University of Virginia Library

青山之沙汰

此經正十七の年、宇佐の勅使を承てくだられけるに、其時青山を給て、宇佐へ參り、御殿に向ひ參り、祕曲を彈給ひしかば、いつ聞馴たる事は無れ共、供の宮人推竝て、緑衣の袖をぞ絞ける。聞知らぬ奴子迄も村雨とは紛はじな。目出かりし事ども也。

彼青山と申す御琵琶は、昔仁明天皇御宇、嘉祥三年の春、掃部頭貞敏渡唐の時、大唐の琵琶博士廉妾夫に逢ひ、三曲を傳へて歸朝せしに、玄象、獅子丸、青山、三面の琵琶を相傳して渡りけるが、龍神や惜み給ひけん、浪風荒く立ければ、獅子丸をば海底に沈めぬ。今二面の琵琶を渡して、吾朝の御門の御寶とす。

村上聖代應和の比ほひ、三五夜中の新月白く冴え、凉風颯々たりし夜半に、御門清凉殿にして、玄象をぞ遊されける。時に影の如くなる者、御前に參じて、優にけだかき聲にて、唱歌を目出たう仕る。御門御琵琶を差置かせ給て、「抑汝は如何なる者ぞ。何くより來れるぞ。」と御尋あれば、「是は昔貞敏に三曲を傳へし大唐の琵琶博士、廉妾夫と申す者で候が、三曲の中、祕曲を一曲殘せるに依て、魔道に沈淪仕て候。今御琵琶の御撥音妙に聞えて侍る間、參入仕る處也。願くは此曲を君に授け奉り、佛果菩提を證すべき」由申て、御前に立られたる青山を取り、轉手をねぢて、祕曲を君に授け奉る。三曲の中に上玄、石上是也。其後は、君も臣も恐させ給て、此御琵琶を遊し彈く事もせさせ給はず、御室へ參せられたりけるを、經正の幼少の時御最愛の童形たるに依て、下し預りたりけるとかや。甲は紫藤の甲、夏山の嶺の緑の木間より、有明の月の出るを、撥面に書かれたりける故にこそ、青山とは附られたれ。玄象にも相劣らぬ希代の名物なりけり。