University of Virginia Library

Search this document 

 私達を養つてゐてくれた座長が外出したまま一週間しても一向に歸つて來ないので、或る日高木が座長の殘していつた行李を開けてみると中には何も這入つてゐない。さアそれからがたいへんになつた。座長は私達を殘して逃げていつたといふことが皆の頭にはつきりし始めると、みなの宿賃はどうしたものか誰にも良い思案が浮んで來ない。そこで宿屋へは私が一同に代つて當分まアこのまま皆の者を置かしておいてくれるやう、そのうちに爲替がそれぞれ一同のものの郷里から來ることになつてゐるからと云つてまた暫くそのまま落ちつくことになつた。ところが爲替は郷里から來たには來たが來るたびにわつと皆から歎聲が上るだけで、結局來た金は來た者だけの金となつてそのものがこつそりいつの間にか自分の一番好む女優と一緒に逃げのびていくだけとなつて、たうとう最後に八人の男と四人の女とがとり殘される始末となつた。

 いつも女達が自分にばかり心を向けてゐると考へたがる癖のある六尺豐かな高木、賭博が三度の食事よりも好きで壺皿の賽の目を透視する術ばかり考へてゐる木下、佛さまと皆から云はれてゐる青白くて温和で酒を飮むと必ず障子を舐める癖のある佐佐、それから女の持物を集めたがる少し變態の八木、腕相撲や足相撲が自慢で町へ這入るといつも玉突ばかり探す松木、物を置き忘れたり落したり何でも忘れることばかり上手な栗木、吝嗇坊な癖に借りた物を返すのが嫌ひな矢島とそれに私、とかう八人の男と波子、品子、菊江、雪子の女四人の此の總勢十二人の取り殘されたものたちには、いつまで待つても爲替が來ないといふより、そのものらは初めからどこからも金の來るあてがないのでただ爲替の來さうなものの金を目あてに殘つてゐたものばかりなんだから、來ない方が道理なので、そこで宿屋の方でももう後はいくら待つても危いと睨んだらしく、それからは殘つた十二人の者をうのめたかのめで看視し始めた。一方私達はそれぞれもうさうなれば誰かに金が來るよりもいつそのこともうこない方が良いほどで、來れば必ずそのものだけがこつそりと逃げるに決つてゐるのだから、後に殘れば殘つたものほど皆の不義理をそれだけ一身に背負つていかねばならぬので、お互に暫くすると今度は誰が逃げ出すだらうかとひそかに看視し合つてゐるほどまでになつて來た。しかし、そんな看視をし合つたのも初めの間だけで、そのうちに誰が今度は逃げるだらうかなどとのんきなことを考へるよりもだいいちもうその日の御飯さへただの一度も食べさせてくれなくなつたのだから、だんだん皆の顏色までが變つて來て、朝から誰も彼も水ばかり飮んではどうしようかうしようと相談ばかりし續けてとどのつまりは皆で一緒に逃げようと云ふことにだけは漸く決つた。皆で逃げれば一人や二人追つかけて來たつて恐くはなし、そのうちにうつかり逃げ遲れて自分一人とり殘されたりした日にはどんな目に逢はされないとも限らないのだから誰もかれも今度はかたく一緒に逃げることを誓ひ合つた。しかし、逃げるにしたつてただばたばた逃げたのではそれでなくても傭はれた土地の壯士の眼について駄目なのだから、銭湯へいくだけは許してくれるのを利用して一番警戒の弛んだ雨の夜に逃げようとか、逃げるなら逃げるに樂な道よりも難所でなければ追手に直ぐつかまつて了ふから海を傳つていかうとか、先づあらかたは決めてしまつて一同は雨の降る夜を待つことにしてゐたのである。

 ところがここに逃げることを相談してゐる一團の次の部屋では、内膜炎で舞臺半ばに倒れたままいまだに起き上れない波子が一人寢てゐるのだ。これをどうしたものだらうかといふことになると皆も默つてしまつてそのことだけは誰も何とも云ひ出さず、いづれそのまま捨てておいて逃げるより仕樣がないではないかと聲にこそ出さないだけで暗默の裡に皆が思つてゐるのは明らかであつた。私もそれまでは實際はもう他の十一人のために波子をさうして殘しておくより仕樣がないと思つてゐたのであるが、相談がすんでふと波子の傍を通るといきなり彼女は床の中から私の片足に抱きついてしまつて放さない。皆が逃げるのなら自分も逃げるからどうぞ一緒に連れて逃げてくれといつて泣くのである。それではもう一度皆に相談してやるから先づ足だけ放してくれといつてはなだめすかして漸く彼女の腕から足を拔いてまた皆を呼ぶと、私は相談をし直した。一同の者は私が彼らを呼ぶともう何事の相談かちゃんと皆には分つてゐるので眼で馬鹿なことはよせよせとしきりに示し出したが、それでもあんなに一緒に逃げたいといふんだからひとつ皆も同じ竈の御飯を今日まで食べてゐた誼ででも連れていつてやつてはくれまいかと頼むと、傍にゐた雪子がだい一番に落ちて自分は波子から足袋を一足貰つたことがあるから此のまま殘していくのもすまないと云ひ出すと、品子も私は袖口を貰つたことがあると云ひ菊江も自分は櫛を貰つたことがあるなどと云つて波子を連れていくことだけはみな女達は承諾した。それでは男達はと訊くとこれは誰も何とも云ひ出すものはなくただ默つてしきりに私の袂をひつぱつてよせと云ふだけなので、私は皆を動かすためにいづれ連れていつたつて何とかなるだらうからまアまアといふと、初めてそこで皆の者もその氣になりかけてそれでは仕方がないから揃つて一緒に逃げようといふことに何となく決まつてしまつた。

 しかし、さていよいよ逃げるとなると海に沿つた斷崖の上の山道を七八里も峠を越えて歩かなければならないのだから病人を背負つて逃げるのはこれはたいへんなことなのだ。しかも無頼漢の眼をくらませて殊に雨風の中の町の湯へ行くやうに見せかけて一人づつ手拭をぶら下げて出ていかねばならないのだ。だが、さうかといつてその儘ぐづぐづしてゐては御飯が食べられないのだから腹が空くばかりだし、これはもう無茶でも次の驛まで闇にまぎれて逃げていく一手よりないのである。そこで私は波子の枕もとへいつて一度立つてどれほど歩けるものか歩いてみよといふと、彼女は立ちは立つたが直ぐ眼が廻ると云つて蒲團の上へふらふらつとうづくまつてしまつてまるで骨無し同樣な有樣なので、私も皆に波子を連れて逃げることを一時の同情からすすめはしたもののこんなことならいつそのことここへ一人殘していく方が本人のためでもあり皆のためでもあるとまた思ひ直して、波子にやつぱりここに一人あなただけ殘つてゐる氣はないか、殘つてゐたつてまさか宿の者は病人を殺すやうなこともしなからうしそのうちに私が金を直ぐ送つてやるからと云ふと、波子はまたわつと泣いてここに一人殘されるほどなら自分を殺していつてくれと云ふ。それではもう仕方がない、折角連れて逃げようとまで皆を納得させたのに今さら自分から連れていかないと云ひ出すのも勝手すぎることだしするので、もう波子のことはそのままにしておいて私も雨の降る夜を待つてゐた。しかし、雨の降るまで待つのがこれまたひと通りのことではないのである。誰か銭湯へいくときに着物を一枚質に入れてはあんぱんを買つて來て分けて食べたり、また一枚賣りつけては銭湯へいく金を作つたりしてゐるのだが、そのうちにうつかりして皆の汽車に乘る金まで使つてしまつては何にもならぬのだからもう煙草一本さへのめないばかりではない。パンだつて一日に一度で後は水ばかりでごろごろ終日轉つてゐるより仕樣がないのだ。すると、丁度折よくそれから二三日して朝から秋雨が降り出して夕方になるとますますひどく雨風にさへ變つて來た。さアいよいよそれでは今夜こそ逃げ出さうといふことになつて皆でそれぞれ朝から手筈を決めて夜の來るのを待つてゐたが、私は皆がまア無事に驛へ着いたとしてそれから後を誰と誰とがどんなにして逃げるのであらうかと實はそれが初めから興味があつたのだ。四人の女に八人の男の殘つてゐるのはそれは萬更金の來なかつた連中ばかりだとは限つてゐなくて、一人の女が前から二人もしくは三人づつの男と放れがたない交渉があつたからではないかとも思はれたので、これはいづれどこかで一騷動持ち上るにちがひないと思つてゐたにはゐたのである。ところが夜が近かづいて逃げる刻限が迫つて來ても誰もさういふ樣子を現さない。そのうち一人二人と手拭をぶら下げて出ていつたので、それではもう私の知らない間に一緒に逃げるべき女と男は自然に決つてしまつてしまつたのであらうと思つて私も逃げる手傅ひをし始めた。逃げる手傅ひといつたつてただそれぞれの着換へ一枚か二枚づつを風呂敷に包んでは塀の外に待たしてある仲間の者に投げ落すだけなのだが、それがこんなときのこととて最後まで宿に殘つてゐたらいつどういふ拍子で彼奴波子のやうな病人を連れていかうと云ひ出した奴だからこのまま二人だけはほつたらかして逃げようではないかと誰かが云ひ出さないとも限らぬし、もし誰かがそんなことでも一口云へばはつと忽ち氣がついて實行しさうな者ばかりなんだから、もう私は高木を最後に殘すと手拭を肩にかけ、波子を背負つて無事に皆と待ち合せる筈の竹林さして雨の中を出ていつた。

 竹林ではもう十人ほど三本の番傘の下に塊つて皆の來るのを待つてゐたが、一同の荷物をまとめて金に換へに質屋へ行つた肝腎の木下といふ男がなかなか戻つて來ない。それでは木下の奴も、ひよつとすると今頃は金を持つて逃げてしまつたのではないかと、誰も何んとも云はないのにだんだん皆の顏にそんな風な不安が現れ出して、しばらく顏を見合したまま默つてゐると、そこへ木下が十圓握つて歸つて來た。とにかく御飯だけは腹へつめていかなければといふので、最後に高木が來て十二人すつかり揃ふと久し振りに皆で蕎麥屋へ出かけていかうとした。すると、松木がこんなに澤山揃つていつては見附かつて了ふに決つてゐるから一人づつ行かうではないかと云ひ出したので、それもさうだといふ事になつて金を一人づつ分けようとすると十圓紙幣一枚よりない。それでは誰かこまかくして來たらと氣づいてもまた町中まで一人いつてはそのまま持ち逃げされさうな氣がされて誰も一人に許さうとはしないのだ。これぢや紙幣なんか有つたつてなくつたつて同じことでどうしたら良からうかとまた暫く默つてしまふと、そのうちにこんなにいつまでも愚圖ついてゐたんではもう宿屋の方でも氣がついて追手を向けてゐるかも分らないと云ひ出すものもあり、追手が來ようとどうしようとこんなにお腹が空いちや動けやしないといひ出すものもあつて、ぢやパンでも買つて來るのが一番だと決つてもさてそれなら誰が買ひにいくかとなると、また一度植ゑつけられた不安のために容易に誰も何んとも云ひ出さない。もうさうまでなると不思議なもので病人を背負ひ込んでゐる私だけがはつきり逃げも隠れも出來ないに決つてゐるのだから、矢島の發案で皆の者は今度は私一人に金を持つてくれと云ひ出した。しかし、私は私でそんな大事な金なんか持つて皆から絶えず氣をくばられてゐたりしては不愉快なので、いつそのこと皆の見てゐる前で病人の波子に金を持たしたら、當分は波子も誰も彼もから守られるにちがひないと思つたので彼女の懷へ金を押込んだ。すると、今まで厄病神のやうに思はれて皆から厄介扱ひにされてゐた病人は急に私の肩の上でがつくりと落ちついた金庫みたいになつて來て、今度は自然にその病人を中心にした一團の法則が竹林の中で出來始めた。先づ一團の男達は背後で誰かが百を數へるまで波子を背負つて歩いてから交代するといふ事になり、女は負ふ必要だけはないが數を算へる番を交代にしていくことに決めて、そこで初めてその順番を決めにかからうとすると八木が十八拳で決めようと云ひ出した。それぢや一本齒で來い、いや軟拳にしろと云ひ合つてゐるうちにもう片方の二人から、は、は、よう、たち、はい、に、さんぼん、とやり出したので、傍で見てゐた女たちも笑ひ出して高木さんの方が手つきがいいのいや木下さんの方が締つてゐるのと云ひ云ひ波子を背負ふ順番だけを漸く決めると、もう先きに立つたものが竹林を歩き出した。

 しかし、傘は十二人に三本よりないところへ向ひ風で雨が前からびゆうびゆうと吹きつけて來るので、四人に一つの割りで傘を中にし一列に細長く縱隊を作つてびしよびしよと濡れて歩いていかねばならない。一番まん中に病人の波子を御輿のやうに守つてその後に女達、それから男と行くのだが佐佐が中からたうとう蕎麥を食べ忘れたぢやないかと云ひ出すと、さうだ蕎麥だといふことになつてまた一隊は立ち停つた。けれども今からはもう蕎麥どころか追手につかまればまた明日から水ばかりより飮めないのだから、ひと思ひに今夜のうちに峠を越してしまへば明日はどうにでもならうといふ氣勢の方が盛んになつて、そのままずるずる一團は芋蟲みたいに闇の中へ動いていつた。動き出してから暫くは女達のあんこの出たフエルトがぴちやぴちや高く鳴り始めると追手ではないかと氣が氣でなくなり、ときどきは云ひ合したやうに後ろを振り返るときもあつたが、もし宿屋が氣がついて追手を今頃出してゐる頃だとしても直ぐこつちの難所へは氣がつかず、もう一本の道の方へ廻るだらうと栗木が云ふとそれもさうだと安心はしたものの、こつちの道にしたつて誰も一度も通つたことのあるものはないのだから、行くさきざきに何があるのかどこにどんな畑があるのかそれも分らず、雨に洗はれた砂地からしきりに頭を擡げてゐる石ころ道がいくらか足さきでうすぼんやりとしてゐるくらゐのものである。一團のものも必死とはいふもののだんだん不安が募つて來たと見えてあまり誰も饒舌らない。ただ木村だけが餘裕を見せて日頃の幾分社會主義めいたことを口走り、こんなに皆を苦しめた座長の奴なんか今度逢つたら毆つてやると云ふと、忘れてゐた座長への一團の鬱憤が俄に高まつて來て、毆るどころか海の中へ突き落してやると云ふものがあるかと思ふと海の中ではこと足りない自分は石で頭を割つてやるといふ者もあり、燒火箸で咽喉をひと突きに突き殺すといふ者もあり、いや燒火箸なんかではまだ足りぬと云ふものもあると中央で默つてゐた病人がいきなりわツと泣き出した。すると、病人を背負つてゐた八木が立停つてしまつて動かない。どうした、早く行かぬかと、後から迫ると、病人は八木の背中の上で泣き泣き自分をここへ捨てておいて皆でいつてしまつてくれと云ひ始めた。初めは誰もどうして急にそんなことを病人が云ひ出したのか分らなかつたが、それが病人の症状で内臓から血液が出て來たのだと分ると、一同もぼんやりとしてしまつてこれには困つたといふ風に雨の中で溜息をつき出した。そこで私は男には分らぬそんな女の症状のことは女達に任かせようといふと、それでは今直ぐに乾いた布が何より入用だと云ふので仕方がないから白い襦袢を脱いで渡してまた進んだ。病人は氣の毒がつて次ぎに背負ひ變つた松木の背中で自分をもうここへ捨てておいていつてくれとしきりに泣いて云ふ。そんなに泣いてはやかましいからもう捨てていつてしまふぞと松木が嚇かすと、一層激しくわツと泣くばかりである。しかし、そんなことよりも何より追手のことをあまり考へなくなると今度は一團に空腹がやつて來た。一人が明日になつて町へ着いたらだい一番にかつれつを食べるんだといふと、一人は鮨を食べるといふ。いや鮨よりも鰻が良いといふ者があるかと思ふと牛肉が食べたいと云ふものがある。すると、それからそれへと他人の云ふことなんか訊かずに何が美味かつたとかどこで何を食べたとか食べ物の話ばかりが盛んになつて、ますますがつがつした動物のやうになつていつた。

 ところが私も此の空腹にだけは皆と同樣困り果てて道傍の畑からでも食物を探さうとしたのであるが、竹林を出てから暫くすると畑なんか一つもなく、右手は岩ばかりの崖で左手は數百尺の斷崖の下でただ波の音がしてゐるだけなのだからどうするわけにもいかないのだ。せめても幅四尺ほどの道から足を踏み外さないだけが一團の儲けもので、今は互に帶を後ろから持ち合つたままひよろひよろして先頭の傘のまにまについていくのであるが、坂を上つたり下つたりうねうねとした道なのでときどき雨がさつと逆さまに下から降つて來て、思はず崖の縁へぺつたり貼りつけられたやうに重なつたり、伸びたり縮んだり衝きあたつたりしながらも茫茫と續いた斷崖の上を搖れ續けていくのだから、さう食べ物の話ばかりに眼もくらんではゐられないのである。そのうちに食べ物の話に夢中になつてゐた一團のものもいくら饒舌つたつて一つも食べられないのに氣がついたらしく、一人默り二人默り、やがてみんなが默つて了ふと、ただ病人を背負つて歩く足數をその後で數へる女の聲だけが波の音と風の音との斷れ目から聞こえて來るだけで、溜息も洩れなければ咳の聲さへしなくなつて、みな誰も彼も一樣にこれはもう暫くたてばどんなになるのかと恐怖に迫られ出した沈默が、手にとるやうにはつきりと感じられて來た。さうしてゐるうちにまた病人の出血が激しくなつて、男達の脱いだ襦袢を崖の頂きで海に向つて取り替へるやら背負ふ番を變へるやら、前のやうに氣の毒がつて激しく泣き出す病人の聲と一緒にひと際一團のものが賑やかに立ち返ると、また食べ物の話が出る。そんなに食べ物の話をしては食べたくなるばかりだからやめてくれと云ふものがあると、いやせめて食べ物の話でもしてくれなければ食べた氣がしないと云ふものがあり、水でも良いから飮めないものかと云ひながら傘から滴り落ちる雨の滴を舐め出したり、小さな松の木でもあると松の葉をむしつて食べながら歩いたり、まるで餓鬼そのままの姿となつてしまつて笑ふにも笑へない。私も私で着物はもう餘すところなくびつしより濡れたうへに咽喉がからからになつて來て、雨が吹きつけて來ると却つて傘から顏を脱して雨に向つて口を開けたり松葉を噛んだりし續けた。それがまた八人の男が一巡病人を背負つてしまつて私の番が廻つてくると、どんなに背中の上のものを女だと思はうとしたつて、その空腹では歩く力だけでもやつとのことだ。息切れがして來ると眼の前がもうぼうつとかすんで來る。腕がしびれる。足がふらりふらりと中風のやうに泳ぎ出す。すると舌を噛んだり頭を前の傘持ちにぶつつけたりし續ける。後ろで女が九十近くまで數へて來る頃にはもう病人をそのままそこへどたりと抛り落したくなつて來て、それを感づかせてはまた泣かれるからぢつと我慢をしてゐるものの、終ひには眼がひき吊つてしまつて開けるとぱつちり音がしさうなほどになる。さうして漸く次のものに變つて貰つたとしても一人一丁で八丁目毎にまた廻つて來るのだから、休む間が知れてゐるのだ。お負けに空腹は時間がたてばたつほど増して來て、それに從つて背中の上の病人はそれだけ重くなつていくのだからやりきれたものではない。すると、病人は眞中に皆に挾まれていくのはいやだから眞先にやつてくれと無理を云ひ出した。それでは負はれてゐるものは捨てていかれる心配がなくなるから氣樂にはなるであらうが、反對に背負つていくものは絶えず後から壓迫されて疲れることが甚だしいのだ。私は皆のものも私が病人を連れ出して來たばつかりにこんなに苦しまされたのだと思ふと、もう皆がどうする事も出來なくなつてへたばりさうになつたら、私は病人を海の中へ抛り込むか病人と二人でそのままそこへ殘つて皆に先きへいつて貰はうと考へた。

 しかし、皆のもののへたばりさうにしてゐるのはもういま現在のことなんだから、そんな考へを起したつて無論何んにもなりはしないのだ。もう一團の者は脂汗を顏ににじませて青黒く、眼はぎろりと坐り出し、なま欠伸がひつ續けて出始めると突如として奇聲を發するものもあつて、雨風に吹き折られるかのやうにどつと突角つた岩の上へ崩れかけたりすると、病人はまた捨てていつてくれと云つて泣き上げる。女達は女達でもう髮から着物からびしよびしよで、幽靈みたいにべつたりと濡れた髮を顏へひつつけさせたまま歩いてゐるのだが、腰卷の色が下から着物まで滲み出て來て、コンパクトや財布へまで水が溜つてぬらぬらして來ると、もうどつしりと却つて落ちつき出して早く死ぬものなら一思ひに死んでしまひたいと菊江が云ふ。ぢやここから飛び込めばわけはないと八木が云ふと、その一言の冗談がもうへとへとになつてゐた栗木の癇に觸つたのであらう、人の苦しんでゐるときに冗談を云ふとは何事だと栗木は八木に詰めよつた。すると、八木は八木でそんな思はぬことで詰めよられたんだからびくりとしたのか、逆に立直つて、いくら菊江に冗談を云つたからつてそんなことで怒らなくとも良いだらう。菊江なんかはお前がいくら好いたつてもう駄目だちやんと高木と一緒になつてゐるところを自分は見たのだとつい口を辷らすと、いままで默默として何一つ云はなかつた温和な佐佐が、いきなり懐中からナイフを出して高木めがけて突つかかつた。高木は素早く佐佐のナイフの先からのがれて一目散に斷崖の上を逃げていつたが、佐佐もしつこく傾きながら彼の後から追つかけると、暫く此の思はぬ出來事にぼんやりしてゐた栗木が敵は八木でもなく高木と佐佐だと知つたのかこれもまた二人の後から追つ馳け出した。菊江は私の傍で闇の中を透しながらただ自分が惡いのだと云つて泣きじやくつてゐるだけなので、私は早くいつて男達の爭ひをとめて來いと云ふとあなたがいつてくれなければ自分ではとまらぬと云ふ。ところが、これもまたあまり不意の出來事だが私の後ろにゐた品子が急に泣いてゐる菊江の襟もとへ武者振りついて齒をきりきり鳴らせ出した。自分の男の誰かをとられてゐたのに初めて氣附いたのであらうが、そのうちに張本人の八木までが怒り出して今度は品子を引き摺り倒すと貴樣の男は誰だと云ひ始めたのには私も驚いた。これでは爭ひが今にどこまで擴がるか分らないどころか、いまこんなところでまた誰かに傷でもされて動けなくなつたりしてはもう一團は絶體絶命で總倒れになるのは決つてゐるのだ。さて困つたことになつたと思つたが私の傍のものはまア刃物がないのだから良いとして、馳けていつたもの三人の間には一本ナイフがあるのだからそのまま捨てておくわけにもいかず、それで私もふらふらしながら待て待てと呼び續けて黒い岩の上を馳けていくと、二町ばかりいつた路傍で三人が並んで倒れたまま動かない。それでは誰か三人のうちの二人は殺されたのだと思つて覗いてみると、それぞれみな誰も眼をぎよろぎよろ開いたまま私の顏を眺めてゐるのだ。どうしたのだと訊いてみると、こんなところで女のために喧嘩をして傷でもしてはどちらも損だからやめようと相談してやめたのだが、もう疲れて息の根がとまりさうだから暫く默らせておいてくれと云ふ。それはどちらも賢いことをしたと云つて私もまた後へ引き返して病人のゐる所へ來てみると、こちらはまだ爭ひはこれかららしく矢島の背中でわアわア泣いてゐる病人の下の道の上で、八木と木下が取つ組み合ひをして唸つてゐるのだ。これでは女達も誰と誰とが自分のどの男をとつてゐて、自分が誰のどの男を取つてゐたことになつてゐるのか分らなくなつて了つてゐるのであらう、もうぼんやりとしてゐるだけで私に向ふの喧嘩の首尾はどうだつたかと訊ねもしない。 私もこんな騷動はいづれ一度は起るにちがひはないと思つてゐたにはゐたのだから、さうびつくりもしないのだが、今頃こんな崖の上でこんなに突然降つて湧いたやうに起らうとは思つてゐなかつたので、誰が誰と喧嘩をしようとそんなことなんか平氣にしたところでたちまち一團の進行にかかはること重大なのだ。ところが八木と木下とは前から仲も良くない上に女のことにかけてはどつちも競爭し合つてゐた男同士のこととて、私が中へ這入つてとめようとしてもなかなか放れるどころではない、ぢつと寢ながら毆り合つてゐる方が立つて歩いて病人を背負はせられるより樂は樂なんだから、足を絡まり合せたまま休息するやうに毆り合ふばかりである。私も二人が傷さへしなければもう出來るだけ喧嘩をさしてしまつておく方が良いのだから、二人が轉げてゐる間私も身體を休めるために二人の頭の所に腰を降ろして眺めてゐると、木下も八木もすつかり疲れたらしくどつちもそのまま動かなくなつて吐く息だけをふむふむ云はせてゐるだけなので、私ももうここらで良からうと思つていつまでも寢てゐたつて仕樣がないから喧嘩をするならもつとする。やめるならさつさとやめてそろそろ出かけようではないか、向ふでももう女のことで喧嘩をすることほど馬鹿なことはないと云つて三人とも仲なほりが出來てしまつたのだからと云ふと、八木も木下も默つてのろのろ起き上つて來て歩き出した。

 そこでまた一行が高木や佐佐などと落ち合ふと病人を背負ひ變へたり、出血の準備品の乾いた襦袢がもう全く誰からもなくなつてしまつてゐるので、今度は男達の腰卷をとつて病人をきよめたりして穩かに歩いていつた。どうも考へると面白いもので女達の不倫の結果がそんなにも激しい男達の爭ひをひき起したにも拘らず、しかしまたそれらの關係があんまり複雜ないろいろの形態をとつて皆の判斷を困らせるほどになると、却つてそれが靜に均衡を保つて來て自然に平和な單調さを形成していくといふことは、なかなか私にとつては興味ある恐るべきことであつた。だが、間もなくするとこの靜かな私達の一團の平和もそれは一層激しくみなのものに襲ひかかつて來た空腹のために、個性を拔き去られてしまつた畜類の平靜さに變つて來た。全く私も同樣にだんだん聲も出なくなつて腹部の皮が背中へひつついてしまつてゐるかのやうに感じられると、口中からは唾がなくなつて代りに胃液が上つて來て、にがにがしくぬつとりと澁り出すと眼の縁が熱つぽくなつて來て、煙草の匂ひのするなま欠伸がまたひとしきり出始める。一同のものも前の格鬪の疲れが出て來たのであらう誰も何とも云はないで俯向いたまま雨の中をびしよびしよといくのであるが、そんなにありあり弱りが見えるともう一人靜に泣き續けてゐる病人だけが一番丈夫な人間のやうにさへ思はれ出して、いつたい此のさきまだどこまでもと闇の中を續いてゐさうな斷崖の上をどうして越えることが出來るのかと、むしろ暗澹たる氣持ちになつて來た。さうなると私達の頭は最早や希望や光明のやうなはるかに遠いところにあるもののことは考へないで、此の二分さきの空腹がどんなになるであらうか。此の一分先さきがどうして持ちこたへられるであらうかと、頭はただ直ぐ次に迫つて來る時間のことばかりを考へ續け、その考へられる時間はまた空腹その事についてばかりとなつて滿ち、無限に擴がつた闇の中を歩いてゐるものは私ではなくして胃袋だけがひとりごそごそと歩いてゐるやうな氣持ちがされて、これはまつたく時間とは私にとつては何の他物でもない胃袋そのものの量を云ふのだとはつきりと感じられた。

 私達は凡そさうして宵からもう四五里も歩き續けて來たであらうか。一團の男達は襦袢も腰卷もみな病人にやつてしまつてなくなつた頃丁度崖の中腹の道より少し小高い所に一軒の小屋が見つかつた。初めは先頭に立つたものがあれは岩だらうか小屋だらうかと云つてゐるうちにそれは廢屋同樣の水車小屋だと分つたので、先づ皆は雨から暫くのがれるためにでもそこで少し休んでいかうではないかと云ふことになつたが、中へ這入るともうそこには長い間人が近づいたことがないと見えていつぱいに張り廻された蜘蛛の巣が皆の顏にひつかかつた。それでも雨露を凌げるほどの庭が二疊敷ほど黴臭い匂ひを放つてゐるのでそこへ十二人の者が塊まつて蹲つてゐると、八木がここは水車小屋だからどこかに水があるに違ひない、水でも捜して飮まうと云ひ出して小屋の周圍をうろうろ廻り出した。しかし、だいいち水を落すべき桶がぼろぼろに朽ちてゐて水車の羽根の白い黴のところから菌が生え上つてゐるのだから一向に水なんかありさうにも思へない。そのうちに小屋の中で塊つてゐる者達の肌から汗がだんだん冷えて來ると着物の濕りが應へて來て皆がぶるぶる慄へ出した。殊に三時過ぎの急激な秋の夜の冷えが疲勞と空腹との上に加はつて來たのだからもう皆は一人づつ離れてゐては寒さのために立つてもゐてもゐられない。そこで私達は火を焚かうにも誰もマッチがないのだからどうしやうもなくそれぞれ羽織を脱いで庭に敷くと眞中に病人を坐らせ、その周りに三人の女を置いて男達はその外から手を擴げながら丁度蕗の薹のやうに女達を包んで互に温度を保ち合つた。しかし、私達の上に新しく襲ひかかつて來た寒氣はそれだけでは納まらずますます激しくなつて來ると、やがて一團のものは齒が打ち合つてかちかちと鳴り始め、言葉がうまく云へなくなつて吃りばかりになり、泣き出すものがあつても涙だけがしきりに出るだけで、

[_]
[1]だだ
もうびりびり、びりびりとまるで搖られる海月みたいに慄へ續けてゐるだけだが、そのうちに中央にゐる病人だけはもう慄へる力もなくなつて皆の慄へる中で一人ぢつと縮んでしまつて動かない。その周圍で女達は自分が死んだら髮を切つて母親のところへ送つてくれるやう、もうとてもこれ以上は身體が保たないと云ひ出すものがあるかと思ふと、自分はもう駄目だから死んだら親指を切つて郷里へ送つてくれとか眼鏡を送れとか、そんなことを云つてゐるうちに膝がしびれる腰がしびれるやがて首までが痛んで來ると、栗木が急にしくしく泣き出して、自分が若いときに村の神さまへ石を投げつけたことがあるその罰が來たんだと云ひ出した。すると高木は俺はあんまり女を瞞しすぎた罰が來たんだと云ふと、それには皆も胸を刺されたのであらう男も女もさうださうだと云ふかのやうに調子を合せて泣き出した。私もあんまり皆の他愛のないのにをかしくなつたが餓ゑと寒さと身體の痛みにはもう實際このままでは死ぬ以外にないのではないかとさへ思はれて、私だけは臼の傍だつたので木の上へ腰かけながらさて此のつぎに來るものはいつたい何なのかと思つてゐると、よくしたもので間もなく意識を奪つてくれる眠けがしきりにやつて來た。それと等しく一團の上からもいつの間にか今までの慄へがなくなつてゐるのに氣がつくと、これはこのまま眠らせてしまへば死んでしまふに決つてゐるのだから、私は聲を大きくして皆の頭を搖すぶつて叩き起し、今眠れば死ぬにちがひないことを説明し眠る者があつたら直ぐ、その場で毆るようと云ひ渡した。ところが意識を奪ふ不思議なものとの鬪ひには武器としてもやがて奪はれるその意識をもつて鬪ふより方法がないのだから、これほど難事しいことはない、と云つてるうちにもう私さへ眠くなつてうつらうつらとしながらいつたい眠りといふ奴は何物であらうと考へたり、これはもう間もなく俺も眠りさうだと思つたり、さうかと思ふとはツと何ものとも知れず私の意識を奪はうとするそ奴の胸もとを突きのけて起き上らせてくれたりするところの、もう一層不可思議なものと對面したり、そんなにも頻繁な生と死との間の往復の中で私は曾て感じた事もない物柔かな時間を感じながら、なほひとしきりそのもう一つ先きまで進んでいつて意識の消える瞬間の時間をこつそり見たいものだと思つたりしてゐると、また思はずはツと眼を醒して自分の周圍を見廻した。すると、私の前では誰も彼も頭を垂らして眠りかけてゐるのである。

 私は皆の頭を暴力を振ふやうに毆つて廻つて起きろ起きろと警告した。皆の者は毆られると暫くぼんやりして眼を開けてはゐるがそのまままたふらふらと隣りの者へよりかかつてしまふ者や、急に死に迫つてゐた目前の自分の危機に氣がついて眼をぱちぱちしながらびつくりしてゐる者や、私に毆られ眠つたものを毆る權利を與へられてゐる事を思つていきなり前の眠つてゐるものを毆りつけ出す者などがあつて、間もなく羽根の停つた水車の傍では盛んな毆り合ひが始められた。それでも眠りはほんの少しの靜まつた隙間から這ひ込んで來て意識を吸ひ取つていつてしまふので、間斷なく髮の毛をひつつかんで頭を引き摺り上げては頬つぺたを指の跡の殘るほどひつぱたいたり、拳骨でそれこそ鐵拳を食はせるほど毆りつけたりしても、眠りを妨害する動作がものの一二分も一致して休止すると、もう危く一同が死へ向つて落ち込んでいくので、私も絶えず毆り續けてゐるものの同時に十一人の動作を見詰めつづけてゐる間にはふつとどうしたものやらまた私の意識も極りなき快樂の中へ溶け込んでいつてうつらうつらと漂ひ出すのだ。快樂――まことに死の前の快樂ほど奧床しくも華かで玲瓏としてゐるものはないであらう。まるで心は水水しい果汁を舐めるがやうに感極まつてむせび出すのだからわれを忘れるなどといふ物優しいものではない。天空のやうに快活な氣體の中で油然と入れ變り立ち變り現れる色彩の波はあれはいつたい生と死の間の何物なのであらう。あれこそはまだ人人の誰もが見たこともない時間といふ恐るべき怪物の面貌ではないのであらうか。――然し、私は私が死んでしまつてなくなれば、同時に誰も彼もの全世界の人間が私と一緒に消えてなくなつてしまふのだと思ふと愉快であつた。ひとつみんなの人間を殺してやらうか、とふと思ふ此の死との戲れが時時私を誘惑してひと思ひに眠つてしまはふと思ふに拘はらず、またいつの間にか私の前で皆が眠り出すと私は兩手で所かまはず毆りつけてゐるのである。人を死なすまいと努力すること――此の有害なことが何故に人人にとつて有益なのであらうか。私達は譬へいま死から逃れることが出來たにしたつて此の次死ぬときにはこんなに巧妙に何の不安もなく樂樂死ぬことになんかは最早想像することが出來ないのだが、それでも矢つ張り私はもう一度皆を生かせてやりたいと思ふと見えて、しきりに女達の髮をもつて引き摺つたり、毆つたり、片足で男達を蹴りつけたりし續けてゐるのは、これこそ愛といふのであらうか、それともこれこそ習性といふのであらうか。首をさへ絞めつけて殺してやりたく思ふほど皆のこれからの不幸な行くさきが分つてゐるのに、それにまだ彼らの苦しみを増し與へて助けてやらねばならぬとは、これをこそ救ひといふのであらう――死ね死ねと云ひながら私はもう無茶苦茶になつて恰も年來攻め續けて來た不幸と鬪ふかのやうに人人の眠りの中を縱横に暴れ廻つてゐると、人人もだんだん眼が醒めて、まるで今までの樂しみを奪つた奴はこ奴かと云ふやうにぽかぽか一層激しく周圍の者を毆り出した。すると、もう人人もさすがにゆつくり眠つてゐることは出來なくなつたと見えて、中には眠りながら手だけは毆る形をして動かしてゐる者もあり、踏んだり蹴つたり毆つたり修羅場みたいに傍若無人になぐり合つてゐるうちに、また一同は眠り出した。さうなると初めの間は蕾のやうに丸くなつて塊つてゐたものでもだんだん形が崩れて來て、終ひには足の間へ頭がいつたり胴と胴とが食ひ違つたり、べたべたしたまま雜然として來始めて毆るにも誰のどこを毆つてゐるのか分らなくなつて來て、誰か一人でもこつそり毆られずにすんでゐやうものならもうそのものは死んでゐるかもしれないのだから、出來るだけ大きな面積で暴れ廻つて絶えず全部の者を攪亂し續けてゐなければならぬのだ。しかし、眠けと云ふものは暴れたものほど次には激しく襲はれて沈められる恐れのあるもので、直ぐ暫くすると私も私が刺戟を與へて醒したものから頭を叩かれたり膝で横腹を蹴られたりして眼をさます。醒す度にまた私は皆の身體の中でのたうち廻つて沈んでしまふ。さうして幾度となく私達が眠つたり醒したりし合つてゐるうちに、私達の小屋の外でもそれに從つて變化が着着と行はれてゐたと見えて、いつの間にか雨もやみ、天井の崩れ落ちた壁の穴から月の光りがさし込んで蜘蛛の巣まではつきり浮き上つてゐるのを發見した。私達は眠け醒しに戸外へ出ようとするとなかなか足が動かない。そこで腹這ひになつて戸外へ出ると、月の光りに打たれながら改めて山や海を眺めてみた。すると、私の傍にゐた佐佐が物も云はずに私の袖をひつぱつて狼狽へたやうに崖の中腹を指さしたので、何心なく見るとそこには細細とはしてゐるが岩から流れ出てゐる水が月の光りに輝きながらかすかな音さへ立ててゐる。水だ水だと云はうとしたが聲が出ない。佐佐は直ぐ崖の方へ膝をもみながら近よつて降りていつたが暫くすると水を澤山飮んだのであらう、急に元氣になつて大聲で下から水だ水だと叫び出した。私も小さな聲で同時に水だ水だと叫んだ。

 それでもう一同は助かつたと同樣であつた。小屋の中の者は足が動かないのにかかはらず我れ勝ちにと腹這ひになつて崖の方へ降りて來ると、蜘蛛の巣をいつぱいつけた蒼然とした顏を月の光りに晒しながら代る代る岩の間へ鼻を押しつけた。岩の匂ひに滿ちた清水が五百羅漢のやうな一同の咽喉から腹から足さきまで突き刺さるやうに滲み透つて生氣がはじめて動き出して來ると、私も皆と一緒に月に向つてこれこそ明瞭に生きてゐることだと感じるかのやうに歡聲を洩してはまた岩の間へ口をつけた。しかし、私はふと皆が置き去りにして來た病人のことを思ふともうひよつとするとひとり眠入つてしまつて死んでゐるのではないかと思はれて、皆の者にどうかしていつぱいでも病人に水を飮ましてやる工夫はないかと云ふと、さうださうだ病人が何よりだといふことになつてそれなら水を入れるには帽子が良いからといふ高木の發案でソフトに水を受けてみると、水は數歩ももぢもぢしてゐる間にすつかり洩れてしまつて何の役にも立ちはしない。それで今度は皆の帽子を五つ合して水を受けるとやつとどうやら洩れないだけは洩れなくなつたが小屋まで持つていく迄には疑ひなく無くなるのは決つてゐるのだ。そんなら小屋まで一番早く帽子を運ぶには十一人でリレーのやうに繼ぎながら運ばうではないかと佐佐が云ひ出すと、それは一番名案だといふことになつていよいよ十一人が三間ほどの間隔に分れて月の中に立ち停ると、私は最後に病人の所へ水を運ぶ番となつて帽子の廻つてくるのを待つてゐた。その間私は絶えず病人を搖り續けてゐるのだが、もう彼女はさつきから毆り續けられた指跡を赤く皮膚に殘したまま、私に搖られるがままに身體をぐたぐたに崩して寢入つてしまつてなかなか眼を醒しさうにもない。それで私は彼女の髮の毛を持つてぐさぐさ搖るとぼんやり眼を開けたは開けたが、それもただ開けたといふだけで同じ所をぢつと眼を据ゑて見てゐるだけである。そこへ丁度最初の帽子が殆ど水をなくして廻つて來たので私は病人の口のなかへ僅に洩れる滴をちよろちよろと流し込んでやると、病人も初めてはつきり眼が醒めたと見え、私の膝に手をかけて小屋の中を見廻した。水だ水だ早く飮まぬとなくなるからと云つてはまた膝の上へ病人を伏せて次の帽子を待つてゐる。すると、また帽子が廻つて來る、また滴を落すといふ風に幾回も繰返してゐるうちに、私には遠く清水の傍からつぎつぎに掛け聲かけながらせつせと急な崖を攀ぢ登つて來る疲れた羅漢達の月に照らされた姿が浮んで來ると、まるで月光の滴りでも落してやるかのやうに病人の口の中へその水の滴を落してやつた。

[_]
[1] Yokomitsu Riichi shu: Shincho Nihon bungaku, 14 (Tokyo: Shincho sha, 1973) reads ただ.