土佐日記(青谿書屋本・三條西家本) (Tosa nikki ) | ||
をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみんとてするなり。それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひのいぬのときに、かどです。そのよし、いさゝかにものにかきつく。あるひと、あがたのよとせいつとせはてゝ、れいのことゞもみなしをへて、げゆなどゝりて、すむたちよりいでゝ、ふねにのるべきところへわたる。かれこれ、しるしらぬ、おくりす。としごろよくくらべつるひと%\なんわかれがたくおもひて、日しきりにとかくしつゝ、のゝしるうちによふけぬ。
廿二日に、いづみのくにまでと、たひらかに願たつ。ふぢはらのときざね、ふなぢなれどむまのはなむけす。かみなかしもゑひあきて、いとあやしく、しほうみのほとりにてあざれあへり。
廿三日。やぎのやすのりといふひとあり。くにゝかならずしもいひつかふものにもあらざなり。これぞたゝはしきやうにて、むまのはなむけしたる。かみがらにやあらん、くにひとのこゝろのつねとして、「いまは」とてみへざなるを、こゝろあるものはゝぢずぞなんきける。これはものによりてほむるにしもあらず。
廿四日。講師、むまのはなむけしにいでませり。ありとあるかみしもわらはまでゑひしれて、一文字をだにしらぬものしが、あしは十文字にふみてぞあそぶ。
廿五日。かみのたちより、よびにふみもてきたなり。よばれていたりて、ひゝとひ、よひとよ、とかくあそぶやうにてあけにけり。
廿六日。なほかみのたちにてあるじゝのゝしりて、郎等までにものかづけたり。からうた、こゑあげていひけり。やまとうた、あるじもまらうどもことひともいひあへりけり。からうたはこれにえかゝず。やまとうた、あるじのかみのよめりける、
となんありければ、かへるさきのかみのよめりける、
ことひと%\のもありけれど、さかしきもなかるべし。とかくいひて、さきのかみ、いまのもゝろともにおりて、いまのあるじも、さきのもてとりかはして、ゑひごとにこゝろよげなることして、いでいりにけり。
廿七日。おほつよりうらどをさしてこぎいづ。かくあるうちに、京にてうまれたりしをんなご、くにゝてにはかにうせにしかば、このころのいでたちいそぎをみれど、なにごともいはず。京へかへるに、をんなごのなきのみぞかなしびこふる。あるひと%\もえたへず。このあひだにあるひとかきていだせるうた、
またあるときには、
といひけるあひだに、かごのさきといふところに、かみのはらから、またことひと、これかれさけなにともておひきて、いそにおりゐて、わかれがたきことをいふ。かみのたちのひと%\のなかに、このきたるひと%\ぞ、こゝろあるやうにはいはれほのめく。かくわかれがたくいひて、かのひと%\のくちあみもゝろもちにて、このうみべにてになひいだせるうた、
といひてありければ、いといたくめでゝ、ゆくひとのよめりける、
といふあひだに、かぢとりものゝあはれもしらで、おのれしさけをくらひつれば、ゝやくいなんとて、「しほみちぬ。かぜもふきぬべし。」とさわげば、ふねにのりなんとす。このをりに、あるひと%\をりふしにつけつゝ、からうたども、ときにゝつかはしきいふ。またあるひと、にしぐになれど、かひうたなどいふ。かくうたふに、ふなやかたのちりもちり、そらゆくゝもゝたゞよひぬとぞいふなる。こよひうらどにとまる。ふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、ことひと%\おひきたり。
廿八日。うらどよりこぎいでゝ、おほみなとをおふ。このあひだに、はやくのかみのこ、やまぐちのちみね、さけよきものどもゝてきて、ふねにいれたり。ゆく/\のみくふ。
廿九日。おほみなとにとまれり。くすしふりはへて、とうそ、白散、さけくはへてもてきたり。こゝろざしあるにゝたり。
元日。なほおなじとまりなり。白散をあくもの、「よのま」とて、ふなやかたにさしはさめりければ、かぜにふきならさせて、うみにいれて、えのまずなりぬ。いもじあらめも、はがためもなし。かうやうのものなきくになり。もとめしもおかず。たゞおしあゆのくちをのみぞすふ。このすふひと%\のくちを、おしあゆもしおもふやうあらんや。「けふはみやこのみぞおもひやらるゝ。こへのかどのしりくべなはのなよしのかしら、ひゝら木ら、いかにぞ。」とぞいひあへなる。
二日。なほおほみなとにとまれり。講師、ものさけおこせたり。
三日。おなじところなり。もしかぜなみのしばしとをしむこゝろやあらん、こゝろもとなし。
四日。かぜふけば、えいでたゝず。まさつら、さけよきものたてまつれり。このかうやうにものもてくるひとに、なほしもえあらで、いさゝけわざせさすものもなし。にぎはゝしきやうなれど、まくるこゝちす。
五日。かぜなみやまねば、なほおなじところにあり。ひと%\たへずとぶらひにく。
六日。きのふのごとし。
七日になりぬ。おなじみなとにあり。けふはあをむまをおもへど、かひなし。たゞなみのしろきのみぞみゆる。かゝるあひだに、ひとのいへのいけとなあるところより、こひはなくて、ふなよりはじめて、かはのもうみのも、ことものども、ながびつにゝなひつゞけておこせたり。わかなぞけふをばしらせたる。うたあり、そのうた、
いとをかしかし。このいけといふは、ところのなゝり。よきひとの、をとこにつきてくだりてすみけるなり。このながびつのものは、みなひと、わらはまでにくれたれば、あきみちて、ふなこどもははらつゞみをうちて、うみをさへおどろかして、なみたてつべし。かくて、このあひだにことおほかり。けふわりごもたせてきたるひと、そのなゝどぞや、いまおもひいでん。このひと、うたよまんとおもふこゝろありてなりけり。とかくいひ/\て、「なみのたつなること。」ゝうるへいひて、よめるうた、
とぞよめる。いとおほごゑなるべし。もてきたるものよりは、うたはいかゞあらん。このうたをこれかれあはれがれども、ひとりもかへしせず。しつべきひともまじれゝど、これをのみいたがり、ものをのみくひて、よふけぬ。このうたぬし、「またまからず。」といひてたちぬ。あるひとのこのわらはなる、ひそかにいふ。「まろ、このうたのかへしせん。」といふ。おどろきて、「いとをかしきことかな。よみてんやは。よみつべくば、ゝやいへかし。」といふ。「『まからず。』とてたちぬるひとをまちてよまん。」とてもとめけるを、よふけぬとやありけん、やがていにけり。「そも/\いかゞよんだる。」と、いぶかしがりてとふ。このわらは、さすがにはぢていはず。しひてとへば、いへるうた、
となんよめる。かくはいふものか。うつくしければにやあらん、いとおもはずなり。わらはごとにてはなにかはせん。おんなおきなでおしつべし。あしくもあれ、いかにもあれ、たよりあらばやらんとて、おかれぬめり。
八日。さはることありて、なほおなじところなり。こよひつきはうみにぞいる。これをみて、なりひらのきみの、「やまのはにげていれずもあらなん。」といふうたなんおもほゆる。もしうみべにてよまゝしかば、「なみたちさへていれずもあらなん。」ともよみてましや。いまこのうたをおもひいでゝ、あるひとのよめりける、
とや。
九日のつとめて、おほみなとよりなはのとまりをおはんとて、こぎいでけり。これかれたがひに、くにのさかひのうちはとて、みおくりにくるひとあまたがなかに、ふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、はせべのゆきまさらなん、みたちよりいでたうびしひより、こゝかしこにおひくる。このひと%\ぞこゝろざしあるひとなりける。このひと%\のふかきこゝろざしは、このうみにもおとらざるべし。これよりいまはこぎはなれてゆく。これをみおくらんとてぞ、このひとゞもはおひきける。かくてこぎゆくまに/\、うみのほとりにとまれるひともとほくなり。ふねのひともみへずなりぬ。きしにもいふことあるべし。ふねにもおもふことあれどかひなし。かゝれど、このうたをひとりごとにしてやみぬ。
かくて宇多のまつばらをゆきすぐ。そのまつのかず、いくそばく、いくちとせへたりとしらず。もとごとになみうちよせ、えだごとにつるぞとびかよふ。おもしろしとみるにたへずして、ふなびとのよめるうた、
とや。このうたは、ところをみるにえまさらず。かくあるをみつゝこぎゆくまに/\、やまもうみもみなくれ、よふけて、にしひんがしもみへずして、ゝけのこと、かぢとりのこゝろにまかせつ。をのこもならはぬは、いともこゝろぼそし。ましてをんなは、ふなぞこにかしらをつきあてゝ、ねをのみぞなく。かくおもへば、ふなこかぢとりは、ふなうたうたひて、なにともおもへらず。そのうたふうたは、
よんべのうなゐもがな、ぜにこはん。そらごとをして、おぎのりわざをして、ぜにもゝてこず、おのれだにこず。
これならずおほかれどもかゝず。これらをひとのわらふをきゝて、うみはあるれども、こゝろはすこしなぎぬ。かくゆきくらしてとまりにいたりて、おきなびとひとり、たうめひとり、あるがなかにこゝちあしみして、ものもゝのしたばでひそまりぬ。
十日。けふは、このなはのとまりにとまりぬ。
十一日。あかつきにふねをいだして、むろつをおふ。ひとみなまだねたれば、うみのありやうもみへず。たゞつきをみてぞ、にしひんがしをばしりける。かゝるあひだに、みなよあけて、ゝあらひ、れいのことゞもして、ひるになりぬ。いましはねといふところにきぬ。わかきわらは、このところのなをきゝて、「はねといふところは、とりのはねのやうにやある。」といふ。まだをさなきわらはのことなれば、ひと%\わらふときに、ありけるをんなわらはなん、このうたをよめる、
とぞいへる。をとこもをんなも、いかでとく京へもがなとおもふこゝろあれば、このうたよしとにはあらねど、げにとおもひてひと%\わすれず。このはねといふところとふわらはのついでにぞ、またむかしへびとをおもひいでゝ、いづれのときにかわするゝ。けふはましてはゝのかなしがらるゝことは、くだりしときのひとのかずたらねば、ふるうたに、「かずはたらでぞかへるべらなる。」といふことをおもひいでゝ、ひとのよめる、
といひつゝなん。
十二日。あめふらず。ふんとき、これもちがふねのおくれたりし、ならしづよりむろつにきぬ。
十三日のあかつきに、いさゝかにあめふる。しばしありてやみぬ。をんなこれかれゆあみなどせんとて、あたりのよろしきところにおりてゆく。うみをみやれば、
となんうたよめる。さてとうかあまりなれば、つきおもしろし。ふねにのりはじめしひより、ふねにはくれなゐこくよきゝぬきず。それはうみのかみにおぢてといひて。なにのあしかげにことづけて、ほやのつまのいずし、すしあはびをぞ、こゝろにもあらぬはぎにあげてみせける。
十四日。あかつきよりあめふれば、おなじところにとまれり。ふなぎみせちみす。さうじものなければ、むまときよりのちに、かぢとりのきのふつりたりしたひに、ぜになければ、よねをとりかけておちられぬ。かゝることなほありぬ。かぢとりまたゝひもてきたり。よねさけしば/\くる。かぢとりけしきあしからず。
十五日。けふあづきがゆにず。くちをしく、なほひのあしければ、ゐざるほどにぞ、けふはつかあまりへぬる。いたづらにひをふれば、ひと%\うみをながめつゝぞある。めのわらはのいへる、
いふかひなきものゝいへるには、いとにつかはし。
十六日。かぜなみやまねば、なほおなじところにとまれり。たゞうみになみなくして、いつしかみさきといふところわたらんとのみなんおもふ。かぜなみとにゝやむべくもならず。あるひとの、このなみたつをみてよめるうた、
さてふねにのりしひよりけふまでに、はつかあまりいつかになりにけり。
十七日。くもれるくもなくなりて、あかつきづくよいともおもしろければ、ふねをいだしてこぎゆく。このあひだに、くものうへもうみのそこも、おなじごとくになんありける。むべもむかしのをとこは、「さをはうがつなみのうへのつきを、ふねはおそふうみのうちのそらを。」とはいひけん、きゝされにきけるなり。またあるひとのよめるうた、
これをきゝて、あるひとのまたよめる、
かくいふあひだに、よやうやくあけゆくに、かぢとりら、「くろきくもにはかにいできぬ。かぜふきぬべし。みふねかへしてん。」といひて、ふねかへる。このあひだにあめふりぬ。いとわびし。
十八日。なほおなじところにあり。うみあらければ、ふねいださず。このとまり、とほくみれども、ちかくみれども、いとおもしろし。かゝれどもくるしければ、なにごともおもほへず。をとこどちはこゝろやりにやあらん、からうたなどいふべし。ふねもいださでいたづらなれば、あるひとのよめる、
このうたはつねにせぬひとのことなり。またひとのよめる、
このうたどもをすこしよろしときゝて、ふねをさしけるおきな、つきひごろのくるしきこゝろやりによめる、
このうたどもをひとのなにかといふを、あるひときゝふけりてよめり。そのうた、よめるもじ、みそもじあまりなゝもじ。ひとみなえあらでわらふやうなり。うたぬし、いとけしきあしくてゑず。まねべどもえまねばず。かけりともえよみすゑがたかるべし。けふだにいひがたし。ましてのちにはいかならん。
十九日。ひあしければ、ふねいださず。
廿日。きのふのやうなれば、ふねいださず。みなひと%\うれへなげく。ゝるしくこゝろもとなければ、たゞひのへぬるかずを、けふいくか、はつか、みそかとかぞふれば、およびもそこなはれぬべし。いとわびし。よるはいもねず。はつかのよのつきいでにけり。やまのはもなくて、うみのなかよりぞいでくる。かうやうなるをみてや、むかしあべのなかまろといひけるひとは、もろこしにわたりて、かへりきにけるときに、ふねにのるべきところにて、かのくにのひと、むまのはなむけし、わかれをしみて、かしこのからうたつくりなどしける。あかずやありけん、はつかのよのつきいづるまでぞありける。そのつきは、うみよりぞいでける。これをみてぞなかまろのぬし、「わがくにゝかゝるうたをなむ、かみよゝりかみもよんたび、いまはかみなかしものひとも、かうやうにわかれをしみ、よろこびもあり、かなしびもあるときにはよむ。」とて、よめりけるうた、
とぞよめりける。かのくにひと、きゝしるまじくおもほへたれども、ことのこゝろをゝとこもじに、さまをかきいだして、こゝのことばつたへたるひとにいひしらせければ、こゝろをやきゝえたりけん、いとおもひのほかになんめでける。もろこしとこのくにとは、ことことなるものなれど、つきのかげはおなじことなるべければ、ひとのこゝろもおなじことにやあらん。さて、いまそのかみをおもひやりて、あるひとのよめるうた、
廿一日。うのときばかりにふねいだす。みなひと%\のふいづ。これをみれば、はるのうみに、あきのこのはしもちれるやうにぞありける。おぼろげの願によりてにやあらん、かぜもふかず、よきひいできてこぎゆく。このあひだに、つかはれんとて、つきてくるわらはあり。それがうたふゝなうた、
とうたふぞあはれなる。かくうたふをきゝつゝこぎくるに、くろとりといふとり、いはのうへにあつまりをり。そのいはのもとに、なみしろくうちよす。かぢとりのいふやう、「くろとりのもとに、しろきなみをよす。」とぞいふ。このことばなにとにはなけれども、ゝのいふやうにぞきこへたる。ひとのほどにあはねば、とがむるなり。かくいひつゝゆくに、ふなぎみなるひとなみをみて、くによりはじめて、かいぞくむくゐせんといふなることをおもふうへに、うみのまたおそろしければ、かしらもみなしらけぬ。なゝそぢやそぢは、うみにあるものなりけり。
かぢとりいへ。
廿二日。よんべのとまりより、ことゝまりをおひてゆく。はるかにやまみゆ。としこゝのつばかりなるをのわらは、としよりはをさなくぞある。このわらは、ふねをこぐまに/\やまもゆくとみゆるをみて、あやしきことうたをぞよめる。そのうた、
とぞいへる。をさなきわらはのことにては、につかはし。けふうみあらけにて、いそにゆきふり、なみのはなさけり。あるひとのよめる、
廿三日。ひてりてくもりぬ。このわたりかいぞくのおそりありといへば、かみほとけをいのる。
廿四日。きのふのおなじところなり。
廿五日。かぢとりらの、「きたかぜあし。」といへば、ふねいださず。かいぞくおひくといふこと、たえずきこゆ。
廿六日。まことにやあらん、かいぞくおふといへば、よなかばかりよりふねをいだしてこぎくるみちに、たむけするところあり。かぢとりしてぬさたいまつらするに、ぬさのひむがしへちれば、かぢとりのまうしてたてまつることは、「このぬさのちるかたに、みふねすみやかにこがしめたまへ。」とまうしてたてまつる。これをきゝて、あるめのわらはのよめる、
とぞよめる。このあひだに、かぜよければ、かぢとりいたくほこりて、ふねにほあげなどよろこぶ。そのおとをきゝて、わらはもおむなも、いつしかとしおもへばにやあらん、いたくよろこぶ。このなかに、あはぢのたうめといふひとのよめるうた、
とぞ、ていけのことにつけつゝいのる。
廿七日。かぜふきなみあらければ、ふねいださず。これかれかしこくなげく。をとこたちのこゝろなぐさめに、からうたに、「日をのぞめばみやことほし。」などいふなることのさまをきゝて、あるをんなのよめるうた、
またあるひとのよめる、
ひゝとひかぜやまず。つまはじきしてねぬ。
廿八日。よもすがらあめやまず。けさも。
廿九日。ふねいだしてゆく。うら/\とてりてこぎゆく。つめのいとながくなりにたるをみて、ひとをかぞふれば、けふは子日なりければきらず。むつきなれば、京のねのびのこといひいでゝ、こまつもがなといへど、うみなかなればかたしかし。あるをむなのかきていだせるうた、
とぞいへる。うみにて子日のうたにては、いかゞあらん。またあるひとのよめるうた、
かくいひつゝこぎゆく。おもしろきところにふねをよせて、「こゝやいづこ。」とゝひければ、「とさのとまり。」といひけり。むかしとさといひけるところにすみけるをんな、このふねにまじれりけり。そがいひけらく、「むかし、ゝばしありしところのなくひにぞあなる。あはれ。」といひてよめるうた、
とぞいへる。
卅日。あめかぜふかず。かいぞくはよるあるきせざなりときゝて、よなかばかりにふねをいだして、あはのみとをわたる。よなかなれば、にしひんがしもみへず。をとこをんな、からくかみほとけをいのりて、このみとをわたりぬ。とらうのときばかりにぬしまといふところをすぎて、たなかはといふところをわたる。からくいそぎて、いづみのなだといふところにいたりぬ。けふ、うみになみにゝたるものなし。かみほとけのめぐみかうぶれるににたり。けふゝねにのりしひよりかぞふれば、みそかあまりこゝぬかになりにけり。いまはいづみのくにゝきぬれば、かいぞくものならず。
二月一日。あしたのまあめふる。むまときばかりにやみぬれば、いづみのなだといふところよりいでゝこぎゆく。うみのうへ、きのふのごとくにかぜなみみえず。くろさきのまつばらをへてゆく。ところのなはくろく、まつのいろはあをく、いそのなみはゆきのごとくに、かひのいろはすはうに、五色にいまひといろぞたらぬ。このあひだに、けふはゝこのうらといふところよりつなでひきてゆく。かくゆくあひだに、あるひとのよめるうた、
またふなぎみのいはく、「このつきまでなりぬること。」ゝなげきて、くるしきにたへずして、ひともいふことゝて、こゝろやりにいへる、
きくひとのおもへるやう、「なぞたゞごとなる。」ひそかにいふべし。「ふなぎみのからくひねりいだしてよしとおもへることを、ゑじもこそしたべ。」とて、つゝめきてやみぬ。にはかにかぜなみたかければ、とゞまりぬ。
二日。あめかぜやまず。ひゝとひ、よもすがら、かみほとけをいのる。
三日。うみのうへきのふのやうなれば、ふねいださず。かぜふくことやまねば、きしのなみたちかへる。これにつけてよめるうた、
かくてけふくれぬ。
四日。かぢとり、「けふ、かぜくものけしきはなはだあし。」といひて、ふねいださずなりぬ。しかれども、ひねもすになみかぜたゝず。このかぢとりは、ひもえはからぬかたゐなりけり。このとまりのはまには、くさ%\のうるわしきかひいしなどおほかり。かゝれば、たゞむかしのひとをのみこひつゝ、ふねなるひとのよめる、
といへれば、あるひとのたへずして、ふねのこゝろやりによめる、
となんいへる。をんなごのためには、おやをさなくなりぬべし。「たまならずもありけんを。」とひといはんや。されども、「しゝこ、かほよかりき。」といふやうもあり。なほおなじところにひをふることをなげきて、あるをんなのよめるうた、
五日。けふからくして、いづみのなだよりをづのとまりをおふ。まつばらめもはる%\なり。これかれくるしければよめるうた、
かくいひつゝくるほどに、「ふねとくこげ、ひのよきに。」ともよほせば、かぢとり、ふなこどもにいはく、「みふねよりおふせたぶなり、あさきたのいでこぬさきにつなではやひけ。」といふ。このことばのうたのやうなるは、かぢとりのおのづからのことばなり。かぢとりはうつたへに、われうたのやうなることいふとにもあらず。きくひとの、「あやしくうためきてもいひつるかな。」とてかきいだせれば、げにみそもじあまりなりけり。「けふなみなたちそ。」とひと%\ひねもすにいのるしるしありて、かぜなみたゝず。いまし、かもめむれゐてあそぶところあり。京のちかづくよろこびのあまりに、あるわらはのよめるうた、
といひてゆくあひだに、いしべといふところのまつばらおもしろくて、はまべとほし。またすみよしのわたりをこぎゆく。あるひとのよめるうた、
こゝにむかしへびとのはゝ、ひとひかたときもわすれねばよめる、
となん。うつたへにわすれんとにはあらで、こひしきこゝちしばしやすめて、またもこふるちからにせんとなるべし。かくいひてながめつゝくるあひだに、ゆくりなくかぜふきて、こげども/\しりへしぞきにしぞきて、ほと/\しくうちはめつべし。かぢとりのいはく、「このすみよしの明神は、れいのかみぞかし。ほしきものぞおはすらん。」とはいまめくものか。さて、「ぬさをたてまつりたまへ。」といふ。いふにしたがひて、ぬさたいまつる。かくたいまつれゝどもゝはらかぜやまで、いやふきに、いやたちに、かぜなみのあやふければ、かぢとりまたいはく、「ぬさにはみこゝろのいかねば、みふねもゆかぬなり。なほうれしとおもひたぶべきものたいまつりたべ。」といふ。またいふにしたがひて、「いかゞはせん。」とて、「まなこもこそふたつあれ。たゞひとつあるかゞみをたいまつる。」とて、うみにうちはめつればくちをし。されば、うちつけにうみはかゞみのおもてのごとなりぬれば、あるひとのよめるうた、
いたく、すみのえ、わすれぐさ、きしのひめまつなどいふかみにはあらずかし。めもうつら/\、かゞみにかみのこゝろをこそはみつれ。かぢとりのこゝろは、かみのみこゝろなりけり。
六日。みをつくしのもとよりいでゝ、なにはにつきて、かはじりにいる。みなひと%\、おんなおきな、ひたひにてをあてゝよろこぶことふたつなし。かのふなゑひのあはぢのしまのおほいこ、みやこちかくなりぬといふをよろこびて、ふなぞこよりかしらをもたげて、かくぞいへる、
いとおもひのほかなる人のいへれば、ひと%\あやしがる。これがなかに、こゝちなやむふなぎみいたくめでゝ、「ふなゑひしたうべりしみかほには、にずもあるかな。」といひける。
七日。けふかはじりにふねいりたちてこぎのぼるに、かはのみづひてなやみわづらふ。ふねのゝぼることいとかたし。かゝるあひだに、ふなぎみの病者、もとよりこち%\しきひとにて、かうやうのことさらにしらざりけり。かゝれども、あはぢたうめのうたにめでゝ、みやこほこりにもやあらん、からくしてあやしきうたひねりいだせり。そのうたは、
これはやまひをすればよめるなるべし。ひとうたにことあかねば、いまひとつ、
このうたは、みやこちかくなりぬるよろこびにたへずして、いへるなるべし。あはぢのごのうたにおとれり。「ねたき。いはざらましものを。」とくやしがるうちに、よるになりてねにけり。
八日。なほかはのぼりになづみて、とりかひのみまきといふほとりにとまる。こよひ、ふなぎみれいのやまひおこりて、いたくなやむ。あるひとあざらかなるものもてきたり。よねしてかへりごとす。をとこどもひそかにいふなり。「いひぼしてもつゝる。」とや。かうやうのことゝころ%\にあり。けふせちみすれば、いを不用。
九日。こゝろもとなさに、あけぬから、ふねをひきつゝのぼれども、かはのみづなければ、ゐざりにのみぞゐざる。このあひだに、わだのとまりのあかれのところといふところあり。よねいをなどこへば、おこなひつ。かくてふねひきのぼるに、なぎさの院といふところをみつゝゆく。その院、むかしをおもひやりてみれば、おもしろかりけるところなり。しりへなるをかには、まつのきどもあり。なかのにはには、むめのはなさけり。こゝにひと%\のいはく、「これむかしなだかくきこへたるところなり。故これたかのみこのおほんともに、故ありはらのなりひらの中將の、『よのなかにたへてさくらのさかざらばゝるのこゝろはのどけからまし』といふうたよめるところなりけり。」いま、けふあるひと、こゝろにゝたるうたよめり。
またあるひとのよめる、
といひつゝぞ、みやこのちかづくをよろこびつゝのぼる。かくのぼるひと%\のなかに、京よりくだりしときに、みなひと子どもなかりき。いたれりしくにゝてぞ、子うめるものどもありあへる。ひとみなふねのとまるところに、こをいだきつゝおりのりす。これをみて、むかしのこのはゝ、かなしきにたへずして、
といひてぞなきける。ちゝもこれをきゝていかゞあらん。かうやうのこともうたも、このむとてあるにもあらざるべし。もろこしもこゝも、おもふことにたへぬときのわざとか。こよひうどのといふところにとまる。
十日。さはることありてのぼらず。
十一日。あめいさゝかにふりてやみぬ。かくてさしのぼるに、ひんがしのかたにやまのよこほれるをみて、ひとにとへば、「やはたのみや。」といふ。これをきゝてよろこびて、ひと%\をがみたてまつる。やまざきのはしみゆ。うれしきことかぎりなし。こゝに相應寺のほとりに、しばしふねをとゞめて、とかくさだむることあり。このてらのきしほとりに、やなぎおほくあり。あるひと、このやなぎのかげのかはのそこにうつれるをみてよめるうた、
十二日。やまざきにとまれり。
十三日。なほやまざきに。
十四日。あめふる。けふくるま京へとりにやる。
十五日。けふくるまゐてきたり。ふねのむつかしさに、ふねよりひとのいへにうつる。このひとのいへ、よろこべるやうにてあるじゝたり。このあるじの、またあるじのよきをみるに、うたておもほゆ。いろ/\にかへりごとす。いへのひとのいでいりにくげならず、ゐやゝかなり。
十六日。けふのようさつかた、京へのぼるついでにみれば、やまざきのこひつのゑも、まがりのおほちのかたもかはらざりけり。うりびとのこゝろをぞしらぬとぞいふなる。かくて京へいくに、しまさかにて、ひとあるじしたり。かならずしもあるまじきわざなり。たちてゆきしときよりは、くるときぞひとはとかくありける。これにもかへりごとす。よるになして京にはいらんとおもへば、いそぎしもせぬほどにつきいでぬ。かつらがは、つきのあかきにぞわたる。ひと%\のいはく、「このかはあすかゞはにあらねば、ふちせさらにかはらざりけり。」といひて、あるひとのよめるうた、
またあるひとのいへる、
またあるひとよめりし、
京のうれしきあまりに、うたもあまりぞおほかる。よふけてくれば、ところ%\もみへず。京にいりたちてうれし。いへにいたりてかどにいるに、つきあかければ、いとよくありさまみゆ。きゝしよりもまして、いふかひなくぞこぼれやぶれたる。いへにあづけたりつるひとのこゝろも、あれたるなりけり。なかゞきこそあれ、ひとついへのやうなれば、のぞみてあづかれるなり。さるは、たよりごとに、ものもたへずえさせたり。こよひかゝることゝ、こわだかにものもいはせず。いとはつらくみゆれど、こゝろざしはせんとす。さていけめいてくぼまり、みづゝけるところあり。ほとりにまつもありき。いつとせむとせのうちに、千とせやすぎにけん、かたへはなくなりにけり。いまおひたるぞまじれる。おほかたの、みなあれにたれば、「あはれ。」とぞひと%\いふ。おもひいでぬことなく、おもひこひしきがうちに、このいへにてうまれしをんなごのもろともにかへらねば、いかゞはかなしき。ふなびともみなこたかりてのゝしる。かゝるうちに、なほかなしきにたへずして、ひそかにこゝろしれるひとゝいへりけるうた、
とぞいへる。なほあかずやあらん、またかくなん。
わすれがたく、くちをしきことおほかれど、えつくさず。とまれかうまれ、とくやりてん。
土佐日記(青谿書屋本・三條西家本) (Tosa nikki ) | ||