[98、99、101、102、103、104、105、106]
くちをしきもの
節會、佛名に雪ふらで、雨のかき暮し降りたる。節會、さるべきをりの、御物忌に當りたる。いとなみいつしかと思ひたる事の、さはる事出で來て俄にとまりたる。いみじうする人の、子うまで年ごろ具したる。あそびをもし、見すべき事もあるに、かならず來なんと思ひて呼びに遣りつる人の、さはる事ありてなどいひて來ぬ、くちをし。男も女も宮仕所などに、同じやうなる人、諸共に寺へまうで、物へも行くに、このもしうこぼれ出でて、用意はげしからず、あまり見苦しとも見つべくはあらぬに、さるべき人の、馬にても車にても行きあひ見ずなりぬる、いとくちをし。わびては、すき%\しからん下衆などにても、人に語りつべからんにてもがなと思ふも、けしからぬなめりかし。
五月の御精進のほど職におはしますに、塗籠の前、二間なる所を、殊にしつらひ
したれば、例ざまならぬもをかし。朔日より雨がちにて曇りくらす。「つれ%\なる
を、杜鵑の聲たづねありかばや」といふを聞きて、われも/\と出でたつ。「賀茂の
奧になにがしとかや、七夕の渡る橋にはあらで、にくき名ぞ聞えし。そのわたりにな
ん日ごとに鳴く」と人の言へば、「それは蜩なり」と答ふる人もあり。そこへとて、
五日のあした、宮づかさ車の事いひて、北の陣より、「五月雨はとがめなきものぞ」とて、さしよせて四人ばかりぞ乘りて行く。うらやましがりて、「今一つして同じくば」などいへば、「いな」と仰せらるれば、聞きも入れず、なさけなきさまにて行くに、馬場といふ所にて人多くさわぐ。「何事するぞ」と問へば、「手結にて眞弓射るなり。しばし御覽じておはしませ」とて車止めたり。「右近の中將みな著き給へる」といへど、さる人も見えず。六位などの立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ、はやく過ぎよ」とて行きもて行けば、道も祭のころ思ひ出でられてをかし。かういふ所には、明順朝臣の家あり。そこもやがて見んといひて車よせておりぬ。田舎だち事そぎて、馬の繪書きたる障子、網代屏風、三稜草簾など、殊更に昔の事を寫し出でたり。屋のさまもはかなだちて、端近くあさはかなれど、をかしきに、げにぞかしがましと思ふばかりに鳴きあひたる杜鵑の聲を、くちをしう御前に聞しめさず、さばかり慕ひつる人々にもなど思ふ。所につけては、かかる事をなん見るべきとて、稻といふもの多く取り出でて、わかき女どものきたなげならぬ、そのわたりの家のむすめ、女などひきゐて來て、五六人してこかせ、見も知らぬくるべきもの二人してひかせて、歌うたはせなどするを、珍しくて笑ふに、杜鵑の歌よまんなどしつる、忘れぬべし。唐繪にあるやうなる懸盤などして物くはせたるを、見いるる人なければ、家あるじ「いとわろくひなびたり。かかる所に來ぬる人は、ようせずばあるもなど責め出してこそ參るべけれ。無下にかくてはその人ならず」などいひてとりはやし、「この下蕨は手づから摘みつる」などいへば、「いかで女官などのやうに、つきなみてはあらん」などいへば、とりおろして、「例のはひぶしに習はせ給へる御前たちなれば」とて、とりおろしまかなひ騒ぐほどに、「雨ふりぬべし」といへば、急ぎて車に乘るに、「さてこの歌は、ここにてこそ詠まめ」といへば、「さばれ道にても」などいひて、卯の花いみじく咲きたるを折りつつ、車の簾傍などに長き枝を葺き指したれば、ただ卯花重をここに懸けたるやうにぞ見えける。供なる男どももいみじう笑ひつつ、網代をさへつきうがちつつ、「ここまだし、ここまだし」とさし集むなり。人もあはなんと思ふに、更にあやしき法師、あやしのいふがひなき者のみ、たまさかに見ゆる、いとくちをし。近う來ぬれば、「さりともいとかうて止まんやは。この車のさまをだに人に語らせてこそ止まめ」とて、一條殿の許にとどめて、「侍從殿やおはす、杜鵑の聲聞きて、今なんかへり侍る」といはせたる。使「只今まゐる。あが君/\となんの給へる。さぶらひに間擴げて、指貫たてまつりつ」といふに、待つべきにもあらずとて、はしらせて、土御門ざまへやらするに、いつの間にか裝束しつらん、帶は道のままにゆひて、しば/\と追ひくる。供に侍、雜色、ものはかで走るめる。とくやれどいとど忙しくて、土御門にきつきぬるにぞ、喘ぎ惑ひておはして、まづこの車のさまをいみじく笑ひ給ふ。「うつつの人の乘りたるとなん更に見えぬ。猶おりて見よ」など笑ひ給へば、供なりつる人どもも興じ笑ふ。「歌はいかにか、それ聞かん」とのたまへば、「今御前に御覽ぜさせてこそは」などいふ程に、雨まことに降りぬ。「などか他御門のやうにあらで、この土御門しもうへもなく造りそめけんと、今日こそいとにくけれ」などいひて、「いかで歸らんずらん。こなたざまは唯後れじと思ひつるに、人目も知らず走られつるを、あう往かんこそいとすさまじけれ」とのたまへば、「いざ給へかし、うちへ」などいふ。「それも烏帽子にてはいかでか」「とりに遣り給へ」などいふに、まめやかにふれば、笠なき男ども、唯ひきにひき入れつ。一條より笠を持てきたるをささせて、うち見かへりうち見かへり、このたびはゆる/\と、物憂げにて、卯の花ばかりを取りおはするもをかし。さて參りたれば、ありさまなど問はせ給ふ。うらみつる人々、怨じ心うがりながら、藤侍從、一條の大路走りつるほど語るにぞ、皆笑ひぬる。「さていづら歌は」と問はせ給ふ。かう/\と啓すれば、「くちをしの事や。うへ人などの聞かんに、いかでかをかしき事なくてあらん。その聞きつらん所にて、ふとこそよまましか。あまり儀式ことざめつらんぞ怪しきや。ここにてもよめ。いふかひなし」などのたまはすれば、げにと思ふに、いとわびしきを、いひ合せなどする程に、藤侍從の、ありつる卯の花につけて、卯の花の薄樣に、
ほととぎすなく音たづねに君ゆくときかば心をそへもしてまし
かへしまつらんなど、局へ硯とりに遣れば、「ただこれして疾くいへ」とて、御硯の蓋に紙など入れて賜はせたれば、「宰相の君かきたまへ」といふを、「なほそこに」などいふほどに、かきくらし雨降りて、雷もおどろおどろしう鳴りたれば、物も覺えず、唯おろしにおろす。職の御曹子は、蔀をぞ御格子にまゐり渡し惑ひしほどに、歌のかへりごとも忘れぬ。いと久しく鳴りて、少し止むほどはくらくなりぬ。只今なほその御返事たてまつらんとて、取りかかるほどに、人々上達部など、雷の事申しにまゐり給ひつれば、西面に出でて物など聞ゆるほどにまぎれぬ。人はた、「さしてえたらん人こそ知らめ」とてやみぬ。「大かたこの事に宿世なき日なり、どうじて、今はいかでさなん往きたりしとだに人に聞かせじ」などぞ笑ふを、「今もなどそれ往きたりし人どものいはざらん。されどもさせじと思ふにこそあらめ」と物しげに思しめ
したるもいとをかし。「されど今はすさまじくなりにて侍るなり」と申す。「すさま
じかるべき事かは」などのたまはせしかば、やみにき。二日ばかりありて、その日の
事などいひ出づるに、宰相の君、「いかにぞ手づから折りたるといひし下蕨は」とのたまふを聞かせ給うて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙のちりたるに、
したわらびこそこひしかりけれ
とかかせ給ひて、「もといへ」と仰せらるるもをかし。
ほととぎすたづねてききし聲よりも
と書きて參らせたれば、「いみじううけばりたりや。かうまでだに、いかで杜鵑
の事をかけつらん」と笑はせ給ふも恥しながら、「何か、この歌すべて詠み侍らじと
なん思ひ侍るものを、物のをりなど人のよみ侍るにも、よめなど仰せらるれば、えさ
ぶらふまじき心地なんし侍る。いかでかは、文字の數知らず、春は冬の歌をよみ、秋
は春のをよみ、梅のをりは菊などをよむ事は侍らん。されど歌よむといはれ侍りしす
ゑ%\は、少し人にまさりて、そのをりの歌はこれこそありけれ、さはいへどそれが
子なればなどいはれたらんこそ、かひある心地し侍らめ。露とり分きたるかたもなく
て、さすがに歌がましく、われはと思へるさまに最初に詠みいで侍らんなん、なき人のためいとほしく侍る」などまめやかに啓すれば、笑はせ給ひて、「さらばただ心にまかす。われは詠めともいはじ」とのたまはすれば、「いと心やすくなり侍りぬ。今は歌のこと思ひかけ侍らじ」などいひてあるころ、庚申せさせ給ひて、内大臣殿、いみじう心まうけせさせ給へり。夜うち更くるほどに題出して、女房に歌よませ給へば、皆けしきだちゆるがし出すに、宮の御前に近くさぶらひて、物啓しなど他事をのみいふを、大臣御覽じて、「などか歌はよまで離れゐたる、題とれ」とのたまふを、「さる事承りて、歌よむまじくなりて侍れば、思ひかけ侍らず」「異樣なる事、まことにさる事やは侍る。などかは許させ給ふ。いとあるまじき事なり。よし異時は知らず、今宵はよめ」など責めさせ給へど、けぎよう聞きも入れで侍ふに、こと人ども詠み出して、よしあしなど定めらるるほどに、いささかなる御文をかきて賜はせたり。あけて見れば、
もとすけが後といはるる君しもやこよひの歌にはづれてはをる
とあるを見るに、をかしき事ぞ類なきや。いみじく笑へば、「何事ぞ/\」と大臣ものたまふ。
その人の後といはれぬ身なりせばこよひの歌はまづぞよままし。
「つつむ事さふらはずば、千歌なりとも、これよりぞ出でまうで來まし」と啓し
つ。
御かた%\公達上人など、御前に人多く侍へば、廂の柱によりかかりて、女房と
物語してゐたるに、物をなげ賜はせたる。あけて見れば、「思ふべしやいなや、第一
ならずばいかが」と問はせ給へり。御前にて物語などする序にも、「すべて人には一
に思はれずば、さらに何にかせん。唯いみじうにくまれ、惡しうせられてあらん。二
三にては死ぬともあらじ、一にてをあらん」などいへば、一乘の法なりと人々わらふ
事のすぢなめり。筆紙たまはりたれば、「九品蓮臺の中には下品といふとも」と書き
てまゐらせたれば、「無下に思ひ屈じにけり。いとわろし。いひそめつる事は、さて
こそ有らめ」とのたまはすれば、「人に隨ひてこそ」と申す。「それがわろきぞかし。第一の人に、又一に思はれんとこそ思はめ」と仰せらるるもいとをかし。
中納言殿まゐらせ給ひて、御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨をえて侍れ。それをはらせて參らせんとするを、おぼろけの紙ははるまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。「いかやうなるにかある」と問ひ聞えさせ給へば、「すべていみじく侍る。さらにまだ見ぬ骨のさまなりとなん人々申す。まことにかばかりのは侍らざりつ」とことたかく申し給へば、「さて扇のにはあらで海月のなり」と聞ゆれば、「これは隆家がことにしてん」とて笑ひ給ふ。かやうの事こそ、かたはらいたき物のうちに入れつべけれど、人ごと「な落しそ」と侍ればいかがはせん。
雨のうちはへ降るころ、今日も降るに、御使にて式部丞信經まゐりたり。例の茵
さし出したるを、常よりも遠く押し遣りてゐたれば、「あれは誰が料ぞ」といへば、
笑ひて「かかる雨にのぼり侍らば足形つきて、いとふびんに汚なげになり侍りなん」
といへば、「などせんぞくれうにこそはならめ」といふを、「これは御前にかしこう
仰せらるるにはあらず、信經が足形の事を申さざらましかば、えの給はざらまし」とて、かへす%\いひしこそをかしかりしか。あまりなる御身ぼめかなと傍いたく。
「はやう皇太后宮に、ゑぬたきといひて名高き下仕なんありける。美濃守にてう
せにける藤原時柄、藏人なりける時、下仕どもある所に立ち寄りて、これやこの高名
のゑぬたき、などさも見えぬといひける返事に、それは時柄もさも見ゆる名なりとい
ひたりけるなん、敵に選りてもいかでかさる事はあらん。殿上人上達部までも、興あ
る事にの給ひける。又さりけるなめりと、今までかくいひ傳ふるは」と聞えたり。
「それ又時柄がいはせたるなり。すべて題出しがらなん、詩も歌もかしこき」といへ
ば、「實にさる事あることなり。さらば題出さん、歌よみ給へ」といふに、「いとよ
き事、ひとつはなにせん、同じうは數多つかう奉らん」などいふほどに、御題は出で
ぬれば、「あなおそろし、まかりいでぬ」とて立ちぬ。「手もいみじう眞字も假字も
あしう書くを、人も笑ひなどすれば、かくしてなんある」といふもをかし。
作物所の別當するころ、誰が許にやりけるにかあらん、物の繪やうやるとて、「これがやうにつかうまつるべし」と書きたる眞字のやう、文字の世に知らずあやしきを見つけて、それが傍に、「これがままにつかうまつらば、異樣にこそあるべけれ」とて、殿上にやりたれば、人々取りて見ていみじう笑ひけるに、大腹だちてこそうらみしか。
淑景舎春宮にまゐり給ふほどの事なンど、いかがはめでたからぬ事なし。正月十日にまゐり給ひて、宮の御方に御文などは繁う通へど、御對面な
どはなきを、二月十日、宮の御方に渡り給ふべき御消息あれば、常よりも御しつらひ
心ことにみがきつくろひ、女房なども皆用意したり。夜半ばかりに渡らせ給ひしかば、いくばくもなくて明けぬ。登華殿の東の二間に御しつらひはしたり。翌朝いと疾く御
格子まゐりわたして、あかつきに、殿、うへ、ひとつ御車にて參り給ひにけり。宮は
御曹司の南に、四尺の屏風西東に隔てて、北向に立てて、御疊褥うち置きて、御火桶
ばかりまゐりたり。御屏風の南御帳の前に、女房いと多くさぶらふ。こなたにて御髮などまゐるほど、「淑景舎は見奉りしや」と問はせ給へば、「まだいかでか。積善寺供養の日、御うしろをわづかに」と聞ゆれば、「その柱と屏風とのもとによりて、わがうしろより見よ。いとうつくしき君ぞ」との給はすれば、うれしくゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。紅梅の固紋、浮紋の御衣どもに、紅のうちたる御衣、三重がうへに唯引き重ねて奉りたるに、「紅梅には濃き衣こそをかしけれ。今は紅梅は著でもありぬべし。されど萌黄などのにくければ。紅にはあはぬなり」との給はすれど、唯いとめでたく見えさせ給ふ。奉りたる御衣に、やがて御容のにほひ合せ給ふぞ、なほことよき人も、かくやおはしますらんとぞゆかしき。さてゐざり出でさせ給ひぬれば、やがて御屏風に添ひつきてのぞくを、「あしかンめり、うしろめたきわざ」と聞えごつ人々もいとをかし。御障子の廣うあきたれば、いとよく見ゆ。うへは白き御衣ども、紅のはりたる二つばかり、女房の裳なンめり。引きかけておくによりて、東面におはすれば、ただ御衣などぞ見ゆる淑景舎は北にすこしよりて南向におはす。紅梅どもあまた濃く薄くて、濃きあやの御衣、少しあかき蘇枋の織物の袿、萌黄の固紋のわかやかなる御衣奉りて、扇をつとさし隱し給へり。いといみじく、げにめでたく美しく見え給ふ。殿は薄色の直衣、萌黄の織物の御指貫、紅の御衣ども、御紐さして、廂の柱に後をあてて、こなたざまに向きておはします。めでたき御有樣どもを、うちゑみて、例の戲言をせさせ給ふ。淑景舎の、繪に書きたるやうに、美しげにてゐさせ給へるに、宮いとやすらかに、今すこしおとなびさせ給へる御けしきの、紅の御衣ににほひ合せ給ひて、なほ類はいかでかと見えさせ給ふ。御手水まゐる。かの御かたは宣耀殿、貞觀殿を通りて、童二人、下仕四人して持てまゐるめり。唐廂のこなたの廊にぞ、女房六人ばかりさぶらふ。狹しとて、かたへは御おくりして皆歸りにけり。櫻の汗衫、萌黄紅梅などいみじく、汗衫長く裾引きて、取り次ぎまゐらす、いとなまめかし。織物の唐衣どもこぼれ出でて、すけまさの馬頭のむすめ、小將の君、北野の三位の女、宰相の君などぞ近くはある。あなをかしと見るほどに、この御かたの御手水番の釆女、青末濃の唐衣、裙帶、領巾などして、おもてなどいと白くて、下仕など取り次ぎてまゐるほど、これはたおほやけしう唐めきてをかし。御膳のをりになりて、御髮あげまゐりて、藏人どもまかなひの髮あげてまゐらする程に、隔てたりつる屏風も押しあけつれば、垣間見の人、かくれ蓑とられたる心地して、あかずわびしければ、御簾と几帳との中にて、柱のもとよりぞ見奉る。衣の裾裳など、唐衣は皆御簾のそとに押し出されたれば、殿の、端のかたより御覽じ出して「誰そや、霞の間よりみゆるは」と咎めさせ給ふに、「少納言が、物ゆかしがりて侍るならん」と申させ給へば、「あなはづかし。かれはふるき得意を、いとにくげなる女ども持ちたりともこそ見侍れ」などのたまふ御けしき、いとしたり顏なり。あなたにも御膳まゐる。「羨しく、かた%\のは皆まゐりぬめり。疾くきこしめして、翁女におろしをだに給へ」など、ただ日ひと日、猿樂ことをし給ふ程に、大納言殿、三位中將、松君も將てまゐり給へり。殿いつしかと抱き取り給ひて、膝にすゑ給へる、いとうつくし。狹き縁に、所せき日の御裝束の下襲など引きちらされたり。大納言殿はもの/\しう清げに、中將殿はらう/\じう、いづれもめでたきを見奉るに、殿をばさるものにて、うへの御宿世こそめでたけれ。御圓座など聞え給へど、「陣につき侍らん」とて急ぎ立ち給ひぬ。しばしありて、式部の丞なにがしとかや、御使にまゐりたれば、御膳やどりの北によりたる間に、褥さし出でて居ゑたり。御かへりは今日は疾く出させ給ひつ。まだ褥も取り入れぬほどに、東宮の御使に、ちかよりの少將まゐりたり。御文とり入れて、渡殿は細き縁なれば、こなたの縁に褥さし出でたり。御文とり入れて、殿、うへ、宮など御覽じわたす。「御返はや」などあれど、頓にも聞え給はぬを、「某が見侍れば出で給はぬなンめり。さらぬをりは間もなくこれよりぞ聞え給ふなる」など申し給へば、御面はすこし赤みながら、少しうち微笑み給へる、いとめでたし。「疾く」などうへも聞え給へば、奧ざまに向きて書かせ給ふ。うへ近く寄り給ひて、もろともに書かせ奉り給へば、いとどつつましげなり。宮の御かたより、萌黄の織物の小袿袴おし出されたれば、三位中將かづけ給ふ。くるしげに思ひて立ちぬ。松君のをかしう物のたまふを、誰も/\うつくしがり聞え給ふ。「宮の御子たちとて引出でたらんに、わろくは侍らじかし」などの給はする。げになどか、今までさる事のとぞ心もとなき。未の時ばかりに、筵道まゐるといふ程もなく、うちそよめき入らせ給へば、宮もこなたに寄らせ給ひぬ。やがて御帳に入らせ給ひぬれば、女房南おもてにそよめき出でぬめり。廊に殿上人いと多かり。殿の御前に宮司召して菓子肴めさす。「人々醉はせ」などおほせらる。誠に皆ゑひて、女房と物いひかはすほど、かたみにをかしと思ひたり。日の入るほどに起きさせ給ひて、山井の大納言召し入れて、御うちぎまゐらせ給ひて、かへらせ給ふ。櫻の御直衣に、紅の御衣のゆふばえなども、かしこければとどめつ。山井の大納言は、いりたたぬ御兄にても、いとよくおはすかし。にほひやかなる方は、この大納言にもまさり給へるものを、世の人は、せちにいひおとし聞ゆるこそいとほしけれ。殿、大納言、山井の大納言、三位中將、藏人頭など皆さぶらひ給ふ。宮のぼらせ給ふべき御使にて、馬の内侍のすけ參り給へり。「今宵はえ」などしぶらせ給ふを、殿聞かせ給ひて、「いとあるまじき事、はやのぼらせ給へ」と申させ給ふに、また春宮の御使しきりにある程いとさわがし。御むかへに、女房、春宮のなども參りて、「疾く」とそそのかし聞ゆ。「まづさば、かの君わたし聞え給ひて」との給はすれば、「さりともいかでか」とあるを、「なほ見おくり聞えん」などの給はするほど、いとをかしうめでたし。「さらば遠きをさきに」とて、まづ淑景舎わたり給ひて、殿などかへらせ給ひてぞ、のぼらせ給ふ。道のほども、殿の御猿樂ことにいみじく笑ひて、ほとほとうちはしよりも落ちぬべし。
殿上より梅の花の皆散りたる枝を、「これはいかに」といひたるに、「唯はやく
落ちにけり」と答へたれば、その詩を誦じて、黒戸に殿上人いと多く居たるを、うへ
の御前きかせおはしまして、「よろしき歌など詠みたらんよりも、かかる事はまさり
たりかし。よういらへたり」と仰せらる。
二月のつごもり、風いたく吹きて、空いみじく黒きに、雪すこしうち降りたるほ
ど、黒戸に主殿司きて、「かうしてさぶらふ」といへば、よりたるに、公任の君、宰
相中將殿のとあるを見れば、ふところ紙に、ただ、
すこし春あるここちこそすれ
とあるは、實に今日のけしきにいとよくあひたるを、これがもとは、いかがつく
べからんと思ひ煩ひぬ。「誰々か」と問へば、それ/\といふに、皆恥しき中に、宰
相中將の御答をば、いかがことなしびにいひ出でんと、心ひとつに苦しきを、御前に
御覽ぜさせんとすれども、うへのおはしまして、おほとのごもりたり。主殿司はとく
/\といふ。實に遲くさへあらんはとりどころなければ、さばれとて、
そらさむみ花にまがへてちるゆきに
と、わななく/\書きてとらせて、いかが見たまふらんと思ふもわびし。これが
事を聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじと覺ゆるを、俊賢の中將など、なほ内
侍に申してなさんと定めたまひしとばかりぞ、兵衞佐中將にておはせしが語りたまひ
し。