University of Virginia Library

[107、108]

はるかなるもの

千日の精進はじむる日。半臂の緒ひねりはじむる日。陸奧國へゆく人の逢阪の關 こゆるほど。うまれたる兒のおとなになるほど。大般若經御讀經一人して讀み始むる。十二年の山ごもりの始めてのぼる日。

方弘はいみじく人に笑はるるものかな。親などいかに聞くらん。供にありくもの ども、いと人々しきを呼びよせて、「何しにかかるものにはつかはるるぞ、いかが覺 ゆる」など笑ふ。物いとよくするあたりにて、下襲の色、うへのきぬなども、人より はよくて著たるを、「これは他人に著せばや」などいふに、實にぞ詞遣などのあやし き。里に宿直物とりにやるに、「男二人まかれ」といふに、「一人して取りにまかり なんものを」といふに、「あやしの男や、一人して二人の物をばいかで持つべきぞ。 一升瓶に二升は入るや」といふを、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。人 の使のきて「御返事疾く」といふを、「あなにくの男や、竈に豆やくべたる。この殿 上の墨筆は、何者の盗みかくしたるぞ。飯酒ならばこそ、ほしうして人の盗まめ」と いふを、又わらふ。女院なやませ給ふとて、御使にまゐりて歸りたるに、「院の殿上 人は誰々かありつる」と人の問へば、それかれなど四五人ばかりといふに、「又は」と問へば、「さてはいぬる人どもぞありつる」といふを、また笑ふも、又あやしき事にこそはあらめ。「人間に寄りきて、わが君こそまづ物きこえん。まづ/\人ののたまへる事ぞといへば、何事にかとて几帳のもとによりたれば、躯籠により給へといふに、五體ごめにとなんいひつる」といひて、また笑ふ。除目の中の夜、指油するに、燈臺のうちしきを踏みて立てるに、新しき油單なれば、つようとらへられにけり。さし歩みて歸れば、やがて燈臺はたふれぬ。襪はうちしきにつきてゆくに、まことに道こそ震動したりしか。頭つき給はぬほどは、殿上の臺盤に人もつかず。それに方弘は豆一盛を取りて、小障子のうしろにてやをら食ひければ、ひきあらはして笑はるる事ぞかぎりなきや。