第二十五 高野聖 (Koyahijiri) | ||
25. 第二十五
「唯一筋でも巖を越して男瀧に縋りつかうとする形、それでも中を隔てられて末までは雫も通はぬので、揉まれ、搖られて具さに辛苦を甞めるといふ風情、此の方は姿も窶れ容も細つて、流るる音さへ別樣に、泣くか、怨むかとも思はれるが、あはれにも優しい女瀧ぢや。
男瀧の方はうらはらで、石を碎き、地を貫く勢、堂々たる有樣ぢや、之が二つの件の巖に當つて左右に分れて二筋となつて落ちるのが身に浸みて、女瀧の心を碎く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身を震はすやうで、岸に居てさへ體がわなゝく、肉が跳る。況して此の水上は、昨日孤家の婦人と水を浴びた處と思ふと、氣の精か其の女瀧の中に繪のやうな彼の婦人の姿が歴々、と浮いて出ると卷込まれて、沈んだと思ふと又浮いて、千筋に亂るゝ水とともに其の膚が粉に碎けて、花片が散込むやうな。あなやと思ふと更に、もとの顏も、胸も、乳も、手足も全き姿となつて、浮いつ沈みつ、ぱツと刻まれ、あツと見る間に又あらはれる。私は耐らず眞逆に瀧の中へ飛込んで、女瀧を確と抱いたとまで思つた。氣がつくと男瀧の方はどう/\と地響打たせて、山彦を呼んで轟いて流れて居る、あゝ其の力を以て何故救はぬ、儘よ!
瀧に身を投げて死なうより、舊の孤家へ引返せ。汚らはしい欲のあればこそ恁うなつた上に躊躇するわ、其顏を見て聲を聞けば、渠等夫婦が同衾するのに枕を並べて差支へぬ、それでも汗になつて修行をして、坊主で果てるよりは餘程の増ぢやと、思切つて戻らうとして、石を放れて身を起した、背後から一ツ背中を叩いて、
「やあ、御坊樣。」といはれたから、時が時なり、心も心、後暗いので吃驚して見ると、閻王の使ではない、これが親仁。
馬は賣つたか、身輕になつて、小さな包みを肩にかけて、手に一尾の鯉の、鱗は金色なる、溌刺として尾の動きさうな、鮮しい、其丈三尺ばかりなのを、顋に藁を通して、ぶらりと提げて居た。何にも言はず急にものもいはれないで瞻ると、親仁はじつと顏を見たよ。然うしてにや/\と、又一通りの笑ひ方ではないて、薄氣味の惡い北叟笑をして、
(何をしてござる、御修行の身が、この位の暑で、岸に休んで居さつしやる分ではあんめえ、一生懸命に歩行かつしやりや、昨夜の泊から此處まではたつた五里、もう里へ行つて地藏樣を拜まつしやる時刻ぢや。
何ぢやの、己が孃樣に念が懸つて煩惱が起きたのぢやの。うんにや、祕さつしやるな、おらが目は赤くツても、白いか黒いかはちやんと見える。
地體並のものならば、孃樣の手が觸つて那の水を振舞はれて、今まで人間で居やう筈はない。
牛か馬か、蟇か、猿か、蝙蝠か、何にせい飛んだり跳ねたりせねばならぬ。谷川から上つて來さしつた時、手足も顏も人ぢやから、おらあ魂消た位。お前樣それでも感心に志が堅固ぢやから助かつたやうなものよ。
何と、おらが曳いて行つた馬を見さしつたらう、それで、孤家へ來さつしやる山路で富山の反魂丹賣に逢はしつたといふではないか、それ見さつせい、彼の助倍野郎、疾に馬になつて、それ馬市で錢になつて、お錢が、そうら此の鯉に化けた。大好物で晩飯の菜になさる、お孃樣を一體何ぢやと思はつしやるの。」
私は思はず遮つた。
「お上人!」
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