寸情風土記
泉鏡花 (Sunjo fudoki) | ||
寸情風土記
泉鏡花
金澤 ( かなざは ) の 正月 ( しやうぐわつ ) は、お 買初 ( かひぞ ) め、お 買初 ( かひぞ ) めの 景氣 ( けいき ) の 好 ( い ) い 聲 ( こゑ ) にてはじまる。 初買 ( はつがひ ) なり。 二日 ( ふつか ) の 夜中 ( よなか ) より 出 ( いで ) 立 ( た ) つ。 元日 ( ぐわんじつ ) は 何 ( なん ) の 商賣 ( しやうばい ) も 皆 ( みな ) 休 ( やす ) む。 初買 ( はつがひ ) の 時 ( とき ) 、 競 ( きそ ) つて 紅鯛 ( べにだひ ) とて 縁起 ( えんぎ ) ものを 買 ( か ) ふ。 笹 ( さゝ ) の 葉 ( は ) に、 大判 ( おほばん ) 、 小判 ( こばん ) 、 打出 ( うちで ) の 小槌 ( こづち ) 、 寶珠 ( はうしゆ ) など、 就中 ( なかんづく ) 、 緋 ( ひ ) に 染色 ( そめいろ ) の 大鯛 ( おほだひ ) 小鯛 ( こだひ ) を 結 ( ゆひ ) 付 ( つ ) くるによつて 名 ( な ) あり。お 酉樣 ( とりさま ) の 熊手 ( くまで ) 、 初卯 ( はつう ) の 繭玉 ( まゆだま ) の 意氣 ( いき ) なり。 北國 ( ほくこく ) ゆゑ 正月 ( しやうぐわつ ) はいつも 雪 ( ゆき ) なり。 雪 ( ゆき ) の 中 ( なか ) を 此 ( こ ) の 紅鯛 ( べにだひ ) 綺麗 ( きれい ) なり。 此 ( こ ) のお 買初 ( かひぞ ) めの、 雪 ( ゆき ) の 眞夜中 ( まよなか ) 、うつくしき 灯 ( ひ ) に、 新版 ( しんぱん ) の 繪草紙 ( ゑざうし ) を 母 ( はゝ ) に 買 ( か ) つてもらひし 嬉 ( うれ ) しさ、 忘 ( わす ) れ 難 ( がた ) し。
おなじく 二日 ( ふつか ) の 夜 ( よ ) 、 町 ( まち ) の 名 ( な ) を 言 ( い ) ひて、 初湯 ( はつゆ ) を 呼 ( よ ) んで 歩 ( ある ) く 風俗 ( ふうぞく ) 以前 ( いぜん ) ありたり、 今 ( いま ) もあるべし。たとへば、 本町 ( ほんちやう ) の 風呂屋 ( ふろや ) ぢや、 湯 ( ゆ ) が 沸 ( わ ) いた、 湯 ( ゆ ) がわいた、と 此 ( こ ) のぐあひなり。これが 半纏 ( はんてん ) 向 ( むか ) うはち 卷 ( まき ) の 威勢 ( ゐせい ) の 好 ( い ) いのでなく、 古合羽 ( ふるがつぱ ) に 足駄穿 ( あしだば ) き 懷手 ( ふところで ) して、のそり/\と 歩行 ( ある ) きながら 呼 ( よ ) ぶゆゑをかし。 金澤 ( かなざは ) ばかりかと 思 ( おも ) ひしに、 久須美佐渡守 ( くすみさどのかみ ) の 著 ( あらは ) す、( 浪華 ( なには ) の 風 ( かぜ ) )と 云 ( い ) ふものを 讀 ( よ ) めば、 昔 ( むかし ) 、 大阪 ( おほさか ) に 此 ( こ ) のことあり―― 二日 ( ふつか ) は 曉 ( あけ ) 七 ( なゝ ) つ 時 ( どき ) 前 ( まえ ) より 市中 ( しちう ) 螺 ( ほら ) など 吹 ( ふ ) いて、わいたわいたと 大聲 ( おほごゑ ) に 呼 ( よ ) びあるきて 湯 ( ゆ ) のわきたるをふれ 知 ( し ) らす、 江戸 ( えど ) には 無 ( な ) きことなり――とあり。
氏神 ( うぢがみ ) の 祭禮 ( さいれい ) は、 四五月頃 ( しごぐわつごろ ) と、 九十月頃 ( くじふぐわつごろ ) と、 春秋 ( しゆんじう ) 二度 ( にど ) づゝあり、 小兒 ( こども ) は 大喜 ( おほよろこ ) びなり。 秋 ( あき ) の 祭 ( まつり ) の 方 ( はう ) 賑 ( にぎは ) し。 祇園囃子 ( ぎをんばやし ) 、 獅子 ( しし ) など 出 ( い ) づるは 皆 ( みな ) 秋 ( あき ) の 祭 ( まつり ) なり。 子供 ( こども ) たちは、 手 ( て ) に 手 ( て ) に 太鼓 ( たいこ ) の 撥 ( ばち ) を 用意 ( ようい ) して、 社 ( やしろ ) の 境内 ( けいだい ) に 備 ( そな ) へつけの 大太鼓 ( おほだいこ ) をたゝきに 行 ( ゆ ) き、また 車 ( くるま ) のつきたる 黒塗 ( くろぬり ) の 臺 ( だい ) にのせて 此 ( こ ) れを 曳 ( ひ ) きながら 打 ( うち ) 囃 ( はや ) して 市中 ( しちう ) を 練 ( ね ) りまはる。ドヾンガドン。こりや、と 合 ( あひ ) の 手 ( て ) に 囃 ( はや ) す。わつしよい/\と 云 ( い ) ふ 處 ( ところ ) なり。
祭 ( まつり ) の 時 ( とき ) のお 小遣 ( こづかひ ) を 飴買錢 ( あめかひぜに ) と 云 ( い ) ふ。 飴 ( あめ ) が 立 ( た ) てものにて、 鍋 ( なべ ) にて 暖 ( あたゝ ) めたるを、 麻殼 ( あさがら ) の 軸 ( ぢく ) にくるりと 卷 ( ま ) いて 賣 ( う ) る。 飴 ( あめ ) 買 ( か ) つて 麻 ( あさ ) やろか、と 言 ( い ) ふべろんの 言葉 ( ことば ) あり。 饅頭 ( まんぢう ) 買 ( か ) つて 皮 ( かは ) やろかなり。 御祝儀 ( ごしうぎ ) 、 心 ( こゝろ ) づけなど、 輕少 ( けいせう ) の 儀 ( ぎ ) を、 此 ( これ ) は、ほんの 飴買錢 ( あめかひぜに ) 。
金澤 ( かなざは ) にて 錢 ( ぜに ) 百と 云 ( い ) ふは五 厘 ( りん ) なり、二百が一 錢 ( せん ) 、十 錢 ( せん ) が二 貫 ( くわん ) なり。たゞし、一 圓 ( ゑん ) を二 圓 ( ゑん ) とは 云 ( い ) はず。
蒲鉾 ( かまぼこ ) の 事 ( こと ) をはべん、はべんをふかしと 言 ( い ) ふ。 即 ( すなは ) ち 紅白 ( こうはく ) のはべんなり。 皆 ( みな ) 板 ( いた ) についたまゝを 半月 ( はんげつ ) に 揃 ( そろ ) へて 鉢肴 ( はちざかな ) に 裝 ( も ) る。 逢 ( あ ) ひたさに 用 ( よう ) なき 門 ( かど ) を 二度 ( にど ) 三度 ( さんど ) 、と 言 ( い ) ふ 心意氣 ( こゝろいき ) にて、ソツと 白壁 ( しろかべ ) 、 黒塀 ( くろべい ) について 通 ( とほ ) るものを、「あいつ 板附 ( いたつき ) はべん」と 言 ( い ) ふ 洒落 ( しやれ ) あり、 古 ( ふる ) い 洒落 ( しやれ ) なるべし。
お 汁 ( つゆ ) の 實 ( み ) の 少 ( すく ) ないのを、 百間堀 ( ひやくけんぼり ) に 霰 ( あられ ) と 言 ( い ) ふ。 田螺 ( たにし ) と 思 ( おも ) つたら 目球 ( めだま ) だと、 同 ( おな ) じ 格 ( かく ) なり。 百間堀 ( ひやくけんぼり ) は 城 ( しろ ) の 堀 ( ほり ) にて、 意氣 ( いき ) も 不意氣 ( ぶいき ) も、 身投 ( みなげ ) の 多 ( おほ ) き、 晝 ( ひる ) も 淋 ( さび ) しき 所 ( ところ ) なりしが、 埋立 ( うめた ) てたれば 今 ( いま ) はなし。 電車 ( でんしや ) が 通 ( とほ ) る。 滿員 ( まんゐん ) だらう。 心中 ( しんぢう ) したのがうるさかりなむ。
春雨 ( はるさめ ) のしめやかに、 謎 ( なぞ ) を 一 ( ひと ) つ。…… 何枚 ( なんまい ) 衣 ( き ) ものを 重 ( かさ ) ねても、お 役 ( やく ) に 立 ( た ) つは 膚 ( はだ ) ばかり、 何 ( なに ) ?…… 筍 ( たけのこ ) 。
然 ( しか ) るべき 民謠集 ( みんえうしふ ) の 中 ( なか ) に、 金澤 ( かなざは ) の 童謠 ( どうえう ) を 記 ( しる ) して( 鳶 ( とんび ) のおしろに 鷹匠 ( たかじよ ) が 居 ( ゐ ) る、あつち 向 ( む ) いて 見 ( み ) さい、こつち 向 ( む ) いて 見 ( み ) さい)としたるは 可 ( よ ) きが、おしろに 註 ( ちう ) して(お 城 ( しろ ) )としたには 吃驚 ( びつくり ) なり。おしろは 後 ( うしろ ) のなまりと 知 ( し ) るべし。 此 ( こ ) の 類 ( るゐ ) あまたあり。 茸狩 ( たけが ) りの 唄 ( うた ) に、( 松 ( まつ ) みゝ、 松 ( まつ ) みゝ、 親 ( おや ) に 孝行 ( かうかう ) なもんに 當 ( あた ) れ。) 此 ( こ ) の 松 ( まつ ) みゝに 又 ( また ) 註 ( ちう ) して、 松茸 ( まつたけ ) とあり。 飛 ( と ) んだ 間違 ( まちがひ ) なり。 金澤 ( かなざは ) にて 言 ( い ) ふ 松 ( まつ ) みゝは初茸なり。 此 ( こ ) の 茸 ( きのこ ) は、 松 ( まつ ) 美 ( うつく ) しく 草 ( くさ ) 淺 ( あさ ) き 所 ( ところ ) にあれば 子供 ( こども ) にも 獲 ( え ) らるべし。(つくしん 坊 ( ばう ) めつかりこ)ぐらゐな 子供 ( こども ) に、 何處 ( どこ ) だつて 松茸 ( まつたけ ) は 取 ( と ) れはしない。 一體 ( いつたい ) 童謠 ( どうえう ) を 收録 ( しうろく ) するのに、なまりを 正 ( たゞ ) したり、 當推量 ( あてずゐりやう ) の 註釋 ( ちうしやく ) は 大 ( だい ) の 禁物 ( きんもつ ) なり。
鬼 ( おに ) ごつこの 時 ( とき ) 、 鬼 ( おに ) ぎめの 唄 ( うた ) に、……(あてこに、こてこに、いけの 縁 ( ふち ) に 茶碗 ( ちやわん ) を 置 ( お ) いて、 危 ( あぶな ) いことぢやつた。) 同 ( おな ) じ 民謠集 ( みんえうしふ ) に、 此 ( こ ) のいけに( 池 ( いけ ) )の 字 ( じ ) を 當 ( あ ) ててあり。あの 土地 ( とち ) にて 言 ( い ) ふいけは 井戸 ( ゐど ) なり。 井戸 ( ゐど ) のふちに 茶碗 ( ちやわん ) ゆゑ、けんのんなるべし。(かしや、かなざもの、しんたてまつる 云々 ( うんぬん ) )これは 北海道 ( ほくかいだう ) の 僻地 ( へきち ) の 俚謠 ( りえう ) なり。 其處 ( そこ ) には、 金澤 ( かなざは ) の 人 ( ひと ) 多人數 ( たにんずう ) 、 移住 ( いぢう ) したるゆゑ、 故郷 ( こきやう ) にて、(加州金澤の新堅町の 云々 ( うんぬん ) )と 云 ( い ) ふのが、 次第 ( しだい ) になまりて(かしや、かなざものしんたてまつる。) 知 ( し ) るべし、 民謠 ( みんえう ) に 註 ( ちう ) の 愈々 ( いよ/\ ) 不可 ( ふか ) なること。
新堅町 ( しんたてまち ) 、 犀川 ( さいがは ) の 岸 ( きし ) にあり。こゝに 珍 ( めづら ) しき 町 ( まち ) の 名 ( な ) に、 大衆免 ( だいじめ ) 、 木 ( き ) の 新保 ( しんぽ ) 、 柿 ( かき ) の 木 ( き ) 畠 ( ばたけ ) 、 油車 ( あぶらぐるま ) 、 目細 ( めぼその ) 小路 ( せうぢ ) 、 四這坂 ( よつばひざか ) 。 例 ( れい ) の 公園 ( こうゑん ) に 上 ( のぼ ) る 坂 ( さか ) を 尻垂坂 ( しりたれざか ) は 何 ( どう ) した 事 ( こと ) ? 母衣町 ( ほろまち ) は、 十二階邊 ( じふにかいへん ) と 言 ( い ) ふ 意味 ( いみ ) に 通 ( かよ ) ひしが 今 ( いま ) は 然 ( しか ) らざる 也 ( なり ) 。―― 六斗林 ( ろくとばやし ) は 筍 ( たけのこ ) が 名物 ( めいぶつ ) 。 目黒 ( めぐろ ) の 秋刀魚 ( さんま ) の 儀 ( ぎ ) にあらず、 實際 ( じつさい ) の 筍 ( たけのこ ) なり。 百々女木町 ( どゞめきまち ) も 字 ( じ ) に 似 ( に ) ず 音 ( おん ) 強 ( つよ ) し。
買物 ( かひもの ) にゆきて 買 ( か ) ふ 方 ( はう ) が、(こんね)で、 店 ( みせ ) の 返事 ( へんじ ) が(やあ/\。) 歸 ( かへ ) る 時 ( とき ) 、 買 ( か ) つた 方 ( はう ) で、 有 ( あり ) がたう 存 ( ぞん ) じます、は 君子 ( くんし ) なり。――ほめるのかい――いゝえ。
地震 ( ぢしん ) めつたになし。しかし、 其 ( そ ) のぐら/\と 來 ( く ) る 時 ( とき ) は、 家々 ( いへ/\ ) に 老若 ( らうにやく ) 男女 ( なんによ ) 、 聲 ( こゑ ) を 立 ( た ) てて、 世 ( よ ) なほし、 世 ( よ ) なほし、 世 ( よ ) なほしと 唱 ( とな ) ふ。 何 ( なん ) とも 陰氣 ( いんき ) にて 薄氣味 ( うすきみ ) 惡 ( わる ) し。 雷 ( かみなり ) の 時 ( とき ) 、 雷 ( かみなり ) 山 ( やま ) へ 行 ( ゆ ) け、 地震 ( ぢしん ) は 海 ( うみ ) へ 行 ( ゆ ) けと 唱 ( とな ) ふ、たゞし 地震 ( ぢしん ) の 時 ( とき ) には 唱 ( とな ) へず。
火事 ( くわじ ) をみて、 火事 ( くわじ ) のことを、あゝ 火事 ( くわじ ) が 行 ( ゆ ) く、 火事 ( くわじ ) が 行 ( ゆ ) く、と 叫 ( さけ ) ぶなり。 彌次馬 ( やじうま ) が 駈 ( か ) けながら、 互 ( たがひ ) に 聲 ( こゑ ) を 合 ( あ ) はせて、 左 ( ひだり ) 、 左 ( ひだり ) 、 左 ( ひだり ) 、 左 ( ひだり ) 。
夏 ( なつ ) のはじめに、よく 蝦蟆賣 ( がまう ) りの 聲 ( こゑ ) を 聞 ( き ) く。 蝦蟆 ( がま ) や、 蝦蟆 ( がんま ) い、と 呼 ( よ ) ぶ。 又 ( また ) 此 ( こ ) の 蝦蟆賣 ( がまう ) りに 限 ( かぎ ) りて、十二三、四五 位 ( ぐらゐ ) なのが、きまつて 二人連 ( ふたりづ ) れにて 歩 ( ある ) くなり。よつて 怪 ( け ) しからぬ 二人連 ( ふたりづ ) れを、 畜生 ( ちくしやう ) 、 蝦蟆賣 ( がまうり ) め、と 言 ( い ) ふ。たゞし 蝦蟆 ( がま ) は 赤蛙 ( あかがへる ) なり。 蝦蟆 ( がま ) や、 蝦蟆 ( がんま ) い。――そのあとから 山男 ( やまをとこ ) のやうな 小父 ( をぢ ) さんが、 柳 ( やなぎ ) の 蟲 ( むし ) は 要 ( い ) らんかあ、 柳 ( やなぎ ) の 蟲 ( むし ) は 要 ( い ) らんかあ。
鯖 ( さば ) を、 鯖 ( さば ) や 三番叟 ( さんばそう ) 、とすてきに 威勢 ( ゐせい ) よく 賣 ( う ) る、おや/\、 初鰹 ( はつがつを ) の 勢 ( いきほひ ) だよ。 鰯 ( いわし ) は 五月 ( ごぐわつ ) を 季 ( しゆん ) とす。さし 網鰯 ( あみいわし ) とて、 砂 ( すな ) のまゝ、 笊 ( ざる ) 、 盤臺 ( はんだい ) にころがる。 嘘 ( うそ ) にあらず、 鯖 ( さば ) 、 鰡 ( ぼら ) ほどの 大 ( おほき ) さなり。 値 ( あたひ ) 安 ( やす ) し。これを 燒 ( や ) いて二十 食 ( く ) つた、 酢 ( す ) にして 十 ( とを ) 食 ( く ) つたと 云 ( い ) ふ 男 ( をとこ ) だて 澤山 ( たくさん ) なり。 次手 ( ついで ) に、 目刺 ( めざし ) なし。 大小 ( だいせう ) いづれも 串 ( くし ) を 用 ( もち ) ゐず、 乾 ( ほ ) したるは 干鰯 ( ひいわし ) といふ。 土地 ( とち ) にて、いなだは 生魚 ( なまうを ) にあらず、 鰤 ( ぶり ) を 開 ( ひら ) きたる 乾 ( ひ ) ものなり。 夏中 ( なつぢう ) の 好 ( いゝ ) 下物 ( さかな ) 、 盆 ( ぼん ) の 贈答 ( ぞうたふ ) に 用 ( もち ) ふる 事 ( こと ) 、 東京 ( とうきやう ) に 於 ( お ) けるお 歳暮 ( せいぼ ) の 鮭 ( さけ ) の 如 ( ごと ) し。 然 ( さ ) ればその 頃 ( ころ ) は、 町々 ( まち/\ ) 、 辻々 ( つじ/\ ) を、 彼方 ( あつち ) からも、いなだ一 枚 ( まい ) 、 此方 ( こつち ) からも、いなだ一 枚 ( まい ) 。
灘 ( なだ ) の 銘酒 ( めいしゆ ) 、 白鶴 ( はくつる ) を、 白鶴 ( はくかく ) と 讀 ( よ ) み、いろ 盛 ( ざかり ) をいろ 盛 ( もり ) と 讀 ( よ ) む。 娘盛 ( むすめざかり ) も 娘盛 ( むすめもり ) だと、お 孃 ( じやう ) さんのお 酌 ( しやく ) にきこえる。
南瓜 ( たうなす ) を、かぼちやとも、 勿論 ( もちろん ) 南瓜 ( たうなす ) とも 言 ( い ) はず 皆 ( みな ) ぼぶら。 眞桑 ( まくは ) を、 美濃瓜 ( みのうり ) 。 奈良漬 ( ならづけ ) にする 淺瓜 ( あさうり ) を、 堅瓜 ( かたうり ) 、 此 ( こ ) の 堅瓜 ( かたうり ) 味 ( あぢはひ ) よし。
蓑 ( みの ) の 外 ( ほか ) に、ばんどりとて 似 ( に ) たものあり、 蓑 ( みの ) よりは 此 ( こ ) の 方 ( はう ) を 多 ( おほ ) く 用 ( もち ) ふ。 磯 ( いそ ) 一峯 ( いつぽう ) が、(こし 地 ( ぢ ) 紀行 ( きかう ) )に 安宅 ( あたか ) の 浦 ( うら ) を一 里 ( り ) 左 ( ひだり ) に 見 ( み ) つゝ、と 言 ( い ) ふ 處 ( ところ ) にて、
( 大國 ( おほくに ) のしるしにや、 道 ( みち ) 廣 ( ひろ ) くして 車 ( くるま ) を 並 ( なら ) べつべし、 周道 ( しうだう ) 如砥 ( とのごとし ) とかや 言 ( い ) ひけん、 毛詩 ( まうし ) の 言葉 ( ことば ) まで 思 ( おも ) ひ 出 ( い ) でらる。 並木 ( なみき ) の 松 ( まつ ) 嚴 ( きび ) しく 聯 ( つらな ) りて、 枝 ( えだ ) をつらね 蔭 ( かげ ) を 重 ( かさ ) ねたり。 往來 ( わうらい ) の 民 ( たみ ) 、 長 ( なが ) き 草 ( くさ ) にて 蓑 ( みの ) をねんごろに 造 ( つく ) りて 目馴 ( めな ) れぬ 姿 ( すがた ) なり。)
と 言 ( い ) ひしはこれなるべし。あゝ 又 ( また ) 雨 ( あめ ) ぞやと 云 ( い ) ふ 事 ( こと ) を、 又 ( また ) ばんどりぞやと 云 ( い ) ふ 習 ( なら ) ひあり。
祭禮 ( さいれい ) の 雨 ( あめ ) を、ばんどり 祭 ( まつり ) と 稱 ( とな ) ふ。だんどりが 違 ( ちが ) つて 子供 ( こども ) は 弱 ( よわ ) る。
關取 ( せきとり ) 、ばんどり、おねばとり、と 拍子 ( ひやうし ) にかゝつた 言 ( ことば ) あり。 負 ( ま ) けずまふは、 大雨 ( おほあめ ) にて、 重湯 ( おもゆ ) のやうに 腰 ( こし ) が 立 ( た ) たぬと 云 ( い ) ふ 後言 ( しりうごと ) なるべし。
いつぞや、 同國 ( どうこく ) の 人 ( ひと ) の 許 ( もと ) にて、 何 ( なに ) かの 話 ( はなし ) の 時 ( とき ) 、 鉢前 ( はちまへ ) のバケツにあり 合 ( あは ) せたる 雜巾 ( ざふきん ) をさして、 其 ( そ ) の 人 ( ひと ) 、 金澤 ( かなざは ) で 何 ( な ) んと 言 ( い ) つたか 覺 ( おぼ ) えてゐるかと 問 ( と ) ふ。 忘 ( わす ) れたり。ぢぶきなり、 其 ( そ ) の 人 ( ひと ) 、 長火鉢 ( ながひばち ) を、 此 ( こ ) れはと 又 ( また ) 問 ( と ) ふ。 忘 ( わす ) れたり。 大和風呂 ( やまとぶろ ) なり。さて 醉 ( よつ ) ぱらひの 事 ( こと ) を 何 ( な ) んと 言 ( い ) つたつけ。 二人 ( ふたり ) とも 忘 ( わす ) れて、 沙汰 ( さた ) なし/\。
内證 ( ないしよ ) の 情婦 ( いろ ) のことを、おきせんと 言 ( い ) ふ。たしか 近松 ( ちかまつ ) の 心中 ( しんぢう ) ものの 何 ( なに ) かに、おきせんとて 此 ( こ ) の 言葉 ( ことば ) ありたり。どの 淨瑠璃 ( じやうるり ) かしらべたけれど、おきせんも 無 ( な ) いのに 面倒 ( めんだう ) なり。
眞夏 ( まなつ ) 、 日盛 ( ひざか ) りの 炎天 ( えんてん ) を、 門天心太 ( もんてんこゝろぷと ) と 賣 ( う ) る 聲 ( こゑ ) きはめてよし。 靜 ( しづか ) にして、あはれに、 可懷 ( なつか ) し。 荷 ( に ) も 涼 ( すゞ ) しく、 松 ( まつ ) の 青葉 ( あをば ) を 天秤 ( てんびん ) にかけて 荷 ( にな ) ふ。いゝ 聲 ( こゑ ) にて、 長 ( なが ) く 引 ( ひ ) いて 靜 ( しづか ) に 呼 ( よ ) び 來 ( きた ) る。もんてん、こゝろウぶとウ――
續 ( つゞ ) いて、 荻 ( をぎ ) 、 萩 ( はぎ ) の 上葉 ( うはは ) をや 渡 ( わた ) るらんと 思 ( おも ) ふは、 盂蘭盆 ( うらぼん ) の 切籠賣 ( きりこうり ) の 聲 ( こゑ ) なり。 青竹 ( あをだけ ) の 長棹 ( ながさを ) にづらりと 燈籠 ( とうろう ) 、 切籠 ( きりこ ) を 結 ( むす ) びつけたるを 肩 ( かた ) にかけ、 二 ( ふた ) ツ 三 ( み ) ツは 手 ( て ) に 提 ( さ ) げながら、 細 ( ほそ ) くとほるふしにて、 切籠 ( きりこ ) ゥ 行燈切籠 ( あんどんきりこ ) ――と 賣 ( う ) る、 町 ( まち ) の 遠 ( とほ ) くよりきこゆるぞかし。
氷々 ( こほり/\ ) 、 雪 ( ゆき ) の 氷 ( こほり ) と、こも 俵 ( だはら ) に 包 ( つゝ ) みて 賣 ( う ) り 歩 ( ある ) くは 雪 ( ゆき ) をかこへるものなり。 鋸 ( のこぎり ) にてザク/\と 切 ( き ) つて 寄越 ( よこ ) す。 日盛 ( ひざかり ) に、 町 ( まち ) を 呼 ( よ ) びあるくは、 女 ( をんな ) や 兒 ( こ ) たちの 小遣取 ( こづかひとり ) なり。 夜店 ( よみせ ) のさかり 場 ( ば ) にては、 屈竟 ( くつきやう ) な 若 ( わか ) い 者 ( もの ) が、お 祭騷 ( まつりさわ ) ぎにて 賣 ( う ) る。 土地 ( とち ) の 俳優 ( やくしや ) の 白粉 ( おしろい ) の 顏 ( かほ ) にて 出 ( で ) た 事 ( こと ) あり。 屋根 ( やね ) より 高 ( たか ) い 大行燈 ( おほあんどう ) を 立 ( た ) て、 白雪 ( しらゆき ) の 山 ( やま ) を 積 ( つ ) み、 臺 ( だい ) の 上 ( うへ ) に 立 ( た ) つて、やあ、がばり/\がばり/\と 喚 ( わめ ) く。 行燈 ( あんどう ) にも、 白山氷 ( はくさんこほり ) がばり/\と 遣 ( や ) る。はじめ、がばり/\は 雪 ( ゆき ) の 安賣 ( やすうり ) に 限 ( かぎ ) りしなるが、 次第 ( しだい ) に 何事 ( なにごと ) にも 用 ( もち ) ゐられて、 投賣 ( なげうり ) 、 棄賣 ( すてう ) り、 見切賣 ( みきりう ) りの 場合 ( ばあひ ) となると、 瀬戸物屋 ( せとものや ) 、 呉服店 ( ごふくみせ ) 、 札 ( ふだ ) をたてて、がばり/\。 愚案 ( ぐあん ) ずるに、がばりは 雪 ( ゆき ) を 切 ( き ) る 音 ( おと ) なるべし。
水玉草 ( みづたまさう ) を 賣 ( う ) る、 涼 ( すゞ ) し。
夜店 ( よみせ ) に、 大道 ( だいだう ) にて、 鰌 ( どぢやう ) を 割 ( さ ) き、 串 ( くし ) にさし、 付燒 ( つけやき ) にして 賣 ( う ) るを 關東燒 ( くわんとうやき ) とて 行 ( おこな ) はる。 蒲燒 ( かばやき ) の 意味 ( いみ ) なるべし。
四萬六千日 ( しまんろくせんにち ) は 八月 ( はちぐわつ ) なり。さしもの 暑 ( あつ ) さも、 此 ( こ ) の 夜 ( よ ) のころ、 觀音 ( くわんのん ) の 山 ( やま ) より 涼 ( すゞ ) しき 風 ( かぜ ) そよ/\と 訪 ( おと ) づるゝ、 可懷 ( なつか ) し。
唐黍 ( たうもろこし ) を 燒 ( や ) く 香 ( にほひ ) 立 ( た ) つ 也 ( なり ) 。
秋 ( あき ) は 茸 ( きのこ ) こそ 面白 ( おもしろ ) けれ。 松茸 ( まつたけ ) 、 初茸 ( はつたけ ) 、 木茸 ( きたけ ) 、 岩茸 ( いはたけ ) 、 占地 ( しめぢ ) いろ/\、 千本占地 ( せんぼんしめぢ ) 、 小倉占地 ( をぐらしめぢ ) 、 一本占地 ( いつぽんしめぢ ) 、 榎茸 ( えのきだけ ) 、 針茸 ( はりだけ ) 、 舞茸 ( まひだけ ) 、 毒 ( どく ) ありとても 紅茸 ( べにたけ ) は 紅 ( べに ) に、 黄茸 ( きだけ ) は 黄 ( き ) に、 白 ( しろ ) に 紫 ( むらさき ) に、 坊主茸 ( ばうずだけ ) 、 饅頭茸 ( まんぢうだけ ) 、 烏茸 ( からすだけ ) 、 鳶茸 ( とんびだけ ) 、 灰茸 ( はひだけ ) など、 本草 ( ほんざう ) にも 食鑑 ( しよくかん ) にも 御免 ( ごめん ) 蒙 ( かうむ ) りたる 恐 ( おそ ) ろしき 茸 ( きのこ ) にも、 一 ( ひと ) つ 一 ( ひと ) つ 名 ( な ) をつけて、 籠 ( かご ) に 裝 ( も ) り、 籠 ( こ ) に 狩 ( か ) る。 茸爺 ( きのこぢゞい ) 、 茸媼 ( きのこばゞ ) とも 名 ( な ) づくべき 茸狩 ( きのこが ) りの 古狸 ( ふるだぬき ) 。 町内 ( ちやうない ) に 一人 ( ひとり ) 位 ( ぐらゐ ) づゝ 必 ( かなら ) ずあり。 山入 ( やまいり ) の 先達 ( せんだつ ) なり。
芝茸 ( しばたけ ) と 稱 ( とな ) へて、 笠 ( かさ ) 薄樺 ( うすかば ) に、 裏白 ( うらじろ ) なる、 小 ( ちひ ) さな 茸 ( きのこ ) の、 山 ( やま ) 近 ( ちか ) く 谷 ( たに ) 淺 ( あさ ) きあたりにも 群生 ( ぐんせい ) して、 子供 ( こども ) にも 就中 ( なかんづく ) これが 容易 ( たやす ) き 獲 ( え ) ものなるべし。 毒 ( どく ) なし。 味 ( あぢ ) もまた 佳 ( よ ) し。 宇都宮 ( うつのみや ) にてこの 茸 ( きのこ ) 掃 ( は ) くほどあり。 誰 ( たれ ) も 食 ( しよく ) する 者 ( もの ) なかりしが、 金澤 ( かなざは ) の 人 ( ひと ) の 行 ( ゆ ) きて、 此 ( こ ) れは 結構 ( けつこう ) と 豆府 ( とうふ ) の 汁 ( つゆ ) にしてつる/\と 賞玩 ( しやうぐわん ) してより、 同地 ( どうち ) にても 盛 ( さかん ) に 取 ( と ) り 用 ( もち ) ふるやうになりて、それまで 名 ( な ) の 無 ( な ) かりしを 金澤茸 ( かなざはたけ ) と 稱 ( しよう ) する 由 ( よし ) 。 實説 ( じつせつ ) なり。
茹栗 ( ゆでぐり ) 、 燒栗 ( やきぐり ) 、 可懷 ( なつか ) し。 酸漿 ( ほうづき ) は 然 ( さ ) ることなれど、 丹波栗 ( たんばぐり ) と 聞 ( き ) けば、 里 ( さと ) 遠 ( とほ ) く、 山 ( やま ) 遙 ( はるか ) に、 仙境 ( せんきやう ) の 土産 ( みやげ ) の 如 ( ごと ) く 幼心 ( をさなごころ ) に 思 ( おも ) ひしが。
松蟲 ( まつむし ) や――すゞ 蟲 ( むし ) 、と 茣蓙 ( ござ ) きて、 菅笠 ( すげがさ ) かむりたる 男 ( をとこ ) 、 籠 ( かご ) を 背 ( せ ) に、 大 ( おほき ) な 鳥 ( とり ) の 羽 ( はね ) を 手 ( て ) にして 山 ( やま ) より 出 ( い ) づ。
こつさ いりんしんかとて 柴 ( しば ) をかつぎて、 ※ ( あね )
さん 被 ( かぶ ) りにしたる 村里 ( むらざと ) の 女房 ( にようばう ) 、 娘 ( むすめ ) の、 朝 ( あさ ) 疾 ( と ) く 町 ( まち ) に 出 ( い ) づる 状 ( さま ) は、 京 ( きやう ) の 花賣 ( はなうり ) の 風情 ( ふぜい ) なるべし。 六 ( むつ ) ツ 七 ( なゝ ) ツ 茸 ( きのこ ) を 薄 ( すゝき ) に 拔 ( ぬ ) きとめて、 手 ( て ) すさみに 持 ( も ) てるも 風情 ( ふぜい ) あり。渡鳥 ( わたりどり ) 、 小雀 ( こがら ) 、 山雀 ( やまがら ) 、 四十雀 ( しじふから ) 、 五十雀 ( ごじふから ) 、 目白 ( めじろ ) 、 菊 ( きく ) いたゞき、あとりを 多 ( おほ ) く 耳 ( みゝ ) にす。 椋鳥 ( むくどり ) 少 ( すくな ) し。 鶇 ( つぐみ ) 最 ( もつと ) も 多 ( おほ ) し。
じぶと 云 ( い ) ふ 料理 ( れうり ) あり。だししたぢに、 慈姑 ( くわゐ ) 、 生麩 ( なまぶ ) 、 松露 ( しようろ ) など 取合 ( とりあ ) はせ、 魚鳥 ( ぎよてう ) をうどんの 粉 ( こ ) にまぶして 煮込 ( にこ ) み、 山葵 ( わさび ) を 吸口 ( すひくち ) にしたるもの。 近頃 ( ちかごろ ) 頻々 ( ひんぴん ) として 金澤 ( かなざは ) に 旅行 ( りよかう ) する 人々 ( ひと/″\ ) 、 皆 ( みな ) その 調味 ( てうみ ) を 賞 ( しやう ) す。
蕪 ( かぶら ) の 鮨 ( すし ) とて、 鰤 ( ぶり ) の 甘鹽 ( あまじほ ) を、 蕪 ( かぶ ) に 挾 ( はさ ) み、 麹 ( かうぢ ) に 漬 ( つ ) けて 壓 ( お ) しならしたる、いろどりに、 小鰕 ( こえび ) を 紅 ( あか ) く 散 ( ち ) らしたるもの。 此 ( こ ) ればかりは、 紅葉先生 ( こうえふせんせい ) 一方 ( ひとかた ) ならず 賞 ( ほ ) めたまひき。たゞし、 四時 ( しじ ) 常 ( つね ) にあるにあらず、 年 ( とし ) の 暮 ( くれ ) に 霰 ( あられ ) に 漬 ( つ ) けて、 早春 ( さうしゆん ) の 御馳走 ( ごちそう ) なり。
さて、つまみ 菜 ( な ) 、ちがへ 菜 ( な ) 、そろへ 菜 ( な ) 、たばね 菜 ( な ) と、 大根 ( だいこ ) のうろ 拔 ( ぬ ) きの 葉 ( は ) 、 露 ( つゆ ) も 次第 ( しだい ) に 繁 ( しげ ) きにつけて、 朝寒 ( あさざむ ) 、 夕寒 ( ゆふざむ ) 、やゝ 寒 ( さむ ) 、 肌寒 ( はだざむ ) 、 夜寒 ( よさむ ) となる。 其 ( そ ) のたばね 菜 ( な ) の 頃 ( ころ ) ともなれば、 大根 ( だいこ ) の 根 ( ね ) 、 葉 ( は ) ともに 霜白 ( しもしろ ) し、 其 ( そ ) の 味 ( あぢ ) 辛 ( から ) し、 然 ( しか ) も 潔 ( いさぎよ ) し。
北國 ( ほくこく ) は 天 ( てん ) 高 ( たか ) くして 馬 ( うま ) 痩 ( や ) せたらずや。
大根曳 ( だいこひ ) きは、 家々 ( いへ/\ ) の 行事 ( ぎやうじ ) なり。 此 ( こ ) れよりさき、 軒 ( のき ) につりて 干 ( ほ ) したる 大根 ( だいこ ) を 臺所 ( だいどころ ) に 曳 ( ひ ) きて 澤庵 ( たくあん ) に 壓 ( お ) すを 言 ( い ) ふ。 今日 ( けふ ) は 誰 ( たれ ) の 家 ( いへ ) の 大根曳 ( だいこひ ) きだよ、などと 言 ( い ) ふなり。 軒 ( のき ) に 干 ( ほ ) したる 日 ( ひ ) は、 時雨 ( しぐれ ) 颯 ( さつ ) と 暗 ( くら ) くかゝりしが、 曳 ( ひ ) く 頃 ( ころ ) は 霙 ( みぞれ ) 、 霰 ( あられ ) とこそなれ。 冷 ( つめ ) たさ 然 ( さ ) こそ、 東京 ( とうきやう ) にて 恰 ( あたか ) もお 葉洗 ( はあらひ ) と 言 ( い ) ふ 頃 ( ころ ) なり。 夜 ( よる ) は 風呂 ( ふろ ) ふき、 早 ( は ) や 炬燵 ( こたつ ) こひしきまどゐに、 夏 ( なつ ) 泳 ( およ ) いだ 河童 ( かつぱ ) の、 暗 ( くら ) く 化 ( ば ) けて、 豆府 ( とうふ ) 買 ( か ) ふ 沙汰 ( さた ) がはじまる。
小著 ( せうちよ ) の 中 ( うち ) に、
其 ( そ ) の 雲 ( くも ) が 時雨 ( しぐ ) れ/\て、 終日 ( ひねもす ) 終夜 ( よもすがら ) 降 ( ふ ) り 續 ( つゞ ) くこと 二日 ( ふつか ) 三日 ( みつか ) 、 山陰 ( やまかげ ) に 小 ( ちひ ) さな 青 ( あを ) い 月 ( つき ) の 影 ( かげ ) を 見 ( み ) る 曉方 ( あけがた ) 、ぱら/\と 初霰 ( はつあられ ) 。さて 世 ( よ ) が 變 ( かは ) つた 樣 ( やう ) に 晴 ( は ) れ 上 ( あが ) つて、 晝 ( ひる ) になると、 寒 ( さむ ) さが 身 ( み ) に 沁 ( し ) みて、 市中 ( しちう ) 五萬軒 ( ごまんげん ) 、 後馳 ( おくれば ) せの 分 ( ぶん ) も、やゝ 冬構 ( ふゆがま ) へなし 果 ( は ) つる。やがて、とことはの 闇 ( やみ ) となり、 雲 ( くも ) は 墨 ( すみ ) の 上 ( うへ ) に 漆 ( うるし ) を 重 ( かさ ) ね、 月 ( つき ) も 星 ( ほし ) も 包 ( つゝ ) み 果 ( は ) てて、 時々 ( とき/″\ ) 風 ( かぜ ) が 荒 ( あ ) れ 立 ( た ) つても、 其 ( そ ) の 一片 ( いつぺん ) の 動 ( うご ) くとも 見 ( み ) えず。 恁 ( かく ) て 天 ( てん ) に 雪催 ( ゆきもよひ ) が 調 ( とゝの ) ふと、 矢玉 ( やだま ) の 音 ( おと ) たゆる 時 ( とき ) なく、 丑 ( うし ) 、 寅 ( とら ) 、 辰 ( たつ ) 、 巳 ( み ) 、 刻々 ( こく/\ ) に 修羅礫 ( しゆらつぶて ) を 打 ( うち ) かけて、 霰々 ( あられ/\ ) 、 又 ( また ) 玉霰 ( たまあられ ) 。
としたるもの、 拙 ( つたな ) けれども 殆 ( ほとん ) ど 實境 ( じつきやう ) 也 ( なり ) 。
化 ( ば ) かすのは 狐 ( きつね ) 、 化 ( ば ) けるのは 狸 ( たぬき ) 、 貉 ( むじな ) 。 狐 ( きつね ) 狸 ( たぬき ) より 貉 ( むじな ) の 化 ( ば ) ける 話 ( はなし ) 多 ( おほ ) し。
三冬 ( さんとう ) を 蟄 ( ちつ ) すれば、 天狗 ( てんぐ ) 恐 ( おそ ) ろし。 北海 ( ほくかい ) の 荒磯 ( あらいそ ) 、 金石 ( かないは ) 、 大野 ( おほの ) の 濱 ( はま ) 、 轟々 ( ぐわう/\ ) と 鳴 ( な ) りとゞろく 音 ( おと ) 、 夜毎 ( よごと ) 襖 ( ふすま ) に 響 ( ひゞ ) く。 雪 ( ゆき ) 深 ( ふか ) くふと 寂寞 ( せきばく ) たる 時 ( とき ) 、 不思議 ( ふしぎ ) なる 笛 ( ふえ ) 太鼓 ( たいこ ) 、 鼓 ( つゞみ ) の 音 ( おと ) あり、 山颪 ( やまおろし ) にのつてトトンヒユーときこゆるかとすれば、 忽 ( たちま ) ち 颯 ( さつ ) と 遠 ( とほ ) く 成 ( な ) る。 天狗 ( てんぐ ) のお 囃子 ( はやし ) と 云 ( い ) ふ。 能樂 ( のうがく ) の 常 ( つね ) に 盛 ( さかん ) なる 國 ( くに ) なればなるべし。 本所 ( ほんじよ ) の 狸囃子 ( たぬきばやし ) と、 遠 ( とほ ) き 縁者 ( えんじや ) と 聞 ( き ) く。
豆 ( まめ ) の 餅 ( もち ) 、 草餅 ( くさもち ) 、 砂糖餅 ( さたうもち ) 、 昆布 ( こんぶ ) を 切込 ( きりこ ) みたるなど 色々 ( いろ/\ ) の 餅 ( もち ) を 搗 ( つ ) き、 一番 ( いちばん ) あとの 臼 ( うす ) をトンと 搗 ( つ ) く 時 ( とき ) 、 千貫 ( せんぐわん ) 萬貫 ( まんぐわん ) 、 萬々貫 ( まん/\ぐわん ) 、と 哄 ( どつ ) と 喝采 ( はや ) して、 恁 ( かく ) て 市 ( いち ) は 榮 ( さか ) ゆるなりけり。
榧 ( かや ) の 實 ( み ) 、 澁 ( しぶ ) く 侘 ( わび ) し。 子供 ( こども ) のふだんには、 大抵 ( たいてい ) 柑子 ( かうじ ) なり。 蜜柑 ( みかん ) たつとし。 輪切 ( わぎ ) りにして 鉢 ( はち ) ものの 料理 ( れうり ) につけ 合 ( あ ) はせる。 淺草海苔 ( あさくさのり ) を一 枚 ( まい ) づゝ 賣 ( う ) る。
上丸 ( じやうまる ) 、 上々丸 ( じやう/\まる ) など 稱 ( とな ) へて 胡桃 ( くるみ ) いつもあり。 一寸 ( ちよつと ) 煎 ( い ) つて、 飴 ( あめ ) にて 煮 ( に ) る、これは 甘 ( うま ) い。
蓮根 ( はす ) 、 蓮根 ( はす ) とは 言 ( い ) はず、 蓮根 ( れんこん ) とばかり 稱 ( とな ) ふ、 味 ( あぢ ) よし、 柔 ( やはら ) かにして 東京 ( とうきやう ) の 所謂 ( いはゆる ) 餅蓮根 ( もちばす ) なり。 郊外 ( かうぐわい ) は 南北 ( なんぼく ) 凡 ( およ ) そ 皆 ( みな ) 蓮池 ( はすいけ ) にて、 花 ( はな ) 開 ( ひら ) く 時 ( とき ) 、 紅々 ( こう/\ ) 白々 ( はく/\ ) 。
木槿 ( むくげ ) 、 木槿 ( はちす ) にても 相 ( あひ ) 分 ( わか ) らず、 木槿 ( もくで ) なり。 山 ( やま ) の 芋 ( いも ) と 自然生 ( じねんじやう ) を、 分 ( わ ) けて 別々 ( べつ/\ ) に 稱 ( とな ) ふ。
凧 ( たこ ) 、 皆 ( みな ) いかとのみ 言 ( い ) ふ。 扇 ( あふぎ ) の 地紙形 ( ぢがみがた ) に、 兩方 ( りやうはう ) に 袂 ( たもと ) をふくらましたる 形 ( かたち ) 、 大々 ( だい/\ ) 小々 ( せう/\ ) いろ/\あり。いづれも 金 ( きん ) 、 銀 ( ぎん ) 、 青 ( あを ) 、 紺 ( こん ) にて、 圓 ( まる ) く 星 ( ほし ) を 飾 ( かざ ) りたり。 關東 ( くわんとう ) の 凧 ( たこ ) はなきにあらず、 名 ( な ) づけて 升凧 ( ますいか ) と 言 ( い ) へり。
地形 ( ちけい ) の 四角 ( しかく ) なる 所 ( ところ ) 、 即 ( すなは ) ち 桝形 ( ますがた ) なり。
女 ( をんな ) の 子 ( こ ) 、どうかすると十六七の 妙齡 ( めうれい ) なるも、 自分 ( じぶん ) の 事 ( こと ) をタアと 言 ( い ) ふ。 男 ( をとこ ) の 兒 ( こ ) は、ワシは 蓋 ( けだ ) しつい 通 ( とほ ) りか。たゞし 友達 ( ともだち ) が 呼 ( よ ) び 出 ( だ ) すのに、ワシは 居 ( ゐ ) るか、と 言 ( い ) ふ。 此 ( こ ) の 方 ( はう ) はどつちもワシなり。
お 螻 ( けら ) 殿 ( どの ) を、 佛 ( ほとけ ) さん 蟲 ( むし ) 、 馬追蟲 ( うまおひむし ) を、 鳴聲 ( なきごゑ ) でスイチヨと 呼 ( よ ) ぶ。 鹽買蜻蛉 ( しほがひとんぼ ) 、 味噌買蜻蛉 ( みそがひとんぼ ) 、 考證 ( かうしよう ) に 及 ( およ ) ばず、 色合 ( いろあひ ) を 以 ( もつ ) て 子供衆 ( こどもしう ) は 御存 ( ごぞん ) じならん。おはぐろ 蜻蛉 ( とんぼ ) を、 ※ ( ねえ )
さんとんぼ、 草葉螟蟲 ( くさばかげろふ ) は 燈心 ( とうしん ) とんぼ、 目高 ( めだか ) をカンタと 言 ( い ) ふ。螢 ( ほたる ) 、 淺野川 ( あさのがは ) の 上流 ( じやうりう ) を、 小立野 ( こだつの ) に 上 ( のぼ ) る、 鶴間谷 ( つるまだに ) と 言 ( い ) ふ 所 ( ところ ) 、 今 ( いま ) は 知 ( し ) らず、 凄 ( すご ) いほど 多 ( おほ ) く、 暗夜 ( あんや ) には 螢 ( ほたる ) の 中 ( なか ) に 人 ( ひと ) の 姿 ( すがた ) を 見 ( み ) るばかりなりき。
清水 ( しみづ ) を 清水 ( しやうづ ) 。―― 桂 ( かつら ) 清水 ( しやうづ ) で 手拭 ( てぬぐひ ) ひろた、と 唄 ( うた ) ふ。 山中 ( やまなか ) の 湯女 ( ゆな ) の 後朝 ( きぬ/″\ ) なまめかし。 其 ( そ ) の 清水 ( しやうづ ) まで 客 ( きやく ) を 送 ( おく ) りたるもののよし。
二百十日 ( にひやくとをか ) の 落水 ( おとしみづ ) に、 鯉 ( こひ ) 、 鮒 ( ふな ) 、 鯰 ( なまづ ) を 掬 ( すく ) はんとて、 何處 ( どこ ) の 町内 ( ちやうない ) も、若い 衆 ( しう ) は、 田圃 ( たんぼ ) 々々 ( /\ ) へ 總出 ( そうで ) で 騷 ( さわ ) ぐ。 子供 ( こども ) たち、 二百十日 ( にひやくとをか ) と 言 ( い ) へば、 鮒 ( ふな ) 、カンタをしやくふものと 覺 ( おぼ ) えたほどなり。
謎 ( なぞ ) また 一 ( ひと ) つ。 六角堂 ( ろくかくだう ) に 小僧 ( こぞう ) 一人 ( ひとり ) 、お 參 ( まゐ ) りがあつて 扉 ( と ) が 開 ( ひら ) く、 何 ( なに ) ?…… 酸漿 ( ほうづき ) 。
味噌 ( みそ ) の 小買 ( こがひ ) をするは、 質 ( しち ) をおくほど 恥辱 ( ちじよく ) だと 言 ( い ) ふ 風俗 ( ふうぞく ) なりし 筈 ( はず ) なり。 豆府 ( とうふ ) を 切 ( き ) つて 半挺 ( はんちやう ) 、 小半挺 ( こはんちやう ) とて 賣 ( う ) る。 菎蒻 ( こんにやく ) は 豆府屋 ( とうふや ) につきものと 知 ( し ) り 給 ( たま ) ふべし。おなじ 荷 ( に ) の 中 ( なか ) に 菎蒻 ( こんにやく ) キツトあり。
蕎麥 ( そば ) 、お 汁粉 ( しるこ ) 等 ( など ) 、 一寸 ( ちよつと ) 入 ( はひ ) ると、一ぜんでは 濟 ( す ) まず。二ぜんは 當前 ( あたりまへ ) 。だまつて 食 ( た ) べて 居 ( ゐ ) れば、あとから/\つきつけ 裝 ( も ) り 出 ( だ ) す 習慣 ( しふくわん ) あり。 古風 ( こふう ) 淳朴 ( じゆんぼく ) なり。たゞし二百が一 錢 ( せん ) と 言 ( い ) ふ 勘定 ( かんぢやう ) にはあらず、 心 ( こゝろ ) すべし。
ふと 思出 ( おもひだ ) したれば、 鄰國 ( りんごく ) 富山 ( とやま ) にて、 團扇 ( うちは ) を 賣 ( う ) る 珍 ( めづら ) しき 呼聲 ( よびごゑ ) を、こゝに 記 ( しる ) す。
團扇 ( うちは ) やア、 大團扇 ( おほうちは ) 。
うちは、かつきツさん。
いつきツさん。 團扇 ( うちは ) やあ。
もの 知 ( し ) りだね。
ところで 藝者 ( げいしや ) は、 娼妓 ( をやま ) は?……をやま、 尾山 ( をやま ) と 申 ( まを ) すは、 金澤 ( かなざは ) の 古稱 ( こしよう ) にして、 在方 ( ざいかた ) 鄰國 ( りんごく ) の 人達 ( ひとたち ) は 今 ( いま ) も 城下 ( じやうか ) に 出 ( い ) づる 事 ( こと ) を、 尾山 ( をやま ) にゆくと 申 ( まを ) すことなり。 何 ( なに ) 、その 尾山 ( をやま ) ぢやあない?……そんな 事 ( こと ) は、 知 ( し ) らない、 知 ( し ) らない。
寸情風土記
泉鏡花 (Sunjo fudoki) | ||