくみすぼらしい宿守の老人を呼んで連れて来た。
「いらっしゃるなら、早いほうがよい。誰も使っていない院の寝殿でございますようです。物詣での方は、いつもお泊まりになります」
と言うので、
「実に結構なことだ。公の建物だが、誰もいなくて気楽な所だから」
と言って、様子を見におやりになる。この老人、いつもこのように泊まる人を見慣れていたので、簡略な設営などをして戻って来た。
[1-2 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う]
まず、僧都がお越しになる。「とてもひどく荒れて、恐ろしそうな所だな」と御覧になる。
「大徳たち、読経せよ」
などとおっしゃる。この初瀬に付いていった阿闍梨と同じような者が、何事があったのか、お供するにふさわしい下臈の法師に、松明を灯させて、人も近寄らない建物の後ろの方に行った。森かと見える木の下を、「気持ち悪い所だ」と見ていると、白い物が広がっているのが見える。
「あれは、何だ」
と、立ち止まって、松明を明るくして見ると、何かが座っているような格好である。
「狐が化けた物だ。憎い。正体を暴いてやろう」
と言って、一人はもう少し近寄る。もう一人は、
「まあ、よしなさい。よくない物であろう」
と言って、そのような物が引き下がるような印を作りながら、そうは言ってもやはり見つめている。頭の髪があったら太くなりそうな気がするが、この松明を灯した大徳は、恐れもせず、深い考えもなく様子で、近寄ってその様子を見ると、髪は長く艶々として、大きな木の根がとても荒々しくある所に寄りかかって、ひどく泣いている。
「珍しいことでございますな。僧都の御坊に御覧に入れましょう」
と言うと、
「なるほど、不思議な事だ」
と言って、一人は参上して、「これこれしかじかです」と申し上げる。
「狐が人に化けるということは昔から聞いたが、まだ見たことがないものだ」
と言って、わざわざ下りていらっしゃる。
あちらにお越しになろうとしたところで、下衆どもで、役に立ちそうな者は皆、御厨子所などで、準備すべきことをいろいろと、こちらではかかりきりでいたので、ひっそりしていたので、わずか四、五人で、ここにいる物を見るが、変化する様子も見えない。
不思議に思って、一時の移るまで見る。「早く夜も明けてほしい。人か何物か、正体を暴こう」と、心中でしかるべき真言を読み、印を作って試みると、はっきり見極めがついたのであろうか、
「これは、人である。まったく異常なけしからぬ物ではない。近寄って問え。死んでいる人ではないようだ。もしや死んだ人を捨てたのが、生き返ったのだろうか」
と言う。
「どうして、そのような人を、この院の邸内に捨てましょうか。たとい、ほんとうに人であったとしても、狐や木霊のようなものが、たぶらかして連れて来たのでございましょうと、不都合なことでございますなあ。穢れのある所のようでございます」
と言って、先程の宿守の男を呼ぶ。山彦が答えるのも、まことに恐ろしい。
[1-3 若い女であることを確認し、救出する]
変な恰好に、烏帽子を額の上に押し上げて出て来た。
「ここには、若い女などが住んでいるのか。このようなことがある」
と言って見せると、
「狐がしたことだ。この木の下に、時々変なことをします。一昨年の秋も、ここに住んでいました人の子で、二歳ほどになったのを、さらって参ったが、驚きもしませんでした」
「それでは、その子は死んでしまったのか」
と問うと、
「生きております。狐は、そのように人を脅かすが、何ということもないやつです」
と言う態度は、とても物慣れたさまである。あちらの深夜に食事の準備している所に、気を取られているのであろう。僧都は、
「それでは、そのような物がしたことかどうか。やはり、よく見よ」
と言って、この恐いもの知らずの法師を近づけると、
「鬼か神か狐か木霊か。これほどの天下第一の験者がいらっしゃるのには、隠れ申すことはできまい。正体を名のりなさい。正体を名のりなさい」
と、衣を取って引くと、顔を隠してますます泣く。
「さてもまあ、何と、たちの悪い木霊の鬼だ。正体を隠しきれようか」
と言いながら、顔を見ようとすると、「昔いたという目も鼻もなかった女鬼であろうか」と、気味悪いが、頼もしく威勢のよいところを人に見せようと思って、衣を脱がせようとすると、うつ臥して声を立てるほどに泣く。
「何にあれ、このような不思議なことは、普通、世間にはない」
と言って、見極めようと思っていると、
「雨がひどく降って来そうだ。こうしておいたら、死んでしまいましょう。築地塀の外に出しましょう」
と言う。僧都は、
「ほんとうに人の姿だ。その命が今にも絶えてしまいそうなのを見ながら放っておくことは、もっての外のことだ。池で泳ぐ魚、山で鳴く鹿でさえ、人に捕えられて死にそうなのを見て、助けないのは、まことに悲しいことだろう。人の命は長くはないものだが、残りの命の、一、二日を惜しまないものはない。鬼にもあれ神にもあれ、取り憑かれたり、人に追出されたり、人に騙されたりしても、これらは横死をするにちがいないものだが、仏が必ずお救いになるはずの人である。
やはり、試みに、しばらく薬湯を飲ませたりして、助けてみよう。結局、死んでしまったら、しかたのないことだ」
とおっしゃって、この大徳に抱いて中に入れさせなさるのを、弟子どもは、
「不都合なことだなあ。ひどく患っていらっしゃる方のお側近くに、よくないものを近づけて、穢れがきっと出て来よう」
と、非難する者もいる。また、
「変化の物であれ、目前に見ながら、生きている人を、このような雨に打たれ死なせるのは、よくないことなので」
などと、思い思いに言う。下衆などは、たいそう騒がしく、口さがなく言い立てるものなので、人の大勢いない隠れた所に寝かせたのであった。
[1-4 妹尼、若い女を介抱す]
お車を寄せてお下りになる時、ひどくお苦しがりなさると言って、大騒ぎする。少し静まって、僧都が、
「先程の人は、どのようになった」
とお尋ねになる。
「なよなよとして何も言わず、息もしません。いやなに、魔性の物に正体を抜かれた者でしょう」
と言うのを、妹の尼君がお聞きになって、
「何事ですか」
と尋ねる。
「これこれしかじかの事を、六十歳を過ぎた年齢になって、珍しい物を拝見しました」
とおっしゃる。それを聞くなり、
「わたしが寺で見た夢がありました。どのような人ですか。早速その様子を見たい」
と泣いておっしゃる。
「ちょうどこの東の遣戸の所におります。早く御覧なさい」
と言うので、急いで行って見ると、誰も側近くにおらずに、放置してあった。とても若くかわいらしげな女で、白い綾の衣一襲に、紅の袴を着ている。香はたいそう芳ばしくて、上品な感じがこの上ない。
「まるで、わたしが恋い悲しんでいた娘が、帰っていらしたようだ」
と言って、泣きながら年配の女房たちを使って、抱き入れさせる。どうしたことかとも、事情を知らない人は、恐がらずに抱き入れた。生きているようでもなく、それでも目をわずかに開けたので、
「何かおっしゃいなさい。どのようなお人か、こうして、いらっしゃるのは」
と尋ねるが、何も分からない様子である。薬湯を取って、ご自身ですくって飲ませなどするが、ただ弱って死にそうだったので、
「かえって大変な事になりました」と言って、「この人は死にそうです。加持をしなさい」
と、験者の阿闍梨に言う。
「それだから言ったのに。つまらないお世話です」
とは言うが、神などの御ためにお経を読みながら祈る。
[1-5 若い女生き返るが、死を望む]
僧都もちょっと覗いて、
「どうですか。何のしわざかと、よく調伏して問え」
とおっしゃるが、ひどく弱そうに死んで行きそうなので、
「生きられそうにない。思いがけない穢れに籠もって、厄介なことになりますこと」
「そうは言っても、とても高貴な方でございましょう。死んだとしても、普通の人のようにはお捨て置きになることはできまい。面倒なことになったな」
と言い合っていた。
「お静かに。人に聞かせるな。厄介なことでも起こったら大変です」
などと口封じしながら、尼君は、親が患っていらっしゃるのよりも、この人を生き返らせてみたく惜しんで、もうすっかりこちらに付きっきりになっていた。知らない人であるが、顔容姿がこの上なく美しいので、死なせまいと、見る人びとも皆でお世話した。そうは言っても、時々、目を開けたりなどして、涙が止まらず流れるのを、
「まあ、お気の毒な。たいそう悲しいと思う娘の代わりに、仏がお導きなさったとお思い申し上げていたのに。亡くなってしまわれたら、かえって悲しい思いが加わることでしょう。こうなるはずの宿縁で、こうしてお会い申したのでしょう。ぜひ、少しは何とかおっしゃってください」
と言い続けるが、やっとのことで、
「生き返ったとしても、つまらない無用の者です。誰にも見せないで、夜にこの川に投げ込んでくださいまし」
と、息の下に言う。
「やっとのこと何かおっしゃるのを嬉しいと思ったら、まあ、大変な。どうして、そのようなことをおっしゃるのですか。なぜ、あのような所にいらっしゃったのですか」
と尋ねるが、何もおっしゃらなくなってしまった。「身体にもしやおかしなところなどがあろうか」と思って見たが、これと思える所はなくかわいらしいので、驚き呆れて悲しく、「ほんとうに、人の心を惑わそうとして出て来た仮の姿をした変化の物か」と疑う。
[1-6 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る]
二日ほど籠もっていて、二人の女性を祈り加持する声がひっきりなしで、不思議な事件だと思ってあれこれ言う。その近辺の下衆などで、僧都にお仕え申していた者が、こうしてお出でになっていると聞いて、挨拶に出て来たが、世間話などして言うのを聞くと、
「故八の宮の姫君で、右大将殿がお通いになっていた方が、特にご病気になったということもなくて、急にお亡くなりになったと言って、大騒ぎしております。そのご葬送の雑事類にお仕え致しますために、昨日は参上することができませんでした」
と言う。「そのような人の魂を、鬼が取って持って来たのであろうか」と思うにも、一方では見ながら、「生きている人とも思えず、危なっかしく恐ろしい」とお思いになる。人びとは、
「昨夜見やられた火は、そのように大げさなふうには見えませんでしたが」
と言う。
「格別に簡略にして、盛大ではございませんでした」
と言う。死穢に触れた人だからというので、立ったままで帰らせた。
「大将殿は、宮の姫君をお持ちになっていたのは、お亡くなりになって、何年にもなったが、誰を言うのでしょうか。姫宮をさし置き申しては、まさか浮気心はおありでない」
などと言う。
[1-7 尼君ら一行、小野に帰る]
尼君がよくおなりになった。方角も開いたので、「このような嫌な所に長く逗留されるのも不都合である」と言って帰る。
「この人は、依然としてとても弱々しそうだ。道中もいかがでいらっしゃろうかと、おいたわしいこと」
と話し合っていた。車二台で、老人がお乗りになったのには、お仕えする尼が二人、次のにはこの人を寝かせて、側にもう一人付き添って、道中もはかどらず、車を止めて薬湯などを飲ませなさる。
比叡の坂本で、小野という所にお住みになっていた。そこにお着きになるまで、まことに遠い。
「休憩所を準備すべきであった」
などと言って、夜が更けてお着きになった。
僧都は、母親を世話し、娘の尼君は、この知らない女を介抱して、みな抱いて降ろし降ろしして休む。老人の病気はいつということもないが、苦しいと思っていた遠路のせいで、少しお疲れになったが、だんだんとよくおなりになったので、僧都は山にお登りになった。
「このような女を連れて来た」などと、法師の間ではよくないことなので、知らなかった人には事情を話さない。尼君も、みな口封じをさせたが、「もしや探しに来る人もいようか」と思うと、気が落ち着かない。「何とか、そのような田舎者の住む辺りに、このような方がさまよっていたのだろうか。物詣でなどした人で、気分が悪くなったのを、継母などのような人が、だまして置いていったのであろうか」と推測してみるのだった。
「川に流してください」と言った一言以外に、何もまったくおっしゃらないので、とても分からなく思って、「はやく人並みの健康にしよう」と思うと、ぐったりとして起き上がる時もなく、まことに心配な容態ばかりしていらっしゃるので、「結局は生きられない人であろうか」と思いながら、放っておくのもお気の毒でたまらない。夢の話もし出しては、最初から祈祷させた阿闍梨にも、こっそりと芥子を焼くことをおさせになる。
2 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活
[2-1 僧都、小野山荘へ下山]
ずっとこうしてお世話するうちに、四月、五月も過ぎた。まことに心細く看護の効のないことに困りはてて、僧都のもとに、
「もう一度下山してください。この人を、助けてください。何といっても今日まで生きていたのは、死ぬはずのない運命の人に、取り憑いて離れない物の怪が去らないのにちがいありません。どうかあなた様、京にお出になるのは無理でしょうが、ここまでは来てください」
などと、切なる気持ちを書き綴って、差し上げなさると、
「まことに不思議なことだな。こんなにまで生きている人の命を、そのまま見捨ててしまったら。そうなるはずの縁があって、わたしが見つけたのであろう。ためしに最後まで助けてやろう。それでだめなら、命数が尽きたのだと思おう」
と思って、下山なさった。
喜んで拝して、いく月日の間の様子を話す。
「このように長い間患っている人は、見苦しい感じが、自然と出て来るものですが、少しも衰弱せず、とても美しげで、ひねくれたところもなくいらっしゃって、最期と見えながらも、こうして生きていることです」
などと、本気になって泣きながらおっしゃるので、
「見つけた時から、めったにいないご様子の方であったな。さあ」
と言って、さし覗いて御覧になって、
「なるほど、まことに優れたご容貌の方であるなあ。功徳の報恩で、このような器量にお生まれになったのであろう。どのような行き違いで、ひどいことにおなりになったのであろう。もしや、それか、と思い当たるような噂を聞いたことはありませんか」
と尋ねなさる。
「まったく聞いたことありません。何の、初瀬の観音が授けてくださった人です」
とおっしゃるので、
「いや何。宿縁によってお導きくださったものでしょう。因縁のないことはどうして起ころうか」
などと、おっしゃるのが、不思議がりなさって、修法を始めた。
[2-2 もののけ出現]
「朝廷のお召しでさえお受けせず、深く籠もっている山をお出になって、わけもなくこのような人のために修法をなさっていると、噂が聞こえた時には、まことに聞きにくいことであろう」とお思いになり、弟子どももそう意見して、「人に聞かせまい」と隠す。僧都、
「まあ、お静かに。大徳たち。わたしは破戒無慚の法師で、戒律の中で、破った戒律は多かろうが、女の方面ではまだ非難されたことなく、過ったこともない。年齢も六十を過ぎて、今さら人の非難を受けるのは、前世の因縁なのであろう」
とおっしゃると、
「口さがない連中が、何か不都合な事にとりなして言いました時には、仏法の恥となりますことです」
と、不機嫌に思って言う。
「この修法によって効験が現れなかったら」
と、非常な決意をなさって、夜一晩中、加持なさった翌早朝に、人に乗り移らせて、「どのような物の怪がこのように人を惑わしていたのであろう」と、様子だけでも言わせたくて、弟子の阿闍梨が、交替で加持なさる。何か月もの間、少しも現れなかった物の怪が、調伏されて、
「自分は、ここまで参って、このように調伏され申すべき身ではない。生前は、修業に励んだ法師で、わずかにこの世に恨みを残して、中有にさまよっていたときに、よい女が大勢住んでいられた辺りに住み着いて、一人は失わせたが、この人は、自分から世を恨みなさって、自分は何とかして死にたい、ということを、昼夜おっしゃっていたのを手がかりと得て、まことに暗い夜に、一人でいらした時に奪ったのである。けれども、観音があれやこれやと加護なさったので、この僧都にお負け申してしまった。今は、立ち去ろう」
と声を立てる。
「こう言うのは、何者だ」
と問うが、乗り移らせた人が、力のないせいか、はっきりとも言わない。
[2-3 浮舟、意識を回復]
ご本人の気分はさわやかになって、少し意識がはっきりして見回すと、一人も見たことのある顔はなくて、皆、老法師か腰の曲がった者ばかり多いので、知らない国に来たような気がして、実に悲しい。
以前のことを思い出すが、住んでいた所、何という名前であったかさえ、確かにはっきりとも思い出せない。ただ、
「自分は、最期と思って身を投げた者である。どこに来たのか」と無理に思い出すと、
「とてもつらいことよと、悲しい思いを抱いて、皆が寝静まったときに、妻戸を開けて外に出たが、風が烈しく、川波も荒々しく聞こえたが、独りぼっちで恐かったので、過去や将来も分からず、簀子の端に足をさし下ろしながら、行くはずの所も迷って、引き返すのも中途半端で、気強くこの世から消えようと決心したが、『馬鹿らしく人に見つけられるよりは鬼でも何でも喰って亡くしてくれよ』と言いながら、つくづくと座っていたが、とても美しそうな男が近寄って来て、『さあ、いらっしゃい。わたしの所へ』と言って、抱く気がしたが、宮様と申し上げた方がなさる、と思われた時から、意識がはっきりしなくなったようだ。知らない所に置いて、この男は消えてしまった、と見えたが、とうとうこのように目的も果たせずになってしまった、と思いながら、ひどく泣いている、と思ったときから、その後のことはまったく、何もかも覚えていない。
人が言うのを聞くと、たくさんの日数を経てしまった。どのように嫌な様子を、知らない人にお世話されたのであろう、と恥ずかしく、とうとうこうして生き返ってしまったのか」
と思うのも残念なので、ひどく悲しく思われて、かえって、沈んでいらした日ごろは、正気もない様子で、何か食物も少し召し上がることもあったが、露ほどの薬湯でさえお飲みにならない。
[2-4 浮舟、五戒を受く]
「どうして、このように頼りなさそうにばかりいらっしゃるのですか。ずっと熱がおありだったのは下がりなさって、さわやかにお見えになるので、嬉しくお思い申し上げていましたのに」
と、泣きながら、気を緩めることなく付き添ってお世話申し上げなさる。仕える女房たちも、惜しいお姿や容貌を見ると、誠心誠意惜しんで看病したのであった。内心では、「やはり何とかして死にたい」と思い続けていらしたが、あれほどの状態で、生き返った人の命なので、とてもねばり強くて、だんだんと頭もお上げになったので、食物を召し上がりなさるが、かえって容貌もひきしまって行く。はやく好くなってほしいと嬉しくお思い申し上げていたところ、
「尼にしてください。そうしたら生きて行くようもありましょう」
とおっしゃるので、
「あたら惜しいお身を。どうして、そのように致せましょう」
と言って、ただ頂の髪だけを削いで、五戒だけを受けさせ申し上げる。不安であるが、もともとはきはきしない性分で、さし出て強くもおっしゃらない。僧都は、
「今はもう、このくらいにしておいて、看病して差し上げなさい」
と言い置いて、山へ登っておしまいになった。
[2-5 浮舟、素性を隠す]
「夢に見たような人をお世話申し上げることだわ」と尼君は喜んで、無理に起こして座らせながら、お髪をご自身でお梳かしになる。あのように驚きあきれ、結んでおいたが、ひどくは乱れず、解き放ってみると、つやつやとして美しい。白髪の人の多い所なので、目もあざやかに、美しい天人が地上に下りたのを見たように思うのも、不安な気がするが、
「どうして、とても情けなく、こんなにたいそうお世話申し上げていますのに、強情をはっていらっしゃるのですか。どこの誰と申し上げた方が、そのような所にどうしておいでになったのですか」
と、しいて尋ねるのを、とても恥ずかしいと思って、
「意識を失っている間に、すっかり忘れてしまったのでしょうか、以前の様子などもまったく覚えておりません。ただ、かすかに思い出すこととしては、ただ、何とかしてこの世から消えたいと思いながら、夕暮になると端近くで物思いをしていたときに、前の近くにある大きな木があった下から、人が出て来て、連れて行く気がしました。それ以外のことは、自分自身でも、誰とも思い出すことができません」
と、とてもかわいらしげに言って、
「この世に、やはり生きていたと、何とか人に知られたくない。聞きつける人がいたら、とても悲しい」
と言ってお泣きになる。あまり尋ねるのを、つらいとお思いなので、尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも、珍しい気がするので、「どのような何かの機会に姿が消え失せてしまうのか」と、落ち着かない気持ちでいた。
[2-6 小野山荘の風情]
ここの主人も高貴な方であった。娘の尼君は、上達部の北の方であったが、その方がお亡くなりになって後、娘をただ一人大切にお世話して、立派な公達を婿に迎えて大切にしていたが、その娘が亡くなってしまったので、情けない、悲しい、と思いつめて、尼姿になって、このような山里に住み始めたのであった。
「歳月とともに恋い慕っていた娘の形見にでも、せめて思いよそえられるような人を見つけたい」と、所在ない心細い思いで嘆いていたところ、このように、思いがけない人で、器量や感じも優っているような人を得たので、現実のこととも思われず、不思議な気がしながらも、嬉しいと思う。年は召しているが、とても美しそうで嗜みがあり、態度も上品である。
昔の山里よりは、川の音も物やわらかである。家の造りは、風流な所の、木立も趣があり、前栽なども興趣あり、風流をし尽くしている。秋になって行くと、空の様子もしみじみとしている。門田の稲を刈ろうとして、その土地の者の真似をしては、若い女房たちが、民謡を謡いながらおもしろがっていた。引板を鳴らす音もおもしろく、かつて見た東国のことなども思い出されて。
あの夕霧の御息所がおいでになった山里よりは、もう少し奥に入って、山の斜面に建ててある家なので、松の木蔭が鬱蒼として、風の音もまことに心細いので、することもなく勤行ばかりして、いつとなくひっそりとしている。
[2-7 浮舟、手習して述懐]
尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる。少将の尼君などという女房は、琵琶を弾いたりして遊ぶ。
「このようなことはなさいますか。何もすることがないので」
などと言う。昔も、賤しかった身の上で、のんびりと、「そのようなことをする境遇でもなかったので、少しも風流なところもなく成長したことよ」と、このように盛りを過ぎた人が、心を晴らしているような時々につけては、思い出すが、「何とも言いようのない身の上であった」と、自分ながら残念なので、手習いに、
「涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを
堰き止めて誰がわたしを救い上げたのでしょう」
思いがけないことに情けないので、将来も不安で、疎ましいまでに思われる。
月の明るい夜毎に、老人たちは優雅に和歌を詠み、昔を思い出しながら、いろいろな話などをするが、答えることもできないので、つくづくと物思いに沈んで、
「わたしがこのように嫌なこの世に生きているとも
誰が知ろうか、あの月が照らしている都の人で」
今を最期と思い切ったときは、恋しい人が多かったが、その他の人びとはそれほども思い出されず、ただ、
「母親がどんなにお嘆きになったろう。乳母が、いろいろと、何とか一人前にしようと一生懸命であったが、どんなにがっかりしたろう。どこにいるのだろう。わたしが、生きていようとはどうして知ろう」
同じ気持ちの人もいなかったが、何事も隠すことなく相談し親しくしていた右近なども、時々は思い出される。
[2-8 浮舟の日常生活]
若い女で、このような山里に、もうこれまでと思いを断ち切って籠もるのは、難しいことなので、ただひどく年をとった尼、七、八人が、いつも仕えていた人であった。その人たちの娘や孫のような者たちで、京で宮仕えするものや、結婚している者が、時々行き来するのであった。
「このような人がいることにつけて、以前見た近辺に出入りして、自然と、生きていたとどちら様にも聞かれ申すことは、ひどく恥ずかしいことであろう。どのような様子でさすらっていていたのだろう」
などと、想像されて並外れたみすぼらしい有様を思うにちがいないのを思うと、このような人びとに、少しも姿を見せない。ただ、侍従と、こもきといって、尼君が私的に使っている二人だけを、この御方に特別に言って分けておいたのだった。容貌も気立ても、昔見た都人に似た者はいない。何事につけても、「世の中で身を隠す所はここであろうか」と、一方では思われるのであった。
こうしてばかり、人には知られまいと隠れていらっしゃるので、「ほんとうに厄介な理由のある人でいらっしゃるのだろう」と思って、詳しいことは、仕えている女房にも知らせない。
3 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る
[3-1 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問]
尼君の亡き娘の婿の君で、今は中将におなりになっていたが、その弟の禅師の君は、僧都のお側にいらっしゃったが、その山籠もりなさっているのを尋ねるために、兄弟の公達がよく山に登るのであった。
横川に通じる道のついでにかこつけて、中将がここにいらした。前駆が先払いして、身分高そうな男が入ってくるのを見出して、ひっそりとしていらしたあの方のご様子が、くっきりと思い出される。
ここもまことに心細い住まいの所在なさであるが、住み馴れた人びとは、どことなくこぎれいに興趣深くして、垣根に植えた撫子が美しく、女郎花や、桔梗などが咲き初めたところに、色とりどりの狩衣姿の男どもの若い人が大勢して、君も同じ装束で、南面に迎えて座らせたので、あたりを眺めていた。年齢は二十七、八歳くらいで、すっかり立派になって、嗜みのなくはない態度が身についていた。
尼君、襖障子口に几帳を立てて、お会いなさる。何より先に泣き出して、
「何年にもなりますと、過ぎ去った当時がますます遠くなるばかりでございますが、山里の光栄としてやはりお待ち申し上げております気持ちが、忘れず続いておりますのが、一方では不思議に存じられます」
とおっしゃると、
「心の中ではしみじみと、過ぎ去った当時のことが、思い出されないことはないが、ひたすら俗世を離れたご生活なので、ついご遠慮申し上げまして。山籠もり生活も羨ましく、よく出かけてきますので、同じことならなどと、同行したがる人びとに、邪魔されるような恰好でおりました。今日は、すっかり断って参りました」
とおっしゃる。
「山籠もり生活のご羨望は、かえって当世風の物真似のようです。故人をお忘れにならないお気持ちも、世間の風潮にお染まりにならなかったと、一方ならず厚く存じられます折がたびたびです」
などと言う。
[3-2 浮舟の思い]
供の人びとに水飯などのような物を食べさせ、君にも蓮の実などのような物を出したので、昵懇の所なので、そのようなことにも遠慮のいらない気がして、村雨が降り出したのに引き止められて、お話をひっそりとなさる。
「亡くなってしまった娘のことよりも、この婿君のお気持ちなどが、実に申し分なかったので、他人と思うのが、とても悲しい。どうして、せめて子供だけでもお残しにならなかったのだろう」
と、恋い偲ぶ気持ちなので、たまたまこのようにお越しになったのにつけても、珍しくしみじみと思われるような問わず語りもしてしまいそうである。
姫君は、わたしはわたしと、思い出されることが多くて、外を眺めていらっしゃる様子、とても美しい。白い単衣で、とても風情もなくさっぱりとしたものに、袴も桧皮色に見倣ったのか、色艶も見えない黒いのをお着せ申していたので、「このようなことなども、昔と違って不思議なことだ」と思いながらも、ごわごわとした肌触りのよくないのを何枚も着重ねていらっしゃるのが、実に風情ある姿なのである。御前の女房たちも、
「亡き姫君が生き返りなさった気ばかりがしますので、中将殿までを拝見すると、とても感慨無量です。同じことなら、昔のようにおいで願いたいものですね。とてもお似合いのご夫婦でしょう」
と話し合っているのを、
「まあ、大変な。生き残って、どのようなことがあっても、男性と結婚するようなことは。それにつけても昔のことが思い出されよう。そのようなことは、すっかり断ち切って忘れよう」と思う。
[3-3 中将、浮舟を垣間見る]
尼君が奥にお入りになる間に、客人は、雨の様子に困って、少将といった女房の声を聞き知って、呼び寄せなさった。
「昔見た女房たちは、みなここにいられようか、と思いながらも、このようにやって参ることも難しくなってしまったのを、薄情なように、皆がお思いになりましょう」
などとおっしゃる。親しくお世話してくれた女房なので、恋しかった当時のことが思い出される折に、
「あの渡廊の端の所で、風が烈しかった騷ぎに、簾の隙間から、並々の器量ではなかった人で、打ち垂れ髪が見えたのは、出家なさった家に、いったい誰なのかと驚かされました」
とおっしゃる。「姫君が立って出て行かれた後ろ姿を、御覧になったようだ」と思って、「これ以上に詳細に見せたら、きっとお心がお止まりになろう。故人は、とても格段に劣っていらっしゃったのさえ、今だに忘れがたく思っていらっしゃるようだから」と、独り決めにして、
「亡くなったお方のことを忘れがたく、慰めかねていらっしゃるようだったころ、思いがけない女性をお手に入れ申されて、明け暮れの慰めにお思い申し上げていらっしゃったようですが、寛いでいらっしゃるご様子を、どうして御覧になったのでしょうか」
と言う。「このようなことがあるものだ」と興味深くて、「どのような人なのだろう。なるほど、実に美しかった」と、ちらっと垣間見たのを、かえって思い出す。詳しく尋ねるが、すっかりとは答えず、
「自然とお分かりになりましょう」
とばかり言うので、急に詮索するのも、体裁の悪い気がして、
「雨も止んだ。日も暮れそうだ」
と言うのに促されて、お帰りになる。
[3-4 中将、横川の僧都と語る]
お庭先の女郎花を手折って、「どうしてここにいらっしゃるのだろう」と口ずさんで、独り言をいって立っていた。
「人の噂を、さすがに気になさるとは」
などと、古風な老人たちは、誉めあっていた。
「とても美しげで、理想的にご成人なさったことよ。同じことなら、昔のようにお世話したいものだ」と思って、
「藤中納言のお所には、今も通っていらっしゃるようだが、ご執心でもなく、親の邸にいらっしゃりがちだと言っているようだが」
と、尼君もおっしゃって、
「情けなく、よそよそしくしてばかりいらっしゃるのが、とてもつらい。今はもう、やはり、これも宿縁だとお思いになって、気を晴れやかになさってください。この五年、六年、束の間も忘れず、恋しく悲しいと思っていた娘のことも、こうしてお目にかかって後は、すっかり悲しみも忘れております。ご心配申し上げなさる方々がいらっしゃっても、今はもう亡くなったのだと、だんだんお諦めになりましょう。どのような事でも、その当座のようには、必ずしも思わないものです」
と言うにつけても、ますます涙ぐんで、
「よそよそしくお思い申し上げる気持ちは、ございませんが、不思議に生き返ったうちに、すべての事が夢のようにはっきり分からなくなりまして。違った世界に生まれた人は、このような気がするものだろうか、と思われておりますので、今は、知っている人がこの世に生きていようとも思い出されません。ひたすらに、慕わしく存じ上げております」
とおっしゃる様子も、なるほど、無心でかわいらしく、にっこりとして見つめていらっしゃった。
中将は、山にお着きになって、僧都も珍しく思って、世間の話をなさる。その夜は泊まって、声の尊い僧たちに読経などさせて、一晩中、管弦の遊びをなさる。禅師の君が、うちとけた話をした折に、
「小野に立ち寄って、しみじみと感慨深いことがあったね。世を捨てているが、やはり、あれほど嗜みの深い方は、めったにいらっしゃらないものだ」
などとおっしゃるついでに、
「風が吹き上げた御簾の隙間から、髪がたいそう長く、美しそうな女性が見えた。人目につくと思ったのだろうか、立ってあちらに入って行く後ろ姿は、並の女性とは見えなかった。あのような所に、身分のある女性を住まわせておくべきではないでしょう。明け暮れ目にするものは法師だ。自然と見慣れてそれが普通と思われよう。不都合なことだ」
とおっしゃる。禅師の君は、
「この春、初瀬に参詣して、不思議にも発見した女性だ、と聞きました」
と言って、見てないことなので、詳しくは言わない。
「興味深い話だね。どのような人であろうか。世の中を厭って、そのような所に隠れていたのだろう。昔物語にあったような気がするね」
とおっしゃる。
[3-5 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る]
翌日、お帰りになる時、「素通りできにくくて」と言っていらっしゃった。しかるべき用意などしていたので、昔が思い出されるお世話の少将の尼なども、袖口の色は異なっているが、趣がある。ますます涙がちの目で、尼君はいらっしゃる。話のついでに、
「こっそりと姿を隠していらっしゃるような方は、どなたですか」
とお尋ねになる。厄介なことだが、ちらっと見つけたのを、隠しているようなのも変だと思って、
「忘れかねまして、ますます罪深くばかり思われましたその慰めに、ここ数か月お世話している人です。どのような理由でか、とても悲しみの深い様子で、この世に生きていると誰からも知られることを、つらいことに思っておいでなので、このような山あいの奥深くまで誰がお尋ね求めよう、と思っておりましたが、どうしてお聞きつけあそばしたのですか」
と答える。
「一時の物好きな心があってやって来るのでさえ、山深い道の恨み言は申し上げましょう。まして、亡き姫君の代わりとお思いなさっていることでは、まったく関係ないこととお隔てになることでしょうか。どのようなことで、この世を厭いなさる人なのでしょうか。お慰め申し上げたい」
などと、関心深そうにおっしゃる。
お帰りになるに当たって、畳紙に、
「浮気な風に靡くなよ、女郎花
わたしのものとなっておくれ、道は遠いけれども」
と書いて、少将の尼を介して入れた。尼君も御覧になって、
「このお返事をお書きあそばせ。とても奥ゆかしいところのおありの方だから、不安なことはありますまい」
と促すと、
「ひどく醜い筆跡を、どうして」
と言って、まったく承知なさらないので、
「体裁の悪きことです」
と言って、尼君が、
「申し上げましたように、世間知らずで、普通の人とは違っておりますので。
ここに移し植えて困ってしまいました、女郎花です
嫌な世の中を逃れたこの草庵で」
とある。「今回は、きっとそういうことだろう」と大目に見て帰った。
[3-6 中将、三度山荘を訪問]
手紙などをわざわざやるのは、何といっても不慣れな感じで、ちらっと見た様子は忘れず、何を悩んでいるのか知らないが、心を惹かれるので、八月十日過ぎに、小鷹狩のついでにいらっしゃった。いつものように、尼を呼び出して、
「先日ちらっと見てから、心が落ち着かなくて」
とおっしゃった。お答えなさるはずもないので、尼君は、
「待乳の山の、誰か他に思う人がいるように拝します」
と中から言い出させなさる。お会いなさっても、
「お気の毒な様子でいらっしゃると伺いました方のお身の上が、もっと詳しく知りたく存じます。何事も思った通りにならない気ばかりがしますので、出家生活をしたい考えはありながら、お許しなさるはずのない方々に妨げられて過ごしております。いかにも屈託なげな今の妻のことは、このように沈みがちな身の上のせいか、似合わないのです。悩んでいらっしゃるらしい方に、思っている気持ちを申し上げたい」
などと、とてもご執心なさってようにお話なさる。
「もの思わしげな方をとのご希望は、いろいろお話し合いなさるに、不似合いではないように見えますが、普通の人のようにはありたくないと、実に嫌に思われるくらい世の中を厭っていらっしゃるようなので。残り少ない寿命のわたしでさえ、今を最後と出家します時には、とても何となく心細く思われましたものを。将来の長い盛りの時では、最後まで出家生活を送れるかどうかと、心配でおります」
と、親ぶって言う。奥に入って行っても、
「思いやりのないこと。やはり、少しでもお返事申し上げなさい。このようなお暮らしは、ちょっとしたつまらないことでも、人の気持ちを汲むのは世間の常識というものです」
などと、なだめすかして言うが、
「人にものを申し上げるすべも知らず、何事もお話にならないわたしで」
と、とてもそっけなく臥せっていらっしゃった。
客人は、
「どうでしたか。何と、情けない。秋になったらとお約束したのは、おだましになったのですね」
などと、恨みながら、
「松虫の声を尋ねて来ましたが
再び萩原の露に迷ってしまいました」
「まあ、お気の毒な。せめてこのお返事だけでも」
などと責めると、そのような色恋めいた事に返事するのもたいそう嫌で、また一方、いったん返歌をしては、このような折々に責められるのも、厄介に思われるので、返歌をさえなさらないので、あまりにいいようもなく思い合っていた。尼君は、出家前は当世風の方であった気が残っているのであろう。
「秋の野原の露を分けて来たため濡れた狩衣は
葎の茂ったわが宿のせいになさいますな
と、わずらわしがり申していらっしゃるようです」
と言うのを、簾中でも、やはり「このように思いの外にこの世に生きていると知られ出したのを、とてもつらい」とお思いになる心中を知らないで、男君のことをも尽きせず思い出しては、恋い慕っている人びとなので、
「このような、ちょっとした機会にも、お話し合い申し上げなさるのも、お気持ちにそむいて、油断ならないことはなさらない方ですから。世間並の色恋とお思いなさらなくても、人情のわかる程度に、お返事を申し上げなさいませ」
などと、引き動かさんばかりに言う。
[3-7 尼君、中将を引き留める]
そうはいっても、このような古風な気質とは不似合いに、当世風に気取っては、下手な歌を詠みたがって、はしゃいでいる様子は、とても不安に思われる。
「この上なく嫌な身の上であった、と見極めた命までが、あきれるくらい長くて、どのようなふうにさまよって行くのだろう。ひたすら亡くなった者として誰からもすっかり忘れられて終わりたい」
と思って臥せっていらっしゃるのに、中将は、およそ何か物思いの種があるのだろうか。とてもひどく嘆き、ひっそりと笛を吹き鳴らして、
「鹿の鳴く声に」
などと独り言をいう感じは、ほんとうに弁えのない人ではなさそうである。
「過ぎ去った昔が思い出されるにつけても、かえって心尽くしに、今初めて慕わしいと思ってくれるはずの人も、またいそうもないので、つらいことのない山奥とは思うことができません」
と、恨めしそうにしてお帰りになろうとする時に、尼君が、
「どうして、せっかくの素晴らしい夜を御覧になりませぬ」
と言って、膝行して出ていらっしゃった。
「いえ。あちらのお気持ちも、分かりましたので」
と軽く言って、「あまり好色めいて振る舞うのも、やはり不都合だ。ほんのちらっと見えた姿が、目にとまったほどで、所在ない心の慰めに思い出したが、あまりによそよそしくて、奥ゆかしい感じ過ぎるのも場所柄にも似合わず興醒めな感じがする」と思ので、帰ろうとするのを、笛の音まで物足りなく、ますます思われて、
「夜更けの月をしみじみと御覧にならない方が
山の端に近いこの宿にお泊まりになりませんか」
と、どこか整わない歌を、
「このように、申し上げていらっしゃいます」
と言うと、心をときめかして、
「山の端に隠れるまで月を眺ましょう
その効あってお目にかかれようかと」
などと言っていると、この大尼君、笛の音をかすかに聞きつけたので、老齢ではいてもやはり心惹かれて出て来た。
話のあちこちで咳をし、呆れるほどの震え声で、かえって昔のことなどは口にしない。誰であるかも分からないのであろう。
「さあ、その琴の琴をお弾きなさい。横笛は、月にはとても趣深いものです。どこですか、そなたたち。琴を持って参れ」
と言うので、母尼君らしい、と推察して聞くが、「どのような所に、このような老人が、どうして籠もっているのだろう。無常の世だ」と、このことにつけても感慨無量である。盤渉調をたいそう趣深く吹いて、
「どうですか。さあ」
とおっしゃる。
娘尼君は、この方も相当な風流人なので、
「昔聞きましたときよりも、この上なく素晴らしく思われますのは、山風ばかりを聞き馴れていました耳のせいでしょうか」と言って、「それでは、わたしのはでたらめになっていましょう」
と言いながら弾く。当世風では、ほとんど普通の人は、今は好まなくなって行くものなので、かえって珍しくしみじみと聞こえる。松風も実によく調和する。吹き合わせた笛の音に、月も調子を合わせて澄んでいる気がするので、ますます興趣が乗って、眠気も催さず、起きていた。
[3-8 母尼君、琴を弾く]
「お婆は、昔は、東琴を、簡単に弾きましたが、今の世では、変わったのでしょうか。息子の僧都が『聞きにくい。念仏以外のつまらないことはするな』と叱られましたので、それならと、もう弾かないのでございます。それにしても、とてもよい響きの琴もございます」
と言い続けて、とても弾きたく思っているので、たいそうこっそりとほほ笑んで、
「まことに変なことをお制止申し上げなさった僧都ですね。極楽という所には、菩薩なども皆このようなことをして、天人なども舞い遊ぶのが尊いものだと言います。勤行を怠り、罪を得ることだろうか。今夜はお聞き致したい」
とお世辞を言うと、「とても嬉しい」と思って、
「さあ、主殿の君さん、東琴を取って」
と言うにも、咳は止まらない。女房たちは、見苦しいと思うが、僧都をまで、憎らしく不平を言って聞かせるので、お気の毒なのでそのままにしていた。東琴を取り寄せて、今の笛の調子もおかまいなしに、ただ自分勝手に弾いて、東の調子を爪弾きさわやかに調べる。他の楽器の演奏をみな止めてしまったので、「これにばかり聞きほれているのだ」と思って、
「たけふ、ちちりちちり、たりたんな」
などと、撥を掻き返し、さっそうと弾いている、その言葉などは、やたらと古めかしい。
「実に素晴らしく、今の世には聞かれぬ歌を、お弾きになりました」
と褒めると、耳も遠くなっているので、側にいる女房に尋ね聞いて、
「今風の若い人は、このようなことをお好きでないね。ここに何か月もいらっしゃる姫君は、容貌はとても美しくいらっしゃるようだが、もっぱら、このようなつまらない遊びはなさらず、引き籠もっていらっしゃるようです」
と、得意顔に大声で笑って話すのを、尼君などは、聞き苦しいとお思いである。
[3-9 翌朝、中将から和歌が贈られる]
これによってすっかり興醒めして、お帰りになる途中も、山下ろしが吹いて、聞こえて来る笛の音も、とても素晴らしく聞こえて、起き明かしていた翌朝、
「昨夜は、あれこれと心が乱れましたので、急いで帰りました。
忘れられない昔の人のことやつれない人のことにつけ
声を立てて泣いてしまいました
やはり、もう少し気持ちをご理解いただけるよう説得申し上げてください。堪えきれるものでしたら、好色がましい態度にまで、どうして出ましょうか」
とあるので、ますます困っている尼君は、涙を止めがたい様子で、お書きになる。
「笛の音に昔のことも偲ばれまして
お帰りになった後も袖が濡れました
不思議なことに、人の情けも知らないのではないか、と見えました様子は、年寄の問わず語りで、お聞きあそばしたでしょう」
とある。珍しくもない見栄えのしない気がして、つい読み捨てたことであろう。
荻の葉に秋風が訪れるのに負けないくらい頻繁に便りがあるのが、「とても煩わしいことよ。男の心はむてっぽうなものだ」と分かった時々のことも、だんだん思い出すにつれて、
「やはり、このような方面のことは、相手にも諦めさせるように、早くしてくださいませ」
と言って、お経を習って読んでいらっしゃる。心中でも祈っていらっしゃった。このように何かにつけて世の中を捨てているので、「若い女だといっても華やかなところも特になく、陰気な性格なのだろう」と思う。器量が見飽きず、かわいらしいので、他の欠点はすべて大目に見て、明け暮れの心の慰めにしていた。少しにっこりなさるときには、めったになく素晴らしい方だと思っていた。
4 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す
[4-1 9月、尼君、再度初瀬に詣でる]
九月になって、この尼君は、初瀬に参詣する。長年とても心細い身の上で、恋しい娘の身の上も諦めきれなかったが、このように他人とも思われない女性を心の慰めに得たので、観音のご霊験が嬉しいと、お礼参りのような具合で、参詣なさるのであった。
「さあ、ご一緒に。誰に知られたりするものですか。同じ仏様ですが、あのような所で勤行するのが、霊験あらたかで、良いことが多いのです」
と言って促すが、「昔、母君や、乳母などが、このように言って聞かせては、たびたび参詣させたが、何にもその効がなかったようだ。死のうと思ったことも思う通りにならず、又とないひどい目を見るとは」と、ひどく厭わしい心中にも、「知らない人と一緒に、そのような遠出をするとは」と、何となく恐ろしく思う。
強情なふうにはあえて言わないで、
「気分がとてもすぐれませんので、そのような遠出もどんなものかしらなどと、気がひけまして」
とおっしゃる。「恐がる気持ちは、きっとそうなさるにちがいない方だ」と思って、無理にも誘わない。
「はかないままにこの世につらい思いをして生きているわが身は
あの古川に尋ねて行くことはいたしません、二本の杉のある」
と手習いに混じっているのを、尼君が見つけて、
「二本とは、再びお会い申したいと思っていらっしゃる方がいるのでしょう」
と、冗談に言い当てたので、胸がどきりとして、顔を赤くなさったのも、とても魅力的でかわいらしげである。
「あなたの昔の人のことは存じませんが
わたしはあなたを亡くなった娘と思っております」
格別すぐれたのでもない返歌をすばやく言う。人目を忍んで、と言うが、皆がお供したがって、こちらが人少なにおなりになることを気の毒がって、気の利いた少将の尼と左衛門という大人の女房と、童女だけを残したのであった。
[4-2 浮舟、少将の尼と碁を打つ]
皆が出立したのを見送って、わが身のやりきれなさを思いながらも、「今さらどうしようもない」と、「頼りに思う人が一人もいらっしゃらないのは、心細いことだわ」と、とても所在ないところに、中将からのお手紙がある。
「御覧ください」と言うが、聞き入れなさらない。いっそう女房も少なくて、何もするこなく過去や将来を考え沈み込んでいらっしゃる。
「つらいほど物思いに沈んでいらっしゃること。御碁をお打ちなさい」
と言う。
「とても下手でした」
とはおっしゃるが、打とうとお思いになったので、碁盤を取りにやって、自分こそはと思って先手をお打たせ申したが、たいそう強いので、また先手後手を変えて打つ。
「尼上が早くお帰りあそばしたらよいに。この御碁をお見せ申し上げよう。あの方の御碁は、とても強かったわ。僧都の君は、若い時からたいそうお好みになって、まんざらではないとお思いになっていたが、ほんと碁聖大徳気取りで、『出しゃばって打つ気はないが、あなたの御碁にはお負けしませんでしょうね』と申し上げなさったが、とうとう僧都が二敗なさった。碁聖の碁よりもお強くいらっしゃるようです。まあ、強い」
とおもしろがるので、盛りを過ぎた尼額が見苦しいのに、遊びに熱中するので、「厄介なことに手を出してしまったわ」と思って、「気分が悪い」と言って横におなりになった。
「時々は、気分が晴々するようにお振る舞いなさいませ。あたら若いお身を。ひどく沈んでおいであそばすのは残念で、玉の瑕のような気がいたします」
と言う。夕暮の風の音もしみじみとして、思い出すことが多くて、
「わたしには秋の情趣も分からないが
物思いに耽るわが袖に露がこぼれ落ちる」
[4-3 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む]
月が出て美しいころに、昼に手紙のあった中将がおいでになった。「まあ、嫌な。これは、どうしたことか」と思われなさって、奥深いところにお入りになるのを、
「そうなさるとは、あまりのお振る舞いでいらっしゃいますわ。ご厚志も、ひとしお身にしむときでございましょう。ちらっとでも申し上げなさるお言葉をお聞きなさいませ。それだけでも深い仲になったようにお思いあそばしているとは」
などと言うので、とても不安に思われる。いらっしゃらない旨を言うが、昼の使者が、一人残っていると尋ね聞いたのであろう、とても長々と恨み言をいって、
「お声も聞かなくて結構です。ただ、お側近くで申し上げることを、聞きにくいとも何なりとも、どうぞご判断くださいませ」
と、あれこれ言いあぐねて、
「まことに情けない。場所に応じてこそ、物のあわれもまさるものです。これではあんまりです」
などと、非難しながら、
「山里の秋の夜更けの情趣を
物思いなさる方はご存知でしょう
自然とお心も通じ合いましょうに」
などと言うので、
「尼君がいらっしゃらないので、うまく取り繕い申し上げる者もいません。とても世間知らずのようでしょう」
と責めるので、
「情けない身の上とも分からずに暮らしているわたしを
物思う人だと他人が分かるのですね」
特に返歌というのでもないのを、聞いてお伝え申し上げると、とても感激して、
「もっと、もう少しだけでもお出でください、とお勧め申せ」
と、この女房たちを困り果てるまで恨み言をおっしゃる。
「変なまでに、冷淡にお見えになることです」
と言って、奥に入って見ると、いつもは少しもお入りにならない老人のお部屋にお入りになっていたのであった。驚きあきれて、「これこれです」と申し上げると、
「このような所で物思いに耽っていらっしゃる方のご心中がお気の毒で、世間一般の様子などにつけても情けの分からない方ではないはずなのに、まるで情けを分からない人よりも、冷淡なおあしらいなさるようです。それも何かひどい経験をなさってのことだろうか。やはり、どのようなことで世の中を厭って、いつまでここにいらっしゃる予定の方ですか」
などと、様子を尋ねて、たいそう知りたげにお思いになっているが、詳細なことはどうして申し上げられよう。ただ、
「お世話申し上げなさらねばならない方で、長年、疎遠な関係で過していらっしゃったのを、互いに初瀬に参詣なさって、お探し申し上げなさったのです」
と言う。
[4-4 老尼君たちのいびき]
姫君は、「とても気味悪い」とばかり聞いている老人の所に横になって、眠ることもできない。夕方から眠くなるのは、何とも言えないほど大きな鼾をしいしい、その前にも、似たような老尼どもが二人横になっていて、負けじ劣らじと鼾をかき合っていた。たいそう恐ろしく、「今夜、この人たちに喰われてしまうのではないか」と思うのも、惜しい身の上ではないが、いつもの心弱さは、一本橋を危ながって引き返したという者のように、心細く思われる。
こもきを、供に連れて行かれたが、色気づく年頃で、このめずらしい男性が優雅に振る舞っていらっしゃる方に帰って行ってしまった。「今戻って来ようか、今戻って来ようか」と待っていらしたが、まことに頼りないお付であるよ。中将は、言いあぐねて帰ってしまったので、
「まことに情けなく、引き籠もっていらっしゃること。あたら惜しいご器量を」
などと悪口を言って、一同一緒に寝た。
「夜半になったか」と思うころに、尼君が咳こんで寝惚けて起き出した。灯火の光で、頭の具合はまっ白い上に、黒いものを被って、この君が横になっているのを、変に思って、鼬とかいうものが、そのようなことをする、額に手を当てて、
「おや。これは、誰ですか」
と、しつこそうな声で見やっているのが、その上、「今すぐにでも取って喰ってしまおうとする」かのように思われる。鬼が取って連れて来た時は、何も考えられなかったので、かえって安心であった。「どうするのだろう」と思われる不気味さにも、「みじめな姿で生き返り、人並に戻って、再び以前のいろいろな嫌なことに悩み、厭わしいとか恐ろしいとか、物思いすることよ。死んでしまっていたら、これよりも恐ろしそうなものの中にいたことだろうか」と想像される。
[4-5 浮舟、悲運のわが身を思う]
昔からのことを、眠れないままに、いつもよりも思い続けていると、
「とても情けなく、父親と申し上げた方のお顔も拝し上げず、遥か遠い東国で代わる代わる年月を過ごして、たまたま探し求めて、嬉しく頼もしくお思い申し上げた姉君のお側を、不本意のままに縁が切れてしまい、しかるべき方面にとお考えくださった方によって、だんだんと身の不運から抜け出そうとした矢先に、驚きあきれたように身を過ったのを考えて行くと、宮を、わずかにいとしいとお思い申し上げた心が、まことに良くないことであった。ただ、あの方に巡り合った御縁で流れ流れて来たのだ」
と思うと、「橘の小島の色を例にお誓いなさったのを、どうしてすてきだと思ったのだろう」と、すっかり熱もさめたような気がする。初めから、深い愛情ではなかったがゆったりとした方のことは、この折あの折になどと、思い出すことは比べものにならなかった。「こうして生きていたのだ」と、お耳にされ申すときの恥ずかしさは、誰よりも一番であろう。何といっても、「この世では、以前のご様子を他人ながらでもいつかは見ようと、ふと思うのは、やはり、悪い考えだ。それさえ思うまい」などと、自分独りで思い直す。
やっとのことで鶏が鳴くのを聞いて、とても嬉しい。「母親のお声を聞いた時には、それ以上にどんな気がするだろう」と思って夜を明かして、気分もとても悪い。付人としてあちらに行くはずの人もすぐには来ないので、依然として臥せっていらっしゃると、鼾の老婆は、たいそう早く起きて、粥など見向きもしたくない食事を大騒ぎして、
「あなたも、早くお召し上がれ」
などと寄って来て言うが、給仕役もまこと気に入らず、嫌な見知らない気がするので、
「気分が悪いので」
と、さりげなく断りなさるのを、無理に勧めるのもとても気がきかない。
[4-6 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る]
身分の低いらしい法師どもなどが大勢来て、
「僧都が、今日下山あそばしますでしょう」
「どうして急に」
と尋ねるようなので、
「一品の宮が、御物の怪にお悩みあそばしたのを、山の座主が、御修法をして差し上げなさったが、やはり、僧都が参上なさらなくては効験がないといって、昨日、二度お召しがございました。右大臣殿の四位少将が、昨夜、夜が更けて登山あそばして、后宮のお手紙などがございましたので、下山あそばすのです」
などと、とても得意になって言う。「恥ずかしくても、お目にかかって、尼にしてください、と言おう。口出しする人も少なくて、ちょうどよい機会だ」と思うと、起きて、
「気分が悪くばかりいますので、僧都が下山あそばしますときに、受戒をしていただこうと思っておりますが、そのように申し上げてください」
と相談なさると、惚けた感じで、ちょっとうなずく。
いつもの部屋のいらして、髪は尼君だけがお梳きになるのを、他人に手を触れさせるのも嫌に思われるが、自分自身では、できないことなので、ただわずかに梳きおろして、母親にもう一度こうした姿をお見せすることがなくなってしまうのは、自分から望んだこととはいえ、とても悲しい。ひどく病んだせいだろうか、髪も少し抜けて細くなってしまった感じがするが、それほども衰えていず、たいそう多くて、六尺ほどある末などは、とても美しかった。髪の毛などもたいそうこまやかで美しそうである。
「こうなれと思って髪の世話はしなかったろうに」
と、独り言をおっしゃっていた。
暮れ方に、僧都がおいでになった。南面を片づけ準備して、丸い頭の恰好が、あちこち行ったり来たりしてがやがやしているのも、いつもと違って、とても恐ろしい気がする。母尼のお側に参上なさって、
「いかがですか、このごろは」
などと言う。
「東の御方は物詣でをなさったとか。ここにいらっしゃった方は、今でもおいでになりますか」
などとお尋ねになる。
「ええ。ここに残っています。気分が悪いとおっしゃって、受戒をお授かり申したい、とおっしゃいました」
と話す。
[4-7 浮舟、僧都に出家を懇願]
立ってこちらにいらして、「ここに、いらっしゃいますか」と言って、几帳の側にお座りになると、遠慮されるが、膝行して近寄って、お返事をなさる。
「思いもよらずお目にかかったのも、こうなるはずの前世からの宿縁があったのだ、と存じられまして。御祈祷なども、親身にお仕えいたしましたが、法師は、特別の用件もなく、お手紙を差し上げたり頂戴したりするのは不都合なので、自然と御無沙汰が続いてしまいました。実に見苦しい様子で、出家をなさっている方のお側に、どのようにしておいででしたか」
とおっしゃる。
「この世に生きていまいと決心いたしました身が、とても不思議にも今日まで生きておりましたが、つらいと思います一方で、あれこれとお世話いただいたご厚志を、何とも申し上げようもないわが身ながら、深く存じられますが、やはり、世間並のようには生きて行けず、とうとうこの世になじめそうになく存じられますので、尼にしてくださいませ。この世に生きていましても、普通の人のように長生きできない身の上です」
と申し上げなさる。
「まだ、たいそう将来の長いお年なのに、どうして一途にそのように、ご決心なさったのですか。かえって罪を作ることになります。思い立って、決心なさった時は強くお思いになっても、年月がたつと、女のお身の上というものは、まことに不都合なものなのです」
とおっしゃるので、
「子供の時から、物思いばかりをしているような状態で、母親なども、尼にして育てようか、などと思いおっしゃいました。ましてや、少し物心がつきまして後は、普通の人と違って、せめて来世だけでも、と思う考えが深かったが、死ぬ時がだんだん近くなりましたのでしょうか、気分がとても心細くばかりなりましたが、やはり、どうか出家を」
と、泣きながらおっしゃる。
[4-8 浮舟、出家す]
「不思議な、このような器量とお姿なのに、どうして身を厭わしく思い始めなさったのだろうか。物の怪もそのように言っていたようだが」と思い合わせると、「何か深い事情があるのだろう。今までも生きているはずもなかった人なのだ。悪霊が目をつけ始めたので、とても恐ろしく危険なことだ」とお思いになって、
「ともあれ、かくもあれ、ご決心しておっしゃるのを、三宝がたいそう尊くお誉めになることだ。法師の身として反対申し上げるべきことでない。御受戒は、実にたやすくお授けいたしましょうが、急ぎの用事で下山したので、今夜は、あちらの宮に参上しなければなりません。明日から、御修法が始まる予定です。その七日間の修法が終わって帰山する時に、お授け申しましょう」
とおっしゃると、「あの尼君がおいでになったら、きっと反対するだろう」と、とても残念なので、
「あの気分が悪かったときと同じようで、ひどく悪うございますので、重くなったら、受戒を授かってもその効がなくなりましょう。やはり、今日は嬉しい機会だと存じられます」
と言って、ひどくお泣きになるので、聖心にもたいそう気の毒に思って、
「夜が更けてしまいましょう。下山しますことは、昔は何とも存じませんでしたが、年をとるにつれて、つらく思われましたので、ひと休みして内裏へは参上しよう、と思いましたが、そのようにお急ぎになることならば、今日お授けいたしましょう」
とおっしゃるので、とても嬉しくなった。
鋏を取って、櫛の箱の蓋を差し出すと、
「どこですか、大徳たち。こちらへ」
と呼ぶ。最初にお見つけ申した二人がそのままお供していたので、呼び入れて、
「お髪を下ろし申せ」
と言う。なるほど、あの大変であった方のご様子なので、「普通の人としては、この世に生きていらっしゃるのも嫌なことなのであろう」と、この阿闍梨も道理と思うので、几帳の帷子の隙間から、お髪を掻き出しなさったのが、たいそう惜しく美しいので、しばらくの間、鋏を持ったまま躊躇するのであった。
5 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語
[5-1 少将の尼、浮舟の出家に気も動転]
このような間に、少将の尼は、兄の阿闍梨が来ていたのと会って、下の方にいた。左衛門は、自分の知り合いに応対するということで、このような所ではと、みなそれぞれに、好意をもっている人たちが久しぶりにやって来たので、簡単なもてなしをし、あれこれ気を配っていたりしたところに、こもきただ一人が、「これこれです」と少将の尼に知らせたので、驚いて来て見ると、ご自分の法衣や、袈裟などを、形式ばかりとお着せ申して、
「親のいられる方角をお拝み申し上げなされ」
と言うと、どの方角とも分からないので、堪えきれなくなって、泣いてしまわれなさった。
「まあ、何と情けない。どうして、このような早まったことをあそばしたのですか。尼上が、お帰りあそばしたら、何とおっしゃることでしょう」
と言うが、これほど進んでしまったところで、とかく言って迷わせるのもよくないと思って、僧都が制止なさるので、近寄って妨げることもできない。
「流転三界中」
などと言うのにも、「既に断ち切ったものを」と思い出すのも、さすがに悲しいのであった。お髪も削ぎかねて、
「ゆっくりと、尼君たちに、直していただきなさい」
と言う。額髪は僧都がお削ぎになる。
「このようなご器量を剃髪なさって、後悔なさるなよ」
などと、有り難いお言葉を説いて聞かせなさる。「すぐにも許していただけそうもなく、皆が言い利かせていらしたことを、嬉しいことに果たしたこと」と、このことだけを生きている甲斐があったように思われなさるのであった。
[5-2 浮舟、手習に心を託す]
僧都一行の人びとが出て行って静かになった。夜の風の音に、この人びとは、
「心細いご生活も、もうしばらくの間のことだ。すぐにとても素晴らしい良縁がおありになろう、と期待申していたお身の上を、このようになさって、生い先長いご将来を、どのようになさろうとするのだろうか。老いて弱った人でさえ、今は最期と思われて、とても悲しい気がするものでございます」
と言って聞かせるが、「やはり、ただ今は、気が楽になって嬉しい。この世に生きて行かねばならないと、考えずにすむようになったことは、とても結構なことだ」と、胸がほっとした気がなさるのであった。
翌朝は、何といっても人の認めない出家なので、尼姿を見せるのもとても恥ずかしく、髪の裾が、急にばらばらになったように、しかもだらしなく削がれているのを、「うるさいことを言わないで、繕ってくれる人がいたら」と、何事につけても、気がねされて、あたりをわざと暗くしていらっしゃる。思っていることを人に詳しく説明するようなことは、もともと上手でない身なのに、まして親しく事の経緯を説明するにふさわしい人さえいないので、ただ硯に向かって、思い余る時は、手習いだけを、精一杯の仕事として、お書きになる。
「死のうとわが身をも人をも思いながら
捨てた世をさらにまた捨てたのだ
今は、こうしてすべてを終わりにしたのだ」
と書いても、やはり、自然としみじみと御覧になる。
「最期と思い決めた世の中を
繰り返し背くことになったわ」
[5-3 中将からの和歌に返歌す]
同じような内容を、あれこれ気の向くまま書いていらっしゃるところに、中将からのお手紙がある。何かと騒がしくあきれて動転しているときなので、「これこれしかじかの事でした」などと返事したのだった。たいそうがっかりして、
「このような考えが深くあった人だったので、ちょっとした返事も出すまいと、思い離れていたのだなあ。それにしてもがっかりしたなあ。たいそう美しく見えた髪を、はっきりと見せてくださいと、先夜も頼んだところ、適当な機会に、と言っていたものを」
と、たいそう残念で、すぐ折り返して、
「何とも申し上げようのない気持ちは、
岸から遠くに漕ぎ離れて行く海人舟に
わたしも乗り後れまいと急がれる気がします」
いつもと違って取って御覧になる。何となくしみじみとした時に、これで終わりと思うのも感慨深いが、どのようにお思いなさったのだろう、とても粗末な紙の端に、
「心は厭わしい世の中を離れたが
その行く方もわからず漂っている海人の浮木です」
と、いつもの、手習いなさっていたのを、包んで差し上げる。
「せめて書き写して」
とおっしゃるが、
「かえって書き損じましょう」
と言って送った。珍しいにつけても、何とも言いようなく悲しく思われるのだった。
物詣での人はお帰りになって、悲しみ驚きなさること、この上ない。
「このような尼の身としては、お勧め申すのこそが本来だ、と思っていますが、将来の長いお身の上を、どのようにお過ごしなさるのでしょうか。わたしが、この世に生きておりますことは、今日、明日とも分からないのに、何とか安心してお残し申してゆこうと、いろいろと考えまして、仏様にもお祈り申し上げておりましたのに」
と、泣き臥し倒れながら、ひどく悲しげに思っていらっしゃるので、実の母親が、あのまま亡骸さえないものよと、お嘆き悲しみなさったろうことが推量されるのが、まっさきにとても悲しかった。いつものように、返事もしないで背を向けていらっしゃる様子、とても若々しくかわいらしいので、「とても頼りなくいらっしゃるお心だこと」と、泣きながら御法衣のことなど準備なさる。
鈍色の法衣は手馴れたことなので、小袿や、袈裟などを仕立てた。仕えている女房たちも、このような色を縫ってお着せ申し上げるにつけても、「まことに思いがけず、嬉しい山里の光明だと、明け暮れ拝しておりましたものを、残念なことだわ」
と惜しがりながら、僧都を恨み非難するのであった。
[5-4 僧都、女一宮に伺候]
一品の宮のご病気は、なるほど、あの弟子が言っていたとおりに、はっきりした効験があって、ご平癒あそばしたので、ますますまことに尊い方だと大騒ぎする。病後も油断ならないとして、御修法を延長させなさったので、すぐにも帰山することができず伺候なさっていたが、雨などが降って、ひっそりとした夜、お召しがあって、夜居に伺候させなさる。
何日もの看病に疲れた女房は、みな休みをとって、御前には人少なで、近くに起きている女房も少ないときに、一品の宮と同じ御帳台においであそばして、
「昔からご信頼申し上げていらっしゃる中でも、今度のことでは、ますます来世もこのように救ってくれるものと、頼もしさが一段と増しました」
などと仰せになる。
「この世に長く生きていられそうにないように、仏もお諭しになっていることどもがございます中で、今年、来年は、過ごしがたいようでございますので、仏を一心にお祈り申しっましょうと思って、深く籠もっておりましたが、このような仰せ言で、下山して参りました」
などと申し上げなさる。
[5-5 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る]
御物の怪の執念深いことや、いろいろと正体を明かすのが恐ろしいことなどをおっしゃるついでに、
「まことに不思議な、珍しいことを拝見しました。この三月に、年老いております母が、願があって初瀬に参詣しましたが、その帰りの休憩所に、宇治院といいます所に泊まりましたが、あのように、人が住まなくなって何年もたった大きな邸は、けしからぬものが必ず通い住んで、重病の者にとっては不都合なことが、と存じておりましたのも、そのとおりで」
と言って、あの見つけた女のことなどをお話し申し上げなさる。
「なるほど、まことに珍しいこと」
と言って、近くに伺候する女房たちがみな眠っているので、恐ろしくお思いになって、お起こしあそばす。大将が親しくなさっている宰相の君がおりしも、このことを聞いたのであった。目を覚まさせた女房たちは、何の関心も示さない。僧都は、恐がっておいであそばすご様子なので、「つまらないことを申し上げてしまった」と思って、詳しくその時のことを申し上げることは言い止めた。
「その女人は、今度下山しました機会に、小野におります僧尼たちを訪ねようと思って、立ち寄ったところ、泣く泣く出家の念願の強い旨を、熱心に頼まれましたので、髪を下ろしてやりました。
わたしの妹は、故衛門督の妻でございました尼で、亡くなった娘の代わりにと、思って喜びまして、随分大切にお世話しましたが、このように出家してしまったので、恨んでいるのでございます。なるほど、器量はまことによく整って美しくて、勤行のため身をやつすのもお気の毒でございました。どのような人であったのでしょうか」
と、よくしゃべる僧都なので、話し続けて申し上げなさるので、
「どうして、そのような所に、身分のある人を連れて行ったのでしょうか。いくら何でも、今では素性は知られたでしょう」
などと、この宰相の君が尋ねる。
「分かりません。でもそのように、ひそかに打ち明けているかも知れません。ほんとうに高貴な方ならば、どうして、分からないままでいましょうか。田舎者の娘も、そのような恰好をした者はございましょう。龍の中から、仏がお生まれにならないことがございましょうか。普通の人としては、まことに前世の罪障が軽いと思われる人でございました」
などと申し上げなさる。
そのころ、あの近辺で消えていなくなった人をお思い出しになる。この御前に伺候する女房も、姉君の伝聞で、不思議に亡くなった人とは聞いていたので、「その人であろうか」とは思ったが、はっきりしないことである。僧都も、
「あの人は、この世に生きていると知られまいと、よからぬ敵のような人でもいるようにほのめかして、こっそり隠れておりますのを、事の様子が異常なので、申し上げたのです」
と、何か隠している様子なので、誰にも話さない。中宮は、
「その人であろうか。大将に聞かせたい」
と、この人におっしゃったが、どちらの方も隠しておきたいはずのことを、確かにそうとも分からないうちに、気恥ずかしい方に、話し出すのも気がひけて思われなさって、そのままになった。
[5-6 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る]
姫宮がすっかりよくおなりになったので、僧都も帰山なさった。あちらにお寄りになると、ひどく恨んで、
「かえって、このようなお姿になっては、罪障を受くることになりましょうに、ご相談もなさらずじまいだったとは、何ともおかしなこと」
などとおっしゃるが、どうにもならない。
「今はもう、ひたすらお勤めをなさいませ。老人も、若い人も、生死は無常の世です。はかないこの世とお悟りになっているのも、ごもっともなお身の上ですから」
とおっしゃるにつけても、たいそう恥ずかしく思われるのであった。
「御法服を新しくなさい」
と言って、綾、羅、絹などという物を、差し上げ置きなさる。
「拙僧が生きております間は、お世話いたしましょう。何をご心配なさることがありましょう。この世に生まれ来て、俗世の栄華を願い執着している限りは、不自由で世を捨てがたく、誰も彼もお思いのことのようです。このような林の中でお勤めなさる身の上は、何事に不満を抱いたり引けめを感じることがありましょうか。人の寿命は、葉の薄いようなものです」
と説教して、
「松の門に暁となって月が徘徊す」
と、法師であるが、たいそう風流で気恥ずかしい態度におっしゃることどもを、「期待していたとおりにおっしゃってくださることだ」と聞いていた。
[5-7 中将、小野山荘に来訪]
今日は、一日中吹いている風の音もとても心細いうえに、お立ち寄りになった僧都も、
「ああ、山伏は、このような日には、声を出して泣けるということだ」
と言うのを聞いて、「わたしも今では山伏と同じである。もっともなことで涙が止まらないのだ」と思いながら、端の方に立ち出て見ると、遥か遠く軒端から、狩衣姿が色とりどりに混じって見える。山へ登って行く人だといっても、こちらの道は、行き来する人もたまにしかいないのである。黒谷とかいう方面から歩いて来る法師の道だけが、まれには見られるが、俗世の人の姿を見つけたのは、場違いに珍しいが、あの恨みあぐねていた中将なのであった。
今さら言ってもはじまらないことを言おうと思ってやって来たのだが、紅葉がたいそう美しく、他の紅葉よりいっそう色染めているのが色鮮やかなので、入って来るなり感慨深いのであった。「ここに、とても屈託なさそうな人を見つけたら、奇妙な気がするだろう」などと思って、
「暇があって、何もすることのない気がしましたので、紅葉もどのようなものかしらと存じまして。やはり、昔に返って泊まって行きたい紅葉の木の下ですね」
と言って、外を見やっていらっしゃる。尼君が、例によって、涙もろくて、
「木枯らしが吹いた山の麓では
もう姿を隠す場所さえありません」
とおっしゃると、
「待っている人もいないと思う山里の
梢を見ながらもやはり素通りしにくいのです」
言ってもはじまらないお方のことを、やはり諦めきれずにおっしゃって、
「出家なさった姿を、少し見せよ」
と、少将の尼におっしゃる。
「せめてそれだけでも、以前の約束の証とせよ」
と責めなさるので、入って見ると、わざわざとでも人に見せてやりたいほどの美しいお姿をしていらっしゃる。薄鈍色の綾、その下には萱草などの、澄んだ色を着て、とても小柄な感じで、姿形が美しく、はなやかなお顔だちで、髪は五重の扇を広げたように、豊かな裾である。
こまやかに美しい顔だちで、化粧をたいそうしたように、明るくかがやいていた。お勤めなどをなさるにも、やはり数珠は近くの几帳にちょっと懸けて、お経を一心に読んでいらっしゃる様子は、絵にも描きたいほどである。
ちらっと見るたびに涙が止めがたい気がするのを、「まして懸想をなさっている男は、どのように拝見なさっていようか」と思って、ちょうどよい機会だったのか、障子の掛金の側に開いている穴を教えて、邪魔になる几帳などを取り除けた。
「とてもこれほど美しい人だとは思わなかった。ひどく物思いに沈んでいるような人であったが」と、自分が出家させた過ちのように、惜しく悔しく悲しいので、抑えることもできず、気も狂わんばかりの、気持ちを感づかれては困るので、引き下がった。
[5-8 中将、浮舟に和歌を贈って帰る]
「これほどの器量をした人を失って、探さない人があったりしようか。また、誰それの人の娘が、行く方知れずに見えなくなったとか、もしくは何か恨んで、出家してしまったなど、自然と知れてしまうものだが」などと、不思議と繰り返し思う。
「尼であっても、このような様子をしたような人は嫌な感じもするまい」などと、「かえって一段と見栄えがしてお気の毒なはずが、人目を忍んでいる様子なので、やはり自分の物にしてしまおう」と思うと、真剣に話しかける。
「普通の人の時にはご遠慮なさることもあったでしょうが、このような尼姿におなりになっては、気がねなく申し上げられそうでございます。そのようにお諭し申し上げてください。過去のことが忘れがたくて、このようにやって参ったのですが、さらにまた、もう一つの気持ちも加わりまして」
などとおっしゃる。
「まことに将来が心細く、不安な様子でございますので、真剣な態度でお忘れにならずお訪ねくださることは、とても嬉しく、存じておきましょう。亡くなりました後は、不憫に存じられましょう」
と言って、お泣きになるので、「この尼君も遠縁に当たる人なのであろう。誰なのだろう」と思い当たらない。
「将来のご後見は、寿命も分からず頼りない身ですが、このように申し上げました以上は、けっして変わりません。お探し申し上げなさるはずの方は、本当にいらっしゃらないのですか。そのようなことがはっきりしませんので、気がねすべきことでもございませんが、やはり水くさい気がしてなりません」
とおっしゃると、
「人に知られるような恰好で、暮らしていらっしゃったら、もしや探し出す人もございましょう。今は、このような生活を、決意した様子です。気持ちの向きも、そのようにばかり見えます」
などとお話しになる。
こちらにも言葉をお掛けになった。
「一般の俗世間をお捨てになったあなた様ですが
わたしをお厭いなさるのにつけ、つらく存じられます」
心をこめて親切に申し上げなさることなどを、たくさん取り次ぐ。
「兄弟とお考えください。ちょっとした世間話なども申し上げて、お慰めしましょう」
などと言い続ける。
「むつかしいお話など、分かるはずもないのが残念です」
と答えて、この嫌っているということへの返事はなさらない。「思いもかけなかった情ないことのあった身の上なので、ほんとうに厭わしい。まったく枯木などのようになって、世間から忘れられて終わりたい」とおあしらいになる。
だから、今まで鬱々とふさぎこんで、物思いばかりしていらしたのも、出家の念願がお叶いになって後は、少し気分が晴れ晴れとして、尼君とちょっと冗談を言い交わし、碁を打ったりなどして、毎日お暮らしになっている。お勤めも実に熱心に行って、法華経は言うまでもない。他の教典なども、とてもたくさんお読みになる。雪が深く降り積もって、人目もなくなったころは、ほんとうに心のやりばがなかった。
6 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る
[6-1 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す]
年が改まった。春の兆しも見えず、氷が張りつめた川の水が音を立てないのまでが心細くて、「あなたに迷っています」とおっしゃった方は、嫌だとすっかり思い捨てていたが、やはりその当時のことなどは忘れなていない。
「降りしきる野山の雪を眺めていても
昔のことが今日も悲しく思い出される」
などと、いつもの、慰めの手習いを、お勤めの合間になさる。「わたしがいなくなって、年も変わったが、思い出す人もきっといるだろう」などと、思い出す時も多かった。若菜を粗末な籠に入れて、人が持って来たのを、尼君が見て、
「山里の雪の間に生えた若菜を摘み祝っては
やはりあなたの将来が期待されます」
と言って、こちらに差し上げなさったので、
「雪の深い野辺の若菜も今日からは
あなた様のために長寿を祈って摘みましょう」
とあるのを、「きっとそのようにお思いであろう」と感慨深くなるのも、「これがお世話しがいのあるお姿と思えたら」と、本気でお泣きになる。
寝室の近くの紅梅が色も香も昔と変わらないのを、「春や昔の」と、他の花よりもこの花に愛着を感じるのは、はかなかった宮のことが忘れられなかったからあろうか。後夜に閼伽を奉りなさる。身分の低い尼で少し若いのがいるのを、呼び出して折らせると、恨みがましく散るにつけて、ますます匂って来るので、
「袖を触れ合った人の姿は見えないが、花の香が
あの人の香と同じように匂って来る、春の夜明けよ」
[6-2 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪]
大尼君の孫で紀伊守であった者が、このころ上京して来た。三十歳ほどで、容貌も美しげで誇らしい様子をしていた。
「いかがでしたか、去年や、一昨年は」
などとお尋ねになるが、耄碌した様子なので、こちらに来て、
「とてもすっかり、耄碌しておしまいになった。お気の毒なことですね。残り少ないご様子を、拝し上げることもむずかしくて、遠い所で年月を過ごしておりますことよ。両親がお亡くなりになって以後は、祖母お一方を、親代わりにお思い申し上げておりました。常陸介の北の方は、お便り差し上げなさいますか」
と言うのは、その妹なのであろう。
「年月のたつにつれて、することもないままに悲しいことばかりが増えて。常陸は、長いことお便り申し上げなさらないようです。お待ち申し上げることもできないようにお見えになります」
とおっしゃるので、「自分の親の名前だ」と、無関係ながらも耳にとまったが、また言うことには、
「上京して何日にもなりましたが、公務がたいそう忙しくて、面倒なことばかりにかかずらっておりまして。昨日もお伺いしようと存じておりましたのに、右大将殿が宇治へお出かけになるお供にお仕えしまして、故八の宮がお住まいになっていた所にいらして、一日中お過ごしになりました。
故宮の娘にお通いになっていたが、まずお一方は先年お亡くなりになりました。その妹に、再びこっそりと住まわせ申していらしたが、去年の春またお亡くなりになったので、その一周忌のご法事をあそばしますことを、あの寺の律師に、しかるべき事柄をお命じになって、わたしも、その女装束一領を、調製しなければならないのですが、こちらで作ってくださいませんでしょうか。織る材料は、急いで準備させましょう」
と言うのを聞くと、どうして胸を打たないことがあろう。「人が変だと見るだろう」と気がひけて、奥の方を向いて座っていた。尼君が、
「あの聖の親王の姫君は、お二方と聞いていたが、兵部卿宮の北の方は、どちらですか」
とおっしゃると、
「この大将殿の二人目の方は、妾腹なのでしょう。特に表立った扱いをしなかったのですが、ひどくお悲しみになっているのです。最初の方は、また大変なお悲しみようでした。もう少しのところで出家なさってしまいそうなところでした」
などと話す。
[6-3 浮舟、薫の噂など漏れ聞く]
「あの方の親しい人であった」と見るにつけても、やはり恐ろしい。
「不思議と、二人も同じように、あそこでお亡くなりなったことだ。昨日も、たいそうおいたわしゅうございました。宇治川に近い所で、川の水を覗き込みなさって、ひどくお泣きになった。上の部屋にお上りになって、柱にお書きつけなさった、
あの人は跡形もとどめず、身を投げたその川の面に
いっしょに落ちるわたしの涙がますます止めがたいことよ
とございました。言葉に現しておっしゃることは少ないが、ただ、態度には、まことにおいたわしいご様子にお見えでした。女は、たいそう賞賛するにちがいないほどでした。若うございました時から、ご立派でいらっしゃるとすっかり拝見していましたので、世の中の第一の権力者のところも、何とも思いませんで、ただ、この殿だけを信頼申し上げて、過ごして参りました」
と話すので、「特別に深い思慮もなさそうなこのような人でさえ、ご様子はお分かりになったのだ」と思う。尼君は、
「光る君と申し上げた故院のご様子には、お並びになることはできまいと思われますが、ただ今の世で、この一族が賞賛されているそうですね。右の大殿とはどうですか」
とおっしゃると、
「あの方は、器量もまことに凛々しく美しくて、貫祿があって、身分が格別なようでいらっしゃいます。兵部卿宮が、たいそう美しくいらっしゃいますね。女の身として親しくお仕えいたしたい、と思われます」
などと、誰かが教えたように言い続ける。感慨深く興味深くも聞くにつけ、わが身の上もこの世のことと思われない。すっかり話しおいて出て行った。
[6-4 浮舟、尼君と語り交す]
「お忘れになっていないのだ」としみじみと思うが、ますます母君のご心中が推し量られるが、かえって何とも言いようのない姿をお見せ申し上げるのは、やはりとても気がひけるのであった。あの人が言ったことなど、衣装の染める準備をするのを見るにつけても、不思議な有りえないような気がするが、とても口にはお出しになれない。物を裁ったり縫ったりなどするのを、
「これを手伝ってください。とても上手に折り曲げなされるから」
と言って、小袿の単衣をお渡し申すのを、嫌な気がするので、「気分が悪い」と言って、手も触れず横になっていらっしゃった。尼君は、急ぐことを放って、「どのようなお加減か」などと心配なさる。紅に桜の織物の袿を重ねて、
「御前様には、このような物をお召しになるのがよいでしょうに。あさましい墨染ですこと」
と言う女房もいる。
「尼衣に変わった身の上で、昔の形見として
この華やかな衣装を身につけて、今さら昔を偲ぼうか」
と書いて、「お気の毒に、亡くなった後に、隠し通すこともできない世の中なので、聞き合わせたりなどして、疎ましいまでに隠していた、と思うだろうか」などと、いろいろと思いながら、
「過ぎ去ったことは、すっかり忘れてしまいましたので、このようなことをお急ぎになることにつけ、何かしらしみじみと感じられるのです」
とおっとりとおっしゃる。
「そうはおっしゃっても、お思い出しになることは多くありましょうが、いつまでもお隠しになっているのが情けないですわ。わたしは、このような世俗の人の着る色合いなどは、長いこと忘れてしまったので、平凡にしかできませんので、亡くなった娘が生きていたら、などと思い出されます。そのようにお世話申し上げなさった母君は、この世においでですか。そのまま、娘を亡くした母でさえ、やはりどこかに生きていようか、その居場所だけでも尋ね聞きたく思われますのに、その行く方も分からず、ご心配申し上げていらっしゃる方々がございましょう」
とおっしゃるので、
「俗世にいた時は、片親ございました。ここ数か月の間にお亡くなりなったかも知れません」
と言って、涙が落ちるのを紛らわして、
「かえって思い出しますことにつけて、嫌に思われますので、申し上げることができません。隠し事はどうしてございましょうか」
と、言葉少なにおっしゃった。
[6-5 薫、明石中宮のもとに参上]
大将は、この一周忌の法事なをおさせにになって、「あっけなくて、終わってしまったな」としみじみとお思いになる。あの常陸の子どもは、元服した者は、蔵人にして、ご自分の近衛府の将監に就けたりなど、面倒を見ておやりになった。「童であるが、中に小綺麗なのを、お側近くに召し使おう」とお思いになっていたのであった。
雨などが降ってひっそりとした夜に、后の宮に参上なさった。御前はのんびりとした日なので、お話などを申し上げるついでに、
「辺鄙な山里に、何年も通っておりましたところ、人の非難もございましたが、そのようになるはずの運命であったのでしょう。誰でも気に入った向きのことは、同じなのだ、と納得させながら、やはり時々逢っておりましたところ、場所柄のせいかと、嫌に思うことがございまして以後は、道のりも遠くに感じられまして、長いこと通わないでいましたが、最近、ある機会に行きまして、はかないこの世の有様を重ね重ね存じられましたので、ことさらにわが道心を起こすために造っておかれた、聖の住処のように思われました」
と申し上げなさるので、あのことをお思い出しになって、とてもお気の毒なので、
「そこには、恐ろしいものが住んでいるのでしょうか。どのようにして、その方は亡くなったのですか」
とお尋ねあそばすのを、「やはり、引き続いての死去をお考えになってか」と思って、
「そうかも知れません。そのような人里離れた所には、けしからぬものがきっと住みついているのでしょうよ。亡くなった様子も、まことに不思議でございました」
と言って、詳しくは申し上げなさらない。「やはり、このように隠している事柄を、すっかり聞き出してるのだわ」とお思いなさるようなのが、実に気の毒にお思いになり、宮が、物思いに沈んで、その当時病気におなりになったのを、思い合わせなさると、やはり何といっても心が痛んで、「どちらの立場からも口出しにくい方の話だ」とおやめになった。
小宰相に、こっそりと、
「大将は、あの人のことを、とてもしみじみと思ってお話になったが、お気の毒で、打ち明けてしまいそうだったが、その人かどうかも分からないからと、気がひけてね。あなたは、あれこれ聞いていたわね。不都合と思われるようなことは隠して、こういうことがあったと、世間話のついでに、僧都が言ったことを話しなさい」
と仰せになる。
「御前様でさえ遠慮あそばしているようなことを。まして、他人のわたしにはお話しできません」
申し上げるが、
「時と場合によります。また、わたしには不都合な事情があるのですよ」
と仰せになるが、真意を理解して、素晴らしい心遣いだと拝する。
[6-6 小宰相、薫に僧都の話を語る]
立ち寄ってお話などなさるついでに、言い出した。珍しくも不思議なことだと、どうして驚かないことがあろう。「宮がお尋ねあそばしたことも、このようなことを、ちらっとお聞きあそばしてのことだったのだ。どうして、すっかり話してくださらなかったのだろう」とつらい思いがするが、
「自分もまた初めからの様子を申し上げなかったのだから、こうして聞いた後にも、やはり馬鹿らしい気がして、他人には全部話さないのを、かえって他では聞いていることもあろう。現実の人びとの中で隠していることでさえ、隠し通せる世の中だろうか」
などと考え込んで、「この人にも、これこれであった」などと、打ち明けなさることは、やはり話にくい気がして、
「やはり、不思議に思った女の身の上と、似ていた人の様子ですね。ところで、その人は、今も無事でいますか」
とお尋ねになると、
「あの僧都が山から下りた日に、尼にしました。ひどく病んでいた時には、世話する人が惜しんでさせなかったが、ご本人が深い念願だと言ってなってしまったのだ、ということでございました」
と言う。場所も違わず、その当時のありさまなどを思い合わせると、違うところがないので、
「本当にその女だと探し出したら、とても嫌な気がするだろうな。どうしたら、確実なことが聞けようか。自分自身で直接訪ねて行くのも、愚かしいなどと人が言ったりしようか。また、あの宮が聞きつけなさったら、きっと思い出しなさって、決心なさっていた仏道もお妨げなさることであろう。
そのようなわけで、『そのようなことをおっしゃるな』などと、申し上げおきなさったせいであろうか、わたしには、そのようなことを聞いたと、そのような珍しいことをお聞きあそばしながら、仰せにならなかったのであろうか。宮も関係なさっていては、せつなくいとしいと思いながらも、きっぱりと、そのまま亡くなってしまったものと思い諦めよう。
この世の人として立ち戻ったならば、いつの日にか、黄泉のほとりの話を、自然と話し合える時もきっとあろう。自分の女として取り戻して世話するような考えは、二度と持つまい」
などと思い乱れて、「やはり、仰せにならないだろう」という気はするが、ご様子が気にかかるので、大宮に、適当な機会を作り出して、申し上げなさる。
[6-7 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く]
「思いがけないことで、亡くなってしまったと存じておりました女が、この世に落ちぶれて生きているように、人が話してくれました。どうして、そのようなことがございましょうか、と存じますが、自分から大胆なことをして、離れて行くようなことはしないであろうか、とずっと思い続けていた女の様子でございますので、人の話してくれたような事情では、そのようなこともございましょうかと、似ているように存じられました」
と言って、もう少し申し上げなさる。宮のお身の上の事を、とても憚りあるように、そうはいっても恨んでいるようにはおっしゃらないで、
「あのことを、またこれこれとお耳になさいましたら、頑固で好色なようにお思いなさるでしょう。まったく、そうして生きていたとしても、知らない顔をして過ごしましょう」
と申し上げなさると、
「僧都が話したことですが、とても気味の悪かった夜のことで、耳も止めなかったことなのです。宮は、どうしてご存知でしょう。何とも申し上げようのないご料簡だ、と思いますので、ましてその話をお聞きつけなさるのは、まことに困ったことです。このようなことにつけて、まことに軽々しく困った方だとばかり、世間にお知られになっているようなので、情けなく思っています」
などと仰せになる。「とても慎重なお人柄なので、必ずしも、気安い世間話であっても、誰かがこっそりと申し上げたことを、お漏らしあそばすまい」などとお思いになる。
「その住んでいるという山里はどの辺であろうか。どのようにして、体裁悪くなく探し出せようか。僧都に会って、確かな様子を聞き合わせたりして、ともかく訪ねるのがよかろう」などと、ただ、このことばかりを寝ても覚めてもお考えになる。
毎月の八日は、必ず仏事をおさせになるので、薬師仏にご寄進申し上げなさろうとお出かけになるついでに、根本中堂には、時々お参りになった。そこからそのまま横川においでになろうとお考えになって、あの弟の童である者を、連れておいでになる。「その人たちには、すぐには知らせまい。その時の状況を見てからにしよう」とお思いになるが、再会した時の夢のような心地の上につけて、しみじみとした感慨を加えようというつもりであったのだろうか。そうはいっても、「その人だと分かったものの、みすぼらしい姿で、尼姿の人たちの中に暮らしていて、嫌なことを耳にしたりするのは、ひどくつらいことであろう」と、いろいろと道すがら思い乱れなさったことだろうか。
54. 夢浮橋
薫君の大納言時代28歳の夏の物語
- 薫、横川に出向く 比叡山においでになって、いつもおさせになるように、お経や仏像などを
- 僧都、薫に宇治での出来事を語る 僧都は、「やはりそうであったか。普通の女とは見えなかった
- 薫、僧都に浮舟との面会を依頼 「そうであったのか」と、ちらっと聞いて
- 僧都、浮舟への手紙を書く あの弟の童を、お供として連れておいでになっていた
- 浮舟、薫らの帰りを見る 小野では、たいそう青々と茂っている青葉の山に向かって
1 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く
- 薫、浮舟のもとに小君を遣わす あの殿は、「この子をそのまま遣わそう」とお思いになったが
- 小君、小野山荘の浮舟を訪問 不思議に思うが、「これこそは、それでは、確かな
- 浮舟、小君との面会を拒む 疑う余地もなく、はっきりお書きになっているが
- 小君、薫からの手紙を渡す この子も、そうは聞いていたが、子供なので、唐突に言葉かけるのも
- 浮舟、薫への返事を拒む このようにこまごまとお書きになっている様子が、紛れようも
- 小君、空しく帰り来る 山里らしい趣のある饗応などをしたが
2 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない
1 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く
[1-1 薫、横川に出向く]
比叡山においでになって、いつもおさせになるように、お経や仏像などをご供養させになる。翌日は、横川においでになったので、僧都は恐縮してご挨拶申し上げなさる。
何年も、ご祈祷などお頼みなさっていたが、特別に親密ということはなかったが、先般、一品の宮のご不快の折に伺候なさっていたときに、「格別すぐれた効験がおありであった」と御覧になってから、この上なく尊敬なさって、もう少し深いご縁をお結びになったので、「重々しくおいでになる殿が、このようにわざわざ訪ねていらしたこと」と、大仰にお持てなし申し上げなさる。お話など、親密になさっているので、御湯漬などを差し上げなさる。
少し人びとが静かになったので、
「小野の辺りに、お持ちの家はございませんか」
と、お尋ねになると、
「さようでございます。ひどくみすぼらしい家です。拙僧の母親の老尼がおりますが、京にしっかりした家もございませんうえに、こうして籠もっております間は、夜中、暁でも、お見舞いしよう、と存じております」
などと申し上げなさる。
「その近辺には、つい最近まで、人が多く住んでおりましたが、今では、たいそうひっそりとなって行くようですね」
などとおっしゃって、もう少し近寄って、小声で、
「まことにとりとめのない気のする話ですが、また一方、お尋ね申し上げるにつけては、どのようなことでかと、合点が行かず思われなさるでしょうが、どちらにしても、遠慮されますが、あの山里に、世話しなければならない人が隠れていますように聞きましたが。はっきりと確かめてからなら、どのような様子で、などとお漏らし申し上げましょう、などと考えておりますうちに、お弟子になって、戒律などをお授けになった、と聞きましたのは、本当ですか。まだ年齢も若く、親などもいた人なので、わたしが死なせてしまったように、恨み言を申す人がおりますので」
などとおっしゃる。
[1-2 僧都、薫に宇治での出来事を語る]
僧都は、「やはりそうであったか。普通の女とは見えなかった様子であった。このようにまでおっしゃるのは、並々にはお思いでいらっしゃらなかった人なのであろう」と思うと、「法師の役目とは言いながらも、考えもなく、すぐに尼姿いしてしまったことよ」と、胸がどきりとして、お答え申し上げることに思案なさる。
「確かなことを聞いていらっしゃるのだろう。これほどご承知で、お尋ねなさるのに、隠しきれるものでない。なまじ無理に隠そうとするのも、つまらないことであろう」などと、しばらく考えを決めて、
「どのようなことでございましょうか。ここ何か月か、内々に不審に存じておりました女のお身の上のことでしょうか」と言って、
「あちらにおります尼たちが、初瀬に祈願がございまして、参詣して帰って来た道中で、宇治院という所に泊まりましたところ、母親の尼の疲労が急に起こって、ひどく患っているという報せを、人が報告して来たので、 下山して出向きましたところに、さっそく不思議なことが」
と声をひそめて、
「母親が今にも死にそうなのは差し置いて、介抱して心配しておりました。この人も、お亡くなりになったような様子ながら、やはり息はしていらっしゃいましたので、昔物語に、霊殿に置いておいた人の話を思い出して、そのようなことであろうかと、珍しがりまして、弟子の僧の中で効験のある者どもを呼び寄せては、交替で加持させたりしました。
拙僧は、惜しむほどの年齢ではないが、母親が旅の途上で病気が重いのを助けて、念仏を一心不乱にしようと、仏にお祈り申しておりましたときなので、その人の様子、詳しくは拝見せずにおりました。事情を推察しますに、天狗や木霊などのようなものが、誑かしてお連れ申したのか、と理解しておりました。
助けて、京にお連れ申して後も、三か月間は死んだ人のようでいらっしゃいましたが、拙僧の妹で、故衛門督の北の方でございました者が、尼になっておりますのが、一人持っていた女の子を亡くして後、月日はたくさん過ぎましたが、悲しみを忘れず嘆いておりましたところ、同じ年くらいに見える人で、このように器量もとても端整で美しい方を発見申して、観音が授けてくださったと喜んで、この人をお死なせ申すまいと、一生懸命になりまして、泣きながら熱心に救ってほしいと懇願申されたので。
後に、あの坂本に拙僧自身で下山して行きまして、護身などを修法いたしましたところ、だんだんと生き返って普通にお戻りになりましたが、『やはり、このとり憑いた物の怪が、身から離れないような気がする。この悪霊の妨げから逃れて、来世を祈りたい』などと、悲しそうにおっしゃることがございましたので、法師の勤めとしては、お勧め申すべきことと存じまして、本当に出家させ申し上げてしまったのでございます。
まったく、お世話なさるはずの方とは、どうして何もなしに分かりましょう。珍しい事の様子ですので、世間話の種にもなりそうですが、噂になって、厄介なことになってはいけないと、この老女どもがあれこれ申して、この何か月間は、黙っておりました」
と申し上げなさると、
[1-3 薫、僧都に浮舟との面会を依頼]
「そうであったのか」と、ちらっと聞いて、ここまで尋ね出しなさったことではあるが、「てっきり死んだ人として思い諦めていた人だが、それでは、本当は生きていたのだ」とお思いになる、その気持ちは、夢のような気がしてあきれるほどのことなので、抑えることもできずに涙ぐまれなさったのを、僧都が立派な態度なので、「こんな気弱い態度を見せてよいものか」と反省して、さりげなく振る舞いなさるが、「このようにお愛しになっていたのを、この世では死んだ人と同然にしてしまったことよ」と、過ったことをした気がして、罪障深いので、
「悪霊にとり憑かれていらしたのも、そうなるはずの前世からの因縁なのです。思うに、高貴な家柄の姫君でいらしたのでしょうが、どのような過ちによって、このようにまで身を落としなさったのだろうか」
と、お尋ね申し上げなさると、
「皇族の末裔と申す血筋であったでしょうか。わたしも、初めから特別に正妻にと考えた人ではございません。ちょっとしたことでお世話し始めるようになりましたが、また一方で、このようにまで落ちぶれる身分の方とは存じませんでした。珍しく、跡形もなく消えてしまったので、身を投げたのかなどと、いろいろとはっきりしないことが多くて、確実なことは、聞くことができませんでした。
罪障を軽くしていらっしゃるならば、とても良いことだと安心して、わたし自身は存じましたが、その母親に当たる人が、ひどく慕って悲しんでいるというを、このように聞き出したと、知らせてやりたく存じますが、何か月も隠していらっしゃったご趣旨に背くようで、何となく騒々しくなりましょうか。親子の間の恩愛は絶ち切れず、悲しみを堪えることができずに、きっと尋ねて来ますでしょう」
などとおっしゃって、そうして、
「まことに不都合な案内役とはお思いになりましょうが、あの坂本に下山なさってください。このように聞いて、いい加減に知らないふりのできるとは存じません人ですので、夢のようなことも、せめて今なりと話し合おう、と存じております」
とおっしゃる様子が、実にしみじみとお思いになっているので、
「尼姿になり、出家をしたと思っていても、髪や鬢を剃った法師でさえ、けしからぬ欲望に消えない者もいるという。まして、女人の身ではどのようなものであろうか。お気の毒にも、罪障を作ることになりはしないだろうか」
と、つまらないことを引き受けたものだと心が乱れた。
「下山することは、今日明日は差し支えがあります。来月になって、お手紙を差し上げましょう」
と申し上げなさる。まことに頼りないが、「ぜひ、ぜひ」と、急に焦れったく思うのも、みっともないので、「それでは」と言って、お帰りになる。
[1-4 僧都、浮舟への手紙を書く]
あのご姉弟の童を、お供として連れておいでになっていた。他の兄弟たちよりは、器量も小ざっぱりとしているのを、呼び出しなさって、
「この子が、あの女人の近親なのですが、この子をとりあえず遣わしましょう。お手紙をちょっとお書きください。誰それとはなくて、ただ、お探し申し上げる人がいる、という程度の気持ちをお知らせください」
とおっしゃると、
「拙僧が、この案内役になって、きっと罪障を負いましょう。事情は、詳しく申し上げました。今は、ご自身でお立ち寄りあそばして、なさるべきことをなさるのに、何の差し支えがございましょう」
と申し上げなさると、にっこりして、
「罪障を負う案内役とお考えになるのは、気恥ずかしいことです。わたしは、在俗の姿で、今まで過ごして来たのがまことに不思議なくらいです。
幼い時から、出家を願う気持ちは強くございましたが、母三条宮が、心細い様子で、頼りがいもないわが身一人を頼りにお思いになっているのが、逃れられない足手まといに思われまして、世俗にかかずらっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、身の処置も思うようにならなくなったりして、出家を願いながら過ごして来て、また断れない事も、次々と多く加わって来て、過ごしておりますが、公私ともに、止むを得ない事情によって、こうしていますが、それ以外のところでは、仏がお制止になる方面のことを、少しでもお聞き及びになるようなことは、何とか守り抜こう、身を慎んで、心中では聖に負けません。
ましてや、ちょっとしたことで、重い罪障を負うようなことは、どうして考えましょうか。まったく有りえないことでございます。お疑いなさいますな。ただ、お気の毒な母親の思いなどを、聞いて晴らしてやろうというほどで、きっと嬉しく気が休まりましょう」
などと、昔から深かった道心をお話しなさる。
僧都も、なるほどと、うなずいて、
「ますます尊いことだ」
などと申し上げなさるうちに、日も暮れてしまったので、
「途中の休憩所としても大変に都合のよいはずだが、考えも決まらないうちに立ち寄るのも、やはり不都合であろう」
と、思いあぐねてお帰りになるときに、この姉弟の童を、僧都が、目を止めておほめになる。
「この子に託して、とりあえずほのめかしてください」
と申し上げなさると、手紙を書いてお与えなさる。
「時々は山においでになって遊んで行きなさいね」と「いわれのないことのようには思われないわけもありのです」
と、お話しなさる。この子は理解できないが、手紙を受け取ってお供して出る。坂本になると、ご前駆の人びとが少し離れ離れになって、「目立たないように」とおっしゃる。
[1-5 浮舟、薫らの帰りを見る]
小野では、たいそう青々と茂っている青葉の山に向かって、気の紛れることなく、遣水の螢だけを、昔が偲ばれる慰めとして眺めていらっしゃると、いつものように、遥か遠くに谷の見やられる軒端から、前駆が格別の先払いして、たいそうたくさん灯している火の、あわただしい光が見えるといって、尼君たちも端に出て座っていた。
「どなたがおいでになるのだろう。ご前駆などもとても大勢に見える」
「昼、あちらに引干しを差し上げた返事に、『大将殿がいらして、ご饗応の事が急になったので、ちょうどよい時であった』と、言ったが」
「大将殿とは、今上の女二の宮の夫君のことでいらっしゃろうか」
などと言うのも、とてもこの世から隔絶して、田舎じみたことよ。ほんとうにそうであろうか。時々、このような山路を分けていらしたとき、とてもはっきりしていた随身の声も、ふと中に混じって聞こえる。
月日の過ぎ行くままに、昔のことがこのように忘れられないでいるのも、「今さらどうなることでもない」と嫌な気持ちになるので、阿弥陀仏に思いを紛らわして、ますます無口になっていた。横川に行き来する人だけが、この近辺では身近な人なのであった。
2 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない
[2-1 薫、浮舟のもとに小君を遣わす]
あの殿は、「この子をそのまま遣わそう」とお思いになったが、人目が多くて不都合なので、殿にお帰りになって、翌日、特別に出発させなさる。親しくお思いになる人で、大した身分でない者を二、三人、付けて、昔もいつも使者としていた随身をお加えになった。人が聞いていない間にお呼び寄せになって、
「そなたの亡くなった姉の顔は、覚えているか。今はこの世にいない人と諦めていたが、まことに確かに、生きていらっしゃると言うのだ。他人には聞かせまいと思うので、行って確かめよ。母にも、まだ言ってはならない。かえって驚いて大騒ぎするうちに、知ってはならない人まで知ってしまおう。その母親のお嘆きがおいたわしいので、このようにして確かめるのだ」
と、今からもう厳重に口封じなさるのを、子供心にも、姉弟は多いが、この姉君の器量を、他に似る者がないと思い込んでいたので、お亡くなりになったと聞いて、とても悲しいと思い続けていたが、このようにおっしゃるので、嬉しさに涙が落ちるのを、恥ずかしいと思って、
「はい、はい」
とぶっきらぼうに申し上げた。
あちらでは、まだ早朝に、僧都の御もとから、
「昨夜、大将殿のお使いで、小君が参られたでしょうか。事情をお聞き致しまして、困ったことで、かえって気後れしておりますと、姫君に申し上げてください。拙僧自身で申し上げなければならないことも多いが、今日明日が過ぎてから伺いましょう」
と書いていらっしゃった。「これはどうしたことか」と尼君は驚いて、こちらに持って来てお見せ申し上げなさると、顔が赤くなって、「世間に知られたのではないか」とつらく、「隠し事をしていた」と恨まれることを思い続けると、答えようもなくてじっとしていらっしゃると、
「やはり、おっしゃってください。情けなく他人行儀ですこと」
と、ひどく恨んで、事情を知らないので、慌てるばかりの騷ぎのところに、
「山から、僧都のお手紙といって、参上した人が来ました」
と申し入れた。
[2-2 君、小野山荘の浮舟を訪問]
不思議に思うが、「これこそは、それでは、確かなお手紙であろう」と思って、
「こちらに」
と言わせなさると、とても小ぎれいでしなやかな童で、何とも言えないような着飾った者が、歩いて来た。円座を差し出すと、簾の側にちょこんと座って、
「このような形では、お持てなしを受けることはないと、僧都は、おっしゃっていました」
と言うので、尼君が、お返事などなさる。手紙を中に受け取って見ると、
「入道の姫君の御方へ、山から」
とあって、署名なさっていた。人違いだ、などと否定することもできない。
とても体裁悪く思えて、ますます後ずさりされて、誰にも顔を見せない。
「いつも控え目でいらっしゃる人柄だが、とても嫌な、情ない方」
などと言って、僧都の手紙を見ると、
「今朝、こちらに大将殿がおいでになって、ご事情をお尋ねになるので、初めからの有様を詳しく申し上げてしまいました。ご愛情の深いお二方の仲を背きなさって、賤しい山家の中で出家なさったことは、かえって、仏のお叱りを受けるはずのことを、うかがって驚いています。
しようがありません。もともとのご宿縁を間違いなさらず、愛執の罪をお晴らし申し上げなさって、一日の出家の功徳は、無量のものですから、やはりご期待なさいませと。詳細は、拙僧自身お目にかかって申し上げましょう。とりあえず、この小君が申し上げなさることでしょう」
と書いてあった。
[2-3 浮舟、小君との面会を拒む]
疑う余地もなく、はっきりお書きになっているが、他の人には事情が分からない。
「この君は、どなたでいらっしゃのだろう。やはり、とても情けない。今になってさえ、このようにひたすらお隠しになっている」
と責められて、少し外の方を向いて御覧になると、この子は、これが最期と思った夕暮れにも、とても恋しいと思った人なのであった。一緒の所に住んでいたときは、とても意地悪で、妙に生意気で憎らしかったが、母親がとてもかわいがって、宇治にも時々連れておいでになったので、少し大きくなってからは、お互いに仲好くしていた。
子供心を思い出すにつけても、夢のようである。真先に、母親の様子を、とても尋ねたく、「その他の人びとについては自然とだんだん聞くが、母親がどうしていらっしゃるかは、少しも聞くことができない」と、なまじこの子を見たばかりに、とても悲しくなって、ぽろぽろと涙がこぼれた。
たいそう可憐で、少し似ていらっしゃるところがあるように思われるので、
「ご姉弟でいらっしゃるようだ。お話し申し上げたくお思いでいることもあろう。内にお入れ申そう」
と言うのを、「どうして、今はもう生きている者と思っていないのに、尼姿に身を変えて、急に会うのも気がひける」と思うと、しばらくためらって、
「おっしゃるとおり、隠し事があると、お思いになるのがつらくて、何も申すことができません。情けなかった姿は、珍しいことだと御覧になったでしょうが、正気も失い、魂などと申すものも、以前とは違ったものになってしまったのでしょうか、何ともかとも、過ぎ去った昔のことを、自分ながら全然思い出すことができないところに、紀伊守とかいった人が、世間話をした中で、知っていた方のことかと、わずかに思い出される気がしました。
その後は、あれやこれやと考え続けましたが、いっこうにはっきりと思い出されませんが、ただ一人おいでになった方の、何とか幸福にと並々ならず思っていらしたような母親が、まだ生きておいでかと、そのことばかりが脳裏を離れず、悲しい時々がございますので、今日見ると、この童の顔は、小さい時に見たことのある気がするのにつけても、とても堪えがたい気がするが、今さら、このような人に、生きていると知られないで終わりたいと、存じております。
あの母親が、もしこの世に生きておいででしたら、その方お一人だけには、お目にかかりたく存じております。この僧都が、おっしゃっている方などには、まったく知られ申すまいと、存じております。何とか工夫して、間違いであると申し上げて、隠してくださいませ」
とおっしゃるので、
「まことに難しいことですね。僧都のお考えは、聖と申すなかでも、あまりにに正直一途の方でいらっしゃいますから、まさに何も残さずに申し上げなさったことでしょう。後で分かってしまいましょう。いい加減な軽々しいご身分でもいらっしゃらないし」
などと言い騒いで、
「見たこともないほど強情でいらっしゃること」
と、皆で話し合って、母屋の際に几帳を立てて入れた。
[2-4 小君、薫からの手紙を渡す]
この子も、そうは聞いていたが、子供なので、唐突に言葉かけるのも気がひけるが、
「もう一通ございますお手紙を、ぜひ差し上げたい。僧都のお導きは、確かなことでしたのに、このようにはっきりしませんとは」
と、伏目になって言うと、
「それそれ。まあ、かわいらしい」
などと言って、
「お手紙を御覧になるはずの人は、ここにいらっしゃるようです。はたの者は、どのようなことかと分からずにおりますが、さらにおっしゃってください。幼いご年齢ですが、このようなお使いをお任せになる理由もあるのでしょう」
などと言うので、
「よそよそしくなさって、はっきりしないお持てなしをなさるのでは、何を申し上げられましょう。他人のようにお思いになっていたら、申し上げることもございません。ただ、このお手紙を、人を介してではなく差し上げなさい、とございましたので、ぜひとも差し上げたい」
と言うと、
「まことにごもっともです。やはり、とてもこのように情けなくいらっしゃらないで。いくら何でも気味悪いほどのお方ですこと」
とお促し申して、几帳の側に押し寄せ申したので、人心地もなく座っていらっしゃるその感じは、他人ではない気がするので、すぐそこに近寄って差し上げた。
「お返事を早く頂戴して、帰りましょう」
と、このようにすげない態度を、つらいと思って急ぐ。
尼君は、お手紙を開いて、お見せ申し上げる。以前と同じようなご筆跡で、紙の香なども、いつもの、世にないまで染み込んでいた。ちらっと見て、例によって、何にでも感心するでしゃばり者は、ほんとめったになく素晴らしいと思うであろう。
「まったく申し上げようもなく、いろいろと罪障の深いお身の上を、僧都に免じてお許し申し上げて、今は何とかして、驚きあきれたような当時の夢のような思い出話なりとも、せめてと、せかれる気持ちが、自分ながらもどかしく思われることです。まして、傍目にはどんなに見られることでしょうか」
と、お心を書き尽くしきれない。
「仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに
思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ
この子は、お忘れになったでしょうか。わたしは、行方不明になったあなたのお形見として見ているのです」
などと、とても愛情がこもっている。
[2-5 浮舟、薫への返事を拒む]
このようにこまごまとお書きになっている様子が、紛れようもないので、そうかといって、昔の自分とも違う姿を、意外にも見つけられ申したときの、体裁の悪さなどを思い乱れて、今まで以上に晴れ晴れしくない気持ちは、何ともいいようがない。
そうはいってもふと涙がこぼれて、臥せりなさったので、「まことに世間知らずのなさりようだ」と、扱いかねた。
「どのように申し上げましょう」
などと責められて、
「気分がとても苦しゅうございますのを、おさまりましてから、やがて差し上げましょう。昔のことを思い出しても、まったく思い当たることがなく、不思議で、どのような夢であったのかとばかり、分かりません。少し気分が静まったら、このお手紙なども、分かるようなこともありましょうか。今日は、やはりお持ち帰りください。人違いであったら、とても体裁悪いでしょうから」
と言って、広げたまま、尼君にお渡しになったので、
「とても見苦しいなさりようですこと。あまり不作法なのは、世話している者どもも、咎を免れないことでしょう」
などと言って騒ぐのも、嫌で聞いていられなく思われるので、顔を引き入れてお臥せりになった。
主人の尼が、この君にお話を少し申し上げて、
「物の怪のせいでしょうか。いつもの様子にお見えになる時もなく、ずっと患っていらっしゃって、お姿も尼姿におなりになったが、お探し申し上げなさる方がいたら、とても厄介なことになりましょうことよと、拝見し嘆いておりましたのも、その通りに、このようにまことにおいたわしく、胸打つご事情がございましたのを、今は、まことに恐れ多く存じております。
常日頃も、ずっとご病気がちでいらしたようなのを、ますますこのようなお手紙にお思い乱れなさったのか、いつも以上に分別がなくおいでです」
と申し上げる。
[2-6 小君、空しく帰り来る]
山里らしい趣のある饗応などをしたが、子供心には、どことなくいたたまれないような気がして、
「わざわざお遣わしあそばされたそのしるしに、何とお返事申し上げたらよいのでしょう。ただ一言でもおっしゃってください」
などと言うと、
「ほんとうですこと」
などと言って、これこれです、とそのまま伝えるが、何もおっしゃらないので、しかたなくて、
「ただ、あのように、はっきりしないご様子を申し上げなさるのがよいのでしょう。雲が遥かに遠く隔たった場所でもないようでございますので、山の風が吹いても、またきっとお立ち寄りなさいまし」
と言うので、用もないのに日暮れまでいるのも妙な具合なので、帰ろうとする。心ひそかにお会いしたいご様子なのに、会うこともできずに終わったのを、気がかりで残念で、不満足のまま帰参した。
早く早くとお待ちになっていたが、このようにはっきりしないまま帰って来たので、期待が外れて、「かえって遣らないほうがましだった」と、お思いになることがいろいろで、「誰かが隠し置いているのであろうか」と、ご自分の想像の限りを尽くして、放ってお置きになった経験からも、と本にございますようです。
源氏物語 (Genji-monogatari) | ||