University of Virginia Library

[142、143、144、145、146]

なほ世にめでたきもの

臨時の祭の御前ばかりの事は、何事にかあらん。試樂もいとをかし。春は空のけしきのどかにて、うら/\とあるに、清涼殿の御前の庭に、掃部司のたたみどもを敷きて、使は北おもてに、舞人は御前のかたに、これらは僻事にもあらん。

所の衆ども、衝重どもとりて前ごとに居ゑわたし、陪從もその日は御前に出で入るぞかし。公卿殿上人は、かはる%\盃とりて、はてにはやくがひといふ物、男などのせんだにうたてあるを、御前に女ぞ出でて取りける、思ひかけず人やあらんとも知らぬに、火燒屋よりさし出でて、多く取らんと騒ぐものは、なか/\うちこぼしてあつかふ程に、かろらかにふと取り出でぬるものには遲れて、かしこき納殿に、火燒屋をして、取り入るるこそをかしけれ。掃部司のものども、たたみとるやおそきと、主殿司の官人ども、手ごとに箒とり、すなごならす。承香殿の前のほどに、笛を吹きたて、拍子うちて遊ぶを、疾く出でこなんと待つに、有度濱うたひて、竹のませのもとに歩み出でて、御琴うちたる程など、いかにせんとぞ覺ゆるや。一の舞のいとうるはしく袖をあはせて、二人はしり出でて、西に向ひて立ちぬ。つぎ/\出づるに、足踏を拍子に合せては、半臂の緒つくろひ、冠袍の領などつくろひて、あやもなきこま山などうたひて舞ひ立ちたるは、すべていみじくめでたし。大比禮など舞ふは、日一日見るとも飽くまじきを、終てぬるこそいと口惜しけれど、又あるべしと思ふはたのもしきに、御琴かきかへして、このたびやがて竹の後から舞ひ出でて、ぬぎ垂れつるさまどものなまめかしさは、いみじくこそあれ。掻練の下襲など亂れあひて、こなたかなたにわたりなどしたる、いで更にいへば世の常なり。このたびは又もあるまじければにや、いみじくこそ終てなん事は口惜しけれ。上達部なども、つづきて出で給ひぬれば、いとさう%\しう口をしきに、賀茂の臨時の祭は、還立の御神樂などにこそなぐさめらるれ。庭燎の烟の細うのぼりたるに、神樂の笛のおもしろうわななき、ほそう吹きすましたるに、歌の聲もいとあはれに、いみじくおもしろく、寒くさえ氷りて、うちたるきぬもいとつめたう、扇もたる手のひゆるもおぼえず。

才の男ども召して飛びきたるも、人長の心よげさなどこそいみじけれ。里なる時は、唯渡るを見るに、飽かねば、御社まで行きて見るをりもあり。大なる木のもとに車たてたれば、松の烟たなびきて、火のかげに半臂の緒、きぬのつやも、晝よりはこよなく勝りて見ゆる。橋の板を踏みならしつつ、聲合せて舞ふ程もいとをかしきに、水の流るる音、笛の聲などの合ひたるは、實に神も嬉しとおぼしめすらんかし。

少將といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、なくなりて、上の御社の一の橋のもとにあなるを聞けば、ゆゆしう、せちに物おもひいれじと思へど、猶このめでたき事をこそ、更にえ思ひすつまじけれ。

「八幡の臨時の祭の名殘こそいとつれ%\なれ。などてかへりて又舞ふわざをせざりけん、さらばをかしからまし。禄を得て後よりまかづるこそ口惜しけれ」などいふを、うへの御前に聞し召して、「明日かへりたらん、めして舞はせん」など仰せらるる。「實にやさふらふらん、さらばいかにめでたからん」など申す。うれしがりて、宮の御前にも、「猶それまはせさせ給へ」と集りて申しまどひしかば、そのたびかへりて舞ひしは、嬉しかりしものかな。さしもや有らざらんと打ちたゆみつるに、舞人前に召すを聞きつけたる心地、物にあたるばかり騒ぐもいと物ぐるほしく、下にある人々まどひのぼるさまこそ、人の從者、殿上人などの見るらんも知らず、裳を頭にうちかづきてのぼるを、笑ふもことわりなり。

故殿などおはしまさで、世の中に事出でき、物さわがしくなりて、宮又うちにもいらせ給はず、小二條といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里に居たり。御前わたりおぼつかなさにぞ、猶えかくてはあるまじかりける。左中將おはして物語し給ふ。「今日は宮にまゐりたれば、いみじく物こそあはれなりつれ。 女房の裝束、裳唐衣などの折にあひ、たゆまずをかしうても侍ふかな。御簾のそばの あきたるより見入れつれば、八九人ばかり居て、黄朽葉の唐衣、薄色の裳、紫苑、萩 などをかしう居なみたるかな。御前の草のいと高きを、などかこれは茂りて侍る。は らはせてこそといひつれば、露おかせて御覽ぜんとて殊更にと、宰相の君の聲にて答 へつるなり。をかしくも覺えつるかな。御里居いと心憂し。かかる所に住居せさせ給はんほどは、いみじき事ありとも、必侍ふべき物に思し召されたるかひもなくなど、あまた言ひつる。語りきかせ奉れとなめりかし。參りて見給へ。あはれげなる所のさまかな。露臺の前に植ゑられたりける牡丹の、唐めきをかしき事」などの給ふ。「いさ人のにくしと思ひたりしかば、又にくく侍りしかば」と答へ聞ゆ。「おいらかにも」とて笑ひ給ふ。實にいかならんと思ひまゐらする御氣色にはあらで、さぶらふ人たちの、「左大殿のかたの人しるすぢにてあり」などささめき、さし集ひて物などいふに、下より參るを見ては言ひ止み、はなち立てたるさまに見ならはずにくければ、「まゐれ」などあるたびの仰をも過して、實に久しうなりにけるを、宮の邊には、唯彼方がたになして、虚言なども出で來べし。例ならず仰事などもなくて、日頃になれば、心細くて打ちながむる程に、長女文をもてきたり。「御前より左京の君して、忍びて賜はせたりつる」といひて、ここにてさへひき忍ぶもあまりなり。人傳の仰事にてあらぬなめりと、胸つぶれてあけたれば、かみには物もかかせ給はず、山吹の花びらを唯一つ包ませたまへり。それに「いはで思ふぞ」と書かせ給へるを見るもいみじう、日ごろの絶間思ひ歎かれつる心も慰みて嬉しきに、まづ知るさまを長女も打ちまもりて、「御前にはいかに、物のをりごとに思し出で聞えさせ給ふなるものを」とて、「誰も怪しき御ながゐとのみこそ侍るめれ。などか參らせ給はぬ」などいひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて參らん」といひていぬる後に、御返事書きてまゐらせんとするに、この歌のもと更に忘れたり。「いとあやし。同じふる事といひながら、知らぬ人やはある。ここもとに覺えながら、言ひ出でられぬはいかにぞや」などいふを聞きて、ちひさき童の前に居たるが、「下ゆく水のとこそ申せ」といひたる。などてかく忘れつるならん。これに教へらるるもをかし。御かへりまゐらせて、少しほど經て參りたり。いかがと、例よりはつつましうして、御几帳にはたかくれたるを、「あれは今參か」など笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、このをりは、さも言ひつべかりけりとなん思ふを、見つけでは暫時えこそ慰むまじけれ」などの給はせて、かはりたる御氣色もなし。童に教へられしことばなど啓すれば、いみじく笑はせ給ひて、「さる事ぞ、あまりあなづるふる事は、さもありぬべし」など仰せられて、ついでに、人のなぞ/\あはせしける所に、かたくなにはあらで、さやうの事にらう/\じかりけるが、「左の一番はおのれいはん、さ思ひ給へ」などたのむるに、さりともわろき事は言ひ出でじと選り定むるに、「その詞を聞かん、いかに」など問ふ。「唯まかせてものし給へ、さ申していと口惜しうはあらじ」といふを、實にと推しはかる。日いと近うなりぬれば、「なほこの事のたまへ非常にをかしき事もこそあれ」といふを、「いさ知らず。さらばなたのまれそ」などむつかれば、覺束なしと思ひながら、その日になりて、みな方人の男女居分けて、殿上人など、よき人々多く居竝みてあはするに、左の一番にいみじう用意しもてなしたるさまの、いかなる事をか言ひ出でんと見えたれば、あなたの人も、こなたの人も、心もとなく打ちまもりて、「なぞ/\」といふほど、いと心もとなし。「天にはり弓」といひ出でたり。右の方の人は、いと興ありと思ひたるに、こなたの方の人は、物もおぼえずあさましうなりて、いとにくく愛敬なくて、「あなたによりて、殊更にまけさせんとしけるを」など、片時のほどに思ふに、右の人をこにおもふて、うち笑ひて、「ややさらに知らず」と、口ひきたれて猿樂しかくるに、「數させ/\」とてささせつ。「いと怪しき事、これ知らぬもの誰かあらん。更に數さすまじ」と論ずれど、「知らずといひ出でんは、などてかまくるにならざらん」とて、つぎ/\のも、この人に論じかたせける。いみじう人の知りたる事なれど、覺えぬ事はさこそあれ。「何しかはえ知らずといひし」と、後に恨みられて、罪さりける事を語り出でさせ給へば、御前なるかぎりは、さは思ふべし。「口をしく思ひけん、こなたの人の心地聞し召したりけん、いかににくかりけん」など笑ふ。これは忘れたることかは。皆人知りたることにや。

正月十日、空いとくらう、雲も厚く見えながら、さすがに日はいとけざやかに照りたるに、えせものの家の後、荒畠などいふものの、土もうるはしうあをからぬに、 桃の木わかだちて、いとしもとがちにさし出でたる、片つ方は青く、いま片枝は濃く つややかにて、蘇枋やうに見えたるに、細やかなる童の、狩衣はかけやりなどして、 髮は麗しきがのぼりたれば、又紅梅の衣白きなど、ひきはこえたる男子、半靴はきた る、木のもとに立ちて、「我によき木切りて、いで」など乞ふに、又髮をかしげなる 童女の、袙ども綻びがちにて、袴は萎えたれど、色などよきうち著たる、三四人、 「卯槌の木のよからん切りておろせ、ここに召すぞ」などいひて、おろしたれば、は しりがひ、とりわき、「我に多く」などいふこそをかしけれ。黒き袴著たる男走り來 て乞ふに、「まて」などいへば、木のもとによりて引きゆるがすに、危ふがりて、猿 のやうにかいつきて居るもをかし。梅などのなりたるをりも、さやうにぞあるかし。

清げなるをのこの、雙六を日ひと日うちて、なほ飽かぬにや、みじかき燈臺に火を明くかかげて、敵の采をこひせめて、とみにも入れねば、筒を盤のうへにたてて待つ。狩衣の領の顏にかかれば、片手しておし入れて、いとこはからぬ烏帽子をふりやりて、「さはいみじう呪ふとも、うちはづしてんや」と、心もとなげにうちまもりたるこそ、ほこりかに見ゆれ。

碁をやんごとなき人のうつとて、紐うち解き、ないがしろなるけしきに拾ひおくに、おとりたる人の、ゐずまひもかしこまりたる氣色に、碁盤よりは少し遠くて、およびつつ、袖の下いま片手にて引きやりつつうちたるもをかし。