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高山樗牛 (Takiguchi nyudo) | ![]() |
第十二
一 穗 ( すゐ ) の 燈 ( ともしび ) を狹みて 相對 ( あひたい ) せる小松殿と時頼、物語の樣、 最 ( い ) と 肅 ( しめ ) やかなり。
『こは思ひも寄らぬ御言葉を承はり候ものかな、御世は盛りとこそ思はれつるに、など 然 ( さ ) る 忌 ( い ) まはしき事を仰せらるゝにや。憚り多き事ながら、 殿 ( との ) こそは御一門の 柱石 ( ちゆうせき ) 、天下萬民の望みの集まる所、吾れ人 諸共 ( もろとも ) に 御運 ( ごうん ) の程の久しかれと祈らぬ者はあらざるに、何事にて 御在 ( おは ) するぞ、聊かの御不例に忌まはしき御身の後を仰せ置かるゝとは。 殊更 ( ことさら ) 少將殿の御事、不肖弱年の時頼、 如何 ( いか ) でか御託命の重きに堪へ申すべき。御言葉のゆゑよし、時頼つや/\ 合點 ( がてん ) 參らず』。
『時頼、さては 其方 ( そち ) が眼にも世は盛りと見えつるよな。盛りに見ゆればこそ、衰へん末の事の 一入 ( ひとしほ ) 深く思ひ 遣 ( や ) らるゝなれ。弓矢の上に天下を 與奪 ( よだつ ) するは武門の 慣習 ( ならひ ) 。遠き故事を引くにも及ばず、近き 例 ( ためし ) は源氏の 末路 ( まつろ ) 。 仁平 ( にんぺい ) 、 久壽 ( きうじゆ ) の盛りの頃には、六條判官殿、 如何 ( いか ) でか其の一族の 今日 ( こんにち ) あるを思はれんや。 治 ( ち ) に居て 亂 ( らん ) を忘れざるは長久の道、榮華の中に沒落を思ふも、 徒 ( たゞ ) に重盛が杞憂のみにあらじ』。
『 然 ( さ ) るにても幾千代重ねん殿が 御代 ( みよ ) なるに、など然ることの候はんや』。
『 否 ( いな ) とよ時頼、 朝 ( あした ) の露よりも猶ほ 空 ( あだ ) なる人の身の、 何時 ( いつ ) 消えんも測り難し。我れ斯くてだに在らんにはと思ふ 間 ( ひま ) さへ中々に定かならざるに、いかで年月の後の事を思ひ 料 ( はか ) らんや。我もし兎も角もならん跡には、心に懸かるは只々少將が身の上、元來孱弱の性質、加ふるに 幼 ( をさなき ) より 詩歌 ( しいか ) 數寄の道に心を寄せ、管絃舞樂の 娯 ( たの ) しみの外には、弓矢の譽あるを知らず。其方も見つらん、 去 ( さん ) ぬる春の花見の宴に、一門の面目と 稱 ( たゝ ) へられて、 舞妓 ( まひこ ) 、 白拍子 ( しらびやうし ) にも比すべからん 己 ( おの ) が 優技 ( わざ ) をば、さも誇り顏に見えしは、親の身の中々に 恥 ( はづ ) かしかりし。一旦事あらば、妻子の愛、浮世の望みに 惹 ( ひ ) かされて、如何なる未練の 最期 ( さいご ) を遂ぐるやも測られず。世の盛衰は是非もなし、平家の嫡流として卑怯の 擧動 ( ふるまひ ) などあらんには、祖先累代の恥辱この上あるべからず。維盛が行末守り呉れよ、時頼、之ぞ小松が 一期 ( いちご ) の頼みなるぞ』。
『そは時頼の 分 ( ぶん ) に過ぎたる仰せにて候ぞや。現在 足助 ( あすけ ) 二郎重景など 屈竟 ( くつきやう ) の人々、少將殿の 扈從 ( こしよう ) には候はずや。 若年未熟 ( じやくねんみじゆく ) の時頼、人に 勝 ( まさ ) りし何の 能 ( のう ) ありて斯かる大任を御受け申すべき』。
『否々左にあらず。いかに時頼、六波羅上下の武士が此頃の有樣を何とか見つる。一時の太平に 狎 ( な ) れて 衣紋裝束 ( えもんしやうぞく ) に 外見 ( みえ ) を飾れども、 誠 ( まこと ) 武士の魂あるもの幾何かあるべき。華奢風流に 荒 ( すさ ) める重景が如き、物の用に立つべくもあらず。只々彼が父なる與三左衞門景安は平治の激亂の時、二條堀河の邊りにて、我に代りて惡源太が爲に討たれし者ゆゑ、其の遺功を思うて我名の一字を與へ、少將が 扈從 ( こしよう ) となせしのみ。 繰言 ( くりごと ) ながら維盛が事頼むは其方一人。少將 事 ( こと ) あるの日、未練の最期を遂ぐるやうのことあらんには、時頼、予は草葉の蔭より其方を恨むぞよ』。
思ひ入りたる小松殿の 御氣色 ( みけしき ) 、物の哀れを含めたる、心ありげの 語 ( ことば ) の 端々 ( はし/″\ ) も、餘りの忝なさに思ひ紛れて只々感涙に 咽 ( むせ ) ぶのみ。風にあらで 小忌 ( をみ ) の 衣 ( ころも ) に 漣立 ( さゞなみた ) ち、持ち給へる珠數震ひ 搖 ( ゆら ) ぎてさら/\と音するに瀧口 首 ( かうべ ) を 擡 ( もた ) げて、小松殿の御樣見上ぐれば、燈の光に半面を 背 ( そむ ) けて、御袖の 唐草 ( からくさ ) に 徒 ( たゞ ) ならぬ露を忍ばせ給ふ、御心の程は知らねども、痛はしさは 一入 ( ひとしほ ) 深し。夜も 更 ( ふ ) け行きて、 何時 ( いつ ) しか 簾 ( みす ) を漏れて青月の光凄く、澄み渡る風に落葉ひゞきて、主が心問ひたげなり。
蟲の 音 ( ね ) 亙 ( わた ) りて月高く、いづれも哀れは秋の夕、 憂 ( う ) しとても 逃 ( のが ) れん 術 ( すべ ) なき 己 ( おの ) が影を踏みながら、 腕叉 ( うでこまぬ ) きて小松殿の 門 ( かど ) を立ち出でし瀧口時頼。露にそぼちてか、 布衣 ( ほい ) の袖重げに見え、足の 運 ( はこび ) さながら醉へるが如し。 今更 ( いまさら ) 思ひ 決 ( さだ ) めし一念を吹きかへす世に秋風はなけれども、積り積りし浮世の義理に迫られ、胸は涙に 塞 ( ふさが ) りて、月の光も 朧 ( おぼろ ) なり。武士の名殘も 今宵 ( こよひ ) を限り、 餘所 ( よそ ) ながらの告別とは知り給はで、亡からん後まで頼み置かれし小松殿。 御仰 ( おんおほせ ) の 忝 ( かたじけな ) さと、是非もなき身の不忠を想ひやれば、御言葉の 節々 ( ふし/″\ ) は骨を 刻 ( きざ ) むより猶つらかりし。哀れ心の灰に冷え果てて浮世に立てん烟もなき今の我、あゝ何事も因果なれや。
月は照れども心の闇に夢とも 現 ( うつゝ ) とも覺えず、行衞もしらず歩み來りしが、ふと頭を擧ぐれば、こはいかに身は 何時 ( いつ ) の間にか御所の裏手、中宮の御殿の 邊 ( ほとり ) にぞ立てりける。此春より來慣れたる道なればにや、思はぬ方に迷ひ來しものかなと、 無情 ( つれな ) かりし人に通ひたる昔忍ばれて、 築垣 ( ついがき ) の 下 ( もと ) に我知らず 彳 ( たゝず ) みける。折柄傍らなる小門の蔭にて『横笛』と言ふ聲するに心付き、思はず振向けば、立烏帽子に 狩衣 ( かりぎぬ ) 着たる一個の 侍 ( さむらひ ) の此方に背を向けたるが、年の頃五十計りなる老女と額を合せて 囁 ( さゝや ) けるなり。
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