夏祭浪花鑑
序幕 住吉鳥居先の場 (Natsu matsuri naniwa kagami) | ||
三幕目 長町裏殺しの場
- 役名==團七九郎兵衞。
- 一寸兵衞。
- 三河屋義平次。
[ト書]
ト花道より、義平次、籠屋を先に、追ひ立て出て來り、
義平
サア/\、早くやつて下せえ/\。
[ト書]
ト云ひながら急ぐ。この時揚げ幕にて
團七
オヽイ/\。
[ト書]
ト渡り拍子になり、花道より團七、追ひ駈け出て來り、花道にて駕籠と入れ替る。此うち本舞臺まで擔ぎ來る。棒鼻を押へて、
[團七]
この駕籠後へ戻してくれ/\。
義平
なんだ、おれがやつた駕籠だ。構はず先へやれ/\。
團七
イヽヤ、戻して。
義平
やれ/\。
[ト書]
ト兩人爭ふ。團七、駕籠を下に置かせ、キツとなる。
義平
ヤイ九郎兵衞、わりやこの駕籠をなんとするのだ。
團七
コレ、申し父さん、この駕籠のこの女中は、こんたも知つての通り、わしが爲には、大恩あるお方から預かつたお人。それを今連れてごんすのは、ハヽア、こりやてつきり惡者どもに頼まれて、金にする氣でござらうが、そりや惡いぞえ/\。さうされてはこの九郎兵衞の顏が、どうも立ちませぬ。コレ父さん、こんた、この中もこの中とて、内本町の道具屋で、田舍侍ひの拵らへにて、似せ香爐を持つて五十兩の騙り。
[ト書]
ト義平次、駕籠の方へ向いて、云ふなといふ思ひ入れ。
[團七]
サヽ、それもマヽようごんす。併し又惡いと云うてからが、嗜なむ心もござるまい。見下け果てた。これも後の事サ。何もかも云ひますまい。ぢやに依つてこの駕籠をナ。コレ、駕籠の衆、今聞いて居る通り、親仁どんの氣も直つた。大儀ながら戻して下せえ/\。
駕舁
ハイ/\。
[ト書]
ト舁き上げる。
義平
ヤイ/\/\、待て/\。
籠舁
ハイ/\。
團七
サ、ヤレ/\。
義平
エヽ、おれが雇つたこの駕籠、やる事はならねえぞ。
[ト書]
トこれにて駕籠を元の處へ下ろす。
[義平]
ヤイ九郎兵衞、嗜なむ心がるまい事か、見下げ果てたとはよく云つた。忝ない。その愛想づかしを、待つて居たのだ。六年以來おれが娘を女房にして、なぐさみ者にして居る、サア揚代を貰はう。ヤイ、[gengen] な恩知らずめが。コリヤ、よく聞けよ。おのれは元、宿無し團七と云つて、粹方仲間の小歩き。貰ひ喰ひして居たを、おれが引上げて、堺の濱の魚賣りをさせて置いたぞよ。又その上に娘のお梶と乳繰つて、市松といふ子までひり出し居つたぢやないか。月々の當がいものを取るのが好さに、目をねむつて居るうちに、乳守の町で喧嘩を仕出して、和泉の牢へ百日餘り、入つて居つたぢやないか。其うち女房や子は、誰れが養つて居たと思ふ。
團七
サア、それはみんな、お前樣のお世話で。
義平
エヽ、吐かすなえ/\。その入用を埋め合さうと思つて、金儲けにかゝれば、おのれが道具屋の内に居るとて、よくもあれを上げさせ居つたな。
團七
イエ/\、それはその時の、ツイ。
義平
イヤ/\、吐かすかいなう。コレ、今日琴浦をちよろまかして來たのは、惚れてござる佐賀右衞門どのに渡して、金にするのぢやわやい。
團七
サ、その金も、わしがどうでもする程に、この女中を人手に渡しては、どうも顏が。
義平
顏が立たぬか。オヽ、さうであらう/\。コリヤ、長々親子の者が養はれて居た、アノこの、この、この顏が立たぬか。よい男だ。立派な者ぢや。ドレ/\。
[ト書]
ト顏をこちらへ向けて
[義平]
但しは又、この、この頬桁が立たぬか。ごくにも立たぬ。あんだらを吐かしやアがるな。
[唄]
[utaChushin] 立蹴にはつたと蹴られても、舅は親と無念を堪え、齒を喰ひしばり居たりける。
[ト書]
ト義平次、團七を蹴飛ばす。團七、思ひ入れあつて氣を替へ
團七
イヤモ、段々の仰せ、一々御尤もでござります。何と申しませうやら、返す詞もござりませぬ。親子の者が永々のお世話の上に、又しても/\、金儲けを妨げまする段、眞平御免下さりませ。モウ/\、この上ふツつり金儲けの邪魔は致しませぬ。その替りに、アノ女中ばかりは。
義平
イヤ、ならぬ。
團七
そこをどうぞ。
義平
エヽ、ならぬ、ならぬわい。
[ト書]
ト團七、思ひ入れあつて、
團七
サア、素手でお詫びは致しませぬ。友達が寄りまして、頼母子講をしてくれました金が、爰に三十兩ござりますれば、これをお前樣に差上げますが、身の代に取つた思し召しで、どうぞ琴浦どのを三婦の方へ、お戻しなされて下されまし。外々へやりましては、どうもこの九郎兵衞が顏が立ちませぬ。慈悲ぢや情ぢや。コレ父樣。
[ト書]
ト袂を引くを振り放して、外を向きながら、義平次思ひ入れ。團七も思ひ入れあつて
[唄]
[utaChushin] 手引き袖引き膝を突き、親といふ字は是非もなや、義平次も三十兩、當分取るに少しは和らぎ。
[ト書]
ト義兵次、思ひ入れあつて、
義平
琴浦を佐賀右衞門どのに渡してやれば、百兩が物はあるけれど、かゝりや繋がる娘の縁。只やつたと思ひ切り、三十兩で戻してやらう。
團七
すりや、お戻しなされて下さりまするか。
義平
戻してはやるけれど、其方、その金持つて居やるか。
團七
イヤモ、慥かに爰に持つて居ります。
義平
よもや、騙しはせまいの。
團七
なんの騙して、よいものでござりませう。
義平
そんなら、それに違ひもあるまい。コレ/\駕籠の衆、いま戻つて來た處まで、その駕籠を返して下され。
駕皆
ハイ/\、畏まりました。
義平
駕籠賃も、先で存分貰はつしやい。
駕一
有り難うござります。こんな時に貰はねば、ナウ棒組。
駕二
それ/\、水も呑む事は出來ねえ。サア/\、やらかせ/\。
[ト書]
ト駕籠は花道へ入る。團七見送つて居る。義平次思ひ入れあつて、
義平
コレ聟どの、駕籠は眞直ぐに、三婦の内へ戻した。サア、約束の物を。
團七
ヘイ、約束の物とは。
義平
ハテ、氣の附かない。ソレ、彼の物よ。
團七
彼の物とは。
義平
エヽ、物覺えの惡い、三十兩の金を受取らう。
團七
ハイ、その金と申しては。
義平
サア、それを出して下され。
團七
イヤ、その金は。
義平
コレ、心が急くワ。早う渡しやいなう。
[ト書]
ト此うち團七もぢ/\して、困る思ひ入れ。
團七
イヤ、その金は、只今爰にはござりませぬ。
義平
エヽ。
[ト書]
ト義平次、恟りして、後へ引くり返る。
團七
只今宿へ歸りまして、才覺いたし參りまする。
[ト書]
トこの時義平次、やう/\腰の立つ心にて、團七の襟髮を捕へて引きつけ
義平
なんと吐かす。その金が無いとは、おのりや親を、うま/\一杯騙し居つたな。エヽ、腹が立つ腹が立つ。
[ト書]
ト團七を捻ぢ伏せる。
團七
申し、左樣ではござりませぬ。内へ歸れば心當りがござります。マア/\、爰を放して下さりませ。
義平
エヽ、さう云つて爰を逃げようと思つて、さう甘くはさせぬぞ。おのれ、どうしてくれう。この腹癒せに、いつそ斯うして。
[唄]
[utaChushin] 斯うしてくれると捻ぢ廻し、踏んだり蹴たり擧句には、砂に摺り附け石に打ちつけ、引廻し/\。
[ト書]
ト砂へ捻ぢつけ、石にてくらはし、踏んだり蹴たり、いろ/\に苛なむ。この時腰に挾みし雪駄落ちる。これを義平次見て取り
[義平]
こりやなんぢや、雪駄ぢやの。イヤ、おのれは大層な物を穿き居るな。この親はこの年になるが、二十四文の藁草履、こんな物をへけらかして、それで面が立たぬといふのか。アノ、この面が。
[ト書]
ト雪駄で兩方の頬を突く。團七ムウと思ひ入れ。
[義平]
なんぢや/\/\。おのれは親を睨め居るか。親を睨むと、平目になるぞよ。無念なか、口惜しいか/\。ヤレヤレ可哀さうな。
[ト書]
トこれにて脊中を撫で
[義平]
なんぢや泣くか、吠えるか。コレ、おのれのやうな畜生には、この雪駄の皮が分相應。
[ト書]
ト雪駄にて散々に團七を打つ。團七、無念の思ひ入れにて、その手を取り
團七
こりやモウ、どうでも。
[ト書]
ト團七脇差の柄へ手をかける。
義平次、恟りしながら、思ひ入れあつて
義平
なんだ/\。コリヤ、何をするのぢや。われはおれを切る氣ぢやの。
[ト書]
トこれにて團七思ひ入れあつて、脇差を後へ隱す。
團七
どう致しまして、左樣な事が。
義平
イヤ/\、切る氣ぢやに依つて、脇差に手を掛けたのぢやな。こりや面白い。切るなら切れ/\。
切られよう。サア、爰から切るか。
[ト書]
ト尻を捲り
[義平]
イヤ、爰から切るか。サア、切れ/\。
團七
どう致して、左樣な事が。
義平
イヤ/\、切る氣だ。サア、切れ/\。古いせりふだが、切つて白けりや錢は取らねえ。サア切れ、切れ、この脇差で、おれを切れ/\。
[ト書]
トこれにて脇差の柄を押へて、思ひ入れあつて
[義平]
サア、この脇差で切れ/\。
[ト書]
ト脇差を持ち添へ、
[義平]
コレ、切れ、切れぬか/\。
團七
なんとして、お前樣を、
義平
イヤ殺せ、サア、切つてもらはう。コレ、よく聞けよ。舅は親ぢやぞよ。コレ、親を切れ。一寸切れば一尺の、竹鋸で引廻すワ。三寸切れば三尺高い木の空で。逆磔ぢやぞよ、サア切れ、これで切れ/\。
團七
どう致しまして、危ない/\。
[ト書]
トいろ/\捨ぜりふ。放さんとする思ひ入れ。此はずみに思はず義平次を一刀切る。義平次、いろ/\と掴み合つて居るうちに、血の流るるを見て
義平
ヤア、切つた。親殺し/\。
[ト書]
ト花道の方へ逃げようとするを、團七、口を押へて、キツとなつて、よく/\見て、
團七
こりや、手が廻つたか。
[ト書]
ト思はず手を放す。
義平
人殺し/\。
[ト書]
ト駈け廻るゆゑ、團七も恟りして、また義平次の口を押へ、思ひ入れあつて
團七
こりやモウ、九郎兵衞が一生懸命。舅どの、堪忍さつしやれ。
[ト書]
ト云ひながら、泥船へ切り込み、花道よき所へ行き、キツと見得。これより鳴り物になり、兩人よろしく立廻りあつて、トヾ止めを刺す。このキツカケよろしく、後ろ灯入りの花車など、屋體、祇園囃子にて通る。團七思ひ入れあつて、死骸を片附け、井戸にて水を汲み、體を洗ふ事よろしく、脇差の鞘を尋ねる。よき處へ、上手より、皆々御輿を擔ぎ出て來り、
皆々
ちやうさや/\、ようさ/\/\。
[ト書]
ト云ひながら舞臺を廻り、又よき所にて花道へ入る。團七この中へ交り、舞臺にて辷り、尻居にだうとなりて思ひ入れ。
團七
惡い人でも舅は親、免して下んせ。
[唄]
[utaChushin] 八丁目とぞまぎれ行く。
[ト書]
ト團七は花道へ入る。この時上手より、徳兵衞出て來り、舞臺よき所にて、團七の雪駄に躓き、拾ひ取り、透かして見て思ひ入れあるを、木の頭。かすめて渡り拍子を打ち込み、よろしく、
ひやうし幕
夏祭浪花鑑
序幕 住吉鳥居先の場 (Natsu matsuri naniwa kagami) | ||