風雅和歌集序 (Fuga wakashu) | ||
20. 風雅和歌集卷第二十
賀歌
民部卿爲定
百首の歌奉りし時
皇太后宮大夫俊成
慶賀の歌とてよめる
俊頼朝臣
題しらず
大藏卿行宗
從三位頼政
前參議經盛、賀茂の社にて歌合し侍りけるに、祝の心を
冷泉前太政大臣
寳治の百首の歌の中に、寄日祝といふことを
山階入道前左大臣
花山院前内大臣
大江宗秀
おなじ心を
前大納言俊定
山月を
後山本前左大臣
嘉元の百首の歌に、祝
春宮大夫實夏
寄月祝を
二品法親王慈道
叙品の後、題をさぐりて歌よみ侍りけるに、禁中月といふ事を
貫之
延喜の御時、御屏風の歌
能宣朝臣
正月の頃ある所のうぶやにてよめる
法橋顯昭
人の家に子の日の小松をうゑて侍りけるに雪のふりかゝるを見てむすびつけゝる
能宣朝臣
清愼公の七十の賀の屏風の歌
權大納言長家
長元六年、内裏にて翫新成櫻花といふことを
中務
廉義公賀志侍りける時、屏風の繪に、人の花みてかへる所
前大納言爲氏
寳治元年三月三日西園寺へ御幸ありて翫花といふことを講ぜられけるに
山階入道前左大臣
右近大將通忠
深心院關白前左大臣
正和三年西園寺にて一切經供養せられける次の日、翫花といふ事を講ぜられけるに
山階入道前左大臣
後深草院少將内侍
入道前關白左大臣
藤を
從二位隆博
文永八年正月叙位に一級ゆるされ侍りけるに内裏にて、禁庭松久といふ事を講ぜられけるによみ侍りける
圓光院入道前關白太政大臣
嘉元二年、伏見院に三十首の歌奉りける時、社頭祝
祝部成仲
七十の賀しけるに人々の歌おくりて侍りければよみ侍りける
建禮門院右京大夫
小松内大臣の家に菊合し侍りけるに人にかはりてよみ侍りける
康資王母
前中納言匡房二度帥になりたるよろこび申しつかはすとて
土御門院小宰相
寳治の百首の歌の中に、寄松祝
後京極攝政前太政大臣
建仁元年三月、歌合に、寄神祇祝といふ事を
民部卿爲定
文保三年、百首の歌の中に
前大納言尊氏
建武元年中殿にて竹有佳色といふ事を講ぜられけるに
從二位爲子
後伏見院立坊のはじめつかた遊義門院よりたかむなのはうきを奉られて、これはすゞか、竹か、いづれと見わきてと女房の中へ仰事ありければ、つゝみ紙にかきつけ侍りける
宮内卿永範
法性寺入道前關白の家にて鶴契遐年といふ事をよみ侍りける
冷泉前太政大臣
續古今の竟宴に
後京極攝政前太政大臣
和歌所にて皇太后宮大夫俊成に九十の賀給はせける時
祝部成茂
七十の賀の後よみ侍りける
藤原光俊朝臣
寳治二年後嵯峨院に百首の歌奉りける時、杣山を
院御歌
百首の御歌の中に
寄國祝を
前左大臣
河といふ事を
祭主定忠
雜の歌に
如願法師
後鳥羽院の御時五人に二十首の歌をめして百首にかきなされける時、祝の歌
兼盛
天禄元年大甞會の悠紀方の屏風の歌、近江國勢多の橋をよめる
前中納言匡房
承保元年大甞會の巳の日の退出の音聲の樂急、ふなせのはし
おなじ屏風の歌、人の家の門田にいねかる所あり。
ひおきのむら人おほき所
寛治元年、大甞會の屏風に、小松原のもとにながるる水あり、その所にすむ人あり。
皇太后宮大夫俊成
仁安元年大甞會の辰の日の退出の音聲、音高山
正二位隆博
正應元年大甞會の主基方の屏風に、奈加良川岸菊盛開行人汲下流
前大納言俊光
永仁六年大甞會の悠紀方の屏風、長澤池端午日採菖蒲
正二位隆博
おなじ大甞會の主基方の屏風、増井納凉の人あり。
正二位隆教
暦應元年大甞會の悠紀方の神樂の歌、近江國鏡山
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