University of Virginia Library

第百六十八段

年老いたる人の、一事すぐれたる才の有りて、「此の人の後には誰にか問はん」など いはるゝは、老のかたうどにて、生けるも徒らならず。さはあれど、それもすたれた る所のなきは、一生此の事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」といひ てありなん。大方は知りたりとも、すゞろに言ひちらすはさばかりの才にはあらぬに やと聞え、おのづから誤もありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、 なほまことに道のあるじとも覺えぬべし。まして、知らぬ事、したり顏に、おとなし くもどきぬべくもあらぬ人のいひきかするを、さもあらずと思ひながら聞き居たる、 いとわびし。