University of Virginia Library

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物のあはれ知らせがほなるもの

鼻たるまもなく、かみてものいふ聲。まゆぬくも。

さてその左衞門の陣にいきて後、里に出でて暫しあるに、「疾く參れ」など仰事 のはしに、「左衞門の陣へいきし朝ぼらけなん、常におぼし出でらるる。いかでさつ れなくうちふりてありしならん。いみじくめでたからんとこそ思ひたりしか」など仰 せられたる御返事に、かしこまりのよし申して、「私にはいかでかめでたしと思ひ侍 らざらん。御前にも、さりとも、中なるをとめとはおぼしめし御覽じけんとなん思ひ 給へし」と聞えさせたれば、たち歸り「いみじく思ふべかめるなり。誰がおもてぶせなる事をば、いかでか啓したるぞ。ただ今宵のうちに萬の事をすてて參られよ。さらずばいみじくにくませ給はんとなん仰事ある」とあれば、よろしからんにてだにゆゆし。ましていみじくとある文字には、命もさながら捨ててなんとて參りにき。

職の御曹司におはしますころ、西の廂に不斷の御讀經あるに、佛などかけ奉り、 法師のゐたるこそ更なる事なれ。二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の聲にて、「なほその佛具のおろし侍りなん」といへば、「いかでまだきには」と答ふるを、何 のいふにかあらんと立ち出でて見れば、老いたる女の法師の、いみじく煤けたる狩袴 の、筒とかやのやうに細く短きを、帶より下五寸ばかりなる、衣とかやいふべからん、同じやうに煤けたるを著て、猿のさまにていふなりけり。「あれは何事いふぞ」とい へば、聲ひきつくろひて、「佛の御弟子にさぶらへば、佛のおろし賜べと申すを、こ の御坊達の惜みたまふ」といふ、はなやかにみやびかなり。「かかるものは、うちく んじたるこそ哀なれ、うたても花やかなるかな」とて、「他物は食はで、佛の御おろ しをのみ食ふが、いとたふとき事かな」といふけしきを見て、「などか他物もたべざ らん。それがさふらはねばこそ取り申し侍れ」といへば、菓子、ひろきもちひなどを、物に取り入れて取らせたるに、無下に中よくなりで、萬の事をかたる。若き人々いできて、「男やある、いづこにか住む」など口々に問ふに、をかしきこと、そへごとなどすれば、「歌はうたふや、舞などするか」と問ひもはてぬに、「よるはたれと寐ん、常陸介と寐ん、ねたる膚もよし」これが末いと多かり。また「男山の峯のもみぢ葉、さぞ名はたつ/\」と頭をまろがしふる。いみじくにくければ笑、ひにくみて「いね/\」といふもいとをかし。「これに何取らせん」といふを聞かせ給ひて、「いみじう、などかくかたはらいたき事はせさせつる。えこそ聞かで、耳をふたぎてありつれその衣一つとらせて、疾くやりてよ」と仰事あれば、とりて「それ賜はらするぞ、きぬすすけたり、白くて著よ」とて投げとらせたれば、伏し拜みて、肩にぞうちかけて舞ふものか。誠ににくくて皆入りにし。後にはならひたるにや、常に見えしらがひてありく。やがて常陸介とつけたり。衣もしろめず、同じすすけにてあれば、いづち遣りにけんなどにくむに、右近の内侍の參りたるに、「かかるものなんかたらひつけて置きためる。かうして常にくること」と、ありしやうなど、小兵衞といふ人してまねばせて聞かせ給へば、「あれいかで見侍らん、かならず見せさせ給へ、御得意ななり。更によもかたらひとらじ」など笑ふ。その後また、尼なるかたはのいとあてやかなるが出できたるを、又呼びいでて物など問ふに、これははづかしげに思ひてあはれなれば、衣ひとつたまはせたるを、伏し拜むはされどよし。さてうち泣き悦びて出でぬるを、はやこの常陸介いきあひて見てけり。その後いと久しく見えねど、誰かは思ひ出でん。さて十二月の十餘日のほどに、雪いと高うふりたるを、女房どもなどして、物の蓋に入れつついと多くおくを、おなじくば庭にまことの山をつくらせ侍らんとて、侍召して仰事にていへば、集りてつくるに、主殿司の人にて御きよめに參りたるなども皆よりて、いと高くつくりなす。宮づかさなど參り集りて、こと加へことにつくれば、所の衆三四人まゐりたる。主殿司の人も二十人ばかりになりにけり。里なる侍召しに遣しなどす。「今日この山つくる人には禄賜はすべし。雪山に參らざらん人には、同じからずとどめん」などいへば、聞きつけたるは惑ひまゐるもあり。里遠きはえ告げやらず。作りはてつれば、宮づかさ召して、衣二ゆひとらせて、縁に投げ出づるを、一つづつとりに寄りて、をがみつつ腰にさして皆まかでぬ。袍など著たるは、かたへさらで狩衣にてぞある。「これいつまでありなん」と人々のたまはするに、「十餘日はありなん」ただこの頃のほどをあるかぎり申せば、「いかに」と問はせ給へば、「正月の十五日まで候ひなん」と申すを、御前にも、えさはあらじと思すめり。女房などは、すべて年の内、晦日までもあらじとのみ申すに、あまり遠くも申してけるかな。實にえしもさはあらざらん。朔日などぞ申すべかりけると下にはおもへど、さばれさまでなくと、言ひそめてんことはとて、かたうあらがひつ。二十日のほどに雨など降れど、消ゆべくもなし。長ぞ少しおとりもてゆく。白山の觀音、これ消させ給ふなと祈るも物狂ほし。さてその山つくりたる日、式部丞忠隆御使にてまゐりたれば、褥さし出し物などいふに、「今日の雪山つくらせ給はぬ所なんなき。御前のつぼにも作らせ給へり。春宮弘徽殿にもつくらせ給へり。京極殿にもつくらせ給へり」などいへば、

ここにのみめづらしと見る雪の山ところ%\にふりにけるかな

と傍なる人していはすれば、たび/\傾きて、「返しはえ仕うまつりけがさじ、 あざれたり。御簾の前に人にをかたり侍らん」とてたちにき。歌はいみじく好むと聞 きしに、あやし。御前にきこしめして、「いみじくよくとぞ思ひつらん」とぞの給は する。晦日がたに、少しちひさくなるやうなれど、なほいと高くてあるに、晝つかた 縁に人々出居などしたるに、常陸介いできたり。「などいと久しく見えざりつる」と いへば、「なにか、いと心憂き事の侍りしかば」といふに、「いかに、何事ぞ」と問 ふに、「なほかく思ひ侍りしなり」とてながやかによみ出づ。

うらやまし足もひかれずわたつ海のいかなるあまに物たまふらん

となん思ひ侍りしといふをにくみ笑ひて、人の目もみいれねば、雪の山にのぼり、かかづらひありきていぬる後に、右近の内侍にかくなんといひやりたれば、「などか 人そへてここには給はせざりし。かれがはしたなくて、雪の山までかかりつたひけん こそ、いと悲しけれ」とあるを又わらふ。さて雪山はつれなくて年もかへりぬ。ついたちの日また雪多くふりたるを、うれしくも降り積みたるかなと思ふに、「これはあいなし。初のをばおきて、今のをばかき棄てよ」と仰せらる。うへにて局へいと疾うおるれば、侍の長なるもの、柚葉の如くなる宿直衣の袖の上に、青き紙の松につけたるをおきて、わななき出でたり。「そはいづこのぞ」と問へば、「齋院より」といふに、ふとめでたく覺えて、取りて參りぬ。まだ大殿ごもりたれば、母屋にあたりたる御格子おこなはんなど、かきよせて、一人ねんじてあぐる、いと重し。片つ方なればひしめくに、おどろかせ給ひて、「などさはする」との給はすれば、「齋院より御文の候はんには、いかでか急ぎあけ侍らざらん」と申すに、「實にいと疾かりけり」とて起きさせ給へり。御文あけさせ給へれば、五寸ばかりなる卯槌二つを、卯杖のさまに頭つつみなどして、山たちばな、ひかげ、やますげなど美しげに飾りて、御文はなし。ただなるやう有らんやはとて御覽ずれば、卯槌の頭つつみたるちひさき紙に、

山とよむ斧のひびきをたづぬればいはひの杖の音にぞありける

御返しかかせ給ふほどもいとめでたし。齋院にはこれより聞えさせ給ふ。御返し も猶心ことにかきけがし、多く御用意見えたる。御使に、白き織物の單衣、蘇枋なる は梅なめりかし。雪の降りしきたるに、かづきて參るもをかしう見ゆ。このたびの御 返事を知らずなりにしこそ口惜しかりしか。雪の山は、誠に越のにやあらんと見えて、消えげもなし。くろくなりて、見るかひもなきさまぞしたる。勝ちぬる心地して、い かで十五日まちつけさせんと念ずれど、「七日をだにえ過さじ」と猶いへば、いかで これ見はてんと皆人おもふほどに、俄に三日内裏へ入らせ給ふべし。いみじうくちをしく、この山のはてを知らずなりなん事と、まめやかに思ふほどに、人も「實にゆかしかりつるものを」などいふ。御前にも仰せらる。同じくはいひあてて御覽ぜさせんと思へるかひなければ、御物の具はこび、いみじうさわがしきにあはせて、木守といふ者の、築地のほどに廂さしてゐたるを、縁のもと近く呼びよせて、「この雪の山いみじく守りて、童などに踏みちらさせ毀たせで、十五日までさふらはせ。よくよく守りて、その日にあたらば、めでたき禄たまはせんとす。わたくしにも、いみじき悦いはん」など語らひて、常に臺盤所の人、下司などに乞ひて、くるる菓子や何やと、いと多くとらせたれば、うち笑みて、「いと易きこと、たしかに守り侍らん。童などぞのぼり侍らん」といへば、「それを制して聞かざらん者は、事のよしを申せ」などいひ聞かせて、入らせ給ひぬれば、七日まで侍ひて出でぬ。其程も、これが後めたきままに、おほやけ人、すまし、をさめなどして、絶えずいましめにやり、七日の御節供のおろしなどをやりたれば、拜みつる事など、かへりては笑ひあへり。里にても、明くるすなはちこれを大事にして見せにやる。十日のほどには五六尺ばかりありといへば、うれしく思ふに、十三日の夜雨いみじく降れば、これにぞ消えぬらんと、いみじく口惜し。今一日もまちつけでと、夜も起き居て歎けば、聞く人も物狂ほしと笑ふ。人の起きて行くにやがて起きいで、下司おこさするに、更に起きねば、にくみ腹だたれて、起きいでたるを遣りて見すれば、「圓座ばかりになりて侍る。木守いとかしこう童も寄せで守りて、明日明後日までもさふらひぬべし。禄たまらんと申す」といへば、いみじくうれしく、いつしか明日にならば、いと疾う歌よみて、物に入れてまゐらせんと思ふも、いと心もとなうわびしう、まだくらきに、大なる折櫃などもたせて、「これにしろからん所、ひたもの入れてもてこ。きたなげならんはかき捨てて」などいひくくめて遣りたれば、いと疾くもたせてやりつる物ひきさげて、「はやう失せ侍りにけり」といふに、いとあさまし。をかしうよみ出でて、人にもかたり傳へさせんとうめき誦じつる歌も、いとあさましくかひなく、「いかにしつるならん。昨日さばかりありけんものを、夜のほどに消えぬらんこと」といひ屈ずれば、「木守が申しつるは、昨日いと暗うなるまで侍りき。禄をたまはらんと思ひつるものを、たまはらずなりぬる事と、手をうちて申し侍りつる」といひさわぐに、内裏より仰事ありて、「さて雪は今日までありつや」との給はせたれば、いとねたくくちをしけれど、「年のうち朔日までだにあらじと人々啓し給ひし。昨日の夕暮まで侍りしを、いとかしこしとなん思ひ給ふる。今日まではあまりの事になん。夜の程に、人のにくがりて取りすて侍るにやとなん推しはかり侍ると啓せさせ給へ」と聞えさせつ。さて二十日に參りたるにも、まづこの事を御前にてもいふ。「みな消えつ」とて蓋のかぎりひきさげて持てきたりつる。帽子のやうにて、すなはちまうで來りつるが、あさましかりし事、物のふたに小山うつくしうつくりて、白き紙に歌いみじく書きて參らせんとせし事など啓すれば、いみじく笑はせ給ふ。御前なる人々も笑ふに、「かう心に入れて思ひける事を違へたれば罪得らん。まことには、四日の夕さり、侍どもやりて取りすてさせしぞ。かへりごとに、いひあてたりしこそをかしかりしか。その翁出できて、いみじう手をすりていひけれど、おほせごとぞ、かのより來らん人にかうきかすな。さらば屋うち毀たせんといひて、左近のつかさ、南の築地の外にみな取りすてし。いと高くて多くなんありつといふなりしかば、實に二十日までも待ちつけて、ようせずば今年の初雪にも降りそひなまし。うへにも聞し召して、いと思ひよりがたくあらがひたりと、殿上人などにも仰せられけり。さてもかの歌をかたれ、今はかくいひ顯しつれば、同じこと勝ちたり。かたれ」など御前にもの給はせ、人々もの給へど、「なにせんにか、さばかりの事を承りながら啓し侍らん」などまめやかに憂く心うがれば、うへも渡らせ給ひて、「まことに年ごろは多くの人なめりと見つるを、これにぞ怪しく思ひし」など仰せらるるに、いとどつらく、うちも泣きぬべき心地ぞする。「いであはれ、いみじき世の中ぞかし。後に降り積みたりし雪をうれしと思ひしを、それはあいなしとて、かき捨てよと仰事はべりしか」と申せば、「實にかたせじとおぼしけるらん」とうへも笑はせおはします。