University of Virginia Library

4. 好色五人女巻四
戀草からけし八百屋物語

目録

  • 大節季はおもひの闇
    かり着の袖に二つ紋有
  • 虫出し神鳴もふんとしかきたる君樣
    化物おそれぬ新發意有
  • 雪の夜の情宿
    戀の道しる似せ商人有
  • 世に見をさめの櫻
    惜やすかたのちる人有
  • 樣子あつての俄坊主
    前髪は又花の風より哀有

4.1. 大節季はおもひの闇

ならひ風はげしく師走の空雲の足さへはやく春の事共取いそぎ餅突宿の隣には小 笹手毎に煤はきするもあり天秤のかわさえて取やりも世の定めとていそがし棚下を引 連立てこん/\小目くらにお壹文くだされませいの聲やかましく古札納めざつ木賣榧 かち栗かまくら海老通町にははま弓の出見世新物たび雪踏あしを空にしてと兼好が書 出しおもひ合て今も世帯もつ身のいとまなき事にぞ有けるはやおしつめて廿八日の夜 半にわや/\と火宅の門は車長持ひく音葛籠かけ硯かたに掛てにぐるも有穴藏の蓋と りあへずかる物をなけ込しに時の間の煙となつて燒野の雉子子を思ふがごとく妻をあ はれみ老母をかなしみそれ/\のしるべの方へ立のしきしは更に悲しさかぎりなかり き。爰に本郷邊に八百屋八兵衞とて賣人むかしは俗姓賎しからず此人ひとりの娘あり 名はお七といへり。年も十六花は上野の盛月は隅田川のかげきよくかゝる美女のある べきものか都鳥其業平に時代ちがひにて見せぬ事の口惜是に心を掛ざるはなし此人火 元ちかづけば母親につき添年比頼をかけし旦那寺駒込の吉祥寺といへるに行て當座の 難をしのぎける此人/\にかぎらずあまた御寺にかけ入長老樣の寐間にも赤子泣聲仏 前に女の二布物を取ちらし或は主人をふみこへ親を枕としわけもなく臥まろびて明れ ば鐃鉢鉦を手水だらいにしお茶湯天目もかりのめし椀となり此中の事なれば釋迦も見 ゆるし給ふべしお七は母の親大事にかけ坊主にも油斷のならぬ世中と萬に氣を付侍る 折ふしの夜嵐をしのぎかねしに亭坊慈悲の心から着替の有程出してかされける中に黒 羽二重の大ふり袖に梧銀季のならべ紋紅うらを山道のすそ取。わけらしき小袖の仕立 燒かけ殘りてお七心にとまり。いかなる上らうか世をはようなり給ひ形見もつらしと 此寺にあがり物かと我年の比おもひ出して哀にいたましくあひみぬ人に無常おこりて 思へば夢なれや。何事もいらぬ世や後生こそまことなれとしほ/\としづみ果。母人 の珠數袋をあけて願ひの玉のを手にかけ口のうちにして題目いとまなき折からやこと なき若衆の銀の毛貫片手に左の人さし指に有かなきかのとげの立けるも心にかゝると 暮方の障子をひらき身をなやみおはしけるを母人見かね給ひ。ぬきまゐらせんとその 毛貫を取て暫なやみ給へども老眼のさだかならず見付る事かたくて氣毒なる有さまお 七見しより我なら目時の目にてぬかん物をと思ひながら近寄かねてたゝずむうちに母 人よび給ひて。是をぬきてまゐらせよとのよしうれし。彼御手をとりて難儀をたすけ 申けるに。此若衆我をわすれて自が手を痛くしめさせ給ふをはなれがたかれども母の 見給ふをうたてく是非もなく立別れさまに覺て毛貫をとりて歸り又返しにと跡をした ひ其手を握かへせば是よりたがひの思ひとはなりけるお七次第にこがれて此若衆いか なる御方ぞと納所坊主に問ければあれは小野川吉三郎殿と申て先祖たゞしき御浪人衆 なるが。さりとはやさしく情のふかき御かたとかたるにぞなほおもひまさりて忍び/ \の文書て人しれずつかはしけるに便りの人かはりて結句吉三郎方よりおもはくかず /\の文おくりける心ざし互に入亂て是を諸思ひとや申べし兩方共に返事なしにいつ となく淺からぬ戀人こはれ人時節をまつうちこそうき世なれ大晦日はおもひの闇に暮 て明れば新玉の年のはじめ女松男松を立餝て暦みそめしにも姫はじめをかしかりきさ れどもよき首尾なくてつひに枕も定ず君がため若菜祝ひける日もをはりて九月十日過 十一日十二十三十四日の夕暮はや松のうちも皆になりて甲斐なく立し名こそはかなけ れ

4.2. 虫出しの神鳴もふんどしかきたる君樣

春の雨玉にもぬける柳原のあたりよりまゐりけるのよし十五日の夜半に外門あら けなく扣にぞ僧中夢おどろかし聞けるに米屋の八左衞門長病なりしが今宵相果申され しにおもひまうけし死人なれば夜のうちに野邊へおくり申度との使なり。出家の役な ればあまたの法師めしつれられ晴間をまたず傘をとり%\に御寺を出てゆき給し跡は 七十に餘りし庫裏姥ひとり十二三なる薪發意壹人赤犬ばかり殘物とて松の風淋しく虫 出しの神鳴ひゞき渡りいづれも驚て姥は年越の夜の煎大豆取出すなど天井のある小座 敷をたづねて身をひそめける母の親。子をおもふ道に迷ひ我をいたはり夜着の下へ引 よせきびしく鳴時は耳ふさげなど心を付給ひける女の身なれば。おそろしさかぎりも なかりきされ共吉三郎殿にあふべき首尾今宵ならではとおもふ下心ありて扨もうき世 の人何とて鳴神をおそれけるぞ。捨てから命すこしも我はおそろしからずと女のつよ からずしてよき事に無用の言葉すゑ/\の女共まで是をそしりける。やう/\更過て 人皆おのづからに寐入て鼾は軒の玉水の音をあらそひ雨戸のすきまより月の光もあり なしに静なるをりふし客殿をしのび出けるに身にふるひ出し足元も定かね枕ゆたかに 臥たる人の腰骨をふみてたましひ消がごとく胸いたく上氣して物はいはれず手をあは して。拜みしに此もの我をとがめざるを不思義と心をとめて詠めけるに食たかせける 女のむめといふ下子なりそれをのり越て行を此女裙を引とゞめける程に又胸さわぎし て我留るかとおもへばさにはあらず小判紙の壹折手にわたしけるさても/\いたづら 仕付てかゝるいそがしき折からも氣の付たる女ぞとうれしく方丈に行てみれども彼兒 人の寐姿見えぬはかなしくなつて臺所に出ければ姥目覺し今宵鼠めはとつぶやく片手 に椎茸のにしめ。あげ麺葛袋など取おくもをかししばしあつて我を見付て吉三郎殿の 寐所はその/\小坊主とひとつに三疊敷にと肩たゝいて小話ける思ひの外なる情しり 寺には惜やといとしくなりて。してゐる紫鹿子の帯ときてとらし姥がをしへるにまか せ行に夜や八つ比なるべし常香盤の鈴落てひゞきわたる事しばらくなり薪發意其役に や有つらん起あがりて糸かけ直し香もりつぎて座を立ぬ事とけしなく寐所へ入を待か ね女の出來こゝろにて髪をさばきこはい皃して闇がりよりおどしければ流石佛心そな はりすこしもおどろく氣色なく汝元來帯とけひろげにて世に徒ものやたちまち消され 此寺の大黒になり迄待と目を見ひらき申けるお七しらけて。はしり寄りこなたを抱て 寐にきたといひければ薪發意笑ひ吉三郎樣の事か。おれと今迄跡さして臥ける其證據 には是そとこぶくめの袖をかざしけるに。白菊などいへる留木のうつり香どうもなら ぬとうちやみ其寐間に入を薪發意聲立て。はあ。お七さまよい事をといひけるに又驚 き何ニ而もそなたのほしき物を調進ずべし。だまり給へといへばそれならば錢八十と 松葉屋のかるたと淺草の米まんぢう五つと世に是よりほしき物はないといへば。それ こそやすい事明日ははや/\遣し申べきと約束しける此小坊主枕かたむけ夜が明たら ば。三色もらふはず必もらふはずと夢にもうつゝにも申寐入に静りける其後は心まか せになりて吉三郎寐姿に寄添て何共言葉なくしどけなくもたれかゝれば吉三郎夢覺て なほ身をふるはし小夜着の袂を引かぶりしを引のけ髪に用捨もなき事やといへば吉三 郎せつなくわたくしは十六になりますといへばお七わたくしも十六になりますといへ ば吉三郎かさねて長老樣がこはやといふおれも長老樣はこはしといふ何とも此戀はじ めもどかし後はふたりながら涙をこぼし不埓なりしに又雨のあがり神鳴あらけなく ひゞきしに是は本にこはやと吉三郎にしがみ付けるにぞおのづからわりなき情ふかく ひえわたりたる手足やと肌へちかよせしにお七うらみて申侍るはそなた樣にもにくか らねばこそよしなき文給りながらかく身をひやせしは誰させけるぞと首筋に喰つきけ るいつとなくわけもなき首尾してぬれ初しより袖は互にかぎりは命と定ける程なくあ けぼのちかく谷中の鐘せはしく吹上の榎の木朝風はげしくうらめしや今寐ぬくもる間 もなくあかぬは別れ世界は廣し晝を夜の國もがなと俄に願ひとても叶はぬ心をなやま せしに母の親是はとたづね來てひつたてゆかれしおもへばむかし男の鬼一口の雨の夜 のこゝちして吉三郎あきれ果てかなしかりき薪發意は宵の事をわすれず今の三色の物 をたまはらずは今夜のありさまつげんといふ母親立歸りて。何事かしらね共お七が約 束せし物は我が請にたつといひ捨て歸られしいたづらなる娘もちたる母なれば。大方 なる事は聞ても合點してお七よりはなほ心を付て明の日はやく其もてあそびの品/\ 調ておくり給ひけるとや

4.3. 雪の夜の情宿

油斷のならぬ世の中に殊更見せまじき物は道中の肌付金酒の醉に脇指娘のきはに 捨坊主と御寺を立歸りて其後はきびしく改て戀をさきけるされ共下女が情にして文は 數通はせて心の程は互にしらせける有夕板橋ちかき里の子と見えて松露土筆を手籠に 入て世をわたる業とて賣きたれりお七親のかたに買とめける其暮は春ながら雪ふりや まずして里までかへる事をなげきぬ亭主あはれみて何ごゝろもなくつひ庭の片角にあ りて夜明なばかへれといはれしをうれしく牛房大根の莚かたよせ竹の小笠に面をかく し腰蓑身にまとひ一夜をしのぎける嵐枕にかよひ土間ひえあがりけるにぞ大かたは命 もあやうかりき次第に息もきれ眼もくらみし時お七聲して先程の里の子あはれやせめ て湯成共呑せよと有しに食燒の梅が下の茶碗にくみて久七にさし出しければ男請取て 是をあたへける忝き御心入といへばくらまぎれに前髪をなぶりて我も江戸においたら ば念者の有時分じやが痛しやといふいかにも淺ましくそだちまして田をすく馬の口を 取眞柴刈より外の事をぞんじませぬといへば足をいらひてきどくにあかゞりを切さぬ よ是なら口をすこしと口をよせけるに此悲しさ切なさ齒を喰しめて泪をこぼしけるに 久七分別していや/\根深にんにく喰し口中もしれすとやめける事のうれし其後寐 時 に成て下/\はうちつけ階子を登り二階にともし火影うすくあるじは戸棚の錠前に心 を付れば内義は火の用心能々云付てなほ娘に氣遣せられ中戸さしかためられしは戀路 つなきれてうたてし八つの鐘の鳴時面の戸扣て女と男の聲して申姥樣只今よろこびあ そばしましたがしかも若子樣にて旦那さまの御機嫌と頻によばはる家内起さわぎてそ れはうれしやと寐所より直に夫婦連立出さまにまくりかんぞうを取持てかたし%\の 草履をはきお七に門の戸をしめさせ急心ばかりにゆかれしお七戸をしめて歸りさまに 暮方里の子思ひやりて下女に其手燭まてとて面影をみしに豊に臥ていとゞ哀の増りけ る心よく有しを其まゝおかせ給へと下女のいへるを聞ぬ皃してちかくよれば肌につけ し兵部卿のかほり何とやらゆかしくて笠を取除みればやことなき脇顏のしめやかに鬢 もそゝけざりしをしばし見とれてその人の年比におもひいたして袖に手をさし入て見 るに淺黄はぶたへの下着是はとこゝろをとめしに吉三郎殿なり人のきくをもかまはず こりや何としてかゝる御すがたぞとしがみ付てなげきぬ吉三郎もおもてみあはせ物え いはざる事しばらかへてせめては君をかりそめに見る事ねがひ宵の憂思ひおぼしめし やられよとはじめよりの事共をつど/\にかたりければ菟角は是へ御入有て其御うら みも聞まゐらせんと手を引まゐらすれども宵よりの身のいたみ是非もなく哀なりやう /\下女と手をくみて車にかきのせてつねの寐間に入まゐらせて手のつゞくほどさす りて幾藥をあたへすこし笑ひ皃うれしく盃事して今宵は心に有程をかたりつくしなん とよろこぶ所へ親父かへらせ給ふにぞかさねて憂めにあひぬ衣桁のかげにかくしてさ らぬ有さまにていよ/\おはつ樣は親子とも御まめかといへば親父よろこびてひとり の姪なればとやかく氣遣せしに重荷おろしたと機嫌よく産着のもやうせんさく萬祝て 鶴龜松竹のすり箔はと申されけるにおそからぬ御事明日御心静にと下女も口/\に申 せばいや/\かやうの事ははやきこそよけれと木枕鼻紙をたゝみかけてひな形を切 るゝこそうたてけれやう/\其程過て色々たらしてねせまして語たき事ながらふすま 障子ひとへなればもれ行事をおそろしく灯の影に硯帋置て心の程を互に書て見せたり 見たり是をおもへば鴛のふすまとやいふべし夜もすがら書くどきて明がたの別れ又も なき戀があまりてさりとては物うき世や

4.4. 世に見をさめの櫻

それとはいはずに明暮女こゝろの墓なやあふべきたよりもなければある日風のは げしき夕暮に日外寺へにげ行世間のさわぎを思ひ出して又さもあらば吉三郎殿にあひ 見る事の種とも成なんとよしなき出來こゝろにして惡事を思ひ立こそ因果なれすこし の煙立さわぎて人々不思義と心懸見しにお七が面影をあらはしけるこれを尋しにつゝ まず有し通を語けるに世の哀とぞ成にけるけふは神田のくづれ橋に耻をさらし又は四 谷芝の淺草日本橋に人こぞりてみるに惜まぬはなし是を思ふにかりにも人は惡事をせ まじき物なり天是をゆるし給はぬなり此女思ひ込し事なれば身のやつるゝ事なくて毎 日有し昔のごとく黒髪を結せてうるはしき風情惜や十七の春の花も散%\にほとゝぎ すまでも惣鳴に卯月のはじめ。すがたさい後ぞとすゝめけるに心中更にたがはず夢幻 の中ぞと一念に仏國を願ひける心ざし去迚は痛しく手向花とて咲おくれし櫻を一本も たせけるに打詠て世の哀春ふく風に名を殘し。おくれ櫻のけふ散し身はと吟しけるを 聞人一しほにいたまはしく其姿をみおくりけるに限ある命のうち入相の鐘つく比品か はりたる道芝の邊にして其身はうき煙となりぬ人皆いづれの道にも煙はのかれず殊に 不便は是にぞ有けるそれはきのふ今朝みれば塵も灰もなくて鈴の森松風ばかり殘て旅 人も聞つたへて只は通らず廻向して其跡を吊ひけるされば其日の小袖郡内嶋のきれ% \迄も世の人拾もとめてすゑ/\の物語の種とぞ思ひける近付ならぬ人さへ忌日/\ にしきみ折立此女をとひけるに其契を込し若衆はいかにしてさい後を尋問ざる事の不 思義と諸人沙汰し侍る折節吉三郎は此女にこゝちなやみて前後を辨ず憂世の限と見え て便すくなく現のごとくなれば人/\の心得にて此事をしらせなばよもや命も有べき かつね%\申せし言葉のすゑ身の取置までしてさい後の程を待居しにおもへば人の命 やと首尾よしなに申なしてけふ明日の内には其人爰にましまして思ふまゝなる御けん などいひけるにぞ一しほ心を取直しあたへる藥を外になして君よ戀し其人まだかと そゞろ事いふほどこそあれしらずやけふははや三十五日と吉三郎にはかくして其女吊 ひけるそれより四十九日の餅盛などお七親類御寺に參てせめて其戀人を見せ給へと歎 きぬ樣子を語て又も哀を見給ふなればよし/\其通にと道理を責ければ流石人たる人 なれば此事聞ながらよもやながらへ給ふまじ深くつゝみて病氣もつゝがなき身折節お 七が申殘せし事共をも語りなぐさめて我子の形見にそれなりとも思ひはらしにと卒塔 婆書たてゝ手向の水も泪にかはかぬ石こそなき人の姿かと跡に殘りし親の身無常の習 とて是逆の世や

4.5. 樣子あつての俄坊主

命程頼みすくなくて又つれなき物はなし中/\死ぬればうらみも戀もなかりしに 百ケ日に當る日枕始て。あがり杖竹を便に寺中静に初立しけるに卒塔婆の薪しきに 心 を付てみしに其人の名に驚てさりとてはしらぬ事ながら人はそれとはいはじおくれた るやうに取沙汰も口惜と腰の物に手を掛しに法師取つきさま%\とゞめて迚も死すべ き命ならば年月語りし人に暇乞をもして長老さまにも其斷を立さい後を極め給へしか 子細はそなたの兄弟契約の御かたより當寺へ預ケ置給へば其御手前への難儀彼是覺し めし合られ此うへながら憂名の立ざるやうにといさめしに此斷至極して自害おもひ とゞまりて菟角は世にながらへる心ざしにはあらず其後長老へ角と申せばおどろかせ 給ひて其身は念比に契約の人わりなく愚僧をたのまれ預りおきしに其人今は松前に罷 て此秋の比は必爰にまかるのよしくれ%\此程も申越れしにそれよりうちに申事もあ らはさしあたつての迷惑我ぞかし兄分かへられてのうへに其身はいかやうともなりぬ べき事こそあれと色々異見あそばしければ日比の御恩思ひ合せて何か仰はもれしとお 請申あげしになほ心もとなく覺しめされては物を取てあまたの番を添られしに是非な くつねなるへやに入て人々に語しはさても/\わが身ながら世上のそしりも無念なり いまだ若衆を立し身のよしなき人のうき情にもだしがたくて剰其人の難儀此身のかな しさ衆道の神も佛も我を見捨給ひしと感涙を流し殊更兄分の人歸られての首尾身の立 へきにあらずそれより内にさい後急たしされ共舌喰切首しめるなど世の聞えも手ぬる し情に一腰かし給へなにながらへて甲斐なしと泪にかたるにぞ座中袖をしぼりてふか く哀みける此事お七親より聞つけて御歎尤とは存ながらさい後の時分くれ%\申置け るは吉三郎殿まことの情ならばうき世捨させ給ひいかなる出家にもなり給ひてかくな り行跡をとはせ給ひなばいかばかり忘れ置まじき二世迄の縁は朽まじと申置しと樣々 申せ共中々吉三郎聞分ずいよ/\思ひ極て舌喰切色めの時母親耳ちかく寄てしばし小 語申されしは何事にか有哉らん吉三郎うなづきて菟も角もといへり其後兄分の人も立 歸り至極の異見申盡て出家と成ぬ此前髪のちるあはれ坊主も剃刀なげ捨盛なる花に時 のまの嵐のごとくおもひくらぶれば命は有ながらお七さい期よりはなほ哀なり古今の 美僧是ををしまぬはなし惣じて戀の出家まことあり吉三郎兄分なる人も古里松前にか へり墨染の袖とはな/\取集たる戀や哀や無常也夢なり現なり