| 81 | Author: | Akutagawa, Ryunosuke | Add | | Title: | Yarigateke ni nobottaki | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 雑木の暗い林を出ると案内者がここが
赤沢
(
あかざわ
)
ですと言った。暑さと疲れとで目のくらみかかった自分は今まで下ばかり見て歩いていた。じめじめした
苔
(
こけ
)
の間に
鷺草
(
さぎぐさ
)
のような小さな紫の花がさいていたのは知っている。
熊笹
(
くまざさ
)
の折りかさなった中に
兎
(
うさぎ
)
の
糞
(
ふん
)
の白くころがっていたのは知っている。けれどもいったい林の中を通ってるんだか、やぶの中をくぐっているんだかはさっぱり見当がつかなかった。ただむやみに、岩だらけの路を登って来たのを知っているばかりである。それが「ここが赤沢です」と言う声を聞くと同時にやれやれ助かったという気になった。そうして首を上げて、今まで自分たちの通っていたのが、しげった雑木の林だったということを意識した。安心すると急に四方のながめが眼にはいるようになる。目の前には高い山がそびえている。高い山といっても平凡な、高い山ではない。
山膚
(
やまはだ
)
は白っちゃけた灰色である。その灰色に縦横の
皺
(
しわ
)
があって、くぼんだ所は
鼠色
(
ねずみいろ
)
の影をひいている。つき出た所ははげしい真夏の日の光で雪がのこっているのかと思われるほど白く輝いて見える。山の八分がこのあらい灰色の岩であとは黒ずんだ緑でまだらにつつまれている。その緑が縦にMの字の形をしてとぎれとぎれに山膚を縫ったのが、なんとなく荒涼とした思いを起させる。こんな山が
屏風
(
びょうぶ
)
をめぐらしたようにつづいた上には
浅黄繻子
(
あさぎじゅす
)
のように光った青空がある。青空には熱と光との暗影をもった、溶けそうな白い雲が銅をみがいたように輝いて、紫がかった鉛色の陰を、山のすぐれて高い頂にはわせている。山に囲まれた細長い渓谷は石で一面に埋められているといってもいい。大きなのやら小さなのやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク
壺
(
つぼ
)
のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数をつくしたような石が、雑然と狭い渓谷の急な斜面に
充
(
み
)
たされている。石の
洪水
(
こうずい
)
。少しおかしいが全く石の洪水という語がゆるされるのならまさしくそれだ。上の方を見上げると一草の緑も、一花の紅もつけない石の連続がずーうっと先の先の方までつづいている。いちばん遠い石は
蟹
(
かに
)
の
甲羅
(
こうら
)
くらいな大きさに見える。それが近くなるに従ってだんだんに大きくなって、自分たちの足もとへ来ては、一間に高さが五尺ほどの鼠色の四角な石になっている。荒廃と
寂寞
(
じゃくまく
)
――どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷との上に動いているような気がする。案内者が「赤沢の小屋ってなアあれですあ」と言う。自分たちの立っている所より少し低い所にくくりまくらのような石がある。それがまたきわめて大きい。動物園の象の足と鼻を切って、胴だけを三つ四つつみ重ねたらあのくらいになるかもしれない。その石がぬっと半ば起きかかった下に
焚火
(
たきび
)
をした跡がある。黒い燃えさしや、白い石がうずたかくつもっていた。あの石の下に寝るんだそうだ。夜中に何かのぐあいであの石が寝がえりを打ったら、下の人間はぴしゃんこになってしまうだろうと思う。渓谷の下の方はこの大石にさえぎられて何も見えぬ。目の前にひろげられたのはただ、長いしかも乱雑な石の排列、頭の上におおいかかるような灰色の山々、そうしてこれらを強く照らす真夏の白い日光ばかりである。 | | Similar Items: | Find |
84 | Author: | Arishima, Takeo | Add | | Title: | Boku no boshi no ohanashi | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 「僕の帽子はおとうさんが東京から買って来て下さったのです。ねだんは二円八十
銭
(
せん
)
で、かっこうもいいし、らしゃも上等です。おとうさんが大切にしなければいけないと
仰有
(
おっしゃ
)
いました。僕もその帽子が好きだから大切にしています。夜は寝る時にも手に持って寝ます」 | | Similar Items: | Find |
86 | Author: | Arishima, Takeo | Add | | Title: | Kain no matsuei | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 長い影を地にひいて、
痩馬
(
やせうま
)
の
手綱
(
たづな
)
を取りながら、
彼
(
か
)
れは黙りこくって歩いた。大きな汚い風呂敷包と一緒に、
章魚
(
たこ
)
のように頭ばかり大きい
赤坊
(
あかんぼう
)
をおぶった彼れの妻は、少し
跛脚
(
ちんば
)
をひきながら三、四間も離れてその跡からとぼとぼとついて行った。 | | Similar Items: | Find |
89 | Author: | Arishima, Takeo | Add | | Title: | Mizuno Senko shi no sakuhin ni tsuite | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 仙子氏とはとう/\相見る機會が來ない中に永い別れとなつた。手紙のやりとりが始つたのも、さう久しい前からのことではない。またその作品にも――創作を始めて以來、殊に讀書に
懶
(
ものう
)
くなつた私は――殆んど接したことがないといつていゝ位で過して來た。そのうちに仙子氏は死んでしまつた。その死後私は遺作の數々を讀まして貰つて、生前會つておくべき人に會はずにしまつたといふ
憾
(
うら
)
みを覺えることが深い。 | | Similar Items: | Find |
90 | Author: | Arishima, Takeo | Add | | Title: | Oborekaketa kyodai | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: |
土用波
(
どようなみ
)
という高い波が風もないのに海岸に
打寄
(
うちよ
)
せる
頃
(
ころ
)
になると、海水浴に
来
(
き
)
ている
都
(
みやこ
)
の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい
何所
(
どこ
)
から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。 | | Similar Items: | Find |
91 | Author: | Arishima, Takeo | Add | | Title: | Tsubame to oji | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: |
燕
(
つばめ
)
という鳥は所をさだめず飛びまわる鳥で、暖かい所を見つけておひっこしをいたします。今は日本が暖かいからおもてに出てごらんなさい。羽根がむらさきのような黒でお
腹
(
なか
)
が白で、のどの所に赤い
首巻
(
くびま
)
きをしておとう様のおめしになる
燕尾服
(
えんびふく
)
の
後部
(
うしろ
)
みたような、尾のある
雀
(
すずめ
)
よりよほど大きな鳥が目まぐるしいほど活発に飛び回っています。このお話はその燕のお話です。 | | Similar Items: | Find |
92 | Author: | Arishima, Takeo | Add | | Title: | Umareizuru nayami | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた。ねじ曲がろうとする自分の心をひっぱたいて、できるだけ伸び伸びしたまっすぐな明るい世界に出て、そこに自分の芸術の宮殿を築き上げようともがいていた。それは私にとってどれほど喜ばしい事だったろう。と同時にどれほど苦しい事だったろう。私の心の奥底には確かに――すべての人の心の奥底にあるのと同様な――火が燃えてはいたけれども、その火を
燻
(
いぶ
)
らそうとする
塵芥
(
ちりあくた
)
の
堆積
(
たいせき
)
はまたひどいものだった。かきのけてもかきのけても容易に火の燃え立って来ないような瞬間には私はみじめだった。私は、机の向こうに開かれた窓から、冬が来て雪にうずもれて行く一面の畑を見渡しながら、滞りがちな筆をしかりつけしかりつけ運ばそうとしていた。 | | Similar Items: | Find |
94 | Author: | Futabatei, Shimei | Add | | Title: | Yo ga genbun itchi no yurai | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 言文一致に就いての意見、と、そんな大した研究はまだしてないから、寧ろ一つ懺悔話をしよう。それは、自分が初めて言文一致を書いた由來――もすさまじいが、つまり、文章が書けないから始まったといふ一伍一什の顛末さ。 もう何年ばかりになるか知らん、余程前のことだ。何か一つ書いて見たいとは思ったが、元來の文章下手で皆目方角が分らぬ。そこで、坪内先生の許へ行って、何うしたらよからうかと話して見ると、君は圓朝の落語を知ってゐよう、あの圓朝の落語通りに書いて見たら何うかといふ。 | | Similar Items: | Find |
95 | Author: | Hayama, Yoshiki | Add | | Title: | Umi ni ikuru hitobito | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: |
室蘭港
(
むろらんこう
)
が奥深く[1]入り込んだ、その太平洋への
湾口
(
わんこう
)
に、
大黒島
(
だいこくとう
)
が
栓
(
せん
)
をしている。雪は、北海道の全土をおおうて地面から、雲までの厚さで横に降りまくった。 | | Similar Items: | Find |
96 | Author: | Izumi, Kyoka | Add | | Title: | Baishoku kamonanban | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | はじめ、目に着いたのは――ちと申兼ねるが、――とにかく、
緋縮緬
(
ひぢりめん
)
であった。その燃立つようなのに、朱で
処々
(
ところどころ
)
ぼかしの入った
長襦袢
(
ながじゅばん
)
で。女は
裙
(
すそ
)
を
端折
(
はしょ
)
っていたのではない。
褄
(
つま
)
を高々と掲げて、膝で挟んだあたりから、
紅
(
くれない
)
がしっとり垂れて、白い足くびを
絡
(
まと
)
ったが、どうやら濡しょびれた不気味さに、そうして引上げたものらしい。素足に染まって、その
紅
(
あか
)
いのが映りそうなのに、藤色の緒の重い厚ぼったい
駒下駄
(
こまげた
)
、泥まみれなのを、弱々と内輪に揃えて、
股
(
また
)
を一つ
捩
(
よじ
)
った姿で、
降
(
ふり
)
しきる雨の待合所の片隅に、腰を掛けていたのである。 | | Similar Items: | Find |
98 | Author: | Izumi, Kyoka | Add | | Title: | Gaisenmatsuri | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | 紫の幕、
紅
(
くれない
)
の旗、空の色の青く晴れたる、草木の色の緑なる、
唯
(
ただ
)
うつくしきものの
弥
(
いや
)
が上に重なり合ひ、
打混
(
うちこん
)
じて、
譬
(
たと
)
へば
大
(
おおい
)
なる
幻燈
(
うつしえ
)
の
花輪車
(
かりんしゃ
)
の輪を造りて、
烈
(
はげ
)
しく舞出で、舞込むが見え候のみ。何をか
緒
(
いとぐち
)
として順序よく申上げ候べき。全市街はその日朝まだきより、七色を以て彩られ候と申すより他はこれなく候。 | | Similar Items: | Find |
99 | Author: | Izumi, Kyoka | Add | | Title: | Getsurei junitai | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: |
山嶺
(
さんれい
)
の
雪
(
ゆき
)
なほ
深
(
ふか
)
けれども、
其
(
そ
)
の
白妙
(
しろたへ
)
に
紅
(
くれなゐ
)
の
日
(
ひ
)
や、
美
(
うつく
)
しきかな
玉
(
たま
)
の
春
(
はる
)
。
松籟
(
しようらい
)
時
(
とき
)
として
波
(
なみ
)
に
吟
(
ぎん
)
ずるのみ、
撞
(
つ
)
いて
驚
(
おどろ
)
かす
鐘
(
かね
)
もなし。
萬歳
(
まんざい
)
の
鼓
(
つゞみ
)
遙
(
はる
)
かに、
鞠唄
(
まりうた
)
は
近
(
ちか
)
く
梅
(
うめ
)
ヶ
香
(
か
)
と
相
(
あひ
)
聞
(
き
)
こえ、
突羽根
(
つくばね
)
の
袂
(
たもと
)
は
松
(
まつ
)
に
友染
(
いうぜん
)
を
飜
(
ひるがへ
)
す。をかし、
此
(
こ
)
のあたりに
住
(
すま
)
ふなる
橙
(
だい/\
)
の
長者
(
ちやうじや
)
、
吉例
(
きちれい
)
よろ
昆布
(
こんぶ
)
の
狩衣
(
かりぎぬ
)
に、
小殿原
(
ことのばら
)
の
太刀
(
たち
)
を
佩反
(
はきそ
)
らし、
七草
(
なゝくさ
)
の
里
(
さと
)
に
若菜
(
わかな
)
摘
(
つ
)
むとて、
讓葉
(
ゆづりは
)
に
乘
(
の
)
つたるが、
郎等
(
らうどう
)
勝栗
(
かちぐり
)
を
呼
(
よ
)
んで
曰
(
いは
)
く、あれに
袖形
(
そでかた
)
の
浦
(
うら
)
の
渚
(
なぎさ
)
に、
紫
(
むらさき
)
の
女性
(
によしやう
)
は
誰
(
た
)
そ。……
蜆
(
しゞみ
)
御前
(
ごぜん
)
にて
候
(
さふらふ
)
。 | | Similar Items: | Find |
100 | Author: | Izumi, Kyoka | Add | | Title: | Hakushaku no kanzashi | | | Published: | 2003 | | | Subjects: | Japanese Text Initiative | | | Description: | このもの
語
(
がたり
)
の起った土地は、清きと、美しきと、二筋の大川、市の両端を流れ、
真中央
(
まんなか
)
に城の天守なお高く
聳
(
そび
)
え、森黒く、
濠
(
ほり
)
蒼
(
あお
)
く、国境の山岳は
重畳
(
ちょうじょう
)
として、湖を包み、海に沿い、橋と、坂と、辻の柳、
甍
(
いらか
)
の浪の町を
抱
(
いだ
)
いた、北陸の都である。 | | Similar Items: | Find |
|