日光小品
芥川龍之介 (Nikko shohin) | ||
戦場が原
枯草の間を沼のほとりへ出る。
黄泥 ( こうでい ) の岸には、薄氷が残っている。 枯蘆 ( かれあし ) の根にはすすけた 泡 ( あぶく ) がかたまって、 家鴨 ( あひる ) の死んだのがその中にぶっくり浮んでいた。どんよりと濁った沼の水には青空がさびついたように映って、ほの白い雲の影が静かに動いてゆくのが見える。
対岸には 接骨木 ( にわとこ ) めいた 樹 ( き ) がすがれかかった黄葉を 低 ( た ) れて力なさそうに水にうつむいた。それをめぐって黄ばんだ 葭 ( よし ) がかなしそうに 戦 ( おのの ) いて、その間からさびしい高原のけしきがながめられる。
ほおけた尾花のつづいた大野には、北国めいた、黄葉した 落葉松 ( からまつ ) が所々に腕だるそうにそびえて、その間をさまよう放牧の馬の群れはそぞろに我々の祖先の水草を追うて漂浪した昔をおもい出させる。原をめぐった山々はいずれもわびしい灰色の霧につつまれて、薄い夕日の光がわずかにその頂をぬらしている。
私は荒涼とした思いをいだきながら、この水のじくじくした沼の岸にたたずんでひとりでツルゲーネフの森の旅を考えた。そうして枯草の間に 竜胆 ( りんどう ) の青い花が夢見顔に咲いているのを見た時に、しみじみあの I have nothing to do with thee という悲しい言が思い出された。
日光小品
芥川龍之介 (Nikko shohin) | ||