University of Virginia Library

第三十八段

名利につかはれて、しづかなるいとまなく、一生を苦しむるこそおろかなれ。

財多ければ、身を守るにまどし。害をかひ、累をまねくなかだちなり。身の後には金 をして北斗をさゝふとも、人のためにぞわづらはるべき。おろかなる人の目をよろこ ばしむるたのしみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉のかざりも、 こゝろあらん人は、うたておろかなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵に投ぐべ し。利にまどふは、すぐれておろかなる人なり。

埋れぬ名を永き世に殘さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高くやん事なきをしも、 すぐれたる人とやはいふべき。おろかにつたなき人も、家に生れ時にあへば、高き位 にのぼり、おごりをきはむるもあり。いみじかりし賢人聖人、みづから卑しき位にを り、時にあはずしてやみぬる、又おほし。ひとへに高きつかさ位をのぞむも、次に おろかなり。智慧と心とこそ、世にすぐれたる譽も殘さまほしきを、つら/\思へば、 譽を愛するは、人の聞きを喜ぶなり。ほむる人、そしる人、共に世にとゞまらず。傳 へ聞かん人、又々すみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。譽 は又毀の本なり。身の後の名殘りてさらに益なし。是を願ふも、次におろかなり。

たゞし、しひて智を求め賢を願ふ人のためにいはば、智慧出でては僞あり。才能は煩 惱の増長せるなり。傳へて聞き、學びて知るは誠の智にあらず。いかなるをか智とい ふべき。可不可は一條なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳も なく、功もなく、名もなし。誰か知り誰か傳へん。是れ徳をかくし愚をまもるにはあ らず。もとより賢愚得失のさかひにをらざればなり。

まよひの心をもちて名利の要をもとむるに、かくのごとし。萬事は皆非なり。いふに たらず、願ふにたらず。