後拾遺和歌集 (Goshui wakashu [Introduction]) | ||
19. 後拾遺和歌集第十九
雜五
出羽辨
後冷泉院みこの宮と申しける時二條院はじめてまゐりたまひけるを見たてまつる事やありけむよみ侍りける
大貳三位
二條院東宮にまゐり給ひて藤つぼにおはしましけるに前中宮の此のふぢつぼにおはせし事など思ひいづる人の侍りければ
出羽辨
かへし
源爲善朝臣
後冷泉院みこの宮と申しける時うへの男子ども一品の宮の女房と諸共に花を玩びけるに故中宮のいではも侍るときゝて遣しける
入道前太政大臣
三條院春の宮と申しける時式部卿敦儀親王うまれて侍りけるに御はかしたてまつるとてむすびつけて侍りける
三條院御製
御かへし
或人云、この歌は故左大將濟時みこ達のおほぢにて侍りければけふの事をかの大將や取扱はましなどおぼし出でゝよませたまひけるなり。
法住寺太政大臣
一條攝政かくれ侍りて後少將義孝子生ませて侍りける七夜に昔を思ひ出でゝよみ侍りける
源相方朝臣
六條左大臣身まかりて後播磨國に下り侍りけるに高砂の程にて?は高砂となむ云ふと或人いひ侍りければ昔を思ひ出づる事やありけむよみ侍りける
選子内親王
後一條院をさなくおはしましける時祭御覽じけるにいつきのわたり侍りけるをり入道前太政大臣いだきたてまつり侍りけるをみたてまつりてのちに太政大臣の許につかはしける
入道前太政大臣
かへし
選子内親王
後一條院の御時賀茂の行幸侍りけるに上東門院御輿にのらせ給ひてむらさき野よりかへらせ給ひける又のあしたきこえさせ給ひける
上東門院中將
後冷泉院の御時上東門院に御ゆきあらむとしけるをとゞまりて後うちより硯の箱の蓋に櫻の枝を入れて奉らせ給ひたりける御かへしにおほせ事にてよみ侍りける
六條院宣旨
小辨、齋院にまゐり侍りてほのかに見奉るよしいひおこせて侍りける返事に
入道前太政大臣
宇治前太政大臣、少將に侍りける時春日のつかひにいでたち侍るに又の日雪のふり侍りけるに大納言公任が許につかはしける
前大納言公任
かへし
二條前太政大臣、少將に侍りける時春日のつかひにまかりて又の日霧のいみじうたち侍りければ入道前太政大臣のもとにつかはしける
伊勢大輔
上東門院、長家民部卿の三條の家に渡らせ給ひたりける頃俄に御幸ありて近き人々のいへめされければよかるべな所なきよしそうせさせ侍りけり。其御返事に歌をよみて參らせよとおほせられければ雪ふる日よみてまゐらせける
家をかへしにすと仰せられてゆるされにけり。
源重之
冷泉院東宮と申しける時女の石井に水くみたるかた繪にかきたるをよめと仰事侍りければ
花山院御製
春頭白き人のゐたる所繪に書けるを
伊勢大輔
三條院の御時大甞會の御禊などすぎての頃雪のふり侍りけるに大原にすみける少將井のあまの許につかはしける
少將井尼
かへし
伊勢大輔
一條院うせさせ給ひて上東門院里にまかり出で給ひにける又の年五節の頃昔を思ひ出でゝうへのをのこども引きつれて參りて侍りける中によみていだしける
讀人志らず
中納言實成宰相にて五節奉りけるに妹の弘徽殿の女御の御許に侍りける人かしづきに出でたりけるを中宮の御方の人々ほのかに聞きて、みならしけむ百敷をかしづきにてみるらむ程もあはれと思ふらむといひて箱の蓋に志ろがねのあふぎに蓬莱の山つくりなどしてさしぐしに日影のかづらを結びつけてたきものをたてぶみにこめてかの女御の御方に侍りける人のもとよりとおぼしくて左京のきみの許にといはせて果の日さしおかせける
藤原長能
かくて臨時祭になりて二條前太政大臣中將に侍りて祭のつかひし侍りけるにあるし箱のふたにぢんの櫛白がねのかうがいかねのはこにかゞみなどいれてつかひは中宮のはらからなればにや日かげとおぼしくてかゞみの上にあしでにてかきて侍りける
選子内親王
同じ人の五節のわらはのかざみかしづきのからぎぬに青ずりを志て赤紐などつけたりけり。人々見侍りけるにあをき紙のはしにかきてむすびつけさせ侍りける
藤原實方朝臣
一條院の御時皇后宮五節奉り給ひけるにかいつくろひつかうまつりける人のつけて侍りける赤紐のとけていかにせむといひけるをきゝて結びつくとてよみ侍りける
源頼家朝臣
物いひ侍りける女の五節に出でゝこと人にときゝ侍りければつかはしける
法眼源賢
人のこをつけむと契りて侍りけれどこもりゐぬと聞きてこと人につけ侍りければよめる
平正家
父の志なのなる女をすみ侍りける許につかはしける
源重之
一條院の御時大貳佐理筑紫に侍りけるに御手本かきに下し遣はしたりければ思ふ心かきて奉らむとてかきつくべき歌とて詠ませ侍りけるに詠める
中將尼
父の許にをさなくて筑前國に侍りて年へて後成順が其國になりて侍りければ下りて詠める
藤原基房朝臣
阿波守になりて又同じ國にかへりなりて下りけるにこづかみの浦とい所に浪のたつを見てよみ侍りける
連敏法師
頼國の朝臣紀伊守にて侍りける時いふべき事ありてまかりてけるをことさらに物いはざりければよみ侍りける
源兼長
肥後守義清下り侍りての年の秋さが野の花は見きやといひおこせて侍りける返事につかはしける
源兼俊母
あづまに侍りけるはらからの許にたよりにつけてつかはしける
康資王母
かへし
大貳高遠
筑紫よりのぼらむとてはかたに侍りけるに舘の菊の面白く侍りけるを見て
藤原實方朝臣
みちのくにゝ侍りけるに中將宣方の朝臣の許につかはしける
語ひ侍りける人の許にみちのくにより弓をつかはすとてよみ侍りける
大江匡衡朝臣
實方の朝臣みちのくにゝ侍りける時いひつかはしける
藤原實方朝臣
かへし
赤染衛門
攝津國に通ふ人の今なむ下るといひて後にも又京にありけるを聞きて人に代りてよめる
相模
六原といふ寺に講に參り侍りけるにきのふの祭のかへさにみける車のかたはらにたちて侍りければいひつかはしける
和泉式部
石山に參りける道に山科といふ所にて息み侍りけるに家あるじの心あるさまに見え侍りければ今歸るさになどいひ侍りけるをよにさしもといひ侍りければ
堀川右大臣
山階寺供養の後宇治前太政大臣の許につかはしける
伊勢大輔
山里にまかりて歸る道に家經が西八條の家近しと聞きて車を引き入て見ありきけるに難波わたりの心ちせられていとをかしう侍りければ硯の箱の上にかきつけ侍りける
源頼實
山里にまかりて日くれにければ
橘俊綱朝臣
伏見といふ所に四條宮の女房あまた遊びて日暮れぬさきにかへらむとしければ
讀人志らず
語らふ人の許にとし頃ありてまかりたりけるにおぼめくさよにやありけむ、よみ侍りける
蓮仲法師
ひえの山に二月の五番とて花など作る事侍りけり。其花つくらせむとて人の山によび登せて侍りければ昔此山にて物などまなびける事思ひ出でゝ
大中臣能宣朝臣
ある所に庚申しけるに御簾のうちの琴のあかぬ心をよみ侍りける
相模
入道一品宮に人々參りて遊び侍りけるに式部卿敦貞のみこ笛などをかしくふき侍りければ、かのみこの許に侍りける人の許に又の日よべの笛のをかしかりしよしいひに遣したりけるをみこ傳へ聞きて思ふ事の通ふにや人志もこそあれきゝとがめけることなど侍りける返事に
大中臣能宣朝臣
人のあふぎに山里の人もすさまぬわたりかきたるをみてよめる
源重之
法師の色このめるを見てよめる
藤原爲頼朝臣
人のかめにさけ入れてさかづきにそへて歌よみて出し侍りけるに
中務卿兼明親王
小倉の家に住み侍りける頃雨の降りける日蓑かる人の侍りければ山吹の枝を折りてとらせて侍りけり。心もえでまかり過ぎて又の日山吹の心もえざりしよしいひおこせて侍りける返事にいひ遣はしける
清少納言
陸奥守則光くら人にて侍りける時いもせなどいひつけて語らひ侍りけるに里へ出でたらむ程に人々尋ねむにありかな告げそといひて里に
人々せめて、せうとなれば志るらむとあるはいかゞすべきといひおこせて侍りける返事にめをつゝみて遣はしたりければ則光心もえでいかにせよとあるぞとまうで來てとひ侍りければよめる源頼俊
駿河守國房と車にのりてものにまかりける道にちゝの定季が墓ありとて俄に車よりおり侍りければよめる
慶範法師
山にすみうかれて越の國にまかり下りけるに思ひかけず良暹法師などあそびて昔の事思ひ出でゝ云ひ侍りければよめる
帥前内大臣
筑紫よりのぼりて道雅三位の童にて松君といはれ侍りけるをひざにすゑて久しう見ざりつるなどいひてよみ侍りける
天台座主教圓
前伊勢守義孝宇治前太政大臣のうまやにくだりたりときゝて遣しける
藤原義孝
使こざりけるさきにゆるされたりければ返事
後拾遺和歌集 (Goshui wakashu [Introduction]) | ||