University of Virginia Library

第五十八段

「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人にまじはるとも、後世をねがはん に難かるべきかは」といふは、さらに後世知らぬ人なり。げには、此の世をはかなみ、 必ず生死を出でんと思はんに、なにの興ありてか、朝夕君に仕へ、家をかへりみるい となみのいさましからん。心は縁にひかれてうつるものなれば、閑かならでは道は行 じがたし。

そのうつはもの昔の人に及ばず、山林に入りても、餓をたすけ嵐を防ぐよすがなくて はあられぬわざなれば、おのづから世をむさぼるに似たる事も、たよりにふれば、な どかなからん。さればとて、「そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」 などいはんは、無下の事なり。さすがに一度道に入りて世をいとはん人、たとひ望あ りとも、勢ある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾、麻の衣、一鉢のまうけ、あか ざのあつ物、いくばくか人の費をなさん。求むる所はやすく、其の心はやく足りぬべ し。かたちにはづる所もあれば、さはいへど、惡には疎く、善には近づく事のみぞ多 き。

人と生れたらんしるしには、いかにもして世をのがれんことこそあらまほしけれ。ひ とへにむさぼる事をつとめて、菩提におもむかざらんは、萬の畜類にかはる所あるま じくや。