後拾遺和歌集 (Goshui wakashu [Introduction]) | ||
10. 後拾遺和歌集第十
哀傷
一條院の御時皇后宮かくれ給ひて後御帳のかたびらの紐にむすびつけられたるふみを見つけたれば内にも御覽ぜさせよとおぼしがほに歌三つかきつけられたりけるなかに
源兼長
物いふ女の侍る所にまかれりけるによべなくなりにきといひければよめる
和泉式部
山里にこもりゐて侍りけるに人をとかくするが見え侍りければよめる
命婦乳母
三條院の皇太后宮かくれ給ひて葬送の夜月あかく侍りけるによめる
左大將朝光
圓融院の法皇うせたまひて紫野に御葬送侍りけるに一とせこの所にて子日せさせ給ひし事など思ひ出でゝよみ侍りける
大納言行成
一條院御製
長保二年十二月に皇后宮うせさせ給ひてさうそうの夜雪の降りて侍りければよませたまうける
法橋忠命
入道前太政大臣のさうそうのあしたに人々まかり歸るに雪の降りて侍りければよみ侍りける
小侍從命婦
入道一品の宮かくれ給ひて葬送のともにまかりて又の日相摸がもとにつかはしける
二月十五日のことにやありけむ、かの宮のさうそうの後相摸がもとに遣はしける
相摸
かへし
山田中務
三條院の御時皇后宮のきさいに立ち給ひける時くら人つかまつりける人のうせ給ひて葬送の夜したしき事つかうまつりけるを聞きて遣しける
相摸
同じ頃その宮に侍りける人のもとにつかはしける
大和宣旨
かへし
前中宮出雲
後一條院の御時中宮九月にうせ給ひて後朱雀院の御時又弘徽殿の中宮八月にかくれ給ひにければかの宮に侍りける伊賀少將がもとに遣はしける
小左近
左兵衛督經成身まかりにける其いみにいもうとのあつかひなどせむとて師賢の朝臣こもり侍りけるにつかはしける
能因法師
靈山にこもりたる人にあはむとてまかりたりけるに身まかりて後十三日にあたりて物いみすと聞きて
右大臣北方
右兵衛督俊實子におくれて歎き侍りける頃とぶらひにつかはしける
讀人志らず
親なくなりて山寺に侍りける人のもとにつかはしける
前大納言隆國
いで羽の辨が親におくれて侍りけるを聞きて身をつめばいと哀れなることなど云ひ遣はすとてよみ侍りける
出羽辨
かへし
中宮内侍
高階成棟父におくれにけると聞きて遣はしける
源順
清原元輔がおとゝもとさだ身まかりにけるをおそくきゝたる由元輔が許にいひ遣はすとて詠める
橘季通
橘則長こしにてかくれ侍りにける頃相摸がもとにつかはしける
式部命婦
後冷泉院の御時いとまなど申して筑紫にくだり侍りけるほどに代もかはりぬと聞きて上東門院のとはせ給ひたる御返り事に奉り侍りける
周防内侍
後三條院位につかせ給ひての頃さみだれひまなく曇りくらして六月一日またかきくらし雨のふり侍りければ先帝の御事など思ひいづる事や侍りけむよめる
中納言定頼母
二條前太政大臣のめなくなりて後おちたる髮を見てよみ侍りける
藤原實方朝臣
子におくれて侍りける頃夢に見てよみ侍りける
藤原相如女
父の身まかりけるいみによみ侍りける
此歌は粟田右大臣身まかりて後彼家に父の相如とのゐして侍りけるに夢ならで又もあふべき君ならばねられぬいをもなげかざらましとよみて程もなく身まかりにければかくよめるとなむいひ傳へたる。
藤原實方朝臣
物いひ侍りける女の程もなく身まかりにければ女の親のもとにつかはしける
少將藤原義孝
一條攝政身まかりて後、わざのことなどはてゝ人々ちり%\になり侍りければ
和泉式部
小式部内侍なくなりてうまごどもの侍りけるを見てよみ侍りける
上東門院
一條院うせ給ひてのち撫子の花の
後一條院をさなくおはしまして何心も志らでとらせ給ひければおぼしいづる事やありけむ藤原實方朝臣
道信の朝臣諸共に紅葉見むなど契りて侍りけるに彼人身まかりての秋よみ侍りける
大江匡房朝臣
五月の頃ほひ女におくれ侍りける年冬雪のふりける日よみ侍りける
大江嘉言
田舍に侍りける程に京に侍りける親なくなりにければいそぎのぼりて山里にて古郷を思ひおこせてよみ侍りける
和泉式部
敦道親王に後れてよみ侍りける
同じ頃尼にならむと思ひてよみ侍りける
十二月のつごもりの夜よみ侍りける
土御門右大臣女
右大將通房身まかりて後ふるくすみ侍りける帳のうちにくものいかきけるを見てよみ侍りける
大貳高遠
筑紫よりまかりのぼりけるになくなりにける人を思ひ出でゝよみ侍りける
源道成
兼綱の朝臣めなくなりて後越前守になりてまかりくだりけるに裝束つかはすとてよみ侍りける
選子内親王
少納言なくなりて哀れなる事など歎きつゝおきたりける百和香をちひさきこにいれてせうと棟政の朝臣につかはしける
伊勢大輔
思ふ人二人ありける男なく成りて侍りけるに末に物いはれける人にかはりてもとの女のもとにつかはしける
康資王母
ぶくに侍りける頃十月一日おなじさまなる人われのみなむおなじ姿にてといひにおこせて侍りければよめる
美作三位
赤染、匡衡におくれてのち五月五日よみてつかはしける
一條院御製
圓融院法皇うせさせ給ひて又の年の御はてのわざなどの頃にやありけむ、うちに侍りける御めのとの藤三位の局にくるみいろの紙に老い法師の手のまねをしてかきてさしいれさせ給ひける
麗景殿前女御
後冷泉院位につかせ給ひければ里にまかりいで侍りて又の年の秋東三條のつぼねの前にうゑて侍りける萩を人の折りてもてきたりければ
伊勢大輔
成順におくれ侍りて又のとしはてのわざし侍りけるに
紀時文
とし頃すみ侍りけるめにおくれて又のとしはてのわざつかうまつりけるによめる
清原元輔
かへし
江侍從
後一條院の御時皇太后宮うせ給ひて果のわざにさはることありてまゐらざりければかの宮よりきのふはなどまゐらざりしなどいひにおこせて侍りけるによめる
平棟仲
父のぶくぬぎ侍りける日よめる
平教成
藤原定輔朝臣女
ぶくぬぎ侍りけるによめる
赤染衞門
十月ばかりにものへまかりける道に一條院をすぐとて車を引入れて見侍りければ火たき屋などの侍りけるを見てよめる
出羽辨
菩提樹院に後一條院の御影をかきたるを見てみなれ申しける事など思ひ出でゝよみ侍りける
赤染衛門
匡衡におくれて後石山にまゐり侍りける道に新らしき家のいたう荒れて侍りけるをとはせければ親におくれて二年にかくなりて侍るなりといひければ
源信宗朝臣
熊野へまうで侍りけるに小一條院のかよひ給ひける難波といふ所にとまりて昔を思ひいでゝよめる
伊勢大輔
かくよみて侍りけるをつてにきゝてかの信宗の朝臣のもとにつかはしける
源重之
秋身まかりける人を思ひいでゝよめる
此歌よしたかの少將わづらひ侍りけるに、なくなりたりともしばしまて、經よみはてむと妹うとの女御にいひ侍りて程もなく身まかりて後忘れてとかくしてければその夜母の夢に見え侍りける歌なり。
此歌義孝かくれ侍りてのち十月ばかりに賀縁法師の夢に心地よげにて笙をふくと見るほどに口をたゞならすになむ侍りける。母のかくばかりこふるを心地よげにていかにといひ侍りければ立つをひきとゞめてよめるとなむいひ傳へたる。
此歌身まかりて後あくる年の秋いもうとの夢に少將よしたかゞ歌とてみえ侍りける。
或人のいはく、此歌思ふ女をおきて身まかりにける男のむすめの夢にかの女にとらせよとてよみ侍りける。
讀人志らず
むすめ彼女のもとにやるとてよみ侍りける
女いみじうなきてかへりごとによみ侍りける
後拾遺和歌集 (Goshui wakashu [Introduction]) | ||